株式日記と経済展望

ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


中国や韓国との講和条約締結でも日本の政治家は謝罪
し続けるのか。謝罪が利権の温床となっているからだ。


2005年5月15日 日曜日

敗戦国に謝罪の義務はありえず 5月14日 西尾幹二

《《《喜べない欧米からの評価》》》

 4月22日、バンドンの首脳会議で小泉首相が例によってわが国の「植民地支配」と「侵略」を謝って以来、私はずっと胃の腑(ふ)になにか消化の悪いものがたまっているような気分から解放されない。

 中国の無法に耐えて謝ったからではなく、謝罪演説が欧米で評判がいいと分かってかえって私は気分がすぐれない。

 中国が反日暴動に謝罪しない傲慢(ごうまん)さで世界の非難を浴びていたさなかだったので、小泉演説は大人の印象を与え、政治的に点数を稼いだ。米紙ウォールストリート・ジャーナルは25日「今度は北京が謝罪する番」と書いた。欧米や国連の論調はたしかに小泉氏に好意的だった。それだけに私はだんだん腹が立ってきた。中国の強圧的無礼に屈した形になったことより、外電が歓迎したことのほうが私にははるかに不快だった。

 アジア・アフリカ会議の出来事で欧米人がアジア人である日本人に点数をつけている。しかもドイツと比較している。そしてそれを日本人が喜んでいるような構図全体がこのまま固定したらひどくまずいな、と思った。アジアへの「植民地支配」と「侵略」をしたのはいったいどこの国々だったというのであろう。

 最近しきりに考えるのは、第一次世界大戦と第二次世界大戦とでは勝者の態度に異変が見られることである。

 第一次世界大戦では4年にわたって悲惨な戦争をして、最後には毒ガスまで出て、ヨーロッパは焦土と化した。インドの詩人タゴールは文明がもたらす非文明、ヨーロッパの野蛮を指摘した。ヨーロッパの内部からも強い反省の声がわき起り、「西欧の没落」という本が書かれ、不戦条約も作られた。

 しかし第二次世界大戦の後で欧米の勝者の中から反省の強い声が出てきたであろうか。惨劇の規模は前の戦争よりずっと大きかったのに、ナチスの悪口ばかり言って、ついに異なる戦争をした日本まで巻き添えにして、大量破壊史を展開した欧米人は、自己断罪を回避した。アジア・アフリカへの「植民地支配」と「侵略」を日本の首相が謝るのはおかしいのではないか。


《《《究極の選択としての戦争》》》

 ここで「謝る」とか「わびる」とかはどういうことかを原則から考えてみたい。

 国家同士も市民社会と同じように謝るべきことはある。幼児が罪を犯せば親が謝るようにクリントン前大統領は沖縄で起こった米兵による少女暴行事件に直ちに謝罪した。

 韓国の少女ひき逃げ事件ではアメリカはやり方を間違え、それが引き金で盧武鉉大統領を誕生させてしまうというヘマをしでかした。国家としての謝罪行為はいかに大切か。

 けれども、国家との間で断じて謝罪してはならないことが一つだけある。それは戦争に対してである。戦争は言葉の尽き果てた最後に、言うべきことを言い尽くし、屈辱を重ね、反論も謝罪も当然した揚げ句の果てにどうしようもなく、とうとう最後の手段として戦火の火ぶたが切られるという究極の事態であろう。

 勝敗は言葉とは別の手段、暴力で決する。敗者は反論を封じられる。海外の権益を奪われ、賠償を取られ、領土を失い、その他あらゆる屈辱が強いられ、外交上の発言力は低下するし、国益は守りにくくなる。苦しんだ揚げ句、やっと講和条約が結ばれる。これが「謝罪」である。


《《《ドイツも戦争は謝罪せず》》》 

 当然ながら、もうこれ以上二度と「謝罪」ということはあってはならない。なぜなら双方言い分を出し尽くした結果一致せず、相手を互いに不当と信じて突入するものが戦争であるから、事後の謝罪はあり得ない。謝罪する余地がないから戦争になったのではないか。敗者は暴力に屈しても内心に多くの不満を残し、正当性の感情を蔵している。つまり敗者には敗者になる前からの理があって、結果に必ずしも納得していない。不服従の感情を抱き続けている。

 それを鎮め癒すために講和がある。講和は勝者には報復の確認だが、敗者には二重謝罪を防ぐための確約である。戦後60年も経て日本の二重謝罪三重謝罪が当然視されるのは、地球上で日本を抑えつけておこうとする「戦争」が続いていることの何よりもの証拠であろう。日本が今後謝罪を繰り返すことは将来の戦争に道を開く行為である。

 なおドイツはナチスのホロコーストには謝罪しているが、侵略戦争には謝罪していない。最近各国からドイツに賠償要求の声が上がっている。ドイツは講和さえ結んでいない。戦後処理はやっとこれから始まるのである。間違えないで欲しい。


朝貢外交にいそしむ人々  3月7日 吉永俊朗

(前略) これは日本側に原因がある。日本政府ならびに官僚の中国に対する対応が余りにも弱腰だからである。日本の政治家が中国に行けば現ナマのお土産があるそうだ。北朝鮮に行けば、金塊のお土産に加えて、濃厚な女性のサービスもあるという。北朝鮮の話は金丸自民党元副総裁の一件からして尤もらしく聞こえるが、中国の話は眉唾だと思っていた。しかし、戦後綿々と続く日本の中国に対する朝貢外交を見ていると、案外本当の話ではないかという気がしてくる。なにしろ、中国に対するODA(政府開発援助)に熱心な旧田中派だけでなく、与野党問わず、歴代首相からして中国にへっぴり腰なのである。

たとえば、平成5年に非自民政権として首相に就任した細川首相は、首相就任後の記者会見で、大東亜戦争について「私自身は侵略戦争であった、間違った戦争であったと認識している」と語り、内外に大きな波紋を呼んだ。平成6年に就任した村山首相は、土井たか子衆議院議長を団長とする戦争謝罪使節団をアジア諸国に派遣したうえ、平成7年8月15日、「戦後50年の首相談話」として「日本の植民地支配と侵略によって、多くの人々、とくにアジアの諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた」と語り、これまた大きな反響を呼んだ。この村山謝罪外交に対しては、マレーシアのマハティール首相が「なぜ詫びるのか。米英は侵略しても詫びない」とたしなめたのは有名な逸話である。 

細川・村山の両首相はいずれも非自民政権だが、中国に対する朝貢外交では自民党の首相とて例外ではない。平成8年に総理になった橋本首相は、あろうことか中国の公安当局に属していたことのある朱連平という女性と極めて親密な仲になった疑惑があるうえ、中国への援助に極めて熱心だった。このほか、野中広務、加藤紘一、河野洋平、二階俊博など、親中国議員は目白押しである。政治家は中国に対するODA利権ほしさに中国にへつらっているのだろう。官僚にしても、外務省チャイナスクールの輩は日本の国益よりも中国の国益をまず考えている。中国に顔を向けて精勤すれば、中国が重用するから必ず出世できるのである。日本のために懸命に働いても誰も認めてくれず、中国からは疎まれ、ろくなことはないのである。こうして、日本の政治家と官僚は、揃って中国への朝貢外交に精を出しているのである。日本人としての矜持はどこへいったのか。

こうした日本の中国に対する朝貢外交は、第二次世界大戦後のことである。第二次世界大戦前は、日本はアジア諸国の中で唯一、中国に朝貢外交をしなかった誇り高い国であった。聖徳太子が、隋の煬帝に対し、「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや」との国書を送ったのは有名な話である。まして日本は中国との戦争でも負けていない。元寇も撃退したし、日清戦争にも勝った。それなのに戦後の日本は、中国に朝貢外交の連続である。田中首相は日本の自立を目指して日中国交回復を実現したと思うが、後に続く政治家・官僚の志・知的レベルが低く、中国に対等外交ができないのである。

中国に対し小泉政権もへっぴり腰だが、岡田民主党は中国にもっとへつらっている。昨年9月22日、台湾の新しい駐日代表になった許世楷氏が、着任挨拶のため岡田代表を訪問した際、岡田代表は「台湾の独立を支持しない」と言い放った。このことは、当日のNHKBSニュースで報道されたという。テレビカメラを入れたうえで、こうした発言をしたということは明らかに中国に対しての媚びた行動としか言いようがない。

それもこれも歴史の勉強が足らないからだと思う。自分自身で勉強していないため、戦後、マッカーサーが日本人の魂を骨抜きにしようとした「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(戦争犯罪宣伝計画)に見事に洗脳されているのである。元高千穂商科大学教授・名越二荒之助編『世界から見た大東亜戦争』、京都大学名誉教授・勝田吉太郎編『日本は侵略国家ではない』、黄文雄氏の『日本の植民地の真実』など一連の著作、柏楊氏が死を賭して書いた『醜い中国人』など、歴史および中国の真実を確かめて欲しい。読者には、実名を挙げて糾弾した『日本を貶める人々』を是非読んで、売国奴の政治家・知識人を確かめて欲しい。

 中国原子力潜水艦による日本領海侵犯事件について、米バンダービルド大学のジェームス・アワー教授は、「日本の中国への批判は、なぜか控えめである。中国の主権侵害への対応を誤れば、日本の尊厳を損なうことになるし、弱腰の対応にとどまれば中国の主権侵害を増長させるだけだ。法的に正しく、強い対応をとってこそ、尊厳は保たれる」と極めて明快に述べている。中国の不当な圧力に屈せず、小泉首相には来年こそ、8月15日に靖国神社に参拝して欲しいものである。

月刊「労働レーダー」(平成17年1月号)


(私のコメント)
昨日の続きになりますが、大東亜戦争の総括が日本国民の手で行われないのは、どうしても天皇の戦争責任に触れずに総括することが不可能であり、その事が学会の研究にも響いてきている。その原因としては東京裁判史観を絶対のものとする洗脳工作が行われ、日本国民を思考停止状態に追い込んでいる勢力があるからだ。

大学の法学部で国際法を学べば、東京裁判というものがいかに不当なものであるかということが考えればわかることなのですが、日本の大学生も思考停止状態が続き、記憶力のいいだけの秀才エリートが外務官僚となり、日本の外交を左右している。しかし国際法では戦争も外交の一手段であり、戦後においても戦争は数多くありますが戦争そのものを裁いた裁判はない。

東京裁判そのものもパリ不戦条約の侵略戦争を違法とする根拠で裁いたのですが、侵略の定義がなく、国連においても侵略戦争が違法とされたのは74年になってからだ。つまり74年に出来た法律を元に東京裁判が裁けるわけはないのであり、東京裁判は勝者による敗者への報復でしかなかったことは明らかだ。

しかし大東亜戦争により多くの犠牲者が生じたことは悲しむべきことであり、日本としては被害国へ謝罪して講和条約が結ばれたのですが、その後においても中国や韓国は謝罪を要求してくるのはなぜなのか。日本国内の勢力と結託して謝罪と賠償金となるODAなどの金が一部キックバックされて政治家の利権となったことが原因だ。

小泉首相が北朝鮮との国交回復に積極的なのも、北朝鮮に対する「賠償ビジネス利権」があるからだ。中国にしろ韓国にしろ賠償金がいったん外国政府を経由すれば金はどのように行ったのかを精査する手段がなくなるし、足のつかない政治資金が日本の政治家に手に入ることになる。政党の党首や派閥の領袖にはよだれの出る話だ。

中国や韓国への賠償ビジネスはなくなりつつあるから、政治家達はこれからはアフリカなどにコネを作りに熱心に訪問を重ねることだろう。鈴木宗男もアフリカへは熱心に訪問を重ねていた。最近は民主党の岡田代表も熱心にアフリカを訪問するようになった。当然話し合われることは経済援助の話だ。

民主党:岡田代表、中東アフリカ歴訪へ GW中に

民主党の岡田克也代表は大型連休中の29日から来月5日まで、パレスチナやスーダンなど中東・アフリカ4カ国を歴訪する。外交問題でも「政権準備政党」としての存在感をアピールするのが狙いだ。

 アフリカ行きは、7月に英国で開かれる主要国首脳会議(グレンイーグルズ・サミット)の議題がアフリカ支援策となるため。内戦が続くスーダンを視察し、支援策を提言したいとの思いもある。岡田氏はまた、96年に各国の国会議員らによる国際選挙監視団に参加してパレスチナを訪れるなど中東問題に以前から関心が強いという。

 ただ、7月には「次期衆院選の前哨戦」と位置付ける都議選があり、党内からは「選挙対策を優先すべきだ」と疑問の声も出ている。【衛藤達生】

毎日新聞 2005年4月21日 20時04分

鈴木宗男氏のアフリカ経済援助“差配”の数々 2001/6/6 週刊メールジャーナル

現在、鈴木氏は自民党対外経済協力特別委員長として、外務省のODA利権 を握り“差配”している。  最近の夕刊紙や週刊誌で取り上げられた問題のひとつが、ケニアでの175 億円にのぼる水力発電事業である。現地では農地が荒れるなどとして反対運動 が起き、政治問題化している。  この事業の推進役となったのは、ケニア共和国議連の会長であり、官房副長 官時代にはモイ大統領と会談、迅速な援助を約束した鈴木氏だと言われいる。  しかしなぜか鈴木氏は問題が大きくなってからは、「事業のことは知ってい るものの、外務省その他に口を利いたこともなければ推進もしていない」と、 異常なほどの否定ぶりだ。  鈴木氏が外務政務次官時代の平成3年には南アフリカを訪れて、アパルトヘ イト(人種隔離政策)撤廃について協議、民主化の推進を要請している。官房 副長官時代には、先のケニアだけでなく日本のODAの“目玉”とされたスエ ズ運河架橋事業で、エジプト側と何度も交渉を重ねている。  平成11年10月、ユネスコ(国連教育文化機関)の事務局長に松浦晃一郎 駐仏大使が選出されたが、その根回しを果たしたのは票(国数)の多いアフリ カ諸国に“顔”を持つ鈴木氏だったという。  また、緒方貞子氏とともに訪問した森喜朗前総理のアフリカ行きも、同氏と 外務官僚の根回しの成果だとされている。(本誌1月10日号で既報)  そうした努力の一面は買うが、それが国内土建工事と同じ利権感覚の延長線 上にあるのだとしたら、今後ともケニア問題同様、批判されなければならな い。



(私のコメント)
日本国内の公共事業利権が少なくなってODA利権が政治家達の資金源となっている。中国や韓国も経済援助の復活の為に反日デモを仕掛けるようになりましたが、国内でも謝罪外交に対する批判が強まって中国や韓国への経済援助の復活は難しいだろう。岡田民主党が政権を取ればわかりませんが。このように日本の政治家が謝罪外交を繰り返した訳は利権がらみでもあったのだ。




「昭和天皇は終戦時、退位すべきだった」菅氏発言
昭和天皇の戦争責任の問題を国民は回避すべきでない


2005年5月14日 土曜日

「昭和天皇は終戦時、退位すべきだった」菅氏発言

民主党の菅直人元代表は八日午前のフジテレビの「報道2001」で、日中間の歴史認識問題に関連し、「日本自身がやったことを日本人がどう判断するかが問われている」と指摘したうえで「日本自身が、日本の負ける戦争をやった責任を何一つ問わなかった。天皇陛下は退位されたほうがよかった」と、終戦時に昭和天皇が退位することで戦争責任を明確にすべきだったとの考えを示した。
 菅氏はその理由として「明治憲法下で基本的には天皇機関説的に動いていたから(昭和天皇に)直接的な政治責任はない。しかし象徴的にはある。一つのけじめを政治的にも象徴的にもつけるべきだった」と語った。
(産経新聞) - 5月9日4時59分更新

米より中国重視?政権取りへ持論 民主・岡田代表が講演

民主党の岡田克也代表は十一日、東京・西早稲田の早稲田大学大学院で「政権党を創(つく)る」と題した講演を行った。四月の衆院統一補選での全敗を受け、求心力の低下がささやかれているなか、「岡田政権」の外交ビジョンや財政再建などの政策を大学院生らに披露。政権取りに向けた姿勢をアピールした。
 講演で岡田氏は、外交政策について「経済は相互依存が進んでおり、最大の貿易相手国は中国だ。東アジア共同体を目指したい」と述べ、中国を軸とする対アジア外交を重視する姿勢を強調する一方、対米関係については、「現在の日米同盟はいびつだ」などと批判した。
 内政では「政権をとったら最初の三年間は大きな増税はしない」と明言。さらに公共事業削減などで十兆円の歳出削減を目指す−などと“選挙公約”のオンパレード。
 菅直人元代表が昭和天皇の戦争責任に関し「(終戦時に)退位した方がよかった」と発言したことについて「退位していれば、国はまとまらなかった」としながらも、「どこかの段階で昭和天皇が歴史的なことについてお考えをお話しになる、あるいは途中で次に譲ることもあってよかったのではないか」と述べた。
 
(産経新聞) - 5月12日2時55分更新

国会NOW:「大勲位」から菅氏まで 天皇退位論 5月10日 JANJAN

民主党の菅直人氏がフジテレビの番組で、昭和天皇の戦争責任をめぐって、天皇は退位した方がよかったと述べたという。筆者は同番組を見ていないので新聞報道で知るのみである。読売新聞によると「少なくとも(終戦時に)天皇は退位された方がよかった。天皇に直接的責任はないが、象徴的にはある」と述べたという。(YOMIURI ON LINEを参照)

 この発言に反響があったようで、菅氏は自分のウェブサイトで「賛否両論のご意見をいただいた。冷静な意見が大半だが、『どこどこの手先か』といったレッテル張りの批判もいくつかある。内容に関しての意見は大いに歓迎だが、レッテル張りは議論とはいえない」と書いている。その通りだ。冷静な議論が必要だ。(詳しくは同氏のサイトへ

 昭和天皇退位論といえば、昭和27年(1952年)1月31日、衆院予算委員会で、中曽根康弘氏(当時33歳)が質問したことがもっとも有名だろう。天皇の戦争責任について、「戦争の形式的責任がない」としながらも、「過去の戦争について人間的苦悩を感ぜられておられることもあり得る」と述べ、自身で「御退位」の意思があるなら政府はどう考えるかとただした。サンフランシスコ講和条約も発効するという区切りの年であった。(詳しくは国会会議録検索システムへ

 これに対し、時の首相、吉田茂は「非国民と思う」と答えた。「非国民」というレッテルを、それも国会の場で、貼られながら中曽根氏は後に首相となり、大勲位菊花大綬章なのだから、したたかなものである。中曽根氏自身、この質問はよく覚えていて、後に「(天皇は戦争について)御自ら心の痛みを感じておられる」「そういう意思を表明している」などと語っている。(朝日文庫「日本とドイツ 深き淵より」所収の「日独の違い」中曽根康弘元首相に聞く」を参照)

 天皇の戦争責任問題については、▽日本政府はポツダム宣言を国体護持すなわち天皇制維持ができると解釈して受諾した。これがその後の政策の基本方針となった▽東京裁判での訴追対象とならなかった▽マッカーサーも訴追に反対していた▽一方で国際世論には戦犯論があり、日本の知識人の間に退位論があった、という戦中から戦後にかけての事情をよく押さえて議論する必要がある。論者に対して単純なレッテル貼りすれば済むものでない。

 中曽根質問には政治的な背景もある。当時、中曽根氏は保守合同する前の野党、国民民主党の所属である。前年のサンフランシスコ講和条約調印のための全権団に国民民主党代表も参加したものの、権力争いとしては自由党と対立していた。(中曽根氏の経歴や活動については、「中曽根康弘の世界」のサイトも参照)

 政治路線も、吉田が日米安保に頼り、憲法改正はしないとするのに対し、中曽根氏らは自主憲法制定である。吉田は占領軍・米国を後ろ盾にしつつ、「臣吉田茂」と自称する。天皇への忠誠を示してみせる。しかし、ワンマンに不満も募っていた。中曽根氏は、その吉田を揺さぶったのである。

 菅氏の発言は、戦後60年を迎えるのに当たって、戦争をめぐる問題がなお決算ができていないことを言おうとしたのだとすれば、議論の契機とすればよい。ただ、テレビでなく、中曽根氏のように国会でやってほしい。中曽根氏、および吉田の発言をいま改めて読むと、おもしろい。水準の高さを感じる。それは永久に公式記録として残る。

(浜田秀夫)


(私のコメント)
大東亜戦争を総括する際には天皇の戦争責任についてあるのかないのかについて議論しなければならないのですが、微妙な問題であるために政治家を始めとして国民も思考停止状態が続いてしまっている。天皇ご自身も語られないし質問することも宮内庁から禁止された。しかしこの問題を回避してはA級戦犯の問題から東京裁判の正当性から憲法問題や大東亜戦争の歴史的評価までそれがネックになって前に進まない。

8日のフジテレビの「報道2001」を見ていたら民主党の菅前代表が天皇の戦争責任のことに触れていましたが、これは西部氏の大東亜戦争に対する見方として「白人支配からの解放戦争であった」という見解に対する流れとして出てきたものだ。このような見解は株式日記でも何度となく主張してきたのですが、ようやくテレビでも評論家でもこのような発言が出来るようになった。

戦後60年間の中国や韓国からの謝罪要求に対する日本の政治家の謝罪外交は、大東亜戦争に対する見方を歪めるものであり、それが中国や韓国の外交カードとして利用までされるようになった。しかしこの原因を作ったのは日本の左翼メディアであり左翼団体であった。つまり歴史を材料にして日本の左翼メディアと中国と韓国が連合して自民党政府を攻撃して、終いには自民党内部も橋本派のような親中派が主導権をとるようになった。

このような状況では私のような民族主義者は保守反動のレッテルを貼られて世間からはまったく相手にされない状況が続いた。経済政策では反米的であり、政治外交としては反中国北朝鮮なのですが、これでは単なる排外主義ですが、逆に言えば経済面では中国と共闘できる面もあるし、政治外交としてはアメリカと連帯して中国に対抗できる面もあるので、排外主義ではなく現実的な民族主義を主張している。

「報道2001」においての菅氏の天皇の戦争責任の問題についても、そろそろ率直な議論も出来る状況になってきたと思うのですが、右翼や左翼のレッテル張りに終始する状況は好ましくない。天皇の戦争責任を論ずるには東京裁判の不当性から糾弾すべきなのでしょうが、学会やマスメディアなども東京裁判史観に毒されて議論にならなかった。

株式日記においても東京裁判の不当性を書いてきたのですが、戦争は国際法に違反した犯罪なのかというとそうではない。戦争が犯罪とするならばアメリカが一番の犯罪者である。東京裁判の時においても法的な根拠に問題がありましたが、当時の日本はどうすることも出来なかった。しかし現代は日本が国連の常任理事国として認められるためには東京裁判の不当性を世界に主張すべき時なのだ。

左翼はよくドイツは謝罪したのに日本は謝罪していないと主張するが、東京裁判とニュルンベルク裁判とは性格が大きく違う。ニュルンベルク裁判では「非人道的犯罪」つまりユダヤ人大虐殺に関与したものが死罪になったが、戦争犯罪そのものについては10年程度の懲役で済んでいる。ところが東京裁判ではユダヤ人大虐殺のようなことがなかったにもかかわらず7人もの死刑が出されている。不当に重い判決だ。

そのために南京大虐殺が東京裁判で突然出てきましたが、30万人もの一般市民が殺されたという物的な証拠も目撃証言もないままに松井大将は処刑された。単なる戦争犯罪だけで7人もの死刑判決が出され終身刑が16人も下された。ニュルンベルク裁判に比べると不当に重い判決が下された。その証拠に後日、刑が赦免されているのはいかに東京裁判が政治的なショーであったかを物語っている。

天皇の戦争責任を考えるならば、たとえ天皇が東京裁判で裁かれたとしても、国際常識的な判断からすれば有罪ではあっても退位する程度で済んだのではないかと思う。東条英機にしても懲役刑程度で済んだはずだ。ニュルンベルク裁判ではヒトラーの後を継いだデーニッツ提督ですら10年の懲役刑で済んでいる。

