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吉川元忠(著) 「経済敗走」 円がドル化される!
財務省は日本国民の利益よりアメリカを第一に考える
2004年6月30日 水曜日
◆日本経済「ドル化」計画
◆日本に考えさせろ
読者の中には今までにアメリカ旅行をされた方も多いだろうが、アメリカの紙幣にどんな人物が描かれていたか、思い出されるだろうか。一ドル札は初代大統領G・ワシントン、初代財務長官A・ハミルトンは十ドル札に、また雷が電気であることを確かめるために凧を揚げる実験を行ったことで有名なB・フランクリンが百ドル札に現われるという具合である。
なぜこんな話を始めるのかというと、二〇〇四年の新紙幣発行計画(五千円札・樋口一葉)が延期されてしまった後、一体何が現われるのかということに関係しているからである。その新紙幣がドル紙幣であろうと考えるのは「藪から棒」で突飛な想像にも見える。確かに一気にそこまでいくことはなかろうが、何らかの価値をドルと連動させたものではないか、とするのはまったく根拠がないことではない。アメリカ、ドルはそうでもしないとやっていけないだろうし、財務省は日本国民の利益よりアメリカをまず第一に考えてきたからである。
財務省、日銀はなぜ円売り・ドル買いの為替介入を続けているのか。その規模は巨額というより常識的範囲を越えてきている。介入を続ける理由として、「円高は景気に有害」というが、それも介入のためのコストとの相談である。仮に世界的にドル資産離れが起これば、日本のほぼ一手買いではどうにもならない。
もちろん中国やアジア中銀は結局ドル支援に動かざるを得ないこともあろうが、それにも限界はある。多くの疑問が投げ掛けられる中で財務省の態度は確信犯的であり、この介入が来るべき「或るもの」までのつなぎにしか過ぎないのではないかと疑わせる。その「或るもの」とは、ドル免換紙幣の発行→日本経済の実質的「ドル化」である。
アメリカ財務省はかねてから大蔵省に対し「ドルの安定のための抜本策を作れ」と要求していたという。ただし自らがそのために何らかのコストを払う心算はさらピらなく、すべて日本の責任と負担でやれということである。これに対して日本の財務省が提出した答案が「ドル化」だったのではなかったかと思われるのである。当然、基本的にはアメリカのためであって、日本としては大変なことになるだけである。
◆ドルの利益を徹底追求
「シニョレッジ」ないし「通貨発行特権に伴う恩恵」といわれているものがある。具体的には通貨が自国以外で実際に流通することによる利益ないし収入である。アメリカは基軸通貨国として三〇〇〇億ドル以上の通貨を発行している。そのうち実は国外で、国内を上回る約六割が流通している。ということは、アメリカは約二〇〇〇億ドルを国外に流通させることで、それとははっきり見えない形で対外赤字を穴埋めし、あるいはそれに見合う財を海外から吸い上げていることになる。
国外流通は今まで中南米のアングラ経済などが中心であったろうが、おそらく弱体化していくドルを再構築するため、アメリカはこれを意図的、大カ的に行おうとしている。たとえばロシアである。冷戦の終結に乗じて、アメリカはロシアを完全に取り込み、その「勝利」を実益に結びつけようとした。
J・サックス(ハーバード大教授)などがロシアに乗り込み、ポーランドで散々な失敗となった市場万能の「急進改革路線」を指南した。こうした中で、一九九六年の百ドルなど高額紙幣の発行はロシアに狙いを定め、そのマフィアのアングラ経済からドルを流通させて、ドル化を図ろうとするものだった。
発行に際しての状況は、以前にも紹介したことがある(「日本よ、円を捨てなさい」「文芸春秋」九九年三月号)。新紙幣がクローズアップされ、全世界に衛星中継された。この記者会見の席に居合せたのはルービン財務長官と共に駐口大使であったというのは、いかにもその狙いを語っている。力ード社会であるアメリカでは、このような高額紙幣はもともと必要なかったが、わざわざ作った以上はロシア人によく知ってもらおうということであろう。
ついでに言うと、百ドル紙幣の「顔」がB・フランクリンという国際的によく知られ、低抗の少ない人物というのもこの目的を考えてのことと思われる。たとえば二十ドル札のA.ジャクソン(第七代大統領)のような人物では、この大役は果たせない、ということであろう。
「急進改革路線」の挫折と共に、ゆくゆくはロシアを実質ドル圏にというアメリカの壮大な企画も潰れた。ルーブルの信任が回復してゆけぱ、ロシア人の自然な心情からいってもドルに頼ろうなどという気はなくなる。こうして、現在中国が次なる実質ドル化の狙い目となっているようだ。人民元は後述するように切り上げるべきだとされながら(第六章2節)、ブック・マーケヅトではドルに対して信用がない面もあるからである。
このようなアメリカ側の動きとは異なる方向の「アメリカの裏庭」に属する小国からの「ドル化」の動きも見られる。二〇〇○年代に入って、自国通貨を廃止、あるいはそれを脇役にして、かわりに米ドルを流通させようというドル化が、エクアドルといった中南米の小国で試みられた。そのような場合、自国通貨の対ドルでの下落に悩まされ、またドル建て対外債務を抱えている中では自国通貨べースでの債務負担が増加して経済運営が難しくなってしまうための窮余の一策というのが一般的であった。
もし日本の「ドル化」が行われるとすれば、それはきわめて異例のものといえるだろう日本の悩みは「円高」、つまり通貨が強過ぎることであり、決して弱過ぎることではない。また対米債権国でもある。その日本が債務国通貨を採用するというのは、国際経済史にも残りそうな「椿事」といえる。しかもその結果は自国経済自体はいずれ成り立たなくなっていく訳であって、これは敗走を続けてきた経済の一つの終着点ともいえるだろう。
◆「デフォルト」だけは避けたい
「ドル化」が進められようとしているとすれぱ、それは基本的にアメリカ側の思惑、事情によるものであって、日本側ではない。日本では財務省など一部を除き、そんなことを行う必然性はない。といって「そんな馬鹿な」といっているだけでは、それがいかにアメリカにとって垂挺の的であるか、その事情を見落とすことになるだろう。
それがいかにアメリカにとって望ましいか、その基本的理由は実質破綻している対外マネー・ポジションにある。アメリカの対外純債務の大きさや、財政、経常収支の「双子の赤字」の拡大については前節で述べたところだ。対外純債務のある、いわゆる債務国であっても経常収支が黒字であれぱ、いつかはこの黒字で債務を償却した上で債権国になることもできる。
事実アメリカは十九世紀末には債務国だったが二十世紀初めには債権国に転換した。この場合は、経常赤字の「穴うめ」も経過期間の問題として扱える。しかし現在のアメリカは、経常赤字は拡大して対外純債務に積み上がる一方で、もはや事態は「制御不能」であろう。アメリカとしてはその中で外貨の資金繰りをつけていかない限り、デフォルト(一般に債務の元利払停止、この場合は米国債)に陥ってしまうことにもなる。それは避けねばならない「悪夢」である。
海外が保有する米国債残高は一兆五三一〇億ドル(二〇〇三年末、アメリカ財務省による)とこのところ急増しているが、このような悪夢が今まで現実化することはなかった。海外の保有が純増して行く段階であり、その償還期限の問題はあまり考えなくてもよかったこともある。しかし近い将来、事態は劇的に変わる可能性がある。
二〇一〇年を境に、アメリカのマネー経済は状況が一変する。第一にはベビー・ブーマー世代が定年を迎えて引退し、これが直接、あるいは401kや投信などを通じて間接に保有していた株式が市場に溢れ、需給は変調する。そしてさらに消費へと向かった時、経常収支は現在より一段と悪化するだろう。ここ三、四年間で劇的に悪化した財政収支については、対イラク戦の前途よりなお不透明といえようか。そして、こういう中で、日本が一九八○年代から始めた三〇年もの米国債の償還が始まる:…・。
こうした「二〇一〇年の危機」については『マネー敗戦』を参照されたいが、同書発刊以降五年余を経た現在、それは一層の切迫感を持っている。日本が乗り換えない場合、アメリカは新たな投資家を次々と見っけなければ債務デフォルトに陥ってしまう可能性がある。かといって、このジャパン・マネーは民間の機関投資家が主体であるから、建前としては日米の財務省もその自由な投資判断を尊重せざるを得ないはずである。
アメリカとしてはどうするか、かつてケネディ大統領がドル防衛策として、外国資本の流出を抑制するために打ち出した「金利平衡税」(一九六三年)のようなことも、かえって窮状を曝け出すのでできない。そこで日本をドル化してしまえば、生保の米国債乗り換えもスムーズになり、アメリカとしてはデフォルトに陥ることもない。そこで日本のドル化は「二〇一〇年代問題」を乗り切る妙案ということになるが、「後顧の憂い」をなくしたアメリカは大乱費に走る可能性もある。
◆「ユー口の挑戦」に足許を固める
この、アメリカに海外マネーが今後流入するか否かは、むろんドルの行方に関係する。とくに基軸通貨として次に述べるユー口の挑戦が強まっている状況下ではなおさら、アメリカにとって懸念の種である。不安定なドルに業を煮やし、かつて八○年代にレーガン政権はドルの金兌換復活を模索したし、グリーンスパンFRB議長も実は金本位制論者といわれる。
しかしその点を怪しんでグリーンスパン家で関連資料の家探しまで行ったといわれるブツシュ政権の下では、実理の可能性は乏しいだろう。そこで「強い円はもっぱら弱過ぎるドルを補強するために使う(円のドル化)」という考えが出てくるのだろう。ここで、国際基軸通貨としてドルに挑戦するユー口について述べておこう。
問題はあってもドルが国際通貨として使われてきた中で、ヨーロヅバ共通通貨ユー口の導入(一九九九年に金融取引へ、二〇〇二年からは貨幣流通)によって環境が変わった。ドルにとっては比較される対象ができたことで、そのアラが目立ちやすくもなった。
ユー口の加盟十五力国の人口は三億八○○○万人でアメリカの二億九〇〇〇万人を上回り、経済規模は徐々にアメリカを凌いでいくものと思われる。特に経常収支は黒字で、アメリカのように垣常的に赤字で対外債務国になっているわけでもないのである。当面最も国際通貨にふさわしい資格を備えているのはユー口であるということになる。
ただしユー口の対ドルの値動きとしては、二〇〇〇年末まで、ほぼ一本調子の下落だった。ニューエコノミーに幻惑されて、ヨーロヅバから対米直接投資や証券投資が流れ出していた。ニューエコノミーの実態に気づいてヨーロッパ資本が本国に回帰し、ユー口が反転気味となっていたところに起こったのが二〇〇一年の9・11の同時テロであり、こうした「地政学的リスク」の顕在化で、ユー口高へと、流れは定着したといえる。
図表6は二〇〇二年十月以降のドルの対ユー口、対円レートの動きを示しているが、対ユー口での下落が目立っている。ただし二〇〇三年九月のドバイG7までは日本の大観模介入で対円ではほとんど動いていない。この点ユー口側としては「日米間で何かあるのか」と疑念を持つのは自然であり、実際「何か」があるということなのだろう。
ヨーロッバ側のアメリカ、ドルに対する不信の根は深い。一九八九年九月から、ヨーロッパ各国の中央銀行は支払いを履行するよう矢の催促を行ったのに、アメリカは払おうとしなかったという事件がある。FRBは国際取引決済システムに介在していたが、巨額の取引資金が入金された途端、このような挙に出たのである。
ヨーロッパ側はFRBは信用できないと結論づけたが、問題はドル決済システムに代わるものがないことで、通常の銀行取引についてはシステムは動いていた。結局事件は当時のソ連、東欧圏の激変の中で、政治的なものとしてうやむやにされた、という(「インターナショナル.カレンシー・レヴユー」二〇〇二-二〇〇三年冬号)。この件が広く一般に知られれば、危うく国際金融システムの崩壊になるところだった。
◆「ドル化」を喜ぷ人々
次に日本側の事情である。日本全体が「ドル化」によって助かるということは決してないが、あるグループにとっては「窮余の一策」として、それなりの動機がある。具体的には財務省である。全体的な日米マネー関係の中で、円のドル化を推進しようとしている財務省にとって(決して日本全体ではない)特に得るところが大きいものである。旧大蔵省は債権国として当然の円の世界→国内でのまともな海外への円建て投資対象を作ることを怠り、国内を為替リスク」(必然的なドル安)の塊りである米国債漬けにした。
巨額介入によって外貨準備は二〇〇四年三月には八二六六億ドル、GDPの二割近くにもなった。その陰で、外為特会がどのような状況であるかは既にみた(三〇頁)通りである。
郵貯、年金資金は平均一ドル・一三八円のと二ろで米国債を買い込んでおり、民間の生保、銀行から、超低金利でやむを得ず外債投資をしている個人まで巨大な為替差損が潜在しているわけである。巨大規模の介入がとうに限界に達している以上、それはいつ顕在化してもおかしくない。
そのような場合「究極のマネー戦犯」として大蔵/財務省の責任が問われるのは必至だ。財務省としては、何としてもそれを避けたい。事が露見する前にいよいよ邪魔になってきた「円」をひと思いに捨て日本をドルの世界に放り込み、すべてをカムフラージュしてしまおうということであろう。
介入が最高潮に達していた二〇〇四年二月、今はなくなってしまったテレビのニュース番組は、記者にぶらさがられる財務省の溝口善兵衛財務官の姿を映し出していた。「何時までも?」と迫る記者に対して、財務官は「来年はやらない」と答える。なぜそのようなことが言えるのだろうか。「不連続な何か」が二〇〇五年を二〇〇四年とはまったく変える、ということではないのだろうか。
◆「ドル化」の方法
日本経済の実質ドル化が仮に行われるとして、それはどのようなことを前提にするのだろうか。固定レートとして、一ドル・一〇〇円とする。現実のレートは一ドル・一〇五円(二〇〇四年四月現在)であるから、一〇〇ドルを得るには一万五〇〇円が必要なはずである。しかし一万円札には「一〇〇ドルと交換可能」と刷り込んであれば、一般の日本国民は何か得をするような気がして新一万円札を受け入れるだろう。そのためには一ドルしろ、一〇〇円を上回る、五円なり、七円なりの「ノリ代」が必要で、異常と見える大観模介入の目的は、こんなところではないかと想像される。
その具体的プロセスについては、「デノミ」についての小泉首相の発言が一つのヒントを提供するのだろうか。「デノミ」を「ドル化」に置き換え考えてみるとよいのかも知れない。参院選後の展開ば、ブッシュ再選戦略とからむことになるのだろう。
ただし、そのようなことはあくまであり得るひとつのシナリオにすぎない。前提となっている小泉政権が続くという政治状況にしても、イラク・サマワで何が起きるか、また東京、大阪などの大都市で何が起きるか、スペインの場合のように「まさか」のことが起こる可能性もないとはいえまい。
そこで、「シナリオのようなことは何も起こらなかったではないか」ということで終わればよいと思う。日本にとってはまさに「悪夢」だからである。しかしアメリカの置かれた状況からして、その起死回生のウルトラCのようなことは、将来形を多少変えて起こる可能性は常にある。そしてそれが一体日本経済やその中で営まれる国民の生活に何をもたらす「政策」なのかについて、国民が見定める必要がある。そのことについては、後に述べる(第四章3節)。(P80〜P92)
(私のコメント)
小泉内閣は参院選の後には三年間は国政選挙がなく、思い切った政策を打ち出してくるだろう。それらは国民が歓迎することではなく、参院選前に行えば政権がひっくり返るようなとんでもない事だ。いまのところ日本経済は一息ついているので問題になっていませんが、「預金封鎖」や「新円切替」の噂が密かに飛び交っている。そのことは一昨日書きましたが、このほかにも「円のドル化」の噂も密かに出回っている。
私も吉川元忠著「経済敗走」を見て始めて知ったのですが、財務省の売国官僚たちは円をドル化することによって、自分達の経済失政をごまかそうと考えているようだ。巨額に積み上がった米国債を将来どのようにするのか、考えることもなく円高防止の為にドル買い円買いを繰り返したツケが溜まって来て、どうにもならない状況に追い込まれている。
私としては円建ての米国債を発行させて買うべきだと主張してきましたが、腰の抜けた財務省役人ではアメリカ政府を前にしてはとても言えないのだろう。ならば積み上がった外貨を半分ぐらい中国のようにユーロ建てで準備させておけばいいとも主張しましたがそれも日本の政府日銀では無理だ。もともと大蔵省から財務省に変わったのも、単に名前が変わったという意味ではなく、アメリカの財務省の日本支店に変わったから財務省と名づけたのだ。
現在行われている参議院選挙に若い人たちの無関心さは、国会議員や財務省の役人達は日本国民のことよりもアメリカ政府の顔色ばかり窺って、イラクへ自衛隊を派遣したり35兆円も日本国民の資金をドル買いにつぎ込むなど、白けきっているのだ。若者達が髪の毛を金髪に染め青色コンタクトをしてアメリカ人みたいな格好をするのも、財務省の官僚が円のドル化を企むのも同じ現象であり、単にカッコとして現われるか政策として現われるかの違いで、日本は意識も政策もアメリカ化しているのだ。
通貨の世界から見ればドルとユーロの覇権争いが繰り広げられている。日本の円はドル経済圏からユーロ経済圏へ足場を築けば、アメリカのドルに円が翻弄されることも少なくなるチャンスだ。輸出企業もアメリカばかりに輸出しているのではなく、ユーロ市場もアメリカ以上の大きな市場である。だからこそアメリカの言いなりになるばかりでなく、ドルとユーロの覇権争いを利用して円の国際化を図ってゆくべきだ。
日本がまず第一になすべきことは「財務省」と言う名前を、伝統のある「大蔵省」に戻すべきだ。それがアメリカに対するメッセージにもなるだろう。さらに中国という大きな市場の登場はアメリカ市場に対する依存度を減らす役割もあり、その決済にはドルよりもユーロで決済される割合も増えるだろう。今のところユーロ通貨は見かけませんが、北朝鮮ではユーロが通貨として使われている。
グリーンスパンは日本の大蔵官僚が三度犯した
誤りを繰り返すのだろうか?米国経済は正念場
2004年6月29日 火曜日
◆米政策金利、0.25%引き上げ確実 4年ぶり、インフレを警戒
【ワシントン=気仙英郎】米連邦準備制度理事会(FRB)は今月二十九、三十の両日開く連邦公開市場委員会(FOMC)で、短期市場金利の指標であるフェデラルファンド(FF)金利の誘導目標を現行の1%から0・25%引き上げて年1・25%とする公算が大きくなっている。利上げが実施されれば、二〇〇〇年五月以来四年ぶり。FRBは利上げによる景気抑制への影響よりも、景気拡大に伴うインフレに備え、超低金利政策を解除する方が重要との判断を固めつつある。
FRBが利上げを決める背景には、第一・四半期(一−三月)の米国内総生産(GDP)が前期比3・9%増と堅調に拡大傾向を示しているほか、雇用情勢も確実に改善していることがある。
FRBのグリーンスパン議長は今月十五日の議会証言で、「不必要になってきている金融緩和政策の見直しが最も重要」との認識を示し、四十六年ぶりの超低金利を景気の現状に見合った中立的な水準に戻す必要性を強調した。
一方、議長は、インフレについて、「いまのところ深刻な懸念材料にならない」との認識を示し、「超低金利政策を慎重なペースで解除できる」と急激な利上げによって景気が失速する懸念をぬぐい去ることに努めている。
FRBは、今回のFOMCで、0・25%と小幅の利上げをした上、利上げは「慎重なペースで行う」との姿勢を改めて表明する見通しだ。ただ、議長は「仮に予想が誤りであることが判明すれば、(物価安定のために)必要な措置を取る」とも表明しており、インフレ動向次第では大幅な利上げも視野に入れることを示唆している。
一方、金融市場はすでに0・25%の利上げを織り込んでいる。通常利上げ後の株式市場は、企業の設備投資が抑制されるとの見方から下落が予想されるが、グリーンスパン議長が今年一月以降、利上げに向けた周到なメッセージを何度も市場に伝えてきた経緯もあって、株価上昇の可能性もある。ドル相場については、利上げによる日米の金利差拡大からドル買い材料とみられるが、米国の経常赤字の拡大懸念を材料にドル安を予測する向きもある。
エコノミストの間では、「年末までに段階を経て2%まで引き上げられる」との予想が強い。しかし、利上げのタイミングについては、十一月の大統領選を控え、政治的に難しい局面に差し掛かっている。
金利上昇は二〇〇一年の米中枢同時テロ後の景気回復を牽引(けんいん)してきた自動車販売や住宅投資などの個人消費への影響、それに企業の設備投資、雇用を冷やす懸念がある。五期目の再任を果たしたグリーンスパン議長は早速、難しい景気のかじ取り局面を迎えている。(産経新聞)
[6月29日2時42分更新]
◆ケンミレ・アイ 本日の株式市況 米国経済は正念場 6月28日
◆本日の要点
現在の米国経済は、ブッシュ大統領の大型減税により景気が回復してきましたが、この状況は1992年の日本と同じ環境といえます。そして、今月末には「景気回復による金融引き締め」という非常に難しい局面を迎えます。ここからの金融政策で失敗すれば日本と同じように一時的な景気回復で終わることになります。今回は、日本と米国の経済システムの違いにより米国経済が向かうシナリオについてレポートします。
◆米国経済は正念場
米国経済はグリーンスパンFRB(連邦準備制度理事会)議長の金融緩和政策とブッシュ大統領の大型減税によって景気が回復してきました。日本でも92年、95年、98年と3回『大型の景気対策が実施』され、その度に景気が一時的に回復しましたが、結果はすべて一時的な回復で終わりました。
なぜ、一時的な回復で終わったのかと言いますと、それは『その後の金融引き締め策や、財政政策の失敗』によるものでした。
今回の米国はちょうど、日本のバブル景気が崩壊した1992年と同じ環境になっています。そして、日本と同じように『景気が回復してきた』ことで、中央銀行は『金融緩和から金融引き締め』に転換する、その一回目が今月末です。したがって、グリーンスパンFRB議長の金融政策は『米国景気の回復が持続するかどうか』のキーポイントになると思います。
日本と違う点は『米国の場合には官の力が弱い』点です。日本の場合には、政権が変わっても『役人は変わりません』が、米国の場合には政権が変われば『高級官僚も同時に変わります』ので、日本のような失敗は起こさないかもしれません。
日本の場合には官僚が考えて立案して、官僚の考え通りに政治家が実行するスタイルになっていますので、官僚がすべてを握っていると言っても過言ではありません。つまり、官僚が安泰なので、官僚は自分の『省の利益』と『自分の利益』だけを考えるために、正しい道ではなく、他省に対して『自分の省の縄張りをどれだけ増やすか』という異常な発想になって、その発想が政策を狂わせているわけです。
この官僚の悪影響が少ない分だけ米国の方がラッキーかもしれません。
もう一つのラッキーは『中央銀行は景気過熱=金利の引上げ』という連想を持ちますが、今回は11月に大統領選挙がありますので、金利の引き上げのペースは『大統領選挙がないときよりも遅くなる』可能性があることです。
元FRB理事は今年4回で1%、来年も1%で、合計2%の利上げを2年間で行うと言っていますが、このようなゆっくりとしたペースで景気が持続できれば『グリーンスパン議長は二回目のゴッドハンドを行使した』ことになると思いますし、竹中経済財政政策担当大臣と同じくらいにすごいことを行ったことにもなります。
