株式日記と経済展望

ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


亀井静香候補はなぜ政府紙幣を提案しないのか
それは国際金融資本および日銀を敵にすることだ


2003年9月14日 日曜日

政府紙幣の発行論議とは?

コロンビア大学のスティグリッツ教授(2001年のノーベル経済学賞受賞者)が4月16日の関税・外国為替等審議会で、「日本の政府はデフレ克服策として紙幣を増刷すべき」と提唱し、物議を醸しました。スティグリッツ教授は、デフレ経済ではインフレ経済とは異なり、発想の転換が必要と強調し、政府が日銀とは別に紙幣を発行し、それで歳出の一部を賄えば、国債を発行せずに財政を賄えて資金供給量を増やせると説明しています。財政規律の喪失の危険性については、世界的に中央銀行の独立性があれば経済が回復するとの証拠はなく、政府紙幣の発行量に制約を設ければ、財政規律を守ることができると指摘しています。

 日本のデフレの一因に、日銀の通貨政策の間違いが指摘されます。過去にインフレ対策しか経験せず、責任の追及を恐れる財務省や日銀の官僚には、柔軟な思考を求めることができず、デフレ経済下に適切な対応策がとれないでいるとの指摘です。

 スティグリッツ教授に限らず、民間にも経済活性化への柔軟な(通貨の)発想があります。2002年7月23日に千葉商科大学の加藤寛学長が、民主党の田中慶秋衆議院議員に述べたアイディアが有名ですが、その論旨は以下です。

〜〜〜

 地方銀行が発行元になって、日銀と同じように自分の銀行の担保をつけて地域通貨を発行する。それを県が保証する。県は土木事業を行っていい。どんな国でも公共事業をゼロにして生存できる国はない。道路だって修理しなければ穴ぼこだらけになる。必要なものは造りましょうと言わないといけない。しかし、カネがない。それなら、そのエコノミカルマネー(経済通貨)を使えばいい。地域で消費経済ができる。賃金ももらえる。そして生活も安定する。

 しかし、これは給料の一部でやる。例えば10万円の給料なら2万円をエコ通貨でやる。あとの8万円は普通の通貨で、と言うことだ。2割くらいなら、その地域で使うのはあたりまえだ。こうなると、このカネが流通し始める。2万円のエコ通貨を普通通貨に替えたいと思ったら商品交換所で交換する。今でも新幹線の切符などを割引で売っている。ここで普通通貨(現金)に替える。

 この仕組みができているのに、日本ではこの仕組みを使わずにいる。そして、日銀通貨だけが唯一だと思っている。日銀通貨がこんなに使えない通貨だということがわかっていない。これでは日本経済がよくなるわけはない。

 地域通貨と呼ぶか第2の通貨と呼ぶか分からないが、1国に2つの制度があれば1国2通貨があるのはあたりまえと、今、ユーロでは考えている。ユーロ圏は世界のドルに対するユーロ通貨を作りたかった。第2の通貨制度をつくった。これを日本もつくるべきだ。そのカネで日本経済は活力をもつ。経済がよくなれば、当然私たちの経済もよくなる。日本が債務国家なら問題だが、債権国家だから何の心配もいらない。日本経済は強くなり、世界から尊敬されるようになる。こうなれば、日本のランキングは韓国の下だ、などと言われることがなくなる。

 政府紙幣でデフレを克服せよとの説がある。初代の大蔵大臣、由利公正がこれを成功させた。これは藩札を消し、政府紙幣に統括するために政府が行ったもので、これには西郷隆盛もビックリした。藩札が担保となっている。

〜〜〜

 さて、スティグリッツ教授の言う「政府貨幣・政府紙幣」とは何でしょうか? 政府貨幣も国家の信用で発行する貨幣ですが、その材質は政令で定めます。ですから、ペーパー(紙)でも金属でも何でもよい訳です。今、政府貨幣として流通しているものに100円や500円等の6種類の(金属製の)コインがあります。こうしたコイン貨幣は独立行政法人造幣局で鋳造され、流通しています。よく知っている1万円や5000円等の日銀券は、独立行政法人国立印刷局が製造していますが、この日銀券は「日銀」という法人が発行するものです。

 現在においても、このように規模はとても小さいながら、「政府貨幣(コイン)」は立派に流通しています。高額な「政府貨幣としての紙幣」はまだ世の中に出てはいませんが、現行法において、高額な政府紙幣を発行することは可能です。

 日銀の発行する「日銀券」は、(日銀のB/S上)債務勘定に計上される性格のもので、不換紙幣として金(gold)の裏付けを持たないものです。つまり、日銀の信用(=国の信用)を頼りに流通しています。

 政府貨幣も政府の信用(=国の信用)をバックに発行されるものですが、(日銀券とは異なり)発行元の政府の債務には計上されません。100円のコイン貨幣を例にすると、100円の額面から製造にかかる経費(10円と仮定)を引いた差額(90円)が政府(=国)の収入(=貨幣鋳造益)となるのです。

 スティグリッツ教授は、政府貨幣としての政府紙幣の発行を大胆に行い、その「紙幣造幣益」をもって、減税や公共投資等の財政政策を展開すべきと提唱しています。つまり、インフレ経済とは異なるデフレ経済の日本では、(債務を計上する性格の)日銀券とは異なり、政府(国)の債務が増えない政府紙幣を発行して、その紙幣造幣益を各種政策発動に利用した方が良いと言っています。さらに、デフレが深刻な日本においては、相当の額の政府紙幣が発行できると考えられる点で利点があり、問題の財政規律を守る観点からは、政府紙幣の発行量に制約を設けれよく、また発行により物価の上昇率が想定値を越えるなら、その発行を抑制すれば良いのです。

 日本のマネーサプライ(MS)の伸び低さは日本経済の血液としてのマネーの流通に問題があることを示しています。巨額のマネーサプライが存在するのに、マネーが企業や個人の手元に届いていません。銀行の不良債権がそのMSの伸びの低さの原因の一つですが、不良債権処理を急げば更にデフレを強める結果となります。日本経済のマイナス成長を避けるためには、政府が財政政策を行う他はないのですが、財源が国債の発行では国の財政をより悪化させることになります。誰も考えつかなかった政府紙幣の発行という政策により財源を得て財政政策を行い、MSを増やすという策も、これから時代にあっては課題となりそうです。

株式会社ゴールデンチャート社のコラムより


政府紙幣が無視し続けられる理由

>これだけ好都合な打ち出の小槌がなぜ無視され続けるのか。あまりにも虫が良すぎる
>からだ。Too good to be trueというわけだ。だが冷静に経済の論理を追って行く
>と、戦争や破壊に頼らず赤字財政にも頼らない有効需要の生み方はこれしかないと分
>かる。政府紙幣と日銀券は等価交換が担保されるから、究極的には日銀のバランス
>シートの借方に政府紙幣が来て、同額が貸方に日銀券発行額が来る事になる。こうし
>て見ると日銀に国債直接引受けさせているのと原理的にはさほど異ならない行為だと
>いうのが見えてくる。しかし、市場性のある国債と政府紙幣は一方でやはり性格の異
>なるものである。早くこの政策を取れば取るほど、政府紙幣の投入額は小さくて済む
>であろう。

「政府紙幣が無視し続けられる理由」は、“あまりにも虫が良すぎるから”ではない。
「政府紙幣」が、経済支配層の経済利益を脅かすものだからである。

この理解ができなければ、近代経済システムを理解することもできないだろう。
農業を含むあらゆる経済活動が、通貨をより多く稼ぐことを目的とするようになったのが近代経済システムである。
そのような経済システムを構築したのは、金融家である。
金融家は、中央銀行制度を確立することで、経済社会を貨幣経済化し、日々の経済活動が自分たちの利益に直結するようにしたのである。
貨幣流通が中央銀行の貸し出しから始まるのが近代経済の特質である。

イングランド銀行の創設まで遡らなくとも、米国で1913年に成立した連邦準備法(私的中央銀行制度の確立)をめぐるどろどろした謀略を顧みれば、その経済的権益の大きさがわかるし、それへの執着度合いもわかる。
(リンカーン大統領の暗殺も“中央銀行制度”問題が絡んでいると言われている)

“あまりにも虫が良すぎる”政府紙幣をほいほい発行されることになってしまったら、世界経済を支配している国際金融家の厖大な権益が失われることになる。
国際金融家にとっては、国民生活がどうなるかはどうでもいいことで、国民経済がどうなるかも利潤が最大化できるかどうかが判断基準である。

銀行制度を通じた全般的な「信用創造」が最大の経済権益だが、世界的なデフレ不況のなかで、厖大な保有通貨の運用先は先進諸国の国債に傾斜していくと予測している。
「政府紙幣」は、国債の発行をなくしてしまうものである。
「政府紙幣」は、世界経済支配層にとって、「近代経済システム」を根底からひっくり返してしまう“害毒”なのである。

貸し出しを通じて供給されない通貨を経済支配層が認めるというのは、私の「利潤なき経済社会」を経済支配層が認めるに近いものなのである。

日本が「政府紙幣」を発行して巧く経済を立て直せば、経済苦境に陥っている先進諸国国民がこぞって「政府紙幣」を求めるようになる。
だから、世界経済支配層は、日本政府のそのような暴挙を許す“愚”を犯しはしない。
また、米国政権からの「不良債権処理加速化」要請に抗することもできない日本政府が、そのような背景を持つ「政府紙幣」発行に踏み切ると考えるのはナイーブすぎる判断だろう。

ケイちゃんは、「優良企業の賃上げ」・「低中所得者減税」を軸としたあっしら流デフレ対策は実現できないものと考えられているようだが、私は、このように、「政府紙幣」の発行のほうがより実現が困難な政策だと考えている。

『“政府紙幣”は産業主義と金融主義の全面対決を引き起こす』
http://www.asyura.com/2002/hasan12/msg/1168.html

丹羽教授のように、政府が日銀に100兆円の通貨発行権を売って90兆円の日銀券を受け取るというかたちであっても同じように実現できないと予想している。

「政府紙幣」を発行するためには、経済支配層=米英政権の反対を押し切る覚悟が必要であり、その結果生じる“経済制裁”(明示的とは限らない)を甘んじて受け入れる必要もある。
“経済制裁”によって、日本経済はデフレに劣らぬどころかそれ以上の経済苦境を迎えることになる。

世界経済支配層は、“あまりにも虫が良すぎる”政府紙幣で経済が順調に運営できることをみんなが知るようになったら困るのである。(300年を超える奮闘で築いてきた権益システムがパーになってしまう)

日本政府が「政府紙幣」を発行できるときは、米国連邦政府が「政府紙幣」を発行するときか、日本が“独立”を果たしたときである。

だからこそ、「優良企業の賃上げ」・「低中所得者減税」・「銀行長期国有化」というぎりぎりの近代的許容範囲で「デフレ不況」を解消すべきだと考えている。

政治それも国際政治から切り離して、国内経済問題を考えることはできない。
「供給=需要」とともに「経済=政治」も忘れてはならない。

経済事象を自然現象と同じように認識しようとしている経済学者が、経済を説き明かすことができない所以でもある。

阿修羅BBS:政府紙幣が無視し続けられる理由


今日は朝からテレビで自民党総裁候補の討論会をはしごしていましたが、日本の景気問題については、相変わらずの堂々巡りを繰り返している。通常の状態ならば政府の財政政策で不景気を脱却できる。しかしながら政府はバブル崩壊以来この財政政策で不景気を克服しようとしてきたが、いまだに克服できないでいる。

それは原因の究明とそれに対する政策が間違っているからだ。国債を発行してそれを基に公共投資しても、工事が終われば景気は元の木阿弥だ。それを繰り返してきた。そのための国と地方の借金は700兆円も溜まってしまった。これはとても税金を集めて返せる金額ではない。あるいはハイパーインフレで借金をチャラにするしかない。時代の閉塞感はそこから生まれている。

その中で2年前に画期的な経済政策を主張しているホームページが見つかったので、わたしの2001年11月18日の「株式日記」で次のように紹介した。

2001年11月18日
このままでは日本経済がクラッシュしてしまう時間は刻々と迫っている。今日のテレビでも竹中大臣や榊原氏が「補正予算はだめだ」「ペイオフはやれ」とか言いたい放題だ。彼らグローバリストたちのテレビを使ったキャンペーンに国民は騙されている。彼らに異議をとなえると抵抗勢力にされてしまう。

今一番政府がしなければならないことは、どうしたらデフレを止め、消費を増やし、景気を回復させるかだ。そのためには思い切った財政政策が必要だ。日本の有識者たちが思い切った財政政策を提言しています。メンバーとして加瀬英明氏、丹羽春喜教授、小沢辰男議員、加藤寛教授、平沼赳夫議員、評論家の三宅久之氏ら日本を代表する有識者が推薦しています。一度以下のホームページを見てください。


http://www.tek.jp/p/

政府紙幣の発行という手段は、日銀が一手に握ってきた通貨発行権を、政府の財務省も持つということだ。だから特権を失う日銀は大反対をしている。形としては国債の日銀引受とよく似てはいるが、日銀が政府の大債権者になることは防ぐことが出来る。このような政策に対して日銀はエコノミストを動員して大反対キャンペーンをしている。

以前なら日銀はマスコミを押さえ込めば、好きなように言論を誘導することが出来たが、あいにくインターネットの普及により、官僚による情報支配は出来なくなってしまった。デフレギャップが存在する限り政府紙幣を発行してもインフレにはならないだろう。それは日銀が最近国債の買いきりオペを増やしてもデフレが止まらないことが証明している。

デフレの一番の原因は供給に比べ需要が少ないことが原因になっている。ならばどうしたら需要を作り出すことが出来るか。昔ならば戦争をして需要を作り出した。しかし核戦争時代には危険な方法だ。ならば今までなら出来なかった公共事業を政府紙幣を発行して需要を作り出せばいい。戦争よりかは建設的だ。

テレビの自民党総裁候補の話を聞いても気がめいるばかりだ。小泉首相の言う構造改革は多すぎる企業を潰すことにあるらしい。分かりやすく言えば需要に合わせて供給力を減らすということだ。これがどんなに狂った手段であるかは、食料生産量に合わせて人口も減らせという、カンボジアのポルポトもびっくりのとんでもない政策だ。

よくテレビに出ているコメンテーターたちは、もう買うべきものは無いと言っている。はたしてそうか。大都市の住民のほとんどがもっと広い家に住みたいと思っている。家が狭いために子供も作れず少子化が進んでいる。つまり政府の住宅政策や土地政策が間違っていたために、需要の停滞を招いてしまったのだ。

住宅がもっと広く、道路ももっと広ければ、家電製品や自家用車などの需要は爆発的に増える。子供も増えれば人口も増え、基礎的な分の需要も増えてゆく。ならばどうしたらもっと大きな住宅が供給できるのか。都内には今、空き地だらけだ。そこへ一世帯あたり100平米以上の格安マンションを政府が供給すればいい。政府紙幣で建設すれば建設業者も大忙しだ。それなのに今日の総裁候補たちは建設業者が多すぎると言っている。それが出来るような候補は亀井氏が可能性があると思う。




広瀬 隆著 「地球の落とし穴」(2)
「人間(日本の若者)は考えない葦になった」


2003年9月13日 土曜日

九七年、神戸であまりにも悲惨な小学生殺人事件が発生した。ちょうどその時、中学三年生が逮捕された最初のテレビ報道を見た多くの人が悟然としたのは、われわれが容疑者の年齢に言葉もなく驚き、考えこんでいる時、警察前から中継するアナウンサーの背後で、Vサインを出してテレビカメラの前に群がったあの若者たちの姿であった。それは、どう見ても高校生以上の年齢層であり、何十人という数であった。その齢になって、まだこれほど深刻な事件の意味も分らないのであれば、人間とは言えない。

翌日、多くの人が、その集団について語り、「この世も終りだ」という言葉を口にした。私自身もそう思った一人である。実に、この事件が発生する前から、私は電車に乗るのがいやになっていた。彼らを見ると、女の子が鏡をとり出し、ずっと髪をなでつけている。わずか何本かの前髪の形を揃えるため指を動かし続け、電車に乗ってから降りるまで、それ以外の動作がない。また別の女の子は、座席をとったことに勝ち誇ったような表情で、マニキュアをとり出し、 ずっとそれを爪に塗り続けている。男も男で、手にしているのは化粧品の雑誌で、鏡をとり出す。別の男は、耳にピアスをぶら下げ、別の男は髪を染め、別の男は携帯電話をかけている。いや、男も女も。あれほど車内放送で携帯電話を使わないよう訴えているのに。

太古の昔から、流行はあったに違いない。が、どうしても最近の出釆事には、流行を追うだけのものではない異様さを、私は感じてきた。八○年代の異常な経済成長の落とし子として、彼らは金を持っている。その違和感を最初に感じたのは、サッカーのJリーグが鳴り物入りでスタートした時だった。それまでサッカー・ファンであり、ラグビー・ファンだった私は、Jリーグの騒ぎ方を見てからサッカーが嫌いになった。選手そのものに造形的な自已顕示欲を感じ.チームの宣伝に、戦闘的な性格を押しつけられるような不快感を覚えた。これは、われわれの知る汗くさい友情あるスポーツではない、と思った。

共通するのは、彼らの行動にユーモアがないことである。他人の心理を思いやる神経がない。その裏返しとなって出てきたのが、化粧にうつつを抜かす自己顕示欲である。私はこれまで、世代論というものが最も嫌いであった。評論家が"・…の世代”という言葉を使うたびに、「俺を勝手にその一人に数えるな」と胸中につぶやいてきた。マスコミが好んで使う"○○現象論"も同じように不快であった。人間は、集団として生きるのではなく、個人として生きる生物だからである。それでも自分の禁を破ってまで この乱暴な若者論を記すのは、色々な人と言葉を交すうち、みな同じような不快感を口にするからである。

つまり、この先に不安を覚え、ほとんど全員が、ひそかに同じ結論に達していた。「このまま彼らが大人になると、ファシズム杜会しかあり得ない」それはおそらく、前述のような若者の比率が異様に高くなっているため、"まともな若者”が生きようとしても、排除される社会を想像しての結論であろう。そちこちで選挙がおこなわれる。しかしその勝者は、報道されるような自民党でも民主党でも公明党でも共産党でもない。低い投票率の内訳は、実に五割、六割もの有権者の棄権によって大勢が占められ、最大の勝者は棄権者である。補欠選挙や首長選挙にいたっては三割に満たない投票率さえある。

人間は考えない葦となった

その原因は、かなりの有権者が、議会制民主主義に絶望し、自治体や首長に、嫌悪感を覚えて棄権するからだ。しかしそれは、かなり楽天的な解析であって、前述のような人間集団が大量に棄権したという事実もあったはずだ。政治家や役人に怒るのではなく、そのようなことを頭の中で考える機会もない若者集団が、急増している。

過去の歴史をふり返ってみると、大正デモクラシーの時代に関東大震災が発生し、そ こから急激なファシズム社会へと日本が転落していった苦い経験がある。けれど、それと現代の類似性を結びつけて説明しても、牽強付会の老人的回顧論になる。神戸での小学生惨殺事件があったあと、さまざまなメディアが原因をどこかに求めようと解説をしてくれた。ある者は、受験勉強に原因があると言い、当の子供たちまで、自分たちは受験勉強しか考えることができない時代にあると言い張った。

冗談ではない。受験勉強など昔からあったし、そんなものは取るに足らないことだと判断するだけの自覚を、若い時代のわれわれは持っていた。子供たちは、教師が悪いとも言う。冗談ではない。腹の立つ教師や面白くない教師がいるのは昔から世の習いで、そうした人間を目にするたびに、われわれは食ってかかり、自説をもって論争を挑み、抵抗を試みたものだ。人間は五歳にもなれば一人前に考え、感情豊かに生きるのだから、自分の非を他人に転嫁するのは、最も卑劣な思考法である。

そもそも、このようにいい加減な原因を持ち出して釈明しようとする自立心のなさの原因を、われわれは知りたいのである。知りあいの大学の先生たちは、やはり異口同音に、「彼ら学生と、最近になって突然、会話ができなくなった」と、深刻な面持で語っている。「何しろ、日本語が通じないんだ」また、別の先生は言う。 「処世術のことしか頭にない者が、突然に増えてきた。情熱も何もない。傲慢にも、エリートだという立場から、自分は何をするべきだと主張する」いずれにしろ、誰もがみな、原因をつかみかねている。

