株式日記と経済展望



ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


江戸幕府の通貨政策

2001年5月31日
昨日のNHKで「その時歴史は動いた」で八代将軍徳川吉宗の経済政策の事を取り扱っていました。「元文の貨幣改鋳」のことを扱っていましたが、インフレとデフレにおける通貨供給との関係を分かりやすく扱っていました。江戸時代までは米本位制の時代で、侍は米で給料をもらっていた。それを米穀商に売り貨幣に代えていた。

吉宗は「享保の改革」で幕府の財政を引き締め、米の生産を高めました。その結果米の値段は暴落し侍たちの生活は困窮しました。吉宗は米相場を高めようと米を買い上げたりしてみましたが思うように値が上がらない。米の供給が増えたのに通貨を引き締めていたから、米の値段は80文から20文まで値下がりしました。

そこで大岡越前之守は貨幣の増量を進言しましたが、吉宗はインフレを恐れて踏み切れませんでした。しかしいろいろ対策を打っても米相場は回復せず侍の生活はますます貧しくなり、やむなく大岡越前の守の進言を受け入れて、貨幣の増発に踏み切りました。その結果米価は20文から60文にまで回復し、他の物価は安定していました。

このような歴史の教訓は現代に生かされているのだろうか。政府自らもデフレ状態である事を認めている。日銀の通貨政策が間違っていたのだ。失われた10年は日銀によって作られたものだ。それにより日本から1500兆円の資産が失われた。しかし日銀はその責任を大蔵省に押し付け、馬鹿な大蔵省は解体されました。日銀は焼け太りのように独立性と権限を強化する事に成功している。以下は「円の支配者」からの引用です。

1990年代、日本銀行はどれだけのお金を印刷していたのか?ほとんどゼロである。大蔵省が必死になって景気を回復させようとしている頃、日本銀行は少しも焦っていないようだった。日銀は大蔵省に命じられるままに金利を引き下げたが、同時に通貨の流通量を減少させていた。金利がいくらであれ中小企業の大半がお金を借りられないのなら、ゼロ金利は何の役にも立たない。

そして大蔵省が財政支出を増やしても、中央銀行は新しいお金でそれをまかなってやらなかった。したがって大蔵省は民間投資家向けに国債を発行して費用を調達するしかなく、結局、民間需要を低下させるだけだった。

経済が好景気からバブル崩壊へと落ち込んだ理由は、システムにはなかった。低金利政策も財政による経済対策も効果を上げられる筈もなかった。じつは93年か94年に楽に景気を回復させられるシンプルな政策があった。銀行が充分なお金を創造しないから物価が下落し、需要が落ち込み、失業が増加するのだから、要するに経済に必要なのはマネーである。これほど簡単な事はない。日本銀行が印刷機のスイッチを入れればよかったのだ。


小泉内閣の支持率のように株価よ上がれ

2001年5月30日
小泉内閣の支持率はますます高まっている。構造改革の概要もだんだん見えてきました。道路特定財源の一般財源化や、地方交付税の見直しなどは、出来るかどうかはともかくとして、今までの内閣では手を出せなかった問題だ。特殊法人の民営化もそうです。民主党などは我々の政策が横取りされたと言っていましたが、記憶にありません。

公共事業も地方よりも大都市圏のインフラ整備が遅れています。誰もいない所に橋や道路を作ったとしても無駄金になってしまう。それよりは石原都知事の大都市改造プランに使った方が、景気対策になるし新規雇用の創出にもなると思います。実現出来るかは解らない。しかし一石を投じた事は画期的な事だ。

国債発行も30兆円までとする、財政再建策もまだ流動的だ。小泉首相や塩川財務相もまだ思い付きを言っているに過ぎない。党の総務会と言う鬼門が待ち構えています。橋本派も不気味な存在だ。この関門を突破するには衆参同日選挙で大勝するくらいのパワーが必要でしょう。

このままでは自民党内の反対勢力や官僚たちの骨抜き工作で、何も出来ないまま暗礁に乗り上げる可能性が強い。しかし私は小泉首相にこのような姿勢を貫いてほしいと思います。経済や外交についてはまだ未知数ですが、田中外相を代えるわけにいかないだろうか。シンボル的存在だけに出来ないだろうが、小泉内閣の命取りになりかねない問題の大臣を抱えてしまった。

株式が大幅に下落している。外人買いが止ってしまったせいがありますが、小泉内閣の株式相場の支持率は早くも下落し始めている。田中外相の親中反米的な外交姿勢が問題なのだろうか。株式買い取り機構の先送りが一番影響しているのだろう。銀行株の下落が大きくなっています。不良債権の処理を早く終わらせるには資金が必要だ。株式買い取り機構が時価で買取れば手っ取り早いのですが、抵抗が強いようだ。


日本銀行とロスチャイルドとの関係

2001年5月29日
一万円札、5千円札、千円札があったら不思議なマークがあることに気付いてほしい。一万円札なら裏側のNIPPON GINKOの文字の左側に有る「丸に点」のあるマークである。これはルシファーの目と呼ばれるマークである。以前にも日記に書いたことがあります。このように「日本銀行券」に秘密結社のマークがついている事が、日銀がロスチャイルド等の支配下にある事の証明である。

日本銀行は株式会社ですが、四季報を見てもチャートブックを見ても大株主の明細が載っていない。本によると闇の権力者たちが40%もの株式を所有している。とても恐ろしい事だ。ここに日銀が日本の国益に反した陰謀をする背景が有る。以下は中丸薫の「日本が闇の権力に支配される日は近い」からの引用です。

今世紀における二回にわたる世界大戦の元凶は、国際金融財閥が支配する中央銀行制度である。各国の中央銀行は、各国政府を超越して舞台裏で結束して各国民の支配を続けているが、彼らの活動と真の目標は秘密のベールに包まれてしまっている。

真相が決してマスコミで報道される事が無いのは、中央銀行が秘密政策を通して一国の政治・経済・金融・外交・軍事・教育・を支配し、定期的に戦争を発生させているからである。

中央銀行は人工的にインフレ、デフレ、好景気、不景気を起こし、政策を国際金融財閥とその手下と共同で秘密裏のうちに前もって決定し、彼らを富ませている。人類最大の不幸と呪いとは、中央銀行が民主主義を偽って各国を支配し、定期的に戦争を企画している事である。

無から金を生じさせつつ国民から財産を略奪するのが中央銀行であるが、この金にさらに利子を付けてそのまま貸し付ける。国民から担保を取って、毎日のように負債を負わせ、大きな負債を抱えさせる。そうやって誠に都合よく国民を支配するのだ。

しかもそのトリックたるや、紙とインクのコストしかかからない偽りの紙の通貨による偽りの負債であり、それが税金を搾取する為の口実ともなるのだから、笑いが止まらないであろう。

中央銀行家は支配する力を必要とするが、その理由は支配力と権力が無いと、借金の回収が出来なくなるからである。つまり、金融の裏には必ず「力の道」があり、独占体制が必要なので、政治を悪用して主張をごり押しし、力づくで借金、負債を回収しようとする。

(日銀出身の経済学者はさかんに構造改革を主張している。その構造とは日銀の支配体制をより強固なものにするためのものである。再び日本の金融機関は経営を揺さぶられようとしている。)


ロックフェラーとロスチャイルド

2001年5月28日
株式投資をしていると、世界に起きているニュースに無関心ではいられない。新聞やテレビ雑誌や本などに目を通して、なにかいい投資先はないかと探し回ります。それだけでも株式投資をやるだけの価値はあるでしょう。しかしいくら勉強してみても利益には結びつかず、高い授業料ばかり収めています。

最近では世の中のニュースを探って行くと疑問を感ずることが少なからずあります。新聞やテレビは十分に事実を伝えているのだろうかと疑問に思える事があるのだ。日本経済は今どうなっているのか、どうして景気はなかなか回復しないのか、バブルの発生と崩壊は何故起きたのかといった事に、新聞やテレビはなぜ事実を報道しようとしないのか、と不満に思えることがあります。

どうしたら景気が回復するかなどという事は、経済の専門家や学者も答えを出しあぐねている。政治家もいろいろと経済対策に手を打ってはいるが、景気は回復せず巨額の財政赤字が膨れ上がるばかりだ。首相は何人も代わり、大蔵省は解体された。しかし10年も経ってみるとその原因はおぼろげながら見えてきた。前々からこのHPでも、国際金融資本家たちの陰謀ではないかと書き続けてきました。以下は中丸薫の「日本が闇の権力に支配される日は近い」からの引用です。

マレーシアのマハティール首相は「アジア経済危機の仕掛け人はジョージ・ソロスだ」とロスチャイルドの使用人の実名を挙げて策略の真犯人を堂々と非難したのである。しかしマハティールの警告も空しく、10月になるとそれまで史上最高値を記録して絶好調だった香港株式市場さえも、未曾有の大暴落に見舞われてしまう。

