株式日記と経済展望

ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


<日銀短観>企業の景況感、7四半期ぶりに悪化
増税しても景気悪化で減少する税収、97年の二の舞だ


2004年12月15日 水曜日

◆日銀は15日発表した12月の企業短期経済観測調査(短観)に
  よると、企業の景況感を表す業況判断指数(DI)は大企業
  製造業で前回9月調査に比べ4ポイント悪化のプラス22となった。
                             12月15日日経ネット

   __________
   佐々木の視点・考え方
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄      
★今年の年初に当社で「資産配分力」という冊子を販売した。

 その中で、株価は景気に連動して動くことを証拠を挙げて
 説明した。

 株式市場の行方は、マクロ経済の長期動向に沿って動くから、
 景気の転換点をはっきりと見分けることが重要だと
 書いたことをご記憶だろうか。

 こうした、大局観を持てば株の研究に時間を割かなくても
 株で失敗することは少ない。

 日本の景気の転換点をつかむには、日銀短観の景況DIを
 時系列で見て、前回に公表された「先行き予想値」と今回の
 実績値を比べて、ひげが上と下のどちらにあるかを見ると
 良いと書いた。

 この手法を使えば、新聞記事とは異なる姿が見えてくる。
 お手持ちのワークシートを使って、自分でひげを書いてみて
 欲しい。

 日銀短観は、こちらからダウンロードできる。
 http://www.boj.or.jp/stat/tk/tk0412_f.htm


定率減税、17年度半減合意 与党、景気配慮 見直し明記

自民、公明両党の税制調査会は十四日、与党協議会を開き、平成十七年度税制改正の焦点である定率減税の縮小・廃止について、十七年度に半減することで最終合意した。負担増が大きいとして公明党が半減に難色を示していたが、少子化対策の強化と景気に配慮して必要に応じて見直すことを、十五日決定の与党税制改正大綱に明記することで決着した。将来的な児童手当の拡充でも合意した。

 十七年度の縮小幅をめぐって、公明党は「半減では中所得者層の負担増が大きい」として三割縮小を主張。その後、半減を容認する条件として、少子化対策や景気に配慮した見直し条項の大綱への明記を求めた。

 この日深夜まで続いた与党協議では、竹中平蔵経済財政担当相が臨時に出席し、景気の見通しを説明した。所得税の減税縮小は十八年一月徴収分、個人住民税は六月徴収分から適用されるが、十七年度改正にかかる所得税の十八年一−三月分についても、景気の動向次第では縮小を取りやめることも可能とする。

 大綱ではこのほか、住宅ローン減税を適用する築後年数の制限を撤廃するほか、フリーターなど短期就労者の個人住民税の課税強化で一致。企業による人材育成減税の創設でも合意。定率減税の縮小による増収分を、基礎年金の国庫負担割合の引き上げ財源にあてることを十五日にも両党政調で再確認する。

 十七年度改正で定率減税が半減された場合、減税率と減税額は所得税が10%(上限12・5万円)、個人住民税が7・5%(2万円)に圧縮される。夫か妻が働いている子供二人の年収七百万円の世帯の場合、年四万一千円の増税となる。
(産経新聞) - 12月15日2時52分更新

<日銀短観>企業の景況感、7四半期ぶりに悪化

日銀が15日発表した12月の企業短期経済観測調査(短観)によると、企業の景況感を示す業況判断指数(DI)は大企業・製造業で前回9月調査比4ポイント低下のプラス22となり、7四半期(1年9ヵ月)ぶりに悪化した。3カ月先までの景況感は大企業、中小企業ともに悪化を見込んでおり、景気をけん引してきた電気機械や自動車などで輸出や生産の増加基調が鈍り、景気が踊り場を迎えていることが鮮明になった。

 今回の調査の回答期間は11月10日〜12月14日。業況が「良い」と答えた企業の割合から「悪い」と答えた企業の割合を引いた業況判断DIは、大企業・非製造業が前回比横ばいのプラス11。中小企業は製造業が横ばいのプラス5、非製造業が3ポイント改善のマイナス14で、全規模・全産業の同DIは1ポイント悪化のプラス1で、プラスを維持した。

 3カ月後の先行き見通しは、大企業・製造業が今回調査比7ポイント低下を見込み、中小企業・製造業も6ポイント低下を予想。大企業・製造業では、ほぼ全業種が先行き悪化を予測している。

 大企業・製造業の業種別DIは、IT(情報技術)関連製品の在庫調整などで電気機械が17ポイント低下のプラス11に落ち込み、02年12月以来、8四半期ぶりに悪化。自動車も4ポイント低下のプラス37に悪化した。一方、中国向けの需要拡大を背景に、鉄鋼は前回に続き2ポイント上昇のプラス60と3四半期連続で改善。一般機械は5ポイント上昇のプラス43、精密機械も同13ポイント上昇のプラス31と好調を持続した。

 大企業・非製造業では、運輸、リースが前回より改善したが、天候不順の影響でホテルやレストランなどの飲食店・宿泊は悪化。小売りは4ポイント改善してマイナス1。

 大企業・製造業の雇用判断指数(過剰と不足の回答割合の差)は12四半期連続で過剰幅が縮小し92年8月以来の水準まで過剰感が薄れるなど雇用環境は改善、個人消費の底堅さを支えている。

 設備投資は04年度計画が、大企業・製造業で前年度比23.4%増で、88年度(実績同30.1%増)以来、16年ぶりの高い伸び率になる見通しのほか、全規模・全産業でも前年度比6.2%増と91年度(実績同10.8%増)以来、13年ぶりの高い伸び率を見込む。【斉藤信宏】

 【日銀短観】日銀が民間企業の景況感や収益状況をつかむため3カ月ごとに実施しているアンケート。対象企業が約1万社と多く、調査開始から統計公表までが約1カ月と短期間で速報性も高いため、景気実態を比較的正確に映す指標として注目され、日銀の金融政策の重要な判断材料になる。今回の調査対象企業は1万227社で、回答率は97.8%。
 ◆景気が踊り場を迎えたことを確認

 日銀が15日発表した12月の企業短期経済観測調査(短観)は、大企業・製造業の業況判断指数(DI)が7四半期ぶりに悪化したうえ、先行きも一段の悪化が見込まれるなど、企業の景況感がピークを越え、景気が踊り場を迎えたことを確認する内容となった。市場では「回復基調の中での一時的な調整」との見方も強いが、景気回復が企業部門から家計に波及し切れないうちに企業の景況感が悪化に転じたことで、今後は景気の先行き不透明感が強まりそうだ。

 今回の短観でもっとも注目されるのは、05年3月までを見通した先行きのDIが、大企業・製造業で現状のプラス22から15へと7ポイントもの急落を予想している点だ。市場の事前予想(20前後)を大きく下回る内容で、「デジタル家電」ブームの一巡によるIT(情報技術)の在庫調整や外需鈍化、原油価格の高止まり、円高・ドル安進行などを背景に、企業が景気の先行きに警戒感を強めていることが示された形だ。

 また、製品・サービスの需給判断が大企業・製造業部門で現状、先行きとも供給過剰感が拡大、企業が個人消費の息切れなどによる需給悪化に強い懸念を抱いていることが浮き彫りになった。企業業績の回復にもかかわらず、リストラ継続で賃金は伸び悩んでいる。一方で、定率減税縮小・廃止の方針決定や社会保障負担で国民負担の増加が避けられない中、個人消費がどこまで持ちこたえられるか不透明感は強まっている。個人消費が冷え込めば、好調を維持し、景気を下支えしている企業の設備投資にも急ブレーキがかかりかねないだけに、景気の先行きは楽観できない状況だ。【竹川正記】
(毎日新聞) - 12月15日12時34分更新


(私のコメント)
政府日銀の景気に対する鈍感さが日本経済の舵取りの誤りの原因ですが、すでに今年の6月から景気の後退が始まっているのに、財務省は大増税へ舵を切り、日銀は景気が踊り場に来ていると認め始めた。このように中央官庁の景気判断は常に3ヶ月から6ヶ月も遅れている。一部の鉄鋼などの素材輸出産業だけが景気がいいだけだ。

デジタル家電ブームもすでに生産が過剰な状態で、大型家電店では値崩れが激しい。プラズマや液晶の大画面テレビは先行投資が回収できないうちから値崩れが起きて、一週間で1万円づつ値下げがされている。DVDレコーダーなど去年から比べて半値になってしまった。だから慌ててデジタル家電は買わないで値下げを待った方がいいだろう。

なぜそのような激しい値崩れが起きるのかというと、消費者の懐が増えていないから、本来ならば飛ぶように売れるはずのデジタル家電も、値下げをしないと売れないのだ。バブルの前ならビデオレコーダーをみればわかるように、いい値段で飛ぶように売れて家電業界は潤いましたが、バブルの崩壊後はデジタル家電のような切り札でも売れなくなっている。

消費者の可処分所得が減少しているのに景気がよくなるわけがないのに、財務省や与党政府は増税を決めたようですが、どういうつもりなのだろうか。冒頭に示したグラフを見ればわかるように、97年の大増税をしても税収は落ち込んでいる一方であり、税収が落ち込めば財政再建など出来るはずがない。

定率減税で財務省は3,3兆円の増収を見込んでいますが、おそらく景気後退で3,3兆円以上の減収になって財政再建は遠のくだけだろう。なぜならば会社は倒産や廃業などで減る一方だし、働いている会社員や労働者も減る一方だ。ならば税金を払う人も減る一方であり税収が伸びるわけがない。そんな理屈も分からぬ財務省役人は国民の敵だ。

財政再建をしたいのならばGDPの拡大を目指して、思い切った景気拡大政策をとるべきだ。小渕内閣ではその路線で景気は回復しかけましたが、小泉構造改革で潰されてしまった。このように財務省のバカ役人は景気が拡大し始めると増税をして潰してしまう。国会議員は経済のことが分からないから役人の言いなりだ。

だからバブル崩壊や長引く不況の責任は大蔵省と日銀官僚にあるのであり、財政再建を煽ったマスコミにも責任がある。私は一貫して景気回復なくして財政再建や構造改革は出来ないと主張してきましたが、国会議員や官僚たちは何度も同じ過ちを繰り返しては、また同じ過ちをしようとしている。

なぜ公務員達は不況を長引かせる政策をとり続けるかというと、公務員にとってはデフレや不況は生活には関係なく、まさに公務員天国だからだ。国の税収が42兆円しかないのに公務員の408万人の給料は35兆円もある。しかもリストラや給与カットはなく今でも給与は上がり続けている。ならば日本国民は全員公務員になれば不景気なんか怖くなくなる。




たけしのTVタックル「地獄の大増税時代」紙上再現中継
所得累進課税は不公平だが消費税は悪の税制だ。


2004年12月14日 火曜日

たけしのTVタックル「地獄の大増税時代」紙上再現中継 (画像30枚)

昨日のテレビ朝日の「たけしのTVタックル」で「地獄の大増税時代」を放送していましたが、税金の問題は生活に直結しているにもかかわらず、難しくて面白くないので国民には関心がないようだ。税金問題に関しては10月にも書いたのですが、反響からも税金問題には、国がどのような税制を変えようが、それでデモが起きるようなことはないようだ。TVタックルでは1時間の討論番組でよくまとまっていたので画像を資料として参考になるので見てみてください。

「高齢化社会」や「直間比率の是正」がなぜ消費税導入の理由になるのか?高所得者減税は貯蓄に回り消費を減らす

消費に消費税をかければ消費が低迷する、この簡単な理屈がわからぬバカ財務官僚。

「日本の失われた10年」は昭和63年税制改革が原因である。EU型付加価値税は誤りで累進所得税こそ経済を活性化させる




栃木県を見れば明日の日本がよくわかる。無党派前知事は
財政再建で当選して足利銀行を破綻させ地元産業を潰した


2004年12月13日 月曜日

福田富一氏が初当選 栃木県知事選、現職破る

任期満了に伴う栃木県知事選は28日投票、即日開票の結果、無所属新人の前宇都宮市長福田富一氏(51)=自民、公明推薦=が、無所属現職の福田昭夫氏(56)と共産党公認の新人で党県委員長塚原勝氏(64)を破り初当選を果たした。1期4年務めた現職が再選できずに敗れるのは極めて異例。

 投票率は前回の45・63%を上回る47・65%だった。
 自民、公明両党の全面支援を得た福田富一氏は、支持基盤をフルに活用した組織戦を展開。市町村重視の県政や県庁内分権を訴え、無党派層などからも幅広く支持を集めて激戦を制した。

 民主の支援を受けた福田昭夫氏は、財政健全化など実績を強調したが、前回当選の原動力となった無党派層の支持が伸びず、及ばなかった。
(共同通信) - 11月28日22時40分更新

よみがえれ栃木! 衆議院議員 渡辺喜美

「なぜ1期目の知事を変えるんだ」とよく聞かれます。では、逆にお尋ねします。「この4年間、何か成果があったのでしょうか。県民の生活が福田昭夫県政によって良くなったのですか」。何もしないことが善政なのでしょうか。

今は昔のような右肩上がりの時代ではありません。4年間もトップをやって、成果が得られないような人は、民間企業の雇われ社長ならとっくにクビです。

現職福田昭夫知事の4年間は停滞の4年でした。栃木県は相変わらず周産期死亡率No.1、学校における子供のイジメも5年連続No.1です。県議会が児童相談所の体制強化を提案しても知事はなしのつぶて。その結果が小山市の事件。幼い2人の兄弟が命を奪われました。

大半の市町村長、県議が立ち上がった

「市町村重視の県政」という現職知事が4年前に掲げた最重点公約は、全く実現されていません。49市町村のうち、41人の首長が現職を批判し、挑戦者・福田とみかず氏の支持に回っている現実が、それを物語っています。

知事という権力者に市町村長が歯向かうのは、よほどのことがなければありえません。理由は様々でしょう。イジメられた、押し付けられた、拒否された・・・・・。知事と市町村長達との信頼関係は崩壊しています。

県議54名中、41名が新人とみかず氏支援です。あれだけ県議会をバカにすれば当然でしょう。栃木県議会は全国で初めて議員提案により「産業再生委員会」条例を作りました。足利銀行破綻の地場産業に及ぼす悪影響を最小限に食い止め、モデルチェンジと過剰供給構造の是正を伴った産業再生を行なおうという画期的なものです。しかし、知事はおざなりの会合を2回開いただけ。全く活用する気はありません。

座して死を待った県の責任は重い

そもそも足利銀行問題について、私は3年前に現職に言いました。「県が出資し、重役を送り込んでも、合併先が見つからない以上、親元である県がもっと支援しないと再生しませんよ」と。破綻する前の去年の夏にも言ったはずです。「足利銀行は日本一繰り延べ税金資産が多く、県が資本増強や新ビジネスモデルに協力しないと、破綻させられますよ」と。私は昨年秋の総選挙でも一般論として県による出資の必要性を訴えました。

結局、座して死を待った結果、国有化され、株券は紙クズに。優先株、普通株合わせて3000億円もの県民の財産がパーになりました。これが失政でなく、何なのでしょうか。足銀破綻後、県は600億円の制度融資を追加。数十億円は焦げ付くといわれています。なんという下手な税金の使い方か。情けない。県が足銀に増資協力していれば、株主責任を問わない「りそな型」の一号措置でいけたのに。

今後、足銀の2万社近くある取引先のうち、数千先が処理されるでしょう。共通のお客を通じて他の金融機関にも悪影響が及んできます。地元利益を最大化するには、早く国から債務超過の穴埋め用の公的資金をもらい、このお金を使って地場産業の再生をしていくことです。

国の公的資金は足銀には入りません。足銀は身売りを義務付けられており、身売りが決まったときに、原則として身売り先にお金は入ります。外資が見売り先なら外資が公的資金を持っていきます。儲からない地場産業は当然切り捨てられます。その後、地元経済の真空地帯を埋めるのは県外資本や大手・外資であったりします。これが市場原理です。

地元利益を最大化するのは県の仕事

金融庁は銀行をピカピカにして(儲からない客は切り捨てて)くれるだけです。地元利益を最大化するには、県が出資した受け皿銀行を、足銀の身売り先にしてしまえばいいのです。これが公的資金の受け皿ともなり、国有化足銀をそっくりそのまま引き継ぐことが可能となります。

中小企業金融の県内シェア6割を占める足銀が、企業再生についてはメインバンクとして最も重い貸し手責任を取るべきです。それをしないと、同じ借り手に融資している他の金融機関がまいってしまいます。受け皿地元銀行は、足銀問題にとどまらない県内地場経済全体の問題なのです。

現職知事は「県民銀行」は県立銀行で他の金融機関の民業圧迫になるからダメなどと言っていますが、逆です。県が出資する受け皿地元銀行は、足銀をそのまま使うのですから民営です。最後に県の出資分を売却すれば純粋民間に戻ります。また県出資分は毀損させてはいけませんが、株主利益を最大化する必要はなく、地場産業再生を優先します。他の地元金融機関との住み分けも充分可能となります。今のような非常時に県は地元利益を考えた戦略型資本主義の発想をとるべきなのです。

現職知事の宣伝のやり方は、極めて一方的です。ものごとを極端に歪曲し、悪人を仕立て上げ、あたかも自分は県民を守る唯一の正義の味方であるかのような演説。事情を知らない県民をまどわす、実に浅ましく卑しい政治手法です。

よみがえれ栃木!!

結局現職知事は市町村長とも、県議とも、国会議員ともケンカ、トラブル、摩擦の連続です。ある大臣に電話をかけてケンカを売ったこともありました。このようなトップをいただくツケは県民に回ってきます。泣きを見るのは県民なのです。政治の世界に限らず人の世の基本は信頼関係です。自らこの信頼関係を破壊し、分裂を作り出す手法は邪道です。

こんな人があと4年も権力の座についたら栃木県政はグジャグジャにされてしまいます。地場産業はボロボロになります。心機一転、分裂から対話と協調の県政へと流れを変える必要があります。気合を入れて知事を変えましょう。

私達の応援する福田とみかずさんは、若干51歳ですが、今時珍しい立志伝中の人物です。高卒で栃木県庁職員になるも、一念発起して東京の夜学に通う(日大工学部)。通学だけで一日5時間かかったそうです。29歳にして市議会議員に初当選。以来、政治家歴は22年にもなります。市議2期、県議2期で議員年金はいらないといういさぎよさ。私達の栃木は今、このようなチャレンジ精神とハングリー精神を持った真の政治家を必要としています。とみかずさんなら、栃木のありとあらゆる埋もれた宝物のセールスマンをやってくれます。落ち込んで停滞した栃木を再生しましょう。


(私のコメント)
しばらく国際情勢や外交問題を論じてきたのですが、国内の経済情勢が嵐の前の静けさというような感じがします。株価はこの一年ではほとんど動いてはおらず、最悪の状況から少し立ち直った程度で足踏みしている。最悪の状況から脱することが出来たのは「りそな」が株主責任を問うことなく救済されたからです。

しかし去年の暮れの足利銀行では破綻処理されて地元が出資した株券も紙切れになってしまった。いったい地元の国会議員は何をしているのかと疑問に思ったのですが、渡辺よしみ議員のサイトを見ると、栃木県知事が民主党系の知事であり銀行救済や地元企業救済に消極的であったことが致命傷になったようだ。

地元の栃木県だけでももっと積極的に足利銀行へ資本注入させていれば足利銀行は破綻処理させずに済んだはずだ。しかし福田昭夫知事は財政再建とストップ・ダム建設で当選した知事なだけに県としては足利銀行の救済に動こうとしなかった。県知事が動かない以上、市町村や国会議員が騒いでもどうすることも出来ない。

地方の経済はますます冷え込み、小泉内閣の緊縮財政で公共事業は縮小されてますます地方の産業は危機的状態が強まっている。第二第三の足利銀行が出てきそうな雰囲気ですが、県の財政はどこも栃木と大して変わらないから、県が地方銀行へ出資するのも厳しい状況だろう。とくに財政再建の野党知事のところは特にそうだ。

栃木県においても「りそな」方式で救済されるだろうと見られていましたが、最近の金融庁のやることは銀行を潰して外資に売り払うことを政策にしているから、破綻処理されてしまった。小泉・竹中内閣が続く限り金融庁の暴走は続き銀行を潰しまくるだろう。それは現在の栃木県を見ればわかるとおり地元企業は銀行の支援を断たれて、温泉ホテルなど安値で外資に買われているようだ。

金融庁の大臣は代わりましたが竹中大臣の子分であり、金融庁は地方銀行へも資産の厳格査定を実施すれば日本中の地方銀行は破綻処理されるだろう。その原因は金融庁が繰延資産を5年から1年に変えてしまい、監査法人もそれに則って監査しなければ監査法人も責任を問われるので承認のハンコが押せなくなったからだ。それがいかに無茶な行為であるかは「株式日記」で書いてきました。

このようにして竹中大臣と金融庁は銀行潰し政策を続けて、政治家の関与が出来なくしてしまった。政治家の頭よりも官僚の頭の方がいいから、政治家達は丸め込まれて国民に選ばれた政治家の権限がないに等しい状態は国民も気がつかなければなりませんが、日本のマスコミは官僚にコントロールされているから、国民も知る機会がないのだ。

