株式日記と経済展望

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給料はなぜ上がらないのか? 日本の賃金減少、労働分配率低下は、
低賃金の非正規労働者の構成比が増えたことと同義なのだ。


2008年5月31日 土曜日

大企業ほど労働分配率が低いのは、非正規労働者の構成比が増えたことだ


給料はなぜ上がらない−−6つの仮説を読み解く 3月30日 東洋経済

資源価格高騰の影響という四つ目の仮説は最近、精緻な分析が進んでいる分野だ。従来の労働分配率の議論では、実質GDPがベースとなっていた。しかし、実質GDPは数量ベースの考え方であり、石油や原材料など輸入価格の高騰による交易条件の悪化は織り込まれていない。

 この交易条件の悪化による海外への所得流出を織り込むと、景気の実態は実は実質GDPの数値より悪い。分析を行ったみずほ総合研究所の泰松真也シニアエコノミストによると、「04年から07年秋にかけて、実質GDPは33・1兆円増えたが、交易条件の悪化でおよそ半分の15・3兆円の所得が海外に流出した。これほどの交易利得の悪化は第2次石油ショック以来のことだ」。

05〜06年に限れば賃上げしすぎ?

 下の図を見てほしい。水色の折れ線が労働生産性上昇率、赤の折れ線が実質賃金上昇率の実績だ。今回の景気拡大期は、実質賃金上昇率が一貫して、労働生産性の伸びを大幅に下回っている。その差はあまりに大きいため、労働者にとっては、本来得られるべき賃金上昇が得られなかったことを示している。

しかし、交易条件の悪化を織り込むと様相は少し変わってくる。マイナスの棒グラフが原油高騰などによる所得流出効果、青色の折れ線はこの所得流出効果と労働生産性の伸びを織り込み、かつ過去の労働分配率を維持したとすれば実現できたはずの実質賃金上昇率を表している。

 これを見ると、確かに03年〜05年前半までは労働者は賃金上昇を取り損ねているが、05年以降の所得流出効果の拡大で、実は05年後半から06年末にかけては、労働者は許容範囲以上に実質賃金を取りすぎていたことがわかるだろう。そのことに気づいた企業は再び財布のひもを締めた。それが07年から再度実質賃金低下が顕著になる理由と考えられる。

 現在、足元では石油は1バレル=100ドル突破が続き、騰勢を強めている。労働者が目指すべき実質賃金上昇率の目安となる青色の折れ線は、今後一段と下落することは確実だ。今春闘でも大企業のベアは前年並みの伸びにとどまったが、今後の日本全体の賃金環境は一層厳しくなることが予想される。
 
 これは一企業のミクロの視点で見れば、原材料費の高騰で収益が圧迫され、賃金を増やせない構図とまったく同じだ。また、「昨今、日本から産油国への自動車の輸出などが急増しているが、これは産油国が所得流入効果で実質GDP以上の所得を得て購買力を増しているということだ。逆に今の日本は実質GDPより実際の購買力は弱い」(泰松氏)。

 第5の仮説は、日本の全従業員の7割を占める中小企業を通じた労働分配率の増加は難しいというものだ。下の図のように、中小企業の労働分配率はすでに高止まりを続け、もはや上昇の余地は乏しい。これは中小企業の付加価値が低いためだが、儲からない中小企業はすでに可能なかぎり目いっぱいの賃金を払っている、と言い換えることもできる。

これには大企業批判の側面もある。連合が昨年9月に行った調査によると、原材料費が高騰した過去5年で、生産品の単価が下がったと答えた中小企業は電機、自動車の下請けがともに5割超と突出した。しかも、大企業など取引先の要請に近い水準で単価を引き下げた中小企業は自動車で28%、電機で22%に及ぶ。

 ここからうかがえるのは、原材料価格の上昇を中小企業に負担させ、大企業が利益を吸い上げる構図だ。そして、利益が集中する大企業では労働分配率はとても低い水準に押さえ込まれているから、全体として賃金は上がらない構造である。

 さてここまで読み進めて、「賃金減少」という言葉にピンとこない読者もいたことだろう。あなたが大企業の正社員ならその直感は正しい。
 
 02年の「トヨタショック」以降、大企業でベアゼロの嵐が吹き荒れた。しかし、こうした大企業の正社員賃金が日本の労働分配率低下を主導したかといえば、答えはノーだ。彼らは定期昇給で毎年給与は上がったし、「好業績はボーナスで報いる」との企業方針から業績好調企業はボーナスの満額回答も得てきた。

 実際の賃金減少、労働分配率低下の波及経路は別にある。その痛みを現実に引き受けたのは、00年前後から急増した非正規労働者たちである。最後となる六つ目の仮説は、この非正規労働者が主役だ。

 自由主義を代表する経済学者で76年にノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマンは「労働組合不要論」を展開したことでも有名だ。その骨子は「労組が組合員に対して獲得する賃上げは、主として労組の外にいる他の労働者の犠牲においてである」。「組合員」を正社員に、「他の労働者」を非正規労働者に読み替えれば、これは昨今の日本の労働市場にそっくり当てはまる。

 今回の景気拡大期の最大の特徴は、企業が既存の正社員の雇用と賃金水準を守りつつ、新たな正社員採用の代わりに低賃金の非正規労働者を一方的に増やしたことだ。00年からの7年間で、正社員は約190万人減り、パートや派遣など非正規労働者は約450万人増えた。

 この間、非正規労働者の全体に占める割合は26%から33%台に拡大、これら労働者のほとんどは年収300万円以下だ。つまり、日本の賃金減少、労働分配率低下というのは、低賃金の非正規労働者の構成比が増えたことと同義なのだ。

 こう考えると、個人消費活性化のために賃上げするなら、正社員より非正規労働者を優先するのが正論だとわかる。企業経営者は「将来不安が強い中、賃金を上げても貯蓄に回る」と主張するが、年収300万円以下の賃金底上げは確実に消費に寄与する。それで景気が活性化すれば、正社員にとってもプラスだ。

 今回の景気拡大局面を最も読み違えたのは日本銀行だろう。06年3月に量的緩和政策を解除したのは、景気回復で企業が賃金を上げると見込んだからだ。しかし、企業はその後も労務費を下げて製品価格を値下げするというデフレ型行動原理を繰り返した。その際に最大の役割を演じたのが、労働市場の規制緩和を受けた非正規労働者の活用だ。今や景気後退に転じつつある日本。非正規労働者に依存しすぎて、デフレ脱却のチャンスを逃したといえるだろう。


(私のコメント)
日本の年金や健康保険の赤字は少子化によるものよりも、正社員が減って非正規雇用が増えた事による年金や健康保険の掛け金をまともに払う人が少なくなった事による影響が大きいだろう。20歳代の人は半数以上が年金の掛け金を支払っていない。健康保険も滞納世帯は2006年には19%を越えてきた。

正社員の場合は給料から天引きだから滞納はほとんどないが、非正規雇用になって国民年金や国民健康保険を支払うのは随時になるから滞納が増えてしまう。そのために後期高齢者医療保険では年金から天引きにしましたが、天引きにしないと滞納が増えてしまうからだ。

小泉構造改革で人材派遣などの規制緩和が広がり、大企業などでは正社員から非正規雇用に切り替えが進み、年収が300万以下の非正規雇用の労働者が増えた。つまり中高年の首を切らない代わりに、新規採用をストップして派遣社員で穴埋めする事によって会社の業績を上げることが経営の主流になった。

冒頭のグラフを見れば分かるように、中小企業に比べると大企業の労働分配率が、小泉内閣が発足した2001年から激減している。それに対して中小企業は正社員から非正規雇用への切り替えが進んでいない状況が読み取れる。すでに正社員も賃金が非正規雇用並みに低くなっているのかもしれない。

表題の「給料がなぜ上がらないか」という問題で、最近では原材料価格の高騰で利益が削られて人件費が抑えられているという見方が有力ですが、大企業は下請け企業に原材料費のしわ寄せをしているようだ。ダメなら中国から輸入して取引を切られてしまうから下請け企業は受けざるを得ない。

このように中国が世界にデフレを輸出して、人件費も製品価格も抑えられてしまう状況が続いている。日本も輸出で経済を回している以上は中国に対抗できるだけの安売りをしなければならず、国内のコストは限りなく削られるようになっている。このようなことが90年代から最近まで続いているのですが、中国や中東の産油国などに富が移転して、相対的に日本が貧しくなっているのだ。

だから中国や中東産油国は経済的に豊かになり、超高層ビルが林立するようになった。日本は貿易収支などは黒字を続けているのですが、全体の経済は好調でも消費が低迷して、国民所得水準は低迷したままだ。輸出大企業は利益を上げていても国内に波及してこないでアメリカにドルのまま利益が滞留してしまっているからだ。

グローバル経済化で世界的な経済構造から分析していかないと、日本の経済も分析できなくなってきていますが、それには中国やインドや新興国などがこれからどうなるかを分析しないと日本経済の先行きも分析できない。中国やインドがこのまま高度成長して日本に追いついてくるのだろうか? 

中国やインドが高度成長すれば当然人件費などのコストも上がるはずだ。それに伴って日本の相対的な経済競争力も上がってくるはずだ。現に中国などでは人件費などを初めとして原材料費などの高騰も激しくなってきた。だからグローバル企業は中国からインドやベトナムなどに工場を移転させている。一部は工場も国内に回帰してきている。

だから日本も最悪の状況は脱してきたと言えるのでしょう。そして石油などの原材料価格の高騰はエネルギー効率のいい日本のほうが有利な面も出てきた。中国やインドはエネルギー不足で停電や物流の停滞など激しくて有利ではなくなってきたからだ。そして豊かになった中国人やインド人は食べ物や日用品なども高級品を好むようになって日本からの製品や食料の輸出も多くなるだろう。

国際的な原材料価格の高騰は人件費の安さだけでは競争できなくなり、大量生産や大量消費が出来なくなり、長持ちする高級品が好まれるようになる。安かろう悪かろうの製品では売れなくなり、これまでの中国ブームは近い内に終わりを告げるだろう。毒入りギョーザ事件がその象徴になるだろう。

中国の巨大市場に釣られて日本から20000社も企業が進出した事が、日本の人件費の抑制につながりましたが、これらの企業の一部が国内に回帰してくれば雇用状況も変わってくるだろう。この数年は新卒者の奪い合いが起きていますが、これらが雇用情勢の変化を感じさせますが、非正規雇用者の正社員化も起き始めて来た。

大企業にとっては原材料価格の高騰が一番の問題になってきていますが、となると通貨の強い国が有利となり、通貨の弱い国がインフレなどで経済競争力が弱くなるだろう。石油などの原材料は中東などに偏在しておりアメリカや中国のような通貨の安い国はガソリンなどが高騰する。日本は円が高いお陰でさほどは高くならない。

このような事は70年代にも起きましたが、日本は省エネの自動車などが売れて高度成長した。そして現在は石油が1バレル135ドルにもなって第三次石油ショックが来ている。そうなると70年代のように省エネ時代となり日本のような省エネ国が有利になる。アメリカのような大量消費国は貧血状態になり中国もエネルギー効率が最悪で石油ショックのダメージをまともに食らうだろう。

国際金融資本は次は中国だのインドだのと投資をしてきましたが、人件費の安さよりもエネルギー効率や高品質なものが出来る国に投資をシフトしてくるだろう。それはEUや日本のようなハイテク国家だ。石油も1バレル200ドル300ドルと上がっていくだろう。それで一番困っているのは輸出商品のない貧しい国であり、二番目に困るのはアメリカや中国のような大量消費国だ。

一次産品の高騰はEUや日本のようなケチケチ国家には追い風であり、より省エネを目指して日本やEUに投資が集まる時代が来るだろう。そうなれば日本の雇用情勢も変わってきて賃金も今まで抑えられてきた分だけ上がる時代が来るかもしれない。しかしグローバル時代で海外から低賃金の労働者の流入問題が出てくる。




「著作権帝国バーニング」 ジャスラックは暴力団の代わりに弁護士
を連れてくる。それでもラチがあかないとなると法廷闘争で脅迫する。


2008年5月30日 金曜日

【再びジャスラック問題を訴える、ジャスラックの独占禁止法違反抵触考その2】 2008.4.24日 れんだいこ

れんだいこは、ジャスラックの解体再生を指針させている。この論法は靖国神社考と通底している。その趣旨は後で述べるとして、こたびジャスラックが「独占禁止法違反の疑い」で公正取引委員会の立ち入り検査を受けたとの報道が為されていることにつき見解を述べておく。これまでジャスラックは手前達が立ち入り調査することはあれ、初めてされる立場に追い込まれたことになり皮肉である。

 この事件をどう受け止めるべきであろうか。れんだいこは、ジャスラックが特有の著作権論を編み出し、課金制と暴力金融並みの強引な取り立てによる悪徳商法に走っており、その結果なるほど売上は定向進化で巨大化し続けているが、同時にその使用料金徴収実態が社会問題化しつつあり、そういうこともあってこたび公正取引委員会がようやく重い腰を上げざるを得なくなったと見立てている。

 れんだいこは、公正取引委員会の摘発とは違う面でジャスラック商法のイカガワシサを告発している。公正取引委員会は、独占禁止法違反で実態解明に向かえば良い。そもそも公益性の強い社団法人格であるはずのジャスラックが民間の営利企業さえ恥じろいたじろぐばかりの儲け商法に走り始め、市場独占し続けている不当性は糾弾されて然るべきと考える。政治家は、パーティー券をたくさん買ってくれるので知らぬ顔をしているという腐敗がある。

 れんだいこは、ジャスラックの偏狭強権的な著作権論に着目し、著作権法並びに音楽著作権法違反で実態解明に向かおうと思う。以下、れんだいこの趣意を述べる。

 ジャスラックは、著作権法並びに音楽著作権法が本来要請していない著作権侵害論を編み出し、人民大衆の音楽愛唱演奏にのべつくまなく課金し、その責任を店舗経営者に転嫁し、強引な取立で顰蹙を買い続けている。一体全体、人民大衆が歌唱演奏したとして、店舗がカラオケ機器を置いて営業利用したとして、何でそれが著作権侵害であるものかは。ジャスラックは本来、音曲文化の裾野形成として喜ぶべき事象に対し、著作権侵害だとして罵詈雑言しつつ取り立てに向かっているが、狂気の沙汰ではないのか。

 暴力団はその昔、恐いお兄さんやオジさんを連れてきて嫌がらせをしてミカジメ料を取り立てた。ジャスラックは暴力団の代わりに弁護士を連れてくる。それでもラチがあかないとなると法廷闘争で脅迫する。この時、請求額が、暴力金融さえ驚く高額請求に跳ね上がっている。これができるよう一応法律で通しているが、金銭消費貸借でもない著作権侵害で、金銭貸借上の延滞金利上限枠以上の暴利を取ることができるのかどうか。これを誰も問題にしていないが違法性が強いと云うか違法そのものだろう。仮に著作権侵犯だとして、金銭貸借以上の制裁を科すのは狂気の沙汰ではないのか。

 そういう問題があるというのに、裁判所司法はジャスラックに迎合的で、あたかも手足の如く立ち振る舞う。裁判官から書記官、執行官までがグルになっている。人民大衆は、ジャスラックの強引さに反発しつつも司法当局まで巻き込んだ権力の壁の前で切歯扼腕し、滂沱の涙を余儀なくされる仕掛けになっている。ここにジャスラック問題の由々しき深刻さがある。

 れんだいこはこれに闘う。ジャスラックの著作権理論にどこが問題があるか。これに答えられる者はそう多くは無い。むしろ、ジャスラック的著作権理論を最近流行の知的所有権論の一種として受け入れ、尻馬に乗って講釈したり薀蓄たれたり説教する者が殆どである。人は、文明的だとか先進的だとか知的所有権云々と聞かされると、これに異議を唱えると知性がないことを見破られるのを恐れて、分かったような顔をして相槌を打つ。これが、ジャスラック式著作権論をのさばらせる要因になっている。

 れんだいこは、ジャスラック式著作権理論の野蛮性を告発している。著作権槍で文化の森を突いて獲物を追う姿をダブらせている。何が先進的で文明的であるものかはと。これに合点する者が少ない、というか居ない。しかしながら、れんだいこの著作権論の方が数等倍洗練されていることがそのうち分かるだろう。今は堪えるしかない。

 ジャスラック式著作権理論の野蛮性は、音楽の奏でられるところなら何でも金儲けの対象とするところにある。歌唱演奏それ自体を著作権侵犯とする野蛮な法理論を構築している。問題の原点はここにある。しかし、考えてもみよう。本来の著作権法の引用転載条項は、1・「できる」規定している。2・但しとして同一性保持や著者名、出典元、引用先の明記を条件つけている。3・著作者が敢えて拒否するときその意思が尊重されるとしている。これを仮にソフト型著作権論と命名する。

 これに対し、ジャスラック式著作権論は、1・引用転載は原則として不可として理論構成している。2・利用するなら事前通知要承諾制であるとしている。3・引用転載するなら承諾の対価料を支払えとしている。こういう三段論法を編み出している。こうして課金制が生み出されているが、ここにマヤカシがある。これを仮にハード型著作権論と命名する。

 しかしこれは何もジャスラックのみが咎を受けるものではない。昨今の自称インテリの著作権論は皆これにシフトしている。従って、ジャスラック式著作権論は彼らの論法の当然の帰結であり、独りジャスラックのみが責められる筋のものではない。新聞協会の著作権論然り、出版協会、放送協会、各種学会の著作権論然りである。彼らは皆、同じ穴のムジナである。故に、ジャスラック的行き過ぎを咎められない。咎めれば、お前もナーと返答されるからである。

 違いがあるとすれば、ジャスラックが承諾対価料としての課金制をシステムアップして実践していることにある。しかも、弁護士を尖兵として裁判所を巻き込んで、云う事を聞かなければ利息制限法さえたじろぐ高額の懲罰金制裁を課し、更に延滞金利でも稼ぐと云う傍若無人、無法ぶりで取り立てている。つまり、理論的には他の業界のそれも似たり寄ったりだが、ジャスラックが傑出して理論を生硬に実践しているところに特徴が認められる。

 ならばどこが間違いと云うべきか。ここで、れんだいこが伝授しておく。そもそも著作権法は、人民大衆の著作権付き著作物の利用に関して対価制を認めたものではない。この観点をしっかり持つことが肝要だ。そもそも著作権法は、著作権者と版権所有出版者と同業他社との関係に於いて、海賊版を取り締まることから始発しており、当時に於ける在るべき姿を定めた権利調整法であると弁えるべきである。(ここでは、権力側が、不都合情報を規制する為に設けた経緯の面は問わない)つまり、業者間規制法であり、そういうタガハメされた法として生まれたものである。この観点をしっかり持つことが肝要だ。

 このようにして始まった著作権法がやがて一人歩きし始める。著作権法の打ち出の小槌的活用に目をつけた或る邪悪な勢力が、これを悪徳商法的に利用し、人民大衆の利用に対する課金制へと発展させたのが現代強権著作権論である。この理論は1970年代に始まり、80年代から強力に吹聴されてきているという経緯がある。今日では、こちらの著作権法の方が通念化している。

 この悪智恵を誰が付けたのかはここでは問わない。いずれにせよ、この飛躍は大いなる不正である。この観点をしっかり持つことが肝要だ。始発時点での著作権の目的趣旨からすると、著作権者と版権者の権利を擁護しつつ業界と目指す文化の健全な発展が義務付けられている。この後段の「業界と目指す文化の健全な発展」を阻害してまで著作権者と版権者の権利を擁護することまでは法が予定していない。にも拘らず、著作権者と版権者の権利を万能化させたのが現代強権ハード型著作権論である。この観点をしっかり持つことが肝要だ。

 それはあたかも、憲法9条が有りながら、警察予備隊が自衛隊となり国防軍とならんとしている現下の状況、防衛庁が防衛相となり、イージス艦が漁船を真っ二つにしても直ちに救助活動せず被害漁民を放置し行方不明に追いやった様と似ている。法や機関がどんどん本来の目的から疎外しつつある。著作権法も叉弁えのない方向にどんどん資質劣化させられつつある。

 れんだいこは、かく捉えている。だがしかし、このような著作権論が生まれず、現代強権ハード型著作権論に引きずられっぱなしで定向進化し続けているのが現下の状況である。何がうれしいのか知らんが、自称インテリは自分の首を絞めて恍惚している。その程度のインテリが多過ぎる。これを如何せんか。ジャスラックへの公正取引委員会の立ち入り事件は、この由々しき事態を考える記念すべき元一日にしたい。

(私のコメント)
芸能界とヤクザ組織とは一心同体であり、最近ではジャスラックと組んで著作権を都合のいいように解釈して一般市民から「ミカジメ料」を取り立てるようになったようだ。一般大衆のほとんどは法律の素人だから、法律の条文をそのまま理解してしまう。しかし法律学と言うのは法律の条文を覚えることではなくて、法律の主旨を理解する事なのだ。

法律の条文は現実の状況の変遷で合わないものになりがちだ。しかしそのたびに法律を書き換える事は不可能であり、どのように解釈するかで法律を適用してきた。限られた条文ですべての状況を裁くことなど不可能であり、裁判の判例などで法律の条文を補完してきた。

著作権法にしても、れんだいこ氏が主張するように著作権法は文化の健全な発展を促すものであり、著作権者の権利を擁護する為にできたものではない。例えば引用などが認められなければ学術論文一つ書けなくなってしまう。昨日も教科書や入試などに長文が引用できなくなった事を批判しましたが、著作権者たちは権利を乱用して文化的活動を阻害しようとしている。

いわば著作権法を悪徳商法的に利用して、著作権法で認められた引用まで著作権者の了解がなければ引用できなくして文化的活動を停滞させようとしている。著作権法は著作物に対する利用に対して対価を支払う事を認めたものではなくて権利の調整法を定めたものだ。

著作権法の本来の趣旨は海賊版の取締りであり、勝手にCDやDVDを複製して販売してはいけないといった事を定めたものだ。それが作品の一部が教科書や入試などで長文解釈で使われることまで著作権者に対価を支払う事に拡大解釈されてしまっている。高校生や中学生が学習で著作物が作家の反対で利用できないと言う事は著作権法の趣旨に反する。

小説にしろ音楽にしても、作家や作曲家は多くの作品を真似たり模写して育つものであり、ジャスラックのような取り締り機関が出来て、一曲歌うたびに課金していったら作曲家や演奏家は育たなくなってしまうだろう。

表題の「著作権帝国バーニング」は著作権法を飯のタネにするビジネスモデルであり、ヤクザの縄張りでミカジメ料をとるやり方にそっくりだ。カラオケで一曲歌うたびに作曲家に対価を支払えと言う事ですが著作権法にそんな規定はない。ジャスラックは文部省から天下り役人を迎えて天下り団体になることで司法と行政権力を手に入れた。

バーニングなどの大手芸のプロダクションは楽曲の版権を集めて著作権帝国化している。著作権は本来は作曲家や歌手などの権利を保護するための法律だったのに、権利が財産権化しているのだ。金の臭いに敏感な広域ホニャララ団がこれに目をつけて参加の芸能プロダクションを使ってビジネスを始めたのだ。

昨日紹介した日本ビジュアル著作権協会もその流れの一つであり、入試などに長文解釈の引用が出来なくなってしまった。なだいなだ氏や谷川俊太郎氏などが会員ですが、すでに著作活動を終えてしまった人たちであり、自分達が広域ホニャララ団に利用されている事など認識が無いだろう。

このように引用すら著作権者の許諾と使用料が通例化してしまうと学術論文を書く事すらままならなくなって来るかもしれない。ジャスラックは庶民が一曲歌うだけで使用料金を取るシステムを作り上げて、巨額な著作権ビジネス帝国を作りつつある。その後ろには著作権帝国のバーニングなどのプロダクションがあり、芸能プロダクションと言えば広域ホニャララ団の企業舎弟だ。

まさに天下り役人と広域ホニャララ団が後ろ盾としてあるのだからジャスラックは天下無敵の利権管理団体となった。昨日扱ったダビング10などもこれに関係してくるのですが、補償料金として録画機からも取れるようになれば著作権管理団体は安定収益源が得られる事になり、著作権帝国バーニングなどのプロダクションは強大化して、広域ホニャララ団も表社会からミカジメ料が入ってくる構造になる。

だからジャスラックは広域ホニャララ団の利権団体であり、問題があれば弁護士を引き連れて法廷闘争に持ち込もうと脅迫してくる。縄張りの地域のカラオケ屋やライブハウスなどに目を光らせては監視をして、一曲いくらと請求するのは広域ホニャララ団であり、合法的なミカジメ料になりかねない。


ジャスラック 2006年11月17日 Studio tamutamu

ジャスラックとは音楽の著作権を管理する著作権管理事業者の事だが、これが今暴走している。先日、練馬区の喫茶店の73歳の爺さんが逮捕された。容疑は、自身が経営するスナックで生演奏をした疑い。音楽著作権を、そしてジャスラックを知らない人には、ハァ?という感じかもしれないが、ジャスラックに無断でハーモニカでビートルズを演奏したというだけで逮捕されてしまった。その生演奏を金を取って聴かせていたかどうかでまた見解も変わってくるが、要はそんな末節にまで厳格な網をかける必要があるかという事だ。例えばスナックでのカラオケに対して著作権を請求するのはまあ分かる。カラオケを一曲いくらで売ってるわけだからね。しかし、営利目的ではないコンサートやイベントにも平気で使用料を請求してくる。ダンス教室で流れるCDに対しても請求される。ホームページにビートルズの曲の一節でも載せたら著作権を払わなければいけない。自分のホームページに誰かの曲を自分で演奏したものを貼り付けても、確か一年で一曲数万円著作権料を請求される。著作権者の権利を守るという錦の御旗の元、次々と課金の範囲を広げようとしている。今はやりのiPodに対しても課金しようとしている。iPod税なるものも検討されている。本来も目的から反れて、自分の組織の維持拡大だけが目標となってしまっている。ジャスラックのおかげで一体どういうことになってるか。例えば、ネットでは自分の演奏データの公開はオリジナル以外にはできない。アレンジを変えようがダメだ。アマチュアにとっては発表の機会が大切だが、せっかくネットという便利なツールもプロによる一部の演奏データ以外は公開できない。オリジナルなら良いだろ、というかもしれない。俺が言いたいのは、誰でも最初は真似から始まるということだ。始めて楽器を持ってオリジナルを演奏するやつはいない。で、マネから始まってある程度うまくなってくると今度はオリジナルをやりたくなるわけだ。しかし、その最初の取っ掛かりをジャスラックはみんな叩き潰しているわけだ。例えばストリートライブでもお金を取ったらもうジャスラックに払わなければいけない。でも、ストリートライブをやる連中からまで取る必要があるかと。買ったギターのローンはおろかや交通費の足しにもならないようなもんだろ?俺がネットでパイプラインのヘタクソな演奏を公開したら、ベンチャーズが著作権侵害されたって怒るか?喫茶店の爺さんがハーモニカでイエスタディを演奏したらビートルズが怒るか?

