株式日記と経済展望

ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


非正社員を増やしたことで、4年間で8兆円以上も給料を減らしたのに、
逆に企業の利益はそれ以上に増えていることを示しているのである。


2007年9月15日 土曜日

節約した人件費の向かった先 9月10日 森永卓郎

つまり、景気が改善したかどうかにかかわらず、非正社員の比率は上昇し続けているのだ。

 なぜ、そんなことになっているのか。理由は簡単だ。非正社員の多いほうが、企業にとって人件費の節約になるからである。一般的に言って、正社員の平均年収が500万円を超えているのに対して、非正社員は100万円台前半。正社員を減らして、その分を非正社員にすればするほど、企業にとっては節約になるわけだ。

 こうした企業の方針がどれほど効果的だったかは、GDP統計の「雇用者報酬」(全労働者に支払われた総賃金)の額でも分かる。それによると、景気が底を打った2002年1〜3月期に268兆円だったのに対して、景気が回復したはずの今年4〜6月期は263兆円と、むしろ5兆円も減少しているのだ。率にして1.8%のマイナスである。一方、この間にGDPは25兆円、5.1%も増加している。

 これはどういうことか。

 つまり、経済全体が大きく成長しているのに、働く人にはその分け前が届いていない。それどころか、分け前が減らされているということなのである。

景気が回復しているのに、働く人の分け前が減っている――このような矛盾した現象を見て、わたしのような人間は「これはひどい話ではないか」と指摘する。

 ところが、それに対して政府与党や大企業、あるいはそちら側の立場に立つ評論家は、次のように反論する。「確かに、非正社員増によって労働者の収入は減った。しかし、バブル崩壊のなかで低迷する日本企業がグローバル競争で勝ち抜くためには、コストを削減して製品価格を引き下げなくてはならない。そうしないと、国際競争に勝ち残れないのだ。非正社員増はやむを得ない選択だったのだ」。

 つまり、人件費の圧縮は、企業による必死の生き残り策の一つなのであり、これをしなければ日本企業は海外企業に太刀打ちできない。いい悪いは別にして、非正社員の増加は必要なことだったというわけだ。

 一見、もっともらしい理屈だが、果たして本当なのだろうか。そこで、これまでのGDP統計をチェックしてみたところ、興味深い事実が浮かび上がってきた。

 例えば、2001年度から2005年度にかけての「雇用者報酬」の推移を見ると、8兆5163億円も減少している。ところが、企業の利益に相当する「営業余剰」は、逆に10兆1509億円も増えているのだ。

 非正社員を増やしたことで、4年間で8兆円以上も給料を減らしたのに、逆に企業の利益はそれ以上に増えていることを示しているのである。

 これはおかしいのではないか。もし、日本企業がグローバル競争に勝ち抜こうというのなら、人件費の節約分を製品価格の引き下げに振り向けているはずである。しかし実際には、人件費の下落を上回る分が、まるまる企業のもうけになっていたのだ。

では、人件費を減らしたことで企業が得た利益は、最終的にどこに行ったのか。

 一つは株主である。財務省が発表している「法人企業統計」でみると、2001年度から2005年度までの4年間で、企業が払った配当金は3倍に増えている。

 そして、もう一つは企業の役員である。やはり「法人企業統計」によると、2001年度から2005年度までの4年間で、資本金10億円以上の大企業の役員報酬(役員給与と役員賞与の合計)は、なんと1.8倍になっている。さらに、先日、日本経済新聞社が発表したデータによれば、主要100社の取締役の2006年度分の報酬は、ここ1年で22%も増えていることが分かる。

 この二つのデータを合わせると、2001年度から2006年度の5年分で、大企業の役員報酬は倍増している計算になる。具体的な額として、日経新聞には、今年の1人あたりの役員報酬は平均6000万円と記されていた。

 これはあまりにもひどい。これこそまさに「お手盛り」ではないか。非正社員を増やして給料を下げておき、自分たちの給料を5年で倍増させているのである。

 要するに、大企業の役員たちは、消費者のことも、従業員のことも考えていないのだ。彼らは、景気拡大や構造改革を、自分たちの給料を増やすチャンスとしかとらえていないのである。

 同じ会社役員でも、資本金1000万円未満の中小企業の役員報酬は、2001年度から2005年度までの4年間で3%減っている。その理由は明白だ。大企業が発注単価をどんどん絞っているために、中小企業の業績が悪くなっているのである。

 これを見れば、小泉内閣の下で進められてきた構造改革で、いったい何が起きたのかが分かってくるだろう。結局、権力を握っている人たちだけが太って、一般の庶民はその割を食っているのである。

 こうして見ると、いくら政府が格差を是正しようとしても、それは難しいことが分かる。格差を拡大させているのは、企業が労働分配率を低めているからであって、その判断を政府が動かすことは非常に困難だからだ。

 もし、政府が本気で格差を是正しようと思うなら、法人税率を引き上げて労働者を減税するか、非正社員の最低賃金を上げるしかない。安倍総理は「格差を是正する」と言っているが、果たしてそんなことが今度の新内閣にできるのか、残念ながら疑問に思わざるをえないのである。



(私のコメント)
自民党の後継総裁も福田氏にほぼ決まり、自民党は従来型の派閥の領袖達の話し合いで決まってしまった。対立候補の麻生氏も総裁選挙で勝てる見込みは全くない。小泉内閣でやってきたことは何だったのか全くわからない。小泉チルドレン達も独自の候補を立てることもなく福田氏支持に回った。小泉前総理も盟友だった麻生氏ではなく福田氏を支持した。

福田氏は衆院を解散して選挙を行う事は考えていないようですが、参院が野党が過半数を制しているのだから国会は立ち往生して解散に追い込まれるのは目に見えている。政界の大再編は選挙の後に起きるのだろう。小沢民主党は民主党に風の吹いているうちに解散に追い込むつもりだろう。選挙になれば小泉チルドレンは風前の灯だ。

小泉構造改革とは何だったのだろう。彼は「自民党をぶっ壊す」といいながら自民党を延命させて自民党議員を増やした。そして総理を退いてからは自民党は元に戻ってしまった。彼は国民の不満を抵抗勢力にぶつけて自民党の延命に成功した。だからあとを継いだ安倍氏は「改革続行」といいながらも小泉総理の手法は真似する事が出来なかった。

むしろ「生活第一」といった小沢民主党の方が、国民の不満を自民党にぶつける事に成功した。しかし問題の本質は抵抗勢力にあるのでもなければ自民党にあるのでもない。規制緩和をすれば自由競争に晒されて勝ち組と負け組が出来て生活格差が拡大することだ。

人材派遣法の規制が緩和されて正社員がクビになり派遣社員に切り替えられた。クビになった正社員も、その穴を埋めた派遣社員も負け組である。勝ち組は人件費を削って企業利益を増やした企業の役員たちであり株主達だ。森永卓郎氏の記事をみていただければ分かるとおりに従業員の賃金をカットしてそれは役員賞与や株式配当に回されている。

正社員の平均年収が500万円を越えているのに非正社員は100万円台の年収に甘んじている。そして景気が良い悪いに関わらず非正社員は増え続ける一方だ。これでは生活不安が拡大して消費は減るばかりだ。政治家達はこのような現象を見ようともせず「改革続行」と言いつづけたから参院選挙で負けたのだ。

大企業の役員報酬は4年間に1,8倍にも増えて構造改革さまさまだ。成果主義が適用されて従業員の賃金カットが成果を上げる一番手っ取り早い方法であり、日本の大企業の役員は従業員の賃金カットが大流行だ。

確かに不景気なうちは賃金カットが一番手っ取り早い方法ですが、景気が拡大してきた時に規模を拡大しようとしても人材がいないということになる。中間管理職をぎりぎりまで減らしたから幹部職員の欠員が補充できずサービスの質は低下した。ソニーや松下のように欠陥製品を出すようになり成果主義は思わぬところでほころびを出すようになってきた。

ようやく構造改革の綻びを是正しようという動きも出てきましたが、行過ぎた規制緩和を見直すべきなのだ。ところが国会議員は雲の上で生活しているから何処に問題があるのか掴めずにいる。経済学者も自分で商売しているわけではないから、企業業績が上がっている事がわかっていてもその原因が分からないのだ。

学者は大企業の言い分をそのまま信じて、グローバル競争で非正社員化はやむをえないと言っている。マニュアル化できる単純作業は正社員でなくとも派遣やパートやアルバイトに置き換えることが出来る。ネット化が進んで業務を海外にアウトソーシングすることも出来る。

このような技術革新による業務の合理化は避けることが出来ない。銀行や証券会社もコンピューター化やネット化で店舗も従業員も減った。その社員も派遣やパートの人が増えた。人海戦術で大卒社員を預金集めに回らせていた時代が嘘のようだ。これを元に戻すのは無意味だ。

ではどうしたら格差社会が解消できるのだろうか? マニュアル化できない複雑な仕事や創造力を生かす仕事が出来るように人材を育成する必要がある。ところが現在の教育は相変わらず記憶力中心で創造性や独創性を伸ばす教育を行なっていない。与えられた仕事は良くやるが指示待ち族で問題解決能力が無い。

私は30代で脱サラして不動産業を開業したが、何から何まで自分で判断して解決しなければならない。だから学生時代以上に本を読んで勉強した。学校時代の学習とは全く違った世界であり、指導してくれる先生も仲間もいない。だから学校時代の優等生も社会では劣等生という場合もある。

だから単純で言われた事だけやればいい仕事はこれからもどんどん非正社員によって置き換えられて行くだろう。そして自分で新しい仕事を見つけて、自分だけしか出来ない技術を身に付けることだ。だから非正社員を正社員に戻せばいいということではなくて、同じ派遣社員でも高度な技術や、正社員では対応できない経験が必要な仕事をすることで正社員よりも高給を取る事が出来るようにする事だ。

しかし単純作業や指示された事しか出来ない人も沢山いる。そのような人を全部高度な仕事が出来るようにする事は不可能だ。若い時にフリーターで何の経験も持たない人は一生低賃金労働でワーキングプアになるかも知れない。いま政府がなすべきことは単純な仕事しか出来ない人を減らすことであり、単純労働者でも高給が取れる仕事を作り出すことだ。とりあえずは最低賃金を上げて規制緩和から規制強化に踏み切る事だ。




ブッシュ政権の外交チームが日米同盟を犠牲にしてまで、妥協に踏み
込もうとしているとみるべきでしょう。それが安倍辞任の最大理由か?


2007年9月14日 金曜日

【緊急トーク 手嶋龍一×阿部重夫】「亡国の総理」辞任(中) 9月13日 FACTA

政局の動きは速い。安倍晋三総理の衝撃の辞意表明から1日たって、後継に麻生太郎自民党幹事長と、「反麻生」陣営の包囲網とが浮き彫りになってきた。反麻生側が担ぎ出そうとしている候補に、福田康夫・元官房長官や小泉純一郎・前総理の名があがっている。額賀福志郎・財務相も出馬の意向を示している。今の時点ではまだ帰趨を予測するのは早いが、後継に誰がなろうとも安倍政権の尻拭いをしなければならない。最大の問題の一つは日米関係だろう。本日はそれをテーマに対談する。

阿部  安倍総理がシドニーで「職を賭しても」と言ったのは、インド洋上での自衛艦の給油継続問題です。これが命取りでした。シドニーで何があったのでしょう。

手嶋  シドニーで行われた日米首脳会談で、安倍総理はブッシュ大統領に押し切られたのです。とにかく、民主党を落として、給油継続の手形を落としてくれるだろうな、と迫られて、手形を落とす明確なメドがないのに、イエスと答えてしまった。その一方で一枚看板の拉致問題をめぐっては「日本の同意なくしてテロ支援国家の解除なし」という確かな約束を取りつけられなかった。追い詰められるばかりで、その大きな重圧に耐えられず、民主党の小沢代表にも首会談を事実上断られて、万事に窮したという構図でしょうか。

阿部  綸言汗のごとしと言いますが、総理なのに安倍さんはどうも言葉が軽い。ああ言ったら、あとがないことが分からなかったのでしょうか。

手嶋  ええ、なにしろ「美しい国」なのですから、総理の言葉の重さに本質的な自覚を欠いていたのでしょう。まさにこれは、政局主義者小沢代表の思う壺。アリ地獄に落ちるようにはまっていったのだと言えます。

阿部  総理会見では小沢氏に恨み節ともとれるくだりがありましたが、小沢氏には「テーマもはっきりしない党首会談などやっても仕方がない」と一蹴されています。総理が会談を申し込んで、会えなかったから、職を投げ出す。もはや駄々っ子と変わらず、指導者の適格性を欠いています。

手嶋  シドニーの日米首脳会談を通じて、安倍内閣が内政だけでなく、外交とりわけ日米同盟の運営に失敗して、政権を投げ出したことが露呈してしまったといえます。安倍政権は、北朝鮮に安易な妥協をしないという「対朝強硬派」であることを鮮明にしてきました。しかし、イラクで劣勢に立つブッシュ政権は、北朝鮮の核無力化を引き出して、東アジアで点数を稼ぎだそうと、テロ支援国家の指定を解除しようとしています。安倍内閣は、この動きに待ったを掛けられずにいました。

アメリカが北朝鮮をテロ支援国に指定した理由の中には、日本の拉致問題も入っていますから、同盟国の日本がウンと言わなければ、ブッシュ政権は指定を解除できないはずです。ブッシュ大統領から、テロ特措法延長を求められたのなら、安倍総理はその代わりに「テロ支援国家の指定を解除しない」との言質を大統領から取りつけるべきでした。しかし、それもできていない。

自民党の部会でその点を質された佐々江アジア・大洋州局長が「日本が同意しないままの指定解除はないと思う」と述べたのは、首脳会談で詰め切れなかったことを窺わせています。


阿部  6カ国協議でも日本は取り残されているかに見えます。アメリカのライス国務長官とヒル国務次官補の対朝外交を、手嶋さんはFACTA10月号(9月20日発売)のコラムで批判していますね。

手嶋  日本が取り残され、孤立しているのではなく、ブッシュ政権の外交チームが日米同盟を犠牲にしてまで、妥協に踏み込もうとしているとみるべきでしょう。安倍総理は、やはり、日米同盟の運営にも躓いていたのです。それが辞任に追い込まれていった、隠れた、しかし重要な要因です。

阿部  蛇ににらまれた蛙のように、アメリカ大統領の前で、言いたいことも言えない。『美しい国へ』では「主張する外交」を標榜していたのですから、あきれますね。

手嶋  ええ、「美しい国」には、論理がなくて、ただレトリック(修辞)だけなのです。安倍内閣は「広報内閣」と言われました。総裁選のキャンペーンで田植えをしてみせたり、茶の湯にいそしんだり、見てくれの、テクニカルなPRに励んでいた。G8でそんな指導者は見あたりません。どんな政権にも襲いかかってくる嵐を乗り切るための実力も備えていなかったのですね。

阿部  安倍総理は続投を表明した際、改革の継続を訴えました。しかし、改造人事では麻生幹事長に押し切られ、内閣府のスタッフも小泉・安倍路線を支えてきた霞が関の異端官僚がパージされました。彼らを改革派と言うと、小泉政権時代の改革派対守旧派の構図になってしまいますが、「小さな政府」派と「大きな政府」派で見れば、「小さな政府」の敗退を象徴しています。

手嶋  7月のFACTAトークイベントでは、安倍政権が陥った機能不全症候群の原因が、4つのポストの人事の失敗にあると指摘しましたね。党幹事長、官房長官、官房副長官(事務)、総理秘書官の4つです。改造内閣はこのうち幹事長と官房長官を変えましたが、官房副長官と総理秘書官は手放さなかった。

ここから誤った教訓が引き出されそうな気がして心配です。霞が関とうまく折り合えなかったために、この政権は倒れてしまった。だから霞が関とうまくやることが政権を維持する要諦だ――と。これでは政治が再び官僚の風下に立つことを意味してしまいます。

阿部  先祖返りですか。小泉政権時代の改革路線が全面交代して、また官製国家に逆戻りとなる懸念が出てきました。次回はそれをテーマにしましょう。


安倍首相の孤独なクーデター…福田政権誕生の悪夢 9月14日 東アジア黙示録

安倍首相が政権運営に自信をなくしたのは、APECの席上だった可能性が高い。8日に行なわれたブッシュ大統領と会談で、ショッキングな事実を知ったのではないか…

それは安倍首相の基本的な政治スタンスを揺るがすテーマだ。即ち、対北朝鮮問題である。恐らく安倍首相はブッシュから北朝鮮対応のスケジュールが早まった事実を告げられたと想像する。

米朝の国交正常化が完全に視野に入ってきたのではないか。テロ支援国家指定解除といった具体的な内容に踏み込まないまでも、米国の意志が明確になっただけでも衝撃的な事態だ。

米国の思惑通りに事が進展すれば、来週にも開かれる6ヵ国協議で新たな合意文書が作成されることが確実視されている。我が国も参加せざるを得ない大規模支援が謳われる公算が極めて高い。

そこで安倍首相は苦渋の決断を強いられる。1ヵ月足りなかった…

10月13日で万景峰号の入港を阻む制裁がリミットを迎える。当然、安倍首相は半年延長を打ち出したいが、合意文書との整合性が付かなくなる。入港禁止措置は10月半ばで打ち切り。

万景峰号は日本国民を嘲笑うかのように入港して来るだろう。

テロ特に絡んだ安倍首相退陣のシナリオが描かれているのであれば、北朝鮮支援にサインする前に逃げ出すのが無難だ。無責任と誹られても「対北融和」で晩節を汚すより、良いかも知れない…

対北強硬路線で名を挙げた安倍首相にとって融和路線追従は政治生命を脅かす大問題だ。安倍首相は最終局面で自身の政治スタンスを堅持する意図があったとも見受けられる

先の参院選後、森−中川ラインは、福田後継を画策したとも言われるが、1ヵ月以上を経て悪夢が現実になりそうな雲行きだ。

安倍首相の退陣会見が行なわれている時、福田の後見人であり、キングメーカーを自認する森元首相は、フランス歴訪中だった。公示まで時間が迫る中、コントロールはほぼ不可能…

そこに安倍首相のクーデター的な要素を見出したのだが、森元首相は帰国便に飛び乗り、13日朝には帰国。福田擁立に動き出したようだ。余りにも素早い行動である。

安倍首相は何か読み違えをしたか…

今回の自民党総裁選は簡易版で、党所属の国会議員387人と都道府県連代表141人の計528票で選出される運びだ。都道府県連では予備選も行なわれる見通しだが、国会議員票が大勢を決定する。これも福田有利となる材料だ。

安倍首相が最後の最後に仕掛けたクーデターも失敗に終わった…

総裁選投開票まで10日間。事態はどう推移するか不透明だが、このタイミングでの福田政権誕生は最悪のシナリオ。悪夢の始まりを告げる鐘だ


(私のコメント)
安倍総理の辞任理由はいまだにはっきりしませんが、ストレスによる胃腸機能障害だけではないだろう。それなら一週間くらい休養を取れば回復できるだろうし、それだけで政権を投げ出したら世間の笑いものだ。おそらくAPECでのブッシュとの会談でブッシュから北朝鮮のテロ支援国家の指定解除や国交回復までの話しを聞かされて、安倍総理は立場を失ってしまったのだ。

インド洋上の燃料給油も継続を約束させられて安倍総理は進退窮まってしまった。北朝鮮問題ではアメリカに裏切られて、テロ特措法の延長は約束させられてしまった。これでは小沢民主党が妥協してくれなければ安倍総理は内外共に面目丸つぶれになってしまう。で、病気を理由に辞職したという事だろう。

森中川ラインは福田元官房長官を担ぎ出して後継総裁にしようとしている。ねらいは北朝鮮利権であり、国交を回復して経済復興支援としての5兆円の金が目当てだ。1割手数料として入るとすれば5000億円のキックバックが入る事になる。その為には安倍総理の北朝鮮への制裁は邪魔になる。

つまり拉致問題は棚上げされて拉致被害者家族は忘れ去られて、国会議員も水色のリボンは外してしまうだろう。安倍総理も拉致議連に押されて総理になったのに、アメリカが拉致問題を棚上げして北朝鮮へ融和に走ってしまった。従軍慰安婦問題でその兆しはあったのですがアメリカは日本を裏切り北朝鮮利権の方に目が眩んでしまった。

その流れに乗ろうとしているのが森中川ラインであり、福田次期総理は潤沢な内閣官房費を使って勢力を広げていく事だろう。しかしねじれ国会だからいずれ国会も行き詰まって解散総選挙が行なわれるが、福田総理でどれだけ選挙が戦えるのだろうか? 負けないまでもかなり数を減らして公明党が民主と連立を組んだら衆院も与野党逆転してしまうかもしれない。

小泉チルドレンの決起も小泉氏の不出馬で空振りに終わりそうだ。そして従来型の自民党に戻ってしまって選挙の顔としての総裁選びから、派閥の勢力関係から総理が選ばれるようになってしまった。当分は清和会の天下が続きそうだ。麻生氏の出番はなくなり、ポスト安倍の最有力候補は派閥の数合わせの選挙で埋没してしまうだろう。

アメリカはなぜ日本との同盟関係を犠牲にしてまで北朝鮮との国交回復に踏み切るのだろうか? 一つには中朝対立を利用して北朝鮮を梃入れしようという説があります。金正日はアメリカ政府に韓国以上の同盟国になると言ったそうだ。しかし平城郊外に米軍基地が出来るとか中朝国境に米軍基地が出来るわけではないだろう。つまり口先だけだ。

アメリカは今、北朝鮮の嘘とわかるような約束も信じざるを得ないほど外交で追い込まれている。共和党の大物議員からもイラクからの撤退を求められているが、ブッシュ外交の失敗は明らかだ。ブッシュは手負いの獅子でおとなしい日本との同盟を犠牲にして北朝鮮と融和しようとしている。偽札や覚せい剤をばら撒いた国と手を組もうというほど血迷っている。安倍総理はその犠牲になったのだ。

安倍総理がもっと駆け引きの出来る頭の切れる総理ならブッシュと取引も出来た事だろう。しかし日本の総理はアメリカの大統領の前に出るとNOとは言えなくなってしまうようだ。日本の首都東京の郊外には巨大な米軍基地があり、日本の政治経済はそこから常に監視されているのだ。日米安保が相互防衛条約というのならワシントン郊外に自衛隊の基地を作ってアメリカを「守る」べきなのだ。

安倍総理は「戦後レジュームからの脱却」というスローガンを掲げましたが、日本国民の理解は得られなかったようだ。日本がいまだにアメリカに占領されたままだという事すら気がつかないほど日本国民はボケてしまった。安倍総理から福田総理に交代する事で憲法改正も先送りになることだろう。日本の左翼リベラルはアメリカの手先であり米中が共同して日本を食い物にしようとしている。アメリカ下院の従軍慰安婦の非難決議を見ればそれは明らかだ。

福田政権が出来れば今まで止まっていた人権擁護法案も外国人参政権も中国へのODAも復活するかもしれない。さらには北朝鮮の拉致問題も棚上げされて国交回復に突き進むだろう。朝鮮総連もそうなれば北朝鮮の外交施設ということになり万景峰号も大手を振って新潟港にやってくる。金正日体制はますます強化されて日本の金が使われるのだ。




安倍改造内閣が小泉チルドレンの意向に沿わなかったので、不平
不満と選挙に対する不安がない交ぜになり 森ー中川に利用された


2007年9月13日 木曜日

小泉前首相の「再登板求める会」=小池氏ら約30人が結成、本人は拒否−自民 9月13日 時事通信

自民党の小池百合子前防衛相、棚橋泰文元科学技術担当相らは12日夜、都内のホテルで会合を開き、次期総裁選で小泉純一郎前首相に出馬を促すため、「小泉前総裁の再登板を実現する有志の会」を結成した。有志の会に参加はしないものの、中川秀直前幹事長も出席した
 有志の会には、小池氏らに加え、「小泉チルドレン」と呼ばれる片山さつき、杉村太蔵両氏ら当選1回の衆院議員ら計31人が参加した。
 会合後、中川氏は「この難局においては小泉氏しか日本経済を運営し、国民の目線に応えて自民党を立て直せる人はいないんじゃないか」と語った。
 これに先立ち、棚橋氏は都内で小泉氏と会い、総裁選への出馬を打診。小泉氏はこれを断ったとされるが、棚橋氏は「(小泉氏出馬は)難しいと思ったが、若手の熱意で状況が変わっている」と述べ、引き続き出馬を働き掛けていく考えを明らかにした。


