株式日記と経済展望


ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


対イラク戦争後の米国の国家戦略
米国軍は極東から撤退し中東に集中


2003年5月31日 土曜日

(前略)反米的な諸国に対して「強制的な民主化」を行うべきだという方針は、ブッシュ政権の中でも「ネオコン」(新保守主義)と呼ばれる、国防総省を主な拠点とする一群の政府高官たちが、以前から強く主張してきた。従来型の均衡戦略を主張してきた国務省系の人々など(旧保守主義)はこれに反対し、9.11事件以来、米政権内外のあちこちで対立が起きたが、ブッシュ大統領がイラク侵攻に踏み切り、しかも短期間で勝ったことで、ネオコンが政権中枢で主導権を握ったとされるようになった。均衡戦略のタガが外れたのでイラン、シリア、リビア、サウジアラビア、キューバ、北朝鮮、それから下手をすると中国まで、すべて政権転覆されるだろうと思われている。

だが、その後のアメリカは、少し違う方向に進み出している。その一つは、中東でイスラエルに譲歩を迫るパレスチナ和平「ロードマップ」に首を突っ込んだことだ。ネオコンはイスラエル寄りの勢力としても知られており、政権中枢を彼らが牛耳った以上、中東和平にアメリカが関与する必然性はないはずだ。和平計画に抵抗するイスラエル政府に対し、アメリカ側が強い態度に出ないため「ブッシュ政権はネオコンに牛耳られているという本質を隠すため、中東和平を進めるポーズをとっているだけではないか」という指摘もあるが、ブッシュ政権は、何らかの和平を実現させようと動き続けていることは確かだ。

(中略)日本は1960年代から、韓国や台湾は1980年代から、そして中国は1990年代に入って高度経済成長期に入り、主にアメリカ市場に向けて製品を輸出し、巨額のドルを稼ぎ出した。輸出業者がこのドルを自国通貨に両替してしまうと、自国通貨の対ドル為替が上がって輸出が減りかねないので、東アジア諸国の中央銀行はドルの外貨保有をなるべく多く持つようにした。その巨額資金は、利回りを求めてアメリカの金融市場に還流し、米国債や米国株の主要な買い手になった。

この仕掛けをフルに利用してアメリカ経済に未曾有の好況をもたらしたのが前任のクリントン政権で、「強いドル」の政策を打ち出し、アジアの投資家が安心してアメリカの金融商品に投資できる体制を作った。アメリカはドル札を刷るだけで、アジアからの輸入商品を安く買え、そのドルはウォール街に還流して相場を押し上げた。今や、米国債の45%、米企業の社債の35%を外国人投資家が持っており、その大半はアジアの顧客である。

(中略)すでに書いた経済的な理由から、ネオコン的な好戦政策が許されない以上、アメリカのアジア政策は旧来の延長になると思われるが、その場合、いずれ行き着くところは「アジアの自立」である。長期的に見ると、アメリカは国家経済的に下り坂にあり、アジアに大軍を維持しておく余裕が減っている。そのため、今回の北朝鮮問題でも、アメリカは中国に北朝鮮との交渉を押しつけ、中国に北朝鮮の経済的な面倒をある程度見させる代わりに、中国が朝鮮半島の問題に介入することを許している。これは、アメリカが朝鮮半島における覇権を手放し、その代わりに朝鮮半島は中国の覇権のもとに安定するという近代以前の状態に戻っていく可能性を秘めている。

アメリカがアジアでの自国の軍事覇権を手放す方向性を日本に当てはめると、日本がアメリカに従属するかたちの日米軍事同盟を、日本にとって有利なかたちに緩和し、日本が軍事面で自由な動きを少しずつ許されていく方向になると考えられる。その方向の一つの具現化が有事法制なのだろうが、昨今の日本の社会が抱えているのは、軍事的に自由に動いて良いと言われても、何をしたらいいか分からず困惑しているということではないかと思われる。だが、たとえばヨーロッパが国際紛争の解決のために欧州軍を維持しているように、自覚的に軍隊を持つという選択肢はあるはずだ。(後略)

ネオコンと有事法制 田中宇 ニューズ・ウェブ・ジャパン


ポール・クルーグマン教授やアラン・グリーンスパンFRB議長の、アメリカ経済の見方を紹介したところで、米海兵隊の沖縄からの撤退のニュースが飛び込んできました。この二つのニュースはアメリカの国家戦略に絡んだ動きであることが、田中宇氏の論説を読むとわかる。

アメリカの権力中枢は、アメリカの国力があと数年で衰退していくことがわかっており、大規模な海外兵力の再編を迫られている。チェイニィー副大統領がレポートしたとおり、アメリカは国内の油田が枯渇し、7割近くを海外から石油を輸入するようになる。

イラクはサウジアラビア以上の石油埋蔵量があるとされている。だからこそアメリカは世界の反対を押し切ってイラクを侵略した。さらにアメリカはイランの石油をも狙っている。アメリカがこれほど石油にこだわっているのは、アメリカが石油によって成り立っている帝国だからだ。

アメリカもソ連も人工的に作られた石油帝国という兄弟国家であった。そのソ連は新たなる油田の開発に失敗し崩壊した。アメリカも中東の油田地帯の占領に失敗すれば、崩壊するのは火を見るより明らかだ。ベネズエラの石油がストップしただけでアメリカの石油在庫は底をついた。

だからアメリカはヨーロッパや極東から兵力を引き抜いて、中東に回さなければならない。この戦略はネオコンの戦略と石油財閥の戦略とが一致して成り立つ。力ずくでアメリカは中東の石油を独り占めするつもりだろう。しかしそれは上手くいくのか。ソ連ですらアフガニスタンを制圧できなかった。米軍は空爆は出来ても対ゲリラ戦は弱い。

アメリカと東アジアの関係は生産と消費、ドルを媒体とした循環システムが出来上がっている。それを維持するためには北朝鮮をイラクのように攻撃するのはアメリカの利益にならない。むしろ北朝鮮を中国のように改革開放させて循環システムに組み込んだ方がアメリカの利益になる。

日本は他のアジア諸国のように低賃金で生産する経済ではない。むしろアメリカのように投資をして製品を輸入して円を輸出する循環システムを作ろうとしている。日本も東南アジアや中国から輸入する代わりに、日本円や日本国債を買わして国際化を図ってゆくべきだ。

その為には円や国債という紙切れを通用させるのだから、米国のような海外展開できる軍隊を持つことが必要だ。そうしなければ円の国際化は難しい。だからこそ憲法は改正すべきだし、アメリカが認めれば核武装も必要だ。原子力潜水艦や宇宙兵器の開発も必要になる。これこそが日本の戦略として必要だ。




世界情勢の激変に鈍感な立法・行政府と国民
米海兵隊、沖縄15000人撤退へ 米紙報道


2003年5月30日 金曜日

【ロサンゼルス國枝すみれ】29日付の米紙ロサンゼルス・タイムズは、複数の米高官の話として、米国防総省が沖縄の海兵隊の大半を撤退させ、オーストラリアなどに移すなどアジア全域の米軍の再配置計画を検討していると報じた。

 同紙によると、国防総省はアジアでの米軍再配置計画の中で沖縄に駐留する2万人の海兵隊員のうち約1万5000人をオーストラリアに建設される新しい基地に移す一方、シンガポールとマレーシアに駐留する米軍を増強することも検討しているという。

 海兵隊を除く約2万4000人の在日米軍は残留する見通しだが、在韓米軍を非武装地帯などから移す計画も含まれる。さらに、地上軍の一部をフィリピンに、また、海軍艦船の一部をベトナムに移すため、基地提供の交渉を進めるという構想もあるという。

 同紙によれば、米国防総省では同時多発テロ後、中国に対する警戒感よりも中東や中央アジアなどでのテロへの対応を重視する傾向が強まった。このため、中東での紛争などにより機動的に対応できるような軍の再配置が必要だとの議論が出ている。また、反米感情の高まっている韓国と沖縄などと違い、中央アジア諸国やベトナムなどは経済的理由から米軍の駐留を歓迎するとの読みもあるという。
(毎日新聞)[5月30日2時22分更新]


このニュースに対し、小泉首相周辺は「今の状況で、海兵隊を動かすことはありえない」と否定している。日本政府には情報収集機関も情報分析機関も存在していない。世界情勢の激変に一番鈍感なのが外務省だ。このニュースは反米感情のある韓国や沖縄に対するブラフに過ぎないのかもしれない。米国の専門家も観測気球だろうと述べている。

それに対して韓国はかなり慌てており、ノ・ムヒョン大統領はじめ反米姿勢を転換している。小泉首相はアメリカ支持の声明で株を上げてテキサスの牧場に招待され有頂天になっている。このような親米政権の小泉首相にとっても、このニュースは寝耳に水だ。

日本政府としてはどう対応すべきだろうか。沖縄の基地問題から海兵隊に「いて下さい」とは言えないだろう。しかし北朝鮮問題があるから「出てゆけ」とも言うべきではない。日本政府としては「海兵隊の撤退をしぶしぶ承諾する」スタンスでいいのだ。このようにして米軍が自発的に日本から撤退するのが一番望ましい。

戦後の安保反対運動以来50年間も米軍は日本に居座り続けている。日本に米軍基地があるかぎり日本は米国の植民地であることに変わりはない。ベトナムや中央アジア諸国は植民地になりたがっているようだ。オーストラリアは米軍を歓迎するのだろうか。

一番疑問なのは、北朝鮮が核の保有を宣言したばかりの時期に、なぜ在韓米軍の撤退や、沖縄の海兵隊の撤退話が出てきたかと言うことだ。アメリカは北朝鮮の核保有を認めるというサインにとられかねないし、第二次朝鮮戦争を仕掛けているともとれる。

やはりこのニュースは、日本や韓国や周辺各国へのアメリカ政府の観測気球なのだろう。川口外相も慌ててアメリカ政府へ電話で問い合わせたそうだ。日本は北朝鮮問題をアメリカに丸投げせずに、積極的に対応せよとのサインともとれる。

ブッシュ政権としては2004年の大統領選挙を睨んで、北朝鮮攻撃のシナリオがあるのだろうか。イラク占領の次は、やれシリアだ、イランだ、とアメリカは騒がしい。アメリカは国策として戦争せざるを得なくなっている。場所はアメリカから離れた所なら何処でもいいのだろう。コロンビア大学の大西氏は次のように言っている。

(前略)それでまず率直に言わなければならないことは、日本ではずっと「親米派」であるはずの加藤駐米大使の発言さえ「穏健派」に映るほど、ここアメリカでの議論が右に偏っていることである。たとえば、アメリカ人はすぐに"制裁"を要求する。これは多くの場合軍事的なものも含んで語られているが、軍事的手段を過大評価するアメリカ(少なくとも現政権ではそう)にとれば、核開発宣言をした北朝鮮に対して日本は何もしていないように映る。「じっとしていれば今にも核武装して攻めてくる。どうするんだ!」と迫るアメリカ人の姿を何度か目撃した。やはり戦争を避けたい日本と戦争で被害を受けないアメリカとの客観的位置の相違を感じる。先月行なわれた『タイム』とCNNの世論調査ではアメリカ人の62%が北朝鮮の核施設の稼働には施設の軍事的破壊で答えるべきであると回答している。戦場化するのは遠い国のことと考えて「瀬戸際外交」をしているのはアメリカの側ではないだろうか。

(中略)さらにもうひとつ、アメリカ人の好戦的な姿勢の背景にあるとんでもない仮定にも驚いた。これは日本で報じられているのかどうか大変気になるが「北朝鮮の核武装絶対阻止」の彼らの根拠はそれを阻止できないと韓国も日本も核武装に進むからだという。これがアメリカの「東アジア専門家」によって語られているというのは恐ろしい限りだ。彼らは日本の世論状況を理解する力がないのか、それともその気がないのか。こうした説明を私は別々のセミナーで3度も聞いた。1度はそのロシア系シンクタンクの基調報告で、また2度目はコロンビア大学のセミナーの「東アジア専門家」の口から、また3度目は全米から集まった「東アジア専門家」の院生コンファレンスの報告者の口からである。信じられないが、これは特殊な見解ではない。一般的な見解となっているのである。(後略)

北朝鮮問題を巡るアメリカ人との認識ギャップ 大西 広


中国に始まる核開発はインドに飛び火し、対抗してパキスタンが核保有を始めた。北朝鮮の核武装を容認すれば、韓国、日本、台湾と核武装は広がる可能性がある。この意見は中国に対する牽制と言う意見もあるが、本当にそうなるかもしれない。

私は常々憲法改正、日本の核武装、米軍の日本からの撤退を主張してきた。この流れが最近になって急激に動き始めている。これで日本もやっと普通の国になれる可能性が出てきた。しかし政治家がボンボンでは一番危険なシナリオだ。




グリーンスパン議長はJPモルガンの
デリパティブの危険性を示唆している


2003年5月29日 木曜日

ニューヨーク、5月8日(ロイター)-JPモーガン・チェイスは銀行のデリバティブ・ポートフォリオ、およびそれが市場へ脅かすかもしれない脅威を、連邦準備制度理事会議長アラン・グリーンスパンが示唆した木曜日にスポットライトの下でそれ自体を見つけました。

100兆ドルを越えるデリバティブ・マーケットメークのJPモーガンズ28兆ドルのシェア、失敗するのに大きすぎる銀行と専門家は言いました。

2位の米国の銀行は、非常にデリバティブ市場を支配する一握りの銀行の間のリーダーです。また、グリーンスパンは、金融市場を中乱す会社のうちの1つの信用格付けの格下げのような問題が発生するかもしれないと警告しました。

JPモーガンは、グリーンスパンの発言に関してコメントすることを断わりました。

銀行のデリバティブ市場の役割は、それが企業アメリカおよび世界中でに深く浸透して、ウォールストリートを越えて伸びる金融関係を持っていることを意味します。

「JPモーガンが崩壊するので、政府はデリバティブ市場を崩壊させるつもりでありません」とリチャード・ボビー(ホーファー&アーネットを持った銀行アナリスト)が言いました。

グリーンスパンは木曜のスピーチで警告しましたが、「集中がこれらの種のレベルに達する場合、市場参加者は1人以上の主要なディーラーによって出口の合意を考慮する必要があります。」

中央銀行としての役割では、グリーンスパンは、急速に拡大するデリバティブ市場から彼が目を鋭く離さないことを世界に知らせています。

それは、再びグリーンスパンが株式恐慌を含む過去数年に打った、繰り返された衝撃に対して銀行を強化する際に、複雑なデリパティブが果たした役割を賞賛したと言いました、経済不況、破産および9月11日の攻撃をさします。

デリバティブは、利率と通貨からエネルギーおよび天候まで及ぶ証券あるいは他の変数の値に基づいた契約です。
それらは、危険を広げて、かつ大きなてこ入れされた賭けをするためにユーザに両方を与えます。

「彼は市場の問題を知っているようにしており、市場にそれらを修正させています。
高くした眉に多くの力があります。」ユージーン・ルートヴィヒは言いました、(リスク管理の業務執行役員、金融グループおよび通貨監査局の前任者)

JPモーガンに加えて、ドイツ銀行およびバンク・オブ・アメリカは、複雑な市場の主なプレーヤーです。

より長期的なので、ボビーは、メッセージが明らかであると言いました。
政府は、それがJPモーガンのようなそのような大規模な機関を失敗させなかったという暗黙の保証のために、そんなに危険が1つの銀行のバランスシートに座ることは望みません。

その最新の四半期のステートメントで、JPモーガンは、3月末日まで、それが取り引きしたパーティーによって先物期日でデリバティブ支払いで870億ドル借りがあったと言いました。
デリバティブは、数か月から数年まで、契約の持続にわたる支払いの交換を含んでいます。

まだ、市場は既に変わっています。

上級者は、ウォールストリートのトレーダーを交換します、利率が交換し、他のデリバティブ製品が、もっと商品化されるようになるとともに、「トップのディーラーはビジネスで(JPモーガンズ)外れるだろう」と言いました。


ロイター 2003年5月8日 クリス・サンダース&エリック・バローズ


アメリカは基軸通貨国の特権を利用して、紙に印刷されただけの通貨を好きなだけ印刷して世界中の物を買い捲っている。日本や中国もドルと印刷された紙切れを貯め込んでもしょうがないので、ドル札を米国国債に変えている。だから米国は赤字でも物が買えるのだ。そして日本は米国国債を売ることは赦されていない。

ところが最近はユーロが出現したことにより、貯め込んだドルをユーロに変える国が増えてきた。日本もヨーロッパと貿易すればある程度ユーロ通貨で外貨を持つ必要が出てくる。となると世界に流出したドルは還流せず米国の赤字の残高だけが増えることになる。

こうなるとドルが安くなり始め、大量の米国国債を抱えていたところは巨額の為替差損を被る。こうなると日銀は円高ドル安を食い止めると称して、強制的にドルを米国へ還流させてきた。この行為がアメリカ経済を日本が支えていると言うことだ。日本からの輸出がアメリカ一国に偏りすぎているからそうせざるを得ない。

拡大したEUはすでに経済規模でアメリカを上回り、総人口もアメリカより多くなる。だから目減りするドルよりユーロで外貨を持つ事が、ドルの暴落による為替差損を回避するために必要だ。つまりアメリカの日本への経済的脅しは効かなくなる。そして日銀はドルの買い支えはすべきでない。

日本の対ドル政策は中立を保ち、ユーロへ機軸を移してゆくべきだ。米国国債もドル建てから円建てへ変更を要求すべきである。アメリカは生産の中心を日本から中国へ移しているが、SARSなどの騒ぎをみると、中国の世界の生産基地化はリスクが大きいことがはっきりしてきた。政治も不安定でとても近代化は難しい。

さらにアメリカ経済が不況に陥り、輸入が落ち込めば、中国や韓国のような輸出比率の高い国はより経済的に落ち込む。日本の輸出産業もダメージを被る。アメリカに代わるべき輸出市場はヨーロッパしかない。日本経済はアメリカの言うことを聞き過ぎてガタガタになってしまった。

これからの経済戦略はユーロシフトである。ロシアのシベリア鉄道を通じてヨーロッパと一体化を構想すべきである。プーチンは韓国の釜山までシベリア鉄道を伸ばしてくるだろう。経済的にはユーラシア連合と一体化し、軍事戦略としてはアメリカと組んで一体化すべきである。このように日本外交は軍事と経済の二股をかけてバランスをとるのだ。

アメリカ経済はいよいよ崖っぷちに立たされてきた。FRBのグリーンスパン議長もデリバティブの問題を取り上げてきました。規模が100兆ドルと言いますから1京2000兆円だ。そのディリバティブ市場がクラッシュしたらLTCM破綻の数百倍もの公的資金で穴埋めする必要が出てくるだろう。つまりアメリカは破産する。

昨日はポール・クルーグマン教授の論説を紹介しましたが、これはまだおとなしい予測だ。エンロンやワールドコムといった巨大企業の破綻は序の口で、やがてはJPモルガンの破綻まで噂されるほどになってきている。アメリカのメガバンクがデリバティブで破綻するかの可能性はグリーンスパン議長の手腕にかかっている。




ポール・クルーグマンのニューヨークタイムスの論説
「米国の状況は10年前の日本に著しく類似している」


2003年5月28日 水曜日

先週末、国際通貨基金は、「デフレというタイトルのやや不吉な報告書を公表しました。
「決定要素、危険および政策選択」
その報告書は、ドイツが低下する価格のクラブで日本に加わるだろうということを示唆することにより、大見だしで報じられました。
アラン・グリーンスパンは、米国がデフレの切迫した危険にないと私たちに急いで再保証しました。
しかし、グリーンスパンノロジストは、彼が二股かけるように見えることを指摘しました。また、彼がさらに問題について議論しなければならなかったと感じたという事実は、彼が心配したことを示しました。

デフレの話は大気を満たしますが、ほとんどのその話はポイントから微細にしかし著しくあります。
差し迫った危険はデフレそれ自身ではありません;
それは、世界の主な経済が、それら自身が経済湿地の中に閉じ込められていたのを見つけるという危険です。
デフレは、汚物にしみ込む経済の徴候、およびそれがさらに深く沈む理由の両方でありえます。しかし、それは通常遅行指標です。
重大な質問は、私たちが湿地にまず第1にひょっこり入り込むだろうかどうかです?
また、危険は心地悪く高く見えます。

心配する特別のタイプの湿地は名前を持っています:
「流動性のワナ」
I.M.F.報告書が説明するとともに、デフレを心配する最も重要な理由は、それが流動性のワナに経済を押し込むことができるか、わなの中で既につかまれた経済の苦痛を深くすることができるということです。

ここに、理論上、それがどのように作動するかがあります。
通常デフレ?
価格のレベルで一般下落?
それは戦うのに容易です。
中央銀行(私たちの場合、連邦準備制度理事会に)はすべて行わなければなりません、より多くのお金を印刷し、それを銀行の手に委ねる。
手の中のより多くの現金で、銀行はより多くのローンを行ないます。利率は下がります。経済は元気になります。また、物価水準は落ちることをやめます。

しかし、万が一経済が、0%までずっと利率を押すことが完全雇用に経済を得るのには十分でない、深い不快にあったら、どうしますか。
その後、あなたは流動性のワナにいます:
経済に送り込まれた付加的な現金?
追加流動性?
報酬を受け取らなければ、お金を貸すことには、意味がないので、使用されていなく座ります。
また、金融政策はその有効性を失います。

一旦経済がそのようなわなの中でつかまれれば、それはデフレへ滑るでしょう?
また、不快なこと(I.M.F.報告書が「逆の力学」と呼ぶもの)が起こり始めます。
価格になることは、値をつける期待中のそれらの購入を延期するように人々に勧めます、今日要求を低下させて、さらに落ちるでしょう。

さらに、デフレは低下する価格と同様に収入になることを通常意味します。
デフレの経済では、家を買うためにお金を借りる家族は多分それ自体を縮む給料からの根抵当権支払いを払わなければならないと分かるでしょう;
投資に融資するために借りるビジネスは、多分それ自体を縮むキャッシュ・フローからの固定金利を払わなければならないと分かるでしょう。

言いかえれば、デフレは借入れ、および支出(前進するために圧迫された経済が必要とするまさにもの)に水を差します。
また、経済が流動性のワナにある場合、当局は利率を引き下げることによりデフレの抑圧効果を相殺することができません。
したがって、悪循環は発展します。
デフレは増加する失業で落ちる生産能力利用に結びつきます。それは価格と賃金に、より下方への圧力をかけます。それはデフレ(それは経済をもっとその上低下したする)を加速します。
そのような「デフレ・スパイラル」の見通しは、デフレの単なる見通しではなく、I.M.F.を脅えさせるものです?
また、それはするべきです。

10年前に、これらの恐れはすべて単なる理論的な推測として片付けられたかもしれません。
しかし、日本では、ちょうど理論が予言するように、全体の不快なシナリオは外に遊んでいます。
また、約5年前に、私および他の経済学者は、日本で起こることができることが他のところに起こるかもしれないことを指摘する学術的な書類を書き始めました。
(I.M.F.報告書の一部は主題の私の研究に近づきます。)

そうすると、私たちは、どれくらい真剣に世界の他の主な経済で類似したことが起こるという危険を冒さなければなりませんか。
アメリカもヨーロッパも、ドイツの外で、1,2年で重大なデフレを経験しないでしょう。
しかし、それは間違った問題です?
また、私たちは、日本の経済疾病が全面的なデフレに変えるべき長い時間をとったと心に留めておくべきです。

実際、日本の大災害がこれほど徐々に展開したのは著しい。
いつ、1980年代爆発のストックバブル、日本の経済は崖から落ちませんでした。
一般に、経済は成長し続けました、場合、ゆっくり、また、国家は1998年まで厳しい景気後退を行っていませんでした。
しかし、年々、日本はその可能性未満で成長して過小操業しました。
しかしながら、日本政府は、通常のツールを使用して、経済を刺激しようとしました?
赤字財政支出、利下げ?
それは十分ではありませんでした。
1995年程度までに、経済は流動性のワナへ滑りました;
1990年代の終わりまでに、それはデフレ・スパイラルを始めました。


アメリカの状況は、10年前に日本のそれにいくつかの道において著しく類似しています。
1993年または1994およそ日本のように、アメリカは、今大きな株式市場泡の余波に面しています?
日経、およびそれぞれのピークの前の5年で3倍にされたS&P500の両方。


さらに日本のように、私たちは、急な下降のではなく執拗な能力不足の問題に直面します?
成長する経済、また増加する失業を防ぐことができない(しかし、あまりにもゆっくり生産能力利用になるので、)こと。

異なることは、私たちが警告の例として日本を持っているということです。
警戒は武装なりである?


グリーンスパン氏がいかなる安心を提示しても、連邦準備局のスタッフはアメリカのために日本のシナリオを非常に心配します?
関係はそれらの研究アジェンダに反射しました。
昨年公表された日本の経験に関する主な研究では、連邦準備局の経済学者は2つの重要な結論に達しました。
最初に、もし政策決定者が十分に積極的ならば、日本は、その現在のわなを十分にすぐに回避することができたでしょう。

しかし、それらが危険を悟った時までに、それは遅すぎました。
次に、日本人は愚かではありませんでした:
1990年代の前半のそれらの比較的用心深い政策は、感覚を自分の予測だけでなく独立したアナリストのものも与えられたしました。
しかし、予測は間違っていました?

また、日本人は、それらが間違っているかもしれない可能性に対する保険を十分に取得していませんでした。

連邦準備局はこれらの結論を心に留めました。
一旦米国の経済がふらつき始めたならば、それはその問題を追い越そうとして、レートを初期にしばしば引き下げました。
それらのカットは、確かに急落を緩和するのを支援しました;
しかし、このポイントでは、1.25パーセントまでの翌日物金利で、連邦準備局は、カットするべき余地を、ほとんど使い果たしました。
(連邦準備局の職員は、技術的な理由のために、0.75以下に行くことが逆効果だろうと信じます。)
また、経済は弱いままです。

連邦準備局は、まだその袖を上へいくつかの策略を行っています。
今、インフレ目標を発表する非常によい時間になるでしょう。
しかし、さらに、連邦準備局がある支援を使用することができたことは国内と海外で明らかです。
悲しいかな、それはその支援を得ていません。

連邦準備局のヨーロッパの相当物(欧州中央銀行)は切断するレートにはるかに精力的ではありませんでした。
この受動性の経済理由、制度上の理由および心理学の理由があります。しかし、中央銀行の不動は、ドイツが日本のあとについて行く準備ができていたように見える、1つの主な理由です。
ヨーロッパの政府はあまりまた支援ではありません。
「安定協定」(それはそれらが実行することを許される赤字のサイズを制限する)によって結ばれて、それらは消費をカットしており、まさにそれらの経済がふらつく時、税を上げています。

ブッシュ政権は、赤字にもちろん、顕著に無関心です。
パイプライン中の減税はまさに経済が必要とするものではありませんか。
少しもなく翼状突起。
巨大なサイズにもかかわらず?
あなたが種を無視すれば、最新の丸は次の十年間の間少なくとも8000億ドルかかるでしょう?
それがそれを必要とする場合、それらは今、経済に比較的わずかなお金を注ぎ込みます。
さらに、減税は主として流れます、に、非常に豊富?
それらの幸運を費やすであろう人々。

その間に州および地方自治体(それらは赤字を出すことを認められない)?
私たちは、安定協定の自分のバージョンを持っています?
力尽きて上げる税を大幅切り下げしています。
また、支出削減と増税の両方は主として最も脆弱なものに降りかかるでしょう、既存の貯蓄に近づくことにより違いを生ずることができない人々。
結果は、州削減(単にわずかに、新しい徴税令状に含まれていた無価値の援助によって緩和された)からの経済下降気流が、ほとんど確かに連邦の減税からのどの押し上げより強くなるということです。

要するに、我々は、そのグローバルな絵はかなり臆病であると分かります。
政策決定者は通常のアジェンダで夢中です;
連邦準備局の外部で、それらのどれも、何が危うくなるかもしれないか理解するようには見えません。

もちろん、それは恐らく可能です、ありそう、それらの無頓着が立証されるでしょう。
ほとんどのアナリストは、私たちは私たち自身が流動性のワナの中でつかまれていたのを見つけないだろうと思います。
また、連邦準備局さえ信じます?
あるいは、それが望むということである?
企業投資中の急増はその日を保存するでしょう。

しかし、ほとんどのアナリストは、日本の湿地が来るのを見ませんでした。また、今私たちが同様にわなに掛けられて、私たち自身を見つけるという重要な危険があります。
それでも、私たちはすぐにデフレを持たないでしょう。
しかし、私たちが行う時までに、それは逆に非常に困難でしょう。

連邦準備局のように、私は、それが起こらないことを望みます。
しかし、希望は計画ではありません。

ニューヨークタイムズ 2003.5.24より要約の原文


昨日の「ニュースステーション」を見ていたら、ホール&オーツが出演していたのでびっくりしてしまった。その中で1曲目は「プライベートアイズ」であと新曲を1曲披露していましたが、ダリル・ホールの歌は全盛期と全く変わらぬ調子でした。

私はホール&オーツのファンでLPやビデオを今も持っており、時々聞いている。LPはプレーヤーが壊れて捨ててしまったので聞けない。その他にドゥビーブラザース、オールマンブラザース、スティーリーダン、ボズ・スキャッグス、サンタナ、ブラッド&スウェット&ティアーズなど白人系ロックアーティストのLPが30枚ぐらい、段ボール箱に入れてしまってある。

そのうちにパソコンでCDに焼きなおしてみたいと思っています。アメリカのサウンドは1970年代を中心にしてピークを迎え、最近ではほとんどめぼしいアーティストは出てきてはいない。そして後に残るのは本当に良い本物だけが残る。そして残れるのはなぜか。それを支えるファン層があるからだ。

年月がこのように本物とニセモノをより分けてゆく。経済学界でも同じだ。私が最近読んだ経済学書で名前をあげると、リチャード・クー、P・クルーグマン、スティグリッツ、リチャード・ヴェルナーなど外人ばかりだ。昨日は伊藤元重教授を批判したが、彼はクルーグマンもどきであり、他にも日本にはスティグリッツもどきや、サミュエルソンもどきがいっぱいいる。森永卓郎氏はヴェルナーもどきだ。