考えがまとまらんなあ。俺が言いたいのは、ジャスラックが今やってることは日本の音楽文化を破壊してるということ。現にネットからMIDIデータがなくなってしまった。俺の作ったデータを聴いてくれ、というだけの製作者の熱意などどうでもいい。MIDIデータは金出して買え。無断で作るなということだ。何故音楽文化を破壊してると思うかというと、これが漫画などの場合まったく逆だからだ。同人誌などでもし漫画の著作権協会が存在して、ジャスラックと同じことをやったらどうなるか。同人誌がなくなるという話ではなくて、次世代の漫画家が育たなくなるということになってしまう。だから出版社などはほとんど不問にしている。真似される事を逆に歓迎してる。夢中になって同人誌を作ってる漫画家のタマゴ達のなかから次のヒットメーカーが必ず現れるということを良く知ってるからだ。ところが音楽業界はどうだ?著作権を振りかざしてアマチュアから発表の場を取り上げる事に血眼になっている。悪質な、たとえばCDやDVDを違法コピーで売りさばく様なやからを見逃せといってるわけじゃない。草の根の演奏活動や発表の場を奪ってる事に気付け、と言いたいわけだが、俺なんかが騒いでもどうもならんわけで疲れてきたなあ。いやホントにこの調子でジャスラックが調子付くともう音楽文化は年金の二の舞だね。なんでもYutubeにもちょっかい出してるらしいし。ジャスラックの許可なしに勝手にネットで公開させるなということらしい。いい加減にしろこのバカ野郎って感じだが、ジャスラックはおそらく悪意があっての事ではない。だから農協とか他の特殊法人すべてそうだろうが、やつらは自分は正しい事をやってるつもりで、なぜ批判されるか分からないということだと思う。だから自民党の一党支配はダメなんだよ。役人の天下り先になってしまってるから組織が硬直化して改革ができない。今のジャスラックは音楽文化は言うまでもなく音楽業界にとっても好ましくない状況だと思うのだが、次の選挙でも皆さんやっぱり自民ですかね。前日のサラリーマン奴隷化法案といい、消費税、医療費、年金、農業政策いずれでも今の政府自民党は一体誰の為の政治なのかと言いたい。これでも怒らない国民は一体なんだ?おかしいだろ?亀井サンじゃないが今の自民党は狂ってとしか思えない。ジャスラックも硬直化した今の日本のひとつの形でしかない。俺はこれが社会が悪い意味で安定化してきたせいかなと思っているが、いずれにせよ一見自由で実は凄く不自由な時代になってきたなあと感じる。



(私のコメント)
いずれブログなどにもジャスラックや日本ビジュアル著作権協会のような団体が取り締りの対象にしてくる事でしょう。スタジオタムタムのブログでも書かれているように、ストリートライブをやっても広域ホニャララ団員がやってきて「誰の許可を貰っているのか」と脅される時がやってくるだろう。シマで営業したければミカジメ料を払えという事なのでしょうが、ジャスラックは彼らの利権団体なのだ。だからトラブルを恐れて著作権料という名のミカジメ料を払う事になる。




テレビやネットは宣伝媒体であり、大勢の人が見るからCMも成立つ
もしテレビやネットが有料なら、誰も見ないからCMもつかないだろう


2008年5月29日 木曜日

「ダビング10」先送り AV機器「買い控え」懸念 5月28日 産経新聞

■家電メーカー、五輪商戦にじりじり

 「ダビング10」の実施が先送りされる見通しとなったことで、家電メーカーの間には失望感が広がっている。すでに8月に開かれる北京五輪の商戦が本格化しているが、ダビング10問題が決着するまでデジタル機器を買い控える消費者もいるものとみられ、需要拡大の追い風になるとの期待が外された格好だ。

 ダビング10の対象製品は、主に地上デジタル放送のチューナー(受信装置)が付いたDVD、新世代DVDのハードディスク内蔵録画再生機とパソコンだ。すでに大手メーカーは、新世代DVD録画再生機を中心に、一昨年以降に発売された製品から「ダビング10」に対応できる機器を増やしているが、実際にダビング10に対応できるようにするにはソフトウエアの変更が必要となる。

 変更ソフトは放送波を通じてダウンロードするが、消費者への周知に十分な時間が必要となるため、「ダビング10実施時期の決定は一刻でも早い方がいい」としていた。

 五輪やサッカー・ワールドカップ(W杯)などのスポーツイベントは、家電メーカーにとって最大の商機。消費が低迷する中で、家電業界は北京五輪に向けてデジタル家電の需要を盛り上げるつもりでいた。

 なかでも規格争いが決着した新世代DVD録画再生機を中心に販売拡大を期待しており、新製品の投入が相次ぐ。今のところ家電量販店では、ダビング10について「客からは多少の問い合わせがある程度」(都内の大規模店)というものの、「このまま混乱が続けば市場の停滞感を招きかねない」(大手メーカー)との声も出ている。


ダビング10なぜ補償金 メーカー反発、解禁前に足踏み 5月22日 アサヒコム

デジタル放送のコピー制限を緩和する新ルール「ダビング10(テン)」が、解禁予定の6月2日の直前になっても実施のめどが立たない異常事態に陥っている。著作権を保護するためデジタル機器に課金する「補償金」をめぐり、著作権団体と電子機器メーカーが対立しているためだ。

メーカー側委員「この案では、補償金制度が際限なく拡大する不安を感じる」

 著作権団体委員「結論を得るのが重要だ。消費者への影響を顧みず、原則論を主張しているのはよくない」

 今月8日の文化審議会(文部科学相の諮問機関)の小委員会。著作権団体の要望をふまえ、課金対象をiPodなどの携帯音楽プレーヤーやハードディスク内蔵型録画機に拡大する文化庁案に、メーカー側は強く反発。ダビング10の導入を検討してきた総務省の情報通信審議会でも両者のにらみ合いが続き、解禁日の延期が避けられない情勢だ。

 現在、デジタル放送のテレビ番組は、デジタル録画機のハードディスクに録画したものを1回だけしかDVDなどの他の媒体に移すことができない。高画質の大量複製による著作権の侵害を避けるための措置だが、「使い勝手が悪い」と利用者からの批判を受けてきた。ダビング10は、データをDVDなどへ9回コピーし1回移動できるようにするもので、昨夏、総務省の審議会で導入が決まった。

 審議会はコピー制限緩和に合わせて「クリエーター(創作者)が適正な対価を得られる環境の実現」を答申に明記。これを根拠に著作権団体は補償金の支払いをメーカー側に要求している。

 補償金制度は93年にスタート。すでにDVDやDVDレコーダーなどに課金され、メーカー側が実質負担したり販売価格に数%上乗せしたりしている。だが、ここ数年、課金対象外のiPodやハードディスク内蔵型録画機などへの機器の世代交代が進んだ結果、00年に42億円だった補償金の徴収は06年には28億円に減少。著作権団体は、課金対象の拡大が認められなければダビング10の拒否も辞さない「人質作戦」で、メーカーに揺さぶりをかけている。

 一方、メーカー側は、課金を容認すれば、今後新しいデジタル機器が登場するたびに課金されるのではないか、と警戒感を強める。「ハードディスク録画機とパソコンの線引きは難しく、課金対象の抑止が利かなくなってしまう」(業界団体幹部)

 6月2日のダビング10の解禁日は、放送局とメーカーでつくるデジタル放送推進協会が決めたもので、著作権団体が拒否しても解禁を強行することはできる。メーカーは放送局に早期解禁を求めているが、在京キー局幹部は「我々は権利者から権利を預かって放送する立場。補償金はあって当然だ。なぜ、今になってメーカーはちゃぶ台をひっくり返すのか」と、著作権団体と歩調を合わせる。

 補償金問題の合意を目指し、29日の文化審議会の小委員会で最終調整する予定だが、メーカーと著作権団体の主張の隔たりは小さくない。委員会の開催を見送る可能性もあり、「ダビング10解禁」は宙に浮き続けることになりそうだ。



(私のコメント)
6月2日に実施が予定されていたダビング10が延期になりました。メーカーでは北京オリンピックを控えて、ブルーレイ・レコーダーの商戦が始まろうという時に、思わぬ障害が入ってしまった。ダビング10が出来るレコーダーを買おうと待っていた客も延期になったことで戸惑っている。

「株式日記」でもコピーワンスのことを批判してきましたが、著作権団体が補償金を求めてきてダビング10は宙に浮いてしまった。DVDなどのディスクには補償金が含まれているのですが、HDDは補償の対象外になっている。著作権団体はHDDレコーダーにも補償金を広げろと言うことですが、HDDはタイムシフト的な事に使われている。

もともと商業放送において著作権を主張できるのは、コマーシャルを放送してスポンサーから料金を取るビジネスモデルが出来たからですが、もしテレビ放送が最初から有料化されていたらこれほど普及していただろうか? 現にテレビの有料放送はCS放送などで実施されていますが、普及していないし赤字の放送局だらけだ。

商業放送は無料で見られるから大勢の人が見て、CMスポンサーも付いて成立つものであり、金を取って番組を見せると言うモデルは成立ちにくい。それに対して著作権者は料金をメーカーが作るレコーダーにかけて料金を取ろうとしている。それがダビング10ですが、DVDやブルーレイにもかけているから料金の二重取りだ。

テレビ放送局は番組の著作権者でもあり、ユーチューブなどへ番組が投稿されたりしていると著作権違反だとして消しまくっていますが、著作権を楯にして新たなメディアの普及を妨害しているのだ。つまりダビング10が延期されたのはネットへの嫌がらせの意味もある。

ネットが高性能になり高画質の動画が配信できるようになると、視聴者はネットに流れてテレビ業界はCMスポンサーもつかなくなり商業放送も成立たなくなる恐れが出てきた。だから出来るだけテレビとネットの垣根を高くして利権を守ろうと言うのでしょうが、視聴者にとっては利益にはならない。

作家などの著作権者にとってもネットは必ずしも敵ではなくて、直接配信できる事によって作家と視聴者が直接料金のやり取りが可能になって手取りが増える事になる。ネットの普及で割を食うのは中間の出版社や放送局やCDなどの販売業者であり、それらが著作権を楯にとってネットを妨害しているのだ。

著作権については「株式日記」でも書いて来ましたが、従来の著作権法がネットの時代に合わなくなってきているのだ。ネットは一部を除いて無料のメディアですが、有料化はテレビと同じように普及させようと思うと難しいだろう。最近では新聞や雑誌などもフリーペーパーが出てきて、広告が主な収入源となってきている。

だからテレビやネットは基本的に広告で成立つメディアであり、料金を取るビジネスモデルは上手く行かないだろう。NHKは例外的ですが、くだらない番組ばかり放送していたら視聴料は支払いたくはない。災害時の非常時には無くてはならないからNHKは存在している。

テレビの存在意義は非常に多くの視聴者がいるからあるのですが、料金を取るようになればCS放送のように悲惨な事になるだろう。BS放送も全部が赤字であり、金を払っても見たいと思うような番組などほとんどない。どうしても見たいものがあればDVDやブルーレイで見るだろう。

結論的にいえば、著作権者やテレビ局が録画機に保証料を上乗せするのは料金の二重取りであり、卵を産むニワトリを殺すようなものだ。音楽やドラマなどはテレビやネットで宣伝されて話題になるから売れるのであり、コピーガードやコピーワンスで制限すれば使いにくいものとなり普及しないで録画機も売れなくなる。

私自身もDVD録画機を何台も持っているが、録画したりコピーを録っても二度三度と見ることはほとんどない。見る時間がないからだ。テレビを見るよりもネットの時間が長くなり、DVDにダビングしても100枚近くなるとかさばるばかりで、最近はダビングもしなくなった。

最近では著作権で本末転倒ではないかといったケースも見られるようになって来た。著作権の振興は文化を守る事でより発展させる目的があるはずですが、著作権を楯に取った妨害行為とも思えるようなケースが増えてきた。最近では教材に使われることすら拒否する作家が増えてきた事は、文化に対する一種の冒涜であり、権利の乱用だ。


問題集から長文が消える 著作権で引用できず 5月25日 産経新聞

 大学入試の過去問題集などで、国語の長文読解問題の一部が掲載されない異例の事態が起きている。評論などを執筆した作家から著作権の許諾が取れていないためだ。教育業界では「教育目的」という大義名分のもとで無許諾転載が慣例化していたが、著作権保護意識の高まりから、大手予備校や出版社などが相次いで提訴されており、引用を自粛する傾向も目立ち始めている。(小田博士)

 ■「赤本」も省略
 大学入試の過去問題を集約した世界思想社教学社(京都市)の「赤本」。センター試験の国語の問題集(平成21年版)の巻頭には「編集の都合上、以下の問題を省略しています。あしからずご了承ください」との注釈が記されている。作家3人から利用許可がおりず、9年度、14年度、18年度試験の現代文計3問で、問題文と設問がすべて省略されているのだ。

 18年度試験に使われた作家の別役実氏が掲載拒否したのを契機に、以前は掲載を認めていたのに態度を変えた人もいるという。

 駿台予備学校や河合塾のホームページでは、センター試験の問題文を掲載せず新聞社の特集サイトにリンクさせている。「著作権が理由であることは否定しない」(駿台広報課)。報道を目的とする新聞社のサイトは著作権許諾が不要のため、“間借り”することで訴訟リスクを避けている。

 ■「業界は無頓着」
 なだいなだ氏や谷川俊太郎氏ら約350人が名を連ねる日本ビジュアル著作権協会(JVCA)では、作家の著作権処理を仲介しており、これまでに大手予備校や出版社など計69社を提訴した。

 曽我陽三理事長は「教育業界は著作権に無頓着過ぎる。きちんと権利処理せずに経費を抑えるのは言語道断」と主張する。

 これに対し、大手予備校の担当者からは「近年は厳密に対処して使用料も払っている。引用を認めてくれない作家が増えれば、授業は成立しなくなる。不利益を被るのは受験生だ」と憂慮する声もある。

 ■題材は減少傾向
 教材に引用できる長文は減少傾向にある。JVCAから訴えられた河合塾などでは、模擬試験やテキストで同会員の文章を使用しないようにしている。東進ハイスクールも今年2月以降、ネット上の過去問から同会員の文章を削除した。

 昨春、43年ぶりに復活した全国学力テストにも影響が出ている。教育委員会や学校に配られる国語の解説書では、作家の文章を引用した問題文がいずれも省略された。解説書を編集する国立教育政策研究所では「営利目的ではないとはいえ、行政府が著作権法に違反するわけにはいかない」と話している。



(私のコメント)
自分の作品が教科書や入試問題などに引用されるのは名誉でもあり宣伝にもなると思うのですが、引用を拒否する作家が増えたのは時代の風潮なのだろうか? 著作権を限りなく認めれば文化の振興にマイナスだ。公共の利益と個人の権利をどちらを尊重するかの問題ですが、法律の主旨がおざなりにされてしまっている。

ブログでも引用される事を嫌がる人もいますが、結局は自分に跳ね返ってきて著作活動にマイナスになってしまうだろう。芸術作品などにおいても過去の芸術家の作品を多かれ少なかれ引用しているのであり、100%オリジナルな作品などありえない。それに対してパクリだの盗作だのと騒いでいるのは過去の作家であったり画家であったりする。テレビ局もすでに過去の遺物になりつつあるのだろうか?




アメリカ大統領予備選挙は、マケインのジャパンマネーとクリントンの
チャイナマネーの戦いだ。日本財界はクリントン阻止に動いている?


2008年5月28日 水曜日

『アメリカ狂乱―次の大統領は誰か』 日高義樹:著

第一部 誰がマケインを助けたか

二〇〇八年二月の終わりに私は、最も信頼している人物から一通のEメールを受け取った。そのEメールに添付されていた文書は二つのことを明らかにしていた。

ひとつはマケイン上院議員の二〇〇八年二月二十日の大統領選挙運動の収支決算で、二〇〇七年十月一日から十二月三十一日の三カ月間にあわせて三千七百三万六千四十九ドル七十七セントの収入があったことをFEC連邦選挙委員会に報告している。

その報告書には、財務責任者としてジョセフ・シューマックラー氏が署名をしていた。もうひとつはそのシューマックラー氏が二〇〇七年十月四日付けで三菱UFJ証券の国際担当責任者に任命されたことである。シューマックラー氏はアメリカの三菱UFJ証券の会長に就任し、三菱UFJグループの最初の外国人重役になった。

その数日後、私は友人のロバート・ノバックからひとつの情報を手にした。「共和党ではマケインが大統領侯補としての立場をほぼ固めた。マケインは基本政策を変えて減税を主張し始めた。これまで批判していたブッシュの政策を支持するつもりのようだ」

この情報を私が受け取った直後、ブッシュ大統領の父親の第四十一代ブッシュ大統領は、マケイン上院議員を支持することを発表するとともに、息子のブッシュ大統領の政治的なスポンサー全員が、マケイン上院議員を支持することになったと発表した。私はこの動きにひどく驚いたが同時に、アメリカ大統領選挙戦の見通しがまったく変わってきたことを痛感せざるをえなかった。

マケインはもともと共和党の首脳たちに受けがよくない政治家である。野党民主党の議員と一緒になって選挙法を改正し、政治献金を受け取るのを難しくしてしまったため同僚の共和党議員たちからうらまれている。増税にも賛成し、ブッシュ大統領のイラク戦争のやり方に文句をつけた。

このためマケインは、大統領選挙戦に出馬したものの人気は下がる一方で、二〇〇七年十一月にはジュリアー二前ニューヨーク市長に全国支持率で大きく遅れをとり、モルモンという特殊な宗教の信者であることが弱みになっているロムニー前マサチューセッツ州知事にまで追い越される始末だった。

「マケインはもはや大統領侯補としては終わりだ」アメリカの新聞の中にはこう書いたところも多く、私の友人のジャーナリストたちも、大統領候補選びの見通しからはずそうとしていた。

ところがマケインは、フェニックスのように生き返っただけでなく、あっという間にアメリカ大統領候補の先行馬になった。ニューハンプシャー州の予備選挙に勝ち、つづいてサウスカロライナ州、フロリダ州などでも勝ち星を重ね、全国支持率でも他のあらゆる政治家を蹴落とした。二月中旬には共和党の本命になり、三月のテキサスとオハイオ州の予備選挙で大勝して、ついに共和党の大統領侯補としての地位を獲得した。

マケインのこの起死回生ぶりはアメリカの政治史上でも例をみないほど珍しいものである。もしこのまま大統領選挙の本番で勝ってホワイトハウス入りに成功すれば、アメリカの政治史に大きく記されることになるだろう。

(中略)

確かにマケインは選挙戦から脱落しかかった。だが見事に甦り、今では共和党主流派の指導者たちからも信頼を寄せられるようになっている。マケインが党主流派の支持を受けるようになった理由のひとつは、マケイン陣営の財政責任者が新しくなり、これまでとはまったく違ったやり方で政治資金を集め始めたことである。

もともとマケインは共和党の実力者たちから嫌われている。このため二〇〇〇年の大統領選挙の際も資金が集められず、保守本流から嫌われたために、予備選挙ではまったく新顔だったジョージ・ブッシュに簡単に敗れてしまった。

二〇〇八年も、本格的に予備選挙が始まるまでは同じような経過をたどり、共和党の誰からも相手にされなかった。二〇〇七年十一月には資金が底をつき、大統領選挙戦から脱落しかかっていた。

そうした苦境から抜け出すことができたのは、マケイン陣営が共和党の首脳たちの助けをかりて資金を集めるというこれまでのやり方をやめたからだ。マケイン陣営は予備選挙戦が始まり、全米的な関心を集めている異色の民主党大統領侯補たち、黒人のオバマと女性のヒラリーに対抗するために、これまでとは違った方法で政治資金を集め、これまでと異なる支持者たちを集めるべく努力し始めた。

その中心になったのが、日本の金融機関三菱UFJ証券のアメリカ会長、ジョセフ.シューマックラー氏だった。彼が実際にどのように動いたのか、いかに活躍したかは、二〇〇八年三月の時点ではまったく明らかになっていない。だがはっきりしているのは、シューマックラー会長がマケイン陣営の資金集めの責任者になり、マケインの起死回生を実現させたことだ。

スーパー・チューズデーのあと資金ぐりが難しくなった大統領候補たちの中で、ふんだんな資金を手にしたマケインは予備選挙で鮮やかな勝利を次々に手にしたが、シューマックラー氏の手腕によるところが大きいのは明らかだ。

第三部 中国マネーがアメリカ政治を動かした

二〇〇八年はじめ私は中国政府に近い友人から一枚の文書を見せられた。

「中国政府はヒラリー・クリントンが大統領になると思っている」こう書かれていたが、二〇〇八年のアメリカ大統領選挙の予備選挙戦が大混乱した大きな原因の一つは、二〇〇六年の中問選挙の後にすでに始まったヒラリー・クリントンの派手な政治活動と独走、そして中国との関わりだった。

「ヒラリーは中国から政治資金を受け取っている」巷にはこういった噂が急速に広まっていった。一九九八年にクリントン前大統領とヒラリー、それに娘のチェルシーが九日間というアメリカの政治史上前例のない長期間、中国を訪問したことから、クリントン夫妻と中国の間に特別の関係ができた。クリントン夫妻が中国派であることはアメリカ国内ではよく知られていることである。

「クリントン大統領がホワイトハウスに招いた中国のビジネスマンが、大統領の顔を自分の会社の広告に使っている」この報道にはFBIまでが調査にのりだそうとして大騒ぎになったが、結局は中国の田舎の小さな企業主が、ホワイトハウスで他のビジネスマンと一緒にクリントン大統領に会った際の写真を広告に使っただけだと分かり、泰山鳴動ではないが騒ぎは何となく収まってしまった。

しかしながら中国側がヒラリー・クリントンを大統領にしたいと思っていることは明らかで、私が見せてもらった文書にもこう書かれていた。「ヒラリー・クリントン上院議員が大統領になることはほぼ確実である。中国としてはできるかぎり協力をするべきだ」

もちろんこの文書は中国政府が正式に発表したものではないが、現実には二〇〇七年になると中国から大量の政治資金がヒラリー陣営に流れ込むようになった。この事実はアメリカのマスコミも知るところとなり、追及を受けたヒラリー陣営はこう答えている。

「中国系のアメリカ人から政治資金の援助を受けていることは事実だが、不法なことは何もない。合法的な援助だ」この時クリントン陣営はニューヨークに住む何人かの中国系アメリカ人のリストをマスコミに渡した。ところが実際にリストにある住所をたずねると、確かにそういう名前の中国系アメリカ人が住んではいるものの、本人は「ヒラリー・クリントン上院議員に献金した覚えはない」と答えた。

「そんな大金を寄付できるように見えるかね」テレビカメラに向かって壁を指差しながら、その中国系アメリカ人はこう言ったが、たしかにそのアパートはみるからにオンボロで、彼が生活に追われて政治献金どころではないのは明白だった。クリントン陣営が発表したリストには人が住んでいないアパートや、家そのものの存在すらはっきりしないものもあった。

「たぶん引っ越したり、死亡したりしてしまったのではないか」マスコミの追及に対してヒラリー陣営の選挙責任者はこう答えたが、政治献金がうさんくさいものであることは明白だった。

こうした不法行為についてアメリカの法律は厳しい罰則を設けているが、予備選挙は基本的には正式な選挙ではなく、仲間うちの人気投票だという考え方があり、このときも問題はうやむやのうちに消えてしまった。

そうしたいかがわしい情報がいくつも流れた結果、「ヒラリー・クリントンは中国の工ージェントだ」という指摘がアメリカでは出始めている。


(私のコメント)
ヒラリー・クリントンは中国のエージェントである事は「株式日記」でも書いて来ましたが、アメリカでは外国勢力から金をもらうことに対しては厳しくはないようだ。アメリカは移民国家だから中国系アメリカ人は沢山いるし、中国と関係の深い企業も沢山ある。それらの献金の中に非合法なものが混ざってもなかなか政治的に取り締りにくいのだろう。

日本としては反日親中のクリントン大統領だけは阻止したいところだ。90年代のビル・クリントン政権時代もジャパンバッシングでえらい目にあってしまった。三菱自動車へのセクハラ訴訟や東芝のノートパソコン欠陥訴訟やトヨタへの欠陥訴訟などで7兆円もの損害賠償など起こされている。

さらにはヘイデン法や金融政策などで、あのまま民主党政権が続いていたら日本は滅茶苦茶になるところでしたが、さいわいブッシュ共和党政権でヘイデン法やトヨタへの7兆円訴訟は排除された。それだけアメリカの民主党政権への認識が甘かったのですが、ヒラリー・クリントン大統領誕生だけは日本として阻止したいところだ。

冷戦時代やベトナム戦争の頃は日本の協力が必要だったから、米民主党としても露骨なジャパンバッシングは出来ませんでしたが、ソ連崩壊後は米民主党はNO2の日本潰しにかかってきた。おかげで自民党内部も親中派の勢力の経世会が100名を越す勢力となり親米派の派閥は離合集散を繰り返して弱体化した。

クリントン政権の後にゴア民主党政権が続いたら、中国がアジアの覇権国となり日本は親中派政権が出来て、経済的にもIMFの管理下に入って終戦直後のような大改革が行なわれたかもしれない。それほど日本はアメリカの民主党の恐ろしさを知らなかったのだ。米民主党の中には共産党のシンパもおり中国を通じて日本を支配しようと言う勢力に気がつかなかったようだ。

日本の外交評論家の中にはアメリカの外交政策は、共和党も民主党も変わりがないようなことを言う人がいますが、それは冷戦時代の常識であり、冷戦終了後は米民主党は中国共産党と戦略的パートナシップを結び、日本を潜在的敵国としている。このような状況でヒラリー・クリントン政権が出来ればヘイデン法も復活して戦時賠償も日本企業は支払わされるだろう。

だから日本の政財界としては、アメリカの大統領選挙に無関心でいることは致命傷になりかねないのであり、親中のクリントン政権だけは阻止しなければならない。「株式日記」では日本だって在米の日系企業を通じて共和党を支援すればいいと書いて来ましたが、日高氏の『アメリカ狂乱』を読むと、共和党のマケイン候補に三菱UFJ証券のシューマックラー会長が資金集めの責任者になったことが書かれている。

日高氏ははっきりとは書いてはいないが、在米日系企業が三菱UFJを通じて資金協力したのではないだろうか? 90年代のジャパンバッシングが復活したら在米日系企業はどんな事をされるかわからないからクリントン潰しに動いていると思う。だから同じ民主党内の予備選挙でもオバマ候補にも資金は行っているのではないかと思う。

マケイン候補は選挙資金にも行き詰っていましたが、三菱UFJ会長のシューマックラー氏が責任者になってから選挙資金は順調に集まるようになった。日系企業からすればクリントン政権で戦時賠償訴訟で巨額の罰則金を支払うか、反クリントン候補に選挙資金を出すかの選択を迫られればマケイン候補かオバマ候補を応援せざるを得ない。トヨタだって7兆円の欠陥訴訟が復活するとも限らない。

中国も経済発展が著しく軍備も毎年二桁の増強を続けている。アメリカ議会へのロビー活動も活発化してきて、特にカリフォルニア州は中国系の活動家の拠点となり、日米の分断活動が盛んになってきている。2006年の中間選挙で議会が民主党が多数派となり、従軍慰安婦問題でも連邦議会で対日非難決議まで議決されるようになってきている。大統領も民主党になればこのような日本非難の歯止めもなくなるだろう。

このように共和党と民主党では対日政策も違ってくるのは、大東亜戦争を戦ったのはアメリカの民主党のルーズベルト政権であり、東京裁判も民主党政権下で行なわれた。米民主党にとっては日本はナチスドイツに並ぶ悪でなければならない。そして中国共産党と米民主党は歴史的な結びつきがある。

このようにアメリカの外交政策は対日政策や対中政策一つとっても大きく異なるのであり、アメリカ大統領選挙を他人事としてみるのは危険だ。常識的にいえば大統領選挙に外国が関与するのは内政干渉になる。しかし共和党と民主党ではイラク戦争でも正反対だし対アジア政策も伝統的に異なるのだから選挙に巻き込まざるを得ないと思う。

日本にしても自民党政権と民主党政権では外交政策が大きく異なるから、中国や北朝鮮や韓国なども様々に工作活動を仕掛けてくる。だから日本もこのような対外工作活動はすべきなのですが、日本にはそのような工作機関はない。だからマケイン候補への資金提供も合法的で限られた事しかできない。それに対して中国やイスラエルなどは国運をかけてアメリカに対して工作活動をしている。

クリントン夫妻も選挙に勝つためならばなんでもするえげつない人間であり、中国の金にも食いついてしまった。日本のもこのような政治家は大勢いるが、金で買収される政治家が大統領になれば、世界最大の軍事力を利用できる事になる。ブッシュ大統領もイスラエルからの資金援助で大統領になったから、イラクに戦争を仕掛けざるを得なくなってしまった。

中国もアメリカ大統領を買収してしまえば、台湾も平和裏に併合できると思っているのだろう。ヒラリー・クリントンは選挙に勝つためなら何でもする人間だから、オバマ候補の暗殺を示唆するような事も平気で言ってのける。人格的に問題があると思えるのですが、だからこそ日本のような同盟国に対しても平気で裏切ることができるのだろう。