<平沼赳夫氏>自民復党へ 麻生幹事長らが環境整備 9月6日 毎日新聞

一昨年の郵政民営化に反対して自民党を離党した平沼赳夫元経済産業相が5日、復党する見通しになったのは、郵政民営化に賛成する誓約書の提出を同氏に求めて復党を拒んだ中川秀直前幹事長が辞任したのに加え、平沼氏と個人的にも親しい麻生太郎幹事長と与謝野馨官房長官が、復党に向けて共同歩調を取ったからだ。安倍改造内閣の「脱小泉(純一郎首相)」路線が象徴的に表れた。ただ突然、手をさしのべるようなやり方は世論の反発も招きかねず、安倍晋三首相は慎重にタイミングをうかがっている。
 麻生幹事長は4日、平沼氏に電話で復党を了承する意向を伝えた。同氏は「地元後援会の気持ちを最優先にして考えたい」と応じたという。
 こうした麻生氏の動きを側面支援しているのが、東京・麻布高校時代に平沼氏と同級生だった与謝野長官。拉致問題担当でもある与謝野氏は5日、拉致議連会長の平沼氏の事務所を訪ね、復党機運を盛り上げた。
 安倍首相も昨年、個人的に親しい間柄である平沼氏を復党させようと模索しながら、中川前幹事長に押し切られた経緯があり、中川氏の辞任により復党への環境整備が整ったという事情もある。
 平沼氏としても参院選大敗や相次ぐ閣僚辞任で、苦境にある首相を支えたい思いがある。昨年12月、脳梗塞(こうそく)で入院したが、体調も回復。1日に開いた地元・岡山県津山市での後援会会合でも「誓約書を書かなくてもいいという話になりつつある。皆さんに相談して身の振り方を決めたい」と意欲をにじませた。
 ただ、平沼氏は復党の手順にこだわっており、城内実前衆院議員ら落選した郵政造反組の復党も強く求める意向だ。周辺に「自分としては(誓約書を拒否し)すでにスジは通した。今は(落選組に対する)自民党の対応を待つ立場だ」と語っている。【坂口裕彦】


824 :闇の声:2007/09/13(木) 00:02:47 ID:mWp1k+ZH 2ちゃんねる

幾つかの情報が流れてきている
今回の辞任劇、どうも後ろにいるのは中川だな・・・森もだが
11日に安倍は中川と会っている
なぜ、本音を中川に言ったのか・・・麻生に言わなかったのか
本当に言ったのかもわからない
つまり、中川の自作自演もありえると言う事だ

中川がこれだけ政権に執着する理由は利権なのだが、その利権の背後にあるのは
日銀総裁絡みだと言う事だ
それと、時期を同じくして竹中が批判を始めている
テロ特措法を新法で可決成立された場合、この新法ははっきり言って安倍はお飾りだ
結果的に麻生と与謝野の手柄になり、中川と・・・小泉ー竹中のラインは利権から遠ざけられてしまう
そして、今日中川と小泉チルドレンが会談している
一旦去ったはずの中川はしつこく安倍にくっついていて、安倍をコントロールしていたと見るべきだろう
安倍改造内閣が小泉チルドレンの意向に沿わなかったので、不平不満と選挙に対する不安がない交ぜになり
森ー中川に利用された


◆そして、小泉チルドレンを手中に収めた中川から見れば、もはや安倍は利用価値がないし
このまま首相に据えていても麻生や与謝野の力が強くなるばかりで、メリットはない
そこで、お辞めなさいと迫った
その引き替えだが、恐らく「今辞めれば傷は付かない」と、将来もあるし「改革者安倍」のラベルは
チルドレンが守ります的な事を言ったんだろう
そんな保障は何もないが、安倍はそれに乗ったんだと思う

さらに付け加えると、経済指標が良くない
これについて、竹中が恐らくテレビや新聞、雑誌で解説をするだろうがその際に
改革の後退と景気後退について相当厳しい批判になるとの情報を安倍に流した
そうなると経済でも行き詰まることになる・・・
その前に辞めれば、傷もそれほど深くないしカムバックも充分あり得ると安倍家は・・・
岸家もそうだが考えたのだろうな

さてこれからどうなるのか・・・
小泉は立たないまでも、チルドレンは誰かを担ぎ独自の動きをするだろう
これは言い換えれば、第二の森派だよ
武部を担ぐこともあり得ると書いたが、小泉が話をすれば武部は動く
それでなくてもやりたくてしょうがないのだから
竹中が支える形での武部内閣・・・無い話ではなかろう



(私のコメント)
昨日は株式日記をアップしてからすぐに安倍総理辞任のニュースが流れたので、安倍総理辞任についての分析は今日になってしまった。テレビなどでは政治評論家などが様々な事を言っていますが、民主党の小沢代表に会談を断られたとか、健康悪化説は首相辞任の理由になるようなものではない。

健康悪化が理由なら参院選直後に辞めたほうが理由が立つ。テロ特措法の延長問題で辞めるのなら国会で否決された後やめるべきだ。しかしインド洋での給油がそれほどの大問題だとは思えない。延長が出来なかった事は民主党の責任だと言い訳が出来るからだ。

安倍総理が辞めた理由は森中川ラインと麻生与謝野ラインの対立があって安倍総理は中川秀直に引導を渡されたのだ。このまま行けば麻生与謝野ラインで新法が作られて手柄が麻生与謝野ラインに行ってしまう。そうなればアメリカにも恩を売った事になり政治の主導権は森中川ラインから外れてしまう。だから中川秀直は安倍総理に辞任を迫った。

参院選後に安倍総理辞任を一番望んだのは小泉チルドレン達であり、森中川ラインはそれを利用して主導権を取り返そうとしている。問題なのは小泉前総理ですが安倍を支えるべき立場ですが森中川ラインにも逆らえない。だから逃げ回っている。

問題は小泉チルドレンがどう動くかですが、武部元幹事長がどう動くか注目される。小泉チルドレンのまとめ役は武部しかいない。小泉前総理が立てばいいが難しいだろう。あるいは小泉チルドレンの中の小池百合子が小泉氏の代わりに出るかもしれない。小池防衛大臣が辞意を表明した時点で安倍総理を見限ったからだ。

政界渡り鳥の小池氏の見立ては正しかったようだ。安倍総理では品が良すぎて政界の魑魅魍魎達に対して立ち向かうのは無理だったのだ。森中川ラインに対して麻生与謝野ラインの対立は自民党の末期的現象ですが、自民党は二つに割れて森中川ラインは小泉チルドレンと共に民主党と連立するシナリオもある。

影には公明党の動向も気になりますが、公明党は池田会長の国会喚問を回避する為にはどのような事もするだろう。現状では参議院で喚問される恐れがありますが、自民党が割れて森中川小泉一派が民主党と連立すれば衆参共に安定する可能性もある。つまり麻生与謝野ラインは政権からはじき出される可能性もある。

最初から安倍総理は参院選挙までのワンポイントリリーフであり、参院選で自民党が負けるのは最初から分かっていた。そして旧田中派を潰した。残りは自民党を割る事で清和会と小泉チルドレン以外の自民党議員をはじき出す。小沢民主党代表は自民を分裂させて政権をとったことになり手柄になるだろう。それに公明党が加われば体制は万全だ。

しかし民主党内部にも問題を抱えており、旧社会党系の議員をどうするかだ。それも小泉チルドレン達を取り込めれば解決する。闇の声氏によれば安倍総理の辞任の引き金はブッシュに冷たくされたかららしい。


884 :闇の声:2007/09/13(木) 09:53:43 ID:mWp1k+ZH 2ちゃんねる

特措法について今、こんな話が入ってきた
シドニーでブッシュと会った時に、ブッシュは安倍はもうダメだろうと判っていて
相当つれない生返事をした
安倍はそこで、ブッシュを最後の砦じゃないが頼み事をしたのだが、それも振られてしまう
つまり、安倍政権とアメリカの強い関係誇示なのだが、断られた

ブッシュの頭の中はアルカイダ一色であり、イラク一色であり・・・具体的な軍事作戦であり
日本が要求するだろう補給艦船のイラク作戦参加の有無なんてまともに答える気もない
そんな煩わしい事を言うなら、無くても構わない・・・
小沢周辺はアメリカのそんな態度をかぎつけて、これは突っ張れるなと踏んだと言う説がある
民主党政権になれば、アメリカはイラクから撤退するしイランに対してもさほどの強硬姿勢は取らないだろう・・・
であれば、敢えて延長しなくても改めて別のやり方を話し合ったって良いじゃないか・・・
参院で多数を占めて、しかも民意は延長反対であるならここは原理原則で行っても
選挙には影響しない・・・衆院選で勝利して、自民党の政策を否定する形で新法を出して
その元でのテロ対策が望ましい・・・

本来小沢は湾岸戦争の時以来アメリカの軍事関係者とのパイプがあって
かなりの情報を入手できるし、アメリカよりの政治家である
どうやら、創価学会の受け入れをどうするか・・・受け入れ易さと党内の基盤整備のため
エセ左翼になっているなと言う感じだ
実際、民主党内部は旧自由党と労組出身者や旧社会党との軋轢があるし
菅直人は相変わらず首相になりたくて仕方がない
内情がボロボロなのは、民主党も一緒だ

今選挙になれば、候補者が足らないのは民主党であり、その場合どうしても旧社会党勢力を擁立しなければならない
それが当選してしまったら、小沢の政治理念とはかけ離れた党になってしまう
それが判っているから、小泉チルドレンに手を伸ばすのは時間の問題だろうと見ている


(私のコメント)
安倍総理はストレスから来る胃腸病で慶応病院に入院されましたが、精神的にも肉体的にも弱かったようだ。ならば昨日の記者会見でなぜ体調のことを言わなかったのか? 食欲不振や下痢程度で職務を放棄していたら首相など勤まらない。安倍総理は就任した当時から安倍カラーを封印しましたが、8月15日の靖国神社参拝も回避するなど闘う姿勢が見えなかった。その辺の性格的な弱さが今回の辞任にも出たのだろう。


    ∧∧
   /  \  \ あ、中国様、やりましたよ♪とうとう安倍政権を倒しました!/
.  (#   )     φ ∧_∧ 
   (    )     ` (@∀@") (・・・誉めて貰えるかな?)
   | | |       ヽ 朝 と)
   (_(__)       し―-J
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

        ((⌒⌒))
      ド━ l|l l|l ━ン!  空気読めアル!
         ∧∧   /
        / 中\   お前という奴は・・・せっかく中日関係に改善の兆しが
     ミ ○(#`ハ´)   みられていたのになぜ余計なことをしたアルか?
      ヽ φ∧,,_○))\  /
    ミヘ丿 ∩Д@;ll)     アレーッ!なぜ??そんな御むたいなー!
    (ヽ_ノゝ _ノ      \
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄





87年のブラックマンデー直後、ウォール街にはレイオフ旋風が
吹き荒れ、不動産価格は暴落し、アメリカ中が大不況に陥った。


2007年9月12日 水曜日

サブプライムローン問題は世界不況の前触れ?」(2007/09/11) 箭内昇

(抜粋)
ここまできた貧富の格差拡大

 第3に、この5、6年間見かけなかった物ごいがマンハッタンに出現した。彼らは昔と同じように地下鉄のホームや街角に座り込んでいるが、「金でも食料でも何でもいいから恵んでください」と書いた看板を首からかけた少女の姿は哀れを誘う。

 デパートものぞいてみたが、メーシーズなどの大衆デパートは食料品売り場を除けば空いている。高級デパートとされるサックス・フィフス・アベニューでも、活気があるのは高級衣料品売り場くらいだ。

 一方で、超高級デパートのバーグドルフ・グッドマンは、以前にましてにぎわっている。メンズ館で観察していると、高級なスーツを着込んだ「勝ち組」の紳士たちが、3000ドルのベストや6000ドルもするジャケットを気楽に買っていく。

アメリカの貧富の格差は、われわれ日本人の想像を超えて拡大しているようだ。

米製造業の終わりの始まり

 第4は日本車の急増だ。ワシントンでは大げさでなく、街中を走る車の半分近くが日本車だ。友人の住むコンドミニアムの駐車場はユダヤ人が多いせいもあってか、実に8割が日本車で、特にトヨタのレクサスが圧倒的に多い。ニューヨークではミニバン型のタクシーの急増に驚いたが、その2割程度はトヨタ車だった(写真)。

 日米貿易摩擦問題ピーク時の1990年前後にニューヨークに駐在していた筆者にとっては、日本車のイエローキャブがマンハッタンを走るなど夢想だにしなかったことであり、実に感慨深い。

 だが一方で、アメリカ製造業の消滅が最終章を迎えていることを実感する。

不動産投資は「バカラ」から「ババ抜き」へ

 第6は、アメリカ一般国民の不動産投資熱がようやく冷め始めたということだ。2年前にはアメリカ人の友人が3人も集まれば不動産投資の話で持ちきりだったが、今回は沈黙だ。無理やり聞き出すと、フロリダなど特定地域を除く全米で、ニューヨークなど主要都市の不動産価格が頭打ちになってきたので心配だという。

 彼らはこれまで保有不動産の価格上昇で生まれた担保余力で銀行借り入れをし、その資金で別の物件に投資したり車を買ったりしていたが、銀行の貸し出しスタンスも急に渋くなってきたと愚痴をこぼす。

 最近では水面下で不動産の売却案件が急増しているともいう。アメリカ国民はこれまで楽しんできたカジノを「バカラ」から「ババ抜きゲーム」に切り替え始めたようだ。

 今回の定点観測を総合すると、「アメリカは好景気の陰で危険なマグマを蓄積しており、しかも地表近くまで隆起している」というのが実感だった。

サブプライム問題を機に噴出したマグマの正体は

 「これは何か起きる」という思いを抱きながら帰国した直後、サブプライムローン問題を発端にした世界金融市場の大混乱がぼっ発した。

 筆者は一昨年11月のこのコラムで「米連邦準備理事会(FRB)議長交代直後の1、2年はアメリカ発の経済混乱に要注意」と書いたが、不幸にして不安が的中した。歴史は繰り返したのである。

 筆者はつい先般も月刊誌「諸君」(文芸春秋)7月号で、「米国流投資ビジネスは必ず破綻する」という趣旨の1文を寄稿して警鐘を鳴らした。この悪い予感も現実化し始めたようだ。

 今回の金融混乱については多くの議論が展開されているが、歴史的な視点やアメリカ経済の構造要因にまで言及したものは少ないように思う。だが、筆者のような長年のアメリカ・ウォッチャーにとっては、複雑な金融理論うんぬんよりも、その底流や震源の分析のほうがはるかに重要だ。

 今回の事件は、アメリカが官民一体で金融ビジネスを急拡大した結果生じた、必然的なひずみに思えてならない。それだけに正常化には相当の時間とエネルギーを要するだろう。

いつかは崩壊する宿命の「ドルの帝国循環」

 第1は、今のアメリカ経済は基軸通貨国であり覇権国であるがゆえに、世界中の資金が集まることで支えられているが、この「帝国循環」がいつか崩壊するのではないかという不安だ。

 国家も企業も個人も金繰りさえ回っていれば破綻することはないが、歴史的に見れば、かつてのイギリス同様、経済が長期凋落する中で永久に覇権を握り続けることは不可能である。

 結局はローレンス・サマーズ元財務長官が喝破したように、「アメリカ国民は一時的な苦痛を覚悟しても消費を抑え、地道な生活に戻ることから始めるしかない」というのが、筆者の実感だ。だが、本当に実行したら、世界経済が大混乱に陥ることは間違いない。

それでも投資ビジネスは止まらない

 だが、金融のプロたちは、投資ビジネスのアクセルを緩めることはない。彼らはボーナス数億円という生活を捨てられないし、投資家や株主からも絶えず高業績へのプレッシャーがかかるからだ。

 アメリカ政府も本気でブレーキを踏むことはしないだろう。これまでもグリーンスパン前FRB議長はデリバティブやヘッジファンドの規制に反対してきたし、バーナンキ議長もヘッジファンドに対する情報開示に否定的だ。まして、ポールソン財務長官は直前までゴールドマン・サックス会長だった人物であり、ルービン元財務長官は現在シティグループの取締役会議長である。

 そのシティグループは純利益215億ドルと世界最大企業にのしあがり、バンク・オブ・アメリカが第2位、JPモルガン・チェースは第5位と、世界ランキング上位5社にアメリカの3大金融機関が顔を並べる(第3位はHSBC、第4位はGE)(Forbes Global 2000)。

 今やアメリカにとって金融業はまさに国家の屋台骨であり、その原動力である投資ビジネスへの攻撃に対しては、官民挙げて大反撃するに違いない。

ブラックマンデーの悪夢再来はあるか

 だが、今回のサブプライムローン問題では、ヨーロッパを中心に、世界中の金融機関が大きなダメージを受けた。欧州中央銀行(ECB)は混乱直後の4日間で、実に2100億ユーロ(約35兆円)を超える巨資を市場投入した。

 10年前のLTCM事件のときは関与した金融機関が限定的であり、わずか(?)36億ドルの緊急融資と3回のフェデラルファンド(FF)金利引き下げで問題解決したことと比べると、今のアメリカ型投資ビジネスは臨界点に達していると見るべきだ。

 9月7日のウォール・ストリート・ジャーナルによれば、グリーンスパン前FRB議長は今回の混乱を「87年のブラックマンデーや98年のLTCM破綻時の混乱と酷似」さらには「1929年の金融恐慌とも類似する」と指摘したという。

 「あなたが先送りした問題だろう。よく言うよ」と皮肉りたくなるが、筆者の実感を裏付ける有力な論評であることは確かだ。

 筆者の脳裏には87年のブラックマンデー直後に赴任したときの、ニューヨークのすさんだ光景がよみがえる。ウォール街にはレイオフ旋風が吹き荒れ、不動産価格は暴落し、街中に物ごいがあふれるなどアメリカ中が大不況に陥った。

 筆者のいやな予感が外れることを祈るのみだ。



(私のコメント)
87年のブラックマンダーは20年前の出来事であり、当時の日本の景気はドルショックなどあったものの絶好調の時であり、アメリカは絶不調の時であった。85年のプラザ合意でドルは大幅に切り下げられましたが、アメリカの製造業が復活する事はなかった。ドルをいくら切り下げてもアジアの低賃金には敵わなかったのだ。

当時就任したグリーンスパンFRB議長はブラックマンデーに直面したのですが、西ドイツが短期金利を引き上げてルーブル合意の枠組みが崩れたという観測が流れて大暴落が発生した。その結果日本も金利を引き上げるべき時だったのですが、ブラックマンデーの再発を恐れて日本は金利を引き上げられなかった。当然アメリカの圧力があったのだろう。

しかし日本が金利を引き上げて景気の引き締めを行なっていればバブルの発生は防げたはずだ。政府日銀は日本を犠牲にしてアメリカを救った格好になる。当時の株価も土地価格も打ち上げロケットのように高く上昇中でしたが政府日銀はそれを放置した。その構造は今も変わらず日米の金利差は守られている。もし日銀が利上げをすればブラックマンデーの再発になるが出来るわけはない。

その後アメリカは製造業をあきらめて産業構造を金融不動産にシフトした。まさに90年代から00年代のアメリカはバブル景気に沸いて、アメリカは金融立国と不動産投資ブームは15年近く続いた。グリーンスパンは日本のバブル崩壊の様子を特に研究しているから巧みな金利操縦で9・11テロ後の混乱を乗り切った。

バブルは崩壊させてはならず出来るだけ先送りして軟着陸させなければならない。日本はそれに失敗したから「失われた10年」に直面した。日本もアメリカのように金融業や不動産業に産業構造をシフトすべきなのですが、昨日も書いたように日本政府は税制をはじめとして金融不動産業に理解がない。

金融業や不動産業で成功するには優れた情報分析力と先見力と実行力が必要ですが、日本の記憶力中心の教育からは人材の育成は難しいようだ。

バーナンキFRB議長が就任してアメリカは信用不安の危機に直面している。前任のグリーンスパンは金利を引き上げて株や不動産の過熱を抑えようとしていましたが、バーナンキは利上げをストップさせた。その間にサブプライムローンというきわもの的な住宅ローンが問題を生じ始めてきている。

日本の場合は製造業も健在ですがアメリカの場合は製造業で競争力のあるのはIT分野などに限られている。自動車ですら箭内昇氏が書いているように日本車に王座を渡そうとしている。慢性的なガソリン価格の値上げが燃費のいい日本車に追い風になっているのですが、ハイブリット車などの新技術に後れを取ってしまった。

好調だった不動産や金融業にも陰りが見え始めてきている。不動産と金融とは密接に関係しており、不動産担保ローンは長い間アメリカの消費を支えてきた。日本の消費が低迷しているのも不動産が下落し続けているからであり、不動産市場が立ち直らない限り日本の消費が回復することはないだろう。

今や東京と欧米の大都市とのホテル・マンション家賃など逆転現象が起きている。東京なら2万円で泊まれるホテルもニューヨークだと4万円から5万円もする。だから外人観光客が減り国内の観光客が増えているようだ。箭内氏もマンハッタンは「おのぼりさん」が増えていると書いている。そして物乞いも増え始めているようだ。

ニューヨークのホテル代も金融業者の数億円のボーナスもバブル現象なのですが、バーナンキも利上げをして景気を冷やすべきだったのが金利を据え置いたからバブルを加速してしまったようだ。そしてサブプライム爆弾が破裂して第二のブラックマンデーが訪れようとしている。そして慌てて金利を下げれば日本やEUとの金利差がなくなりドルが海外に逃げる。

帝国循環については以前にも書きましたが、大英帝国とインドとの関係はアメリカと日本との関係に似ている。この点では日本は明らかにアメリカの植民地であり、アメリカは日本からどんどん物を輸入してもその代金はアメリカに留まり金融不動産業を支えてきた。本来ならば日本において使われるべきマネーだったのだ。日本の金融財政政策がアメリカの都合良いようにされてきたのだ。

今やアメリカ経済の屋台を支えているのは金融不動産業なのですが、その産業もサブプライム爆弾が破裂すればアメリカ経済の屋台骨が粉々になるということだ。アメリカの製造業は1970年から今では半分の規模になってしまいましたが、ドルがいくら下がっても競争力は無い。アメリカ製のパソコンや自動車は故障ばかりする。中古車市場を見れば日本車とアメリカ車の価格差は歴然としている。高い日本車の方が結局は安くつくのだ。




名目GDP成長率がほとんど増えていない状況で財政赤字を
改善するという名目で国民に増税を強いるのは無茶な話である。


2007年9月11日 火曜日

GDP 3四半期ぶりマイナス成長 景気先行きに不透明感 9月11日 毎日新聞

4〜6月期の国内総生産(GDP)の実質成長率が前期比0.3%減と3四半期ぶりにマイナス成長になったことで、景気の先行きに暗雲が広がってきた。内閣府は「景気回復の基調そのものは変っていない」(浜野潤内閣府審議官)との見方だが、内需が今後大幅に好転する見通しはなく、頼みの米国経済にも後退懸念が表面化している。


デフレに対する有効な政策がなぜ受け入れられないのか 9月9日 日々一考

(前略)
◆2.なぜデフレに対して有効な政策がとられないのか

 ではなぜデフレに対して政策形成の現場で有効な政策がとられないのだろうか。著者は、それは政治家といった「陳腐化された経済学的思考に基づく行動主体」ではなく、経済学者・エコノミストといった専門家がデフレの本質を理解していないことだと指摘する。デフレに対して有効な政策がとられないのは、政治家やマスコミが専門家の意見を曲解した結果ではなく、専門家が誤った考えに縛られているというわけである。ではなぜデフレを専門家が軽視し、さらにその有効な政策である金融政策を軽視するのだろうか。

 この理由として、著者はなぜ一部の経済学者やエコノミストがデフレを好むのか、そして日本の多くの学者やエコノミスト達がデフレは貨幣的現象ではなく、金融政策はデフレと無関係だと主張するのか、という二点に絞って考察している。

専門家がなぜデフレを好むのか?