日本には経済学者が星の数ほど沢山いる。しかし後世に名を残す経済学者は今のところいないだろう。ポール・クルーグマン教授が指摘しているとおり、日本が抱えているデフレこそが、現在の世界の一番の課題だ。このように日本は現場の最前線にいるにもかかわらず、日本の経済学者は何一つ処方箋を書けないでいる。

クルーグマン教授が提案したインフレターゲットがいいのか。それともマイナス金利政策の減価してゆく通貨を発行するのがいいのか。政府紙幣で公共事業をやるのがいいのか。いろいろな経済政策が提案されている。それらに対し財務省や日銀は全く相手にしていない。この事は、彼らは教科書に書かれたことしか理解できないからだ。

戦前においては、高橋是清大臣が世界で一番早くケインズ政策を実行し不況から切り抜けた。このような叩き上げの経済人でないと、本当の経済のことはわからないのだろう。竹中平蔵大臣のような、象牙の塔の学者先生では、学生向けの教科書を書くのが精一杯なのだ。




マクロ経済がわからないと構造不況が解決できない。
「ミクロの総和がマクロではない」と理解するべきだ。


2003年5月27日 火曜日

   ●不良債権処理をすればするほど処理は遅れる。
   ●不良債権処理をしなければしないほど処理は早まる。

   ●個別銀行は不良債権処理した方が得である。
   ●一国全体では不良債権処理をすると損である。


このことは、詳しくは、後日また書くつもりだった。ただ、私がそう思っているうちに、リチャード・クーが新刊書で、「合成の誤謬」というケインズ派(サミュエルソン)の用語を使って、さっさと説明してしまった。(ぐずぐずしているうちに、先を越されてしまった。) ま、リチャード・クーの説明は専門的なので、私がわかりやすく説明しておこう。 基本的な原理は、11月05日 でも示しておいたとおり、「経済的なマジック」である。(これは「合成の誤謬」と同じこと。)

その本質は、一人一人にとってベストな行動の総和が、全体にとってベストな行動とはならない、ということだ。例を挙げると、劇場のパニックがある。一人一人は、われ先に逃げ出そうとして、狭い出口に殺到した。あげく、ふん詰まり状態になって、誰一人逃げ出せないまま、全員、焼け死んでしまった。……つまり、一人一人がベストな行動を取ろうとしたせいで、全体では最悪な結果となった。

不良債権処理も、同様である。個々の銀行は、自社の利益をめざして、不良債権処理を進める。しかし、国中の銀行がそういう行動を取れば、不況がどんどん深刻化する。いくら不良債権を処理しても、さらに次々と不良債権が発生していくので、不良債権は減るどころか増えていく。「ミクロの総和がマクロではない」と理解することが大事だ。 (この意味で、「自由放任にすれば経済は最適になる」というのは、とんでもない妄想である。上記の劇場の例を参照。)

 【 追記 】
別の例もある。ペイオフ実施の場合だ。ゼロ金利のときに、あえてペイオフを実施する。となると、国民各人の最善の行動は、銀行から預金を引き上げることだ。(遅れた人は金をもらえないので。) しかし、国民全員がその行動を取れば、国家経済は破綻する。全員が最善の行動を取れば、国家的には最悪の結果となる。

●ニュースと感想 2001年11月21日 南堂久史


南堂久史氏の日記を、時間がある時に読んでいるのですが、同じ時期の私の「株式日記」を読むと、ほぼ同じ主張をしている。しかし私の場合は担当分野が幅広いので、断片的にしか解説が出来ていない。もちろんリチャード・クー氏の「日本経済生か死かの選択」もとり上げて解説している。2001年11月の私の日記から幾つか取り上げると次のとおり。

若手政治家や学者が銀行・ゼネコン・流通・不動産などだめなところを潰せと主張しています。しかしいま重病患者を手術をしても死んでしまうだけだ。橋本内閣のときも手術しかけましたが患者は死にかけて中止しました。今は栄養剤を打ち続け患者の回復を待つだけの方法しかない。(11月4日)

テレビ東京のWBSで東京大学教授の伊藤氏がペイオフ延期は海外の信用を無くすと実施を主張している。誰もが銀行は危機的状態であることを認識しているにもかかわらず、ペイオフが実施されたら大口の企業預金が銀行から流出するだろう。その分銀行は貸し出しを回収する必要に迫られる。すでにその影響が出始めているから麻生政調会長は延期を言い始めたのだ。(11月6日)

(日本の構造改革論者や不良債権処理論者は早くこの事に気が付いてほしいものだ。不勉強な学者たちやマスコミは間違っている。1997年の橋本内閣の過ちを再び繰り返そうとしている。リチャード・クー氏の著書と同趣旨の論文は最近アメリカで賞をもらったそうです。バカな日本の学者は見習ったらどうでしょう。)(11月7日)

(テレビをつけるたびに金融テロリストたちに操られた政治家や学者やジャーナリストたちから不良債権を早く処理しろとか、企業淘汰が構造改革だ、とか何度も語りかけてくる。それに反論すると構造改革を遅らせるものだ、と言ってくる。彼らは何もわかってはいない。日本経済を破局に追い込むことが彼らの利益だからだ。)(11月11日)

今一番政府がしなければならないことは、どうしたらデフレを止め、消費を増やし、景気を回復させるかだ。そのためには思い切った財政政策が必要だ。日本の有識者たちが思い切った財政政策を提言しています。メンバーとして加瀬英明氏、丹羽春喜教授、小沢辰男議員、加藤寛教授、平沼赳夫議員、評論家の三宅久之氏ら日本を代表する有識者が推薦しています。一度以下のホームページを見てください。(11月18日)

http://www.tek.jp/p/

私は前から公的資金で買い取るしかないと書いてきました。株式買い取り機構も提案してきました。株式買取機構は来年発足しますが中途半端なものになりそうだ。さまざま細かい点で問題はありますが、持ち合い構造を変えるにはそれしか方法がない。個人が受け皿になるには税制で優遇しなければ可能性はない。年金資金もリスクのある株を買うには量的に限度があります。(11月28日)


2年前の日記を見ても私の主張にはいささかのブレがない。日本のバカな学者やエコノミストを非難攻撃していることも変わりがない。やはりバカは死ななきゃ治らないのでしょうか。マクロ経済というのはポール・クルーグマンやJ・E・スティグリッツやP・サミュエルソン教授の本などを読めばわかりますが、朝日ジャーナリズムや、東大や慶大の大学教授では理解できないのだろう。日本からはノーベル物理学賞を取る人がいても、ノーベル経済学賞を取る人はいないだろう。

以前はテレビ朝日の「サンデープロジェクト」にリチャード・クー氏も出ていましたが、最近は田原総一郎氏に遠ざけられています。このように日本ではマスコミによってマクロ経済学者は日陰者にされている。このような状況だから、海外のマクロ経済学者を表に立てて主張せざるを得ない。日本にも優れたマクロ経済学者がいるのですが、マスコミと学会により弾圧されているのだ。

日本のマスコミと学界は、政府の御用学者と提灯持ちによって占められている。だから何時までたっても解決策が見つからないのだ。構造改革が必要なのはマスコミと経済学界だ。東大の伊藤元重教授も「マクロ経済学」と言う学生向けの教科書を書いている。どうやら伊藤教授が日本のマクロ経済学の権威らしい。

しかし伊藤教授が言うごとくペイオフを実施していたら、今ごろ日本はどうなっていただろうか。「りそな」に取り付け騒ぎが起きていただろう。日本のマクロ経済学の権威ですらこの程度なのだ。リチャード・クー氏はペイオフ解禁を「基地外沙汰だ」と指摘していた。植草一秀氏もペイオフ解禁には反対していた。日本でまともなマクロ経済学者はこの二人しかいない。

一昨日の25日の日記で南堂氏はペイオフについて次のように指摘している。

彼の主張するように、「経営不安だから預金を引き出す」とすれば、その金は、タンス預金ではなくて、健全銀行か郵貯に向かうはずだ。「不健全な銀行がどこかにあるから、健全な銀行から預金を下ろしてタンス預金を増やす」ということは、ありえない。そんなことをするのは、腐ったリンゴとまともなリンゴの区別のつかない阿呆だけだ。
 現実には、「不健全な銀行 → 健全銀行 or 郵貯」という資金の移動は、ほとんど起きていない。では、なぜか? ペイオフ延期のおかげだ。ここが肝心だ。
 だから、正しくは、「ペイオフをやるな」というのが結論である。「(ペイオフをやるために)公共資金を投入せよ」というのは、狂った結論なのだ。論理の倒錯。(彼の主張は、すべてそうだが。)


●ニュースと感想 2003年5月25日 南堂久史


小泉首相や竹中大臣などの構造改革派の言う事は、支離滅裂であり論理が矛盾している。だから2,3年たつとボロが出て主張をコロコロ変える。私の主張は何年間も終始一貫している。景気対策が優先されるべきであり、構造改革や不良債権処理は景気が回復するにしたがって進むのだ。




天皇の祖先は朝鮮人か? 韓国の異常な
国民性は小学校からの教育に原因がある


2003年5月26日 月曜日

『日韓大討論』の「まえがき」を書いたのは金完燮さん、「あとがき」は私だが、金さんの近況報告を綴ったこの「まえがき」を読むだけで、国家権力を挙げての迫害と有罪処分にこの国の目をみはらせる異常ぶりをあらためて知り、慄然とするものがあった。今年の三・一独立運動記念日には、ソウルの都心で「金完燮火刑式」が開かれ、彼に反対する街頭デモが行われたそうだ。

 検察は刑法で彼を裁けないので、歴史上の人物である閔妃の「死者名誉毀損罪」という韓国に特有の法律を持ち出して、閔妃の八親等内の子孫をみつけ出して告訴にこぎつけるという手のこんだ遣り方であった。加えて「外患誘致煽動罪」という国事違反でも裁こうとした。後者は罪になると死刑か無期である。幸い2月に下った判決は700万ウォン(約70万円)の罰金刑ですんだが、有罪は有罪である。他の反日団体が有罪判決に鼓舞されて、新たな訴訟を次々と準備しているという。裁判所は彼の身辺保護要請を無視しているので、彼は身の危険をかんじているらしい。2月の判決の日には、法廷の外で待っていた閔妃の後裔によって、金さんは激しい暴行を受けた。

(中略) 「他者としての朝鮮半島」では金完燮さんへの国家的迫害がなぜ起こり、反日の構造がどういう歴史文化に由来するのかを考察してみた。元東京銀行ソウル支店長湯沢甲雄氏の証言と分析をまず紹介した。さらに日本民族のルーツは朝鮮半島であり天皇家も半島に由来するという韓国の古代史ブームの動機をとり上げた。日本人は5〜6世紀に半島から逃亡した食いっぱぐれの流民たち、罪人、浮浪者を前身として構成されたので、韓国民の賤民階級のさらに下に位置する奴隷階級とみなされて当然であるという、李朝以来の固定観念、起源がより上位に立つという儒教朱子学の宗教感情の病理をいろいろ考察してみた。(後略)


西尾幹二のインターネット日録 平成15年5月25日


去年の2002年日韓ワールドカップは、様々な形で韓国の異常さを日本人に印象付けた。普段はテレビのニュースやバラエティーなどで韓国が紹介されるのを見る程度なのだが、ワールドカップでは多くが実況中継された。実況だとニュースなどではカットされる画面が見れる。そして、いかに日本のマスコミが脚色された韓国を紹介しているかがわかった。

NHKのW杯の開会式を見ても、かなり無理をして事実を見せまいと工夫を凝らしていた。それでも異常な形の日章旗や、金大中大統領の韓国5000年の歴史発言など、実況だとそのまま伝わってしまう。この韓国5000年の歴史も、小学校の歴史教科書で教えられていることだ。檀君神話を事実として教えているらしい。紹介すると次のとおり。

今から4300年程前、壇君は阿斯逹に都を定め、古朝鮮を築いたという話が我々の祖先が書き残した歴史書に出ている。壇君は国をおこし、「広く人間のために利益をもたらす」という理念のもと、国を治めた。この時から、我が民族はひとつに団結しはじめ、しだいに広く勢力を伸ばしてきた。 壇君が国をおこした話は、我が民族の長い歴史を物語るとともに、民族の源流を考えさせる話として、今日まで大切に伝えられている。またこれは、我々が苦難に遭遇するたびに民族の精神的な柱となり、民族精神を目覚めさせてくれたのである。

このように神話を「祖先が書き残した歴史書」と誤魔化している。そしていきなり百済、新羅、高句麗の三韓時代に3000年近くも歴史が飛んでしまう。実際には朝鮮民族、朝鮮語が形成されたのはこの頃らしい。紀元前後の三韓時代になって始めて中央集権国家が形成された。7世紀に新羅によって三韓は統一されましたが、実際には中国の隋と新羅は手を組んで統一された。

その後の新羅は高麗となり李氏朝鮮となった。李氏朝鮮の成立も中国の明の手を借りている。その間の朝鮮は中国とモンゴルの間接支配を受け続け、その状況は今も大して変わってはいない。しかし韓国の小学校の教科書では高句麗王朝として書かれている。新羅も李氏朝鮮も中国の柵封体制であるとは一言も書かれてはいない。

古朝鮮を創設した様々な部族国家は、互いに競争しながらしだいに強い勢力を持つ中心に団結し、より大きな国を築いた。これらが高句麗、百済、新羅の三国である。三国は互いに国力を育て立派な文化を花開かせた。高句麗では、広開土大王のような指導者が現れ、東は東海岸、西は遼東地方、南は漢江下流、北は北満州まで領土を広げた。満州地方まで占有した高句麗は、都を国内城から平壌へと移し、南へと領土を広げてきた。百済では、近肖古王の時、現在の京幾道、忠清道、全羅道地方を支配した。そして、中国、日本と往来しながら広い地域を百済の勢力圏に置き、海上貿易を行った。日本に学者を送り学問や技術を教えたこともこの時代のことである。

韓国の教科書では、中国との関係はあまり触れない反面、日本との関係は多く書かれている。日本の歴史教科書とは大分趣が違う。日本に対するコンプレックスを抱かないために、強調しているのだろう。整理項目として次のように書いている。

1、わが祖先は、日本の古代文化の発展に大きな役割を果たした。

 (1) 三国の芸術が日本に伝わった跡を様々な所で発見することができる。

 (2) わが祖先は、日本人をして文化と学問に覚醒させた。

2、わが祖先は早くから海外活動に積極的に取り組み成果の花を開かせた。

 (1) となりの国との活発な貿易をするために南海の制海権をつかんだ。

 (2) 他の国にわが国民が住む居住地をつくるなど海外進出が活発だった。

3、朝鮮時代にも、日本にわが国の文化を伝達した。

 (1) 日本は、文化的に発達したわが国との交流を願っていた。

 (2) 朝鮮通信使は日本の文化的な発展に大きく貢献した。


韓国の小学校の歴史教科書を眺めてみると、対日本関係の事が半分近くを占めている。しかも日帝支配に対するプロパガンダだ。内容については小学校からこのように教えられている事はかなり恐怖感を覚えます。日本政府やマスコミは何故抗議をしないのか。整理項目として次のように書いている。

1.日本帝国主義はわが国の主権を奪い、わが民族を過酷に弾圧した。

 (1) 朝鮮総督府は、わが国を武力で統治した。

 (2) 日帝は我等の財産をやたらに奪った。

 (3) 日帝は、わが民族の生活の基盤や精神までをも奪おうとした。

2.わが民族は日本帝国主義の侵略に屈せず頻繁に独立の意志を見せた。

 (1) 3・1運動は民族が団結して起こした独立運動であった。

 (2) 3・1運動以後、独立運動を続けるため臨時政府を樹立した。

3.民族の独立運動は国の内外で、様々な方法で展開された。

 (1) 海外では、独立運動のための武力闘争が続けられた。

 (2) 国内では、民族精神を培う運動が展開された。


このように日本語に訳された韓国の小学校の歴史教科書を見ていると、歴史教科書と言うより政治プロパガンダを、幼いうちから叩き込んでいる。内容を見ていてもかなり歴史が改竄されている。韓国や中国が、日本の歴史教科書に対し異常な神経を尖らすのも、自国で教えている歴史教科書の内容が改竄されているのが、ばれてしまうのが恐ろしいからだ。

西尾幹二氏と対談したキムワンソプ氏は、このような教育を受けた戦後世代ですが、オーストラリアに留学して、歴史の真実を知りショックを受けている。海外へ留学している多くの韓国人留学生はこの事実を受け入れられず、大学教授たちとトラブルを起こしている。

このような場合、転向するか、徹底的に抵抗するかのどちらかだが、キム氏は転向した少数派だ。そのようなキムワンソプ氏への思想弾圧はかなり厳しいものだ。この原因は韓国の歪んだ歴史教育にある。まさに戦後教育を受けた韓国の若者はヒトラーユーゲントみたいなものと見ればいいのだろう。いちど韓国の小学校の歴史教科書を見てください。

韓国の歴史教科書(小学校)日本語翻訳 





情けない日本のシンクタンクの実態
我が「株式日記総研」はボランティア

2003年5月25日 日曜日

(前略) 笑止、である。 その小冊子を見る限り、有用な分析はほとんどないのである。 その豪華版とでも言うべきものを18万出して買えというのである。 「なるほどシンクタンクというのはこのようにして儲けているのか。」と僕は理解した。 そのやり方たるや、一昔前の右翼が名簿業者から入手した資料を元に、企業へ勝手に機関誌を送りつけては法外な金を請求していたのに近いものがある。

シンクタンクもピンキリである。 中でも最大手に位置づけられるのはやはり富士総研やUFJ総研など銀行系のシンクタンクであろう。 ニュース番組などを見ていると、よくこうした組織に属するアナリストなんかが、今後の経済見通しについてのコメントなんかをしていたりする。 こうした銀行系シンクタンクは文字どおり同名の銀行とズブズブの関係である。 彼らがいかに利益をあげるかについての例を公共事業に見ることができる。

その典型が地方の港湾整備や空港建設などである。 この場合○×総研は新たに港湾を整備した場合あるいは空港を建設した場合の利用客数などを周辺の人口分布や地域特性を元に試算する。 そこから年間の収益予想を算出し、新設する施設の規模などを決定する物指しとなる詳細なレポートを作成する。

地方自治体はこうしたレポートを元に事業規模を決定し、融資を受けるわけだが、この場合融資するのは当然のごとく○×銀行というからくりである。 そしてまた、こうしたシンクタンクの試算は、実際にそうした港湾や空港が整備されてから利用客数を調査してみると、多くの場合彼らのはじき出した数字よりもはるかに少ないものであったりするのである。 いわゆるハコモノ行政の成れの果てだ。

当然地方自治体の財政は悪化し、やがて我々の血税が財源である「国からの補助金」でもって損失を補填され、結果儲かったのは銀行だけで、割を食ったのは善良な一般国民という「当然の帰結」となる。 このように銀行系のシンクタンクは系列の銀行が金を貸し付けるための下地をつくるために存在していると言っていい。 しかも本来不必要な金をなるべくたくさん借りさせるための。(後略)

「亡国のシンクタンク」 ASIAN ANTIQUE  

バブルの頃から日本でもシンクタンクの言葉を耳にするようになった。アメリカから入ってきた民間研究所のことですが、日本では大手企業が格好をつけるために作られたところが多く、バブルの崩壊と共に真っ先にリストラの対象となった。先日まで「○×総研」と名乗っていた人が大学教授へ転進する人が多い。

日本のシンクタンクは「亡国のシンクタンク」のコラムにあるとおり、公共事業など大型プロジェクトなどのハク付けのためのレポートなどを作っているようだ。何のことはない右翼暴力団が発行している雑誌を、企業などに押し売りしていたのとたいして構造はかわりがない。少し品が良くなって、財閥系の名と研究所を名乗れば役所への印象が良くなるからであろう。

だから日本のシンクタンクは、本場のアメリカのシンクタンクとは全くレベルが違うのは当然のことだ。日本の中央官庁に代わるべき機能をアメリカのシンクタンクが果している。だから政権の交代と共にシンクタンクの隆盛も決まる。このようなシンクタンクの風土を宮崎正弘氏は次のように書いている。

いまひとつの驚きは一人一党ならぬ一机一研究所という小さなシンクタンクもあり、たとえば故レイ・クライン元CIA副長官が主宰の「グローバル戦略研究所」には机ひとつで間借りのアラブ政治なんとか研究所とかテロリズムなんとか研究所とかが寄生していた。クレアモント研究所にも立派な機関紙を発行するアメリカ憲法研究会とかいう一人か二人のシンクタンクが付着していた。

こうして米国でのシンクタンクは弱肉強食にして戦国乱世。ネオコンがつどうPANCなんて誰も知らなかったのは当然で一人一党組を含めると数百どころか数千のシンクタンクが星雲のごとく存在し、生々流転が激しいのである。PANC(プロジェクト・フォー・アメリカン・ニュー・センチュリー)とて出版物の少なさや行事の少なさをみると、マスコミが喧伝するほどにネオコンに実力が付帯しているとはとても信じられない。ふとシンクタンク論議を訊いていてそのことを思い出したのだ。

宮崎正弘の国際ニュース早読み 平成15年5月7日号

おそらくシンクタンクの原型は著述業だろう。出版する本やレポートが売れなければ廃業になる。実力があるのならシンクタンクの研究員でなくとも、フリーライターでもいいわけだ。しかし一人では研究できる分野が限られ、大規模な研究はシンクタンクでなければ出来ない。

このような大規模な研究のための研究員が日本では揃える事が出来ない。それだけの育成システムが出来ていないからである。アメリカでは一人一机の零細研究所が数千もある。私のような自称シンクタンクはその数十倍あるだろう。ブルッキングス研究所の中野有氏は次のように述べている。

(前略) 今回のブルッキングスの遠征では、一日に2時間のセミナーを2−3回、5日間連続でこなすのである。そうなれば準備をしている時間もないので、自ずとじっくり熟成された構想を原稿なしで語ることになる。構想は、会合を重ねるほど着実に成長していく。構想が練られることにより、自信がつきさらにチャレンジ的な発想が芽生える。聞いている人に感動を与える構想とは、このように成り立つのだと思われる。

 明治維新にもきっと、このような場があったと思われる。開国か攘夷か。そんな危急を要する情勢において構想と実現のための青写真を描いた竜馬をはじめとする志士たちは、人物に次から次とめぐり合い、構想に磨きをかけたのだろう。ブルッキングス研究所の遠征では、うきうきする開放感があった。会議に出席し、発表することにより新鮮な発想を呼び起こすという喜びである。

 満足感とは、「起承転結」の中でもとりわけ「結」に到達したときに得られるように思われる。ある尊敬する経済学の先生から、「中野君の話は、起から結にすっと飛んでしまうので消化不良になる」と指摘されたことがある。分析力が足りないと指摘されたのであるが、名誉なことだと思っている。何故なら日本の議論は、起承転で終わってしまい結論、すなわち、何をすれば乗数効果が得られるのかという、発展の原動力を享受することが稀なのである。日本の会議やディベートでは、攻撃や受身的な説明や分析に終わってしまう場合が多いように思われる。途中経過なんてどうでもよい。とりあえず明確な構想が生み出さればよいのである。(後略)

成長を促す全米シンクタンク他流試合の旅 中野 有

中野氏が指摘するように、日本には天下国家のことを考える「憂国の志士」が非常に少ない。私の学生時代や会社員時代の経験からすると変人奇人扱いされるだけだ。教育の風土が全く違うからだろう。若い人の政治経済に関するサイトも非常に少なく、あっても就職と共にサイトも終わりとなる。これではアメリカとの言論の戦いでも負けるのは物量的に必然である。

日本はアメリカのシンクタンクの研究員からこうしろ、ああしろ、とレポートを出されて、政治家や官僚は言いなりにならざるを得なくなっている。日本には政策提言の出来る学者、文化人、ジャーナリストはいない。いてもアメリカの受け売りばかりだ。しかも間違っている。私は蟷螂の斧よろしく、キッシンジャーやブレジンスキーに対抗しているつもりだが、多勢に無勢だ。

国会内をうろつく中国帰りの3バカトリオ(写真)



日本の株主総会はなぜ空洞化し、
銀行の改革が進まないのか。

2003年5月24日 土曜日

(前略) 筆者は、営業部長や支店長時代にその実態をまざまざと見せられた。あるメーカーX社で、株主総会を目前に社長の再任をめぐり内紛が起きた。反対派は社長の解任動議を提出するという。役員OBやグループ全体を2分する大騒動になり、2%の株式を持つ長銀にも両派から委任状交付の要請があった。反対派はすでにかなりの委任状を集めており、長銀を含む取引銀行3行が委任状を会社(社長派)に渡さしさえしなければ総会本番での勝算があるという。反対派の理由にも説得力がある。

銀行は平常時であれば、無条件で委任状を取引先に渡す。日本ではこの「大人の」大株主からの委任状こそが経営者の生命線である。しかし、今回は委任状を取引先に交付すれば、現経営陣グループに加担することになるし、渡さなければ反対派に組することになる。筆者は悩んだあげく、結局メインバンクA行に相談した。いざというときは、メインバンクにゲタを預けるのが昔からの銀行界のしきたりだ。

「お恥ずかしいところをお見せして申し訳ない。当行でも困っているところだが、必ず責任を持って処理します」カウンターパートの部長は頭を下げたが、話し振りではこの銀行にも両派から激しい工作が仕掛けられ、役員間で意見が対立しているようだった。

数日してA行の部長から電話があり「現職支持ということでお願いしたい。行内の意見も一致しました」といってきた。早速委任状をX社に持参したが、総会まで数日というギリギリのタイミングだった。結果的にA行は、取引主要3銀行分の株主議決権を行使したことになる。

社長を含むX社の現経営陣はメインバンクのA行には一生足を向けて寝られないはずだ。そして、A行の中でも現職派を支持した役員はX社から大感謝され、逆に行内では責任を持たされることになる。銀行間でも同様で、取引銀行はA行に対して「X社については貴行が今後いい思いをする分、責任も増大するよ」という暗黙のプレッシャーをかけるのである。

(中略) もちろんこんなドラマティックな事件ばかりではないが、銀行はメイン取引先と、長い歴史の中で属人的要素を土台にした特別に親密な関係を築き、一方でほかの銀行に対して全責任を負うという日本独特のシステムが出来上がった。つまり銀行にとって、メインバンク制度は光と影、プラスとマイナスの両面を持つ両刃の剣である。

バブル崩壊まではメインバンク制度の「光の時代」だった。メインバンクは天下り先として役職員を送り込み、取引先からは役員子弟の採用を引き受ける。資金調達力の弱い企業に対しては財務部長や財務担当役員を派遣し、首根っこを押さえてしまう。財務課長が飲み屋でクダを巻くのはこのためだ。(後略)

ビジネストレンド 「メインバンク制度を打ち壊せ」 箭内 昇

日本の銀行がなかなか改革できないのは、株主のチェックが出来ない仕組みになっているからだ。銀行の大株主は大企業がなっているが、その大株主が弱みを握られて銀行経営に口出しできないシステムが出来上がってしまっているからだ。箭内氏は長銀の役員として自身の経験談を語っている。

株式会社の経営者は、大株主である銀行に株主総会の季節が来るたびに、頭を下げて白紙委任状を取り付けなければならない。ほとんどが大口の融資を受けているからなおさらだ。とても銀行に経営改善をしろとは言える立場ではない。だから大銀行の株主総会はいつも無風状態だ。

企業側が銀行の厳しいチェックを受けて、経営改善や役員の交代が行われるのに比べ、大銀行は監督官庁の指示以外は何もおそれるものはない。バブル崩壊以降、銀行は激しい世論の攻撃を受けているが、経営改善の歩みは遅い。銀行のリストラは最近になってようやく動き始めたが、一向に良くはなっていない。

大銀行への公的資金注入も、政府が大株主になることにより、ようやく株主総会が機能し始めたと言える。政府や大蔵省は、銀行経営に問題があるのなら最初から公的資金を注入して、早くから大手術のメスを振るうべきだった。しかし大蔵省官僚の天下り先だから先輩達の首を切るわけにも行かない。

このような怖いものなしの大銀行を恐れさせたのが外資の動きだ。彼らは狙いを定めて、生保などから株を借りてきて株を売り叩いた。株式市場で日本の大銀行を抹殺しようと大攻勢をかけてきた。日本のエコノミストやマスコミは彼らの手先となり不安を煽った。サンデープロジェクトに出ている財部氏など「みずほ」の実名をあげて攻撃している。

都市銀行の多くは合併することにより、外資の売り浴びせに対抗しようとした。これは強者が弱者を呑むという合併ではなく、単に大きくなることにより外敵から身を守る行為に過ぎない。そして襷がけ人事で経営陣は烏合の衆となった。そこには株主への責任も客達への責任感もない。さらには貸し渋り貸しはがしの非難まで浴びている。箭内氏は次のように言っている。

(前略) それにしても、わが国の中小企業に対する金融は完全に麻痺している。第1に銀行としては、リスクの高い中小企業に対する融資拡大は不良債権増大のリスクが高いのでやりたくないというのが本音だが、金融庁の命令なので形だけ整えようと策をこらす。第2に金融庁としては、そもそも貸出残高の目標設定を課すこと自体に違和感があるが、政治家から強い要請があるのでやむなく強制する。

第3に政治家としてはよかれと思って金融庁に圧力をかけたのに、相変わらず貸し渋りが解消しないと選挙区の中小企業経営者から不満をぶつけられる。かくして満足している者が一人もいないという、世にも不思議な状態が続いている。この現象を裏返すと、国を挙げての壮大な無責任構造が浮かび上がる。

銀行は中小企業の業績が悪化しているのは不況のせいといい、金融庁は銀行の努力不足のせいといい、政治家は金融庁の甘い指導監督のせいといい、中小企業経営者は業績不振は貸し渋りのせいという。

