株式日記と経済展望

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アルカーイダ系サウジ過激派襲撃 王制打倒強める
ユダヤ人はイラクやサウジを民主化して石油を総取り


2004年5月31日 月曜日

アルカーイダ系サウジ過激派襲撃 王制打倒強める “生命線”石油産業を標的

【カイロ=村上大介】サウジアラビア東部の石油産業都市アルホバルで起きた外国石油企業や外国人居住区への襲撃事件は、国際テロ組織アルカーイダ系とみられる武装組織が、外国石油資本の権益を標的とすることを通じ、親米穏健派のサウジ王家の生命線である石油産業に足元から揺さぶりをかける動きを強めていることを浮き彫りにした。
 アルホバルは、サウジ東部の石油地帯ダーランに隣接し、海外の石油企業や商社などが集中している。ダーランには国営石油会社サウジ・アラムコが本社を構え、アルホバルへの攻撃はサウジ石油産業の心臓部への攻撃と「同義語」だといってもよい。
 アルカーイダの指導者、ウサマ・ビンラーディン氏はサウジ出身で、九〇年代半ばには、エジプトのイスラム原理主義指導者、アイマン・ザワヒリ師らと「アラビア半島からの十字軍(米国)追放」や「対米聖戦」を宣言。レトリックとしては「十字軍に奉仕する腐敗したサウジ王家の打倒」も唱えてきた。
 しかし、必ずしもサウジ国内で長期的な戦略を伴うテロを実行してきたわけではなく、サウジ石油産業にとって不可欠な外国石油企業を明確な標的としたテロを開始したのはごく最近のことだ。
 二〇〇一年九月の米中枢同時テロの実行犯のほとんどがサウジ人だったこともあり、米国では「テロを生み出したサウジの社会風土」を問題視する声も強まった。だが、サウジ王制は、それ自体が「イスラム原理主義」といってもよい極めて厳格なイスラム教スンニ派のワッハーブ派を奉じることを統治の正当性の根拠としており、国内にはアルカーイダのような極端な主張に共鳴する部分も根強く残っている。
 サウジ政府もさすがに危機感を強め、昨年春以降、アルカーイダに共鳴する国内過激派に対する徹底的な武力鎮圧に乗り出した。しかし、それに対抗するかのように過激派側も、首都の外国人居住区などを狙うといった「漠然としたテロ」から、五月初めに起きたサウジ西部ヤンブーの外国石油企業への襲撃事件、今回の東部アルホバルでの襲撃事件へと、明確な意図と狙いが読み取れるテロへと作戦の変化を速めている。
 一方、四月には首都リヤドの治安機関本部ビルでも自動車爆弾テロが起き、政府施設への大規模テロとしては初めてのものとなった。アルカーイダ系の国内過激派は、外国石油企業を標的としてサウジ政府の生命線である石油産業の切り崩しを狙う一方、政府機関も直接のターゲットとし、王制打倒の動きを、より具体的に示し始めたといってもよいだろう。
                  ◇
 ≪サウジで発生した近年の主なテロ≫
 【2000年】
 11月17日 リヤドで車が爆発、英国人1人死亡
 【2002年】
  6月20日 リヤドで英国人の銀行家が自動車爆弾で死亡
  9月29日 リヤドで車が爆発、ドイツ人1人が死亡
 【2003年】
  2月20日 リヤドで英軍需企業で働く英国人職員が射殺される
  5月12日 リヤドの外国人居住区で連続自爆テロ、35人死亡
 11月 9日 リヤドの集合住宅施設で爆弾テロ、18人死亡
 【2004年】
  4月21日 リヤドで政府治安機関の建物を狙い自爆テロ、4人死亡
  5月 1日 ヤンブーで事務所襲撃、米英人ら6人死亡
  5月29日 アルホバルで事務所襲撃、米英人ら殺害(産経新聞)
[5月31日3時30分更新]

石油大国サウジアラビアの反撃 2004年5月28日  田中 宇

▼ナショナリズムとしての原油高騰作戦

 サウジアラビアは、世界の産油国の中で唯一、膨大な石油の余剰生産力を持った国である。他の産油国の多くは生産能力いっぱいまで採油・輸出しているのに対し、サウジは大きな余力があるので、生産量を上下することで原油価格を操作できる。サウジは長らく中東きっての親米国だったので、原油価格が上がってくるとアメリカのために増産し、下がりすぎて他の産油国が困ると減産して原油相場を押し上げる、といった価格調整の役割を果たしててきた。サウジ王室は、アメリカや他の産油国から重視され、OPECの盟主としてふるまってきた。

 だが911以降、アメリカではサウジに対する中傷的な非難が続き、ネオコン系の言論人は「サウジと縁を切るべきだ」と主張し続けた。その一方で、サウジ国内では反米気運が高まり、アメリカに追従する王室に対する反発もくすぶるようになった。

 このような中、イラク侵攻後、原油価格が上昇し続けた。サウジ政府は今年2月、OPECを動かし、日産100万バレルを減産するという方向性を打ち出した。原油価格が上昇する中での減産は価格の高騰を招きかねず、アメリカからは減産するなという圧力がかかった。だが、サウジ政府は考えを曲げず、サウジの地元紙には「アメリカは産油国が必要としている減産を無理やりやめさせようとしている」とする反米の記事を掲載した。OPECは4月に減産に踏み切り、相場は史上最高値を更新した。(関連記事

 国民の反米感情と、アメリカからの非難と圧力の板ばさみになったサウジ王室は、これまでの親米的なスタンスを変更し、アメリカが困っても石油価格を下げない方針に転換したのではないかと思われる(サウジ政府は情報公開をしていないので真相は分からない)。こうすることにより、原油価格の高騰分が政府収入の増加につながり、それを国民の生活を向上させる用途に回すことで、国民の反政府感情をなだめることができる。「サウジ王家は、アメリカの圧力に負けずに原油高を維持し、サウジ国民のために金を稼いだ」と主張することもできる。

▼イラクみたいになるよりは・・・

 アメリカによるイラク占領の泥沼化は、中東の人々の自国政権に対する感情に変化を与えている。それまで中東諸国の人々の多くは、自国の政府が民主主義を広めず、腐敗している上に、政府批判者を弾圧するのでうんざりしていた。イラクがアメリカによって民主主義国になるのなら、自分の国でも政権転覆が起きた方がいいかもしれないと思う傾向が人々の中にあった。アメリカのイラク占領があっさり成功したら、サウジやシリア、イラン、エジプトなどで民主化運動が起こり、政権が転覆していたかもしれなかった。

 ところが、アメリカが数々の失策(または故意)によってイラク占領を泥沼化させたため、近隣諸国の人々は逆に、自国の政権が倒れたら米軍に無茶苦茶にされると思うようになった。たとえばシリアでは「自由の侵害はあるけど、今の政権の方が、イラクみたいになるよりましだ」と考え「反政府」ではなく「体制内改革」を求める声が強まっている。(関連記事

 シリアと同じ傾向はサウジでもあるのではないかと思われ、そのような傾向の中でサウジ政府が「反米的」な原油価格の高騰を演出している可能性がある。この見方が正しいとすれば、6月3日に予定されているベイルートでのOPEC会議で増産が決まったとしても、石油相場の下落は一時的なものにとどまり、いずれまた上昇に転じると予測される。サウジの石油相は1バレル50ドルぐらいまで上昇する懸念があると述べている。(関連記事

 逆に、もしサウジの人々が反政府感情をくすぶらせ、広く予測されているようにサウジ王室がいずれ転覆させられるのであれば、その後の混乱によって石油生産が止まるか、もしくは原理主義政権ができて「アメリカとその同盟国には石油を売らない」という宣言が出され、もっとひどい原油価格の高騰につながる。関連記事

▼数々の故意の失策

 アメリカ政府が911の濡れ衣をサウジ王室に着せず、以前のようにサウジを石油価格の調整役として大事にしていれば、こんなことにはならなかった。アメリカは自ら墓穴を掘っていることになるが、わざわざ911の「真犯人」を隠蔽してまでサウジ王室を攻撃したかったことから考えると、これはアメリカの「失策」ではなく「戦略」であると感じられる。

 以前の記事に書いたが、アメリカはベネズエラのチャベス政権に対しても、似たような自作自演的な攻撃を行っている。ベネズエラはアメリカの石油輸入量の2割前後を生産する国で、アメリカの政治工作によってベネズエラの政権が転覆されて混乱に陥ったら、石油の輸出が急減し、アメリカ自身にとって大打撃となる。


(私のコメント)
サウジアラビアのことに関しては27日の「株式日記」でも触れましたが、アメリカの権力中枢が描いている戦略がどうもよくわからない。アメリカにとってはサウジアラビアと日本が最重要同盟国のはずだ。しかしながらアメリカの権力中枢はネオコン一派に戦略を丸投げして、イラク侵略などやりたい放題の事をさせている。しかしながらイラク戦争は泥沼化してお目当ての石油すらパイプラインの破壊などで思いどうりのようにはなっていない。

おまけにサウジアラビアにまで反米運動が広がり、アメリカの石油資本と仲良くしていた王族にまで危機が及んでいる。サウジアラビアの王族を倒すという点ではアルカイダとアメリカのネオコンは利害が一致しているのは気味が悪い。さらにわからないのはブッシュ大統領とビンラディン家とはビジネスパートナーであり、そのビジネスパートナーの一人がアルカイダのリーダーなのだ。

アメリカ自身から見ればサウジアラビアの王族政治が倒れて、民主主義政権が出来た場合アメリカにとって利益になるのだろうか。イラクにおいても民主主義選挙が行われて独立政府が出来た場合親米政権が出来るのだろうか。可能性としては政策が過激になってイスラム原理主義勢力が主導権を握ってイランのようなイスラム原理主義国家となる可能性が高い。

アメリカの石油資本にとっては中東の産油国は王政か独裁国家のほうがビジネスはしやすいはずだ。ところがイラクの独裁とサウジアラビアの王政をわざわざ破壊して民主国家にするというのはアメリカの石油資本の利害に反する。たとえアメリカ軍が常駐するにしろ政情は不安定になりテロが絶えない国家になる。

アメリカのネオコンの戦略の目標は、イスラエルのユーフラテス川からナイル川までの大イスラエルの建設にアメリカ軍を利用するという大計画があるらしいが、シオニスト達の考える事にとてもついて行けない。たとえ大イスラエルは無理だとしても中東の石油産業を資本力で独占しようというのだろうか。政治が安定していればそれは上手くいくかもしれない。しかしそんなことはありえない。

日本から見ればアメリカは世界唯一の超大国であり、日本の政治家達はアメリカ政府の高官たちの一挙手一投足にびくびくしているが、実はアメリカという超大国はわずか人口600万足らずのイスラエルに占領されてしまっている。そしてイスラエルの首相からアメリカの高官たちへ命令が下されブッシュ大統領も彼らに操られている。サイード氏のサイトではアメリカを次のように指摘している。

Israel, Iraq and the United States 

合衆国の中東政策に関するかぎり、イスラエル・ロビーに並ぶものはなく、これが合衆国政府の立法府を「イスラエルの占領地」とJim Abourezk 元上院議員がかつて呼んだものに変えてしまった。これに匹敵するようなアラブ・ロビーは存在さえしておらず、ましてや効果的に機能するなど遠く及ばない。その好例は、たのまれもしないのに上院が、イスラエルに対するアメリカの支持を力説し、強調し、再確認する決議を大統領に周期的に送りつけていることだろう。そのような決議が5月にもあったが、それはちょうどイスラエル軍が西岸地区の主要都市をすべて占領し、事実上破壊していた時期である。イスラエルの最も過激な政策を全面的に支持するこのような行動は、長い目で見れば中東の一国家としてのイスラエルの未来に悪い影響しか与えない。この主張についてはTony Judt が、パレスチナの土地に居座ろうとするイスラエルの先のない思考はどんな解決にも結びつかず、いずれは避けられぬ撤退をただ延期しているだけだと、しっかり論じている。

そろそろ問題の核心に近づいてきた。 国内におけるイスラエルの影響力のおかげで、合衆国の中東政策はイスラエル中心主義になっている。 キリスト教右派、イスラエル・ロビー、ブッシュ政権の宗教じみた好戦性という9・11以降の寒気のするような結合が、イスラエルの敵を粉砕することに徹した中東政策をとるタカ派新保守主義者たちによって理論的に合理化されている。それは時には婉曲表現として、イスラエルを最も脅かすアラブの国々に政権交代と「民主主義」を持ち込む「地図の塗り替え」と呼ばれる。パレスチナを改革せよというシャロンのキャンペーンは、パレスチナ人を政治的に破壊するという彼の生涯の目標の追求を裏返したものに過ぎない。 エジプト、サウジアラビア、シリア、さらにはヨルダンさえもが様々なかたちで脅かされている。これらの国々の政権がいかにひどいものだったとしても、それは第二次世界大戦以降、イラクがそうであったように、合衆国によって保護され、支援されていたのだ。


(私のコメント)
このように現在のアメリカの中東政策がアメリカの権力中枢によって行われているのではなく、イスラエルの命令のもとに行われていると仮定すれば、現在のアメリカの戦略が不可解なものとして見えるのは当然の話だ。どうしてこのようにイスラエルロビーがアメリカ議会と大統領に影響力を持つようになったのか、これはアメリカのキリスト教の変質がわからないと理解できない。

アメリカ人にとってはイラクやサウジアラビアは7000マイルも離れた地の果てにある国に過ぎない。だからそこをクラスター爆弾やデージーカッターで1キロ四方を吹き飛ばそうとアメリカ人には伝わらない。実際にサウジやイラクを訪れたアメリカ人は軍人か石油業者に限られるだろう。そこで地元のアラブ人達がどのような目にあっているかアメリカ人には知る由もない。

イラクが戦乱で荒れれば荒れるほどアメリカのユダヤ人やイスラエルの投資家にとっては安くイラクの土地が手に入る。アメリカに限らずユダヤ人達はイラクに国内国家を建設してイラクをのっとる計画を持っているようだ。さらにはサウジアラビアもイラクと同じように内乱状態にして投売りにでたアラブ人たちの資産を買い取るつもりなのだろう。そしてアラブ人が気がついた時にはイラクやサウジの主な資産はほとんどユダヤ人が買い占めて国家ごとアメリカのように乗っ取るつもりだ。

米とイスラエルがイラクに新ユダヤ国家建設を計画





藤井厳喜(著)「新円切替」 日本人の顔をした
アメリカ人によって書かれた日本経済絶望論


2004年5月30日 日曜日

「アメリカの51番目の州」という大ウソ

日本の知識人のなかには、この状況を「日本がアメリカの51番目の州になる」という言い方をするお人好しがいる。また、いまや化石化した左翼言論人も、「51番目の州になっていいのか」と、政府を批判することが多い。しかし、筆者に言わせてもらえば「馬鹿も休み休み言え」である。というのも、51番目の州ならまだマシではないかと思うからである。

ご承知かもしれないが、アメリカには50州以外にグアム島などの属領がある。その筆頭がカリブ海の島プエルトリコで、ここの住民はいちおう準アメリカ国民として扱われている。ニューヨークなどにはプエルトリカンが多く、メジャーリーグMLBにはプエノレトリコ出身の有名選手も多い。しかし、属領は州Stateとは違い、自分たちの意見を政府内に反映させるための議員をワシントン.に送ることはできない。まして、住民には大統領を選ぶ選挙権もない。

ただし、アメリカ連邦議会にオブザーバーを送ることはできる。このオブザーバーというのは、その名のとおり、連邦議会で何が話し合われているのか傍聴するだけである。もちろん、投票権もない。

さて、ここでわが日本であるが、筆者に言わせれば、現在ですら属領のプエルトリコ以下なのだから、「51番目の州」ということ自体おこがましいのである。属領以下の存在の住民が「州扱いされていいのか!」と怒るのは、漫画としかいいようがないのだ。ナイーブな知識人や言論人は、何も考えていないことを自ら証明している。

もし、アメリカに51番目以降の州があるとすれば、その筆頭候補は、イスラエルやイギリスUKであろう。事実、イスラエノレにはアメリカ政府の外交政策を動かす隠然たるバワーがある。また、ブレア政権下のイギリスは、イラク戦争で英国軍がアメリカ軍の下請けに成り下がり、サッチャー改革以降に主要金融企業をほとんど米独の金融資本に買われてしまったとはいえ、まだワシントンでの発言権は維持している。

さらに、51番目以降の州候補には、カナダやオーストラリアなどの旧英連邦諸国や、完全なアメリカの勢力圏である中南米諸国のほか、旧植民地のフィリビンなどもある。だから、どう考えても、日本は80番目以降の候補なのである。つまり、日本は国家破産しても、アメリカが救ってくれることはありえない。円が消滅し、ドルに組み込まれようと、それは日本が自滅したにすぎない。

いまのままでいけば、やがて日本企業のほとんどが、アメリカ中心の多国籍企業の傘下に入ってしまい、決済はすべてドルで行われることになるだろう。こうして、いったん、アメリカの「下請け国家」となった国を、アメリカが何を好き好んで「州]に昇格させることがありうるだろうか?

産業資本より金融資本のほうが強い

日本で欧米型の資本主義ができないのは、金融が根本的に欧米とは異質だからである。それなのに、これを続けていくと、どうやっても欧米型の資本主義に負けてしまうことになる。これをもっと端的に言うと、金融力がないと、いくら産業が強くても、国家は必ず乗っ取られる。つまり、金融力のある国の「下請け国家」にならざるをえないということである。

これは、もう1世紀も前に、欧米では常識になっていた。「産業資本より金融資本のほうが強い」と、最初に見抜いたのは、ドイツの経済学者ルドルフ・ヒ〃ファーディングであり、彼の古典的名著『金融資本論』を読めば、当時の状況がよくわかるはずである。だから、レーニン(1870〜1924)はこうした資本主義の欠点を乗り越えようと『帝国主義論』を書いて、マノレクス主義経済を説いた。

「産業資本より金融資本のほうが強い」ということを平たく言うと、金があれば会杜の株を買える。株を握れば、その会杜を支配できる。つまり、金さえあればどんな優れた製品をつくる会杜でも乗っ取れる。だから、いくら製造業で頑張っても、最後に金融資本に買われてしまえば、製造業がつくり出した資本はすべて金融資本のものになってしまう。

実業に必要な資金を供給するのは、虚業である金融業である。トヨタのように自分で銀行ができるくらいに自已資本が充実していれば別だが、これはむしろ例外である。もうおわかりと思うが、日本は金融資本を欧米型にせず、土地をぺ一スにした資本を産業に投下することで発展してきた(土地本位制)。

そして、いいものを安くつくることで成功し、資本を蓄えた。しかし、その蓄えは、結局は欧米の金融資本に取られ、最後には全産業が「下請け」にされてしまうのだ。これを経済学では、「金融寡頭支配」というわけだ。これがいまでも行われていることを、読者は認識してほしい。長銀が破綻して、リップルウッドというアメリカの金融資本(投資グループ)に買われ、新生銀行になったのも、宮崎のシーガイアが買われたのも、みな同じ図式である。そして、この流れは、冷戦.が終わって、グローバリゼーションが始まってからはいっそう激しくなった。

もともと、欧米文明がつくりあげた資本主義というものは、金融を中心としたものである。これを「パーリア・キャピタリズム」と言うが・悪く言えば金貸し業がその基本である。ただ、金融がすべての資本を呑み込んでしまうと、製造業はなくなってしまう。だから、限度はある。つまりは、支配者から見れば、生かさず殺さずがベストで、いまの日本はアメリカ帝国によって、そういう状態に置かれている、と考えればわかりやすい。しかし、日本人はなぜかこのことがわからず、ついにここまで来てしまったのだ。

アメリカのメッセージがわからない日本人

日本人が、こういう経済の伝統的知恵を知らなかったことは、ドル・ショックで慌てふためいたことで、よくわかる。このことを筆者は最近、当時の日本銀行外国局(現国際局)総務課調査係で米国担当だった黒沢清一氏が書かれた(部外秘と言われる)レポート「霞ヶ関が震憾した12日間」(『日銀政策展望』1995年5月)で知った。

ドル・ショックというのは、要するに日本に対して大幅に円を切り上げろという要求(命令)だった。しかし、日本政府は、このアメリカからのメッセージの意味がまったくわかっていなかった。だから、ドル・ショックの翌日からヨーロッパ諸国は外為市場を全部閉鎖したのに、日本だけが、その後11日間も開け続けた。

ドルを切り下げるなら、日本企業は手持ちのドルを早急に円に換えねばと、それだけしか考えなかった。日銀も大蔵省も、日本の業者のために市場を開け続けた。そして、そこを投機筋に狙われてしまつたのである。日銀のディーリングノレームはたった数人のディーラーで、8月16,17日の両日で合計13億3300万ドルのドルを買った。日本の通貨当局はお.目出度いことに、世界に冠たる日本の為替管理で海外の投機筋と張り合えると考えたのである。

これに慌てたのが、アメリカである。ドル・ショックから6日後の8月21日、ケンドール大統領特使を日本に送ってきた。よく言えば忠告、悪く言えば日本を恫喝するために、彼はやってきた。そして、「お前たちは何もわかっていない。アメリカが望んでいるのは、速やかな円の切り上げか、変動相場制の採用である」と、はっきり告げた。「これを受け入れられないなら沖縄返還もない」とまで言ったのだ。ともかく、これでやっと日本は8月28日から変動相場制に移行したのである。

ケンドール特使が来るまでは、大蔵省も日銀も1ドル360円の固定相場を堅持していく方針に揺るぎがなかったというのだから、驚く。このとき、フランスは必死になって、稼いだ外貨を「金」に替えていった。しかし、日本は「金」を買うことすら思いつかなかった。つまり、このときから日本は、アメリカ国債だけを買うという間抜けな金融政策を本格的に始めてしまったのである。

以来、アメリカの赤字が日本の円でファイナンスされるという仕組みは、まったく変わっていない。もともと帝国というのは、従属させている属国群からわ金を巻き上げるというシステムで運営されている。これを「帝国循環」と呼ぶが、この仕組みに日本がいちばん、どっぷりとはまったというわけである。その後の日米関係は、いつもこれの繰り返しである。プラザ合意も、1990年代の日米構造協議も、金融ビッグバンも、すべて「帝国循環」をどうするかという問題だった。.