歴史は繰り返しますので、グリーンスパンFRB議長も最後は圧力と精神力の狭間で迷って『失敗する』可能性もありますが、成功すれば『日本にとっても、世界にとってもラッキー』になります。
◆ブッシュ大統領のアンラッキー(私小説)
クリントン前大統領が景気を『出枯らし』にしてしまったことで、ブッシュ大統領の選択肢は『国内景気ではなく海外問題』しかありませんでした。海外問題を選択したときには『平和と戦争』の選択肢がありましたが、クリントン元大統領が『イスラエルとパレスチナの平和外交』をしてしまったことと、ブッシュ大統領が平和を選択するとブッシュ大統領が強烈に支持していたイスラエルに不利になることで、ブッシュ大統領には『戦争』の選択肢しか残っていませんでした。
そこでまず、パレスチナを追い詰め、更にアフガニスタンを追い詰めて、テロ戦争(ツインタワーへのテロに対抗)を始め、続いてイラク、リビア、イラン、北朝鮮という既定路線に沿って行動しました。このなかでイランとリビアはブッシュ大統領の戦略を見抜くことができ、北朝鮮は後回しにされたことで助かったのですが、イラクはブッシュ大統領の父親も攻撃した国であり、前回は戦争らしい戦争をしないで勝ったことで、まずイラクから攻撃することに決定、予想通りに短期間でイラクを占領するところまでは、予定通りの展開となりました。
しかし、アルカイダがブッシュ大統領に本格的な戦いを挑んだことで『シナリオ』が狂ってきました。本来は簡単にイラクの利権が手に入ると思っていたのに、イラクを占領したことが『テロによる苦しみの始まり』とはブッシュ大統領は思わなかったと思います。
また、同盟国であるフランスとドイツがここまで徹底的に米国と対立すると思わなかったと思います。
この辺からブッシュ大統領のシナリオは狂ってきました。そして、毎日米国兵士の死亡が伝えられ始め、更に米国の協力国の国民がターゲットになるに及んで、ブッシュ大統領はテロと変わらない脅しを同盟国に与え始めました。
これは、スペインで選挙の前日にテロが起こって、与党が選挙で破れたことが大きな要因となっています。
というのは、米国だけの利益のために同盟国が戦うことに対して、スペインの国民がノーと言ったからでした。
それでも日本や韓国が米国に協力しているのは『北朝鮮が存在している』からです。これは、「北朝鮮の存在は、米国にとってプラスになってしまった」という皮肉な結果になっています。
そこに今回の韓国の民間人が殺される事件が起こりました。韓国ではデモが起こりましたが、韓国軍のイラク派兵に対して、事件の前は70%が反対して30%が賛成していたのに過ぎませんでしたが、事件後は、賛成するが50%と、賛成する国民が20%も増加しました。
この問題は、ブッシュ大統領にとってはプラス要因となります。
アルカイダはスペインのテロでは成功、またいくら米国兵士を殺しても『国際世論は騒がない』が、民間人を殺せば国際世論が動くことを知り、選挙前のテロとイラクにいる民間人の殺害が、国際世論に与える影響が一番効果が高いと思っていたのに、民間人の殺害で『テロに対する憎しみ』が出たということは『アルカイダの思惑が狂ってきた』ことになるからです。
これでは、テロ組織は『選挙テロは効果的か』ということと『民間人殺害は効果的か』ということの二つについて、もう一度検証する可能性があります。このうちの選挙では日本の参議院選挙が7月11日にありますので、機会を作って10日にテロを起こすシナリオを彼らが描いている可能性は高いのではないかと思います。
ケン・ミレニアムでは7月10日は『電車を使うこと』と『遊園地には行くこと』を控えるようにスタッフ全員に言っていますが、日本で何かが起こるとすれば10日であり、テロで一番効果的なテロは『爆破』だと思いますので、株式投資手法と同じ考え方をすれば10日は注意しなければならない、君子危うきに近寄らずで対処すべきだと思います。
※なお本文中で触れておりますイラク暫定政権に対する主権移譲は予定の30日より早まり28日に実施されるとの報道が出ております。
(私のコメント)
グリーンスパンが金利の引き上げを決定しようとしている。原油などの価格が上昇しインフレの兆候が見られるからだ。GDPの拡大も3,9%と好調だ。金利のある程度の引き上げは当然なのだろうが、これが日本のように財政の再建という事で増税や財政のカットなどを行えばアメリカ経済は日本のように失われた10年を迎えることになるだろう。
グリーンスパンは日本の大蔵省や日銀がしてきた愚かな誤りをじっと見つめていたから、日本のバカ官僚がしたような誤りはしないだろう。しかしアメリカは日本と違って大幅な貿易赤字国である。大幅な財政赤字を続けていたらドル暴落と巨大インフレでアメリカ経済はクラッシュしてしまう恐れがあります。
去年は日本からの赤字の補填があって金利も上がらずドルの暴落も防げた。しかしそんなことは今年も続けるわけには行かない。イラク戦争も泥沼化してイラクへ主権移譲してもアメリカ軍が引き上げるわけではないのだから、イラク戦費は拡大する一方だ。ベトナム戦争当時もバターも大砲もということで大盤振る舞いを続けましたが、結局はアメリカのベトナム戦争敗退で終わった。
問題はそれで収まらずに二桁インフレがアメリカを襲い、アメリカの製造業は決定的なダメージを負った。戦争にかまけている間に日本やヨーロッパやアジアが経済力を付けてアメリカの威信はドル暴落で地に落ちた。今回のイラク戦争で敗退すればそれと同じような事がアメリカ経済を襲うことになる。それよりもアメリカ人の精神的ダメージのほうが強く、アメリカは引篭もり国家となる可能性がある。
アメリカの巨大軍事力の弱点をアメリカは晒してしまった。ハイテク兵器でいくら敵をやっつけたところで最後は歩兵が地域を制圧しなければアメリカの意のままにならないわけだから、アメリカは徴兵制を復活しない限り巨大な軍事力も威嚇するだけの張子の虎になる。軍事力でイラクを制圧するのは限界がある以上アメリカの敗北で終わる可能性が強くなってきた。
グリーンスパンがいくら天才的手腕で金融操作をしても、ブッシュが神がかりになっている以上どうしようもない。テロは世界に広まりスペインやトルコで爆弾テロが起きている。日本だって選挙中だからスペインのようになるかもしれない。7月に入ったら電車や地下街には行かないほうがいいだろう。
明日は日本の財務官僚が亡国的な陰謀を企んでいることを明らかにしたいと思います。もちろん預金封鎖や新円切替とは違ったとんでもない陰謀です。
人物探訪:山田方谷 〜「正直安五郎」の国作り
ペテン師小泉首相が企む「新円切替」の陰謀
2004年6月28日 月曜日
◆JOG-Mac No.349 山田方谷 〜「正直安五郎」の国作り
■6.藩士・藩民の信頼確立■
次に方谷が打った手は、藩士・藩民の倹約の徹底であった。 そのために勝静に対して、「率先垂範して、その例をお示し下
さい。ただしそのことを下に強要してはなりません」と申し入 れた。強要して短期間で成果を上げるのではなく、上下の信頼
関係を育てつつ、倹約の実をあげていこうとしたのである。
方谷のついた元締も、従来は賄賂の多い、人のうらやむ役職 である。方谷も口ではきれいな事を言っても、陰では賄賂で儲 けるに違いない、と見る者もいた。そこで、方谷は藩の会計を すべて塩田仁兵衛という武士に任せ、自分ではいっさい関与し ないこととした。時折は自分の財産を持ち出すこともあった。
そのために、方谷の家は家族8人の生活も非常に苦しく、荒 れ地を開墾してようやく食い扶持を稼ぐ始末であった。はじめ
は「恰好をつけている」「見栄を張っている」などと陰口を叩 く輩もいたが、方谷の一貫した誠実そのものの姿勢を見て、
「山田様はお気の毒だ。自分の身銭を切って、藩のためにお尽 くしになっている」と受け止めるものが次第に増えていった。
こうした方谷の姿勢に、もっとも素直に共鳴していたのが、 大坂の商人たちであった。ある年、江戸の藩邸が焼失すると、
大坂商人たちは方谷のもとにやってきて、再建の資金を出させ て下さい、と申し出たほどであった。彼らとしても信頼する方
谷の藩政改革をぜひ成功させたいという気持ちがあったのだろ う。
こうして藩主以下の率先垂範を示しつつ、方谷は藩士藩民に 倹約令を出して、年限を限って藩士の俸給を下げる事、役人は
あらゆる贈り物をすべて役所に差し出すこと、役人の領内巡回 のさいの饗応を止めること、などを徹底させた。贈り物や饗応
を止めさせたことで、領民の藩政に対する信頼は大きく回復し た。
■7.「これは信義の問題だ」■
次に方谷が取り組んだのが、藩札の信用確立だった。藩札と は、当時、各藩が発行していた紙幣である。松山藩でも百年ほ
ども前から独自の藩札を発行していた。当初は準備金を用意し ておいて、要求があればすぐに小判などの正貨と交換すること
で信用を維持していたのだが、藩財政が窮乏するに従って、準 備金を赤字補填に使ってしまい、そのうえ大量の藩札を発行し
たので、「松山藩の藩札は、まったく信用できない」という悪 評が定着してしまった。
貨幣が額面通りの価値を持つという信用が失われれば、売買 に支障を来し、藩経済も停滞してしまう。方谷は現在の藩札を
すべて回収し、正貨との交換を約束した新しい藩札で信用を確 立しようとした。
そこで藩内で使われている藩札をすべて回収せよ、と役人た ちに命じた。役人たちは驚いて「回収するには、それに見合う
正貨を与えなければなりませんが、藩の蔵はカラです。」と反 対した。しかし方谷は耳を貸さなかった。
これは信義の問題だ。藩札を発行する時に、これをもっ て来ればかならず正貨に換えると約束したのだ。その約束 を破り続けたから結局、藩札の信用がなくなってしまった のだ。正貨はなんとしてでも私が集めるから、お前たちは とにかく旧藩札を全部引き上げろ。
方谷は、必死に正貨を集め、ある程度たまった段階で、「旧 藩札をもっている者は、至急役所に来て正貨と取り換えるよう に」との触書を出した。たちまち多くの藩民が押し寄せてきた。 役人たちは、いつ正貨がなくなるかとビクビクしながら、交換 した。方谷は自らの決意を示すためにも、高梁川の河原で山と 積み上がった旧藩札を焼き捨てた。これを見ていた藩民たちは、 ヒソヒソと相談しあった。
山田様はこのお国にとって大切な方だ。いま山田様にも しもの事があったら、困るのはわれわれだ。どうだろう。
交換していただいた正貨を山田様に差し出して、お城のお 役に立てていただこうではないか。
たちまち賛同者が数多く出て、代表者が方谷に「交換は新し い藩札で結構です」と申し出た。方谷は思わず立ち上がり、目
頭を熱くして、大きく頷いた。
■8.「正直安五郎」の教え■
信用を得た新しい藩札は、藩内で自在に流通するようになっ た。方谷は、この新しい藩札を藩内の投資に使って、産業振興 に努めた。
まず鉄山の開発。三室、吉田、鋳長山を開発し、そこで掘り 出された鉄を使って、刃物、鍋、釜、鋤、鍬、釘などの生産を
始めさせた。林産では、杉、竹、漆、茶などの栽培を奨励した。 特に「松山きざみ」という煙草を増産させ、江戸から九州まで
宣伝をして、販売を拡げた。さらに地域名産の菓子や、和紙、 陶器、茶道具などの生産を奨励した。
これらは藩が生産者から買い上げて、他国に販売する。買う ときは藩札で払うが、すでに絶大な信用を得ていたので、生産
者は喜んで受け取った。他国に売るときには、正貨で取引する。 藩の金蔵はみるみるうちに豊かになり、一時削減されていた藩
士の俸給ももとに戻された。
安政4(1857)年8月、藩主・勝静は寺社奉行に任ぜられ、以 後、幕末の10年ほどを幕府の最高幹部として務める。その間、 方谷は藩政を司りながら、勝静の助言役として助けた。過激な 攘夷派から「無道の西洋諸国が武力で押しつけた条約は即座に 破棄すべきだわない」、という「破約攘夷論」が唱えられた時 は、「相手国のやり方が強引だからといって過去に遡り条約を 破棄するなどということは国際信義にもとる。日本国として行 うべきことではない」という意見を、勝静から将軍後見職 ・一橋慶喜に伝えさせ、これを退けた。明治新政府もこの立場 をとり、江戸幕府が結んだ条約を誠実に守りつつ、50年以上 もかけて条約改正を成功させたのである。
政治も財政も、そして外交も、その根底には信義がなければ ならない。「正直安五郎」の藩政改革はこの教訓を長く歴史に
残したのである。
◆秋に延長となった「預金封鎖・新円切り替え・財産課税」のシナリオ
2003年12月19日に日本銀行は、「1万円、5000円及び1000円の新日本銀行券の発行開始時期については、正式には、財務省告示によって公示されるものですが、これまでのところは平成16年7月の予定で作業を進めてまいりました。しかしながら、今般、新日本銀行券の発行に万全を期するために、その発行開始時期について平成16年の秋頃を目処とすることとしました。なお、3券の正式な発行開始日については、今後の作業の進捗を見極めた上、財務省告示によって公示されます」と、突然その発行時期を従来の7月頃から9月−10月頃へと変更している。
日銀の万全を期すとは何か? 本来の発行時期である今年7月には「参議院議員の選挙」がある。無論従来からのスケジュールだが、取り巻く事情が異なってきている。今月イラクに派遣した自衛隊員に犠牲者が出た場合、自民党が参院選で敗れるのは目に見えている。イラクに加えて日本国内にテロでも起これば、政局は収拾が付かなくなるだろう。
ある機関投資家は、新日銀券の発行に関して、(1)普通に新札に替えるだけなら7月の参院選の渦中でも構わないが、(2)財務省が隠れた意図(=預金封鎖、新円切り替え、財産税)を持っているなら、7月の参院選後にしか実行できないと言う。
もし、その実行の可能性があるとして、財産税はその前に価値が下がることを恐れる円預金が海外流出するため、その発表当日まで「極秘」でなければならない。
(私のコメント)
本などでは預金封鎖や新円切替の本などがよく目にする。私も
「新円切替」と言う本を5月30日の日記で紹介しました。しかしながらテレビはもちろん新聞もほとんど目にしないしネットですら「新円切替」をグーグルで検索してみても1650件しか出てこない。それだけ国民は気付いていないのですが、僅か1000円足らずの本が買えない読者の為に前書きの一部を紹介します。
◆さて、「新円切替」について。
これは別段新しい話ではない。究極のデフレ脱却策、あるいは国家破産を防ぐ方策として、「預金封鎖」「財産税」との3点ヤットとして、すでに財務省官僚の間で数年来検討されてきていることである。しかし、最近また注目を集めているのは、じきに「新札の発行」が行われること。そして、2005年4月には、先送りされてきた「ペリフアンドキヤツプイオフ」(=預金の払い戻しに、上限を設ける)が全面解禁されるからである。
「新札の発行」というのは、単に今までのお札のデザインが変わり、新しく樋ロー葉、野口英世が登場し、福沢諭吉が改訂版になるという話ではない。それは、オモテ向きのことであり、そこには政府の「新円切替」に伴う政治的謀略が画策されているのである。国家破産間題は、2004年になって株式市場が好転したため、一時的に危機感が薄れている。しかし、それはただ表面上のことにすぎない。「新円切替」と「預金封鎖」、そして「財産税」がいつ行われるかはわからないが、現状が続く限りその日は間違いなく来るのである。
例えば、政府がある時点で、現金および政府保証のあるすべての金融資産に「10%の課税」をすると発表する。これが「財産税」であり、それが実施される日以降は、旧札は使用禁止となり、国民が旧札を新札に取り替えにいくと、旧1万円札は9000円の新札で返ってくる。これが、財産税課税と組み合わされた、いわゆる「新円切替」である。これは、国民資産の政府による強奪であって、日本国民である以上、誰もこの強奪からは逃れられない。銀行預金や郵便貯金も、自動的に残高を10%カットされ、あなたの資産は10%目減してしまうわけである。
もし、これが行われたら、なにが起きるであろうか? 第1に、現金預金の価値が下がるから、新円切替の前に現金をモノ(実物資産)に換えようという動きが出て、消費が増え、物価も上がって、一時的にせよデフレから脱却できる可能性がある。第2に、不動産価格が上昇するはずなので、不良債権が大幅に解消する。第3に、個人が持つ金融資産のうち、預貯金などの少なくとも1000兆円のうちの100兆円が、政府の財政収入となる。そして、第4に、アングラマネーとして眠っていた現金(脱税で蓄えられていた現金、暴力団などの黒い金、タンス預金)などがオモテに出て、そのうちの10%が政府の懐に転がり込むことになる。
アングラマネーは普通の国でGDPの15〜20%はある。日本人の個人金融資産は1400兆円と言われるが、その20%は280兆円、その10%なら28兆円が税収になる。さらにこの280兆円をそのまま政府のものにする秘策もある。「相続税・譲渡税ゼロ、しかも金利ゼロ」の特別国債を売り出すのだ。つまり、この特別国債を買ってくれれば、今の脱税には目をつむるということだ。これなら、この国債は飛ぶように売れる。
あえまさに、巨額の借金に喘ぐ日本政府にとつて、一石三鳥、四鳥の奇策である。しかし、これは国民にとって許し難い「暴挙」だから、確実に政権は転覆する。つまり、そこまでしなければ駄目なところまで、今の日本は追い込まれているのだ。逆に言えば、内閣を潰す覚悟さえあれば、財務省エリートはこんな暴挙もやってのけることができるのだ。(P12〜P14)
(私のコメント)
このほかにも
副島隆彦氏の「預金封鎖」などにも詳しく書かれていますので、ぜひ本を買って読んでみてください。そして「株式日記」をコピーしてさまざまな掲示板に張り出して、小泉内閣と財務省が企んでいる陰謀を宣伝してください。
小泉・竹中内閣と財務省はアメリカ政府の出先機関のようなもので、日本国民からさまざまな形で財産をとり上げてアメリカに仕送りをしている。そして預金封鎖と新円切替で10%の財産税を掛けただけで100兆円もの税収入が見込める。いやならドル預金などでアメリカに円が流れ込めば鴨がねぎをしょって行くことになる。
政府・日銀が買い込んだ米国債も日本国民に売りつけて、自らはアメリカに恩を売って政権を維持しようというのだ。ペイオフの実施や銀行への竹中大臣の嫌がらせはみなアメリカ政府の指示によるものだ。自分の財産が奪われるのにも気付かず、小泉・竹中内閣を支持する日本国民はどうかしているのだろうか。
日本政府がまずしなければならないことは、山田方谷がしたような役人達の給料を切り下げて、賄賂政治を厳しく取り締まったことだ。ところが小泉首相は「ヤミ給与」を貰っていたことが発覚し「人生いろいろだ」などとごまかしている。役人達の天下り天国はちっとも変わっていない。
財務省の役人達は国民から強引に財産を巻き上げることで財政を立て直そうとしていることをマスコミも報道しようとしない。ネットでも警鐘を鳴らしている人は少ない。国民みんながボケてしまっているのだ。
土地や株では億万長者になれない日本と
貧しい者と特権階級とに分かれる日本
2004年6月27日 日曜日
◆日本の富裕層、5.8%増え131万人 世界の17% asahi.com
大金持ち増加中――。メリルリンチ日本証券が16日に発表した世界の個人資産家に関する報告書によると、03年末時点の日本で不動産をのぞく金融資産を100万ドル(1億1000万円)以上持つ富裕層は前年末より7万2000人(5.8%)増えて131万2000人。全世界の17%を占めた。
報告書によると、全世界の03年末の富裕層は、前年末比50万人(7.5%)増の770万人で、保有資産は同7.7%増の28兆8000億ドル(約3168兆円)。富裕層の投資対象は、低利の債券商品から、変動幅が大きい株式やヘッジファンドなどに重点を移しており、保有資産は08年までに40兆ドル(4400兆円)を超えると予測している。
富裕層人口の伸び率ではインドが前年末比22%増、米国が同14%増、中国が同12%増と高い数字を示した。
調査は米大手証券メリルリンチと仏コンサルティング会社キャップジェミニが毎年行い、世界銀行や国際通貨基金(IMF)などの所得統計をもとに推計している。
(06/17)
◆Sさんの教会は再建主義の代表ではない3 ミレニアム 6月27日
昔の土地もちは相続税で土地をもっていかれて、国家の財産になり、国家はそれを売り出してお金に代えたりしている。
近所に昔大地主だった酒屋がある。その酒屋の前の土地は相続税で国のものになり、国有地の看板がでていた。最近、そこに民家が建設されているが、酒屋はそれを見てどう思うのだろう。自分の土地だったものの上に家が建てられている。
国の税制は、戦後の土地改革の永続化を目指して作られたのかもしれない。
ソ連が1世紀ももたなかったことからも分かるが、個人の所有権を犯す政治が長続きするわけがないのだ。
これは、「人間は労働に対して報酬を求める」という当然の心理が無視されているからだ。
犬をしつけるときに、芸をしたらご褒美をやらないと覚えない。
それと同じように、人間は自分のやった仕事に対して代償がなければやる気を失う。
仕事をしていていつも思うのだが、どの会社の社長でも、組織の長でも、「互恵精神」というものがない人間は人の上に立てない。最後に失敗する。
自分ばかり儲かればいいと考える人間は、結局組織をつぶす。なぜなら、人が離れるから。
義務ばかり要求して、相手に利益を与えなければ人が離れていくのは当然ではないか?
私がアルバイトしていた予備校は、報酬が最も高いので有名だった。最低でもコマ給は1万円もらえた(1コマ90分)。だから、業界で人気があると評判の教師がどんどん集まった。
金銭的な報酬を与えずに人をつなぎとめておきたいならば、よほどのカリスマ性がなければならない。
だから、この世において最も頭がよくなければなれない職種は、新興宗教の教祖だと聞いたことがある。
金を貢がせて、なお人が集まってくる組織を作れるのは天才に違いない。
だから、普通の才能しかない人間は、義務だけで人をつなぎとめようなんてあさましいことを考えてはならない。
しかし、人間はある程度成功すると、報酬ではなく、義務で人をつなぎとめておけると考える悪い習性がある。
大物と小物の違いは、ここではっきりと現われる。
中程度まで会社を大きくできる企業家はたくさんいるが、大企業に成長させられる人間はほとんどいない。
「人間は報酬がなければ離れる」という原理にどこまでも忠実でなければ、「仲良しグループ」以上のものは作れない。(後略)
◆変わっていくのがとてもよく判る naga2383[2004/06/26]
資本主義経済の行き着く先は徹底した不平等と極端な貧富の差になると思っている事は前にも書いた。すでに天井は打ってはいるものの、この10年安値から6倍にもなった米株式市場の好調の一方で、何と一般的な労働者の賃金はこの10年、良くて横ばい、逆に下がりつつけている事の方が圧倒的に多いそうや。
その一方でスポーツ選手や、利益を出し続けれるファンドのボスなど、特殊技能を持った人達の収入は高騰し、恐ろしいまでの金持ちも一方で増加していると聞く。さて、もうすぐ参院選やな。今度の日銀短観では大企業みならず、中小企業の景気判断指数も12年ぶりのプラスが出されると聞くが、少なくともわしの回りの中小企業や商店の経営状態が回復している様子はなく、本当のところ大企業のみが利益を出せる社会に変わろうとしているように思えてならん。
おそらく今の米国社会のようにごく少数の特権階級のみが国を動かし、富を独占し、その下に圧倒的多数の国民がテレビ、新聞、あらゆるマスコミの管理統制により、本当の事を知らされないままにバーチャルな世界の中での日々の暮らし、いや一生を過ごしていくのだと考えているが、おそらく日本も同じように変わっていくのだと強く感じている。
小泉首相が登場してから政治、マスコミ戦略、果ては公的資金の株買いにも大きな変化が出たと感じるのはわしだけだろうか?