そのマスコミに対してわたしは一人で戦いを挑んでいるのですが、マスコミの記者たちも私の「株式日記」を見て考えを改めてくれるといいのですが、官僚たちも国民が怒り出せば面倒だから愚民化政策で知らせないようにしているのだ。栃木県の県民にしてもマスコミが煽ったストップ・ダム建設で無党派知事を4年前に誕生させましたが、足利銀行破綻でしっぺ返しを食らってしまった。

このように政治家の無力化には悪質な官僚とマスコミが原因なのですが、この事は経済コラムマガジンでも次のように指摘している。

足利銀行の破綻処理 経済コラムマガジン

《それにしても最近は、政治家の存在が薄れている。重要なことは、ほとんどが官庁ペースで進んでいる。りそな銀行に2兆円、足利銀行に1兆円、そして為替介入には今年に入って何と18兆円がそれぞれ投入されている。しかしこれらがほとんど官庁のペースで行なわれている。わずか数千億円の住専への資金投入で与野党の政治家が揉めていた頃がなつかしい。この時には、野党の国会議員が国会に泊まり込みまで行なって、これを阻止しようとした。

ひょっとして、この住専国会の混乱を見て、官僚は具体的な政策の実行に政治家が関与させない方策を編み出したのではないかと思われる。最近では、大胆な国費投入については官僚が判断し、金額の小さな政策は政治家の担当となっているようである。たとえば政治家は、税制改正で細々したことを真剣に討議している。また官庁同士の争いに政治家が二つに別れ、夫々の味方となって競っている。厚生労働省と財務省の年金改革を巡る争いが典型である。しかし両方の方針は、あくまでも官庁ペースで作成されたものであり、政治家の発案ではない。》




チャルマーズ・ジョンソン著 「アメリカ帝国の悲劇」(2)
イラクに派遣された米軍はゴミあさりをしながら急場しのぎ


2004年12月12日 日曜日

「装備不足でごみあさり」 米国防長官に厳しい質問

【カイロ9日共同】イラクに派遣される米兵が待機するクウェート北部のキャンプを訪れたラムズフェルド米国防長官が8日、米兵との質疑応答で、不足する装備品をごみ捨て場から探している「戦場の窮状」を突き付けられるなど、厳しい質問攻めに遭った。
 AP通信などによると、質問に立った米兵の1人が「軍用車両の装甲板が足りない」と指摘した上で「ごみ捨て場から材料を見つけて急場をしのがなければならない」と実態を説明。「なぜごみ捨て場をあさらなければならないのか」と訴えると、他の兵士らからも拍手が起きた。
 長官は答えに一瞬詰まった後、米兵に「陸軍は、製造会社に可能な限り早く生産するよう急がせている」などと釈明した。
(共同通信) - 12月9日13時4分更新

チャルマーズ・ジョンソン著 「アメリカ帝国の悲劇」

冷戦の終結とともに、それまでソ連の影響圏として立入禁止だったバルカン半島とパキスタンにはさまれた広大なユーラシア大陸の領土が、帝国的拡張政策の舞台として開放された。アメリカはこのきわめて重要な地方にすばやく軍隊を展開させ、じゃまをする体制といつでも戦争をはじめる構えをとった。

十年ほどのこの時期に、権益や誓約や計画の膨大な複合体がからみあい、ついには市民社会に匹敵する新しい政治文化が誕生した。わたしが帝国と呼んでいるこの複合体は、あきらかに、はっきりとした形さえ持って、この地上に物理的に存在する。

その大部分は第二次世界大戦と冷戦時代に取得されたものだが、ソ連を封じ込めるという口実にごまかされてその真の姿に気づかれなかった。この帝国は、地球上のあらゆる大陸にある恒久的な海軍基地や軍用飛行場、陸軍駐屯地、情報収集基地、戦賂的飛び地などで成り立っている。

もちろん軍事基地や植民地は古代から帝国主義体制に共通する特徴であるが、過去においては、つねに征服した領土を確保または防衛し、経済的に搾取するためにそこに存在した。アメリカも最初は伝統的な帝国と同じだった。

われわれは北アメリカ大陸を占拠して植民し、砦と呼ばれる前哨基地フォート・アパッチ、フォート・レヴェンワース、サッターズ・フォート、フォート・サム・ヒューストン、フォートララミー、フォート・オーセージを東海岸から西海岸にかけて建設した。

しかし、時代がもっと現代に近づくと、アメリカはほかの多くの帝国とちがって、領土をまったく併合しなかった。そのかわりに、領土のなかに排他的な軍事地帯をもうけ(ときにはたんに惜り上げて)、植民地の帝国ではなく、基地の帝国を作り上げたのである。

こうした基地は、指揮系統によってつながり、文民のしっかりした監視を受けることなく国防総省から指示を与えられていた。そして、拡張をつづけるアメリカの軍産複合体と結びついて、基地を取り巻く現地の文化に大きな影響を与えたが、それはほぼ例外なく悪い影響だった。

こうした基地がアメリカを新種の軍事帝国へと変えたのである。兵士たちのエアコンつきの家や映画館、スーパーマーケット、ゴルフコース、水泳プールを見せびらかす戦士の文化、大量消費社会のスパルタヘと。

アメリカ帝国を過去の帝国と区別するもう一つの決定的な特徴は、基地が戦争を遂行するために必要なわけではなく、軍国主義と帝国主義の純粋な示威行為であるという点である。軍隊と軍国主義を区別することはひじょうに重要だ。

わたしが「軍隊」という言葉を使うとき、それはある国家が国を守るために戦うのに必要なあらゆる活動や特質、機関を意味している。軍隊は国家の独立を確保することに意を注ぐべきだ。それが個人の自由を維持するための必須条件である。

しかし、軍隊を持ったからといってそれがかならずしも軍国主義へとつながるわけではない。軍国主義とは、ある国の軍隊が、国家の安全を守ることや自分たちが一翼をになう政府の構造を完全な状態に保つ責務よりも、自分たちの組織の存続を優先させるようになる現象である。

アルフレート・ファークツは軍国主義に関する偉大な歴史家として、「平時の常備軍は最大の軍国主義的機関である」とのべている。さらに、軍隊が軍国主義の機関に変貌すると、他国との関係をつかさどる政府内の専門機関を当然ながらすべて排斥しはじめる。

軍国主義の到来の兆候の一つは、軍隊が本来文民に取っておくべき各種の仕事を横取りすることである。国防総省が約七二五カ所あることを認めている海外の基地は、平時の常備軍の範囲にふくまれていて、国家の資源をつねに要求しているが、ほぼ例外なく実際に戦争をするだけの能力を持っていない。

沖縄やドイツにあるような広大な飛び地は、第二次世界大戦以来、戦争にかかわっていないし、実際には戦争遂行能力に寄与することも意図されていない。それらは地方総督の司令部、アメリカ帝国の勢力範囲を目に見える形でしめすものなのである。

たとえば二度目のイラク戦争のとき、アメリカはイラクの都市に対して爆撃機を発進させる以外にはペルシャ湾と中央アジアの基地を使わなかった。これはアメリカの航空優勢を思えば、戦闘と呼べるようなものではなく、むしろ演習に近かった。実戦部隊はほぼすべてアメリカ本土からやってきた。

第三歩兵師団はジョージア州フォート・スチュワートから、第四歩兵師団はテキサス州フォート・フツドから、第一海兵師団はカリフォルニア州キャンプ・ペンドルトンから、そして第一〇一空挺師団はケンタッキー州フォート・キャンベルから。カタールやサウジアラビア、バーレーン、アラブ首長国連邦、オマーンといった国々の基地はおもに軍高官の社交場や、遠隔操作の指揮所にうってつけの快適な場所として使われた。

アメリカの基地のネットワークは戦時の備えの印ではなく、帝国主義にかならずつきものの軍国主義の印なのである。このネットワークの大きな問題点は資金面である。過去の帝国の大半は、費用を自分でまかなうか、少なくともまかなおうとしてきた。スペインやオランダ、イギリスといった帝国はすべて植民地の搾取で本国を豊かにした。

基地の帝国はそうではない。軍国化された一国主義の帝国は、国際法と貿易が依存している相互関係の規範を弱体化させるがゆえに、商業とグローバル化を崩壊させる傾向がある。その結果、アメリカ帝国の間接的な経済負担がいちじるしく増大するのである。この問題についてはのちほどもう一度取り上げることにしよう。

われわれの帝国はときどき金をかせぐことがある。縄張り内の人間や商店から用心棒代をまきあげていた一九三〇年代のギャングたちのように、アメリカは外国政府に圧力をかけて帝国建設計画の費用を払わせているからである。

最初の対イラク戦争では、アメリカは日本から一三〇億ドルを引き出し、のちに戦争から少し純益さえあげたことを自慢した。しかし、アメリカが他国の同意を得ずにあからさまに世界を支配すると主張するようになるにつれて、ほかの豊かだが軍事力のない国々にとっては、旧来の「相互安全保障」という考えかたはどんどん魅力を失っていった。

貿易や資本移転や直接報奨金の縮小は、費用を自分でまかなっていたもっと古い帝国よりもずっと早くアメリカの基地の帝国をむしばむことだろう。アメリカ帝国内での生活は、その軍隊式の儀礼や人種差別主義、競争意識、俗物根性、階級構造など、ある意味で大英帝国の支配者たちの暮らしを思わせる。

いったん基地に入れば、アメリカの現代の地方総督とその配下の戦士たちは「地元民」ともアメリカの民間人とも接触する必要はない。こうした軍事都市国家は、十九世紀のイギリスやフランスの若者に対して行なったように、アメリカの若者たちに傲慢さと人種差別を教え、人種的な優越性の基本成分を植えつける。

基地のアメニティ施設には、現役勤務の男子専用の、拡張をつづけるディズニーランドや地中海クラブの軍隊版や、住宅、アスレチック施設、教会、無料か固定額の学費で通学できる学校などがふくまれている。こうした施設はほとんど知られていない全地球的なネットワークを形成している。

その多くの部分はかつて一度は戦略的な用途を持っていたかもしれないが、大昔に恒久的な前唯基地へと変化したものである。そのすべてが非公式に出現し、少なくとも一般大衆はその出現に気づいていない。

もし帝国のことが言及されたとしても、それはアメリカの兵士たちがイスラム原理主義者からアフガニスタンの女性を解放したとか、フィリピンの自然災害の犠牲者を救ったとか、「民族浄化」作戦からボスニア人やコソボ人やイラクのクルド人を守った(しかし、ルワンダ人やトルコのクルド人、パレスチナ人は守らなかった)とか、そういう話題のなかだけである。

アメリカがある国にやってきて基地を建設したもともとの理由がなんであれ、基地は帝国主義的理由でそこに残っている、地域または全地球的な覇権のためや、ライバルに縄張りを荒らされないため、アメリカ企業に進出の足掛かりを与えるため、軍隊としての「安定」や「威信」を維持するため、それともたんなる惰性で。

ある人間たちにとっては、われわれの基地はアメリカ的生きかたの正しさと冷戦の「勝利」を確認する手段である。アメリカが永遠にあらゆる場所に存在できるかどうかは、国民が議論すべきテーマとは考えられていない。

新千年紀に国内を包んだプロパガンダ的な雰囲気のなかでは、帝国の維持がどれだけ高くつくのかや、それがどうやって終わるのかを長々と論じることもまた不穏当である。新しい帝国は物理的な存在だけではない。

それはシンクタンクと坪ばれる現代の愛国的修道院で働く自称「戦略思想家」たちの新たな軍勢が分析し褒めたたえる大事な対象である。それは新旧両方の特定利益集団の関心を集めているその例が、原油の供給と価格に関心を持つ者たちと、ありえないような場所に軍事基地を建設して維持することで利益を得る者たちだ。

帝国を食い物にする軍高官の権益以外にもあまりに多くの権益が存在するために、帝国の存在はあきらかに過剰に思えるほど確固としている。そのために、アメリカが進んで帝国の経営から身を引くことがあるとはとても想像できないほどだ。

帝国は軍人やその家族だけでなく、軍産複合体や大学の研究開発センター、石油の精製会社と流通会社、帝国が訓練した数えきれないほどの外国将校団、スポーツ多目的車や小型武器の弾薬の製造メーカー、多国籍企業とそれが自社製品を製造するのに使っている安価な労働力、投資銀行、ヘッジファンドやあらゆる種類の投機家、そして「グローバル化」の唱道者、つまりあらゆる国々がアメリカの搾取とアメリカ式資本主義に門戸を開くように強制したいと願う理論家たちをささえている。

帝国の価値観としきたりには、軍隊式の男性誇示、性的正統主義、選ばれた少数のための医療社会化制度、揺りかごから墓場までの社会保障、低賃金、軋機の多い家族関係(配偶者の殺害をふくむ)、保守的な政治思想、そして戦士らしくふるまえという際限のない持説教などがふくまれる。

過去十年以上にわたって起きた戦争の多くが、肉体と肉体がぶつかりあう伝統的な戦闘よりはゲームセンターのコンピューターゲームに似ているというのに。(P33〜P38)


(私のコメント)
9日のニュースでラムズフェルド長官が前線の兵士を慰問した際に、兵士からトラックなどの装甲が貧弱で、ゴミ捨て場から鉄板や防弾ガラスを拾ってきて間に合わせているという訴えが出て、ラムズフェルド長官は返事に窮したというニュースがありました。膨大な軍事力を誇るアメリカ軍が、満足な装備を与えられないで兵士達は戦っている。

アメリカ政府は膨大な軍事予算を使っていながら、肝心の前線で戦っている兵士には装備が行きとどかないのは、まさにローマ帝国軍の末期を思わせる光景ですが、これでは米軍の兵士の士気も上がるはずもなく、任期を終えても帰還できない兵士の不満が高まっている。

わずか13万の兵士を維持できないほどアメリカの陸上戦闘能力は落ちているわけですが、世界各地に725箇所も基地を張り巡らせるほどの大帝国の戦闘力は、わずかな軽装備しか持たぬテロリストに苦戦を強いられている。アメリカ軍は張子の虎なのだろうか。1年半あまりのイラクの戦闘で12000名もの死傷者を出しているのは決して小さな被害ではない。

ファルージャの戦闘で戦っているのは一部の最精鋭の海兵隊であり、その他の多くの陸軍兵士は州兵や予備役のかき集めであり、とても戦闘には役に立たない部隊だ。その多くが補給部隊でトラックなどには装甲が施されておらず、ゲリラに襲撃されれば応戦のしようもなく、出動命令を拒否する部隊も現われている。

チャルマーズ・ジョンソン教授が「アメリカ帝国の悲劇」で指摘している、世界に張り巡らされた基地網は戦闘の為にあるのではなく、軍部の貴族たちが基地と称するリゾートでアメリカ以上の生活レベルで生活するアメリカの飛び地なのだ。彼らは戦闘はせず巨大な帝国の象徴として存在しているだけだ。

アメリカ軍の軍事予算はそれ以下の20カ国の軍事予算を合計したものよりも多い予算を使っている。それほどの予算を使いながらイラクでは十分な兵員も装備も使えないというのは、大帝国の末期症状なのだろうか。イラクでの戦闘では原子力潜水艦も大型爆撃機も必要はない。世界に散在する基地網もほとんどイラクの戦闘には関係ない。

しかしアメリカがイラクの戦闘で勝利することが出来ずに、撤退するようなことが起こればアメリカ政府にどのような結果をもたらすだろうか。大帝国が辺境での戦闘で破れて滅んだ例もありますが、それだけ帝国内部が硬直化して巨大な軍事費を使いながら、肝心の戦闘部隊には貧弱な武器とわずかな兵士しか戦地へ送れないようになったから帝国は滅んだのだ。

先日のNHKのテレビでは「ローマ帝国の滅亡」について特集番組がありましたが、帝国も末期になると辺境のローマ軍も家族とともに生活して、部隊の移動もままならなくなり、兵士に移動を命ずると脱走兵が続出した。ローマ軍の土着化が進んで総督達はローマ皇帝の言うことを聞かなくなり、蛮族がローマに侵入してきてもローマ帝国はそれを防ぐ部隊が乏しかった。

アメリカはテロリストという蛮族の侵入に対して、守るべきイラク駐留部隊はゴミあさりをしている。兵士の駐留の長期化は、兵士の反乱となって跳ね返ってくる。ラムズフェルド長官への兵士の反乱はアメリカ帝国の滅亡への不吉な前兆のような気がする。ブッシュも慌てて次のような声明を発表している。

イラク駐留米軍の装備不足に取り組んでいる=米大統領

[ワシントン 9日 ロイター] ブッシュ米大統領は9日、イラクでの装備不足に対する軍の懸念に対策を講じていると述べる一方、ラムズフェルド国防長官に直接指摘した兵士らを問題視しなかった。
 前日にこの問題がクウェートの駐留米軍から提起されたことを受け、ラムズフェルド長官は、米部隊の防護対策を一層強化すると言明。イラクで米兵が死亡する主因となっている爆発物への対策を強化する措置にも着手している、と述べた。
 イラク戦争開戦以来、イラクの治安維持のために米政府が十分な部隊と装備を供給していないため、抵抗活動の拡大を許している、との批判が出ている。
(ロイター) - 12月10日11時46分更新




アメリカにおける左派・リベラルは、日本を常に危険視し、
「弱い日本」こそアメリカの利益と考えている。(中西輝政)


2004年12月11日 土曜日

日本国核武装への決断 中西輝政

チェイニー発言の意味するもの

 対米関係と日本の核という問題に関して、我々が注意を怠ってはならないのは、最近の米共和党政権内の論調の変化と、それらが実際に意味するところである。

 今年三月、チェイニー副大統領は、米NBC放送との会見の中で、北朝鮮の核開発にふれ、「日本は、核武装問題を再検討するかどうかの考慮を迫られるかもしれない。」と述べた。米政権の首脳が、日本の核武装についてここまで踏み込んで発言したことは、かつてない。チェイニーはさらに、日本の核武装論議は”中国の利益にならない”ともいっている。

 これは明らかに、日本に対するアドバルーンであり、北朝鮮の核開発、中国の軍備拡張に関する牽制である。

 百戦錬磨の戦略家であるチェイニーが、うっかり口を滑らせたとか、その場の思いつきをいったと言うことは考えられない。長期的に見て、日本での核武装論議の高まりは、アメリカの国益にかなう。そういう確信がこの発言の根底にあるのだ。

 ただ、対米関係において、肝に銘じておくべきことがある。アメリカには、日本に対する二種類の見方が厳然としてある。もし二〇〇四年の大統領選において、共和党が敗れ、民主党が政権を担うなら、クリントン時代以上の非核路線を打ち出す可能性もある。

 もし「チェイニーのアドバルーン」に安易に乗ったとしたら、日本は「二階に上がって梯子を外される」ような目に遭わないとも限らない。そのとき、左派・リベラル政権のアメリカは、日本のことを「悪の枢軸」に次ぐ”準ならず者国家”と名指しするかもしれないのである。

 アメリカの長期戦略の大きな方向とともに、政局の動向や、対日観の基本的視座を掴んでおくことは決定的に重要である。一般に、民主党主流や『ニューヨーク・タイムズ』、あるいはハーバードの「知日派」など、アメリカにおける左派・リベラルは、日本を常に危険視し、「弱い日本」こそアメリカの利益と考えている。「強い日本」を求める共和党ブッシュ政権が再選されるかどうかは、我々の安全保障への取り組みに大きく影響してくるのである。

 アメリカの長期的なアジア戦略を記した『アジア二〇二〇年』という文書のなかに、ミサイル防衛技術の進歩にかかわりなく、核抑止力は以前としてアジアの安全保障にとって重要なものになるだろう、という見通しが述べられている。また、アジアにおける信頼できる同盟国と、広範囲にわたる抑止力のシステムを共有することは、中国の軍事力を抑制するうえで、非常に大きな効果を持つ、ともいう。この場合の「同盟国」とは、インドのことではないだろう。

 これらの基本認識と、さきにふれたチェイニー発言を重ね合わせるならば、”核議論は充分にやってほしい、しかし、やる以上はアメリカと緊密に連絡を取りながら、ミサイル防衛と同様、共同のシステムを構築する方向でやってほしい。それなら我々も検討の余地はある”というアメリカ現政権のメッセージは、もはや見紛いがたいのである。

 ピエール・ガロワの核戦略の根幹には、核兵器を持てば、その国家の行動は格段に慎重になる、という思想があった。インド、パキスタンの現状は、この認識の正しさを証している戸も言える。九八年の両国の核武装以来、カシミール紛争が激化することは稀になったからだ。

 かつてイギリス首相マーガレット・サッチャーは、核兵器の廃絶など「狂気の沙汰」と言い放った。第二次大戦後五〇年の平和をもたらしたものが何なのかよく考えてみよ、というのである。もし、核兵器がこの世に存在しなければ、冷戦は疑いなく第三次世界大戦に発展していただろう。これは、英国の衰亡をぎりぎりの局面で食い止めた、”鉄の女”の、決して揺るぐことのない信念であった。

 困窮の極みにあったころの英国が、それでも多大の財政負担に耐えてとトライデント型戦略潜水艦システムを導入した意味を、我々はもう一度、かみしめてみるべきだろう。

十年計画を覚悟せよ

 しかし、日本人がもてる知力と精神力の限りを尽くして取り組んだとしても、まともな核兵器システムを構築し、効果的な抑止戦略を持ち、それらを対外政策に結びつけられるようになるには、おそらく十年の歳月を必要とするだろう。一般に考えられていることとは異なり、費用も莫大にかかることは間違いない。数週間から数ヶ月で可能、などと、根拠のない太鼓判を押す論者もいるが、私には到底信じられない。