日本の土地の値段で世界が買えてしまう

日本がアメリカにいいように弄ばれた歴史をいくら書いても虚しいだけだから、ここでは、あのバブルの話を少しだけ書く。バブルの引き金になったプラザ合意は、1985年の9月22日、主要5力国(G5)の蔵相と中央銀行総裁が集まり、ニューヨークのプラザホテルで開催された会議で決められた。決まったのは、日本の円の大幅な切り上げだ。

当時は冷戦時代であり、アメリカはソ連を倒すことを最優先にしていた。しかし、そのために戦費が嵩み、経済も悪化。ドルも信認を失いつつあった。それで、日本になんとか泣いてくれ、円を切り上げてお金を回してくれというのが、プラザ合意であった。これで、日本は円高不況回避のために、金融緩和策に走った。日銀や大蔵省はお金を市中にばらまいた。そして、そのお金が土地に向かい、地価と株が高騰した。これが、バブルである。

ここで思い出してほしいのが、当時のわが日本の姿である。資本主義の根幹は、市場での取引が公正かどうかにかかっている。そして、取引のぺ一スとなる信用が何に基づいているかが重要なのである。日本経済を振り返ってみると、この信用は、戦後は一貫して「土.地」であった。

日本の高度成長は、地価の高騰によって支えられ、地価がつくり出した信用創造に基づいて金融が動き、そして経済がまわってきたのである、しかし、これは本来の資本主義からいったらインチキである。このことを朝日新聞の笠信太郎氏は1960年代から「花見酒の経済」と言って警告していたが、日本はそのシステムを変えずに突っ走ったので、プラザ合意による金融緩和が始まると、バブノレが起こつてしまったのである。

1985年、日本はついに世界最大の債権国となり、まぎれもない「経済大国」になったが、その根底には欧米型の資本主義はなかった。バブル真っ盛りの頃、日本の土地の総価格は、全世界の土地の総価格のなんと約60%を占めた。日本の国土は、全世界のわずか0.3%しかないのだから、誰が考えてもこれは異常だ。

東京23区内の土地代だけでアメリカ全土が買えてしまう計算になる。しかも、日本企業の株価は、この土地の値段を根拠の1つとして算出されていたから、日本企業の株価(時価総額)だけで、世界の約40%に達してしまったのである。そんな馬鹿な話があるわけがないと、このとき気がつけば救いもあった。しかし、みんな、株と土地に走った。

バブルによって出現した一大経済帝国。これを世界が黙って見過ごすことはありえない。もし、日本型資本主義が世界に輸出されれば日本が世界中の土地を買い占めてしまうことになる。事実、日本マネーはハワイに始まり、アメリカ本土、果てはオーストラリアからヨーロッパまで進出して、土地や物件を買い漁つた。

では、いったいなぜ、こんなことになったのか?それは、日本の地価への課税システムがインチキだったからである。日本の固定資産税は、なぜか地価の実勢価格ではなく、公示価格という官制価格に基づいていた。これによって固定資産税を徴収すると、いくら土地が値上がりしても税金は低くてすむので、含み資産という大量の金余りが発生し、その金がまた土地に向かうことになる。

1988年、わが日本国の土地資産額は1842兆円に達し、これは当時のGDPの約5倍であった。当時、「土地長者」という言葉があったのもうなずけるだろう。毎年発表される「長者番付」の上位は、すべてこの土地長者が占めていた。しかし、これでは、土地をただ持っているだけで金持ちになれてしまう。

そして、持たない者との格差は広がるばかりとなる。いま「勝ち組」と「負け組」と'いう言葉が大流行しているが、当時の「勝ち組」はまさに土地長者であった。そこで問いたいのが、こうした「勝ち組」を輩出することが、近代資本主義システムなのかということである。日本の資本主義が西欧型資本主義でないなら、なわさら、このシステムはインチキである。

日本は本来、そういう社会ではない労働によって得た所得で自助努力し、それを元にして市場経済のなかで「勝ち組」を目指す。それが本来の日本人であったはずだ。そのチャンスが誰にでもあるのが、本来の杜会の姿であろう。つまり、日本の資本主義は、どう考えても正道からはずれてしまったのだ。

日本の力が余りに大きくなってしまい、冷戦後アメリカはこれを叩きつぶしにきた。しかし、日本は自分のシステムに致命的欠点があるのを自覚できなかった.「失われた10年」というのはこのことであり、いまも改革ができていないから、日本は今から来るミニバブルの後、さらに深く沈みそうなのだ。

バブル当時の地価に比べたら、いまの地価は数分の1、いや10分の1である。しかし、まだまだ下がる可能性がある。一国の地価の総額がGDP比に'していくらぐらいが適性か、基準はない。しかし、市場経済が適切に機能するのは、2倍ぐらいではないだろうか。(P170−P179)

藤井厳喜[Gemki Fujii]

国際問題アナリスト。1952年、東京都生まれ。'77年、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同年から'85年までアメリカ留学。クレアモント大学院政治学部(修士)を経て、ハーバード大学政治学部大学院助手、同大学国際問題研究所研究員。'82年以来、近未来予測の「ケンブリッジ・フォーキャスト・レポート」を発行。現在、株式会社「ケンブリッジ・フォーキャスト・グループ・オブ・ジャパン」代表取締役、拓殖大学日本文化研究所客員教授、千葉商科大学非常勤講師、モンゴル国際経済商科大学客員教授、日米保守会議理事・事務局長。訳書に『ジョージ・ブッシュ 私はアメリカを変える』(扶桑社)。著書に『劣化列島 日本』『「円」の消える日』『テロから超限戦争へ』(以上、廣済堂出版)、『石原慎太郎 総理大臣論』『ジョージ・ブッシュと日米新時代』(以上、早稲田出版)、『「世界地図」の切り取り方』(光文社ペーパーバックス)などがある。

藤井厳喜(著) 「新円切替」 (光文社)


(私のコメント)
「新円切替」という本は来るべき日本経済の破局にどのように対処するかを論じていますが、結論から言うと数億円の金融資産を持つ人でなければ、日本経済の破局に巻き込まれて手の打ちようがないらしい。数億円の金融資産があればタックスヘイブンに移住して経済の荒波をくぐり抜けられるが、数千万円程度の小金持ちは手のうちようがないらしい。

しかし数億円の金融資産が有ったとしても、タックスヘイブンに移住するには1億円ぐらいかかるし、会社を作ったりするのに1億円ぐらいかかる。そうしてめでたく移住できたとしても、外国だから日本語は通じないし、日本食だって満足に手に入らない。英語などが堪能なら近所づきあいも出来るだろうが、そのような生活が楽しいかは別ですが。

カナダやオーストラリアなどには相続税が無く資産家天国だ。だから日本の資産家は永住権を取って全財産を移してしまえば相続税対策にもなる。私も億万長者になれたらそのような生活を夢見ていたのですが、一足先にバブルの崩壊で日本の経済破綻に巻き込まれてしまった。

これからの日本は税金ばかり高くて、年金は破綻して、なんとも住みにくい日本になるようだ。そんな時には日本を見捨ててタックスヘイブンで遊んで暮らせばそれこそ天国なのでしょうが、そのような億万長者がなかなか日本を見捨てて出て行かないのが不思議だ。竹中金融大臣などは数億円もの金をタックスヘイブンに預けているだろうから、早く日本から出て行ってほしいものだ。

日本の税制では日本に住んでいなければ日本の税金を払わずに済む。大橋巨泉氏の様に数ヶ月だけ日本に滞在し、あとはカナダやオーストラリアで悠々自適の生活を送っている。プロ野球選手も一流選手はみんなアメリカへ行ってドルを稼いでいますが、高額な年俸の他に最高税率が低いのも原因の一つだろう。

このように超大金持ちは国家に拘束されること無く、税金も満足に払わずに毎日遊んで生活が出来るようになっている。このようなライフスタイルが確立されているのに、日本にいる多くの億万長者はどうして日本を見捨ててタックスヘイブンへ移住しないのだろうか。

欧米の超大金持ちもいったんは南海のタックスヘイブンへ移住しても、やはりアメリカやヨーロッパへ戻って仕事をしている。やはりタックスヘイブンは遊んで暮らすのが好きな人には天国ですが、仕事が好きな人にとっては地獄なのだろう。だから高い税金にもめげずに働いている。

特に日本の場合、日本以外に日本語が通用しないから余計に海外への移住が踏み切れない。グローバル社会でもありインターネットなどの普及により日本にいなくとも楽に交信が出来るし大都市なら日本食だって不自由しない。それでも日本にいないと出来ないことが多いから日本脱出もなかなか難しい。

藤井厳喜氏は日本の未来は絶望的で国家破産はすでに起きていて、日本政府はそれを隠しているだけだと指摘している。そうして日本が破綻したあとはハゲタカ外資が死肉を食い漁るように日本の資産を買い漁るのだろうと書いている。そうして日本をアメリカの市場の一部にして、金融業はアメリカ資本が支配して、日本には製造業しか生き残れないとしている。

たぶんハゲタカ外資の本音もそんなところだろう。小泉・竹中内閣もそんな彼らの手先らしいのですが、日本はアメリカの下請け製造業の国にするらしい。そのような国の見本としてはメキシコがある。メキシコは食料も豊かで天然資源も豊富で安い労働力も豊かだ。ところがNAFTAに加入したとたんアメリカの一部になってしまった。

メキシコは石油も豊富でこれだけは国営資本ががんばっていましたが、これなども事実上アメリカに乗っ取られた形になりアメリカの総取り戦略はまさしくハゲタカだ。日本に対しても小泉首相が民営化路線を打ち出していますが、アメリカのハゲタカ資本に総取りさせるための手段なのだ。いずれ高速道路も郵便局もみんなアメリカに売り渡すための戦略なのだ。

このようなユダヤ・アングロサクソンによる国際金融資本は国家の枠を超えてやりたい放題の事をしている。彼らの力の源泉はアメリカの強大な軍事力が背景になっている。アメリカ軍はアメリカだけを守るためではなく世界的に広がった国際金融資本を守るために活動している。そうでなければアメリカがわざわざイラクへ攻め込む理由もない。日本の自衛隊もイラクへ駆り出されるようになったのもアメリカの属国化が進んだためなのだろう。




初めて首相あいさつ代読=朝鮮総連大会に自民幹部出席
朝鮮総連の政界窓口は野中広務から森喜朗へ引き継がれた


2004年5月29日 土曜日

拉致家族連絡会など3団体、来月6日の集会中止

北朝鮮による拉致被害者の家族連絡会と支援組織「救う会」、超党派の国会議員による「拉致議連」の3団体は27日、来月6日に東京都内で予定していた拉致被害者の救出を訴える緊急集会を中止することを決めた。

 北朝鮮側が「死亡」などとしている10人についての説明の矛盾点を再確認した上で、国民に理解を呼びかける必要があると判断した。(読売新聞)
[5月27日23時20分更新]

初めて首相あいさつ代読=朝鮮総連大会に自民幹部出席

自民党は27日、都内で28日から開かれる在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の全体大会に党を代表して甘利明筆頭副幹事長が出席、小泉純一郎首相(党総裁)のあいさつを代読することを決めた。同党によれば、朝鮮総連の大会で首相のあいさつが代読されるのは初めて。
 同大会は3年に1回開かれる朝鮮総連の最高決定機関。朝鮮総連から総裁あての招待状が届いた。前回はやはり筆頭副幹事長だった甘利氏が、6年前は森喜朗総務会長(当時)が出席したが、首相あいさつの紹介はなかった。先の日朝首脳会談を受けて、拉致問題などで北朝鮮に前向きな対応を促す狙いがあるとみられる。 (時事通信)
[5月27日19時1分更新]

【朝銀破綻処理最終段階】 公的資金1兆4千億円の陰に蠢いた魑魅魍魎 野村旗守

(前略) 次の朝銀破綻が起こったのは、二年後の九九年五月のことだった。朝銀東京をはじめとする一三もの朝銀信用組合がいっせいに破綻を発表した。

 この直後に起こった出来事として、いまだ気になって仕方のない情報が二つある。

  一つは、破綻した朝銀東京の金庫のなかから、朝鮮総連のドン、許宗萬責任副議長が五〇億〜六〇億円の現金を運び出し、どこかへ持っていったというものだ。これは、朝鮮総連中央本部の元財政局副局長・韓光煕氏が朝銀東京の理事長から直接聞いている。

 もう一つは、さらにその直後の九九年七月一日、許宗萬責任副議長が自民党の野中広務森喜朗両氏(当時の内閣官房長官と自民党幹事長)と都内某所で密会していたという情報だ。これは朝鮮総連で許宗萬氏にきわめて近い中枢部から漏れてきた話である(この情報をある週刊誌の記者に伝えたところ、彼はことの真偽を確かめるため野中氏に直あたりした。野中氏は密会についてキッパリと否定した)

 破綻した朝銀東京から極秘に持ち出された巨額の現金。そしてその直後の、朝鮮総連最高実力者と「影の総理」と呼ばれた“親朝派”大物議員との密会。無論、両者の因果関係が立証されているわけではないが、これだけの舞台設定が揃えば、勘ぐるなというほうに無理がある

 この後、七月の衆院大蔵委員会で自由党(現保守党)の小池百合子議員が朝銀について質問。朝銀問題が国政の場ではじめて取り上げられた。以後、与野党の議員から朝銀への公的資金投入問題が盛んに追及されることになる。同月、自民党の外交部会小委員会でも朝銀問題が俎上にあがった。僭越ながら私もここに講師として招いてもらったわけだが、帰り際、ある代議士に後ろから肩を叩かれ「やあ、がんばってください」と激励された。思わず恐縮してペコペコと頭を下げてしまった記憶があるが、後から思うと、あれはいまほど有名でなかったころの鈴木宗男氏であった。「きっと偵察に来たのでしょう」と、後である人が耳打ちしてくれた。当時の鈴木氏が野中氏の側近中の側近であったことは、政界では知らぬ者のない事実である。

 その後、小池氏は内閣のほうに引っぱられ、自民党の朝銀問題小委員会もいつのまにか自然消滅してしまう。やはり、ここでも何者かの意思を感じないではいられなかった。

韓光煕氏の「送金疑惑」証言の衝撃
 信用組合に対する検査権限が金融監督庁(現金融庁)に委譲されたのは、二〇〇〇年四月。当然のことながら朝銀の検査も金融監督庁に委ねられることになった。

 しかし、本来なら朝鮮総連はもちろん、朝銀問題を外交問題に発展させたくないはずの日本政府も、検査の検査の緩い自治体に権限があるうちにすべての検査を終了させ、事業譲渡を完成させてしまいたいはずだ、というのが私の読みだった。事実、金融庁のほうからも「その方向で進んでいる」という内部情 報を掴んでいた。 しかし、そうならなかったのには理由がある。この直前、朝鮮総連中央本部で長らく財政局の副局長を務めた韓光煕氏がマスコミに登場し、朝銀のかかえる疑惑のなかでも最大の疑惑である北朝鮮への「送金疑惑」の実態を赤裸々に暴露してしまったからであった。

 韓光煕証言の概略は次のようなものである。

「日本から北朝鮮に送られる巨額資金の供給源は朝銀である。朝銀の裏口座に貯えられた カネは現金で引き出され、新潟港に停泊する万景峰号に積み込まれて北朝鮮に運ばれる。自分もそのようにして三〇億円以上のカネを運んだ。そのようにして北朝鮮に運ばれたカネは、自分が把握しているだけでも二〇〇億〜三〇〇億円にのぼる」(後略)

小泉の真意と森喜朗の号泣

 小泉は何を狙っているのであろうか。最近言われているように彼の指南役は森である。彼は、森喜朗の手の中で動いている。ではその森は何を考えているのであろうか。
 片岡鉄哉氏の九月十六日発行「アメリカ通信」No.57から引用しよう。
「思いますれば、日韓国交回復には五億ドルを払い、更にわが自民党はこの大部分を日本ゼネコンに対する発注によって取り返しております。ソウルの地下鉄はかくしてできたものであります。これこそ日本の誇るべき鉄道技術の粋であります。
 インフレを勘案すれば、一九六五年の五億ドルは、金丸先輩の八〇億ドル、現在の百億ドルに値するのであります。さらにこの度は特別の配慮をして、百億ドルが全部還元するように計らいましたことを指摘したいのであります。即ち、わが自民党は、日本の財政投資が、飢餓に苦しむ北朝鮮市民に届かず、軍の近代化に流用されることを避けるために、北朝鮮政府が自由裁量で契約先を決定することを避け、契約先は全部わが国の企業とすることになりました。
 こうすることで平和的目的以外の投資を避け、本邦のゼネコンが北朝鮮に『第三東名』を建築するという壮大な構想であります。これこそ、わが自民党の得意とする景気刺激策・デフレ対策の名案であります。
 資金還元が鈴木宗男代議士の真似だという非難を耳にしますが、そのような汚れた動機はわが自民党の関知せざる所であります。本スキームには北朝鮮市民に対する人道的な配慮と、ブッシュ政権の戦略的危惧に対する思いやり以外に何もありません。
 われわれは『和の政治』を尊びます。私自身も『親愛なるリーダー』金正日同志の面子を立てることに苦心しました。それだからこそ拉致された同胞の釈放にあたっては、さりげなく第三国にて釈放為されるよう私も助言したのであります。『人命は地球より重し』。これこそが福田赳夫先輩以来、わが森派の金科玉条とするところであります。
 皆様、わが日本は神の国であります。八紘一宇であります。『東洋平和のためならば』百億ドルは夷荻北鮮に捨てるはした金であります。『進軍ラッパ聞く度に瞼に浮かぶ』影は神州であり、父なる自民党であります。臣喜朗の赤心は天に通じ、落涙は珠となって地に砕け、同胞の皆様の号泣を誘うものと願っております。ご静聴ありがとうございました」。
 森の日本の経済援助の謎解きは、実に大胆率直なものがある。ここに、北朝鮮利権を、橋本派の野中広務からもぎ取った森派のドン・浪花節の森がいるのだ。
   (ワーカーズ 猪)


(私のコメント)
来月の6日の拉致被害者を救出をする集会が急遽中止されました。拉致被害者家族を非難するメールや電話が救う会の事務所に殺到したのが影響したようだ。それとは逆に朝鮮総連の大会には小泉首相のあいさつ文が送られて甘利副幹事長が出席して代読をするという異例の状況になっている。

小泉首相は就任当初は自分の出身派閥である森派の森会長には距離を保つスタンスでしたが、最近の対北朝鮮外交を見ると急速に森会長に近づいているように見える。元に戻ったとも言えますが、これに対しては自民党内でも異論が噴出して、自民党の対北朝鮮外交は二つに割れている。

今までの小泉外交はアメリカべったり外交で、悪の枢軸の一つである北朝鮮と国交回復への交渉など考えられない事なのですが、小泉外交が180度の方向転換をしたのはなぜなのか。小泉首相自身がブッシュ政権を見限った動きを見せ始めたのかですが、小泉首相のひらめき外交はよくわからない。

アメリカばかりに頼っていては危ないと見て、党内基盤のことを考えて森会長の北朝鮮利権に接近しようとしたのだろう。つまり小泉首相はブッシュは落選すると見て独自外交に踏み切り始めたのだ。しかし北朝鮮利権は金丸信や武村正義た野中広務の末路を見ても、手を出した政治家は哀れな末路をたどっている。例の法則が政局にも働いているのだろうか。

森派の森会長も北朝鮮利権を野中広務から奪い取ったのだから、ここいらで大きな話を纏めたいと思うのは当然だ。北朝鮮と話をつけるには朝鮮総連とも親密な関係を築かねばならず、朝鮮総連の大会に小泉首相の挨拶をおくる等のあの手この手を打っている。

しかし朝鮮総連という団体は一種の経済ヤクザのような団体であり、パチンコ業者などへの金融や税金などの相談にのる反面、裏金を朝銀などを通じて北朝鮮に送る取りまとめの役割を担っている。つまり北朝鮮は日本国内に国家内国家を作って日本の政治家にいろいろ圧力をかけている。

朝銀をめぐる不明朗な破たん処理も野中広務などが一声で公的資金による一兆円もの不良債権処理がおこなわれた。その中の多くが北朝鮮へ送金されて戻ってこない融資に対して、日本の税金が使われたのだ。このような不明朗なスキャンダルは国民には知らされず闇へ葬られる。

ちょうど日本を巡る国際情勢は幕末から明治維新の頃によく似ている。薩長も幕府も攘夷攘夷と言いながら、薩長は米英から援助を受けていたし、幕府はフランスやロシアから援助を受けていた。このように外国勢力の手を借りて権力を得るのはたやすい。しかし反政府勢力も外国の援助をもらって反撃すれば日本は二つに分断される。

現代の日本も米英の勢力の手先となって権力を握ろうとするグループと、中国や北朝鮮の手先になって権力を握ろうとする勢力で二分されている。外国勢力と手を組めば権力は容易く手に入るかもしれない。しかしそれでは日本は米中の二つの勢力に分断されてしまう。だから私はアメリカ魔の手を切り、中国・北朝鮮の魔の手を叩き切っている。これは幕末の攘夷思想の現代版だ。

ところが現代は親米ポチ保守と親中反米左派の二つに色分けされている。小泉総理が親米ポチ保守なら森前総理が親北朝鮮と複雑に二つの勢力が入り組んでいる。言論界も保守と左派に分かれていますが、民族主義的攘夷派と言うスタンスで活動している政治家や言論人は少ない。結局、外国の勢力の手を借りて権力を握るほうが楽だからそうなるのですが、現代に西郷隆盛や勝海舟はいないのだろうか。




明治天皇も大正天皇も正妻の子ではない
明治・大正天皇には正妻のほかに側室がいた


2004年5月28日 金曜日

ミカドと女官 菊のカーテンの向こう側 小田部雄次

皇室典範の第1条に、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と、うたわれているので、天皇の血族の男性しか天皇になれない。天皇制は前近代のものだから、現代社会にはなじまない。近代社会に天皇家を生き延びさせるために、1夫1婦制を取り入れて、側室制度を廃止した。しかし、そのツケは大きく残っている。昭和天皇だった裕仁が側室制度を廃止したことは、もっと注目されて良い。

 裕仁の戦争責任が、あるとかないとか云々される。もちろん彼に責任があったのは当然で、軍部に踊らされたというのは、天皇家を存続させるための責任逃れである。彼は日本国の裕仁ではなく、天皇家の裕仁だったから、太平洋戦争に負けたときの最大の関心事は、わが国の存立ではなく、天皇家の存続だったろう。

 何もできない天皇を装っているが、裕仁は皇室制度をさかんにいじっている。女官についても、周囲の反対を押し切って、制度改革を行っている。女官とは、天皇家の女中さんではない。天皇のセックスの相手のことである。

 明治天皇や大正天皇には、多くのセックス相手がいた。建前上は、ある位以上の女官しか、セックスに誘ってはいけなかったが、女性の色香に迷うには男の常である。しかも、子供を産ませることが奨励されていれば、天皇たちは気軽に女性に手をだした。明治天皇も大正天皇も、正妻の子供ではない。

明治天皇と一条美子の結婚には法的規定はなく、美子が入内して「女御宣下」(天皇の寝所に侍する高位の女官であるという内輪の命令)があったのみであった。今日「古式ゆかしい」と伝えられる賢所大前での神前結婚の定式は嘉仁親王(=大正天皇)と節子の結婚以後に定まったものである。
 皇室婚嫁令のみならず、近代天皇制を支えた法令の多くは明治以後に制定されたものである。P69


 明治以降、天皇制を確立するために、さまざまな手段が講じられた。とりわけ皇位の継承には、細心の注意がはらわれた。それが側室制度で、天皇たちは多くの女性とセックスをし、多くの子供を出産させた。しかし、その多くは小さいときに死んでしまい、なかなか育たなかった。

 ちなみに、昭和天皇の裕仁は、正妻・節子の子供であるが、節子は16歳で裕仁を出産している。つまり、大正天皇は15歳の節子とセックスをした。15歳とは、今日の中学3年生である。中学生のセックスを、世の親たちは奨励するだろうか。天皇にとってはセックスが可能なら、相手の年齢など、どうでもよかった。

 天皇と肉体関係をもったことにより、女官の発言力が高まり、隠然とした権力を手にすることもあった。また、天皇の生母であれば、発言力もました。大正天皇の母親である柳原愛子は、大きな影響力を持ったらしいし、「魔女」といわれた今城誼子は、裕仁の妻=良子をつうじて、さまざまに影響力を行使したという。
 女官は、おおくが華族の娘から選ばれたが、例外もいた。

 華族出身ではない女官で異色なのは、岸田俊子と下田歌子であろう。俊子と歌子は近代の女官のなかでも特異な存在であったが、俊子と歌子の女官辞任後の生き方はまったく対照的であった。P78

 大正天皇の正妻だった節子は、裕仁、雍仁(秩父宮)、宣仁(高松宮)、祟仁(三笠宮)をつぎつぎと出産した。多くは成人まで育たないのであるが、4人とも無事に成人した。大正天皇は、病弱だったことも手伝って、節子以外の女性とのあいだには、子供を残さなかった。そうした事実を受けて、昭和天皇である裕仁は、側室制度を廃止した。

 女官がセックスの相手をしなければ、彼女たちは住み込みの必要がない。裕仁は1夫1婦制をとると同時に、宮内大臣だった牧野伸顕の反対にもかかわらず、女官を住み込みから通勤制に変えた。つぎつぎと宮中の改革を進めた裕仁が、国政にだけ無関心だったとは思えない。おそらく軍部の動向も、きちんと掌握していたに違いない。それは2.26事件の時の、彼の発言を見てもわかる。

 天皇のセックス相手以外にも、女官は必要だった。それは乳人とよばれる女性、つまり人工栄養のなかった時代、授乳をする女性である。

 当時(=昭和初期)、軍部や右翼が政治的に台頭し、牧野や一木ら天皇機関説派とよばれる宮中側近を攻撃する動きが強まっていた。なかでも、平沼騏一郎枢密院副議長は宮中側近の地位を狙っていたが、その右翼的な傾向が元老西園寺らに忌避されており、平沼は現職の宮中側近を攻撃することでその野望を遂げようとしていた。こうした政治的策謀の渦に乳人選定が巻き込まれたといえる。P184

 選挙以外で選ばれた者を、政治権力の座につけることは、決して良いことはない。どんなに名君であろうとも、身分制の害悪からは逃れられない。血統にもとづく天皇制は、悪い制度である。またそこに使える女官たちにも、彼女たちの人生に悪い影響しか残さない。天皇制は、近代的な制度にはなりえない。たとえ男の子が産まれても、時代遅れの天皇制は呻吟を続けるであろう。(2002.12.13)

122代 明治天皇

在位期間 1867年 1月 9日 〜 1912年 7月30日

 孝明天皇┌─明治天皇┌─大正天皇
  ‖──┘  ‖──┘  ‖───昭和天皇
 中山慶子  柳原愛子  九条節子
 孝明天皇の第二皇子。万延元年(1860)親王宣下。慶応二年(1866)十二月父帝の死去により、翌年一月践祚して皇位を継承。徳川慶喜の大政奉還により、同年十二月王政復古による新政府を樹立。慶応四年(1868)三月、五箇条の御誓文を発し、新政府の大方針を示した。同年九月、明治と改元、一世一元の制を定めた。翌十月、京都から東京に移って江戸城(のちに宮城)に入った。明治二十二年(1889)欽定憲法として発布された大日本帝国憲法により、日本最初の立憲君主となった。

御名・異称 睦仁 むつひと

略年譜 誕生・嘉永5年(1852)9月22日
即位・明治元年(1868)8月27日
崩御・明治45年(1912)7月30日(61歳)

配偶者 皇后・一条美子
葉室光子、橋本夏子、柳原愛子、千種任子、園祥子

御 父 孝明天皇

御 母 中山慶子

皇子女 稚瑞照彦尊、稚高依姫尊、薫子内親王、敬仁親王、嘉仁親王(大正天皇)、韶子内親王、章子内親王、静子内親王、猷仁親王、昌子内親王、房子内親王、允子内親王、輝仁親王、聡子内親王、多喜子内親王

皇 居 宮城 きゅうじょう……東京都千代田区

陵 墓 伏見桃山陵 ふしみのももやまのみささぎ……京都府京都市伏見区桃山町古城山

<宮内庁長官>皇太子ご夫妻の公務見直しを検討

皇太子さまが10日の記者会見で、皇太子妃雅子さまの心身疲労の背景について「人格やキャリアを否定するような動きがあった」などと発言したことに関連し、宮内庁の湯浅利夫長官は27日の定例会見で、今後の皇太子ご夫妻の公務について「希望の実現のため努力する」と述べ、見直しを検討することを明らかにした。

 また、今月中旬、湯浅長官と藤森昭一氏、鎌倉節氏の歴代長官が集まった席で、天皇、皇后両陛下から「力になってほしい」と要望されたことを明かした。財界人らから任命している宮内庁参与が皇太子ご夫妻と話し合う機会を提案する考えも示した。

 湯浅長官は発言の真意を聞くため皇太子さまに面会を申し出ているが、「本日までに招かれていない」と述べた。今後の面会は未定という。【竹中拓実】(毎日新聞)
[5月27日20時56分更新]


