株式日記と経済展望

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新生銀行、来年早々「1兆円上場」のハゲタカの野望
たった3年で10億円が1兆円に、1000倍のぼろ儲け


2003年11月30日 日曜日

◆新生銀、来年早々「1兆円上場の野望を果たす ZAKZAK 2003年11月29日

カネ儲(もう)けのためには手段を選ばない外資。旧長銀をたった10億円で買い取った新生銀行が来年早々、株式再上場の野望を果たす。まさに「濡れ手でアワ」で、1兆円以上の上場益が懐に入る。顧客サービスでは満足度が高いが、国に劣化した旧長銀の債権を買い取らせる悪名高い特約行使で、そごうやマイカルを次々と破綻(はたん)に追いこんだ末の再生劇。公的資金再注入で一時国有化される足利銀行(宇都宮市)も、いずれ外資に渡る可能性がある。デフレ不況に泣く国民の血税を再三投入し、累々(るいるい)たる日本企業の残滓(ざんし)を超えて、日本経済の再生になるのか。

【再上場発表】

 新生銀行の八城政基社長は28日の平成15年9月中間決算発表で、来年1−3月に株式を再上場する方針を明らかにした。再上場は、12年3月に旧長銀をたった10億円で買い取り、新生行が発足してから3−5年後を予定していた。政府の預金保険機構に対し、不良債権の買い取りを求める悪名高き「瑕疵(かし)担保条項」。

権利行使は期限の5月までの累計で、321社1兆1702億円(額面ベース)にも達した。実に不良債権処理額の4割強に当たるという。「不良債権処理の加速で体力不足にあえぐ大手銀に比べ、新生銀の不良債権比率が低いのも当たり前である。4割も買い取らせたら、誰でも経営ができる」(大手証券の金融アナリスト)

【初の増益】

 決算最終利益は318億円と、投資銀行業務の好調さを反映して前年同期比6.6%増加した。本業のもうけを示す実質業務純益は247億円で、同30.6%増えた。初の増益に、八城社長は「瑕疵担保条項を使わなくても利益を出せるビジネスモデルができた」とまで豪語した。

 【破綻ラッシュと貸し剥がし】

 初の増益に至るまで、新生銀は融資先企業に強硬な貸し剥(は)がしを迫り、そごうやマイカル、ライフ、第一ホテルなど大企業を次々と破綻に追い込んだ。大手銀幹部は口々に「なりふりかまわず、あれだけ超ドライに、あこぎな貸し剥がしをすれば利益は出るよ」「新生銀はこれまで生殺与奪の権利をフル活用してきた」と、濡れ手でアワの再上場に怒りをみせる。

 【たった10億円】

 「生殺与奪の権利」と悪評紛々の「瑕疵担保条項」は、旧長銀が国から米投資会社リップルウッド・ホールディングスが中心の投資組合にたった10億円で売却された際に結ばれた特約である。旧長銀に加え、旧日債銀(現あおぞら銀)だけに与えられている。買い取りから3年以内に債権が簿価より2割以上目減り、劣化した場合、預金保険機構がその権利を買い取る。

 金融ジャーナリストは「融資先が破綻すると、通常は融資額の90%以上は返ってこず、銀行も返り血を浴びる」と前置きして解説する。「だが、『伝家の宝刀』である特約を持つ新生銀の場合、融資先が破綻しても国が肩代わりするから、自分は無傷のまま。だから強引な取り立ても可能だった」

 【ハゲタカ・ファンド】

 1兆円以上も不良債権を買い取らせ、今度は1兆円もの上場益を手にする。リップルウッドは巨額のカネをどんな投資に使うのか。「最初は上場益を手に新生銀を売却するハゲタカ・ファンドではと揶揄(やゆ)されたが、リップルウッドは宮崎のシーガイアや日本コロムビアなどの再建に熱心であり、上場後に逃げ出すことはなさそうだ。次にどう出るかが注目だ」(大手銀幹部)

 【正念場】

 新生銀にとっての正念場は、絶対的な特約がなくなった今後の経営である。中堅証券アナリストが最新事情を明かす。「新生銀では懸命に行員の尻を叩き、営業マンは新規の顧客開拓に追われている。いち早くATM手数料ゼロを取り入れたり、外貨預金や低金利の住宅ローンなど、顧客本位の特色を強くアピールしている」

 大手銀は不良債権処理と財務基盤の強化に加えて、収益アップに躍起となっているが、資産デフレなど長引くデフレ不況下、利上げや顧客拡大がままならない。新生銀も環境は同じ。「営業マンは半年ごとの厳しいノルマが職場に貼り出され、2期連続で達成できないと立場がなくなり、銀行に居ずらくなると聞く」(前出の中堅証券アナリスト)融資先だけでなく、行内でもドライな経営方針の新生銀行。厳しい銀行再編・淘汰(とうた)時代を乗り切れるのか。
ZAKZAK 2003/11/29

◆2002/04/01 新生銀行はSINSEI BANK コラム「堪忍袋」

 私は絶対忘れない、日本をくいものにする禿げ鷹外資を!

株式会社新生銀行は、2000年3月に新しい株主、新しい経営体制のもと、営業を開始した。実態は国費6兆9500億円を投入し、それを10億円でアメリカの禿げ鷹ファンドに買ってもらったもので、日本の銀行の顔をしたリップルウッド率いる純外資である。

新生銀行(旧長銀)は同行の取締役ティモシー・C・コリンズ氏と、同じく取締役クリストファー・ フラワーズ氏に対するアドバイス料それぞれ11億円、2人で22億円については新生銀行が負担しないと表明したが、ニュー・LTCB・BVに対する26億9千百万円については支払いをすると表明。
我々日本の納税者は、コリンズ・フラワなるアメリカ人二人が、超多額の顧問料をとっていたことを忘れてはならない。

新生銀行は、日本からしたたかに、しかも徹底的に金を搾り取ろうという、いかにもアメリカ的な企業。こんな企業に騙されてはならない。
手数料不用とか、高利息とかおいしい話が出回っている。しかし私たち日本人は冷静に見極めていきたい。
新生銀行が順調に成長し、株式を上場するようになれば、株価総額は直ぐ1兆円ぐらいになるだろう。そうなればアメリカのリップルウッド社を中心とする投資グループは、長銀を1000億億強の資金で買収したのに、1兆円ぐらいの利益を上げることになる。
ハザマ、ダイエー、そごうと新生銀行が絡んだ倒産劇を見てきた。
ダイエーに1000億円からの融資残がある新生銀行が資金返済を執拗に迫ったこと。新生銀行といえば容赦ない"貸し剥がし"で企業を倒産に追い込み、政府と交わした瑕疵担保特約を盾に不良債権を引き取らせる荒業で他行が羨む好決算を謳歌している銀行だ


金融庁は2001年10月4日、新生銀行が公的資本の注入を受ける際に約束した中小企業向けの融資額が、昨年度は計画に達しなかったことや、この件に関する社内管理体制に問題があるとして、業務改善命令を出した。新生銀行では、「極めて遺憾であり、今年度は達成へ向最大限努力したい」とコメントしている(テレビ東京「フラッシュニュース」より)。
九州最大手のスーパー、寿屋(本社・熊本市)が西日本銀行の支援も及ばず、2001年12月19日、民事再生法 の適用を申請し、事実上破綻した。債権放棄による経営再建を模索したが不調に終わった。ある地銀幹部は、「新生銀行が破綻に追いやったようなものだ」と言う。たしかに、新生銀行は寿屋向け債権の放棄に消極的だった。(Mainichi Interactive 2002/01/29)

長銀を禿げ鷹ファンドに売り渡すように動いた自民党政治屋達がいたことを私は忘れない。売国奴という言葉を彼らに投げつけたい。次の総選挙では口をぬぐって皆様のお役に立つとか、ぬかすんだろうなぁ。



(私のコメント)
足利銀行の破綻のニュースが流れているその影で新生銀行が再上場するニュースがありました。しかしほとんどマスコミはこのニュースを報じてはいない。これは一種の破綻銀行を通じたロックフェラーへの贈与なのだ。リップルウッドの出資者にはロックフェラーの名前がちゃんとある。小泉首相の下にはロックフェラーが訪れて密約があったようだ。ロックフェラークラスともなると政府を動かして巨大な利益を手にしてゆく。

足利銀行へも1兆円の公的資金が使われて、お荷物が取り除かれた後には格安でハゲタカファンドへ売却されるのだろう。新生銀行やあおぞら銀行の売却には日本の政治家が動いている。潰さなくてもいい銀行を潰し、あらたな仲介ビジネスを日本の政治家達はしているのだ。彼らこそ本当のハゲタカかもしれない。

それにもかかわらず地元の栃木県住民はおとなしい。福田県知事は抗議しているが、その他の国会議員は復活当選した船田氏をはじめ仕方がないといった態度だ。足利銀行への700億円増資もパーになった。これこそやらずぶったくりであり1兆円の公的資金も我々の税金だ。しかし繰延税金資産査定が監査法人の査定変更で破綻することになった。この辺がまったく不透明だ。

このようにりそな銀行や足利銀行のように数兆円単位の公的資金が五月雨式に投入されてゆく。それならばまとめて一気に投入して不良債権を処理しても同じではないかと思う。りそな方式が株式市場で評価されて株価が高騰した。この方式で全銀行を立て直せば日本の金融問題は片付く。世界的な常識からいえばこの方法で成功している。

ところが小泉・竹中内閣は銀行を締め上げて一つづつ潰してゆく方針のようだ。ペイオフに対する方針も曖昧であり足利銀行の預金は全額補償されるが、2002年4月から1000万円以上の定期性預金はカットされるはずが預金保険法102条により全額保護されることになった。一体何のために小泉首相はペイオフを強行しようとしたのか。ペイオフ解禁が間違った政策であることを認めたくが無いために不透明な法律を新たに作ったようだ。

ゼロ金利解除もペイオフの強行も私は一貫して反対してきた。そして公的資金で不良債権を買い取り一気に金融問題を片付けることを提案してきた。しかし中途半端な対策しか出来ず、金融政策は迷走している。新生銀行にしてもリップルウッドに売った後も1兆2000億円も公的資金を投入した勘定になる。外資に売ったところで国が身軽になったわけではないのだ。このように我々の税金がハゲタカ外資の手に渡ってゆく。この事をずっと「株式日記」で訴えているのですが、日本国民はおとなしい。

しかしおとなしい日本国民が怒りはじめたらブレーキが利かない恐れがあります。北朝鮮問題がいい例だろう。去年の9月17日以前は拉致問題は大した問題となってはいなかった。ところが金正日がそれを認め、拉致被害者が帰ってきたとたん大騒ぎになった。おそらく北朝鮮の崩壊まで怒りは収まらないだろう。このような新生銀行のようなケースが続けばいずれは火が付くに違いない。そして日米安保体制にまで影響が及ぶだろう。




米国経済の巨大さと金融バブル化を歩む米国
日本の1400兆円と米国の4200兆円の金融資産


2003年11月29日 土曜日

◆米国経済の本当の姿 ネバダ・エコノミック・レポート 10月15日号

日本では、もう何年も前からこのように報じられています。
『米国は財政赤字・貿易赤字が物凄く、今にも米国が破産する。米国はドルを無効にする』
これほどマスコミ・一般受けするフレーズはないのだと思いますが、では、実態はどうなのか?を見てみたいと思います。

まず、以下の数字をご覧下さい。

<債務残高比率:対GDP>
-- 1992 1993 1994 1995 1996 1997
米国 74.1 75.8 75.0 74.5 73.9 71.4
日本 63.5 69.0 73.9 80.4 86.5 92.0
-- 1998 1999 2000 2001 2002 2003
米国 68.3 65.3 59.5 59.7 60.7 62.0
日本 103.0 115.8 123.4 132.6 142.7 151.0

この数字は、借金比率ですが、この数字から明らかになる事は、1995年を境に日米逆転が起こり、日本の借金比率が米国を上回り、今では米国の2.5倍もの借金比率になっているという事です。

今、米国は確かに借金を増やしてきており、GDP比率でもじわりじわりと上昇してきているのも事実ですが、ただ、それでも<62%>であり、この数字は<ドイツ63.7%>、<フランス68.4%>より低い数字となっているのです。
日本では、間違っても、ドイツ、フランス(即ちユーロ諸国)が財政赤字で破産するとは言いません。

しかしながら、数字だけを見れば、米国が破産するより早く、ドイツ・フランスが財政危機で破産する危険度が高い、といえるのです。
更に、<イタリア108.1%>となっており、ここなどはさしずめ、財政破綻筆頭候補となるべきですが、何故か日本では一言も指摘されません。

日本では、ヨーロッパ=良い子、米国=悪い子、という固定観念があり、間違っても、ユーロの悪い実態は報道されません。
この理由の一つには、金融機関にとり、ドルより為替手数料が高いユーロを買って貰った方が儲かるからでもあると言えます。

次に、このような指摘もあります。
『米国は外国から借金せざるを得ない弱い体質である』と。
これも、以下の数字を見れば、間違った指摘であると分かります。

<個人金融資産残高>
米国 4,170兆円 債務残高 744兆円 人口 2.4億人
日本 1,430兆円 債務残高 755兆円 人口 1.2億人
注)個人金融資産残高は、1999年時点、債務残高(予定)は2003年ベース

米国人は、日本人より3倍近い金融資産を持ちながら、米国の借金総額は、日本国とほぼ同等となっているのです。
米国はその気になれば全ての借金を、自国民だけで賄えるだけの資金力を持っているという事が、この数字から読み取れます。
何も外国が米国の借金を支えているのではなく、外国が選んで米国債を買っているだけなのです。

そんな馬鹿な話があるか!今までの報道とは全然違うではないか!
と言われる方も多いと思いますが、先ほども述べましたが数字は嘘をつきません。

ここで、一つ疑問がわいてきます。
では、なぜ外国人が有利と思って買っている米国債を、肝心の米国人が買わないのか?
また、10月5日付け日経新聞朝刊は、このように報じています。
『米、海外マネー依存最高 国債の外国人保有35%に上昇 ドル安要因に』と

