株式日記と経済展望

ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


2007年7月の参院選で、民主党は「戸別所得補償」を公約に掲げ、
農民票をさらって大勝利。しかし民主党は農民を騙して票を取ったのだ。


2009年5月15日 金曜日

《検証・民主党》農業――1兆円掲げ与野党が激突、政局に翻弄されるコメ農家 5月15日 東洋経済

2007年7月の参議院選挙を皮切りに、自民党と民主党が農政で死闘を繰り広げている。戦端を切ったのは民主党だ。参院選で「すべての販売農家に対する総額1兆円の戸別所得補償」を公約に掲げ、自民党から農民票をさらったのだ。

 民主党は参院選時のマニフェスト(政権公約)で、「食料の完全自給への取り組み」をうたい、選挙のチラシでは「コメの生産調整廃止」をアピールした。また、農産物の市場価格が大暴落しても、すべての販売農家を守ると断言した。

 民主党の公約は、米価の下落に苦しむ農家から歓迎された。「にわかには信じがたいが、自民党の農政よりは夢がある」(岩手県の兼業農家)と受け止められ、農村部でも地滑り的な大勝利を収めた。

参議院選挙が終わると民主党の公約は変質

 選挙で惨敗した自民党は危機感を強めた。そして07年秋口から反撃に転じた。民主党の「農業者戸別所得補償法案」の国会提出を待ち受け、参院選での公約と同法案の矛盾点を洗い出して質問攻めにしたのだ。

 自民・民主両党の対決の舞台は参議院農林水産委員会だった。07年10月30日、民主党が法案を提出したのを受けて、自民党の議員が矛盾点を執拗に攻撃した。

 「選挙中に配られたチラシに、白菜の絵が描かれている。今回の法案では野菜農家も対象になるのか。そうでないとすると、選挙がフェアじゃなかったのではないか」(自民党の野村哲郎参議院議員)。

 法案の趣旨説明を担当した民主党の平野達男参議院議員は、たじたじとなった。そして、「現在、野菜は市場価格と販売価格の逆転が起きていないと思っている。この法案では対象としていない」と公約を否定するかのような答弁を余儀なくされた。

 自民党の追及の矛先は「コメの生産調整廃止」にも向けられた。

 「民主党のチラシでは、生産調整はしないと書いてある。本当に廃止するのか」と野村議員は迫った。

 ここで、民主党の高橋千秋参議院議員が驚くべき発言をする。

「この生産調整というか需給調整は当然やっていかなければいけないと思います」

 高橋議員は、「いわゆる強制減反に当たる生産調整と、わが党が掲げる需給調整は異なる」と釈明したが、現在の生産調整との違いが判然とせず、堂々巡りのやり取りが続いた。そして自民党議員の攻撃の矛先は1兆円の積算根拠にも向けられた。

 ここでも民主党議員は答弁に窮した。その揚げ句に、「1兆円という額は必要ではないかということでスタートしたのが正直なところ」「1兆円の捻出について知恵を貸していただければありがたい」(平野議員)などと自民党に助けを求めた。

 このように民主党の法案は生煮えで提出されたが、野党が多数を占める参議院で11月9日に可決し、実績を世間にアピールした。

 自民党も新たな対策を打たざるをえなくなった。この年の秋、米価が空前の安値を記録したためだ。

 「背筋が凍るほど、農政不信が高まっていた」と話すのは、自民党農業基本政策小委員長の西川公也衆議院議員だ。当時、各地の農業者の集会に出席した西川議員は、「会場にむしろ旗が8本も10本も立っているのを目にした」と振り返る。

 「旧食管法当時の米価闘争では、『米価を上げろ』の一本やり。ところが、今回見たむしろ旗は『俺たちを殺す気か』だから衝撃を受けた。農林水産省が急激な改革をやろうとしたのが原因だった」(西川議員)。

 自民党は07年10月から12月にかけて、「緊急対策」を次々と繰り出していく。その内容は、1)政府による過剰米の買い上げ、2)500億円の補正予算を投じての生産調整の拡大、3)生産調整への国や自治体の関与の再強化、の3点。これらは、1995年以前の旧食糧管理法やその後の旧食糧法時代に多用された統制色の濃い手法であり、農水省が04年度以来進めてきたコメ政策改革と矛盾する内容を含んでいた。

1兆円を競う与野党 農業の体質改善は進まず

 農水省はコメ政策改革を通じて、生産者主体の生産調整への転換、過剰米処理での農家の自己負担原則導入、一定規模以上の「担い手」農家への支援の重点化を打ち出していた。WTO(世界貿易機関)の農業交渉や農家の高齢化を見据え、市場メカニズムを前提とした担い手重視に切り替えようとしたのである。

 ところが、参議院選挙で大敗。米価も暴落したことで、自民党は改革の全面見直しを農水省に迫った。

 自民党の要請を入れて、農水省は34万トンのコメを市場から買い上げ、「適正水準」の100万トンまで備蓄量を一気に積み上げた。これを機に、下落基調にあった米価が回復。自民党の狙いは功を奏したかに見えた。

 だが、需給引き締めを狙った生産調整強化はうまくいかなかった。07年度補正予算で500億円を用意したものの、382億円を使い残した。また、自民党は、生産調整非協力の農家に「ペナルティを行う用意」をちらつかせたが、「つくる自由」「売る自由」を否定する「時代錯誤の発想」(生産調整を拒否する福島県内のコメ農家)と批判を浴びた。

 自民党の手法に落胆した農業関係者も少なくなかった。

 「バラまき的な手法である一方、コメ作りに励む担い手農家への支援が乏しい。転作への助成だけでなく、担い手農家に対して、コメの生産費の一部を財政補助する直接支払い方式を導入すべきだ」(岩手県内で営農指導にかかわる農協職員)。

 しかし、自民党は生産調整への協力を条件に、すべての農家に薄く広く配分する手法に傾斜していく。その象徴が08年度補正予算に盛り込まれた381億円に上る「水田フル活用推進交付金」だ。同交付金は、コメの生産調整を実施している農家に対して、翌年度も生産調整を継続することを条件に、コメの作付面積に応じて10アール3000円を一律に配るというもの。政策の効果が不明確で、「農家版の定額給付金」(岩手県の農家)とも揶揄される。

自民党は世界的な食料高騰への備えとして、小麦粉の代替品としてのコメ粉米や、エサトウモロコシの代わりとなる飼料用米の増産も打ち出した。09年度は「水田のフル活用元年」とされ、09年度予算ではコメ粉米や飼料用米生産のための補助金として1168億円が計上された。

 そして極め付きが4月10日にまとめた総額1兆0302億円の「経済危機対策」としての農林水産予算(09年度補正予算)だ。同予算ではコメ粉米や飼料用米生産への補助金上積みのほか、畜産・酪農、林業、水産業対策も盛り込まれ、95年度のGATTウルグアイラウンド対策費を上回る史上最高額に達した。総選挙を目前に、自民党は大攻勢に出た。

 民主党も対応を迫られた。1月には「農林漁業および農山漁村再生法案」を国会に提出。農林水産分野に年間1兆5000億円の財源を投じていく方針を明らかにした。

 もっとも、政府与党の対策は選挙をにらんだものだけに、実効性は疑わしい。現在、水田の4割近くが生産調整に振り向けられている。その制約下で意欲のある農家が水田を集約して規模を拡大することは採算面からも困難だ。かといって、高齢化が進む零細兼業農家にコメ作りを依存し続けるわけにもいかない。

 コメ問題に詳しい佐伯尚美・東京大学名誉教授は、「コメの政局作物化により、農政は長期的な改革の展望を失った」と指摘する。農業重視のスローガンとは裏腹に、農業を政争の具にした代償は大きい。


(私のコメント)
衆議院の総選挙が数ヶ月以内に行なわれますが、2年前の参院選で見られたような民主党の大勝利は無いだろう。2年前の参院選では民主党は「農家への戸別所得補償」を公約に掲げて、農村部では地すべり的な大勝利をして参議院では第一党となり野党が多数派となって衆参ねじれ国会になっている。

しかし民主党は選挙後になって「農家への戸別所得補償」の公約を反故にしてしまった。米の需給調整は続けて1兆円の補助予算の根拠も無く、単なる思い付きに過ぎない公約だったのだ。つまり民主党に農民は騙されたのであり、農民は民主党の公約違反を問わねばならない。もちろん法案は生煮えのまま参議院で成立したが、中身の無い法案になっている。そして予定通り衆院では否決された。

このようになったのは農林省の強引な農政改革が酷いからですが、市場原理主義的な手法で零細農家を潰していけばしっぺ返しを食らうのは当然なことだ。米の需要が減って生産は増え続けるのだから価格は下落するのは当然だ。減反政策で需給調整をして米価を高値で維持するのはミニマムアクセス米などの問題が起きて限界に来ている。

減反政策の本来の狙いは米以外の農作物への転換なのでしょうが、他の農作物は米以上に国際価格との差が大きくて競争力が無い。だから減反政策による休耕田は雑草が生い茂る結果になる。民主党の「農家への所得補償制度」は小麦や大豆やコーンでも生産費と国際価格との差は補償する事で米以外の作物へ転換を進める目的がありますが、補償費は1兆円以上になるだろう。

減反政策では行き詰まり状態だったところへ「農家への所得補償制度」は新鮮に聞こえた。だから参院選挙では農家の支持を集めて民主党は大勝利した。しかし国会で実際に審議してみると民主党の案はいいかげんなものであり、衆議院での否決を前提にしたようなものであり、農家の票を民主党は「ばら撒き政策」で買ったようなものだ。政権奪取のためならば何でもやる小沢流のやり方だ。

これに対して自民党は何の対抗策も打てずに大敗したわけですが、新自由主義的な事を農業にも当て嵌めようとした。当時の安倍内閣は農林大臣が次々と変わり松岡大臣は自殺した。今の世襲議員の総理大臣や農林大臣は東京で育ったから選挙区である農村の事はよく知らない。石破大臣は稲の田植えも手では出来なかった。田植えをやった事が無いから米作りの事もよく知らないのだろう。農林省の官僚も同じだ。

製造業やサービス業は時代とともにどんどん変化してきましたが、農業の近代化はなかなか進まない。欧米では農作業も人海戦術から耕作機械による農業に変わって大規模化が進んでコストダウンが進んだ。ところが日本では機械化は進んでも耕作地の大規模化は進まずに農家の兼業化が進んで米の専業農家は13%に過ぎない。ピカピカの耕運機は年にわずかしか使われない。

欧米では大規模化が進んで日本では兼業化が進んだのは農業政策に違いによるものですが、日本では兼業農家は都会のサラリーマン家庭よりも豊かだ。その意味では日本の農業政策は成功していると言える。しかしそれはアメリカやオーストラリアなどの農産物がカネでいくらでも買える事が前提だ。しかし去年は食糧危機が起きてアメリカの農家は日本にコーンを売ってくれなくなってしまった。エタノール原料にコーンを転売してしまったからだ。

生産奨励金はWTOの違反になりますが、池田信夫氏は食料自給率を引き上げる政策はナンセンスだと言っていますが、食料政策は農業政策ではなくて安全保障政策である。アメリカはかつて大豆で輸出禁輸を行った。去年はコーンを売ってくれなくなり自動車用の燃料にしてしまった。このようにアメリカの農産物は当てにならない。

アメリカは大豆もコーンも売ってくれなくなる時が来るだろう
2007年11月20日の株式日記より


民主党は「松岡利勝」になるのか 2007年10月19日 池田信夫

民主党が、きのう農業者戸別所得補償法案を国会に提出した。参議院選挙で公約した農家へのバラマキ政策は、単なるリップサービスではなかったわけだ。小沢一郎氏は「都市と農村の格差」を解消するというが、農家の所得のほうが非農家より高いことを彼は知っているはずだ。ちょっと古い数字だが、1998年でも兼業農家の年収が856万円に対して勤労者世帯は707万円。しかも農家全体の所得に占める農業収入は15%しかない。75%が第2種兼業農家、つまり農業もやるサラリーマンなのだ。

ところが日本の納税者一世帯当たりの農業補助金の負担は12万円と、世界一多い。OECDによれば、農業所得の56%が補助金で、EUの32%やアメリカの16%をはるかに上回る。このような補助金漬けの農家に、さらに1兆円の補助金をばらまこうという民主党の政策は、財源の見通しもない無責任なものだ。法案では、一応コメなどの補助金を見直して財源を捻出すると都合のいい計算をしているが、いったんつけた補助金を削減するのがどれほどむずかしいか、小沢氏は知っているだろう。

民主党は、この政策で「食料自給率を39%から80%に引き上げる」とうたっているが、当ブログで前にものべたように、食料自給率などという政策目標はナンセンスであり、それが倍増するという算定根拠もなんら示されていない。しかも、このような生産奨励のための補助金はWTO違反になるおそれが強い。

前にも書いたように、農産物の価格支持をやめて輸入を自由化する代償措置として中核農家に所得補償するのは、意味のある政策だ。しかし、この民主党案は貿易自由化にもふれておらず、無差別にばらまくだけで、松岡利勝がウルグアイ・ラウンドのとき脅し取った6兆円と同じだ。
どうせ衆議院では否決されるから、農家向けにポーズだけとって、「否決した自民党は農民の敵だ」とでも言うのだろうが、これは「なんでも反対」の社民党より悪質な偽装ポピュリズムである。


コメント1
身近なことで恐縮ですが、連休のみ農家の社員が多くいる企業に勤めています。総じて兼業をされている方の方が(あたりまえですが)資産があり、総所得や可処分所得は多いです。農業機械を購入して支払いができない人は(地域で購入したり、組合を作ったりするため)少なく、負債の多くは(相続税対策などの)資産活用の失敗が多いように思います。田舎にいると兼業農家の方がむしろ生活が楽だということはわかっていることだろうと思われます。
住宅は私有地内に建てますし、田の固定資産税は安い。一応区画整理などの可能性もあります。都市と田舎の格差はあるかもしれませんが、それが農業のせいだと言っている人はほとんどいないのが実情です。しかし、土地を持つものの方が票につながるのは事実です。身近なものとして議員を感じられるからです(例えば高速道路、新幹線、なんとかセンターの建設)。結局ハコモノ行政に頼っている人たちが政治に熱心だったりします。まあ持たざるものが政治に関心がないということも考えられるわけですが。

コメント2
実家が鳥取県鳥取市内ですので、池田先生の『兼業農家の最大の関心事は土地を公共事業で買ってもらうこと』とのご指摘は、極めて正しいと受け止めています。
私の実家は兼業農家ではなかったですが、ここ10年間、鳥取県では、帰省のたびに、道路がどんどん増えています。自分が生まれ育った町なのに、りっぱな道路があまりに不必要にどんどん増えて、かえって道に迷うくらい。観光は廃れて、今や名産は『道路』だけかもしれない。春先になれば、その滅多に車が走らない新しい道路で牛がのんびり日向ぼっこしています。
この10月に1年ぶりに法事で帰ったら、中国縦貫道から枝分かれした市内向けの新しい高速道路が建築中でした。中国縦貫道から枝分かれした旧県道は、今でもお盆や大晦日でも 車がほとんど通っていないのに、その県道のすぐ脇で、誰も使いそうも無い新しい高速道路が建設中なのです。
法事でも、兼業農家の方は 新しい道路が何処に出来るかの話で持ちきり。
我が家は農家ではなかったですが、かなりの土地持ち。父や母がここ1〜2年の間で急逝したのと、家実の周りで急に宅地開発が始まったことが重なって、兄や二人の姉達の間では、個人を弔うことは二の次で、遺産分割の話しか話題に上らない。怪文書(法律上は全く意味の無い偽の遺言のようなもの)まで2種類飛び交う有様。

コメント3
取り組む必要ないですよ。そのまま村落共同体ごと自然消滅してもらったほうが良いです。
今の農産物価格を前提とすれば、概ね一農家あたり5haを超えると農業所得が500万に達し、まあほどほどの生活を農業収入だけで送れるわけです。これから競争力のある農家を育てる&農産物価格引下げを考慮すれば、1農家あたり10ha程度は確保すべきですが、今の所、それは北海道ぐらいしかありません。
なぜ農地集約が進まないかといえば、政策がまずい事もありますが、まず補助金漬けになった「兼業農家」の存在(兼業農家の総所得は都会のサラリーマンより大きい)です。さらに戦後にタダで貰った土地を、公共事業による土地収用や宅地転換による濡れ手で粟の儲けを目指しているから、やる気のある若手農家があっても農地を売ってもらえず、農地集約が進まないのです。こんな欲呆け既得権者にビタ一文税金を恵む必要はありません。
農業人口は今の一割以下でも現状の生産力を保つ事は可能ですので、「農業」を保護するには欲呆け「農家」をさっさと淘汰するのが一番です。


(私のコメント)
昨日も書いたように日本の兼業農家は特権階級であり、地方においては大きな政治力を持っている。そしてばら撒き公共工事で土地が売れれば億単位の金が入ってくる。だから兼業農家は農地を人には貸さずに手放そうとはしない。地方は道路ばかり作って通る車は1時間に数台というところがたくさんある。だから日本経済はダメになったのだ。

食糧問題は安全保障問題として考えて、農業の近代化を図るべきであり、やる気のある専業農家を育てる為に「農家の戸別所得補償制度」を実行すべきだ。そうすれば米ばかりでなく大豆や小麦やコーンなどの転作も進んで大規模化も進むだろう。その為の1兆円なら公務員の給料カットすれば簡単に財源は出るはずだ。




税金で作られた優良農地がつぶされて、郊外型のショッピングセンターが
全国各地に乱立している。日本の農家は農地転用でぼろ儲けしている。


2009年5月14日 木曜日

NHKの「ニュース9」でも農地転用の問題が報道された。

税金で整備された優良農地が次々農地転用されている。


優良農地が消えていく……自らの首を絞める、食料自給率の低い日本 1月29日 九鬼信

知人から連絡をいただいて、大手スーパーの誘致のために、11ヘクタールもの広大な優良農地がつぶされてしまったことを知った(関連サイト:野田農場の危機)。以前から、こうしたことが全国的に起きていることを聞いていたので、この際、こうした現象がどういう意味を持つのか、述べておきたい。

 まず第一に、日本のもっとも優良で、広大な農地が同じ形でどんどんつぶされていること。 郊外型のショッピングセンターが全国各地に乱立しているのは、皆さんよくご存じだと思う。 こうしたショッピングセンターには、驚く程大きな収容力を持つ広大な駐車場と、食事を楽しめる何軒かのレストラン、大型書店、ホームセンターなどが一堂に会しているのが多い。

 それだけのものを立てられる平地はそうそうあるものではない。 ある場所を除いて……それが優良農地である。

 ショッピングセンターを建てるには、当然ながら障害物も何もなく、とても平らで広大であることが必要である。これは農業を行う上でも非常に好条件だ。大型の農機具を持ち込んで、効率よく耕せるからだ。

 その逆に、坂ばかりで平らなところがほとんどなく、狭い田んぼばかりの土地だと、小型のトラクターなどでちまちまと耕し、隣の畑に機械を移動させるのにも、畦を傷つけないようにいちいち持ち上げて苦労しなければならず、労力も時間もかかって非常に効率が悪い。

 効率のよい農業を行うには、平らで広い農地であることが大切な条件だ。ところがそうした土地の条件は、ショッピングセンターの候補地としてはよだれが出る程魅力的な条件でもある。

 他方、今の日本の農業の現状では、耕作しても儲けになるどころか、損が出てしまう。何しろ、コメの販売価格が安い。それならいっそ、「土地をほしい」と云って高額のお金を出してくれる人が出てきた機会に、売ってしまった方が……という風に動いてしまうのも、無理からぬ事だ。

 ここで皮肉なのは、農業委員会や今回の区画整理組合などだ。本来こうした組織は、農地を農業以外の目的で使わせないために機能するものとして想定されている。意思決定には3分の2の同意がなければならない、などのハードルの高い合意形成が必要なのも、そのためだ。

 だが現状では、この規定が農地保全につながるどころか、今回の事例のように、農地荒廃に役立つことになってしまう状態となっている。300年続けた農業を、これからも続けていきたい、続けるだけの値打ちがある程、優良な農地だ……と訴える人がいたとしても、その人達が3分の1より少数で、3分の2以上の人たちが「農業以外の目的であろうと、高く売ってしまいたい」と願えば、止めることができない。

 これは何も名古屋だけの話ではない。全国で驚く程たくさんのショッピングセンターが建設されているが、その多くが、優良農地をつぶしてできあがっている。

 優良農地は、出荷が容易なように道路も整備されている事が多いから、そのこともショッピングセンターなどにつぶされてしまいやすい、皮肉な条件となっている。こうなってしまうと、農水省が推進しているところの「農業の大規模経営」を行う上で最適のはずの農地が、ショッピングセンターに生まれ変わってしまう。

 一台のトラクターで効率よく耕すには、いくつかの田んぼを一枚にまとめて広くできた方がよいが、それができる平らな土地は農業どころか、ショッピングセンターが建ってしまい、そのまわりの、坂のような土地でちまちまと耕すしかなくなってしまうのだ。

 ……そして、もう一つ。今後、全国各地でこのような計画は憂き目にあうだろう。名古屋のこの誘致計画も、おそらく失敗する。

 1月17日の朝日新聞夕刊(東海地区)の記事によると、「大手スーパーを誘致する計画」とある。まだ、建設の計画も立っていないという悠長な話なのだ。もしその通りだとすれば、農地をつぶしたとしても、ショッピングセンター建設の計画は破綻する可能性がある。

 世界経済が急速に悪化していることは、皆さんご存じの通り。また、昨年の燃料高騰で自動車依存の生活に反省も進んでいることもあり、郊外型ショッピングセンターや、同じく郊外型のファミレスなどは、軒並み業績が悪化している。このことは、大手スーパーも敏感に察知している。採算がとれる保証がない限り、誘致に乗ることはないだろう。

 もしそんなことになれば、優れた農地をすでにつぶしてしまったことは、返す返すも残念なことになる。田んぼを一から作り直して、そこそこの収量を上げるには、10年かかると云われる。田んぼとして機能するには、土壌構造が長い時間をかけて形成されなければならず、これはどれだけ優れた土木技術でも、どうしても数年はかかってしまう。

 田んぼの再生は、非常に時間がかかるのだ。しかも300年もの永きにわたって育ててきた田んぼを再生するというのでは、いったい取り返すのにどれだけかかることだろう。 取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。

 取り返しのつかないことをした上に、誘致にも失敗すれば、余りにも悲惨な結末となってしまうだろう。

 さらにもう一つ付け加えておこう。優良農地がショッピングセンターに変わることに、何らの痛痒も感じない人がいるだろう。

 「優良農地であろうと、経済合理性にかなうならば、ショッピングセンターが建設されることに何ら問題はないではないか。日本は農業以外で儲けている国なのだから、食料は全部海外に依存して構わないのだ」という主張をする人がいるかもしれない。

 それに対しては、別のところで述べた「四つのパラダイム崩壊」の2番目をお読み頂けば、それで十分である。あるいは、「政策空間」の最後の章をご覧いただいても好い。

 日本は、これから、工業では十分に儲けられない時代に突入する。資源、食料が長期的に高価になっていく中で、工業製品やサービスはどんどん安くなっていく。

 資源・食料インフレ、工業製品デフレの中で、どうして日本が、海外から食料を輸入し続けられるというのだろう?

 日本は、将来起こりうる食糧危機に備えて、優良農地を大事にしなければならないのだ。しかし、私たちは、自らの鼻と口に綿を詰め続けているような状態なのかも知れない。いずれは窒息死するとも知らずに。


四つのパラダイム崩壊 2008年5月14日 官民協働ネットワーク

二つ目は、産業革命以来の、「工業製品が高く売れるパラダイム」の崩壊だ。 考えてみよう。これまで、先進国(ヨーロッパ、アメリカ、日本など)は、どうして豊かな生活を送ることができたのだろうか? 簡単に言ってしまえば、「工業力を独占できたから」だ。 パソコンやデジカメなどの電子機器や自動車など、高度な機械を製造できるのは、先進国だけに限られていた。 だから、そうした製品を欲しがる途上国に、高く売りつけることができた。

他方、食糧や地下資源は誰でも生産できるものだ。 だから、途上国の人たちが供給する食糧や資源は、先進国の人たちに安く買いたたかれた。 工業製品は高く売りつけることができ、食糧や資源は安く買いたたくことができる。 これが、先進国(欧米と日本)が豊かさを享受した最大の理由だと言える。

ところが、産業革命以来のこの世界構造が、激変している。 中国やインドなど、世界の3割にも達する人口を抱える国々が、工業力を獲得したのだ。 結果、世界の半分以上の人たちが工業製品を製造できることになり、工業製品は「誰にでも作れる安っぽいもの」に成り下がった。 たとえばデジカメは、販売から間もないうちに急激に値下がりする。 高値を維持することができない。 中国などが安い商品をどんどん開発して販売するからだ。 工業製品は、安く買いたたかれる時代に突入し始めたのだ。

それとは逆に、食糧や資源は高騰し始めている。 中国やインドが豊かな生活を求め、肉食を始めたりするなど、大量の穀物を消費するようになったからだ。 世界の3割の人口の人たちが一斉に「爆食」を始めたことで、食糧は需給が逼迫し、「食糧は買いたくても買えない高価なもの」に変わりつつある。

資源も同様だ。 工業製品は安く買いたたかれ、食料や資源は高く売りつけられる。 まさに、産業革命以来の逆転現象が始まっている。 こうなると、日本をはじめとする先進国は、「原料を安く買いたたいて、それを加工した工業製品を高く売りつける」というビジネスモデルが成立しにくくなってくる。 産業革命以来の、「第二次産業(工業)が第一次産業(農業、鉱業)より優位」というパラダイムが崩壊し始めているのだ。

もう一つは、「石油兌換紙幣としてのドル」のパラダイム崩壊だ。 私たちはドルや円などの「お金に価値がある」と思いこんでいる。 それが思いこみにすぎないことが、誰の目にも明らかになる時代が訪れようとしている。 お金の歴史を振り返れば、かつては、1ドル紙幣で何グラムかの金(ゴールド)と交換できる、というように、ゴールドによってお金の値打ちを保障する、「金本位制」をとっていた。 しかし、ニクソン大統領が、ドルと金の交換を完全にやめてしまった。 これを、「ニクソンショック」という。

だが、このときアメリカは、実に巧みな手を打っていた。 「ドルでしか石油を買うことができない」という仕組みを作ってしまったのだ。 中東の石油を買おうとしても、ドルでしか買うことができないように、石油産出国に話をつけてしまったのだ。 すると、石油が欲しい国々は、ドルを何とか手に入れなければならない。アメリカに商品を持っていって、「これでドルをください」という他ない。

アメリカは、ドル札を印刷するだけで(ドルを発行するだけで)、世界中の国々が商品を持ってきてくれることになる。 アメリカはドルを印刷するだけで世界中の商品を買い漁れるという、「借金だらけなのに贅沢三昧」という不可思議な経済スタイルを築き上げることができたのだ。 これが可能になったのは、「ドルでしか石油が買えない」、つまり、ドル=石油兌換紙幣とも言える、石油本位制をとってきたからだ。

ところが、このパラダイムが崩壊しつつある。 EUや中国などが台頭し、ユーロや元などの通貨が力を持ち始め、中東の石油産出国も、こうした強い国々の通貨で石油を直接売り買いできたらよいのに、と考えるようになってきた。 そしてとうとう、クウェートが、ドルだけでなくユーロでも石油を購入できるようにし始めた。

すると、「ドルでしか石油を買えない」という魔法が解けて、「石油を買うためにムリにドルを手に入れなくてもよい」となってきた。 「世界中の人たちがドルを欲しがる」という魔法の崩壊だ。 ドルがどんどん下落していく背景には、「ドル=石油兌換紙幣」の崩壊があるのだ。

すると、日本をはじめとする国々が、「いつか使えるかも」ととっておいたドル資産が、どんどん価値を失ってしまう。 日本は1兆ドル(100兆円)にも上るドル資産(外貨準備高)を持っているが、この資産がどんどん目減りしていく。 目減りする前に使ってしまえ、と考えて、もしドルを大量に使用したら、ドルが市中に大量に出回ることになるので、ドルがさらに値下がりすることになる。 ドルが値下がりする悪循環が、こうして始まりつつある。 (後略)

米作りだと30万円にしかならない農地が貸せば250万円の収入になる。

専業の米作り農家は農地が借りられなくて困っている。


(私のコメント)
政局は小沢降しが一段落して、スキャンダルの矛先は再び麻生内閣に戻りつつあります。陰で操っているのは官僚たちであり、民主党政権が出来たら天下りも出来なくなるから小沢一郎を引き摺り下ろす事にした。マスコミは官僚の味方であり小沢叩きは二ヶ月に渡って続けられて、小沢一郎は白旗を上げた。

それが済んだら麻生内閣から鴻池官房副長官の女性スキャンダルが飛び出した。官僚たちは自民や民主の公務員制度改革には大反対であり、骨抜きになるまで官僚たちの抵抗は続くだろう。官僚につけこまれる政治家がだらしがないからですが、日本の政治家はカネと女で泥まみれだ。

農業問題は最近でも何度かにわたって書いてきましたが、昨日のNHKの「ニュース9」で優良農地が次々転用されている事を特集していました。優良農地は基盤整備事業で農道や灌漑設備が整備されてきましたが、整備された農地が農地転用されて宅地や巨大ショッピングセンターなどになっている。

優良農地は広くて平坦な所であり大型の耕作機械などで作業しやすいように作られてきました。整地がされて道路も整備されているから宅地や商業施設などに転用がしやすい。日本全国に作られたショッピングセンターは現在までに3206件にもなるそうですが、高速道路が作られてインターチェンジの傍には倉庫やショッピングセンターが作られて、地方の生活は一変した。

自動車が普及して駅前の商店街で買い物をするよりも、畑のど真ん中にショッピングセンターが出来て広い駐車場が完備して、客はみんな車で買い物に来た。大店法の規制緩和で巨大なショッピングセンターが次々作られて地方は活性化したのだろうか? モータリゼーションの波は世界的なものですが、去年の世界的な金融危機で現代の文明は大きな転機に来ているようだ。