誰も国民は本質の部分が見えていない事も間違いなく、次の選挙でも変われないだろう。
さて、先週金曜日の大引け、いや、後場から大きな変化が来た。わしは今の相場を死人がカンフル剤を打ちながら歩いているように捉えているが、どう自然に戻るのかをイメージ出来ればいいなと思い、変化を見極めている。
明日の夜までにはゆっくり答えを見つけたいな。
(私のコメント)
naga氏が指摘しているように国民はテレビや新聞などのマスコミによって、仮想現実の世界に酔わされて、現実を見失っている。日本からアメリカを見るとアメリカ国民がいかに現実からかけ離れた意識を持っているかを「株式日記」でも指摘してきた。ハリウッド映画を見ても時代考証も全くデタラメな自己中心的映画を作り続けて自国民を洗脳しているのだ。
小泉・竹中内閣の本質も100%アメリカの言いなりになって、日本をアメリカのような社会にすることを目指した内閣なのだ。気が付いた時は主要産業や大手マスコミや広告代理店など全て国際金融資本に支配されていることだろう。その反面では地元の商店街は次々と廃業して行って残っているのはウォルマートのようなスーパーやコンビニだけになるだろう。しかし気が付いた後では遅いのだ。
小泉内閣は構造改革を掲げて国民の支持率90%も集めて、衆参の選挙にも勝ち続けてきましたが日本は本当に良くなっているのか。北朝鮮の拉致被害者が帰ってきたり子供が帰ってきたりしているだけでも支持率が10%も上がる。ところが小泉内閣が出来た後も多くの人が住宅ローンの返済が出来ずに土地や家を銀行に取られている。また税金が払えずに土地が国のものになっている。そのようなことはマスコミは扱わないし国会議員も見て見ぬ振りだ。
私は「株式日記」でどうしたら景気が良くなるかいろいろ提案して来ましたが、小泉・竹中内閣は何もしないことが構造改革を進めると開き直っている。青木建設がつぶれて「構造改革が進んでいる」と発言したりしている。しかし景気を回復させようと思えば方策はあるにもかかわらず何もせずに銀行を締め上げて不良債権を吐き出させハゲタカ外資に売っている。リップルウッドは僅か4年で1兆円も大儲けをした。
根本的に金融問題を解決しようと思ったら、公的資金で銀行の不良債権を簿価で買い取り時価で買い戻させればいっぺんに解決する。しかしそんなことをされたらハゲタカ外資が儲からない。だからマスコミをたきつけてモラルハザードだのと騒ぎ立てる。例えば住宅ローンの返済で苦しんでいる家庭は、国が銀行に半額債権放棄させてそれを補償すればいい。
住宅ローンの返済に回っていた分を子育てに回せるようになり、少子化対策にもなるだろう。子供に注ぎ込むべき金が住宅に回ってしまっているから2人の子供を1人で我慢するようになる。社会問題の根っこではこのように政府の経済失政が影響しているのだ。こんな事を政府は十数年も続けてきた。たとえモラルハザードであろうと住宅ローンの債権放棄は必要だろう。
森内閣の頃は亀井政調会長が株式市場の活性化対策を立てていたのに、小泉内閣になってから全部中止になってしまった。根本的には銀行と企業とが持ち合っている株を市場で処分させずに、株式保有機構に一時凍結させるようにも私は提案してきたが、日銀の株式買取も資金的には無制限に出来るのにほんの僅かしかやっていない。
日本経済が危機的状況にあることは誰もが認識しているのに、危機に対応した非常手段をとろうとするとマスコミや学者が騒ぎ立てて潰してしまう。株式税制も株では大金持ちが出来ない仕組みにしてしまったのも政府の功績だ。以前なら土地や株で大金持ちになれるような税制が、税制改革でそれを潰してしまった。これからは株で億万長者にはなれない。日本は貧しいものは一生貧しく、一部の特権階級だけが豊かになれるアメリカ型資本主義にしようとしている。
参議院選挙の候補たちはインターネットを
どのように活用しているか。四氏の場合
2004年6月26日 土曜日
◆選挙・候補者のウエブサイト3 2004・06・23
さて、参議院選が明日公示になる。
「選挙・候補者のウェブサイト」にも書いたように、ウェブサイトは選挙活動には利用できないため、応援サイトともども公示とともに更新を停止しなければならない。そして公示前の候補者のサイトの表現にも、いろいろな規制がある。それなのに、候補者のホームページを見ようと、一般の有権者が候補者たちのサイトを見るのは、選挙期間に入ってからが多い。
そのため、ネットを重視する候補者のウェブマスターは、現在、サイト更新の最後の追い込みに入っているはずだ。選挙期間内に入ってからアクセスしてきた人たちに対して、規制のある限られた表現の中で、いかに「この候補者に投票したい」という気分にさせるか、で、頭がいっぱいだと思う。
さて、その中で、たまたまわたしが目についたサイトを2つあげてみたい。
■ 山谷えり子氏 (http://www.yamatani-eriko.com)
山谷氏のサイトですごいのは、「今月のご挨拶」と「プレスルーム」に書かれている、山谷氏自身の文章の質の高さだ。状況にふさわしい適切な文体と文章の長さは、さすが元サンケイリビング新聞編集長である。
特に「今月のご挨拶」には、「こんな文章を書ける人間は、いそうで、実はほとんどいない」と、つくづくうなってしまった。主張自体はかなり右寄りにも関わらず、難しい表現を使わずに、山谷氏と主張を異にする人間にもするすると読ませて、「ああ、そうですね」と妙に納得させてしまう。こういう文章が、書けたらなぁ。
山谷氏はかつて衆議院議員として当選したあとに、落選を経験している。聞くところによると、落選した候補というのは本当に大変なもので、精神的にも経済的にもあらゆる面で、痛い思いをするものらしい。だから今回は背水の陣で必死なはずなのだが、「今月のご挨拶」には、政策実行に対する決意は出ていても、当選自体へのすがるような必死さが出ていないのだ。そのため、「ぶれのなさ」「落ち着いた人格」が、言外ににじみ出ている。
サイトそのものはシンプルなつくりだ。が、山谷氏の年齢やこれまで実績を考えると、革新的なサイトを作っても浮きまくるだけなので、正しいといえると思う。
■ れんほう氏 (http://www.renho.jp)
蓮舫氏のどこがすごいかというと、ブログ形式の日記を、ほぼ毎日更新し続けていることだ。
若い候補者に対して、ネットの活用を主張する多くの人が言う。「ウェブを活用しよう。毎日一行でも良いから、本人が書いたものをアップしよう。」 でも、これはなかなかできないことだ。
はじめて出馬する候補者には、毎日一行を書く物理的な時間的ならある。超目玉候補でもない限り、それほどお呼びはかからないからだ。でも、精神的な余裕がなくなってしまう。それでも、本人がサイトの重要性を感じているばあいには、ほかの仕事をすべて止めて、丸一日ウンウンうなったあげく作った文章を、さかのぼりで適当な日付に分散してアップすることになったりする。
また、プレッシャーを受けていると、選挙が近づくにつれて、往々にしてすごいことを書いてしまう人間がいる。「わたしが結果を出せなければ、従来型の選挙に逆戻りする」とか「ホームページを自分で書いているのは、私だけだ」とかだ。書いている本人としては、「自分はほかの候補者とは違う」と何とかアピールするとともに、実は書くことによって自分を奮い立たせているのであろう。ところが、こういう記述にアクセスした支持者でない人間は、その記述に候補者の余裕のなさと、精神的なブレを感じる。
蓮舫氏の日記には、このありがちな余裕のなさが感じられないのだ。公示直前に「すごい風」などをさらっと書けてしまうのだ、とんでもない大物か、たんなる勘違い人間のどちらかだ。
◆選挙・候補者のウエブサイト2 2004・05・09
夏の参院選の候補者のサイトで、びっくりしたのを2つ。なお、以下のコメントは一個人のものにつき、世間の見方を代表しているとは思わないように。わたしの独断的な私的コメントで、サイトの作成者にとばっちりがいったら大変だ。(とばっちりがいくことがあるんだよ。)
■ 鈴木宗男氏のサイト (http://www.muneo.gr.jp)
わたしは、無用なスプラッシュページというものが嫌いなのだが、宗男氏のFlashを使ったスプラッシュページには、さすがにぶっ飛んでしまった。宗男氏の「やる気」がみなぎっているし、これなら彼に興味がない人でも、このページは見る気になるだろう。指示通りボリュームを上げて、できれば部屋を真っ暗にしてみれば、効果満点だ。 ああびっくり。
宗男氏の支持者ではない人間(例えば無党派層)の支持を得るために効果的か…というと、疑問符がつく。サイトのつくりのよさでアクセス数が増えても、それが必ずしも票に結びつくものではないだろう。でも、宗男氏の健在ぶりを示し、すでにいる宗男氏の支持者たちの士気を高めることがこのスプラッシュページの目的なら、かなり成功するのではないかと思う。
あまりにもスプラッシュページの印象が強くて、サイトの中身を見る前に満腹になってしまった。
■ 尾身朝子氏のサイト (http://www.omi-asako.jp)
まず、ほとんどのページが、イメージ・ファイルだけを並べた構成なのにびっくりだ。ブラウザによって「見え方」が変わってしまう可能性を、嫌ったのだろうか?
字までイメージファイルにしてしまったとすると、ファイル内の文字内容の更新があるたびに、イメージファイルを差し替えるのだろうか。代替テキストも入っていないので、ブラウザをサクサクと操作しようと画像表示をオフに設定したら、何も表示されなくなってしまうし、間違っても音声ブラウザは使えない。
それから、JPGファイルの尾身氏の肌の写りがよくない。わたしはWindowsでこのサイトをみたのだが、Macではどのような肌写りになってるんだろう。これはいくら何でも可哀想。
尾身氏が別の職業だったら「こんな作りのもあるんだ」で済むかも知れないが、「ITコンサルタント」の肩書きを使いながら、サイトのつくりがこのような状態というのは、さすがにちょっとまずいと思う。
◆選挙ポスター:それは組織力の問題だ 2004・06・18
さて、今年の参議院選挙は6月24日が公示で、7月11日が投票日だ。つまり、この選挙の候補者が、自分への投票を依頼する「選挙活動」をできるのは、24日の公示から投票日前日までだけだ。
というわけでこの期間中には、巷は選挙カーと演説でうるさいし、街にはポスターや選挙ビラが氾濫することになる。あまりにも見苦しい光景だが、選挙運動するほうは必死なのだ。
ところで、この選挙期間に候補者のポスターやチラシなどが、何枚ぐらい出まわるかをご存知だろうか。参議院選挙における制限枚数は、わたしの記憶が正しければ、1候補者につき、ポスターは7万枚、ビラの数は25万枚、選挙ハガキの数は15万枚だ。
え? 立候補したとしても、印刷費用がないって? 大丈夫。実はこの印刷費用のかなりの部分は、公費負担だ。つまり国が出してくれる。
が、ここで「自己負担が少ないから」と、金欠候補が嬉々としてポスターやビラやハガキを、制限枚数いっぱいまで刷ってしまったらどうなるか? もちろん強力な組織がバックについていて、ボランティアもたくさん集められる候補は良い。が、そうでない候補の事務所は、いろいろと刷った印刷物の処分に、のちのち悩まされることになる。
ポスターやビラはそのままでは表に出せない。公示とともに人海戦術でポスターやビラの1枚1枚に、証紙を張らなければならない。そして証紙を貼ったあと、選挙区の候補なら公共のポスター掲示板に、だれかが出向いて貼ってこなければならない。選挙期間内に、7万枚すべてを貼りにいける力はあるかな? ビラも同じだ。25万枚を限られた期間で、すべてさばけるだろうか。
比例区候補は、選挙区の候補よりもっと大変だ。参議院の比例区は全国区なのに、ポスターを掲示する場所は、自分で見つけなければならないのだ。ポスターは電柱など公共の施設に張ってはいけない。となると、どこに、だれに貼ってもらおうか?
もちろんこちらも、組織がバックについていれば、そこへお願いできる。でも組織がない場合は、知り合いの家の塀に貼らせてもらうのがせいぜいだ。それに、ポスターは紙なので、そのままではペラペラしていて貼れない。台紙となるベニア板や、ベニア板を塀などにくくりつける針金等を、用意しなければならない。
さて、紙類が選挙期間中にさばけなかった場合、それはとっても惨めなことになる。ポスターはけっこう大きい。そして7万枚のポスターはかなり重く、場所をとる。ハガキもチラシも枚数があるため、こちらも同様だ。だから、候補者の事務所は、選挙後の処分のことを考えながら、これらの紙類の発注枚数を考えなければならない。
候補者とそのスタッフには、選挙後に大仕事が残っている。当選しようが落選しようが、選挙が終わったらすべての選挙ポスターを速やかに撤収することだ。ここで、政党としての組織力や選挙の作法が問われる。できれば投票日の翌日に、そして遅くとも3日以内に、すべてのポスターを撤収しなければならない。
比例区の候補のポスターなどは、スタッフも把握していなかった国内の最果ての地に貼られていることがあり、選挙後、事務所に「○○県XX郡に貼りっぱなしだぞ。見苦しいからはがしに来い!」と、クレームの電話が入ることがある。
もちろんこれも組織がついていれば、△△建設のXX支店の人に、はがしに行ってもらえばよい。が、組織がないと、「○○県XX郡? そんなところに行く交通費はないよ。誰かそのあたりに知り合いが住んでいる人はいない?」と、ポスターはがしにいけそうな人間を、探し回ることになる。
候補者と政党の評判が悪くなることもいとわないのであれば、選挙後のポスターはがしの作業を、放棄してしまうことも可能だ。3年前の参議院選挙では、自由連合の比例区の候補のポスターが、ベタベタと電柱に貼られ(すでに選挙違反)、しかも選挙が終わってもいつまでもそのままで見苦しかった。
(私のコメント)
参院選が始まりましたが、選挙カーがうるさいだけで誰が立候補しているのか選挙看板を見ないとわからない。「株式日記」でもインターネットを選挙に活用せよと何度も書いてきましたが、いまだに選挙法が改正されていない。ホームページが図画文書の配布に当たるという総務省官僚の無理な解釈のためだ。ネットがなかった時代の法律でどうしてネットが裁けるのか。
前回の参院選挙でもネット解禁を訴えて出た候補が選挙期間中もホームページを更新して選挙をしていましたが、落選したせいか選挙違反で捕まることもなかった。この候補は確信犯で選挙違反で捕まることで裁判になれば、総務省のネット規制は違法だと裁判で決着が付けられたであろう。
私の日記でも毎日のように小泉首相や竹中大臣を批判した記事を書いているのですが、これは怪文書の配布ということになるのだろうか。なるわけがない。選挙期間中に政治的な意見が表明できないというのは明らかにおかしい。ところが掲示板などに政治的意見を書き込むと削除してしまう管理人がいる。トラブルを恐れて削除するのだろうが、このような自主規制が官僚や一部の政治家の狙いなのだ。
そのおかげで選挙に対する関心も薄れて投票率も下がれば、自民・公明党が有利だからネット利用を妨害しているのだ。それでも以前よりは規制もゆるくなって選挙期間中も更新は出来ないがサイト自体は閉鎖せずともよくなった。だから23日の公示前に候補者達は力の入ったサイト作りをしている。
福島由美氏のサイトで候補者のホームページを論評していましたが、鈴木宗男氏のサイトは力が入っていて音声付の派手なサイトだ。いずれネットが解禁されればビデオなどの動画も使って演説や活動をサイトで見られるようになるだろう。しかし現在は無駄なポスター7万枚やはがき25万枚など無駄なことに使われている。その費用をネットに使えば選挙費用もかなり安く出来るはずだ。
自民党の一部がネットに反対しているのは、自分の支持者達が老人が多くネットを利用していないから不利だと妨害している。日頃はIT革命だのといっていながら実際は妨害しているのだ。そして選挙カーで名前を連呼するだけの選挙形態に固執している。そんな議員が国会に多いから日本が停滞してしまうのだ。
◆最近はアクセス数が増えたおかげでプロバイダーのサーバーがちょくちょくダウンするようになりました。1時間に200アクセス以上になるとダウンするようだ。もしメインのサイトが見られないときはミラーサイトか裏サイトでご覧ください。
藤原智美(著) 『家族を「する」家』
退屈を知ってこそ子どもは想像力を鍛えられる
2004年6月25日 金曜日
◆青少年犯罪の凶悪化進む、被害8年連続で増加
内閣府は22日、2004年版青少年白書を発表した。凶悪犯罪の加害、被害件数とも増加しており、青少年をめぐる犯罪の凶悪化が一層進んでいることが明らかになった。
白書によると、2003年の凶悪犯罪での少年少女(14歳以上20歳未満)の検挙数は2212人で、前年より11・4%、226人増加した。凶悪犯罪の種類別では、「強盗」が最も多く前年比185人(11・7%)増の1771人、「殺人」が同13人(16・3%)増の93人、「強姦」が同12人(5・2%)増の242人だった。
一方、少年少女(20歳未満)が被害者となった刑法犯罪の総件数は2年連続で減り、38万5762件で前年より2万757件(5・1%)減少した。しかし、このうち、凶悪犯罪の被害は前年より66件(3・1%)増の2204件だった。凶悪犯罪の被害は8年連続で増加した。
強姦と強制わいせつを合わせた性犯罪の被害も、前年より473件(6・9%)増の7376件にのぼった。
また、携帯電話などを利用した「出会い系サイト」を通じて凶悪犯罪の被害にあった少年少女は、前年比1・5倍の63人となり、統計を取り始めた2000年の10・5倍に達した。
親が子供を虐待する児童虐待も増加傾向が続いている。全国の児童相談所が受けた相談件数は、前年度より464件増の2万3738件に上った。統計を取り始めた1990年度以降、増加を続けている。(読売新聞)
[6月22日13時16分更新]
◆ケータイがつくりだす「壁」が家族を分断する
そして電話である。電話はラジオやテレビとはまったく性質の違う道具である。れは会話ができる、まさにコミュニケーションのための道具なのだ。電話もまた当初はパブリックな装置だった。最初、庶民は公衆電話を利用した。やがて高度成長期をむかえ、一般家庭の加入電話が急速に普及した。でも、それは鈴木家、木村家の電話であり、姓がそれに張りついていた。家族共有の「家」の電話であり、子どもはめったに使うものではなかった。
やがてコードレスフォンの子機が出現してから、親は電話の持っている「怖い」一面を知ることになる。子どもが子機を自室に持ちこむ。そこで何が話されているのか分からない。そういう不安が生まれた。それでもたいてい取り次ぐのは親である。誰からの電話か、ぐらいは分かった。「いまかかってきた○○くんはどんな子なの?」などと、子どもにとってははなはだ迷惑だが、親にとってはかすかな手がかりをつかむことはできた。
けれど携帯電話の時代に入ってからは、それさえも叶わなくなった。電話は「はい鈴木です」などと姓を名乗るものではなくなった。それはファーストネームの道具になった。電話もまたパーソナル化したのである。いや、それさえも怪しい。
携帯電話の番号はいまや個人に依拠しているものですらない。それは電話機という機器自体につけられている。最近の若い人たちのように頻繁に買い換えれば、番号はパーソナル化するまえに捨てられる。現在の携帯電話は「個人」の道具ですらないともいえる。
それを象徴するのがメールだ。たとえば、わたしの携帯電話には、見ず知らずの人物からメールが入ってきたりする。「友だちになろう」「メールください」などというメツセージがまったく未知の人間から入っているのをディスプレイ上で目にするとき、奇妙で落ち着かない気分にさせられる。
これらのメツセージは、ただ気まぐれにポタンを押して入れたにすぎないものだろう。彼らはわたしが中年の男であるということなど知らない。おそらく一日に何十本も同じように打ちこんでいるのではないかと思う。そして実際にメールの交換がはじまるケースも少なくないのだろう。
パソコンのインターネット通信でもこうしたことはなかった。こうなってくると、「携帯電話はパーソナルな機器」ともいえなくなる。それは「パーソナルなメディアでありながら、公共の情報空間につねに無防傭にさらされている」というどこか矛盾した、これまでのコミュニケーション感覚では理解しがたい存在になっている。
子どもたちは常にそのようなメディアを身につけながら暮らしている。いや、それは子どもたちだけではない。父親も母親もそれを携帯している。そのメディアは住まいのどこにいてもわたしたちを追いかけてくる。食卓にいても瞬問的に家族問に「見えない壁」をつくる。
Mさんは個室の壁を超えようと、土曜日の夕食会をくわだてた。けれど、携帯電話によって瞬時に見えない壁が出現した。いま一番問題なのは、もしかすると「個室の壁」ではなく、この「電子情報の壁」なのではないか。見知らぬ者同士の距離より、食卓で隣あう親子の距離のほうが遠い、ということが日常化している。
情報化時代の家庭はたとえ同じ屋根の下にいても、家族間に見えない「情報の壁」が張り巡らされている。その壁は実際の壁よりも日々に厚くなっていく。なぜなら、家族の一人が携帯電話で話しているとき、他の者はどこか無視されたような、自分の存在を認められていないような気になる。それが親子だったら、夫婦だったら:…・。
◆ケータイ的な家族関係が増えていく
家族の一人が携帯電話に夢中になっているとき、ほかの家族はその彼を、彼女を目の当たりにしながら、物音をたてないように気を使う。ところが、気を使われているということを、その彼と彼女はまるで気づかないかのように、高笑いしながら話をつづける。
家族であるということで、それも我慢する。が、心のどこかにあの無視されたような感覚、自分を軽んじられたような気分は少しずつ蓄積されていく。誰からかかってきたか不明なだけに、その苛立ちは強まる。せっかくつくった料理が冷めるのもかまわず、小さな電子機器を握りしめ話しっづける子どもに、自尊心がまったく傷つかない親などいない、とわたしは思う。
親の子育てのあり方ばかりが問題視されるが、子どもに傷つけられる親の問題は無視されている。「もう二度と食事などつくってやるものか」と思ったとしても、そう思う親を少しも責められない。それほど親は、この情報化時代のなかで無視され、孤立化する。親は傷つき、子どもは親に無関心になり、やがてそんなまったく「ケータイ的な家族関係」が当たり前になっていく。互いに無関心になれば、腹も立たなくなるのだ。そう思おうと努力することになる。
公共の場で耳障りに感じた着メロも慣れるにしたがって平気になり、いつか自分も同じようなメロディを奏ではじめるのだ。「女房がケータイを食卓に置いたんです。いったい何のつもりだろうと思いました。食事中だからスイツチを切れよ、というとおとなしく従いましたけど」Mさんの言葉だ。「でも、子どもたちは女房の味方をするんです。スイツチを切らなくてもいいじゃないという。それは自分たちがそうしているからなんだけど」
Mさんの妻の気持ちは分かる気がする。彼女は携帯電話をテーブルに置いて、そのことで子どもたちに静かに抗議したのではないか。もしかすると、子どもたちに向かって、夫にこういってほしかったのかもしれない。「食事時にケータイをテーブルに置くのはやめなさい」そういわなかった夫に傷つき、「擁護してくれた」子どもたちの言葉に、二度傷ついたのだとわたしは思う。
家族がコミュニケーションによって成り立つ集合体であるとするならば、情報通信のネットワークに住まいが組みこまれることで、家族のあり方、家族意識も大きな影響を受けるだろう。この変化に無自覚である限り、それは間違いなく家族内のコミュニケーションを薄め、個々人をより「外のコミュニケiション」へと向かわせていくだろう。わたしたちは家にいながら、テンデンバラバラにみんなしていつも「外」を向いている、そういう家族の光景に遭遇することになる。
情報機器のパーソナル化はとど支るとこケを知らない。今度はどんな道具が出現するのだろうかpどんな道具が家族関係を壊していくのか?
