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情報サービス産業が比較劣位なのに、政策支援等でリソースを抱
え込み続けるのはかえってイノヴェーションを阻害する行為である
2007年5月16日 水曜日
◆インド人がやった方が儲かる事は、インド人にやらせればいいじゃん。 5月14日 bewaad institute@kasumigaseki
ずっと前にarnさんが指摘されたことですが、情報サービス産業は日本において比較劣位にあるのでしょう。それをなんとか延命ないし発展させようというのは、多大なる非効率をもたらしてしまうわけで。Web2.0の代表的企業とされるGoogleに、日本ではそれを上回って利用されているYahoo!にしたって、現にインドに開発拠点をシフトしつつあるわけで、その流れは加速されこそすれ、減速、まして逆流するはずもないでしょう。
#Googleにしても、アメリカでないと絶対にできないことというのは、広告市場を押さえることで、そこでの稼ぎこそが彼/女らの競争力の源泉なわけですから。好待遇をもって知られる開発環境にしても、広告での儲けがなければ絵空事でしかありません。
経済産業省が必死になって旗を振っていることではありますが、比較劣位にある産業を政府の介入でなんとかしようというものだと理解すれば、評判の悪い農林水産省の農業政策と似たようなものです。比較劣位にあるものを比較優位にしようとするならば、現に比較優位にあるもの(たとえば自動車産業)を超えて、発展途上国との生産性格差を構築する必要があるわけですが、頭数がある程度必要であるならば、人件費の違いを超えて生産性格差をひっくり返すのは現実問題として無理でしょう。
わかりやすい目安を挙げるなら、日本の一人当たりGDPは、インドの50倍を超えます。もちろんインドで情報サービス産業に携わる者は、平均よりは高い賃金を稼いではいるでしょうけれども、乱暴に言えば日本人ひとりでインド人50人以上の働きができるようにならなければ、絶対優位にすら立てません他産業の存在を抜きにしても価格競争力がありません(5/15訂正)。現に比較優位にある産業においては、それ以上の差をつけているわけですから、実際に日本でそれを比較優位にしようとするならば、さらに上を目指す必要があります。おそらくは、自動プログラミングソフトでも開発しないことには、達成できないとwebmasterは考えます。
そうした認識が、mkusunokさんのようなそちらの分野において著名な人から出てきたというのは、非常に喜ばしいことではないかとwebmasterは考えます。日本人は日本人でないとできないこと(より正確には、日本人がやれば他がやるよりも儲かること)をやるというのが、日本人にとって幸せであるのみならず、他の国々の人々にとっても幸せなことなのですから。
(中略)
これらはいずれも、実はあるひとつの日本という国の特長に着目した論考であるとwebmasterは思います。要するに、日本は豊かだと。そして、貿易財・サービス(輸入できるもの、すなわち外国から買えるもの)ではその日本の豊かさの影響度合いが相対的に少ないので、非貿易財・サービスに特化して、日本の豊かさから十分に見返りを受けられる分野で稼げ、と。
豊かであることの意味というのは、山形浩生さんと海外著名経済学者とのメイルのやりとりを詳しくはご覧いただくとして、本件との関係で重要な部分を大雑把にまとめるならば、日本の床屋がガーナ(アフリカの。蛇足な補足で恐縮です)の床屋の何十倍も稼げるのは、日本の床屋の生産性がガーナの床屋の生産性に比べて何十倍も高いからではなく、日本という豊かな国で商売しているからに他ならない、と。
日本が世界第2位の経済大国であるというのは伊達ではなく、その含意としては質量ともに豊かであるといえることです。ここでいう質とは一人当たりGDP、量とはGDPそのものとご理解いただければ足りると思いますが、一人当たりGDPがいくら高くても、経済規模が小さければ(ルクセンブルクとか)国内だけで稼ぐには限界があり、外国で売ることも考えなければなりません。GDPそのものがいくら大きくても、一人当たりが低ければ(中国とか)安い商品≒低付加価値商品≒誰でも作れる商品しか売れないわけで、それほど儲かりません。
日本に立地する企業、あるいは日本で働く労働者は、この日本という市場に恵まれているのですから、それを最大限活用しない手はありません。もちろん、トヨタのように世界中でガチンコで戦って十分にやっていける企業はそうすればいいわけですが、プログラマの生産性が人件費あたりで平均的にはインド人よりも低いとしても、インド人にはなかなかできない日本という市場に適合した商品を作り出す部分に特化していけば、そこでは大いに儲けることができるはずなのです。
(中略)
技術流出して何か問題がありますか? というとラディカルでしょうか。知的財産関連で対価をきちんとせしめることができるかという別の問題はあるにせよ、わざわざ安く作ってくれるというのであれば、安く作ってもらえばいいじゃないですか。若干人権的には(笑)問題のある例ではなりますが、古代ギリシア人が農耕などは奴隷にやらせて、自分たちは哲学などにいそしんでいたような構造でいいじゃないですか。もう少しマイルドにいうなら、国を挙げて下請けと化しデスマーチを喜んでやってくれるというなら、やってもらえばいいじゃないですか(あまりマイルドではないかな?)。
mkusunokさんが挙げているエネルギというのは多分に示唆的で、石油はITをはるかに上回るほど社会の多くの分野に影響を及ぼす財ですが、日本で自給自足というのはナンセンスです。さて、国内にそれなりの規模の油田を持つA国では、石油産業への配慮もあり、品質が悪いand/or価格が高い国内産石油の使用を一定水準は義務付けていて、他方で国内ではまったくといっていいほど石油が採れないB国では、世界中から品質と価格のバランスがもっとも優れているものを輸入して使っています。お得なのはA国とB国のどちらでしょうか?
日本はB国に近しいというのは一目瞭然でしょうけれども、それと同じことが情報サービス産業で起きたとして、それは基本的に歓迎すべきことといえます。インドなり中国なりでは作れないもの、あるいは日本で作った方がいいものは日本で作るとしても、そうでなければ、作ってきたものを買ってきた方が、品質がよいand/or価格が低いわけですから、ユーザであるエレクトロニクス産業やら自動車産業やらにとってもお得になるわけです。
この議論が成立しないとすれば、何らかの外部性が存在して、情報サービス産業の興隆が財・サービスの等価交換を超えて他部門へ好循環をもたらすような場合で、mkusunokさんもそうした外部性があることを前提にしていらっしゃるように見えます。しかし、本当にそうなのでしょうか?
確かにコンピュータに詳しい人間がまるでいないというのでは、先に引用したBaatarismさんやダメプログラマーさんがお示しのような調整に要するコストがかさみそうではありますが、それは価格に反映されるでしょうから、外部性とはいえません。付け加えるなら、いみじくもmkusunokさんがお示しのとおり他産業においても相当程度組み込まれるわけで、そこでの就業機会がある以上、情報サービス産業の相当部分が海外移転したとしても、そうした人間がいなくなるというのも想定し難いでしょう。
#そうした人間をきちんと育成できるかというのは、教育その他の問題でもあるので、情報サービス産業があるかないかがまったく影響しないわけもありませんが、それだけで決まる話でもないとwebmasterは考えます。
可能性がありそうなのは、日本の市場ニーズにまったく合わない製品が氾濫してしまいいろいろと不都合が起きるということかと思います。といっても、そうさせないところに日本での稼ぎどころがあるとは既に記したとおりですし、何より商売は、基本的には買い手が強いものですから、そのような収益機会が放置されるというのは考えづらいわけです。
#だからこそ、かつてはNECがPC-98シリーズで牙城を築いていた日本語処理にしても、DOS/VやらWindowsやらでMicrosoftその他が頑張って実装したわけですし。
マクロ経済的な影響まで視野に入れれば、現在情報サービス産業に従事している者をどこにシフトさせるかという話はあるでしょう。どこかに有望な産業がなければジリ貧という可能性も、ゼロというわけではありません(情報サービス産業がそれほどの雇用インパクトがあるのかという話はあるにせよ)‐ただし基本的には、日本での収益機会を活かせるほどに海外の労働者が日本語に通暁する等の状況になれば、その分だけ海外の労働者の賃金が上昇して海外シフトは止まるはずですが。
しかし、それはいかにしてさまざまな成長機会の芽を摘まずに育てられるか、最近の政府のはやり言葉でいえばイノヴェーションが活発かどうかに依存するのであって、情報サービス産業を大切にしていればよいという話ではありません。情報サービス産業が比較劣位なのに政策支援等でリソースを抱え込み続けるのであれば、それはかえってイノヴェーションを阻害する行為でありましょう。
えっ、今後有望な産業は何かって? そんなこと官僚に聞かないでくださいよ(笑)。市場競争に勝ち残ったところがそうなるでしょう、としか。
(中略)
ここでのご指摘にそれほどの異論はないのですが‐つまり、生産性とは究極的には個別の主体に帰属するということ‐、若干切り口が違ってきているのかな、と思います。まったく政府の支援等がない世界で自由に競争してもらう分にはそれでかまわないわけですが、「IT産業こそが21世紀の基幹産業であり、そこでの国際競争力の喪失は国家的損害をもたらすので、官民一体となって・・・」といったようなことが行われては無駄になりかねないし、現にそうした動きは少なからずあるよね、というのがwebmasterの問題意識だったりします。
たとえば現在の日本においては、織物産業は比較劣位にあるといってよいと思いますが、それと人間国宝になるような優れた職人さんがいて、その人が作り出す織物が高額で取引されることとは、まったく矛盾しません。同様に、優れたプログラマが日本においてすばらしいプログラムを作り出すことと、人海戦術的なソフトウェア開発が日本では採算がまず合わないといった状況になることは、十分両立する話といえます。
前回のエントリの例を応用するならば、営農技術に秀でた農家が高く売れる農産物を栽培する一方で、売れない産品しか作れない農家が農業を断念することはまったく問題ないわけですが、一定量の食料生産が必要だと政策リソースを投入することは無駄を伴うわけで、その無駄が生産量維持によってもたらされる便益と釣り合うものであるかどうかはきちんとした検討が必要です。昨今の情報産業施策は、そうした検討がなされているのかどうか、webmasterにとっては疑問であるといわざるを得ないのです。
(私のコメント)
私は情報処理産業は門外漢なので詳しい事はわからないのですが、何から何まで日本国内で産業を完結させる必要はなく、人海戦術的な作業分野は人件費の安いインドや中国などに下請けに出して外注する事は合理的なことだと思う。そしてその分野を担当していたプログラマーはインドや中国とコスト競争を強いられて安くこき使われる事になる。
グローバルなネット社会ではソフトウエア開発などでは世界のどこでも作業が出来るから、欧米や日本でなくともインドや中国に下請けに出して、最終的な技術面や営業面だけポイントを抑えておけば問題はないと思える。
パソコンソフト分野では、OSをアメリカに押さえられてしまったので日本はパソコンソフト開発では全面敗北してしまいましたが、このように根幹に関わる技術をブラックボックス化しておけば、マイクロソフト以外のソフト屋がいくらじたばたしてもどうにもならない。
ところが通産省はアメリカの国家ぐるみの圧力に負けてパソコンOS開発をアメリカに譲ってしまった。その結果CPUを初め、ハード分野もマイクロソフトの制約を受けることになり、日本のIT産業はアメリカに差をつけられることになった。NEC98パソコンも漢字変換がDOS/Vで対応されるとNEC98パソコンは一気に消滅してしまった。
この事は「通産省国売り物語」で紹介しましたが、技術の根幹部分をブラックボックス化される事の意味を通産省は分かっていなかったのだろう。そこさえ押さえておけば後は人件費の安いインドや中国の下請け国家にアウトソーシングすれば利益を独り占めすることが出来る。
最近では情報処理産業も、技術の根幹がOSから情報検索ソフトが主導権を持つようになってきた。つまりネットさえ出来る環境があればGoogleが必要なソフトを提供して、マイクロソフトのOSは単なるデバイスに過ぎなくなってきている。
先日もNHKでGoogleの特番を見ましたが、Googleが究極の情報処理のインフラとなり、個人の趣味や嗜好まで分析してジャストポイントの広告を配信する広告企業となることで利益を稼ぐようになって来た。こうなるとテレビ業界や電通のような広告業界はGoogleに市場を奪われることになる。
今までは生産者と消費者とは直接アクセスする事は技術的に不可能でしたが、ネット社会になりGoogleを使えば必要なものを検索すれば、消費者は直接生産者を見つけることが出来るようになり、媒体となるGoogleが広告市場で圧倒的な優位を持つことが出来る。
「株式日記」をこうして毎日のように更新できるのも情報検索ソフトで瞬時に情報を選び出せるからです。この意味ではプロの新聞やテレビなどの報道業界と素人の私とでは情報のハンデがなくなり、マスコミをネットのブロガーが情報の質や量で凌駕する事態も生まれてきている。
マスコミと同じ事は政界や官界にも言えることであり、政界や官界は情報を独り占めすることで特権を握ってきましたが、ネット化社会では情報のハンデは限りなく小さくなってくるだろう。同じ事は国家間の競争にも当て嵌められるのではないかと思う。つまり国家の情報機関よりもネット上のブロガーの方が情報をリードしてしまう世界が来つつあるのだ。
これからの世界はネット上のブロガーが情報産業の担い手となり、ブロガーの質と量がその国や民族の盛衰の鍵を握る事になるのだろう。中央政府の情報部やマスコミなどの報道機関は単なる媒体に過ぎず、首相個人もブログで情報を発信するようになり、情報の発信者と受信者とが直接アクセスするようになる。
昔は国家と国家の利害がぶつかり合った時は戦争で決着が付けられましたが、核の時代ではそうもいかず、言論戦でプロパガンダが勝敗の決め手になる。今までは国家の情報機関やマスコミが担ってきましたが、発信者と受信者が直接アクセスする時代では、ネット上のブロガーが立役者となる。
パソコンの世界ではOSを握ったところが勝利者であったごとく、情報社会では国家や民族の歴史や文化や伝統や言語などが情報戦の決め手になる。現状では米英などの英語文化が圧倒的な情報力を持っていますが、これに対抗できるのは日本語文化だけではないかと思う。ブログの発信量がそれを暗示しているのではないかと思う。
◆私に世界は変えられるのか。変えるべき世界を想っているのか。 5月10日 BIG BANG
「米のブロガーは、本当に世の中を変えてやろうと思って、ブログに意見を書いている」とJoyは言う。少なくとも、「Web上の日記です」とブログが紹介されてきた日本において、それは変革の道具ではなかったろう。なぜって、「世界を変える」ことが日記に可能だと思うか?あるいは、「世界を変えるために」日記など書く奴がいるか?
むしろ日記は、世界と自分とを区切るために、世界から隔絶された自分を見つめ、遮蔽された時間や空間の中で、内心を見つめるためのものであったのではないか。「ネットで日記を書く奴の気が知れない。」などと、ここにいる当の私も5年ほど前には嘯いていたわけであるが、現在はこうしてブログを書いている。しかし、これで世界が変わる(笑)などとは思っていないし、変えるべき世界が仮にここにあるとしても、本気で世界を変えるなら別の手段を選ぶだろう。
もちろん、私のこっぱなブログが、日本人が最大数を占めるに到ったブログの一滴であることに変わりはなく、その累積の中で何かになることはあるかもしれない。が、その累積が世界を変えていくと言ったところで、それはそれだけのことである。
そもそも思うのだ。あなたは、あるいは私は、「変えたい世界」を心に持っているのか。仮に持っているとすれば、「変えていきたい世界」への方向性を持っていることになる。当然持っていると答える善男善女の前で何を誇れるか、何を語れるか。
JOYはその穏やかなたたずまいの中で、「世界を変える」ブログの力をずっと説いてきた。声高に声を張り上げるのではなく、彼はその小柄な体でそっとあなたの横に立ち、世界が変わること、そしておそらく変えなければならないことを説いてきた。そういう存在としてJOYが心の大半を米国に沿わせているのは、よくわかる。彼には、日本に立つべき場所はずっとなかったのだ。そのまばゆい名声にも関わらず。僕はそれを感じてきた。ずっと昔から。
ところが、何しろ米国のブロガーは、「世界が変えられると」信じて今日もブログを書いているのだ。
(中略)
人生において、大変革の目撃者になる機会はそう多くない。ましてや、世界を揺るがす地を震わせる大変革を目の当たりにする機会は、普通の人間の人生にはめったに訪れない。
しかし、それは言葉を変えれば、こうも言えるのではないだろうか。
つまりあなたは「革命」に出会わなかったのではなく、革命があなたの足元で起きつつあることに気がついたか、そうだなかったのか、ということだ。
つまりだ。「世界を変える」人間とは、実際に世界を変える人間ではなく、一番最初に世界が変わり始めたことに気がついた人間のことではないのだろうか。
もちろん、あなたに、そして私に「変えるべき世界」があったとしての話だ。
テレビ放送業界は、免許制に守られ、広告収入が労せず入る
テレビ局は特権階級であり、何もしない者が高給を取る。
2007年5月15日 火曜日
◆「報道弱体化」はテレビの危機 選択
ーー テレビ局の報道機能弱体化が叫ばれています。
村木 テレビ放送が免許制である以上、権力から監視される立場です。テレビに関して「報道の自由」は元来、幻想にすぎないのです。
ーー 視聴率至上主義も報道軽視につながっていると指摘されます。
村木 視聴率重視の風潮をつくっているのは大手広告会社です。「大人のための見応えのある番組のスポンサーになりたい」という企業は多いのですが、その声が反映されない。『ニュースステーション』(テレビ朝日)の成功で報道も金になりうるという認識が生まれましたが、番組を買い占める大手広告会社や局が高視聴率を求める一方、報道で人気番組をつくり続ける能力が制作サイドにはない。結局、市場の理論に迎合せざるを得ないのです。
ーー 制作サイドの能力にも問題があるということですね。
村木 免許制に守られ、広告収入が労せず入るテレビ局は特権階級であり、局本体が番組をつくらないから番組の質を見定める目は育ちません。一方、制作会社は低予算で「視聴率を上げろ」と尻を叩かれる。番組をつくる者に利益が還元されず、何もしない者が高給を取る。これでは質の高い人材がテレビの世界に来なくなるのは当然です。
ーー それなら政府がテレビ改革をやらなければなりません。
村木 しかし行政は問題の本質を理解していません。しかも旧郵政省や総務省からの天下り組約七十名がNHKや民放の役員になっていますから、旧弊な社会システムが温存される。
ーー 諸外国も同様の状況ですか。
村木 欧米先進国の政府やテレビ局は七〇年代からテレビ番組の質的低下の危機に気づいており、例えば米国では制作会社支援策を十年間の時限立法で実施しました。三大ネットワークに対して「プライムタイムに局制作の番組の放映時間を週二〜四時間に制限し、制作会社に番組制作を依頼しなければならない」という規制を課したのです。しかも著作権・放映権は制作会社に帰属するので、良い番組なら多様なチャンネルで利益を得ることができます。こうした配慮によって欧米の制作会社の能力は飛躍的に高まりました。制作会社育成のための施策は韓国でも実施され、中国も検討を開始しています。日本のテレビは「振り向けば北朝鮮」と言われるほど遅れているのです。
ーー その一方でテレビは政治家の社交場の様相を呈している感があります。
村木 テレビ局にとって政治家との交流は政治的便宜を得るために好都合ですし、政治家もテレビを活用するメリットは大きい。小泉劇場を見ても、テレビ的ポピュリズムのパワーは絶大です。気の毒なのはなれ合いの報道番組を見せられる市民です。
ーー 自浄能力は期待できないなら、免許制廃止といった外科手術しかありません。
村木 その通りですが、そんな決断は総務省にはできません。今後、テレビの世界でジャーナリスティックな機能を果たす可能性があるとすればCS(通信衛星)やケーブルテレビのペイチャンネルです。そしてそれ以上に大きな変革をインターネットがもたらします。テレビならではの報道番組が、こうしたメディアから闊達に発信されるようになることを期待しています。自浄能力のないキー局は質の低い娯楽番組の専門局になるしか道はありません。
◆テレビ業界という格差社会 4月24日 池田信夫
制作費が、あとから出た調査報告書と符合することから、この推定は信頼できる。これによれば、1本1億円から電通の取り分を引いた8500万円のうち、4800万円が電波料として地方局に取られ、関テレ自身も500万円の電波料をとる。調査報告書では、調査対象を制作費にしぼっているため、番組経費の大部分が電波利権に食われているという病的な状況が、さすがの元鬼検事にも見抜けなかったわけだ。したがって「大半のお金は放送局が中間搾取していて、現場のクリエーターには回っていなかった」という私の主張は正しい。
さらに異様なのは、番組制作費のうちVTR制作費が860万円しかなく、残りの2300万円が「スタジオ経費」に消えていることだ。テレワークのマージンを引くとしても、この大部分は出演料だと思われるが、局アナを除けば5人程度の出演者のギャラとしては、いかにも大きい。最高と推定される堺正章の出演料は、おそらく500万円以上だろう。若いタレントでも、100万円ぐらいが相場である。
(私のコメント)
池田信夫氏のブログによれば、1億円のスポンサー料のうち1500万円が電通の手数料として引かれ、残りの8500万円のうち4800万円が電波料として引かれ、スタジオ経費として3500万円が引かれて、実際の番組を制作する制作会社には860万円しか渡らないシステムになっているようだ。
電波料というのはよく分かりませんが、関西テレビも500万円電波料をとっているのだから、只で国からもらった電波利権でスポンサー料の半分以上が何もしていない地方テレビ局に分配されていく。まさに利権で食っているようなものですが、これではテレビ放送業界が腐敗堕落していくのは避けられない。
スタジオ経費の3500万円は看板タレント達の出演料になるようですが、看板になるようなタレントは30分で500万円以上のギャラを稼ぐ。このように1億円のスポンサー料はほとんどが利権や手数料で消えて行き、実際に番組を制作している下請け制作会社はディレクターでも年収300万円で酷使されている。
しかし出演しているタレント達も芸能プロダクションの所属社員が多くて、看板タレント以外は給料はかなり安くこき使われている。最近では大手の芸能プロダクションとテレビ局が癒着して、タレントの技量よりもプロダクションの力でテレビドラマなどの役の割り振りが付けられていく事が多いようだ。
このような状況では番組の質の低下は避けられず、民放各局の番組は同じようなバラエティー番組ばかりになっていく。これなら欧米で行なわれているように、テレビ局の番組制作を制限して、制作会社が著作権や放映権を所有してテレビ局に番組を売るようにした方がいいのかもしれない。
一番馬鹿を見ているのはスポンサーであり、1億円で860万円の番組を買っていることになる。本来ならば金を出すスポンサーが一番強い立場ですが、ここでは放送利権を独占しているテレビ局が一番強い。放送利権が独占されているのはそれだけ政治と癒着しているからですが、規制緩和の流れからは放送利権は守られている。
しかしスポンサーも広告を徐々にテレビや新聞雑誌などからネットに切り替える流れが始まっている。テレビは確かに大勢の人が見ているが広告対象にならない人に見てもらっても意味はなく、それよりはネット広告のほうが購買者層に絞り込んだ広告が出来る。
5月9日の株式日記ではアルファブロガーを使った広告を紹介しましたが、テレビコマーシャルよりもネットのクチコミの方が宣伝効果は大きいだろう。例えば映画の宣伝にしても数十億円のスポット広告をテレビなどに流すよりも、映画通のアルファブロガーに映画の試写会などを見せてブログに書いてもらったらかなり効果があるだろう。
出版業界も同じことが言える。有名な書評ブログに対して出版社から献本されてくる事も多くなり取り上げられれば、今まで客層でなかった人も買う人が出てくるかもしれない。このようにやみくもに金を使ってテレビなどにCMを流すよりも、クチコミ効果を狙ったネット広告のほうが安くて効果があることにスポンサーは気がつき始めている。
テレビが電波利権に守られた巨大な既成勢力なら、ネットは何の規制もない新興勢力だ。テレビは大衆を洗脳して大きな流れを作っていきますが、ネットはその洗脳に抵抗して利権構造を突き崩そうとしている。テレビでは天下りはけしからんと言いながらテレビ業界は70名も役員として天下りを受け入れているが、これでは行政改革はできるわけがないのだ。
郵政ユダヤ化蛮行だって、ドルの崩壊を数年でも先延ばしする
ために、ウォール街が小泉売国奴を使ってやったことだ。
2007年5月14日 月曜日
◆ユダヤ略奪軍の三角合併日本丸裸作戦、進行中。 5月3日 リチャード・コシミズ
オトーサマ、あのさ〜
おい、俺をどこかの北朝鮮宗教の親分みたいに呼ぶな。気持ち悪いな〜
07年5月から三角合併が解禁になるじゃないですか。これで、日本経済完全にウォール街の豚を食わない人たちに乗っ取られるってことでいいの?
豚だけじゃなくてイカも海老も食わないぞ。ま、乗っ取られそうになって、初めて国民が目を覚まして、逆襲を開始するってことだろうな。日本人、尻に火がつかないと始動しない。5月1日は、日本民族解放独立運動の記念日になるな。いや〜めでたい。前祝に一杯いくか?ビールなら、サッポロがいいな。スティール・パートナーズ・サッポロ。
まだ、TOB成立してないよ。三角合併って、ユダヤ資本が、日本に100%子会社を作って、日本の大手企業に合併を仕掛ける時に、欧米の親会社の株を交付できるっていう制度だよね。
ああ、欧米の企業の株価の時価総額は総じて、めちゃくちゃ高いから、ソニーだろうが、キャノンだろうが、簡単に飲み込んでしまう。例えば、GEの時価総額は3500億ドル近いけど、松下電器は350億程度だ。つまり、十分の一だ。日本の大手企業の株価ってのは、日経平均で言うと1万7000円なんだけど、アメリカののダウ平均を、日経平均に換算すると140万円に相当するらしい。つまり、ちょびっとNYの親会社の株を差し出すと、松下だろーが、新日本石油だろうが、いとも簡単に買収できる。
だけんども、三角合併には、買われる側の会社の株主総会で承認がされないと実現しないんでしょ?だったら、そう簡単には強行できないじゃん。
そう、世間様が思ってくれた方が、ハゲタカさんたちはありがたいだろうな。日本人が危険はないと思い込んで、ぼんやりしてくれていた方が、あいつらはやりやすいさ。ひろし、おまえだって、日本の大手企業の株が、軒並み、ユダヤ資本に買い込まれているのは知ってるよな?
