株式日記と経済展望
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外国為替が理解できないと株式も理解できない
ドルに連動した円安で欧州からの株買いになった
2003年7月10日 木曜日
「最近の株高」について。
最近、株価が上がり、長期金利も上昇している。一方、実体経済は悪化したままだ。このことを、どう理解するべきか? 本質を考えよう。
株価が上がっている理由は、欧州からの資金流入だ。このことは、新聞にも解説記事が出ている。とはいえ、私なりに、詳しく説明しておこう。
米国の金利引き下げにともなって、欧州通貨であるユーロが上昇している。つまり、ドル安・ユーロ高だ。一方、日銀は、ドルに対してだけ安定させようとしているから、円もドルに連動して、円安になる。その結果、円安・ユーロ高となる。ここでは、「円安介入をしている」という点が重要だ。この介入は、相当の規模になっている。
この介入のおかげで、輸出産業は欧州への輸出が好転した。売上げも伸び、利益も増えた。それを見て、株式市場でも、輸出産業を中心に株価が上がった。とはいえ、株式市場には、輸入産業もあるから、差し引きすれば、円安の効果はあまり大きくない。
肝心なのは、欧州からの資金流入だ。円安にともなって、欧州から資金が流入して、日本の株を買う。なぜか? 株高を期待している、という意味もあるが、大事なのは、為替差益だ。円が安いときに日本の株を買い、あとで円が高くなってから日本の株を売る。株を100円で買って100円で売ったとしても、円とユーロのレートが異なるから、手取りのユーロの額を見ると、利益が出る。つまり、為替差益が出る。これが狙いだ。
さて。欧州は、こうして、濡れ手で粟で、為替差益を得る。一方、これを日本の側から見ると、どうなるか?
今は「円安にせよ」という円安論者の主張に従って、日銀がせっせと円安介入している。円が資金流出している。そのせいで、たしかに円安になっているが、一方、欧州の業者は、馬鹿な日銀をせせら笑って、反対介入しているわけだ。その分、日銀の円安介入効果は弱まるが、それでもけっこう効果が残るから、円安になっている。
そして、将来、この無謀な介入が消えたとき、円安は修正される。そのとき、欧州の業者は、濡れ手で粟で、莫大な為替差益を得る。株価がまだ上がっているうちに売るから、株の投資利益も得るが、もともと、それにはあまり期待していない。とにかく、為替差益を得る。そして、欧州の業者が為替差益を得た分、日銀が為替差損をこうむる。
その損失は、誰が負担するか? もちろん、日本国民だ。形としては、物価上昇という形で負担する。
企業はどうか? 円安のおかげで、多くの輸出ができて、ホクホクだ。しかも、ろくに賃上げをしないから、経営も黒字になる。企業の稼働率も、輸出のおかげで向上するから、失業者も減る。つまり、「企業業績の向上と、失業の減少」が起こる。これはまさしく、円安論者の主張の通りだ。
しかし、このとき、物価上昇によって、国民には多大な損失が発生するのだ。国民は、輸出できる分、一生懸命働くが、物価上昇のせいで、実質所得が向上しない。つまり、「失業の解消」というのは、「タダ働き」をすることなのだ。(奴隷になるようなものだ。)
では、国民がタダ働きでこうむった損失は、どこへ行くか? それは、欧州の業者だ。彼らは、日銀に対して反対介入をしたおかげで、莫大な為替差益を得る。彼らは「不労所得」を得たことになる。
そして、日本の国民が「タダ働き」でこうむった損失と、欧州の業者が「不労所得」で得た利益とは、うまくトントンになるのだ。金は天からは降ってこない。誰かが金を失えば、誰かが金を得る。日本が金をどんどん捨てれば、欧州が金をどんどん拾う。それが、今の「株高」という状況だ。
この状況を見て、「ほう、それじゃ株を買おう」と思って、提灯買いをする連中が出てくるだろう。彼らが株を買って、株価が上がる。景気も少し上向く。物価も上昇する。そこで日銀は、「物価安定のため」と称して、円安介入をやめる。そのとき、欧州の業者は、手じまいする。株を高値で売り、円高状況で円をユーロに替える。投資利益と、為替利益を得る。このとき、日本人は、株価と円レートの変動に、大あわてする。株は暴落し、円安終止にともなって輸出企業の業績も悪化する。あとに残るのは、物価上昇だけだ。このとき、国民の所得は増えないから、物価上昇の分だけ、損をしていることになる。デフレから、スタグフレーションに変わったわけだ。状況は非常に悪化する。そして、日本が大損した分、欧州の業者は得をしたわけだ。
結局、日本は欧州の奴隷となって、金を貢いだわけだ。円安というのは、もともと、そういう制度だからだ。経済においては、通貨は、一定の状況で均衡する。なのに、無理に通貨安にするというのは、その国の富を奪い、その国を植民地化する、というのと同然である。だから、欧州が日本を植民地にしたら、日本の通貨レートを下げて、日本人をこき使うだろう。それと同じことを、今は、日銀がやっている。だから、日本は、自らはタダ働きして、欧州に不労所得を与えることになるわけだ。
1年間のユーロ・円チャートを見ていただければ分かるとおり、ユーロは円に対して20%以上もの値上がりをしている。私が何度も外貨をドルだけでなくユーロにシフトさせるべきだと主張してきましたが、この1年で20%ものリターンが得られたことになる。なぜドルは下落しユーロが値上がりしているかは、最近のブッシュ外交に疑問を持った国際金融資本家が、アメリカから資本を引き揚げてヨーロッパに移しているからだ。
起死回生のためにブッシュはイラク攻撃で勝利宣言をしたが、イラクはアフガニスタン化しつつある。最近はカルザイ化という言葉が流行っている。カルザイは大統領でありながら首都のカブールですら米兵の護衛なしには出歩くことが出来ない。つまり米軍は撤退したくとも出来ない状況に陥ったのだ。
イラクにも米軍が14万人進駐しているが、米兵はイラク人ゲリラの襲撃に脅えている。ラムズフェルドは米第三歩兵師団を撤退させようとしているが、その穴埋めを日本の自衛隊など多国籍軍に置き換えるつもりのようだ。アフガニスタンではドイツ軍が襲撃されて4名が戦死した。タリバン政権からカルザイ政権に変わって何が良くなったのか。イラクもフセインに代わってどうなるのか。
アメリカ軍による中東油田地帯の制圧は果して上手くゆくのか。石油もあれば水も豊富な地域を十数万の軍隊で制圧できるなら、とっくに近隣の勢力が支配しているはずだ。ヨーロッパは地域的に隣であるだけに中東を支配し続ける事の難しさを知っている。だからヨ−ロッパの資本家達は資本を米国から引き揚げ始めている。サウジのオイルマネーも米国からヨーロッパへ移している。
福井・日銀はその穴埋めを必死になって行っているが、これは明らかに売国行為だ。ドルを買い支えて円安にしたところで、その利益はヨーロッパの国際金融資本家たちへの利益供与に他ならない。いずれ円高になれば為替差益が転がり込むからだ。日銀は紙切れに過ぎないドルを買うより、株式や土地を買い支えることにより、今回のようなバブルの再発に備えるべきだ。
経済実態が悪いままなのに株だけが上がる現象をバブルと言います。外資が株式を買い捲れば株は上がる。しかし外資が売ればバブルの崩壊だ。外資は為替差益で利益は確保されている。福井日銀総裁はバブル経済の仕掛け人であり、また崩壊させた中心人物だ。そのおかげで外資に巨額の為替利益を献上したのだ。
おそらく近い将来ドルの暴落があるだろう。1ドル=50円位になるかもしれない。そうなった時のためにも外貨をドルだけで持つのは危険だ。アメリカの投機家たちがドル売りを仕掛けてきたら日銀はユーロヘッジを掛ければ良い。そうなればドルの独歩安となりアメリカはカーター時代のような狂乱インフレに見舞われるだろう。そうなれば世界中の国がドル離れを始める。
民族派の国際政治経済戦略家としては、これからはEUとの連携を深めてゆくべきだろう。しかし政府と日銀はそのようなことが出来るか。小泉政権はアフガニスタンのカルザイ政権と大して変わらない。アメリカの支援なしには小泉首相は失脚する。アメリカは北朝鮮カードで日本国民を脅している。だからこそ憲法を改正し自主防衛体制を訴えてきたのだが、まだ憲法改正の動きは見られない。
ブッシュ大統領の選挙対策はうまく逝くか
アメリカは北朝鮮を一年がかりで追い込む
2003年7月9日 水曜日
今週から決算発表が本格化します。当初は決算発表に一喜一憂する展開が続くと思われますが、この流れは長くとも7月一杯までであり、それ以降は全く違った展開になってくるのではないかと思われます。それは景気対策の効果が出てくると思われるからです。
7月よりブッシュ減税が始まっていますので、まずブッシュ大統領はこの効果を見ることになります。そして、この効果が予想通りであり、米国景気が持ち直す展開になっても、あるいはブッシュ減税の効果があまり出てこないという展開になっても、ブッシュ大統領は新たな景気対策を行なうのではないかと思います。
ブッシュ大統領の狙いは来年11月の大統領選挙となります。この時のブッシュ大統領の大統領選挙戦略は2つと言えます。1つは対外戦略でもう1つは国内戦略です。対外戦略とは強いアメリカを世界に認識させ、それを米国民にアピールすることであり、国内戦略とは景気の回復を米国民にアピールすることです。
ブッシュ大統領にとってはこれからの1年が本当の勝負となります。考えられる戦略としては、対外戦略では北朝鮮・イラン他のテロ国家の攻撃です。これは強いアメリカをアピールすることが出来ますが、同時に戦死者が急増しますとベトナム戦争の時のように厭戦感が出てきて大統領選挙にはマイナスとなりますので、確実に勝てる、楽に勝てる相手を選ぶのではないかと思います。
中東は宗教問題がありますし、イスラム諸国がまとまった場合には米国にとって大きなリスクとなりますので、ブッシュ大統領の狙いは『北朝鮮一本』に絞られるのではないかと思います。
北朝鮮は拉致・麻薬製造など誰が見ても非難されることを行ない続け、核保有宣言をするといった国際的には孤立する政策をとっていますので、国際社会の理解が得られやすいと考えられます。一方、イランを標的にした場合にイラクの大量破壊兵器問題が蒸し返されることを米国は避けたいと考えていると思いますので、来年に向けての米国の対外戦略は『北朝鮮をジワジワと追い込み、国際社会が容認できないことを北朝鮮に行なわせる』ことではないかと思います。
アフガニスタンでアルカイダが動かざるを得ない状況を作ったように、これから米国の北朝鮮に対する圧力は徐々に強まってくるのではないかと思っています。
◆国内問題 (中略)
◆景気対策で一度ピークアウトした景気は回復するのか
景気が長期的に上昇しますと、収益機会を拡大するために、投資や雇用などに積極的になり、借金を拡大させます。そうしませんと、景気の上昇に見合う企業の成長が得られず、株主から『ノー』と言われてしまいます。このため、上昇している企業経営者は好むと好まざるにかかわらず積極経営を取ります。
したがって、大型の景気上昇がピークアウトした時には『過剰設備・過剰債務・過剰人員』という問題が必ず発生します。日本はこの3つの債務の悩まされ続けて現在に至っています。
この3つの過剰の整理を米国企業は2000〜2001年から行なってきています。一部の企業では整理が進んでいると思いますが、この整理ができるのは大企業であり、中小企業は厳しいと思います。
いずれにしましても、景気のスケールがピークアウトするということは、規模が縮小するということであり、3つの債務の整理をするということは経済の規模が縮小するということです。
したがって、再び景気が最盛期を突破して成長するというシナリオになることは非常に難しいと思います。既に1981年から米国の景気は上昇していますので、20年間上昇しています。景気は新しい技術などで20年間上昇しますが、ここで新しい技術などの恩恵が終わり、続く10年間で再び新しい技術の開発を行ないますから、再び景気が上昇するには10年間は必要という見方があります。
グリーンスパンFRB(Federal Reserve Board、連邦準備制度理事会)議長も2000年に米国経済がピークアウトしたあとに「『米国景気をいかにしてソフトランディングさせるか』が自身の最大の責務」と言っておりましたように、米国の景気と株式市場は10年程度はリバウンドを繰り返しながら下落し続ける可能性が高いのではないかと思っています。
◆結論
今回はブッシュ大統領が新しい景気対策を行ない、今後も断続的に景気対策を実行していくと思います。そして、このような展開になった時の株式市場は、1年から1年半程度は上昇するという過去の経験則がありますので、当面の米国株式市場は調整を続けながらも1年程度のリバウンド相場になる可能性があるのではないかと思います。
同じ方法で明日は日本の経済と株式市場について申し上げたいと思います。
昨日はテレビのニュースなどでも繰り返し日経ダウが10000円を超えたことを放送していた。小泉首相や竹中金融相は構造改革が進んだ成果だとコメントしていた。株が下がっていた時には構造改革はこれからだと言っていたはずだ。つまり構造改革と景気とはあまり関係のないことであり、外人投資家が大量に買い始めただけの話だ。
なぜ上げ始めたかというとアメリカ株式が中間反騰で上げて、グローバルファンドが日本株を買い始めたからだ。このまま上げ続けてくれれば日米ともめでたしめでたしなのですが、FRBのグリーン・スパン議長が言うがごとく如何にソフトランディングさせるかが、アメリカ経済の長期的課題だ。
一時期ブッシュ政権はドル安政策をとるかに見えましたが、株式市場への影響が強いことがわかり、エビアン・サミットでドル高政策に戻ることを宣言しました。この事は何を意味するかというと、アメリカの産業はすでにドル安政策をとったからといって、すぐに復活が出来るほどの力がないことを証明している。自動車も日本車が躍進しているのに、アメリカ車は停滞している。
自動車は産業として非常に裾野の広い産業であり、技術的総合力がものを言う。値段をいくら安くしても故障してばかりだったり、燃費が悪ければ商品にならない。日本の産業が円高になっても持ちこたえているのは、品質で勝負できる産業力を持っているからだ。だからアメリカは軍事で強いアメリカを強調して、世界から金を集めていくしかない。
たしかにアメリカの軍事は技術力も物量もマンパワーもダントツの地位にあるが、それを支える経済力に陰りが生じている。世界のトップの軍事技術を民間に生かせればよいのだが、コストの壁で生かすことが出来ないでいる。光学レンズの品質ではアメリカがトップであり、日本では宇宙の彼方から地上の10センチの物を識別できないが、アメリカの軍事衛星のレンズはそれを識別できる。
しかし、その技術を使って数百万円のカメラを作っても誰も買いはしないだろう。自動車にしても宇宙航空技術を使えば高級車が出来るのだろうが、数億円もしては誰も買わない。日本の場合は比較的高級品を安く作れるから輸出競争力がある。このようなアメリカの軍事技術は定期的に戦争をする事により維持できている。また戦争により消費しなければ生産力も維持できない。
ブッシュ大統領はイラク戦争が短期に終わったので、新たに戦争を求めてイランや北朝鮮を締め上げている。暴発してくれればいいが、サダム・フセインのように自重されてしまうとなかなか戦争が出来ない。北朝鮮は核を持っていると自ら言ったのだから何時でも攻撃できるが、大統領選挙のタイミングを選んで、来年の夏ごろに攻撃を始めるかもしれない。
国際競争力を失っている日本の高等教育
早稲田大学はディズニーランドなのか?