翌日には韓国にまで飛び火し、韓国株式とウォンの大暴落となり、経済危機は東北アジアまで拡大する。11月には韓国政府はついにIMFに対して緊急融資を要請。これが何を意味するか、皆さんはお分かりだろうか。

IMFの介入を受けると言う事は、ジョージ・ソロスが代表する国際金融財閥に完全に屈服する事を意味する。つまり、韓国の金融や大手の製造業がロスチャイルド、ロックフェラーによって買い占められる準備が整う事になるのだ。

IMFなどからの援助を受けるのは、実は国家主権を譲渡する行為であり、それはつまり民族国家、政府の上にもう一つの外国政府が設立される事と変わりない。このような形でタイ、インドネシア、韓国は独立性を失いつつある。

このように、日本のマスコミが国民に与えている情報はまったく正しくない。一連のアジア諸国の凋落は決して偶然に発生したものなどではない。念入りに計画が練られ、鮮やかに大掛かりに行われた策略なのである。

闇の政府に忠実に仕えるマスコミの情報しか与えられない日本国民は、このような「国際犯罪」を目の当たりにしても、その策謀を見抜く事は出来ず、ピンと外れの言動を繰り返すのみである。

(この本は1998年11月に発行されました。中丸薫氏は明治天皇の孫にあたり、レーガン/フォード元大統領、サダム・フセイン、ガダフィ大佐、D・ロックフェラー、ロスチャイルド兄弟、キッシンジャー博士など世界を動かすトップリーダーたちとインタビューを重ねている。)


歴史教科書論争とマインドコントロール

2001年5月26日
「朝まで生テレビ」を見ていましたが大変重たい問題だ。事あるごとに中国や韓国から抗議が出され、マスコミが大騒ぎします。社会学の分野に於いては、どれが正解かは判断がつかない問題が多く、理数系の学問のような正解、不正解がはっきりしていない。いくら論争したところで決着が付けられる問題ではない。

「朝生」を見ていると親中派、親韓派、親ロ派、親米派そして民族派と入り乱れて論争している。今回の歴史教科書論争の新しいところは、民族主義的なイデオロギーを持ったグループが中学校の歴史教科書を作った事に対して、特に中国や韓国が大騒ぎをしている事だ。このように日本以外で歴史教科書が外国から干渉される事はあるのだろうか。

一番の問題は「朝生」でも田原総一郎が言っていたが、現場では歴史は江戸時代までしか扱わず、近代の日本の歴史をほとんど知らずにいると言う事だ。テレビドラマでも不思議なのだが日清日露戦争あたりから日中戦争あたりまでの歴史ドラマがほとんど無い。NHKの大河ドラマも戦国ものか幕末ものが多い。司馬遼太郎の「坂の上の雲」などは絶対に大河ドラマには扱われないだろう。

テレビでは従軍慰安婦だの部落問題だのを問題にしていたが、中学校一年生で教えるような題材なのだろうか。要するに日本の教科書をネタに、外交的嫌がらせをしているとしか思えない。日本の政治家たちが卑屈なまでに中国や朝鮮や米国に従属的で弱腰なのは何故だろう。不思議でならない。靖国神社に参拝する事すら難癖を付けてくる。

要するに中国や朝鮮や米国は、これらの材料をネタに外交的に難癖を付けて、いつまでも外交的イニシアティブをとって金をせびったり、交渉を有利にしようと利用しているだけなのだ。ことあるごとに「反省が足りない」「軍国主義の復活だ」と騒ぎ立てる。日本の政治家がいつまでも弱腰を続ける限りいつまでも、これらの三国は「ゆすり」「たかり」を続けるだろう。

日本の大新聞のほとんどはこれら三国の手先みたいなもので、朝日新聞の記者は全閣僚に靖国神社参拝をするか聞いていた。日本のナショナリズムを煽るようなことは、これら三国は一番警戒している。教科書ばかりでなく日の丸や国歌も学校ではおかしな扱いを受けている。日本の教育は反ナショナリズム的教育をしているようだ。このような国家が世界の何処にあるのだろうか。


金融経済から実物経済へ

2001年5月25日
FRBのグリーンスパン議長はエコノミック・クラブ・オブ・ニューヨークの講演で、アメリカ経済の先行きにかなり慎重な見方をしています。特に予想以上に資産デフレの影響が消費に及ぼすリスクのある事を述べています。金利の相次ぐ引きげにもかかわらず、更なる引き下げをほのめかす発言をしています。株価も上がり消費も比較的安定した数字が出ているにもかかわらず、景気が下振れする可能性を述べている。

グリースパンの真意は何処のあるのだろう。バブル状態の株式を支える事はアメリカにとって得策なのだろうか。景気を株高で持たせるのは良いが、エネルギー価格の上昇や、国際収支の赤字の増大言う副作用がある。ガソリン価格の値上げや電気代の高騰は庶民の生活を脅かしている。この事はグリースパンの責任ではなく政府の責任だ。

今までは金融政策が重要であったが、これからは政府の産業政策が重点にならざるを得ない。エネルギー価格の高騰により、原子力政策がまず変わりました。凍結されていた原子力発電計画も再開されるようだ。ガソリン価格の値上がりも問題で、エネルギープラントの設備投資や、省エネカーの開発もしなければなりません。

このようなインフレ傾向は原油価格や非鉄金属が上昇しているのに見られるように、明らかになってきている。この点からみるとグリーンスパンの金融政策とブッシュ大統領の実物経済とは政策的に対立している事が浮かび上がってきた。考えてみれば親父のブッシュ大統領を落選させたのはグリーンスパンだ。92年の不況がブッシュ大統領の再選を阻止した。共和党員であるグリーンスパンは裏切ったのだ。

つまり、金融政策中心の時代が終わって、今度は、石油や鉱物資源、それから食糧を中心にした実物経済の時代に、アメリカは変わろうとしている。となるとものを言うのは軍事力だ。石油も鉱物資源も、それを押さえるには軍事力がものを言う。中東では毎日のようにパレスチナ騒動が起きている。イラクにも爆撃をしている。近いうちに中東で戦争が起きるかもしれない。

だから日本の株式市場に今年から異変が起きている。石油株や非鉄金属株が値上がりしている。プラント建設株も値上がりしている。外人投資家がアメリカの政策転換をいち早く先取りして、これらの株を買っているのだ。日本は金融戦争に負けた。そして舞台は実物経済に移って、アメリカ製の製品を買わされるだろう。軍事的にもいろいろ起こって兵器を買わされるかもしれない。集団的自衛権なども絡んできます。


現代の日本を支配する日銀のエリート

2001年5月24日
ハンセン氏病の熊本地裁の判決に対し国は上告を断念しました。官僚サイドの意向は上告の判断でしたが小泉総理の政治判断で上告を断念しました。これで小泉内閣の支持率も上がる事でしょう。今までの政治構造は政治家と国民との間に官僚が立ち塞がり遮断してきましたが、国民の意思が政治に反映されて良かったと思います。

官僚主導の政治から、政治主導の政治に構造改革が進んでくれる事を願います。森総理があれほど評判が悪かったのは、密室で選ばれ官僚任せの政治が行なわれ、国民の意志が反映される事が無かったからだ。今回は全国党員による間接公選で選ばれたから、支持率が落ちるような判断は出来なかった。

三権のうちで議会が最高機関だから、国民に選ばれた議員が最高権力者のはずだ。田中真紀子外相のように、それを勘違いしているのは困った事だが。しかしながら真の支配者は別のところにいる。選挙とは別のところにいる。最高裁判事ですら選挙で信任を受けているのに、誰だろうか。以下は「円の支配者」からの引用です。

日本の敗戦から2001年までに26人が首相として君臨した。だが、この国はじつはわずか6人に支配されてきた。新木、一万田、佐々木、前川、三重野、そして福井である。過去50年間では5人である。1962年から94年までという大事な時期には、国家の操縦舵を握っていたのはたった3人であった。佐々木、前川、三重野だ。

国民は投票で忙しく政治家を選んだり、放逐したりしてきた。ところが実際の支配者は確固とした権力を握り、民主的なチェック・アンド・バランスとは無縁のところで意思決定をおこなって、誰にお金を手にさせ、誰には手に渡さないか、経済を不況に向かわせるか、景気を回復させるか、そしてどれほどの人を失業させ、どれほどに職を得させるかを決めてきたのである。

見る目を持った日銀スタッフには、日本銀行にはエリート中のエリートが存在する事は自明だった。この少数のグループは信用創造量を決定し、窓口指導の権力を頑健に守って、誰にも口出しさせなかった。彼らは後継者を自分たちで選んだばかりでなく、忠実な部下だけを営業局長やその下の重要ポストに就けた。窓口指導政策を管轄する営業局の権利は非常に大きく、日銀の他の部門から独立していたので、他の日銀マンは彼らを「関東軍」と呼んだ。