三菱UFJ銀行33.7% 三井住友銀行39.4% 新生銀行73.3% キヤノン47.3%
武田薬品43.7% 花王49.5% HOYA54.3% ローム51.6% 富士フイルム51.1%
塩野義製薬41.5% アステラス製薬47.3% TDK44.6% ソニー50.1% ヒロセ電機39.3%
メイテック44.1% コマツ35.6% 東京エレクトロン49.8% SMC49.3% 任天堂41.1%
村田製作所37.8% パイオニア37.8% 小野薬品35.0% エーザイ33.6% 日立製作所39.5%
三菱地所38.3% 三井不動産45.0% 大和證券37.1% 野村證券43.6% セコム43.3%
栗田工業37.3% 第一三共32.3% コニカミノルタ41.4% リコー39.0% 参天製薬36.3%
コナミ30.0% 日東電工55.9% 信越化学36.3% ヤマト運輸31.2% JR東日本30.6%
KDDI31.4% 三井化学29.7% 積水化学33.6% 日産自動車66.7% ホンダ35.5%
スズキ35.7% ヤマハ発動機31.9% 京セラ34.8% 東京ガス32.7% オリンパス34.7%
大日本印刷34.2% NEC29.3%・・・など
これが、外国人の所有する日本株の比率だ。三割から四割を既に抑えている。凄いだろ?
それは、解るんだけど、だからといって、三角合併が実行できるとはいえないんじゃない?だって、株主総会で三分の二の賛成がなければ、成立しないんだし。
三分の二に賛成させればいいだけの話だよ。カンタンだよ。
だけど、日本人の株主さんだって、外資の乗っ取りや横車には神経質になってるし。ちょっと前に、ガス給湯器のノーリツでは、フルサ・オルタナティブ・ストラテジーズが出してきた年間配当を10倍にしろっていう、ご無体な増配提案を株主総会で否決してるよ。「経営資源を確保する必要性」を経営陣が主張して、それを日本人株主が受け入れてる。
だーかーら、シティ・グループが、日興コーディアルを買収しようと躍起になってるのさ。
あ、そうですか。………じゃない。全然わからん。説明してくれ〜。
猷太・頭部脱毛症猛禽類は………
ややこしいこといわずに、ユダヤハゲタカといいなさい。ユダヤハゲタカと。
連中、小泉、竹中、安倍を使って、日本企業の株を底値で買い漁れる状況を作ってきた。911ユダヤ内部犯行テロ直後の日経平均一万円割れや、小泉政治最初の2年間の緊縮財政で株価半落、りそな倒産騒ぎといった局面で、常に同じユダヤ資本が、日本株を底値に誘導しておいて、買い漁った。その結果が、さっきの外国資本の日本株保有率だ。外資が、日本企業を買いやすいように円安に誘導してきた成果だな。
日本は、為替介入とか称して、100兆円近く米国債を買い込んでるよね。これって、米国経済を日本のカネで支えると同時に、円安誘導も、もうひとつの目的だったんだね。日本企業の買収費用を安くするための。
ああ。日本の株が意図的に安くコントロールされてるのも、ハゲタカが買いやすいようにするためさ。日本側の売国奴とユダヤ資本が密接に連携して、こういう事態を作り出してるんだ。
だけど、三分の二といったら、66%でしょ?実際に、そこまで買い込まれている企業はないじゃん。日産や日東電工くらいのもんじゃん。
だから、日興コーディアルをシティ・グループが傘下に収める必要があるんだ。日興は、顧客からの預かり資産43兆円の有力証券会社だ。日興には、顧客がどこの企業の株主であるかのデータが全部揃っている。今まで、得意客に媚を売ってきた、顧客に可愛がられている営業マンもいる。ミニスカの営業ネーちゃんも含めてな。TOB成立したら、経営陣にユダヤ人がドドーッと入ってくる。「シティ・日興未来は薔薇色証券」とかに変わる。
で、日興の営業マン、全員、整列させられて、新しく来たトルコ族系の、滅亡したコーカサス国家の血を引く米国人が訓示をするんだね。
そうだ。「おめーら、今日から、得意先廻って、今、お持ちの松下電器さんの株、弊社の親会社のシティ・グループの株券と交換しませんか?と、押し売りしろ。それ、行け!成約できなかったら、帰ってくるな。シティ組の厳しい掟を忘れるな!」ってね。
なるほど、で、日興の顧客の一部は、一見、有利に見える条件に飛びついて、20年も保有してきた松下電器の株を紙屑と交換しちゃうわけだね。
だな。こうやって、ターゲットにした日本企業の株を、シティが、じわと買い増ししていく。そして、いつのまにか、外国人の持つ松下株の比率が三分の二を超過している….
だけどさー、外国人株主といっても、単一企業じゃないんだし、一枚岩で動くわけじゃないし。
そこが、シロウトさんにはわからないところだろう。外国人株主の大半は、ユダヤ資本だ。隠れユダヤ資本もいるが。彼らは、裏側で全部繋がっている。競合、拮抗しているように見せかけてはいるが、大ボスの号令で大同団結する。
911の当日、WTC内の会社のユダヤ系社員が一斉に欠勤したのと同じようにね。
そういうことだ。彼らには、彼らだけが知っているネットワークがある。非ユダヤには見えない命令系統があるんだ。
だけどさー、三分の二を外国人が抑えても、買収される側の企業の取締役会が承認しないと、三角合併は成立しないじゃん。
あのさー三分の二を外資が所有する事態になれば、当然、取締役会も大株主さんのご意向を無視できなくなるし、外資から役員を受け入れざるを得なくなる。で、ガイコクジンの大株主が人事にも口を出すようになる。気がついてみると、役員会内部でユダヤ様の息の掛かったのが、勢力を増してくる。ユダヤは各個撃破して、仲間に取り込んでくる。ユダヤ資本の乗っ取りに協力する条件で、次期社長の座が約束され、億単位の報酬が保証される。
そういえば、電機のサンヨーで創業者一家を追い出したのも、「キンタマ男吸出し」だよね。日本企業の内部に役員の協力者を組織し、邪魔者は追い出し、一方で、株を買い増しして外堀を埋める。がんじがらめに縛り上げておいて、乗っ取りですね。
こら、読者が、必死に英語に翻訳しないとわからんようなことは言うな、ゴールドマン・サックスだろ。でもって、松下の株主には、株を手放さないなら手放さないで、日興特別攻撃隊の挺身隊員が、甘言で、誘いを掛ける。「三角合併が成立すれば、研究開発費を半減し、保有する不動産をがんがん売り払って、目先の利益を確保します。配当10倍出します!」とかね。
実際、M食品なんか、大株主の外資の圧力で不動産処分してまでして、配当増やしてるよね。それに外資比率が50%超のソニーは、大事な大事な半導体部門の研究開発から撤退させられたね。東芝・NECと一緒にやっていた、次世代半導体の共同開発から、離脱させられているね。
で、一部のカネにしか興味のない投資家は、にんまり笑って、三角合併に賛成票を投じる。三角合併が成立する。
そうなると、もとからあった日本企業は廃止されて、合併を仕掛けた側の外資の100%子会社が存続会社になるんだよね?
そうだ。で、早速、徹底的なユダヤ式のゴイム従業員いじめが始まる。無理なノルマを課して、成績悪いと閑職に追いやったりして首にする。どんどん正社員を減らしていく。その分、人件費が安い契約社員で補填していく。うまいことやれば、企業全体で人件費を半分近くに削減できる。会社が儲かる。オーナーのユダヤ人が笑う。手先の半島人カルトに、ご褒美のお駄賃を放り投げてやり、カルトが喜んで小銭を拾い集める。ご主人様にへらへら、ベンチャラ言いながら。一方で、ユダヤ侵略に協力する、ごく一部の日本人役員だけが、役得にありつく。役員給与も億単位に増額される。役員はユダヤ様のために必死になって、従業員を働かせる。
日本人社員を徹底的に酷使し、搾り取るために、「安倍が夏の参院選後に強行採決する予定の残業代ゼロ合法化」が必要なわけだね。なるほど。ユダヤ様のご指示通りなんだね。で、ユダヤに加担して、三角合併に賛成した日本人株主は、後世、売国奴として長く栄誉を讃えられるわけだね。誇らしい限りだろうね。
シティが日興経由で入手した日本人投資家の情報は、ユダヤ金融資本全体で共有されると思う。で、連中、連帯して、投資家の取り込みに邁進するさ。彼らにとっては、「日本を丸ごとむしり取って、簒奪する」ことが目的なんであって、そのためには、一致団結して共同作戦をとるんだよ。
ところで、日興からアプローチされて、シティ株と松下株を交換した日本人投資家は、シティ株は日本じゃ売買できないから、外国証券会社に委託して、アメリカで売ってもらうかなにかしなくちゃいけなくなるんじゃないの?
だな。で、もち論、その証券会社は、シティがつるんでいる傍系の会社だ。当然、いろいろと美味しい投資話をシティの猛禽類の仲間が持ちかける。
シティといえば、プライベート・バンキング分野で日本の銀行史に残る快挙を成し遂げた会社だよね。
これが、シティの開発した新しいマーケティングの手法だ。「手口」というべきかな?
・匿名口座と知りながら大口顧客の口座開設
・暴力団関係のマネーロンダリングの手助け
・株価操作のための資金提供
・融資と債権の違法な抱き合わせ販売
・銀行法に触れる美術品や不動産の販売
だけど、日本では、これらの行為は、あまり受け入れられなかったんだな。経済ヤクザの手口は、日本という風土には適合しなかった。だから、お上から叱責を受け、プライベート・バンキング分野からの撤退を余儀なくされた。
あたりまえじゃん。こんなのゴロツキしかやらないよ。
ゴロツキなんだから、やってもいいんじゃないの?で、この類の前科もちの連中に再教育された日興の営業が、馴染みの顧客に擦り寄って、超低金利の日本にはないような儲け話を耳元で囁く。今まではリスクがあるので積極的に売り込まなかったような商品を、ユダヤ人が売りまくれという。で、お客は、次々に保有していた日本株をユダヤ人に売り渡し、できた資金で、おかしな外債投資信託に投資しちゃったりする。それどころか、株投資に回してなかった銀行預金まで引き出して、外債に突っ込んだりする。
そこが、彼らの狙い目立ったりして。日本人の懐に眠っていた預金を引っ張り出すのが、日興買収の美味しい部分だよね。たかだか、1兆円弱で日興を買収して、40兆円を超える預かり資産を手中にするだけじゃなくて、さらに他で運用されていた資産も引き出せるってことか。それにしても、ユダヤさんたち、目の色変えて、日本の資産を買い漁ってるよね。これって、どういうこと?
ヒロシ、お前、今、自分の持っている資産がもうすぐ無価値になると知っていたらどうする?
そりゃ、当然、他の価値のある物に買い換えておくよ。金とかプラチナとか、石油の先物とか、不動産とか株とか…………あ!
連中は、手持ちの資産が紙切れになると知っているから、「換金」に躍起になってるんだよ。
「ドル崩壊」ってこと?
そうだ。財政赤字、経常赤字の双子の赤字が深刻な米国経済は、どのみち、破綻する。石油の決済通貨として採用されなくなってきたドルは、唯一の基軸通貨としての地位を失いつつある。連中は、ドルが暴落する前に、手持ちの資産を日本企業の株なんかに交換してしまおうと必死なんだ。
ドルに表面上の価値があるうちに、日本人を騙して、資産を吐き出させ、代わりに、もうすぐ無価値の紙切れになるドルをおしつけてるわけだね。
そういうわけだ。で、B層痴呆投資家の皆さんは、そこがわからずに、大喜びで虎の子の財産を次々にユダヤ様に無償提供している。馬鹿丸出し以下だ。馬や鹿のがよっぽど高等だ。だが、アメリカ経済は一見絶好調に見える。NYの株価は史上最高値を更新している。サブプライムローンの倒産騒ぎなんて、どこ吹く風で、米経済絶好調に見える。
だから、日本の投資家さんたち、外債投資に不安なんか感じない。日興の営業も薔薇色の話しかするなってユダヤ人に命令されるだろうし。ところが、絶好調に見えるだけなんだよね。景気なんてものは、FRBが市場に流すマネーの量を左右すれば、短期的には人工的に演出できる。米経済、「ヤバク」ない、絶好調と見せ掛けて、日本人のカネをアメリカに引き寄せる。実際は、双子の赤字で国家破綻同然だけど、日本と中国が貿易黒字を注入している限りは、破綻が先送りされるし。
うむ。うまいこと、日本人を騙して、気がつかないうちに、大特急で資産略奪だな。馬鹿な日本人、虎の子をわけのわからない外債と交換しちゃって、現金化せずに、余計な運用なんかしているうちに、「はい、今日を持ちましてドルは崩壊しました。皆様お持ちの証券は、紙としての利用価値しかなくなりましたので、おトイレで、肛門付近を拭くことだけにお使いくださいませ。」になるわけだ。
だけど、米国ユダヤ様も、思惑通り行かないんで真っ青なんじゃないの?ドル崩壊が予定よりも早く起こりそうで。イランの原油取引ユーロ化とか、ロシアのルーブル採用とかで。そうなると、日本人からの搾取が終わる前に、閉店時の蛍の光が流れちまうさ。
そうなんだよ。そもそも、郵政ユダヤ化蛮行だって、郵貯銀行をユダヤ人が乗っ取って、郵貯の350兆円を米国債買い支えに回すのが目的だ。つまり、ドルの崩壊を数年でも先延ばしするために、ウォール街が小泉売国奴を使ってやったことだ。それに、わざわざ911テロを捏造して、それを口実にしてイラクを侵略したのも、フセインによる原油決済のユーロ化を潰して、ドル決済に戻すためだった。ドル防衛のための戦争だったんだ。
ということは、ユダヤ権力様は、ドル崩壊を少なくとも4-5年先に設定しているってこと?
ああ。ドル崩壊と次の戦争はセット物でね。戦争絡めて、ドル崩壊を起こすつもりじゃないかな。で、ドルに代わる北米通貨が登場する。「アメロ」とかいう。
「ユダロ」のがいいんじゃないの?
「与太郎」でいいさ。与太者の通貨には。
そっかー、じゃ、予定外のドル崩壊の危機で、ユダヤさんたち、右往左往中?バー工大の烈士みたいに、切れちゃって、911型インチキ戦争パート2を始めちゃうの?
あー、イランと朝鮮半島でな。追い詰められた巨悪の断末魔だな。悪あがきだ。
(私のコメント)
アメリカが軍事面や経済面でかなりやばい事になっているのは「株式日記」で書いてきた通りなのですが、ユダヤ国際金融資本家達はアメリカの富を徹底的に吸い尽くしてアメリカを去ろうとしている。その置き土産は紙切れ同然になってしまったドル札だけだろう。そして新たなる寄生先を日本に決めたようだ。
都心に行くと超高層ビルが続々と建てられていますが、彼らはいずれニューヨークを捨てて東京にやってくるようだ。ロンドン、ニューヨーク、東京と三地点を押さえれば24時間フル操業金融で稼ぐ事ができるからだ。90年代頃は中国の上海に狙いを付けていたようですが、上海は公害で空気も悪く、水も水道水も危なくて飲めないのでは命にかかわるから方針を変えたようだ。
香港やシンガポールも金融都市として発展してきましたが、周りが政情不安な国ばかりでは金融センターとしては向かない。やはりイギリスやアメリカや日本のような政治的に安定したところでないと、ユダヤ国際金融資本は安心して仕事が出来ない。しかし東京は規制が多くて英語も通じない。
だから小泉首相などに圧力をかけて規制緩和をやらせたり、小学生から英語を習わせたりさせている。どっちみち日本は米軍基地が八十カ所もあってアメリカ同然だから日本人を飼いならせば何とかなると思っているのだろう。その為に皇室典範すら変えさせて天皇陛下すら意のままにしようとしている。
ユダヤ国際金融資本が東京にやってくることが日本にとってプラスであるのならば私は反対しないが、日米安保で軍事的に占領されるのみならず経済面でも主導権を奪われて日本の富が資本家だけを潤すようになると、大多数の日本人は貧しくワーキングプア化して奴隷階級になるのではないか?
表向き政治面では日本は独立国家のような形ですが、軍事面では米軍の下請けであり日本は永久占領されたようなものであり、経済面でもじわじわと支配が進んでいる。日本の主だった大手企業はユダヤ資本にすでに4割も買い進められている。気がついた時は大株主はすべてユダヤ国際金融資本ということになるだろう。小泉竹中内閣がそのように仕向けたのだ。
日本の大手企業が外資系企業になれば、社内の公用語はすべて英語になり、入社試験も英語でされるから、学生達は否が応でも英語を勉強するようになり、学校も英語で授業が行なわれるようになる。そうなればシンガポールや香港並みに英語でビジネスが出来る環境が出来上がる。
このようになってようやくペリー提督が浦賀にやってきて、百数十年たって日本の完全占領が完成する。大東亜戦争も彼らにとっては遠大な計画の一部であり、第一段階が軍事的な占領なら、第二段階は経済的な占領であり、最終段階は文化的な占領であり、そのときには天皇もキリスト教徒になり日本人のキリスト教徒化が完成する。
kのような計画が一歩一歩着実に進められているのに、日本人はこの現実を誇大妄想として受け付けない。テレビなどを用いた洗脳工作で日本人は白痴化されて思考能力が失われて、ただ仕事に関することにしか頭が働かないようになっている。学校教育からそのように仕組まれているからだ。
映画 「しゃべれどもしゃべれども」 人生の壁に突き当たり、
自信も将来の展望も見えて来ないひとたちの、再生のものがたり
2007年5月13日 日曜日
◆映画『しゃべれども しゃべれども』公式サイト
◆国分太一主演の映画に佐藤多佳子「しゃべれどもしゃべれども」が 2006年6月17日 あやしいふるほんや日記
ちょっと真っ正直すぎて、生きるのが下手なひとたちのことを書いた、「しゃべれども
しゃべれども」という、「97年度本の雑誌ベスト1」に輝いた佐藤多佳子さんの人気小説。
それを原作に映画化した作品・・・実は、撮影が終了したばかりで、まだ未公開。
さっき、プリンターのインクが無くなりそうなので、近くの電気屋さんに買い物に行った帰り道、カーラジオからTOKIOの国分太一君の会話が聞こえてきた。5月1日(月)クランクイン、来年公開予定の「しゃべれどもしゃべれども」(平山秀幸監督)で、映画に単独初主演したと言う。今夜のラジオでは、丸々1ヶ月ちょっとかかりきりだった撮影がやっと終わって、ほっと一息ついてる処だとか。
実は、ジャニーズ事務所のタレントなどには、およそ縁遠いはるるさんだけど(アタリマエ!)、しばらく前からこの国分太一という存在は好きだ。見た目、とゆーよりは普段着の言葉遣いとか立ち居振る舞い、と言った性格みたいなものが、なんとなくさわやかで好感が持てる。
その彼が、この映画では不器用な落語家の役を演じる。
なかなか芽が出ない若手落語家のもとへ「落語を習いたい」とおかしな三人がやってくる。「しゃべりを教えて」たって、振られ上手の口下手やら、アガリ性やら、元野球選手やら。すぐケンカになってしまうひと、とにかくむっつりしゃべらないひと、いざ、話そうとすると、言葉がつかえ、どもってしまうので、ますます口下手になってしまう悪循環のひと。
よりにもよって変わった人ばかり、思うとおりにいく筈がない。
さて・・・。
いろんな意味で、人生の壁に突き当たり、自信も将来の展望も見えて来ないひとたちの、おもしろくもかなしい再生のものがたり、と言うストーリーなんだけど、映画の方では伸び悩む若手落語家の恋と人生を中心に描いたものになりそう。
太一君は主人公の落語家「今昔亭三つ葉」役に挑むこととなり、役作りのために落語家の柳家三三(さんざ)さんに弟子入りして、みっちり修行をしたそうです。
これが、けっこうハードだったらしい。
古典落語の名作、あの「火炎太鼓」を、そっくり一席・・・・マスター、しなければなかったそうで。
ちょっとでも落語を判るひとなら理解できると思うけど、そのための努力は並大抵ではありませぬ。
▽監督は日本アカデミー賞最優秀監督賞受賞の平山秀幸、脚本は「学校の怪談」シリーズなどの奥寺佐渡子が手掛ける。共演は、香里奈、松重豊、八千草薫、伊東四朗。製作側は、観た人の記憶に残る、末永く愛される、愛しい映画づくりを目指すとしています。映画はクランクアップしていますが、アスミック・エース配給により07年全国公開予定。
この本、10年前に読んで、ラストシーンでは思わずうるうるしてしまった、感涙の長編小説。
あの頃はハードカバーの単行本しか出ていなくて、1500円くらいだったけど、もうとっくにロングセラーの文庫本になって500円台で発売されてる。
なんだか、さみしいなあ、とか。
世の中どす黒いことばかりで、いやんなっちゃうなあ、なんて。
むしゃくしゃしてるひとが、ほっと一息つけそうな、心がほわんと温かくなるおはなし、です。
◆「しゃべれどもしゃべれども」 佐藤多佳子著 (新潮文庫)
◆桂三枝が“落語家・太一”に太鼓判 5月12日 デイリースポーツ
人気グループ・TOKIOの国分太一(32)が11日、大阪市北区の天満天神繁昌亭で行われた単独初主演映画「しゃべれども しゃべれども」(26日公開)の試写会で、舞台あいさつをした。落語を題材にした作品であることから、上方落語協会会長の桂三枝(63)も出席。「落語家の日常を見事に描いている」とプロとして絶賛した。
TOKIOと落語は、何かと縁が深い。2005年にドラマ「タイガー&ドラゴン」で長瀬智也(28)が、06年にドラマ「林家三平ものがたり」で山口達也(35)がそれぞれ落語家を演じ、日本テレビ・読売系「笑点」の特番に5人そろって出演したこともある。そして今作では国分が、昨年9月、61年ぶりに復活した上方落語の定席・繁昌亭での映画初上映を実現させ、落語界に新たな歴史を打ち立てた。
落語家・今昔亭三つ葉役の国分は、劇中で「饅頭こわい」「火焔太鼓」などの噺(はなし)を披露。だが、「役をやるまでは落語に興味がなかった。初めて見た落語は、長瀬くんがやってた落語でした」とぶっちゃけて、客席の笑いを誘った。
ゼロからの役作りのため、国分はクランクイン前の1カ月間、落語家・柳家三三(32)に“弟子入り”。「1日2、3時間けいこして、宿題もありました」と猛特訓を積んだ。これには、三枝も「プロよりけいこしてる。すごいけいこ量だと思う」と舌を巻いた。
既に映画を鑑賞した三枝は「何度か泣いてしまった。国分さんが15歳くらいのとき、初めて一緒に仕事させていただいたんですが、こんなにうまくしゃべれるようになるとは」と感慨深げ。「映画史に残るし、いろんな賞をいただけるでしょう」と“噺家・太一”に太鼓判を押した。褒めちぎられた国分は、「早めにタキシードを用意しときましょうか」とすっかりその気だった。
(私のコメント)
映画の「しゃべれどもしゃべれども」は今月の26日に公開されるそうですが、私は原作本もまだ読んではいない。ジャニーズ事務所のTOKIOの国分太一が主演をしている映画ということで、私には用がない映画のように見えましたが、公式ホームページの予告編を見ると、結構いけている映画のように思える。
最近ではテレビをつければバラエティー番組で、お笑いタレントと女性アイドルがテレビカメラの前で笑い転げているだけの番組が多くなりました。ジャニーズ事務所でも最近ではお笑いタレントを養成しているようで、SMAPなどはその第一号でしょう。歌手は常にヒットを飛ばしていないといけませんが、お笑いならキャラクターが向いていれば長く活躍できる。
TOKIOもその路線を目指しているよう出すが、クレージーキャッツやドリフターズが引退したり高齢化して、笑いのできるバンドということになるとTOKIOになるのだろうか? ドリフターズのカトちゃんケンちゃんも高齢化して、あとを継ぐコミックバンドが出てこなかった。
TOKIOはコミックバンドとは言えませんが、アイドルグループからお笑い路線に切り替えようとしているのだろう。アイドルだと年齢的にファン層が10代の女の子だからTOKIOもSMAPもすでに30代だから、好むと好まざるとに関わらずお笑いタレントとして歌の方はサブになっていくのだろう。
TOKIOの国分太一(32)といっても私には顔も思い浮かばない。芸能ニュースでaikoと分かれた彼氏の方ということで有名になった。はたしてアイドルタレントがどれだけの演技が出来ているのかわかりませんが、TOKIOと落語とは縁が深いようだ。
昔はテレビなどのお笑いタレントは若手の落語家が多かったのですが、やはり印象が地味目でテレビには向かなかったようだ。明石屋さんまや笑福亭鶴瓶は例外中の例外だろう。それよりかはアイドルに演芸を覚えさせた方が成功する確率は高い。
落語といえばほとんどの高校や大学にはクラブ活動として落語研究会がありますが、それはサッカー部がボール一つあれば出来るように、落語は座布団一つあれば出来るからだ。映画では国分太一は古典落語を演ずる二つ目の若手落語家で、そこで芸の壁にぶつかっているのですが、問題を抱えた素人に落語を教える事で何かを掴んで行く。
映画の試写会で見た人の話では国分太一の落語は本職より出来が良いそうですが、DVDが出たらレンタル屋で借りて見たいものだ。やはり落語家も芸人である以上は華がないとつまらない。このようにテレビや映画で笑いが好まれるのも時代的なものでしょうが、笑いは当たりはずれが少なくて小予算で出来るからだろう。
先日、電車の中で女子高生のグループが乗っていたのですが、その中の一人が柳原加奈子の物真似をしていて、今では歌よりもお笑いの方がアイドルとして主流になっているようだ。落語の小話やお笑いのギャグはユーチューブにもアップされていつでも見ることが出来るようなった。TOKIOの長瀬智也の落語と柳原加奈子の芸をご覧ください。
◆
Nagase - 落語 (初天神) 動画9分39秒
◆
柳原可奈子 総武線の女子高生 動画1分30秒
『それでも「NO(ノー)」と言える日本―日米間の根本問題』
アメリカが日本を失えば地球半分の兵站基地を失う事になる。
2007年5月12日 土曜日
◆それでも「NO(ノー)」と言える日本―日米間の根本問題
小川和久
◆日本はペンタゴン最大のオイル・ターミナル
日米安保体制の軍事面を論じるにあたって、非常に残念に思うのはわれわれ日本側の無知です。在日米軍を正式に取材し、公式資料とブリーフィソグをもとに最初に実態を明らかにしたのは私でしたが、それまでは防衛庁ですら満足に手をつけていなかった気配が濃厚なのです。
私は一九八四年八月の炎天下、青森県の三沢から沖縄の嘉手納まではとんどの米軍基地を取材し、司令官たちとも会ってきました。そのとき米軍が提供してくれたのは、別に秘密扱いの資料でも何でもなく、マスコミ用のプレス・キットに入っている資料だげでしたが、それを丹念に読んでいくうちに、ギョッとさせられたわけです。