(中略) 一方中小企業の無担保借り入れニーズは大きいはずだ。成長期の企業に担保余力がないのは当然であり、逆にそこに銀行の収益機会がある。現に欧米の金融機関は、中小企業融資と消費者金融で大きな収益を上げている。企業としても担保価格に左右されない安定的資金でビジネスに専念でしたほうが得策ということに気づくだろう。担保から開放された不動産を有効活用することもできる。

そもそも、右肩上がりの不動産価格を前提とする担保主義の融資システムはとうに崩壊している。今日のようなデフレ経済下では担保価格の下落が銀行、企業双方の経営を不安定にしているのが現実だ。

今銀行が無担保融資の本格展開に踏み切れない理由のひとつは、企業審査力が貧弱な上にリスク管理体制が未整備ということだ。わが国の大手銀行は、80年代はじめまでは新規設備投資の評価や資金繰りの管理など取引先をしっかり審査していたが、バブル以降は担保がすべてという安易な融資システムとなり、いまだに審査機能は麻痺したままである。(後略)

これからの銀行は中小企業や個人への無担保金融に主力をおかざるを得ない。都市銀行からサラ金への変身が求められているのだろうか。不動産担保金融は間違っているのだろうか。土地が値下がりすることがあると言うことが分かった以上、不動産担保金融は今まで以上に慎重にならざるを得ない。

しかし消費者金融はある程度の貸し倒れを想定しなければならず、回収には銀行員は慣れていない。サラ金のように暴力団まがいの手段で回収することには銀行は踏み切れないだろう。さらに手本となるべきアメリカの銀行も、これからバブルの崩壊を迎えて焦げ付きが大量に発生するだろう。その時になって日本の不動産担保金融が正しいか、アメリカの無担保金融が正しいかの答えが出るだろう。

ビジネストレンド 無責任構造のメビウスの輪を断ち切れ 箭内 昇 




ユーラシア連合(山賊)対アングロサクソン(海賊)
イギリスと日本だけがアメリカの同盟国である。

2003年5月23日 金曜日

(前略) 米国と仏国・EU中心部が戦う大きな世界覇権ゲームが始まってい る。本当の戦争のような熱戦にならない意味では、冷戦と言っても いいかもしれない。米国はユーラシア連合阻止である。仏はユーラ シア連合の推進である。この戦い。どちらが勝つかで今後の世界は 変化する。

米国はこのヨーロッパ・エスタブリシュ層を味方につけるために、 イスラエルにロードマップを要求したが、シャロンは、反対したた めに、暗礁に乗り上げた。この暗礁に乗り上げた時に、ジャスト・ タイムにサウジのテロを仕掛けて、イスラエル非難の危機を切り抜 ける。イスラエル情報機関のモサドの陰謀は凄い。しかし、世界の 指導者はテロがモサドの仕掛けであることを知っている。このこと により、米国はEU中心の孤立に失敗している。米国とイスラエル の連合を強く印象づけた。

地政学的にロシアの取り合いが起こっているのですが、今のところ 、フランスがロシアと連合を組む可能性が高い。米国ラムズフェル ドは、イランの原子力発電所を非難しているが、これはロシアを非 難しているのと同様ですから、パウエル・ライズの努力は無に帰 すでしょうね。

日本企業も米国市場と同様にEU市場を重要視するべきであると思 う。市場規模はEU市場のほうが大きい。世界通貨もドルよりユー ロの方が信頼性が高い。米国は今後、中東戦争の経費が出るし、 金持ちのための減税で財政的には大幅な赤字になるし、景気は下降 するでしょう。このためドルも下落しているし、今後も下落するで しょうね。円の発行数を大幅に増やしてドルと連動して下落させる 必要がある。ドルを買ってはいけない。政府も日銀もユーロを買お う。米国とEUのバランスを取るしかない。

世界戦略コラム 欧州対米国 F 

しばらくは国内・経済問題を書いて見ましたが、世界のイラク戦争後の動きが気にかかります。新聞やテレビなどでは、世界戦略的な動きを解説したものはない。あっても表面だけの解説だ。イラクを巡る攻防戦はアメリカとフランス、ドイツ、ロシアの連合の対立を浮かびあがらせた。古くからある地政学的な対立構造が露骨になってきた。

イラク戦争に関してはアメリカはイラクを得た代わりにトルコを失ってしまった。サウジアラビアもトルコと同じくアメリカに対して距離をおこうと動き始めた。EUが拡大し経済的なパワーを持ち始めると、ヨーロッパに隣接する中東諸国は、アメリカとEUとのバランスで距離を変え始めたのだ。

ロシアとドイツ、フランスとはエネルギーでパイプラインで結ばれている。これからも結びつきは強くなるだろう。しかしイギリスやスペインはその恩恵にあづかれない。さらにロシア、中央アジア諸国と中国ともパイプラインの計画がある。そうなればユーラシアはエネルギーで一つに結ばれることになる。

アメリカはそれに対して、アフガニスタンやイラクに楔を打ち込んで、中東と中央アジアの石油産出地帯に軍隊を進出させた。しかしアメリカにとっては中東や中央アジアはあまりにも遠く、駐留する軍隊の費用だけでもバカにならない。サウジや日本のように駐留軍経費を負担してくれればいいのだが、アフガンもイラクもゲリラ攻撃に悩まされるだろう。

結局のところアメリカ軍が中東や中央アジアへ駐留する正当性はなく、アメリカ軍が相手国から出てゆけと言われたら立場は難しくなる。共産主義の脅威は最早ない。むしろイスラエルの脅威から中東諸国を守るのがアメリカの役目になるのだろうか。少し考えにくい想定だが、イスラエルが核で周囲を威嚇していることは脅威だ。

イスラエルの核ミサイルがヨーロッパ全域に脅威を与えている。これは北朝鮮とは比較にならない恐ろしさを持っている。すなわちこのイスラエルを支援しているのがアメリカであり、この事がヨーロッパの反米感情に繋がっている。アメリカはこのままイスラエルを支援してヨーロッパを敵に回すかの選択を迫られている。

戦略的に見てアメリカのイラク占領は失敗するだろう。反米と反イスラエル感情が世界中に広まってしまった。その中心になるのがユーラシア連合だ。イスラエルはすでに400発の水爆を保有している。さらに核ミサイルを発射できる潜水艦3隻を所有している。これはアメリカにとっても直接的な脅威になる。

イスラエル核兵器400基保有 米空軍報告書 東亜日報

この事がアメリカのドル経済に大きなダメージを与えるようになるだろう。ユーロ経済圏が拡大強化されれば、ドルの信任は弱まりドル暴落の引き金になりかねない。アメリカに投資された資金はユーロに回帰してゆく。オイルダラーもドルからユーロに移すだろう。日本もEUに輸出を増やすためにはEUからの輸入を増やさねばならない。

このままほって置けば日本もアメリカを見捨てて、ユーラシア連合のメンバーになりかねない。アメリカ経済が破綻して物を買ってくれなくなればそうせざるを得ない。だからこそアメリカのイラク攻撃は戦略的に失敗となるであろう。アメリカは日本から見捨てられれば世界の覇権を失うからだ。




朝日ジャーナリズムと木村剛氏を批判する(2)
不良債権処理と自己資本の両方は無理である

2003年5月22日 木曜日

監査法人の背負った責任の大きさ

(前略) そこで、冒頭に紹介した記事が重大な意味を帯びてくる。現実の現場では、「金融庁の見解ではこうだ」とか「金融庁の課長はこう言っている」などという発言が、銀行サイドから監査法人に対して浴びせ掛けられる。それでビビッテしまう監査法人もないではないだろう。しかし、金融庁が「繰り延べ税金資産の扱いで金融庁が個別に意見を表明することはない」と言明している以上、すべての責任は監査法人に降りてくる。株主代表訴訟で訴えられた場合は、少なくとも、「1年を超えて、5年以内で合理的な範囲」の部分について、賠償責任はその監査法人にある。

一度計算してみてほしい。「1年を超えて、5年以内で合理的な範囲」が如何に巨額な金額かを。仮に「3年分」と定めたところで、「2年分」である。監査法人が長年蓄えてきた剰余金が吹っ飛んでしまうほどの金額であることが確認できるはずだ。そして、事後的には金融庁による厳しい繰延資産検査が行われる。もしも、そこでプロフェッショナルの監査として問題があれば、断罪されることになる。しかも、来年の3月末まで、監査法人の代表社員は無限責任を背負っているのである。

日本でも大手監査法人が吹っ飛ぶ?

したがって、今年3月期決算において「1年分」以上の繰り延べ税金資産を計上することを認める監査法人は、そのリスクを真剣にかつ冷静に検討すべきであろう。海の彼方では、エンロン1社が破綻しただけで、アーサーアンダーセンという巨大監査法人が吹っ飛んだ。わが国でも、そういう事態が考えられ得るかもしれない。

ビジネストレンド 第44回「破綻する監査法人はどこだ」 木村剛

木村剛氏は日本の銀行潰しの尖兵である。毎年のように日本の銀行に不良債権の処理を迫り、日経新聞や朝日系ジャーナリズムは、木村剛氏を切り込み隊長にして、不良債権処理のキャンペーンを繰り広げている。このように新聞やテレビでエコノミストやジャーナリストを総動員してプロパガンダされては世論も操作されるのは仕方がない。

その結果、銀行は毎年のように巨額の赤字を出しながら、不良債権の処理を行っている。巨大銀行が巨額の不動産や保有株式を処分すれば、どんな国でも資産デフレになる。そうなれば保有資産が目減りして銀行の自己資本が減ることになる。アメリカの大統領や木村剛氏達が日米連携して銀行つぶしをしている事になる。

このような不良資産処理キャンペーンが原因となって、日本の金融危機が起きていると言えるのだ。木村剛氏の言っていることはミクロでは正しくとも、マクロで見れば自分で自分の首を絞めるような滅茶苦茶な事を言っている。不良債権をどうしても早く処理したければ公的資金で不良債権を買うしか方法がない。海外のバブル崩壊危機は公的資金で処理して終わらせている。このことは以前に何度も書きました。南堂氏は不良債権について次のように書いている。

(前略) 「不良債権」というのは、劣悪な部分である。赤字ばかりを垂れ流す「劣悪な企業」と言ってもいい。そういう「病巣」のようなものを取り除けば、残りは健全なものだけになるから、全体状況は改善する、と考えるわけだ。

 これは、古典派的な考え方である。その考え方は、必ずしも、間違っているわけではない。経済が均衡状態にあれば(不況でなければ)、その考え方は成立する。資源にせよ、資金にせよ、労働者にせよ、劣悪な部分を削除すれば、その分、健全な部分が伸びる。差し引きして、増えも減りもしないまま、質だけが「劣悪」から「健全」へと改善する。しかし、それには、前提がある。経済が均衡状態にある、ということだ。そして、不況のときには、この前提が成立していない。

 では、どうなるか? 劣悪な部分を削除すれば、その分、総所得が減るので、かえって経済全体が縮小していってしまうのだ。これは、実は、「縮小均衡」へ至る過程である。悪い部分を切り取ることで、どんどん「均衡」に近づいて、質的には改善される。しかし、そのとき同時に、マクロ的な経済規模がどんどん縮小してしまうのである。

 つまり、「質的に改善すればするほど、量的には悪化する」ということだ。これが、マクロ経済の核心である。そして、このマクロ経済の核心を、古典派はまったく無視する。── 不良債権処理の問題で、着目するべき点は、ここにある。彼らがなぜ間違うか、これで説明できるはずだ。また、「不良債権処理を進めれば進めるほど、デフレが悪化する」ということも、これで説明できるはずだ。
 そして、上のマクロ経済の核心は、すでに「修正ケインズモデル」を使って説明したとおりだ。( → 3月02日 ) (後略)

ニュースと感想 5月2日 南堂久史

このように朝日ジャーナリズムが、キャンペーンを一生懸命やればやるほど、日本の金融危機も景気も悪くなってゆく。彼ら自身が自分が何をやっているのかが分かっていない。自分に言っている事は正しく、批判すれば抵抗勢力と呼ばれ、発言の機会を与えられる事はまれだ。

彼らはなぜそれほど反論される事がいやなのだろうか。じっさいインフレ目標政策でも意見が分かれて、テレビでも自由に論戦させればいいのにと思うのだが、テレビ東京のWBSで一度行われただけだ。おそらくテレビで論戦を行えば「構造改革、不良債権処理派」は負けるだろう。

先日のWBSの植草一秀氏と木村剛氏の論戦でも、木村氏のマクロ経済に対する無知がはっきりした。植草氏の主張が何年来も変わらないのに、竹中金融大臣の言う事はクルクル変わる。「構造改革なくして景気回復なし」とは小泉首相も最近は言わなくなった。

このように小泉内閣、日本のマスコミ、米国権力中枢は連携している。BIS規制で銀行に枠をはめ、不良債権処理で体力を消耗させ、会計監査法人に悪役を押し付ける。これは最初から仕組まれた陰謀なのだ。国民はばかげた朝日ジャーナリズムに洗脳されて、思考停止してしまった。南堂氏は朝日についてこのように批評している。

(前略) 朝日新聞というのは、頭がどうかしているのだろうか。9月4日に、また「インフレ目標批判」というのが出た。徹底的に「インフレ目標」をつぶそうとしている。こういうふうに、一方の側だけの主張を取り上げようとするのでは、言論の圧殺である。マスコミというのは、言論の自由な討議を目的とする場だ。なのに、一方の立場の主張だけを徹底的に取り上げ、他方の意見を徹底的に弾圧する。昔の日本軍や特高そっくりだ。

「インフレ目標批判」の意見なら、呆れるほど多く掲載したが、「インフレ目標賛成」意見は、ただの一度も掲載していない。記事で「インフレ目標」を紹介するときは、必ず「駄目だと思うね」という記者の個人的感想を付け加える。そういうふうに、公正ということを忘れて、記事に必ず色を付けて報道する。朝日新聞というのは、どこかの政治団体の機関誌なのだろうか? 記者は、朝日に入社するとき、「報道の中立」というものを捨ててしまったのだろうか?
 
本日掲載のコラム(「私の視点」)は、某教授の意見を掲載している。そこでは冒頭で、インフレ目標論を「金融のイロハを知らない、馬鹿げた主張」と非難している。たいそう、威勢がよい。そこで、興味深く読んだが、なるほど、「馬鹿は相手を馬鹿と言う」という格言がよくわかった。 (後略)

ニュースと感想 9月4日 南堂久史




読み誤った時価会計導入時期 (藤原美喜子)
大蔵官僚は会計音痴で会計士は国際音痴である

2003年5月21日 水曜日

(前略)◆政府に焦りがあった

日本企業の会計情報に対する不信感を払拭するため、政府は1998年、金融商品への全面時価会計導入を決定。この結果、01年9月から有価証券は目的に応じて、(1)売買目的の有価証券、(2)満期保有目的の債券、(3)子会社及び関連会社株式、(4)その他の有価証券――に分類され、(1)と(4)に時価が適用されることとなった。

持ち合い株式は(4)のその他の有価証券に分類され、時価評価の対象となった。この会計ルールの変更により、銀行及び企業の経営者は9月と3月の決算期に本業とは別の、株価という頭痛の種を抱えるようになった。その理由は株価次第で持ち合い株式からの多額の評価損が生まれ、それにより企業収益が大きく左右されるようになったからである。

証券・金融市場のグローバル化に伴い、各国で異なる会計基準を国際会計基準の下で統一していく方向性は正しい。売買目的の金融商品に時価会計を導入するのも正しい。
しかし、時価会計の導入時期と、売買を目的としていない長期保有の有価証券に対する時価導入には、慎重さが欠如していたようだ

時価会計主義は、大昔からあったわけではない。80年代前半、英国は高インフレに見舞われ、資産額を物価に合わせて再評価する会計方法「インフレ会計論」を唱える会計学者たちは、英国の会計学会を二分した。当時、英国の大学院でファイナンスを専攻していた筆者にとり、会計学は必修科目の1つであった。時価会計のグローバル化はその後、ユーロ市場の拡大化と、英国のインフレ会計の流れをくむ会計士、学者、かつ会計理論を同じくする英連邦の国々が中心となり広がっていった。

時価会計主義は、その会計理念に大きな欠陥を抱えている。好景気で株や不動産が上昇している限り、時価会計は資産価値を増やし、時価会計導入企業に対し有利なフェア・バリューを見せ続ける(例=インフレ率10%の下では、時価会計は資産価値を増やしていく)。しかし、長期的デフレ経済下では、企業の財務諸表をますます悪化させる。

バブル崩壊後00年度までに、日本の土地・株式の総額は1500兆円下落した。つまりGDPの3年分の資産が失われたことになる。土地総額はいまだに毎年70兆〜80兆円下落している。この100年に1度といわれる深刻なデフレ不況下で持ち合い株式への時価会計の導入が決定されたのである。
なぜ日本公認会計士協会と政府は、持ち合い株式に対する時価会計導入の時期を誤ってしまったのだろうか。理由を4つ挙げてみたい。
(1)会計のグローバル化の流れに「遅れてはいけない」という気持ちが先走り、会計の理念を関係者と十分に議論せずに導入時期を決めてしまった。公認会計士は企業の経営者ではない。デフレ不況下での時価会計導入のツケの大きさを厳密に把握せずに、会計ビッグバンに突入してしまったようだ。
(2)日本公認会計士協会は、国際交渉に慣れていなかった。
(3)持ち合い株式に関しての監督官庁がなかった。官僚は会計学に疎い(リースへの国際会計基準の導入を見送ったが、持ち合い株式に関しては見送らなかった)。持ち合い解消売りの株式を誰に購入してもらうかに関する戦略が欠如していた。
(4)株の持ち合いを奨励しているドイツ・フランスとの連携を試みなかった。その結果、ドイツ・フランスは持ち合い株式に時価会計を導入せず、日本だけが導入してしまった。

時価会計凍結は可能か
日・米・欧ともに、売買目的の有価証券には時価が適用される。これは正しい。米国会計基準は、売買目的の有価証券の定義を「短期間の価格差に基づいて利益を生み出すことを目的とするもの」としている。日本の場合は、有価証券の期間に関しての明記はない。米国では銀行の株式保有を禁止しているが、フランスやドイツでは株の持ち合いが行われている。フランス・ドイツでは「売買目的でない長期保有目的の持ち合い株式に時価会計を導入するのは誤り」といまだに簿価を使い続けている。

日本の株式持ち合いは、売買を目的にした投資ではない。短期保有目的の有価証券でもない。持ち合い株式は、市場性の高い金融商品ではあるが、時価の変動で保有の増減を決める類の金融商品ではなく、政策投資である。実際に持ち合い解消売りの場合、市場価格を使わずに相対で取引されることが多い。今から時価会計を凍結し、簿価に戻ることは可能だろうか。答えは「ノー」である。簿価に戻ることは日本の財務諸表に対する投資家の不信感を高めるからだ。その上、取得原価に戻る場合、システム対応についてのコストも考慮しなければならない。また、02年度末の会計数字まで遡及すべきかどうかについても議論しなければならない。(後略)

読み誤った時価会計の導入時期 藤原美喜子

先週の16日に株式日記で自衛隊と憲法の関係について触れた。そうしたら小泉首相は昨日の国会で次のように述べました。

首相は自衛隊について「わたしは実質的に自衛隊は軍隊であろうと(思う)。それを言ってはならないということは不自然だと思っている」と述べ、「軍隊」だとの認識をあらためて表明。「いずれ憲法でも自衛隊を軍隊と認めて、不毛な議論なしに(自衛隊に対して)しかるべき名誉と地位を与える時期が来ると確信している」と述べ、憲法改正による軍事力保持の明確化に積極姿勢を示した。(共同通信)[5月20日20時20分更新]

やはり小泉首相は私のホームページを読んでいるのだろうか。たぶんこれも偶然の一致だろうが、私が常にタイムリーな時事問題を解説している証であると思う。9、17以前だったら小泉首相の首が飛びかねないタカ派の発言ですが、野党を初め、朝日ジャーナリズムもやけにおとなしい。朝鮮総連の政治工作が麻痺してきた証拠だ。中国もSARSで日本に強く出られない。

このように外交では日本も普通の国へ向かいつつありますが、経済だけはますます混迷を深めている。日本の政治家も官僚たちもアメリカからの圧力に負けて、会計規則を改悪してしまった。BIS規制も、時価会計も、ペイオフの解禁も経済政策は逆噴射ばかりやっている。

株式の持ち合い制度も、日本企業が外資の企業買収に対抗するために作られた戦略ですが、かえって外資の謀略に逆手を取られて悲惨な目に遭っている。私は何年も前から時価会計制度に反対してきたが、弊害がわかってからでは遅すぎる。愚者は経験でしか学べないのだろう。

時価会計制度は1998年の金融ビックバンに伴って導入されたものですが、金融ビックバンそのものが当時の橋本内閣の大失策だ。橋元首相は日本経済がこれほど酷いとは思わなかったそうだ。いったい大蔵省は何をしていたのでしょう。この金融ビックバンのお膳立てをしたのが榊原英資大蔵省審議官だ。

確かに株式持合いのも弊害がかなり目立っていたことも確かだ。株式を持ち合っていれば外資から買収攻勢を避けることが出来たが、一般株主の経営陣へのチェックが効かなくなってしまったことだ。大株主の大企業も融資を受けている銀行への批判はしにくい。だから銀行員が高給を貰っていても批判は出来なかった。

どうやら時価会計制度を凍結することは難しいようだ。ドイツやフランスと手を組んで抵抗すべきだったが、政治家や官僚は無能だった。一部上場の持ち合い株式の総額はどれくらいだろうか。以前にも書きましたが、時価総額の1割の30兆円ほどだろう。ならば政府や日銀が一時的に持ち合い株を買い取ってしまえばいい。

実際に日銀は銀行が所有する持ち合い株式の一部を買い取っている。これをもっと大規模に実施すべきである。そうしなければメガバンクは次々と「りそな」の後を追って倒産してゆくだろう。そして次々と日本の資産が外資によって買い取られてゆく。この事を小泉首相は「構造改革が進んでいる」と言うらしい。南堂氏は構造改革について次のように書いている。

朝日の「声」欄の最初に、興味深い投書が掲載されている。「18歳の女性受験生です。景気が悪くて、家計が破壊されかけています。進学したいが、お金がない。進学してもいいものか、迷って、苦しい。真っ暗闇に閉じ込められた気分だ」という声である。これが小泉の「構造改革」の成果だ。

能力のある人も、お金がなくて、大学進学できなくなり、自分の能力を高めることもできなくなる。かくて日本の経済力は大幅にそがれる。……こういうふうに日本経済を劣悪化していく人物が、「米百俵」などと唱えるのは、冗談だろうか? 「米百俵」の教訓は、「教育を大事にせよ」ということだ。なのに小泉は、日本国民の教育機会を大幅に奪っている。昔の人は「米百俵で教育を受けよう」とした。小泉は「米五十俵あれば生きていけるだろ。教育なんか受けることはない。生きていくための最低の米だけで我慢しろ」という方針だ。そういう方針で、国家経済の根幹を破壊していく。

 重ねて言う。構造改革によって景気が回復するということはない。そもそも、緻密に計算してみればわかるとおり、構造改革には景気回復の経済効果などはない。構造改革を進めたければ、景気回復策を取ることが必須なのである。小泉の方針は本末転倒と言うしかない。水を撒けば、花は咲く。しかし、花が咲けば水が湧く、ということはないのだ。

ニュースと感想 9月6日の日記 南堂久史




朝日ジャーナリズムと木村剛氏を批判する。
彼らはマクロ経済学がわかっていない。

2003年5月20日 火曜日

このことの善悪はさておき、これで思うことがある。他の説との矛盾だ。
 「劣悪な銀行は退去させよ。優勝劣敗」
 というのが、ペイオフ実施論者の意見だった。また、
 「劣悪な企業は退去させよ。優勝劣敗」
 というのが、不良債権処理論者の意見だった。

 とすれば、「劣悪な銀行は国有化せよ」つまり「劣悪な銀行は完全保護せよ」というのは、まったく正反対の(矛盾する)意見である。だいたい、「劣悪な企業を国有化せよ」という理屈が成立するのなら、ダイエーでも何でも、企業をつぶす(不良債権処理する)かわりに、どんどん国有化するべきだ、ということになる。
 「銀行だけは例外だ」と主張するのかもしれないが、だとしたら、その理由を述べるべきだ。先の「優勝劣敗」なんていう理屈では、矛盾する。銀行は破綻しなくても、論者の論理が破綻する。破綻した論理にしたがって行動すれば、日本経済を破綻させる。狂気。

 もう一つある。
 「不良債権処理をすれば、景気が回復する」という意見がある。つまり、「不良債権をRCCに渡せば、景気が回復する」と。だったら、「銀行を国有化して、その名称をRCCにする」のでも、同じことだ。RCCも銀行も、どちらも国の保有物なら、同じ国の帳簿の上で、右手から左手へ(銀行からRCCへ)、不良債権を移すだけのことだ。実質的には、何も変わらない。
 呆れますねえ。帳簿の保有者の名称を、国の「銀行部門」から、国の「RCC部門」へと、名称変更するだけで、日本の経済は一挙に回復する、という案だ。「改名するだけで景気回復!」だって。
 そりゃまあ、易者に運勢占いしてもらって、改名する人はいますよ。「これで運がよくなるぞ」と。これとほとんど同じレベルだ。今の国の経済政策は、こういう易者頼りみたいなことをやっている。狂気。
( ※ ついでだが、易者の名前が問題だな。木村……)
( ※ ロシアのエリツィンか誰かだったか、よく覚えていないが、易者にしたがって国の政策を取り、国を破綻させたという、ひどい権力者がいた。小泉はその二番煎じ。)

 [ 付記 ]
 「では正解は?」と疑問に思うだろうから、示しておこう。
 公的資金を投入しようが、不良債権処理をしようが、そんなことは、本質的な意味をもたない。「良いか悪いか」と問うこと自体が、間違いである。つまり、正解はない。
 「均衡状態では正しいことが、不均衡状態では正しくなくなる」
 という状況がある。それは「合成の誤謬」が働く状況だ。だから、まず、この状況を解決するのが根本対策だ。── 「需給ギャップの解消」。これが根本対策だ。これによって均衡状態が回復したあとで、ようやく、銀行国有化や不良債権処理について正解が出る。
 均衡状態が回復するまでは、正解はない。答えを無理矢理さずに、保留しておくべきだろう。(たとえば、「ペイオフ延期」というのは、「保留」を意味する。こういう「保留」が、最善だ。)

小泉の波立ち 2002年10月20日の日記より

昨日のテレビは、木村剛氏がテレビ朝日の「ニュースステーション」とテレビ東京の「WBS」に出ていたので見ていました。「りそな」への公的資金注入のニュースを受け、竹中ー木村コンビの意図を探るためですが、木村剛氏は所詮経理屋に過ぎない。会計基準を厳格化して公正に判断すれば「りそな」は自己資本の4%を割ることになる。金融庁は監査法人に悪役を押し付けて、自分は「中小企業にはてごころ」持ってなどと逃げている。

「ニュースステーション」の久米弘氏は経済問題に関しては全くの素人だ。朝日のコメンテーターも経済の専門家を自称していますが、自分の言っていることが矛盾していることに気がつかない。さらに木村剛氏を何度もテレビ出演させてプロパガンダをしている。完全に報道機関としての中立性を逸脱している。

この点、「WBS」においてはマクロ経済学者の植草一秀氏との論争で中立性が保たれていた。しかしながら小谷キャスターが問題の本質がわかっておらず、二人の論争の混乱に拍車をかけていた。マクロ経済を回復させなければ、ミクロでいくら正論を言ったところで問題は解決しない。

マクロを回復させなければ、ミクロで各企業ががんばっても無駄な努力に終わる。この点で植草氏の方が正しい。トヨタがいくら最高益を出しても日本経済はマクロがダメでは意味がない。私がここでマクロと言っても十分理解しているわけではない。それでマクロ経済を調べていたら南堂久史氏のウェブサイトが見つかった。

結局のところマクロ経済を理解するには植草氏や南堂氏や私のような天才的な頭脳でないと理解できないのだろう。あるいはノーベル賞学者のスティグリッツ教授の言っていることが理解できたのはホンの一部で、財務省や日銀のキャリア官僚も理解できなかったようだ。ましてや木村剛氏や久米キャスターのような単細胞では、ミクロはわかってもマクロは無理なようだ。南堂氏も朝日ジャーナリズムを次のように批判している

結局、正しいと思うことをやればやるほど、かえって状況が悪くなる。その理由は? 「経済学音痴」の一語だ。阿呆が日本経済をいじると、もてあそんだすえに、ぶちこわす。「狂人に刃物」というわけだ。
( ※ 一番の責任者は、小泉ではない。阿呆はちっとも悪くない。阿呆は自分が阿呆だと理解できないのだから。阿呆に阿呆と告げないマスコミが、最大の責任者だ。今日もまた、新聞には、デタラメ記事ばかりが出る。かくて世間を誤った方向にミスリードする。ハーメルンの笛吹。……昔も、マスコミは、日本軍の暴走を擁護して、日本を破滅させた。歴史は繰り返す。)

田原総一郎氏も久米弘氏も木村剛氏も竹中平蔵氏も、自分は正しいと確信して発言し行動しているつもりなのだろう。しかしアホは自分がアホであることを理解できない。そこを突くと感情的になって反論する。木村剛氏も植草氏に感情的になっていた。結局のところ彼らは広島長崎に原爆が落ちるまで、自分がアホであることが理解できなかった青年将校と同じだ。

木村剛氏も竹中平蔵氏も榊原英資氏も、自分が矛盾した発言をしていることに自分で気がつかない。発言の内容がクルクル変わる。朝日ジャーナリズムは彼らの広報機関に過ぎない。南堂氏は昨日の5月19日の日記でも次のように指摘している。

りそなが経営危機を起こして、事実上の国有化となった。この「銀行の国営化」の意味を、整理しておこう。
 第1に、銀行の国営化は、原則としてするべきではない。
 第2に、銀行が正常経営をできなくなったら、倒産よりは、国営化を選ぶべきだ。

 この二点を混同しないように注意しよう。実質倒産した銀行について「国営化は絶対にいけない」とは言えないし、また、正常な銀行については、「国営化するべきだ」とは言えない。