その象徴は石油価格の高騰であり食料価格の高騰だ。日本は工業製品を世界に輸出して外貨を稼いで海外から食料や石油を輸入してきた。中国を始めとして世界中が車中心の生活を始めればガソリン価格は上がるし農産物の価格が上がる。「四つのパラダイム崩壊」にも書かれている様に産業革命以来の大変革が起きようとしているが、気が付いている人は少ない。

日本のような工業製品の輸出立国は限界に来ているのであり、世界中が果てしのないコストダウン競争に晒されて世界中に工業製品が溢れかえっている。アメリカなどが消費を一手に引き受けて来ましたが金融危機で消費が一気に落ち込んでしまった。日本の自動車や家電製品の輸出はジリ貧になり、石油や食料などの長期的な高騰が始まった。

最悪の場合は石油や食料は金を出しても買えなくなる事態もいずれ来るかもしれない。去年起きた事はその前兆ですが、日本では食料自給率が40%まで落ちてしまった。エネルギーの自給率は4%ともっと酷いのですが、日本政府は長期的な視野に立って国家戦略を立てる人がいない。だから優良農地が次々潰されて耕作放棄地も増えている。

EUなどでは食料の自給体制が出来てエネルギーの脱石油化も進んでいるのですが、日本は何も出来ていない。アメリカに頼っていれば石油も食料も手に入るという事を信じてきましたが、ドルが紙切れになれば石油も食料も手に入らなくなる事を知らないようだ。

日本には食糧安全保障もエネルギー安全保障も何も考えていない。地方では巨大ショッピングセンターが出来れば活性化すると考えてきたのでしょうが、ショッピングセンターの閉店が相次いでいる。地方の活性化は農業の活性化しかないのですが、減反政策で農家にカネをばら撒くだけで日本の農業は政府の政策で滅びようとしている。

日本の農家は特権階級であり、耕作を放棄しても政府から補助金がもらえる。政治は兼業農家中心の農政であり、米作り専業農家を育てようとはしていない。兼業農家では生産性はあがらずに、米は余っても輸出は出来ない。大豆や小麦やコーンは日本だけでは自給は出来ませんが、家畜の飼料などは飼料米などで自給率を上げるべきだ。

日本の農業は減反政策一つとっても見直しがされる事はなく、補助金を出しても農家の離農が進んでいる。やる気のある農家もあるのでしょうが、農地法が壁になって専業農家は大規模化が進まない。農家にしてみれば農地として貸すよりも農地転用して貸して借地料を稼いだ方が儲かる。つまり日本の農家は農家というよりも不動産業者であり、ショッピングセンターに貸したり、近所にショッピングセンターが出来れば宅地に転用して稼ごうとしている。

新自由主義的に考えればその方が経済的合理性があるのでしょうが、優良農地はいったん潰してしまったら元の水田に戻すのは瓦礫の始末などで巨額の費用がかかる。千葉などでは国道沿いにショッピングセンターやコンビニが次々出来たが、最近はそれが次々廃業している。消費不況で採算に合わないからですが、新しい借り手はおらず放置されている。

地方の農業が衰退すれば、それに伴って消費も減って商業施設も廃業して廃墟だけが残る事になる。工場は中国などに行ってしまったし地方の活性化は農業の復活しか道はない。しかし政府は食糧安保もエネルギー安保も放置したままだ。農林族議員が既得権益で抵抗しているから何も出来ない。




麻生首相は7月の日露首脳会談で、3、5島で北方領土問題を解決して、
8月に衆議院を解散して選挙に打って出る戦略を構想しているようだ。


2009年5月13日 水曜日

『交渉術』 佐藤優:著

川奈会談と橋龍スキャンダル

一九九八(平成十)年四月十八〜十九日、静岡県伊東市の川奈ホテルで行われた橋本総理とエリツィン大統領の非公式会談も成功した。橋本氏は、北方領土問題の解決に関する秘密提案、いわゆる川奈提案を行った。その時点で、エリツィンはこの提案を肯定的に受け止めた。北方領土問題を解決する展望が開けたように、日露双方の外交当局者が考えた。そして、この年の十一月にモスクワで行われる日露公式首脳会談で、エリツィン大統領が回答することになった。

私たちは、あと一息で北方領土が日本にもどってくるので、命がけで仕事をしようと考えた。このとき、七月の参議院選挙で自民党が惨敗し、橋本内閣が退陣することや、八月にロシアが事実上のデフォルト(債務不履行)宣言を行い、経済・社会情勢が混乱し、エリツィン政権の権力基盤が急速に弱体化するとともに、エリツィン自身の健康状態も悪化し、一日三時間しか執務できないような状態になるということを、私たちは夢にも思っていなかった。

さて、四月の川奈会談が行われた直後から、永田町で「橋龍に中国人の愛人がいる」という怪情報が流れ始めた。それと同時に、在京中国大使館の外交官や、新聞記者、学者が、入れ替わり、立ち替わり、私のところへ訪ねてきた。質間はすべて同じで、整理すると三つの質問に収斂した。

第一問北方領土問題が二〇〇〇年までに解決する可能性がどの程度あると思うか。
第二問北方領土間題が解決したと仮定して、日露の戦略的提携がどの程度発展し、それに対してアメリカがどう反応すると考えているか。
第三問日露の戦略的提携は中国にどのような影響があるか。

インテリジェンスの世界の常識では、質間を聞けば、相手が考えていることはだいたいわかる。ちなみに、中国の外交官や新聞記者たちは、直球の質問をしてくるので、何を中国側が考えているかを、こちら側がつかむことはそう難しくない。アメリカの外交官も中国人に似ていて、直球で攻めてくる。それに対して、ロシアの外交官やインテリジェンス機関員は、聞きたいことが一つか二つあるときも、二十くらいの質問をしてきて、何がロシア側の問題意識か悟られないように煙幕を張る。イギリスやイスラエルのインテリジェンス機関員もロシア人と同じような煙幕を張る。煙幕の中から、相手の真の関心を浮き彫りにするのも、知的ゲームとして、なかなか楽しいのである。

中国は、日本とロシアが提携して、それにアメリカも参加して、「北方同盟」のような戦略的提携がなされ、中国に対して圧力をかけてくるシナリオを本気で懸念し始めたのである。「橋龍の中国人愛人説」も、日露の戦略的提携を望まない中国筋が橋本氏の信用を失墜させるためにこの怪情報を最大限に活用している、と私は分析した。

川奈会談が終わった後、五月初め、鈴木宗男北海道・沖縄開発庁長官は、ワシントンとモスクワを訪問した。用務は五月二日にワシントンで普天間基地移転問題を巡ってコーエン米国防長官と会談することだったが、この訪問には隠された二つの目的があった。

第一は、川奈会談の内容について、アメリカの国務省、国防総省の関係者に実状を話しておくことである。もちろん川奈提案は秘密提案なので、その内容はアメリカにも伝えなかった。鈴木氏は、アメリカを迂回して日露関係を進めると、その後、アメリカが嫌がらせをしてくる可能性があると認識し、政治ルートで日露関係の現状について説明したのである。もちろん、このことについては事前に橋本総理、小渕恵三外務大臣の了承を得ている。

第二は、ロシアの大統領府(クレムリン)、政府(ホワイトハウス)、連邦院(上院)、国家院(下院)の要人、十数名に会って、川奈会談に対するロシア側の受け止めについて調査するとともに、択捉島とウルップ島の間に国境線を画定することで北方領土問題を解決すると日露の戦略的提携が飛躍的に発展するので、それはロシアの国益にも適うという説得を試みることであった。鈴木氏は精力的に活動し、二日間の滞在で二十人近くの要人と会見した。

私も、西村六善外務省欧亜局長から、「君は鈴木大臣のお世話をきちんとしなさい」と言われ、成田ーシアトルーワシントンーニューヨークーモスクワと世界一周の旅をすることになった。モスクワでは、ウオトカの乾杯が続く。ロシア人は、ウオトカをちびちび飲むことはしない。乾杯の口上を述べた後、一気に液体を喉に放り込むのである。特に要人が乾杯の音頭をとったとき、一気飲みに応じないと座が白ける。ロシア人と同じ基準でウオトカを飲むと鈴木氏が気絶してしまう。そこでいつも私が鈴木氏の横にすわる。鈴木氏はショットグラスにちょっとだけ口をつけ、残りのウオトカは私が全部飲む。このような「代打」は、ロシア人のマナーで許容されている。

成田空港に着いた時点で、酔いによる頭の重さはなくなったが、身体中の毛穴から、アルコールの臭いがする。ロシアでアルコール依存症の人のそばを通るときに感じる少し甘い臭いである。ちなみにエリツィン大統領とすれ違うときも、この少し甘い臭いがすることがある。空港からは、鈴木氏の車に同乗した。身体全体からアルコールの臭いがしたのであろう。「佐藤さん、申し訳なかったな。ウオトカが相当、飲ませる破目になって」と鈴木氏は言った。私は、「いや、ロシアの酒飲みは、酒を飲まない人間を信用しませんから。今回は、鈴木大臣のおかげで、よい情報がとれてよかったです」と答えた。

鈴木氏は、運転手に「赤坂東急ホテルに行ってくれ」と指示し、「佐藤さん、サウナに入ろう」と言った。当時、赤坂東急ホテルの三階に鈴木氏の行きつけのサウナがあった。私がよほどアルコールくさいので、鈴木氏が気を遣ってくれたのだ。サウナに入りながら、今回、モスクワで収集した情報について、頭の中で整理した。一言でいうと大きな成果があった。

まず、エリツィン大統領とロシア外務省の間に、大きな温度差があることがわかった。エリツィン大統領は、日本に対し、大胆な譲歩をして、北方領土問題を早期に解決することを本気で考えていた。これに対して、ロシア外務省は譲歩の必要性は認めるが、それを最小限にしようとしていた。更に、エリツィン大統領を取り巻くヤストロジェムフスキー大統領報道官をはじめとする大統領側近たちは、ロシア外務省よりも消極的で、「殿、ご乱心」という認識で、北方領土問題を解決するというエリツィンの熱病をはやく冷まそうと必死になっていた。

対日関係の改善について、ロシアの政治エリートは、共産党や民族排外主義政党のロシア自由民主党を含め、好意的かつ意欲的だった。北方領土を日本領と認めることについて、「スターリンが日本から略奪した北方領土は、たとえ日本人が『いらない』と言っても、返還すべきだ。北方領土を返還し、スターリン主義と訣別したことを内外に示した方が、ロシアの権威が向上し、真の意味で国益に貢献する」と主張するのは、ブルブリス国家院議員(元国務長官)だけだったが、改革派系の政治家は「北方領土を日本に引き渡すことをエリティンが決断するならば、大統領の決断には反対しない」という見解が圧倒的大多数だった。

共産党は、「日露平和条約の早期締結には賛成だが、領土については現行の国境を維持するべきだ」という考えだったが、仮にエリツィンが北方四島を日本に引き渡したとしても、現在、色丹島、国後島、択捉島(歯舞群鳥は無人島)に居住するロシア系住民に対する資産や人権を日本政府が保全するならば、領土問題を政局の大きな争点とする意向はないようだった。特に興味深かったのは、自民党のミトロファーノフ国家院議員だった。外務省出身の戦略家であるミトロファーノフは、モスクワで私にこう言った。

「いまこそ日本は知恵を働かせて、北方領土を手に入れるべきだ。NATO(北大西洋条約機構)が、ポーランド、チェコ、ハンガリーに拡大することが決定されたために、ロシア人は欧米に裏切られたという被害者意識を強くもっている。また、中国人がシベリアど極東に進出していることに対して、ロシア人は強い嫌悪感をもっている。このような状況で、橋本が東からユーラシア外交という戦略を打ち出し、ロシアをアジア太平洋地域に誘ったことが、ロシア人の琴線を打った。

現在、ロシア人がいちばん好きな外国は日本だ。ただし、この機会の窓は、それほど長い間、開いていない。あと十年もあれば、ロシアは、経済力を再びつける。そうなるど領土問題で譲歩して、日本との戦略的提携を進めようという気運はなくなる。その前に、北方領土問題を解決してしまうのだ。クラスノヤルスク合意で、二〇〇〇年までに平和条約を締結するという時限性をつけたのは、実に賢明だった。追いつめられると、ロシア人はきちんと知恵を出して問題を解決する。特にエリツィンは『約束したが、できませんでした』とは言えない性格だ」

「ジリノフスキー(自民党党首)も、同じ考えなのだろうか」
「ジリノフスキーは、大統領が本気で決定した事には、絶対に反対しない」
それから、鈴木氏とともに非公式に会ったロシア外務省幹部の話が興味深かった。このロシア外務省幹部は、川奈秘密提案の本質を理解していなかった。そこで、鈴木氏が川奈提案の意義を詳しく説明すると、ロシア外務省幹部は真顔になってこう言った。

「鈴木先生、いまの説明で全体像がわかりました。エリツィン大統領は川奈提案の意味を正確に理解しています。しかし、外務省はもとより大統領府も理解できていません。川奈会談に関するロシア側の記録は不十分です。丹波(實)外務審議官からカラーシン次官に川奈提案の内容を事務的にきちんと説明してください」

ここで一言、読者にお断りしておきたいことがある。川奈提案はいまも外交秘密になっているので、私はそれについて漏らすことはできない。また、鈴木氏も川奈提案の具体的内容は、外交関係者との会談以外の場では、一度も言及したことがない。川奈提案で再び北方領土交渉が動く可能性もあると私は考えている。従って、北方四島が日本領であるという言質をロシア側からとることができていない現状で、川奈提案の内容について読者に披露することはできないのである。ただし、川奈提案の内容を知らなくても、本書を理解するのに支障がないように注意して記述しているつもりだ。

このロシア外務省幹部から聞いた話は、相手の立場もあるので、公電には残さずに、鈴木氏が都甲岳洋駐露大使に口頭で説明した。もちろん、東京に戻ってから、鈴木氏は丹波氏に直接、説明をした。サウナから上がると、鈴木氏は、「これから沖縄開発庁に行って、今回、モスクワでとってきた情報を整理しよう」と言った。(P302〜P307)

語学ができない"専門家"たち

北方領土問題やロシア政治の専門家、あるいは、外務省を退官した後、外交評論家になった人たちの中で、「首脳間の個人的信頼関係にもとづく外交は邪道である」とか「政治家の功名心で領土交渉がねじまげられた」などと言う人がいるが、私はこういう人たちは中途半端な専門家であると認識している。私は狡いので、こういう人たちの見解にも普段はいちいちめくじらを立てず「ああそうですか。一般論として、世の中にいろいろな意見があるのはいいことですね」といった調子で社交的対応をとることにしている。率直に言うが、このような中途半端な専門家の話を聞いても時間の無駄である。

この機会に、これまで披露したことがないが、中途半端な専門家の見分け方について記そう。まず、語学力が貧弱なことが、中途半端な専門家の特徴である。ちなみに外国の大学で博士論文を書いているから、語学力があると考えるのは早計だ。下手くそな英語やロシア語で、わけがわからない草稿を書いても、きちんとカネを払えば、博士号が取得できる論文に仕上げてくれる業者が外国の大学や研究所周辺にはいくらでもいるからだ。語学力を見極めるためには、当該専門家に翻訳書があるかどうかをチェックすればよい。そして、原文と照らし合わせてみれば、どの程度の語学力があるかよくわかる。裏返して言うならば、翻訳の業績が一つもないような地域研究家や外交評論家の語学力は相当怪しいと考えたほうがいい。もっとも語学力がないのにあるように擬装する手法もある。

監修という形で、「翻訳をチェックしたので、語学力が一段上である」という雰囲気を醸し出すことだ。本来の監修は、翻訳と内容のチエックであるが、大御所とされている語学力に貧弱な学者が、擬装のために監修者となる事例もときどき見かける。もっともこういう学者には、自ら翻訳した本がない。

ロシア語がまったくできないロシア専門家もいる。国際スタンダードで、地域専門家を名乗りながら、当該地域の言語を一つも習得していないのは、「反則」なのであるが、日本では反則がいくらでも通用する。ヘブラィ語もアラビァ語もまったくできない中東専門家が防衛大学校で教鞭をとっているとか、アジアの言語をまったく解さない東京大学の教授がアジア太平洋地域情勢の専門家として活躍しているといった事例はいくらでもある。

むしろ、外務省はこのような中途半端な専門家をたいせつにする。こういう輩は、情報の入手、政策援言の双方において外務省に依存するので、外務官僚の掌の上で思い通りに操ることができるからだ。

語学力について、英語の場合、日本人のほとんどが基礎知識をもっているので、うまいか下手かはすぐにわかる。ドイツ語、フランス語、中国語ならば、大学の第二外国語で履修した経験をもつ人が多いので、これらの地域の専門家も語学能力については、一応、第三者から評価される。これがロシア語になると、理解できる人が極端に少ないので、外部の目にさらされないのである。アメリカ、イギリス、フランスなどを「表街道」とすると、ロシァは「裏街道」である。大学の第二外国語でも、ロシア語の初級教科書の中には、単数形しか扱われていないものがある。ロシア語にだって、複数形はある。この教科書を完全にマスターしても、ロシア語の幼惟園児用の絵本すら読むことができない。

外務省の場合、日本の大学の語学教育を基本的に信頼していないので、入省してから、語学を徹底的に叩き込むことになる。ロシア語の場合、キャリア職員は三年間、ノンキャリア職員は二年間、若い時期に勤務から切り離し、研修生として、ロシア語を徹底的に叩き込む。そのために二干〜三千万円の経費を支出していると思う。それでも、実務に堪える語学が身につくのは二割程度である。研修生たちがサボっているわけではない。語学には、もともと資質がある。受験生の語学の資質を、現行の公務員採用試験で見抜くことは不可能である。従って、語学の適性を十分考慮しないで人材を採用し、教育すると、使い物になる歩止まりが二割程度というのは、ごく普通のことである。

これに対して、ロシアの場合、モスクワ国立国際関係大学(MGIMO)、モスクワ国立大学付属アジア.アフリカ学院(ISAA)で、日本語を五年間、集中して学び、しかも二年間、日本に留学した学生から日本を担当する外交官を採用している。従って、語学の習得は既にできているどいう前提で、外務省に入ってからの研修を行う。ちなみにロシアにはKGB(ソ連国家保安委員会)第一総局(対外諜報担当)の後継組織であるSVR(露対外諜報庁)がある。

SVRの機関員の多くがMGIMOから採用されている。統計が発表されていないので、正確なことは言えないが、私の経験から見積もると六割がMGIMO出身者である。もっとも日本担当のSVR機関員については八割がMGIMO出身者である。外交においては、人材が死活的に重要だ。日露の外交戦、インテリジェンス戦を考えた場合、ロシアと比較して、日本側の人材育成態勢は、かなり遅れている。政治家、有識者が強い問題意識をもって、態勢を整える必要がある。

外務官僚であると、語学力に長け、地域事情に通暁しているように思えるが、それは幻影だ。私が外務省に入省したのは一九八五年のことで、具体的に七名の駐露大使を知っているが、そのうち、通訳を解さずにロシア語で仕事の話をすることができたのは都甲岳洋大使ただ一人だけである。現在、外務省全体でも本省局長年次以上の幹部や大使で、辞書を用いずにロシア語の新聞社説を読むことができる者は一人もいないと思う。

現役外務省職員で、ロシア人と同じように流暢かつ正確なロシア語を話すのは、ノンキャリアから年次が落ちるキャリア扱いの「特別専門職」に登用された川端一郎欧州局ロシア支援室長だけであるという評価に異論をもつ外務省関係者はいないと思う。もっとも外務省の通訳は、正確さを要求されるので、発音で日本詑りやイギリス詑りがあっても、意思疎通ができれば、特に問題はない。

ソ連時代、外務省研修生はイギリスかアメリカの陸軍語学学校でロシア語の基礎を学んだ。アメリカの場合、教授陣がバイリンガルである。イギリスでは、オックスフォード大学出身の教官が文法を教え、会話の教師も半分は、外国語としてロシア語を学んだイギリス人なので、日本人研修生にもイギリス詑りや、帝政ロシア時代の語法の癖がついてしまう。私もイギリス陸軍語学学校でロシア語を学んだ。

外務官僚のロシア語力がいかにお粗末であるかは、ユジノサハリンスク総領事になったキャリア職員(もちろんロシア・スクール出身者)がロシア語で挨拶をしたが、発音も悪く、語尾がはっきりしないので、何を言っているのかほとんどわからない。そばにいるロシア人から私は、「申し訳ないが、要旨をロシア語に訳してくれ」といわれた。私が「この人は、ロシア語を話しているんだ」と言うと、相手は驚いて、「そう言われれば、いくつかわかる単語がある」と言った。

驚くことなかれ、外務省に出入りしている北方領土問題やロシア政治を専門とする学者の大部分のロシア語能力は、平均的外務官僚よりもはるかに低い。英語に換算すると中学校三年生レベルのロシア語力しかないのに、北方領土問題やロシア政治の専門家として活躍している学者が何人もいる。この語学レベルでは、複雑な問題についてロシア人と意思疎通をすることはもとより、専門文献の読解もできない。こういった類の学者から、話を聞いても役に立つことはほとんどない。

それから、このような中途半端な専門家は、概して他者の気持ちを理解することができない。そもそも学者は、自分の頭の中にある観念を形にする職業なので、自已中心的になりやすい傾向がある。このような自已中心性は、アカデミズム内の切硅琢磨で矯正されていくというのが理想論であるが、世の中はなかなか理想通りには進まない。

しかもロシア政治のような「裏街道」では、役者が少なく、切蹉琢磨の機会もあまりないので、自已中心性を矯正しなくても生き残っていくことができる。もちろんロシアを専門にする優れた学者には、そのような自已中心性を矯正する能力が備わっている。自已の業績を含め、研究に関して批判的視座をもつようになると、下品な政治家や、見かけ上は上品だが、本質的に下品な外務官僚と付き合わざるを得なくなる現実の外交に関与する気持ちにならなくなるようだ。

もっとも、私の経験は主に対露外交とインテリジェンス政策に限られているので、他の分野では、外務官僚と学者の間で、有益な協力体制が構築されているのかもしれない。しかし、私が承知する限り、能力の高い学者が、正確なデータと深い洞察に基づいて、政府の外交政策を批判するど、それに耳を傾けざるを得なくなり、外務官僚の思惑通りに物事を動かすことができなくなるので、能力の高い学者を遠ざける傾向があるというのが外務省文化だ。従って、アカデミズムにおける一流の知性が現実の外交政策に反映される可能性はほとんどないのである。(P315〜P320)



(私のコメント)
昨日のブログのコメント欄に次のようなコメントをした方がいるが、どのような根拠があるのだろうか?
Unknown (凸)
2009-05-13 00:15:30
ロシア語をきっちり学ばせるにはロシア留学より、アメリカやイギリスの軍学校の外国語コースに派遣するのが確実で主流。
ロシア留学だと下手糞なロシア語を叩き込まれたり妨害を仕掛けられたりと無為に終わる恐れがある。
って佐藤優が言ってたんだけど冷戦時代と現在とで状況が変わったのかな?
正論に聞こえる嘘をあまり吹聴しないでもらいたいね。

(私のコメント)
アメリカやイギリスの軍学校の外国語コースに派遣してイギリスやアメリカ訛りのロシア語を学んでも意味がないのではないでしょうか? 新聞を読む程度ならいいが、ロシアの高官と情報を交換するにはロシアのエリート大学でロシア語を仕込んだ方が為になる。人脈も出来るだろうし、欧米語は発音で知性や教養がばれてしまう。知ったかぶりのコメントは「株式日記」には通用しない。

東大を出た秀才でも外務省に入って2,3年の語学研修をしたところで、ものになるのは二割ほどであり、外務省のキャリア官僚で実用になるような外国語が話せる人は少ないようだ。外務省の事務次官がアメリカ大使になるケースがよくありますが、英語が話せないアメリカ大使が誕生したケースがたくさんある。


英語が堪能でない駐米日本大使(EJ第935号) 2007年11月07日

松永信雄氏以下について、小森氏による適性分析をご紹介します。松永信雄氏の専門外国語はフランス語であり、米国はもちろんのこと、英語圏に勤務したことは一度もないのです。そのため英語の理解力には難があり、プレスクラブで米国人記者の質問に何回も聞き返さないと理解できなかったといいます。

 1986年に、当時の中曽根康弘首相が米国の黒人について問題発言をして米国から非難されたことがあるのです。そのとき日本は公式に謝罪することになり、その謝罪文を松永大使が英語で米国議会で読み上げ、そのあとCNNのインタビューを受けたのです。しかし、それがテレビ報道されたとき、松永大使の英語の発言にはすべて英文の字幕がつけられていたといいます。



(私のコメント)
だから外務省のトップのキャリア官僚ですら英語が出来ないのだから、その他の外国語の能力は察するに余りある。佐藤優氏も本に書いていますが、駐ロシア大使で通訳なしでロシア語が話せる大使は7人のうち一人しかいなかったそうです。初歩的なロシア語は出来るのでしょうが実務レベルのロシア語が出来なくては大使として仕事が出来るのだろうか?

外務省は海外の情報を集めるのが仕事のはずですが、外国語が話せなければ仕事にならない。その出世頭の事務次官や駐アメリカ大使ですら英語が実務レベルではない。外務省は若手を2,3年の語学研修に出すそうですが一人当たり2,3000万円の予算を使っているが、それでもものになるの2割であり8割は落第だ。


プーチン首相が来日して北方領土問題が浮上していますが、昨日も書いたように3,5島返還論が話題になっている。麻生首相も何度か北方領土問題で似たような事をいっていますが、領土面積で二等分するという案だ。それを3,5島と言い換えていますが、四島のうちの三島と択捉島の2割を日本に返還するとする案だ。

3,5島というと日本に有利に感じますが、これで日本国民を納得させられると外務省は考えているのだろう。今までの二島返還論よりかは前進しているが、日本にとって得策なのだろうか? アメリカに根回しも必要だろうし、日本とロシアが平和条約を結んで関係が緊密化すればアメリカや中国が警戒する。アメリカが米中のG2で緊密化すれば日本は米中に挟撃される事になりますが、結果的に日本をロシアに追いやることになるのではないかと米中は考えるかもしれない。

日本の今の外交的な課題は米中に挟撃される事を防ぐ事であり、ブレジンスキーの打ち出したG2戦略は危険だ。これは台湾を中国に追いやることでありフィリピンやインドネシアを危機に陥れる。ブレジンスキーやキッシンジャーが何を考えて中国に接近するのか分かりませんが、東アジア一体が中国の脅威に晒される事になる。

それを見てロシアのプーチンが日本に接近してきたのでしょうが、ロシアはアジア進出に活路を開こうとしている。つまりナホトカ港にパイプラインを引いて天然ガスや石油を東アジアに供給して関係を深めようとする戦略だ。アメリカが台湾を切り捨てて中国と戦略関係を結べば台湾は中国に併合されるだろう。そうなれば日本は危機に陥る。

麻生内閣としては3,5島返還でロシアとの平和条約を結んで、エネルギーを確保して米中の挟撃に備えるべきである。アメリカは90年代から中国の元安を利用して日本経済を危機に陥れて日本弱体化に成功した。日本の工場の多くが中国に出て行ってしまって空洞化が進んでいる。アメリカは金融立国で成功したかに見えましたが、金融危機が起きてはじめて製造業の空洞化は間違いだったとオバマ政権は気が付いた。結果的にアメリカは中国に騙された事に気が付いているのだろうか?