その取材をまとめた単行本『在日米軍』(講談杜)は、幸いにも右からも左からも評価してもらい、私がなんとか軍事間題の専門家としてスタートするきっかげになったのですが、とにかくそれまでは、在日米軍の兵力が五万人で、主な基地がどこにあるといった『防衛白書』に載っている程度のことしか明らかにされていなかったのです。
しかし、米軍の戦力評価を厳密にしようと思えば、目に見える兵力だげでなく、ロジスティックス、つまり補給・兵鈷といった面をきちんと押える必要があります。その部分から眺めると、在日米軍基地は地球の半分で戦う米軍兵力のすべてを支えてきたことが明らかになるのです。これは巨大な戦力根拠地です。この事実を踏まえたうえで、アメリカと日米安保の話をしようというのが、一貫した私の姿勢です。
在日米軍基地については、もう少し詳しくお話しする必要があるでしょう。いま、無人の無線中継所まで含めた在日米軍基地は全国に百五カ所あり、三百二十四平方キロの用地を使っています。日本では、米軍基地というとすぐに沖縄を思い浮かべますが、実は本土のほうに重要な機能が集中しているのです。沖縄の場合、米軍基地は沖縄本島の二〇バーセソトにも達していますが、基地間題で沖縄にだげ目がむくのは沖縄を反戦運動のシソボルとして神聖化してきた結果で、いくぶん視野狭窄の感があります。
在日米軍基地に置かれたロジスティックスの能力は、私が『在日米軍』の中で紹介した一九八一会計年度のアメリカ上院軍事委員会の公聴会の記録の表現が象徴的でしょう。そこには「西太平洋のすべての米軍部隊は、日本に基地を置く広範な補給ネットワークによって支援されている」、「日本に置かれた弾薬の貯蔵施設は、西太平洋における陸上弾薬庫の貯蔵能力の五〇パーセソト以上にあたり、石油の貯蔵能力のほうは、ハワイから西に置かれた燃料の八○バーセントにものぽっている」と記されているのです。
"ハワイから西〃という表現は、西経百六十度線から西、イソド洋を通り越したアフリカ最南端の喜望峰までを意味し、第七艦隊の作戦範囲と一致しているわげですが、なんと地球の半分に相当する広大なエリアです。
そこで、燃料と弾薬について具体的なデータを米軍側に求めたところ、燃料については詳細な数字をブリーフィングで明らかにしてくれました。ご承知のとおりアメリカは世界一の海軍国ですから、日本に置かれているのも大部分は海軍の燃料で、長崎県佐世保の五百三十万バーレル、神奈川県鶴見の五百七十万バーレル、青森県八戸の七万バーレルと、合計千百七万バーレルにものぽっています。
米軍自身、それをして"ベンタゴン最大のオイルターミナル〃と表現しているわげですが、日本にはアメリカ本土にもないほどの巨大な軍事用ガソリンスタンドが置かれていたのです。なにしろ、佐世保だげでぺンタゴン第三位と記されているのです。
このアメリカ海軍の燃料、それではどれぐらいの能力があるかというと、米ソに次いで世界で三番目に石油エネルギーをガブ飲みしている日本を、まるまる三日まかなえるわげです。三日などと言うと大したことないように思えますが、主要戦闘艦艇七十隻七十万トンで編成する世界で最大最強の第七艦隊を実に十回も満タソにでき、それによって六ヵ月間も作戦行動させられるのです。ちなみに主要戦闘艦艇二十八万トン、世界第六位の海上自衛隊なら、なんと三十回も満タンにできる量です。
参考までに、アメリカ海軍がフィリピンのスービック・ベイにどれぐらい燃料を置いているかというと、二百四十万バーレルにすぎません。だから、あそこは第一線の野戦基地の域を出ないのです。
次に弾薬はどうかというと、陸軍がファクト・シートに記したものを出してくれたほかは、海軍、海兵隊、空軍は機密を理由に内容を公表してくれませんでした。その在日アメリカ陸軍の弾薬ですが、ご承知のとおり陸軍は神奈川県のキャンブ座問に第九軍団司令部と在日アメリカ陸軍司令部を置いてはいますが、実戦部隊は沖縄にグリーンベレーを三百人ほど駐留させているだげです。
ところが、実戦部隊を持っていない陸軍にしてからが広島県内に巨大な弾薬庫を三つも置いており、その貯蔵能力は十一万九千トンと、十三個師団で編成する陸上自衛隊の当時の全備蓄量の一・五倍にも達していたわげです。そのうち二つの弾薬庫はアンレストリクティッド、つまり制限なしということで、通常弾薬だげでなく、毒ガスや核兵器の貯蔵が可能な特別な設備を備えているのです。
それでは海軍と海兵隊はどうかというと、佐世保にある二つの弾薬庫が作戦海域唯一の陸上弾薬庫という以外、具体的な説明はありませんでした。もちろん、横須賀などの基地や沖縄の海兵隊駐留地区にも日常使うための弾薬庫はありますから、大規模で本格的なものという意味です。しかし、アフリカ最南端のケーブタウンまでが作戦エリアということを考えると、陸軍のストックなど比べものにならない巨大さを持つことは想像できます。
空軍はといえば、これがすごい。沖縄の嘉手納弾薬庫を管理している第四〇〇弾薬整備中隊の説明資料に、「わが中隊は米軍最大の弾薬部隊」とあり、それで、「ひょっとして、嘉手納は米軍最大の弾薬庫?」と聞くと、米軍の担当官はニヤッと笑っていました。つまり、米軍最大の弾薬庫はアメリカ本土でもヨーロッパのNAT0の正面でもなく、沖縄の嘉手納だと考えてよいのです。
このように燃料と弾薬だけをみても、地球の半分で行動する米軍は日本に支えられてきた、ということは間違いありません。これは、世界一の傍受用アソテナである三沢基地の象のオリなど、情報の収集・解析機能を加えると、いっそう際立ってきます。アメリカの海外軍事拠点として、日本は質量ともナンバー・ワンといえるほどの重要性を秘めているのです。
私は八四年の段階で、こうした現実とデータを公表したわけですが、いまだに知らない日本人が多いのは残念なことです。まして、アメリカ人でこうした数字を押えて発言している人は稀で、大部分の対日強硬論者はファクツ・アソド・フィギュアスに目をつぶったまま、日本を巧みに利用しようとしているとしか思えません。
アメリカには、「日本こそアメリカの強大な戦力に守られて、好き勝手に経済活動をしてきたではないか」と反論する人もいるでしょう。しかし、地球の半分を支えるような巨大な軍事基地をアメリカが日本国内に設げることは、決して日本人のほうから望んだわげではないのです。まず最初にアメリカの勝手、つまりアメリカの世界戦略があって、現在の巨大な在日米軍基地が生まれたのです。
◆日米安保条約破棄を恐れるアメリカ
アメリカが日本列島を世界戦略上の重要根拠地化している現状を考えると、日米安保条約で恩恵を受けているのは日本よりもアメリカ、と言うほかありません。このところ激しさを増す一方の日米摩擦にあって、日本人の一部には、このままではアメリカから安保条約を破棄されかねない、という見方をする人も出てきました。
しかし、現実は全く逆なのです。アメリカのほうこそ、ジャパン・バッシングに腹を立てた日本が安保条約の解消を言いだすことを、基本的には恐れているのです。事実、アメリカはすでに、日本が安保条約の破棄を通告してきた場合、どう対処するかを具体的に検討しています。しかし、基本的には安保条約を維持するのがアメリカにとってベストの選択ですから、安保解消の動きが日本側に生まれないうちに封じ込めてしまおうと考えているようです。
アメリカの戦略的動向を分析していくと、一九八○年代に入ってからは対日戦略を最も重視し始めていることがわかります。たとえぱ、日本語を喋れて、日本人の思考方法を理解できる人材の確保、つまり日本の情報を的確に把握できるアメリカ人をもっと増やさなけれぱいげない、という姿勢が露骨に表われています。
どういうことかと言うと、アメリカは第二次世界大戦において陸軍語学学校を作り、ラィシャワー博士などが教官を務める中で対日戦にも効果を上げたわげですが、それと似たパターンが出てきているということです。八四年夏、CIAは日系人の上級アナリストを公募したのですが、それまでは真剣に日本のことを研究する必要がなかったので、ランクの高いアナリストに日本を対象とした人材は少なかったのです。アメリカがこんな研究を始めたのは、日本が日米安保条約を破棄することを警戒し、両国がコリジョン(衝突)・コースというワースト・シナリオをたどらないよう、真剣に取り組み始めたからです。
アメリカにしてみれぱ矛盾する二つの重要課題、要するに、日本との安全保障体制を良好な形に維持すること、敵対関係にある経済問題をコソトロール可能な状態に収めることを両方クリアできて初めて満点の答案を書くことができるわげですから、そのためのシフトを敷いてきたと考えられます。
また同時に、私が『仮想敵国ニッポンーアメリカの対日戦略シフト』(講談杜)で分析したように、それでも日本で反米ナショナリズムが台頭したり、日本側から安保条約を切った場合にどうするかについて、アメリカがすでに一定のシナリオを準備していることも、当然のこととして受げ止める必要があります。
これは、石原さんが指摘してこられた半導体の問題とよく似ているのですが、私はかつて大統領候補にもなったことのある民主党の元上院議員に「日本のはうから安保条約を解消するといったら、困るのはアメリカのほうでしょう」と、問題を突きつけたわけです。すると、そのアメリカの大物政治家は「アメリカにとって日本がきわめて重要なことは、かつて上院軍事委員会のメンバーとして、公表されないようなベンタゴンの機密資料にも目を通せる立場にあったから、よく承知しています。ジャバン・バッシングに走っている軍事委員会のメンバーも、日本の重要性は全部知っているのですが、選挙のためなら何でもやる人たちなのですよ」と、正直なところを明かしてくれました。
ここで重要なのは、さきほどの在日米軍のヶースに象徴されるように、自分たちの税金の使い道にづいての日本側の無知につけ込んで、アメリカ側が無理難題を吹っかげていることだげではありません。そのことによって、日本に反米ナショナリズムが生まれ育つような最悪の選択を、アメリカみずからが行なっていることこそ深刻な問題だと思います。
日本側の無知といえぱ、一般的に大家だと思われている著名人たちの無知だけにとどまりません。専門的に研究している学者やジャーナリストでさえ大きな問題を抱えており、アメリカに簡単につげ入られるようなスキだらげという実情を物語る、悲しいエピソードには事欠きません。
昨年春、アメリカンセンターでアナポリス(アメリカ海軍兵学校)の政治学教授R氏の話を、日本の学者、ジャーナリスト、官僚と聞いたときのことです。R教授は東アジアの戦略問題の専門家です。そのときR教授は、フィリピンの米軍基地は在日米軍基地など代わることのできないほどの戦略的重要性を持っている、と強調しました。
私はこの発言が日本の無知につけ込んだものであり、だから日本はフィリピンの安定のためにODAをもっと増やすべきだ、という趣旨で行なわれたように感じました。そこでさきほどお話ししましたような在日米軍基地の能力に比べて、クラーク空軍基地もスービック・ベイの海軍基地も、置かれている第一線兵力、燃料、弾薬、艦船修理能力のどこをとっても劣っており、それでもフィリピンのほうが重要だというのであれば具体的なデータで説明してほしい、と求めたわげです。
するとどうでしょう。R教授は「実はデータに基づいて話したのではない」と言うではありませんか。このとき出席していた日本側の聴衆の大部分は、R教授の話を熱心にメモしていました。ですから、もし私が質問しなかったなら、R教授の話をそのまま信じ込んで帰ることになったかもしれません。
そんなこともあって、その直後の昨年四月にフィリピンに行ったとき、ちょっとしたテストをしてみました。まったく取材申請などをせずに米軍基地に入れるかどうかを試し、アメリカがどれほど戦略的に重要だと考えているかどうかチェックしてみたのです。その結果、わずか四百ペソ(二千八百円)ずつを警備のフィリピソ軍に払っただけで、クラーク空軍基地とスービツク・ベイの海軍基地の中枢部まで簡単に入ることができました。
私が新人民軍(NPA)のゲリラであれば、その日のうちに二つの基地は壊減的な打撃を受げたと予測できるほど、重要な施設の近くまで入れ込むことができたのです。それで、帰国するとすぐにアメリカ大使館の知人に「何ですか、あのセキュリテイの状態は。日本にODAの増額を要求できるほどの基地とは思えませんね。そんなずさんなロジックで日本からお金を引き出せるなんて、これからは考えないほうがいいですよ」と伝えたわげです。
このように、アメリカは日本人の無知を熟知したうえで、無理を強要してくることも多いかです。日米安保条約にしても、「アメリカが日本を守ってやっている。アメリカは日本の防衛を肩代わりしている」などというアメリカの主張を全面的に認めていては、アメリカの世界戦略、要するにアメリカの国益を最優先した役割を押しつけられるだけで、いっまでたっても対等たパートナーシップを形成することなど絵空事に終わりかねません。(P36〜P48)
(私のコメント)
ロシア政治経済ジャーナルで「アメリカが日本をすてる?」という読者の質問に答えていますが 、日本人はどうしてアメリカに対して依存的な心境を持つのでしょうか? 現状から見る限りにおいては日本がアメリカを捨てる事はあってもアメリカが日本を捨てる事は出来ない。単独覇権主義を捨ててアメリカが引き篭もりになれば別ですが、アメリカですら昨日書いたように石油の海外依存率は60%を越えており、シーレーンの防衛はアメリカの生命線だ。
第二次世界大戦の頃までは石油は自給できたし、海外から戦略物資を輸入する必要は無かった。しかし現代ではアメリカといえども石油ですら外国から輸入しないとやっていけない。戦略物資以外にも海外との分業化が進んでアメリカは世界一の輸入大国で海外との通商路はこれからも確保して行かなければならない。
その為にアメリカ海空軍は世界に軍事基地を展開させていますが、その中でも日本にある米軍基地はハワイからケープタウンまでの世界の半分をカバーするだけの兵站基地となっているのだ。つまり日本の軍事基地が使えなくなるとインド洋から西太平洋はアメリカの勢力圏ではなくなってしまう。
イラク戦争も日本の兵站基地が使えなければインド洋の制海権は無くなり、補給そのものも難しくなり、中東の石油はアメリカは手に入らなくなる。その空白をロシアや中国の潜水艦がインド洋や西太平洋をわがもの顔で航行するようになり、アメリカのタンカーや商船は脅威にさらされる。
小川和久氏が指摘するように日本以外にもアメリカの軍事基地はフィリピンにもグアムにもオーストラリアやシンガポールにもありますが、中継基地に過ぎず米軍の艦船や航空機などのメンテナンスが出来るような基地はアメリカ本土か日本にしかない。フィリピンやオーストラリアではそのようなインフラが無いのだ。
政治情勢で見ても日本がアメリカと手を切り、中国やロシアと手を組むようになった場合を考えればハワイは孤立して防衛ラインを本土の西海岸まで後退させなければならない。中国やロシアの潜水艦が大手を振って太平洋に出てくるからだ。つまりアメリカが日本を失えば世界の覇権を失う事を意味する。
経済的に見てもアメリカのハイテク兵器は日本のハイテク部品や技術が不可欠だから、それが入らなくなると兵器すら作るのに不自由するようになる。経常赤字の穴埋めやドルの買い支えなども日本が一手に引き受けているから、ふらふらな状態のアメリカを支えているのは日本が何とか支えているからだ。
にもかかわらずアメリカは日本に対してアメリカの植民地であるかのように横柄に振る舞い、日本の総理大臣は参勤交代よろしくアメリカに詣でる。安倍総理が7ヶ月目に訪米した時も、訪米が遅いとアメリカ大統領が機嫌を損ねるというような事を言う人が絶えなかった。それほどまでなぜアメリカを阿るのか?
石原慎太郎氏の「NOと言える日本」シリーズの本はその疑問を指摘した本ですが、日本の政治家でそのような事を言う人が他にいないのが情けない。軍事面で冷静に分析すれば日本の協力が無ければアメリカの世界戦略は成立しないのですが、そのことが分かっている政治家や官僚やジャーナリストが少ない。だからアメリカに何か言われるとおろおろしてしまう。
世界が60年以上も大きな戦争が起きなかったのは日本とアメリカが同盟していたからであり、日米同盟は中国やロシアやEUが把になってもかなわない強力なものであり、だからこそアメリカは超大国でいられたのだ。大英帝国が世界帝国から転げ落ちたのは日英同盟を解消したからであり、香港要塞とシンガポール要塞を日本軍に陥落されて大英帝国は没落した。
このように見ればアメリカが日本を捨てる要素はまったく無い。むしろアメリカの方が日米安保の破棄を恐れている。だからこそCIAなどが日本の世論動向を注意深く見守っているのですが、日本の反米ナショナリズムの台頭を一番恐れている。だから左翼や中国や韓国を使って「歴史カード」でナショナリズムを押さえ込んできたのですが、従軍慰安婦問題における対日非難決議はそれに火をつけそうだ。
それにもかかわらずアメリカはジャパンバッシングしたり、クリントン大統領のように反日的大統領もいますが、そのような時こそ日本は毅然とした態度で抗議すべきだった。90年代は細川内閣が誕生したり村山内閣が出来て非自民党政権が出来て日米安保体制は危機に瀕した。2008年にはヒラリークリントン政権が出来て、再びジャパンバッシングしてくるだろう。従軍慰安婦問題はその前兆のようなものですが、日本も日米安保なき自主防衛体制や核武装を検討すべき時が来ている。
2006年のサウジアラビアの石油生産は8%減産だった。「必死」
とも見えるようなボーリング作業を行っていながらの結果である。
2007年5月11日 金曜日
◆今日のニュース 5月10日 10秒で読む日経!
サウジアラビアのヌアイミ石油鉱物資源相は9日、今後10年間に
わたり、天然ガスの埋蔵量を100兆立方フィート増やす計画を明らか
にした。これにより、同国の天然ガスの埋蔵量は40%近く増加する
見通し。
日本経済新聞 5月10日
佐々木の視点・考え方
★このニュースをそのまま受取れば、「ふーん」でおわる。増産の理由も、「世界的ガス需要の高まりに対応して」だから尚更。しかし、ホンネはどこにあるかを背景情報から探っていくと、このニュースは爆弾ニュースかもしれない。
天然ガスの供給は、世界各国で積極的に開発されており、天然ガス埋蔵量が世界の第4位に過ぎないサウジがこの時点で積極的に競争に参入する意味はあまりない。お隣のカタールでも巨大ガス田開拓が進んではいる。
しかし、彼ら中東勢にすれば、需要国までの輸送にパイプラインが使えないので、わざわざガスを液状化(LPG化かGTL化)して、タンカーで運ぶと言う大きなコストをかけなければいけない。利益面から考えれば、今はコスト面で安い原油を産出し、ガスの方はもっと価格が上昇してから増産するのが理にかなっている。にもかかわらず、サウジがガスを開拓するのは、裏があると見るのが自然だ。
サウジの油田は産出を始めてから半世紀以上経ったものが多く いくらなんでもピーク産出は過ぎている事があるとみられる。サウジはOPECで最大の増産余力を持つと言ってきたが、ここ数年の原油価格高騰時にも余力を生かして増産することはなかった。これは、増産したくても出来ない事情があったと見るべき。
そして、今年に入って、「2006年のサウジの原油産出量が8%の減少だった」というニュースまで入っている。日量5百万バレルと世界の6%を賄うサウジのガワール油田も噴出圧力を高めるための水注入が多くなり、原油の含水比率が増してきていると
聞く。
こうした背景情報を加味すると、このニュースはサウジの原油供給量の長期的な減少を示唆するとみるべきではないか。
◆黄昏のサウジアラビア? 4月17日 ty blog
サウジアラビアの石油生産能力は、すでにピークに近いのではないか。少なくとも、サウジアラビア政府関係者やサウジアラムコ社の社員が言うような形での増産能力はないだろう。という趣旨の内容で議論を巻き起こした本の日本語訳が出版された。
Matthew R. Simmons, Twilight in the Desert: the Coming Saudi Oil Shock and the World
Economy, John Wiley & Sons, 2005(月沢季歌子訳『投資銀行家が見たサウジ石油の真実』日経BP社、2007年).
原書を持っていて、話題になった本だったので目を通してみたものの、技術的な内容も多く全部を熟読できてはいなかった。翻訳のおかげで、改めて読む機会に恵まれた。私には本書の内容を検証するだけの能力がない(能力のある人でも情報が極端に少ないようなので、専門家でもサウジアラビアのおかれている状況の細かい点は把握できていないようだ)が、本書の主張は説得力がある。そして、本書の懸念が現実のものとなったら、大変なことになるだろう。
などということを考えていたのだが、このことが現実のものとなりつつあるかのような兆候が既に現れてきたようだ。どうやら、2006年のサウジアラビアの石油生産は8%減産だったらしい。「必死」とも見えるようなボーリング作業を行っていながらの結果である。このことが意味することは重大である。なぜなら、サウジアラビア最大、というより世界最大のガワール油田(同国の石油生産の60%はこの油田に頼っている)がピークを迎えたというサインだと解釈されるためである。
"Saudi Arabian
oil declines 8% in 2006"
上で紹介した本の翻訳には「解説」がついていて、どちらかというと本の内容に懐疑的な論調になっている。例えば、「たとえ仮に、同国の生産能力が近い将来減退するという本書の基本的な主張が誤りであったとしても、・・・」(549頁)という記述もある。その後で、シモンズへの反論がいろいろと紹介されている。「バランス」をとろうとした結果なのかもしれないが、本書を読み、この解説を読むと、この問題に詳しくない多くの日本の読者は「解説」の主張に引っ張られそうな気がする。
ところが、「たとえ仮に、同国の生産能力が近い将来減退するという・・・」という話が、「たとえ話」ではなくなってきている。2006年の減産は、一時的なものなのか、それともピークを迎えたことのサインなのか。サウジアラビアの石油生産をめぐる一連の論争の決着がつきかけている、というところだろう(しかしながら、それはそれで、国際社会にとっては極めて大きな問題を生み出すことになる。世界は、もちろん日本も、その準備ができていない。困ったことだ。。。)。
(私のコメント)
連休中に安倍総理が中東五カ国を訪問してきましたが、異例の日本から二百名近い経済人をともなっての訪問だった。資源外交に日本の経済力や技術を生かすことは戦略的に重要ですが、日本だけでなくアメリカやEUやロシアや中国などの国々も、それぞれの国の命運は中東の石油がいかに確保できるかが課題だ。
「株式日記」ではアメリカの衰退は確定的であることを何度も述べてきましたが、アメリカの国内油田の生産ピークは1970年前後であり、その影響でニクソンショックなどが起きた。その頃まではアメリカは経常収支も黒字であり、石油がアメリカの産業を支えていた。
ところが3月23日の株式日記にも書いたように、アメリカの石油輸入割合はすでの60%を越えている。今のところドルで輸入できているから、基軸通貨の特権を生かしてドルを垂れ流して輸入していますが、中東の産油国がドルでは売らないと言い始めたらアメリカはパンクする。だからイラクに攻め込んで軍隊を15万人も送り込んだ。
◆米国への債権取立てのためには核武装は必要だ。もっと金を貸せと言うのなら、日本は米国を保障占領しなければいけない 3月23日 株式日記
《 アメリカは毎年100兆円もの海外からの借金で生活している。こんな生活がいつまでも続けられるわけは無い。おまけにイラク戦争で毎月1兆円もの軍事費を使っている。ブッシュ大統領の話ではイラクの駐留は長期化するという。このようなサラ金生活になっているアメリカに金を貸すには金利を高くするか担保をとらないと金は貸せない。
アメリカの時代はもうすぐ終わろうとしている。しばらくは過去の蓄積でやっていけるのでしょうが、アメリカの繁栄は19世紀半ばの巨大油田の発見からであり、その巨大油田は100年以上経って枯渇しようとしている。1960年代のアメリカはベトナム戦争を戦いながら人類を月に送るほどの国力があった。それはアメリカ国内石油の産出量のピークでもあったのだ。 》
アメリカは武力で中東の石油を確保しようとしていますが、結果的に自分で自分の首を絞めていることになる。イラク人にしたってアメリカに石油をやるものかと内心では皆思っている。イラクだけではなく中東の産油国はみなそう思っている。サウジアラビアも王族達の反米感情も高まり、親米派は9・11テロの影響などで主導権を失いつつある。
サウジアラビアは石油増産余力を持つ唯一の国といっていいほどなのですが、サウジは石油の高騰には歯止めをかけてきた。しかし石油価格の高止まりは続いている。そして2006年には8%も減産しているのですが、サウジは石油戦略を変えたのか、それとも増産したくとも出来ない状況なのか? はたしてどちらなのだろう。
◆石油大国サウジアラビアの反撃 2004年5月28日 田中 宇
《 サウジアラビアは、世界の産油国の中で唯一、膨大な石油の余剰生産力を持った国である。他の産油国の多くは生産能力いっぱいまで採油・輸出しているのに対し、サウジは大きな余力があるので、生産量を上下することで原油価格を操作できる。サウジは長らく中東きっての親米国だったので、原油価格が上がってくるとアメリカのために増産し、下がりすぎて他の産油国が困ると減産して原油相場を押し上げる、といった価格調整の役割を果たしててきた。サウジ王室は、アメリカや他の産油国から重視され、OPECの盟主としてふるまってきた。 》
どうやらty blogの記事によれば世界最大のガワール油田の生産量がピークを迎えたというのが事実であるようだ。中国やインドの高度成長経済は大量の石油をがぶ飲みしている。日本の高度成長経済は石油が1バレル2ドルという超安値だったから実現した。しかし現在は1バレル60ドルもしている。このような状況で人口15億人の中国と10億人のインドが高度成長して先進国の仲間入りは出来るのだろうか?