これほど、ドル安を煽る見出しはありません。
これだけを見れば、誰もが『これは米国債、ドルは危ない』と思います。
ここで、実態を数字から見てみたいと思います。

米国債(2003年6月末時点)
海外保有残高 1兆3465億ドル(148兆円)  海外比率 35.6%
国別残高    
日本 4410億ドル(48.5兆円)  
英国 1228億ドル(13.5兆円)  
中国 1225億ドル(13.5兆円)  
米国社債 (2003年6月末時点)  
海外保有残高 1兆1256億ドル(123兆円) 海外比率 17.4%
米国株式 (2003年6月末時点)  
海外保有残高 1兆3636億ドル(150兆円) 海外比率 10.3%

この数字を全て足しますと、外国人は米国金融資産を421兆円保有する事になります。
ところが、米国人の金融資産の総額は先ほども記載しましたが4,170兆円もあり、米国人がその気になれば、外国人が保有する米国資産を全て買い取ることなど、いとも簡単に出来てしまう金額なのです。

僅か10%の米国人の金融資産を充てるだけで、外国人を締め出すことが出来る、僅かの数字なのです。

アメリカ人は、資産運用面では、二通りに分かれます 。
一方は、10年国債で資産を運用し年間4%ほどの利息で満足するという保守的なタイプです。

もう一方は、この10年国債(実際は30年国債の利回り:年5%)を最低線にして、これを少しでも上回る運用益を上げたいという積極的なタイプです。
保守的な運用を心がける人も、金融資産の10〜30%は、リスクをとる積極的な運用に資産を振り向けています。
この積極的な運用を行うアメリカ人が多いために、米国国債は自分達では買わないだけなのです。
買えないのではなく、買わないだけなのです。
もっと利回りが欲しい、もっと運用益が欲しいという事になっているだけなのです。

愛国心が人一倍強い米国人が、本気で米国国債は自分達で買い取ると決めた場合、一体どうなるでしょうか? 日本銀行が保有し運用している米国債は全て米国に買い取られ、日本の保険会社・銀行・事業会社は、運用先を失い、運用できない事態に陥ってしまいます。
世界中が困るという事態に陥ってしまいます。
クリントン政権時代に、財政に余裕が出来たとして、30年国債の発行を停止しましたが、これで、慌てたのが中国等の新興資産国です。

少しでも有利な運用を目指す新興資産国としては、30年国債がなくなるという事は、悪夢のような事態であり、だからと言って、米国政府債と同等のAAA格を有する30年社債であるIBM社債を、中国政府が運用先として買える筈もないのです。
そこで、政府機関債(住宅貸付公社債等)が登場し、これを代りの運用先として買い付けた中国は、今、スキャンダルで真っ青になっているのも、元を辿れば、30年国債の発行停止があったからなのです。

いわば、世界は米国にお願いして、米国債を“買わせてもらっている”という状態にあるわけであり、保有比率が上昇したことが危機に繋がる訳なのではないのです。

ところが、ここで、一つ問題が起こってきています。
イラク復興支援問題≫です。
米国は、フセイン大統領に引き込まれる形で、本来ならやってはいけない戦争を仕掛け、今、予想通り泥沼化し、金銭的にも10兆円を越える負担となって跳ね返ってきています。

これを何とか世界中で負担させようと動いていますが、殆どの国は≪ゼロ≫に等しい金額しか支援しないとしています。
支援表明済み内訳
イギリス 1000億円
EU 260億円

このままいけばブッシュ政権は議会で追求にあい、機能不全に陥ることも有り得る状況になってきているのです。
そこで、登場するのが、【ブッシュショック】です。
この件につきましては、下記の項で詳しく解説させて頂きます。

◆金融バブル化を歩む米国 ネバダ・エコノミック・レポート 11月1日号

FRBは、金融緩和を継続すると発表し、ニューヨーク株式は140ドルほど上昇しましたが、この理由は<デフレが収まっていない>からとされています。

ところが、景気判断段階では、景気は回復しつつあり、GDP成長も7%を越えると発表しており、金融政策上は≪景気は回復していない≫とし、景気判断上は≪景気は回復している≫と全く反対の判断をしています。
そして、住宅公社等の不正問題については、今回も事実上封印したままになっています。

このような態度からしますと、FRBは金融バブルを引き起こし、株価を行き着くところまで持ち上げるという決定をしたと言えます。
どこまで金融バブルをつくり上げるか分かりませんが、国債市場がどうなろうとも、クリントン時代に行いました超金融緩和を行い、金融バブル構築に動き始めたと言えるのです。

ブッシュ政権は、既に再選を諦め、自分達の利権の為に動き始めており、FRBが株高を援護射撃するのは有難いという態度ですが、今後封印した<金融不正問題>、<イラク問題>、<テロ問題>を無視して株価だけを上昇させていけば、最後にはとんでもない市場のシッペ返しを受けることになるでしょう。

今、日米とも金融バブルが膨らみ続けており、特に、米国では株高を使った買収合戦が活発化してきており、これは、いつかきた道でもあります。

極限まで膨らんだ金融バブルの破綻は、金融市場を一瞬のうちに崩壊させる力を持っているのです。
皆が金融バブルに浮かれている間に、逃げ出すのが賢明だといえると思っています。


(私のコメント)
一昨日の株式日記でHIT株式教室で指摘されていた足利銀行が国有化されることにより、株式も0円で国に買収されることになりました。上場されているあしぎんFGの株券も取引廃止で無価値になるでしょう。りそな方式がとられなかったことにより株式全体への影響が懸念されます。やはり選挙が終われば小泉・竹中内閣は日本の銀行潰しを再開するようです。

もっとも小泉・竹中内閣は政権が危なくなる水準まで株が下がればPKOをはじめるでしょう。自民党内の反小泉勢力は今回の選挙で大きなダメージを負い、森派が大きく躍進した反面、他の派閥は軒並み人数を減らしている。本気で小泉首相を引き摺り下ろさないと、日本経済のみならず自分の政治生命を絶たれることに気がつかないのだろうか。

アメリカは日本のバブル崩壊を教訓として必死に株式市場を梃入れしている。思い切った大減税とイラク戦争による大盤振る舞いな景気対策のおかげでGDPも年率8%の伸びを示している。様々な金融スキャンダルを抱え、イラク戦争も泥沼で毎月1200億円の戦費はアメリカ経済にじわりじわりと効いてきます。軍需産業や石油産業などは稼げるだけ稼いであとは野となれ山となれでしょう。

アメリカ人の金融資産の4200兆円のかなりの部分が株式で占めている。日米の経済規模からして金融資産をアメリカ人が日本人の3倍もあるということは、日本の株式が暴落したのに比べアメリカの株式がいまだに10000ドル近辺にあるからだ。もしアメリカの株式が日本のように五分の一まで暴落したら、1000兆円ぐらいの時価総額が吹っ飛ぶことになるだろう。

そうなれば日本も無傷ではなく致命的なダメージを受けるだろう。米国債の内訳を見ると総額450兆円の35%を海外が買い、その海外分の三分の一を日本が買っている。日本が約50兆円の残高ですがこれらは長期国債の残高だろう。日本の財務省だけで持っている米国債残高で50兆円だから全米国債残高でないことは明らかだ。

短期の米国債を含めると1000兆円ぐらい海外が持っている。その内の400兆円ぐらいが日本の残高になると思われます。ネバダ・エコノミック・レポートの数字と10月9日の株式日記の吉田繁治氏のあげている数字とがどうもかみ合いませんが、ネバダの言っている数字の根拠がよくわかりません。日経新聞が載せた記事からとっているのだろうか。だからいくらアメリカ人が愛国心を振るっても、外国が一斉に売りに出たらアメリカだけでは買い支えできないと思う。

アメリカ人の金融資産の多くが株式だから、米国債を買い支えるために株を売れば株が暴落する。となると4200兆円の金融資産も絵に描いた餅ということになる。さらに発展途上国の資産運用も米国債でなくともユーロ債がその代わりになるのではないか。現に中国や産油国などの国がドル債からユーロ債へ切り替えている。この点でもネバダは間違っている。

いずれにしろアメリカも日本もかなり経済クラッシュの瀬戸際に立たされていることは間違いなく、どこからその綻びが出るかわからない状態だ。日本における足利銀行の破綻もこれからどのような波及効果がでるかわからない。りそなで安心していた株式市場も、再び銀行の持ち合い株の解消売りが出てくるだろう。政府の景気回復宣言も何度も外れている。




足利銀行に公的資金注入へ、処理方式は現段階で未定
小泉・竹中内閣の銀行政策は転換したのだろうか?


2003年11月28日 金曜日

◆足利銀行に公的資金注入へ、処理方式は現段階で未定

[東京 28日 ロイター] 政府は、足利銀行に対して公的資金を注入する方針を固めた。近く小泉首相を議長とする金融危機対応会議を開催し、正式決定する。政府筋が明らかにした。同筋によると、処理方式は28日朝の段階では決定しておらず、足利銀行が近くまとめる2003年9月中間期の財務状況を受けて正式決定する。一方、東証は午前8時20分からあしぎんフィナンシャルグループ<8352.T>株の取引を売買停止にした。
 金融庁幹部によると、銀行法24条に基づき足利銀行に対して2003年9月期の財務状況を報告するよう27日夕に命令を発出したが、まだ、28日朝の段階で報告はきていないという。対応は報告がきてから決めると記者団に語った。
 金融庁は、足利銀行に対して2003年3月期の検査結果を通知したが、政府筋によると「若干の債務超過」になった。 金融庁は9月初旬から同行に対して立入検査を実施しており、11月11日に終えていた。
 正式な検査結果通知を受けて、金融庁は27日夕、銀行法24条に基づき足利銀行に対して2003年9月期の財務状況を報告するよう命令を出した。足利銀行はこの命令に従い、現在、監査人である中央青山監査法人とともに同9月期財務状況を精査しており、28日にもその結果を金融庁に提出する。金融庁はこの結果をさらに精査したうえで、最終的な財務状況を認定する。政府筋は「4%割れは間違いない」としている。
 最大の焦点は債務超過に陥っているかどうかで、処理方式が決定するのはこの結果次第となる。
 資産超過だが国内行基準の自己資本比率4%を割り込んだと認定すれば、預金保険法102条1号措置を発動し、りそな銀行と同じように公的資金を注入し、再生を図る。関係者によると、この場合の公的資金注入額は5000億円前後になるとの見方もある。
 しかし、債務超過だった場合には、同102条2号か3号措置を発動し、破たん処理することになる。預保法102条2号措置を適用した場合は、国が金融整理管財人を派遣、国の管理化に置く。上場は廃止になる見通しで、預金は全額保護される。足利銀行は金融整理管財人の下で営業を続け、2年以内に正常債権を受け皿金融機関に引き継ぐことになる。
 一方、預保法102条3号措置を適用した場合、国が同行の全株式をゼロ円で譲り受け、100%国有化する。政府は新しい経営陣を派遣するとともに、できるだけ早い時期に同行株式の譲渡先を見つける。
 政府筋は、足利銀の処理方法について、「現段階では未定。1号、2号、3号のすべての可能性がありうる」としている。
 足利銀行は、持ち株会社、あしぎんフィナンシャルグループの傘下銀行で、2003年3月期の預金4兆9417億円、貸出金は4兆01489億円。同期の実質業務純益は485億円だったが、株式の減損処理や不良債権処理の結果、当期利益は710億円の赤字だった。自己資本比率は4.54%。不良債権比率は約13%と高水準だった。
 あしぎんフィナンシャルグループ<8352.T>株は東証で午前8時20分から売買停止となった。市場では地銀株の一角が売られているものの、4メガバンクなどは比較的落ち着いた取引になっている。(ロイター)
[11月28日11時15分更新]

“新りそなショック”でアノ地銀も「国有化要注意」 ZAKZAK 11月13日

大手銀行に続き、地銀も揺れてきた−。りそなグループが自己資本に算入する「繰り延べ税金資産」を3年分から1年分に圧縮する。これに伴い、各地銀の「目付役」監査法人が竹中改革で「資本の水増し」と批判される税金資産の厳格化を9月中間決算で採用すると、「台所の苦しい地銀はひとたまりもない」(ベテラン公認会計士)。夕刊フジが再三指摘する関東の危ない有名地銀をはじめ、税金資産への依存度が高く、経営不振が懸念される地銀の場合、決算発表の今月下旬、りそなショックで「国有化が要注意」となってきた。

 【過小資本の地銀】

 経営不振とも密接に絡み、自己資本に占める繰り延べ税金資産の割合が高い地銀、第2地銀は現状では少なくない。別表のように、足利銀行や近畿大阪銀行は、中核的自己資本の100%以上を繰り延べ税金資産相当額で占める。びわこ銀行や広島総合銀行、福岡シティ銀行、長崎銀行は80%を超える。 いずれも公表されている数字。当たり前のことだが、税金資産の割合が極端に高いからといって、直ちに資本注入−国有化されることはない。 だが、過小資本は経営を危うくするだけに、メガバンクが今春、資本注入−国有化逃れでなりふり構わず、外資も頼りに資本増強したばかり。足利銀も600億円の増資を計画。近畿大阪銀は持ち株会社・りそなホールディングスを引き受け先に、3000億円を増資するなど自己資本増強に懸命である。

 【りそなショック】

 約2兆円もの公的資金再注入を受けたりそなグループは先月、経営改革プランを発表した。経営健全化に向け、不良債権処理の加速、繰り延べ税金資産の圧縮などを積極的な改革を断行し、9月中間決算では、1兆7000億円に上る最終赤字を計上する。銀行が不良債権処理の際に納めた税金は、貸付先が破綻(はたん)して損失として確定した段階で還付される。還付金をあらかじめ自己資本に計上するのが、「繰り延べ税金資産」である。計上額には一定の制限が設けられ、通常、向こう最大5年間の収益予想に基づく納税見込み額までとなっている。「過小資本に陥る銀行にとっては経営上、必要不可欠な対策。5年間、目一杯計上している銀行が多い。だから『資本の水増し』『資本のカサ上げ』と批判が根強い」(金融アナリスト)

 【りそな改革】

 りそなは今春、監査法人が税金資産を従来の「5年分」から「3年分」にカットしたことで自己資本不足に陥り、実質国有化に追い込まれた。ところが、9月中間期ではさらに「1年分」に圧縮して、約3500億円を損失処理する。この「1年分」が定着すれば、銀行経営の土台が大きく揺らぐ。とくに台所事情の厳しい地銀は「りそな基準」の波及に警戒感を強めている。