麻生首相は7月のサミットでロシアのメドベージェフ大統領と会談して3,5島で領土問題を解決して平和条約を結ぶかもしれない。そうなれば選挙に打って出れば勝てると見ているかもしれない。これは沖縄返還以来の大きな出来事になりますが、国民世論はどう出るだろうか? 四島返還でなければダメだという事になれば交渉はまとまらないだろう。日本の動きに対してアメリカがどう出るか? もちろん四島でなければだめだとして話を壊しにかかるだろう。CIAと電通はテレビを使って3,5島ではダメだキャンペーンを始めて世論の誘導するはずだ。


CIAの手先の日テレが嫌がらせ?<北方領土>日テレ系支局長が露から択捉島に 外務省が抗議 5月13日1時13分配信 毎日新聞

外務省は12日、日本テレビ系列の札幌テレビのモスクワ支局長が、ロシアの入国手続きに従って北方領土の択捉島に入域したことを確認したとして、日本テレビに対し「(北方四島は日本固有の領土とする)日本の法的立場を侵害するもので今後このような行動を繰り返さないようにしてほしい」と抗議した。この支局長は9日から13日の日程で択捉島に入域している。





ロシアが強く出てきたら、日本も強く出て、ロシアが妥協の姿勢を示す
ときは日本も柔軟な対応をとるというのが対露交渉術のイロハである。


2009年5月12日 火曜日

北方領土3.5島返還論 5月3日  田中良紹

ゴールデンウィークが終わると政局はいよいよ熱を帯びることになる。国内政治では補正予算案の審議が本格化するが、外交では11日にロシアのプーチン首相が来日し、北方領土問題が注目されるはずであった。2月の日露首脳会談でロシアのメドベージェフ大統領が提案した「新たな独創的で型にはまらないアプローチ」を具体化する交渉が麻生・プーチン間で予定されていたのである。ところが4月17日付の毎日新聞に谷内正太郎政府代表のインタビュー記事が掲載されたことから、話が予定通りに運ぶのかどうか予断を許さない情勢となった。

 毎日新聞のインタビューで谷内氏は、「個人的には3.5島返還でもいいのではないかと考えている。北方4島を日露両国のつまずきの石にはしたくない」と発言した。これはロシア側が主張する歯舞、色丹の2島に国後島を加え、さらに択捉島の25%を加えると4島全体の面積の半分になることから、日本から見ると3.5島で限りなく4島に近くなり、ロシアから見ると4島の半分しか譲らないという話になる。両国が歩み寄りやすい解決策と考えられた。

 この「3.5島返還論」は安倍政権時代に麻生外務大臣(当時)が国会で発言したこともあり、麻生総理にとってはかねてからの持論である。さらに言えば公明党がロシア側から示唆されて主張したのがそもそもの始まりだった。最初に言い出したのは、現在は落選中だが外務省出身の高野博師公明党参議院議員である。きっかけは05年に知床半島が世界遺産に指定され、環境副大臣の高野氏が現地を視察したところ国後島から漂着するゴミが多いのに驚いた。ロシア大使館に通ってゴミ問題を解決しようとした際、ロシア側から北方領土問題の解決策を示唆された。

 ロシアと中国はアムール川の中州を巡り軍事衝突にまで発展する領土問題を抱えていたが、04年にプーチン大統領と胡錦涛国家主席との間で中州の面積を2等分する形で問題を解決した。その話を聞かされた高野氏は北方領土問題の解決策も「面積2等分しかない」と思うようになる。当時の小泉総理に打診したが、小泉氏は4島返還論者で聞き入れてはくれなかった。

06年4月に高野議員は参議院決算委員会で当時の麻生外務大臣に「面積2等分論」を質問の形でぶつけてみた。すると麻生氏は「初めて聞く説だが頭が柔らかい」と感心してくれた。06年11月にロシアを訪れた公明党の太田昭宏代表にもロシア側から「面積2等分」の話があった。12月には麻生外務大臣が民主党の前原誠司氏の質問に対し「面積2等分論」を持論のように発言した。

高野議員は与党に厳しい情勢と見られていた07年の参議院選挙を有利にするため、選挙前に安倍政権がロシアとの間で緊密な関係を作り、拉致問題も絡ませて領土問題の解決を図れば政権浮揚に繋がると考えていたが、その願いは叶わずに自身も落選、与党も惨敗する結果となった。

 国民の支持を失った政権が外交に活路を見出そうとすると国益を損ねる。相手に足元を見られ相手のペースにはまりやすいからだ。ところが何をやっても政権浮揚の出来ない政権ほど外交に活路を見出そうとする。麻生政権もその例に漏れず、2月にメドベージェフ大統領との首脳会談で北方領土問題を「新たな独創的で型にはまらないアプローチ」で解決する事に合意した。

 麻生政権とは別に現在の日本に今すぐ北方領土問題を解決しなければならない理由はない。しかしロシア側には今すぐに日本の金が欲しいという差し迫った事情がある。原油価格の下落が経済を直撃し、ルーブルは暴落寸前とまで言われ、インフレも深刻である。ロシアには世界の金融危機とは別の構造的問題がある。従って北方領土問題をテコに日本の協力を得たいと考えるのはロシアの方で、日本は泰然としているのが得策なのだが、選挙の事で頭が一杯の麻生総理はそうではない。

 そこに谷内氏のインタビュー問題が起きた。これに外務省が異常な反応を見せる。毎日新聞の記事の打ち消しに必死になったのである。一時は谷内氏が発言を全面否定する騒ぎになり、中曽根外務大臣は谷内氏を厳重注意した。かねてから麻生総理が持論としてきた話を何故それほどまでに打ち消さなければならないのか。考えられるのはそれが本当の「落としどころ」だったからである。批判が出ることを承知の上で何かを決める時には、「落としどころ」を絶対に事前に漏らしてはならない。漏らせば世論誘導がしにくくなる。ぎりぎりまで秘密にしておいて、決まった瞬間から準備していたメディア誘導策を発動すれば、反論を封じ込めて国民を納得させることが出来る。その戦術が効きにくくなった。

 一時はプーチン・麻生会談での日露交渉新展開を大々的にアピールして解散に打って出る事も考えられていたが、それが出来るのかどうかは不透明になった。しかし一方では「北方領土3.5島返還論」を日露平和条約締結の最終条件とせず、あくまでも中間条約の形にすることで反発を避け、「日露新時代」という印象を国民に与えることが出来るとの判断も外務省の中にはあるようだ。それが国民の反発を受けずに成功するかどうか。

  いずれにしても外交は内政の延長であり、内政が万全でない時の外交は危うい。そういう目で麻生政権の外交を見た方が間違いない。北朝鮮のミサイル発射問題でも国際社会の対応は日本に対して冷ややかだった。今や日本外交は国際社会から疎外されている気さえする。谷内氏のインタビューはもしかするとそうした事を踏まえた上で、それに警鐘を鳴らそうとした意志の現れではないかと思えるほどである。



「サハリン資源開発、北方領土問題を巡るロシアのシグナル」 2006年9月26日 佐藤優

どうも東京の外務本省、モスクワの日本大使館、ユジノサハリンスクの日本総領事館も事態の深刻さを十分認識していないようだ。

 9月18日にモスクワで斎藤泰雄ロシア大使とトルトネフ天然資源相が対談しているが、報道された範囲では斎藤大使は相当とんまな対応をしている。ちなみに報道された範囲でとんまな対応をしているが、実際は見事な対応をした事例などというのは、一般論として存在しない。「会談でトルトネフ氏はサハリン2のパイプライン建設現場の写真を示し『54ヵ所で違法な森林伐採が行われた』などと指摘。3年前の監督庁の勧告が守られていないと述べた」(『asahi.com』9月19日)のに対し、斎藤大使は、「事業認可を取り消すほどの違反ではない」(同上)という返答をしたが、ロシア式交渉術を知らない素人が大使をしているから、こういうとんまな対応をするのだ。

 サハリンの事情に通じている者には、「サハリン・エナジー」社が深刻な環境破壊を行っていることは公然の秘密だ。知床でオオワシ(サハリンとの間の渡り鳥)の保護活動を行っている日本の専門家の意見を30分も聞けば事情はよくわかる。そのような状況で「事業認可を取り消すほどの違反ではない」などと環境破壊を擁護するというスタンスの発言をするだけで日本は「負け船」に乗ってしまう。「環境問題は重要なのでデータを送ってほしい」といってここは軽く受け流すとともに、ロシアを牽制する「嫌な話」をすることだ。具体的には南樺太(サハリン)と千島の地位について話をすればよい。筆者だったら駐露日本大使の発言として、次のような振り付けをする。

「トルトネフ大臣、貴官はサハリン情勢について強く関心をもたれると同時に、法令遵守を強調されている。そこで今回、是非、お話ししたいことがある。南樺太と千島列島は、日本が国際法に則って獲得した日本固有の領土である。しかし、先の戦争の結果、1951年のサンフランシスコ平和条約で日本は南樺太と千島を放棄した。しかし、南樺太と千島がどの国に帰属するかは決まっていない。ソ連はサンフランシスコ平和条約に署名しなかったので、この条約を援用できない。ソ連の法的継承国であるロシアが南樺太と千島を支配する国際法的根拠はないのである。ロシアは日本との戦略的提携を真摯に追求していると考えていたので、日本は法的な硬い話をしなかったのだが、ロシア側の行儀があまりよくないようなので、今日は雑談としてこの話をしておく。そうそう、言い忘れていたが、連合国、特にアメリカとイギリスが南樺太と千島列島の地位を決定する上で重要な役割を果たすので、このことについては日本としてもアメリカとイギリスに注意喚起をしておこうと思う」

 ロシアが強く出てきたら、日本も強く出て、ロシアが妥協の姿勢を示すときは日本も柔軟な対応をとるというのが対露交渉術のイロハである。

 斎藤大使よ! 4年前、あなたが東京地方検察庁特別捜査部の任意取り調べで、何を話したか、筆者は検察官から詳細に聞いている。また、あなたが今回、どういう経緯でモスクワの大使に任命されたかについても鈴木宗男衆議院議員から詳しく聞いている。今回は汚名返上のよいチャンスだ。国益のために裂帛(れっぱく)の気合いでロシアとの交渉にあたることを望む。気合いが不足するようならば、東京からマスコミと政治家が全力で後押しすることになると思う。(2006年9月26日記)


(私のコメント)
昨夜にロシアのプーチン首相が来日しましたが、原子力協定の調印が目的のようだ。今日から精力的に有力者と会談していますが、ロシアとは平和条約もまだ結んでおらず、本格的な経済交流は難しい。ロシアは去年までの石油の高騰で経済は好調でしたが、石油価格の下落で経済状況が厳しくなっている。モスクワで建設されている超高層ビルの建設も中断されているほどだ。

サハリン2の開発も当初は外資による開発でしたが、途中から横槍を出してきてロシアのガスプロムに横取りされてしまった。こんな事をしていればロシアは何処からも相手にしてくれなくなりますが、西側の資本や技術は必要としている。ロシアにあるのは軍事力と天然資源だけであり、国産の自動車すらお粗末なものしか出来ない。

ロシアとは北方領土問題があって交渉はなかなか進みませんが、90年代のエリティン大統領の時代は一つのチャンスだった。エリティンやロシアの政党には領土問題に対して前向きな見方もあったのですが、外務省や大統領の周りが領土問題解決に反対した。だから交渉には相当な根回しが必要なのですが、ロシア通の鈴木宗男議員や外務省の佐藤優氏などのロシアとのパイプが切れてからは根回しが出来なくなってしまった。

日本の外務省にもロシアスクールがありましたが、佐藤氏によれば交渉が出来るほどのロシア語が堪能な外務官僚は数人しかいない。外務省は外交を司る所だから英語はもとより各地の語学が堪能な人材を育成しているのかといえばそうではないようだ。

外務省で採用されて各地に語学研修に2,3年出すが、ものになるのは二割程度であり、後の八割は使いものにならないらしい。ロシア語を話しているつもりでもロシア人には全く通じないらしい。日本の大学のロシア語学科も全くダメであり、モスクワの大学に留学させて、その中から優秀な人材を採用するようにしないと無駄な投資になる。

だから外務省は世界各地に留学した大学生の中から採用していけばいいのであり、東大を出ただけの上級試験合格者は頭はいいのだろうが語学の才能があるわけではない。現地の言葉に精通していなければ現地の人脈も出来ないし、情報の収集もできない。ロシアとの交渉も相手の意図を分析しなければなりませんが、ロシア駐在の斉藤大使もロシア語が出来ずにとんまな外交をしているようだ。

日本の外務省はアメリカの国務省の出先機関のようなものだから、アメリカ以外の国との交渉はアメリカとの事前の相談が必要であり、アメリカへの根回し抜きでロシアや中国などと外交しようとすると嫌がらせをしてくる。外交に関する限り日本は独立国としての体をなしていないのであり、だから日本には情報機関も正式な軍隊も存在していない。

プーチンが来日しても北方領土問題は何の進展も無いだろう。政経分離でロシアは経済交流だけ進めて領土問題は棚上げだ。日本とロシアが親密になる事はアメリカをナーバスにさせる。原子力協定や天然ガスや石油パイプラインの敷設も、日本としては資源外交の一環として必要ですが、アメリカは日本とイランとの石油開発の話をぶち壊した。

アメリカは愛人にたかるヤクザのような国であり非常に嫉妬深い。いくら貢いだところで感謝一つせずカネを巻き上げる。ロシアや中国は対立するヤクザであり日本はアメリカに保護してもらっている愛人だ。プーチン首相はロシアのマフィアの親分を震え上がらせるほどの強権政治家ですが、このような人物と日本のおぼっちゃん総理が交渉しても手玉に取られるだけである。

つまり政治家というのはヤクザの親分よりも精神的にも肉体的にもきつい職業であり、本来ならば世襲政治家などやらせたくても出来ない職業だ。ヤクザの世界では世襲は無い。日本の政治家にプーチン首相ほどの強面がいれば頼もしいのですが、ヤクザ出身の野中広務でもプーチンの前では霞んでしまう。

このような状況では、小泉純一郎のようにブッシュの前でエルビスプレスリーの真似をするような、おべっかを使える首相でないと交渉は難しいのだろう。織田信長のような強面には秀吉のような茶坊主になる必要がある。麻生首相も漢字が読めないのは御愛嬌であり、外国の首脳の前では茶坊主的になれる素質がある。




ホンダのインサイトが4月の新車販売台数でトップになった。これは
ハイブリッドカーが次世代車として認められた事の証明になる。


2009年5月11日 月曜日

(5/11)4月の新車販売、ホンダ「インサイト」が首位  日経新聞

日本自動車販売協会連合会(自販連)が11日まとめた4月の新車販売ランキング(軽自動車を除く)は、ホンダの新型ハイブリッド車「インサイト」が首位だった。ハイブリッド車が首位になるのは初めて。2位にはホンダの小型車「フィット」が入った。景気悪化に伴う節約志向の高まりなどを背景に、燃費性能に優れた小型車が上位を占めた。

 インサイトの販売台数は1万481台。2位のフィット(9443台)に1000台強の差を付けた。高い燃費性能に加え、車両価格を廉価グレードで189万円に抑えたことが販売好調につながった。一方、トヨタ自動車の主力ハイブリッド車「プリウス」は21位。5月の全面改良に備えた買い控えがあったもようで、販売台数は前年同月比64%減の1952台にとどまった。



ホンダ、HVシステムを高効率で量産  4月27日 日刊自動車新聞

ホンダが、2010年代前半に世界で年販50万台規模を目指すハイブリッド車(HV)戦略の実現に向け、生産体制の拡充を進めている。新型「インサイト」の立ち上げに合わせ、基幹システムであるIMA(インテグレーテッド・モーター・アシスト)の生産で高効率の量産技術を確立した。21日にはジーエス・ユアサコーポレーション(GSユアサ)グループと共同で、HV向けリチウムイオン電池の新工場にも着工。低コスト化と商品力向上の両面で着々と手を打っている。(奥野秀康)

 発売から2カ月の受注が2万5千台に達した新型インサイト。189万円からの低価格設定を実現したコスト削減では、バッテリーを始めとするIMAの小型・軽量化、部品点数削減などが挙げられるが、生産分野の進化もその大きな立役者と言える。

 ホンダは新型インサイトについて、企画段階から生産技術、工場部門が一体となってプロジェクトを進めた。年販5、6万台規模の「シビックハイブリッド」をベースに構築した生産体制を、年販20万台のインサイトに最適な環境へと切り替えるため、「IMA生産の全工程で『簡素化できるもの』『高速化出来るもの』を洗い出した」(完成車技術室)とする。

 その結果、生産分野ではモーター生産で自動巻き線機の高速化を実現。鈴鹿製作所内に設置した専用のモーター組み立てラインの生産効率を従来のラインに比べて3倍に向上した。また、バッテリーとPCU(パワー・コントロール・ユニット)をパッケージ化したIPU(インテリジェント・パワー・ユニット)の組立工程では、「生産のコンベア化とともに手間のかかるネジの締め付けなどを自動化した」(同)。このほか、インサイトの立ち上げプロセスの中では車体部品(リアインナーパネル、リアフロア)の並列加工など、ハイブリッドシステム以外にも効率化のアイデアを導入し、コスト面での大きなブレークスルーを実現した。

 今後は「実際に大量生産に移行したことで見えてくる。それらを改善し、一層の体質強化を図る」としており、10年度までに市場投入を目指すハイブリッドスポーツ車や「フィットHV」の立ち上げなどで、一段と効果を発揮すると予想される。21日に着工したのは、GSユアサグループとの電池合弁会社、ブルーエナジー(押谷政彦社長、京都市南区)の新工場で、10年秋からHV用の高性能リチウムイオン電池を量産する計画だ。現在、GSユアサが開発中のHV用リチウムイオン電池「EH6」をベースに、構造や電極材料を改良しHVの高性能・低価格化につながる電池を開発・量産するという。

 リチウムイオン電池は、HV用バッテリーの高出力化やコンパクト化に有望と見られているが、耐久性や信頼性などの課題から乗用車の量販モデルでは商品化の例がない。ホンダは「バッテリーのエキスパート(GSユアサ)と技術と夢を共有することで、世界一のリチウムイオン電池を完成させる」(福井威夫社長)と、ニッケル水素からリチウムイオン電池への早期切り替えに挑む考えだ。
      ◇
 現在、国内販売ではトヨタ自動車の新型「プリウス」の発売が近づくにつれ、HV分野でトヨタの巻き返しの色が濃くなっている。ただ、年産十万台規模でHVを量産する生産技術と、200万円前後の低価格で利益を確保する収益構造を実現したのは世界でトヨタとホンダのみで、他の競合メーカーを大きくリードしている。

 ホンダが足元で進める生産分野の布石は、中長期の普及戦略や収益確保で着実に効果を発揮すると予想される。


GM転落で見えたハイブリッド車の隆盛(09/03/11) 安井至

なぜGMはハイブリッドで立ち遅れたか

それは、ハイブリッド技術を無視したからである。なぜ無視したのか。それは、無視したかったからである。すなわち、ハイブリッドの普及を望まなかったからである。なぜ普及を望まなかったのか。それは、自動車産業という欧米主導の市場を、日本の田舎発のハイブリッド技術などで支配されたくなかったからである。

 欧米文明至上主義の落し穴にハマったとも言えるのが、このハイブリッドを無視する戦略であった。そのために取った戦術が、燃料電池車優位説の流布であった。GMがその主導権を握ったという訳では無いのだが、もしもGMが最初からハイブリッド戦略を取っていれば、あのメルセデスが燃料電池車の開発に夢中になったとは思えないのである。

 もうひとつの理由が、世界のエネルギー需給動向を読み間違えたことである。これもアメリカという国の持つ特性の一つであるが、今後の動向を読み解くときに、周辺の国の状況をあまり気にしないということがある。自国ですべてを決めることができる。これが米国の基本的な態度である。

 では、ハイブリッド無視戦略は正しかったのか。米国であれほどプリウスとシビックハイブリッドが売れたことが、その間違いの証明である。シビックハイブリッドは、日本ではマイナーな存在であったが、米国での運転モードに良く合っていて燃費が良いため売れた。日本でほとんど売れなかったあの初代インサイトですら、米国では、高給取りの女性が通勤用に使うインテリジェントな車としてある程度売れた。

 なぜ、米国メーカーは、ハイブリッド車が米国で売れると思わなかったのだろうか。

 その鍵は、「インテリジェントな車」にあったのではないだろうか。米国のメーカーは、車は大きく力強く快適なものだ、という固定観念があった。そのため、カリフォルニア州に代表されるエコ指向の強い潮流を読み切れなかったのである。もちろん、大きく力強く快適な車、すなわち、感性に訴える車の方が高く売れるという現実があったのも事実である。

 GMは、大きなGMC、力強いハマー、快適なキャデラックこそ、車の本質であると考えてきた。GMの方向性を決める経営陣の年収が数10億円では、エコカーというインテリジェントな指向性を読み切る能力は最初から無かったとも言える。



(私のコメント)
5月9日の株式日記では、化石燃料文明から太陽エネルギー文明に切り替わっていく事を書きましたが、ヨーロッパやアメリカや日本は化石燃料文明で豊かさを築きましたが、石油が枯渇し始めて価格が高騰し始めて、アメリカ発の金融危機を誘発している。アメリカはガソリンで走る自動車がないと生活が出来ない。世界一の軍事力も豊かな石油があるから維持できるのであり、石油が無くなればアメリカの軍事力は維持できない。

GMのハマーというSUVはハンビーという軍用車の民間型ですが、リッター4キロしか走らない。東京でも時たま見かけますが、まさに装甲車のようなゴツイ車であり、アメリカ人はそういう車が好きなのだろう。確かにアメリカの中西部の砂漠地帯を走るにはハマーのような車が似合っている。しかし都内で走る姿はまさに巨大肉食恐竜であり、アメリカ車の象徴は倒産してハマーブランドは売却先を探している。

巨大肉食恐竜が滅んだ理由は気候変動などで餌が無くなたからでしょうが、アメリカという国も石油という餌がなくなって滅びつつある国だ。そして日本からアイミーブという小型の電気自動車が発売されますが、小型の哺乳類を思わせる。電気自動車ならガソリンが無くても走れるのであり、電気は太陽電池などから供給できる。

電気自動車が哺乳類ならばハイブリッド車は鳥類に当たるだろう。鳥類は恐竜が進化した形であり産卵は恐竜と同じだが羽毛を生やして雑食性で哺乳類と同じだ。ハイブリッド車は電気自動車のつなぎと思われていましたが、鳥類のように一つの形として生き残るのではないだろうか? 

GMのハマーはリッター4キロしか走らないが、トヨタの新型プリウスはリッター40キロ走る。電池がより高性能になり小型軽量化すれば燃費はますます良くなって行くだろう。問題は電池のコストが高い事であり性能もまだまだ足りない。ホンダのインサイトは電動補助モーターの付いたガソリン自動車ですが、小型のモーターと小型の電池で車自体も軽量に作られている。

だから1,3リットルの小型乗用車向きであり、ハイブリッド用の電動モーターもホンダは本格的工場を作って生産体制を整えている。電池もユアサとの合弁でリチウム電池の生産に入るようですが、生産体制が整えばコストダウンも可能になり、同クラスのガソリン車よりも安く売られるときが来るだろう。

トヨタのプリウスは今月の18日に発売されますが6万台のオーダーを抱えているそうだ。プリウスはシリーズ・パラレルハイブリッドカーですが、短距離ならモーターだけでも走れる。だから電池やモーターは大型になり重量も重くなりますが、これからは小型軽量化がなされて行くだろう。

コストも新型では安くなり205万円だそうですが、今までのプリウスとは違ってカローラに代わるトヨタの代表車種になって、量産化される事で同クラスのガソリン車と変わらない値段でもメーカーは儲かるのだろう。トヨタでもここまでハイブリッド車が売れると思ってはいなかったのではないだろうか。

一代目のプリウスはいつ開発が中止になるか分からないような雰囲気で作られていましたが、買う方も物好きな人が買う程度の車だった。だからトヨタとホンダ以外の自動車メーカーはハイブリッド車の開発を止めるか手を出しませんでしたが、気が付いた時はハイブリッド関係の特許はトヨタとホンダに独占されてしまった。

GMなどもボルトというハイブリッド車を開発していますが、シリーズ型のハイブリッドでトヨタやホンダの倍以上の電池を積まなければならず、コストも倍かかるから商品化も難しいだろう。ヨーロッパの自動車メーカーはクリーンジーゼル車を次世代車として開発してきましたが、肝心の燃料の軽油がガソリンよりも高くなってしまった。これではジーゼルエンジンの意味がない。

つまり日本の自動車メーカーは自動車の技術において5年から10年の差をつけてしまったのであり、韓国や中国やインドなどがいくら安く作っても燃費や動力性能では桁違いの日本車とは競争できないだろう。自動車は、パソコンのように組み立てて走ればいいといった商品ではないからだ。

ホンダのインサイトが4月の販売数で第一位になったというニュースは、ハイブリッド車が次世代車として消費者として認められたということであり、トヨタもプリウスをカローラに代わる主力車種とするようだ。インサイトはすでに発売されているから多くの人がブログで試乗レポートを書いている。


ホンダのインサイトを知り合いが買ったので、見てきました。 3月30日 おじさんのジムガーナ日記

ハイブリッドカーなので燃費重視ですかねー?と思ってたら、意外と走って面白い車だったのが印象的です。
この友人、(遠くに住んでいるので)たまにしか会わないのですが、インサイトを買ったと聞いたので、新車の自慢を聞いてきました。と言うかオヤジ2人で夜中のドライブでした(笑)。

まず友人のインサイトのエンジンは6000回転ぐらい回ると、やはりVTECらしい音がするので、
あ、音がホンダなんだと、しみじみ思いましたね。
私も、今のVTECの御爺さんに当たるシビックフェリオを乗ってるので、VTECの音は重要ですよ。

そして、意外とコーナーが良い車なのが驚きです。
弱弱アンダー気味に、ハンドルを切った方向へ、綺麗に車が回頭して行きます。(余りアンダーステアな気がしないので、弱弱と表現してみました)
後から、フィットより前後重量配分が良くなっていると、ホンダのホームページとかの情報で知りましたが、(まぁ能書きはともかく、)結構ワインディングが速い、とても1300ccで重さが1.2t も有るとは思えない車でした。

このインサイトで走りを良くしている重要な装備は、実はTCSだと友人が解説してまして、TCS+ABSでVSAのメーカーオプションです。これは必須のオプションですが、インサイトのお勧めグレードLSです。と言うか、今の所、LSを買うしかないです。

この「LSを買え!」と言う理由ですが、CVTの7速固定モード・パドルシフトがLSだから。別にパドルシフトの必要は無いのですが、オヤジなんでコーナーリング中にギアを固定してエンジンを回したいっ、と言う、ま、しょーも無い事が主な理由です(笑)

で、続きますが、
インサイトでコーナーリングする時は、パドルシフトでギアを落としてコーナーへ侵入、ハンドルを切ったらアクセルを踏み気味にコーナーを駆け抜けます。このときは、カナリの開度でアクセルを踏んで下さい(笑)。TCSが働いて、まるでLSD付きのFFの様に、ハンドルを切っている方向へ車が進みますから。
このインサイト、何故コンナニ曲るのが良いのか、機構的な事は良く判りません(友人も私も、車は乗るだけで、造ってませんから)が、コーナーリングを綺麗に行うには、結構エンジン回転数を上げて、吹かし気味にコーナーを抜けないと駄目見たいです。

いやはや、ハイブリッドとか言ってる車なのに、6000回転とか回してみたり、ギアを落としてアクセルを踏んでコーナーを曲れとか言ってると、”こんっ馬鹿者がー”と怒られそうですが、それでも燃費が良いので、夜中に走り回って帰ってもですね、ガソリンが思った程減ってないのが素晴らしい、新たな驚きでした。これだと燃料費ではオヤジの小遣いが減らない(夜中に徘徊しても、気付かれない?)のでは無いかと思います。
まぁ、夜に出て行く時に、何処に行くんだ?と見付からなければ、(友人談)
と言う前提ではありますが(笑)

ちなみに、私はシビックフェリオが在るので、当面買いませんけど。





専業農家の年間所得は644万円なのに、兼業農家の所得は792万円で、
サラリーマンの所得を大きく上回っている(02年) 貧農は作られた神話だ。


2009年5月10日 日曜日

減反政策は国民の7割が反対しているのになぜ続けられるのか?
(報道2001より)

減反政策が廃止になっても米価は10000円前後で落ち着く
農業が近代化すれば日本は農産物の輸出国になれる!


減反見直し、総選挙で提示を=石破農水相 5月10日 時事通信

石破茂農水相は10日、民放のテレビ番組に出演し、農政改革の焦点である主食用米の生産調整(減反)について「見直すならこうですというのを出すべきだ。(それを有権者に)判断していただく」と述べ、次の総選挙での国民の判断材料として、コメ政策のあり方を提示することが不可欠との考えを示した。
 石破農水相は現在の減反政策に関し「維持・強化ということには、農水省の責任者として賛成しない」として、緩和もしくは廃止が不可避との立場を強調。その上で、国民の幅広い論議を経て政府の方針をまとめる考えを重ねて示した。 


輸出だってできる! コメの「力」を削ぐのは誰だ〜『農協の大罪』 山下 一仁著

近所のスーパーに行くと、つい生産者の「顔」が見える野菜に目がいく。昨夏、米粉加工会社による「汚染米」の不正転売事件が起きてから、生産者を顔写真つきで紹介した食品が増えた。素性のハッキリした安全な食べ物は、割高でも人気の的だ。

そのほとんどは、スーパーが農家と直接契約して販売している。

店と農家の間に、日本の農業を支配してきた「農協(JA)」は入っていない。

戦後、自民党の農林族議員と結びつき、農林省にも強い影響力を行使してきた農協。職員数30万人ともいわれる巨大組織の「脱農化」は静かに進んでいる。

すでに農協の金融部門「農林中金(農林中央金庫)」は国内最大規模の機関投資家に変貌した。農林中金は、農家から、その農業収入や、農地を宅地や工場、商業施設、道路などに転用した莫大な利益を預金として吸い上げ、海外を主体に資産運用してきた。バブル期には住宅金融専門会社(住専)への貸し込みで大やけどを負いながら、国費投入で生き延びた。だが、世界的な金融危機で運用益は大幅に減少している。

食糧自給率が40%まで低下したいま、食料安全保障と水資源の確保、国土保全に深く係わる農協は、どのような動きをしているのだろうか?