サウジアラビアをはじめ、中東産油国がいっせいに原子力を導入する
動きを見せている。派手に奏でられる原子力ラプソディーの舞台裏


2008年5月27日 火曜日

米大統領がサウジ入り 原子力協力で合意 5月17日 アサヒコム

【リヤド=梅原季哉】ブッシュ米大統領は16日、サウジアラビアのリヤドを訪れ、アブドラ国王と会談した。両国は、サウジの原子力民生利用に関する一連の協力策で合意した。米国が主導する大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)にサウジが加わることで、核不拡散も強化する。

 米ホワイトハウスによると、サウジは85カ国以上が入るPSIだけでなく、同じく「有志連合」型で運用が始まった核テロ防止のグローバル枠組み(約70カ国)にも加わる。また原油の安定供給をめざして、産油施設の警護や、国境警備などで治安協力を進めることでも合意した。

 中東のアラブ諸国は長年、原子力とは無縁だったが、サウジは06年末、ペルシャ湾岸の湾岸協力会議(GCC)諸国と原子力開発に乗り出す意向を表明した。産油国であり、エネルギー供給上の差し迫った必要よりも、核開発疑惑がくすぶるイランへの対抗意識があるとみられていた。

 これに対し米国は当初、協力には消極的な姿勢を示していた。サウジが、同国出身のオサマ・ビンラディン容疑者が率いるアルカイダなどテロ組織に対し、核関連技術を拡散しない意思が不十分だ、とみてのことだった。

 だが、サウジはフランスやロシアなどからも協力取り付けに動いた。米国としては、もはやサウジの原子力開発を放置はできず、先に原子力開発に動いたエジプトと同様に容認した上で、中東での「模範例」と位置づけて管理する方が効果的だ、との判断に傾いたとみられる。

 一方、米政権は今回の訪問を、原油高によるガソリン価格の高騰が米国民の暮らしを直撃する中、対策として原油生産拡大を要請する機会としても位置づけてきた。しかしAP通信によると、ハドリー大統領補佐官は首脳会談後、サウジ側から前向きな返答を得られなかったことを明らかにした。



中東産油国が奏でる原子力ラプソディ 最首公司

「石器時代は石が無くなって終わったわけではない」・・・・石油に代わるエネルギー源の出現に強い警戒感を示したのは、かつてOPEC(石油輸出国機構)のリーダーとして世界の原油価格を左右したといわれるサウジアラビア元石油相アフマド・ザキ・ヤマニ氏である。ヤマニ氏が想定し、最も警戒した石油代替エネルギーは原子力だった。

 その原子力を、ヤマニ氏の母国サウジアラビアをはじめ、中東産油国がいっせいに導入する動きを見せている。オイルマネーのうなる産油国で、派手に奏でられる原子力ラプソディーの舞台裏を探ってみる。

核開発に動き出したGCC諸国

サウジアラビアを盟主とするGCC(湾岸協力機構)が、これまでタブー視されていた「核開発」を明示したのは、0611月、サウジの首都リヤドで開催された首脳会議である。ここで「GCC加盟各国は核平和利用の権利を有する」という決議が採択され、「核開発の共同研究を進める」とアティア事務局長が声明を発した。

首脳会議3ヵ月後の072月、ロシア・プーチン大統領がサウジアラビアを訪問した。ソ連時代を含めて初のロシア元首によるリヤド訪問を果たしたプーチン大統領は、サウジ・アブダッラー国王との間で「原子力開発協力協定」を締結した。

いうまでもなくサウジアラビアは世界最大の産油国であり、ロシアはサウジに次ぐ産油国である。両国の産油量は日量約1900万バレルで、世界の産油量の25%を占める。サウジのメディアは「世界の2大産油国が原子力でも握手した」と誇らしげに報道した。

プーチン訪サの答礼として0711月に訪ロしたサウジ・スルタン皇太子は「ロシアが進める核燃料国際管理構想を支持する」と、記者団に語った。

仮にサウジアラビアがGCCを代表してこの協定を結んだとみなせば、産油量では世界の約3割、天然ガス埋蔵量では第1位のロシア、3位のカタール、4、5位のサウジアラビア、UAE、そして後述するように第2位のイランが加われば石油だけでなく、天然ガス埋蔵量ベスト5が手を結ぶことになる。つまり、化石燃料でも圧倒的な力を持つ国同士が原子力でも結ばれるということになる(その後ロシアはウラン埋蔵大国オーストラリアと資源共同開発協定を結んだ)。(中略)

日本はどうするか

日本政府はインドネシア、ベトナムと原子力協力協定を結んでいるが、中東では明らかに出遅れている。だが、例えばトルコの場合、地震多発地域の原発建設には日本の耐震設計が役立つ。古い話だが1979年夏、ソ連を訪問した「有沢ミッション」(団長有沢広巳原産会議議長)は、建設中のアルメニア原発に案内された。ソ連製原子炉の耐震不安を指摘したところ、ソ連は技術者を日本に派遣、アルメニア原発に耐震補強工事を施した。

その10年後の8912月、アルメニアは大地震に襲われ、高層建造物はことごとく倒壊し、25000人が犠牲になったが、日本の耐震設計を施した2基の原発はびくともしなかった。このとき「日本の耐震技術は凄い」と感心したロシア原子力関係者は、07年夏の中越沖地震の際も「東京電力の柏崎原発は想定以上の地震にもかかわらず、原発は無事だった」と、改めて日本の耐震構造を評価している。日本の原発関係者は自信をもって中東原子力社会に出ていい。

日本は米仏とともに次世代軽水炉の開発、保守、運転などについて協力体制を組むようだが、燃料供給や再処理技術面ではロシアは重要なパートナーだし、ロシアも中東原発市場への進出には日本を必要としている。

但し、米・仏・ロのように振舞ってはならない。彼らは軍事基地や武器供給をセットにして原子力を売り込もうとしている。日本の原子力はこれまで平和利用に徹してきたこと、これかもそうであることを示しつつ、核エネルギーを「地球環境対策の有力手段として利用する」ことを理解してもらわなければならない。

地球環境の最大の敵は「戦争」である。そこで戦争用兵器を作る軍事費を削減して対外原子力協力基金をつくる。豊富なオイルマネーを持つ産油国に呼びかけ、簡便・安全な小型原子炉や海水蒸留に適した高温ガス炉など、用途を絞った原子炉の共同開発を進める。

その第一歩として、例えばいま建設中のサウジ国立アブダッラー工科大学など意欲的なアラブ産油国の大学、研究機関に原子力工学や放射線医学の講座を寄付する。あるいは原発の技術面だけでなく、立地や地元へのPR,PAまでを研究している「原子力安全システム研究所」(福井県)移設する。電力会社による原発保守・運転員の研修受け入れなどロシアから誘われる前に日本は積極的に中東に出たらいい。

将来、石油や天然ガスに代わる産油国の戦略的輸出産業をいまから用意してもらうのである。その呼びかけは6月に青森市で開催される「エネルギー・サミッと」でもいいし、7月の「洞爺湖サミット」など絶好の場である。

「かくて彼らは剣を打って鍬となし、槍を叩いて馬車の繋ぎ手となし、二度と剣を振り上げ、国のために戦うことはなかった」(旧約聖書イザヤ書)、そんな記念碑が洞爺湖畔にも建てられるように・・・。                      最首公司



(私のコメント)
アメリカのブッシュ大統領がインドをはじめ中東産油国に原子力協力を持ちかけていますが、このねらいは何だろうか? ロシアやフランスなどがサウジなどに原子力で外交攻勢をかけているから、世界最大の石油産油国に対してアメリカは遅れをとるわけには行かないのだ。

石油が1バレル=135ドルにもなれば危機感を覚えるのは産油国のほうだろう。代替エネルギーが石油よりも安いコストで供給されるようになるからだ。かといってオイルピークが過ぎた以上は産油国は増産もままならず、産油国も次世代のエネルギー開発に取り組まなければならない。

高価な石油を売って、より安いエネルギー資源を獲得しなければなりませんが、そのためにサウジとロシアが手を組んだ。これは単にエネルギー協定だけではなく、イランが進める原子力開発に対抗する為だ。表向きは核の平和利用ですが、核兵器開発の潜在的能力も得る目的がある。

このように湾岸産油国が一斉に原子力発電に動き出すと、アメリカとしてはイランを核開発していると言う理由で攻撃する事は不可能になる。アメリカとしてはイラク侵攻で脅しをかけていけば核開発には手を出さないと見ていたのでしょうが、サウジがロシアと原子力協定を結んでしまった。

このような流れが出来てしまうと、いくらイラン攻撃のアドバルーンを揚げても効果が無くなり、アメリカ政府としてはむしろ積極的に原子力協力せざるを得なくなってきた。その代わりに石油を回してもらうように働きかけるのでしょうが、その切り札となる原子力発電技術は日本なしには成り立たない。

アメリカにしてもロシアにしても原発事故から30年近くも経って一機も建設していない。大型の商業炉は日本とフランスのメーカーだけが作り続けてきて、欧米でお荷物となった原子力発電部門を買収してきた。ところが石油の高騰が続くようになり、さらには二酸化炭素問題で原子力発電所がにわかに脚光を浴びる事になった。

そのために原子力発電所建設に封印をしてきたアメリカやロシアのみならず、イギリスなども新たな原子力発電所の建設に乗り出した。特に中国やインドなどは発電所がいくらあっても足らない状態であり、世界は原子力発電所建設ラッシュとなっている。中東の湾岸産油国も例外ではなくイラン以外にサウジなどが建設に乗り出すのだろう。

しかし原子力発電は核開発につながりやすいから国防問題をクリアしなければならない。その国防問題をクリアする為にアメリカとの原子力協定が必要なのですが、アメリカ幕府が許認可権を持つ仕組みが出来上がっているのだろう。ロシアやフランスも同じ事を狙っているのでしょうが、肝心の原子力発電所の設計や製造技術は日本が持っている。

原子力発電所は非常に危険なものであり、だからこそ一旦事故が起きるとチェルノブイリ原発事故のように国家が滅びるくらいの破壊力がある。だからこそ欧米は原子力発電を封印して反原発運動は世界の社会運動にもなった。だから原子力発電所の安全性は100%保証されるものでなければなりませんが、その設計と運用のノウハウは日本のメーカーが持っている。

特に耐震性に関しては最首氏の記事にもあるように、アルメニア大地震に際しても原発はびくともしない安全性が保証された。柏崎の原発も想定以上の大地震だった訳ですが本体は無事だった。このように安全な原発はどこでもできると言うわけには行かずノウハウを持っている日本の技術が生かされる。

まさに原子力発電技術は戦略産業であるだけに、日本はアメリカのGEやWHと手を組んで進める必要があり、営業がアメリカで製造は日本が担当する分業システムが出来ているようだ。ロシアなども旧共産圏などに強い営業力があるから手を組む必要があるのだろう。

特にサウジなどの湾岸産油国の原発に対しては日本も石油の利権を得る為には積極的に動く必要がある。原発は一旦出来ると長期にわたる運転などでメンテナンスなどの点検が欠かせない。その為には政治的に安定した国で無ければなりませんが、中東と欧米では政治的に深い因縁が絡まりすぎている。


中東における原子力ビジネスに踏み込んでしまった日本 原田武夫

ところがそんな日本の、「オトナのお約束」からすると、驚天動地の報道が湾岸地域から最近、飛び込んできた。日本がバーレーンに対して原子力協力を申し出たというのである(2008年5月3日付「ガルフ・デイリー・ニュース(バーレーン)」参照)。

この報道がなぜすごいのかというと、米国こそが、バーレーンをはじめとする湾岸諸国、そしてサウジアラビアといった中東諸国で、原子力ビジネスを展開すべく、密かに工作を重ねてきた国だからである。米国は2005年秋頃より、原油枯渇を恐れるこれらの諸国を相手に、原子力ビジネス(具体的にはウラン濃縮)を提案し、それを実現するために奔走してきた。

いうまでもなく濃縮ウランは、原子力の時代が到来すれば核燃料として今の原油に匹敵する地位を占めるものであるが、その製造を実現するためには、周辺地域の地政学リスクが大幅に低減している必要がある。そこで米国は、いきなり力をいれて“中東和平”と喧伝し、その実現のために自ら奔走し始めたのである。

そのようにして、綿密な計画の下、しかもブッシュ大統領までもが中東に何度も足を運ぶなど「体を張っての工作」で、この地域での原子力ビジネスの展開を狙ってきた米国。ところがそこに日本がいきなり飛び込んできたのである。しかも日本は、バーレーンだけではなく、カタールとの間でも原子力協力を行う意欲を見せているといい、ワシントンは大いに懸念を抱き始めたようだ。

彼らにしてみれば、せっかく丹精こめて作り上げてきたビジネス・モデルが実現する直前に、普段はおとなしい日本にかっさらわれるようなものなのである。まさに「トラの尾を踏む」日本、これから一体どんな目にあうのか、全くわからないのである。



(私のコメント)
私の見方としては、アメリカとしても日本の原子力発電技術が無ければ利権ビジネスにならないわけだから、GEやWHなどの米産業資本が一緒な訳であり、アメリカ政府の中東に対する原子力政策が大きく変わってきたから湾岸産油国に原子力協定の話が出てきたのだろう。それが出来なければ原子力発電所は出来ないからだ。




役人達は平均857万円もの高給をもらいながら生活保護費は削る。
知的障害者は生活も出来ず生活保護も受けられず刑務所が受け皿


2008年5月26日 月曜日

『累犯障害者』 山本譲司:著

1/2■府中刑務所の受刑者6割が障害者〜山本譲司(ニュースに騙されるな)

2/2■府中刑務所の受刑者6割が障害者〜山本譲司(ニュースに騙されるな)


受刑者の出所―知的障害者の復帰に手を 5月19日 アサヒコム

毎年、刑務所に入ってくる受刑者の2割、約7千人には何らかの知的障害があるという。法務省の統計にある。

 また厚生労働省の研究班が昨年公表したサンプル調査では、知的障害の疑いがある受刑者410人の約7割は再犯で入所していた。犯行の動機も「生活苦」が4割で最も多かった。

 典型例がある。2年前に山口県のJR下関駅舎が焼け落ちた放火事件だ。

 犯人の76歳の男性は3月末に懲役10年の判決を受けた。軽い知的障害がある。20代の初めから放火をしては刑務所暮らしを繰り返してきた。今度の事件も、福岡刑務所を出所してからわずか8日後のことだった。

 出所はしたが、服役中の労役などでためた20万円は使い果たした。身寄りもない。寒さをしのいでいた駅からは追い出された。ライターで火をつけた紙を段ボール箱に投げ入れ、駅舎を焼失させた。男性は判決の後、「これで心配がなくなった」と話したという。

 刑務所しか居場所がないのは本人にとって不幸に決まっている。もしそのために犯罪を繰り返されては、私たち社会全体の安全も損なわれる。

 再び罪を犯してしまう知的障害者を減らすには、出所後の生活を最低限支えるセーフティーネットが必要だ。

 実際は出所してもなかなか福祉サービスを受けにくい。それは放っておけない。きちんとサービスを受け、生活できるようにしなければなるまい。

 それには、受刑者を送り出す刑務所と、受け入れる地元の福祉事務所とが手を携える必要がある。

 知的障害者が出所して福祉サービスを受けるには、療育手帳がなければならない。そこでまず手がけてほしいのは、知的障害のある受刑者に手帳を取得させることだ

 現状はお寒い。さきのサンプル調査で対象410人のうち、手帳を持っているのは26人にすぎなかった。

 手帳を得るには、障害者側が申請しなければならない。「18歳までに障害が発生した証拠」も求められる。これが大きな壁になってきた。

 ここは法務省と厚労省が調整し、刑務所などが代理人となって申請できるようにしてはどうか。障害の証拠も医師の診断を判定材料とすればいい。

 刑務所と福祉事務所は、出所者をどこの施設で受け入れるかもあらかじめ話し合ってもらいたい。

 民間の経験や知恵を生かすことも大事だ。長崎県の社会福祉法人「南高愛隣会」はこの春、東京都内に事務所を設けた。周辺の刑務所から知的障害のある受刑者の出所時期といった情報を知らせてもらい、療育手帳の取得や福祉施設探しを手がけている。

 知的障害者が出所後に再び罪を犯さなくても済むようにしたい。法務、厚労両省の連携が急がれる。


今、刑務所は…… 2006年02月19日 「江川紹子の視界良好」

「腹が空き、寒く、刑務所に戻りたかった」
 JR下関駅を放火して逮捕された七十四歳の男は、そう動機を語っている。男は二〇〇一年にも、刑務所を出て六日後に放火未遂事件を起こし、実刑判決を受けた。そして昨年十二月三十日、刑務所を出所したばかりで今回の犯行。本人の供述によれば、二十二歳で初めて放火で逮捕され、以来何度も放火を繰り返し、刑務所に逆戻りしてきたらしい。知的障害の可能性もあり、精神鑑定を行うことも検討されているようだ。
 この事件は、犯罪を犯した人の更生を考えるうえで、日本の現状を象徴しているような気がする。
 第一に、犯罪者の高齢化。裁判で「懲役」や「禁固」などの刑が確定して刑務所行きとなる高齢者は年々増え、平成十六年には新受刑者の約一割が六十歳以上の人たちが占めている。
 私は、法務省の行刑改革会議・同顧問会議のメンバーであることもあって、いくつもの刑務所を見学してきたが、犯罪者のイメージにそぐわない、弱々しいお年寄りが所内の工場の一角に集められて、軽い作業をしている姿に、その場が福祉施設のように思えてしまったことが何度かあった。
 それ以外に、障害者も相当数いるらしい。秘書給与事件で実刑判決を受けた元衆議院議員山本譲二さんは、様々な障害を持っていたり、高齢の受刑者の食事介助や失禁した者の着替えなど、生活の世話をしていた。その中で、とりわけ知的障害者が多いことに愕然とした、という。
 しかも、刑務所で出所後を見越して行われる教育は職業訓練くらいで、自立した社会生活を営む訓練はほとんど行われない。食事も風呂も与えられ、洗濯も担当受刑者が行い、大雪が降れば職員が通路を雪かきして、受刑者が滑ったり転んだりしないように配慮する。受刑者が自分の生活を維持するために自発的にすることは何もない。
 そのうえ今、刑務所はどこも定員をオーバーするような過剰収容。時には一人の看守が八十人もの受刑者を統率しなければならない日本の刑務所にあっては、一人ひとりの事情に応じたきめ細かな対応は取りにくい。
 そんな生活が長期間続いた人は、指示や許可がなければテレビもつけられないし、ラーメン一つ自分では作れないまま、出所をすることになる。
 刑期が終わり、釈放となれば、刑務所の職員が面倒を見るわけにはいかない。受刑中の作業に応じて払われる報奨金はごくわずか。山本元議員の場合、最初は一ヶ月五百円(一日ではない!)だったそうだ。これでは、新しい生活を始める元手にはならない。満期出所の場合は、保護司によるフォローもない。更生保護施設に入ることができる運のいい人はわずかだ。住居が定まらなければ、生活保護の対象にもならず、福祉の網にはまったく引っかからない。刑務所を出たばかりの高齢者が働く場所など、簡単には見つからない。
 結局のところ、身寄りのない、とりわけ高齢または障害のある元受刑者は、わずかな持ち金を使い果たした後は、路上生活をするか、再び犯罪を犯して刑務所に逆戻りするしかなくなる。
 私が見学したことのある刑務所の中では、入所歴が三十五回という人がいた。比較的短い刑期で、出所と再犯を絶え間なく繰り返さなければ、この回数には達しない。
 すぐに刑務所に逆戻りする人に多いのは、無銭飲食やタクシーの無賃乗車なのだそうだ。いずれも罪名は詐欺。前科があれば実刑判決を受ける。
 先の山本さんの著書『獄窓記』には、満期出所を控えた障害者が、出所後すぐに再び犯罪を犯すことをにおわせる場面が出てくる。その人は、こんな風に言っている。
「俺さ、これまでの人生の中で、刑務所が一番暮らしやすかったと思ってるんだ」
 刑務所は、高齢者でも障害者でも、実刑判決が確定した者の入所を拒むことはない。かくして刑務所は、福祉の施策から漏れた、行き場のない人たちの吹きだまりと化してしまっている。これまで、私たちはこの現実に気づかず、あるいは見て見ぬふりをして、すべての負担を刑務所に押しつけてきた。 
 でも、再犯を繰り返す中で、今回の放火事件のように、本人が思っていた以上の被害を与えてしまうケースも出てくる。そろそろ、対応を真剣に考えなければならないのではないか。


(私のコメント)
私は『累犯障害者』という本はまだ読んではいないのですが、刑務所には知的障害者が数多く収容されている。知的障害者の割合は100人のうち2,3人は知的障害者だ。だから決して小さな問題ではない。そして刑務所に収監される四分の一が知的障害者であると言うことは衝撃的だ。

つまり犯罪を犯して捕まる犯罪者のうち4人に1人が知的障害者ということになる。そしてその多くが刑務所に入るために犯罪を犯すことが多いようだ。しかしマスコミは「知的障害者」という言葉を聴いただけで報道を自粛してしまう為に実態が一般国民には知らされていない。

事件のうち多くが「知的障害者」が社会からのけものにされて、自立した生活が出来ずに犯罪を犯して、実質的に刑務所が彼らの収容施設になってしまっている。刑務所に収容される「知的障害者」の多くが家族の保護も受けられず見放されてしまって、国の福祉政策にも救われない人たちだ。

数から言えば日本には300万人前後の「知的障害者」がいるはずなのですが、障害者手帳を持つ人は46万人程度しかいない。つまり生活に障害があるほどの知的障害があるにもかかわらず250万人以上がほったらかしにされている。そのうちの多くが家族や親戚の世話になって生活しているのでしょうが、家族に見放されると生活能力が無くてホームレス状態になってしまう。

問題は「知的障害者」の定義がはっきりしない事ですが、知能指数が70とか75以下の人が知的障害者になるらしい。しかし境界もあいまいで区別をつけることが難しい。一見普通の人だけれども能力が劣り自立した生活が出来ない人が保護も受けられずに放置されてしまう事だ。

しかし「知的障害者」は判定が難しくて生活保護を申し出ても受けられない事が多くて、実質的に軽犯罪を犯すことによって刑務所が彼らの収容施設になってしまっているようだ。しかし山本譲司氏によれば刑務所で1人の受刑者にかかる費用は300万円であり、生活保護費よりも高くつくものとなっている。

結局だれの保護も受けられない「知的障害者」はだれが面倒見ているのかと言うとヤクザが面倒を見て、彼らを食い物にしているらしい。ヤクザの組の中には知的障害者が数多くいて、身代わりに刑務所に入ったり鉄砲玉として使われるようだ。女の知的障害者は売春で稼がされたり、風俗などの業界にはかなり多いらしい。

このように社会的な弱者が国や地方に突き放されてしまうようになったのが小泉構造改革の成果であり、障害者自立支援法なわけで喜んだのはヤクザ団体なわけです。新自由主義経済体制では弱者は切り捨てられるべき存在であり、だから彼らは刑務所で収容させるのが一番好ましいと考えているのだろうか? しかし結果的には高いコストが降りかかってくるだろう。

後期高齢者医療制度も高齢者と家族とを分断する政策であり、小泉内閣はこの法案を強行採決した。このように弱者切捨て政策が行なわれれば生活保護の切り捨ても行なわれて、「知的障害者」も生活保護が受けられなくなって事件を起こして刑務所に収監される事になる。国や地方から見れば生活保護を切り詰めても刑務所が満杯になってそちらの費用がかかるようになるだけなのだ。

このように小泉、安倍、福田の新自由主義経済内閣は弱者を切り捨てる事により経済の活性化を図る政策であり、マスコミも「小泉内閣を支持しよう」と言うキャンペーンを張って高い内閣支持率を維持した。しかし小泉内閣の内容は後期高齢者医療制度を見れば分かるように報道してこなかったのだ。国民は騙されたのだ。

昨日も書いたように公務員の平均年収は857万円であり、公務員給与には小泉改革では手をつけようともしなかった。民間では会社が経営危機になればリストラや給与カットは当たり前なのですが、政治家は官僚の反発が恐くて手を付けようとはしない。

大阪府の橋下知事が府職員の給与カットに手をつけるようですが、公務員の給与を半分に減らせば財政再建は可能だ。公務員の給与は41兆円ですが5割カットで20兆円が浮く。平均年収が857万円だから5割カットでも428万円で民間の平均給与水準だ。それで辞めたいという公務員がいれば辞めさせれば無駄な公務員もいなくなる。生活保護費も切り詰めなくて済み弱者も切り捨てなくて済む。

要するに「日本の失われた10年」は経済バランスが公務員が肥大しすぎた事による経済の停滞であり、民間の活力が税負担増で失われてしまったのだ。そして小泉改革は弱者にシワ寄せさせる事で経済を活性化させようとしたが、むしろ公務員を切り捨てる事で経済を活性化させるのが正道だ。




福田首相も、橋下大阪府知事を見習って公務員の12%の賃金カット
をすべし。なすべきことは消費税の増税よりも公務員の賃金カットだ!