◆監禁現場とパラボラアンテナ
新潟で少女を九年間にわたって誘拐監禁するという事件姉起きた。ニュースで映しだされた犯人の住まいはひどく奇怪だった。改築途中で工事を中断したのだという。問取りがきわめて不自然である。家のなかにさらに「もう一つの家」があるといった二重構造になっている。完壁な密室といった感じがする。
それにもまして奇妙だったのが、外壁に取りつけられた何基ものパラボラアンテナだった。窓ガラスは内側からフィルムが貼られてなかを覗くことができない。外部にかたく殻を閉ざしている。だが、外と完壁に断絶をはかり、内側にこもっているというわけではない。宙を飛び交っている無数の電波をキャッチし、殻のなかから社会を覗きたいとする意欲は過剰なほど強い。その象徴が何基ものパラボラアンテナである。
事件のアウトラインが明るみに出てから、わたしは精神科医のKさんに電話を入れた。彼はこの奇怪なパラボラアンテナの住まいについてなんというだろうかp「子どもの秘密基地みたいだった」とKさんはいった。「男の子がよくやる遊びですよね」とわたし。「自分の姿を隠して周りの世界を覗くという欲求が子どもにはある。それが基地遊びです。ぼくらには身の安全を確保し、白已の空問をしつらえたあと、ゆっくりと窓をなが通して外を眺めたいという欲望がある」
パラボラアンテナはその「窓」なのだろうか。テレビがあれば、カーテンを引いてかたく閉ざした室内からでも「社会」を見ることができる。「でも、それは現実の風景ではない。電子化された疑似風景ですね」とわたしはいった。外部を覗いているつもりでも、それは電子で加工された情報を消費しているにすぎない。そこで展開されている社会は自分の関わることができない、いわば架空の世界ともいえる。
「その意味では、現代の住宅には『無数の窓』一が開いているということになる。何も外へ出かける必要はない。自分のテリトリーに身を隠したままで世界を把握した気になれる。しかし、それは幼児的な態度です」とKさん。「そうするといまの住まいのなかには、幼児的世界に人を引きこむ道具があふれていることになりますね」
「もしかすると日本中の子ども部屋は、外に出なくても杜会とコンタクトしている、と思わせてくれる錯覚があふれかえっているのかもしれない」「パソコンネットワークも一種の窓ですね。テレビ、パソコン、ケータイと社会とつながる窓がいっぱい開いている。しかもその窓は現実の窓よりも、ずっと魅力的でダイナミックな窓です」とわたし。「その偽物の迫力やにぎやかさに慣れてくると、個室からなかなか外へ出られなくなる」Kさんはそう警告した。
◆退屈を知ってこそ子どもは想像カを鍛えられる
「でも、実はいま、住まいから子どもの個室がなくなりつつある」とKさんはつづけた。「ええ、たしかに子ども部屋をなくそうという社会的な動きもある。けれどそれはまだごく一部ですよ」とわたしはいった。「いや、『空問としての個室』ではなく、『意味としての個室』のことです。いま、子どもたちは真の意味でこもっていない」Kさんは主張した。
わたしはどうも「個室」の意味を早とちりしていたらしい。「携帯電話などで常に外につながっているからですか」とわたしは訊いた。「パソコン、テレビ、ゲームマシンなどすべてです。これからの時代、真に独りになろうとしても、ますますこもる場所や時間がなくなる」「そうなると、どんな事態が生じるのでしょう?」「子どものころ、藤原さんは家でどんなふうに過ごしていました?」Kさんが逆に訊き返してきた。
ぼくの部屋にあった情報装置といえば小さなステレオセツトくらいだった。それも高校に入ってからで、そのまえはラジオだけだった。電話もテレビもなかった。もちろんヘツドフォンステレオも。いまの子どもに比べると恐ろしく何もなかった。だからなのだろうか、いつも退屈だったような気がする。
「退屈さというのは子どもの特権なんです。退屈さを自分で紛らわす力をつけることも成長の一つなんです」とKさん。かつて気を紛らわす遊び道具を持っていなかった子どもたちは、それを木や竹といった身近な材料を使って自力でつくりだした。道具はなくとも、仲間がいれば自然に遊びがはじまった。それもかなわないときは、雲を見て空想をふくらませたりした。それが想像力を鍛えた。
授業中、ぼんやりと空想を巡らすことでさえ無意味ではない、とわたしは思う。それもまた想像カを鍛える方法となる。だが、最近の授業ではただよ退屈さに意識を漂わす子どもなどいない。彼らは勝手きままに私語をするか、行儀のいい子どもでも携帯電話でメールを交換するのに忙しい。
彼らは退屈という精神状態を知らないのだ。そうとしか思えない。部屋にいるときはおろか歩行中でさえ携帯電話とヘッドフォンステレオで情報の洪水に浸りきっている。「独り」を味わおうとしない。考えてみればこれは恐ろしいことではないか。わたしたちは個人空間で「自我」を育ててきた。
この個人空間というのは単に部屋というだけでなく、「自分と向き合う時間」という意味をも含んでいる。かつて個室といえば必然的に自分と向き合う空間だった。向き合うという言い方がキレイすぎるならば「こもる」といいかえてもいい。
現代の子どもは本当の意味で「独り」になり「こもる」ことがなくなっている。こもらずにもっぱら「情報の消費」に励んでいる。「こもる」というのは「自已意識を発揮させる」ということだ。そこではじめて退屈を成長に結びつけることができる。自分を見つめることができる。
退屈を乗り超えるカは想像力である。想像力が欠如している現代っ子には、退屈に耐える力がない。Kさんが「真の意味で個室にこもっていない」というのは、情報の消費に流されて想像カが衰弱しているという意味だったのだ。人問は「孤独」を大切にしてこそ「成長」もある、というKさんの意見には賛成である。(P157−P167)
(私のコメント)
ケータイが家族崩壊のきっかけになるのだろうか。ケータイのおかげで子供といえども、親に内緒の電話が自由に出来る事は、親子関係に重大な影響をもたらすだろう。いまや高校生は9割がケータイを持っている。ケータイを持っていなければ友人関係すら持つことが難しくなって来ているようだ。
逆にケータイがいやらしい中年男と女子高校生を結びつける道具にもなっている。女子高校生がちょっとお小遣いが欲しければケータイで簡単に援助交際相手を見つけることが出来る。夫婦の間でもケータイのおかげで不倫相手と内密の電話が出来るようになったし、プレイボーイはケータイを何台も持って使い分けることが出来るようになった。
私自身はケータイを持っていない。持ちたくもないし持っていても持ち歩くつもりはない。そんなに緊急を要する連絡などないし、普通の電話やFAXやインターネットのメールなどでいくらでも間に合うからだ。逆にケータイを持つことで一人になりたくとも一人になれない煩わしさもあるだろう。
現代の子供達の危機は藤原氏によると「退屈する時間」が持てないことだという。世の中の情報が子供達にも襲いかかり、学校や塾の他にもケータイやゲームやネットで「退屈する時間」が本当にない。それ以外にも24時間営業のコンビニやファーストフードのお店があり、真夜中も遊びに対する誘惑が一杯だ。
これは都会や地方も関係がない。むしろ地方の子供達の方が娯楽が身近になった分のめり方が大きいのだろう。未成年者の凶悪事件がほとんど地方に起きており、ケータイやネットがからんでいる。テレビゲームの影響もあるだろう。簡単に子供が子供を殺してしまう。
もちろん大人たちの世界もケータイやネットが及ぼしている影響も大きい。男女間も、出会いから結婚に到るまでに、ケータイやメールのない世界は考えられない。以前は電話一本かけるのも大変だったし、ラブレターにしてもたいてい相手の両親に没収されるのが常だった。
もはや両親が子供を躾けたり箍をはめるのは困難になる一方だ。子供がいったいネットで何をしているのか、誰とメールのやりとりをしているのか掴むことは不可能だ。女子中高生がいる場合、誰と交際しているかもわかりはしない。夫婦の間でもケータイで絶えず相手を監視して電話やメールをやりとりしなければならなくなった。カメラ付きケータイまであるから誤魔化しもできない。
外資系証券はインサイダー取引やりたい放題
米シティ、日興の持ち株比率を12%に引き下げ
2004年6月24日 木曜日
◆米シティ、日興の持ち株比率を12%に引き下げ 提携関係は継続
国内三大証券の一つである日興コーディアルグループと、米金融大手のシティグループは二十一日、シティが日興の持ち株比率を現在の約21%から約12%に今夏にも引き下げることで合意した、と発表した。筆頭株主のシティは日興株約一億八千万株を市場に放出し、日興が半分程度を取得する予定。シティは約一千億円の売却益を得る一方、日興は既取得分も含めて約10%分の金庫株を保有する見込み。両社は法人向けの日興シティグループ証券などを共同運営しており、提携関係は維持するという。
日興は約六年前、業績悪化に伴い、信用補完などのために米トラベラーズ・グループ(現・シティグループ)と資本提携した。日興の業績が回復したのを受けて、シティは日興への出資比率を引き下げ、投資資金の有効活用を図る。
この日、記者会見した日興の有村純一社長は「持ち株比率の低下で経営戦略の自由度が高まる。個人投資家の持ち株比率を現在の16%から将来は30%に増やすが、株式放出で来年三月末には20%台になる見込み」と出資比率の引き下げに応じる理由を説明した。
また、シティグループ・インターナショナルのデリック・モーン会長兼CEO(最高経営責任者)は「日興は業績が回復し、もう支援を必要としていない」と指摘した。売却益の使途についてはコメントを避けた。
金融再編が進む中で、今後は約一千億円の時価の金庫株を保有することになる日興の出方に注目が集まりそうだ。両社はこのほか、未公開株式への投資を行うファンドに対し、それぞれ百十億円を投資することも発表した。(産経新聞)
[6月22日3時24分更新]
◆日興コーディアル株のインサイダー疑惑 2004年6月23日 HiT株式教室
昨日、日興コーディアルグループに出資している米シティグループが大量に日興コーディアル株を売却するというニュースで日興コーディアル株が急落(38円安)したことはご存知の通りです。しかし、発表以前から日興コーディアルの株価は明らかにインデックスに見劣りし、同業他社に比べてもマイナスで不自然な動きを続けていました。
分かり易い様に、発表直前と発表一ヶ月前の株価を日興コーディアル、日経平均、大和證券の順に並べてみましょう。
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日興コーディアル
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日経平均株価
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大和證券
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1ヶ月前の株価(5月21日)
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575円
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11070円
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775円
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発表前日の株価(6月21日)
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555円
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11600円
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815円
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発表前の1ヶ月で日経平均は530円上がり、同業の大和證券もそれに連動し40円値上がりした半面、日興コーディアルの株価は20円値下がりしています。これは明らかにインサイダー取引の「状況証拠」でしょう。
そして、「被害者」は株価が下げたことに対して、何も知らずに買い下がった個人投資家です。その間の信用買い残は1ヶ月で3割ほど急増しましたし、発表後の急落で受けたダメージは相当のものです。売り手の多くは外国人投資家と推測しますが、日興コーディアルへの出資元が海外であることが胡散臭さを感じさせます。インサイダー情報があったとすれば海外も疑うべきでしょう。
日経平均はレンジの上限を何度か試したことになり、今度はレンジの下限を試す順番といったところでしょう。上昇相場で目立たなくても下落相場では信用買い残の多い銘柄や業績不振企業など「負け組銘柄」の下げが顕著になることがありそうです。
◆67 :闇の声 :04/06/19 15:00 ID:MP/W8XP1 2ちゃんねる
もちろん、なかなか出来ないことではあるが竹中のお友達のパ−ティが
一度暴露されれば今の政権の正体が解ると思う
豪華なヨットを使ってどこぞの大学のおぼっちゃまや若手官僚、金持ちの子息・・・
不思議に、女優やタレントはいない
口が軽いし、第一こいつ等の目的は女遊びではない
日本の金融政策の先取りをして、尚かつインサイダ−や売り抜け、隠し預金など
あらゆる蓄財の相談をする
そして、必ずその席にいるのがモルガン等外資のコンサル・・・
口を開けば、日本経済のための構造改革とか金融再編とか言うけれども
何のことはない・・・自分達のやっていることが後ろめたいから、勝手に口実を設けているだけだ
しかも、その席に加わるためには一定の財産の他に竹中へのコミッションを
約束しなければならない・・・結果、彼はそこで儲け話を披露して
その見返りはケイマンなどへの違法送金・・・
ごくわずかの金持ちのために、日本経済は勝手に切り売りされている
見せかけだけの指数が、さも景気は良いように国民を誤らせている
しかし、彼らの飲む一本のワインの金を、国民は生活を切りつめて捻出している
そんな事実を、その金持ち達はたった一言で切り捨てる
「僕らは進んでますから 遅れた人が貧乏になるのは当然でしょ?」
◆竹中金融相は米国の代理人だった! (日刊ゲンダイ、10月25日)
”竹中代理人説”を裏付けたのは、モルガン・スタンレー証券(東京・渋谷区)のチーフエコノミストであるロバート・フェルドマン氏。一昨日(22日)、都内で開かれた投資家向けの講演会で、「われわれが竹中金融相に知恵を授けた」という趣旨の発言をしたのだ。講演を聞いた一人が言う。
「フェルドマン氏は、来日中のテーラー米財務次官や、彼と一緒に来日したモルガン・スタンレーのスティーブ・ローチ氏(チーフエコノミスト)、バイロン・ウィーン氏(チーフストラテジスト)の3人とともに竹中氏に面会した。そして、不良債権処理を加速させる竹中案の足を引っ張る勢力をいかに排除するか、直接アドバイスしたことを講演でとくとくとしゃべったのです」
この4人は金融庁の役人や抵抗勢力と抵抗勢力といわれる政治家たちを”反竹中勢力”と定義。
言うことを聞かない役人には人事権を行使してクビを切り、政治家には”北朝鮮カード”を使えと竹中金融相に迫ったのだ。
「北朝鮮カードとは、破綻した朝銀絡みの問題です。北朝鮮への送金でうまい汁を吸っていた政治家については金融庁がチェック済みだろうから、それをネタに政界からの引退に追い込めという理屈でした」(前出の参加者)
「来日中の3人は、一部では竹中応援のための”ドリームチーム”と呼ばれている。しかし実際は、応援というよりも尻をたたいているといった方が正解じゃないですか。モルガン・スタンレーは日債銀の譲渡先選定を仲介するフィナンシャル・アドバイザーを務めたことがある。今回もメガバンクが国有化されれば、その売却でひともうけできるという思惑があるのでしょう。竹中氏はそのお先棒を担いでいるわけです」(金融関係者)
(私のコメント)
竹中平蔵が経済閣僚ポストを二つもなぜ握っているかは、ずばり言えばインサイダー情報を外資系証券に流し、外資系証券も彼らのインサイダー情報を流すことで情報のバーター取引をやっているのだ。竹中大臣の友達にはモルガンスタンレーのフェルドマン氏が付いていて、彼らは何をやってもアンタッチャブルである。
なにしろ取り締まるべき金融庁の大臣が張本人なのだから誰も取り締まれない。今回の日興コーディアル証券のインサイダー疑惑を追及されることはないし、それを記事にするマスコミもないだろう。しかし状況からして日興コーディアルを売り抜けたり空売りをして儲けた筋がいることはチャートを見ればわかる。
その情報がシティから漏れたか日興から漏れたかはわからないが、上がるべき株が上がらず下げているのは明らかにおかしい。日興は脱税でも110億円の追徴を払っているしこのダブルショックで700円台の株が500円まで下げている。このように金融庁と外資系証券会社が手を組めばいち早く情報が手に入り100%確実に相場で儲ける事が出来る。
その中心にいるのが竹中金融大臣でありモルガンスタンレーのフェルドマン氏だ。彼らは財界の若手や官僚の若手をグループに引き込んでは人脈を広げていく。100%美味しい話を持ちかければ彼らのグループに引き込むのはわけないだろう。UFJにしても竹中大臣の判断次第なのだから外資系証券会社の動きは目が離せない。
「りそな」の時も、普通は紙切れになるはずの株券が金の卵になったのは竹中大臣の判断であり、竹中大臣のインサイダー情報を持っていた一部の外資系証券会社は大儲けした。逆に株主責任を追及した植草一秀氏は彼らの制裁にあって社会的生命を抹殺された。
もはや小泉・竹中内閣を脅かす敵は無くなった。抵抗勢力も北朝鮮カードでおとなしくなり、抵抗勢力のトップの野中広務は引退した。構造改革派の言う勝ち組とは政治を利用してインサイダーで儲ける事が出来る特権階級のことであり、よそ者がインサイダーで儲けると金融庁が厳しく取り締まる。
シティと日興コーディアルは縁が切れたわけではなく、筆頭株主ではありますが極めて短期間に1000億円もの利益を手にすることが出来た。ハゲタカ外資は金融庁を使って日本の証券会社を締め上げて多くの証券会社を廃業に追い込み、日興證券へシティを二束三文で資本参加させ、僅か6年で1000億のリターンだから笑いが止まらない。
竹中大臣にとっては日本経済や日本企業がどうなろうと関係なく、外資との口利き手数料で私腹を肥やし、税務署の手の届かないタックスヘイブンに利益を送金させている。まさにハゲタカ外資は竹中大臣のような手先を使って、やりたい放題の事が出来るようなシステムが出来ている。
ユダヤ人たちはソ連とアメリカという2つのユダヤ国家が
力を合わせれば、全世界を支配できると考えた。
2004年6月23日 水曜日
◆元ソ連元外交官が語る「ロシアーユダヤ闘争史」の全貌
■■■第5章:スターリンとジューコフ元帥の反乱
■■ユダヤから離れて暗殺されたスターリン
スターリンはその頃からユダヤ人のやり方に反発するようになった。スターリンの妻はカガノビッチの妹であり、その前のスターリンの2番目の妻も同じくユダヤ人だった。それにもかかわらず、スターリンはユダヤ人に対抗していった。戦争の勝利で自らのイメージが上がったこともあり、ユダヤの横暴なやり方に我慢できなくなって、反ユダヤの態度をとりはじめたのであった。1949年から亡くなる1953年までの間、スターリンは実際にそうした行動をとり続けていった。
スターリンの身辺には常にベリヤがいた。ベリヤは国家保安省のリーダーであり、スターリンと同じくグルジア人だったが、ユダヤとのハーフであった。ベリヤは終始スターリンの見張りを怠らず、スターリンの行動をすべてカガノビッチに報告していた。そのため、スターリンはベリヤに隠れて密かに反ユダヤの陰謀を画策していった。
1952年、「医者事件」が起こった。「医者事件」とは、1948年、ユダヤ人の医者たちが多くのロシア人の新生児、それも男児を毒殺した事件である。そのときに殺された男児の数はかなりの数に上った。とくに大都会のレニングラード、モスクワ、キエフなどで多くの男児が殺された。
なぜユダヤ人たちはこのような暴挙をやるのか、このまま多くの男児が殺されるならば、いったいどのようなことになるのか──。
スターリンは1952年、この事件に関係した医者をすべて逮捕し、ユダヤ人自身がつくった収容所に送って、その半数を殺したのであった。
スターリンは更に大きな反ユダヤのプランをもっていた。シベリアの極東地方にビロビジャンというユダヤ人の自治州があったが、彼は大都会からすべてのユダヤ人を集めて、シベリアのビロビジャンに送ろうとしたのである。が、それが実行に移される前に、彼はベリヤによって暗殺された。1953年3月のことであった。
スターリンは自然死であるという説があるが、実際はそうではなかった。ユダヤ人による暗殺であった。ベリヤによってスターリンは殺されたのである。スターリンの息子ワシーリーは空軍の将校だったが、彼はこの事実をよく知っていた。彼は隣人にこの経緯をすべて話している。しかしワシーリーもまもなく暗殺されてしまった。
■■ソ連の全権を握ったカガノビッチ
ユダヤ人は強大な力をもっている。彼らは世界的な規模で力をもっており、ユダヤ民族が不利な状態になったときには一致して攻撃に出ることができる。スターリンは強力な独裁者といわれたが、その実は彼らに操られたロボットであり、自ら独裁者ぶりを発揮したとたんにユダヤによって暗殺されたのである。
スターリンが亡くなって後、ベリヤはカガノビッチの真の右腕になった。この2人はスターリンが暗殺されてから130日間、実質的にロシアを支配していた。この間、彼らは何をやろうとしていたのだろうか。それは、ソ連の分裂への策謀であった。ベリヤが逮捕されて後に、こうした計画のあったことが発覚している。
今から40年前の1953年、カガノビッチは当時のソ連の全権を掌握した。このとき、ロシアは本当のユダヤ国家になってしまったのである。
ロシアのユダヤ人とアメリカのユダヤ人たちはこうした事態を大いに喜んだ。なぜならば、ロシアのユダヤ人もアメリカのユダヤ人も、いずれもアシュケナジー・ユダヤ人という同胞であり、すっきりと手を組むことができるからだった。
ユダヤ人たちはソ連とアメリカという2つのユダヤ国家が力を合わせれば、全世界を支配できると考えた。当時の誰がこのような陰謀を阻止できただろうか。
その当時、国家保安省のエージェントはあらゆるところにいた。そして、密告が制度として国民の義務となっていた。当時のロシア人は、こうしたユダヤのネットワークには、何らの抵抗するすべをもたなかった。
■■ユダヤ権力を壊滅させたジューコフ元帥
しかし奇跡が起こった。第二次世界大戦におけるファシズムとの戦争で勝利をもたらしたジューコフ元帥が、1953年にユダヤとの戦いでも勝利を収めたのである。
1953年7月27日、モスクワ郊外でジューコフ元帥は陸上演習を行なっていた。この演習の途中で、ジューコフ元帥は突然、自ら戦車部隊二個師団を率いてモスクワ市内に入り、国家保安省本部に向かって進撃を始めたのである。国家保安省はこの動きをまったく感知していなかった。そのため、ジューコフはあっという間に国家保安省本部の占拠に成功することができたのであった。