デフレは一定の収入のある人間、一定の名目価格資産を持つ人間にとっては有利である。しかし失業する人にとっては深刻な問題である。このような主張をするエコノミストや学者は自ら失業する危険性が低いため、デフレを好むのではないか

・インフレへの恐怖感があるのではないか。第二次大戦後や第一次オイルショック以降のインフレの弊害の記憶が残存している。但し、日本経済は98年以降*5デフレが持続している。デフレ下で(わざわざ)インフレの可能性を懸念するのかが不明。

デフレを好む専門家はデフレが構造改革を加速し、シュンペータ的な創造的破壊をもたらすと主張する。但し実証研究*6や日本の経済状況からは新規起業が産業の生産性を拡大させるという創造的破壊は生じていない

◆専門家がなぜデフレは貨幣的現象ではなく、金融政策はデフレと無関係と主張するのか?

純粋な古典派の経済的視点を持っているため、貨幣は常に中立であると信じているのかもしれない。この視点に立てばインフレやデフレといった貨幣的現象は失業や過剰設備といった景気の実物的側面とは無関係である。しかしこの視点からはデフレの解決策として金融政策が役立たないという議論はでてこない

・現実経済は流動性の罠に陥った状態と捉えているかもしれない。つまり貨幣需要が無限大であるため、金融政策は効果を持たない状態が生じていると考えるのかもしれない。確かに貨幣の流通速度等は減速していたが、流動性の罠の元でも金融政策がインフレ期待を醸成することができれば有効である*7。

金融政策の主要な手段は短期金利であるという日銀の伝統的な視点に影響されているのかもしれない。この理屈からすると政策金利がゼロになってしまうと金融政策はその実効性を失うことになる。但し伝統的な金融政策に拘泥することをデフレが貨幣とは無関係だという主張に結びつけるのは誤りである

・デフレは財サービスの過剰供給の結果と主張する者もいる。この主張は、貨幣バランス、他の名目資産価値、一般価格値それ自体が需要曲線と供給曲線の中に決定要因として含まれていることを見逃している。より大きな実質貨幣バランスが存在すると、供給曲線・需要曲線はともに上方にシフトする*8。ワルラス法則が厳存するため、財・証券市場の過剰供給は必ず貨幣市場の超過需要(デフレ)をもたらす。

デフレは輸入価格の低下によるとする議論もある。この主張は輸入価格は為替変動に影響を受ける点を無視している。仮に中国の価格が低くても、円をドルに対して切り下げれば*9中国元の値が高くなるため、それがデフレ圧力にはならない。


◆3.感想

 デフレに対してなぜ有効な政策がとられないのか?という問いに対する浜田教授の答えは、そもそも我が国の経済学者やエコノミストといった専門家の一部がデフレの本質を理解していない、というものである。

 但し、浜田教授の考察から専門家の意見を受容し、政策決定に結びつける政治家に非が無い、それは専門家の問題であるから仕方ないという結論を導くのは早計だろう。なぜかといえば専門家の中でもデフレに対して正確な認識をし、有効な経済政策を主張する人々が存在しているため、「広く意見を徴収し判断を下す政治家」であれば有効な判断にたどり着く可能性もあるためである。これは、残念ながら路線表明のみに留まってしまったが、「上げ潮政策」の必要性が政策の主要課題に挙げられたことや、依然としてデフレからの脱却が政府の主要政策課題であることからも明らかである。

 浜田教授も言及されているが、「デフレが貨幣的現象である」という一点を正確に認識できない専門家が存在する我が国の専門家集団の能力が低いかといえば、そのようなことはないと思う。私は首是できないが、「金融政策は実態経済の反応に対して受動的に行われるものであり、経済変動の結果を反映したものである」という認識が日銀内部で広く存在しているという可能性もあるだろう。瑣末な自分の経験から考えても、マクロ経済学、ミクロ経済学といった分け方で経済学を学ぶ場合、個別財の相対価格の決定要因について学ぶミクロ経済学の議論では貨幣ヴェール感といった考え方に知らずに引き込まれてしまい、個別財の議論と経済全体の議論における貨幣の役割が見えにくくなってしまう。一方でマクロ経済学においても(IS-LM理論において財市場と貨幣市場との同時均衡を扱うという意味ではワルラス法則が成立していることは明らかなのだが)学んだ理論を十分に咀嚼しないと「物価変化は貨幣的現象である」との思いに到達するのは難しいと感じる。

 専門家の中でも正しくデフレについて認識できない人々が存在していること、さらに非専門家である政治家の中でも経済学的に正しい認識が(仮に情報として得ていたとしても)受け入れられない場合もある一方で正しく受け入れられる場合もあるという点については、「経済政策形成の研究」第8章の松尾教授の議論を目から鱗が落ちる思いで読んだ。松尾教授は「専門知」=「経済学的発想」、「世間知」=「反経済学的発想」という区切りで捉えなおしてみると、「経済学的発想」を受け付けるか否かはその個人が経済学の専門的教育を受けているか否かに依存しないのではと論じている。(後略)

悪魔的インフレ政策は本当に国民に迷惑なのか? 9月5日 日々一考

財政健全化に関連して「名目成長率上げればいいという悪魔的インフレ政策は国民に迷惑」とは一昨日の与謝野官房長官の発言である。どの国民に対しての発言なのかは寡聞にして分からないが、少なくとも私が日本国と信じている極東の島国に住んでいる自分にとって、名目成長率を上げていくことは迷惑な話ではない。以下、簡単に「私の住む日本」の現状を敷衍しつつ、議論してみることにしたい。(中略)

2.求められる経済政策

 1.で挙げた基礎的な経済指標から90年代後半以降のわが国の状況について指摘できる点は以下だろう。

・名目GDP成長率は90年代後半以降G7諸国中最低水準に落ち込み、2000年代前半でもその位置づけには変化がない。

・実質GDP成長率は90年代後半にG7諸国中最低水準に落ち込み、2000年代前半は1.6%と回復したものの、G7諸国の平均水準には至っていない。

物価水準は90年代後半以降G7諸国中唯一のマイナスに落ち込み、2000年代前半においてもマイナスの状況は持続している。

・失業率は90年代後半、2000年代前半を通じて継続して上昇している。同様の例に当てはまる国はドイツと日本のみである。さらに80年代前半と比較して失業率がほぼ倍増した国は日本のみである。

・90年代後半、2000年代前半を通じて財政赤字の対名目GDP比が悪化した国は日本のみである。さらに悪化幅が大きく拡大したのも日本のみである。

 つまり、名目GDP成長率の急激な落ち込みが財政赤字を拡大させ、実質GDP成長率は回復傾向にあるもののG7諸国の平均は届かず、さらに失業率は継続して上昇した、というのが我が国の姿であったわけだ。

以上の比較から我が国にとって必要な政策は、実質GDP成長率を上昇させつつ、デフレを脱却し、その過程で失業率をできるだけ低位に抑えこむというものだろう。

 釈迦に説法だが、政府は家計及び企業が得た所得の一部を税の形で徴収し、それを予算として各種政府サービスを行う主体である。家計及び企業が得た所得の大小は名目GDP成長率で定まり、名目GDP成長率が大きく低下したことが我が国の財政赤字拡大の根源であることは各国比較から明らかだ。

そもそも名目ベースの所得(名目GDP成長率)がほとんど増えていない状況で財政赤字を改善するという名目で国民に増税を強いるのは無茶な話である。所得が増えていないわけだから増税されれば必然的にそのしわ寄せは他にくる。つまり、支出を切り詰めるか貯蓄を取り崩すしかないだろう。支出を切り詰めれば所得はさらに下がり税収はさらに落ち込む。これは失われた十数年で得た教訓ではなかっただろうか。

 勿論、一国の官房長官に任じられる程の御仁であればここで書いたような陳腐な事実は百も承知だろう。名目成長率を上げるというのが悪魔的政策であり、消費税増税を超えた幅広い視点、高い次元にたって財政を論じるというのであれば、政府としてなすべきは所得状況を十分に捕捉し、所得にみあった徴税を確実に遂行するための仕組みをまず作ることである。その過程では、徴収した税がどのような形で何に支出されているのかを明確にし国民の納得を得るとともに、経済成長をできるだけ阻害せず、出来るだけ増税等といった手段により国民へのネットの負担増をもたらさないような税の仕組みを模索すべきだ。これは社会保障に関する議論においても同様だろう。

 現在の税制において最も問題だと感じるのが、政府と国民との間の信頼をいかに醸成するかという点である。財政赤字が累増しているから「幅広い視点、高い次元にたって」判断してほしいと言われても無い袖はふれないのではないか。名目成長率を上げることが悪魔的政策というのであれば、与謝野官房長官の「幅広い視点、高い次元」の判断とは何か、是非開陳してもらいたいところである。



(私のコメント)
政府発表では景気の拡大が続いているという大本営発表がなされていますが、国民一人当たりの所得も消費支出も減り続けている。格差社会の勝ち組は確かに景気はいいらしい。しかし若年労働者の雇用は良くなったものの定年退職者の欠員補充程度だ。先日も書いたように事務職も中国などにアウトソーシングされるようになって賃金は上がるはずがない。

私の考えでは日本のデフレは中国の改革解放で企業の生産部門が中国などに移転してしまって空洞化によるものだ。中国は為替相場をほとんど固定しており市場原理が働かない。日本企業からすれば工場労働者の賃金が20分の1で済むのだから企業自体は儲かっている。しかし日本の労働者は賃下げ首切りで貧しくなる一方だ。

ならばサービス業に産業構造を改革すればいいという意見もありますが、サービス業もグローバル化が進んで中国などからの低賃金労働者が進出している。飲食店のウェイトレスやコンビニのレジ係なども外人が多くなった。このような状況ではサービス業の賃金も上がる可能性は少ない。

その反面では公務員などは景気動向に関わらず定期昇給が続き官民格差が広がった。そして物価がデフレで安くなっているのだから笑いが止まらないだろう。大学教授なども安定した職業で高給取りが多いから景気の実態が分からないのだ。自分で独立して商売をしてみれば一番分かると思うのですが、何もかも安売り競争だ。

構造改革論者は新規創業が増えて産業が活性化するというが、日本ではベンチャー企業は少なく、新興株式市場はライブドア事件などがあり信用を失い機能していない。銀行にベンチャー企業投資など出来るわけもなく、ベンチャー専門の投資銀行もほとんどない。日本では大企業の下請けのような形で独立起業が多い。画期的新発明などそんなにあるわけではないからだ。

デフレに対する有効な経済政策が行なわれないのはデフレに対する教科書がないからだ。インフレを抑えるには金利を高くするなど景気を抑制すれば収まるが、デフレの場合は日本のようにゼロ金利にしても資金需要が低調で、海外の高金利通貨国に円キャリが行なわれている。

消費が低迷して国の財政も歳出カットで需要が落ちる一方だ。ケインズ政策で大規模な公共事業が行なわれればいいのですが橋や道路を作る公共事業は限界だ。それに代わる公共事業をやれと「株式日記」では主張してきましたが、国も地方も利益誘導型公共事業に凝り固まってしまっている。

例えば宇宙開発や海洋開発などは道路や橋のような公共事業と違って直接の見返りは少ない。人材の育成のような地味な事業も即効性がない。どうしても新幹線や高速道路などのようなものばかり作りたがる。しかしそれらを過疎地に作っても意味がない。リゾート開発も来る人いなければ無意味だ。

民需をどのようにしたら拡大させる事ができるだろうか? 都会に住む人たちがセカンドハウスをもって都会と地方を行き来できるようにすればいい。そうするには住宅ローン減税やセカンドハウス減税などの誘導策など民間需要を掘り起こそうとすればある。中越大震災でも老朽化した家屋が被災しましたが、建替え需要はかなりあるはずだ。

アメリカなどではセカンドハウスも住宅ローンの金利は経費で落とせる。ところが日本ではメインの住宅ですら金利を経費で落とせない。欧米の裕福な家庭では都会のマンションと郊外の別荘の二重生活が多い。日本でも新幹線や高速道路を使えば日本の隅々までセカンドハウス地帯になれる。

私もバブル前は都会と地方との二重生活を構想して千葉に土地などを買った。しかしバブル崩壊でそのようなライフスタイルは消えてしまったが、国などがこのようなライフスタイルを奨励して日本全国をセカンドハウス地帯にすれば地方経済の振興にも役立つはずだ。そして週末になれば日本中がセカンドハウスに行く人たちで高速道路や新幹線は一杯になるはずだ。

要するに1500兆円の金融資産が眠ってしまって使われないままになってしまっている。もっと裕福な家庭に夢を持たせて別荘などを持たせて金を使わせるべきなのだ。私も東京と千葉との二重生活ですが、下り特急電車は今もガラガラで週末はセカンドハウスで楽しむ人は少ない。財務省の役人達は働くばかりで遊ぶことを知らない。だからこのようなライフスタイルを構想できない。

現在でも金持ち達は海外旅行などに金を使ってしまって、国内別荘を持つ人は少ない。税制的にメリットが無いからですが、住宅ローン金利を経費で認めれば節税で金を使う人が増えるはずだ。政治でもこのようなライフスタイル構想を立ち上げてそれに対応した税制やアクセス交通網を整備すべきなのだ。

デフレ脱却するには金持ち達に金を使わせなければデフレは解消できない。金融資産に課税して不動産には減税すれば金持ち達は金を不動産投資に使うはずだ。アメリカではそのようにして消費を拡大させてきた。構造改革で何でもアメリカの真似をする財務省が住宅政策の真似をしないのはなぜだろうか?
 


アメリカの不動産税制について(個人の場合)

@住宅ローン減税

住宅の取得に対しては、ローン残高に対する減税がある。(1)100万ドルまでのローン(2)抵当に入っている(3)自宅またはセカンドハウスである(具体的には14日または貸していた日数の10%以上の日数住んでいること)を満たせば住宅ローンの支払金利が控除されるとともに、固定資産税の控除も受けることができます。自宅としての要件を満たさない場合は下記の賃貸住宅としての課税の適用となります。

 A賃貸住宅の税制(インカムゲイン課税)

  賃貸住宅については、不動産所得内での損益通算が認められます。住宅用賃貸不動産への投資では、元来アメリカの不動産は建物の価格比率が高く、建物償却年数も短い(27.5年)ことから、借入を利用していれば、税引所得がプラスになることはあまりないようです。





安倍首相はアメリカ政府の裏切りにたいして、インド洋上の給油活動を
停止させる事で牽制しようと「職を賭す」発言したのだろうか?


2007年9月10日 月曜日

自爆ポロリ!?安倍首相「職を賭す」 10日開幕の臨時国会次第で11月退陣も 9月10日 スポーツ報知

土俵際の安倍晋三首相(52)が自爆発言? 首相は9日、訪問先の豪州・シドニーでの記者会見で、インド洋での海上自衛隊の給油活動継続について「職を賭(と)す」と、継続ができなければ内閣総辞職する意向を示した。10日開幕の臨時国会では参院を握る野党が法案に反対することは必至の情勢。専門家らは「墓穴を掘るのでは」「一か八かのカケ」とこのタイミングでの首相の発言に首をかしげた。国会運営は厳しく「11月退陣」が現実味を帯びてきた。

 腹をくくったのか? それとも、ついポロっと出てしまったのか?

 安倍首相は記者団から「活動継続をできなかった場合、内閣総辞職の覚悟はあるのか」という質問に会見の司会者の制止を振り切って答えた。

 「私の責任において、あらゆるすべての力を振り絞って職責を果たさなければならない。そこで私の職責にしがみつくことはございません」

 散々な結果に終わった参院選前から、進退についてはどんな言質も取らせてこなかった安倍首相。この日は、視線は細かく左右に動き、言葉には決して力強さはなかったが、退路を断った発言を自ら進んで言及した。

 今回の臨時国会で、11月1日に期限切れのテロ対策特別措置法の延長問題をめぐり、与野党の攻防が本格化する。会見では「民主党はじめ野党の皆様のご理解をいただくため、私は職を賭して取り組んでいく」と決意表明。海自の給油活動継続に反対の姿勢を示す民主党の小沢一郎代表(65)との党首会談の早期開催を呼び掛けた。

 首相が外交・安保政策に絡み、自身の進退に言及するのは異例。国際貢献に「捨て身」の姿勢で取り組む決意を強調することで、民主党を揺さぶりつつ、世論の後押しを得たい狙いがあるとみられる。しかし、専門家の目はシビアだ。

 政治アナリストの伊藤惇夫氏は「安倍首相はカケに出たつもりでしょうが、まさに『KY』(空気読めないの意)だ」と指摘。「民主党に妥協を迫ることは逆に彼らの態度を硬化させることになりかねない。国民も参院選で大敗してもなお続投した首相の進退発言に今さら反応するでしょうか」と話した。

 今国会では、テロ特措法延長や年金記録不備問題を抱え、そこに首相の進退という材料が加われば野党も勢いづく。国会運営は厳しさを極める。

 政治評論家の浅川博忠氏は「発言は不可解。墓穴を掘っているようにしか見えない」と語った。「攻めの姿勢の時なら、進退発言は重みを増すが、今の安倍首相は守りの姿勢。政権浮揚の材料が乏しい中ではリスクのある発言だ。また支持率が下がるようなら『11月退陣』の可能性は非常に高くなる」と解説した。

 安倍首相は「政権崩壊」への時計の針を自ら進めてしまったのかもしれない。


政局にもてあそばれるテロ特措法の重さ 9月6日 花岡信昭

9月10日召集の臨時国会はかつてないすさまじい展開となりそうだ。参院第一党に躍り出た民主党は小沢一郎代表の政権奪取戦略のもと、安倍自公与党を激しく攻め立て、あわよくばこの国会での衆院解散・総選挙を引き出す構えだ。

 対する安倍首相の側は実力者を多数登用した改造内閣・党役員人事で再出発を図ろうとしたのもつかの間、相次ぐ不祥事で守勢一方の様相だ。見過ごせないのが臨時国会最大の焦点であるテロ特措法の延長問題だ。小沢民主党はこれに断固反対を貫く方針で、与党側との修正協議などには乗らない方針という。

 政局の重大な節目の臨時国会にテロ特措法の延長問題が立ちはだかるというタイミングの悪さを今更嘆いても始まらないが、この問題はまさにこのコラムのタイトル「我々の国家はどこに向かっているのか」にもろにかかわるテーマとなる。筋論から言えば、こういう国際社会での日本の位置づけを担保する問題を政局とからめてはいけない。

 インド洋で補給業務に当たっている海上自衛隊の派遣期限は11月1日に切れる。それまでに延長が決まっていないと、海上自衛隊は撤退しなければならない。アフガンでの対テロ作戦には40カ国ほどが参加しており、自衛隊から燃料などの補給を受けている国も7カ国にのぼる。そのうちパキスタンなどは自衛隊からの補給が断たれると、予算上、艦船の運用が不可能になるという。

 アフガニスタンのタリバン残存勢力は先ごろも韓国人グループの誘拐事件を起こすなど依然として一定の力を有している。アフガンでの掃討作戦はいまなお継続中なのであって、ここで日本が撤退すると国際社会の対テロ戦線からの脱落を意味する。

インド洋での海上自衛隊の活動を「対米追随」と批判する勢力もあるが、これは米国のためというよりも日本の国益に沿うという政治判断で行ってきたものだ。まして、「9.11」では日本人の犠牲者も出ているのである。撤退してしまったら、日本は国際社会から侮られる存在となってしまうし、ほかの外交案件に及ぼす悪影響は甚だしいものとなろう。

 北朝鮮の拉致問題など、まさにその典型だ。既に米国と北朝鮮は「日本抜き」の交渉を積み重ねており、6者協議の場でも「拉致は日朝間の問題」とばかりに冷遇されてしまっている。国際社会の総意をバックに北朝鮮を追い詰めなくてはならない局面で、日本の自衛隊が国際的な対テロ戦略から撤退してしまったら、話にならない。

 小沢氏はいかにも「原理主義者」らしく、アフガン戦争は米国の戦争であって、国連決議を踏まえていない、と主張している。たしかに2001年の「9.11」の直後に採択された国連決議1368は「テロにあらゆる手段で戦う」と規定しているだけで、武力行使の容認にまでは踏み込んでいない。だが、国際社会はその決議の趣旨を踏まえて40カ国が米国に同調してきたのである。

 小沢氏はその後の2001年12月の決議1386を踏まえ、国際治安支援部隊(ISAF)に自衛隊を参加させることは構わないとしている。これはカブールとその周辺の治安維持に当たる国際部隊で、その後の決議で対象範囲は拡大され、現在はNATOが指揮している。

 日本にはかねてから陸上自衛隊の輸送ヘリの支援要請がきていたが、日本側は危険性が高いという理由で断っている。より安全で、各国に感謝され、日本のシーレーンを守ることにも貢献しているインド洋での支援活動から撤退し、アフガニスタン内陸部での自衛隊の活動を容認するという小沢氏の論理は、どれほどの説得力を持つか。イラクにはなお航空自衛隊が派遣されており、これとの整合性も取れなくなる。

 民主党内でも前原誠司氏らはインド洋への派遣延長に賛成し、ISAF参加には反対していた。その前原氏も政局攻防を優先させ、小沢氏の意向に従うようだ。(後略)



(私のコメント)
「株式日記」は報道関係の記者たちのアクセスが多いようだ。昨日はホームページ版のほうの株式日記のアクセスログ解析でオーストラリアからのアクセスがアメリカからのアクセスの3倍もあった。普段はオーストラリアとアメリカとは同じくらいなのですが、アクセス数自体も普段の日曜日より多かった。つまりAPECの取材で行っている記者たちのアクセスが多かったのではないかと思う。

「株式日記」は一般読者よりも政治オタクや経済オタク向けのブログなので読者にプロの記者が多い事はありがたいことだ。普段からアクセス数が多い割にはブログなどへのコメントが少なくどちらかというと業界の人が多いのではないかと分析していました。

プロの記者たちは仕事に追われていて本を読んだりネットの記事を読む時間がなかなか取れない。目的の記事を見つけ出すのに時間がかかるからだ。「株式日記」もコメントを書く時間よりも注目記事を見つけ出すのに何倍もの時間がかかる。注目しているブログでも毎日コンスタントに記事を書いているブログは多くなく、週に二、三回の更新ペースのものが多い。

「株式日記」が毎日更新できるのも経済分野だけでなく政治や外交や文化や歴史などに守備範囲を広げているからだ。それらをコメントするには普段からかなりの量の本などを読まないとコメントを書くのは難しいだろう。特に過去の歴史などを知らないと現在の事がよく分からない事が多い。

APECの会議の記者会見で安倍総理はインド洋上の給油活動が継続できなければ内閣総辞職をする覚悟を表明いたしました。参議院で野党が多数を占めている以上は野党の妥協がなければ延長は出来ません。だから自爆覚悟の決意表明ということが出来ますが、これには北朝鮮問題が絡んでいる。

小泉内閣は日本がイラク戦争に協力する見返りに北朝鮮問題に対してアメリカが協力してくれる事がバーターになっていたはずだ。ところがアメリカ政府は最近は北朝鮮に妥協的になり10月には国交回復までするという噂が出ている。ブッシュ大統領は拉致問題は忘れないと言ってはいるがリップサービスのようだ。

安倍総理も何度もブッシュを念を押して入るが、レイムダックであり国務省が主導権をもって北朝鮮に歩み寄っている。それで安倍総理はそれならばインド洋上の給油活動も止めるという動きを浮き出させることでアメリカ政府を牽制しようというのだろう。たとえ給油活動を止めてもその責任は小沢民主党にあるからだ。

