株式日記と経済展望

ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


奥山真司 著 「地政学」
地政学が分からないと国際戦略が分からない


2004年1月31日 土曜日

(キッシンジャーの「デタント」)

ヘンリー・キッシンジャーは日本で「キッシンジャー博士」という愛称で親しまれて(?)おり、一九二三年ドイツ生まれで現在八○歳を超えた、元ハーヴァード大学の政治学博士である。一九三〇年代にドイツよりナチスの迫害から逃れてきたという、典型的なユダヤ系移民の知識人で、第二次世界大戦ではアメリカ陸軍のドイツ語通訳の情報将校として活躍し、それからハーヴァード大学に入ってあまりの秀才さから学生時代に、のちに共和党の副大統領になるネルソン・ロックフェラーに引き抜かれた。アイゼンハウアー、ケネディ、そしてリンドン・ジョンソン政権下で外交官僚を務めるかたわらに『核兵器と外交政策』(一九五七年)という本でアメリカ外交・核戦略について鮮やかに語ったことが注目され、外交政策における知識人としての地位を確立した。

彼が二年という超短期問で終えたハーヴァードの博士号のコースで、その卒業論文として選んだ題材はオーストリアの軍略家メッテルニッヒの勢力均衡(バランス・オブ・パワー)政策についてである。これはのちに本となって出版されたのだが、現在でもハーヴァードではその完成度と、論文の異常な長さで「伝説の博士論文」である。「人類の歴史は階級闘争の歴史である」といったのはマルクスだったが、初期の著作からみて取れるキッシンジャーの意見では、人類の歴史というのは常に革新勢力と保守派の闘争だ、ということであった。

なぜ彼が地政学で重要になってくるのかというと、大きく分ければふたつの理由がある。まずその第一の理由は、彼が当時、ふたつの肩書を持っていたことである。影で政権を練る 「知識人/学者」という立場と、表に立って実際に政策を実行する国務長官、もしくは安全保障アドバイザーという「政治官僚」の、ふたつの顔である。政治官僚としても影響力が大きく、ある時期(七三-七五年)においては国務長官と国家安全保障アドバイザーという重要な役職を同時にふたつも受け持ち、しかも二人の大統領の任期を通じて国務長官をやるという前代未聞のことをやってのけていた。今のブッシュ政権でたとえると、コンドリーザライス大統領補佐官とコリン・パウエル国務長官の仕事を、一人で兼任してこなしていたのである。もちろん外交に関しては上司であるニクソン大統領よりも大きな影響力をもっていたわけで、得意の秘密外交と、忙しく往復する「シャトル外交」を行ってベトナム戦争を終結させた功績から、七三年にはノーベル平和賞をもらっている。

彼が地政学で重要なもうひとつの理由は、彼の「地政学」という言葉の、あやふやな使い方である。この当時、メディアのインタビューに答えるときに、キッシンジャーはゲオポリティクスという言葉を連発してアメリカの知識人階級を煙に巻いたのであるが、これは意外な効果を生み出した。「地政学」という言葉の復活である。ナチスから逃れてきたユダヤ系の元ドイツ人であるキッシンジャーが、しかもナチスの得意としていた「地政学」という言葉を使ったために、「なんだ、ナチスの被害者であるユダヤ人のキッシンジャーが使うんだったら俺たちが使ってもいいんだな」ということになり、第二次世界大戦後にあった地政学の言葉のタブーが解けたのである。

他の地政学人物と同じく、キッシンジャー自身も地政学が一体何であるのかをハッキリと答えていないのだが、一度だけ「大国間で〃バランス・オブ・パワー"を形作るときに重要となって 、 くる要素という意味で使っている」ということを発言したことがある。ただキッシンジャーは秘密が好きなので、このような回りくどい言い方をしてごまかしているようにもとれる。

まずニクソン政権下でベトナム戦争を終結させたキッシンジャーは「MAD」という、いわゆる「核の脅威の相互理解による破壊抑止力」をことさら強調してソ連との外交に臨んだ。ようするに「俺たちは行き着くところまで来てしまったのだからしようがない。どちらかが戦争をしかけたら最後、お互いの報復攻撃で滅びてしまうのだから、この危険性をまず認識して、とりあえず冷戦の緊張を少し解こうぜ」とソ連側に持ち掛けたのである。これも「バランス・オブ・パワー」の理論であるが、特に核兵器のにらみ合いのバランスによって均衡状態(=平和)をつくるという、冷戦後に新しく出てきた理論の実践であった。

これはまさに国際関係論でいうところの「リアリスト(現実主義者)」の立場であり、「バランス・オブ・パワー」の理論そのままである。それも当然、キッシンジャーは前述したとおり、国際関係論の分野でもそこそこ有名な外交論文を書いており、白らも「私はリアリスト(現実主義者)だ」といってはばからないくらいである。よって、当然のごとく「平和を達成するには力と力のバランスをとればいいのだ」という結論になり、実際の外交にもヨーロッパの列強が「バランス・オブ・パワー」を実践していた一九世紀の当時に盛んだった秘密外交を実践している。

ところがキッシンジャーはあまりにも秘密外交をやりすぎたおかげで、近年公開されてきた外交文書からその危ない秘密がどんどんばれてきた。東ティモールやカンボジァ、チリなどの暗殺やクーデターなどに関わっていたとして「戦争犯罪人として裁け!」という非難が国際社会の中で高まり、つい最近もフランスの裁判所に戦争犯罪の重要参考人として呼ばれたほどである。こ のきっかけとなったのは、イギリス出身のジャーナリスト、クリストファー・ヒッチンスによって書かれた『アメリカの陰謀とキッシンジャー』という本であり、しかもこれはイギリスの国営放送であるBBCによって同名のドキュメンタリi映画にもなった。

キッシンジャーは七〇年代末には政治の表舞台から一応離れている。その後は「キッシンジャー・アソシエイツ」というコンサルタント会社を設立して、その国際的なコネクションを使って縦横無尽に活躍するビジネスマンとなった。ビジネスマンとしてのキッシンジャーの特徴はあらゆる国際企業の顧問に名を連ね、穀物メジャー、化粧品会社、パイプライン企業、巨大メディア、大手シンクタンクや研究所など、とにかく守備範囲が広いのである。大学時代からお世話になっていたロックフェラー家だけでなく、欧州ロスチャイルド系などのありとあらゆる上級階級と密接なつながりがあり、イギリス王室とも関係が深い。サッチャー元首相と仲が良く、エリザベス女王から男爵の称号を授かっているくらいなのでキツシンジャーはイギリスのスパイではないかというウワサもあったほどだ。

日本では毎年、テレビ東京系の日高義樹氏の主宰する番組で「今年の一〇の予想」などをしているが、あまりに予測が正確なので、「今年の一〇の"予定"なのでは?」と陰口を言われているほどである。日本ではこの番組のキッシンジャーのコメントが好評なので、徳問書店から日高氏がキッシンジャーにインタビューをする形で『キッシンジャー一〇の予言』という本が〇二年三月出版された。アメリカではABC,NBC,CNNなどのコンサルタントとしてコメンテーターを務め、LAタイムズには定期的にコラムを書いている。基本的にとても「出たがり」で あり、メディアに「ドクター」と呼ばせるようにしたのも、このような虚栄心からだとよくいわれる。

キッシンジャーが冷戦時代に推し進めた、フランス語で「緊張緩和」を意味する「デタント」と呼ばれる戦略は、表向きは確かに冷戦緊張緩和政策だったのかもしれないが、実はものすごい策略が秘められていた。どうやらキッシンジャーの本当の狙いは、当時の共産党のもう一方の雄、共産中国を懐柔させてアメリカ側に近づけることにより、ソ連と中国との共産圏の連帯を突き崩して孤立させようということだった。

キッシンジャーの見方からすれば、一枚岩のように見えるソ連と中国の共産主義の間には大きな亀裂があり、この亀裂を利用してぶつけさせ仲たがいさせておけば、アメリカに対してまとまって歯向かってこないだろう、ということだった。「停戦だ、平和だ」といいながら、実は裏ではローマ帝国の植民地管理戦略である「分割して統治せよ」を忠実に実行し、確実にソ連を追い詰め、最終的には崩壊させることを企んでいたのだ。デタントは単なるその過程にいたる「前振り」だったにすぎない。

アメリカでこういう地政学的プログラムが進んでいたことを知らなかった日本は舞い上がってしまい、「じゃあ俺たちも中国と手を結んでもいいのかな?」と勘違いして、ご主人さまであるアメリカの承認なしに七二年に中国との国交正常化を勝手に行ってしまった。その中心人物となったのはもちろん、あの田中角栄である。

ところがアメリカにとって極東の重要な従属国である日本が、勝手に中国と外交政策を進めることは許せないことだった。しかも日本が手を結んだ中国は、当時はまだアメリカの敵と考えら れていた共産主義の国であり、その上、中国と日本は、ハートランドを囲むリムランドに位置している。アメリカの地政学者ニコラス・スパイクマンが主張したとおり、アメリカは「リムランド」(ユーラシア大陸の周辺沿岸地域70ぺージ図7)にある国同士を仲良くさせないような方針をとっているのである。キッシンジャーがニクソンのもとでアメリカ、ソ運、中国、西欧、日本の五カ国(五地域)で「バランス・オブ・パワー」を狙っていたことからも分かるとおり、アメリカからすれば日本と中国が勝手に友好関係を回復するのは「抜け駆け」でしかなかった。しかもアメリカは日本を保護している立場なのである。

どのような時代でも帝国に抵抗したものはっぶされるのが常である。つまりアメリカ発のロツキード事件をきっかけに、田中角栄はナチスの地理学者であったバンゼが説いたような「スキャンダルによる切り崩し」によって追い詰められて失脚させられたのだ。このとき、日本でもアメリカの「角栄つぶし」に、意識的、もしくは無意識的に「手先」となって大活躍した知識人やジャーナリストが、現在でも現役で活躍している。誰だったかはここであえて述べる必要はないのだが、興味のある方は、当時のロッキード事件の新聞や雑誌から、一体誰が「角栄つぶしの急先鋒」であったのかを調べてみてほしい。意外な「売国奴」の姿が浮かび上がってくるはずである。

このような「アメリカ発」のスキャンダルによる政治家の失脚というのは何も日本だけに限ったことではなく、ほかにもリムランドの地域に位置する国々で起こってきたし、現在でも起こっていることなのである。(P118−P123)

奥山真司氏の「地政学」のホームページ


(私のコメント)
青色発光ダイオードを開発した中村修二教授が話題になっていますが、このほかにもフラッシュメモリーを開発した舛岡富士雄教授など科学部門では世界的な評価を受けている学者がたくさんいるにもかかわらず、人文科学では全く評価を受ける学者が出てこないのはなぜだろう。おそらく戦後の社会体制が人文科学を発達させない何らかの原因があるのだろう。その一つに戦後において「地政学」が抹殺されてしまったことが原因であると見ています。

さらには大東亜戦争における日本の敗北によるショック状態から立ち直ることが出来ず、いたずらに反戦平和主義を唱えることが日本の政治を語る上で拘束されて、自由な研究が出来る状況ではなかったことが、日本の人文科学の停滞の原因になっている。もっと具体的に言うならば日本の政治体制が外交と防衛をアメリカに丸投げした状態では、国際関係論などを論じても意味はない。

私は何度か「大東亜戦争は軍事的には完敗したが、植民地解放戦争として、人種差別撤廃戦争として完勝した」と過激な論文を書きましたが、このような見方は戦後間もなくGHQの一員として来日したヘレン・ミアーズ女子が本に書いている。しかしながら米軍占領統治に有害であると指定されて日本では発禁処分になった。このような状況は出版業界の見えない自主規制で言論統制は続いている。

日本からは「世界をいかに支配するか」などという発想で、国際政治を考える学者などいないだろう。21世紀は日本の世紀であり、世界を支配できるのは日本だけだと考える学者がいないのはなぜか。しかし、これは全く荒唐無稽の話ではない。経済力と潜在的な軍事力と地政学的な有利な条件を生かしていけば、日本こそ世界の覇者になれる可能性はあるのだ。戦前にはこのような考えを持つ思想があったが、戦後は軍国主義の名のもとで抹殺されてしまった。

このように日本には様々なタブーに制約されて、地政学やその他の国際政治戦略を論じた本は出てこないし、この部門の学者はいない。キッシンジャーやブレジンスキーに対抗できる国際政治戦略を研究する学者は日本にいるはずもなく、これからも望み薄だ。なぜならば世界的な大論文を発表したとしても、それを実現しようなどと言う政治家が現れることはない。戦前においては北一輝の「日本改造法案大綱」などがあり、当時の青年将校たちに読まれた。

あいにく二二六事件の失敗により、思想的な混乱状態となり軍部が実権を握り、戦略なきままに日本は突き進んで敗北してしまった。まさに戦前においても地政学は研究されて、アメリカと戦争をしても勝てないと結果が出ていたにもかかわらず、アメリカの罠にはまり抜け出せなくなってしまった。キッシンジャーのような戦略家がいなかった為だ。




消費税免税点が3,000万円から1,000万円に引下げ
一日4万円の売り上げの店も5%の消費税を支払う


2004年1月30日 金曜日

警告!4月1日から改正消費税法実施

 
 1.免税点が3,000万円から1,000万円に引下げ
  2.簡易課税適用上限2億円から5,000万円に引下げ
  3.消費税の表示が総額表示に


   免税点の引下げによって新たに140万事業者が納税義務業者に、
   さらに簡易課税適用上限の引下げで中小企業に大きな影響。

 
本当に自民党は参院選で勝つつもりなのか!

   国税庁のHP
  
http://www.nta.go.jp/category/mizikana/campaign/h15/1771/01.htm

亀井静香勝手連のホームページ


須田会計事務所メールマガジン 

本年の税制改正で消費税法についても重要な改正が行われました。その内容は、一言で言えば中小零細事業者の納税額を増やそうとするものであり、現在消費税とは無関係の事業者の方のうち相当数の方が2年後から消費税を納めなければならなくなります。

 実際の適用はまだ先ですが、消費税には「基準期間」という考え方があり、2年前の業績でその年の各種判定を行うこととされています。したがって、実は今年の業績が2年後に大きく影響する可能性があるのです。下記の改正点に充分ご留意下さい。

事業者免税点の引き下げ

 現在は、2年前の売上高が3,000万円以下であれば消費税の申告納税は必要ありませんが、この金額が1,000万円に引き下げられます。年商1,000万円といえば月当たり80万円とちょっと。一ヶ月20日の営業としても1日平均4万円の売上があれば、消費税の申告と納税が必要となるわけです。実際の適用時期は、個人事業者は平成17年分(すなわち平成18年3月の確定申告)から。したがって2年前の平成15年、つまり今年の売上が1,000万円を超えると再来年分から余計な出費が増えることに。1,000万円超えそうになったら臨時休業しちゃいますかね?

 なお法人の場合は、平成16年4月以降に開始する事業年度からとされていますので、一番早いのは3月決算の会社で平成17年3月決算からの適用となります。また住宅の家賃収入や社会保険診療報酬などはもともと非課税ですから、その収入はこれらの計算には影響ありません。

簡易課税制度の適用上限引き下げ

 現在は、2年前の売上高が2億円以下であれば簡易課税制度を選択できますが、この上限が5,000万円に引き下げられます。簡易課税制度は、その名のとおり納税額の計算を簡便に行える制度ですが、概算で納税するしくみであるため、場合によっては本来の納税額よりも安く済むというメリット(?)がある制度です。

 したがって、現在簡易課税の選択をしている方のうち今年の売上が5,000万円を超える方は、申告の手続が面倒になり、しかも納税額が増える可能性が多分にあるというわけです。もともと消費税はお客様から預かった税金ですから本来の金額を納めるのは当然ですが、でも増えると言われるとねぇ…。資金繰りにご配慮下さい。なおその適用開始時期は、上記の免税点の引き下げと同じです。

総額表示の義務づけ

 平成16年4月1日からは、消費者に価格提示をする場合には消費税込みの金額を必ず表示しなければならないこととされました。メニューに「ラーメン500円」と書いてある場合、500円払えばいいのか525円必要なのか判断に困るケースって多いですよね。これを「ラーメン525円(税込み)」とか「ラーメン500円(消費税25円別途)」などのように表示して消費者の混乱を解消しようというものです。

 この改正は納税額には直接関係ありませんし、また罰則もありませんが、世の中がそういう方向に動きますので、メニューを直さないとお客から「500円でいいんだろ」と文句を言われることになりそうです。呉々もご留意下さい。なおこの改正は、事業者間取引には関係ありません。相手が消費者の場合だけの改正です。


(私のコメント)
26日の日記においてもデフレ期は増税すべきではないと書きましたが、財務省主税局は消費税の改正により大増税を目論んでいます。一般国民は消費税率の引き上げには非常に敏感ですが、消費税の被課税業者の拡大にはほとんど無関心のようだ。しかし安サラリーマンは関係ない話かと言うと、そうではない。

今まで小規模な個人経営の小売店で物を買ったり、飲食した場合、年間売り上げが3000万以下の店には消費税を納めることが免除されていましたが、それが1000万まで引き下げられることにより、安酒場で飲んだだけで5%の消費税を取られる事になる。一日の売り上げが3万から4万円以上の店がみんな対象になるから、ほとんどの店で消費税を支払うことになる。

昼食を定食屋で500円食べても更に25円支払うようになるのに、安サラリーマンや家庭の主婦達はどうして無関心なのだろうか。新聞やテレビといったマスコミもとり上げないし、評論家も政治家も無関心だ。実際に4月から適用になることが分かって大騒ぎになるのだろうか。その場合6月に参議院選挙がありますが自民党や公明党にとって大きなマイナス材料だ。

さらに景気に対する影響は消費税が3%から5%に引き上げられた時以上のダメージをもたらすだろう。消費はますます冷え込んで行くし、個人零細企業の倒産もますます増えていくだろう。さらに別の問題としては一日の売り上げが3,4万の店だから、個人経営で満足に帳簿をつける余裕の無いところも多い。その場合売り上げからさらに消費税を支払う形になり実質的な増税になる。

インターネットで消費税の改正について調べても、グーグルで検索しても出て来るのは計理士のサイトと、消費税反対を言っている共産党系のサイトぐらいで、一般人の消費税を論じたサイトはほとんど無い。それだけ無関心か知らないのだ。商工業者もどうして反対しないのだろう。政治家に対する影響力が無くなってしまったのだろうか。せめて選挙区の国会議員に抗議のメールでも出してみたらどうだろう。




特別講演「中村敦夫が斬るこの国の司法制度」
日本は三権分立ではなく三位一体化した権力だ


2004年1月29日 木曜日

特別講演「中村敦夫が斬るこの国の司法制度」

中村敦夫公式サイト


(私のコメント)
中村敦夫参議院議員の特別講演の全文を紹介させていただきましたが、日本が抱える重要な問題点を指摘しているので、長文ではありますが興味のある部分からでも読んでいただきたいと思います。この講演は森内閣時代のもので2年以上前の講演ですが、問題点は解決されないまま現在まで来てしまっている。

中村敦夫議員は法務委員会に所属して活躍されていますが、ここは国会の伏魔殿のようなところで歴代の法務大臣は、漢字も満足に読めない大臣がいたりして、権力は大きな省なのですが骨抜きにされて、金丸のような実力者の言いなりになる大臣ポストのようだ。だからこそ文鮮明などと言う統一教会の教祖も入国できないはずなのに入国できたりする。金正男なども自民との実力者の計らいで入国出来ていたのだろう。

国会は二大政党化した結果、本当の国民の声が反映し難くなってしまっている。自民党と公明党が多数を良いことに憲法違反もまかり通るようになってしまった。日本は三権分立のはずですが三位一体となってしまっている。だからイラク派遣も最高裁に訴え出ても門前払いだろう。選挙区の一票の格差の問題でも違憲判決が出されない。

行政府も役人達はやりたい放題で、公文書偽造でカラ出張しても横領にはならず不起訴処分となる。外務省だって一部のノンキャリだけが処分されて後は不起訴処分だ。このように法務省と法務大臣を骨抜きにしておけば憲法違反だろうが役人の横領だろうがなんでも通ってしまう。日本は法治国家なのだろうか。

株式日記と経済展望 特別講演「中村敦夫が斬るこの国の司法制度」

(長文なので別のページに移しましたので上のリンクへジャンプしてください。)



学歴は卒業して5年経ったら目安にならない
現代は知識よりも知恵を必要とされる時代だ


2004年1月28日 水曜日

民主 事態収拾困難に 与党、辞職勧告提出の構え

古賀潤一郎衆院議員(福岡2区)の学歴真偽問題で、民主党は古賀氏が「けじめ」をつけるとして提出した離党届を二十九日に受理する方向で調整を進めている。しかし、与党が議員辞職勧告決議案提出の構えを強めるなど、古賀氏の立場はむしろ厳しさを増している。離党で事態を収拾するのは困難な情勢となっている。(西日本新聞)
[1月28日2時22分更新]

知識人投資家と知恵人投資家の違い ケン・ミレニアム 1月27日

■本日の概要
知識は、努力して勉強すれば誰でも身に付きます。しかし知恵は、「注意力・想像力・判断力・応用力」と「失敗の回数による経験則」でしか得ることはできません。株式投資においても、ニュースなど誰でも手に入る情報という「知識」をもとに、「知恵」によって自分なりの分析と結論を出すことが重要となります。つまり株式投資における勝ち負けの差は、「知識」ではなく「知恵」で決定するものと思います。
詳しい解説は、本文をご覧ください。

◆知識人投資家と知恵人投資家の違い
ケン・ミレニアムは現在、営業企画スタッフを募集しています。ケン・ミレニアムはよく募集をする会社だなと思う方も多いと思いますが、それは「知識人スタッフではなく知恵人スタッフ」になれる可能性があるスタッフを募集しているからです。

「知識人スタッフではなく知恵人スタッフ」になれる可能性があるスタッフとわざわざ書いているのは『日本には知恵人が非常に少ない』からです。ビジネスでも株式投資でも『知識人投資家のほとんどは株式投資の勝者になれない』と思いますが、『知恵人投資家のほとんどは株式投資の勝者になれる』と思います。

◇知識人と知恵人の違いとは
優秀な大学を出た人のほとんどは知識人になります。どういう意味かといいますと『知識に頼った判断』をするということです。しかし、その知識は『過去の時代に過去の人が、過去の環境で作った知識』であり、現在の環境ではほとんど使いものになりません。

例えば、ケン・ミレニアムでは1997年に株式投資のサイトをオープンしました。この時に言われていたことは、
1.相互リンクを多くしなければページビューは伸びない
2.株式投資のサイトだから『個別銘柄情報』を載せなければページビューは伸びない
3.インターネットでは『長い文章』は読まれない
というものでした。


そして、ケン・ミレニアムでは『相互リンクは一切行わない』『個別銘柄情報は一切出さない』『レポートは理解してもらうために長文にする』という、当時のサイトを成功させるための知識とは『全く逆』のことを行いました。
しかし、当時、株式投資に関するホームページではNo.1だったサイトのページビューを4ケ月で突破し、現在ではケンミレサイトのページビューは月間で1000万PV以上になっています。

もう一つ、知識人の欠点は「戦略的」ではあっても「戦術的」でないと言えます。
会社の問題点や今後の課題を見つけて指摘することを知識人は最も得意としています。そして、その時の指摘する『項目』と『言い方』についても、どの知識人も『同じ項目と同じ言い方』をします。これはほとんど例外がありません。

そして問題点と課題を指摘出来るということは優秀なスタッフであると思われるのですが、このことは『勉強して知識を身に付ければ誰でも出来る』ことです。
企業にとって重要なことは『その問題と課題の解決方法=戦術』ですが、この戦術については99%の知識人が回答できません。それは個別企業のそれぞれの環境による固有の回答は『本に書いていない』からです。


これはどういう意味かといいますと、知識は努力だけで得ることが出来ますが、知恵は努力だけでは得られないということです。知恵を得る方法は『注意力・想像力・判断力・応用力』と『失敗の回数による経験則』によってのみ得られます。

◇株式投資と知恵の関係
ケン・ミレニアムは毎日レポートを書いています。そして、そのレポートの多くは『ニュース』で見たことですが、これは『誰でも手に入れられる』ことですので、ここでは他人と差を付けることは出来ません。