(私のコメント)
皇太子殿下の「雅子妃への人格を否定した行為」発言以来、皇室問題を考えているのですが、学校における歴史教育でも、テレビなどのマスメディアも明治天皇や大正天皇が側室つまり妾さんの子供であることは教えない。私もネットを検索していて始めて知った。また歴代の天皇には多くの側室がいるのが本当の話で、大正天皇が裕仁を生んだのも15歳の時であり、中学生が女官に手を出して子供を生ませたなどとは、学校の先生やワイドショーのキャスターなどは口が裂けてもいえないだろう。

昭和天皇はこのような前近代的制度を改めましたが、その改革のつけが今の皇太子に影響が及んでいる。たとえ雅子様が男子をご出産されてもこの問題が解決されたわけではありません。ニュースなどでは女帝を認める動きが大勢ですが、これも大きな問題をもたらします。まず女帝だと一人の女性が産める子供には限りがあり、一人も産めなかったりするとお家騒動が起きる。また女帝に何人も男の側室を持たせるのも、父親が誰かで問題が起きる。安易な女帝論に次のような問題を指摘する人もいる。

女帝論に見る政治家の無知 (現在はリンク切れになっている)

国民待望の新宮さまが誕生された。「敬宮愛子」内親王殿下――ご退院の日、テレビで初めてお顔を拝見した時は感激の余り涙がこみ上げた。巷には、天皇・皇后両陛下が伊勢神宮ご参拝を終えられ、ご帰京直後にお生まれになられた内親王様ということから、ご誕生を平成の「天の岩戸開き」に譬える人もいる。そんな話が不自然とは思えないほど、内親王様ご誕生に対する国民の喜びは深いということだろう。いずれにしても、筆者もまたかかる国民の一人として心からお祝い申し上げたい。

ところで、こうしたご慶事に関わる話題としては必ずしも適切ではないのだが、直後にマスコミを賑わせた「女帝論議」についてここでは書いてみたい。これがわがマスコミそして政治家の性癖でもあるのだろうが、まさに図ったかのごとく、一斉に「女帝あってしかるべし」の大合唱となったからだ。いちいち名前は書かないが、やれ男女平等だの、男女共同参画だの、あるいは外国はどうだ……だの、いかにも安直な理由を臆面もなく掲げ、彼らは皇室典範の改正をこもごも訴えた。中でも念が入っていたのが、小沢一郎自由党党首の「男系に限ったのは明治以降の話で、女性の皇位継承は一向に差し支えないと思う」との発言である。テレビを見ていて、思わずアホかといいたくなった。どこかでの聞きかじりだろうが、こんな知ったかぶりをされると、何も知らない政治家は黙っていろ、とさえいいたくなる。

まず何といっても失礼な話である。やっと第一子がお生まれになられたばかりなのだ。当然国民としては続けて第二子、第三子のご誕生をお祈り申し上げている所であろう。それをこれでもう将来は決まったとばかりに「女帝論」というのは、誠に非礼な話という他ない。軽い気持ちでの発言なのだろうが、ことの性質上黙って見過ごせる話でもない。

次に男女平等云々である。それなら人間も平等なのだから、皇室特別視は止めにしよう、といわれたらこの政治家たちはどう反論するのだろうか。そもそも天皇制度があるということは、男女平等だの人間平等だのということとは次元が違う話であろう。そこに安易にこんな話をもってくると、それでは天皇の職業選択も自由に、信仰も自由に、結婚も自由に――という話にさえなってくる。時の流れがそうだというなら、そういう話になる筈なのだ。むろん、問題はそんな次元ではなく、伝統的な天皇制度の本質はそもそもどこにあるかという話であろう。女帝云々はあくまでもそうした本来の論理の中で考えられるべき問題なのだ。

そこで小沢党首の発言である。たしかに明治以前には十代八方の女性天皇が存在した。しかし、それは今ここで論じられている女帝とは質が違う話なのである。それは簡単にいえば、天皇が崩御されたが本来の皇位継承者は未だ幼少であり、それが成長されるまでの「中継ぎ」として未亡人たる皇太后が即位されたといったケースである。今でいえば「摂政」ともいうべきお立場であろうが、当然そこには男系の皇位継承予定者がおり、いずれ男系に戻ることが予定されていた。その間のいわば「つなぎ」がこの女帝だったのだ。

ところが、今論じられている女帝は違う。男系の皇位継承者が存在しなくなったケースでの話なのである。かかるケースでの女帝などというのは、これまでいない。そうしたかつてないケースをどう考えるかという話なのだ。その女帝のあとは、当然そのお子様が継承されることになろうが、その時皇統は「女系」に移る。しかしわが国の歴史では、これまで女帝はいても「女系」は存在しなかったのだ。だとすれば、問題は慎重の上にも慎重な検討が必要とされるだろう。

むろん、どんなことがあっても皇統は維持されなければならない。その意味では、いずれ皇室典範を見直すということも可能性としては否定できない。しかし、それにしてもそれは大衆的に論じられるべき題材ではない。責任者が粛々と検討を進めればよい話なのだ。無責任な政治家の議論などましてや論外である。

かつて木戸孝允や大久保利通といった政治家は、新たな天皇制度の確立に向けて命がけの努力をした。また旧皇室典範の制定は、これ以上ないというほどの真剣な研究討議の上に行われた。そうした人々の努力に対して、今の政治家は余りにも無知無関心なのではなかろうか。もっと真剣に、もっと威儀を正して、この種の問題は考えるべきだ。


(私のコメント)
私は天皇制反対論者ではありませんが、多くの問題を抱えているにもかかわらず、具体的な改革論は起きていない。現行憲法からすれば男女同権を謳っているのだから、女帝も認めるのは自然な感じですが、天皇制自体は憲法で定められたものであり、天皇家自身は憲法が定める人権の範囲から出ている部分があります。つまり職業選択の自由や信仰の自由なども認められていない。ならば婚姻制度も正妻のほかに側室制度を設けるなどの措置があってもいいかもしれない。

しかしこれでは日本国民のモデルとしての皇室は問題を起こしてしまう。天皇家が正妻のほかに妾を何人も持っているのだから私だっていいではないかという不心得者が出てくることは必定である。戦前では大きな問題にはなりませんでしたが、戦後の現行憲法下では大きな問題になる。これもGHQによる陰謀なのだろうか。




原油取引、ドル建てから通貨バスケット制に移行すべき
アメリカの石油輸入代金を日本と中国が代払いしている


2004年5月27日 木曜日

原油取引、ドル建てから通貨バスケット制に移行すべき=欧州委副委員長

[ブリュッセル 26日 ロイター] 欧州委員会のデパラシオ副委員長(運輸・エネルギー担当)は26日、世界の原油取引を、現在のようなドル建てのみではなく、ユーロを含む通貨バスケット制に移行させるべきだ、との考えを示した。
 同副委員長は、「原油価格を価値に関連させる必要があるなら、主要原油消費国が絡んだ通貨バスケットに結びつけるべきだ。これにより、原油価格の影響の実態が明らかになる」と述べた。
 同副委員長のスポークスマンは、現在全てドル建てで行われている原油取引を通貨バスケット制にすることは、世界の原油市場の安定化につながる、との見方を示した。(ロイター)
[5月26日20時59分更新]

サウジ増産すれば、原油・ガソリン価格は夏にも低下=EIA

[ワシントン 26日 ロイター] 米エネルギー情報局(EIA)は26日、サウジアラビアが増産を実施すれば、原油・ガソリン価格は今夏にも低下するとの見通しを示した。
 EIAは週間リポートで、「サウジアラビアが、特に軽質原油の供給増を最大限にし、潜在的な需要家が過度なリスクを負わずに購入にコミットできるようにすれば、同国の(増産方針の)発表が価格低下に貢献すると考えている」と表明。「したがってEIAの分析では、サウジアラビアからの原油供給が昨春のイラク戦争開始時と同じような水準になれば、原油とガソリンの価格が今夏にも低下することが示されている」とした。(ロイター)
[5月27日7時39分更新]

ドル帝国の防衛ーもう一つの戦争 田村秀男

事実関係を調べてみよう。サダム・フセインが実際に「ドルの帝国」をつぶそうと企図したかどうかは知る由もないが、確かに彼は国連の管理下に置かれていた石油輸出代金収入による人道物資基金をユーロ建てに置き換えた。しかも、このイラク石油輸出を担っていたのはフランスとロシアの石油会社である。両国ともイラク攻撃に反対したし、フランスはドイツと並ぶユーロの担い手である。イラクを占領したあとブッシュ政権は、イラク石油輸出を早速ドル建てに戻すように決めた。

 ブッシュ政権の思惑通り、アメリカの怒りを恐れて中東や中南米の産油国はドル建てに踏みとどまるだろうかーー。

 ドルの異変は実は、サダム・フセインというよりもニューヨーク貿易センタービル崩壊の直後に本格的に始まった。ブッシュ政権は2001.9.11後、ふた月足らずで「愛国者法」を成立させた。同法では在米金融機関に対し、資金取引の詳細を当局に報告するように義務付けた。テロリストから資金を取り上げるためだが、衝撃を受けたのはアルカイダばかりではない。

ロンドンの国際金融アナリスト、アーノルド・シムキン氏によれば、中東や華僑・中国のドル資産保有者や法人がドル離れを起こした。その多くがユーロ建て資産に転換した。欧州も心得たもので、欧州中央銀行はドル金利よりもユーロ金利を高めに設定し、資本流入を促し、ユーロ相場は堅調である。同盟国日本政府が米国債を買い支え、元切り上げ圧力をかわすために中国もドル資産買いに努めている。日中の支持がなければドル不安に陥り、グリーンスパンFRB(連邦準備理事会)議長も金融緩和に踏み切れず、アメリカ景気の低迷につながるはずである。

 総合すると、9.11以降、ユーロは基軸通貨としてのドルを脅かし始め、ブッシュ政権はサダム・フセインのユーロ建て取り引きを放置できなくなった。フセインにそれを許した国連にも不信感を強めた。ブッシュ政権は国連や仏独の反対を無視し、大量破壊兵器保有を理由にフセインを退治した。半面で、アメリカの経常収支と財政の双子の赤字は膨張し続けており、ドルのファンダメンタルズ(基礎的条件)は極めて弱い。日中のドル買いにもいずれ限界は出よう。

 ブッシュ政権はフセインの二人の息子の遺体写真を公開した。文字通り見せしめの刑である。サウジアラビアなどの産油国にはどれだけの効果があるだろうか。

 中東などの富豪はもちろんアメリカの当局に監視されるドル資産は持ちたくない。ドル資産に監視・差し押さえと相場下落のリスクがあるなら、石油輸出をユーロ建てにするほうが合理的である。サウジ内部ではユーロ建て輸出の声が根強いのは当然だ。「読者の声」に投稿していただいた田中保春氏によれば、大規模な新天然ガス開発で、サウジはエクソンモービルとの交渉をやめ、欧州のシェル・トタールグループと最近、電撃調印した。

 対イラク戦争は、その背景をドル・石油の面からも説明できるほど奥行きは深く複雑である。「ドル帝国防衛」の観点に立つと、ブッシュ政権の戦争はまだ終わっていないどころか、これからが正念場を迎える。

 イラク復興支援問題で自衛隊を戦闘地域、非戦闘地域のいずれに派遣するかの次元だけで論争するのは滑稽である。

(私のコメント)
アメリカのガソリン価格が1ガロン2ドルを超えてしまいました。短期間に二倍に値上がりしてしまったのですから消費にしわ寄せが来るだろう。今まで満タンにしたら5000円で済んでいたものが10000円になったら5000円分の消費が確実に消えるからだ。ガソリンの値上がりが短期間の投機的なものならすぐに値下がりして問題はないのでしょうが、そうなるでしょうか。

アメリカによるイラク戦争の勝敗はドルによる世界の基軸通貨体制が守れるかどうかにかかっているのだろう。ところが欧州委副委員長が原油取引をドル建てから通貨バスケット制度に移行させるべきとのニュースが流れている。この事からもアメリカのイラク戦争が上手くいっていない状況がうかがえます。

もしアメリカがイラクから撤退すればドルの基軸通貨体制は崩れてゆくだろう。ロシア中国はもとより中東の産油国もドルからユーロへの移行に拍車がかかるからだ。ここで一番注目されるのはサウジアラビアの動向ですが、石油の増産というアメリカの要求に従うだろうか。911テロ以来アメリカのサウジに対する目は厳しくなっている。

サウジもアルカイダによると思われるテロが頻発しており、サウジも以前のようなアメリカより一辺倒の政策は行いにくくなっています。アメリカのネオコンの計画ではサウジアラビアも民主化して大中東圏構想を描いていましたが、これはサウジの王室にとっては歓迎されない構想だ。アメリカにとってはサウジは王政国家であったほうが都合がいいと思うのですが、ネオコンの意図はよくわかりません。

アメリカもイラク統治の失敗を認めて国連の関与を強める方向ですが、国連などでもフランスや中国などの異論や反論でまとまりそうもない。その裏で見えるのはドルとユーロのせめぎあいだ。産油国側としてはアメリカの軍事力を横目で見ながらイラク戦争を見守っていますが、アメリカの軍事力の限界を見極めたらドルを見限ってユーロへ軸足を移すだろう。

アメリカにおける石油事情も国内産原油の産出量は1940年頃のレベルに落ちている。その不足分は輸入原油に頼っているわけですが、アメリカの巨額の貿易赤字は何も日本や中国からの輸入超過のみならず石油の輸入代金の増加が大きな割合を占めている。つまりアメリカの石油輸入代金を日本と中国が立て替えてやっているわけだ。

米英からのニュースソースばかり見ていると米英に都合のいいニュースが流され、米英に都合の悪いニュースは小さくしか扱われない。これもイラク戦争が思わしくないからでどうしても大本営発表的なニュースが増えてくる。アメリカのブッシュ大統領も神経症(ノイローゼ)にかかって自転車で転んだり、「アブグレイブ」の発音が出来ないなどの神経症的症状が出て来てしまった。

日本のテレビはこのようなニュースは流しても、ブッシュ大統領が神経症にかかったなどという分析は放送しない。しかし自転車で転んだりろれつが回らなくなる症状は明らかにノイローゼなのだ。




拉致被害者家族会に非難のメールを送った奴らは
朝鮮総連の活動家か小泉首相のような冷血漢だ


2004年5月26日 水曜日

<拉致被害者>「救う会」に批判の声 会見での発言受け

 拉致被害者家族会の支援団体・救う会に対して、「5人の子供を連れて帰った首相への感謝がない」などと、批判のメールや電話が相次いでいる。事務所のない家族会への批判が救う会に集中した形で、事務局によると、24日までに数百本に上っているという。

 メールは、家族会が22日夜、小泉純一郎首相と面会した模様がテレビで放送されてから届き始めた。「5人が帰国したことへの祝福の発言がない」「自分のことしか考えていない」などの内容で、4分の3以上が家族会への批判だった。抗議の電話もひっきりなしにかかり、1日で100本を超えたという。

 家族会メンバーらは訪朝について「最悪の結果だ」「問題の先送りだ」などと、記者会見や首相との面会の際に訴えていた。救う会の平田隆太郎事務局長は「家族会は首相の努力には感謝しているし、子供が帰国できたことも祝福している。ただ、10人の安否未確認者について新しい情報を持ち帰れなかったことへの家族の気持ちも理解してほしい」と話している。(毎日新聞)
[5月25日0時8分更新]

■北朝鮮は怯えて「再調査」〜日本人拉致事件■ 佐々木敏

04年5月22日の小泉首相の再訪朝、日朝首脳会談の結果、北朝鮮の金正日・労働党総書記は、北朝鮮による日本人拉致事件の被害者で、死亡または行方不明と伝えられている「安否不明者」10名の再調査を約束した。

「再調査」といっても、べつに手間のかかる話ではない。北朝鮮は拉致は情報機関の仕業と認めたのだから、その情報機関の持つ(極秘)資料を開示すればいいだけで、金正日が決断すれば一瞬でできることだ。

一説によると、結果的に午前中の1回だけで終わった5月22日の首脳会談は、実は午後にももう1回予定されており、しかも北朝鮮側は「再調査」結果の資料も用意していたとされる(04年5月24日放送のテレビ朝日『スーパーモーニング』での、重村智計・早大教授らの情報)。

では、なぜその「再調査結果」を出さなかったのか?……できれば出したくなかったのだ。では、なぜ「できれば、出さずに済ませたい」のか? その理由は、前回、02年9月17日の小泉訪朝、日朝首脳会談の結果を考えればわかる。

●前回の教訓●
前回、北朝鮮側は日本人拉致事件を自らの仕業と認め、謝罪し、「(拉致した日本人は)5名生存、8名死亡」と(ウソを含めて)日本側に伝え、日朝両首脳は国交正常化交渉の開始に合意し「日朝平壌宣言」に署名し、さらに生存者5名を(一時)帰国させることでも合意した。

ところが、日本の世論は、横田めぐみさんら「8名死亡」の情報に激怒した。これは「誘拐殺人ではないか」というのだ。
当然、そのような恐ろしい国家犯罪をする国に、同胞が捕らわれていていいはずはないから、蓮池薫さんら生存者5名が02年10月に(2週間後に北朝鮮に戻る約束で)一時帰国すると、彼らの家族や国民世論が、一時帰国ではなく永久帰国を求めた。

そして、それは実現した。これによって北朝鮮は、日本では、政府間で合意した約束(一時帰国)が、国民世論の力で覆ることもあるのだ、ということ(民主主義のしくみ)を初めて知った。

国交正常化を進めたい日朝両国政府は、日本の世論を敵にまわし、結局、正常化交渉はまったく進まなくなってしまった。

その後「8名死亡」の証拠として北朝鮮当局が日本側に示した、遺骨、死亡診断書などの「証拠」は矛盾だらけで、捏造であることが明白になり、日本側は150項目におよぶ質問を提出した。そこで、04年5月22日の二度目の小泉訪朝では、その150項目への回答が期待された。

回答は一瞬でできる。手元の資料を出せばいいのだから、再調査などは必要ない。
しかし、拉致事件が盛んだったのは、20数年前だ。拉致当時の年齢が比較的高かった人は、たとえ情報機関に殺害されていなくても、天寿をまっとうしていておかしくないだけの歳月がすでに経過している。

10名全員が生きている、ということはありえない。
つまり、横田めぐみさんから、曽我ミヨシさん(日本に帰国した拉致被害者・曽我ひとみさんの実母)までを含む10名の安否情報を、北朝鮮側が出す、ということは「数名生存、数名死亡」という情報を出す、ということだ。そして「数名死亡」とは、たとえ天寿をまっとうしたのだとしても、被害者家族から見れば「誘拐監禁致死」であり「北朝鮮が殺した」ということになる。

もちろん、その可能性があることを、日本の拉致被害者「家族会」は覚悟している。
が、北朝鮮側はそれを発表した場合の覚悟ができていないのだ。

なぜなら「数名生存、数名死亡」と04年5月22日に発表することは、「5名生存、8名死亡」と02年9月17日に発表したのとほとんど同じことだからだ。そうすると、「数名死亡」の情報は、02年9月と同様に日本の世論を怒らせる可能性がある。

そうなると、国交正常化交渉など不可能だし、たとえ04年5月22日の首脳会談で、日本から北朝鮮に(食糧25万トンや医薬品1000万ドルなど500億円以上の)人道援助をすることで合意したとしても、それが実行されるかどうか、わからなくなる。

●とりっぱぐれ防止●
そうした援助の「とりっぱぐれ」を北朝鮮が恐れるなら……そして、小泉再訪朝を許した最大の理由が、国交正常化ではなく当面の食糧援助を獲得することなら……当然、10名の安否情報はすぐには出せない。

04年の日本の通常国会(本予算を審議する国会)の会期は6月中旬までだが、その中で上記の人道援助予算が(支出名目は予備費で?)承認されるか、または、そういう予算を(通常国会がだめでも秋の臨時国会の補正予算審議などで)承認しそうな自民党(与党)が04年7月の参院選で勝利するのを見届けるまで、北朝鮮政府は、10名の安否情報は出せない。

だから「再調査する」と称して、時間稼ぎをはかったのだ。

これは必ずしも、永遠に時間稼ぎを続けて安否情報を出さない、という意味ではない。
が、北朝鮮側としては、少なくとも1年分の食糧(上記の25万トンが、まさにそれにあたる)を獲得し、「(安否情報公表後に)日本の世論が怒って何も得られなくても、まあ、いいか」と思えるまで、10名の安否情報は出さないだろう。(中略)

【どうせ「裏取引」をするなら、小泉は「日本の世論をなだめるために先に経済制裁を課すが、すぐに解除するから、安否情報の提供ヨロシク」と金正日に持ちかけたほうが、まだマシだったのではないか。小泉が北朝鮮の立場に配慮したつもりで経済制裁を見送ったことで、かえって北朝鮮は苦しくなった、と筆者は考える。これは、拙著『龍の仮面(ペルソナ)』で描いた中国のホンネ(北京五輪前に台湾に独立宣言をしてもらったほうが、中国にとっては、台湾を軍事侵攻しない口実に五輪が使えるので、かえって「あきらめ」がつきやすく、好都合)と相通ずるものがある。】

このままでは、膠着状態に陥ってしまう。
打開策としては、経済制裁の見送りを発表した小泉(と与党自民党)を政権の座から降ろし、民主党政権か何かのもとで、北朝鮮への経済制裁を再検討するぐらいしかないのではないか。

北朝鮮は02年9月17日以来この2年間、日本の民主主義を「学習」したので、「政権が代わったから、小泉の約束はご破算だよ」と言えば、(不満はあるだろうが)いちおう理解はするだろう(但し、「ポスト小泉」を自民党員のなかから決める、自民党内での「政権のたらいまわし」の場合は、北朝鮮は「首相が代わっても小泉時代の約束は有効」と判断する恐れがある)。


(私のコメント)
ニュースによると「拉致被害者を救う会」の事務所に「首相に対する感謝の気持ちがない」と言う非難のメールや電話が500通も寄せられているようだ。例の三ばかの時のことを連想しますが、拉致事件と三ばか人質事件とはぜんぜん条件が異なります。日本国内で統治権力が及ぶところで拉致されたのだからその責任は政府にあります。国民の生命財産を守るのが国家の役目だからです。

ところがイラクで人質になった三バカは、戦争状態で国から警告されたにもかかわらずイラクへ行って武装組織の人質になった。そこは日本の統治権力の及ばないところであり、日本国政府を攻め立てたところでどうにもならない。だからこそ自己責任で危険なイラクへ行って人質になっても覚悟を決めて行ってほしいという事だ。

ところが拉致事件は日本国内で日常生活をおくっている人が北朝鮮の工作員に拉致されて北朝鮮に連れ去られたのですから、日本国政府が責任を持って解決にあたらなければならない。警察や公安がしっかりと北朝鮮の工作員を取り締まるのは国の役割だからだ。

三ばかにしろ拉致被害者家族にしろ肉親は大変ショックを受けて感情的になるのは仕方のないことであり、冷静でいろと言うほうがおかしい。だから三ばかの時も肉親に対しては私は非難してはいない。それよりか背後にいた左翼系団体やキャンペーンを繰り広げたワイドショーを批判した。テレビで「三人の命か自衛隊の撤退か」と政治的要求を突きつけるのは間違っている。

ところが拉致被害者家族は横田めぐみさんをはじめ、10人の行方不明者やその他の拉致被害者が大勢いるにもかかわらず、小泉総理は金正日と会見しながら90分で安否も十分に確かめずに日本に帰って来てしまった。これでは横田さん始め拉致被害者家族が小泉首相を非難するのは当然だ。「救う会」へ非難メールや電話をした人は小泉首相と同じ冷血漢だ。

今回の小泉首相の訪朝で五人の子供が帰ってきましたが、これは小泉首相の功績と言うより拉致被害者家族会の日頃からの国民的運動の盛り上がりによるものだ。小泉首相はそれを利用したに過ぎない。むしろ訪朝の目的は援助などによる北朝鮮利権の確保のためであり、拉致事件の解決にはそれほど熱心ではない。だから拉致被害者家族は怒っているのだ。

その拉致被害者家族会を始めとする国民的運動は北朝鮮の金正日も恐れおののいている様だ。前回での訪朝で金正日が拉致を認め多くが死亡したという発表に日本国中の世論が驚いた。その日本国の世論に金正日はびっくりした。だから残る十人の拉致被害者の安否を発表するにも世論が怖くて出来ないでいる。

9,17以降、泣く子も黙る朝鮮総連は壊滅的打撃を被って活動組織は弱まった。自民党の実力者の野中広務が引退したことからもその影響力が弱まったことを示している。例えば北朝鮮が崩壊して日本で非合法活動をしてきた朝鮮総連の活動家も逮捕されるだろう。だから金正日の権力は弱まって、周辺諸国は北朝鮮が崩壊しないように心配しているくらいだ。

北朝鮮の金正日が拉致被害者を帰さないのは日本の援助がほしいからだ。そのためには切れるカードを小出しにしなければならない。そして日本からいった援助金や援助物資は金正日の権力強化に使われる。そのうちの数%は朝鮮総連と自民党の森派に転がり込む。だから小泉首相は国交回復交渉に熱心なのだ。

先のイラクの人質解放事件の人質のふてぶてしさに
国民が反感を覚えたのは無理もありません


<横田夫妻>世論との温度差に戸惑い「ひたすら訴えていく」




<日朝会談>金総書記が打ち切る 小泉首相も制止できず
早く切りすぎたカード、金正日への土下座外交でいいのか


2004年5月25日 火曜日

<日朝首脳会談>金総書記が打ち切る 小泉首相も制止できず

小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日総書記の22日の首脳会談が1時間半の短時間で終わったことが論議を呼んでいるが、会談は事実上、金総書記側が打ち切る形で終了したことが24日、複数の関係者の話から分かった。金総書記は「一応会談の節目ができた」と述べて席を立ち、首相も制止できなかったという。(毎日新聞)
[5月25日3時6分更新]