「株式日記」で書いてきたように石油に代わるエネルギー資源は無い。代替エネルギーといわれる物も、それを生産する為には石油エネルギーが必要なのだ。石油がなくなれば石炭があると言う意見もあるが、石炭も思ったほど埋蔵量は無くty
blogによれば石炭ピークも2025年頃には到達してしまう。
◆石炭ピーク 4月9日 ty blog
石油がピークを迎えた後は、特に途上国の発電などで石炭がより多く使われるようになるのではないかと危惧されている。「危惧されている」のは、周知の通り、石炭の方が石油よりも二酸化炭素の排出量が多く、地球温暖化問題により大きな影響を与えると考えられているためだ(さらに、従来型の石炭利用だと、大気汚染も進む)。
しかし、最近になって、「石炭ピーク」に関する報告書やエッセイが発表されるようになった。Richard Heinbergによるエッセイとそのもとになった「Coal:
Resources and Future Production」というタイトルの報告論文である。
衝撃的な内容だ。報告によると、「採掘可能な石炭は、現在一般的に考えられているよりもかなり少なく、世界の産出ピークは10年?15年以内に訪れるだろう」という。石炭ピークは、2025年頃だろうと述べられているのである。石油もピークを迎え、石炭もピークを迎えるということになれば、「原子力」という声はイヤでも高まるだろう。ところが、原子力にしても、ウランは有限な天然資源である。ウランピークも2050年頃だろうという話も聞いたことがある。大変な事態に直面しつつあると言わざるを得ない。
いつの時代もシステムの変更は大変な労力を伴う。特に、エネルギーシフトには相当の年月を要する。過去、最短のエネルギーシフトは木材から石炭へのシフトであったが、それでも約75年を要した。明らかに「有利」なシフトである石炭から石油へのシフトでも約100年かかっている。今直面しているのは、石油よりも「不利」なエネルギー源へのエネルギーシフトである。
(私のコメント)
古代の四大文明が滅んだのは木材というエネルギー源を伐採しつくして滅んだのですが、現代の石油エネルギー文明もオイルピークを迎えて衰退の道をたどるだろう。エネルギー消費超大国のアメリカは石油文明の象徴ですが、エネルギー事情から見れば古代の四大文明がたどった道を避けることは出来ない。
土地担保融資は最高の金融制度だった。80年代に世界の銀行
ランキングの上位を独占した銀行は栄光の痕跡すら止めていない
2007年5月10日 木曜日
◆ 史上最大のインフレを謳歌する世界。 5月7日 山本清治
◆小泉首相、竹中大臣による独裁政治の後遺症
(1)19世紀にドイツの哲学者マルクスが発信した「共産党宣言」を受けて、20世紀に共産主義国家が誕生した。革命を遂行する過程でスターリンは2,000万人を、毛沢東は5,000万人の同胞を虐殺した。しかし、自由平等の理想を掲げて誕生した共産主義国家は例外なく、共産党独裁の階級社会を
生み、貧困に陥った。
(2)20世紀にヒットラーがナチスを率いてドイツで独裁国家を建国し、ヨーロッパ大陸を席巻。500万人のユダヤ人を虐殺した。
(3)人類は共産主義体制と独裁政治体制を崩壊させるために大きな犠牲を払い、自由主義、民主主義、資本主義に勝る政治体制が存在しないことを学んだ。
(4)しかし21世紀の初めに、日本で小泉首相が独裁権力を振るい、竹中平蔵氏を用いて企業の抹殺を断行した。竹中平蔵氏は過剰債務、過剰融資の名の下に企業と銀行を名指しして、倒産に追い込んだのである。
(5)私は帝国陸軍の青年将校による軍部独裁を想起し、民主国家にあるまじき蛮行を徹底的に批判した。しかし奇怪にも言論界の主流を形成していたエコノミストやマスコミは、悪夢のような独裁的政治手法を支持したのである。
(6)竹中大臣の恐怖政治が残した後遺症は深刻である。日経平均株価は39,000円から7,000円に、日本の地価は2分の1以下に大暴落し、大暴落した
株式と不動産をユダヤ資本が一手に買い占めた。その結果、日本の上場株式の50%を支配していた金融機関と事業会社が大株主から姿を消し、代わってユダヤ系資本が30%を支配するに至った。どの上場会社がいつ外資に買収されてもおかしくない状況下にある。銀行融資の糧道を断たれた企業と不動産業者は、保有資産をたたき売りして銀行融資を返済した。巨額の資金を投入したゴルフ場やリゾートホテルをタダ同然でたたき売りした。大暴落した不動産をユダヤ資本が一手に買い占めた。
(7)しかし更に大きな失政は日本の金融機関、エコノミスト、マスコミをデフレ不可避論に駆り立てたところにある。証券界は無気力となり、東京市場の支配権をユダヤ資本に明け渡した。80年代に欧米の銀行、証券を圧倒して世界の金融市場の主役に躍り出た日本の銀行と証券は、今やユダヤ資本の顔色をうかがい、その動向に一喜一憂するばかりで、ユダヤ資本に挑戦する気概とノウハウを喪失した。
(8)さもありなん。現在のエコノミスト、マスコミ、金融機関のリーダーはみな1990年以降のデフレ時代に頭角をあらわしたから、一致して政府のデフレ政策を支持し、容認している。
(9)激しい円高とインフレを克服して日本を世界第2位の経済大国に押し上げた高度成長期の立役者は90年以降のデフレ時代に地位を追われ、富と名声を失った。80年代に世界の銀行ランキングの上位を独占した銀行はもはや栄光の痕跡すら止めていない。
◆事実を見ない、知らない日本のエコノミスト。
(1)その間に欧米では金融機関が超高度成長を遂げた。今日では欧米の主要国家で金融機関は全産業中、突出した巨大利益を計上する中枢産業に躍進した。
(2)中でも、イギリスのシティーとアメリカのニューヨークには年俸1億円を超える証券マンが数千人単位で輩出している。証券会社の経営者の年俸、証券会社自身の利益を比較しても、すべての指標で米英は日本をケタ違いで圧倒している。
(3)しかるに証券系のエコノミストで証券業界こそ日本経済最大の弱点であると指摘した人を私は見たことがない。世界の主要な証券会社の収益力を時系列で比較し、閉塞状況に追い込まれた現状の打開策を提示しない証券系エコノミストの意見を、私は信用しない。
(4)80年代に日本の金融機関は随所で欧米勢を圧倒していたが、今日では日本国内でさえ欧米勢に支配されている。彼我の決定的な格差は日本の金融機関が竹中政治に屈服し、日本のエコノミストが竹中理論を支持したときから、急速に進行した。
(5)日進月歩の自動車や家電に比べれば一目瞭然、日本の金融機関の指導者には独創的な発想とノウハウが欠落し、無気力が蔓延している。
◆インフレこそ繁栄の条件。
(1)私は72才。80年代のわきかえるような日本の繁栄を体験したが、今ではどこを見渡しても先輩同僚の元気のよい姿が見えない。
(2)私の思想はキャッシュフロー重視の竹中理論の対極にある。私は資本主義社会ではデフレが異常でインフレが正常だと思っている。現在のような長期のデフレ時代の後では、インフレ時代に備えてキャッシュをモノに換えた方が断然有利だと思う。
(3)私は2001年に『不動産が値上がりする』(主婦と生活社)を出版して、第1に、政府の財政資金に頼らなくても銀行と不動産会社が不動産投信を大量に設定すれば不動産不況を自力で克服することができる、第2に、80年代に株式を持ち合った企業が相互に持ち合った株式を買い戻して消却すればバブル時代に水ぶくれした株式市場は青春期の需給関係を回復できる、第3に、投資家は今こそ不動産と株式を買う好機だと論じた。
(4)デフレ時代には資産が目減りするが、インフレ時代には資産が増加する。通貨と物価の暴騰に見舞われたヨーロッパでは市民がインフレによる繁栄を謳歌し、デフレ待望論は皆無に近い。しかし日本ではインフレ恐怖論が支配的である。
(5)政治家はなぜインフレを恐れ、日銀はなぜ公定歩合の引き上げを拒み、エコノミストはなぜ弱気の虜となり、マスコミはなぜ円高恐怖心をあおり、年金運用者はなぜ日本株を買わず、日本人はなぜインフレ政策を要求しないのだろう。
(6)今30〜50兆円を円キャリートレードに投入している人たちがいる。デフレの円よりもインフレのユーロに換えた方が得だと気がついたからである。誰が何と言おうと、世界の現実を見ればインフレは儲かる。
(7)私は日本の証券界に奮起を促したい。デフレぼけし、弱気ぼけした日本国内から目を海外に転じなさい、と。ゴールデンウィークに海外へ出かけた人はホテル代や食事代の高騰に驚き、そのインフレを謳歌する市民の活力にもっと驚いただろう。世界中が今史上最大の大インフレ時代を迎えて、インフレがもたらす繁栄を謳歌している。
(8)21世紀初頭に、世界人口の半分を占めるBRICs(中国、インド、ロシア、ブラジル)が2ケタ成長期に突入し、すべての物価と株価と地価が循環的に高騰する大インフレ時代を迎えた。欧米はもちろん、中南米でも、アフリカでも、中東でも、アジアでも、オセアニアでも、日本を除く世界中で、株式や不動産や商品は競い合って最高値を更新し
、人々はインフレ利益を満喫している。
(9)しかしそれでも私は日本の株式市場の将来を楽観している。『不動産が値上がりする』で私が論じたとおり、不動産投信は不動産不況を克服する特効薬となった。企業の自社株買いは年々激増している。日本だけがいつまでもデフレに沈み込んでいるとは考えられない。日本人は間もなく政府のデフレ政策を拒否し、エコノミストの弱気論の呪縛を断ち切るだろう。
(私のコメント)
80年代の日本の銀行は世界銀行のトップランキングの上位を独占していましたが、バブル崩壊後はその面影すらなくなってしまった。おそらく世界の銀行家たちは日本の銀行の長所と弱点を研究して陰謀を仕掛けてきたのだ。日本の政治家達はその陰謀に気がつかずに、安易に欧米から押し付けられる金融制度改革に応じてしまった。
すでに先進国同士の戦争は砲弾が飛びかうような戦争はなくなり、通貨が飛びかう戦争に変化している。金融ビックバンの受け入れや大蔵省の解体は、日本が全面降伏したことを象徴することですが、日本国民は第二の敗戦を体験していると言う自覚すらない。政治家達と官僚がこれは戦争なんだという自覚もないままに、「奥の院」の要求を受け入れてしまった。
◆明治維新、 大東亜戦争、そして今日の「金融ビッグバン」と、近代日本の転換点全てにフリーメーソンが関与している。 2006年9月7日 株式日記
《 ペリー提督やマッカーサー元帥が武力による実力行使、いわば砲艦外交時代の”開国”の主役であるとすれば、現代は経済の核である金融システムを日本は今解体され、完全開国を迫られていると云う事でしょう(この国際金融銀行家が、全ての悪の計画を建てたのである。 》
1988年のBIS規制受け入れが、日本の主力艦隊であった銀行の壊滅の原因となり、まさにこれがミッドウェイ海戦の大敗北に相当するものだった。なぜ日本の銀行が世界のトップランキングを独占するほど強力であったのかというと、土地本位制にもとづく不動産担保金融に秘密がある。
なぜ日本で不動産担保金融が発達して、欧米では不動産担保金融が発達しなかったかと言うと、欧米では国家の興亡が激しく、いくら土地の所有権を主張しても、所有権を認めた国家が滅んでしまうと所有権が無くなってしまう事が多かったからだ。ところが日本では幕府や政府が変わっても国家そのものは存続したから所有権が無くなる様なことは少なかった。
日本における例外的なこととしては戦後の農地解放がありますが、マッカーサーと言う外国人の統治下だったからこのようなことが出来た。さらに欧米では戦争が絶えずあり、戦争や内乱が起きて負けそうになると家や田畑を放り出して逃げないと命にかかわる事が多かった。だから家や土地を担保にしても担保や抵当としての価値がないことが多かった。
だから欧米では信用貸付が発達して、日本では不動産貸付が発達した原因としては、土地に財産としての価値が認められるかどうかが欧米と日本との金融制度の分かれ目になった。そして1980年代には日本の銀行は世界のトップランキングを独占するほどになりましたが、欧米の銀行家たちは日本の不動産担保金融の優位性に気がついた。
欧米も近代国家が成立して戦争があっても国家そのものが無くなる事は例外的になり、貴族達が土地を独占していた時代から会社や個人が不動産を所有する事が普通になり、不動産を金融制度に生かすことが出来るようになった。
つまり70年代から80年代に起きた日本の不動産高騰が日本の銀行の規模拡大の原動力であり欧米の銀行を凌駕した。欧米の銀行は信用貸付が主流だから規模拡大には限界があった。日本の銀行はオーバーローンが普通であり、不動産担保金融が主流だったから貸し倒れも少なく金利も安く貸せた。だから融資に積極的な銀行ほど規模が拡大した。
それに待ったをかけたのが1988年のBIS規制であり、日本の金融機関は8%の自己資本を強制されるようになり、日本の銀行はオーバーローン気味の融資を回収せざるを得なくなり、それで株式と土地は暴落してしまった。そして不良債権の山が出来上がり、木村剛や竹中平蔵による日本の銀行潰しが始まった。
90年代以降のアメリカ経済の好景気は80年代の日本の真似であり、株や不動産を高騰させることで銀行経営を爆発的に拡大させて、時価総額では日本と欧米の銀行では格段の差が付いてしまった。それほど日本式の不動産担保金融は経済規模拡大に効果があり、土地や株式の高騰は資産インフレだという批判がありますが、消費を拡大させて好景気をもたらす。
80年代の日本における「バブルを潰せ」と言うマスコミによる大キャンペーンは、アメリカの「奥の院」が仕掛けたものだろう。ニュースステーションの久米宏はバブルを潰した三重野日銀総裁を応援した。そして景気を維持しようとした日本の政治家を悪者のように扱った。NHKでは「土地は誰のものか」という特別番組が作られて、これが日本の金融制度を崩壊させた原因となった。
確かにその当時は誰もが持ち家を欲しがり、土地はサラリーマンには手の届かない高値になってしまった。しかし好景気で誰もが豊かで、若者もアルバイトで車を乗り回して女の子をナンパしていた。現在は土地は安くなったが仕事が無くなり、若者もアルバイトが無くなり車も持てぬようになりフリーターやニートになった。明らかにバブルを潰す事は間違っていたのだ。
世界的にバブル真っ盛りのような状況ですが、日本だけがカヤの外にいる。日本のバブルの潰し方は最悪の方法でしたが、世界は日本の教訓を生かして、グリーンスパンは巧みにバブルの崩壊を回避してきた。その方法は日本から資金を吐き出させて90兆円もアメリカ国債を買わせた。
大東亜戦争の総括が行なわれなかったようにバブルを崩壊させた戦犯たちの総括も行なわれていない。総括が行なわれないから同じ間違いを繰り返す事になるのですが、一番の黒幕がアメリカの「奥の院」であることが分かるとまずいから、マスコミは原因の追究には触れようとしない。
山本清治氏が言うように、株や不動産の上がる事は良い事でありインフレは良い事なのだ。確かに株や土地が乱高下する事は良くないが、バブルを潰せと言う魔女狩りのような過ちはすべきではなかった。日本のエコノミストや財務省の役人は自分の犯した過ちを誤魔化すことで汲々としているようだ。
共産主義国家の中国が物権法を成立させて、土地の賃貸借から土地の所有権(永久的賃借権)へ切り替えようとしている。土地の賃貸借権では年数が経つほど価値が減少していくから、土地担保金融制度を確立する為には、物権法の成立が必要だったのだ。中国も日本の土地担保金融の優位性を認めたのだ。
NHKクローズアップ現代「“カリスマ”続々登場!ブログ新時代」
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2007年5月9日 水曜日
◆NHKクローズアップ現代で紹介されました 5月9日 ガ島通信
NHKクローズアップ現代「“カリスマ”続々登場!ブログ新時代」で、このブログとOBIIのイノベーション合宿の模様が紹介されました。ブログで「つながる」ことの面白さ、これまでにはない何かを出来ることの楽しさ、を少しでも伝えることが出来たなら幸いです。短いシーンでしたが、NHKの取材チームの皆さんは、合宿会場の箱根までわざわざ足を運んでくださいました。ありがとうございます。
- 初めてこのブログをご覧になった皆様へ
「ガ島通信」を運営する藤代裕之と申します。ご訪問ありがとうございます。ガ島通信は、メディアウォッチ、ジャーナリズムを主なテーマに、個人的に関心を持った情報や書籍を紹介しているブログです。日経IT−PLUSなどのコラムや書籍の執筆、メディア研究なども行っています。詳しくはプロフィールを参考にしてください。
忘却防止。さんのブログで、早くも番組のあらすじがまとめられいますので、見ていただければ分かりますが、テーマがクチコミやマーケティングの部分にやや重点が置かれていたので、OBIIの合宿の紹介に、唐突な印象を受けた方もいらっしゃるかもしれませんので、少しフォローしたいと思います。
OBIIは私を含む6人のブロガーが運営するグループです(詳しくは「OBIIとは」をご覧ください)。
取材で取り上げていただいた「第2回イノベーション合宿」は、ウェブ開発に興味がある人が集まり(ブロガーであるか、ないかは関係なしです。アルファブロガーの連携が目的でもありません)、新しいウェブサービスを創り出そうというものでした。ブログは、その広報、PRのツールとして使っているだけです。
しかし、ブログは発信力、コミュニケーションをレバレッジするので、思わぬ人との出会いがあります。合宿をどこで知ったか聞いてみると、「ガ島通信を見た」という人だけでなく、「前回の合宿に参加した人のブログを見て面白そうだったので」という人もいて、改めてブログのパワーに驚かされました。池に投げた石の波紋が広がるように、静かに「届いている」のです。
クチコミやマーケティング的な観点からブログは注目されていますし、私自身も本を書いたりしていますが、ブログの面白さの本質は「書きたいときに書きたいことを書ける」ことと、その「思いが届く」ことにあります。だからこそ、お互い知らない人たちが「新しいウェブサービスを作る」という目的のために箱根に集まるという不思議なことが出来るのです。これは「ブログ前」にはなかったことです。
実は、BLOG STATIONさんで、少し触れられていますが、当初は「新潟中越地震での活動」についても取材を受けていました。見ず知らずの、場所も離れた人と、「新潟に何か出来ないか」という気持ちでつながることができるブログの力を私自身が経験した出来事でした。
NHKの取材チームは、私のロングインタビューだけでなく、当時トラックバックやコメントでやり取りがあったブロガーの皆さんにも取材を行っていました。放送では残念ながらカットされてしまいましたが、小さなことでもいいから行動していくことの大切さはOBIIの合宿からも伝わったのではないでしょうか。(OBIIで新潟の人たちとコラボレーションする企画を進めているところです。実現するかどうかはまだ分かりませんが、決まればお伝えします)。なお、「カット」についてわざわざディレクターさんから連絡がありました。お気遣いに感謝しています。
このように仲間たちとの活動がNHKに紹介していただけるのも、いつもお世話になっているブロガーの皆さん、読者の皆さんのおかげです。改めてお礼申し上げます。これからもガ島通信&OBIIをよろしくお願いいたします。
(私のコメント)
きのうのNHKの「クローズアップ現代」ではアルファブロガーについて報道していましたが、なじみのブロガーが画面に沢山登場していました。ブロガーも時代の波に乗ってタレント化していくのでしょうか? 私はこの動きを否定はしないし、ブロガーがジャーナリズムの主流となり、大きな事件や出来事があった場合に彼の意見が聞きたいとブログにアクセスが集中する現象が起きている。
「株式日記」が大きく変身たきっかけは9・11テロ事件であり、陰謀系時事ブログとして、さまざまな材料を元に記事を書きまくった。陰謀系時事ブログはマスコミが会えて触れたがらない分野のタブーを書きまくるから、昨日の「クローズアップ現代」でも時事系ブログにはあまり触れずに、コマーシャル媒体としてのブログに焦点が当たっていた。
テレビに登場していたブロガーたちは30歳前後の若いブロガーたちばかりで、特に女性ブロガーはアイドルタレントのような若くて才気溢れる女性が沢山登場していた。ネットアイドルと呼ばれるようなブログが女性タレントの登竜門になる時代が来ているのだろう。
このような時代の波に乗れない私のような中年ブロガーはブレイクする事もなく、特にマスコミがもっとも嫌う分野の事を書きまくるからブログの商業化には乗らないようにしている。しかしブログで食えるようになればそれに越した事はないがアフリエイトのような形をとらないと商業ベースには乗らないだろう。購読料を取るような形はむずかしい。
番組でも本の書評を載せてアフリエイトで100万円の収入を上げたブログがありましたが、ブロガーの書評は本の売上げに大きく影響してくるようになるだろう。「株式日記」でも書評を書いていますが、本の中身の一部を引用して論評している。その方が読者にとっても本の内容のレベルを知る事ができるし、買って読んでみたいと思うようになるだろう。
しかし出版社の中には著作権の侵害だと抗議してくる出版社もあって、テレビのように橋本氏のところには出版社から数冊の本が送られてくるように、ブログで紹介される事は宣伝になりこそすれ、営業の妨害にはならないはずだ。アマゾンでもほんの中身の数ページを公開している本もあるくらいだ。
さらにはブログを引用して紹介したら抗議してくる人も中にはいる。私としては、こんな優れた記事を書いているブログもあることを宣伝してあげたつもりなのですが誤解する人もいる。800万もあるブログの中からどれを読んでいいかわからないのが現状ですが、ブログのトラックバックや引用などは有力なブログの宣伝手段なのだ。この事は番組でも言っていた。
◆佐々木俊尚氏のコメント 5月8日 忘却防止
番組のコメンテータは現在CNETで「ジャーナリストの視点」を連載している佐々木俊尚氏。
- 「ここ3〜4年、専門性があり、かつ表現力に優れたブログがよく読まれるようになった」
- 「情報には直接取材するフェイズ(1次情報)と情報を元に論評/分析するフェイズ(2次情報)があるが、いわゆるアルファブロガーの持ち味は「的確な知見を、いかにわかりやすく世の中に伝えることができるか」というところにある」
- 「800万以上といわれるブログの中から良いものを選ぶ仕組みは下記のようなものがある。これらを使いこなすことで、玉石混淆の中から玉を見分けるきっかけを得ることができる」
- 検索
- ランキング
- ソーシャルブックマーク
- 自分の意見を広く知ってもらうならば、有名なブログにトラックバックを送って意見を問う
(私のコメント)
「株式日記」は1997年から始めて満10年になりますが、当時はホームページをやる人もごく少なく、テレビで有名な伊藤洋一氏や吉崎達彦氏ともメール交換をしていましたが、今では雲の上の人になってしまった。さらには最近ブログを始めた若い人がテレビで取り上げられるような有名人にどんどんなっていく。
たぶん私のような陰謀暴露系の過激なサイトは表の世界に出られることはないだろう。あまりにも過激だからリンクフリー引用自由とホームページに表示しているのに株式日記を「お気に入り」にリンクしてくれるブログも数えるほどしかない。誰もが恐れるユダヤ金融マスコミや創価学会や朝鮮総連などを過激に切りまくっているからビビッてしまうのだろう。
クローズアップ現代に出ていたアルファブロガーの方々は保田氏のように本を何冊も出すまでになり、彼らのような若い人がこれからの日本のジャーナリズム界を作っていくのだろう。しかしマスコミは着々とアルファブロガーを取り込んでいこうとしているようだ。ブログの商業化には私なども関心はあるが、陰謀系のブログは反権力反マスコミが売りものだから、体制に取り込まれることには注意が必要だ。
◆ブログネットワークとアルファブロガー 2005年7月5日 FIFTH EDITION
ブログネットワークの拡大と共に、これらを誰かが利用しようと
するだろうと思う。アメリカでは選挙でアルファブロガー30人に
金を払って情報をコントロールしようとした事があったようだが
これは、アルファブロガーを抑えることで
情報の統率力と切断力を簡単に手に入れる方法といえるので
有効だと思う。
日本でもブログがもっともっと広がっていったら
彼らのもつ力を利用しようとする人は絶対に現れると思う。
その時、ナニがおこるんだろーか。
(私のコメント)
「株式日記」は全部合わせれば1日に8000人前後の読者がありますが、これらの読者が日本の知的コアな読者だとすればかなりの影響力を持っていることになる。政治家をはじめとしてマスコミ関係者も読んでいるし、アメリカからの読者も百数十人いる。中にはアメリカ政府機関や米軍なども読者になっていただいている。日本の伝統的保守派のオピニオンリーダーとして注目されているのだろう。
『アメリカの没落』 by Donald L. Barlett,James B. Steele
ハゲタカはアメリカ企業を食いつくし日本企業に襲い掛かる!