だからアメリカの思惑としては日本を二度と立ち上がらせないために、そして精神的に痛めつけるために広島長崎を原爆の実験場として使い、東京空襲で10万人もも一般市民を殺し、東京裁判でナチスドイツと比べて極めて思い判決を下して見せしめたのだ。当時は現代ほど人種差別に対する批判がなかったから日本人の命は極めて軽く見られたのだ。それはアメリカ国内で日系人の強制収容所が出来たことが証明している。

しかし大東亜戦争の結果としては白人の植民地支配の時代は終わり、アジアやアフリカの諸国は次々と独立するようになり、白人も有色人種も平等であることが認められるようになったが、大東亜戦争がなければ有色人種はいつまでも猿の仲間として人間としてみなされなかっただろう。これは大げさな表現ではなく今でも白人の一部は心の奥底では有色人種を劣等人種としてみている。日本が米英と対等に戦ったからこそ人間としてみなされることになったのだ。

だから「報道2001」で西部氏が大東亜戦争を「白人支配からの解放戦争」とみなせば、東京裁判も白人達の最後の悪あがきであったことも証明される。であるならば天皇の戦争責任の問題も、アジアの解放者としての天皇の歴史的位置付けも変わってくることになり、歴史的に見ても偉大な功績を残したとして称えられるべきものである。

靖国神社には”A級戦犯”は祭られてはいない --- 昭和28年8月の国会で名誉回復がなされている 2004年3月5日 金曜日 株式日記




米、北の核実験阻止へ先制空爆立案 北核実験なら
「死の灰で東京、ソウルの市場混乱」CIA元高官


2005年5月13日 金曜日

北核実験なら「死の灰で東京、ソウルの市場混乱」CIA元高官 5月10 産経新聞

【ワシントン=近藤豊和】米紙、ワシントン・ポストは、米中央情報局(CIA)の元高官が米主要企業を対象に、北朝鮮が核実験を強行した場合の最悪のシナリオとして、「放射性物質が外部に放出され、東京やソウルの市場は大混乱に陥る」などと説明していた、と伝えた。

 6日付同紙によると、この元高官は、昨年末に東アジア部門責任者でCIAを退職、現在、コンサルティング会社、コントロールリスクグループの上級副社長を務めるアーサー・ブラウン氏。

 機密情報に基づく同氏の分析によると、最悪の場合、北朝鮮の核実験施設は、「死の灰」である放射性物質の放出を防ぐ十分な措置が取られていないため、同物質が漏出して風に乗り日本まで到達する可能性がある。

 その結果、東京やソウルの株式市場などは大暴落を引き起こし、特にソウルに進出している外国企業は撤退か規模縮小を迫られることになる。

 ブラウン氏はまた、「金正日(総書記)は核クラブ入りを最終目標にしており、すぐに核兵器実験を行うと確信している」と断言している。


米、北の核実験阻止へ先制空爆立案 5月7日 産経新聞

米NBCテレビは6日、北朝鮮が準備していると伝えられる核実験を阻止するため、米軍が実験場など核施設への「先制空爆」を行う緊急作戦計画を既に立案していると報じた。

 NBCによると、国防総省は昨年9月以来、グアムとインド洋のディエゴガルシアに駐留するレーダーに捕捉されにくいB2ステルス爆撃機と、F15戦闘機を「警戒態勢」に置き、核施設「除去」の緊急作戦計画が発動されれば、いつでも北朝鮮空爆を実施できる状態にしている。

 しかし、韓国などは軍事作戦に強く反対している。米軍は、北朝鮮が核実験を行った場合には、北朝鮮有事に備えた「作戦計画5029」について、実験直後に北朝鮮攻撃を可能にする内容に更新することを求めているが、韓国側が激しく抵抗しているという。(共同)

北朝鮮の核開発とその後を考える(3) 5月12日 日々不穏なり 

まず、各国が今何を考え、どう動こうとしているのかについて。
 北朝鮮は、ある程度の核弾頭を保有し、実験可能な状態であることはほぼ間違いないでしょう。とはいえ、ミサイル搭載可能な技術水準に至っているとは思えません。未熟な技術を最大限に利用し、核の脅威を盾に安全保証と経済援助を周辺国及びアメリカから引き出すことが唯一の戦略であって、いかなる事態となっても、実際に核攻撃に踏み切ることはあり得ないと思います。しかし、「核実験」の「準備」を進めていることは間違いないところです。更に、わざわざ目立つように使用済み核燃料棒を取り出したことも、今後の更なる核爆弾製造の可能性があることをアピールする行為です。

 そして、北朝鮮は、核実験をするか否かについては、二段構えの対応を行う可能性が高いでしょう。いつでも核実験可能な状態まで持っていき、その時点でアメリカの何らかの妥協案が出てくればその状態で一旦凍結するでしょうし、アメリカが全く何の妥協的提案も行わないとすれば、実験を強行することも辞さないということです。その後、経済制裁を受けるとしても、こちらでも書いたように、中国の陰の援助を受けながら細々と国の命脈を保ち、じっと時の経過を待つことを考えていると思います。国が維持できさえすれば、「核保有国」としての立場を確保できます。

 対して、アメリカはどうでしょうか。アメリカは、「北朝鮮の脅威」など、小指の爪の先の垢ほども感じていないでしょう(日本にとって、カメルーンが核開発に成功した場合に感じるインパクトとさして違いはないでしょう)。アメリカが問題にするのは、「北朝鮮の核がテロリストに流れること」、それのみです。

 そして、アメリカは金正日を全く信用していません。金正日政権を延命させる限り、いつまでも「核の流出」の脅威が消えない以上、この世から北朝鮮を消し去ることが唯一の解決策だと思っているでしょう(我々がゴキブリと共存を考えないのと同じです。国として対等だなんて思っちゃいません)。

 更に、アメリカは現在の金正日体制は戦前の日本と同じであると考えているフシがあります。いつまでたっても反乱の火が消えないイラクと違い、国体を崩壊させれば国民が一斉に親米に靡き、「ギブミーチョコレート」状態になるはずだと思っています。北朝鮮を叩き潰すことに何の不安要因もデメリットも感じていません。

 唯一の不安要因は中国の動向ですが、冷戦時代と異なりアメリカは中国と事前に話をつけるパイプを持っています。恐らく、北朝鮮崩壊後の統治を中国政府に委ねることを事前にコミットすることによって、緩衝地帯が無くなるという中国の不安を取り除くでしょう。
 ライス国務長官の「主権国家」発言は、リップサービスや北朝鮮に対する妥協のメッセージなどでは決してなく、「主権国家として交戦権を認めた」ということではないでしょうか。朝鮮戦争の事後処理がまずかったせいで、現在の休戦協定上は韓国は北朝鮮に対する主権を主張出来ることになっています。あくまでも北朝鮮を独立国家と認定した上で、他国(韓国等)の不介入を前提とした「処理」をするつもりでしょう。

 そのため、アメリカは今後一切の妥協を北朝鮮に対してすることはないでしょう。無条件降伏すればよし。そうでなく核実験を強行したら経済制裁ではなく武力攻撃まで一気に持っていくと思います。

 アメリカは、色々な情報を小出しにリークすることによって、「攻撃の妥当性」を周辺国及び世界に認識させようとしています。「ミサイル搭載可能」なんていう情報は、イラクの時の大量破壊兵器と同様の脅し(ブラフ)に過ぎません。アメリカは、自らも核攻撃の脅威に晒されているということを大義名分としたいのでしょう。

 中国は、「自分は引き金を引きたくない」と思っているはずです。最後まで「いい子」でいたい(そう評価されたい)と思っているのは間違いありません。とはいえ、自らリスクを負って北朝鮮を支援する気などはさらさら無く、自国にとってメリットのある処理をしてくれさえすれば、アメリカに対して逆らうことはないでしょう。金正日体制崩壊後の朝鮮半島を自らの影響下におけるのであれば、むしろ金正日体制の崩壊を望んでいるというのが偽らざるところではないでしょうか。

 中国は危険な国ではなく、真っ当な近代国家であるということを世界にアピールするためにも、「悪の枢軸」「圧制の拠点」と運命をともにすることはあり得ません。国際秩序を守り、世界平和に責任を持つ国家として、北朝鮮人民の「解放」を進めるでしょう。北朝鮮人民の保護を名目とし、アメリカの空爆を引き金に中朝国境から解放軍を進駐させるのではないでしょうか。要は、武力攻撃をしたアメリカを(軽く)非難し、自分の面子が保てる上、朝鮮半島への影響力を保持できるのであれば、全く問題なしと言えるでしょう。

 ロシアは、ある意味「どうでもいい」と思っているはずです。「自分に火の粉が降りかからないんであれば勝手にすれば」というところでしょう。ただ、中国の力が強大になることは望まないでしょうから、中国による統治には目を光らせることになると思います。「アメリカや中国の好きにはさせない」というスタンスです。

 韓国ですが、「反日」「反米」のムードが醸成されていること、そして「核」を持ちたいと熱望していることから、アメリカによる先制攻撃を支持するということはあり得ないでしょう。核燃料棒についても、「アメリカが悪い」というスタンスですし。「将来国が一つになれば我々も核保有国になれる(=日本に勝てる)」と思っているでしょうし。空爆⇒中国統治になった暁には、自ら中国の影響下で朝鮮半島の統一を願い出るのではないでしょうか。つまり、「親中朝鮮半島」の統一国家の誕生です。そのために、まず在韓米軍を追い出そうとするでしょう。アメリカは朝鮮半島全体が赤化統一されることは望まないでしょうから、国内工作によって韓国の保守派をたきつけ、親米政権を誕生させようとするはずです。統一後に親米政権が樹立されるか、半島分断状態を維持するかは不明です。

 さて、日本ですが・・・
 「遺憾」を連発するでしょう。そして、日本海での防衛活動はするかもしれません。国内では在日朝鮮人を中心としたデモが連日起こるでしょう。小規模なテロが起こる可能性もあります。拉致被害者を救出するために特殊部隊を派遣する度胸は日本政府にはないでしょう。拉致被害者の奪還は、中国政府とのダラダラとした交渉によって少しずつ、少しずつ進むのではないでしょうか。ふざけた話ですが、これが戦後日本の限界なような気がします。
 そして、北朝鮮復興資金をたんとふんだくられる上に、どう転んでも朝鮮半島は「反日」でしょう。
 北朝鮮によって最も貧乏くじを引くのは日本です。やりきれないですねぇ。。


(私のコメント)
北朝鮮の核実験の噂が流れていますが、アメリカと北朝鮮との情報戦が行われています。確実な情報としては実験用原子炉が停止されて燃料棒が取り出されたということですが、核実験の兆候が見られるというのは偵察衛星の情報なので偽装の可能性もある。あくまでも政治的駆け引きの為に行っているのでしょう。

まだ核実験を行うかどうかも噂の段階であり、アメリカとしては空爆してでも北朝鮮の核実験を阻止するというアドバルーンですが、韓国や中国が反対するだろうし、ブッシュ大統領にそれだけの覚悟があるとは思えないのですが、このまま北朝鮮の核実験に何もせずに見過ごせば、アメリカの面子が丸つぶれになる。イラクに大量破壊兵器があると侵攻して結局はなくて、その間に北朝鮮が核実験をしたのではイラクは踏んだり蹴ったりだ。

北朝鮮の金正日としてはアメリカがイラクに足を取られている間に核開発をしてしまえば、核を持った国へは攻撃はしないと見ているわけです。アメリカとしては核施設に限定した先制攻撃もありますがそれだけで済むだろうか。何らかの反撃を北朝鮮はするかもしれないし、その場合は日本にノドンミサイルが飛んでくる可能性もある。日本はどちらにしろ大迷惑なのですが、打てる手段が何もない。

中国に対して北朝鮮の説得を働きかけていても、中国は口先だけで反対しながら援助を続けて核開発を黙認するような形になっている。となると後は安保理へ上程するしか手はなくなりますが中国が拒否権を使うかもしれなくて、経済制裁法案も通るかわからない。このように中国と韓国が北朝鮮よりの政策をとるようになって手詰まり状態になってきた。

北有事の共同作戦 韓国、米に廃棄要求 盧政権「核施設攻撃」を懸念

【ソウル=久保田るり子】北朝鮮でのクーデター発生など有事に備える米韓共同軍事作戦である「作戦計画5029」をめぐり、両国の不協和音が高まっている。北朝鮮の核施設攻撃も含まれる可能性の高い作戦の統制権が米軍にあることを韓国側が懸念し、韓国の「主権侵害」を主張して作戦の廃棄を求めているからだ。米韓両軍の作戦計画に政府が介入するのは異例のことだが、北朝鮮の核問題が緊張の度を強める重要な時期に作戦が宙に浮いた形になっている。
 「作戦計画5029」は、一九九六−九七年の状況から北朝鮮崩壊への対応が緊急と判断した米政府が韓国の金大中政権に提起した「概念計画(CON−PLAN)5029」を完成させたもので、朝鮮半島有事の五つのシナリオからなる。
 韓国メディアなどによると、五つのシナリオとは▽北朝鮮でのクーデター発生や、住民武装蜂起などの内戦状態▽北朝鮮政権が核・生物化学兵器、ミサイルなどへの統制力を失った状態▽北朝鮮住民の大量脱北▽政治的理由などで北朝鮮内で韓国人が人質になった場合▽洪水、地震などの大規模自然災害への人道的支援−で、これらの緊急事態における米韓両軍の具体的対応を示しているとされる。
 内戦状態については不介入が原則だが、核・化学兵器など大量破壊兵器への統制力喪失のケースは「有事」とみなし、両軍の特殊部隊の投入を想定している。米韓は相互防衛条約上、有事の作戦統制権が米軍にあるが、盧武鉉政権は「北の緊急事態」を「非戦時状態」と主張し、この場合の米軍による作戦統制権に異論を唱えている。
 また、在韓米軍は一九九四年の第一次核危機で米クリントン政権が作成した対北核施設攻撃計画「5026」を持っているため、韓国としては両作戦が連動すれば核施設への攻撃が可能とみている。北朝鮮の核開発や核保有宣言、さらに核実験の可能性など情勢が緊迫しているだけに、こうした攻撃計画との連動に韓国は警戒感を強めているもようだ。
 「5029」は二〇〇三年の米韓安保協議会(SCM)で両軍事首脳部が合意した。だが、二〇〇五年一月、韓国政府の外交安保最高意思決定機関である国家安全保障会議(NSC)が「韓国の主権侵害にかかわる政治的な内容を含むため、軍事作戦としては適切でない」として、韓国国防省に作戦中断だけでなく事実上の破棄を目指す方針を命じた。
 国防省は米韓連合司令部側に韓国政府の立場を伝えたが、米軍側は「韓国側の意図が不明」と不快感を表明しているとされる。米韓両軍の合意に基づいているだけに、正式な中断や破棄の決定には米側の同意が必要であり、今秋のSCMで再協議される見通しとなっている。

(産経新聞) - 5月8日2時48分更新



(私のコメント)
こうなるとアメリカのブッシュ大統領は一気に空爆で先制攻撃もするということも考えられる。現時点ではあくまでもポーズだけでしょうが、極東の米軍の動きが活発になってきて本当に空爆が行われる可能性もでてきた。黙って見過ごせば94年のクリントンの失敗を繰り返すことになるから、6月頃に本当に行うかもしれない。

6月8日に北朝鮮でワールドカップ予選の日本ー北朝鮮戦が行われる予定でしたが、FIFAが予想外の厳しい採決でタイで行うことにしたのも、もしかしたらアメリカが北朝鮮を空爆するということを計算したのだろう。もしそうでなければ日本人の観客2000人あまりが北朝鮮の人質になるところだった。

日本としては国内テロなども警戒しなければならないのでしょうが、原子力発電所などの警備はどうなっているのだろう。ノドンミサイルが飛んできたらどう避難するのかも何も対策は建てられていない。誰も本気で戦争が起きると思っていないから小泉首相はじめ外相も相次いで外遊している。アメリカ政府も米軍も情報漏れを恐れて日本に知らせてないのかもしれない。二階堂ドットコムでは次のように書いてあるが本当なのだろうか。

アメリカは北朝鮮への攻撃を開始します。 5月12日 二階堂ドットコム

アメリカは北朝鮮への攻撃を開始します。海兵隊の上陸と同時にF117が山間部にまで進入し、中国、ロシア国境まで逃げる幹部と武器をを捕捉、攻撃します。空からの攻撃には爆撃機にバンカーバスターも搭載し、ある程度の見せしめも行います。この攻撃は、韓国内の米軍基地への攻撃を回避するため行うもので、日本のためではありません。

 日本の自衛隊は憲法制定後発の「防衛出動」となるのでしょうか。その場合、小泉首相が最高指令官となりますが、どうせアメリカの言うこと聞くだけでしょう。せめて、生物兵器が置かれていると噂される朝鮮総連本部は焼き討ちにしてほしいですが。朝鮮総連の動きを止める法的根拠は、警視総監の職務権限を使うのもひとつの手です。今から考えておくように。いずれにしろ戦時中は法律どころではありません。政府の心ある人々は、超法規的措置や、場合によってはマスコミを報道規制してでも国益を守ってください。一気に日本人のための真の国を取り戻すチャンスです。失敗すれば日本国はひどいことになります。

 開戦されたら、新幹線、飛行機などに乗らないこと。大型の主要ターミナルに近づかないことを最低3日間守ってください。食料は多めに確保。飲み水等も確保してください。攻撃開始時はさらに、外に洗濯物を干さないなどの対策も必要です。原発の周辺地域では、万が一何者かが日本の原発にメルトダウンを引き起こした場合、冷水シャワーをあびる以外に一般人が出来る対策はありません。

 現在のところ、日時は知らされていないものの「攻撃する」という強い意志を米国某ラインより確認しております。今後情報が入り次第お届けしますが、更新が鈍っているのは情報収集作業に追われているせいと、くだらない脅迫メールが来たためです(これについては後日)。なにとぞご了承ください。




TBS盗用コラム17件 担当部長、外部の仕業装う
盗用は法律違反だが引用は著作権法に認められている


2005年5月12日 木曜日

TBS盗用コラム17件 担当部長、外部の仕業装う

TBSの公式ホームページのコラムで、毎日・読売・朝日の各新聞から計十七件に及ぶ盗用があったことがわかり、TBSが十一日、発表した。盗用していたのは編成制作本部のスポーツ局担当部長(47)で、部長は当初、外部のフリーライターが書いたように偽って説明していた。TBSは部長を十二日から謹慎させ、近く処分する方針。

 TBSによると、盗用があったのは平成十三年三月から掲載していたスポーツ欄の編集長コラム「DUGOUT」。盗用が確認された十七件のうち、最初は十五年八月八日付。昨年暮れ以降は頻繁に盗用を繰り返していた。内訳は毎日新聞十一件、読売新聞五件、朝日新聞一件。

 フリーライターはスポーツ関連のウェブサイトを作る仕事を担当。部長は九日午後に読売新聞から盗用の指摘があったことを会社(TBS)から聞かされ、このライターに「あなたが書いたことにしてくれないか」と依頼、会社にも虚偽の報告をした。TBSも十日、四月二十七日付の同コラムで読売新聞からの盗用が一件あり、ライターが書いたと説明していた。

 しかしこのライターが他のTBS社員に相談したため、TBSは十一日朝から調査を開始。午後になって部長は自分が盗用していたことを認めた。部長は盗用について「魔がさした。コラムの話題が乏しくなったので盗用を始めた」といい、ライターが書いたように頼んだことについては、「気が動転していた」と話しているという。

 会見では、TBSの調査のずさんさにも批判が集中。昆洋隆広報部長は「コラムに含まれる言葉を無料検索サイトで調べヒットした新聞記事と照合した」とし、過去の記事を網羅した有料サービスや縮刷版は利用しなかったという。数年前の記事は新聞社のサイト上から消えていることが多く、実際の盗用件数はさらに増える可能性がある。

 昆部長は「本人が『盗用したかもしれない』と指摘した五、六本は、検索でヒットしなかった」として盗用に含めていない。「今後、有料検索サービスなどで調査を続ける」としている。
(産経新聞) - 5月12日2時55分更新

電子資料の盗用と引用 関西大学 倉橋英逸 

(3) 著作権法における引用

引用は著作権法の対象にもなっている。盗用は基本的には学問的誠実さの問題であり、したがって倫理的な問題である。しかし、それが争点になった場合は、最終的には著作権法による解決が図られるので 、引用の法律的な理解が必要になる。特に現在のように、いつでも、どこでも、だれでも、情報を発信できる時代にあっては、論文作成における著作権法の知 識が不可欠となる。

日本の著作 権法(以下 著作権法という。)では、著 作 権 の対象は表現された 著作物である。著作権法第二条一に「著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」と書かれている。この中の「創作的」とはオリジナリティのことであり、思想または感情が個性的に表現されていれば創作性を認めてもよいとされている。また、「表現」については、思想や感情を原稿用紙や書籍などの有体物に固定することは要件ではないので、原稿なしの講演なども著作物として保護を受ける。

引用については著作権法第三十二条に「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内 で行なわれるものでなければならない。」と規定されている。

この条文では、「報道、批評、研究その他の引用目的」の場合には認められ、その要件は「公表された著作物」であり、「公正な慣行に合致する」ことであり、「引用の目的上正当な範囲」に限られる。したがって、公表されない著作物は許諾なく引用 することがで きず、社会通念上公正な慣行に合致しない引用はこれに該当しない。また、本文に比して正当な範囲を越えて引用することはできない。

著作権法第四十八条に「次の各号に掲げる場合には、当該各号に規定する著作物の出所を、その複製又は利用の態様に応じ合理的と認められる方法及び程度により、明示しなければならない。一 第三十二条・・・」と規定されており、出典を明示し、引用部分をカギカッコなどでくくり、原則として原文のまま引用しなければならない。ただし、著作物の種類によっては、要約して引用することが可能である。

この規定は通常の紙媒体によるレポートや論文に該当する規定であるが、それらをメールや HTML により公衆に送信する場合はまったく事情が異なる。著作権法第二十三条に「著作者は、その著作物について、公衆送信(自動公衆送信の 場合 にあ つて は、送信可能 化を含む 。)を行 う権利を 専有する。 

2 著作者は、公衆送信されるその著作物を受信装置を用い て公に伝達する権利を専有する。」と規定されている。公衆送信権は、著作権の制限がなく、著作者が「公に伝達する権利を専有」するので、許諾なく引用して公衆に送信することができないことになる。

今後は学生が作成した作品をインターネット上に公開する事例が出てくると思われるので、公衆送信権に十分注意を払う必要がある。しかし、実際には印刷物に他の文献を引用して作成した論文などを PDF や HTML により Web 上に公表している例が多くあり、著作権法が実体に則していない面がでてきた。(中略)

(5)おわりに

1990 年代に急激に普及したインターネットにより、教育・研究の世界にも電子資料が多く使われるようになり、学問の究極的な成果となる論文作 成に大きな影響を与えている。紙媒体資料の時代には先行研究を伝承して新しい知識を創造するための様式が子資料が多く使われるようになり、学問の究極的な成果となる論文作 成に大きな影響を与えている。紙媒体資料の時代には先行研究を伝承して新しい知識を創造するための様式が確立されており、伝統に従って論文を作成すればよかったが、電子資料の急激な増加による新しい資料の利用法が確立されておらず、教育・研究に大きな混乱が生じている。

日本ではまだ、学生による電子資料の盗用の問題は顕在化していないが、学生の論文作成にもそのような問題が潜在している可能性がある。このような認識のもとに、本稿は、教育・研究に情報技術の普及が先行している米国の 大学における電子 資料盗用の実体を考察した結果、引用表記なしに電 子資料を盗用することや論文そのものを売買する事例が多く、その対策として、サーチ エンジンによる論 文内の語句の検索、盗用発見ソフト、盗用発見サービスの利用などの実体を明らかにすることができた。 

他人の書いた文章などの権利に対する意識の相違もあり、一概に米国の大学の現状が日本の大学当てはまらないと思われるが、今後教育・研究に情報技術が浸透するにつれて、今後のわが国の大学にも同様な問題が顕在 化すると予想される。 

