株式日記と経済展望

ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


皇帝(米国政府)は「国民(日本の大衆)にはパンとサーカス
(テレビのバラエティー番組)を与えておけばいい」と言いました。


2006年12月31日 日曜日

『<パンとサーカス>の政治』  元財務副大臣/ 前衆議院議員 小林興起

先般行われた衆議院総選挙は、大変厳しい戦いでした。私が所属しまた皆様にもごひいきをお願いしてきた自由民主党から追放される、それもたった一つの法案がおかしいというだけで追放されるという事態になりました。

 それにしても、権力です。私が属していた自由民主党の豊島支部も練馬支部も、強い圧力がかけられました。都議会議員も区議会議員もまったく応援することができないという前代未聞の体制が取られたのです。各種団体に対しても中央から異常ともいえるほどの締め付けが行われました。そんな中マスコミは、『どう考えても小林興起は選挙に勝てるはずがない』という厳しい報道を毎日のように流しました。

 東京というところは、非常に『風』に左右されやすい選挙区だと思います。

 今から十三年前、私は小選挙区制の導入に対して「おかしいではないか」と言って反対運動に手を挙げました。つまり、「小選挙区制移行は政治改革ではない、単なる外国の選挙制度だ、いいこともあるが日本にとって悪いことがたくさんある」と思うのです。これまでの明治以降の議会政治を見れば、小選挙区制にしてダメだったわけです。それゆえ中選挙区制にしたわけで、それは日本人の知恵が編み出した日本独特の素晴らしい選挙制度でした。それなのに、「小選挙区制に戻るとは、またバカなことを繰り返すのか」という思いで反対したのです。

  しかし、これも風が吹いたという程度で、私は敗れたのです。今になってようやく小選挙区制度の弊害が言われるようになってきました。しかし、どんなことでも風が吹けば、東京というところは危ないということなのです。

 私は今回の選挙での自分の結果は、ある程度風に負ける可能性もあると思っていました。しかし、残念だったのは、日本中で実にばかげた風が吹いて、多くの有為な人材が落選したことです。ご支持いただいた皆様方には申し訳ないのですが、私一人が落選して郵政民営化法案という一つの法案を阻止できれば、という思いがありました。私一人と引き換えにこの法案を阻止できれば、それはそれで「日本のために小林は働いた」と評価してもらえるわけです。ですから、皆様方にも結果はどうであれお許しいただけるだろうという覚悟を決めて、あの選挙戦に臨んできたのです。

  テレビのコメンテーターのなかには、「覚悟もなしに反対していたのか」と、権力側に提灯を持つような言い方をしている人たちがいます。政治家は誰でも選挙によって選ばれねばならない宿命があります。どちらについているほうが有利か、そんなことがわからないバカはいません。 わかっていても、そんな法案が通ったら日本はどうなるのか、そう思うとき、選挙の当落を超えて立ち上がる政治家なしに、この国が持つのでしょうか。

 先の選挙の最後の演説会場には、大勢の方に池袋に集まっていただきました。そこで私は、「選挙の勝敗はわからない。しかし、小林興起は、現在評価されるよりも、歴史が評価する政治家になりたい。風に負けずに信念を貫く政治家であり続けたい」と申し上げました。

  一方で日本は、外交的にも大変な局面を迎えています。それなのに、日本は外交に真剣に打ち込んでいるとはとても思えません。外務省はバラバラです。政治家がバラバラだから、役所もバラバラになってしまうのです。

 国連の常任理事国入りに関しても、どこの国が賛成してくれたでしょうか。アメリカも賛成しませんし、アジアの国々もまた然りです。どんなに経済協力をしても、国連に莫大なお金を注ぎ込んでも、どの国も賛成してくれなかったのです。日本はいざというときにどこの国にも頼りにされていないのです。

 イラク派兵も、イラクのためになっていると日本は言っていますが、自分の意志で行ったのではありません。アメリカに言われて、仕方なしに行ったわけです。アメリカに言われれば、どんなことでもする。逆にアメリカに反対されれば何もしない。こんな国を世界の国が頼りにするわけはありません。アメリカを頼りに、日本はその後をついて行くのです。アメリカのことはいろいろな国が気にしていますが、日本のことなんか気にする必要がないというわけです。これが日本の今の外交の姿です。