相当に譲歩して、子供たちに思いやりをもって彼らのことを考えてみるならば、われわれの子供時代のように泥まみれになって野原で遊ぶ機会がなく、自然を忘れたためではないかという意見は強い。ところがよく考えてみると、自然が失われる風潮は十年以上も前からある話なので、最近の若者の激変を説明する理由にはなっていない。

テレビという道具には何の罪もない。これは、人類が過去に生み出した伝達手段として、芸術、スポーツ、報道の分野で、すぐれた道具である。しかし、それを使う側に、重大な欠陥があるように感じられてならない。子供たちを登場させるコマーシャル.フィルムやバラエティー番組の最近の愚劣さは目に余るものがあり、このようなものを放送するのに大金が使われ、大量のエネルギーを消費し、正視に堪えない若者にギャラが支払われている。

テレビが子供を乱用しすぎているのである。とりわけこの数年、前述の数々の現象と併行して、その傾向が強い。学園祭の三流猿芝居のごときものが、平然と放映されている。これは、規制するかどうかという話ではなく、そこまで地に堕ちたかどうか、放送界の内部で議論すべき主題であろう。

そのような低水準のものを放映し、電波に乗せることによって、子供たちの世界から、 人問としての価値観の尺度が失われる。彼らにとっては、画面に出るという行為だけに意味があることになり、Vサインを出しながら自已顕示する人間が増殖する。われわれが若い頃には、自分がまったく愚かだったことを知っているが、幸いにも、子供扱いされ、無視されてきたので、公の場で傷つくことはなかった。しかし今や、テレビは、公の場に彼らを引っ張り出すことによって、彼らの若い時代の未熟さを人前で傷つけているのである。

彼らが自立し、ある程度の価値観を理解できるようになるまで、彼らを排除することが、最上の思いやりである。彼らを乱用することによって、若い世代の内部社会に大人が入り込んで、彼らが自分で生み出すべき自立杜会のルールを破壊しているのだ。彼らは最早、隣人である友達との関係より、テレビの映像に見える虚像と会話することを優先して、精神的な落ち着きを失おうとしている。本当はそうではないはずである。彼らも、黙って一人で考える時問が欲しいのである。社会に出るには、まだ早すぎる。

勿論、天才的な子役や、若くとも見事な役者がいれば、それは別の語である。それは彼らの世代の中でも憧れとなるべきである。若き哲学者がいてもよい。実際にそうした若者は存在している。しかし、そうした次元の話をしているのではなく、ここでは、話にならない話をしている。若者たちからの反論が山のように出てくるだろう。実は、それを聞くのが楽しみである。大人たちは一体何をしているのか。あなたたちは、どれほど立派な社会をつくって くれたのか、という声が聞こえる。

一官僚や政治家のやっていることは何だ。総会屋がとり仕切っている証券界や銀行界のために、俺たちはこれからどれほど莫大な負債をかかえて一生を送らなければならないのか。われわれは、二十一世紀に、夢を描くことができないのだ。それを何とかしたうえで説教してくれ。われわれは、たまたまこんな時代に生まれたにすぎないのだ。あまりにもひどすぎるではないか。

こう言われて、私は反論しない。反論できないからである。これを何とかしなければならないと自分に言い聞かせている。あらゆる問題が、かなり急いで解決しなければならない状況にある。

しかし実際には、そこまで若者が反論するようになれば、何も心配はない。それどころか、彼らは何も考えていないのである。私は、そうした若い世代全体に、叱りつけたいという衝動を感じている。叱りつけられれば、人間は反発して、それを超えるだけの知力をつけてゆくだろう。

むずかしい本を読めとは言わない。しかし、カタログ雑誌を見ているだけでは、半人前の人間にしかならない。少なくとも、自分の国の歴史ぐらいは、自分で感得して知っていなければならない。社会問題のひとつも知らなければ、とても大人とは言えない。その道程にあって人間を鍛えてくれるのは、自分の体内から勝手に湧きあがってくる独自の人生哲学である。それを与えてくれるのは、書物より肉体労働だ。

なぜこのようなことを連綿と書くかと言えば、全世界を見渡しても、これほど無気力で、これほどの堕落を感じさせる若い世代の集団は、どこの国にもいないからである。集団として論じられることがくやしければ、一人ずつがそれなりの知力をつけて、実力でのしあがって社会を変え、われわれを見返すべきである。

日本が人類史上まれに見る悪貨(政治家)と、偽善者(愚民)と、無の存在(若者)から成る国家だとすれば、やがて崩れ落ちるバベルの塔だと、物笑いの種になりかねない。そうした危機を誰もが予感して、昨今、「ウィリアム・テルが悪徳代官ゲスラーを弓矢の一撃で倒し、スイスを独立に導いた」という英雄譚に近い物語を待望する気運が高まってきた。が、こわいこわい。こんな烏合の衆がひとりの救世主を崇めたとき、国中がとんでもない大混乱に巻きこまれる悲運が訪れることは、人類史数干年の不文律ではないか。

.そうあってはならないと、それぞれの地域で住民投票がおこなわれ、城内に持ちこまれた"トロイの木馬”の役割を果たしてきた。国会議員が「何だ何だ」と見守るうち、内部から兵士が飛び出して、住民の反乱が見事に功を奏したのだ。たとえこれが事実だとしても、国民がそれを遠くから跳めて喜ぶだけでは、破壊されつつある国としての総体がどこへ進むかという厳粛な問に対して、答になっていない。

すでに第一党である自民党の支持率が二割台、ほかの政党に至っては虫メガネを要するレベルまで下がり、「どこの政党も支持しない者」をメディアは勝手に浮動票と呼ぶ。 冗談ではない。支持できる政党などどこにもないと、みなが怒っているのだ

現代日本人は、かなり自虐的な悲劇を待ち望んでいる。文化人の言葉を借りれば、破壊からの再生である。しかし、そこに願いをかける人が知っておかなければならないのは、前代未聞の高齢化が進んだこの国で、これから二十年も時を刻めば、がらがらと人間が入れ替るという天命のめぐり合わせである。少子化である。

現在の大人の社会は、あらゆる話を疑うべき対象として、若者の前に置かれている。その実態を知るほど、人生に面白いことはない。確かに、これまで闇にとざされていた謎を解き明かすことは、私にとっても猛烈な自省を促す作業である。しかし、ここまで真顔で未来の世代に宛てた一文を本に書きながら、大変な事実を見落としていたことに気づいた。

あの若者たちは、本を読まない生物だという事実を。墓穴を掘るという言葉があるではないか。若者たちは自ら地球に落とし穴を掘り、その深い闇の世界に次々と落下してゆこうとしているのだ。ハーメルンの笛吹き男のあとを追って、ぞろぞろついていった子供たちが消滅した伝説のように。(P288−P296)

広瀬 隆 著 「地球の落とし穴」 文春文庫


小泉首相批判を書きすぎたせいか、サーバーに攻撃をかけられてサイトがダウンしてしまったらしい。半日ほどで復旧しましたが、アクセスカウンターは壊れてゼロからやり直しです。以前にもサーバーがダウンした時も参議院選挙のときだった。私がよく投稿している「阿修羅」サイトもこの2,3日ダウンしている。これも同じ陰謀なのだろうか。

先日、亀井静香候補と石原慎太郎氏の街頭演説会があったので聞きに行きました。マイクの音量が足らなくて良く聞き取れませんでしたが、テレビなどでの発言と大体同じでした。たまたま聞いていた場所が横断歩道の前で、横断を待つ若い人たちが目に付いた。知名度のある候補と都知事の演説にもかかわらず若い人はほとんど無関心だった。

小泉首相が演説に来た時は女子高校生が日の丸の旗を持って騒いでいたのに比べると、人気度の違いが目に付く。この差はどこから来るのだろう。政策的には亀井候補のほうが支持できる内容なのだが、構造改革は正義の味方であり、公共投資は悪徳利権政治の象徴にされているのだ。

街頭演説では難しい事を言っても聞いている大衆にはわからない。むしろ田中真紀子のような大衆を扇動するような攻撃的演説が受ける。小泉首相の「自民党をぶっ潰す」発言も同じだ。自民党総裁が「自民党をぶっ潰す」という矛盾を誰も不思議に思わない。「構造改革なくして景気回復なし」も、小泉首相自身が説明が付かない事を国会で証明した。

地方経済も不況がひどくなる一方なのに、小泉首相の支持率は60%もある。これは広瀬隆氏が言うように自虐的悲劇を自ら待ち望んでいるからだろう。若い人たちが人生に失望してクスリに手を出すのと同じだ。年金も若い20代は4割も払っていない。それだけ多くの若者が年金を支払うようなまともな仕事をしていないのだ。

高校や大学を卒業しても希望のところは就職できず、就職出来てもすぐに辞めてしまう。学校は荒れまくり、学生達は髪の毛を茶髪に染め先生たちはそれを指導できない。耳や鼻に穴を開けてピアスまでしている。缶コーヒーの空き缶は所かまわず投げ捨て、そして所かまわず地べたに座り込む。夜10時を過ぎても少女達が盛り場をたむろしている。それが不良少年少女ではなく普通の若者たちなのだ。

このような現状から、20代30代の若者は本も読まず、政治にも無関心で、感覚的にしか物事を判断できなくなっている。だから総理大臣もかっこいいか、かっこわるいかで判断している。政治に無関心だから支持政党がないのも当然だ。マスコミは無党派層といっているが、無関心層というべきだ。





石原慎太郎+亀井派の石原新党で
小泉自民党政治の終焉が迫っている


2003年9月12日 金曜日

亀井氏が意向、敗れたら石原新党

自民党総裁選に立候補している亀井静香前政調会長は12日昼、都内で記者団に「万々が一(総裁選後に)小泉政治が続く場合には大動乱になる。石原慎太郎東京都知事とは良き友であるが2人だけの関係ではなく、日本のために生かしていくことが政治家の仕事だと思う」と述べ、総裁選で敗北した場合は石原氏と連携し、新党結成を目指す考えを明らかにした。石原氏の意向は不透明だが、総裁選期間中の新党結成への言及は波紋を呼びそうだ。
(日経新聞 2003年9月12日)  (13:58)

12 :闇の声 :03/09/06 15:23 ID:IKSBkSNf
自民党内の混乱はひとまず収拾なのか、総裁選の先行きは見えた感じがする
しかし、このままでは済まない動きも一部にはある
と言うのも、総選挙が近い今となって総裁選で体制が変わって公明党にそっぽを向かれては
困る人が多すぎるのだ
ここまで公明支配が強くなっていることに、今更ながら驚く始末であるけれども
山崎−冬柴の選挙対策ラインに背いては当選がおぼつかない議員が山ほどいる
それほど、公明の掛けた揺さぶりは大きかった
しかも、公明は小沢−秋谷のラインが前にも書いたように残っているからどっちに転んでも
ケガをしないようになっている
もちろん、取引材料は税制改革の阻止であり課税最低限の引き下げの阻止であるし
政策提言など一切しないで、政治的責任を負わない形でのコントロ−ルを続けること
その為には、小泉体制の存続はイコ−ル自民党政権の存続となる

さらにもう一つ、株価や長期金利などを見るとあまりに外資依存であるし
相場は完全にアメリカ主導だ
竹中更迭となれば、外人の動きも変わってくるだろう
火中の栗を拾いたくないと言う思惑が、あまりに出過ぎていると思う

13 :闇の声 :03/09/06 15:33 ID:IKSBkSNf
それにしても、自民党の若手は伸び悩みだと思った
町村、丹羽、谷垣・・・このクラスが立候補しても良いと思ったし
保利もそう・・・・結局一国を背負って立とうという気概も野望も何もない
これでは、政党が小さく纏まってしまう

どうもこれは、近い内に政権交代があって民主党政権もあり得ると言う事なのか
確かに、自民党の内部には今は小泉にぶら下がって責任逃れをしようと言う感が強い
それほど、経済的には疲弊してしまっているし株価はアメリカの影響で上がっていても
それが実態経済とは距離があること・・・何時メッキが剥げて再び不安定な様相を呈しても
不思議ではないし、金融界も今すぐにでもやるべき不良債権処理も速度が上がらない・・・
思惑が強すぎるためだけれども・・・先行きが見えてこない
17 :闇の声 :03/09/06 18:12 ID:IKSBkSNf
ずいぶん人の名前を語る人がいるね・・・まあ良いけれど

>>16
塩崎という人は、確かに政策通であるし知識も豊富だ
その知識が邪魔をしている感じがする
政党と政治家個人の整合性が今ほど難しい時期はないと思うけれども
特に、自民党という都市部では弱い政党が政権を握っている現状ではねじれが起きるのは
当然だね
彼は、政策に賛否を表すことは出来ても人の全てを飲み込むことは出来ない
だから、信じることも信じさせることも出来ない
それが、最大のネックだ
例えば、竹中の政策に関して不良債権処理や国債の発行を押さえることはこれは当然であるし
異論を挟むことはない
しかし、プライオリティの問題として景気刺激策もなにがしかしなくてはと言う時に
政策の是非だけでコウモリのようにあっちへふらふら、こっちへふらふらでは
何時になっても塩崎という人間を飲み込ませることは出来ない
最初から「あいつは何時裏切るか判らないから、全てを明かせない」になる
特に、自民党のように派閥があってオヤジがいて、子分になって育っていくのが
アイデンテティという古い体質の元ではそれは異分子だ
だから、言っていることは正しいが何時になってもオヤジになれない・・便利な政策屋で
終わってしまうかも知れない
それは、金融の伊藤副大臣でも同じだと思う
86 :闇の声 :03/09/11 18:28 ID:b0UdpPbg
一つの時代が終わったと言うところだろう
野中広務の引退は・・・

自民党の崩壊と言うか、権力構造が変化を始めているのは事実だろう
ただし、問題なのはその変化を選挙民が確実に手に出来るのか・・・
前にも書いたように、小泉改革とは権力構造の改革だと考えている
大衆迎合的な手法で、自分達の立場強化をしそれを基盤にして何かをしようとする
選挙民は、実際に何をするのか判らない内に知らず知らずに支持させられてしまう
結果責任は選挙民が負い、暮らしが悪くなろうと社会秩序が壊れようと、選んだのは
誰だという権力からの指摘を受けて、黙らざるを得ない・・・

自民党の民主党化と言うか、この二つの政党の違いがそれほど無くなる感じがする
都市対地方、年代間、男女、生活格差などのあらゆる対立がこの二つの政党の拮抗状態に投げ込まれ
よりポピュリズムがひどくなるのではないかと思う
その一つの表れが石原氏の発言であるし、埼玉知事選での田中康夫氏の行動だろう
小さな事でも大きく騒いで、火を燃え上がらせた方が勝ちというそう言う政治は怖い
その蔭で官僚達が責任を負わないままに政策を決め、それを騒ぎの中に投げ込んで
目くらましをしてしまう・・・結果、生活は苦しくなる

ここで、選挙民は賢くならなければダメだと思う
権力を見極めて、いかなる権力も腐敗をするのだという啓策を持ち歩かなければならない
しかし、それだけの考えというか政治に関する哲学を養ってきたのだろうか・・・
その貧困が、今日の政治状況を招いた・・・もっと言えば、小泉という怪物を作り
反作用として、田中康夫が過剰に評価されているのだと思う
88 :闇の声 :03/09/11 18:38 ID:b0UdpPbg
二つの政党は、拮抗するのだろう
その緊張状態を上手く捉えて、政治参加への足がかりを作るべきだ
政策をみんなで考えて、討論を元に採決をすることが如何に大事なのか
基本へ帰るときが来たと思う
それは、密室政治の終わりとも言えるし、同時にポピュリズムの怖さを
理由もない熱狂的な支持の危うさを知ることだろう
だから、政治の怖さを判らせたという意味で、小泉のしてきたことは大した物だ

野中広務という政治家は、フトコロに包丁を飲み込んでどこでも行ったし
誰とでも話しをした
相手の利害と弱点を誰よりも知っていたし、自分を消して相手を目立たせることに於いて
苦労人故の手法が優れていた
しかし、それはあくまで政党の建物の中だけの話しで、世界を相手にする政治家ではなかった
では、今そう言う政治家がいるのだろうか??
極めて、悲観的にならざるを得ない・・・
要は、バッジを着けていなければ何も出来ない人間が増えただけだ
それをどうするかの責任を、選挙民は真剣に考えて結果責任を負わなければならない
そう言う意味で、今度の選挙は極めて重要だと思う

自分の考えでは、恐らく今度とその次の総選挙はそう間を置かないだろう
それだけ、緊迫すると思うし経済や外交など難問は山積で一つの内閣を潰したぐらいでは
収まらない問題ばかりだ・・・・
101 :闇の声 :03/09/12 13:06 ID:YZDZU+62
>>100
これが間違っているのかどうなのかは、判らない
ただ、自分が知っていることだけを言うと

鈴木宗男と言う人は、ある意味進んで汚れ役を買って出る希有な人物だった
もっともそれが、独自の金作りになってしまう訳だけれども、同時にロシアの開発という
これからの日本を考える上で重要な戦略に貢献したと言える
ロシアは国が大きすぎてモスクワの意向も、影響も極東には及ばない
加えて、ロシア人の頭の中にはウラル山脈から東側はアジアであり、自分達のような
白人が関わるところではないと言う差別感がある
エリツィンにしてもプ−チンにしてもソヴィエト共産党のエリ−トだったわけで
基本的な感覚は同じだ・・・つまり、極東は極東であり自分達の利権さえ押さえておれば
あとは何もしなくても良い・・・所詮流刑地ではないか・・・だ

従って、現地の役人はやりたい放題である
軍も一緒だ
そんな連中を言葉で相手にしても、結局は金をせびられる
毒を以て毒を制さない限り、交渉なんか進まない
鈴木宗男の特技というのは、その毒を毒ですよと見せて同時に砂糖も見せること
役人は、毒も砂糖も見せることは出来ない
育ちの差だね・・・同時に、金脈に対する動物的とも言える嗅覚と野中譲りの包丁を飲み込む
度胸と・・・を持ち合わせている
102 :闇の声 :03/09/12 13:19 ID:YZDZU+62
基本的に、政治には金がかかる
誰だって、頼まれたらただでは動きたくない
所詮は人間欲の動物なのだ・・・それを是としないで愛だの正義だのを持ち出して
結局失敗したのは鳩山だったね・・・

野中も鈴木も、共通するのは金を後出しで人を動かせる脅しまがいの凄みがあったこと
違うのは、野中が小渕政権の時に初めて国政の表に立ったこと
そこで野中が見た物は、明日をも知れない金融機関の体たらくとあまりに書生的な民主党・・・
しかも、自民党内部は不勉強で若手が育っていない
野中を過大評価だと言うけれども、野中がいなかったら金融問題はもっと大きくなったと思う
もっとも、その方が今にして思えば良かったのかも知れない
そこが、野中広務という人の限界と言えばそうなるだろう

小泉と言う人物は怪物で、さっき会った人が何を言って何を頼んでいったのか
忘れることが出来る
気にしないのだ
鈴木宗男が仮釈放になっても、彼のことなんか忘れているらしい
鈴木宗男が何をしたのかも、記憶にないだろう・・・ロシアが自分にとってメリットも何もないこと
それも、北方領土問題は火急ではなくそう簡単に・・・自分の在職中には片づかないと割り切っているから
鈴木が出てきて、何を言おうが我関せずだろう

野中が求心力を失ったのは、経済政策に詳しくなく竹中の経済政策を情に訴えて
撤回させようとしたこと・・・
それは、政治家には通用しても人の血の流れていない竹中や木村にはバカにされるだけで
全く効果はなかった
政策本位の論争ならば喜ぶべき事だけれども、国民に責任を負わない学者が勝手に理論を振り回して
実験場に日本経済をされている事を政治家誰もが止めることすら出来ない
この責任は大きい
103 :闇の声 :03/09/12 13:30 ID:YZDZU+62
今の自民党の政治家にとって、民主党の存在は怖い
しかも、与党でありながら公明党という存在は一度敵に回せば
絶対に当選でき無くされるという恐ろしい物だ
結果的に、選挙が怖ければ小泉の言いなりになって、公明党の意向を損ねないように
気を遣わざるを得ない