2003年7月8日 火曜日
◆≪評価急落する日本人学生≫
この数年、アメリカの大学院に学生を送り出していて疑問に思っていたことがある。優秀な学生を推薦しているのに、入学許可がなかなか出ないからである。他大学の教官の何人かに聞いて、どこでも同じ状況であるとわかった。
多数の日本人の経済学者を輩出している東部の名門Y大学では、この四年間は、一人も日本人に入学許可を出していないという。京大からアメリカへ留学し、今は、やはり東部の名門B大学で助教授をしているN氏は、今年は、彼が審査委員会に入っていたので、やっと日本人学生に入学許可を出せたという。それでも昔なら容易に取れた授業料免除もなしである。
やはり、東部のP大学の工学系の教授は、「日本からの大学院生は、学力が低くて、とてもついていけない。痛々しいのでもう入学させない」と言う。アメリカの大学院の日本人学生への対応の変化を知って、ついに来るべきものが来たという感想をもった。
以前も日本を代表する国際的企業の経営者から「会社の研究職に日本人技術者は雇用せず、すべて中国人を雇っている」と聞いた。そして松下電器も来年度から採用技術者の五分の二を日本人から外国人に変えるという。
◆≪改革とは名のみの空洞化≫
初等・中等教育の「ゆとり教育」については、実態が国民に知られるようになったが、文科省が大学と大学院に対しても、改革という名で、教育水準を切り下げてきたことは余り知られていない。
平成十年度の文部省高等教育局の通知「大学入学者選抜実施要項について」の中で、「本要項の第十の一の(三)に記載のとおり、出題する教科・科目数の削減に引き続き努力すること。この場合、個別学力検査を行わないか、あるいは行ったとしても当該大学・学部の目的、特色、専門分野等の特性に応じ必要な限りとし、小論文、面接、実技検査、外国語におけるリスニングテスト等を適切に組み合わせて実施することが望ましいこと」(『日本の理科教育が危ない』学会出版センター、二九七ページ)とあるように、入学試験における学力試験の教科数を減らすべく圧力をかけていたのである。
入試科目数の削減は高校教育の現場に大きな影響を与えた。文系の学生は数学や理科を勉強しなくなり、大学で必要な微分・積分や物理を学ばずに工学部に入学したり、生物を学ばずに医学部に入学する理系の学生が多くいる。東大ですら、後期入試で文系進学コースに入学するのに、数学を受験する必要がない。
大学に入ってから、数学や理科が必修として存在したときは、まだましであった。しかし、文科省は、一九九〇年代初めに、スペシャリストの養成といううたい文句で、教養課程を廃止し、一〜二年生の必修科目を事実上なくする改革を進めた。
数学と理科を勉強せずに入学した理系の学生が、入学後ですら、必要な科目をとらずに専門課程に進学できることになり、大学生の学力低下に歯止めがかからなくなった。それでも、優秀な学生、そして大学院に来る学生だけは、何とかものになるのであれば、希望がもてる。ところが、文科省は、大学院生の数を二倍にするという数値目標を出し、大学院入学者数を無理やり倍増させた。これによって、教育レベルはとても専門家を養成する場所にふさわしいとはいえないものになってしまった。
◆≪基礎学力短大並みの院生≫
実際に大学院を教える者として、この七年ほど、著しくレベルが低下していることに危惧(きぐ)を抱き、他大学の教官と協同で、二〇〇二年に旧帝大系の国立大の経済系大学院生の基礎学力を調査してみた。singの過去形、絶□絶命の□の中、二次方程式の解の公式、日本国憲法の戦争放棄をうたっているのが第□条かを問うそれぞれの問題の正答率が、六四%、七六%、六〇%、八八%であった。これは、同時に調査した短大での結果とほぼ同じである。
日本を代表する大学ですら、大学院生はこの程度なのである。日本人学生を入学させても、痛々しいだけだと言われる原因が見えるであろう。
現場を知らない人たちに、過度の権力が与えられたことで、改革を通じて、教育・研究は形骸(けいがい)化し、行政の力が肥大化した。中央集権を維持したままの改革ということでは、国立大学の独立行政法人化も同じ運命にある。このまま進むなら、結果として、文科省のコントロールが強まるのと引き換えに、日本の大学の国際競争力が失われてしまうことであろう。
強姦(ごうかん)の疑いで代表の和田真一郎容疑者(28)らが逮捕された早稲田大学のサークル「スーパーフリー」は、「スーフリ」の名で学内外に広く知られたサークルだった。学生の間では「2次会で飲まされて男の子に狙われる」といううわさが広まる一方で、参加した学生たちはイベントの盛り上がりに酔いしれた。容疑者たちはいずれも否認しているというが、警察には新たな被害の相談も寄せられている。
22日、東京・六本木の有名クラブで開かれる予定だったイベントは中止になった。チケットを払い戻しに来た学生に謝罪文が配られた。「事件への反省をふまえ、サークルは解散させていただきます。長い間本当にありがとう」スーフリは82年に活動を始め、最近は毎月のように1000人、2000人規模のクラブイベントを開いてきた。参加費は3000〜5000円程度だったという。ほかの同種サークルが衰退する中、名古屋や大阪に支部を構える飛び抜けた存在だった。
代表の和田真一郎容疑者(28)は別の大学を経て94年に早大に入学。翌年から代表を続けている。00年3月に退学になったが、02年、同大第二文学部に再入学した。イベント企画から経理まで一切を仕切る「カリスマ的な存在」(あるメンバー)だった。短大1年の女子学生(18)はこの4月から同級生と毎回参加した。「大学生になったからクラブに行ってみたかったし、出会いも期待した」
行ってみて驚いた。薄暗い会場は超満員。流行のポップスが大音量で流れ、きらびやかな照明が回る。ステージ上のスーフリのメンバーをまねて踊った。4時間があっという間に過ぎた。「みんなとの一体感が気持ちよかった。生まれて初めての衝撃だった」会場を出ると、2次会に誘われた。「気をつけた方がいい」と聞いていたが、メンバーと話したくて参加した。会場の居酒屋には男女200人ほど。中には酔いつぶれていた女の子もいた。
元メンバーの早大生(20)は昨年春、逮捕されたメンバーから誘われて入った。「女と金には困らない」「撃てる(セックスできる)よ」と言われたのを覚えている。イベントの運営は楽しかったが、飲み会で幹部メンバーが目を付けた女の子にゲームを装って酒を飲ませるのがいやだった。友人の女子学生がひどい目に遭ったと聞き、数カ月でやめた。
「いつか捕まると思ってた」と、関西支部の元メンバーの私大2年生(19)は突き放すように話した。大阪のイベントを手伝いに来た和田容疑者らは、「おれたちは何でもできるんだ」という態度だったという。2次会や3次会で女の子を酔わせ、介抱するふりをしてトイレに連れ込み、3、4人でもてあそぶのが常態化していたとこの学生は振り返る。関西メンバーの間では「やめさせよう」という声も出たが、東京メンバーがいないとイベントがうまくいかず、そのままにしてしまったという。
現役メンバーで東京の国立大学3年の男子学生(20)は「知らない世界があったのか」とショックを隠せない。中高は私立の一貫校。将来の希望は銀行員かキャリア公務員。「このまま卒業して世間知らずの人間になりたくない。大学時代ぐらい、ちょっと危ない世界も見たい」と考えて入った。危うさを感じなかったわけではない。メンバーが2次会の後、気に入った女の子を連れて帰る光景も見た。「お持ち帰り」と呼びあっていた。
先日の森前首相の「子供のない女性」の差別発言や、福田官房長官の早稲田大学のレイプ事件の「女性も裸のような格好」発言に対して、女性国会議員を中心にマスコミも一斉に非難した。私も日記で同じようなことを言っているので感ずるのですが、彼らの発言に対して一方的に非難して発言に封印をしてしまうことに疑問を持ちます。一つの問題提起として捉えて冷静に議論がなされるべきだと思います。
早稲田大学のスーフリの強姦事件の記事を見ても、スーフリが危険なサークルであることは広く知れ渡り、女性もそれを承知で二次会まで参加している。昨日の「TVタックル」で大竹まことが街中で女性が赤いブラジャー姿で歩いているのはどうかしている、と発言していましたが、女性に対する率直な発言をすると、セクハラだ女性蔑視だと一斉に袋叩きする。もはや女性への率直な発言はお笑いタレントしか出来なくなっている。
女子高生が超ミニスカートの学生服を着ていても、茶髪に染めていても、誰も注意しない。もはや学校も規則を守らせる規律がなくなっているのだ。学校がそのような状態では学業もおかしな状況になっているのは想像がつく。中学、高校がそれだけ荒れ放題になっているのなら大学はもっと悪くなり、スーフリのような事件は氷山の一角なのだろう。
大学生のレベルの低下は年々ひどくなってきている。現在でもアメリカに留学する大学生は大勢いるが、満足に卒業証書をもらって返ってくる学生は僅かだ。大学生が中学生レベルの問題すら6割程度しか正答率がない。文部省は大学の数を増やしてばかりで、その内容は低下の一途をたどっている。その結果学生数より大学の定員のほうが多くなり、誰でも入れる状況では中学生レベルの大学生が増えても不思議ではない。
旧帝大系のエリート大学の学生ですら記事で指摘されたように、中学レベルの問題がわからないのだ。これはマスコミが詰め込み教育だの、受験戦争だのと騒いだのと事情が大きく異なっている。おそらく文部省が記者たちをたきつけてキャンペーンをはらせ、「ゆとり教育」を推進させたのだろう。その結果マンガ本は売れるが、一般書籍は売れなくなってきている。
問題の原因は最初の森前総理の少子化にある。少子化の結果進学競争もなくなり勉強意欲も低下する。学校側も生徒集めで入学試験どころではなくなる。さらに大学の教授達のレベルも欧米に比べ著しく劣る。過去5年間の間に研究論文を発表しない大学教授が四分の一にも達している。学生も学生なら教授も教授だ。年功序列で若手の助手や助教授の出世が阻まれている。
(前略) だが問題は、教える教授の質にかかってくる。学生の質、意欲もさることながら、教授陣が充実していなくては問題にならない。こうした点を鋭く突いたのが、川成洋『大学崩壊!』。大学教授といえば総じて「学者」あるいは「知識人」と思われがちだが、それは全くの誤解であり、的外れの場合があると著者は指摘する。文部省の調査によると、国公私立全大学の専任教員で、過去5年間に論文を1本も書かない教員が、何と全体の4分の1に達するという。論文を書かないのではなく、書けないのである。過去20年、論文を書かず、書いたもので活字になったものは年賀状だけということさえある。
研究も教育もせず、教授会の権力闘争にうつつをぬかしたり、教え子へのセクハラに及ぶといったとんでもない教授もいる。また、教授会も正常に機能しない。すなわち研究・教育の他の行政面では、教授会が大きな比重を占めるが、教授会は人事権を持ち、妙な採用をしたからといって大学当局はこれを拒否できず、一番被害を被るのは学生たちである。
著者はこうした状況を打破するために、研究業績に基づいて、無能で怠惰な教授を辞めさせる「大学教授任期法」の施行を提案する。欧米の大学では、「Publish, or perish.」(研究業績を発表せよ、さもなくば消えてしまえ)というのが、ごく当たり前である。これによって助手や非常勤講師といった若手研究者たちに、競争の機会とともに昇進への道を開くことができるという。
吉川元忠 リチャード・ヴェルナー著
『なぜ日本経済は殺されたか』
2003年7月7日 月曜日
◆日本型モデルを解体して
私が初めて日本を訪れた一九八九年の夏、社会の雰囲気は今とはかなり違っていた。日本はまるで世界を支配することに熱中しているかのように見えたし、また、日本を見る世界の目も現在とは正反対だった。日本の企業はかなりの力を持っており、ヨーロッパやアメリカの競合企業に非常に恐れられていたのだ。
当時すでにアメリカの経済学者や経営指南者たちは、国内での緊急対策を呼びかけ、もしアメリカが速やかに抜本的た構造・政策改革を実施しなけれぼ、日本の競争者たちに打ち負かされてしまうだろうと説いていた。また当時、外国の私の知人たちは、日本企業について常に畏怖と尊敬の念を交えて語っていた。彼らは、他の追随を許さたい日本の経済成長と成功を目にして、日本的やり方を理解し、真似しなけれぼたらないと考えていたのである。
しかし今日、東京で働く外国人ビジネスマンたちの会話を聞くと、明らかに日本企業を見 下し、同情的にさえなっている人々が増えているように思われる。かつては評価された政府と民間企業の協力体制も、今では縁故主義だと冷笑を浴びているし、また、かつては巧妙な制度とされた年功序列・終身雇用制度も、今日では「非融通的」とか「フローズン(凍結している)」だなどと言われて否定され、その他諸々も同様である。今や誰が見ても、早急に構造改革が必要なのは、アメリカではなく日本になってしまったのである。
先に述べたようた、一九八○年代のアメリカやヨーロッバの評論家や専門家たちが広く喧伝した懸念を、大袈裟だと一笑に付してしまうのは、今となれば簡単である。一九八○年代の日本の支配力増大に警鐘を鳴らした人々は、明らかに問違っていたと思えるからだ。それに、一九九〇年代に起こったことを考えると、結果的に、日本はアメリカ経済にとって深刻た脅威ではまるでなかったのだという印象さえ受けるだろう。
すなわち、不況が一〇年以上も続いて今や経済が窮地に陥っている国が、アメリカに深刻な脅威をもたらすことなどできたはずがない。国民所得が縮小して失業率が上がり、杜会福祉に頼らなけれぼ生活できない人々や、公園で青いビニールシートを張って暮らしている人々、さらに経済的重圧から自殺を選んだ人々が激増し、企業の倒産率が記録的に伸びている(一九九〇年以降、二〇万杜以上)ような国を、アメリカが恐れることなどなかったのだ、といった印象である。
かくして、一九八O年代の終わりに、日本経済がアメリカ経済を支配する寸前にまで強大 になったことなど、忘れ去ってしまうことは簡単である。つまり、日本の企業が実際に、アメリカの製鉄市場や家電市場で競合他杜を壊減状態に追いやったことや、アメリカの自動車産業に深刻なダメージをもたらしたことなど。
一九八○年代、貿易摩擦が激化したことをご記憶だろうか。それ以後、目本の貿易黒字は、絶対額においても、GDP(国内総生産)に占める割合においても、ほとんど減少していない。にもかかわらずなぜ、アメリカの貿易交渉者たちの不満がなくなったのだろうか。この問題についてアメリカが関心を持たなくなったのは、単純に、アメリカが日本をもうそれほどの脅威と見たさなくなったからである。同様に言えぼ、アメリカが声を大にしてこの問題に不平を唱えていた一九八○年代には、日本は確かにアメリカの経済的利益を脅かしていたのである。
日本の経済については、誰もが大きな誤解をしている。本当は、日本の経済モデルはかなり成功していたと言えるのだ。では、いったい何が起こったのか。明治時代に始まり、一九三〇年代には南満洲鉄道の誇る特急「あじあ号」並みの早さで、また一九六〇年代には新幹線のような早さで、急速に成長してきた日本経済は、どうしてその軌道を外れてしまったのか。
前世紀、日本の経済モデルは高水準の成功を維持していた。とりわけ一九三〇-九〇年の六〇年間は、日本特有の経済モデルはその急成長にかなりの貢献をした。そこで、ある「何 か」が急成長という名の列車を脱線させたかったならば、日本は九五年頃にはアメリカを乗っ取っていただろうし、世界で最大の経済力を誇っていただろう。では、その「何か」とはいったい何だったのか。
実は、日本がアメリカを乗っ取るだろうと警告していた人たちば、問違ってはいなかった。むしろ、きわめて正しかったといえる。正しかったからこそ、アメリカ経済界のリーダーたちは、彼らの警告を聞きいれたのである。アメリカは口では、自由貿易や自由競争主義が基本理念だと訴えているけれども、実際には日本にそれを許そうとはしていなかった。それでアメリカは結局、日本にアメリカを乗っ取らせないよう手を打った。つまり、アメリカ経済が優位になるような政策が採られたのである。
競合相手に勝つためには、自分が強くなるという方法以外に、相手を弱らせるというやり方がある。私は一〇年来の調査研究によって、アメリカが日本の競合者たちに打撃を与え、日本の経済力そのものを致命的なまでに弱らせる、という政策を採ったという結論に至ったが、アメリカがとったこの攻撃の主たる目標は、日本型経済モデルを破壊することにあったのだ。
私はこれまでの研究から、『円の支配者』『虚構の終焉』『謎解き!平成大不況』にも書いたように、上述のようなアメリカの政策が、三つの段階を踏んで行われていることを明らかにした。まず第一段階である準備段階では、日本経済の中にトロイの木馬が送り込まれた。 ホメロスの叙事詩によると、トロイ人に贈られた木馬の中にはギリシャ兵が潜んでいて、夜中に木馬から出て内側から城門を開けてギリシャ軍を導き入れ、トロイを陥落させたという。日本の場合には、日銀がトロイの木馬を国内に招き入れた張本人であり、木馬は、日銀による銀行貸し出し統制という形をとっていた。