そんな疑問を胸に本書を手にとった……。

著者は、昨年まで農水省で農村振興に取り組んできた農政のプロだ。元官僚ではあるが、農水省の失政も厳しく断罪しており、説得力がある。

読み終えて、農協─族議員─農水省トライアングルの罪深さに愕然とする。農業の衰退に歯止めをかけるどころか、加速させているように読み取れる。著者が指摘する病根は、「高米価政策(減反)」と「農地制度(農地転用)」である。

お米は作らないでください、補助金あげるから

著者は、まず「汚染米」の大部分が「ミニマムアクセス米」という輸入米だった背景を解き明かすところから、歪んだ現実に斬り込む。ミニマムアクセス米とは、日本政府が米について778%もの関税をかけた代償として、外国から輸入した低関税の米。日本は高関税を米にかける代わりに、消費量の8パーセントに当たる77万トンを低関税で輸入するとWTOに約束し、それを実行している。

農水省が輸入したミニマムアクセス米は、〈国内の需給、すなわち国内米の生産には影響を与えない〉との理由で市場には出されず、大半を海外への食糧援助用などに保管している。しかし海外からの要請がなければ食糧援助はできない。当然、保管期間は長期にわたる。カビが生えるのも当たり前。保管費用の財政負担は、どんどん膨らむ。

なぜ政府は米に高い関税をかけ、わざわざ汚染リスクの高い米を輸入するのか。著者は断定する。

〈国内の高い米価を維持したいからである。……高い米価は、誰のため、何のために必要なのか? 農協にとって、米価が高ければ販売手数料も高くなるし、肥料や農薬も農家に高く売れ、また手数料を稼げるからである。高い米価は何で維持されているのか? 水田の4割で米を作らないという供給制限カルテル、つまり減反によってである。カルテルとは、業者が結託することによって市場への供給を制限したり、高い価格を維持したりすることである。これは本来ならば独占禁止法で禁止されている行為だ〉

さらに政府は減反カルテルを維持するために〈毎年2000億円、累計で7兆円に上る補助金〉を出しているのだという。

農家に米を作るなと呼びかけて、補助金まで出す。一方で食料自給率はわずか4割……まったくチグハグだ。米の需給を無視した統制経済のように見える。

だが、農協は、「貧農を切り捨てるな」と声高に叫び、高米価政策を後押してきた。

農協が守ろうとする貧農とは? 農家には専業と兼業がある。農協は、両者の選別政策をとらず、兼業の小農を守れと主張する。確かに農家は後継者不足で、急速に高齢化が進む。やっとの思いで農業を営んでいる農家は保護すべきだろう。辛うじて農業を担っている人々だから、大切にしなくては……と、素人のわたしも思う。

しかし、著者によれば、この昔ながらの貧農イメージがくせものらしい。

〈そもそも小農・零細農家は、本職はサラリーマンの兼業農家なので今や富農である。それに対して、なかなか農業規模を拡大できず、所得が増えない主業農家こそが貧農なのである。米作主業農家の年間所得は644万円なのに、兼業農家の所得は792万円で、サラリーマンの所得を大きく上回っている(02年)〉

05年時点で、農業就業人口252万人に対し、農家戸数は285万戸。戸数が就業人口を上回る珍現象が起きている。これは、〈主として農業に従事する農業就業者のいない〉兼業農家が増えたからだそうだ。

農協としては農業人口が減っても、戸数を維持できれば「政治力」は保てる。そのために兼業農家に有利な施策に力を入れる。結果的に豊かな兼業農家が農協の支持層となる。専業農家は、規模の拡大も進まず、経営が苦しい。農業で生きようとする専業農家は、減る一方なのだ。いつまでも貧農保護の大義名分に振り回されるな、と著者は警告する。

兼業農家を富ませた大きな要因に「農地制度」がある。「農地転用」が、その典型だ。

本来は「農地」と土地利用規制(ゾーニング)されている場所を、簡単に宅地や工場、商業施設、道路などに転用することで、地価上昇による利益が農家に転がり込んだ。高度成長期、農地転用は、「農村と都市の所得格差をなくす」「農村から都市への人口集中の受け皿(住宅など)」をつくる意味もあった。

しかし、地価上昇のキャピタルゲイン狙いは、度を越して過熱した。年間の農地転用売却益は1990年のピーク時に「7兆円」を超え、現在でも「2兆円程度」はある。この莫大な資金が農協に預金され、その総額は83兆円にのぼった。

〈こうした農業を犠牲にして儲けようとする行為は、“盗泉の水を飲むもの”と批判された〉

50年前に日本全体で609万ヘクタールあった農地の4割超が、減反などによる耕作放棄や宅地等への転用で消滅した。いまでは田んぼの真ん中に市役所が建ち、パチンコ屋が店を開く。町や村は中心を失い、とめどもなく、拡散している。

日本米は国際競争力がある、輸出できる

著者は、農協─族議員─農水省と農政に携わる機関が農業を衰退させている現実をえぐり、代替案を示す。たとえば、農業大国で知られるフランスは、こうだ。

〈ゾーニングにより都市的地域と農業地域を明確に区分し、農地資源を確保するとともに、農政の対象を、所得の半分を農業から、かつ労働の半分を農業に投下する主業農家に限定し、農地を主業農家に対して積極的に集積した。これによって、食料自給率は99%から122%へ、農場規模は17ヘクタールから52ヘクタール(2005年)へ拡大した〉

高米価政策からも脱却せよ、と説く。現在、減反で維持されている国産米の価格は60キロ当たり1万4000円。輸入されている中国産米は1万円。すでに価格差は縮まっている。減反をやめれば、日本米の値段は1万円を切る。美味しくて人気の高い日本米は、国際競争力を持ち、輸出できる。

米価の下落で損をする農家には補助金を直接支払えば、財政的負担は同じで、消費者もメリットを受ける、と説明。もちろんミニマムアクセス米も輸入しなくてよくなる。

〈輸出により日本農業を縮小から拡大に転ずるべきなのだ。……平時はアメリカから小麦を輸入しながら、米を輸出する。外国からの輸入が途絶えたときには、輸出に回していた米を食べるのだ。これがどこの国でもやっている食料安全保障策である。こうすれば、自由貿易と食料安全保障は、両立する〉

農協─族議員─農水省トライアングルは、この意見をどう受けとめるのだろうか。

兼業農家は農地を転用目的で持っていても固定資産税は安い
宅地なら340万円の固定資産税が農地なら9240円で済む

地方でも高速道路が出来れば莫大な資産所得が兼業農家に生ずる
だから熊が出るようなところにも高速道路が作られ続けるのだ


(私のコメント)
5月4日に農業問題を書きましたが、今日のフジテレビの報道2001でも農業問題についてやっていた。日本の農家は第二種兼業農家と自給農家がほとんどであり、専業農家は13%程度しかない。つまり日本の農業は農家が片手間で行なっている農業であり、これでは農業の近代化が出来るわけがない。このように書くと兼業農家や自給農家から反論がありますが、それでは農家の高齢化と農業人口の減少に適応できない。

農業人口の平均年齢は65歳だそうですが、あと5年すれば多くの農家が農業をリタイヤする事になる。そして減反政策と高齢化によるリタイヤで耕作放棄地は増える一方だ。耕作を放棄しても国から補助金が出るから耕作をまったく行なわないでもカネがもらえる。だから農家は農地を手放さない。貸す事もしないだろう。補助金がもらえなくなるからだ。

このような補助金は年間2000億円も使われていますが、カネをやるから米を作らないでくださいと言う事だ。報道2001でも石破大臣が言っていましたが、米の消費が減って肉を食べるようになって米が余るようになった。余るから減反して価格を維持しようとしていますが、減反破りが横行して米の価格は下がる一方だ。

その結果、自給自足的な農家ばかりになって、市場に出しても採算に合わないので自分で食べる分だけ生産する。米の値下がりは専業農家を直撃して13%そこそこまでへって専業農家は倒産してやっていけなくなる。専業農家が減反政策の一番の被害者であり、手足を縛られたまま米価の値下がりだけ直撃を受けるから大変だ。

米作の専業農家が成り立っていく為には減反政策という足かせを外して大規模化を促してコストダダウンを図るしかない。日本の農家は1、5ヘクタール程度の農地が平均ですが、これが15ヘクタールになればかなりのコストダウンになるだろう。今は60キロ当たり12000円程度でも10倍に規模を拡大すれば半値になってもやっていけるだろう。耕作機械は農地が10倍になっても10台に増やす必要は無く1台で済むし、人手も10人はいらなくて1人で済むからだ。

フランスは農業人口が4%しかありませんが農産物輸出国だ。アメリカも50年前は農業人口が45%もありましたが、現在では2%にまで減っている。耕作機械が普及して人手がかからなくなったからですが、日本も4%にまで減りましたが、フランスのような農産物輸出国になっていない。問題は日本の農業人口が252万人なのに対して農家戸数は285万戸もある。人口よりも戸数の方が多い??? 

農業が大規模化していれば農業人口よりも農家戸数は激減するはずなのですが、兼業農家や自給農家の割合を増やしている結果になっている。政府の補助金農政がそうさせているのですが、4%の農家が自給自足農家になったら96%の非農家は自給農家のお余りを回して貰っている事になり、だから食料自給率は下がる一方だ。

戦後の日本の農業政策には食糧安保の発想が無くて、工業製品を売って稼いだカネでアメリカ等から食料を買えばいいではないかという政策でしたが、去年の食料価格の高騰は日本の自給率の低さを浮かび上がらせた。農産物輸出国の輸出停止が相次いで中国も食料輸出国から輸入国になって、生活水準の向上によって食糧輸入は日本との競争状態になっている。

報道2001でも日本の農地の貸し借りがどうして行われないのかという問題がありましたが、減反政策で耕作放棄しても農家である限り補助金がもらえるからだ。農地の売買も農地として売れば数百万円にしかならなくても、高速道路や新幹線で土地を売れば数億円の土地売買益が転がり込んでくる。だから道路族議員が高速道路を作れとやかましいのだ。

ではどうしたら日本の農業が近代化してヨーロッパの農業のように輸入国から輸出国に変われるのだろうか? 政治も世襲のやる気のない議員が増えて政治も堕落しましたが、農業も世代交代でやる気のない世襲農家が増えて、耕作を放棄して自給農家に堕落してしまっている。農業を産業としていかなければ自給率は上がらないのであり、農協ばかりが肥大化している。


日本の成人人口の1割が農業関連だが GDPに占める割合は 1%程度 3月13日 太陽の帝国

 日本の農家戸数は約 285万戸 (約300万戸)であるが 約25倍の国土を持つ米国は220万戸である!(人口が3倍の米国の方が少ない!)平均耕作地面積は 1.3ha であり 米国の 1/123 フランスの 1/40 の規模である。 オーストラリアに至っては 日本の1000倍以上で耕作している。

 つまり大規模化しか道は無いのだが・・・ それを阻んでいるのが前述の 農協と 農林族:国会議員そして兼業農家 なのである!

 なにしろ・・・米作農家は200万戸あるが専業米作農家は 7万戸 しか居ない!!! (約 1/30 ) 残りは 兼業 である。兼業農家の収入の約9割はサラリーマンの給与所得である。

 当然ながら 64年頃 赤城宗徳:農林大臣が「農業の大規模化」を提唱したのだが社会党の大反対と 農協の反対 で2度も廃案となってしまった!現在は(兼業)農家に頼んで農地を貸してもらうしかない。これが大規模化への最大のネックである。

 ところが 兼業農家は貸したがらない!のである。それは農地を売ると 平均100数十万円 にしかならないが 新幹線や高速道路の用地として買い上げてもらえば億単位の金が入って来るからだ! それまでは形だけ耕すフリをして田畑を寝かして置くのである。

 え?「公共工事?そんなことは滅多に無い!」だって? いえいえ・・・日本の農政は「参入するのには厳しい」が「農地の転用には緩い」のである!

 農家は補助金をもらうときには「農地の指定」を要求するが買い手が現れると「農地の指定解除」を要求して来て・・・市町村も簡単に法律まで変えてしまうのである!

 市町村も生産性の低い農地を維持するよりも税金が取れるし農家としても宅地や工場用地として売る方が儲かるからだ。

 結果・・・青々とした農村風景に毒々しいパチンコ屋などが突如出現するのである。だから現在でも・・・ 全国農家の農業収入と「それ以外の収入」は”ほぼ同じ”である。

 これに味を占めた兼業農家が農地など売らずに形だけ耕して・・・新幹線や高速道路が出来るのを期待するのは当然と言えば当然のことなのだ。

 この50年間で「全水田面積と同じ250万haの半分が宅地や工業用地に転用された!」事実が(全国の農地は約470万ha)「地方が国債発行と公共工事を渇望する」ことと地方ではバラマキ政党が選挙で勝利するという農政の無策を明快に示しているではないか!?

 そもそも戦前の大規模不在地主と小作人の矛盾が歴史教科書などで扱われているがそれなら戦後のGHQによる「農地解放」では「タダ同然で地主から農地を取り上げて・小作人にそれを分け与えた」のだから今度は零細農家が既得権益化して数々の不労所得を得ているのでは道理と言う面からも納得できるものではない!

 零細な兼業農家が300万戸もあることは農協にとっても何かと政治力としても使えるし・・・農協自身も 30万人もの職員を抱えているのである。家族を含めれば 60万人の票田となるし農協の準組合員まで含めれば 500万人にもなる!

 農協が「自民党の集票マシン!」となり圧力団体とも言われる所以である。このような潤沢な資金がJAバンクに流れ込み莫大な預金残高はもともと農家と消費者との仲介をして手数料を稼ぐ農協の本来の役割を離れて・約7割以上が農業以外に融資されている有様だ。

 これが農協が日本農業を潰した!現実の姿なのである。

 06年の農業総産出額は 8.5兆円 だが パナソニック1社の売り上げ額 9.1兆円 にも及ばない!パナソニックの従業員は 30万人弱だが農業は農家が285万戸 農協職員が31万人 農協組合員が500万人も居る。日本の成人人口の1割が農業関連だがGDPに占める割合は 1%程度 ということである。

 「米を作らないとお金がもらえる」減反対策などもバカバカしいが・・・(車の減産にも税金を出せ!・・・自動車メーカー)農協が米価の高止まりを要求するのも米価が下がると農協の手数料も下がるからだ。それらを含めた農業保護全部の額と農業GDPはほぼ同じであると言う。

 つまり「日本の農業はGDPに全然貢献していない!」と言われても仕方が無い・・・日本の農政はこんな役にも立たない減反に40年間で7兆円・過剰米処理にも3兆円の莫大な税金を投入して来たのである!まさに「NO政!」である。

 農協と農林族議員が潰しに潰してきた日本農業は食料自給率の60年代の80%から 現在は40%以下に低下し特に1番恐いのは農業就業人口が 39歳以下 8.5%70歳以上 46.8%という数字であろう!?(ちなみに フランスでは54歳以下の農業者が6割も居る!)

 これでは最悪の予測が現在250万haの稲作農地が2050年にはたったの30万haになってしまう・・・ということである。

 フランスが成功したのは「専業農家にのみ補助金」を出してきたからである!「食料自給率100%にするには・現在の農地を4倍にする必要がある」そうだから・どうしても採算が合わない農産物は輸入したらよい。

 しかし最近では農産物の高騰で・中国やインドが「小麦やトウモロコシの輸出禁止!」を打ち出している!食糧安保の意味からも日本の農業の再建は急務である!

 それには票だけが目当ての民主党の「農家への個別補償制度」は大規模化を阻害し 生産性が低い兼業農家を存続させるものであり有害無益である。フランスのように「専業農家にのみ・やる気のある農家にのみ」補助金を出すべきである。


(私のコメント)
日本のほとんどの農家が兼業農家と自給農家であり、フランスのように専業農家のみ戸別補償という政策は受け入れられないだろう。民主党が参院選前に言った戸別補償制度は参院選挙で大勝した後どこかに消えてしまった。農家は民主党の「戸別補償制度」につられて民主党に票を入れたが、私も減反政策よりはマシだと賛成した。

自民党は農林族が減反堅持だと言っているから、日本の農業の近代化はますます遠くなる。専業農家を育てる為には戸別補償制度を取り入れる必要があるだろう。さらにやる気のある若い人が農業に参入しやすくする事が大切であり、兼業農家の農地を貸し出しやすい農地法に変えて行く事だ。




今は400年ぶりの文明の大転換期であり、化石燃料文明から太陽エネル
ギー文明への転換である。アメリカから日本への覇権の移行期にあたる。


2009年5月9日 土曜日

切り開け!電気自動車社会 清水 浩(慶應義塾大学教授)

そもそも今回の金融危機がなぜ起こったのかといえば、これは温暖化問題やエネルギー危機の問題と根は一緒である。つまり、いずれも第二次産業革命の予兆なのだ。第一次産業革命で生まれた技術がそろそろ限界に来て、温暖化の問題や石油枯渇などネガティブな話が出てきた。20世紀を豊かにしてきた技術が終わりを迎えたわけだが、それに代わる技術が何かが見えなかったために、何をすればよいかがわからず、アメリカを中心にマネーゲームに走ることになった。しかし実体経済のないところに本当の意味の金融はありえない。それが案の定、破綻したのが1990年から2008年の動きだったのである。

 ここは原点に返り、実体経済をどう動かしていくかに戻るしかない。では、どこをめざすべきなのか。

 20世紀はたしかに非常に豊かな時代であった。だが、その恩恵を受けたのは世界人口の約1割の先進国の人びとだけである。これからやってくる第二次産業革命は、世界中の人に恩恵を与えられるパワーと可能性をもつものでなければならない。石油枯渇を解決し、温暖化を解決する技術が求められるのである。

 社会を支える基盤は、結局のところエネルギーである。第一次産業革命では、それは化石燃料であった。だが今後は、それが太陽になる。

 本誌平成20年6月号で詳しく述べたように、世界の陸地面積の1.5%に太陽電池を張れば、世界中の人がアメリカ人と同じくらいエネルギーを使っても大丈夫なほどのエネルギーを供給できる。この、いわば無限のエネルギーへの転換に立脚して、モノづくり、交通、建築、農業、と次々と変化が起きてくる。そのうえでサービス産業が変わり、さらに知的産業が変わってくるだろう。

 クリーンで無尽蔵な太陽エネルギーであれば、世界中の人がこの恩恵を得られる。すると、貧困がなくなる。貧困がなくなると人口爆発がなくなる。経済格差のない豊かな暮らしが実現すれば、紛争も必然的に減る方向へと向かうだろう。

 いま多くの人が、21世紀は暗いと考えているようだ。だが、それはこのような技術の可能性が見えていないからだ。じつは21世紀はとてつもなく大きなチャンスの時代なのである。

 そしてこれは日本にとっても、きわめて大きなチャンスである。新しい革命的技術の鍵をいずれも日本が握っているからだ。太陽電池はアメリカで発明されたが、産業化したのは日本である。また、太陽電池は夜間には発電できず、発電量も天気によって変動するため、電気を蓄えて使わねばならないが、その技術としてもっとも有望なリチウムイオン電池は1986年に吉野彰氏が発明したものである。電気駆動の鍵となるモーターの性能を格段に向上させるネオジウム鉄磁石は1982年に佐川眞人氏が発明した。このようなさまざまな基礎技術を日本人は発明し、製品化してきたのである。

 これだけの技術があれば、日本はこれから何倍でも経済的に豊かになれるだろう。何倍でも豊かになるということを前提に考えれば、年金問題などへの考え方も変わってくるだろう。むしろ技術という宝を、易々と外国に売り渡さずに、日本の利益になるような戦略を考えるのが重要なのである。産業界も政界も、この変化をどのようにしてうまく導いていくか、きわめて重要な局面なのである。(中略)

ガソリン自動車をつくる体制のままで電気自動車にシフトするのは無理がある。作り方も違うし、部品の集め方も違う。さらに売り方も違ってくるはずだからだ。だが、クレイトン・クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』という本によると、既存の産業が自ら、原理の異なるいわゆる破壊的な技術を取り入れるのは非常に難しい。

 これを打開する唯一の方法は、クリステンセンも述べているように別組織をつくることである。思い切って別会社をつくることが、大自動車メーカーが生き残る有力な方法であろう。日本の企業が早くそのような決断をすれば、今後も世界一を維持できるだろう。技術の問題よりも、政策の問題、会社の方針の問題だと私は思っている。

 今後、電気自動車はどのように発展していくだろうか。世界中で電気自動車の研究者は1000人以上いるが、そのほとんどが部品の研究であり、電気自動車の車体をゼロから作り上げることを志向している研究室は、おそらく私のところだけである。というのも、ガソリン自動車の改造車なら数百万円レベルでできるが、ゼロからつくるとなると、桁が2つぐらい違ってくるからである。

 いままで私は幸いなことに、8台の電気自動車をつくることに関係してきた。電力会社や製鉄会社、住宅メーカーをはじめ、さまざまな会社との共同研究を進めさせていただけたし、国の予算でということもあった。それで「Eliica」にまでたどり着けたわけだ。

 だが、試作品ができたからといって、もう商品化が目の前だと思うことはできない。大事なことは、試作品から商品化へのいわゆる「死の谷」を越えることで、信頼性と耐久性と安全性とを担保できるような開発をし、試験していかなければならない。それには、試作車とはまた桁違いの費用が掛かる。

 そのような死の谷を越え、「Eliica」の延長線上の自動車を今後市販化できたらいいと思う。大勢で乗ってもポルシェ並みの加速が体験できるようなバスのような車をつくるのも面白いと思っているし、逆にスクーターほどのサイズで、高い走行性能と居住性を両立させた車をつくってみたいとも思っている。日本のいずれかの自動車メーカーとコラボレーションしながらやれればいいと思うのだが、なかなかメーカーが振り向いてくれず、残念ながら実現していない。

 電気自動車は2009年に三菱自動車と富士重工業から、2010年ごろに日産から販売されるという。そこで一気に景色が変わってくるかどうか。それは未知数である。過去にも1980年代と1990年代の2回、電気自動車を普及させようという動きがあった。その2回とも、少し売れてすぐに普及が止まった。1980代には排ガス規制とエネルギーショックの余波があって普及させる動きがあったが、ユーザーにとってコストパフォーマンスのいい乗り物でなかったので、尻切れトンボで終わった。1990年代には、カリフォルニアで販売する自動車の10%は電気自動車にしなくてはいけないというZEV(ゼロエミッションビークル)規制ができ、93年以降世界の各社から電気自動車が売り出された。しかし、その法律が結局施行されなかったのでブームが去った。

 90年代といまでは、基本コンポーネントが変わり、モーターにネオジウム鉄磁石が、そして電池にリチウムイオン電池が使われ、大幅に性能が上がっている。しかし、直近に販売が予定されている電気自動車は、割高であることと、距離があまり長く走れない点は解決していない。よくなった部分を評価するユーザーが増えて安定的な購買層となっていけば、普及していくだろうが、この値段でこの機能では無理だと思う人が多ければ、産業として成立しない。この半年で電気自動車の話題がたくさん聞かれるようにはなったが、それがどう作用するか。

 国の施策としては現在、電気自動車を買うときの補助金制度がある。これは今後も強化されるだろう。本来、いちばんいいのは、試作品から商品化への「死の谷」を越える費用を国が補助することだが、特定の会社のメリットになるようなことは政策上できないというのが、当面の公式回答である。(後略)


(私のコメント)
今起きている世界的な金融危機や地球温暖化問題は、根の部分では繋がっている問題であり、アメリカ発の金融危機はアメリカンスタイルの文明が破綻しつつあるから起きた出来事だ。大きな家に住み大きな庭と大きな自動車がアメリカ人の生活を支えていた。しかし石油の高騰はアメリカスタイルの生活を根本から破壊する出来事であり、去年の石油の高騰はその第一波に過ぎない。

広い家と広い庭と広い道路は豊かさの象徴ですが、買い物一つするにも車で出かけなければ出来ない。中世からの歴史があるヨーロッパなどでは五階建ての石造りのアパートと曲がりくねった細い道を通って市場や教会などに通う都市生活がありましたが、アメリカが生み出した石油と自動車の文明に圧倒されてヨーロッパからアメリカに覇権が移った。

21世紀はヨーロッパの復権も予想されていますが、地球温暖化問題はヨーロッパが一番熱心に取り組んでいる。しかし広く見ればヨーロッパも石油と自動車の文明であり、日本もその一員に加わって先進国としての豊かさを得る事が出来た。特に日本は石油の9割を中東からの供給に頼っており、巨大なタンカーが日本に石油を運んでいる。

しかしこのようなシステムは長くは続かないのであり、去年の石油の高騰はその前兆現象だ。アメリカやヨーロッパや日本などの地方においては自動車なしでの生活は出来なくなっており、ガソリン価格の高騰はパニックを引き起こした。これが金融危機が起きた原因の一つであり、400年に一度の文明の転換期が来ているのだ。

古代から中世にかけてはアジアや中東が一番繁栄した時代ですが、薪などが燃料になっていた。だから古代文明は赤道に近い大河の岸辺に出来たのであり、太陽と水が豊富な場所に文明は発生した。太陽と水が豊富なら薪も豊富に取れるから燃料も恵まれていた。ヨーロッパは寒村があるだけで中東のような豊かさは無かった。

ヨーロッパが本格的に豊かになったのは、大航海時代から石炭と蒸気機関が出来た産業革命以来であり、帆船から蒸気船によって海を支配してアジアからヨーロッパに覇権が移ってしまった。アジアには石炭はあったが蒸気機関を作る事が出来ず、産業も交通も遅れをとっていった。アジアで唯一近代化に成功したのは日本ですが自力で蒸気機関を作る事が出来たからだ。

さらに石油の大量発見によって、燃料と交通手段が飛躍的に進歩して、石油の豊富なアメリカが自動車や船や飛行機の活用によって世界的な大帝国となり、20世紀はアメリカの世紀と呼ばれるだろう。アメリカの最盛期は1971年の頃でありオイルショックやニクソンショックがその転機になった。そして2008年までは金融や情報産業で国力を維持してきた。

アメリカのイラク侵攻は石油を獲得する為の戦争ですが、それは最後の悪あがきであり国家の衰退を早めるだけになりそうだ。大銀行の倒産やアメリカを象徴するような自動車会社の倒産は「アメリカの時代の終わり」を象徴するものであり、欧米先進国による化石燃料による文明の黄昏だ。

次の文明はどのようなものになるかは分かりませんが、太陽エネルギーを一番上手く活用した国が世界の覇権を握る事になるだろう。しかしそれは先の話であり具体的な姿が見えていない。なにしろ去年になってアメリカ文明の終わりが始まったばかりであり、アメリカが化石燃料の文明から太陽エネルギーの文明に転換できれば、アメリカは再び世界の覇権を維持し続けるだろう。

しかしアメリカがそうなる為にはアメリカ人の生活スタイルを180度変えなければならず、ヨーロッパや日本との技術開発競争に勝たなければならない。アメリカは軍事力も巨大ですが石油が枯渇すればアメリカ自慢の原子力空母も航空機戦力も立ち枯れして、ソ連のように原子力潜水艦の解体費用も無くなり日本がその費用を負担する時が来るかもしれない。


化石燃料枯渇後展開する太陽エネルギ−による文明 正義とは何か、人類と未来

6-1 産業革命後発達した現代文明は消失する

産業革命後発達した文明の柱は科学で得られた知識と少量の労力で掘られ汲みあげられ、無尽蔵と考えていた化石燃料を使用する技術を結びつけたもので、より人力を省き,性能向上,快適,便利,速さと人類の領域拡大を追求し、果ては宇宙への進出まで手を広げてきた。

これらはすべて不可能となり、今後作る文明は太陽エネルギ−を広い平面で受け取り込む作業から生ずる。9000年前人類は太陽エネルギ−を農耕により穀物等として採ることに成功した。これが文明の始まりであったが、今度は加えて直接太陽エネルギ−を耕作の様な形で獲得し、生活を長期に豊かにする第二の文明を開くことが出来る。

太陽光のエネルギ−で水素等を作り現在の文明を続けることは可能であるが貴重な太陽光をどこに配分するかが問題になる。化石燃料は濡れ手に粟を掴むように簡単に得られたので使い放題であった。太陽光は量があっても手にするまで労力がかかるので、生活の快楽に使用することは少なくなり生存の為優先度が重要視され倫理上の検討も必要となろう。創るべき豊かさとは何かが問われるだろう。従って今まで得られた科学はそのまま存続し知の追求は何処までも行われるが、これまで作られた物質文明は自然崩壊する。

6-2 現代の軍事力が消滅する

利害の対立と争いは今後も消滅しないが、第一次,第二次大戦やボスニア,ユ−ゴ-スラビア,アフガニスタン,イラクで行われた様な大規模な軍事行動は不可能になる。銃,砲,火薬の発明は産業革命後規模が大きくなりヨ−ロッパは疲れ果て、相争うのを忌むようになった。

アメリカは今唯一つの超大国として思いのままやれるようでも、そう事が運ばない。一つの方法,一つの勢力で世界を占めるのはかえって不安定で、世界は常に多様性を要求し其の中から安定した形が選ばれる。

現在の軍事力の基礎になる兵器はすべて化石燃料により鉱石採取,精錬,加工の工程が行われ、使用もまた化石燃料で運用される。関連して使用される車両その他兵器関連ばかりでなく、軍事力行使の大きなシステムなどに全て化石燃料が必要でありその量の差で勝敗が決まる。化石燃料が枯渇したら現代の軍事力は消滅する。

中でも最大の消滅は核兵器である。化石燃料なくして核は製造維持出来ないし、やっと作ってもミサイルを作るのにも発射するにもまた化石燃料が要る。勿論太陽エネルギ−をもとに核, ミサイルを作り発射可能であるが、核で守るべき社会の変質が大きく、化石燃料で行うより遥かに高いコストの核など意味がなくなる。航空機,ミサイル,戦車,火砲など戦争兵器に太陽エネルギ−をつぎ込んで作ることも、核と同じく中止するであろう。日常の市民生活を維持するのに手いっぱいでそこまで手を回せない。

6-3 新しい文明が要求される

社会生活 太陽光をエネルギ−として取り出すには石油,天然ガスを地下から取り出すより手数のかかる仕事が必要である。太陽光を先ず電力に変換し、場合により液体燃料,固形燃料にするには同じエネルギ−を石油,天然ガスで得るより遥かにコストがかかる。プラスチックに至っては恐ろしく高いものになるだろう。交通機関の高速,快適にも疑問が向けられ、生活の利便さに大変な労苦を投じて得たヱネルギ−をどこまで投入するか検討し、新しい合理的な豊かさを追求する事になろう。想定はし難いが高速移動,自家用車などは激減しネット社会はより充実し交流は緊密になるであろう。冷暖房は衰えることなく、農耕機械,肥料にも惜しみなくエネルギ−が使用される。

人が生存する為より直接影響する方面に充分使われ、便利とかただ快適だけでは使われないと思う。

国家間の関係変化 太陽光は両極に近づくほど弱く、赤道に近いほど強い。砂漠地域は太陽光採取に最適である。

以上の事実は太陽光を地球上でエネルギ−化しようとすれば、従来の国際関係では困難で新しい取り組みを必要とする。



(私のコメント)
このように未来の文明は太陽光と水が豊かなアジアに文明の中心が移るだろう。ヨーロッパは化石燃料で文明を築いたが太陽光に恵まれていない。アメリカや中国は広い国土を持っているが内陸部には水が無く砂漠化が進んで広大な国土が生かせないだろう。日本は太陽エネルギーが豊富であり水も豊富だ。海岸線も長く領海も広い。

ゴールドマンサックスは中国やインドやロシアやブラジルなどを新興国としてあげているが、いずれも大陸国でありアメリカ型の文明には向いているが太陽エネルギー文明に向いているだろうか? 沿岸部はいいが内陸部は河が無ければ水も無く水素も酸素も作れない。むしろ日本から台湾やフィリピンやインドネシアにいたる海洋アジアが世界文明の中心になるのではないだろうか? そこは太陽も水も豊富な地域だからだ。




中国の2008年10〜12月の成長率は2.4%増となっています。
中国もまたかなりのスローダウンとなっていることが分かります。


2009年5月8日 金曜日

有望な前途を台無しにしたタイの致命的欠陥 5月08日 Financial Times

英エコノミスト誌は1995年、タイが2020年までに世界第8位の経済大国になると予想した。

 今ではやや楽観的――と言うべきだろう――に見えるその予想が出されたのは、タイが10年間にわたって年率8.4%という猛烈な勢いで拡大し続け、中国さえをも凌いで、世界で最も急成長を遂げる経済だった時のことだ。古き良き時代だった。

 アジア金融危機後の10年間――バーツの切り下げに始まり、タクシン・チナワット元首相を失脚させた2006年のクーデターで終わった――は、それほど生易しいものではなかった。

