大東亜戦争は人種解放戦争であった
「猿の惑星」のサルは日本兵である


ア 戦争の背景 太田述正コラム#221(2004.1.3)

「<先の大戦>の原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内
容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列国の承認する処となら
ず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させる
に充分なものである。・・かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上
がった時に、之を抑へることは容易な業ではない。」(昭和天皇の1946年の
発言。「昭和天皇独白録」文春文庫24〜25頁)、「米英は自国の繁栄の為に
は他国家他民族を抑圧し特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行ひ大東
亜隷属化の野望を逞しうし遂には大東亜の安定を根底より覆さんとせり・・
大東亜戦争の原因茲に存す・・大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦
睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す・・大東亜各国は相互に其の伝統を尊重
し各民族の創造性を伸張し大東亜の文化を昂揚す・・大東亜各国は万邦との
交誼を篤うし人種差別を撤廃し普く文化を交流し進んで資源を開放し以て世
界の進運に貢献す」(1943年11月、東京における(日満支印比泰ビルマ七カ
国首脳による)大東亜会議で採択された大東亜宣言より。http://www004.
upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/tyosamit.html
(1月2日アクセス)、「実は東亜の他民族の協力を得ることが出来なかった
ことが今回の敗戦の原因であったと考えて居る。」(東条英機の「遺言」。
松本健一「大川周明−百年の日本とアジア−」(作品社1986年)367頁より孫
引き)

 以上が同時代人たる日本人の言(大東亜宣言もそう解してよかろう)です
が、若干外国人の言動等もご紹介しておきましょう。
 「<先の>大戦中、米国民であるはずの日系人12万人が、家や財産を没収
され、強制収用所に送られている。しかし、同じ敵性国民であった、ドイツ
系、イタリア系アメリカ人が、強制収用所に送られる事は無かった。」(武
田氏のサイト。http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/jhistd/jhist4_6.htm
(1月3日アクセス))、「インドネシアは、<戦後再植民地化のためにやっ
てきた>3万人のイギリス軍と15万人のオランダ軍による連合軍と、4年間に
渡る死闘を繰り広げ<1949年に独立を勝ち取っ>ている。・・インドネシア
人と共に戦った日本兵が約2000人もおり、この半数以上がインドネシア独立
の為に戦死している。・・住民80万人以上が犠牲となった。」(前掲武田氏
のサイト)、「抑圧されたアジア解放の聖なる誓いに身を捧げた魂よ!安ら
かなれ――あなた達の啓示を私は常に護持する」(原爆慰霊碑の文言、「安
らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」を見て憤激、慨嘆した東
京裁判のパル・インド人判事が1952年に書き記した文章。松本前掲377頁から
孫引き)、「日本人・・は他の東洋人と似たりよったりです。東洋人は勝利
者に追従し、敗者を軽蔑する傾向があります。・・・非常に孤立した、たち
おくれた<日本>国民・・仮にアングロ・サクソンが科学・芸術・神学・文
化の点で45歳だとすれば、ドイツ人もそれと同程度に成熟しています。しか
し・・現代文明の基準ではかれば、われわれが45歳であるのに対して、かれ
らは12歳の少年のようなものでしょう。」(1951年5月3日、米国議会上院の
軍事外交合同委員会におけるマッカーサーの証言。津野海太郎「物語・日本
人の占領」(平凡社)235〜236頁から孫引き)

 以上から、戦争の背景は欧米による有色民族の支配と抑圧であったと断言
していいでしょう。
 先の大戦の結果、日本が欧米列強の植民地支配を突き崩し、植民地原住民
を武装させたこと等を通じ、アジアの植民地原住民達は自立心と自立の手段
を付与され、戦後東アジアの植民地は解放され、やがて西アジアやアフリカ
の植民地も解放されるに至るのですから、この観点からは、先の大戦の勝利
者は日本であったことは明白です。(日本も台湾や朝鮮半島等で原住民の支
配と抑圧をしていたのではないか、との論点については、コラム#197、201、
219参照)。
 それにつけても、まるで分かっちゃいないマッカーサーの頭の固さには唖
然とするばかりです。(これはマッカーサーだけの問題ではありません。有
色人種差別は米国の原罪であることを、近々コラムに書きます。)(後略)


(私のコメント)

昨日のテレビ朝日の「たけしのこんなはずでは」で様々な映画のエピソードを取り上げていましたが、「猿の惑星の真実」として猿のモデルは日本兵であることを指摘していました。この事は原作者のピエール・ブール氏の経歴を見れば分かるとおり、大東亜戦争中の体験を下に描いたものです。それは、いままで猿と人間の中間種と見ていたアジア人に支配されると言う、白人の衝撃を小説にしたものだ。

1月24日の日記においても「大東亜戦争は植民地解放と人種差別撤廃に貢献した」を書きましたが、ヘレン・ミアーズ女史のみならず、フランス人の作家のピエール・ブール氏も、観点は違いますが、直接植民地を支配していた体験からも、大東亜戦争が植民地と人種差別による戦争であったことが述べられている。

ピーエール・ブール氏だけが特別人種差別的だったのかというとそうではない。これが欧米白人達の標準的認識であり、猿の仲間であるアジア人を植民地支配することは当然の事として見ていたのだ。しかしこれは歴史に詳しい人から見れば馬鹿げた論理であり、16世紀頃までの世界を見れば中東や東洋のほうが文化的にも栄えた先進国であり、ヨーロッパ人こそ野蛮人であった。