大蔵省出身の人物が日銀総裁に任命されている時は、総裁は重要なコントロール・メカニズム、すなわち信用創造量の決定から排除される、という事だ。信用創造量は部下の日銀スタッフが決定し、総裁への報告はなかった。世論は日銀の真の統治者について誤解させられてきたのである。


小泉首相は何処までやれるか

2001年5月23日
小泉総理は道路特定財源とか地方交付金の見直しや、補助金の削減をするなどを選挙公約にすると言っています。地方の道路工事は、橋本派の利権の源泉だけに、橋本派の主要メンバーから反論が相次いでいる。この業界に手を付ける事は非常に勇気のいる事だ。まさに命懸けの仕事になるだろう。

小泉首相や塩川財務大臣がこの分野の一般財源化や歳出カット出来たならば画期的な事だ。これが実現出来たら小泉内閣は人気だけではない、革命的事業を成し遂げた歴史的内閣と言えるだろう。小泉氏や塩川氏は都市部出身の代議士だ。この事自体が画期的な事である。

国会とは言っても今まで行われてきた事は要するに税金の分捕り合戦なのだ。自民党という農村政党は都市部から税金を巻き上げ、地方の農村部に公共工事として金をばら撒いてきたのだ。それが橋本派の勢力拡大の源だったのだ。その資金源を断つことは出来るだろうか。

都市部の選挙民は反自民感情から野党に投票する。しかし野党は予算分捕り合戦には参加出来ない。いまや与野党を分けているのは、都市対農村の利害対立だ。だから小泉首相の政策が民主党と重なるのは当然の事だ。自民党の大物の大都市部議員は去年の選挙でほとんど落選してしまった。

大都市部議員が主流になれないのは選挙制度が不利に出来ているからだ。司法が怠慢で投票格差を是認してしまっているから歪みが出来るのだ。人口比例で厳密に割り振っていかなければ民主的で公平とは言えない。憲法違反を司法は認めてしまっているのだ。

日本ほど憲法違反が横行している国はないだろう。時代に合った改正が出来ないから、解釈を捻じ曲げて運用している。ハンセン病訴訟も立法の怠慢から憲法違反行為を国が行なってきたことだ。司法自体が立法や行政にかかわる分野の判決から逃げてしまっている。おそらく地裁から上に上がるに連れて国側に有利な判決になっていくのだろう。この事自体おかしな事で三権分立は機能していない。

三権分立が機能していれば法の元の平等は尊重され、投票格差のある選挙は無効とする判決が出なければおかしいのだ。憲法改正に反対する事が逆に憲法をないがしろにする風潮を生んでしまっている。二言目には改革を叫ぶ左派議員が、憲法の事になると超保守的になるのはおかしい。憲法を政治の手段にしているのだ。憲法は国民のためにあるのであり、国民が判断すべき事だ。


日米の金融相場

2001年5月22日
日米の金融相場が始まっている。ナスダックも1600ポイント台から2300ポイント台まで回復している。N225も11000円台から14000円台まで回復した。N225とナスダックは連動性が高い。3月の日銀の金融の量的緩和がN225にもナスダックにも影響をもたらしているのだろう。日銀が公に金融の量的緩和を発表したのは初めてである。今までは金利の発表だけだった。

株式相場も金利よりも中央銀行の資金供給が大きな影響を持つ事が明らかになりました。日銀やFRBはそのことをかなり前から知っていた。学者はそんなことをすればインフレになるとか、通貨の信用維持がはかれないとか、技術的に出来ないとか、いろいろ言ってそんなことはありえないと言っていた。大蔵省の官僚や政治家すら騙されていたのだから、我々が分かる筈が無い。

だから学者や評論家は無知であるか、知っていてもごまかしを言っていた事になる。だから学者や評論家は信用出来ないのだ。特に日銀出身の経済学者は信用してはいけない。彼らは今盛んに構造改革を連呼している。「痛みを伴う」とか「血を流す」とか言っているが、馬鹿げている。日銀はリストラとは無関係だからそんなことが言えるのだ。以下は「円の支配者」からの引用です。

経済予測のためには、通貨の価格ではなく量に、正確に言えば信用創造の量に着目しなければいけない。銀行が麻痺している場合、経済予測に必要なのは、中央銀行がどれだけお金を創造したかを見る事だ。1998年3月31日、日本銀行は劇的な政策転換を実施した。突然すべての印刷機のスイッチが入り、この四半世紀で最高のスピードで通貨を創造し始めたのである。

日銀が発表するいわゆるマネーサプライ指標を見ても、信用創造量の劇的増加の事実はすぐには分からない。中央銀行は、自分たちが何をしているかを吹聴したがらないものだ。彼らは大量の金融データーを発表するが、信用創造の総量に関するデーターを強調したりしない。

日銀の信用創造量を測るためには、銀行への貸出、金融市場操作、長期債券市場操作、外為市場介入、オペの不胎化など、その全てを足し合わせていけばいい。日銀が通貨を印刷したのは、日本経済浮揚策の第一段階だった。第二段階には、銀行貸出の回復を図らねばならない。


アメリカの株式とドルはどうなる

2001年5月21日
NYダウ株式は相次ぐ金利の引き下げで、1万ド割れから一気に11200ドル台へと最高値を伺うほどの急騰を見せている。FRBがその気になれば株価を操作することがいかに容易であるかを示しています。金利ばかりではなく政府のバックアップや、量的緩和などもおこなって金融相場を作り出すことに成功している。

グリースパンは、日本のバブル崩壊をよく観察しているから、株の急落や不動産の急落は防ぎたいはずだ。しかし今の相場は加熱気味に思える。景気の後退は徐々に本格化してくるだろう。エネルギー価格が上がり、貿易赤字は大きくなる一方だからだ。金利も4%と、これ以上下げるわけにはいかないだろう。

ドルの暴落も怖い。もしこれで株が下がり始めたら危ないことになる。金利も安く、量的緩和をすればドル安を招き、海外からの資金は流失していく。だから株高と減税で企業業績を回復させなければならないが、成功するだろうか。エネルギーと貿易赤字がカギを握っています。以下は「円の支配者」からの引用です。

アメリカでは貿易赤字は毎月、記録を更新している。貿易赤字が維持できるのは、大量の資本が流入しているからだ。90年代の韓国、タイ、インドネシアと同じだ。もちろん、アメリカのほうが立場は有利だ。債務はドル建てだから、FRBは通貨を印刷しさえすれば返済できる。もちろん、そうなればドルのためにならない。バブルが本格的に崩壊すれば、ドル危機が起こるだろう。

アメリカの証券市場がいつ崩壊し、過剰に貸し込んだ銀行が破産の瀬戸際に立っても、預金者は20年代のように生活の糧を失うことは無いであろう。今のアメリカには預金保険制度がある。しかし問題は金融緩和によってもうお金は銀行には無くなった、ということだ。過去25年あまり、銀行預金から株式市場へと貯蓄の劇的な移動が起こった。個人の貯蓄の50%は現在証券市場に投資されている。そして、証券市場の売買損には今のところ、保険制度は無い。

過剰な信用創造が陰りを見せれば、資産価格は下落する。投機家は金を失う。銀行には不良債権がのしかかる。そうなれば、信用創造はますます収縮する。株価が大きく下落すれば、民間部門の富の相当部分が消し飛ぶ。1920年代と同じだ。外国人がアメリカへの投資を中止すれば、国際収支の危機でドルが暴落する。

アラン・グリースパンはこの事実に気づいていないのか。信用創造のプロセスについての丹念な研究の中で、1920年代30年代のアメリカの景気循環を生み出したメカニズムに対する明晰な理解を示しているのだから、彼には事態が分かっているはずだ。


アメリカ流資本主義は間違いだ

2001年5月20日
最近の報道番組は見るに値しない。あまりにもあさはかに現内閣を賞賛する、大政翼賛会的な風潮になってきた。田原総一郎が言っていたが、田中真紀子外相を批判すると、テレビ局へ抗議の電話が殺到するそうである。日本国民はいつからこんなに愚かになってしまったのだろう。もはや内容は問題ではなく、政治家や官僚に対する怨念が一気に爆発し暴走しているのだ。

大衆ファシズムほど恐いものはない。それを批判するものは正義に対する陰謀として悪者にされてしまう。田中外相の相次ぐ失言やトラブルも全て官僚たちの陰謀のせいにされてしまっている。改革を訴えているのは分かるけれど中身が無いまま騒いでいるだけだ。野党もなすすべが無いようだ。識者も警告はしても隅に追いやられてしまう。猫に鈴を付ける人はいないのだろうか。