 【日本だけ大アマ】

 竹中平蔵金融・経済財政担当相が大好きなグローバルスタンダードの米国では、繰り延べ税金資産の計上は「1年分」か、中核的自己資本の「10%以内」の小さいほうしか計上できない。「日本の「5年分」は実に、大アマもいいところだ」(同)金融コンサルタントは現状をこう説明する。「本来、1年分しか税金資産の計上は認められていない。だが、不良債権処理で税務上、欠損を抱える多くの銀行を救済するため、特例として『おおむね5年分』の計上が認められた」「特例の拡大解釈で7年分まで認めてきた監査法人もある。税金資産は野放図に放置されていたのが実情だ」

 【債務超過隠し】

 バブル崩壊で巨額の不良債権を抱え、事実上、債務超過に陥る銀行も少なくないといわれる。「過小資本をカムフラージュするため、監査法人に料亭での接待攻勢をかけ、手心を加えてもらった。確かに銀行と監査法人の腐れ縁はあった」(都市銀幹部)

【竹中改革】  

暗黙の領域に踏み込んだのが、昨年10月に竹中氏がまとめた「金融再生プログラム」だった。これを受け、日本公認会計士協会は税金資産の厳格化を打ち出し、血祭りに上がったのがりそな銀行だった。「5年分」計上を前提に自己資本比率4%を達成しようとしたが、新日本監査法人が「3年分」との結論を出した。「3年分」への減額の際、税金資産を過大計上する銀行は、監査法人の指摘で取り崩しを迫られる可能性があり、パニックに陥った。

 【パニック最高潮】

 そして今回、「1年分」に圧縮され、パニックは最高潮に達する。ある地銀幹部は「5年分でやっと持ちこたえてきた。3年分だと(国内業務に必要な自己資本比率の)4%を割り込む。1年分だと債務超過に転落する。倒産ですよ」とため息をつく。金融庁は、国際ルールで8%以上の自己資本比率を求められる大手銀と地域金融機関で監督方法に格差を設けている。ところが、日本公認会計士協会がハードランディング型の竹中改革と破綻時に責任が問われる株主代表訴訟を恐れ、地銀や第二地銀に対し、大手銀と同一基準で監査する方針を打ち出し、パニックに油をそそいだ。「株主代表訴訟もあって、腐れ縁を断たないと監査法人も大変。我々も『もう手加減はしないぞ』というわけです」(前出の都銀幹部)

 【地雷】

 監査法人が「5年分」を認めるのか「3年分」に減額するか。はたまた「1年分」まで圧縮するのか。繰り延べ税金資産の比率が高い銀行は、大幅な取り崩しが即、自己資本比率の国内基準の4%割れにつながる。いつ爆発するか分からない経営危機の「地雷」となる。9月中間決算は11月下旬に発表される。それまでには、税金資産をめぐる攻防の結論が出る。危ない関東の有名地銀をはじめ、国有化地銀はどの程度出るのか。

【繰り延べ税金資産の比率が高い地銀】

○足利銀行187.2%
○近畿大阪銀行102.3%
○びわこ銀行97.7%
○広島総合銀行 92.6%

○福岡シティ銀行89.8%
○長崎銀行 85.0%
○紀陽銀行 74.3%
○北都銀行 71.2%
○北陸銀行 66.8%
○西日本銀行63.7%
 ※比率は、中核的自己資本に占める繰り延べ税金資産の割合。2003年3月期決算時点

ZAKZAK 2003/11/13

(私のコメント)
日本のマスコミの記者たちは税法などの専門知識が無さ過ぎる。竹中大臣や官僚が記者クラブで発表したことをそのまま記事にしているだけだ。ZAKZAKの記事を見て欲しい。米国では1年だから繰延税金資産は日本も1年すべきという書き方だ。しかし日本とアメリカの税法の違いを知らないからこのような事になる。11月9日の「株式日記」でリチャード・クー氏の「デフレとバランスシート不況の経済学」を見て欲しい。次のように指摘している。

実のところ、国税庁は不良債権に関して独自の定義を持っていた。その定義によると、欧米では当然とされる非課税で不良債権の償却が日本で認められるためには、借り手が破綻や実質破綻など、全く絶望的なレベルまで悪化していなければならなかった。ということは、借り手が絶望的なレベルに悪化するまでは、銀行は法外な税金を支払わずに不良債権を処理することはできなかったのである。それどころか、税収が欲しい国税庁は、銀行が借り手を精算し、低い価格で資産を売却した場合は、銀行に「贈与税」を課そうとしたのである。

税金を払ってまで不良債権を処理しようという銀行など世界中どこをさがしてもないだろう。その結果、国税庁のこの要求は、一九九八年まで日本で不良債権処理が遅々として進まない唯一最大の理由となっていた。実際、大蔵省からは不良債権処理を急げと一言われ、国税庁からは不良債権処理をするなと言われ、ジレンマに陥っていた銀行は少なくなかった。

このナンセンスの一部-全部ではないーは一九九八年、大蔵省銀行局と国税庁との協議で解消された。まず、日本の税法によると、当該不良債権が国税庁による極めて厳しい不良債権の定義条項を満たさない場合、銀行は税引後利益の中で処理を行わなければならなかった。そして、この何年後かに当該の不良債権が国税庁の厳しい無税償却の基準に合致するまで悪化した時点で、有税償却で余計に払った税金が戻ってくるという制度であった。しかし、それでは不良債権処理が進まない。そこで、一九九八年以降、払いすぎた税金は繰延税金資産として最長五年問、銀行のTier 1(基本的項目)自己資本とみなされることになったのである。


日本で不良債権の処理が進まないのは国税庁が不良債権の無税償却を認めないから進まなかった。同じ財務大臣の管轄下にありながら、銀行局と国税庁が相反する方針を打ち出すのは、財務省が精神分裂症にかかっているからだろう。テレビなどの解説者はこれはおかしいと解説していたが、おかしいのは無税償却を認めない国税庁のやり方なのだ。それを妥協の産物として納めすぎた税金を銀行の資産と認める措置をとった。

だから余計に外部の人間にはわからなくなる。例えば中小企業に融資した1億円の不良債権があるとする。売り上げが落ちて1億の借金が返せない状態で、5000万円なら正常に元利ともに返せる場合、銀行が認めるならば5000万円債権放棄して残りの5000万円を返していくようにすれば不良債権が正常な債権として復活できる。ところが国税庁は銀行に5000万円の分の贈与として税金をかけたのでは債権放棄は出来ないことになる。

仕方なく銀行は中小企業を差し押さえて担保資産を売却しますが、3000万円でしか売れない。合理的に考えれば中小企業は5000万円なら返せるのだから、5000万円債権放棄して無税償却できればその方が銀行としては合理的な方法だ。ところが国税庁はそれを認めない。アメリカの銀行では当たり前の方法ですが、日本のエコノミストや経済記者たちはそれを知らないのだ。私は何年も前にこの事を書いた。

銀行の融資制度も日本とアメリカとでは保証人や担保の取り方など異なる。それなのにアメリカが繰延税金資産を1年しか認めないから日本も1年とすべきなどといっていたら、日本の法制度は無茶苦茶なことになる。足利銀行も監査法人との決算のやり方でりそなと同じように不透明な交渉が続いているようだ。金融庁が本来なら裁定を下すべきなのですが、繰延税金資産を5年にするか3年にするか下駄を監査法人に預けている。

本来ならば無税で償却させて、再建できる融資先は再建させて、再建できないところは不良債権として処理すべきだ。足利銀行の問題も監査法人は金融庁にお伺いをたてることが出来ない。マスコミが金融庁が監査法人に圧力を掛けたと書き立てるからだ。財務省の税法の不手際が監査法人にしわ寄せされている。株式市場がりそな銀行方式が採用されるか、債務過剰で破綻処理されるのか基準が不透明なままだ。




バブルマネーは何処へ行った?
預金増と負債増の等価構造


2003年11月27日 木曜日

4.バブル期にはどんなことが起こるか?

要素を絞りモデル化します。日本村があって、日本村銀行があるとします。100万円の土地を持つ橘さん、何も持たない川さん、500万円の預金を持つ丘さんの3人が住んでいる。

▼【1.橘さんの最初の貸借対照表:財産目録】

橘さんのバランスシート(B/S:貸借対照表)は以下になるでしょ う。(注)複式簿記であらわす貸借対照表は、財産と、財産に対応す る負債と資本の、目録と言ってもいいものです。今後の参考にしてい ただくため、詳細にたどります。

(資産)        (資本)
土地 100万円   相続資本 100万円

これは、橘さんが相続を原因として、100万円の土地を資産として もっていることを、もっとも簡単な複式簿記で示しています。 相続資本の100万円は、現金ではない。 土地の評価額です。資本は物化している。 念のために言っておきます。

日本村の土地が、ある時「世界1の村になる」との成長期待から、5 倍の評価にあがったとします。これが日本の80年代後半でした。 土地売買や、土地担保金融が起こらなければ、土地評価があがっても なにも変わらない。 しかし、とりわけ日本村は、過剰に土地担保金融の国だった。

▼(重要な注:今後の土地価格)

今は、土地を使った事業収益から、土地の経済価値を逆計算する<収 益還元法>に変わりつつあります。このことは、土地の価格上昇では、 もうバブル期のようなことは、記憶が薄れる30年(1世代)は、 ないことを意味しています。 過剰な評価の土地担保も少なくなっています。 土地をめぐる金融構造は、すでに変わった。 事業で収益を生む価値のある土地が、収益還元法の現在価値で、部分 的に上がることはあります。

▼【2.土地を時価評価した橘さんの貸借対照表】

橘さんの貸借対照表(財産目録)は、上がった土地を時価で評価すれ ば、以下に変わります。

(資産)        (資本)
土地  500万円   相続資本  100万円
              土地評価益 400万円

相続したときは100万円だった土地が500万円の評価になった。 橘さんの土地に400万円の評価益(=未実現の利益)が生じたこと をあらわしています。 評価益は現金ではなく、未実現ですから「含み利益」と言います。 ここで同じ村に住む何も持たない川さんは、5倍になった土地がもっ と上がると期待した。 これが過去の傾向を直線的に延長する投機の心理です。 投機は値上がり期待の購入です。投資は、土地を使い事業を行って収 益をあげる目的です。投資は収益還元法の価格で買う。 多くは共同幻想の値上がり期待、ケインズが言った美人投票で買った。 自分が美人と思う人ではなく、他の多くの人が美人と思う人に投票 すればゲームに勝つということです・

共同幻想の心理に憑(つ)かれた川さんは、上がった土地を購入しよ うと考えたとします。川さんには資金はない。日本村銀行からの借金 です。橘さんは売却に同意し売ったとします。 同じく土地価格の共同幻想に憑かれていた銀行も、土地の値上がりを 期待し、買った土地に売買金額以上の担保をつけた。 日本村銀行は、丘さんから500万円の預金を預かっていて、その預 金を川さんに貸し付けたとします。 売った橘さんのバランスシートに、次に示す取引が加わります。

▼【3.橘さんは、土地の売却】  

この取引を、売る橘さんの側からあらわせば、      

銀行預金 500万円    土地500万円

橘さんが500万円で土地を売って、橘さんの銀行口座に500万円 が、川さんから振り込まれたことを示すものです。 橘さんの貸借対照表(財産目録)は、土地がなくなって以下になりま す。

(資産)          (資本)
銀行預金 500万円  相続資本  100万円
              土地売却益 400万円

橘さんの土地は、銀行預金500万円に振り替わった。400万円の 土地評価益が土地売却益となって実現したことを示すものです。 土地の代わりに500万円の預金が橘さんの資産になりました。橘さ んの負債はゼロです。預金の500万円分は「純」金融資産になりま す。500万円の信用(マネー)が、ここで発生したのです。 橘さんは、土地を売って現金リッチになった。これがバブル景気です。 この現金で株や別の土地を買えば、また株や土地が上がるスパラル なバブルになる。

▼【4.川さんの、土地購入】

借金で土地を買った川さんは、どうなっているか?

(資産)       (負債)
土地500万円     銀行借入 500万円

土地が500万円で買われ、川さんの資産になった。代わりに川さん は、500万円の銀行借入を抱えたことを示すものです。 川さんは500万円の負債があるので、土地をもっていても、借金を 引いた純資産はゼロです。 川さんと川さんの土地に、日本村銀行は500万円の<信用供与>を したことになります。これが、バブルマネーの根元です。 銀行による、上がった土地への信用供与によって、日本村に500万 円の現金が、橘さんの預金として増加したのです。

▼【5.バブル崩壊で、土地評価が100万円に下落した】

ところが、ここで土地評価が100万円に下落したとします。 川さんの貸借対照表は、土地の下落分400万円を、時価で評価すれ ば以下になります。

(資産)            (負債)
土地      100万円  銀行借入  500万円
土地評価損  400万円

川さんは、400万円の「含み損」を抱えた。川さんの銀行負債は、 そのままの額で残ります。川さんに返済能力がないとすれば400万 円は銀行の損失になる。 しかし、日本村銀行が400万円の損失を数字として皆に示せば、銀 行の信用不安が起こります。 500万円の土地売却代金の預金を持つ橘さんと、もともと500万 円を日本村銀行に預けていた丘さんは預金を引き出すはずです。 従って、銀行は、正確な数字を隠す。 ここで川さんは、策略をめぐらせる。(笑) 資産取引の損益は、買った人と売った人で同じ額です。損をした人と 同じ金額の得をした人がいる。株も債券も同じです。等価取引です。 合算すれば利益+損失はゼロです。

▼【6.結婚で資産の合併があったとする】

橘さん(女性)と川さん(男性)は恋愛関係にあった。 二人は、結婚に同意したとします。 橘さんと川さんが作った新世帯の貸借対照表では、二人の分が合算さ れます。

[橘さんの、元の貸借対照表]

(資産)          (資本)
銀行預金 500万円  相続資本  100万円
              土地売却益 400万円

橘さんは個人口座に土地売却代金の500万円の預金をもっています。 川さんは、100万円に下落した土地と、500万円の銀行借り入れ を抱えています。

[川さんの、元の貸借対照表]

(資産)          (負債)
土地     100万円  銀行借入  500万円
土地評価損  400万円

両方を合わせた新世帯の貸借対照表を作ってみます。橘さんと川さん の資産が合計されたものが左側、橘さんがもつ資本と、川さんがもつ 負債が合計されたものが右側です。 ↓