2007年5月8日 火曜日
◆アメリカの没落 ドナルド・L. バーレット,ジェームズ・B. スティール(著)
◆合法的な借金踏み倒し
以前には、企業はお金を借りて工場を作り、設備を買い、新しい製品を作った。だから新しい仕事が生み出されていた。当時は、税金の申告時に金利負担分を控除することを認めるのは筋の通ったことだった。しかし一九八○年代に金利分の控除はアメリカを建設するのではなく、アメリカを切り崩すための方便になってしまった。
企業はお金を借りて他の企業を乗っ取り、資産を売り払ってしまう。その結果、工場は閉鎖され、中間所得層の仕事を奪い、そうした結末をもたらした企業のオーナーや投資家、役員たちに天文学的な額の金が支払われた。この結果、支払利息に課税しないことによって、納税者にすべてのしわ寄せがくる。
たばこのウィンストンやキャメル、オレオ・クッキーやリッツ・クラッカーなどの製品を作っているRJRナビスコ社の乗っ取りの場合、ウォール街の投資銀行でも企業買収会社でもあるコールバーグ・クラビス・ロバーツ社は、F・ロス・ジョンソン社長が率いる企業管理チームとの厳しい株買付け競争の果てに、一九八九年四月、RJRナビスコ社を買収した。競争に勝つためにコールバーグ・ク.ラビス社は、RJRナビスコに、ドレクセル・バーナムランベール社から売り出された50億ドルのジャンク・ボンドを含む200億ドル分の長期負債を負わせる事になった。
ニューヨークタイムズ社はウォール街の投資銀行家のコメントを引きながら、ドレクセル・バーナムの投資顧問を「畏敬に値する」と表現し、その証拠に(ドレクセルの)やり方は非常にうまく機能している」と論評した。実際にはドレクセルのやり方は、破産宣告に向かっていたのだが、その間にRJR社の取引で、法律家をはじめてする各種のプロフェッショナルたちの手数料も合わせて「おそれおおくも」何億ドルもの手数料が、コールバーグ・クラビス社にかかることになった。
納税者たちは、それに引き換え、何十億ドルという損失をこうむった。SECの記録によると、一九八九年の最後の九ヵ月と一九九〇年にRJRナビスコは三〇億ドル以上の支払利息を計上した。これによって、同社の新しい所有者は一〇億ドルかそれ以上の法人税を免れたことになる。
この一〇億ドル強をこんなふうに考えてもいい。あなたがインディアナ州フォートウエインかアイオワ州スーシティに住んでいる中流世帯なら、一九八九年と一九九〇年に支払ったあなたの所得税はすべてRJRナビスコの買収劇によって国が取り損ねた税金の穴埋めに使われたのだと。実際、あなたが今世紀中に支払う所得税はすべて、その目的に使われるはずだ。
中流階級の納税者が企業から入ってこなかった税収の埋め合せをしている一方で、それを仕掛けた企業の経営者たちはまんまと利益を得ている。同時に、彼らは個人的な所得税でも、ここ数十年の間かつてない低率でしか払っていない。一九九二年度の個人所得税の最高税率は三一パーセントで、一九九〇年までの数年間は二八パーセントだった。一九六〇年には九一パーセントもあったというのに。
世界最大のメディア・エンターテイメント企業であるタイム・ワーナー社の会長で経営最高責任者の一人であるスティーブン・J・ロスの場合を考えてみる。一九八九年の七月にタイム誌の発行元であるかつてのタイム社が、映画・テレビ・娯楽業のワーナー社の株式の過半数を取得し買収してできた企業が、タイム・ワーナi社である。
RJRナビスコの場合と同じで、買収は新会社に重い惜金を残した。SECの記録では、タイム・ワーナーは一九八九年と一九九〇年に二一億ドルの利払いを計上した。その結果支払わずにすんだ法人税額は七億ドルになる。実際、SECの記録が示すとおり、タイム・ワーナーはその二年間に一九〇億ドルの売上げがあるが、国に払った法人税はゼロである。
一方、ロスはその報酬として一九九〇年に三三〇万ドルを受け取っている。さらにボーナスとして七四九〇万ドル。かれのタイム・ワーナーからの収入は七八二〇万ドルに上った。
RJRナビスコとタイム・ワーナーのケースは、そこに絡んだ金の額から見ると例外的なものかもしれないが、もう少しスケールの小さい同じような話は全米にいくらでもある。SECの記録を引きながらさらに三つのケースを考えてみよう。
[スーパーマーケッツ・ジェネラル・ホールディングズ社の場合]
同社はニュージャージー州のウッドブリッジに本拠をおく、全米十指にはいるスーパーマーケット・チェーンだ。パスマーク、ピュリティシュプリーム、あるいは四〇店舗ほどのリッケル・ホーム.センターなど、北東部、中部大西洋岸、ニューイングランドの各州で都合、二〇〇を超えるスーパーマーケットを展開している。
一九八九年と一九九〇年の二月に終る会計年度の二年間に、同社の営業利益(支払利息や法人税を差し引く前の利益)は、3億4300万ドルであった。支払利息は4億9800万ドル。営業利益を帳消しにして両年とも損失を計上し、国に支払った法人税は、ゼロ。
正確に言うならば、同社はこの二年間に法人所得税を1300万ドル支払ってはいる。しかし、純営業損失規定のおかげで同社は前年度に支払った3600万ドルの法人税の中から払い戻しを受けた。さらに同社はこのタックスゲームで、この先に二三〇〇万ドル分の控除が残っているのだ。
[USGコーポレーション]
この会社はシカゴに本拠をおき一九〇一年の設立。昔の名前、USジプサム(石膏)カンパニーと言ったほうがとおりがいいかもしれない。同社は建設資材の製造販売会社で、石膏ボードではアメリカ最大の生産量を誇る。一九八九年と一九九〇年、同社の営業利益は四億八七〇〇万ドルに上った。しかし支払利息は五億八九〇〇万ドルで利益を帳消しにした。法人税はゼロだ。
[バーリントン・ホールディングズ]
この会社はノースカロライナ州のグリーンズボロにあるが、これもまた昔の名前のほうが有名で、バーリントン・インダストリーズといった。服地、カーペット、室内装飾品、カーテン地などのテクスタイル全般を作っている。
一九八九年と一九九〇年、同社の営業利益は三億八九〇〇万ドルであったが、支払利息は五億四〇〇万ドルで利益を帳消しにして、法人税は、ゼロ。
さて、これら三社の数字を合計してみよう。営業利益は含わせて一二億ドルである。支払利息は一六億ドル。つまり利益を帳消しにしてしまうわけだから、法人税の合計額は、ゼロである。
あなたの個人所得税の計算書と比較するとどうなるだろう。たとえば、一九九一年の所得税申告書に年収を三万五〇〇〇ドルと書いたとする。所得税を一ドルでも払えば、あなたの税率はこの三つの企業より高いのだ。
ここに挙げた三社は、その他多くの企業のほんの一部の例に過ぎないことを忘れないでほしい。また、これらが、税制の公正さをうたいあげ、アメリカの企業に相応の税負担を負わせることを公約した、あの一九八六年の税制改正が施行されたあとの事例であることも、記憶していてほしい。
有利な政府のルールブックのおかげで相応の税負担を免れている企業よりも、アメリカの中流階級にとってはもっと暗い側面がこの話にはある。これら三つの企業が借りた数億ドルの借入金も、そのために現在、そして今後支払われる数億ドルの利息も、新しい仕事はただの一つも作りだしはしないということだ。
さらに、支払利息分を課税対象から差し引けるというこの控除の制度そのものが、将来の利益を隠ぺいする、また別の税逃れのメカニズムを創り出すのだ。つまり、純営業損失控除とよばれる税金を消すことのできる魔法の杖である。
税法の数多くの条項とともに、この制度はもともと公正な課税を推進するための「緊急措置」として議会で賛同を得たものである。これはおもに、第一次世界大戦後の産業界の復興をたやすくするために、一九一九年に発効した制度であった。
ノースカロライナ州選出の民主党議員で、下院の歳入歳出委員会の委員長を務めたクロード・キチンは、1919年の二月に棚上げした税金の扱いについての審議の中で彼が、「純損失軽減条項」と呼んだ規定について説明している。彼はこの税制を策定した人々は「戦時から平和時への移行の期間中」であるため、控除措置を一年に限って認めるのが「賢明であり、安全であると賛成した」と述べている。
時代は変わった。厳密に言えば七三年間、キチンの「純損失軽減条項」は内国歳入法の中で安泰に生き続けた。そしてその期間の大半は、純営業損失控除はあまり広範には適用されず、したがって歳入を大幅に減らす要因にはなっていなかった。それが一九八○年代になって変わった。投資家や投機家や乗っ取り屋が税制を自分たちが手っとり早く儲ける道具として見るようになったのである。
一つの会社がそのやり方に乗った。一九七〇年、ペンシルバニア鉄道とニュiヨークセントラルとが合併して二年前にできたペン・セントラル交通が倒産した。一九七八年に会社更生の手続きを経て再組織化され、ペン・セントラル社と改名した同社は、かつての鉄道会社の面影を残してはいなかった。鉄道車両や操車場や駅の代わりに、同社が扱うのはハウジング、娯楽、電力など多角的な事業の持株会社となったのだった。
しかし同社は、鉄道会社だった時代の「資産」を一つだけ持ち続けた。二〇億ドルの損失である。一九一九年の臨時の「緊急」規定のおかげだった。これをフルに活用するために同社は利益のあがる企業を買収した。昔のペン・セントラル社の損失を、新しく買収した会社の税金を安くするために活用したのだった。一九七八年から一九八四年にかけて、営業利益は一八億ドルも上がっているのに、同社は法人税を一度も払っていないのだ。
「当社の利益は、繰越損失のために連邦所得税の課税対象とはならない」と一九八三年度の年次報告書でペン・セントラル社は述べている。
一九七八年に会社を再建し.て以来、ペン・セントラル社は合わせて一〇億ドル以上の純損失を、何千万ドルという納税を避けるために利用してきた。一九九〇年の時点で同社には消えていない繰越損失がまだ一〇億ドル以上残っている。これを充分に活用することが同社の重要な課題の一つとなっているのだ。
一九八九年に同社の経営陣が株主に言ったように、「われわれはペン・セントラルのかなりの額に上る流動預金を投資に回し、借入れ能力をフルに活用すべきだ。そして同時に当社に残された一〇億ドルの繰越損の価値も充分に活用すべき」であるというわけだ。
さらに、シカゴに本拠をおくアイテル社の例もある。同社は鉄道車両と海運用コンテナのリース、浚渫、ワイヤやケーブル一システムの販売で年商二〇億ドルの企業である。同社もまた純営業損失控除のおかげで税金のかからない多額の利益を上げている。
こうした利益によって、この事業を支配しているシカゴの投資家、サミュェル・ゼルはフォーブス誌が発表する四〇〇人の最も裕福なアメリカ人番付での地位を確保しているのだ。
一九八四年から八九年にかけて、SECの報告書によれば、アイテル社は利息や税金を支払う前の営業利益で五億六三〇〇ドルを記録した。連邦法人所得税は、ゼロだった。
「連邦法人税はアイテル社の場合、増えることも支払われることもない」と一九八八年度版の同社の年次報告書は記している。「なぜならば、当社の課税利益は、繰越損を活用することによって差し引かれてしまうからである」。
純営業損失控除の収支はどうなっているのだろうか。これを擁護する人は、企業が初期の費用のかさむ時期を乗り切るのを援助する為に必要な制度だと言う。また、年によって利益が大きく変動する企業の税額を平準化するためのものだとも言う。
しかし、よく言ったところで、不運に見舞われた企業の費用を、その株主や経営陣から一般の納税者に転化する道具だったのではないか。多くの場合、他人が作った損失を、自社の納税申告書に利用する抜け目のない投資家に、やすやすと税逃れをさせる手段になり果てているのではないか。
実際、純営業損失控除のおかげで、企業は将来の税金から逃れられるだけではなく、過去にさかのぽってすでに支払った税金の払い戻しまで受けられるのだ。たとえば、一九九一年につくられた損失は、申告年度で三年分さかのぽって差し引くことができる。その期間にすでに支払った税金を、アメリカ財務省から払い戻してもらうこともできるのだ。
ここまで読んできたあなたは、どうやったら自分も同じことができるのだろうと思っているかもしれない。内国歳入法のぺージを繰って、毎日の仕事で収入を得ている労働者に同じような規定がないか捜してみるとよい。あなたが前年に三〇〇〇ドルの所得税を支払ったが、今年は職を失い、まもなく期限の切れる失業保険と預金で生活している場合は、昨年に支払った三〇〇〇ドルの払い戻しを受けることができる、そんな規定を捜してみるといい。見当たらないって? 当然だ。
それでも、あなたの損失は、誰か別の人の利益となっている。一九六九年にアメリカの企業は、課税所得の三パーセントにあたる二五億ドルの純営業損失を控除した。一九八八年にはこの控除は、課税所得の一三パーセントにあたる五一四億ドルに膨れ上がった。つまり純営業損失控除はこの期間に一九五六パーセント増えたわけだ。
これはほんの序の口に過ぎない。法改正がないために、控除額は年々増え、さらに多くの企業が連邦破産裁判所に申し立てを行って将来使える純営業損失控除をさらに作りだしている。ということは、中流世帯は一九八○年代に企業経営の失敗のつけをこれからも払っていくことになる。企業の経営陣や投資家には膨大な富をもたらし、労働者には破産と失業と賃金の低下をもたらした経営の失敗のつけである。
法律に触れる商取引が損失をもたらした場合でも、有利な法律のおかげで節税に使うことができる。たとえば、経営に失敗した銀行ギャランティ・フェデラルの新しい所有者たちは、有罪判決を受けた前任者のつくった不正行為による損失によって、利益を享受しているのである。 (P126〜P135)
(私のコメント)
アメリカで1980年代に起きた事が日本では2000年代に起きつつあります。それは企業が企業を買収して、買収した企業の資産を売り払って、その利益が役員や株主の配当として吸い取られていく。その反面では買収費用は借金によって賄われて、支払利息や損失費用によって利益は相殺されて税金を1ドルも支払わない。まさにハゲタカだ。
ハゲタカはすでにアメリカの企業を食い尽くして、いよいよ日本に本格的な日本企業買収攻勢に出るだろう。すでにハゲタカによって買収された日本企業では株式配当の驚異的な増大を外資から求められている。内部留保されていた資金は役員報酬や株式配当に回されて、リストラと称して従業員の首切りが行なわれて、企業業績は一時的に向上する。
小泉内閣になってから法人税が軽減されて、サラリーマン減税は元に戻された。経団連の御手洗会長はもっと法人税を負けろとかホワイトカラーエグゼンプションとか消費税を上げろとか、言いたい放題の要求をしている。
キヤノンのような輸出企業にとっては消費税は上がった方が輸出した分の消費税が国から還付されるから上がった方が都合がいい。法人税にしても個人には認められていない繰越損失が認められて税金を払わないで済む税制になっている。
「アメリカの没落」という本の著者はピューリツァー賞受賞した人で1992年にアメリカで発刊されている。日本でも堺屋氏の翻訳で1993年に出た。この本で紹介された企業の繰越損失のマジックを利用して、ハゲタカたちは税金も支払わずに、買収した企業の資産を食い散らかして、アメリカ経済を食い尽くしてしまった。
それでハゲタカたちは日本に目をつけて、小泉改革を実行させて、ハゲタカたちに都合のいいような法制度や税制にしてしまった。企業の繰越損失の制度も徐々に延長される傾向にあるようだ。しかしこのような税制はサラリーマンには分からないが、分からないからサラリーマンに税制のしわ寄せをしているのだ。
日本でも中産階級が没落して格差社会が作られつつある。ホリエモンのようなずる賢い人は法の抜け穴を見つけて、会社を売買して大儲けをする人がいれば、リストラや規制緩和で賃金はどんどん下げられてワーキングプアに没落していく大勢の人が出てくる。
高度成長時代なら会社もサラリーマンもみんなで豊かになることが出来ましたが、低成長時代になると経済を活性化させるということで、規制の緩和が行なわれる。規制によってみんなが公平に豊かになっていたのが規制を撤廃すれば格差が生じるのは当然だ。アメリカはレーガン時代の80年代にそれが行なわれた。
「アメリカの没落」という本は格差社会の今こそ読まれるべき本なのですが、すでに廃刊となって本屋には売っていない。私もいずれは本に書かれたようなことが日本でも行なわれると思っていたから、小泉構造改革に反対したのですが、格差社会になってようやく小泉改革の正体がわかってきたようだ。
5月からは三角合併も解禁になって、ますます弱肉強食時代が酷くなるだろう。そしてアメリカ国内で企業を食い散らかしてきたハゲタカがいよいよ日本上陸が本格化して、「アメリカの没落」に書かれたような企業が食い散らかされる模様が展開される事だろう。
多くのアジア諸国の通貨は円で統一され、日本語を話すことの
できる人は世界で5億人を越え、日本語が世界共通語になる。
2007年5月7日 月曜日
◆報道2001/藤原正彦の子供は殴れ、本を読ませろ!(動画36分11秒) 檀君WHO’s WHO
◆数年後に起きていること―日本の「反撃力」が世界を変える 2月15日 人生ひまつぶし
将来の日本はどのようになっているか?
という内容である。
多くの評論家は未来予測をしたがらない。
それは、外れる可能性が高いから・・・。
まあ当然なのだが、日下公人は違う。
ズバッと切り込む。
日本はこれからまだまだ伸びると言い切る。
たしかに、生産技術力はあるし、過去30年間の貯蓄はあるし、
特許も多い。
最近、技術競争力が落ちたと聞くが、
安定して最高級品を作れる技術がある国は、
ほとんどないとのこと。
そして、2010年頃に中国は一度、経済が停滞するとのこと。
私は北京オリンピックの次の年が危ないのではと思っており、
ほぼ一致したことが少しうれしかった。
一番驚いたのは、将来日本語が世界共通語になるとのこと。
日本人向けの商売をしたいなら、皆、日本語を話すようになる。
今までは、イギリス、アメリカが世界を引っ張ってきたので、
英語が公用語だったが、これからは日本が引っ張っていく。
とのこと。
公用語までいかないが、
多くのアジア諸国の通貨は円で統一され、
日本語を話すことのできる人は世界で5億人を越える。
私はそう思いますね。
どうなるんでしょうね。将来の日本は・・・。
◆韓国の本の流通 (1)(2)(3) コリアニメ
(前略)
で、しょっぱなは、本屋の問題。
韓国の書店は、あまり多くはありません。
人口から考えると、ソウルの本屋は驚くほど少数です。また、私の生活圏は、ソウルの南にある水原市の巨大なアパート団地群なのですが、驚くことに、ここには、本屋らしいものが、ほとんど存在しません。駄菓子屋に毛が生えたような店はありますが(^_^;)
20階くらいの高層マンションが、それこそ100以上も並んでるのにです。
私の日本の故郷は、人口10万程度の小都市ですが、それでも、本屋の数はここの10倍はあると思います。売り場面積なら、下手したら100倍くらい違うかも(^_^;)
水原では、山を削って団地を造成していて、郊外型の大型スーパー(兼デパート)も、私の家の近くにも、二軒ほどあります。食料品から衣料や家電まであって、なかなか便利ではあるんですが、ここには本屋がありません。皆無というわけではないのですが、ほんと売り場の極々一部に、子供向けの絵本が置いてある程度です。
そういや、ソウルのデパートに本屋が全くありません。デパート内の売り場の配置を、これでもかと日本クリソツにまねているのに、本屋だけが存在しないんですよね。
したがって、本屋に行くなら、わざわざソウルの大型書店に出かけなければならないという、マジかよ、おいという状況になっています。本好きの私としては、結構トホホな状況です。
しかし、韓国人が本を読まないから本屋がないのか、本屋が読まないから本屋がないのか、それはよくわかりません。本に対する欲求はあるように思うのですが、物理的に書店の数が追いついていないように思います。(ただ、統計では、韓国の書店数は減少している)
ちなみに、漫画売ってるところは、未だに見つけていません。子供なんて、学校が収容できないほどいるのに、漫画買えないんですよ、ここでは(^_^;)
漫画売れないというのはあるみたいですが、はっきり言って、売ってないから買えないという面も、かなりあると思います。
(中略)
今回は、図書館の問題について、簡単に紹介しましょう。
最近、朝鮮日報のweb記事に、ソウル大の蔵書についての記事が出ていました。
それによると、ソウル大学の蔵書数は202万2958。一方、ハーバードが、1419万704冊で、東京大学は、762万8260冊。かなり少ないことがわかります。(ちなみに、京都大学が570万冊)。
まあ、それでも、韓国の図書館の中では、群を抜いて充実しているのですが・・・。購入予算など考えると、格差が広がる可能性が高いですね。
更に、ソウル大の場合、図書購入費用の9割が外国図書購入にあてられているとのこと。高麗や延世大なども似たり寄ったりだそうです(『ハンギョレ新聞』2001.4.24。以下(1))。論文書くためには、国内の文献を見てても仕方がないというのが、その理由だそうです。
日本の公共図書館も、まだまだ不十分なところはありますが、それでも、韓国より遙かに充実しているのは、前回見た通り。韓国の図書館は、購入費用でも苦戦を強いられ、献本に頼っている部分もあるそうです。
こうなると、出版社は苦しいでしょうね。おまけに、大学図書館は、学術書より一般書をそろえる傾向が強くなっているらしく(同(1))、学術書は、どんどん苦しい状態に追い込まれています。
韓国の大学では、コピー本を作ってくれるので(図書館の中でそういうサービスをやってくれるところもある)、学術書は、複製本対策としてめちゃくちゃ安い値段で出していたんですが、それでも、複製本ががんがん作られてしまうので、もう、ダブルパンチ状態ですね。
最近は、ソウルにある大学だと、コピー規制がかなりうるさくなってきましたが、あんまり規制すると、学術水準がモロに落ちるので(笑)、痛しかゆしといったところでしょうか。
(私のコメント)
昨日のフジテレビの「報道2001」で藤原正彦氏が出ていましたが、「読書する子供を育てろ」と言っていた。現代のような情報化社会では本を読まなければ確実に時代からとり残される。そのような状況では書籍の出版量が文化のバロメーターになるのですが、それは読書人口によって支えられる。
コリアニメのブログでは韓国の本の流通事情が書かれていますが、本屋や図書館が少なく、読書事情は良くないようだ。研究論文を書く上でも韓国語の本では役に立たないので外国の図書を読まなければならないらしい。韓国や中国から日本や欧米への留学生が多いのも文化的な蓄積が少ないからだろう。
日本も明治維新以来、欧米の文化を学ぶ為に多くの留学生が行ったが、最近では英語などの語学留学が多くなった。先日のバージニア工科大学の銃乱射事件で知ったのですが、中国や韓国からの留学生は500人くらいなのに、日本人の留学生は20人ほどだった。
このように語学留学を除くと日本人学生の欧米留学が少なくなったのはどうしてであろうか? アメリカかぶれの評論家によれば中国や韓国ではアメリカのトップレベルの学術レベルを身に付けているから日本は追い抜かれると言っていた。博士号の取得者では1998年の段階で、日本人が152人/中国が2387人/韓国が780人/台湾が871人ということで、中国、韓国、台湾の留学生が異常にがんばっている。
これは日本の学生がだらしなくなって学力が落ちているからだろうか? もっともアメリカへの留学生はアジアからが圧倒的に多くて韓国、インド、中国、日本、台湾の順ですが、日本を除けば大学などの教育レベルや環境が整っていないからだろうか? 最高レベルの能力を身に付けるにはアメリカ留学しかないからだろう。
このままでは日本の技術競争力は韓国や中国に追い越されて行くのだろうか? しかし自動車や家電製品などにおける最高級品は日本が独占しているし、技術競争力が落ちたようには見えない。あいかわらず中国などは日本製品のコピー商品を作り続けているし、あれほど大量の留学生を送っている中国や韓国がレベルアップしないのはなぜなのだろうか?