高村元外相「準備不足は否めず」

 自民党の高村正彦元外相は24日、都内のホテルで講演し、小泉純一郎首相の再訪朝に関し、10人の安否不明者について北朝鮮が再調査を約束するにとどまったことについて「失敗に近い。急ぎ過ぎた。もう少し時間をかければ、下交渉で詰めることが可能だったと思う。準備不足は否めない」と批判した。
 コメ支援などの人道支援についても「拉致問題の進展の程度にしてはちょっと多過ぎた」と指摘した。訪朝全体の評価については、「それほど高い評価はできない。失敗だという烙印(らくいん)を押すのは早過ぎるが、現時点で成功とは言い切れない」と述べた。(産経新聞)
[5月25日3時56分更新]

日本的「村社会」思考と韓国的「直情型火病」思考

考えてみれば60年にも渡って日韓は齟齬をきたしている。
もっときちんと話し合おうという声はよく聞くが、60年も向き合っていてこれ以上何の話があるのかと私はいつも思う。
もちろん、相互理解を諦めると言うことではないが。
相互理解とはまさに対話の積み重ねである。対話を交わすことによって互いに相手を理解していくものである。
だが、日韓ではこの対話すらまともに出来た試しがないと言っていいのではないだろうか?
だからこそ、60年という人の一生にも匹敵する年月が経っても、相も変わらず一方は嫌韓、一方は反日なのである。
今回はそのような両国の国民の対話の基礎となる思考形態を比べてみよう。

日本では古来より村社会が基本であった。
その村社会の集合体が国(ここで言う国とは地方のこと)を形成し、その国が集まって国家を形成していた。
今なお「村八分」という言葉が残るとおり、村の掟を破る者や秩序を乱す者は村人全体で罰し、村の秩序維持を行ってきた。
或いは、米などの収穫の際には村全体で互いに助け合いながら収穫作業を行った。
村社会とは原始コミュニティーではあるが、それはまた原始共産主義的側面をもった国家とも言えるものであった。

確かに国家になぞらえることも出来る村社会であるが、村というのは最小単位である通り、極めて狭い地域社会である。
このような社会では人間関係の構築が非常に難しい。
考えてみて欲しい、このようなコミュニティーでみんながみんな好き勝手や本音で話をしていたら、まとまるものもまとまらなくなる。

そんな村社会での人間関係の潤滑剤として生み出されたのが「腹芸」(Hara-Gei)である。
ちょっとした海外の日本研究本にはよく登場する言葉だが、英訳できないためそのまま載せてある場合が多い。
腹芸とは、直接的に語り掛けるのではなく、直喩・暗喩を用いたり、言い回しをすることによって相手に物事を伝え、或いは相手のそのような語りかけから物事を類推することである。
簡単に言えば、今で言う「本音と建前」と言えば分かるだろうか。
建前を相手に言うことによって、相手はその言質が建前であることを理解し、そこから本音を類推する。
これが日本独特の「腹芸」である。

もっと分かりやすく言えば、村社会では直接的な表現で感情的な対立を起こすことを避けるため、建前を用いて物事を円滑に勧めようとしたのである。
政治用語に「前向きに善処します」という言葉がある。翻訳がきちんとされているか不安だが、言葉通りに取れば非常に肯定的な言葉である。
だが、実際の意味は「無理だと思うけど、やるだけやってみましょう。期待はしないで下さい。」という程度の言葉なのである。
このように日本では直接的に物を言うのではなく、言葉を変えることによって相手を傷つけないやり方が村社会から発展してきたのである。
この為、対話においても日本は、直接的感情表現は避け間接的表現での抽象的な話しになりやすいのが特徴である。

一方韓国では、日本とは正反対の経緯を辿り現在の思考形態を構築している。
朝鮮は中国の千年属国として無惨な歴史を辿ってきた。
詳しくは「【韓国非礼の根元】大中華と小中華:事大主義に見る韓国人の対中恐怖症」を見てもらいたいが、ここでは書ききれないほどの歴代中華帝国の朝鮮への仕打ちは、日本人である私でさえ深い悲しみを有する程である。
時には、朝鮮中から多くの女性が宮廷慰安婦として中華帝国へ連れ去られ、数え切れないほどの侵略を受け、また国土を徹底的に蹂躙されている。
それはまさに千年属国というよりは千年奴隷国とも言える悲惨な歴史である。
朝鮮半島では村社会は存在したが、それ以前の中華帝国による蹂躙、そして朝鮮王朝による民衆からの搾取などによって日本とは明らかに違う形態で彼らの思考は体系化されていったのである。


朝鮮民族特有の火病という病気がある。正式には「鬱火病」というのだが、精神疾患の一種である。
火病を体系的にまとめた研究が日本ではまだなされていないため、私個人の研究(「火病」の謎に迫る)から分析するが、この火病には「直情型火病」と「内向性火病」の2種類がある。
2種類というのは少し言い方が悪いかも知れない。というのも、この2つの火病は連動しており、決して独立した形での大別ではないからである。

本来人間はストレスを受けると、それを発散するための行動を必要とする。
朝鮮民族は、上記の通り歴代中華帝国や歴代朝鮮王朝の圧制下にあったためそのストレスの発散の場が無く、結果としてこれを自分の身体で表現するしか無かったのである。

朝鮮民族はストレスがある一定限度まで来ると、2つの道を選ぶ。
1つ目は「直情型火病」を起こすか、2つ目はそのままストレスを無理に溜め続けるかである。
「直情型火病」は名前の通り、所謂「切れる」状態である。突如狂ったように喚き散らし、口から泡を吹き、今にも失神しかねない様子で精神錯乱を起こす状態である。
日本ではこの部分を朝鮮民族の「火病」と定義する人が多いのだが、実際の「鬱火病」はこの2つ目のさらにストレスを溜め続けた場合に起こる肉体的疾患を指すことを付け加えておく。
さて、2つ目のさらにストレスを溜め続ける選択をした場合、朝鮮民族特有の「鬱火病」状態へと移行するのである。これを私は「内向性火病」と名付けている。
殆どの場合、1つ目の「直情型火病」へと移行するため、現在の韓国人の感情的な対応や直ぐに切れる性質はここから来ていると考えられる。
直情型火病を起こすことは韓国人にとってのストレス発散であり、「鬱火病」への移行を防ぐ生体防御であると考えられるのである。
以上のように、韓国人は伝統的に感情的になりやすい性質であり、対話では日本と正反対の直接的感情表現を好むのである。

間接的表現で抽象的な話しを好む日本と直接的表現で感情的な話しになる韓国。
この2カ国で本当の対話が成立するのは何時のことであろうか?


(私のコメント)
今回の小泉首相の訪朝は準備不足がたたって評価は半々のようで、せっかくの拉致家族帰還カードは早く切りすぎたようだ。前回の訪朝は20%以上もの内閣支持率が上がりましたが、今回の訪朝は10%程度の上昇に留まっている。金正日もあまり話がわかる人物ではなく、腹芸といったことは通用しないことは最初からわかっている。だから最初から椅子を蹴飛ばして帰るくらいの覚悟でなければ交渉はまとまらないと書いてきた。

ところが椅子を蹴飛ばして会議を終わらせたのは金正日のほうで、この時点で交渉は金正日の勝ちで5人の拉致家族を帰しただけで25万トンの食糧と一千万ドルの医療援助を獲得できた。困っているのは食料が端境期で無くなっている北朝鮮であり、小泉首相がカードを切り出さなければ金正日は席を蹴ることは出来なかったはずだ。

午前と午後の二回の会談が予定されていましたが、人道援助と経済制裁をしないと約束した以上これ以上の成果は無いから金正日は会談を急遽終わらせた。最初からの出来レースならこのような結果になるのは当然の事ですが、それならわざわざ小泉首相が訪朝せずとも済んだ話で、安倍幹事長が行ったほうがよかったかもしれない。

会談の席には外務省の高官が三人も同席しましたが、この三人は小泉首相がスタンドプレーをしないように小泉首相を監視していたのかもしれない。山崎官房副長官も同席していましたが、まったくの能無しで小泉首相のサポートは期待出来ない。このような状況なら小泉首相を一人攻めるだけではすまない。

北朝鮮・韓国と交渉する時は国民性をよく知ってから交渉すべきであり、特に金正日のような独裁者は過去の動向を分析すれば対応策は打てるはずだ。だから最初から人質と人道支援のバーターであると割り切って交渉していれば、強気で交渉したほうが勝ちとなる。その点で金正日に足元を最初から見られていた。

地村さん、蓮池さんの五人の子供が帰ってきましたが、持っているバックが一つしかなく、明らかに短期間の旅行としてきたようで、クラスメートなどとの別れの挨拶もせずに、日本で両親に会って帰ってこいと言われて来たようだ。おそらく状況を掴むのに時間がかかるのでしょうが、子供達は北朝鮮で生まれて育ったのだから両親の時よりは戸惑うだろう。

北朝鮮と韓国とで共通しているのは、中国に対する事大主義と日本に対する小中華主義だ。だからこそ金正日は小泉首相に対して不遜な態度をとり続ける。反日教育も共通していますが、従軍慰安婦や強制連行などの対日非難は、中国に対する千年属国への代償行為なのだ。韓国にしても対日非難はしても対中非難は彼らのDNAからして怖くて出来ない。

対米非難も韓国・北朝鮮に共通していますが、韓国の対米非難は北朝鮮のプロパガンダに乗せられたもので、韓国がおかれた状況からすれば自殺行為なのですが、自分の感情を抑えることが出来ない直情的感情は韓国・北朝鮮人に共通している。それに対して日本人は村社会の精神構造だからはっきりとものを言わない。

だから日本人と韓国・北朝鮮人と会談すると、韓国・北朝鮮人がガンガン感情的に捲し立てるのに対して日本人は曖昧な返答を繰り返す。だからよけいに韓国・北朝鮮人は頭に来てよけいに感情的になる。今回の小泉首相と金正日の会談もおなじであり、日朝共同宣言も北朝鮮側の主張が数字の入った具体的なことが書かれているのに、日本側の主張は極めて曖昧な文言になっている。

日本人も国内で日本人同士の場合と、外人との会談とでは誤解のないように使い分ける必要がある。日本人同士なら曖昧な表現でも相通ずることも、相手が外人なら曖昧な表現は誤解の元だ。だから小泉首相も金正日に対しては、「拉致問題解決なくして日朝国交回復なし」とはっきり金正日の前で言ってほしいものだ。




北朝鮮による拉致被害者5人の帰国で終わりなのか
25年も拉致問題を無視してきた政治家とマスコミ


2004年5月24日 月曜日

首相再訪朝 家族会強い反発「予想以上」 官邸サイド、困惑

「世論、最終的に理解」
 日朝首脳会談を受けて拉致被害者の家族らから小泉純一郎首相への批判が高まっていることに、首相官邸サイドは困惑している。北朝鮮側が死亡・行方不明としてきた十人に関して進展がない可能性があることや北朝鮮への食糧支援などで反発の声が上がるだろうことは、官邸側も事前にある程度想定していた。しかし、「政治責任をとってほしい」などとする家族会の首相批判は予想を超えていた。首相サイドは会談の成果を強調して理解を求める一方、批判が世論全体に広がるのか慎重に見極めている。

 「拉致被害者家族との面会は、マスコミに公開することにしよう」
 二十二日夜、平壌での日朝首脳会談を終えて帰国したばかりの小泉首相は、拉致被害者の家族らに訪朝の成果を報告するため都内のホテルに向かう車の中で、急遽(きゅうきょ)、事務方にこんな指示を出した。
 首相は羽田空港に戻るまで、訪朝の成果にむしろ自信を持っていた。だが、帰国した途端、政府関係者や与党幹部から家族の反発が強いことが相次いで報告された。「それならば」と指示したのが面会の公開だ。首相自身が熱心に語りかければ必ず家族の理解を得られるとの読みがあったようだ。

 しかし、そんな思惑とは裏腹に首相は家族会から集中砲火を浴びた。日朝首脳会談に同席した山崎正昭官房副長官は二十三日、フジテレビやNHK、日本テレビ、テレビ朝日の報道番組などに相次いで出演。「(首相への)批判は批判として謙虚に受け止め、一つのステップにさせていただきたいが、今回の首脳会談で首相は最大限の努力をしたと思う」などと釈明に追われた。
 もともと首相は訪朝前から批判は覚悟の上で、元米兵のジェンキンス氏の来日が困難であることも予想の範囲内だった。だが、「それでも自分が行かないと解決しないと考えた。このへんは政治家の勘だった」(官邸筋)といわれる。
 しかし、外交上の慣例である相互訪問の原則を破ってまで、首相が再訪朝したことから、「大きな成果があると確信しているからこそ首相は行くのだろう」(自民党幹部)と、期待値が上がってしまった。また、首相周辺の一部が家族八人の全員帰国に自信を見せたことなども「訪朝のハードルを上げてしまった」(政府筋)ことになった。

 首相は家族帰国から一夜あけた二十三日、自民党の安倍晋三幹事長とともに、自民党本部で夏の参院選に向けたポスターのための写真撮影に臨んだ。年金未納問題などに対する批判が高まる中、自民党にとっては首相の国民的な人気が参院選での頼りでもある。その人気に今回の訪朝がどう影響するか。政府内には、予想以上の首相批判に対して、「北朝鮮相手の外交の成果には限界がある。家族会の反発が収まらなくても、世論は最終的に首相を理解するはずだ」(政府高官)との声もある。(産経新聞)
[5月24日2時48分更新]

拉致被害者を見捨ててきた日本政府 救う会全国評議会

 結論からいうならば、家族会救う会が結成され救出運動を開始し世論が一定程度盛り上がるまで、日本政府とマスコミは多数に日本人が北朝鮮に拉致されていることを知りながら、ほとんど何もせず拉致被害者を事実上見捨ててきた。先に少し書いたが、横田めぐみさんの事件が起きる二カ月前に政府が公式に認定する10人の拉致事件の第1号となる久米裕さんの事件が起きる。1977年9月19日のことだ。工作員が久米さんに「なりすます」ことを目的とした拉致であった点と久米さんを海岸まで連れてきた在日朝鮮人が現場で逮捕された

 実はこの在日朝鮮人李秀吉は東京田無で金貸しをしていてその客の一人だった久米さんを密輸で儲けないかと騙して石川県の海岸まで連れていったのだが、その日石川県沖に北朝鮮工作船が出現していたことが警察庁の電波傍受等で分かっていたため厳重警戒中の石川県警警察官に、すでに久米さんを工作員らに引き渡したあとだったが外国人登録証不携帯で逮捕された。警察の取り調べで李は久米さん拉致を自白し、自宅を家宅捜索すると乱数表と換字表等が出てきた。石川県警ではそれを使って録音してあった北朝鮮からラジオ放送の数字暗号を解読することに成功したという。

 ところが李は結局、不起訴処分となり、事件についての報道もなかった。この時拉致という重大事件が裁判に掛けられ、マスコミでも大きく取り挙げられていたら、横田めぐみさんはその二カ月後の暗い道を一人で帰宅しなかったのではないか。また、翌年拉致された田口八重子さん、曽我さん親子と三組のアベックももう少し警戒をしたはずだ。その意味で石川県警の不起訴という決定は大きな禍根を残したと言える。ところが、不起訴処分の後どう県警は警察庁長官賞をもらっている。ただし、この受賞の事実もまた対外秘とされていた。

 次のチャンスは、原敕晁さんが拉致されたあと、原さんになりすまして五年間も活動していた工作員辛光洙が韓国情報部によって逮捕され、原さん拉致を全面自白して有罪になった1985年だった。原さんを拉致対象者として選んで宮崎の海岸まで連れていった大阪在住の在日朝鮮人2人を事件の犯人の一部として逮捕することも十分可能だったのに、大阪県警は何もしなかった。マスコミもソウル発で書いたことは書いたが、あくまで韓国情報部の発表をそのまま伝えるという消極的姿勢を崩さず、扱いも小さかった。

 犯人が逮捕され自供をしており、その上辛光洙が原さんになりかわって取った旅券、免許証、健康保険証という動かぬ物証までがあるのに、やはりこの時点でもめぐみさんらは見捨てられた。

 三度目のチャンスが1988年1月の金賢姫記者会見だった。ここで政府はやっと重い腰を上げ、同年3月の参議院予算委員会で梶山静六・自治大臣国家公安委員長は一連のアベック失踪について「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚である」という歴史的答弁を行った。国会国の治安の最高責任者が、北朝鮮を犯罪者扱いしたこの答弁は、歴史的なモノだったが、マスコミはまさにこの大ニュースを無視した。読売、朝日、毎日ヘこの答弁について1行も書かず、書いた産経、日経も一段ベタ扱いだった。ここでもめぐみさんらは見殺しだった。

 そして、1990年9月金丸訪朝から始まった、日朝国交交渉は、1991年から92年にかけて八回行われたが、本交渉の席で拉致問題が取り上げられたのは、91年5月の第三回交渉のみであり、その上政府認定の10人全部ではなくただ「李恩恵」と呼ばれる田口八重子さんだけについて消息調査というまったく腰の引けた取り上げ方がされただけだった。

 マスコミも含めて詳しく事情を知らない人たちは、日朝交渉が1992年に中断したのは「李恩恵」問題で紛糾したためだと書いたり言ったりしているが、実際は日本側が第四回交渉にはいる時点で、本交渉には「李恩恵」問題を出さないから会談を再開して欲しいと北朝鮮側に低姿勢ですり寄る裏交渉が成立していたのだ。それに従い、四回から七回までは本交渉とは別の席で日本側次席代表が北朝鮮の次席代表に田口八重子さんの消息調査はどうなったかと形式的に尋ね、北朝鮮はそれをただ聞き置くという「セレモニー」が続けられたが、八回交渉で北朝鮮側がその「セレモニー」さえも認められないと激しく抗議したために会談が中断したというのが、真相だ。

 つまり、拉致という自国民の人権と自国の主権に対するこれ以上ないひどい蹂躙行為をされながら、日本政府はその加害者の国と公式に話し合う外交交渉の席で被害者をすぐ帰して責任者を処罰せよという独立国家の政府ならどの国でもなすはずの当たり前の主張をしなかったのだ。

 「文芸春秋」1998年6月号の加賀孝英論文によると、警察は田口八重子さん拉致で大物在日商工人、安商宅・東海商事会長が重要な役割を果たしたことをつきとめ、1990年5月10日付けで安商宅の自宅及び朝鮮総連への家宅捜索令状と同15日付でその手下の男への逮捕状が取られた事実がある。しかし、家宅捜索前日の5月9日に突如として捜査は打ち切りとなる。警視庁関係者は「金丸訪朝で潰された。そう聞いている」という驚くべき証言を加賀氏にしている。

 そして、1995年には自民党の加藤鉱一幹事長(当時)らが中心になって50万トンの米を事実上無償で「日朝交渉再開の雰囲気作り」(加藤氏)のために送ったが、その際にも拉致問題は一切持ち出さなかった。日本人が国家テロの犠牲になって20年も身柄を拘束され続けていることを政府が掴んでいながら犯人である北朝鮮に対して経済制裁を行うどころか、反対に無条件で支援をしたということだ。


(私のコメント)
北朝鮮による拉致問題の経緯を見ても日本の政治家とマスコミは信用できないことがよくわかる。何度も北朝鮮工作員による拉致事件を現行犯で捕まえても、警察レベル以上からの圧力によってうやむやにされてしまう。不起訴にしてしまえば犯罪が行われても処分はしないということは、在日朝鮮人は犯罪を犯しても朝鮮総連から政治家に圧力をかければ治外法権的特権が認められていた。

日本国全域に散らばった朝鮮総連の建物には税金もかからず営業活動が行えた。ようやく最近固定資産税がかけられるようになってきたが裁判を起こしている。このような特権的地位が在日朝鮮人に認められているのは、日本の政治家に特別なコネがあるからだ。在日朝鮮人といっても一般人ではなく北朝鮮の工作員として非合法活動をしている人たちのことだ。

日本には外国のスパイを取り締まる防諜機関が無い。国家機密を盗み出して捕まってもたった1年の刑罰で釈放されてしまう。だから外務省や日本の象徴には秘密を保持することは不可能で、日本の中央官庁は外国のスパイの巣窟になっている。もし日本に防諜機関が出来て徹底的な取締りをしたら、多くの政治家と高級官僚が海外亡命することだろう。

日本の行政組織は膨大に膨れ上がってはいても、どういうわけか情報機関と軍事組織はないことになっている。どうせアメリカに外交も防衛も丸投げしているから日本の政治家はノー天気でいられるのですが、今回のような外交交渉になると、とたんにその馬脚を現してしまう。外務省の田中均も北朝鮮の工作員みたいなものだから、今回の訪朝を見ても小泉首相はただの木偶の坊で北朝鮮の謀略に見事に引っかかってしまう。

国際交渉は相手がどのような方法で来るか十分に検討して、それに対する対抗策を固めて交渉に望むのが常識ですが、今回の金正日との交渉で十分な検討がなされた形跡はみられない。小泉首相が交渉事の達人なら一人でも大丈夫なのですが、金正日の前では借りてきた猫のようにおとなしく、北朝鮮ペースに乗せられてしまう。

ジェンキンス氏を巡る説得も小泉首相の馬鹿さ加減を証明するものだ。それに1時間も費やして、他の拉致被害者に対する交渉が出来なくなってしまった。前にも金正日は謀略を仕掛けてくるだろうと警告してきたのに小泉首相は見事に嵌ってしまった。小泉首相の無能さを責めたところで彼を首相にしたのは日本国民なのだから仕方がないことなのですが、日本の政治家は緊張感が無さ過ぎる。

今回の訪朝に対する評価を見ていると、前回の80%を越える支持率に比べると54%の支持率に留まり選挙に大きな影響を与えるほどではない。結局は北朝鮮のブローカーに利用されただけなのだろう。怪しげな朝鮮総連も反撃の謀略を仕掛けてきた成果が今回の訪朝なのだ。殿下さまは次のように解説している。

2004/05/23 (日) 一発目。なるほど、そういうことだったのか・・。殿下さま

朝鮮総連会館への課税を巡る問題についての朝鮮新報記事をご覧いただきたい(→http://210.145.168.243/sinboj/j-2004/02/0402j0520-00001.htm)。記事によると、朝鮮総連は19日、東京都による課税処分取消を求める訴訟を東京地裁に起こした。『中央本部会館が約40年間にわたって朝鮮民主主義人民共和国の実質的な在外公館として課税を免除されてきた(ママ)』という理由である。この提訴こそ、今後の日朝交渉に朝鮮総連を参加させることで、朝鮮総連が外交権能を有しているがごとき外観を作り出そうという動きと通底している(→http://210.145.168.243/sinboj/j-2004/02/0402j0520-00001.htm)。

そもそもこれから日朝交渉を再開して『外交関係』を樹立しようというのに、外交関係のない北朝鮮配下の朝鮮総連が外交上の権能を有していると主張するとは自家撞着のお笑いぐさであるが、この提訴が19日付であったことに注目されたい。それは日朝交渉での合意事項がすでに訪朝前に決定事項であったことを物語るからである。それ以外にも朝鮮大学校卒業者に対する司法試験一次試験免除も(→http://210.145.168.243/sinboj/j-2004/02/0402j0511-00001.htm)。

このような動きが小泉再訪朝と相前後して出てきたという事実からわかること。それは北朝鮮がさっそく『仕掛けてきた』ということである。小泉訪朝の評価で感情的に世論が割れている間にも、北朝鮮は動き始めている。わたしたちも事態を冷静に見ていく必要がある。


小泉総理は完全にはめられた!増田俊男の時事直言!