加えて、今の小泉政権は閣僚をあまり変えない
従って、一度閣僚になれば暫くは安泰であり選挙民に対するアピ−ルも出来る
これはかなり大きいし、ましてなかなか閣僚になれない参議院議員は何とかして
閣僚になろうと焦ることになる
その閣僚ポストをどうやって割り振るのかと言う利権が青木には転がり込む
しかも、参議院の場合与野党対決という図式が激しくなるときに、公明党の機嫌を損ねれば
どうなるのか・・・だ

鈴木宗男のことを野中は恐れも何も感じてはいないだろう
それと、中川や森のような交渉下手がロシア利権を貰ったところで活かすことは出来ない
北朝鮮人脈にあれだけ振り回されて、しかも交渉の中身を喋ってしまい結果的に国内外の信用を
無くしてしまった森のこと・・・
まして中川は、言う事が表も裏も一緒でテレビで喋っている以上のことを言えない・・・
それは、彼の能力を周りが判っているから権限を渡していないのだ・・・
そう言う人間に、鈴木宗男が利権を渡すとは思えない
名詞の束を渡しても、その人間とどういういきさつで会って何を話したのかという
一番大事な中身は渡してはいないだろう
104 :闇の声 :03/09/12 13:37 ID:YZDZU+62
小泉は、金を配っているわけではない
もともと、金は切れない人物だ
欲もない代わりに、徳もないし人の為に身銭は切ったことがない
ただ、公明党がくっついているから選挙上影響力が巨大になっている
鈴木が動けば動くほど、小泉が反主流派を追いつめる口実を与えてしまう
それを判らない鈴木宗男ではない・・・しかし、親分を失い頼るところがない鈴木だから
誰かの所には行きたい・・・結果的にサメを失ったコバンザメの如く
くっつくところを探す日々だろうけれども、それはかなり難しいだろう
同時に、民間からの資金供与には限界があるから、鈴木の影響力は極めて限られていると思う
情報ル−トを失った鈴木宗男はもはや見いだす価値のない政治家だね
彼が何かをばらせば、その代わりに彼も何かをばらされる
これ以上逮捕されない代わりに、一回か二回はお休みになるだろう

2ちゃんねる 不良政権問題の解決はヤクザの殲滅から9



橋本派は野中氏の引退声明で分裂解散の危機に瀕している。100名もの大所帯を資金面で支えてきたのは野中広務と鈴木宗男である。青木氏や村岡氏では金は集められない。中国のODA利権や北朝鮮や朝鮮総連がらみの資金ルートは野中広務が握っている。野中氏が引退したあとは古賀誠が後を引き継ぐのだろう。だから橋本派は分裂する。

小泉純一郎が総裁に選ばれるのは間違いないのだろうけれども、毒饅頭を食らった自民党議員は小泉陣営と抵抗勢力の挟み撃ちにあって孤立し消滅していくだろう。つまり橋本派と堀内派は消滅する。堀内派は古賀派と毒饅頭派に分裂するのだろう。選挙民もバカでは無いから選挙の時だけ小泉支持を訴えても、選挙民は小泉支持=自民党支持では無いから毒饅頭食らった議員は当選は流動的だ。

自民党がダメなのはすでに60歳台に入った総裁候補の後の世代が立ち上がらないことだ。小泉内閣で外務大臣や文部大臣や金融大臣や経済大臣といった主要ポストが民間人にさらわれ、キャリアを積む機会が潰されても丹羽、町村、谷垣、保利、平沼といった中堅がやけにおとなしい。若手も20名の同志も集められず空中分解してしまった。これでは自民党の将来はない。

今日のテレビ朝日のお昼のニュースで、亀井候補がインタビューに答えて、「小泉総裁が再選されるようなら政界は大混乱になり、石原氏と新党を作る用意がある」と答えていました。新党といっても亀井派がそっくり合流すれば65名以上の新党であり、政権をめぐるキャスティングボードを握ることになる。

自民党の中には公明党依存体質が定着しており、若手の自民党議員は公明党の助けを借りなくては当選できなくなっている。つまり小泉内閣は公明党なしには成り立たない。亀井氏の離反は自民党内の反公明党の議員達をも動かして石原新党に合流するだろう。これで新政権のキャスティングボードを握り、民主党+石原新党の新政権が誕生する。小泉自民党と公明党は野党に転落して、小泉内閣はおしまいだ。




橋本派はボス不在で各派の草刈場となるだろう。
小泉首相も天敵不在で人気失墜し政権陥落か?


2003年9月11日 木曜日

「派閥は壊れた」と首相 再選に強い自信

小泉純一郎首相は11日午前、自民党本部で共同通信の単独インタビューに応じ、総裁選で橋本派が分裂選挙になったことについて「第1派閥が総裁を決定していた構図が前回から2回続けて壊れた。かつての派閥は壊れたと言っていいのではないか。党改革の面から一歩一歩前進してきた」と評価した。
 総裁選に関しては「(手応えは)いい。1回目で過半数を獲得することを目指している」と述べ、再選に強い自信を示した。

 内閣改造については「党内の勢力分野が変わってきた状況を見ると、党役員の任期切れに連動して内閣改造するのが普通だろう」と、総裁選後に実施する考えを表明。ただ「すぐやるか、ちょっと時間をおいてやるかは20日(の総裁選)が終わってみないと」と、実施時期は明言を避けた。(共同通信)
[9月11日12時3分更新]

自民党総裁選 県議と県選出国会議員、候補者支援にズレ /群馬

◇小泉支援求める県議−−国会議員、派閥にしがらみ
 総裁選を巡り、自民党の県選出国会議員と地元県議の間で、支援する候補者のズレが表面化してきた。自民党衆院5区県議団(団長・岩井賢太郎県議)は9日、同区選出で橋本派の小渕優子氏に対し、小泉純一郎候補への支援を求める要望書を提出。江藤・亀井派事務総長の谷津義男氏の3区でも、同党太田支部(支部長・秋山一男県議)が小泉支援を打ち出した。県内では「小泉優勢」との見方が強まっているが、県議31人を抱える福田赳夫元首相系県議グループ「政策同志会」も同日、小泉支援で一致した。

 この日、5区県議団の岩井県議は前橋市の同党県連で「小泉総裁が誕生することで、次期総選挙での自民党の勝利があると思う」などと述べ、小渕氏事務所長に要望書を手渡した。
 小渕氏は、橋本派所属の藤井孝男候補の出陣式に出席するなどしているが、要望書では民主、自由両党の合併などを踏まえ、「(同県議団は)小異を捨てて大同につき、小泉支援を決定した。地元の実情を理解してほしい」などとしている。
【清水憲司】(毎日新聞)
[9月10日19時14分更新]

小泉総理、遂に自民党体質を壊す

9月20日の自民党総裁選に向けて政局が激動しています。日本の政界では『理想主義の小泉総理』VS『既得権益の代表の野中氏』という構図、つまり『構造改革と既得権益者の戦い』が小泉政権誕生以来続いていました。

そして、この既得権益の代表が100名の議員を抱える橋本派でした。この派閥は佐藤政権の時に佐藤総理が次の総理を誰に指名するかということがきっかけとなって誕生しました。

当時、佐藤総理は佐藤派の資金面を一手に引き受けていた田中角栄に頼っておりました。一部で「田中氏は3回自分の会社の金庫を空にした」とも言われるほど、田中氏は佐藤総理に尽くしたことで、次の総理に佐藤氏から指名されると考えていました。ところが佐藤総理が指名したのは官僚出身の福田氏でした。

この佐藤派は戦後の最初の総理となった吉田茂が作った派閥であり、保守本流と言われましたように官僚出身のエリートが多くおりました。そこで官僚出身の佐藤総理は尋常高等小学校出身(公式には中央工学校土木科出身)で今太閤と言われた田中氏ではなく、東大出身の福田氏を次の総理に指名しました。

ここから『角福対決』が始まり、現在の福田官房長官と橋本派の深く潜行した戦いが起こっていると言われています。問題は田中氏と福田氏の戦いですが、当時福田氏は自分が勝つと確信しておりましたが、田中氏の攻勢で田中氏勝利となり、この時に『相当のお金が動いた』と当時言われていました。

この田中派が竹下派に代わり、小渕派に代わって、現在の橋本派になっています。つまり、橋本派は日本の金権政治の源と言われている田中派が発展した派閥であり、総理を決められる派閥であり、主要大臣ポストを獲得出来る派閥であることで、100人という自民党の最大派閥を維持してくることが出来たわけです。

しかし、小泉総理は大臣ポストを派閥に投げることをせずに自分で決めたことで、派閥のメリットである大臣ポストの権限が派閥からなくなりました。更に既得権益の代表が派閥に頼んでも小泉総理が潰すということ、それに加えて金権政治に対する国民の不満が高まってきたことなどから、派閥の存在価値が徐々になくなってきました。これは正に旧態依然とした自民党をぶち壊すと言った小泉総理のシナリオ通りの展開になってきたということになります。

野中氏の引退表明の意味するもの

自民党の派閥の代表である橋本派の今回の動きは、正に旧態の自民党体質が崩壊したことをはっきりと示しています。

橋本派の代表は橋本元総理です。そして橋本総理は竹下七奉行の一人と言われた人でしたが、一匹狼的な性格の問題や資金集めの問題で子分がほとんどいないという政治家でした。したがって、総理経験者であることから派閥の代表になりましたが、実際の派閥を仕切っていたのは野中氏と青木氏、そして第三の人物である村岡氏の三人でした。このなかで、青木氏が参議院選挙をにらんで『亀井氏や藤井氏では菅・小沢連合軍には勝てない』ことから、主義主張を捨てて、選挙に勝つために野中氏と対立しても小泉総理を支持しました。更に村岡氏が小泉総理支持を表明したことで、野中氏は切れてしまったということだと思います。

ここで、ひとつおかしいことは橋本派の代表である橋本氏の顔が全く見えないということですが、いずれにしましても野中氏の政界引退発言は『抵抗勢力の崩壊』を意味しますので、今後は小泉総理の構造改革の進み具合が早まるのではないかと思います。

野中氏が引退するという表明は抵抗勢力の船頭が消えるということになりますので、抵抗勢力にとっては大きな痛手となります。また、抵抗勢力に属していた議員の中には『船に乗り遅れると大変だ』という意識が出てきますので、総裁選はますます小泉総理が優勢となり、第一回で過半数を取る確率が非常に高くなったのではないかと思います。

つまり、抵抗勢力についていた政治家で確固たる信念を持っていなかった政治家が小泉総理の側に大挙して移る可能性が高くなったのではないかということから、小泉総理が断然有利になったと考えてよいのではないかと思います。(後略)

今日の視点 ケン・ミレニアム株式会社 森田謙一 03・9・10


自民党の総裁選挙は小泉首相の圧勝の勢いのようだ。小泉首相の高い支持率については、どうも納得がいかないが、ネットでのアンケートでも圧倒的に高い支持率を示しているから、間違いはないのだろう。つまり電通という広告代理店を利用した演出が上手いのだろう。

この事はプロレスを見ればよくわかる。例えは古いが力道山とシャープ兄弟の演出方法だ。シャープ兄弟が反則のやり放題で、悪の限りをやりつくし憎しみを煽り立てる。そこを力道山が登場して悪役をやっつけて人気爆発、という手法だ。森前首相も利権政治の象徴のような政治家で野中広務と組んで、国民の憎しみをかった。

そこへ小泉純一郎が登場して、選挙で圧勝して人気は爆発した。他の候補は無力か利権政治の塊のような候補だったからだ。今回の総裁選も同じように高村氏は無力だし、亀井氏、藤井氏は利権政治の象徴のようになっている。経済政策に対する地方の不満は強いが反小泉にならないのはなぜだろう。小泉陣営にも利権政治家の権化が沢山いる。

とにかく小泉内閣は自民党の生命維持装置であり、自民党の政治家は小泉人気で政治生命を保とうとしている。他の三氏では選挙で勝てないからだ。このようになった原因は小選挙区制と、自民党総裁選挙の選挙人を自民党員に大きく割り当てたことで、金で総裁の椅子を勝ち取ることが難しくなったことが原因だろう。かつての総裁選に比べ透明性が高まったからだ。

だから、これからの首相になるべき政治家とは、大衆受けするキャラクターが必要で、何よりも見てくれが第一だ。若くてハンサムでインテリで背も高くて演説も天才的という、映画スターと大して変わらない人材をスカウトする必要がある。軽薄な大衆の支持を集めるにはそれしかない。小沢一郎や野中広務のような悪党面では、いくら政治家として有能でも首相にはなれない。有権者の半数は女性だから独身であればもっといい。

橋本派の悲劇はこれから始まる。ボスのいなくなった派閥は求心力を失い四分五裂してなくなるだろう。反小泉派=抵抗勢力の消滅により小泉首相の敵は無くなる。小選挙区制とは反主流派の存在が許されない。党の統制が強まることで党首の権限が強まり、影の実力者は野中氏のように簡単に失脚する。それだけ構造改革が進んだのだろう。

しかし小泉政権の先は長くないだろう。所詮は小泉内閣は利権政治家の集合体だ。今度は菅氏が党首になった民主党と総選挙で戦うことになる。小泉氏と菅氏とはキャラクターが重なり差別化は難しい。そして政策でもイラク派兵問題で小泉首相が強行すればどうなるだろうか。そもそも小泉人気は悪役がいたから上がったのであり、野中氏の引退でその役割は終わった。橋本派の分裂と共に自民党も力を失い野党に転落するだろう。




ブリヂストン、新日鉄…相次ぐ大規模火災
現場と人間を知らずに現場の問題は解決しない


2003年9月10日 水曜日

ブリヂストン、新日鉄…相次ぐ大規模火災

新日本製鉄、ブリヂストンという日本を代表する企業の製造現場で、立て続けに発生した大規模火災。原因の真相究明はこれからだが、事故の背景として長期不況による人員合理化と修繕費などの固定費削減が裏目に出た、と指摘する声が強まっている。

 日本の製造業は過去十年以上にわたり、バブル期に膨らんだ過剰な設備や人員の清算に奔走。ここ数年は台頭する中国に対抗するため、一段の合理化を迫られている。新日鉄、ブリヂストンとも同じ境遇にあった。

 特に社員が高齢化している鉄鋼業界は「世代交代期に入っている」(業界関係者)という。ところが定年退職者が続出する一方、新たに人員を補充して育てていく余裕がない。その結果「製造機械を動かすことは簡単にできても、異常発生時にどう対応するか、というノウハウの伝承に乏しい」(中堅鉄鋼メーカー)との声が漏れる。日本経団連には九日、「熟練工を放出したとがめだ」と批判する市民の声が数件寄せられた。合理化を進める中で「修繕費や設備の維持費を必要以上に削減した」(業界関係者)という指摘もある。

 こうした見方に対し鉄鋼業界は、「合理化やリストラが遠因とは思わない。当社は退職者が持つ技術をデータベース化している」(住友金属工業)、「四人で行うところを三人でやれというようなむちゃは絶対にさせない」(日新製鋼)と一様に否定はする。

 最近の景気回復が事故の要因ではないか、とする見方もある。産業界全体の大口電力需要は、ことし六月までに十二カ月連続で増えた。特に「鉄鋼」は自動車向け主体に昨年四月以降七月まで十五カ月連続で増加。人員削減を進める中での繁忙で、安全性への心構えが失われてしまった、という側面も否定はできない。

 ニッセイ基礎研究所の百嶋徹主任研究員は「素材産業の工場がフル稼働した一九八八年と九四−九五年当時でも今回のような大事故は記憶にない。当時は設備の維持に企業が十分なお金と技術を費やしていた。今回は構造変化の中で、企業が固定費削減をなりふり構わず実行した結果」と分析する。

 業績回復のための企業のリストラは「功」。今回の事故はリストラの「罪」の部分が全面的に表れたとみられる。リストラの中身を早急に点検しないと、同様の事故が再び起こる可能性がある。(東京新聞 2003年9月10日 朝刊)


最近の工場、製造現場の問題点

(前略) オペレータをマスで管理していた昭和30年代から、グループ活動を中心に現場の活性化を図ってきた40―50年代を経て、その後は工場の合理化が急速に進められ、工場におけるリストラが進みました。最近の工場はFA化、自動化がますます高度化し、コンピュータが人の仕事を代行するようになり、オペレータの数が本当に少なくなってしまいました。

 ここまで、工場の合理化が進んだ今日、「工場人の問題解決能力、事故対応能力が落ちてきている」「技術、技能の継承がうまくできない」など工場の現場で、人間にからむ様々な問題が浮かび上がってきています。特に「現場と人間を知らない現場管理者」が増えてしまっているのです。

私は、工場長を歴任してきましたので、昨今問題となっている雪印乳業の事故、JCOの事故などの報道を見聞きするたびに、製造の責任者の基本的な仕事に対する構え方の甘さというか、結果に対する責任感の欠如というか、歯がゆくて仕方がありません。

 マニュアル教育、手法教育はそれなりによく行われて、従業員のレベルは決して悪くない、むしろ立派なレベルにあるにもかかわらず、こんな大きな問題を起こしてしまう。何故か。私は従業員教育に大きな欠陥があると思っています。

 安全をはじめ、教育は事細かに行われているのに、危険教育が実施されていない。小さなミスも出ないようにと、安全教育、作業規則など手法の詳細な教育ばかりが実施されて、その工場における一番の基本理念、何が危険か――ここさえ守れば、小さな事故はあっても、決して大事故にならない――を教えることが抜けてしまっている。

 別のいい方をすれば、手法ばかり教えられて、仕事の目的が教えられていない。人は仕事の目的をはっきりつかめば、手法については重要なポイントさえ教えられたら、後は自分で考えていけば、大きなミスなく仕事を実行できるものです。

 これは学校教育でも同じことがいえると思います。何の為に勉強するのか、その目的を持てていない学生の所へ一方的に知識が洪水の如くやってくる。先生や親からは「兎に角、勉強しろ。勉強しなければいいところへ入れないよ」とだけ強制されている。自分で掴み取った(納得している)目的をもたなくては勉強に興味が湧くはずがありません。これではたまったものではありません。多くの学生は適当にやって遊ぶか、グレるか、しか仕方がないというのが現状ではないでしょうか。(中略)

それから、20年という時が流れて、世代の交替がすすみ、現在工場に勤務しているオペレータ、職責者の多くは大きな事故、トラブルを経験したことがない人達になってしまいました。この人たちは連結された大型設備しか知りません。工程が連結されていなかったバラバラだった時代を知りませんから、何か事故、異常やトラブルが発生したときに、工程を分割して考えることが難しくなっています。

 生産設備は巨大化し、計装化され、連結され、ほとんどコンピュータで操作が行われるようになっています。その結果、昔、現場で苦労したような調整作業はコンピュータが自動的に最適条件に合せるようになり、その上データも自動的に記録し、解析も現場の人の手を離れてしまうところまできています。現在では事故もトラブルも小型化し、大きな事故はほとんどありません。

 オペレータが現場にでている時間が少なくなり、手作業が減少し、仕事は操作室のパネルの監視が中心になりました。安全面の配慮から、設備を自分たちの手でばらして点検できるところが限定され、現場の人にとってはブラックボックス化したところが多くなってしまいました。極端にいえば、年次定期休転修理工事の時しかオペレータが本当に設備に触れるチャンスがなくなってしまいました。こうなると製造現場にいるという臨場感が薄れます。そして、次第にオペレータから「もの作りのわくわくするような楽しさ」を奪ってしまうことにもなったのです。

 設備の安全対策が進む程、オペレータも、製造管理者も事故、トラブルを体験するチャンスが減ってきます。大きな事故、トラブルは人間がわざわざ作り出して経験することはできません。過去の記録と他工場の事故による事例研究では、知識としてしか勉強できず、精々のところは特定設備についての想定事故訓練でしか事故対応能力は鍛えられないのです。