 ところが、この二点を逆に主張している意見もある。朝日がそうだ。次のような意見を取る。
 「ペイオフを実現するべきだ。つまり、経営悪化した企業は、市場から退場させるべきだ。政府による保護など、もってのほかだ。そんなことをすれば、モラルが荒廃する。厳しい態度を取れば、銀行経営はまともになる。ゆえに、ダメな銀行に、手を差し伸べてはならない。」
 「正常な銀行には、予防的に、国営資金を投入せよ。そうすれば、金融システムへの信頼が増す。」

 まったく、メチャクチャの極みである。この二つは、明らかに矛盾するが、最近は、後者の意見ばかり主張して、ちょっと前まで「ペイオフ実施!」と主張していたのを、すっかり忘れてしまったようだ。健忘症。

小泉の波立ち 南堂久史氏の政治経済の論説
「竹中プランのすべて 金融再生プログラムの真実」 木村剛著

南堂氏の主張で私と全く異なる見解がある。それは政府や日銀が株や土地を買い上げると言うことだ。南堂氏は株や土地を日銀が買い上げればミニバブルが発生するとしている。私はデフレが脱却できる程度の買い上げが必要だと思っている。「りそな」のみならずメガバンクは倒産の危機に直面している。

劇薬であるが至急的に政府による簿価による株や不良債権の買い上げが必要だ。「りそな」クラスでも2兆円の公的資金が投入される。メガバンクだと数倍となるだろう。それなら最初から銀行の資産を買い上げて経営を立ち直らせた方が早いだろう。もちろん経営陣の退陣や従業員の賃金30%カットなども行う。南堂氏は公正さを問題視しているがどうだろう。

(3) 政府買い上げによる資金供給
 上の (1) (2) が効果が出ないのは、経済学者も薄々気づいている。(現実にそうなのだから、気づかない方が変だ。)そこで、「政府による買い上げ」という案が出てくる。「不動産や株式を政府が買い上げて、民間に資金を供給する」という案だ。
 これは最悪である。(1)(2)は、「効果がない」だけだったが、(3)は、「悪効果がある」からだ。なぜなら、これは、「ミニバブルを発生させる」ということだからだ。
 この施策を実施すれば、確かに、大きな目で見て、民間に資金は供給される。しかし、「民間」とは何か。株や不動産をもっている、特定の人々だけだ。国民のごく一部だけに集中的に莫大な金を投与する、というのは、たとえそれが少しは効果をもつとしても、不公正である。しかも、その結果、一部の人々がさんざん贅沢をするだけで、大衆はおこぼれをあずかるだけにすぎない。また、金を受け取った人だって、大部分は貯蓄に回すはずで、結局、預金通帳のゼロの数字が増えるだけだ。莫大な金を投じて、このありさまでは、およそ「政策」の名に値しない。
 こんな馬鹿げた案を実行するくらいなら、所得税減税の方がはるかにマシである。所得税減税は、公平さの点で問題はあるが、少なくとも、国民の大半に金が行き渡る。「不動産や株をもっている人だけ」を対象とする「政府買い上げ」なんかよりも、ずっと公平だし、しかも、効果は大きい。「所得税減税」なら、自動車やパソコンなど、さまざまな商品がまんべんなく売れるようになるが、「政府買い上げ」では、高級料亭とか、ゴルフ場とか、宝石店とか、そういう一般大衆とは遊離した一部の業界だけが一時的に繁栄するだけだ。まさしく、ミニバブルである。こんなことをすれば、当面は楽だとしても、あとでまた国全体でツケ払いを迫られる。まだしも「米百俵」の精神で我慢した方がいい。
 バブル(資産インフレ)というものには、もうすっかり懲りたはずだ。にもかかわらず、「ミニバブル」を提案するような人が今なおいるのは、まったく困る。そういう人は、少しはクルーグマン教授の本でも読んではどうだろうか。 

第二章 改革の問題点 南堂久史



至急SARS感染地域からの出入国を禁止せよ
中国、一党独裁国家は近代国家になりえない

2003年5月19日 月曜日

◆新型肺炎(SARS)に感染した台湾人医師が今月8、9の両日に宿泊していた大阪市天王寺区の都ホテル大阪は18日、記者会見し、医師が泊まった部屋と同じ6階にある50室を一時閉鎖したことを明らかにした。閉鎖は17日から21日までの5日間。
 同ホテルによると、SARS対策で消毒を徹底して行っている上、従業員や宿泊客に2次感染が確認されていないことなどから、ホテルの営業自体は継続するが、「中国、台湾からの客は当面、受け入れない方針」としている。 (時事通信)[5月18日20時7分更新]

◆北京(CNN) 中国で猛威を振るう重症急性呼吸器症候群(SARS)の特集番組の取材に伴い、CNNテレビが米紙ニューズデーの記者に行った7分間のインタビューの場面が、中国向けの放送配信で検閲により削除されたことが16日分かった。中国当局は、「中国を否定する」内容が含まれていたと理由を説明している。CNNの広報担当者は、「中国側の行為を遺憾に思う」「CNNは今後も、率直に、かつ責任を持って報道を続けていく」と述べた。

中国国内に放映される海外テレビ番組は、同国の衛星を通じて受信し、国内の視聴者に放送されるまでには7秒間の遅れがある。この間隔を使って、検閲を実施、不適当な番組は排除されるとみられている。人権保護やチベット問題、中国の気功集団「法輪功」などを扱ったCNNや英BBCの報道番組の放送が中止、削除された例もこれまであった。(CNN−2003.05.16)

◆中国のSARSパニックと地域エゴ

「三国志」の地方軍閥時代に突如、中国は戻ってしまったのか。ムラをバリケードで封鎖し、余所者を入れないという鎖国主義的封建的行為に走った北京近郊の農村で起きているエピソードが写真入りで報じられたのはまだ一週間ほど前だ。いま、地域主義エゴは全土で抑制の利かない暴走を始めた。中央権力の支持を無視するのだから一種無政府状態と言えなくもないだろう。

共産党中央が整合性をもった政策もとれず、地方政府が管轄下のムラや街の動きを掌握できない。まさにペスト災禍、黒死病に酷似した社会不安の出現は革命前夜のイメージに繋がる。

 △南京で起きていること

上海から270キロ西の南京。高速道路をフォルクスワーゲンとの合弁タクシー専用車「サンタナ」は、130キロだしてぶっ飛ばす。渋滞さえなければ上海から南京までノンストップで、二時間で着く。先週、「ファー・イースタン・エコノミック・レビュー」の記者が試したところ四時間以上かかった。途中で自治体の検問、健康検査スポットが何カ所もあるからだ。

南京のホリディイン・クラウン・プラザ・ホテル(外人ビジネスマンに一番人気)の稼働率、ついに10%を割り込み、タクシー、レストラン、旅行代理店、そのほか。実際に売上げがゼロになると日常の金融が回らない。手元キャッシュが不如意になる。買い付け騒ぎから、いまや銀行へ現金を降ろしにいく。現金のポジションを高めて置かなければ営業も出来ない、生活も出来ない。やがて銀行業務に支障がでるだろう。

北京近郊ではクルマのナンバーにより、SARS感染地からの車両は追い返すところもでてきた。長距離トラックで一週間も足止めされている車両が途中でつかえている。異常反応である。ちなみに上海は死者二名、南京は感染が二名しか報告されていないにもかかわらず(5月16日現在)。

国連WHOは5月15日、患者数の過少申告が目立つ上、軍からのまともな情報がない。WHOは中国軍に対して「本当の情報を速やかに提出するように」要請したが、帰ってきた答えは「台湾のWHO加盟に反対」(文脈が繋がらないではないか)。WHOに依れば「軍の感染が多く、しかも死亡率が8%と異常に高いので、その理由を知りたいからだ」としている(「自由時報」5月16日付)。

もともと庶民をパニックのどん底に陥れ、過剰反応の種を蒔いたのは北京政府であり、情報秘匿の付けがまわり、気がついたとき北京市から200万人が故郷へ散らばった後だった。これから医療設備の悪い、殆ど医者らしき医者もいなければ隔離病棟もない農村部でSARSが蔓延するだろう。

 △「バルカン化」の一歩手前の社会状況ではないのか?

バルカン化。宗教、民族、地域を要素に分裂作用を起こす政治的な事態を指す。中国的に換言すれば「地方軍閥化」。もっとも中国らしき特色がでた。軍が出動しても無力、中央政府の通達は、いったい何の効力があろうか?これほど軍事暴動でも、組織された騒擾でもないのに、共産党権力が一瞬にして無力化した現象を我々は記憶に強くとどめておくべきだろう。

近い将来、共産党独裁体制が根本から壊れ、軍による力の秩序が崩壊する日、中国のバルカン化が一体どのようなプロセスを辿るのか、日々のSARS騒ぎで、それを予行演習的に目撃している!SARS禍でGDP成長が2%に下がる、4%台だろうとする希望的観測があるが、ことし中国がプラスの成長率を維持できると考えること自体、もはや途方もなく非現実的である。 いまの事態は災禍、戦火に襲われた敗戦国の様相である。

宮崎正弘の国際ニュース SARSパニックと地域エゴ

SARSは冷静に見れば致死率の高い伝染病の一種に過ぎない。適切な対応を取れば流行を終息させるのは、ベトナムなどの例を見ても困難なことではない。ところが中国では去年の11月から発生しているにもかかわらず、いまだに感染者は増え続け、感染地域は広がっている。

SARSは潜伏期間が10日と非常に長く、発病していない感染者が移動するために、いったん広がると収拾がつかないことになる。病院内の医者や看護士の感染率が高いのも特徴の一つだ。防御服や高性能マスクも扱いが不備だと感染してしまう。中国がこのような状況だと絶え間なく感染者が中国から出国し、世界中にSARSを広げてしまう。

原則的に中国や台湾からの入国は禁止すべきだ。現に台湾から自粛勧告が出ているにもかかわらず、旅行途中で発病した台湾の医者が、日本国内を旅行して帰国した。この医者は台湾を出発する前にSARSの患者を診ている。このような不心得者がいるから、中国、台湾からの入国は原則的に禁止すべきだろう。

日本のマスコミは、WHOが渡航禁止勧告を出すまで、ニュースにすることはなかった。3月初めには香港で死者が出て、現地では大きなニュースになったにもかかわらず、日本では全く報道されなかった。日本の報道は中国や朝鮮に関する報道は信用が出来ない。中国政府の圧力に簡単に屈してしまうからだ。CNNやBBCの方が信用できる。

NHKなどでも盛んに中国のSARSが収まってきているなどと嘘っぱちの報道をしている。中国の調査統計は全く信用が出来ない。国勢調査も満足に出来ないような国が、どうしてSARSの患者の統計が取れるのか。すでに中国奥地まで広まってしまったのに、その実態を日本の記者たちはなぜ取材しないのか。中国政府も許可しないし検問などで出来ないのだろう。

日本でSARS患者が見つからないのは不思議でならない。毎日大勢の人が日中間を往来している。しかし今まで幸運であったに過ぎない。今回の台湾の医者のケースを見ても、一旦SARSの患者が出た場合、その経済的被害はかなり大きなものとなる。渡航禁止勧告ではなく、渡航禁止にしないと完全に防止をすることは出来ない。中国が信用できないからだ。

国際戦略コラム SARS対策 F




「日銀」が責任から逃走し続ける組織の病理
マスコミはなぜ日銀の責任を追及しないのか

2003年5月18日 日曜日

【ドービル(フランス)逸見義行】主要国首脳会議(エビアン・サミット)の財務相会議が17日夕(日本時間17日深夜)に採択する共同声明に、日本のデフレ対策強化を求める表現を盛り込む方向で最終調整していることが同日、明らかになった。主要国の財務相が集まる会議の共同声明で「日本のデフレ」について明言するのはこれが初めて。欧米でもデフレ懸念が強まってきたことから、“デフレ先進国”の日本が早急にデフレ克服の道筋をつけることへの主要国の期待の表れと見られる。。(毎日新聞)[5月17日15時21分更新]

●責任を問われないことの帰結

(前略) 筆者が本稿で強調したい論点は、むしろその先にある。組織であれ個人であれ、われわれは全知全能ではあり得ないから、すべての誤りを避けることはできない。重要なのは、誤りを誤りと認識し、組織の行動を絶えずより誤りの少ない方向に改善していくような努力である。あるいは、それを強いるような制度的メカニズムである。それが「規律」である。

 その観点からは、深刻なのは、誤りそれ自体よりも、誤りを是正させるような規律が存在しないことである。規律が存在しなければ、誤りを生み出す要因が排除されることもないから、同じ誤りが永遠に繰り返されることになる。日銀に関して真に危惧すべきは、まさにそれである。

 実際、これだけ明白な失敗を積み重ねているにもかかわらず、日銀は結局、その責任を問われることはまったくなかった。

 ある報道によれば、日銀が政府の反対を押し切ってゼロ金利解除を強行したとき、日銀側は、「責任はすべてこちらが負うから、とにかくここはゼロ金利を解除させて欲しい」と懇願して、政府を納得させたという。確かに、その約半年後に日銀が再びゼロ金利に復帰せざるを得なくなったときには、速水総裁がゼロ金利解除の判断ミスの責任を取って辞任するのではないかという観測が、マスコミで盛んに流された。しかし、速水氏は結局、「景気よりも構造改革」を唱える小泉政権が誕生したのをいいことに、日銀総裁の座に居座り続けた。そして、小泉政権誕生当時の「構造改革フィーバー」に便乗し、自らの政策ミスは棚に上げて、「デフレからの脱却には構造改革が必要だ」などと、かつての「よいデフレ論」とはまったく逆の主張を吹聴し始めたのである(安達前掲論文の図表4を参照)。

 おそらく、こうした無責任を改めさせることのできる唯一の機会があったとすれば、それが今回の日銀新総裁の任命であったろう。本連載第二回「『構造』なる思考の罠」で取り上げたように、日銀新総裁の有力な候補者には、これまでの日銀審議委員の中で唯一正しい見通しを示し続けてきた中原伸之氏と、日銀という組織にとっての最も正統な後継者と目されてきた、元日銀副総裁・福井俊彦氏の二人がいた。そして結局、小泉首相によって指名されたのは、福井氏の方であった。

 このことの持つ意味は重大である。というのは、それは小泉内閣が、これまでの日銀の政策運営のあり方に承認を与えたのとほぼ同義だからである。つまり、少なくとも現政権は、日銀に対して、「今まで通りやっていればいい」というお墨付きを与えたのである。

 本連載第二回で確認したように、福井氏は本来、「いまのデフレは単なる貨幣的な現象ではない」とか、「金融政策だけでデフレが解消できると考えるのは間違いだ」と公言し続けてきた構造デフレ論者である。そのことは、総裁就任前の3月18日に行われた衆院財務金融委員会での参考人としての答弁の中でも、再三強調されている。少なくとも、福井氏のこうした言動から判断する限り、その思考様式は速水前総裁とほぼ同様であると考えられる。つまり、物価の安定に対する日銀の責任を真摯に引き受けるとはとても期待できないのである。

 小泉政権は今後、こうした決定の結果責任を問われることになるかもしれない。しかし、その当の日銀自体に新たな規律を求める機会は、さらにあと5年を待たねばならないのである。

野口旭の「経済を斬る!」第3回 責任から逃避し続ける組織の病理

最近の報道機関および記者達の質的な低下が著しい。毎日新聞の報道カメラマンがクラスター爆弾を拾って持ち帰ろうとしたり、朝日新聞が曽我さんの北朝鮮の住所を報道したりと、常識を疑わざるを得ません。これらはほんの氷山の一角であろう。たぶん報道機関そのものの機能不全状態に陥っている。そして彼らの報道内容も歪みっぱなしだ。

記者も記者なら新聞社のトップも愛人騒動で日経新聞の鶴田会長が辞任した。おそらく日経新聞のみならずマスコミのトップは、金と女で弱みを握られ、外国の工作機関の言いなりにならざるを得なくなっているのだろう。自民党の幹事長も統一教会の女にたぶらかされて、マスコミに叩かれている。青森県知事も女性問題で辞任した。

日銀の福井総裁も「ノーパンしゃぶしゃぶ」の客のリストに入っていた。このように本人が意図しなくとも工作機関は罠を仕掛けて、金と女で弱みを握り、マスコミとグルになって、政治家や官僚やマスコミのトップといった権力者達は腐敗堕落して行くのだ。

今日の「サンデープロジェクト」でりそな銀行の事をトップでやっていましたが、日銀出身の国会議員と田原総一郎が、言いたい放題のことを言っていた。コメンテーターの財部氏もメガバンクを潰したくてしょうがないらしい。確かに銀行経営者の合理化努力はほとんど実を結んでいない。

いままで護送船団方式で銀行をがんじがらめに縛り付けながら、ビックバンだから経営改善しろといきなり言われても、銀行幹部はどんな手が打てるのだろう。株も土地も十分の一になってしまった。不良債権も早く処理しろと政府とマスコミが騒ぎ立てる。これは一種の国民的集団リンチであろう。

今まで何度も書いてきたが、バブルの発生と崩壊の責任は大蔵省と日銀にある。しかし日銀の福井氏は一度スキャンダルで処分されて、民間研究所にいたが、日銀総裁に予定通り返り咲いた。このようにエリート官僚は、スキャンダルで処分されても必ずその地位を回復する。その点、政治家は選挙の洗礼を受けなければならないが、エリート官僚はその必要がない。

構造デフレ論者の福井氏が日銀総裁になった以上、これからの5年は失われた5年となるであろう。小泉首相はそれを承知で任命したのだろう。最近日銀の官僚たちはしきりと「通貨価値の維持」を言っている。最近巻き起こってきた政府貨幣発行論に対する牽制の意味があるのだろう。

政府に通貨を発行されては日銀の特権はなくなる。もし政府の言うことを聞かなければ政府紙幣を発行するぞと脅かせば、日銀総裁も言うことを聞くようになるのではないか。1億円札でも1兆円札でもじゃんじゃん発行して国債を「買いオペ」して公的債務を帳消しにすればいい。むしろこれからは国債発行はやめにして、政府紙幣で公共事業を行えばいいのだ。そうなれば日銀は不要になる。




「りそなHD」事実上国有化へ、首脳陣は退陣
銀行の不良債権を瞬間的に消す方法がある。

2003年5月17日 土曜日

大手金融グループ、りそなホールディングス(勝田泰久社長)は十六日、二〇〇三年三月期決算で自己資本規制比率が国内で業務を営む銀行の最低基準である4%を下回る過小資本に陥るとして、公的資金の再注入を政府に申請する方針を固めた。これを受けて政府は十七日夜、小泉純一郎首相が沖縄訪問から帰るのを待って、預金保険法一〇二条に基づく初の金融危機対応会議を首相官邸で開き、資本再注入を決定する。これにより、りそなは事実上、国有化されることになる。(中略)

りそなが健全性の目安となる自己資本比率4%を維持できず、過小資本に陥るきっかけとなったのは、将来の利益確保を前提に資本算入が認められている繰り延べ税金資産の扱い。繰り延べ税金資産は増資と並んで株安による保有株式の損失や不良債権処理額の増加を吸収する重要な資本となるはずだったが、金融庁は昨年秋に税効果会計の厳格化を打ち出し、これが、りそなの繰り延べ税金資産圧縮につながった。この過程で、監査法人と銀行側の激しい対立の末に関係者の自殺という悲劇まで生む異常事態となった。(後略)

東京新聞 2003年5月17日朝刊より

◎1銀行システムを守るという目銀の役割と責任

いま経済全体にお金が回らない最大の理由は、民間銀行が融資を縮小しなければならない状況に置かれていることにあります。その背景にあるのは、いうまでもなく、不良債権問題です。融資とは、銀行が新たなリスクを背負うことです。不良債権を抱えたままでは、その新たなリスクをとることに対して消極的にならざるを得ません。つまり、不良債権問題を片付けないことには、銀行が自らの意思で貸出しを増やすということは期待できるわけがないのです。

銀行の不良債権処理を早急に進める策としては、不良債権を誰かが買い取るというやり方があります。ここで問題になるのは、誰のお金で買い取るかということです。ときおり話題に出てくるのは税金(公的資金)で買い取るというものですが、なぜ銀行の失敗に納税者のお金で負担しなければならないのか、とみなさんは思うはずです。それだけではなく、経済全体への影響を考えても、財政を使って不良債権を購入するのは有効とはいえません。なぜならば、先に述べた財政支出と同様、財政を使えば結局、民間部門の購買力を奪うことになってしまうからです。

私がかねてから提案しているのは、日銀が公表されている不良債権すべてを当初の帳簿価格で銀行から買い取るという、一度限りのオペレーションを実施することです。日銀とすべての銀行の資金のやり取りはオンライン化していますから、日銀が各銀行に「いくらで買い取った」というデータを送り、相手の銀行の口座にその金額が記録された瞬間に、不良債権処理は完了します。

これによって銀行のバランスシートはたちまち健全になり、通常の融資業務も行えるようになります。しかし、それなら日銀のバランスシートはどうなるのかという心配をされる方もいるでしょうが、その心配は必要ありません。なぜなら、日銀はコストゼロでお金を創造することができる存在だからです(たとえば、バブル時期に一〇〇の価値があったもので・いまは二〇の価値しかないものを、日銀が一〇〇で買ったとします。これは一見、八○の損をしたように見えます。しかし、日銀にとって一〇〇のお金をつくり出すことは、コストがゼロですから、緒果として二〇の得をするということになります)。

◎信用創造の大幅拡夫による「副作用」は起きないのか

これらの方法は、いずれも信用創造を拡大することによって需要を押し上げようとするものです。おそらく、この提案を見て、「そんなことをしたら、かえって経済が混乱するのではな いかLという印象を持った人もいるかもしれません。

懸念されるものの一つは、それだけお金の量を増やしたら超インフレになるのではないか、というものではないかと思います。しかし、いまの日本はデフレ、すなわち需要が足りない状態が続いているのですから、この信用創造の拡大によって需要が増えたとしても、即座に超インフレになる可能性はありません。また、中央銀行は経済全体に送り出すお金の量をコントロールすることができます。いくらでも無尽蔵にお金を出しつづけるということではありません。

銀行の不良債権を日銀が買い取るという案については、それによって銀行のバランスシートがきれいになるだけで、このこと白体が経済全体に回るお金の量を変えるわけではありません。お金の量が増えるのは、不良債権がなくなった銀行が融資を行うときです。

おそらくみなさんのなかには、七〇年代のオイルショック時のようなインフレを心配している人もいると思います、確かに、七〇年代と九〇年代とでは似ている部分もあります。一つは石油価格が大幅に上昇していること、もう一つは政府が大きな財政支出を行ったことです。一般の経済理論からすれば九〇年代はインフレになっているはずなのですが、実際にはデフレになっています。この違いがなぜ生じているのかといえば、大きな要因は信用創造の量にあります。

七〇年代は信用創造を大幅に拡大させていました。その水準は潜在成長率をはるかに上回る ほどだったために高インフレとなったのです。九〇年代はまったく逆で、信用創造が縮小されています。それゆえにデフレなのです。したがって七〇年代のようなインフレの再来を心配することはありません。

もう一つ、そういうやり方で銀行を安直に救済してよいものか、という意見もあると思います。銀行は白分の失敗で不良債権を抱えたのに、その失敗の責任もとらずに、簡単に救済するのはモラルハザードを引き起こすのではないかという主張です。

確かに、民間企業では事業に失敗したら経営者や株主が責任を負わなければなりません。それをせずに、政府が安易に救済するようなことが横行すれば、社会のモラルは崩壊してしまいます。しかし、銀行の不良債権の問題は、そもそも八○年代の後半に「融資を拡大するように」という日銀の窓口指導があり、それに逆らうことができない銀行がそのとおり実行したところに原因があります。

つまり、銀行は中央銀行の代理人として行動していたにすぎないのです。だとすれば、その責任を負うのは、代理人である銀行ではなく、日銀であると考えられます。その点を考えれば、日銀による資金で銀行救済をすることは、むしろ理にかなっています。

(「謎解き平成大不況」P213−P216)より

りそなHDが公的資金の再注入を申請いたしました。最近では銀行の経営破たんは毎度のことで国民は慣れてきてしまっているようだ。しかしながらこれは金融庁が銀行の会計基準を厳格化させたためであり、りそな銀行は金融庁に倒産させられたのだ。政府は景気対策にいくらでも打つ手があるにもかかわらず、「構造改革」を強行しようとしている。

株が値上がりしさえすれば、株を大量に所有する銀行や生保は、経営破たんなどありえない話だ。ところが時価会計基準の導入やBIS規制の導入で金融庁は銀行経営を締め上げた。なぜ今この時期に銀行を締め上げるのか。小泉・竹中内閣の方針が「構造改革」にあるからだ。

つまり「構造改革」とは「外資の導入政策」のことだ。すでに新生銀行とあおぞら銀行が外資の手に落ちた。そしていよいよ本丸の一角が国有化されることになった。これで政府の手で、外資に受け入れやすいようにリストラが行われ、格安の値段で外資に売却される。新生銀行の時のように瑕疵担保条項がつくかはわかりませんが。

民間企業の株式を大量に所有する銀行が外資の手に落ちれば、その取引先の民間企業も外資の支配下に入ることを意味する。株式の持ち合い構造の逆手を取られた形で、日本企業は外資に乗っ取られてゆくのだ。

このように外資の支配力が強化されるとどのようになるのか。今までの銀行や生保のようなもの言わぬ大株主なら、株主総会もシャンシャン総会で終わらせることが出来た。ところが外資が乗り込んでくれば、配当や人事やリストラなどシャンシャン総会では終わらなくなる。

外資といっても日本に根を下ろして経営するならまだいいが、彼らは転売が目的で日本企業を乗っ取ろうとしている。乗っ取りが完了した時点で日本政府に景気回復を迫り、株価が何倍にもなった時点で高値で売り抜ける。小泉内閣が景気回復手段があるにもかかわらず、実行しないのは外資からOKのサインがまだ無いからである。

国際金融資本は軍事力でイラクを乗っ取り、経済力で日本を乗っ取る。韓国や東南アジアはすでに彼らの手に落ちた。日本だけが最後までがんばったが、いよいよ最終段階が来たようだ。竹中金融大臣が失策を重ねているにもかかわらず失脚しないのはなぜか。抵抗勢力は「北朝鮮カード」で弱みを握られており、マスコミは買収されているから竹中大臣を叩けない。

小泉首相が外交政策に関しては私の提言どうりにやって、上手く行っているにもかかわらず、経済政策は全く無視された。日銀ですら株式の買取の乗り出したにもかかわらず、政府の方は全く景気優先政策をとろうとしないのは、小泉内閣がロックフェラーに操られているからだ。新生銀行を乗っ取ったリップルウッドの株主にちゃんとロックフェラーの名前が載っている。

「構造改革」が進んで大喜びの小泉首相(写真)



小室直樹著「日本国憲法の問題点」
憲法とは元来「慣習法」である。

2003年5月16日 金曜日

◆「ポツダム宣言」の読み方

日本人を絶滅、あるいは奴隷化する、こう書くと、読者の中には「それは筆者の思いすごし、想像にすぎない」と反論する人もあるだろう。民主主義のリーダーを自認するアメリカが、そんなことを考えたりするはずもない。そう思う人は少なくないはずである。もちろん現実には、アメリカは日本に対してそうした「解決策」を行使しなかったわけだが、そのプランが頭をよぎらなかったかといえば、そうではなかった。

その何よりの証拠が、かのポツダム宣言である。一九四五年七月二十六日、トルーマン(米)、チャーチル(英)、蒋介石(中華民国)の三者はベルリン郊外のポツダム宮に会合して、日本への降伏勧告を行なった。このポツダム宣言の中で、最も電要な項目は何かと間われれば、筆者はためらうことなく次の一節を挙げるだろう。

『吾等は、日本人を民族として奴隷化せんとし又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも、吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えらるべし。』(ポツダム宣言・第十項)

ポツダム宣言の急所はまさにここにある。戦争犯罪人を引き渡せば、「日本人を民族として奴隷化」もしないし、「国民として滅亡せしめ」る気もない。だから、安心して連合国に降伏せよ。ポツダム宣言を通じて、英米および中国は最大限の譲歩を示してみせたのである。

今さら歴史の講義をするまでもなく、過去において白人は世界中で「民族絶滅」、「民族の奴隷化」を行なってきた。ペルーにおいてインカ帝国は滅亡させられた。アフリカの諸民族は奴隷としてアメリカなどに売られた。中国人もまた、この点では白人と同様である。

有色人種は白人に負けたら、何をされても文句を言えないし、そうすることは「正義」に適うと思われていたのである。ましてや日本の場合、放っておけば、かならずや報復戦をしかけるに決まっている。目本を消滅させるのが英米にとっての国益である。しかるに、たとえ日本が降伏しても、それだけは勘弁してやることにした。これほど寛大な条件はあるまい。ポツダム宣言は、こう言っているのである。

日本人を精神的奴隷にしようとしたアメリカ

ポツダム宣言の解釈については、戦後の日本でもさまざまな議論が行なわれてきた。 日本は無条件降伏したと言うが、ポツダム宣言は「降伏のための条件」を示しているのであって、日本に対して無条件降伏を要求しているのではない。無条件降伏を要求している対象は日本の軍隊であり、日本そのものではない。正しくは「日本軍が無条件降伏した」と言うべきである。そう主張する論者は少なくない。

たしかに、それはそのとおりなのだが、そうした論者たちも見過ごしているのが、前出の第十項である。この項目を見れば、英米が当時の日本に対して「最大限の譲歩」をしているのは明確であって、無条件降伏のはずがない。ところが、西洋史に疎い日本人には、このポツダム宣言の意味するところがよく分からない。敗戦時の指導者たちも「はたして敗戦後も国体は護持できるか」、つまり皇室は維持されるのかという問題で頭がいっぱいで、英米の真意が見抜けなかった。