5月4日の「株式日記」でも少し書きましたが、言語的に中国語や韓国語は近代文化を消化吸収するには困難をともなう言葉であり、欧米の近代工業文化を自国語で消化吸収できた日本語は例外中の例外なのかもしれない。
だからアジア・アフリカ諸国では、欧米に留学したエリートクラスと学校にも行けない現地語しか話せない大部分の一般民衆レベルに分かれてしまう。現地語では欧米の文化を学ぶ事ができないから、高等教育では英語などを使わざるを得ない。
中国人や韓国人にとっては文化のまったく異なる英語を学んで近代文化を学ぶよりも、日本語を学んで近代文化を学んだ方が適しているのではないかと思うのですが、評論家の日下公人氏は著書の「数年後に起きていること」で日本語が英語に代わって世界の公用語になると言う予言をしている。
まあ、予言だから外れても誰も文句は言わないでしょうが、日本語は古代では漢字文化を吸収して、近代では欧米文化を吸収消化してきた唯一の言葉であり、表意文字と表音文字とを組み合わせて使う唯一の言葉だ。だから欧米の言葉もカタカナでそのまま書ける。中国語はそれが出来ない。
現在では英語がグローバル世界の公用語として使われていますが、アメリカが衰退して日本が世界のトップリーダーとなった時は日本語が世界の公用語となる可能性を秘めている。
英語は27文字のアルファベットで表示する「発音記号」ですが、表音文字は言葉がなまって発音が違ってくると違う言葉になってしまう。表意文字ならば発音が異なっても文字そのものは変わらずに通じる。中国語は表意文字だから言葉がまるで違っていても漢文を読めば意味は通じる。しかし欧米語を漢字にするにはいちいち創作翻訳しなければならない。
日本語ならばパーソナルコンピューターと言うような長い英語でも、パソコンという四文字で簡単に自然に創作翻訳できるが、他のアジア・アフリカ言語では翻訳するよりも現地語を捨てて英語を使うようになってしまう。しかし現地語しか分からない現地の人はコンピューター用語は理解できない。
言葉はコンピューターによって処理されて使われるようになり、ネット社会は文章を瞬時に世界のどこへでも送れるようになった。メールなどは電話よりも便利な機能になり、いつでも相手に伝える事ができる。日本語はその意味では表意文字だから文章を理解するスピードは欧米語に勝る。
だからネット社会になりメールという形で意思を伝える事が普通になった社会では、日本語が圧倒的な優位性を持つ。このような優位性を生かしていけば英語文化圏を上回る高度な文化圏を作ることが出来るはずだ。インターネット社会では日本語がいかに優位性を持つか次のニュースを見ればそれは分かるだろう。
◆日本語のブログ投稿数は世界第1位の37%--2006年第4四半期調査[CNET Japan] 4月6日 ニッケイネット
ブログ検索のTechnoratiが発表したレポートによると、2006年第4四半期は日本語が第2位の英語を抑え、ブログ投稿数の多い言語の第1位に再びランクインしたという。
State of the Live
Webというこのレポートには「言語別のブログ投稿数を集計した最新の調査結果により、日本語が再びトップに返り咲いたことが明らかになった。日本語のブログ投稿数は全体の37%を占める(2006年第3四半期は、日本語のブログの割合は33%だった。2位につけた英語は第3四半期の39%から第4四半期は36%へと低下した)。またトップ10に入った言語の中では、イタリア語がスペイン語を抜いて4位につけるという動きも見られた。3位につけたのは中国語だった」と書かれている。
また同レポートによると、現在7000万のブログが存在し、毎日12万のブログが誕生しているという。1日あたりの投稿数は150万。人気の高いサイトベスト100のうち、5分の1以上がブログだという。人気サイトとして、レポートに名が挙がっていたのはEngadget、Boing
Boing、Gizmodo、TechCrunch、The Huffington Post、Lifehacker、Daily Kos。
また、ブログが倍増するのにかかる時間が長期化していることも指摘されている。レポートには次のように書かれている。「2006年10月に前回のState
of the
Blogosphereレポートを発行して以来、ブログ数が2倍になるのに要する時間が、長くなっている。これは、元の数が大きくなっているので、驚くには値しない現象である。当然、500万のブログを1000万にする(180日で達成)よりも、3500万のブログを7000万にする(320日で達成)方が時間がかかる」と書かれている。
日本人移民排斥のテーマは、アメリカ合衆国が、海軍力で守る
べき重要な国家の政策目標とされたのであった。 西尾幹二
2007年5月6日 日曜日
◆「国民の歴史」 西尾幹二(著)
◆日露戦争の勝利の代償
話は変わるが、日本はなぜ中国と戦争をしてしまったのか。これはじつに不幸な戦争であったということはさんざん言われてきた。まさにそうである。日本は中国や朝鮮と手を取り合って欧米と対決するのが自然であり、多くの不幸や誤解を回避しうる道であったことはあらためていうまでもない。
日露戦争はある面で朝鮮や中国をロシアから守るという性格を持った戦争でもあった。もし、日露戦争で日本が負けたら、朝鮮は全土、ロシアの属領となっただけでなく、中国もまた確実に北半分をロシアに領有されてしまったであろう。
それでも日本は、当時朝鮮や中国と組んでロシアに当たるという作戦は立てなかったし、立てることもできなかった。前の項でその理由はくわしく書いたから同じことはもう繰り返さない。要するに日本は英米、とりわけイギリスの惚偲だった。逆からいえば、何をいちばん心配したかというと、日本人がアジア人の代表であって、白色人種対黄色人種の戦いの緒戦であるというふうに受け取られることをいちばん恐れていたのである。
当時の日本人には、自分の客観的位置がよく見えていたし、恐怖が与えた自己抑制の機能がうまくはたらいていた。白人社会を刺激するという意図などは考えられなかった。無邪気なまでに「脱亜入欧」の姿勢だった。しかし、それでも結果として日露戦争の勝利は、白色人種の社会にいちじるしい衝撃をリえたことはよく知られている。
世界を揺るがしたニュースであった。これはどの大ニュースは二十世紀の初頭にはほかになかった。あらゆる植民地の国々では人々が胸をうちふるわせて感動した。少年ネルーやガンジーが揺さぶられた話を読んだことがある。
インドネシア人は巨大なバルチック艦隊があの狭い海峡を通ってゆくのを見て、こうこれで日本はおしまいだ、日本はせっかく立ち上がったのにもうだめだ、と日本人に好意を持っていた彼らの多くは汲を流したそうである。が、ほどなくして日本大勝利のニュースが届いて、彼らは愕然とする。世界屈指の大国に、あの小さな国が勝つなどとは夢にも考えられなかった。
世界中は沸き立った。船でヨーロッパに出かけていった日本人は、立ち寄るアジアの港々で関税の役人その他に握手攻めにあい、大歓迎を受ける。日本人だと聞くと、手を取って東郷とか乃木という名前が出てくる。
心を強く動かされた者のなかに、アメリカ合衆国に住む黒人たちがいた。『カラード・アメリカン・マガジン』誌は、日本の行動の最も重要な点は、アジアとアフリカに考えるきっかけをつくったことだと書いた。ある公民権運動家は、日本が白人優位の人種神話を葬り去ったと主張して全米を演説して回った。
日本人と黒人は性質がよく似ているという意見が出てきた。戦っていないときの日本人兵士は、子どものように静かで、しかしいったん立ち上がると、死を美徳とする生活によって培われたその活力は、みなぎりあふれている。
ミカドの軍隊の睡眠時間はわずか三時間で、ほかの国の兵士には欠くことのできない食糧列車がなくても、みずからが魚と米を持ち歩きながら戦うのだ、などといった伝説が広がった。
ヨーロッパで最も大きく勇ましい国ロシアにとって、小国日本は絶好の餌食になるはずだった。ところが白人が有色人種を支配するという人種構造はけっして真理ではなく、ただっくられた神話にすぎないということを知らしめたことが、合衆国の黒人たちをなによりもまず興奮させ、日本人に強い同胞意識を抱かせたのである。
しかし、このことは同時に、逆に白人社会に衝撃とパニックを広げた。それがどれくらい大きかったかということは簡単に説明はできない。二十世紀の政治史における最大の出来事のひとつであった。輝かしかった日本の過去ということを言いたいために強調しているのではない。
それがやがて日本にとってどんなに大きく深刻な問題につながっていくかということを言っているわけである。アメリカにおける排日運動は、まさにこうした戦争のよは勝利がもたらした興奮の感情の余波にほかならない。
「黄禍(イエローペリル)」を最初に口にしたのはドイツの皇帝ヴィルヘルムニ世で、日本人に向けて述べられな言葉では必ずしもない。おそらく中国人が念頭にあった。しかし、日露戦争の結果、標的は日本に向けられた。ジャン.・ジョレスのようなフランスの有名な社会主義者ですら、黄色人種が地球の表面をやがて支配するのではないかという危機感を論説で表現する始末であった。矛盾そのものであった。
日本人がアジアの一角で成功を収めたことから、彼ら白人の目には、その背後に何億という中国人、インド人の影が見える。人種というテーマが露骨に登場したこの時代に、健気に努力していた日本人が、先頭を走っていたがゆえに、標的になったことは間違いない。
私はこのことが、深く深く第二次世界大戦につながっていると信じている。歴史の流れというものは、次第次第にひとつの道筋をつくっていき、必然的に避けられない方向に動いていくということを考えておかなくてはならない。
◆再びアメリカに「対日開戦論」
日本人移民に対するアメリカ黒人の考え方や感じ方は、そもそもどういうものであったであろう。日本の帝国主義的進出が報道されても、黒人の対日好意はべつだん下がらなかった。日本の経済発展は、アメリカ黒人の高い興味と賛嘆の感情を呼び起こした。
日本の急激な発展こそが、日本人に対する人種差別意識をよりいっそう高めているということも、黒人はよくわきまえていた。日本人移民のせいで黒人の仕事がなくなるのではないかと心配する連中もいるにはいたが、しかし『サバンナ・トリビューン』紙の論調によると、アメリカにとっての最大の脅威は、一日に三千人の割合で上陸してくるヨーロッパ系白人の移民であって、日本人移民の数などたかがしれている。もし、アメリカが生き残りたいのなら、ヨーロッパからの移民を制限せねばならない、と。
黒人による日本人擁護は、一般にきわめて盛んだった。日本人は人種平等、団結、自立のいわば広告塔だったからである。倹約と経済活動と工業技術をみごとに組み入れることに成功した日本人移民は少なくない。
その仕事ぶりを見た有名なある黒人は、世界中がやりたいと思っていることを、日本人は必ず人種の壁を越えてでもやってのけてしまうだろうと述べた。国の発展に大きく貢献した人種に対しては、その人種がなんであれ、世界中が敬意を表すという絶好の実例、それが日本人なのだとほめ讃えた。
カリフォルニアの農園から白人が日系移民を締め出そうと躍起になっていることを知って、それによって大量の働き口を手に入れることができると注目する黒人たちも、もちろんいるにはいた。しかし、あくまで日系人差別には反対の姿勢を貫いていた。
しかし、時間がたつにつれて、論調は少しずつ変わった。『アフロ・アメリカン』紙によれば、カリフォルニアには黒人の未来があると期待する一方で、日系人が犯した大いなる罪、つまり倹約と努力というものに、とてもかなわないという気持ちが彼らにのしかかった。
日本人がその能力を発揮した足跡を残せば残すほど、日本人にとってアメリカン・ドリームは近づいた。しかし、逆に白人はそれを嫌悪し、黒人もまた次第に日本人を妬むようになった(以上、レジナルド・カー二ー『二十世紀の日本人ーアメリカ黒人の日本人観一九〇〇〜一九四五』山本伸訳による)。
一九〇六年のサンフランシスコ学童隔離事件に際して、アメリカ海軍は対日作戦計画を策定し、いわゆるオレンジプランの概略をまとめ上げたことは前に述べた。アメリカ政府の政策の基幹をなすモンロー主義や、それとまことに矛盾する外国に向けられた門戸開放政策への要求と並んで、これまた再び矛盾する日本人移民排斥のテーマは、アメリカ合衆国が、みずからの海軍力で守るべき重要な国家の政策目標とされたのであった。
そして一九〇八年に、いわゆる「白船」事件が起きた。しかし、この三年間の日米危機がいちおうの解決をみたのは、移民問題のほかに差し迫る政治的案件がなかったからだといえるだろう。ところが一九一三年、再びアメリカには、日米戦争に備えて軍艦三隻を動かそうという開戦説が浮かび上がる機運が盛り上がったのである。それは外国人土地法の制定をめぐっての二番目の日米危機であった。
外国人土地法とは、日本人移民一世のように、アメリカ市民権を取得できない資格剥奪者は、土地所有権をも奪われるという、きわめて露骨な、日本人を狙い撃ちした立法であった。ヨーロッパ系の移民労働者にはもちろん適用されない。大統領はウィルソンに代わっていて、彼が理想主義者としての仮面の裏で、いかに露骨な人種主義者であったかということは、先に国際連盟について論じた際に言及している。
ウイルソンは日本政府からの強硬な抗議を受けて、日本は戦争を予定しているのではないかと憂慮し、ワシントン政府はさながら開戦前野を思わせるかのごとき緊張した空気に包まれた。
海軍作戦部長ブラッド・リー・フィスク少将は、このカリフォルニア土地法を絶好の開戦理由として、日本がフィリピンとハワイを奇襲するであろうから、対日戦争は十分に起こりうる事だと主張して、日米戦争に備えて軍艦三隻を派遣するよう提案した。もちろん、ウィルソンの判断でこの海軍の強硬案ば退けられはした。そしてアメリカ政府を襲った開戦説はまもなく立ち消えとなった。
◆有色人種の希望の星
第一次大戦の戦後処理をしたパリ講和会議において、日本政府代表が人種平等に関する提案、いわゆる人種差別撤廃法案を提出した背景は、以上に詳細に述べ立てた推移に基づくのである。
同じ頃アメリカの黒人たちも、国際会議において人種問題が初めて採り上げられることに色めき立った。黒人たちはパリ講和会議ヘアピールする準備に取りかかり、日本政府をサポートする考えだった。四人の著名な黒人が会議に先立って日本使節団を訪ね、世界中のあらゆる人種差別と偏見をなくすことに尽力をしてほしいという嘆願書を提出した。
国際連盟にではなく、日本政府に嘆願書を出すという点において、興味深い注目すべき時代の性格が表現されている。全米平等権利同盟は、さらに代表をパリに送り込もうとしたが、しかしアメリカ政府に妨害され、わずかに日本の代表にインタビューすることが可能になっただけだった。ウィルソン大統領にも面会を求めたがあっさり断られた。(P566〜P571)
(私のコメント)
大東亜戦争の歴史的な評価については、未だに定まってはいませんが、東京裁判史観に洗脳された人にとっては日本は戦争犯罪を犯した犯罪国家であると学校などで教え込まれてしまった。しかし明治維新以来からの流れを分析すれば、日露戦争と大東亜戦争は白人対黄色人種の戦争であり、二つの戦争はよく似ている。
戦前のアメリカは白人優先国家であり、世界一人種差別的な国家であった。「株式日記」でも以前に「優生学」について書きましたが、アメリカはその優生学の本場であった。ナチスドイツはアメリカの優生学を手本にしたに過ぎない。
◆優生学 ウィキペディア
《 ドイツと共に、優生学思想を積極的に推し進めた国はアメリカである。優生学に基づく非人道的な政策を採っていた、と来れば、一番に想起されるのはやはりナチスだが、実は、アメリカの方が優生学的な政策を実施していた期間は長い。また、そのような政策を始めたのも、アメリカの方が早い。優生政策の老舗は、アメリカだと理解した方が事実に沿っているのである。断種法は全米30州で制定され、計12000件の断種手術が行われた。また絶対移民制限法(1924年)は、「劣等人種の移民が増大することによるアメリカ社会の血の劣等化を防ぐ」ことを目的として制定された。この人種差別思想をもつ法は、公民権運動が盛んになった1965年になってやっと改正された。 》
このような状況からすれば日露戦争に勝った日本と、人種差別国家であるアメリカとが衝突するのは必然であり、歴史事実を見てもアメリカにおいて日本人を対象にしたと思われる露骨な人種差別法案が作られていた。大東亜戦争にいたる原因の一つとして1913年の外国人土地法が作られ、1924年には排日移民法まで作られた。
◆大東亜戦争の根本的原因を考察する 日下部晃志
《 1906 サンフランシスコ市教育委員会、日本人・コリア人学童の隔離教育を決定
1907 サンフランシスコで反日暴動
1908
日米紳士協定(日本が移民を自粛する代わりに、排日的移民法を作らないことをアメリカが約束)
1913 カリフォルニア州で排日土地法成立
1924
絶対的排日移民法
以上のようになる。当初は主として西海岸で、州単位での立法であったし、守られなかったが日米紳士協定を結ぶ余地はあったのだ。しかしながら、24年の絶対的排日移民法は連邦法で、これは別名「帰化不能外人移民法」ともいい、日本移民は禁止されたのである。これが何を意味するだろうか。まず、アメリカ社会の根底に日本人に対する差別があったことであろう。確かに、移民の受け入れについては、各国の自由に任せられるべきだが、ヨーロッパからの移民は受け入れるが、非白色人種の移民は受け入れないということは、どう解釈しても人種差別である。経済の面からみると、日本にとっては労働力の供給先を失ったということである。そのため労働力が過剰になり、新たな移民できるような場所を大陸に求めざるをえなくなったのである。アメリカがホーリー・スムート法によって関税障壁を設け、世界恐慌を誘発したのが1930年で、日本が満州事変を起こしたのが1931年ということを考えればわかりやすい。大恐慌とそれにより発生した失業者をどう解決するかという問題を抱えた日本が満州に目を向けたことには、こういった背景もあったのである。 》
このような戦前における日米関係は人種差別をめぐる摩擦があり、大東亜戦争の一つの原因となったことは明らかだ。しかし学校教育における歴史教科書では人種差別撤廃を目指した戦争であるとは一言も教えられていない。あくまでも日本は侵略戦争をした犯罪国家と教えられている。
しかしそれではなぜアメリカで強制収容所が作られ、日本人と日系人が収容されたのか? なぜ広島と長崎に原爆が落とされたのかについての納得できる理由が見つからない。このような見方をされないようにアメリカは東京裁判で侵略国家と日本を断罪して、アメリカを民主主義をもたらした解放者と位置づけている。
しかし戦前において日本人を対象にした排日法が軍事的緊張までもたらした事実もあり、なぜ日本が勝ち目のない戦争に踏み切った理由として考えれば、一種のアメリカに対する人種暴動だったのだろう。暴動は警察や軍などに鎮圧されるのが普通だから、なぜ勝てる見込みのない戦争をしたかという質問は、大東亜戦争が植民地解放や人種解放戦争であったという見方をしていないからだ。
中国や韓国が日本に対して植民地支配はけしからんとか、侵略戦争で酷いことをしたという歴史カードを突きつけてきますが、背後で煽っているのはアメリカだ。この事は従軍慰安婦問題がアメリカで対日非難決議がなされようとしている事からも伺われる。アメリカにとっては日本が戦争犯罪国家でなければ困るからだ。
大東亜戦争が植民地解放と人種差別解放の戦争であったとするならば、アメリカはそれを弾圧した国家という汚名を着ることになる。しかしアメリカも数十年後には白人よりも有色人種が多数派となり、黒人の大統領も誕生しようとしている。そうなれば大東亜戦争に対する評価もアメリカでも変わってくるのではないかと思う。
日本一国でアジア全体を守る、という「アジアのモンロー宣言」は
失敗に終わったが、往時の日本人のこの気迫は貴重である。
2007年5月5日 土曜日
◆「国民の歴史」 西尾幹二(著)
◆若い国アメリカの気概
思い切って歴史を二百年ほどさかのぼって、列強の動きをひとわたり広い角度から、大雑把に眺めておくことにしよう。
十九世紀の初めのヨーロッパにナポレオン戦争があった。ナポレオンが失脚した一八一五年に、いわゆるウィーン体制が始まる。ナポレオン時代は戦争に戦争があいつぐ動乱期だったが、フランス革命の精神的余波がヨーロッパ中に広がった革命精神の高揚期でもあった。ウィーン体制はこの反動で、安静、安定、秩序というものをなによりも望む保守的時代に入る。その中心にいたのがオーストリアの宰相メッテルニヒである。ヨーロツパではしばらく平和が保たれる。
しかるに、ナポレオン戦争中にすでにスペインの植民地であった中南米諸国が、スペイン本国が占領された機に乗じて、次々と反抗の狼火をあげた。一八一六年のアルゼンチンの独立をはじめ、各国が続々と独立した。一八一八年にチリが、一八一九年にコロンビアが、一八二一年にメキシコが独立し、一八二二年にはブラジルもポルトガルの支配を脱して独立国になった。
メッテルニヒはこれらの動きを革命運動とみなし、武力をもって干渉しようとしたが、まずイギリスの反対にあった。イギリスはようやく中南米市場を自由貿易に開放したばかりであった。スペイン・ポルトガルの重商的植民地帝国を叩きつぶしたばかりなのだ。ヨーロッパのどの国でも中南米の一角に干渉しようとしたら、無敵のイギリス海軍がただちに出動するかまえだった。大西洋世界における平和を守ったのは事実上イギリスの海軍力だった。
ところが、面白いことに、イギリスから独立して少しずつ力を貯えつつあったアメリカ合衆国が、一八二三年に南北両大陸へのヨーロッパの干渉を拒絶する宣言をして、独自の力を誇示した。いわゆるモンロー宣言である。アメリカにはまだまだそんな大見得を切るだけの実力も裏づけもなく、モンロー宣言はどうみてもたんなる空威張りにすぎなかった。しかし、アメリカにはすでに南北両大陸を広く見渡す目と、いずれはこれをわが勢力下におこうとする気概があった。
一八一〇年代、ロシアはべーリング海峡からアラスカに支配権を拡大し、北アメリカ大陸を太平洋に沿って南下する政策を進めていた。これに対しアメリカはイギリス領カナダとは国境確定をすでにしたが、太平洋側のオレゴンと呼ばれた一帯はイギリスと領土紛争をつづけていて、モンロー宣言はさしあたり、イギリス、フランス、そしてロシアの動きに敏感に反応し、ヨーロッパ全体の介入を牽制した宣言であった。
その際、中南米諸国の独立を擁護し、オーストリアの宰相メッテルニヒの野望を砕いたのは、自分の実力以上の差し出がましい行動だったともいえる。なぜなら、中南米の平和を守っていたのはイギリスであり、当時アメリカはインディアンの土地をメキシコと奪い合ったり、荒らくれ者の集団を中米に暴れこませたりする程度で、南アメリカ大陸に対し十分に責任の持てる体制ではなかったからだ。
それなのにアメリカは言うべきことを言った。いちはやく、先手を打つようにして言った。アメリカにはまださしたる海軍力さえない。しかし、その陸軍力はいっでもイギリスの植民地カナダを侵略する力を備えていた。それにカナダを脅かしているのは、アメリカだけではない、南下するロシアもあった。
アメリカはイギリスに対し、たくさんの貸しがあるのである。中南米諸国の独立擁護を宣言した背景には、イギリスの海軍力をも外交的政治的に利用しうるとの敢然たる意志があってのことと思われる。なぜアメリカにはこれほどの気概があったのだろうか。
同じ英語を話す移民国家カナダとオーストラリアには当時も、そして今もこの気迫がない。カナダ移民の始まりは漁業資源の商業目的であったし、オーストラリアはなんと十八世紀の末までイギリスの囚人の捨て場であった。どちらもイギリス本国に経済的に束縛されつづけていた。
しかし、アメリカはイギリスと戦争をして独立を勝ちえた国家である。植民地と戦争して敗北したイギリスはひどく落ち込んで、自信を失う時期さえあった。過去二世紀の国民国家の形成期に、きちんと自分を主張し、戦争をも辞さなかった国とそうでない国との差ははっきりと出ており、今日まで影響を残している。
国家の起源はこの上なく大切である。囚人の捨て場であったオーストラリアは今も元気がなく、資源大国であるのにそこに住む人は亡命者の群れのようにひっそり、浮かぬ顔で生きていると聞く。過日ある人から、オーストラリアの住民はテーブルスピーチの前に、「自分は一八○○年以後の移民の子孫だ」というようなことをいちいちことわるという話を聞いて、なるほどと思った。囚人の捨て場が国家の起源だったということを国民規模で気にしているのである。
話は元へ戻るが、日本人は、太平洋の向こう側のアメリカ人の生き方とその歴史を、長いあいだじっと観察し、考えてきた国民である。アメリカの政治行動はヨーロッパのそれ以上に日本に与えてきた影響が大きい。日本にとって中国と韓国は二千年の文化と歴史で結ばれた隣人である。アメリカにとっての中南米諸国よりはるかに関係が深い。アメリカ合衆国と中南米諸国との間には歴史的文化的になんのつながりもない。そのアメリカが中南米に関してモンロー宣言を発するのなら、日本がアジアに関して同じ宣言を発してなぜ悪いのだろう。
実際、昭和九年(一九三四年)に、外務省情報部長の天羽英二は、日本だけが極東平和の責任を負うという宣言、やがて「大東亜共栄圏」の理念に発展する、を行い、これは「アジアのモンロー宣言」と呼ばれ、国際社会を騒然とさせた。残念ながら、当時すでに日本は五大国の一つであったとはいえ、中南米を実際に防衛していたイギリス海軍のように、ほかにアジアを実際に防衛してくれているスーパーパワーは存在しなかった。日本一国でアジア全体を守る、というのである。
「アジアのモンロー宣言」は失敗に終わった。それでも、往時の日本人のこの気迫は貴重である。アメリカだってまったく実力もない時代に、イギリスとロシアなどとの対立をうまく利用して堂々とした言動を示していたのである。
◆英露対立を利用したアメリカと日本
さしあたり明治の日本に話題を戻そう。十九世紀の日本はまだそんな偉そうなことが言える立場ではなく、なんとかして列強と同等の地位になり、仲問に入れてもらうのが先決だった。そのとき、とても興味深いアメリカとの共通点がある。
アメリカを助けたのは具体的にはイギリスとロシアの伝統的対立だった。そしてまったく同じことが日本についても言えるのが面白い。アメリカや日本が、国際的に少しずつ自由に動き出せるようになるのは、もちろん日本はアメリカより半世紀以上遅れていたが、英露対立が基本にあったからである。日本もアメリカもこの対立を利用した。
ユーラシア大陸を南北に二分割する英露対立は、かつてのスペインとポルトガルの東西分割のように、十九世紀から二十世紀へかけての世界史の一大ドラマだった。陸地を回って中央アジアからシベリアの端まで広がったロシアと、海を回って西太平洋にまで艦隊を派遣したイギリスとが、どこで出会い、どこでぶつかるかというと、ひとつは日本列島なのである。もうひとつは北アメリカ大陸である。
イギリスは自分の勢力圏とみなす地域にロシアが人ってくるのを防ぐために、同盟相手をいろいろに変え、ありとあらゆる策を弄するのを常としていた。アメリカがイギリスやフランスに先がけて、ペリー来航というかたちで日本に接近することが出来たのは、ちょうどその頃イギリスとフランスはトルコを援助してロシアに宣戦していたからである。クリミア戦争(1853−1856年)である。
イギリスとフランスはなんとかしてロシアの地中海進出を防ごうと必死だった。対日接近に両国が一歩遅れ、アメリカに乗じられたのはそのせいである。しかしやがて幕末の日本にともに影響を与え、イギリスは薩長連合を援助し、フランスは落日の幕府を支えつづけることになる。
その後アメリカは日米修好通商条約(一八五八年)を最後に、対日接近を少し手びかえるかたちになるのは、ヨーロッパの二強国に遠慮したからではなく、アメリカが最大の内乱である南北戦争(一八六一〜一八六五年)に突入し、外交上の余裕を失ったためである。これは日本に幸運だった。
一方、クリミア戦争に敗れたロシアは、海への出口を失って、太平洋の不凍港を求めて、東北アジアヘの進出を企て始めた。まず、ロシアは朝鮮に隣接する沿海州のウラジオストックに座を占めた。日本の北辺はにわかに風雲急を告げた。
ロシアはいち早く日本列島とひとつづきである千島列島と樺太に人を入れた。日本は一歩遅かったのである。なにしろ幕末から明治への動乱期で、外を考える余裕がない。一八六九年、ロシアは樺太の領有を認めるよう日本に求め、日本はこれを拒否。明治の新政府ができてから、両国間にようやく取引が成立し、日本はもはや樺太は間にあわないと悟ってこれをあきらめ、かわりに千島列島全部の領有権を得た(千島・樺太交換条約、一八七五年)。
ロシアも一八六一年に農奴解放令を発するなど、国内に困難をかかえていた時代である。イギリスは一八五七年、インドでセポイの大叛乱(セポイは東インド会社のインド人傭兵)を処理し、アヘン戦争を終結したあとの中国でアロー戦争(一八五六〜一八六〇年)を起こして、再び清を屈服させ、九竜半島の一部を割譲せしめた。
しかしイギリスは、ロシアが日本の北辺に迫ったことがいかにも面白くない。どこの国であってもとにたかくよその国が極東で支配的地位を占めることには耐えがたい。それが七つの海を支配した当時最大の帝国イギリスの受けとめ方である。
しかしながら、当時の日本はいまだ無力なる半植民地国家であった。だからいかなるゲームにも参加できない。そうかといってイギリスはロシアと争って日本を分割するには、日本は地下資源などの魅力に乏しく、戦えば手ごわい抵抗相手にもみえた。それくらいなら日本を助け、育てて、ロシアに対抗する防波堤とするほうがよい。
日本は自分の自由意志で国際情勢を乗り切っていく国家になりたがっていた。そのためになんとしても不平等条約を撤廃してもらわなくてはならない。列強と対等な関係を一日も早く築くことを強く希望していた。そのことにむしろ利益を見出したのはイギリスである。日本は急速に近代的な国家体制を整え始めていた。イギリスはそれをみて、ロシアとの極東における取引ゲームに日本が参画することをむしろ期待し、その方向に誘導した。
ここからは少し話が先へ行きすぎるが、日本は残念ながら厳密な意味での独立国ではなかったといえるだろう。イギリスの対ロシア政策の傀儡であった一面が小さくない。しかしあえてその役割を引き受け、果たさなければ、当時の世界情勢のなかでは相手にされず、踏み潰されてしまうのが落ちだった。明治日本を最初から"悪しき強国"として描くのはどうみても間違いである。(P511〜P516)
(私のコメント)
極東における情勢は日清戦争以前の頃とよく似ていますが、地政学的にロシアや中国は日本という国によって太平洋への出口を塞がれている状況にある。実際の歴史においても日清・日露戦争により中国とロシアは太平洋への進出は出来なくなった。もし日本がロシアや中国の支配下に入ればアメリカの太平洋の制海権は危ういものになってしまう。
それなのになぜ日本とアメリカとが戦争をすることになったのかは後日触れたいと思いますが、当時はイギリスが七つの海の制海権を持っていた。それに対してロシアの南下政策で満州から朝鮮半島にかけてのロシアの影響が大きくなり、日本はイギリスにそそのかされるようにロシアや中国と戦争をする状況になってしまった。
戦略的にいえば日本は海軍力でロシアや中国に対して優位に立てばいいのであり、大陸に進出する必要はなかった。軍事的には沿岸地域を制圧できればいいのでしょうが、そうすると日中戦争のように奥へ奥へと引きずりこまれてしまう。今から考えれば朝鮮半島へ進出した事が間違いの元だった。
むしろ大陸に進出するよりも、太平洋やインド洋への制海権を確保すべきだったし、アメリカによる日本への海上封鎖が日本への一番の脅威であり、大東亜戦争はアメリカに対する防衛策の不備が敗戦の原因となった。日本はソ連の共産主義にばかり警戒の目が向けられてアメリカへの備えを怠ってしまった。
明治維新の頃はイギリスはクリミア戦争で戦っていたように、現在のアメリカもイラクやアフガニスタンで戦っている。こうなるとロシアや中国は極東へ勢力を伸ばしてくるのは歴史的必然だろう。北朝鮮の核武装も背後から中国やロシアが操っているからであり、それに対してアメリカは動きが取れない。
アメリカは明治維新の頃のイギリスのように日本を強化して中露に対抗させるという戦略をとるだろう。それに対して日本はそれだけの体制を築く事ができるだろうか? 憲法改正や集団安全保障体制などの体制整備の対する国民の合意がぜんぜん出来ていない。
西尾幹二氏が言うように「当時の日本は無力なる半植民地国家」であり、現在もアメリカの半植民地状態であるのだ。アメリカという国家が強力であり続けてくれれば半植民地でもいいのでしょうが、アメリカはイラクの戦況を見れば分かるようにアメリカの国力の衰退は歴然としている。
一番注意しなければならないことは、日本が半植民地に安住してしまうと、朝鮮半島のように中国、ロシア、アメリカに分割支配されかねないということだ。西日本は中国に、中部日本はアメリカに、北日本はロシアに分割されてしまうかもしれない。だからこそ「株式日記」では自主防衛体制を主張しているのですが、日本国民は真の近代の歴史をほとんど知らない。
「国民の歴史」という本を読めば歴史の真相がある程度読めてくるだろう。戦後の歴史書は多くが東京裁判史観で書かれており、日本は戦争犯罪国家であり非武装国家にされて、世界情勢が分からない愚民化政策がとられてしまった。だから、自主防衛だの核武装だのと言うとびっくりして思考が停止してしまう。
国会では核武装について考えることも禁止されている。まさに日本はアメリカの半植民地なのです。例えば日本とオーストラリアとで核兵器を共同開発したらどうだろうか? オーストラリアにはウラン鉱石があるし、広大な核実験場も出来るだろう。アメリカは反対するかもしれないが、英国はどうだろうか?