 基地、潜水艦の建設といった技術的な問題以外にも、ガロワに比肩しうるレベルの核戦略の確立、そして何よりもスパイ防止法などの法整備、総合的な情報機関の設立など、取り組まねばならない課題は山ほどある。これらのインフラストラクチャーなしで、ただ核弾頭だけ持っていても、何の意味もないのである。

 だからこそ、北朝鮮の核という差し迫った脅威に対処するため、核保有に先立って、とりあえずは戦域ミサイル防衛(TMD)システムや、トマホークなどによる直前の先制対核兵器攻撃システムの構築という選択肢が、日本にとって重要になってくるのである。

 日本政府はこれまで進めてきたTMD研究の方針を抜本的に転換し、戦術弾道ミサイルを大気圏内で迎撃する「PAC−3」の導入や、イージス艦から迎撃ミサイルを発射する「SMD」の導入を来年から始めるための予算方針をすでに立てている。これらは一番安価かつ即効性のある、ノドン・ミサイルへの対抗手段である。

 しかし、日本列島全体を高い確率で防備できる本格的なTMDの構築は、いましばらく時間がかかる。これは極めて精度の高いシステムで、目下、日米共同で研究が進められている。対象は、北朝鮮(あるいはその後継たる南北統一国家)の核とともに、その背後に控える中国の、より強力な核ミサイルである。

 もしそれが開発、配備へと向かうなら、当然、中国は攻撃兵力、つまり核ミサイルを大幅に増強して応じるものと考えられる。中国の核のあり方は、かつてのソ連と同様、極めて攻撃性の高いものに変質するだろう。だが、そのときこそ日本は純然たる第二撃、すなわち「報復核」の手段を手にする正当な理由を得るのである。

 TMDの準備と核保有は、このような時間差を持って実現することが望ましい。なぜなら、完璧さが要求されるこの列島の防衛には、ミサイル防衛を補完する、純然たる抑止のための「報復核」の選択が、ある時点から必然となる公算が高いからである。両者の必要性が明瞭に示され、政治的正当性のある選択肢として国民の前に提出されるべきであろう。

 長期的な見通しをいうなら、あるいは「サイバー戦争」の時代は意外に早く到来し、戦争の目的は、互いのコンピューターシステムの破壊という状況が、今世紀のなかばにも現出するかもしれない。そのとき核兵器は完全に過去のものになるだろう。

 しかし、当面、少なくとも二〇四〇〜二〇五〇年ごろまでの重要な選択肢として、我々は、必要になれば核を保有する可能性があるということを、内外に示しておくべきなのである。問題は、その「必要」があるときととは、いかなる事態なのか、ということである。

核保有宣言すべき三つの事態

 私の考えでは、以下、三つの事態のうち、いずれかひとつでも現実のものとなるならば、日本は核保有宣言することをためらってはならない。

 まず第一に、アメリカの日本防衛に関するコミットメントが明確に揺らいだときである。たとえば、米軍がグアム、ハワイにまで帰っていく気配を見せたとき、「核の傘」があてにならないことは、誰の目にも明らかであろう。そのとき、日本は自ら核抑止力を持つ決断をしなければならない。

 そうなる可能性は意外に間近にある。たとえば、昨年九月十七日の日朝首脳会談の直後、さる高名な朝鮮問題研究家がテレビに出演してこのように喋っていた。「これで年末までに日朝国交は正常化し、年が明ければ数千億単位の金が日本から北朝鮮に流れていきます。そうすれば北朝鮮は改革開放に向かって一気に走り出すでしょう」と。

 彼のいう通りに事態が進展していたら、どうなっていたか。それは1ヶ月後のケリー訪朝によって明らかになった。「数千億単位」の日本の金は、すべて北朝鮮の核兵器開発に投じられていたはずである。

 日本という国は、何と危うい国なのか。総理大臣が訪朝し、反故同然の共同宣言に調印する。それを政府系の評論家が「戦後外交最大の成果」と囃し立て、大金が北の核兵器工場に流れようとしていたのである。

 もし、その資金によって大幅に性能を向上させた北朝鮮の核ミサイルが米西海岸ロサンゼルスをその射程に収めていたら、そのとき日本はアメリカの「核の傘」による反撃を、全く期待できなくなっていた。米国政府にとって、ロス市民三百六十万人の命と、日本人一億二千万人の命とどちらが大切か。答えは明らかであろう。

 アメリカの「核の傘」がまったくその信憑性を失う事態、それはつねに起こりうることなのである。

 日本が核武装宣言すべき第二の事態は、中国の海洋軍事力が本格的に外洋化し、沖縄、尖閣列島周辺に恒常的なプレゼンスを確立するようになることである。中国海軍の航空母艦を備えた外洋艦隊がアジアの海を我が物顔に往来するようになったとき、日本は核兵器を保有して通常兵器における劣勢を補わざるを得ない。

 そして第三の事態は、これはもっとも差し迫った危機といえるが、北朝鮮の核が曖昧なままに見過ごされたときである。形ばかりの核査察で米朝合意が成立し、金正日体制の存続を保証、経済援助再開といった展開にいたるなら、日本は断じてこれを座視してはならない。

 いま、もっとも重要なのは、こうした局面にいたる前に、我々は核保有の実際的側面について、徹底的な議論をしておかねばならないということなのである。戦後長らく、日本の政治、言論は核問題について怠惰でありすぎた。若き日の石原慎太郎氏、防衛政務次官在任中の西村真悟氏のような、勇気ある問題提起もあったが、残念ながら大きな流れを生むにはいたっていない。

 近くは九十五年、防衛庁によって核保有の可能性について若干の検討がなされたが、政治的コストの多大を理由に、「選択の外」とされている。だが、その具体的内容は二十一世紀を見通したものではなく、七〇年代初頭から九〇年代半ばまでの不選択を合理化しただけのものだった。いわば、「後付け」の評価であり、いまや世界は八年前とは画期的に変わり始めている。

 本稿のはじめに縷説したように、二十一世紀前半の国際政治状況は苛烈であり、前世紀的な価値観にしばられていたのでは、繁栄の持続はおろか、生き残りさえ難しい。

 日本が、国家としての自己生存能力を確保し、また二十一世紀型国家としての基本要件を身につけるために、必要とされるのは、武道でいう「心・技・体」の順を踏んでことに臨むということである。

 心とは、憲法、歴史教育、国家観といった国の根幹を成す精神の部分である。戦後的な迷妄によって歪められた国柄を糾すところからしか、真の国家戦略は生まれない。「核」という重荷を背負い、国家存立のためにその保有を効果あらしめるための、最も重要な柱は、日本人の確かな国家観と精神の機軸である。憲法改正が全ての前提となることはいうまでもあるまい。

 技とは、戦略論とそれを支えるノウハウである。そこには直面する喫緊の課題に対処するための実務的な能力の錬磨も含まれる。TMDの整備、「専守防衛」戦略からの転換、集団的自衛権の行使、また自衛隊の弱点というべき対地攻撃能力、水陸両用作戦能力の向上、情報収集・評価能力、特殊作戦能力の強化など、取り組むべき”繋ぎ”の課題は山積しているのである。

 そして、体とは、日本に真の安全保障をもたらす総合的な核戦略システムそれ自体である。

 三つのいずれが欠けても、国家は存亡の危機を免れまい。

 もちろん、私たち言論に携わる人間の責任も重い。国民一般の意識の変化とは別に、「日本軍国主義の復活」、「アジアの民衆の間に日本脅威論を起こしてはならぬ」といった俗論は相変わらず大新聞などを舞台に幅をきかせている。

 これらのレベルの低い議論に対処するのは煩わしく、かつ、時に虚しくあるが、それに影響され、ためらい、ひるむ政治指導者がいる以上、国民の生命・安全を第一義と考える言論人の責務として、一々論駁していかなければならないと考えている。

 日本人の生存能力が回復するか、否か。知力、精神力の限りを尽くした戦いが、いま始まろうとしている。


(私のコメント)
日本の政治勢力の区分けとしては右派か左派か、親米反中国か反米親中国かで分けられてきたように思う。しかしこのような分け方は複雑な外交面から分ける事は無理であると思う。それはアメリカにも親日派と反日派があり、その面から分けた方が靖国問題や日本の再軍備問題を考えた方がわかりやすい。

何故ならば自民党内にも親中国派もいれば親米派もいるということは、右派と左派に分ける中心軸が自民党内にあり、左派の野党と自民党内の護憲親中国派の勢力と自民党内の改憲親米派の勢力が均衡してきた形でしょう。しかし自民党では護憲親中派でも反米というわけには行かないから中国や韓国を使って護憲運動をしている。

それに対して改憲親米派はアメリカの高官を使って改憲や核の保有問題まで言わせている。アメリカの民主党のクリントン大統領の頃は親中派の橋本派の全盛時代で野中広務が自民党の実力者と呼ばれて、中国へODAや北朝鮮に米を送り、朝鮮総連系の金融機関には1兆円もの公的資金を投入するなど護憲派が優勢で、改憲派はほとんど動けなかった。

アメリカの民主党のクリントンからはジャパンバッシングされ、中国や韓国からは絶えず教科書や歴史問題で抗議され、日本はまさに四面楚歌で内閣は10年間に10人も首相が代わり日本は弱体化していった。日本のマスコミも左派リベラル派の天下で、靖国参拝はもとより改憲を言い出せば右翼呼ばわりされた。ましてや核を持つべきといえば社会常識を疑われた。

しかしアメリカで共和党のブッシュが大統領になると、橋本派や護憲勢力の有力自民党議員のスキャンダルが暴露され、護憲勢力のパージが行われ、北朝鮮に対する不審船に対する攻撃や拉致問題における暴露などで、泣く子も黙る朝鮮総連の活動も一気に縮小した。そして自民党内も改憲派が台頭して、小泉首相の靖国参拝などで改憲派が勢いづいている。

このような自民党の勢力争いのブレはアメリカの政権交代が大きく影響して来ていることで、ブッシュの再選で日本の政局もあと4年は改憲派が主導権を握るだろう。出来うるならばブッシュ政権のうちに憲法改正を行い自衛隊を国軍として整備しなおすべきである。また核装備も中国や北朝鮮の動き次第では真剣に討議されるような状況も出来てくるだろう。

今年のアメリカの大統領選挙を見ればアメリカは民主党のアメリカと共和党のアメリカとにきれいに分かれていることがわかった。勝敗を決するのはフロリダやオハイオなどの境界線上の州であり、それ以外は最初から青と赤の支持基盤は決まってしまっている。

つまり青の民主党の地盤のカリフォルニアやニューヨークなどは中国人や韓国人やユダヤ人など新しくアメリカに来た移民が多く、反日の活動家も多く民主党が反日なのもそのせいなのだろう。それに対して赤の共和党の地盤の中西部や南部には古くからの大地主や農場主など保守的な政治風土であり、新しくやってきた移民に対しても批判的だ。

このように政治風土が異なれば民主党と共和党の対日政策も全く変わるのも当然であり、もし次に民主党政権が出来れば、中国や韓国や民主党からのジャパンバッシングが再発するのは必死だ。だから共和党のブッシュ政権のうちに日本を立て直して強い日本にしておかなければならない。




中国共産党軍を包囲の危機から助けたのは日本軍である
中国はなぜ日中戦争の戦没者慰霊施設を作れないのか?


2004年12月10日 金曜日

ケ小平が自衛隊OBに語った日中戦争の新解釈 萬晩報

(人民大会堂で行われた会談の重要メモを入手したので萬晩報で公開する。中国側の出席者はケ小平、廖承志、王暁雲、孫平化、金黎、単達析であった。)

 両国は100年間は喧嘩したが、いまは共通の問題がある。過去、中国人民は日本の軍国主義に対抗してきたが、毛主席は常にこう言われた「過去のことは水に流そう」と。

 しかし、実際は、日本は中国(共産軍)を助けたことになっている。

 日本が攻め込んできたので、われわれを包囲していた蒋介石軍が後退した。当時のわれわれ八路軍の兵力は3個師団3万人のみだった。日本が蒋介石を重慶まで押し退けてくれたので、われわれは日本軍の後方で勢力を拡大した。8年後に3万人の兵力は120万人にまで増えたし、さらに数百万人の民兵組織までつくった。

 第二次大戦の後、米国は蒋介石軍400万を整備し、蒋介石はこれでわれわれを攻撃したが、われわれは120万の兵力をもって3年間で蒋介石軍を打ち破った。それゆえ、みなさんだけを責めるのは不公平と思う。

 かつてジンギスカンが日本を攻撃したが、全軍が壊滅した。だから、日本に迷惑はかけなかった。長期的にみれば、文化交流があり人民の間は友好的だった。第二次大戦後、日本の立場は変わった。それ以降、両国の人民の交流は良い方向にある。

 日中の交流は、漢の武帝の時に始まったといわれるがそれから約2000年、短くみても1500年になる。100年は喧嘩状態だったが、1400年は友好的だったのだ。100年の喧嘩は長い間におけるエピソードにすぎないと言えよう。将来も、1500年よりももっと長く前向きの姿勢で友好的にいこう。今後の長い展望でも当然友好であるべきである。

 特に言っておきたいことは、両国とも同じ方向から脅威を受けていることだ。われわれは軍人だ。だから緊張緩和に望みをかけていない。第二次大戦後32年になるが、この間も決して安寧ではなかった。

 毎日のように緊張緩和にが叫ばれているが、そんな単純なものではなく、この間に核兵器、通常兵器ともものすごく発達した。それ故に私は緊張緩和を信じない。

 永久平和があるとは信じない。戦いはいつの時かは実現する。私たちはヨーロッパやアメリカや日本の友人に備えをすべきだと言っている。

反日ナショナリズム政策放棄の必要性 太田述正コラム#559(2004.12.10)

 中国共産党が反日ナショナリズム政策を継続できない理由は、日本の世論
を敵に回すことになりかねない、ということもありますが、何と言っても、
それが偽りの歴史認識に立脚した政策であるところにあります。

 偽りの第一は、日支事変(先の大戦のアジア戦域)の勝利は米国によって
ではなく支那によってもたらされた、という歴史認識です。

 偽りの第二は、その支那で中心として戦ったのは共産党の人民解放軍であ
った、という歴史認識です。

 偽りの第三は、日支事変の原因をつくったのも、きっかけをつくったのも
日本であった、という歴史認識です。

 偽りの第四は、日支事変において日本軍(だけ)が支那の民間人虐殺を繰
り返し行った、という歴史認識です。

 第一の歴史認識については、終戦時まで支那で日本の占領下に置かれてい
た地域がほとんど減少していなかった、という一点だけで粉砕されます。

 また第四の歴史認識については、終戦後台湾の中華民国政府も、日中国交
回復後の中華人民共和国政府も日本への賠償要求を全面的に放棄したことに
よって、法的に偽りであったことが確定している、と見ることができます。

 第二と第三の歴史認識については、中華人民共和国に靖国神社に相当する
戦没者慰霊施設がないことだけとっても、そのいかがわしさは明らかです。
 どうして戦没者慰霊施設がつくれないのでしょうか。

 それは、日本軍と戦って斃れた国民党軍兵士は300万人と推定されるのに、
人民解放軍の死者は推定50万人に過ぎず、実質国民党軍兵士のための慰霊施
設などつくるにつくれないからです。しかも、共産党にとっては、終戦後の
国民党との内戦の方が、対日戦よりもはるかに厳しい戦いでした。日支事変
の戦没者慰霊施設をつくるのであれば、内戦の戦没者慰霊施設もつくらなけ
ればなりませんが、一体それは誰を慰霊することになるのでしょうか。

 もう一つ悩ましいのは、終戦時に日本と共に戦った南京政府軍140万人が在
支日本軍とともに降伏していることです。

 これらの事実が示唆しているのは、支那の満州事変から日支事変にかけて
の時代は、国民党反日派と国民党親日派と共産党の三つどもえの内戦の時代
であったということです。

 (以上、http://www.atimes.com/atimes/China/FL04Ad06.html(12月4日
アクセス)及びhttp://www.nytimes.com/2004/12/06/international/asia/
06textbook.html?pagewanted=print&position=(12月6日アクセス)によ
る。)


(私のコメント)
国家の首脳が外国を訪れた場合、戦没者の慰霊施設をお参りしますが、日本の首脳が中国を訪れた時に、そのような施設が中国にはないらしい。また中国の首脳が日本を訪れた時に靖国神社にお参りすることは考えられないが、そのような事はなかった。日本の首脳がアメリカへ訪れた時はアーリントンの国立墓地に参りますが、ならばアメリカの首脳も靖国神社に参拝してもいいはずだ。

中国が日中戦争の戦没者慰霊施設がないのも、中国共産党が日本軍との戦闘で失われた戦死者は50万足らずですが、蒋介石軍の方は300万人にも及んでは、慰霊施設を作っても実質的に蒋介石の国民党軍の慰霊施設になってしまうからだ。だから日中双方の首脳が相互訪問しても、中国には慰霊施設はなく、日本には施設はあるがA級戦犯を祀っているから慰霊は出来ないと言うことになる。

しかしケ小平によれば中国共産党は国民党軍に包囲されて全滅の危機を救ったのは、日本軍の介入によって国民党軍は対日本軍に戦力を割かねばならなくなり、日本軍の介入が中国共産党を救ったことになる。だから中国共産党の幹部は日本へは足を向けて寝られないほどの恩義があるはずだ。

しかし中国共産党にしてみればそのような見解を認めるはずもなく、対日戦争に勝利したのは中国共産党のおかげと偽りの歴史観を国民に教育しているから、日本の首脳が中国へ行くと何度も謝罪させて、中国共産党こそが対日戦争勝利の立役者と宣伝しているにすぎない。

確かに共産党軍も日本軍と戦争していますが、ゲリラ戦であり正規の戦争はもっぱら国民党軍が戦った。共産党が勝利したといえるのは大戦後の内戦においてであり、対日戦争の勝利の主役とはとてもいえないのですが、戦勝国としては、あまり大きな顔は出来ない。むしろ戦中戦後の混乱に乗じて政権を奪い取ったに過ぎない。

歴史を見ればこのようなのですが、中国側は二言目には日本の歴史認識が足らないと主張しますが、歴史を精査されて困るのは中国のほうであり、学校教育などで歴史教育はもっぱら共産党こそが対日戦争勝利の主役と位置づけている。しかしこのようなことは海外で通用するはずもなく、もっぱら日本の首脳に謝罪させることによって正当化させるしかないのだ。

中国の首脳がもっぱら靖国神社のA級戦犯を言い立てるのは、東京裁判を正当化させるための、アメリカの民主党勢力の入れ知恵によるものだろう。何しろ中国共産党は靖国に祀られたA級戦犯たちによって危機を救われたのだから、A級戦犯を名指しして批判をするのは筋の通らぬ話だ。




NYタイムズ(米民主党)は中国と韓国の反日ナショナリズム
に火をつけて恫喝したら引っ込むだろう、という読みがある


2004年12月9日 木曜日

国家再生を阻む自民党内改憲抵抗勢力を撃つ 片岡鉄哉

護憲のアウトソーシング

「自社なれあい」という言葉があります。金丸信が国対委員長だった頃に最高潮に達したようですが、実はあれは吉田茂が自由党の時代に始めたものです。彼は社会党も平和主義も大嫌いでしたが、アメリカの再軍備圧力を撃退するために社会党を使い始めたのです。そうすることで自分自身は親米の立場をとったわけです。社会党は反米護憲の盾として機能したのです。これを護憲機能のアウトソーシングと呼びましょう。

その第一回目が鈴木善幸内閣の時に起きた教科書騒動でした。日本の新聞の誤報が発端となって、渡部昇一氏がいう「万犬虚に吠ゆ」という事態になり、そこへ中国と韓国がつけこんで抗議をしました。そうしたら鈴木内閣の官房長官である宮沢喜一が「近隣諸国条項」というのをつくって宥和したのです。これに味をしめた中国は、その後、中曽根総理の靖国神社参拝に反対介入しました。次が「慰安婦問題」です。

 護憲のアウトソーシングは大当たりでした。社会党は自社馴れ合いの毒にあたって弱体化していたので、中韓両国は憲法擁護への強力な援軍になったのです。

改憲「抵抗勢力」のやり口

そこへ〇一年春に小泉純一郎代議士による自民党総裁選への挑戦が来ました。彼は最初の総裁選で小渕恵三に負けて、二度目の挑戦でしたから、最大限の選挙公約を打ち出したわけです。曰く「自民党をぶっ壊す」。曰く「憲法改正」。曰く「政界再編成」。曰く「聖域なき構造改革」。そして終戦記念日に靖国神社に参拝すると約束したのです。しかし自民党を芯から揺さぶったのは、彼が総裁選に勝ち、総理に就任し、九〇パーセントに近い支持率を勝ちとったことでした。