 内政も中身がメチャクチャです。今度、政府系金融機関の八つが一つになるということが発表されました。何故、全く違うものが一緒になると幸せになるのでしょうか。それなら、最初から一つつくっていればいいということです。八つもあるものをたった一つにできるほど無駄に機関をつくったのでしょうか。いくら日本でも、そんなバカな国家ではないでしょう。各機関のこことここが基本的には違うなどときちんと整理して、必要な機能を残して統合する。その結果として、機関が二つ、あるいは三つか四つが残ったら、それは結果論ですが、そのように考えるのが政策なのではないでしょうか。

 昨年、この金融機関の統合問題が出たとき、私は自民党にいて「そんなデタラメな話はだめだ、もっと議論が必要である」と発言し、多くの議員に賛同をもらい、結論を先送りすることができました。もっと中身を検討して、「これはもういらなくなった、じゃあやめましょう、いやこれはもっと拡充して残すべきではないか、だったら強化しましょう」――このように議論して、まず政策から入っていかなければならないのです。

しかし、現在では、総理が一個にしようと言ったら、自民党では誰もそれに反論する人がいないのです。私たちは多くが金融機関を利用しています。利用している人にとっては大変な問題です。いま利用している機関がなくなってしまうかどうか、という問題なのです。それなのに、利用者の声なんか、まったく聞きません。必要かどうか、利用している人の声を聞くのは当たり前のことではないでしょうか。金融機関は使っている人のためにあるのですから。

 政策能力がことごとく衰えて、日本はローマ帝国の末期と同じ状態です。ローマの末期、皇帝が何とかローマを維持していたとき、皇帝は「国民にはパンとサーカスを与えておけばいい」と言いました。つまり、国民はお腹が空けば暴動を起こすから飯だけは確保する、しかし飯だけだと「政治はどうだ、こうだ」とくだらない議論に入るから、政治論をさせないためにサーカスを見せておけばいい、というわけです。

今度の衆議院選挙に刺客を与えて面白いことをやっておけば、郵政民営化政策の本質論は誰もしゃべらなくなる。「誰と誰が戦っているか、ライオンとトラがやっているのか、面白いな」

  このようにサーカス(見せ物)を国民に与えておけば、政治の本質論は全然議論しなくなるのです。あれだけもめた法案の中身については、何も語られないのです。この法案が何を意味するのか、なぜわれわれが命をかけて郵政民営化に反対しなければならないのか――、テレビに何回出ても、これらを聞く人もいないのです。「刺客として送り込まれて来た人を、どう思いますか」そんな人物論だけを聞いて、本質論には立ち入らないのです。これではローマ時代のサーカスと同じレベルで、全然政治ではありません。

 無茶苦茶な選挙が行なわれ、一体誰が喜んでいるのでしょうか。
中国も、日本がバカになっていると大喜びでしょう。アメリカだって日本が情けない国になっていれば、後は日本の金を利用するだけです。バカな政府のバブルの後処理のおかげで、外資がこれまで多くの土地を手にしました。そして今、それをどんどん売って儲けています。そのお金で、今度は株を買っています。

フジテレビやTBSなどのテレビ局は、自分が買収されそうなのに、郵政民営化について「金融をさらにアメリカに渡して大丈夫なのか」という議論を誰もしません。これがテレビ局の実態です。自分が死にそうなのに、金融がアメリカの手に渡ればどんなことが起こるかという民営化の大問題について議論をする局がなかったのです。

  やっと最近『文芸春秋』で関岡英之さんが「奪われる日本」という論文を書きました。しかし雑誌は、大新聞やテレビに比べて読む人は少ないわけです。大新聞やテレビが全く事の本質を報道しようとする姿勢すらないほど、日本はアメリカの属国であり植民地になってしまっています。

 植民地、属国とは、「自らの頭で考えない」ということです。では誰が考えてくれるのか。それは親分の国アメリカに行って聞いてくればいいということです。10年にわたって毎年アメリカから「年次改革要望書」が突きつけられています。だから政治家も役人も、結論を考える必要がないのです。「はあ、今年はこういう考えですか、実行するように努力いたします。これはちょっと抵抗がありますので、検討いたしましょう」と言うだけです。アメリカの決めた結論が先ずあって、日本はそれに向けていかにやっていくかだけを考えるのです。これがここ数年の、日本の経済政策の実態です。

 だから突然「会社法の改正」が出てくるのです。会社法の改正をして日本の会社がアメリカの会社に買い取られやすいようになってしまったことを誰が考えたのか、役人は答えることができません。しかし、「年次改革要望書」を見ると、アメリカの指示が明確に書いてあります。このように、この国の政策はアメリカが考えるのです。