もし、この第十項の意味をきちんと理解していたら、戦後の日本でアメリカが何を行なうかも予想できたはずなのに、それができなかった。ここに戦後の蹉跌が始まるのである。たしかにポツダム宣言によって、英米は日本民族の絶減、奴隷化は放棄した。しかし、その一方で、日本による報復の危険性は依然として残る。この危険性を最小限に抑えるにはどうしたら、いいか。そこでアメリカが考えたのが、日本人の愛国精神を除去することだった。

日本人を実際の奴隷にはできなくても、精神的な奴隷にしてしまえば日本がアメリカに復讐戦 をすることはない。そこで行なわれたのが、「教育改革」であったというわけだ。日本の教育から徹底して民族教育の要索を除去する。非アメリカ的な教育をすることによって、日本がふたたび強国になる道を塞ごうというのである。

◆教育滅びて、民主主義も資本主義も朽ち果てた

アメリカ自身による日本の教育の「非アメリカ化」。このアメリカの目論見は、見事に成功したと言うべきであろう。まことにルソーやジェファソンの指摘は正しかった。教育なきところに、民主主義は育たない。教育が骨抜きにされた結果、今の日本に、対米報復戦を行なえるだけのパワーやガッツなど、どこにも見あたらなくなった。

それどころか、もはや民主主義も資本主義も機能しなくなって、日本そのものの明日さえ怪しくなっている。かつて世界の半分を敵に回して戦った国だとは思えないほどである。最近では、半世紀前に日本がアメリカと熾烈な戦いを繰り広げたことなど、ちっとも知らない若者さえいると言うが、これも驚くには当たらない。事実、今の日本はアメリカの五十一番目の州になりたがっているくらいなのだから、そう思うのは無理もない。

民主主義教育、民族教育が行なわれないから、政治家も官僚もますます堕藩した。政治家は「国家のためには命を捨てても惜しくない」と思わないから、大胆な改革など行なえない。官僚に反抗されたら、へなへなと腰砕けになる。

その官僚もまた「自分たちは国家、国民への奉仕者である」という観念がないから、国民の税金から出た機密費を流用しても、良心の呵責を覚えない。白分たちの安楽こそが最優先で、天下り先の特殊法人を守るのには熱心だが、血液製剤で国民が死のうと責任を感じなくなってしまう。

さらに付け加えれば、戦前には「お国のためにならない政治家」を暗殺する右翼や、国家権力に実力で対抗しようと考えた左翼が存在したが、そうした勢力は右も左も消えてしまった。政治家の暗殺は、一九六〇年に社会党委員長の浅沼稲次郎が山口二矢に刺殺されて以来、絶えてなくなった。

その代わりに大量出現したのが、いわゆるカルト宗教である。カルトの教祖たちは、学校教育に満足できない若者たちを吸収することに成功し、ついに国家転覆を実行しようとした。これらはすべては戦後教育のもたらした荒廃である。

「自主憲法制定」だけでは何も変わらない

本書で何度も強調しているように、憲法とは「慣習法」である。たとえ成文化された憲法があろうと、それが実際に行なわれているかどうか、 また、行なわれ ているとしても、それがどのように行なわれているかを見なければ、「憲法が分かった」とは言えないわけである。

その意味で、憲法とは日本人が考えているよりもずっと幅広いものであると言える。そして、その中には教育制度もまた含まれる。憲法を活かすも殺すも教育次第。こう言ってもけっして過言ではない。いかに立派なデモクラシーの憲法を公布しようとも、国民の間にデモクラシーが定着していなければ、その憲法は機能しない。(「日本国憲法の問題点」P165-P170)

ようやく有事法案が衆議院を通過しました。しかしながらその法律の対象となる自衛隊は、憲法では認められていない団体だ。実際上は憲法の条文は空文化している。司法も自衛隊を憲法違反とは判決を下せないようだ。日本はこのように、立法も司法も行政も満足に機能しなくなってしまった。

日本人の憲法論議を聞いていると、そのリアリティーのなさに失望を感じざるを得ない。条文をいかに解釈するかの議論は憲法の本質から外れた問題である。現在の憲法がいかなるアメリカの意図で作られ、それを押し付けてきたかを知らなければ、憲法問題は同じところを堂々巡りするだけなのだ。

結局のところ現行憲法が存在するかぎり、日本はアメリカの植民地であることから脱することは出来ない。ポツダム宣言において日本は奴隷化を免れたはずだが、ソ連に抑留され奴隷労働に従事させられた大勢の日本人がいることも忘れてはならない。それほど戦争に負けると言うことは、敗戦国に大きな災いを残す。

日本は60年近くたっても、いまだに敗戦のショックから立ち直ることが出来ないでいる。その原因の多くは、日本の戦後の学校とマスコミによる洗脳教育が、敗戦後遺症を長引かせている。憲法改正を言うだけで軍国主義者、右翼とレッテルを貼られ、政治家も政治生命を失った。

日本の敗戦ボケから覚醒するには、日本に北朝鮮のミサイルが10発ぐらい落ちないと、目が覚めないのだろう。戦前の日本が戦争へと暴走したのも、一種のマスヒステリーなら、戦後の敗戦ボケもマスヒステリーである。西欧人なら戦争に負けたら、いかに報復するかと考えるのが普通だ。

だからこそアメリカは日本に「平和憲法」と称して現行憲法を押し付けた。いまやその教育の成果が実を結び、日本の若者達は、ハンバーガーとコーラを食べ、星条旗がプリントされたTシャツとジーンズをはいて、髪の毛は金髪に染めている。若手政治家も官僚もアメリカの言いなりになっている。日本の若者は外見はともかく中身はアメリカ人になりきってしまったようだ。

小室直樹著 「日本国憲法の問題点」




リチャード・A・ヴェルナー著「謎解き平成大不況」
経済成長の最大の要件は「信用の創造」である。

2003年5月15日 木曜日

◎「新しいお金」はどこから来る?

「お金の量が増える」という状態はどんなときに起きるのでしょうか。「中央銀行がお札を印刷したらお金の量が増える」と思うかもしれませんが、刷ったお金を上空から バラまいたりしない限り、単に刷っただけでは、経済の主体である企業や個人に新しいお金は回ってこないはずです。

じつは、実際にお札を印刷などしなくても、世に出阿るお金の量を増やすことができます。先に、預金通帳にある残高は、通帳上にプリントされているだけで、現物の紙幣はそれよりもはるかに少ないと述べました。だとしたら、現物のお札などはなくても、通帳の上だけで金額を増やすことも可能だという話になります。そうすれば、全体の預金総額は増えます。そんな怪しいことができるのかといえば、それが実際に行われています。もちろん、ただ単に銀行員が誰かの通帳上の数字を増やすということではありません。これは「融資」という形で行われます。

たとえばA社が、取引している銀行に「三千万円貸してほしい」と申し込んだとしましょう。銀行の審査をパスすれば、融資が実行されます。これは、A社の社長が窓口に呼ばれて、三千万円の山積みの現金を受け取るという形ではありません。三千万円はA社名義の口座に振り込まれます。つまり、A社の預金通帳に「¥30,000,000」と記入されるだけです。このお金は、取引代金のやり取りではありませんから、ほかの誰の口座のお金も減らしません。これはまったく新しいお金で、これによって全体の「お金の量」が三千万円増えたことになります。

A社はこのお金で機械を買いました。買った代金は機械を販売した会社に振り込まれます。 ここで経済取引が三千万円増えました。「お金の量の増加分」と「取引金額の増加分」が一致するわけです。機械を買ったA社は、口座から三千万円が減り、さらに、三千万円を返済しなければならないという債務を負いますが、それは「お金の量」には関係はありません。

A社が銀行に返済を行うと、それだけ「世に出回るお金の量」は減ることになります。しかし「銀行が返済された分と同じだけ別の会社に貸出しを行えば、全体の「お金の量」は変わりません。銀行が返済を受けた以上に貸出しを行えば、全体の「お金の量」は大きくなります。これは、銀行が「新しいお金」をつくり、経済取引に送り出していることでもあります。これを「信用創造」といいますが、銀行から借りたお金というのは、何らかの経済取引に使われるものと想定できます。つまり、新たな信用創造の一円は、新たな経済取引の一円に結びつくのです。

そうすると、先にあげた「流通したお金全体の増加分」は、「新しく信用創造が行われた額」とするのが的確ではないかと考えることができます。「新しく信用創造が行われた額」は、「新しく増えたお金」の額を確実に示すのはもちろんのこと、このように捉えると、マネーサプライの問題点、すなわち「預金がはたして有効な購買力なのか」という問題も、「『預金』の定義をどのような範囲にするか」という問題も、即座に解決できます。「謎解き、平成大不況」(P124-P127)


◎これまでの経済学理論では語られなかった「現実」

これまで数えきれないほどの経済学者が「経済成長はいかにして実現できるのか」を模索し、経済政策を研究してきましたが、明確な答えを導き出すことはできませんでした。しかし、ここまで読み進まれたみなさんは、その答えがわかったのではないでしょうか。そうです。経済成長の最大の条件は「信用創造」です。完全雇用に近い状態で二、三%の経済成長をしている国でも、信用創造によってお金の量を増やすことで、経済をより拡大させることが可能になります。

あまりに単純な答えなので、「それだけであるはずがない。どうも怪しい」と思う人もいるでしょう。私も、あらゆる国のあらゆる時期におけるデータで検証を行いました。また、統計学上の検証も行っています一検証方法等の詳細は本書と同時発売の私の本『虚構の終焉』で示して います)。その結論が、「信用創造の量」でした。これまで分厚い経済学理論の本を何冊も読み、勉強と研究を重ねてきたエコノミストの方はとくに、この単純な答えは信じたくないかもしれません。しかし、これでさまざまな経済の現実が説明できるのです。

◎-信用創造のお金が「生産を高める」ほうに向かうことが重要

信用創造によってお金の量を増やせば経済成長ができる、というと、「単に銀行がジャブジャブ融資をすれば努力しないでも成長できるのか」という印象を持っかもしれません。しかし、これまで見てきたように、信用創造によるお金が、より多く不動産など資産部門の取引に向かえば・資産インフレだけを引き起こします。それがバブルになると、遅かれ早かれそのバブルは崩壊し、銀行は不良債権の山を抱えてしまいます。そうなると、否応なしに信用創造を縮小せざるを得ません。したがって、これでは、持続的な経済成長にはなりません。

また、信用創造のお金が、生産を高めることにならない消費などに多く向かってしまうと、物価上昇だけを引き起こし、実質的な所得は増加しないことになります。これでは名目上は経済成長しているようでも、実質的に国民の豊かさが向上したことにはなりません。

とくに不況だという状態ではなく、ある程度の経済成長をしている国が実質的に所得をより向上させるためにば、信用創造によるお金が、生産を高める「投資」に多く使われる必要があ ります。信用創造によるお金の量の増加と、先行投資の結果もたらされた生産の向上が同程度であれば、物価は上昇せずに実質GDPが拡大することになります。つまり、「インフレなき経済成長」です。

その「インフレなき経済成長」を達成する方法は、単純ではあるものの、簡単に実行できるわけではありません。まず、信用創造のお金が生産を高める方向に向かうよう、政府による賢明かつ適切な介入が必要です。繰り返し述べてきたように、お金を「貸す」「借りる」の信用創造の市場は、不均衡な市場であり、貸す側が借り手を選別するという割り当てが行われます。国全体の経済を考えるのならば、やはり政府による介入は不可欠です。

他方、いくら企業の先行投資に信用創造のお金が向かったとしても、それだけで生産が向上するとは限りません。企業の投資においては、工場を新設する、あるいは新しい機械を導入するといったものだけではなく、たとえば環境に配慮するとか、サービスを向上させるというように、目には見えにくい付加価値の向上も重要になります。付加価値の部分を含め生産性を高めていくには、技術力が必要ですし、創造性や意欲も必要です。また、経営者も社員も努力をしつづけることが不可欠になります。

いくら融資を受けることができても、お客さんに受け入れられるものを提供できなければ、他社にシェアを奪われ、会社は衰退してしまいます。次に融資を受けることも難しくなるでしょう。ですから、信用創造さえ拡大していれば努力などをしなくても楽に経済成長できる、というものではありません。

こうした経済成長の条件を兼ね備え、一番見事にそれを実現した国が日本です。ドイツもこの方法によって経済成長を実現しました。また、多くのアジア諾国も、日本型をモデルとして成長を遂げています。つまり、「日本型モデル」は歴史の現実が証明する成長モデルです。「謎解き平成大不況」(P193−P196)


リチャード・A・ヴェルナー著「謎解き平成大不況」は、日本のエコノミストから「とんでも本」と、けなされた「円の支配者」の著者です。なぜ日本の経済学者やエコノミストが、長引く日本の経済不況を理論的に説明できないのか、その能力が問われています。それは日本の経済学のレベルの低さを証明するものだ。彼らは教科書や経済学書に書かれた以上の事を考える事が出来ないのだ。

だから「円の支配者」のような大胆な指摘に対して、「とんでも本」」と言って貶すしかないのだ。しかし「円の支配者」以降、日本の経済学の議論が活発になってきたことは確かだ。私自身、「公的資金で株式を買い捲れ」と主張してきましたが、「円の支配者」以降、大蔵省・日銀の金融政策にバブルやデフレの原因があることに気が付きました。

それまでは公定歩合の上げ下げで、景気をコントロールしていると、日本のバカ経済学者たちは説明していましたが、問題は通貨の量的コントロールにあることをヴェルナー氏は日銀を告発した。日銀はそれ以前は「国債の買いオペ」にすらなかなか踏み切らず、金利は緩和しながら量的には締め続け、日本経済を大不況に叩き込んだ。

日本のバカ経済学者やエコノミストや経済ジャーナリストは、国債の「買いオペ」などしたらインフレが再発すると警告し続けた。日本のバカ経済学者は経済を通貨の面から分析することが全く出来ないようだ。通貨とは金の兌換券ではなく、信用によって創造されるものである。そのことをわかりやすく書いたのが「謎解き平成大不況」と言う本だ。

日本の経済の一番の問題は、銀行が信用の創造力を失っていることだ。しかしそれを回復させようとしたら、再び土地本位制に戻らざるを得ないだろう。日本の大蔵省は外圧に押されて、銀行に様々な規制の見直しを行い、銀行経営をガタガタにしてしまった。護送船団で規制で縛り上げながら、いきなり会計規則を変更して荒海へ放り込んだ。

現在の日本の銀行員に、企業価値を計らせるなどという事が出来るわけがない。財務諸表すらその裏を見抜くのは不可能である。ましてやデリバティブなどの評価は本人でしかわかるはずがないのだ。アメリカですら巨大会計事務所やエンロン事件などで、企業評価などいくらでも誤魔化せる事がばれてしまった。

結局は土地担保制度が一番手堅い信用創造手段であると言うことが、日本のバカエコノミストはわからないのだ。土地担保制度は日本のような地政学的なリスクの少ないところでしか通用しない。ユダヤ系国際金融資本家達にはとてもまねの出来ない、世界一優れた金融制度である。

日本のバカ評論家達は、日本の銀行を「質屋」と言ってバカにするが、担保を取るから低利でリスクがあり長期の貸し出しが出来るのだ。このような事はユダヤ金融資本家たちは真似がしたくとも出来ない。日本のエコノミストは外資系証券のエコノミストの言うことの受け売りばかりだ。

リチャード・A・ヴェルナー著 「謎解き平成大不況」



「ローズばあさんの話」 街を歩く多くの人々は
自分が死んでいることすら気がついていない。

2003年5月14日 水曜日

(前略)私たちは、拍手で彼女のスピーチを歓迎する合図を送った。
彼女は、話し始めた。

「私たちは、遊ぶことを年をとったからやめることはしないわ。だって、、遊ばないから、年をとるのよ。
若くい続ける秘訣って、たった四つしかないのよ。
それを、教えるわね。
@ハッピーでいること。
A成功しようと、がんばること。
B毎日、なんでもないことから何かを見つけて、ユーモアにかえて、笑うこと。
Cそれから、夢を失わないことよ。

あなたが、夢を失ったときが、あなたの死ぬときよ。
ほら、たくさんの人が歩いているけど、その人たちは自分が死んでいることにさえ、気がついていないのよ!
・・・いい?
年をとることと、成長することは、大きな違いがあるのよ。
もし、あなたが19歳だったとして、一年間なーんにもしないで、ぼんやりベッドの上で寝ていたら、次の年には20歳になっているわ。
私は今、87歳だけど、もし、ぼーんやり何もしないで一年ベッドに寝転んでいたならば、一年経ったら、88歳になってるわ。
誰だって、年をとることはできるのよ。
別に、才能も、能力も、必要ないわ。
いつも、変化と機会を探していることこそが、成長する方法よ。
後悔なんてしては、だめよ。
年をとった人が、後悔しているのは、何かをしたことを後悔している場合はとても、少ないのよ。それよりも、何もしなかったことを、後悔しているものよ。
死ぬことを恐れている人って、そういう後悔をいっぱいしている人のことよ。」

彼女はそのスピーチを”The ROSE"を、高らかに歌って、終えた。
彼女は、毎日勉強し、そして、生きていたのだ。
満場の拍手が、会場に響き渡った。

彼女は、その年の修了証書を受け取った。
それは、若いころから取りたかった・・・修了証書だった。

一週間後に、彼女は、他界した。
静かに、平和に、彼女は永眠した。
2000人以上の学生が、彼女の葬式に出た。
すばらしい女性が、私たちに何を始めるにも、遅すぎると言うことはないんだと、身を持って、教えてくれた。

もし、この話を読んだ人は、どうか、あなたの友達や、家族に送って欲しい。
きっと、みんな、楽しむだろう。

覚えておいて欲しい。ローズの言葉を。
”GROWING OLDER IS MANDATORY.
 GROWING UP IS OPTIONAL.”

私たちは、運命どおり生きていけるものだ、
私たちの人生を、その与えられたとおりに生きてみよう。
神様は、安全な土地を約束してくださった。
通るだけだ、などとはおっしゃらなかった。
もし、神様があなたにも、そうしてくれているなら、神はそれを取り上げたりはしない。
このメッセージを7人の人々にあげなさい。
私と、あなた以外の人々に。
もしあなたがそうすることを、選んだなら、あなたには、明日、奇跡が起るだろう。
もし、そうしなければ・・・
あなたは、誰かを祝福することを、拒否したことになってしまうだろう・・・。

地球はこう動いている 「ローズばあさんの話」

最近の日本の若い人を見るにつけ、日本の将来がとても不安になる。独立心やチャレンジ精神がまるで感じられないのだ。先週のNHKで経済問題の特集を3日間やっていましたが、そのなかで大学院生たちも出ていたが、その学生達が「国が研究目標を決めてくれ」と話していたことだ。一人だけではなく複数の学生がそのように話した。

その大学の大学教授達は、大学院生たちをどのように教育しているのであろうか。やはり大企業に就職して、定年まで大過なく勤め上げる事が、理想の人生と教えているのだろう。しかし大企業というところは、決して個人の夢をかなえてくれる所ではない。大企業の中では自己主張することは罪悪であり、会社はサラリーマンに全身全霊尽くすことを求める。

つまり若者は大企業に就職した時から、個人の夢は捨てなければならない。大企業の中でどのようなことをしたにしろ、その人個人の業績としては何も残らない。ノーベル賞をもらった島津製作所の田中さんは例外中の例外だ。ノーベル賞の委員会が選定しなければ田中さんの業績は一生会社に埋もれていただろう。

日本人はいつになったら目を覚ますのだろうか。人生の目標や理想や夢は人から与えられるものではない。学校の先生でもなければ両親でもない。しかしながら現代の若者は自分の将来に失望しているように見える。そして自分の夢や理想がないことを、政治家や学校の先生や両親の責任にしているのではないか。

最近の日本の閉塞感は日本人のメンタリティーに問題があるのだろう。あまりにも日本人全体が画一的に過ぎるのだ。人とは違った個性的であることを非常に恐れる。あるいは主張すべき個性がない。茶髪にジーンズにTシャツすら制服のようになってしまっている。外見もそうなら考え方も似たようなものだ。人が携帯を持てば自分もほしがる。絶えず自分が他人と同じであることを心のよりどころとしている。

日本が壁に突き当たった場合、その壁を打ち破れるのは決して画一的な人間ではない。夢や理想を持った個性的な人物によって打ち破られる。ところがそのような人物が日本には少ない。その原因は日本には「ローズおばさん」のような「進んだ考え方」を持った老人や大人たちが少ないからだろう。

個性的な日本人は、日本人の不良品として日本社会から弾き出される。メジャーリーグへ初めて進出した野茂選手は、日本のプロ野球から実力があっても弾き出されたのだ。このままでは日本のプロ野球はメジャーリーグの二軍化するだろう。野茂選手が標準的日本人であったのならば、あのまま燻ったまま野球人生を終えたであろう。

日本のサラリーマンはあまりにも個性がなさ過ぎるし、会社にしがみつき過ぎる。会社をステップとして独立したり、転職したりすることはその人の能力の証である。私も銀行のサラリーマンの後独立し、都内にオフィスビルと千葉にマンションを経営している。ところが銀行の貸し渋りで開店休業の状態だ。現在は掘り出し物の物件が沢山あるのに、銀行が貸してくれないから、ハゲタカファンドがその物件を買いあさっている。

ローズおばさんが言っているように、ほとんどの人は自分が死んでいることにも気がつかない。何もしてこなかったからこそ会社を定年退職して精神的に落ち込んでしまう。定年退職してからでは新しい夢を持つことは時間的に手遅れだ。若い学生やサラリーマンはローズおばさんの話を参考にすべきだろう。

南で食事をする男 のホームページ



東京裁判とニュールンベルグ裁判の相違点
東京裁判と国際刑事裁判所とは全く異なる

2003年5月13日 火曜日

(前略)ポイントをなすことは、日本人の主たる交戦相手国は米、英、仏、蘭、ソなんですね。我々は彼らにいかなる罪の意識も持ってないですよ。持つ必要もないし、持つ理由もない。これがドイツと決定的に違うところです。主たる交戦相手国に対して罪の意識を持たないということです。日本は物量と科学の力の差で負けたにすぎないんで、あの敗戦はそれ以上でも以下でもありません。日本に協力したアジアの指導者たち、チャンドラ・ボースとかバオ・モーとかスカルノは日本の傀儡であった面がなかったとは言えませんけど、各国を代表する愛国者でもあるんですよ。ドイツのナチ協力者とは違うんです。アジアの解放のために日本と一緒に戦ったあの人たちは、それぞれの祖国の愛国者であって、そのことはドイツと違って戦後に継続しているのです。アジア解放につながっているのです。

 中国と韓国だけがおかしいんですよ。中国も自由主義の体制にさえなれば、いっぺんに変わるんじゃないかと私は思ってるぐらいなんですけどね。中国だって同じような日本の協力があったんですから。南京政府は日本の統治のあいだ、ヨーロッパ、アメリカの植民地よりもはるかに多くの権利を与えられ、自主を享受したんですよ。そして権限も認められたんです。中国の解放というのが一つの大きな目的だったんですから、負けたから実現できなかっただけであって。間違えちゃいけないのは韓国です。韓国は日本人だったんですから、日本の側についてた。韓国が戦後、戦勝国民のように振舞うのは理論上おかしい。韓国は戦後償いをされる側にではなく、する側にあるはずなのです。

 ドイツと違うのは、これが一番のポイントだろうと思ってるんですが、ドイツは戦争が終わってから嘘をつき続けてるわけです。ドイツ国民は戦争が終わってナチスから解放されたという発想なんです。戦後の基本法にそう謳ってるんです。解放されたというのは変じゃないか。日本人は夢にもそんなことは言わないですよ。日本には軍国主義者がいたかもしれない。それが国民を苦しめた。間違った戦争かどうかはしらないけど、いろんな意味で我々はつらい思いをさせられた。だけど天皇陛下以下、我々は一丸となって運命共同体となって戦ったという意識なんですが、ドイツはそうじゃないんですよ。国民が二つあって、良い国民が悪い国民から解放されたっていう考え方なんです。

 ナチスというのは悪い国民で、他者なんですね。ドイツ人じゃないんだね。しかし戦後のドイツ人はナチスと同じではないのかという疑問が自然に我々にはわきます。戦後のドイツ人は、かつてナチスの協力者ではなかったのか。ナチスを推進した人々ではなかったのか。なかったんだと彼らは言ってるんですよ。なかったということにおいて成り立ってるのが戦後のドイツなんです。これが徹底的に自己欺瞞ですね。戦後の西ドイツは数千万の元ナチ協力者を全部無罪で放免しちゃってるわけですから、そんなことは詭弁に決まってるんですが、テオドール・ホイス大統領以下一貫して、フランスやポーランドやオランダがナチスから解放されたようにドイツ国民もナチスから解放されたと言ってるんですよ。こんなのは大嘘ですよ。しかし、そう言わなければあの国は生きてこられなかったんです。ホロコーストはそれほどにも大きな人類への犯罪でした。(中略)

ニュルンベルク裁判では人道に対する罪でナチスの指導者たちが裁かれたけど、東京裁判では人道に対する罪に適応できる指導者は出せなかった。出せなかったけど、どうしても東京国際軍事裁判は東京とニュルンベルクを同じにして裁きたかった。それで南京虐殺というのをつくりあげたんですよ。しかし南京虐殺をつくり上げたからといって人道に対する罪で松井石根さんが処刑されたわけではないんです。人道に対する共同謀議なんていったって、論証できなかったんですよ。共同謀議は全部壊れてますからね。共同謀議なんてあり得ない話ですから。共同謀議と言ったら、日本は戦前から戦後にかけてたくさんの戦争を一つの意思で統一して謀議してたという話になるけど、満州事変以来、内閣が何回替わってますか。昭和2年から17回替わってるんですよ。それで共同謀議ができますかね。歴史事実に反するんですよ。

 とにかく一言で言うと、ドイツは自分達が戦争の犠牲者であって、戦争の推進者ではない。どこかに悪者がいた。12年間は歴史の例外で、戦後のドイツはすっぱりきれいになったから、歴史は断絶していて、戦後は民主国家として蘇ったという、この虚偽の上に戦後のドイツは成り立っているんです。ところが日本は同じ天皇でずっと一つの体制が続いていて、自ら自分を裁かないできたから日本は駄目なんだということをドイツ人までが言う。それは間違いです。ドイツがどんどんおかしくなってるのは自分に対する虚偽のせいです。

 我々日本人は胸を張っていいんですよ。普通の愛国戦争を戦っただけなんですから。戦争ですから逸脱はありましたよ。戦争犯罪はありましたよ。戦争犯罪は戦勝国もさんざんやりましたよ。戦争があれば普通の戦争犯罪は必ずあるんで、アメリカもイギリスもフランスもロシアもどこでもみんな戦争犯罪はやりました。しかしナチスのような、戦闘行為とは関係のない人種思想から出た特殊な集団殺戮というものは日本の政治が夢にも考えたことのないものですよ。性格が全然違うんで、そうした犠牲者をすべて追悼するディ・ノイエヴァッヘというドイツの制度を参考にして、追悼婚は平和記念碑というようなものをつくりだそうとした。これは全くナンセンスだということです。(後略)

西尾幹二のインターネット目録 平成15年5月6日(五)より

今回のアメリカによる対イラク戦争は、アメリカの正体を考える上で大きなヒントになっている。アメリカは建国以来戦争によって領土を拡張してきた。カナダ、メキシコ、スペインと次々と戦争を仕掛け領土を拡張している。ハワイ王国を侵略して領土とした後は植民地政策に切り替えた。

アメリカ本土では、アメリカインディアンを次々虐殺し「民族浄化」を行った。その数およそ200万人である。白人達はインディアンを滅ぼすために、彼らの食料となるバッファローを絶滅した。食料を断てば労せずして大勢の人を餓死させることが出来るからだ。アメリカはナチスドイツ並みに罪深い国家である。

アメリカは、膨大な非戦闘員を殺していることに関しては、空前絶後の犯罪国家である。ところが戦勝国であるがゆえに、その罪を問われていない。ベトナム戦争敗戦後は少しはリベラルな人たちにより反省の色が見られたが、ブッシュ大統領の登場によりそれは消えた。アメリカは巨大帝国であるがゆえに、自らその罪を認めては巨大帝国は崩壊する危険性を秘めている。

だからこそ、ブッシュ大統領は国際刑事裁判所から脱退してしまった。これは1998年のローマ条約から発効しているもので、過去に遡って刑事訴追はされない。しかしブッシュやチェィニィーやラムズフェルドはアフガニスタンやイラクにおける非戦闘員殺害の罪で刑事訴追される資格を持っている。イスラエルのシャロンも、パレスチナ住民をジェニンで虐殺した事件を起こしている。

もし1940年頃から国際刑事裁判所があったならば、東京裁判はどうなったであろうか。多くのB級C級戦犯がいたことは間違いがないだろう。しかしその数は大幅に減っているに違いない。B級C級の裁判では通訳も満足になく被害者の証言だけで死刑になった。多くが日本への報復手段として処刑されたからだ。

東京裁判では、初めて南京大虐殺が告訴された。事件が起きたとされる時期においては、中立国のニュースでも報道されなかった。当時南京にはアメリカを始め多くの従軍記者たちがいたが、大規模な虐殺報道はない。最近明らかになったニュースでは、関東平野より広い南京デルタ地帯の死者が30万人ぐらいと報道された記事が改竄されて南京大虐殺になったらしい。

東京裁判は西尾幹二氏が指摘しているように、ナチスドイツを裁いたニュールンベルク裁判とは大きく性格が異なっている。日本はナチスドイツのようにホロコーストは行ってはいない。しかしアメリカとしては報復として東京裁判を行う必要があった。終戦直後の当時は、フランスがインドシナを再占領したし、オランダもインドネシアを再植民地化した。

このままでは日本がアジアの植民地の解放者となってしまうことを恐れた米、英、仏、蘭が、日本を犯罪国家に仕立てる必要があったのだ。その為にアメリカは中国や韓国を前面に押し立てて日本の植民地支配を告発させた。シンガポールも中国系華僑を虐殺したと告発した。しかしこれらは東京裁判では全容が明らかにされたとはいえない。あまりにも検証がお粗末だからだ。

もし東京裁判で満州事変以降の真相が明らかになった場合、一番困るのはアメリカだろう。今回のイラク攻撃を見ても、湾岸戦争から十二年の計画的集団謀議を重ねて、イラク占領に成功した。目的はいろいろあるが、アメリカはイラクを侵略したかったから侵略した。イラクを戦前の日本に置き換えればわかりやすい。

アメリカはパールハーバーで日本を戦争に引きずり込こむとに成功した。それはサダムフセインをそそのかしてクウェートを侵略させたのとよく似ている。結果的にアメリカはイラクを占領することに成功した。それと同じように日本を挑発して、パールハーバーを攻撃させ、結果的に日本を占領したのと同じ事を行ったのだ。

イラクのサダムフセインは対米戦を避けようと努力した。しかしアメリカは様々な理由をでっち上げ開戦した。当時の日本も対米戦を避けるべく努力をしたが、徹底的に追い込まれ窮鼠猫を噛むで開戦に到った。アメリカは戦争を決断したら必ずする。その事がイラク戦争ではっきりした。

戦後の日本はアメリカのプロパガンダに汚染され、第二次大戦の犯罪国家として裁かれた意識を持っている。しかし東京裁判は国際刑事裁判所とは全く性格が異なり、単なる戦勝国の報復のためのセレモニーである。ところが学校教育において東京裁判史観が子供に叩き込まれている。だから中国や韓国の歴史教科書批判は非常に悪質な内政干渉である。ここで国際刑事裁判所についての美濃口氏のコラムを見てください。

国際刑事裁判所と政治家の老後の過ごし方 美濃口 坦



中国でますます希薄になる道徳観
SARSの蔓延は中国人の不衛生にあり

2003年5月12日 月曜日

(前略)近年、中国人の日本での凶悪犯罪やピッキング強盗を目撃するにつけ「中国では道徳教育はどうなっているのか?」と深い猜疑心に取り憑かれる。かの国では道徳はついに滅びたのか?