福井俊彦氏や、彼の先輩であった三重野康氏、そしてこの二人の先輩であった前川春雄氏(彼らはいずれも、就任の三〇年も前から日銀の総裁に選ぱれていた、「プリンス」と呼ぱれるエリートだった)らは、銀行貸し出Lや「窓口指導」を通じて銀行や経済を支配する力を持っていた。そして、一九八六年から八九年にかけて、福井氏率いる日銀の営業局は、投機的な不動産貸付けを増やすようにと、すべての銀行に命令していたのである。
第二段階は、金融引き締め政策だった。この政策によって、過剰融資は不良債権化し、銀行や企業は骨抜きにされた。さらに、経済は縮小し、デフレが引き起こされた。こうして不況を一〇年以上にわたって長引かせ、記録的な数の企業を破産に追い込み、失業率を過去最高にすることで、日銀は日本の経済活動をひどく痛めつけたばかりか、日本型経済モデルに悪名までもたらしたのである。かくして現在、専門家たちだけでなく、一般市民までもが、日本型資本主義はもう駄目だと確信するようになっている。
そして現在、我々がいるのが第三段階である。外資が街を跋扈し、日本の企業や銀行、そして不動産が二束三文で外国の投資家たちに売り渡され、さらに、かつての経済構造の最後 の片鱗までもが、政治改革によって解体されつつあるのだ。
たとえば、一九七八年に、外資は東京証券取引所の全銘柄のうち、わずか二・八バーセントしか所有していなかった。ところが一九九〇年の不況がそれを大きく変え、二〇〇二年の三月には、そのシェァは一八・三パーセソトにまで伸びた。外国人投資家が保有するソニーやTDK、山之内製薬、HOYA、富士写真フイルム、ローム、花王のような優良企業の株は、三五パーセソト以上、企業によっては四〇パーセソト以上になるところもある。もちろん、かつての大企業で、今や完全に外資の所有になっていたり、その支配下に入っているところもある。例をいくつか挙げると、旧山一証券、旧日債銀、旧長銀など、がそうである。
ゴールドマン・サックスやJPモルガン、AIG、リップルウッド、そしてローンスターといったアメリカの大手金融会杜やハゲタカ・ファンドは、日本の不動産や企業の所有権を急激に増やしている。最も大量の不良債権は、やり手のハゲタカ・ファンドで、「フィナンシャル・タイムズ」によれぱ一〇〇億ドルの資産を持つというゴールドマン・サックスが保有していることが知られている(なお、「窓口指導」でバブル経済を作り、一九九四-九八年には日銀副総裁として不況を作った中心的人物である、現日銀総裁の福井俊彦氏は、ゴールドマン・サックスの顧問団のメンバーでもあった。これはいわゆる「利害関係の抵触」にあたろう)。また、モルガン・スタソレーは五〇億ドル分の「不良債権」を手に入れたし、その他にも外資のハゲタカたちは、りそな銀行の資産など、もっと多くを手に入れようと狙っているのだ。
この不況に終わりはないのだろうか。もし本当に日本経済が、アメリカの経済評論家たちが信じ込ませたように、それほど悪い状態にあるのなら、たぜウォール街の会社は躍起になって、日本の銀行や企業や土地を手に入れようとしているのだろうか。
実は、日本は日銀の金融政策によって人為的に破滅させられたというのが、真相なのである。外国の投資家が日本の企業を安く手に入れられるように、ある日銀出身者が、破綻させたい企業を「汚れた企業」とか「ゾンピ会杜」と呼んでリストにまとめたことは、もはや公然の事実である。日銀の金融政策が、信用創造を減らして国民所得のバイを小さくすることによって、多くの日本企業を倒産させることに全力を注いだのであるから、破綻をもたらしたのも当然である。
その日銀の政策委員会と福井総裁は、今年三月以来、経済への公的資金投入額を増やしていると繰り返し述べているが、実際は違う。中央銀行の銀行支払準備金は増えても、経済全体の額は増えていないのだ。
確かに日銀は市中銀行から少額の株を買っている。しかし、「買いオペ」による積極的な資金投入は、為替手彩や短期約東手形、国債などの「売りオペ」によって相殺されており、そのことについては、政策委員会も福井氏も説明していない。これにより、実は二〇〇三年四月には日銀の経済への公的資金投入は、一年前に比べて落ち込んでいるというのが実態である。四月と五月に円高になったのも、それが原因である。またしても、日銀の言っている こととやっていることは全く矛盾しているのである。
かくして、高度に成功を収めていた日本型経済モデルは、資産のウォール街への移行によって、その解体が決定的たものとなった。今後、再生が許されたとしても、日本が元の状態に戻ることはないだろうし、何より、二度とアメリカの脅威となることはないだろう。(後略)(なぜ日本経済は殺されたか P8−P15)
この本の共同著者の吉川元忠神奈川大学教授は「マネー敗戦」等の著者ですが、テレビにおいてエージェント的発言をするエコノミストのテレビ占拠で、正論が排除される無力感を指摘している。昨日紹介した小山常美教授も日本の憲法学界からは異端とされて、無名の短期大学の教授をされている。このように正論を指摘する学者は有名大学の教授にはなれない構造になっている。
早稲田大学にしろ慶應大学にしろタレント教授が我がもの顔でテレビをはしごしている。竹中平蔵大臣もその一人だった。このように世渡り上手な学者やエコノミストだけが、経済的な良い思いが出来るようになっている。テレビに出て有名大学の教授になるだけで著書はベストセラーになる。そして無名の学者やエコノミストが書いた著書は、タレント教授によって「とんでも本」として隅に追いやられる。
しかしアメリカ政府のやり方は近年ますます露骨になり、かつてリチャード・ヴェルナー氏が「円の支配者」で指摘した予言が的中している。日銀のプリンスの福井俊彦氏が日銀の総裁になることも「円の支配者」で予言していた。そして日銀こそがトロイの木馬として日本経済の破壊に尽くした功績は、最近になって証明されつつある。
バブルの発生もバブルの崩壊も日銀が重要な働きをしたことが、ヴェルナー氏によって明らかにされた。先週書いたように、最近の株価高騰は5月に行った4兆円ものドル買い介入が原因の一つになっている。しかも「不胎化介入」をした。つまり金融の量的緩和すればバブルの崩壊は防げたことを日銀は知っていたと思われる。
昨日の日記で書いた憲法問題でも指摘したとおり、GHQから押し付けられた憲法を丸呑みし現在まで来ている。現行憲法である限り日本がアメリカの植民地であることは逃れることは出来ない。植民地であるということは税金はアメリカから徴収され、イラクへ戦争に自衛隊が駆り出され、しかしアメリカの選挙には日本国民は参加できない。こんな明白な事実があるのに日本国民は思考停止して、アメリカ金融資本の奴隷にされてゆくのだ。
小山常美 著 「日本国憲法無効論」
憲法論議の前に天皇の戦争責任の問題がある
2003年7月6日 日曜日
◆ところが、松本さんはまだ公表の段階ではないというふうに御判断されたの
だと思いますが、そんな中で二月一日に毎日新聞が、これが政府案だと、正確
に言いますと政府試案であるといって大スクープをいたします。そして、細か
く申しますと、この日は金曜日なんですが、翌日が土曜日、二月二日には翻訳
ができます。英文で急いで翻訳をします。そして三日、日曜日、マッカーサー
は今のアメリカ大使館のところにいたのですけれども、そこにこもって、もう
これはGHQの側で具体的な案をつくる以外にないと判断し、通称マッカーサ
ー三原則と呼ばれるものを作成いたします。
そして、四日から十日の一週間、GHQの中でGHQ案の作成に取りかかり
ます。
◆日本は一九五二年四月に対日講和条約に調印をいたします。講和条約という
のは戦争を法的に終結させるものであり、日本が選択することのできない、法
的に戦争を終わるためには調印せざるを得ないものであったわけであります。
しかしながら、その講和条約の中に、日米安保条約という言葉は使っておりま
せんが、いわゆる駐留協定を結ばなければいけないという条項があったわけで、
これが日米安保条約になるわけです。つまり日米安保条約は、本来、安保条約
ですから選択的なものなのですが、講和条約という選択できないものとワンセ
ットになって私どもは日米安保条約に調印するということになってまいります。
◆しかし、松本さんもこの点について後に自由党の憲法調査会で証言をされて
おりますけれども、そこの部分はちょっと違っておりまして、こんなふうにお
っしゃっています。日本が受け入れなければ、「天皇の身体の保障をすること
はできない。われわれは日本政府に対し、この提案のような改正案の提示を命
ずるものではない。」押しつけるものではないけれども、受け入れなければ天
皇の身体が保障できないという表現を使われております。これも後ほど問題に
なるところですが、そこには今の段階では立ち入らないで申し上げておきます
が、こういう形。つまり、事実上それは押しつけではないか、強要ではないか
ということ。
◆しかし、これは単なる表現ではなく、私から見れば、まさに天皇の地位はど
うあるのかという、極めて権限とか権利とかにかかわる、厳しい憲法観を問わ
れる三十時間であったかと思います。松本さんは、とてもこんな議論には耐え
られないといって、私は用があるからと途中で帰ってしまいまして、主として
三十時間全部耐え抜いたのは佐藤達夫さんであります。
この二つの場面をどう見るのかということであります。
私は、やはり極めて急いだということ、さらには、法的にもGHQは日本政
府の上にあったわけでございますが、それにしても、威圧的な側面というのは
ぬぐい去ることができないと思います。
◆このようにして見ますと、急いだ理由は、一つは、極東委員会に先んじると
いうこと、もう一つは、天皇を象徴として天皇の地位を明確に規定した憲法を
一日も早くつくることによって、しかも、その憲法は、戦争を放棄し、平和主
義である、人権を尊重している、こういう連合国に受け入れられやすい憲法を
一日も早くつくることによって日本を安定させようとマッカーサーは考えた。
それが急いだ理由であるというふうに言えるのではないかと思います。
◆さらに、そればかりではなく、前年の十一月、昭和二十年、一九四五年十一
月には、アメリカは当時アイゼンハワーが陸軍参謀長ですけれども、後に大統
領になりますが、陸軍参謀長から、天皇に戦争責任があるかどうか調査をしろ
という手紙をマッカーサーはもらっています。ずっと困っていたようですけれ
ども、その回答を一月二十五日にいたします。最終的には、このレジュメに簡
単に書いておきましたように、かなりこれは長いんですけれども、「過去十年
間に日本帝国の政治決定と天皇を結びつける証拠は発見されていない」「天皇
を起訴すれば日本人が激しく動揺する」というようなことを書きまして、そし
て、自分は天皇に戦争責任はないと考えるという回答をいたしております。
◆このようにして見ますと、急いだ理由は、一つは、極東委員会に先んじると
いうこと、もう一つは、天皇を象徴として天皇の地位を明確に規定した憲法を
一日も早くつくることによって、しかも、その憲法は、戦争を放棄し、平和主
義である、人権を尊重している、こういう連合国に受け入れられやすい憲法を
一日も早くつくることによって日本を安定させようとマッカーサーは考えた。
現在の日本国憲法は形式上は整っており問題はない。しかし実質的に見て現憲法が形成過程でかなり問題があることが、95年に公文書が公開されてわかってきた。最初から現憲法はGHQの押し付け憲法であると言われてはいた。憲法の条文を見ても表現的におかしなところや、整合性がとれてないところもある。
当時は連合軍の占領下でもあり、東京裁判をむかえて天皇の戦争責任の問題や、天皇制そのものも微妙な時期でもあり、日本側がGHQからどんな要求を突きつけられてもそれを呑まざるを得ない状況にあった。もしあの段階でGHQが作った憲法を呑まなければ、極東委員会が出来てマッカーサーの思い通りにならなくなり、連合国の中には天皇制廃止を主張する国が多かったから、天皇制を守るためにはマッカーサーの言うなりにならざるを得ない状況にあった。
順番から言えば、憲法を改正する上においては、天皇の戦争責任があるかないかについての判断を下さなければならない。しかし天皇を裁判に掛け論争をしていたら50年から100年かかる長期裁判になることは間違いない。95年に公文書が公開されたのも裕仁天皇が亡くなられたからだ。
当時はアメリカ政府やマッカーサーの政治判断で天皇に政治責任はないと政治決着した。その上で東京裁判が行われたものだから、最初から天皇は東京裁判で裁かれることはなかった。もし天皇を裁くとなると現行憲法における天皇の地位も、判決次第で大きく変わることになる。だから天皇の戦争責任については十分に議論されなければならないと思うのだが、現行憲法が絡んでいるから、日本国民は手も足も出ない。
明治憲法からすれば天皇の戦争責任は逃れることは出来ない。しかし明治憲法が実効的にどのように解釈され運用されていたかと言うと、天皇機関説になっていたのだろう。しかしこの辺の状況は情報公開が十分なされておらず私自身も判断することが出来ない。もし天皇が有罪であるとするならば、日本の天皇制に大きな影響が出て、現行憲法も無効にして新たに作り直す事にもなるだろう。
また無罪であったとしても、「象徴と」言う言葉は曖昧であり、国家元首なのかどうなのかはっきりしない。しかし実質的に見れば国際的に明らかに国家元首として扱われている。それを「象徴」という曖昧な地位に止め置く事はまさに「不敬罪」だ。どちらにしても筋が通らない。
昨日も女性問題を取り上げましたが、日本にはタブーが多すぎる。天皇の戦争責任の問題も大いに議論がなされるべきなのだが学者も発言しようとしない。情報公開もなされず作り話が横行している。女性問題も森前首相の発言もマスコミから叩かれているが、何がどういけないのか、極論ばかりの議論になってしまう。本音の議論がなされないのはタブーが多すぎる社会だからだ。しかしそれではいつまでも問題は解決しない。
森前首相の女性差別発言に抗議文
現代の女性にとっても結婚は墓場らしい
2003年7月5日 土曜日
森喜朗前首相が討論会で「子供を1人もつくらない女性の面倒を、税金でみなさいというのはおかしい」と発言したのは女性差別に当たるとして、山内恵子衆院議員ら社民党議員が1日、衆院第二議員会館の森事務所に謝罪を求める抗議文を提出した。
これに対し森氏は記者団に「(討論会の)対象は幼稚園の母親や経営者らで、女性を蔑視(べっし)した話をするわけがない。(自民党の)少子化問題調査会でこういう意見もあるということを申し上げた」と述べ、反論した。
この討論会は6月26日に鹿児島市で開かれ、太田誠一元総務庁長官が早稲田大生らによる集団暴行事件について「まだ元気があるからいい」などと発言し、翌日陳謝した経緯がある。
(共同通信) [7月1日18時42分更新]
◆ある20代女性のエッセイ◆
これまでのエッセイを読んでいただければ明白だが、私は結婚したいとは思わない。結婚を否定しているわけではない。でも結婚して幸せになるのは難しいことだと感じる。最近はそうとも限らないかもしれないが女性にとって結婚とは憧れであって、女性は結婚すれば幸せになれると思っている。
結婚といっても様々な形があるので一概には言えないが、結婚することによって失うものってけっこう大きい。しかもそれは男性以上に女性の方が大きいと思う。結婚に憧れている女性たちは、この失うものの大きさに気が付いているのだろうか。
私も以前は結婚にすごく憧れていた。子供はほしいとは思わなかったので家庭をもちたいというよりも、ただ好きな人とずっと一緒にいたいからというのが理由であった。もともと人付き合いが苦手であまり人と遊んだりしなかったので、家の中にずっといても苦痛でない。結婚して好きな人と一緒に暮らせば、いっぱいエッチできるし楽しいかもなんて思っていた。だがそれは甘い幻想であると気が付いてしまった。私は、好きな人と2年間同棲したことがあるが決してエッチやり放題にはならなかった。それどころかセックスレスで欲求不満に苦しんだ、ということは既に書いた。相手が悪かったからかもしれない。でもその後、違う男性と結婚したがそのときもセックスレス。私はできちゃった結婚だったので慎重に相手を選んで結婚したわけではなかったが、エッチの相性はいいから大丈夫かなと軽く思っていた(今思えばアホである)。
私はこのとき結婚の現実をつくづくと思い知らされたのである。
私は、結婚したら女性の方が絶対に損であることが多いことに気付いた。
まず男性は「釣った魚に餌をやらない」人が多い。結婚によって相手の女性が自分から逃げないようにしてあるから、敢えて相手の気を引こうともしない。結婚前の方がずっと楽しかったということになる。私は別 に男性に何かをしてもらおうと期待していたわけではないが、それでもセックスだけはしてくれないと困る。エッチ目的で結婚したのにエッチがなくなってしまったら何の意味もなくなってしまう。( 私はそれですぐに離婚することを決意した)。
結婚することによって損することは他にもある。それはまわりの男性から恋愛対象として見られなくなるということ。夫婦が愛し合っていれば他の人はどうでもいいかもしれないが、熱烈な愛情は長くは続かず、お互い他の人に惹かれるようになるのは当然である。それでも男性の場合はけっこう浮気のチャンスがあるからいい。今や、既婚男性の浮気や不倫なんかは当たり前のようになっているので、独身女性も平気で近づいていって誘惑したりする。恋愛も芽生えやすい。よって女性は好きな男性と結婚できても、相手が浮気することの不安からは決して逃れられないのである。