活力を取り戻せないタイ経済

 不用意にも18カ月間でGDP(国内総生産)の15%を失った1997年の通貨切り下げからは立ち直ったものの、タイ経済が以前の活力を取り戻すことは二度となかった。タイの経済成長率は、まずまずの水準ではあるが社会を変革させるには足りない年4〜5%程度をうろうろしていた。

 今年は5%程度、経済が縮小する見込みだ。この点に関しては、確かにタイに限ったことではない。それでも、なぜタイはその潜在能力をフルに発揮できなかったのか、問うて然るべきだろう。

 かつて、少なくとも興奮しやすい人々の間では、ハイテクの台湾と並び称されたタイは、今では往々にして、手のかかるフィリピンと同じグループに入れられる。世界第8位の経済大国――現在この地位はタイの6倍近い経済規模を持つスペインが占めている――に迫るどころか、33位に低迷している。

 国民1人当たりで見ると、その足取りはさらに重く、極々凡庸な78位まで低下する。国民1人当たりの所得が2000ドル前後のインドネシアなどは上回るものの、台湾の1万7000ドルを大幅に下回る3851ドルしかないのである。

 その苦しみをさらに大きくしている――あるいはその苦しみを説明する助けになると言える――のは、タイが一見したところ解決困難な政治的危機にはまり込んでいることだ。

深刻な政治危機

4月にはタクシン派支持者たちの大規模デモで、ASEANの首脳会議が全面中止に追い込まれた〔AFPBB News〕
 長年クーデターとクーデターに対抗する歴史を繰り返してきたタイだが、それでもここ何年間かは、何とか政治的安定に近い状態を維持していた。

 それが今は、かつて選挙権を剥奪されていた農村部の貧困層が、今もまだ「野蛮人」が門から入ってくるのを認める気がないバンコクのエリート層が支配する政府体制の中で発言権を求めるという大きな落とし穴にはまり込んでいる。

 こうした膠着状態が、既に不安定な国内外の投資家の信頼を損なってきた。

 タイは4月、東南アジア諸国連合(ASEAN)会議に出席しようとしていた当惑顔の各国指導者に、政治的混乱を露呈した。鮮やかな色のシャツを着た、暴徒化したタクシン派支持者が会場に乱入した後、サミットは中止され、中国の温家宝首相らは避難を余儀なくされた。

 その後バンコク市街で起きた衝突では、少なくとも2人が死亡した。2007年に表向き民主主義が正常な状態に戻ってから3人目の首相となるアピシット・ウェチャチワ氏を乗せた車は、首相が非常事態を宣言した後に攻撃を受けた。

アピシット首相は4月下旬、本紙(英フィナンシャル・タイムズ)とのインタビューで、感心するほど控えめな表現で、「我々には立ち向かわなければならない大きな課題がいくつかある」と語った。

 タイがかつて予想されていたように繁栄できなかった理由の1つは、その成長が思ったよりも弱い基盤の上に築かれていたことだ。

思ったより弱い基盤の上に築かれていた経済

 1950年代には米国の支援やコメとタピオカの輸出に基づいた経済だったものが、1980年代半ばの円切り上げ後に海外に拠点を求めていた日本の資本に後押しされる経済へと発展を遂げた。日本企業は資金をつぎ込み、自動車をはじめとした産業基盤を築いた。それは、どのようなものであれ、今もタイが享受する経済的成功の中核を担うものだ。

 1980年代から1990年代初頭にかけては、地元の起業家たちが、力をつけた地元銀行システムから資金提供を受け、昔からのコネを利用して、時流に乗って台頭した。

 政治状況は常に混乱を極めていた。1932年に絶対君主制が終焉してから、18回のクーデターが試みられ、そのうち11回が成功した。だが、パトラ証券のエコノミスト、スパウット・サイチュア氏によると、大部分の期間において、君主、軍部、貴族、官僚の間で不安定な均衡が保たれていた。

 タイが輩出した企業に真に世界クラスと呼べるものはほとんどない。タイはおしなべて、外資から資金提供を受け、外国の専門技術によって発展する、いわば「レンティア経済」のままだった。

 もちろん、当時はそれが時代の潮流だった。1991年には、世界銀行と国際通貨基金(IMF)がタイで年次会議を開催し、タイの開かれた経済と自由主義的改革の証しとなった。それで、タイはすっかりのぼせ上がってしまった。1993年には徹底的に改革を推し進め、資本取引を自由化し、1997年のバーツ暴落で幕を閉じることになった、壊滅的な外貨建ての過剰借り入れに道を開いた。

 その通貨危機が、パースック・ポンパイチット氏とクリス・ベーカー氏がその著書『Thailand’s Boom and Bust』の中で、「タイの(外貨債務を抱えた)資本家層の斬首」と呼ぶ状態につながったのである。

見えない将来展望

 タイが大量斬首から立ち直ることは二度となかった。現在、銀行の企業向け融資は1990年代の水準の3分の2に減少している。経済はより外需依存度の高いものになり、これが、消費者が不安を抱く世界でタイの足を引っ張る重荷になっている。GDP比で見た貿易の割合は、1997年の80%から150%に増加している。

 タイの起業家層が破壊されたことで、通貨危機を生き延びた数少ない資本家の1人であるタクシン氏のために道が開かれた。タクシン氏は、電話事業の独占によって築いた自らの富を政治資本に変え、新たに権利を与えられた農村貧困層の投票によって政権を奪取した。

 タクシン氏の首相当選とその後の言動は、それまで権力を分かち合うことなど考えもしなかったバンコクのエリート層にとってやり過ぎであることがはっきりした。彼らの不満は、ついに2006年のクーデターで噴出した。


 このクーデターは、タイを転落前の微笑みの国に戻す試みだった。だが、後戻りはできない。かといって、どのようにすればタイが前進できるかも、残念ながらまだはっきりしないのである。


“逆デカップリング”に苦しむアジア 5月7日 日経ビジネスオンライン

世界的な金融危機で欧米の経済は大きな打撃を受けています。金融危機が起きた当初、アジア経済の行方については2つの考え方がありました。

「デカップリング」でも「リカップリング」でもなかった

 1つは「デカップリング論」です。これは、欧米は打撃を受けてもアジアは相対的に高い成長を続けるだろうというものです。2008年前半頃までは、欧米経済がスローダウンする中で、依然としてアジア地域は比較的高い成長を続けていたので、このデカップリング論には説得力がありました。

 もう1つは「リカップリング論」です。これは、欧米経済のスローダウンはアジアにも影響し、世界的に成長が鈍化するという考え方です。確かに、アジア地域の成長の源泉は欧米への輸出です。欧米経済がスローダウンすればアジアの輸出も鈍化し、やがてはアジア経済がスローダウンするのは避けられないという議論もなるほどと思わせるものがありました。

 では、現実はどうなったでしょうか。アジア地域の2008年10〜12月のGDP(国内総生産)成長率を、季節調整値の前期比年率で見てみると、日本が12.1%減、タイ20.9%減、台湾18.9%減、韓国18.8%減、シンガポール16.4%減でした。一方、震源地である欧米の10〜12月期の成長率は、米国が6.3%減、ユーロ圏は6.2%減でした。

図1 GDP成長率の推移(%)

      2006年 2007年 2008年 2008年                2009年
                      1-3月  4-6月  7-9月  10-12月 1-3月
米国     2.8    2.0    1.1    0.9    2.8  ▲ 0.5  ▲ 6.3  ▲ 6.1
ユーロ圏  3.0    2.7     0.7    2.6  ▲1.0  ▲1.0   ▲6.2    -
日本     2.0    2.4   ▲ 0.6   1.4  ▲ 4.5 ▲ 1.4  ▲ 12.1    -
韓国     5.2    5.1     2.2   4.4    1.7   1.0  ▲ 18.8   0.2
シンガポル 8.4    7.8     1.1   12.2 ▲ 7.7  ▲ 2.1 ▲ 16.4 ▲ 19.7
台湾     4.8    5.7     0.1   2.9  ▲ 2.4 ▲ 12.4 ▲ 18.9    -
タイ      5.2    4.9     2.6   5.4    0.4   0.7  ▲ 20.9   -
中国     11.6   13.0     9.0   9.6   10.4   5.2    2.4   6.2

資料出所:米国商務省、日経FinancialQUEST他
(注)四半期の成長率は、季節調整済み前期比年率。タイ、台湾は筆者が季節調整。中国は岡田恵子法政大学教授試算による。

 つまり、2008年の10月以降(つまりリーマンショック以後)現実に生じたことは、「欧米は落ち込むがアジアは元気」というデカップリングでも、「アジアも欧米並みに落ち込む」というリカップリングでもなく、「欧米以上にアジアが落ち込む」という想定外の現象だったのです。我々はこれを「逆デカップリング」と呼ぶことにします。

公式統計からは分からない中国の「本当の」成長率

 激しく落ち込んだアジア経済の中で、中国は、前年同期比では2008年10〜12月6.8%増、2009年1〜3月6.1%増と、減速したとはいっても相対的には高めの成長を続けているように見えます。しかし、これは前年同期比ですから、前述の前期比と比較することはできません。中国についても季節調整済み値の前期比年率成長率を知りたいのですが、中国の公式統計ではこれが公表されていません。そこで、法政大学大学院の岡田恵子教授が独自の方法で季節調整済み前期比年率を試算しました。

 これによると、中国の2008年10〜12月の成長率は2.4%増となっています。中国もまたかなりのスローダウンとなっていることが分かります(同じ方法で2009年1〜3月の前期比を計算すると6.2%増となり改善しています)。

 しかし、よく考えてみると、震源地の欧米よりも、その影響を受けたアジア地域の方が大きな落ち込みを示すという逆デカップリング現象が起きるのは不思議な気がします。デカップリングかリカップリングしか想定されていなかったのは、誰も逆デカップリングのような現象が起きるとは想像していなかったからでしょう。

 ところが世の中の多くの人は、これを不思議だとは思っていないようです。これは、「アジア経済はこれまで輸出依存型で成長してきたが、欧米の経済停滞によってその輸出が低迷しているので、大きく落ち込んでいるのだ」という説明に納得しているからだと思われます。 (後略)


(私のコメント)
ニュースなどでは日本経済の落ち込みが先進国中最大だと報じていますが、もっと落ち込んでいるのはタイや台湾や韓国やシンガポールである事はあまり報じてはいない。中国の経済もマスコミは6,1%に減速と報じていますが、これは前年度比であって他の国のような前期比ではない。これを前期比に直せば2,4%の増加に留まる。

中国は二桁成長から2,4%成長だから落ち込み幅はアメリカよりも大きい。タイや台湾や韓国やシンガポールは20%近い落ち込みであり、アメリカ市場への輸出の低下がもろに景気に響いている。日本も同じような傾向であり12%の落ち込みだ。アメリカや中国は巨大国家だから国内市場が大きくて輸出入の影響が小さく出るのでしょう。

フィナンシャルタイムズ紙の記事によれば、「タイが輩出した企業に真に世界クラスと呼べるものはほとんどない。タイはおしなべて、外資から資金提供を受け、外国の専門技術によって発展する、いわば「レンティア経済」のままだった。」と書いていますが、これは中国の経済体質と良く似ている。タイで国際的な企業といっても思いつく企業が無いように、中国にも世界的なブランド品メーカーは少ない。

タイは去年のクーデター騒ぎのように政治的な不安が付きまとっている。首都のバンコクの豊かさと農村部の生活格差が酷くて、都会の支持政党と農村の支持政党とが対立している。中国も同じように沿岸部の大都市と奥地の農村部との生活格差が酷くなって、景気の落ち込みで農村部は出稼ぎの収入が無くなって帰郷者が数千万人にもなっている。タイのようなデモが大都会で起きないのは独裁国家だからであり、農村部の暴動は激増している。

タイの経済高度成長はフィナンシャル・タイムズ紙にも書かれているように「1980年代半ばの円切り上げ後に海外に拠点を求めていた日本の資本に後押しされる経済へと発展を遂げた。日本企業は資金をつぎ込み、自動車をはじめとした産業基盤を築いた。それは、どのようなものであれ、今もタイが享受する経済的成功の中核を担うものだ。」と書いているように自立的なものではなく、日本からの投資によるものだ。

中国も同じであり、日本からの中国への進出企業は2万社にも及び、タイ経済がぱっとしなくなってしまったのはタイからベトナムや中国へ工場などを移転してしまったせいだろう。97年のアジア金融危機でタイのバーツは暴落しましたがなかなか経済競争力は取り戻せなかったようだ。

タイは韓国や台湾のように、ある程度の技術力が付いてブランド企業が育っていれば、韓国の自動車産業や台湾の電子産業のように世界輸出で大きく伸びられたのでしょうが、自動車産業も電子産業もぱっとしない。韓国や台湾な日本の技術者を週末に呼び寄せて技術習得も出来ますが、タイだと少し遠いので週末の技術者の出張は難しいのかもしれない。

中国は韓国や台湾のような地理的な優位さがあるので、日本の技術者を呼び寄せて国際的なブランド企業を育てることは可能だろう。タイの一人当たりの国民所得は3800ドルであり、中国は3000ドルを超えてきたからほぼ同じレベルにある。中国が台湾や韓国のように一人当たりの所得が1万ドルを越えるには自立した経済が育つかどうかですが、人口が13億人だから台湾や韓国のようなわけには行かないだろう。

タイは経済危機後の経済成長は、4〜5%のぱっとしない経済成長なのは日本からの投資や技術移転が中国などに取られてしまっているからだろう。中国が経済が大きく落ち込んだ後で高度成長が取り戻させるかどうかは日本からの投資や技術移転が続いていけるかどうかですが、アメリカの市場が冷え込んだままだと輸出も落ち込むから難しいだろう。

日本自身もアメリカやヨーロッパ市場が回復して輸出が回復しなければ日本とアジア諸国との国際分業も上手く行かなくなる。中国や韓国や台湾の輸出企業が落ち込めば日本からの素材や部品輸出も落ち込むから日本はダブルパンチだ。中国に進出した企業も中国国内の市場に切り替えが出来ればいいが、欧米市場向けの商品と中国国内向けの商品とは大きく異なる。

タイとシンガポールは経済において大きく差がついてしまいましたが、シンガポールは一人当たりの所得が日本を上回るほどの経済所長を続けてきた。シンガポールで出来た事がタイでなぜ出来なかったのだろうか? その違いは多くの農民がいるかどうかだ。シンガポールは都市だけの国であり農業は自立していない。だから思い切った経済政策が出来るのであり農業の育成はしなくて済む。

日本も農業の近代化には失敗しており、多くの補助金がないと農家の維持が出来ない。どうしても都市との所得格差が出来るから、地方に対する補助金でカネが使われてシンガポールのような都市集中型経済が出来ない。中国や台湾や韓国も農業の近代化は難しいだろう。日本がこれからアジアに期待できる輸出商品は農産物であり、だから減反政策を廃止して米や果実を輸出商品にする事が出来れば日本の地方の活性化が出来るだろう。




日本で派遣労働者に作らせるより、ベテランが現地で指導し、向上心
のある現地人労働者が作ったメイドイン途上国の方が遙かにまし。


2009年5月7日 木曜日

キャノンの黄昏 5月5日 大石英司

東洋経済は、実はこのメインの特集よりも、第2特集とタイトルされた【国内生産 キヤノンの黄昏】が面白かった。

 これは、かつてアジア生産に移行したものを国内生産に戻してトラブルを続出させている(デジ一眼の)キヤノンと、タイでの生産で問題無く回しているニコンを対比させた面白い記事なんですよ。

 私は全然知らなかったのですが、最近キヤノンのデジ一眼のトラブルが多いらしくて、5Dで、ミラー脱落なんていうとんでもないトラブルも起こっていたらしい。たとえば「クリーン・ルームがクリーンルームで無い」実態がレポートされている。

 作業者は全くマスクをしていない。請負労働者が、「他社からキヤノンに来て驚いたのはクリーンルームの汚さ」と証言するんですよ。蛍光灯で大気中に舞っているゴミが浮かび上がる。

 ホコリが舞うクリーンルームなんてのは、そもそもクリーンルームで無いでしょう。

 しかも、製造過程で不具合が発見されると、キヤノン側と請負側が責任を譲らずに双方グレーンゾーンのまま「通してしまう」。つまり、そのまま出荷してしまうこともあるらしい。これは全て大分工場での話です。

 なぜこういうことが起こっているのか? まさに請負の問題で、キヤノンは一切指示できないんですよ。もし工場内のことに口出しすると、それは偽装請負ということになるから、全ては、請負会社に任せてある。つまり、東南アジアの何処かの途上国に任せるより遙かに無責任な体制の元で、世界最高レベルが求められる電子部品が生産されている。

 ちなみに私が去年買った40Dは、珍しく製品不具合は無いんだけど、シャッターを押した瞬間に振動が発生するみたいな話があるらしいですね。KISS Nでは画像消失、1Dなんていうフラッグシップモデルですら、AFやミラーの不具合が潰せずにいる。

 大分キヤノン関係者であれば誰でも知っている07年10月のボヤ事件というのがあって、突然ラインで火事が起こって消火器を噴霧する事態になった。安岐事業所のカメラ組み立てライン、当然クリーンルームで起こった事故で、そこでは、カメラ外装のプラスチックの傷を隠すために、工員がライターで炙っていたと(^_^;)…‥。その方法が非公式に工員の間で共有されていたらしい。それが揮発性のガスに引火した。

 クリーンルームでライターってそれ何だよ、とひっくり返るようなお話ですが。この記事を読んだ後では、これはもうキヤノンなんてとても買えないですよ。ベテランが現地で指導し、向上心のある現地人労働者が作ったメイドイン途上国の方が遙かにまし。



キャノンとニコン 5月6日 大石英司

昨日のキヤノンの話ですが、ちょっと皮肉なのは、ニコンにしてもキヤノンにしても、事実上デジ一眼のマーケットでは二台巨頭として仲良くシェアを分け合ってきたライバルですよね。そこでは、別に過当競争をする必要は本当は無いはず。寡占ビジネスなのだから。そこですらが、熾烈なコスト競争を強いられているという現実がある。

 それでキヤノンが抱えることになった製品クオリティの問題は、雇用の問題ではあるけれど、実は必ずしも終身雇用の問題では無いんですよね。あくまでも労働法に於ける偽装請負の問題で生じたことです。

 これが偽装請負か否かというのは、面白い議論になるだろうと思うけれど、実態は偽装請負でしかないと私は思います。そらキヤノンの工場で、キヤノンの仕様書に基づいて製品を組み立てているわけですから。でも直接指導すると、いずれ正社員として雇用しなきゃならないから、法律の抜け道を通って「請負」関係に過ぎないことを証明するために、製品クオリティが低下することを覚悟で偽装請負を続けていたw。

 他方、ニコンは、クオリティは落とせない、法律も守る。別に社長が経団連の会長やっているわけでもないから、海外へ逃げても叩かれない。コストを下げ、製品クオリティもキープできる自信を持って海外へ出て行ったわけでしょう。

 ある意味、これは究極の選択ですよね。消費者としてのわれわれは、クオリティさえ維持して貰えれば良いわけで、ニコンで構わないし、クオリティも下がり偽装請負で叩かれまくったキヤノンの在り方は最低としか言いようがないけれど、じゃあニコン様万歳! と言えるか? といえば、決してそんなことも言えない。

 終身雇用でもない正社員でもない労働者を切ったキヤノンが袋だたきに遭ったことで、経営的な判断としては、当然今後は海外へ出て行く、ということになるんでしょう。その時に、しかしとにもかくにも雇用の場を提供していたキヤノンはやっぱり立派だったんだ…‥、なんてことは今の日本社会ではなかなか言えない。

 ここしばらく池田信夫氏が、終身雇用のまやかしに関してブログで書いてらっしゃいますが、私は、終身雇用はそんなに悪いものじゃないと思っています。それが日本企業の強みであったことは間違いないし。労働者にとって、終身雇用=社畜かというと、それはそれで疑問です。欧米の年俸制や出来高払いのエリートの仕事は凄まじいですよ。毎日4時には起きて、6時にはマイカーに乗って、ブラックベリー打ちながら運転して夜中まで仕事している。その実態は社畜とたいして変わらないでしょう。

 正規雇用の在り方はこれは見直すべきだという部分で、私は池田先生の考えを全面的に支持しますが。

 キヤノンの件に関して言えば、もっと緩やかな正規雇用の形態があれば解決する話なんですよね。キヤノンは、明らかにへまをしでかした。けれどニコンの方式をそう褒められもできない所が辛いですよね。



大分キヤノン:解雇者の解決金、1億円 請負側と折半合意 4月27日 毎日新聞

大分キヤノン(大分県国東市)の人員削減で、請負会社「日研総業」(東京都)から解雇された元社員らでつくる日研総業ユニオン大分キヤノン分会(加藤州平分会長、7人)は26日、日研総業が解雇者約700人全員に解決金を支払い、その経費約2億円のうち1億円はキヤノン側が負担することで合意したと発表した。4月末に支払われるという。

 日研総業を含めて請負会社は8社あり、人員削減数は昨年12月の見込みで約1100人。今回の決定は各社に影響を与える可能性もある。分会を支援する小谷野毅・ガテン系連帯事務局長は「発注企業が雇用責任を認めたのは画期的。これを法制度につなげたい」と話した。

 キヤノン広報部は「当社に発注責任はあり、請負会社に雇用と住居面の配慮をお願いしてきたのは事実。しかし、請負会社と労働者との合意事項についてコメントする立場にはない」としている。【梅山崇】



(私のコメント)
「株式日記」では製造業などの派遣労働には反対してきましたが、派遣労働にしても偽装請負にしても人件費を切るつめるには都合がいい制度だが、それに伴って弊害も多い事を指摘して反対してきた。派遣労働といっても登録型派遣と常用方派遣の二通りありますが、登録型派遣は派遣先が見つかった時のみ契約される派遣契約であり雇用が不安定になる。

製造業などに派遣労働が認められれば、企業にとっても生産調整がしやすくなり、正社員よりも人件費が安く抑える事が出来る。偽装請負も形態としては同じであり派遣会社と請負会社の違いに過ぎない。労働問題が起きても派遣会社や請負会社の問題であり責任を回避する事が出来る。企業にとってはいい事だらけのように思える。

去年の暮れから今年の初めにかけて派遣切りなどが社会問題化しましたが、登録派遣は派遣先から契約が切られると派遣会社の登録も打ち切られるから、失業保険や健康保険も無くなって路頭に迷う事になる。キヤノンやトヨタなどそれで世論から袋叩きにあったのですが、悪いのは製造業に派遣労働を認めた小泉・竹中内閣であり、法案成立の時に十分な審議が行なわれたのだろうか?

大石氏のブログにもあるように、キヤノンの生産現場が酷い状態になっているようだ。クリールームなのに埃が舞っているような工場というのは本当なのだろうか? 工場で働いている人はキヤノンの社員ではなく請け負い労働者だから工場にトラブルがあってもどちらに責任があるのか分からない情況が出来る事になる。

工場内で問題が生じても管理者は従業員には直接指示は出来ないから、曖昧な処置で問題を通してしまう。このような工場では不良品や欠陥品が出るのは当然であり、キヤノンのデジタル一眼レフカメラには欠陥が多いようだ。高級一眼レフカメラがAFやミラーがトラブルなどしていたら使いものにならない。

デジタル一眼レフは以前は20万円以上もする高級品ばかりで手が出ませんでしたが、ニコンとキヤノンの寡占状態であり、それでもニコンはタイなどの海外に工場を移している。私自身は昔からカメラファンであり安物のカメラばかり5台から10台くらい持っていたこともありましたが、スナップ写真が多かったから最高級でもミノルタの一眼レフだった。

デジタルカメラと言えば9800円で買った安物でもズームレンズやフラッシュが付いているからそれで十分だった。しかしモデルさんなどを相手に写真を撮っているプロのカメラマンにすれば安物を使う訳には行かないから30万円もするキヤノンやニコンの高級一眼レフを使う事になる。

いい写真が撮れるかどうかはカメラよりもカメラマンの腕だと思うのですが、プロともなればデジタル高級一眼レフを持っていないとカッコがつかないからでしょう。しかしそんな高級カメラがAFがおかしかったりミラーがトラぶったりしたら話にならない。しかしデジタルカメラになって一番いいのはフイルムの心配をしなくてもよい事であり、私の場合フイルムが無くなるのが一番困った。

だからオリンパスのハーフサイズのカメラで72枚撮りを愛用していたのですが、デジタルカメラになってメモリー次第で何百枚でも撮れるのがありがたい。しかもプリントしないでパソコンで見られるから金もかからなくなった。ネットに使う写真なら9800円のデジタルカメラで十分すぎるほどの写真が撮れる。

だから私にとってはデジタル高級一眼レフは、ニコンがいいのかキヤノンがいいのかはどうでもいいことなのですが、大石氏のブログに書いてある事は本当なのだろうか? プラスチック部品に付いた傷をライターであぶっていたなどという事は考えられない事ですが、日本のもの作りのモラルはそこまで落ちてしまったのだろうか? 派遣社員や請負社員を使っていればそうなってしまうのかもしれない。

キヤノンとニコンの違いは企業文化の違いであり、もの作りに対する考え方の違いでもあるのだろう。プロカメラマンの評判から言えばニコンの方が良いのでありキヤノンのカメラは故障が多くて昔から使えないらしい。


Nikonが売れている 2009/03/27 ネットゲリラ

アサヒカメラのアンケートで、歴代カメラの人気投票をやったらキヤノンのカメラは現行のEOS-1Vが入っただけで、ベストスリーをNikinF3、NikinF6、NikinFで独占、4位がライカM3という結果だそうで、NikonはデジカメでもD700が7位と、キヤノンを上まわったというんだが、まぁ、しごく当然の結果だろうね。

そもそも、NikonFと同世代のカメラは、キヤノンに限らず、ほとんどがもう使えなくなっているわけだ。パーツがないので修理も出来ない。トプコンなんかシルクのような巻きあげとシャッターで名機だったんだが、アレは細かい修理ができないブロック交換方式なので、もう直せない。でも、Nikonだったら何とかしてくれる。まぁ、ライカも修理出来るんだが、修理代が高くて国産だったらもう一台買える値段なので、あまり比較にはならないね。

で、アサヒカメラの読者層というのがカメ爺とかカメ婆とか呼ばれる高年齢層で、年金暮らしで写真が趣味というような人が多いわけで、なかなか新しいカメラ買えないわけです。なので、いまだにフィルムカメラ使っている。Nikonのフラグシップは「壊れない」事では定評があって、おいらも散々お世話になったんだが、まぁ、壊れないです。ライカもそうだが、こういうメーカーのカメラは、「滅多に壊れないし、壊れても写る」というのが特徴だな。それに較べて、他のメーカーのカメラは「シャッターがちゃんと落ちるのに、写ってなかった」とか、「画面の半分が真っ黒」とか、「撮った写真がみんな後ろボケ」とか、現像して真っ青になるような壊れ方をする。みんな、おいら自身が経験した事です。現像してみるまで写ってるかどうか判らないフイルム時代に、そういう壊れ方をするキヤノンは、恐くて使えなかった。それでも、キヤノンを使っているプロは多かったんだけどね。

プロのカメラマンというのは、まぁ、その人のランクにもよるんだが、機材の無償貸し出しとか、タダで貰えるとか、そういう事があるわけだ。ミュージシャンもそうだね。ヤマハのギター使っているミュージシャンは多いんだが、ああいうのは手作り特注品で、素人さんが買うと50万〜100万くらいする。それをタダでくれるわけだ。カメラマンも同じで、タダでカメラ貰えます。で、むかし、キヤノンはニコンに追いつくために、やたら無料カメラを配って歩いていた時代があるわけだ。おいらにもタダでくれるという話があったんだが、「おいらにくれるような安物カメラは要らない」と断った覚えがある。誰だっけ? 「私を会員にするようなクラブには入らない」と言ったのは? たしか、バーナード・ショーかグルーチョ・マルクスだったような気がするんだが。タダでカメラ配るというのは、何もキヤノンだけじゃない、どこでもやってるんだが、ニコンが一番「渋い」です。はっきり言ってケチ。むかし、カメラ雑誌の投稿欄で「使用機種」というのを書くわけだが、ニコンはNikonと書いても何もくれないので、みんな使っていても他のカメラの名前を書いたりしたもんだ。

で、時代がデジタルになって、しばらくはキヤノンが勢い良かった。スペック的にもNikonは遅れを取っていて、おいらの買ったD70も外れで故障ばかりしていたんだが、気がついたらキヤノンはすっかりダメになって、今ではNikonの天下らしい。

もともとNikonというのは天下の三菱グループの軍需メーカーであり、軍需メーカーなので、やたら外注や下請けや海外に生産を出せない宿命を持っているわけですね。それに較べてキヤノンは早くから海外生産している。コストダウンにかけては、軍需メーカーは強くないです。それに、軍需だけでなくても、産業機器の生産も多い。特注品みたいのばかり作っているメーカーと、コンシューマーの安物ばかり作っているメーカーと、どうしても違う。Nikonのデジ一眼はソニーから買った撮像素子を使っているんだが、もちろん、自前で作る能力も持ってます。勘定が合わないから、自社製の撮像素子を使わないだけです。

で、コレはまだ誰も言ってないかも知れないんだが、こういうネット時代になると、Sonyやキヤノンみたいに「タイマーが入ってる」と囁かれるようなメーカーというのは、すぐに悪評がひろがるわけです。どっちのカメラが壊れやすいとか、何年で壊れるとか、すぐにバレてしまう。カネを貰って宣伝やってるマスコミが出来なかった正しい評価というのが、ちょっと調べるだけでボロボロ出てくるわけで、
多少、
問題あっても宣伝で売れれば良しという時代は終わった、という事ですね。まぁ、デジタル時代ではカメラの「耐久性」なんか、ほとんど気にしなくても構わないんだけどね。



(私のコメント)
これはカメラばかりの問題ではなく家電製品や自動車などの製造業でもいえることであり、派遣労働者や請負労働者を使って安かろう悪かろうの製品を作っていれば、日本で作ろうが海外で作ろうが同じなわけで、その企業に物作りを大切にする文化があるかどうかだ。トヨタなどもリコール問題など多発していますが、原因はキヤノンなどと同じだろう。