抵抗勢力がどのようにして劇薬を使うのかを実際に見せてくれたのは、驚くべきことにニューヨークタイムズ(以下タイムズ)の論説でした。日付は〇一年七月三十一日であり、小泉総理が靖国神社に参拝すると公約した八月十五日の二週間前のことです。ここでタイムズは総理の靖国参拝に反対介入したのです。

これこそが抵抗勢力の先送り処方箋ではないですか。この論説は抵抗勢力がタイムズに書かせたものです。そもそも、このような内政干渉は、干渉する側とされる側の双方にまたがる緊密なパートナーシップが絶対必要なのです。さもなければ、一編の論説で他国を動かしたりできない。最低の条件として、日本側に土地勘のある頭脳が存在し、タイムズの論説委員会を動かせるだけの政治力が前提となります。そして両者の間に、殆ど秒読みの提携が要ります。

大事なことは、政治家小泉についての日本側の土地勘です。アメリカの大新聞が日本の総理大臣に正面きって反対介入すれば、開き直って逆手をとられる恐れがあった。なにせ「変人」です。憲法だけでは歯がたたない。劇薬が要る。総理には弱点はないのか。いや、大きいのが一つあった。外交を知らないことです。タイムズが中国と韓国の反日ナショナリズムに火をつけて恫喝したら引っ込むだろう、という読みがあったのです。

後述するように、ブッシュ大統領は〇二年二月の訪日の際に、靖国に一緒に参拝しようと小泉総理を誘うことになりますが、これは共和党右派にある伝統として、戦争を犯罪視することを嫌悪するからです。私に許せないのは日本人が、同胞に「A級戦犯」の烙印を押して、中国や韓国に売りに出したことです。これはわれわれ日本人の全てに対する侮辱でしょう。最近、中国の侮日が盛り上がった理由はここにあるのです。

苛立ったアメリカ

最近の日本ではネオコンが嫌いだというと大向こうに当たるらしいのですが、これは全くの感情論です。政策を無視してスタイルで人を判断するものです。私にいわせてもらえば、ネオコンも含めて共和党の右派くらい日本にとって寛大で有り難い存在はないと思います。日本と戦争をしたのは民主党のルーズベルトというウイルソン主義者です。

ブッシュが陸軍士官学校で述べたことは東条英機が東京裁判でした弁明と同じなのです。国家は自衛のための先制攻撃を放棄できないのです。大統領はそれを意識していたのです。これは共和党右派が共有する哲学です。彼らにとって戦争は世の常であり、永遠の平和は空想なのです。乱世に生きて、緊張を保つことが民族を鍛錬するというのです。

 ですから共和党右派の純正保守は、戦争犯罪と呼ばれるものの中で「人道に対する罪」の追及は是認しますが、「平和に対する罪」という概念を拒絶するのです。更に、ルーズベルト大統領が日本をこの罪で断罪してしまったことに良心の呵責を感じるのです。ブッシュはヒットラーの墓地があったとしても、絶対に参拝したりしません。だが靖国には東条がいるからこそ参拝したい。彼なしでは行っても無意味なのです。

純正保守は更に、日本が対等の大国になって欲しいと願っています。これがチェイニー副大統領やヘンリー・キッシンジャーの日本核武装論となって現れるのです。純正保守の大統領はニクソン以来初めてです。戦後にただの二人だけです。千載一遇の好機を掴むべきです。

 共和党右派は同時にエリートです。アメリカは民主主義国家ですから貴族は無いことになっていますが、英国植民地時代の伝統が今でも温存されているのです。貴族は敗者には冷淡でもあります。貧乏人の民主党が貧乏人や敗者に情け深いのと対照的です。競争して勝つ者を尊敬し、敗者を切り捨てるのが共和党の哲学です。

 日本人は民主党びいきです。民主党には平和主義者、人道主義者が多く、貧乏人と貧困に大して厚いからです。しかし民主党の持つ恐ろしい一面を日本人は知らないのです。民主党には性善説を信じるセンチメンタリズムと理想主義があります。だから彼らが怒ると、剣で理想主義を実現しようとする十字軍戦争になります。日本人が嫌うネオコンとは殆どが元民主党員でリベラルの左翼だった人たちが保守に転向したのです。彼らには転向者によくある一途なところがありますが、下地はリベラルなのです。

靖国参拝批判の真の狙い

ところが中国政府を驚かせたのは、総理が憲法改正の運動を始めたことでした。日本が憲法を改正したら、靖国参拝を阻止しても全く無意味です。そもそも靖国参拝を中国が問題にするのは改憲を阻止することが目的だからです。改憲は中国にとって最悪の事態です。ここに至って、中国政府は靖国に関する現状維持を断念し、靖国で譲歩することで改憲を阻止する戦術に切り替えたのです。

安倍先生。アメリカの大統領が東条首相の祭ってある靖国に行きたいというのに、中国政府は分祀しろというのです。これは傲慢極まりない。この中国の覇権主義を退治する唯一つの手段は、小泉総理とブッシュ大統領の在任中に、もう一度ブッシュ訪日を実現し、大統領と総理が一緒に靖国に参拝することしかありません。

ブッシュ大統領が靖国に参拝すれば、中国の胡錦涛もそれを拒絶できないのです。たとえ拒絶したとしても、靖国参拝する日本の総理大臣は北京に登城することはならない、などという侮辱をすることは不可能になるのです。

 更に、小泉総理大臣に禁足をかけながら、公明党の代表を招待するという侮日行為も不可能になります。公明党を処理するには中国政府に任せるのが一番有効でしょう。自民党が手を汚す必要はないのです。中国という毒を以って、公明党という毒を制することです。

 安倍先生。どうか私の願いを聞き入れて頂きたいのです。ブッシュ氏は再選に勝つでしょう。これから五年間の在任中に訪日の機会があるでしょう。その機会をつかんで、彼と総理を靖国に参拝するように、取り計らって頂きたい。これが私の願いなのです。

平成十六年三月十八日 片岡鉄哉

(この論文についてのコメント、反論を聞かせて下さい。www.tkataoka.com)

 【略歴】片岡鉄哉氏 昭和八年(一九三三年)生まれ。早稲田大学政経学部卒。シカゴ大学大学院政治学部博士課程修了。ニューヨーク州立大学助教授、筑波大学国際関係学類教授、スタンフォード大学フーバー研究所上級研究員などを歴任。主著に『日本永久占領』(講談社)『さらば吉田茂』(文藝春秋)など。
 (「正論」平成16年5月号)

<韓国>靖国参拝中止など求め超党派で国会決議案提出

韓国の超党派の国会議員79人は7日、靖国神社の韓国人合祀取り消しと小泉純一郎首相や閣僚の靖国神社参拝の中止を求める国会決議案を提出した。決議案は、小泉首相の参拝について「韓日関係の未来のために決して望ましくない」と指摘し、中止を要求。また合祀の取り消しを求めている。
(毎日新聞) - 12月7日19時37分更新


(私のコメント)
日本における親中国派とか左翼と呼ばれる勢力は中国や韓国・北朝鮮などから支援されて活動しているように見えますが、その背後にはアメリカの民主党がいると気がついたのは最近のことなのですが、クリントンの親中国反日政策はクリントンのみの政策ではなくアメリカ民主党の伝統的政策であると気がつくべきだった。

私自身は元々は親米論者でしたが、民主党のクリントン・ルービン政権が97年のアジア金融危機を仕掛けたころから反米になった。アメリカの民主党はIMFを通じてアジア経済を押っ取る陰謀を仕掛けて見事に成功した。その反面中国へはオリンピックや万博を支援して誘致に協力している。このような中国の台頭に一番脅威を感じているのがアメリカの共和党である。

共和党は元々から反共産主義であり、共和党のニクソン大統領が中国と国交を結んだのもソ連の共産主義に対抗するためであり、そのソ連の共産主義を潰すことに成功した以上、今度は中国の共産主義を潰すことが共和党の政策だ。それに対して中国もアメリカの民主党と連携しながら共和党のブッシュ政権に対抗しているのが現在の構図だ。

しかし元々から共産主義以外にも石油などの資源獲得競争でロシアや中国と対立するのは地政学的に当然のことであり、最近ではEUも大陸側に寝返って、ユーラシア大陸連合と海洋国連合との対立構図ははっきりと見え始めた。それに対してアメリカの民主党はむしろ大陸連合の力を借りて共和党に対抗していこうとしている。だから民主党は親中国であり親EUである。

これに対して共和党ブッシュ政権は日本とイギリスさえ押さえておけば大陸連合に対抗できるとみていますが、イラク侵攻は共和党内部でも中道派は反対したが右派の強硬派が押し切ってイラクへ侵攻した。私自身もイラクで戦争しても勝てる見込みは無いからイラク戦争に反対したが、イラクにおける敗戦が共和党をピンチに追い込んで、次の政権は民主党がとるかもしれない。

ブッシュ政権はニクソン政権以来の共和党右派政権であり、日本にとっては憲法改正、核装備への絶好のチャンスともなっている。タカ派的な政策が批判を浴びがちですが、日本にとってはまたとない改憲のチャンスでもあり、場合によっては核装備も認められるかもしれない。この点に関してはわたしもブッシュ大統領を支持できる。しかしイラクで負ければブッシュは失脚して2008年には再びクリントンが大統領になっているかもしれない。

片岡鉄哉氏の論文ではポスト小泉である安倍晋三氏に期待して改憲を呼びかけていますが、日本の護憲勢力は吉田ドクトリン以来の勢力であり、同じ親米である自民党も共和党系と民主党系の二つの流れがある。戦後の吉田内閣が長期政権だったのもアメリカが当時民主党のトルーマン政権だったからであり、自民党内の護憲勢力は吉田氏の流れをくむ勢力だ。

それに対する改憲勢力の岸・鳩山氏の流れをくんでいるのが小泉政権ですが、小泉首相の誕生もアメリカの共和党のブッシュが大きな力になっている。だからポスト小泉が誰かは決まっていませんが、岸・鳩山の流れをくんだ人物だろう。このようにアメリカの大統領が民主党か共和党かで自民党内の力関係も違ってくる。野党は最初からカヤの外であることは変わりが無い。

その流れを見れば、小泉首相が靖国参拝を中国の圧力で止めてしまえば、アメリカの共和党のブッシュは小泉を見限るだろう。だから小泉首相は靖国参拝を止めることが出来ない。もし共和党政権が小泉を見限れば、後任は首相になっても靖国参拝を続ける人物がなるだろう。その人物は石原慎太郎か安倍晋三ぐらいしかいない。




『真珠湾−日米開戦の真相とルーズベルトの責任−』
共和党がルーズベルトの謀略を厳しく追及した理由


2004年12月8日 水曜日

真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著

二十世紀最後の年を迎え、日本人としてこの一世紀を回顧するとき、最も鮮烈な記憶は、日露戦争勝利の栄光と大東亜戦争敗北の悲劇であろう。 

 特に、大東亜戦争の敗北は深刻であった。二百万を超す戦没者と連合軍総司令部(GHQ)による占領政策のダメージは、現下の混迷の最大の要因であると思う。今日の人材不足や偏向した歴史認識を是正しきれない原因、東京裁判史観を克服できない要因が、ここに秘められている。

 「真珠湾の奇襲攻撃」に始まる日本軍の戦争は、正義に反する不道徳で非人道的な戦争であったとの誤解は、未だに根強いものがある。特に、マスコミ界や教師・青少年の多くに、この傾向が強い。事実に全く反するこのようなプロパガシダを、克服しない限り我が国の将来はない。

 この意味で、最近における資料集『東京裁判却下・末提出弁護側資料』の刊行や『教科書が教えない歴史』による啓豪活動、さらに新しい歴史教科書をつくる会編纂の『国民の歴史』の発行等の努力には、深く感謝したい。そして、事実を事実として認識することが、自らの正義を確認することになり、名誉と誇りを回復することになる日本人は幸せである。

 これに反して、正義と信じて行動していたことが、悪徳への協力であった場合は悲惨である。しかし、今日の悪徳を放置することは、将来の更に大きな悪徳を招くとして、敢えてこのタブーに挑戦することは、悲しい結果が見えるだけに勇気がいることである。この点、アメリカは偉大である。アメリカには、このようなタブーに挑戦する人物が存在している。第二次世界大戦時におけるアメリカ・ジャーナリスト界の若きホープ、シカゴ・トリビューン紙の記者ジョージ・モーゲンスターンも、その一人である。

 昭和十六年十二月、ワシントン時間の七日午後の日本海軍による真珠湾奇襲攻撃のニュースはアメリカの全国民にとって、全く寝耳に水の驚きであった。戦争反対の圧倒的世論の中で、アメリカが戦争に巻き込まれることは絶対にない、と明言した大統領ルーズベルトの約束を信じ切っていたアメリカ国民は、真珠湾攻撃を平和交渉真っ最中の崩し討ちであるとの宣伝を信じ憤激した。そして、日本人を僧み、挙国一致で対日戦に立ち上がった。「リメンバー・パールハーバー」は、アメリカ国民の合言葉になり、ジャップを徹底的に懲らしめることに情熱と使命感を燃やした。

 当時三十五歳で、米国最大の発行部数を誇るシカゴ・トリビューン紙の論説委員として、国際間題に健筆をふるっていたジョージ・モーゲンスターンも、海兵隊に従軍し海兵隊総司令部広報部ニュース班長として、戦闘報道員の指導監督にあたった。

 しかし、真珠湾の余りにも大きな損害は、米国内でもその責任をあいまいにすることを許さなかった。ルーズベルト政権は、それを平和交渉で油断させて干し討ちをした日本軍のせいにしていたが、これだけでは不十分であると判ると、真珠湾防衛の責任者であった現地の最高指揮官二人を職務怠慢の理由で処罰・解任した。当然のことながら、政府はこの処置の正当性を証明する必要があった。

特に議会に真相究明の気運が生まれると、ルーズベルトは機先を制して真珠湾事件直後の十二月十六日、大統領待命の調査委員会(ロバーツ委員会)を発足させた。ロバーツ委員会は、資料や証拠の一方的な取り上げによって、ルーズベルト政権の処置を正当であると発表したが、その余りに偏った調査方法は、かえって疑惑を深めることになった。国際間題を専門とするジョージ・モーゲンスターンが、これに気付かない筈はない。

 しかし一方で、ルーズベルトは、「真珠湾の騙し討ち」に憤激したアメリカ国民の総力を結集して、第二次世界大戦を戦っている大統領として、当時のアメリカ国民の圧倒的な支持を得ていた。アメリカの正義の戦いであると信じ、進んで戦争に参加した人々にとっては、英雄ルーズベルトの名声を傷つけることは、アメリカの威信ひいてはアメリ力国民を誹謗する者として許せないことであった。

 アメリカ国民の戦意と激烈な戦争は、この問題を棚上げにしたが、大統領選挙の一九四四年になり、戦争が米国の勝利に終わることが明確になると、改めて再審査の気運が起こった。まず最初に、真珠湾敗北の責任者として処罰された二人の現地指揮官、海軍大将キンメルと陸軍中将ショートの正式の軍法会議開催の要求が起こった。法廷で争うことは不利であると判断したホワイトハウスは、陸・海軍長官に指導監督の権限がちる陸軍査問委員会と海軍査問会議における再審で決着を図った。

しかし、再審の判決は、現地指揮官の責任だけでなく、内閣や最高司令部の責任を指摘した。ここに、改めて議会が調査に乗り出すことになると、ホワイトハウスへは、自ら調査を取り仕切るほうが賢明であると判断し、与党の民主党主導の調査委員会を設置した。こうして上下両隣合同の真珠湾調査委員会が設けられたのである。

 延べ七十日の聴聞会(三百三十一名の証言記録)と提出書類及び審問調書等の一千万語に及ぶ調査記録は、開戦か屈服かの窮地に陥った日本政府に、開戦以外には選択の余地がないことを悟らせるために米国政府がとった一連の行動、これと全く矛盾する日米友好を印象付ける米国民向けの発言、平和を熱望していた日本が、ハル覚書によって戦争を決意したことを、暗号解読によってルーズベルトをはじめ、米国政府首脳が熟知していたこと等の実態を明らかにした。

 それでも、多数派の民主党委員の判決は、当初の予定通り責任は現地指揮官にあるというルーズベルト擁護の結論であった。しかし、二人の共和党委員(ファーガソン、ブリュースター両上院議員)はそれを認めず、ルーズベルト政権と陸海軍最高司合部首脳部の責任を厳しく追及した報告書を提出した。

 この調査において最も重要なことは、調査委員会が収集した全資料が、合計四十巻に及ぶ『真珠湾攻撃記録および報告』として、公表されたことである。

 その結果、常に真相を追及すべき立場のジャーナリストや史料の評価と分析によって、史実を解明することを専門とする歴史学者の圏から見ると、多数派報告は、史料の評価方法を全く無視した、事実と余りにも乖離した結論であることが明らかであった。

 まず、ジョージ・モーゲンスターンが、この膨大な資料を精力的に調査・分析する作業を始めた。そして、終戦から僅かに二年目の一九四七年に、ルーズベルト政権の陰謀と戦争責任を明らかにした『パールハーバー−秘密戦争の物語−』を刊行し、忽ちベストセラーになった。戦後間もない戦勝気分にあふれていたアメリカにおいて、国民的英雄であったルーズベルトを、意図的に国民を欺いた大統領として非難することは、アメリカ人が正義と信じて戦った戦争を根底から否定することであり、アメリカを愛する人々にとっては、忍び難いことであった。

 しかし、彼は、ルーズベルトの開戦前の言動と真珠湾調査委員会の報告書を詳細に調査し、アメリカの国益を守るためには参戦が必要であると確信していたルーズベルトが、選挙のためにそれを隠し、当選すると国民との公約を無視し、日本を開戦に追い込むことによって参戦の目的を達成した、と断定した。そして、大統領の絶大な権限は、国民との信頼の上に成り立っているのであって、公約を破るための謀略は、米国の理想と憲法の精神に反するとして糾弾した。

 本書の著者モーゲンスターンも、日本をジャップと呼んでいることにその片鱗を見せているように、決して親日家ではない。しかし、真実を追及すべきジャーナリストとしての責任感、事実を秘匿する方が、アメリカの誇りとする良心に反するとする正義感が、ルーズベルトー派の日本に対する卑劣で陰険な策謀と誓約に背き米国国民を騙して参戦させた行為を、見逃すことができなかったのである。

 真珠湾の真相を実証しようする本書には、モーゲンスターン特有の明敏な観察力とともに根拠を明確にした厳密な論証にその特色がある。それは「本文」四三○頁に対して、「註」が八○頁、活字の大きさを考えればご二分の一を占めると言っても過言でない綿密な「註」に明らかである。また、ジャーナリストらしい鋭い切り口が随所に見られる。

ハル覚書への日本政府の回答を、最後通牒と認識した途端に、米国政府及び軍の要人が一時的に判断力を失い、真珠湾が攻撃されるまで全く無能になったこと、そして、この一時的無能者が、その後異常な昇進を遂げた反面、この時真珠湾攻撃の可能性を進言する等、適確な行動をした者は、その後の昇進がストップしたことへの皮肉をこめた指摘は、その一例である。

 一九四七年、東京では極東軍事裁判が真っ最中の時機に、これだけの著書が刊行されたことに深い感慨を覚える。しかし、戦時検閲で米国に不利となる情報を遮断していたGHQは、当然のこととして日本での発売を厳禁した。それから五十二年、去るの十二月八日、前記の『東京裁判却下・未提出弁護側資料』の編集主務者として有名な渡邉明氏によって、この名著が日本語に翻訳・出版されたことは、まさに快挙である。

 同時に、チャールズ・A・ビーァド博士の『ルーズベルト大統領と一九四一年の開戦』(一九四八年刊行)と双璧をなす、この貴重な書物が、これまで日本で翻訳ざれなかったことは全く不思議である。日米開戦に関する日本の研究が、多数派意見に同調して、史実の解明に不徹底で、隔靴掻痒の感がある原因が、ここに潜んでいるように思われる。

 本書の重要性を知る一人として、この度の出版にささやかな協力ができたことと、『靖國』の愛読者に本吉を紹介する機会を与えて頂いたことに深く感謝する。

◇◆ジョージ・モーゲンスターン著・渡邉明訳『真珠湾−日米開戦の真相とルーズベルトの責任−』錦正社A5版五百六十頁定価三千円


(私のコメント)
今日は12月8日で日米開戦記念日ですが、これに関連したニュースはほとんどない。若い人は12月8日と聞いても何の日か知らない人がほとんどだろう。日本軍の真珠湾攻撃は戦略的にも間違いであり、常識的にも成功する確率はほとんどない作戦だった。山本五十六がなぜ真珠湾攻撃にこだわったかというと、山本五十六はアメリカのエージェントだった可能性がある。

日本軍の中枢が米国派(ユダヤ・フリーメーソン)だった太平洋戦争

東南アジアの石油を確保するためならイギリス・オランダに対して戦争すればよいことであり、必ずしもアメリカと戦争する必要はなかった。それを一気にハワイの海軍基地を攻撃する価値はどこにあったのか。アメリカ国内の世論はほとんどが参戦反対であり、三国同盟に則りイギリス・オランダと戦争するだけで済んだ可能性がある。その事は衆議院議員の西村眞悟氏も指摘している。