盗用とは他人のアイディアや表現をあたかも自分のものとして表現する行為であり、これを防止するためには学生に正しい引用表記の方 法を理解させる必要がある。さもなければ、無意識に盗用を行う場合も出てくると考え られる。したがって盗 用と引用は車の両輪の関係にあり、学生に正しい引用表記を教えるためには標準的な引用表記の方法が確立されている必要がある。しか し、引用表記の方法は伝統的に各学 問分野ごとに異なっており、それはいわば徒弟式に教員から学生に伝達され、制度的に学生に提示されていないのが現状である。 

このように各分野ごとに異なった方式で行われている引用表記の方法 を標準化する方向性をさぐるために、その国際的な標準化の動向や国内の動向を調査したが、引用に関する国際的な標準は存在するが、現在のところ各国の引用表記の標準化にはあまり影響を与えていないのが実情である。また、日本に も全国的な標準も存在はするが、実際にはそれが各学協会の投稿規程に必ずし も反映されていないのが現状である。

 各学問分野の参照表記法とは別になんらかの学生用の引用表記法を作ることも考えられるが、専攻する学問分野の文献の引用表記を無視することは学生がその学術コミュニティの一員として参加するための障害となると考えられる。しかし、この問題をこのまま放置しておけば、盗用を野放しにすることになる可能性がある。グローバリゼーションが進んでいる現在、そのような学生を 世の中に送り出すことにならないようにするためには、何らかの方策がとられることが必要である。 

この問題の解決策として、各学問分野の紙媒体資料の引用表記を基本とし、その上に電子資料の書誌要素を追加する方法が現実的であると考えられる。伝統的な紙媒体における引用表記の書誌要素はほとんど同じであるので、それに電子媒体に必要な書誌要素を追加することにより電子資料の引 用表記が可能になる。追加する書誌要素は、媒体表示、URL、アクセス日付であるが、記 載順序・句読法・記号法などは各学問分野の様式にしたがうことになる。


(私のコメント)
「株式日記」のおいては引用にかなりの部分を割いていますが、これは著作権法で認められた行為であり、引用元をはっきりと明示してあるしリンクも張ってある。さらに引用部分と本文とは色も変えて段落も変えて表示しているから問題ないと思うのですが、TBSの担当部長が読売新聞からの盗用が発覚して問題になっったので、引用と盗用の違いについて論じたいと思います。

以前にも「株式日記」が盗作だとクレームをつけられたことが一度ありましたが、著作権法で引用は認められていると反論しましたが、「引用」と「盗用」の区別なつかない人がいてクレームをつけてくる。TBSの部長のようにあたかも自分の創作のようなかたちで発表すれば著作権法違反になりますが、きちんと引用元を明示すれば問題はなかった。

よく本や雑誌の一番終わりやウェブサイトなどでも「無断引用お断り」の文言が入ったのがありますが、これは著作権法に違反した内容であり、正当な理由のある引用は認められなければならない。どうしても引用されるのがイヤなら公開しなければいいのだ。また本や雑誌の引用もそっくり丸ごと引用はまずいが数ページ程度の引用は営業妨害にもなら無いから認められる。(判例では十数ページにもなると違反のようだ。)

著作権法では具体的な割合やページ数まで規定していないので、主従関係がはっきりしていれば分量の問題ではないからあくまでも「引用」先をはっきり明示しておけば盗用の恐れはなくなる。しかし学術論文では引用などを使用しなければ学術研究にさしつかえますが、マスコミ関係者が引用だらけのコラムを書いたら物書きのプロとして非難されるから盗用問題が起きるのだろう。

要領のいいプロならば盗作にならないぎりぎりの線でパクリで誤魔化せばいいのでしょうが、TBSの部長の場合は内容から展開までオリジナルにそっくりなので問題になった。新聞などのスクラップを見ながら多少の表現を変えて書いたのですが、私などもどこかで読んだものを無意識に書いていることがあるだろう。しかしそこまでは盗用と決め付けられると何もかけなくなるから、第三者が読んで盗用と思われれば盗用になるだろう。

ネットの時代になってコピーなども簡単に出来るようになったから、あちこちのサイトの文章をつなぎ合わせれば簡単に論文を書けるようになりましたが、だから盗用もしやすくなりましたが、キーワードでGOOGLEなどで検索すれば盗用した文章も簡単に検索できる。特に著名なサイトは多くの人が読んでいるから、盗用すればすぐにばれることに変わりがない。

「株式日記」で引用を多用するのは記事の信憑性を高めるためですが、引用しなければ読者も私の書いた部分もよくわからなくなることもあり、最初の頃はリンクを張っていたのですが新聞記事はすぐに消えるし、サイトなども消えたり引っ越したりでリンク切れになるので最近はコピーして残すようにしていますが、そうしなければならないほどサイトもブログもすぐに消えてしまう。だから資料として残すにはコピーは不可欠だ。

以前にも私が著作権について書いたものがあるので紹介しますが、引用についての理解している人が少ないので、あくまでも引用元を明示して区分けもきちんとしていれば問題は起きないと思う。


インターネットにおける引用権と著作権について ネットに公開されたサイトは公共財として自由に引用できる 2004年7月23日 金曜日 株式日記

リンクはるなら黙ってやれ!メールはよこすなバカ野朗 丸ごとコピーも黙ってやってくれ!(山形浩生) 2004年7月24日 土曜日 株式日記

新聞記事と著作権について 著作権法第32条 「公表された著作物は、引用して利用することができる」 2004年7月24日 土曜日 株式日記

冬ソナのプロットは日本のゲーム「君が望む永遠 」と同じ 冬ソナの主題歌が雅夢の歌う「愛はかげろう」の盗作だ 2004年9月26日 日曜日 株式日記




北方領土を交渉する前に国際司法裁判所で
ロシアのポツダム宣言違反を立証しろ


2005年5月11日 水曜日

ロシアのポツダム宣言違反を立証しろ 山本峯章

北方領土問題で、日本政府と外務省は「二島分離返還」「平行協議」とズルズルと後退している。
 こうなったら、日本はポツダム宣言に戻り、ソ連による平時の領土侵犯と日本兵士のシベリア抑留を重大なポツダム宣言違反として、国際司法裁判所に提訴するところから詰めていくという思い切った戦略をとるべきだ――。

北方領土はポツダム宣言に該当しない不当占拠

 ロシアによる北方領土占有が不法なものと、日本人ならだれもが知っている。そもそも先の大戦は、西洋の覇権主義に日本が総力を挙げて抵抗した十五年戦争だった。ロシアは、その十五年戦争の最後の一週間だけの “駆け込み参戦”で、古来より日本の領土だった南樺太、北方四島をふくむ全千島列島をどさくさに紛れて奪い取った。

 日本が原爆を落とされて足腰が立たなくなったのをみきわめて、日ソ中立条約を一方的に破棄したロシアは、ポツダム宣言受諾後の八月十九日に旧満州国に攻めこんできた。そして終戦後、ロシアは、本来、捕虜にあたらない六十万人の日本人兵士、居住者をシベリアに抑留し、国際法に定められた捕虜の規定を無視した過酷な労働を課した。

 北方領土の占有と、短期間でその一割を死に追い込んだ“六十万同胞の拉致”は、スターリンの悪夢の暴挙だが、ロシアは、補償も原状復帰もおこなわずに現在にいたり、日本政府・外務省は、打つ手をもたぬまま目下、膠着状態に陥っている。

 ロシアの北方領土占拠が“ポツダム宣言違反”だということを明確に打ち出さないことが、その最大の原因である。

 本来、法的根拠をもつ日本の北方領土は、千島列島の全島と南樺太である。千島列島は、一八五四年の日露通好条約で「択捉島を北限とする四島が日本領――ロシア領は、択捉島の北のウルップ(得撫)島以北のクリル諸島まで」と定めたのち、一八七五年の「千島樺太交換条約」で全樺太とひきかえに、占守島以南の全千島列島が、日本領にくみいれられている。

「千島樺太交換条約」でロシア領となった樺太南部が、ふたたび日本の領土となったのは、日露戦争後のポーツマス講和条約(一九〇五年)によってである。以後、日本の北方領土は、北方四島をふくむ千島列島の全島および南樺太となった。
「北方領土」というのはこの版図をさす。

 たしかに日本は「サンフランシスコ平和条約」で南樺太と千島列島を放棄させられた。だが同条約第二条C項に「ポーツマス条約の結果として主権を獲得した領土の放棄」と、但し書きがある。

 ポーツマス条約締結は一九〇五年。「千島樺太交換条約」はその四〇年も前の一八七五年のことである。ポーツマス条約によって獲得した領土に南樺太は該当しても、千島列島はこれにあたらない。百歩譲って、この但し書きをネグッても、当時、南樺太も千島列島も、帰属先はきまっていなかった。

 平時において、領土は双方の条約できめられている。サンフランシスコ条約を根拠にするなら、四十八連合国の代表アメリカと日本が条約にサインして領土の帰属がきめられた。
 事実、日米は「サンフランシスコ条約」にサインして沖縄や小笠原諸島を信託統治としたのである。

 ところが旧ソ連は、日本に南樺太と千島列島を放棄させたサンフランシスコ条約に署名していない。その旧ソ連が同条約を根拠に北方領土を横取りする権利があろうはずはない。

 それでは、北方領土はどこに帰属するのか。法的には日本である。たしかに放棄宣告をうけたが、領土の譲渡は、条約を交わさなければ発効しない。

 旧ソ連は日本が「ポツダム宣言」を受諾した八月十五日の翌十六日に千島・樺太へ攻めこんできた。条約を交わすどころか、旧ソ連は、平時に軍事力で領土を侵略、収奪した。こんな無法がゆるされるならポツダム宣言もサンフランシスコ条約もいらない。

 アメリカは条約を交わして占有した沖縄・小笠原諸島を日本に返還した。ロシアがいまなお北方領土を日本に返還しないのは、条約によってえた合法的領土ではないからである。

 ロシアの北方領土占拠は、明らかにポツダム宣言違反なのである。

◆ソ連はヤルタ会談での密約を根拠に奪ったが

 それではロシアは、戦後、何を根拠に日本から千島列島を奪ったのであろうか。ヤルタ会談の“密約”によってなのだ。

 だが、ヤルタ協定は連合国の軍事協定にすぎず、国際法としての根拠をもっているわけではない。

 アメリカは「ヤルタ秘密協定」について、つぎのような見解を発表している。「サンフランシスコ平和条約以前にソ連が会議の協定を一方的に破っているので協定としての効力はなく、領土移転についても、法的な根拠をあたえるものではない」

 このとき、アンダレス代表は「同協定は、当事国の首脳が共通の目標を陳述した文書にすぎず――当事国以外のいかなる国も拘束するものではない」と明確にのべている。

 ロシアが主張している北方領土は、スターリンの領土的野心によって収奪された――当事国だったアメリカさえ法的根拠をみとめないヤルタ協定にのっとったものだったのである。

 現在、日本では、歯舞・色丹の「二島先行」論や、これに国後・択捉の帰属問題をからめた「平行協議」論が語られているが、これは、大きな誤りであって、北方領土問題はあくまでも“全千島列島および帰属先のきまっていない南樺太”でなければならない。

 北方領土問題は、一九五一年の段階に立ち返って検討しなおす必要がある。日本は北方領土を取られたが、それが条約にのっとったものかどうか、合法かどうかというところからスタートしなければ、いつまでたっても膠着状態から抜けだすことはできない。

ヤルタ協定は米英ソの軍事協定で条約ではない

 戦後、日本の領土を認定した連合国の宣言協定は、「カイロ宣言」「ヤルタ協定」「ポツダム宣言」の三つだといわれる。

 このうち、ヤルタ協定は、ソ連に対日参戦を促した戦時の軍事会談であって、国際法にもとづいた協定ではなかった。法的に有効なのは日本が受諾したポツダム宣言と同宣言の流れをくむカイロ宣言およびサンフランシスコ平和条約だけである。

 戦後、日本の領土を確定した宣言協定は、米大統領ルーズベルト、英国首相チャーチル、中華人民共和国首席の蒋介石が、現アラブ連邦の首都カイロで、日本の無条件降伏についての討議をおこなったカイロ宣言である。

 この宣言で日本は、第一次世界大戦の開始(一九一四年)以降に獲得した満州と台湾、澎湖島およびテニアン、サイパンなどの太平洋諸島を失うことになるが、北方領土は、同宣言の対象から外れている。

 北方領土は、一九一四年以前にすでに日本の領土として確定していたからである。
「樺太南部およびこれに隣接する島々」「全千島列島」と名指しで日本領のソ連への返還が謳われたのはヤルタ協定においてである。ソ連領のクリミア半島ヤルタでルーズベルト、チャーチル、スターリンが集っておこなわれた秘密協定は、すでにのべたように、法的な拘束力をもっていない。

 宣言協定は、相手側が受諾してはじめて効力をもつ。ポツダム宣言が効力をもったのは、日本が、これを受諾したからである。ところがヤルタ協定は、日本が受諾するどころか、米国務省が発表するまで伏せられていた“秘密協定”だった。当事国の受諾、関係国による批准もおこなわれていない軍事協定が、国際条約上のとりきめである領土を確定できるわけはないが、ロシアは、このヤルタ協定を根拠に北方領土を占有しているのである。

◆四島返還→二島分離返還→平行協議とズルズル後退

 北方領土は、戦争で奪われたのではない。平時にロシアに侵略された“拉致された島々”である。日本が要求すべきは、全千島列島の無条件一括返還と、放棄させられた南樺太の帰属問題である。

 一九五六年の「日ソ共同宣言」によってソ連は、歯舞・色丹二島の引渡しに同意した。日本の過ちはこの「日ソ共同宣言」からはじまっている。同宣言が二島を別枠で扱ったのは、当時の日本は国連加盟問題を抱えており、ソ連にたいして穏便な態度をとらざるをえなかったからであろうが、この共同宣言は、四島全体の七%しかない歯舞と色丹の二島だけしか記されておらず、島全体の九三%を占める国後、択捉の二島が抜け落ちていた。

 しかも日本は、スターリンのギャング行為にたいしてみずから賠償を放棄した。これによって日本は、不法拘留や四島の違法占拠にたいする外交カードを失った。

 以後、日本はズルズルと後退し、ついに「四島一括返還」から「二島分離返還」へ、さらに国後・択捉の領有権を再検討する「平行協議」のレベルまで押し切られてしまった。

 九七年十一月、クラスノヤルスクで橋本龍太郎首相とエリツィン大統領が会談、二〇〇〇年までに四島の帰属問題を解決して平和条約を結ぶべく全力をつくすという約束をしている。

 ところが九八年十一月、小渕恵三首相がモスクワでエリツィン大統領と会談した際、ロシア側から「とりあえず平和条約を結んでから、領土問題は、別枠で解決しよう」という提案がなされた。

 明らかな後退である。ところがこのとき、小渕に同行してモスクワに赴いた鈴木宗男議員が記者会見で「会談は大成功」とのべ、日本のマスコミはこれを大々的に報道した。こうして日本は、北方領土問題と平和条約を切り離そうとするロシア側の策動にはまってしまったのである。

 このロシア側の提案は、九三年の「東京宣言」をはっきりと否定するものだった。細川護煕首相とエリツィン大統領は「東京宣言」で四島の帰属問題を解決したのち、平和条約を結ぶと合意し、その後、両国政府は何度もこれを確認しているからである。

 この「東京宣言」を前提にするなら、日本側は、九八年のロシア側の新たな提案を「両国の基本合意に反する」とその場で明確に拒否すべきだった。

 二島返還で平和条約を結ぶというなら、社会主義のソ連時代でさえも合意の可能性があった。それなら、敗戦直後の疲弊しきった日本ですら可能だったろう。ところがいまや世界有数の国力をもつにいたった日本が、半世紀も交渉を続けたあと「二島返還」で合意、などということになれば、これまでの交渉はいったい何だったのか、政府、外務省にたいする国民の不信はいやますばかりであろう。

 とりあえず歯舞、色丹の二島で手を打ち、国後、択捉の二島については、その後、継続協議すればよいという「二島先行論」が、二〇〇〇年ごろから表にでてきた。プーチン大統領がみとめた五六年宣言もそれだが、プーチンがいう五六年宣言は、歯舞、色丹を返すのは、平和条約を結んだあとである。

 平和条約を結ぶということは、戦後処理がすべて終わり、両国間に領土問題はないということであって、ロシアが、歯舞、色丹を返すというのは欺瞞である。そのうえさらに、国後、択捉を返すなどということは、論理的にも慣例的にもありえない。
 そもそも平和条約は一回限り、段階的な平和条約などありえない。

◆半世紀の外交努力を無にした野中幹事長の決定的な過ち

 この十年余で「五六年宣言重視」論や二島先行論が、対ロシア政策に大きな影響をおよぼすようになった。中心的な役割をはたしたのが外務省の東郷和彦前欧亜局長や鈴木宗男らだが、決定的な過ちをおかしたのは野中広務である。

 二〇〇〇年七月末、自民党幹事長だった野中広務が「領土問題と平和条約は切り離してもよい」と発言して、鈴木宗男や東郷欧亜局長がこれを歓迎した。

 野中発言は事実上の“四島放棄”であり、これまで半世紀に渡って積み上げてきた外交努力をフイにするものだったが、野中発言がイズベスチアなどの主要新聞で大きく取り上げられたため、ロシアも、日本に歩み寄ることができなくなった。

 というのも、イズベスチアに載った記事は「日本の有力な与党政治家(野中幹事長・鈴木)や外務省トップ(東郷欧亜局長)によると日本は四島一括返還を諦め、領土問題と切り離して平和条約締結にむけて歩みだした」という、野中発言を増幅したものだったからである。

 こんな記事が載れば、ロシアが、その後、日本との返還交渉で前向きに臨めば「なぜロシアは、日本が放棄した四島を返すのか」という世論が高まり、返還に積極的な政治家は失脚するかテロで命が危うくなりかねない。

 野中はこのとき、平和条約を先行させ、北海道と樺太を海底トンネルで結ぶとうそぶいたものだが、この野中発言によって戦後の政治家が辛抱強く交渉をかさねてきた北方領土問題は、一挙に水泡に帰したのである。

 こうなったら「東京宣言」もチャラにして、サンフランシスコ会議を仕切ったアメリカを立会人にして、南樺太は帰属先はまだ決定しておらず千島列島は日本固有の領土である、というところからやり直すべきだろう。

 ロシアは四島のみならず、南樺太と千島列島を軍事力で奪い取ったというところから交渉をはじめるのが、主権国家のあるべき姿であって、南樺太、千島についてはふれない代わりに、四島だけは返してくれ、というかけひきをもちいるところから、今日の絶望的な状況がうまれた。

ポツダム宣言違反を提訴する思い切った戦略を

 ロシアの違法性を告発するなら「シベリア抑留」を忘れてはならないだろう。
 ソ連は、戦争が終わって平時になってから領土を奪い、武装解除した日本兵を捕虜としてシベリアへ送りこんだ。この問題を国際司法裁判所に提訴するところから、北方領土問題を詰めてゆくべきである。

「ポツダム宣言」の第九項に武装解除後の一般兵士の処遇について「各自ノ家庭ニ復帰シテ平和的且ツ生産的ノ生活ヲ営ム機会ヲ得シメラルヘシ」とあり、日本が無条件降伏したのは、終戦後、日本兵が捕虜として拘束・抑留される懸念がなかったからである。

 ソ連は、日本の敗戦から三日もたってノサップ岬の先端の四島を攻撃してきたばかりか、日本が降伏文書に調印した九月二日以降も攻撃を続けて四島を占領した。しかも二年後には引き揚げ命令をだし、島民を一人残らず島から追放してしまった。スターリン率いる旧ソ連は、現在の北朝鮮の上をゆく“ならず者国家”だったのである。

 ハーグの国際司法裁判所にもちこんで、ロシアにポツダム宣言の違反をみとめさせると、抑留者は“拉致”となり、北方領土は、平時における領土侵犯となって事実関係がはっきりしてくる。

 ロシア側も、交渉がしやすくなるはずである。野中発言後、ロシアでは、政治家が北方領土返還に前向きになると世論に叩かれる。ロシア人は、なぜ北方領土を返還しなければならないのか、わかっていないからである。

 その意味でも、北方領土問題を国際司法裁判所にゆだねるメリットがあり、それには、抑留者問題と北方領土問題は同一問題として訴えるのが賢明だろう。

 ポツダム宣言受諾後に日本の兵士を抑留し、領土を奪ったのは重大な条約違反であり、謝罪と賠償、奪った領土の原状復帰が何よりも優先されなければならない。北方領土を返さないというなら、ロシアは、いまもなおスターリンの政策をひきついでいるということになる。

 日本は国際司法裁判所でそこをつくべきだろう。

 政府や外務省は、ロシアにポツダム宣言の違反をみとめさせるという思い切った戦略をとらない。いたずらに相手国を刺激しない、粘り強く理解を求める、交換条件をもちだすという事勿れ主義は、結局、仕事をしやすくする、トラブって罰点をつけられないようにするという役人根性だが、こんなものに手足を奪われては、国益を失うばかりである。


(私のコメント)
昨日の続きになりますが、ブッシュがヤルタ協定を批判したのはどういう意味があるか考えてみたのですが、北方領土交渉にも大きな影響がありそうだ。山本氏の書くところによればロシアの北方領土の占領はポツダム宣言違反ということだ。日本とソ連とはまだ講和条約を結んでいないのだから勝手に北方領土を占領して良い訳がない。

サンフランシスコ講和条約での条文によれば北方領土のうち千島列島は該当しないはずがソ連はこれを無視して占領してしまった。ソ連としてはヤルタ協定によって占領したのだろうが、ヤルタ協定は秘密協定であり日本はそれによって拘束されない。ヤルタ協定の当事者である米英ソの内の米国の大統領が批判をしたということは、ヤルタ協定そのものが無効だということだ。

日本の政治家や外務省は敗戦によって腰を抜かしてしまって、正当な主張も出来なくなってしまって外国に謝罪ばかりしていますが、目先はそれでよくても後々問題が大きくなって帰って来る。中国や韓国の謝罪についても日韓基本条約や日中友好条約で決着済みと主張すればいいのに、相変わらず21回も謝罪し続けている。

ロシアのプーチン大統領はバルト三国の謝罪要求に対しても突っぱねているくらいだから、北方領土についても不当だろうがなんだろうが日本の要求など聞かないだろう。しかし国際法からみても不当な占領なのだから、ヤルタ協定は無効であり北方領土の占有はポツダム宣言違反だと主張すべきなのだ。

もっともポツダム宣言にしても問題があり2004年1月15日の株式日記において次のように書きました。

署名がなされている『カイロ宣言』の公文書は無い だから『ポツダム宣言』の第8条を履行する義務は無い 2004年1月15日 株式日記

《 『カイロ宣言』とは、昭和18(1943年)年11月、エジプトのカイロにおける、ルーズヴェルト・米大統領、チャーチル・英首相、蒋介石・国府主席の三首脳による会談であり、いわゆる「カイロ会談」の際に発表されたものとされ、日本に対して無条件降伏を要求し、降伏後の日本の領土を決定したと言われている。


ところが、この『カイロ宣言』には三首脳の署名が無く、と言うよりそもそも現在に至る迄、署名がなされている『カイロ宣言』の公文書自体、誰一人見た事が無いのである。

蒋介石政権が署名していないし、イギリス政府もその存在を公式に否定している。とすると、『ポツダム宣言』第8条 、「カイロ宣言の条項は履行する」は、「幻の公文書」に記されている条項を履行する事を謳(うた)っている事になってしまうわけである。これは、一体どう解釈すれば良いのであろうか。 

ヤルタ秘密協定によって、ルーズベルトはスターリンに対し日本への参戦を許し、日本領土の割譲までも認めておきながら、例えソ連が「ポツダム宣言」の署名国ではないにしても、スターリンに日本参戦を認めた以上、ソ連の日本軍将兵のシベリア抑留を阻止する責任はあったはずである。此処においても、アメリカの「ポツダム宣言」違反は明らかであると考える。

しかし、東京裁判は「平和に対する罪」「人道上の罪」という事後法によって新しい罪を作り出し日本を裁いたのである。これらの犯罪は国際法上存在しない罪であることは勿論であるが、極東国際軍事裁判条例自体が「ポツダム宣言」を逸脱して制定さるべきではないにも関わらず、条例が制定された事はアメリカの「ポツダム宣言」違反といえよう。