 以前、話題となった実験原子力発電所『もんじゅ』の事故をはじめ最近の大工場の火災事故、爆発事故の報道をみていると、事故を大災害に発展させない現場の事故対応能力が落ちてきていると考えざるを得ないのです。(後略)

工場管理者へのメッセージ 間瀬 誠


最近は新日鉄、ブリジストンの大工場などの火災事故がやけに多い。危険物を扱っているのだから事故に対しては十分な対策はとられているはずですが、生産工場の大規模化とコンピューター化が進んで、現場を知らない現場責任者が増えてしまったことが原因のようだ。現場の責任者が現場の事がわからないというのは、現場もオペレーションルームで監視しているだけの作業責任者が増えたということです。

産業界も世代交代において、技術や技能の継承が上手くいっていないのはなぜなのか。オペレータールーム内の作業では現場がどうなっているのかはまるでわからない。モニターカメラもありますが音や臭いや温度など様々な情報は、オペレーター室には伝わらない。おそらくまめに現場を回って巡回していれば、初期消火で済んでいたか、事故も事前に防げただろう。

産業界も固定費の削減で、現場の作業員の削減やリストラでベテランの作業員がいなくなり、日常作業には問題がなくとも、事故が起きた際の緊急対応が出来ない問題が起きている。工場においてもベテラン、中堅、若手の世代が揃っていないと技術や技能の継承が上手く行かない。ところが工場もオートメ化やロボット化が進み、熟練工は必要なくなり、未熟な作業員だけになってしまった。

いくら生産工場のハイテク化が進んだところで、技術や技能が不要になることはない。むしろロボット化やコンピューター化が進めば、より高度なメンテナンス技術が求められる。しかしながら現実は工場の作業は下請け会社に丸投げしているところが多い。これでは技術の継承は行われない。おそらく大工場の火災や爆発事故はこれからも増え続けていくことだろう。




小泉首相は自民党の生命維持装置
派閥政治の崩壊は自民崩壊の前触れ


2003年9月9日 火曜日

[橋本派] 分裂選挙に 派閥の崩壊象徴

自民党総裁選の行方を大きく左右する――と注目されていた橋本派の出した結論は、やはり分裂選挙だった。小泉純一郎首相の再選を目指す青木幹雄参院幹事長と、「反小泉」候補を乱立させ、決選投票で逆転を狙う野中広務元幹事長。かつて一枚岩を誇った最大派閥の抜き差しならぬ内部対立と混迷は、自民党政治を特徴づけてきた「派閥」そのものが崩壊しつつあることを鮮明にした。【中川佳昭、平田崇浩】

 ◆「おやじ」不在

 「あんなにすり寄らんでええ。すり寄り過ぎだ」

 6月28日夜。全前日の講演で、青木氏が「小泉さんは自民党のおやじ。息子はおやじの言うことを聞くもんだ」と語ったという話を伝え聞いた野中氏は、周辺に向かって、あからさまに青木氏を批判した。すでに、このころから、両氏は互いに後戻りできない状況になっていた。

 田中派の流れをくむ橋本派の結束力は、金丸信・元自民党副総裁の「おやじが右と言えば右を向くのが、派閥というものだ」という言葉に象徴されてきた。ところが今回は、派閥会長の橋本龍太郎元首相にほとんど調整の出番はなく、首相候補ではない野中、青木氏という「参謀格」同士の対立であったことが、第一のポイントだ。

 ともに竹下登元首相の側近。竹下氏直系の小渕恵三首相時代には両氏が順に官房長官を務めた。しかし、竹下、小渕両氏が死去し、「おやじ」がいなくなる。しかも、橋本派の協力を得ないで小泉内閣が誕生。政権への派閥の影響力が小さくなる。そんな中での「反小泉」「親小泉」の争いであるところにも、同派のちょう落ぶりがうかがえる。

 かつて派閥は、首相候補の下に、人もカネも集まるという集団だった。

 田中角栄氏が首相を退陣した後は、他派閥の候補を担ぎ、「二重権力」と批判されたが、当時は竹下氏ら「候補」を派内に抱えていた。前回01年総裁選で、橋本氏が出馬した際にも「会長が立候補することで結束を保つ組織防衛」と言われてはいたが、派内の誰もが納得する「有力候補」を育ててこなかったツケがいよいよ回ってきた形だ。

 「規律ある派閥が理想」という野中氏も、むしろ、他派閥の古賀誠前幹事長や亀井静香前政調会長との連携に活路を求めた。だが、そんな姿勢は「『派内の藤井孝男元運輸相を首相に』というより、乱戦に持ち込むための手段では」と映った。これも「派閥で一致して藤井氏を」の流れを作れない要因だった。

 ◆計算ずく

 「もう派閥単位でやる時代じゃないでしょう。個人の自主的な判断、それに任せるのが、いいんじゃないですか」

 小泉首相は2日、総裁選について、こう語る一方、青木氏が再選支持の意向を示している点に対しては「心強いですね。ありがたいと思います」と歓迎してみせた。

 反小泉勢力が派閥ごとにまとまったら不利。「派閥などもう古い」と国民にアピールすると同時に、自民党議員もけん制する発言だった。

 実は、青木、野中両氏の間にくさびを打ち込んだのは首相自身だ。

 首相は橋本派との対決姿勢を打ち出しながら、「青木さんは信頼できる」と語り、派閥を超えて参院の自民党議員を束ねる青木氏とは会談を重ねた。青木氏にとっても、首相に直言できることが力の源泉だった。

 これに対し、首相は野中氏には敵がい心をむき出しにし、「野中氏=抵抗勢力の象徴」と印象づける戦略を貫いた。当然、野中氏の反小泉感情は高まる――。首相が計算ずくであったことを指摘する議員は多い。

 ◆他派にも波及

 田中元首相は83年、「派閥をやめろという議論は小選挙区制を前提としたものだ」と語った。同じ選挙区で、派閥の違う複数の自民党議員が争う中選挙区制から、小選挙区制に移行すれば、派閥は衰退するという「予言」だった。

 小選挙区比例代表並立制が導入され、選挙の運営も資金集めも党に集中。加えて小泉首相が、派閥が閣僚候補名簿を出す方式をやめたことでポストも派閥頼みではなくなった。

 親小泉か、反小泉かでは、堀内派も迷走し、分裂気味だ。河野グループでは相沢英之元経済企画庁長官が、高村派から高村正彦会長の擁立を協力要請されたことに関し、「推薦人を『何人出す』などと、派閥の親分が指図する問題じゃない」と語った。派閥として亀井氏擁立を決めた江藤・亀井派でも、亀井氏への支援に必ずしも積極的でない議員も残っている。

 反小泉勢力が狙う「2・3位連合」も、各派が分裂すれば計算がしづらくなる。派閥の崩壊現象が止まるのか止まらないのか――総裁選は、その争いでもある。(毎日新聞 2003年9月3日)

◆橋本派と堀内派、首相支持広がる…読売新聞調査

読売新聞が行った自民党総裁選に関する同党国会議員アンケートでは、小泉首相への支持が橋本派や堀内派にも広がっていることが顕著になった。

アンケートでは、衆院橋本派(58人)のうち八代英太・元郵政相、桜田義孝衆院議員ら4人が支持を表明している。

さらに、同派会長代理の村岡兼造・元官房長官も8日、記者団に「総合的に判断し、首相を支持することに決めた」と表明した。

橋本派幹部で首相支持を明確にしたのは、青木参院幹事長に次いで2人目。

村岡氏は、総裁選に出馬した藤井孝男・元運輸相の後見人と見られてきた。だが、村岡氏は、8日に都内のホテルで行われた藤井氏の出陣式に欠席した。青木氏に近い久間章生政調会長代理と額賀福志郎幹事長代理も、藤井氏の出陣式に姿を見せなかった。

藤井氏を推す野中広務・元幹事長は8日、記者団に「『政策転換や、閣僚や党役員の交代をきちんと(首相が)行う』と言って青木氏は支持したのに、そういうものがない中で、選挙の顔ということだけで支持するのは大義がない」と述べ、青木氏の姿勢を批判するなど、橋本派内の対立は先鋭化してきている。

堀内派(51人)も、ベテランの葉梨信行・元自治相や植竹繁雄、岩永峯一両衆院議員ら8人がアンケートで支持を明言した。匿名を条件にした議員を含めると14人を数え、同派会長の堀内総務会長が支持表明したことが影響していると見られる。

丹羽雄哉・元厚相の擁立を目指してきた古賀誠・前幹事長らのグループは、依然、「反小泉」の姿勢を崩していない。しかし、古賀氏に近い山本幸三衆院議員が8日夕、同派若手議員12人の集まる席で、「古賀氏を今後も若手で支えていこう」と呼びかけたところ、「“派中派”をつくるのはやめてほしい」と懸念を示す声も出たという。

最終的に8日に独自候補擁立を断念した若手議員たちも、橋本、堀内両派から参加した議員が多かった。

「保守本流」を自任する両派は、実質的に「首相支持」「反小泉」「若手」に3分されているわけで、総裁選を機に表面化した両派内の亀裂は「かなり深刻な状態にある」(橋本派若手)との声も多い。(読売新聞 2003年9月9日

あと1人推薦足らず…自民「若手の乱」不発に終わる

自民党青年局長の棚橋泰文氏(40)(橋本派)ら若手議員たちの“決起”は、小泉首相陣営などからの厳しい締め付けで、出馬に必要な推薦議員20人にあと一歩届かなかった。若手の独自候補擁立は幻に終わった。

8日午前10時過ぎ、自民党本部5階の会議室に十数人が集結し、菅義偉氏(54)(堀内派)が「現時点で19人集まった」と状況を報告した。候補者プラス推薦議員の計21人に、あと2人。

「自民党が変わるか変わらないかの瀬戸際だ」「11時半が締め切りだぞ」

各自が携帯電話で最後の呼びかけを行った。色よい返事をする議員が1人いたが、どうしても最後の1人が見つからなかった。

正式に擁立断念を決めた午前11時前、充血した目の菅氏は、無念そうにつぶやいた。

「これだけ派閥横断で集まったのは、自民党の歴史の中でかつてなかったことだ。だが、時間切れだ。風穴を開けられなかった」



7日夜、JR東京駅近くのホテルに集まった際、若手議員たちが最も悩んだのが、堀内派や江藤・亀井派から推薦議員を借りるかという問題だった。

堀内派の中には「古賀(誠・前幹事長)先生から了解を得るなら、推薦人になる」と条件をつけた議員が多かった。江藤・亀井派からは「若いのを貸そうか」という申し出があった。

あと2人必要という状況で、「万策尽きたら借りようか」という声もあった。が、「抵抗勢力にくみする形になるのは絶対だめだ」という慎重論が勝った。

今回の決起の中核メンバーは、中本太衛氏(38)(橋本派)ら同党青年局の有志議員たちで、棚橋氏の擁立を目指していた。「『小泉首相VS抵抗勢力』の構図の総裁選では、自民党は人材がいないと国民にあきれられる」との危機感からで、渡辺喜美氏(51)(無派閥)、河野太郎氏(40)(河野グループ)らに呼び掛け、「20人の壁」を乗り越えようとした。

若手出馬で「2位以下連合」の可能性が高まると見る亀井静香・前政調会長陣営や古賀氏周辺を除くと若手議員たちを待っていたのは厳しい締め付けだった。

藤井孝男・元運輸相の地元・岐阜選出の棚橋氏のもとには、地元県議7人から「今後はお付き合いしない」という血判状が届いた。「親代わりのつもりだったが、勘当した」(猫田孝・岐阜県連幹事長)と責め立てられた。

首相周辺や森派議員も、塩崎恭久氏(52)(無派閥)らに「小泉につくか、それとも去るのか」と激しく迫った。「小泉に背いて選挙は大丈夫か」と言われた議員もいた。国民人気を力の源泉とする首相にとって、マスコミの話題をさらう可能性を秘めた若手擁立論は「つぶしておくに限る」存在だった。「若手の乱」が不発に終わった8日午前、首相側近の安倍晋三官房副長官は、厳しい表情でこう漏らした。「甘いことは許していられない。1票だっておろそかにしない。これが選挙の鉄則だ」(読売新聞 2003年9月8日)

昨日総裁選挙の告示が行われましたが、予想どうりの四氏の戦いとなった。現役の総裁を選挙で破るのはよほどの事がないと敗れません。たとえ小泉総裁でなくとも現役の総裁ならば大臣手形を乱発すれば相手を攻略することは簡単だ。堀内派の堀内会長はそれで攻略された。橋本派の青木氏も同じような密約があるのだろう。

鉄の団結を誇る橋本派も、名門の堀内派も簡単に切り崩されてしまった。総裁と幹事長に逆らう派閥は選挙で徹底的に干されるし、何よりも小泉ブランドが選挙で使わせてもらえなくなる。小泉首相の支持率は60%もあるし、反小泉の烙印を押されれば落選の運命が待っている。特にとうせん1,2回の若手議員は当に逆らえないし、反小泉と見られるのは致命傷だ。

小泉首相の支持率がなぜこんなに高いか不思議でならないが、ネットでのアンケートでも圧倒的に支持率が高い。四人の候補者の中では小泉氏が76%と圧倒的だ。私は政策的には亀井氏支持なのだが、利権談合政治のイメージが悪く支持は集められないようだ。しかし実行力では亀井氏のほうが優れているし、小泉氏はスローガンだけで実行力はない。小泉氏の実行力がないのは抵抗勢力のせいというやり方も上手い。

VOTE.co.jp 自民党総裁選、あなたなら誰に投票する?

自民党は派閥政治を行うことで活力を保ってきた。首相の出身派閥が代わることで政権交代がなされてきたような効果があった。しかしそれも中曽根総裁の頃までで、後は派閥の二代目に世代交代して誰がなってもあまり代わり映えがしない首相ばかりとなった。この時点で派閥政治の時代は終わり、小選挙区制度のもとで新しい首相の人材を育てるべきだったのだ。

そのためには若手の中から政党の顔となるべき、大衆受けのする人材を抜擢する必要がある。若くて見栄えも良くて演説も巧みな、イギリスのブレア首相などがそのいい例だ。日本ではたまたま小泉首相が五十代の若さと、ライオンヘアの見栄えと、短いフレーズの演説が大衆の支持の元になった。亀井氏も藤井氏も高村氏もこれらの条件を備えていない。

派閥政治は必然的に数と金力の争いとなり、政策や政治能力は二の次となり、人材も年功序列が当たり前となり、首相に相応しくない人材が竹下首相以降続くことになった。もはや派閥政治では対応できなくなり、大衆の支持を集められる党首を頭にした政党が政権を握る時代になっている。

秋に予想される総選挙では自民党の小泉首相と、民主党の菅党首との二大政党による選挙になる。菅氏なら若さも、見栄えも、演説も小泉氏に対抗できる。このように政党は党首に相応しい人材をスカウトしてスターに育てる時代となった。おそらく自民党も野党に下り人材を総入れ替えして立て直す必要があるし、民主党も菅氏に続くスターを育てる必要がある。

大民主党政権が誕生か? 佐々木敏


小誌が02年から予言(予測)していた「住基ネット政局」「"小沢一郎(自由党)+菅直人(民主党)+石原慎太郎(自民党の一部)"で小泉内閣打倒」が、石原慎太郎(都知事)を田中康夫(長野県知事)に置き換えただけで、03年秋に実現しそうです。
たとえば03年8月20日、訪欧中の小泉首相が同行記者団に「自民党総裁選で負けても衆議院解散で政権維持」と言い、党内の反小泉派は「このままではオレたちは大臣になれない」と焦って小泉以外の者を総裁にし、秋の総選挙では自民党は分裂選挙に…。
一方、先頃自由党の吸収を決めたばかりの民主党は、「田中知事の住基ネット反対に同調」することで社民党の自治労(連)出身者をも吸収し「大民主党」になりますので、自民党は選挙で大敗し、菅首相が誕生…と予測できます。
田中知事が8月中に行う「住基ネットの安全性を検査する侵入実験」(毎日新聞Web版03年8月15日)は「安全でない」という結果が出ることがいまから明らかです。理由は02年の小誌記事「合法侵入」を参照。


私の予想では新民主党+石原慎太郎+自民党の一部(亀井派も合流か)で新政権が出来るというシナリオも考えられます。




「MREをありがとう」 ポール・クルーグマン
米兵は水の補給不足で熱中症で死んでいる


2003年9月8日 月曜日

A few days ago I talked to a soldier just back from Iraq.He'd been in a relatively calm area;his main complaint was about food.Four months after the fall of Baghdad, his unit was still eating the dreaded M.R.E.'s:meals ready to eat.When Italian troops moved into the area, their food was "way more realistic" and American troops were soon trading whatever they could for some of that Italian food.

数日前に、私はイラクから戻って兵士にちょうど話しかけました。彼は比較的静かなエリアにいました。彼の主な苦情は食物に関係していました。バグダッドの陥落の4か月後に、彼の小隊はまだ恐れられたM.R.E.を食べていました。準備ができているイタリアの軍隊がそのエリアへ移動した時、アメリカの軍隊は、それらがであるものすべてをすぐに交換していました。(そのイタリアの食品のうちのいくつかのために)。

Other stories are far worse.Letters published in Stars and Stripes and e-mail published on the Web site of Col. David Hackworth (a decorated veteran and Pentagon critic) describe shortages of water.One writer reported that in his unit, "each soldier is limited to two 1.5-liter bottles a day," and that inadequate water rations were leading to "heat casualties."An American soldier died of heat stroke on Saturday;are poor supply and living conditions one reason why U.S. troops in Iraq are suffering such a high rate of noncombat deaths?

他の物語ははるかに悪い。デービッド・ハックワース大佐(ペンタゴンの批評家)のウェブサイト上で公表されたスターズ・アンド・ストライプスは、水の不足について記述します。 1人の記者は、彼の小隊でそれを報告しました。「各兵士は1日当たり2本の1.5リットルのボトルに制限された。」また、アメリカの兵士は土曜日に熱中症で死にました。そんな貧弱な供給および生活はありますか。イラクの米軍が非戦闘の死のそのような高価な代償を受けているのか?。

The U.S. military has always had superb logistics.What happened?The answer is a mix of penny-pinching and privatization which makes our soldiers' discomfort a symptom of something more general.

米軍は素晴らしい兵站を常に持っています。何が起こりましたか。答えは、私たちの兵士の不快をより一般的なものの徴候にするけちけちすることの民営化の結果です。

Colonel Hackworth blames "dilettantes in the Pentagon" who "thought they could run a war and an occupation on the cheap."But the cheapness isn't restricted to Iraq.In general, the "support our troops" crowd draws the line when that support might actually cost something.

ハックワース大佐は、「ペンタゴンの革命」を非難します。「それらは戦争と占有を実行するかもしれないと思う」しかし、廉価はイラクに制限されません。一般に、「私たちの軍隊を支援する」その支援が現実に何かを要するかもしれない場合、群衆は線を引きます。

The usually conservative Army Times has run blistering editorials on this subject.Its June 30 blast, titled "Nothing but Lip Service," begins:"In recent months, President Bush and the Republican-controlled Congress have missed no opportunity to heap richly deserved praise on the military.But talk is cheap and getting cheaper by the day, judging from the nickel-and-dime treatment the troops are getting lately."The article goes on to detail a series of promises broken and benefits cut.

通常保守的なアーミー・タイムズはこの主題上で痛烈な社説を掲載しました。その6月30日の突風(タイトルのある「リップサービスだけ」)は、次のものを始めます: 「最近の数か月で、ブッシュ大統領および共和党員に支配される議会は、軍に豊富に当然の賞賛を山ほど与える機会を逃していません。しかし、話は安く、軍隊が最近得ている少額の処理から判断すると、その日までに、より安くなっています。」記事は、次に破られた一連の約束を詳述します。また、利点は切断します。

Military corner-cutting is part of a broader picture of penny-wise-pound-foolish government.When it comes to tax cuts or subsidies to powerful interest groups, money is no object.But elsewhere, including homeland security, small-government ideology reigns.The Bush administration has been unwilling to spend enough on any aspect of homeland security, whether it's providing firefighters and police officers with radios or protecting the nation's ports.The decision to pull air marshals off some flights to save on hotel bills reversed when the public heard about it was simply a sound-bite-worthy example.(Air marshals have told MSNBC.com that a "witch hunt" is now under way at the Transportation Security Administration, and that those who reveal cost-cutting measures to the media are being threatened with the Patriot Act.)