商売からすればキヤノンのカメラのように壊れたら買い換えさせるのが商売上いいのでしょうが、デジタル高級一眼レフカメラが最近では6万円ほどで買えるようになりましたが、安くても故障するカメラは使えない。自動車でも最近は韓国製や中国製の自動車が安さで売られていますが、数年経ったら故障ばかりでは安くても売れなくなるだろう。

今ではメイドインジャパンがひとつのブランドになって、野菜から自動車に至るまで信頼性が高まっているのですが、小泉・竹中内閣は日本の物作り文化を壊すために新自由主義と派遣労働などを取り入れたのかもしれない。確かに安くなければ売れないと言うのはありますが、そういうのは韓国や中国などに任せて、信頼性が求められるような製品は高くても売れるはずだ。

ソニーにしても昔は家電製品ではブランド商品だったのですが、外人社長になってから只の家電メーカーになってしまった。ソニーのテレビはブランド商品で高くても売れていましたが、今ではソニータイマーと呼ばれるほど壊れる商品を作っている。工場が海外にあるというよりも企業文化が昔とは変わってきてしまったのだろう。




蒋介石はなぜ終戦後に対日賠償金請求を放棄したのか? それは
日中戦争は中国側から戦争を仕掛けたことが明らかだったからだ。 


2009年5月6日 水曜日

日中戦争はドイツが仕組んだ」 阿羅健一:著


『秘史発掘「日中戦争はドイツが仕組んだ」副題:上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ 阿羅健一 著 小学館』を読む 2月20日  Ddogのプログレッシブな日々

本書は主に独逸軍事顧問団の中国との接近から、第二次上海事変における皇軍と国民党軍の死闘の様子、国民党軍の壊走と、顧問団の引き上げの経緯が克明に著されています。

私は大きな思い違いをしていたのだ、ナチス独逸は友好国ではなかったのだ!日独防共協定(S11/11/25)成立後の盧溝橋事件(S12/7/7)、第二次上海事変(S12/8/13〜11/30)においてドイツ軍事顧問団は、単なる軍事顧問ではなく、兵器の供給、作戦の立案から訓練、防御陣地の構築まで国民党軍を指導し、戦闘を指導し続けた。更に日本軍との戦闘に参加、戦死者までだしている。

独逸軍事顧問団の指導により構築された上海郊外の堅固な陣地は、トーチカとクリークに守られた民家を要塞化した防御陣地であった。更に優秀なドイツ製の最新兵器で武装し、顧問団に訓練を受けたた国民党軍精鋭部隊は手ごわく、第二次上海事変では日本軍は旅順攻略に匹敵する戦死傷者41,924名(旅順攻略戦59,408名)を出したのである。

記事は実際に掲載されなかったが、同盟通信の松本重治上海支社長(「日米同盟静かなる危機」に続きまた登場)が月刊誌「改造」に「上海の戦いは日独戦争である」と書いていた。

上海戦終結後も止まることの無いナチス独逸の二股外交、中国支援は続き、昭和12年11月6日、日独伊三国同盟締結は、なんと上海戦の最中であった!日独伊三国同盟軍事にもかかわらず、驚く事に日本軍の南京入城時(S12/12/13)国民党軍を指導していたのはドイツ軍事顧問団だったのである。

独逸軍事顧問団は日独伊三国同盟を推進したリッペンドロップが外相に就任し、昭和13年7月5日副総裁へスの再三の命令で漸く顧問団29名が引き上げる最後の日まで、戦争を指導し続けたのであった。それでも元ナチ突撃隊員シュテネン大尉など残った者までいた。

本書では意図的に皇軍の南京入城についての記述はさけているが、本書を読むことで永年の痞(つかえ)えが一つ取れたことがある。南京大虐殺のと呼ばれるプロパガンダ事件において、日本軍が残虐行為を行ったと証言するジョン・ラーベ(John H. D. Rabe, )は、日本の同盟国としての独逸の実業家として、日本軍の虐殺行為の中立的証言者であるかのような、虐殺肯定派は重宝がっているのだが。

ドイツは同盟国でも、中立国でもなく、日本と実質的に戦闘を行った中国軍の独逸軍事顧問団側の証言である。しかも、中国国民党軍を大得意客とする武器商人のシーメンス社の社員であり、南京ではナチス党員であることを公言していたことを考慮すると、ラーべの証言は客観性にかける偽証である可能性が高い。

なぜ、同盟国ドイツの民間人が同盟国である日本を貶める偽証をしたのか永年疑問であった。信長を除いて伝統的に虐殺を行わなかった日本の軍隊、当時の皇軍の規律を考えれば、虐殺は考えにくかったのだが、同盟国ドイツ人が証言したということは、皇軍が南京で市街戦を予防する為に便衣隊を処刑したことを誤解していたのではないかと思っていました。中国側のプロパガンダほどではないにしても、虐殺が行われたのではないかという疑問を持っていた。しかし、本書を読むことで漸く納得でき、永年の痞(つかえ)えが取れました。ただ、戦争ですから、便衣隊と誤認された一般市民も処刑された可能性は否定しません。

なお、本書で南京入城について記述が少ないかというと、著者、阿羅健一氏は、南京虐殺否定派の論客で、おそらく南京虐殺は史実として取り上げる必要もないと考えているのだろう。実に筋が通っている。

上海戦の国民党軍85万人のうち皇軍に旅順以来の多大な犠牲が出てはいたが、国民党軍85万人のうち戦死傷者333,500名と、精鋭部隊を致命的壊滅状態にまで追い込んだ日本軍の強さは異常であり、鉄壁の防御陣地を構築し、軍事訓練を重ねた独逸軍事顧問団ファルケンファウゼン将軍のプライドは踏みにじられた。彼らが執拗に同盟国の日本軍攻撃にこだわったのか、単なる経済的理由だけではなかったことが、容易に想像つく。

第一次世界大戦は日英同盟であった為、日本は独逸に宣戦し植民地としていた青島を攻めた。ベルサイユ条約でドイツの持っていた権益である南洋諸島、チンタオ山東省を日本が奪取した。独逸にとってアジア=中国であり、日本=敵対国家であり続けたのである。

ソ連の重化学を独逸が指導する代わりに独逸に航空機と戦車の訓練場を提供するラパロ秘密協定を結んだり、民間航空会社ルフトハンザを設立しパイロットを養成したり、あの手この手で連合国の目を欺いてベルサイユ条約以降独逸軍を再建したのはハンス・フォン・ゼークト将軍であった。

ライバル、ヒンデンブルグが大統領となると、ゼークト将軍は辞任を迫られ中国国民党の軍事顧問団となったのである。


日本を引き込み、長期戦に持ち込む ドイツ顧問団は日本軍との戦いも指導することになる。 昭和七(1932)年1月、第一次上海事変が勃発した。戦いの後半、中国軍はヴェッツェル中将ら軍事顧問団が訓練していた第87師と第88師を投入してきた。直接ではないけれど、これが日本軍との戦いにドイツ顧問団がかかわった初めである。 昭和八年三月、日本の熱河作戦は万里の長城を挟んだ戦いとなった。このときヴェッツェル中将は中国軍の指揮を執った。

ヴェッツェル中将がかかわったのは戦術だけであったが、続くゼークト大将とファルケンハウゼン中将は戦争指導にまでかかわるようになっていた。しかも、対日敵視政策、対日強硬策を自ら進言しだしたのだ。

「日本に対して中国が強くなるためには武器も必要であろうし、飛行機も必要であろう。けれども自分がドイツにおける国防軍を編制し、国防軍を動かした経験からするならば、今最も中国がやらねばならぬことは、中国の軍隊に対して日本に対する敵愾心を養うことだ」中国軍の強化策を蒋介石から問われたゼークトはこのように答えた。

この考えは、蒋介石だけでなく中国の軍人の思想を貫き、それが核となり、やがて中国人全体の反日感情となっていった。秘密警察組織である藍衣社が特別な力を持つようになったのも、ゼークトの献言による日本敵視政策を取り入れるようになってからである。

地網を構築する、といった具体的準備も献策した。 このころファルケンハウゼンは、北支での戦いを主な対日戦と考えており、中国軍が近代戦に適応できないことを認めると共に、長期戦に持ちこむためには中国政府の抗日姿勢が大切だ、と説いている。

1935年10月1日には、漢口と上海にある租界の日本軍を奇襲して主導権を握るように進 言していた。漢口と上海の租界では日本の海軍特別陸戦隊が邦人の保護のため駐屯しており、この日本軍を奇襲しようというのである。日独防共協定締結の約一年前にドイツ人が中国にこの様に献策していたのだ。

ファルケンハウゼンは中国の敵を、日本が第一、共産党を第二と考え、日本軍を叩く過程において中国軍が勝利を収めていけば共産党を消滅させえると予測していた。しかし蒋介石は安内攘外であり、主要な敵は誰であるかという基本が違っていた。ファルケンハウゼンの進言を受けて蒋介石は何応欽軍政部長と相談するが、何応欽も、直ちに日本と戦うというファルケンハウゼンの考えに反対だった。

「ファルケンハウゼン中将の熱心さはわかるが、外人顧問は外人顧問であり、無責任な存在にとどまる。国運をゆだねるべき相手ではない」何応欽はこう指摘した。 しかし、ファルケンハウゼンの対日戦の進言は執拗に続けられた。

昭和11年(1936)4月1日になると、今こそ対日戦に踏み切るべきだ、と蒋介石に進言する。 「ヨーロッパに第二次世界大戦の火の手が上がって英米の手がふさがらないうちに、対日戦争に踏み切るべきだ」 (後略)


【特別掲載】「バカ右翼」と官僚が反日プロパガンダを助けている/兵頭 二十八

●蘆溝橋開戦説そのものがシナの宣伝

 蘆溝橋で最初の一発をどちらが撃ったのか、という「敵」の設けた論点に、日本の現代史家は夢中になっている。

 1937年7月の蘆溝橋事件が支那事変の始まりである、と言い始めたのは蒋介石の宣伝チームであった。1941年に日本が米国に対して動員先制開戦し、その後、米国が同盟者となった蒋介石の宣伝に同意したことで、これが定説になる。

 蘆溝橋の衝突とは、よくある国境警備隊同士の銃撃戦にすぎない。日支両軍に「動員先制開戦」の痕跡はない。参謀本部による開戦プログラムが走っていないのだ。このような小競り合いは、今日も世界中の国境で起きている群小イベントである。パリ不戦条約は、国境警備軍同士の衝突を「戦争」だとは想定していないのだ。

 たとえば1979年2月のシナ軍によるベトナム侵攻の前から、シナとベトナムの国境では、散発的な銃撃や砲撃は日常化していた。ただし参本の開戦プログラムを走らせ、動員先制開戦をしたのはシナであり、ベトナムではなかった。だから1979年の侵略者はシナ以外にないのだ。

 同様に1937年の侵略者も、8月13日にドイツ軍事顧問団が書いた開戦プログラムに基づいて数十万の将兵を動員・展開して上海の日本租界を殲滅するための一斉攻撃を仕掛けた蒋介石のシナ正規軍に他ならない。支那事変はこの8月13 日から始まる。やはり上海に租界を維持し、シナ空軍の盲爆によって13日に死者を出している米国も、この事態を正確に知っていた。ただし彼らは、極東でのトラブルに巻き込まれる面倒を厭い、わざわざ日本人の肩を持つようなマネもしなかった。だからその国際宣伝は、一義的にまず日本政府自身がせねばならない仕事であった。ところが日本政府はそこでほとんど「宣伝責任」を果たさなかったのである。

 日本政府は、無法な侵略に反応して内地から邦人救出のための部隊を急派し、杭州湾に上陸し、血に飢えた侵略軍を撃退し、南京まで追いかけて蒋介石を膺懲せんとした。

 このとき派遣軍の参謀たちが、捕虜にしたシナ兵を裁判によらずに銃殺することを部隊に敢えて禁じなかった。そして戦後に、1万人以上の便衣のシナ兵捕虜を銃殺した責任を、すべて末端の兵隊に転嫁した。南京郊外において日本軍内の予備役兵の素質が悪いためにハーグ条約が広範に破られたのだというストーリーは、B級戦犯の訴追および刑死から免れたい当時の参謀たちには都合がよいが、その卑劣な責任逃れの言説が、「南京市内で民間人30万人が殺された」とするシナ発の捏造宣伝のうらづけ材料として利用されることになった。そして米国人も、広島と長崎への原爆投下が明瞭なハーグ条約違反たることを内心認めるがゆえに、広島と長崎の合計死者(当初は数万人、後には二十数万人と呼号された)を確実に上回るハーグ条約違反の民間人殺人を日本が南京でしでかしていたとするシナの宣伝を、大いに歓迎するわけである。

 事変勃発直後における、外相(元首相)の広田弘毅の国際宣伝上の大きなしくじりは、日本軍が上海戦線からの追撃戦を成功裡に遂行しているさなかに、蒋介石に講和を呼びかけたことだ。勝っている側、それも侵略を撃退しつつある正義の陣営が、凶悪な犯罪者(上海の日本人の大虐殺を企図していたことは疑いもない)に向かって講和を呼びかけるなど、近代外交の常識ではあり得べからざることだろう。広田は受験エリートでキャリア外交官だったが、近代精神は有していなかった。そしてシナ式の、正邪を捨象する信じられないスタンドプレーに走ったのである。しかしこれを聞いた世界では、とうぜんのことであるが、今次事変に関し、日本が何か重大な後ろ暗い負い目があるのに相違ないと信ずることになった。

 また、侵略軍隊の壊滅後、とうとう蒋介石の方から停戦講和を願ってきたときに、時の首相の近衛文麿は、「居留民の保護」ならびに「侵略者膺懲」という大目的を達成していたにもかかわらず、理由もなくこれを拒絶した。爾来、支那事変は泥沼化し、あたかも日本がシナ全土の征服を執拗に進めているかのような「外形」を生じた。

 1948年にA級戦犯として死刑になった7人のうち、文民の広田、そして軍人の土肥原、松井、板垣の計4名は、1937年に蒋介石に恥をかかせ、また8月13日の「蒋介石の侵略」をよく知っていた者として、蒋介石からの特別な死刑要求によって東京裁判で訴追リストに加えられた冤罪者である。蒋介石は、この4名を吊るし首にすることで、自分が侵略者であった過去を戦後世界の「正史」の上で永久に否定できると思ったのだ。

 4名はパリ不戦条約の違反には無関係であった。1941年の対米動員先制開戦プログラムに、彼らは関与する立場ではない。では、どのようにして「カテゴリーA」の戦犯にされ得たのであろうか?

 この不可能を可能にさせたのが「田中上奏文」という捏造宣伝だった。

 田中義一が首相のとき、昭和天皇に、シナ征服と世界征服の大計画をこのように打ち明けました──とする杜撰な作文が1929年にシナ文で書かれ、ついで英文にされて、1930年代の米国で流布した。

 日本外務省はこれをすっかり放置していた。1980年代からアイリス・チャンのブラック・プロバガンダを今日に至るも放置しているのと同様に。

 東京裁判のキーナン首席検事は、米国人のインテリだ。彼は、日本政府から反論もされず十数年も流布している「田中上奏文」が、まさか偽文書だとは思わなかった。キーナンは、蒋介石からの強い死刑要求と、この偽文書と、1937年に日本軍が戦闘を停止していないという「外形」に基いて、広田、土肥原、松井、板垣に「カテゴリーA」の罪状をあてはめたのだった。

●A級戦犯の外務省に国際宣伝はできない

 日本海軍は、ライバルの陸軍省に日本国を統制支配させることになる「対ソ開戦」を阻むべく、米国に対する動員先制開戦の音頭を取る必要があった。奇襲が惨憺たる返り討ちに終わらぬようにするには、開戦の予告はできない。そこで、宣戦布告をラジオでするという方法を避け、面倒な暗号電文(それも、日米交渉は打ち切ると言うのみ)の手交とさせ、奇襲を成功させた。東郷茂徳(ハルノートは最後通告であると上奏して天皇に開戦を納得させた)と外務省は、海軍との「米国騙し討ち」の共同謀議に深くコミットしたのだ。

 「A級戦犯」とはパリ不戦条約違反のことであるから、野村大使の通告が真珠湾攻撃よりも早かったとしても、東條、木村、武藤、永野修身、伊藤整一、山本五十六、そして東郷が、同条約違反の首謀者とされることは動かぬ。この重大責任から先輩を庇い、省の威光を保ちたい外務省は、戦後も、先の大戦について事実を説明する言葉をほとんど持たないのである。かくして「北京コミンテルン」の対外マスコミ部門も、反日宣伝工作は、し放題というわけである。

 2005年12月24日の英紙『フィナンシャル・タイムズ』は、小泉純一郎首相がその前の週に靖国神社を参拝したのは、大東亜戦争の「侵攻」の被害者に謝罪をしないという外交上の態度であり、それは、シナが日本の国連安保理の常任理事国入りに反対をする完璧な理由であると、シナを代弁するような記事を載せた(同紙は同年2月15日にも、小泉氏のシナに対する強気の態度は右翼的で好ましくないと説教するV・マレット氏の署名記事を掲載)。そもそも日本はシナに侵略はしていない。シナこそ侵略者である。また、自衛隊の最高指揮官たる首相が陣没軍人に敬意を表するのは統率上当然で、それを自粛し自衛隊の士気が低下すれば、首相が日本の国防を脅かすことになる。それこそ国家叛逆だ。しかし、日米離間を狙う北京の狡猾な宣伝工作に、バカ右翼や外務省では、とても有効な反駁はできかねるのである。



(私のコメント)
日中戦争が何時どのようにして始まったのかは、日本の歴史教科書でも盧溝橋事件からというのが定説になっていますが、これは正しいのだろうか? しかし盧溝橋事件は単なる偶発事件であり9日には停戦協議が成立している。だから盧溝橋事件が日中戦争の始まりというのは無理がある。これ以降も25日の郎坊事件、26日の広安門事件を経て29日の通州事件など立て続けに起きているが、日本は不拡大方針で中国の挑発の乗らなかった。

日中戦争が始まったといえるのは8月13日の包囲していた中国軍と国際租界の日本海軍陸戦隊の交戦が始まりであり、わずか5000人足らずの海軍陸戦隊では守りきれるものではなかった。この作戦計画を立てたのはファルケンハウゼン中将らのドイツ軍事顧問団であり、上海疎開の周囲にはトーチカ陣地が築かれていた。これらのゼークトラインを築かせたのもドイツ軍事顧問団だ。

これらの状況は「日中戦争はドイツが仕組んだ」という本に書いてあるそうですが、この本は読んでいない。しかし実態からすると日本とナチスドイツとの戦争であり実質的に戦争を指揮していたのはドイツ軍事顧問団だった。中国軍兵士はドイツ製の最新兵器で武装された蒋介石の最精鋭部隊だった。

蒋介石から見れば攻撃を仕掛けて日本海軍陸戦隊が引き揚げてくれれば大勝利だし、日本から増援部隊を送り込んでくれば、トーチカとクリークによって防備が固められた中国軍によって大損害を出して日本に大打撃を与える事ができると読んだのだろう。実際に日本軍は4万人以上の戦死傷者を出して大損害を受けた。しかし中国軍も85万の兵士が参加して33万人もの戦死傷者を出して中国の大敗北に終わった。

しかし日本を中国との全面戦争に引きずり込む事には成功して、それが日米戦争にまで発展して行く。まさに第二次上海事変が歴史の曲がり角であり、盧溝橋ではない。もしあの時点で兵を引いていれば米国との戦争も避ける事が出来ただろう。その点で近衛首相の責任は重い。もし石原莞爾中将の言うように上海から日本人が全部引き揚げていたら困ったのは上海租界にいる欧米人たちだろう。

日中戦争が第二次上海事変から始まったとすれば、蒋介石が賠償を放棄したのは当たり前であり、蒋介石が徳を持って放棄したと言うのはプロパガンダだ。賠償金を強引に要求すれば戦争を仕掛けたのは蒋介石の方だと言うことになりやぶ蛇になるおそれがあった。85万もの兵士を動員するには直ぐに出来るものではなく先に動員をかけていたのは中国の方だ。

しかし戦後の日本の歴史教科書では中国共産党のプロパガンダをそのまま教えている。NHKなどのマスコミも「アジアの一等国」の特番に見られるように中国共産とのプロパガンダをそのまま放送している。日本の歴史学者たちはそれに迎合するか沈黙して、日中戦争は日本が仕掛けた事になってしまっている。日本はコミンテルンやナチスドイツやルーズベルトの謀略に巻き込まれて嵌められたのだ。

日本の歴史教科書ではいずれも盧溝橋事件に関連付けて全面的な侵略戦争を始めたということを書いているが、全面戦争を始めたのは蒋介石の中国軍だ。日本の歴史家はこの事をどうして主張しないのだろうか? 最近では中国人の林思雲氏が大規模戦争は中国が始めたと指摘しているが、日本の歴史家や戦史家は思考が停止してしまったのだ。


国際会議「南京を想い起こす」 2007年11月21日

◆日本の教科書、1
 
1937(昭和12)年7月7日夜、北京郊外の盧溝橋で、演習していた日本軍に向けて何者かが発砲する事件がおこった。翌朝には、中国の国民党軍との間で戦闘状態になった(盧溝橋事件)。現地解決がはかられたが、やがて日本側も大規模な派兵を命じ、国民党政府もただちに動員令を発した。以後8年間にわたって日中戦争が継続した。
同年8月、外国の権益が集中する上海で、二人の日本人将兵が射殺される事件がおこり、これをきっかけに日中間の全面戦争が始まった。日本軍は国民党政府の首都南京を落とせば蒋介石は降伏すると考え、12月、南京を占領した(このとき、日本軍によって民衆にも多数の死傷者が出た。南京事件)。しかし、蒋介石は重慶に首都を移し、抗戦を続けた。
新しい歴史教科書、西尾幹二ほか、東京、扶桑社、2001年

◆日本の教科書、2
 
7月7日、北平(北京)郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突する事件が発生した(盧溝橋事件)。現地では停戦がいちおう成立したが、このさい中国に一撃を加えて抗日運動を屈服させ、華北の資源・市場を獲得しようとの意図から、近衛内閣は派兵を決定し、「北支事変」と称した。戦火は8月には上海に拡大し(第2次上海事変)、9月には「支那事変」と改称され、宣戦布告のないまま日本は中国に対する全面的な侵略戦争に突入した(日中戦争)。
日本史B、直木孝次郎、東京、実教出版、1998年

◆中国の教科書
 
盧溝橋事件のあと、日本軍は大量の援軍を送り、北京、天津、上海、その他の地に大規模な攻撃を仕掛けた。日本は軍事力に依存し、すみやかに戦闘をして勝利し、三ヶ月以内に中国を滅亡させようとした。この中華民族存亡の危機に際して、全国の人民は一致団結し、中国近代史上空前の規模の全民族反侵略戦争を展開した。...
歴史、8学年、上巻、北京、北京師範大学、2001年


(私のコメント)
学校の歴史教育で日中戦争は盧溝橋で始まったと教えているから、日本人は教科書に書かれている事が本当だと思い込んでしまう。自分で考える訓練がされていないから相手の言うペースに嵌められてしまう。アメリカの教科書では広島長崎の原爆は戦争を早く終わらせる為だと教えているが、ならばなぜ朝鮮戦争やベトナム戦争で使用しなかったのか? 原爆はもともと非人道的兵器でありジュネーブ条約でも禁止されている残虐な兵器であった。

日本がアメリカとの戦争を避けられないとするならば、1898年にアメリカ軍によって侵略されたハワイ王国解放戦争としてパールハーバーを攻撃したといったようなプロパガンダをなぜ打てないのだろうか? だまし討ちというのならハルノートをもって宣戦布告とみなしたとすればだまし討ちにはならない。日本の外務省にはそのようなプロパガンダを打てる機関がない。蒋介石は戦争では負け続けたがプロパガンダで勝利した。プロパガンダにはプロパガンダで対抗するしか手はない。




日中戦争は、昭和12年8月13日の、蒋介石の「中央軍」による、日本
海軍上海陸戦隊への総攻撃で始まった。「盧溝橋事件」ではない。


2009年5月5日 火曜日

技術戦としての第二次世界大戦 /兵頭二十八/著 別宮暖朗/著

『兵力差が圧倒的だった昭和12年』 2008年11月12日 年輪

まさしく前回、『技術戦としての第二次大戦』を紹介し、その後書き部分の一部だけを少し触れた。

ここでは、ノモンハンへ入る前の、日本が、何度も何度も自重して中国大陸への陸軍派遣をためらった揚げ句、蒋介石の攻撃に耐えかねて軍をすすめた昭和12年のあたりから、章だての順番にしたがって見ていきたい。

ちょうど昨日、国会で「日本は侵略国家ではなかった」との骨子の論文を書いた元航空幕僚長の田母神氏の国会での「参考人」質疑があったばかりである。

軍学者の兵頭氏が、第二次世界大戦は1939年のヒットラーによるポーランド侵攻によって始まったのではない、という書き出しで始まっている。
『昭和12年(1937年)8月13日の、蒋介石の「中央軍」による、日本海軍上海陸戦隊(しゃんりく)への総攻撃で始まった。これは1928年に諸国が合意したパリ不戦条約のれっきとした違反であって、支那側の侵略である。』

私はこのことをここ一年ほど前に別の手段で知ったばかりである。もちろん、最近の中国における日本大使館がデモ群衆に取り囲まれ、狼藉を受けて、中国側は窓ガラスの修理もしない、などという類いの範疇ではなく、すでにアメリカと内通していたであろう蒋介石の正規軍が、ドイツ製武器を豊富にそろえ、国際法上問題のない、しゃんりくへ軍事攻撃を仕掛けてきたのである。

ある人は、これを中国軍が先に侵略したから、日本軍による正当な反撃を受けたのである、と書いていたが、ウロコが1枚はがれた思いであった。

『それに対して昭和12年の7月の「盧溝橋事件」は「侵略」でも「開戦」でもなかった。___というのが『軍事史からみた「南京事件の真実」で展開された別宮先生の説得力あるご主張でしたね。』とある。

これを受けて、別宮氏も、ライシャワー元駐日大使(夫人は日本人)もほぼ同様の趣旨の見解を自伝の中ではっきりと示しているという。

『そうなると、支那事変は日本の侵略であるどころか正義の自衛戦争であって、まさしく「暴支」を「膺懲」したものにほかならなかったわけだ。しかるにそれが、あたかも日本の侵略のように戦後の歴史の教科書で教えられてしまっているのですけれども、いったい誰のせいなんですか?』とあって、ここ数日の騒ぎで何も田母神論への正式な反論がなかっただけに、やはりふだん日本人がクサイものにフタ式に避けているように思われる空間の重い存在に突き当たる。

『中国側の米英に対する宣伝上手と、正反対の日本人の宣伝下手のおかげでしょうね。中国軍の侵略を受けて、日本政府がすぐに宣戦布告できなかったのも、事を歴史的に曖昧にしてしまいました。そしてその後の日本の歴史家と文部省(日教組!?)がまた、、事実の究明を怠ってきたのです。』などとなっている。

昭和12年当時、蒋介石は南支を中心に最大で300万もの兵員動員が可能と見積もられ、当時日本はその1/10にしか最大でもならず、相手側に勝算あっての開戦だったろうと、推測している。

レマルクの「西部戦線異状なし、Im Westen nichts Neues」でも知られるように、1914?1918年の第一次世界大戦が立証したところでは、鉄条網と機関銃で守りを固めた塹壕陣地に正面から接近突撃してくる敵部隊は、いかに精兵の大軍であっても大損害を蒙るだけで、決して勝てないものだそうである。それで、せいぜい数十万の日本軍が来たとしても勝手に自滅してくれるにちがいないと、大胆にも敵は踏んでいたのだろう、とこの本の二人は推測している。

支那軍は、ドイツ製の武器やヨーロッパ製の他国の武器を装備し、(チェッコ軽機、モーゼル大型拳銃など)で、軍事顧問には、第一次大戦の塹壕戦の経験者ののファルケンハウゼンだった、という。ワイマール共和国ドイツの参謀総長で、「現代のモルトケ」とまで言われた男であったという。

対する日本側は、陸士9期の荒木貞夫と同16期の小畑敏四郎(としろう)が、ファルケンハウゼンとおなじ東部戦線に、ロシア側観戦武官として派遣されていて、ロシア側のブルシロフ戦法こそが今後の歩兵戦術の主流になると直感して、すでに報告しているそうだ。

その後、この方法は連合軍の間でも周知となり、下士官のイニシアティブによる分隊(プラトーン)戦法が、先進各国陸軍の主流になっていった、という。

1937年の上海決戦、つまり上海周辺の大規模な塹壕突破戦と、南京に向けた掃討戦は、日露戦争での奉天開戦刺の大規模なものだという。

ドイツの職業軍人が設計した陣地に、国府軍の主力、中央軍をよりすぐった88師、87師などの将兵が配されて、日本陸軍は7個師団半20万人で戦ったという。(後に2個師団、5万を増派)

国府軍は25個師、33万人ぜークト線後方を含めると、75万人を南京から上海の間に集中していた、という。

蒋介石軍は、第一次大戦では通用した陣地構築をしていたが、松井岩根大将の率いる日本陸軍は、浸透戦術という新戦法で、爆弾3勇士の時の一面突破、全面展開ではなく、多面突破を行い、強固な陣地の後ろから攻めることができたという。25万の兵力が25万以上の戦死というという被害を与えたことは、にわかに信じがたいことでしょう、と記述している。

トーチカの中の機関銃に、自ら鎖でつなぐような士気の高いシナ兵たちもいた、というが、トーチカの銃眼を正確に狙える水平砲などの存在も大きかったらしい。

ドイツ人参謀たちは、日本軍が浸透戦術をとれるなどとは予想もしていなかったし、シナ人の「侮日」はポーズでなく本心だったから、負け出すとシナ兵たちは袋のネズミだった、とある。

あと、日本軍の手りゅう弾は、攻撃あいずぐらいにしか使えず、敵の手りゅう弾でそうとう被害を受けたとか、38式歩兵銃は、時代遅れと思われがちだが、500メートル以上の距離では、米軍の7.62ミリ弾より高速であった、などという指摘も。爆竹文化のシナ兵には、なるたけおおきい音の出る兵器でないと、心理的な威力がなかったとか、・・・・。38式歩兵銃は日本の武器の中で最も成功した輸出製品でもあった、という。第一次大戦中にロシアに100万挺以上、イギリスに30万梃以上で、評判もよかった、という。アラビアのロレンスは、灼熱のネジド砂漠で、ボルシェビキは極寒のロシアで使用したが、いずれも敵軍に勝利している、という。