エコノミストやアナリスト、ストラテジストが同じデータを元に分析しても、結果が違ってくるのは、データという知識をもとに『知恵』によって『自分なりの結論を出す』からです。

一昨日、ブッシュ大統領が『フランスとドイツ』に恨みがあることで、米国はユーロ高是正に対して『わだかまり』を持っている、フランスとドイツを懲らしめたいと思っているというレポートを書きました。

このような見方が『私は最も重要』だと考えています。ケン・ミレニアムには大きな実績を挙げた方々が社外取締役となって経営指導をしていただいております。いろいろな人が彼らのことを「凄いですね」と言います。確かに彼らの実績は凄いものです。しかし実績自体が凄いのではなく『彼らには成功者特有の凄い部分がある』ということになるではないかと思います。
つまり、人間である以上、みんな感情を持っているのですが、成功者が凄いのは『感情をコントロールするレベル』が一般人よりも高いからだと思います。だからこそ凄い実績を出せるのです。

『トップになった時に人間が変わる』人と『トップになっても人間が変わらない』人がいます。言い方を換えますと、トップになった時には『それまで持っていた欠点』をコントロール出来るようになる人とコントロール出来ない人がいます。

ブッシュ大統領のこれまでの言動や回りの人達のブッシュ評を聞くことで、ブッシュ大統領の性格を掴み、その性格が変わったかどうかを『発言と行動』で更に把握することで、ブッシュ大統領が『これから行う可能性があること』を予測して、今後の世界の方向性を探らなければならないのですが、この時に『米国の大統領の性格を知る』ことは非常に重要です。

これまでもグリーンスパンFRB議長や前オニール財務長官などの性格を知ることや、小泉総理や竹中大臣や田中真紀子氏や猪瀬氏、更に昔の対日強行派の代表であったゲッパード議員が今回大統領選挙に立候補した時に『この人になったら大変』と思いましたが、このように『世界を動かしている政治家や閣僚、日本を動かせる政治家や閣僚』が何を発言したか、どういう行動を選択したかによって、今後の問題に対して『どういう選択をするか』を分析出来る能力を付けることは『投資家』として非常に重要だと思います。

ちなみに、ブッシュ大統領はイラク戦争終了時に『フランスとドイツを排除した経済復興』について言及しましたが、2004年の一般教書演説でも『間接的にフランスとドイツを経済復興事業から排除する』と発言しています。

本来ならば、イラクが混乱していることや、国連介入を認めたことで、ブッシュ大統領のフランスとドイツに対する姿勢は軟化するはずであり、それが大人の選択なのですが、今年になっても『イラク戦争が始まる時のフランスとドイツの行動に対する恨み』を捨てていないブッシュ大統領は非常に危険だと考えられるのではないかと思います。

ということは、2月6、7日のG7(7カ国財務相・中央銀行総裁会議)でもブッシュ大統領はフランスとドイツをいじめる可能性がある→ドル安は米国の国益に則している→ブッシュ大統領はドル安是正に素直に応じない可能性が高い→あとはフランスとドイツと日本の戦術次第という推測が、ブッシュ大統領の性格を見ることで出てきます。

◇結論
為替相場はどうなるか変わらないので、投資家としては為替の影響を受けにくい銘柄を投資対象とした方がリスクは少なくなるという結論が導き出されます。
知識は万人が平等に得られるものですから、勝ち負けの差にはなりません。勝ち負けの差は『知識に加えて、注意力・想像力・判断力・応用力を養い、更に失敗や成功の積み重ねによる経験則』を使って、確定していない将来を分析する能力が高いか低いかで決定されるものと考えています。


(私のコメント)
民主党の古賀議員の学歴詐称疑惑でワイドショーなどは大騒ぎですが、40歳代ともなれば大学を卒業した、しないと言っても20年も昔のことであり、本人の能力を図る目安としては役に立たなくなっています。また、最近の大学では進学希望者より大学の入学枠の方が多い時代であり大学卒の経歴も色が剥げ落ちている。

むしろ卒業して20年も経てば社会人としての実績のほうが、その人を評価する目安になります。だから外資系会社では有名ブランド大学を卒業した新卒者より、実績をあげている社会人を企業幹部としてスカウトしている。古賀議員の場合も県議会議員の実績があるのだからアメリカの大学卒の経歴を詐称する必要はなかったと思うのですが、議員は辞職せざるを得ないだろう。

企業も長引く不況で大卒者を大量採用する時代ではなくなり、外資系のように実績のある社会人をスカウトする企業も出てきました。有名大卒者を採用したところでそれが企業の戦力になるとは限らず、むしろそれがお荷物になってしまっては意味が無いからです。学閥などと言ったものが羽振りを利かせているところは、おそらく業績も振るわなくっているだろう。

中央官庁も東大卒と言った学閥が羽振りを利かし、年功序列社会が形成されている。だから国の政策は硬直化して、前例に則った行政しかすることが出来ない。キャリア官僚は知識レベルは非常に高いのですが、それは現在の環境では役に立たない知識なのだ。むしろ求められるのは問題を解決する知恵だ。

インターネットの世界もまだ出来たばかりであり、ホームページの管理者も手本も無いままに全く新しいものを作り出して行かねばならない。「株式日記」も作った当初は株式のメモ代わりに日記を書いていったのですが、毎日の政治や経済を解説したホームページがほとんどなかったので、自分で書いてみようと言うことになりました。

ケンミレニアムのホームページも「株式日記」と同じ1997年からですが、力量の差は歴然としており、パクリめいた記事を私は書いていた。それは現在も変わらないのですが、日本語による政治経済を論説したテキスト主体のホームページが少なかったので、中味が濃いホームページが有ったら紹介がてら、私のコメントも付け加えるような形になってきました。

特にインターネットは学校では教えてくれませんし、パソコンの操作方法からホームページの作り方まで全部独学でしなければならない。またホームページを公開したからと言って儲かるわけでもなく表彰されるわけでもない。このような分野は優秀な大学を出た優秀な人は興味をあまり示さない。だから日本はIT革命にも乗り遅れてしまった。

ケンミレの森田氏は「知恵を得る方法は『注意力・想像力・判断力・応用力』と『失敗の回数による経験則』によってのみ得られます。」と言っている。私の場合も株の失敗の数は限りなく多く、後は注意力や判断力や応用力などが必要なのですが、株式での成功の知恵となるものは見つからない。

今日の日記にしても古賀氏の学歴詐称事件と、ケンミレの今日の記事を結びつけて考えて学歴について文章を書いていくような発想力がインターネットには必要なのだろう。アメリカには小説家を目指してネットに作品を載せたり、政治・経済の評論家や研究者を目指して精力的に意見を発表しているサイトが数万もある。「株式日記」でもポール・クルーグマンのコラムなどを紹介していますが、日本の優秀な大学をでた秀才はなぜネットにコラムを書かないのだろう。

ネットの世界で意見を発表しあって、政治経済などに一つのコンセンサスを作り上げてゆくようにすれば、日本もアメリカのシンクタンクに劣らぬ戦略が形成できるだろう。以前は東大を出た官僚たちがシンクタンクの役割を果たしていましたが、現在ではそれは機能しなくなった。高い知識力では現代社会に対応できず、必要とされているのは問題を解決できる知恵の持ち主なのだ。




小泉首相のはぐらかし答弁には腹が立つ
質問に答えるまで同じ質問を繰り返せ!


2004年1月27日 火曜日

1月21日の衆議院における菅直人民主党代表の質問演説には迫力があり、誠実さと真面目さが目立った。すぐれた演説だった。原稿なしの演説を菅代表があえて行ったことを私は高く評価したい。演説に魂がこもっている感じを受けた。ただし一言少し欲をいえば、時に記憶を呼び起こそうとする仕草が見えたが、これはなくした方がよいと思う。
 名演説家といわれた戦前の斉藤隆夫代議士は、演説草稿に徹底的に推敲を加え、すべての言葉を自らのものにし、国会演説に政治家としての全精力を傾けた。菅代表が野党第一党の党首としてきわめて多忙な日々を送っていることはわかる。それを乗り越えて国会演説の準備に時間をかけてほしいと思う。
菅代表は、小泉内閣による自衛隊のイラク派遣を「憲法の原則を大きく破るものだ」と断じ、小泉首相を「憲法を変えることもなく、明らかに憲法に違反する行動を命令している。まさに民主主義を破壊する暴挙」と強く批判し、小泉首相に辞任を要求した。これは正論である。この点はとくに高く評価されるべきである。
同時に、「自衛隊派遣の露払いを積極的に務めた公明党も同罪」として断罪し、神崎公明党委員長に「その職を辞する」ことを勧告したことも適切な忠告だった。公明党が小泉内閣の憲法違反の先導的役割を果たしていることを取り上げたことは正しかった。
 「平和と福祉の党」と公言してきた公明党の大転向は醜悪である。憲法を守ると言ってきた公明党が憲法違反の先頭に立っている。これは民主主義国の政党として、国民に対する許すべからざる裏切り行為である。同時に、同党の自殺行為でもある。
 マスコミは創価学会からの莫大な広告費への依存度が高いため、公明党への批判をためらう傾向が強い。菅代表が、日本の政界全体がおそれている創価学会の政治部である公明党を真正面から批判したことは、大変勇気ある行動である。この点も高く評価したい。

 マスコミは菅代表の再質問に対する小泉首相の切り返しに大喜びをし、菅代表の勇み足と非難した。だが、これこそはマスコミの勇み足と言わなければならない。 私に寄せられるのは「些細な問題を捉えてあたかも鬼の首でも取ったかのように喜び勇んで反撃する小泉首相の小さな姿に失望した」という声ばかりである。マスコミの感覚の方が歪んでいる。小泉首相が些細な問題を捉えて相手の揚げ足をとる姿は、一国の宰相の姿として見苦しいかぎりだ。
 ついでに言えば、最近のマスコミ人の誇りの低下に私は失望している。最近、強者=権力者には弱く、弱い立場の者には強い立場をとるマスコミ人が増えた。「強きを挫き弱きを助ける」が言論人の生き方でなければならないのに、いま、「弱者を踏みにじり、強者におもねる」風潮がマスコミ界全体を覆っている。

 ただし残念なことだが、菅代表の質問演説で欠けていた問題があった。そのなかの最大の問題は日米関係のあり方である。
 いまの日本政府は海外から「日本は米国の従属国」「小泉政権はブッシュ政権の傀儡(かいらい)政権」と言われるほど惨めな存在に成り下がってしまった。事実、いまの日本は、外交・防衛政策だけでなく、経済・金融・財政政策もそのほかの社会政策も、すべてブッシュ政権の指揮下にある。日本はいまや事実上米国の植民地と化している。国民が汗を流して築き上げた国民の富が米国政府に吸い上げられている。欧米諸国からは「日本は独立国ではなく、独自の外交政策はない」と言われる始末である
菅代表は、この日本の国際的地位の低下と米国への従属の問題を、真正面から取り上げるべきだった。この点に言及しなかったことは残念なことだった。この問題を回避すべきでなかった。次の機会にはぜひとも取り上げてもらいたい。(後略)

2004.1.26 常識の復権 森田実の時代を斬る


◆小泉語録の矛盾を告発せよ (2003.10.7)

日本の首相発言が軽くなったのは小泉純一郎氏が繰り出す「ワンフレーズ」のせいだが、それでも「こんな発言をしても内閣が倒れないのか」という驚くべき事態が続発している。
 まずは旧聞だが「イラク特措法案」審議の際、イラクの非戦闘地域はどこかと聞かれて小泉首相は「そんなこと知るわけがない」旨の答弁をした。「イラク特措法案」の成立の基盤について首相が「知るわけがない」と開き直ったのだから、この法案はつぶれ、法案を提出した内閣に責任論が出るのが当然だが、 “堂々と”成立してしまった

 その二。8月26日夜、首相は憲法改正について九条に触れ「本当に自衛隊は軍隊ではないのか。自衛隊に戦力はないのか。常識的に考えておかしい点もある」と発言した。「自衛隊は戦力である」ことを“堂々と”認めたことになる。憲法九条の第二項では「陸海空その他の戦力は、これを保持しない」とうたっている。つまり首相は「自衛隊は憲法違反である」と宣言したことになる。
 その三。同じ夜の首相発言の続きで、四十三条についても「違憲」と思われる言葉が続いた。四十三条は衆参両院は「全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」とされていることに関して「(衆院の小選挙区)選挙で落選した人が比例で救われて国会議員になっていいのか、一般の人は疑問を持つ」と。従って改憲の根拠は「九条の矛盾」だけではないという認識を示した。
 ちょっと、待ってほしい。選挙制度を改正するとき、小泉議員は賛成したではないか。
 国会審議を経て民主的に決まった選挙制度を「違憲の疑いがある」と言うのは自己矛盾もはなはだしい。
 以上三例を挙げた。いずれも内閣が倒れてもいい首相発言だと確信している。
 しかし、現在のマスコミ、ジャーナリズムの追及は穏やかというか、内閣を倒す力はないようだ。首相は、そんなマスコミを見下しているようにも思われる。
 「消費税は上げなければならないが、私の内閣ではしない」―。
 こんな軽い「ワンフレーズ」があろうか。

 つまり、小泉発言は国の根幹に触れる問題に格好良く切り込んでいるかのようでいて、その「心」は自民党総裁選に勝つことを最優先にしているだけだ。そう考えると「小泉語録」の真意は分かる。
 それにしても、そうした国民、国家にとって最も重要な問題でさえ、総裁選の「政争の具」にしてしまう小泉首相とは、一体どんな感覚を持ち、どんな思いで首相を務めているのか。
 それを、まるで「静観している」ようなマスコミ、ジャーナリズムとは、「表層に見える出来事」の報告者に成り下がったのだろうか。
 「日本のジャーナリズムは死んだ」と言われないためにも、せめて「小泉語録」の矛盾、違憲性、反倫理的な内容を国民・読者に「告発」しなければならない。
 そうした「けじめ」をつける力が非常に弱くなっているのを危ぐする。その波及するものが現代日本全体を覆う「無責任体制」と断言してもよい。

(白垣詔男)

日本ジャーナリスト会議のホームページ


(私のコメント)
テレビというものは恐ろしいもので目に映る画像に注意を奪われて、人間の思考力を奪い取ってしまうらしい。新聞や本などの文字情報ならば自分のペースで情報を処理することが出来るが、テレビは次々と一方的に情報を流し続け、後に残るのは印象でしかない。ビデオなどに録画して何度も見直す人はほとんどいない。いちいちビデオに撮っていたらビデオカセットの山に埋もれてしまうし、見る時間的ゆとりもない。

私の場合HDD付きのDVDプレーヤーを買ったおかげで、テレビを見ながら面白そうな場面がきたら録画ボタンを押して録画する。ビデオと違ってHDDは160時間も録画できるのでテープの残量を気にせずに録画できるのが利点だ。更にデジタル信号で録画されているのでパソコンに取り込むのにも便利であり、最近はDVDレコーダーも安くなったのでビデオから買い換える価値はあると思う。

そして暇が出来た時にもう一度見て見ると、一度目に見た時の見落とした部分や、忘れた部分を見ることが出来て便利だ。このように何度も見ることによってテレビを見る側にとっても考えるゆとりが出てくる。つまり新聞や本などのようにテレビも何度も見直すことが出来るようになったと言うことだ。ビデオも見直すことが出来るがランダムに見ることが出来ない。

インターネットは新聞や本などに近い文字情報が主体のメディアですが、テレビやラジオの機能も併せ持っている。しかし光ファイバーが普及するまでは文字が主体のメディアとして利用されている。テレビは一度見逃してしまうと二度と見ることが出来ない。しかし画像の情報量はテレビに適う物はなく、テレビでしか伝えられない画像情報は録画するしかない。

インターネットはこのような画像情報もファイル化されて、何時でも何度でも見ることが出来るようになるだろう。今でも一部実用化していますがまだ実験段階です。私は静止画を使ってこのようなテレビ番組の再現を試みているのですが、音声のテキスト化が難しくて実現できていません。それに丸々再現すると著作権に違反します。

当面は私のコメントに対する補助的手段としてテレビ画像をキャプチャーして載せているのですが、画像そのものが非常に情報量があるために乗せられる画像も十数枚に限られる。それでも「アポロ宇宙船の月面着陸疑惑」「ダイアナ皇太子妃暗殺疑惑」の番組などは話題を呼んだ。私なども何度もページにアクセスしながら画像を見て考えてみる。しかしホームページのサーバーの容量が限られているので、近いうちに消さねばならない。

今日は小泉首相と民主党の菅代表の代表質問を取り上げてみましたが、小泉首相の答弁と顔を見ていると頭に来ます。まるで国会をバカにした態度は選挙に勝って以来、ますます露骨になってきました。これでも小泉首相を支持する人々は支持し続けるのでしょうか。菅代表がいくら鋭く質問しても、菅氏を馬鹿にした答弁であざ笑っている。官僚の書いたメモを棒読みしてそれで通ってしまう。

明らかに戦闘が行われている地域に自衛隊を派遣しながら、どうしてこれがこれが憲法に違反しないと言えるのか。憲法に違反をしながらどうして小泉内閣は存続が許されるのか。これが許されるのならば、今後の日本は憲法違反をしてもかまわないと言う前例が出来た事になる。国民が11月の衆議院選挙で小泉内閣を支持したことになるのだから、国民がイラク派遣に賛成したのだ。

一昨日の反戦デモに私は参加しましたが、参加人数も少なくデモを見る人々も無関心な反応だった。だから小泉首相も国会を軽視して平気でいられる。大手の新聞やテレビも小泉内閣には及び腰で、少し取材規制をちらつかせただけで妥協してしまう。何のことはない、戦前の戦争を煽った新聞社とたいして変わっていない。今のところ新聞もテレビもはっきりと自衛隊のイラク派遣に反対しているところはない。




デフレ期には、借金返済を実施するべきではない
借金返済の形は、増税と物価上昇とがある


2004年1月26日 月曜日

◆デフレ期には、借金返済を実施するべきではない。(返済開始の時期を早めるべきではなく、返済完了の時期を早めるべきだ。)

◆デフレ期には、消費の拡大が必要であり、そのためには、増税よりも減税が必要だ。

◆借金返済の原資は、金ではなく、労働であるべきだ。そのためには、生産量の拡大が、最優先だ。

◆やがて景気が回復するにつれて、借金返済をすることになる。

◆借金返済の形は、増税と物価上昇とがある。原理的には、どちらも等価である。(借金返済の意味で。)

◆景気回復の途上では、生産量の拡大が優先するので、借金返済の形は、増税よりも、物価上昇にするべきだ。(「アメとムチ」効果の有無による。)

◆借金返済の効果は、「帳簿をきれいにすること」だけでなく、「投資拡大・消費縮小」である。借金返済の方法が、増税であれ、物価上昇であれ、そうなのだ。……ここに本質がある。ここを見失ってはならない。(なのに政府はここを見失っている。)

◆だから、借金返済をするべき時期とは、投資の拡大をするべき時期である。そうでない時期には、借金返済をしてはならない。

◆いつ借金返済をするべきか? 景気回復の途上では、借金返済の開始の時期を決めるのは、物価上昇率や経済成長率ではなくて、市場金利の上昇だ。

◆市場金利の上昇したときに、買いオペを実施すれば、物価上昇と国債償還を通じて、借金の返済がなされる。同時に、投資の拡大がなされる。

◆いつかは増税が必要となる時期が来るが、それは、景気が回復しつつある時期ではなくて、景気が過熱した時期である。そのときまでは、増税ではなく、物価上昇の方を選ぶべきなのだ。(国民負担をかける方法の違い。)

◆景気が過熱したあとでは、増税をするべきだ。ただし、増税には2種類ある。一方は、「単なる物価下落」だけをもたらし、他方は、「借金返済と投資拡大」をもたらす。どちらが好ましいかは、状況しだいである。

◆過剰な量的緩和の弊害

(1) デフレ期

 まず、デフレのときには、タンク法による「減税」を実施するべきだ。すると、生産量を拡大して、労働の量を拡大することになる。これが、過去の財政赤字についての借金返済の原資となる。ただし、その量が不十分であるうちは、借金返済の余裕がない。(わかりやすく言えば、ゼロ金利のうちは、「増税」も「買いオペ」も実施するべきではない。まだ「借金返済」をするべきではない。ゼロ金利の状態では、「買いオペ」は無効だが、そもそも、投資意欲がない。その理由は、設備の拡大が不要であるからだ。ゼロ金利の状況では、無理に「投資」を拡大しようとする必要はなくて、いまだ「消費」を拡大する路線を取っていればよい。)

(2) 回復期

 その後、景気が回復して、消費が十分に拡大したら、消費拡大だけでは、生産量の拡大はなされなくなる。遊休設備を稼働させるだけでは不足であり、新規の設備が必要となる。この段階で、「消費だけを拡大する」という路線から、「消費と投資の双方を拡大する」という路線に転じる。すなわち、「投資拡大」のために、「買いオペ」による「金利低下」を実施する。(こういうことが可能になるのは、ゼロ金利を脱したあとである。)

 ゼロ金利を脱した時点で「買いオペ」を実施すると、「買いオペ」にともなって「借金の返済」もなされる。これはどういうことかというと、ゼロ金利を脱した時点では、借金返済の余裕が生じるということだ。この時点では、「消費拡大」が十分になされている。だから、「借金の返済」および「返済された金を投資に向ける」ということをなすわけだ。「借金の返済」と「投資の拡大」は、一つのことの裏表であるのだ。(というわけで、投資の拡大が不要である時期には、「借金の返済」は不要なのである。) なお、このとき、消費のための金が奪われるが、その形は、「増税」ではなくて「物価上昇」である。

 生産量を急速に拡大するためには、物価上昇率が高めである方がいい。だから、景気回復の途中では、国民に何らかの負担能力が生じたなら、「物価上昇」をもたらす低金利政策が好ましく、増税は好ましくない。この間、増税をしていなくとも、物価上昇と買いオペによって、国債はどんどん償還されていくから、借金の返済はなされていく。

(3) 景気回復後

 生産量が十分に拡大したあとは、どうか? こうなると、いくら投資を拡大しても、生産量の増加が見込めなくなる。その理由は、労働力が不足するからだ。この時点で、路線を切り替える。すなわち、「物価上昇による生産量の拡大」という路線から、「物価上昇を抑制して、安定成長をする」という路線へ。そのためには、買いオペによる低金利政策をやめて、増税を実施する。

 増税によって、消費は縮小する。増税で得た金を、どうするか? その金で民間の国債を買う(国債償還をする)ならば、借金返済がなされるが、その金は、国債所有者から金融市場に向かうので、物価上昇は抑制されない。単に、借金返済がなされて、投資拡大が起こるだけだ。一方、その金を、日銀の国債を買う(タンク法の増税をする)ならば、借金返済はなされないが、貨幣量が減るので、物価上昇は抑制される。「借金返済」と「物価上昇の抑制」のどちらが優先するかは、状況による。

 状況が供給能力不足であれば、「借金の返済」をすればいいだろう。そのことで、低金利を通じて、「投資の拡大」がなされるので、「供給能力不足」という問題が解決されて、需給逼迫による物価上昇が抑制される。逆に、状況が供給能力不足でなければ、「物価上昇の抑制」をすればいいだろう。そのことで、「貨幣量の過剰」という問題が解決されて、物価上昇が抑制される。

 逆に言えば、同じく「物価上昇」が起こるとしても、「需給逼迫による物価上昇」と、「貨幣量の増加による物価上昇」とでは、対処の仕方が異なるのだ。

結語。

 「借金の返済」をするときには、まず、「借金の返済」の必要性の有無を考慮するべきだ。
 次に、「借金の返済」の方法としては、「物価上昇」か「増税」か、そのどちらを取るべきかを、よく考慮するべきなのだ。どちらが好ましいかは、景気回復期か景気過熱期かで異なる。

 さらに景気過熱時には、増税をするとしても、「国債償還」の対象者を、民間にするか日銀にするかを、考慮するべきだ。(前者ならば借金返済、後者ならばタンク法[借金返済なし]。)どちらが好ましいかは、「需給逼迫による物価上昇」か、「貨幣量の増加による物価上昇」かで、異なる。

[ 付記1 ]