このままでは日本は中国かロシアの支配下に入ってしまって太平洋の覇権は中国やロシアのものとなってしまう。そうなる事をアメリカやイギリスは望むだろうか? 歴史が分かる人ならば答えはすでに出ている。分からない人は「国民の歴史」を読んでもらえれば分かると思う。
漢字漢文は不完全な言語である。情緒を表現することができない
論理とか道筋とかを正確に伝えることができない。 西尾幹二
2007年5月4日 金曜日
◆「国民の歴史」 西尾幹二(著)
◆訓読みの成功と日本文化の自立
『日本書紀』の編纂にあたっては、かなりの渡来帰化人の協力があるといわれている。ちょうどわれわれ現代人が英語をうまく書ける人につい頼ってしまうように、漢字漢文に練達である朝鮮からの渡来帰化人に依存するということがあったと思う。
日本人が外国語べただという性格は二千年前からつづいているという文化論に、あるいはまた文明の反省につながる話というふうにしてしまうと少し情けないし、間違える。そういう話ではない。古代の日本は他のアジアの国にはできなかったきわめて特異なことを行った。韓国が吏読という訓読みに近いやり方をいったん試みたが成功しなかった。
同じようなことは、ベトナムが字南という言語表記法を工夫し、開発するが、もちろんこれも成功しない。十五世紀につくられたハングルは一語一音表記の表音文字であるので日本の仮名に等しい。訓読みという中国漢字の自在の二重構造というものではおよそない。
韓国の場合、漢字漢文を正式書法とする上流階級の意向にあわせてハングルは軽蔑されたり、禁止されたりして二等級扱いされてきた。そして第二次世界大戦後、伝統となっていた漢字漢文の表記法もやめてしまい、ご承知のようにオールハングルに切り替えた。それで数世代を経て、今、非常に困った文化的局面に立ち至っていることは関係者の反省の言葉としてわれわれの耳に達しているとおりである。
古代の日本は何度も言いたいが、アジアの国で出来ないきわめて特異なことをやった、たった一つの国である。それは中国の文学を日本語読みし、日本語そのものはまったく変えない。中国語として読むのではなくて日本語としてこれを読み、それでいながらしかもなお、内容豊かな中国古代の古典の世界や宗教や法律の読解をどこまでもいじする。この決然たる意思であった。
今のフィリピンでは、公用語も新聞も英語である。しかし民衆はタガログ語を話している。アメリカに植民地として支配されたフィリピンの姿である。フランスに支配されていた旧フランス領アフリカでも同じことで、指導者はフランス語を話し、一般民衆は現地の言葉を話している。古代日本人は敏感にこのことのもつ危険を知っていたに違いない。
もし古代日本が中国語に接したときに、支配階級が中国人と同じように中国語を読み書き話す術を競い合い、他方、一般民衆は「倭語」を話しつづけていたらどうなっていたであろう。日本は中国の属州でありつづけ、日本そのものがすでに消滅してしまっていたであろう。
言語は民族の精神の核である。(P102〜P103)
◆漢字漢文における表現カの限界
いうまでもなく私の関心は日本語の起源問題そのものにはない。前項以来、現代のこの方面の最新学説を紹介することで、日本語は孤立言語とは断定できないまでも、歴史的由来をただすことがきわめて困難を言語の一つであり、したがって日本文化そのものがユーラシア大陸から独立した"栄光ある孤立"を守る正当な根拠をもっている一文明圏だということに、読者が納得してさえくだされば、それで十分なのである。
文字は間違いなく中国から来て、それはいちじるしく変形され、日本化された。だからといって日本が中国文明圏だということにはならない。前にも言ったとおり、言語と文字は違う。言語はより根源的である。日本語は周知のとおり、中国語とは縁戚語ですらない。
人類が音声を使っな言語を用い始めたのは、すなわちスピーキングは、確たることはわからないが約三百万年前に始まる旧石器時代である。それに対し文字の出現、すなわちライティングは最古のシュメール文字にしてもせいぜい数千年前である。現代でも文字を持たない言語がいくらも存在する。
また、優れた文字を持つ文明下に生きているとしても、喋ったことを完全に文字で表現できるとは限らない。言語と文字表現との間にはつねに隙間がある。隙間という程度ではすまないほどの埋められない深い淵があるのが宿命だと言ったほうが、あるいは正しいかもしれない。
「書くことが話すことよりも完壁であるととかく考える誤解が、世には存在する。なかには書くことと言語とを同一視するような行き過ぎた間違いを犯す者さえいる」 書物に取り巻かれている文明社会の知識人が陥りがちな自己錯誤である。
中国の全国人民代表大会には約三千人が一堂に会する。しかし参加者は誰も発言しない。一人一秒もない、という時間の問題だけではない。中国は多言語社会である。誰かが突然立って発言しても言葉が通ない。
江沢民が壇上で演説するのを聴いても理解できない参会者が少なくないそうだ。皆がワーツと拍手するだけである。そこで紙が配られる。書かれている漢字漢文を目で読んで納得する。各々が自分の国の音で読んで、理解はするが、隣の人にこれを朗読して聞かせたらもうわからないということだ。
中国のテレビではニュースキャスターが話している間、ものすごい速さで漢字のテロップが流れることがある。中国人同士でも、耳で聴くだけではまったく理解できない場合がある証拠だ。
「官吏」という言葉も中国から来たが日本とは意味が違う。「官」はキャリアの役人、中央から派遣され、しばらく勤務し栄転していく高級官僚である。「吏」は下積みのノンキャリア組で、それぞれの地方に縛られている。これは端的に通訳のことである。地方語のわかる人が「吏」である。そういう区別が多言語社会の実質を物語っている。
台湾人の文明評論家、黄文雄氏から聞いた話だが、事情は台湾でも同様であるそうだ。国慶節で蒋介石が演説するのを何度も聴いたが、分からない人が大部分だった。台湾には高砂族という原住民がいて、今でも九つの部族に分かれ、それぞれ独自の集団生活をしている。彼らは固有の儀式を行い、お互いに言葉が通じない。仕方がないので、今でも必要な時には日本語で意思疎通を図っていると言う話だ。
私は以上、政治的なテーマを語っているのではない。言語哲学的に非常に重要な事を言っているつもりだ。中国はヨーロッパみたいなものだと思えばいいでしょう、と黄氏はおっしゃった。
フィンランド人はイタリア人が話していることがわからない。アイルランド人はポーランド人が話していることがわからない。それでは文字に書いた文章を見せればいいかというと、中国語と違って、ヨーロッパの文字は表音文字だから、それぞれ相手の言語を勉強していなければ理解はできない。
表意文字としての中国語はこの点断然有利だ。漢字漢文だと相互理解がたちどころに可能になる。中ていさいとつくろ国が曲がりなりにも統一国家としての見せかけの体裁を取り繕うことができ、有機的な一つの文明だと思わせることに成功しているのは、ひとえに表意文字の有効利用のせいであるが、他方、この有利さには別ともなの面の不利が伴っている。
すなわち漢字漢文の伝達力には必然的に制約がある。きわめて大雑把な、決まりきった定型しか表現できないという欠点がある。漢字漢文は不完全な言語である。情緒を表現することができない。論理とか道筋とかを正確に伝えることができない。
だいたい品詞の区別がない。名詞、動詞、形容詞、形容動詞の区別がない。日本語の助詞として重要な役割を持っ「てにをは」がない。だから読みようによってどうにでも読めるし、厳密な伝達ができない。
ヨーロッパ語のように性とか数とか格とかがない。そもそも語と語のつながりを表す言葉がない。したがって大略の内容表現しかできないで押し通してきたことが、偉大な古代文明を持つ中国がその後の発展を阻まれてきた原因かもしれない。
魯迅も孫文もこのことを嘆いていた。毛沢東の文字改革はこの嘆きのうえになされたものだが、文字を簡略化しても根本問題の解決にはならない。それに比べ一語一音を廃し、訓読みを導入し、しかも二種の仮名文字を自由自在に混在させる知恵を発揮した日本語のほうが、言語の表記法としてははるかに進歩し、微妙に洗練され、かつ精緻正確な形態に発達していることは言をまたない。
過日、加地伸行氏という儒学の大家にたいへんに興味深いお話を伺った。日本語の助詞も持たず、ヨーロッパ語の格変化や人称変化も持たない漢字漢文で、語と語の連結はどのようにして行われているのですかという私の質問に、氏はふと思いついたように「端」という字をお示しになった。日本人はこの字を見ると端っこというイメージをまっ先に思いつく。そして、それ以上はなかなか意識に思い浮かぷものがない。われわれには漢字が依然として外来語である所以である。
加地氏によると、「端」はものごとを区切るということであり、礼儀正しいということであり、さらに、恭しく人に物を捧げ持ってさし出す様子などをさえ示す言葉だという。私は知らないことを初めて言われた驚きを覚えた。「つまり『端』はじつにきちんとしているということを言い表す言葉なんですよ。たとえば日本語でも、『端正な芸風』、『端整な顔立ち』、『端然と座る』などという使い方をするでしょう」。
そう言われて私は、なるほどと悟った。日本語では中国語の原義のもつ広い概念が、ばらばらの熟語として二字連結で入っている。「端的にいえば」はまさに「ものごとを区切る」という最初の語義に発している。「端厳な態度」、「端座する」は礼儀正しく、きちんとした姿勢を紡佛させる。
私のようなヨーロッパ系の言語を学ぶ者でも、日本語と対応させるうえでの概念のズレをつねづね経験している。constitutionは組織や構成のことであり、体格や体質のことであり、かつ憲法のことだ。She
is weak by conatitutionは「彼女は生まれっき身体が弱い」の意で、憲法とはなんの関係もない。英語やドイツ語だと私はある程度の概念の広がりを当然視しているが、漢字となると、自国語として用いているので、かえって一語の持つ広い概念範囲に平生気がついていない。
しかし中国人は「端」という一語を見ただけで、広範囲のイメージをじかに表象している。そしてひとつの概念の円が次の概念の円と次々に重なって、それによって語と語の連結をつづけていく。助詞や格変化がなくても不自由しないのはそのせいである。
教養のある中国人は一つの概念の円が、当然大きくて広い。歴史的に使われていた中国語のありとあらゆる教養のうえで、大きな円を描き、そのつながりで意味了解がなされていくのが中国語の特徴であるから、古典の教養がなければ理解できないことがたくさん出てくると言われるのも、むべなるかなである。
加地氏は自作の漢字漢文を中国人の先生に見せると、たいてい、ここはいらない、これも不要だ、と文字を削られ、短くされてしまうという。一つの概念の円の範囲がたぶん中国人の先生のほうが広いためである。
中国の科挙がなぜ膨大な量の古典文学の学習を強いたかという謎もここにあるのかもしれないと思ったが、現代の大衆社会に適用できる話ではないので、漢字漢文の伝達力の限界という先の間いに解答を与えてくれる話ではない。(P131〜P135)
(私のコメント)
ゴールデンウィークも後半に入りましたが、相変わらずテレビの大リーグ中継を見て過ごしています。レッドソックスの松坂はストライクが入らずフォアボールで満塁にしてしまう。結局7点も取られてマウンドを降りましたが、明らかにフォ−ムを崩していた。どのように修正して立ち直るか分かりませんが、慣れるまで時間がかかるのだろう。
ゴールデンウィーク中はお休みのブログも多くて読む人も少ない。おまけに晴天だから外出している人が多いだろう。中には私のように金が無いので家でごろごろしているしかない人もいるだろう。このような時には本でも読んでいるのが一番いいのですが、月収が10万円しかないフリーターは本を買う金も無い。
私なども学生時代は金が無くて古本を買って読んでいましたが、今は古本も安くなって定価の十分の一ぐらいで買える。しかしフリーターは狭いアパート暮らしで本を置く場所も無い。最近ではマンガ喫茶で寝泊りしている人もいるようですが、こうなるとネットでしか知識を得られないことになる。
私のブログでは本の紹介もしているのですが、今回は西尾幹二氏の「国民の歴史」を紹介します。フリーター生活と「国民の歴史」とどんな関係があるのかと言うと、格差社会を作り出した政治を通じて若者がフリーター生活に追い込まれているのだ。なぜ政治が格差社会を生み出したのかと言うと、政治家達が日本の歴史と伝統を忘れて、アメリカの残していった教育を放置した事に原因がある。
安倍内閣は教育改革を推し進めていますが、憲法改正なども絡んで日本の歴史や伝統をどのように復活させるかが、これからの日本の大きな課題になる。日本の教育も一番直さなければならないのは歴史教育であり、戦後の自虐史観を正さなければ青少年の心に「日本は戦争犯罪を犯した悪い国」という歴史観が植えつけられてきた。
だからアメリカや中国や韓国などから歴史カードを突きつけられただけで日本は謝罪と反省を繰り返してきた。そうされていくうちに理不尽な要求を突きつけられても日本の政治家は受け入れざるを得なくなり、国民はいくら働いても富はアメリカに吸い取られていく仕組みになっていく。
あるいは中国に6兆円ものODAを援助しても中国に感謝される事はなく、国内の景気対策は放置されて、海外にばかり金は流れ出ていくようになってしまった。本来ならば世界一豊かな国のはずが、若者はフリーター生活を強いられて安アパートすら借りられない人が出てきた。
外国ならばこのような若者が出始めたらデモや暴動などが起きて社会問題化するのですが、日本の若者はデモをすることすら出来ないほど元気が無い。戦後教育で徹底的に政治に無関心になるように教育されてきたからだ。だから若者ほど選挙にも行かなくなっている。これは一種の愚民化政策なのだ。
特に戦後の歴史教育は徹底的に空洞化されて、日本の近代史はほとんど教えられていない。だから従軍慰安婦や南京大虐殺などの「歴史カード」を突きつけられると、何も分からないから謝罪と反省を繰り返すしかないのだ。このような反省に立って西尾幹二氏が「新しい歴史教科書を作る会」の会長となり教科書が作られましたが、採用する学校はまだ少ない。
とにかく中国や韓国やアメリカから歴史カードを突きつけられても反論できるだけの人材を育てなければなりませんが、60年に及ぶ戦後の洗脳教育は、ほとんどの日本人に自虐史観を植えつけてしまった。それに対して「国民の歴史」はその洗脳を解く為の解毒剤になるだろう。
連休期間中は「国民の歴史」をピックアップして注目すべき点を論じていってみたいと思います。その第一はなぜ日本だけがアジアで近代化に成功したかという点ですが、言語そのものに原因があるのではないかと思う。特に中国や韓国などについては何度か触れてきましたが、戦後の文字改革で歴史が断絶してしまった事だ。
中国では文字改革で漢字が極端に簡略化されて、表意文字なのに本来の意味が分からなくなってきている。だから中国語は中国の古典を読まなければ十分な意味が伝わらないのに、古典そのものが中国人は読めなくなっている。韓国にしてもハングル文字は表音文字であり戦前の漢文などが読めない。
それだけ中国や韓国は言語や文字に問題があり改革を必要としたのですが、日本だけは西洋の近代文化を取り入れることに成功した。現代においても中国はコピー文化に陥っていて、自立的な発展は難しいようだ。文化とは積み重ねで発展していくものだから、基礎となるような歴史がないと、いきなり近代文明を上に載せても基礎がしっかりしていないから発展は難しいのだ。
フィリピンなどのアジア諸国やアフリカ諸国などは、欧米に留学して欧米語を話す上流階級と、現地語を話す留学できない一般民衆の二つに分かれてしまって、これではいつまで経っても国が近代化できるわけがなく、欧米などに移民として移住するアジア・アフリカ国民が絶えない。中国や韓国もやはりアメリカに移住する事が唯一の道になってしまっている。
中国に関する限り英語を習うよりも日本語を習って近代化したらどうかと思う。現在でも中国から大勢の留学生が来ているが、日本語が読めるようになれば世界の翻訳された本を読むことが出来る。韓国にしても日本語教育を進めれば近代化のために役に立つだろう。
誇大妄想的にいえば、日本人と中国人と韓国人が日本語を公用語にすれば、英語以上の公用語人口となって世界に普及するかもしれない。
現憲法が民定憲法であるというのは、まっかーな嘘で、
これはマッカーサー欽定憲法なのだ。 (西村眞悟)
2007年5月3日 木曜日
◆国民の祝日「憲法記念日」 5月3日 西村眞悟
五月三日は、憲法記念日という「国民の祝日」である。
何故、祝うのかと祝日法(国民の祝日に関する法律、昭和二十三年七月二十日施行)を見れば、「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期す」ためとある。
そこで、次のことを考えているので述べておきたい。
その前に、祝日法にいう「国の成長を期す」とは妙な表現だなーと思う。昭和二十三年の施行であるから、敗戦からの復興や発展を期すなら分からないではないが・・・。
とはいえ、この法律施行時に我が国に君臨していたマッカーサー連合軍総司令官は、「日本人を十二歳だ」といったといわれている。そのマッカーサー様からみれば、十二歳の日本の成長を期すということも頷ける。
1,果たして有効なのか
憲法記念日を祝日とするには、当たり前のことながら、憲法が有効でなければならない。無効な憲法を祝っていても恥をかくだけではないか。
では有効なのか。これが問題だ。
先ず第一に、この憲法の公布及び施行時には、我が国には主権がなく、連合軍の軍事占領下にあり、総司令官マッカーサーが我が国に君臨していた。我が国は、昭和二十年九月二日、ポツダム宣言を受諾して降伏文書に調印したからである。
毎年この時期には、マスコミでは憲法制定時のドキュメンタリー番組を放映する。昨日、NHKの番組を少し見た。すると憲法を現実に書いた証言者は全てアメリカ人ではないか。その当時の映像を見ても、若いアメリカ軍将校達が起案作業にあたっている。憲法二十四条(家庭生活における個人の尊厳と両性の平等)を書いたのは、当時二十二歳の女性であって、今はばあさんになって証言していた。二十二歳のいわば小娘の時に、日本社会の女性に対する抑圧を止めさせようと思ったと。
つまり、既に公知の事実は、この憲法を起案したのはアメリカ軍将校であり、彼らはマッカーサー総司令官に従属して、その指揮命令下で我が憲法を起案したということである。
この事実を前提にして、アメリカの自動車に憧れたように、理想に燃えたアメリカの若者の作品は素晴らしいと思う人もいるかも知れない。しかし、外国人が起案した憲法を後生大事に記念し成長を期すのは、恥ずかしいことだと、私は感じる。
上記の、日本人なら誰でも知っている憲法制定時の事実に基づいて判断すれば、憲法は有効なのか。そうは言えない。
ところが、憲法の文字面には事実と反対のことが書いてある。
例えば前文の第一文、「日本国民は・・・主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
この文章が真実なら、我が国は昭和二十二年五月三日には既に独立しているはずである。しかし、我が国は昭和二十七年まで主権を回復して独立するに至らず、連合国の軍事占領下におかれていたのである。つまり、主権のない国民が主権が存することを宣言して憲法を確定できるはずがないではないか。嘘も休み休み言え。
中学校では、国民が制定する憲法を民定憲法で君主が制定する憲法を欽定憲法とし、大日本帝国憲法を欽定憲法、日本国憲法を民定憲法と教える。しかし、これは虚偽。現憲法が民定憲法であるというのは、まっかーな嘘で、これはマッカーサー欽定憲法なのだ。
次の例。これも前文にある。「日本国民は・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我等の安全と生存を保持しようと決意した」・・・マッカーサーが決意しただけではないか。歯が浮く偽善と虚偽である。
なお、この機会に次の近刊本を読んで頂きたい。
「日本国憲法無効宣言」
渡部昇一、南出喜久治 共著。ビジネス社
また、本日の産経新聞朝刊の「正論」に上坂冬子さんが、憲法制定時を振り返り、「よくもまあ六十年もの間、無抵抗に掲げてきたものだと思う」と述べられ、されに二十四条(家庭生活に関する個人の尊厳と両性の平等)という例の二十二歳のアメリカ娘の書いた条文に関して、「六十年を経て親殺し子殺しとなって結実したとさえ私は思っている」と慨嘆されている。
2,紙に書かれないものと紙に書かれたもの
憲法は、国家の根本規範であるが、フランス革命以来二百年ばかり、紙に書いたものを憲法とする風潮が世界に生まれた。
しかし、事実に反することを紙に書いても何の効果もなく、反対に偽善・虚偽の証となるだけであり、紙に書いたとおりに国が「成長する」なら、ソビエト連邦や中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国は、それこそ地上の楽園のはずである。
同じように、昭和二十二年五月三日に、上記の如き経緯で紙に書かれて施行されたものは、所詮紙に書かれたものであり、
これが我が国家の根本規範であると思い込んではならない。
特に、人民共和国ではない我が国においては、昭和二十二年以前の二千年間にわたって我が国を成り立たせてきた根本規範を謙虚に探求すべきである。ここに未だに我が国を律して国の形を成り立たせている規範が存在し、日本語という言葉の体系にも我が国の文化と文明にも現れている。この意味で、我が国はイギリスと同じように、不文の憲法の国であると言える。
我が国の古来の仏師もミケランジェロやロダンという巨匠も、等しく自分が彫刻を創造するとは言っていないのだ。彼らはその木のなかに、その石のなかに、既に仏や女神やダビデの像があり、自分はそれを見つけ出し掘り出すだけだと言っている。
我が国の根本規範も、このようにして既に歴史と伝統の中に存在する。昭和二十二年に紙に書かれたものの中にあるのではない。
まして、今の我々が「創り出す」のではない。文化大革命じゃあるまいし。
(後略)
(私のコメント)
今日は憲法記念日ですがNHKでも憲法制定のドキュメンタリー番組を放送していましたが、明らかに現行憲法は日本人が作ったものではない。日本人が作った改正憲法草案もありましたがマッカーサーにより抹殺された。この段階で現行憲法の正当性は無くなり、占領軍により指示されたものしか作ることは許されず独立国の憲法ではない。
現行憲法が制定されている限り日本は独立国とはいえず、いまだにGHQが戦前の天皇の地位にいることになる。だからこそ外交防衛の問題についてはアメリカ政府の承認を必要としているようだ。今日もワシントンで2プラス2の会議が行なわれていますが戦前の御前会議の現代版だ。
◆日米機密保全協定締結へ、「核の傘」も再確認 5月2日 読売新聞
【ワシントン=杉田義文、黒見周平】日米両政府は1日午後(日本時間2日未明)、外務・防衛担当閣僚による日米安保協議委員会(2プラス2)を米国務省で開き、防衛機密保全のための包括的取り決めである「軍事情報一般保全協定」(GSOMIA)の締結で実質的に合意した。
また、ミサイル防衛(MD)システムをはじめ、日米の情報協力を拡大する「行程表」の策定で一致した。MDでは、地対空誘導弾パトリオット・ミサイル(PAC3)配備の大幅前倒しも確認した。
軍事情報一般保全協定は、締結国間の情報交換の円滑化と第三国への軍事機密漏えい防止を目的とし、米国が締結国に対し、米国と同程度の機密保全を求めるものだ。自衛隊と米軍の協力拡大に伴い、米側が2005年以降、日本との締結を求めてきた。文書では具体的な締結時期を明記していないが、政府筋は「事実上の合意」としている。
また、文書は、日本の防衛と地域の安全保障を支えるため、「あらゆる種類の米国の軍事力(核と非核の双方の打撃力と防衛能力を含む)が拡大抑止の中核を形成し、日本の防衛に対する米国の関与を裏付ける」と明記し、「核の傘」の提供を再確認した。昨年10月の北朝鮮による核実験実施を強く意識したものだ。
MD分野では、地対空誘導弾パトリオット・ミサイル3(PAC3)と、海上配備型のスタンダード・ミサイル3(SM3)の配備前倒しを確認した。
特に、PAC3については「11年3月末まで」としていた16個高射隊への配備時期を「10年初頭まで」に大幅に繰り上げる。
一方、SM3搭載用に改修するイージス護衛艦「こんごう」の配備時期を約3か月前倒しして年内中としたのをはじめ、08年度から10年度まで1年間隔でSM3搭載用に改修される「ちょうかい」「みょうこう」「きりしま」の各イージス護衛艦の配備時期も、それぞれ3か月以上早めてMD網の拡充を加速するとした。
さらに、MDやそれ以外の作戦計画などでの情報共有を広げるため、共有すべき運用情報やデータなどを特定し、具体的な道筋を示す「情報共有ロードマップ(行程表)」の策定を打ち出した。
在日米軍再編では、昨年5月の2プラス2で合意した最終報告に基づき、米海兵隊普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題や在沖縄海兵隊グアム移転などの再編計画を着実に実施していくことを確認した。
一方、日米の共通戦略目標として、日米豪3か国の安全保障協力やインドとの関係強化を明記した。
(私のコメント)
このようにいちいちアメリカ政府の承認を得なければ日本の外交防衛政策は正式には決定されない仕組みになっている。日米安保に日本の政治家は頼りきっているからですが、ますますアメリカの下請け企業になりつつある。米ソ冷戦時代ならアメリカに頼らざるを得ない面もありましたが、アメリカ自身がイラクの泥沼にはまり込んでアジア方面のことは手が回らない状況になっている。
それだけアメリカの力が衰えてきているのですが、北朝鮮に対しても強くは出られず、日本の強硬策とのズレが目立つ一方だ。「株式日記」ではこのような新しい事態に警鐘を鳴らしているのですが、自主憲法制定の目処はいまだに立っていない。確かに政治家にとって見ればアメリカの従属国でいたほうが都合がいいのでしょうが、アメリカはそこまで面倒見切れなくなってきている。
◆意味がなくなる日本の対米従属 5月1日 田中 宇
日本側では、すでに安保条約の終わりに備えるかのように、今年に入って防衛庁が省に昇格し、チェイニー副大統領の提案で、日本とオーストラリアの軍事協定も結ばれた。安倍政権は、中国との関係を改善している。日本の首相がワシントンに行くと中傷・侮辱されることも経験した。日本と北朝鮮の関係改善も、すでに6カ国協議の共同声明に盛り込まれている。経済、軍事、外交というすべての面で、日本は対米従属を脱せざるを得ない事態になりつつある。問題は、日本人の中に、日本が対米従属のみに頼るのはメリットがなくなっていることに気づかない人、新事態を見たくない人が非常に多いことである。
日本とアメリカとの大東亜戦争をめぐる歴史論争に
決着が付くのは100年先か200年先になるだろう。
2007年5月2日 水曜日
◆安倍氏を国粋主義者と警戒するニュースウィーク誌 4月28日 苺畑より
どういういきさつで私がきっこの部屋へ行き着いたのかよく覚えていないのだが、そこで日経BPネットのこんな記事を見つけてしまった。
米メディアが警戒する安倍首相初訪米の中身、立花隆著
今週の「Newsweek」英語版(4月30日号)を手に取った人は、ちょっとドキッとしたにちがいない。なにしろ表紙は安倍首相の大写しの顔で、そのわきに、“Face-Off”(対決)の大見出しが躍り、「アベは外交問題でも歴史問題でも強硬路線をとるようになった日本の立場を擁護する」というキャプションがついている。
“ナショナリスト”シンゾー・アベ
中をめくると、1ページ丸々使った大きな写真の安倍首相が登場するが、今度は安倍首相の顔は1円玉ほどの大きさしかなく、写真の大部分は、日章旗の赤い丸の部分を大きく引きのばして、安倍首相が体よりも大きな日の丸を背負ったような構図になっている。
防衛大学の卒業式で演説をしている姿を撮ったもので、「ナショナリスト」というタイトルがついている。
その反対側の面には、「日本の重荷(The Burden Of
JAPAN)」という大見出しの記事が載り、朝鮮人従軍慰安婦十数人の写真がズラリとならべられた大きなパネル写真が記事の中央にかかげられている。...