[新世帯の貸借対照表]

(資産)               (資本+負債)
橘さん:銀行預金  500万円 橘さん:相続資本  100万円
川さん:土地     100万円 橘さん:土地売却益 400万円
川さん:土地評価損400万円  川さん:銀行借入  500万円

川さんの土地評価損400万円(マイナスの資産)と、橘さんの土地 売却益400万円(プラスの資産)は、同額の損失と利益として相殺 することができます。

▼バブルが増やして残す、負債と同額の預金

新世帯の貸借対照表は、整理すれば以下になります。

(資産)               (資本+負債)
橘さん:銀行預金 500万円  橘さん:相続資本  100万円
川さん:土地    100万円  川さん:銀行借入  500万円

新世帯がもつ土地は、橘さんが相続したときの100万円の価値に戻 っています。増えたのは、500万円の銀行預金(資産)と、同じ5 00万円の銀行借入500万円(負債)です。 このバランスシートが意味するのは、

(1)橘さんの相続した土地100万円は、銀行預金500万円に変わった。
(2)川さんの借り入れが500万円増加したが、それに対応する土地は100万円の評価に戻った。

バブル前にくらべ増えたものは、<銀行預金500万円>、<銀行借 入500万円>です。土地の評価額はバブル前に戻った。 バブル期の土地売買で、500万円の負債と、それと同じ額の預金が 増えた。増えた銀行預金と同額の銀行借り入れは、バブル崩壊後も残 ります。    

・資産バブルでは資産の評価益が増え、    
・バブル崩壊ではその評価益が消えます。    
・金融の全体は、膨らんだままで残る。      

ここを知っておくことです。 バブル崩壊で消えるのは、地価の評価益だけです。土地取引の代金は だれかの預金として残る。負債も、だれかの負債として後々まで残る。 つまり、実物(土地)はなんら変わらず、    

・金融、つまり預金(=マネーサプライ)、    
・および預金と同額のだれかの負債が増える、     

という結果を残します。 これが資産バブルと、その後のバブルの瓦解の、金融面での本質です。

5.以上までの結果のまとめ

(1)土地を売った橘さんは、それ以前は持っていなかった500万円の預金を手にした。
  (バブルで儲けた人)

(2)土地を買った川さんは、400万円の損失を抱え、銀行からの借金500万円を残した。
  (バブル崩壊で損をした人:ただし、自力返済はできない)

(3)日本村銀行は、実質的には400万円の貸し倒れを抱えているはずであるが、本当の数字は発表していない。    
(実質では、最後に損をかぶる金融機関)    
(ただし、金融機関は国家が救済。従って国民の損)

(4)元々預金を持っていた丘さんは、500万円の預金をもったままである。   
(何も変化はないように見える:ただし、預金の中身は、実質では空洞化している)

以上が、日本村の3人と日本村銀行で、小さくモデル化した資産バブ ルと、資産バブル崩壊の結果です。 日本村銀行の預金総額(銀行の負債)は、バブル以前の丘さんの50 0万円だけから、土地を売った橘さんの500万円を加え、1000 万円に膨らんでいます。 その1000万円のうち、400万円分は、土地価格下落で空洞化し ています。

「清算取引」が起こるまでは、バブルで膨らんだ金融(預金:負債) の数字は、バブル期に膨らんだままの額で続く。ここが肝心な点です。 それゆえにバブルは日本から米国に移転し、東南アジアにも還流し、 中国へ行って、バブルを繰り返す。前述したように、保険契約額に相 当するデリバティブは、03年も24%($24兆)も増加していま す。 デリバティブは、現在の損失の「とばし」であり、将来の期待利益の 「繰り入れ」でもある。これが続いています これが現在の世界の、預金(または債券)と負債の金融状況です。 バブルが残す金融での、<預金増と負債増の等価構造>、お分かりに なったでしょうか?

<バブルマネーはどこへ行った?(1)> 吉田 繁治 国際戦略コラム


◆11月25日(火)「モラル・ハザード買い」認めるかどうか。HiT株式教室

あしぎん株について思惑による売買が盛んです。出来高が急増して上げている事から判断して、多数派の見方は「りそな方式」で株主責任を問わない方法が取られると考えているのでしょう。

 どのような方法が取られるか分かりませんが、りそなでは「繰り延べ税金資産を計上しなければ債務超過である」と国会でも答弁があったにもかかわらず株主責任を問わないという選択がなされました。マツヤデンキでは株主責任を取らせた後に再生措置が取られました。その差は何でしょう?マツヤデンキは「小物」に過ぎず全体の株価に影響しないからでしょうか?政府のメッセージは明確に伝わってきません。

 何れにしても財務内容の悪い企業に対する思惑売買は感心できません。政府はりそなのようにモラル・ハザードを認めると世論や議員数を伸ばした野党から非難されるリスクがあり、そうでなければ、期待して買った投資家に責められることになるでしょう。しかし、前提条件がモラル・ハザードという投資スタイルはどこかおかしいのではないでしょうか。

 また、税金で救済すれば不良債権問題が前進したり金融問題の解決につながるような報道がありがちですが、「史上最低の貸し出し金利」に現れているようなオーバー・バンキングという構造問題の解決には、むしろ逆行している可能性もあり、問題先送りの懸念は残ります。

 日経平均は米国のリバウンドに助けられる形で戻り高値を試しつつ、地銀問題など、新たな材料が出なければ動き辛い局面です。指数が上昇する場面においても人気銘柄のしこりは大きく、実質的な調整が続きそうです。米国株の急反発がありながら、東証の出来高がそれほど増えず、これといった人気セクターも出てきません。少なくとも米国高につられての買いに妙味は無さそうです。



(私のコメント)
バブルの発生と崩壊に伴う問題点を吉田繁治氏は、一番単純化した形で分かりやすく解説しています。つまり不良債権と各企業や個人が抱えている評価損の合計と等しい金額の預金が、1400兆円のなかに含まれているということです。不良債権の残高はメガバンク合計で90兆円といわれていますが、その他金融機関を含めれば百数十兆円が不良債権の合計で、1400兆円から不良債権金額と評価損金額を差し引けば、おそらく純預金は数百兆円に過ぎないだろう。

日本の銀行は不良債権という貸出債権と、バブルに伴って生じた預金を両方抱え持っている。この時点で銀行が一番困ることは預金を引き出されてしまうことだ。この問題の解決方法としてはリチャード・クー氏が言うように時間をかけて、その間は公共投資で経済を支えていくという方法だ。

もう一つは銀行を潰してアメリカのハゲタカファンドに売却してしまうという方法だ。小泉・竹中内閣はこの方法をとろうとした。韓国などではこの方法がとられた。ところがりそな銀行の場合は2兆円の公的資金の投入で株主責任はとらない方法がとられた。小泉・竹中内閣の方針の大転換が行われたのかはまだよくわからない。足利銀行にたいして、りそな方式が取られるかがわから無いからだ。

一番適切でアメリカでもスウェーデンでも東南アジアでもとられた方法は、公的資金で銀行の不良債権を買い取ってしまえば一番早くバブル崩壊の処理が出来る。買い取る公的資金は日銀に出してもらえばいいのだ。国の借金も増えないし銀行も企業も個人も救われる。ところがそのような方法がとられないのは何故か。アメリカのハゲタカファンドと日本のマスコミがグルになって、モラルハザードだと騒ぎ立てたためだ。

しかし日本でも住専がたった6000億円の公的資金を投入して問題が解決したのに、マスコミと学者が騒ぎ立てたために、政治が動けなくなってしまったのだ。私は3年前の2001年3月10日の株式日記で次のように指摘しました。

2001年3月10日
先日はタイのタクシン首相の経済政策を紹介しましたが、今回はマレーシアのマハティール首相の金融改革を紹介します。マレーシアも97年のアジア通貨危機に見舞われ景気悪化と資産価格の下落に伴って不良債権が急増しました。金融システムの再建を進めるために98年に以下のような政策が取られました。

@公的資金による不良債権買い取り
A銀行への資本注入
B公的機関による債務処理交渉の仲介

以上のような政策が打ち出され、中央銀行のもとで迅速な不良債権処理が進められました。約一年間で金融機関の不良債権比率を目標以下の水準まで改善させ、自己資本比率を国際基準を上回る水準まで回復させました。

タイにしろマレーシアにしろほぼ同じような金融経済対策を打っています。日本でも92年に宮沢総理が公的資金で不良債権の買い取りを行おうとしましたが、責任追及を恐れる銀行の反対により出来ませんでした。宮沢総理の決断力の無さが失われた10年を作り出しました。


日本でこのような方法がとられなかったのは、タイのタクシン首相や、マレーシアのマハティール首相のような決断力と指導力のある首相がいなかったからだ。どちらにしろバブルの清算は何時かしなければならない。しかし相変わらずモラルハザードとか騒ぎ立てるマスコミや学者がいる。彼らはハゲタカの手先なのだ。

日銀などはオーバーバンキングだといっているが、景気が冷え込んでいるから投資先がないだけで、銀行の数が多すぎるということではない。銀行の機能が麻痺しているために、消費者金融が大繁盛だ。テレビを見ても消費者金融のCMで溢れかえっている。本来は銀行が融資すべき案件を消費者金融が代わってやっているのだ。

着々と日本の韓国化が進んでいる。新生銀行もあおぞら銀行も東京スター銀行もハゲタカの手に落ちた。企業や不動産も次々と買収されている。しかしこれらの多くは倒産させずに解決できたはずだ。日本の政治家や学者がが誤った政策を支持したために日本経済は迷走しているのだ。




11月23日 フジテレビ 「報道2001」
副島隆彦X志方俊之 白熱討論バトル中継


2003年11月26日 水曜日

<米国>海外駐留米軍を再編へ 在日、在韓米軍も見直し

【ワシントン佐藤千矢子】米ホワイトハウスは25日、テロ攻撃など21世紀の新たな脅威に対応するための海外駐留米軍の再編問題について、同日から友好国・同盟国や米議会との集中協議に着手するとのブッシュ大統領声明を発表した。これに関連してラムズフェルド米国防長官は同日の会見で、再編協議の完了までに数カ月、再編計画の細部を詰めて公表するまでに数年かかるとの見通しを示した。在日米軍や在韓米軍の移転・削減に向けた協議もこの見直しの一環として本格化することになり、アジア・太平洋地域の安全保障は大きな転換期を迎えることになる。

 大統領声明によると、パウエル国務長官とラムズフェルド国防長官が12月1〜5日にブリュッセルで開かれる北大西洋条約機構(NATO)の国防相・外相会議で詳細を説明。その後、米政府高官で構成するチームが欧州、アジアなど関係地域を訪問し、協議を開始するという。

 声明はさらに、世界的規模で米軍再編を行う目的について「米国と友好国・同盟国が直面する脅威は、ならず者国家、地球規模のテロ、大量破壊兵器と結びつき、予測できないものになっている」と表明。「新たな挑戦に取り組むには米軍の世界的配置の再編成が残っている」と指摘した。そのうえで「見直しは(友好国・同盟国との)関係を強化し、防衛をより効果的に実施する能力を高めるのに役立つだろう」と強調した。

 またラムズフェルド長官は会見で、近く国務省から日韓両国を含む関係諸国に説明が行われるとの見通しを示した。

 平時の米軍は約141万人のうち、ドイツを中心とする欧州に約10万人、日本(約4万人)、韓国(約3万7000人)などアジア・太平洋に約10万人−−など計約23万人を海外駐留させている。在韓米軍については、南北軍事境界線近くに展開する米軍部隊の移転などが決まっている。在独米軍は、中東地域対応をにらんでポーランドなど東欧のNATO新加盟国に大部分が移転するとみられている。(毎日新聞)
[11月26日11時35分更新]


(私のコメント)
このニュースは以前からアメリカで検討されていたことですが、日本の国防政策や外交政策に大きな影響をもたらすニュースです。この決定には昨日紹介したクライド・プレストウィッツ氏やチャルマーズ・ジョンソン氏などの共和党政策スタッフの政策提言に沿った形でのアメリカ軍の世界的再配置計画が実現するものです。おそらく日本や韓国の米軍の主力はハワイやグワムに撤退し、日本は自主防衛体制を整える必要があるだろう。

このニュースで親米ポチ保守の政治家や言論人は、アメリカに縋っていれば大丈夫とする主張を改める必要があるだろう。アメリカの国力からして世界展開した軍隊を後方に撤退させる必要が出てきたのだ。日本も北朝鮮を前に憲法改正と自衛隊の再編成を迫られるだろう。

この事によりようやく日本における民族保守派の主張に日の当たる時期が来たのではないかと思う。先日23日の日曜朝のフジテレビの「報道2001」に珍しく副島隆彦氏が生で出ていた。副島隆彦氏は株式日記でも何度も紹介させていただきましたが、小林よしのり氏などと並ぶ民族保守派の論客です。テレビを見逃した方のために副島氏の発言を中心に再現してみました。


副島 日本や東京が狙われるかどうかわかりませんが、イスラム教徒やアラブ諸国の人々を日本人が敵に回すことはまったく必要ありません。ですからテロテロといいますがイスラム食の人々の気持ちも日本人が考えてあげる必要があります。

副島 イラクに自衛隊が派兵されればイスラム諸国全体を敵に回すことになるという警告の意味では世界史的な動きですから当然そのように覚悟しなければいけないと思います。

副島 日米安保条約というよりそれに付属する地位協定というものがありますが、あれは米軍駐留条約と訳すべきものなんですが、それをもう少し沖縄の稲峰知事がおしゃったようにもう一回日本とアメリカ政府とで話し合いが持てるくらいの力量と知力を気迫を日本の指導者の皆さんが持ってもらわないと国民がかわいそうです。

副島 私は志方先生ほどの軍事の専門家じゃありませんが、人間が体に爆弾を巻きつけてトラックに爆弾ごと突っ込んでくるのを阻止するのは無理で、ヘビーメタというのがあって防護壁を数百メートル敷いてそれで守るとか言いますが、実際上人間が本気になって戦前のカミカゼ特攻隊と一緒ですから守ることは出来ません。それは軍事の専門家であればわかるでしょうが。