ここに「無条件降伏」という言葉があり、これをもって日本は「無条件降伏」したのだと理解されるようになったと考えられる。しかし、注意しなければならないのは、この場合の「無条件降伏」の主語は日本国軍隊であって、決して日本国政府ではないということである。すなわち、「無条件降伏」するのは、あくまでも軍隊であって日本国政府ではなく、日本国政府は無条件に連合国の支配を受け、連合国に従属するものではないのである。 》



(私のコメント)
日本は無条件降伏したと思っている人が多いのですが、ポツダム宣言を受諾したのであり無条件降伏したのは軍隊であり日本国が無条件降伏したのではない。終戦直後の混乱期は仕方がないにしても、日本が国際社会に復帰したあとは正々堂々とカイロ宣言やポツダム宣言の不当性を突いて主張すべきだし、ヤルタ協定に到っては日本はそれに拘束されないと主張すべきなのだ。

私が日本の核武装を主張するのも、いくら日本に対する国際法違反がなされていてもロシアはまったく聞く耳を持たず、交渉にも応じようとしないからだ。日本の政治家も腰抜けばかりだから謝罪外交を繰り返して、国民の顰蹙を買っている。憲法の改正から再軍備に到るまで60年間も店晒しにされて放置されてきましたが、これでは日本は独立国とは言えない。

もっとも、この事すらも国民は騙されているのかもしれない。1952年のサンフランシスコ講和条約で日本は主権を回復したはずですが、日本はいまだにアメリカに占領されているのかもしれない。日本の政治家にとってもそのほうが外交と防衛をアメリカに丸投げして、そのほうが気楽だからだ。これではロシアのプーチンが北方領土を返さないのも日本が本当は独立していないからだ。ブッシュがヤルタ協定を批判した意味を誰も気がつかないのは日本国民自身も腰が抜けてしまっているからだ。




ブッシュ大統領が、ソ連によるバルト併合や東欧支配を
もたらしたヤルタ合意を「史上最大の過ちの一つ」と言明


2005年5月10日 火曜日

「ヤルタ合意」評価対立 米/欧州分断、最大の過ち 露/世界を破局から救った

【モスクワ=内藤泰朗】ブッシュ米大統領はロシアで九日に行われる対独戦勝六十周年記念式典を前に、第二次世界大戦戦勝国の米英ソ首脳が戦後の世界秩序を決めたヤルタ会談(一九四五年二月)を批判した。戦勝国大統領が先人の誤りを認めたのは異例中の異例。

 これに対し、ロシアのプーチン大統領は会談こそ世界を破局から救ったと言明、北方領土問題を生んだヤルタ会談をめぐる米露の歴史認識の違いが浮き彫りになった。

 ブッシュ大統領は七日、ラトビアの首都リガで演説、第二次大戦後、ソ連によるバルト併合や東欧支配をもたらしたヤルタ合意を「史上最大の過ちの一つ」とし、「安定のため小国の自由を犠牲にした試みは反対に欧州を分断し不安定化をもたらす結果を招いた」と言明。そのうえで合意を容認した米英ソの戦勝国側の責任にも言及した。

 だが、プーチン大統領は七日付仏紙、フィガロで、ヤルタ会談について「米英ソの三首脳がナチズム復活を阻止し、世界を破局から防ぐ国際体制を目指して合意した。その目的に沿って国連も結成された」と、合意を積極的に評価、米露首脳の認識が真っ向から対立していることを露呈した。

 ロシアのイワノフ国防相も七日、ロシアが大祖国戦争と呼ぶ第二次大戦で戦った退役軍人との会合で、バルトがソ連の「占領下」にあったとしたブッシュ発言に、「ばかげたこと、無意味なことだ」と反発を強めた。

 ヤルタ合意は北方領土問題発生の原因ともなっており、ロシアが今後も密約の正当性に固執すれば、領土返還を遠ざけることにもなりかねない。
 ブッシュ氏は八日、モスクワでプーチン大統領と会談。誤った歴史を自ら正す勇気を持ち、自由と民主主義の価値観を中心に据えた国家こそが「偉大な国」となり得るのだということを友人として訴える見通しだ。
     ◇
 【ヤルタ合意】1945年2月、ルーズベルト、チャーチル、スターリンという米英ソ3カ国の首脳が、現在のウクライナの黒海沿岸にある保養地、ヤルタのリバディア宮に集い、欧州を東西に分断して、戦後の勢力圏を分け合った。これがその後の東西冷戦の原点となった。ソ連の対日参戦と引き換えに南樺太など北方の領土を与えるとした密約もこのときなされている。
(産経新聞) - 5月9日4時59分更新

米国におけるヤルタ会談の評価 カワセミの世界情勢ブログ

ヤルタ会談を否定的に評価するブッシュ大統領の発言が話題になっている。「東欧を共産主義の手に渡した」と過去の米国の政策を自己批判した。これは米国の外交姿勢としてかなり大きな変化ではある。ここで国内の対民主党への批判構図を持ち出すのはさすがに考えすぎだろう。ただ練られた発言であるとは思う。ライス国務長官の影響もあるかもしれない。ここでプーチン大統領が「ファシズム打倒のための結束である」と素早く反応しているのも感覚としては良く分かる。(中略)

 このヤルタ体制関連に関して、もはや蛇足もいいところだが一応背景も含めて述べる。第二次大戦開始前は、英仏あたりには「ヒトラーとスターリンどっちがマシか」という究極の問いが存在していた。ここでドイツに傾く人が多かったのは当時の基準としてはさしておかしくもない。フィンランドとの戦争でソ連がイメージを落としていたのも案外効いていたようだ。もちろん歴史はドイツを強く否定する事になったのは皆ご存知の通りだ。結局ドイツが欧州ローカルで圧倒的なのが二度の世界大戦の原因だということで戦後の厳しい仕打ちがあったわけだが、そういう背景の反動という側面もある。そのための東欧の犠牲は、米国はともかく英仏あたりはやむなしの構えだった。戦後のフランスの露仏同盟もどきの行動など私に言わせれば悪質だが、ただ陸軍国の戦争の悲惨さを思うと一刀両断にも出来ない。時間が経過し、ドイツが穏やかに復活する様子を見れば、ここまでの犠牲は必要なかったとの揺り戻しがあるのはおかしくもない。

 もっともこれは大戦直後にはっきり考えられていたともいえない。案外軽視されているが、米国は大戦直後には本気で五大国(現常任理事国)の世界統治を考えていたフシがある。常任理事国の軍事参謀委員会のようなものもあった。もちろんあっという間に役に立たなくなったが。この付近での対ソ認識の極めて甘い時期がソ連に貴重な時間を与えた。冷戦の成立はジョージ・F・ケナンのX論文以降といって良いだろう。この前後で対ソ戦のオプションもあったようだが手遅れで無理だった。そうこうするうちに朝鮮戦争と相成る。後はどうにもならない。(中略)

そしてこのブッシュ発言そのものは、客観的立場でも、実際に犠牲になった東欧諸国の立場でもヤルタ会談を否定する内容はその通りだとしか言いようが無く、ロシアの言い分は無理筋ではある。結局すべてに首尾一貫するしかない。ただそれが第二次大戦後の国際秩序の否定かというとそれほどの意味は無いだろう。ただ米国の思いとして、せいぜい第一次大戦後のイメージ(まぁアジアは抜くとしても)に近くなり、それでも微調整程度に考えているとしたら、実際の当事者はそれだけでも大事になって大変かなぁ、とは思う。


(私のコメント)
アメリカのブッシュ大統領がヤルタ合意を批判したというニュースはどういうことなのかわかりませんが、F・D・ルーズベルト大統領のした事を批判したという点ではわかるような気がする。ルーズベルトがアメリカの大統領のうちでは一番左翼的大統領であり、ソ連を救い、領土を拡大させたことに貢献した。それに対してブッシュ現大統領は一番右翼的な大統領であり、ソ連を崩壊させたライスが国務長官であることも象徴的だ。

以前の株式日記でもブッシュが靖国神社参拝を打診したことを書きましたが、これも東京裁判をしたルーズベルトやトルーマン大統領への批判の現われと言う意味では共通している。しかし外務省はこの意図を理解できず断っている。日本には外務省をはじめアメリカの専門家も沢山いると思うのですが、共和党のブッシュ大統領の右翼的性格を認識していない人が多い。

ブッシュ大統領の支持基盤はキリスト教右派ですが、共産主義による独裁政権をもっとも敵視しているから中国に対しては風当たりも強い。だから北朝鮮に対しても本気で潰しにかかるだろう。中国も六カ国協議で北朝鮮を説得するように頼んでいたのに逆に北朝鮮を支援して核開発に協力しているような格好になった。これではブッシュも怒り出して北朝鮮に対して先制攻撃も辞さないだろう。

ヤルタ合意の批判に対してプーチン大統領は世界の破局から救ったと弁明しているが、バルト三国からの謝罪要求に対しても突っぱねていますが、ソ連とロシアとは国も体制も変わったのにスターリンを称えるような姿勢は共産主義のソ連も現在のロシアもほとんど変わらず、ロシアの国力が回復すれば冷戦構造に逆戻りすることを暗示している。

共産主義という国家は崩壊しても地政学的な対立構造はそのまま残り、戦略物資の石油の獲得などにおいても資源を有する大陸国家のロシアと海洋国家のアメリカは対立せざるを得ない。だからブッシュのヤルタ合意批判は東欧やバルト三国に対するリップサービスだけではなく、これからの戦略を見据えたプロパガンダなのだ。

ヤルタ合意批判は日本の北方領土問題も絡んでくることでもあり、南カラフトや千島列島などもソ連に割譲されましたが、ルーズベルトは病死していなければ北海道と青森あたりをソ連に引き渡していたかもしれない。末期のルーズベルト政権はソ連のスパイに操られてヤルタ合意が結ばれてしまったが、このために鉄のカーテンが下ろされてソ連の周辺国は共産化してしまった。ルーズベルトはやがてはアメリカ本国をも共産主義国化することを考えていたと思われる。

しかし戦後のマッカーシー議員による「赤狩り」で共産主義者が追放されてアメリカの共産主義化は防がれましたが、ルーズベルトが病死しなければ危ないところだった。原子爆弾の製造法などがソ連へ引き渡されたのもそれだけアメリカの民主党内部に共産主義のスパイが入り込んでいたことの証明であり、当時野党であった共和党はその点などを突いて民主党を攻撃している。

確かに日独とアメリカとは共産主義に対する認識のズレがあり、日独を共産主義に対する防波堤とする考えはルーズベルトにはなかった。またそれが民主党の基本政策でもあり防波堤を逆に突き崩して共産主義を広めようとルーズベルトは考えたのだろう。その伝統はクリントンに引き継がれて日本弱体化政策に繋がり、さらに中国へ大陸間弾道弾ミサイルの技術も引き渡された。

アメリカというと反共産主義の総本山のよな認識がありますが、民主党の中には共産主義のシンパが大勢おり、ルーズベルトやクリントンのような民主党左派の大統領が選ばれると中国などの共産主義国家が活気付く。恐らく秘密の連帯組織があるのだろう。ブッシュのような右翼の反共産主義者が選ばれた背景にはクリントンのリベラルすぎる姿勢が批判されたためだ。つまりソ連が崩壊しても共産主義イデオロギーが崩壊したわけではないことがアメリカ国民にも認識されたからだ。




旧陸海軍、JR西日本、価値が転倒した組織は、宗教組織
会社、国家を問わず、「集団憑依」されているのである。


2005年5月9日 月曜日

近くにおられるうちに主を求めよ 2005/05/05(木) ミレニアム

事故当日にJR西日本の職員が事故を知りながらボウリング大会を開き、その後二次会で酒を飲んだという。

とんでもない会社である。国鉄時代の役人意識がまだ抜けていないのだろう。

信賞必罰がしっかりしていない国有企業に属している期間が長ければ長いほど、そこに属している人間が堕落する傾向は強い。

国全体で見ても、ソ連の影響下にあった諸国では、国民の意識から「自助努力」が欠落している。

社会主義諸国の国民は、国を自分の生活の面倒を見てくれる父親のようなものと見ている。

しかし、国とは、民の労働収入から得られる税によって成り立つ組織であるから、民がしっかり働かなければ国も国民に対して何も保証できないのである。

しかし、社会主義国の国民には「国には打ち出の小槌がある」という共通の幻想がある。

だから、自分に任せられた部署において不足や赤字が生じたら、もっと大きな部署にその責任を押し付け、その部署はさらに大きな部署に責任を押し付ける。

上位に押しつければ何とかなるという考えが国中に蔓延すると、国家の滅亡は間近である。

上にあげたって解決できないものはできない。国の上級官僚たちが、打ち出の小槌を振ってくれれば何とかなると信じても、彼らには何もないのだから、最後には自分たちにツケが回ってくる。

聖書は、こういった幻想を否定している。

「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」(ルカ16・10)

小さい事に関して責任を取れずに、問題を先送りしたり、上に回すことが許されるような組織は大きい事に関しても責任が取れない。

自分の会社が起こした未曾有の大惨事を知りながら、ボウリングができ、慰労会を開くことができるという神経は、その組織全体が堕落していることを示している。

このような大きな問題が発生する背景には、いたるところにおいて、小さな責任回避の積み重ねがあったはずだ。

どの組織でも言えることだが、破局の前に神は必ず悔い改めを促す人物を起したり、送り込まれる。預言者である。

彼または彼女の細い声は、次第に太い声に変わっていくだろう。

それでも耳を傾けないならば、大きな裁きに見まわれる以外にはない。

悔い改めることを拒みつづけた人間には、面罵する人間が送り込まれる。

今、自分が誰かにひどく罵倒され、叱責されているならば、神から送られた悔い改めの促しを頑固に無視し続けなかったかどうか過去を振り返って反省してみるべきである。

「主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。」(イザヤ55・6)

近くにおられるうちに主を求めよ2 2005/05/05(木) ミレニアム

(1)
今回の事故を通じて、JR西日本という会社の実態が明らかになった。

ドル箱路線の過密ダイヤを維持するために、職員に人間性を無視した過度のプレッシャをかける。

たまたま乗り合わせた電車の事故で多数の人命が失われ、怪我人が出ているのに、現場で救助することよりも、出勤を優先した上司とその職員。

自分の会社が起した未曾有の事故を知りながら、ボウリング大会を開き、慰労会を行った職員たち。

これらから見えてくる共通の特徴は、「人間性の喪失」である。

人間として当然持っていなければならない良識や感情を喪失している。

(2)
こういった内部だけで自己完結し、他者との関係を見失った組織とは早めに手を切ったほうがよい。このような組織に属すると知らず知らずのうちに、正常な感覚を失って自分が誰だかわからなくなってしまう。

あの、優秀で人望の厚い医師という評価を欲しいままにしていた林被告が、オウム真理教に入信後、組織内部での昇格に目を奪われ、殺人まで犯すようになった。

警察での取り調べを通じ、外の世界の人間と対話する中で本来の自分を取り戻し、オウムの呪縛から解放された彼は、自分が犯した罪の愚かさと大きさに愕然とする。

(3)
こういった価値が転倒した組織は、宗教組織、会社、国家を問わず、「集団憑依」されているのである。

憑依(ひょうい)の根底には、サタン崇拝がある。

金銭崇拝、偶像崇拝、名誉崇拝…

真の神以外を拝む組織は、サタンに「集団憑依」され、本来の目的とは違う目的に知らず知らずに流されていく。

仕事は自分のため、家族のためにするものである。

仕事が原因で死にたくなるほど苦しいなら、そこから逃げるべきだ。

仕事が原因で人間として当然持つべき良識すらも失っているならば、その仕事を止めるべきだ。

日本にはつらさのために環境を変えることを罪悪視する人が多いが、我々には自由人としての権利があるのだから、人間らしく働ける場所があるならそちらに移るべきだ。

集団憑依された組織に入ると、個人や社会の正常な目的よりも、組織の自己目的が自分にとって重要になり、自分も憑依者の仲間に引き入れられてしまうだろう。

(4)
過労死するまで働く人は、組織崇拝の犠牲者である。

本来自分の幸せのためにやっていることで死ななければならないなんて、馬鹿らしい。

私は、こういったまじめな人々に対して、「無責任になること」をお勧めする。

価値観が転倒し、サタンに憑依されている集団に対してまで忠誠を尽くす必要などまったくない。

忠誠を尽くして、過労死しても、会社や組織はあなたをフォローしてくれないだろう。

その時気づいても遅い。

サタンは人を利用するが、最後は必ず裏切る。「俺は知らんよ。」と捨て台詞を残して去っていくだけである。

サタンの集団憑依の目的とは、その集団を利用して、神の国を破壊し、人間の正常な生活を破壊することにある。

(5)
最近、ニートと呼ばれる、学校にも仕事にも行きたがらない若者の出現の一因は、彼らが自分の父親が組織によって牛馬のごとくこき使われて、使い捨てにされているのを見てきたからだという。

私は、大手の会社に勤務した経験があるが、会社生活の内容はひどいものだった。人間性なんてまったく無視される。夜12時ごろまで働かされても文句も言えない。

この実態をもし自分の子供が知ったら、絶対にサラリーマンにはなりたくないと思うだろうと感じた。

その会社は、中学高校時代に、遊びも何もかも犠牲にして勉強しないと入れないような大学の卒業生ばかりだった。

東大や京大を出ても、満員電車に揺られて、朝から晩まで働き詰め、人間としての正常な感覚を維持するための精神的な余裕を与えない。


コンピュータが導入され、仕事の効率が上がったから仕事が楽になるかというとそうではない。その効率に合わせてさらに多くの仕事をこなすように要求される。

昨日まで課長だった人が翌日、フロアの真中に用意された電話も書類も何もない机に座らされているのを見た。しばらくして彼は退職した。

労働者に対してこんな報い方をする組織は早晩つぶれると思った。(たしかに私が勤務した部はその後消滅した。)

ニートが生まれるのも無理はない。勉強しても未来が地獄なら、勉強しないほうがましだ、と考えても無理はない。

(6)
このような地獄のような労働環境の主原因は、聖書の神を礼拝していないことにあると思う。

「組織や国がどんなに大きくて、自分が小さくても関係ない。神が自分を導いて正しい道を歩ませてくださる」と信じることができ、なおかつ、それを辛抱強く持ちつづけるならば、神は我々に人間らしい、しかも、金銭的にも十分な報いがある生活環境を与えてくださるだろう。

このような信仰がない限り、非力な我々は、企業や国に蹴り回されて一生を終えるしかないだろう。


(私のコメント)
JR西日本の職員達の大事故が起きた後の態度が問題になっている。確かに事故を起こした電車に乗り合わせたJR職員がそのまま救助も行わずに出勤したり、ボーリング大会や宴会など開いている神経は、一般社会常識からずれている。テレビの画面を見ればこれは大事故だということは分かるはずですが、JRの職員でありながら他人事と思っていた。民主党の国会議員も一緒だったというのだから神経は麻痺している。

5月4日にも日本人の精神構造について書きましたが、組織に忠実でありすぎて個人の良識や正義感を喪失してしまうのは、組織の外から見ると異常に見える。身を犠牲にしてまで会社の為に尽くすのは異常だと思うのですが、わたしが会社員のときはそれが異常ではなかった。新入社員は入ってきた時には誰もが感じても10年も経つと異常に思わなくなる。

サービス残業も当たり前だったし、仕事が終わっても5時に帰宅することは許されなかった。上司が帰らないと部下も帰れないし何をすることもなく時間を潰すことが多かったが、これではたまらないので私は5時になったら帰ることにしたが、上司からは嫌がらせを言われるようになった。もちろん残業するような仕事がないにもかかわらずだ。

会社全体ではノー残業デーまで作られるほどなのに、現場では上司の面子を立てることのほうが優先された。だから就業規則も名ばかりで守られず、上司の指図が就業規則より優先された。JR西日本も上司に逆らえないからボーリング大会も宴会もそのまま行われたのもベテラン上司ほど社会常識からずれているからそうなる。

会社も大組織で古い会社になるほど組織も硬直化してくる。その中では実力よりもいかに組織に忠実であることが出世の目安になり、だから上司に逆らうことはよほどのことがないとありえなくなる。だから酒の席でも悪口を言えば誰かが上司に告げ口をして油断は出来ない。そして問題社員が酒の肴にされることが多くなる。いわゆる会社内でもいじめが起きる。

銀行などは若い女子職員が多いから社内結婚も実に多い。右を見ても左を見ても社内結婚ばかりだった。そんなだから酒の席で「社内結婚は釣堀の魚を釣るようなものだ」と冗談を言ったら仲間の社員に言いふらされて女子社員から白い目で見られるようになった。銀行員と結婚が目当てで入ってくる女子社員が多かったのだろう。

そんな風だから社内の男女関係も複雑になっていて、恋愛から結婚から不倫まで会社組織内で行われて外部との交際は例外的だった。まるで金魚鉢の中の金魚のような感じであり水槽から飛び出せば死ぬような雰囲気があった。銀行は新卒採用がほとんどで転職経験のある人がほとんどいなかったからだろう。

バブルの崩壊後は転職に対する抵抗も少なくなりましたが、転職が不利であることには変わりがない。私も転職前は1000万円近かった年収が半分以下に落ちた。テレビなどで転職でキャリアアップなどと言っているのはうそ臭い。だからほとんどの日本の会社員は必死に会社にしがみついて働かざるを得ない。だからJRの運転士だって無理なダイヤでも不平は許されず運転せざるを得なかったのだ。

日本の組織では外部からのチェックが効かないから大事故や敗戦のような出来事が起きないと、組織の悪弊はなかなか改まらない。日本が民主国家になれたのも敗戦のおかげですがあまりにも多くの犠牲を必要とした。旧日本陸海軍が戦争にまで突っ走ってしまったのも価値観が転倒した組織だったからですが、一般社会常識が通用しない組織の典型だった。

そのような悪弊が戦後になっても改まらずに日本企業内に残っている。上官の命令が天皇陛下の命令ならば、会社においても上司の指示は絶対的なものになり事故が起きない限り改革は出来ない。アメリカと戦争したら負けますよとか、こんなダイヤ編成では事故が起きますよと警告する有能な人はいたのでしょうが、組織を守ることの方を優先して、無能な上司が年功序列でなることは旧日本軍も現代の企業も変わっていないようだ。




中国の不動産バブルはどれだけ持ちこたえるか
不動産バブルが崩壊した香港の様になるだろう


2005年5月8日 日曜日

中国の不動産バブルはどれだけ持ちこたえることができるのか? 大紀元  滄 海月

歪んだ上海不動産市場

上海の住宅価格が高騰する一方で賃貸収益率が下落を続ける背景は、長年にわたって数サイクルの投機が展開されたことにより、需給関係に深刻な歪みが生じたことである。
上海市場の今回のサイクルは、1998年に始まった。1998年の平均住宅販売価格は3026元/uであったが、2004年末の価格は5500元/uに達していた。このうち、分譲住宅の平均価格は8124元で、静安、長寧、徐匯、虹口等6つの中心地区の平均価格は10000元/uを超えている。

資料によると、2003年と2004年の2年間、上海市の住宅価格の上昇率は、ともに30%を超えている。

こうした住宅価格の上昇プロセスにおいて、市場の需給、政府の推進策及び投機者による頻繁な価格の吊り上げが重要な役割を果たしている。上海市不動産資源管理局は、6つの特定案件について物件を差し押さえた。その容疑は、ディベロッパーが架空の購買者を仕立てて偽りの契約にサインし、住宅価格を吊り上げていたことである。これはモノを左手から右手に移す遊びのようなもので、立て続けに契約のサイン→取り消しを繰り返す中で、価格を徐々に吊り上げていくのである。あるプロジェクトでは、合計で16の物件があったが、これら物件に係る契約の取り消しが累計で96回も行われ、契約取り消し率は600%に達した。また、契約における家主の名前が“李某”、“凌某”、“関某”、ひいてはK、E、Fといったアルファベットの記載しかなかった。これまで、ディベロッパーの様々な集会で話題に上っていたのは“売り惜しみ”の話題であった。上海市政府やメディアも、上海住宅市場は平穏かつ健全に発展しているともてはやしてきた