男性は仕事先で飲み会などに行くことも多いし出会いもたくさんあるだろう。女性は仕事をやめてしまうとまず出会いがまったくなくなる。仕事を続けていても結婚すると出会いが減るような気がする。既婚女性には男性の方からはなかなか近寄ってきてくれない。自分から誘うにしても結婚してるとやりにくくなるだろう。だから女性は結婚すると恋愛のチャンスがグっと減る。男性はそうではないのに。
私のように結婚後に浮気しようと思っている女性は少ないかもしれない。でも結婚後に自分の気持ちがどう変わるかは分からない。私は結婚するならお互いにフリーセックスを楽しめる関係でいたい。そういう考えが分かってくれる男性もいる。私が結婚したくない理由は、今はセックスをいっぱい楽しみたいからだと思う。そのためには相手を一人だけに絞るのは危険だし、浮気を許してくれる理想の男性を選んでも、結婚することによって出会いのチャンスが減ることは避けられないだろう。
ついでに言えば女性は名字を変えるのが面倒。私は5年間同じ職場で働いているがその間に2度も名字を変えるはめになってしまった。しかも離婚したときも人には言いたくないのにイヤでもバレる。周囲の人に名前が変わったことを知らせ、ついでにその理由まで説明しなければいけなかったりする。別 れた旦那の方はと言えば、周囲の人にはほとんど気付かれることがなかったのでいちいち言いたくない人に説明する必要がない。離婚するときも女って損だと思った。次に結婚するときは(いつの話やら)絶対に夫婦別姓にしようと決意した。
そして、女性は結婚によって仕事の幅がせまくなることも多い。男性は結婚しても同じようにバリバリ働くのに。今の時代ワーキングマザーも当たり前だが、結婚(出産)しても仕事を続けて経済的に自立していた方が絶対にいい。結婚によって自分の大事な仕事を失ってしまうのは本当にもったいないことだと思うし、自立できるほどの経済力がないといろんな意味でリスクが大きい。私も結婚で仕事をやめなくて本当によかったと思っている。
結婚に対してとても個人的な意見を書いてしまった。私が結婚に対して偏見を持っていると思われるかもしれない。でも私のまわりには結婚に失敗している人が多いのが現実である。今の時代、結婚したから幸せとは限らないのは皆気が付いてるかもしれない。それが分かっていてもなぜ女性が結婚に憧れるか。その理由のひとつに、結婚すること自体が女性にとって一種の名誉である、という意識があるからだと思う。
結婚することは誰かに愛されている証拠であって、それを他の人に認めてもらうことで優越感に浸ろうとしていないだろうか。確かに周囲に認めてもらうことも大事かもしれないが、そのためだけに大事なものを失うことのないように、結婚の現実にもっと目を向けてみてほしい。もっともそれが分かっているから今の女性たちはなかなか結婚しないのだろうか。(了)
最近のニュースで太田誠一氏の暴言や森前首相の女性差別発言がニュースになった。この程度の暴言や差別発言は国会議員ばかりでなく、男だけで酒が入ったような時にはよく出てくる発言である。しかし少子化問題で女性ばかり攻め立てたところで、問題の解決にはならない。しかしほっておけば年金問題や福祉問題などに重大な問題が生じてくることになる。
太田誠一代議士の発言でも、最近の若い男女は結婚をしたがらない、と指摘された冗談半分の反論として言われたものだ。しかし問題がどうしてなのかの本質的な議論が行われず、建て前だけの議論に終始しているように思う。男性にしても女性にしてもなかなか本音は言いづらい面がある。夫婦別姓問題にも意見が分かれていて、なかなか意見が纏まらない。
人生観や結婚観は個人個人で違っているし、千差万別である。戦前のように生めよ増やせよと言う時代が異常だったのだ。戦後のサラリーマン社会でも何歳までに結婚して、何歳までに二人の子供を作ってと言う、規格型人生が正しい生き方とされた。まるで大量生産ロボット社会である。
さすがにこの十数年の間に人生観の大きな転換が起きているようだ。東京ではいつまでも独身でいる男女が珍しくはなくなったし、同性愛者とかがテレビなどでそれを売り物にしている。このようなライフスタイルの変化が少子化問題、老齢化社会として現れてきている。ヨーロッパなどでも以前から問題になっている。
豊かな社会が訪れれば人生観が変化して当然だ。結婚観も変わってくる。ここで紹介した女性のエッセイも女性の本音を語っている。熱烈に大恋愛結婚したところで、数年も経てば熱も冷めてしまう。そして週刊誌などでもセックスレスになってしまうカップルが多いらしい。私の会社員時代も上司がまだ30代後半なのに月1回がやっとだとぼやいていた。
エッセイの女性も結婚したことにより、かえってセックスレスとなり欲求不満がたまり、他の男性からも相手にされなくなった不満を述べている。彼女の友人などでも失敗している人が多いらしい。さらに結婚することで仕事を失うことのハンデについても指摘している。子供が一人なら育児と仕事が両立できても、二人三人ともなると両立は不可能だ。
エッセイの女性が言っているように、仕事か結婚の二者択一を迫られたら、仕事を選ぶべきなのだろう。仕事は彼女の生活を守ってくれるが、結婚は必ずしも上手くいくとは限らない。彼女の写真を見ると女優かモデルと間違うほどの美人だ。だから新しい彼氏を見つけるのは不自由しないタイプだし、だからこそ女性の本音エッセイも書けたのだ。
いつもは引用したホームページを紹介しているのですが、プライベートな事柄の内容なのでリンクは出来ません。どうしてもURLが知りたい方は私宛にメールください。日記のコーナーもあるのですが、私はとても彼女の恋人にはなれない。一晩に5回ぐらい出来ないと満足できないらしい。
政治家ー警察ー暴力団ーマスコミの腐敗の連鎖
ネット・ジャーナリズムこそがこの連鎖を断ち切れる
2003年7月4日 金曜日
保守新党の松浪健四郎議員が、暴力団組長に秘書給与を肩代わりしてもらっていた問題を新聞、テレビで見るたびに、思い浮かべることがある。
「暴力団と政治家と警察は、グー・チョキ・パーなんだ。暴力団は政治家に強いが、警察には弱い。政治家は警察に強いが、暴力団に弱い。警察は暴力団に強いが、政治家には弱い」。かつて、ベテラン警察官が話してくれたことがある。
警察は人事や予算を握る政治家に頭が上がらない。政治家は、一筋縄ではいかない問題の処理に暴力団の力を借りることが多い。見返りとして、捜査・取り締まりに手心を加えるよう警察に圧力をかける。
松浪センセイの場合もこの「互助の法則」があてはまる。指名手配を受けていた組長に関する捜査情報を警察に照会していたという。照会といっても国会議員からのそれは、警察にとってはりっぱな圧力だ。
もうひとつのグー・チョキ・パーがある。そこには政治家に代わって報道機関が入る。特にローカル紙などは警察にやたらと強い。不祥事という「脅しネタ」を持っているからだ。警察官の飲酒運転などはまだ可愛い方で、被疑者の女性に体を要求する代わりに調べに手心を加えるだとか、押収した覚せい剤を横流しするだとか、記事の題材に事欠かない。
一方、ローカル紙幹部は地元暴力団に金や女性問題をめぐるスキャンダルを握られている。頼まれれば自らの強みを活かして、警察に圧力をかけるということになる。地元暴力団組長が逮捕された事件で、某地方紙の社長が県警本部長に「いつまで拘束するつもりだ」と電話ですごんだ、という笑えない話もある。
全国紙や全国ネット放送局の記者だって似たようなものだ。ヤクザは事件の諸事情にえらく詳しい。難しい事件を追わねばならない記者は、彼らに情報をもらう。代わりに警察の捜査情報を組員に提供する。
政治家、企業、マスコミ……みんなどこかで暴力団にお世話になったり、利用したりしている。けっして誉められたことではない。ただし、暴力団とギブ・アンド・テークができるのは、富や権力を持っている一部の層だけなのだ。
名もなき市民は泣き寝入りするケースが多い。友人の父親はラーメンの屋台を引いていたが、暴力団にショバ代を払わなかったために、頬を斬られ、あげくに地場を叩き出された。警察は真剣には動いてくれなかった。
人間にエゴがある限り、利害調整が難しくなった場合、てっとり早い解決方法は暴力ということになりがちだ。需要があれば、供給がある。権力と暴力団との負の連鎖を断ち切るのは、容易ではない。
先ずは庶民が暴力団と対抗できるだけの力を持つことはできないものだろうか。政治家になれるのは一握りだし、警察官にいまさらなれない。
ならば、「第四の権力」といわれるマスコミを、庶民が運営することもひとつ考えられないだろうか。市民が株主となり、編集権も人事権も持つ。権力や暴力団としっかりと対抗できるだけの紙面を作る。つけこまれるスキャンダルなどないように身ぎれいにすることは特に必要だ。
「毅然として格調高い」と世間から支持されるものにまで高めれば、もうしめたものだ。暴力団は世論の高まりには弱い。『janjan』もそうなってほしい。 (竹内尚文)
政治家は警察に強く、警察は暴力団に強く、暴力団はマスコミに強く、マスコミは政治家に強い。逆を言えばマスコミは暴力団に弱く、暴力団は警察に弱く、警察は政治家に弱く、政治家はマスコミに弱い。このような連鎖構造は一般市民には関係がない。憲法上は国民が一番強いことになっているが、国民はどれに対しても弱い立場に立たされている。
本来ならばマスコミが国民世論を代弁すべき立場なのですが、新聞は料金を払って購入しているからある程度チェックできますが、テレビは無料であるがゆえに国民世論に忠実ではなくともチェックは受けにくい。テレビではNHKが有料でスポンサーの影響を受けない唯一のテレビ局ですが、あとの民放は視聴率とスポンサーの方にばかり目が向いている。
連鎖構造から見ればマスコミは暴力団に弱く、政治家に強い。最近の例で言えば朝鮮総連のマスコミへの干渉だろう。そのために北朝鮮の拉致問題を扱うことが難しかった。同じように外国の世論工作機関に対しても弱く、朝鮮総連も北朝鮮の世論工作機関と見ればよくわかる。
だから日本のマスコミは外国に対して八方美人であり、アメリカに対し世界のリーダーとおだて上げ、中国を世界の工場と絶賛する。韓国をIT先進国と絶賛する。全て外国の対日本世論工作の結果そうなる。その結果、国民の反米感情や反中国感情や反韓国・北朝鮮感情はマスコミによって押さえ込まれる。その結果溜まったマグマは何かの事件をきっかけに爆発する。
それはアメリカのイラク攻撃であり、中国の瀋陽事件であり、北朝鮮の拉致問題である。公正中立に報道していればこのような事はない。ならば真の国民の利益を主張してくれる機関はないのだろうか。政治家は選挙期間中しか国民に耳を傾けない。そして警察や暴力団を使って利権ブローカーで稼ぐ政治屋なのだ。
松浪健四郎議員のスキャンダルも氷山の一角である。議員秘書の給与疑惑もマスコミは知ってはいても報道は押さえられてきた。国会議員と愛人の関係も、いかがわしい外国の工作機関との関係も、暴力団を使ってマスコミの口は封じられている。JANJAN紙が言っているように暴力団との負の連鎖を断ち切るにはネット・ジャーナリズムが立ち上がる必要がある。
そして国民が国益や民衆の利益を確保するために、政治家や警察やマスコミに向かって主張してゆくべきだ。これらの関係が馴れ合いになったところに、暴力団が入り込み社会を歪めてゆく。警察は暴力団の手先となった政治家が骨抜きにして、検挙率は2割を割ってしまった。気がつかないうちに日本社会は崩れ去り、無秩序で犯罪者が溢れた無法地帯になるのだろう。
今回の株価急騰は福井日銀総裁が作ったミニバブル
株価は日銀が操作出来ることが証明された。
2003年7月3日 木曜日
◆福井体制は政府管理型の金融政策を遂行するのか?
【石井】 福井体制を一言でいえぽ、政府管理型の金融政策を遂行する仕組みだと思う。政府がイニシァティブを持った金融政策を少なくともこの一年問はやらざるをえない。なぜかといえぽ、福井総裁の脇を固める武藤副総裁、岩田副総裁は直近まで小泉政権のスタッフだった。政策スタッフ、官邸スタッフニ人がそのまま横滑りで副総裁になった。福井さんはそれに乗っているが、両足に足かせがはまって、さらに背中から塩川財務相がはがいじめし、福田官房長官が口まで押さえているという状況だ。したがって、基本的には福井さんは身動きがとれない。
福井日銀がなぜこんな状況に追い込まれたのかといえば、速水前総裁の政策失敗に官邸が危機感を強めているからだ。政権を長期化させたくても、今のままでは九月に終わってしまう。したがって、小泉政権の延命を図るために、相沢議員を中心とする自民党の金融関係議員が発案する政策を遂行するために、福田官房長官と塩川財務相が武藤さんを送り込んだ。
武藤さんのように直近の事務次官が日銀副総裁になったことは前例がない。これまで事 務次官は五年程度外に出て、たとえぱ東京証券取引所理事長や日本輸出入銀行総裁などを経由して日銀に入っていた。昔の言葉でいえぱ、日銀を監督する立場の人が直接日銀に入ったということだ。今は監督ではなく監視だが、財務省は日銀の業務についての許可を出す役所だから、財務省と日銀の関係はほとんど変わっていない。監視する立場にいた最高責任者が直接日銀にきたということは、日本がGHQに占領されたように、日銀速水体制が政策の失敗続きで敗北し財務省に占領されたのと同じ構図だろう。武藤さんは実質的には今も総裁だと認識している。武藤さんは間違いなく五年後に総裁になるから、武藤総裁体制が一〇年間続くというふうに考えている。
【ヴェルナー】 私の意見はまったく逆だ。小泉総理が福井新体制の副総裁人事を固めた段階で、日銀の独立性がなくなるとか、日銀が財務省や政治家に操作されるようになるといった内容の記事が新聞などにも掲載されていた。独立性がなくなる恐れがあるから心配だ、やはり日銀は独立していたほうがいいという論調だった。しかし、そんな心配はする必要がない。私はまったく逆の心配をしている。日銀の独立性が以前から高すぎることこそ問題だ。操作されているのは財務省や政治家のほうだ。日銀新体制の福井、武藤、岩田の三人のなかで一番力を持っているのは明らかに福井さんだ。
【石井】 福井さんと武藤さんは以前にも席を並べて仕事をしたことがあった。森永総裁の時代に、日銀と大蔵省で人事交流することになり、お互い最も重要な部署に超一流の人材を派遣した。大蔵省の最重要部署は、金融政策を担当する銀行局総務課。日銀には実行部隊と頭脳の部分のふたつがあって、前者が営業局総務課資金第一係、後者が総務部企画課、今の総務室政策課だ。総務部企画課の課長は総裁を勉強する重要なポストで、福井さんも三重野さんも経験している。
その時、福井さんが大蔵省銀行局総務課の筆頭課長補佐として派遣された。大蔵省銀行局総務課には課長補佐が三人くらいいる。実は、銀行局総務課には日銀係というものがある。日銀が新しい業務を行う際には、大蔵省・財務省の許可が必要で、昨年日銀が銀行保有株の買い取りを決めた時にも、書類を作成して財務大臣の許可をもらった。その書類は日銀係が仕上げて、日銀係担当補佐が総務課長にあげ、銀行局長へと回っていく。福井さんは課長補佐筆頭だから、日銀との関係は円滑にしようということだった。その時の第二補佐が武藤さんだった。大蔵省としては、福井さんの下に武藤さんをつけて、武藤さんに金融のことを勉強させたかったのだろう。福井さんは武藤さんより七歳年上だから、年齢的にもちょうどよかった。
大蔵省から日銀に派遺されてきたのは、福井さんよりも若い世代だったが、皆将来の事務次官侯補だった。最初にきたのが杉井さんという人で、資金第一係で窓口指導を勉強した。しかし、もちろん日銀も彼に大きた銀行は担当させない。担当させたのは当時中位行だった三井銀行だ。杉井さんは残念ながら接待問題で辞めてしまった。現在総裁秘書官をしている丹呉さんも日銀にきていたように、大蔵省は超一流を送ってきた。それに対Lて、日銀も一番いいポストを用意した。金離政策のもとである窓口指導を勉強できるようにした。これはかなり勇気がいることだった。これを決断したのが三重野さんだった。日銀のほうも、だいたい同期のトッブを大蔵省に送り込んだ。当然、増渕さんもいっている。
武藤さんの話に戻ると、福井さんと武藤さんはその時すでに一緒に仕事をしていたが、当時の武藤さんと今の武藤さんは違う。明らかにバワーアップしている。一方、福井さんはその時とまったく同じだ。福井さんはその時から絹の服、将軍用の服を着ていた。武藤さんは当時同期のトッブといわれていたが、大蔵省は最後まで競争させるし、同期にライバルもいた。大蔵省の人事は透明で、だれが辞めても代わりはいくらでもいる。
◆ 金融政策は先手必勝。腐ったピザを出しても何にもならない
【ヴェルナー】 私は小泉さんの雇用主が福井さんで、日銀のほうが政府、財務省を操作できると思っているし、国会よりも日銀のほうが権力があるとみている。実は国会は福井さんの過去の実績を追及する絶好のチャソスがあったのに、逸してしまった。三月に議会の歴史で初めて日銀総裁への投票権が与えられた。政治家は日本の国民のために働くことが義務のはずであり、皆一応景気回復を願っているはずだが、福井さんに質問するチャソスが与えられたのに、政治家はほとんど質問しなかった。福井さんは過去に大変な失政を繰り返し、国民に悪影響を与えた人だが、その人に対して過去の実績や失敗の理由についてだれも聞こうとしたかった。唇がないみたいだった。投票でも反対しないで、過半数は福井さんを選んだ。これはおかしい、これは民主主義なのかと思った。そこでだれが権力をもっているのかが判明した。国会でも、政府でもない。福井さんだ。