 最後の結論を見ればわかるとおり、本項では、場合分けの処方を示している。これは、従来の経済学の処方とは異なる。従来の経済学では、次のようになる。

 第1に、「借金返済」は常に必要である。状況に応じて是非を論じることなく、ちょっとでも景気が回復すれば、直ちに「借金返済をするべし」となる。

 第2に、「借金返済」の方法として、「物価上昇」と「増税」を等価とは見なさない。両者から好ましい方を選択するのではなく、常に「増税」だけを取る。

 第3に、「増税」をしたら常に「借金返済」をするべしとされる。つまり、得た金を渡す先(国債の償還先)は、民間と日銀から選択されることはなく、常に民間だけに限られる。(なお、景気過熱時には「売りオペ」という金融政策を別個に実施すればよい、とされる。「国債償還」と「売りオペ」との連携によるタンク法の効果を無視する。)

 要するに、本項で示したような場合分けの処方に比べると、従来の経済学の処方は、ごくごく単純なものでしかない。「あらゆる病気に解熱剤を処方すればよい」というような単純な処方である。

( ※ だから、従来の経済学の処方は、しばしば失敗する。物価上昇が起こると、やみくもに「金利引き上げ」によって、貨幣量を縮小しようとする。IMFはしばしば、こういう失敗をする。この件は、1月29日ごろに再論する。)

小泉の波立ち ニュースと感想 1月26日 南堂久史


(私のコメント)
政府・日銀の金融政策は非常に難しく、財務省の官僚も日本銀行の総裁も適切な政策の運用に失敗している。私から見てアメリカのグリーンスパンFRB議長は理解しているように思える。日本の政府・日銀の高級官僚たちは日本経済の現状がどのような状態であるかも正確に把握していなかった。そもそもバブルの時も一般諸物価にばかり注目をして資産バブルを見逃してしまった。

またバブルの崩壊後も、株や土地が五分の一、十分の一に暴落する事態に到っても、これまた一般諸物価ばかり見つめて、デフレ経済を認めるのに遅れてしまった。グリーンスパンは経済や株式の事がわかっているから、バブルも早めに警告したし、またバブルの崩壊を全力で食い止めようとしている。成功するかどうかは分からないが日本よりかはソフトランディングするだろう。

最近になってようやく政府もデフレ経済であることを認め始めましたが、竹中金融大臣や速水前日銀総裁は逆噴射的金融政策で病気を拗らせてしまった。現在はデフレ期なのだから大減税を行って消費を刺激すべき時期である。だからこそアメリカのブッシュは大減税を行って景気を何とか回復させている。ところが日本の財務省はあらゆるところで増税を行おうとしている。

速水前日銀総裁がバカなら財務省官僚はそれに劣らぬバカぞろいだ。デフレ期は政府が財政で需要を維持しながら大減税で消費が回復するまで見守る時期なのだ。もちろん銀行の経営体質の強化も大切だが景気を回復させないことには、構造改革のしようがないのだ。むしろ政府の無駄遣いをなくして有効な分野への公共投資を推進すべきだ。ところが小泉内閣の構造改革は道路公団を見ても骨抜きになってしまった。むしろ高速道路料金を廃止して道路公団をなくすのが本筋なのだ。

小泉首相の構造改革というのは官僚たちの陰謀であり、ますます民営化された独占的特殊法人が増えて行き、官僚たちはその特権の上に乗って天下ってゆくのだ。だから小泉内閣になってから天下りポストは増え続けている。民営化とは天下りポストを好きなだけ増やせる制度なのだ。高速道路もますます値上げされ道路公団は肥大化して行く。

もし景気回復の兆しが見えて、金利や物価が上がり始めたら、政府・日銀は買いオペを行って市中にだぶついた国債を買い取って資金供給をして上がり始めた金利を低く保ちながら、物価に上昇による累進課税による税金の増収で借金を返し始めれば良いのだ。この時点では増税はしてはならない。橋元内閣は消費税の引き上げを行って失敗している。

デフレ期には政府のみならず企業や個人も、借金返済よりも物価が安いのだから預金を取り崩して消費に回すのが懸命なやり方であり、サラリーマンは無理をしてまで消費を切り詰めて住宅ローンの返済に回すべきではない。もし返済の支障がなければ自己資金で新たなる投資を始める時期でもある。デフレ期は有利な投資物件がごろごろしている。株や土地で儲けるのならこの時期に買うしか無いだろう。私も投資したいのだが金がない。

財務省のバカ官僚が消費税の増税をしようとしている。それに対する国民の反対運動が起きていないのはなぜだろう。橋本内閣の失敗に懲りずに同じ間違いを何度でも繰り返すようだ。バカは死ななきゃ治らないのだろうか。経済コラムマガジンでは次のように書いている。

◆消費税の免税点の引下げ

先週号で消費税の免税点の引下げを取上げた。しかし消費税の改定については、「内税表示」に関しては割りと知られているが、免税点の引下げについてはほとんどの人々は知らないようである。たしかに大きな組織に属している人にとって、これは自分達に関係がなく興味がない話である。したがってマスコミもほとんど取上げていない。

しかし免税点の、3,000万円から1,000万円への引下げは、驚くほど多数の人々に影響する。平均して一日3万円以上の売上の事業者が納税義務者になる。かなりの割合の個人事業者が対象になる。そして消費税は、商売が赤字でも納税することになる。これに対して反対運動が起っても不思議でもないのに、無気味なほどに声が上がらない。一つの理由は、この規模の事業者は、政治的な団体との結びつきが弱いことである。

経済コラムマガジン 消費税免税点の引き下げ


確かに売り上げが3000万以下のはずなのに消費税を取っている小規模業者や個人事業者がいる。このような業者には税務署がしっかりと査察すれば良いのだし、免税点を1000万円に引き下げれば私のところも消費税を納税しなければならなくなるが、テナントに新たに消費税を負担してもらうには現状ではとても出来ない。実際には家主が負担して払う結果にもなるかもしれない。もし免税点の引き下げがあればかなりのダメージがあるだろう。政治家達はなぜ動かないのか。




WORLD PEACE NOW 1.25、東京
久しぶりに反戦デモに行ってきました


2004年1月25日 日曜日

私は反戦平和主義者ではありません。民族保守派であり、改憲論者であり自主防衛論者でもあります。しかしながら自衛隊のイラク派遣は明らかに憲法違反であり、既成事実を積み上げてなし崩しに拡大してゆく方式は危険です。戦前の軍部のやり方をそのまま踏襲している。小泉内閣は関東軍のやり方で憲法を空文化している。もうイラクに自衛隊が行ってしまったから仕方がない、といっていたら取り返しのつかないことになる。

更にアーミテージに「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」と命令されて行くのも反対だ。日本国軍がアメリカ軍の指揮下に入り植民地軍のような扱いを受けていいのか。あくまでも憲法を改正してからイラクへ派遣すべきであり、なし崩し的なやり方に国民もマスコミもどうして抗議しないのか。

日本の若者の政治に対する無関心はどうしてだろう。選挙にも行かないし仕事もせず高卒の三分の一がフリーターだ。まるで屠殺場に連れて行かれる家畜のように無気力だ。戦前の日本もずるずると戦争が拡大しているのに国民は無関心で無気力だった。政府のプロパガンダを信じきって騙されているのに誰も戦争反対の声を上げなかった。政府の取り締まりはいい訳に過ぎない。戦争の直前の昭和15年に国会で反戦演説をした斉藤隆夫は除名処分を受けただけだった。べつに秘密警察に捕まって処刑されることはなかった。

ワールド・ピース・ナウの反戦デモの様子をカメラで撮って来たのでぜひ見てください。主催者の発表では6000人の参加者だそうですが、去年と違ってだいぶ減りました。特に若い人の参加が減りました。その反面マスコミの取材は多かったです。ニュースで取り上げられるか分かりませんが、マスコミが小泉内閣を応援してここまで来てしまった責任を取って欲しいものだ。

株式日記と経済展望 WORLD PEACE NOW 1.25の写真展




ヘレン・ミアーズ著 『アメリカの鏡・日本』
大東亜戦争は植民地解放と人種差別撤廃に貢献した。


2004年1月24日 土曜日

誰のための共栄圏か

対日関係で、私たちはあまりにもアジアの視点を無視してきた。一九四三年十二月一日、カイロでチャーチル英首相とルーズベルト米大統領が、日本を「懲罰、拘束」し、彼らが「暴力と貧欲」によって奪った領土をすべて取り上げる決意を明らかにしたとき、米国国民は正義と民主主義の行動として歓迎した。しかし、イギリス、フランス、オランダ(そのどの国も自分たちの植民地に対しては独立を約束していなかった)の植民地には、カイロは閉ざされていた。英領香港の中国への返還については、ひと言もなかった。

当時の現実状況から、アジアの政治活動家たちが対日カイロ宣言を解釈するなら、日本の罪状は、彼らが植民地住民に対して暴虐を振るったことではなく、日本の暴虐が、同じような暴虐でヨーロッパ諸国が確立した植民地体制の現状を揺さぶったことなのだ。

第二次世界大戦中、アメリカと日本は法的擬制の応酬をする不幸な癖に災いされていた。私たちは「世界を征服し奴隷化する」野望に燃えた軍国主義的侵略者、日本の姿にとらわれすぎ、日本が「白人ブロック」の「奴隷体制」から太平洋地域と「アジアを解放する」というスローガンの下に、日華事変と第二次世界大戦を戦っていることを見ようとしなかった。

仮に見たとしても、このス ローガンは私たちにとって法的擬制だった。しかし、私たちの法的擬制より、日本の見せかけを信用したアジア人はかなりいる。一九一三年の満州から一九四一年のインド国境まで、日本が破竹の勢いで進出できたのは、アジア・太平洋諸国をヨーロッパの政治・経済的支配から解放するという大アジア建設計画(大東亜共栄圏)のダイナミックな革命的魅力に負うところが大きい。

アジア.太平洋地域の植民地には、もともと経済的支配からの政治的独立と自由への渇望がくすぷっていた。日本のプロパガンダと指導は、それに火を点けたにすぎない。初めのころ、若干の例外はあったが(フィリピンはその一つ)、アジアと英仏蘭領植民地で日本が勝てたのは、現地協カ者の活動があったからだ。開戦当初の日本は、ほとんど銃火を交えないで戦果を収めている。ヨーロッパのアジア「領有者」たちは、日本軍から逃げたのではなく、現地住民の敵意から逃げたのだ。私たちが「解放」戦争と呼んでいたものは、実はヨーロッパによるアジアの再征服(恥ずかしいことに、アメリカが手を貸した)だったのである。

ルーズベルト大統領は一九四四年八月十二日の声明で、アジアの民衆は日本の奴隷になることを望んでいないといった。まったくそのとおりだ。しかし、歴史的にみてアジアの民衆を「奴隷にしていた」のは日本ではなく、私たちが同盟を結ぶヨーロッパの民主主義諸国であることを、ルーズペルトはいわないのだ。

日本は当然のことながら、アジアの人々に対して、アジアあるいは太平洋地域の領土を併合したり、支配しようという意図あるいは希望は毛頭もっていないと繰り返し宣伝していた。日本はただアジアをヨーロツパの支配から自由にしたいだけである(アメリカが南アメリカをヨーロツパの侵 入から守っているように)。そして、アジアの民がたがいに協力して自分たちの資源と文明を発展させることができるようにしたいのだ、というのが日本の主張だった。

日本の主張によれば、アジアでの日本の役割は単に指導者と守護者にすぎない。アジア・太平洋地域の民衆がヨーロッパとアメリカから「解放」された暁には、日本はアメリカが南アメリカとの間にもっているのと同じ関係を、彼らとの間でもつことになるだろう(と日本はいうのだった)。

アジアを「解放」したいという日本の願いは「聡明な利已主義」すなわち法的擬制から出たものであり、したがって、結局はその実現方法は野蛮であるという前提に立つにせよ、日本がその擬制を信用させるために、アメリカと同じところまで、そしてヨーロッパ友邦よりははるか先まで、行っていたことを認める必要がある。

日本は現地住民に独立を約束した。それだけでなく、独立を保障する具体的行動を進めていた。一九三五年にはすでに、満州での治外法権を放棄していたし、一九四〇年には中国に正式に約束し、一九四三年には中国政府に租借地を返している。大戦中日本は、実際に、占領したすべての地域に現地「独立」政府を樹立していった。

たとえぱ、フィリピンは一九四三年十月十四日に「独立」を獲得している。これは私たちが二度目にフィリピンを「解放」する数年前のことである。ビルマは一九四三年八月一日に「独立」した。マレー、インドネシア、インドシナに現地政権ができた。マレーではインドの代表的指導者、ボースが率いる自由インド亡命政府が樹立された。ボースはイギリスに宣戦布告し、インド人部隊を編成して日本軍とともにインドヘ進撃しようとしていた。今日、インドの代表的指導者の中に は、イギリスの政治的撤退を早めたのは、真に平和を願う指導者の長く実りない平和的手段ではなく、ボースの隠然たる脅威、「忠誠心のない」インド軍、そして日本軍だったという人もいる。

こうして各地で独立を宣言した植民地政権を、私たちは法的擬制と呼んでいる。私たちは現地政府を塊偲と呼んでいる。しかし、フィリピンを例外として、これらの政府に参画した現地の人々が、戦争の最中でさえ、過去のどこの同じような現地政権より権威をもっていたことは事実である。

日本の初期段階の勝利から、再ぴ戦争の潮が押し寄せてくるまでの比較的平和な期間、日本の「保護」のもとに樹立された現地政権は、かなりの安寧秩序を達成していたようである。もちろん、正確な資料を得るのはむずかしい。日本側の報告(定期刊行物「現代の日本」に掲載されるような)は結構なことをいっているが、もちろん全部は信用できない。

たとえば、戦争中に「独立した」ビルマは急成長する国として紹介されている。独立から一年間で、十二ヵ国一フィリピン、中国南京政府、満州国、ドイツ、その他の枢軸国を含む一がビルマ政府を承認した。ビルマ政府は、まず土地を農民に配分することから計画に着手した。

ビルマ国立銀行、物資統制委員会を設立し、経済を安定化させ、戦争が国民に与える影響を最小限にとどめようとした。これらの計画は日本人の利益のために、日本人によって促進一指導)されていた。しかし、これは現地の人々にとっても大事なことだった。彼らの独立が法的擬制であったにしても、かつての植民地としての地位を超える一歩だった。

支配の焦点はヨーロッパからアジアに移っていた。日本がこれらの現地政権を支配していると想 定しても(仮に日本が戦争に勝っても、ありそうにない想定〉比較的弱いアジアの国日本は、アジアの視点でみれば、世界で最強の工業国家群である「白人ブロック」ほど「怖く」ないのだ。

もしヨーロッパ諸国とアメリカがアジアの植民地に戦争をもち込まなかったら、現地独立政権は彼らの共栄圏発展のために、喜んで日本に協力しただろう。そう考えられる証拠は十分ある。一九四三年十一月、大東亜「解放」諸国会議が開かれ、「共同宣言」を採択した。日本のジャーナリズムが「大西洋憲章」になぞらえて「太平洋憲章」と呼んだものである。太平洋憲章によれば、大東亜共栄圏の目的は西洋の支配から自由を勝ちとり、世界の平和と繁栄のため、文化、経済の両面での発展を図るというものだった。

ある日本の記者はこう説明している。「これまでの統治者が搾取を目的としてこれらの諸国に押しつけた植民地的、半植民地的経済構造は排除されるだろう。そして、遠隔地の領主のために働くのではなく、住民の幸福を図る経済システムに置き換えられるのである」。

太平洋憲章はこういう。「大東亜諸国は世界の国々との友好関係を培い、人種差別撤廃と文化交流の促進を図り、資源を広く世界の利用に供するために、ともに努力し、人類の進歩に貢献するものである」。

私たちは、戦争中日本に協カした現地政権はすべて傀儡であると、いとも簡単にきめつけてきた。確かに自己利益のために、日本に協カしたものもいた。しかし、当初、現地住民が日本のプロパガンダと計画に熱烈に応えたのは、法的擬制の「自由アジア」というスローガンを現実のものとして考えたかったからだろう。

日本に協カしたのは、ほとんどの場合、それぞれの国を代表する人たちだった。彼らは(ナチスの協力者とは違って)、対日協力の動機は純粋に愛国心であると胸を張っていえた。なぜなら、戦争は日本と現地政府の間ではなく、日本とヨーロッパの異民族支配者の問で戦われていたからである。

フィリピンに関しては、私たちの運営は他の植民地にくらべてはるかに優れた記録を残しているが、アメリカがすでに自由を約束していたそのフィリピンでさえ、単なる傀儡的人物として切って捨てることのできない人々の中に、日本は協力者を得ていたのだ。たとえば、ケソン大統領の閣僚だったヨルヘ・バルガスである。彼は大統領がアメリカに亡命する前にマニラ市長に任命された人物だが、一九四四年十月十四日、フィリピン独立一周年を祝うために、フィリピン共和国から大使として東京に送られている。バルガス大使はこの記念式典で次のように演説した。

しかし、大日本帝国は軍政を最終的に撤廃し、フィリピン共和国の独立を承認するというこのうえない形で、その高邁な精神と理念を証明した。帝国はそのすべての誓約と宣言を誠実に守り、フィリピン国民が憲法を制定し、自らの文化と伝統に調和する国家を樹立する最大の機会を開いたのである。……大東亜において……日本帝国は、あまりにも激しく、あまりにも不当に圧政暴虐の侵略者として非難されているが、その寛容と自由の実践は世界も驚くであろう。日本は帝国ではあったが、一つの共和国を認め、まさにその樹立に参画した。

「解放」を戦争政策のテクニックとする「解放者」に贈られた賛辞としては、これは確かに誇大である。しかし、この声明と、一九四三年十月十四日、フィリピン共和国設立のさい「フィリピン国民は苦悩と破壊をもたらす軍事行動を、二度と私たちの地で繰り返してほしくない」とアメリカに訴えた声明を読むと、もしフィリピン国民が選択できたら、自分たちの国内で二回の戦闘を繰り返してまで、二回も「解放される」ことは選ばなかったのではないか、と思わざるをえない。そして、アメリカの指導者にはもっと穏やかな解決方法があったのではないか、と思うのである。

二度「解放された」フィリピンは、今日、私たちの「安全保障体制」に組み込まれ、そこには九十九年間の駐留権をもつ米軍基地がある。フィリピン国内に強い反対があったが、アメリカに通商特権などの特殊権益を与えるために新憲法が修正された。その見返りに、フィリピンがアメリカでの特権を与えられたわけではない。ロハス大統領は憲法修正の国民投票にさいし、この修正案に反対しないよう呼びかけ、もしこれを拒否すれば、「アメリカが戦争中の損害賠償に応じない」だけでなく、さまざまな不都合が生じるだろうと警告した。

フィリピンに対する私たちの通商政策は、対日戦争でアメリカに協力した多くのフィリピン指導者たちからも激しく批判された。フィリピンの戦前の状況はけっして望ましいものではなかった。国はまだ農業が中心だった。フィリピンのジャーナリストの言葉を借りるなら「一九四〇年の今でも、大半のフィリピン人は封建的慣行を土台にした農業制度の下で生活していた。いまだに何百万もの農民が農奴と変わらない状態で土地に縛りつけられている」のである。

土地は豊かだが、かなりの面積が未開発のままだ。戦前の日本人はさまざまの規制を設けてはいたが、新しい農 産物を実験したり、土地の生産性を高めて、農業専門家として役立つことを証明してみせた。私たちの関心はもっぱら通商だった。私たちは対外貿易をほとんど独占的に支配していた。

現在日本人は完全に島から去った。戦争の最終段階で生まれた日本人に対する憎悪の念は、何年にもわたって残るに違いない。日本人の移住を禁じるアメリカの措置が解除されても、この憎悪があるうちは日本人がもどってくるのはむずかしいだろう。しかし、アメリカが米比両国民全体の権利の上にアメリカの少数グループの特権を置きつづけるなら、アメリカは期待しているほどの評価は得られないだろう。

アジア・太平洋地域の植民地問題は、政治的より経済的なのだ。植民地体制の最もよくないところは、工業先進国である本国が植民地への投資と貿易を管理し、植民地経済を本国経済の従属物として発展させたことである。もちろん、日本も植民地で同じことをした。しかし、日本とアジアの関係においては、日本の生活水準がアジアのほかの地域をそれほど上回っていないために、日本は現地住民が購入可能な価格で物をつくることができた。

しかも、数ヵ国(イギリス、フランス、オランダ、アメリカ)による所有体制は、アジアの地域をそれぞれ隔絶した区域に分割したために、移住、貿易、文化交流の自由が妨げられていた。ヨーロッパ諸国が去っても、アジアは自分たちの問題を自分たち同士で解決できないだろうと考えられている。しかし、自分たちで解決できると信じる行動的グループが増えていることも事実である。

アジア・太平洋地域の人々が自分たちの資源を管理する地域機構として大東亜共栄圏を構想したことは、それなりの意味をもっている。戦争中でさえ、日本は一つの路線を敷いた。それは、アジアの現地住民がヨーロッパの経済的、政治的支配から脱却する努力をつづけていく中で進展するはずだった。この点に関して、日本の仏印計画について論じた二人のアメリカ人研究者の意見が、きわめて示唆に富んでいる。彼らはフランスのインドシナ経営は貿易と投資の両面で「ほとんど独占的」だったとして、次のように書いている。

このような効果的障壁が隣接地域との問の貿易ルートに築かれていたために、インドシナは太平洋の地域経済に自らの場を占めることができなかった。……したがって、膨張する日本の勢力圏に組み込まれたインドシナは、一時的には、少なくともインドシナ経済と大東亜の他の地域経済を調和させる役割は果たすことだろう。日本の目的がまったく利已的であり、たまたまインドシナ経済を発展させたにすぎないにしても、彼らが推進する開発の中には、継続的に利点をもたらしそうなものもある。:…・日本の占領目的と手段を容認するものではないが、少なくとも、その結果として、産業展望を広げ、寡占体制をある程度破ったという面もある。

すべての国が、法的擬制は敵だけでなく自分たちももっていることを認める必要がある。東アジアの現地住民が信託統治、あるいは非自治地域、あるいは戦略地域の名目で欧米の行政管理下に入るほうが、植民地や委任統治領の行政のもとにいるより好ましいと考えているとは思えない。この地域の人々にしてみれば、戦争は単にアジア人支配者を追放したにすぎない。そして、英語圏がそ の足場を固め、アジアに近づいたというだけのことなのだ。

国際社会におけるオーストラリアとニュージーランドの地位がとくに重要な意味をもっている。この両国は、英語圏がともすればアジアの関係を不安定にする法的擬制の一形態である。オーストラリアの総人口は東京の戦前の人口と同じである。それでも、人口七百万程度のオーストラリアと四百万足らずのニュージーランドが極東委員会に大きな発言力(アジアのどの国よりも権威ある)をもっている。オーストラリアとニュージーランドそれ自体が重要であると、誰が考えるだろうか。

アジア人から見れば、両国は英語圏の前哨基地である。八百万人に満たない国が八千万人を超える日本の上に権力的地位をもつ。彼らは太平洋の島とその住民の上に「信託統治」を要求し、手にすることができる。オーストラリアは人口まばらな大陸にアジア人が移住することを拒否する一方で、アメリカ人とイギリス人には移住を懇請している。日本人は小さな島にいままでよりもっと窮屈に密集している。

何世紀もの間、アジア・太平洋地域はヨーロッパの、そして若干はアメリカの、共栄圏だった。この状況を変えようとした日本の手段は、利己的であり、最後には野蛮だった。しかし、問題は現存している。この問題は法的擬制では解決できないだろう。(P367−P376)

著者(ヘレン・ミアーズ)紹介
 1900年生まれ。1920年から日米が開戦する前まで二度にわたって中国と日本を訪れ、東洋学を研究。戦争中はミシガン大学、ノースウエスタン大学などで日本社会について講義していた。1946年に連合国最高司令官総司令部の諮問機関「労働政策11人委員会」のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定にたずさわった。1948年「アメリカの鏡・日本」を著す。1989年89歳で没した。