不動産市場をバブル化を占う重要な指標は二つある。一つが当地の住宅価格と家計年収の比率であり、二つ目が、毎月の借り入れコストと賃貸収入の比率である。

国際的に用いられている住宅価格と収入の比率は、現在の価格が合理的であるかを調べるのに有効である。上海市の不動産を例にとると、当該価格−収入比は世界最高になる。中国社会科学院の研究員の統計によると、上海における80uの住宅価格は、一般家庭の可処分収入の27.5倍となっている。一方、他国の数字を見ると、ドイツの場合は11.4:1,イギリスは10.3:1、フランスは7.7:1、最も豊かなアメリカは6.4:1、しばしば非難される日本は11:1となっている。

ある分析によると、1997年に香港の不動産バブルが爆発する前、毎月の借り入れコストと家賃の比率は2.2:1であった。現在、中国四大都市のうち3つの都市の比率は1.3:1であるが、上海は2:1の水準にまで達している。この数字が意味するところは、上海の不動産が危険な段階に達しているということである。(中略)

不動産の将来利得の前借り

上海における不動産業の状況は、中国の不動産を観察するためのショーウィンドウの一つにすぎない。この20年余りにおける中国経済の発展において、不動産業の功績は最も大きかった。中国不動産における利益獲得ゲームにおいては、政府の手中にある土地の価値が地方の財政収入、都市の発展水準や官僚の成績を決める。ディベロッパーは“土地の稀少性論”を価格上昇の理論的基礎とした。政府が不動産市場において合従連衡を画策し、国際遊休資本が機に乗じて流入する中で、各地において不動産の盛大な宴が次々と発生し、ディベロッパーや投機人は不動産の価値上昇によってかなりの利益を得た。政府は、不動産業の猛烈な発展を通じて巨大な恩恵を受けた。江蘇、浙江、上海の3地方の財政収入のうち、不動産業と建設業(関連産業を除く)の占める割合は、ともに30%前後であった。最近における研究者の指摘によると、2003年における北京市の不動産投資は1202億元に達し、社会総投資の56%を占めている

一体どれだけの人がメリットを享受したのか?これは次の2つの指標を見れば分かる。一つが、中国の富豪トップ40の大多数が不動産業に携わっていること、二つ目が、大きな腐敗事件の主犯の多くが土地使用権の売却と関係があるということである。残された問題は、こうした不均衡な発展をしている不動産業が中国に何をもたらすかということである。

地租(土地使用料)は、全社会が創造する剰余価値の一形態である。社会における総生産物の価値は、地租、利子、税収、利潤等4つの部分で構成される。今回の新たな囲い込み運動の中で、中国の各級政府は、土地使用権の売却を通じ、50〜70年間の使用料に相当する一過性の収入を獲得した。この異常な利潤は、各級政府が前借りをして国民収入を上回るインフラ建設を行うことを促進した。これこそが、中国における都市建設ブームがこの数年間衰えていない原因である。この手法のもう一つの結果として、政府が多額の地租収入を徴収することによって利子・利潤を浸食し、企業の経営コストを引き上げ(地価の上昇と不動産価値の上昇)、企業の生存と発展に深刻な影響を及ぼしている。

金融機関の高リスク

中国の政府機関は年を追う毎に膨張しており、財政収入の大部分の来源は土地使用権の払い下げである。政府が3〜5年のうちに、50年〜70年分の土地使用料収入を使い果たすことで、都市インフラの建設に投入される資金が、必然的に、経済成長によってもたらされる資金量を大きく上回ることになる。これこそが、中国の経済構造の不均衡、銀行の不良債権の増加、経済におけるバブル形成の重要な原因である。

不動産投機のフローの背後で、巨額の銀行融資に係るリスクが絶えず発生している。2004年を例にとると、上海における新規融資の76%が不動産業に流れている。正常な状況において、銀行融資は、合理的な産業別ポートフォリオに基づいて実行されるべきである。こうした中国の不均衡な融資構造は、銀行業の安全にとって非常に大きな脅威となっている。人民銀行上海支店は警告を発し、不動産市場のリスクが銀行の融資へと移行している可能性を指摘した。

銀行と不動産業の不正常な融資関係の原因は、中国の国有銀行体制である。現在、中国の商業銀行は不動産の発展を支える上で巨大な影響を及ぼすとともに、その発展をコントロールする責任を担っている。現状から見るに、中国の商業銀行は、不動産業を支援する際には骨身を惜しまないが、抑制すべき時になるとかえって妙案をひねり出すことができない。こうした状況を生む根本的な原因は、商業銀行における長期的利益と短期的利益のトレードオフである。

住宅ローンはこれまで、銀行にとっての優良資産であり、全力で支援していくべきものと見なされてきたが、それには二つの理由がある。第一に、中国の銀行システムは、依然として規模の拡大の時代にあり、各銀行の本店が支店に下達する目標(ノルマ)が常軌を逸しており、かつこの目標が官僚の地位と直接紐づけられてきた。第二に、銀行の幹部が任期制であり、無期限の責任追及をすることができないが、不動産向け融資のリスクは、一般に若干の年月を経ないと顕在化しない。したがって、銀行の上層部も、こうした融資構造に問題があることを知ってはいるが、本人の任期中に問題が発覚さえしなければ、誰もが見て見ぬふりをするのである。結局、運の悪い少数の官僚だけがそのツケを払って責任をとるのである。

中国経済の“繁栄”は、実のところ、不動産業と政府財政による大量の公共プロジェクトの上に成り立っている。中国政府が実施している“住宅価格の安定”のための施策は、単に“バブル”を安定させ、これを長期的に持続させ、短期の内に破裂させないための施策にすぎない。しかし、中国経済は、遠い将来の不動産業の利潤を前借りして消費してしまった。その後になって、代償を負担せずして不動産のソフト・ランディング(経済のソフト・ランディングを含む)をしたいと考えるのは、単なる独りよがりの考えにすぎない。

《TAIWAN NEWS 財政文化週刊》、2005年4月14日(第181期)



(私のコメント)
4月28日の「株式日記」で「おかしなNHKの報道」と題して書きましたが、中立で冷静な報道を求められる公共放送がなぜ何度も中国への投資を煽るような放送を続けるのか書きましたが、中国は今年中にも不動産バブルがはじけそうな状況にある。しかしながらNHKはそのような事は絶対に報道しない。あったとしても「そのような事はない」という否定の報道で締めくくるだろう。

中国の不動産バブルはどの程度危険なのかというと、大紀元によれば1997年の香港の不動産バブルがはじける前の水準は家賃収入1に対して借入金コストは2,2倍だった。つまり10万円の家賃収入のある物件の返済金の金額が22万円まで行っていたのですが、金利や返済年数がどれくらいかわかりませんが、家賃収入全部返済に回しても倍以上のコストは異常な水準だ。

上海は以前の香港のレベルまでに近づいている。分かりやすく言えば香港が上海へ引っ越してきたと考えれば上海にあれほどのビルラッシュが起きたののも理解できる。東京もバブル前は東京が世界の金融センターになるとの囃し文句でバブルが起きたのですが、東京も香港も期待はずれで上海もそうなのだろう。

住宅などにおいても中国の水準は異常なレベルに達しており、日本やヨーロッパは可処分所得の11倍ぐらいの水準なのですが中国ではこれが27倍の水準にまで行ってしまっている。可処分所得がどういう意味かわかりませんが、日本やドイツやイギリスの三倍近い水準だということだ。

これではいくら中国の人件費が安いといっても、日本から工場や企業が進出するには工業団地の土地を買い工場を立て、従業員の宿舎を借りたり建てたりするには、これほどのコストをかけなければならないということだから、人件費が安いといっても総合的に見れば他のアジア諸国よりも高くなってしまっている。おまけに反日デモで反日気運は高まり労働争議が待ち構えている。

大前研一氏をはじめ多くのエコノミストやNHKを始めとするマスコミは中国へ進出しなければ負け組になると囃しまくったが、誰もその責任を取るわけではない。13億人の巨大市場といってもバブルがはじければ赤字のまま中国から撤退を迫られるだろう。たとえ上手く行っても不動産に資本投下した資本を回収するためには50年から70年もかかる計算になるようだ。

さらに不動産バブルがはじけた場合、金融にもたらされる影響は日本と同じであり、融資が焦げ付けば銀行は倒産してしまうが、中国の場合は国営銀行がバブル崩壊のリスクを一手に背負って中国政府に一気に襲い掛かってくる。中国政府はすでに国債発行も限界に達しているし、赤字の穴埋めは紙幣を乱発して埋めるしかない。そうなれば金利は急騰してアルゼンチンと同じになる。その事は一昨日書きました。

このような状況がわかってくると国際金融資本は新たな投資先を探して中国から手を引きはじめた。香港はいま立ち枯れたようになっているが中国全体が香港のようになるのだろう。不動産バブルの調整には時間がかかりますが日本も15年もの低迷を余儀なくされましたがあと数年でバブルの調整も終わるだろう。大紀元の記事には次のようなものもある。

オーストラリア投資銀行総裁:中国よりも日本に投資を 大紀元

【大紀元4月3日】(大紀元記者雪リ編集報道)大多数の投資者が中国の経済に深く関心を示しているが、有力銀行であるオーストラリア投資銀行は、アジアのもう一人の巨人――日本の存在を忘れてはならないとしている。

「日本は投資の選択肢から外されているが、長期にわたる低迷の時期を経験した日本は、すでに回復しつつあり、証券における投資判断を見直すべきだ」と日本UBS有価証券会社のサイモン・バンス総裁は言う。

経済成長期の80年代日本は、かつて世界中で最も成功した具体例として挙げられたが、90年代の日本は低迷期に入った。希望と失望という極端な落差は、今日なお記憶に深い。

投資の流れが中国にある時、なぜわざわざ日本を選ぶのかについて、バンス総裁は「経済成長率から見れば、この二つの国はかなり異なるが、日本には、ある種の積極的に発展する勢いが感じられる。十年以上の低迷期を経て、日本のすべての企業が打撃を受け、従来の経営方式を再構築することに迫られた。例えば、トヨタのような大手企業の実態を見ると、彼らの企業管理の運営は悪くないと思う」と語った。




歴史的3連敗、英保守党・ハワード党首が辞任表明
英国も日本も政治家の人材難が課題となっている


2005年5月7日 土曜日

歴史的3連敗、英保守党・ハワード党首が辞任表明

【ロンドン=飯塚恵子】5日の英総選挙で歴史的な3連敗を喫した保守党のマイケル・ハワード党首(63)は6日昼、支持者らに演説し「私は目指したものを達成できなかった。新たな指導者が生まれた時、辞任する」と述べ、敗北の責任を取って辞任する考えを表明した。

 英政界で2大政党の一翼を担ってきた伝統を誇る同党は、総選挙で敗北した場合、大半は党首交代によって再建を目指してきた。しかし、高齢化、人材難など同党の課題は山積している。

 「私は次回の選挙は党首として戦わない。高齢すぎるからだ」。ハワード氏は辞任の理由をこう述べたが、党内には解散時162議席だった同党を、200議席近くまで戻した党首に対し、評価する意見も多く、新たな党内対立が起きることに懸念の声も広がっている。

 保守党は政策面でも行き詰まりを見せている。サセックス大のティム・ベール博士(政治学)は「保守党は地方の中産階級以上を支持基盤の中核に置いているが、それ以外の動向把握に失敗している」と解説する。

 例えば、今選挙で唯一労働党と明確な差別化を図ったのは強硬な移民政策だった。英国内の最近の世論調査では「移民法を徹底強化すべき」と答えた人は67%に上る。

 こうした状況から、同党は移民増加に不安を覚える都市部の有権者を狙い、移民を厳しく管理する公約を発表。だが、対象となる労働者層は保守党に元来関心がないうえ、知識層の反感もかった。
(読売新聞) - 5月7日0時23分更新

議論はなぜ死んでいるのか 平島廣志/松下政経塾第15期生

ブレア首相がまだ労働党党首になったばかりの時、この労働組合を祖とする政党 は党規約第4条に「主要生産手段の国有化をめざす」という前時代的な条項を持 っていた。
要するに労働党が再び政権を取ったら、鉄道や電気、その他サッチャー政権が民 営化した国有企業を再国有化しますよ。という意味で労組上がりの古参党員たち はこの条項を指して「労働党の魂」と呼ぶほどであった。

しかし4回連続総選挙で負け続けた末、国民の多くは再国有化など望んでおらず このカビの生えた条項を削除しない限り労働党を政権の座に押しもどすことは不 可能であろうとブレア党首は考えたのである。

かくして「第4条削除問題」が全労働党に浮上する。決定が行われる党大会の代 議員票は労働組合が70%、地区の一般党員が30%という労組偏重の歪んだ配 分になっており、これが歴代党首をして4条の削除に失敗させ続けた原因となっ ていた。
すでに巨大労組の幹部たちはブレアの4条削除案には反対を表明しており、この 試みは再び失敗するかに当初思えた。

ブレア党首は、党大会までの数ヶ月間イギリス全土を駆け回って、どんな小さな 集会にも顔を出し、時には敵意の中で説得しながら、この条項があるかぎり絶対 に政権は取れないこと、例えこの条項を削除しようとも弱者のためにより良い社 会を建設するという労働党の理念はいささかも変わりはない事を情理をつくして 訴えた。

直接対話した党員は延べ2万人におよび、受けた質問にいたっては8千を越え た。
1995年労働党大会においてブレアは労働組合の絶大な力を奇跡的にはね返し、つ いに党規約第4条を削除する事に成功する。このことによってサッチャー以来保 守党政権が行ってきた民営化路線を労働党もまた継承するのだという事を内外に 示し、国民に政権党になる準備が有る事を証明することとなった。

政党を解散するかしないかを党首の一存で決められる国とは隔絶の感があるし、 「拍手で承認をお願いします!」といった質問の一つも無い両院議員総会を見て も同じ思いがするのは私だけではないであろう。

あらゆる問題に光をあて、風を通し、オープンに議論しあい、ある者はビジョン を示して説得を試み、ある者はその論理に矛盾あればこれを正して自説を述べる という議会政治の初歩の初歩が存在しないのは何故なのかと不思議である。
問題は風土なのだろうか?

黙っていても日本人同士は理解しあえるとか、「あ、うん」の呼吸というものが 信じられているがそんなものは嘘八百であって、もしあったとしてもどこの国ど この民族でも持っている文化的な以心伝心の範囲であろうと推察する。
要は議論を恐れる心にこそ問題がある。

弁舌の才はもちろん先天的なものもあるであろうが、後天的な訓練のほうが一定 レベルの水準ならば大きい。別に日本の政治家のすべてがダニエル・ウェブスタ ー(19世紀の米上院議員。天才的な雄弁家)にならなければならないと言ってい るわけではないのだ。

結婚式のスピーチなどがそうであるようにカラオケと一緒で場数が物を言う場合 が多い。より高度で技能を必要とするディベートにしても訓練と思考法の基本的 な習得をすればあとは場数の問題であろう。

「遺憾」「前向きに善処」等々国会で日常会話で誰一人つかわないような不思議 な言辞を弄するのは実状に基づいた論理で争わず、言葉を濁して論拠の薄弱さを 隠蔽する卑怯さによるものだろうが、これは国会議員に限らず日本人がよく使う 手である。
「フラクタル」「パラダイムシフト」と言ったカタカナ専門用語をつなげて会話 にしているのもたぶん類似の心理によるところが大きい。

日本人の面白さは、カタカナや専門用語に極端に弱いということである。
さっぱり何言っているのかわからないのに、聞いているだけで頭がよくなった気 になるのか「わからない」とは絶対いわない。

議会に限らず雑多な人々に説明する時は、できるだけ簡潔な言葉でわかり易く説 明するのが聞いている人に対する礼儀であろう。もちろん一人で壁に向かってし ゃべっている時ならばこの限りではないが。
これは議論というよりも人間関係の能力の不具合に帰するところ大なのでここで はこれ以上論じない。

ただ質問を恐れるあまり(または答えられず面子を失うのを怖がる余り)全ての 人間がなるべく相手が理解できないようにと言葉を選らんでしまったらこの世は 小さな国会だらけになってしまうだろう。

余談ながら大学教育のレベルではゼミ活動などでずいぶんとディベートを導入す るところも増えてきてはいるようだ。
ただ本来このような談論風発の風潮を引っ張っていくべき各大学の弁論部が最近 低調なのは残念の一言につきる。

私も学生時代は余り熱心だったとは言えないので説教がましい事は慎みたいが、 欧米の大学を見るにつけもっともっと学生弁論界の真剣な競争を通した技術の向 上が必要であるように思える。すくなくとも体育会のスポーツクラブ並みの努力 と時間を払う必要があるのではないだろうか。

また政党も人材難だと嘆じているのではなく、積極的にこれらの中の優秀な学生 を吸い上げる努力をして欲しい。 ディベート等のコンテストを主催するのもよし、政策研究会を開催するのもよ し、英国のようにその中でこれはという学生をリクルートして党の政策調査会で 研究させたり、選考を行ってから各種国政・地方選挙の候補者として擁立したり すべきであろう。

現在企業や公務員に流れている優秀な人材の内1割でも政治の世界に引き寄せる ことができるならば大きく日本の政治が変わる可能性があるのではないだろう か。
ともかく政治を決定する本質が「影響力」と「裏取り引き」ということならば、 いずれ行き着く果ては収賄であり、接待であり、ノーパンしゃぶしゃぶという政 治腐敗の蔓延する世界でしかない。

議論と説得力が優れたリーダーの素質第一であるところは洋の東西を問わない。 形而上の正義体系を言い争う朱子学の風を見てもわかるとおりかつて李朝朝廷に おいては議論に敗れれば「即チ、九族滅ブ」という過酷なものであった。
文明論をもって議論を忌避するのはまさしく詭弁以外のなにものでもないことが よくわかる。


結論を言えばどこの世界でも、議論のできない者、説得する熱意に欠けるものは 何事かを為すことはないであろうということである。
我が松下政経塾はどうか。この文脈において真に議会人を育てる場であるだろう か。
ここでは敢えて答えないが、答えなくとも我が心中は伝わるに余りあるであろ う。


(私のコメント)
英国の総選挙は労働党が三期連続勝利しました。これはこれといった争点がなく、ブレアの労働党とハワードの保守党と政策にたいした差がなければ、党首の人気で選挙の勝敗が決まってしまうから、ブレア首相のほうがハゲのハワード党首よりも女性票が集めやすかったのだろう。英国の保守党もその意味では人材難のようだ。

小選挙区、二大政党制で政策もたいして変わりがないとなれば、党の看板である党首が選挙の勝敗を左右することになるが、ブレアを上回るタマが保守党にはいないようだ。ブレア自身も労働党を大改革してのし上がってきた人物だから、単に若くてハンサムで演説が上手いというだけではブレアに勝てないということだ。

日本も事情は同じであり、党首として、首相としての条件を兼ね備えた人物はそうはいないが、小泉首相に代わるべき人材は帯に短し襷に長しでなかなかいないから長期政権が続いている。小泉降ろしを企む議員たちも選挙になれば勝てなくてはならないから、党の顔として小泉首相に代われるタマが無いからむやみに降ろせない。

政治家というのは、肉体的にも精神的にもタフで能力的にも高い能力を要求されますが、それだけの人物は無理して政治家にならずとも他の世界で活躍できるから、政界は人材難になってしまう。また能力があり政治家を志した人物がいたとしても、選挙で有権者の支持を集めなければならないから、これが一番の障害です。

政治改革で派閥中心の政治から党中心の政治に変わってきたことにより、派閥の影響力は低下してきて、現在では派閥らしいところは森派ぐらいで他の派閥は空中分解寸前だ。森派は小泉純一郎という人材がいたおかげで我が世の春ですが、他の派閥には党首や首相として選挙に勝てる人材がいないようだ。

だから大臣の配分も派閥が口出しもしづらくなり、派閥の親分も影が薄い。旧橋本派も会長が半年も不在のままだ。昔のように派閥の長になる事が首相への関門だった時代は終わった。派閥の長が党首になっても選挙に負ければなにもならない。だから派閥の意味はなくなってきた。

英国のブレアと日本の小泉とはタイプがよく似ており、政策的にはアメリカべったりであり頭は禿げてはいない。ブレアはプードルと呼ばれ小泉はポチと呼ばれている。似ているのは偶然なのか意図的なのかわかりませんが、それだけ選挙で勝てる首相というのはなかなかいないということなのだろう。自民党内の動きについては雑誌「選択」によるとポスト小泉はいそうでいないらしい。

自民党「派閥政治」は終わったか 選択5月号

苦悩の各派

 民主党との二大政党時代では、国民受けを無視して、派閥の合従連衡だけで党総裁を選べば、国政選挙で国民のしっぺ返しを確実に食うことになる。しかも、どの派閥の領袖にも、国民人気を獲得できそうな政治家はいない。派閥に所属するメリットもなければ、魅力的な領袖もいない。これでは、派閥を以前のように運営できるはずもないのだ。
 親分・子分の関係は弱まった以上、以前に比べれば、子分は親分を自由に選べる。かつてのように「この人を首相にしたい」ではなく、「この人なら首相になれるかも」というのが、派閥に加わる子分の論理だ。(中略)

しかも、党内でも数少ない「いい男」といえる安倍晋三党幹事長代理、玄人筋の人気が高い福田康夫前官房長官が所属している。森氏は首相とのパイプや、将来のエースが存在することを印象づけ、派閥の結束を保つことに成功しており、党内で唯一の「派閥らしい派閥」を守っている。
 ただ、安倍氏を次期首相とすることに森氏自身は慎重で、福田氏の方が望ましいと考えている。森氏は急速な世代交代を嫌っており、安倍氏にまで時計の針を進めてしまえば、中川秀直国対委員長、町村信孝外相は飛ばされ、派閥のヒエラルキーは大きく崩れてしまうことが心配なのだ。ただ安倍待望論は根強く、それに対する対応次第では、この最後の派閥さえ、流動化しないとも限らない。


(私のコメント)
このように首相になるべき人材を育てるには長い年月が必要ですが、自民党も民主党も積極的な人材スカウトをしているのだろうか。民主党にしても古賀元議員のようにイケメンだけれども学歴詐称とかで馬脚を現している。各選挙区の有権者も意識が変わっていないから組織をバックにした人物が選ばれることが多い。世襲議員が多いのも後援会組織がついているからですが、小泉首相も安倍氏も世襲議員ですが、これでいいのだろうか。




中国におけるアルゼンチン経済の悲劇 日本がアメリカや
中国経済を支えきれなくなった時、両国とも破綻するだろう


2005年5月6日 金曜日

中国の金融界はなぜ中国の未来を破壊するブラックホールとなるのか?(五) 大紀元 草庵居士

◆中国におけるアルゼンチン経済の悲劇

ここで、過去の先例をふり返ってみましょう。アメリカの経済が不調の時、中国は、容易に経済を粉飾し、好調なイメージを偽装します。彼らは、中国経済がアメリカ経済よりも優れ、収益率もアメリカより高いと言います。しかし、皆さんご存知のように、中国の政治リスクは非常に高いです。そこで、相対的な比較、つまり収益の高さと政治リスクの比較を行った上で危険を冒して中国で投資をするのです。だから、このようなカーブを描いていると言えます。アメリカが良ければ中国が悪く、アメリカが悪ければ中国は良い。この20年間の発展の過程で、経済成長を見つめてみると、このような感じになっています。

 こうした経済成長は、法則に則ったものです。この他にも法則があります。それは、アルゼンチン、ブラジルやチリなどの国家がたどっていった経済発展に関する法則です。

 80年代前半、アジアの国々に四小龍があったことはご存知でしょう。 90年代になって、これらの国々は四小龍ではなくなりました。最もパフォーマンスが良かったのは、アルゼンチン、ブラジル、メキシコでした。アルゼンチンがどのレベルに達していたかと言いますと、世界第7位、つまり経済が世界第7位となっていました。これは過去の話ですが、当時、趙紫陽や朱鎔基は、アルゼンチンやブラジルに人を派遣してこれを学習させました。