ジューコフ元帥はまずベリヤを逮捕した。そしてその次にカガノビッチらを逮捕した。これはまったく異例の事態であった。ロシア人の民族性からすると、こうした過激な反発行動に出ることはあり得ないことであった。しかしジューコフは、誰にも相談せずに、自らの判断で直ちに戦車部隊二個師団を動かし、モスクワに入って国家保安省本部を乗っ取ったのである。
そのときからロシアは新政府となり、ユダヤ人は国家保安省や軍隊の司令部を含めて、あらゆる組織から追放された。少なくとも1960年まで、ほとんどの政府機関からユダヤ人が一掃されたのである。
ようやく、ロシアをロシア人が指導するところとなった。一時的にではあったものの、明らかにロシア人の勝利であった。このとき1953年から、1985年にゴルバチョフが書記長となり、翌年にペレストロイカ(改革)が始まるまでの間、ロシア国内にハザール国家は存在することがなかったのである。ユダヤ人たちはそのままロシアに住んではいたが、もはやユダヤ人たちが国家内国家をつくるようなことはなかった。
ブレジネフの時代はロシア人にとって歴史上非常に安定した時代であったといえる。ユダヤ人たちはこの時代を「停滞」時代という。革命が起きていなかったので、彼らにとっては「停滞」と呼ぶにふさわしい時代なのである。
■■■第6章:ソ連崩壊の舞台裏 (ロシア人とユダヤ人の対立)
■■1991年8月のクーデターは「ユダヤ第二革命」だった
共産主義体制崩壊後のロシアの政治を、日本では、改革派(民主系)と保守派(旧共産党系)の対立を軸にしたものとしてとらえ、そこに中間派系、民族派系などの諸派が絡んだ政争の流れとして見ている。しかし、本当の問題は民族闘争なのである。ロシア人とユダヤ人の対決、それがロシアで起きていることの根本にあることである。
1991年8月、世界を揺るがしたソ連のクーデターはあっけない失敗に終わった。しかしその結果起きたことは、紛れもない革命だった。これはユダヤ人によるクーデターであり、「ユダヤ第二革命」と呼ぶべきものだった。過激派のユダヤ人たちは、穏健なゴルバチョフ政権を倒して自らが政権を握ろうとしたのである。クーデター失敗後、エリツィン・グループが政権を握ったが、エリツィン大統領を取り巻くロシア政府高官のほとんどがユダヤ人であった。
エリツィンはユダヤ人の妻を持つが、彼自身は純粋のロシア人である。しかし彼は頭が悪く、しかもアルコール中毒である。彼は使われているロボットにすぎない。彼の補佐官は80%がユダヤ人であり、彼の補佐官の中には20人のアメリカ人がいた。そのアメリカ人の中でも指導的な役割を果たしているのは、ジェフリー・サックスというハーバード大学の教授であり、もちろんユダヤ人である。
ロシア国内のユダヤ人たちは、8月クーデターでロシア政府内の実権を握ったことを幸いに、次に海外のユダヤ人と相呼応して、ロシア経済を支配下に置こうとした。そのため、欧米の、中でもアメリカのユダヤ資本が怒涛のようにロシアになだれ込むことになったのである。
エリツィンと取り巻きのユダヤ人たちは、8月クーデター以後、急進的な市場開放路線を議会で承認させると、ガイダル政権を発足させた。そして年末の連邦崩壊・CISの形成を経るや、一気に市場開放、価格自由化というショック療法を実行に移したのである。その結果ロシアでは、国際派ユダヤ人による猛烈な「ゴールド・ラッシュ」が起きた。1991年8月クーデター以後しばらくの間、ニューヨークからモスクワ行きの飛行機は、ほとんどユダヤ人たちに占められていた。
■■やがてロシア人の解放運動が巻き起こるだろう
8月クーデターで、彼らユダヤ人たちは再びロシアの権力を握ったと思っているだろう。しかし、70年余年前の10月革命のときとは、その事態には根本的な違いがあることに彼らは気付いていない。
ユダヤ人たちは1917年10月革命当時には大きな力をもっていた。しかし今日のロシアのユダヤ人たちには力がない。彼らは二度目の革命を起こしたが、今日のロシア人は75年前のロシア人とは異なっている。当時のロシアは農業国家であった。多くの農民たちは読み書きができなかった。しかし今は違う。共産主義時代に受けた教育レベルは非常に高いものである。ロシア人の年輩者もそして若い人たちも、ますますユダヤ問題がわかってきている。そして愛国心の高まりとともに、ユダヤ人に反発する行動をとるようになり始めているのである。
ユダヤ人はモスクワやサンクト・ペテルブルグ、キエフなどの大都会では力があるが、農民や労働者の中にはユダヤ人は一人もいない。これは喜ばしいことである。さらに、ユダヤ人たちの影響はまだ地方にまでは及んでいない。ロシアの地方には本当のロシアが残っている。
ロシア人たちの反発は、ロシア人によるユダヤからの解放運動として、すでに地方に広がりはじめている。ロシア人たちは必ず自分たちのロシア人のリーダーを選ぶだろう。
以前ゴルバチョフはペレストロイカは地方からの革命ではなく「上からの革命」であると言った。しかしこれは「革命」というよりは反ロシア的な陰謀であった。決して下からの解放運動、革命ではなかった。
私たちロシア人はすでに革命の歴史をもっている。最初の10月革命、これは明らかにユダヤ革命だった。そしてまた、2年前の1991年8月にあった革命も、ユダヤ革命であった。ロシア人たちはユダヤ革命はもう十分だと思っている。我らはもうこれに我慢できない。ロシアのユダヤ人たちは、ロシアにおいて悪質なことをやってきたし、今もやっている。しかし彼らはすでにやりすぎている。
今後、ロシア人とユダヤ人との闘いは、もっと激しくなっていくにちがいない。やがてロシア人の解放運動が巻き起こるだろう。私(イワノフ)は固く信じている。(後略)
◆ロシア石油王の裁判開始、敗訴が濃厚か
[モスクワ 16日 ロイター] 脱税と詐欺容疑で起訴されていたロシアの石油王、ホドルコフスキー氏の裁判が16日始まった。ロシア政府が主導したとの見方が強い裁判で、同氏の弁護士でさえ同氏が敗訴する、と予想している。
国内石油大手のユコス<YUKO>の大株主である同氏は、7カ月以上も拘留されていたが、声には自信が満ち、元気な様子を見せた。同氏は容疑を否認している。
この裁判は1991年のソ連崩壊後、もっとも重要な裁判のひとつになる、とみられているが、ソ連時代の見せしめ裁判とあまり変わらないと批判する向きもいる。
40歳の同氏は裁判所で、「私は、うぶな人間ではない。私に対する容疑には、本当の根拠がない。検察の意見であり、事実を含んでいない」と語った。
アナリストらによると、この裁判は、1990年代の民営化で大きな富を築いた新興財閥に国の規則を順守せよというメッセージを送るために強硬派らが押し進めた。
プーチン大統領は、脱税は許されないとし、他の新興財閥も起訴される可能性がある、との見方を示している。
同氏は、リベラルな複数の政党に資金を提供しており、ロシアの現政権に反対している、とみられている。(ロイター)
[6月17日11時43分更新]
(私のコメント)
ソ連の歴史を見ると多くの出来事に謎が付きまとっている。ソ連の歴史を解説した本などはたくさんあるが、このサイトほどソ連のユダヤ人の実体を解説したものはなかった。これらの解説がどれだけ真実であるかはわからない。しかし読んでいると、いままで理解できなかった謎の多くがわかったように思う。
元ソ連外交官が書いたものだからいい加減な論文ではないと思いますが、日本の歴史地理教育やテレビ新聞などの大手メディアでは決して語られない内容だ。まずハザール人はビザンチン帝国のキリスト教とペルシャ帝国のイスラム教に挟まれて、やむを得ず王から奴隷に到るまでユダヤ教に改宗することでユダヤ国家を建設した。
だから聖書に出てくるユダヤ人と現在の東欧系ユダヤ人とはまったく関係がない。イスラエルにいるユダヤ人の多くは東欧系ユダヤ人でシャロンからネタニエフなど名前からして東欧系ユダヤ人でユダヤ教徒には違いないが偽ユダヤ人だ。
ロシア人はスラブ民族と言われるようにユダヤ人によって奴隷として扱われてきた。ところがロシア人の反乱やモンゴル帝国の侵略でハザール王国は滅んでユダヤ教徒のハザール人は流浪の民となった。この点では正統派ユダヤ人(スファラディ)と運命は共通する。多くのユダヤ人たちはロシアやポーランドに逃れた。
この時点からロシア人と彼らによって滅ぼされたハザール=ユダヤ人の対立が続き現代に到っている。ロシアの共産革命はその対立の一環であり、革命によってソ連というユダヤ人国家が成立した。スターリンという独裁者が数千万人ともいわれる大虐殺はソ連というユダヤ国家が行ったもので、スケールからするとヒトラーのユダヤ人大虐殺はかすんでしまう。
ナチスドイツがユダヤ人虐殺を行ったのもユダヤ国家ソ連と戦争をしていたからであり、敵性民族としてユダヤ人を収容所に送り込んだと見れば納得できる。またアメリカが共産主義国家のソ連を助けたのも、アメリカも実はユダヤ国家であり、アメリカとソ連というユダヤ国家がナチスを滅ぼしたのだ。
スターリンはグルジア人でユダヤ人ではありませんが、ユダヤ人の傀儡だった。ユダヤ人たちのロシア人への殺戮は大規模なものでこれがスターリンの粛清だ。ロシア人の知識階級は殺されるか亡命してソ連の知識階級はユダヤ人が独占した。ロシア革命でニコライ二世一家を全員暗殺したのもユダヤ人による革命だったからで、ロシア人による革命だったらニコライ二世は殺される理由はなかった。
これほどロシアのユダヤ人が力を持つに到ったのは世界に広がるネットワークがあるからで、日露戦争で日本が勝ったのもユダヤマネーのおかげであり、ロシア革命の資金もアメリカやイギリスからのマネーによるものだ。だからアメリカとソ連とは兄弟国家といわれる理由もそこにある。
しかしスターリンとジューコフの裏切りによりソ連のユダヤ人は逆粛清にあい、多くのユダヤ人が殺された。ユダヤ運動には二つの流れがあり、一つは共産主義運動でもう一つはシオニズムだ。共産主義運動はソ連の崩壊で滅びましたが、シオニズム運動はアメリカで盛んでありアメリカのイラク侵攻はこのシオニズム運動の一環だ。この点からもアメリカはユダヤ国家であることが言える。
現在のロシアもロシア人とユダヤ人の熾烈な争いは続いており、ユダヤ人によるソ連崩壊で海外からのユダヤマネーがロシアの経済界を乗っ取ってしまった。ユコスなどの新興財閥は皆ユダヤ人によるものですが、プーチンを始めとするロシア人の反撃でユダヤ人石油王が脱税で逮捕されている。
これでユダヤ国家のロシアはなくなりましたが、もう一つのユダヤ国家のアメリカは残っている。しかしアメリカも将来、スターリンやジューコフのような裏切り者が出てユダヤ人が弾圧されたり追放されるような事態が予想される。ユダヤ人と大虐殺は深い関係があり異教徒に対する弾圧は虐殺という手段がとられることが多い。だからアメリカはイスラム諸国民を平気で殺害できる。アメリカはアフガニスタンやイラクでどれだけのイスラム教徒を殺害してきたのだろうか。
アメリカは今助けを求めている。アラブ諸国は十字軍以来
の1000年の恨みを晴らし たという名誉を獲得するだろう
2004年6月22日 火曜日
◆イラク、パイプラインの修復遅れ原油輸出再開できず
[バグダッド 20日 ロイター] イラク南部で破壊された原油パイプラインの修復工事が遅れ、輸出再開が出来ない状況が続いている。
当局者が明らかにした。
先週、複数の攻撃により、2種類のパイプラインが爆破された結果、イラク原油輸出は全て停止した。バスラの主要ターミナルは、これらのパイプラインに原油供給を頼っていた。(ロイター)
[6月20日18時46分更新]
◆米軍のイラク撤収が起これば 2003年3月31日 吉田 繁治
▼原油は戦略物資ではなくマーケット商品
石油資源が必要だから、米国が、中東地域を政治的・軍事的な支配下、 または強い影響下におく必要があるとば考えません。
わが国の政治家のホンネも「原油確保論」、これが多い。この論は、 石油確保のために南アジアへ侵攻した大東亜戦争と同じ質のものです。
原油は、世界のマーケットプライスに任せればいい。原油は多くの人 が暗黙に仮定している経済安全保障の「戦略物資」ではなく、マーケ ット商品であると判断しています。 石油は国家の戦略物資という前提を捨てれば、イラク戦争に、異なっ た面から照明を当てることができます。
産油国であるロシアも、国家経済のために、原油を中国や先進諸国に 売らなければならない。米国政府の侵攻の目的が、原油にあるならイ ラク侵略は愚策です。 イラクので政教分離の民主化と、アラブ世界の、米国にとって都合の いい新秩序を考えているなら、風車を見誤ったドン・キ・ホーテです。
▼第三次オイルショック可能性と帰結
原油の高騰は、日本にとっては恐れるべき事態ではない。 米国と世界のためにも、恐れる必要はないと考えます。
原油価格高騰によって起こる省エネルギーは、地球環境の悪化を守る ために、いずれ必要なことだからです。
中国・インド・東欧・ロシアの経済成長で、世界はエネルギーの多消 費に向かうことが確定しています。原油が2倍に値上がりすれば、日 本を含む世界は、省エネエネルギー技術を急速に開発し発達させます。 これが経済発展です。
技術は制約条件から生まれます。今は原油が安いため、採算に乗らな い多くのエネルギープロジェクトが一挙に脚光をあびます。
原油輸出国が、高いマーケットプライスを求めれば求めるほど、代替 エネルギー開発と、省エネ技術が進歩します。その中で売らなければ、
産油国経済はないのです。
一時的には3倍に上がっても、落ち着くところは2倍以下になるでし ょう。最終的には1.5倍くらいで落ち着くと思っています。 資源の安さに安住する経済は発展しない。 高さに挑戦するから、技術になります。 豊富な天然資源は、むしろその国の経済を停滞させるということを逆 証明したのが、戦後の日本経済です。
■3.今の原油は安すぎる
今の原油は、ミネラル・ウォーターより安い。
第一次オイルショック 1972〜73年
第二次オイルショック 1980〜81年
第三次オイルショック 2004年
第三次オイルショックも妥当(reasonable)に思えます。
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今の価格 1バレル(159リットル): $29から$30
1リットルあたり : $0.2(21円)
(日本の)
1人当たり換算年間消費量:2Kリットル (4万2000円)
1人当たり換算1日消費量:5.5リットル ( 116円)
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1バーレルで$29〜$30の価格(03年11月)から、その2倍 の$60に上がっても、1リットルは$0.4(42円)に過ぎませ
ん。 日本人は1人当たり換算で、年間2Kリットルの原油を使っています。 1日当たりで、5リットル(116円)です。計算すれば意外に多
い消費量です。電力も、火力発電で重油を使っています。 3人家族で1日、16.5リットル(ビールの大瓶で21本分)です。
(米国人世帯の50%以下ですが)
■4.原油が2倍に上がれば
(仮想の)第3次石油ショックは、日本人の一人当たり換算消費、1 日5.5リットルの価格を、今の2倍の232円に上げると仮定しま す。1日、116円の出費増です。 国全体では、02年の原油輸入総量は2億4000万Kリットル。輸 入金額では約5兆円でした。対円で2倍に上がれば、輸入金額は10 兆円になります。
$1=110円のままとして、日本のGDP500兆円の1%を、余 分に、産油国に所得移転することになります。国民1人あたりで、年
間4万円です。 今年は日本の財務省のドル買いで、半期で13兆円も米国に所得移転
しています。これが米国に対する、他に変わることができない日本の 支援です。
他のマネーは、米ドルから逃げています。米国人のファン ドすら、世界に逃げています。
(注)実際は、原油価格高騰では、米ドルが下落しますから、円換算 で5兆円の追加支出にまでにはならない。
日本は、世界の先進国で、自動車・家電を含めて、省エネ技術ではト ップクラスです。こうした技術開発は、日本人の得意な領域です。
(仮想の)第3次オイルショックは、日本経済に以下の好影響をもた らします。
(1)日本の省エネ技術・小型車・省エネ家電が、世界的に高い評 価を受ける。あらゆるもので、小型化が得意なのが日本人。
小型のものは、すべてが省資源&省エネです。
(2)日本の貿易黒字が5兆円分減少し、世界の貿易不均衡を是正する。貿易黒字分は、今は、米国債の超過買いですから、その分の金融不均衡も是正されます。
(3)世界で、最もエネルギーと資源を使う国、米国でも省エネの大きな動きが起こる。長期的には米国のためでもあります。
米国人のエネルギー消費が30%も減れば、世界の地球環境問題は、急に好転します。
(4)懸念される地球環境問題が是正される。
(5)リサイクル産業が勃興します。
(6)米ドルは、対円とユーローで下落します。
今後、どんな展開があっても、米英が中東を長期に支配する状態は継 続できません。米国が、中東から退却すればテロはやむでしょう。
(可能性はないのですが)万一、米英の支配下で民主政体がイラクに 誕生するようなことがあっても、その政権は反米英日になるでしょう。
最終的にはそこに行き着きます。
しかし産油国にとって、大量に買ってくれる先進国は顧客です。 原油価格が2倍に上がっても、今度は産油国の購買力が増しますから、
先進国からの輸出が増加します。新たな、産油国10億人市場の誕 生になる。
残る問題は、パラスチナというよりアラブとイスラエルの対立ですが ・・・ コンピュータとICは「制御」を行う機械です。熱力学のエントロピ ー論で言えば、マイナスのエントロピーです。コンピュータが多用さ れることは、今のような、野蛮でムダなエネルギーの拡散を有効利用 することで、結果は省資源と省エネに向かいます。
自衛隊派兵の後、米英軍とともに撤兵したあとの世界は、第3次オイ ルショックを経て、あらたな次元の地球環境に優しい成長経済になり
ます。 ブッシュ政権とともに、歴史を逆転させようとした試みは挫折します。
そこに至るまでには「行き着くところまで行く」必要があるのかも知 れません。
米国は、親米という無形の経済価値を、今、世界で失いつ つあります。 だれも世論操作をし続けることはできません。9.11以降の米国の
ように、表面上は[政府+大マスコミ]が操作しているように見えて も、今はメディアをもった内部告発は防げないのです。
陰謀的なことも、せいぜいの数ヶ月の寿命で暴かれます。
ショック的に上がった資源と原油価格も、2年も経てば代替エネルギ ーの開発と省エネの動きから、高くても、今の1.5倍程度の、1バ レル$45に落ち着くでしょう。 原油価格高騰は、省エネ・省資源が得意な日本産業(そしてドイツ) にプラス要素であることを思えば、いずれ近い将来に確実な、米軍の 撤収以後の世界は、歓迎すべきものになります。
ベトナムは、ベトナム戦争での勝利で、民族の誇りを満足させていま す。 米国が、イラクにアフガンのように傀儡政権を作っても、アラブ圏の
反米感情は深く残ります。イラクを筆頭に、他のアラブ諸国にも、米 国から制圧されているという感情が残るなら、シリア、パレスチナ、
アルカイダを含めたテロはいつまでも続きます。
イスラム圏は、多くが政教一致です。これを分離することは他国のだ れにもできない。経済主義に誘う方法しかない。そのためには原油価 格を上げることです。貧困を政治や軍事ではなく経済に向けることが 根本対策です。 いずれ必然である米英軍の「ギリギリの名誉を残す撤収」、私はそこ を探そうと思っています。
それによってアラブ諸国は、十字軍以来の1000年の恨みを晴らし たという名誉を獲得します。 人の誇りを毀損することは、避けるべきです。 テロリズムとの戦いは、イラクを武力制圧すれば、激化することが現 下の情勢で証明されました。
それを見越し、米国政府はあらかじめ2 0年戦争を宣言してはいます。これは、全く無理です。米国の世論が 支持しない限り、戦争は継続できないのです。 テロリズムを収めるのが目的なら、仮にアルカイダと言われる一派を 制圧しても、他に次々にあらわれる可能性が高い。
英国の世論はすでに、一部報道ではイラク派兵への賛成は34%に落 ちています。これは今の日本の世論と、理由は異なっても、ほぼ同じ
率です。 米国世論は、(これも報道では)50:50とされていますが、微妙
なバランスのターニング・ポイントも違いように感じています。
米軍も10万人(現在13万人)を超える派兵と駐留は、国民的なバ ックアップがないない限り継続はできない。少数だけ駐留する選択肢 はあり得ません。イラクでは、個人が銃、刀剣、爆薬を持っているか らです。ミサイルすらも数百ドルで購入ができます。
武力で、自爆を含むテロに対する防止策はない。 ブッシュ大統領が、対イラク強硬派のラムズフェルド国防長官を無視
して、コンドリーザ・ライス補佐官を「イラク安定化グループ」のリ ーダーに指名したのは10月16日のことです。
直接の責任者であるラムズフェルドは、当然のこととして「聞いてい ない」と露骨に不快感を示しました。
ブッシュ政権内部に、そして大統領自身にも、45日も前から変化が 起こっています。米国の誇りと威信を、最後の1線で守りながら、問
題の解決を図るには、無力な国連を活用する方法しか残っていない。
ブッシュ大統領は、助けを求めています。チャンスです。 米国と米国政府を、一枚岩と見るべきではない。 米国の名誉のための国連という、国連にとっての初めての舞台が準備 されつつあるように思えます。鍵は、イラクに原油利権を持つフラン スのシラクです。要(かなめ)は米仏の戦略的な妥協です。
(私のコメント)
キリスト教原理主義国家アメリカがイラクへ攻め込んだことにより、イスラム原理主義者たちの活動が中東全体で活発化して来ている。これはイラクのアメリカ軍より中東各国の政府にとって脅威である。イスラム過激派のテロリスト達はアメリカ人を始めとする外国人エンジニアや石油施設を攻撃対象の中心にし始めた。
今までなら地元政府の治安機関がテロを防いできましたが、イラクがテロリストのメッカとなったことにより隣のサウジアラビアもテロ活動が活発化してきた。このようなテロの目標変更はアメリカを始めとする西側経済に深刻な打撃を与えることだろう。すでに第三次オイルショックの条件は整いつつある。
なぜならば中国などのアジア諸国のモータリゼーションが、世界的な石油需給に逼迫感を与えている。だから中東に大規模テロが起きて石油が遮断された場合、第三次オイルショックが起きることは避けられない。すでにイラクやサウジアラビアでは小規模中規模の石油施設へのテロが続発しており、13万人ものアメリカ軍の治安活動でも防ぎきれないのは問題だ。
イラク戦争の長期化は戦闘の勝敗に関わらずアメリカの敗北を意味します。戦略目標を獲得できなかったことを意味するからだ。当面は傀儡政権でイラクをコントロールするようですが、アフガニスタンを見ればわかるようにカルザイ大統領ですら国に帰りたがらないほど治安は悪化している。