ヘレン・ミアーズ著 『アメリカの鏡・日本』


(私のコメント)
ヘレン・ミアーズの『アメリカの鏡日本』は2001年10月19日の株式日記でも紹介しましたが、当時は百名足らずの読者しかいなかったので再び紹介します。欧米の歴史学者が大東亜戦争をどのように分析しているかを知るためには、『アメリカの鏡・日本』と言う本は参考になる。同月28日にも「米英の番犬だった日本は韓国を解放した」と題して以下のように書きました。

(少し引用が長くなりましたが、当時の国際的観点から見ても、イギリスに上手く利用されて日本は韓国を併合した。韓国の軍事的空白はロシアの進出の危険性があったからだ。日露戦争に勝てたのもイギリスのおかげだ。イギリスの情報力が勝利の決め手になった。しかし日本の軍部は調子に乗りすぎ日本は軍事大国への妄想を抱き破滅への道をたどった。

現在の極東情勢も当時となんら変わりがない。イギリスがアメリカに代わっただけのことである。韓国や台湾が中国の支配下に入ろうとしている現在、日本は再びアメリカの番犬として、中国と戦争をするようにアメリカはけしかけてくるだろう。だから集団的自衛権の問題を中国は監視しているのだ。)


この「アメリカの鏡・日本」は1948年にアメリカで出版されましたが、当時のマッカーサー司令官は日本での出版を禁止した。当時のGHQは厳しい検閲体制をひいており、アメリカに不利益になるものは公共の安全を脅かすとして禁止したのだ。当時のアメリカにおいても日本を養護するものとして批判されました。しかしながらヘレン・ミアーズ女史が警告していたようにアメリカは帝国としての道を歩み始め、日本と同じ過ちを犯そうとしている。

本書は大東亜戦争への評価ばかりでなく、日本の戦国時代までさかのぼり、カソリックとプロテスタントが日本をめぐって勢力争いをしていたことまでも指摘しており、秀吉と彼の後継者についての指摘も鋭いものがある。最近になって日本の歴史学者も信長はカソリックの援助によって覇権を握ったのではないかと言った本が出ているが、ヘレン・ミアーズは当時のカソリックは狂信的であったと指摘している。

その他にもサムライに対する評価や、明治維新におけるイギリスが果たした役割においても、明治の元勲達が単なるイギリスの操り人形的な役割をしていた。このように信長、秀吉、家康から明治の元勲に到るまで日本の歴史の大きな転換点にはスペイン・ポルトガルや米英などの海外勢力が大きな役割を果たしていた事を世界史的な視点で指摘している。

司馬遼太郎氏は「アメリカの鏡・日本」は読んではいなかった。司馬氏は信長、秀吉と言った戦国の英雄や、明治維新における志士達をあまりにも過大評価しているのではないかということに私は気がついた。もちろん司馬氏の小説にも彼らと外国人との交流は描かれているが、それが日本の英雄達にどれほどの影響を与えたかについては過小評価している。もし司馬氏が小説を書く前にヘレン・ミアーズの本を読んでいれば、彼らの描き方も変わっていただろう。

もちろんこの構造は現代でも変わることがなく、小泉純一郎や小沢一郎といった日本の政局のキーマンには絶えず外国からの太いパイプがちらついて見える。日本の歴史は絶えず外圧によってしか変革を遂げることは出来ず、それを防ごうと思ったら家康のように鎖国政策をとるしか道はない。なぜそのようになってしまうのかと言うとヘレンミアーズはつぎのように指摘している。

日本人と政治の話しをしていると、彼らがプロパガンダを心から信じていることが分かった。しかも、私が話した全ての人が同じ考えを持っていることを知って愕然とした。日本人の頭に詰まっているのは脳ではなく、同じレコードを繰り返す蓄音機だった。日本の指導部は本気で満州と華北を侵略するつもりなのだ。根拠のない非難と、事実を捻じ曲げたプロパガンダで国民を脅かし、ついてこさせようとしているのだ。私はごく自然にそう思った。日本人は実に影響されやすい民族で指導者が決めたことなら何でも黙って従うが、アメリカ国民は違う。その時はそう思っていたのだ。(P20)

日本人の頭は脳ではなく蓄音機が入っていることは私も同感だ。政治経済を論じているBBSなどを見てもニュースのコピーばかりだ。自分の意見を書き込んだものは実に少ない。それだけ政治や経済のことを自分の頭で考える能力を養ってはいない。私が学生時代やサラリーマン時代に私の意見をいうと、周りの人間は私を変人扱いした。多くの日本人にとっては学校の先生や会社の上司の言うことを、テープレコーダーのように同じ事を言う人間が常識的人間とされる。つまり自分の頭で考える人間を変人扱いすることによって共同社会から葬り去ってしまうのだ。




戦争による有効需要で儲けるアメリカ
湾岸症候群で米兵50万のうち1割が障害者


2004年1月23日 金曜日

9-1 フセインの野望に怯えるアメリカ、イギリス

実は、湾岸3ヵ国はイラン・イラク戦争の時にカネをイラクに大量に貸していましたので、戦争が終わったときに、「フセインさん、フセインさん。貸したお金を少しは返してヨ」と言ったんです。

 フセインは野心家ですからネ。「お前何言ってるんだ、今頃。俺は何のために8年も戦争をやったんだ! お前たちのために俺たちの国民が血を流してやったンじゃぁないか、お前たちは何で金を返せと言うんだ、ふざけるンじゃぁない!」という話しになるんです。そこで、フセインがクウェートに侵攻するわけです(1990年8月2日)。

 イラクは 10%の石油を抑えています。クウェートも小さな国ながら世界の石油の 10%。これでフセインは20% の石油を手に入れたわけです。さらに、UAE(アラブ首長国連邦)なんてちっちゃな国ですし、サウジアラビアだって、「もしかやれば、俺は勝てるかもしれない」なんってフセインは思ったかも知れませんネ。

 クウェートでできたンですから、出来ないはずはない。 カタールだって出来ないはずはないと。そこで「これはヤッパリまずい」という話しになるわけです。どこがびっくりしちゃったわけ? 石油に利害があるのはどこでしたっけ?アメリカ、イギリス。

 「とんでもない話し」。だって、これらの国をフセインに抑えられたら自分たちの利益が全部吹っ飛ぶ。ここを支配されれば世界の石油の 30% 40%。さらにサウジアラビアを押さえ込めば世界の石油の 65%ですヨ。これは誰にとって都合が悪いンですか?

 湾岸の王様たちにとって都合が悪いけど、それ以上に許せないのは誰ですか? アメリカとイギリスだというのはわかるでしょ? セブン・シスターズ、七大石油会社のアメリカとイギリスです。これは都合が悪い。「このまま許しておけない」ということで始まるのが湾岸戦争。 それでアメリカとイギリスが大勝利します。

9-2 戦争による有効需要で儲けるアメリカ

 湾岸戦争でアメリカはどれくらいお金を使ったのか知っていますか? 日本もお金を出しているのは知っていますよネ。 120億ドル出しました。クウェートも金を出しています。サウジアラビアも金を出しています。軍隊ももちろん出しましたけれど。

 アメリカが50万人軍隊を送りました。イギリスは5万人の軍隊を送りました。フランスも5万人出しています。それで、アメリカは戦争をやるために世界から 550億ドルの資金を集めました。 湾岸戦争でいくら使ったか知っています? 450億ドルです。そうすると差額が出てくるネ。その差額をどうしたと思います?これ国庫に入れちゃった。儲かっちゃった。止められない。戦争って止められないネ。

 振り返ると、アメリカがこのようにして戦争で儲けたという話しは、実は今から始まった話しではないです。
 第一次世界大戦でどこが儲かったんですか? 日本とアメリカですよネ。日本はそのとき戦場になりませんでした。日本はチンタオ(青島)でやっていますけども、ほとんど戦場になってないので大儲けしました。もちろんアメリカも大儲けしました。

 第一次世界大戦が終わって、その約10年後、1929年に世界的な大恐慌がおこった時に、どんどん国債を発行して公共投資をやれば、それが呼び水となって有効需要が起こるので、経済がうまく回って不況から脱出できるというケインズ理論で、アメリカは景気の回復をはかりました。

 もちろんテネシー川の流域開発とかいろいろやりましたけれども、これでアメリカの経済は復活したンですか?違うんですネ。復活しなかったンです。
 もちろんこれも有効だったんです。有効だったんですけど、それ以上に有効需要は何だったか?第二次世界大戦です。

 第二次世界大戦でアメリカは戦場にならなかった。国外の戦争だと有効需要になっちゃう。ヨーロッパ戦線、アジア戦線。だからしょっちゅう戦争をやっている。自分たちの軍隊は送るけれども、そこで有効需要。それで景気回復しました。
 そのあとまだやりますよネ。朝鮮戦争(1950年6月〜53年7月)。この時は日本も儲かったンだね。 朝鮮特需。日本も儲かりました。アメリカも儲かった。

 その次やったのがベトナム戦争(1961年〜73年アメリカ軍撤退・和平協定)で、これも有効需要だった。 ところがこれは、さすがのアメリカも勝てなくて、大量のドルを垂れ流したために、1971年8月の「ニクソンショック」といわれる金とドルの交換停止に追い込まれて、1ドル=360円だったドルが 308円に暴落しました。


 その後もドル安(円高)が続き、アメリカは大赤字。 日本は貿易大黒字。そこで、1985年9月22日に(ニューヨークのプラザホテルで)先進5ヵ国緊急蔵相会議〔日・米・英・仏・西独〕を開いて、「お前たちは儲けすぎだヨ。何とかしろヨ」といって、この時に「ドル安政策」のために、各国が緊密な協調行動を取ることを合意するわけですネ〔プラザ合意〕。当時、1ドルが 240円でしたが、これを契機に円がさらに高くなっていき、日本はこれでバブルの大好景気に入っていくわけです。

 そういうわけで、つまり、アメリカがなぜ戦争をやりたがるかいうと、これは歴史をみればわかると思います。 自分のところが戦場にならなければいいんです。 自分ところが戦場になったら困る。

 それがニューヨークのテロ事件なんです。自分ところが戦場では困る。でもよその国が戦場になったら有効需要で儲かる。つまり、アメリカの経済自身が実は戦争経済というか軍事経済なんですネ。「軍産複合体」と言いますけれども、軍事産業が物凄く巨大で大きな政治的力を持っているわけです。

9-3 開発した新兵器を実戦で使うアメリカ

 アメリカは戦争をやるごとに、新しい近代兵器を次から次へと投入します。 ベトナム戦争のときはナパーム弾、スマート爆弾というのが出てきました。 スマート爆弾のテレビ画面はソニーという話しがありましたネ。

 湾岸戦争の時に登場したのがGPS。 皆さん使っているでしょ。車のカーナビゲイション。衛星で自分の位置がどこかわかる。あの技術です。あれは実は湾岸戦争で実用化されるんですネ。
 それから湾岸戦争の時に投入された新しい兵器があります。劣化ウラン弾。戦車を壊すための強力な兵器です。

 ウランという物質は自然界のなかで一番重たい元素で、鋼鉄より重たい元素です。 劣化ウランというのは、原発で使用する核燃料の製造過程で発生する廃棄物で、それを使うンです。 劣化ウラン弾を鋼鉄の戦車に打ち込むとどうなるか?
ウランというのは鋼鉄より重たい物質なんです。そうすると、どんな戦車でも簡単にぶっ壊すことができます。

 ただしこれは放射能廃棄物を使っています。そうすると、細かい塵がでるんです。
 この細かい塵が実は被爆者を生むわけですネ。これはイラクの兵隊たちにいっぱいでています。湾岸戦争のあとガンになっちゃったとか、結婚して子供が生まれたら子供が奇形児だったとか、そういう話しがいっぱいあります。

 実はこれアメリカの兵隊にもあります。アメリカは50万人兵隊を送り出しましたけれども、「湾岸症候群」という奇病があります。帰還兵士のだいたい10%がこれだと言われています。 帰ってきたらガンになっちゃった。 あるいは、結婚して子供が生まれたら障害児だったとか。アメリカ政府は劣化ウラン弾のせいだとは言っていませんけれども、可能性があるのはそれなんですネ、劣化ウラン弾のチリ。

 というわけで、アメリカは戦争をやることにどんな利益があるのかといったら、わかるでしょ?  まず、石油の利権だというのが第一。
二番目には、アメリカは自分の国が戦場にならなければいいンでしょ? ニューヨークのテロ事件は困るでしょ。これは自分の国民が死んじゃうから。これは話しにならない。しかし、外国だと有効需要。 これが二番目。

 三番目は、やっぱりいい武器作ったら使ってみたい。 「湾岸戦争から10年たった。今はもっと凄いことができるゾ。 50メートルの地下に隠れたって、そんなもの爆発させるゾ」というものもできました。 だからもう一回使ってみたいというのがあるンですネ。そこで、最後に世界の軍事費とか武器貿易をちょっとみてみましょう。

アメリカの世界戦略とイラク問題 九州国際大学 中野洋一教授


(私のコメント)
アメリカの中東政策は行き当たりばったりで一貫性がありません。これはCIAがカーター政権下で大幅なリストラにあい、中東情勢が全く分析不能になってしまった事態が響いています。だからイランのイスラム革命も予測できなかったし、ホメイニの正体も掴めなかった。当時のフランスはパーレビ国王がガンに侵されている事を掴んでいたのに、アメリカのCIAは掴むことが出来なかった。

CIAのような秘密諜報機関は政府権力者にとっては両刃の剣であり、ある時は有力な武器ともなりますが、ある時は権力の実権を握り、飼い犬に手を噛まれることもあります。日本にはCIAのような諜報機関はありませんが、公安警察というそれに近い組織があります。アメリカのFBIに相当するものですが、2000名もの人員を要する大組織だ。しかし彼らは何をしているかと言うとまるでわからない。

湾岸戦争はアメリカがイラクへ陰謀を仕掛けて起こしたと言う説もありますが、フセインを利用して景気対策としての戦争を仕掛けたのだろう。私の「株式日記」のホームページもこの事を指摘して書いたものだ。だからこそフセインは中東において利用価値のあるコマであり殺さずに生かして捕まえた。イラクや中東諸国はこのまま放置すればシーア派によるイスラム革命が広がるだろう。それを防ぐ手段はあるのか。

アメリカの中東外交はイランのパーレビ国王とイラクのサダム・フセインを失うことによって手足をもがれた格好になった。更にはサウジアラビアとも関係が断絶しつつあり、イラクへの武力侵攻が失敗すれば世界の6割を占める中東の石油を失うことになる。ならばイラクのフセインは放置しておくのがアメリカにとっての最善の策だったのだが、なぜイラクへ攻め込む必要があったのだろうか。

サウジアラビア 25.5% 世界の1/4
アラブ首長国連邦 9.7%
クウェート 9.5%
イラク 10.0%
イラン 9.3%
カタール 0.4%
湾岸6カ国 64.9% 世界の2/3
OPEC(11カ国) 76.5% 世界の3/4
世界全体 100%

湾岸戦争ではサウジや日本から金を巻き上げて100億ドルもの黒字を計上したが、日本に返してくれる気配はない。二匹目のドジョウを狙って息子のブッシュは第二次中東戦争を仕掛けたが世界各国の反発を招き、戦争資金すら集めることに失敗している。しかも長期化して出費は湾岸戦争よりすでにオーバーしている。アメリカの没落はこの時点で確定的になった。

ロシアや中国はともかく、フランスやドイツがアメリカに反旗を翻したのはアメリカにとって致命的だろう。フランスは何か重要な情報を掴んでいるのだろう。フランスはアメリカが掴めなかったパーレビ国王の癌を知っていたし、ホメイニの亡命先でもありイランに特別の情報パイプがある。ところがアメリカはイランに何のパイプもなく国交を断絶したままだ。ネオコンはイラクの次はイランだシリアだとアドバルーンを揚げているが兵力が無い。

それでもアメリカのブッシュ大統領は再選されるのだろう。イラク戦争が長引いて戦争が継続中なのに大統領が代わると言うことは、アメリカの敗北を認めることだから再選させざるをえない。アメリカにとってそれは良い事とは言えないが、アメリカ国民の愛国心がそうさせるのだが、経済的破綻がブッシュ大統領に印籠を渡す結果になると予想する。

アメリカはもはや古き良きアメリカではなく、帝国主義であることをブッシュドクトリンではっきり打ち出した。冷戦の終結がアメリカを狂わせて行くのだろう。そしてキリスト教福音派の政治勢力化によってキリスト教原理主義の国になった。ゴッドブレスアメリカと言う歌が国歌となり、そのゴッドとはイエスキリストを意味している。だからこそイスラム原理主義を敵視して中東へ十字軍を派遣したのだ。




2004年の為替市場 一刻も早くドル資産から逃避せよ
ウォーレン・バフェットも外貨資産の購入を始めた


2004年1月22日 木曜日

過去最大の介入

―― 今年、政府は18兆円という空前の円売り・ドル買いの介入を行った。しかし、為替レートは年初の1ドル=120円から、現在の107円近辺へと円高に動いた。介入は効果を発揮したのか。

高尾 今回のドル安の流れは2002年の春を起点にしている。ユーロは当時、1ユーロ =0・86ドルで現在は1・21ドルだから、40%強上昇している。円は同じ時期1ドル=135円から現在は108円へ上昇し、20%の切り上がりとなった。日本政府が為替介入しなければ、ひょっとするとユーロ並みにもう1〜2割は上昇していた可能性はある。1割上昇でも100円突破、2割上昇ならば90円まで円高になっていた。円の上昇スピードを抑えるという意味では介入の効果はあったと言えるだろう。

 さらに、資金を市場から吸収しない「非不胎化介入」だったから、かなり思い切った量的緩和政策につながった。日銀の当座預金残高は、福井日銀がスタートした3月に比べ、4月末には約5兆円増えた。5月にはさらに約5兆円拡大した。5月以降の株価の急反発もこれらの政策の影響だ。

 介入額は、11月分まで入れると年初からは年率で21兆円ぐらいのペースになるのではないか。これほどの規模の介入は過去に例がない。おそらく、外国為替特別会計(外為特会)で相当の評価損が出ているだろう。

 もっと問題なのは、最近の米国債の入札で、買い手が日本を中心に外国当局が3〜4割、場合によっては5割を占めているケースがあったことだ。もし、日本のドル買い介入がなかったらアメリカの金利はもっと高くなって、住宅金融の市場にまで影響し、米国の景気や金融システムに影響を及ぼしていたかもしれない。


三國 日本の戦後のドル買い・円売りの為替介入の歴史を調べたら、外貨準備高は、基本的には月間輸入金額の3〜4カ月分に相当する水準だった。しかし、この10年くらいはその水準を超え、今は20カ月分を超える規模になっている。

 過去にも、月間輸入金額の10カ月分を超えるほど、外貨準備高が急増したことがあった。1971年8月の「ニクソン・ショック」の後で、多額の為替介入をしたためだ。ニクソン・ショックとは、戦後のブレトン・ウッズ体制が事実上崩壊するという歴史的な通貨危機だったが、今は危機が表面化しているわけでもないのに、外貨準備高が過去最高を更新している。このままいけば、今年の為替介入は日本の経常黒字額を上回る規模になる。今年1年間を振り返ってみると、ドルの問題は、歴史に残るような時期に来ているのではないかと心配している。


限界に来ている「ドル本位制」

高尾 だから、ここにきて、ドルあるいはアメリカに対する見方がちょっと変わってきている。とりわけこの1〜2カ月、ドルが下がると、「アメリカの拡大する経常赤字はどこまで維持できるのか」という”サステイナビリティー(持続可能性)”の問題が深刻化してきている。同時に、アメリカの対外純債務が急拡大してくるのではないかという懸念も台頭してきている。

 71年のニクソン・ショックでドルの金交換が停止され、金ドル本位制から、いわば”ドル本位制”に通貨制度が切り替わった。これまで30年間は持ちこたえてきたが、そのドル本位制が限界に来ているのではないか。そのことが、サステイナビリティー論議や対外純債務の問題として表れてきているように感じる。

 アメリカは、いつまで現状の制度を維持できるか。逆に言えば、アメリカはいつ為替制度に大きな変化を起こすのか。2004年は大統領選があるが、新しい大統領がそのアクションを起こすのか、2期目に入ったブッシュが起こすのか、分からない。しかし、04年後半には、通貨制度にかなり大きな変化が起きる可能性があるのではないか。

―― そのアクションとは、第二のプラザ合意(85年9月)のようなもので、急激な円高・ドル安をもたらすのか。

高尾 そんな小さいものではない。プラザ合意とは、ドルが強くなりすぎて、アメリカの対外不均衡、対外赤字が拡大し米産業界が参ってしまったので、ドルの価値を調整し直したということだ。つまり、85年当時はドル体制を変えずに、対外不均衡の調整失敗を、主要国間の合意で為替レートを調整したり、経済政策で協調したりして対応できた。

 だが今の問題は、これでは済まなくなっている。むしろドル体制そのものを手直ししなければならないところまで来ているのではないか。

三國 日本は昔から、ドルをたくさん持つことはいいことだとされてきた。ドルで対外的な支払勘定を全部決済するから、ドルをたくさん持っていれば、日本の信用は高いという、いわば”ドル為替本位制”を信じてきた。

 しかし、ドルを持っていて本当に大丈夫なのかという局面に入ってきた。アメリカは、80年代半ばすぎから純債務国に転じ、90年代には世界最大の債務国になった。自分のところにお金がないのに、強いドルでいられたのは、外国からお金がスムーズに入ってきたからだ。アメリカ人は、自国の株式市場も債券市場も魅力があるから、グローバルにお金が駆け回る時代では、入ってきて当然と考え、お金が調達できないなどということは心配していない。

 彼らは、政治と通貨の分野における国際的な変化に気づいていない。アメリカは、軍事力で他の国々を支配する「帝国主義」ではなく「覇権国家」だと思う。覇権国家は、リーダーに従うことに利害が一致している国々によって”ボランティア的”に支えられる。しかし、イラク戦争によって、アメリカはリーダーシップを世界的に失いつつあり、フランスやドイツ、ロシアが距離をおき出した。これが政治的変化だ

 また、かつてのドルの強さには、アメリカが債権大国であり、金もたくさん持っていたという事実の裏付けがあった。しかし、世界最大の債務国になってから強いドルを保てたのは、外国からお金が入ってきたからだ。つまり、政治面での覇権国家と同じような構造で、ドルは他の国に支えられてきたと言える。

 ところが、家計も企業も政府も負債がなんら節度なく増加しているため、他の国々がお金をアメリカに持っていってもアメリカの経済はかつてのように、動かなくなってきて、魅力が薄れてきた。また、日本が国を挙げてドル買いに励んできたが、銀行システムが機能不全となり、民間による資本輸出が動かなくなってしまった。つまり、通貨という点でもアメリカは吸引力をなくしつつあると言うことができる。


金を重視するアメリカ

高尾 通貨システムを支えるものは三つある。一つは流動性の創出、二つ目が対外不均衡の調整メカニズム、三つ目が通貨に対する信認だ。

 例えばプラザ合意後の場合、日本の外貨準備高が急増すると、それに伴ってハイパワードマネーが増えて、国内のマネーサプライが膨張してバブルになっていくわけだが、この数年は、ハイパワードマネーが前年比で100%以上も増えているがマネーサプライは増加していない。ドル本位制下の流動性の創出に支障が出てきた。ヨーロッパも同様で、グローバルなデフレという色彩が徐々に強くなっている。

 対外不均衡の調整メカニズムはさらにひどくなる一方で、今年のアメリカの経常赤字は5700億ドル、04年は6000億ドル台になると言われている。不均衡が拡大を続けても、海外から民間資金が流入すれば持続可能だが、03年後半に起きたことは、恐らくアメリカに必要とされる資本流入のうち3分の2が海外の公的資本になっているということだ。

 つまり、民間資金がどんどんアメリカ離れ、ドル離れをしていて、公的資本で支えないと維持困難になっている。

 アメリカの有名投資家であるウォーレン・バフェット氏が最近の『フォーチュン』誌で語っていることだが、その中で72歳のバフェット氏が「私は生涯でこれまで外貨資産を持ったことがなかったが、02年の春から初めて外貨資産を購入した」と言っている。その背景には、アメリカの対外純債務が急拡大していることがあるとしている

三國 現在の通貨問題の議論を始めても、どういう枠組みの通貨制度を取ればいいのか非常に難しくなっている。全く白紙の状態であり、「海図なき航海」と言うことができる。

 日本は、「強いドル」を対外支払いに使えなくなると、いや応なしに、円を対外支払いに使うことになる。国内では円は強制通用力を持っているが、海外では持ち得ない。円による支払いを海外に受け取ってもらうためには、財政、日銀、銀行、企業に、財務節度が要求されることは間違いない。

高尾 アメリカは、大きなことをやる時は、ひそかに手を打って着々とやる傾向のある国だ。だが、ブレトン・ウッズ体制のような新しい通貨制度を作るという動きは現時点のアメリカには感じられない。あえて言えば、金をバックにした通貨制度を考えているのかもしれない。状況証拠として次のようなことがある。

 97年に橋本龍太郎首相(当時)が米コロンビア大学で講演した時、「日本が持っている米国債を売って、その代金で金を買い、それによる準備を増やすという選択肢もあった」という旨の発言をした。金に言及したことで、当時アメリカサイドから相当の反発を受けた。

 それから、97年以前に、天皇記念金貨が発行された時に、ニセ金貨が出回ったこともあり、売れ残った。そこでその金貨を鋳つぶした。その数億ドル分を外為特会で引き取ろうとしたことがある。金を国家として準備することになるのだが、それに対して、アメリカから「ノー」という反応が出てきた。

 時期は前後するが、81年にレーガン政権が発足した時、「金委員会(ゴールド・コミッション)」を創設し、金本位制復活を真面目に議論していた。当時、FRB(米連邦準備制度理事会)が金利を20%台にしても、過剰流動性のため2ケタのインフレは収まることがなかった。そこで金本位制にして、金価格を引き下げてドルの価値を高くして、国際流動性を収縮させるということを検討していたようだ。

 要するにアメリカでは、金については依然として国際通貨の根っことして生きているということだ。


1ドル=90円の可能性

―― 04年の為替レートをどう見通すか。日本の為替介入の規模次第という面もあるが。

高尾 ドルをどう見るかが基本だが、米国の経常赤字が04年さらに拡大するなか、既に民間資本の流入難が露呈しているため、ドル安の流れは変わらないだろう。問題は、ドル安のスピードと水準をどう見るかだ。これも日本の介入次第という面が強いだろう。

 しかし、04年は6000億ドル台になるであろうアメリカの経常赤字を、日本がドル買いによって、今年並みにファイナンスするとなれば、単純計算でも24兆円程度の規模になる。そうなったら介入残高は100兆円を超える。もし10円の円高になれば評価損は10兆円規模になるから、当然、介入の是非が論議されるだろう。

 ただ、常識で考えたらやはり、とっくに限界に来ている。それを無理にもう一度引き延ばしても1年が限界かもしれない。

―― もし日本の介入がないとすれば、来年は当然、ドル安になる?