南米の国家が世界第7位にまでなったわけですが、その成長は非常にハイペースなものでした。アルゼンチンは、次のような成長過程をたどっていきました。

ドルペッグ(自国の通貨レートをドルに連動させる為替政策)の単一為替レート

 第一に、アルゼンチンは通貨改革を行いました。もともと自由兌換であったものを、中国式の、ドルペッグの単一レートにしたのです。ドルをアルゼンチンに持ちこんで投資をする場合、これを完全にペモノ交換することとし、そのレートは政府がコントロールした単一レートに基づく、というわけです。これはどういったシグナルになるでしょうか?以前は経済が不調だったアルゼンチンが、今後は、ドル−ペモ政府がコントロールし、みだりにペヨタにはしないだろうと誰もが考えたのです。このため、大量の外資がアルゼンチンに進出してきました。

 進出後、アルゼンチンは積極的な財政政策を実施しました。外資の進出には環境の改善が必要です。アルゼンチンは、中国大陸の積極財政に匹敵するような、大量の政府資金を投資に使いました。その結果、アルゼンチンにおいては、政府と関係さえあれば、そのおこぼれに与ることができる状態が発生しました。なぜなら、工業地区の建設、道路の改修、高層ビルの建設が随所で行われており、そのための環境がうまく備わっていたのです。

 もう一つ、積極財政の後、アルゼンチンはあるプロセスを経験しましたが、これは世界でも同様です。アルゼンチンは、国営企業の改革を強く推進しました。国営企業の効率性は、民間企業のそれよりも低いのです。しかし、導入された外資は税が免除されており、民間企業からの税収はハイペースで成長していたのですが、財政の成長に見合うほどではないために、国営企業からの税収に依存する必要があったのです。

国債発行で財政収入の減少を補う

 このとき、経済が低迷するので財政収入も減少します。どうすればよいのでしょうか?アルゼンチンは国債を発行しました。国債発行額の成長率は30%でしたが、経済成長率はわずか9%でした。国債発行額の伸びが限界に達した時、ある比率、つまり新規発行額に占める過去の国債の償還分と利払い分の比率が大きくなります。アルゼンチンの国債は全て5年ものでしたが、発行すればするほどこの比率が大きくなっていきました。これを一定程度上回ると、現在の中国大陸のようになります。中国は、昨年3000億元の国債を発行しましたが、3000億元のうち1500億元が過去の利払いで、残りの1500億元が元本の返済で、自己の財政には使えませんでした。この段階になると、経済が成長する術がなくなります。

国債発行が限界に達すれば増税

 国債を発行した後、アルゼンチンはある政策を実施しました。それは増税です。国発行が伸びなくなると、すぐさま増税です!こうした経済成長は、権力の結合と分化をもたらし、報復をもくろむ人が増加します。政府はこう言いました。「金融取引税の徴収を実施する」。

 この金融取引税とは何でしょうか?中国大陸でも同様のものが実施されています。朱鎔基の末期、銀行預金に係る利子税を徴収しました。皆さんはご存じかどうか、私は知りません。中国における現在の債務圧力は国内では誰もが知っていることでして、中国大陸は、これまで利子税を徴収してきました、アルゼンチンは、利子税の他、金融取引税をも徴収しました。皆さんが金融取引を一度するだけで、例えば、借り入れをするだけで取引税が徴収されるのです。これはひどすぎます。

 こうした状況の下で、民衆はこう言うでしょう。「お金が出来てあなたのところに預金したところで何の意味があるのでしょう。お金が少ない場合は特に逼迫しませんが、お金ができてあなたのところに預金をしても、利子税や金融取引税を徴収されます」。 そして、お金を移すのです。お金を海外に、ゆっくりと移していくのです。やがて移し終わった時、国庫が空になるのです。

国庫が空になれば、教育費、社会保障費、退職金、医療費を削減

 国庫が空になった後はどうするのでしょうか?アルゼンチンにはまだ政策がありました。教育費を削減して財政支出を節約したのです。アルゼンチンは、まず教育費を削減しました。中国大陸の現在の教育を見ますと、中国は、アルゼンチンよりも早い段階で削減を行っています。改革の第一ステップが教育の削減で、これを教育の市場化と呼んでいます。私は、中国に次いで教育の市場化を掲げた国を見たことがありません。中国大陸がその先駆者であり、ノーベル経済学賞を受賞できるでしょう。

 第二のステップとしてアルゼンチンが実施したのは社会保障の改革でした。教育のお金が利用できなくなると、今度は社会保障のお金に目をつけ、一部を削減する改革を行ったのです。中国大陸も同様です。朱鎔基の時代、江沢民はこう言いました。「民衆の皆さん、政府の負担をこれ以上増加させることはできません。皆さんが負担の全てを政府に求めても、政府はこれを負担できません」。

 私はこう言いました。「民衆がどうして政府の負担を増加させているのですか?政府が民衆の負担を増加させていると言うのが筋ではないでしょうか?”」。彼は公にこう言いました。「我々には負担できません。この退職金については、共同で負担しましょう。皆さん自身と政府が一部ずつ負担するのです」。 その結果どうなったかと言いますと、多くの人が退職後に退職金がもらえなくなりました。アルゼンチンはこのプロセスをたどりましたが、そのタイミングは中国に比べて遅れています。

 その後、医療制度改革が実施されました。病気の診療にお金を使いすぎているので、これを減らそうというわけです。政府はこうして削減を行う一方で、お金持ちに対しては削減を行いませんでした。これは中国大陸における改革のケースと類似しています。4級以上の幹部は改革の範囲に含まれず、含まれたのは4級以下の人でした。4級以上の幹部は錐帥xースで医療費が支給される一方で、下っ端の人に係る部分が改革の対象となったのです。アルゼンチンもまた、貧しい人が改革の対象となりました。

 中国大陸の改革において病院の民営化が進められていますが、病院の民営化もまた世界初のことです。中国大陸の蘇州では、中学校を全て民間人に売却しました。国営の中学を民間人に売却したのです。県城(県人民政府が置かれている町)に行くと、県城の診療所、つまり最末端の病院が民間人に売却されていることが分かります。大型病院について、購入資金が用意できないケースも一部ありますが、王永慶は北京、天津で病院を買収しました。現地で最も良い病院を買収したのです。

 改革がこのように進められた結果として、最後には皆の怒りが爆発します。この状況に到ってもなお膨大な財政支出を補填することはできません。どうするのでしょうか?紙幣を乱発するのです。 (つづく)


(私のコメント)
大紀元のサイトは4月21日にも紹介しましたが、反共産主義中国人向けの新聞で日本語にも翻訳されてサイトに公開されています。法輪功などの団体も関連しているらしいのですが、中国情報は非常に豊富で中国ビジネスに関係の深い人には必読の新聞で中味も豊富です。このような中国や韓国の新聞と日本の新聞のサイトを読み比べて見ると日本の新聞はテレビ欄しか読むところがない。

中国は日本に比べて言論統制が激しいから知識人たちはアメリカなどに移住するか亡命して活動して活動せざるを得ず、それらの人々が記者になり記事を書いているからレベルも高いのは当然なのですが、日本の新聞は何の危機感を持たない記者が記者クラブや通信社の配信記事を新聞にして宅配しているだけだ。ネットで只で読める外国紙の記事のほうが有益な情報がたくさんある。

草庵居士は中国人の経済評論家で現在パンアメリカンキャピタル副会長兼CEOをされていますが中国経済とアルゼンチン経済の比較検証した記事がありましたので、その部分だけ紹介します。

80年代はアジアの四小龍の時代でしたが、90年代前半はブラジル、アルゼンチン、メキシコが一番経済発展をした。しかし90年代後半になると中国の発展が著しくなり、アルゼンチンなどは破綻してしまった。このように何処かに投資が集中してどこかが没落するように世界の投機資金は世界中を回っている。だから中国経済のこれからを見るにはアルゼンチンがどうなったかを検証することが参考になる。

アルゼンチンは東南アジア諸国と同じようにドルペグ制を導入して外資を呼び込んだ。外資を呼び込むためには基盤整備も必要だから公共工事も大規模に行われて財政支出が膨らんだ。当初は経済発展で税収入も伸びましたが、公共工事のほうが規模が大きく、いったん大きくなると削減するのは難しい。関連業者がたくさん出来たからだ。

歳入不足を補うために国債の発行で賄いますが、景気が良くなって歳入が増えても国債の償還に使われることはなく公共工事は続けられる。同時に国営企業の改革で支出の削減を図りますが、それでも足りなければ民営化が行われる。しかしそれでも国債発行は増え続け、いつかは限界に達する時が来る。

中国は昨年は3000億元の国債を発行して利払いと償還で消えてしまう限界に達してしまった。その時はどうするのか、国は増税と教育費や社会保障費や医療費などの削減を行う。この段階になるとどの国も国民の不満が高まり政権が不安定になってくる。政権交代も行われるが、それでかたがつくわけではなく国民の不満は爆発する。

中国の多発する暴動はこの段階に来ているわけですが、外資が流入していれば先延ばしが出来ますが、中国では反日デモが起きて外資の流入がストップするか流出すればどうなるか、アルゼンチンのように紙幣を乱発して狂乱的なインフレとなり国家が破綻する。中国はそのすぐ手前まで来ている。

日本も国債の増発が問題となり、日本もアルゼンチン化すると書き立てるエコノミストが沢山いますが、日本はまだ国債増発余力がまだある。超低金利政策が国債の利払いを少なくしているからですが、エコノミストは超低金利政策に対しても批判する人が多いが、しかしこれは財政構造や経済構造が良くわかっていない人だからだ。

日本がアルゼンチンや中国のような国ならば金利負担で国債はパンクして財政は破綻するだろうが、日本は超低金利で財政破綻を免れている。むしろ財政は余力がありアメリカの財政破綻を防ぐために日本は1年で35兆円ものドル債を買っている。つまり日本はそれだけ財政余力が有るということで財務省は国民に嘘をついているのだ。

日本からのドルの買い支えが無くなったせいでアメリカの金利がじりじりと上昇している。石油の値上がりとドルの下落でインフレ懸念が増大しているからですが、日本のエコノミストはでたらめな説明ばかりしている。アルゼンチン化するのは日本よりもアメリカの方が先だろう。中国も日本やヨーロッパからの資金が入らなくなればパンクする。

このような世界の経済構造がわかっていれば日本円で持っているのが一番安全であり、むやみに外貨に変えることは危険だということがドルが紙切れになる事でわかるだろう。つまり日本が必死にアメリカや中国経済を支えているのですが、支えきれなくなった時がアメリカや中国経済の終わりが来たということだ。それがわかれば次のニュースの意味もわかるだろう。

<米FF金利>0.25%追加利上げ、年3.0%に FRB

【ワシントン木村旬】米連邦準備制度理事会(FRB)は3日、連邦公開市場委員会(FOMC)を開き、短期市場金利の指標であるフェデラル・ファンド(FF)金利の誘導目標を現行の年2.75%から0.25%引き上げ、年3%とすることを全会一致で決め、即日実施した。年3%は、約3年半ぶりの水準。
 米景気は減速しているが、物価上昇圧力も強まっているため、小幅利上げの継続が必要と判断した。利上げは、歴史的な超低金利政策の修正を開始した昨年6月から8回連続。いずれも0.25%の小刻みな幅で、利上げ幅は計2%に達した。銀行への貸出金利である公定歩合も0.25%引き上げ、年4%とした。
 FOMC後の声明は「エネルギー価格の上昇により、消費の伸びがやや鈍化してきた」と、原油高による米経済の減速を認めた。ただ、「雇用は緩やかに改善している」と景気の底堅さを指摘する一方、前回3月のFOMC声明に盛り込んだ「ここ数カ月はインフレ圧力が強まっている」との表現を維持し、インフレへの警戒感を示した。
 さらに、声明は「今回の利上げでも、金融政策は依然緩和気味で、経済活動を下支えしている」と追加利上げの余地が残っていることを示した。「金融緩和政策は慎重なペースで解除できる」との従来の表現も踏襲し、6月末に開く次回のFOMCでも0.25%利上げする可能性を示唆した。
(毎日新聞) - 5月4日19時12分更新




北朝鮮がミサイル発射。なのに閣僚らGW外遊ラッシュ
極東情勢が緊迫しているのに緊張感なき政府と国民 


2005年5月5日 木曜日

閣僚らGW外遊ラッシュ 町村、麻生両氏は米国 「存在」売り込み狙う

二十九日からの大型連休を利用して小泉内閣の九閣僚や自民党有力議員らが連休後半も含め、相次いで外国を訪問している。「ポスト小泉」もにらみ、自らの存在を海外に売り込む狙いもあるようだ。
 訪問先として人気なのは、やはり米国。町村信孝外相がアナン国連事務総長との会談などのためニューヨークを訪れているほか、麻生太郎総務相、伊藤達也金融担当相が訪米する。なかでも麻生氏は私的な旅行といいながら、久間章生総務会長、大島理森元農水相、石破茂前防衛庁長官らとともに、チェイニー副大統領やハドリー大統領補佐官(国家安全保障担当)らとの会談も予定し、ブッシュ政権との関係構築に励む。
 自民党の安倍晋三幹事長代理は二日から八日まで訪米。親日派で知られるアーミテージ前国務副長官らと会談し、日米関係や北朝鮮問題、中国問題などで意見交換する予定だ。
 谷垣禎一財務相はアジア開発銀行年次総会出席のためトルコへ。竹中平蔵郵政民営化担当相はシンガポール、マレーシア、中川昭一経済産業相はフランス、タイ、島村宜伸農水相はフランス、大野功統防衛庁長官がフィリピン、オーストラリア、棚橋泰文科学技術担当相がクロアチアをそれぞれ訪問する。
 北側一雄国土交通相は兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故を受け、予定していた東南アジア外遊を延期した。
 山崎拓首相補佐官は中国、自民党の武部勤、公明党の冬柴鉄三両幹事長は韓国を訪れる。一方、民主党の岡田克也代表は中東などを訪れる。
(産経新聞) - 4月30日3時16分更新

「北」ミサイル、移転後の米軍基地狙いか…韓国紙 

【ソウル=浅野好春】韓国紙、中央日報は4日付で北朝鮮が1日に日本海に発射した短距離ミサイルに関し、射程100キロ以上の弾道ミサイルで、2008年までにソウル南方の平沢に移転予定の米軍基地を攻撃対象に想定した可能性があると、米韓の軍関係当局で分析していると報じた。

 同紙によると、軍当局でミサイルの軌道を追跡した結果、巡航ミサイルではなく、旧ソ連製短距離弾道ミサイルのフロッグ7を改良したか、スカッドBを小型化した新型のものと推定された。北朝鮮領内から平沢までの距離は約100キロ。

 一方、聯合ニュースは、韓国国防省が国会国防委員会に対して、発射されたのは旧ソ連製の短距離弾道ミサイル、SS21を改良した「KN02」との見方を示す非公開報告を提出したと報じた。
(読売新聞) - 5月4日20時41分更新

米軍文書、先制核使用の選択肢明記 北朝鮮やテロ組織に対抗

「ならず者国家」やテロ組織が大量破壊兵器を使い、米国や日本などの同盟国を攻撃する危険が迫った場合に、在日米軍を傘下に置く太平洋軍など各地域統合軍の司令官が、ブッシュ大統領に戦術核兵器の使用許可を要請できるとの方針を統合参謀本部が策定、先制核攻撃の選択肢を温存していることが1日、最新の米軍文書などから明らかになった。

 北朝鮮やイランなどによる生物・化学兵器攻撃の脅威への対抗策。実際の核使用には大統領の承認が必要だが、米軍が朝鮮半島など東アジアや中東での有事を念頭に「限定核戦争」のシナリオを堅持している実態をあらためて示した。

 多くの非核保有国は米国に核兵器の先制不使用を公約、条約化するよう求めているが、方針はこれを真っ向から拒否する内容だけに、2日からの核拡散防止条約(NPT)再検討会議にも暗い影を落としそうだ。

 文書は、米軍制服組の最高機関である統合参謀本部の命令に基づき、3月15日付で作成された「統合核作戦のためのドクトリン」(草案)。2002年に一部が公表された米核戦略「核体制の見直し」を下敷きに、地域統合軍などの司令官向けにまとめた「運用指針」となっている。

 米軍は冷戦後の1991年、アジア、欧州配備の地上戦術核や空母、潜水艦搭載の戦術核を撤去したが、文書は既に米本土に戻した海上型戦術核について「有事に備え、配備可能な状態にしてある」と明記。現在も横須賀や佐世保、沖縄に寄港している攻撃型原潜に核弾頭「W80」を再搭載できる状態になっていることも判明した。

 また地域統合軍司令官が核使用許可を要請できる事例として(1)敵が米国や同盟国に大量破壊兵器を使用したり、使用を企てている(2)敵の生物兵器攻撃が迫り、核兵器だけが安全に生物兵器を破壊できる(3)大量破壊兵器を貯蔵した地下拠点を攻撃する−などを挙げた。

 統合参謀本部当局者は「文書は草案段階」としながらも「陸海空軍が横断的に作戦を遂行するために用意された」と言明した。(共同)

(05/01 20:07)産経新聞


(私のコメント)
このようにニュースを並べてみると極東情勢は日米と北朝鮮との緊迫した状況なのですが、最初のニュースのように首相、外相、防衛庁長官など関係閣僚はみな出かけてしまっている。北朝鮮から見ればゴールデンウィーク中は絶好の戦争を仕掛けるチャンスだ。日本には首相も大臣もいないのだから混乱状態となり、役所もみんな休みだから臨戦態勢がとれない。

1日に発射した北朝鮮のミサイルは短距離用のものらしいが、ノドンやテポドンならどうなったのだろう。東京を生物化学兵器を積んだミサイルが命中したら日本全体が麻痺するだろう。そんなことは絶対ないと日本中が思っているから日本の大臣達は外遊に出かけてしまいますが、ミサイル戦争時代は瞬時に勝敗が決まってしまう。

アメリカが期待したように中国は北朝鮮に対して六カ国協議にすら出てくることを説得できないようだ。こうなると国連の安保理に付託するしかありませんが、中国と韓国は反対声明を発表している。こうなると六カ国協議も進まず安保理への付託も出来ないことになりますが、アメリカは北朝鮮の核開発が進み6月にも核実験を行うかもしれない情報をリークした。

こうなると北朝鮮と中国と韓国は共同歩調を取ってアメリカと対立している構図が明らかになり、アメリカとしては単独でも北朝鮮に制裁措置をとることをブッシュとライスは考え始めたようだ。そんな時点での北朝鮮のミサイル実験なのですが、北朝鮮はイラクのように一方的な制裁措置を受け入れるだろうか。

極東情勢は韓国と中国の反日デモや暴動に目を奪われていましたが、韓国や中国は日本がどう出るか見ていたのでしょうが、日本はアメリカにつくことがはっきりと見えてきた。この辺でブッシュの堪忍袋の緒が切れたのかもしれませんが、強硬な発言が飛び出した。

米大統領 「金正日は危険人物」 核問題解決 中国の関与重要

【ワシントン=樫山幸夫】ブッシュ米大統領は二十八日、プライムタイムに合わせて記者会見し、北朝鮮の金正日総書記を「危険な人物だ」と強く非難、その核開発を断念させるとの強い決意を改めて鮮明にした。大統領は核問題を、六カ国協議などの外交的努力で解決する方針を強調。核問題を国連安全保障理事会に付託することで各国との協議を示唆しつつ、中国などによる拒否権行使の可能性を指摘して、慎重な姿勢もみせた。

 大統領は会見で、「金正日は国民を飢餓に追いやり、巨大な強制収容所を持っている」と金総書記による北朝鮮国民抑圧を厳しい調子で非難。

 国防情報局(DIA)が同日、ミサイル搭載可能な核弾頭の開発を進めているとの見方を明らかにしたことに関し、「金正日が核兵器の運搬手段を持っているかどうかは明らかではないが、このような圧制者と対峙(たいじ)するときは持っているとみるのが最善だ」と述べた。そのうえで、米国が開発中のミサイル防衛システムが北朝鮮の核を対象にしている点も強調した。

 この問題を解決するための米朝直接対話の可能性は改めて否定。「最適の手段は近隣諸国を含めた共同の体制で臨むことであり、中でも北朝鮮に影響力のある中国の存在は重要だ」と述べ、中国を議長国とする六カ国協議での解決を目指す姿勢を改めて明確にした。

 一方で、「あらゆる選択肢がテーブル上に残されている」とも述べた。

 一方、北朝鮮が六カ国協議復帰を拒否し続けた場合の国連安全保障理事会への付託については、「各国の合意が必要。安保理での拒否権を持っている国があるからだ。各国との協力が求められる問題だ」と語った。


(私のコメント)
このように日本は上は総理大臣から市民までゴールデンウィークに浮かれていますが、極東は一触即発の危機にありますが、新聞もテレビも列車事故などを大きく採り上げて、北朝鮮情勢を詳しく伝えないのはなぜか。ネットなどを見回してもこの点に触れているサイトが少ない。2ちゃんねるや阿修羅などの掲示板でも気が付いている人は少ないようだ。

ニュースやワイドショーでも一応は報道はされているのですが、他のニュースに関心が行ってしまっている。JR西日本の体質や被害者家族の状況などの方が関心が高そうだ。90年代の半ばにも北朝鮮とあわや戦争という危機もあったのですが、当時も日本はそのような認識はなく当時の細川総理と一部が知るのみだった。その時よりも現在は危ない状態だ。

6月に本当に北朝鮮で核実験を行った場合かなりやっかいなことになる。アメリカとしてはその前に何らかの行動必要になる。板垣英憲氏は次のように書いている。

ブッシュと金正日の「チキンレース」がついに本格化し、「イラク戦争の悪夢」が蘇る5月2日 板垣英憲 

ブッシュ大統領が「金正日は、危険人物だ」と痛烈なパンチを食らったのが、よほど頭にきたらのか、「ブッシュは人間のクズだ」とやり返す刀で、ミサイルを発射したらしい。
 一見すると、子どものケンカのように見え、馬鹿馬鹿しく感ずるけれど、アメリカは、北朝鮮を崩壊させる決意を固め、スパイを北朝鮮に潜入させており、金正日は枕を高くして寝られるような状況にはないと言われている。一番、手っ取り早いのは、「スパイ大作戦」が成功することだが、敵もさるもの、そう簡単に問屋はおろさない。アメリカ軍は、太平洋から日本海にかけて「第7艦隊」と「潜水艦隊」それに「陸軍第一軍団」と「沖縄の海兵隊」により、いつでも総攻撃できる体制にある。ブッシュ大統領が「いよいよやるか」と一言、「GOサイン」を出せば、半日足らずで「北朝鮮征伐」は完了する手筈という。あとは「タイミングのみ」というところなのだ。
 北朝鮮の方は、まさに「精神が正常でない方」(いまは、狂人とう差別用語は使えない)、すなわち、金正日総書記が、「地下核実権」をチラつかせ、「核戦争の辞せず」の構えなので、危険極まりない。しかも、金正日総書記が「6者協議」を嫌い、「アメリカとのサシでの交渉」以外の方法を根本的に拒否しているので、日本は出る幕はない。「第2次朝鮮戦争」が起き、東アジアが不安定になるのは、日本にとっては、最悪の事態であるが、「貧弱な外交力」では、如何ともし難い。残念ながら、「憲法9条」を持つ「平和国家・日本」としては、今後もしばらくは、アメリカ頼みにして、生き延びるしかないのである。





逃げ道のない社会システムに適応した結果であること
自由の剥奪が日本人の生活の根底にある精神構造


2005年5月4日 水曜日

米国の友人に宛てた手紙 2004年4月2日 気まぐれエッセイ

- - - これはカリフォルニア在住の日本人に送った手紙です。
彼は日本人と外国人の違いに興味をもち、日本人の精神構造を議論する「なぜ日本人は幼児的なのか」(教養大学、第153号)を送ってきました。 - - -

「なぜ日本人は幼児的なのか」ありがとうございました。台湾人の母と日本人の父、また米国で教育を受けた私にとって、日本人の国民性と思考形態は長年の関心ごとです。心理相談の患者を診ていて、さらにひきこもり患者と彼らの親と接して、日本人と日本社会についての考えを述べたいと思います。

日本人は確かに精神的に未発達なところがあると思います。また、他の国民に比べて、日本人の精神構造が特殊という意見に同意します。私の観察では、日本人は中国人や台湾人やフィリピン人などのアジア人と比べても、性格と精神構造が違います。