中国では革命以降も昔からの教育に連動した道徳教育が細々と存在していた。ただし学校では社会科学を重視するあまり精神的なことは教えられていない。 >  共産党全国人民代表大会ではかならず「精神文明」が決議せられる。分かりやすく言えば国際ルールを守ろう、基準を遵守しようということだ。

末端ではそんな呼びかけなんぞどうでもよいことだから、最近は「文明衛生」というスローガンになる。中国のあらゆる都市、町、村へいっても「文明衛生」の立て看板がある。  アドバルーンもあがっている。字面から環境保護と考えがちになるが実は最低限度の道徳律のことで、「文明」はこの場合、モラルの意味である。

たとえば次のような標語が並んでいる。

1 むやみに道路にたん唾を吐くな

2 紙くず吸い殻を捨てるな

3 ゴミを勝手に出したり汚物を流したりするな

4 ポスター、落書きを禁止する

5 街で暴れたり衣服を脱いだりするな

6 どこでも大小便をするな

7 流言飛語をわめくな

(昆明市「文明衛生」七つの禁止事項)

(中略)ところが1949年10月、天安門に赤旗が翻って以来、儒教の教えは反動的であり、中国に対する外国の侵略を許した旧来の封建的発想であるとして徹底的に排斥された。

毛沢東の「文化大革命」の間は「批林批孔」といって政敵・林彪とともに孔子様まで中国は完全に否定してしまった。

この「文革世代」は教育をまともに受けなかったから素養がないばかりか根本的な道徳心に欠ける人が多く、識字率が低い(ちなみに世銀99年統計で全中国の文盲率は31%である)。

中国でますます希薄になる道徳観 宮崎正弘 日文論壇

最近のニュースではSARSがニュースのトップになる日が続いている。世界各地のSARSの蔓延は隔離により収まりつつあるが、中国国内の蔓延は直ぐには収まりそうもない。SARSの感染はせきなどによるものと、人間の排泄物が感染源となっているようだ。SARSに罹ると激しいせきと下痢と嘔吐におそわれる。

中国では下水道が普及しておらず、排便や嘔吐物が道路わきに残り、それらが風などで舞い上がり感染してゆく。日本や韓国では今のところ感染は広がってはいないが、下水道の普及が感染を防いでいるのだろう。しかし中国で下水道が普及したところで道徳観や衛生観念が変わらなければ効果はない。

宮崎氏はこのような中国人の道徳観の低さを、共産主義革命によって、儒教道徳をも否定してしまったからだと指摘しています。儒教のせいで西欧列強に支配を許したというのは濡れ衣だ。しかし文化大革命によってさらに儒教道徳は否定され、ますます中国人の道徳観は無くなってしまった。

日本においても同じような現象が起きた。愛国教育が軍国主義を招いたとして否定された。教育勅語も内容はともかくとして否定された。さらには儒教道徳も同じようにみられ、最近の若い人のモラルの低下につながっている。さらにはこれらの否定が子ども自身の学力の低下や、能力の低下につながっている。

日本人を立ち直らせるには、幼稚園や小学生のうちから徹底した道徳心やモラルを叩き込み、愛国心や社会規律を身につけさせるべきである。そうしなければ、中国におけるSARSの大流行に見られるように、思わぬところから反撃を受けるだろう。これらの戦後の日本教育の退廃は左翼共産主義者とアメリカ占領軍が利害が一致して進められた。

もはや学校は学生の茶髪も是正指導できなくなったようだ。そして無気力、無関心、無責任な生ける屍のような若者が日本をダメにしている。歴史や文化や伝統というものを否定すると、根無し草のような精神の荒廃が起こり、道徳やモラルが乱れるのは当然のことである。そのことを太田龍氏は次のように述べている。

(前略)○日本はもはや日本でない。

日本はとっくの昔に滅びて居り、
 今、存在するのは、若者男女が圧倒的に茶髪金髪化する売国奴の
 群れ、日本もどき、ニセの日本、乳児から英語を教えることを
 カッコイイ、と思う国賊売国奴の若い親たち、日本を詐称する、ユ
 ダヤイルミナティ米英世界権力の囚人としてのもと日本、日本の
 ゾンビ、に過ぎない。

○日本はいまや、米国(イルミナティ)の一匹の「チワワ」犬に
 過ぎない。

○「チワワ」とは、メキシコ原産、最も小さいイヌとして知られて
 居るそうだ。

○かって、一九〇二年(明治三十五年)、日英同盟が締結されたとき、
 英国の新聞は、ヴィクトリア女王の番犬として日本を描いた戯画
 (カリカチュア)を載せたそうだ。
 但し、ヴィクトリア女王の治世は、一九〇一年まではなのだが。

○いずれにしても、「日英同盟」と、ご大層に言うけれども、そこでの、
 日本の役割は、大英帝国の一匹の番犬に過ぎなかった。

○いま、日本は、大米世界帝国の番犬、どころか、ご主人さまに
 どこまでもついて行く米国のチワワ。一匹の座敷犬。

太田龍の時事寸評 パトリック・ブキャナン「ブッシュはネオコンか」




冴え渡る小泉外交の秘密を探る。かなり優秀な
外交戦略家がいるに違いない。それは私である??

2003年5月11日 日曜日

小泉内閣もこの5月で丸二年を迎えます。マスコミの評判を聞くと、経済は最低だが外交は評価できるとの声が多い。内閣が発足して以来、911テロ、アフガニスタン攻撃、イラク戦争、北朝鮮問題と外交に関しても、かなり激動の時代であったといえる。その中では外交ではかなり上手く立ち回ったと言えるのではないかと思う。

外務省をはじめとする外交スタッフの存在感が非常に低い。親米派と親中派が勢力を二分して、日本の国益を代表した外交が出来ないのだ。川口外務大臣もこれといった外交戦略を持ってはいない。外交は足して二で割ればいいものではなく難しい。911以降の親米路線はその意味で成功だったといえる。911で言えば私は次のように予言した。

2001年8月29日 「中東情勢がきな臭くなってきました」

ブッシュ大統領は何を企んでいるのだろうか。彼の背後には産軍複合体があり、エネルギー産業がある。となると中東で何か陰謀を企画してもおかしくは無い。イラクのフセインはCIAとつながりがあると言われている。湾岸戦争の時もフセインを失脚させなかったのもその関係だろう。敵の大統領と話をつけてマッチポンプで戦争をすれば一石二鳥の効果がある。事実アメリカはクウェートやサウジに軍隊を置き油田を手に入れた。そしてPLOを弱体化させた。日本から130億ドルの軍事費を毟り取った。すべて計算ずくの陰謀である。日本は軍隊を出せないから金を出さざるを得ない。

これは911テロの2週間前の私の日記です。私はこの時点でアメリカの陰謀を見抜いていた。これはアメリカの政治、経済、歴史、文化などを分析すればわかることだ。911は増田俊男氏も予言していた。日本の外務省でこのような分析が出来る情報分析官はいないだろう。911後の日本の閣僚達の狼狽振りは見苦しかった。小泉首相の第一声は「怖いねー」だった。私は日本がアメリカに対して何が出来るか次のように提言した。

2001年9月18日 「機能が麻痺している日本政府と日本外交」

日本政府がマヒしている象徴が15日の祭日の国旗掲揚だ。米国が半旗を掲げているのに、日本はいつもどうりに国旗掲揚している。少し無神経過ぎやしないか。テロに抗議するためにも日本も半旗を掲げるべきだ。それから世界各国では犠牲者に対する追悼集会が行われている。ところが日本では行われていない。政府が主催してでもテロの犠牲者のためとテロに対する抗議のための追悼集会を開くべきだ。この国には全く国際外交センスがない。

私はこの提言を小泉首相や福田官房長官や安倍副官房長官などにFAXを入れた。その三日後の首相の記者会見で、政府主催の追悼集会を開くことが発表された。私の提言で行われるようになったのかはわからないが、それほど政府閣僚は狼狽していた。そして日本の文化人の多くが911に対して沈黙してしまった。北朝鮮の拉致問題も早くから指摘していたが同じ月の30日に次のように書いている。

北朝鮮は150人もの日本人を拉致している。それに対し日本政府は何もしていない。怪しげなスパイ船がいても追い払うだけで、捕まえる事はしない。それほど日本政府は北朝鮮に逃げ腰なのだ。このようなスパイを捕まえて、拉致された日本人と交換するぐらいのことは出来るはずだ。金正男なら交換で拉致された日本人100人ぐらい取り戻す事が出来たのではないか。田中真紀子外務大臣は親中国派だからやらなかったのだろう。

これは12月24日に起きた北朝鮮の不審船事件を予言している。そして拉致問題も翌年の2002年9月17日に拉致は金正日も認め明らかになった。小泉首相の訪朝は明らかに間違いであった。怪我の功名で拉致問題が明らかになり、北朝鮮との国交回復は出来ていない。それについては私は次のように書いている。

2002年9月8日 「小泉首相の訪朝は補償金のキックバックが目的だ」

今この時期になぜ小泉首相の北朝鮮訪問が決まったのか。やはり小泉首相の独断的行動らしい。周囲に相談していれば当然誰もが止めていたはずだ。これは派閥次元の問題も絡まっている。中川ー森ラインによる北朝鮮利権をめぐる、橋本派との主導権争いがある。中川元官房長官が北朝鮮の工作員に接触しパイプが出来上がり、森前総理が話を進めた。金正日の狙いはアメリカへの牽制と5兆円とも言われる森首相との補償金の約束の履行である。

もし5兆円の補償金が北朝鮮に支払われれば、森派は仲介手数料として5%と計算して2500億円の巨額の資金が森派の懐に転がり込む。これなら森氏でなくとも目がくらんでしまうだろう。韓国利権や台湾利権はなくなった。中国利権もODAの縮小でなくなりつつある。となると今後大きく金が動きそうなのが北朝鮮だ。だから自民党の各派閥は北朝鮮利権の獲得に血眼だ。

私の警告がきいたせいか小泉首相は、金丸氏のように洗脳もされず、買収もされず、逆に拉致問題を金正日を認めさせ、5人の拉致被害者の奪還に成功した。私は前日の16日の日記で金正日は意外な譲歩をしてくると書きましたが、それは拉致を認め、5人を一時帰国させたことだ。このように小泉首相は外交音痴だがついている面もある。さらにイージス艦のインド洋派遣はぎりぎりで間に合ったといえる。私は次のように提言した。

2002年8月3日 「日本はイージス艦をインド洋に派遣せよ!」

日本政府は湾岸戦争のときの教訓がまだわかっていないのだろうか。ドイツは湾岸戦争で基本法を変え海外派兵が出来るようになり、ボスニアやアフガニスタンへも派兵している。ところが日本は何も変えていない。ソ連は崩壊し冷戦は終わったのである。当然アメリカは外交を変えてくることに気が付くべきだった。アメリカのジャパンバッシングは湾岸戦争の不参加への仕打ちである。

小泉内閣は12月にイージス艦をインド洋に派遣しましたが、これでようやく小泉首相のアメリカのイラク攻撃支持の裏づけが出来た事になり、これからもイージス艦のインド洋派遣は延長されるようだ。小泉内閣のイラク攻撃支持は2月18日国連で出されたが、これも三日前の日記で次のように提言している。

2003年2月15日 土曜日 「パウエルの強硬姿勢はお芝居である 日本政府はイラク攻撃を支持すべきである」

本気で米軍が北朝鮮を攻撃する場合、在韓米軍は撤退しているか、後方に下がっているだろう。家族達も引き上げていないと危険にさらすことになる。ブッシュと金正日のチキンゲームは、今度も金正日の勝ちとなるのだろうか。日本にもミサイルが飛んできて、生物化学兵器を使うかもしれない。しかし日本には防衛手段がない。日本の国会議員たちの怠慢がこのような結果を招く。今のところ米軍にお願いするしかない。だから政府はイラク攻撃は賛成すべきである。アメリカの機嫌を損なうことは出来ない。

もし日本が、フランスやドイツのようにイラク攻撃に反対していたら、日米関係は大変なことになっていただろう。世論としては大いにイラク戦争に反対すべきだが、日本政府の方針としてはアメリカを指示せざるを得ない立場にある。それが小泉首相はなかなかはっきり態度を表明しなかった。やはり私の外交政策提言を参考にしたのだろうか。

このように、私の外交政策提言と、小泉首相の外交政策判断とが一致していることが多いのは、偶然の一致だろうか。たぶん偶然の一致だろう。一国の総理が私のホームページを見て政治をしているわけがない。しかしFAXなど有力議員などに出してきたから、読んでいてもおかしくはないが。

出来ることなら経済政策についても私の政策提言を受け入れてほしいものだ。

首相官邸のホームページ



ハート/ネグリの『帝国』を読む(リベラシン書評)
アメリカ帝国は国境を越えて全世界を支配する

2003年5月10日 土曜日

(前略)主権が国民国家の次元を離れて、あらたな姿で成長し始めているのではないか。単一の規則の論理のもとで、さまざまな国家的および超国家的な組織が、ひとつの帝国を形成し始めているのではないか−−これが著者の仮説である。

近代を通じてヨーロッパの帝国主義は、国民国家の主権をその礎にしてきた。しかし今姿を著し始めている帝国(Empire)は、帝国主義(Imperialism)とはまったく異なるものだという。なぜか。近代の帝国主義はほんとうの帝国を構築するものではなく、ヨーロッパの国民国家の主権を外部に延長したものにすぎないからだ。その証拠は、世界のほとんどの地域は、ヨーロッパの国旗の色で塗り替えられたことだ。インドはイギリスの旗の色で、ギアナはフランスの旗の色でなど。そして植民地にされた国は、宗主国の支配のもとで、同じような階層的な政治構造を構築させられ、明確な国境のもとで、他国の支配を排除する。

しかしこの体制の崩壊とともに、新しい帝国が誕生する。帝国主義とはことなり、帝国は権力を国境で制限しない。固定した国境や障壁に依拠しない。「帝国は脱中心的で、脱領土的な規則の装置であり、これは開かれた拡張するフロンティアの内側に世界の全体の領域を段階的に取り込んでいく」(xii)。帝国には、帝国主義の諸国のような単一のアイデンティティはないし、階層構造も柔軟だ。もはや帝国を旗の色で塗り分けることはできないのである。

このような転換によって、資本主義の生産様式にも変動が生じていると著者は指摘している。とくに第一世界、第二世界、第三世界という区別ができなくなったことが注目される。第一世界のうちに第三世界があり、第三世界のうちに第一世界があり、第二世界はもうほとんど姿を消したからだ。世界的な取引の流れが構築されるなかで、中心的な生産プロセスそのものも変身してきた。工場の労働者の役割が低下し、コミュニケーション的で、協力的で、感情をもつ労働者が重視されるようになる。グローバリゼーションのうちでは、生−政治学的な生産において、社会の生命そのものの生産において、富が生み出されるようになる。経済、政治、文化がますます重複し、他の領域に投資し始める。

このグローバリゼーションのプロセスを支配し、新しい世界の秩序を構築する最終的な権威をもっているのはアメリカ合衆国だという意見をよく聞く。これを賞賛するとしても、帝国主義的な抑圧者として非難するにしてもだ。しかしハート/ネグリはこれはヨーロッパが失った帝国主義の役割を米国が引き受けていると想定するという誤りをおかしていると考える。「アメリカ合衆国は、そして今日ではいかなる国民国家も、帝国主義的なプロジェクトの中心となることはできない。帝国主義は終わったのだ。近代のヨーロッパ国家のような方法で、世界のリーダーになれる国はもはや存在しない」(xiv)。

著者は米国が「帝国」で特権的な地位を占めていることは認める。しかしこの特権は、米国が近代のヨーロッパの帝国主義の国家と類似しているからではなく、異なっているから生まれたのだというのである。それは米国の憲法が帝国主義ではなく、「帝国」としての特徴をもっていることからも明らかだという。米国の建国の祖たちは、大西洋の彼方に、国境が開かれた新しい「帝国」を建国することを夢見ていた。そして権力はネットワークのうちに効果的に分散されていた。書かれた憲法においても、その憲法に基づいた国家体制においても、米国はますまず成熟し、地球的な規模でそのほんらいの姿を現し始めたというのがハート/ネグリの主張だ。

帝国主義から帝国へ (序ー1)

増田俊男氏の最新のコラムを読むと、アメリカ人がパリでかなりコケにされているようだ。これはフランス人のみならず、ヨーロッパ人全体に見られる傾向のようだ。増田氏が英語でタクシーで行き先を告げたら乗車拒否されたそうだ。アメリカ人はパリのホテルを予約しても満室だと断られる。これはイラク戦争のずっと以前から見られた傾向だ。

ヨーロッパ人から見れば、アメリカ人は俄か成金の田舎者に過ぎない。ブッシュ大統領はまさしくカウボーイの田舎者だ。そのアメリカが軍事力に任せてイラクを占領した。アメリカはイラクを新たなる「日本」にしたいらしい。その日本と日本人は経済的繁栄に目が眩み、自国が帝国の支配下にあることに気がつかない。

ヨーロッパの帝国主義が、アメリカにおいてはグローバリズムがイデオロギーになっている。帝国主義が宗主国と植民地という国境が存在するのに対し、グローバリズムは国境を超越する。アメリカ帝国は日本に対し、国境を越えてグローバリズムの名の下に、アメリカ流になんでも変えてしまい、日本は二度とアメリカに歯向かえないように国民を洗脳してしまった。

日本人はディズニーランドへ行って、コーラとハンバーガーを食べ、ジーンズとTシャツをみんな着ている。そして髪の毛まで金髪にみんな染めている。そしてヒップホップの音楽を聴きながら、ブレイクダンスを踊っている。このような光景をヨーロッパ人が見れば嘆くだろう。日本はアメリカの下賎な文化に汚染されたと見られるだろう。

日本には日本の伝統文化があるはずなのだが、そういうものはやがて忘れ去られ捨てられてゆく。日本の支配階級も日本人をアメリカ人として洗脳教育をしているように思える。アメリカは左翼と連帯を組み東京裁判史観を植え付け、日本人が日本人として誇りを持たないように愛国主義を否定した。そのイデオロギーがグローバリズムである。

かつて全世界を支配したヨーロッパ人から見れば、アメリカ帝国の実態がよくわかるのだろう。だからこそアメリカ人はヨーロッパではコケにされ、バカにされ、田舎者扱いされるのだ。日本人としてもヨーロッパの視点からアメリカを見るべきだろう。その為にもハート/ネグリの『帝国』は読むに値する。

ハート/ネグリの『帝国』を読む リベラシン書評目次




「従軍慰安婦」「ノーパンしゃぶしゃぶ」と朝日新聞
性的饗応で骨抜きにされた大蔵省とマスコミ

2003年5月9日 金曜日

最近知られる様に成った言葉として、
  「ノーパンしゃぶしゃぶ」
と言う言葉が有ります。

 中国系韓国系居住者がその殆どを占める様に成った総会屋と深い関係の有った大手銀行役員に対する接待と、その銀行を検査する大蔵省検査部の方々に対する接待の手法として、最近は多くの日本人に知られる様に成りました。
 その接待方法の名前は、日本人には初め何の事なのかトンと思い浮かばない戸惑いと、一瞬後、新しい世俗語で有るらしい所と性的用語で有るのだろうと言う憶測が成立したと思います。
 週刊誌などに記載される様に成ったのは2年位前からでしょうか。

 ですが私が初めてその名前を耳にしたのは、13年以上前に成ります。
 バブル経済の初期、住専が無担保で数百億円規模の融資を行っていた頃で有ります。
 従軍慰安婦問題がややものに鳴りかけて、中国韓国から謝罪要求や国家賠償の訴えが嵐の様に巻き上がろうとする少し前の事で有ります。
 私にその言葉の意味を教えてくれた人は在日北朝鮮人で、元朝鮮総連東京総書記長ボク=ヒョヒルと言う方の親派を名乗る方で有りました。
 場所は埼玉の大宮の大衆サウナホテルで有りました。

 「やがて日本は大混乱に陥る事に成る。
 経済にしても、思想にしてもだ。
 奴ら中国人と韓国人に荒らされるだけ荒らされる。
 盗賊団に稼がれると言う事だ。
 例えば従軍慰安婦問題にしてみれば、日本人は暢気に考えているかも知れないが、奴らはこれから嵐の様に騒ぎを上げる事に成る。
 今の日本人は奴らに情けを示している形だが、奴らは人の情けを食って何処までも太る獣どもなんだ。
 余りに悪魔的な心に染まっているからこそ、俺達とは正反対の天を突く様な天使みたいな顔をしていられるんだ。
 中身は貪欲な獣そのものなんだ。
 俺達が言うのも変な話だがな。

 ところで、何故奴らは自信を持っているかと言うと、実は既にそれだけの実績を上げているんだ。
 奴らは正体がばれない方法で残忍凶暴な本性を現すが、一方では巧みに女を使ってイカサマをやる。
 日本人には思いもつかない方法だ。
 生活テロ等で気持を不安定にして置いて、好みに合いそうな女を捜し出してその女に懐柔したい男を諄き落とさせると言う事だ。
 こうした接待方法を奴らは、「九ノ一麺麭、射武者部。」或いは、「ノーパンしゃぶしゃぶ。」と言う。
 覚えて置け、今にいやに成るほど聞かされる言葉だ。

 で、その接待方法が完全に当たった。
 その接待方法で深く日本人社会の中で入り込んだと言う事で、奴らは今沸きに沸いている。
 有頂天に成っていると言う事だ。
 それも当然の事だ、一旦入り込んでしまえば相手は深みに填るだけで決して逃れる事は出来ない。
 奴らとグルに成って、不正の摘発や刑罰を逃れる為に一生懸命活動し、不正や犯罪を雪だるま式に膨れさせる他に選択する道が無くなるからだ。

 で、どうしてそうした接待と従軍慰安婦問題と関係が有るのかと言うと、これも日本人には考えられない事だが、奴らは大手新聞社の朝日新聞にその接待を使い、食い込む事に成功したんだ。
 日本人は気付かない事だが、朝日新聞とは、我々の中では在日中国系の居住者が多く努めていると言う事で知られている。
 魚心有れば水心とも言うし、類は類を呼ぶと言う事で有るかも知れない。
 その同類が編集局次長に迄出世していたんだ。
 そしてその人間に関して、
 「ノーパンしゃぶしゃぶを食べた。」
と言う情報も我々にまで伝わって来ている。

日本人にはその意味が分からないかも知れないが、これから大変な事に成る。
 大変な事とは、日本の金融経済思想、全てに関して奴らの思い通りに貪られると言う事だ。
 覚えて置け、そして何かの政治的な集まりで出来るだけ多くの日本人に伝え、何処かで日本人が巻き返しをしなければいけない。
 そうした巻き返しが出来るのは日本人だけだと言う事も我々は知っている。
 いいか、出来るだけ我々の事を覚えていて、出来るだけ多くの日本人に伝える事を心がけてくれ。」
 こうした所で有りました。
 
 こうした所を思い起こしたきっかけは、最近の大蔵省検査部に置ける不正事件の中で、彼等エリートが受けていた
 「ノーパンしゃぶしゃぶ」
と言う接待を、何故か新聞記者も受けていた事が明らかに成った由、報じる報道が有ったためです。
 「ノーパンしゃぶしゃぶ」と言う接待を行っていた業者のリストの中には大蔵省の金融検査部の方と並んで新聞記者のお名前も有ると言う見出しを付けた週刊誌の広告がとある新聞に載っておりました。 
 その一頁を見て、端と私の脳裏に蘇る事が有ったのです。
 前段までに記述した在日北朝鮮人の方々のお話で有りました。(後略)

朝日新聞記者に対するノーパンしゃぶしゃぶ接待 瀬下 司

「従軍慰安婦」という言葉は、戦前には存在していない言葉だ。おそらく「従軍看護婦」からヒントを得て作られた言葉だろう。日本語本来の意味からすれば、「従軍慰問団」と同じ意味なのだろうが、朝日新聞などで取り上げた意味からすると、日本軍のために強制的に駆り出された売春婦という意味らしい。

ちょうど「軍事徴用」を「強制連行」と言い換えて、その「強制連行」と「拉致」とどう違うのかと、左翼が言っている論理と同じことだ。このような悪質な言語を操作してプロパガンダを張ることが、中国や韓国やアメリカの工作機関の主要な仕事の一部だ。

その為に、テレビや新聞のメディアは世論操作の主要な武器になる。バブル崩壊後の大蔵省叩きにもマスコミは大きな貢献をして、大蔵省解体に追い込んだ。そして「ノーパンしゃぶしゃぶ」なる言葉をアピールして世論をあおった。大蔵官僚にしてみれば、単なる肉料理屋のつもりが、行って見たら風俗営業だった。つまり外国工作機関による罠だったのだ。

日本には外国工作機関を取り締まる法律はない。つまりCIAやKCIAや中国の公安など、工作員はやりたい放題の事をしても、捕まったり殺されたりすることはなく、悪くて国外追放が関の山だ。だから日本の政治家や高級官僚のみならず、マスコミの幹部も彼らの工作に嵌り、しまいには彼らの言いなりになってしまう。

先日もテレビ朝日のニュースステーションが「奇跡の12歳の日本兵」報道をしていたが、少し検証すれば出鱈目とわかる事も平気で特集を組んで報道する。たぶん朝日の経営幹部が中国の工作員に脅されてやっていることなのだろう。内閣改造で新任大臣に「靖国参拝をするか」と質問をするのも朝日の新聞記者たちの役目だ。

なぜこれほど朝日新聞と中国とは連携をとる必要があるのか。それは朝日の新聞記者たちも「ノーパンしゃぶしゃぶ」の罠に嵌って抜け出せなくなっているからだ。この罠から抜け出すには日本国民みずから朝日や中国などへ抗議することだ。中国へは瀋陽事件で、北朝鮮へは拉致問題で、韓国へはW杯の不正で、アメリカへはイラク攻撃で、日本国民は声を上げ始めた。西尾幹二氏は次のように書いている。

何で中国を統一するかといったら、愛国的民族主義でやる。愛国的民族主義は、日本との戦争に勝ったという、あの一点に絞るんだ。あの時から南京事件が噴き出し、あの時から中国の教科書に反日運動が噴き出し、90年代に入ってから蝋人形陳列室がワッと出てくる。もうちょっと前ですけど、本多勝一を利用して日本国内への一斉のプロパガンダが始まったのです。中国に乗せられ、踊らされた本多もバカだが、国民はそれに気がつかなかったんですよ。中曽根さんから数内閣は、何が起こったのかわからなかった。しかし今にしてよくわかったわけですよ、中国側の動機というのが。自国統一のための彼らの手段だったということが今にしてわかった。ですから先程言ったように仮想敵国日本なんですよ。

 同じことが韓国においても、金泳三大統領と江沢民首相が朝鮮半島で日本の過去の問題を共同で宣言したことがありました。教科書問題ではなくて、謝罪問題でやったことがある。これが95年だったと思うんですが、このとき江藤総務庁長官が負職になりました。江藤さんは日本は朝鮮半島にいいこともやったじゃないかと発言した。最近は抵抗勢力の代表みたいになってる人ですけど、覚えておられるでしょ。総務庁長官の時に更迭されたわけですが、85年から95年まで10年間、何人もの大臣が首を切られた最後なんですよ。95年になって、やっと日本人は気がついたんです。ここにはとんでもない悪意と政治的意図があるぞ、と。中韓両国は初めて手を結んで日本を弾劾した。金泳三と江沢民がやったんですよ。それでようやく日本人の一部が気がついた。あれから日本の国内で何か発言があったって大臣の首が飛ぶことは全くなくなったんです。気がつくということはとても大事なことなんですね

西尾幹二のインターネット目録 5月6日の日記より



財務省・日銀が機能しないのならば、
県が「藩札」を発行して公共事業を行え

2003年5月8日 木曜日

(前略)この政府紙幣発行に対して色々の反論や解説がなされている。しかしそれらのほとんどが間違っているか、的外れである。このような反論を行っている人物達が、日銀の理事だったり、リチャード・クー氏なのだから、こちらも驚く。それほど日本においては政府貨幣(紙幣)に対する知識や情報が乏しいのである。