しかし、日本はアメリカの植民地といっても、アメリカの州ではありません。合衆国の州に入っていれば、アメリカは日本のことも考えなければならないし、考えた政策も出てくるでしょう。けれど、植民地です。昔から植民地は収奪されるだけの対象です。アメリカは自分が儲かるから日本に対する方針を立てるのです。日本国民は奴隷のようなもので、「今はしっかり頑張れよ、殺さないようにしてパンだけは与えるから、せっせと貢ぎなさい」ということです。かくして日本は次々と富が失われ、経済がいつまでたっても成長しないのです。

 全体の所得は増えないけれど、一部のところだけは儲かる人たちが出てくる。そんな儲かる人たちがいるのに、では、何で経済全体が成長しないのでしょうか。それはほとんどの人が貧しく据え置かれているからです。池袋あたりでは売上げが上がっている商店街はほとんどない。中小企業の中では売上げが上がって少しはいいところもあるかもしれませんが、昔からある会社はほとんど売上げも上がりません。これが日本の実態です。

 しかし、「それでいいじゃないか」と無気力になってしまって、国民は選挙に投票してしまっています。これがやがて大増税、そして社会保障の厳しさにつながるのです。これまで日本はお年寄りにとっても、良い国でした。これからはどうなってしまうのでしょう。お年寄りにとってはつらい国、若い人にとって希望のない国になることは目に見えています。でも「それがいい、それが改革だ」と言ってついていくのが日本の姿です。
私はこういった退廃的ともいえる風潮を2,3年前からつくづく感じています。


  政権に入って総理にゴマをすっているのもいいけれど、やはりそんなもののために政治家になろうと決意したわけではありません。原点に立ち返るならば、もう一度日本全体に「新しい日本をつくる」という運動を起こすことこそが、私に課せられた政治家としての使命だと実感したのです。したがって、これからも選挙で東京10区に立ちます。日本の全国民の皆さんに向かって「こんな日本でいいのか」、若い人たちに向かって「こんな日本で将来満足できるのか」、そういう声を発していく運動を本格的にやっていきたい。

それが私に残されたこれからの政治家としての人生、使命だと思っています。


世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL68
 江田島孔明

今回は、総選挙の結果についての考察をしたい。
 まず、私が前号で予想したとおり、自民圧勝という結果に終わったのは、いくつか理由があると考える。民主党が自民の分裂を願って郵政民営化法案に対案をださなかったことが、国民の目から見て、「逃げ」に写ったことも理由のひとつだろう。
 しかし、根本的な理由は、小泉首相のとった、「反対派に対する刺客」に見られる、「コロシアム型選挙に国民が熱狂」したことだろう。すなわち反対派のリンチ(粛正)に対して国民が興奮を覚えたということだ。これは、議会制の歴史を古代ローマに遡って考えて見れば、容易に理解できる。
 ローマ帝国が国民を統治した道具は「パンとサーカス」だった。この二つを上手に使えば、民衆の不満をはぐらかすことが出来る。奴隷であっても(自由はないけど)食べられる。サーカスの出し物は、「剣闘士たちの命を懸けた戦い」と「戦車競馬」。市民の好戦的な雰囲気を煽り、それが皇帝の支持に繋がった。
 民衆はパンに群がり、サーカスにウツツを抜かし、堕落した。共和主義的な国家意識は崩れ、道理は忘れられた。活力を失ったローマ帝国は内部から崩壊する。“パンとサーカス”は繁栄と退廃の象徴だった。
 フランス革命や20世紀のドイツにおいても、「反対派の粛清」を「改革」という美名のもと推し進め、民衆は狂喜した。

(中略)

昭和天皇の時代には持っていた、「独裁に対する皇室の抑止機能」も既に失われ、今の日本には「独裁」に対しての無防備さのみが目立ち、古代ローマが「共和制から帝政」に変わっていった過程を髣髴とさせる。民衆は快楽にふけり、皇帝にパン(生活・福祉)とサーカス(刺激的な娯楽・生贄)を求め、義務を放棄した結果が「帝政」と「国家財政の破綻」、そしてゲルマン人の侵入とローマの滅亡なのだ。トインビーが言った「自己決定力」を失った民族として、まさにローマは滅んだのだ。