世界第一位の経済大国の経済が危機的状況が訪れようとしている。前財務長官のラリー・サマーズは、現在の状況は1930年代の大恐慌を不気味にも彷彿とさせる状況だと述べている。株式市場の暴落と金融危機がセットになって襲いつつあるのだ。金融分野への自由市場経済化が進んだため、株式市場の乱高下や銀行の野放図な貸し出しが、どういう結果をもたらすか忘れられてしまっていたようだ。

大恐慌以降の社会民主主義的なニューディール政策によって銀行の規制、信用の統制、国家介入によって金融制度が確立し、一方で社会保障制度が一般労働者をリスクから守り、それが労働者に購買力を与え、需要の安定につながった。それらが1990年代に自由化や規制の緩和をとなえる市場経済原理主義者によって、統制はどんどん撤廃されてしまった。その結果1920年代のような株式市場の活況をもたらした。投機経済の始まりである。

歴史は再び繰り返しつつある。しかしヨーロッパでは金融制度における株式市場の役割はずっと小さいため、日米よりはるかに頑健である。ヨーロッパは孤立を保つため規制構造を堅持してきた。だからEUは安全地帯でいられる。日本はアメリカの学者たちのとなえる自由市場経済を、構造改革として取り入れようとしている。これは間違っている。むしろヨーロッパに学ぶべきである。

ドイツは日本と同じような構造改革に着手した。エアハルトのもとで、ドイツは戦時経済体制の利点を保持しつつ、単なる生産高の最大化から国民の生活水準向上へと意識的に目標を移して改善を図った。その結果集団的戦時経済とアメリカ流の自由市場経済を組み合わせたものが出来上がった。

ドイツはこのハイブリットの経済システムを「社会市場経済」と呼んだ。第三の経済システムであるドイツ経済は、社会主義の政治家が現在ヨーロッパに導入しようとしているものに良く似ていた。購買力、住宅の広さ、職場との距離、労働時間、教育のコストと質などを考えれば、平均的なドイツ人の生活水準が先進国の中でトップの部類に入る事は間違い無いだろう。

戦時経済体制を改革し、改善するか、それともまったく捨ててアメリカ流自由市場経済を取り入れるか、考えるべきだろう。その答えは出つつある。アメリカのカジノ経済はサマーズ前財務長官の言うがごとく、大恐慌の訪れを予感させるようだ。


自由市場経済は日本では失敗した

2001年5月19日
人気絶頂のワイドショー内閣は日本をどうするつもりだろうか。もはや田中外相の資質はどうしようもない。アメリカ、ロシア、ヨーロッパの各国要人とはドタキャン続き、ドタキャンがどれだけ外交にとって失礼にあたるか本人は分からないのだろうか。アーミテージ国務副長官も親しい人には苦情を言っていたようだ。レセプションも副大臣任せで相手がどれだけ気を悪くするか、わがままも限度があります。

ノー天気なワイドショーはガンバレ田中真紀子コールを繰り返している。田中外相は中国の外相に李登輝氏の再来日は認めないと明言したそうです。どうやら反米親中国の外交方針のようだ。外相の外交センスはどうなっているのだ。小泉首相とのズレも気になります。

ワイドショーと言えば日本テレビの「ウェークアップ」で今まで植草氏は景気最優先の政策を言ってきましたが、今日の発言で構造改革派に転向したようだ。「ゾンビ企業が健全な企業まで悪くしてしまう」とまで言っている。しかし今回の不況は作られた不況なのだ。その犯人も原因もはっきりしている。

日本型の経済構造を無理矢理アメリカ型の市場経済変えようというのは正しい事ではない。自由市場型の経済構造も欠点はあるのだ。以下は「円の支配者」からの引用です。

1920年代の日本は、我々が知っている戦後の日本とはまるで違っていた。自由放任の経済システム、純粋な自由市場資本主義の国だったのだ。終身雇用も年功序列制度も定期賞与も広がりが無く、企業労組も少なかった。会社はしばしば中途採用を行ない、容易に解雇した。従業員の方も、もっと良い職場が有りそうだと見れば遠慮なく辞めた。失業率は、戦後の大半がそうであったような2%ではなく、25%前後だった。

アメリカの貿易交渉担当者が1980年代から1920年代にタイムスリップしたら、もっとアメリカのようになれと日本に要求したりしなかっただろう。当時の日本は現在のアメリカ流の資本主義に酷似していた。日本では大量失業時代に入省して地方の飢餓をを目のあたりにした経験を持つ「革新官僚]が先頭に立って、自由市場からの離脱が進んだ。彼らは高橋亀吉等、当時の指導的な経済評論家の論文を読んでいた。

1920年代には戦後のいわゆる日本型システムは存在していなかった。当時の日本経済は、激しい競争、情けようしゃない首切り、大企業どうしの買収合戦、なきに等しい官僚統制、高い配当を求める強力な株主、銀行ではなく市場からの資本調達と、何から何まで今日のアメリカ経済そっくりだった。

(小泉首相はすでに失敗した1920年代の自由市場経済に戻そうと言うのだろうか。日本の若い経済学者はアメリカ型の自由市場経済の重大な欠陥を知らないようだ。日本人がアングロサクソンの真似をしても上手く行く筈が無い。)


支配者の支配者は日銀のプリンス

2001年5月18日
構造改革が行政の改革とするならば、公務員の削減や特殊法人や外郭団体の整理が課題となります。長年歴代内閣が取り組んできましたが、わずかしか出来なかった。官僚たちの天下り先だからだ。そして多くの補助金が消えてゆく。その内容はベールに閉ざされている。石原行革相はそれに取り組むのだが大変な事だが、情報をどんどん公開してほしい。

本来ならば、国民に選ばれた政治家が官僚を上手く使いこなして行政をしていくのが理想だ。しかし実際は官僚に使われてしまっている。官僚組織を使いこなせる実力の有る政治家は僅かしかいなかった。最近は副大臣や政務官を増やして補強しているが、政治主導の行政の実現は、なかなか難しい。法律上は絶大な権限を持っていても能力が無ければ何の意味も持たないからだ。

権力の実権は国民に選ばれた政治家にあるのではなく、官僚にある。テレビ中継が行われている国会は国民を欺く道具に過ぎない。その官僚の中の官僚が大蔵官僚でした。しかし今はそうではない事は前に書いたとおりです。バブルの崩壊が日銀の陰謀によるものであり、大蔵省は濡れ衣を着せられ解体されました。以下は「円の支配者」からの引用です。

1998年の日銀法改正以降、政治家が意志を実現するメカニズムはない。政府代表は日銀に立ち入って帳簿を監査したり、適切に運営されているかどうかをチェックすることさえ出来ない。日銀は法律を超越し、民主的機関を超越している。景気が良くなるか悪くなるかを決定するのは政府ではなく、日銀だ。

日銀のプリンスたちは大幅な構造改革を実現し、自らの法的権限を拡大するために経済を大混乱に陥れた。だが彼らが仕組んだ構造改革は必ずしも国民の利益にならない。アメリカ流の経済体制だけが、経済を成功裏に運営する方法ではない。公的な議論が尽くされ、プリンスたちが公明正大に行動していれば、なくさないですむ多くの長所が日本の経済体制にはあった。だが、彼らは闇の中で画策した。

日本最高の職が公的な議論なしに、それも何年も前に決まる事には不安はないのだろうか。誰が日銀の指導者を選ぶのか。どうして、富士通総研の福井俊彦理事長が総裁候補の本命なのか。そもそも、彼は何者なのか。彼は王位の継承者と見られている、円の支配者の一人なのだ。

戦後日本を支配した5人のプリンスたちは、伝統的な金利政策という煙幕の陰に隠れ、誰も責任を負っていない。首相にも、蔵相にも、また自分が総裁でなければ日銀総裁にさえも、責任を負う必要はないのだ。立法府の議員たちには日銀法改正が過ちだったと気付いてほしい。ただちに日銀法を再改正して、国民から選出代表者が金融政策の舵取りを行うようにすべきなのだ。


「前川レポート」と日本銀行

2001年5月17日
小泉・田中人気は危険だと書いてきましたが、私の懸念はあたってきたようだ。国民の圧倒的支持率はマスコミをも支配し始めた。問題点を冷静に報道しても視聴者からクレームがきたりしているようだ。国会でも首相や田中真紀子外相を責め立てると、「いじめるな」などと抗議の電話やメールが殺到している。

批判すべき事は批判しなければ報道の役割を放棄した事になるし、野党側も困惑気味だ。扇大臣が名指しは避けながらも「ある議員が、男だったら一発で首が飛んでいる、といっていた。だが、女だから許したのかとなると、二度と女をこういう大臣をすべきでないとなってくる」と指摘、外相の言動を厳しく非難した。