近代国家の国防には「訓令」が必要 西洋の植民地の本質は「民族浄化」

これと同じ指摘は丹羽春喜(著)「謀略の思想「反ケインズ」主義」のなかでも「蘭印油田地帯の保障占領こそがベスト.オプションだった」と指摘していますが 、単なる結果論として論ずるには、真珠湾攻撃の戦略的なミスは謎だらけだ。同じことは村松剛氏も指摘していて、ルーズベルトの陰謀をもってしても参戦できなかったと指摘している。

パールハーバー空襲はもっとも愚劣な作戦だった。日本政府と官僚はなぜ最善の策がとれないのか

《しかし、当時、本当に、オプションは、たった三つしかありえなかったのであろうか? 四番目の、もっと有効で有利な国家戦略の選択肢がありえたのではなかろうか? 先年、亡くなられた村松剛教授は、生前、「……昭和十六年秋時点でのわが国にどっての最も有利なオプションは、蘭印(蘭領東インド、現在のインドネシァ)の油田地帯を保障占領することだったはずだ!そのような場合であれば、当時の米国の国内世論の状況から見て、米国のルーズベルト政権は対日全面戦争を発動しえなかったはずだ!」と、口ぐせのように、繰り返し繰り返し、言っておられた。実は、私自身も、ずっと以前から今日にいたるまで、同意見である。

「保障占領」とは、「特定の相手国による一定条件の履行を、間接に強制し確保するために行なわれる相手国領域の一部(ときには全部)の占領」(有斐閣『新法律学辞典』)のことである。つまり、昭和十六年当時のわが国は、領土併合の意図などは持っておらず、正当な代価を支払って石油を輸入しようとしていただけであるから、そのことを内外に明確に宣言したうえで、蘭印側に石油の対日輸出を承諾させ、その履行を促進・確保するためという限定された目的のためにのみ、わが軍が蘭印の油田地帯とその積み出し港地区に進駐すればよかったわけである。このためのわが軍の必要兵力としては、一個混成旅団ぐらいもあれば、それで十分であったであろう。そうすることによって、わが国は石油を十分に入手しうるようになり、戦略的に非常に有利な地歩に立つことができるようになっていたはずである。

当時、オランダは、本国がドイツ軍に占領されてしまっており、辛うじてロンドンに亡命政府が存続していたような悲境にあったから、米英両国が対日全面戦争を発起しえない状況であったとすれば、蘭印は、おそらく無抵抗でわが軍の保障占領をゆるしたことであろう。そして米国はと言えば、当時のわが国でもよく知られていたことであるが、リンドバーク大佐(大西洋を初めて無着陸横断飛行した英雄)などによる反戦運動が米国民のあいだで広範な支持をえており、米本土から遠く離れた東南アジアの一隅にすぎないオランダ領の島に小規模な保障占領が行なわれたぐらいのことでは、いかに反日的なルーズベルト政権といえども、対日全面戦争をはじめるなどということは、とうてい不可能な政治情勢にあった。》


(私のコメント)
このようにしてみれば、ますます山本五十六の真珠湾攻撃にこだわった謎は深まるばかりだ。何らかのルーズベルトの陰謀に繋がるエージェントの一員であったという疑いは捨てきれない。山本五十六はハーバード大学へも留学しているし、そこで何らかの秘密組織との接点が出来たのかもしれない。

戦後においても作家の阿川弘之の小説などで日米の開戦に反対した名将として描かれるなど、映画などでも三船敏郎が山本司令長官を演ずるなどイメージ的には良いのですが、やった事を冷静に見れば日本を滅亡に導いた一番の責任者だ。一般的にも真珠湾攻撃の必要性があったのかという疑問も最近になって言い出されたことで、もっとアメリカの国内事情を研究されていれば日米開戦は回避されただろう。

冒頭で紹介した『真珠湾−日米開戦の真相とルーズベルトの責任−』という本は、アメリカ側の真珠湾攻撃に関する責任問題を追及した本ですが、委員会で二人の共和党上院議員はルーズベルトが事実を隠蔽して開戦まで導いたのではないかと追及している。また委員会の膨大な公式記録も残されて研究材料になると思うのですが、日本でその研究がなされた形跡は今のところありません。

民主党のルーズベルト大統領については先日も「株式日記」で二度ほど触れましたが、日本ではまだその正体が十分解明されておらず、ルーズベルトこそ日本を戦争に導き、原爆まで使って日本を滅ぼそうとした恐ろしい人物であることを知らない人がまだ多いようだ。アメリカにとっても1932年から1952年まで続いた民主党政権で共産党のシンパが入り込んでしまったことは、戦後の日本にはニューディーラーとしてやってきた人物からもうかがい知れる。

反日の民主党のF・D・ルーズベルト大統領は日本へ18発もの原爆投下を承認していた。しかし共和党は日本との戦争にも反対し、分割占領にも反対していた。

中国はなぜ靖国参拝に反対するのか?背後には米国民主党あり。ブッシュはなぜ靖国へ参拝を望んだのか?

これらのページを読んでいただければわかるとおり、共和党のニクソン政権と今のブッシュ政権がなぜ日本の核武装を望んでいるかが分かるだろう。しかし戦後におけるニューディーラーと呼ばれる共産主義者による日本改造は非武装中立となり、ソ連による共産化への下工作であった事がわかるだろう。F・D・ルーズベルト大統領は共産主義者だったのだ。




西のウクライナ、東の朝鮮半島は東西の緩衝地帯
日本も軍備と核を持たねば緩衝地帯として分断される


2004年12月7日 火曜日

試練の大地 ウクライナ 7つの国の20世紀史

それにしてもウクライナは長年にわたって「ロシアの一部」という立場を強制されてきた国である。クラフチューク大統領のロシア対抗政策には限界があった。経済面、特に石油やガスなどエネルギーに関しては、ウクライナはほとんどロシアに依存していた。そのため、ロシアとの対立は深刻な経済危機、エネルギー危機を引き起こす。独立しても生活が改善されるどころか、かえって悪くなったと感じたウクライナ民衆は、1994年の大統領選挙ではクラフチュークを見限り、ロシアとの関係改善を掲げたレオニード・クチマを新大統領に選出した。

 クチマ大統領はウクライナ憲法制定(1996)、ロシアとの対立の解消(1997年の友好協力条約調印による)、NATOとの協力憲章調印(1997)など、一連の成果をあげた。しかし経済政策は新通貨フリヴナの導入(1996)、IMF主導の経済復興政策の受け入れなどによって力を入れていても、いまだに経済的自立へ道は遠い。なにせ旧ソ連時代は共産主義によって抑圧されながらも最低限の保障があったが、独立後はいきなり、ウクライナは1990年代に世界を巻きこんだグローバル資本主義の嵐に巻きこまれたのだ。ウクライナ製品は競争力がないため生産は落ち込み、賃金未払いは恒常化した。資本主義の考え方にいまだに慣れず、労働意欲は地に落ち、犯罪は横行し、人々は昔のソ連時代を懐かしく感じるまでになる。1998年の議会選挙では、復活したウクライナ共産党が第一党になった。

 しかしクチマ大統領は、1999年の大統領選挙でウクライナ共産党のシモネンコ議長を決選投票で破り、かろうじて再選を果たすと、改革路線継続のため独裁的な立場を強めた。大統領選挙そのものの公正さも疑問視する声もあがり、また、野党系ジャーナリストの殺人事件(2000)にも関与が疑われるなど、民衆の大統領への不信感を募らせる状況となった。それでも、彼の政治運営を通じて、旧ソ連時代よりも苦しいとされる経済状況は、2000年ごろにはわずかながらも改善され始めた感もある。

 けれども、クチマ大統領、およびウクライナ人は、もっと根本的な問題――上述のウクライナ人のアイデンティティについての問題――にひどく悩まされることになった。おりしも、西からはEU(ヨーロッパ連合)・NATOが拡大してくる。東のロシアでもふたたび地域協力を進めようという動きが出てきた。ポーランド、ハンガリーなどはNATOに加盟した。ベラルーシ、モルドヴァは親ロシア政策をとっている。旧ソ連・東欧諸国で唯一、態度を決め兼ねているのがウクライナである。欧州かロシアか、それはまさしくウクライナのアイデンティティーについての重要な問題であった。国内東部、およびクリミアに多く住むロシア人は、ロシアとの再統合を叫ぶ。いっぽう、ガリツィア地方などの国内西部のウクライナ人はヨーロッパとの親密化を主張した。対外政策だけではなく民族構成でも、ウクライナ国内は分裂しているのである。言語(ウクライナ語とロシア語)、宗教(ウクライナ正教、ロシア正教、ユニエイト)、歴史・文化(ガリツィア地方と東部ウクライナ)も違っていた。

 独立革命の挫折、スターリンの恐怖政治、ヒトラーの侵略などによっても破壊されることの無かった「ウクライナ」のアイデンティティーが、21世紀はじめごろには現実問題として危機に立たされることになったのだ。けれども、この「ウクライナ人」としての最後の試練は、おそらく厳しいものではないかもしれない。ウクライナ人は、21世紀には世界中の他民族と一緒に、問題に対処していけるであろう。我々はウクライナ人を知っているし、ウクライナ人も世界を知っている。それが20世紀に多大な犠牲を払ったウクライナ人の功績であろう。

ウクライナ大統領選挙後の情勢について キエフからの便り

ウクライナ大統領選挙後の情勢、特に野党候補ユーシチェンコ支持者によるのデモについては日本でも連日報道されていますが、依然として「親ロシア対親EU」の対立が最大の焦点と報じられたりしています。確かに現首相ヤヌコーヴィチ候補は東ウクライナ出身である上、プーチン・ロシア大統領の事実上の支持を得ており、その一方でユーシチェンコ候補は欧米との関係を相対的に重視していると言えます。しかし、それは一つの要因に過ぎず、デモが起きている本質は「オリガーキー体制を認める守旧派 対 民主化完結を目指す改革派」の対立です。人々は、ロシアなのか、EUなのか、という選択で街に出ている訳ではなくて、今回の大統領選挙において、不正をしてでも守旧派が権力にしがみつこうとしたヤヌコーヴィチ候補と現政権に対して怒りを顕わにしているのです。

 野党ユーシチェンコ派のデモは最大で50万人規模で、恒常化そしてお祭りと化しています。最初は「お祭り」か「革命ごっこ」かと思っていましたが、実はこれが長期戦に備えた戦略だったようです。

 地方からも人が出てきて、街中、ユーシチェンコ派のシンボル、オレンジのリボンや旗を持った人、車で日に日ににぎやかになっています。キエフ中心部の独立広場は、氷点下の寒さでも一日中熱気に満ちており、フレシャチク通りにはテント村も現れました。それでも、人々はとても秩序だっており、礼儀正しく、自主的に役割分担(交通整理、ごみ拾い、炊き出しなど)が出来ていて、お互いに声を掛け合っていて、好感すら感じます。また、これほど大規模のデモであるにもかかわらず、警察官が極端に少なく感じられます。

「ウクライナ会館」など公共の設備の一部は、地方から出てきた人たちのための情報センターになっています。民宿の紹介、食料や暖かい服の配給、休憩所、情勢の提供などを行っています。

 選挙前はメディアの偏向が非常に大きな問題と指摘されていました。キエフでユーシチェンコ派の集会が開かれても、国営テレビなどは一切無視でした。ユーシチェンコ派の動向を正確に報じるテレビ局は弱小な1局だけでしたが、野党デモの激化をきっかけにジャーナリストたちも次々と検閲や圧力に反する声明を出し、最初は「キエフ・テレビ」が、 そして国営テレビ、「1+1」、インテルなどの主要テレビ局もユーシチェンコ派の動向を伝えるようになりました。

 現首相候補ヤヌコーヴィチ派もデモ隊を集めていますが、どうも上手くいっていません。東ウクライナからバスなどで人をキエフに集めていますが、ユーシチェンコ派のデモから暖かいもてなしを受けて、話し合って、場合によってはユーシチェンコの方に合流したりもしています。ただ、ヤヌコーヴィチ候補の出身地であるドネツク州など東部地域では、今でもヤヌコーヴィチ派に対する熱烈な支持があるのも事実です。

 不正の指摘や仲介者の派遣など、国際社会を動かしたという点でユーシチェンコ派の戦略は成功したように思います。EUなどの仲介でヤヌコーヴィチ、ユーシチェンコ、クチマ現大統領、リトヴィン最高会議議長の4者会談が成立し、27日にはついに最高会議で大統領選は無効だったと決議されました。まだ予断は許されない状況ですが、大統領選から大規模デモ、そしてその収拾を経て真の民主主義に至るこれからの過程がウクライナ史上のみならず、世界史的な意義があると考えられます。


(私のコメント)
日本人から見ればウクライナはソ連の一部という認識しかありませんが、ウクライナという国は古くからロシア帝国やトルコ帝国やポーランドやドイツなどの勢力に蹂躙されて圧制に苦しんできた。地図を見ればわかるようにウクライナはバルト三国からポーランド経てウクライナへと、ヨーロッパとロシアとの緩衝地帯としての宿命があった。ロシアの支配下におかれることが多かったが宗教も言葉もロシアとは異なります。

特にソ連時代のスターリンの圧制は人為的な大飢餓による700万人もの餓死者を出し、強引なロシア化が行われて、ロシア人が入り込んできた。このような大規模な大虐殺は中国やロシアではよくあることですが、中国でも「大躍進」の失敗や「文化大革命」で多くの人為的な餓死者を出している。北朝鮮でも90年代の大飢饉で300万人も死んでいるのは、北朝鮮を中国化するための飢餓だったのだろうか。

いずれも共産党がらみで起きており、カンボジアのポルポトの大虐殺も共産党がらみだ。このように大虐殺はロシアや中国のお家芸なのですが、ウクライナは何度もロシアからの圧制でそのたびに数百万人もの犠牲者を出した。このようにしてみると中国が日本軍の大虐殺と騒ぎ立てていますが、ウクライナの歴史から見れば陰にかすんでしまう。

最近のウクライナの大統領選挙に絡むデモ騒動は、田中宇氏の解説によると西側からの「しかけ」によるものという解説ですが、それにしてはデモの規模が大きく議会などの動きも不可解だ。大統領選挙も無効となり再選挙が行われるようですが、議会でそのような決定が下されるのは、国民からの圧力が議会を動かしているようなのですが、それだけクチマ独裁政権に対するアレルギーは、長年の歴史がわからないと動きが読めない。

ウクライナ民主主義の戦いのウソ 2004年11月30日  田中 宇

アメリカの勢力がウクライナの選挙で野党ユーシェンコ陣営を支援し、ユーシェンコを勝たせるために支持組織に政治活動の訓練を施してきたことは、以前から知られていた。私も今年4月の記事でそのことに触れている。

 アメリカは、2000年にユーゴスラビア(セルビア)で野党勢力を結集させ、当時のミロシェビッチ大統領を追い落とす選挙に成功し、昨年11月には似た手法でグルジアのシュワルナゼ政権を潰してサーカシビリ政権を誕生させた。今年10月にはベラルーシの議会選挙でも同じ展開を試みたが、野党諸勢力間の結束が得られず失敗した。アメリカにとって今回のウクライナ選挙は「選挙を使って旧ソ連系諸国の政権を転覆する作戦」としては4回目となる。(関連記事


(私のコメント)
ウクライナがこのように揺れるのも、政治的には民主化を望んでも、経済的にはロシアに頼らなければならない事情があり、クラフチューク大統領時代は反ロシア政策でしたが、経済が落ち込み、親ロシアのクチマ大統領に代わりましたが、独裁政権に対する国民の反感が強まってきた。そのゆれが今回の大統領選挙にも現れましたが、豊かな民主主義国家を作ることのむずかしさをウクライナは証明している。

このままではウクライナは東西に分断されてしまいかねないのですが、これは緩衝地帯にある国家の宿命だ。ポーランドも東西に分断され、ドイツも東西に分断され、朝鮮半島も南北に分断された。これらは軍事的に弱体であり東西の勢力に対する分断工作に抵抗できなかったせいなのですが、ウクライナはこのままでは東西に分断されるだろう。

考えてみれば日本も東西の勢力の中で西側に属していますが、これはアメリカにおんぶに抱っこの状態だからで、アメリカが衰退して日米同盟が維持できなくなった場合、東側の勢力と西側の勢力のせめぎあいの場となり、日本は朝鮮半島のように二つに分断される宿命を負いかねない。そのためには日本も憲法を改正して出来れば核まで持って一つの国家として維持できるようにしなければならない。




朝日新聞の小林慶一郎は確信犯なのかバカなのか?
マクロ経済を理解できていない日本の知的エリート達


2004年12月6日 月曜日

「財政再建」について ニュースと感想 12月6日 コイズミの波立ち

小林慶一郎の記事がまた出ている。(朝日・朝刊・解説コラム 2004-12-05 )
 前回の記事の続きという形。ついでに、私も前日の言及の続きの形で述べておこう。

 今回のコラムは、前回のコラムほど、メチャクチャではない。とはいえ、やはり、一番の基本が間違っている。

「財政再建には、歳入増加か歳出削減か、どちらかしかない」と述べているが、これは、とんでもない話だ。ここには、マクロ経済学の視点がまるきり欠けており、そのせいで、とんでもない結論になっている。

 歳入増加は、増税を通じて、GDPを減らす。
 歳出削減は、支出削減を通じて、GDPを減らす。

 だから、どちらも正しくない。では、正しくは? 「GDPの増加」である。GDPの増加があれば、歳入増加も、歳出削減も、どちらもしないでよい。

 国民レベルで言えば、増税も福祉削減も、どちらも困る。かわりに、「労働増加」があればよい。たとえば、百万円分働いて、七十万円をもらって、三十万円を納税する。これなら、国民も政府もハッピーだ。……それがつまり、「GDPの増加」であり、「労働増加」である。

 一般に、古典派というものは、「パイの配分」ばかりを考えている。パイの切り方を巡って、

 ・ 政府が多い方がいい
 ・ 国民が多い方がいい

 とカンカンガクガクだ。小林の主張は、「前者か後者か」という命題を立てた上で、前者がいい」という主張だ。

 もちろん、これは誤りである。正しくは、パイの配分をどうこうするのではなくて、「パイそのものを大きくすること」だ。それが「GDPの増加」である。

 マクロ経済学を理解できない人って、本当に困りますね。本人は正しいことを主張しているつもりだが、国中に嘘をばらまいて、日本経済を破壊しようとする。「救います」と述べながら、殺そうとする。

「財政再建と増税」について 12月5日

「財政再建のために増税を」という意見が結構ある。朝日のコラムから引用しよう。

 「経済理論が教えるのは、政府の債務がふくらんでも歳出の削減や増税ができなければ、超インフレが起こる、ということだ」(朝日・夕刊・2面・コラム 2004-11-30 )

 これは、いかにももっともらしい主張だが、デタラメである。こういうデタラメを言うのは誰かと思って書名を見たら、「小林慶一郎」とあった。やっぱりね。

 この主張が間違っているということは、現実を見ればすぐにわかる。現実は、どうか? 今、政府の債務がふくらんで、歳出の削減や増税ができない。で、超インフレが起こったか? 逆に、デフレが起こっている。

 要するに、現実を見ればわかるとおり、上記の主張はまったくのデタラメである。

 ま、非常に長期を見れば、上記の主張は正しい。しかしケインズの言うとおり、「長期的にはわれわれはみんな死んでいる」のだから、非常に長期を考えたって、意味がない。

 たとえば、バブル期の前に、莫大な財政赤字が蓄積したことがあった。あのころも、「財政赤字が大変だ」と大騒ぎだった。で、そのあと、超インフレが起こったか? 別に、起こらなかった。そのあと適当な時期に歳出削減などが進んだから、特に大きな問題は起こらなかった。(なお、バブル期の資産インフレは、過度の金融緩和が原因であり、財政赤字とは直接の関係はない。)

 要するに、非常に長期を考えれば、「ずっと財政赤字」ということはなくて、いつかは解決の時期が来るのだから、短期的に財政赤字を大問題にする必要はさらさらない。「いつかは増税が必要だ」という主張は正しいが、「今すぐ増税が必要だ」という主張はまったく正しくない。(このことを小林は故意に書き落としている。彼はやたらと経済をモラルで論じるモラリストだからだ。モラリストというのは、誉め言葉ではありません。エコノミストになれない、という意味。)

 では、正解は? 