小泉首相のバクチは裏目に出た。こんなチキンな
リーダーしか持てない今の日本人は本当に哀れだ


2004年5月23日 日曜日

北“こうかつ”外交術、2枚のカードで多様な実利獲得

【平壌=河田卓司】22日行われた第2回日朝首脳会談は、北朝鮮から見れば、拉致問題のうち、家族5人の帰国と安否不明者調査の再開約束の2枚のカードを切るだけで、人道支援や制裁法発動阻止など多様な実利を獲得した。

 金正日総書記は、やはり、虎の子の核カードは対米交渉用に温存したまま、日本側の拉致問題での進展への期待感を最大限利用し、わずかなカードで現段階で取れるものは取る巧妙な外交術をみせつけた。

 首脳会談の結果を分析すると、北朝鮮が明確に「譲歩」したのは5人帰国だけだ。曽我さん一家の問題、安否不明者調査再開は、今後の対日交渉次第で、いつでも揺さぶりカードとして使えるよう手元に残した。

 核問題をめぐっても金総書記は非核化を目指す意思を示した上で、6か国協議進展に努力すると約束したが、これは4月の胡錦涛・中国国家主席との会談で表明した内容そのままだ。「米国の姿勢で核抑止力を持たねばならなくなった」と従来通りの論理を強調し、米国に直接取引を迫る意思を改めて鮮明にした。

 これに対し、北朝鮮が獲得したのは、まず、経済崩壊寸前の中で早急に必要な食糧25万トンと1000万ドル相当の医薬品。対北制裁法も発動されれば、日本からの金とモノは止まり、北朝鮮経済の息の根が止まるほどの威力があるだけに、発動阻止は是が非でも獲得しなければならなかった。

 さらに注目すべきは、「日本は今後、在日朝鮮人に差別を行わず、友好的に対する」との約束だ。これは一見、政治的意味が薄いように見えるが、北朝鮮からすれば、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)施設への課税、貨客船・万景峰号の検査などをめぐり、日本に今後の対応の緩和を迫る論拠を得たのにも等しい。

 北朝鮮の獲得物はいずれも経済に連関している。北朝鮮経済は日本に相当、依存してきたが、拉致問題で、その動脈は狭まった。金総書記は、小泉首相を再び平壌に迎え入れ、動脈を復活させることを狙ったのだ。

 北朝鮮は対米交渉や南北対話で、相手国が解決を求める懸案をカードとして逆手に取って、その価値を高めた上で、効果的に切って目標を一気に獲得する外交を得意とする。核問題がその象徴で、韓国が求める離散家族再会も同じだ。金総書記は、日本に対して拉致カードを使ってまったく同じ外交術を使った。

 拉致は、北朝鮮が日本の主権を踏みにじった国家犯罪だ。その拉致さえカードにして実利獲得に走る北朝鮮――。金正日政権は、歩調を合わせながら国交正常化交渉を進めていける相手なのか。今回の首脳会談を見る限り、疑念は去らない。(読売新聞)
[5月23日2時3分更新]

「最悪」「裏切られた」家族会が首相に怒りぶつける

 「最悪の結果だ」「裏切られた」「総理にはプライドがあるのか」――。安否不明とされ、北朝鮮が「再調査」を了承するのみにとどまった拉致被害者10人。その肉親ばかりでなく、子どもが帰国を果たした家族の口からも、小泉首相と政府に対する猛烈な怒りの言葉が噴出した。

 羽田空港から都内のホテルに直行し、午後10時半から訪朝を報告した小泉首相に、待ち受けていた家族たちは落胆と怒りに満ちた思いをぶつけた。

 横田めぐみさんの父で家族連絡会代表の滋さん(71)が口火を切る。

 「一番悪い結果が出た。食糧支援などは(家族の)帰国と引き換えとの疑念を持たせるものだし、経済制裁もしないという。拉致解決より日朝平壌宣言の履行に重点が置かれたようで疑念を感じる」

 めぐみさんの双子の弟たちも、「なぜ、早々に(会談を)打ち切って帰国したのか」「官房副長官や随行の人たちは、何のために行ったのか」と詰め寄った。

 増元るみ子さんの弟、照明さん(48)は「2回も金正日にだまされて帰ってきて、総理にはプライドがあるのか」と言い切り、「本気で全面解決を目指すなら(曽我さんの夫の)ジェンキンスさんたちをそのまま飛行機に乗せて帰るべきだった」。るみ子さんの姉、平野フミ子さん(54)は「(北朝鮮が)真実を明かさないなら、『私が人質になって北朝鮮に残る』と言ってくれなかったのか」と語った。

 発言した被害者家族は13人。小泉首相は最後に、「すべての責任は私にある。批判は甘んじて受ける。皆さんの声を胸に(日朝関係)正常化に努力していく」と結んだ。面談は約1時間に及んだ。

 これに先立って行われた夕方の記者会見の時点で、家族たちの怒りはすでに沸点に達していた。横田滋さんが「北朝鮮の実利だけが通った」と言えば、妻の早紀江さん(68)は、「こんないいチャンスを逃して」と、やり切れない表情で語った。

 田口八重子さんの兄で家族連絡会副代表の飯塚繁雄さん(65)は「人道支援という言葉は格好いいが、取引に使われたと誰しも感じている。子どもの使いに等しい」。

 子どもたちが帰国した蓮池さん夫妻、地村さん夫妻の家族たちにも喜びの表情はなかった。蓮池薫さんの兄、透さん(49)は言った。

 「また新たな悲劇が生まれた。より状況が複雑化してしまった」(読売新聞)
[5月23日1時40分更新]


(私のコメント)
小泉首相の北朝鮮訪問に関しては21日の金曜日にも書きましたが、横田夫妻ではありませんが最低のの成果しか得ることが出来ず、最大の失点をして来てしまった。北朝鮮は人質に取った拉致被害者しかカードがないのだから、こちらの要求が通らなければ席を蹴って帰る心構えでいいわけですが、小泉首相は最大限の譲歩をして、最小限の成果しか得ることが出来なかった。

北朝鮮はテロ国家であり営利誘拐や麻薬の販売や偽札の製造など、暴力団がそのまま国家になったようなもので、国際常識というものが通用しない。そのテロ国家北朝鮮の日本にある支部が朝鮮総連ですが、その朝鮮総連の活動を保証するような文言まで入れて合意してしまった。これでは今回の日朝の首脳交渉は金正日にとっては100点でも、小泉首相には10点しかあげられない。

今回の小泉首相の訪朝は小泉首相自身の年金等のスキャンダル隠しのためであり、参議院選挙で勝利するための世論工作のために行われた。確かに拉致家族5人が帰ることが出来たのは評価できますが、曽我さんの家族やそれ以外の不明になっている10人の拉致被害者や100名を越える行方不明者については再調査するとしか回答が得られなかった。

わずか90分の会談交渉ではまとまる筈のない問題が山積しているはずなのに、早々に会談を打ち切ってしまったのはなぜか。小泉首相に国際首脳交渉に対する熱意がどれほどあったのか疑問に思えてくる。それとも世論を見誤って5人の家族が帰ってくれば9,17の時のように小泉人気が再び沸き立つと思っていたのでしょうか。

21日の日記で佐々木氏が指摘したとおり小泉首相は追い詰められて北朝鮮にやってきたことを見抜かれて、ほうほうの体で日本に帰らざるをえなかった。最初から交渉がだめとなったら椅子を蹴飛ばして帰る覚悟が無ければ北朝鮮は妥協してこない。日本の政治家は政治的に追いこめられると北朝鮮利権に手を出すようになる。

かつては金丸信副総裁がそうだったし、「さきがけ」の武村正義代表も北朝鮮利権に手を出して失脚した。それだけ金脈としては筋の悪いところであり、小泉首相が手を突っ込んだと言うことはアメリカのヒンシュクをかいアメリカも小泉首相を見限るかもしれない。

今回の訪朝を誰よりも促したのは森派の森会長だ。北朝鮮利権に対しては国交正常化に際して巨額の復興支援金が動くことが想定されている。一説には5兆円とも言われていますが、それだけの金が動けば数%のキックバックが入るだけでも数千億円になるのだから森会長の皮算用に目が眩むのも無理はない。それには当然朝鮮総連もからんでくる。

小泉首相もついに焼きが回ったのだろうか。金正日の手練手管に乗せられて数百億円もの援助金を約束させられてしまった。これでは金丸信や森喜朗と大して変わらない。これでアメリカを敵にすると同時にマスコミをも敵にすることになった。今まではアメリカに取り入りマスコミも小泉内閣をバックアップしてきた。それが利権に目が眩んで北朝鮮に転んでしまった。

テレビ中継を見て感じたのですが小泉首相以下ぞろぞろとお付の人間がいるのはなぜなのだろう。金正日は外務次官と通訳だけだ。小泉首相には山崎副官房長官以下6,7人もいる。外務省の田中均もいた。それが小泉首相に適切なサポートも出来ないバカばかり。「株式日記」でも読んで交渉戦術を練ってくれればと思ったのだが、無駄だったようだ。富井牧師は次のように指摘している。

国辱外交はもうたくさん ミレニアム 2004/05/23(日) 09:23

これだけこちらに有利な条件が揃っていてこんな結果しか出せなかったのは、腰が引けているからだ。

首相や外務省は喧嘩をさけている。戦争や紛争にいたるのを恐れている。

太平洋戦争のトラウマからだろうが、「戦争はどんなものでもよくない」という絶対平和主義を自分の常識の中から捨てない限り、これからも日本という国は舐められ続けるだろう。

これは、「ここで子供を殴ったら、家を飛び出して帰ってこなくなるかもしれない」と考えて、非行に走った息子を殴れない親に似ている。

確信がないから中途半端な対応しかできず、ずるずると本当に子供をだめにすることになる。しかも、「何もできない弱い奴」と見られて、子供にバカにされる。

「鞭を控える者は子を憎む者である」という聖書の教えを信じて、結果を神に委ねつつ毅然とした扱いができれば、このような悲劇は避けられるのである。

日本の今の外交の最大の欠点は、「悪と妥協する」ということである。

悪人を恐れているのだ。

拉致は犯罪なのだから、犯罪をカードに使ってくる連中には徹底して強い対応をする以外にはない。しかし、小泉首相は、通常の外交をやった。あたかも相手が対等の立場に立っているかのように、振舞った。いや、むしろ、相手から呼び出され、劣悪なホテルを交渉場に用意され、格下の扱いを受けた。

もし日本人が愚かでなければ、こういった知恵のない腰抜首相をひきずり下ろすべきだ。

太平洋戦争から学ぶべきことは、「正義ではない戦争をやってはならない」ということであって、「どのような戦争でもやってはならない」ということではない。

相手は、こちらが9条の足かせをはめられている状況を利用しているのだ。相手はまともではない。まともな相手ではない連中にまともなことをやってはならない。

侵略戦争に荷担する、誘拐された民間人を救うためにテロリストに金を渡す、誘拐国家から呼び出されて人質をカードに使われる、特殊法人を名前を変えて温存する、掛け声だけで道路公団の改革は腰砕け…。

こんなチキンなリーダーしか持てない今の日本人は本当に哀れだ。




明治維新における国家論の混乱が現代に続いている
皇太子妃の人格がなぜ宮内庁官僚に否定されるのか


2004年5月22日 土曜日

天皇制について(その二) 関 曠野コラム

前回は「天皇制」という言葉が共産党用語であることを指摘したが、今どき「天皇は絶対君主で人民の敵」などという講座派流の古典的な議論を口にする人はどこにもいない。こうした教条主義の没落は結構だが、それと同時に天皇制自体も議論されなくなった結果、1970年代あたりから国家論の空白と混迷が続いている。

だがこの知的に不毛な状況の中でも、かっての共産党的天皇論にとって替わりうる論を打ち出そうとする試みがない訳ではない。そうした試みをひとまとめにして、民俗学的ないし文化人類学的な天皇制論と呼ぶことができよう。言うまでもなくその代表格は、勅許特権を介した天皇と非農業民等との結びつきに民俗学的視点から注目する日本史家の網野善彦氏だが、祭司王としての天皇といった「金枝篇」のフレーザーばりの人類学系の議論もよく見かける。

 しかし私にはこうした議論は昨今の日本における国家論の混乱や衰退を示すものとしか思えない。戦後の一時期猛威をふるったマルクス主義の国家論は信用を失い、目下のところ国家論の空白を埋めているのは欧米のモデルを教条的に日本に当てはめただけの言説である。それは例えば英米流やハイエク流のリベラル国家論だったり、上っ調子なグローバリゼーション礼讃論や必然論だったりする。これではコミンテルンのドグマを鵜呑みにしたかってのマルクス主義者を笑えない。(ちなみにグロ−バリゼ−ション万歳論は、「国家は経済の上部構造にすぎない」というマルクス説の現代版である)。

そうした中では民俗学や人類学の視点に立つ天皇制論は、それなりに日本の歴史と風土に密着した血の通った国家論を目指す志のある試みと言えなくもない。だが問題は、この種の試みの多くが、天皇制を批判的に分析したつもりで実際には学問の名を借りた天皇主義イデオロギーになってしまっていることである。天皇制はこの国の民草の習俗に根を持つとか古代から日本列島の連綿たる文化と一体になって存続してきたとかいった議論は、それ自体近代日本の天皇主義者が事あるごとに主張してきた議論にほかならない。天皇=祭司王説もまたしかり。

 しかし前回に指摘したように、象徴天皇制が日本国憲法の原則になっている現実がなければ天皇制が問題になる理由などどこにもない。。そして我々がこんな天皇中心の憲法を持っているのは、現行憲法が日本帝国の欽定憲法をその57条の規定に従い改定したものにすぎないからである。つまり”国体”は今も存続しており、この国では相変わらず天皇が「公的なるもの」を象徴しているのだ。「国民統合の象徴」としての天皇とは、まさにそのことを意味している。この点で、日本とドイツには同じ敗戦国でも大きな違いがある。この両国は戦争責任のとり方をめぐってよく比較され、日本の煮え切らない態度が国際的に批判の的になる。しかし海外の世論は法の問題に気づいていない。

ドイツではヒトラーが当時のワイマール憲法を一時停止して総統指令で独裁をやったために、戦後の西ドイツはナチ体制を暴力犯罪と規定して戦前との体制上の断絶を確認、全く新たな連邦共和国基本法が制定された。ところが日本では憲法という国家の基本的な次元で戦前が続いている訳で、これでは日本帝国の全面的断罪など始めから不可能である。戦争責任についての日本人のあやふやな態度は、良くも悪くも戦後憲法の素性を反映しているのであり、日本人の心性や道徳的資質には殆ど関係がない。

 それゆえに、天皇制を論じようとすれば現行憲法の前身である明治の欽定憲法に行き着かざるをえない。そして大日本帝国の欽定憲法は、いわゆる明治維新の結果を制度化するために制定されたのだから、「天皇制とは何か」という問いは結局「明治維新とは何だったのか」という問いに重なる。私はかってこのコラムで「明治維新はスキャンダル」(バックナンバー参照)という一文を書いたが、1865年の王政復古のクーデターという暴挙の延長線上で”天皇制はスキャンダル”なのである。従来の天皇制論が殆どみな的外れな論である理由は、それが明治維新論として展開されてこなかったことにある。

 例えば従来の諸説は、明治以降に天皇が神聖不可侵な存在、臣民に対し自分の決定を説明する責任を免れた無答責の存在とされてきた理由を明確に説明できているだろうか。古来日本人は天皇に神秘的カリスマ性を感じてきたからとか、民俗的宗教的伝承の影響力のせいといった説明は、それ自体国家神道の教説を言い換えたものにすぎないだろう。

 天皇の神格化は、開国前後の幕末の日本で尊王攘夷論が演じた役割に間接的な関係がある。尊王論は本来は水戸学が太平の時代における徳川幕府の権力を正当化するために作り出した言説だったのだが、日本近海に外国船が頻繁に出没し始めた十九世紀前半の時代状況の中で攘夷論に結びついた。

そして幕府がぺリーの黒船の外圧に屈して開国し幕藩体制の要である鎖国政策を放棄したとき、その権力は正統性を失い、薩長など西国の諸藩には関ヶ原の合戦の敗者復活戦をやる絶好の機会が訪れた。そこでよろめく幕府を叩く大義名分として、安政の大獄から桜田門外の変までの一時期、尊王攘夷論の影響力は絶大なものになった。 

 だが所詮は時代の空気を反映したものにすぎないこの国論は、しぼむのも早かった。攘夷の急先鋒だった薩摩藩は薩英戦争を機に英国に留学生を送るほど親英的になり、勤王の志士たちのバイブルとなった「新論」を書いた水戸学の会沢正志斎も晩年には開国論に転向してしまった。となると幕府から権力を奪取したい連中には、倒幕の論拠としては尊王論しか残っていないことになる。

ところが開国後の日本の大勢は幕府と朝廷を和解させる公武合体論に傾き、そのうえ将軍徳川慶喜は抜け目なく大政奉還の儀式をやってみせることで尊王論者を出し抜いてしまった。将軍が天皇に政権を返上申し上げた以上、幕府を討つ理由はなくなった訳である。そこで大久保、岩倉らは慌てて討幕の密勅をでっちあげ、なりふり構わず王政復古のクーデターをやることになる。無理が通れば道理引っ込むとはこのことである。

 徳川慶喜の巧みなマヌーバーのせいで、討幕派の権力亡者らは正統性を全く欠いたクーデターを強行する羽目になった。そのうえ彼等は、開国後ひときわ活発になったこの国の世論を前に、何とかしてこの暴挙を正当化せねばならない。そこで名分上では進退極まった彼等は、天皇は世俗を超越した神聖な存在であり、神聖不可侵な天皇から実権を奪った過去の幕府の行為ほど畏れ多く不埒なものはないと言い張ることになった。そしてこの苦し紛れの妄言が、そのまま明治憲法の原則になってしまった。

京都の人々にとっては皇室は神秘的カリスマなどでなく、京都の数ある名家の中のトップの家門にすぎなかった。この京の名誉文化人とでもいうべき存在だった天皇が突如現人神になった理由はただひとつ、維新の犯罪的でスキャンダラスな性格を神聖なる天皇のヴェ−ルで覆い隠すためである。そこに思想などありはしない。尊王も攘夷も国体論も天皇の神格化に直接の関係はない。まずクーデターという行為ありきだったので、国家神道という天皇制の神学は明治に入ってから試行錯誤のつぎはぎ細工で作られた。

 このように見てくると、天皇制の歴史的な意味を決定しているのは明治維新であることを踏まえないためにいろいろ馬鹿げた説が出てくることがお分かり頂けたと思う。天皇制に関して問題にさるべきなのは、どこまでもその政治的な機能なのだ。もっとも私は英国の左翼の論客エリック.ホブズボ−ムのような、近代において伝統と称されるものは実は権力者によって新たに発明されたものだという立場をとるつもりはない。

天皇制は維新に際して無から創造された虚構ではない。後に明治の元勲と呼ばれることになる討幕派にとって天皇がかくも利用価値があった理由は、やはり古代以来の日本の歴史の中にある。そして天皇制は理由なくして一千年以上”皇統連綿”で存続してきた訳ではない。しかし明治維新というプリズムをとおしてこそ、この日本史における天皇制という問題もその核心があらわになってくるのである。そこで次回は、古代以来の日本史全体を理解する鍵としての天皇制について考察することにしたい。


(私のコメント)
17日の日記で日本の国家論について論じましたが、明治維新以降は国家論らしい国家論争はなく、それが現代まで棚上げされたままになっている。分かりやすく言えば日本という国は天皇制と言う国家の枠組みと、官僚制と言う国家の枠組みが二つ並立している。天皇制は中国の皇帝に対抗して出来た制度ですが、官僚制度は欧米の近代国家の仕組みを取り入れたものだ。

現代の憲法においても天皇は国民統合の象徴とされている。つまり実質的に天皇は国家元首であり対外的にもそのように扱われている。つまり現行憲法は欽定憲法を改定した形での憲法であり天皇制を国家の中心であることに変わりがない。その天皇制を決めたのが明治維新であり、天皇とは何かを考えると明治維新とは何かと言うことになる。

明治維新については尊王攘夷派と幕府の開国派の対立から幕末の動乱が始まりましたが、いつの間にか尊皇攘夷派の薩摩や長州が天下を取ると開国と言うことになり、わけのわからぬ事になってしまった。尊王攘夷は倒幕の方便に過ぎずその時点では天皇も道具の一つでしかなかった。それが明治維新以降は神格化されたのはなぜか。

薩摩や長州は攘夷と言いながら英国などから入れ知恵されて装備を近代化していたのに、開国した幕府は近代化に遅れておかしなことになった。幕府は大政奉還を行って倒幕の根拠をなくさせたが、薩長は徳川幕府そのものの転覆を図った。そのためには道具に過ぎなかった天皇を神格化して錦の御旗をいただいて倒幕する必要が出来た。

その影響が欽定憲法に現われて天皇を神格化することで、天皇家をないがしろにした徳川を打ったとする神話を作る必要があった。薩摩や長州侍にとっては徳川は天下の覇者でありコンプレックスは相当に高かった。それを拭うには天皇家を持ち上げて天皇直属をアピールすることでコンプレックスを拭い去ろうとした。

現代の官僚制度はこの流れを汲んでいる。戦前においては統帥権などを持ち出して天皇直属の軍隊としてありましたが、現代では天皇の代わりとしてマッカーサーの威光を借りて官僚たちは日本を支配しているのだ。明治政府が正当な理由の元に徳川幕府を倒して作られたものなら天皇を神格化させずとも政府の権威を持つことが出来ただろう。

明治の元勲達にとっては天皇は「玉」と呼ばれ道具に過ぎなかった。その伝統は現代の官僚たちに受け継がれ、皇太子妃に対する宮内庁の人格を否定した圧力を加えられることに現われている。もっとも現行憲法も天皇の人格を否定したものであることは職業の選択の自由や選挙権のないことや男子の継承など普通の人間として扱われてはいない事に現われている。

だから天皇制そのものに問題はなくとも、官僚たちは自分達の権力の正当性を裏付けさせるために天皇を格上げして神格化して利用しようとしている。本来ならばしっかりした国家論を組み上げて政府の正当性を強調すべきなのでしょうが、日本には天皇と言う便利な存在を利用しているのだ。

もっとも官僚や政治家達は天皇の権威を借りるばかりでなく、マッカーサーの権威も借りている。日本で新しい首相が決まるたびに天皇の認証を受けるだけでなく、アメリカ大統領の認証を受けに訪米をする。現行憲法と安保がある限りそうせざるをえない憲法制度だからだ。だから国家論を始めようとすると幕末から明治維新にかけてまで遡って国家論を展開しなければならない。




小泉首相と金正日の丁半博打はどちらが勝つか?
全員帰国でなければ国民の怒り爆発で金はおしまい


2004年5月21日 金曜日

■帰国予想〜シリーズ「年金政局」(3)■ 佐々木敏

前回記事の末尾で、04年5月22日に予定されている小泉首相の再訪朝で、北朝鮮による日本人拉致事件の被害者家族(蓮池夫妻の子供ら3家族8人)が当日、即帰国することにはなるまい(北朝鮮側が「人道援助」の取りっぱぐれを恐れるから)という、重村智計・早大教授の予測(04年5月16日放送のテレビ朝日『サンデープロジェクト』)を紹介した。

22日の訪朝で、拉致問題の解決がどこまで進むか(あるいは、核問題も含めてどの程度の「成果」があるか)は、北朝鮮問題の専門家でも予測が難しいようだ。

が、不十分ながら予測する方法が1つあることに、筆者は気が付いた。
それは、自身の年金問題についての、小泉首相の発言だ。

●大事件にぶつけろ●
小泉は、04年4月の国会で、自身の年金加入状況を野党に質問された際には、「払うべきものは払ってる」などと抽象的な答えでごまかし、年金法案の国会審議に影響が出ないように配慮していた。

これに業を煮やしたマスコミが、閣僚らの国民年金(保険料)未納(未加入)を、国会議員になる前までさかのぼって追求し始めると、5月7日、それに該当する福田康夫・前官房長官は辞任に追い込まれた。が、それでも小泉は、自らの議員以前の年金状況については黙っていた。

ところが、5月10日になって初めて小泉は、記者団の前で「議員になる前も、きちんと(国民年金保険料を)払っている」と(ウソを)語った。この日は、菅直人・前民主党代表が辞任を表明した日だったので、翌日の新聞各紙朝刊は「菅辞任」を大きく扱い(産経新聞04年5月11日付朝刊1面)、小泉の、自身の年金についての発言は小さく扱った(産経新聞同日付朝刊5面)。

さらに、5月14日になると小泉は10日の発言を翻し、議員になる前に未納(未加入)期間があることを、飯島勲・首相秘書官の記者会見を通じて明らかにした(但し、前回述べたように、飯島は、社会保険庁のデータを見ずに、つまり、厚生年金の加入状況も同時に確認できる方法をとらずに、敢えて手元の資料だけで確認した、と言い張った)。この日はもちろん、自身が5月22日に再訪朝する、という大ニュースを発表した日だった。

このように見て来ると、小泉が、自身の年金加入状況、とくに厚生年金加入状況を隠したがっているのは間違いない。かといって、いつまでも隠し通せない、ということもわかっているようで、5月10日と14日にしぶしぶ情報を発信している。

但し、「(ウソを)発言する日」あるいは「(問題を)認める日」は慎重に選んでいて、いずれも、ほかに大きなニュースのある日、つまり、国民世論の関心が自身の「年金ミス」に集中しない日をねらっている。

次に大きなニュースのある日はもちろん5月22日だ。とすると、この日に、かねてから『週刊ポスト』(04年5月7日発売の5月21日号)が指摘している、自身の厚生年金違法加入を認めるのだろうか?