軍事の切り詰めは、一文惜しみの大金の扱いが下手な政府のより広い行為の一部です。強力な利益団体への減税か補助金はといえば、お金が代償ではありません。しかし、他のところに、母国防衛を含めて、小さな政府政策は普及します。それが消防士と警官にラジオを提供しているか、国のポートを保護しているかにかかわらず、ブッシュ政権は母国防衛の任意の様相に十分に費やしたくありません。大衆がそれに関して聞いた時法案上に保存するいくつかの運用から空軍中将の決定は、単に声明価値のある例でした。 (空軍中将は、「魔女狩り」が今、輸送安全局に進行中で、メディアに経費削減法案を知らせる人々が愛国法に直面しているとMSNBC.comに伝えました。

There's also another element in the Iraq logistical snafu:privatization.The U.S. military has shifted many tasks traditionally performed by soldiers into the hands of such private contractors as Kellogg Brown & Root, the Halliburton subsidiary.The Iraq war and its aftermath gave this privatized system its first major test in combat and the system failed.

イラクの兵站のへまにさらに別の要素があります。民営化の米軍は、ケロッグ・ブラウン&ルート(ハリバートンの子会社)のような個人の契約者の手へ兵士によって伝統的に行なわれた多くの仕事を変えました。イラクの戦争およびその余波は、戦闘時とシステムにはその最初の主なテストが失敗した、この民営化されたシステムを与えました。

According to the Newhouse News Service, "U.S. troops in Iraq suffered through months of unnecessarily poor living conditions because some civilian contractors hired by the Army for logistics support failed to show up."Not surprisingly, civilian contractors and their insurance companies get spooked by war zones.The Financial Times reports that the dismal performance of contractors in Iraq has raised strong concerns about what would happen in a war against a serious opponent, like North Korea.

ニューハウス・ニュースサービスによれば、「後方支援のための陸軍によって雇われた何人かの民間の契約者が現われなかったので、イラクの米軍は数か月間の不必要に悪い生活状態を切り抜けました。」驚いたことではないが、民間の契約者および保険会社は(交戦地帯)出没します。フィナンシャルタイムズは、北朝鮮のように、イラクの契約者の陰気な業績が何が重大な相手との戦い中に起こるだろうかに対する強い懸念を投げかけたと報道します。

Military privatization, like military penny-pinching, is part of a pattern.Both for ideological reasons and, one suspects, because of the patronage involved, the people now running the country seem determined to have public services provided by private corporations, no matter what the circumstances.For example, you may recall that in the weeks after 9/11 the Bush administration and its Congressional allies fought tooth and nail to leave airport screening in the hands of private security companies, giving in only in the face of overwhelming public pressure.In Iraq, reports The Baltimore Sun, "the Bush administration continues to use American corporations to perform work that United Nations agencies and nonprofit aid groups can do more cheaply."

軍事の民営化は、軍事のけちけちすることのように、形式の一部です。両方の政策の理由のために、また、1つは含まれていた後援のために、疑います。今国を統治する人々は、民間会社によって状況が何でも公共事業を提供すると決意したように見えます。例えば、9/11の後の週で、公の圧力の圧倒に直面してのみ屈服して、個人の警備保障会社の手の中で空港を遮らせておくために、ブッシュ政権およびその議会の同盟国が必死に戦ったことを思い出してもよい。イラクでは、ボルティモア・サンを報告する、「ブッシュ政権は、国連の機関および非営利的な援助グループがより安くできる仕事を行なうためにアメリカの民間企業を使用し続けます。」

In short, the logistical mess in Iraq isn't an isolated case of poor planning and mismanagement:it's telling us what's wrong with our current philosophy of government.

要するに、イラクの兵站の混乱は貧弱な立案および経営ミスの分離された事件ではありません: それは、政府の私たちの現在の哲学がどうしたか私たちに伝えています。

Originally published in The New York Times, 8.12.03

もとは、ニューヨークタイムズ、8.12.03のポール・クルーグマンのコラムより。


昨晩のNHKの特番で911の特集をやっていましたが、今のアメリカ人に冷静な意見を求めるのは無理なようです。911のテロリストとイラクとがどうして結びつくのか、少し考えればおかしなことに気が付くはずだが、思考停止状態のアメリカ人には無理なようだ。その原因の多くはテレビや新聞の多くが冷静な報道がなされていないからだ。

このような時には、定評のある人物のコラムを読むのが一番いい。アメリカではポール・クルーグマン教授のコラムがいつも切れ味鋭いコラムを書いている。幸いなことにネット上で無料で公開されている。日本のライターの多くがポール・クルーグマンのコラムを引用している。コラムはすぐに評判になるものもあれば、何年か経って評価されるものがある。

ポール・クルーグマンのコラムもアジア経済危機でアメリカ政府のやり方を攻撃していましたが、当時は過激な反権力プロパガンダとされましたが、現在ではポール・クルーグマンの指摘が正しかったと証明された。彼ほどの大物になれば政府当局も彼の口を塞ぐには影響力がありすぎて難しい。

日本における定評のある過激な反権力プロパガンダを発信しているコラムサイトはあるのだろうか。分野を限れば数多くある。しかし株式、経済、外交、軍事、国内政治とバランスのとれた評論を発表しているサイトはない。つまり「株式日記」は日本のポール・クルーグマンなのである。
しかしながら「株式日記」にはどこからも大学教授の口はかからないし、メジャーなマスコミのコラムの依頼もない。

アメリカ万歳、小泉万歳、とやっていれば竹中平蔵教授のように、大学教授になれるし、マスコミへの出演や、国務大臣への抜擢も出来るのだろう。現在の権力者達はこのような甘い餌を用意してジャーナリズムを堕落させてしまう。御用学者らは権力者に気に入られるように評論をくるくると変える。だから彼らの書く本は2,3年経つと一冊100円で古本屋で売っている。

しかしポール・クルーグマン教授の本はそのようなことはない。吉崎達彦氏が酷評した「円の支配者」は古本屋でも100円では買えないし数十万部出た本なのに見かけることが少ない。その反面、「アメリカの論理」という本は2,3年後には古本屋で1冊100円で買えることだろう。なぜならばネオコンの勢力もイラクでこけて秋風が吹き始めている。私が予言したようにラムズフェルド長官の首が危なくなっている。




空中分解するイスラエルとユダヤ社会の分裂
やがて米国もイスラエルの道連れで分裂する


2003年9月7日 日曜日

ガザでハマス指導者が負傷=イスラエルが暗殺作戦強化

【カイロ6日時事】パレスチナ自治区からの情報によると、イスラエル軍の戦闘機と武装ヘリコプターが6日、自治区ガザ市のビルにミサイル攻撃を加えた。ロイター通信がイスラム原理主義組織ハマス幹部の話として伝えたところでは、この攻撃で、ハマスの精神的指導者ヤシン師が腕に軽傷を負った。イスラエル軍は声明で、ヤシン師殺害を狙ったことを確認した。
 AFP通信によると、この攻撃で女性や子供を含む15人がけがをした。
 ヤシン師は当時、自宅とは別の4階建てビルの一室で、数人のハマス幹部と一緒だったという。イスラエル軍は、ヤシン師らが「イスラエル市民へのテロ攻撃計画の会議を開いていた」と主張している。ハマスはイスラエルに対する報復を宣言、暴力の応酬激化が予想される。
攻撃では2回の大きな爆発が起きた。イスラエル軍はパレスチナ過激派による自爆テロを受け、8月から過激派幹部を狙った暗殺作戦を再開していた。 (時事通信)
[9月7日3時7分更新]

イスラエルという国

(前略) しかしパレスチナに乗り込んだシオニストは、大きな誤算をした。彼等は世界で最も多くのユダヤ人が住むアメリカから近代的エリートが続々とイスラエルに移住してくると期待していたのだが、アメリカからの移住は殆どなかった。そこで彼等は、東欧系の難民化した人々、さらにはイエメンやエチオピアその他のアラブ系、アフリカ系のユダヤ人を受け入れてイスラエルの人口を補充せざるをえなくなった。聖書のエレッツ.イスラエルは現実には、世界各地の食いつめたユダヤ系の吹きだまりと化したのである。そしてユダヤ人を放り出すための掃きだめが中東の一角に用意されたことを内心歓迎する国も少なくなかった。

 こうしてイスラエルは、東西対立や南北格差など戦後世界の矛盾や歪みが集中的に表現される場所となってしまった。なかでも無惨なのは、シオニストが信じたような「ユダヤ人一般」など存在しないことが、国内のユダヤ系同士の間に広まった差別と偏見によって証明されたことである。世界の現状を反映して、西欧系、東欧系、ロシア系、アラブ系、アフリカ系という序列が生じ、同じアフリカ系でも南アフリカの白いユダヤ人は別格だった。そしてアラブ系アフリカ系の黒いユダヤ人は底辺の労働に従事する二級市民として扱われた。この民族的階級的差別は政治的対立につながり、アメリカ南部のプア.ホワイトのような立場にある黒いユダヤ人は、東欧系が主流の労働党に対する反感からパレスチナ人を敵視し蔑視する右派政党リクードを支持するようになった。またソ連崩壊後はロシアからの移民が急増し、英誌ニューステーツマンによれば今やイスラエルの人口の六分の一がロシア系で、町中ではヘブライ語と並んでロシア語がよく聞かれるそうである。そうした移民の中には役所に賄賂を使ってユダヤ系の証明書を偽造してもらった偽ユダヤ人が少なくないらしいが、彼等もまたロシアにいた時と同様にアラブ人に対する偏見に凝り固まっている。

 イスラエルのタカ派の首相アリエル.シャロンは目下、パレスチナ人の抵抗の意志を圧倒的な軍事力で叩き潰してパレスチナ国家の建設を断念させ、出来れば彼等をまとめてヨルダンに追い払うという民族浄化の政策に走っている。ガザ地区やヨルダン河西岸の現在の有り様はかってのナチスドイツ軍によるワルシャワ.ゲットー包囲戦を想起させるものだが、実際イスラエル軍内には当時のナチスの戦法に学べという声まであるらしい。しかしシャロンの強硬な姿勢の背景には、シオニズムが思想として挫折し、イスラエルが国として空中分解しつつあるという現実がある。ベルギーの法廷に戦争犯罪で告発されているシャロンのような人物が首相になれたのは、もはやパレスチナ人に対する不安と敵意以外にこの国をまとめるものがないからである。

 イスラエル軍の戦車、ガンシップヘリ、ミサイル、戦闘爆撃機に投石で戦っているパレスチナ人には、まるで勝ち目はないように見える。しかしインティファーダは、じわじわとイスラエルの解体を促進している。ロシアから偽ユダヤ系移民は来るかもしれないが、他方でこの国に見切りをつけて去るイスラエル人が増えている。実際、いつ買い物や通勤の途中で自爆テロや銃撃戦に巻き込まれるか分からない国に、誰が住みたいと思うだろうか。政府閣僚でさえ何人かは子弟を欧米の大学に留学させており、彼等がイスラエルに戻ってくる可能性は殆どない。そしてパレスチナ人の方は、不正と迫害の記憶が存在するかぎり何世紀でもインティファーダを続けるだろう。

 イスラエルとパレスチナ人の和平交渉の可能性について、無責任に投げやりなことを語ってはなるまい。しかしイスラエルのおぞましい民族浄化政策の動機が、その国家としての解体の危機に発している以上、両者の共存に向けた和平交渉が進展しうるとは私には思えないのである。おそらく長期的にはこの国は、シオニズムに幻滅しパレスチナ人との争いに疲れ果てユダヤ人同士の不和に耐え難くなった人々が次々に去って行くという形で消滅に向かうだろう。そしてイスラエルという国名は、かって十字軍がこの地に築いたイエルサレム王国と同じように過去のものになるだろう。(後略)

関 曠野コラム イスラエルという国


ネオコンの意味するもの

911以降、米国のネオ・コン(新保守主義)が力を得てブッシュ政権の中 
枢を握り、それが今日の世界状況を招いたという論議が盛んに行われている。
ネオ・コンとリクード・イスラエルの親密な関係を見て、ユダヤの陰謀を語 
るものも少なくない。

忘れてはならないことは、今日のユダヤには二つの潮流があることである。 
イスラエルのリクードと米国国内の多くのユダヤ人は利害を異にしている。 
リクードは、共和党ネオ・コン勢力の求めに応じ、イスラエルが中東におけ 
る米国の番犬となって働くことを国家の存立をかけて受け入れた。

しかし、IT産業や金融・マスコミを握る米国のユダヤは中東の騒乱を自らの 
利益につながらないものと見ている。これらは世界の国境がより低いことが 
望ましい産業であるからだ。

ネオ・コンは反ユダヤ主義的側面を持つキリスト教右派とイスラエルを支持 
するユダヤ系米国人の利害が一致するところに成立した権力集団である。  
キリスト教右派の反ユダヤ主義はユダヤ人はすべてイスラエルに帰るべきだ 
と考えており、その反ユダヤ主義とイスラエル支持が矛盾しないのが微妙で 
面白いところである。


今後、世界のユダヤは米国の黒人とアフリカの黒人のように、イスラエルと 
それ以外のユダヤ人の間で利害を異にすることで、分裂を深めてゆくと考え 
られる。大きな構図で言えばネオ・コンとリクード・イスラエルが連帯し、 
民主党とユダヤ人のパレスチナ共存派が連帯してこれに対立する。


一方、国境が高くなって儲かるのは保守本流を形成している米国の石油・軍 
需産業であり、伝統的資本を構成するワスプ(白人、アングロサクソン、プ 
ロテスタント。)にほかならない。


この歴史的には今まで比較的内向きであった保守本流のイデオロギーが経済 
のグローバル化に伴って、思想的に変質先鋭化したのがネオ・コンである。 
一見外向きに見えるネオ・コンの思想的偏狭は、やがて世界全体を握った上 
で、なおも内向きであろうとする思想の遺伝子とでもいうべき独断性を保持 
している。(後略)

断言命題/現代状況構造分析*ネオ・コンの意味するもの


パレスチナのアッバス首相が辞任し、中東和平の行方が振り出しに戻ってしまった。イスラエルのシャロン首相はますます強硬手段をとって、パレスチナ人への弾圧を強化していくだろう。イスラエル軍の武装ヘリを使ってのガザ地区へのミサイル攻撃は、ナチのユダヤ人弾圧を連想される。ナチの軍隊はポーランドの首都ワルシャワの市街地を一区画ずつ潰していった。それと同じ事をイスラエルのシャロンはしているのだ。

こんな事をしていればイスラエルから人がでて行くばかりで、イスラエルという国は分解して行くのだろう。イスラエル国民はまるでトーチカのような家に住み、絶えず自爆テロに脅えながら住んでいる。イスラエル国民は馬鹿というべきか、そのような強硬派のシャロンが弾圧政策を続けてゆく限り内乱状態は続いてゆくのだ。

ヨーロッパやロシアという国から見れば、イスラエルという国が出来たことにより、国内のユダヤ人を追い出す口実が出来た。しかしイスラエルがこんな馬鹿げた事を続けている限り、ユダヤ人がイスラエルから逃げ出してくる。そのような観点から911テロ事件が起きた背景を考えれば面白いのではないか。

大イスラエル主義のシオニストから見れば、イスラエル本国よりも大勢のユダヤ人がいるアメリカからの移民を促したいと思っている。アメリカ人のキリスト教右派の人たちも、ユダヤ人をイスラエルへ追い出したいと思っている。だからイスラエルの右派とアメリカのキリスト教右派の思惑が重なる。ブッシュ大統領の一族自身かつては親ナチ的な経歴を持っていた。

アメリカ軍の中東への15万の派兵は、ネオコンの功績である。ネオコンとはアメリカのシオニストとイスラエルのシオニストの連合体である。ネオコンのイスラム諸国への見方は非常に偏見に満ちており、イスラム諸国を民主化させることを戦略としている。しかしこの戦略は上手く行くはずがない。現にアフガニスタンもイラクも毎日のように米兵が殺されている。

イラク国民やパレスチナ人から見れば、イスラエル兵とアメリカ兵のやっている事は同じに見えるだろう。やがては中東全体がパレスチナ化して行き、アメリカとイギリスとイスラエルは一体化する。それがネオコンの戦略だ。しかしアメリカのキリスト教右派はアメリカからユダヤ人を追い出したいだけで、イスラエルと心中するつもりはない。

問題はアメリカのユダヤ人の動向だ。ユダヤ人が全員シオニストというわけではない。大資本家としてのユダヤ人はよりグローバルな世界を目指している。しかし911テロ以降流れは逆流してアメリカは保守化している。やがて保守化が行過ぎてアメリカがナチのような秘密警察国家に変貌しつつある。アシュクロフト司法長官はナチのヒムラーのような男だ。

ユダヤ人は一人一人は優秀な頭脳の持ち主が多い。しかし政治的には無能な民族だ。ロシア革命もユダヤ国家の建設を目指したものだが、スターリンに横取りされてしまった。アメリカもほとんどユダヤ国家同然となりながら、スターリンのように裏切られる。アメリカが秘密警察国家となった場合ユダヤ人が逃げる先はイスラエルしかない。ユダヤの大資本家達もそのときになって始めて騙されたことに気付くのだ。




間接金融と直接金融システムの構造問題
国体護持と近代的市民社会の構造問題


2003年9月6日 土曜日

直接金融と間接金融をめぐる議論が経済誌を賑わすようになって久しい。 
多くの識者が間接金融から直接金融への移行が単なる経済史的進歩である 
がごとき論議を展開している。

ドイツはかつての間接金融からほぼ十年をかけて、直接金融に変換を遂げ 
た。これを例に、日本も急ぎ直接金融に移行すべきであるとする主張が多 
く見られる。

ドイツは欧州共同体へ向けて自ら国家を解体しつつある。        
それ自体、ドイツ人が未来世界に生き残る戦略的選択である。      
その過程にドイツの金融システムの変換を位置づけなければならない。

識者の論議はさておき、日本では政治家や官僚も一向に動く気配がない。 
しかも、この問題は国家統治の根幹にかかわるものであることを正当に語 
るものがなぜか見当たらない。

規制と保護による日本の産業政策は、間接金融と抱き合わせで初めてその 
機能を発揮してきた。貧富の差が開かない日本社会の均一性は間接金融が 
担保してきたといってもよい。


つまり、間接金融は銀行があらゆる投資機会とそのリスクを引き受け、産 
業と金融が生み出す富を産業社会から外部に漏らさない構造になっている。
明治以来の日本の輸出産業に傾斜した産業政策は、国民消費を抑圧し、貯 
蓄を奨励し、ひたすら近代化と産業資本の蓄積につとめてきた。

国際社会で日本が国家としての統合を保ちつつ、近代国家として生き残る 
ための富国強兵政策における必然的選択であったとみてよいだろう。   
日本が豊かな先進国家の一つとなった今日。なおも間接金融を維持しよう 
とする意志はなにによるのか。

大東亜戦争の敗戦時、日本の政治家は「国体護持」ということに腐心した。
象徴天皇制となった戦後日本に「国体」は護持されたのか。

戦後の日本もまた国民の民族としての共通意識を国家がすくい取ることで、
国民個人が共同体の利益に自らの利益を重ね合わせることに疑問を感じな 
い社会であった。

戦後といえども地政学的な日本列島のおかれている立場には変化がないの 
だから、国際社会を生きるに当たって日本人には、ほかに方法があるはず 
もなかったわけである。

国家の統合がゆるみ国民の意識がバラバラになれば、国家はもとより国民 
自身が国際社会で路頭に迷うという恐るべき状況が容易に想像されたから 
である。

つまり、政府が資本を管理し、その動きを制御することが可能な間接金融 
こそが、日本の国家としての統合を維持するに当たって、最大の役割を果 
たしてきた社会制度なのである。

その意味では間接金融によって始めて成り立つ日本ならではの法人資本主 
義こそ、国内の富の配分を特定の個人に偏らせないための国家社会主義的 
な民族主義の資本主義的形態と見ることができる。