 上記の主張が成立するには、一つの条件がある。それは、次のことだ。

 「国民が消費を増やせば」

 この条件が満たされれば、上記の主張は正しい。なぜなら、国民の消費と、民間の投資と、政府の支出とがぶつかりあって、需要の奪い合いが起こるからだ。当然、超インフレが起こる。

 一方、この条件が満たされなければ、上記の主張は正しくない。なぜなら、国民の消費と、民間の投資とが、ともに減るので、政府の支出とがぶつかりあわず、需要の奪い合いも起こらないからだ。当然、超インフレは起こらない。(むしろデフレが起こる。)

 この問題は、「国の借金とは何か?」を論じるミドル経済学を理解すると、本質がわかる。そして、ミドル経済学を理解しないと、「国の借金とは何か?」と問われて、単に「借金である」と答えて、「借金は悪いことだから、さっさと借金を減らそう」というモラルを主張することになる。

 小林が示しているのは、経済学ではなくて、エセ経済学(正確には経済道徳)なのである。そして、経済を道徳で論じると、「正しいことをなそう」としたあげく、ひどい結果を招くことになる。素人というものは、そういうものだ。素人というよりは、嘘つきと言うべきかもしれないが。

小林慶一郎の東大、通産官僚、朝日新聞論説委員、シンクタンク研究員の華麗なる経歴に騙されるな。

小林慶一郎(こばやし・けいいちろう)

独立行政法人「経済産業研究所」研究員。平成元年東大工学部卒、同3年東大大学院修士課程修了(数理工学専攻)、同年通産省入りし産業政策局配属。同10年シカゴ大大学院博士課程修了(経済学)。経済産業省課長補佐を経て、同13年から現職。
専門はマクロ経済学だが、主な研究分野としては内生的経済成長理論、一般均衡理論、景気循環論など。主な編著書に「日本経済の罠−なぜ日本は長期低迷を抜け出せないのか」(日経新聞社)「バランスシート再建の経済学」(東洋経済新報社)がある。


(私のコメント)
朝日新聞の論説委員の小林慶一郎氏が日本の経済問題を論じていますが、マクロ経済学者と自称していながらマクロ経済学を理解していないデタラメな論説を朝日新聞に発表しています。これに対して朝日新聞は何の疑問も持たずに掲載しているのだろうか。

「歳入の増加」にしろ「歳出の削減」にしろ正しい政策ではない。どちらもデフレをより深刻にさせるだけであり、小泉内閣は二重の間違いを犯して日本経済をより深刻な方向へ導いている。財政の再建を果たすためにはマクロ経済的に言えば経済成長、すなわち日本はGDPの拡大をしなければ財政再建はむずかしい。この基本が小泉内閣は理解していないのだ。

つまり、年収200万円の人が払う税金は限りなくゼロに近い。しかし年収が倍の400万円になれば支払う税金は50万円ぐらいになるだろう。そうなれば国や地方の税収は数十倍から数百倍に増えて財政再建問題は一気に解決する。ところが小泉内閣がやっていることは、400万の年収に人を200万に引き下げたり、あるいは失業して生活保護をもらう政策をしている。

つまり先日、政府税調の石会長が「恒久減税の廃止」を答申しましたが、増税をすればそれだけ消費が減り税収はかえって減るだろう。歳出の削減も税収の落ち込みとなって返ってくる。ならばどうしたら税収が増えるのかと考える頭のある人ならば、国民所得の増加を図るようにするのが正しい道であることがわかるだろう。

ならば日本のエコノミストや学者達はどうしたら日本経済が拡大して国民所得が増加するかを考えて、政策提言するのが役割なのですが、小林慶一郎氏を見ればわかるようにマクロ経済学を全く理解していない。日本の学界も小林氏に「あなたの政策提言は間違っているよ」と指摘されないところを見ると、日本の学界が彼と同じような意見の持ち主なのだろう。

日本経済の不振の根本原因としては、昨日書いたように製造業の進歩発展に比べて、情報産業(サービス産業)の進歩発展が遅れてしまっていることだ。手足が大きくなっても頭脳部分が子供のままでは満足な仕事が出来ないのと同じで、情報産業も一段のレベルアップが図られないと経済の不振は脱却できない。

そのためには国も公共事業として情報環境の充実や、研究開発に対する積極的な投資が望まれますが、政府は歳出カットでそれらの芽を摘んでしまっている。日本の大学教授たちのレベルアップも図らなければ、日本の大学生の学力レベルも低下して中学生並みになっている。これでは日本の産業競争力も落ちるのは当たり前だ。

小林慶一郎氏の経歴を見れば、東大を出て通産省のキャリアとなりシカゴ大学に留学して、現在は通産省系のシンクタンクの研究員だ。マクロ経済学を満足に理解できないような低脳学者が、どうして東大出たりキャリア官僚になったり出来るのだろう。要領さえ良ければペーパーテストは何とかなるのだろう。竹中平蔵のように旨く権力者にとりいれば大臣にまでなることが出来る。

日本からノーベル経済学賞をとるような学者は出ないだろう。エコノミスト達は満足な政策提言も出来ず、日本経済の実態すら掴むことが出来ない。だから増税だの歳出カットなどのメチャクチャの政策提言しか出来ないのだ。パイの切り方ばかり論じていてパイの拡大に全く触れようとしないのはなぜか。マクロ経済学が理解できていないからだ。その証拠に内閣は次のようなアンケートを取っている。発想そのものが間違っているからだ。

財政再建「増税より歳出削減」6割超す…内閣府調査

 経済財政諮問会議が策定する「日本21世紀ビジョン」に関連し、内閣府が実施したアンケート調査で、財政再建の手法として、増税よりまず、歳出削減を優先させるべきとの意見が6割に達したことがわかった。

 調査は、1人当たり560万円を超える国と地方の借金を将来世代に先送りしない方法について、全国1500人にインターネットで聞いた。その結果、「すべて歳出削減で対処する」との回答が31・3%で最も多かった。「増税で4分の1、歳出削減で4分の3」は29・3%で、歳出削減優先派は計60・6%に達した。

 ただ、「増税で4分の1、歳出削減で4分の3」に「増税で2分の1、歳出削減で2分の1」(21・8%)や「増税で4分の3、歳出削減で4分の1」(4・4%)などを合わせると、増税に一定の理解を示している割合も58・0%に達した。歳出に大なたを振るえば増税も容認するという姿勢が読みとれる内容となっている。

 年金や医療など社会保障負担のあり方については、「現在の負担水準を維持して、サービス水準を引き下げる」が36・4%と最も多く、負担引き上げの容認派は25・6%しかなかった。
(読売新聞) - 12月6日0時33分更新




現在の日本経済の問題は、情報産業(ホワイトカラー)の
生産力が製造産業の生産力に追いついていないからだ。


2004年12月5日 日曜日

情報作業と知識作業の分離の方法 吉田繁治

根底は、日本企業の収益率の低さ(米国の25%:西欧の50%) 

政府がなぜ年30兆円を超える赤字を出すか。無駄な公共投資もあり
ますが、根底は、企業の利益率が「半減」していることです。

そのため法人税収も半減。日本経済の再生には企業収益の増加しか方
法はない。現在、税務上で赤字申告の企業は70%、3社に2社の割
合です。債務超過は、3社に1社、約80万社でしょう。雇用数で1
500万人以上が、債務超過企業に勤務しているでしょう。

政府とおなじように企業にも過剰債務(総資本過剰)がある。総資本
対経常利益率が低すぎます。このままでしばらくすれば日本からのキ
ャピタルフライト(資本逃避)が必然になる。

【債務超過企業の整理を先送りにした結果】
自然にしておけば退出したであろう過去形の企業が、結局は無駄遣い
になる支援策で残っていて、縮小した国内需要に対し、同質商品で、
過当競争が発生しています。企業収益が低い原因がここです。あり地
獄のような、一蓮托生の風景が見える。

日本経済の問題は労働者の50%弱(約3000万人)は、直接・
間接に、政府予算・自治体予算に依存していることです。政治が左右
する非市場経済が拡大し市場経済が縮小したのが90年代です。


選択肢

(1)利益を出さないため援助が必要な約80万社と、税の投入が必
要な政府機関を保存したまま行くことに合意するか、
(2)過去形になった企業と政府機関を(自然に)整理し、新たな企
業で経済の活力を回復するか、(1)か(2)かの選択。

※実際は{(1)+(2)}÷2になるでしょう。

上記(1)は日本経済の内容の広範囲な悪化に帰結します。
(2)は、失業率の上昇を経由した日本経済の再興です。

あらゆる金融対策の終着点は、つまるところ短期しのぎで、問題の先
送りです。赤字補填で借りたものは、利益か資産処分で返さなければ
ならない。返せない借り入れは時間とともに問題を深める。

株を無理やり上げて援助の融資を投入しても、一時的効果しかない。
企業収益の上昇、または上昇見込みがあれば、株も融資もついてきま
す。こうした「あたりまえのこと」に戻る必要がある。

不良債権対策の、その次の議論がないことを、哀しみます。

市場経済には冷酷な面がある。金融対策や援助で冷酷さを避け、不良
部分を経済全体に拡散させるか、そうでないか。

遅すぎた清算が始まった。昨年末から予測していた、低温やけどの準
恐慌経済。これは企業収益が回復しないかぎり、いつまでも続く。

何が本当の問題か、次項で見ます。20世紀の工業経済から、情報経
済への大きな潮流があります。ここを見なければならない。

知識労働のイメージを広くする

行政官である小泉首相も、政治と行政という仕事で報酬をもらい、意
思決定という高度な「知識労働」を行っています。高級官僚も、企業
のトップ、幹部も「知識労働」です。そして、実はオフィスにいるホ
ワイトカラー全体、および小売のパートも同じ「知識労働」です。

最大多数派になった「知識労働」の生産性を上昇させないかぎり、余
暇時間の増加を含め、生活が豊かになることはない。

知識労働では弁護士、医者、会計士、コンサルタントのような職種を
思い浮かべる人が多い。そうではないのです。

デパートの販売員。業務内容は「知識労働」です。顧客の反応から、
欲しい商品を見分けなければならない。商品知識も必要です。メーカ
ーについての知識も、在庫知識も必要です。モノを生産するわけでは
ない。モノの形は変えない流通の仕事全体は、知識労働です。

流通・小売は「知識労働」であり、金融も知識労働です。工場で生産
ラインに従事する労働もモノの加工は機械が行いますから、本人が行
っているのは「知識労働」です。

タクシーの運転も、交通事情と道路知識が必要な知識労働です。

20世紀の工業生産は「個客」に売る前の「規格品量産」という仕組
みで、生産性を上げた。

しかし、工場の外では、ほぼ全部が「個」対応になる。デパートの販
売員、タクシーの運転手が行っているのは医者と同じような「個客」
対応です。まとめて接客はできない。診断と手術も、胃潰瘍の患者を
100人ベルトコンベアに並べてできるわけではない。5人まとめて
離婚の法律相談もできない。

工業生産は、製品を規格化し、加工を一箇所でまとめ集中的に行うこ
とで、生産性を上げた。生産性は一人当たりの製品生産量です。

ところが工場以外では、ほぼすべてが分散した「個客」対応になる。
個別のケースでの、場の判断と知識が必要な、知識労働になる。

こうした幅広い「知識労働」の生産性を、コンピュータと通信を使い、
いかに上昇させるか、これが21世紀産業の課題です。

「ペーパーレス・オフィス」のイメージから

<なぜ、こんなにたくさんの紙がいるんだろう。ここではみんなパソ
コンをもっている。そして互いに接続されている。どうしてこの紙の
代わりに、(WEB等を使った)電子書式を使って、業務プロセスを合理
化しないのだろう(同書p58)>

こう考えたビル・ゲーツは「CEOの特権」を行使し、不必要な用紙
、書式を禁止する。1996年のことです。今の日本の会社で紙の書
式を禁止したところが何社あるでしょうか? こうしたところから、
知識作業全体で、根底的な遅れが生じる。

日本企業の問題は、ビル・ゲーツと逆にデジタル化されているプロセ
スでも幹部・トップが「紙」を要求することかもしれません(笑)

これは「出力プロセスで毛筆を要求する」ような無謀なことです。書
式を画面化すれば分かりますが情報作業の生産性は数倍に上がる。情
報作業は知識作業とは違い、容易に定型化できます。


(私のコメント)
一昨日はライブドアの堀江社長の本を紹介しましたが、ライブドアの仕事の形態がペーパーレス社会の会社のあるべき姿なのですが、日本の企業の大部分がまだペーパー社会に留まったままだ。会社を見回してみれば机にはうず高く書類の山が出来ている。役所などは特にそうで、書類を積み上げることで仕事をしているというアピールのつもりだろう。

わたしも会社員時代がありましたが、無駄な仕事のオンパレードで、本当の仕事をしている人は全社員の内の二割程度で、後は会社にぶら下がっているだけだ。私の場合は銀行の融資部にいても、ほとんどが書式に則った書類を作成することがほとんどで、多くが前回の融資のロールオーバーだから、前回の書類を丸写しすることをやっていた。書き直す部分はほんの一部だ。

このような仕事は電子化すればやらずに済むことであり、本部と支店とがネットで情報を共有していれば、かなりの無駄が省けることはあった。しかし現在でもその仕組みは変わらず、今年の夏に銀行から借り入れを申し込んでも、遅々として手続きは進まず銀行の業務形態は10年前とほとんど変わっていないことが分かった。

なぜ銀行の業務形態が変わらないかというと、監督官庁の指導が変わらないからであり、ペーパーレス化したくとも、監督官庁で書類を請求されれば提出しなければならないから書類の作成に日夜追われることになる。銀行の収益率が低いのも金融庁のせいなのだ。金融庁と銀行とがネットで結ばれて資料も電子化して交換すれば検査も簡単になるだろう。

日本では大企業の本社ビルが東京のビジネス街に集中していますが、これも中央官庁の情報がほしいからで、相変わらず担当者が担当官庁を回って、場合によっては宴席を設けてまでして情報を取らねばならない。MOF担などがいい例だった。このように役所でも電子化はほとんど進まず、規制の緩和も情報の公開も掛け声だけで進んでいない。これでは民間会社でも情報の合理化は進まないのも当然だ。

日本企業でもパソコンやネットの普及はまだ始まったばかりであり、それを有効に使いこなすレベルには程遠い。政治の世界でもインターネットを選挙に使うことはまだ許されていない。監督官庁がまだ許可していないからだ。文書図画の配布は法令違反だとネットの無い時代の条例を持ち出して禁止している。これでは情報化社会が来るはずがない。

国会議員にしても選挙に金がかかるというのも、結局は情報の合理化が進んでいないからだ。ネットを有効に使いこなしている議員は数えるほどしかいない。これでは一般の企業の情報化やペーパーレス化が進むわけがない。マイクロソフトやライブドアのように社長自ら先頭に立たなければホワイトカラーの生産合理化は進まないだろう。

しかしパソコンやインターネットを誰もが自由自在に使いこなすことは無理だろう。洗濯機や冷蔵庫のようにコンセントを差し込んでスイッチを入れれば使えるというわけにはいかない。しかしホワイトカラーはパソコンとインターネットは使いこなせなければなる資格がない。基本的なツールだからだ。しかし日本のホワイトカラーはそのレベルになっていない。

逆に使いこなしているパソコンマニアやネットマニアは機器やソフトの扱いは出来ても、情報発信力がない。両方出来るようなホワイトカラーはほんの一部であり、それが生産大国でありながら低収益性に悩む企業がほとんどであることの原因であると思う。しかしホワイトカラーを合理化するにしてもシステムを変えなければ、人員を減らせば残業が増えて仕事量は変わらない。サービス残業が問題になるのは企業のシステム改革が進んでいないからだ。




今話題の純愛映画 「世界の中心で、愛をさけぶ」 しかし
キャスティング、構成が悪く、良いのは平井堅の主題歌だけ


2004年12月4日 土曜日

DVD版「世界の中心で、愛をさけぶ」 あらすじと解説

高校時代、初恋の相手だったアキ(長澤まさみ)を病気で失った朔太郎(森山未來)。それから十数年がたち、大人になった朔太郎(大沢たかお)には律子(柴咲コウ)という婚約者ができた。ところが結婚を目前にしたある日、律子が「心配しないで」と書き置きを残し失踪。朔太郎は彼女の行き先が2人の故郷である四国だと知り、すぐさま後を追う。だが故郷をたどるうち、しまいこんでいたアキの記憶が次々と甦った朔太郎は、思い出の迷宮に迷い込んでしまう。

発行部数200万部突破という片山恭一のベストセラー小説を映画化。主演は昨年から『解夏』など主演映画が目白押しの大沢たかおと、行定勲監督とは『GO』以来の再タッグとなる柴咲コウ。現在を生きる2人の思いに沈んだ表情と、回想シーンの長澤まさみと森山未來のキラキラと輝いた表情の対比が、物語のせつなさを際立たせる。

小説ではあまり語られなかった大人になった朔太郎を主人公とすることで、恋人を亡くしてしまった「喪失感」だけでなく、現在の恋人と未来に歩みだす「生きる力の再生」を描いた。また同じく小説にはなかった婚約者・律子の登場で、新たに展開される映画オリジナルのストーリーという、原作ファンにはサプライズなプレゼントも用意されている。

この映画で何をやりたいのか、はっきりさせよ 超映画批評

出版業界久々のド級のベストセラーとなった原作を、センチメンタルな映像美で知られる監督が映画化。

レビューを書くにあたり私も原作を一読してみたが、どうもマスコミその他で騒がれているほど、「泣ける」という話ではないようだ。大して気を引くエピソードがあるわけでもなく、構成がよいわけでもない。高校生同士の恋愛における心理について、一部に鋭い描写を見ることができるが、正直な感想としては、小説としてはイマイチであった。まあ、そういう感性の男による映画レビューだと、まずは断っておこう。

さて、その映画版だが、感動的な主題歌を持つ予告編の出来が見事なため、観客からは相当な期待をされているであろうことは予想がつく。だが、結果としては小説と同じく、イマイチといったところだ。

まず、製作側が何をやりたいのかがさっぱり伝わってこない。観客を泣かせたいのか、それとも本気で青春映画を作りたいのか、あるいは主演女優の長澤を売り出したいのか。

特長のない原作をただ漫然と映画化するとこうなってしまう。もともと大して個性のない本なんだから、もっと映画でやりたいことを明確にし、それに特化して作るべきではなかったか。

それでも宣伝戦略を見る限りでは、この企画の目的は恐らく、観客のお涙頂戴映画を作るという一点にあると想像されるが、もしそうだとしても映画版『世界の中心で、愛をさけぶ』は成功とはいえまい。まあ、あの原作で涙を流せるという人ならこれでも泣けるのかもしれないが。そういえば、横に座っていた若い某美人編集者はすすり泣いていた。これはつまり、人によっては感動で泣ける〜という出来ということだろう。

無論、「原作には「泣ける」以外の魅力もある」という声もあるだろう。確かに、ファンの間では自分の10代の頃を思い出させるリアルな心理描写などを絶賛する人も多い。だが、映画版では主人公カップル二人の関係について、”完全なプラトニック”の方向へ設定変更しており、これが結果的にリアルさを大幅にそいでいるというマイナス効果を生んでいる。

2時間14分という上映時間も、この内容からしたら無駄に過ぎる。長いしくどい。劇伴音楽もうるさい。まあ、ロケ地などは「よくぞこんな良い場所を見つけた」と思うほどすばらしいし、映像もメルヘンチックでこの監督らしいものはある。ヒロインを演じる長澤まさみ(プロポーションが抜群!)も、相変わらずスクリーンに映えるすばらしい女優だが、それらの魅力をもってしても映画自体がイマイチである印象はぬぐえない。

結局、原作を愛してやまない人が、どうしても見たいというケースを除いては、あまり積極的にすすめにくいというのが私の結論である。


(私のコメント)
レンタルビデオ屋で今話題の「世界に中心で、愛をさけぶ」がレンタルされていたので、さっそく借りて見ました。テレビのコマーシャルや本屋などで盛んに宣伝していたから借りたのですが、この映画版のセカチュウの着想は「冬ソナ」ブームで純愛物が流行っているからいいのですが、キャスティングや構成がイマイチで、途中からDVDを早送りで見てしまった。

高校生時代を演ずる亜紀はあまりにも健康優良児的で、白血病で倒れてもその健康さが病人らしく見えず、朔太郎の方も十数年も前の高校時代の恋人を思って感傷に耽るようなナイーブさの似合わない少年が演じていた。だから違和感があって、ドラマに入っていけない。

映画の構成も長すぎるし大人時代の朔太郎の泣くシーンが多すぎるからうそ臭くなる。婚約者の律子を演じた柴咲コウの演技ばかりが光ってしまった。ドラマだから恋人が白血病でなくなるという設定は、ドラマを劇的にするためには仕方のないことなのでしょうが、高校生時代はそのような設定でなくとも泣けるドラマは作れるはずだ。

誰もが高校生時代のピュアな思い出はあるのでしょう。しかし私の高校生時代は大学付属の名門校だから勉強に追われて、学校の授業に追いついていくのがやっとで、美人のクラスメートとデートをするような環境でなかった。就職高校なら遊ぶ時間はあったのでしょうが、私の高校時代は勉強に明け暮れた?ような記憶しかない。

大人になって十数年も前の高校生時代の恋人の思い出に耽る気持ちはよくわかる。多くの人も同じような経験もあるだろうし、映画を見ていて感情移入もしやすいかもしれない。特に女性は一番輝いている時だし、夢もあふれる時期で思い出深い時期だ。だから特に感傷に浸って涙が出るのでしょう。

映画の画像は美しく絵はがきを見るようですが、残念なことに俳優がよくない。主演の大沢たかおにしてもヨン様ほどハンサムでなく知性的でもない。場景が美しいだけに引っかかってしまう。女子高校生のヒロインは美しくスタイルも抜群で、どうしても少年とは釣り合わず不自然だし、もっと適役がいなかったのだろうか。

小説もベストセラーになりテレビドラマでも話題になって、セカチュウ現象とまで言われた割りには映画の出来はよくない。しかし着想はいいのだから構想も作り直して、俳優も入れ替えて作り直せば映画でも大ヒットになっただろう。現代は「冬ソナ」を初めにして純愛映画がトレンドなのだからその点が惜しまれる。