2008年5月25日 日曜日

大阪府、人件費350億円削減 橋下知事が方針 5月22日 アサヒコム

大阪府の橋下徹知事は22日、今年8月からの8カ月間で総額352億円にのぼる人件費削減案を発表した。都道府県で初めて退職手当カットに踏み切るとともに、一般職員の基本給を16〜4%削減し、都道府県で最低水準になる見通し。7月の臨時議会に議案を提出する予定だが、職員労組は猛反発している。

基本給の削減率は知事30%、副知事20%、危機管理監16%、部長級14%、管理職12%、非管理職10〜4%で、8月から10年度まで実施。退職手当の削減率は知事50%(改定済み)、副知事20%、部長級以下5%とする。国家公務員の水準を上回る住居手当や通勤手当は国に合わせ、非常勤職員の報酬も減額する。

 対象は一般行政職員1万293人、警察職員2万2805人、教職員5万7974人の計9万1072人。

 削減案が実施されると、諸手当を含めた今年度の年収は部長級(平均年収1373万2千円)で75万4千円減、管理職(同1029万5千円)で55万7千円減、非管理職(同691万8千円)で33万8千円減。国家公務員の基本給水準を100としたラスパイレス指数は昨年4月時点の97.0から89に下がり、都道府県で最低になる見通し。

 府は現在、ボーナス6〜4%カットや管理職手当の5%削減を実施しており、今回と合わせた削減効果は年間で557億9千万円になる。


橋下知事VS枚方市長激論 「財政悪化の戦犯誰だ」 5月24日 アサヒコム

「前の世代の責任」「国の制度こそおかしい」――。大阪府の橋下徹知事は23日、府の財政課長や教育長を務めた竹内脩・枚方市長と会談し、財政悪化の“戦犯”をめぐり激しい応酬を繰り広げた。

きっかけは前日に発表された府の352億円の人件費削減案。「確実にゴールにたどり着ける道」と説明する橋下知事に、竹内市長が「たどり着くまでに半分くらい死ぬかもしれん」と挑発したことで議論に火がついた。

 橋下知事が「前の世代が負担しなかったツケが今来ている。責任があるのは(これまでの)知事や幹部」と迫ると、竹内市長は「今の府の財政をこんなふうに陥らせたのは誰か。日本の地方自治制度は国が決めている」と国の責任を指摘した。

 竹内市長が財政課長だった95〜97年は国の景気対策で公共事業を増やし、府の借金が急増していた時期に重なる。橋下知事が「市長は財政課にいて、それに府民は怒っている」と言うと、「財政健全化に向けてやるべきことはやった。何ら恥じるところはない」と竹内市長も反論した。

 別れ際に竹内市長が「知事のメッセージを府民は信じているみたい。発言は慎重にしていただきたい」と求めても、橋下知事は「私はこのまま突き進んでいきます」と折り合うことはなかった。


橋下知事の支持率75% 前回調査を10ポイント上回る 4月19日 産経新聞

 大阪府の橋下徹知事直轄の改革プロジェクトチーム(PT)の財政再建プログラム試案が公表されたことを受けて、産経新聞社が府内の有権者500人を対象に橋下知事に関するインターネットアンケート調査を実施したところ、知事の支持率は75・8%にのぼり、就任1カ月を前に実施した前回の調査(66%)より、9・8ポイント上昇していた。橋下知事の府政改革案が、府民に支持されていることが裏付けられた。

 調査は16〜18日の3日間、20〜50代以上の各世代を対象に実施した。

 75・8%という高支持率を得たが、「支持しない」「どちらかといえば支持しない」という不支持率も16・6%で、前回の調査(9・8%)より6・8ポイント増加した。

 試案発表前と発表後で知事に対する評価は、52・2%が「変わらない」としたものの、23・8%が「良くなった」と回答しており、「悪くなった」(12・0%)を大きく上回った。

 試案の内容については、「支持する」と「どちらかといえば支持する」を合わせると68・8%となり、「支持しない」「どちらかといえば支持しない」としたのは18・2%だった。

 具体的な試案への問いでは、300〜400億円の職員の人件費カットについて、「適当」と「もっと削るべき」を合わせると8割以上に。大相撲春場所が開催される府立体育会館(大阪市浪速区)の廃止案については、「やむを得ない」(67・2%)が「存続すべき」(23・4%)を大幅に上回った。

 その一方で高齢者や障害者、乳幼児の医療費助成の見直や府警の警察官520人の削減案については、反対する人がやや多かった。


(私のコメント)
今日のテレビを見れば桝添厚生大臣がテレビをハシゴして後期高齢者医療制度についてやっていましたが、年金や健康保険は火の車になっている。若い人が少子化で少なくなっている事も事実ですが、正社員で働いている人が減った事が年金と健康保険の赤字の大きな原因だ。

労働者の非正規雇用が増えれば年金や健康保険の掛け金を増やそうにも、滞納者が増えるばかりで限界に来ている。税金でカバーしようにも税収は景気低迷で伸び悩みだ。桝添厚生大臣は「金は空から降ってくるものではない」と何度も言っていたが、税収は景気の伸びと比例するから、景気が良くなれば税収も伸びて「金は空から降ってくるのだ」。 

後期高齢者医療制度も年金から天引きする事が一番の問題であり、今まで家族の扶養で支払ってもらっていたものが、自分の年金から削られてしまうのでは誰でも怒るだろう。年金自身も破綻状態であり後期高齢者の生活不安は広まるばかりだ。結局は政治家が政治を役人に任せっぱなしになっているから問題だらけの法案が出来るわけだ。

年金や健康保険が破綻しないためには、掛け金を引き上げて行ければ問題はないわけであり、緩やかなインフレ好景気状態にして金利も上がっていけば年金基金の運用利益も上がり、健康保険組合も負担に耐えられるようになる。ところがデフレ気味で不景気で税収が落ち込んでいるから問題になっている。

問題はなぜ景気が回復せず税収も落ち込んだままなのかと言うと、財務省や日銀の金融財政政策が財政再建一点張りだからだ。確かに税収も伸びない、支出は高齢化が進んで伸びる一方だ。毎年30兆円もの赤字財政はいつまでも続けられない。ならば公務員の賃金カットで財政を健全化させていくべきなのだ。

大阪府の橋下知事の府の財政の建て直しは避ける事ができない。大阪府の職員の年収は760万円で部長級は1400万円も貰っている。倒産寸前の自治体なのだから明らかに高すぎる。国全体で見ても公務員は430万人で人件費は41兆円もかかっている。一人当たり約1000万円の年収ですが貰いすぎだ。

このようなことを以前にも書きましたが、公務員自身は貰いすぎだとは思っていないようだ。財政が赤字なら増税すればいいではないかと平気で言う。しかし民間の平均年収は434万円で、これでは増税しても増税した分の消費が減って不景気になって税収が落ち込んでしまう。

それに対して公務員の平均年収は857万円で100万円くらい賃金カットしても高額所得者だ。だから財政再建は公務員の賃金カットから始めるべきなのだ。


年々下落する平均年収、これでは増税しても税収は伸びない。





『孤独な帝国アメリカ』 ズビグニュー・ブレジンスキー著 バラク・オバマ
次期大統領の戦略顧問は、イラク撤退後のアメリカ戦略をどうするか?


2008年5月24日 土曜日

孤独な帝国アメリカ 世界の支配者か、リーダーか? ズビグニュー ・ブレジンスキー:著

世界の中核

ヨーロッパとアメリカのぎくしゃくした関係


アメリカとEU全体は世界の政治的安定と経済的豊かさの中核をなしている。アメリカとヨー口ッパが協力して行動すれば、全能になりうる。だが、両者の意見はしばしば食い違う。二〇〇三年のイラク攻撃に際して声高な不一致が生ずる以前から、アメリカがよくもらしてきた不満は、集団防衡でヨーロッパが果たす役割が「不十分」だというものだった。

一方、ヨーロッパがアメリカに抱いていた最大の不満は、行動が独断的すぎるというものだった。したがって、大西洋をまたいだ同盟関係を評価するために出発点となる質問は次のようなものが妥当であろうーヨーロッパが〈十分に〉役割を果たし、アメリカが独断を慎むようになったらどうなるだろうか。

アメリカの不満は数字に示されている。EU加盟国のGDP(国内総生産)の合計はアメリカに匹敵する。現在十五の加盟国から成り、総人口は三億七千五百万だが(アメリカは二億八千万)、その防衛費の総額はアメリカの半分以下である一訳注二〇〇四年五月にEUは二十五カ国に拡大し、総人口は四億五千万となった一。そのうえ過去五十年にわたり、アメリカはソ連の脅威からヨーロッパを守るために軍隊を駐留してきた。

冷戦時代を通じてヨーロッパは実質的にはアメリカの保護下にあった。冷戦終了後も、バルカン半島での騒乱を鎮めるための軍事的努力で先頭に立ったのはアメリカ軍だった。ヨーロッパはまた、中東(その石油にアメリカ以上に依存している)と極東(貿易が着実に増加している)の安定のために、アメリカが政治面及び軍事面で果たしている役割から経済的恩恵を受けている。確かに平均的アメリカ人の目には、ヨーロッパがただ飯食らいのように見える。

しかし、ヨーロッパがそうでなくなったらどうなるだろう。それはアメリカにとってよいことなのだろうか。欧米の関係はより健全で緊密なものになるだろうか。この問いに答えるためには、ヨーロッパがその軍事予算を倍にしてアメリカと肩を並べるような軍事力をもとうとする政治決断は、どのような状況で起こりうるのかを考えてみる必要がある。

それには、ヨーロッパにあるさまざまな国のあいだで政治的結束が飛躍的に高まり、そして、アメリカのように防衛は自分たちでするという強い願望が全体に行き渡らなければならない。

ソ連の脅威が去り、ロシアの国力が並みのものになった今、そうした条件は、アメリカの安全保障政策がヨーロッパにとって重大な脅威となり、ヨーロッパの大衆が安全保障でアメリカに頼るのはやめたいと強く望んだときだけに満たされるだろう。EUの経済力はすでにアメリカに匹敵しており、両者がしばしば財政や貿易面で対立する中で、ヨーロッパが軍事的にも台頭してくるならば、アメリカの手ごわいライバルとなるだろう。

そして、アメリカの覇権に挑戦する存在となることは避けられない。ふたつの超大国が真に平等なパートナーシップを作りあげることは容易ではない。なぜなら、そのためにアメリカはその優位性を大幅に譲り、ヨーロッパは優位性を劇的に拡大させなければならないからだ。

NATOがアメリカ主導の同盟であることは終わりを告げる、あるいは同盟自体が終わるかもしれない。アメリカはこれまでフランスが大国であるかのようにふるまうことに当惑してきたが、空しい野望の一風変わった取るに足りない表明と片づけてきた。しかし、ヨーロッパがその防衛を「十分に」果たせるようになるとしたら、アメリカは覇権喪失のひどい苦痛を味わわされるだろう。

軍事的にひとり立ちし、アメリカと同じように包括的な地球規模の政治経済力をもったヨーロッパに対して、アメリカは訣別するか、それとも世界の政策決定の責任を全面的に分かち合うか、苦しい選択を迫られるだろう。アメリカの軍事力がユーラシア大陸西部から撤退することは、ユーラシアの主要国間で起こる新たな、予測しがたい紛争から手を引くことに等しい。

しかし、大西洋をはさんで釣り合いのとれたパートナーとして力を分かち合うことは簡単ではないし、痛みをともなうはずだ。競争力のある経済をもち、軍事面でもはやアメリカに依存しなくなり、政治的にも力をつけたヨーロッパは、アメリカの戦略上もっとも重要な地域である中東と中南米における優位性に挑戦してくると思われる。両者の競争は、地理的に近いばかりでなく、ヨーロッパがその石油に大きく依存していることから、まず中東で始まるだろう。

アラブ諸国がアメリカの政策に恨みを抱えていることから、ヨーロッパの提案は歓迎されるだろうし、その一方でイスラエルはそれまでアメリカの庇護のもとで享受していた特別な立場を失うことになる。ヨーロッパの次なる挑戦は中南米で見られるだろう。

スペイン、ポルトガル、フランスは古くから中南米社会と歴史的・文化的なつながりをもっている。中南米の民族主義は、自信をもったヨーロッパの政治的、経済的、文化的な絆の強化を進んで受けるだろう。そうなるとこの地域でアメリカがもっていた支配力は弱まることになる。こうして経済的に強大なうえに、大きな軍事力も備えるようになったヨーロッパは、アメリカの優位性を太平洋だけに封じ込めることができる。

アメリカとヨーロッパの深刻な競争は双方に被害をもたらすのはあきらかだ。ただ、現時点でヨーロッパは重大な脅威となる軍事力をもっほどには統一されていないし、そうする動機ももっていない。そうなるまではアメリカとヨーロッパの不和は大きな地政学上の争いにはならないだろう。

不平と不満があっても、牙がなければ噛みつきようがない。とはいえ、大西洋をはさむ欧米がイラクの件で対立した苦い経験を思えば、アメリカはヨーロッパの軍事面での役割が「不十分だ」と言い張るのはほどほどにしておくのが賢明だろう。ヨーロッパもアメリカに対する不満についてよく考える必要がある。

ヨーロッパのエリートたちが伝統的にもつ自分たちの文化に関するうぬぼれそれがヨーロッパで広く受け入れられているアメリカの大衆文化に対する反発となるかはともかくとして、アメリカに対するヨーロッパの批判は主として、アメリカが国際関係において単独行動を強めているという点にある。こうした批判は何も新しいものではない。

冷戦時代にアメリカはその単純な反共思想や、ソ連との妥協を頭から認めない態度、そして、すぐに戦争をちらつかせる姿勢をしばしば非難されてきた。二十年以上も前にドイツのヘルムート・シュミット首相はアメリカの人権政策を軽視して、共産諸国よる反体制派弾圧を容認しようとさえしたし、その後もフランスのヴァレリー・ジスカールデスタン大統領はレーガン政権の好戦的な態度をバカにし、彼の後継者であるフランソワ・ミッテランはブッシュ政権のドイツ統一の努力にそっけない態度をとった。

冷戦終結以来、アメリカは世界の陶器店にあばれこんだ一頭の牡牛だというヨーロッパの批判はますます広まり、手がこんできた。ソ連の脅威がなくなったために、こうした批判もさほど害はないが、一方でヨーロッパの経済統合が進んだことから、大西洋をはさんだ両者の経済的利害の衝突が目立ってきた。

アメリカ議会の不公平な法律や新たな農業助成金、鉄鋼輸入に対する課税などで、ヨーロッパは開かれた世界経済に対するアメリカの姿勢は不誠実だという見方を強めた。こうした見方は、長期にわたって人類の生活に影響を与える地球規模の問題について、その性格上できるだけ多くの国が参加する超国家的な行動基準をすみやかに作るべきであるのに、アメリカがあまりにも怠慢だとするヨーロッパに広まっている考えによって強められている。

ヨーロッパは、国連の地球温暖化防止京都会議で採択された〈気侯変動枠組み条約〉(京都議定書)をアメリカが突然、予想に反して拒絶したことにとりわけ激怒した。アメリカの決断は、地球温暖化という国際的に微妙で政治的にも火種となりやすい問題に対する有効な措置を放棄したものだとされた。

彼らはまた、アメリカが国際刑事裁判所を受け入れることを拒否したことについて、ユーゴスラヴィアでの一連の紛争に際して、国際的な戦争犯罪裁判をするべきだと強い圧力をかけたアメリカの姿勢はもとより、アメリカがしばしば訴えている人権問題への関与とも矛盾すると批判した。

アメリカの歴代政権がよりよい判断を無視してまでも、国内の圧力団体に屈して、イラン、イラク、リビア、キューバに対しておこなってきた経済制裁もまた、独善的な気まぐれの証拠だとみなされている。アメリカの単独行動主義と、ヨーロッパの関心事に対する冷淡な態度への批判はイラク戦争以前からあった。

普段は親米的なドイツでさえ、ときにはアメリカの行動が一方的で横暴だという広く流布した見解を肯定せざるをえなかった。こうした見方は、ジョージ・W・ブッシュ大統領が選ばれる前からあったのである。

日頃は穏健なフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥンク紙は、二〇〇〇年三月二日の『アメリカの拳』と題する記事で、アメリカは「ヨーロッパの政治的重要性」を受け入れていないときっぱり非難し、その理由を次のように記した。

「ふたつの大陸は異なった価値基準にもとづいた政治システムによって動いている。すなわち、グローバリゼーションの規則は覇権国が作ったもので、それによって高まる社会的な矛盾と、はなはだしい貧富の拡大に耐えることができるのはアメリカだけである。一方で、ヨーロッパでは、より強い管理と規制、対立する利害の調整と権力の制限を求めるのが政治であるとの合意がある。ヨーロッパの政治はパートナー同士の思いやりと相互支援にもとづいている」。

一週間後にはドイツのリベラルな大手週刊誌、ディー.ツァイトが、アメリカは「ジャングルの捷」を好み、「新たな敵を探すことに夢中になっている」と非難した。アメリカに対するこうした批判的な見方は、ヨーロッパの人々がよく指摘したがるアメリカの利己的な傲慢さとは対照的な、より大きな世界の感受性から生じているかというとそうでもない。

軍事的に弱く、政治的には統一されていないヨーロッパは、アメリカを非難することで、大西洋をはさむふたつの勢力の力の差を埋めようとしている。アメリカを道義的、法的に守勢に立たせる一方、正しいのは自分たちだとみずからを元気づけて、より対等な立場を手にしようとしているのである。

だが、そうした見せかけには限界がある。ヨーロッパがアメリカ以上に理解していることは、両者の深刻な不和は、まとまりつつあるヨーロッパにとって致命的なものになるということだ。ヨーロッパはふたたび内なる競争と外なる脅威にさらされるだけでなく、ヨーロッパの構造全体があやうくなるかもしれない

ドイツの力に対する昔からある恐怖と、歴史に根ざした国家間の憎悪がすぐさま再燃するだろう。アメリカの存在がなければ、ヨーロッパはふたたび元のヨーロッパに戻るだろうが、それは彼らが描いていた未来の姿とは違うはずだ。

そこまで深く分析すれば、戦略的な考えをもっヨーロッパの人々はーアメリカがサダム.フセインを権力の座から追い落とすという独断的な決断によって表面化した論争にもかかわらずアメリカの単独行動主義は部分的には同国が安全保障上の比類ない役割を果たすための機能であり、それは経済、政治、法律、道徳、安全保障上の動機が簡単には区別できない世界で、アメリカが〈実行できる者〉であるために、他の国が支払わねばならない対価であるとしぶしぶながらも認めるはずだ。

アメリカのこうした態度は、自分が世界の自由の旗手だという歴史的認識から生じている。もしも、アメリカが国際ルールを実直に尊重し、選挙民の主要部分の特別な経済的利益を守るために力を行使することをできるかぎり避け、みずからの主権を制限することに従順で、進んで自国の軍隊を国際司法権の支配下に置くとしたならば、アメリカは世界の無秩序化を防ぐ最後の砦にはなれないだろう。

要するにヨーロッパは、アメリカがそのリーダーシップを、集団的合意の最低基準に合わせようという柔軟さを示したら、どんな結果になるかをじっくりと考えてみるべきだろう。

しかしながら、ワシントンをパリとベルリンと対立させることになった二〇〇三年の論争からは、さらに不吉な教訓を導き出せる。あの論争を、大西洋同盟が脆弱になる可能性があるという警告ととらえるべきだ。相手に対する思いやりを欠いた非難合戦になれば、ヨーロッパに独立した軍事力を本気でもとうとする反米的動機を与えることになる。

ヨーロッパがみずからを明白に〈アメリカの対抗勢力〉と認めて、つまり、事実上の反米となって政治的統合を求めることになれば、ヨー口ッパは大西洋同盟を反古にするだろう。だが、当面は両者に夢も悪夢も訪れないだろう。

どちらも相手の希望を満たさないが、その反面、相手のもっとも怖れることを正しいと言い張ることもないと思われる。少なくとも今後十年、あるいはそれ以上の期間、ヨーロッパは十分な政治的統合をなしえないだろうし、地球規模の軍事力をもつための財政負担を引き受ける動機ももっていない。

ヨーロッパはその政治統合がうまく進んだとしても、歩みはきわめて遅く、しぶしぶながらのものであるという基本的な理由から、アメリカの優位性を脅かすことはないはずだ。

EUの加盟国がまもなく二十七カ国に拡大することも、すでに極度に官僚的な複雑きわまりない構造をもつ、あたかもコングロマリット(複合企業)を連想させるヨーロッパの統合をさらに複雑にするだろう。

コングロマリットは歴史的展望をもたず、確実な利益にしか関心をもたない。EUの非人間的な官僚機構は、政治任務の遂行に必要な市民の感情を喚起することができない。

あるフランスの評論家は痛烈に指摘した。「いまだに償われていないヨーロッパの原罪は、役所の中で生まれたことであり、役所の中で成功したことだ。共通の運命をそのような土台の上に築くことはできない。それではせいぜい経済成長率とミルクの割り当て制度に精を出すのがおちだ」。

ヨーロッパの最優先の関心は世界の安定であり、それがなければヨーロッパの機構は崩壊する。したがってEUは、あたかも多国籍企業が重要な利益を守るために自前の武装警備員を雇うのと同じ理由で、最終的には政治力と軍事力をもつことになるだろう。

だが、その場合でも、しばらくのあいだ、ヨーロッパの軍事的努力は、アメリカの軍事力と競うのではなく、主としてその補完的な存在にとどまるだろう。さらに言えば、ヨーロッパが軍事面でいかなる勇気を見せようとも、それが国を超えた狂信的愛欧主義によるものにはなりそうもないことは、幸いである。

かりにヨーロッパが政治的、軍事的に強大になったとしても、統合による複雑な性格から生じる限界や、政治的独自性が希薄になることから、国際舞台での行動は自制されたものになるはずだ。明日のヨーロッパは、伝道者の情熱や独善的な熱狂を吹き込まれることなく、世界が最終的に必要としている多国間協調主義の好例となり、その推進力ともなりうる。

イラク戦争をめぐって大西洋をはさんで不一致が生じたが、基本的に多国間協調主義のヨーロッパと単独行動主義のアメリカが、世界にとって理想的な政略結婚であるという事実が覆いかくされることはない。別々に行動した場合、アメリカは圧倒的な力をもつとはいえ全能ではない。

ヨーロッパは豊かだが力はない。一緒に行動することでアメリカとヨーロッパは事実上、世界の全能者になれる。両者にはこのことがわかっている。アメリカは最近はテロにかかりきりで、同盟国にいらだっているとしても、世界の安全保障に唯一無二の役割をもち、歴史的な使命感を抱いている、しぶしぶながらも、地域の、そして世界の協議体制の拡大を受け入れるだろう。

アメリカもヨーロッパも相手抜きではうまくやっていけない。力を合わせることによって、両者は世界の安定の中核になれるのである。その中核が活力をもてるかどうかは、アメリカとヨーロッパを対立させている問題を超える、適切な協議事項を用意できるかにかかっている。そうした協議事項は二〇〇三年春の苦々しい対立にもかかわらず存在する。

もっとも急ぐべきなのは、中東を安定させるための両者の協調である。第二章でも述べたように、共同の戦略的企てがなければ、アメリカもヨーロッパも中東にもつ安全保障上の利益をそこなう。双方の努力が、両者の関係に共通の地政学的目標を与える助けになるのである。(P123〜P131)


(私のコメント)
1991年のソ連崩壊によって、アメリカは唯一の超大国となって歴史上最強の帝国となった。地球上の7割を占める海洋はアメリカ一ヶ国が支配しているといってよいだろう。11隻の原子力空母と80隻の原子力潜水艦に立ち向かえる国はない。かつてはソ連がゴルシコフが大海軍を建設に取り掛かったが経済破綻を招いて崩壊した。

しかしこのようなスーパーパワーもテロ攻撃には役に立たず、9・11テロ攻撃でニューヨークは大きな被害を負った。姿の見える敵に対しては大きな力を発揮する大軍事力も、姿の見えない敵に対しては力の発揮のしようがない。このためにアメリカは国家安全保障省を設立してテロ攻撃に備える事になった。

敵の姿が見えないと言うことは、自分以外のすべてを敵とみなさなければならないと言うことであり、アメリカのこのような態度は従来からの同盟国であったNATO諸国とも関係に亀裂が生ずるようになってしまった。NATOはアフガニスタン戦争には協力しているが、イラク戦争には限られた国の協力しかえられていない。

9・11テロのアメリカがなぜイラク侵攻に踏み切ったのかは理由が二転三転してはっきりしないからですが、同盟国もアメリカのご乱心に疑心暗鬼となり真意を測りかねているような状況になってしまった。イラク戦争の協力していた多国籍軍も次々撤退していってイギリスも撤退を始めた。

イラク国内のテロも完全に制圧することは不可能であり、テロを制圧するには数十万の大軍を駐留させるか、完全に撤退するかの方法しかない。そもそも軍事組織がテロを制圧するのはお門違いなのですが、テロを制圧するのは市民の間に入っていける警察組織であり、軍隊のすべき事ではない。

アメリカはサダム・フセインの逮捕で済ませればよかったのでしょうが、従来からの軍事組織や警察組織まで解体してしまった。戦後の日本においても軍を解散させて憲法まで改正させた。そのために60年以上経った現在までも日本には軍隊は存在せず憲法も占領時代のままだ。イラクと違う事はアメリカ軍に対するテロ攻撃が無いことですが、日本人はイラク国民より腰抜けなのだろう。

アメリカが圧倒的な経済力と軍事力を持っている限り、逆らってみたところで敵わないから日本人はゲリラ的な抵抗運動はしないのでしょうが、ヨーロッパはドイツが統一できた事でEUを結成して、少なくともアメリカを上回る経済力と規模を得る事に成功した。ブレジンスキーもそれを認めているがEUの将来には懐疑的だ。

従来のアメリカならばEUをひねり潰すぐらい簡単な事でしょうが、現在のアメリカにはその力はないようだ。ドルとユーロの覇権争いもアメリカにとっては致命傷になりかねないのですが、田中宇氏によればアメリカは一極覇権主義から多極覇権主義へ切り替えているように見ている。EUもその一極でありロシアや日本もその一極になるのだろうか。

アメリカがいかに超大国だからといって、アメリカ一国で世界の警察官となるのは荷が重過ぎる。強大な軍事力もイラク戦争を見れば分かるようにアメリカの軍事力は歪なものであり、イラクのような2200万足らずの小国も完全制圧する事は不可能だ。

歴史を見ても、ローマ帝国もモンゴル帝国も10万程度の強力な軍事組織を持ち、辺境には少数の駐屯部隊を置いて、属国は反乱を起こせば強力な軍隊によって徹底的な鎮圧することによって広大な帝国を支配してきた。だから多極主義とはいっても軍事的な覇権は手放すつもりはないだろう。

アメリカから見れば、各国の軍隊は地域の治安を維持する程度のものであり、アメリカを脅かすような軍隊は許すつもりはないだろう。しかしイラクに直接アメリカ軍が介入して治安維持もままならない姿を見るとアメリカ一国による世界覇権も崩れ去ったかのように見える。大英帝国もボーア戦争で戦力の限界を見せつけられた事が帝国の転機となった。

ブレジンスキー氏はアメリカの戦略家ですが、『孤独な帝国アメリカ』という本を読んでもアメリカの驕りのようなものを所々で感ずる。あるいは強がりなのかもしれない。ブレジンスキー氏はイラク戦争にも反対の立場でしたが、アメリカの軍事力の限界を知っていたからかもしれない。

EUから見れば中東は地続きの隣接地域ですが、アメリカから見れば地球の裏側だ。そこにしか十分な石油がないとすればアメリカとEUにとっての避ける事ができない支配権を争う場になるだろう。アメリカはイスラエルと同盟を組んで勢力の拡大を目指してアラブ諸国から反発を受けている。それを力で抑え込んでいますが、イラクで失敗すればアメリカはイスラエルと共に運命を共にしかねない。

ブレジンスキー氏はバラク・オバマ次期大統領の有力な戦略顧問ですが、イラクからアメリカ軍が撤退した後の構想はどのように描いているのだろうか? 『孤独な帝国アメリカ』は2003年の本だから読んでもわからない。しかしアメリカと言えどもEU諸国や日本の協力なしには現在の地位を保つ事は不可能だ。




静かに起こっている第四次世界大戦をどう乗り切るのかという議論は
ほとんど伝わってきません。危機意識が欠如しているのでしょうか?