イラク暫定政権の大臣の暗殺も相次いでアフガニスタンの二の舞になるだろう。アメリカ軍がこれだけ大規模に駐留しているにもかかわらず武器の摘発は進まず、アメリカの高官が移動する時は数人のボディーガードが護衛しないと安全が保てない。アメリカ軍はより軍を増強するか全面撤退しかありえない。数万人の駐留規模では首都しか守れない。
◆<イラク>内相宅にロケット弾攻撃 警備員4人死亡
AP通信などによると、バグダッド北部のサマラで19日、ファラハ・ナキーブ内相の自宅がロケット弾による攻撃を受けた。内相は不在で無事だったが、警備員4人が死亡した。イラクでは最近、暫定政府高官を狙った暗殺事件が相次いでおり、6月末の主権移譲を前に武装勢力によるテロ攻撃が激しさを増している。(毎日新聞)
[6月21日1時16分更新]
吉田氏が指摘するようにアメリカのイラク侵攻が石油の支配のためなら、とんでもない愚作を行っている事になる。もっともアメリカ人のことだから、インディアンを絶滅させてアメリカ大陸を奪ったごとく、アラブ人を絶滅させてその後にイスラエルのユダヤ人を入植させるつもりなのかもしれない。アメリカのキリスト教原理主義者たちならそれぐらいのことを考えているのだろう。
しかし現代はそんなことが出来る時代ではないしヨーロッパやロシアや中国など周辺諸国が黙って見ているはずがなく、石油利権は国の存亡に関わるからアメリカは世界を敵にしてまでイラクの石油を独占できるはずがない。むしろ石油は金を出せばいくらでも買えると割り切れば戦争する意義はなくなるのですが、アメリカの石油産業はそうは考えないようだ。
おそらく神はアメリカに天罰を下すだろう。それは第三次オイルショックだ。それはアメリカ自ら招いた事になるのだろうが、すでに70年代のオイルショックとは異なりアメリカは世界最大の石油輸入国だから最大のショックを受けることになる。ただでさえ双子の赤字で立ち往生しているのだから石油が止まればアメリカはショック死するだろう。
もし石油の値段が3倍に高騰すれば中東産油国は再び大金持ちになって、日本は彼らに家電や自動車を売ればいい。有り余る黒字減らしにもなるだろう。その反面中東産油国はアメリカの輸出商品の武器は買わずにEUやロシアから買うだろう。ますますアメリカは経済的に没落して超大国からただの大国に戻るだろう。
「新たな真 珠湾とでも言うべき、なんらかの破局的で、
情勢を促進する作用をもった事件」(PNACの文書より)
2004年6月21日 月曜日
◆「イラク関与の証拠ない」米同時テロ調査委
【ワシントン=菱沼隆雄】2001年9月の米同時テロについて検証する独立調査委員会(9・11委員会)は16日の公聴会で、同時テロの実行に当たり、イラクの旧フセイン政権がウサマ・ビンラーディン率いる国際テロ組織アル・カーイダに協力したことを示す「信頼できる明確な証拠はない」とする報告書を公表した。
チェイニー副大統領ら米政府高官の一部は、旧フセイン政権の同時テロへの関与の可能性を対イラク開戦の根拠の一つに挙げており、論議を呼びそうだ。
ただ、報告書はアル・カーイダ幹部が94年にイラク情報機関と接触したことは認めた。武器購入の可能性について模索したが、実を結ぶことはなかったようだという。
一方、報告書は、アル・カーイダがハイジャック機で日本などアジア各国にある米国の施設への突入も計画していたことも明らかにした。同時テロ計画の中心人物とされるハリド・シェイク・ムハンマド容疑者は当初、米東西両海岸でハイジャック機10機による同時攻撃を計画していたほか、<1>東南アジア発の米旅客機複数をハイジャックし空中で爆破する<2>乗っ取り機で日本、シンガポール、韓国などにある米国の施設に突入する――ことも検討したという。(読売新聞)
[6月17日11時12分更新]
◆ブッシュを戦争に駆り立てる二人の男
「オブザーバー」 2003年2月23日 エド・ヴリアミー
ブッシュの戦争を「石油のための流血」と片付けては単純すぎる。ブッシュを操るチ ェニー副大統領とラムズフェルド国防長官のさらに背後で糸を引く二人の男は、単な る利益を越えた立場に立つイデオローグだ。それが、カール・ローヴとポール・ウォ ルフォウィッツ。前者は南部プロテスタントの保守派、後者はレーガン時代から一極 的権力の達成を推進してきた東海岸のユダヤ系インテリゲンチャ。前例のない組み合 せによる、恐るべき同盟である。
◆ローヴ
少年時代からの右派。学生時代にはすでに共和党員として平和運動に反対の活動を展
開 政界では珍しい、自分の正体を現さない、職人肌の人間である。 ブッシュとのつきあいは、彼がファンダメンタリズムの力を借りて回心を遂げアルコ
ール依存症から抜け出したのちで、政治よりも、道徳観で響き合った。右翼宗派キリ
スト教同盟をブッシュ一家の中に持ち込む。
1987年以後、民主党が圧倒的主導権を握っていたテキサス州政府を、ほぼすべて共和
党支持に変えるという手腕を発揮。共和党の選挙運動のすべてにわたって指揮をとる
ようになり、1994年には子ブッシュを知事に当選させる。 6年間のテキサス州知事時代の政策もローヴが采配を揮ったものだ。
大統領選で、ローブは、ブッシュ・ファミリーの人脈と石油産業の力を頼りに、空前 の精力的ダイレクトメール攻勢を展開して、選挙活動を企画・指揮し、フルタイム、 昼夜兼行でブッシュのために働いた。 ブッシュ家と共和党とキリスト教右派とエネルギー産業を結ぶテキサスコネクション によって成り立つブッシュ政権の中心人物で、エンロン疑惑でも、エンロン社とのつ ながりの深さを暴露されている。
共和党全国組織の「テキサス化」を達成した、ホワイトハウスの最も重要な政策アド バイザーである。 企業家の右派のための政治を行うには、キリスト教徒右派をなだめなければならない という点で、二人の見解は一致する。
◆ウォルフォウィッツ
ローヴは今や本来の立場を越えて国際政策にも関与しているが、元来ブッシュととも に孤立主義者だった。9・11が、それを変えた。 イスラム世界について彼は、イスラムは「権力と支配の喪失に甘んじたことのない大 帝国」であり、「アメリカはイスラムに愛されると期待することはできないが、尊敬 を強制することはできるということを認めなければならない」と言う。 これに共鳴したのがポール・ウォルフォウィッツだ。
保守的な南部プロテスタントと 熱狂的で非常に知的な東海岸のシオニストの間の枢軸がこうして形成された。
ウォルフォウィッツは煽動的なタカ派ではなく、慎重で忍耐強く、抜け目なく論理的
で、口調は穏やかだ。学者の息子で、数学者、元外交官。今の米国の中東政策は、ヨ
ム・キプール戦争の後にペンタゴン(米国防総省)に入省した彼が立案したものだ。
1992年に彼の書いた計画が、現在のジョージ・W・ブッシュの外交政策、「防衛計画
要綱」だ。ドイツ、日本を含め潜在的ライバルが地域的・世界的役割を広げようとす
るのを抑止せよ、米国の利益に直接関わりのない紛争でも核・生物・化学兵器を先制
的に用いるべきだ、米国の一極的新秩序を打ち立て防衛するのはペンタゴンとの論旨
。
「新たなるアメリカの世紀プロジェクト」(PNAC)は彼のグループが正式に発足したも のである。 同プロジェクトが二年前に発表した文書には、米国の世界的覇権にとって「新たな真 珠湾とでも言うべき、なんらかの破局的で、情勢を促進する作用をもった事件」が必 要だと書かれている。「湾岸における大規模な米軍の展開」のほうが、、サダム・フ セイン体制の問題よりはるかに重要だという。
ウォルフォウィッツとラムズフェルドがペンタゴンに設置した諜報グループ「防衛政
策委員会」の長、パールとダグラス・フェイス防衛次官は1996年に、ベンヤミン
・ネタニヤウのために、イスラエルのヨルダン川西岸を含む土地への要求は正当で高
貴であり、アラブ人が我々の権利を無条件に承認することのみが、将来への確固たる
礎だと主張する「きっぱり手を引け(A Clean Break=オスロ和平交渉から)」という
論文を書いている。
中東諸国の外交工作を支持する中東問題専門家からなる国務省「親アラブ派」は、ホ
ワイトハウスとのコネを利用するこんな一団に、圧倒されてしまった。
そして国家安全保障会議の中東政策責任者としてエリオット・エイブラムズが任命さ
れる。レーガン政権時代からの古参で、中米での「汚い戦争」に関わり、イラン・コ
ントラ疑惑ではオリバー・ノース中佐とならび連邦議会で偽証罪の宣告を下されなが
ら、父ブッシュによって恩赦を受けた人物である。 彼はそれ以来、米国のユダヤ人の他人種との通婚に反対する本を著し、アリエル・シ
ャロンのパレスティナ政策を正当とする助言を行なってきた。ローブとは日常オフィ
スで顔を合わせる間柄で、これもウォルフォウィッツの仲間である。
<訳 和氣久明 / 要約 萩谷 良 TUP>
(原文のURLは、
http://www.observer.co.uk/international/story/0,6903,901066,00.html )
◆ネオコンは中道派の別働隊だった? 田中 宇
最近気になっていることの一つに「なぜネオコンは政権から外されないのか」というのがある。ネオコンが開戦事由をでっち上げて挙行したイラク戦争は、アメリカの世界的な信用を傷つけた。米軍がイラクに縛りつけられたことにより、アメリカは軍事的な世界覇権をも失い、それに反比例する形でロシア、中国、北朝鮮、イランなど、アメリカが仮想敵とみなしてきた国々が力をつけている。ネオコンが提唱した単独覇権主義の戦略は完全に破綻し、今やこの戦略を続けるほど、アメリカは軍事力と威信を浪費する体制ができている。
アメリカを自滅させるようなことをしたのに、ネオコンはほとんど誰も辞めさせられていない。外されたのはリチャード・パール(国防政策委員)とアハマド・チャラビ(イラク統治評議会委員)ぐらいだが、パールの地位は国防長官の私的顧問で公職ではない。
チャラビはイラクの首相に据えてもらえるはずが一転して米軍に取り締まられる準犯罪者の立場にされたが、この転換はむしろネオコンの方でチャラビをスケープゴートとしてしっぽ切りした結果と思える。ネオコンの中心であるポール・ウォルフォウィッツ国防副長官、ダグラス・ファイス国防次官、ルイス・リビー副大統領首席補佐官、ジョン・ボルトン国務次官らは、誰一人として解任されず、タカ派的な言動をとり続けている。
最近はロサンゼルス・タイムスにも「ネオコンはブッシュ大統領の信任を失っていない。戦略的に慎重な態度をとっているだけだ。ネオコンの時代は終わったとする左派やリベラル派の見方は希望的観測にすぎない」と指摘する記事が出た。(後略)
(私のコメント)
しばらく911テロ事件やネオコンのことにご無沙汰していましたが、先週アメリカの911テロ調査委員会の報告が出て、「イラクのサダム・フセインとアルカイダを結びつける明確な証拠はない」という報告があった。さらにイラク戦争の大義となった大量破壊兵器も発見されず、ブッシュ大統領の面目は丸つぶれだ。
ブッシュ大統領を陰で操る真の大統領であるカール・ローブは何を考えているのだろうか。カール・ローブはブッシュのテキサス州知事時代も陰でブッシュを支えて以来のコンビであり、ブッシュの石油産業とローブのキリスト教右派の連合体はこのとき出来上がった。
このキリスト教右派のローブとイスラエル右派を結びつけたのがウォルフォウィッツ国防次官ですが、この二人がブッシュ政権のイラク戦争に駆りたてたキーマンだ。ウォルフォウィッツはPNACの文書で911テロを仄めかすような言葉をテロの半年前に発表している。
だから実行犯はイスラム過激派のテロリストかもしれないが、やらせたのはブッシュの背後にいる二人だろう。ブッシュ大統領の再選が間違いなければ911の真相も闇から闇へ葬ることも可能だったのだろうが、ケリーが選ばれる可能性が増えるにしたがって、マスコミも徐々に真相について疑い始めたようだ。
しかしブッシュの支持基盤であるキリスト教原理主義団体は、もはやアメリカの政権を左右するほどに影響力を強めており、ケリーといえども彼らを敵に回すことが出来ない。このキリスト教原理主義については太田述正氏のサイトでは次のように解説している。
◆太田述正コラム#386(2004.6.20)
1890年代の米国で、都市化、産業化やダーウィニズムの浸透等に伴うプロ
テスタンティズムの世俗化の動きに反発して、聖書を文字通りに信じるべき
だとの声があがり始めます。
この声が大合唱になるのが1909年です。この年、ある兄弟(うち一人は、
ロサンゼルスを本拠地とする大石油会社のユニオン石油の社主)が、64名の
著名な神学者や牧師等に手分けして原稿を書かせて12巻からなるThe
Fundamentals(プロテスタンティズムの基本)という本をつくり、この本を
300万部も無償配布します。キリスト教原理主義(fundamentalism)の誕生で
す(注2)。
1919年に禁酒法が制定されました(憲法に禁酒条項が加えられた)が、こ
れには飲酒・博打・ダンス・喫煙を忌み嫌うキリスト教原理主義も大きな役
割を果たしました(コラム#258参照)。
1920年代に入ると、ビリー・サンデー(Billy
Sunday)のような原理主義
的伝道家(evangelist)が輩出します。そして、キリスト教原理主義者達に
よって、進化論を学校で教えることに反対する運動が中西部や南部で展開さ
れるのです。
(私のコメント)
このキリスト教原理主義勢力は今やアメリカの総人口の4分の1を占めるほどになり、彼らを無視したアメリカの政治はありえない。現在のアメリカは戦前の古きよき時代のアメリカではない。キリスト教原理主義については「株式日記」でも何度も書いてきましたが、一種のカルト宗教だ。非常に狂信的でありハルマゲドンを信ずるなど非常に危険だ。
アメリカは最大の核保有国であり、ブッシュ大統領は核のボタンを押しかねないほどのキリスト教原理主義の信者なのだ。イラクへの先制攻撃もアメリカの変質を物語るものであり、現在のアメリカを元のアメリカに戻すことはキリスト教原理主義を解体させなければ不可能だ。
彼らは禁酒法の制定に見られるように非常に教条主義的でありまともな議論は危険でありしないほうがいいだろう。ヨーロッパやアメリカ東北部の現実的な洗練されたキリスト教と異なり戒律的であり、正義のためならば核戦争も彼らは辞さない。昨日のHNKでバチカンのローマ法王の反戦活動の特別番組が放送されましたが、彼らは法王に敵対しブッシュ大統領はバチカンからの使者に対してもイラク開戦の意思を曲げようともしなかった。
おそらく近い将来、アメリカ・イスラエルの連合軍は取り囲む世界軍との核戦争に打って出るだろう。彼らは聖書に書かれたことを文字どうりに信ずる。だからハルマゲドンも信じているのだ。アメリカ人と話をする時は気をつけて政治の話をしなければならない。
病名報道は「勝手な憶測」 雅子さまめぐり東宮大夫
改憲論議から除外されている天皇制を考える
2004年6月20日 日曜日
◆病名報道は「勝手な憶測」 雅子さまめぐり東宮大夫
宮内庁の林田英樹東宮大夫は18日の定例記者会見で、長期休養中の皇太子妃雅子さまの病名を「うつ病」「強迫神経症」とした複数の雑誌や海外メディアの報道について「勝手な憶測であり、事実ではない」と否定した。
長女の愛子さまを「自閉症」とした内外の報道に関しても「全くの事実無根で不本意だ。大変健やかに成長されている」と述べた。
林田氏は雅子さまの症状を「メンタル面の専門医に対応をお願いしているのは事実だが、侍医からは病名がつくような状態ではないと聞いている」と説明。「これ以上詳しくは、現段階では申し上げられない。全体状況をどう説明するか、なかなか難しい」と話した。
愛子さまの成長ぶりを映像で発表することについては「検討している。しばらく時間が必要」とした。(共同通信)
[6月18日17時6分更新]
◆国民は、天皇、皇室の存在に疑問を持っている
?
5月、森首相の「神の国」発言の時、多くのマスコミは、「国民主権の時代に非常識な発言だ、国民主権の代表の発言としては困ったものだ」などと、森発言を批判した。しかし、いつの間にか、「天皇陛下を軽々しく政治の場に持ち出すとは何事だ」という水準で終わってしまった。さまざまな理由があると思われるが、「神の国」発言には多くの国民が反発した。
その反発の根底には、漠然として明確ではないにしろ、天皇の戦争責任、そして、天皇、皇室の存在そのものに、なんらかの疑問を持っている国民が意外に多いということを物語っているということだろう。マスコミ各社も、あまり問題が発展してはまずいという配慮が働いたのか、戦争責任、過去の戦争の問題にまで進めることはなかった。
◆マスコミも、普段は、全体主義、国家主義をあおっています
確かに森首相の発言は許せるものではない。しかし、それならば、普段のマスコミの過剰とも思える、「天皇報道」、「皇室に関する報道」はどうなのでしょうか。昨年の、有名人、タレント、全メディアを総動員しての天皇在位10周年の時、そして、今年の妊娠騒動の時、どのような報道をしていたでしょうか。
テレビではたくさんの特別番組が組まれ、「ご学友」、芸能人、ゲストが「秘蔵映像」を見ながら、2時間もワイワイ。実家の前からは、女子アナウンサーが「とうとう、やりましたー」と、全身ふりしぼっての絶叫中継、全国の商店街で祝賀セールをすれば、経済成長が何%アップするとか、みんなで、お祝いしましょうなどと、まるで、「これを喜ばないのは日本国民ではない」と言わんばかりの報道をしていたではありませんか。
発端となった朝日新聞は、どこに向かって、何を謝罪しているのか、「国民みんなの喜びを一刻も早く伝えようと思った」などと謝罪文を掲載していた。それでいながら、普段は、「全体主義」、「国家主義」を主張する国会議員の発言をもっともらしく批判する。
自分達も、日常的に「全体主義」のムードをあおっていながら、「神の国」発言を批判する資格があるのでしょうか。マスコミの力を冷静に考えてもらいたいものだ。マスコミも、戦争中に、自分達の果たした役割を反省して再出発しているはず。普段は、皇室ムードを盛り上げるだけ盛り上げておきながら、「神の国」発言は、けしからんとはよく言えるものです。
◆「天皇は象徴」ってどんな意味か ?
憲法第一条で「天皇は、日本国、日本国民の象徴である」と規定する。多くの国民は、「天皇は象徴であるから、国民各位は、うやまい、尊重すべし」と言う意味に理解している。それは違います。尊重規定ではありません。
この第一条は、さわらぬ神にたたりなしとして、憲法制定当時から解釈をあやふやにし、はっきりいわないで避けてきた部分で、その為に、誤解している人が多いが、天皇は象徴であるから、あがめ、うやまいなさいという意味ではありません。象徴であるか、ないかではなく、「主権」がどこにあるかを明示した条文です。
なぜ解釈をあやふやにしたのか?
あやふやにせざる得なかったといってもいいでしょう。それは、どのような形であれ、天皇を存続させる正当な理由がなく、その存在を国民主権の原則からは説明できないことを誰もが感じていたからである。戦争責任を考えれば当然である。
戦前は天皇主権、戦後は主権在民、国民主権。「主権は、天皇、あなたではなく、国民にあるんですよ、あなたは、もう主権者ではありませんよ、単なる飾りでしかありませんよ」という意味での、「象徴」だ。
よく、「象徴とは、抽象的で形のないものを具体的に表したものだ、学校の記章みたいなものだ」と説明される。しかし、なぜ天皇が日本国の、日本国民統合の象徴なのか、歯切れよく説明のできる人はいない。記章は学校の象徴、それと同じように、天皇は日本の象徴、「日本の国を表す」という説明には無理がある。
しかも、記章は学生の所属を表したもの。それなら日本国民は、天皇、天皇家に「所属」していることになる。何が日本の象徴としてふさわしいかが議論された結果ではなく、天皇、皇室を残すために採られた結果に過ぎない。
天皇が、日本の、あるいは日本人の「象徴」だから、あるいは、大切だから第一条にあるのではなく、国のあり方を決める旧憲法との大きな違い、最も大事な「主権のありか」を宣言する為に、第一条に置いたと考えるべきだろう。この第一条は、国民に対して発せられたものではなく、主権を有する、国民から天皇に対して宣告した条文と解釈すべきだろう。
◆「日本人は、古代から天皇をうやまってきた」、というのは、本当か ?
天皇は古代から日本を統治してきた、それをうやまうのは、日本人の心にやどる伝統だという主張も事実と異なる。本当にそうでしょうか。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の時代、農民、民衆が、「天皇陛下の為」といって、ムシロ旗を掲げて騒いだ話、聞いたことがありますか?
7、8歳の「天皇」が、敵方に追われ、生母と逃げる途中、入水自殺している例もあり、そこで途絶えていたはず。今日まで延々と続いている訳がない。農耕社会で、雨ら降らない時に、雨が降るようにお祭りをやって、お祈りしようと号令をかけていた、いわば、「ミコ」さんのような存在。
もちろん、現在のように「世襲制」ではない。今でいえば、総理大臣の座をめぐり、派閥間で戦いが繰り広げられ、勝った者が総裁、あるいは総理大臣になるが、天皇も同じ。そして、戦いに勝って、「天皇」となった者は功績のあった者を「皇太子」に任命する。戦いに勝ったら、「皇太子」に任命することを約束させて、どちら側につくか決めることになる。天皇と皇太子の間には、今のような親子関係、血縁関係などはない。総理大臣になった者が、指名選挙で功績のあった人を官房長官、大臣に任命するのと同じ。
村山首相の子供が橋本首相で、その子供が小渕首相で、その子供が森首相で「世襲制」で、古代から「総理大臣家」が延々と続いていて、それが日本の伝統で、それをうやまうのは日本人の心に宿る伝統だなんて。そんな乱暴な。「世襲制」は明治以降だけの話。あたかも、古代からそうであったかのようなイメージが作られ、語られている。
また、当時は、現在のような一夫一婦制ではなく一夫多妻の時代(5〜6人の奥さんがいた人もいたようだ)。第一夫人方、第二夫人方、さらにその叔父方、叔母方、それに他の豪族(天皇も豪族だが)が入り乱れての戦いが繰り広げられたのだろう(戦いとはいっても30人〜50人規模、武器も素朴なものだっただろう)。そして勝った者がスメラミコト→大王→天王(この発音から後に、「天皇」といわれるようになったといわれている)になったようだ。
ここで注意しなくてはならないのは、大王、天王(天皇)は一人ではなかったということだ。5〜6世紀ごろ日本は未だ全国統一されてはおらず、九州、関東、吉備、越(日本海側)など、日本各地に天王(天皇)が存在したということだ。上記のような戦いがそれぞれの地方で繰り広げられたということだ。現在の天皇の先祖?が他の地方の天王(天皇)を滅ぼした訳でもなかろう。
こう考えてくると、現在の「天皇家」なるものが、古代から続く「万世一系の家系」というのがいかにまやかしであるかが理解できよう。わざわざ、明治時代に入って、「自分こそは万世一系の天皇である」と宣言しなければならなかったこと自体、「嘘」であることの証であろう。
私がここで問題としたいのは、現在の天皇、皇室とは何者か(税金での扶養も含めて)、そして、彼らを中心にして明治から繰返された民衆の悲惨な歴史はなんだったのか、それをあやふやにしたままの現代はどんな時代であるのかということである。
◆なぜ、明治時代になってから、天皇制になったのか
?(天皇制になったから、明治時代というのだが)
それでは、なぜ、明治に入って突然なのか
?