まず政府紙幣と日銀券の違いを簡単に説明しておく。日銀が発行する日銀券は日銀の債務勘定に計上される。つまり日銀の借金である。もちろん今日の日銀券は兌換紙幣ではないので、これを日銀に持っていっても金に換えてくれない。このような不換紙幣である日銀券が流通しているのも、日銀の信用があるからである。しかし日銀の信用と言っても、実際はバックにいる国家の信用である。

一方、政府貨幣(紙幣)も国家の信用で発行するお札である。政府貨幣の材質は政令で定めることになっており、金属でも紙でも良い。紙の場合が政府紙幣ということになる。また今日流通している10円玉や100円玉といったコインも政府貨幣である。つまり日本においては政府貨幣(紙幣)は、既に立派に流通しているのである。ただ日銀券より政府貨幣の方が、流通している金額がずっと小さいだけである。もちろん今日の法律でも高額の政府紙幣を発行することは可能である。要は政府の決断一つにかかっている。


日銀券と政府紙幣の違いは、日銀券が日銀の債務に計上されるのに対して、政府紙幣は国の借金にならないことである。今日のコインにもいえることであるが、額面からコインの製造経費を差引いた額が国の収入になる。たとえば500円硬貨を製造するのに50円かかった場合には、差額の450円が貨幣鋳造益として政府の収入に計上される。要するに500円硬貨が世の中で「500円玉」として認められれば良いのである。

スティグリッツ教授の主張は「この政府貨幣(紙幣)の発行をもっと大規模に行え」ということである。さらに重要なことはこの貨幣鋳造益や紙幣造幣益を『財政政策』に使えと提案しているのである。今日、国債の発行が巨額になり、政府は「30兆円枠」に見られるように、財政支出を削ろうと四苦八苦している。しかしこれによってさらに日本のデフレは深刻になっている。そこで教授は、国の借金を増やさなくとも良い政府紙幣を発行し、その紙幣造幣益を使って、減税や公共投資を行えば良いと提案しているのである。(中略)

14日のシンポジウムの様子が30日の日経に掲載されていた。しかし議論は錯綜しており、日本のエコノミストはほとんどスティグリッツ教授の言っていることを理解していない。せっかくフィッシャー理論を持出して、資産デフレの悪影響に言及しているのに、これに対する反応が全くない。日本のエコノミストはあいかわらず「規制緩和」「生産性の向上」「金融政策の浸透」と言った、実現性がないだけでなく、効果もはっきりしない(効果の測定さえ困難)な政策を訴えている。教授が指摘しているように、まず必要な政策は大胆な需要政策である。これによって経済が活性化し、うまく資産デフレが止められるかがポイントである。

5月4日のサンデープロジェクトは、日本のデフレがメインテーマであった。それにしても経済学者・エコノミストそして政治家達の意見は実に悲惨であった。それにしても「徹底した規制緩和」「予算の組替えで経済が回復する」「銀行の経営者をくびにしろ」はいい加減に止めてもらいたい。何もアイディアがないのなら、テレビ出演を断わるべきだ。特に「銀行の経営者をくびにしろ」は出来の悪い若手の銀行員がよく言っていることである。彼等は上がくびになれば、自分達の出世が早くなると考えているだけである。

政府発行紙幣政策の誤解 経済コラムマガジン

私も日曜日の「サンデープロジェクトを見ていましたが、田原総一郎氏をはじめ、日本のオピニオンリーダーの資質には失望せざるを得ません。若手の証券会社のエコノミストが、田原氏に何度も「どうしたらデフレから脱却できるのか」と尋ねられても、抽象的なことを述べるばかりで返答が出来ない。テレビによく出る金子教授も「大変だ大変だ」と騒ぐだけで何の政策提言も出来ていない。

加藤寛学長も「公的部門の不良債権が問題だ」と問題を指摘しても、それに対する政策提言がない。従来の政策は間違っており、それが余計にデフレを酷くする結果しかもたらしてはいない。その原因は、なぜ日本でデフレが起こっているのかの原因が、彼らにはわかっていないからだ。

日本の銀行に問題があるのは誰もが分かっている。その原因は大蔵省の銀行に対する護送船団方式に問題があった。その為に銀行は客に対する景品にまで大蔵省の規制がかけられるという異常なものだった。金利の自由化も形だけで、横並びは大蔵省の見えない規制のためだった。この横並び経営が銀行を堕落させ、経営者の堕落を招いた。

私は銀行員時代にも、「銀行はこのままではダメだ」「経営戦略を持って発想を変えてゆくべきだ」と、営業部長などを会議の席などで捕まえて主張した。しかし経営幹部たちは全く経営戦略を持たず、バブル経営の罠に嵌っていった。私が頭取になっていたら銀行を24時間営業のスーパーマーケット的な銀行が出来ていただろう。

日本政府の経済政策の戦略は、アメリカによって破綻させられた。日本政府はアメリカが同盟国に対し経済破壊行為を仕掛けてくるとは思わなかったのだろう。私も疑わなかった。しかし1997年のアジア金融危機を見てアメリカの仕掛けた、経済侵略行為を見て、アメリカの対日政策の本性は明らかになった。その事はスティグリッツ教授もそれとなく指摘している。

それだからこそ私は日米安保だって、アメリカを信用して安全保障までアメリカに丸投げすることは危険だと指摘している。北朝鮮の核に対してアメリカは自国の防衛を犠牲にしてまで日本を防衛することはしないだろう。しかし小泉首相はバブル前の銀行経営者のごとく無能で、まったく国防に対する戦略を持っていない。

日本のデフレの原因は、日銀の通貨政策が間違っているからだ。財務省や日銀の高級官僚の頭は石の様に凝り固まり、現在の日本経済に適切な対応策がとれないでいる。彼らには通貨とは何かがわかっていない。その為にノーベル賞学者のスティグリッツ教授を招いたのだろうが、彼らには教授の提案が理解不能だったのだろう。

財務省・日銀が機能しないのならば、政府発行紙幣は出来ないだろう。ならば県が地域通貨を発行して、その金で公共事業を行えばいい。道路やダムを作って「藩札」で代金を支払う。その藩札は県内でのみ通用して、銀行へは預けることが出来ない。それで、その県内の経済は活性化されるだろう。このアイデアは加藤寛氏が提案している。テレビで言わなかったのはなぜだろう。

(前略)どうしたらいいか。それは地方銀行が発行元になって、日銀と同じように自分の銀行の担保をつけて地域通貨を発行する。それを県が保証する。県は土木事業を行っていい。日本は今、土木事業をやってはいかんという説が余りにも大きくなってしまった。田中康夫長野県知事が公共事業は駄目と頑張っているが、どんな国でも公共事業をゼロにして生存できる国はない。道路だって修理しなければ穴ぼこだらけになる。必要なものは造りましょうと言わないといけない。しかし、カネがない。それなら、そのエコノミカルマネーを使えばいい。地域で消費経済ができる。賃金ももらえる。そして生活も安定する。

 しかし、これは給料の一部でやる。例えば10万円の給料なら2万円をエコ通貨でやる。あとの8万円は普通の通貨で、と言うことだ。2割くらいなら、その地域で使うのはあたりまえだ。こうなると、このカネが流通し始める。2万円のエコ通貨を普通通貨に替えたいと思ったら商品交換所で交換する。今でも新幹線の切符などを割引で売っている。ここで普通通貨(現金)に替える。

 この仕組みができているのに、日本ではこの仕組みを使わずにいる。そして、日銀通貨だけが唯一だと思っている。日銀通貨がこんなに使えない通貨だということがわかっていない。これでは日本経済がよくなるわけはない。

 地域通貨とよぶか第二の通貨とよぶかわからないが、一国二つの制度があれば一国二通貨があるのはあたりまえと、今、ユーロでは考えている。ユーロ圏は世界のドルに対するユーロ通貨をつくりたかった。第二の通貨制度をつくった。これを日本もつくるべきだ。そのカネで日本経済は活力をもつ。経済がよくなれば、当然私たちの経済もよくなる。日本が債務国家なら問題だが、債権国家だから何の心配もいらない。日本経済は強くなり、世界から尊敬されるようになる。こうなれば、日本のランキングは韓国の下だ、などと言われることがなくなる。

 政府紙幣でデフレを克服せよとの説がある。初代の大蔵大臣、由利公正がこれを成功させた。これは藩札を消し、政府紙幣に統括するために政府が行ったもので、これには西郷隆盛もビックリした。藩札が担保となっている。

 今、日本が政府紙幣を発行するには担保をどうすると言うことになってしまう。そこで私は地域通貨がいいと主張している。これは地域の財政がわかる。政府紙幣とは考えは似ているが、細分化した方がいいということだ。これからは経済特区ができてくる。大阪などは経済特区で地域通貨を発行する。そうすれば大阪の負債はすべてなくなる。大阪は、関空も駄目だと政府に助けを求めていては始まらない。関空の赤字を消すのは簡単だ。和歌山の工業団地に10年間担保なしで土地を貸しパチンコ屋を誘致する。そうすれば関空に降りた外国人がチカチカまばたくネオンを見て「あれは火事か」と聞く。そうしたら「あれはカジノだ」と答えればいい。そうすれば利益をあげることができる。

 ところが関空の社長はすべて天下りだ。役員12人のうち10人が天下りで民間は二人しかいない。これでは実現できない。(後略)

小泉改革で日本経済は回復するか 千葉商科大学学長 加藤寛 



ネオコンのコンは保守と前科者の掛け言葉
ブッシュ政権は極右と元左翼とカルトの連合体

2003年5月7日 水曜日

(前略)ブッシュは、チェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官、ウォルフォウィッツ国防副長官、パール前国防政策委員長などがこれまで12年間夢見てきた「アメリカ軍事帝国」の青写真を丸のみした。ブッシュも含めて彼らはキリスト教原理主義と白人至上主義の偏狭な国粋右翼であり、米国では「ネオ・コン」と蔑みのあだ名がある。ネオ・コンのコンは「保守」と「前科者」また「詐欺師」との掛け言葉でもある。

 拙著「アメリカのゆくえ、日本のゆくえ」でブッシュ帝国主義の暴発を警告したが、ネオ・コンの源流は40年ほど前になる。それまでは東部の富裕な中道穏健派が共和党の主流で、内向きの保守政治を好んでいた。しかし、その後南部や西部の石油成り金や中小企業主の国粋保守派の白人たちに占領された

 彼らは使用人以外の有色人種を嫌い、民主的市民連帯の内外策を敵視する。民主主義の騎士を気取るが、保守反動で言論の自由、妊娠中絶、人種平等そして国際協調を拒否し、自分たちの偏見を「神の教え」と正当化する。ワシントン・タイムズ紙やフォックス・ニューズテレビなどの御用メディアを使い反対者を潰すのには手段を選ばない。「テロ奇襲の後ろ盾がサダム・フセイン」とのブッシュの大ウソなどネオ・コンの手口である。この大ウソを信じたのが米国民の半分と小泉首相である。(後略)

霍見芳浩のニッポンを斬る 米政権「ネオコン」の手口と危険思想より

ブッシュ政権は、大統領選挙の時から不正な選挙活動と不正な開票手続きなどで誕生した政権だ。父親のブッシュは東部の裕福な中道穏健派が支持母体であったが、息子のブッシュは中部や南部の石油成金やカルトな宗教団体が支持母体となっている。だから同じ共和党でも、今度のブッシュ政権はかなりガラが悪い連中が集まっている。

同じ米国人でも、東部の人から見れば現政権に違和感を感じているのだろう。イラクの戦後政策もドタバタが続き、政権内の対立が顕になってきた。石油利権派と親イスラエル派の思惑がずれ始めている。タカ派と国際協調派の対立もぶり返し始めた。現在のブッシュ大統領は道化役者に過ぎず、ジェット機で空母に着艦するなどのパフォーマンスに勤めている。

ブッシュのイラク侵略の真意は先週のコラムで指摘した通りである。少し付け加えると、イラクの石油制圧と植民地化に隠された理由である。イラク石油のユーロ建て採択にイランが同調の動きを見せて、昨夏以来ブッシュのイラク侵略が不可避となった。

(前略)昨年末から「ユーロ高・米ドル安」へ世界経済と金融の土台が動き、第2次世界大戦終了以来の米ドル支配体制が崩れはじめている。ブッシュ帝国によるイラク占領後はイランもサウジアラビアも、そしてノルウェーとロシアの産油国も、それまでの米ドル建ての石油価格をユーロ建てにシフトする。これで米ドル安となり、米国はインフレ基調へ動くと同時に内外の資本はユーロ圏に逃げる。

 中国や台湾も含めて日本以外の賢い国は米ドル建ての外貨準備からユーロ建てへ移り、米ドル安は加速される。大損するのはブッシュと米ドルにしがみ続ける小泉日本だけである。拙著「アメリカのゆくえ、日本のゆくえ」(NHK出版)で述べたが、今こそ日本人は司馬遼太郎の歴史観と国際感覚を身につけて、ブッシュ帝国との無理心中を避けなければならない。

 ブッシュの国際法違反のイラク侵略は、ブッシュ政権発足以来、京都議定書廃棄に始まった国際条約や協定からの一方的脱退に見られる独断専行(ユニラテラリズム)の一つである。日本としては日米安保条約による核の傘の保障も、日本防衛の約束も当てにはできない。(後略)

霍見芳浩のニッポンを斬る 石油価格はドル建てからユーロへ

おそらく短期的にはアメリカのタカ派のやりたい放題が続くだろう。アメリカの軍事力に対抗できる勢力が無いからだ。しかし軍事力以外に目を向けてみると、経済面、外交面、文化面などアメリカの孤立が目立ち、やがて政治に行き詰まれば、積み木が崩れるようにアメリカが崩壊するのは目に見えている。ソ連の崩壊がそれを予言している。

小泉首相は、ブッシュ政権の卑しい精神に毒されている。彼らは古代メソポタミア文明の貴重な遺産に目もくれず、油田の確保に走った。彼らがいかに文明人ではないかを証明している。これではアメリカの学者や研究者達もあきれ返って、ブッシュ政権から離れてゆくだろう。アメリカはすでに尊敬されない「帝国」になり下がっている。アメリカの味方をする国が一つ一つ抜けてゆく。

アメリカのような巨大帝国は外敵に敗れるよりも、内部崩壊が原因で滅びているのを歴史が証明している。野蛮で軍事力だけの帝国はソビエトが72年で崩壊したように長くは持たない。中国にしても先は長くないだろう。日本の識者の中にはアメリカの軍事力に目が眩んで、アメリカに従っていればよしとする意見があるが間違いだ。その証拠に有事のドル買いは起きず、じりじりとドルは下げ続けている。

gendai.net のホームページ




韓国のハングル文字は1970年に完成した
韓国語は訛の強い「方言」として聞くとわかる

2003年5月6日 火曜日

(前略)平凡社の世界大百科事典の朝鮮語の項目を読むと、
「異常な形態文化は文法現象の体系化を困難にしている。」
と言う一説が有り、
「今日用いられている漢語の大部分は日本製漢語で有る。
 なお、日本語の手続き、取り扱い等を借用する場合には漢字の形で取り入れて、字音で読む。
 手続きをsu-sokと発音する。
 漢語は全て朝鮮では音読し、その音読には朝鮮伝来の漢字音を用いる。」
と有ります。

 私はこうした辞典の記述を見ていて、
「随分巧い表現をするなぁ。」
と感じました。
 私自身は、まるっきりハングル語を日本語と同じだと思っているからです。
 
 単位漢字を音読みにして発音する事と、卑称や日本海訛を多く用いる事を加えるだけで、後は自分の顎を力一杯に引きっぱなしにしたままで話をすればハングル語に成ってしまうのです。
 それと出来るだけ日本語だとばれない様に独特のイントネーションを付ければ完璧です。

 日本人が韓国を旅行していて、時折思わぬ所で日本語を話す事が出来る人を見つけて驚く事が有った様なお話を聞きますが、私にとってはそうした所にも整合性が有ります。
 彼らの言葉の元々の言語は日本語で有り、単に顎を引かないでリラックスして話し、漢語の音読みを訓読みに変えて聞き取りやすく(緊張感無しで)日本語を話せば、それで日本語に戻るのです。

 韓国を旅行していて思わぬ所で日本語を話す韓国人を見つけた時に、
「良く上手に日本語が話せますね。」
 この様に言ってみて下されば、きっと相手の韓国人は笑ってしまうと思います。
 1970年頃に、公の所では日本語を話す事も、日本語の看板を立てる事も禁じると言う大統領例が布告される迄は、そこには日本語が溢れていたのですから。(中略)

 ハングル語がこの様に出来たので有れば、日本語に文法が近いのも当然の結果で有ると思います。
 少なくともハングル語から卑称、隠語を取り除き、その単語を日本語に直し、漢語を音読みでは無く訓読みにすると、日本人が意味を読み取れる言葉に成ると思います。

 この様に歴史を解釈をしますと、韓国に取っての日本人社会はまるで神様です。
 農奴から解放して自由を与え、言葉を与え、社会体制を作ってくれたのです。
 では何故そうした方向の精神を持つ事が出来なかったのでしょうか。
 私はここにもやはり、太平洋戦争に置ける歴史解釈の難しさが有ると感じます。
 
 アメリカ軍が朝鮮半島に進軍して、統治を始め、
「もう旧日本軍はいないので、日本語を話さないで自国語を話しても良いのですよ。」
 この様にアメリカ人が朝鮮人に言って、朝鮮人の返事を聞いた時には愕然としたと思います。
「自分達にだって日本語(よそ行き言葉)を話す権利が有る筈だ。」
と言う様な返事であったと私は推察するからです。

 一方、韓国人の立場から考えて見たいと思います。
 戦後の韓国はアメリカに依って指導を受ける事に成りました。
 日本よりさらに優れた社会システムでした。
 この状態から、
「日本にも感謝すべき所が有ると認識しています。」
 この様な政治的姿勢でも表明してしまうと、忽ちアメリカ人を怒らせて経済的お付き合いは、そっぽを向かれた状態に成ってしまうと思います。
「人を何だと思っているんだ。」
と言う事に成ると思います。
 
 そこで朝鮮半島に置けるアメリカの統治が始まった時には、双方の都合から、兎に角日本語の形跡を消し去る事が着手されたと私は考えます。
 殆ど日本語の様な言葉を使いながらも、単位漢字を中国的(広東語的)に音読みで発音し、顎を引いて独特のイントネーションで日本語の雰囲気を消し去り、日本語の単位漢字を殆どハングル文字に変えたのです。
 有る程度の試みの期間を経て、最終的には1970年頃の大統領令で、殆どの日本語漢字がハングル文字に変えられたので有ると思います。(後略)

日本語の表音文字とハングル語について 瀬下 司

私は韓国や朝鮮の事については、「親日派のための弁明」や「反日という甘えを断て」といった本を数冊読んだ程度です。2002年のワールドカップで金大中大統領が「韓国5000年の歴史」という演説を聞いてびっくりしてしまった。中国4000年の歴史より10世紀も朝鮮は歴史が古いらしい。この事からも韓国はかなり怪しげな歴史教育を行っているのだろう。

ハングルという韓国・朝鮮独特の文字についても、その歴史は諸説紛々だ。韓国内では1446年に李氏朝廷が独自の朝鮮文字を定めたという記録があるが、それがハングルであるかはよくわからない。なにしろそれ以後にハングルで書かれた文書や手紙も発見されていない。

宗主国であった中国の支配により、公文書は漢文に限られ、朝鮮独自の文字の使用は認められなかったのだろう。その事は韓国人のDNAにしっかりと組み込まれ、韓国における日本語の使用や、日本語の看板や日本語の小説の発行禁止などに、反動として現れている。

このような外国文化の徹底的な排斥は世界でもあまり例がない。インドやフィリピンが植民地支配を受けたからといって英語を禁止するどころか、公用語に採用して普及に努めている。中南米などでは植民地化の結果、スペイン語やポルトガル語が母国語になって、インディオたちの言葉はほとんど絶滅状態だ。

韓国のハングルは、日本が朝鮮を統治するようになり、中国の支配下でなくなったときから始まっている。これは対馬島主の宗氏が古くから通商のために使っていた文字が原型であるらしい。だから日本語とハングル文字が同時に使われるようになり、日本の敗戦の結果ハングルだけが残されるようになった。

戦後も1970年までは日本漢字もそのまま使われていたが、大統領令によって全面的にハングルに切り替えられた。これにはアメリカによる日本と韓国の分断工作によるものだ。アメリカにとってはイラクを開放したごとく、韓国を日本から開放したという「大義名分」が欲しかったのだろう。瀬下氏は戦後の韓国におけるハングルを次のように書いている。

 旧日本軍が敗戦して朝鮮半島か撤収した時のハングル語は、まだ完成した段階では無く、医学用語など多くの分野で日本語漢字を必要としていたと言います。
 公式に公布された公用語としては、歴史が浅いので当然です。
(ま、現代の日本語漢字も明治時代に比較すると殆ど別の新しい漢字です。)
 いずれにしろアメリカ軍とソ連軍が朝鮮半島を統治した時には、そうした言語環境は都合が悪いので日本語漢字を減らす為の研究が始まったので有ると考えられます。
 日本語が沢山残っていては、旧日本軍は民族解放の英雄と言う事に成ってしまいますから、当然です。

 そして1970年代まで幾度かハングル語辞典が作り直され、完成されたのが1970年です。
 この1970年頃の日本語禁止令が韓国で布告される迄は、韓国と日本は国交を断絶している状況で有ったのですが、皮肉な事に市民社会の中では日本語が多用されていて、国交再開直前までは市中に日本の漢字を用いた看板が溢れるほどに有ったと言う実状が有りました。

鳩のホームページ 第三部 瀬下 司



日本の政治家や高級官僚は中国や朝鮮の
裏組織「蛇頭」になぜ篭絡されているのか

2003年5月5日 月曜日

(前略)「何故お前を中国人だと思ったかと言うと、時折サウナの係員と話す会話の中で、田舎が秋田だと言う事を知った。
 所が、あんたの場合は、随分からっとした感じで、何でも分かった様な話をする。
 その上綺麗事を、恥ずかしげも無く、堂々と言う。
 俺達の経験から、
 「間違いなく中国人だ。
 そして自分達を憑けているのかも知れない。」
と思って、さっきの凶行になってしまったのだ。」
と言います。 
 
 「何故中国人だと、あなた方を憑け回さなければいけないのだ。」
 と聞くと、
 「ちょうど良い。
 あんたみたいな人間に、知って置いて貰いたい事がある。
 大事な事だから、良く覚えていて貰いたい。
 
 秋田県は、実は三国人の巣になっている。
 中でも一番質が悪いのは、実は中国人だ。
 お前達日本人は騙されているんだ。
 ピンと来ないだろう。」
と言います。
 「うーん。まずなぁ。」
と私。
 
 「自分達は北朝鮮人だ。両親とも北朝鮮人の本物の朝鮮人だ。
 その俺達が言うのだから、間違いはない。
 俺達の事は信用するな。
 しかし、今日のこの話だけは覚えていてくれ。
 蛇頭に関係する三国人の娘は全て風俗業で仕事をさせられる。
 
 日本とは関係ない。
 何百年も昔からそう言うものなんだ。
 信じろ。
 俺達は、この問題に対しても変化が必要な一つの問題として取り組んでいる。
 従って、実は、ちょっと命が危ない。 
 中国人に狙われる羽目に成っている、と言うわけだ。」
と言うのです。
 「どの様な中国人に狙われているのだ。やっぱりヤクザ関係か。」
と私。

  「全然違う。言って見れば、全ての中国人だ。
 それだけ、中国人とはお前達日本人の考えているのとは代物が違う、と言う事だ。
 兄弟の事を悪くは言いたくないが、韓国も同じ様なもんだ。
 朝鮮総連も朝鮮語の新聞は出しているが、内実は中国人の所有に成りつつある。
 俺の話を信じるか。」
と言うのであります。
 
 実は、彼等と話をする一年程前に、江戸川区の平井に住む私の知り合いの中国人二世が、数人グループでエックス線レントゲン装置から数十キロの重量の本体だけを取り外して、若い女性の住むアパートの部屋の隣の部屋に設置し、その被害者女性の部屋にエックス線を浴びせ、脅迫集団レイプ未遂事件を起こして逮捕されると言う事を身近に経験して間もなくの事で有ったのです。
 
 彼等の話はそこに整合性を投じるもので有りました。
 その事を話して、 
 「すんなりとは理解出来ない話だが、充分有り得る事だと信じる。
 前から気に掛かっていた事だ。
 中国人について、もっと詳しく話を聞きたい。」
と告げました。
 
 すると
 「良かった、それでこそ男だ。
  しかし、おめぇ自身の身にも危険の及ぶ可能性が出て来るが、大丈夫か。」
と言います。
 「あなた方北朝鮮人に出来る事なら、日本人にも出来る事だと思っている。
 大体にして、私の好きなタイプの話なので、遠慮なく教えて欲しい。」
と私。

 「よし、では教える。
 三国人の娘は「蒸し風呂」と言って、風俗嬢やそれに似た事を経験させられる。 
 そうした事を実際に取り仕切るのが、蛇頭と言う名の組織だ。
 組織と言っても、日本のヤクザとは違って、皆、普段は一般人として市民生活をしている。
 小心者の雰囲気を出したりしながら、平気で涼しい顔をして綺麗事を並べて話をする。
 何故かと言うと、日本人が喜ぶからだ。
 
 日本人を喜ばせて置けば、何でもくれる。
 皆、そう思っている。  
 そして必要な時に、或いは楽しみが欲しくなった時にと言っても良いと思う。
 時折やるのだ。仲間の娘を。
 時には食指がそそった娘を。
 
 どうしてそんな事を、と言えば。
 兎に角、好きで好きでどうしようもなく好きである事と、他に楽しみが無いと言う事もある。
 奴らは日本人の真似をして、野球だ何だと言うが本音は赤い下を出している。
 皆、日本人を喜ばす為にやっているんだ。
 
 そうしておけば、怪しまれる事がないからだ。
 何をか、と言うと。
 奴らの本性をだ。
 奴らの本性は、皆、蛇頭なんだ。
 楽しみも、生き甲斐も、頼みの綱も、全てだ。
 そして、何よりも蛇頭を恐れる。

 そうした事は、子から孫へと、絶対的に伝承される。
 蛇頭を恐れない子がいれば、恐れるまで親が殴りつけると言うわけだ。
 特に、先に産まれた女の子には、念入りにしつける。
 有り体に言えば、相姦だな。」
と言うのです。
 
 話は続きます。
 「いわば蛇頭とは、日本の農業協同組合や銀行みたいなものなんだ。
 そうした蛇頭と言う組織の存在が昔から有るのだが、その蛇頭が盛んに日本人の個人生活や、それこそ金融の中枢に対しても、収奪を仕掛ける様になった。
 そうした事が横行しているのに、何故日本人が黙っているのか不思議な位だ。
 このままでは又、大変な事になると言う事で、自分達のいわば親分格であるボク=ヒョヒルやその派閥の高い地位にある北朝鮮人は、本国を通じてこの蛇頭の活動を阻止しようとして本国に行ったが、皆、処刑されてしまった。
 で、俺達もさっき話したと通り、危ない、と言うわけだ。
 怖くなったか。」
と言います。(後略)

中国人と韓国人に対する考察  瀬下 司

上記の文章は瀬下氏のウエブサイトの一部ですが、かなり読み応えのある分量と内容のサイトです。私も「株式日記」で、どうして日本の政治家や高級官僚やマスコミが、中国や南北朝鮮に対して、及び腰になり、言われるままになるのかが不思議でならなかった。このサイトを読むとその理由がわかる。

日本人一般庶民はほとんど関係が無いから、このような事には無関係でいられるが、政治家や官僚である程度の地位を得てくると、中国や韓国の怪しげな組織が罠を仕掛けてくる。橋本龍太郎の中国女スパイ事件や、山崎拓の統一教会の愛人事件などは、氷山の一角だろう。

「蛇頭」とか言う組織下の三国人の娘達は、風俗嬢や出張売春のようなことをさせられている。日本の政治家や官僚たちが、もともと女に持てるわけでもないのに、すごい美人が接近してきて関係を持ってしまう。もちろんバッチリとビデオに撮られているわけですが、どうして簡単に罠に引っかかってしまうのか。

筆者は秋田県が三国人の巣になっていると告発している。私は秋田県のことは修学旅行で一度行ったきりでよくはわからない。まして秋田の裏社会のことなるとまるで見当がつかない。東京のような大都会なら中国人社会や朝鮮人社会が当然ある。しかし秋田のような過疎地域で日本人社会とは異なる価値観を持った組織があるとは不気味な話だ。筆者は次のように書いている。

もしここに記述した民族社会の実体と存在を実感できない方がいらっしゃいましたら、是非一度、秋田県にお越し頂いて、検証対象は警察官でも宜しいのです。
 秋田県人を一人捕まえて頂いて、
 「おめぇは、オラの大親父(チェンジュドウ)に逆らう人間だがぁ。」
 この様に凄んで見て頂きたいと思います。
 時折、意味の分からない人懐こさや紳士面を表しながら。

 きっと秋田県人は、
 「オ、オラは、そんただ人間ではねぇ。
 オラちゃ、おっかねぇ事はしねぇでけれ。
 (私には、怖い事をしないで下さい)」
 この様に反応する筈です。
 考え方に依っては、地下活動的破壊行為に依って恐怖社会が出来上がってしまっているとも思えるのですが、識者の検証を得られれば幸いです。

この「蛇頭」という組織はすでに、警察や自衛隊にも分子が入り込んでいるのだろう。先日、新宿で一斉取締りがありましたが、情報が漏れてしまっていて、中国人たちは捕まらなかったらしい。警察幹部も金と女で弱みを握られ「蛇頭」と「警察」は一心同体だ。だから警察のモラルは地に落ち検挙率も20%を割ってしまった。

最近は、何か事件に巻き込まれて、警察に相談に行っても、うるさがられるだけだ。例の国立のストーカー殺人事件も、被害者は警察に事前に相談に行ったが相手にされなかった。日比谷の一家殺人事件も犯人は韓国人らしいが、警察は犯人が中国人や韓国人だと腰が引けてしまうらしい。公安に圧力を掛ける親中派の政治家がいるからだ。