給油活動は後方支援活動の一部に過ぎずたいした活動とは思われていませんでしたが、アメリカ側の反応は大きかった。


米下院、日本感謝決議を採決 慰安婦決議とテロ支援をセット 9月6日 産経新聞

【ワシントン=山本秀也】米下院本会議は5日、テロ対策支援や対米同盟の堅持で、日本の貢献をたたえる感謝決議を賛成405、反対なしの全会一致で採択した。同決議は、慰安婦問題をめぐる対日非難決議とのバランスを図る形で6月に提出されたもので、慰安婦決議を主導したマイク・ホンダ議員も今回の決議で賛成にまわった。
 共和党のサクストン議員が提出した決議は、「安全保障に関する強力な日米同盟をたたえ、アジア太平洋地域の安定と地球規模でのテロとの戦いに対する日本の貢献に感謝する」と指摘。日本の貢献として、沖縄をはじめとする在日米軍の駐留受け入れなどに言及した。
 決議は米軍艦艇に対するインド洋での補給活動も評価対象に加えた。本会議での賛成討論も日本の対テロ貢献に言及しており、11月に期限を迎えるテロ対策特別措置法が延長されない場合には、決議で示された対日評価が米側での不満と失望に転換される可能性もあるようだ。



(私のコメント)
下院で従軍慰安婦問題で日本非難決議を下せば、日本のイラク支援活動に支障が出ることは外務省の文書でも触れられていましたが、慰安婦決議がなされた以上はインド洋の給油活動を止めても仕方がない。日本がこのような動きを示したのでアメリカ下院は日本感謝決議を慌てて出したようですが、従軍慰安婦決議を取り消すのが筋だ。

このようにイラク問題と北朝鮮問題は日米関係においてバーターされているのであり、アメリカが北朝鮮に妥協を重ねるのならイラクに派遣している航空自衛隊も撤退を視野に入れるべきだろう。日本にとっては北朝鮮問題は拉致問題だけではなく核やミサイルで日本を脅しつけている重要な問題であり、アメリカがテロ国家である金正日政権を認めるのなら日本は何らかの形で抗議すべきだ。

このように日米関係がギクシャクし始めたのは、日本もアメリカも民主党が多数を占めて日米の政府間だけではダメで各議会に対しても話をつけないと解決できない状況になってしまった。シーファー大使が小沢代表と会ったのもそうだし、安倍総理がぺロシ下院議長に会ったのもその現われだ。すなわち日米の選挙がそのようなギクシャクした関係を生み出した原因だ。


【アメリカを読む】問われる日米同盟の真価 有元隆志  8月6日 IZA

■「成功モデル」の変質

 このことは日米同盟の変質を物語っている。それまでの日米関係は、いかに首脳間の個人的信頼関係を構築するかに重きがおかれていた。ブッシュ大統領と小泉純一郎(こいずみ・じゅんいちろう)前首相の蜜月関係は、最も成功した例といえるだろう。安倍晋三(あべ・しんぞう)首相も4月末に訪米した際、大統領から大統領山荘キャンプデービッドに招かれるなど厚遇を受けた。
 しかし、大統領と信頼関係を築いても、議会の了承なしには、F22の購入すら不可能になっている。日本でも、シーファー駐日米大使はテロ特措法延長のため、これまで会ったこともない民主党の小沢一郎(おざわ・いちろう)党首との会談を要請した。
 日米関係に詳しい元共和党議会スタッフは、「首脳間の信頼関係重視の日米間の『成功モデル』が機能しなくなった。来年の大統領選に向け、共和党内のブッシュ離れが加速することが予想されるなか、この傾向は続くだろう」と指摘する。
 そのうえで、「議会対策をこれまで以上に重視する必要がある。ワシントンだけでなく、議員の地元向けへの広報活動など、きめ細かな目配りをする必要性に迫られている」と強調する。日米同盟の真価が問われているといえそうだ。



今日も対日工作活動に一生懸命なニダー

   ∧_∧  カタ     
  <#`Д´>   カタ  日米が団結するのはヤバイニダ
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   ∧_∧  カタ     
  <#`Д´>   カタ  日本と米国で同士討ちするよう仕向けるニダ
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   ∧_∧  カタ     
  <#`Д´>   カタ  うまくいったら日米が分裂するかも・・・
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   ∧__∧
   < `∀´ >
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映画 『上海の伯爵夫人』 昔も今もアメリカの外交官は中国との
口利きビジネスで稼ぐ事が夢のようだが、戦乱で泡と消える映画


2007年9月9日 日曜日

『上海の伯爵夫人』作品情報

イントロダクション

 『ハワーズ・エンド』『金色の嘘』の名匠ジェームズ・アイヴォリーが、『日の名残り』のブッカー賞受賞作家カズオ・イシグロと強力タッグを組んで挑んだ、壮大な愛のロマンの誕生である。アイヴォリーとプロデューサーのイスマイル・マーチャントから脚本執筆を依頼されたイシグロが書きあげたのは、第二次世界大戦前夜、混沌とした上海の租界地区で日本人ビジネスマンとして働いた祖父の人生からインスパイアされた、華麗にして悲劇的な愛の物語だった。傾城の街で出逢った男女の波乱に満ちた運命は、イシグロならではの気品高い滅びの美学に貫かれている。

ストーリー

 1936年、上海の外国人租界で未亡人のソフィアは家計を一手に引き受け、クラブのホステスとして働いていた。一家はロシアの亡命貴族で、義母や義妹は唯一の稼ぎ手であるにもかかわらずソフィアを蔑み、愛娘のカティアすら遠ざけようとするのだった。ある夜、クラブを訪れた盲目の元アメリカ人外交官ジャクソンはソフィアの声に色気と悲劇性を併せ持つ理想の女性像を認める。そんなジャクソンに謎の日本人マツダが近づいていた。


『上海の伯爵夫人』 真田広之の絶妙の演技を誇りに思う YAHOOユーザーレビュー

人それぞれに理想の映画というものがあり、いつかその作品を超える名作に出逢いたいと願って劇場に足を運んでいる側面があるのではないだろうか。

私にとっての理想の映画は、少し古くなるが、1993年の英国映画『日の名残り』だ。伯爵家の執事役アンソニー・ホプキンスと、女中頭役のエマ・トンプソンの、地味で、上質で、誇りに満ちながらも分をわきまえた絶妙の演技。
プラトニックで、哀愁に充ちたラスト。
残念ながら、いまだに『日の名残り』を超える名作に出逢えずにいる。

その『日の名残り』の監督がジエームズ・アイヴォリーだ。
そして、アイヴォリー監督の新作の主演がレイフ・ファインズと聞きうれしかった。
さらに、真田広之が出演すると聞いたときは耳を疑った。
「凄いことだ」と思った。
アイヴォリー監督にオファーを受けるほどの俳優に、真田は、なったのだ。

私の結論を先に述べさせていただくと、★4個の上質な作品である。
間違いなく、観るべき作品だ。

原作者も同じカズオ・イシグロということもあり、落日の上海を舞台にしたアイヴォリー監督作品に自然と過大な期待をしてしまっていた。
アイヴォリー監督、カズオ・イシグロ、レイフ・ファインズ、真田広之、そして上海…この5つが揃うことなど、私の中では奇跡的であり、★5個以上の絶品が完成して当然という「思い込み」が膨らんでいた。

しかし、深々とした感銘にひたれた『日の名残り』と比較しようとした「下心」が災いしたのか、佳作であるにもかかわらず、ミニ・シアターを後にするときの私は、心がしぼみ、道端のしおれた草花のようだった。

それはそれとして、望外の喜びもあった。
真田広之の堂々たる紳士振りだ。
目を疑うほどに素晴らしい演技で、魅了させてくれた。
なにしろ、あの、レイフ・ファインズに一歩も引けを取らず、それどころかファィンズを圧倒さえしていた。
真田の秀逸な演技を観るだけでも充分な価値がある。

真田の役どころは、上海で暗躍する謎の日本人だ。
酒場で元外交官のレイフ・ファインズと語り合い、友情を深め、次第に盲目のレイフの心の中にまで忍び入り、やがてはレイフを翻弄するまでになる。

この難しい役を、真田は見事なまでに演じ切った。
映画を観る前までは正直なところ、これほど重要な役だとは想像だにしていなかったので、驚きと喜びが入り混じった視線で食い入るように眺めていた。

レイフといえば、英国の中年紳士を演じさせれば右に出る者がいない、優雅な俳優だ。その男を相手に、真田は正々堂々互角に渡り合っているのだから、凄い。

DVDが出たら、レイフ・ファインズの前で知性、血統の良さ、風雅さまで漂わせる謎の男「マツダ」役の真田広之を是非とも観ていただきたい、と願う。

ラストでは、迷い、絶望に陥るレイフの舵をきり、新しい人生の船旅へと向わせるキー・マンでもあるのだ。

作品全体を俯瞰して残念に感じたのは、ゆったりとした前半に比べ後半が性急になってしまったキライがあることと、ロシアの亡命貴族を演じたナターシャ・リチャードソンの魅力不足だ。
気品があり演技も巧い女優が演じる伯爵夫人も観てみたいものだと思った。

それから、私は、常々、原題のまま公開するのには反対で、芸がなさ過ぎると考えている者だが、本作の『上海の伯爵夫人』というタイトルは古臭い。
本作に限っては、「白い伯爵夫人」という原題を生かして『ホワイト・カウンティース』の方がいいな、と感じた。

くどいようだが最後にもう一度。
お時間が許せば、ぜひ、真田広之の秀逸な演技を観ていただきたい。


(私のコメント)
レンタルビデオ屋で「上海の伯爵夫人」といDVDがあったので借りて見ました。時代的背景が分からないと単なる恋愛ドラマなのですが、ロシアの革命を逃れて上海に逃れてきたロシア貴族と、アメリカ国務省を退官した元外交官の出会いの物語です。そこに謎の日本人が絡んでくるのですが、それを真田広之が演じている。

年代からいって1937年の第二次上海事変が時代的背景にあるのですが、真田の演ずる謎の日本人は田中隆吉がモデルなのだろう。田中隆吉は第一次上海事変の仕掛け人なので史実と異なりますが、このような謎の日本人が当時は沢山いたのだろう。しかし田中隆吉と真田広之ではぜんぜんイメージが違う。

当時も上海は国際都市で米英仏日の疎開地があって陰謀が渦巻く都市だった。レイフ・ファインズの演ずる主人公も米国務省の外交官を退官して米企業のコンサルタントをしていた。中国で商売をするには中国政府高官のコネがないと商売が出来ないから、現代で言えばキッシンジャーのような中国とコネのある口利き屋が当時も沢山いたのだろう。

第二次上海事変は通州事件などもあって、中国人による外人襲撃事件が沢山あって、中国側が仕掛けてきたものだ。それに対して日本は治安維持の目的で海軍陸戦隊が5000人駐屯していた。それに対して蒋介石軍は5万の軍隊で上海を取り囲んだ。当時の蒋介石軍はドイツからの軍事援助を受けて精鋭部隊だった。トーチカなども築いて防衛ラインは強力で、日本から3個師団が増援されましたが被害が大きくなるばかりだった。

戦局を逆転させたのが杭州湾にさらに8万の増援部隊を上陸させて蒋介石軍を背後から突いて蒋介石軍を敗走させた。その時点で講和すればよかったのでしょうが、南京まで追いかけて中国との泥沼戦争が始まった。だから当時の日本軍は侵略の意図はなく治安維持のために軍を出して深みに嵌ったのですが、結果的に中国の罠にはまったのだ。

「上海の伯爵夫人」ではそのような戦局はほとんど省かれている。むしろ当時は戦争が拡大し始めた時であり上海などの都市には当時は欧米人が沢山いたということであり南京にも沢山いた。だから一般市民を30万人も大虐殺すれば当時から大問題になったはずだ。映画に出てくる日本軍も一般市民をめったやたらと殺せる状況ではなかった。

映画の最後は二人はジャンク船に乗ってマカオに逃れますが、これが米英などの勢力との対立を決定的にしてしまった。それまでは日本もアメリカもイギリスも同じように中国を植民地にしていた。だから日本だけが中国を侵略したわけではないのに、日本だけが悪者になっている。

真田の演ずる謎の日本人のモデルの田中隆吉はその後は鬱病にかかって病院に入院したり、東京裁判で検察側の証人となり有名になりました。実際のスパイ活動は川島芳子などにやらせていたようですが、映画の中の謎の日本人は英語も堪能でレイフ・ファインズに劣らぬ紳士ぶりで、彼のようなスマートな日本人がいたら戦争など始めなかっただろう。

映画自体は地味な恋愛映画という感じですが、上海のクラブを舞台にした舞台劇のような感じを持った。登場人物の台詞が主体の映画であり格調高い英語が舞台劇を思わせる。レイフ・ファインズも真田広之も舞台劇もやっている。アクションシーンもなく恋愛映画なのにセックスシーンもない。だから若い人には退屈な映画に見えるだろう。

シナリオを書いたカズオ・イシグロは小説「日の名残り」の作者であり、映画にもなりました。「上海の伯爵夫人」も映画は同じスタッフで作られました。アクションもセックスもないこの映画はレイフ・ファインズと真田広之の演技力で持っている映画だ。このようなオーソドックスな映画はハリウッド映画からは消えてしまった。映画を見る人も単に面白いかどうかで映画を判断する。そして役者の演技を鑑賞出来る本当の映画ファンが少なくなってしまった。

「日の名残り」という映画もアンソニーホプキンスの主演映画で、役者の演技力がないと成り立たない映画でした。台詞の一言一言が味わい深くて無駄がない。結局は舞台で芸を磨かないとこのような映画の役は務まらないのですが、最近のハリウッド映画は派手なものばかりで大人向けの映画が少なくなりました。




現在進行型の米国株の習性はどうも1987年と1998年のサイクルに似て
いる。となると、9月18日の週から10月第1週が最もクリティカルになる。


2007年9月8日 土曜日

ダウ急反落、249ドル安=今年6番目の下げ幅、雇用情勢悪化を嫌気−米株式 9月8日 時事通信

【ニューヨーク7日時事】週末7日のニューヨーク株式相場は、雇用情勢の悪化で米経済がリセッション(景気後退)入りするとの懸念が強まり大幅反落、優良株で構成するダウ工業株30種平均は終値として今年6番目の下げ幅となる前日比249.97ドル安の1万3113.38ドルで引けた。取引時間中の下落幅は281ドルに達した。ハイテク株中心のナスダック総合指数も48.62ポイント安の2565.70と急反落した。


市場の混乱、87年や98年の状況と酷似=グリーンスパン前議長 9月7日 ロイター

[ニューヨーク 7日 ロイター] 7日付の米ウォールストリート・ジャーナル紙(電子版)によると、グリーンスパン前米連邦準備理事会(FRB)議長は6日夜講演し、現在の市場の混乱は、ブラックマンデーがあった1987年や、大手ヘッジファンド、ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)が破たんした98年の状況と多くの点で酷似している、との認識を示した。
 前議長は、学術誌ブルッキングス・ペーパーズ・オン・エコノミック・アクティビティ主催の会合で講演し「過去7週間の動きは、多くの点で98年や、87年の株価暴落と酷似している」と発言。
 景気の拡大はユーフォリア(高揚感)によって、景気の縮小は恐怖によって促されるとし、「現在は恐怖が原動力になっており、恐怖がはるかに強い力を持っている」と述べた。


米住宅ブーム、グリーンスパン時代の超低金利が煽った=元米財務次官 9月3日 ロイター

[ジャクソンホール(米ワイオミング州) 1日 ロイター] 元米財務次官で、テーラー・ルールの提唱者である米スタンフォード大学のジョン・テーラー教授は1日、グリーンスパン前米連邦準備理事会(FRB)議長時代の超低金利政策が米住宅ブームとそれに続くバブル崩壊を煽った、と指摘した。
 米サブプライムモーゲージ(信用度の低い借り手向け住宅ローン)問題の影響について協議する、カンザスシティー地区連銀主催のシンポジウムで講演した。
 テーラー教授は、FRBが当時フェデラルファンド(FF)金利を引き上げていた場合の住宅動向のシミュレーションを行うため自ら設計したモデルを用い、「FF金利がより高く設定されていれば、住宅ブームの大方を避けることができただろう」と説明。「またその結果としての市場の混乱の程度は抑制されていただろう」と述べた。
 テーラー教授は、今回の発表について、過去を振り返って批判するのが目的でなく、今後のより良い金融政策運営のために「学んだ教訓」を示した、とロイターに述べた。
 米住宅価格は、2004年第4・四半期に10%という過去最大のペースで上昇した。テーラー氏は、住宅市場の活況が、住宅ローンの返済状況の改善に直結したとみている。
 講演では「住宅価格が急ピッチで上昇するなかで、サブプライムローンでも延滞や(物件)差し押さえの割合が低下した」と指摘。
 「短期金利が正常な水準に戻るに伴い、住宅需要は急速に減退し、建設や住宅価格の上昇ペースを鈍らせた。延滞や差し押さえの割合も大幅に上昇し、サブプライム市場の崩壊(meltdown)につながった」と述べた。
 グリーンスパン前議長は、2004年にFRBが引き締め局面に入った後も米長期金利が低位安定した状況を「謎(conundrum)」と呼んだ。一方、バーナンキ議長は、低位安定の背景には、世界的な貯蓄過剰があり、世界中の余剰資金が米国債に流入し、米国債利回りを押し下げている、と説明した。
 しかし、テーラー氏は、世界のGDPに対する貯蓄の比率が1970年代初頭に25%だったのに対し、2003─2005年の間に21%に低下したとする国際通貨基金(IMF)のデータを挙げて、過剰貯蓄は世界的な現象ではないと指摘。
 むしろ、FRBの低金利政策が長期にわたったことが、金融市場にFRBのインフレへの政策対応の持続的変化と解釈させたことの結果だと主張した。
 「これに関する重要な教訓は、平時の政策ルールから大きく乖離(かいり)することに市場参加者が対応するのは難しく、それ以外の経済状況への反応で予想外の変化が起こり得るということだ」と述べている。


アメリカ市場は9月が最も危ないとされている 9月6日 松藤民輔

現在進行型の米国株の習性はどうも1987年と1998年のサイクルに似ている。過去の事例がそうだから、必ずしも明日に同じことが起こるなんて信じていない。しかし、非常に似た動きを観察できることは無視できない。

大きな時代の流れ、米国株の暴落。そして反対に金と金鉱株の上昇トレンドをかなり正確に捉えたと自負する。では次に起こる事は、いかなるタイミングで、どの程度暴落するのか?

果たして、そんな予測、分析は可能なのか? それが僕のテーマである。このチャートは過去のS&P500の株価推移を比較し、暴落のタイミングを分析したものである。

青ラインが87年の暴落時の動き、緑ラインが98年のそれ。そして赤ラインが現在進行中の米国株で、最も大きな暴落前の静かな時である。なお、赤い丸印はFRBがFFレートを引き下げたタイミングである。

過去の2つのラインは、天井を打ってから、営業取引日60日〜70日間、下がり続けた。となると、9月18日の週から10月第1週が最もクリティカルになる。 さて、今回は何日間の暴落になりうるのか!?


1987年(青線)のブラックマンデー以上の大暴落がやって来る?


(私のコメント)
毎度の狼少年のような記事になるのですが、ニュースを並べてみるとどうも嫌な感じがする。バーナンキFRB議長の力量もまだ未知数だし、小手先の対策だけで解決できるような問題でもなく、いつ、どの銀行や大手のファンドが破綻するか分からない恐怖感を抱えている。誰がどの程度の負債を抱えているかわからないからだ。

もしいまだに株やリスクの高いファンドに手を出している人がいたら今のうちに手を引いた方がいいだろう。あるいはプットオプションでヘッジをかけておいたほうがいいかもしれない。オプションは動かない時は儲かりませんが、大きく動きそうな時は少ない資金でも出来るから当たれば大きい。(自己責任でお願いします)

1987年のブラックマンデーの時は日本の資金が暴落を食い止めましたが、今回にもしブラックマンデー再来が起きたら何処が食い止めるのだろうか? グリーンスパン前議長も松藤民輔氏も1987年のブラックマンデーが起きた年の状況が似ていると指摘している。恐怖の正体がなかなか姿を現さず市場は疑心暗鬼になり、気がついた時は手遅れになっている。

1998年のLTCM破綻の時はアジア金融危機が起きてそれがロシアに飛び火してLTCMのファンドが破綻したのですが、今回の場合は欧米の住宅ローン債券の破綻が引き金になる。誰だどれだけ持っているか全く分からない。8月のファンドの一斉解約で9月か10月には顧客に現金を引き渡さなければならない。

規模が小さければ銀行融資などでつなげますが、今回の場合は1000兆円規模の穴を埋めきれるのだろうか? もし綱渡りに成功しても新規の投資資金が入ってこなければ債券市場も元に戻らず先送りしただけになる。1987年の時はアメリカに出来た大きな負債の穴を日本が一手に引き受けて、日本の投資家は90年代のバブル崩壊で負債の穴を大きくしてしまった。

一番いい例が1889年の三菱のロックフェラーセンタービルの買収であり、高いところを買わされて半値に値下がりしたところでロックフェラーに買い戻された。つまり三菱が1000億円を無税でロックフェラーに贈与したことになる。最近では米財務省が日本に国債を売りつけているが、売るにはアメリカの事前承認が必要であり売るに売れない証券だ。


日本の転落 2006年1月4日 Drマッコイの非論理的な世界

●勝利のためなりふり構わぬアメリカ

こうしたものが、なぜ不用意な投資であったのか。

ロックフェラーセンタービルは、2年程度で結局、もとのロックフェラーの所有に戻った。アメリカは大変に恐ろしい国で、ロックフェラーセンタービルを三菱地所が買ったとき、「ニューヨークの不動産の売買やテナントの入れ替えについては、前の持ち主との協議のうえ行わなければいけない」という新しい法律を作った。ということは、ロックフェラーは経済的には手放しましたが、権限としてはまだ持っているということになるり、三菱地所は、買ったものの自由にならないという、いま日本が持っているアメリカ国債のようなもので、持ってはいても身動きの取れないことになってしった。

そうこうしているあいだに、既にこの時期、プラザ合意以降なので、ドルの操作はアメリカは自由自在で、ロックフェラーの価値をどんどん下げて、2年で半額になってしまった。三菱地所がこれ以上持ちこたえられないというところで、ではロックフェラーが買ってやろうということで、もとの値段の半分ほどで手放すことになった。

もっとすさまじいのは、ロックフェラーが買い戻した後、先ほど、三菱地所を悩ませたあの法律はどこかへ行ってしまった。本来ならば、三菱地所がロックフェラーに対して、いろいろと発言権を持つはずであった法律が消えてしまったということで、まあ、アメリカというのは自分のためならなりふり構わぬ恐ろしい国であるという事がよくわかる。

●バッシングを受ける成金・日本

それからベブルビーチゴルフクラブはコスモワールドが500億円で買ったのだが、普通に行けばこの投資は、すぐに回収できると思われた。

当時、ならここの会員権は1億円ほどで企業にいくらでも売れるだろうとの思惑で、日本で500社に会員権を売れば、すぐに500億円の投資は回収できると、ほとんどを住友銀行から借り入れて買った。

ところがカリフォルニア州が突然、「ゴルフクラブで法人会員は品位を汚すから禁止する。個人会員以外は禁止。」という法律をつくってしまった。

すると買った日本の企業はお手上げで、あっという間に倒産。結局、住友不動産が後始末をして、アメリカの手に渡った。



(私のコメント)
アメリカは金融立国といいながら実際にやっていることは詐欺行為であり、日本の商業道徳はアメリカには通用しない。アメリカもこんな事を繰り返していれば日本からの信用を失うのであり、日本人はアメリカを見限ってドルからユーロに投資先を切り替え始めた。だからいつかはアメリカのドルも株も債券も暴落してトリプル安がやってくることになる。

確かに騙される日本人も馬鹿なのですが、何度も騙されるわけではなく、信用できる相手を見分けて商売すればいいだけの話だ。実際に商売をしていれば騙される事は避けられない。一旦騙せば二度と同じ相手と商売できないのが分かっているから新しいカモを見つけてまた騙す。金融立国というのは騙されるカモがいなくなれば成り立たなくなるから長続きしない。今度は日本も騙されてはくれないだろう。