しかしながら、幼児性と精神構造の違いは日本人本来のものではなく、環境の産物であると考えています。私は東京理科大学で8年間心理学を教えましたが、その講座のひとつで日本人の精神構造は1)逃げ道のない社会システムに適応した結果であること、2)自由の剥奪が日本人の生活の根底にあると強調しました。

日本人は伝統的に組織(藩、家制度、会社、学校など)の中に組み込まれ、その中で生活するように訓練され、組織の外の生活に恐怖心をもつ傾向があります。組織の中は厳格な上下関係があり、権威者に無条件に従うように訓練され、自我を殺すこと(自己主張しないでガマンする)が美徳と教えられます。

人生は自らの選択で生きる荒野ではなく、網の目のように細かく決められたルールと自分に与えられた義務と仕事を果たす修行の場です。自分の要求を貫いたり、自分で決めて行動することは「我がまま」であり、人に迷惑をかける悪い行為です。

この社会システムの中では、欧米人が基本的人権と呼ぶすべては「我がまま」となり、未熟さの証拠となります。このシステムは息苦しい場所ですが、しかし、そこに慣れると外の世界を怖がるようになり、このシステムの中だけが安心だと考えるようになります。それは終身雇用制や役所の就職を求める国民性に現れています。永遠に続く組織が与える安心(security)を求めるために、自由と正義を放棄するのです。

日本人の「仕方がない」という表現には深い意味があり、「ここ(会社、役所、学校、藩)は苦しいし、自分が幸福になれるとは思わない。しかし、外の世界はもっと悲惨で、人を不幸にする。ここにいれば生活は保障される。だから文句を言ってはいけない」という考えが隠されています。つまり、逃げ道がないために、そこで生き延びるために、長いものに巻かれてガマンする哲学が発達しています。

日本人が単身赴任で家族をバラバラにされたり、家庭の団欒をもてないほど残業したり、過労死するほど働かされても不平を言わない背景には、ガマンの哲学と「組織の外では生きてゆけない恐怖」があります。リストラ(組織の外に放り出される)を極度に怖がり、自殺さえする人がいるのは組織の外の生活を怖がるためです。

日本人は盆栽の木とよく似ています。盆栽の木は鉢というフレームの中に閉じ込められ、行動と成長の自由を奪われ、盆栽の所有者を喜ばすために存在している。権力者の好みの思想を植えつけられ、自分のアイデンティティをもつことができず、自分の人生をもつことができない。自然の木のように、自由に大きく育ち、自分のために生きれない悲劇がある。しかし、鉢の中にいる限り生活は保障され、自然の木のような苦労はしなくてもいいという利点があります。

逃げ道のない盆栽システムで生きる日本人は、特に男性は「支持待ち人間」となり、男らしさや決断力の欠けた人間になります。彼らは生活の保障のために自由と正義を放棄するのです。別の見方をすると、自分の個性(アイデンティティ)と良心を放棄していると言えるでしょう。

これは一種の精神的な纏足(女性の足を小さくする昔の中国の習慣)です。組織(鉢)の中にいるかぎり生活が保障されるが、しかし、成長の自由と可能性は奪われている。盆栽は美しいが、しかし、本来の自分の姿とは違う。自由な自然の木(外国人)と比べると、むしろ、奇形(日本人)でもある。自由のない人間は自尊心がありません。日本人に見られる白人に対する根深い劣等感は、自由と自尊心の欠如から生まれるものです。日本人はどんな逆境においても「他の場所に逃げる」という自由がなく、その考え方が外国人との大きな違いになっています。日本人の幼児性と精神の特殊性は、逃げ道のない社会システムの産物でもあります。

逃げ道のない社会 2003年8月17日 気まぐれエッセイ

二年前にバルチモアの学会でひきこもりを紹介したら、アメリカ人の専門家から、ひきこもりはなぜ家出しないのか、なぜ部屋から出ないのかと質問されたことがある。そのアメリカ人は、ひきこもりが親や学校に不満があるにもかかわらず、何もせずに部屋に閉じこもる行動パターンを不思議に思ったのである。問題があれば行動するという前提の考え方であり、いつでも現実を変える自由があると信じるアメリカ人らしい発想だった。

そのアメリカ人は日本では現実を変える自由がないことを理解していなかった。ひきこもりは逃げ道のない日本社会の産物でもある。多くの日本の若者は子供の頃から社会と親が決めたレールにのせられ、学校を卒業すると、会社でサービス残業する人生がまっている。いくら嫌でもこうした「ふつうの人生」からの逃げ道はない。多くの人は、すべてに目をつむって社会に飛び込むしか道はない。しかし、ひきこもりはそんな「ふつうの人生」を拒否するという罪を犯している。ひきこもりに対する社会の目が冷たいのもそこに理由がある。ひきこもりを「甘えている」、「ガマンがたりない」と批判したり、犯罪予備軍のレッテル貼ったりする。

日本人は「ふつうの人生」――逃げ道のない管理された人生と呼ぶべきだがーーを否定する人に反感をもつ傾向がある。フリーターがいい例である。フリーターは会社に管理されるのを嫌い、パートタイムで働く人たちである。彼らはいつでも辞める自由を確保しながら、会社よりも個人の生活を大切にする。欧米風の言い方をすれば自由を大切にする人たちである。ひきこもりもフリーターも「ふつうの人生」を否定するが、フリーターは部屋に閉じこもらずに社会で生活していする。その意味ではひきこもりと違って社会参加している。しかし、「ふつうの人生」を否定するゆえに、フリーターも「考えが甘い」、「安易な生き方をする人たち」というレッテルを張られる。給料が安いので、将来は家庭をもつのも難しいだろう。

では、「ふつうの人生」を真面目に生きれば幸福になるのか。「ふつうの人生」――何度も言うが、逃げ道のない管理された人生のことーーをやみくもに走ると、最後には過労死が待っている。過労死する人たちは、「考えが甘い」、「ガマンが足りない」という批判を恐れるために、働き続けて死ぬ人たちである。過労死は欧米では日本特有の現象として知られており、なぜ死ぬ前に転職したり、労働を拒否しないのか不思議に思われている。

ひきこもり、フリーター、そして過労死、どれも逃げ道のない日本社会の産物である。日本がアメリカやヨーロッパのように大陸だったならば、彼らの生活も変わっていたと思う。よその土地に行けば新しい生活の可能性があるのだから、若者はひきこもりよりも家出をして、フリーターは自分の生活と家族を大切にする「ふつうの労働者」になり、会社員は過労死するまえにもっと条件のいい会社に転職するだろう。

四方を海に囲まれた日本は逃げ道がない。徳川幕府はこの地理的孤立を利用して、日本人の逃げ道を奪ってしまった。鎖国の精神は今でも残っており、日本人はどんなに非人間的な扱いも黙って受け入れるクセがある。「仕方がない」という言葉を英訳すると「NO WAY」となるが、それは「逃げ道がない」という意味である。悲しい現実だが、日本人の心の底にはいつも諦めがある。

日本語の情報には限界がある 2001年10月21日 気まぐれエッセイ

 今回のテロ事件で日本のマスコミを警戒すべきだと思った。英語放送(AM810)では、イギリス人、パキスタン人、イラン人などの外国人がテロ事件に様ざまな意見を述べている。全体的に見て、アメリカには世界的な同情が集まっており、イギリス、フランス、ドイツは協力を惜しまない。これが分かるのは英語のおかげである。英語は世界各国の生の声を聞ける強みがあり、情報の質がよくバランスも取れている。

 しかし、日本の情報源は新聞記者、大学教授、評論家に限られており、外国人の生の声を聞くのはまれである。しかも日本人は異論をとなえて目立つことを嫌い、大きな意見に流される傾向がある。これでは情報が偏るだろう。大量の情報の中で日本人が知らないことが起きるのだ。例えば、アメリカが日本の援助を期待していないのを日本人は知っているだろうか。これは外国人が知っていて日本人が知らない事実のひとつである。

 アメリカは、過去の体験から、危機的な状況で日本があてにならないことを十分に認識している。だからこそイギリス、フランス、ドイツに協力を求めている。小泉首相は世界各国の動きに乗り遅れる焦りから、自衛隊の派遣を自発的に申し出たが、アメリカが日本の協力をあてにしているとは思えない。アメリカのビジネスウィーク誌がブッシュ大統領に各国がどう反応したかの記事を記載したが、日本については一言も触れていなかった。アメリカ人はインドネシアのメガワテ大統領に関心を払っても、日本のことは気にしていないのだ。日本のマスコミと知識人はこうした重要な事実を報道していない。

 これからの時代、日本人も英語情報を集められかどうかが成功のカギとなるだろう。日本語の情報には限界があるからだ。


(私のコメント)
尼崎で起きた電車転覆事故について考えていたのですが、たった90秒の電車の遅れを取り戻すために運転士はパニック状態になってしまって、スピードを出しすぎて電車が転覆してしまったようだ。検証によると電車は非常停止の位置までブレーキレバーが来ていたから、曲がり角で車がブレーキを踏めば確実にスピンするように電車は脱線したらしい。

海外のニュースを見ても90秒の遅れは遅れの内に入らないということですが、少なくともJR西日本では許されないことなのだろう。常識的に考えても安全と時間の遅れを秤にかければ安全が優先されるのは当たり前のことだ。ところがJR西日本ではそのように教育されていなかった。電車のダイヤもぎりぎりのスピードで走ることが前提のようなダイヤだった。

恐らく現場の運転士からは異議が出ていたはずですが上司は聞き流したようだ。このような事は日本の会社勤めをした人は多かれ少なかれ経験していることだろう。わたしも銀行員を14年ほど在職したが、平社員が上司に意見を言うことは出来にくい環境だった。私などは上司に意見を言ううるさい社員だったがほとんど聞き流された。

銀行は預金集めに勢力を注いでいる反面、貸し出しにはルーズなところがあり、大口の不動産融資は止めるべきと意見具申したが聞き流されて、バブルの崩壊した後は銀行は合併されて今はない。私の周りの社員は結婚して住宅ローンで家を買い絵に描いたようなマイホーム生活をしていた。これでは私のような上司に意見を言う社員は煙たがられて当然のような環境だった。

銀行では年々ノルマがきつくなり、仲間で自殺する社員まで出てくるような状況になり、私もこれでは体が持たないと、独立して不動産事業を始めたのですが、多くの仲間は家族とローンを抱えてじっと耐える人が多かった。今では若くてローンを抱えてなければ気楽に転職するようになりましたが、日本の会社はいろいろな罠を仕掛けて逃げ出さないようにしてくる。

わたしも過労死するくらいならなぜ転職しないのかと思うのですが、会社員として会社に飼われていると転職したら大変だぞと上司は脅してくる。そのほうが社員を使いやすいし無理なノルマもかけられる。このようなことを「気まぐれエッセイ」では指摘していますが、日本の会社は組合も御用組合化して労働者を守ってはくれない。

日本の会社に勤めていると自己主張しないことが美徳とされると教えられる。事故を起こしたJRの運転手も過酷な勤務時間と列車ダイヤに対しても何もいえなかったのだろう。サラリーマンもサービス残業は当たり前になり成果主義だの実力主義だのと過酷になる一方だ。これでは電車事故に限らず事故が多発するのは無理はない。

日本はもともと社会主義国とか言われている。島国だから逃げようがないし、会社や学校や家庭という組織に縛られて組織の一員であることを徹底的に教え込まれる。その中では自由だの正義だのという観念は通用しない。日本人が会社の一員でいると不正行為も行うのはこのような環境のせいだ。

私が小さい頃から学校の先生に対してももの言う生徒だったし、会社員時代も上司に意見を言った。だからネットの「株式日記」で世の中に意見を発表しているのも私の性格からなのですが、欧米ではこれが普通なのでしょうが、日本人はおとなしい人間が多い。ネットがこれだけ普及しているのにBBSやブログなどで自分の意見を書かないのは、逃げ道のない人生を送っている人が多いからだ。

ネットのおかげで海外の情報が直接手に入るようになったし、英語の情報も翻訳ソフトのおかげで直接読めるようになった。このような英語の情報と、日本の新聞記事や評論家の意見などが、いかに国際社会とズレがあるかわかる。ネットが情報の島国という閉鎖性を打ち破る道具となっているから、ネットでもっと意見を発表するように心がけるべきだ。




佐藤優(著) 『国家の罠』 ワイドショーと週刊誌の中吊り
広告で世論は動き、検察が情報操作工作を行っている


2005年5月3日 火曜日

「国家の罠」佐藤優 4月17日  Jun Seita's Web 

本質的な情報を抽出する能力の必要性について、改めて考えさせられる。
「新聞は婆さん(田中眞紀子大臣)の危うさについてきちんと書いているんだけど、日本人の実質識字率は五パーセントだから、新聞は影響力を持たない。ワイドショーと週刊誌の中吊り広告で物事は動いていく。残念ながらそういったところだね。その状況で、さてこちらはお国のために何ができるかどうかということだが......」と(外務省)幹部は続けた。
検察は基本的に世論の目線で動く。小泉政権誕生後の世論はワイドショーと週刊誌で動くので、このレベルの「正義」を実現することが検察にとっては死活的に重要になる。
最近、検察が政治化していることは事実だ。しかし、国策捜査との絡みでは、その政治化が広範な国民に危機を及ぼすには至っていない。国策捜査のターゲットとなるのは、一般国民ではなく、第一義的に国家の意思形成に影響を与える政治家で、その絡みで派生的にそのような政治家と親しい関係をもつ官僚や経済人だ。一般国民は、むしろ検察に対して「もっとやれ」とエールを送っているのである。より正確に言うならば、一般国民からの応援を受けることができるように検察が情報操作工作を行っているのである。
この本を読む前と後では、鈴木宗男ー佐藤優事件に対する理解は全く異なるものとなる。しかし、著者は一流の情報屋である。そのことは本文の随所から理解できる。すなわち、本書に記載されている内容についても、公開して良い情報と、いけない情報の選別はきわめて合理的に行われているはずである。新しい理解も部分的な情報に基づいたものであることを意識しておかなければならない。

時代のけじめとしての国策捜査 アルルの男・ヒロシ 国際戦略コラム

最近、『国家の罠』(新潮社)という本を読んだ。著者は、元外務省の佐藤優氏です。

この本の帯には「これは国策捜査だ」と書いてある。佐藤氏は鈴木宗男と密接な関係を築いていた外交官で、なおかつロシアのユダヤ人コミュニティに多くの情報源をもつ日本の「諜報員」のようなことを沢山やってきた人だ。イスラエルのエリート養成大学である、テルアビブ大学のゴロデツキー教授という人とのパイプも深い。

その佐藤氏が、ロシア支援委員会の費用の流用に関する「背任」と、三井物産の北方領土へのディーゼル発電機の供与を巡る業者選定における談合の問題で、東京地検特捜部に逮捕されたのは2002年5月のことである。

その後、新聞報道で、佐藤氏が「これは国策捜査だ」というコメントを出したということを我々は知ることになった。私はてっきり、これは佐藤氏が、検察に対して、「お前達のやっていることは国策捜査だ」と非難の意味を込めてぶつけた言葉であると思った。ところが実際はそうではない。

佐藤氏は、本書の218頁以下数カ所で、取り調べ担当の西村尚芳検事が、「だってこれは国策捜査なんだから」と自ら進んで捜査の性質を明かした、と述べている。なんと検察自身が国策捜査ですよと佐藤氏に話したというのだ。

西村検事と佐藤氏は、検事と被疑者という立場でありながら、国策捜査というものについて、相当なレベルで突っ込んだ議論をしていた。これは本書の287頁「下げられたハードル」以下で述べられている。佐藤氏は、国策捜査は「時代のけじめ」であり、そこで逮捕された人は単に「運が悪かった」ということになる。

この点では、特捜の捜査には、首をかしげざるを得ないものが多く、大抵は政財界人の一種の「権力闘争」に過ぎないのではないか、と思っていた私にはすごく腑に落ちる部分であった。

西村検事は、さらに、「そういうこと。評価の基準が変わるんだ。何かハードルが下がってくるんだ」とまで述べている。事後法ではないにしても、法律の適用基準が変わってくる。政治家に対しての国策捜査は徐々にハードルが下がってくる。

西村氏に対して、佐藤氏は「あなた達検察が恣意的に適用基準を下げて事件を作り出しているのではないだろうか」と疑問を投げかける。西村氏ら検察の議論は、因果関係が逆ではないか、といっているわけだ。

西村氏は、「僕たちは適用基準を決められない。時々の一般国民の基準で適用基準を決めなくてはならない」として、一般国民の正義を引き合いに出して、検察の決定を擁護している。「ワイドショーと週刊誌の論調で事件が出来ていく」ことを、この検事は「それが今の日本の現実」だと素直に認めている。

私は、この西村検事のくだりを読んで、納得すると同時に、やはり違和感を覚える。西村氏は、ワイドショーで日本の世論が形成されていくことを認めながら、それは「一般国民の感覚」であると言っている。そこには、マスメディアが国民の世論を一定方向に人為的に操作しようとすれば出来るという認識が足りない。

ある日突然、法律の適用基準が変わるのは、国民の正義感を受けたものではない。むしろ、その基準が変わったことをきっかけにして、「国民の正義感」というものが、マスコミを使って変容させられていく、という過程があると見るべきではないだろうか。

それでは、佐藤氏、鈴木氏に対して、国策捜査が行われなければならなかった原因とはなんだったのか。佐藤氏は自分なりに原因を分析している。彼自身が書いているように、国家機密に類する事柄を佐藤氏は多く抱え込んでいる。これは鈴木氏も同様と思われる。

佐藤氏は、外務省内部の潮流の分析からこの問題を考えている。冷戦後の外務省の潮流として、佐藤氏は、@親米主義Aアジア主義B地政学論の3つの流れが存在すると分析している。米同時多発テロと一連の外務省騒動(田中真紀子外相の更迭)によって、AとBの人脈が外務省から駆逐されたと彼は書く。特にこのBを体現していたのが、どうも鈴木宗男氏だったらしい。この地政学論というのは、勃興する中国を牽制するために、日米露で中国を地政学的に封じ込めるという戦略で、冷戦時に対ソ強硬派であったロシアン・スクールの官僚たちの作戦だったという。

このAチャイナ・スクールとB地政学論が失脚することで、我が世の春を謳歌しているのが、@の親米主義ということなのだろう。

さらに、佐藤氏は、本書292頁以下で、日本の政治が、ケインズ型からハイエク型に向かっていると述べており、鈴木宗男はケインズ型政治家の代表格であったと述べている。このハイエク型というのは少々異論を招く呼び方だろうが、要するに新古典派自由主義のことを指し、小さな政府を目指した、共和党ブッシュ政権の経済思想を指していると思われる。私は、ハゲタカ・ファンドによる日本買いによる「日本再生」といった、小泉政権の経済政策もこれに含まれるだろうと理解している。

その経済思想の転換とともに、国民の世論も「国際協調的愛国主義」から「排外的ナショナリズム」への転換をむかえているという。日本のナショナリズムが排外的ナショナリズムに移行しつつあるという、佐藤氏の分析は傾聴に値する。

佐藤優氏は、以上のような大きな枠組みの中で、鈴木宗男事件を捕らえている。一方で、捜査の手が森前首相に及びそうになったら、突然検察の捜査が終わって、担当検事も異動になったとも書いている。国策捜査を命じたのは、日本国内では、どうも森氏や小泉氏の周辺にある人々であると示唆しているようである。

総じて言えば、この本で展開される「国策捜査論」にこそ、この本の価値があるといえる。国策捜査は、一般市民に関係ないところで行われるので、厳密には検察ファッショではないが、事件を無理矢理に作るという点では明らかに異常である。ところが、国策捜査でパクられた人は「運が悪かっただけ」なので、実刑を喰らわせることは少なく、大抵は執行猶予が付く。この見事な「バランス感覚」によって、国策捜査が成り立っているということが分かった。これは極めて貴重な証言であり、告発である。

とはいえ、ここまで被疑者と密接な関係を築いて、対等の立場で議論をたたかわせた、西村検事は、検察上層部に疎まれたようで、地方の検察庁に異動(左遷)されてしまった。

国策捜査=時代のけじめ論は、堤義明氏逮捕にも繋がる極めて重要な視点である。
是非一読を勧めたい。


(私のコメント)
今朝のテレビ朝日のスーパーモーニングで佐藤優氏の書いた「国家の罠」を取り上げていましたが、本を直接ワイドショーが取り上げることは珍しい。それだけこの本が話題を呼んでいるのですが、私はまだ買って読んでいない。ウエブサイト上でもこの本の書評が多く見る事が出来るのはそれだけネットでも話題を呼んでいるからだろう。

スーパーモーニングでは直接佐藤元分析官と鈴木宗男氏に直接インタビューしているが、その佐藤氏と鈴木宗男氏を一番追い込んだのはスーパーモーニングのようなワイドショーというのは皮肉ですが、暗に背後でこのようなマスコミを操る官邸があり、マスコミを利用して検察が動く。まさにマスコミ世論独裁国家が出来上がっている。

マスコミが独裁的権限を持っているかのようですが、マスコミを背後から操っているのは情報を一番握っているところ、つまり官邸や中央官庁がマスコミを操作しているのではないかということが推測できる。マスコミは情報を売るのが商売だから、その情報を提供してくれるところに弱い。

一番わかりやすい例が記者クラブですが、記者クラブ制度で大手のマスコミが情報を囲い込み、外部からの参入を阻止している。だから官邸や中央官庁は容易にマスコミを操作することが出来る。だから大手の新聞社やテレビ局はたくさんあっても伝える情報は似たりよったりになる。

鈴木宗男元議員や佐藤元分析官が起訴された罪状は今までなら起訴されなかったような微罪なのですが、ワイドショーなどが田中真紀子と鈴木宗男の対決と騒いだために、結果的に田中真紀子は外相をクビになり、鈴木宗男は国会から追放された。マスコミと検察とが連携して彼らを追い込んだのだ。その構図は田中角栄を追い込んだロッキード事件によく似ている。

私がまだこの本を買って読んでいないのは、本屋でパラパラとめくってみたのですが内容的に「株式日記」で書いていることと同じような内容であり、特に目新しいことはなかったからですが、佐藤氏と検察とのやりとりは検察の正体を知る上では面白い本だろう。

検察の検事と外務省の元分析官のやりとりですから、スパイ小説を読むような面白さがあるのでしょうが、私には特にどろくべき事実は目につかなかったのですが、裁判で控訴中だから書くに書けない事実もたくさんあるのだろう。また書いてあることも全部が事実であるかどうかもわからないし、全体的な日本の構図を頭に入れてから読むべきだろう。

外務省の勢力争いについても、親米派とアジア主義という親中派と地政学論のロシア派が派閥を作っていたが、この事件によって親中派と親ロシア派が粛清されて外務省は親米派が主導権を握ったようだ。しかしこのような事は外務省にとって自殺行為であり、また選挙によって政界が親中派が勢力を盛り返したら親米派が追放される。

このように外務省は外国の勢力の手先になることによって外務省内の勢力争いに凌ぎを削っているのですが、外務省には日本の国益を優先する民族派というのはないのだろうか。外務省の連中に任せていたら日本は外国の手先になるような外交になってしまうだろう。

私は事件当時から鈴木宗男にしても佐藤分析官にしてもロシアに深く取り込まれて、ロシアの操り人形になっていたと私は見ていますが、スパイは敵のスパイに一番取り込まれやすい。そしてしまいにはどの国の為に働いているのかわからないようになって、国から捨てられる運命にある。佐藤元分析官もミイラ取りがミイラになっていたことに気がついていたのだろうか。




「台湾は日米安保の対象」町村外相
従来の日本の防衛指針が180度転換された。


2005年5月2日 月曜日

「台湾は日米安保の対象」町村外相 4月30日 朝日新聞

訪米中の町村外相は29日午後(日本時間30日未明)、ニューヨーク市内で政策スピーチをした後、聴衆の質問に答える形で、台湾問題について「もともと台湾は日米安保条約の対象になっている」と述べた。同条約の極東条項の地理的な範囲に台湾が含まれると指摘した発言とみられるが、日本の外相が台湾を日米安保の対象と明言するのは異例だ。