三國 2000年のコンピュータ問題を控え、ドル高・円安を前提として作られていたドル買い・円売りのポジションを手仕舞った時に、1ドル=100円近い水準になった。それが、何もいじらなければ自然に到達する相場に近い水準だという話を聞いた。今は日本の経常収支の黒字額がもっと累積しているので、100円を切って、90円になっても不思議ではない。

高尾 介入しなければ、90円では止まらないのではないか。ユーロでは、もうすでにあと2割とか4割、ユーロ高になるという数字を言い出している。

 ただ、問題はレベルだけでなくアメリカの金利との関連だ。例えば、あるレベルまで円高になった時に、アメリカの金利が急上昇し出し、金利市場が不安定化したりすると、危機的になると思う。こうしたことがどの為替水準で生じうるのかは、事前には知りようがない。90円台に突入しても金利にあまり変化がないなら、そして日本や欧州の当局に大きな悪影響が及ばない限りは、秩序だった為替調整といえる。

(司会・構成=小林 剛/田中好伸・編集部)

対談2004年の為替市場 三國陽夫X高尾義一


(私のコメント)
ウォーレン・バフェット氏が外国資産を購入し始めたと言うことは、その他の多くのアメリカ国内の投資家も米ドル建て以外の資産を購入し始めたと見るべきだろう。アメリカ国民のもつ資産はとてつもない巨額ですから、その一部が動いただけで為替にも大きな変動要因となる。アメリカの場合、資産の大部分が株式だ。日銀による常軌を逸したドル買いもアメリカ国民の資産を守るためと言うことが出来る。

日本政府が必要以上の外貨準備高を持つのは、かえって円高要因となり逆効果である。普通ならば3,4か月分の外貨準備高で済むものが20か月分以上の外貨を積み上げている。政府・日銀がドルを買い捲ったおかげだ。この日本の外貨準備高の異常な積み上がりは、ニクソンショック以来の大きな為替変動があることを予言している。

日本政府・日銀だっていつまでもこのようなドル買い介入を続けてはいられない。しかし日本が介入を止めれば円は急騰し、アメリカの債券と株式は急落する。アメリカは株式本位制の国ですから、年金から社会保障まで株式が支えている。その株式は1988年ごろは2000ドルだったものが現在は10000ドルを越えている。アメリカ国民はバフェット氏のようにただ株を持っているだけで資産が5倍に増えたわけですが、アメリカ経済の規模が5倍になったわけではない。グリーンスパンが指摘するように明らかにバブルなのだ。

アメリカ経済はとても大盤振る舞いが出来るような状態ではないにもかかわらず、大減税とイラク戦争を始めてしまった。大減税のカンフル注射は今年あたりで効き目が切れ始めるだろう。イラク戦争もアメリカ軍の損害いかんに関わらず巨額の戦費が消費される。このように内憂外患のアメリカを日本が一人で支えている。このようにアメリカの没落は火を見るより明らかなのに、日本の政治家はアメリカ依存に中毒常態になっている。

アメリカはドルの暴落阻止に必死になっているにもかかわらずスノー財務長官はドル安容認とも取れる発言を繰り返しているが、株や債券が下落して慌てて取り消した。90年代の為替は円の独歩高でしたが、2004年の為替はドルの独歩安だ。アメリカ国内に投資されていた世界からの投資資金は一斉にユーロなどに逃げ始めて、90年代のような訳には行かなくなっている。

おそらく何らかのきっかけでドルと債券と株のトリプル安がアメリカ経済に襲い掛かるだろう。それは今年かもしれないし5年先かもしれない。日本政府が何時までアメリカ経済を支えていられるかにかかっている。にもかかわらず経済音痴の経済評論家は外債を買えと暗にドル買いをすすめている。日本経済がパンクすると言う理由ですが債券がこんなに高値なのにどうしてパンクするのか。

財務省・日銀による狂気のドル買いに対して政治家達は何の発言もしないのはなぜか。大部分の政治家が国債金融情勢に疎いのと、アメリカの逆鱗に触れることが怖いから何の発現もしないのだ。民主党の菅代表もこの事には触れようとしない。国会で問題になれば政府・日銀も介入を控えるようになると思うが、証券界も株の暴落に繋がるとして介入を黙認している。

私の意見としてはドルを買い支えるより、日本の株や土地を買い支えて欲しいと思うのですが、なぜドルは良くて日本の株はダメなのか。日本の政治家も財界人もアメリカ依存が強すぎてアメリカなしには物事が考えられなくなっているのだ。しかし世界はアメリカだけではなく多くの国で成り立っている。だからこそアメリカがダメになった時の事も考えて戦略を立てるべきなのですが、日本の政界、財界はアメリカと運命を共にするつもりのようだ。政治家や財界人がアメリカと運命を共にするのは勝手だが、日本を道連れにしないで欲しいものだ。




映画「ラストサムライ」アメリカ人による
アメリカ人のためのインディアン映画


2004年1月21日 水曜日

映画『ラストサムライ』を斬る■吉外井戸のある村

▼これが感動作か、それとも私がおかしいのか

 映画『ラストサムライ』を観た。相当に良い映画だと聞いたからだ。とりわけ、若い日本人や海外(主にアメリカ)在住の日本人からは絶賛の声が続々とインターネットに書き込まれている。曰く「感動した」「8回観ても涙が止まらない」「忘れていた日本人の魂、武士道の心を思い出させてくれた」などなど(例えば、 http://iam.gonna.jp/archives/000345.html )。これは異常なほどの盛り上がり方ではないか。そこで、私も感動を味わおうと映画館に出かけた。

 結果は自分の感性を疑いたくなった。私の正直な感想は凡庸な映画だったということに尽きる。インターネットの感想コメントで多く述べられているように、確かに日本人を描いたハリウッド映画としてはなかなかこなれている。それなりにだが、私も日本を舞台とした映画を楽しめた。また、殺陣や戦闘シーンなど迫力ある見所がいろいろとあり、娯楽映画としては不満なものではなかった。いや、おもしろかった(このことは強調しておきたい。私が言いたいのは映画そのものではなく、その観方についてである)。

 しかしながら、涙なしには見られない一大感動作だとは思えないし、前に引用したような大袈裟なコメントは私にはとてもじゃないが出てこない。私は日本人としておかしいのだろうか、と自らを詰問するばかりだ。では、「感動した」と繰り返す日本人は何にどう感動したのだろうか、と考えたくなった。これがこの一文を書くことにした私の動機である。

▼日本人の感動はどこからやってくるのか

 感想コメントを読むと、ストーリーを明治初期の日本人の精神史として肯定している意見が多い。歴史の事実として違っていても、日本人の精神史としてはほぼ正しいという主張だ。しかし果たしてそうだろうか。精神的にだが、時代とその変化に無縁の「理想的な武士村落」に住む日本人があり得ただろうか。ここで言う「時代」とは、明治維新だけを指すものではない。二百数十年の江戸幕府という時代も含めてのことだ。

 事実としての不平士族の反乱は、現代日本人が理解する「伝統」や「名誉」を守るためのものではなかった。それは何より現実生活上の必要に迫られてのことだった。髷を落とすことや刀を捨てることは確かに士族の名誉を傷つけたが、それ以上に徴兵令による特権身分(士農工商)の解体や家禄の停止こそが彼らを反乱に導いた真因だった。一部を除き、反乱は旧藩単位での決起だったし、西南戦争の薩摩軍も身分への固執や新政府内での人事への不満(藩閥闘争)がその挙兵の「気分」(「理由」ははっきりしない)であり、少なくとも日本人の伝統を守るための戦いではなかった。

 「歴史的事実にはこだわらない」というのが皆さんの流儀のようなので、ストーリーでの争いの理由だけに絞ろう。しかしこれがはっきりしない。渡辺謙が演じる勝元たちの望みが何だったのかが明確になるのは、ラストで若き明治大帝が宣う「日本は技術と大砲と洋服を手に入れた。しかし、歴史と伝統と文化を同時にしっかりと守って行かねばならん。朕の思いはそこにある」というセリフによってである。それだけのために勝元ら「最後の侍」たちは死んだ。日本的な自己犠牲による死(これを拡張解釈して「イラク派兵論」に結びつけるバカもいる)、そして死した敵軍の将への礼節。これが感動の理由であろう。

 しかし、こんな日本的なドラマは時代劇や戦争映画などにいくらでもあるではないか。だから凡庸だと言ったのだ。実はこの映画は「日本人」にはリアリティーがない。しかし、おそらくここにこそ、現代の日本人が感動する秘密がある。時代劇なぞ見なくなった日本人はアメリカ人程度にしか日本がわからないのだ。それでも、日本人としての記憶はうっすらとある。それがこの映画によって電撃的に刺激され、自らの中に眠っていた理想的な日本人像やその精神(「武士道」など)が呼び起されたと錯覚するのだ(日本人が日頃どれほど日本を勉強していないかの証左である)。

▼「サムライ」はアメリカ人のジャパニズム

 この映画はやはりハリウッド映画なのである。アメリカ人のジャパニズム(日本趣味)で出来ている。新旧、つまり近代化と伝統との対決を真に描きたいのなら、モデルにした西南戦争(後述)と同じく内戦であった南北戦争を範にとるべきなのに、明らかに対インディアン戦争が下敷きに置かれている。「吉野」の山奥にあるという武士村落の全景は『ダンス・ウィズ・ウルブズ』でのインディアン部落にそっくりだ。最後の決戦は騎兵隊とインディアンとの西部劇だし、結局は「滅びの美学」を描き出したいだけであり、結果としてわが西南戦争を矮小化・戯画化している(もしこのことに気づかないなら、あなたは日本を学び直す必要がある)。

 トム・クルーズ演じる主人公の日本到着シーンでの巨大すぎる富士山、京都・知恩院で撮影された石段を登った奥にある神秘的な皇居とそこに住まう天皇という設定、初めての戦いでの敗軍の将の切腹と介錯、村祭りでの忍者部隊の急襲など、すべて日本趣味であることは言うまでもない。武士村落での生活にも無理がある。千年の歴史を超える寺、そこで「般若心経」を読経する武士の頭領(奥州藤原氏、あるいは鎌倉武士がモデルか)。突出した存在感の刀鍛冶屋。のべつ幕無しに武術訓練に精を出す侍たち(一方の生活は、道でひれ伏す農民たちが支えてくれているようだ)。それに、兜・鎧の出立ちや戦闘の様子はどう見ても戦国時代のものだ(騎馬隊は桶狭間のイメージ)。その他の「日本文化」をとってもいくつもの時代が錯綜・凝縮され、人々の生活に「ジャパン」が詰め込まれ過ぎていて、かえって不自然だ。

 この映画は、アメリカ人がイメージし理想化した最後の「サムライ」(実際の「侍」ではない)を描き出したフィクションなのである。無論、この村は日本のどこにもなかった「ネバーランド」(=ユートピア)である。主人公が体験する村での生活は、ちょうど小泉八雲の日本名を持つラフカディオ・ハーンが思い込んだ欧米人の「日本」である。早い話、おとぎ話なのである。この映画の中に、日本人の現実にあった日本を観ようとするから、錯覚が起きたのだ。私たちもアメリカ映画を観てはいつも錯覚している。しかし、自画像として錯覚することはそれとは違うことだし、危険でさえある。当の日本人が本当の日本を誤解し、かえってそこから遠ざかるからだ。

 アメリカ人にとっては、ジャパニズムは適当な異文化体験である。個人主義や利己主義を是とする人々には、滅私奉公の自己犠牲がちょっとした驚きであり、カタルシスともなるだろう。だが、日本人にとっては違う。この映画に感動できる日本人とは、哀しいかな、アメリカ人のジャパニズムを通してしか日本を見られなくなっているということであり、「異文化としての自文化」を見出したという笑うに笑えない現代の皮肉なのだと私は思う。

▼アメリカ人による西南戦争の解釈と日本人の歴史

 すでに述べたように、この映画のモデルは西南戦争である。だから、これは「アメリカ人による西南戦争の一解釈」とも言えよう。ただし、アメリカ人のために作った作品だ。内戦ではなく、最後の対インディアン戦のように描いてある。その「インディアン」の血(=武士道)を引くのが私たち日本人だというわけだ。表面的には敬意が払われているが、「野蛮人」を見下す深層にある文明論的な視線は失われていない。それが「珍しいもの」を見るジャパニズムである。

 「勝元盛次」は西郷隆盛である。その名は応仁の乱の東軍主将・細川勝元からだろう。大久保利通とともに若き明治天皇を担いだことから「天皇の師」とも設定したのだろう。「元老院」として出てくるが、これは西郷が筆頭を務めた参議たち、明治維新の元勲による御前会議のことだ。勝元が西郷だから、「吉野」は実は薩摩であり、その村落は「私学校」なのだろう。対抗する「大村」は宰相の立場だが、その名は官軍参謀長の大村益次郎の名からだろう。また、西郷との対立からも大久保利通がモデルと思われるが、事実、西南戦争での官軍の総指揮は大久保が当たった。それに、その後継者・伊藤博文のキャラクターが加えられていると思われるが。

 最後に、西郷の死について述べておこう。最後の士族反乱・西南戦争は西郷の死で終わった。だからこそ、この映画でも勝元(=西郷)は自害しなければならなかったのだ。西郷の死は官軍も悼んだ。官軍の将・大久保は西郷と同じ薩摩藩出身でかつての盟友だった。弟の西郷従道、従兄弟の大山巌は官軍に留まっていた。その国民的な人気は、ついに「賊軍」の将を赦し、上野公園に銅像が作られ、今に至っていることは周知のことである。あの感動のシーンは、日本人にとっては自死した敵軍の将への一般的な礼節ではなく、あの西郷翁への敬愛なのである。最大の元勲にして最大の反逆者、この大いなる矛盾を呑み込んだ大西郷への愛はなるほど日本人のものである。

 映画『ラストサムライ』については、その後も多くの批評がインターネット上に寄せられている。しかし、なおも「日本人のための素晴らしい映画」という手放しの礼讃が目立つ。プロモーションサイドがこの線で広告し続けているのだから仕方がない面もあるが、できればもうご勘弁願いたいものだ。

 そんな中で、筆者がこれはと思う批評を見つけた。それは《アメリカの贖罪と救済―『ラスト・サムライ』の中の「インディアン」》と題して、中澤英雄東京大学教授が1月8日付けで「萬晩報」(よろずばんぽう)からリリースされたものである。これについてコメントしておきたい(なお、以下は筆者流の解釈なので、中澤氏ご自身の正確な意見はリンク先の元テキストをご覧あれ)。

 中澤氏はこの映画を、筆者と同じく「対インディアン戦争を描いたアメリカ映画」(かっこは引用ではない。以下同じ)と見る。そして、アメリカ人の観点に立って、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(以下『ダンス』と略記)と対比させながら論じる。氏は、『ラストサムライ』には『ダンス』の視点を超える「インディアン文化」に対するアメリカ人の再評価が描かれていると考える。

 『ダンス』は、インディアンを「野蛮」視してきた、それまでの「西部劇」的な見方(騎兵隊が「文明」側)から、インディアン文化を対等の異文化として理解し共感する見方へとアメリカ人を解放した。そして『ラストサムライ』ではさらに、アメリカ文明への「インディアン」文化の優越を描いていると。つまり、アメリカ人は場所(日本)と「インディアン役」(「野蛮」=「最後の侍たち」)を置き替え、もう一度『ダンス』を作ったのだ。

 確かに、主人公オールグレンの記憶のフラッシュバックとして、執拗にインディアンたちへの虐殺が登場するし、オールグレンはインディアンの生活をノートに克明に記している。勝元らが「鉄道」を襲うのは日本人にはいぶかしいが、「これは西部劇だ」という示唆だと理解できればすぐに合点がゆく。それに、最後のシーンでオールグレンが武士村落(つまりインディアン部落)へ向かう姿(=インディアンへの同化)は、『ダンス』のラストを想起させるものだった(アメリカ人の対インディアン評価への1つの結論)。アメリカ人にとっての「インディアン」が隠されたテーマなのだ[注]

[注]この映画を「テーマがわかりにくい」という人がいる。日本人としてはもっともな反応だ。「日本人をインディアンにした映画」だとわからなければ、何だかよくわからないだろう。

 この、「ラストサムライ」(最後の侍たち)とは実は置換された「インディアン」だったという鮮やかな解釈によって、なぜ武士村落がインディアン部落風だったのか、最後の決戦が西部劇風だったのか、西南戦争をモデルとしながらも実際の日本らしくない日本、ジャパニズムによる日本でよかったのかなど、もやもやしていたすべての謎が氷解するだろう(勝元らが、インディアンも使い、実際の反乱武士軍も用いた鉄砲を一切使わず、時代錯誤の戦国騎兵隊であるのもジャパニズムのなせる業である)。

 もう1つ興味深かったのが、文中に「伝統と近代」を「精神と物質」に重ねる記述があったことだ。アメリカ人には自分たちが精神性を失っていて、むしろインディアンの方が精神性(映画ではそれが「武士道」に置換)が高かったのではないか、という反省があると。こう言われると、一部のアメリカ人と、アメリカ人と同様に精神性を失った日本人に、なるほどこの映画が評価されるわけだと大変よく納得できる。

 要するに、中澤氏も『ラストサムライ』は「アメリカ人によるアメリカ人のためのアメリカ映画」とおっしゃっているわけだ。この映画が屈折しているのは、インディアンへのトラウマを胸に秘めた主人公がそれを克服・昇華するためにわざわざ日本に来て、その地の「インディアン」たちとの体験を通して、初めてそれを実現する内面ドラマという設定にある。日本人には「日本」が全面に出過ぎていて、真のテーマが見えにくい。

 それがトム・クルーズ演じる主人公を表面から隠し、主役がまるで勝元(渡辺謙)のようだという日本人の見方を生んでいる。しかしそう言うのはこの映画が「アメリカ人のためのインディアン映画」なのだということを理解できていないということの表明なのだ。それにしても、中澤氏は慧眼である。アメリカ人以上にこのアメリカ映画を理解した一人だろう。だが残念ながら、誤解してこれを観るだろう日本人のための批評にはなっていない。

 中澤氏は、批評の最後に、映画のラスト近くの明治大帝のシーンを、日本へのメッセージ(平和的な自主独立のすすめ?)と読み込んでいるが、果たしてそれはどうか。たとえそうだとしても、それがこの映画を日本人が観る意味だろうか。結局、中澤氏は日本人がこの映画をどう観ればよいかは何も教えてくれない。
私は日本人である。だからこそ、自ら感じた、この映画を礼讃する大勢の日本人との違和を表明したのだ。私には、そうした視点が中澤教授に代表されるような、日本の「国際人」や「インテリ」に欠落していることが残念でならない。私は安易なグローバリズムなぞ信じない。


(私のコメント)
私は特に映画のファンと言うわけではなく、映画館にはこの数年行ったことはない。映画館へ行ってもピントが呆けてたり、画面が異常に暗かったり、音響がアンバランスだったりと映画館そのものが好きになれない。1800円もの金を取るのならもっとプロの映画再生技術を見せて欲しい。座席も窮屈そのもので3時間も座っているのは拷問に近い。映画もデジタル化して個室に近い環境で100インチぐらいのスクリーンで見れないものだろうか。

だから専らレンタルビデオ屋で借りて見るか、中古の格安ビデオを買って見ています。だから未だにラストサムライは見ていない。12月12日の株式日記でもラストサムライを取り上げましたがそこでは武士道と言っても徳川武士道と葉隠れ武士道の二つがあり、切腹の意味も解説してみました。しかし「ラストサムライ」と言う映画は武士道を描くより「サムライ=インディアン」と置き換えてみたアメリカ人のための映画であるようだ。

「ラストサムライ」の映画の中にも回想シーンで、主人公のインディアン撲滅戦争のシーンが出てくるそうですが、それが監督の一つのメッセージになっているのだろう。去年の3月20日の日記で「アメリカ人はインディアンの亡霊に呪われる」と題して書きましたが、岸田秀氏は次のように指摘しました。

「さらに深い理由、第一の根本的理由は、僕(著者)によれば、アメリカの歴史、インディアン虐殺の歴史にあります。アメリカ人は無意識的に日本人をインディアンと同一視していると考えられます。人間は自分が犯し、かつごまかした悪事と似たような悪事を他人が自分に対して犯すと、激しく非難するものです。罪悪感を外在化するためです。」「アメリカにとっても、日米戦争はやる必要のなかった戦争でした。」「日本は敗戦後から今に至るまでずうっとアメリカの属国で、その占領下にあります。」(日本がアメリカを赦す日より)

アメリカ人にとってはインディアンとは開拓者の幌馬車隊を襲った野蛮人であり、その報復として滅ぼされたと、ジョン・ウエインの映画ではプロパガンダされた。しかし公正な目で見れば幌馬車隊は侵略者そのものであり、パレスチナにおけるイスラエル人入植者と変わらない。自爆テロに対して戦車部隊を出してパレスチナの住民の家を片っ端から壊している。騎兵隊もインディアンに対する報復と称して村を襲い焼き払った。

このような構造は現代のアメリカも変わりがなく、9・11の報復と称してアフガニスタンやイラクの町に爆弾の雨を降らせ、数万人のアフガニスタンやイラク市民の命や家を奪っている。アメリカ人にとってはインディアン撲滅戦争はそんな昔のことではなく、丁度「ラストサムライ」と同じ頃の出来事だ。だからインディアンを直視することが出来ず、インディアンをサムライに置き換えて映画にしたと言うのが監督の意図なのだろう。