38式歩兵銃は、1600メートルでも頭蓋骨や馬の脚を砕く性能があった、という。
もっとも、この戦いで、舗装路のほとんどないシナの大地を思い砲を引かされた軍馬はあわれで疲労でバタバタ倒れた、といい後は人力で運ぶしかなかった、ともいう。敵の逃げ足が速くて、とあるが、日本兵の進軍も速くはなかったかも。


(私のコメント)
連休もいよいよ終わりが近づいてきましたが、高速道路が1000円という事でドライブに出かけても渋滞に捕まって大変なようです。だから連休中は本でも読んでいるのが一番いいのですが、巨大書店に行って見ましたが意外と空いている。日曜日になると客でぎっしりとなるのですがカウンターに並ばずに本が買えた。そこで買ったのが「技術戦としての第二次大戦」という文庫本ですが、斬新な見方をしている。

MSIMEでは「にっしじへん」と入力しても正しく漢字変換されない。「しな」という入力でも正しく変換されない。MSIMEは日本で作られているのではなくマイクロソフトの中国支社で作られているから、「しな」は禁句で変換辞書には入っていないようだ。だから日中戦争と呼びますが、日中戦争は日本の教科書では盧溝橋事件で始まったと書いていますが、盧溝橋事件は偶発トラブルであり7月9日には収まっている。

それでも日中双方の動員は行われ緊張状態となりましたが、にらみ合いの状態であり、これが日中戦争の開戦とはいえないだろう。本格的な日本軍と中国軍との戦闘は上海の日本海軍陸戦隊への攻撃であり、これが日中戦争の始まりだ。つまり日中戦争は中国軍の一方的な攻撃によって始まったのであり、盧溝橋事件の後も25日の朗坊事件や26日の広安門事件など起きているが、中国側の日本軍への襲撃事件で、29日の通州事件も起きていますが知る人は少ない。

ネットで詳しく調べれば分かる事なのですが、日中戦争の始まりは第二次上海事件であり、蒋介石がドイツから軍事顧問を呼び寄せて精鋭部隊を作り上げていた。8月3日には日本軍は天津治安維持委員会に救済資金十万元を伝達しているが、戦争中のこのような事が行なわれるはずがない。本格的な日中戦争の勃発は8月14日の中国軍の航空機による日本軍艦艇への攻撃が戦争の始まりであり、それまでは日本軍は不拡大方針だった。

日本では日支事変と言いますが、日中双方とも戦争とは言わず宣戦布告もしていない。戦争になればアメリカなどから戦略物資が入らなくなるから戦争とはいわずに事変と呼んだ。しかし第二次上海事変の後は明らかに戦争だ。「株式日記」でも以前に書きましたが、上海事変が起きても大本営は不拡大方針であり、石原莞爾作戦部長は上海の在留邦人を引き揚げる事を主張した。ところが時の海軍大臣の米内光政は主戦論を主張して戦争は拡大していった。

当時の日本にとってはソ連が一番の脅威であり、中国との戦争は日本軍の規模からして無理なのであり、だから軍部も不拡大方針でいた。しかし当時の国民世論は通州事件などの残虐事件が相次いで、日本軍は中国の挑発事件に乗る形で戦争が始まったのだ。ところが歴史教科書を始めとしてNHKの一連の歴史物でも日本が始めた事になっている。


「日中戦争、日本より中国に戦意」 『週刊新潮』’09年1月15日号 櫻井よし子

中国とナチス・ドイツ

そうではない。中国はかつても戦争を熱望していた。日中戦争は日本よりも、むしろ中国が望んでいた。中国は日本よりも戦争をしたがっていた。こう強調するのは林思雲氏だ。氏は北村稔氏との共著『日中戦争』(PHP研究所)で書いている。

「当時の(つまり、1920年代から30年代の)日本は、決して戦争の方向をコントロールしていなかった。中国側において自発的に日本と戦おうとする意思が高まっている状況では、たとえ日本が戦争を拡大したくなくても、中国側は日本と全面戦争を開始したであろう」と。

氏はさらに続ける。
「日中間の大規模な戦争が開始された本当の発端は、1937年の8月13日に発生した第二次上海事変である。そしてこの戦闘は、正しく中国側から仕掛けたのである(この日、蒋介石は上海に駐屯していた5千人余りの日本海軍特別陸戦隊に対する総攻撃を命令した)」

中国の主戦派は以下の理由で対日勝利を確信していたと林氏は指摘する。@中国軍は人数において優る(中国陸軍は191個師団、加えて1,000万人の徴兵が可能だった。日本は17個師団、兵力は25万、徴兵は最大で200万人)。A日本は資源が貧弱で、中国の「寄生虫」にすぎないから、経済断交によって容易に日本を締め上げることが出来る。B列強諸国は中国側に立っている。

にも拘らず、たとえば06年8月13日放送のNHKスペシャル「日中戦争―なぜ戦争は拡大したのか」などに見られる日本側の歴史解釈は、日本の主戦派にのみ責任を帰結させ、中国側にはなんの関係もなかったとする。そこには、「傲慢さが含まれている」と林氏は断ずるのだ。

日中戦争は、決して日本の主戦派だけが遮二無二進めた侵略戦争ではない、むしろ中国が望んだ戦争だったという刮目すべき氏の指摘は、当時の中国社会、国民党、共産党、コミンテルンの動きなど幾多の具体的な事実によって支えられている。

『日中戦争』には、もうひとつ、中国とナチス・ドイツの相互扶助という驚くべき事実が描かれている。

同書第3章の北村氏の記述をざっと纏めてみると?-。日中戦争勃発以前からドイツは国民党に多くの軍事顧問を入れ、駐華ドイツ大使のトラウトマンは活発に日中仲介に動いた。これらの事実は周知だが、この和平斡旋の背景にナチス・ドイツと中国の軍備刷新をめぐる驚くべき緊密な関係が存在したというのだ。

1920年代後半から蒋介石はドイツから武器装備を調達したが、1933年、ヒトラーが政権を握ると、中独武器貿易は急増した。前述した上海の日中攻防に、ドイツは74名の軍事顧問を派遣し、中国軍をドイツ製武器で武装させ、ドイツ式の防衛陣地を築かせて、日本と戦った。ドイツの軍事援助の見返りに、中国は自国のタングステンなど希少金属を提供したというのだ。

日中両国の逸史

タングステンの硬度は非常に高く、武器製造に欠かせない。ドイツにタングステンは産しないが、中国は現在でも世界産出量の9割を誇る。北村氏が強調する。

「国民党政府が提供したタングステンがドイツの軍需産業を支えたのであり、これにより生み出された軍事力がヨーロッパでのドイツの勢力拡大を可能にした」

ヒトラーは1936年に中国に1億マルクの借款を与えた。中国は同借款を活用し、5年間、毎年2,000万マルク相当の武器を購入。一方で、10年間にわたって毎年1,000万マルク相当分の鉱物資源をナチス・ドイツに提供すると合意した。

中国とナチス・ドイツのこの緊密な協力関係は、中国側の歴史資料では殆ど扱われていない。理由を北村氏は、「『日本のファシズム』を抗日戦争により打倒したと主張する国民党には、『日本のファシズム』の盟友で『歴史の罪人』となったナチス・ドイツとの親密な関係は、第二次大戦後には『触れてはいけない過去』になった」からだと、解説する。

一方、この事実が日本で殆ど取り上げられてこなかったのは、日本の歴史研究では「『日本の侵略戦争』を批判することが大前提」となっており、その「大前提に立つ限り、『日本の侵略戦争』と戦った中国の国民政府がナチス・ドイツの軍需産業の発展に大きく貢献し、この軍需産業の発展がナチス・ドイツのヨーロッパ侵略の原動力となった事実は、『説明できない歴史の皮肉』である」からだと喝破する。

日中戦争はひたすら日本の侵略戦争だったという日本に蔓延する見方が、どれほど偏ったものかを痛感させられる指摘である。年毎に明らかにされる一連の事実を正視し、全体像を踏まえた歴史認識を身につけることが、日本にとっての急務なのだ。

中国は、かつてそうであったように、日本を圧倒する力を保有すると、彼らが思い込み始めたいま、何が何でも攻め、戦うという姿勢を崩さない。日本人の私たちは、いい加減に目を醒まし、中国の本質を肝に銘じるときだ。


(私のコメント)
第二次上海事変はファルケンハウゼンのドイツ軍事顧問団と蒋介石の軍と日本軍との戦争であり、質量ともに中国軍が勝っており、上海周辺には強固なトーチカが建設されて日本軍はその罠にはまって大損害を受けるはずだった。当時のドイツは中国に取り入って武器などを輸出して中国の利権を得る勢力が優勢であり、日中を戦わせて漁夫の利を得ようとしていた。


「ドイツ軍事顧問団とヒトラー」 月刊Will 2008年1月号 古荘光一

シナにいたドイツ軍事顧問団が「武器ビジネス商団」であったことは知られていますが、彼らは、日独伊防共協定によってシナへの武器取引の一切を停止しようとしたヒトラーの指示に慌てふためくわけです。

ビジネスがオジャンじゃねーか

というわけです。

蒋介石にドンドン武器を供給して、日支全面戦争になればまさに武器証人の天国であります。
そのあともう一歩というところでヒトラーの「ストップ」。

軍事顧問団という商団はなんとかヒトラーを翻意させようと「日本軍の蛮行」というストーリーを本国に伝達するために蒋介石を活用し、見たことの無い「日本軍の蛮行」を編纂しヒトラーの対日判断を覆そうとしたわけです。

だからフィッチの文書にも意味もなく「武士道批判」が展開されます。
これはヒトラーが対日感情を良くした原因の一つに武士道を評価したという事があったからなのですがこういう風にボロがでるわけです。
また、ラーベの日記のラーベも武器政商であり、そしてラーベ自身がナチ党員であったわけですがラーベが南京に残ったのは「難民救済」という美談でもなんでもなくヒトラーに日独伊防共協定を止めさせるためにラーベ報告書や、マギー牧師が撮っていない薫機関製「マギーフィルム」などを国民党と共同で作成し、本国へ送るためだったのです。
でラーベが反ナチではないことをゲシュタポに弁明するための証拠として
「ラーベ」日記が準備されたのであります。

(引用ここまで)

ドイツ軍事顧問団の長だったファルケンハウゼンという男はとんでもない奴で、勝手に対日全面戦争プランを作成してこれに向けた陣地構築や兵器の調達を行い、1935年頃から、しきりに蒋介石に対日戦争の開始を迫っていました。また、このファルケンハウゼンと蒋介石に取り入り、「ハプロ条約」に基づく独支間の莫大な軍需取引の受注を狙っていたのが政商・ジョン・ラーベでありました。

石根さんが指摘するとおり、日支全面戦争は「ドイツの戦争屋」達が密かに期待するところだったのです。

しかも、ファルケンハウゼンの対日戦争プランとは、上海または北京・天津地区の日本人居住区(条約に基づく特権区域)に対する、大兵力による奇襲先制攻撃=つまり侵略による租界回収なのでありました。

上海が実際に総攻撃を受けるのは1937年8月13日ですが、蒋介石が攻撃を決断したのはその約1ヶ月前、7月19日前後と推測されます。

実は、ファルケンハウゼンは7月21日に南京のドイツ大使館を通じて蒋介石の開戦意図が確定的であることを本国に報告しており、ドイツ外務省は1ヶ月後に上海が攻撃されることを知っていたはずです。しかしドイツはこれを隠蔽し上海攻撃を黙認したばかりか、軍事顧問団の召還すら行いませんでした。

これは明白な敵対行為・主権侵害行為であり、この時点で日独防共協定は破棄すべきでした。 ドイツ大使トラウトマンを通じた和平工作が成功しないのは当たり前です。仲介者が「日支全面戦争→日本の敗北」を密かに望んでいるわけですから、こんな交渉で蒋介石が折れる訳ありませんね。

因みに、中国軍が停戦協定を無視して組織的に支那駐屯軍を攻撃し、北支事変が拡大するのは7月20日以降です。中国保安隊による通州日本人虐殺事件は7月末ですが、これも中国側の資料によれば南京政府の指令による「蜂起」です。多数の一般市民が惨殺され、東京の目が北支に向けられている隙に、上海は大部隊に包囲され、ファルケンハウゼン・プラン通りの「先制攻撃」を許すことになりました。

そんなわけで、近年では「北支事変の拡大は、蒋介石が上海攻撃の意図を隠匿するためにとった陽動だったのではないか?」という有力な指摘があります。


(私のコメント)
このように日本とドイツとは防共協定こそ結んでいましたが同盟国ではなかった。ナチスドイツの中にも親中反日のナチ党員がおり、ファルケンハウゼン中将やジョン・ラーべなどが反日工作をしていた。南京事件を扱ったジョン・ラーべの映画が公開されていますが、ヒトラーと日本とを離反させる為の工作も行なわれていた。日中戦争はコミンテルンの陰謀という見方もありますがナチスドイツの陰謀でもあった。

まさに当時の状況は魑魅魍魎としており、蒋介石はコミンテルンからもナチスからもアメリカからも支援を受けて戦争していた。中国という巨大市場に世界中が目が眩むのも昔も今も変わらない。このように第二次上海事変を見ればナチスと蒋介石との仲は親密であり、ナチスドイツと日本との代理戦争だったのだ。




自民党も民主党も米作兼業農家を票田としてしか考えていない。
減反政策を廃止して60キロ1万円の米ならば輸出できるようになる。


2009年5月4日 月曜日

「減反見直し」はなぜかき消えたか? 本間 正義 選択2009年5月号

―― 減反見直し機運がトーンダウンしています。

本間 四十年続いてきた「減反」の見直しを石破茂大臣自らが言及したことで、山が動くかと思ったが、結局風さえ吹かなかった。石破発言を受けた自民党内、特に農業基本政策委員会に所属する農水族議員たちの反発はすさまじかった。農村票を奪われて大敗した二〇〇七年の参院選のトラウマを利用して党内議論で大きく巻き返しを図り、「減反堅持」の方針を早々と決定した。現状維持という選択肢は日本のコメ農業にはないのだが、参院選の自民大敗以来、農水族が息を吹き返し、農政が三十年「先祖返り」してしまった。

―― 族議員の反発はある程度予想されていたのではないですか。

本間 石破大臣も農業政策に他省庁を巻き込もうと「六大臣会合」や「農政改革特命チーム」など開かれた議論の場を作ったが、特命チームの改革志向が弱く、うまく働いていない。農水族による農水省への締め付けは強まっており、その影響が農水省による特命チームの人選にはっきりと表れている。減反は国民から見て最も分かりやすい農政のひずみであり、その問題点はすでに十分に検証されているはずだが、こうした政治的圧力で見直し議論が後退したのは非常に残念だ。

―― 先の参院選では農村票が勝敗を分けたと言われています。

本間 参院選では民主党がいかにも「戸別所得補償」のばら撒きで勝ったように報じられているが、あれは自民党が勝手にこけただけ。公示直後は、戸別補償などできるわけがないという声が農村の大勢だった。しかし、松岡大臣の自殺や途中、農水大臣が次々と替わるなど自民党の不祥事が続き、その失望感で票が民主党に流れた。選挙後の自民党もばら撒きに走ったことで、日本の農業政策は一気に後退した。

―― 一体、政治は何をしているのでしょうか。

本間 企業は利潤追求が本分のごとく、政治家は選挙しか考えておらず、日本の食糧や農業の未来を本気で考えていない。自民党でも民主党でも、減反政策は選挙の道具に堕してしまっている。所詮、政治は農村を集票マシーンとしか考えていない。残念ながら、これは農村から票が取れるうちは、たとえ農業が自滅へと進もうとも変わらない。小選挙区制の導入以来、農村票だけで受かることはないが、落とすことはできるようになった。よって、どの議員も農村を敵に回せない。今こそ農村票に頼らない都市政党が必要だが、本来その役割を担うはずの民主党がばら撒き競争の火付け役となっている。

―― 来る総選挙ではばら撒き合戦も懸念されます。

本間 農家にとっては美味しい選挙になるだろう。しかし、ばら撒きに惹かれる選挙となっては、日本のコメ農業は安楽死を待つばかりだ。減反をめぐる政治の茶番は国民に見えすぎている。農家もばら撒きで自分たちの将来が開けるとは思っていない。

―― 近い将来、WTOなどの関税削減交渉も待ち受けています。

本間 だから日本の農業改革に残された時間は少ない。競争力がないままの市場開放の悲劇は、昨年暴動に見舞われた中南米の例を見るまでもない。このままでは、いずれ品質格差をもってしても日本のコメは海外米に太刀打ちできず、後継者も育たぬまま、じわじわと衰退の一途をたどるしかない。


民主党案にそっくりな「減反選択制」は農協を守り農業をダメにする 3月27日 山下一仁

実は、筆者も取材に応じた『週刊ダイヤモンド』2月28日号の「農業がニッポンを救う」と題された特集を読んでいて、ある驚くべきことに気付かされた。民主党の「次の内閣」ネクスト農林水産大臣の筒井信隆・衆議院議員がインタビューに応じて答えていた民主党の戸別所得補償の内容が、現在流布されている減反選択制とほとんど同じだったからだ。これは生産目標数量(減反目標)を達成した農家、つまり減反参加農家に米価の低下分を補填するというものだ。これは減反選択制に他ならない。

 自民党は、党の方針としてはいまだに減反堅持であり、選択制にすら反対している。そうした状況下、野党案にそっくりの内容が農政改革の新しい針路の如く報じられるのはどういうことなのか。

 次の民主党政権を意識した農林官僚の先走りなのか。それとも自民党内の分裂なのか。真相は闇だ。いずれにせよ、重要なポイントは、自民、民主ともに、減反維持を前提にしか物事を考えていないということである。
 
 ちなみに、民主党も以前は、筆者と同じように、減反をやめて米価を下げて、直接支払の対象を主業農家に限定すべきだと選挙公約たるマニフェストに掲げていた。ところが2004年参院選のマニフェストでは、肝心要の「対象者を絞る」という文言を外してしまった。自民党から対象者を絞らないバラマキの直接支払いと批判された「戸別所得補償」の導入を主張し始めたのだ。
 
 しかも、2007年に参議院選挙で大勝すると、2008年6月になって減反の廃止すら撤回してしまった。具体的には、民主党「次の内閣」で承認された「当面の米政策の基本的動向」において、「米価下落の大きな要因は、米の需要を上回る過剰生産である。米の過剰作付けを抑制し、需給調整を確実に実行することが、米価安定のため、さらには自給率の向上のための基本要件であることはいうまでもない」と変節した。

 民主党の小沢一郎代表はかつてその著書で「関税ゼロでも自給率100%」と述べていたが、あの主張はいったいどこに消えたのか。関税ゼロの前提として国産米の価格を輸入品の価格以下に下げることがあったはずである。そのためには価格維持カルテルである減反廃止は当然の前提だったはずだ。

思うに、与野党の別なく、こうした発想になってしまうのは、経済のメカニズムを分かっていないか、兼業農家という大票田を確保するために意図的に無視しているかのどちらか、あるいはその双方だろう

 減反支持派は、減反を止めれば、農家はコメを作りたいだけ作ってしまうので米価がドンとさがると主張している。どこまで下がるかは言っていないが、米価がドンと下がると、農家はやっていけないから、食糧安全保障上問題だというのだ。

 60kgあたりコストが1万円だとして、米価が現在の1万円5000円から5000円に下がるとしよう。しかし、農家はいつまでも5000円の状態で生産するはずがない。さらに赤字が増えるからである。翌年は作付けを縮小するだろうし、コストを賄えない農家は退出する。

 そうなると、生産量・供給量は減って、値段は大きく上がる。これは、現に野菜で起きていることだ。豊作になって価格が暴落すると、翌期は作付けを控えるので価格が上がる。そして、やがては需要と供給が均衡する価格に落ち着くのである。米生産農家は野菜農家よりも愚かと考えているのだろうか。

 減反維持派が言っていることは、コスト1万円と米価5000円の状態がずっと続くと主張しているに等しい。赤字を出している農家が赤字を覚悟で未来永劫作り続けるという前提で語っている。

 つまりコメ農家やコメの生産量は減らないということである。その一方で、価格が下がると、農家が減って生産が減少するので食料安全保障上問題だと主張する。こうした矛盾した議論が国政を決定する場で何十年も繰り返されているのだ。コストを賄うことができなければ、経営を続けられないことなど、高校生でも分かる論理ではないのだろうか。

さらに米価がドンと下がるのだろうか?中国産米の日本への輸入価格はすでに1万円にまで上昇している。輸送費や日本米の品質の良さを考えると9000円になれば日本のコメは輸出できるようになるということだ。

 仮に国内米価が5000円だとすれば、商社は日本米を買いに走り輸出に振り向ける。そうなれば、国内へのコメの供給は制限され、国内の米価は9000円まで徐々に上がっていく。それが価格裁定行為というものだ。

 アメリカでもどの国でも、自由経済のもとでは輸出の価格と国内の価格は同じ水準に収斂する。米価は輸出可能価格以下には下がらないのだ。それなのに、米価がドンと下がるという発想しかできないのは、貿易を行わないという「鎖国主義」を前提としているからである。農業・農政について「開国」が必要なゆえんである。

 また、民主党の農政提案をバラマキと批判する自民党のある議員は、減反を止めると米価が暴落して、1兆4000億円が必要になると発言したらしい。これは米価がドンと下がることを前提としているとともに、明らかに、すべての農家に対してバラマキの所得補償をするという前提で発言している。

 民主党の政策はバラマキだといいながら、自分たちもバラマキを前提にして試算している。また、参議院選挙で敗北してから、対象農家を絞るという考え方を大きく後退させてしまった。両党とも水田を票田としか考えていないことは五十歩百歩といってよい。

 結論を言えば、レストランの看板はそれぞれフレンチとイタリアンと違うが、出している料理は同じといった感じだ。総選挙の年だというのに、農政には与野党間で決定的な争点がない。これは極めて由々しき事態だ。



(私のコメント)
石破農林大臣の減反政策見直し発言で以前の株式日記でも触れましたが、その後は音沙汰がなくなってしまった。しかし減反政策はこのまま続けていっていいものではなく、補助金だけが毎年ばら撒かれている。15兆円の追加景気対策にも一兆円もの農林予算が付きましたが、これも減反政策の名の下にばら撒かれるだけで、なすべき農業改革には繋がらないものだ。

問題は米作農家の兼業農家に問題があるのですが、なぜ米作の専業化が進まないのだろうか? 酪農や野菜農家では専業化が進んでいますが、米作だけは小規模な兼業農家のままでいる。米作も機械化が進んで耕作時間も少なくなり土日の週末だけでも米作は成り立つのであり、だから兼業農家として成り立つのですが、これではコストダウンは進まない。

米作兼業農家も高齢化が進んで耕作放棄地も増えてきました。ならば専業農家に貸し出すなどすれば大規模化も進むのでしょうが、効果は耕作を放棄したまま放置している。兼業農家だから他にも収入があるし、うっかり他人に田畑を貸したら面倒だという感覚があるからだろう。

農地法の改正が今国会で成立しましたが、様々な制約を設けて企業の農地利用に制約を設けている。テレビでもやっていましたが米作でもやる気があれば1人で農地を借りて数千万円もの売上げのある若い農家がありましたが、やる気のある米作専業農家を育成して行く政策が望まれている。しかし米作農家の6割が兼業農家だから農業改革はなかなか進まない。

兼業農家だから採算割れでもやっていけるという意見もありますが、だから国からの補助金も無くせない。国会議員たちも減反政策の名の下に補助金をばら撒いて票を刈り取っていった方が都合がいいのであり、だから石破農林大臣が減反政策の見直しを言っても農林族に潰されてしまう。

民主党の農家への所得補償方式について賛成だと株式日記に書いた事がありましたが、参院選で大勝したとたんに当初の法案から大きく後退してしまった。選択的減反政策では米作の構造改革は進まず、コストの高い米作が続けられる事になる。そんな事が続けば補助金のバラマキは続けられることになる。農家の票田を金で買っているのだ。民主党の所得補償方式も農家の票を買うための手段だったのだ。

減反政策の廃止は米作の専業化を進めてコストを引き下げるためには避けられない政策だ。米の値段が下がればその差額を補償すれば何の問題もないと思うのですが、どうして農業改革は進まないのだろうか? 国はカネがないと言いながら一兆円もの農業予算が追加景気対策で付けられているがこれでも金がないと言うのだろうか?

今は60キロ当たり1万5000円の米が1万円になれば海外に輸出が出来る。これは米作の大規模化と効率化が進めば可能であり、先進国ほど農業のコストダウンは可能だ。アメリカ農家は世界の穀物相場を見ながら農業経営をしていますが、日本の農家は保護政策が行き過ぎて食物の自給率は下がる一方で兼業農家はいつまでたっても片手間の兼業農家のままだ。

去年の穀物価格の高騰は日本の農業政策の見直しのきっかけになりましたが、食料輸出国の多くが輸出を停止してしまった。気象異変や石油の高騰が再びあれば食糧危機が頻発するようになるだろう。そうなればのんびりした兼業農家では対応が出来ないのであり、国際競争力のある農家を育てないと食糧輸入がストップすれば国家的な危機になる。

アメリカからの食糧輸入は当てにならない事が去年の食糧危機ではっきりした。アメリカの農家は契約栽培を打ち切ってより高いところに転売してしまって、日本の食物輸入商社は輸入の手当てが出来なくなってしまった。アメリカの農家は余っている時は強引に売りつけてくるのに高くなれば他に転売してしまう。だから日本の農業政策もアメリカからの圧力を排除して食糧安全保障に取り組むべきだ。

地方経済の活性化は農業の活性化にあるのですが、現在の農政では耕作放棄地を増やすばかりだ。減反政策の堅持は兼業農家には都合がいいのでしょうが専業農家を立ち枯れさせてしまう。農作物は相場の変動が激しいからアメリカの農家のような情報管理まで必要ですが日本の農家はパソコンさえ満足に扱えない。国際相場を見ながら来年は何をつくろうかなどという農家は日本にはない。

アメリカの農作物は大豆もコーンも遺伝子組み換え作物ばかりになって、それを日本人に食わせるつもりだ。狂牛病の牛肉も輸入が再開されていますが、成長ホルモンで汚染された牛肉だ。だからアメリカ人の異常な肥満が増えていますが、アメリカの農産物は危険だ。中国の農薬野菜も同じなのですが、国産の無農薬農作物ならば高くても日本人は買うはずだ。




小泉純一郎はなぜペテン師か? 自民党を改革すると言いながら
自分の息子を国会議員として世襲させるのはペテン師だからだ。


2009年5月3日 日曜日

いまや国会議員も特権階級として固定化された支配階級なのだ。

成績も劣等な進次郎がなぜコロンビア大の大学院に留学できたのか?