【石井】 福井さんが総裁に就任して、本当に世の中がよくなるのかどうか。短期間で、一年くらいで、デフレから脱却できるのかどうか。小泉さんは福井さんに頼みましたよといっているわげだ。新聞などは福井さんの対応はスピーディーで非常にいいといった視点で 記事を書いていたが、私にいわせれば、話にならない。問題外だ。そういう意味では、福井日銀は出足から限界を露呈してしまった。まあ、私としては予想どおりの結果だったが。福井さんは総裁就任直後で注目も集まっていたし、政府からも圧力がかかっているので、なにか行動を起こさなげればならない。
先日、総理や官房長官が出席した会議にオブザーバーとして招かれた日銀の政策担当理事が政府に徹底的に怒られた。「なにをやっているんだ。なにもやっていないじゃないか」と怒鳴られた。それでようやく臨時政策委員会が開かれた。臨時政策委員会をやるなら大きな政策の変更があるのではと市場は期待したが、結局株の買い取り枠を二兆円から三兆円に拡大しただげで、期待感を持たせる政策はなにも打ち出されなかった。中小企業対策も、投資信託を購入するかどうかといった議論はなにもなかった。これはクイックレスポンスではなく、トゥレイトだ。
株式市場の時価総額は二〇〇兆円から三〇〇兆円もあるのだから、一兆円や二兆円株を買い取っても株価を刺激することはできない。もともと株の買い取りは政策の失敗で、昨年から株を買ってもなにも動いていない。動いていないものをまた動かしても、なんの意味もない。全然ピントはずれだ。
福井さんはやりたくないのかもしれないが、不動産投信や株価連動型投信(ETF)、 外債の購入を検討するだげでもよかった。国債の買い取り額の上限撤廃という案もある。福井さんが政策の実施を先に延ぼしても、事態が悪化すれぼ必ずやらされることになる。福井さんは「金融政策は先手必勝だ」と発言しているが、いっていることとやっていることが全然違う。金融政策は事態の変化に先んじてやらなげればならないから、先んじていいものをやらなけれぱならないというのが彼の主張だが、なにも先んじてやっていない。冷えたピザどころか腐ったピザを出してもなんにもならない。福井さんは出足から限界がはっきりしたし、国民の本当の深刻さを理解していないということもわかった。(福井日銀危険な素顔 P116-P122)
日経225のチャートを見ていただければ分かるとおり、8000円割れから急激に反転して上昇している。りそなの公的資金による救済により相場の流れが変わったと見るべきですが、5月の日銀による4兆円のドル買い介入の余波が兜町に押し寄せていると見ることも出来る。
4兆円と言う規模は日銀の外為オペレーションとしては異例の大規模介入であり、東証の一週間分の売買金額に相当する。しかもドルを回収せず短期の米財務省証券を購入したから異例中の異例だ。これは福井日銀総裁の一存で出来ることではなく、日本政府ならびにFRBとの共同作戦だろう。ニューヨークの株式もなんとしても梃入れしなければならない状況にあった。
「福井日銀危険な素顔」にも書かれている通り、福井日銀総裁の周りには武藤副総裁と岩田副総裁がおり、政府閣僚にも塩川大臣、竹中大臣、福田官房長官が目を光らせている。日経ダウが8000円を割ったところで日銀も政治的判断が下されたのだろう。8000円を割ったままでは小泉内閣が持たない。
アメリカ政府も小泉内閣が倒れたら困るので日銀サイドに圧力が加えられたと思われる。日銀は日本政府の管理は受けないが、アメリカ政府とFRBの指令には従う仕組みが出来ているのだろう。だから80年代のバブルの発生も90年代のバブルの崩壊も日銀の金融政策にはアメリカの関与があると思われる。
今回の株価急騰が何故ミニバブルなのか。経済指標がいずれも悪く、企業の好決算もリストラによるもので、減収増益に過ぎない。物価もデフレ症状は続いている。その中を株価だけが急騰するのは明らかにミニバブル現象だ。このように日銀が大胆な手を打てばミニバブル現象を起こすことが出来るのだ。
このような小規模なミニバブルを起こさせながら、銀行の不良債権処理を促していけばよかったのだが、速水日銀前総裁の頑迷な金融政策はデフレスパイラルを招いてしまった。財務省は起死回生のために武藤氏を日銀に送り込み日銀をコントロールしようとしている。日銀と大蔵省の主導権争いは第二ラウンドに入ったようだ。
日銀は明らかに金融政策が失敗し日銀総裁の権威は失墜した。その結果政治家の不信を招き、福井氏を総裁に復権させると同時に、元財務次官の武藤氏を送り込んだ。思惑通り再び財務省が日銀を支配できるようになるかどうかは不明だが、しばらくは政治的配慮で金融政策は行われるのだろう。
「米は中国重視へアジア戦略を転換した」アブラモウィッツ
日本は米国に呑まれるのか、米中で対日挟撃されるのか
2003年7月2日 水曜日
「米中接近」の新戦略を骨格として、「新アジアの調整」を説く論文が最号の」フォーリン・アフェアーズ」(03年7−8月号)に出た。著者は有名なモートン・アブラモヴィッツとスティヴン・ボズワース。
太平洋を巡る戦略的環境は激変した、として始まるアブラモヴィッツ論文は、「日本のパワーと信頼性はこれまでの地位から滑り落ち、とりわけ9・11以後、替わって中国の戦略的価値が増大した」とする。
即ち@日本の衰退A中国の勃興、という二大要素が織りなすダイナミックな激変プロセスのなかで、米国は太平洋戦略を「日本重視」から「中国重視」へと軸足を大きく移した、と言うのだ。
「北京は瞬く間に米国との”戦略的競争相手”から安全保障と貿易の”パートナー”になった。ブッシュ政権の劇的なアジア政策の転換は、大西洋のそれと同様に、太平洋をまたぐ戦略の曖昧性を依然内包するとはいえ、明らかに”中国の脅威”より当面はテロリズムへの戦略的対策を根幹としたアジア戦略を発揮するようになった。まして対中国外交の鷹派だったディック・チエイニー副大統領が訪中するのも、中国がアジア地域においてさえ通商と貿易の主導権を把握して、日本の地位を凌駕する勢いにあるからだ」。
従って「日本の戦略的重要性は数年の間は存在するにせよ、徐々に影響力を弱めて行くであろう」。
さらに朝鮮半島における緊張は「戦争を誘発する懼れと同時に新秩序形成へのきっかけにもなりうる」とアブラモヴィッツ論文は指摘している。
まだ衝撃的予見は続く。台湾は平和的に中国に飲み込まれるだろう、と言うのだ。
「長らく米国の被保護者であった台湾も、国際的孤立化から逃れることは出来ず、他方で台湾の技術、投資が中国経済にますます吸収されつつあり、平和統一への展望が視野に入ってきた」。
片岡鉄哉教授に依れば「これで第二次大戦の対日挟撃が再現する。その前提は日本の平和主義、中台の平和統一、朝鮮半島と日本からの米軍撤退であり、結果として日本は米中の「瀬戸内海」に封じ込められる」戦略である、と警告される。
アブラモウィッツは親中派として知られるリベラル論客だけに、この論文の信憑性には限界があるが、ワシントンは「空気」「雰囲気」が作用する不思議な政治都市だけに、こういう議論が強く存在していることだけは事実であろう。
中国のアメリカへのロビー活動は国運をかけて行われている。クリントン前大統領はこれに乗りチャイナマネーで大統領に当選した。その後のクリントンの「日本は敵国」発言や、対中国外交は中国のアメリカにおけるロビー活動の成果である。経済面では確かに日本はアメリカの敵国ではあるが、敵国を叩きすぎた結果日本経済はボロボロになり、アメリカ経済を支えられなくなっている。
アブラモウィッツの米国の中国重視外交は何を目的にしたものだろうか。あるとすれば対テロ活動における連携ぐらいである。クリントンの米中連携による日本経済叩きは成功した。しかし米国にとってこれ以上日本を叩いて何の利益があるのか。日本のおける反米感情が高まるだけで、これ以上叩けば日本を中国に追いやるような結果になる。
さらにアブラモウィッツは台湾が平和裏に中国に呑み込まれるだろうと予想している。アメリカの対台湾外交は曖昧であり、台湾を中国へ引き渡せば中国の太平洋進出を助ける結果となる。そうなれば中国の潜水艦がアメリカ本土の西海岸沖に出没する結果となり、アメリカの本土防衛は危機的状況となる。そんなことをアメリカが考えるはずがない。
片岡鉄哉教授によれば、日本からの米軍撤退があるならば、米中による対日本挟撃があるぞと言う脅しである。アメリカにとって日本を失うことは世界の覇権を失うことを意味している。太平洋戦争においてもハワイの海軍基地は大規模な攻撃を受け、グワム島の軍事基地はすぐに日本軍に占領された。もしハワイ、グワムの基地を失えば本土の西海岸が脅威にさらされる。
日本にとっても台湾は戦略的に重要拠点であり、台湾を中国に引き渡すような事態は避けなければならない。もし台湾が中国に呑まれれば、日本の南方航路は寸断の危機にさらされる。ASEAN諸国も中国に包囲される結果となり、ASEAN諸国も中国の勢力圏に入ることになる。この事はアメリカにとってもインド洋への航路を寸断され中東の石油地帯への航路を失うことになる。
この時期にアブラモウィッツのような論文が出てきた狙いは、日本の反米勢力への牽制だろう。反米と言っても左翼の反米は親中国だから問題はない。しかし日本の民族派の反米は厄介であり日米安保体制の崩壊に繋がりかねない。もし日米安保がなくなればアメリカは米中連携で日本を叩くぞと言う脅しなのだ。
ここで民族派の戦略としては、アメリカとは距離をおきつつ、EUとの連携を深めてゆくことだ。アメリカとEUとは世界覇権をめぐって対立を深めてゆくだろう。戦前はナチスドイツという相手がまずかった。アメリカの戦略としては日本とヨーロッパとを結ばせてはならないと言う戦略がある。日英同盟が解消されたのもアメリカによるものだった。
もっと大胆な戦略としては、日本と中国とが組んでアメリカに対抗すると言う戦略である。東アジアからアメリカを追放し、日本は太平洋を制圧し、中国はビルマやパキスタンを通してインド洋を制圧すると言う構想だ。インドは中国に包囲された形で最近バジパイ首相はチベットの中国領属を認めた。
アメリカのイラク占領が中国とインドを結びつけた事になる。イラクの20万の米軍は包囲されつつある。まさにカナンの地で米・イスラエル軍と世界軍とが最終決戦の準備が行われている。そのために日本軍1000名はイラクへ米軍応援のために送られる。日本も世界最終戦争にいやでも巻き込まれるのだ。
国債暴落とスタグフレーションについて
その前提として物価の上昇があるはずだ
2003年7月1日 火曜日
「国債暴落」と「スタグフレーション・スパイラル」について。
国債の大量増発にともなって、将来の国債暴落が懸念されている、との記事があった。(朝日・朝刊・経済面。2003-06-28 )
この懸念自体は、前から言われていることだ。ただ、記事では、「将来的には、暴落した国債を、日銀に買い支えてほしい」という希望が出ている。
では、もしそうしたら、どうなるか? それを考えてみよう。
国債が暴落しているとする。つまり、金利は上昇している。当然、物価も上昇している。(物価が上昇していなければ、現在と同様だから、金利は低いはずだ。) さて。この時点で、国債を買い支える。つまり、買いオペをする。すると、資金がさらに市場に供給されることになる。すると、ますます物価は上昇する。その物価を下げようとすれば、今度は、高金利政策を取ることになる。つまり、売りオペをすることになる。矛盾。かといって、売りオペをしなければ、物価は上昇し、国債はますます下落する。
結局、その本質は、何か?
「国債暴落に対して、国債を買い支える」という金融政策は、その時点では、効果を奏して、国債の暴落を防ぐことができる。しかし、そのとき供給した資金のせいで、じわじわと物価上昇の効果が出て、ますます物価が上昇し、ますます国債が暴落する。だから、国債の買い支えというのは、「一時しのぎの鎮痛剤」にすぎないわけだ。病気の根源を無視して、一時しのぎで表面的な痛みだけをなくそうとする結果、ますます病気が悪化する、というわけだ。そのあげく、どうなるか? 高金利により生産量は縮小し、同時に、物価は急上昇する。つまり、スタグフレーションだ。しかも、その最初の原因は、デフレを脱出したこと(物価が上昇してスタグフレーションになったこと)である。つまり、スタグフレーションになったあと、日銀が「国債の買い支え」をすると、スタグフレーションがますます悪化する。これを、「スタグフレーション・スパイラル」と呼ぼう。
スタグフレーション・スパイラルは、インフレ・スパイラルや、デフレ・スパイラルとは、根本的に異なる点がある。それは、「日銀の政策によって引き起こされる」という点だ。インフレ・スパイラルや、デフレ・スパイラルは、自然発生するスパイラルだ。それは、修正ケインズモデルにおける「循環的な過程」に従って、マクロ経済的に必然的に発生するスパイラルである。放置すればかからずそうなるから、マクロ的にはそれを抑制することが大切だ。一方、スタグフレーション・スパイラルは、自然発生するスパイラルではない。日銀が余計なことをするから発生するだけだ。放置すれば、発生はしない。つまり、スタグフレーションはスタグフレーションのままであり、スタグフレーション・スパイラルにはならない。
では、どうすればいいか? その質問に対する回答を与えよう。
第1に、国債暴落については、放置しておいて構わない。長期国債の市場取引というのは、プロのやるギャンブルなのだから、ギャンブルの損得には国が面倒を見る必要はない。個人投資家は、こんなギャンブル商品を買わなければよい。手堅いところでは、普通預金をすればよい。欲があれば、最近売りに出されている変動金利型の国債を買えばよい。最悪でも、長期国債を買ったあと、途中で換金せずに、最後までもっていればよい。いずれにせよ、損は出ない。たとえば、「年利1%で10年」の国債なら、途中で換金すれば大損だが、最後までもっていれば、最初の契約通り、10年後に元本を返してもらえる。「契約通りなのは、けしからん」と思う個人投資家がいるとしても、頭が狂っているのだから、放置しても構わない。(後略)
株式相場が堅調である。それに伴って債券相場が急落している。とはいっても1,0%以下の範囲の動きである。今までが一本調子で上げてきただけに、株価の堅調ぶりを見て債券から株式へのシフトが起きたのだろう。しかしこれが債券暴落の引き金になったり、スタグフレーションに陥るのかと言うと、その前提条件の物価の上昇は起きてはいない。
南堂氏が指摘するように物価が上昇していなければ、現在と同じであり金利も低いはずだ。金利が低いのに国債が暴落することはありえない。現在起きていることは物価が下落しているのに、株が上がっていることだ。金融相場の初期に見られる現象ですが、福井日銀総裁の5月の4兆円のドル買い不胎化介入による、金融緩和現象だろう。
さらには「りそな」への公的資金注入による、株主責任への影響がなかったことや、これ以上銀行は潰さないと言う安心感から、国債から株式への資金の流れが出来たのだろう。これが一時的なものか、株式相場の転機となるのかは月日が経ってみないと分からない。しかし小泉内閣の経済政策が転換したとは言えず、いつ梯子を外されるか分からない。
外人買いも大きな要因となったが、ニューヨークが上げればファンドの組み入れ比率の割合から日本株を買わざるを得ない。しかしニューヨークの株式はこの先三段下げが待っている。イラクの泥沼化がアメリカ経済を直撃するだろう。20万人もの兵士をイラクに釘付けするのは、年間数兆円もの出費となる。アメリカ経済はそれに耐えられないだろう。
日本の株式相場内容を見ると出来高からして低位小型株が上がっており、いわゆる博打相場なのだ。先日倒産した福助と対して内容が変わらぬ企業の株が乱舞している。その反面、銀行の持ち合い解消売りや年金代行解消売りが待ち構えている。それらを吸収しての株の上昇は難しいだろう。
だから株の上昇が止まれば、資金の流れも国債中心へと戻らざるを得なくなる。政府が本格的な株価対策を打てばこのような事はないのだが、小泉内閣は株価には一喜一憂する気はない。しかし株価が8000円を割り込めば福井日銀総裁が一時的な金融緩和相場を作り出す。
つまり福井日銀総裁は国債を買うより、外債を買うことによりニューヨークを通じて株式相場を操縦することを知っている。為替相場でも5月に見せたようにいくらでも介入して、日銀とFRBとの秘密協定により円ドル相場は決定される。投機筋がドルを売り崩そうとしても中央銀行の協定により為替相場は決められるのだ。何しろ中央銀行は紙切れを印刷して通貨にする権限があるのだからどんな投機筋もかなわない。
t.A.T.uドタキャン騒ぎに見るロシア人の後進性
ロシア経済の低迷はモラルの低さに原因がある
2003年6月30日 月曜日
初来日でお騒がせ続きのロシア人女性デュオ「t・A・T・u・(タトゥー)」が29日午後1時すぎ、東京・銀座の繁華街に突然現れ、警察が出動する騒ぎに発展した。歩行者天国が急きょ中止されたのも知らずに「銀ブラ」に続いて、カラオケボックスでは報道陣に生歌を披露。夜には一連のドタキャンに対する緊急釈明会見を行い「罪の意識はない。誰にも謝るつもりはない」と主張した。30日、帰国する。