他の与党の党首が非難しているのに、自民党の実力者たちは何も発言しない。見て見ぬふりをしている。構造改革の中身が見えてこない。官僚政治を改めるにしても田中真紀子流は間違っている。官僚を叩いたところで人気は上がるだろうが政治は良くならない。以下はヴェルナー著「円の支配者」からの引用です。

戦後日本の重要な経済政策立案に政党がほとんど役割を果たしていない事は良く知られている。55年体制が確立され、これが実際に国を動かしている官僚に民主主義的な体裁を整えさせる隠れみのになった。このいわゆる55年体制は、戦時中の一党独裁体制である大政翼賛会に良く似ている。

戦前の政治において、軍部と官僚は政治家の口出しを排除するシステムを創出しなければならないと感じた。そのために、ナチスの先駆的な例にならって政党はあっさりと廃止され、すべての政治家はほとんど一つの政党に統合された。この政党は大政翼賛会と呼ばれた。

戦後で重要なのは、戦時の官僚と経営者が事実上、完全に生き長らえた事である。軍隊は解散させられたが、戦時経済を立案、運営してきた指導者や立案者は、相変わらずの地位に留まっていた。それどころか、戦時経済を推し進めてきた経済官僚の権力は戦後、いっそう強化された。

日本型資本主義経済は、日本の神秘的な過去にまで溯るものでもなければ、アジア独特の価値観から生まれたものでもない。そもそも戦前には存在すらしていなかった。だが、いつ、どのように、自由市場経済から高度に規制された戦後システムへ根元的な変化を遂げたのか、それは戦時体制である。

1970年代にはもう彼らは、戦時経済体制ではそれ以上の高度成長は出来ないと考えていた。日銀官僚たちはアメリカ流の資本主義を取り入れれば生産性が上がると考えた。計画は上手くいった。長い不況のおかげで、戦時システムは崩壊し、経済は改革された。大きな成果をあげてきた戦時経済構造は見捨てられた。

1986年前川春男が報告書を発表した。その後「前川レポート」と呼ばれたものである。このレポートは、日本の経済構造の歴史的な改革を呼びかけていた。製造業からサービス業へ。輸出主導型から内需主導型へ。大幅な規制緩和と自由化へ。要するにアメリカ流の自由経済を採用して、戦時経済は廃止しようということである。


アラン・グリーンスパンの野望

2001年5月16日
日本を動かしているのは官僚と言われています。田中真紀子大臣がいくら威張り散らしていても、首を切ろうとも、役人を使いこなせなくては役割は果たせない。大臣が人事権を振り回すのは大人げが無い。国務大臣をコロコロと代えて日本の政治家は自らの実権を失っているのだ。最近は総理大臣も1年で交代する。これでは官僚が日本を支えざるをえない。

私は小泉首相も信用が出来ない。適材適所の組閣をすると言っていながら、総裁選で功績のあった田中真紀子を外務大臣に起用した。どう見ても適材ではなく論功行賞で起用している。塩川財務相も昨日の国会で裏切り者である事がはっきりした。解党的改革すると言っていた小泉首相はどうなったのでしょうか。KSDも機密費疑惑の解明もうやむやになりそうだ。

FRBはFOMCでFF金利を0、5%下げて4、0%にして、公定歩合を3、5%に引き下げました。以下はR・A・ヴェルナー著「円の支配者」からの引用です。

アラン・グリーンスパンはFRBの生抜きの人物ではない。1967年に発表した「金と経済的自由」と題する論文の中で、彼は中央銀行に行き過ぎた権力が集中する事に反対している。さらにセントラル・バンカーが通貨を支配している限り自由はない、とまで言い切った。彼の鋭い分析の結論は、バブルと大恐慌の責任はFRBにある、と言うものだった。

1930年代、何10万人ものアメリカ人が飢えた、失われた10年に、FRBは創設された唯一の目的を果たさなかった。自ら手を打って多額の通貨を印刷し、景気を浮揚させて、銀行の破産を防ぐ事である。それどころかFRBは何万もの銀行を破産させた。預金保険制度は無かったから個人も生活の糧の貯蓄を失った。何故か、ニューディール政策で根本的な改革、連邦税導入、連邦政府の権限強化のためだった。

アラン・グリーンスパンはもはや60年代の自分の研究に触れようとしない。それどころか、FRB議長として「信用創造」という言葉すら、講演でも使わないように気を付けている。彼がFRB議長に任命されたのは1986年で、それ以来彼はまさに、自分が批判した20年代のFRBとそっくりの政策を実行しているのだ。

金利は信用創造の量と直接には結びつかない。そして経済活動を決定するのは、信用創造量の方だ。彼が今までしてきた事はアメリカの成長と資産価格をスローダウンさせるかわりに、FRBは信用創造の歴史的拡大と、民間銀行の信用創造促進によって、火に油を注いできたのである。

いつかは必ずそうなる筈だが、FRBは政策の大転換を実行して、信用創造量を急激に引き締め続ければ、アメリカ人の大半は大損する。大恐慌が起こるかもしれない。もちろん適切な政策があれば回避出来るが。

アラン・グリースパンは何をもくろんでいるのだろうか。制度的改革は経済危機が引き金になって実現する。これには拡大通貨圏の創設が含まれる。これこそ、現実に起こりつつある出来事だ。広大な通貨圏の創設である。ヨーロッパの次はアメリカ、そしてアジアだろう。彼らの論理からすれば、究極の目標は通貨圏をつないで世界通貨同盟を作り出す事だろう。


失われた10年は日銀の陰謀だ

2001年5月15日
小泉総理の主張する「構造改革なくして景気回復なし」という言葉は正確ではない。「構造改革なくして景気は回復させない」と言うのが正しいだろう。10年にも及ぶ日本の経済不況は作られたものだ。何故、誰がそんなことをしているのであろうか。R・A・ヴェルナー著「円の支配者」と言う本に書かれている。

私のこの日記においても、日銀が国債や株式を買取れば良いのではないかと何度か書きました。日銀は印刷機のボタンを押しさえすれば幾らでもお金を作り出す事が出来る。経済学者や経済の専門書では「日銀が国債を引き受ける事になったら大変な事になり、国債が暴落する、大インフレになる」とか書かれています。しかしそれらは行われているにもかかわらずデフレになってしまっている。

デフレが広がるに連れて、金融政策が長期不況の原因だと気付く人が増えてきました。お金は銀行と中央銀行で作られる。いかし銀行はこの状況では信用を作り出す事が出来ない。しかし中央銀行は幾らでも信用創造力がありそれを増加させれば景気回復は出来た筈だ。

日銀は今年の3月19日にやっと量的金融緩和に踏み切りました。日銀はお金をもっと生み出して長期不況を終わらせてくれと言う政府の圧力を撥ね退けてきました。しかし日銀総裁は「大事な事は、一時的な経済成長率の引き上げを目指すのではなく、腰を据えて構造的な課題の解決に取り組むことではないかと思います」と述べている。だから日銀は経済構造改革をさせるために意図的に不況を長引かせてきたのだ。

経済改革と社会改革を実行するのは日銀の仕事だろうか。そこまで日銀を傲慢にしてしまったのは政府の失敗ではないか。R・Aヴェルナー氏は国会議員たちに日銀法改正が日本国民の為にならないことを確信し、国会議員たちに説明してまわった。新聞や雑誌とも接触した。しかし法案は1997年に成立してしまった。

政府はもっとも重要な政策である金融政策をコントロール出来ないでいる。景気が良くなるか悪くなるかを決定するのは政府ではなく日銀が握っている。大蔵省は解体され力を失った。日銀は独立を果たし、強大な権力を手に入れた。彼らの主張する構造改革はアメリカ流の市場経済メカニズムだろう。しかしその体制は日本にとってプラスなのだろうか。このようなことは公的な場で議論され進めるべきで、日銀が勝手に決めて実行していいものだろうか。


R・A・ヴェルナー著「円の支配者」

2001年5月14日
R・A・ヴェルナー氏はドイツ人で東大大学院で経済学を専攻、ドイツ銀行、野村総研、オックスフォード大学、上智大学講師、を経て現在はプロフィット・リサーチ・センターの取締役チーフ・エコノミストです。91年に彼の論文で「日本が歴史的規模の不況型クレジット・クランチ」に移行しかねない事を指摘した。

日本には星の数ほど経済学者はたくさんいる。しかしながら彼らが書いた本で翻訳されて世界に読まれている本は有るだろうか。A・ヴェルナー氏の書いた「円の支配者」は世界的な反響を呼んでいる。本屋で見かけたのでさっそく買って読んでいる。日銀マンが見たら発行禁止処分にしたくなるほどの内容だ。