先の「国体護持」の問題だが、国家が国際的危機をてこに国民を民族とい 
う枠組みにおいて取り込み、資本の活動を間接金融によって制御するとい 
うという国家体制自体は、戦前戦後を通じてまったく変化していない。

表層の社会現象に晦まされずに、国家の権力構造に目を向けるなら「国体」
は明治維新以来、今日の日本いたるまで間違いなく護持されている。   
昭和憲法は法的には明治憲法の改正に過ぎず、現小泉首相は初代伊藤博  
文から87代目(56人)と通算で数えられている。

直接金融への移行は資本が国家の管理制御から自由になり、やがて国民は 
自己責任による自立を果たし、ついには文字通りの近代的市民社会が日本 
に誕生する道を開くことになる。

個人が国家に優先するとき、共同体としての日本社会はうちから崩壊して 
ゆくだろう。これこそが「国体」の危機であり、社会革命に他ならない。 
いわゆるブルジョア市民革命のなし崩し的な実現である。

そうなっては共同体を個人に優先させることを自明の理とすることを前提 
に成立してきたところの、戦後の象徴天皇を頂点とする新興閨閥で結ばれ 
た社会的支配階層、つまり互いの地位を支えあう構造に安住する政財官界 
のエリート達はその権力基盤を失うことになる


実際のところ、旧大蔵日銀の人脈に連なる大銀行を中心とする彼らは、大 
企業の経営者をも含め、資本の所有者としてではなく、間接金融により国 
家の制御下にある資本の管理者として支配君臨している。

国民大衆もまた、直接金融への移行時には好むと好まざるにかかわらず個 
人としての国家からの精神的自立と、あらゆる側面における国頼みからの 
脱却を迫られる。

日本のおかれた今日の政治的国際的状況を考えるなら、今が果たしてそれ 
に相応しい時なのか。民族と個人の幸福と福祉にとって何が合理的選択な 
のか。


金融システムと「国体護持」の関係は、国家における主権の優先順位を民 
族としての共同体におくのか、あるいは個人におくのかが国民に問われる 
歴史的課題なのである。


ちなみに、民族的にはモザイクをなしている米国にあっては民族か個人か 
という優先順位は問題にならない。                  
そして、かつても今も米国は有機的共同体であったことは一度もない。

米国においては、それぞれの個人が共有する理念だけが国家共同体を成り 
立たせているわけである。当然、金融もまた間接金融は直接金融を補完す 
る以上に意味を有していない。

民族が単なる事実として以上の価値を日本人にもたらしているとき、つま 
り国民が日本を民族国家と自覚している限りして、金融システムの問題は 
容易に答えの出るものではないことを知るべきだろう。

日本政府は実のところ、間接金融から直接金融への移行に決して積極的で 
はないように見受けられる。                     
この一見不合理に見える姿勢には、充分な理由が隠されているのである。

断言命題/現代状況構造分析*金融システムと「国体護持」

春風録 宇 羅 道 彦 ホームページ


私は株式日記にて福井日銀総裁が実際上の最高権力者として告発してきた。憲法上は内閣総理大臣が最高権力者であるが、間接金融で日本の経済をコントロールしているのは日銀官僚たちなのだ。だから総理大臣といえども日銀総裁に金融政策に手出しが出来ない。かつては大蔵省を通じていくらか影響力を行使できたが、国会議員自ら日銀総裁への人事権を放棄してしまった。

構造改革の本当の意味は間接金融から直接金融への転換を意味するのだろう。しかしこれは官僚による統治から、市民による統治への転換を意味している。しかしこれは簡単なことではない。大東亜戦争の敗戦においても「国体の護持」が最優先され、官僚による支配構造はそのまま残された。官僚の支配権力を奪い取るには、金融の一大改革が必要だったから手が出せなかったのだ。

十年以上にもわたって金融不況が続いているのは、強引な間接金融から直接金融への切り替えが進まないからですが、それが相応しいことかどうかは分からない。アメリカのような直接金融がはたして良いものかどうかは結論がまだ出ていない。理想を言うならば間接金融と直接金融との良いところを生かして行くのが良いのだろう。

30年代のアメリカと世界の大恐慌は、株の大暴落が招いたものですが、なかなか抜け出すことが出来なかった。しかしながら日本とドイツはいち早く大不況から抜け出すことが出来た。これは間接金融を通じての経済統制が上手く行ったからだろう。アメリカのほうこそ直接金融から間接金融への構造改革をして、貧富の差をなくしてゆくことが必要だ。

これは資本主義か社会主義かの二者択一ではなくて、中間を行く民主社会主義を目指すべきなのだ。資本主義の良いところを生かして経済を活性化して、社会主義の良いところを生かして経済の歪を正し、貧富の差を少なくしてゆくことが、安定した社会を築く基本となる。

竹中大臣をはじめ金融グローバリスト一派は銀行を潰すことにより、間接金融から直接金融への脱却を目指している。テレビでも御用エコノミストが同じ事を言っている。しかしこれは基本的に間違っている。間接金融を通じて経済をコントロールして経済の波を出来るだけ平らにしてゆくことは必要だ。

日本におけるバブルの発生と崩壊は、日銀官僚が間接金融を悪く利用して作り出したものだ。日銀を頂点とする官僚支配構造は、権威の源を戦前は天皇に求めていた。戦後は天皇に代わりアメリカ占領軍が官僚の権威の象徴となった。外務省は戦前の宮内庁のような働きをしている。アメリカ政府の命令は戦前の天皇陛下の命令と同じことだ。

憲法上の理念から言えば、最高権力は官僚ではなく市民社会になければならない。日本はいまだにそれが定着せず、官僚に支配を任せている。都道府県知事も圧倒的に天下り官僚がなっている。しかし東京、千葉、神奈川、埼玉では天下り官僚は破れ、議員出身者が知事に選ばれた。長野県でも田中氏が知事に選ばれた。このように各所で天下り官僚から民間出身者が選ばれるようになってきたが、日銀総裁も民間人から選ばれるようになれば本物になるだろう。




長期金利の上昇は金融業界の都合によるもの。
金利で騒ぐのは新聞記者の失業対策事業である。

2003年9月5日 金曜日

<長期金利>1.475%に低下 株価の反落を受け

4日の東京債券市場は、株価の反落を受けて長期金利は低下(債券価格は上昇)した。代表的指標である新発10年物国債の利回りは、前日終値に比べて0.125ポイント低い年1.475%で取引を終えた。長期金利の低下は2日連続。日銀が同日、1兆円のオペレーションを実施したことも金利低下を促した。(毎日新聞)
[9月4日20時45分更新]
負け組が作った強気相場。

日本や米国だけでなくドイツなども新高値を付け世界的な株高となっていますが、ファンダメンタルズの改善という分かり易い材料以上に買われ始めた印象があります。その一因がこれまで勝ち組であった(金利低下のトレンドを信じて)債券を買い上がっていたファンドが「負け組」になり、運用不振から債券売り株式買いに転換したことが大きいと見ています。

 債券投資はもともと運用金額が大きく、それを株式運用で補うことはたいへんな作業です。金額的に株式市場は債券市場に比べると遥かに小さな市場ですから、無理に株高で債券安を補完しようとすると株式が急騰することもあるでしょう。債券中心の運用をしていたところが今や負け組となり対立相手に加担して押し上げる全く逆の作用を及ぼしたようです。

 その一方で、負け組の象徴でもある金融機関が債券の含み益を実現したい時期に、下げ始めた債券市場を見て益出しの売りを拡大し下げに拍車をかけた可能性があります。それが景気回復=金利高のムードを一段と高める結果になったのではないでしょうか。そうした機関投資家が否応無く高値を買い続けているようです。

 とはいえ、金利も高くなり過ぎると、例えば生保の場合、株式運用を全くやらなくても新規契約に対して予定利率を充分カバーできることになりますので、行き過ぎた金利高は株式に魅力がなくなってしまいます。生保などはこれ以上金利が上がれば債券運用だけで確実に利益が出せますので株式運用の必要性を感じなくなるのではないでしょうか。

 日経平均は金利上昇を警戒する金融当局の債券への介入姿勢を気にしながら過熱感を収めている場面ですが、債券市場がコントロールできるようなら再び買われる場面があるでしょう。日銀の国債管理政策が注目点となりそうです。国債市場が日銀の「管理下」に置かれた事は債券のパニック売りが防止されることを意味し、反対に、週初のような株式のパニック買いも起き難くなったと見ています。

HiT株式教室 日経平均の見通し 2003年9月4日

「長期金利の上昇」について。

原因は、「景気が回復したから」ではない。各種の指標を見ればわかるとおり、景気はまったく回復していない。簡単に言えば、GDPは上昇していないし、「上昇するはずだ」という確実な予想も立たない。

 ただし、「景気は回復しそうだ」あるいは「最悪の時期は脱した」という、楽観的な見込みはある。そのせいで、株式市場に、金が流れ込んでいる。その金は、どこから来たか? そう考えれば、正解はわかる。金融市場の金が、株式市場に流れ込んでいるわけだ。それで、金融市場の金が少なくなって、市場金利が上がっているわけだ。そして、そういう傾向が明らかになると、「低金利で利幅もなく、将来は暴落する危険のある長期国債よりは、株式市場で金を運用した方が、安全だ」と考える人々が多くなる。

 簡単に言えば、こうだ。今までは、景気悪化の見通しが強かったので、資金を株式で運用することが、危険だった。そのせいで、銀行などはしきりに株式を売り込んだ。「株が下がるから株を売る」という冷静な投資判断によるのではなくて、「危険なものは持てない」という弱気な安全主義で株式を売り込んだ。そのせいで、株式は過剰に下落した。

 ところが、いつまでも株式を売り込むことはありえない。手持ちの株は、限られているからだ。そこで、株式の売りの圧力が減ったところで、株式は底を打った。すると、人々は、「自分が売らなくなったから、株は下がらなくなった」とは思わずに、「景気が回復するから、株は下がらなくなった」と思い込んだ。かくて、「株式市場は、先行きが楽観できる」と思い込んで、株を買い込んだ。

 結局、以前は、「みなが売るから、株はどんどん下がる」となっていたが、今度は、「みなが買うから、株はどんどん上がる」となっているわけだ。ケインズの主張のとおりである。ところが、人々は、フリードマンの主張を信じて、「自分たちの売買は関係ない。景気が良くなるから、株は上がるのだ」と思い込んだ。「市場経済」というのは、「売り手が増えれば価格は下がり、買い手が増えれば価格は上がる」ということだ。なのに、このことを理解できないのが、古典派だ。「市場経済で景気はうまく行く」と主張する古典派が、なぜか、市場経済というものをまったく理解できていないわけだ。

 要するに、「長期金利上昇」というのは、「株価上昇」といっしょに考えればよい。「長期金利が上昇して、株価が上昇する」にせよ、「長期金利が下落して、株価が下落する」にしても、しょせんは、金融資産の運用の問題であって、金融業界の話にすぎない。

(中略) 長期金利が上昇しても、それは、金融業界だけの事情にすぎない。金融業界において、金融市場から株式市場へと、資金が移転しただけだ。逆に言えば、株式市場から金融市場へと、資金が移転していたのが、元に戻っただけだ。

 そのことで、「長期金利が上がる」と騒ぐ人もいるが、「株価が上がる」という現象も起こってるのだから、騒ぐほどのことはない。景気は、現状では良くも悪くもなっていないし、将来的にも、良くも悪くもならない。底を這っているだけだ。

 「長期金利が上がると投資が減る」と騒ぐ人もいるが、不況のさなかでは、投資を拡大させるものは、金利水準ではなくて、需要である。需要がないときには、もともと投資意欲がないから、金利が上がろうが下がろうが、投資に対する影響はほとんどない。「金利が下がったから投資を増やす」ということも起こらないし、「金利が上がったから投資を減らす」ということも起こらない。(ほんの少しは起こるが、一考全体に影響を及ぼすほどではない。)

 要するに、金融市場がどうなろうが、そんなことは、どうでもいいことなのだ。「長期金利が上がった」とか、「株価が上がった」とか、大騒ぎしているのは、ネタに困っている新聞記者だけだ。「今日も変わりはありません。相変わらず不況です」という記事ばかりを、十年間も毎日書き続けているわけには行かないので、貴社が大騒ぎしているわけだ。オオカミ少年のようなものである。「大変だ! ××が来た!」と騒いで、飯のタネにしているわけだ。彼らは、そうやって、自らの無能を隠蔽しているのである。金利や株価の問題は、新聞記者の失業対策事業にすぎない。

 大切なのは、「金融業界がどうなった」というようなオタクの話ではなくて、「国民経済に影響する国民純生産や国民総所得がどうなったか」ということだ。しかし、そういう大切な話は、新聞記者には、とても無理だろう。何しろ、そういう話は、マクロ経済の話であり、新聞記者には理解できないからだ。こういう半玄人(半素人)は、国民純生産や国民総所得ではなくて、金利や株価という、馬鹿でもわかるような数値しか、まともに扱えないのだ。というわけで、毎日毎日、紙面には、金利や株価という無意味な数値を論じる記事ばかりがあふれるわけだ。

ニュースと感想 (9月4日) 南堂 久史 

最近の株価上昇を受けて債券相場の下落が話題になっている。しかしこの株の上げについては福井日銀とグリーンスパンFRBとの連携を組んでの株上げ作戦によるものだ。小泉首相もブッシュ大統領も再選をにらんで株を上げておく必要があるからだ。二人とも経済政策に弱点を抱えており、株が暴落すると再選に黄色信号がともる。

株が上がると、政府の御用記者や提灯持ち経済評論家が景気回復を囃したてる。昔ならそれで景気も回復して経済成長率も上がった。ところが最近は株が上がりGDPも回復し始めると、財政再建だ、増税だといって景気の回復に水をさしてきた。日銀も資金供給を絞り始めて景気回復の芽を潰してきた。

このような事を10年以上も繰り返し続けているのはなぜなのだろう。一番の原因は日本の銀行がなかなか潰れなかったからである。景気を回復させてしまうとハゲタカたちにやる餌がなくなるからだ。東南アジアや韓国は簡単に銀行が潰れ、国際金融資本の支配下に置くことが出来たのに、日本は大手の銀行はまだ新生銀行とあおぞら銀行しか彼らの手に落ちていない。

国際金融資本は手下の福井日銀を通じて自由に景気をコントロールすることが出来る。それは今回の株高がそれを証明している。福井日銀総裁が景気にGOサインを出す時は、ハゲタカたちが十分に材料を仕込んだ時だ。彼らは四大メガバンクを目標にしている。そのときまでハゲタカたちは福井日銀総裁にGOサインは出さないだろう。小泉首相の官邸のホームページには次のように載せている。

対日投資会議(第5回)

平成15年2月18日、総理大臣官邸で、対日投資会議が開催されました。この会議は、投資環境の改善に関わる意見の集約及び投資促進関連施策の周知を目的として設けられた会議で、今日が第5回目となります。
 政府では、対日投資が経済活性化に果す役割の重要性に鑑み、今年度中を目途に対日投資の拡大を目指した具体策を取りまとめることとしており、この日の会議では、対日投資会議の下部機関である専門部会から現在の検討状況が報告されました。
 会議の締めくくりに小泉総理は、「施政方針演説でも述べたように、対日直接投資を脅威として受け止めるのではなく、日本を外国企業にとって魅力ある投資先とするための施策を講じ、対日投資残高を5年間で倍増することを目指す。」と述べました。

いままで日本は外資に買収されるのを、株式の持合とかの手段で防いできた。ところがBIS規制や時価会計制度やペイオフ解禁や株や土地の暴落などを仕掛けて、政府は持ち合い株を吐き出させてきた。さらには銀行ごと買い取ることによって一気に外資の導入を小泉内閣は図っている。

これはアメリカの製造業の没落を金融で挽回しようとする、アメリカの世界戦略なのだ。日本はおそらく気がついたときは、日本の主要産業が外国資本の系列下に置かれているだろう。そして生き延びられるのはごく一部のトヨタやソニーと言った一部の企業だけだろう。そして日本の労働者は安い賃金でこき使われ、利益は株主が独り占めするようになる。小泉・竹中内閣はそのような使命を持った内閣なのだ。

日本企業より優れた技術力や経営ノウハウを持った外国企業が日本に来るのは、日本経済活性化のためにプラスになる。しかし外資は、日本の技術力が欲しいから金の力で手に入れようとしている。リップルウッドなど日本のハイテクメーカーを物色している。

日本が景気良くさせようと思えば、政府や日銀が札を刷りまくって政府が需要を作り出していけばいいのだ。昔は戦争がその役割を担っていた。今はそんなことが出来ないから政府が様々な開発投資をしてゆく必要がある。いわゆる箱物やダムは悪しき実例だ。波及効果のない投資はその場限りで終わってしまう。

石油に代わる新たなるエネルギー資源開発や、エコロジーに配慮した産業に切り替えてゆくなど、政府が需要を作り出す分野は沢山ある。アメリカにしてもイラク侵略しなくとも送電設備の老朽化の更新などインフラ整備などの事業が沢山ある。戦争などには政府支出が無制限に認められるのに、公共事業の支出に厳しい非難がなされるのは不思議でならない。




『アメリカの没落』 関 廣野
現在のアメリカの精神病理は老人性痴呆症

2003年9月4日 木曜日

来春以降15万人維持できず イラク駐留で米予算局

【ワシントン3日共同】米議会予算局は2日、米軍が予備役や州兵の招集で部隊増強を行わない限り、来年3月以降、イラクに駐留する15万人弱の陸軍兵力を維持できない、とする報告をまとめた。
 報告について民主党長老のバード上院議員は「米軍が疲弊の極みに達しつつあることを示している」と指摘。国連の多国籍軍などの参加によって、米軍の負担軽減を求める米国内の声を勢いづかせそうだ。
 報告は、仮に駐留兵力を3万8000−6万4000人の規模に縮小できれば、年間最大120億ドル(約1兆3800億円)の経費で無期限に駐留を継続できるとしている。国防総省によると、現在の経費は月に39億ドル。
 現在、米軍は兵士が休暇なしの場合、最長1年間の任務で交代させており、この方式を続ければ、来年3月以降に人員不足が生じるという。
 報告はまた、陸軍に新たに2個師団を創設すれば、イラク駐留米兵を最大2万3000人増やすことができるが、それには最長5年の期間と200億ドル近くの初期的な経費がかかると指摘。沖縄の米軍などイラク以外の在外米軍の削減によってイラク駐留に割り当てることのできる米兵も1万3000人程度としている。(共同通信)
[9月4日8時4分更新]
アメリカの没落◆(要約)

目下進行中のアメリカによるイラク侵略戦争ほど奇妙な戦争を私は見たことがない。アメリカがこの戦争を計画していることは一年以上前から知られていた。ところがなぜ中東に大混乱をもたらすような戦争をやるのか、その動機が不明確なのである。そこでジャーナリスト、学者、評論家たちが、あれこれと憶測をめぐらすことになった。朝鮮やベトナムでアメリカがやった戦争に、こんな判じ物のような要素はあったろうか。そして論者たちの憶測は、中東の石油利権からブッシュ側近のトロッキストくずれの新保守(ネオコン)の帝国妄想、彼らとイスラエルのリクードとの腐れ縁、さらには元アル中のブッシュのキリスト教原理主義などにわたった。こうした仮説の中では、実は石油利権説は外れである。(その理由は要するに、安価な中東原油を確保するのが目的ならば、戦争より費用がかからずリスクの少ない方策がいろいろあるからだ)。一番もっともらしい見方が外れというのでは、まるで推理小説である。憶測の中では、ネオコンが戦争で中東の政治地図をイスラエルに都合のいいように塗り替えようとしているという説は、かなり説得力がある。共和党が近年の大統領選で民主党に勝つためには、キャスティングヴォートを握るイスラエル.ロビーとキリスト教原理主義者の票がどうしても必要だからである。