都市国家のようなところなら金融立国もありえますが、日本やアメリカのような大国は国民すべてを金融で食わせて行ける訳がない。ところがアメリカは製造業が空洞化して金融不動産で稼いできた。しかしサブプライムローンなどの破綻が起きるとその穴を埋めるのが難しい。日本はバブル崩壊しても何とか自分で穴を埋めてきたがアメリカにその力はあるだろうか? まさか再びロックフェラーセンタービルを買ってくれとかぺブルビーチを買ってくれとか言われても日本人は買わないだろう。




『大国の興亡』 ポール・ケネディ(著) 帝国の拡大に伴う軍事費の
増大が経済的に見合わなくなることにより、米ソの覇権が失われる。


2007年9月7日 金曜日

大国の興亡 1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争 ポール・ケネディ(著)

きわめて多くの点で(象徴的な点も実際的な点も含めて)ヴェトナムをはじめとする南アジアにおけるアメリカ軍の長期的な活動が国際的な力関係に与えた影響は、いくら強調してもしすぎることはないだろう。また、それがアメリカ人の国民精神におよぼした影響も同様である。大半のアメリカ人が想定する、世界における自国の役割が、さまざまな点でいまだにこの戦いに強く影響されているからだ。

この戦争が「開かれた社会」で戦われた 
(国防総省機密文書の漏洩、テレピや新聞が日々報道する虐殺とその不毛性がこの戦争をさらに公開のものとしたという事実、アメリカが初めて明らかな敗北を喫した戦争であったこと、第二次世界大戦で勝利をおさめた経験がなんの役にも立たず、四つ星の将軍から「ベスト・アソド・ブラィテスト」たる識者をも含むすべての者がすっかり評判を落としたこと、

それが国家の目標と優先課題に関するアメリカ杜会のコンセンサスの分裂と時を同じくし、ある程度はその原因となったこと、それにつづいてイソフレ、前例のない学生の抵抗運動や都市の混乱、さらには大統領の権威そのものを失墜させたウォーターゲート事件が起こったこと、多くのアメリカ人にとってこの戦争が建国の父たちの教えたすべてのこととまったく矛盾していると思われたうえに、世界中でアメリカの評判を落とす結果となったこと、

さらにはヴェトナムから帰還したGIたちが戦争の恥辱と帰国後の冷淡な処遇にたいする反動をその一〇年後に体験記や小説、テレピのドキュメソタリー番組、あるいは個人的な悲劇といったかたちであらわして、この戦争をアメリカ人の意識からいつまでも消さたかったこと)
 こうしたことのすべてが、犠牲者の数こそ少ないものの、ヴェトナム戦争がアメリカ人におよぼした影響を、第一次世界大戦がヨーロッパにおよぽした影響に匹敵するものとしているのである。

その影響は個人のレベルないし心理的レベルでも広くみることができるが、それ以上に重大なのは、それがアメリカ文明とアメリカの制度のあり方におよぼした影響であった。この戦争の影響は、大国の戦略的次元とはまったく異なる意味で、今後も重要性をもちつづけることだろう。

しかし、戦略的次元の問題は本書にとってはより重大であり、若干の説明を要するものである。第一に、それは兵器や経済の生産性の圧倒的な優位が、かならずしもそのまま軍事的な有効性につながるとは限らないことをあらためて認識させるうえで役に立った。このことは、大国間の長期にわたる戦争(通例は大国の連合というかたちをとる)において、双方が同じ程度の兵力を投入した場合の経済とテクノロジーの重要性を強調する本書の論点を損なうものではない。

経済的に、アメリカは北ヴェトナムの五〇倍から一〇〇倍の生産力をもっていただろう。軍事的にも、(タカ派の一部が主張するように)敵を石器時代に逆戻りさせるほどの火力をもっていた。実際、核兵器を使えぽ南アジァ全体を完全に破壊する力があったのである。しかし、この戦争はこうした優位がそのまま力を発揮するようなものではなかった。国内世論や世界の反応を恐れて、アメリカは自国にとって致命的な脅威となるはずのない敵にたいして核兵器を使うことができなかったのである。

この戦争の合法性と効力がしだいに疑問視されるなかで、多数の死傷者にたいして世論が反対したことからも、政府は通常兵器の使用を制限せざるをえなかった。爆撃にも制限が加えられ、中立国のラオスを通るホー・チ・ミン・ルートを抑えることができなかったし、ハイフォン港に武器を運ぶソ連船は拿捕できなかった。二つの重要な共産主義国を参戦させるような挑発を避けることが重要だったのである。

そのために、戦争は本質的にはジャソグルや水田での小規模な戦闘となり、アメリカの火力の優勢や(ヘリコプターによる)機動力が効力を失うような地勢で行なわれた。そして、それにかわってジャソグル戦のテクニックや部隊の団結が強調されることになったが、これは精鋭部隊をもつかどうかというよりも徴募兵をすみやかに訓練できるかどうかの問題であった。

ジョンソンはケネディのあとを次いでヴェトナムヘの軍隊の派遣をさらに増大した(そのピークとなった一九六九年には五四万二〇〇〇人)が、それでもウェストモーラソド将軍の要請に応えられたかった。政府はあくまでこれを局地的な戦闘と見なして、予備役の動員を拒否し、経済を戦時体制におこうとしなかったのだ。

アメリカの本当の軍事力を発揮できない不利な条件で戦うことの困難さは、より大きな政治問題を反映していた。クラウゼヴィッツならこれを目的と手段の不一致と称しただろう。北ヴェトナムとヴェトコンは、彼らが心から信じるもののために戦っていた。そうでない人びとは確実に全体主義の規律に従い、国家主義的な政権を情熱的に支持していた。

それと対照的に、南ヴェトナム政府は腐敗した、大衆に人気のない、明らかな少数派であり、仏教の僧侶を弾圧し、搾取され、戦争に疲れて怯えた農民の支持を失っていた。政権に忠実な国民軍はしぱしばよく戦ったが、この内部の腐敗を帳消しにできるほどではたかった。

戦争がエスカレートするにつれて、しだいに多くのアメリカ人がサィゴソ政権のために戦うことに疑問を抱きはじめ、この戦争がアメリカ軍自体を腐敗させていることを憂慮するようになった。士気の低下、冷笑的な気分、規律の乱れ、麻薬の常用、買春、黄色人種の蔑視、戦場での残虐行為などといった腐敗が進んでいたのである。

また、アメリカの通貨の下落やより広い戦略的形勢の悪化はいうまでもなかった。ホー・チ・ミンは軍隊を一〇対一の割合で失う覚悟があると宣言していた。そして、ホー・チ・ン軍が(一九六八年のテト攻勢のように)無謀にもジャングルから出て都市を襲ったときには、しぼしぽそのような結果となった。

しかし、こうした損失にもかかわらず、彼は戦いを続行した。南ヴェトナムにはこのような意志の力はみられなかった。また、アメリカ杜会自体も、この戦争の矛盾が明らかになるにつれて、勝利のためにすべてを犠牲にするという決意をなくした。双方にとって何が問題となっているかを考えれば、アメリカ国民の感情はよく理解できるものだった。

実際のところ、この戦争は開かれた民主主義国家が気乗りのしない戦争で勝利を得ることが不可能だということを証明したのである。これは根本的な矛盾であり、マクナマラのシステム分析も、グァムを基地とするB-52爆撃機もそれを変えることはできなかった。

サイゴン陥落(一九七五年四月)から一〇年以上たったいまでも、この戦争をさまざまな面から扱った出版物はあとをたたないが、この戦争が世界におけるアメリカの地位にどの程度の影響をおよぼしたかを正確に把握することはいぜんとして困難である。

長期的な展望、たとえば二〇〇〇年あるいは二〇二〇年になって振り返ったとすれぼ、それが世界にたいするアメリカの傲慢さ(あるいはフルプライト上陸議員のいう「力の尊大さ」にたいする有意義な衝撃だったと見なされ、それによってアメリカが自国の政府および戦略上の優位を再考し、一九四五年からすでに始まっていた世界の変化に対応することを余儀なくされたと考えられるかもしれない。いいかえれぱ、ロシアがクリミア戦争で受けた、あるいはイギリスがポーア戦争で受けたような衝撃であり、結局はそれが自国の改革と再認識に役立ったというわけである。

しかし、短期的にみた当時の戦争の影響は、有害の一語に尽きた。戦費の急激な増大は、ちょうどジョンソン大統領の「偉大な社会」構想にもとづく国内支出の急上昇と同時に起こったために、アメリカ経済に甚大な影響をおよぼしたが、この点については以下(235〜36べージ)にくわしく述べる。

さらに、アメリカがヴェトナムに金を注ぎ込んでいるあいだに、ソ連は核戦カヘの支出を着実に増やしていたのである。その結果、ソ連の核戦力はアメリカとほぽ同じレベルに達した。また、その当時の世界的な砲艦外交の主たる担い手となっていたソ連海軍への支出も着実に拡大されていた。

そして、このアンバランスは、ほぼ一九七〇年代を通じてアメリカの有権者が軍事支出の増大に反対したことによってさらに悪化した。一九七八年には、「国防支出」は国民総生産の五パーセソトにすぎなかったが、これは過去三〇年間で最低だった。軍隊の士気は、戦争そのものと戦後の経費削減の影響を受けて急速に低下した。

CIAをはじめとする機関の大改造は、いかに濫用抑制が必要だったにせよ、有効な活動の妨げとなったことは明らかだった。アメリカのヴェトナムヘの肩入れぶりは好意的な支持者さえ危ぶませた。腐敗しきって世論から見はなされた政権を支持して戦うというやり方は、第三世界のみならず西ヨーロッパでも、一部の人びとからアメリカの世界からの「疎隔」と呼ぱれているものの大きな要因だったからだ。

それはアメリカがラテン・アメリカをないがしろにする態度にもつながった。そして、ケネディの希望にみちた「進歩のための同盟」に代わって非民主的な政権への軍事的支援や反革命的な行動(一九六五年のド、ミニカ共和国への介入のような)が一般的傾向となった。

その結果、必然的に、ヴェトナム戦争後、既存の同盟関係に将来問題が生じたときに、アメリカが世界のどの地域のために戦い、あるいはどの地域のためには戦わないかをめぐっておおやけに論議がなされたため、動揺していた中立国が反対陣営について安全を確保するといった事態が生じた。

国連の討論では、アメリカ代表はしだいに他国から包囲され、孤立するようになった。ヘンリー・ルースがアメリカは兄弟愛で結ぽれた国々の長男になるだろうと主張したころから考えれぼ、隔世の感があった。

バワー・ポリティックスにたいしてヴェトナム戦争がもたらしたもう一つの結果は、それがおよそ一〇年ものあいだアメリカ政府に中国とソ連の分裂の認識を誤らせたことだった。そのためにワシントンはそれに対処する政策を打ち出す機会を失ったのである。したがって、一九六九年一月にかたくなな反共主義者のリチャード.ニクソンが大統領になった直後に、この手ぬかりがただちに正されたのは注目すべきことだった。

しかし、ニクソンは、ガディス教授の言葉をかりると「イデオロギー的な頑迷さと政治的現実主義を巧妙に使い分ける」政治家だった。そして、世界の大国との対応ではとりわけ後者が明白にあらわれたのである。国内の過激派を嫌い、たとえぼアジェンデのチリなど社会主義政策をとる国には敵意をもっていたにもかかわらず、ニクソン大統領はグローバルな外交となるとイデオロギーにはこだわらなかった。

彼にとって、一九七二年に北ヴェトナムヘの大規模な爆撃を増やすよう命令すること(ハノイに圧力をかけて、南からの撤退交渉においてアメリカの立場に近づけようとすること)と、同じ年に中国を訪れて毛沢東と和睦することとのあいだには、まったく矛盾がなかったのである。

それ以上に重要なのは彼がヘンリー.キッシンジャーを国家安全保障問題担当補佐官(のちには国務長官)に選んだことだろう。キツシンジャーの世界情勢への対応は歴史的かつ相対主義的なものだった。すなわち、すべての出来事はより広い文脈のなかで相関的にみるべきであり、大国はそのイデオロギーではなく実際の行動によって判断すべきだというのである。

絶対論者による安全の追求はユートピア的である。すべての他者を絶対的な危険にさらすことになるからだ。したがって、達成する期待がかけられるのは、世界情勢のなかの合理的な力の均衡にもとづいた相対的安全だけである。これは、世界が決して完壁に調和することはないという成熟した認識であり、交渉への意欲を示すものだった。

キッシンジャーは、自分が話題にした政治家(メッテルニヒ、カスルレー、ビスマルク)のように、「人間の知恵の始まりは、国際問題と同じく、いつ終えたらよいかを知ること」だと感じていた。

彼の警句はバーマストン流(「われわれには永遠の敵はない」)であり、まだピスマルク流(「中国とソ連のあいだの敵意は、われわれが双方とこの二国問の相互関係より近い関係を維持すれぱ、最もわれわれの目的にかなうだろう」)でもあり、ケナン以来のアメリカ外交のどれとも異なっていた。だが、キッシンジャーは彼が崇拝する十九世紀のヨーロッバの政治家たちよりも、政策決定に関してはるかに大きな機会をもっていたのである。

さらに、キッシンジャーはアメリカの力の限界も認識していた。アメリカにはもはや南アジアのジャングルで長期的な戦闘を行なう力も、さらに重大な他の利益を維持する力もないと知っていただげでなく、彼もニクソンも世界の均衡が変化しつつあり、新しい勢力がそれまでは挑戦を受けることのなかった二つの超大国を脅かしていることを認識していたのである。

この二つの超大国はいぜんとして厳密に軍事力という点でははるかに他をしのいでいたが、それ以外の点では世界はすでに多極化していた。「経済的には少なくとも五つの主要グループがある。政治的にはさらに多くの勢力の中心があらわれている……」と、彼は一九七三年に書いている。

ケナンの言葉を繰り返し(それに修正を加えて)、彼はアメリカ、ソ連、中国、日本、西ヨーロッパという重大な五つの地域を想定した。そして、ワシントンの多くの政治家や(おそらく)モスクワのすべての政治家とはちがって、この変化を歓迎した。大国がたがいに均衡をとりながら、どの国も他国を支配しないという協調関係を保てば、一方の利益が他方の絶対的な損失となるような二極化した情勢よりも、より安全でよりよい世界になるというわけである。

このような多元的な世界でアメリカの利益を守ることについて、自分の能力に自信をもっていたキッシンジャーは、より広い意味でアメリカの外交の根本的な見直しを提唱した。

一九七一年以降の中国とアメリカの着実な国交回復への動きによって引き起こされた外交革命は、「世界の勢力の相関関係」により深い影響を与えた。日本はワシソトソの動きに不意打ちをくったが、中華人民共和国と新たな関係を結べぽ、拡大するアジア貿易にさらにはずみをつけることができると考えた。

アジアにおける冷戦は終わったように思えた。あるいは、それがさらに複雑になったといったほうがよいかもしれない。ワシントンと北京の外交的なバイブとなって秘密文書の橋渡しをしていたバキスタンは、一九七一年にインドと国境紛争を起こしたときには、アメリカと中国の双方から支援を受けた。

モスクワは予想とおり、ニューデリー政府に強い支援を与えた。ヨーロッバでも均衡はすでに変わっていた。クレムリンは中国の敵意とキッシンジャー外交に脅威を感じて、第一次戦略兵器制限条約(SALTI)を結び、鉄のカーテン越しに関係改善のためのさまざまな試みを奨励するのが賢明だと判断した。

また、一九七三年にアラブ・イスラエル戦争が勃発し、キッシンジャーが「往復外交」を開始してエジプトとイスラエルの和解をはかり、ソ連が重大な役割をはたすのを巧妙に阻止したときも、ソ連はそれにつづくアメリカとの緊迫した対決に際して控え目な態度をとった。

ウォーターゲート事件が一九七四年四月にニクソンをホワイトハウスから追放せず、多くのアメリカ人が政府に疑惑を抱くようにならなかったとしても、キッシンジャーがいつまであのビスマルク流の軽業外交をつづけられたかは疑問である。事実、彼はフォードの在任中も国務長官の地位にとどまったが、しだいに行動の自由を制限されるようにたった。

防衛予算の要求はしぼしぽ議会によって削減された。南ヴェトナム、カンボジア、ラオスヘの援助は一九七五年二月に打ち切られ、その数カ月後にこれらの国々は侵略された。戦争権限法は、軍隊を海外に派遣する大統領の権限を大幅に制限した。ソ連とキューバがアソゴラに介入したときも、議会はCIAの資金と武器をアソゴラの親西欧派に送ることを拒否した。

共和党右派は、海外におけるアメリカの力の衰退にしだいにいらだちを示し、国益(パナマ運河)と旧友(台湾)を譲り渡したとしてキッシンジャーを非難した。彼の地位は、一九七六年の選挙でフォードが権力の座からおりる前に、すでに危うくなっていたのである。 (P194〜P201)



(私のコメント)
ポール・ケネディの『大国の興亡』は1500年から2000年までの帝国の興亡の歴史を書いた本ですが、イギリスの歴史学者らしくアメリカについても、そして日本についても冷静に書かれている。1987年に発刊された本なのでソ連の滅亡については触れられていませんが、1985年には始めて石油生産が減り、穀物生産も自給できないほど衰えた状況を指摘している。

『大国の興亡』という本の題名が示すように、当時の超大国といえばアメリカとソ連でしたが、ソ連が今後どうなるか? アメリカがこれからどうなるかを500年の歴史を通じて考察したものだろう。「株式日記」においてもアメリカとソ連は兄弟国家であり血を分けた兄弟であり、弟が経済的に行き詰って滅んだように、アメリカも1970年前後に国内石油の生産がピークを打ち経済の衰えで滅亡していくのだろうと予言してきた。

つまりソ連もアメリカも石油文明が作った帝国ということが出来ますが、その石油が世界的に涸れ始めている。だからアメリカはイラクの油田を制圧する為にイラク戦争を始めましたが、手を広げすぎた帝国は増大する軍事費に押しつぶされて自滅を早める事になる。ポール・ケネディもアメリカを「手を広げすぎた帝国の危険性」を指摘している。

その前兆となるのがベトナム戦争ですが軍事超大国としてのアメリカの限界を示した戦争だった。核兵器の登場は全人類を20回殺せるほどの威力があり、全面核戦争はアメリカといえども無傷ではいられない。また従来の兵器をハイテク化しても相手が姿の見えない敵では何の効力も持たない。つまり軍事力だけでは帝国を維持するのは難しくなりアメリカはそれに対して不適応障害を起こしている。

つまり現在のイラク戦争は軍事力で圧倒しても統治に失敗すれば敗北して撤退せざるを得なくなる。そのことがアメリカにどのような結果をもたらすか、ポール・ケネディが指摘するようにベトナム戦争敗戦のときのトラウマがアメリカに再び甦るだろう。湾岸戦争で一時的にトラウマを克服する事ができたように見えましたが、息子のブッシュ大統領が元の木阿弥にしてしまった。

昔ならば戦争に勝つ事によって国の求心力を高める事もできて勢力の拡大につながった。アメリカはその最後の帝国であり、現在受け持っている勢力圏を維持していく為には国力以上の軍事費をつぎ込んでいる。核で戦争が出来ない以上、通常兵器で戦わなければなりませんが、ゲリラ戦では通常兵器すら通用しない。


アメリカー相対的に衰退しつつあるナンバー・ワンの問題

ソ連のかずかずの困難を銘記することは、アメリカの現在および将来の状況を分析するときに有益である。というのも、アメリカには二つのきわだった特徴があるからだ。

その第一は、ここ二、三〇年、世界の力関係のなかでアメリカの占める割合は相対的にソ連よりも急速に衰退しているのではないかという論議がなされている一方で、アメリカが抱える問題の大きさはおそらくライバルであるソ連の比ではないということである。しかも、アメリカの絶対的な力(とくに工業やテクノロジーの分野で)は、現在でもソ連よりはるかに大きいのだ。

第二は、アメリカ社会の組織化されていない放任主義の体質が(それゆえの弱点がないわけではないが)、厳しく統制された社会よりも情勢の変化に適応しやすいと考えられることだ。しかし、そのためには今日の世界の大きな動きを理解し、世界的な環境の変化に適応しようとする際にアメリカの立場の強さと弱点を認識できる政府の存在が必要である。

アメリカは現在もなお経済的に、そしておそらくは軍事的にも他に並ぶもののない地位にあるが、世界の「ナソバー・ワン」の位置を占めるすべての国の寿命に挑戦する二つの大きな試練を避けることはできない。すなわち、軍事戦略の領域では、自国が要請される防衛力とそうした責任を維持するために自国が保有する手段とのあいだのバラソスを保てるか否かという問題があり、それと密接に関連することだが、つねに変化していくグローバルな生産のバターンに対応して国力のテクノロジーおよび経済の基盤を相対的な侵食から守れるかどうかという問題である。

アメリカの能力にたいするこの試練は、アメリカが一六○○年ごろのスベイン帝国や一九〇〇年ごろの大英帝国のように、自国の政治的・経済的・軍事的能力が世界情勢におよぼす影響力がずっと確かだった数十年前に引き受けたさまざまな戦略上の責任をいまだに受け継いでいるため、より厳しいものとなるだろう。

その結果、現在のアメリカは、かつての大国の興亡を研究する歴史家にはなじみの深い、いわぱ「手を広げすぎた帝国」の危険をおかしているのである。いいかえれぱ、ワシントンの政策決定者は、世界におけるアメリカの利害や義務が現在では国力をはるかに超えており、そうしたものを同時に守ることができないという厳しくかつどうしようもない事実と直面しなければならないのだ。 (P346〜P347)


(私のコメント)
アメリカにとってはベトナム戦争やイラク戦争が、大英帝国のボーア戦争であり、帝政ロシアのクリミア戦争やソ連のアフガニスタン戦争のような衝撃であり、アメリカは世界戦略を根本的に立て直すことを迫られている。それに失敗すれば帝政ロシアやソ連のような滅亡が待っているのであり、上手く行ったとしても大英帝国のような衰退の道を歩む事になる。

ポールケネディの「大国の興亡」は800ページにもなる大著ですが、米英の歴史学者が日本をどのように見ているかも参考になる本だ。ポール・ケネディは多極化した世界でアメリカ、ロシア、中国、EUに並んで日本を挙げている。しかし最近の日本人は日本が大国である意識がなく、世界においても日本の影は薄くなる一方だ。

その原因としては政界も官界も学会も日本が大国である事を意識の上で放棄しているのだ。たしかに政治家にとっては外交と防衛をアメリカに丸投げして、官界も学会も世界戦略など考えずに済むからだ。大学においては軍事学も地政学も教えているところがない。アメリカの植民地根性がそうさせているのだ。戦後のGHQによる見えない検閲体制で日本人は世界戦略を考えてはならぬと洗脳されてしまったのだ。

日本人が世界戦略を考えるようになれば必然的に自主防衛や核武装に行き着かざるを得ない。それを恐れるからアメリカも日本の支配層も大学で世界戦略を教えないようにしているのだ。私も大学で「国際関係論」などはとったが外交論だけで軍事が全く抜けている。これでは外務省の役人も外交戦略なき外交せざるを得ない。まさに日本は頭脳を持たぬ大国なのだ。




『 日本語 』と言う優れた『 高度技術や理論を発達させる言語 』に、
中朝韓バカ三国が憧れ、『 日本語 』を略奪したくなるのは間違いない


2007年9月6日 木曜日

日本人はいったい中国人と韓国人のどっちのほうが嫌いなのか

日本人のノーベル賞受賞者たち

日本人のノーベル賞受賞者は、物理学、化学、医学・生理学の分野など受賞者数が何と12人もとイタリアに並び世界7位前後も受賞。
逆に人口14億人もがひしめく凶産独裁中国人たったの2人のみ、軍国韓国人も平和賞1人のみ、凶産北朝鮮人0人、台湾人0人、フィリピン人0人、・・・・・・・・・

今後はさらに、日本人のノーベル賞受賞者の時代がくると欧米文明を築き上げた欧米人たち自ら高く評価しているのだ。
ノーベル賞級という最強の頭脳を多く生んできた日本人は人類への正に偉大な貢献を今後もし続けていくのだ。

日本人は優れた欧米文明を急速に吸収し、さらに進化させてきた極めて有能な民族である。それもアジアで最もアジア離れした極めて優秀な民族であり飛びぬけているのだ。
ノーベル賞級という最強の頭脳を多く生んできた日本人の優秀さには『 日本語 』の独特な構造も深く関わっているようだ。