世襲体制の転換には世論の決意が必要だ 4月30日 田中秀征

政治家の“世襲制限”がにわかに政治課題として浮上してきた。それも申し合わせたかのように与野党双方からである。

先行した民主党が世襲制限を党の方針に

 岡田克也副代表を先頭に、この問題で先行している民主党は、既に世襲制限を党の方針として決めた。

 4月23日、民主党の政治改革推進本部(本部長は岡田氏)は、今後、衆参両院とも同一選挙区から配偶者や3親等内の親族を立候補させないことを決め、目前の総選挙のマニフェストに明記する。

 一方の自民党は、菅義偉選挙対策副委員長(党マニフェストプロジェクトチーム座長)が“世襲制限”を主張しているが反対論が多く道は険しい。

 日経調査によれば、衆議院での世襲議員(三親等内)は、民主党が20人(17.7%)に対し、自民党は112人(37.8%)と断然多く、とても党の方針として打ち出せるような状態ではない。特に、世襲議員はベテランに多く、麻生太郎内閣の閣僚も3分の2が世襲議員が占めている。

 なぜ世襲を制限するのかと言うと、人材の供給ルートが限定され、政治の活力が失われるからと岡田氏は説く。

 要するに、政治家の世襲が政治の劣化の遠因となっているということだ。確かにその通りである。

下級武士が主導した幕末維新

 現状は、世襲議員が多いというより、“世襲体制”が築かれてしまっていると言ってもよい。党や内閣のトップを世襲議員が占めるようになった90年代からは、日本の体制や秩序そのものが世襲構造で成り立っている。

 さて、幕末維新の志士たちのほとんどが下級武士であったことは知られている。

 長州藩一つをとっても、正義党(改革派)を率いた村田清風はわずか50石、周布政之助も78石。吉田松陰は26石、桂小五郎も20石の生れ。久坂玄瑞も25石だった。高杉晋作の200石や井上聞多(馨)の250石はむしろ例外で、伊藤博文や山県有朋に至ってはさらに下層に位置していた。

 当時の長州藩には100石以上の家禄を有していた家臣が700人近くいた。だが、彼らのほとんどは、維新回天の事業にもあたふたするばかりで全く役に立たなかった。日和見を決め込んでいて体制維持のためにも本気で戦おうとしなかったのである。

 長州の体制維持派(俗論党)の指導者の坪井九右衛門は100石、椋梨藤太も49石。彼らは高禄の家臣の盾となり、旧秩序におもねることによって出世した。そういう人は、現状の政界にも少なからず存在している。

困難な時期こそ資質が問われることになる

 現状の世襲体制は、このところ急速に幕末の世襲体制と同様の病状を呈するに至っている。それは、解決困難な政治課題が、今まで目立たなかった深刻な劣化の実態をあぶり出したからであろう。平穏な海では、船長の優劣は判らないが、荒れ狂う海では、船長や船員の資質が激しく問われるのだ。

 ところで、現状の世襲体制を打破することは、幕末のそれを打破することよりはるかに難しい。なぜなら、現状の世襲体制は、選挙によって民主主義のメッキが施されているからだ。実際、法律による立候補制限は憲法の「職業選択の自由」に抵触するという議論も出始めている。だが、どう考えても、憲法は世襲体制を擁護するために存在しているのではない。

 民主党が、世襲体制の法制化を目指すのではなく、それを党の方針として打ち出したことは正しい。これで否応なく、今後の国政選挙では有権者の投票行動を決定する重要な判断基準の一つとなるだろう。そうなれば、人材の供給ルートも格段に広がるはずだ。

 日本の政治の世襲体制は、今が頂点にあるのだろう。皮肉なことに、そのときに政治と経済のかつてない危機に遭遇した。おそらく、世論はたとえ政治の側の動きがなくても、世襲体制に大きな転換をもたらす決意を既に固めていることだろう。



小泉首相の二男・進次郎氏「米一流シンクタンク・CSIS」に6月入社の「ナゼ?」 2006年7月31日 松浦淳

まずは、上のホームページをご覧いただきたい。これは米ワシントンDCにあるシンクタンクCSIS(戦略国際問題研究所)の職員紹介ページだ。
 このページの「Staff」欄に「Shinjiro Koizumi」という名前が見える。実はこの人物、小泉純一郎首相(64)の二男・進次郎氏(25)なのだ。小泉首相の後継者と目される進次郎氏が、米国の一流シンクタンクに就職した事実を、本誌は独占キャッチした。
 在米ジャーナリストが、進次郎氏の近況を語る。
「進次郎さんは6月から、CSISの日米関係を分析する部署で働いています。10人前後の小さな部署のアシスタントとして現地採用されました。なにしろ“総理の息子”ですから最初は接しにくい面もあったようですが、仕事をさせてみると素直で真面目。今では周囲のスタッフとも打ち解けていると聞いています」
 進次郎氏が勤めるCSISは62年に設立されたシンクタンクで、クリントン、ブッシュ両政権で幹部を務めた人物も多数勤務している。過去には、石原慎太郎都知事や前原誠司民主党前代表が講演を行ったほか、日本から官僚や一流企業の社員が留学・出向するなど、日米両国で“名門”と認識される頭脳集団だ。
 なぜ、進次郎氏がこのような一流シンクタンクに就職できたのか。実は彼は、こちらも超名門として知られるコロンビア大学(ニューヨーク州)の大学院に留学していたのだ。
「小泉君はコロンビア大の大学院である芸術科学大学院の政治学科に在籍していました。英語の実力は平均以上で、語学は上級クラスを受講していました」(コロンビア大の日本人留学生)
 米国で5番目に古い歴史を持つコロンビア大は、世界でもっとも入学難易度が高い大学の一つと言われる。なるほど、コロンビア大出身ならば一流シンクタンクへの就職も不可能ではないだろう。
 だが、日本にいたころの進次郎氏をよく知る人物は首を傾げる。
「進次郎君が勉強が得意だったという印象はありません。彼は中学時代、塾にも熱心に通っていたんですが、地元の名門で総理の母校である県立よこすか高校に合格できませんでした。大学は関東学院大の経済学部に進学しましたが、4年で単位を修了できず、留年しているはずです」(横須賀市政関係者)(松浦註・ここが、執拗に小泉首相を攻撃している講談社の書きたかったことか。それにしても、横須賀市政関係者、って、横須賀市の市の職員ということでしょう)
 大学卒業後の評判もパッとしない。
「卒業後はフリーター生活を送っていたようです。熱心に働く風ではなく、平日の昼から庭でゴルフクラブを振ったりしていましたよ」(近所の住民)
 学業面で特に秀でていたわけではない進次郎氏が、コロンビア大の大学院に入学できたのはなぜか。「“総理の息子”という威光が活きたのでは」と指摘するのは、前出の在米ジャーナリストだ。

「米国の大学院は英語力や学部時代の成績以上に、推薦状が大きな力を発揮します。進次郎氏ならば政治家や著名な学者の推薦状をもらえるでしょう。また“コネ入学”ではなくても父親が総理在任中の留学ですから、だいがくにとっては日本の有力者との人脈を築くためにも、ぜひ確保したいという思惑はあるでしょう」
 小泉首相はかねてから「65歳で引退する」と公言しており、次期総選挙には出馬しない公算が大だ。小泉家では、長男の孝太郎(27)が01年に芸能界デビューしたため、進次郎氏が後を継ぐことで固まっている。政治評論家の有馬晴海氏は、もう1人の“ポスト小泉”についてこう語る。
「2年ほど前、進次郎氏の生活態度が親族の間で問題になり、『孝太郎を後継ぎにすべきではないか』という家族会議が開かれたと言われています。今回の進次郎氏の進路は、政治化デビューに向けての帝王学という位置づけでしょうし、本人も後を継ぐ決心ができたのだろうと思います。政治家として大成できるかどうかは、本人の精進次第ですね」
 父譲りなのは、“米国かぶれ”だけ、なんてことにならなきゃいいのだが。
(引用終わり)

小渕恵三元首相の娘はテレビ局に就職して27歳で父の後を継ぎ初当選

世襲議員のバカが自民党を滅ぼす、浜田大臣は田母神空幕長を罷免した


(私のコメント)
世襲の問題については4月30日でも扱いましたが、それがなぜ弊害があるかというと歴史を見ればあきらがだ。家業を継ぐ程度なら問題は無いのでしょうが、国歌の舵取りをする人が世襲で選ばれると言う事になると、国家の運営上大きな支障が出てくる。このような問題は小選挙区制度を取り入れた時に党の規約として決めていなければならなかった問題だ。

そうしなければ小選挙区では一名しか議員が選べないのだから、党の公認候補が世襲議員だと他の政治家志望の人を排除してしまう事になる。世襲候補を選ぶ有権者のせいにする人がいますが、選択しようにも今の制度では選択できない制度になっている。小泉元首相が自分の息子を跡継ぎとして自民党の公認を取る事は容易だろう。その時点で他の人は排除されてしまう。

小泉内閣では新自由主義という事で、競争原理を徹底して取り入れようという事なのですが、小泉総理の改革とは単なるスローガンであり、はたして改革だったのだろうか? 競争原理を取り入れると言いながら、自民党の公認候補には競争原理は働いていないようだ。政治家を志しても世襲政治家に排除されては選挙制度も空洞化してしまう。

バカな世襲議員たちは憲法違反だとか言っていますが、菅副選対委員長が言っているのは同一選挙区で公認しないと言うことであり、他の選挙区で出ればいいだけの話だ。政治を志しているのなら親の地元で立候補するよりも、自分が生まれ育った選挙区でどうして出馬しないのだろうか? 

世襲議員の多くは、親が政治家でなければ選挙で当選できるような人材ではない人が多い。国会議員に限らず親が有力者であれば子供は何かと有利であり、就職などもコネで良いところに入社できる。テレビ局などにはそのような有力者の子弟がたくさん勤めている。小渕優子大臣もTBS出身であり、親が元総理でなければTBSには就職できなかっただろう。

小泉純一郎の息子の進次郎二流大学を留年したほどの学力であり、大学卒業後はぶらぶらしているフリーターだった。そんな息子がコロンビア大学の大学院に留学できたのは親のコネがなければ出来ない事だ。さらには有力シンクタンクのCSISに就職できたのも親のコネがあったからだ。アメリカやイギリスはこのような有力者の子弟の留学を引き受けて洗脳を施して帰国した後は指導者に仕立てていく。

しかし良く調べていくと世襲議員は中選挙区時代に最も多く誕生しており、小選挙区制度になってからは減っているそうです。やはり政治家の世襲は良くないと言う見識が徐々に浸透してきているからでしょう。安倍晋三元総理も福田康夫前総理も最後の中選挙区か最後の前の選挙で初当選をして国会議員になった。つまり小選挙区になれば党主導になって世襲は控えられる傾向が出てきている。


風知草:実は、世襲は減っている毎日新聞 2008年10月20日

小泉純一郎の「親バカ」引退宣言で世襲議員は増えつつあると見られがちだが、政治学者の成田憲彦(62)によれば、現実は逆だ。麻生内閣は首相自身と閣僚の半数以上が世襲だが、それは2、3世が大量当選した中選挙区時代の残照に過ぎないという。小選挙区制導入で世襲は減っており、どうやら11月30日らしい次期総選挙でさらに減るというのだ。

 成田が国会議員の出自と学歴を調べて「大学ランキング2009年版」(朝日新聞出版)に寄稿したリポートの中に面白いデータがある。2世と3世は衆院の自民党に集中し、それも若いほど少なく、古参ほど多いというのである。

 大づかみに言って、若手(当選1〜3回)の間では2、3世は5人に1人。それが中堅(4〜6回)で3人に1人、ベテラン(7〜9回)では2人に1人と増え、当選10回以上の古参組になると、実に5人中4人までが世襲だという。

 「世襲内閣は中選挙区時代の残照」という成田説は、安倍晋三と福田康夫の経歴を見ればよくわかる。安倍は93年、福田は90年が初当選。衆院選は93年まで中選挙区制で実施された。2人は最後の2回の中選挙区選挙で政界入りした。

 「当時は議員の個人後援会に依存する自民党選挙の全盛時代。議席を守るためには世襲が手っ取り早かった。あのころまでに初当選した2世、3世が首相や閣僚になり始めたのが今の時期なんですよ」

 そう語る成田は国立国会図書館調査立法考査局の元政治議会課長。93年、非自民連立・細川政権の首相秘書官になり、細川退陣後は駿河台大学(埼玉県飯能市)教授に転じた。専門は現代日本政治分析。昨年から学長を務めている。

 議員世襲は、長期的には解消へ向かう。なぜか。

 「民主党という対抗勢力が生まれたからですよ。小選挙区選挙が初めて実施された96年以後に結成(98年)され、世襲ではない人材を集めて発展した。自民党も対抗上、候補者公募を多用し始めています」

 と成田。なるほど−−。次期衆院選の勝敗にかかわらず、民主党の進出とこれに対抗した小泉劇場の成功により、日本の政治風土は既に大きく変質したと見るべきなのだ。

 政治改革恐るべし。小選挙区効果で中選挙区制とそこから生じる派閥政治は壊れた。同時に派閥の良い面も失われた。派閥というルツボの中で同志と競い、時に入閣して政策立案、官僚操縦、国会対策を学ぶ。そういう教育訓練機能まで壊れてしまった。残る課題は世襲解消より人材養成ではないか。

 自民党総裁の条件は三つあったと成田は言う。「衆院当選10回以上」「派閥の長」「党三役と重要閣僚(財務相と外相)経験者」だ。安倍は当選5回、福田は6回。ともに派閥の長ではなく、閣僚は官房長官だけ。経験不足だった。

 微妙なのが麻生太郎だ。安倍、福田と同じ世襲議員だが、当選9回。小なりといえども麻生派20人を率い、幹事長、政調会長、外相、総務相、経済財政担当相、経企庁長官をやって成田3原則に肉薄している。

 別格が小沢一郎である。これまた2世なれど当選13回。百戦錬磨の豪傑だが、今は野党のトップにとどまる。乱世の訓練は実戦にあり。世界金融危機と総選挙への対応を競いながら、おのずと人材が選別されていく局面だろう。(敬称略)(毎週月曜日掲載)



(私のコメント)
有権者の良識も徐々に出てきているのでしょうが、今度の衆議院選挙でも世襲候補が三人いるそうです。その内の1人が小泉進次郎候補であり、神奈川11区の有権者の判断はどう出るのだろうか? 自民党の長期的退潮の原因の一つが人材不足ですが、自民党は世襲候補の拡大が志しある候補者を排除してきてしまったのだ。だから民主党に人材が流れてしまっている。

つまり放置していても世襲候補が多い自民党が選挙で負けるのは、人材の質の低下で止むを得ないだろう。そして有能な議員を拾い集めてきた民主党が勝つのは時間の問題だ。小渕優子大臣や浜田靖一大臣がなにを言おうとかってだが、世襲議員は自民党を滅ぼす元だ。




クライスラーの破綻は、アメリカ自動車文明の終焉であり、
米国のメーカーがハイブリッドカーを作れないのは象徴的だ。


2009年5月2日 土曜日

クライスラー破綻:/上(その2止) フィアット「火中の栗」 5月2日 毎日新聞

「日本の自動車メーカーが手ごろな価格でデザインも優れたハイブリッドカーを作れるのに、どうして米国メーカーはできないのか」−−。

 クライスラーが米連邦破産法11条を申請し、経営破綻(はたん)する前日の4月29日のホワイトハウスでの会見で、オバマ米大統領は米国自動車産業のふがいなさにいら立ちを爆発させた。

 「自動車産業は米国の象徴であり、消滅させるわけにはいかない」と米自動車復活に意欲的なオバマ大統領だが、クライスラーに象徴されるように長年、研究開発投資を怠り、最先端の小型車やエコカー(環境対応車)の技術力に乏しくては、いくら公的資金をつぎ込んでもムダ金に終わるだけ。

 クライスラーは今年1月中旬にデトロイトで開かれた北米自動車ショーに「クライスラー」「ダッジ」「ジープ」の代表ブランドでそれぞれ1台ずつ電気自動車の試作車を出品。ジム・プレス社長は「我々にはエコカーの技術も人材もある。無いのは量産に向けた資金だけだ」と盛んにアピールした。しかし、バッテリーなど肝心の技術について「企業秘密」の一点張りでまともに説明できないクライスラー幹部の姿に、業界では「張りぼてではないか」との失笑さえ漏れた。

 そんなクライスラーの悲惨な状況を知ったオバマ政権の自動車問題作業チームにとって、ビッグ3(米自動車大手3社)の一角の完全消滅を避けるには、外資との提携に頼るほかなかった。小型車が主力で環境技術開発にも意欲的なイタリア大手、フィアットをクライスラーとの交渉につなぎ留めることは必須だった。

 フィアットのトップが世界で競争可能とされる「400万台クラブ」(年間生産台数400万台以上)入りを目指す再編論者のマルキオンネ氏だったことも好都合。ゼネラル・モーターズ(GM)、日産自動車から、韓国・現代自動車、ロシアの自動車メーカーまでがクライスラーの体たらくぶりに「提携を深めても経営の重荷になるだけ」と二の足を踏む中、年間1000万台以上の需要を抱える北米市場への80年代以来の再参入を悲願とし、拡大志向の強いフィアットのマルキオンネ氏だけは「火中の栗(くり)」のクライスラー救済に意欲を示し続けた。

 「米自動車産業の復活」を目指すオバマ大統領と、海を越えた再編で日本や欧州の上位メーカーに追いつこうとするイタリアの猛烈経営者。破産法を申請したクライスラーが清算を逃れたのは、この2人の野望の合作だが、そこには本来の主役のはずのクライスラーの存在感は皆無だった。

 オバマ大統領はクライスラーはフィアットとの提携完了で「強く、効率的な企業に生まれ変わる」と強調。フィアットのマルキオンネ氏は「クライスラーだけでなく、自動車産業が抱える問題にも建設的な解答が示せる」と自信をみなぎらせたが、業界では経済合理性とはかけ離れた思惑で進むクライスラーの再生劇の前途を危ぶむ声が強い。

 ◇手続き、30〜60日で 全米自動車労組、株式55%保有

 クライスラーは今後、イタリア大手・フィアットから、新車開発など技術と役員も含めた人材の両面で支援を受けるほか、米国とカナダ両政府から総額100億ドル(約1兆円)余りの公的支援を得て、早期の経営再建を目指す。

 破産法手続きでは事業資産の大部分を新生クライスラーに移管。提携先のフィアットが20%の株式を持つほか、主要債権者である全米自動車労組(UAW)が55%、米政府が8%、カナダ連邦・州政府が2%をそれぞれ保有して、30〜60日間での法的手続きの終了を目指す。経営を指揮する新たな取締役会を9人で構成し、政府とUAWが合わせて6人、フィアットが3人を派遣する。フィアットは将来的に35%まで持ち株比率を引き上げることが可能。さらに、米政府から受けた公的資金を完済すれば、発行済み株式の最大51%を取得して子会社化できる条項も盛り込まれた。【坂井隆之】



日本の自動車産業は安泰か?「エレクトロニクスカー」で攻めるアメリカ  好川 一 [2007/11/15]

先日、インディアナポリスへ出張する所用ができ、思い切ってニューヨークから車で行ってみました。ニューヨークからインディアナポリスまで、ざっと1600マイル(2560 キロメートル)を2日がかりで走破できました。車での遠出は6〜7年ぶりになります。正直言って、もう若くないので長距離のドライブはかなり疲れましたが、色々なことが分かり、その点では有意義でした。

 なぜ車で行ったかというと、アメリカにおける自動車事情をドライブを通じて実感したかったからです。実は11月の第3週目に、「自動車産業の動向」というテーマで、日系企業に向けてプレゼンテーションをすることになっており、ここ2カ月ほどは準備で世界の自動車産業に関する資料ばかり読み、あれこれ考えていました。

 完成車および部品を含め、最強と謳われている日本の自動車産業ですが、私はその将来を憂慮しています。自動車産業は今、大きく変化しており、日本の自動車産業はこの変化を読んで、慎重に行動していかないと危険ではないか、ということです。

アメリカの小型車が結構走っている

 ニューヨークからインディアナポリスに至るドライブで感じた事を列挙しておきます。ニューヨーク、特に高級住宅街であるウェストチェスターで見かける車は、圧倒的に日本車と欧州車が多いです。しかし、アメリカ中西部に入っていくと、様相は一変します。アメリカ車ばかりです。メルセデス、BMW、ジャガー、そしてレクサスなどはほとんど見ませんでした

 そのアメリカ車の傾向として、小さい車が増えました。特にGMのCHEVYはよく見かけました。私は、CHEVY TRAIL BLAZERを借りて行ったのですが、想像していたより性能も質も高いことにちょっと驚きました。アメ車はダメ、とはとても言い切れない気がします。

 もう一つ印象に残ったのは、コンテナーを運ぶ長距離トラックの性能が上がったことです。とにかく速い。そしてその長距離トラックはなぜかボルボが多かった。アメリカ製のトラックはどこに行ったのでしょう。それから、一般乗用車にせよ、トラックにせよ、FORDが少ないことも気になりました。本当にFORDの車を見ないのです。

 では、日本の誇る自動車業界について考えていることをお伝えします。少し前の日本経済新聞に、日本の自動車産業の課題として、次の三点が上げられていました。一つは、二酸化炭素や窒素酸化物の排出、すなわち環境問題です。これに関係しますが、もう一つ大きな問題として、エネルギー問題があります。5年前に1ガロン$1.20くらいだったガソリンは今、$3.20 くらいに上がっています。枯渇するだろう石油を代替する燃料は何が主流になるのでしょうか。三番目は、少子高齢化及び若者の車離れです。つまり日本でこれ以上、車を売って行くことは大変だということです。

 日本がとる手としては、環境問題とエネルギー問題に対処した車を出し、アメリカをはじめ、世界各国で売っていくことになります。ヨーロッパの自動車メーカーも、この二つの問題に取り組んでいます。現在では、日本のハイブリッドカーと、ヨーロッパのクリーンディーゼルが短期的なソリューションの双璧です。トヨタとホンダはクリーンディーゼルエンジンの技術も持っています。

 日経の多くの記事を読むと、三つの課題を指摘しつつも、欧米の自動車メーカーにはハイブリッドカーのような高度な仕組みを持つ車は作れない、だから日本の優位は安泰、と読めました。精緻なモノ作りは日本人にしかできない、chinaやインドで作られた自動車は永遠に日本車に追いつけないだろう、と言う声も聞かれます。韓国のHYUNDAIの品質は15年かかってトヨタに追いついたそうですが、ブランドイメージは今一歩です。(後略)



(私のコメント)
アメリカの繁栄はT型フォードに始まるガソリン自動車がその象徴ですが、アメ車と言えば大排気量でハイパワーのガソリンバカ食いの車が特徴でした。アメリカが大石油産出国でありガソリンは水のように安かった。大型車なら大きなガソリンタンクを搭載すればいい訳であり、大型車ほど高級車というイメージをアメリカ人は持っていた。

アメリカのようなだだっ広い大陸を走るには、大型車で頑丈な車でないと心細くなるのは当然なのでしょうが、特に中西部などはその傾向が強いようだ。芳川氏の記事にもあるように最近ではアメリカ車も小型車が増えてきたのはガソリン価格が高騰してきたからであり、1リットル100円もするようになれば大排気量のアメ車には乗れない。

一時的に石油価格が下がりましたが、不景気にもかかわらずじりじりと上がり始めている。中国やインドなどの新興国の経済発展で石油消費の増大するのは必然であり、中国はアメリカを追い抜いて自動車大国になっている。世界から見ればもう一つアメリカが出来たようなものであり、中国の数千万台の自動車が走れば石油が足らなくなるのは必然だ

アメリカでも自動車が撒き散らす排気ガスで、カリフォルニアでは排気ガス規制が厳しくなりましたが、性能的にも燃費のいい自動車が求められている。しかしアメリカの自動車メーカーは採算のいいSUVなどを作って売ってきましたが、SUVは装甲車のようなごつい車で燃費は戦車のようにガソリンをバカ食いする。

アメ車の燃費はリッター5キロぐらいで、日本車はリッター15キロぐらいの燃費だ。ところがハイブリッドカーになると30キロ以上もある。実際走ると23キロくらいなようですが、エコドライブで走れば40キロくらい走る事もあるようだ。電池の性能が上がればハイブリットカーの燃費はますます良くなるわけで、リチウムイオン電池が普及すればプラグインハイブリットカーになり、買い物程度なら電気自動車として使える。

一気に電気自動車が普及すると言う見方もありますが、リチウムイオン電池は高価であり航続距離を伸ばすには数百キロもの電池を積む必要があって、用途は限られるだろう。ハイブリッドカーはそれまでのつなぎと見られてきましたが、次世代車の本命となって来ました。GMなどが作っているボルトというハイブリッドカーはシリーズ型ハイブリッドであり、より多くの電池を積まないと走らない。

オバマ大統領が嘆くように、アメリカのメーカーはハイブリッドカーの開発に失敗している。トヨタのハイブリッドカーの開発も非常に困難な技術的問題を解決してきたから出来たものであり、改良に改良を重ねて作られてきたから外国のメーカーが真似して作ろうにも作ることが出来ない。

トヨタが始めてハイブリッドカーの試作車を作った時は全く走らなかったそうだ。電動モーターとガソリンエンジンが結合されているから、どこかに不具合があるとうんともすんともいわなくなる。無理に動かそうとしてエンジンのクランクシャフトが何本も折れたそうです。外国のエンジニアがプリウスを分解して調べたそうですが、仕組みは分かってもシステムはICチップに収められているから同じ物が作れない。

ヨーロッパではクリーンジーゼルが開発されていますが、開発には非常に時間とコストがかかり、排気ガス規制をクリアするには限界があると悟ってフォルクスワーゲンなどもハイブリッドカーを開発しているようです。電池の開発が進めばハイブリッドカーの燃費がさらに良くなりコストも安くなり普及が進むだろう。

日本ではトヨタとホンダがハイブリッドカーの価格の引き下げ競争が始まっていますが、技術的問題はクリアされて先に量産体制をとったところが勝つだろう。プリウスやインサイトも政府の景気対策で補助金が出るようになって他のガソリン車よりも安くなっているくらいだ。

ハイブリッド車の一番の特徴は燃費の良さですが、住宅街の細い道を電動モーターだけで走る時の静かさは従来の車には無いものだ。近未来的な車のデザインも購買意欲をそそらせるものであり、車内のメーターも液晶画面でガソリンの残量や燃費や動力の状況が見られるようになってエコドライブが目に見えるような工夫がなされている。

都内ではハイブリッドカーのタクシーも見られるようになりましたが、営業用の自動車にもハイブリッドカーが使われるようになったという事は燃費と静粛性が評価されたからだろう。クライスラーはフィアットとの提携で再建されるようですが、ベンツとの提携でも失敗している。結局は技術革新にアメリカの自動車メーカーは付いて行けなくなったのであり、アメリカの自動車文明の終わりの始まりなのだろう。




風車の羽根1枚の長さが約1メートルと小型のものでも、平均風速が
4−5メートルあれば 一般家庭の年間使用電力量をまかなえる。


2009年5月1日 金曜日

高効率の小型風車を開発  九大教授、中国でも活用 4月30日 共同通信

九州大応用力学研究所の大屋裕二教授(風工学)が、風車の周囲に特殊なカバーを付けることで、風車の大きさが同じでも発電能力が2−5倍になる小型の風力発電機を開発した。中国の砂漠化防止プロジェクトで活用されたり、福岡市が導入を予定するなど注目を集めている。

 大屋教授によると、帽子のつばの様な形をしたカバーが風の流れを乱し、渦を発生させて風車の後方の気圧を下げることで、より強い風が風車に流れ込むようになる。風を集めて発電効率を高めるため「風レンズ風車」と名付けた。

 建物や橋などに余計な負荷を与える渦をいかに抑えるかを研究してきたが、今までにない風車を作ろうとした結果、厄介者の渦をあえて利用する方法を思い付いた。

 風車の羽根1枚の長さが約1メートルと小型のものでも、平均風速が4−5メートルあれば一般家庭の年間使用電力量をまかなえるといい、大屋教授は「風が強くなかったり、スペースがない場所でも使用でき、風力発電普及の可能性が広がる」と話す。大型の風車への応用も検討しているという。

 小型で運搬に便利な点に注目した中国の清華大は2006年から、交通網が未整備な中国西北部の砂漠地帯のかんがいに利用。6基の風車で発電して地下水をくみ上げ、緑を育てている。福岡市も09年度に2基を市の施設に設置する予定で「将来的には分散型の電源として離島でも活用したい」と期待をかける。



「風レンズ風車」導入へ・・・福岡市、弱風でも発電可能に 3月4日 読売新聞

福岡市は、風車に風を集めるリングを取り付けることで、弱い風でも発電を可能にする「小型風力発電システム」を試験導入する。国内の自治体では初めて。温暖化対策課は「離島やへき地で使うと送電時の電力ロスが解消されるため、離島の多い九州の環境保全に貢献したい」としている。

 このシステムは九州大応用力学研究所が開発。リングは「風レンズ」と呼ばれ、風が入る部分の直径を小さく、出て行く方を大きくし、出口に帽子のツバのような障害物を取り付けてある。リングの外を通る風はツバに当たって渦をつくり、リング出口の気圧は低くなり、風は吸い込まれるようにリングに引き込まれるため、小さな風でも発電が可能になる。

 また、風車を小型にできるため、羽根が回転する際に生じ、周辺住民への健康被害も懸念される低周波の発生を抑制できるうえ、リングに鳥の侵入を防ぐネットを取り付けて、巻き込みも防げるという。

 設置するのは、秒速10メートルの風でおおむね1世帯が消費する電力に相当する3キロ・ワットの発電が可能な風車で、羽根の直径は2・5メートル。みなと100年公園(東区)や中央ふ頭(博多区)、西部水処理センター(西区)など5か所から条件の良い場所を選び、2基を設置する。事業費は900万円。


(私のコメント)
最近こそエコロジーブームで太陽光発電や風力発電は注目も集まり、各地でも作られ始めていますが、風力発電に適した場所が少なく大きな風車を見かける事は少ない。台風などが来れば巨大な風車は破損などの危険が伴う。さらに低周波音公害などの問題もあり、日本に適した風車が出来ないかと考えてきました。

日本の風は風向きはよく変わるし、微風の時でも発電が出来るようにならないと効率が悪い。大陸性の気候なら一定の風が一定の方向から吹く事が多くヨーロッパやアメリカなどでは大規模な風車が数多く並んでいるのを見かける。

太陽光発電と風力発電では一長一短があり、太陽光発電は晴天で昼間しか発電できないが、風力発電では風さえあれば常時発電が可能だ。風レンズ風車なら弱い風でも発電が可能であり、小型でも発電が可能だからビルの屋上や庭先に設置する事も可能であり、広い敷地も必要が無い。

スマートグリッドについては先日も書きましたが、各家庭ごとに太陽電池パネルや風レンズ風車を取り付けて蓄電池にためて利用する事が普及するだろう。たとえば電気自動車の蓄電池を家庭用の電源として使うことも検討されている。あるいは太陽電池や風力発電で発生した電力を電気自動車に充電することも可能だ。

このように各家庭単位で発電して蓄電池に貯めて利用すれば、家庭用にも自動車用にも使う事が出来て、余れば電力会社に売る事も出来る。各家庭の発電では家庭用の燃料電池なども実用化されていますから、電源を多様化する事でエネルギーを海外に頼る割合が減ることは国家安全保障にも繋がる大戦略だ。

日本はエネルギー源をほとんど海外に頼り、石油がストップするだけでも致命的な打撃を受けます。産業用の電力は従来の発電に頼らざるを得ませんが、各家庭の電力については太陽光や風力や燃料電池などによる多様化で自給自足が可能になるかもしれない。燃料電池も水素が燃料になるから水や海水を分解すれば無尽蔵のエネルギー源となる。

水から水素を取り出すのも電力が必要ですが、海上の風力発電で出来た電力で海水を水素にして利用すれば家庭用にも自動車用にも利用することが可能だ。麻生内閣では15兆円の景気対策を行なっていますが、洋上風力発電にどれだけの予算が付けられたのだろうか? 風レンズ風車を利用すれば効率的な発電で水素を作ることが出来る。


発電能力4倍の超大型風レンズ風車、浮体の寿命100年以上 船瀬俊介

「これまで最大で5MW(メガワット)の発電能力が3〜4倍の15〜20MWと飛躍的に増加します」。   

 送電線は使わず、発電した電力で海水を電気分解して“水素”をつくり、それを船で陸上に運ぶ。後は水素発電や燃料電池に使う。風車、浮体などに使用する新素材SCFの耐用年数はなんと100年以上…! これにより大幅なコストダウンが可能となる。

 この浮体式の風力発電基地では原発1基分に相当する100万kW発電を、超低コストでめざす。海水を逆浸透膜で真水に変え、水素を生成・貯蔵する技術も、他分野の研究者の知識が活かされている。

 新素材SCFは (1) 風車本体、(2) 水素容器、(3) 浮体 ―― のすべてに活用される。日本最新の頭脳による「高強度素材」「効率的風車」「水素貯蔵」など先端技術が結集した夢のプロジェクトだ。資金の目途がつけば7〜10年で実用化可能だ。



ホームページへ


広告 [PR] 高収入  メイク 美容家電 無料レンタルサーバー