 今回の総選挙で、無党派の「何かわからないが、小泉さんに任せた」という有権者が多かった。とんでもない勘違いだ。民主主義とは、有権者が責任者なのであり、政治家に任せるのではなく、「政治家を監視」しなければいけないのだ。すなわち、有権者が理性的判断と自己決定力を保持しなければならない。ここが理解できない圧倒的多数がワンフレーズと生贄の血祭りに興奮したというのが真相だろう。
 小泉首相のやり方である、支持率が下がってくると政敵をあぶり出し、リンチにかけて殺していく手法(粛正)に熱狂していては、まさに、20世紀初頭のドイツ人や古代ローマ人を笑えない。
 小泉首相のやっていることは「改革」などではなく、森派、財務省、アメリカの3者の利益のため、反対勢力(橋本派、亀井派とその利権としての道路族や郵政族)を駆逐(粛正)しているだけだ。

 ただの利権をめぐる自民党内部抗争を、「改革」と呼んでいるだということを理解する必要がある。その証拠に、大蔵族たる小泉首相は、政府系金融機関や財務省の改革は一切口にしない。むしろ、橋本内閣のときに金融庁を分離された財務省は金融庁の吸収を狙っており、それが達成されるかもしれない。さらに、郵便局職員をまるで悪者であるかのように仕立てあげ、真の悪である財務省所管の財政投融資で財政を破綻させた「財務(旧大蔵)省の責任」を全く追及しない問題のすりかえである。

 日本人の知的水準の低下の傾向は甚だしいが、今一度冷静に考えてもらいたい。日本人にはそれができると信じる。 以上
 (江田島孔明、Vol.68完)


(私のコメント)
今年も今日一日となりましたが、私自身は365日まったく変わらないペースで過ごしています。サラリーマンと違って平日も土日も関係ないからですが、お金はないけれどヒマだけは一杯ある生活を送っています。だからこうして毎日株式日記が書けるわけですが、サラリーマン達は奴隷のように時間を拘束されて人生の大半を過ごして行く。

定年になって気がついたときは体もよぼよぼになって、結局は何も出来ずに人生は終わるわけです。このようになってしまう原因としては、自らは何も考えずに与えられた仕事をこなす事のみしか関心がなくなってしまう奴隷になってしまうからだ。このような家畜のような親の生活を見て育つ子供は絶望してニートになってしまう。

テレビで特集しているようないじめや児童虐待は家庭の崩壊から来る現象なのですが、戦前には有った歴史や伝統が大東亜戦争の敗戦でアメリカ占領軍によって家族制度が解体されてしまったからでしょう。アメリカ占領軍は官僚たちを残して帝国としての統治体制を整えた。だから日本と言う国は存在はしているが2600年の歴史から断絶されてしまった国家なのだ。

そしてローマ帝国時代からの統治方法であるパンとサーカスで国民大衆を飼いならして扱いやすい家畜に変えていく。去年行なわれた総選挙は小泉自民党の圧勝で終わりましたが、権力者達は見事にマスコミを操って国民大衆を小泉支持に向けさせる事に成功した。しかし国民は郵政民営化が何であるのかは何も考えてはいなかった。

株式日記でも郵政民営化については連日のように書き続けて、その疑問点を指摘し続けてきたのですが、インターネット上でも小泉信者達による世論誘導は続けられた。そして徐々に最近になって郵政の民営化とはどういうことなのか弊害となって現れてきている。


簡易郵便局5百閉鎖の可能性 公社内部調査で判明 12月30日 共同

日本郵政公社が主に地方で民間などに運営委託している全国の簡易郵便局(簡易局)約4400局のうち、一時閉鎖の数が最大で10%超に当たる500局程度に上る可能性があることが29日、公社の内部調査で明らかになった。高齢化や来年10月の民営化で業務が複雑になることを敬遠し、契約継続を望まなかったり、継続の意思表示を明確にしないケースが多いという。

民営化関連法の国会審議では地方の郵便局網維持が焦点になったが、民営化前に地方の郵便局網が揺らぎ始めている実態が浮き彫りになった。一時閉鎖は、完全に簡易局をなくす「廃局」とは異なり、後任の受託者が見つかればサービスを再開する。



(私のコメント)
このような問題は国会審議でも議論されたのですが、選挙では地方でも自民党は大勝した。地方は郵便局も整理統合されて無くなってもかまわないという事で投票したのだろうか? 郵政の民営化自体は賛成でも外資の規制条項は設けるべきだし様々な問題があるにもかかわらず、テレビ討論では外資の話をしだすと司会者が他へ議題を移してしまった。