2008年5月23日 金曜日

第4次世界大戦が静かに進行している?  5月22日 大西宏

原油が、1バレルが120ドルの攻防を繰り返していたのがついこの間のことですが、ついに、ニューヨーク先物取引市場で、あっさり1バレル130ドルを超えてしまいました。これまでの傾向から見ると、攻防を繰り返した後に一挙に高騰していたので、さらに高騰するかも知れないという予想が現実のものとなってしまいました。

さて、ガソリンや資源の高騰は、先進国を筆頭に、資源を買わなければならない国から、資源保有し、資源を売る国に巨額の富が流れ、資源輸入国の損失ははかりしれません。

ところで、実は、第二次世界大戦の後に、静かな第三次世界大戦が起こっていたという説があります。1980年代のことです。戦勝国は日本とドイツ。戦略兵器は、優れた工業生産技術と、優れた工業製品でした。

アメリカは、致命的な経済の打撃を受け、イギリスは、工業がことごとく破綻し、自動車産業まで失います。


さらにソ連は国家まで崩壊してしまいました。この第三次世界大戦で敗戦国が被った経済的な打撃は、第二次世界大戦をも上回ったといわれています。おそらく、現在の原油また資源の高騰による資源輸入国の経済的損失も世界大戦の規模に匹敵する額になってきているのではないでしょうか。そして皮肉なことに、第三次世界大戦で、国家の崩壊までいたったロシアがこの世界大戦で戦勝国になってきていることです。

原油や資源の高騰が、中国をはじめとした途上国の経済成長によって、需要が高まったからということが言われていますが、アメリカの上院の司法委員会で、石油会社の経営幹部が、採掘コストや需給のバランスを考慮しても、1バレル35ドルから90ドルが妥当なところだと証言したことがビジネスウィークにでていました。原油市場に対する投機資金の規制を強化の動きのひとつだと思いますが、それが本当だとすると、残りはヘッジファンドや投資銀行の投機による高騰だということになります。
Oil: Up, Up, Up

1980年代に起こったことは日本とドイツのひとり勝ちという状況でしたが、現在起こっているのは、資源保有国と資源輸入国の利害の対立というだけでなく、プレイヤーとして、国境を越えた存在ではない金融資本がからんでいるという複雑な構図です。

アメリカは、20世紀の初めには世界一の産油国だったのすが、今では世界最大の石油輸入国で、損失を被りつつ、金融資本の拠点はアメリカにあるということで、国内で矛盾を抱えています。

巨額の資金がが株式市場に流れている分には、金融経済が、実体経済をより付加価値の高いビジネスに転換させたり、構造転換を促したり、支えたりする役割を担い、共存関係にあったのですが、こうなってくると、金融経済が実体経済を痛めるという関係になってきたという見方もできます。

エネルギーも、資源も輸出に頼っている日本にとっては厳しい状況になってきているのですが、政治が停滞した状況にあり、この静かに起こっている第四次世界大戦をどう乗り切るのかという議論はほとんど伝わってきません。危機意識が欠如しているのでしょうか、あるいは諦めて傍観しているということでしょうか。


現代版アリとキリギリス 5月21日 田村秀男 産経新聞

イソップ寓話(ぐうわ)の「セミとアリ」では、ひたすら働くアリを侮り、自身は浮かれた生活をしていたセミが冬場になって食べるものに困り、アリに助けを求めるが断られる。ところが米国は1934年に制作されたディズニー映画でセミをキリギリスに置き換えて「キリギリスとアリ」の物語に仕立て直した。結末も、アリがキリギリスを助ける「美談」に変わった。

住宅のバブル分まで借金しては消費してきた米国はまさしくこのキリギリスであり、そこにためたカネを提供してきた日本はアリである。それはまだしも、米住宅バブルが崩壊するとキリギリス以上にアリが打撃を受ける、アリはそれでもキリギリスなしではやっていけない、というのが現代経済の構図である

例えば、日本の住宅ローン金利。金融機関は今月初めに金利を一斉に引き上げ、6月もさらに上げる気配だ。3000万円のローンなら、1%も上昇すれば年間30万円負担が膨らむ。理由は住宅ローン金利の基準になる長期金利の上昇である。長期金利とは長期国債の利回りのことで、その上昇の背景は「インフレ懸念」(日本経済新聞5月15日付朝刊)との説明がいかにももっともらしい。

実際にそうなのか。日米の長期金利の推移を調べてみると違った様相が浮かび上がる。米国の低所得者向け高金利型住宅ローン(サブプライムローン)危機が表面化した昨年夏から、日本の長期金利の振幅は米国と一致し、4月には日本が米国以上に跳ね上がった。

なぜか。「日本の国債相場をリードしているのは、実は米国のヘッジファンドなど大口投資家です。インフレ懸念というのはあくまでも後付けの理屈にすぎない」と大手証券のベテラン債券ディーラーが打ち明ける。ヘッジファンドなどはサブプライム危機後、株式を売って安全資産として日米の国債に資金を移した。パソコンの売買プログラムでは日本の国債保有比率を固定している。米株式不安が少し和らぐと米国債から株式に投資先を切り替えるが、キーボード操作ひとつで自動的に日本の国債も売ることになる。

ヘッジファンドに大口資金を融通しているのは日本の金融機関である。銀行などは、住宅ローン以外は国内での貸し出しに消極的だ。預金の運用先を国債とヘッジファンドに振り向けている。その国債相場を動かすヘッジファンドにつられて、日本国債を慌てて売る。米国債が売られると日本国債はそれ以上に売られ、相場が急落し、利回り、つまり長期金利が急上昇し、結局住宅ローンを借りる日本の一般消費者にツケが回る。

日本の株式も売買シェアの7割を占める「外国人投資家」が米国株式を基準に相場を決める。

しゃくにさわるかもしれないが、アリの日本人はキリギリスの米国人を責めても無駄だ。世界最大の債権国になるまでせっせと働いてため込んでいるなら、その富は日本国内で使えばよいじゃないか、と言われるのがおちだろう。日本のカネでなくても、中国などの新興国やアラブ産油国が対米証券投資しているとの余裕が米国には生まれている。

国内で新ビジネス機会を創出して投資を活発化させる。いかがわしい取引が横行し、裏社会の関与まで取りざたされる株式市場をきちんと整備する。そんな当たり前の政策を実行できない日本という国のあり方を正さないと、日本人はいつまでもキリギリスに貢いで余計に働く羽目になるアリであり続けるだろう。(たむら・ひでお)


(私のコメント)
久しぶりに経済ネタになりますが、石油が1バレル130ドルを突破しました。1ヶ月の間に20ドルもの上昇です。株式で言えば売る人がいなくなって値だけが飛んでいる状況ですが、買っているのはFRBから資金供給を受けているアメリカのヘッジファンドでしょう。FRBは金融機関を救うために資金供給しているのですが、その金が石油投機に向かっている。

いわば金融緩和の副作用で、中央銀行がジャンジャン資金供給して株式や債券市場が動いているのはいいのですが、石油や穀物市場で値が吊り上げられている。生産国の産油国やアメリカなどの穀物輸出国にとっては儲かりますが、世界の消費国は投機マネーで吊り上げられた石油や穀物を買っていることになる。

これが大西宏氏の第四次世界大戦であり、田村秀男氏のアリとキリギリスの物語だ。日本やドイツや中国がせっせと物を作り続けるアリなら、金融で稼いで遊んでいるのがアメリカや中東産油国などのキリギリスだ。金融は所詮ゼロサムゲームだからいつかは破綻するのですが、アリがせっせとキリギリスに甘い蜜を供給している。

バブル以前は日本国内にも証券会社が国内証券市場に資金を供給して相場を盛り上げてきたのですが、バブル崩壊で日本の証券会社は壊滅的な打撃を負って、相場形成能力を失ってしまった。バブル以前は特金などがあって日本企業は余裕資金を証券会社に資金運用させてきた。ところがバブル崩壊で特金は破綻して、日本企業は外資系ファンドに資金を預けるようになってしまった。

日本の証券会社には資金運用能力が無かったということですが、確かに日本の証券会社の証券マンには投資ファンドを運用できる能力は無かった。彼らに出来る事は本社が決めた銘柄を客に買わせる事だけであり、このような組織営業ではバブル崩壊が来たらひとたまりもない。

なぜ日本の証券会社は、外資系証券会社のような投資ファンドマネージャーを養成しなかったのだろうか? それは会社の組織形態が欧米とはまったく異なっていたから無理だったのだ。日本の証券会社は売買の仲介が専門であり投資信託も規制だらけで運用実績は上げようも無かった。それに対してアメリカの投資ファンドは実績本位であり、実績の上げられないファンドマネージャーはすぐに首になった。

日本でも自前のファンドマネージャー養成しようとしたり、外資系のファンドマネージャーをスカウトしたりして真似してみたが上手くいかなかったようだ。だから日本にはゴールドマンサックスやモルガンスタンレーのような投資会社を作るのは不可能なのだろう。なぜならばゴールドマンやモルガンには元政府高官が役員としてなっており、ポールソン財務長官のようにまた政府高官になったりして、GSやMSはアメリカ政府そのものと言ってもいい。

日本では財務大臣が野村證券に天下ったり、野村證券の会長が財務大臣になったりする事はありえない。だから野村證券がGSやMSに敵うわけがないのである。今から考えれば日本の証券不祥事はアメリカ政府ぐるみの情報戦争に敗れたわけであり、大蔵省もスキャンダルを暴露されて大蔵省は解体されて財務と金融は分離された。

今では日本の金融市場はほとんど外資系証券会社のシェアが7割となり、日本の証券会社は金融市場に対する営業能力は失ってしまった。日本人は金融といった情報戦争には向かない人種であり、バカ正直に物を作っているしかないのだろう。アメリカの投資ファンドは投資というよりもギャンブラーであり、国家ぐるみの収奪機関である。

金融大国のアメリカやイギリスには情報機関があって、軍事的な情報のみならず経済情報も盗聴などの非合法な方法で情報を収集している。80年代90年代の日米経済交渉などは、日本側の手の内はCIAによって全部お見通しだった。日本にはこのような情報機関がないから日本政府はアメリカ政府のなすがままになり金融戦争で全面敗北した。

「株式日記」ではこのような内幕を暴露してきたのですが、日本国民はこのような陰謀話は信じようとはしない。日米は同盟国のはずですが、ソ連崩壊以降はアメリカ政府は日本を敵国として日本の弱体化を謀ってきた。その成果が「日本の失われた10年」ですが、日米はいつの間にか同盟国関係から植民地と帝国の関係になってしまった。

帝国循環という言葉を以前に紹介した事がありますが、19世紀の大英帝国とインドの関係がこれに近い。現在のアメリカの繁栄を支えているのも日本からのマネー還流であり投資という名の収奪行為が行なわれている。日本政府はドルの買い支えを行い、アメリカ国債を官民合わせて400兆円も買っている。ドルが紙切れになれば日本は騙し取られた事になる。

このように露骨に書くと、アメリカの手先のような人がデタラメな反論をしますが、日本の財務省や金融庁などにはハゲタカファンドマネージャーが出入りしているのを見かけるだろう。日本政府はアメリカ政府にがちがちに監視されて、言う事を聞かないとスキャンダルを暴露されて政治家も官僚も失脚することになる。

このように国際金融資本はアメリカ政府や日本政府を自在に操っては巨額の利益を濡れ手に泡で手に入れて行く。まさにアリから蜜をむさぼるキリギリスであり、童話のような世界ではない。オリジナルな童話は日本と米英では価値観がまったく異なるようだ。


アリとキリギリス(セミ)

イソップ物語は国によってその民族の価値観とその国に生息する動物や昆虫によって話が作り変えられているようです。日本では仏教の教えや儒教の教えに合うように結末が変えられています。(日本のイソップ物語は優しい思いやりのある主人公が登場します)

世界中に住む蟻は変わりませんが蟻と比較される甲虫(原作)は国によって変更せざるを得なかったようです。日本ではキリギリスですが、英語版ではgrasshopperとなっています。Grasshopperとはバッター、イナゴ、キリギリス類の総称です。岩波文庫「イソップ寓話集」では甲虫(糞を集めて卵を産みつける)が怠け者になっています。僅か7行の短い話です。結論も将来のことを考えないと時節が変わったときにひどく不幸な目にあうものです、とだけで食べ物を分けてあげたかどうかには触れていません。

一方英語版の最後は、各話が必ず短い教訓で終わります。「夏に音楽を奏でて忙しかったのなら、今度は踊ったらどうだ。こう言って蟻たちはキリギリスに背を向けて仕事に戻って行った。人生には働く時と楽しむ時があるのだ。」

日本語版(ギリシャ語版の翻訳)も英語版も我々が読まされてきた話と若干違いますが、キリギリスが褒められてはいません。私の理解ではキリギリスが褒められたのではなく、イソップ物語の前編に流れるのは古代ギリシャの奴隷たち(我々の知っている近代の奴隷とはだいぶ異なりますが)の人生訓、処世術であり、当時の物語が現代の人間にそのまま教訓にならない場合もあるということです。しかし、世界にはキリギリスの生き方を善しとする民族もいるのでしょうね。

日本人が日本人向けに書き直した蟻とキリギリスは、蟻は働くこととの意義を説いた後にキリギリスに食べ物を分けてあげ、キリギリスは有難うとお礼を言って立ち去ることになっています。これは仏教の教えです。





英語がろくにできなくても、ジャーナリストなれるのは日本だけだろう。
外国のジャーナリストで英語ができない人に会ったことがない。


2008年5月22日 木曜日

日本のメディアのテーマ 大野和基

ぼくがする取材は99%が英語である。資料も本も当然英語が圧倒的に多いので、自然と英米メディアの知人が多い。タイム誌、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ザ・タイムズ(ロンドン)、ニューヨーカーなど大手のメディアがほとんどであるが、いつも彼らに言われるのは、日本のメディアが発するテーマは、世界から見ると関心のないものばかりであるということだ。指摘されるたびにいやな気分になる。

日本以外では誰も知らない有名著者

実際、月刊誌、週刊誌などの目次を見ても、英語で世界に向けて、発表する価値があるものがどれほどあるか、いつも疑問に思うのはぼくだけだろうか。欧米のメディアが発する内容は世界的に関心を持たれ、本にしても、翻訳を待たず英語のまま世界中で読まれるが、日本の本は英語に訳されない限り、読まれることはまずない。だから、日本で超有名な著者でも日本を一歩出るとまったく無名である。せめてテーマからみて、おもしろいものであれば、英語でも出すべきだと思うが、翻訳となると今度はそれをする人がかなり限られる。ちなみに、英語がろくにできなくても、ジャーナリストという肩書きを持てる(自称だが)のも、日本だけだろう。他国のジャーナリストで英語ができない人に会ったことが、今だかつてない。

例えば、昨年交通事故で亡くなった、世界に名を馳せるデイビッド・ハルバースタムは、日本でも知らない人はいないくらい、超一流のジャーナリストであるが、日本国内で同レベルの知名度がある日本人でも、日本以外では誰も知らない。この差は認識した方がいい。ベストセラーになる本のテーマもそうである。英語に訳しても、まず世界的に関心を持たれそうなテーマがほとんどない。しかし、英語のベストセラーが日本でベストセラーになる例はいくらでもある。だから、ほとんど一方通行と言ってもいいだろう。

日本に関心がない欧米人

一部の人は別として、一般的に言うと欧米人は日本のことに関心がない。これは欧米人のジャーナリストが異口同音に言うことだ。ぼくの知人はぼくが日本人であるせいか、日本に関心はあるが、例えば、イギリスのインディペンダント紙の東京支局長デイビッド・マクニール氏は、「私自身は日本に関心があり、バイリンガルだが、イギリス本国にいるイギリス人は、日本で起きていることにまったく関心がない」と明言する。日本文学や、日本史、天皇制について、アメリカの大学で教えているアメリカ人の教授らに聞くと、同じ答えが返ってくる。オレゴン州立大学で日本歴史を教え、The People’s Emperor: Democracy & the Japanese Monarchyの著者である、ケネス・ルオフ教授は、以前電話インタビューしたときに、「アメリカ人は日本人や日本のことに関心がありません」と断言していた。村上春樹や芥川龍之介の英訳で活躍しているジェイ・ルービン氏も「アメリカ人は、基本的には日本に関心がないが、傑作には関心がある」と自信を持って言う。

日本で起きていることに関心がないから、日本のメディアが扱うテーマに関心がないのも筋が通っているが、日本のメディアは、もう少し世界が関心を持つようなテーマを扱った方がいいのではないか。これだけグローバリゼーションが進んでいる中で、日本のメディアが扱うテーマが圧倒的にドメスティックであるのはいかがなものか、と思う。すべて世界が関心を持つテーマにする必要はもちろんないが、そういうテーマがあまりにも少なすぎるのである。関心事に関して、日本とそれ以外の国の温度差が違いすぎる。

日本のニュースと世界のニュース

ごく最近、ロス疑惑の取材のために、ある編集部から電話がかかってきて、4時間後の飛行機でロサンゼルスに飛んだが、現地でつくづく感じたのは、アメリカ人は、ロス疑惑をO.J.シンプソン事件の日本版と言うものの、地元のメディアはこの事件を取材するというよりは、この取材のためにロサンゼルスまでやってきた、100人もの日本人記者たちの狂気ぶりを取材していた。よほど奇異に映るのだろうか。アメリカでもO.J.シンプソン裁判のときの狂気ぶりは、今でも脳裏に焼きついたままであるが、そのことを棚に上げて、日本人の狂気ぶりを報道していた。ちなみに、海外メディアは、この事件をそれほど報道していない。逆に世界で何が起きているか、本当に知りたければ、英語で読むしかない。日本語で入っている世界のニュースは少なすぎる。

かつて、大手の出版社が、日本の雑誌のタイム誌版をアメリカで出そうとしたことがあったが、最終的には経費がかかりすぎることと、テーマ的に見てアメリカ人が関心を持たないので、採算が取れないという結論に達して、結実しなかった。非常に残念であった。
例えば、編集部にバイリンガルの外国人編集者を入れるとか、月刊誌の3分の1は、世界が関心を持ちそうなテーマにするとか、半強制的にするのはどうだろう。お互いにシナジー効果が出てきそうな気がする。視野を広げるのは、読書だけでは無理であるから、環境を変えるのが一番だと思う。


今年1年を振り返って 大野和基

英語と日本語

ジャーナリズムの世界では、世界中どこに行っても最低英語ができて当たり前で、その部分は普通議論の対象にならないが、日本では今でも、母語である日本語が大切だと言って、英語を学習する前に日本語をしっかり学習せよ、と言っている。ぼくはこれに反論するつもりは毛頭ないが、英語や他の外国語をやると母語を客観的に見ることができるので、母語も上達するのである。相乗効果が出てくると言った方がいいだろう。「外国語を知らないものは、自国語についても何も知らない」というゲーテの名言があるが、その通りだと思う。ぼくが母語である日本語に関心を持ったのは、英語を学習してからだった。だから、英語を学習する前に母語をしっかり学習せよ、というのは正しいようで間違っている。同時にやればいいのである。日本文学を先に日本語で読み、次に英語で読むのもおもしろいものだ。翻訳の限界を知る最短距離である上に、英語をマスターする近道でもある。さらに、文学を原語で読むことがいかに重要かを知るきっかけにもなる。ただ、誤解を避けるために、やはり翻訳は重要であることも言っておく。

『クリエイティブ・クラスの世紀』の著者リチャード・フロリダ氏にインタビューしたときも「日本の大学は英語で教えるべきだ。そうしなければ優秀な頭脳が集まらない」と指摘していたが、これを、母語をおろそかにすることと勘違いする人がいるから始末に悪い。ぼくの教え子で、早稲田の国際教養学科に入った人がいるが、「授業がすべて英語で行われると思っていましたが、ある有名な教授でも最初の挨拶を英語でやるとあとは日本語で授業をやっています」といささか軽蔑するような笑いを浮かべていた。教授ともなれば、英語で普通に授業ができることがグローバル・スタンダードだと思うが、日本では英語で自分の専門の講義ができなくても教授になれるところが、日本を特異な国にしている。何回も言うが、英語で授業をやることと母語である日本語をおろそかにすることは別次元である。

今年は、アメリカや日本で、いろいろなパーティに出席する機会があったが、共通語は英語だ。バイリンガルのアメリカ人にも結構会った。大人になってから日本語をマスターしたアメリカ人にも複数会ったが、読み書きもみごとにマスターしている。そういう英語がネイティブである人も、英語の方が日本語よりもはるかに複雑だという。それだけ英語は難しいことはわかったとしても、世界共通語であるという厳然たる事実は変わらない。

日本が本質的に英語圏の人に相手にされていないことがわかっていても、個人レベルでみるとそのことを考えない方が対等に付き合える。相手も個人としてみてくれるので、切磋琢磨は欠かせない。漫画がアメリカだけではなく、世界を席巻していることは、嬉しいことだが、日本が世界に発信する情報はまだまだ少ないことも事実である。



(私のコメント)
日本のニュースショーを見ていて気になるのは、ニュースキャスターでも英語が出来ない事だ。NHKなどではアメリカの駐在経験のある人がキャスターになった時は通訳なしでインタビューが出来る人がいるが、今では通訳なしで外人のインタビューが出来るニュースキャスターはいない。

女性の場合は帰国子女などがアナウンサーとして採用されて活躍している人は大勢いるが、男の帰国子女でアナウンサーやニュースキャスターになった人がいないのはなぜなのだろうか。日本で有名な田原総一郎も英語が話せないし、久米宏も英語が出来なかった。

テレビ放送局のアナウンサーともなれば花形職業だから、2000人に1人といった激戦を選び抜かれた人が採用されるはずなのに、通訳なしでインタビューが出来るアナがいないのは不思議でならない。大野和基氏が指摘するように、日本では英語が出来なくてもジャーナリストになれる国だ。だからどうしても外国の情報に疎くなってしまう。

このように日本では英語が出来て当然の大学教授や花形ニュースキャスターでも英語が出来ないくらいだから、英語が出来る大学教授やニュースキャスターのほうが珍しいくらいだ。インタビューなどは英会話が出来れば通訳なしでも出来るのでしょうが、外人のゲストが出てくると決まって同時通訳が入る。

日本の学校では英語を教えている先生ですらまともな英語が出来ないのだから、生徒が英語が出来るわけがない。中学から大学まで10年間も英語を勉強してもほとんど話せないのは教育方法のせいだろうか。英会話学校も沢山あるし、大学の英文学部で勉強してもまともな英会話が出来ないのはなぜなのだろう。

ならば小学校から教えれば英語が出来るようになるのだろうか? とてもそのような訳には行かないだろう。英語の習得の為にアメリカやイギリスに留学しても小泉首相や安倍首相や福田首相を見ても英語がまともに出来ないのを見れば無駄である事がわかる。自分達ができないのにどうして小学校から教えれば英語が出来ると考えるのだろうか?

外務省のエリート官僚ですら英語が出来ずに、アメリカ大使館でも学生アルバイトを雇って情報収集をしている。大リーグで何年も活躍しているイチロー選手ですらいまだに英語は通訳まかせだ。選手同士の会話は出来るがインタビューは日本語になってしまう。このように英語は難しいのであり、英語はネイティブな人と互角に英語で話ができると言うのは不可能に近い。

逆もまた真なりで、テレビなどで活躍しているアメリカ人でも日本語が完璧に出来る人はいない。会話は出来ても読み書きは難しいようだ。語学の天才だった小泉八雲ですら日本語で書いたものは幼稚園児並みだ。ブログで外人が日本語で書いたブログも無くはないが、非常に少ない。日本語も英語もネイティブに出来ることは不可能に近い。

「日高義樹氏のワシントンレポート」を時々紹介しますが、日高氏の英語はとても流暢とはいえないし、アメリカのシンクタンクの首席研究員でも英会話はあのレベルなのだ。だからなんと意味が通ずる程度の英語が出来ればそれで満足すべきでそれが限界なのだろう。日本では英語が出来て当たり前の職業の人ですら英語が出来ないのだから、英語が出来ないからといって悩んでも仕方がない。

ましてや日本人ですら日本語会話が満足に出来ず、読み書きなどははがき一枚書くのも一日がかりの人はいくらでいる。ましてや外人が日本語をマスターするのは不可能に近い。日常会話は簡単だが読み書きは日本人ですら難しいのだから出来るわけがない。Benjamin Fulford 氏は例外的だが、日本人になるくらいの気構えでないと無理だろう。

ジャーナリズムの世界では英語は公用語のようになっていますが、ならば英語が出来ないと仕事にならないはずだ。しかし日本では英語が出来ないジャーナリストは沢山いると言うか、英語が出来るジャーナリストが珍しいくらいだ。アジアやアフリカのインテリ階級は欧米の大学に留学するから当然英語が出来る。しかし日本ではインテリ階級でも英語が出来ない人がほとんどであり、英語の著書を書いたり記事を書いたりする事は極めて希だ。

日本の外国語学はもっぱら翻訳の為の語学であり、外国語を文献を日本語に訳する事は盛んだ。それに対して日本語を外国語に訳して出す事は希であり、基本的に英語が母語である人が書いた文章でないと鑑賞に耐える英語にならない。だから国策的に日本を理解してもらう為には英米人の留学生を招いて日本語を英訳できる人を養成するしかないだろう。

文化的に見れば映画やアニメの世界では世界の巨匠が沢山いるのだから、文学でも世界に通用する作品が沢山あるはずなのですが、村上春樹などに限られてしまう。理系の分野なら英語翻訳ソフト任せの文章でも通用するのでしょうが、文学作品となるとカズオ・イシグロのようにまったく英国人として育たないと英語の小説は書けない。

だから日本語と英語はどちらが難しいかと聞かれれば、どちらも難しいとしか言えないだろう。外務省の役人は英語も満足に翻訳もできずに、サンフランシスコ講和条約でも、「裁判」と「判決」を誤訳している。国際条約の文章ですら間違えるくらいなのだから英語教育などは、語学的才能のある人を集中的に教育して養成しないと無理ではないかと思う。

しかし英語が出来ても日本語がお粗末だったり、英語以外になんにも分からない日本人ができても意味がない。外資系企業では英語が出来る社員が出世が早いそうですが、英語屋さんが経営者や技術者として優秀とは限らないから、そのような外資系企業は競争から脱落する。むしろ日本語を参入障壁として生かして外資に立ち向かうくらいの気概を持ったほうがいいのかもしれない。




インド、中国、発展途上国、さらには韓、台、香港、シンガポールも、
本格的に近代化することはあり得ない。米、ロは混乱に向かうだろう。


2008年5月21日 水曜日

『衰亡の法則』 馬野周二:著

文明は衰亡する

以上の考察から、文明は次のような性質を持つことが現れてくる。

@各領域の文明は盛衰の波形を示す。

A東西に分岐はしていても、第T、U、V文明とも、それぞれ時期的に同期している。すなわちこの大陸の文明の波は、図3のような引き続く波として理解される。それはあたかもユーラシア大陸という池があり、その一角(西南アジア)で起こった波が、同心円状に周辺に波及していったようなものである。池底の状況によって波の断面は変わってくるが、進行速度は変わらない。つまりT、U、Vの文明段階に属する各文明は、同時期に興隆し、そして衰亡する。

B距離的に遠く離れてはいても、これら三つの文明は、その根本の性格において同一である。見ず知らずの西ヨーロッパと日本は、第皿文明として同時に発起し、同様な歴史を辿るという宿命を持っているということだ。不思議とも見られようが、事実は正しくそうなっている。このことは図3を見れぱ誰しも得心するはずである。

新人はたかだか三万五千年前に出現したことはすでに述ぺたところである。おそらく彼らは一カ所で発生し、ユーラシア大陸を拡散していったのであろう。そうとすれほ今日まで僅かに千数百世代の短い時間にすぎない。西南アジアから文明が拡散し始めてからであれぱ三百世代にすぎない。

ヨーロッバと日本の文明が同時的で同質的なのは、このように見れぱ当たり前とも言えよう。朝鮮・日本とガリア・ゲルマニアは、第U文明の大帝国、シナとローマの辺境であった。ガリアも朝鮮も軍事征服され、政治支配されている。時期も大して違っているわげではない。両者とも全面的にシナ、ローマ文明を強制的に注入された。日本とゲルマニアは、シナ、ローマ文明を自発的に受け入れた。

一つの領域での社会進化のクライテリアには、国家の出現と法典の成立がある。ローマ、シナ帝国の政治、社会の影響を受げた古代王制が出現したのも、両者同様であるし、ヨーロッパのランゴバルド法典、日本での十七条憲法の成立時期は正確に一致している(両者ともAD七〇八).その後両者は酷似した封建制度に移行した。ヨーロッパと日本の封建制は他の文明には見られないもので、それは小領域に分散した地形と、第皿文明という世界文明史上の段階を共有していることによる。

封建制から近世、近代に移ってくる状況も両者平行している。中世を断絶した一つの重要な契機が、鉄砲の発明という技術革新であったとするたらば、それが導入(AD一五四三)されるや忽ち爆発的に拡がり、杜会を変えてしまったのは、ヨーロッパと日本だげの特別な現象であった。ポルトガルから日本までの長いユーラシア大陸の下腹、すたわち第T、U文明の地域においては、鉄砲が単たる珍器に止まった原因は、この文明史観によって明瞭に理解される。

鉄砲の本格的受容には、それを大量に生産しうる冶金技術と、十分な需要がなけれぱならない。ヨーロッバと日本は、丁度その文明段階に、東西独立して、しかも同期して、到達していた。これは決して偶然の一致ではなく、世界史のブログラム通りの事態なのである。

.当時の社会状態は日本もヨーロッバもよく似ていた。海外進出も同じであるし、ある面ではむしろ日本の方がより近世的であったろう。戦国時代後期の日本は、たとえぽ軍事技術のハード、ソフト面で、ヨーロッバを逢かに引き離していた.イギリス、オランダはまだ後れていた。鎖国がなかったならぱ、日本の近代化はきわめて速やかであったろうし、その結果はヨーロッバのそれとほとんど同じものとなっていたであろう。

文芸の面でも平行性が著しい。政治形態は非常に違っていたげれども。明治以来西洋化したというが、それは西洋化であるよりも、二百年以上足踏みしていた近代化が急遠に進んだということである。むしろ鎖国がなけれぽずっと早くそこに到達していたであろう状態へ、急激に近づいたにすぎない。

二百六十年の鎖国は百年のキャッチアップの時間を要求したのであり、今後は日本の方がヨーロッバよりも先行するという構図が現われてくる。というのは、日本の歴史を見ると、その進行速度がむしろヨーロッパよりも速ややかであったからだ。さらにこの歴史観によれぱ、インド、中国、発展途上国、さらには韓、台、香港、シンガポールも、本格的に近代化することはあり得ない。したがってこれらは将来とも日本の従属的地位に止まる。

福沢諭吉は明治初年、「脱亜入欧」を称えたが、日本は初めから東アジアの欧州なのであって、何も今さら<入欧>する必要はなかったのである。

読者は以上述べたような世界史の見方を納得されるだろうか。今それを知る由はないが、この文明史観から導き出される現実政治への指針をお目にかげて、本章が私の空疎な歴史遊びの押し付けではなく、現実への応用のための理論であることを納得して戴こう。

今日の米、ソの政治的、軍事的、経済的行動が、どんな原理にもとづいて行なわれているのかを理解し、これから先、これらの国がどうなっていくのかを論理的に予測しようとするのである。そのためには先ず如上の歴史観によって、米・ソがどのように理解されるのかを見ることから取り掛らねばならない。