しかし、今回の英語版と日本語版のちがいはあまりに大きい。...とにかく、記事全体から受ける印象がまるでちがう。
アメリカ版のシンゾー・アベ首相のイメージは、ちょっとイヤな感じのする、警戒すべき国粋主義者(ナショナリスト)である。...
先にあげた、大きな日の丸の写真と、従軍慰安婦の写真がならんだパネル以外に使われているもう一枚の写真は、昨年相模湾で行われた海上自衛隊の観艦式において、護衛艦の上でキラ星のごとく居ならんだ海上自衛隊の将官たちにかこまれて、大元帥さながらに黒いハットを胸にあてて堂々の自衛隊艦船の観閲式を行っている安倍首相の姿を映した写真である。
以上3点の写真と見出しなどから受ける印象は、一言でいうならミリタリスト・アベ(軍国主義者安倍)のイメージである。
慰安婦の写真を載せている「日本の重荷」と題した記事のほうでニュースウィークは安倍首相について、日本の戦争犯罪を過小評価する教科書を押す「愛国教育」グループの創設者で自身も歴史修正主義者であり、東京裁判の採決を拒否した過去もある、と国粋主義者としてのイメージを作り上げている。
しかし立花氏が感想を書いているのはニュースウィークが行った安倍首相との独占インタビューのほうである。
まず、立花氏が引用したニュースウィークのこの部分だが、
「アベは心の底では保守派のナショナリストであり、繰り返し日本独自の立場を主張しようとしている。しかし、周辺諸国はまだ日本のそのような主張を受け入れる心の準備ができていない」
「日本の戦争責任を否定する歴史修正主義者は、平和憲法の改正をめざしている。もっと攻撃的な外交政策を可能にし、国際社会での発言権を強めるためだ。こうした動きや、慰安婦問題をめぐる安倍晋三首相の言い逃れは、当然のことながら近隣諸国の神経を逆なでしている」(フィル・ディーンズ テンプル大学教授)
これに対して立花氏は「警戒心をもって日本を見守る近隣諸国」のなかにはアメリカも含まれていると言う。パールハーバーで始まった太平洋戦争の主要敵国が日本だったことをアメリカはいまでも忘れておらず、安倍氏の憲法改正発言などはかなりの警戒心を持たれているというのだ。
ではニュースウィークが警戒している安倍氏の発言とはどのようなものだったのだろうか?
質問:首相はもっと強健な軍隊を持ちたいとのことですが、それは軍事を防衛のみに規制する憲法9条を改正するという意味ですか?
安倍:憲法が設立されてからすでに60年がたっています。憲法のなかにはすでに現在に適さない項目がいくつもあります。ご存じのように現在の憲法は日本が占領下にあった時に考案されたものです。大事なのは21世紀においてわが国がどのようにあるべきかという我々の考えが反映した憲法を我々日本人が書くべきだと思います。
質問:ご存じのように首相の「慰安婦」に関する発言はアメリカでは抗議で大騒ぎになりました。首相は本当に帝国軍は朝鮮や中国の女性を強制的に兵士らのセックスのためにあてがったプログラムはなかったとお思いですか?
安倍:戦時中に慰安婦として連行された方々には心から同情の念を評させていただきます。私は一人の人間として同情の念をあらわしたい。また日本の首相としても彼女たちに謝罪する必要があります。
20世紀は人権が世界のあらゆる場所で迫害された世紀でした。そういう意味で日本もこの重荷を一緒に背負わなければならない責任があると思います。我々は自らの歴史を自省してみつめ自らの責任を常に考えなければならないと思います。
立花氏はニュースウィークによる安倍氏の批判的な記事の「社会的影響力は一流の新聞より上だ」とかたっている。だから安倍氏がニュースウィークで国粋主義者とレッテルを張られるような発言を繰り返したことで日本のPRになるどころかその正反対になったと氏は語る。
安倍首相とその閣僚たちがこれまでなにかというと弄してきた右翼ナショナリスト的言辞を今後とも吐きつづけているとどうなるか。安倍首相はじめ歴代の自民党首脳のすべてが言いつづけてきた「日本にとって何より大切な二国間関係」であるはずの日米関係をどんどん悪くする方向にいってしまう恐れが十分にあるのである。
さて、ここでちょっと明確にしておきたいことがある。確かにニュースウィーク誌は安倍首相を国粋主義者で軍事強化を願う軍国主義だという印象を与えるような記事を書いてはいるが、ニュースウィークの声はアメリカ人の意見を代表しているわけではない。
カカシが何度も指摘しているようにアメリカの主流メディアはかなりの左よりであり、ニュースウィークもその例外ではない。彼等が誰かを右翼だと批判する時には「左翼のメディアよりも」という注意書きを念頭に置いておいたほうがいい。
左翼のニュースウィークにしてみたら保守派の安倍首相が気に入らないのは当然である。それ自体は日本にとって悪いことではない。慰安婦問題にしたところで、ニュースウィークが騒ぎ立てるほどアメリカでは評判になっていない。以前にも書いたが私は日本の記事を読むまでアメリカの下院で慰安婦問題がとりあげられていたということさえ知らなかったくらいだ。ニュースジャンキーの私が知らなかったくらいだから、そのくらい慰安婦問題などアメリカでは関心がないのである。
ましてや北朝鮮の核開発で本物の国粋主義軍事独裁政権の脅威が取りざたされている時に強気の日本首相が多少勇ましいことをいったからといって警戒するアメリカ人などいない。
ではなぜニュースウィークはこのような記事を書くのか? それは立花氏がいうのとは反対にアメリカと日本の仲が悪いからではなく、安倍政権がブッシュ政権にとって非常に大切な味方だからなのである。
北朝鮮との交渉問題にしても今後の対テロ戦争にしても、日本はアメリカにとって非常に貴重な同盟国だ。安倍首相のような鷹派はブッシュ大統領にとっても頼もしいはず。そこが左翼のニュースウィークには気に入らないわけだ。ブッシュ政権を擁護すると思われる政権はすべて敵とみなす、それが左翼主流メディアのやり方なのである。
だから立花氏には悪いが、安倍首相はこれまでのレトリック変える必要などない。彼のそのような姿勢がアメリカとの仲を険悪にするなどということはない。慰安婦問題を持ち出されたら今回のように当時は世界各地で人権が迫害された、とか日本は過去の過ちを悔い改め民主主義国家として生まれ変わったが、中国や北朝鮮では未だにひどい人権迫害が行われていることを指摘し、そういうことで過去の日本を責めるなら現在の共産主義国家への責任も問うべきだと反対に逆手にとってしまえばいいのである。
今後も安倍首相はアメリカ左翼のメディアに叩かれ続けるだろう。だが、アメリカだろうが日本だろうが左翼に遠慮する必要などない。今後もがんばって日本を「美しい国」にするよう努力していただきたい。
アップデート:木走正水さんとこで、ブッシュ大統領と安倍首相の対談についての朝日新聞の報道を批判する記事があるのでご参照のこと。
まず、朝日新聞よ、記事のタイトルやリードで、安倍さんが慰安婦問題でブッシュさんにドケザして侘びを入れたみたいな、あざとい印象操作をするんじゃありません、読者が誤解するでしょ。
真実を忠実に伝えてください。(注:強調はカカシ)
次に、ブッシュさんよ、なんで従軍慰安婦問題と何も関係ないアメリカ大統領が安倍首相の謝罪を当事者みたいに「受け入れ」ちゃうんですか。
ブッシュ大統領は謝罪を受け入れたのではなくて、安倍氏の誠意を評価すると言っただけなのでは? これも朝日新聞のわい曲報道のなせる技だ。
(私のコメント)
従軍慰安婦問題は親米保守派にとっては、あちらが立てばこちらが立たずといった自分の存立基盤を揺るがす事になってしまった。そこで親米保守派はアメリカのメディアは左よりだという事ですが、従軍慰安婦問題に関する限りにおいてはシーファー駐日大使から国務省に至るまで、安倍総理の発言に対して批判的だ。
◆「従軍慰安婦」問題 米が安倍政権に圧力 4月9日 朝鮮新報
日本政府は3月16日、93年の「河野洋平官房長官談話」について「(談話と)同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」とする答弁書を閣議決定した。
これに対し、「慰安婦」問題をはじめとする日本の過去清算問題は当事国同士で解決する事案であるとの立場をとってきた米国務省のトム・ケイシー副スポークスマンは3月26日、定例ブリーフィングで従来の立場を変更し、「日本は犯罪の重大性を認め責任ある態度で対処すること」を求めた。米国務省当局者がこのような発言をすることは異例だ。
また、安倍発言当時訪日していたジョン・ネグロポンテ国務副長官は3月2日、「慰安婦」問題発言について「嘆かわしいこと」(フィナンシャル・タイムズ3月3日付)だと述べた。
本紙既報のように、トーマス・シーファー駐日米国大使は3月9日、米下院に提出されている「従軍慰安婦」問題決議案と関連して、「この問題の米国での影響を過小評価するのは誤りだ」「河野官房長官談話から後退すれば破壊的な影響を与える」と述べた。さらにニューヨーク・タイムズによると同大使は3月16日、米下院外交委員会の公聴会(2月15日)で証言した「慰安婦」被害者について、「彼女らは売春を強制されたと思う。旧日本軍に強姦されたということだ」と指摘した。
(私のコメント)
朝鮮新報は朝鮮総連の機関紙だから割り引いて見る必要がありますが、アメリカ政府まで左翼メディアと同じ批判をしている。それからというもの安倍総理は謝罪に継ぐ謝罪を繰り返して訪米した。これは従軍慰安婦問題に対する謝罪ではなくて歴史修正主義的な動きをしたことに対するアメリカ政府の拒否に対する謝罪の意味があるのだろう。
靖国神社の遊就館の展示に対する批判もアーミテージ氏などの高官からも修正要求が出されていたから、別に新しい問題と言うわけではない。「株式日記」の見解としては歴史上の問題は歴史学者が判断する事であり、政治家が口出しすれば外交問題となり、世界中が大混乱するだけだと何度も書いてきた。
アメリカ議会が日本に対して従軍慰安婦はけしからんと対日批判をするならば、日本も負けずに広島長崎に原爆を落としたのは人種差別だと国会決議すればいい。アメリカという国は300万人いたというアメリカインディアンをホロコーストして出来た国なのだから、歴史上の問題を持ち出せばアメリカという国の存立基盤が崩れてしまう。
アメリカという国は基本的に左翼国家であり保守派の存立基盤は薄い。歴史も伝統も保守すべきものが無いのだから保守派は無いのだ。あるとすれば宗教的原理主義ぐらいである。だからアメリカは基本的にリベラルでありソ連という共産主義国家の兄弟的存在だ。
だからアメリカのメディアは日本やヨーロッパの保守派に対しては憎悪に近い敵意を抱くのであり、自由主義に対する認識もヨーロッパとアメリカとではかなりずれがある。だからアメリカの新聞各紙は安倍内閣に対して「ナショナリスト・アベ」と書きたてている。
大東亜戦争の本質は、日本の伝統的保守主義とアメリカのリベラル主義との思想的な戦いでもあった。その結果、日本の保守主義はアメリカ占領軍により徹底的に弾圧されて、7700冊もの本が発禁処分されて焚書された。だからアメリカは安倍内閣によって日本の保守主義が復活したのではないかと恐れているのだ。
従来は中国や韓国と日本の左翼が表に出て日本のナショナリズムを牽制して来た。護憲運動がその象徴でもあり、歴史問題を絶えず持ち出しては日本の保守派を攻撃してきた。その結果、日本の政治家は絶えず謝罪と反省を繰り返してはアメリカの顔色を伺い続けて生きた。
このように日本の伝統保守派は細々と日陰で生き延びてきたが、ネット社会となってブログなどの活動で一斉に蠢き始めたのであり、朝日新聞などの左翼メディアは彼らの集中砲火にさらされている。その結果、朝日新聞はアメリカの姉妹紙であるニューヨークタイムズを使って反撃に出たのだ。
このように見れば大東亜戦争はまだ終わってはおらず、思想的な戦争はこれからが本番と言える。もし大東亜戦争が植民地解放と人種差別撤廃の戦争だとすれば、アメリカの存立基盤を脅かす大問題だ。だからアメリカ政府といえども歴史修正主義的な動きに対しては徹底的な弾圧を加えてくるだろう。しかし歴史を歪曲しているのはアメリカの方なのだ。
日本とアメリカとの大東亜戦争をめぐる歴史論争に決着が付くのは100年先か200年先になるだろう。その主役となるのは日本の保守派でありアメリカのリベラルマスコミだ。どちらが勝つのか分からないが、思想戦の狼煙は上がったのであり、「株式日記」は最前線で戦い続けなければならない。だから政治家は奥に引っ込んでいてもらいたいものだ。
収益力を算出しても、評価額は148億円にしかならないホテルが
外資の入札見積はおおよそ七倍の1000億円以上であった。
2007年5月1日 火曜日
◆「不動産バブルは2度と起きない」という神話 4月23日 宋文洲
1980年代末のバブル時代に痛い目に遭ったためか、日本では不動産バブルはもう二度と起こらないだろうと考える人が多いようです。しかし、いまの東京の不動産は既にミニバブルになっています。
何をもってバブルだと定義するかは難しいですが、デフレや人口減と言われているにもかかわらず、東京のオフィスの賃貸料は3倍にもなったところが出てきました。東京に近い新浦安についに億ションまで出現しました。2、3年前に売り残りが心配された都心の新築マンションに、仲介業者の営業マンがしきりに営業をかけます。「高く転売しませんか」と。
80年代のバブル期は何もかも高くなりました。その中にあった不動産の高騰でした。正確にいえば、不動産バブルではなく経済バブルでした。
しかし、今の日本経済そのものはバブルになっていません。株価は2年前と比較して2倍になりましたが、最安値と比較して上がったものの、PERは20倍前後です。物価についてはまだデフレの克服が課題です。経済のグローバル化が進んだ結果、安い輸入品がどんどん入ってきます。
唯一、不自然に上がり過ぎたのが、他でもない東京の不動産です。ここには80年代にはなかった理由が隠れています。ご存じの方も多いと思いますが、不動産の証券化です。
ビルを丸ごと売るには、相手はなかなか見付かりません。しかし、そのビルを証券に換算しておけば、一般投資家が資金力に応じて好きなだけを買うことができます。これを不動産の証券化といいます。
さらにマンションやビルや駐車場などの不動産をまとめて証券化する仕組みもあります。これが不動産投信(REIT)です。分かりやすくいえば不動産証券のファンドのようなものです。
日本の不動産業には面白い現象があります。土地が下がっても家賃が下がりません。これを金融の視点からみれば、地価が下がるほど土地の運用効率がよくなるということになります。そこで安いうちに不動産を取得し、運用益を配当に回せば間違いなく投資家に喜ばれます。
不動産証券や不動産投信はこのような背景の下でスタートを切りました。不動産の簿価が低いときに非常によい運用効率だったため、その株価自体が上がっていきました。最初は運用を目的に考えていた不動産の証券化は、今となっては値上がりそのものが期待されるようになりました。
このため5―6%を想定していた利回りは最近3%を切るようになりました。1%台になるものも出てきたそうです。不動産の高騰で取得簿価が高くなれば、家賃収入は高いままでも運用効率は落ちます。
自分でお金を出して直接不動産を買うならば、「高騰した」と実感して自然に80年代の不動産バブルを思い出すでしょう。しかし、今の問題点は物件を買うのがオーナー自身(投資家)ではなく、投資会社やREITの運用会社になっていることです。
分かりやすく言えば「自分のお金ではない」ので、資金が集まる以上は買い続けるのが仕事です。高いか安いかという判断は二の次です。買わないと商売が止まってしまうのです。
投資家は上がる株価をみて安心してしまいます。利回りが1%台になっても「貯金より良い」と解釈して不動産の高騰に気付かないのです。不幸にも超低金利の副作用はこんなところにも出てしまいます。
しかし、高すぎるものはいずれ調整されます。今回の景気回復はそれなりの期間続いています。どう考えてもオフィスビルやマンションの賃貸料がこれ以上上がるとは思えません。誰かが「高すぎる」と大きな声で言ってしまうと皆が株を売り始めます。そうなると逆回転の始まりです。
今回の不動産ミニバブルは80年代とかなり異なる環境と仕組みの下で起きているため、なかなか気付かれません。しかし、そのバブルは確実に成長してきました。バブルとは成長するか、弾けるかという挙動をするものですから、このまま放置するといずれ弾けます。
アメリカでは既にサブプライム・モーゲージの問題が表面化され、下院では不動産ファンドを規制する議論が進んでいます。金余り現象が起こした投資がファンドを通じて不動産に入った場合、投資家は不動産のリスクが見えにくくなります。仲介業者はそのリスクが見えても手数料を稼ぐために目をつぶっているところは日本も米国も同じです。
ただし、米国と違って日本は依然として超低金利が続いています。「貯金より得」という安易なセールストークにひかれていると自ら、ババをひいてしまう危険性があります。
◆日本危うし、“モルガンショック 4月27日 建築家の育住日記
4月23日、日経朝刊「経営の視点」に安西巧編集委員の論説がのっていた。見出しはこうだ。
「外資が導くバブル再来」
「“モルガンショック”波紋」
モルガン・スタンレーによるANAホテル十三カ所の落札価格が、二千八百十三億円であった。これに対して入札に参加した関係者から「どんな投資尺度を使ったら、あんな巨額になるのか」という声がもれた、と論説は紹介する。
「破格の値付け」のなかでも特に関心をよんでいるのがANAインターコンチネンタルホテル(東京・赤坂)だ。RevPAR(リバパー)という指標を使って当該ホテルの収益力を算出しても、評価額は百四十八億円にしかならない。ところが入札見積はおおよそ七倍の一千億円以上であった。RevPARによる収益還元法では説明できない。
日本企業の関係者がパニックった。
ついでに、編集委員もパニックった。編集委員の結語を紹介しておこう。
“「バブルにあらず」の論拠となっていた収益還元法の値付けが崩れた‘モルガンショック’。三越だけでなく、他の百貨店や鉄道会社など不動産資産に恵まれた企業にも波紋を拡げそうだ。”
何でこんな大騒ぎになるのか?何がショックか?
“モルガンショック”の直撃を受けのは、劣化不動産をお腹一杯抱え込んでいるこの国の企業家であり、外資のすすめる収益還元法を礼賛してきた経済ジャーナリストだ。
外資は収益還元法という合理的な投資手法によって投資を決定しているのだから、バブルで失敗した我々日本企業は彼らに学ばなければならない。さすれば、バブルのような過ちを二度と引き起こすこともないし、今日の手痛い打撃、深刻な損失を被ることもない・・・はずだ。
ところが?
商売で痛い目にあったことがないのだから、ジャーナリストの甘さは仕方があるまい。
「収益還元法という合理的な投資手法」は正しいのだから、「どんな投資尺度」があるか、しっかり勉強した。ところがこれが当てはまらなかった。結局、使い物にならなかった。
いつものことで、この国のジャーナリストのレベルがこの程度というにすぎない。
が、「外資が導くバブル再来」の見出しは嘆かわしい。
バブルというのは、つまり資産インフレのことだ。資産インフレを予想するのであれば、外資はわざわざ高値で入札するはずがない。なぜなら黙って周辺の不動産を買いあさって、「バブル再来」すなわち資産インフレが「来る」のを待てばよいからである。
この国のジャーナリストはこんな事も分かっていない。
問題はさらに日本の企業家たちの体たらくだ。
町場の零細投資家のおやじは、息子たちに説明のつく理屈を考えてみた。
木造2階建てのアパートが建っている。10世帯で家賃が10万円、月で100万、年間で1200万の家賃収入(キャッシュ・フロー)がある。
これを建てかえるシミュレーションを建築家にやらせてみた。
するとどうだ。3階建て10室のラブホテルが模型付きで提案されてきた。ラブホテルにはちゅうちょしたが、日銭は稼げそうだ。
1室あたり2時間で5千円、日に4回転で2万のキャッシュ・イン。宿泊を入れたら、日に3万円だ。
1室当たり日銭3万で、10室ある。これに年間稼働日数を掛けでどうなるか。年間のキャッシュフローは1億近くに達する。
もちろんこれはシミュレーションに過ぎないのであるが、零細事業家であっても、頭の中は日夜シミュレーションで満たされ飽きることはない。
賃貸アパートからラブホテルへの建替構想で、キャッシュフローが7〜10倍に跳ね上がった。その上で、収益還元法によってこの土地を再評価する。
計算上であるが、地価が跳ね上がった。
しかして、これはバブルだろうか。
日本の企業家、ジャーナリストは今あるANAインターコンチネンタルホテルに収益還元法を適用する。
外資はどうか、まさかラブホテルではあるまいが、何かに建てかえることを織り込んだようだ。そう観測できそうである。
その上で、彼らはきっちり収益還元法を駆使することだろう。
収益還元法を既存ホテルに適用する以外に思いつかなかった。結果、評価額の七倍の入札見積を外資に突きつけられた。その秘密は何かよくよく考えることだ。
これを「バブル」という御仁の頭は、直ちに危ういのである。
ああ、日本危うし。
(私のコメント)
1980年代に起きた日本のバブルは本当に潰すべきものだったのだろうか? NHKをはじめとしてニュースキャスターの久米宏や経済評論家などが大合唱してバブル潰しの大キャンペーンを張った。確かに1年に20%も30%もの土地や株の値上がりは資産バブルの過熱現象だ。しかしその事をもってバブルを潰す理由にはならない。
80年代に起きた日本の資産バブルは90年代にはアメリカに飛び火して株や不動産が値上がりして、00年代からは資産バブルは全世界に広がった。このような資産バブルは世界を一周して再び日本に資産バブルが起きようとしている。80年代の日本のバブルマネーはアメリカのビルなどを買いあさりましたが、最近の現象は逆であり海外マネーが日本のビルを買いあさっている。
90年代の日本のバブル崩壊後の状況は異常なものであり、株の利回りは債権をも上回り、ビルの投資利回りは年20%以上にもなる物件が続出した。私なども銀行などにビルの買収資金を借りに窓口に相談した事もありましたが、銀行は不動産と聞いただけで拒否反応を示してしまった。それほど商業用不動産の値崩れは酷く、価値が10分の1になった不動産はもっと値下がりすると見られていたからだ。
90年代は銀行自身が大蔵省や金融庁によって潰された時代であり、日債銀や長銀や東京相互銀行などが外資に売り飛ばされた。証券会社も四大証券と呼ばれた証券会社のうち山一はメリルリンチに売られ、日興証券はシティーに売られた。メガバンクと呼ばれる銀行にも外資の手は着々と伸びている。
このような80年代のバブル潰しのマスコミによる大キャンペーンと、最近までの外資による日本の金融会社の買い占めなどの流れは関連があるのだろう。もし日本政府が毅然としてバブルを潰さない決意があれば、このような結果にはならなかったはずだ。作為的に日本の銀行や生保や証券会社などを潰して外資に売り払う政策が実施されたのだ。もちろんこのような事は政府部内に外資の協力者がいないと出来ない事だ。
「建築家の育住日記」によればモルガンスタンレーがANAのホテルを評価額の10倍で買おうとしている。収益還元法で計算すれば148億円のホテルが1000億以上の値段が付くとは驚きだ。つまりバブルの頃の値段で売買されようとしている。もちろんモルガンスタンレーもそれだけの収益を計算して出した金額なのだろう。
東京では続々と超高層ビルや超高層マンションが建てられている。買い手や借り手がいるのだろうかと心配になるが、企業業績の回復で都心のビル需要が増大しているようだ。数年前は都心の本社ビルを売り払った企業が、今ではまた都心に戻ってきている。
日本の失われた10年を解決する為には構造改革が必要だと言う政治キャンペーンが行なわれた。しかし構造改革とは具体的になんだったのかよく分からない。小泉首相によれば民営化ということですが、郵政の民営化もまだ先だし、不良債権の処理も景気の回復で胡散霧消しそうだ。
日本に失われた10年をもたらしたのは、私は円高構造が原因ではなかったかと思う。ドルが基軸通貨の特権を生かして紙幣を印刷してばら撒いた。それを買い支える為に円が使われた。世界の大金持ちもドルの目減りを円高でカバーしようとして円が買われた。だから一時期に1ドル80円まで行ってしまった。
最近は1ドル120円前後で安定していますが、ユーロから見ると1ユーロが168円にまで円が下落している。この事によって円高構造が解消されて輸出企業をはじめとして企業業績が回復し始めた。円高構造は国内のコストをも引き上げましたが、最近の円安構造はコストの低下をもたらして企業の業績や人件費の上昇をもたらしている。今年は新卒者の採用もバブル期並みの求人難だ。
結果的にユーロの登場は円高構造の解消につながり円は通常のレートに戻りつつある。円キャリートレードの影響もあるのでしょうが、円の金利が低いと言う事はまだドルやユーロに比べて円の信用が高いと言う証拠だろう。このような円安傾向が工場などが海外に移転していましたが、付加価値の高い工場は国内に戻ってきている。
円安は必ずしもメリットばかりではありませんが円高構造がもたらしていた弊害を解消しつつある。都心の不動産バブルもその一つだろう。不動産の値上がりが全国に広がっていけば、不動産担保の金融なども活性化されて銀行の貸し出しも増えていくだろう。土地の値上がりは土地を持つ企業の価値が上がり株式も評価されて上がるだろう。
問題は海外の資産バブルが日本のように崩壊するかと言う事ですが、日本政府のようなへまな事をしなければバブルの崩壊は短期で規模も小さい事だろう。日本のバブル崩壊も土地も半値ぐらいの下落で済んでいれば単なる金融不況で済んだはずだ。日本の政府日銀の経済政策の不手際が日本の失われた10年を作り出したのだ。
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