副島 世界の現実から見て日本が尊敬されている国かというと、あまりにもアメリカの言いなりになりすぎているから、ある意味では軽蔑されていると見るべきで、せめてフランス、ドイツぐらいの、アメリカを諌めるぐらいの力は日本にはあるわけですから、世界の平和の世界の地図と言いますがアメリカの今やっている政策は明らかに暴走です。これはネオコンという思想家集団すぎないという集団の人々がアメリカ政府を動かしてますが、その凶暴なネオコンという人々に引きずられているということに知識人や指導者のひとびとは知っている。そのことに不安を抱いていることをはっきり国民に指導者の人たちが教えないと日本国の危機になってしまいます。

副島 それは法的手続きで、それは高村先生が日本が法治国家で政権の決定を継続しなければならないのはわかりますが、実質的に見て日本はアメリカの属国です。私は十年来この論文をずっと書いてきました。実質で見て日本が属国であることを日本人はみんな知っている。それを指導者の皆さんが外務省も民主党も認めなくなければ認めなくてよろしいんですけれども、立派に世界の平和に貢献するという立派な国ではありません。これだけ金融面で経済面で落ちてきてきまして、立派な国でなくなっているのに世界に向かって貢献するという中学生の作文みたいですよ。実質のところで議論を始めないと奇麗事ではすみません。


副島 他の国に出て行ってわざわざ助ける助けるって、そんなに偉そうなこと言う必要ないんですよ。自分たちの国は自分達で守って生活していけば良いのであって、

志方 それはそうじゃないですよ。日本国の国益は日本国の領土の上だけではないですよ。世界中にあるんですよ。それは誰が守るんですか。人に守ってもらったらそれがポチになるじゃないですか。

副島 皆さんがポチをやっているからこういう現実が

志方 なぜポチになったと思いますか

副島 ならざるを得なかったからです。

志方 なぜ。

副島 58年間ずっと

志方 なぜ。

副島 それが現実です。

志方 なぜなったんです。


副島 おそらく指導者層がしっかりしなかったからでしょう。

志方 あなたは悪くはないわね。

副島 外国までいちいち行って恨みをかうでしょう。

志方 核はどうすんですか。

副島 持てるようになれば

志方 情報は。

副島 持てばいいです。

志方 エネルギーは。

副島 ですから劣っている

志方 食料は。


副島 志方先生。劣っていれば劣っているで自分で今出来る事を一生懸命やればいいんです。

志方 出来ることは国際的に堂々とやることです。

副島 力がない事を正直に言って、ここまでしか出来ないといえばいいんです。

高村 あまりすっきりやると危険ですよ。


(私のコメント)
あまりに白熱化して、早口な発言なので正確には文字に出来ませんでしたが、イラク派遣問題を突き詰めていくと、日本の国防問題や外交問題がろくに議論もされずに来た事がわかります。政治家達は問題を先送りにしていれば良いのでしょうが、そのために日本の政策が満足に議論もされずに来たのはなぜか。全てアメリカの言いなりになって、外交も防衛もアメリカに丸投げしてきたからだ。

一昨日取り上げた三島由紀夫もこの問題を日本国民に訴えたのですが、ほとんどの日本人は狂人の行動として受け流してしまった。その結果、日本のジャーナリズムは自主防衛論者は隅に追いやってしまった。言えば右翼とか空想論として片付けられた。いまだに防衛庁は国防省に昇格もしていない。そして民族保守派は親米論者からも親中国論者からも叩かれ、言論界の日陰者だった。

かろうじて石原慎太郎氏や漫画家の小林よしのり氏が異彩を放っていたぐらいだ。先日のフジテレビの「報道2001」で副島氏が出られるようになった背景は、アメリカの国防政策の転換があるのだろう。いつまでも日本が親米一辺倒でアメリカにおんぶに抱っこではアメリカもたまらないから、石原氏にも接触してきたし、日本の民族保守派を表舞台に出すことを許可したのだろう。

複雑なのは親米派ポチ保守の言論人たちで、アメリカのジャパンハンドラーズの指令のままに活動してきたのに、本部のアメリカがポチ保守を切り捨てて、民族保守派に注目しだしている。昨日のプレストウィッツ氏も共和党本流の人ですが著書でもその事を暗示している。




クライド・ブレストウィッツ著 『ならずもの国家アメリカ』
レーガン政権の中枢にいた「保守本流の論客」警世の書


2003年11月25日 火曜日

日本

朝鮮半島から海峡を渡るとそこは日本だ。日本の状況は、はるかに複雑で、なかなか状況が進展しないが、しかし韓国と共通する特徴がある。現在、日本はまさしく危機にある。ただ、その危機が静かで目に見えにくいだけだ。東京を歩いていても国内の各地を回っていても何も変わったことはないように見える。交通量はすさまじい。レストランは満員だ。列車は時間どおりに運行されているし、地下鉄は正確にドアの停止線の前で停車する。建設用クレーンがそこらじゅうにあり、ごこく小さい村にも高速道路と急行列車が走っている。だが、それこそが問題の糸口なのだ。外見はきらびやかでも、日本経済は崩壊の瀬戸際にあり、政治は芯の部分で腐つている。その証拠が、建設クレーンや行くあてのない高速道路や急行列車なのである。

日本は過去五十年余り、わずか二年ほど除けば、ずっと自由民主党が(自民党)が支配してきた。自民党はその権力の支持基盤を、農家と地方住民、建設会社とその社員と関連業者、そして中小企業と商店主による、鉄のトライアングルに置いていた。ちょうど十九世紀から二十世紀初頭にかけてのイギリスのように、腐敗した選挙区によって政治制度が成り立っており、その区割りのせいで日本の農民の一票は都市部住民の二・ニ票に相当する。自民党はこの鉄のトライアングルを、莫大な補助金と保護政策によって維持し、農民は世界最高レベルの関税によって、農産物の輸入品から守られている。

農民が受けている国内補助金も、半端ではない。たとえばコメの国内価格は、世界市場の一〇倍である。中小企業も様々な面で補助を受けており、何より彼らはほとんど税金を払っていない。建設業者は、農村に通じる道路とそれを結ぶ橋の建設を、政府から巨額の工事費で請け負うことで生き延びている。その結果、こうした建設事業への財政支出は日本経済全体の約一割にのぼり、アメリカの建設支出の約二倍になっている。

さらに、日本経済の大部分は、長いこと輸入品からも外国の投資からも手厚く守られてきた。第二次大戦後、日本は輸出主導の経済成長戦略をとってきた。政府はその戦略のもとで貯蓄率を高め、その資金を、銀行制度を通じて自動車、電子機器、鉄鋼などの大量生産製造業に注ぎ込んだ。日本国内に巨大な生産設備が造られ、大量の製品が輸出される一方で、国内市場はほとんど国産品のためにとっておかれた。このシステムは非常にうまく機能し、一九八○年代半ばには、日本は輸出ばかりでほとんど輸入をしない国になっていた。そのため一九八五年のプラザ合意では、強制的に円高を求められたほどである。

輸出成長戦略はどこかで変更されるべきだったが、これほど成功した方法はなかなか捨てることができなかったので、代わりに政府は、強い円の影響を相殺するため国内経済にお金を注ぎ込み、円高になっても日本の輸出業者が競争カを失わないようにした。その結果、典型的なバブルが生じ、一九九一年から九二年にかけてバブルがはじけると、多くの会杜が実質的に破綻し、多くの銀行が巨額の不良債権を抱えることになった。

だが、それらの会社の多くは自民党と密接に結びついた建設会杜と銀行だったから、自民党政権は、積極的に清算を進めるどころか、この一〇年、それらの企業に助成 金や補助金を次々と注ぎ込んできた。その間、経済成長は停滞した。というのば、すでに大量の不良債権を抱える銀行が、死にかけている会社を少しでも生き延びさせるための融資ばかりを行なって、いっそう不良債権を増やしたからである。かくして現在、日本の国家財政赤字は世界最高で、しかもまだ上昇中である。日本は危険なデフレ・スパイラルに陥り始め、これを解決するにはかなりのインフレ政策をとるしかないのだが、それは一般家庭の家計や資産を侵食することになるだろう。さもなくば、一九三〇年代並みの大恐慌という可能性もあるが、どちらにしろ結果は同じである。

アメリカは、こうした事態にどう関わっているのだろうか。実は、自民党はアメリカが創り出したものである。一九五五〜五八年にCIAの東アジア活動を指揮していたアルフレッド・C.ウルマーと、ケネディ政権とジョンソン政権で情報・調査の責任者を務めたロジャー・ヒルズマン、そして六六〜六九年に日本大使だったU・アレクシス・ジョンソンは、いずれも五五年から七二年の間、自民党に多額の資金を贈っていたことを認めている。また、CIAと自民党と日本の暴力団の間には親密なつながりがあった。

日本占領が終わって現在に至るまで、ワシントンはずっと自民党の後ろ盾となってきた。自民党は反共産主義で、アメリカに基地を提供し、アメリカ主導の外交政策に従順だったからである。それゆえ両者の間には、長年の取引があった。すなわち、アメリカは日本の安全保障を引き受けて、基地の使用権を持つ。その見返りに、アメリカは日本の経済政策を支持、または少なくとも容認する。ここ数年は、容認するもしないも、構造的かつ経済的に日本とあまりにも深く絡み合うようになったため、アメリカはほとんど何もできないのが実情である。要するに、日本の抱える弊害の中でも特に、日本で真の民主主義が育たない点に関して、アメリカは重要な要因だった(唯一の要因ではなく、最大の要因でもないが)、ということだ。

別の重要な面においても、アメリカは日本の発展を歪めてきた。東京裁判では、(天皇を通じて戦後日本を統治する必要があると判断したことから)天皇の戦争責任についての議論をいっさい除外したため、日本はこの裁判を勝者の正義の押し付けとしてしか受け止めず、あの戦争は何だったのかという問いに正面から向き合ってこなかった。だから日本の学校では、その歴史を教えることさえほとんどしていない。それゆえ他国との関係において、日本はあの戦争を終結させることができずにいるのだ。近年の日本の首相による靖国参拝(靖国神社には、戦犯も含めた日本の戦没者の霊が祀られている)は、多くの国で怒りを買っているが、その怒りに多くの日本人は当惑している。日本人にしてみれば靖国参拝は、アメリカ人がアーリントン国立墓地を訪問するようなものだからだ。

さらにアメリカは、ヨーロッパと同様、日本を幻想の世界に置いてきた。石油ルートの防衛や、アジア全般の戦略的問題に関して真の責任を持たされていないため、日本は防衛支出を低く(GDPのわずか一パーセントに)に抑え、難問を避けてこられた(興味深いことに、アメリカは日本の防衛支出がヨーロッパよりもずっと低くても、それについてもう文句を言わなくなった)。韓国に比べると、在日米軍の地位に関しては、ある程度まで事実上の管轄権を日本当局に与えてはいるが、問題は同じである。つまり日本はアメリカの保護領であり、属国なのだ。だから日本もまた、北朝鮮のミサイル標的になるのは確実であるにもかかわらず、韓国同様、アメリカの対北朝鮮政策について、ほとんど相談を受けなかった。

だが、これらのどれ一つとして、韓国で繰り広げられたような反米感情の高まりを引き起こしていない。それは、日本の方がアメリカとの経済関係の恩恵を受けているからであり、日本の民主主義が韓国ほど発達していないからであり、また日本人があまりはっきりものを言わないからでもある。しかしよく見れば注意すべき重要なシグナルが現われている。たとえば、少し前に日本でヒツトした 映画『プライド』は、第二次大戦時に日本を率い、のちに戦犯として有罪判決を受けて処刑された東条英機を称揚した映画だ。カミカゼ特攻隊員についての本を書いているという製作者の加瀬英明は公開当時、「東条はスーパースターだったし、今でもそうだ」と発言している。それから、小林よしのりという日本の人気漫画家がいる。彼は先日、東京でコーヒーを飲みながら私に言った。日本にとって第二次大戦はアジアを西洋植民地支配から解放するための戦いだった、と。

そして、最も重要な人物が、小説家にして東京都知事の石原慎太郎である。元ソニー会長の盛田昭夫との共著『「No」と言える日本』をベストセラーにした石原は、日本人には珍しくはっきりとものを一言うナショナリストで、彼の見方は洗練されてはいるが、やや盲目的愛国主義者である。この本の中で石原は、日本の貿易障壁について文句を一言うアメリカヘの回答として、日本はハイテク機器の対米輸出をやめるべきだと提言している。

政治腐敗と、アメリカに後援された自民党の歯切れの悪いリーダーシップにうんざりしている国にあって、石原は今や独り群を抜いて人気のある政治指導者であり、彼の名前は常に将来の首相候補として出てくる。もし首相に選ばれたなら、おそらく彼は韓国に同調して、アメリカの軍隊を追い出そうとするだろう(私は一度、日本のテレビで彼と討論したことがあるが、彼はやはり在日米軍基地への反対を唱えていた)。

そうでなくても日本では、在日米軍の縮小を求める声が日増しに高まっており、たとえば川口順子外相は二〇〇三年二月二日、日本政府は沖縄駐留の米軍の規模を縮小するよう努力する、と発言しました。ここでぜひ理解しておかなくてはならないのは、米軍と基地の役割に対する日本の見方が、多くのアメリカ人の見方と大きく異なっていることである。アメリカ人は、自分たちが日本を防衛しているのだから、日本人は感謝すべきだと思っている。一方、日本人の側では、自分たちが基地の維持に提供している支出を「思いやり予算」と呼んでいる。つまりこの予算は、重要な共同任務への同盟 国の拠出としてではなく、日本の政治指導者からアメリカ人への好意のプレゼントとして、アメリカ人が覇権への野心を満たせるようにと贈られているわけだ。

もう一度言う、この点が重要なのだ。日本人はアメリカ人が好きだ。そのことは、あらゆる世論調査と私の四〇年間に及ぶ日本との接触から裏づけることができる。だが、私の日本人の友人が抱いているような見方を、我々は無視すべきではない。元駐タイ大使であるその友人は、私にこう言った。「アメリカは自国経済を順調に維持するために、摩擦を必要としている」。日本が明日にもアメリカと縁を切ることはないだろうし、おそらく永遠にないだろう。しかし、アメリカ政府の中で、日本がアメリカの「戦略的パートナー」になると主張する人々は、いつかひどく失望することになるかもしれない。