白人達がなぜ有色人種を猿に近いと看做すようになったのかは不明ですが、少なくともヨーロッパ人は歴史的に東洋人と交流があり、かつてはアラブ人たちから文化を学んだ。しかしアメリカ人は先住民族を滅ぼし建国した歴史を持つので、白人こそ最も優れた人種であるとする優生学を生み出した。太田述正氏は次のようにアメリカの優生学を指摘している。

(3)優生学 太田述正コラム#257(2004.2.12)

 ブラックの指摘を要約すると以下の通りです。
 20世紀に入って間もなく米国に優生学が生まれ、優生学者達は、社会的価
値のない人間は断種、隔離、更には安楽死の対象とすべきである、と主張し
始めた(A)。これは、今にして思えば、人種差別主義者がひねり出した疑似科
学に他ならなかった(C)。
 やがて優生学は、米国の著名な大学、研究所、財団で研究されるようにな
る。当時の米国の知性を象徴する大統領のウッドロー・ウイルソン、女性運
動家のマーガレット・サンガーや最高裁判事のオリバー・ウェンデル・ホー
ムズらもその熱心な賛同者だった。そして優生学は、米農務省、国務省を始
めとする連邦各省や各州で実践に移されるようになり、連邦最高裁の判決に
も影響を及ぼすに至った(例えば「オザワ判決」(コラム#254))
。(C)
 優生学者の中からは、長期にわたって米優生学会会長を勤めたレオン・ホ
イットニーらのように、北欧人種(Nordic race)が人類の中で優生学的に最も
優れた人種であり、この北欧人種がユダヤ人、黒人、スラブ人等、青い目と
ブロンドの髪を持たない人種との通婚によって汚染されつつあると唱える者
も出てきた。
(A)
 米国で優生学の考え方が登場した頃から、数多ある国々の中で、いち早く
これに注目し、最もその動向を熱心に追いかけた国がドイツだった。ミュン
ヘン一揆に失敗して1924年に投獄された(オーストリア出身の)ドイツ人、
アドルフ・ヒットラーは、獄中で米国の優生学者の著作に読みふける。
(1930年代の初めにヒットラーはホイットニーに、熱烈なファンレターを
寄せている。)ヒットラーは1927年に出版した著書「我が闘争」の中で、米
国の優生学とその米国での実践状況に何度も言及している。例えば、米国の
National Origins Act(「出身国別割当移民法」、或いは「排日移民法」。
1924年)(コラム#254)について、米国では優生学の考え方の下で「特定の
人種を帰化の対象から除外した」ことに敬意を持って言及している。(A)
 優生学的安楽死の手段として考え出されたものの一つがガスによる安楽死
であり、この論議の副産物が、1921年にネバダ州が初めて採用し、後に多く
の州に普及したガス室による死刑執行制度だった(A)。また、米国で少なく
とも6万人もの人々が各地の州法に基づき強制断種手術を施された(B)。
 1933年にヒットラーが独裁権を握ると、優生学はドイツで大規模かつ徹底
的に実行に移されて行く。強制断種手術は大々的に実施され、その先に待っ
ていたのはガス室によるユダヤ人のホロコーストであり、ジプシーの抹殺で
あり、東欧の蹂躙だった。(B)
(以上の典拠:Edwin Black, War Against the Weak・・Eugenics and
America's Campaign to Create a Master Race, Pub Group West, 2003
A:http://www.guardian.co.uk/g2/story/0,3604,1142027,00.html(2月6日
アクセス)からの孫引き、B:http://www.waragainsttheweak.com/intro.php
(2月10日アクセス。同書の序文)、C:http://www.waragainsttheweak.com/
(2月10日アクセス。著者による同書の紹介)

(私のコメント)
このようにナチスドイツのヒトラーの人種隔離政策のお手本はアメリカから学んでおり、アメリカこそ人種差別の総本山であった。このような事はイラク戦争におけるアラブ人に対する偏見にも現れており、アメリカ国内におけるアラブ系に対する差別的扱いにも垣間見られる。このような危険な状況が続いていけば、アラブ人やユダヤ人やその他の有色人種への迫害に繋がりかねないが、もはやアメリカは白人は少数派であり、WASPは19%に過ぎない。

このようなアメリカにおける人種差別に大きな転機となったのが大東亜戦争であり、陸軍では黒人は士官になれず、海軍では戦闘員にすらなれなかった。日本人の方はそうは見ていなくともアメリカや連合国側のプロパガンダはサルとの戦争と看做していた。2003年4月9日の日記でジョン・W・ダワー教授の「容赦なき戦争」を紹介しましたが、人種戦争の観点から書かれたもので参考になる。

ほとんどの日本人は現代のアメリカしか知らず、過去のアメリカがいかに人種差別的であったかを知る人は少ないが、それが日米の戦争の原因になったことを理解することが出来にくい原因だ。広島や長崎になぜ核爆弾が用いられたのかや、当時の国際法に違反していないにもかかわらず東京裁判で有罪にされA級戦犯として処刑されたのかを見ても、帝国への反乱者に対する処刑と同じ発想だったのだ。



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