日本人の先輩たちが『 約千二百年前 』の、平安時代初期の、9世紀[ 紀元800年 ]頃に生み出した『 日本語 』の“ひらがな”の出現によって文字は民衆化され、
民衆の総能力、総意を最も集め易い進化する言語となり、会話、文章、小説、議論、情報、科学、学問、理論を展開し『 日本語 』は高度技術文明の発展に無限の能力を発揮していくのだ。

ところで『 日本語 』は実に微妙な表現が可能である。高度な論理の発展性にも優れていて、使い難い漢字を主言語とせず。日本人が独自に開発した“ひらがな”言語である。
この“ひらがな”が考えられたのは今から『 約千二百年前 』の、平安時代初期の、9世紀[ 紀元800年 ]頃のことである。しかも“ひらがな”も“カタカナ”も同時期に誕生した。

優れた言語ほどアルファベットたった26文字のごとくに『 文字 』の記憶そのものに負担をかけず、子供たちがいかに成長の早い段階で『 会話 』『 倫理 』を発達させ、
将来の高度な思考、論理性を養うことが、より『 高度文明社会 』を形成するために重要になってくる。

であるから逆に漢字のみの言語は致命的な欠陥言語だ。要するに大量な漢字を単に覚えさせるだけに子供の成長が費やされ会話の発達が遅れ高度理論の展開など更々不可能にしてしまうのだ。
無駄に大量な漢字を覚えさせることで多くの脳の記憶領域を費やしてしまい、一番重要な『 創造的 』な超高度理論を発展する頭脳領域の余裕などなくなるのだ。

この致命的な欠陥を見事に解決したのが『 日本語 』である。日本人の先輩たちが開発した『 日本語 』の“ひらがな”言語は、劣った漢字主言語の『 致命的な欠陥を完全に解決 』したのである。

また英語の『 I love you 』とは、要するに『 [私]、[好き]、[貴方] 』であり表現として実は味けもそっけもなく、大体が接続詞がないことに気付くだろう。
実はアルファベットたったの26文字だけだと言語表現に制限や問題が生じ、あるいは高度技術系の『 専門用語の増大 』により、文字数がやたらとダラダラ多くなる致命的な欠陥が生じている。

『 日本語 』の文字数は“ひらがな[カタカナ]”及び漢字を含めた『 2段階文字 』は通常で『 数百文字 』で、アルファベットたったの26文字の『 25倍前後 』となる。
この『 数百文字 』が現代の高度技術社会で、多くの異なる学界系の『 専門用語の増大 』にも唯一適応できる『 ノーベル賞級高度技術系言語 』とも言い得るのだ。

『 日本語 』は理論立てて思考する場合に極めて適した言語でもある。『 日本語 』を覚えると煩わしい凶産中国や欧米の『 屈折型言語 』を嫌うのである。
逆にいわゆるバイリンガルという2重3重言語は頭脳領域を殆ど無駄に使うことになり、また凶産中国語は大量な漢字だけという脳の記憶領域を使い切る間抜け言語であり最悪である(笑


日本の医学、薬学分野の研究開発にドイツ語や英語などとのバイリンガルを強制したため、医学、薬学分野ではノーベル賞級の研究開発が欧米に引けを取ることとなった。
高度理論の発展性に極めて優れた『 日本語 』を、無能でアホで間抜けな医学者どもや、アホで間抜けな薬学者どもがこともあろうに軽んじた結果である(笑

“ひらがな”は漢字主言語に不可能だった極めて微妙な表現を可能にし、しかも漢字を補助文字としてしまうことで、成長段階の子供たちが漢字の字数を徐々に覚える『 成長型言語 』とし、
また“ひらがな”を主文字とし漢字を組み合わせることで文章そのものにも『 創造性 』を持たせるという世界初の『 創造的知能言語 』としたのだ。


この『 日本語 』の非情に優れた特徴は、その後の『 日本人 』の頭脳機能を急速に成長させ、来るべき『 超高度文明社会 』に効率よく適応してきたと分析できるのではないか。

この故に、今後も次々と誕生するだろう日本人ノーベル賞受賞者たちの功績は、国家が個人が単に運がいいとか自由主義圏だとか資本主義圏にあるとかでもないのである。
何故なら国家崩壊した凶産[共産]主義圏にあった旧ソ連にも受賞者が多いからだ。故に、劣る凶産[共産]主義中国人どもや朝鮮半島人どもの駄目な漢字主言語なんぞは致命的な欠陥言語である(笑

アジア大陸と離れた『 日本国 』だからこそ『干渉』されず、優秀な『 日本語 』“ひらがな”言語体系を生むことができたのである。
このような恵まれた奇跡的な歴史背景を持つ『 日本国 』の民族的な優秀さ、偉大さには、とても連中では永遠に追い付けないという悲しい宿命があるのである(笑

我が国が古い時代に輸入した使い難い漢字はそのままでは使わなかったのだ。
我々日本人は、原型に拘[こだわ]らない大改革、大改造、大改修をし、極めて微妙な表現も可能とする“ひらがな”を一挙にベース言語としてしまうのだ。

このベース言語“ひらがな”の出現によって、超高度に論理を発展できる言語『 日本語 』へと進化させてきたのだ。
今後もノーベル賞受賞者を多く誕生させるだろう日本人が開発した優れた『 日本語 』その奇跡的な言語は『 超高度な技術社会 』への最大最強の戦力となっているのだ。

逆に凶産中国語や、凶産北朝鮮語や、軍国韓国語なんぞは、扱い難い非民衆言語であり漢字のみ言語は究極の欠陥言語でしかないのだ(笑
携帯電話にもコンピュータ言語にもまったく向かないと言う重大な欠陥は致命的である(笑

『 日本語 』と言う優れた『 高度技術や理論を発達させる言語 』に、中朝韓バカ三国が憧[あこが]れ、羨[うらや]み、妬[ねた]み、優れた『 日本語 』を略奪したくなるのは間違いない(笑

日本人が次々と新しい優れた文明を吸収し、さらにそれを発展可能にし、次々と優れた先進性を持つ信頼性の非常に高い高度な製造製品を世界で最初に開発可能にしてきたのも、
例えば、高度な文明の象徴であるロボット技術が飛び抜けて世界一進んでいるのも、iモードで携帯電話を急速に普及させたのも『 日本語 』の威力である。

人の頭脳の限界を超えつつあるノーベル賞受賞級の超高度な研究開発者の頭脳の『 言語 』領域の効率は極めて重要なことが解る。
ノーベル賞受賞級の超高度な研究開発に携わる者は、『 言語 』そのものに思考の負担をいかにかけずに、最大限に頭脳を働かせることが極めて重要なのだ。

『 日本語 』は『 [これ][が]、[こう][なって]、[こう][なれば]、[こう][なる] 』と文体が順に並ぶ『 理詰型 』の言語である。
当然だがこの『 理詰型言語 』はノーベル賞受賞級の超高度な研究開発の理論発展型の究極的言語として極めて適しているのである。


逆に欧米や、凶産中国・朝鮮半島で使う言語、例えば英語の『 I have a pen 』は『 [わたし]、[持つ]、[1]、[ペン] 』となる『 屈折型言語 』であり接続詞があやふやで致命的な欠陥があるのだ。
『 日本語 』ならこれは『 私は一本のペンを持っている 』となるので状況もより正確でしかも、微妙な表現を可能にした『 繊細表現言語 』である。


中国語の漢字と日本語の漢字

外来語の処理

現代日本語と中国語で最も大きな差異があるのは外来語の扱いです。現代日本では外国から入ってきた言葉のほとんどはカタカナで処理されます。「Unilateralism」(一国主義)のような舌をかみそうな言葉でもマスコミはカタカナで通してしまいます。

さらに近年、日本語におけるカタカナの使用は従来の新外来語にとどまらなくなってきています。

「手ぬぐい」は「タオル」に、「草履」は「サンダル」に取って代わられてしまいました。現代日本ではこの方が「ファッショナブル」に聞こえるからでしょうか?

一方中国では、はじめは音訳されていた外来語も後に意訳する傾向があります。

医薬品のペニシリンは、当初は「盤尼西林」(pan ni xi lin)と訳されていたのが、後に「青黴素」(qing mei su)という単語に置き換わっています。

同じく当初は「維他命」(wei ta ming)と音訳されていた「ビタミン」も後に、「維生素」(wei sheng su)に取って代わられました。

日本語と中国語の外来語の処理は対照的で面白いのですが、これにはこれでいろいろな理由があるのでしょう。研究者ではないのでこのような理解が正しいのかどうかはわかりませんが、日中両国語が外来語の処理に使用している文字の特性に原因があるように感じます。

日本語の場合、外来語には片仮名を使用します。片仮名はそれ自体に意味のない表意文字なので、外来語を音訳するのに適した字体です。

一方中国には日本語の平仮名や片仮名にあたる文字がないので、音訳する場合も漢字を使用します。

本来表意文字である漢字の音だけを利用するのですが、漢字はそれ自体に意味を持っているので、音だけを表すには向いていないのでしょう。

居心地が悪いので、単語の意味が浸透していくと自然と最適な漢字を当てるようになるのだと思います。

また、日本人がカタカナを多用するようになったのは、日本人の漢字の素養がそれだけ低下しているのでは、とも思います。

明治時代日本が欧州から新しい思想や概念を輸入した際、明治の知識人たちは的確な漢字を使用して外来語を日本語に翻訳していきました。

彼らは押しなべて高い漢字の素養を持っており、彼らの訳した言葉の多くは後に中国人留学生によって中国へ渡り、現在でもそのまま使用されています。

現代中国人の多くは、それら単語ははじめから中国のものだったと思っています。

逆に言えばそれだけ優れた訳だったのでしょう。漢字の国の人が違和感を覚えないのですから。ちなみにこれらの単語には「経済」や「法律」、「階級」等があります。

また、字に対する素養の低下に加え、専門分野の細分化が進んでいることが原因として考えられます。

海外から輸入される新しい言葉には理系のものが多数を占めているのですが、これらの分野に当たる理系の人が文系的要素の強い漢字の学習に割いてきた時間は限られています。日本語に訳したくても訳せないのが実際のところではないでしょうか。



(私のコメント)
先日は韓国語が抱える問題について書きましたが、今日は中国語が抱える問題について論じて見たいと思います。中国語が抱える問題は漢字しか使えないことであり、それが外来語を受け入れにくくしている。同じ問題は明治維新の日本にもありましたが、新しく漢字を組み合わせて造語した。夏目漱石の日記などを見ても日本語に翻訳したくても相当する日本語がないことを指摘していた。

それでも明治の文人達は漢学の素養もあり古典の中から漢字を見つけて新しく造語してきた。しかし明治時代なら西欧文化が入り込むのもゆっくりだったからそれでも良かったのでしょうが、現代ではコンピューター用語などの専門用語が毎日山のように海外から押し寄せてくる。

だから日本ではカタカナを使って英語などの読みをそのままカタカナで表示するようになった。だからパソコン雑誌などを読むにはカタカナだらけの文章を読むようになる。さらには英語の専門用語は長ったらしいのが多いから四文字程度に省略してしまう事が多い。パーソナルコンピューターをパソコンと言うようになる。

中国語の場合は外来語をとりあえずは読みが近い音の漢字を当てはめて使い、概念が固まったところで意味にふさわしい漢字が当てられるようだ。だからどうしても外来語の翻訳は時間もかかり、読みだけの漢字を当てただけの文字の氾濫は混乱をもたらすのではないだろうか? 「盤尼西林」も最初見ただけでは何のことか分からない文字だ。ペニシリンと分かるまで時間がかかる。

このような言葉のハンデが外国文化を吸収する際には大きな差となって出てきてしまうのだろう。日常的な小説ぐらいなら翻訳も出来るのでしょうが、理科系の専門書を中国語に翻訳するのは不可能に近いのではないかと思う。それよりかは英語をマスターして英語でIT関係の事を学んだ方が早い。

中国人や韓国人の海外への留学生の異常な多さもこのようなことが関係しているのだ。日進月歩の最新技術を取り入れながら改良を重ねて行かなければならない世界では、中国語のハンデは大きい。中国語も一時期はベトナム語のようにアルファベットを用いてローマ字表記も検討されましたが、それだと河一つ渡れば発音が異なる中国はバラバラになってしまう。

このように外来語一つとっても中国語は適用が難しく、何万もある漢字を覚えなければならないのだから使いこなせる中国人は一部に限られてしまう。かといってハングルのように表音文字を使えば誰もが使えますが意味を掌握するのが難しくなり、専門書などは分からない言葉を読み飛ばしてしまう。だから言葉の数も少なくなってきてしまう。

英語などもアルファベットの26文字で表示しなければならないから、専門用語などはやたらと長くなる傾向がある。漢字なら一文字で表せる言葉も英語だと長ったらしくなるから意味を把握するのに時間がかかる。だからCIAやUSAやBBCなど頭文字だけを並べた言葉が氾濫する。普段から使っている言葉なら問題はないが、専門用語をこのように省略されたら分からなくなるだろう。しかし漢字なら始めて目にする言葉でも概略はわかる。

欧米語にしても同じ文化圏の言葉なら翻訳する事も問題は少ないでしょうが、アラビア語や中国語などから翻訳するには文化の壁があるから、文化そのものから理解していないと翻訳そのものが難しい。中国語の文献を英語に訳すにしても中国の古典をマスターしていないと意味を正確に翻訳する事は難しい。明治の文人が英語などから造語できたのも漢学の素養があったからで、今ではそのような二つの文化を理解できる人が少なくなって造語は難しくなった。

中国や朝鮮半島の近代化がなかなか進まないのも、近代資本主義や近代西欧文化を理解するには越えられない壁のようなものが存在するからだ。だから理解しようとすれば一気に欧米にまで留学して言葉から学びなおしていかなければならないのだ。日本人が英語が苦手なのはそのようにする必要がないからであり、母国語で大学の授業が出来る数少ない国だからだ。

イスラム諸国も西欧近代文明を取り入れるにはアラビア語を捨てなければならないかもしれない。かつてはギリシャの科学文化をアラビア語に翻訳する際に、直接には翻訳できずに一旦シリア語に翻訳する必要があった。それくらい文化のはなれた言葉を翻訳するのは難しい。だから中国人や韓国人も一旦日本語に翻訳された西欧文化を改めて翻訳しているようだ。しかしカタカナ語の氾濫は英語が分からないと意味が分からないから苦労しているようだ。

先日のNHKの番組でも中国人は「パワステ」の意味が分からなかった。パワーステアリングの略なのですが元の英語が分からないとすぐには分からない。これを漢字に直すには漢学の素養がないと出来ない。今では中国人も中国の古典は読めなくなっているから翻訳もままならず中国語文化は外来文化から隔離される危機に立たされている。

このような状況を考えれば中国人や韓国人が全員アメリカに留学するわけには行かないのだから、欧米の文化を取り入れるには日本語を学んで日本語に翻訳された西欧のものを学んだ方が、イギリスやフランスやドイツやロシアの書物などが日本語に翻訳されているのだから手っ取り早いのではないかと思う。

だから将来においては日本語も国際語になる可能性があるのですが、日本人自身が日本語は難しいと決め込んで切る。しかし戦前においては日本に留学したアジア人が近代化の立役者になったのあり、周恩来も蒋介石も日本留学経験者だった。現在の中国においてもトウカセン氏や王毅氏は日本留学組みであり、韓国でも大阪生まれの韓国人が大統領になろうとしている。





日本への原爆投下は、ナチス・ドイツによるユダヤ人抹殺政策と同根の
極端な自民族中心主義がある。アメリカ国家がそれに応じることはない


2007年9月5日 水曜日

日本の「いわれなき罪」回避 FujiSankei Business i.  2007/9/5

 夏の恒例行事となっている外交文書公開で、終戦直前に原爆投下に対して日本政府がアメリカ政府に抗議するようにとの訓令電報(公電)を発出していたことが明らかになった。

 〈公開された文書の中に「大至急」と書かれた1枚の公電がある。発信は1945(昭和20)年8月9日午後11時55分。《6日、米国航空機数機、広島市に来襲。新型爆弾を投下せる為、市民多数に死傷者を出し、家屋もまた大半倒壊または焼失せり。その被害の甚大なるは到底従来の爆弾に比較し得ざるものなり。よって帝国政府は別電のごとき抗議を米国政府に提出いたしたきにつき−−》

 原爆投下について、スイス政府などを通じて抗議するように駐スイスの加瀬俊一公使へ指示する東郷(茂徳)外相の公電だった。〉(8月30日朝日新聞朝刊)

 戦時中、日本とアメリカは国交を断絶していた。日本の利益代表国はスペイン、アメリカの利益代表国はスイスとなっていたので、日本政府はスイス経由で、日本国家の意思を伝達したのである。すでに8月9日午前には長崎市にも原爆が投下されているにもかかわらず、この公電で広島市への原爆投下についてしか言及されていないのは、若干奇異であるが、すでに政府の情報収集能力と調整能力が低下していることをうかがわせる。

 45年8月9日未明、当時有効であった日ソ中立条約に侵犯してソ連が対日宣戦布告を行い、満州にソ連軍がなだれ込み、地獄絵のような状況が生じていた。9日深夜、日本の降伏を要求したポツダム宣言を受諾するか否かについて、皇居で御前会議が開かれていた。

 〈御前会議さなかの10日午前1時には、東郷外相名で、加瀬大使あてに「別電」で《本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たな罪悪なり》と1029文字からなる抗議文が追加されている〉(同)

 ここから浮かび上がってくるのは、日本国家が存亡の危機にひんしたとき、国益を擁護するために最大限の努力をした東郷茂徳外相と当時の外務省幹部の姿である。戦時国際法は非戦闘員に対する無差別爆撃を禁止している。アメリカによる原爆投下は明らかに当時の国際法に違反している。スイスの加瀬大使も〈8日午後10時半(日本時間9日午前5時半)、入れ違いで東郷外相にあてた至急電でこう述べている。≪大々的プレスキャンペーンを継続し、米国の非人道的残忍行為を暴露攻撃すること、緊急の必要なり……≫罪なき30万の市民の全部を挙げてこれを地獄に投ず。それは「ナチス」の残忍に数倍するものにして……〉(同)

 加瀬大使の電報中、〈それは「ナチス」の残忍に数倍するものにして〉という部分に筆者は同意できない。「アメリカの残忍さはナチス・ドイツに匹敵する」というのが正確と思う。原爆投下は思想問題でもある。アメリカは日本があくまでも抗(あらが)ってくる場合は、日本軍のみならず老若男女を含め日本民族をこの世から除去してしまえばよいと考えた。このジェノサイド(皆殺し)思想が原爆投下という形になって表れたのである。アウシュビッツやダッハウで殺害されたユダヤ人も「不潔な存在であるユダヤ人を除去することで問題の最終解決を図る」というナチスの思想からもたらされたものだ。

 過去の戦争において、日本軍も戦時国際法に違反する捕虜虐待や無辜(むこ)の住民を殺害するような行為を行った。しかし、特定の民族を除去するという「人道に対する罪」を行ったことはない。戦前、戦中を含め、日本国家も日本人もそのようなジェノサイド思想をもったことはなかったからである。東郷外相や加瀬大使をはじめとする確固たる国益観をもち、国際法に通暁した外交官が、アメリカによる原爆投下が戦時国際法に違反し、更に「非人道的残虐行為」であることを毅然と主張したことが、その後の極東軍事裁判(東京裁判)において、連合国が日本に対して「人道に対する罪」などという事後法であり、かつ日本として身に覚えのない犯罪をかぶせられることを防ぐためにも貢献したと筆者は考える。

 さて、外交文書は、原則、30年後に公開されることとなっているが、なぜ外務省はこの文書を62年もたってから公開したのか。この文書が数年前に公開されていたならば、過去1〜2年にアメリカで展開された反日キャンペーンに対抗する重要な武器になったのに残念だ。外交文書公開の分野においても外務官僚の不作為が国益を毀損(きそん)している。


米下院の慰安婦決議(上) FujiSankei Business i.  2007/8/8

7月30日(日本時間31日)、アメリカ下院が慰安婦問題に関する決議を採択した。〈決議は、「旧日本軍が若い女性に性的な奴隷状態を強制した歴史的な責任」を日本政府が「明確な形で公式に」認め、日本の首相が謝罪声明を出すよう求める内容。1月末に日系のマイク・ホンダ議員(民主)が提出した/日本政府は「これまで謝罪しており、決議案は不必要で、事実と異なる」と訴えた。だが、安倍首相は3月1日、軍当局の関与と「強制性」を認めた93年の「河野官房長官談話」に関連して「強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実ではないか。定義が変わったことを前提に考えなければならない」と発言。自民党内に河野談話を見直す動きもあり、従来の日本政府の謝罪に留保をつけ、修正しようとする発言と受け取られた〉(asahi.com7月31日)。

安倍晋三総理は決議採択の直後、記者団の質問に答えて、〈「私の考え、政府の対応については4月に訪米した際に説明をしてきた。こうした決議がなされたことは残念だ」と語った。そのうえで「これからもよく米側に対して説明していくことが大切だと思う」と述べ、説明を続ける考えを示した〉(同)。筆者もこの決議が採択されたことは残念に思う。この決議が今後、日米間の「のどに刺さったトゲ」となる。慰安婦問題を巡るアメリカの報道には滅茶苦茶なものが多い。「20万人のアジア女性をレイプ・センターに入れた」などという事実無根の話が独り歩きしている。

 3月1日の安倍総理の発言についても冷静に考えてみる必要がある。安倍発言の趣旨は慰安婦について「狭義の強制性はなかった」という認識を示したのであり、これは従来の政府見解と何ら齟齬(そご)を来していない。「狭義の強制性はなかった」という認識は「広義の強制性はあった」という前提でなされている。「強制性があったかなかったか」という設問に対して、「あった」という回答になる。安倍総理は、慰安婦問題について強制性を認めているのである。それだけのことだ。それにもかかわらず、アメリカのメディアでは安倍たたきの嵐が吹き荒れた。

 ワシントンの日本大使館やアメリカ各地の日本総領事館が慰安婦問題に関する政策広報をきちんと行っていればこのようなことにならなかったはずだ。筆者の理解では、外務省が「アジア女性基金」の活動をアメリカで正確に紹介していれば、事態がここまで悪化することを避けることができた。「アジア女性基金」は「従軍慰安婦」という用語を用いず「慰安婦」としている。また、「狭義の強制性」も認めていない。慰安婦の人々に日本の総理が「おわびの手紙」を出している事実をアメリカ議会関係者に日本の外交官がていねいに説明していれば事態の展開は異なった。このようなロビー活動をするために大使館や総領事館に勤務する外務省職員は、給与と別に、数十万円の在外手当を受けているのだ。この在外手当は精算する必要もなく、税金も課されない「つかみ金」だ。今回の事態に関して、第一義的に責めを負うのは外務官僚の不作為である。

 外交の世界において正しい主張がいつも通るとはかぎらない。例えば、1945年8月の広島、長崎への原爆投下は、当時の戦時国際法に違反する無差別爆撃であるのみならず、日本がアメリカに対してあくまでも戦いを挑んでくるならば、日本人という民族を滅亡させても構わないというのが当時のアメリカ指導部の認識だったと筆者は考える。日本への原爆投下は、ナチス・ドイツによるユダヤ人抹殺政策と同根の極端な自民族中心主義がある。しかし、日本国家がいくら原爆投下に対する謝罪を求めてもアメリカ国家がそれに応じることはないであろう。

 慰安婦決議に関して、アメリカ下院ごときに何を言われようとも、謝罪をする筋合いはない。中国や韓国から何を言われようとも、公約として掲げた靖国神社参拝を小泉純一郎前総理が取りやめなかったのと同じ論理構成をとればよい。歴史認識を巡る外交問題においては、このような乾いた、薄っぺらな論理が日本の国益にかなうという筆者の持論を8月初め、ある勉強会で述べたら、東郷和彦氏(元オランダ大使)に「それじゃダメだ。問題は解決しない」とたしなめられた。