長い事日本経済をコントロールしていたのは大蔵省であると思われていた。大蔵省自身も万能の権限を有していると思い込んでいた。大蔵省の高級官僚はエリート中のエリートと自分自身でも思い込んでいた。しかしながら彼らのエリート意識は打ち砕かれ、彼らの本拠「大蔵省」は2001年1月で消滅した。バブルを生んだ責任と腐敗と汚職による制裁で大蔵省は解体されたとされている。

しかしながら真犯人は別のところにいる。財務省の高級官僚はこの本を読んで初めて気が付いた人も多いのではないか。大蔵省は失われた10年を必死になって景気対策に取り組んできた。しかしながら全然効果が無い。その影でぶち壊している真犯人がいるのだ。それは日銀である。

例えば1995年の超円高の時、「ミスター円」こと大蔵省の榊原国際金融局長は日銀に月平均200億ドルのドルを買わせた。購入したドルは歴史的な額になった。前例の無い大規模な介入をしたのに円は安くならなかった。日銀の裏切り行為のためである。いわゆる「不胎化」と呼ばれる売りオペで資金を吸い上げる裏切り行為をしていた。これでは円は安くなる筈が無い。為替相場の支配権は日銀に移っていたのだ。

「日本の経済政策は惨澹たるものだ。犯人は大蔵省だ。罰として、大蔵省の権限を剥奪すべきだ。」こういう絵図を描いたのが三重野康である。マスコミは彼を貧しい者の味方だ。現代の「鬼平」だと評した。さらに彼は日銀の法的独立のために、日銀幹部の人事権を大蔵省から奪う事に成功した。新日銀法は1998年4月から施行された。日銀は大蔵省に勝利したのだ。

そして失われた10年を作り出した真犯人は日銀である。「大蔵省と日銀との仁義なき戦い」の為に日本経済は大不況に見舞われたのだ。大蔵省の幹部のエリート意識が腐敗堕落を生み、日銀に日本経済のコントロールの主導権を奪われた責任がある。最近は速水総裁が日本経済の構造改革の事にまで言及している。もはや財務大臣は日銀総裁の指揮下にあるのだ。


国民的人気に頼る政治の危険性

2001年5月13日
今日の「サンデープロジェクト」で田中長野県知事のことを取り上げていました。私は今まで田中知事の事をあまり取り上げてこなかった。政治的力量が分からなかったからだ。既成勢力に対抗して、無党派の支持をもとに華々しく登場しました。テレビなどで訴えている事は良く分かる。しかしその政治手法は独裁的という批判も大きくなってきました。

土木課長の首を切り、側近も辞めていってしまった。意見の相違があったからだそうですが、優秀なスタッフがいなくては、彼一人では県政もままならなくなってくるだろう。長野県民たちの人気に支えられているから、独裁的手法も通用してしまう。マスコミもそれに迎合して盛り上げるから、政治もおかしくなってくる。

ダム建設反対は地元住民の意見も良く聞かずに判断したようだ。脱ダム宣言は今のエコロジー的観点や公共事業の無駄の象徴的な存在になっている。しかしムードだけで判断しては間違いのもとだろう。情報が正確でなくては裸の王様になってしまう。優秀な側近や役人達を意見が合わないからと言って首にしていったら、政治がおかしくなる。

いくら個人が優秀でも一人で出来る事は限界がある。それは県知事のみならず国の首相や大臣にも言える事だ。ナポレオンやヒトラーが最初は華々しい実績をあげた。優秀な人材を次々抜擢して成果を上げたからだ。国民的支持は圧倒的になり有頂天になるや独裁的になり、優秀な側近は辞めさせられたり去っていった。

「サンプロ」に森前首相が出ていました。森氏は調整型の政治家で、独裁型の政治家とは正反対のタイプの典型だ。何でも人任せで丸投げ政治家だ。だから無能でも官僚や側近に任せきりにしていれば何とか勤まる。だから無責任に見えてマスコミの評判は最低で、国民の支持率も最低だった。彼の不幸なところは大勢いる側近は無能で官僚も無能だった事だ。

有能な人でなければ有能な人材を抜擢出来ない。中曽根総理までは派閥の創業者として苦労してきたから人材も集める事が出来た。今の派閥は利害だけの主のいない集まりだ。誰が総理になっても政府は機能せず日本はおかしくなっていく一方だ。

どうして有能な人材が国会議員になれないのだろうか。世襲議員が多くなり年功序列が巾を利かせている。政党も組織政党化して無党派の有権者が多くなり民意が反映されなくなって来ている。日本では政治集会が少ないがどうしてだろう。インターネットをもっと政治に生かせないものだろうか。携帯電話の普及でそれを上手く活用すれば新しい民主政治が出来るようになると思うのだが。

私はだから時々政治家にメールを送っている。皆さんも政治家にメールを送りましょう。これが政治の構造改革だ。


痛みとは15%の消費税のこと

2001年5月12日
小泉総理誕生からのマスコミのお祭り騒ぎにはどうも付いて行けません。昨日まで森首相を支えていた森派の会長が、森首相に代わって首相になっただけなのだ。構造改革も財政再建も一般大衆受けする公約を連呼して支持を集めたに過ぎない。せっかく景気が立ち直りかけては財政再建で潰してしまう。その繰り返しをまたしようとしている。

国の歳出カットで景気がどんどん落ち込んでいる。アメリカの景気後退で輸出も落ち込み始めた。補正予算も今年はどうなるか解らないから今年の後半はどうなるか解らない。国民世論は財政再建、構造改革の大合唱だから小泉首相もそれに従わざるを得ない。

これだけ景気刺激政策をしても効果がなかったから、景気対策はもう無意味であり「構造改革なくして景気回復なし」という論理です。アメリカの大不況の歴史的教訓は活かされないのだろうか。経済クラッシュを起こす危険性は無いと言えるのか。

今日のテレビの「ウェークアップ」でも財政問題を扱っていましたが、評論家達も15%の消費税やむなしと言っていました。「構造改革のためなら痛みを伴ってもやむをえない」と言う意見に国民の65%が賛成している。その痛みがどういうものか分かって賛成しているのだろうか。

構造改革も不良債権処理もやったからと言って景気が好くなるとは限らない。学者や評論家は良くなると言っている。リィチャード・クー氏は疫病神のように言われている。景気回復が第一と言う政策は間違っているのだろうか。アメリカ政府も最近は「構造改革しろ」「不良債権を処理しろ」と言うようになった。アメリカ政府は日本経済の実状を良く知って言っているのだろうか。

景気回復が第一と言う政策は間違ってはいない。不況の原因は過剰債務にあるからだ。過剰債務は年月をかけて解決するか、債権放棄で処理して短期にかたずけるしか方法はない。おそらく政府はそのことを検討している筈だ。銀行は大きな損害を被るが、資産インフレで土地や株の価値が上がり不良債権が正常債権になり、問題は一気に片付く。

今は非常識な案としてまともには相手にされていないが、日本の歴史的に見れば徳政令は珍しい事ではない。株式買い取り機構も数年前は非常識として検討もされていなかった。国債も日銀が買取れば問題はない。金本位制ではないからいくらでも紙幣を発行出来るからだ。日銀の国債の買いオペの拡大や量的緩和はその第一歩だ。


田中真紀子大臣と外務省のゴタゴタ

2001年5月11日
月刊誌の「文芸春秋」で福田和也氏が、小泉氏が田中真紀子の応援を受け入れたのが間違いだと指摘しています。確かに大衆を巧みなアジ演説で人気を得るのは上手い。国民的人気も首相にしたい人No1になるほどだ。自民党幹部への鋭い毒舌も大衆の喝采を受けています。しかしそれだからと言って良い政治家とは言えない。横山ノックや青島幸男も話は面白かった。しかし政治的実績は最低だった。

福田和也氏は大衆迎合政治の危険性を指摘しています。私も異常に高い田中真紀子人気の原因が大衆迎合にあるのではないかと言う懸念を持っています。確かに官僚任せの政治を何とかしなければ改革は何も出来ない。しかし感情的に官僚に強権を振るったところで行政は混乱するだけで、日本外交の機能は麻痺しかかっている。

大臣対官僚の対立といった単純な問題ではないようだ。田中真紀子氏の資質に原因があるように思う。国民的人気をバックに強権を振るうため、マスコミやテレビも報道に及び腰だ。うかつに田中真紀子批判をすると、大衆の反感を招きかねないからだ。ヒトラーも大衆の人気が絶大だった事が独裁政治に陥ってしまった原因だ。

アメリカやロシアの要人との会談をキャンセルし、課長クラスの人事まで口をはさみ、事務次官や秘書官を首にし、幹部も大臣室出入り禁止とはいくらなんでも滅茶苦茶だ。血を吐いて入院してしまった人もいる。まだ大臣になって二週間もたっていない。しかし小泉首相は田中真紀子外務大臣を擁護している。