●岡田のミス●
5月18日に民主党新代表に就任した岡田克也はTVに生出演し、小泉首相の年金違法加入疑惑を追及する、と述べた(04年5月18日放送のTBS『ニュース23』)。岡田は、この疑惑追求をテコに、年金法案を廃案に追い込みたいのだ。

週明け、04年5月24日には国会があり、民主党の岡田新執行部(その中心は、年金法案の成立につながる「3党合意」に反対の、藤井裕久幹事長)は当然、この疑惑を追及しようとする。しかも、この日は『週刊ポスト』の発売日だ。

筆者が小泉なら、野党やマスコミに追及される前に、先手を打って「違法加入してました」と認める。岡田は言わなくてもいいことを言った。週明け国会の「主戦場」は違法加入疑惑だ、とうっかり手の内を明かしてしまったために、小泉に対策を練る時間を与えてしまったのだ。

事前に小泉自ら疑惑を認めてしまえば、「見せ場」を作ろうとしていた民主党新執行部に肩透かしを食わせ、その「攻め手」を奪うことができ、年金法案の成立に有利だ。

【「国民年金が強制加入となった86年4月以降も、小泉が厚生年金に違法加入していた可能性を、民主党が調査中」という情報もある。が、前回述べたように、社会保険庁では04年5月から小泉の年金データはアクセス禁止なので、データの不都合な箇所を改竄してから禁止を解除してシラを切る、という懸念もある(『週刊新潮』04年5月27日号 p.30 「小泉首相の3つの疑惑」)。】

●悪いニュース●
とはいえ、もしも5月22日の再訪朝で十分な成果が上がらなかった場合、その前後に、はっきり「違法行為をしてました」と認めると、「年金」「北朝鮮」の2つの問題で国会審議が紛糾し、審議が止まる恐れがある。04年の通常国会は後ろに参院選が控えているため、会期延長が不可能で、ちょっとした審議の遅れでも法案が審議未了で廃案になる恐れがある。もし年金法案のような重要法案が廃案になれば、小泉首相の政治責任を問う声が、野党どころか与党内からも上がるだろう。

となると、違法加入を自ら認めるタイミングは、小泉の立場からすると、「十分な成果のある訪朝とほとんど同時」でなければならない。

●帰国予想●
もしも(極端な話、拉致被害者家族8人の即日帰国などの)十分な成果がある、と小泉が事前にわかっているのなら、つまり訪朝の成果に自信があるなら、小泉は訪朝前(たとえば21日)に「違法加入」を認めるだろう。逆に、訪朝前に認めないなら、小泉は自信がない、ということになる。

もちろん、自信がある(楽観している)から成果がある、という保証はない。小泉が情勢を誤解して楽観的になり、誤った自信を抱いて首脳会談に臨む可能性もないわけではない。が、北朝鮮首脳の訪日が一度もない中で、外交上異例の、二度目の首相訪朝なのだから、小泉には事前に一定の自信はあるはずだ。

●ハッタリのすすめ●
筆者と同じ情報は、金正日(キム・ジョンイル)北朝鮮総書記も持っている。金正日も当然、小泉が事前に「違法加入」を認めるかどうか注目している。認めないまま訪朝すると、金正日は小泉のことを「追い詰められて来たな」となめてかかり、(「あんたの政治生命はオレが握ってるんだよ」と言わんばかりに)拉致問題や核問題で自らの譲歩を渋ったり、北朝鮮貨物船の入港を日本政府が拒否するための「特定船舶入港禁止法案」成立回避や、日本から北朝鮮への、より多くの「人道援助」など、日本側の譲歩を要求したり、するだろう。そこで、筆者から小泉首相に提案である:

「訪朝で十分な成果をあげる自信がなくても、事前に『違法加入』を認めなさい。そうすれば、金正日は『小泉は強気だ』とビビって譲歩するから」

つまり、自信がなくても成果をあげろ、ということである。小泉には、その場でハッタリをかまして相手を脅すような交渉術はムリだろうから、ハッタリをかますなら、訪朝前にやっておくしかないのだ。

「違法」に問われかねないことを自ら認めておけば、日朝首脳会談の席で小泉は「首相の座には執着してないんだよ」と思わせることもできる(本人自ら、金正日にそう言うのがベストだが、本心でないからムリだろう)。
(^_^;)

事前にハッタリをかまさない……つまり、違法加入を公表しない場合、訪朝で十分な成果(3家族8人の即日帰国)があったとしても結局、違法加入の公表はその「直後」にはできない。(小沢一郎・前民主党代表代行が5月17日に調べた……フリをした)のと同じように「念のため、社会保険庁で自分の年金を調べてみたら、問題がみつかった」と言えるのは、官庁のオフィスが開いている平日しかない。21日(金)を、違法加入を認めないまま過ごしてしまうと、次に認めることができるのは24日(月)になる。これは、22日(土)の訪朝の翌々日であって、直後ではない。

たとえ22日に「家族、即日帰国」の大ニュースがあったとしても、それは22〜23日のTVニュース、23〜24日の新聞朝刊、24日午前中のTVワイドショーでさんざん報道されてしまう。そのあと24日に「違法加入」のニュースが流れると、いかに「帰国」の興奮さめやらない中とはいえ、「帰国」ニュースに飽きた国民の関心は首相の不祥事に移り、25日の朝刊1面トップには、そのニュースが大々的に載ることになる。

【もっとも、「違法加入」を24日の午前中、早めに公表すれば、それは夕刊(遅版)に間に合うので、翌25日の朝刊には載らない。その場合、北海道東部や東北、北陸、山陰、四国、南九州、長崎、沖縄など広汎な地域(朝日新聞の場合、21県)では夕刊がないので( http://www.shinbun2.net/ryokin_1.html)、それらの地域では「違法加入」は強く印象付けられずに済む。また、国民が「帰国」報道に飽きるのを遅らせるために、政府が22日に得た情報を小出しにしたり、小泉が平壌で一泊したりするテもある。】

21日(金)か24日(月)か、をマスコミ対策だけ考えて比較すると、明らかに21日のほうがいい。もちろん、21日の午後に「違法加入」を公表すると、22日の朝刊1面に載る。が、国民が朝刊を手にする頃には「羽田から平壌に飛び立つ首相専用機」の生映像がTVで流れるし、それ以降TVは「訪朝一色」になるので、国民は「違法加入」のことなどすぐに忘れる。

【もちろん、事前に違法加入の公表がなくても、「家族、即日帰国」はありうる。が、それを実現するには、首脳会談で小泉が金正日に相当に譲歩する必要がある。小泉にとっては、「家族帰国の約束」だけ取り付けて「私が首相じゃないと、これ以降の北朝鮮との交渉がうまく行かないんだ」と国民に訴えたほうがよいのではないか。「即日帰国」ほしさに譲歩する……譲歩の結果、たとえば、核問題未解決のまま北朝鮮に大型経済援助を与えて米国の怒りを買ったり、死亡または行方不明と伝えられている横田めぐみさんら10人の拉致被害者の安否情報が「(他の数百人の失踪者をも対象とする)日朝合同調査委員会の設置」(による解決先送り)でごまかされて国民の怒りを買ったりする……より、そのほうがマシではないか。

但し、この「委員会による10人(のうち一部)先送り」(生存者は帰国)は、10人のなかに本当に死亡した人がいた場合の日本国民の悲しみも先送りできるので、小泉が「22日はいいニュースだけにしたい」と乗ってしまう恐れはある。】

●盗聴対策●
前回、02年9月17日の小泉訪朝では、午前中の首脳会談では拉致の事実を認めなかった北朝鮮側が、午後になると一転して拉致を認め、金正日自ら謝罪した。これは、昼食時間中の日本側控え室の会話(小泉に随行していた、当時の安倍晋三・官房副長官の言葉「北が拉致を謝罪しないなら、平壌宣言への署名はやめましょう」)を盗聴していたからにほかなるまい(04年5月20日放送のテレビ朝日『スーパーモーニング』)。

今回(04年)の再訪朝でいちばん大事なことは、盗聴されないことだ。
5月17日には、警察庁職員を含む日本政府の先遣隊が現地・平壌にはいり、日本側の控え室(現地本部)と、日本国内との通信手段の確保などを行った、と報道されている。

当然、警察庁のスタッフは、盗聴防止設備を持参し、小泉が随行スタッフと話す際には筆談を促し、隠しマイクや盗聴電波、筆談を盗撮する隠しカメラも発見しなければならない。
もちろん、逆にわざと盗聴させるテもあり、安倍は前回それをやったのだが……小泉にはムリか。


(私のコメント)
いよいよ明日小泉首相が訪朝しますが、今回は9,17の時とは違って金正日もヘマはやらないだろう。金丸信の時や森喜朗タイプの政治家なら金正日の手練手管で料理できましたが、変人首相はかなり用心深くて、かなり勝手が違って拉致を認めたにもかかわらず見返りを返してこなかった。逆に拉致被害者を一時帰国させたのに約束を破られて、金正日のほうが一杯食わされたような形になった。

独裁者がヘマをしでかせば政治生命は終わりだから、今回は前回の訪朝とはちがってどのような策を用いてくるのか興味しんしんだ。日本側は特に譲歩しなければならないほど追い詰められたものは無いから、無条件で家族8人を返してくれなければ椅子を蹴って帰ってくればいい。そうなれば日本の国民世論もさらに強硬になるだろう。

さらには経済制裁や特定船舶入港禁止法案を通すなどいくらでも北朝鮮を締め上げることが出来る。そしてへたに北朝鮮に妥協すれば小泉首相もアメリカや国民から叩かれるから、少なくとも表向きには見返りの援助はしたくとも出来ない。この時期に訪朝するというのは無条件で家族8人を帰すという確約があるからこそ行くのだろう。

それに対して金正日は拉致した人質しか手持ちのカードは無いから、最大限に日本の譲歩を引き出さなければならない。だから金正日と小泉純一郎のはったり合戦になるのですが、金正日は全面譲歩と見せかけながらも何らかの罠を仕掛けてくるだろう。その罠にかからないためには迂闊に日朝共同宣言のような文書にサインはしないことだ。

9,17の時もサインさせたのだから金正日はこれで勝ったと思ったのだろう。ところが日本国民の世論を読み違えて金正日は追い詰められた格好になった。金正日が利口な男なら家族8人を帰して援助を最大限に獲得することが一番の策ですが、援助と引き替えでは誘拐犯人に金をやることだから小泉首相もこれは出来ない。

だから金正日は米25トン現物と引き換えでなければ渡さぬと言ってきたら小泉首相は席を蹴らねばならない。明日はそれを覚悟してゆけば、意外と無条件で返してくれるかもしれない。要するにはったり合戦だから強気のほうが交渉で勝つことが出来る。9,17の時も「株式日記」で意外と北朝鮮は意外な譲歩をして来るかもしれないと書きましたが、強気で出れば金正日は折れざるを得ない。

9,17以前は、日本の野党や左翼政党は北朝鮮とはまず国交回復が先で、拉致解決はそれからという主張でしたが、今ではそれはとんでもなというふうに世論はなっている。中国や北朝鮮とは強気で攻めていったほうが交渉事は上手く行くようだ。こちらにはカードが有るのに向こうにはカードがないことが多いからだ。

中国や韓国・北朝鮮は日本に対してカードが無いから、過去の歴史などを持ち出してカードにせざるを得ない。それが日本の政治家に対して大変効果があったから中国や韓国は調子に乗って言い立てるのだ。言われたら言い返すのが交渉だから、日本の政治家や国民も外人に言われたら言い返すだけの事はするべきだ。




『ノモンハン事件の真相』日本軍の強さを恐れたスターリン
反撃していれば日本軍の大勝利で歴史は変わった


2004年5月20日 木曜日

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 三島由紀夫研究会。国防研究会「合同」公開講座のお知らせ。
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 ノモンハン事件の真相は依然として闇のなかにあるが、実際の日露両軍の戦闘では、日本が実質的に勝利していた事実が浮かんだ。昨年の講座で好評をいただいた茂木さんに再び、スターリンの謀略とゾルゲとの関係を軸に、日本の政策決定プロセスとノモンハンの関係を追求していただきます。
               記
 とき       5月19日(水曜日)午後7時(6時半開場)
 ところ      高田馬場「大正セントラルホテル」三階 会議室
          (JR、地下鉄 高田馬場駅、ロータリー対面)
http://www.taisho-central-hotel.com/
 演題       “続・ノモンハン事件の真相”
 講師       茂木弘道(評論家)
 おひとり     2000円(会員は1500円)。
 お問い合わせ   (03)3200−2295
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ノモンハン事件の真相 <今こそ事件見直しの時である> 茂木弘道

1.事件発生の背景・原因:

1)国境問題:それなりの歴史的背景のある係争地であるが、なぜソ連・外蒙は強引に現状変更を図ってきたのか?(資料1.参照)

2)ソ連外蒙支配の危機:1921年ソ連軍占領以来ほぼ毎年反乱大規模処刑が続いた。主なものとしては;
1930-33:5回の反乱、3万人が参加
1934-35:2回の大反乱で共産主義者800人以上を殺害1万7千の僧侶が処刑される(参考1.)
1937:大粛正。前首相、参謀総長、閣僚以下2万6千人を処刑(総人口80万の4.5%、過去から通算すると6%が処刑される)

3)スターリンの狙い
:・ホロンバイル地区に膨張政策を採ることによって民族意識を煽動
・紛争を口実に大量のソ連軍を進駐させて反乱の可能性を根絶する
・西方の戦争の危機が備えるため、東側の目本に痛打を与えてソ連軍の力を誇示することにより、侵攻をあきらめさせる(南進させる)
・ソ連が国境侵犯軍事行動を起こした(具体的にはスターリン主義者、チョイバノレサンに命じて)のは外蒙支配維持のための死活をかけた国家的な理由からであった。

4)関東軍(特に辻政信)の好戦的・侵略的な方針が、小紛争を拡大した・などという五味川純平・半藤一利ほかの論は、スターリンの潮笑を誘う天下の愚論であろう。「侵さず侵されず」が侵路的方針だと言う彼らの主張は、世界に通用しない痴呆的な妄言である。

2.ノモンハン事件の経過:(資料2.資料3.参照。)

3.戦果と勝敗:

1)戦死傷者:

       戦死   負傷    合計
日本軍 8,741名  8,664名  17,405名
ソ連軍 9,703名  15,952名  25,655名
(ソ連側損害数は「ロシアの記憶」モスクワ軍事出版杜1998より)

・ソ連公式発表は、ソ連死傷計9,284,目本5万2千〜5万5千
・ソ連側の損害は25,655を更に大きく上回っていたと推測できる情報(ソ連側の発言を含め)多数あり(参考2.参照)

・五味川(そして半藤も)昭和41年靖国神杜の慰霊祭を伝える新聞に戦没者数1万8千と出たのを根拠に、実際の戦死者は作為があるので、正確なところは分からない、などといっている。(p.337)不正確なのは新聞報道であり、各部隊の名簿ははっきりしていて、遺族がいるので、細かい間違いは別にしていい加減な数字操作など出来ないのが目本であることを全く無視している。今年も10月5目に「ノモンハン会」による第64周年慰霊祭が行われた。言論の自由がなくどんなウソも政府が「自由」につけるソ連と同列に論じようとしているのは驚くべきことである。もっとも正しくは、同列ではなく、ソ連は正しいことをいっているという前提が、彼らの議論の基調である。

・五味川は、日本軍の損害は書くがソ連軍の損害はほとんど書かない。(たまに触れるときは、「こういう敵損失を累積すると、敵は十倍の兵力を持っていても足りなかったことに一一」など否定的に書くp.146)圧倒的に優秀なソ連軍に日本軍がメタメタにやられたかのような印象を与える書き方である。数も多く圧倒的に優秀なソ連軍が、ではなぜ日本軍の1.5倍もの損害を出したのか、何も説明できない。要するに局部を強調する「ウソ」の一種が五味川小説であるということである。
・張鼓峰事件:ソ連戦死傷5,500、日本1,440/これをソ連軍の大勝利と国内外に宣伝。(五味川も19師団壊滅の危機にソ連の情勢判断のおかげで救われたと書く。P19)
しかしなぜかソ連のノモンハンの宣伝は控めであった。

2)航空機・戦車:

航空機:ソ連機1,673機撃墜爆砕(うち高射砲で180機、戦車で26機、歩兵3機撃墜)
日本側損害;未帰還機77機、大破102機、計172機
*「出動回数50回、延べ300機を越えたが、出動中の全損害は3機で敵戦闘機による撃墜は皆無であった。」(野々垣四郎飛行61戦隊付大尉、ノモンハン・ハルハ河戦争国際シンポにて)
戦車装甲車:'ソ連側800両以上、目本側29両(内修理不能13両)
・目本軍の89式戦車の装甲17ミリはソ連軍の戦車砲で簡単に破壊されたが、89式戦車の57ミリ単身砲ではソ連戦車の装甲を破壊できなかった(五味川P.83):実際は、戦車同士の戦いで、日本軍戦車の被害0、に対して、戦果66。ウソを平気で書く五味川。
・千米以内に入れば日本の速射砲は百発百中だつた(軍曹前田義夫)
*火炎瓶発明者?岡野勝間一等兵:「トラックがソ連戦車に追われた時、荷台のガソリン缶を落したら戦車にあたり燃えました。これがヒントになって火炎瓶が一一。トラックに速射砲も一一」

3)勝敗:

・3倍の兵力を動員した反撃態勢を整えていたにもかかわらず、突如として反撃作戦が禁止されたため、敵のハルハ河右岸占領を許してしまった。(戦争目的に照らせば負けとなる)
・しかし、ノモンハンの日本軍の強さがスターリン、ソ連軍にいかに強烈な印象を与えたかは、ソ連が対日参戦に異常な慎重さを以て臨んだ(3倍の60個師団案では出動せず4倍の80個師団を動員して初めて攻撃)のを見れぱよく分かる。
・ジューコフがミシガン大学のハケット教授や新聞記者と会談したときに「元帥の軍暦の中でどこの戦いが一番苦戦でしたか」と聞かれ即座に「ノモンハンの戦い」と答えたとのことである。(参考2.)
・勝ち戦をわざわざ負けにしてしまったのは、参謀本部、その中心は作戦課長稲田大佐である。ひたすらソ連を刺激しないことに努め、敵基地爆撃を禁止し、手足を縛った揚げ句、「ソ連の統帥の節度は敵ながら見るべきものがある」「もしソ連が戦果拡大をやったならぱ一気にハイラルまで押されていたかも知れない」などと愚かなことをいっている。実際はソ連は大打撃を受け、日本の反撃に恐怖し'ていたのである。.

◆最後に:

1)ノモンパン事件をたいして価値のない土地を争って多大の血を流した愚かな戦と見るのは、大間違い。なぜソ連が、あれほどの戦力を大動員して投入してきたかを考えて初めて正解がでる。地域としても、ソ連軍180万が3方向から満州に侵入して来たときの中心はザバイカル方面軍であり、その発進本拠はハルハ河左岸に置かれていたことをみても戦略的にも重要な地域だったことが分かる。

2)ノモンハン戦ソ連勝利(表面的には)は、中国の反日勢力に強力な精神的支援を与え、日支事変を長引かせることに貢献した。また社会主義の優越性(:日本軍の愚劣さ)の証明として当時からそして現在に至るも有効活用されてきた。五味川はその犠牲者?宣伝マン?

3)逆に、三倍に増強された関東軍の反撃が行われたならぱ、ジューコフ軍はハルハ河で敗退し、外蒙に今度こそ全面蜂起の反乱が起り、地球上二番目の社会主義国は、間違いなく崩壊していたであろう。そうなっていれぱ満州の悲劇が起らなかったことはいうまでもなく、日支事変は収束し、したがって日米戦も起らないですんだであろう。ソ連崩壊は、五十年早かったことであろう。実は日支事変で中国の最大の支援者はソ連だったのある。敵を正しく読んでいなかった。

*反攻計画を全く実現可能性のないものと五味川は随所で述べているが、これはソ連軍の受けた大打撃を少しも知らない無知とソ連軍信仰によるもので根拠ナシ。関東軍の島貫参謀の試算によれぱ、実質戦力3:2.2で十分に勝てる見通しが立つ。だからこ・そ、ジューコフをはじめソ連側は恐れたのである。

4)ノモンハン戦を隠したり、反省しなかったというのは間違いで、大掛かりな事件研究委員会による研究報告が出ている。しかし、最大の間題であるはずの「索敵」の不備のことはほとんど取り上げられていないのは不可解である。またあまたのノモンハン事件論でも、この問題に対して余り関心が払われていないのは、奇妙である。航空戦力が優勢で、制空権を握っていた状況下にありながら敵戦力「大増強」を見逃したのであるから。

5)ノモンハン事件に対して、政府・参謀本部の基本方針は、「不拡大」であった。この方針を公表しているため、ソ連側は「安心して」戦力大量投入を行えたのである。そればかりか、参謀本部は支那事変のさなかであることを理由に(実際は漢口作戦以降は大きな戦闘は行われていなかった)、ソ連を刺激することを極度に恐れ、関東軍の反撃の手足を縛ることに腐心した。これは、二重の意味で間違っている。そもそも支那事変の背後にソ連がいることを認識していない。

そして共産主義国家は、相手が刺激するからどうこうではなく、相手が弱く勝てると見込めば断固として戦力を行使するのである。実際、日本が反撃を手控えているのを良いことに、戦力大増強と日本航空隊を疲弊させる基地爆撃を繰り返し、総攻撃の準備を整えたのであった。北朝鮮を刺激しないことをひたすら心がける日本政府と全く同じ思考を当時の軍中央がしていたことは驚くべきことである。ソ連軍の「節度」を讃える稲田作戦課長のようなソ連認識は、終戦仲介をソ連に依頼するという世紀の愚行へとつながっていったのである。


(私のコメント)
昨日は茂木弘道先生の『ノモンハン事件の真相』の講演会に行ってきました。そこでいただいたパンフレットの一部を紹介します。ノモンハン事件のことについては03年10月3日04年2月28日に書きましたが、実際に講演会で聞いてみてパンフレットや本を頂戴してきました。戦後における日本の現代史においては共産党系の学者の影響が大きく作用しているようだ。

先日も映画化された篠田監督の「スパイゾルゲ」をDVDで見ましたが、共産党の宣伝映画を見るような印象で、その点をフィルターをかけてみないと映画そのものを真実と見てしまうと誤りだ。それと同じく司馬遼太郎や五味川純平や半籐一利氏らの小説もあくまで小説であり、史実とはかなり異なる部分もあることを念頭において小説として読むべきだ。

日本では「ノモンハン事件」と呼んでいますが規模から言えば明らかに戦争であり、ロシア側では「ハルハ河戦争」と呼んでいる。ノモンハン事件の研究については小説や映画に比べると歴史や戦史の分野ではあまり十分な研究が行われておらず、本などを探してもほとんど見当たらない。だからほとんどの人は司馬氏や半籐氏の小説でノモンハン事件のことを知るのみだろう。

しかし歴史的に見ても戦史的に見てもノモンハン事件は大きな転換点になっており、十分な分析が必要だ。日本側から見るとノモンハンは満州奥地の国境線に過ぎず、そこで大きな戦争を行うには何の意味もなく、大本営から見れば不拡大方針は正しかった。しかしソ連側から見れば満州を通って太平洋への進出路であり、ウラジオストック以南の港を得るには満州を攻略する事は不可欠だった。

日本軍が中国との戦争に引きずり込まれたのも、中国の背後にはソ連共産党が後を引いており、中国を共産化すると同時に日本軍を中国に引きずり込んで日本を疲弊させて共産化することを戦略としていた。それと同時に蒋介石の国民党軍にはアメリカが後を引いており、日本軍は実質的にソ連とアメリカを相手に中国で戦っているようなものだった。

ソ連がノモンハン事件を仕掛けたのは中国へ進出した日本軍への牽制と、ソ連がモンゴルへの軍事支配力を強めるために口実として国境紛争を仕掛ける理由があった。日本軍は中国との戦争で手一杯だったのだから日本から戦争を仕掛ける理由はまったくなく、一個師団しか軍を配置していなかった。

それに対してソ連は5個師団以上の軍隊を派遣してきたのだから狙いは明らかだ。日本軍は極力ソ連を刺激しないような戦法を取らざるを得ず、ソ連側は日本の不拡大方針を知っているから強気でせめて来た。しかしながら数で劣るはずの日本軍は非常に手ごわく、ソ連軍側は多大な被害を被った。日本軍も反撃の戦力を整えたが、ソ連の挑発に乗って戦争を拡大するわけにいかず、日ソ痛み分けの形で事件は終わった。

おそらくノモンハン事件の衝撃がソ連の満州侵略を諦めさせた大きな原因となった。大戦末期にソ連は満州および千島列島を攻めてきたことからも、領土的野心をスターリンは持っており、ノモンハンで抵抗を受けなければ、ポーランドの東半分やバルト三国のように満州はソ連に併合されていただろう。その意味で日本軍の戦闘は戦略的に見て大きな意味があった。

通説では日本はノモンハン事件でソ連の近代化戦力に驚いて北進を諦めて南進政策に変更したとされるが、無敵の関東軍でも大陸奥地での戦闘では勝てないことはわかっていたはずだから北進政策はありえなかった。しかしスターリンは日本軍の強さを恐れてゾルゲからの情報で北進はないと情報を得るまで軍をシベリアから動かすことが出来なかった。

日支事変においてもノモンハンで日本軍が大損害を受けたことで、ソ連や中国側はノモンハンで大勝利したことを宣伝して士気を高める必要があった。もし日本側が大反撃をしてソ連を追い込んでいたらどうなっていただろう。ソ連はポーランドやバルト三国から兵力を引き上げてノモンハンに投入せざるを得なくなっただろう。

戦略的に見て日本軍は朝鮮半島へ進出して以来、大陸奥へ奥へと引きずり込まれる結果となった。マッカーサーですら朝鮮戦争で中国へ爆撃を進言して罷免されましたが、いったん大陸へ手を出すと止め処がなくなるのはどこも変わりがない。だからアメリカがイラクを侵略しましたがそこで止まるはずもなくイランやシリアへ戦争を仕掛けることになるだろう。




岡田・藤井体制で小沢氏の民主党乗っ取りは成功した
しかし小泉首相のような党の看板スターがいない


2004年5月19日 水曜日

■小沢は前から知ってた!〜年金政局(1)b■ 佐々木敏

「オレが(民主党の)代表になったら、国会議員全員が年金(保険料)を払っているか調べる。しかも、(国会議員も)国民年金に強制加入となった'85年の前も後も、すべて調べるんだ。はっきり言って、オレにとっても危ない話だ。オレだって払っていないかもしれない。議員だけじゃない。必要に応じて公設秘書の年金も公開させる。それでもオレを担ぐんだな?」(『週刊現代』04年5月29日号 p.39 「小沢一郎『公設秘書の年金未納を調べろ』」)。

これは、04年5月17日発売の『週刊現代』が、「5月14日(午後2時台)の代表就任受諾記者会見以前の5月12日に、民主党の小沢一郎代表代行(当時)が、民主党幹部に語った」と報じる記事である。週刊誌の印刷・製本・配送にかかる時間を考慮すると、この記事が5月14日以前に書かれたことは間違いない。

●厚生年金違法加入●
5月14日の小沢の受諾会見の約3時間後、小泉首相の飯島勲秘書官は「小泉首相には(強制加入となった85年以前に)国民年金未加入期間があった」と記者会見で明らかにした。

飯島は、社会保険庁の資料を見たのではなく、銀行通帳など手元の記録で確認した、という。小泉の銀行預金通帳によれば、60年代から年金保険料はちゃんと引き落とされている、と飯島は主張するのだ。

が、当時はまだ年金保険料を銀行で引き落とす制度はなかった(04年5月17日放送のTBS『ニュース23』)。飯島の主張は明らかにウソなのだ。

この、飯島の「社会保険庁のデータを見なかった」という主張は、5月14日の記者会見当時からマスコミに疑問視されていた。「それなら、正確かどうかわからないではないか」と突っ込む記者もおり(産経新聞04年5月15日付朝刊1面)、それに応える形で仕方なく、飯島は銀行預金通帳云々の言い訳をせざるをえなくなったのだ。