中国

今日のアメリカの中国との関係は、ロシアとの関係と同様、九月一一日を境として目に見えて改善されている。しかしこれは、一九七二年のニクソンによる「米中接近」から始まった、振り子のように揺れる米中関係のパターンの延長だ。レーガン政権の時代、中国の経済発展とソ連封じ込め策との共通の利害が、米中二国を互いに引き寄せた。レーガン政権の一員として、私は中国との初期の経済交渉のいくつかに参加したが、当時、アメリカの企業が中国市場に多大な関心を寄せていたことは間違いなかった。その後、冷戦の終結と八九年の天安門広場の事件で、一時は冷ややかな空気が流れたが、初代ブッシュ政権がアメリカ企業の圧力と広義の戦略上の利害関係から、最終的に米中関係を修復させた。

一九九二年の大統領選挙キャンペーンで、ビル・クリントンはブッシュ政権が中国を「甘やかしす ぎだLと非難し、自分ならもっと厳しい方針で臨むと公約した。大統領に就任した当初、確かにクリントンは、人権など様々な問題について強硬姿勢をとった。だが、すぐに経済発展の論理に抗しきれなくなり、中国を「戦略的パートナー」と呼び「関与」政策を開始した。これに対して、一部の日本人は怒った。日本こそがアメリカの「戦略的パートナー」だ、と考えていたからだ。また、アメリカ国内の共和党右派の多くも憤慨した。彼らは中国の共産主義者への憎悪を、いまだに捨てていなかったからである。

二〇〇一年に二代目ブッシュ政権が発足すると、アメリカは再び強硬姿勢に転じた。中国は「戦略的ライバル」と見なされ、米軍による中国偵察が強化された。これは多くの中国人からすると、ソ連に代わる敵を探していたアメリカが中国に狙いを定めたことに他ならなかった。だから北京にとって、オサマ・ビンラディンの出現は神の恵みに等しかった。中国政府が9・11の後すぐさま哀悼の意を表明し、ワシントンに協力を申し出ると、その後の米中関係はかなり好転した。しかし、中国の懸念が消えたわけではなかった。テロの脅威がある程度収まれば、中国はまたアメリカの敵意のターゲットにされるかもしれないからだ。

米中関係のパズルを解き明かすうえで、重要な鍵となるのが台湾である。前述したように、中国本.土にとって台湾を中国国旗のもとに置くことは、一九世紀のアヘン戦争で西洋の植民地となった際に失われた主権を取り戻し、領土統一を行なう最後の一歩なのだ。したがって、アメリカの台湾支持は完全に国内問題への干渉であり、アメリカが中国を弱体化させ封じ込めようとする意図を持っている、としか受け取れなかった。

中国人から見れば、台湾の指導者がアメリカの指導者と会うたびに、またブッシュ大統領が台湾を守るためなら「いかなる犠牲も払う」と言うたびに、中国の再統一に低抗する台湾指導者たちは勇気づけられているのだ。したがって北京の指導部としては、強硬路線をと らざるをえなくなる。中国はことあるごとに、台湾が独立宣言をしたらほぼ問違いなく戦争になるだろうと言ってきた(多くの識者も、そのように見ている)。

中国が台湾の対岸で軍事力を増強すれば、アメリカはそれを自分たちの対応が求められる脅威だと受け止める。しかし、同じ事象を反対側から見ると、その様相は全く違う。中国から見れば、アメリカの台湾支持を意味する行動自体が脅威なのであり、それに対しては何らかの方法で対応するしか選択肢がない。中国人の目には、そもそも台湾問題を創り出したのはアメリカであり、アメリカの台湾支持は中国の成長するパワーを封じ込め、その影響力を抑えるための威嚇行為の一部だと映っているのである。(P340−P347)

ならずもの国家アメリカ」 クライド・プレストウィッツ (著)


(私のコメント)
おそらくアメリカ政権中枢にいた人物で一番の知日派のブレストウィッツ氏が、かなり刺激的な題名の本を出版したので、さっそく買って読んでみました。ブレストウィッツ氏は日本語も出来るので多くの日本人とパイプを持ち、様々な人と会談している。この本の主題はブッシュ政権の外交政策を批判するものですが、その中で日本ならびに中国の論評が興味深かったので紹介いたしました。

日本に関する章を読むと、親米派の日本の政治家や言論人が言っていることと共通していることが多い。とくに日米安保をめぐる国防政策に対する日米の認識がずれて来てしまっている。アメリカ側は日本を守ってやっていると言う認識ですが、日本側ではGHQの日本占領が今も続いていると言う認識だ。その認識は駐留経費を日本がほとんど負担しているが、それを「思いやり予算」と呼んでいる事から伺える。

アメリカ側からしてみればパウエル国務長官が言っているように、望まれないなら撤退するといっていますが、日本側が自発的に撤退してくれといえない複雑さが、日米の国防認識のズレとなっている。ブレストウィッツ氏に言わせれば、日本より韓国のほうが民主化されているから、反米派のノ・ムヒョン大統領が選ばれたと言うことですが、日本では民主主義が機能していないと言うことだ。

自民党とCIAとヤクザの関係から言えば、自民党政権が続いている限りアメリカ軍に出て行ってくれとは言えない。あまりにもCIAに秘密を握られて自民党は動きが取れないからだ。政治資金もCIAから出してもらって自民党が成り立っていたのだから、日本が民主主義政権と言えるような立派なものではない。マスコミもまったくこの事は触れようとしない。

天皇の戦争責任に関してもプレストウィッツ氏はずばりと本質を突いている。つまり日本のA級戦犯は天皇陛下の身代わりとして裁かれたと言う認識が日本人にあるということだ。GHQは日本の戦後統治の手段として天皇を不起訴にした。しかし日本側は天皇に戦争責任がなかったと解釈されている。確かに明治憲法上で「天皇は内閣の輔弼により統治する」となっているのだから責任はなかったとされているが、これもまやかしで実質的に責任があったと見るべきだ。

この後ろめたさがあるから日本人はいつまでも中国や韓国から戦争責任で追及されるのだろう。日本側も正面から反論せず謝罪と賠償を繰り返している。それに対して日本国民の怒りが高まってきている。この問題は歴史教科書問題として矮小化されてしまって、政治問題として取り上げられることはなかった。最高責任者であった天皇が戦争責任を取らなかったのだから、我々も責任を取らないでいいと言うことではない。

プレストウィッツ氏は小林よしのり氏とも会って話しをしているが、第二次大戦は植民地解放の戦争と言う意見に対し、一つのシグナルとして捉えている。そして石原慎太郎を盲目的愛国者と評している。そして日本ではあまり評判にならなかった「プライド」と言う映画にも懸念を表している。それが反米感情に繋がるという懸念だろう。私の意見としてはアメリカの帝国主義に対しては攻撃しますが、反米主義者ではないということだ。

日本における歴史問題の反省がなかなか政府の手で行われないのは、どうしても天皇の戦争責任問題が避けて通れないから避けているのだ。私の考えとしては天皇には実質的に責任があった。しかし太平洋戦争はアジアの開放のための戦争であり、人種解放戦争でもあったということで正義の戦争であり、負けたことで有罪に問われることではないと思います。

ブレストウィッツ氏はレーガン政権時代に通商政策のスタッフとなりましたが、いわば悪名高いプラザ合意の立役者なのだろう。しかしなかなかアメリカの思いどうりに日本の経済構造は変わってはいない。アメリカがこれだけ市場を開放しているのに、日本の市場はなぜ開放しないのかと言うことだろう。輸出で稼ぎながら国内は保護政策で守るのはフェアではないと言うことだ。

このようになかなか日本が変われないのは、選挙制度に問題があると指摘している。これは私も賛成だ。地方と都会の一票の格差があるのは憲法違反であり、民主主義の精神を殺している。司法も違憲となぜ判断しないのだろう。このような政治構造の歪みが構造改革の進まない一つの原因となっている。




「自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであろう」
1970年11月25日 三島由紀夫 檄文より


2003年11月24日 月曜日

盾の会隊長 三島由紀夫  


 われわれ盾の会は自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父であり、兄である。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官として待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここで夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかつた男の涙を知った。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことは一点の疑いもない。

 われわれにとって自衛隊は故郷であり、生温い現代日本で凛烈の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

 われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の体計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。

しかも法理論的には、自衛隊は違憲であるのは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頒廃の根本原因をなして来ているにを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。

われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目覚める時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることはなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には盾の会を結成した。盾の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあった。憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。

政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明かになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねぢまがった大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。

 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったのか。総理訪米前の大詰というべきこのデモは圧倒的な警察力の下に不発に終わった。その状況を新宿で見て、私は「これで憲法は変わらない」と痛恨した。その日に何が起ったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般市民の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾わずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬っかぶりをつづける自信を得た。

 これで極左勢力には憲法護持の飴玉をしゃぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家にとってはそれでよかろう。しかし自衛隊にとっては致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。

 銘記せよ! 実はこの昭和四十五年(※四十四年の間違い)十月二十一日という日は自衛隊としては悲劇の日だった。創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であった自衛隊は「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。

 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているのならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。男であれば、男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起き上がるのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすませた。しかし自衛隊のどこからも「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声は聞こえては来なかった。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。

 われわれは悲しみ、怒り、ついには憤怒した。諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のように人事権まで奪われて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。

 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこへ行こうとするのか。繊維交渉に当たっては自民党を売国奴呼ばわりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかった。沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであろう。

 われわれは四年待った。最後の一年は猛烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。

 日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。


◆三島がバルコニーから撒いた檄文より(一部口約)


◆ 『MISHIMA』  (ポール・シュレーダー監督作品、出演:緒方拳、沢田研二、永島敏行、1985年、日米合作)

製作はフランシス・フォード・コッポラ。1985年のカンヌ国際映画祭で芸術的貢献賞を受賞しながら、三島由紀夫の親族からの圧力で日本国内では日の目を見ることのなかった幻の超カルト映画。このビデオって確かマニアの間では一本数万円の高値で取引されてる、てな話をどこかで聞いたような気がするですが、うちの近所のレンタルビデオ屋さんに何気に輸入版のこのビデオが並んでたんで、ホントにびっくり。

で、なにせ輸入版なもので英語のナレーション(ちなみにロイ・シャイダーだそうだ)には字幕が入らないし、手元に資料も無いし、三島が死んだのって僕が生れる前の話だし、以下の文章にはちと誤りもあるかもしれんのですが。
映画の内容は、三島由紀夫(緒方拳)が「楯の会」の面々と共に、東京市ヶ谷陸上自衛隊東部方面総監部に乗り込み、ほとばしった演説をぶって自衛隊員からゴウゴウの非難を浴びた後で割腹自殺するまでの模様に、彼の『金閣寺』や『鏡子の家』(あと一本何だっけな。もう忘れた)といった著作のお話が挿入される、といったものになってます。

三島由紀夫の作品論だとかはここでは省略、映画の内容についてのみ触れることにしますが。
相変わらずの白人的日本観で綴られる奇天烈で前衛チックな映像は、意外にも物語と上手く融合してて面白いな、なんて思います。秀逸なのはジュリー主役の『鏡子の家』のエピソードで、その摩訶不思議なセットは物語のデカダン度を相当に高めているような。
ミシマに成りきり捲り、の緒方拳は勿論のこと、それぞれのエピソードで主役を務めるジュリーや永島敏行の演技も観ていて安心できるですね。あと、『金閣寺』でハウス加賀谷似の主役(この人誰だっけ?)の友達の、跛のふりして女をナンパする男が佐藤浩市だったりとか、彼の筆下ろしをしてくれる娼婦が萬田久子だったりとか、あと楯の会のメンツの中に三上博史がいたりとかって妙にキャストは豪華なので、その辺いろいろ探して観てみるのも面白いかも。

とまあそんなとこか。ともかくこの作品に出会うことができてホントラッキー。


(私のコメント)
明日の11月25日は三島由紀夫の33回忌になりますが、「株式日記」をご覧の方にはまだ生まれてもいなかった人がかなりいるでしょう。私は事件が起きた当時はまだ学生でしたが大きな衝撃を受けました。文学作品はあまり読んでいませんでしたが、エッセイやコラムなどや行動などには共感を込めて見ていました。

事件への多くの反応は狂人の行動として批判的に評価されていた。多くの文化人仲間も死を悲しむ一方で理解できない人が多かった。しかし日頃から三島由紀夫の発言や行動を支持していた人にとっては大きな支柱を失った思いで、今生きていれば78歳で、現在の日本をどのように見ているかの思いがあります。

私は三島由紀夫の講演会に一度行っている。今でも光景を思い出しますが全学連が全盛期の頃で、私のような自由主義的民族主義者はまったくの日陰者で、へそ曲がりにしか思われませんでしたが、石原慎太郎と三島由紀夫だけがんばっているように見えた。文学的な評価に比べると、右よりな言動には、知識人や言論人からは物笑いの対象でしかなかった。

私にとっては三島由紀夫の書いた「葉隠入門」が一番の愛読書だった。「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉は有名ですが、その言葉は今の日本人には「死語」になってしまっている。その言葉はむしろパレスチナやアラブ過激派ゲリラに引き継がれているようだ。そして日本の福田首相はテロに屈してテロリストの要求に従ってテロの仲間を釈放するまでの人命尊重主義が貫かれた。

しかし三島由紀夫は「命よりも尊いものがある」とした言論はアナクロな言論として笑われた。三島由紀夫は1970年の11月25日に市谷の駐屯地でそれを実践するために、自衛隊員の前で割腹自殺をしたわけですが、当時の自衛隊員たちは三島の言動が理解できず罵声を浴びせた。その事をもってしても日本のサムライ魂は失われたことを意味している。

あの事件から33年経っても憲法の第9条はいまだに改正されていない。ついこの間まで憲法改正を言えば右翼暴力団のレッテルを貼られるのが落ちだった。教育界もマスコミも日本の民族主義に対しては悪いイメージを流し続け日陰者にされ続けてきた。

最初に紹介した三島由紀夫の「檄文」を見てもまったくその通りで、三島由紀夫は狂人ではない。むしろ死を恐れる自衛隊員こそが狂っているのだ。もし軍人ならば死を恐れていたら仕事が出来ない。私がイラクへ自衛隊の派遣に反対するのも彼らは軍人では無いからだ。憲法を改正して、真の軍人として戦地へ送らなければならない。

『MISHIMA』と言うビデオは中古ビデオ屋で格安で売られていたので買って見ました。作品的には一流の日本の俳優が大勢出ているし、ロケも日本だし台詞も日本語で、ナレーションが英語なだけでその他は日本映画と変わりはない。三島由紀夫の文学作品をカラーで撮り半生をモノクロで撮っている。

やはりハリウッド映画としての違和感はありますが、ポール・シュレーダー監督としての三島由紀夫の解釈と思えばいいのだろう。残念ながら三島夫人の差し止めで日本公開はされませんでしたが、アメリカならビデオかDVDで入手することが出来る。三島由紀夫はクーデターに等しい犯罪を犯したのだから、その意味では罰せられなければならない。しかし映画作品としては事実以上に名誉を傷つけるものではなく、日本でもDVDで発売されれば、最近の若い人にも三島由紀夫の理解の普及につながると思う。


(おしらせ)憂国忌
 とき   11月25日(火) 午後5時半開場/6時開演
 ところ  九段会館3階「真珠の間」(地下鉄東西線、半蔵門線、都営新宿線、「九段下」下車、徒歩一分)。アクセスhttp://www.kudankaikan.or.jp/flash/location.html
  記念講演   遠藤浩一氏(評論家・拓殖大学客員教授)
       「三島由紀夫と福田恒存―――演劇を巡って」
        他に献花、発起人数人の追悼挨拶があります。
 会場分担金  2000円




ロバート・レッドフォード監督 「クイズショウ」
スポンサーとテレビ局は世論を支配する。


2003年11月23日 日曜日

◆A Film Review by James Berardinell iDate Released:9/14/94 (NY)

ジェームズBerardinelliによる映画批評記事 1994年9月14日リリース(NY)

"Something changed with this [quiz show scandal].It really marked the end of a period of innocence in our social history.No longer did people believe that what you saw on television was the truth...It may sound peculiar to us today that a quiz show scandal could have provoked such public outrage, but it was really the first in a series of disillusionments that violated our sense of trust."