江戸時代末期、諸外国を模範に、「王制に基づく近代国家」を作り上げようとした薩長連合が、倒幕が成功したら、どちら側の藩主を「王様」にするか、当時は、まだまだ「藩意識」が強く、話がまとまらず、そこで担ぎ上げたのが、天皇。(当時、日本は大小、170を超える藩に分かれていた)
どちら側の藩主を「王様」にするか話がまとまっていれば、まったく別な日本の近代史があった事になり、私達は、現在、全く違う「思考」の中で生きている事になる。当然、私が、この文章を書いていることもない。
岩倉具視、大久保利通らは急速に天皇制を強めていく。明治天皇は全国を「巡幸」し、民衆の前で、元藩主を自分にひざまづかせ、民衆に「雲の上の人と思っていた見たこともない俺達の殿様より、もっと偉い人がいる」と思わせ、神格化し、「教育」での徹底が始まる。自分達が「雲の上の人と思っていた殿様より、もっと上の人」、天にいる存在、「現人神」としての天皇が確立する。
◆天皇史、皇室史は、どこまで本当なのか
?
意図的に作られた「神話」をごちゃ混ぜにして、「歴史書」が作られたのだろう。神話の主人公は、みんな、天皇の先祖 ?だ。
それも、天皇を「神」にする為だ。「日本の歴史」の教科書は、天皇と結びつけた「神話」から始まっていた。明治時代になってから創作され、追加された「日本の歴史」、「天皇史」、「皇室史」も多くあるだろう。
国民には「神国」意識を植え付け、他国、他民族に対して、「優越感」を待たせ、侵略戦争を正当化し、数々の残虐な行為をしても、罪悪感を感じない基礎にしたのだろう。「国民は天皇の赤子」、つまり、天皇の子供。親孝行するのは、当たり前。それが、戦争による悲惨な結果だ。
もともと、「神」の意味が違うのである。何か、願い事をする時の「神様お願いします」という時や、「この世の中、神も仏もない」という時の、「神」とは基本的に意味が違うのである。天皇は「神」であるというのは、前述の、殿様もかなわない、「支配者」という意味である。
森氏の「日本は神の国である」というのは、「日本は天皇の国である」、といっているのと同じこと。
◆天皇主権か、国民主権か、あいまいな民主主義、その中に生きている日本人。
国民主権といわれながらも、天皇は総理大臣を任命し、法律を公布、国会を召集、衆議院を解散、大臣の認証、条約の認証などをする。もちろん、これは内閣の助言と責任においてなされ、天皇は、それを拒否できないと解釈されている(拒否した事例は確認できないが、天皇が拒否しても効力は発するといわれている)
実質的な権限はなくとも、最後には、天皇の「認証」を必要とするという、実にあいまいな民主主義、国民主権の中に、我々は生きている事になる。
人間は、みな平等といわれるが、一家族の為に、建設省、厚生省などと同じく、「庁(宮内庁)」 まであって、天皇一家5人、7宮家19人のために280億もの税金が使われ(2000年度)、それらを警護する為に、国家公務員としての警護隊が1000人近くもいる。あなたの近所に、交番がいくつありますか? そこに、おまわりさん、何人いますか?そうです。日本は、まだまだ「神の国」なのです。
(私のコメント)
皇太子の人格否定発言や雅子様の病状などで、ワイドショーでは皇室問題が賑わっている。流れとしては女帝を認める方向で話は進んでいるようですが、天皇の継承問題はそれで解決がつく簡単な問題かというとそうではない。昔はこの皇位継承問題で戦争が繰り広げられており、大変血なまぐさい問題なのだ。
私は以前の日記で昭和天皇が崩御されたとき、日本のテレビ局が一斉に3日間、従来の番組を中断して追悼番組を放送し続けましたが、これに違和感を感ずると書きました。追悼のための特別番組を放送するぐらいはいいのですが、3日間も日本全国が喪に服するのはやりすぎだ。そして日本全国に自粛ムードが流れて結婚式までも中止するカップルが続出した。
これは天皇を神格化するのと同じようなもので、現人神が亡くなれば日本全国民が3日間の喪に服することも理解できるが、「人間宣言」をした天皇の存在をまた戦前の現人神へ戻そうとしているのだろうか。そうだとすればその意図は何なのだろう。
権力者から見れば明治以降の天皇制というのは大変便利な制度で、天皇を利用して自らの権威を高めることが出来る。戦前の陸軍は「統帥権」の名の下に政治の主導権を奪うことが出来たし、戦後のGHQも天皇を利用して統治を安いコストですることが出来た。政治家も大臣になれば天皇から認証を受けるわけだから、箔をつけるにはいい制度なのだ。
そのためには天皇は神格化してもらったほうが都合がいいと考えても不思議ではない。だから権力者はマスコミにも圧力をかけて天皇の神格化を演出しているのだ。だから宮内庁の「菊のカーテン」とマスコミという「報道のカーテン」を引いて、皇室問題は率直な意見が言えないような傾向が強くなっている。
私は天皇制はあったほうが日本という国を統治する上で都合がいいと思う。しかし最近の天皇が再神格化したような皇室の扱われ方を見るとこれでいいのかと思ってしまう。イギリスのように王室廃止論が出るくらいの自由さがあってもいいと思う。日本では天皇制廃止などというのはよほどの極左でもない限り言う人はいない。
女帝問題にしても、明治天皇や大正天皇のように正妻の他に5人の側室を持てるようにするのは前近代的で出来ない。むしろ皇位継承権者の範囲を広げて、皇族の中でより順位の高いものが天皇を継承すればいいと思う。この問題を扱ったサイトでは次のように書いている。
◆お世継ぎ問題を考える
まず、方針を決定しているのは皇室典範です。現在の皇室典範は、法律と同じ手続きで改正できるので、改正はそう難しくはありません。次に、どんな方法があるのかを考えてみます。
1 側室制度を認める。
2 養子を認める。
3 旧宮家を復活させ、継承者を増やす。
4 女帝を認める。
1は、象徴天皇制下では認められないでしょう。天皇は国民の象徴ですから、その家庭も日本の家庭の象徴でなくてはならず、「円満なご家庭」(を演出するの)が現在の路線で、これは多数の国民に受け入れられています。そこに側室制度を復活させるのは一種の自殺行為です。
2は、どこから養子を取るかという問題が生じます。縁もゆかりもない家からとることは考えづらいので、実質上3と異ならないでしょう。
3の旧宮家復活について。現在の「男系の男子」という原則を貫くのならば、これがもっともありうる解決策だと思われます。皇族から一旦外れてから復帰して天皇の位についたのは宇多天皇(59代)だけで前例が少なく、また復活させる旧宮家の範囲が難しいという点もありますが、前者にはこだわる必要がなく、後者も対応できる範囲だと思われます。(後略)
(私のコメント)
現実的には由緒のある家から婿養子を貰うような形でもかまわないだろう。歴史的に見ても女帝には独身者が多く、女帝の夫のなり手は探し出しても難しい。また道鏡のような女帝をたぶらかす人物も出かねない。また腹黒い人物が女帝を騙して夫となったらどうなるのか。歴史は様々な教訓を積み上げて来ているから、安易な女帝論も採用は考えるべきだ。
「サムスン7兆円投資」への素朴な疑問
サムスンがおかしくなると「反日運動」が燃え盛る
2004年6月19日 土曜日
◆サムスン・グループ、04年設備投資を19.3兆ウォンに引き上げ ロイター
[ソウル 27日 ロイター] 韓国のサムスン・グループ[SAGR.UL]は27日、2004年の設備投資を当初計画から11%引き上げると発表した。
サムスン電子005930.KS
を中核とする同グループは、設備投資を当初計画の17兆4000億ウォンから19兆3000億ウォン(163億7000万ドル)に引き上げる。2003年は13兆9000億ウォンだった。
韓国の財界代表は25日、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と会談。景気回復を下支えするため、2004年の設備投資を3分の1引き上げることを約束した。今回のサムソン・グループの措置は、この約束を受けたもの。
同グループでは、2004年分も含めて、今後3年間で合計70兆ウォンの設備投資を行う予定。内訳は、半導体が22兆ウォン、液晶表示装置(LCD)が10兆ウォン、通信が2兆ウォン、プラズマパネルが1兆7000億ウォン、電気部品が1兆5000億ウォンとなっている。
◆「サムスン7兆円投資」への素朴な疑問 国際派時事コラム
韓国の「サムスン電子」率いる「サムスングループ」が、平成16〜18年 度に合計7兆円の設備投資・研究開発投資を行う
――
5月28日付『日本経済新聞』1面トップ記事にはびっくりした。 誤報じゃないでしょうね!? サムスンは、IT業界ではインテル、IBM、マイクロソフトに次いで 第4位の位置につくまでに急成長した。 しかし、今回発表の投資額は、業容の実態とあまりに不釣合いのように 思える。 今年の投資額が1.9兆円。トヨタ自動車の1.67兆円をすら上回る。 7兆円のうち、設備投資に4.5兆円使うのだそうだ。
■ 「韓国特需」か、それとも「手ごわい韓国の出現」か ■
日経にはこんなことは書いてないが、設備投資の主な費目は工作機械の 購入のはずだ。
工作機械の設計・製作は日本のお家芸だから、一刻も早い工場立上げを あせるサムスンは必ず、かなりの日本製工作機械を買うだろう。
韓国の工作機械メーカーと工作機械を共同開発して韓国経済の裾野を広 げようなどという悠長な国士ぶりは、ドッグイヤー業界に活きるサムスン
には許されないはずだ。
日本にとってはたぶん新たな「韓国特需」だろう。 日本の工作機械メーカーは、サムスンの足元を見て大いに儲けてもらい
たい。 逆に、ひょっとして、4.5兆円という巨費がもし仮に韓国の工作機械メー
カーに注ぎ込まれるとしたら ―― サムスンがそこまでの見識をもつ企業 だったとしたら
――、サムスンは工場立上げに相当苦しみ、一時はボロボ ロになるかもしれないが、長い目で見れば韓国経済の底力を大きく引上げ、
韓国の民族史の1ページを作れるだろう。
■ 巨額の研究開発費を何に使うか見ていたい ■
研究開発投資に使うカネが3年間で2兆円。 「核融合」か「次世代スペースシャトル」の研究開発でも始められそう な巨費だ。 「研究開発」とは、つまりは「人」への投資である。 「人」の能力を開花させるための費用だ。 2兆円をみごとに使い切るだけの技術者が今のサムスンにいるのだろう か? またしても下司の guess だけど、あの巨額の研究開発費とは、首刈り (ヘッドハンティング)のための費用を相当含んでいるのではないか。
1人20億円で人買いをして、100人買ってきても2000億円だ。 半導体メモリー、液晶パネル、プラズマディスプレー、携帯電話などの、
これという一流技術者のところには、サムスンの委託を受けた狩人たちが 声を掛けてきているのではないか。
何しろ、首刈りした技術者がたとえ何ら仕事をしなかったとしても、首 刈りでもってライバル企業の力を削ぐことができる。
コラム子がサムスンの経営者なら、まずこれをやりますがね。 業界の人たちに聞いてみたいものだ。
■ 7兆円を投資するサムスンの企業規模とは ■
いったい7兆円などというカネがどこから出てくるのか。 もちろん、銀行借入や社債発行など手を尽くすのだろう。現金がゴロゴ ロしているわけはない。 投資した分だけ、有利子負債が増える。7兆円投資すれば、粗利で年に 1兆円は稼がねばならないが、どうするつもりだろう。 サムスングループの利益の7割を稼ぐという旗艦「サムスン電子」の年 度別売上高と純利益額を並べてみよう。 単位はウォン。ちなみに今の1ウォンは、約10銭に相当する。
売上高 純利益
平成12年 34.3兆ウォン 6兆ウォン
平成13年 32.4兆ウォン 2.9兆ウォン
平成14年 40.5兆ウォン 7兆ウォン
平成15年 43.6兆ウォン 6兆ウォン
純利益というのは、経常利益に特別損益を加減したものなので、必ずし も営業利益と直結するものではないが、それにしてもこの利益率は異常に
高い。 ソニーの平成15年の連結決算を見ると、
売上高 7兆4736億円(サムスン電子の約1.7倍)
純利益 1155億円(サムスン電子の約5分の1)
ソニーのブランド力をもってしてもIT業界の利益率相場はこの程度な のだ。
そんな中でサムスン電子は、大企業でありながら、天下のソニーの約8.5 倍の収益効率で突っ走っていることになる。
■ 神話の陰の「業容の狭さ」 ■
他社が採算性に見切りをつけて続々撤退するなか、サムスン電子が歯を 食いしばって「ダイナミックRAM」(DRAM「ディーラム」)市場に
居残り、ついに巨利を得たというのは、すでに神話化したといってもいい ほどの有名な話である。
サムスンの資料を見ると、大型液晶テレビやプラズマディスプレーの開 発で他社に先んじていて、これはもう敬意に値することなのだ。
しかし、その業容は随分と狭い。
先にも書いたとおり、「汎用半導体」「液晶・プラズマディスプレー」 「携帯電話」の3つにほぼ集約されている。
しかもこれを極力自社工場で製作しようとする。 モノカルチャー。資産の抱え込み。
普通の経営手法とは真っ向から反している。
「汎用半導体」「液晶・プラズマディスプレー」「携帯電話」は今日の 稼ぎどころだが、日本の経営者のなかでこれらが10年後の稼ぎ頭と思って
いる人はまずいないのではないか。 ここに集中的に投資して、中国の工場と価格競争し、ある日巨大工場が
次々に陳腐化し始めるというリスクをサムスン電子は冒そうとしているの だが。
■ 自転車操業症候群 ■
商社に20年近くもいると、さすがにいろんな企業の栄枯盛衰に触れる。 個別の社名は挙げられないが、いかにも身の程しらずの大風呂敷を広げ て倍々ゲームをする企業もあった。 後から考えると、その会社の経理状況が「綱渡り」状態で、規模を拡大 することでのみ立ち行く「自転車操業」状態だった。
たまたま経営者の決断が早く、高値のうちに資産・利権を売り逃げて身 軽になって、倒産せずに済んだが、いまや往時の栄光はどこにもない。 サムスン電子がそれに当たるなどと言ったら名誉毀損に当たろうが、今 回の突出した投資金額の発表はどこか異様で、ついつい自分の見知った 「自転車操業会社」を思い出した。
サムスン電子がたとえば「ナノテク素材開発」「燃料電池を基幹とする 水素燃料社会実現のための技術開発」に乗り出すというなら、諸手で拍手 したいのだが、成熟技術分野に集中豪雨的な投資をするというのは理解に 苦しむのだ。 異常な純利益を計上してきた決算が粉飾で、これを糊塗するための巨額 の資金が必要、などということは、断じて無かろうと思いたいが。
■ サムスンがおかしくなると「反日運動」が燃え盛る ■
サムスン電子の広告はアカヌケしていて好きだ。 韓国発のグローバル企業としてぜひ成功してもらいたい。 伝統的韓国社会の悪いところは、何でもすぐに「上下関係」で見てしま い、尊大か卑屈かの選択しかないことだった。 韓国発のグローバル企業が成功することで、韓国人にあっても「水平思 考」「異なる職能の相互尊重」がスタンダードになっていってほしいのだ。
日本サムスン株式会社も、平成15年に9,651億円の売上を上げる、日本 最大級の外資系企業に成長している。
もちろん、日本人従業員も数多く働いている。 「サムスン」は韓国人の誇りなのだから、これが経営破綻したら大変な
ことになる。 またまた「反日運動」にしか誇りを見出せない人たちが海の向こうに…
…。 とにかく、サムスングループには、道を誤ることなく引くところは引き ながら、堅実な会社経営を続けてもらいたいものだ。
世界のために。 だって、「世界の韓国」でしょ。
(私のコメント)
今年はアテネオリンピックの年で、薄型大型画面テレビが売れ行きを伸ばしている。単価が30万円から50万円もする大型商品だから、家電メーカーは戦略商品として開発と販売に力を入れている。私の家も大型ではないが液晶テレビを買い換えた。ブラウン管式テレビと違って画像が鮮明で電気の消費量も少ない。
ただ液晶もプラズマも日進月歩の技術開発で次々と新型が発表されている。私のうちの液晶テレビはハイビジョン対応なのですが画面が少し暗いが、新型の液晶テレビは明るく色も鮮やかだ。これからはコストダウンが勝敗の分かれ目になるだろう。そこで日本の脅威になるのが韓国のサムスンだ。
韓国のサムスンは国策企業といっていいくらい韓国経済を支える巨大企業で、DRAMでは世界の覇者となった。そのDRAMで成功した強気の巨大投資を薄型テレビに賭けている。しかし薄型大画面テレビは戦略商品だけに、日本メーカーも力を入れているし、台湾メーカーも韓国を上回るほど力を入れている。
韓国のサムスンは桁外れの巨大投資をしているが、はたして成功するだろうか。おそらく世界のブラウン管式テレビやパソコンディスプレーは全て液晶やプラズマに置き換わるだろう。その市場は巨大だが、技術開発競争が熾烈なだけにトップ企業といえども、DRAMのようにコストだけで勝負できるとは限らない。
さらにサムスンは薄型テレビと携帯とDRAMに集中しており、これが強みであると同時に一つ間違えると企業自体が致命傷を負う事になる。さらに液晶といえども技術が成熟化して来ているから製造装置さえ備えればどこの国でも同じ製品が出来るようになった。だから中国でももっと巨大な工場ができる恐れもあるし、儲かるのは製造機械を売っている日本メーカーだけということにもなる。
さらに自力で開発してゆく技術がどれだけ身についているかも不安材料だ。液晶テレビを見てもまだ日本メーカー製に比べると利点はコストだけに限られている。日本メーカーも技術流出に神経質になって来ており、プラズマテレビなどで訴訟沙汰にもなっている。
◆富士通とサムスン、プラズマ・ディスプレー訴訟で和解 朝日新聞
富士通が韓国・サムスン電子の子会社「サムスンSDI」を相手取って薄型大画面テレビに使われるプラズマ・ディスプレー・パネル(PDP)の特許侵害で日米で提訴していた問題で、両社は7日、和解したと発表した。サムスン側は富士通の特許無効を訴えていたが、特許料支払いなどのライセンス契約に応じることで決着したと見られる。富士通は東京税関での輸入差し止め請求も取り下げる手続きを進め、近くサムスン製PDPの輸入が再開される見通しだ。
今回の和解で、両社は日米両国でのPDPに関するすべての訴訟を取り下げる。和解内容は両社とも明らかにしていない。
サムスン製PDPの輸入が再開される見通しになったため、同社製PDPを購入していた日本のプラズマテレビメーカーは「輸入差し止めが長引けばテレビの生産に支障が出たかもしれないが、早期に解決したので影響はない」としている。
米調査会社ディスプレイサーチによると、PDPの03年の世界シェアは、富士通と日立製作所の共同出資会社「富士通日立プラズマディスプレイ」が約24%で首位。サムスンSDIが20%で2位に位置し、猛追している。
PDP輸入差し止めをめぐっては、韓国の産業資源相が4月下旬に駐韓日本大使を呼び、「企業間の問題ではあるが、再考を求めたい」と懸念を示すなど外交問題に発展しかねない状況となっていた。(06/07
21:41)
(私のコメント)
サムスンがPDPを特許料やライセンス契約で生産しなければならないとなるとコスト競争もDRAMの時のようなわけには行かないだろう。ある程度技術力があればクロスライセンスでやれるが、ニュースから分析するとまだ難しいようだ。サムスンは世界中から一流の技術者を集めているから、これからはかなりの技術開発も進むだろうが、肝心の企業が傾いたら何もならない。
日本でも韓国メーカーの家電製品も見かけますが、まだ日本製品を追いやるほどの勢いはない。アメリカでは韓国製や中国製の家電製品が圧倒的なシェアを持つようになりました。日本の戦略としてはこれ以上アメリカへ売り込んでも貿易摩擦で限界があるから、ある程度中国や韓国や東南アジアへ技術供与して、そこからアメリカへ輸出するようになった。
だから製造装置や基幹部品や基本素材を日本が握っていれば、中国や韓国は日本から輸入しなければならないから、日本に追いつくことは金さえあれば簡単だが、日本を追い抜くには技術の蓄積がなければ難しく、韓国のサムスンなどはその壁に突き当たっているのだろう。
岸田 秀(著)「日本がアメリカを赦す日」
真珠湾奇襲はペリー来航の脅迫の復讐だった
2004年6月18日 金曜日
◆第一章アメリカの子分としての近代日本
そもそも近代日本はアメリカの子分として出発しました。一八五三年、ペリーが浦賀にやってきたとき、最初のうちは、一部の日本人は、尊皇撰夷を唱えて低抗しました。一部の藩や、勤王の志士たちは、今の言葉で言えば、「反米」だったわけですね。しかし、十数年前のアヘン戦争で中国が惨敗した情報も伝わってきていたし、ペリーは強硬だったし、彼我の戦力差を知っていた幕府としては、江戸の町をアメリカ海軍の砲撃に晒すわけにもゆかず、親米路線を取らざるを得なかったわけです。
そこで、翌年には日米和親条約を結びました。言うまでもなく、この条約は、不平等条約でしたから、この条約を結んだということは、アメリカの属国、植民地になったということです。言ってみれば、アメリカの子分の位置に収まったということですね。日本では、一般に、アジアで植民地にならず、独立を保ったのは、タイを別にすれば、日本だけだと考えられているようですが、そして、そのことは日本民族の優秀さの根拠とされているようですが、これは自己欺聴ではないかと思います。独立国とは主権をもっている国のことで、主権には裁判権や関税自主権が含まれています。不平等条約はこのような主権の不可欠の一部を放棄しているのですから、不平等条約を結んだということは独立国ではなくなったということです。
◆被害者から加害者へ
しかし、やむを得なかったとはいえ、幕府のしたことは人々の誇りを大いに傷つけ、そのため幕府は国民の支持を失い、人気を失い、減びるべく運命づけられました。そのうち、尊皇撰夷を唱えていた連中が不人気の幕府を倒して政権を取り、明治政府を打ち立てましたが、国を運営してゆかなければならないとなれば、明治政府も、幕府の政策を引き継がざるを得ませんでした。すなわち、親分のアメリカ(および他のヨーロッパ諸国)に気に入られて、友好的に付き合おうとしたわけですが、そうするしかなかったわけです。
それがよくわかるのが、かなりあとになりますが、一九〇〇年の義和団事件です。当時の欧米諸国はみんな暴力団(「西欧の重荷」とか何とか言って正当化していましたが、スキがあれば武力で他民族、他国を侵略し搾取しようとしていたのですから、暴力団以外の何ものでもありませんでした)のようなもので、世界各地を荒らし回って今や中国という大きな餌食に襲いかかっていたわけです。