それゆえに今度のイラク戦争は、アメリカの没落をはっきりと示し、それを加速化させるものと言わねばならない。この点で私は歴史学者のエマニュエル.ウオーラーステインおよび作家のノーマン.メイラーと同意見である。そして今後は、アメリカの内出血の原因と経過を的確に分析することが必要になる。いまだにアメリカを指して「残る唯一の超大国」などと言う論者がいるが、彼らはアメリカン.パワーを太鼓もち的に持ち上げることが自分の利益になっている人たちではないだろうか。私は世界最大の債務国を超大国とはみなさない。

ブッシュ側近のシュールレアリスト一派は兵力不足を指摘する制服組の反対を押しきり、イラクに侵攻した米英軍が市民に解放軍として歓迎されることを前提にして今回の「イラクの自由」作戦を計画したという。彼らは現実と向き合うことを拒否し、パリをドイツ軍から解放した米兵がパリジェンヌのキスと花束に包まれる輝ける昔日の回想に耽り、もはや存在しない幻想の世界を追いかけて恍惚となっていたのだ。従って現在のアメリカの精神病理を私は老人性痴呆症と診断する。

だからレーガンの新自由主義的な小さな国家がブッシュの軍事的警察国家に変貌したからといって驚いてはいけない。市場原理主義と強力な国家は何ら矛盾していないのである。ゲームの理論に従えば、完全に自由な競争においては成功と失敗は純然たる偶然に帰着する。そして誰もが偶然により浮き沈みする世界においては、人々は相互扶助のセーフティネットを作ろうとするだろう。ところが現実のアメリカは健康保険のない国民が何千万もいる国である。というのもアメリカの市場は偶然に左右されているどころか、さまざまな特権やハンディキャップから構成されている国家権力と一体になっているので、体制の勝者にとっては福祉は余計なものでしかないからである。ある労組の幹部が言ったように「アメリカは大企業には社会主義、労働者には資本主義の国」なのである。そしてこの「市場」が全く公正であり社会の文脈に関係なくあらゆる問題を自動的に解決するという不条理なドグマをまかり通らせるためには、国家権力による強制や制裁が必要とされる。レーガンの小さな国家の正体は、ブッシュの強い国家にほかならない。

国連安保理が認めず国連憲章にも反する今回のイラク戦争は、明らかに非合法な戦争だった。しかしイラク戦争はそもそも戦争と呼べるような代物だったろうか。アメリカはこれまでにイラクに軍を進駐させただけであり、イラクの民主化どころか国際戦時法規上のまともな占領さえ実現できていない。アメリカとイラクの間に戦争に至るような国益の衝突があった訳ではないから、敗者による降伏の調印式もなく、サダム.フセイン大統領はイラク国内に潜伏してゲリラ戦による反撃を準備しているとも伝えられる。ブッシュは勝利ではなく戦闘の終了を宣言したにすぎず、しかも今なお一日平均一名の米兵がイラク人の狙撃などで殺されている。そしてイラク攻撃の口実となった大量破壊兵器は未だに発見されていないし、発見の見込みもない。

古典的な帝国主義観に立つ人々は、イラク戦争を湾岸の石油を支配しようとするアメリカの野望の表れと主張した。しかし今のイラクでありそうなことはアメリカの傀儡政権の樹立どころか、シーア派の反米政権の誕生か泥沼の内戦である。こんなことも予測できなかったのだとすれば、お粗末な帝国主義もあったものである。勿論イラク戦争の結果としてブッシュ側近のネオコンたちの中東の政治地図をイスラエルの利益に合わせて塗り替えるという目的は達成されたと指摘することはできよう。だがいかに影響力が大きいとはいえ、イスラエル.ロビーだけが今のアメリカを動かしているのではない。嘘で固められた一見支離滅裂なイラク戦争とそれがもたらした混乱もアメリカの戦略に沿ったものであり、それはブッシュの個性などに帰することができないことが理解さるべきである。そしてこの戦略においてこそ、アメリカは一極支配の帝国になったという俗論とは正反対に、アメリカの没落がくっきりと浮かび上がっているのである。

アメリカは常に自らを神に祝福された例外的な国とみなしてきた。そしてドル、ミサイル、石油のシステムの危機がアメリカの没落を加速化している今、この例外主義は国際社会の例外的なアウトローになるという選択へと発展した。この選択は当然国際社会の反発や白眼視を招く。だがそれだけに世界平和を執拗に撹乱しつづけるもう一つのアウトロー国家イスラエルの存在は、アメリカにとって貴重なものになる。イラク戦争にはネオコンの誇大妄想以上の歴史的なマクロな文脈があるのだ。しかもアメリカを例外的な国と信ずるアメリカ人の大多数が、”愛国者”として思考停止状態のままこのアウトロー路線を支持している。だが言うまでもないことだが、アウトローという選択は自己破壊的な選択でしかありえない。こうして二十世紀はソ連の崩壊で終り、二十一世紀はアメリカの没落を背景として始まったのである。

アメリカの没落 (その一) 関 廣野
アメリカの没落 (その二) 関 廣野
アメリカの没落 (その三) 関 廣野

アメリカのテレビニュースからラムズフェルドやウォルフォビッツの姿が消えて、パウエル国務長官の姿が目立つようになりました。ネオコン一派がこれで政治生命を終わらせるということはないだろうが、パウエルが即クビになる恐れも少なくなった。しかしパウエルが平和主義者というわけではなく、狂ったブッシュ政権の一員であることに違いはない。「比較的正気」であるというに過ぎない。

軍事的常識から言えばイラクを制圧するには、40万から50万人の兵士が必要だ。しかしニュースでもあるように十五万人の陸軍兵力も維持することが出来ない。まして北朝鮮がいつ暴発するか分からない時に予備兵力もなくなることは非常に危険だ。現在のアメリカを一極支配の世界帝国と「よいしょ記事」を書く太鼓持ちの日本のジャーナリストが数多くいるが、「帝国」の正体は幻に過ぎない。

私自身もアメリカのイラク侵略の動機がよくつかめず、石油確保のためであるとか、ブッシュ大統領がキリスト教原理主義に侵されてるとか、大イスラエルの建設の野望を持っているとかの原因を考えてきた。しかし今までのアメリカのイラク統治のお粗末さを見ると、とても正気の沙汰とは思えない。ますますイラク侵略の目的がなんであるのか分からなくなってきた。

小泉首相がブッシュ大統領と仲がいいのも、同じ老人性痴呆症に侵されているからだろう。昨日の小泉総理は人間ドックに入って、大腸のポリープを摘出したそうだが、痴呆症の検査もすべきだった。小泉首相はテキサスでブッシュ大統領と会談した際に、「アメリカは日本を開放してくれた恩人である」と言った事など、まさに痴呆症に罹っている。

私はアメリカが1960年代にピークを迎えたと指摘して来ました。それからアメリカは停滞して行き、911テロが衰退の引き金になる事が、やがてハッキリと見えてくることになるだろう。イラク侵略がそれをさらに早めることになる。この事がアメリカが極東アジアからも軍事撤退を促す原因となるかもしれない。日本はその用意が出来ているのだろうか。




リチャード・ヴェルナー著「不景気が終わらない本当の理由」
日銀の犯罪行為を追及しないジャーナリズムの責任を問う

2003年9月3日 水曜日

日銀とメディアの友好関係

こんなこともあった。二〇〇〇年三月と四月に、わたしはある大手出版社の月刊誌の編集者と経済ジャーナリストのインタビューを受けた。二人はカメラマンをともなって現われ、インタビューを録音した。インタビューの際に、わたしはのちに『円の支配者』で公表した重要なディテールの大半を説明した。編集者とジャーナリストは専門的な内容をよく理解した。彼らはわたしの説がいかに衝撃的であるかをよく承知し、みるからに興奮していた。

これはすごい記事になります、波紋を呼ぶでしょう、と二人は言った。このインタビュー記事はその月刊誌の二〇〇〇年五月号に掲載されるはずだった。発行期日がきて、五月号がわたしのもとに届いた。もちろん出版社は 慣例どおり執筆者に雑誌を送ったのだ。ところが五月号を開いても、わたしのインタビューは載っていなかった。

わたしはすみからすみまで何度も探し、それから不思議に思って編集者に電話した。編集者は明らかにとても困惑し、口ごもりながら記事が掲載されなかったことを詫びるだけだった。なぜ掲載されなかったか、彼は説明しなかった。出版社としてはわたしの記事が掲載されていない五月号を送るというのは非常に体裁の悪いことだから、記事の削除はぎりぎりになって決まったにちがいない。翌日、大手デパートを通じて高価な菓子折りがわたしのオフィスに届けられた。しかし、インタビュー記事はついに掲載されずじまいだった。

その理由はわからないが、わたしとしては何らかの判断が陰で働いたと感じざるを得なかった。わたしがインタビューされ、そのときは担当編集者も強い印象を受けたかに見えたのに、結局その記事は発表されないという出来事は、ほかにも何度かあった。明らかに日銀のメディアヘの触手は非常に広い範囲に伸びているらしい。

この結果、ジャーナリストたちの手によって日銀を守る沈黙の壁が築かれてきた。客観的で批判的なジャーナリズムと専門職としての倫理はどうなったのか:…。こう して、.わたしが一.九八○年代の日銀の窓口指導に関する論文を発表してから、わたし自身の著書を通じてその内容が公表されるまでに、三年の年月がかかった。幸い日本にはまだ、たとえ論議を呼ぶものであろうと真実を語ることを恐れない、ほんとうに独立した出版社があった。

もちろん話はこれで終わったわけではない。いくつかのテレビ局からゴールデンタイムのトークショーや議論のゲストに呼びたいという連絡があった。何度かは準備会議にも出席した。だが結局、『円の支配者』についてのテレビ・インタビューは実現しなかった。あるテレビ局の局員の説明によると、上のほうの誰かが、わたしは「異論の多すぎる」人物で、日銀の問題は「微妙すぎる」と考えたのだという

マネーが政財界を動かす  目銀と経済同友会

もうひとつ、日銀のプリンスが権力をふるうもっと直接的な方法がある。一九四六年から五四年まで日銀総裁だった一万田尚登が、どの企業に資金を提供して生き延びさせ、どの企業への新規融資を打ち切るかを自由に決めていたとき以来、プリンスたちはどのくらいのマネーを創出して誰に渡すかを決定する権限を通じて、引き続き経済に直接的な影響力を行使してきた。

このマネーの流れはジャーナリストの仕事にも影響する。ジャーナリストといえどもほとんどは企業の社員にすぎない。上司が禁ずれば福井を批判することはできない。上司が許さなければ、テレビ・ジャーナリストは批判的なゲストをゴールデンタイム の番組に呼ぶことはできない。そして、これらの上司が心配するのは大株主がどう考えるかであり、マスメディアの主要な収入源が何を望むかである。つまり広告スペースやコマーシャル時問を買ってくれる大企業の意向だ。

ではそのビッグ.ビジネスのボスの最優力侯補は誰か?これは秘密でもなんでもない大企業の幹部の組織である経済同友会は、つねに福井俊彦に好意的だった。これも意外でもなんでもない。彼自身がその幹部の一人だからである。しかも彼の師である元日銀プリンスたちは全員が経済同友会の上級メンバーだったのだ。

このつながりは三重野康の前任者である前川春雄(一九七四年から八四年まで金融政策を支配)、佐々木直(一九六二年から七四年まで金融政策を支配)までさかのぼる。佐々木は七〇年代に経済同友会代表幹事として画期的なレポートを作成し、そのなかで日本経済の構造改革を提唱した。

小泉は日銀プリンスの操り人形

政治家でさえも中央銀行のプリンスたちに率いられた日本の「ビッグ.ビジネスと金融の複合体」を無視できないことは、驚くにはあたらない。マネーがあれば、支持 を買える。援助者やスタッフを雇える。何よりも、マネーがあればメディアの支持も獲得できる。政治家が批判も質問もなしに異口同音に福井総裁の任命に賛同したのは、それほど不思議ではない。

旧ソ連の議会が議論もせずに議案を通したのと同じで、日,本の議員にも指示されたときに指示されたとおりに挙手するほかに選択肢がないのだというふうに見える。小泉でさえ対抗する術がないように見える。それどころか、実際には因果関係は逆なのかもしれない。小泉が首相になれたのは九〇年代の長い不景気のおかげで、もっと伝統的な政権や政治家が落ち目になったからだった。

小泉が提唱する徹底した構造改革が人々の耳に聞き入れられたのも、日本の景気低迷が十年に及んだからだった。だがその景気低迷は日銀によって人工的につくられたものだった。それだけでなく、小泉のアイデア自体が新しいものではない。「構造改革なくして景気回復なし」という文句は、ほとんどそっくり前川レポートから拝借してきたものだが、前川レポートは日銀のプリンスたち、前川春雄と三重野康が作成した政策文書で、日本の戦後経済構造の解体を求めていた。

さらにこのレポートは日銀プリンスである佐々木がすでに七〇年代に発表した佐々木レポートの焼き直しだった。したがって小 泉は、日銀プリンスとその後援者が演じるマネーゲームの操り人形だということになる。そうであれば、小泉が福井を任命せざるを得なかったのも不思議ではない。

企業安楽死計画  日銀の略奪的融資の総仕上げ

二〇〇三年前半、日本の株式市場が弱かったのは、銀行や一部の大規模債務者に対する政府の政策がはっきりしないためだった。とくに市場は、金融担当大臣に任命された竹中平蔵と日銀の斥侯である木村剛を含むアドバイザーたちに懸念を抱いている。

一九九〇年以来、二〇万二〇〇〇件の破産(主として中小企業)と五〇〇万人以上の失業(公式には三四〇万人)、そしてかなりのデフレをもたらした日本の長期不況の主な「解決策」として木村が提唱したのは、大企業を閉鎖させることだった。木村の「危ない会社三〇社リスト」にあげられた大企業のなかには利益を出している企業もある。だが、同時に銀行に多額の債務を負っており、通常は価値の下落した不動産を 担保としている。

木村は税金を使って銀行を買収し、このリストの企業のプラグを抜くことを提案した。このプランは筋が通らない。@納税者に他人の過ちの償いをさせる理由はなく、これはモラル・ハザードを引き起こす。A不良債権問題には、もっと効率的でコストの低い解決方法がある。たとえば、日銀が不良債権を額面価格で購入するのもそのひとっだ。B倒産が増加すれば、消費者心理も需要も冷え込む。

事実、木村のプランは、元日銀マンで現在はコンサルタント会杜で働く木村が、外国、主としてアメリカのハゲタカ・ファンドの手先となって働いているのではないか、と仮定した場合にだけ、納得できる。ハゲタカ・ファンドが日本で経験している問題は、アジア金融危機以後の韓国とは違って日本では大型倒産の数が依然として限られている、ということなのだ。日銀の信用創造が途絶えて命運を絶たれた多くの零細企業は、ハゲタカ・ファンドにとってはとくに嬉しい獲物ではない。

これらの倒産企業を二束三文で買い叩けば儲けにはなるが、やたらと手間がかかるだろうし、ハゲタカ・ファンドはそんな手間をかける気はない。彼らが最大の利益をあげるために望むのは大型倒産だ。大型倒産で少数の専門家チームが巨額の利益を生みだすことなので ある。十年に及ぶ日銀不況にもかかわらず、日本のシステムは持ちこたえており、日銀とその友人たちのハゲタカ・ファンドをがっかりさせている。大企業の死骸の数は依然として限られているからだ。

ここで、「ドクター・デス」木村剛の企業安楽死計画が登場する。彼は、「ゾンビー企業が日本の金融システムにのしかかって、景気回復を阻んでいる」と主張し、「フィナンシャル・タイムズ」がさっそく、その言葉を紹介した。これらの企業は「死なせてやる」べきだ、というのだ(「フィナンシャル・タイムズ」二〇〇二年十月十八日付。ホラー映画のゾンビーの愛らしい写真付き)。

ジャーナリストたちは、お人好しの日本企業が日本の銀行の「略奪的融資」の餌食になったことに言及するのは忘れているが、この略奪的融資は、一九八○年代に窓口指導で信用をコントロールした日銀が仕掛けたものだ。このような略奪的融資は現在、アメリカで問題になっていて、シティグループは最近、略奪的融資を実施したかどで規制当局に罰則を科されている。

略奪的融資とは、高利、あるいは高利のうえに、相手にマイホームなどの資産はあっても返済能力がないことを承知で融資することだ。略奪的融資の目的は過大な(通常 は元金の何倍もの)返済額を引き出すことだけでなく、同時に担保実行を強制して資産を奪うことである。言い換えれば誰かの資産を略奪することが目的で、融資はそのための手段なのだ。

二〇〇〇年、二〇〇一年にアメリカでは略奪的融資の行きすぎにメディアが注目し、州と合衆国の立法当局がこのような最悪の融資を禁ずるための法改正に動いている。しかし日本政府の誰も、過去、とりわけ一九八○年代から九〇年代前半にこのような融資の犠牲になり、現在では倒産に直面して外国のハゲタカ・ファンドに資産を投売りするはめになっている多くの零細企業や大企業を援助しようという動きを見せていない。この略奪的融資は日銀の仕業だから、日銀が今度は政策として担保実行を目指すのは、とにかく行動としては一貫している。

不安を増す市場

これだけではまだ足りないというように、木村は昨年九月、もうひとつの輝かしい銀行危機解決プランを提案して識者を驚かせた。いままで銀行は繰り延べ税金資産を (原則として現金が支払い済みなので)中核的自己資本に算入することを認められていた。木村はこの方法を禁ずるべきであると言う。なぜか?これを禁止すれば銀行の資本状況はさらに悪化し、銀行危機と経済危機がさらに進行する。

この時点で、自民党の政治家が阻止に立ち上がった。木村の「問題解決」に任せておいては景気回復はあり得ないと気づいたのだ。そこで、自民党の政治家は木村の不良債権問題「解決」プランを阻んだ。このために不確実性がさらに増大して、市場は不安に陥った。

実際、日銀派(福井、竹中、木村、小泉)と経済重視派の政治家の対立による膠着状態が起これば、日銀が再びマネー・カードを切って、システムから資金をひきあげるかもしれない。日銀にはこの方法で政治家を脅す能力があるから過去十年の実績から見て、日銀はこのカードを使ってさらなる危機を創出することをためらわないだろう。株式市場は後退したのだ。 (P54−P65)

リチャード・ヴェルナー著 「不景気が終わらない本当の理由」


自民党総裁選をにらんで株式市場が賑わっている。小泉再選を支援するものと言う見方もあれば、ポスト小泉を当て込んでの政策転換を見ての買いだとも見える。しかし実際の今回の株価の高騰は、福井日銀総裁のドル買い介入による資金供給が原因であるとの見方が真実だ。さらには日本市場においても短期債券市場において一兆円もの資金供給を行っている。

このように日銀は、景気のコントロール手段を持っていることが証明された。リチャード・ヴェルナー氏は「円の支配者で」その事を告発した。しかしながら日本のエコノミストの多くは、ヴェルナー氏の本を「とんでも本」として非難攻撃した。経済雑誌の多くは無視するか、批判的にヴェルナー氏の本を取り上げた。その一例として吉崎達彦氏のサイトには以下の通り酷評している。

日商岩井総研 吉崎達彦氏の「円の支配者」の書評

テレビで見かける多くのエコノミストや経済評論家たちは、日銀のマスコミ対策のエージェントに過ぎない。彼らの経歴を見ればアメリカのシンクタンクや大学の留学経験を持ち、彼らのコネによって日本の大学教授やシンクタンクの研究員として採用されて、各方面にネットワークを築いている。アメリカや日銀の「よいしょ記事」さえ書いていれば、彼らはテレビにも出られるし、本も出せるし、日本各地の講演会にも引っ張りだこだ。

その反面、日銀に批判的なリチャード・ヴェルナー氏や、アメリカの経済政策を批判している副島隆彦氏など、著書の出版実績など申し分ないのにテレビのゴールデンタイムの報道番組には、日銀などのマスコミコントロールによって出ることは許されない。日本は民主主義国家であるにもかかわらず、目に見えない検閲制度が引かれているのだ。

一番不思議でならないのは、日本の財界人の経済政策に対する態度だ。特にトヨタの奥田会長の発言には、はたして彼は日本人なのかと疑うほどだ。もはやトヨタやソニーなどの大企業は日本の企業と言うよりアメリカ企業というべきなのだろう。このような日本人の顔をしたアメリカ人が日本の経済界を支配している。そのボス的存在が福井日銀総裁だ。

日本国憲法によれば日本の最高権力者は内閣総理大臣でなければならないはずだ。しかしながら実際の最高権力者は日銀の福井総裁なのだ。小泉首相もってしても福井氏を総裁に指名せざるをえないシステムが出来上がっているのだ。もし彼以外の人物を選んでいれば、小泉首相は親米財界人の支持を失い失脚する。

長年に及ぶ日本の経済の不振をよそに、トヨタやソニーといった多国籍企業は勝ち組としてますます繁栄している。彼らはアメリカ市場を失いたくないばかりに日本経済を犠牲にしているのだ。アメリカにしてみればソニーやトヨタの工場や流通店舗を没収することは朝飯前だ。アメリカはすでにイランやイラクの資産凍結をした実績がある。だからアメリカに進出した企業は人質にとられたと同じ意味を持つ。

もしイランやイラクが核を搭載した大陸間弾道弾をもっていたら、アメリカは資産凍結をすることが出来ただろうか。出来るはずがない。だから本気で日本の国益を考えれば日本も核ミサイルを持つべきなのだ。そうしなければアメリカは資産没収や石油や食料の禁輸で脅しをかけてくる。それに対抗出来なければ独立国家とはいえない。




ネオコンは徴兵制復活を計画している。
ネオコンは新たなる9,11を仕掛けるのか?