なんで、社会保険庁のデータを見るのがいやなのか?……考えられる理由は1つしかない。社会保険庁で照会すると、国民年金だけでなく、厚生年金の加入状況も同時にわかるからだ。

実は、小泉首相の年金スキャンダルの最大の疑惑は国民年金未納(未加入)ではない。それとは別に、厚生年金に違法加入していた、という詐欺、脱税にも該当しかねない疑惑があり、それを隠したいから飯島はヘンな言い訳をせざるをえない、と解釈するのがもっとも自然だ。

小泉は70年4月1日から74年11日1日まで、横浜の不動産会社に勤務し厚生年金に加入していたが、その間、72年12月には衆議院議員に初当選している。この、不動産会社勤務当時、小泉は20〜30代の「若造」だ。どう見てもただのサラリーマン(会社員)であり、会社役員ではない。そして、会社役員や芸能人ならともかく、国会議員はその職にありながら(ヒラの会社員として)会社の仕事をすることは事実上不可能だ。

とすると、小泉は勤務実態のない会社に在籍しつつ、その在籍を根拠に厚生年金に「違法に」加入していた疑いが濃厚だ(04年5月17日発売の『週刊ポスト』04年5月28日号 p.29 「厚生年金違法加入疑惑」)。この、違法な厚生年金保険料の支払い分は、当然所得税の課税対象から控除されるので、それによって「節税」された分は「脱税」となる可能性がある。また、勤務実態のない会社に勤務したことを理由に将来年金を受け取ると、詐欺に該当する恐れもある。

●刺し違え●
04年5月17日、小沢は、自身の、85年以前の国民年金未加入が判明したことを理由に、民主党の代表選出馬を「突然」辞退した。
が、『週刊現代』前掲記事は、小沢の「全国会議員の年金未納・未加入を明らかにする」作戦は、小泉首相のクビがねらいだ、と述べている。

もちろん、小沢が、小泉と同じ85年以前の未加入を理由に代表選出馬を辞退したからといって、それで小泉が即退陣するという保証はない(04年5月17日放送のテレビ朝日『報道ステーション』における、加千洋・朝日新聞記者の発言)。しかし、未納(未加入)問題や違法加入疑惑で小泉政権を揺さぶれば、たとえ04年5月22日の再訪朝で小泉が北朝鮮による日本人拉致問題の解決に向けて一定の成果を挙げても、そのあとの国会で年金法案を廃案に追い込むことが可能になる。そうなれば、04年7月の参院選で与党・自民党の(惨敗はムリでも)少なくとも圧勝を防ぎ、民主党の議席減を最小限に留められる。

●クーデター継続中●
小泉首相が再訪朝によって国民の支持を得ようとすることは、04年2月頃から予想されていた。一定の成果が見込めない限り「首相が」(相手国の首脳の訪日なしに)二度続けて外国を訪問することはありえないから、訪朝が決まれば、なんらかの(世論への目くらまし的な意味かもしれないが)成果はあるに決まっている。そうなれば、7月の参院選は与党・自民党に有利、野党・民主党に不利になる。

小沢は5月10日の菅直人・民主党代表の辞任表明直後は、岡田克也・民主党幹事長に代表就任を要請されても、「菅代表の残り任期(04年9月まで)でなく、党規約を改正して2年間の任期を与えてほしい」と言っていた、と伝えられている。

たとえ、自身の未納(未加入)問題がなくとも、小沢がそのまま代表就任を受諾すれば、そして7月の参院選で民主党が1議席でも減らせば「敗北」の責任を問われて、04年9月の代表任期終了を迎えることになる。そこで、民主党の一部は当然、他の代表候補を立てて代表選を(たとえ形式的にせよ)戦おうとするから、下手をすれば小沢といえでもその代表選で「落選」し、政治生命もそこで終わってしまう危険があった。

14日に、岡田の説得を受けて代表就任を受諾する際、小沢は、岡田の主張する「話し合い決着」を蹴り、形式的にせよ代表選を行うように訴え、5月18日に、党規約(任期途中で代表が欠けたときの規定)に基づき、両院議員総会による代表選出手続きが行われるはずだった。

14日の受諾会見から、この手続きが終わるまでの4日間は、たとえ小沢が岡田からの代表就任要請を受諾しても、まだ正式決定ではないから断れる。
現に17日、小沢は断った(ということは、断りたいから「代表選をやってくれ」と言った、ということか)。

しかも、強制加入になる前の未納(未加入)を理由に、小沢が代表就任を辞退したことで、民主党の次の執行部(岡田新代表)は……岡田が菅直人・前代表のもとで幹事長としてまとめた、政府与党が成立をめざす年金法案の成立につながる「(与党と民主党の)3党合意」の存在にかかわりなく……「未納」問題で、政府・与党を追求せざるをえなくなった(3党合意は事実上、破棄される可能性が高まった)。

【岡田は5月17日深夜の民主党幹部との会談で「未納、未加入問題がある人は執行部から外れてもらう」と語った(共同通信Web版04年5月18日 < http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040518-00000026-kyodo-pol > )。一方、毎日新聞の岸井成格記者は「ほとんどの国会議員が未納問題の恐れを抱えているが、官僚出身の議員だけはこういう制度に強いらしく、ほとんど全員完璧に納めている」という(04年5月17日放送のTBS『ニュース23』)。とすると、小沢の潔い(?)決断の結果、民主党内では、官僚出身議員が重用され、その発言力が一気に増大することになる。当然のことながら、官僚出身の「左翼系」議員はいないので、発言力を高めるのは、保守・中道系だ(民主党内の旧社会党系グループの発言力は一気に低下し、民主党は憲法、防衛、外交などの諸問題での党内対立を「卒業」することが可能になる)。岡田は通産官僚出身なので堂々と(?)代表を務められるが、党実務を仕切る幹事長はだれが務めるのだろうか?……実は、小沢の腹心、旧自由党系の井裕久は大蔵官僚出身(93年の細川内閣では蔵相)なので未納の心配がない。もし、この、旧新進党(新生党)時代に「小沢チルドレン」とまで言われた小沢直系の井が幹事長に就任するのなら、岡田代表の新執行部は事実上の「小沢リモコン執行部」であり、小沢の「民主党乗っ取り計画」は成功した、とさえ言える。】

民主党幹部のなかには、「(代表辞退という)潔い身の処し方で、小沢が今後代表に就任する芽は残った」という意見があるので(産経新聞04年5月18日付朝刊3面「肉を切らせて骨を断つ」)。おそらく小沢は、04年9月の代表選に出馬して、小党自由党の党首から、最大野党民主党の党首(代表)になるという、前代未聞の「乗っ取り」を完遂するつもりに違いない。自民党から政権を奪うには、衆議院の解散・総選挙が必要だが、それは当面ない……04年7月参院選がハプニングによって「衆参同日選」になる可能性は低い……というのが小沢のヨミなのだろう。

●同日選の可能性●
但し、筆者は、同日選の可能性はないとは言えない、と見る。国会での年金法案審議が、民主党の「未納」問題追及などで立ち往生し、かつ、小泉首相が「5月22日の再訪朝により拉致問題などで一定の成果があった(と国民が評価した)」と(国民でなく小泉自身が)思ったら、小泉はその性格から見て、「国会立ち往生」の責任をとって退陣(内閣総辞職)することはなく、解散・総選挙で国民の信を問う……つまり「賭け」に出るほうを選ぶだろう。

なぜなら、5月22日に急遽決まった再訪朝が、すでに「賭け」なのだから。
小泉は、首相就任前後に語っていた「自民党をぶっ壊すつもりで改革をやる」という言葉とは裏腹に、「与党としての自民党と、自身の権力とを守るためには、なんでもやる」という「権力欲」のかなり強い政治家のようだ。

それは(靖国神社をどう考えるかの議論はさておき)、自身の思想信条として、「(01年)8月15日には、いかなることがあろうと靖国神社に参拝する」と公約して01年4月に首相および自民党総裁に就任したにもかかわらず、周囲に文句を言われると、あっさりそれを翻して8月13日に参拝してしまったことに、もっとも典型的に表れている。

ほかにも、(道路)族議員を「(改革への)抵抗勢力」と呼んで敵視する振りをしつつ道路公団改革を進めると主張しながら、結局は自民党内の権力基盤を固めるために、道路族議員のドンである青木幹雄・参院自民党幹事長と手を組んでしまったことからも読み取れる。

もはや小泉政権は、なんらかの政策や思想信条を実現するための政権ではなく、完全に政権維持のための政権、つまり選挙に勝つためだけの政権になっている。


民主党に限らず、衆議院議員は全員、解散・総選挙(同日選)はありうるという覚悟でいたほうがいいだろう。
もし、岡田新代表のもとで民主党が「衆参同日選」で議席を伸ばすと、04年9月の代表選では、小沢が当選する可能性はほぼなくなる。逆に、民主党が議席を減らすと、民主党が政権を取る可能性は当面(おそらく3年間)なくなる。


(私のコメント)
小沢民主党の誕生は、小沢氏自身が小泉首相と同じく任意加入の時期に未加入があり代表を辞退することになった。逆に菅氏は役所のミスが原因で未納になったのであり、年金に関しては菅氏は代表を辞める理由はなかった。しかし選挙の顔としては菅代表では補選で三連敗するなど、神通力を失っており代える必要があったのは確かだ。

しかし小沢代表で年金で参院選を戦えばと思っていたのですが、小沢氏自身が未納では年金を争点にして参院選を戦うのは出来なくなった。年金制度を決めている議員自身が未加入だったり未納だったりでは国民の納得は得られない。このような無責任な国会議員では官僚たちが作った年金法案に、ただ粛々と議決していたに過ぎない。

これでは民主党も自民党も変わりがなく、実務は官僚たちが仕切って国会議員の先生方は中味のない審議ごっこをしているだけなのだ。だから総理大臣や国務大臣になったところで官僚たちが作ったメモを読み上げるだけの人形に過ぎなくなってしまう。これでは選挙の投票率が下がり続けるのも当然だ。

岡田民主党になって自民党に対抗できることは、世代交代なのですが民主党の若手も自民党の若手もまるでやる気がなく、党首選挙で立候補する人がいない。みんな派閥の幹部の言いなりで、若手とはいっても陣笠議員に過ぎず、志のある若手議員は数えるほどしかいない。政策にしても大臣になってから慌てて勉強を始めるといった情けない状態だ。

小泉首相が国民の支持率が高いというのも、今までの総理に比べれば口先は達者だし、外国の首脳と会談をするにしてもバカにされないで済むレベルの能力はあるからだ。今までの首相は多かれ少なかれ鈴木善幸や森喜朗的な外人にバカにされてばかりの情けない人物が多かった。

岡田新代表も小泉首相に比べれば不器用そうで、外国の首脳にジョークの一つも言えない日本の政治家タイプだ。例えば北朝鮮の金正日と会談するにしても小泉総理ならなんとか会談でわたりあえるかもしれないが、岡田代表では金正日に手玉に取られそうだ。歴代の日本の政治家は情けないほど弱腰で外国の首脳にペコペコばかりして、まるで威厳がない。

日本の総理大臣はバカでもなれるようになっている。年功序列で当選五回で大臣で当選十回で総理大臣といったように決められる。だから凡庸でも運がよければ政治のトップの地位に立てる。しかし実力で総理になった訳で無いからたちまち馬脚を現して一年足らずで失脚する。それの繰り返しだった。

小泉首相が三年続いたのも歴代の首相では出来なかったことをやってのけたから国民の支持率も高い。自衛隊のイラク派遣も北朝鮮への強腰外交も他の首相では出来なかっただろう。靖国神社参拝における中国からの抗議も他の首相だったら聞き入れて抗議に屈していただろう。だからこそ日本国民の支持率も高いのですが、これからの総理もその点は見習ってほしいものだ。

自衛隊のイラク派遣も、災い転じて福となすで憲法改正で自衛隊を国軍として認めさせるように出来れば結果オーライかもしれない。しかし戦死者が出ないうちになんとか撤退できればいいのだが、冷酷な小泉首相でなければこのような事は出来ない。




<UFJ>不良債権処理で黒字予想から最終赤字に
最高の策は、日銀による民間銀行の不良債権買い取り


2004年5月18日 火曜日

<UFJ>不良債権処理で黒字予想から最終赤字に

UFJホールディングスは17日、04年3月期決算で不良債権処理額を大幅に積み増す結果、1000億円規模の最終赤字になる見通しとなった。4月28日に下方修正した業績予想を再び下方修正する方向で最終調整しており、週内に発表する見込み。UFJ銀行の寺西正司頭取ら経営トップの引責辞任は避けられない情勢だ。(毎日新聞)
[5月17日13時26分更新]

7.最高の策は、日銀による民間銀行の不良債権買い取り

民間金融機関が、民間融資のリスクをとれないことが、この国の問
題です。不良債権処理は、民間銀行の処理に任せておくことはでき
ない規模です。

民間銀行に任せれば、新規の企業融資はどんどん細って増加資金で
は国債を買うだけの御用機関。現実はそうなっています。

もともと御用機関になっているとすれば、更に御用機関にすればい
い。方法は、以下のプロセスです。

(1)日銀は短期ゼロ金利の調節ではなく、民間企業の不良債権を、
銀行の簿価そのままで買い取る政策に転じる。

必要資金は総額でも(わずか)150兆円くらいです。国家の借金
1000兆円に比べれば、15%で少ない。

日銀は、マネーを発行できる機関ですから、通信回線で一瞬のうち
に、これをやることができます。国会で日銀法改正(緊急臨時立法)
をし、日銀に実行させればいいのです。

構造改革派の日銀は抵抗するでしょうが、金融の構造改革そのもの
である不良債権処理を民間銀行に任せず、直接、日銀がやることが、
長年望んだ構造改革そのものだと反論すれば、日銀はグウの音も
出ないでしょう。それこそ日銀が望んだことです。(笑)

不良債権をカットするのではない。銀行から簿価で買い取る。そし
て回収は、日銀の新設機関で行うのです。

(2)不良債権の回収は、全部、日銀の下請け機関のRTCに任せ
る。規律ある金融の精神が分かっている中坊公平氏を再度招いても
いいですね。米国から大量に経験者を招聘してもいい。

不良債権は回収しないのではない。だから、ダイエーのような、債
権カットでの企業救済ではない。債権カットは愚策。

(3)不良債権の買い取りを受ける現銀行の役員クラスは、過去に
野村證券が行ったように、貸し手責任を問って、パージする。

これによって民間銀行の自己資本は、実質的に10%になる。今は、
粉飾の上にのった自己資本であることが問題なのです。粉飾では
維持はできるが、融資のリスクを抱えることはできない。

これによって、日本の金融機関は「1日で」信用を回復します。

瞬間にやることです。文字通り、世界に冠たる金融王国の金融機関
が回復します。

民間銀行の不良債権を簿価100%で購入する日銀の信用は落ちま
す。日銀の信用が落ちることの問題はない。通貨の発行券を独占す
る機関だからです。民の苦しみの総額を、バブルを政策的に潰した
日銀に、単に移管するのです。

日銀は、国家機関ですから、国家財政破綻の責任を日銀がかぶるこ
とになる。同時に、日銀は国家の赤字である国債も直接引き受ける
ようにします。

ハイパーインフレは起こりません。資金供給ではなく、不良債権の
買い取りだからです。リップルウッドがやったことを簿価で日銀が
やる。

国家が総額で1000兆円の負債を抱えることはもう分かっていま
す。それを150兆円分だけ新規に増やすのです。これが、新たな
融資を受ける民間企業にとって乾天の慈雨になる。民は今、マネー
不足です。

国家のバランシートが不安なら、時価150兆円分の国有資産売却
(証券化)を行えばいい。借金をした人の最後の手段は資産売却し
かないのです。

こうして、90年代の、官の経済の肥大、民の経済の圧迫は解消さ
れます。民の圧迫が日本経済の最大の障害です。この障害を大きく
しようとしているのが財務省です。この頑迷な財務省は、政治と世
論で押さえることができます。

こうした政策の難点は、唯一、銀行に恨みを持つ世論です。

世論は、民間銀行の不良債権を、帳簿価格のままで買い取ることに
抵抗します。

理由は以下です。
(1)金融機関の給料も退職金も高い。
(2)幹部・役員の給料も異常に高い。
(3)だから銀行救済策に反対する。

金融機関の給料の、30%くらいのカット(民間企業並みにするこ
と)と役員のパージで避けることができる。
不良債権を作った貸し手責任を問うのです。

■8.民間企業への資金還流の回復

90年代経済の問題は、
(1)民間資金を400兆円も、政府が使って後世に利を生まない
公共投資をしたこと、
(2)国内資金余剰分が、米国債購入になって、米国を富ませたこ
とです。

民間企業から見れば、金融大国の1400兆円もある個人金融資産
の資金は、90年代は、政府と米国というわき道を素通りした。

90年代の国内金融機関が、増加資金で民間企業への融資を行えな
かったことが原因です。日銀の低金利策は国内融資の例金利を生ん
で、その金利では融資にともなうリスクヘッジができなくなってし
まった。

2%や3%の貸付金利では若い企業へのリスク貸出しはできない。
そのため、日本企業の新しい芽が、ほぼ摘まれてきた。
融資は、リスクの少ない既存有名企業へのみ向かった。
これは、経済の固定化を生みます。

もちろん個別には、中小企業でも、低利で融資をうけることのでき
る企業もあった。ここで言うのは金融機関全体の、資金還流の構造
のことです。

民間の資金需要がないというのは、完全な認識の誤りです。
150兆円分の民間不良債権が整理され、その過程で、お買い得な
物件や企業がごろごろ出てくれば、資金需要は急に増える。

海外からの買いと、国内からの買いで、資金需要は沸騰します。
海外の禿(は)げ鷹ファンドに、買わせるより遥かに得策です。

民間不良債権が、金融庁の認定でも80%も小額で、不良債権の下
に、資産が固定され動かないことが、根本問題なのです。

不良債権処理は、短期で、果敢に実行しなければならない。いたる
ところM&Aが起こりますから、失業は思ったほど増えないのです。

試算

不良債権処理は、不良企業の資産の価格を底打ちさせることを意味
します。1兆円の簿価資産で、8000億円の負債を抱え、売上が
5000億円という構造が問題です。

8000億円の民間銀行の債権を、日銀が簿価の8000億円で買
い取って、(仮に)純資産を2000億円と評価します。日銀には、
6000億円の損失が残る。

その企業は、一転して総資産4000億円で、2000億円の負債、
売上が5000億円の優良企業になる。これを、日銀は、競争入
札(つまりは株式市場)で買わせる。こうした負債構造のリストラ
をやれば株価時価総額は、おそらく5000億円くらいにはなる。
そうなると、日銀が抱える損は、6000億円−5000億円で、
1000億円に過ぎなくなる。

これは、企業の借金8000億円が、5000億円の株に(つまり
企業の自己資本に転じた)ことを意味します。日銀の損失は、実は
見かけのようには大きくならないのです。

不良債務があっても、設備、人材、会社組織はある。過大借り入れ
で身動きができなくなっている設備・人材・組織を、負債を自己資
本に転じることで、動くようにする。これが、日銀による150兆
円の不良債権の買い取りです。

絹のハンカチ組みの日銀にはそこまでの骨太の腕はないでしょうか
・・・

今回は、<日本の最善策は、国家財政破綻から>に続いて、<日銀
による不良債権の買い取りという方法>でした。官の都合に過ぎな
い、官製の論にごまかされないクールな知性を持つことです。言葉
は武器です。


(私のコメント)
UFJが金融庁のの指摘により貸し倒れ引当金を積みますために再度業績を下方修正させられるようだ。日本の金融政策は相変わらず銀行を締め上げることで、日本の経済回復を遅らせて、日本の銀行や企業をリップルウッドなどのハゲタカ外資に売り払うことを目標にしている。本気で日本の経済を活性化させたいのならば、公的資金で銀行の不良債権を簿価で買い取れば一気に回復すると「株式日記」で何度も指摘してきました。

しかしながら小泉・竹中内閣は構造改革の名の下に日本をアメリカ化することで、アメリカ政府の言いなりの政策を行っている。しかしながら小泉内閣はこの三年間景気対策を一切行わずに、政権は維持し続けている。どういうわけか国民の支持率は高く、選挙においても自民党は勝ち続けている。これでは自民党も小泉首相を引き摺り下ろすわけにも行かずにいる。

株式相場も7000円台のところから12000円台まで回復して、今日発表されたGDPの数値も年率5,6%と高い数値を示している。この二つを見ると日本経済は底を打って回復し始めたようにも見える。これはデジタル家電が売れ始めたことと、中国経済が好調でそれに引っ張られていることが原因のようだ。

この事からメガバンクを始めとして最悪期を脱したかのような状況でしたが、脱したかどうかはこれからの景気の状況次第だろう。株式市場も外人投資家の買いであり、景気の回復も外需に引っ張られてのものであるだけに、この要因に変化がおきれば元の木阿弥に戻る恐れがあります。

基本的には金融問題が片付かない限り日本のデフレ不況は治らないだろう。その金融問題を片付けるには不良債権を少なくすることですが、景気が低迷していると不良債権は増える一方であり、景気が回復してゆけば不良債権も消えて行く。しかし今の現状では銀行が自力で不良債権を減らすには相当な期間を要する。

そもそもバブルが崩壊し始めた頃、宮沢内閣は銀行の不良債権を公的資金で買い取ることで処理しようとした。ところが銀行からも大蔵当局からも反対されて、マスコミも世論も大反対した。住専ですら6000億円の不良債権の買取も世論の反対が強かった。銀行の放漫経営のせいだとマスコミが煽ったからですが、しかし銀行を締め上げた結果日本経済は泥沼のデフレに陥ってしまった。

おそらく最終的には公的資金の銀行への注入か、不良債権の買取という形でなければ早期の景気回復は難しいだろう。しかしながら小泉・竹中内閣ではそのような政策がとられる可能性はない。だから景気が回復しかけると竹中大臣が景気に冷や水をかけるような事をする。UFJの不良債権引当金の積み増しもUFJへの「いじめ」であり、ひょっとしたらUFJをハゲタカ外資に売り渡す計画を立てているのかもしれない。




この国の歪んだ国家論の源


2004年5月17日 月曜日

3.戦争<犯罪>の総括方法

GHQは、天皇と行政機構という、2つの柱になる国家運営の枠組みを残し、戦争は戦争犯罪人が起こしたもので、国民に罪はないとした。

国民は、米軍の占領による「全体主義」からの解放を多くが歓呼して受け入れた。米国は、占領収奪は行わず、むしろ経済の発展を支援する態度をとった。

戦争という国際紛争は、「犯罪」の範疇を超えるのだが

戦争は、市民法の規定の範疇(はんちゅう)を超える。戦争が犯罪なら、論理的に戦勝国の軍人も、殺人と略奪を犯した犯罪者になる。武力で勝てば犯罪人ではなく、負ければ犯罪人という論理は、成立しない。

戦勝国は、日本・ドイツ・イタリアを<悪の全体主義国>とし、連合軍諸国は、<善の民主主義国家>とした。

その全体主義の<悪>の犯罪人が、東条英機以下のA級戦犯(処刑)、ヒトラー(自殺)とナチス、イタリアのムッソリーニ(処刑)とされた。

ドイツは、国際社会に向かって、国民自身がナチスドイツを総括し、ナチスの残党を捕らえ、死刑にした。一方、日本では、戦犯とされた昭和の妖怪:岸信介は、その後、国会で選ばれ首相をつとめた。

東南アジア諸国や中国・韓国は、ことある毎に、戦前から続いているように見える軍国主義、全体主義の残滓(ざんし)を非難する。

ところが戦後の日本人は交戦権もなく、自衛隊は軍隊ではないとしているから、双方の主張は接点がなく、すれ違う。

<国体>という心情的な概念と、軍隊の位置付け

【天皇の軍隊】
戦前の軍隊は、「天皇が君臨する国体」を守る軍隊だった。統帥権(最高指揮権)は天皇がもち、国民の代表である首相には、軍の統帥権はなく、スタッフとして「参与」できるだけだった。

有史以来、日本人は、いまだに「市民を守る軍隊」をもった歴史も、軍隊の目的を定義したこともない。
このことが、軍に対する、国論を分割する。


【国体=国家の体制】
「国体」とは、天皇を国王とする立憲君主の体制を意味した。
軍隊は、天皇が「統帥権、最高指令権」をもつ、天皇の軍隊だった。

【国体と村落共同体の連結】
統治の上部構造である「国体」は、下部構造の「故郷のムラ」と連結された。

村の神社は、伊勢神宮を頂点にし、天皇を祀(まつ)る国家神道の、下部機構だった。こうして〔上部構造:国体=天皇=国家〕=〔下部構造:故郷の父母、妻、妹、弟〕がつながった。

そして国体と故郷を、外敵(鬼畜の国とされた米英)の支配から守るために、あるひとは天皇陛下万歳と叫び、多くは、お母さんと叫び、216万人の軍人が死んだ。

「国体」を守るために死ぬことは、男子の、最高の名誉とされた。
男子の本懐は、自分を超え超越的な価値を守るために、死ぬことだとされていた。果たして・・・死ぬことは、名誉か?