義和団事件は、欧米諸国による中国の植民地化と搾取に対して中国の民衆が反乱を起こした外国人排撃の事件で、言わば、中国の尊皇撰夷運動のようなものでしたから、まさに欧米諸国の植民地主義の被害を受けている日本としては、むしろ心情的にも道義的にも、反乱している中国の民衆の側に立ちたいし、立つべきところです。
しかし、日本は地の利もあって、諸外国のなかで一番多数の、二万もの兵隊を出しました。それで、主として日本軍が反乱を鎮圧したんです。そのときの日本軍は非常に勇敢で規律正しかったそうですよ。言わば、子分として立派な働きをしたわけで、親分の覚えめでたく信任を得たのです。とくに、イギリスとアメリカが日本は子分として使い物になる、頼りがいがあると信用し、好意をもったようです。
日本の一部には、同じく欧米諸国の植民地主義の被害者であるアジア諸国と手を組んで、欧米諸国に対抗しようとする動きもありましたが、当時の日本の指導者は、中国も朝鮮も頼りなくて、被害者たちと手を組んでいると、共倒れになるのではないかと恐れたのでした。日本は、義和団の鎮圧で得た信用と好意を足場にして、搾取される植民地のアジアから脱出し、搾取する暴力団の仲問に入れてもらおうとするわけです。被害者の一員であることをやめ、加害者側に回ろうとするわけです。つまり、脱亜入欧ということです。
そこで、暴力団同士のあいだに対立があることに目をつけ、英米暴力団にすりより、イギリスと同盟を結びました。南アフリカでポーア戦争に足を取られていたイギリスとしては、義和団事件を機に満州に居座ったロシアがさらに南下するのを恐れ、ロシアの押さえとして日本の軍事力が利用できると考えたのでしょう。日本は、ロシアが朝鮮に勢力を伸ばすことを恐れたということもありましたが、何よりも、世界の一等国と同盟できたことを喜びました。そして、イギリスとその友好国アメリカを後ろ盾にして、ロシア暴力団に敵対し、ロシアと戦争を始めたわけです。
日本は日露戦争に辛うじて勝ちましたが、はっきり言って、勝ったのは英米のお陰でした。日本人はいまも日本が日本のために戦争を始め、日本の実力で勝ったと思っているようですけれども、観点を変えれば、イギリスが、日本を援助し、日本を使って、ロシアと戦わせたと見ることもできます。日本はイギリスに便われたんですよ。少なくとも、イギリスはそう見ていたでしょうね。そして、アメリカも。
イギリスは、さすがに世界最大の植民帝国を築いただけあって、できるだけ自国兵を使わず、外国人を使って外国人と戦わせるのがうまいんですよ。インドのセポイの反乱(一八五七-五九年)をネパールのグルカ兵を使って鎮圧したように、日本を使ってロシアを撃退しようとしたのです。日本はその期待に応えたわけです。
大体、当時のロシアは革命勢力がはびこり、国は乱れていて、ロシア軍の士気も高くありませんでした。そういう幸運な条件がなかったら、日本は勝てなかったでしょう。幸運な条件はそれだけではなく、イギリスとアメリカは資金的にも日本に協力してくれました。当時のお金で二十億円ぐらいかかった軍事費の半分以上がロンドンとニューヨ-クの公債で得たものです。それから、日本海海戦に参加したロシア海軍の軍艦はすべてロシア製でしたが、日本側は、旗艦三笠を初め、戦艦はすべてイギリス製でした。ほかに、オランダ製の艦船もありました。日本が自力で勝ったわけではないんですよ。
日本は、一九〇五年三月、奉天会戦でようやく奉天(今の藩陽)を占領したものの、兵員も弾薬も消耗し、陸軍は力が尽きかけていました。日本陸軍がもうこれ以上は戦えないというギリギリのときに、幸運にも海軍が五月に日本海海戦で圧倒的勝利を得たわけです。それをきっかけにして、ちょうどいいときにアメリカが戦争を止めに入ってくれました。日本が講和の仲介を依頼したからですが、アメリカが引き受けてくれたことは、まさに好都合でした。日本からロシアに戦争止めましょうと言い出すわけにいかなかったわけですから。日本から言い出せば、弱みを見せ、負けを認めたことになり、ロシアを図に乗らせますからね。
アメリカは十年前の日清戦争のときにも講和を仲介してくれているんですよ。下関の講和会議です。今度はアメリカはポーツマスの講和会議。アメリカがそういうことをやってくれたのは、もちろん、対等な関係での友情や親切心からではなくて、親分として配下の子分の面倒を見たというこどですよ。そこで結ばれたポーツマス条約は、下関条約のときと違って賠償金はなく、,領土も樺太(ザハリン)の南半分をもらっただけだったので、国民の不満が爆発し、講和反対国民大会が日比谷で開かれ、各地に焼き討ち事件が起こりました。
日本政府が国民に嘘をっくようになったのは、いっからか知りませんが、このときすでに政府は嘘つきの体質をもっていました。要するに、明治政府は国民を信用していない政府でした。民衆は愚かだから、真実を知らせれば、馬鹿なことをしでかすかもしれない、適当に騙して導いてやるしかない、それが国民のためでもあると考えていたようです。
この嘘つき体質が明治政府以後の政府にも受け継がれ、日本の方針を誤らせた第一最大の原因です。結局、その後の歴史は、政府自身が、馬鹿にしていた民衆より馬鹿だったことを証明しました。とにかく嘘つきの明治政府は、国民に大勝利の宣伝ばかりしていて、もはや戦う余力はないことを隠していましたから、多大の犠牲を払わせられた国民がもっとやれという気になり、賠償金のない講和に反対するのは当然でした。政府は自分がついた嘘のしっぺ返しを受けたわけです。
日露戦争の勝因についても嘘で固めた物語が作られました。さっきも言ったように、この戦争に勝ったのは、主としてイギリスやアメリカなどの外国の協力、財政援助、武器援助のおかげです。敵のロシアについての情報も、日本自身、懸命に集めようとしましたが、そういう点でははるかに進歩していたイギリスからの情報は貴重でした。また、伊藤博文が恐露病患者と言われていたことからもわかるように、ロシアを非常に恐れていて、日本軍は、敵を侮らず、おのれの力の限界を知り、作戦や補給に関しては慎重な上にも慎重でした。それらの条件が揃って初めて、辛うじて勝ったのです。
ところが、そういう現実はあっちのほうへ追いやられ、日露戦争は、死を恐れぬ日本兵の勇気、巖難辛苦をものともしない攻撃精神、おのれをむなしゅうして公のために尽くす献身と自已犠牲、それに加えるに、天佑神助のゆえに勝ったということになりました。実際には、日露戦争のときの日本兵は、それほど勇敢でも自已犠牲的でもなく、かなり捕虜も出たと聞いております。
ついこのあいだまで百姓だった人がほとんどでしたから、当然ですがね。のちに、戦陣訓ですか、「生きて虜囚の辱めを受けず」なんて無茶なことを日本陸軍が掲げたのは、日本兵があまりにも簡単に捕虜になったので、それを警戒するあまり、反動が逆方向へ行き過ぎたのではないかとも考えられます。いずれにせよ、日露戦争の実際の勝因を隠蔽した結果、「死を恐れぬ勇敢な日本兵」という神語ができあがりました。
しかし、世の中に死を恐れぬ勇敢な人というのはたまにはいるかもしれませんが、もしいるとしても、めったにいるものではありません。めったにいない者を標準とするような、このような非現実的、誇大妄想的神話に縋ったということは、当時の日本がどれほど惨めな状況に追い込まれていたかということを示しています。
幕末にペリーに強姦されて以来、強姦されて、しかも、強姦犯人の男についてゆかねばならなかった女のような境遇にあった日本は、屈辱感、敗北感、劣等感に坤きつづけてきました。その屈辱感から逃れるためには、日露戦争は、外国の助けによってではなく、日本人自身の勇敢さや自己犠牲などの優れた資質、日本人自身の能力と努力によって、つまり日本民族の優秀さのゆえに勝ったのだというこの神話を是が非でも信じる必要がありました。この神話が、その後の日本を誤った道へと引きずり込んだ元凶であると僕は考えています。のちの日米戦争の惨敗の原因は、この神話です。いかなる場合でも、不愉快な現実を無視し、都合のいい神話を信じた代価は、本人の想像を絶するほど、高いものにつくのです。
◆敵意の醸成
日本が日露戦争に勝つまでは、とにかくアメリカは日本に対して好意的でした。アメリカは遅れた野蛮な日本を国際社会へと、近代文明へと導き入れてやったつもりだったし、そのことで当然、日本に感謝されていると思っていたし、さっきも言ったように、今後も日本を可愛い子分として面倒を見てやろうとしていたわけです。アジアにおけるアメリカの権力の拠点としても役立つしね。
日本が強姦された屈辱に呻き、アメリカを恨んでいるとは夢にも思っていませんでした。アメリカという国は、自分が相手のプライドを傷つけたことに鈍感で無神経です。これには歴史的理由があります。先住民のインディアンのプライドを奪い、虐殺して成り立った国なので、そういうことに鈍感で無神経でないと、身が持たないのです。
一九九七年から九八年にかけて、すなわち、ベトナム戦争後、二十数年を経て初めて、当時の国防長官であったマクナマラら、アメリカ軍関係者と、グエン・ザップ将軍ら、当時のベトナム軍の要人とがこの戦争について検討し討論するという画期的な会談がハノイで開かれましたが、マクナマラは、アメリカと戦えば多大の死傷者が出ることはわかっているのだから、ベトナムはすぐ降伏すると思った、そうしなかったのはベトナム当局が国民の犠牲を気にしていなかったからに違いないと無神経な発言をしてベトナム側をえらく怒らせました。
「費用対効果」を正確に計算するコンピューター言われたマクナマラも、ベトナム人が多大の犠牲を払っても(大東亜戦争の日本人の死者数とほぽ同じ、三百万のベトナム人が死にました)プライドを守るために戦うという可能性を計算に入れなかったのでした。これは多くのアメリカ人の対人知覚の冒点ではないかと思われます。自分以外の人間の行動におけるプライドという動機が見えないのです。
「一寸の虫にも五分の魂」があることがわからないのです。この盲点のため、アメリカは国際関係で、起こさなくてもいい悶着をたびたび起こしているようです。日米戦争のアメリカ側の原因の一つはここにあったかもしれません。アメリカは日本があれほど死にもの狂いになって刃向かってくるとは予想していなかったようです。
しかし、日本側にも盲点がなかったわけではありません。僕は、ずうっと以前から、とくにアメリカとの関係において、近代日本が、外国を崇拝し憧憬する卑屈な外的自已と、外国を嫌い憎む誇大妄想的な内的自己とに分裂していると主張してきましたが、日露戦争に勝つまでは、日本は、内的自已を押し隠し、外的自已を前面に出し、身の程をわきまえてアメリカの期待に沿い、子分のように振る舞っていました。
しかし、日露戦争に勝って、その真の勝因を見ず、自分の実力のみで勝ったと已惚れてしまった日本は、それまで抑えていた内的自已を表に出し始めます。親分のつもりのアメリカは非常に癩に障ったのではないかと思います。なんだ、子分のくせに威張りやがって、自分で勝った気になりやがって、と。ちょっと甘い顔を見せてやれば、いい気になりやがって、と。そこで、アメリカは日露戦争の二年後、一九〇七年にはもう上下両院で日本移民制限法を可決するんですよ。日本はびっくりしました。
一九世紀の終わりから二〇世紀の初めにかけて、アメリカは米西戦争に勝ってグアムやフィリピンを獲得し、日本は日清・日露の両戦役、さらに第一次大戦に勝って朝鮮、台湾、満州、南洋諸島に地歩を固め、両国が太平洋で向かい合う形になったことが、両国の対立の背景にありました。
一九〇九年に、アメリカから満鉄(南満州鉄道)の共同経営の申し込みがあったでしょう。日本はそれを蹴るんですよね。アメリヵは露骨に嫌な顔をしました。もちろん、後知恵ですが、当時の日本の経済的・軍事的実力、国際関係を考えれば、受け入れるべきではなかったかと思います。受け入れていれば、満州開拓の資金にそれほど困ることもなく、ロシア・ソ連に対抗するための軍事力もそれほどは要らず、さらに言えば、のちの日米戦争もなかったかもしれません。
しかし、舞い上がっていた当時の日本としては、自分の実力で勝って、権利はすべて自分にあると思っていましたから、なんだ、アメリカは、一人として血を流してもいないくせに横から乗り出してきやがって、とんでもない図々しいやつらだ、というふうに思ったのでしょうね。日露戦争で日本は、二十万人くらい戦死者を出し、大量の血を流したわけですから。大東亜戦争の三百十万人に比べれば少ないけれど、その前の日清戦争では二万人足らずだったわけで、その十倍は死んだのですから。日本としては、大変な犠牲を払ったという意識がありました。一人も死者を出していないアメリカとなんで共同経営なのだ、ということになっちゃうよね。日本からはアメリカが傲慢で厚顔無恥に見えたわけです。
他方、アメリカから見れば、子分のくせに日本は生意気だとなります。白人でもないのに植民地をもとうなんて、そもそも生意気過ぎるわけです。だから、ここでちよっと懲らしめておいたほうがいいと、いろいろ嫌がらせをする。そのあと、一九二四年には、以前の日本移民制限法どころではない排日移民法が制定され、目本人以外のアジア人は受け入れるけれど日本人だけはだめだということになりますね。
そういうふうにますます差別的になってくるわけです。それから、日本近海に大艦隊を派遣して軍事演習をしたりしてね。アメリカは、イラクがどうしたとか、中国がどうしたとか、何かがあると、アラビァ海や台湾沖で今でもそういうことをやるけれど、大艦隊の派遣は昔からの癖ですかね。とにかく、日本の神経を逆撫でするようなことをいろいろやります。
しかしまた、日本が無神経でアメリカの神経を逆撫でした面もあるんでしょうね。しかし、日米で、そのやり方は違っていたように思います。アメリカは意識的・意図的に日本をイライラさせ、日本はつい気づかずにアメリカをイライラさせたというふうに。日米の軍事力には格段の差があるし、アメリカを怒らせれば大変だということはわかっていますから、日本には意図的にアメリカをからかうほどの度胸はなかったですよ。
いま言った、日本近海でのアメリカ艦隊の軍事演習のときも、日本を威嚇しようとするアメリカの意図などに全然気がつかないふりをして、艦員の上陸を懇願し、大歓迎のパーティを開きました。日米友好のしるしにしようというわけです。もちろん、そのようなことでは日米関係は好転しませんでしたが……。
このように関係が敵対的になっていくときは、おたがいに双方がエスカレートしていくものです。反日と反米、嫌日と嫌米が。だから、おたがいさまのところもあり、どっちが悪かったかというのは難しいけどね。しかし、日本がアメリカに何もしないうちに、さきにペリー艦隊を寄越して日本を脅迫したのはアメリカですから、日米が平等に悪いわけではないですが:…・。いずれにせよ、日本はアメリカに対して実力的には圧倒的に弱いんだから、弱いほうが自分の力の限界を認識して、相手の気分を害し過ぎないように配慮すべきじゃなかったかなとも思うんだけど、しかし、プライドのこともあるし・・・。
◆真珠湾の意味
しかし、結局、日本はがまんしきれず、真珠湾奇襲ということになります。真珠湾を攻撃したのは、軍事作戦的には成功だったかもしれませんが、政治的にはもちろん大失敗です。しかし、心情的にはわからないでもない。
ハル・ノートなんて、日本を非常に馬鹿にしたもので、わざわざ承諾できそうにない厳しい条件を突き付けて日本をからかったのでしょうね。東京裁判で、インドのパール判事は、このようなものを突き付けられれば、「モナコ王国やルクセンブルグ大公国でもアメリカに宣戦しただろう」と言ったそうですが。
しかし、僕は思うんですが、日本も、アメリカの魂胆をよく理解して、アメリカと同じレベルに立ち、真剣に検討するようなしないような、承諾するようなしないようなあいまいな態度でアメリカをからかえばよかったんですよ。それでどうにかなったかというと、保証の限りではありませんがね。しかし、そもそも、日本政府にはそんな余裕はなかったんでしょうね。政権を握っていたのは、まじめで純情な(これは褒め言葉ではありません)軍人たちでしたからね。本気で怒ってしまった。
真珠湾奇襲には、アメリカに挑発された面もありますが、日本の側にも、こういうことは是非ともやってみたいという動機があったと思います。僕は、以前から、真珠湾奇襲はペリーの脅迫に対する復警だったのではないかと言っています。ご存じのように、ペリーは戦艦四隻を連れて浦賀にやってきて、言うことを聞かなければ江戸の町を砲撃するぞと脅かしました。そして、戦さになれば日本が負けるに決まっているから、降伏するときは、これを掲げればよいと、白旗を二本渡しました(松本健一『白旗伝説』)。このときの脅迫に屈した屈辱と恨みが、無意識的にせよ、日本人の心に底流し、八十八年後、真珠湾奇襲となって噴き出したというのが、僕の説です。
連合艦隊は、第一次攻撃で敵の戦艦四隻を撃沈し(ほかに、戦艦、軽巡洋艦、駆逐艦などにも損傷を与えていますが、主な戦果はこれです)、まだ十分、余力があったにもかかわらず、なぜか、第二次攻撃を中止しました。これは、戦史の不思議の一つとされています。僕に言わせれば、不思議でも何でもなく、日本を代表する連合艦隊は、かつて日本が江戸湾でペリーに戦艦四隻をもって脅迫されたということがあったので、真珠湾で戦艦四隻を沈めてこれでペリーに対する復讐は成ったと満足したから、取りあえず、それ以上の攻撃をやめたのではないかというわけです。これは、半分冗談ですがねえ。(P9〜P22)
(私のコメント)
私は連日のようにアメリカの手先となっている政治家や官僚を攻撃していますが、いざアメリカの当局者と直接相対すると、どうしても過去の歴史のトラウマが出てきて弱腰になってしまうのでしょう。冷静に利害計算をして対応すれば怖くはない相手なのですが、自らの神話を作り上げてそれにとらわれると、引っ込みが付かなくなって暴走してしまう。
日露戦争で勝てたのは当時の日本政府も軍人達もアメリカやイギリスのおかげだとわかっていたのですが、日本国民に対しては日本軍が優秀で独力で勝ったと宣伝したからなのですが、その神話の為に日本人達は誇大妄想的になり真珠湾奇襲まで突っ走ってしまった。
当時の日本国民もどうして日露戦争を冷静に見る事が出来なかったのだろう。ポーツマス条約で講和が出来なければ日本軍はロシア軍に負けたのは間違いない。無敵日本軍の神話を勝手に作り上げ国際情勢を冷静に見る目を失ってしまったのは、当時のジャーナリズムのせいだ。
そのような癖は現代でも治ってはおらず、戦後の高度経済成長は大蔵省や通産官僚の経済政策が優れていたからと言う神話が作られ、アメリカが陰に陽にバックアップしてくれたことを忘れている。バブル崩壊以降の日本経済の低迷もアメリカの政策が「日本叩き落とし戦略」に変わったからですが、大蔵省や通産官僚が優秀だったのならとっくに経済は立ち直っているはずだ。
これからもアメリカの対日政策は厳しさを増す一方だろう。戦後の一時期は政治家や官僚にとっては天国のような時期で、アメリカの言いなりになってさえいれば万事順調だったのですが、その事が忘れられずに日本の権力者達は親米でありさえすればすべて上手く行くという神話にとらわれている。
かといってアメリカと敵対せよというわけではなく、是々非々で付かず離れず面従腹背で、したたかな計算と打算でアメリカと協力していかなければならない。しかし日本の政治家や官僚にそれだけしたたかな外交ができるかというと無理かもしれない。以前の日記でアメリカはヤクザの親分と思えばいいと書きましたが、忠誠を尽くすように見せかけて自己の利益を図るしたたかさが必要だ。
状況からすれば日本は明らかにアメリカの植民地なのですが、日本の為政者達は日本が独立国であると国民を騙し続けているのだ。国民に植民地であることがばれてしまうと国会議員なんか必要ないではないかということになり、800人あまりの国会議員は失業してしまう。常にアメリカの許しがないと何も出来ない日本政府は単なる飾りなのだ。
戦前の歴史を見ても日本はどうしてもっと柔軟な対応が出来なかったのだろう。特に日露戦争後の対米外交は双方が挑発しあって引っ込みが付かなくなってしまったが、出したり引いたりの駆け引きがまるで出来ない。国民も強行一点張りになり為政者もブレーキが利かなくなり太平洋戦争の開戦責任は軍部より国民と国民を煽ったジャーナリズムにある。
このような状況をどのようにしたら打開できるかは「日本がアメリカを赦す日」を読んでいただくとして、現代の日本の状況を次のように指摘している。
◆現実の否認
だから、本釆なら、日本は非常な屈辱を感じているはずなのです。ところが、それほど屈辱を感じているようには見えません。日本は屈辱を感じてはいるが、それを抑圧していると、僕は見ていますね。外から見ればアメリカの子分であるのは明らかなのに、日本人だけがそう思っていない。あるいは、心のどこかでは知っているのだが、見て見ぬふりをしています。
要するに、自己欺瞞しているわけで、自已欺瞞が戦後日本の最大の特徴です。戦後日本は、いろいろな問題に直面するたびに、解決を見出す手前でこの自已欺瞞の壁にぶつかって跳ね返され、未解決のままにしておかざるを得なくなっています。この壁をぶち破ってその向こう側に出れば、解決の道が見えてくる可能性があるのですが、それができないのです。そのため、イライラと欲求不満が溜まりに溜まっています。
戦後日本人の不安定感、閉塞感、抑鬱、居心地の悪さなどの多くは、この自已欺瞞のせいではないかと思います。では、どうすればいいのでしょうか。僕に言わせれば、被占領国なんだから被占領状態にあることを認識することがまず第一歩ですね。そして、この被占領状態を解消する力があれば解消する方向に向かえばいいし、被占領状態を解消する力がなく、どうしようもないのであれぱ、被占領状態であるという現実を認識した上で、それを甘受し、時機を待つべきですよ。(P40)
(私のコメント)
日本の政治家や世論をリードすべきジャーナリズムは日本国民のいらいらと欲求不満の現状を気付こうともしないで、テレビなどの3S政策で愚民化することで誤魔化そうとしている。だから森前総理のように選挙でも「家で寝ていてくれたほうがいい」という発言が出たりする。ジャーナリズムも戦前と同じく政府の広報機関となって御用記事しか書かなくなった。
だからテレビと新聞だけでは世の中がどうなっているのかわからずイライラばかりが募ってゆく。いずれ沸騰点に達して集団ヒステリーになるかもしれませんが、戦前のような間違いはしてほしくない。イラクへの自衛隊派遣もイケイケムードで行っていますがアメリカの罠であることに気付いている国民はほとんどいない。
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