2003年9月2日 火曜日

<米大統領>イラク駐留米兵の増派を示唆

【ワシントン佐藤千矢子】ブッシュ米大統領は26日、ミズーリ州セントルイスの退役軍人集会で演説し、バグダッドで国連事務所を狙った爆弾テロ事件が起きるなど治安悪化が深刻化していることについて、「自由で平和なイラクの建設には、相当な時間と資源を要する」と述べ、駐留米兵の増派や復興資金の増額などに取り組む考えを示唆した。

 演説で大統領は「テロに直面しての退却は、さらなる攻撃を招くだけだ。我々は、サダムに忠誠を誓う者たち、外国人戦闘員、犯罪者の一団に対して攻撃に出ている」と述べ、イラクでの「テロとの戦い」に立ち向かう決意を強調した。

 また大統領は、アルカイダをはじめとする国際テロ組織について「サダム・フセイン政権の挫折を自分たちの挫折と認識している。民主的なイラクが中東の心臓部にできることはテロのイデオロギーにとってさらなる挫折になると知っている」との認識を表明した。

 駐留米兵が旧フセイン政権の残存勢力の攻撃を受けて相次いで戦死するなか、国連事務所までが爆弾テロに襲われた衝撃は大きく、民主党や共和党の一部だけでなく、最近はイラク戦争の「仕掛け人」といわれる新保守主義(ネオ・コンサーバティブ)勢力からも、駐留米兵の増派などブッシュ政権に対応を迫る声があがっている。(毎日新聞)
[8月27日11時19分更新]
ネオコンは失敗を認めた?次は徴兵か?

ポール・クレイグ・ロバーツは、2003年8月28日付『ネオコンは失敗を認めた?次は徴兵か?』(http://www.vdare.com/roberts/blown_it.htm)において次のように述べた。

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読者は、イラクは泥沼化すると予言した人々に対してネオコンが積み上げた嘲りの言葉を覚えているだろうか。

今や、ネオコンのウィリアム・クリストルやロバート・ケイガンは、さらに兵士と資金を投入すべきだ、と述べている。つまり、2個師団と600億ドルを追加せよと。

彼らは「来春になっても災害が起こっていれば、取り返しがつかないことになるかもしれない。」と語った。(Do What It Takes in Iraq Weekly Standard, by William Kristol and Robert Kagan, September 01, 2003)

ベトナムの泥沼を体験しておりながら、それを忘れてしまったジョン・マッケインは、口車に乗り、ブッシュに対してもっと兵を送れと促している。

しかし、もはや送るべき兵はない。ペンタゴンは、現在の兵力のレベルでイラク占領を続行するにはどこから軍隊を連れてくるべきかまったく知らないのである。Associated Pressが報じるところによれば、我が軍は、今後、海外の紛争地に次々と休むまもなく向かわねばならないという。

将校たちは、多くの軍曹や下士官たちを失い始めていることを憂慮している。歩兵師団の将校たちは、海外に派遣されないでも済む軍務をわれ先に奪い合っているからである。

しかし、他方で、アメリカをこの混乱に巻き込んだ一握りのネオコンの連中は、なおも「アメリカは他の中東諸国に侵略して、イスラムを根絶すべきだ」と言いつづけている。

その上、彼らは、我が軍の2倍の兵員数を持つ北朝鮮にも攻め込むつもりなのである。

ブッシュは他国の軍隊をイラクに導入しようとしているが、これまでのところ失敗に終わっている。他国はアメリカに対して「ノー」と繰り返して言いたくないので、国連の下で活動するならよいと語っているが、これは、ネオコンが嫌ってきた方法である。

国連は、イラクをステップとしてイランやシリア、サウジアラビアに侵略するというネオコンの計画を邪魔するだろう。

しかし、ブッシュは、破れかぶれになりつつある。我が兵士たちがイラクの街路から追い立てられ、願わくは攻め込まれることのない頑丈なバリケードの後ろに隠れた場合に、ブッシュは、国連軍に救助を求めることになるかもしれない。

しかし、国連は、「他の中東諸国にも侵略するつもりなら助けないよ」と言うだろう。

この事情を考慮すれば、読者は、ネオコンが徴兵を計画しているということに気づくだろう。しかし、たとえ徴兵したとしても、2千5百万人のイラクでさえ手を焼いているのに、イランやエジプトというはるかに人口の多い国を占領することができるわけがないのだ。

だれかが彼らにストップをかけなければならない。ネオコンが支配するフォックス・ニュースではだめだ。超愛国主義の仮面をつけた彼らの真のねらいは、中東をイスラエルにとって無害な場所にすることなのだ。

南部の白人福音主義者たちがネオコンとタイアップしているが、彼らであっても、アメリカの外交をコントロールできない。これらの脳死患者たちでも、早晩、イラクが大量破壊兵器を持っていなかったし、(ネオコンが我々をイラクに引き込むまでは)我々にとって脅威でもなんでもなかったことに気づくだろう。また、911事件とまったく何の関係もなかったことにも気づくだろう。

アメリカは、自分に対してまったく何の害も与えていない国を攻撃するために巨額を投じ、何万もの無辜の民を殺し、「ウソとデマに基づいて戦争を始める侵略者」という汚名を着たのである。

その過程で、我々は、最良の友であるイギリス首相トニー・ブレアの政治生命をも危機に落とした。英国民の3分の2は、「ブレアはイラク侵略のためにウソをついた」と信じている。

戦争プロパガンダに疲れた大衆を前にして、ブッシュ政権はどのようにして「我々はサダム・フセインを打倒することによって、世界をテロリストから救った」というウソを言いつづけることができるだろう。

投票者たちは、「なぜブッシュは、自分をこのような深刻な泥沼に落とし入れたネオコンを切らないのか?」と不思議がっている。ネオコンを切り捨てるのが遅くなればなるほど、ますます多くの投票者が「なぜ我々はブッシュに投票したのか?」と自問するようになるだろう。

イラクにおけるアメリカの状況はすでに悪い。もしシートの大多数が、アメリカを追い出すために戦線に加われば、にっちもさっちも行かなくなるだろう。

敵に金を渡して一件落着というわけにも行くまい。誇り高き国民として我々はイラクの抵抗に立ち向かうために、息子や孫たちを徴兵官の手に差し出し、テロリストやゲリラの標的にすることを選び取るだろうか。

このような泥沼に嵌っている間に、世界の他の場所において別の紛争が起きたらどうするのだろう。

核兵器を使用せざるを得なくなるのだろうか。

ネオコンが「お茶の子さいさい」と約束した時に、彼らよりもはるかに賢明な多くの人々が、これらの警告を発していたのである。

ブッシュは、自分のスタッフの中からネオコンを一掃して、もっと誠実で賢明な人々を代わりに入れるべきだ。
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というよりも、私は、ブッシュ自身がそもそも大統領の器ではなかったと思うのである。

こういう嘘つきは、一日も早く弾劾裁判に掛けて罷免すべきである。

『ネオコンは失敗を認めた?次は徴兵か?』 富井牧師のBBS

アメリカでネオコンと呼ばれる政治勢力は、80年代に頭角を現しイスラエルやキリスト教福音派などの勢力と手を結び、今やアメリカ政権の主力となっている。従来からの共和党保守本流とは政権内部で対立し、オイルマフィアや軍需産業もネオコンの一派に加わっている。問題はイラク統治がネオコンの計画どうりに上手くいっていないことだ。

もしアメリカがさらにイランや北朝鮮を占領しようとするならば、徴兵制を復活させないと兵力の補充が付かない。南ベトナムですら一時期に50万以上もの兵力を送ったが泥沼にはまり最後は撤退した。結局アメリカはベトナム戦争の教訓は身に付いていなかった。ベトナムで捕虜になった経験を持つジョン・マケイン議員ですら兵力の増強を主張している。

日本のマスコミはアメリカのキリスト教の実態をよく報道していない。日本人にはキリスト教そのものもよく理解できないし、アメリカ人がなぜあれほど信心深いのか理解できていない。アメリカ人がなぜ毎週教会に行くのか。ヨーロッパ人ですら毎週教会へ行く人は一部に過ぎない。以前にもアメリカは宗教国家だと書きましたが、この実態を知っておかないと読みを誤るだろう。

分かりやすく言うとアメリカ人の多くがハルマゲドンの妄想に取り付かれている。911テロ事件そのものがハルマゲドンの始まりを暗示している。だからこそアメリカ人はカナンの地で起こるとされる戦争に参加するべく、中東各地へ派兵しているのだ。これはまさに現代の狂気だ。日本の評論家達は911テロに対するアメリカ人の過剰反応を理解できていない。

日本人に分かりやすく説明するには、アメリカ南部のキリスト教福音派は、ハルマゲドンを信じたオウム真理教とたいして変わりがない。オウム教団の起こした地下鉄サリン事件に大きな関心を示したのもアメリカだ。実際には地下鉄サリン事件よりもっとスケールの大きな911テロ事件を起こした。麻原彰光とジョージ・W・ブッシュとどれほどの違いがあるのだろう。カルト教団の教祖の麻原は多くの人を殺した。しかしブッシュほどには殺してはいない。




埼玉県知事選挙に見る中央官僚への反感
小泉・竹中内閣では自民党は負けるだろう

2003年9月1日 月曜日

◆埼玉知事に上田清司氏、投票率は35・80%

土屋義彦前知事の辞職に伴う埼玉県の出直し知事選は31日投開票され、新人の前衆院議員・上田清司氏(55)(無所属)が、元総務次官・嶋津昭氏(60)(無所属=保守新推薦)ら他の新人7人を大差で破り、初当選した。

 「政治とカネ」の問題が焦点となった選挙戦で、上田氏は、実質的に支援を受けた民主党の組織票を固めたのに加え、「あらゆるしがらみを一掃する」と「県民党」を強調して無党派層の取り込みにも成功。首都圏では、千葉、神奈川に次いで、「非自民」勢力が推す3人目の知事の誕生となった。

 今回の知事選は、土屋前知事が、自らの資金管理団体を巡る長女の政治資金規正法違反事件の責任を取り、任期を約1年残して辞職したことを受けて行われた。

 上田氏は、「知事交際費の全面公開」などを公約に掲げ、県政刷新を強く訴えるとともに、道州制の導入を目指す「首都圏連合」を提唱。神奈川県の松沢成文知事や長野県の田中康夫知事らが応援に駆けつけ、有権者に「改革派」を印象付け、無党派層からも幅広く支持を集めた。

 告示前に離党した民主党県連から「友情支援」を受けたほか、選挙戦終盤には同党の菅直人代表と自由党の小沢一郎党首が一緒に街頭に立って応援演説するなど、両党の合併合意も有利に働いた形だ。

 上田氏は県政運営に当たり、行政と業者の癒着一掃など県政の信頼回復と同時に、選挙戦で敵対した自民県議が多数を占める県議会にどう対応するかといった課題を背負う。

 一方、嶋津氏は、自民党本部が推薦を見送ったことで、自民県連の単独推薦で出馬。終盤に保守新党の推薦を受けたが、事件の後遺症で県連が頼みとする業界団体の動きは鈍く、市町村の首長や議員も模様眺めが続いた。加えて、与党の一角である公明票が、参院会派で公明党に所属していた前参院議員の浜田卓二郎氏(61)(無所属)に流れ、組織票をまとめ切れなかった。

 前内閣府局長の坂東真理子氏(57)(無所属)は女性団体の支援を受け、女性票確保と無党派層への浸透を狙ったが、幅広い支持を得られなかった。

 今回の選挙では、共産、保守新党以外の政党は推薦を見送ったほか、各候補がそろってクリーンな政治の実現を訴えるなど主張に大きな違いがなかったこともあり、有権者の関心は低く、投票率は35・80%と、衆院選と同日選となった前回(2000年6月)の59・19%を大幅に下回った。

上田 清司(うえだ きよし)

 前衆院議員・民主党副幹事長。早大大学院政治学研究科修了。福岡県出身。55歳(読売新聞)
[9月1日9時31分更新]
◆小泉優勢、されど…

(前略) 第二は新しい民主党の躍進だ。民主党・自由党の合併効果はきわめて大きい。小泉首相、山崎幹事長が仕掛ける11月総選挙が行われれば、その時、民主党が第一党になり、菅直人民主党政権が誕生するとの見方が広がっている。自民党の地方・地域の政治基盤が崩壊しているのに反比例するかのように民主党に人材が集まり始めている。自民党議員は民主党の攻勢におびえて小泉人気への依存心を高めている。だが、自民党が正道である政策転換をとらずに、ただ小泉人気に頼るとすれば、民主党政権の可能性はさらに高まる。
 第三、連立与党内部の亀裂の拡大。政界内部で「公明党の動きが変わってきた。民主党との連携を模索し始めた」との噂がしきりに流れている。それだけではない。八月二十八日の政府与党連絡会議で公明党代表は、再選の可能性が高まって自信満々の小泉首相に向かってこう発言した――「(自民党は)民・由合併を軽く見ているのではないか。危機感がない。マスコミも現政権を叩く方向に変わり始めた」。公明党の強い危機感をぶつけた発言である。「すでに民主党と公明党との間で協力の話し合いが始まった」との情報もある。
 自民党議員の中には小泉人気に頼って危機を乗り越えようとの意識が強い。だが、小泉人気にぶら下がろうとするその安易さを心ある支持者は心配している。地方・地域に希望を与える積極政策に転換し、国民のために地道な努力を行うことなしに、崩れかけた自民党地盤を再建することはできない。小泉流の「冷たい構造改革」を「温かい政策」に転換し、それを実行することが、今、自民党がなすべきことである。

森田実の時代を斬る 2003.8.30 小泉優勢されど・・・ 


小泉政権の継続は「百害あって一利なし」と私が主張する理由【1】――

(前略) ここで私が日頃から主張していることを改めて記しておきたい。
 今の日本を立て直すためには、国民的な盛り上がりが必要である。政治家だけではできない。国民の総力を結集することが大切である。
 このための最良の手段は政権交代だ。一日も早く衆議院を解散し総選挙を行うべきである。ちょうど民主党と自由党が合併し、「自公連合」対「新・民主党」が互角の力をもつようになった。今、衆議院を解散し総選挙を実施すれば民主党政権が誕生する可能性がある。そうなれば二大政党制への道が切り開かれる。総選挙による政権交代――これこそが政治と経済の大改革の最良の方法である。
 次善の策は自民党の大改革だ。この9月20日に行われる自民党総裁選ににおいて小泉政権を交代させて、間違った小泉政治を止めさせることだ。
 第三が政策転換だ。具体的に言えば、竹中金融政策を直ちに止めさせて、日本の銀行を小泉・竹中の破壊工作から救わなければならない。だが、竹中金融相を守っているのは小泉首相だ。小泉首相は8月20日のワルシャワ談話(内政懇談会)で「政策転換はしない」と言明している。竹中更迭を小泉首相に期待しても無駄だろう。

 小泉首相が政策転換をしなければ、小泉政権を倒す以外に政策転換を達成する道はない。9月20日に自民党が小泉首相を倒すことができなければ、その役割は民主党が担わなければならない。小泉破壊改革から日本を守るためには、小泉内閣を打倒し、それによって小泉・竹中の金融破壊・国民生活破壊を止めさせる以外に道はない。
 これが「中庸の政治」を実現する道である。

森田実の時代を斬る 2003.8.23 百害あって一利なし 

最近の自民党議員やマスコミジャーナリズムは世論の動向に鈍感になってきたようだ。自民党の実力者達は心の中では小泉人気に便乗すれば、また選挙で勝てると読んでいるのだろう。自民党総裁選挙では反小泉と言いながら、裏では小泉・竹中内閣を支えてきた。その結果、地方経済は壊滅的打撃を受け、商店街はシャッターを閉めっぱなしの店が増えた。

自民党議員は改革の小泉対抵抗勢力という八百長芝居を演じながら、自民党政権が続けばいいと思っている。しかしながら多くの国民が自民党の猿芝居を見抜いてしまった。亀井氏、高村氏、丹羽氏、藤井氏と多くの候補が反小泉で立候補する予定だが、単なる自分の派閥の切り崩しを防ぐためのものでしかない。

権力に対するよいしょ記事しか書かないマスコミも、国民の間の反小泉の感情を捉えていないようだ。自分の息子や娘が高校を卒業しても就職できるのは二人に一人だ。大卒でもフリーターと言う失業者予備軍が数百万人もいる。これが小泉首相と竹中金融大臣の経済政策によるものと、やっと気付いたようだ。抵抗勢力の先生方はなぜ竹中大臣を辞めさせることが出来なかったのだろう。それは八百長芝居だからだ。

埼玉知事選挙における民主党候補の地すべり的大勝利は、小泉自民党政権の敗北を予言している。いわゆる無党派層が小泉支持から民主党支持へ回るか棄権に回っている。世論の動向を見抜けぬ鈍感なマスコミが相変わらず小泉フィーバーを煽っているが、神奈川県知事選や埼玉県知事選で元民主党議員候補が勝っている意味が読めないのだろうか。

私は小泉政権誕生以来、その経済政策を批判してきた。しかし小泉氏の「構造改革」は日本の資産をアメリカに売り飛ばすためのスローガンであることがハッキリ見えてきてしまった。竹中大臣はアメリカ政権のメッセンジャーボーイだ。小泉首相自身、アメリカの政権の支持さえあれば大丈夫と思っているようだ。しかしそのアメリカのブッシュ政権自身がイラクでつまずいている。

インターネットはテレビや新聞に比べれば、数千分の一の影響力しかない。しかしそこに開いた風穴は世論に対して大きな先導役となってきたようだ。既存のマスコミは権力によいしょばかりして、世論の先導役としての役割をインターネットに取られてしまった。私の「株式日記」でも2002年7月には次のような項目が並んでいる。

2002年7月1日
「日本のマスコミは裸の王様」W杯で明らかにされた事

2002年7月6日
小泉首相は「構造改革」が解っていない

2002年7月8日
田中康夫知事不信任は日本の利権政治の縮図

2002年7月14日
日本経済を破壊したエリート官僚たちの責任を問う

2002年7月15日
構造改革の天王山 田中康夫知事再選なるか

2002年7月16日
地方議会から守旧派議員と知事を追放せよ!

2002年7月19日
官僚支配の小泉内閣は不況が大好き

2002年7月21日
田中康夫は既成政党への自爆テロリスト

このような事を「株式日記」で書き続けてきた。しかしこの頃は小泉内閣の支持率が80%以上もあり、小泉内閣の経済政策や官僚依存体質を告発しても無視されてきた。しかしながらこの小さな針の一刺しがだんだんと大きな渦を作り、小泉首相が「構造改革」を連呼しても、欺瞞であることがばれてしまった。むしろアメリカへの売国的体質が明らかになってきている。もはやマスコミが世論を作り出す時代は終わったのだ。



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