先週紹介した「下妻物語」の方が映画の出来もいいし、俳優も最適なキャスティングで画像もきれいで青春ドラマとしてまとまっていた。しかしTBSがセカチュウのほうを大々的に宣伝したせいで陰に隠れてしまった。セカチュウで良かったのは平井堅の「瞳を閉じて」の主題歌だけだ。




ライブドア社長 堀江貴文(著)「100億稼ぐ超メール術」


2004年12月3日 金曜日

100億稼ぐ超メール術 1日5000通メールを処理する私のデジタル仕事術

3つの秘密兵器とは

◎日報メール=基本的には毎日の仕事の内容を綴った日報を電子メールで流すものだが、(1)経営幹部と同じ事業部の全員が読める点、(2)日報に書き込む「仕事」にはジョブコードが付加されており、会社の原価計算に利用され、決算期のコスト算定のベースとなっている、の2点で通常の日報と大きく異なっている。事業部の全員が日報メールを読めるということは、上司が働きが悪いと、経営幹部は元より、部下にまでばれてしまう恐ろしいシステムだ。その上、働きが悪くグズグズ仕事をしていると、忽ち、担当している仕事の原価計算が上がってしまい、それがまた、周りの人間に即ばれてしまう、二重の意味で恐ろしい「秘密兵器」だ。

◎会議メーリングリスト=会議の前に、会議の議題や資料をメーリングリストで流すことは今やIT先進企業では当たり前のことだが、ライブドアでは、それを使い、ギリギリの点まで、議題をメール上で先に詰めてしまう点が他社と大きく異なっている。堀江社長は「会議の99%は不要。大切な会議でも(事前のメールで話しが詰めてあるので)開始5分で終わり、残りの時間は新しい商売の話のブレーンストーミングに使うことが多い」と言い切るほどだ。
また、ライブドアでは会議メーリングリストの他に、メーリングリストが、職域ごとのメーリングリスト、プロジェクトごとのメーリングリスト、顧客とのメーリングリスト等、メーリングリストが社内で1000以上行き交っており、しかも、その多くに堀江社長を始めとする経営幹部が関わっていて、通常の何気ないメールのやりとりに商売のヒントを見つけた堀江社長が大きな商売へと広げてしまう事例も少なくないと言う。まさに21世紀型マネジメントの好例なのだ。

◎メール・データベースを使った情報管理術=(1)アウトルック・エクスプレスの受信トレイをTODOリストとして使う、(2)スケジュールや稟議要求も全て、メーラーのリマインダーにセットし、該当する時間が来たら、メールで教えてくれるようになっている。もちろん、スケジュールや稟議内容は、ノート型パソコンから見られるようになっている。
(4)新聞の切り抜きの代わりに、情報メルマガを社内で作って、社内で必要な業界ニュース等がメールでチェックできるようになっている。


メールでのケンカは当人同士を会わせる

ここで、メールで部下を管理する際に、気をつけておくべきことを書いておこう。重要なのは、円滑なコミュニケーシヨンである。きちんとお互いの気持ちがわかったうえでなら、フランクな会語やラフを言葉遣いも許される。しかしそうした共通認識がないと、メールという媒体は誤解が生まれやすい。顔も見えないし、声も聞こえないからだ。

手軽に書け分、乱暴になったり、感情的になってしまうことも多々ある。思った意見をそのまま書いているだけなのに、相手が、「この人は自分に対して反感を抱いている」と誤解してしまうようなことは頻繁に起きる。おまけにそうした誤解がどんどん暴走すると、あっという間にケンカになってしまう。

手紙だったら、書くのに時間がかかるから、最初は腹を立てていても、.書いているうちにだんだん冷静になってくる。おまけにいちいちポストに投函しに行かなければならず、そうこうしているうちに、最初の怒りはすっかり冷めて、心も落ち着いてくる。そして、「何で自分は、あんなに腹を立てていたんだろう」と気づいて、手紙を書き直すことになる。

でもメールの場合は、そんなふうにして心を落ち着かせる暇がない。相手のメールを読んで、「許せない!」と腹が立ったら、ほんの数分で怒りの返信メールが書けてしまう。しかも送信ボタンをちょんと押すだけで、あっという間に送信できてしまうのだ。送信してしまってから、「ちょっと言い過ぎだったかもしれない」と反省しても、もう遅い。

その怒りのメールを読んだ相手は、同じように怒りをさらに増幅させて、前よりもきつい調子のメールを送り返してくる。そうなると、こっちも「言い過ぎだつたかも」という反省の気持ちはすっかり忘れて、また怒りにはらわたが煮えくりかえって、相手を糾弾するメールを送ってしまう。

そんなふうにして、メールのケンカはどんどんエスカレートしてしまうのである。電話だったら、同じように最初は怒りを爆発させたとしても、ケンカはそんなにエスカレートしない。お互いの肉声を聞いているから、だんだん相手の気持ちを考えるようになって、最後は、「まあお互いちょっと言い過ぎたけれど、これからも一緒に頑張りましょう」といったふうに矛を収めて、仲良くできる。

でもメールには、そんなふうに事態を収拾させるきっかけがなかなか作れないのである。みたいな顔文字(エモティコン)も発明されて、メールの文章に人間性を持たせる試みも行われているけれど、なかなか電話や対面で話す時のようにはコミュニケーションは円滑にはいかないものだ。

メーリングリストなどでやりとりをしていると、ケンカはどうしても避けられないものである。私は、そうしたことが起きるのはある程度は仕方ないと思っている。だから必要なのは、ケンカが絶対に起きないようにすることではなく、ケンカが起きてしまった時に、どう対処するかということだ。

ちゃんと決着できれば、ケンカが起きても何の問題もない。かえって前よりも仲が良くなって、仕事がスムーズに進行するようになるケースだってたくさんある。私はこれまでに、そんな事例をいっぱい見てきた。

では、どうやったらメールのケンカを収めることができるのか。その答えはたった1つである。「くだらないケンカをしていないで、直接会ってこい」ということだ。私はメールでケンカが起きているのを見つけたら、必ずそう指示を出している。会ってみれば、たいていのくだらない言い争いは片がつく。そうして、「こういう書き方をしたら、相手は傷つくんだな」ということがわかってもらえれば、それでいい。

言い換えれば、メーリングリスト上のケンカなんて、その程度の「売り言葉に買い言葉」でしかない。とにかく両者を直接面会させて、じっくりと話し合わせること。これしかない。もし遠隔地にいるなどして実際に会うのが難しかったら、電話で話すのでもいい。それも難しければ、インスタントメッセンジャー(105ぺージ参照)でやりとりするだけでも全然違う。とにかく同じ時間を共有して、言葉をリアルにやりとりすることが大事なのだ。

長文メールは早めに直させよう

インターネットが普及し始めたころに比べれば、今の若い人たちは本当にメールの文章がうまくなつた。これだけメールが発達して、毎日毎日大量のメールを読み書きしていると、みんな本当にうまくなる。簡潔に文章をまとめる能力とか、情緒的な部分を排して事務的に書く能力とかはすごく高まっていると思う。

書けば書くほどうまくなるというのは、本当である。だがその一方で、相変わらずメールの書き方が下手な人も多い。そして文章が下手な人というのは、メーリングリスト上でケンカを起こしやすいのである。

文章が下手だから、相手に気持ちが伝えきれないのである。メールの文章が下手な人というのは、たいてい文章が長い。自分が会話をしているように書いてしまうので、ひたすらダラダラと長くなってしまうのである。自分がああでもない、こうでもないと悩んでいることを、そのまま文章にしてしまう。

そしてそうした悩みが、仕事や職場、同僚への不平不満のネタになってしまう。これが、いちばん質が悪い。そういう不平不満をメーリングリストに書いて、その不平不満のターゲットが誰か特定の個人だったりすると、瞬く間にケンカになつてしまう。

ライブドアでも昔は、長い文章をメールでダラダラと書く社員が非常に多かった。もともとメールですべてのコミュニケーションを取ろうと考えている文化、風土があったから、「自分の気持ちも全部メールで表現してしまおう」と考える者が少なくなかった。

しかしそうしたやり方というのは、しょせんは会話をメールに変換しただけである。実際に会った時の会話でダラダラと長いのはまだ許せるかもしれないが、メールでダラダラした長文を読まされる方はたまったものではない。たいていの人は、そんな長いメールが来たら、まじめに読まないで放置してしまう。

そうすると、この人は部署内でどんどん浮いてしまう結果になり、組織の運営の面からもたいへん大きな問題が生じかねない事態になってくる。

では、そういう人にはどう対処したらいいのだろうか。長々と書いてきた人がいたら、そのメーリングリストを管理しているディレクターなりマネージャーなりが、メールの意味を汲み取って、「○○さんのメールは、要するにこういうことを言いたいんですよね」と返信して、その長文メールの要約を箇条書きにして並べてしまえばいいのである。

ディレクターはまるで国語の試験添削のようなことをやらされるわけだが、これはとても重要な作業だ。もしその要約・箇条書きが本人の考えていたこととずれていたとしたら、本人は、「それはちょっと違います。私の言いたいことは△△です」と返信してくるかもしれない。

そうしたら、ディレクターは再び、「なるほど、△△ということなんですね」と確認して返せばいい。そうすれば、メーリングリストに参加している他のメンバーは、この人が何を言いたいのかをきちんと把握することができる。そして同時に、そういうやりとりを繰り返しているうちに、相手のメールはだんだん短くなってくる。メールのスキルのレベルが一段階上がるのである。

それにしても、ディレクターやマネージャーなど、メーリングリストを管理・運営している人間は、たいへんな能力を求められるのである。逆にディレクターやマネージャーのML運営能力が乏しいと、もっとひどい事態を招く。

スタッフたちがMLに投稿しなくなり、何か問題があると、そのディレクターを飛び越してもっと上の上司に連絡を取ったり、あるいは同僚同士で問題を解決しようと考えてしまったり、ということになる。そんなことになったら、組織が崩壊してしまいかねない。

そう考えると、メーリングリストの管理能カは、リアルの世界での管理能カと同じといえるだろう。職場でまともな労務管理ができない管理職が、ML上で急に力を発揮することはあり得ない。逆にMLを放置してしまうような人が、職場で優秀な労務管理を行えるということは絶対にない。(P42〜P48)



(私のコメント)
私は毎日ネットサーフィンしていろいろなサイトを見ていますが、日本人は一般的に自分の意見を発表したがらない。「物言えば唇寒し・・・」の世界だから、意見を言っても反論が返って来ない。じゃ、相手はわかったのかと思っていたら、陰でみんなに告げ口してまわっていたということが学校時代や会社員時代によくあった。

家族同士でもなかなか会話で意思疎通が出来ない。その点がテレビドラマと現実の相違点で、言葉にして自分の意見を分かりやすく表現をすることが出来ない。身内や仲間同士ならそれでも以心伝心で何とかなりますが、他人同士や外国人相手に会話をするとなるとそのようなわけには行かない。

今話題のライブドアの堀江社長は短期間に、たて続けに本を出版していますが、忙しいのによくこれだけの本が書けるものだと思う。それというのも毎日のように5000通ものメールをチェックして、自分自身も大量の指示をメールで発信しているからで、たて続けに出ている本も国民に対するメールを本にまとめただけに過ぎない。

私の「株式日記」も日本国民への毎日の日報のようなつもりで書いているのですが、主題さえ決まれば30分か1時間程度でA4レポート用紙に1、2枚程度の日記は書けるようになった。だから誰でもサラリーマンでもやろうと思えばブログなどで情報発信できるはずです。

若い学生なら将来ライブドアのような会社で働く場合に、普段から文章を書く癖を付けていれば役に立つだろう。しかし「2ちゃんねる」や「阿修羅」やYAHOOなどの掲示板を見ても、長い文章を書くだけの能力を身につけていないようだ。大学生の学力も低下して中学生レベルの漢字も読み取れない。ましてや長文の読解力は本をほとんど読まないからあるはずもない。

だから堀江社長の「100億円を稼ぐ超メール術」も多くの大学生には猫に小判で役に立ちそうもない。しかし平均レベルでは学力は落ちても、出来る人は出来るし、やる気のある人は堀江社長のように超人的な能力で新しいビジネスを開拓していけばいいのでしょう。

堀江社長は毎日5000通のメールをチェックするそうですが、私なども多くのサイトに目を通しますが、それには長文読解力がないと多くのサイトを見たりしても時間がなくなるし、理解も出来ない。しかしそれが出来ないとネットからは十分な情報も得られないし、時間の無駄遣いになる。

結局はメールを有効に使うにしても、かなりの能力を要求されると堀江社長も書いていますが、中年以上の会社員には真似の出来ないことだ。毎日の日報一つ書かせるのも不可能だろう。しかしメールを有効に使いこなせるようになれば無駄な会議も必要なく、長時間会社に拘束されることもなく、全世界を飛び歩いていてもビジネスが可能になる。

しかし今の学校ではメールを書かせる授業はしていないようだ。佐世保では小学校6年の女児が殺人事件を起こしましたが、メールや掲示板での使い方を教師が指導できなかったからだ。またトラブルが起きたときにどのように対処するかもわからない。堀江社長の本を読んでみると国語の先生の授業のようでもあり、メールの書き方なども学校で教えられるといいと思う。




中国はなぜ靖国参拝に反対するのか?背後には米国
民主党あり。ブッシュはなぜ靖国へ参拝を望んだのか?


2004年12月2日 木曜日

靖国参拝中止を再度要求 日中首相、溝埋まらず

【ビエンチャン30日共同】ラオス訪問中の小泉純一郎首相は30日午前(日本時間同日昼)、ビエンチャン市内で中国の温家宝首相と会談した。温首相は、小泉首相の靖国神社参拝について「A級戦犯がまつられており、中国人民は受け入れることはできない」と中止を要求、来年の訪日招請にも「良い条件と環境の中で訪日できることを希望する」と明確な返答を避けた。
 小泉首相は靖国参拝を「不戦の誓いを新たにするものだ」と説明して理解を求めたものの、21日の胡錦濤国家主席に続き、中国側の靖国問題への反発が際立ち、日中間の溝は埋まらず、途絶えている懸案の首脳相互訪問のめどは立たなかった。
(共同通信) - 11月30日17時19分更新

日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略 深田 匠 著

プッシュの靖國参拝成らず!

二〇〇二年二月の来日前にブッシュは「靖國神社へ参拝したい」と打診してきた。これは米国歴代大統領としては初めてのことだ。ブッシュの靖國参拝希望は、「対等な同盟国となるべき日本の主権を尊重し、日本の英霊へ敬意を表する」という意味合いと、「ともに中共と闘おう」という意志表示の現れに他ならなかった。

つまり靖國参拝を中共に叩かれて苦慮している小泉首相への「援軍」でもあったのだ。しかし残念なことに中共の顔色をうかがう外務省チャイナスクールや親中派政治家のせいでブッシュの靖國参拝は結局見送られるに至った。

ブッシュの参拝が実現していれば、おそらく中韓の靖國への外圧・内政干渉は終わりを告げたことであろう。日本はまたとない好機を自ら捨ててしまったのだ。この靖國参拝をプッシュに強く進言したのはアーミテージ国務副長官だが、共和党政権のこの「友情」を自ら辞退した馬鹿な日本の姿を見て中共はさぞや大喜びしたことであろう。

結局、来日したブッシュは靖國神社のその代わりに明治神宮に参拝した。しかし小泉首相は、明治神宮においてさえ、中共への遠慮からブッシュと肩を並べて昇殿参拝しようとはせず、烏居の外で待つていたのだ。

中共に媚びるために国家の主権を放棄する臆病な首相の姿は、ブッシュの目にはどのように写ったのであろうか。過去においては共和党レーガン大統領、そして民主党ではありながらも珍しく親日派であったカーター大統領が、明治神宮に参拝している。

これはGHQの発した「神道禁止令」を明確に撤回、否定した行動である。五十有余年の時代が過ぎて世界情勢の変化に伴い、GHQがっくった対日政策は崩壊を起こし始めているのだ。そしてそれは、共和党がニューディーラーのつくった日本の「戦後体制」も含めての戦後世界秩序を一新しようとする大局的な動きとも連動している。

プッシュは単に気まぐれから靖國参拝を望んだのではなく、それは世界秩序再編の一環として、歴史カードで中共に叩かれ続ける日本の「戦後体制」の一新をも狙った政治的行動であったのだ。

現在左翼のみならず保守陣営の一部も「一極支配」だの「イラク侵略」だの何だのと相変わらず反ブッシュを唱えているが、中共が「靖國へ行くな」と「厳命」する状況下に、アメリカ歴代大統領の中で初めて日本の首相に「一緒に靖國神社に参拝しよう」と誘ってくれた真の親日派大統領をなぜ罵倒しようとするのか。

国連なる戦勝国連合による世界秩序ど日本の「戦後体制」とを全て一新しようとする共和党大統領を罵倒するならば、それは民主党のグローバリズムや対日封じ込め体制を肯定することと同義となる。

小泉首相の靖國参拝が前倒しになった平成十二年のことであるが、七月三十一日に加藤紘一と山崎拓は自民党本部で中共の武大偉駐日大使に「八月十三日に前倒しさせる」と約束して、参拝の「許可」をくれるように頼んでいる。これを内々に「許可」した中共は米民主党を通じて、民主党系のニューヨーク・タイムズ紙に「小泉首相の靖國参拝は中国を警戒させる先鋭なナシヨナリズム」と題する大々的な批判記事を掲載させた。

つまり中共、日本の中共シンパ政治家、米民主党という日米中の反日ネットワーク連携の合作による圧力をかけて、小泉首相が十三日の前倒しに応じざるを得ないように仕向けたわけである。

民主党は東京裁判を行った手前もあり靖國神社に対する認識は中共と大差なく、民主党の大統領が靖國参拝を申し入れることも考えられない。大統領が靖國神社に参拝することは東京裁判の否定に繋がり、目本封じ込めの大きなカードを失うことになるからだ。

つまりこの一件で日本が自ら捨てたのは、対中抑制のチャンスだけではない。もう一つ、取り返しのつかない大きなチャンスを日本は逃したのだ。もし仮にブッシュの靖國参拝が実現していたら、それはすなわちアメリカ大統領が東條英機以下大日本帝国の英霊に敬意を表する行動を取ったことになり、従って先の大戦の「日本悪玉史観」をアメリカが改めるターニングポイントになっていたことであろう。

ブッシュがナチスSS兵の軍人墓地やムッソリー二の墓所に参ることはありえない。それは前述のように共和党の歴史認識は本音のところでは、日本とドイツを区別して「日本は侵略国ではなく安全保障のために戦った」という意見が根強く存在しているからである。

大東亜戦争の大義と功積を世界史に刻むには、アメリカがそれを認めることこそが全てだといっても過言ではない。前述したように共和党は「人道に対する罪」の存在は認めても「平和に対する罪」の存在は認めないという党是を持っている。

ブツシュ自身が二〇〇二年五月に米陸軍上官学校で述べた「国家は自衛のためには先制攻撃も辞さない」という国防理念は、まさに東京裁判で東條英機の述べた真珠湾攻撃理由と一致するものだ。

また今回のイラク攻撃についても「自衛のための先制攻撃」であり、それを是とするならば日本の真珠湾攻撃も是としなければ辻棲が合わなくなる。

日米開戦に反対し続けていた共和党の対日歴史認識は民主党とは相当なズレがあり、共和党は民主党政権が東京裁判で「平和に対する罪」を裁いたことに大いに違和感を持っている


マッカーサーの議会証言の如く、日本の先制攻撃は自衡のためであったことを共和党はよく理解しており、従ってブッシュも仮に言葉にはせずとも本心では日本に戦犯などいないことをよく分かっているのだ。

立場上まだ今の段階では口に出せなくとも、行動でそれを示すことはできる。だからこそブッシュは靖國神社へ行こうとした。私はパール判事の盟友たる田中正明氏の門下生であり、パール判決史観が世界の共通認識になることを望んでいる。

そして幸いなことに共和党の国際戦略では、中共に対する盾となる重要な国として日本とともにインドの国名を挙げているのだ。ご存知のようにインドではパール判決史観を国家史観に位置付けている。

つまり当事国にあたる日米ではなく、第三国のインドにより下されたパール判決であるからこそ、共和党もアメリカ国民を納得させやすい面があるのだ。

日米印が中共に対抗して固く団結し、日米が日英のような対等な同盟国となり、米国大統領の靖國参拝が実現すれば、その延長線上にあるものは「東京裁判の否定」「原爆投下への謝罪」「パール判決の国際的復効」が存在するであろうことを私は確信している。

そして非は非と認めて日本への謝罪を行うとすれば、それは民主党政権ではなく共和党政権であろう。キリスト教原理主義者でもあるブッシュが、なぜ神道の靖國神社に参拝しようとしたのか。

単なる儀礼であれば過去の歴代大統領がそれをしなかったように、敢えて内外に波紋を呼ぶ靖國参拝をする必要はないのだ。前出紙など民主党系の米リベラル派マスコミが小泉首相の靖國参拝を批判する中で、ブッシュはそれなりに政治的リスクを覚悟した上でこの申し入れを行った筈である。