(中略) タトゥーとプロデューサーのイヴァン・シャポヴァロフ氏(37)はこの日夜、宿泊先の都内のホテルで会見。約100人の報道陣が殺到。50分以上行われた会見の終盤には、ジュリアはあくびをしたり、レナは立てひざをついて足をボリボリかいたりと相変わらずの悪態ぶり。あきれる報道陣を前に、ジュリアは「今回の来日は成功。ものすごくファンが増えたと確信しています」と話した。
会見ではテレビ朝日「ミュージックステーション」の“ドタキャン問題”に集中。「私たちだけのショーにしたかった。大勢の日本のスターに囲まれて(自分たちが)邪魔者みたいに感じた」とジュリア。イヴァン氏は「事前にプログラムの詳細を知らされておらず、イメージに合わないと判断した」と説明した。
さらに、前日28日に行われる予定だったイベントの中止について、レナは「私たちが中止したわけではない。拒絶された」と話し、招へい元ユニバーサルミュージックへの不快感を表明。最後までファンへの謝罪の言葉はなかった。
会見では、「プロ意識に欠けるのでは」という質問が相次いだが「私たちを愛してくれる人が日本には100万人いる。秋か冬に戻ってきてライブをやります」(レナ)と強気の姿勢を最後まで貫いた。(スポーツニッポン)
[6月30日7時1分更新]
ロシア政府が所得税減税に踏み切った理由は二つ。1つは、闇経済を表に出すこと。ロシア人は旧ソ連時代、全員が公務員だった。給料をもらうときに税金は源泉徴収されており、税を自分で払うという習慣がなかった。正確に言えば、そのような習慣は今も定着していない。その為、ロシアでは現在も税金を払わないことが当たり前であり、闇経済が表に出れば、国内総生産(GDP)が50%はアップすると言われている。ロシア政府は、「税率が高すぎるので、税金を払う習慣がつかないのだろう」と考え減税に踏み切った。これには実はカラクリがあるのだが、それについては後述する。
2つ目の理由は、外国投資を誘致すること。外国人投資家が抱くロシアのイメージは、「法律がしばしば変わり理解できない」「ビジネスでうまくいくとマフィアが来る」「賄賂なしでは仕事が進まない」「ロシア企業は契約も納期も守らない」等いろいろあるが、外資の流入を妨げている一つのイメージは「ロシアは税金が高い。まともに払っていては儲からない」と言うもの。ロシア政府はこのイメージを払拭するために、所得税を引下げた。来年からは、法人税率も現在の35%から24%まで引下げられる。(後略)
今までアメリカや中国や朝鮮半島の悪口を書きまくってきましたが、久しぶりにロシアの悪口を書いて見たいと思う。28日の夜のテレビ朝日の「ミュージック・ステーション」でタトゥーが出るというのでチャンネルを合わせていたのですが、オープニングでは出ていたタトゥーがドタキャンして帰って行ってしまった。
わがままアイドルタレントは日本にも沢山いますが、さすがに生番組の途中でドタキャンして歌わずに帰っていったタレントはいません。そんなことをすればプロダクションは大変な非難を浴びるし、タレント自身もマスコミから干されて、タレント生命もおしまいになる。吉川浩二も紅白でNHKに迷惑をかけ干されておしまいになった。
アメリカやヨーロッパにも二流三流のタレントにはいるのかもしれませんが、一流タレントにはいない。ドタキャン騒ぎを繰り返していたら、どのプロモーターも手を出さなくなるからだ。今度の騒ぎでもユニバーサルは二度とタトゥーを呼ばないはずだ。ロシア人敏腕マネージャーのシャボバロフ氏も西側の商業ルールを無視していたのだろう。
テレビのニュースなどを見ていると、「ミュージックステーション」のドタキャンも、マネージャーが最初から計画していたようだ。タトゥーの二人は完全な操り人形だ。行儀の悪さや過激な発言もマネージャーがやらせている。本当に二人が性悪女ならとっくにマネージャーと喧嘩して別れているはずだ。
今回のタトゥーのドタキャン騒ぎはロシア人の後進性を示すものである。NHKのテレビドキュメンタリーでも指摘していましたが、ドイツ企業がロシアの人件費の安さにひかれて、工場を移転したが、ロシア側が施行条件も納期も守らず、ビジネス契約を守ると言うモラルがないことを指摘していた。タトゥーのロシア人マネージャーも例外ではなかった。
ロシア人は外見からすればアメリカ人や西欧人とよく似ている。だからロシア人を近代文明人として見てしまうが、とんでもない、発展途上国人である。教育水準は高く、技術力も高く、文化面でも偉大であることは認める。ロシア人は能力面では非常に高いものを持っているのだが近代文明人としてのモラルが低いのだ。だからいつまでも産業は低迷している。この事は中国人に対しても同じような事が言える。
西欧人がロシア人をスレイブ(奴隷民族)と呼んでバカにするのも、法律を守ると言うモラルが低いからだ。日本の北方四島を返さないのも、日ソ中立条約を破り満州へ攻め込んだのもロシア人が奴隷民族だからだ。近代文明人であるアメリカ人は沖縄を返してくれたのだが。
「通産省国売り物語」は繰り返されるのか。
ICタグで米コンピューター帝国は崩壊する
2003年6月29日 日曜日
通産OBの天谷氏は言います。摩擦は感情レベルだから理屈は通用しない。理不尽 でも言うことを聞け・・・と。彼に言わせると、アメリカが強くて日本が弱ければ日 米関係はハッピー。日本が強くなるとアンハッピーだ。だから日本は弱くなれ・・・ と。そして、相手にいかに「与える」か・・・という経済の世界を、相手からいかに 奪うか・・・という軍事の世界と混同し、項羽や源義仲を引用して「強くなった日本 も同じ運命を辿る」と脅しました。ビジネスでの顧客への奉仕による成功を、あたか も不道徳な軍事支配と混同し、努力によって繁栄する権利そのものを否定する。これ が「通産省最大の論客」と呼ばれた人の主張です。
不思議なのは、少しでもアメリカの要求に理解を示すような「考え」を政府の人間 が示すと、それは直ちに「国際公約」と取られて「実現」を要求される事です。これ では、まともな国なら、果てしなき突っ張り合いを演じる事を強制されるのと同じで す。ところが日本だけは、唯々諾々と「公約化」を受け入れ、政府もマスコミもその 「実現」を、あたかも「国家目的」のように自国を犠牲にしながら奉仕を続けたので す。 、日 本に犠牲を強い続けるアメリカが、「自分達の満足は日本の不満」という状況を作り 続けている。だからこそ「こんな事が続く筈が無い」という猜疑心に苛まれ、いつか 日本は造反するに違いないと、日本に対する敵視に直結する。その敵意を満足させる ために、「敵対不可能」なほどに日本を弱めるために、さらに日本を苛める・・・。
〇・四ミリ角という世界最小ICミューチップを持ち歩いている。本物を見せないと、なかなかこの話は信じてもらえない。第二次コンピューター戦争はもう始まったのかもしれない。
東京大学の坂村健教授が主導する「ユビキタスIDセンター」は今週、極小チップによる電子荷札(ICタグ)の統一規格づくりが、国内外のメーカーなど百八十社の間でまとまったと発表した。
坂村さんといえば八〇年代にコンピューターの純国産OS「トロン」を開発した電脳界の俊才。しかし残念なことに多言語を自在に操るトロンの革新性を最初に理解したのは日本ではなく、パソコン先進国の米国だった。
その完成度に危険を予知した米国はまだ商品化もされていないトロンを突然、「貿易障壁品目」に入れ、日本政府を揺さぶり、結局トロンは葬られた。その後の十数年、世界は米国にばく大な著作権料を払い続けている。
米国の怒りの理由は優秀さだけでなく、トロンが基本技術や仕様を無料公開するフリーソフトだったことだろう。難解、多様なアジア言語まで処理できる革命的OSをタダで配られたら米コンピューター帝国は崩壊する。
しかし、もし日本が脅しに縮み上がらなければ、今のあなたはカタカナやアルファベットで埋めつくされたパソコンやOSに、これほどの金をかけずに済んだに違いない。その損失は数千億を超えて数兆、それ以上ともいう。
ユビキタスは単に製品を識別するバーコードとは次元が違う。超極小チップとトロンOSが合体した時、米国はもはやコンピューター界の帝王ではなくなる―という人もいる。トロンの雪辱はなるだろうか。
次世代バーコードといわれる「ICタグ(荷札)」が、本格普及に向けて勢いづいてきた。鉄鋼や野菜などあらゆる商品管理で活用する余地があるほか、出版業界が書籍管理と万引き防止のため導入を検討したり、マラソンでのタイム計測に利用する例も出てきた。国内外の有力メーカー180社が参加する「ユビキタスIDセンター」(事務局・東京)が23日、統一規格を決定したことから、2010年には周辺機器を含めて年間80兆円ともいわれる巨大市場をにらみ、開発競争が一段と活発化しそうだ。
(中略) ただ、波乱要因もある。米国では、米マサチューセッツ工科大学(MIT)主導で米ウォルマート・ストアーズなど約80社が参加する団体「オートIDセンター」が規格標準化に向けて動き出し、実用化の実験も進めており、将来は日本との主導権争いに発展する可能性が濃厚だ。1個数十円といわれる価格の高さも普及のネックだ。このため、日立が、コストを下げるため、大きさを現行の0・4ミリ角から0・3ミリ角に縮小する開発を進めている。【上杉智己】(毎日新聞)
[6月29日0時11分更新]
2003年12月13日の日記で「通産省国売り物語」を紹介しました。かなり長文なので、面倒な方は私の日記の要約文を読んでください。この文においてアメリカがいかに理不尽な要求を日本に押し付け、それに日本の政治家や役人が脅迫に屈して受け入れてしまったがために、今日の失われた10年が訪れたのだ。本来ならば日本がコンピューター大国になっていたはずが今は見る影もない残骸をさらしている。
最近の日本のジャーナリズムは腐敗の極地に達し、日経新聞会長の愛人騒動から、毎日新聞の従軍記者のクラスター爆弾持込事件に到るまで、腐敗堕落の極地に達している。だから新聞やテレビを見てもろくなニュース解説がない。新聞記者や放送記者の資質の低下はどうしようもない。彼らの学歴は大変立派なのだが、分析思考能力が備わっていない。
だから私がボランティアで毎日ニュース解説を書いているのだが、プロの記者たちによる私の解説を上回る記事がない。彼らの言い訳としては良い記事を書いても編集長に撥ねられると言い訳をしているが、能力があるのなら昔のようにフリーランスでやればいいのだし、最近では田中宇氏のようにネット界からライターが出るようになった。
すでに新聞やテレビは衰退してゆく産業であり、そこには自然と優秀な若者は集まらなくなってきている。だから田原総一郎氏などは私の後を継ぐ若手が出てこないと大言壮語しているが、新聞や放送業界からは出てこないだろう。田原総一郎氏にしろ久米宏氏や筑紫哲也氏は権力者に踊らされている電波芸者に過ぎない。
少し前置きが長くなりましたが、現在において第二のコンピューター革命が訪れようとしている。コンピューターが限りなく分散化し超小型化することにより、家電製品から野菜や紙幣に到るまで、あらゆるものにコンピューターが組み込まれると言う発想だ。ICタグと呼ばれていますが、0,3ミリとか0,4ミリほどのICチップが組み込まれる。
本に埋め込めば万引きの防止になるし、紙幣に埋め込めば偽造の防止に役立つ。ロックフェラー財閥のウォルマートなどでは、商品管理に利用しようと、ICタグの開発にMITやIBMなど、アメリカの総力を挙げて開発に取り組んでいる。日本でも坂村教授がユビキタス社会を目指して研究開発に取り組んでいるが、通信方式やOSがどのようになるかが注目される。
坂村教授と言えば、かつてTRONが米国政府と通産省と孫正義氏などの策謀により、国産OSが潰されましたが、そのために日本の電子産業は壊滅的打撃を被った。これはハードもソフトも肝心なところはブラックボックス化され、日本の産業界は手も足も出せなくなってしまったからだ。
インテルのCPUは発熱がすざましくエネルギーロスが激しい。マイクロソフトのOSは欠陥OSでありゲームにはともかく商用サーバーには使えない。私のPCも三度に一度はブルースクリーンが現れる。TRONだったらこんなことはなかった。電力も食わない、安定したOSを通産省はアメリカの圧力で潰した。それは世界にとって良かったことなのだろうか。
今度の第二次コンピューター革命も、日本政府は同じ誤りをしでかすのだろうか。マイクロソフトのビル・ゲーツもポスト・ウインドウズで死にもの狂いで乗り込んでくるだろう。漫画ではゴルゴ13が、坂村教授の命を狙う国際金融資本に雇われた殺し屋から、救うべく活躍を描いている。
タマちゃんと欧米人と日本人との自然観の違い
欧米人の「自然」とは神が作った人工世界のこと
2003年6月28日 土曜日
(前略)
▼欧米人と日本人の自然観
ここで、彼我の自然観の違いに立ち入らざるを得ない。実は同じ「自然」と言っても、欧米人と日本人ではその内容が違う。そしてややこしいことに、日本人は近代以降に知った欧米人の「自然」概念も受け容れたために、現在では無意識的に「自然」という言葉をたいてい二重に用いている。だから、「動物愛護」と言っても二重なのだ。先に「無為自然」という言葉を使ったが、こちらが日本人本来の自然観を表している。
それは、世界は無常であり変化して止まない、あるがままに任せるべきであるという自然観だ。また、自分が人間であることさえ巡り合わせであり、人間は特別な存在ではなく、動物も同じ生類(生き物)だという考え方である。現世における順序としては人間が優先されるのは当然であるが、一つ一つの命に関しては尊敬が払われる。それが万物への供養という思想であり、そこから自然にタマちゃんは「かわいそうな弱者」ということになる。
「無為自然」に対する言葉が「人為自然」である。そんな卑小である人間が、あるがままに任せるべき世界にあえて介入することだ。欧米人が自然を操作することを日本人はそう見る。だが、実はそうではない。欧米人は「人為自然」とは別な思考軸で自然に介入している。「無為−有為」ではなく、「自然−人工」が欧米人の思考軸である。その「自然」とは何と、変化するものではなく、変化しないものなのだ。
欧米人の「自然」とは、神が造った世界のことであり、天地の始めからある固定した秩序を指す。そして人間は神に世界を委託された者であり、世界を管理・保護し、必要に応じて操作すべき存在なのである。だから彼らは不変であるべき「自然」破壊に敢然と立ち向かい、クジラやイルカなど人間に近い「高等」生物を保護しようとする。しかしその一方で「下等」生物や人間の食物となる家畜には一顧だにしない。
▼日本人における二つの「自然」観の相克
いま述べてきたような、キリスト教をバックボーンとする本来欧米的な自然観が表層的に、つまり中途半端に日本人にも流入している。従来のあるがままに「自然」を放置するのではなく、「人為」的に(「人工」的にではない)自然に介入すべきだという意見が増しつつある。しかし「人為」によって自然を、言わば「ねじ曲げる」のにはまだまだ抵抗感があり、それが「タマちゃんを救え!」という声が多数派になれない理由だろう。
日本人には日本人なりの、動物に対しての「階級」意識がある。それは、欧米人が自然世界の階級秩序に基づいて判断しているものを、「感情移入」で、つまり人間に似た仕草や表情、態度で直感的に判断しようというものだ。日本人のタマちゃんへの偏愛はこのようなものとして理解できる。同様に、パンダやコアラ、また最近流行のチワワなどもそうだろう。「かわいい」という言葉は、日本人にとって人間に近しいという意味だと解釈できる。
日本人が持つ二つの「自然」観が交錯した問題の例が、琵琶湖でのブラックバス問題であり、和歌山でのニホンザル雑種化問題である。どちらも本来そこには棲息しない魚やサルが人間によってもたらされ、以前の自然秩序が失われつつある。日本古来の自然観からはそれも無常と捨て置くべきなのだが、今はそうでもない。ブラックバスやタイワンザルを駆逐し、以前の「自然」を復旧することが積極的に試みられている。
生物ではないが、実は文化財保存についても同様だ。日本には古来「保存」という思想はなかった。伊勢神宮の遷宮などでご存知の通り、「再築」こそが日本的思考である。しかし、いまは「保存」が主流思想である。それでも、いかなる目的のための保存なのかという哲学はない。このよじれのようなものをしっかりと自覚することがなければ、文化財保存もうまくいかないものと思われる。(後略)
小泉内閣は最近、三位一体という言葉を良く使う。キリスト教のトリニティーの事を言いますが、小泉内閣のはキリスト教とは関係がない。キリスト教では父ヤハウェなる神が天地を創造し、その子のイエス・キリストと精霊とで三位一体と言うように、欧米では神様が世界を作り、自然とは人工物であるらしい。
それに対し日本人は、「無為自然」と言うように、自然とはもともとそこに存在した。あらゆるものに神が存在し、八百万もの神が存在していると言う。庭園を見ても西洋式庭園は幾何学模様の整然とした庭であるのに対し、日本庭園は出来るだけ手が加えられていないような庭園を言う。つまり人為的に手が加えられている自然である。
欧米人においては自然とは人工物であるから、世界のあらゆるものを神に成り代わって世界を支配することは使命なのだろう。具体的にはコンピューターが発達して、全てのものに記号と番号が打たれ管理することは、天地を創造した神の意志を継ぐ事である。西欧人、特にアングロサクソンなどは、自らを神に一番近い姿をした民族として、世界を支配することを使命としているようだ。