アメリカのハリウッド映画はソフトな政治プロパガンダ機関であり、その裏にある製作意図を見抜いていかないと、アメリカのプロパガンダに洗脳されて現代の日本人のようになってしまう。インターネットにおける「ラストサムライ」の批評を見ても無邪気に感激したとか言った感想が多いのですが、本当に日本の将来が不安になってしまう。

私も小さい頃にジョン・ウェインの西部劇を見て、本当にインディアンは悪いやつで騎兵隊が助けに来てほっとした記憶があります。しかしながらアメリカの歴史を検証してみれば、一方的にヨーロッパ人がアメリカの原住民を追い払って虐殺して、数百万人いたインディアンを絶滅させてしまった歴史なのだ。このようなアメリカ人の精神構造が分かっていないと、山本五十六元帥のようにパールハーバーを空襲したりして逆にアメリカの戦意を高めてしまう。

日本の自衛隊がイラクに参戦することにより、日本も騎兵隊の一員になったようだ。アメリカ人にしてみれば日本を開放してやったから日本に民主主義が根付き、近代国家として発展したのだと言いたいのだろうが、日本は戦前から民主国家であり近代国家であったにもかかわらず、小泉総理は日本はアメリカによって開放されたとバカな事を言っている。その小泉内閣を日本人の過半数が支持している。日本人はほとんどアメリカのプロパガンダに洗脳されてしまったのだ。




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【転送・転載歓迎】
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      WORLD PEACE NOW 1.25
         もう戦争はいらない
  私たちは自衛隊のイラク派兵中止を求めます
    http://www.worldpeacenow.jp/

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■2004年1月25日(日) 開場12:30
■日比谷公園野外大音楽堂
〈交通〉営団地下鉄丸ノ内線・千代田線「霞ヶ関」下車1分、営団地下鉄日比谷線
「日比谷」下車2分/JR「有楽町」下車8分
【プレコンサート】13:00 “輪”、他
【ラリー】開会13:30 ピースフルトゥモロウズ(予定)/上原公子(国立市長)/
自衛官と市民をつなぐ人権ホットラインほっかいどう・坪井主税(札幌学院大学教
授)/他(※手話通訳あり)
【パレード】14:30〜 《コース》日比谷公園→数寄屋橋→東京駅→常盤橋公園(解
散)
◎プラカード・メッセージボードなどアピールグッズを持ってパレードにご参加くだ
さい。




「カイロ宣言」「ポツダム宣言」は国際法の効力はない
サンフランシスコ講和条約が正式な国際条約である


2004年1月20日 火曜日

◆台湾は中国の一部ではない

 呂秀蓮副総統は九月八日、サンフランシスコ講和条約締結五十周年に際し、『自由時報』のインタビューに答えた。このなかで呂副総統は「日清戦争後『下関条約』によって台湾は永久に日本に割譲されることになった。しかし、第二次大戦後四十八カ国が署名したサンフランシスコ講和条約では、日本が台湾の主権を放棄することは明言されたが、台湾がどこに帰属するかは示されていない」と語り、「台湾は中国(共)の領土の一部ではない」と指摘した。以下はその抜粋である。

 第二次大戦が終結した一九四五年八月、米国のマッカーサー将軍が中国南京政府軍に台湾を接収するよう命令したのは、軍事同盟の代表としてであり、中国の主権者としてではなく、この時点では台湾の主権はまだ確定していなかった。

 戦後処理を話し合うためサンフランシスコでおこなわれた会議には五十一カ国が参加し、そのうちの四十八カ国が日本の台湾の主権放棄を認める講和条約に署名した。具体的には同条約第二条第二項で「日本は台湾および澎湖諸島の一切の権利を放棄する」と明言され、また同じ第二条第七項では「日本は南沙(スプラトリー)諸島、および西沙(パラセル)諸島の一切の権利を放棄する」ことも明言されている。つまり、同条約では日本が台湾の主権を放棄することは明言されたが、台湾がどこに帰属するかについては述べられていないのだ。このことはすなわち、台湾の主権が中国(共)に属さず、台湾人民に属していることを明確に示したものと言える。

 サンフランシスコ講和条約は台湾にとって非常に重大な意味を持っている。だが残念なことに、北京や以前の国民党政府は政治的意図で同条約の存在を故意に無視するかわりに、「カイロ宣言」や「ポツダム宣言」を強調してきた。

 「カイロ宣言」は戦争真っ最中の一九四三年、中国、米国、英国、ソ連の四カ国首脳が集まって宣言したもので、署名は行われなかった。宣言では「日本が敗戦すれば台湾と澎湖諸島を中国に返還しなければならない」と明言されたが、そもそも同宣言は同盟国の戦術的呼びかけにすぎず、国際法としての効力を持っていない。四五年の「ポツダム宣言」は「カイロ宣言」の精神を復唱したもので、これも同盟国の対戦国に対する戦術的呼びかけであり、国際法としての効力はない。

 つまり、この二つの宣言はサンフランシスコ講和条約が締結されたことによって、それ以降何の意味も持たなくなったのだ。しかし、北京も国民党政府もこれらの宣言内容を特別扱いし、国際法として真の効力をもつサンフランシスコ講和条約が片隅に追いやられてしまったのだ。

 中華人民共和国は一九四九年に建国されたが、サンフランシスコ講和条約が締結された五一年当時国際社会の多くが台湾の中華民国を支持し、中国(共)を支持する国はごくわずかだった。つまり、同条約で台湾の帰属が明言されていない以上、台湾が将来中国(共)に返還されるとは解釈できないのである。

 さらに言えば、同条約締結の前年に朝鮮戦争が発生し、中国(共)は「援朝抗米」の名のもとに北朝鮮の侵略戦争を支援した。そもそも同条約の目的は第二次大戦の侵略国家の一つに懲罰を与えることであり、その精神を「将来台湾は中国(共)に帰属する」と解釈するのは困難だ。なぜなら、侵略国家の日本が放棄した土地をもう一方の侵略国家である中国(共)に与えるということになり、これは当時の国際的観点からもとうてい受け入れられるものではないからだ。

 中華民国はサンフランシスコ講和会議に出席しなかったため、条約締結翌年の五二年に日本と単独で日華平和条約を締結した。同条約はサンフランシスコ講和条約が下敷きとなっており、日本が台湾と澎湖諸島、および南沙、西沙両諸島の主権を放棄することが明言されたが、台湾がどこに帰属するかについてはここでも触れていないのである。

《台北『自由時報』9月9日》

地球史探訪:サンフランシスコ講和条約 国際派日本人養成講座


(私のコメント)
1月15日の日記にてカイロ宣言とポツダム宣言は国際法としての効力はないと指摘しましたが、では戦後の日本の枠組みを決めた条約は何かと言うとサンフランシスコ講和条約だ。しかしながらこのサンフランシスコ講和条約も曖昧な点を持っており、それが未だに解決されず外交問題となっている。外交の専門家ならなら知ってはいても多くの国民は教科書に書かれたこと以上のことは知らない。

その一つが千島樺太の帰属問題であり、もう一つが台湾の帰属問題だ。サンフランシスコ講和条約に内容は以下の通りですが、朝鮮については独立承認と書かれているのに、千島樺太、台湾については権原放棄とだけ書かれている。

サンフランシスコ講和条約が結ばれた当時は、すでに冷戦体制がはっきりしてきて、ソ連や中国にとっては日本に対する分け前が少ないと不満が出て、ロシアとは未だに平和条約が結ばれていない。中国に対しても台湾の帰属問題が未解決のまま棚上げされている。だから日本は領土は放棄しても、誰に対して引き渡すのかは指定していないのだから、ロシアは千島樺太を不法に占拠しているのであり、中国は台湾を一方的に主権を主張しているだけだ。

1972年の日中共同声明でも「ポツダム宣言8項に基づく立場を堅持する」としているが、そのポツダム宣言の効力が曖昧なまま残されてしまった。むしろ国際条約としてはサンフランシスコ講和条約が国際法として唯一有効なので、台湾についても日本政府はその帰属についてはっきりさせる当事者でもあり、日本政府が認めない限り正式な領有は出来ないはずだ。

もし、千島樺太の住民が独立運動を起こしたら日本はどう対応するのか。最近のシベリア情勢を見ても、数十年後には極東シベリアは独立するかもしれない。そうなった場合日本はどう対応するのか。中国にしても近く内乱状態となりいくつかに分裂するかもしれない。再び満州国が復活する事だってあるかもしれない。現在からはとんでもないと思われますが、過去のいきさつから見れば可能性はなくはない。その辺の外交戦略の発想が日本人には全くない。

中国やロシアの国内情勢を見ると、中央部だけの繁栄に辺境地域は取り残され、シベリアもロシア人は引き揚げており放置されている。中国も東北部は上海などの繁栄に経済基盤は奪われ不満は高まっている。それならば独立して日本からの投資を呼び込んだ方が良いのではという発想もありうる。

朝鮮の独立の承認も韓国のことを指すのか北朝鮮のことを指すのか曖昧なままだ。1965年の日韓基本条約は韓国を唯一の政府としたが、北朝鮮は何なのか。北朝鮮と平和条約を結ぶ場合に韓国との関係はどうなるのか。朝鮮半島に二つの国家を認めるのか。日本の周りはこのように複雑で微妙な問題が山積している。ところが日本の政治家達はこれらの問題をアメリカに丸投げして当事者としての責任を回避している。

日本国民も、日本の現代史を学校で教わった以上のことは、ほとんどの人が知らない。台湾や韓国の人たちには切実な問題でも、日本国民はほとんど無関心でいることが出来る。テレビなども日本の近代史をあまり取り上げようとしない。ホームドラマの背景としてとり上げられる事はありますが、歴史そのものを題材にしたドラマはほとんどない。来年NHKで大河ドラマとして「坂の上の雲」をやるようですが、歴史ドラマとしてはあまり期待できそうにない。




10年ぶりの低い伸び=昨年の通貨供給量−日銀
銀行貸出残高97年500兆円が03年405兆円に減った


2004年1月19日 月曜日

◆10年ぶりの低い伸び=昨年の通貨供給量−日銀

日銀が13日発表した2003年のマネーサプライ(通貨供給量)速報によると、代表的指標のM2プラスCD(現金と預金、譲渡性預金などの合計)の平均残高は前年比1.7%増となり、1993年(1.1%増)以来、10年ぶりの低い伸びとなった。資金需要の低迷や普通預金などの流動性預金(M1)が前年に増加した反動が影響した。 (時事通信)
[1月13日13時3分更新]

マネーサプライ増えるよう、政府・日銀は努力すべき=竹中担当相

[東京 14日 ロイター] 竹中経済財政・金融担当相は、経済政策コンファレンスの基調講演で、マネーサプライが増えるよう政府・日銀は努力すべきであると語った。
 竹中担当相はデフレ克服には、「実物経済を活性化しなくてはならない。同時に、結果的にマネーサプライが増えていくようなマクロ金融環境の改善が必要だ。そのためには政府と日銀がそれぞれに努力しなければいけない」と述べた。 
 そのうえで、不良債権の減少や財政におけるプライマリーバランスの改善、企業部門の活性化といった3項目において、日本経済には改革の芽が出始めていると指摘した。(ロイター)
[1月14日11時42分更新]

クルーグマンの「インフレ目標」について、解説しておこう。この政策は、正確に言えば、こうだ。

 「デフレを脱出した時点で、高めの物価上昇(インフレ)を起こす、ということを公約する。そのことで、デフレの最中にも、近い将来の物価上昇を期待させる」
 なるほど、この政策は、無意味ではない。ただし、それが有効であるのは、「現実にデフレ脱出が予想されるとき」つまり「デフレが浅いとき」だけである。

 一方、現在の日本は、デフレが深い。つまり、需給ギャップも非常に大きいし、消費性向もすでに十分に高い(貯蓄率が下がっている)ので、「家計の消費が急増する」見込みもないし、「企業の投資が急増する」見込みもない。つまり、「総需要が急増する」見込みがない。となると、「インフレ目標」という政策が有効である状況には、なっていないのである。(「手遅れである」と言うべきか。)

 インフレ目標が有効であるのは、「近い将来の物価上昇」が予想されるときだけだ。現実には、せいぜい「遠い将来の物価上昇」ぐらいしか予想されない。こういうときには、インフレ目標は無効なのである。

 ついでに言えば、インフレ目標の本質は、「投機的な需要を起こすこと」であるから、経済政策としては、邪道である。それは「一時的な悪化」を救う効果はあるが、「慢性的な悪化」を救う効果はない。一時的に倒れた人を、カンフル剤で救うことはできるが、慢性的に衰弱した人は、体力を根本的に鍛えるしかない。一時的に悪化した浅い不況は、「インフレ目標」で治せるが、長年かけて悪化した深い不況は、「インフレ目標」では治せない。後者を治すには、カンフル剤なんかではなく、根本的な処置が必要だ。 ( → 1月09日

 なのに、なぜ、マネタリストは、あくまで投機的需要に頼ろうとするか? それは、マネタリズムというものが、マクロ的な根拠をまったく欠いているからである。マクロ的な経済現象というものを、GDPや総所得の変動を含むモデルとして考察することなく、単に個別企業の投資活動としてだけ考察する。「これこれの変数を動かすと、GDPがこう変動する」というようなモデル的な考察をすることなく、「それぞれの企業の経営者は(売上げ予想なんか無視して)実質金利という単一の指標のみに従って行動する」とだけ考える。

 要するに、「すべてはマネーが決める」とだけ考えて、マネーを離れた品物における「需要」も「所得」も「供給」もすべて無視する。「お金一辺倒」主義である。彼らは、お金のことしか考えないし、お金のことしか信じない。一種の宗教なのだ。
 そして、経済学ではない宗教というものが、正しい結論を出せなくても、別に、不思議ではないのである。

( ※ こう批判すると、マネタリストは怒り狂うだろうから、彼らの息の根を止める一言を言っておこう。「経済学というものは、乗数効果や合成の誤謬などをも扱えなくてはならない。つまり、ケインズ的な「マクロ経済学」と、古典派的な「ミクロ経済学」とを、統合していなくてはならない。なのに、その統合ができていないような主義は、不完全であるのだ。この不完全さに気が付けば、「マネタリズムは不完全である」というのは、当り前のことなのだ。

そして、不完全な物を不完全と認識できず、GDP変動も扱えないで平気でいるようでは、そのような立場を取るマネタリストは、そもそも自己認識ができていないのである。マネタリズムに救いがあるとすれば、「自分たちの思想は不完全だ」と認識することが先決だ。そう認識すれば、マネタリズムの成果の一部は生き残る。しかるに、「自分たちは完全だ」と認識すれば、自分たちの不完全さを認識できないまま、事実を誤認して、論理破綻することになる。)

「日銀は量的緩和をどんどん実施しているが、 マネーサプライ(貨幣供給量・通貨供給量)の伸び率は、高まるどころか下がっている」という事実がある。

 マネーサプライは、ここ十年間ほど、年率 2.0% 〜 3.5%の伸びを示してきた。量的緩和を大幅に実施したのは、この2年間ほどだが、その間、マネーサプライの伸び率は、高まるどころか下がっている。2001年には 3.4%ぐらいだったのだが、2002年は 2.5%で、2003年は 1.7%だ。つまり、「 3.4% → 2.5% → 1.7% 」というふうに、伸び率が鈍化している。(読売新聞・朝刊・経済面 2004-01-14 )

 マネタリズムの考え方に従えば、これはどうにも不自然であり、納得が行かないだろう。しかし、私の考え方に従えば、これは当然のことである。マネーサプライとは、実際に市中にある金(= 現金 + 預金など)であるから、日銀がいくら量的緩和をしても、市中に出回らない金が増えるだけなのだ。ここでは、金融市場が無効になっているのである。
 これが現実だ。つまり、現実は、「マネタリズムは正しくない」と教えているのだ


( ※ 新聞には「マネーサプライを増やす政策を日銀に求める声が強まるだろう」などという解説が出ているが、とんでもない話だ。日銀には、マネーサプライを調節する能力はない。金融市場が無効になっているときには、日銀の手は封じられているのだ。そこを理解することが先決だ。日銀は決して全能の神ではない。「日銀の力が回復する」というのは、「デフレを脱出する」というのを同義であるから、「日銀の力に期待する」というのは、「デフレ脱出を期待する」というのと同義である。それはつまりは、「何もできないで、神頼み」ということなのだ。)

もう一つ、参考データを示しておこう。「銀行の貸出残高が減っている」というデータだ。
 同じ日の記事(読売)によると、銀行の貸出残高は、1991年の調査開始以来、ずっと低下している。91年から 97年までは、ほぼ 500兆円で増減なしだったが、98年からずっと一貫して低下しており、03年には 405兆円まで下がってしまった。


 「銀行の貸出残高が減っている」ということは、「日銀がいくら量的緩和をしても、融資量が増えない」ということである。つまり、「金融政策が無効になっている」ということだ。ここでは、「金融政策が不足しているから、伸び率のプラスの幅が小さい」のではなくて、「金融政策が無効だから、伸び率がマイナスになっている」のだ

 この違いを理解できない人々が、「量的緩和が不足している」と結論して、「だからもっと量的緩和をやれ」と主張する。ひどいトンチンカンだ。

( ※ たぶん彼らは数学音痴なので、「増分」という概念とか、「Δy/Δx」というような数式とかを、理解できないのだろう。「微分値がゼロのときには、 x を増やしても y は増えない」ということが理解できず、「微分値がゼロのときにも、 x を増やすと y が増える」と思い込んでいるのである。かくて、「 y を増やすために、x をもっと増やせ」と主張するのである。哀れなるかな。)

( ※ 一般的にいえば、古典派経済学者というのは、ものすごく高度な数式を見事に操作するが、微分法の基礎原理[高校レベル]さえ理解していないのである。物事の根源を理解しないまま、表面的な論理・数式の操作だけが上手、というのが、彼らに共通する特徴だ。例: → 1月16日

小泉の波立ち ニュースと感想 1月19日 南堂久史


(私のコメント)
日本人の思考停止病は政治家を始め中央官庁にも広がり、マスコミの記者にまで広がっている。南堂氏が指摘しているように朝日新聞や読売新聞は経済のことがわからなくとも経済記者が勤まるようだ。私のような素人がデタラメを書くのなら誰からも責められる筋合いではないが、高給を貰っている新聞記者たちなら少しは経済を勉強すべきで、インターネットのサイトでも覗いて見るべきだ。

ここで一番問題にしなければならないのは6年余りで銀行融資残高が100兆円も減ってしまったことだ。その分確実に市場からマネーが消えてしまったのだ。97年と言えば橋本内閣がビックバンを始めて本格的に銀行や証券会社潰しを始めた時期でもある。それまでは銀行は貸出残高を減らすことはしていなかったが、政府が銀行潰し政策を始めたことから、この頃から日本経済は本格的なデフレ経済に陥った。

竹中経済財政金融担当大臣が本当に経済のことがわかっているのか疑問だ。テレビの会見などを見ても言葉数ばかり多くて的外れのことばかり言っている。「マネーサプライが増えるように政府日銀が努力すべき」と言っても、一番デフレが進むような政策を竹中大臣自身がやっている。りそな銀行への公的資金注入で方針を変えたのかと思えば、足利銀行でまた銀行潰し政策が始まった。

なぜ小泉・竹中内閣が銀行潰し政策をするのかと言えば、ロックフェラー財閥のためである。新生銀行は日本政府が瑕疵担保責任までつけてたった10億円でリップルウッドに極秘に売却されたった5年で再上場される。あおぞら銀行や東京スター銀行もそれに続く。足利銀行もこれから潰される銀行もそれに続くだろう。10億円がたった5年で1000倍の1兆円になるのだから誰だって投資したがるだろう。しかしハゲタカにしか買えない仕組みになっているようだ。新生銀行も国内資本が買おうとしたが出来なかった。

すでに2チャンネルから消えてしまったスレを、グーグルに残っていたのを再現してコピーします。

「ここはアメリカなのか?」

高杉 「竹中平蔵さん(経済財政・金融担当相)は、厳しい言い方をすれば、アメリカに
    魂を売った人だと思います。僕は一年半前から、『竹中不況』という言葉で彼を
    批判してきました。竹中さんはアメリカ流、アングロサクソン流の弱肉強食の
    資本主義が刷り込まれている人です。そういう人物が政権の中枢で政策を
    立案するのだから、アメリカの強い金融機関が日本の弱いところをズタズタに
    していくだろう。その結果、『アングロサクソン・リセッション』と呼ぶべきひどい
    不況に陥るはずだ、と予測した。」
佐高 「実際いま、その通りになってしまいましたね。」
高杉 「そうです。今年の9月中旬には、小泉首相とブッシュ大統領が会い、竹中さん
    とハバード米大統領経済顧問委員会(CEA)委員会が会談した。そのとき
    『日本は不良債権処理を急げ』と言われたでしょう。以後はもう、完全にアメリカ
    の言いなりになってしまった。」
佐高 「その流れの中で、9月末の内閣改造で、竹中さんが経済財政担当相も兼ねる
    ことになったわけですね。最悪の人事だ。
    竹中という人は、小泉首相とよく似ているんです。二人とも『入口を入ったらすぐ
    出口』という人。
    つまり、奥行きがまったくない(笑)」
    しかし経済というのは、奥行きが非常に大切なんです。」
高杉 「その通り。」
佐高 「とくに金融では、何かの政策を実行しても、すぐに答えが出てくるものではない
    でしょう。上からザッと水を注ぎ込んでも、大手銀行から下のほうの中小企業に
    流れていくまでには、いろいろなことがある。
高杉 「なのに、竹中さんはすぐに答えが出ると勘違いしているんですよ。竹中さんの
    『金融分野緊急急対応戦略プロジェクトチーム』に入っている木村剛さん(金融
    コンサルタント)も同じ。
高杉 「木村さんは日銀出身で、ニューヨークにいるときに、竹中さん同様アングロ
    サクソン流を刷り込まれた人。『弱い会社は退場せよ』と言い続けている。相当
    な金儲け主義で、彼自身もカネ持ちだと聞きます。アメリカに魂を売った人と言
    わざるを得ません。」
佐高 「そういう人物が、いま日本の金融を動かしている。」
高杉 「だから日本経済はガタガタになって、株価の下落も含めて10〜12月の経済
    指標は相当悪くなる。
    実は、竹中さんは金融にあまり強くないんです。だから木村さんに任せっぱなし。
    小泉首相が竹中さんに経済政策を丸投げしていると言われますが、竹中さんは
    さらに木村さんに丸投げしている。」
佐高 「で、3人とも本質がまるでわかっていない(笑)
    アメリカの言いなりという話しが出ましたが、小泉首相は本当にアメリカに弱す
    ぎると思いますよ。たとえば、日本は米国債を持っているわけでしょう。これは
    ”暴力団アメリカ組”への上納金のようなものですが、日本の政府も銀行も生損
    保もみんな持っていて、合わせたらかなりの額になる。
    だったら、小泉首相はブッシュ大統領に『これだけ米国債をもって協力している
    んですよ』と、なぜ言えないのでしょうか。そういうことを何もわかっていないの
    か。」
高杉 「小泉さんが『経済オンチ』なのは間違いない。」
佐高 「だから、竹中さんや木村さんに丸投げした結果、今度は産業再生機構を作る
    とかいう話が出てくる。これって、銀行の国有化だけではなくて、企業全部を
    国有化することになりかねない話ですよ。なんてバカな・・・。」
高杉 「もう、社会主義みたいなことになる。しかも、銀行は社会主義のように国有化
    して、一方で郵貯は民営化しようという。小泉・竹中ラインがやろうとしているこ
    とは、まさに矛盾だらけです。そもそも、彼が言う『不良債権処理をしないと経済
    はよくならない』という方針は大間違いです。まず、資産デフレを止める対策を
    考えることが急務。そして需要を喚起して、企業を再生させなければならない。
    しかし、竹中さんからはそういうメッセージが何も出ていません。」
佐高 「かつて、ある銀行経営者が宮沢喜一元首相を『この医者にかかって治らない
    のなら仕方がないと思える人』と評したことがあります。それをもじって言えば、
    竹中さんは『この医者だけにはかかりたくない』と言いたくなる人ですね。
    いや、医者以前のインターンだな。」
高杉 「なるほど。」
佐高 「そんなインターンが、心の準備もできていない患者にいきなり『あんたはガンだ
    』と告知してしまうわけです。それから手術を始めるのですが、なんと胃ガンの
    患者から、悪いところのない肝臓を摘出してしまう(笑)。」
高杉 「それについては、植草一秀さん(野村総合研究所主席エコノミスト)が同様の
    批判をしています。彼は現代12月号で、竹中さんの手法を『患者にまず断食を
    させる。体力が弱ったところで血を抜き取り、息も絶え絶えになったところを見計
    らい、輸血、点滴、麻酔なしで執刀する。
    一般的にこれを手術と呼ばない。殺人ないしは障害である』と痛烈に評している。
    実に正確な批判です。」