共和党は日本が中共に莫大な経済援助や土下座外交を行う根因が自虐史観であることをよく理解している。従って世界秩序の再編という大仕事に着手した以上、対中共への戦略からも大東亜戦争の歴史観を共和党政権が転換させることは大いに有りうるのだ。

そして、その試みこそがまさにブッシュの靖國参拝の打診であったのだ。故に、中共に媚びんが為にプッシュの靖國参拝を中止させた売国奴たちはその罪万死に値する。平成の世にはもう山口二矢はいないのか。(P361〜P363)


(私のコメント)
テレビなどによる政治評論家の解説やブログなどの政治解説などを見ると、いまいちアメリカの正体を掴んでいないようだ。外交評論家などの解説によれはアメリカは民主党でも共和党でも国内政策は変わっても外交政策は大きくは変わらないと解説している。しかしそれは間違っている。それは国益という概念が民主党と共和党では大きな違いがあり、その国益の概念の違いを認識していないからだ。

「二つのアメリカの世界戦略」と言う本を読めば、民主党と共和党の世界観の違いがよくわかると思いますが、小泉首相の靖国参拝をめぐるブッシュ共和党大統領と、中国の執拗な靖国参拝に対する批判は、その黒幕はアメリカの民主党であり、彼らが中国を炊きつけて靖国参拝にクレームを付けているのだ。

それは当然「東京裁判」に対する見方にも、共和党と民主党は分かれており、ブッシュ大統領の靖国参拝が実現していれば、それはすなわち「東京裁判の否定」や「原爆投下への民主党のルーズベルト大統領への批判」につながるものだろう。それは共和党のアイゼンハワー大統領も原爆投下には反対していたことからも窺える。

このようにアメリカの対日政策について、民主党と共和党の違いをよく理解せずに、一緒くたにして対米批判をすることは、アメリカについていかに無知であるかを証明することになるだろう。

靖国参拝問題を通じて見られることは、日本の左翼政党や自民党親中国派は実はアメリカの民主党に繋がる一連の勢力なのだ。クリントン大統領時代に自民党の野中広務や加藤紘一があわや自民党総裁にならんかの勢いがあったのも、アメリカの民主党勢力が糸を引いていたのだ。

アメリカのニューヨークタイムスなどの民主党系マスコミと朝日新聞や毎日新聞などの日本の左翼マスコミが連携して、靖国問題や南京大虐殺や従軍慰安婦などの問題を煽っているのだ。だから日本の左翼は反米というより反共和党といった方が正確かもしれない。アメリカの民主党には明らかに共産主義勢力が紛れ込んでいる。

靖国問題について「深夜のニュースブログ」で解説していますが、やはり民主党と共和党の違いを認識していないようだ。

靖国神社問題は、対アメリカ問題である 深夜のニュース

日中戦争、しいては19世紀からの東アジアと日本の歴史について、東京や北京で、日本と中国の歴史学者を集めて、半年でも1年でもいいから徹底的に議論するプロジェクトを作るべきだと思う。日中で非難しあってもなにも進まないではないか。中国は日本に文句があるというのならば、どのような文句なのか聞いてみようではないか。日中間に共通の歴史認識などあり得ないというのではなく、共通の歴史認識をこれから作って行かなくてはならないのである。その結果、中国の言うことが正当な理のある非難ならば、それこそ日本国首相でも日本国天皇でも北京に行って謝罪しようではないか、以後一切、中国からの文句は言わせないようにしようではないか。しかし、もし不当な文句を中国は言っているのならば、中国政府にしかるべき責任をとってもらおうではないか。

 ところが、である。ここに、東京裁判を見直しをされると困る国がある。アメリカである。つまり、なぜ靖国神社の問題が片づかないのか。東京裁判の見直しをやらないからである。では、なぜ東京裁判の見直しをやらないのか。アメリカにとって好ましくないことになるからである。すなわち、靖国神社問題は、これもまた日本の対アメリカ問題だったのだ。



(私のコメント)
私のような東京裁判否定論者からすれば、共和党のブッシュ大統領のうちに東京裁判の見直しや、戦後アメリカからやってきたニューディーラーに押し付けられた「平和憲法」の改正のチャンスでもある。パウエル国務長官の発言からもアメリカ共和党がもし当時の政権だったならば「平和憲法」を押し付けなかったのは明らかだ。

このようにアメリカの政権が民主党か共和党かで、日本に対する政策は180度変わることは覚悟しておくべきなのだろう。




日本人が、韓国人の人たちから差別や閉鎖性について
批判されても、相手の悪いところもしっかりと指摘すべきだ


2004年12月1日 水曜日

ヨン様熱狂に「なぜ?」 韓国、訪日でブーム分析

【ソウル29日共同】韓国ドラマ「冬のソナタ」で人気の俳優ペ・ヨンジュンさん来日に日本人ファンが熱狂する様子は韓国でも大きな関心を集めた。日本の「ヨン様ブーム」をあらためて見せつけた形だが、その熱狂ぶりについて韓国側では「なぜ?」との思いも強い。一般紙や経済紙まで来日を伝えつつブームの分析や展望にも熱心だ。
 「空港まひ、テレビは生中継」「ファン負傷、涙のヨン様に『気にしないで』と声援」−。
 来日したペさんの一挙手一投足にファンが歓喜し、メディアが追い回す様子を韓国のスポーツ紙は驚きも交え連日トップで伝えた。成田到着時の様子は一般紙や経済紙も記事が一面に。政治報道が重視される韓国メディアでは異例だ。
 経済紙の韓国経済新聞は「ヨン様の経済効果1兆ウォン(約1000億円)」。東亜日報は「ヨン様の力」と題した27日付社説で「朝鮮通信使以来で最大の対日文化商品」とし「国宝級の芸能人」と最大級の賛辞を送った。
(共同通信) - 11月29日19時17分更新

朝鮮・韓国人について

情の世界

今、はまって見ているのが、「冬のソナタ」だ。まだ前半部分しか見られていないが、小説では最後まで読んだ。そこで、これまで見た韓国映画で観察していた共通点を、さらに輪をかけて、はっきりとした形になって現われている。その点をいくつか挙げてみたい。

 映画やドラマだけに限らず、歴史なり社会なり、文化においても、韓国の根底に流れているのは「情」である。「この人は情が深い」という時に使われる情だ。これが理解できると、日本人がたいていとまどってしまう、表面的な差異がなんでそうなっているのかが理解できる。韓国の人たちと付き合うと、なんでここまでいろいろ尽くしてくれるのか、とびっくりしてしまう反面、その粘っこい関係から離れられない密着性がある。(注:ここのサイトに、具体的エピソードを交えて「情」の概念を説明している文を見つけました。)

 冬のソナタの主人公に、女性のユジンが出てくる。彼女が高校生の時に、カン・ジュンサンという高校生が転校してくる。二人は初恋の関係になる。しかし、チュンサンは交通事故死する。(注:ジュンサンとチュンサンは同じ名前です。韓国語の性質のため、初めの音が濁音化されるときがあります。)そして話は急に10年後に飛ぶ。彼女が幼馴染のサンヒョクと婚約することになる。婚約パーティー会場に向かう際、チュンサンにそっくりな人を見かける。そしてその人を追いかけ、さまよっている間に、婚約式をすっぽかしてしまう。そして、彼女が働く建築デザイン会社とスキー場の改装工事のために共同事業で働くもう一つの建築会社があるが、その理事長がそのそっくりさんであることが分かる。こうしてユジンは、10年前の過去の人を彼の中に見出しながら、結局、サンヒョクとの婚約は破棄、そしてそのそっくりさんであるイ・ミニョンとも関係は成立しなくなる。そして、実はイ・ミニョンは、死んだはずのカン・ジュンサン本人であったことがわかり急接近するが、とうとう最後まで結婚することはできず、それでドラマは終わる。

 ユジンがいくら初恋の人であっても、そしてたとえ死に別れをしたとしても、なんで過去の人をそこまで思うことができるのか、と思ってしまう。いや、たとえ忘れることができなくても、であれば早め、早めにサンヒョクとの関係を、婚約関係から、友人関係へと修正せねばいけない。ところがユジンは、気を揉んでいるサンヒョクに、「ミアネヨ(=ごめんなさい)。」と繰り返すばかり、ついにミニョンがユジンを好きになって、結果的にサンヒョクからユジンを略奪した形にしなってしまう。他の親友や家族の人たちも、その結果ひどく傷ついてしまうのだ。

 話の構成は、チュンサンとユジン、サンヒョクの世代にとどまるのではなく、多重構造になっている。カン・ジュンサンの母、ユジンの母と亡き父、サンヒョクの父の間にある、高校生時代の恋愛関係がその背後で渦巻いている。なんと、チュンサンの母がユジンの亡き父に恋していたが、今のユジンの母に取られていってしまったことを恨みに思っていたのだ。しかもチュンサンは、サンヒョクの父との間に出来た子であるのだが、ユジンの父とできたものと自分に思い込ませて何十年も生きてきた、というのだ。それで話が非常に複雑になり、ユジンとチュンサンを含め、周囲の人が振り回され傷ついていく。

自分がやりたいことをする

 そしてもう一つ、「情」の他に指摘できる点は、「結局、やりたいことをやってしまう」ことであろう。韓国の人たちがよくいう言い回しらしいが、「一人の韓国人は十人の日本人より強い。けれども韓国人が十人集まると、一人の日本人より弱くなる。」である。韓国人は自分が思っていることをどんどんやっていくので、人の話を聞けない、天真爛漫的な自己中心性がある。ユジンは、イ・ミニョンに、サンヒョクと自分のどちらかを選ばなければいけないと問い詰められたとき、「どちらも選びません」と表明したが、その後もミニョンにひっぱられ、またサンヒョクに引っぱられていく。にも関わらず、やはりどちらとも結婚しない決断を、(自分では意識していないだろうけれども)下している。

 ここまでの執着心、思い詰め、そして気の重さに私自身の気がひどく重くなってしまったが、なんとこれが現実の恋愛の世界でも起こっているらしい記事が、NHKのハングル講座のテキストに掲載されているので、びっくりたまげてしまった。かねてから、韓国の映画やドラマは、感情の細かい部分を鮮やかに描き出し、それを伏線として最後にまとめ上げていく構成に感動し、感心しているが、実際の場でもそのような感情の流れがあるからこそ、映画やドラマに出来るらしいことが分かった。

 そして実は、私個人、ミニストリーという現場で、この痛い経験を何回かした。もちろん、恋愛関係に入ったとか、そういうのではない(男性も含まれるのだから)。信頼関係を築いていると思っていても、突然、何かの出来事で、理由がさっぱりわからないままぶっち切れてしまう、ショッキングなことが起こる。だからといって、絶交とか、相手が自分たちを嫌っている気配は全然見えない。実際、嫌っていないのだと思う。でも、利用できるところは利用するというか、自分がやりたいことをやりとげれば、あとは関係ないという行動を、(本人は意識しているかどうか分からないが)取っている。説明責任というか、相手に自分がなぜこんなことをしたのか知らせる責任感が、どこかですっとんでいる。

 日本人がとかく、YesかNoかを答えられない優柔不断なところがあるとしばしば言われるが、韓国の人たちは、日本人に輪をかけて決断ができないように見えることがしばしばある。そうした決断がなかなか出来ないところに、「情」という相手との密着性が存在する。それゆえ、感情をストレートにぶちまける衝突と対立を経ながら、なおその関係が断絶しないという、興味深い人間関係を築いている。

冬のソナタの続き

 以前、ドラマ「冬のソナタ」のことを書きましたが、DVDのVolume 2が届いたので、それを見たので、続きを書きたいと思います。ユジンは、その優柔不断な態度のために、サンヒョクをはじめ、その家族、友人、ユジンの母、そしてイ・ミニョン自身までも、辛い思いをさせていきます。けれどもその態度は、交通事故で奇跡的に回復したイ・ミヒョンが記憶を取り戻し、自分がカン・ジュンサンであることをを思い出したときから一変します。冬のソナタのテーマが「初恋の思い出」であると言われる所以ですが、ユジンはもう絶対に、チュンサンから離れない姿勢を決して崩すことなく、何を言われてもぶれません。また、もう結婚式の直前であったにも関わらず、サンヒョクも諦めます。恋敵であった、カン・ジュンサン(イ・ミニョン)とも仲を良くして行きます。

 けれども、ユジンとチュンサンは、心引き裂きながら、別れる決断を半ば強制的に自分に課す、その出来事が起こります。ユジンの父とチュンサンの父が同一人物であった、ということです。チュンサンに一途になれたユジンも、同じ血が通っていることは、その恋よりもさらに強い要因となりえます。

儒教の影響

 もちろん、近親結婚は遺伝学的にも知的障害児が生まれるなど良くない要素は多いのですが、ユジンとジュンサン、また周囲の人々の間にある、近親結婚への絶対的拒絶感は、そうした医学的なものではないようです。もっと道義的なものです。「血」を非常に重要視する儒教の影響からと言えます。もし結婚すれば、とてつもない社会的制裁を受けます。いわゆる「村八分」と同じで、世間の目が決して許さないのです。

 韓国は儒教主義の国であるとよく言われますが、この血統主義から見てもそうだと言えるでしょう。性的不道徳に対する嫌悪感は、一見良さそうに見えますが、キリスト教の倫理観と決定的に違うのが分かるのは、「命の尊厳」です。聖書の中には、「養子」という考えがあります。ルツ記を見ると、血はモアブ人であるのにイスラエルの家族の一員となり、メシヤの先祖となる特権にあずかったルツの話があり、クリスチャンはみな神の家族の中に養子入りされた存在です。けれども、韓国では、養子に対する社会的な冷たい目があるそうです。そのため、社会的に養子が認められている米国に孤児を送る現象も起こってきたようで、例えばドラマ「ホテリアー」の、ペ・ヨンジュンが演じるシン・ドンヒョクは、米国育ちの元韓国人養子として出てきます。また、(これを言うのは辛いことですが)韓国は日本と同じように中絶は広範囲に行なわれており、夫婦の間でも家族計画の一方法として用いられているそうです。

 また、障害者に対する偏見も強いようです。障害を持つ事を恥とする部分があるようです。「冬のソナタ」の話に戻しますと、カン・ジュンサンが、交通事故の後遺症のため手術を受けなければならず、手術によって失明する可能性がある、と診断されました。そのとき、カン・ジュンサンは、その父がユジンの父ではなく、実はサンヒョクの父であることを知らされました。けれども、彼はそのままユジンと別れ、米国に戻る決心をします。そこで、ユジンも自分がチュンサンと半兄弟ではないと知らされたのに、彼を追いかけていくことをせず、フランス留学をすることになります。目が見えない、とか、死ぬかもしれないときは、老人が人里離れたところに行って死ぬ「姨捨山」であるかのように、姿をくらましたくなる、あるいは人に知られたくないと思うようになり、周囲もそうした気持ちを重んじる傾向があるようです。

 ですから、感情面では「情」や「恨(ハン)」があり、理・知の面では儒教の考えがあり、この原則論と感情の二つの糸で織り合わせられているのが、韓国であるようです。

日本人の奥様は、「韓国」を見ているわけではない

 そんな中で、あの"純愛モノ"と言いながら、実際は小学生には聞いてもらいたくないようなドロドロした関係を描いた冬ソナが、ご婦人の心を打つのでしょう。実は、あるテレビ番組によると、現代の韓国映画・ドラマのストーリー展開は、日本の60〜70年代の映画を翻案したものだそうです。セリフや素振りまで、ただ日本語から韓国語に直しただけのそっくりさんが、韓国の映画館で上映されていたそうです。そして儒教に基づく正統性意識が強い韓国では、それが一定の変えられない形式となり、現代に至るまで連綿と受け継がれています。

 ところで、この、なかなか変えようとしない正統性意識は、ペ・ヨンジュの「スキャンダル」によく現われていました。あれは韓国では大人気になったそうですが、それは映画の内容が今までの殻を打ち破る斬新的なものだったらしいのですが、我々日本人が見たら、単なる軟派のR指定映画です。(それと知らずDVDを見て、つまづきそうになりました。)そしてペ・ヨンジュは、他のドラマと同じようにその映画でもプレイ・ボーイの役であり、他の韓国の映画と同じように最後は殺される運命を辿ります。これが、「挑戦に値する、新しい役柄なのか」と思わせるほど、変化や発展性がないのです。

 そして冬ソナの話に戻りますが、韓国の中では冬ソナは数あるドラマのたった一つのドラマにしか過ぎず、韓国人の評価は芳しくありません。普通のドラマでは、アメリカの「24」のように、同時間にいろいろな人間関係が展開していきますが、冬ソナは二人の関係しかクローズアップされません。そこが面白くないとのことです。

 したがって韓流ブームは、韓国側から見ると、「韓国でそれほど売れない(あるいは使い古した)商品が日本の市場に出回って売れている」と言い変えることができ、日本側からすれば「若き日の郷愁」を満たしているにしか過ぎません。

韓流ブームが、バブルにならないために

 僕は悲観的なのでしょうか、現実的すぎるのでしょうか、かつて日本人が韓国人を差別したあの事件は、全体主義的になって、ヒステリー現象を起こしてしまう民族性があるだけに、周囲の政治・経済・社会の状況が変われば再び繰り返してしまうことも、またあるのではないか?と思ってしまいます。韓国人対する謝罪意識や韓流ブームが、そのような怪しい動きの歯止めになるのか?というのが、これまでの私が書いてきた疑問です。むしろ、そのような不穏な動きの予兆のような気がするときもあります。「早く立ち上がって欲しい。このような動きをしていたら、何か起こったとき、またいじめられるよ!」という心からの叫びが、日頃、友人や知人の動きを見て、出てくるのですが、私が変えられるものではありません。オリーブ山からエルサレムの破壊を思って、「エルサレム。エルサレム。」と言われて泣かれたイエスさまの心は、このような叫びだったのかな?と思います。

 韓流ブームがブームだけに終わらないでほしいと願います。これをきっかけに、さらに一歩踏み出して本当の韓国に近づいてみる努力があってくれたら、と願います。


(私のコメント)
日本のテレビ局では相変わらず「ヨン様」「冬ソナ」「韓流ブーム」と朝昼晩と、異常なほどの人気の煽りぶりだ。わたしもこの事については何度もコメントしてきましたが、芸能界にはこのような「やらせ」や「しかけ」はつきものだ。またそうしないと大スターは育たない。テレビ業界ではそれを「冬ソナ」や「ヨン様」に適用しているに過ぎない。

冒頭のニュースでは日本におけるヨン様ブームの分析が盛んなようですが、どういうわけか常識となっている業界による「やらせ」とか「しかけ」と言う分析には行かないのが不思議だ。これは日韓共同の国家的事業でもあるから、公然の秘密でも明らかにするわけには行かないのだろう。しかし「韓流ブーム」は日韓の親善につながるのだろうか。

「冬のソナタ」が韓国ドラマとしてはめずらしく当たったのは事実である。NHKでも視聴率が10%から20%になった。「冬のソナタ」を扱った本も売れた。主演したぺ・ヨンジュンの写真集も売れたらしい。しかしそれ以外の韓国ドラマがさっぱりだ。韓国でも古くさい「冬のソナタ」がなぜ当たったのか「なぜ?」と言う思いらしい。

わたしもDVDで半分ほど見終わりましたが、まさに戦後の「すれ違いメロドラマ」のパターンをそのまま生かしている。画面的にはファッションもインテリアも現代的ですが、ストーリーは純愛もので、今の日本では見当たらなくなってしまったものだ。ならば今の日本で純愛ものを作ればと思うのですが、死んだ初恋の人を10年も思い続けるような情の深い女がいるだろうか。

昔の日本なら「貞女は二夫にまみえず」の言葉どおりの世界だったのですが、今は離婚してもバツイチと言うだけで男女の情も希薄になる一方だ。たとえ作ってもうそ臭くなって作れないだろう。ドラマを見てても古くさいメロドラマのパターンを繰り返しているだけで、韓国でも大ヒットしたわけではない。日本でも中ヒット程度だ。

それでもテレビ局が朝に晩に「冬ソナ」だ「ヨン様」だとしつこすぎる。芸能界は「やらせ」がつきものといっても限度があるだろう。「冬ソナ」で韓国や在日韓国人のイメージを上げたいという気持ちもわかりますが、テレビ局があまり熱心なので気持ちが引いてしまう。「しかけ」も露骨になってTBSではヨン様の出迎えをメールで呼びかけたようだ。

ヨン様来日で成田に出迎える「サクラ」を雇うTBS

というのもですね、民放で最もぶっ飛んでる「売国テレビ」TBSが、空港でペ・ヨンジュンを出迎えるオバハン軍団をわざわざ募集していたのだ。

詳細→TBSで募集していますよ!!

(中略)

◆本当なのかわかりませんが、成田空港闘争の時にTBSは全共闘に為に角材を運んであげていた。その頃からのTBSのやらせ体質は変わっていないらしい。



(私のコメント)
これは私が見つけたサイトをコピーして、最後の一言を私が付け足して「阿修羅」に投稿したものです。リンクも付けといたのですがリンク先は今は切れてない。韓国ネタを書くとウイルスメール攻撃や嫌がらせのメールもいただき、こんな事をすればなおさら韓国にたいするイメージが悪くなるだけだと思うのですが、在日の方も陰湿な工作はしないほうがいいだろう。テレビ局の「やらせ」も同じだ。



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