文明史段階から見た米・ソ

図-3に示されるように、第T、U、V文明は、それぞれ時期を異にした段階である。ユーラシア大陸の内奥に農耕が入り、人口が増えてき、文明が伝わってきたのは第V文明の地方よりもずっと後れていた。モスクワ公国はAD一四八○年に始まり、ロシァ帝国の成立はAD一四七二年である。イヴァン法令集が現われたのがAD一四九七年であるから、これはヨーロッバ、日本に後れること八百年である。

ロシアには早くから蒙古が侵入支配した。これはローマの植民地として文明化したガリアと似た歴史ではあるが、文明度の低い蒙古に永く支配されたことは、この地域の文明的発展を遅らせ、歪曲した。この蒙古権力支配の影響は今日も深く残存している。

一方アメリカも、植民が始まってから四百年、独立してから二百年しか経っていない若い国である。但し、この国の住民は、すでに進んでいた第V文明の国からの移民が作り上げたもので、ロシアの場合のように一から始めたのではない。しかしその点を除げぱ、この二つの国は特性を共有し、文明の本質を同じくしている。

すなわち地球上最大の平原であり、大資源を蔵し、文明の辺境であったにもかかわらず、近年に至って急速に開発され、大人口を有するに至った。しかも第二次大戦後は他にぬきん出た超大国となっていて、その政治的、軍事的パーフォーマンスは酷似している。

このような広漢とした大平原は、工業化以前、十八世紀までの農業技術によっては十分に開発することが困難であり、まとまった力のある政治領域として成立することは難しかったと思われる。ところがヨーロッバ、すなわち第V文明において折よく産業革命が起き、これがアメリカに、そして半世紀後にはロシアに波及したために、技術化された農業、そして工業がこの大領域に根づき、この超巨大な平原が十分に開発されることに至った。百二十年前のアメリカ南北戦争は、工業化した北部が、粗放な奴隷制農業段階に止まっていた南部を、軍事力によって強制的に併合、統一した社会変化であった。

この事情はソ連でも同様であって、スターリンによる工業化、農業の集団化というのは、先行した都市部のヘゲモニーのもとに農村を組み込もうとする「南北」戦争であったと思われる。それゆえに、ロシアの南軍、富農層はこれに低抗し、二千万人もが殺されたとも言われている。この意味では、スターリンは八十年後に現われたリンカーンであった。

この二国は今日では大工業化していて、外見上ヨーロッパ型の社会を作っているために、われわれは不用意に彼らをわれわれと同じ第V文明に属していると考えてしまう。しかし、本論に展開した論理からすれぱ、彼らは別の文明カテゴリーに属する領域なのであって、第V文明の諸国が今文明の成熟期にあるとすれぱ、なお遙かに後れた段階にいる。彼らの国家的バーフォーマンス、あるいは社会のダィナミックスは、この点を理解しなげれぱ分析できないであろう。この問題については次章で検討する。

もともと第V文明が生み出した科学技術が、この巨大領域に入ったからには、ここにおける物質とエネルギーの集積が超巨大なものとなることは当然であった。問題はこの力がわれわれにどう働くのかということである。米・ソが、アレキサンダー大王やアメリカに侵入したスペイン人のように、第V文明圏に侵入し、われわれの文明は間もなく衰亡するのか、あるいは米・ソが何らかの原因で什れてしまうのか、これはすでに明日に迫った問題である。本書の歴史論理はそれに解答を与えるだろうか。

工業化病に罹患する新大陸社会

いずれの世界文明も、前代旧文明の上に後代新文明が附加されてでき上っている。そこで第W文明であるアメリカとロシアは、第V文明が生み出した新文明の上に建設されるのは当然である。第V文明が新たに附加したものは何か。それは科学技術文明である。アメリカは新大陸と呼ぱれる。その歴史の新しさと大平原を持つことから、ロシアもまた新大陸と言えよう。この新大陸に科学技術文明を含む旧文明が伝わるとどうなるか。前に述べた米・ソの南北戦争が起こる。

新大陸におげる南とは何か。それは旧文明の基層、まだ科学技術を含まない頃に伝わってきた文明の上に立つ領域であり社会である。北とは科学技術文明の洗礼を受げた領域のことである。第V文明世界は、それ自身の内部から科学・技術が起こった。

したがって、それは自然な進化の過程で、コペルニクス(AD一四四三)からワット(AD一七六九)を経て今日まで、多くの社会変動、すなわち産業革命、政治革命を伴いつつも、それらを吸収して、激してホモジニアスな社会を作った。ところが新大陸では、産業革命以前の古い文明を受げ入れて定着させた地理的、社会的領域と、それ以後の新しい文明を受げ入れたそれらの領域とが、尖鋭に対立するようになった。

大陸であるこれらの国では、新旧領域が地理的に遠く離れており、両者の接触が薄く、軍事的手段による一方の他方の制圧となる。これが米・ソの南北戦争という現象だ。この大陸社会の性質は今日も変化なく残っていて、たとえばソ連の特権階級やアメリカの一握りの大金持は、一般社会から自らを隔離して生活している。これは社会的南北関係である。余りにも生活が異なるために、社会的に交わることができないのみでなく、人目に晒されると生命に危険があるからだ。ヨーロヅバでも日本でもこんな状況は起こらない。

科学技術はヨーロッパでは自然発生した。したがってその社会ではもとから持っている器官の一部である。ところがこれが第W文明に移植されると、異物が体内に入るわげで、強い生体反応を引き起こす。アメリカとソ連の社会にいろいろと現われてきている諸問題は、そのせいであろう。

社会の健康度はその住民の肉体の健康度、つまり平均寿命に表われるとすれば、この両国のそれは西欧、日本よりも低く、驚くべきことには、近年むしろ低下の傾向が見える。この原因は、これらの国に南北戦争が起こり、本質的に少数支配政治が行なわれるのと同じく、工業化という第V文明の特産物が急激に体内に入ったせいであろう。

工業化病を治癒する手段がないことは米・ソの悲劇である。彼らは工業化せざるを得たかった。文明の流入は止められぬからである。アメリカにおげる麻薬、ソ連における飲酒に見られる社会の劣化は、この病状の一端であろう。

第T文明は亡びた。第U文明は衰えている。第W文明は混乱に向かうだろう。これが世界史の冷厳な論理ではあるまいか。
(P60〜P67)


(私のコメント)
「株式日記」ではアメリカとロシアは兄弟国家であると書いて来ましたが、馬野氏によれば米ロとも第W文明の国家であり、どちらも若い国であり、大資源を有し、機械工業技術が伝わってきた事で大規模な農業開発が行なわれて大人口を有するようになった。特に石油を産する事で石油エネルギー革命に乗ったことで超大国となった。

しかしアメリカもロシアも機械工業文明が伝わってくる前は辺境の大平原に過ぎなかったのであり、いきなり近代工業国家となった事が様々な問題を生んでいる。アメリカにおいてはドラッグの氾濫や精神科医の繁栄は有名だし、ロシアにおける酒による寿命の短さは有名だ。いきなり近代工業文明になった事で人々がそれに適応できないのだ。

ソ連は1991年に崩壊しましたが、10年に及ぶアフガニスタン戦争の後遺症やチェルノブイリ原発事故などによる共産主義体制のほころびや、石油増産の失敗などによる経済的行き詰まりなどが原因となってソ連は崩壊した。この事はアメリカの将来も予言するものであり、イラク戦争が長引いているし、国内石油の生産もあと10年もすれば枯渇すると予測されている。ソ連と同じように原発事故も起こしているし、近代工業文明に適応できなくてソ連のように崩壊するのかもしれない。

このように第W文明が混乱するのと同じく、第U文明も衰退すると馬野氏は述べている。第U文明とはギリシャ・ローマやインドやシナの文明のことですが、過去の文明の遺産を継承している地域の国家ですが、過去の栄光の歴史から抜け出すことが出来ず、過去の遺産を食い潰している。

かつては豊かで広大な国土を有して大文明国家を作ったのですが、今では森林を伐採しつくして砂漠となったり、巨大な遺跡などが過去の栄光の歴史を物語っていますが、第V文明であるヨーロッパの帝国主義に荒らされて衰退は決定的になった。大U文明は非常に豊かな文明であり今なお大きな人口を有している。

第V文明は第U文明の大帝国の辺境にあった国ですが、西欧や日本は大帝国の文化や文明を学びながらも過去の遺産にこだわることなく、辺境であった事から航海術の発達で世界に航路を開いてインドやシナの大帝国を上回る繁栄を生むきっかけを掴んだ。さらには近代工業文明を生み出し第U文明の大帝国は西欧の列強に侵略されて殖民地となった。

第T文明のエジプト、メソポタミアはすでに滅び去った文明であり、遺跡でしかその面影を知る事はできない。ナイル河やチグリス・ユーフラテス河やインダス河の河口に発達した農耕文明は東西に広がって、ガンジス河や黄河や地中海に広がって行って第U文明を生み出した。

第T文明の地帯は砂漠化してしまったに比べると、第U文明のインドやシナや地中海諸国には農業も盛んであり国家としても存在しているが、マケドニアのアレキサンダー大王の侵略で第T文明が滅び去ったように、第U文明は西欧の侵略によってそれまで存在した大帝国は亡んでしまった。ローマ帝国も北方のゲルマン族によって滅ぼされたのは地理的に近かったせいだろう。

シナの場合も第V文明の日本の侵略によって清帝国は敗れて滅び去った。このように戦争によって文明は交代してきたのですが、文明的には第T、U、V文明と積み重ねるように発達してきた。第V文明の日本とゲルマン民族の末裔のドイツは第W文明のアメリカとロシアによって敗れましたが、第V文明は亡んで第W文明の世界になるのだろうか?

軍事的に見ればアメリカとロシアは核兵器と宇宙兵器で日本やヨーロッパの国を圧倒してしまった。まさに第W文明の時代が始まったように見える。しかしアメリカやロシアは第W文明といえるのだろうか? むしろ石油エネルギーが生んだ第V文明の異端児ではないだろうか? 第W文明と呼ぶには第V文明の近代工業のような革命的な文明があるはずだ。

馬野氏はインドやシナやその他のアジアが本格的な近代化することはありえないとしている。第T文明が滅び去り、第U文明は停滞して第V文明を凌駕する事はありえない。文明のピークが過ぎると盛り返すのは不可能であり、インドや中国が本格的に近代化することは「衰亡の法則」からするとありえない。

一昨日はドバイが金融商業都市を目指して建設が進んでいる事を書きましたが、ドバイは滅び去った第T文明の国ですが、地下から石油が出てきたことによる文明のアダ花だ。超高層ビル群は活かされる事無く廃墟になるだろう。インドや中国も世界から投資を呼び込んで、アメリカのシンクタンクには中国が世界一の超大国になるとする予測もあるが、幻に過ぎないようだ。インドや中国の過去の栄光は偉大なものであり、それを克服して乗り越える事は不可能であり、中華思想が新たな文明を受け入れようとはしない。

エジプトやメソポタミアに発生した文明は東西に広がり、極東の日本と極西のイギリスに到達した。つまり地理的に見れば第V文明で行き止まりになったのですが、新大陸のアメリカやロシアが第W文明となるかは、これから数百年経たないと分からない。しかしアメリカやロシアはTからVまでの文明の積み重ねがないから根元から倒れる可能性がある。

アメリカがイスラエルと言う第T文明の亡霊に犯されてしまうのも、文明の積み重ねがないからであり、キリスト教が原理主義的になるのも文明の積み重ねがないためだ。第V文明では政治と宗教は分離しているのですが、第W文明は足元から崩れると第T文明に逆戻りする可能性がある。




NHK特集「沸騰都市ロンドン」 ロンドンのシティーは外国人優遇税制
でニューヨークを上回る国際金融都市となって、EUは米国を追い越す。


2008年5月20日 火曜日

ロンドンのシティーの繁栄をもたらした外国人優遇税制は
不公平だと批判が多いが、ロシア系ユダヤ人のメッカとなった。


第98回 「シティ脱出」 2008年2月21日 丸國 葉 ロンドン金融機関にて勤務

どうも金持ち外国人がロンドンから出て行くらしい…!?

 昨年秋にダーリング財務相が発表した「Non-domsへの税優遇措置」の改革案。これがシティの地位を危うくするのではと懸念されている。(税金がらみの話は私の数多い「疎い事柄」の一つでもあるので、説明や理解に不十分があることをあらかじめご了承いただきたし。)

 Non-domsというのはNon domicilesの略で、広義ではイギリスに住む、イギリス国籍以外の人たちのことだが(私もその1人)、特にここでは、イギリス国外の資産などに対する課税を免除してもらうために「私はNon-doms」であるとあえて申告している人たちをさす(ということで、国外資産なしの私は含まれず)。

 村上龍氏がロンドン在住であれば、まさにNon-domsになるでしょうかね。たとえばロンドンに住む村上氏の日本国内での不動産収入や日本株売買益は(まったくの推測です)、イギリスの税務署員に報告する必要はないということである(と思う)。こういった利点もあって、アメリカや欧州大陸の高技術を持ったビジネスマン・ウーマンが、金融の中心であり大都会であるロンドンでの生活に魅力を見出していたのは納得できること。

 Non-doms人口は、2002年の6万4千人から2005年には11万5千人に膨れ上がっており、現在は20万人いるという話もある。そのうち8割ほどは年収10万ポンド(約2千百万円)までの人たちで、多くがロンドンないし近郊に在住。自分でビジネスを営むか、もしくはインベストメントバンク、コンサルタント、法律会社などに勤務するシティのリッチ族である。なお、シティのシニア・マネージメントレベルの四分の一は非イギリス人だという。

 その上のごく少人数がスーパーリッチ族。英プレミアリーグのチェルシーのオーナーであるロシアの石油王アブラモヴィッチ氏や、インド生まれで世界でも指折りの大資産家・鉄鋼王ミッタル氏などは、バリバリのスーパーリッチNon-domsである。ちなみに、ミッタル氏の与党・労働党への寄付は410万ポンド(約8億6千万円)。

 Non-domsはロンドンの高級住宅をオフショア・トラスト名義で購入して印紙税を節約、国外資産を外国籍の妻名義にして課税を逃れるなど、皆様、有効活用していらっしゃる。

 この200年以上の歴史あるNon-doms優遇措置に、ダーリング財務相が大きなメスを入れようとしているのである。Non-domsとして申告する場合は毎年3万ポンド(約630万円)を払わなければならず、そうでなければ、イギリス国民同様、国外資産の申告義務が生じて課税されるというもの。ただし、在英滞在が7年以下で資産額が1千ポンド以下(約21万円、だけ?)は対象外。このいわゆる「Non-doms登録料」で、政府は少なくとも年間6億5千ポンド(約1千4百億円)の税収入増を見込んでいる。


 630万円の登録料はスーパーリッチにとっては、痛くもかゆくもない金額であるが、Non-domsの多くにとっては、登録料を払うほどアドバンテージはなく、結局、国外資産を申告する道を選ぶことになりそうで、イギリス在住のうまみを見出せなくなると懸念されている。

 さらに、リッチ族に人気の4輪駆動車のロンドン市内での乗り入れが一日5千円以上になり、自動車税や駐車料金も割高になり、消費物価も上昇しているとなれば、ロンドン生活もそろそろ潮時かと思うもの。ロンドンの住宅市場をひっぱってきたシティのリッチNon-domsが、ロンドン高級住宅地シェルシーなどの家を売り払って、タックスヘイブンのモンテカルロやスイスへ移住という発想が出るのも理解できることである。実際、ジュネーブの法律事務所では今年に入ってからスイス移住についての問い合わせが急増、そのうち大半は今すぐとは言わずとも1−2年以内でのロンドン脱出を考えているとか。

 さて、野党側はというと、イギリス滞在期間を問わず一律2万5千ポンド(約525万円)の「登録料」案を出しており、産業界から懸念の声が出ているとはいえ、来月12日の予算案でなんらかの「Non-doms登録料」導入は避けられないようである。そうなると、4月からさっそく適用されるとあって、Non-domsたちの今後の身の振り方を決める時間は限られている。

 東欧から安価な労働力が流入し、かたや、税制の変更でスーパーリッチは残るものの、経済牽引者であるリッチ族たちがシティから出て行くか、もしくは、税負担増に屈するか…。少々、大げさではあるが、経済の真ん中あたりの元気がなくなる中、過去とは違ったイギリス社会地図が形成されていく過程にいるような気がしている。

ロンドンは3人に1人が外国人、低賃金労働者受入れは
いずれは暴動騒ぎが起きて高い代償を支払わされる


外国人労働者問題は、冷静な議論が必要 ジャーナリスト 斎藤 孝光(ロンドン在住)

外国人の単純労働者の受け入れについては、伴さんが御指摘のように、少子高齢化に伴う労働力不足に対応して進めるべきと言う論調が盛んになっています。

 私はこの議論の立て方には問題が多いと考えています。それは、まず第一に、自国の経済成長のために他国の単純労働力を利用しようという考えにある種の堕落を感じるからであり、第二に、仮にこの狙いで労働力を受け入れても、目的通りの結果をもたらさないと考えるからです。以下に理由を述べます。議論は単純労働者とそうでない労働者とではまったく違ってきます。

 ●支えられるのか、支えるのか?

 確かに、二〇〇五年をピークに労働力人口は減少に向かうとされています。このため、経済全体の活力がなくなり、医療制度や年金といった社会保障制度がこのままでは機能しなくなるとの懸念も強まっています。そこで、労働力の穴埋めに外国人を受け入れればよいと言うのは、わかりやすい考えだと思います。

 しかし、外国人労働者だって日本の社会制度の恩恵を受けなければならないのは自明の理です。従って、理屈でいえば、外国人労働者が納税などを通じて、ネットで社会保障制度などの貢献者になれる場合に限って、受け入れる理由ができることになります。この点、単純労働者は低賃金に甘んじ、納税などを通じた社会貢献も低くなると予想され、貢献者というよりは、高水準にある日本の社会保障制度からの受益者になるほうが可能性としては高いのではないでしょうか。

 支えてくれると思っていた人が、実際には支えられているとわかった時に、日本人はどう反応するでしょうか

 これは非常に冷たい言い方のようですが、もともと、日本の閉そく状況に風穴を開けるために、海外に雇用を求めるという発想自体が安易なエゴイズムといえないでしょうか。特に、単純労働を雇う側のメリットは低賃金にあるのは明白です。私は、それをすべて否定しようとは思いませんが、外国人労働者の受け入れに経済再生の活路を求めようと考えるのなら、単純労働者はその役を果たさない可能性が強いと思います。

 例えば、ドイツは今、IT技術者を大量に海外から受け入れようとしています。これは、今後の主要産業となるIT部門で遅れを生じれば、国家経済の競争力が失われると考えているからです。つまり、単純労働者のような、生産性の低い労働力を受け入れるのとはまったく逆の効果を狙っているわけです。

 むしろ、私は、高給を払ってでも日本に受け入れるべきは、プロの経営者や技術者、学者などの専門家だと思います。まだまだ活用されていない日本の女性労働力や高齢者の労働力の使い道を考えることも先決です。

 ●国際貢献なら、海外進出を

 製造業の場合、労働力不足に対応する方法としては、海外進出ということも考えられます。日本で海外労働者を受け入れても、海外で工場を立ち上げても、海外の労働者に雇用を生むという意味ではおなじでしょう。しかも、進出国に技術移転が進み、労働者は自国で生活できるというメリットがあります。

 私は、日本が国際貢献をすることは大事だと思いますが、それならむしろ、日本企業が海外に進出することがより好ましいと思います。海外進出より海外労働者を受け入れるほうがよい点は、経営側が楽ということでしょう。しかし、本来は、国内の労働コストで引き合わない産業は、どんどん海外に移転して、産業構造のシフトを起こすことこそ、国際貢献にもなり、日本経済の将来にも必要なのではないでしょうか。

 「海外の安い労働力は欲しいが、日本から離れるのは嫌」というのは、国際貢献というよりも単なる経営の都合です。問題は、それが国民経済的に正当化されるかということだと思います。海外から単純労働者を雇ってこようという発想は、建設業を支えるために不必要な公共工事を続けるという発想に一脈通じるものがあるというのが私の感想です。

 ●それを超えた理由とは

 私は、上記理由によって、単純労働者の受け入れには反対ですが、経済的理由を超えても受け入れるべき理由があるなら、それはまた話は別だと思います。労働者とは違いますが、例えば、各国から留学生を受け入れることは、日本の将来のために極めて有益だと考えています。

 伴さんのこれまでのご主張を振り返ると、経済的なメリットはあまり強調しておられず、むしろ、国際貢献などの経済的な理由を超えた理由を見いだされているのだと思います。その意味で、伴さんの「過去にお世話になった枠」という発想は、非常に面白いと思います。いずれにしても、相手に喜ばれ、日本にもメリットのある方法でなければ意味がないと思います。

 ●ロンドン在住のぼんやりした感想

 これは、たまたまロンドンに在住しているものとしてのぼんやりとした感想ですが、ここはそれほど外国人労働者に優しいところではありません。不法移民についてはぴりぴりしています。また、確かに住民の肌の色はさまざまですが、元々のイギリス国民も多いものと思われます。さらにいうと、肌の色によって、職業から住むところまで色分けが出来ていて、あまり感じの良い物ではありません。

 イギリスの場合、長い間に渡って、数多くの植民地を抱えていたことから、植民地からの移住者も多く、旧植民地との人的、資本的つながりは今でも深いものがあります。香港など良い例です。日本が仮にイギリスと同じような歴史を持っていたとしたら、おそらく今の日本の風景も一変しているはずです。アメリカもそもそも移民の国であるし、よく言われていることではありますが、日本とは歴史的背景が違うのではないでしょうか。


外国人労働者受入れ派のロンドン市長は選挙で落選した。
外国人参政権を認めれば都市は外国人に乗っ取られるだろう。


(私のコメント)
昨日に引き続いてNHKでは「沸騰都市ロンドン」を放送していましたが、ロンドンは世界中から大金持ちが集まってきて不動産景気に沸いている。特にプーチン政権に危機感を持ったユダヤ系ロシア人たちがロシアからロンドンに移り住んできている。ロシアに住んでいたらいつポドゴルフスキーのように警察に捕まって牢屋に入れられるか分からないからだ。

まさにロンドンはユダヤ系ロシア人の金持ち達の中心地になっていますが、ロンドンからロシア経済をコントロールしようとしている。当然プーチン大統領はこころよく思わず暗殺者をロンドンに送り込んでリトビネンコ毒殺事件を起こした。その手口は露骨であり警告の意味があったと思われる。

「沸騰都市ロンドン」でも、ロンドンのロシア人資本家達とロシアの複雑な関係に触れていましたが、彼らがロシア系ユダヤ人であるとは一言も触れようとはしない。でないと何故彼らがプーチン政権に危機感を持ってロンドンに移り住んできたか理由が分からなくなる。


プーチンと国際金融資本との戦い 5月5日 真実は何?

ロシアは、1990年代にインチキな民営化で、国の財産の多くを海外に持出され破綻した。国の財産を不当に持出したのは酔っ払いエリツィン周辺にいるユダヤ資本であり、プーチンは国民の期待を一身に受け、彼らを逮捕し牢屋に放り込み、一度民営化した企業を再び国営へ戻し、国民のために国の財産や利益が配分されるよう、強引にロシアという国家を再構築していった。プーチンが、ロシア国民から絶大な信頼がある理由はここにある。

この本の中でマルキンの言葉がとても印象的であった。『国富の没収----体制側は《民営化》と呼んだが---という言葉は、私にとっては衝撃的であった。インチキ民営化は、ロシアだけではなく、小泉政権下の「官から民へ」というキャッチフレーズの下、日本国内でも実行され、郵貯の資金が海外に流れ出すきっかけをつくってしまった。小泉首相は、ユダヤ国際金融資本の傀儡であったエリツィンを彷彿させる。日本は、未だに米国による占領下(米軍が常時駐留している)にあり、ロシアのプーチン型のリーダーを日本に求めるのは無理だろう。表面的にはのらりくらりしながらも芯がぶれない国民のための政治を行う首相が求められる。



(私のコメント)
ロンドンに在住しているロシア系ユダヤ人たちは、90年代にロシアの国有財産を民営化と称して分捕って巨額の資産を手にした。エリティンは彼らの操り人形でしたが、プーチン大統領が登場してロシア人の手に取り戻した。だからプーチンはロシア人から絶大な人気があるのですが、ロシア系ユダヤ人からは悪魔のように恐れられている。

イギリスは老獪だから彼らの富を取り込むために外国人優遇税制をとってロシアの資本家を呼び込んだ。ロンドンのシティーは今やニューヨークを上回る国際金融都市となり不動産ブームに沸いている。反プーチン勢力がロンドンに集結しているのですが、だからイギリスとロシアの関係は今や最悪の状態だ。

{沸騰都市ロンドン」では外国人労働者問題も触れていますが、3人に1人が外国人だ。イギリスやフランスは旧植民地からの移民が多く、EU諸国からの労働者の流入が多い。これらの問題はフランスの移民労働者の暴動騒ぎを見れば分かるように、大きな社会問題となってはね返ってくる事になる。ロンドンで起きたテロ事件にもパキスタン系移民が関わっていた。

このような問題点も「沸騰都市ロンドン」ではあまり触れられず、国際都市ロンドンの発展はすばらしいと絶賛している。すばらしいのならどうしてロンドンの外国人受入れを推進してきたリビングストン・ロンドン市長は選挙で落選したのだろうか? 番組では5月1日の市長選挙で三選されるはずと読んでいたのでしょうが、NHKの番組スタッフがロンドンの外国人労働者問題を見誤ったのだろう。

NHKの番組もそうなのですが、テレビ放送などではユダヤ系国際金融資本の宣伝放送である内容が非常に多い。ロンドンのように東京も国際化すれば沸騰都市として発展しますよと言うメッセージに視聴者は受けとめるだろう。しかし90年代のロシアのように民営化と称して石油や鉱山等の国有財産がロシア系ユダヤ人に乗っ取られてしまったように、日本の財産も外国人に乗っ取られる可能性がある。

確かに東京が国際都市となり、外国人が沢山やってくれば経済は活性化されるだろう。すでに東京は「失われた15年」の間にビルなどが外人投資ファンドに二束三文で買収されている。株式も東京は安値で放置されていますが、これは外人が株式を安く買い占める為だ。だから財務省や日銀に命じて日本経済は低迷させるようにしているのだ。そして小泉改革と称して郵政民営化で340兆円の郵貯簡保は彼らに乗っ取られてしまうだろう。日本にはプーチン大統領のような強力な愛国者は現れそうもない。

昨日のドバイのように、イギリスにはこれと言った産業も無くなり、外国人を招き入れて、経営者から労働者に至るまで外国人に頼らなければならなくなってしまった。インド人経営者がイギリスの鉄鋼業や自動車会社を買収していますが、すでに国際競争力がなくなった会社を再生するには外国資本に任せないとどうにもならなくなっている。イギリスがユーロに加わればロンドンはEUの一地方都市になってしまうだろう。産業力でドイツに敵うわけがないからだ。NHKの「沸騰都市ロンドン」はそのようなロンドンの追い詰められた状況も見逃している。




超高層ビルは莫大なエネルギーを消費するため、消費社会から
環境社会への転換を図る先進国でも効率性が疑問視されている。


2008年5月19日 月曜日

ドバイの砂漠に1000万都市が建設されている(NHKスペシャルより)

超高層ビルが林立する都市はエネルギー効率が非常に悪い


超高層はヒトの際限なき欲望を形にしたもの バベルの塔も… 4月9日 トレバー・ボークの世相を斬る

アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで建設中の超高層ビル「ブルジュ・ドバイ(ドバイ・タワー)」の高さが、米国のKVLY―TV塔(629メートル)を上回り、世界で最も高い人工建造物になった。開発会社でドバイ政府が出資するエマール・プロパティーズが7日に発表した。

ブルジュ・ドバイは軒高643.3m、アンテナ高818m、162階となる予定だが、900メートルに達するとの観測もある。ドバイ政府観光局は「ブルジュ・ドバイの完成後の高さが公開されないのは、何があっても世界一になるため」と語っている。しかし、クウェートでは高さ1,001mのビルが計画されており、完成後数年で世界一の座を明け渡す可能性もある。また、同じドバイにも、高さ1,050mのアル・ブルジュが計画されているが、現段階で着工時期は確定していない。草木も生えない砂漠でも人工的な環境の中ならヒトは暮らせるのか?