それに対し、ドイツのゲルマン民族や、フランスなどのラテン民族は反発するのは当然だ。キリスト教を信仰する限り、天地を創造した神がおり、人工物である世界を管理することは、キリスト教の教義からして当然のことである。そしてアメリカは一極支配体制を築き上げ、ブッシュ大統領は聖書の言葉をやたらと引用している。
一極支配を完成させたアメリカがその正当性を、キリスト教の教義を元とすることは当然のことである。ヤハウエが築いた世界を、その子イエス・キリストの意志に基づきブッシュ大統領が管理するのだ。世界に展開されたアメリカ十字軍はキリスト教なしには存在し得ない。だからこそアメリカの小学校は「神」に宣誓の誓いをたてている。イギリスのブレア首相もその尻馬に乗ろうというものだろう。
それに対して、同じキリスト教徒でありながらヨーロッパやロシアなどのキリスト教徒は異論を述べるのは当然だ。ブッシュとその支持者が信仰している福音派とは教義が異なるからだ。この事は
3月11日の「アメリカは何故戦争をしたがるか」で書きました。福音派は聖書こそが真実であるとして、神が天地を創造したとし、進化論も認めてはいない。そして異教徒が死んでもやむをえないとする教義を持っている。
日本人やヨーロッパ人から見れば現在のアメリカ人は狂っているとしか見えないが、現在のブッシュは神がかりであるだけに誰にも止められない。まして日本人はキリストの神の天地創造の事など思いもよらないから、一極世界支配のイデオロギーがキリスト教と関係あることなど気がつかない。
日本人と西欧人とは自然観が根本的に異なるから、共通の世界観を持ち得ない。特にアメリカ人は神がかりであるから、神になり代わって日本にいろいろ命令してくる。だからこそ憲法から民主主義に到るまで押し付けてきた。彼らにとっては日本もヤハウェの神が作った世界の一部に過ぎないからだ。
タマちゃんとは話が大きくずれてしまったが、タマちゃんが東京近郊で生活するようになった事は、それだけ川の水がきれいになり、餌になる魚などが増えてきたからだ。それだけ自然が戻ってきた事になるのだ。タマちゃんも八百万もの神様のひとつと言うことになる。欧米なら動物愛護団体が捕獲して生まれ故郷に返せと言うことになるのだろう。
日本のデフレ教訓に利下げ、FRB日銀の失敗を指摘
ミニバブルを作ったのは日銀のプリンス佐々木直だ
2003年6月27日 金曜日
◆日本のデフレ教訓に利下げ FRBの追加利下げ決定
【ロンドン26日共同】米連邦準備制度理事会(FRB)は、金融政策を小出しにしてデフレを根付かせた日本の失敗を教訓に、予防的な利下げを継続的に実施する政策を採用した−。26日付の英紙フィナンシャル・タイムズは、FRBの追加利下げ決定の背景をこう報じた。
同紙によると、昨年初めからのFRB内での研究の結果、日銀のデフレ対策は当時、経済専門家らの間で支配的だった考えに基づいており、同じ問題に直面したら他国の中央銀行も同様の政策を取っていただろうとの「不快な結論」が出た。
同紙は、デフレから抜け出せなくなり初めて、もっと迅速で思い切った利下げをする必要があったことが明らかになった、と指摘した。
(共同通信)[6月26日11時31分更新]
◆ミニバブルを作った日銀の佐々木直総裁の謎
(前略)
先に、ニクソン・ショック後の日本の外為市場は、ヨ−ロッパ各国の外為市場がすべて
閉鎖されている中で、一人6日から27日まで、引き続き開かれ、しかも1ドル=360
円レ−トでドルを買い支えたことを述べた。
「これは明らかに日本政府の大きな政策ミスであり、なぜこのような愚行がまかりとお
ったかは、戦後日本経済史最大の“謎”である」(『日本経済の構造と行動』)
このため、わずか10日間ほどの間に約46億ドルもの外貨が一挙に日本に流入し、円
との交換を要求したのである。何故か。円レ−トが切り上がれば、ドル貨を一度円貨にか
えて、再びドル貨に転換するだけで、ドル勘定において多額の差益を生むからである。
この時の日銀総裁だったのが、第22代日銀総裁(昭和44年12月17日から昭和4
9年12月16日)佐々木直である。
系図13を見て欲しい。佐々木直の長男は氏家家から嫁を貰っているが、
氏家家は石川家と姻戚関係にあり、石川家は鹿島建設の鹿島家と、
鹿島家はベンツの梁瀬家と姻戚関係にある。ヤナセ自動車の元社長、梁瀬長太郎はフリー
メーソンである。この系図にはまた、フリーメーソンの下条康麿の名も見える。するとこ
の日本への外資の大量流入は、やはりフリーメーソンの陰謀だったことになりはしないだ
ろうか。
この外資の大量流入が、土地と株式のバブルを生んだのである。昭和46(1971)
年になって、日銀海外資産が3.68兆円も急増した。これは、ほぼ100億ドル以上の
外貨の急増に見合うものだ。ニクソン・ショック後の日本経済は、そのマネ−・サプライ
を外貨増大分だけ一挙に膨張させて、国内の資金をダブつかせた。しかもこの過剰な資金
は大部分日銀から直接企業の手に入ったものだ。何故なら、外貨を入手し、それを円レ−
トの切上げがある前に円貨と交換すべく迫ったのが商社およびメ−カ−であり、また、商
社および輸出メ−カ−は、円レ−トの引き上げを見込んで、積極的に輸出代金の先取り(
リ−ズ)の形式で、大量のドルを国内に持ち込んだからである。
昭和46年度の日本経済は不況であった。実質成長率は5.8%で、昭和40(196
5)年以来の低さであった。過剰な手許現金を入手した企業と商社は、この不況下で設備
投資意欲はわかない。そこで、次に銀行からの借入金の返済を考えたが、取引銀行の圧力
が強くて、その抵抗を押してまで返済することは出来ず、取り合えず銀行預金にした。借
金の返済に向けられなかった企業や商社の預金の増加分は、ほとんど法人による土地買い
および株式買いの資金に向けられた。
当時、政府は不況対策のため、金利を引き下げ財政を拡大したが、企業の設備投資は増
加せず、むしろ株価引き上げのきっかけを作ってしまった。
この法人の株式買いは、不況下にもかかわらず、株式市場を活発化させた。昭和47年
2月末に東証ダウ3000円突破、途中ポンド・ショックで暴落したが、8月には400
0円台に上昇し、12月に5000円台の大台に乗せた。これは、ダウ式平均株価の高さ
そのものにおいて新記録であるばかりか、上昇幅、上昇率においても証券市場空前の画期
的な大記録といわれている。
土地も値上がりした。昭和47(1972)年6月11日、通産大臣の田中角栄が『日
本列島改造論』を発表すると、この前後から地価が急騰しはじめた。昭和46年度の年間
地価上昇率は12.8%であったが、47年4月から9月までの半年間だけで8.4%の
上昇率を示した。同じ半年間の六大都市の地価上昇率も、10.3%を記録している。そ
れは、46年10月から47年3月までの半年間が6%であったことから明らかなように
、急騰は4月以降生じたものといえる。
『日本列島改造論』に触発されて、土地買いに走ったのは、不動産業者、私鉄、建設会
社をはじめ繊維、銀行、保険、非鉄金属などあらゆる業種の企業に及んだが、とりわけす
さまじかったのは商社の土地買いであった。
『日本列島改造論』は、昭和60(1985)年に日本のGNPの水準を304兆円(
1ドル=308円レ−トで換算すると約1兆ドル)に高めることを目標として、基幹資源
産業(コンビナ−ト)を北東地域(苫小牧東部、むつ小川原町、秋田湾など)と西南地域
(周防灘、山口、福岡、大分、志布志湾など)に、造船重機械流通加工型コンビナ−トを
臨海地域(橘湾、宿毛湾、金武湾など)に、そして内陸型工業を農村地帯に配置して、「
過密・過疎の同時解消」を企図したものである。
この書物は、その中に指定された地域の土地は、今買い占めても将来値上がりすること
確実であるという安心感を企業に植え付けた。日本の会社は一丸となって、不動産業に手
を着けた。田中角栄は財界の支持を受けて総理となり、『日本列島改造論』は、日本列島
の土地の先物買いのバイブルとして、ベストセラ−になった。 (後略)
三菱こそフリーメーソンの牙城だ 「亡国日本の悲しみ」
FRBの追加利下げのニュースを見ると明らかに、日本の中央銀行のバブル後の金融政策に誤りがあったことを指摘している。当時は三重野総裁でしたが、インフレファイターとして登場して、マスコミも平成の鬼平と持ち上げた。しかし政界や経済界からは非難が浴びせられた。
しかしFRBのグリーンスパン議長は、市場を良く知っているだけに、インフレよりもデフレのほうが怖いことを良く知っている。歴代の日銀総裁に言える事は市場というものを良く知らないということだ。22代日銀のプリンスこと佐々木直総裁も市場のことを知らなかった。世界中の外為市場が閉鎖されているにもかかわらず、日本だけは開け続けた。
昨日の「株式日記」でも書いたように、幕末において金銀の交換レートの歪を突いて、外人たちは大儲けをした。幕末の役人達が世間知らずで無能なために、日本の国富が失われた。その悪しき習慣は戦後になっても改まらず、日銀の佐々木直バカ総裁は世界中のドルを買い支えた。現在でも福井日銀バカ総裁は5月の一ヶ月だけでも4兆円もドルを買い支えた。
以前に書いたことですがバブル崩壊後だけでも700兆円もの日本国の富がアメリカに移動した計算が成り立っている。つまり日本の公的債務の668兆円がそっくりアメリカに渡ったという事なのだ。海外へ流出してしまった日本の富は二度と戻ってきはしない。日本の政治家や大蔵省、日銀官僚が無能なばかりに、日本国民はウサギ小屋に生活することを強いられている。
田中角栄首相の「日本列島改造論」は基本政策としては間違いではなかったと思う。しかしそれに伴う諸政策が間違っていたために、地価の高騰が独走してしまった。大蔵省の土地税制はデタラメであったし、日銀の金融の引き締めと緩和のタイミングはデタラメであった。
日本の役人と言うものは何故幕末以来同じ間違いをしでかすのだろう。世界的な金融資本家から見れば赤子の手をひねるように騙され続けている。それに気がつかず小泉首相を支持し続けている国民にも責任があるのだろう。昨日述べたように国会議員を総入れ替えをして、自民党政権を倒すぐらいの覚悟がいるだろう。
その国会は共産党幹部の筆坂議員がセクハラで辞職したり、裏献金疑惑の坂井議員がミニスカ政策秘書と愛人関係にあったり、山崎自民党幹事長の変態プレイなど乱れまくっている。この事だけでも国会議員を総入れ替えする必要があるだろう。そうしなければCIAにそのような情報はつかまれているから、アメリカの言いなりにならざるを得ないのだ。
【日本】お前はすでに死んでいる。
大政奉還で平成維新を断行せよ
2003年6月26日 木曜日
◆まずは政党や税率がどうのこうの言う前に、この国の政治システムを
変えなければいけないだろう。
人口の少ない地方で、金をばら撒き地盤を築いた土建屋のおっさんや
村長みたいな政治家が、税金を地方に持って帰り
道路や橋や施設を作る。工事は息のかかった建設屋にやらせ
材料費4分の1、人件費4分の1、税金の半分は懐に入れる。
その上、道路や橋ができる周辺の土地を買占め、さらにぼろ儲け
こんな利権構造が、日本のあちらこちらにある。
都会に集中する企業、労働者、公務員などが納めた税金の大半は
こんなやつらに、搾取される。
本来なら、国民一人一人に平等に還元されるべき税金がだ。
日本の子供の未来のために、働いたお父さんやお母さんの老後のために、
企業の競争力のために、豊かな未来のために、使われるべきはずの税金がだ。
こういった利権構造を早くつぶしておけば、日本はここまでにならなかっただろう。
チャンスはいくらでもあった、たとえば森首相の時、時流は
もう自民党を必要としない流れで支持率は最悪だった。
野党が一丸となり小泉のような人物をたてて、自民党をぶっ壊すとやれば
自民党は、ぶっ壊れていたのではないか?
政権(利権)を失うのを恐れた自民党は党内から自民党をぶっ壊すと
小泉政権を誕生させた、時代の流れがそうなのだから
国民はまんまとペテンに引っかかり、パフォーマンスだけの芝居を見せられ
続けている。
◆私の考えでは、森内閣の時が、最後の大政奉還(自民をぶっ壊す)チャンスだった思う
小泉内閣誕生の時は、まるで幕府(自民党)方から幕府(自民党)を
ぶっ壊すと言われたみたいで腹がたった、野党にそんな人物がいれば
大政奉還(自民をぶっ壊す)は実現できたのではないだろうか?
自民党はジャイアンツだというけれど、公明党を吸収してのことだろう?
自民党の利権屋は日本の将来のことはまったく考えずに
1日でも長く利権にしがみつくことを考えている、これは日本の闇も同じだ。
幕末の歴史を考えてほしい。もし大政奉還が遅れたら、もし大政奉還なかったら
日本にとって莫大な損害だったのではないだろうか?
日本の夜明けはなかったのではないか?
だけど国民はトリックに引っかかり、自民(幕府)を少しでも延命さすために
小泉内閣を選んでしまった。
しかしアメリカ(ぺりー艦隊)の圧力は強い、こうなったら国民は少しでも早く
大政奉還(自民をぶっ壊す)実現するために小泉内閣を支持するしかないだろう。
◆世界戦略から見れば、日本は風前の灯火である。
今、この時代、日本に夜明けがあるとすれば
できるだけ早く、大政奉還(自民をぶっ壊す)を、実現し
新政府を立ち上げなければならないだろう。
そして、古い日本を土台からぶち壊し徹底的に整理しなければならない。
なぜ、徹底的かというと、古い日本の土台は腐り、白蟻が巣食っているからだ
その上に、立て直しても同じ事だろう。
そのために、新政府は、霞ヶ関、既成政党、財界などの責任を徹底的に追求し
敗戦責任を明確にしなければいけない。
そして一番大事なのは、弱者を徹底的に救済することだ。
整理を行い、弱者を救済し、責任者を処罰する
これができなければ、日本に夜明けはない。
日本に、夜明けが来るのか、李氏朝鮮のように滅びるかは
これからの国民しだいだろう。
今の政治家で、これが出来る人がいるとすれば、本当に国民のために
涙が流せる人しかいない、この国の指導者は、自分の子や、孫が、
未来の子供たちが、この先、戦乱に明け暮れ、血で血を洗う戦いに巻き込まれて
行く事を、なんとも思わないのだろうか?
民主党の石井議員はバトルロワイヤルに涙を流したと聞く
本当に惜しい人を亡くしたと思う。
国民はこれから、党派は関係なく、本当に日本を愛する政治家と
おのれの私利私欲だけで国を滅ぼす売国奴を
真実の目で見分けなければならない。
◆今から、80年前(大正時代)に来日したアインシュタイン博士は
次のように述べている。
「世界の人類は欲に駆られて争いや混乱を繰り返し、最後に戦いに
疲れる時が来る。そのとき、人類は平和を求めて世界の盟主を求める。
それは武力や金銭の力ではなく、あらゆる国の歴史を超越し、最も古く
尊い家柄ではなくてはならぬ ーーー中略ーーー 欧米の教育は個人が
生存競争に勝つためのもので、極端な個人主義となり、あたりかまわぬ
闘争が行われ、働く目的は金と享楽の追求のみとなった。
家族の絆はゆるみ、芸術や道徳は生活からから離れている。
激しい生存競争によって共存への安らぎは奪われ、唯物主義の考え方が
支配的となり、人々の心を孤独にしている」そうして、こう結んだのである。
「世界が戦いに疲れるそのとき、日本という国があって本当によかった
と、思う時がくるだろう」と、日本の文化、家族制度、道徳などに触れ
アインシュタイン博士は絶賛したが、80年後の今の日本はどうだろう?
全く欧米と一緒ではないのか?いや欧米より性質が悪いのではないか?
このまま日本人が目覚めなければ、日本民族は滅亡し
世界はこうなるだろう「世界の人類は欲に駆られて争いや混乱を繰り返し
最後に戦いに疲れる時が来る。そのとき、地球はまるで癌細胞に侵された
肉体のように死滅しているのだった」
今こそ、日本人の内なる伝統と高い精神性と思想を目覚めさせなければ
日本だけではなく世界は滅ぶといっても過言ではないだろう。
そのためにも、出来るだけ早く日本に巣食う癌細胞を、一掃し
日本を立て直さなくてはならない。と、思うが
◆今の日本政府は、かつて第二次世界大戦で、ナチスドイツに迎合し、
合同で世界制覇を目指したのと同じである。
当時の日本は、ナチスドイツと同盟を結ぶことにより、世界を敵に回しても
勝てると思った。もちろん今と同じように、日本国民の意見など求めていないし、
そもそも国民が意見を述べるというような機会は与えなかった。
当時も今も日本には民主主義などない。
今のアメリカは、第二次世界大戦のナチスドイツと同じだ。
他国がどのように反対しても、抗議しても、力でねじ伏せられると考えている。
熱狂的な軍部支持の中で、正常な判断能力はなくなり、
とにかく戦争をすれば勝てると信じている。
今回の場合は、圧倒的な力の差があるので、アメリカ及び賛同国は、
勝つのは当然だ。
しかし、この戦争には正義はなく、帝国主義の邪悪さを露呈するものだ。
私は、帝国主義に対当する共産主義が良いというのではない。
民主主義は、社会主義よりも良い面があると思う。
だが、帝国主義とは、民主主義なのか、今のアメリカは民主主義を
尊重しているといえるのか?
◆最近の早稲田の事件や闇金の事件を見てちょっと思った事があるので書いてみるが
日本はあまりに外国に対して無知すぎるのではないか?