「竹中は株主総会を知らない」

佐高 「そもそも竹中・木村コンビは、経済の裏の実態を知らない。たとえば日本の
    銀行は、高杉さんが、『金融腐敗列島』で書かれたように、多かれ少なかれ
    総会屋に食い込まれてきたわけです。
    だから、不良債権問題というのは、ある意味で闇の勢力と対決する問題にな
    ってくる。総会屋スキャンダル後に第一勧銀の頭取を務めえた杉田力之さんは、
    ボディガードに守られながら、必死になって闇勢力との関係を切ったわけでしょ
    う。」
高杉 「当時は杉田さんがそうしなかったら、一観は取り付けが起こって危うくなってい
    たかもしれない・・・。たしかに不良債権問題のそういう側面を、竹中・木村コンビ
    は知らないでしょうね。」
佐高 「竹中さんが書いた『みんなの経済学』という本の、株主総会に関する箇所なん
    かを読むと大笑いですよ。何もわかっていない。」
高杉 「竹中さんはニューズウィーク誌のインタビューで『大きすぎて潰せない銀行
    ない』と言いましたね。銀行株が急落して大騒ぎになり、彼は慌てて『あんな
    発言はしていない。弁護士を通じて出版社に抗議し、訂正を求めている』と国会
    答弁でシラを切った。それに対し、ニューズウィークは『あの発言は事実だ』と
    反論した。そこまで自信があるのなら、インタビューの録音テープがあると考え
    るのが自然でしょう。」
佐高 「ならば、仮定の話ですが、もしもそのテープが公表されれば・・・。」
高杉 「もちろん、竹中さんはおしまいでしょう。国会で虚偽の答弁をしたことになります
    から。」
佐高 「考えてみると、竹中さんはとっくにクビになっていておかしくない話がいろいろ
    ありますよね。住民票をひんぱんに外国に移して住民税を軽減っさせている
    ”徴税”疑惑とか、上場前に日本マクドナルドの株を譲り受けていた問題とか・・・。
    ところが、”小泉バカ人気内閣”のおかげでクビになっていない。
高杉 「それについては、マスメディアの責任も重大です。
    新聞も、竹中さんや彼の不良債権処理加速策を持ち上げてばかり。批判的な
    のは読売くらいで、産経が賛成と批判と五分五分ですね。」
佐高 「あとはほどんど竹中案に賛成。」
高杉 「ジャーナリストや評論家にも、わかっていない人が多いですね。たとえば田原
    総一郎さんは、新生銀行八城政基社長が自分のテレビ番組に出席したとき、
    『いま日本でいちばん輝いている銀行経営者です』などと紹介していた。
    新生銀行は、ハゲタカファンドのリップルウッド・ホールディングスが、旧長銀の
    営業権を10億円で買ってスタートした外資です。長銀の処理に、日本国民の
    税金が7兆円も使われた。そんな銀行のトップである八城さんは、僕に言わせ
    れば、やはりアメリカに魂を売った人ですよ。それを誉める田原さんの検証能力
    はどうなっているのか。」
佐高 「田原さんは経済のことがわからないんだから、口を出さないほうがいいんです。
    彼は以前も、野村証券の”大タブチ”こと田淵節也元会長を持ち上げていた。」
高杉 「竹中・木村コンビは、一方で『大銀行は中小企業にカネを回せ』と言う。が、もう
    一方では『債権の査定を厳格化する』と言い出した。しかし、この二つは矛盾して
    います。査定を厳格にすれば、銀行は当然、融資の回収に走る。」
佐高 「明日のソニーやホンダになり得る可能性を秘めた企業も消えてしまいますね。」

「あなたがいることが実害だ」

佐高 「ただ、竹中さんの政策もおかしいけれども、銀行にも大いに問題がある。『竹中
    と銀行とどちらが悪いか』という議論がありますが、五分五分だと私は思います
    。」
高杉 「いや、政策不況のほうが絶対に大きい。7対3か8対2で、竹中さんのほうに
    罪があると思います。」
佐高 「10月25日、不良債権処理の加速策に不満だと言って、大手銀行のトップ7人
    が竹中さんに抗議しに行ったでしょう。で、彼らはその後、ガン首並べて記者
    会見をやった。その7人の中に、みずほホールディングスの前田晃伸社長を発見
    して、私はびっくりしましたね。
    前田氏は、あのみずほのシステムトラブル問題で、当然責任を取って辞めていな
    ければならなかった人です。それが、『盗人にも三分の理』とでも言いたげに、
    堂々と会見の席に座っていた。
高杉 「まったく同感。前田さんは、当然あのトラブルの責任を取るべきだった。なのに、
    3月で辞めた3人のCEO(最高経営責任者)に責任をすべて押しつけました。
    反省の色もなく、国会で『実害はなかった』と放言した。
佐高 「あんたがトップにいることがいちばんの実害なんだって(笑)」
高杉 「4月の入行式では、冗談のつもりか『上司の言うことは聞くな。上司に責任を
    取らせろ』と言っていた。」
佐高 「バカだねえ。」
高杉 「巡り合わせで最策の人がトップになってしまったんです。前田さんが社長でいる
    限り、みずほを応援する気にはなれません。」
佐高 「あのガン首並べた会見に話を戻しますとね、私は最初、『みんな揃って辞めま
    す』と発表するのかと思ったんです。あるいは『退職金を全部返上します。』と
    言い出すのかと。もちろん、これは皮肉ですけどね。
    だいたい、なぜみんな揃って竹中さんに会いに行ったり、並んで会見をしなけれ
    ばいけないのか。誰か一人が行けば十分じゃないですか。」
高杉 「そう。全銀協(全国銀行協会)会長をやっている、UFJ銀行の寺西正司頭取が
    一人で行けばいいんですよ。」
佐高 「つまり、あの経営者たちは、一人立ちできない人間の集まりなんだと思う。」
高杉 「いや、それはちょっと違うでしょう。まず、現実に株価がどんどん下がる中で、
    彼らはものすごい危機感を募らせていた。それで、竹中さんから最初、劇薬だか
    毒薬の案を投げられて、慌てふためいてしまったんでしょうね。」
佐高 「逆に言うと、彼らは慌てふためくくらいしか能力がないということでしょう。さき
    ほど、みずほの前田社長をダメだと言いましたが、彼は決して例外ではない。
    ほかの銀行トップも、だいたい同じレベルだと思います。」
高杉 「いや、それはかなり異論がありますね。
    これまで長年、護送船団に守られてきた人たちばかりでしょう。そこにどっぷり
    漬かっていたから、なかなか頭が切り替わらない。それに橋本内閣時代、アメ
    リカの侵略にハマって、十分な助走機関を設けないまま金融ビッグバンをやり
    すぎた。それでここまで壊れてしまったという側面もあるんじゃないですか。」
佐高 「やはり銀行経営者は、退職金を返上するところから始めなければ、何を言って
    も全然説得力がない。一緒に会見をやったあの経営者たちは、少なくとも退職金
    を1億円は受け取るでしょう。それを返してもらう。それから、歴代頭取にも全額
    返させる。たとえば、長銀元会長の杉浦敏介氏は退職金を9億円をもらったと
    言われ、そのうち2億円を返したけれども、7億円はそのまま。これではダメで
    すよ。」
高杉 「まあ、佐高さん、退職金ゼロというのはいくら何でもかわいそうですよ。彼らも
    サラリーマンなんだから。たとえば、金額を3分の1くらいまで減らすのでも、
    影響はずいぶん違うと思う。」
佐高 「あるいは、伊藤忠商事の丹羽宇一朗社長が数ヶ月給料を返上したことがあり
    ますね。あれはスタンドプレーのように言われましたが、銀行が同じことをやった
    ら大きいですよ。」
高杉 「4年前にそれをやったのが、西村正雄さん(興銀元会長、みずほホールディン
    グス前CEO)です。彼は1年間給料を返上した。大蔵官僚へ過剰接待問題など
    の責任を取ったわけです。実はあのとき、彼は周囲から袋叩きにあった。『あの
    野郎、いいカッコしやがって』と言われてね。しかし、その給料返上のおかげで、
    彼は相談役のクビを切れたんです。」

「終身雇用制こそ日本の強さ」

佐高 「ただそれは、普通の企業で見れば当たり前のことをやったということでしょう。
    その当たり前のことが、全然銀行にはできていない。
    銀行と単純に比較はできないけれども、北海道の北洋銀行に武井正直さんと
    いう頭取がいたんです。現在は会長ですが、この人はバブルのときにバブルに
    乗っかった融資をいっさいやらなかった。こういう経営者を私は評価したいです
    ね。」
高杉 「そういうトップもいたんですね。」
佐高 「そうしたら、大蔵省銀行局の役人どもは『もっと融資を増やせ』と言ってきたそう
    です(笑)」
高杉 「銀行の他にも、当たり前のことを忘れた会社や経営者が増えている。昔だっ
    たら、社員をリストラなんかしたら、社長はその責任を取って辞めますよね。
    ところがいまはそうじゃない。5000人、1万人のクビを切っても平然としている。
    僕だったら自殺したくなりますよ。」
佐高 「最近は、社員のクビを切る経営者がいいかのような風潮になっていますね。
    冗談じゃない。松下電器なんて、これまで終身雇用のモデルのように言われ
    ていたのが、いきなり掌を返した。これはおかしな話ですよ。市場原理主義なん
    て立派なものではなくて、経営者の使命というものを忘れてしまっただけ。」
高杉 「話は飛びますが、財界トップの奥田碩さん(日本経済団体連合会会長)の『二つ
    の銀行は弱い』という軽率な発言は許し難いですね。メガバンクの国有化にまで
    言及したようですが、その結果、みずほとUFJの株価が11月14日にストップ安
    になった。銀行嫌いで知られている人が、負の波及効果をカウントできなかった
    のでしょうか。産業界にまで及び、全面安になった。」
佐高 「おっしゃる通り、奥田さんに日本経団連会長の資格はない。結果責任は大きい
    と思います。財界トップの地位がますます軽くなっていくわけですよ。」
高杉 「雇用を守ると宣言したトヨタのトップとしては、軽率きわまりない。
    竹中さんのようなアメリカ流を信秦する人には、日本的経営のよさがわからない。
    しかし、絶対に日本は終身雇用の旗を降ろしてはいけませんよ。」
佐高 「まぁ、竹中が悪い、木村が悪い、あるいは銀行が悪いといろいろ見方がありま
    すが、いちばん悪いのは・・・。」
高杉 「もちろん小泉首相。小泉内閣は後世に『史上最低の内閣』と言われる可能性が
    非常に高いと思います。
    小泉首相は、『聖域なき構造改革』と言い続けてきたくせに、ほとんど何もやって
    いない。ただ、北朝鮮問題は追い風になった。大相撲で貴乃花が優勝したとき、
    『感動した!』と言ったけど、彼に点数をつけられるのはあのときくらいでしょう。
    彼にはクリーンなイメージがありますね。」
佐高 「小泉首相は『クリーンなタカ』なんです。彼が一生懸命になるのは、靖国神社
    参拝のような問題だけ。経済や国民の暮らしを守ることには、ほとんど熱意が
    感じられがない。
    ファジズムの特徴というのは、クリーンなことなんですよ。ナチスの民族浄化の
    ように、純粋さを強調して、混じりっけを排除していく。」
高杉 「だったら私は『小泉ヒトラー』と呼びますよ。」

「いまならまだ引き返せる」

佐高 「竹中さんも含めて、小泉首相は人の選び方が間違っていますよ。小泉首相に
    抜擢された竹中平蔵、田中直毅、猪瀬直毅の『側用人3人衆』って、みんな売り
    込みの人でしかない。」
高杉 「だから人を代えなければダメ。首相の代わりがいないのなら、経済・金融担当
    国務大臣の竹中さんを代えるしかありません。後任には、たとえば植草一秀が
    いいんじゃないですか。」
佐高 「あるいは武井正直さん。」
高杉 「竹中さんにはただちに辞めてもらいたい。僕は、彼の最後の人間性に訴えたい
    ですね。これまでさんざん日本を傷めたんだから、もう日本のために辞めて下さい
    と。」
佐高 「竹中さんが望んでいる改革は、竹中さんが辞めることによってしか達成されな
    い。これは確かです。」
高杉 「彼は、日本をアメリカような社会にして、弱者をどんどん切り捨てる。以前も
    『530万人の雇用を創設する』などとデタラメを並べてITバブルを煽り、多くの人
    を大損させた。その罪、万死に値します。
    彼が辞めれば、この国はまだ引き返せる。しかし、このまま大臣を続ければ、
    完全に破壊されてしまう。
    いまわれわれは、そういう重大な岐路に立たされているんです。」

|  竹中さんのおかげで中央線で大活躍・大繁盛  
|   今日も明日もがんがります。
\__  _________
     V
              凸\_________/,凸、
           ノ´⌒`ヽ三三三三三三三i三.ノ´⌒`ヽ、
         [二ノ´金`ヽ二]二二二二二二i仁ノ´劵`ヽニフ
           ,.-┴―┬┴┐鬨鬩鬨鬩鬨鬨鬩鬨
            /ΛΛ //ΛΛ||L匳匳||卅||匳匯||匳||
        /_(゚д゚_//_゚Д゚,,)| |丗卅丗卅丗卅丗卅丗
  _,,,.-―''''"_,,,.-―''''"|コ ̄ ∪i  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
 i゛(}[王i王]I()0コ ―― |―――=|――――――――――〕
 |_∈口∋ ̄_l_l⌒l ノ       ノ      ___l⌒l_ソ
   ̄ ̄`ー' ̄ `ー' ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄`ー'   `ー'


今朝のNHKのニュースを見ていても、人身事故で鉄道が30分遅れることを報じていました。おそらく冷血漢の小泉首相は、このような世相を気にしていないようですが、たぶんイラクで自衛隊員が戦死しても我関せずでしょう。自力救済を言う経済評論家もいるようですが、政府が意図的なデフレ政策を続けて中小企業が潰されることを知らない世間音痴なのだ。

日本の金融機能が麻痺してマネーの流れが阻害されているのに、政府・日銀は有効な手を打とうとしない。もはや金融緩和だけではダメで、政府が直接財投などの公共投資や、日銀による株式や不動産投信の買い付けなどでマネーサプライを増やすことがカンフル的な効果が望めます。

ところが政府・日銀は140兆円ものドル買いはするくせに、国内の景気対策には及び腰だ。140兆円の金を公共投資や株式買い取り組合による株買いや、日銀によるREITの買い付けなど、やるべき政策がいくらでもあるにも関わらず、小泉・竹中内閣はアメリカ政府の言いなりになって、日本の銀行を潰し、中小企業を潰してアメリカに売り払う政策を行っている。




米国留学組でなければ局長以上になれぬ官庁
日本の植民地化は岸、中曽根、小泉で進んだ


2004年1月18日 日曜日

常識の復権 非常識な政治の克服が日本を救う道である 森田 実

『文藝春秋』2004年2月号の白川静氏の「文字を奪われた日本人」を読まれた方は多いと思う。白川氏の論説は力強く説得力がある。全国民に読んでほしいと私は願っている。白川氏は最後をこう結んでいる。
 「今、日本はアメリカの言うことなら何でもハイハイと聞いて、しかも、従属している意識を持っていないという状況にありますが、日本人は、自分たちが生み出してきた文化、言葉にもっと誇りを持った方がよろしい。このままでは、日本は文化的にアメリカの一州になってしまう。我々が生を受けたのは、千三百年も前、アメリカなどは影も形もなかった時代に、農民、防人から天皇までありとあらゆる人の歌をおさめた『万葉集』四千五百首を生み出した国なのです。
 歴史を忘れた民族は滅びます。古典を学び、自分の国の文化、歴史を知る。それが新しい文化を生み出す根となり、国を建て直す基となるのです。単に文字学を普及させるのではなく、漢字を通じて、東洋という理念を甦らせたい。それが私の願望です」。

 戦争に負けた日本は米国の占領下に置かれた。日本の主権は米占領軍が握った。戦後教育のあり方も米占領軍が決めた。漢字は減らされ、文字は略字にされた。『論語』などの中国古典は公教育から排除された。米占領軍は日本国民が日本的伝統と歴史的に形成された文化を継承するのを妨げようとした。
 日本指導層の一部が米占領軍のこうしたやり方に抵抗を試みたことは事実である。しかし大多数は米占領軍に従った。やがて尻馬に乗って米国化を積極的に進める者が増えた。官僚、学者、学生、ジャーナリスト――いわゆるエリートまたはエリート志向者―― は草木がなびくがごとく、米国留学を目指した。気がついてみると、日本の指導層のなかに米国を崇拝し日本をさげすむ傾向が強まった。半歩遅れて、政治家のなかにも日本の米国化を考える者が出てきた。日本政府自らが米国政府の傀儡政権になろうとする傾向まで出てきた。
 とりわけ、小泉純一郎首相誕生後、この傾向が強まった。「日本の横須賀化」が進み始めた。ちなみに、横須賀は米軍基地の街である。横須賀市民は米軍と“調和”している。横須賀は小泉首相の選挙区でもある。

 この方向を初めに最も強引に推し進めたのが、1957年から1960年まで政権の座にあった岸信介首相だった。岸氏は戦前、「満州の妖怪」と言われたほどの官界の大物で、戦後、A級戦犯として占領軍に逮捕された。岸氏が東条英機と同じ罪に問われず生き残ったのは不思議だと言われた。それほどの軍国日本の中心人物だった。この岸氏は戦後12年後に内閣総理大臣になることができた。日本の指導層に戦争責任についてきびしい認識があったとしたら、不可能だっただろう。「満州の妖怪」は戦後「日本の妖怪」として蘇った。
 この岸氏が日米安保条約の改定を断行した。これによって日本はほとんど永久に米国政府の管理下に置かれる道をつくったのである。今日では日米安保条約反対論者は指導層からほとんど排除されてしまっている。日米安保条約反対を口にする者はほとんど政界から姿を消した。
 だが、私は今も岸時代の選択は大きな過ちだったと思っている。50年後、100年後も日本は米国の属国として生きなければならないのか、と思う。未来の世代は自らの意思によって日本の進路を決めるべきである。日本は一日も早く真の独立国にならなければならない。日本政府は、できる限り早く、米国政府と日米安保条約再改定の交渉を始めるべきである。

 日本の米国化を推進した第二の首相が中曽根康弘首相(1982−87年)だった。中曽根首相はレーガン米大統領と親密な関係――いわゆる「ロン・ヤス関係」――を結んだ。その結果が1985年9月のプラザ合意である。実際の交渉は竹下登蔵相とベーカー米財務長官の間で行われたが、プラザ合意は日本の国益を米国に寄贈するようなものだった。
 プラザ合意の結果、日本はバブル経済を起こし、ついで長期のデフレ不況に陥った。日本経済が半永久的な衰退過程に入ったのはプラザ合意の結果である。プラザ合意とは「日本の自殺」にほかならない。中曽根首相と竹下蔵相は日本国民の経済的成果を米国に横取りされてしまう道をつくったのである。
 中曽根時代を契機にして、日本の中央官庁も変わった。米国留学組でなければ局長以上のポストにつくことがほとんどできなくなった。中曽根首相の周りに多くの学者がブレーンとして集められたが、ほとんどすべてが「米国派」だった。ヨーロッパ派、アジア派は脇役にされた。中曽根エピゴーネンの学者のなかには「日本を米国の51番目の州にすべきだ」と主張する者もいた。「日本を米国に合併することが日本国民を幸せにする最良の道だ」という者もいた。このような暴論が遠慮なく口にされるようになったのは中曽根首相時代以後のことである。

 第三の首相――しかも最も節度なく米国に追随している首相が小泉純一郎氏である。小泉首相はブッシュ大統領のサーバント的存在になった。「日米首脳会談においてほとんどすべてイエスという日本の首相」と言われるようになった。社会全体に、政治も経済も学問もそして文化すらもすべて米国を手本とするような風潮が急激に強まっている
 日本を米国の一州にしようと考え画策している米国派の過ちは、文化・風土・伝統・言葉まで米国化しようとしていることである。こんなことはできることではないし、無理にやろうとすれば、国は混乱し潰れてしまう。
 小泉首相の「構造改革」は1960年代から70年代にかけて中国全土で荒れ狂った「中国文化大革命」に似ている。破壊だけが行われている。
 政治家も学者もジャーナリストも「日本の抜本改革」を叫び続けている。それが「米国化」であれば、間違った道である。「改革」が小泉構造改革をやめさせることを意味しているのであれば、それは正しい「改革」である。すべての日本国民が白川静教授の警告を真剣に考える時だと思う。


(私のコメント)
政権を握るにはアメリカの支援を得なければ総理大臣になれないといった風潮が生まれつつあります。特に小泉内閣になってからそれが露骨になり、小泉首相自身アメリカの威光を露骨に示すようになりました。歴代首相は首相に就任するとまず始めにすることはアメリカに行ってアメリカ大統領の信任状をもらうことだ。

小泉首相の場合特にこれがひどく、小泉首相自身がポチと言われようと尻尾が擦り切れるくらい尻尾を振っていると発言している。小泉首相と自民党政権はそれでいいのでしょうが、日本国民はたまったものではない。ところが日本国民自身が日本がアメリカの一部であることを是認しているかのような風潮があります。

テレビのコマーシャルを見ても、トヨタなど日本の会社なのにアメリカ人しか出てこないのはなぜか。ポップアーティスト達も星条旗をかたどったTシャツを着て、髪の毛を金髪に染め、青色のコンタクトをしてアメリカ人気取りだ。ガクトとか浜崎あゆみははたして日本人なのか。このような現象は明治の鹿鳴館時代にも起きた。終戦直後とか明治維新の頃は仕方がない面もありますが、現在もこのような現象が起きているということは、アメリカ支配が強まっていることを芸能人たちも感じてのことだろう。

芸能人なら可愛げもありますが、政治家や役人たちまでもがアメリカを崇拝し日本を蔑むような風潮は嘆かわしい。そのようにしないと出世できないし首相にもなれず、役人も局長以上人はなれないということは、まさしく日本がアメリカの植民地であることの証明である。

自民党の政治家にとっては日米安保のもとに、外交も防衛もアメリカに丸投げ出来るからこれほど気楽なことはないだろう。それでは日本の政治家は何をしているかと言うと日本の統治だけだ。統治だけなら政治家は要らず役人だけでいい。外交政策も防衛政策も考えなくていいのだから政治家は要らない。だから憲法改正もせずに済んできたのだ。

アメリカがこのまま永久に世界帝国として繁栄し続けるのなら、51番目の州になるのもいいだろう。植民地よりかはマシだからだ。しかしアメリカが没落したら日本もその巻き添えを食う。アメリカが戦争を始めれば日本国民は兵隊に引っ張られ、植民地軍としてこき使われる。小泉首相はイラク派兵でその前例を作った首相として歴史に残るだろう。

アメリカ政府が日本政府を脅して露骨にやりたい放題の事をやり始めた。ロックフェラー財閥は新生銀行を通じてたった5年で1兆円の利益を上げた。日本の財務省は去年1年で20兆円ものドル買いをした。更にアメリカ長期国債を日本だけで半分近くも買っている。これらは二度と売ることは出来ずアメリカ政府への一種の税金なのだ。日本国民はこれに対して抗議の声も上げようとしない。日本国民はすっかり奴隷として飼いならされてしまったのだ。



司馬遼太郎史観ははたして正しいのか、
『坂の上の雲』の歴史観に問題はないか


2004年1月17日 土曜日

◆司馬遼太郎について考えてみました

先日、「文藝春秋7月号に『朕ノ不徳ナル、深ク天下ニ愧ヅ』という内容を見つけて云々・・・」の話を簡単に書いたことがあるが、どうもあの文章には疑問が残る。もう少し様子を見たほうがよさそうである。が、この同じ本の中で、特集『坂の上の雲』という部分があって、興味深く読まさせてもらった。いくつか気になる記述はあったが それはそれ。歴史に対する考え方や その人の思想・心情に触れる虞があるので あまり気にせず読み進んだ。

 だけど、どうしても「日露戦争で活躍した登場人物たちが、勲章や爵位のため、歴史の改竄をはじめた」という考え方には 賛同しかねる。歴史を語っているわりには歴史を知らなすぎる。司馬氏も「日露戦争に勝った、その頃から日本の軍隊がおかしくなっていく」ような意見を述べられていた。確かに、多くの書籍などを読むと、それまでの日本−維新以降の日本は順風満帆で進んでいたように読み取れなくも無い。統一国家を作り上げ、国内の不平士族の反乱を鎮め、憲法を発布。国会の開催。清国・露西亜との戦いにも勝利し、不平等条約も撤廃できた。天皇を中心とした国家体制は ほぼ完成したかのように見える。どこに問題があろうか?