(私のコメント)
アメリカが文明国家なら現在の倫理基準で日本の60年以上も前の戦時中の出来事に対して、アメリカ連邦議会で対日非難決議がなされるとは思わなかったのですが、7月30日にそれは行なわれた。確かに日本軍に対する慰安所が設けられて売春行為が行なわれたのは現在の倫理基準から見れば人権侵害だ。しかし個人の意見を言うのとは違ってれっきとした連邦議会で日本の総理に謝罪を求める決議を下すとなると外交問題となる。

だから第二次大戦中の出来事に対してはサンフランシスコ講和条約や日韓基本条約などで外交的な決着が図られたはずだ。それをアメリカ議会は再び持ち出してきて謝罪決議を突きつけている。決議自体は何の拘束力を持たないものですが、北朝鮮は国際会議でそれを持ち出して、日本人拉致問題を相殺しようとしている。半世紀以上も前の出来事と現在行なわれている拉致問題を一緒に扱うとはむちゃくちゃだ。

アメリカ下院議会は北朝鮮に利用されたともいえるのですが、アメリカ議会が決議が下したと言う事実は今後永久に残る事になる。もしこのようなことが許されるのならばアメリカの歴史的過去も次々と持ち出して非難決議したら、世界中の議会はアメリカ非難決議であふれかえることだろう。

歴史的出来事に対する評価は歴史家に任せるべきであり、政治の世界に歴史問題を持ち出すことは文明国のすることではない。外交的に収拾がつかなくなってしまうからだ。だから日中や日韓の外交は歴史問題をめぐって年中ゴタゴタしている。中国や韓国は歴史問題を持ち出せば外交的主導権が取れるからそうしているのですが、日本の政治家も謝罪と反省ばかりして反論しようとはしない。反論すれば大臣の首も跳んだ。

アメリカも中国や韓国の真似をして歴史カードを持ち出してきたということなのですが、アメリカ人も中国人や韓国人並みの倫理観に劣化してきたのだろうか? それに対して安倍総理はアメリカ議会にまで訪問して謝罪してきたのですが、アメリカ議会は正式な謝罪を要求している。やがては戦時被害の個人補償の問題にまで発展するのだろう。つまりサンフランシスコ講和条約を反故にして新たに賠償問題を持ち出して来るのだろう。

ならば日本も広島長崎の原爆投下を戦時国際法に違反した行為だとして、アメリカ政府に対して原爆の被害者を原告として訴えるべきだろう。アメリカ側が従軍慰安婦問題を持ち出してきた以上は日本も同じ論理で反論しなければならない。そして事実関係を徹底的に究明して解決しなければいつまでも外交問題としてゴタゴタする事になる。

日本の外務省は事なかれ主義なので形式的な抗議しかしませんが、日本のブロガーは手強いところを見せ付けて震え上がらせるぐらいの反論で叩きのめす必要がある。ブロガーは手弁当でやっているから黙らせるのが難しい。せいぜいプロバイダーに手を回してサイトを潰すぐらいですが、他のプロバイダーに乗り換えればいいだけの話で潰すのは不可能に近い。あまり露骨にやれば言論弾圧だと騒げば手を引くだろう。

従軍慰安婦問題でもワシントンポストに有志が反論を載せましたが、今までの外務省とは違って強く出れば引っ込むような事はない。彼らに歴史カードで騒げばやぶ蛇になる事を分からせるべきだ。広島長崎の原爆投下問題もアメリカ人は学校では戦争を早く終わらせる為に仕方がなかったと教わっているらしい。ならばなぜ朝鮮戦争やベトナム戦争で使わなかったのか? 使えば非人道的な兵器を使ったと避難されるから使えなかったのだ。

要するに日本人は新兵器の人体実験に使われたわけで、当時のアメリカ人から見れば日本人は人類と類人猿との中間種ぐらいにしか見られていなかったのだ。その類人猿みたいのがゼロ戦や空母でハワイまで攻めてきたからアメリカ人はびっくりして、有色人種も人間だと認めるようになったのだ。だから大東亜戦争は全く無駄ではなくて、植民地の解放や人種差別の撤廃などには大きく貢献している。

もっとアメリカ人を痛めつけるにはアメリカインディアンを絶滅させた事を歴史カードで責めればアメリカ建国の理念からぐらついてしまうのであり、従軍慰安婦問題は寝た子を起こしたようなもので徹底的にアメリカ人を攻め立てて、過去の歴史カードを外交に持ち出すことがどれだけばかげているかを分からせるべきだ。

私にしても安倍総理にしても大東亜戦争は生まれる前の歴史上の出来事だ。戦争を体験した世代は敗戦ショックで茫然自失してしまって大東亜戦争の評価をすることが出来ないで来た。ようやく戦後生まれの総理大臣登場して「戦後レジュームからの脱却」がスローガンになった。それに対してアメリカのリベラルは安倍総理に警戒の目を向けている。韓国や中国を動かして歴史カードを突きつけても最近の日本人は反論してくるからアメリカが従軍慰安婦で動いた。

8月29日の株式日記でも書いたとおりにブッシュ大統領の歴史観は自分勝手な酷いものだ。神道をアルカイダなみの狂信的な宗教とみなしている。それに対する日本政府の反論はない。戦後から現在に至るまで日本はアメリカに対してまともに論争をしてこなかった。抗議すべき事も抗議しないからいつまでたっても戦後体制が変わらないのだ。

9・11のテロ攻撃と帝国海軍のパールハーバー攻撃は一緒なのだろうか? つまり大日本帝国はテロ国家だったと言っているようなものですが、強制収容所を作って日系人を収容したアメリカはナチスドイツと変わらない。そして原爆投下はユダヤ人虐殺と同じホロコーストなのだ。その事を日本政府はなぜ抗議しないのか? 





ホワイトカラーの仕事も中国へアウトソーシングされる時代が来た。
マニュアル化された事務作業は人件費五分の一の中国に移る?


2007年9月4日 火曜日

NHKスペシャル「人事も経理も中国へ」より
ホワイトカラーの仕事も中国は5分の1の人件費


NHKスペシャル 人事も経理も中国へ 9月3日 patagonの日記

ERPとかパッケージ物とかでも取り掛かりやすい、グループ企業間で統一して使いやすいのは人事、給与、経理に関するもの。まずはここからというところが多い。アウトソーシングとして出すほうも受ける方もここからなのだろう。今後は他の分野にも及ぶかもしれない。

日本側に全体が見えている人・分かっている人がいるうちはアウトソーシングしてもいいと思うが、アウトソーシングしてしまうのでその人たちがいなくなった時に、新たに人が育ってない、いないという状況が発生する可能性が高い。そして誰も分からなくなるという状況が発生しそうだ。

日本の仕事のやり方できちんと決めてやるというのがなかなかないと思う。「とりあえず始めて、臨機応変に…(本当の臨機応変じゃなくいい加減、無計画)」→まとめよう、整理しようという時には次の臨機応変でそれをやらない・やれない。まずいよな。ここも海外と比べて競争力がない一因だろう。

J-SOX、内部統制で権限、分掌、手順を明確にして、外部に出すということか。

中国も人件費が上がって中国に出せない、となった時に、全体が分かった人・見通せる人がいないという状況が発生しそうだ。その時は次の中国(例えば東南アジアの某国)を探すのか?それじゃ元も子もない、というか本末転倒か。そもそも新たな中国に出せないだろう。何をどうしたらいいか分かってないんだから。

また中国に出せないという時だけではなく、外部に対しては責任・監督の権限・義務は自社にあるから、当然アウトソース先を監督・監査したり、指示できるように分かっている人間が常に必要。

アウトソーシングはいいと思うが、金をかけても必要な人数分、人を育てておく必要があると思う。

番組でとりあげられている大手通信販売会社はニッセン。そしてアウトソーシング先がInfoDeliver(インフォデリバ)グループ…主要株主の一つにニッセンが入っている。


欧米でも海外アウトソーシングはトラブル頻発,その原因は? 3月6日 日経BP

欧米でもコミュニケーションが最大の課題

 次に欧米で起きている問題について触れてみます。欧米諸国では,インド,アジアなどへのオフショア開発委託が一段と増加しています。狙いはコストを削減し,企業の競争力を強化し,事業プロセスを最適化するためです。

 コストパフォーマンスの高いオフショア開発は,欧米企業にとって魅力的ですが,しばしば期待された成果レベルに到達できていないようです。オフショアチームにより納入された成果物には,低レベルのソリューションと品質の問題が多く,最終的に納期が遅れ,顧客の満足を損なう結果に終わるケースがあります。

 欧米企業は一般に,グローバルなプロセスでインドなどにオフショア委託するため,問題は発生しにくいように思われますが,やはり国内の企業に委託する場合とは異なる問題を引き起こしているようです。

 問題点として指摘されているものには,委託先との信頼関係,仕事を失うリスクに対する心理的抵抗,文化と言語の壁,コミュニケーション,遠隔地での開発,時差,相手が見えないこと,などがあります。

 信頼関係は,人間同士のFace-to-Faceの相互コミュニケーションの繰り返しにより時間をかけて形成されるものです。その点,オフショア環境では,多くのコミュニケーションは,eメール,電話,チャットで行われるため,信頼関係の構築に時間がかかります。

 文化と言語の壁は,育った国が違う以上,なかなか越えがたいものがあります。文化は,信念,態度,行動,モラール,そして社会のルールにもなっており,企業,従業員の倫理,そして従業員の人間関係に大きな影響を与えます。

 アウトソーシングの世界で技術エキスパートを見つけることはたやすいですが,彼らが委託元のプロダクトの狙い,背景,重要度を容易に理解できるかといったら,そう簡単ではありません。彼らが委託元の国で,ある程度の経験を積んでいるとしても,プロジェクト要求をきちんと理解してもらうためには,どのくらいの精度で文書に記述するかを吟味する必要があります。

 また,日本では一般的にインドの人々はかなりはっきり物事を言うと思っていますが,欧米から見るとそうでもないようです。「インド人技術者は丁寧であり問題に関する率直な回答をためらう傾向がある。実際,業務が技術者にアサインされ,納期が迫った状況下で,『納期は大丈夫か』と質問すると,回答はしばしば『Yes』でした。これがオフショアの場合,納入される成果物が,期待していたものと全く異なっているとしたら恐ろしいことだ」という談話を目にしたことがあります。

 コミュニケーションに英語を使用するといっても,英語は世界中どこも同じではありません。発音やニュアンス,スラング,コンテクスト(前後関係)が国や地域によって異なりますので,意図したことが正確に伝わらない可能性があります。

「暗黙知」をいかに共有するか

 ここに紹介したのは欧米でのプロジェクトでの話です。日本での問題と同じではないかとお感じになった読者も多いと思います。実際に,米国市場でインド企業の対応を目の当たりにしましたが,オフショア開発という視点に立脚すると,発生する問題は欧米と日本でかなり似ています。

 いずれにせよ,「暗黙知」になっている事柄をいかに相手側に伝え,共有化して仕事をうまく進めるかが重要なポイントになります。こうした問題を改善するため,欧米ではアジャイルなど様々な手法や対策が講じられています。それらを参考にしながら,日本に最適な海外アウトソーシングのやり方を開発する必要があるでしょう。


徹底したマニュアル化とネット処理でアウトソースも可能
中国はやる気のある若い人がいっぱいいる。


(私のコメント)
昨日は景気が回復しているのになぜ給料が上がらないかということを論じましたが、昨夜のNHKスペシャルで「人事も経理も中国へ」と題して事務部門の中国へのアウトソーシングの事を報じていました。事務部門の仕事は日本語の壁があって外国へのアウトソーシングは不可能と思われていましたが、同じ漢字文化の中国でなら可能らしい。

アメリカやイギリスがインドなどの英語が公用語の国に事務部門をアウトソースすることは有名でしたが、日本も事務の仕事も人件費の安い外国へアウトソーシングしないと事務の生産性の向上は難しいだろう。正社員から派遣社員やパートへの切替が行われていましたが、さらに人件費の安い外国へ切り替えられていくのだろう。

中国人なら漢字が分かるから僅かな日本語の勉強で半分ぐらいの日本語は分かるようになるらしい。だから定型化した事務作業なら出来るようになる。今まではコールセンターなどが沖縄で行なわれていましたが、もっと人件費の安い中国へコールセンターも移っていくのだろうか? 訓練を積めばそれは可能らしい。

このような状況では派遣やパートやアルバイトはいらなくなり、皆外国に仕事がアウトソーシングされるかもしれない。これでは事務の仕事も賃下げで賃金は上がるわけはない。残るのはノルマに縛られた営業職ぐらいになってしまうだろう。営業でもテレホンセールスなども可能だし、ダイレクトメールは国内の国内郵便より香港から発送したほうが安いそうだ。

事務も外国へアウトソーシングされるのは時代の流れだろう。しかし現在では賃金格差が5分の1でも、元高が続けば3分の1から2分の1ぐらいになるのは早いだろう。そうなるとアウトソーシングする意味はなくなり、新たな外国を探すか、もしくは国内に事務を戻そうにも仕事の分かる人が不在ということになりかねない。

またいくら仕事をマニュアル化しても、決めの細かいサービス競争に負ける事にもなる。一旦トラブルが発生した場合の処理をどうするか、クレームが殺到した場合はどうするか、仕様変更などにどう対応していくか、同じ社内でもなかなか横の連絡が取れないのに海外とどのように連絡を密にしていくのか問題も山積している。

日本語は外国ではほとんど通用せず孤立した言語と見られてきました。戦前日本だった韓国や台湾も日本語世代は少なくなり、日本語は日本人しか使わない言語ということが出来ますが、ビジネスのために日本語を習得するアジア人が増えてきている。特に漢字文化圏の中国人や台湾人は習得しやすいだろう。

戦前からも朝鮮半島や中国などからの留学生が祖国の近代化の立役者になりましたが、少しでも日本文化に触れた人が増えれば朝鮮半島も中国も近代化も推進されて日本語文化圏が出来るかもしれない。8月27日にも書いたとおりに韓国語には様々な問題を抱えている。中国語も様々な問題を抱えている。だから日本語を通じて日本の近代文化を取得して一つの文化圏が形成できれば、米英を中心とした英語文化圏を上回る日本語文化圏が形成されることになるかもしれない。

だからこそ戦後の韓国は日本文化の作品輸入を禁止したし、中国も言論の自由を制限して民主主義的危険思想を受け入れまいとしていますが、それだけ日本文化や民主主義思想が韓国や中国に影響を与える事が大きいから制限せざるを得なかったのだ。中国の国名の民主主義も人民も自由もみんな日本語ではないか。だから中国語も韓国語も日本語の社会科学用語なしには通用しなくなっている。

生産工場の移転とは違って人事や経理の事務部門の移転は文化摩擦がより大きくなって困難も多いだろう。中国の労働者は技能を身に付けると簡単に辞めて、同じ仕事を独立して始めてしまう。だから企業機密もあったものではありませんが、労働モラルの違いも考慮しなければならない。確かに中国人の労働者は勤勉で能力も高いがモラルが日本人と異なる。

工場が中国に移り、事務部門も中国にアウトソーシングされると日本はますます産業が空洞化して経済は停滞を強いられるのであろうか? 工業製品も安ければいいという層と品質やサービスにこだわる層があるように、事務も安ければいい仕事と安さよりも内容にこだわる仕事がある。その安さも中国の状況次第で優位性もなくなるかもしれない。だから何もかもアウトソーシングするのではなく半分ぐらいは国内に置いておいて、思わぬ環境の変化にも対応できるようにしておかないと後々問題が起きるだろう。

NHKの特番では中国へのアウトソーシングを肯定的に報道していましたが、リスクなどに対しての問題提起がいつもない。数年前までは中国進出しないと乗り遅れると大宣伝していましたが、最近の中国製品へのバッシングはそれなりのリスクが顕在化したものだ。中国は労働賃金も工業製品も安いがそれ相応の値段なのだろう。それがなかなか品質向上につながっていないから元も安いままなのだ。だから事務のアウトソーシングもそれなりのリスクは覚悟しておくべきだろう。




自民党の政治家が「景気は良くなった」と言うたびに、皆頭にきて
民主党に投票したのである。給料が上がらないのはどうしてなのか?


2007年9月3日 月曜日

景気が回復したのに、給料が上がらない理由 8月31日 歌田明弘の「地球村の事件簿」

物価が上がり、景気が回復したと言われるのに、
給料が上がらないのはどうしてなのか。
日本経済の構造が変化してしまっている。

●会社が株主のものになったのはアメリカの謀略?

 景気が回復したのに、どうして賃金が上昇しないのか。
 8月7日に発表された政府の経済財政白書は、それにはいくつかの要因があり、非正規雇用の増加や高額所得者が多い団塊世代の退職など複合的な要因が関係しているものの、決定的な理由を見つけることはむずかしい、と書いている。
 このところ時間を見つけてグローバリズムに関する本を読んでいるが、そうした本のひとつから、賃金が上昇しない――というよりも、企業が賃金をあげない構造的理由が読みとれた。
 低賃金で生産できる発展途上国と競争しなければならないので、日本の企業経営者が賃金を抑えている、といったことはすぐに思いつくが、賃金が上がらない理由はそれだけではないようだ。
 ノーベル賞を受賞した経済学者ジョセフ・E・スティグリッツの『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』は、邦訳タイトルだけを見ると、アンチ・グローバリズムの本に見える。しかし、スティグリッツは、自由貿易がもたらすグローバリゼーションは、「かならずよい結果をもたらしうると確信するし、グローバリゼーションには世界中の人びと、とりわけ貧しい人びとを豊かにする可能性が秘められていると確信している」と言っている。だから、反グローバリズムの戦士というわけではない。「問題はグローバリゼーションそのものではなく、それをいかに進めるか」にあって、IMFを牛耳る先進国の財務官僚が、困窮している国の実情を無視して過激な自由化を強引に推し進めた結果、大混乱を引き起こしているというのが、スティグリッツの見立てである。
 冒頭の問いに対する回答は、この本の本文ではなくて、野村総研のチーフ・エコノミスト、リチャード・クー氏による末尾の「解説」に書かれていた。

●「賃金よりも配当」の時代になぜなったのか

 クー氏は、4、5年前まで、テレビの経済番組の常連解説者だった。そのころこうしたテレビ番組を見ていた人ならば、グー氏のことは誰でも記憶しているはずだ。クー氏は、景気が回復しないのはお金を使う企業や個人がいないからで、不良債権処理などはもってのほか、そんなことをしたら大量の失業者が出て大変なことになる、政府はさしあたり財政赤字など気にせず、需要を増やすために大盤振る舞いをすべきだ、と論陣を張っていた。ひと言で言えば、小泉・竹中路線とまっこうから対立する主張をしていたわけだ。
 しかし、結局のところ小泉・竹中路線の経済政策は成功したと思っている人も多いのではないか。格差社会や賃金が上がらないことへの不満は根強いが、日本経済が末期的状態からともかくも脱したことは確かだろう。
 クー氏は、最近も新刊を出していて、以前からの主張をさらに補強し自説の正しさを述べている。それを読むとなるほどと思うところはあるが、テレビではさっぱり見なくなった。クー氏を引っ張り出していたテレビ局も、クー氏の提言はマトをはずしていた、と思ったのかもしれない。
 実際のところ、政治家の都合で無意味な道路や橋を造るといったやり方には、私も含めてたいていの人はうんざりしていた。だから、そうしたやり方をどんどん続けろと言っているとしか思えなかったクー氏の言い分は、たとえ経済学的には正しかったとしても、腐敗した政治を持続させるとしか思えず、賛同しにくいものだった。
 しかしクー氏は、スティグリッツの本の解説でこう言っている。
 株の持ち合いがあたりまえだったころの日本企業は、株主のことを考えずに経営できた。利益をあげて株主に分配する必要がなかったから、日本の企業は、利益率が低くてもかまわず、マーケット・シェアを取ることにばかり熱心だった。利益をあげなければ税金も払わずにすむ。資金調達は国内の金融・資本市場でいくらでもでき、そうやって、日本の企業は海外の市場にどんどん進出した。
 それに対し、株主に配当することが重要なアメリカ企業は利益率を重視し、法人税を払って競争している。これではアメリカ企業はまともに競争できない。クリントン政権の財務長官らは、こうした日本的経営が他のアジアの国などにも広まると困ると思い、日本に金融ビッグバンをやらせ資本の自由化に踏み切らせた。株の持ち合いがくずれ、外国人が株を持つようになると、日本企業も利益率をあげて配当しなければならなくなった。日本は、まんまとアメリカの術中にはまった、というわけだ。
 現在、経済界は法人税引き下げをさかんに政府に働きかけている。利益が出ないときには、どのみち税金を納める必要がなかったので引き下げる必要はなかったが、株主に配当するために利益を計上する必要が出てきて、税率が大きな問題になってきた。クー氏の解説には賃金の話は出てこないが、こうしたカラクリは、これから書くように、景気が回復したのに賃金が上がらない理由にもなっている。

●低下したままの労働分配率

 大臣になるなどという話がまったくなかったころから、竹中氏は、「不景気にもかかわらず、労働分配率(賃金にまわる割合)は90年代ずっと上がり続けている」と不満そうに述べていた。竹中氏は企業経営者のまわし者としてそう言っていたわけではない。経済学者として、賃金の決定に柔軟性が欠けていて企業経営を圧迫している、と言いたかったようだ。
 株主のことを考えなくてすんだあいだは、企業は儲かったぶんを雇用者にまわしていた。しかし、21世紀に入って、利益率にこだわる必要が出てきた企業は、もはやこうしたことができなくなった。コストを切り詰めて利益率を高め、株式市場の評価を得る必要が出てきて、労働分配率はどんどん下がっていった。そして、景気がよくなっても、企業は賃金をできるかぎり抑えようとし続けている。かくして景気が回復しても、なかなか賃金が上がらないわけだ。
 スティグリッツはこの本のなかで日本についてはまったく言及していないが、小泉改革というのは、政府が財政支出を増やして需要を喚起することをせず、まさにスティグリッツが非難する「市場原理主義によるショック療法」そのものだとクー氏は述べている。一方、竹中大臣は一時、不良債権処理で失業者が増えたとしても、生産性の高い仕事が生まれて雇用が創出されると言っていた。それに対してもクー氏は、「スティグリッツ教授は、『それほど瞬時に雇用が創出されると信じているエコノミストはほとんどいない』と、ばさっとそれを斬っている」と、竹中氏の主張を否定していた。
 しかし、結局のところ不良債権処理をやって失業率は下がり、社会が大混乱を来たしもせず、海外からの投資も入ってくるようになった。それはなぜなのか。次回はそれについて書くことにしよう。



内閣改造に対する感想 9月3日 経済コラムマガジン

今回の改造人事の特徴は「構造改革派」潰しと言われている。構造改革派がペテン師の集まりだと言うことにようやく気が付いたのであろう。しかし一方に「財政再建派」が温存されている。筆者は「構造改革派」と「財政再建派」は同じものと見なしている。財政再建派は、財政支出をしなくとも構造改革で経済が成長すると思っているのである。

実際、財政再建派と目される与謝野官房長官は、橋本政権の官房副長官時代、「緊縮財政が経済に悪影響を与える」という党内の意見を「財政出動をしなとも規制緩和を行えば経済は成長する」と突っぱねている。今回の人事では、構造改革を前面に掲げた者が叩き出された恰好になっている。しかし実際は気にくわない人物を構造改革派というレッテルを貼って追出しただけであり、実質的な構造改革派は多数残っている。むしろ財政再建派という名のもう一つの構造改革派が主流派になっただけと言える。

「改革の結果、日本の経済は良くなった」「ただ景気回復の実感がないだけ」と選挙で自民党の候補者は叫んでいた。しかし実際の日本経済の状態は良くない。これが大半の有権者の実感であり、この実感の方が正しい。だからこそ自民党の政治家が「景気は良くなった」と言うたびに、皆頭にきて民主党に投票したのである。景気が良くなったと感じているのは大手上場会社の重役と日経新聞くらいなものである(もっとも大手上場会社の中には数字を操作しているところがあると思われるが)。