「この「クイズ番組スキャンダル」と引き換えたもの。それは、実際に私たちの社会史中の無罪の期間の終了を示しました。人々は、あなたがテレビで見たものが真実であると信じましたがもはやない。 それは今日私たちに特有に思えるかもしれません。クイズ番組スキャンダルはそのような公の憤慨を刺激することができました。しかし、それは、信頼の私たちの感覚を破った一連の幻滅の中に実際に最初でした。」

- Robert Redford, producer/director Quiz Show

- ロバート・レッドフォード、プロデューサー/監督「クイズショー」

1958. Television quiz shows like "Twenty-One" are ratings hits.Americans tune in every week to root for the charming, erudite Charles Van Doren (Ralph Fiennes) in his quest to vanquish new challengers.Following his defeat of the previous champion, Herbie Stempel (John Turturro), Van Doren, the son of the well-known poet Mark Van Doren (Paul Schofield), has become a national celebrity, sending sales of Geritol, the sponsor of "Twenty-One", through the roof.But all is not well behind the scenes.Van Doren's victories are cheats, the results of pre-supplied answers guaranteed to keep him on the air.When a bitter Stempel decides to go public, and Congressional investigator Dick Goodwin (Rob Morrow) listens to him, a national scandal erupts.

1958年、 「21」のようなテレビ・クイズ番組では視聴率の打撃です。新しい挑戦者を打ち破る彼の探究で、チャーミングな博学なチャールズ・ヴァン・ドーレン(ラルフ・ファインス)を応援するために、アメリカ人は、毎週チャンネルを合わせます。前チャンピオン彼の打破に続くこと、Herbie Stempel(ジョン・ターツロー)(ヴァン・ドーレン)、有名な詩人マーク・ヴァン・ドーレン(ポール・スコフィールド)の息子は、屋根を通って、グリトール(「21」のスポンサー)の販売広告で全国有名人になりました。しかし、すべては陰で適切だとは限りません。ヴァン・ドーレンの勝利はごまかしです。あらかじめ供給された答えの結果は、放送されて彼を維持することを保証しました。苦しいステンペルが情報を公開することを決定し、議会調査員ディック・グッドィン(ロブ・モロー)が、彼の言うことを聞きスキャンダルは勃発します。

The clearest message of Quiz Show is a cynical truth:the entertainment industry is a business where ethics are meaningless when it comes to winning a ratings war.This is hardly a revelation, of course.No American in 1994 is naive enough to blindly accept anything they see on television."Twenty-One", however, is where that disillusionment started.

クイズショーの最も明瞭なメッセージは皮肉な真実です: 倫理学が、視聴率戦争を得させることはといえば無意味なところで、娯楽産業はビジネスです。もちろん、これはほとんど意外な新事実ではありません。 1994年のアメリカ人は盲目的に彼らがテレビで見るものをすべて受理するほどは素朴ではありません。しかしながら、「21」はその幻滅がスタートした場所です。

There's a secondary theme dealing with the shortness of the public's memory.Less than twenty years following his "Twenty-One" disgrace, producer Dan Enright returned to the game show business with another hit.Today, programs like Jeopardy are big draws, and the lure of a repeat champion is as strong as ever.

公の記憶の不足との第2のテーマ取り引きがあります。彼の「21」不面目(プロデューサー、ダン・エンライト)に続く20年以内に別の打撃を備えた賞金獲得ゲーム番組ビジネスに返りました。今日のようなプログラムは大きな引力きです。また、繰り返しチャンピオンの魅力は相変わらず強い。

Following events such as the quiz show revelations, Vietnam, and Watergate, the nation's perceptions have changed.We have grown up, becoming a jaded society given to skepticism about everything from TV programs to the word of presidents.In 1958, we trusted.In 1994, we expect the worst, and wait like vampires to suck the blood of fallen icons when those expectations are fulfilled.

クイズ番組意外な新事実、ベトナムおよびウォーターゲート事件のような出来事に続いて、国の知覚は変わりました。私たちは、テレビ番組から大統領の単語まですべてに関する疑いに与えられた疲れ切った社会になって成長しました。 1958年には、私たちが信じました。 1994年には、私たちが最悪の事態を期待し、それらの期待が完了される場合に、落ちたアイコンの血液を吸収するために吸血鬼のように待ちます。

One of the reasons that Quiz Show is so extraordinary is because it spins a story as compelling on the personal level as on the national one.Ralph Fiennes' Charles Van Doren is a fascinating individual, equally seduced and repelled by greed.Desperate to escape his father's shadow, he wallows in public adulation until it begins to stink from his own hypocrisy.

クイズショーが非常に異常であるという理由のうちの1つは、全国ものでのような個人のレベルで強いるとして話をそれがするからです。ラルフ・ファインスのチャールズ・ヴァン・ドーレンは貪欲によって等しく引きつけられ撃退された魅惑的な個人です。彼の父親の影を回避するのに絶望的なので、それが自分の偽善から悪臭を放ち始めるまで、彼は公のへつらいの中で転び回ります。

Consecutive films have now presented superb performances by Fiennes.Van Doren is nothing like Schindler's List's Amon Goeth, but, taken together, both roles display the actor's ability and versatility.If he continues to choose his parts carefully, Fiennes will soon be a major motion picture draw.

連続する映画は、今ファインスによる素晴らしい実力を示しました。ヴァン・ドーレンは シンドラーのリスト のアモン・ゴエスのようではありません、しかし、ともに得られて、両方の役割は俳優の能力および万能を発揮します。彼が部分を注意深く選び続ければ、ファインスはまもなく主演映画スターになるでしょう。

On the other side of the father/son conflict is Paul Scofield's character.Masterfully rendered, Mark Van Doren is far more than the usual stern, disapproving patriarch.He is a man with keen insight and sensitivity who looks sadly upon the track of his son's ambitions.

父親/息子矛盾の反対側に、ポール・スコフィールドのキャラクターがあります。横柄に与えられて、マーク・ヴァン・ドーレンははるかに通常の厳しく否認する家長を越えるものです。彼は、彼の息子の野心の軌跡に悲しんで面している、鋭い洞察および感度を持った人です。

John Turturro is exceptional as the uncharismatic Herbie Stempel, a man so petty and dislikable that it's impossible to sympathize with him even when he's presented as a victim.Rob Morrow is good enough not to be completely overshadowed by his co-stars, although his forced accent could have been toned down.Mira Sorvino, in her first mainstream film after appearances in several independents, provides a spark as Goodwin's wife.

ジョン・ターツローはカリスマ的でないヘルビル・ステンペルのように例外的です、非常に小さく嫌いである人、彼が犠牲として示される場合さえ、彼と共鳴することは不可能です。彼の緊急のアクセントは和らげることができたかもしれませんが、ロブ・モローは完全には彼の共演者によって暗くならないことが十分によい。ミラ・ソルビーノは、最初の主演映画の中で、数人の無所属派の中の外観の後にグッドインの妻として輝きを提供します。

Crisply directed by Redford from a thought-provoking script by Paul Attanasio, and featuring a slew of strong performances (including appearances by Barry Levinson and Martin Scorsese), Quiz Show is the first giant of the Fall 1994 movie schedule.It is deserving of the pre-release hype.

ポール・アッタナシオによる考えを苛立たしいスクリプトからのレッドフォードによって活発に監督され、かつ、たくさんの強い実行(マーチン・スコセッシによる登場を含んで)を特色として、クイズショーは1994年秋の映画スケジュールの最初の巨人です。それは前リリース誇大広告に相当しています。

Towards the end of the movie, David Paymer's Dan Enright comments that the sham of "Twenty-One" created a situation in which nobody lost -- not the sponsor, NBC, the public, or the contestants.Viewers of Quiz Show, however, are likely to form the opposite impression -- that, in the end, there were no winners.

映画の終わりごろ、「21」の偽物が状況を作ったというデービッド・ペイメルのダン・エンライトのコメントの中で、失った人は誰もいない、スポンサー、NBC、国民、あるいは出演者。しかしながら、クイズショーの見る人は反対の印象を形成するでしょう--結局、勝利者はいませんでした。


(私のコメント)
今年最後の三連休で、好天に恵まれ行楽に出かけている方も多いことでしょう。そして行楽に出かけずにネットサーフィンを楽しんでいる方は少ないようです。そのような方のために今日は政治経済といった堅い話はよして、映画の話をします。とはいっても社会派映画のロバート・レッドフォード監督の「クイズショウ」という映画です。

先日、日本テレビで視聴率買収事件がありました。私は視聴率はただの番組の目安に過ぎないと思っていましたが、視聴率はテレビ局の経営の根幹にかかわる重要な指標のようです。昨日、NHKの子供向けのニュース番組で民放のテレビ局がどのようにスポンサーと契約を結んでいるかの解説をしていました。

このような重要なトピックは大人向けの報道番組ではなされず、子供向けの番組やお笑い番組でしか扱えないデリケートな問題のようだ。すなわちスポンサーがテレビ局とCMの放送契約を結ぶ場合、CMの本数や時間で料金が決まるものと思っていましたが、そうではなく視聴率の合計が契約の条件になると言うことです。

つまり、視聴率合計150%まで放送してくださいと言う形で契約する。例えば視聴率が10%の番組の中で15回CMを流せば契約は成立する。これが視聴率1%の番組しかなければ放送局はCMを150回流す必要があると言うことです。その他にも時間帯や様々な条件がつきます。

映画の「クイズショウ」の中でもスポンサーが逐次番組をチェックしており、出演者から構成に到るまで細かく注文を出し、視聴率への注文も大変厳しく出している。このような事は今や常識になっていますが大変恐ろしいことだ。お金を出す以上口も出すのが社会の常識だ。バラエティー番組なら大した問題にはならないだろうが、報道番組のスポンサーが番組内容に口を出すようになると大問題だ。

日本のテレビ放送でどうして報道番組が少ないかと言うと、スポンサーからのクレームがうるさくて製作するのがいやになってしまうからだろう。それでは報道局としての社会的公共性が無くなってしまう。総務省からの許可も報道と国民の教養を高めることが使命として示されているからやっているのだろう。

「クイズショウ」はテレビ局には娯楽番組に過ぎず「やらせ」も当たり前と思ってやっているのでしょうが、全国の視聴者は真剣勝負だと思って見ている。テレビ局とスポンサーは様々な演出や出演者を用意して視聴率を高めようとしている。国民はそれに気付かず「やらせ」行為に対しては非常な批判が高まる。日本だって黒柳哲子がどうして毎週パーフェクト賞を取るのか、彼女が博識だからと思い込んでいる。

このような体質はニュース報道でもなされていると見るのが常識だ。テレビ局とスポンサーは如何に国民を騙し洗脳し、あらゆる手段で国民を誘導してゆくかを研究している。それは視聴率競争そのものが視聴者を如何に騙してテレビに釘付けするかの競争をしている以上避けられないことなのだ。そのような弊害から逃れるには、テレビ以外のメディアからも情報を入手してみるべきなのだろう。だからこそ「株式日記」は価値があるのだと思う。


◆日テレ視聴率操作問題で総務省が厳重注意

総務省は21日、日本テレビのプロデューサーによる視聴率操作問題で、同局に対し、放送法に基づく厳重注意を文書で行うとともに、再発防止に必要な措置を講じるよう要請した。

 再発防止策は半年後をめどに報告を求める。文書による行政指導は、CM未放送問題で静岡第一テレビに厳重注意した1999年6月以来となる。

 日本テレビの氏家斉一郎会長、間部耕苹社長、萩原敏雄副社長が21日、総務省を訪れ、麻生総務相に謝罪した。これに対し、麻生総務相は「道義的社会的な責任を自覚し、再発防止に取り組んで欲しい」と要請した。

 また、日本テレビの間部社長は、総務相との面会後記者団に対して、同プロデューサーから同日、番組制作費などの流用額約1008万円全額が返金されたことを明らかにした。本人から返還したいと申し入れがあったという。

 氏家会長は「当社の損害がなければ刑事訴訟はできない」と述べ、同プロデューサーを告訴しない考えを示した。(読売新聞)
[11月21日21時9分更新]




日本の保守派の大分裂―「親米」か「反米」か
CFRの大討論会―「ネオコン」対「リアリスト」


2003年11月22日 土曜日

日本の保守派の大分裂―――「親米」か「反米」か

このコラムをごらんになっている方々にとっては当たり前のことか もしれないが、日本の保守言論界はいま、パックリ二つに割れてい る。このきっかけになったのは、もちろん2001年9月11日にア メリカで起こった、一連の連続テロ事件である。 このテロ事件を期にはじまったアフガンでのテロ討伐や、イラク侵 攻に対して、日本の保守派知識人の意見が「賛成する」「反対する 」という違いで大分裂したのである。