外務大臣個人のわがままが、外国との関係に悪影響をもたらす事はあってはならない。官僚たちとの没交渉にになってしまった事から外交交渉どころではなくなってしまった。それでも田中真紀子大臣を擁護する声は国民の間で大きい。官僚を吊し上げている事が面白いのだろう。その辺が大衆迎合政治の恐ろしいところなのだ。首相公選制だったら田中真紀子が首相に選ばれていたかもしれない。


小泉首相の国会答弁は棒読みが多くなった

2001年5月10日
3月中旬からの急騰もひとまず終わったようだ。今年に入って外人買いが一兆円も買い越していましたが、今は売り買い交錯しているようだ。今年に入って買ってきたのは去年大きく売り越して、日本株の比率が低くなっていたからです。欧米の株式の動きも天井を打って上値が重い展開になっており、日本株が一番運用成績が良かったようだ。

世界経済を見ていると世界的に景気は悪くなっている。ロシアが石油の値上がりで一息ついている。プーチンの登場で政治も落ち着いてきた。日本も小泉首相の登場で政治も経済も元気が出てくるでしょうか。国会中継を見ていると歯切れのいい熱っぽい答弁が印象的です。しかしパーフォーマンスだけに終われば海部首相と同じになります。その時の雰囲気に良く似ているのだ。

海部首相も弁舌さわやかで政治姿勢もクリーンでした。しかしながら小沢一郎の操り人形に過ぎませんでした。小泉首相も国民の人気取りに終わってしまえば、期待が大きいだけに失望も大きいでしょう。なぜそれだけ支持率が高いのかと言うと、今までタブーとされていた問題を提起しているからだ。

自衛隊や集団的自衛権や首相公選論といった憲法改正の問題に切り込んでいます。特殊法人や郵政事業の民営化の問題も踏み込んでいます。しかしその実現性はほとんど不可能に近い問題だ。憲法問題は議論はされても改正となると日本中が蜂の巣をつついたような騒ぎになってしまう。近隣諸国も黙ってはいないだろう。もし実現出来たら革命的日本の構造改革だ。

共産党の志位氏の代表質問は的を得た問題提起している。「不良債権が有るから不況なのではなく、不況だから不良債権が増えるのだ」と述べている。「構造改革には痛みが伴うと言っているが、医療の負担増で老人たちは病院に行きずらくなり命を縮めている。痛みとはこういう事か」「1997年からの不況は特に酷い。9兆円の負担増が招いたものである。小泉氏はその時の厚生大臣だった。その失敗を繰り返すのか」と痛い所を突いている。

これらの質問に、残念な事に小泉首相の答弁は、官僚の書いた答弁書を棒読みで答えている。経済問題についてはあまり期待出来ないようだ。このままでは失業者や自殺者が日本に溢れるだろう。私は大いに失望している。財政再建をしようとして、かえって財政赤字が増えてしまった事実をどう考えているのだろうか。


大荒れの田中真紀子外務大臣

2001年5月9日
小泉首相への驚異的な支持率になにか危ないものを感じます。実績がすばらしくて支持率が高いのなら良いのですが、改革に対する期待が高すぎるのではないかと思います。その改革に対する中身もはっきりしない。何をどうするかがはっきりしないまま支持率ばかり先走るのは危険だ。日本国民のマスヒステリーが反映しているのではないかと思います。

ワイマール共和国の混乱の中から出てきたヒトラーの人気に共通するものが有るようだ。長引く経済混乱の中から有能で強力な指導者を求めるのは当然の事だ。日本国民も小泉氏にその実現を求めているのだ。田中真紀子に対する人気も同じ事が言える。歯切れのいい口調で、分かりやすい事を短く何度も繰り返して言う事で国民を暗示にかけてゆくのだ。

「構造改革なくして景気回復なし」と言うスローガンが一人歩きしている。何度も繰り返されると嘘もほんとになってくるのだ。現在の日本経済の問題は資産暴落による金融問題であり、構造改革の遅れが第一の原因ではない。だから構造改革を進めれば景気が回復するというのは楽観的すぎる。。むしろ「行政改革なくして財政再建なし」の政策を実施してほしい。

小泉内閣の目玉人事として、国民的人気の高い田中真紀子議員を外務大臣に任命しました。小泉首相は自民党総裁選の時の貢献から外務大臣に抜擢したのですが、その激しい気性で外務大臣が勤まるのだろうかと危惧していましたが、その懸念は当たりそうだ。

8日に田中外相はアメリカ大統領特使として来日したアーミテージ国務副長官との会談を突然キャンセルしました。米大使館も外相の対応に怒っているようだ。これには外務省も政府内からも批判が出ている。さらにロシアのイワノフ外相との電話会談もキャンセルしている。田中外相は「日程の調整がつかなかった」ことを理由にしている。

さらに来日中のアーミテージ国務副長官と小泉首相との会談も見送るように事務当局に指示していた。田中外相は少し常軌を逸している。福田官房長官の計らいで何とか小泉首相との会談は実現したが、なんで外相は反対したのだろうか。日米間の外交問題になるだろう。

外務省内でも田中外務大臣は当面人事異動を全面的に凍結する方針を打ち出した。しかし末端の人事にまで口をはさむことはやりすぎだ。そして外務省秘書官をさっそく首にしている。国民的人気があるからと言って責任有る地位に就けるのは危険だ。今日の新聞を見てびっくりしてしまった。人気だけの政治家による政治は危険だ。マスコミはこの人気に迎合している。


株価は未来を予言する

2001年5月8日
株価とは不思議な指標だ。まだ表面化していない材料や出来事を予見して動きます。3月半ばからの上昇は、日銀の金融の量的緩和や緊急経済対策の材料やPKOによるものでしたが、最近の上昇は小泉新首相の改革への期待で上がっています。出来高も売買高も出来ている。私は3月に少し買っては見たもののすぐに売ってしまい、後は見ているだけでした。

指標は過熱を示しており見ているしかなかった。株式投資家も二極化してきて大儲け出来る少数のプロと、損してばかりいる大部分の投資家に別れてきているようだ。出来高を見れば多くの人が天井で買い、下がって損切りさせられている。最近買った人は大きな利益を上げられないだろう。プロは時間をかけて安値を買い集め、人気化したところで売り抜ける。

今日は株式買い取り機構の今国会での法案成立の見送りで久しぶりに大きく下げています。これだけ高くなれば利食いの売りも出てきます。小泉内閣への期待相場も昨日の施政方針演説で一段落つきました。外人の買いが大量に入ってきたのは、日本経済の立ち直りを予感しているからだろうか。

今の日本経済には何処にも明るい材料は見当たらない。財政も危機的状態で小泉内閣では歳出が3兆円カットされる。増税の話も出てくるかもしれない。1997年の財政再建政策の再現が有りそうだ。速水総裁の辞任もデマだった。だから買える材料は金融の量的緩和ぐらいしかない。それでも外人買いは続きそうだ。

国際金融資本が経済構造改革期待で買ってきているのだろうか。外人は銀行の持合株の叩き売りを安値で相当買い込んだようだ。底値から3000円も上げたところで一部利食い始めたようだ。株式投資の上手い人は日本も外国もやり方は同じようだ。低位株やボロ株も上げ始めれば率としては大きい。値嵩ハイテクはリバウンドを狙えば良い。

しばらくは小泉内閣の政策の動きから目を離せません。小泉内閣が期待外れになれば外人は、森内閣の時のように売りまくる事も考えられます。株価の上げ下げによって政権交代がなされるような情けない国家に日本はなってしまったようだ。


施政方針演説を聞いて

2001年5月7日
小泉首相の施政方針演説を聞いていますが、民主党の施政方針とあまり変わらない印象です。最初の記者会見が思い切った事に触れていたので、驚いたのですが、今日の演説は25分ほどの演説には、憲法改正発言や靖国神社参拝や集団的自衛権などの問題には触れずじまいでした。

外務官僚からかなりクレームが付けられて、「近隣諸国との友好に努める」といった官僚作文に改まっていました。だんだんと小泉色が薄れて行くような気がします。改革の断行を訴えるにはちょっと物足りない感じで、あっさりとした演説で、街頭演説の名調子がなくなり原稿を読み上げる形にになって来ました。

首相ともなると、かなりの重圧なのでしょう。国会議員と総理大臣は立法と行政の違いだけではなく、仕事の密度が全然違ってきます。同じ忙しさでも責任の重さが全然違います。決断の的確さが求められるし、何をやっても何でもない事でもいろいろ言われます。小泉首相もこの点で戸惑う事でしょう。

日本の総理大臣は忙し過ぎるのではないかと思う。忙しすぎて我を忘れてしまい、結局何も出来ずに短い任期を終えてしまう。国会に長時間拘束され、週末は行事に駆り出され、その合間に来客や陳情の応対に追われます。政策を考える時間がなくなってしまう。民主主義を徹底すればこのように非効率な行政になってしまいます。