本当の経済状態を知ることは政治家にとって極めて重要である。常に官僚は数字を操作しようとするのだから、それに対抗できる政治家が必要である。そのためにも経済に強い政治家を育成する必要がある。しかし経済財政担当大臣にずっと民間人を起用している自民党にはその気はないようである。


(私のコメント)
政治と金の問題がニュースになっていますが、政治家が金銭にルーズでいいはずがない。我々一般庶民は確定申告で僅かな間違いでも税務署から呼び出されて聞かれるのに、政治家の所得申告がルーズなのはどうしてなのだろう。事務所経費などかからないはずの経費を計上して所得をごまかしている。

選挙に金をかければ際限がありませんが、それ以外にも金銭感覚そのものがルーズな人が多いようだ。今日辞任した遠藤農水大臣も農協の不正受給を知っていて総理にも申告しなかったのだから確信犯だ。法律を作る人が法律を守らなければ誰も法律を守る人がいなくなる。

政治と金の問題がこれほど厳しくなったのは一般国民の生活が厳しくなる一方で、政治家の所得が不透明でありごまかし放題だったからだろう。相撲取りや落語家などもご祝儀や襲名披露の祝い金などごまかしていましたが、現金収入があると税務署にも分からないだろうとごまかす人が多い。

それに比べるとサラリーマンは現金収入がなく全額会社からの振込みだから誤魔化しようがなく給与から天引きされてしまう。今年はサラリーマン減税が廃止されたから手取りが減ってしまったから選挙で自民党が大敗した。サラリーマンの生活が苦しくなる一方なのに政治家達は歳費のみならず政治献金などをごまかして闇所得にしている。

これでは景気が良くなったか悪くなったかの実感がなく、政府の発表する数字を真に受けて景気は回復していると言っている。確かに大手の輸出企業は円安などで景気がいいようだ。ところが従業員の給与が上がっていないから景気が波及してこない。上がったのは重役達の給与と株の配当金に行ってしまったようだ。

なぜ企業の業績が良くても従業員の給与に反映しないのか? 中国などの低賃金に引っ張られているからというのが主な理由だろう。従業員が賃金の値上げを強引に要求すれば会社は工場をたたんで海外へ行ってしまう。だから賃上げを要求できない。あるいは海外からの低賃金労働者に切り替えてしまうかもしれない。

東京などの大都市はサービス業が盛んだから景気はいいが地方は農業も商店もさびれる一方だから都市と地方の格差も広がる一方だ。小泉総理などは構造改革すれば景気は良くなると言っていましたが、地方の景気が良くなるとは言わなかった。地方の人は騙されたのだ。

市場原理主義経済では企業業績を良くして株価を上げて時価総額を増大させないと他の企業にM&Aで買収される危険性が出てきました。昔のような株式の持合で買収の恐れもなく業績がよくなれば賃金を上げる事もできた。ところが持合がなくなり浮動株が増えればいつ買収されるかもしれない時代になれば、従業員の給与を据え置いて利益を上げる必要が出てきたのだ。

日本企業も成果主義を取り入れるところが増えてきました。しかし成果主義といっても従業員の賃金カットの口実になるだけで、ノルマを高めに設定しておけばノルマの達成する従業員はいないから、それを口実に賃下げが出来る。それとは反対に重役達は従業員の賃金カットで企業利益が増えれば給与に反映される仕組みだ。

だから正社員のクビを切り派遣社員やアルバイトに切り替えて企業業績を上げている企業も多くなりました。短期的にはそれでいいのでしょうが、正社員は過剰負担で会社を辞めていき、アルバイトや派遣だらけになった会社はサービスが低下していく。それで業績が落ち始めて慌てて正社員を増やしている企業も多くなりました。

構造改革といいながら、従来あった日本経済のいいところまでぶち壊して、市場原理主義を取り入れて、アメリカ経済の悪いところを取り入れるのは賢明な事ではない。要するにマネーゲームだけが盛んになって実体経済が衰弱するような経済は長持ちしない。従業員を大切にしないで低賃金で使い捨てにすれば確実にその企業は衰退する。

構造改革論者は不良債権を処理したから景気が良くなったと言うが、景気が良くなったから不良債権が減ったのだ。都内の土地が上がって今まで不良債権だったものが優良債権に変身している。「株式日記」では景気が回復してこそ構造改革が出来ると主張してきた。古い家を壊す時は新しい家を建ててからすべきであり、新しい家が出来ないのに古い家を壊したらどこに住むのか?

政界もようやく構造改革のまやかしが分かってきて構造改革派が内閣から一掃されましたが、安倍総理は「改革実行」と言って選挙で大敗してしまった。サラリーマンから見れば改革とは賃下げの事であり首切りの事なのだ。不景気が続けば業績の悪い企業は潰れて優良企業が生き残る。優良企業が生き残る事で日本経済は再生するのですが、優良企業も成果主義などで会社の内部は荒廃してしまった。

企業に不祥事も続発していますが、業績を上げるために賞味期限を延ばしたり、牛肉に豚肉を混ぜたりしていた。こんな事をして業績を上げても意味はないだろう。工場ではベテランの従業員がいなくなり技術が伝承されなくなり、熟練工が少なくなっている。会社がベテラン社員の首を切ってきたからだ。これが構造改革なら構造改悪というべきなのだ。




ちょっと前の日本の金融危機と同じ現象が、米国で深刻化している。
正常なはずの証券まで信用不信で転売できない事態だ。


2007年9月2日 日曜日

借り手救済へ税法改正 米大統領、サブプライム対策 9月1日 産経新聞

【ワシントン=渡辺浩生】ブッシュ米大統領は31日、低所得者向け高金利型住宅ローン(サブプライムローン)の大量焦げ付き問題について、返済不能に陥った借り手の救済策などを柱とした対策を発表した。

 サブプライムローンは、2〜3年の固定金利の期間が終わると変動金利に切り替わり、月々の返済額が急増、大勢の借り手が返済不能に陥り、持ち家を差し押さえで失う危険に直面している。

 ホワイトハウスで演説した大統領は「マイホームを失う危険からできるだけ多くの借り手を救うことが優先課題」と語り、まず住宅ローンの保証業務を担う連邦住宅局(FHA)を改革。延滞者も保証の対象にして、より低い金利のローンへの借り換えを支援する。さらに、借り換えを税制面から支援するため税法の改正も議会に求める。

 FHAなど政府機関が連携して、借り手と住宅ローン会社の交渉を支援。一方で、返済能力のない顧客に悪質な営業で融資を拡大してきた住宅ローン業者にも問題があるとして、規制強化も検討する。


 サブプライムローンの焦げ付き問題は、ローンを担保にした証券の暴落を通じて金融市場の信用不安に発展。世界同時株安を招き、米連邦準備制度理事会(FRB)が市場への資金供給を拡大し、沈静化に努めている。対応に出遅れ感があったブッシュ大統領は、この日住宅問題で演説したバーナンキFRB議長と足並みをそろえて、対策を急ぐことにした。

                   ◇

 ■対応遅れで批判、挽回狙う

 ブッシュ大統領が、サブプライムローンの大量焦げ付き問題の対策に乗り出したのは、政権の数少ない得点である堅調な景気の腰を折りかねないからだ。金融市場の沈静化は米連邦準備制度理事会(FRB)に任せ、持ち家を失う危険にある借り手救済に焦点を絞って、市場の不安を沈静化する狙いだ。

 イラク政策で行き詰まる中、低い失業率や堅調な消費に支えられ、経済だけは、第2四半期の国内総生産(GDP)伸び率が4・0%を示すなど何とか底堅さを維持してきた。しかし、政権2期目の終盤に入る中、サブプライム問題が信用不安を拡大し、景気悪化を招きかねない懸念が出てきた。

 ブッシュ大統領は当初、世界同時株安が広がった8月初旬においても「住宅市場は軟着陸に向かっている」と対策に消極姿勢だった。これに対して、クリントン、オバマ両上院議員ら民主党の大統領選候補者らが救済策を提案、政権の対応の遅れに対する批判が徐々に拡大していた。

 今後、変動金利の上昇で返済に行き詰まる危険がある借り手は約200万人。大統領は新たな財政支出は避けながら、連邦住宅局の改革や税法改正で、より金利の安いローンへの借り換えを促進させる方針。そして、移民らの「アメリカンドリーム」だったマイホームを失う危機から救うことで堅調な景気をアピールする考えだ。


衝撃予測「日経平均は1万円まで下がる」 9月2日 日刊ゲンダイ

●予想よりはるかに深刻、米国経済
 東京市場が底なし沼になってきた。29日の日経平均は一時、457円も下げて、1万6000円を割り込んだ。
 原因はサブプライムローンに端を発する米国株の軟調だが、この問題は予想よりはるかに深刻だ。なにしろ、日銀の福井総裁が「米国の証券化商品市場は機能停止に近い」とまで言ったほどなのだ。暴落にあえぐヘッジファンドは、手元の資金欲しさに日本株を叩き売るしかない。市場関係者の中には「日経平均は1万円くらいまで下がるんじゃないか」という声すらあるのである。楽天証券経済研究所の山崎元氏がこう言う。
「ここ数年、毎年5%前後で上昇してきた米国の住宅価格は、今年度初頭からマイナスに転じている。これでサブプライムローンが焦げ付いたのですが、最近はもっと格付けが高い住宅ローン証券も暴落している。金余りと不動産価格の高騰で、何でもかんでも貸し付け、そうしたローンを証券化してきた米国の金融市場で、一気にクレジットクランチが始まったのです」
 格付けが高かった不動産ローン証券も焦げ付いたことで、格付け機関の信用もガタ落ちだ。優良証券にも疑心暗鬼のまなざしが向けられ、金融機関は資金繰りに四苦八苦だ。
 ちょっと前の日本の金融危機と同じ現象が、米国で深刻化しているのである。
「米住宅ローンは約10兆ドルのうち、住宅価格の値上がりを前提に約6割が証券化されていますが、正常なはずの証券まで信用不信で転売できず、不良債権化しているのが問題なのです。こうなると、金融機関は資金繰りに苦しむ。現在、米公定歩合は5.75%ですが、市場の実勢金利は6%超です。当然、銀行の貸し渋りが始まり、経済全体が地盤沈下しています」(東海東京証券チーフエコノミスト・斎藤満氏)

●渡辺金融相は甘すぎるぞ!
 当然、日本も無傷というわけにはいかない。渡辺喜美金融相は27日の就任会見で、「(米サブプライム問題は)日本の問題に発展することはない」と言っていたが、ノンキも過ぎる。
「先進国で一番影響を受けるのが日本です。日本は米国株の暴落による影響のほか、米国の利下げによる円高というダブルの懸念材料を持つ。日本の多くの株式エコノミストが、株の底値を1万5500円前後と予想していますが、1万円近くまで下げる可能性もあると思います」(山崎元氏=前出)
 個人投資家は手持ちの株の整理を考えた方がいいかもしれない。


(私のコメント)
アメリカ政府は住宅ローンの救済策を発表しましたが、日本のバブル崩壊の時にはモラルハザードだと騒ぎ立てた日本のマスコミは、今回の措置に対しては沈黙しているのはなぜだろうか? 日本でもバブル崩壊で住宅ローンが返せなくて住宅を手放した人が大勢いたのですが、アメリカでは延滞者に対しては借り換えを斡旋する事で救済されるようだ。

実質的にはサブプライムローン会社の焦げ付きの救済なのですが、アメリカ政府のなりふり構わぬ救済策は、日本政府もバブル崩壊のときにも行なうべきだったのだ。しかし銀行に対して不良債権の即時処理を強制して銀行の体力を奪ってしまった。今回の欧米では証券化した住宅ローン債券を買って中央銀行が資金供給しているのだから中央銀行がローン会社の救済をしていることになる。

日本のエコノミストなどは銀行の経営責任などを追及して、銀行の頭取などを吊るし上げましたが、不動産市場が暴落してしまったら銀行の経営は破綻の危機に晒されるのは日本もアメリカもヨーロッパも変わりがない。だから銀行の経営責任を追及しても問題が解決しない事は明らかだ。

むしろバブルを発生させた政府のほうこそ責任があるのですが、日本政府は長銀を潰し、日債銀を潰し、北拓銀行を潰した。保険会社も債務超過で中堅以下の会社は外資に買収された。今回のアメリカ政府のような救済策を次々出していればバブル崩壊もこれほど長引く事はなかったはずだ。日本はことごとくマスコミが騒ぎ立てて政府の救済策を潰してきた。

もちろん平時なら救済策はモラルハザードを招いて混乱をもたらす。しかし非常事態になれば非常手段で救済策を次々打って混乱を収めるべきなのだ。アメリカ政府は日本のバブル崩壊の教訓に学んでバブル崩壊をあらゆる手段で先送りにしてきた。今回も非常手段で切り抜けるかどうか分かりませんが、打つ手が早い事は確かだ。

日本政府にはなんとしても景気を回復させると言う断固たる意思が見られないことだ。小渕内閣の時は二兎を追わないとして景気対策を打ちましたが、すぐに財政再建路線に戻ってしまった。マスコミは政府の借金という言葉を使って国民を脅していますが、通貨発行権を持つ政府が借金という概念はない。国債も一種の通貨であり借金ではない。

財務省のホームページには借金時計があるそうですが、財務省の官僚は通貨が分かっていないようだ。問題なのは歳入が増えない事であり、その原因が何処にあるのかが分かっていないからだ。景気が冷え込んだままでは税収が増えるわけはないのであり、増税すれば景気が落ち込んで税収も落ちる。財務省の官僚はそのサイクルから抜け出せずにいる。

日本のバブルの崩壊の原因はバブル潰しのための税制改正がそのまま残っている事であり、だから株も不動産も低迷したままなのだ。バブル前は株や不動産には税制の様々な恩典があったのですが、税制改正で潰してしまったのだ。もし税制が改正されて株や不動産にメリットがあるようになれば1500兆円の金融資産は株や不動産に流れ込んでくるだろう。




妊娠してから一度も検診を受けず、陣痛が来てはじめて救急車を呼ぶ
「飛び込み出産」。妊婦8人のうち、出産費用を払ったのはわずか2人


2007年9月1日 土曜日

なぜ産科医は患者を断るのか 出産費用踏み倒しに「置き去り」 8月31日 J−CASTニュース

  妊娠しても産婦人科に行かず、陣痛が来て救急車で病院に運ばれる。これを産科医の間では「飛び込み出産」といい、こうした例が増えているらしい。ただ、妊婦の状態などの情報が全くないため「責任が取れない」と、受け入れを断る産科医も多い。さらに、「飛び込み出産」の場合、出産費用を踏み倒したり、赤ちゃんを病院に置き去りにする可能性が高いというのだ。そうした中、奈良県で、かかりつけの産科医がいない妊婦 (38)が救急車で運ばれ、受け入れる病院がなく、死産するという「事件」が起こった。

◆定期健診、かかりつけの産科医なし?

 奈良県の「事件」は、橿原市に住む妊娠7ヶ月の女性が2007年8月29日午前2時45分頃、スーパーで買物中に体調を崩し救急車で搬送された。救急隊は12の病院に延べ16回受け入れを要請したものの「他の分娩で手が離せない」「責任を持てる状況ではない」などの理由で断られた。女性は午前5時頃に死産した、というもの。「なぜこんなにも受け入れ拒否をするのか」と、メディアは拒否した病院や、国内の産科医不足、セーフティーネットの脆弱さを非難した。

   奈良市にある「高の原中央病院」の齊藤守重理事長は、この女性が妊娠7ヵ月ということを知り「あれ?」と思ったという。当然、定期健診を受けねばならないし、分娩の予約は妊娠4ヶ月でも遅いほう。それなのにかかりつけの産科医すらいないというからだ。そして、

「全国的に産科医が不足していて、いま分娩を担当している先生方は、予約のある救急患者を24時間ぶっ通しで診療しているようなもの。そこへ何の情報もない妊婦が運ばれてきたら、もうパニックですよ」

と、緊急で妊婦を受け入れるのは難しい状況だと話す。

◆妊婦8人のうち出産費用を払ったのはわずか2人

   朝日新聞の07年8月26日の記事(神奈川県版)によれば、妊娠してから一度も検診を受けず、陣痛が来てはじめて救急車を呼ぶ「飛び込み出産」が増えているとし、

「赤ちゃんが逆子なのか、どれぐらいの大きさか、どんな感染症を持っているのかもわからない」

という医師のコメントを紹介。これでは責任が持てない、と診療を断る病院が多いと書いている。また、これとは異なる病院側のリスクとして、神奈川県立子供医療センターの例を挙げている。

「1〜4月に来た飛び込み出産の妊婦8人のうち、出産費用を払ったのはわずか2人しかいなかった。なかには生まれた赤ちゃんをおいていってしまった女性もいたという」

   これまで「飛び込み出産」は不法滞在の外国人や、10代で妊娠したために親に相談できなかったなどの事情がある妊婦だったが、最近はほとんどが日本人なのだそうだ。こんなことが続くのなら、ますます受け入れ拒否の病院が増えていく。奈良の妊婦死産「事件」の背景と、こうした実態は無関係とは言えないだろう。



「できちゃった婚、許さねぇぞ!」 和田アキ子、辻ちゃん問題で吼えまくる 5月14日 J−CASTニュース

「できちゃった婚なんかしたら、許さねぇぞ!!!」。TBS系番組「アッコにおまかせ!」(2007年5月13日放送)で司会の和田アキ子さんが何度も吼えた。元「モー娘。」の辻ちゃんが、俳優の杉浦太陽さん(26歳)とできちゃった婚へ、というニュースを扱った際にキレたのだが、理由は「プロ意識が足りない」。この発言を巡って、ネット上では賛否両論が渦巻いている。

◆「違うお勉強してました。下半身の」と皮肉る

 同日のこの番組には、和田さんの所属事務所・ホリプロの「部下」の磯山さやかさんも出演していた。和田さんは磯山さんに向かって、

「オマェ!ホリプロで、できちゃった婚なんかしたら、許さねぇぞ!!!」

と3度も番組冒頭で「恫喝」した。磯山さんは、恐怖で体を硬直させながら、

「彼氏もいないのに、こんなに怒られるなんて…」

と、泣き出しそうだった。和田さんはそれほど興奮していた。

   和田さんがキレたのは、辻ちゃんの「できちゃった婚」を紹介するコーナー。辻ちゃんと杉浦さんが07年5月10日に2ショット会見に臨み、19歳の辻ちゃんは妊娠9週目であることや、お互いを「ター君」「ノンタン」と呼び合っていることなどを明かした。しかし、出演する舞台を降板。先頃発表したばかりの新ユニット「ギャルル」も抜け、タレント活動を休業することを報告。出産して落ち着いたら芸能界への復帰も考えている、と話した。

   和田さんは、「おめでたい事だけど…」と前置きしたうえで、「プロ意識が足りない。加護ちゃんが喫煙で(所属事務所をクビになり)、この子(辻ちゃん)一人で頑張らなければならない時に、自分の置かれている立場を考えなければダメでしょう。(特に舞台の降板は)プロとして他の人に迷惑かけすぎ!」

などとまくし立てた。「置かれている立場」については、

「セクシーアイドルならまだしも、正統派アイドルで売っているのに、『交際しています』ならいいけど、『違うお勉強してました。下半身の』。そんなナマナマしいできちゃった結婚。ましてや女の子達がああなりたいというのが『モー娘。』。そのイメージ全体が『ウーン?』というものになりかねない」

   さらに、プロデューサーつんく♂のお祝いコメント、

「(親心として)これまで以上に彼女のことを応援してください」

にも噛み付いた。

「そうかなぁ?内部の人間でもダメなことをダメと言わなければ人間ダメになる。身内が一番冷静に見なければいけない」(後略)


(私のコメント)
妊娠に関するニュースを二つ選んでみましたが、最近の若い人の性風俗の乱れは社会問題化している。しかしマスコミ論調は若い人の性風俗に迎合してしまって、性の乱れに対する苦言をする大人がいなくなった。親達も少子化で子供を十分に躾けることが出来ず、いわゆる不純異性交遊が蔓延してしまっている。

このように親や社会が子供を甘やかして好き勝手ほうだいの行動を諌める人がいない。学校の先生も生徒達の性の乱れに対してなす術がなくなっているようだ。映画やテレビドラマもそれを助長するようなものばかりで、このような状況では生まれてくる子供がかわいそうだ。

最近では夫婦間の性行為はセックスレス化して、若い夫婦も含めて三分の一がセックスレス化しているそうだ。それとは対照的に若い人の不純異性交遊はますます盛んになるばかりで、芸能界やスポーツ界ではいわゆる「出来ちゃった婚」が蔓延している。それに対する和田アキ子の苦言は異彩を放っているのですが、仕事をする女性が増えて妊娠すれば仕事のキャンセルなどで周りが混乱してしまう。

既婚女性が働いていて妊娠するのは当たり前の事であり、職場も出産休暇などの制度も整っている。ところが最近は未婚のタレントが出来ちゃった婚で所属プロダクションやマネージャーを慌てさせる事が多発している。既婚のタレントならプロダクションもマネージャーもいつ妊娠するか分からないから長期のスケジュールは立てませんが、売れっ子の女性タレントなら半年や一年先のスケジュールはびっしりだ。

女子高生達の売春の蔓延が問題になっていますが、売春がなぜ悪いと開き直られて大人達や親達は何も言えない。それが一部の女性に限られていればいいが、一般の真面目な女性までが興味本位的に不純異性交遊してしまう。だから出来ちゃった婚の蔓延も必然的に起きてしまう。

昔は「婚前交渉は是か非か」などという特集が女性週刊誌などでありましたが、今では婚前交渉は当たり前で、最近の若い女性は結婚するまでに数人の男性との性経験があるのは当たり前になっている。こんな状況では純愛も育つわけがなく、遊んでいるうちに出来ちゃった男と結婚する事になるのだろう。

小説にしても映画にしてもテレビドラマにしても、モラルに対する感情や欲望との葛藤がドラマになるわけであり、最近はモラルという歯止めがなくなったドラマでは、ますますアダルトビデオとの違いがなくなって「純愛ドラマ」など私語になってしまった。たとえあったとしても若い人たちにはピンと来ないだろう。

現在の男女間では「愛=セックス」であり、未婚のうちは愛も盛り上がってセックスも毎日のようにやりまくるのでしょうが、結婚したとたんに愛も消えてセックスレス化するのは当然のことなのだろう。だから婚姻した夫婦は少子化が問題になり、未婚の女性の妊娠が蔓延する事になる。

奈良の妊娠女性のたらいまわし事件も、詳しい状況がニュースでは分からないのですが妊娠しているにもかかわらず定期健診を受けていなかったようだ。だからかかりつけの医者もいないから、病院の紹介も受けられずにたらい回しにされたらしい。ニュースでは家庭環境が分からず義父のコメントがあるだけで未婚なのかもしれない。

未婚で妊娠した場合に周囲に隠しておく事が多く、異常が起きた場合に救急車を呼んで「飛び込み出産」が多くなってきているようだ。いわば未婚の母だから出産しても育てていけないから出産費用も払えない。未婚だからといってセックスしてはいけないと言う事はないのですが、セックスすれば当然妊娠をする。

このような未婚の母はこれからますます増えていく事だろう。「出来ちゃった婚」が出来ればまだましなのですが、愛のないセックスをして妊娠をした場合、定期健診も受けることも出来ず、生まれても育てる事もできない未婚の母が増える事になる。奈良のたらい回し事件はこのような背景があるのですが、新聞記事などでは病院側の非を指摘するものが多い。

妊娠は普通の急病とは違って前もった定期健診が必要だ。だから「飛び込み出産」は本人にとっても病院にとっても危険この上ない事であり避けなければならない。しかし性がこれだけ乱れに乱れると結局はそのしわ寄せは妊娠する女性に行く事になる。

昔なら売春という商売があり、売春の施設もあった。しかし売春が禁止されて、素人女性が売春するようになり、婚外セックスが溢れるようになった。いわば「出来ちゃった婚」の氾濫も「飛び込み出産」の氾濫も性の乱れがもたらしたものだ。それとは反対に結婚するとどうしてセックスレスが氾濫するのか、自分の旦那や奥さんとセックスする事がどうして億劫になるのだろうか? 結局は愛のない結婚生活が原因なのだろう。



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