「アメリカに賛成する」とい うのが、有名学者やジャーナリストなどで構成される「親米保守派 」であり、「アメリカに反対する」というのが、漫画家の小林よし のり氏をはじめとする「民族保守派」である。 この対立のしかたであるが、小林よしのり氏が率いる「民族保守派 」が、「親米保守派」のことを犬のポチにように「ご主人さまアメ リカの言いなりだ」として「ポチ保守!」とののしれば、逆に「親 米保守派」は、「民族保守派」に対して「戦略的ではない、頭が悪 い!」と批判するという状況になっている。

ここらへんの争いは、民族保守側が小林よしのり氏の新刊「新・ゴ ーマニズム宣言12巻――誰がためにポチは鳴く」というマンガで 攻撃し、そして親米保守側が古森義久(こもり よしひさ)氏と田久 保忠衛(たくぼ ただえ)氏の共著による「反米論を撃つ」という本 でそれを迎え撃つ、というスタイルになっている。この対抗する二 冊の本に代表される形で、日本の保守言論界ではいま、近年にまれ に見るホットなバトルロイヤルが展開されているのである。


アメリカの保守派守派の大分裂―――「参戦」か「反戦」か

前置きが長くなったが本題に入ろう。ではそのテロ戦争をやってい る当事国の世界帝国アメリカの言論界ではどのような状況になって いるだろうか?日本のような保守派の分裂はあるのだろうか? 実は日本ではあまり報じられていないが、アメリカの言論界でも特 に保守派の中が、イラク侵攻が期になってパックリ二つに分裂して いたのである。やはり彼らも、割れていたのだ。

この分裂なのだが、大ざっぱにわければ、一方が「ネオコン」であ り、もう一方が「伝統主義者」または「保守本流」と呼ばれる人々 の二派にわけることができる。 「ネオコン」のほうは、ここであえて説明する必要がないくらい日 本でも有名になったグループの総称である。元リベラル派のユダヤ 系知識人で、特に軍事政策でタカ派な人々のことを指すのだが、現 ブッシュ政権に多数入り込んでいて、外交政策をコントロールして いるとされている。

ここの代表は、現在の国防省副長官であるポール・ウォルフォウィ ッツ(Paul Wolfowitz)である。在野にも強烈なのがいて、一番目立 つのはウィークリー・スタンダード誌の編集長をしているウィリア ム(ビル)・クリストル(William Kristol)という知識人である。 彼らもだいぶ日本では有名になった。

一方の「伝統主義者」たちであるが、これはパット・ブキャナン (Patrick J. Buchanan)を筆頭として、「反ネオコン」で結束す る、伝統主義の保守派のことをいう。ブキャナンは最近、日本でも 保守系の言論誌を中心として紹介されはじめたので、名前だけはだ いぶ知られてきた。 彼らの意見はアメリカの田舎の「草の根保守」の気持ちを代弁して おり、しかも保守派のくせに反戦派であることから、日本の「反米 /民族保守派」と考えがかなり共通するところがある。

彼らのような伝統保守派たちの反戦の気運が高まったのは、テロ事 件から一年ほどたった、2002年の秋である。このころ、ブキャ ナンは、自分が新しく創刊した「アメリカ保守」(The American Conservative)という雑誌の中で、「ネオコンは海外で戦争を起こ したいだけだ!アメリカの国益をそこなう、ただの戦争屋なのだ! 」という反戦メッセージをくり返し主張するようになり、アメリカ の保守言論界に衝撃を与えはじめたのである。 これにつられるようにして、アメリカの一般メディアでも「ネオコ ン」という言葉が積極的に使われるようになった。

これが年を越し てから日本にも輸入され、とくにイラク侵攻の前後に、メディアで 大々的に使われるようになった。いわば、「ネオコン」というキー ワードの仲介によって、日本にはいつの間にか、アメリカの伝統保 守派の反戦思想が伝わってきていたともいえるのだ。

余談だが、「ネオコン」ということばをアメリカのメディアで大々 的に使いはじめたのは、私の見る限りでは、たぶんクリス・マシュ ーズ(Chris Matthews)という白人のジャーナリストが最初である。 彼はNBC系列のテレビ局で「ハードボール」という政治討論番組 の司会をしているのだが、ゲストが答える質問よりも長い質問を、 ひたすらマシンガンのように繰り出すことで有名だ。その様子、少 し太らせて白人顔にすれば、DJや司会者として知られる「夏木ゆ たか」の姿とウリ二つである。アメリカ・ジャーナリスト界の夏木 ゆたかは、「ネオコン」という言葉を広めたのだ。

合流する「リアリスト」たち

ところが今年に入って、この保守派の対立にものすごい第三勢力が 加わった。俗に「リアリスト」と呼ばれる学者たちである。彼らが この戦線に加わったショックとその重要さを知る人は、まだ日本で は非常に少ない。 ではこの「リアリスト」というのは、そもそも一体何者なのか。 日本で「リアリスト」というのは、単純にいえば「現実派」という イメージになる。政治家でいえば野中広務・元幹事長や青木幹雄・ 参院幹事長のような、汚い仕事からも目をそらさず実行するという 「実務派」という意味でとらえられがちだ。

これはアメリカでも同じであり、政治信条などを度外視して、生臭 い権力闘争や、利権の力学で政治をおこなう実務派たちを「リアリ スト」と呼ぶことがある。現ブッシュ政権では、チェイニー副大統 領などがその代表的な人物であり、血の通わない冷酷な人物である とみられがちである。

ところが今回アメリカの保守派の内部闘争に加わった「リアリスト 」たちは、そういった政府の「実務派」たちとは、ちょっと毛並み ちがう。どうちがうのかというと、彼らは「国際関係論」( International Relations)という学問の中の「リアリズム」とい う理論を信じる学者たちなのである。 しかもそんじょそこらの学者ではなく、その理論では第一線級の人 物たちばかりであった。彼らが総結集したということがまず重大で あり、しかも彼らがそろいにそろってブッシュ政権のイラク侵攻に 異議を唱えたということにものすごく大きな意味がある。

1445.「リアリストたちの反乱」(その一)国際戦略コラム


CFRの大討論会―――「ネオコン」対「リアリスト」

時は2003年2月5日、場所は首都ワシントンDC。CFR(外 交評議会)の主催で「ネオコン」と「リアリスト」の直接対決によ る、歴史に残る大討論会が行われた。 このときの参加メンバーは、ネオコンとリアリストの各派から精鋭 がそれぞれ二人ずつの計四人。これに仲介役を務める司会者が加わ って、メディア関係者や学者たちの前で公開ディベートがおこなわ れたのである。これはテレビに収録された上にインターネットでも 実況生中継され、しかもアクセスさえすれば、今でもこの様子はネ ットのビデオで見ることができる。

メンバーも豪華で申し分ない。「ネオコン」からは、すでに前号で 紹介した在野の頭領、ビル・クリストル(William Kristol)に加え 、若手で最近注目されているマックス・ブート(Max Boot)が援軍に 駆けつけた。 彼らの経歴等の詳細を語り始めればキリがないほど面白いのだが、 紙面の都合でここには書き切れない。とりあえずは二人がネオコン 誌のウィークリー・スタンダード(the Weekly Standard)誌の編集 に関わっている、ということだけ述べておこう。もっとくわしく知 りたい方は、インターネットなどを使ってご自分で調べてみていた だきたい。

一方、彼らに対抗するのは、「リアリスト」の二人の学者である。 しかもそこらの平凡な学者ではなくて、リアリストの総本山である シカゴ大学系の大物学者たちである。ひとりは超名物教授であるジ ョン・ミアシャイマー(John J. Mearsheimer)、そしてもうひとり はハーバード大学ケネディ政治学院のスティーヴン・ウォルト (Stephen M. Walt)である。 とくにこのミアシャイマー氏はすごい。何がすごいのかというと、 彼は「リアリズム」のなかでも、特に過激な「オフェンシヴ・リア リズム」(Offensive Realism=攻撃的現実主義)という理論を一人 で立ち上げた、強烈な個性を持つ学者だからである。 (中略)

リアリストの「冷酷な計算」

鋭い方はここで「シャキーン!」と気がつくはずだ。ミアシャイマ ー氏の国際分析の理論には、「どちらが正義だとか悪だ」というよ うな政治的な価値判断が、全く含まれていない、ということを。 これは彼の相棒であるウォルト氏にも言えることなのだが、総じて リアリストというのは、すべての国家の外交政策を決める要素は、 軍事力や国力がベースとなる「権力(パワー)である」と割り切っ ているため、政策分析に余計な道徳判断を入れない。

ようするに「 どちらが道義的に正しい/悪い」ということは、一切考えないので ある。 よって、彼らはナチスがユダヤ民族を抹殺しようとしていた、とい うようなことは、全く分析の対象にしない。彼らはただ冷酷に、当 時のドイツ周辺の国家の力学や軍事バランスだけを見て「なぜこう いう安全保障問題が起こったのか?」と物理的、科学的に考えるの である。「戦争へ突入していく政治的な理由」などは、彼らにとっ ては論外の話なのである。

このような冷酷な分析の仕方であるが、彼らの書いたものから実際 に読み取ることができる。その例を見てみよう。 このディベート大会の直前に、ミアシャイマー氏とウォルト氏は、 共著で「フォーリン・ポリシー」(Foreign Policy)という有名外 交誌に「イラク:不必要な戦争」(Iraq: An Unnecessary War)と いう題名のイラク侵攻反対記事を書いている。

この中で、 「イラクのサダム・フセインは、ネオコンたちに言われているほど 侵略的な狂人というわけではない。」「周りの国と比べれば、フセ インは過去三十年の独裁支配の期間に、たった二回しか戦争を仕掛 けていない。」「よって、歴史的な記録だけに注目すれば、エジプ トやイスラエルよりもヒドイというわけではない。」 という、なんとも驚くべき発言をしているのである。たしかに安全 保障上の「史実」だけに注目すれば、事実は事実である。フセイン のイラクは、イスラエルよりも「侵略的」というわけではない。こ ういうことをズバズバと正面から指摘するのだから、シオニスト( イスラエル国家主義者)であるネオコンたちに嫌われるのも、無理 はない。

1451.「リアリストたちの反乱」(その二・その三)国際戦略コラム


(私のコメント)
連日パトリック・ブキャナン氏やチャルマーズ・ジョンソン氏らの反ネオコンの論説を紹介してきましたが、それは私のような民族保守派の主張と共通するものがあるからだ。日本においては有名大学教授や有名ジャーナリストは大体が親米保守派だ。アメリカ留学を経てエリートグループを形成して政官財のトライアングルを形成している。マスコミもその一員だ。

9・11テロ事件以降、日本の言論界は二つに割れた。私は1997年末のアジア金融危機をみて、アメリカの日本に対する経済侵略計画に気付き、それ以来アメリカの経済帝国主義と一人戦ってきました。9・11テロ事件はそれにさらに追い討ちをかけて軍事的にも世界を支配しようと言うアメリカの帝国主義が顕になったことにより、小林よしのり氏や西部氏らの保守派が合流した。

アメリカにおいても天下を取ったネオコンに対し、伝統的保守派や保守本流の言論人が細々と活動をしていましたが、アメリカのイラク侵略のつまづきで第三の保守派が、反ネオコン陣営に合流した。私も国際戦略コラムを見て始めて気付いたのですが、「リアリスト」と呼ばれる人たちはシカゴ大学やハーバード大学の教授たちでネオコンにとっては手ごわい相手が出てきたことになる。

もともとアメリカの軍部はイラク攻撃に慎重であり、ネオコン派はごく少数だ。CIAや国務省もネオコンは入り込んではいるが保守本流が主導権を持っている。にもかかわらずネオコンがブッシュ政権の主導権をもっているのは要所要所をネオコンが固めているからだ。とくにアメリカのメディアの大半がネオコン支持であり、選挙に大きな影響力を持っているからだ。

一番だらしがないのが上院下院議会で与野党の議員の多くがイラク攻撃に賛成してしまったことだ。選挙や政治資金のことを考えればネオコンに同調せざるを得ないのだろう。アメリカには創価学会より強力な政治的宗教団体がアメリカ議会に睨みを利かせているのだ。しかしイラク攻撃が大失敗であることがはっきり見えてくれば、外交政策も大転換する可能性がある。

「リアリスト」の主張はプロの軍人や外交官の持つ意見と同じである。もし中東からフセインを取り除けば、中東のど真ん中が政治的、軍事的、宗教的空白地帯が出来て中東が大混乱するからだ。しかしブッシュはすでにフセインを排除してしまった。アメリカはイラクに留まっても地獄、撤退しても地獄の最悪の手段を取ってしまった。我々はアメリカが時間をかけてじわりじわりと痛めつけられるのを見ていればいいわけだ。

チャルマーズ・ジョンソン氏が指摘しているように一番大きなダメージはアメリカ国民への精神的ダメージだろう。帝国主義的野心を顕にしたとたんアメリカ軍は無間地獄に陥ってしまったのだ。国際政治学者のモーゲンソー教授が朝鮮戦争やベトナム戦争に反対したように、海洋国家が大陸へ乗り込んでも戦争が長期化すれば地政学的に勝てないことはわかりきったことだ。

私が「日本はアメリカを支持すべきだ」とか「イージス艦をインド洋へ派遣せよ」と言う意見と、「自衛隊のイラク派遣に反対」の意見は矛盾するように見えるだろう。しかし地政学的に見ればまったく矛盾しない。日本の自衛隊は勝てない戦争はするべきではない。軍隊をユーラシア大陸へ派遣しても時間が経てば追い出されるのだ。英国も米国も日本も大陸へ橋頭堡を築いては撤退してきた。

大日本帝国も太平洋戦争にかかわらず満州国と朝鮮半島は撤退せざるを得なかっただろう。韓国にしてもアメリカ軍が撤退すれば風前の灯だ。同時にアメリカ軍が日本から撤退した場合、日本はどうするのか。親米派ポチ保守言論人たちはどう責任を取るのだろう。彼らはアメリカに追従していれば日本は安泰と思い込んでいる。とんでもない間違いだ。日本のポチ保守たちはもっとアメリカの「リアリスト」たちを研究すべきだろう。




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