日本のマスコミも同じ事が言える。中国や韓国、北朝鮮の事になると、マスコミは腰が引けてしまう。北朝鮮の拉致事件も2002年9月17日まではない事になっていた。従軍慰安婦や南京大虐殺や教科書問題や靖国参拝も、中国と韓国は連携が取れているのは「蛇頭」が絡んでいるからだ。この事は筆者は次のように書いている。

初めは何処の新聞記者も相手にせず、読売新聞では玄関から蹴飛ばされる様に叩き出された時も有ったと言う。
 だが、とうとう朝日新聞が落ちてしまったらしい。
 部長や編集局長クラスの人間に対する賄賂攻勢、それには女も入れての話だが。
 相当巧妙に、そして執拗に行ったらしい。
 総会屋宜しく、部分的に乗っ取り工作も進められた。
 そして朝日新聞は折れたらしいんだ。
 
 何と旧日本軍人が中国人と韓国人の家庭を訪問して集め、女を性の奴隷として囲っていたと言うのだ。
 今の日本人に取っては、あまり実感の湧かない話だと思うが、今に大変な騒ぎに成る。
 蛇頭社会とはそう言うものなんだ。
 一旦その社会に入り込んでしまえば、例え日本人で有ろうと、いや寧ろ何も知らない頭の白い日本人で有ればこそ、とてもその勢いに太刀打ちできるものでは無い。
 中国人や韓国人を良く知っている俺達が言うんだから、間違いは無いと思え。」

国際関係から言うと韓国はすでに中国の勢力下に入ってしまっている。裏社会組織も中国マフィアが韓国を仕切っている。さらに彼らは日本に手を伸ばしてきて、新宿の歌舞伎町は彼らの縄張りに入ってしまった。新宿の放火殺人事件もおそらく迷宮入りだろう。警察が「蛇頭」に蝕まれているからだ。

このような日本が「蛇頭天国」になってしまったのは、不正な外国工作員を取り締まる法律が無いからだ。作ろうとすると自民党の実力者Nや野党が反対するからだ。筆者はホームページの冒頭で次のように訴えている。

この様には申せ、私自身は自分の住む秋田県警の現在の姿とは、中国と韓国の工作員が同盟を結んで地下活動組織を形成している様なもの、と認識しております。
 この様な私の立場からでも、通信傍受を含む組織犯罪対策法の早期成立を求めます。
 何故その様な選択が出来るかと言うと、大和民族全体の正義を信じているからです。
 
 そして敢えて申し上げれば、私の住むこの地域に限って考えた場合、メンタルの面に置いてはもはやこれ以上悪くなる心配は無いと判断しているからです。
 そして打開を望める活路が有るとすれば、組織犯罪対策法でしか無いと確信しているからです。
 素人でも知れば知るほど良くできている法律だなと感じます。
 
 そして完全に彼等蛇頭の勢力範囲と言い得るこの秋田県に置いて、その蛇頭の関係者に組織犯罪対策法が成立に向かっている事を誇らしく自慢すると、本音の部分で、珍しく幾らか心配げな腰の引けた様な素振りを見せます。
 間違いなく日本人には益する法律で有ると感じます。

鳩のホームページにようこそ 瀬下 司




北朝鮮のノドンミサイルは迎撃可能である
これからの成長産業は国防産業である

2003年5月4日 日曜日

(前略)ミサイル迎撃というと、アメリカが「SDI」によって大々的に金をかけて開発して、ようやく出てきた「パトリオット」が、湾岸戦争時にイスラエルに打ち込まれたイラクのスカッドミサイルに対して、迎撃率がようやく40%。「マッハ10の速度で迫る小型の標的を迎撃するのは至難の業」と言うのですが・・・。 実はこの湾岸戦争の教訓から、イスラエルが10年かけて対スカッド用に開発した「アローミサイル」という迎撃システムがあるのだそうです。「九割以上の確立で迎撃できる」と当局者が豪語する所を見ると、同タイプのノドンミサイルを打ち落とすのが、本当に「至難の業」なのか・・・という話には考察の余地を感じざるを得ません。

先ず「小型だから」と言っても、レーダーでリアルタイムで捕捉する事は可能な大きさな訳です。そして「マッハ10」というスピードがどういうものか・・・というと、1秒で約3km。これが、対応する迎撃管制システムのリアルタイムコンピュータにとって「早すぎる」か・・・というと、普通のコンピュータで制御する時間単位は60分の1秒。この間にノドンが移動する距離は50mです。必要に応じて、より厳密なリアルタイム制御を行うシステムはいくらでもある筈です。

仮に60分の1秒の制御を行うとして・・・勿論「直撃」は困難でしょうが、高射砲もミサイルも近接信管で爆発させ、爆風による衝撃で目標物を打ち落とします。 だから、爆風が及ぶ範囲に接近出来れば、後は点火するタイミングの問題で、爆風の及ぶ範囲が大きいほど撃墜率は高くなります。だからナイキミサイルのように核弾頭を搭載した対空ミサイルがあったりする訳ですが、

非核弾頭ではどうか・・・。 例えば、「世界最大の花火」で知られる長岡の三尺玉は、直系600mの火球を展開します。これは単なる「火薬の塊」だと困難でしょうが、花火は大玉の中に小さい子玉が無数に入った「クラスター爆弾」のような構造を持っています。こうしたタイプの弾頭の、子爆弾に、例えば気体爆弾のようなものを詰めて、ノドンが有効範囲に入るタイミングを計って無数の小玉を散布し点火し、ノドンの周囲に巨大な火球を作る・・・。技術的には十分に可能な筈です。ノドンを撃墜するミサイルに関しては「仮にあったとしても守れる範囲には限りがある」・・・と。首都圏に配備しても日本全体を守れない。広範囲を守るには長い射程が必要だ・・・と主張されています。

しかし、長射程に造らずとも、戦闘攻撃機に搭載し、ミサイル発射が迫ったら交代で哨戒飛行する。レーダー衛星で情報をキャッチしてから十分程度で飛来予測地点に急行した戦闘機から空中で発射する・・・。これで広範囲を守ることが出来るはずです。射程が短くて良ければ、その分、弾頭は大きく作れます。

レーガンが提唱したSDI・・・通称「スターウォーズ計画」は、失敗だったと言われています。それだけ困難だから・・・というのが触れ込みですが、これは「困難だから」と言うより、ソ連の崩壊によって「役割を終えた」から・・・というのが実情でしょう。

ソ連が崩壊して、事実上アメリカが核ミサイルを独占してしまえば、核ミサイルは無敵であったほうがアメリカにとって好都合です。それが撃墜可能であっては、核独占の有難味が薄れる。迎撃システムなど、不完全なままのパトリオットミサイルは、アメリカの国益なのです。

さらに言えば、宇宙空間を飛来する標的を狙うSDIに対して、ノドンは空気抵抗(よって宇宙ほどの高速は出せない)のある大気圏中を飛来しますから、原理的には従来の航空機などを攻撃するシステムの延長で開発できるものなのです。アローミサイルを開発したイスラエルは、別に特別な技術の鉱脈を持っていた訳でもない。また、開発費負担能力も大きい訳ではない。同じ事は日本でも出来ないはずが無いのです。これほどノドンが過大評価されるのは、それによって利益を得る人達がいるからです。アメリカにとっては、ノドンの脅威を振り撒く事で、日本がアメリカに頼らざるを得なくなります。日本の保守派にとっては、「迎撃不可能だから基地を叩く他はない」という既成観念を植え付け、平和憲法を踏み越える有力な梃子になります。(後略)

ミサイルなんか怖くない イラク危機の裏に蠢く者 遠鏡堂

日本人の軍事的な知識は、一部のマニアを除けばほとんど無きに等しい。中には軍事評論家がいるのもけしからんという、戦争アレルギー症の日本人も多い。しかし軍事的な知識がなくては政治や外交は語れない。日本の政治家達が、北朝鮮のプロパガンダの恫喝に脅えてしまうのも軍事的知識が無いからだ。

最も最近の軍事技術はハイテクに関する分野がほとんどで、専門家でもわからないことが多い。北朝鮮が核武装する能力があるかどうかは、原子力科学技術者でも意見が分かれている。20発ぐらい持っているという情報もあれば、口先だけで実際は核兵器をもっていないという情報もある。

北朝鮮のノドンミサイルにしても、どの程度の命中精度なのか、専門家でもわからない。だから日本の外務省あたりは、北朝鮮を刺激してはならないとして、早く国交を回復して多額の援助をやることが日本の安全保障だと思っている。国交を回復すれば大使館や領事館も増えて、外務省の権益が増えるからだ。

私は以前よりMD計画を進めるべきだと主張している。現在のハイテク技術でレーダーシステムとコンピューターを組み合わせれば十分可能なはずだ。現にイスラエルではパトリオットを改良した「アローミサイル」が出来ている。日本は核武装はほとんど見込みがない。ならばMDで対抗するしか方法がない。

イラク戦争では爆弾ですらレーザーで誘導され、ピンポイントで爆撃が出来る。ノドンミサイルは弾道コースを飛んでくるわけだから、迎撃地点は瞬時に割り出され、そこで迎撃ミサイルを爆発させれば、熱や爆風でノドンミサイルは破壊できる。

さらに迎撃ミサイル基地は特に必要ではなく、護衛艦や軍用機からの空中発射で、何重もの防衛体制が取れる。問題は迎撃する時の政治家の判断だ。何しろ北朝鮮から7分ぐらいで日本に飛んでくる。だから軍にその判断を任せるしかないだろう。

ミサイルというものはコンピューターを積んだ無人のロボット兵器である。イラク戦争でも無人偵察機や、コンピューターを積んだ巡航ミサイルが大活躍した。このような分野は日本の産業の得意分野である。これこそ産業の成長分野だろう。兵士ですらロボット兵士が開発されれば、戦死者の出ない戦争が行われるかもしれない。

大綱にミサイル防衛明記へ、防衛庁、年末にも明記へ Kyoto Shimbun




ブッシュ、ブレア、コイズミの3バカトリオは
宗教団体と国際金融資本に支えられている

2003年5月3日 土曜日

(前略)不思議なのは、日本経済を破壊している小泉内閣の支持率が依然高いことだ。

 この原因の一つは、日本社会が変質したことにある。昔の日本社会は今よりも人情豊かな連帯感の強い社会だった。苦しんでいる人がいれば自分自身のことのように心配し同情する人が多かった。だが今は隣人のことすらほとんど気にしない社会になってしまった。「自分さえよければいい」という考えが強くなっている。苦しんでいる人が隣にいてもあまり気にとめないような社会に変わってしまっている。

 それに小泉首相が冷たい。青木建設という中堅ゼネコンが倒産したとき、「構造改革が進んでいる結果だ」と語ったという話が伝えられているが、本当だとすればとんでもない話だ。経営者がどんなに苦悩しているか、職を失う従業員とその家族がどんなに苦しんでいるか――これに配慮するのが政治家の義務である。

 小泉首相は冷酷な政治家だ。こういう冷たい政治家が政治のトップに長く座っていると、その冷たさが国民社会全体に浸透する。日本社会全体が冷たい社会になってしまう。

 5月1日付け朝日新聞の「小泉政局(下)」(4面記事)は、「公明、米国も首相寄り」の見出しもある。このなかに次のような記述がある――「かつては公明党は自民党橋本派の『別働隊』とされた。……だが、今は違う。地方選前に橋本派を中心に反発が噴出したサラリーマン医療費3割負担問題でも『与党3党で不退転の覚悟でやろうと決めたことだ』(冬柴鉄三幹事長)と首相支持を選んだ」。

 公明党は小泉首相に急接近しているというのである。強大な宗教政党がバックにいる宗教政党がしゃにむに政権の中枢に立とうとしている。気味の悪い話だが、この記事の見方は正しい。

 つづけて同記事はこう書いている――「もう一つの存在が米国だ。……現在の米政権は『小泉、ブッシュ、ブレアは真の世界のリーダーだ』(ベーカー駐日大使)と首相擁護の立場を堅持し……ている」。

 この見方も正しい。最近、永田町で密かに囁かれていることがある――「某実力者が非公式の場で米国のイラク攻撃を批判したところ、この情報がすぐに米国側に伝わり、米国大使館筋から注意を受けておとなしくなった」「日本の政治に対する米国側の干渉は敗戦直後の占領下に似てきた」「小泉首相が強気になった背景には、このような米国の〃内政干渉〃がある」等々。事実とすれば由々しいことだ。

 国内では公明党、国際舞台では米国――これが小泉首相を支えている。それを国民が認めている。これほど不愉快なことはない。国民が目を覚まさなければ、日本は外国大使館と宗教政党の操り人形にされてしまう。

 『週刊朝日』5月16日号記事の「小泉首相再選確実の不思議」にも似たことが書かれている。見出しは「イラク戦争支持で赤丸急上昇、ベーカー米駐日大使もベタボメ」。

 このなかに次のような記述がある――「イラク戦争の開戦直後のことだ。古賀誠前幹事長や中曽根康弘元首相、森喜朗前首相ら自民党実力者が東京・赤坂の米国大使館に足を運んだ。招いたのは、ハワード・ベーカー駐日大使」「大の小泉シンパの大物大使による〃ご説明〃が首相の追い風にならないはずがない」「首相を支える米国の影、それで自信を深める首相の心理は、首相に批判的な政治家も感じている」。

 占領下にあった当時の日本の政治の悲惨が頭に浮かぶ。われわれは日本が独立国であることを忘れてはならない。

森田実の時代を斬る 「日本再生の研究」より

小泉内閣の登場以来、日本の株価は半値以下に暴落した。今までの常識で言えば、そのような内閣は間違いなく失脚しただろう。しかしながら、いまだに50%近い支持率を得ている。支持率調査のやり方が間違っているのではないかと思うこともありましたが、選挙などの結果を見ても、反自民の結果は出ていない。

アメリカにおいても、世界世論の反対を押し切ってイラクを先制攻撃したブッシュ大統領の支持率は、アメリカ国内では70%台を得ている。ブレア首相にしても過半数の支持を得ている。小泉首相もイラク戦争でアメリカ支持を打ち出し、日本国民の支持率も少し上がっている。国連中心外交の枠を外れているにもかかわらず高い支持は「なんでだろう」。

ブッシュ大統領や小泉首相などに共通しているのは、支持母体に宗教団体が大きく関係している。アメリカではキリスト教福音派が4割を占め多数派となっている。その中でも活動的なキリスト教原理主義団体がワシントンで活発なロビー活動を行い、大きな政治勢力となっている。

小泉首相も公明党の支持母体である創価学会へ接近している。自民党に支持基盤のない小泉首相と、政権がほしい公明党とは利害が一致している。政権を握れば公明党とその支持基盤である創価学会の活動もやりやすくなる。

このような宗教団体が政治に影響力を行使するということは、民主主義にとって自殺行為になる。バカブッシュは911の後「十字軍」を口にした。テロリストがイスラム教徒だったらしいからですが、敬虔なキリスト教徒のブッシュ大統領が、その後テロ支援国としてアフガニスタンとイラクを攻撃した。まさしくブッシュは「十字軍」として使命を果たした。

この事はアメリカがキリスト教国家であることを顕にしたことであり、現代の「十字軍」としての使命を全うしたのだ。だからこそ「正義」の名の下に多くのイスラム教徒を誤爆の名の下に殺害しても、アメリカ人は何の罪悪感も持たないのだ。キリスト教福音派は「正義」の名の下に人を殺しても、異教徒は「人」ではないのだから罪悪感を持たない教義を持っている。

「十字軍」は宗教戦争であるから、捉えたイスラム教徒の捕虜を全員の首をはねた。「異教徒」は「人」ではないのだから当然のことなのだろう。ラムズフェルドがアルカイダの捕虜を一箇所に集め爆撃したのも同じ行為だ。しかしながら、これを国家犯罪として告訴する動きは見られない。狂ったアメリカはこれからも非キリスト教徒を殺しまくるのだろう。

日本の創価学会の池田大作会長も、このようなカルトなアメリカの宗教団体と連携を組み、日本への勢力拡大に野心を燃やしている。この事は4月8日の日記で詳しく書きました。さらにそれらの宗教団体とリックフェラーとが手を組んで世界支配を企んでいる。このような背景を知れば、ハワード・ベーカー駐日大使が小泉首相をたたえるのも理解できる。

アメリカは日本が異教徒の国であるからこそ、広島、長崎に原爆を落とすことが出来た。現在のアメリカ人でもこの事に罪の意識を感ずる人は僅かだ。類人猿より少し高等なサルを殺したところでWASPの福音派は罪の意識を感じない。もちろん正当なキリスト教の牧師たちはこれを断罪しているが、ブッシュ大統領はローマ法王にも敬意を示さない。アメリカがいかにカルトな宗教に毒されいるか富井牧師は次のように告発している。

ありもしない脅威を作り出し、その肥大化した妄想からくる恐怖によって人間の行動を規制し、非常識な行動に駆り立てる手法はカルトに共通するものである。サタンは、恐怖の霊によって人間を操ろうとしているのである。このような妄想に取り付かれると、見るものすべてが自分たちに対する陰謀家の攻撃となってしまう。

そして、その「邪悪な」攻撃に対して、あらゆる手段を講じて対抗してもよい、と自分の行動を正当化するようになるのである。オウムのサリン事件は、このような妄想の恐怖によって引き起こされたのである。今、クリスチャンのほとんどが冒されている「ハルマゲドン病」もこの一種である。

カルト専門家によると、カルトの特徴の一つは、社会から遊離することを薦める教義を持つ点にあるらしい。「もうすぐ携挙があります。社会改革などむなしい。一人でも救いに導き、携挙してもらえるようにがんばろう」と薦めるのも、「社会からの遊離を薦める」教えである。

今日の、再臨切迫信仰を持つクリスチャンは、もう、すっかりカルトなのである。教会は、カルトのゲットーと化している。彼らにとって、世界が破局に陥ってもどうでもよいのである。地球の人口の3分の1が滅びると聖書が預言しているからと。

不気味な白装束の集団とハルマゲドン病 富井牧師のBBS




SARS・中国の細菌兵器漏洩説が浮上
中国はなぜ軍の病院を査察させないのか

2003年5月2日 金曜日

(前略)▲国民に禁足令は非常事態宣言だ

例年なら五月一日から一週間の連休を中国国民は旅行で愉しむ。日本同様のゴールデンウィークだ。財布の暖かい人は海外へ。中間層は国内のあまたある名勝地へどっと出かける。お金と暇がないひと達とて、近くの遊園地やデパートや、大都会では都心の「ホコテン」を歩き、のんびりとアイスクームを頬張る。

今年は異変で恒例の風景はない。メーディの連休をたった一日に縮め、学校も休みとした。北京大学では学生に帰郷を禁じている。要するに病原菌の蔓延を恐れて、国民に移動しないようにと事実上の禁足令。中国は慎重な措置に踏み切った。マスコミも公式発表も信じない民衆にはパニックによる買いだめまで起きた。上海では27日までと予定されていたモーターショーが24日で突如終幕、45万人動員という目標は15万で終った。

▲細菌兵器テロ?

ワシントンポストは「最近兵器漏洩」説を追究し始め、「CHINA BRIEF」にも細菌兵器説を追究する論文が二本掲載されている。まずは発生説の誤謬。広東省仏山市が元凶で、ウィルスは「動物」が原因(感冒にかかった鳥が犯人とする説)だとされた。それが人に感染し、人と人との接触が伝染のもとになった等と言われ、瞬く間に広東に拡がり香港へでた。

ここで同じマンションとホテルの宿泊者が同時に感染し、また香港からカナダへでた中国人から、急速に世界中へ拡がったわけだが、北京も上海も四ヶ月近く、新型ウィルスの猛威を伝えなかった。まるで元凶は香港だといわんばかりの情報操作をはじめようとした形跡が濃厚である。WHOが北京へ行くまで「軍病院」への調査は拒否された。

▲なぜ軍の病院を査察させないのだ

この秘密性は憶測を逞しくさせた。「炭素菌を研究する中国軍のラボから漏れた」(ゴードン・チャン「SARS危機」、米国ジェイムズ財団発行「CHINA BRIEF」、4月22日号)。「国民の安寧より外国からの投資が重要であり、報道管制を続けた」(ファー・イースタン・エコノミック・レビュー」、4月20日号)。「コロナ・ウィルスとはいえ、過去のウィルスとゲノムはまるで似ていない」(ジュリー・ジャーバディング博士「全米疫病管理センター」、17日記者会見)。

「伝染の早さから言っても細菌兵器の疑いは捨てきれない。化学兵器は限定された地域と効力に時間の制限があり、テロリストは炭疽菌のつぎにこれを狙った。中国は細菌兵器の研究開発に余念がなく、46000人がこれに従事している」(リチャード・フィッシャー「ジェイムズ財団」理事)。

セルゲイ・コレスニコフ(ロシア医療アカデミー)は「細菌兵器を開発中の軍研究所から偶然の事故により漏れた可能性がある。なぜなら動物の自然発生説では説明の付かない風疹(MEASLES)とおたふく風邪菌(MUMPS)を混合しているからだ。これらはラボでしか出来ないものである」(4月12日、イルクーツクでの会議で発言)。(後略)

SARS・中国の細菌兵器漏洩説が浮上 宮崎正弘 日文論壇

4月30日の日記でSARSがバイオテロではないかと書きましたが、その理由としては中国が4ヶ月近くもSARSの発生を伝えなかったことだ。単なる病気の集団発生なら中国政府も隠すことなく発表していたのではないかという理由だ。多くの患者が軍の病院に入院していたのも、細菌兵器の漏洩が原因ではないかの理由になる。

SARSの発生源がまだ特定されていない。病気の広がり具合からしておそらく北京なのだろう。そのために衛生大臣と北京市長が解任された。今年の2月には北京大学と清華大学で爆弾テロが発生しており、バイオテロが発生してもおかしくはない。バイオテロはアメリカにおける炭疽菌テロでも郵便物が利用されており、特定の人物を狙うことも出来る。

北京市では禁足令まで出され、天安門広場も人影はほとんどないニュースが流れている。海外では病院レベルで隔離され、広がりは収まりつつあるが、中国では病院から外に出てしまっている。インフルエンザなら気候的に夏になれば収まることもあるが、SARSはまだその正体がつかめない。

副産物としてSARSは思わぬ中国の弱点をあらわにした。情報の公開が十分ではなく、国家によって情報統制された体制は、海外からの有害な情報を遮断するのには有効だが、内部の情報も遮断してしまう結果、情報化社会にはとても向いた政治体制ではない。インターネットですら制限されている。これではIT先進国にはなれっこない。

先日の日記で「SARSは中国のチェルノブイリになるだろう」と書きましたが、同じことは松本州弘氏は次のように書いている。

(前略)かつてキッシンジャーはソ連崩壊を予言した。彼は、「人民の不満」「党内部の分裂」の二つが起きればソ連は崩壊すると予言したのだ。そして、同じ状況がいま支那北京政府を襲っている。

東北三省……旧満州一帯ではとくに不満は強く、年間に100万単位のストライキが勃発している現状だ。労働者、農民、知識階級には根強い共産党不信感があり、反感がある。法輪功の問題もある。

そのうえ共産党指導者、トップは分裂と不和を繰り返し、腐敗汚職塗れなのだ。江沢民派の政治局常務委員である價慶林、黄菊には密輸事件疑惑まで存在する(この2人が逮捕でもされたら、江沢民は最後の綱を切られることになる)。

支那を支配してきた共産党が崩壊する。恐らく1〜2年のうちに一党独裁の座から滑り落ちる。東アジアを襲うこの大激震は、台湾どころか北朝鮮や韓国、日本を直撃するだろう。その前には、支那からの流民が東アジア全域に流れ出すはずだ。

崩壊するシナ 行政調査新聞社 主幹=松本州弘
中国軍2月にSARSウイルス発見 政府には伝わらず 朝日新聞




日本で憲法改正が真剣に話し合われないのは
日本が植民地状態に安住しているからである。

2003年5月1日 木曜日

(前略)日本の安全保障を考える時、憲法・自衛隊・日米安保条約の関係についていくつかの選択が考えられる。そのいくつかを考えてみよう。
 (1) 憲法はそのまま、自衛隊はなくす、安保は破棄
 (2) 憲法はそのまま、自衛隊はなくす、安保はそのまま
 (3) 憲法はそのまま、自衛隊はそのまま、安保はそのまま
 (4) 憲法はそのまま、自衛隊はそのまま、安保は破棄
 (5) 憲法は改定、自衛隊はそのまま、安保はそのまま
 (6) 憲法は改定、自衛隊はそのまま、安保は破棄
それぞれの主張について考えてみよう。

 (1) 「自衛隊は違憲だ。従って自衛隊はなくすべきだ。そうすれば憲法はそのままでいい。安保条約は破棄すべきだ。」「非武装・中立・非同盟」の考えだ。社会民主党は「社会党」という名前と一緒にこの考えを捨てたようだが、社会党に投票した人はどうしたらいいのだろうか?もっとも「非武装・中立・非同盟」などという非現実的なことを言っていれば、「空想平和主義」と言われることになる。つまり「政治団体」ではなくて、「宗教団体」になるのだが。

 (2) 「日本の安全保障をどうするか?」はっきりビジョンを示さず、単に「自衛隊反対」と言っているとこうなってしまう。その結果自分の国を守るのに他国の軍隊に頼る、お金は払うが危険な仕事はアメリカにやってもらおう、という主張になってしまう。日本人はそんなに心の貧しい人ばかりではないだろう。

 (3) 自衛隊は合憲。だから憲法は変えない。安保はそのまま。という従来からの日本政府の見解。どの政党が政権を取っても変わらないだろう。なるべく波風立てない政策。しかしいつまでもこのままでいると、憲法と現実との差が大きくなるばかり。もうそろそろ「軍隊を持たない」という憲法の建前と、「軍隊がある」現実とを一致させるべきだろう。

 (4) 「憲法を守れ。PKO反対」と言っているとこうなってしまう。しかしこれは「非武装・中立・非同盟」ではないし、はっきりしたビジョンがない。「なんでも反対」の典型だ。

 (5) 「憲法は改定して自衛隊を合憲とする。自衛隊はそのまま、特に拡大したり縮小する必要はない。アメリカとの軍事同盟はそのままにする。」この考えの人は多いだろう。しかし国会議員は選挙のことを考えるとなるべく敵は作りたくないので、はっきり言わないようにしている。

 (6) 「憲法を改定して自衛隊を合憲とする。自衛隊は今のままでいい。安保条約は破棄して、日本の安全は日本人でまもる。」このように主張する人がいてもよさそうなのだが、それほど強烈な民族主義者・国粋主義者は日本にはもういなくなったのだろうか?(中略)

日本の安全保障を考えるとき憲法が軍隊を持つことを禁止している、にもかかわらず「自衛隊」と言う名の「軍隊」が存在している、ということが問題なのだ。そして右の方から言えば、「自衛隊のどこからも「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する男子の声はきこえてこなかった。」ことが問題なのだ。

TANAKA1942bは三島由紀夫に共鳴しているわけではない。ここでは日本にはいろいろな考え、思想があるはずなのに、そうした主張がぶつかり合うことがない。このことに不安を感じる。つまり国家の根本問題がきちんと議論されずに既成事実の積み重ねで決まって行くことに不安を感じる。ここでは一つの思想、三島由紀夫の「檄」の一部を紹介してこちら側の思想について考えて頂くことにしよう。

 「法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来ているのをみた。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下の放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。」 「われわれが夢みていたやうに、もし自衛隊に武士の魂が残っているならばどうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、なんたる論理的矛盾であらう。男であれば、男の誇りがどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上がるのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する男子の声はきこえては来なかった。かくなる上は、自らの力を自覚して国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪はれたカナリアのやうに黙ったままだった。」(後略)

日本の安全保障 ( 2001年7月23日 TANAKA1942b )
憲法記念日がやってくるたびに、左翼は憲法を守れと主張し、右翼は憲法改正を主張している。右翼でもポチ保守は安保堅持を主張し、民族派は安保反対を理想としている。最近は若い人の間でも憲法改正論者が増えてきた。しかし国会議員の間では憲法改正を主張している議員は極めて少ない。それを主張すると軍国主義者と攻撃されるからだ。

現実の日本は(3)か(4)の「ことなかれ主義」か、「問題先送り主義」の、まことにいい加減な無原則ゆきあたりばったりの、外交防衛政策をとっている。現行日本国憲法は占領軍に一方的に押し付けられた植民地憲法であり、国際法的に無効なものである。

しかし現実に現行憲法で国会は運用されているが、日本国内に米軍基地が存在するかぎり、日本国は独立国として、自主的に憲法を制定することは不可能である。米軍基地の米兵の銃口は日本に向けられたものだからだ。日本の自民党の政治家や官僚は米国に買収されて、米国の言いなりの政治を行ってきた。

自民党が本気で憲法を改正しようとしないのは、その方が政治家や官僚として楽だからだ。そして野党も中国や朝鮮から金をもらって、外交を行っている。日本が中国へのODAや、北朝鮮への経済援助が止められないのも、キックバック目当てだからだ。

日本が自主憲法を制定して、自主防衛政策をとると、アメリカも中国も日本を潜在敵国となり、非常に厄介なことになる。その点でアメリカも中国も日本を弱体化させておくことでは利害が一致しているから、半世紀以上もの間、日本は自主憲法を持つことはタブーとされてしまった。

日本の政治家が外国から金をもらって政治をしているかぎり、日本が自主憲法を定める事はないのだろう。日本国民の憲法改正論が多数派になるのは遠い先の話だ。それを改めるには日本の自衛隊によるクーデターしかないのかもしれない。しかし自衛隊も三島由紀夫を笑いものにしたように、自衛隊の決起は望みがない。自衛隊は国軍ではなく、アメリカ軍の一部だ。

このような状態だから、毎年アメリカ軍に思いやり予算6000億円も拠出できるのだ。今の日本の政治家で日米安保なき日本を想像するだけで、気が遠くなる政治家がほとんどだろう。社会党の村山首相ですら日米安保を認めてしまった。だから左翼の反米もニセモノであることがばれた。(6)のような主張をしている民族主義者はインターネットで細々と「株式日記」を書き込んでいるのが関の山だ。




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