【国体=村落共同体=家(イエ)】
父母と家族、つまり〔家(イエ)〕への「忠と孝」が、人間の道の規範。その家の階層の頂点には、天皇家があった。
国体は、天皇家を最高家長とする家族だった


【国体への忠誠】
「報国」、つまり、国の恩に報いることは、父母の恩、生活共同体である「村(ムラ)」の人々の恩に、報いることだとされていた。

生活共同体は、法や外部規範と融和できない、内部規範を持ちます。日本の「国体と家への忠孝の内部規範」からすれば、米英は、鬼畜の価値観をもつ国とされた。

共同体組織では、外部組織(米英)の価値観は、内部組織(日本)の価値観と対等の関係ではなく、無条件に、下等になる。

【他の共同体の価値観への非寛容】
ここで米英は、「人間」の世界ではない「鬼畜」の世界になるのです。

今でも、「あいつは人間ではない」という表現に、自分が属する共同体以外の価値観を許容しない「非寛容」が、この国には残っている。アジアの人々は、言葉の端々で、それを感知する。日本人は、何かが起これば集団で逆転すると見ている。

【心情論だから問答無用】
立憲君主の天皇と、全体主義の体制を守ること、つまり人工的な制度である国体を守ることが、なぜ、父母・弟・妹の「家」と、故郷の村落を守ることだったのか?

こうした素朴な問いを発すれば、論理的な答えはないから、問答無用で「非国民」とされた。

私は、理解の範囲を超えるとき、素朴に質問するくせがあります。
戦前なら、非国民と烙印をおされ、無事では済まなかったかもしれない。

論理の切断

【敗戦後の、論理の切断】
軍隊の統帥権をもっていたのが天皇ですから、その行政スタッフであった東条英機を戦争犯罪人とすると、論理的には、最高責任者の天皇も戦争犯罪人になります。

マッカーサーは、コーンパイプをくわえて厚木に降り、戦勝国の将軍としてあたりを睥睨(へいげい)した時、天皇を処刑するつもりだった。

天皇は、マッカーサーとの会見のためGHQ本部に向かうとき、側近に、もう戻って来ることはできないだろうと言って車をあとにした。

【人格への敬服】
<戦争の責任は、すべて、最高責任者の自分にある。私はその責任を負うためにここへ来た>
マッカーサーは、姿勢を正した小さな身体から発せられたこの言葉に、心を動かされ、昭和天皇に敬服したと回顧録で語っている。

【1枚の写真】
軍服で堂々と立ち、腰に手をあてたマッカーサーの横で、礼服の昭和天皇は首を伸ばし、気を付けの姿勢をしている。この、極度に緊張しているように見える写真が、何枚も撮られた当日の写真の中から一枚選ばれ、新聞の一面に掲載された。

写真を見て、日本は、本当にアメリカに敗けたんだと感じた日本人が多くいたという。武力のみではない。人間が姿勢をもって生きるとき必要な、自尊や誇りまで、負けたと思ったという

戦後の、なにがなんでもアメリカに追いつくという経済成長の、動機付けになった写真です。私も、この写真を見るたびに、感慨を禁じえない。深く、揺り動かすものがある。

戦勝国で天皇処刑論が渦巻くなか、GHQの司令官マッカーサーは、軍と内閣の幹部を裁いた。それが<東京裁判>です。

徴兵された国民にも、天皇にも罪はない。悪いのは戦犯だとした。
ここで日本人は、心の深い部分で、論理に蓋をした。マッカーサーは、国民に免罪符を与えた。天皇への心情は、論理を超えていた。

マッカーサーは、この国の天皇は特殊だ。天皇を処刑すれば、日本国民がアパシーにおちいると判断した。高度な政治的判断だった。アパシーとは、心の支えを失い虚無におちいって、無謀な行動をとるということを意味します

【アンビバレンツ】
多くの日本人は、心情と論理の間のアンビバレンツな亀裂を、心の奥に抱えることになった。天皇は象徴である、皇帝ではない。これは論理では理解できない。心情で感じるしかない。

【心情】
小泉首相は言う。<私は、純粋な「心情」として戦争犠牲者を祀る靖国神社に参拝する。そのことが何が悪いか、理解できない>
小泉首相の、もっとも好きな歌は、「同期の桜」だという。

<♪きさまと〜おれ〜と〜は〜ど〜うきのサクラ・・・>という、あれです。小泉純一郎氏は、直情的な性格をもつ。政治家は、もっと冷徹な、計算的理性をもつべきでしょう。

小泉首相は、心情が先行するリスクを抱えている。予測すれば、今は人気がある直情と頑固は、小泉政権の命取りになるはずです。人間はもっとも得意なことで、意見を聞き入れず慎重さを失い、失敗する

リアルポリティクスでの靖国神社問題

【合祀】
靖国神社は、軍人と、死刑になったA級戦犯を合祀(ごうし)している。合祀とは、二つの異なる神をまつる神社のことを言っています。

(※戦死した軍人216万人と、東条英機(首相、陸軍大臣)、板垣征四郎、土肥原賢二、松井石根、木村平太郎(以上陸軍大臣)、武藤章(陸軍中将)、広田弘毅(首相)、以上7名の、東京裁判で死刑になったA級戦犯を祀(まつ)る)

【中国、韓国、東南アジアの論理】
中国は、<侵略戦争は、戦争犯罪人が引き起こしたから、それに従った国民(中国では人民の概念)には罪はない>と外交的に結論づけた。

そして、戦争の被害の賠償を求めることを放棄した。
(ただし、日本は、援助で累計6兆円を費やしています)

日本人にも、戦争の清算が済んでいないという意識が残っているから、中国や韓国、アジアに対する態度は、国論を二分する。

中国や韓国、アジア諸国は、ドイツのヒトラーと同じ全体主義者の東条英機を祀る神社に、首相が参拝するのは、許すことはできない。もしヒトラーの墓に、ドイツ首相が公式に墓参したら、西欧諸国はどう言うか、と言う。

中国や韓国からそう言われれば、日本人の「心情」では違う、参拝は戦争の賛美ではないと言っても、他を納得させることができる「論理」ではないなから、モゴモゴと口ごもるしかない。

中国、韓国、東南アジアは、日本が、純粋な心情での追悼という意識なら、われわれの国の、犠牲者への追悼も含めるべきだと言う。中国と韓国は、特に、政権の正統性を強化するためにも、日本の過去の軍国主義を利用する。

リアル・ポリティクスの世界を、純粋な心情のみでは説得はできない。

吉田繁治 <共同体組織の二重規範>


(私のコメント)
皇太子の「雅子の人格を否定された」発言は大きな波紋を呼び起こしていますが、それについて日本の天皇制についての十分な議論が出来ていないことに気が付きました。しかし議論していくと、どうしても憲法や天皇や軍隊や官僚についての国家論のタブーの壁に突き当たり前に進みません。議論を前に進めようとすると天皇の戦争責任問題が避けて通れず、そこで踏みとどまってしまう。

そこだけ迂回して議論しようとしても国家論としては成り立たず、国家論としては明治維新に時代まで遡らないと議論は始められない。日本は戦争に負けて無条件降伏したとして、GHQによる国家改造が行われましたが、最高責任者である天皇制が存続したために、日本国民はそのことに気が付かないでいるようだ。

戦後の日本において、日本国民からの戦争責任を議論することは憚られた。あるいはA級戦犯である岸信介が総理大臣になったことからも、日本は戦闘を終了させただけで敗戦はしていないと言うことも出来るのかもしれない。東京裁判はアメリカ以外の連合国をごまかすためのお芝居だったのかもしれない。

そして日本はいまだにアメリカの占領統治のままであり、潜在的にアメリカの51番目の州であるのかもしれない。大日本帝国の軍隊はマッカーサーが上陸してくると自然消滅してしまい、まったくと言っていいほど米軍や連合軍との武力衝突は起きず、天皇も「人間宣言」をしてマッカーサーが天皇の後を埋めるような格好になった。

結局、官僚組織だけが残されて日本という国体だけが残っている。政治組織は戦前にもありましたが形として存在するだけで、戦後も形として存在するだけのものだ。官僚たちが法律を作り、官僚たちがその法律を元に裁く。日本には行政だけが存在し、政治と政治家は機能していない。日本という国は空っぽなのだ。

日本国が復活するためには日本国を守る軍隊が必要ですが、憲法上日本には軍隊は存在しない。軍隊が存在しない以上日本は国家とはいえない。そんな簡単な議論が出来ないほど日本は敗戦によってすべてを投げ出してしまった。国家とはいえない以上政治家も必要な存在ではない。だから国会議事堂にいる政治家達は飾り物である。

日本と日本国民はいまだに敗戦による国家喪失の状態から抜けきれないでいる。それ以降トラウマから逃れるために国家論はタブーとなり思考は停止してしまった。だから憲法改正一つなされずに戦後占領体制がそのまま続いているのだ。だから唯一つ残った官僚たちは「我々こそ国家である」という自負を抱くようになり、彼らを取り仕切る政治組織の再構築が必要ですが、戦後の民主主義は形だけのものだ。

どうしたら民主主義が機能するようになるかと言うと、政権の交代がなければ政権は官僚たちによって骨抜きになり官僚の利権は温存されて拡大してゆく。自民党政権が50年も続いているのも自民党がアメリカの代理人に過ぎないからだ。だから外交と防衛は何から何までアメリカと相談して決める。その意味で日本は独立国ではないのだ。今日も以下のようなニュースが流れた。つまりアメリカの支持と了解がなければ小泉首相は何も出来ない。

首相訪朝で電話会談 日米首脳今夜に

小泉純一郎首相は十七日夜、ブッシュ米大統領と電話で会談し、二十二日の北朝鮮訪問をめぐって意見交換する。拉致被害者家族の帰国実現など日朝間の問題や、米国が重視する核開発問題も含めて「包括的な解決」を目指す方針を自ら直接大統領に説明し、理解と支持を得たい考えだ。(産経新聞)
[5月17日16時4分更新]




日本人と中国人の見分け方


2004年5月16日 日曜日

農耕民族と騎馬民族 〜 日中相互理解の難しさ 国際派日本人養成講座

1.「一衣帯水」と「同文同種」■  

日本を飛び立って、3時間もしないうちに飛行機は中国の天 津国際空港に着いてしまった。水平飛行をしている時間は2時 間ほどだから、客室乗務員は飛び立つとすぐに飲み物と昼食を 配り、食事が済んだらすぐに片づけに入る。ゆっくりビールを 楽しんでいる暇もない。ヨーロッパやアメリカに行くのに10 時間以上も乗って、映画の2、3本も見られるのとは大違いだ。 日中は「一衣帯水(一筋の帯のような狭い海峡をへだてて近接 している)」とよく言われるが、まさにその通りだと実感する。  

中国との間では「同文同種」という言葉もある。文字も人種 も同じだと言うのである。確かに日系企業の事務所に行くと、 誰が中国人で誰が日本人なのか、まったく分からない。日中両 国語を巧みに話す人に出会うと、日本語のうまい中国人なのか、 中国語のうまい日本人なのか、名刺を交換して姓を確認してみ ないと分からない。  

しかし、その一方では中国への旅行者や駐在員が激増し、国 内でも中国人留学生と接する機会が増えて、どうも中国人とは、 我々とはだいぶ違う人間だ、という事が多くの日本人に体験的 に分かってきた。中国人に親切にしてやったのに、裏切られた、 という話もよく聞く。無遠慮な中国人留学生に手を焼いている 大学教員も少なくない。どうも「一衣帯水」や「同文同種」と いう言葉は、日中関係のごく表面を現しているに過ぎないので はないか。

2.隣の店に転職した中国人青年■  

孔子の第75代直系子孫で、現在は日中文化交流に尽力して いる孔健さんは、日本で中華レストランを経営している日本人 経営者から、こんな話を聞いた。  うちで中国人の青年が半年前から働いていたんです。日 本に来たばかりで、経済的に困っているというので、働い てもらうことにしました。日本語がぜんぜん駄目なので、 手取り足取りウェイターの仕事を覚えさせたんです。それ がようやく慣れたと思ったら、なんと最近、隣の店に突然、 転職しちゃったんです。

 この青年は隣の店の時給が100円高いと知ると、すぐに面 接に行き、さっさと転職を決めたという。  それが、すまないの一言もないんです。転職した次の日、 顔を合わせたら、「先生、今日は」とケロッとした顔であ いさつするんです。  慣れない日本で面倒を見てやったのだから恩義があるはずだ し、少しは済まないと思ってもいいんじゃないか、とこの経営 者は怒る。相手が自分の「常識」通り行動しないと怒るのは、 人間の当然の心理である。しかし、そもそもこの「常識」が文 化によって全く違うことから、異文化間での摩擦が生ずる。

3.騎馬民族と農耕民族■  

孔健さんは、中国人を理解するためのキーワードの一つとし て「騎馬民族」を挙げる。騎馬民族は毎日移動して、獲物を求 める。一カ所にいてそこでの獲物を取り尽くしたら、飢え死に するだけだ。だから、獲物の豊富にいる所に常に移動するのは 騎馬民族にとって当たり前のことである。  孔健さんの義弟は、ベテランのコックだが、会うたびに店を 変わっている。なんでそんなに変わるのか、と聞くと、「開店 料理長」を次々とやらされている、と言う。

レストランが新規 開店をする時に、腕のいいコックを呼び、「あの店はうまい」 という評判を3ヶ月でたてる。それが済むと、別の店のオープ ンに呼ばれる。こうして義弟は数ヶ月単位で店から店へと移動 しつつ、キャリアを磨いていく。  これに比べれば、日本では店も料理人も農耕民族的である。 一カ所で長期間、店を続けて、贔屓客、なじみ客を作る。料理 人も一カ所で長年努めて腕を磨いていく。創業何十年、いや何 百年というのが店の看板であり、そうした老舗で何十年も勤め 上げることが、料理人の腕の証しである。

4.農耕民族の「常識」■  

こうした農耕民族の世界では、新入りにその働き以上の給料 を出し、長年かけて 一流の料理人に育てていく、という「年 季奉公」のシステムをとる。一人前になるまでは店の持ち出し であり、一人前になってから「お礼奉公」をしてもらう。それ が済んだら「暖簾分け」をして、助け合いの関係に入る。数年、 数十年をかけた長期的なギブ・アンド・テイクの仕組みになっ ているのである。  

上述の日本人経営者は、こうした年季奉公システムを意識し ないまま、それを「常識」だと思いこんでいる。そしてその 「常識」を踏みにじった「非常識」な中国人青年に怒りをぶつ けているのである。  一方、騎馬民族ではギブ・アンド・テイクは交易の瞬間瞬間 に成立しなければならない。次にいつ出会うか分からないから だ。したがって中国人青年から見れば、自分が受け取っている 給料は、自分の皿洗いなどの現在の労働に見合ったものである はずだし、100円でも時給の高い所に移るのは騎馬民族とし て当然の「常識」なのである。

だから、日本人経営者に会って も、何の引け目を感ずることなく、挨拶ができる。  日本人経営者も中国人青年も、それぞれの「常識」に従って いるだけだ。ただ農耕民族の常識と騎馬民族の常識が違うので、 そこに摩擦が生ずるのである。こうした摩擦を避けるためには、 相手の常識がいかに自分の常識と違っているかを、知らなけれ ばならない。

5.中国商法も騎馬民族的■  

中国人はユダヤ人、インド人と並んで、世界三大商人と言わ れるほど商売の天才であるが、その商法も実に騎馬民族的であ る。孔健さん自身こんな経験をしている。  孔健さんが福建省のある用品店に入った時のことである。ひ やかし半分に香港製のしゃれたスーツを見ていると、店主が 「いらっしゃいませ」とニコニコ顔で迎えた。何年も日本に住 んでいる孔健さんは、つい日本流が出て、商品を触りながら物 色した。

気に入ったものがないので、店を出ようとすると、店 主が血相を変えて、「お客さん、買わないんですか?」「ああ、 気に入ったものがないんでね」と答えると、ニコニコ顔だった 店主が急に怖い顔に変わって、「それ、困る。触ったから、汚 れて売れない。触り代をもらいます。」  騎馬民族は常に移動し獲物を求める。移動して、会うの は新しい獲物であり、新しいお客である。移動するがゆえ に、今日のお客が明日のお客であることはほとんどない。 一見のお客である。だからこそ、今、このお客に買っても らわねばならない。そうしなければ、自分が飢えてしまう。  

中国商人は、愛想のいい顔と、脅迫をしてでも売り込む ふたつの顔を持って、必死で売り込みをはかる。・・・場 合によっては、だましてでも売りつける。[1,p63]  中国には固定客という考え方が基本的にない。極端にい えば、お客はそのたびに違い、品物はよかろうが悪かろう が、売れればよい。お客のほうも、店の信用で買うのでは なく、品物をしつこく吟味して買う。

傷でもあれば徹底的 に値切って買う。店を信用していないのである。[1,p65]  こうして騙したり騙されたりの修羅場をくぐり抜けて、中国 人は商売の天才になったのである。しかし、この騙したり、脅 したりという商法を日本でやったらどうだろう。そんな悪評は あっという間に村中に広がり、翌日からは誰も客が来なくなる。  農耕民族の中では、商売も信頼と誠実を旨として、お客との 長い付き合いの中で利益をあげていかなければならないのであ る。[a]

6.日本人と中国人の見分け方■  

騎馬民族としての習性は、普段の物腰にも現れる。だから孔 健さんは90%以上の確率で、日本人と中国人を区別できるそ うだ。ある日、孔健さんは新宿の雑踏の中を、日本人の友人と 歩いていた。30メートルほど離れた所に立っている東洋人の 女性を見て、「あそこに立っている、赤い服を着た女性。あの 人、中国人ですよ。」と言った。「えーっ、日本人じゃないか と思うけど」と友人は疑わしそうな様子。

孔健氏は、その女性 に近づいて「現在、凡点了(いま、何時ですか)?」と聞くと、 「三点了(3時です)」と中国語の返事が返ってきた。  中国人は騎馬民族の習性で、目がよく働き、常に周囲を 警戒している。いつ敵が襲ってくるかわからない。だから 目をキョロキョロさせて警戒を怠らない。なにか獲物はい ないか、なにか落ちていないかと、ものを探す目である。 こうしなければ、明日も生きられない習性が身についてい る。  

日本人は農耕民族で、出会う人間も同じ村の人間ばかりだし、 急に敵が襲ってくることもないから、警戒心がない。獲物を見 つける必要もないから、あたりをキョロキョロさせる事もない。 日本人の観察力は、農耕民族として作物の状態をこまやかに見 たり、また季節の変わり目を敏感に捉えるという習性が中心で ある。  こうした物腰からしていかにも警戒心のない日本人が海外で スリや強盗の恰好の獲物とされるのも当然だろう

7.「熱烈歓迎」の罠■  

騎馬民族は、毎日、新しい人間に出会うが、それは敵か、騙 してでも物を売りつけるカモか、それともごく希に出会う本当 の味方か、分からない。だから敵にしても、味方にしても、カ モにしても、愛想良くしておけば間違いはない。初対面の愛想 の良さは警戒心の表れなのである。  日本のビジネスマンが中国企業と提携しようと、初めて中国 を訪れると、「よくいらっしゃいました。熱烈歓迎です」と、 抱きついたり、握手したりと、オーバーに迎えてくれる

その 晩から、連日連夜、盛大な歓迎祝宴である。席上でも偉い人が 料理を大皿からとってくれたり、入れ替わり立ち替わり、いろ いろな人が近寄ってきては、「乾杯(カンペイ)、乾杯」と、 杯を干す一気飲みを求められる。そして自分たちがいかに日本 企業のために役に立つ存在であるかを滔々と話す。  こうなると初めて中国に来て、不安を抱いている日本人の方 は、たちまち警戒心を解いて、相手を無条件に信用してしまう。

農耕民族である日本人は、新しく出会った「よそ者」に警戒心 を抱くので、どうしても初対面の人には、ぎこちない。そこの 所を騎馬民族流の「熱烈歓迎」で突破されてしまう。  しかし、そのあとは中国の騎馬民族的ビジネスのペースには められて、「中国人が愛想のよいのは最初だけ。すぐに冷たく なる」という不満を持つ日本人ビジネスマンは多い。日中国交 正常化交渉でも、中国を訪問した田中首相一行がこの「熱烈歓 迎」戦法でとりこにされ、その後、ずっと巨額のODAをむし り取られるはめに陥ったのである。[b]

8.日中相互理解の難しさ■  

中国大陸は数千年もの間、北方の騎馬民族に何度も侵略され、 征服された。漢民族どうしでも抗争や内乱が続いた。一つの王 朝が天下をとっては、次の王朝に打倒されるという歴史が繰り 返された。世界に騎馬民族は多いが、これほど激烈な戦いの中 で鍛え上げられた民族はいないであろう。  

一方、日本人は、自然の恵み豊かな日本列島で、数千年の間、 平和な日々を送ってきた。国内を最初に統一した王朝がたまた ま民を宝と考えるという、古代世界には珍しい哲学を持ってお り、その王朝のもとで国全体が一つの村のように平和に豊かに 暮らす、という希な幸福に長い間恵まれてきた。時には戦争も あったが、それは中国大陸の戦乱に比べれば、「内輪もめ」に 過ぎない。世界に農耕民族は多いと言えども、日本人こそその 典型であると言える
。  

こうして「同文同種」で見た目はそっくりながら、騎馬民族 と農耕民族の典型どうしが「一衣帯水」の隣合わせに住むとい う奇遇が生まれた。世界広しと言えども、これほど外見はそっ くりながら、性格の違う隣人関係も珍しいだろう。  同時に中国人の方は、自分が文化的に世界の中心であるとい う「中華思想」を持ち、他民族の文化を理解し、尊重しようと いう姿勢を持たない。日本人の方も、狭い日本列島から出た経 験が少なく、よそ者との付き合い方が下手である。この点が両 者の相互理解を一層、難しくしている。

9.グローバル化の流れの中で■  

こうした違いを踏まえた上で、日本人は中国人とどのように 付き合ったら良いのか、考えてみよう。その前提として、やは り急速に進展しつつあるグローバル化の流れを考えなくてはな らない。交通と通信の発達により、世界は狭くなっていく。そ の行き着く先では、地球全体が一つの狭い村のようになってし まうだろう。  

そこではトヨタ、IBM、セブン=イレブン、マクドナルド と言った良質な商品やサービスを地球の隅々まで提供する企業 が、グローバル・ブランドとして市場を支配する。ブランドと は顧客の信用であり、顧客との長期的な信頼関係を重視する農 耕民族的な経営姿勢こそがグローバル企業として成功するのに 不可欠な条件である
。  

逆に騎馬民族的に「一見客を騙しても」という商法は市場の ごく片隅でおこぼれに預かるだけだろう。中国企業がグローバ ルな成功を収めようとしたら、農耕民族的なビジネスを身につ けて、信頼とサービスを売るようにしなければならない。  したがって日本企業としては、誠実に顧客の信用を追求する 日本企業らしさを磨いていくことが、グローバルな勝ち残りへ の近道である。

とは言え、そこに至るまでには、未熟な中国市 場のように騎馬民族的企業がうようよしている中でも、やって いかねばならない。また我々の日常生活でも、騎馬民族的な人 びとと付き合っていかねばならない。  誠実と勤勉を旨とする日本人らしさ、日本企業らしさを磨き つつも、騎馬民族に騙されないだけの知恵と用心を持ってグロ ーバル社会を生きていく−−それが国際派日本人、国際派日本 企業のあり方であろう。 (文責:伊勢雅臣)


(私のコメント)
最近の東京は中国人であふれかえっています。中国人を受け入れている学校もアルバイト先も東京に集中しているからですが、横断歩道で耳にする話し言葉を聞いてみると半分ぐらいが中国語だ。顔を見ただけではわからず、着ている服が日本製でないことぐらいしか判断の目安がない。それくらい中国は留学生を日本に送り出している。

中国にとって日本は隣国でもあり人種的にも文化的にも結びつきが深いから、中国でも豊かな家庭は子供を留学生として送り出す。豊かでなくても留学から帰って中国に進出した日本企業に就職できれば、留学費用は返せるから無理をしてでも留学させる家庭が多いようだ。日本側の大学も少子化によって学生数の減少を留学生によって埋めているところも多くなっている。

このような留学生を対象にしたビジネスも盛んになっている。さらに留学生は日中の架け橋としての役割を果たしてくれることだろう。しかしながら留学しても学資が切れたり、落ちこぼれたりして故国に帰るに帰れない留学生も増えてきて、不法就労や犯罪を犯す留学生崩れも当然増えてくる。

それに対して法務省などは資格審査を厳格化させて対応しようとしていますが、そうすると資格に合格できる留学生が極端に減ってしまったりします。中国や日本政府がそれらの留学生に費用の面倒を見れればいいのでしょうが、数万人単位となるとそうも行かないし、奨学金などの制度も政府では面倒は当然見切れない。

日本と中国との交流は留学に留まらず、観光客としての交流もあるし、ビジネスにおける交流もある。これからは観光やビジネスが交流の主体になってゆくのでしょうが、同時に留学生受け入れで生じた問題も観光やビジネスでも生じてくるだろう。つまり不法滞在や不法就労の温床として、これらのトラブルからは逃れられない。

日本は島国として外国人との交流には慣れていない。ところがグローバル化の時代の波は日本にも押し寄せてきて、日本の外国人は増える一方だろう。特に中国人はこれから経済が発展すれば観光やビジネスなどでの交流は一般の日本人でも接する機会は多くなる。その際に無用な摩擦を避けるためには中国人の国民性を理解してゆくことが必要ですが、顔がよく似ていることから考えることも似ていると錯覚しがちだ。

同じ外国人でもアメリカ人や欧米人なら見た目も違うから考え方も違うと理解しやすい。ところが中国人は人種も文化もよく似ているから、つい日本人と同じと思ってしまうから無用な摩擦を生じているように思う。根本的に言うと中国人は騎馬民族的であり、日本人のような農耕民族とは民族的性格が根本的に異なることを理解すべきだ。

同じように日本人が中国へ行った際に生ずる摩擦もそこから生じている。中国は歴史を見ても戦乱の歴史であり、王朝が変わるたびに大虐殺や大混乱が引き起こされてきた。最近でも文化大革命は二千万人もの虐殺が起きて国土は荒れた。だから中国人の性格も強烈であり日本人には理解できない面を持っている。その事を理解して接しないととんでもないトラブルが起きる。



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