さらに、バブルの本場 上海でも森ビルが浦東新区に建設中の101階建てビル「環球金融中心」(492メートル)を抜く、上海の浦東新区に中国で最も高い580メートルの超高層ビル「上海中心(上海センター)」が建設される見通しとなった。これは現在世界一の高さである台湾の「台北101」(508メートル)も上回る。現在、完成している高層ビルの中ではベスト10に中国、香港が6棟ランキングしている。特に上海の高層ビルラッシュは凄まじく、日本全国の高層ビルよりも上海一都市の方が高層ビルは多いといわれている。

世界中で超高層ビルは建築ラッシュである。

これまで歴史的な景観を重視するヨーロッパでは、超高層ビルの建設は余りされていなかったが、近年になってイギリスのロンドンや、フランスのパリなどでその動きが活発になっている。さらに石油の高騰で潤うモスクワでは欧州一の高さのトライアンフ・パレス(264.1m)のほか、モスクワ川沿いに超高層ビルが雨後の筍の如く続々と建築されている。

中国やロシアでは外資系企業の進出増でインフラが整備された高級オフィスが不足しており、国威発揚もかねて大規模オフィスビルの建設が相次いでいるわけだが、これら新興国では実体経済がバブル化しており、バブルが萎むと供給過剰になる懸念もある。

また、超高層ビルは莫大なエネルギーを消費するため、消費社会から環境社会への転換を図る先進国でも効率性が疑問視されている。また居住者への精神的或いは肉体的な影響なども懸念されており、特に高層住宅の場合、居住者の立場によっては周囲や地区の住環境も悪化すると言った研究報告もあるなど、スラムとは次元が違うが密集して住むには課題も多いようです。

日本では耐震構造・地盤・建設費等の理由もあるが、航空法に基く高さ規制があり、最も高いビルでも横浜ランドマークタワーの高さ296m、地上70階建てである。西新宿三丁目西地区再開発、阿部野橋ターミナルビルなど、ランドマークタワーを上回るビルの計画もあるが、アメリカのニューヨークやシカゴ、中国の上海、香港などと対比するといずれもビルの集積率は低い。どうやら経済が低成長の日本では超高層ビルは割に合わないということなんだろう。

ところが住宅用は各地で高層マンションが建っている。”高知”ですら(失礼)(トップワン四国)という高層マンションが92年に建てられている。
そして、いよいよ東京都中央区勝どきに建築中の、国内最大の戸数かつ分譲マンションとして国内最高階層(地上58階)の巨大マンションTHE TOKYO TOWERS(ザ・トーキョー・タワーズ)の入居が開始されようとしている。
電通がリチャード ギアを使った大キャンペーン(30億円)をして煽ったので、30歳代を中心に人気を集め、記録的なスピードで完売したもの。人間工学に基づいた先進的な設計が施されていますが、そもそも、自然の一部である人間はこのような人工的な環境に長く住めるのでしょうか? 
猿は木から降りて人間になったといわれますが、今後人類が超高層の建築物に暮らすようになると、さらに環境に適応した形へと進化していくのでしょうか?

いずれにせよ、このような進化がすぐにおこるようなことはない!ので、ローンを背負って超高層マンションを買い、人類の未来のためにすすんで”モルモット”になりたくはない。
どうせ入居者の大半は転売目的で永住するつもりはないのでしょう。資産価値下落も心配だろうが、ぜひとも真実をレポートしてほしいものです。

超高層建築物は人間の思い上がりや傲慢さの現れと思えて仕方がない。現代のバベルの塔だ。

威圧する人口建造物を極力減らし、自然との共生をテーマに街づくりをするデベロッパーはないものだろうか?元からあった自然を利用する街づくりはあっても、都心に戦前の里山の環境を作り出すような街づくりはおそらく皆無だろう。地上は里山の環境だが、インフラは地下に整備されている--こんな街づくりを提案する。

ドバイは金融と観光とリゾート国家を目指している

ドバイに集まってきているのはイランやウクライナのバブル投機家達



(私のコメント)
昨日のNHKスペシャルで「沸騰都市ドバイ」をやっていましたが、80年代の頃の東京を連想するような不動産景気に沸いているようだ。中国のバブルはようやく治まってきたようですが、インドや中東は新興国バブルに沸き立っている。世界の金余りで金が新興国に集まってきてマネーゲームが繰り広げられている。

中東のドバイは石油もすでに枯渇して、金融と観光でリゾート国家を目指しているようだ。メインストリートには超高層ビルが林立してハイウェイが郊外にまで延びている。ドバイといえば砂漠ばかりで土地所有の意識も無くて国土は土侯達のものだった。砂漠だから土地の価値も有って無きが如しだったのですが、ドバイは土地所有を解禁して近代都市国家の建設に乗り出した。

ドバイは中東版の香港やシンガポールのような金融商業都市国家を目指しているようですが、アラブ諸国の中ではイスラム教の戒律も厳しくは無く、人口の8割くらいが外国人だ。だから言葉もアラビア語よりも英語が公用語のようになっていて、その点では中東の香港やシンガポールだといえる。

農業も工業も何もないところでは、このような金融商業都市国家を目指すしかないだろう。ドバイはサウジやクウェートのような石油大国があるから、石油成金を初めとして中東の金持ち達が不動産を買って投資しているようだ。NHKの番組の中でもイランやウクライナの投資家が出ていましたが、不動産転がして濡れ手に粟の大儲けをしている。

ドバイは金融国家を目指しているだけに、世界の大金持ちを集める為に所得税などが免除されている。不動産の転売で大儲けをしても無税なのだから世界中から投資家が集まってくる。無税といっても定住しないと無税ではないのだろうから、超高級別荘が飛ぶように売れている。海を埋め立てて人工島を作ったり、超高層マンションを作っているが、右から左へ飛ぶように売れている。

日本が15年以上も長期低迷から抜け出せないのも、ドバイのような発想が無いからだろう。日本も沖縄や北海道などを金融特区などにして所得税を無税にしたらどうだろう。沖縄や北海道は観光資源も豊富だし、世界中の大金持ちが沖縄や北海道に殺到するだろう。もちろん日本の金持ちも北海道や沖縄に引っ越してくるだろう。

ドバイのように何もない国家ではこのような思い切ったことが出来ますが、日本は恵まれすぎて規制だらけになって重税国家となり、金の回りも悪くなってしまった。株や不動産の売買でも税金だらけになって日本から投資家は消えてなくなってしまったようだ。大口の投資家は香港などに逃げ出してしまった。

日本がどうしたら活性化するかといえば税金を安くすれば活性化するのですが、財務省の役人は増税する事で財政再建をしようとしている。東大出の秀才によくあることなのですが増税すれば税収が減り、減税をすれば税収が伸びる事が理解できないようだ。

年金や健康保険の破綻も財務省の増税による財政再建路線が原因となっているのですが、減税で経済を活性化して行けば税収が伸びて財政再建が達成されるだろう。ドバイは石油も出なくなった砂漠だけの国ですが、所得税を無税にしたお陰で世界中からお金持ちが集まり、大不動産ブームが発生している。

日本でもバブル崩壊前は株売買でいくら儲けても無税の特例があったし、不動産売買でも買換え特例などがあって株式市場も不動産市場も活性化していた。ところが税制の改正でバブル潰しを行なって日本経済は「失われた10年」と言われる時代が到来した。株や不動産で儲けることへの批判が集まったからだ。

私自身も不動産業者だから出来ればドバイに行って一稼ぎしたいものだ。日本では不動産投資は銀行も金を貸さなくなり、倒産業者が続出するようになってしまった。消費者も所得が減って住宅ローンも利用できなくなり、デフレの悪循環が日本を閉塞させている。金融財政政策が悪いからこのようになるのですが、財務省のバカ役人は増税しか財政再建は出来ないと思い込んでいる。

年金や健康保険が破綻状態になってしまったのは、少子高齢化が原因なのではなく、経済の低迷が若年労働者の非正規雇用化とフリーター化で、年金や健康保険を払う人が少なくなってしまったからだ。正社員なら年金も健康保険も天引きだから徴収漏れは少なくなる。ところが非正規雇用では年金も健康保険も支払えない。

ドバイでは所得税も法人税も無税だから経済は過熱気味なほど活況だ。香港も所得税が最高が15%どまりで、だから大金持ちが集まってくるから超高層高級マンションが林立している。日本も思い切った減税政策をすれば世界に散らばった大金持ちが集まってきて不動産ブームが起きるだろう。それで景気が良くなれば税率は低くても税収は伸びる。

しかし不思議なのは香港のように狭いところなら超高層ビルを立てる必要があるが、見渡す限り砂漠のドバイに世界最高の超高層ビルが建てられている事だ。まさに現代のバベルの塔ですが、超高層ビルはエネルギー効率が非常に悪い。停電などでエレベーターが止まれば使い物にならなくなってしまう。維持費管理費も相当かかるだろう。

東京やニューヨークやロンドンのような土地の高いところなら超高層ビルにせざるを得ませんが、更地だらけの砂漠に超高層ビルは、将来的に金融都市としては失敗するだろう。上海などの中国の都市も超高層ビルが林立していますが、不動産の投資物件としては非常に危険だ。維持管理費がかかるからテナント料も高くないと採算が取れない。

東京なども超高層ビルが出来はじめていますが、需要があってのことですが、上海やドバイの超高層ビルはバブルが弾けてしまうと、テナントが無くなり廃墟の様になってしまうだろう。廃墟になっても維持費や管理費はかかるから解体して壊さなければならない。中低層ビルなら維持費も安いからテナント料を安くすれば借りても出てくるが、エネルギー効率の悪い超高層ビルは始末が悪い。




ブッシュは、フセインの支配からイラクを奪い返し、アメリカの属国を
拡大しようとしたところ、逆に敵国であるイランの属国を拡大させる?


2008年5月18日 日曜日

戦争に勝つということはどういうことか 永井俊哉

英米は、第二次世界大戦で犯した過ちと同じ間違いをイラク戦争で繰り返している。二つの戦争に共通する構造を浮かび上がらせながら、戦争に勝つということはどういうことかを考えてみよう。

1. 戦争の三つのレベル

戦争に勝ったかどうかを判断する時、どのレベルで勝ったのかということを考えなければならない。戦争には、戦術(tactics)・戦略(strategy)・政治(politics)という三つのレベルがある。政治のために戦略があり、戦略のために戦術がある。優れた戦術があっても戦略がなければ戦闘に勝てない。また戦闘に勝っても、政治的外交的成果につながらなければ、意味がない。

戦術と戦略の区別は、マキャベリのそれに由来するといわれるが、クラウゼヴィッツは、「戦略」と「戦術」を次のように区別する。

どのような武器を使ってどのような攻撃ができるのかは、戦術レベルの問題である。例えば、湾岸戦争では、レーダーや赤外線の探知を避けるステルス戦闘機や命中精度の高い誘導システムを備えた巡航ミサイルトマホークなどが使われた。こうした武器を使った効果的な攻撃方法が戦術である。

多国籍軍は、こうしたハイテク兵器で、味方に人的被害をもたらすことなく、敵の牙を抜き、しかる後に地上軍を投入してクェートの領土を回復する作戦を立てた。この作戦は多国籍軍の戦略だ。戦略は、政治という目的と戦術という手段を結びつける戦争の設計図である。

イラクからクェートが撤退を始めた時、パウエル統合参謀本部議長がブッシュ・シニア大統領に「あと24時間あればイラクの戦車部隊を全滅させることができる」と追討の意見を具申したが、ブッシュ・シニアはそれを却下した。もしフセインの軍隊が壊滅したら、イラクに軍事的空白が生じ、イランが漁夫の利を得る可能性がある。「なぜブッシュ・シニアは、フセインの息の根を止めなかったのか」と人はよく首をかしげるが、アメリカにとっては、どちらも敵であるイランとイラクが対等に対峙してくれるのが、一番良いのである。イラク軍を完全につぶさなかったのは、まさに大統領の政治的判断による。実は多国籍軍の中核を担った英米は、第二次世界大戦での苦い失敗から教訓を得ていたのである。

2. 第二次世界大戦の勝者は誰か

第二次世界大戦は、1939年9月にドイツのポーランド侵攻に対して英仏両国が対独宣戦したことによって始まった。この頃イギリスでは、次のようななぞなぞがはやっていた。

ムッソリーニ、ヒットラー、チェンバレン(当時のイギリス首相)、ダラディエ(当時のフランス首相)のうち、勝つのは誰か?

Mussolini,
Hitler,
Chamberlain,
Daladier,
Which
Wins?

答えは、各単語の3番目の文字を拾ってみれば分かる。Stalin(スターリン)である。このなぞなぞは冗談で作られたのかもしれないが、その答えは正解であった。

第二次世界大戦は、イギリスが相互援助条約を結んでいたポーランドを守ることを直接のきっかけとして起きる。ポーランド政府要人は、ドイツ軍の侵攻を受けて、ルーマニアに逃れ、そこからパリ在住の元上院議長ラシュウィッチを大統領の後継者に指名した。パリの亡命政権はその後ロンドンに移って英仏と共にドイツと戦う。

ところが、ナチスドイツが敗北した後もこの亡命政権が返り咲くことはなかった。1944年12月に、スターリンは、ソ連占領下ですでに誕生していたポーランド共和国臨時政府を認めるように英米に主張した。チャーチルはロンドン亡命政府の要人がポーランドに帰国後総選挙するよう強く主張したが、ソ連は反共産分子を大粛清した後で総選挙をしたので、ポーランドにはソ連の傀儡政権ができてしまった。

同じことはユーラシア大陸の反対側でも起きる。アメリカは日本から中国市場を手に入れるために、日本と戦うことになったわけだが、日本を打ち負かした結果、中国は、ソ連の影響下に入ってしまった。イギリスもアメリカも、戦闘には勝ったが、政治では負けたのである。

チャーチルとルーズベルトは、カサブランカ会議で「英米両国は、日本とドイツの無条件降伏を達成するまで戦争を容赦なく継続する決意だ」と声明した。日下公人も指摘するように、これは戦争のやり方としては下手なやり方である [日下 公人:人間はなぜ戦争をやめられないのか―平和を誤解している日本人のために]。相手を丸ごと敵に回すことなく、敵国の反政府勢力においしい有条件を約束しながら、内部から崩して行く戦略が、味方の損害を最小にするためにも、またとんびに油揚げをさらわれないためにも必要なのである。

スターリンが勢力拡大に成功した背景には、連合軍の中核となったアメリカのルーズベルト大統領が、社会主義に好意的であったことがある。ルーズベルト大統領と言えば、今でもアメリカ国民の間で最も人気のある大統領だが、彼がアメリカの国益に本当に貢献したかどうかは、とても疑問である。

ルーズベルト大統領は、ニューディール政策で、アメリカ経済を世界恐慌から立ち直らせたということになっている。しかしその成果はヒットラーのケインズ政策よりはるかに見劣りがする。本題と関係がないので詳しく述べないが、近年の実証的研究から、ニューディール政策は失敗であったと言われている。

ルーズベルト大統領のもう一つの失敗は、ソ連が将来アメリカの敵になることを予測していなかったことである。彼はソ連と一緒に、日本が無条件降伏するまで時間をかけて日本と戦うつもりだった。もしルーズベルトが大統領職を続けていたら、日本はその後ドイツと同様に、分断されていたかもしれない。ところがルーズベルトは4月12日に死去した。新たに大統領となったトルーマンは、単独で日本を占領することに方針転換する。彼は日本に誕生した鈴木貫太郎内閣を降伏のための内閣と考え、「無条件降伏とは軍隊の降伏である」というやや譲歩した声明を発表する。日本の無条件降伏を日本軍の無条件降伏へと修正したわけだ。

当時鈴木内閣は、戦後米ソが対立するであろうことを認識していた。それならば、一刻も速くアメリカと和平を結び、ソ連の脅威に備えるべきだった。ところが鈴木貫太郎は、そうした政治戦略を持つことなく、ポツダム宣言を黙殺し、国民には本土決戦の首相談話を発表していた。もしも、あの時トルーマンの提案を受け入れていれば、原爆が落とされることはなかったし、北方領土問題も生じることがなかった。

3. イラク戦争の勝者は誰か

2003年3月、アメリカは、イギリスなどとともに、大量破壊兵器を保有するイラクの独裁者サダム・フセイン大統領とバアス党政権を排除するという大義名分の下、国連決議による許容もないまま、対イラク戦争を始めた。この戦争は、米英側に大きな損失がないまま、開戦1ヶ月半ほどで実質的に終了し、同年12月には、サダム・フセインが拘束され、戦術・戦略的には成功だった。にもかかわらず、この戦争が成功だったと評価する人はほとんどいない。

ブッシュ・シニア大統領が、第二次世界大戦の教訓を生かして、フセイン政権のレジームチェンジにまで深入りしなかったのに対して、息子のブッシュ・ジュニア大統領は、ルーズベルト大統領と同じ過ちを繰り返してしまった。ルーズベルトが敵国に戦争を始めさせることで国際世論を味方につけたのに対して、ブッシュ・ジュニア大統領は国際世論に反して、自ら戦端を開いたという点で、ルーズベルト大統領以上に下手なやり方をしたと評することができる。

バブル崩壊後に生じたデフレ対策の戦争という意味で、ルーズベルト大統領の戦争とブッシュ・ジュニア大統領の戦争はよく似ているのだが、結果も似たようなものになりそうだ。ルーズベルト大統領が、ドイツの支配から東欧を、日本の支配から中国を奪い返し、アメリカの属国を拡大しようとしたところ、逆に敵国であるソ連の属国を拡大してしまったように、ブッシュ・ジュニア大統領は、フセインの支配からイラクを奪い返し、アメリカの属国を拡大しようとしたところ、逆に敵国であるイランの属国を拡大してしまうということにならないだろうか

イラクが民主的国家として自立するための、2005年1月の選挙の結果、イスラム教シーア派が過半数を占めた。

第一次世界大戦後にイギリスがイラクを建国して以来、スンニ派がイラク政治を支配してきたが、今後は、シーア派がイラクを支配することになりそうだ。周知のとおり、イスラム教徒は、スンナ派とシーア派に大別され、シーア派のイスラム教徒は、スンナ派と比べて、原理主義的・反欧米的・反帝国主義的傾向が強い。英米にとって、スンナ派よりもシーア派の方が好ましくないことは言うまでもない

第二次世界大戦終了後、東欧から中国にいたる巨大な共産主義ブロックが出来上がり、英米は、この共産主義ブロックの「封じ込め」と「巻き返し」に苦労するわけだが、同様に、今回のイラク戦争終了後、イランからイラクを経てシリアにいたる巨大なシーア派ブロックが出来上がり、英米は、このシーア派ブロックの「封じ込め」と「巻き返し」に苦労しなければならなくなる

英米が、イラクの石油利権を確保するという当初の政治目的を達成するためには、本来どうすればよかったのか。その答えは、第二次世界大戦の考察から容易に見つけることができる。第二次世界大戦において、英米は、敵国にいる反体制派を味方にすることなく、無条件降伏を迫り、ドイツ人や日本人全体を敵に回し、ドイツと日本の軍事力を完全に崩壊させることで、ドイツと日本の占領地をソ連に明け渡す結果となった。これと逆のことをすれば成功したはずだ

すなわち、英米は、イラク人全体を敵に回すことなく、スンナ派、特にサダムの生地であるティクリート出身のスンナ派の既得権益の維持を約束して、彼らを味方につけ、バース党や軍隊といったスンナ派がイラクを支配する権力機構をそのままにして、サダム・フセインだけを除去し、サダムが占めていた位置に乗れば、彼らの帝国主義的目的を達成できただろう。

スンナ派、特にティクリート出身のスンナ派が英米に協力するはずがないと思うかもしれない。しかし、彼らがフセインを支持したのは、フセイン個人が好きだからではない。フセインが特権を与えてくれたからだ。だから、もしも英米が、特権階級に、これまで以上の経済的特権(それは、経済封鎖を解くことによって可能である)を約束するならば、彼らは、英米に協力し、特権の見返りとして、石油利権の支配を認めたことだろう。

ところが、英米の占領軍は、スンナ派を、フセインとの結びつきが強いという理由で敵視し、シーア派ともイランとの結びつきが強いという理由で距離を置き、結局、イラク人のほとんどを敵に回してしまった。これでは、イラクの統治がうまくいかないのは、当たり前である。英米軍の占領政策は、分割統治(divide et impera)という政治力学のイロハを無視しているという点で稚拙であった。

結局のところ、ブッシュ・シニア大統領が一番恐れていた事態を息子が作り上げることとなった。ルーズベルト大統領の失敗も愚かだったが、その失敗から何も学ばなかったブッシュ・ジュニア大統領はもっと愚かである。



(私のコメント)
ブッシュ大統領が現在中東を訪問していますが、イラク戦争も終決の目処が立たず膨大な戦費と4000人以上の戦死者を出したまま任期を終えるようだ。アメリカがイラク戦争に踏み切った理由はコロコロ変わるのでよく分かりませんが、理由はいくつでもあげられる。石油の為か? ドル防衛の為か? 大イスラエル建設の野望の為か? 軍需産業のためか? それともアメリカを衰退させる為か? 田中宇氏は衰退させるためという説をとっている。

「株式日記」では、アメリカのキリスト教右派とイスラエルの工作機関が手を組んだ事によって、9・11テロを実行してアメリカ軍をイラクに呼び込んで大イスラエルを建設する、という説ではないかと思っている。これは大政治戦略であり50年くらい先にならないと正体は見えてこないだろう。

イラク戦争は戦闘自体はアメリカ軍の圧勝で終わりましたが、イラクのゲリラ組織も路肩爆弾テロで反撃して米軍に4000人以上もの戦死者を出すに至っている。ゲリラとの戦闘が長期化していることで戦略的にも失敗していると見るべきだろう。しかしユーフラテス河からナイル河に至る大イスラエルが建設に成功すれば、キリスト教右派とイスラエルの野望は達成されたと言える様になるかもしれない。

もっとも田中宇氏によれば、イスラエルはイギリスに操られており、イギリスはイスラエルを使ってアメリカをコントロールしているという見方をしている。だからブッシュとチェイニーはイスラエルの言いなりになっているようなふりをして、わざと不始末をしてイスラエルに憎しみが集まるように振舞っているとも見える。

歴史学的に言えば、戦争は時代によって見方や評価が異なるものであり、古代に起きた戦争でさえ評価が変わることがある。たわいのない小さな戦争が後世から見れば大きな意味を持っていたこともあるし、勝ったか負けたかも評価が逆転する事もある。後世にどのような影響を与えたかを見れば評価が変わるのは当然だ。

大東亜戦争においても、戦闘では無条件降伏したことから完全に負けたといえる。しかし終戦から半世紀以上も経って、政治的に見ればイギリス、フランス、オランダ、アメリカなどの植民地は解放され独立を勝ち取ったといえるし、人種差別撤廃の動きも国際連合憲章や世界人権宣言の国際条約が締結された事からも政治的勝利は明らかだ。戦前の国際連盟では人種差別撤廃条項は米英の反対で否決された。

アメリカで公民権法案が可決されたのは1963年であり、それ以前は黒人は人種差別されて当然の人種差別国家であった。もし大東亜戦争後のアジア・アフリカの独立が無ければ、現代のアメリカもバラク・オバマは大統領候補にはなれなかったであろう。いわば人種差別撤廃を訴えた日本と、人種差別国家であったアメリカとが戦争をしたのが大東亜戦争なのだ。

第二次世界大戦にアメリカを巻き込んだのはイギリスですが、アメリカは歴史的に見ればイギリスに操られて第一次大戦以降は戦争をさせられ続けていると言える。イラク戦争も黒幕を探ればイスラエルを操っているイギリスなのかもしれない。しかしそのイギリスを大帝国から転落させたのは日本であり、ねずみの嫁入りのような日米英の因果が浮かび上がってくる。

第二次世界大戦における最大の勝利者であるソ連は1991年に崩壊して無くなった。アメリカにしても戦闘で勝利はしても、中国は蒋介石が逃げて共産党が政権をとってしまったし、東ヨーロッパも共産圏入りしてしまった。世界最大の経済力を持つアメリカとしてはそれだけの市場を失ってしまった事になる。90年代に入ってようやく中国も東ヨーロッパもグローバル市場になりましたが、そのアメリカが経済的に影が差しはじめている。

完全に敗北して国家も分断されたドイツは90年代に統一を回復して、EUを結成してアメリカに対抗する国家連合となりましたが、ヨーロッパの統一というナチスドイツのヒトラーの野望は、EUの結成で平和裏に達成されたとも言えるだろう。複雑なのはイギリスであり、東西ドイツの統一にもイギリスのサッチャー首相は反対した。イギリスの伝統的な外交政策である大陸に強力な国家を作らせない外交戦略は、EUの結成で失敗したといえる。

それに対してブッシュ・シニア大統領は東西ドイツの統一に賛成したのはなぜか? アメリカにもイギリスやイスラエルに操られる事に反対する勢力があり、ヒトラーを援助したり東西ドイツを統一させたりすることでイギリスに反抗する勢力がある。イギリスは近い将来にはユーロ通貨にも参加して、ヨーロッパの一小国になるのだろうか。

イラク戦争が今後のアメリカをどのように変えていくのだろうか? 今後ともイスラエルに操られて大イスラエル建設に協力していくのか、それとも裏ではイランと手を組んでイスラエルを解体させる陰謀を企むのか分からない。ブッシュ家とサウジアラビアの関係を見ればわかるように、アメリカでも親アラブ勢力があり石油で結びついている。

アメリカには二つの対立勢力があり、一つは石油資本勢力であり、それに対して金融資本勢力がある。サブプライム問題も金融資本勢力と石油資本勢力の対立が見え隠れしているように見える。ブッシュとチェイニーはアメリカを衰退させる事で多極化戦略をとろうとしているのだろうか? このあたりになると陰謀の裏の裏まで見なければならないから訳が分からなくなる。

このように見ればイラク戦争はアメリカの行方を左右する戦争であり、大イスラエルを建設するのか、それともイスラエルをイランを使って消滅させるのか分からない。イスラエルにすれば、イラクにアメリカ軍がいるうちにシリアやヨルダンを支配下に置きたいところだ。そうすれば大イスラエルが完成する。ブッシュ大統領はイランとの戦争をせっつかれながらも戦争を開始しないのも、イスラエルを解体する陰謀を持っているからなのか? そうだとすれなブッシュとチェイニーは予想以上のタヌキだ。


オバマ米上院議員、チェイニー副大統領の親せきと判明





海城予知に成功しながら、なぜ唐山予知に失敗したのか?
これが、今回の四川地震とまったく同じ理由であった。


2008年5月17日 土曜日

四川大地震の前兆であった地震雲
撮影日時 : 2008年 5月 11日 18時 40分
場所と方角 : 高知県香南市夜須町の国道55号線から西方向


中国四川省の宏観現象 5月14日 ニュー東海アマ

各地震予知サイトで、12日午後、四川地震の前兆についての記述を探している。当サイトでは、

【★ 2008年5月11日 日曜日 、8時更新 超異常、当HP開始以来、最悪級の前兆が続いている。今朝も激しい電磁波ブロッキング、体調悪化】

 というところで、大地震警報を出していたが、震源地については房総沖などを疑っていた。自分で点数をつければ30点くらいか。他サイトではどうかというと、JA7HOQは残念ながら緊急情報もなく不合格だ。うさぎさんは、もちろん警報を出し続けていたが、前後にあまりに激しい前兆が続くため、四川に焦点を絞れなかったのは当サイトと同じ、これも30点だな。串田情報は非公開のため不明、公開しなければ当然0点である。行徳データには60点をあげたい。植物生体電位は茨城沖を予知したようだが、四川については不明、20点、池谷研はデータ解析不明10点以下、ピスコも10点だ。KSサイトでは大地震警報(#900)を出していたので30点、その他、有力情報を掲示していたサイトがあれば教えてほしい。