 町村外相は、2月に日米で合意した共通戦略目標について「そこで台湾(問題の平和的解決)を述べたからと言って、日本の防衛線がそこまで拡大したかというと、もともと台湾は日米安保条約の対象になっている。今までの日本の台湾政策と全く変わっていない」と語った。

 日本政府は極東の範囲について「フィリピン以北並びに日本及びその周辺の地域であって、韓国及び台湾地域を含む」との見解を示してきた。ただ、中国は日米安保強化が台湾の自立化を促すことを懸念しており、日本側も中国を刺激しかねない台湾への言及を避けてきたのが実情だ。

 町村外相はまた、質疑の中で、日本の歴史認識について「日本はちっとも反省していないと言われるが、ドイツの政治リーダーより、はるかに何度も、たくさんおわびしている」と語った。

密かに大転換する日本の安全指針! 2月23日 増田俊男

私が2月19日(米国時間)にハワイに来たのは、「サンラ・カメハメハ・ガーデン」のレセプションハウスの完成による不動産登記のためだけではない。ホワイトハウスの友人とワイアラエ・カントリー・クラブでゴルフをするためであった。真の情報は文書やテレビ等の報道では得られないばかりか、そうしたニュースソースに頼っていると他国のプロパガンダの虜になるのがオチというもの。真の情報は、情報主の「目」や「息使い」から得られる。私の厳しい質問に、口ではとぼけられても、目は真実を語るものである。私の目的は、2月19日にワシントンで開かれた日米安全保障協議会(2+2)の真実(当然隠される)であった。19日の会合には日本から町村外務大臣と大野防衛庁長官の2名と、米側はライス国務長官とラムズフェルド国防長官(2名)が出席した。声明は極東の安全に共通の認識を表明したことになっていたが、従来の日本の防衛指針が180度転換された具体的な内容は一切発表されていない


1996年の日米安保協議会までは、台湾有事(共産中国による武力による台湾併合)の際のアメリカの(武力による)台湾安全保障について、日本は明確な態度を表明してこなかった。「不明確な態度」を具体的に言えば、「日本はアメリカと共に中国と戦うかどうか」を曖昧にしてきたということである。従来からアメリカにとって中国は仮想敵国であったが、日本は10年ごとに刷新される防衛大綱に中国が日本の脅威であることを明記してこなかった。しかし今回の新防衛大綱では、北朝鮮と共に台湾有事を不安要因と明記し、有事の原因である中国に対し名指しで警戒感を表した。今回の日米安保協議会で明確になったことは、「日米が軍事戦略を共有する」という表現によって、実は「日本は中国を敵国と認定し、有事(中台戦争)のときはアメリカと共闘する」ことを確認したことである。さらに、日本の新防衛大綱は100%アメリカの軍再編成に対応するものであったことが明確になった。今回、日米協議でアメリカにとって最大の成果は、アメリカの脅威と日本の脅威が完全に一致し、日米が軍事戦略を共有し、(そしてここがもっとも重要な点であるが)「自衛隊はアメリカ軍と共通の軍事行動」を取ることが決定されたことである。だからそれを裏付けるように、新大綱で「自衛隊の主機能は内から外へ転換」されることが明記されている。

なぜアメリカ軍の再編成(日本へ三軍司令部を移管する)と日本の新防衛大綱が発表され議論されるときに、北朝鮮の核保有宣言や6カ国協議無期中断を発表して敢えて北朝鮮の脅威を煽るのか。また、なぜ同じように中国の潜水艦を日本の領海内に侵入させ日中の緊張を高めるのか。こうした北朝鮮と中国の挑戦的行為は、実は日本とアメリカが進めている日本の防衛指針の大転換から日本国民の目を逸らすのに都合がいい。そればかりか、北朝鮮も中国もアメリカが軍司令塔を関東周辺に移管することで攻撃目標が明確化したことを歓迎しているようである。平和憲法を持つ日本の国民は、自衛隊が米軍と共に中国本土(国外)で共産軍と戦闘することなど想像もつかないこと。それは誰も(私は予言したが)セプテンバー・イレブンを予測しなかったと同様である。東京に中国の弾道ミサイルが打ち込まれ数万人が犠牲になるなど、今の日本人には到底考えられないことである。

アメリカの(本当の)対日防衛指針は、「自衛隊を日本の国権の発動(国家の意思)ではなく、アメリカの意思でアメリカの敵国に軍事行動を取らせる」ことである。現憲法下でアメリカの意思を実現可能にするには、アメリカの敵国が東京にミサイルを撃ち込むことである。だから東京周辺(座間、横須賀、韓国の大田)に米軍司令部を置くことに決まったのである。戦闘の第一目標は敵の司令部を叩くことであるのだから。歴代の防衛庁長官は「現憲法下であっても、もし北朝鮮の弾道ミサイルが日本に向けて発射準備されていることが確認できたら、自衛隊は北朝鮮を攻撃できる」と言明し、国会も国民も全く異論はなく、いわば日本のコンセンサスになっている。これでなぜアメリカは日本に平和憲法維持を望み(日本の勝手な軍事行動を禁じ)、一方で平和憲法に反する自衛隊の海外派兵と米軍との共闘を求めるのか理解できたはず。この矛盾を矛盾でなくすのはアメリカの敵国からの東京直撃ミサイルしかない。日本は相変らずブッシュ音頭に乗せられて、自由の拡大だとか専制国家の民主化などと、まるで正義の騎士気分なのだから困ったものだ。


(私のコメント)
町村外相のコメントは大ニュースだと思うのですが朝日新聞以外に報じていないのですが、連休中の国会は休みで大きな反応は出ていない。ネットなどでもコメントしているサイトを探してみたのですが記事以上の事を書いているところは少ない。記事の内容自体は2月の2+2を具体的に述べたものでしょうが、増田俊男氏の解説が一番わかりやすかった。

2月の株式日記はホリエモン騒動で手一杯で、日米の定期協議は2月21日の一度しか触れられませんでしたが、今回の中国の反日デモはこの時の2+2の台湾に触れたことが大きな動機になっているのだろう。インドネシアでの首脳会談でも唯一具体的に触れたのが台湾問題だった。

日米がこのように具体的な戦略目標を定めたのは、中国が反国家分裂法を定めたからでしょうが、胡錦濤はこのような日米の反応に驚いているのだろう。日本に関して言えば中国に関する記事は親中フィルターがかかっているので、日米が戦略目標を中国に定めたなどと刺激的なことは書けないのだろう。しかし読者はわからない。

2+2が具体的に何を決めたかを知るにはワシントンポストなど見ないとわからないのですが、日本のマスコミは中国に慮ってはっきりしたことを書かない。あるいはわからないのかもしれないが、だからこそ「株式日記」や増田俊男氏のサイトを見に行くようになるのだろう。2月21日の株式日記の中で極東ブログが次のように書いている。

<日米安保協議>中朝にらみ同盟強化 戦略目標で合意 台湾および朝鮮半島は日本の関与なしには安定しない。 2月21日 株式日記

《  ワシントンポストに遅れてニューヨークタイムズでも重要な関連の記事が出た。"Japan Said to Support U.S. on Security of Taiwan"(参照)である。ある意味で、こちらの記事のほうがワシントンポストより重要かもしれない。標題を見ればわかるが、意訳すれば「日本は、台湾防衛において米国軍を支援すると明言した」ということだ。意訳しすぎのきらいはあるかもしれないが、そういう内容であり、ようするに従来の日米安保の終わりを実質意味する新しい軍事同盟の発足でもある。 》


このような日本の国防戦略の転換を軍事専門家も解説しないし、野党の政治家もどういうわけか大騒ぎしない。あるいはしたのかもしれませんが朝日新聞などの左翼メディアの影響力が落ちて、記事に書いても国民は当たり前に思うように変化したのかもしれない。しあし従来の政府見解から180度も変わったにもかかわらず、誰も気づかないのはどういうことなのか。私は21日に次のように書いた。

《 中国の原子力潜水艦の日本領海侵犯も官邸は見て見ぬ振りをしてやり過ごしましたが、日本の政治家のアメリカと中国に対する弱腰ぶりは目を覆うばかりなのですが、当面はアメリカに付いて中国や北朝鮮に対してはタカ派的な外交圧力で問題を解決すべきなのだろう。

さらには台湾への中国の武力統一は阻止しなければならないし、北朝鮮の核と拉致の問題は戦後60年の日本の外交の転換点となるだろう。つまりは明治初期の頃のように中国やロシアの膨張政策は太平洋への進出は米英にとっても脅威だから日本を引きずり出して盾に使おうと言う戦略なのだろう。わたしもアメリカの衰退を長期的視野において自主独立路線の戦略を持たないと米中二国間で日本は翻弄されることになる。 》


このように米中対決色が強くなると、日本の立場は引き裂かれたようになり、アメリカに対しても中国に対してもご機嫌伺いばかりしていては、どちらからも信用されなくなる。中国が武力で台湾を併合するのならば日米は武力でそれを阻止すると宣言して、日本もそのための軍事強化に乗り出すべきなのですが、そんな気配もなくて、逆に中国の顔色ばかりうかがっている。


反日デモは大失敗だった

  |         |歓|
  |         |迎|_____
  |         |光| ̄ ̄ ̄ /|
  |         |臨|   / /|
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  |/  /.  _.|  |/|/|/      /⌒ヽ)    ∧∧
/|\/  / /  |/ /      [反日_]   /  \
/|    / /  /ヽ         三____|∪   /⌒ヽ)
  |   | ̄|  | |ヽ/l         (/~ ∪    [抗日_]
  | 福 |  |/| |__|/       三三      三___|∪
  |   |/|  |/         三三       (/~∪
  |   |  |/         三三      三三
  |   |/                    三三
  |  /                    三三
  |/                    三三
「せかくニポン領事館来たのに誰も集まてないアル」
「仕事のある人民は平日には来ないアルね」
「我も就職したいアル。
昨日の面接でまた不採用になたので、今日は暴れたかたアル」
「どんな会社受けたアルか?」
「高給で厚生完備のニポン企業アル」




1951年の講和条約で日本は東京裁判を受諾したのか。
靖国神社を否定することは日本の精神を破壊することだ。


2005年5月1日 日曜日

地球史探訪:サンフランシスコ講和条約 国際派日本人養成講座

■5.「講和条約で日本は東京裁判を受諾?」■  

講和条約とは、戦争後の国家間の一種の手打ち式であるから、 領土、賠償、戦争犯罪などについて、和解合意するものである。 それゆえに今日問題となっている戦時捕虜の補償問題や、「A 級戦犯」を祀った靖国への参拝問題などは、このサンフランシ シコ講和条約での枠組みに戻って考えねばならない。  

たとえば、「講和条約で日本は東京裁判を受諾している以上、 首相はA級戦犯を合祀している靖国神社に参拝すべきでない」 という意見がある。条約第11条には東京裁判や連合国での 「戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、・・・これらの法廷が課した 刑を執行するものとする」とあり、A級戦犯を合祀した靖国参 拝は「裁判受諾」に違反する行為だという。  

しかしこの「裁判を受諾し」というのは日本語原文のみの表 現であり、英語原文では受諾したのは"Judgements"、すなわち 「判決」である。仏語、スペイン語原文でも同様の表現になっ ている。これは日本政府が判決にしたがって、刑の執行を継続 することであり、「裁判」全体、すなわちそのプロセスや判決 理由についてまで同意したという意味ではない。佐藤和男・青 山学院大学名誉教授は昭和61年の国際法学会でこの点を当代 一流の国際法学者たちと議論したが、すべての外国人学者がこ の見解に同意したという。  

そもそも講和条約が和解の当然の帰結として、アムネスティ (国際法上の大赦)、すなわちすべての戦争犯罪の責任を免除 することは国際法学会の通説であり、この11条自体がこの長 い歴史を持つ慣習に逸脱したものだという強い批判があった。  

講和条約条文はその後、赦免、減刑などは判決を下した国 (東京裁判の場合は、判決に加わった国の過半数)が決定する と定めている。我が政府はこの11条を誠実に順守して、国民 4千万人にものぼる釈放請願署名と、社会党を含めた圧倒的多 数による国会決議をもとに各国と交渉し、服役中の同胞救出を 実現したのである。  

ちなみに、メキシコ代表は次のように東京裁判そのものに同 意しない旨の発言を行っている。アルゼンチン代表も同様の発 言をしている。[2,c]  

われわれは、できることなら、本条項[講和条約第11 条]が、連合国の戦争犯罪裁判の結果を正当化しつづける ことを避けたかった。あの裁判の結果は、法の諸原則と必 ずしも調和せず、特に法なければ罪なく、法なければ罰な しという近代文明の最も重要な原則、世界の全文明諸国の 刑法典に採用されている原則と調和しないと、われわれは 信ずる。

■6.賠償問題でのけじめ■  

もう一つは賠償問題である。わが国は講和条約、および、そ れに基づいた2国間条約で北朝鮮、中華民国以外の国とは賠償 を完全に済ませている。連合国や占領下にあった国々に対して 支払った賠償や準賠償(無償経済協力)、贈与、借款、在外資産 の引き渡しなどの総額は、当時の金で一兆円を超える。  

たとえば、米国政府は、日本軍捕虜となった元米兵に対して、 抑留1日1ドルの補償を行った。この総額はどんなに多く見積 もっても17百万ドル程度であるが、一方で米国政府は約5千 万ドルの在米日本資産を接収している。この上で、講和条約で は「戦争遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた 連合国及びその国民その他の請求権・・・を放棄する」(第1 4条b)と取り決めたのである。  

一部の元米兵が、第二次大戦中に日本軍の捕虜として強制労 働させられた事で、日本企業を相手取って損害賠償請求訴訟を 相次いで起こしているが、日米政府とも「講和条約で決着ず み」との姿勢を変えていない。  

ドイツの場合は、ユダヤ人虐殺などに対する個人補償が中心 で、国家賠償もしておらず、講和条約も結ばれていない。この 隙をついて、強制労働被害者がドイツ企業などに補償請求の裁 判を起こし、100億マルク(約5千8百億円)をドイツ政府 と企業が接伴するという和解に至った。しかし日本のように講 和条約による決着がないため、今後さらに追加訴訟されないと いう保証がなく、企業による支払いは難航している。日本はこ の点で、ドイツなどよりはるかにきちんとしたけじめをつけて いるのである。[d]

■7.独立のお祝いというつもりで賠償を払ってください■  

インドネシアは、オランダの再侵略と戦い、1948年にようや く独立を達成した。58年に日本との賠償協定が成立したが、イ ンドネシア側では「経済力がないので助けてほしい」という声 とともに、一部には「独立できたのは、日本軍が軍隊(PET A)を作ってくれ、戦後も日本人が残って独立運動に参加して くれたからだ。むしろ日本に感謝使節団を送るべきだ」という 声も出た。  

賠償交渉で来日したアルジ・カルタウィナタ国会議長は、岸 首相に「独立のお祝いというつもりで賠償を払ってください。 日本が悪いことをしたから賠償をくれというわけではありませ ん。」と言った。さらに戦後の日本の国民生活を見て「こんな にひどい貧乏な日本からお金を貰うのは辛いなぁ。しかしこの 働きぶりなら日本は必ず一流の国になると思うのでまず私たち を助けてください」と語った由。  

結局、賠償、戦時中の債権放棄、新たな借款などで総額8億 ドル近くの金額となった。当時の日本の輸出が100億ドル程 度の時で、日本中が顔面蒼白になったと言われたが、わが国は 世界銀行などの援助に頼りながらも、こうした賠償をきちんと 済ませてきたのである。[3]

■8.日本が自由になることを切望している■  

こうして戦後処理のけじめをつけたサンフランシシコ講和条 約会議であったが、国際社会に復帰する日本を温かく迎える声 もあった。セイロン(現スリランカ)のJ.R.ジャヤワルダ ナ蔵相は次のように演説した。  

アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望し ているのか、それは、アジア諸国民と日本との長きにわた る結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位 にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊 敬のゆえである。往事、アジア諸民族の中で、日本のみが 協力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ 友邦として、仰ぎ見た。私は前大戦中のいろいろな出来事 を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、従属 諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インド ネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されるこ とを希望して、日本に協力した者がいたのである。  

よってセイロンは日本に賠償を求めない、とジャヤワルダナ 蔵相は述べた。同様の趣旨でインド、ラオス、カンボジアなど が賠償請求権を放棄した。


『世界がさばく東京裁判』 佐藤和男・青山学院大学名誉教授監修

(前略) この土井発言を補足するように、昭和61年(1986年)8月19日、衆議院内閣委員会で後藤田正晴官房長官(自民党)が、東京裁判について「サンフランシスコ対日平和条約第11条で国と国との関係において裁判を受諾している事実がある」と述べ、東京裁判の正当性を認めることが政府の統一見解であるとの考えを表明した。

 この時期、サンフランシスコ講和会議でも問題とされた講和条約第11条に「裁判を受諾し」との一節があることから、日本政府は第11条のゆえに講和成立後も、東京裁判の「判決」中の「判決理由」の部分に示された、いわゆる「東京裁判史観」の正当性を認め続けるべき義務があると、一部学者たちが強硬に主張していた。その主張に、土井氏や後藤田官房長官は安易に飛びついたものと思われる。

 日本はサンフランシスコ講和条約によって「東京裁判史観」を受け入れたのかどうか。国際法の専門家である佐藤和男教授は国際法学会でのやり取りも踏まえ、次のように指摘する。

 《第11条の規定は、日本政府による「刑の執行の停止」を阻止することを狙ったものに過ぎず、それ以上の何ものでもなかった。日本政府は第11条の故に講和成立後も、東京裁判の「判決」中の「判決理由」の部分に示されたいわゆる東京裁判史観(日本悪玉史観)の正当性を認め続けるべき義務があるという一部の人々の主張には、まったく根拠がない。

 筆者は昭和61年8月にソウルで開催された世界的な国際法学会〔ILA・国際法協会〕に出席した際に、各国のすぐれた国際法学者たちとあらためて第11条の解釈について話し合ったが、アメリカのA・P・ルービン、カナダのE・コラス夫妻(夫人は裁判官)、オーストラリアのD・H・N・ジョンソン、西ドイツのG・レスなど当代一流の国際法学者たちが、いずれも上記のような筆者の第11条解釈に賛意を表明された。議論し得た限りのすべての外国人学者が、「日本政府は、東京裁判については、連合国に代わり刑を執行する責任を負っただけで、講和成立後も、東京裁判の判決理由によって拘束されるなどということはあり得ない」と語った。これが、世界の国際法学界の常識である。……

 対日平和条約の発効により国際法上の戦争状態を終結させて独立を回復した日本の政府は、東京裁判の判決理由中に示された歴史観ないし歴史的事実認定―歴史の偽造(東京裁判のインド代表判事であったパール博士の言葉)として悪名が高い―を盲目的に受けいれる義務を負わず、いかなる批判や再評価をもその裁判や判決理由に下すことが自由であり、この自由こそが、講和を通じ代償を払って獲得した国家の「独立」の実質的意味なのである。》(『各法領域における戦後改革』p.100〜101.)

 講和独立後の日本の政治家たちは、「勝者の裁き」を敢然と拒否することこそが「わが国の完全独立」と「国際親交」につながると信じたが、それは「自己解釈権」を取り戻した独立国家として、極めて正当な行動であった。

 こうした戦後政治の原点を踏まえ、私たちは、国際法上、敵国の軍事行動の一環であった「東京裁判」の判決に囚とらわれることなく、歴史の再検証と東京裁判の克服を堂々と世界に訴えていくべきなのである。そうすれば、いわゆる東京裁判史観を日本に強要したいと考えている中・韓両国などは猛然と反発するだろうが、その一方で本書で紹介したように世界の国際法学者や識者たちが、あるいは反東京裁判史観を奉じるインドを始めとするアジアの識者たちが、必ずや私たちの主張を断固支持・支援してくれるに違いない。


(私のコメント)
30日のテレビ朝日の「朝まで生テレビ」を見ていたのですが、靖国神社に祀られたA級戦犯の問題が討論されていましたが、例によって在日韓国人の学者が86年に官房長官が東京裁判を受諾していると発言した。つまり東京裁判の正当性を日本政府として認めたという統一見解を表明したということですが、それが今日の靖国問題をややこしくしている。

当時の官房長官の後藤田氏がどのような見解で言ったのかわかりませんが、解釈が分かれているにもかかわらず一方的に受け入れてしまった。確かに1951年のサンフランシスコ講和条約の11条で受諾すると訳されていますが、原文の英語だと「裁判」と「判決」の翻訳をミスしているらしい。裁判を受諾するのと判決を受諾するのとではA級戦犯の解釈が違ってくる。原文と翻訳文を紹介すると

サンフランシスコ講和条約の十一条の規定

「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。

これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。」(外務省訳)

Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan,and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.

日本は、極東用の国際軍事裁判、および日本内の、および日本の外の他の連合の戦犯裁判所の判決を受理し、日本で拘束された日本人にそのために課された内容を行なうでしょう。(私の翻訳)



どこの誰が日本語に翻訳したのかわかりませんが、私がいつも使っている翻訳ソフトで翻訳すると次のようになり、東京裁判を認めたのではなく、判決を受諾したと翻訳すべきだ。ところが外務省の翻訳は見ての通りのとんでもない翻訳でありjudgmentsの単語も明らかに「判決」と訳すべきなのに「裁判」と訳している。日本語に訳した文章からも「判決」と訳したほうが日本語として自然だ。

だから後藤田官房長官がサンフランシスコ講和条約11条の東京裁判を受託したという解釈は誤訳に基づいて見解を表明しているのであり、11条の条文は判決を受託したと訳すのが正しいから、後藤田長官の政府見解は意味を取り違えている。東京裁判は正当とする人と不当とする人に意見が分かれているが、これも国際常識から見れば東京裁判は法律に基づかない不当な裁判だ。

つまり東京裁判そのものが違法行為なのであり、日本政府としては国際法廷で東京裁判は違法であることを訴え出るべきだ。しかしそんな国際法廷の場は無いから日本が国際連合の安保理常任理事国入りが実質的な東京裁判が違法であることを認める事になるのだ。それに対して中国や韓国は異議を唱えているのだろう。東京裁判の問題点をあげて見ると次のようになる。

「A級戦犯」を裁いた東京裁判は違法・勝者による復讐劇

日本人でも、「A級戦犯」が合祀されているのが良くないと言う人々がいる。
「A級戦犯」とは東京裁判で裁かれ処刑された日本の政治家たちを指す言葉だ。
東京裁判を絶対視して疑わない思考停止状態だと言うしかない。

以下の理由により東京裁判は正式な裁判と見なすことはできない。
東京裁判を絶対視して、その判決を基に「A級戦犯」などと侮辱する者は、単なる無知か、法を否定するアナーキスト、あるいは裁判の不当性を認識しつつイデオロギーのために利用している卑劣漢だ。

事後法の適用している
 A級戦犯の罪状「侵略戦争を計画、謀議、遂行した平和に対する罪」
これを犯罪とする国際法は存在していなかった。
戦勝国が第二次世界大戦までに、普通に実施していたことである。
また、日本の敗北で解放されたアジア諸国に対して、フランスやオランダなどの戦勝国は再侵略を行っている。

判事が戦勝国に偏り中立でない
 判事11人中9人が戦勝国。
 残り2人のうち1人はフィリピン人で、アメリカの占領下にあった。
 中立国はインドのラダ・ビノールト・パール判事1人だけ。
 日ソ不可侵条約を侵犯した文字通りの侵略国ソ連が判事・検事の立場にあった。

証拠・証人に対する偽証罪が適用されない

証言・証拠の真偽を法廷で検証していない
 戦中のプロパガンダ文書がそのまま証拠として採用されている。

公開の原則・宣告の原則を無視
 多数意見の判決内容だけを通告。判決理由とその証拠、少数意見を公表しなかった。

戦勝国の虐殺など戦争犯罪は裁かれていない
 戦勝国側の戦争犯罪は全く問われていない。敗戦国を真偽不明の証拠によって裁いた報復の私刑と言わざるをえない。
戦勝国による虐殺など戦争犯罪の例  




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