日本は民主主義なるが故に権力が分散して、誰が責任者か分からなくなってしまっている。もちろん最高権力者は総理大臣ですが、閣議で決まらなければ何も出来ないシステムになっている。李登輝氏の来日問題でも、総理が指示しても行政組織はなかなか動かない。役人達は勝手に動いている。

くるくる交代する総理大臣や各大臣の指示を聞いていたら行政も混乱するし、大臣を教育して仕事が分かるようになるまで数ヶ月もかかり、やっと出来るようになったら交代してしまう。こんな状態がずっと続いているのだ。日本の構造改革はこの辺を変えて行く事が一番重要な課題だ。

小泉純一郎首相がこれだけ国民の支持率が高いのも、この問題を解決してくれそうな期待からでしょう。日本国民は有能で強力な指導者を求めている。しかし小泉氏の政治基盤は弱い。国民の支持率が落ちれば立ち往生してしまう。そうならないためにも行政改革を強力に推し進めなければならない。けっして役人達の操り人形になってはならない。


小泉首相の政治決着外交に失望

2001年5月5日
米中軍用機衝突事故や李登輝氏の来日ビザの問題や教科書問題や金正男と思える人物の不正入国問題などと、次々と中国、朝鮮などの近隣外交問題が立て続けに起きています。いずれも分裂国家であり日本としても対応に神経を使わせる関係です。

日本は大きな影響力を持つ立場だけに中国も北朝鮮も様々な圧力や工作を仕掛けてきます。日本国内には多くの中国人や朝鮮人が滞在している。華僑や在日朝鮮人として永住している人もたくさん居る。中には諜報員や工作員も沢山居るでしょう。犯罪組織も最近は進出している。

日本の外務省官僚や有力政治家にこれらの機関は様々な工作をしている事だろう。アメリカも日本を無力化しておく事は利害が共通しているから問題は厄介だ。日本に自主独立外交を日本の政治家に望む事は絶望的だ。マスコミの報道ぶりも明らかにおかしなところがあります。

このような風潮に日本国民は苛立ち始めている。日本の政党の幹部は日本の国益を優先しているとは思えない。民主党の鳩山代表は韓国に行って教科書問題で言われっぱなしだ。小泉首相も中国に近々訪問して李登輝問題や教科書問題を釈明に行くらしい。中国や朝鮮は何でも文句を付けて外交的優位に立とうとする。アメリカも同じで日本の総理や高官が行っては宿題を沢山抱えて帰ってくる。まるで御用聞き外交だ。

日本は何故このように情けない国家になってしまったのでしょう。アメリカや中国の太鼓持ちや手先が日本を動かしている。マスコミがその実態を明らかにしない。ごく一部のマイナーな本がわずかにその実態を暴いている。小泉首相は最初の記者会見で骨のある事を見せた。しかし早くもその姿勢は後退してきた。金正男を政治問題化を恐れて帰国させてしまった。

日本の弱腰な態度を見透かして馬鹿にされているのだ。テレビも御用評論家を動員してやむをえないと言って世論を静めようとしている。ニュースステーションで大橋巨泉は「小泉純一郎は信用出来ない」と言っている。私もそう思う。派閥の会長を務めながら、総裁選なると無派閥となりながら、組閣で一番多く森派を登用している。橋本派の青木氏とは裏で繋がっていたようだ。だから橋本派は大人しい。

小泉ブームの高い支持率が異常に思える。中身の無いムードだけの支持率だからだ。何でもいいから日本を変えてくれといったヒステリックな感じを受けます。総理を変えただけで自民党や日本が生まれ変われるものだろうか。記者会見で言った事は単なる思い付きに過ぎないようだ。彼一人では何も出来ない事は明らかだ。


大リーグとグローバル化

2001年5月3日
今日はBS−NHKでイチローと野茂の大リーグ対決を放送していました。イチローの活躍でスポーツニュースの時間もメジャーリーグから入る事が多くなりました。スポーツ新聞も一面に載る事が多くなりました。おかげで日本の巨人戦のテレビ視聴率が落ちてきているらしい。

昨日のぺドロ・マルチネスとイチローの対決は火花が飛び散るような対決は見ごたえがありました。158キロの豪速球とイチローのバッティング技術はまさにプロスポーツです。その夜の巨人ー中日戦を見ましたが、どうしても差が目につきます。

日本のプロ野球もMLBの良いところがあればどんどん取り入れるべきだ。でなければ有力選手は皆MLBに行ってしまうでしょう。MLBには外人枠が無いからいくらでも行ける。まさにワールドシリーズなのだ。それが世界に中継放送されている。このままでは日本のプロ野球はMLBのマイナーリーグ化するだろう。

一番の原因はMLBで通用する選手が出てくるほど日本のプロ野球がレベルアップしたせいです。他のスポーツではまだレベルの差がありすぎて、選手の海外流出はほとんどない。そして外人枠などの規制も必要だ。バスケットやバレーボールはプロリーグすら難しい。日本の産業構造にも似ています。

プロ野球のように世界に通用するようになれば産業も規制緩和して自由化を促進すべきだ。しかし他のマイナースポーツのような競争力の無い産業は限度を設けて規制や保護しなければどうにもならないだろう。グローバル化をすべてのスポーツに当てはめたら、世界No1のプロスポーツリーグに統一されてしまう。

その点サッカーはFIFAのような世界組織が基準を設けているから、世界各国にプロリーグが発達している。ワールドカップはオリンピック以上の大会として盛んだ。しかし野球はMLBがグローバル化しようとしている。アメリカ一人勝ちの論理だ。MLBが世界化するのではなく、サッカーのように世界的組織を作り規制して行くべきだろう。

だから産業もグローバル化の論理でアメリカの一人勝ちのやり方は間違いだ。世界的組織が統一基準を設けて規制した方が正しい。WTOやIMFやOECDなどの世界組織はあるけれど、アメリカの付属機関化してグローバル化の論理を押し付けている。ヨーロッパはそれに反対している。イギリスでもフランスでもグローバル化反対のデモが起きている。日本では榊原氏のようなグローバリストが巾を利かせている。彼はアメリカの手先なのだ。


リチャード・クーと榊原英資の討論

2001年5月2日
一昨日のNHKのテレビでR・クー氏と榊原氏が討論していました。二人とも日本経済を代表する論客です。それぞれ言っていることを聞いているともっともだと思う。榊原氏が米英独に比べて日本の経済のグローバル化が遅れている事をあげ、先進国の構造改革に日本が立ち後れていると言っています。

さらに榊原氏はこの10年間「日本は構造改革をさぼっている」「公共投資が構造改革を遅らせている」と日本政府の経済政策を批判している。しかしそういう政策をとってきたのは大蔵省の財務官たちだ。橋本財政で金融危機が起きた時、榊原氏は「財政出動するべきだ」と主張したそうだ。少数派だったそうだが、どうも矛盾している。つまり2年前までは財政出動で景気を支えろと言っていたのに、今は反対の事を言って批判している。

R・クー氏は「アメリカの1930年と同じ事が日本で起きている。このような資産暴落と14%もの需要が落ち込めば大恐慌が起きてもおかしくない」と言い、「それを防いできたのは財政出動によるものだ。景気を下支えしなければ構造改革どころではなくなる。あと2、3年我慢すればバランスシート不況は終わる」と主張している。

最近の日本人はR・クー氏の主張を批判している。財政による公共投資で赤字国債が巨額になってきたからだ。榊原氏は「非常に危険な状況で、ちょっとしたショックで暴落しかねない」と言っている。マスコミや評論家も騒いでいる。財政破綻を財務大臣が言ったりしている。それにもかかわらず国債の金利が長低金利なのは何故だろう。市場が間違っているのだろうか。

榊原氏は「日本の大手銀行は再編成された。これを何故ゼネコンや流通は出来ないのか。もっと規制緩和して構造改革させるべき」と過激な事を主張している。しかしR・クー氏の言うがごとく「受け皿もないのに失業者が増えれば、日本の生産性は落ちてしまう」ことになる。

不良債権を処理すれば景気は好くなるのだろうか。構造改革の遅れが不景気の原因だろうか。問題は単純ではない。財政再建をしようとするとかえって財政赤字が大きくなってしまうのだ。歳出を減らし増税をするとかえって税収が減ってしまうのだ。橋本財政再建はかえって財政赤字を大きくしてしまった。

小泉首相が「構造改革なくして景気回復はない」として、党員選挙で圧倒的勝利して、国民の支持率も驚異的だ。「構造改革を断行する」と熱っぽく語るスタイルは森首相とは大きく異なる。日本のトップリーダーとしては頼もしく思える。マイナス成長も辞さないとも言っている。R・クー氏の冷静なアドバイスは小泉首相には届かないらしい。


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