 今回の地震を予知した情報サイトは非常に重要なもので、今後、関東・東海スーパー地震の前兆を判断する上で本当に役に立つ、頼りになるサイトということになる。 ちなみに、東海アマに対する賞賛・評価は皆無、誰も相手にしてくれない(泣)
 「もう、おせーてやんない」と言いたいが、筆者やKSサイト以上の成果を上げた人たちを、ぜひとも教えてほしい。

 中国は、かつて、毛沢東・周恩来の時代だが、1973年海城地震M7.3の予知に完全成功し、住民を集めて避難させ、映画を上映中に地震がおきたが、死傷者はほとんど出なかった。もし対策がなければ、数万人の死者が出ただろうと言われている。これこそ、地震予知が最大最高の成果を収めた、歴史上唯一の事例といってよい。

 この当時、筆者は日中友好協会(正統本部)に顔を出していて、名古屋ピンポン外交の中国選手団警備などに携わった。熱狂的な周恩来ファンで、中国解放軍記など涙を流しながら夢中になって読みふけったものだ。 この海城地震予知成功を聞いて「どんなもんじゃい中国は!」 と、ますます人民政府に熱狂したが、わずか3年後、1976年7月28日河北省唐山市付近を震源として発生したマグニチュード7.8の直下型地震で、当時中国有数の工業都市であった唐山市は壊滅状態となった。死者は24万人とも言われ、スマトラ大津波が起きるまでは、近代最大の天災であった。
 「いったい、あの輝かしい人民中国は、どうしてしまったんだ!」

 若き筆者は、悲痛な気持ちで中国政府の急で異常な変身を嘆いた。それは筆者が人類でもっとも尊敬した周恩来が死んだ直後だったのだ。当時、周恩来は膀胱ガンで、その治療を妨害した者がいたと言われた。その名は「毛沢東」

 海城予知に成功しながら、なぜ唐山予知に失敗したのか? これが、今回の四川地震とまったく同じ理由であった。

 【「大紀元抜粋」 唐山の作家張慶洲氏が2005年出版した著書『唐山警世録』によると、唐山大地震はかつて多くの人が予測したが、政治闘争が絡んでいるため、地震予報の発表は見送られ、結局数十万人死亡という痛ましい結果になったという。 今回の文川大地震に対しては、当局はまったく30年前の教訓を汲み取らずに、またオリンピックのために社会の安定が必要という理由で、情報を知りながら周知させず、重大な人命損失をもたらした。

 CNNとBBCの報道によると、英国などの科学者が5月9日に大地震が起こり得るという情報を中国政府に伝えたが、中国共産党政権はずっとその情報を隠し、一般民衆には地震発生1時間前に知らせると言い、現地の上層部だけを避難させたという。


 実際、5月3日に、四川アバ・チベット族自治州馬爾康県一帯では地震がまもなく発生するという情報が広がり、同自治州の防震減災局に電話をかけ問い合わせた人がいたが、同局はデマにすぎないと否定し、またデマの出所を探し出しデマを打ち消すよう、馬爾康県防震減災局に要求し、同時に四川省政府のホームページでその地震情報が誤りだという公告を出した。地震発生後その内容はすぐ削除された。

 また、地震発生の数日間前、ウェン・チュアンから数十キロしか離れていない綿竹市西南鎮の檀木村で大規模なヒキガエルの移動が見られた。ヒキガエル数十万匹が、製薬工場近くの道路を横断し、多くは行き来する車にひき殺されたり、通行人に踏まれたりした。大量に現れるヒキガエルに対して、一部の村民はよくない前兆だととらえたが、林業専門家は心配ないとした。

 四川省地震局に勤める関係者の縁者の投書によると、安定の局面を作り出すために、四川地震局は地震の前兆が現れる状況でも民衆の生命を顧みず、地震の情報を押さえたという。それによると、地震局に勤務するおじが数日前に非常に苦痛な口調で電話をかけてきて、地震の前兆を知っていたが、地震局はオリンピック前の安定な局面を保つため、外部には漏らすなとかん口令を敷いたという。 また、インターネット上では5月7日から、武漢と四川で大地震が発生することを予測し、しかも大量の地震の雲が観察されたという情報が次から次へと出てきたという。】

 唐山地震のときも、海城地震と同じように数万件の宏観異常報告が党や研究施設に寄せられていた。しかし、文革政治闘争の渦中にあった中国では、政治的思惑で、こうした情報が一切公開されず、適切な研究機関への移送などもされなかった。政治闘争に無縁の情報は、すべて握りつぶされたのだ。 周恩来が求めた「人民に奉仕する思想」は踏みにじられ、人民の利益に何一つ関心を持たない権力争奪戦によって、あらゆる情報が葬り去られたのである。

 そして30年経って、少しは事態が改善したのかと言えば、唐山地震とまったく同じ状況が現れ、共産党政権は、オリンピックを前にして、外国向けにすべての不安情報を完全に消し去り、闇に葬った結果、民衆には何一つ情報が与えられず、凄惨な震災が訪れた。

 情報統制は中国のお家芸だが、「人民に奉仕する」という思想性が爪の垢ほどもあれば、中国地震局や日本の数百倍といわれる宏観観察人口の情報を有益に生かすことができただろうが、政府、特権階級は、自らの利益に利用すること以外何一つ脳裏に浮かばない結果、あまりにも当然に、こうした事態が現れた。

 日本人は決して嗤うことはできない。1兆円もの血税を「地震予知」なる分野に注ぎ込み、40年かけた観測の結果、政府と学者たち、気象庁は何を獲得したのか? 莫大な予算をぶんどり高額の機械を買い込んで、それが何の役に立ったのか? ただの一度も予知したことのない、日本地震予知連絡協議会、東京大学地震研究所、彼らの正体は、中国政権と何の変わりがあるのだろう?


四川大地震1時間前に現れた異常な雲、地震雲か【大紀元日本5月15日】


中国 四川省大地震の前兆として現れた宏観現象 (大紀元時報より引用)

 これらは、筆者が当HP発足時に掲示したが、今は削除してデータを紛失している「赤い椋平虹」である
 水平型と垂直型、それに、このようなスポット型がある。
 この写真は、地面から電磁気の放射が雲を作り、そこに虹スペクトルができたものだ。
 震度の非常に強い前兆の場合、必ず、赤色の占める部分の大きいスペクトルになるため「赤い椋平虹」と名付けた
 椋平の名は天橋立で虹前兆を観測し続けた椋平廣吉氏を記念したものだ

 成因は、巨大なピエゾ電荷によって空間にイオンエアロゾルが放射され、その濃度が上がり、太陽光線の屈折によるプリズム現象が起きることと思われるが、同時に、数千万ボルトに上る圧電電荷が大気原子を励起し、発光ルミネセンス現象が起きて、発光しながらスペクトルを生成すると考えられる。

 巨大地震の非常に重要な前兆現象であり、これからの観測の役に立てていただきたい
 なお垂直型は、太陽の周囲に巨大な光輪ができて、海抜1000〜1500mの大気濃度転換点にプリズム・スペクトルを生成する縦型の虹である
 水平型は、同じ大気転換高度付近に屈折率の差から水平型の虹ができる現象である
 いずれも、地殻から放射される帯電エアロゾルが原因だが、ルミネセンスについては、まだ不明な点が多い



(私のコメント)
大震災が起きるたびに地震予知のことが話題になりますが、四川大地震についてはダム建設による影響で地震が起きることは予測されていた。しかし政治的な決定が優先されて中国のダム建設は強行されてきている。三峡ダム等は貯水量が膨大である為に地盤等に与える影響は無視できない。

もともと四川省近辺は断層が多く地震の多い地帯であった。しかし直前の情報等は様々にあったらしいのですが政府が情報を消し去ったという事です。直前情報としては地震雲や虹等が観測される事が多いのですが、大地震があった後に公表される事が常だ。

四川大地震でも前日の夕刻に冒頭の写真のような地震雲が観測されていた。現地では電磁気のの放射による虹が観測されている。ユーチューブなどにもその虹の動画が投稿されている。このような前兆現象を研究していけば地震の直前の予報が出来るのではないかと思うのですが、研究の成果は上がっていない。

関東大震災や東海大地震は近い内にあると予想されていますが、直前の予報は出来るのだろか? 動物などの異常行動も地震の前兆現象としてよく話題になりますが、四川大地震では道路がヒキガエルだらけになった事がニュースになっている。しかしたとえ半日前に前兆現象が観測されたからといってどうやって情報を伝えるのだろうか。

日本では地震警報システムが稼動し始めましたが、地震が起きた後に警報が出されていたりしている。P波とS波の伝わる早さの違いで直前に警報を出すシステムですが、数秒前に警報が出れば火を消したり非難する事ができる。しかし直下型や震源が近すぎると効果はないようだ。数日前や数時間前の予報には地震雲などの自然現象を頼りにしないと無理だろう。

地震予知を研究している民間の人たちも地震雲等を観測し続けていますが、場所や日時を予測する事は難しいらしい。「東海アマ」のブログでも四川大地震は警報は出してはいても場所ははずれた。むしろ高知県で前日に巨大な地震雲が観測されていましたが、予知には結びついていなかった。国家レベルで大規模な観測や研究がなされればいいと思うのですが、日本の地震予知学界は地震雲には乗り気ではないようだ。

ネットを活用して日本に数百箇所ぐらいの定点カメラをつけて観測して、地震雲が観測されたら専門家が分析をするようにすれば、地震雲と自然の雲と見分ける事ができて確度が上がるのではないかと思う。




四川大地震は、蓄積された水の重さにダム付近の岩盤や地質が
耐え切れずに「地震」を引き起こしたのでは無いかと思われる。


2008年5月16日 金曜日

四川地震を連山では1年以上前に警告した! 2007年3月13日 連山 

6.地震の可能性
2006年8月、香港の中国人権情報センターは三年以内に三峡ダムが強い地震を引き起こす可能性があると発表した。同発表によると、当局は1993年より同ダム近辺についての地質調査を行っているが、その結果および重要な地質資料が極秘となっている為に、外部機関が精査することが出来ないとしている。

蓄積された水の重さにダム付近の岩盤や地質が耐え切れずに「地震」を引き起こすのでは無いかという懸念が寄せられているのも事実である。仮に何らかの理由でダムが決壊した場合、その流域に未曾有の大惨事をもたらすことは必至である。
出典

湖北省隋州で2006年10月28日午後、マグニチュード4・2規模の地震が発生した。民運センターは、一介の地震学者の意見を引用し、今回の地震が隋州と宜昌の間にある嚢樊・広済地質断裂帯と関係があり、三峡ダムの備蓄水量が高位に達してから、周囲の断裂帯に影響し地震を誘発したとの見方を発表した。

新華社通信の報道によると、27日午後6時50分頃、隋州市三里崗付近でマグニチュード4・2規模の地震が発生した。湖北省地震局によると、震央の区域 では、家屋が倒壊、武漢、荊州、荊門、嚢樊、宜昌、天門等でもそれぞれ有感地震があり、とりわけ天門では地面が強烈に震動したという。三里崗鎮劉街村の村 民・胡中朝さんによると「家族と一緒にテレビを視ていたら、家屋が大きく揺れだし、テレビとテーブルが激しく震動した。揺れは約十数秒続いた」という。

新華社通信によると、28日午後にも湖北省で再度地震が発生、震央は隋州市三里崗付近で、規模はマグニチュード4・2だという。

湖北省地震局のネット報道によると、2006年10月27日午後6時52分に隋州市三里崗付近にマグニチュード4・2程度の地震が発生して以来、翌28 日の午前8時まで、群発地震48回があり、最大のものはマグニチュード2・5規模であった。報道によると、これらの群発地震は、27日の余震であるとみら れている。

香港の「中国人権民主運動情報センター」の報道によると、この地震は、三峡ダムの水位量が156メートルに達した後に、付近の地震断裂帯に作用して発生した可能性が高く、近くマグニチュード4・2以上の地震が発生してもおかしくないという。

中国長江三峡総公司の副総経理・曹広晶氏によると、全地球規模から看ても、ダムの貯水量が地震を誘発するのはよくあることで、「2003年6月に、三峡ダムの水位が135メートルに達して以来、三峡ダム区域では、大小の地震を千回以上観測している」と述べている。

新華社通信のネット速報によると、観測の結果、9月20日から水量が目立って更新した一ヶ月、三峡ダム地区で定位観測された地震は145回に上った。

地震の専門家によると、総ての大峡谷は、地質が断裂して形成されたもので、元々の地質は安定しておらず、そのような地質が不安定な大峡谷にダムが建設されて、水位が100メートル以上になると、巨大で不均衡な圧力差が地質断裂上に加わり、地震を発生し易いという。

専門家によると、問題の焦点は、三峡ダム一個だけが地震を発生させたのではなく、三峡ダムの近辺100km以内に別の大型ダム2個、即ち清江隔河岩水庫 ダムと葛州ダムが存在しているために、この地質が不安定な地域に、大型ダム三個が極めて近い距離で不均衡な圧力を地質断裂上に加えて、その圧力差のために 地震を誘発する共同作用を生じ、その結果、三峡地区で強烈な地震が発生しやすくなるのであるという。

「民運情報センター」の先の報告では、消息筋によると、三峡ダムで地震が発生しうるという論証を進めていたところ、三峡ダムの建設プロジェクトに反対していた地質学者が排斥された。このため、これら計画に反対していた地質学者たちは、外国の学者たちとともに、三峡ダムが強烈な地震を誘発するという論証をさらに煮詰めたいと思った。しかしながら、中国の関係部門は、地質資料が国家機密に属するとして、専門家の閲覧を許さなかった。

消息筋によると、今年一月、北京当局は、再度地質学者たちを招集、三峡ダム地区で発生しうる地震についての研究、同地区での活動断裂、断列辺縁、さらに 地球物理場での異常地区における重点考察などについて命じた。しかし、半年経っても、当局は「高度の秘密」であるとして、調査結果について、一切の情報公開をしていない。
情報センターは、消息筋の判断からして、これから将来の三年以内に、三峡ダム地区で強烈な地震が発生し、マグニチュードは6・5程度であるとみている。 専門家の指摘では、60年代からすでに大型ダムが誘発した地震事件は12件あり、死亡者数千人を出している。現在の三峡ダムの貯水量は、393億立方メー トルに達しており、地区の地質が複雑であるため、発生する地震規模も巨大であるとみられている。
出典

香港の中国人権情報センターは7月25日、長江三峡ダムで向こう3年間に強い地震が起きる可能性が極めて高いが、中国当局が三峡ダムの重要な地質資料を秘密にしているため、地震が起きる可能性を外部の者が精査することができないと発表した。

中央社の報道によると、同センターは情報筋から得た発言を引用し、中国では1993年に三峡ダムで大地震を起こす可能性があることを論証する作業が行わ れたが、当時中国全人大常務委員会がすでに三峡ダムの建設を決定したため、このような論証はもう「後の祭り」になったことを明かした。

情報筋の話によれば、三峡ダムの強い地震が起きる可能性についての調査では、ダム建設に反対する専門家は排斥された経緯があるという。ダム建設に反対し た、ある地質専門家は海外の地質専門家数人と共に同ダムで強い地震が起きる可能性を論証しようとしたが、中国の関連部門は地質資料が国家秘密であることを理由として、専門家に閲覧させなかった。

情報筋はまた、今年1月に中国当局が突然再び多くの地質専門家を招集し、三峡ダムの地震発生の可能性に関する研究を始め、同時に同ダム地区の活断層や断層周辺などを重点的に調査したが、半年掛けて得た資料を当局は極秘資料として扱っている。
出典

日本人が2004年8月に中国の三峡ダムで3D測定器による地すべり調査をしていた。調査結果は中国語らしく、しかも既に削除済みのようだ。以下はその紀行文なので割愛する。
出典

専門家は、三峡ダムがもたらす地域の地質学的影響に対して、懸念している。貯水池の水位が上がれば上がるほど、災害が発生する可能性が高くなる。水位が156mを超えてはいけないという請願書に53人の科学者が署名し、さらに去年は、中国人民政治協商会議が水位が156mに達する時期が予定より早まってはいけないという報告書を国務院に提出したものの、このような懸念は却下され、工事は強行された

中国政府は、環境専門家と地質学者、気象学者、水文学、考古学者などを総動員し、世界最大のダム建設がもたらす地震誘発と水質汚染、土砂蓄積など、様々な問題を減らすため、できる限りのことをしたと主張している。最先端監視システムを導入し、地震と山崩れを防ぎ、また、水没によりある植物種が絶滅するようなことがあるなら、遺伝子銀行を作って、それを保全すると主張している。

貯水池の水位を予定より低い位置で留めたとしても、先端地震監視システムが必要だが、今までそのようなものは設備されていない。地震に対する情報システ ムと避難計画も存在しない。結局、三峡ダムは、揚子江に作られた最大の脅威であり、水没地域の地域社会を脅かすばかりではなく、下流に住んでいる数百万人 の人々にも致命的な災害をもたらす脅威となっている。移住民の問題も非常に深刻だが、これは少なくとも金銭的な補償ができる問題だ。しかし、地震のような 問題は、どの方法でも解決はできない。

このような致命的な問題があるにもかかわらず、中国当局は水力発電にはよい点があるという。それは「水は再生可能で、発電費用も安い」とのこと。しかし、三峡ダムの1kWh当りの発電費用は80−90ウォンだが、人々が支払う電気料金は1kWh当り、30ウォン程度に過ぎない。このように周辺地域にもたらす悪影響があるにも関わらず、非効率的で、競争力もないダム建設が進められているのは、まぎれもなく政治的な目的があってのことで、水力発電計画は不正と腐敗の温床になっている。
出典



(私のコメント)
四川の大地震についてはテレビのニュースでも半分以上の時間を割いて報道していますが、災害による死者は数万人にも達する恐れがあるようだ。レンガを積み上げたような建物が多く、ビルも瓦礫の山になっている光景が映し出されている。被害がないようなビルも亀裂が入っていて余震しだいでは潰れる可能性があるので住めない。

四川省の一帯は大陸プレートがぶつかり合っている場所であり断層があちこちにあることは想像できる。三峡ダムと言う位だから谷間が形成されているという事は、一帯の地盤が不安定な証拠であり、そこに巨大な量の貯水池が建設されればその重さで地盤に影響が出ることは素人でも想像が出来る。

小さなダムなら貯水量も小さいから想像が出来ないが、三峡ダムほどの大きな貯水池が出来ると400億トンもの重量物が地盤の上に置かれることだから、地盤が圧迫されて断層が破断して地震が起きることは科学者も予測していた。しかし中国は独裁国家であり、全人代で決定されてしまえば三峡ダム建設が強行された。

だから四川大地震は天災というよりも人災に近く、数万人の死者は中国政府が犯人のようなものだ。しかも科学者などが工事を強行すれば地震が起きることが予測されていたから責任は免れない。しかし中国は共産党独裁国家だから政府への批判は許されない。

阪神大震災なども明石海峡大橋の建設で地盤工事で地盤にストレスを与えた事が原因ではないかという説もある。もし三峡ダム建設による貯水による地盤への影響で地震が起きたとするならば、三峡ダムが水を貯め続ける限り地震がおき続けることが予想される。

一番いいのは三峡ダムを壊して元に戻す事ですが、発電や利水事業に影響が出るから解体する事は難しいだろう。近所にも大型ダムは建設されていて、ダムそのものにも亀裂が入って破壊する恐れもあるようだ。三峡ダムには影響はなかったようですが、時間が経つにつれて破断が生じて崩壊するかもしれない。

四川大地震が人災であるとすると、ソ連崩壊の引き金になったチェルノブイリ原発災害のように、国家崩壊の引き金になるかもしれない。ソ連で原発事故が起きたということは共産主義体制下では原子力発電所の運用もままならないという問題が国家崩壊をもたらした。中国における治水事業は歴史的に見ても王朝の興亡と深い関係を持っている。

中国共産党政府はその治水事業に失敗したという事であり、国家崩壊の原因となってもおかしくはない。中国はもともと水不足で農業や工業などに大きな制約となっている。食料の生産には灌漑用水が必要であり、三峡ダムの貯水池から水の涸れた黄河にまで水を流す計画があるが、「南水北調」計画は三峡ダムがあってのものだ。


南水北調プロジェクトは中国版自然改造計画  2007年09月26日 ACTIO

◆南水北調プロジェクトとは

 中国の水資源には格差があり、降水量の多い南部と降水量の少ない北部とでは大きなひらきがあります。北京の位置する北部地域は降雨量も少なく気温も低い。

 農業・工業生産性向上のため、中国の建国直後は北京市、天津市、河北省に流れる河川に数多くの農業・発電用ダムを建設しました。黄河でも数多くのダムが建設されました。しかし、結果として河川の流量が減少し、黄河の水流が途中で消えてしまう「断流」現象が生じました。

 特に首都・北京の水不足は危機的です。現在は飲用水を密雲ダムと地下水に頼っていますが、地下水位は低下し、ダムの貯水量は減少、汚染もひどくなっています。

 このような状況に対して、遠く南部の水量豊かな長江の水を北京に引水する「南水北調」計画が実施され始めました。しかし黄河の水がないから長江から引水するというのは、あまりにも安易な発想です。

 水不足の原因が、黄河に多くのダムを作り過ぎたことと、流域での工業用水・潅漑用水の大量取水にあるのは明らかだからです。黄河の三門峡(サンメンシャ)ダムの下流に更に小浪底(シャオランテ)ダムを作ったから、下流の農民が「水がこない」と訴えたのです。そうした根本的な原因に対策を施さず「南水北調」という対処療法を行うのでは、水不足は解消できないばかりか、副次的な環境・社会問題を誘発してしまいます。

◆南水北調計画の問題点は

 「南水北調」計画は、長江の上・中・下流からそれぞれ取水し、西北地区と華北地区の各地に水を送る西線、中央線、東線の3つの構想があります。

今年5月に始まったトンネル工事は中央線(中線)案です。中央線案は長江支流漢江の丹江口(タンチャンコ)ダムから取水し、唐白河平原北部、黄淮海平原の西部を経て、黄河の下をトンネルでくぐって横断し、終点の北京市、天津市に水を供給します。長期計画では長江の三峡ダムから取水し、引水量を増やしていく計画となっています。全線は自然流下方式で、主水路は全長1245・6q、底幅は56?7mとなります。

 現在起きている問題は、丹江口ダム周辺の住民立ち退きです。丹江口ダムでは貯水量増加のためにダムサイトのかさ上げ工事を行っています。完成すれば移転する住民は何十万人となります。

 そもそも丹江口ダムは約40万人の住民を立ち退かせて作りました。当時の立ち退き住民達は現在もダム湖周辺で生活をしており、その人達を再度立ち退かせることになります。また、長大な用水路建設のため農地を奪われる農民も大量に発生します。

 三峡ダムからの取水にも大きな問題があります。長期計画では三峡ダムから丹江口ダムへ引水しますが、高くまで揚水することになるので膨大なエネルギーが必要となります。三峡ダムの発電した電力はこの揚水のために大量に使用されることになります。

 取水が始まれば三峡ダムの水位は低下し、様々な問題が生じます。現在の構想では、船は5段式ロックゲートで三峡ダムを通過することになっていますが、水位が低下すれば湖面までの落差が生じます。船舶航行に支障が出るのは明らかです。

 長江の水量が減少し、水圧が低下すれば上海の河口付近では海水が遡上し、農地は塩害の被害を受け、建物は錆びてきます。河床には土砂が堆積します。特に武漢の下流は河川が蛇行して土砂が溜まりやすく、現在でも船舶の航行ができなくなることがあります。さらに長江の水流が減少すれば船舶通航に大きな障害が出ます。

 南水北調計画は、三峡ダムによる悪影響をより深刻化させることになるのです。

<止まらない巨大国家プロジェクト>

◆プロジェクトの見直しはあり得ないのですか

 「南水北調」に対しては三峡ダム建設と同様に、中国国内でも反対の声がありました。しかし共産党の決定はなかなか変更できない構造にあります。国家的プロジェクト自体が権力闘争の具となってきたからです。

 1950年、長江水利委員会が設立され、三峡ダムプロジェクトの調査がはじまります。しかし批判的な意見があがり、反対派の李鋭と推進派の林一山が対立します。1958年、毛沢東は李鋭の意見を採り入れ、建設慎重派に方向転換します。その後、建設推進派は「彭徳懐事件」を利用して、建設反対派に「反党的」「右派分子」のレッテルを貼り、1959年に李鋭を失脚に追い込みます。

 以降、長江水利委員会で三峡ダムに批判的なことを言う人々は「李鋭一派」「反党反社会主義」として追い出されてきました。現在の長江水利委員会は、日本の国土交通省の官僚と同じです。異を唱えず、一旦決まった計画をそのまま踏襲していくだけです。

 あとは雇用の確保、天下りです。三峡ダムは2009年に完成する予定で、完成すれば水利委員会の仕事がなくなります。だから南水北調を継続することで「仕事」もできると考えているのでしょう。奇しくも日本の自民党と中国の共産党はそっくりです。権益が最優先で、環境問題や立ち退きなどの社会的問題は二の次なのです。

 建設資金の不正使用も目立ちます。中国は南水北調を口実に日本から多額のODAを引き出したのですが、丹江口ダムの工事が始まる前に大部分が消えてしまいました。不正な資金使用に対しては日本が返還要求すべきでしょう。


◆中国国内では住民の反対運動は起きていないのでしょうか

 中国政府は三峡ダムや西部大開発などの国家プロジェクトに反対する人達を「テロリスト」として取り締まっています。確かに散発的・一揆的な住民暴動はありますが、現在のところは力で抑えられています。

 例えば三峡ダムの立ち退き住民は、福建省や山東省などにバラバラに移住させられました。今後、三峡ダム周辺に残っている人達を青海省や新疆ウイグル自治区に移住させ西部大開発に動員するのではないかと思います。まとまった抗議行動は起こしようがありません。

 他の省に移住させられた農民は悲惨です。移住する際は農機具や農具も持っていけず、家畜も連れていけない。補償費も日本円で3万円程度ですから、新たに農具や家畜を買う余裕はありません。代替地もやせこけた土地しか割り当てられません。

 こうした強圧的な対策をいつまで続けられるかは疑問です。地方では住民が武装化しているところもあり、警察も手を出せない状態が起きているからです。

 中国の社会矛盾は激化していますが、そうした動きを抑えるためにも国家的プロジェクトの推進が必要とされているのかもしれません。三峡ダムや南水北調は、省をまたがって電力・水を供給するシステムです。これは省レベルではなく、中央政府、共産党指導の下でなければ実現不可能です。国家による大規模な「ライフライン」建設は、共産党が中国を支配していく格好の口実であり、威信を示す機会でもあります

 しかし三峡ダム・南水北調は、かつてのソ連が行った自然改造計画の焼き直しです。環境を無視した古い開発の在り方は早急に軌道修正するべきでしょう。そうでなければ早晩行き詰まることは明らかだからです。



(私のコメント)
このように四川大地震は中国共産党政府の国家構造に大きな問題があると推察できるのですが、日本の国際政治学者にはこのような分析は無理なのだろうか? 政治学者は政治だけ考えていればいいのではなく、土木工学や地震工学などの専門外の分野の事までカバーしなければならない。ところが日本の大学や学会は専門外の事までの領域を壊す事を恐れているのだろう。蛸壺に入ったまま自分の専門分野から出ようとはしない。

一例として常葉学園大学教授の副島隆彦氏のBBSには、次のようなコメントの一説がある。優れた政治経済学者であるのですが、自然災害のことは専門外だとして触れようとはしないのは、政治経済学者として蛸壺に入ってしまったようなものです。しかし四川大地震が人災だとすれば、政治的影響は中国共産党政府に及ぶ事は間違いないのだ。だから日本の社会科学系の大学教授はレベルが低くなる一方だ。


これで、オバマに決まりです。 新聞記事「エドワーズ元上院議員がオバマ氏支持を表明へ」を載せます。 5月15日 副島隆彦

「ミャンマー(ビルマ)のサイクロン被害と、中国四川省での大地震の被害については、私は何も特別な情報の知識もありませんので、書くことがありません。皆さんと同じように報道の映像を見て、考えているだけです。 よその国での、現実の大自然災害の前には、私たちは何も言うことがない。黙って見ているだけです。 コトバ(言論)は、こういう時には何も出来ません。 副島隆彦拝」




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