昔、室町時代?東日本が金、西日本が銀の貨幣が流通していた。
そのころ日本には銀の埋蔵量が豊富にあったので日本国内では、
金1枚と銀10枚の交換比率だった。
しかし、外国では金1枚と銀4枚の交換比率だった。
(正確の事は知らないので例えとして)
ここでよく考えると外国から持ってきた金1枚を日本で両替すると銀10枚になる
その銀10枚を外国で両替すると金2.5枚になる。
それをまた日本で両替する。ぼろ儲けである。
その事に気が付いた外国人は日本にありったけの金を持って
大量に押し掛け我も我もと両替する。
たちまち蓄えていた銀は無くなり日本は大恐慌、でも外国人達はぼろ儲け。
そのころの政権は何で日本が貧乏になったか全く解らない。世界の事を全く知らない。
なにがなんだかよく解らないが外国人はやばいと言う事で鎖国へ(徳川政権)
そして明治維新から現在、日本国内に蔓延する外国人組織、
(○○、闇金、レイプ、売春、麻薬、強盗など)
外国人にとって、ふたたびぼろ儲けの時代がやってきている。(もうずーと前から)
*注 あくまでも日本人を騙して儲けようとしている外国人の事です、
すべてではありません。
今の日本の政権も、昔の日本が銀を両替して何故損をしたのか解らなかったように
国民が身を粉にして蓄えた国富がなんで無くなっていくのか全く解らないのだろうか?
なにがなんだかよく解らないと言うまま・・・大恐慌→戦国時代→鎖国?
歴史は繰り返すのか?
そしてぼろ儲けした外国人達(売国奴含む)は、
今も昔も日本人は世界のことは何も知らないな
アフォじゃないのと心の中で笑っているのだろうか。
(日本人には教えちゃ駄目だよとかね)
もし今の政権がそれらを全て解っているのに知らないふりをして
国民を見殺しにしてるなら。
それは完全に日本の歴史上類のない私利私欲だけの売国奴政権である。
以上の文章は「2ちゃんねる」BBSからのコピーですが、日本の現状が分かりやすく書かれている。小泉首相は「自民党をぶっ潰す」と選挙のときに大衆の前で公約した。あれから2年もたつのに景気は悪化し、構造改革は骨を抜かれて、役人天国は変わりがない。むしろ国立大学の法人化で500以上もの天下りポストが確保される。
上の文章では幕末時代の金銀の交換レートに騙されて、外人に富を奪われたことを指摘していますが、それは現在でも行われている。日本がせっせと製品をアメリカに輸出し、その代金としてドルと言う紙切れをもらって貯め込んでいる。日本人の血と汗と涙の結晶がドルと言う紙切れに変わっているだけなのだ。
その貯まったドルで米国債を買って塩漬けにしている。橋元首相が米国債を売りたいと言ったら「売らない」と言う誓約書を書かされた。さらに福井日銀総裁は値崩れするドルを支えるために一ヶ月に4兆円ものドルの買い支えをした。ドル買い介入をすればそれだけ日銀の外貨準備高は積みあがりますます円高になる。
消費税が16%に引き揚げる計画があるが、その前に国の税金を食い物にしている寄生虫たちを退治する必要がある。公共事業の受注を丸投げして、ピンはねする建設会社が日本にはごまんとある。せっかく地元の建設会社に発注しても、地元の建設会社はトンネル会社で大手ゼネコンに丸投げして不当な利益をむさぼっている。
政治家や役人はその為の口利きで手数料をもらっている。地元の選挙民達は地縁人縁血縁で票を入れているし、このような政治家の方が面倒見が良いと評価しているからだ。さらには地方への天下り知事を地方が歓迎しているのも、補助金を中央から持ってきてもらうためだ。地方はそれで潤うのかもしれないが、その為に国家財政は火の車だ。
昨日の日記でアメリカのネオコンはナチのようだ、と書きましたが、戦前の日本もナチスドイツの尻馬に乗って大失敗をしている。戦争で勝っているうちは良いが、いつかは負ける時が来る。アメリカにしても見えない敵との戦いには勝利の文字はない。砂漠や荒野に爆弾の雨を降らせて勝った勝ったと騒いでいるだけだ。いずれアメリカという巨人はアキレス腱を切って倒れる時がくる。その時小泉首相は日本をアメリカの道連れにするつもりだろうか。
ラムズフェルド米国防長官は鼻つまみ者
ネオコン一派の思想はナチスと変わらない
2003年6月25日 水曜日
アメリカ国防長官ラムズフェルド氏はヨーロツパの「べート・ノワール」、鼻つまみである。一見して、貧乏神のような渋い風貌の老年だが、舌鋒はじゅうたん爆撃のようにすさまじい。洗練と娩曲話法を徳としてきたヨーロッパの外交舞台は、長官のいささか度はずれの倣岸に毒気をあてられてしまった。フランスとドイツは「古いヨーロッパ」だと、ご託宣をくだしたのはこのご老体である。こんどは「古いヨーロッパ」の一昧であるベルギーが血祭りにあげられた。
◆ベルギー、舌鋒の餌食に
ベルギーにはこの国特有の人道法がある。虐殺や戦犯行為をおかした疑いある人物を、その地位と国籍を間わず、訴追できるという法律である。アメリカ人ではブツシュニ世の父親と現職の副大統領と国務長官が市民グループから告訴されている。 アメリカ国防長官には、かかる法律はお気に召さない。
そこで長官は先週、ブリュッセルの北大西洋条約機構(NATO)国防相理事会の席で言ってのけた。「かかる法律が廃止されないならば、アメリカはNATO新本部の建設費予算を凍結しなければならないし、本部をほかの場所へ移すこともあり得るだろう」イラク征伐に盾ついたベルギーから、征伐に手を貸してくれた「新しいヨーロッパ」、たとえば、ポーランドに 移してもいいのかと凄んだのである。
良法であれ悪法であれ、一国の法律をやめろとは何たる言い草だ。われわれはアメリカの同盟者であっても家来ではないぞと、ベルギーは怒っている。ラムズフェルド氏は、ネオコン(新保守派)一派に掌握されたアメリカ国防総省の棟梁である。
ネオコンの一派は、アメリカ一極天下の完成のためには、国連もヨーロッパ統合も無用の長物になったと考えている。だから ヨーロッパは分裂してくれていた方がよい。長官は相次いでおこなっ た南ドイツでの演説で、「ヨーロッパの古い新しいの分類は歴史や地政学によるのではなくて、米欧協力関係に対する態度とビジョンの違いによる」と、説明している。
つまりアメリカにおとなしくついてくれるものは新しくて、逆らうやつは 古いから頼まないという論法である。ネオコンのある有力な哲学者によると、ヨーロツパが美の神ビーナスの申し子とするならば、アメリカは軍神マルスの申し子として世界の秩序をつかさどる使命をおびている。
◆ネオコン一派の「力」信仰
ヨーロッパはカントの説く恒久平和を実現した。だが、平和と福祉によって去勢された旧大陸は決断と行動を嫌悪する。アメリカはホツブスの説くように、 「万人が万人を敵とする」たたかいの世界にあって、絶対主権と服従契約を要求するつよい国家でなければならない。勇武の精神を堅持して、力こそ、あらゆる問題を解決する究極の手段と確信し、そして、力をもっともよく行使するものはアメリカのほかには存在しようもないーこれがネオコン一派に共通する世界観である。
だが、力の信仰のほかにもさまざまの価値観があることを知っている「優美」のヨーロッパからみれば、「勇武」のアメリカは「がさつ者国家」にみえる。ご老体の「がさつ」な言動は、「ならず者」と紙一重でさえある。(欧州駐在本社客員 熊田 亨)
上のラムズフェルド国防長官の写真を見てもらいたい。まるで感じがヒトラーそっくりだ。ドイツ系アメリカ人だからよけいにそのように感ずる。ラムズフェルド自身はネオコンではないが、ネオコンと手を組むことにより、イラク攻撃を成功に導いた。アメリカのマスコミは次はシリアだのイランだのと騒がしい。
まさにヒトラーが夢にまで見た軍事力による世界支配はアメリカの手によって完成された。ソ連は崩壊し、中国もアメリカと戦争をする気は全くない。唯一アメリカと対等に戦争が出来る国力をもつのは日本しかないが、日本はアメリカ軍の軍事基地で固められている。EUは人口や経済規模でアメリカを上回るが軍事力は比べものにならない。
アメリカの政府要人がベルギーの人道法により訴えられている。一番真っ先に訴えられるべき人物はラムズフェルド国防長官であろう。彼はアフガニスタンでタリバンやアルカイダの捕虜をクンドゥスで一箇所に集め爆撃で皆殺しにしている。この事は以前の日記で詳しく書いた。まさにナチの親衛隊も真っ青な残虐な方法で虐殺している。
ヨーロッパ各国ではアメリカのネオコンについての報道がされているが、アメリカとヨーロッパとは同一の世界観を持っているとは見れなくなったようだ。ロバート・ケーガン著「ネオコンの論理」によると米国が問題の解決にあたり軍事力に訴える事を重視している。それをアフガニスタンとイラクで実践して見せた。
アメリカのブッシュ大統領はおよそ選挙とは言えないインチキ選挙で選ばれた。それ以外の政府閣僚達は形ばかりの議会承認だけで選ばれている。もはやアメリカの上院・下院は議会としての役割を果していない。日本における大政翼賛会と大して変わりがない。アメリカの世論調査によるとイラン攻撃に56%もの人が賛成している。いったいどういう理由で?
アメリカの軍事的野望は中東全体の支配に及んでいる。ハンチントンの「文明の衝突」はその戦略書だ。アメリカとその植民地軍は否応もなく動員されて、小泉首相は1000名の自衛隊派遣を決めた。日本はもはや独立国とは言えずアメリカの植民地に過ぎない。やがては中国との戦争に日本軍が動員されるのだろう。このような事に日本国民はいつ気がつくのだろう。
アメリカ経済は大悪材料を隠蔽しているようだ
福井FRB日本支店長の4兆円のPKOも空しい
2003年6月24日 火曜日
6月12日の日記で「NYダウは中間反騰から4500ドルへ暴落か」と書きましたが、チャートの動きからの直感に過ぎないのですが、やはり今回の上げも中間反騰に過ぎないようだ。チャートを見れば分かるとおり、そろそろ中間反騰の天井が見えてきた。福井日銀総裁の5月の4兆円に及ぶPKOもこの辺が限界なのだろう。昨日のNYダウは127ドル下げた。果たして米国は日本の教訓は生かせるのだろうか。Yen-Dokkiは次のように書いている。
▼デフレ対策/米国は、日本の”教訓”を生かせるか?
昨年6月に発表された米Fed論文「日本からの教訓」では、デフレのコストは あまりにも大きいためデフレにしてはならない、小さくてもデフレのリスクがあ るなら、インフレリスクを恐れずに、積極的な金融緩和を行うべきだ、というこ とが強調されている。「過度な金融緩和を行ってインフレ率が加速するよう なことがあっても、それは通常の金融政策で十分対処できる」と、BNPパリバ証券会社・経済調査部チ−フ・エコノミストの河野龍太郎さん(Ryutaro Kono/Chief Economist, BNP Paribas Securities(Japan) Ltd.)は語る。
<共通点の多い、94年の日本と現在のアメリカ> 米国はデフレを回避できるか」というのが、このところのマーケットの関心事になっている。現在の米国の物価・経済状況を見ると、センチメント・インデッ クスの改善など景気回復の兆しが現れる一方で、インフレ率は低下傾向にある。 こうした状況は、「93年末から94年前半の日本経済にかなり似ている」と言う。当時、日本では、インフレ率は1%を切って低下を続けていたが、景気回復の兆しが見え始め ていたこともあって、金融緩和は一時中断されていた。「この時の金融緩和の中断が、後に日本経済を苦しめるデフレの一大要因となるのである」として、さらにこう語る。「日本の失敗は明らかである。93年後半、94年にインフレ率の低下を放置すべきで はなく、伝統的な金融緩和策が機能している間に積極的な利下げを続け、ゼロイ ンフレを回避し、さらに踏み込んでインフレ予想を高めるべきだったのである」
<潜在成長率3%台前半超の高成長続くまで低金利政策維持へ> 同社では、2003年7-9月から米国経済は前期比年率で3%台の緩やかな回復に転じる、と予想している。しかし、インフレ率は、これまで拡大した大幅な需給ギャップ の影響もあって低下が続く見通しである。現在の米国の物価・ 経済状況は、93年末〜94年前半にかけての日本経済にかなり似ている。「日本 からの教訓」を本当にFRBが学んでいるのなら、「年後半から景気回復が始まるとしても、デフレリスクを完全に排除するために追加の金融緩和を行う可能性が高い」と言う。同社では6月25日にも50bpのFFレート引き下げの可能性が高いと見てい る。また、インフレ率を加速させるために、米国の潜在成長率である3%台前半を上回るほどの高い成長(例えば4%程度)が続くまでは、「低金利政策を維持する」と、予想している。
94年当時の日本経済は景気回復の兆しが見え始めていたが、マスコミはバブルの再燃を書きたてて、日銀は金融を絞り続けた。土地や株は大幅に下げ続けたが、大手都市銀行の金融には影響が出ていなかった。この時期に政府が公的資金で不良債権を買い取って片付けていれば40兆円程度で済んだだろう。しかしマスコミの責任追及は厳しく不可能だった。おそらく背後にはアメリカの意図が隠されていた。
12月には東京協和、安全の二信組が破綻し、その後の金融破綻の先駆けになった。すでにバブル破綻後の景気対策に百数十兆円もの公的資金が使われているのから見れば、国の優柔不断ぶりが問題だし、金融機関への責任追及を主張するマスコミの意図は別のところにあった。
このような状況ではとてもインフレ率を3%程度に保つなどと言う発想は日本になかった。むしろ大蔵や日銀のスタンスはゼロインフレが理想であったと思われる。しかしゼロインフレになると金融機能が麻痺してしまうことに気がつくのが遅すぎた。日銀は最近になって金融を緩め始めたが流動性の罠に見事に嵌り、大手銀行の破綻が相次いでいる。
バブル発生の原因になった日銀の金融政策は、アメリカの金融状況を睨んで運営されていたから問題なのだ。アメリカの景気が悪かったから、日本の金利を上げることが出来ずバブルを招いた。それ以来、日本の金利はアメリカの2,3%低くなるように運営されている。日本から資金がアメリカに還流するように圧力がかかっているからだ。
私が前から主張しているような方法で処理するならば、日本の金融問題はすぐにでも片付くはずだ。ペーパーマネーの時代なら何の制約も無いからだ。それでも政府や日銀が動かないのは別の意図があるのだろう。ところがアメリカは違うらしい。アメリカ在住の岩住達郎氏は次のように指摘している。
(前略) 日本では国民の莫大な貯金がある為に銀行が融資する際の原資は貯金ですが、アメリカは殆ど貯金が無いので、小銀行が融資する際は大銀行から融資を受け、大銀行(JP MorganとかCitibank)は直接FRBから融資を受けます。それで小銀行が不良債権を出せば日本と同じように処理しなければなりませんが、大銀行が莫大な不良債権を出したときにどうするか、これが問題です。勿論、3兆ドルの不良債権は全て大銀行からでておりますが、彼らは小銀行が持てない色々な特権を持っている為、FRBとグルでいくらでもインチキが出来る事になります。例えば、損失がそれ程大きくなければ、FRBが内緒で利子の変更を事前にこっそり教えて大儲けさせてやる事が出来ます(つまり他の何も知らない投資家が損をする事になります)。そんなやり方では処理できないような莫大な損失は海外口座に損失を隠し、FRBに頼んで融資を受けなかった事にして貰えばよい。これはグリーンスパン氏がコンピューターに入っていた数字を消すだけで済むのです。これでグリーンスパン氏が高齢にも関わらず再び次の任期を引き受けた理由がお解りでしょう。この秘密は彼の死と共に永久に葬り去る必要があるのです。
不幸にも日本ではFRBのやり方を真似る事は出来ません。融資の原資は国民の貯金だからです。日本の不良債権を償却する為に私の考え得る最も巧妙な手段は、前にも提案しましたが、個人住宅買い替えの際に含み損を日銀が引き受け同時に融資をした銀行が同額を受け取って不良債権償却にのみに使用する、という方法です。これで50兆円は容易に償却できる筈で、その上受益者が消費を増大しますから景気向上に役立ち、受益者以外の人達も恩恵を受けます。(後略)
アメリカ政府とFRBは日本の先例を見ながら金融政策をとっていくだろう。アメリカ国内の不良債権問題はペーパーマネーでたぶん片付けるだろう。アメリカはもはや秘密警察国家になっているから、国の政策に異論を挟む学者やマスコミにはアシュクロフトの司法省の手がまわる。野党の民主党ですら震え上がって反戦運動すら出来なくなってしまった。
問題は慢性化した巨額な貿易赤字だ。これは石油と武力で貿易黒字国から借金棒引きしてもらうしかないだろう。日銀の献身的なドルの買い支えはアメリカの武力の脅しによるものだ。しかしアメリカの産業はどんなにドル安にしたところで復活は難しいだろう。国内の油田は涸れ始めている。近いうちに石油輸入は7割になる。ドルで買えるうちはいいが、産油国がユーロで支払えと言ってきたらアメリカ経済はおしまいだ。