 外見上は これで間違いではないのだ。一般的な見方では これで十分なのだ。でも、考えて見て欲しい。国家の構成員は一体誰なのかを。名も無く生きてきた多くの人々という立場から歴史を見てみれば、全く別な歴史に見えてくる筈だ。内乱が終わったと思ったら、外国の人達が大勢やってきて、急に物価は上がり、生活は苦しくなる一方。「もっと良い暮らしを・・・」と訴えていた人達は次々に警察に連れて行かれて戻っては来ない。その上、今度は軍隊に働き手を連れていかれ 外国との戦争の度に必要な物資は勝手に持っていかれて・・・。

 これが、国民の側から見た明治だ。どこが良かったのか。全ての対外的な、歴史の表舞台の出来事は多くの国民の犠牲で成り立っていたのだ。この点をよく考えてもらいたい。『・・・明治期、国家形成を支えたのは、一般市民ではなく、指導者であったことがわかります。・・・』などと、良く言えたものである。国民から取れる限りのお金を搾り取って、自分達はぬくぬくとした優雅な生活をおくっておいて、何か不平でも言おうものなら 警察に連れて行かれてしまう。こんな時代だったということを知っていて、その上であの言葉なのだろうか?

 いつものように前置きが長くなってしまいましたが、ここらで本題にはいります。

 日清戦争・日露戦争これらの戦争の実態については、多くの人々によって活字化されている。その中には参謀本部と海軍軍令部によって作成された『公刊日清戦史』・『明治二十七八年海戦史』 及び『日露戦史』・『明治三十七八年海戦史』等がある。国家主導で作成したこれらの資料が最も権威がある資料だったかもしれない。従軍記や、外国ジャーナリスト達の作成した文章を別にすれば、国内で発刊されたものはこれらの資料を或る程度踏まえて作成されているだろうし、司馬遼太郎氏もこれらの資料を参考にしたはずである。

 考えたいのは これらの資料の正確さ(どれ程 真実を包み隠さずにのべているのか)についてである。作成されて、一般の人達でも読むことの出来るこれらの資料に対する信憑性といったところです。多分司馬氏の場合には これらの資料を参考にしたのでしょう。しかし、今は新しい資料が見つかっています。例えば、 『公刊日清戦史』の場合は、その下書きとなった『日清戦史草案』というものの存在が明らかとなっています。これは、中塚明氏が福島県立図書館で発見されたものです。

このほか、『明治二十七八年海戦史』に対しては『極秘明治二十七八年海戦史』が、『日露戦史』については『明治三十七八年陸軍政史』が、『明治三十七八年海戦史』については『極秘明治三十七八年海戦史』というものが存在したそうです。『極秘明治三十七八年海戦史』については野村實氏が防衛庁防衛研究所でその存在を発見していますが、『極秘明治二十七八年海戦史』及び『明治三十七八年陸軍政史』については 現存の確認は為されていないようです。 これを一覧表にすると、以下のようになります。

では、どうしてこれらの資料が残っていないのでしょうか?基本的に これらは、軍内部で使用する為、あるいは発表するまでの下書きとして作成したもので、はじめから公開する予定のものでは無かったものです。ですが、一部の人達はそれを所持していました。それが敗戦によって失われてしまったのです。この部分は野村實氏による次の文章を読んでみてください。

 「・・・第二次世界大戦終結時において、それまでの歴史では先例のなかった戦勝国による『敗戦国の主権停止』と『戦争責任の追及』がなされた。このため、日本では敗戦後に公文書の廃棄という、歴史の面からみればきわめて好ましくない経過が生じた。

 このため、秘密区分に含まれる『極秘明治三十七八年海戦史』や『明治三十七八年陸軍政史』は、個人蔵も含め、原則として焼却された。海軍省文庫にあった一五○巻も同様である。しかし占領軍の厳しい捜索の手は、皇居内にまでは及ばなかったようである。つまり、かって海軍から明治天皇に奉呈された『極秘明治三十七八年海戦史』一五○巻一組だけが皇居内でかろうじて生き残り、それが戦後三十年を過ぎて宮内庁より防衛庁に移管され、防衛庁防衛研究所に所蔵されることになったのである。・・・」(野村實著「日本海海戦の真実」P26より引用)。これらの資料が見つかる可能性は極めて低いと言わざるを得ないが、今でもどこかに存在する可能性を信じたいものである。

 それでは これら90年代になるまで 存在は知られていたが実物が見つかっていなかった資料にどんなことが書かれていたのだろうか?詳しくはそれぞれの資料を見られたほうが良いが、例えば『公刊日清戦史』の場合 嶋名政雄氏の言われているように「・・・『公刊日清戦史』の日清戦争開戦記述は、事実とはまったく違った作り話であり、差し替えられていたことの、動かしようのない物的証拠だった。・・・」(嶋名政雄著 「乃木神話と日清・日露」”はじめに”の部分より引用)歴史の事実を改竄し、修正することによって作られたものであった。

既に、日清戦争の時代から 歴史は書き換えられていた。都合の悪い事、具合の悪い事、一般の国民に知られたく無いこと、皇軍の失策を暴くことになる事等の事実は伏せられ、「勇敢に清国の軍隊と戦って連戦連勝の快進撃を続けた」かのような印象を与える文章のみが事実として伝えられていた。今風に言うなら マインドコントロールとでも言うべきか。司馬氏は「日露戦争終結後、論功行賞のために不利なことを書かないようにした」と言われているが、それより10年前の日清戦争の時点で既に 歴史はすりかえられていた。そればかりか、戦争すら自らの手で(あたかも偶然の出来事に見せかけて)引き起こしていたのだ。昭和の軍部の為した行為の原型が既にこの時点で準備されていたと言ってよい。

 これらの資料が見つかったのは、1990年代に入ってからである。従って、司馬氏はこれらの資料は見ることが出来なかった。作家とは大変なもので、以前に書いた作品に対して新しい資料が しかもそれまでの常識を覆すような資料が見つかったとしても それが作品の骨格を為す部分であったとしたら 修正することは不可能だ。このような状態となった時、作家(司馬氏)はどのような想いがしたことだろう。司馬氏は その時点で出来る限りの資料を集めてあれだけの作品を作り上げた。まさに偉業といっても良いのだが、その根本的な歴史の読み方に問題はなかったのだろうか?

 司馬氏は 22歳の時に終戦を迎えた。その子供のころの記憶、大変だった時代を生きてきた記憶が その後の作品に影響を与えたであろう事は見逃せない。自分が生きた 戦時中の『悲惨さ』を、『世界の第一線に日本が躍り出た日露戦争以降に原因があった』と直感的に思っ てしまったのだろう。それが、「明るい明治−暗い昭和」という明快な対比を彼の中に生み出してしまった。彼にもし、もっともっと民衆の力・民衆の行動を理解しようと する気持ちがあったとしたら、もっと別な歴史の読み方ができたのではないだろうか?

 それが出来なかった理由の一つに「司馬氏は、士官として戦争を体験したからだ」という説が存在している。兵隊の立場とは違った見方、そんなものが何か士官には存在したとしてそれが 司馬氏の歴史認識の基礎をなしているとしたら、戦争はどれほど人の心−内面の深い部分−にまで影響を及ぼすものなのだろうか?彼が、「資料の取捨選択によって歴史を改竄したのでは?」というような考えを持っている人もいるだろう。しかし、私は司馬氏が意図的にそれを行ったというよりはむしろ その戦争体験がある種の引き金となって、「『明るい明治』というイメージを作りだしてしまった」と考えるのが妥当なのではないか?そんな風に思うのである。


(私のコメント)
去年の10月3日の日記で『本当は日本軍の大勝利だったノモンハン事件』を紹介しましたが、それまではソ連側の大本営発表がそのまま日本でも定説とされていました。しかし90年のソ連崩壊後に出てきた資料によると、日本側を上回る大損害をソ連軍が受けていたことが分かった。10倍ものソ連軍に対して日本軍を上回る被害と800両ものソ連戦車が破壊されて、飛行機も1600機以上の損害を出していた。

このように時間が経過したり、政変があって公開されていなかった資料が見つかって、今までの解釈が全く変わってしまうことがあります。だから司馬遼太郎氏も莫大な資料を集めて歴史小説を書いたことで知られますが、やはりそれらの歴史研究によって史実はこうだったと注釈をつけて改訂してゆくべきなのだろう。第二次世界大戦もまだまだ公開されていない隠された事実がたくさんあるに違いない。10月3日の日記にも次のように書きました。

五味川純平氏や、司馬遼太郎氏や、半籐一利氏などの作家は正確な資料を基に小説を書いてはいない。私は司馬氏の「坂之上の雲」や五味川氏の「人間の条件」などはもちろん読んだ。大変な力作の大河小説だが、軍事的なことや戦略的なことに対しては、小説家として限界を感じた。彼らの小説は旧日本軍を批判したいがためのプロパガンダに近いものがある。

このような旧日本軍に対するバッシングは、戦後のGHQによる言論統制による影響が大きいのだろう。もちろん日本軍は負けたのだから、それに対する反省と批判はなされるべきですが、それ以上に連合国側に都合の良い歴史解釈が、日本国民になされたのではないかと思います。『坂の上の雲』においても日清戦争のことに触れていますが、これも公文書をもとに書かれたのだろう。しかし、その前の下書きとなった秘密文書が90年代に発見されてかなり改竄された事がはっきりわかった。

このように100年以上前の事でも、途中で政府の圧力やGHQの言論統制で公文書が改竄されたり、焼却処分されて分からなかった真実が、時間の経過で秘密文書が発見されたり公開されたりする。特に司馬良太郎氏の史観で違和感を感ずるのは、戦前の日本は旧日本軍に占領されていたのを米軍により解放されたといった解釈をどこかで書いていたが、この事は小泉首相が去年テキサスのブッシュの牧場で、日本は戦後アメリカ軍によって解放されたというコメントに反映されている。

結局は司馬遼太郎氏も東京裁判史観から抜け出せなかったのだろうか。A級戦犯といわれれば、多くの人が間違いなく彼らが犯罪人であると思い込むだろう。彼らのせいで300万人もの日本人が戦死したと決め付けることも出来るだろう。しかしそれは正しいのか。歴史的に見て日本が戦争に勝ったのか負けたのかそれすら決め付けるのはまだ早いと思う。軍事的に見れば間違いなく完全に負けた。しかし歴史的に見て負けたといえるのか。

昨日紹介したマハティールの「立ち上がれ日本人」を見ても、大東亜戦争の意味を考える余地がありそうだ。もしあの時点で日本が戦争をしなかったら現代の世界はどうなっていたのか。もし逆に日本が勝っていたらどうなっていたのか。あるいは途中で講和して引き分けていたらどうなっていたのか。それぞれについて考えてみるべきだと思うのですが、戦後の日本人はそんなことを考えることすら行っていない。

もし昭和20年8月15日で戦争が終わらなかった場合はどうなったのか。現在のイラクのようにいったんアメリカ軍を受け入れてレジスタンス戦争を行っていたらどうなったか。様々な歴史的な検証を行ってみるべきなのでしょうが、実際の戦後の日本人は贖罪意識一辺倒で、十分な歴史的検証がなされないのはなぜか。あるとすれば司馬良太郎氏のような歴史小説家とか、SF作家による戦争物等の小説が大流行だ。

しかしこれらは娯楽読み物で、歴史研究書ではない。そのような意味で近代日本史の研究は全くの空白地帯になってしまっている。去年の8月に私は西尾幹二氏のBBSに投稿してみたものがあります。議論の出発点になればと投稿したのですが、歴史的認識のギャップが大きすぎたせいか、まだ大東亜戦争を冷静に考えるには早すぎるのか、それとも東京裁判史観の洗脳を解くには時間がかかりそうだ。

日本は大東亜戦争で大勝利した。負けたのは米英仏蘭である。




マハティール・モハマド著「立ち上がれ日本人」
為替投機で破壊されたマレーシア経済


2004年1月16日 金曜日

「自由貿易」という圧カ

マレーシアは、日本が成功した要因をひとつひとつ発見していきました。それは愛国心、規律正しさ、勤勉さであり、能力管理のシステムでした。政府と民間企業の密接な協力も見逃せません。私たちはこれらのやり方をまね、文化をも吸収しようとしたのです。そして自他共に認めるように、マレーシアは他のどの発展途上国より大きく発展しました。マレーシアの急成長が、「ルック・イースト政策」を導入したこの20年と重なることは間違いありません。

2300万人余りの人口しか持たない小国が世界第!8位の貿易国に成長したことは、マレーシア人にとって大変な誇りです。マレーシア経済は他の国に較べて海外との貿易に頼る比率が大きいのですが、そこには危険な面もあります。私たちは貿易相手国に対してかなり開放的で、海外の商品は自由にマレーシアに輸入されているからです。国内産業保護の観点で輸入関税をかけるのは、わずかな品目のみ。マレーシアは日本と同様 に、貿易は経済成長の基盤であると信じているためです。実際のところ、マレーシアの方が日本に比べて市場を開放しています。

1997年に西側の論理が私たちの経済を破壊するまで、私たちは現状に満足していました。政府が経済を完全に把握し、外国資本を導入するため税制を確立し、投資を刺激しました。メイド・イン・マレーシアの商品は国内外の競争力を維持できており、私たちはシステムを変える必要はなかったのです。マレーシアは多民族国家ですが、異なる人種間での経済格差があっても、積極的な差別是正措置をとることで人種の融和がなされてきました。

昔もいまも、欧州のスローガンは常に「自由貿易」です。19世紀、彼らは最大限の脅迫と軍事力を動員して、貿易のために東アジア諸国を開国させました。産品の代金としてアヘンを使うことを拒否されると強く反発し、各地に要塞化した貿易基地をつくりました。優れた軍事力で内陸地域に侵入し、生産晶の供給を確保した彼らは、やがて多くの貿易相手国を占領し、植民地としたのです。

すべては自由貿易の名の下に正当化されました。植民地政策から解放された今でも、東アジアの国々は欧米による自由貿易の要求にさらされ続け、いくつかの国には経済制裁が加えられています。彼らによって示された条件を全面的に受け入れないと、貿易を「自由」に行なうことはできません。軍事力で占領し植民地化することが、また一方的な条件を強制することが、はたして自由貿易と言えるのでしょうか。

他国と貿易をする際に、互いに取り決めた様々な条件を守らねばならないことは当然です。世界貿易機関(WTO)はルールに基づいた貿易のために設立されました。しかし現実にはそのルールとは、WTO加盟国の中でも影響力のある国のシステムに合致する行政やビジネス慣行にすぎません。彼らは相手国が自らの慣行に従うよう、とてつもない圧力をかけてきます。

権力を持った富める国は、相手国の行政組織や政治形態などをすべて調べ上げ、服従工作をします。動員されたメディアは、経済や政治に悪影響を与える様々な報道で、相手を不利な立場に追い込んでいきます。こうした常套手段でどれだけ屈服させても、彼 らは満足することを知りません。

1998年、アジア通貨・金融危機の最中にクアラルンプールで起きた数度の小規模なデモを、外国メディアは誇張して伝えました。あたかもマレーシアで大規模な暴動が起こっているかのように、同じ映像を繰り返し繰り返し放映したのでした。それは、私たちに服従を強いるため西側が繰り返してきたことの、ほんの一例に過ぎません。植民地の終焉で小型砲艦はアジアから姿を消しましたが、経済的・政治的な圧力は現在も威力を発揮しています。西側諸国が私たちにとって大きな脅威であることに変わりはないのです。

◆新たなる「植民地化」の危機

東アジア諸国に対する西側の影響力の大きさは、マレーシア通貨危機に際して為替市場のオペレーションが存分に証明してくれました。変動相場制にしたことで、為替トレーダーは物品ではなく為替で「貿易」をしたので す。わが国の為替は商品として扱われ、単に売られたり買われたりするだけでなく、投機の対象となりました。悪いことに、投機はやがて市場操作に発展し、私たちの通貨は売り込まれて買い叩かれ、空売りは究極のレベルに達しました。

実物の通貨が取引されたならまだしも、そこには貨幣の影も形もない。為替トレーダーの仲間うちで、マネーゲームが展開しただけのことでした。彼らは架空の通貨を売り買いし、底値で買って利潤を上げ、巨額の儲けを得ました。銀行も同様です。

為替市場の出来高は実物の貿易市場よりも巨額に膨れ上がり、同時に彼らの利潤も膨れ上がりました。銀行は顧資をしなければ金利を払うことができなくなり、信じられない金額で企業が売買されました。通常、どんな政府にもできることではありませんが、当時はひとつのヘッジファンドが1兆ドルという大金を借りることができたのです。このため彼らの経営が立ち行かなくなったとき、世界経済に影響を与えることにすらなってしまいました。

マレーシアのような小国は為替の売買ごときで一夜にして国全体の経済を破壊されて しまう、という事実に私は驚愕しました。これまで「経済の優等生」として地道にやってきた私の国は奈落の底に突き落とされ、破産するしかないのでした。

そして、私たちに「助言を与え」「対外債務の支援にあたる」国際機関が立ち上げられました。しかし彼らのアドバイスは、状況をさらに悪くするだけでした。支援を受けるということは、経済的な植民地化が始まることを意味します。国際機関は財政状態に関する助言にとどまらず、政治的な信念まで押しっけてきました。一定の改革が行われない限り、支援は実行されないのです。

肝心の支援金は、外資系銀行に対する借金を支払うために消えていきました。外資系銀行から国際金融機関へと、債権者が替わっただけでした。借金の重荷は残り、それが永遠に続いていくのです。

行政機構は国際機関の支配下に置かれました。そしてその国際機関はといえば、豊かな国々の論理に支配されたものです。これではまるで植民地政策の繰り返しではありませんか。かつて西側諸国が「自由貿易」のために小型砲艦を差し向けたように、国際機 関が開国を迫っているようなもの主言えます。

ひとたび「開国」すれば、外国資本の巨大企業と銀行が雪崩を打って襲ってきました。小国の地場中小銀行や企業が、そのような巨大資本に太刀打ちできるわけがありません。公平な競争など、あるはずがないのです。中小企業は遠からず外国資本に吸収されてしまう運命にありました。

それでは外資系企業の猛攻に対して、政府はなぜ手をこまぬいていたのか。そもそも小国の政府は、外資系の巨大銀行や企業をコントロールする立場にないのです。自由貿易とは政府が関与しないことだ、と彼らは主張します。利潤を追求するためには何をしても構わないと、過大な要求を突きつける。その国の人々が無能だといっては、外国人労働者の受け入れを求める。外資系企業は自分たちの利益を追求するだけで、相手国が直面する失業問題や低所得問題を無視するのです

植民地時代も同じことでした。旧宗主国は支配者であったにもかかわらず、植民地の社会問題には一切関心を払いませんでした。彼らはより多くの富を搾取しようと、人口 分布が変わるほど多くの外国人労働者を移住させました。そのために、やがて独立した旧植民地の国々は、経済的格差のある多民族・多宗教の国家となってしまいました。にもかかわらず旧宗主国は、困難に直面したこれらの国々に向かって、自らがかつて連れてきた外国人を不当に扱っていると冷淡に批判する。彼らはいとも簡単に、自分たちが行なってきた不公平な振る舞いを忘れてしまうのです。

もちろん私は、グローバリゼーションを否定するものではありません。しかしながらそれは、豊かな者の利益のためだけに存在するべきではない。関係諸国の利益だって、十分考慮に入れなければなりません。豊かな大国が、彼らの投資先に選んだ小さな国々に、社会・政治的な問題を巻き起こしてはならないのはもちろんです。当然といえば当然のことですが、残念ながらWTOなどの国際機関は、小国の利益を考慮していないのが現状でしょう。(P32−P39)

立ち上がれ日本人」 新潮新書 マハティール・モハマド (著)


(私のコメント)
1997年のアジア金融危機において東南アジア諸国は経済的に再び植民地支配に脅かされた。実際多くの企業や銀行は国際金融資本に買収され、目に見えない形での帝国主義が復活している。東南アジア諸国はもとより中国や韓国も外資系企業がその国の経済の主体になっている。韓国も大手財閥五つのうち四つが外国資本に買収された。

日本も国際金融資本の包囲の輪が絞められ、銀行なども新生銀行、あおぞら銀行、東京スター銀行と次々と外国資本に買収され、そこと取引していた中小企業は次々と潰されハゲタカの餌食となってしまった。小泉首相が言うには外国資本が入ることこそ構造改革が進むと言うことなのだろう。

しかし外国資本に買収された外資系企業は果たして日本の為になっているのだろうか。むしろ日本独自の雇用慣行や経営手法は破壊され、能力制度や実力主義の名の下に社員達は酷使され、たとえ勝ち組といわれていた人たちでさえ、いつクビにされるか分からぬ不安定な社会は、その上の資本家だけが利益を独占できる、一昔前の資本主義そのままだ。

外資系企業ではたとえ経営者でも業績を上げられなければ、資本家達にクビにされる運命にある。従来の日本企業も外資系企業をまねて、ドライな経営手法を取り入れ始めた。はたしてこのようなドライな経営手法が日本人に合った経営手法なのだろうか。最近では人件費節約のために正社員からパートに切り替えた企業が増えて、会社員の雇用は不安定化している。

マレーシアのマハティール首相は大胆な為替管理を取り入れて、マレーシアの経済危機を乗り切った。以前にも日本の金融危機対策としてマハティールやタイのタクシン首相のとった政策を例にあげて提案した事があります。しかしながらこのような政策が日本で出来ないのはなぜか。マハティールやタクシンのような政治力のある政治家がいないからだ。3月10日の株式日記に次のように書きました。

2001年3月10日
先日はタイのタクシン首相の経済政策を紹介しましたが、今回はマレーシアのマハティール首相の金融改革を紹介します。マレーシアも97年のアジア通貨危機に見舞われ景気悪化と資産価格の下落に伴って不良債権が急増しました。金融システムの再建を進めるために98年に以下のような政策が取られました。

@公的資金による不良債権買い取り
A銀行への資本注入
B公的機関による債務処理交渉の仲介

私が常々主張しているのは公的資金による銀行が持つ不良債権の買取であり、銀行への公的資金の注入だ。ところが小泉・竹中内閣はなかなかこのような国際常識的な対策を実行しようとしない。アメリカやスウェーデンでもこの方法で金融危機を克服した。しかし日本では銀行を潰すことを念頭に政策を進めている。小泉首相はロックフェラーから圧力をかけられて日本の銀行をハゲタカに売り飛ばすことが仕事なのだ。

新生銀行に投資したリップルウッドは5年余りで1兆円の利益を手にした。これが小泉首相の言う構造改革の正体なのだ。日本でマハティールやタクシン首相のような大胆な政策を実行できる政治家がいないことが、日本の経済が不況から脱出できない原因なのだ。マハティールは97年末に起きた経済危機を98年には対策を打って危機を乗り切った。

国際金融資本は日本のマスコミに手を打って、誤った世論を作り出している。御用学者も評論家もみんな国際金融資本の手先だ。だから公的資金を使おうとするとモラルハザードだのと騒ぎ立てて政治家の手足を縛ってしまう。確かに銀行経営者の経営責任もありますが、むしろ大蔵省や日銀の誤った政策をマスコミはなぜ追求しないのか。彼らこそ国際金融資本に踊らされてバブルを作り出した張本人なのだ。



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