小林興起議員も自民党から弾き出されて刺客まで送られて落選しましたが、小選挙区制はやろうと思えば独裁政権を作ることが出来る。そのためには国民はパンとサーカスを与えられて馬鹿でいてくれなくてはならない。気がついた時は手遅れであり、結局は票を入れたあなたが悪いと自分に責任転嫁されてしまう。ヒトラーだって最後は自分を選んだ国民が悪いと開き直った。

アメリカにしても国民は圧倒的な支持率でブッシュを大統領に選び、イラク戦争に突入しましたが、今頃になってイラク戦争の実態に気がついてブッシュの支持率が落ちている。しかし責任はブッシュを選んだ国民が悪いとされてしまう。このように民主主義を悪用した愚民化政策は「パンとサーカス」を用いれば簡単に実現する事ができる。

それだからこそ株式日記では「国民よ目を覚ませ」と連日書き続けているのですが、愚民化の流れは大河の流れのごとくであり、テレビで洗脳されたてしまっては手の打ちようがない。そしてネットに対しても権力者側の包囲網はだんだんと狭められてきている。


<発信者情報>同意なしで開示へ ネット被害で業界が新指針

インターネット上のプライバシー侵害や名誉棄損について総務省と業界団体は、情報を書き込んだ発信者の同意がなくても被害者に発信者の氏名や住所などを開示する方針を固めた。これまでは発信者が開示を拒否すれば、誰が悪質な情報を流したか被害者側には分からず、泣き寝入りするケースが多かった。業界団体は新たなガイドライン(指針)を年明けに作り、来春から導入する。【ネット社会取材班】
 02年に施行されたプロバイダー責任制限法はプライバシー侵害など正当な理由があれば、被害者がプロバイダー(接続業者)に対し、書き込みをした発信者の情報開示を求める権利を初めて認めた。しかし、実際の運用では「どのような内容が侵害に当たるか明確な基準がなく、業者側で判断できない」(社団法人テレコムサービス協会)との理由で、発信者の同意が得られなければ事実上、開示できなかった。
 このため、業界は総務省とも協力し、同法に基づく自主的な発信者情報開示のためのガイドラインを策定することを決めた。原案によると、他人の氏名や住所、電話番号など個人を特定する情報を掲示板などに勝手に書き込む行為を幅広く「プライバシー侵害」と認定。個人を名指しして病歴や前科を公開することも含まれる。
 こうした場合にプロバイダーが被害者からの要請を受け、発信者の同意がなくても、その氏名や住所、電話番号、電子メールアドレスなどを開示できるようにする。
 一方、名誉棄損については、プロバイダーによる任意の発信者情報開示をあまり広く認めると「政治家や企業経営者らの不正や問題点の内部告発までネット上からしめ出す懸念もある」(業界団体幹部)と判断。これまでの名誉棄損裁判の判例も踏まえ、公共性や公益性、真実性などが認められない個人への誹謗(ひぼう)や中傷に限って自主的な開示の対象とする。
 被害者は裁判で発信者情報の開示を求めることが多かったが、悪質な書き込みをした発信者を早急に特定し、損害賠償請求できる可能性も高くなるとみられる。
 業界と総務省は一般からの意見も募集したうえで、早ければ来年2月にも導入する方針。




紙幣の市中流通量、ユーロがドルを抜く。ユーロ高容認は、
ドルと並ぶ基軸通貨を目指すユーロ圏の長期的な戦略


2006年12月30日 土曜日

11月末の外貨準備高、113億ドル増え9カ月連続最高 12月7日 日本経済新聞

財務省が7日発表した11月末の外貨準備高は8969億4900万ドルとなり、9カ月連続で過去最高を更新した。前月末に比べて113億9500万ドル増え、2004年3月以来の増加幅となった。ユーロ高の進行に伴い、ユーロ建て資産の時価評価額が膨らんだことが主因。外国債などの運用益の増加も影響した。

 国際通貨基金(IMF)が公表した8月末時点の外貨準備高によると、トップは中国で9756億ドル。日本は8647億ドルで2位だった。

 外貨準備の主な内訳は証券(7510億ドル)、預金(1250億ドル)、金(159億ドル)など。財務省は今年11月28日までの約2年7カ月の間に為替介入がなかったことも発表した。 (11:01)


紙幣の市中流通量、ユーロがドルを抜く・06年末 12月30日 日本経済新聞

【ベルリン=菅野幹雄】2002年に現金流通が始まった欧州単一通貨ユーロの紙幣流通量(ドル換算の価値)が、ちょうど5年の節目となる06年末で米ドル紙幣の流通量を追い抜くことが確実となった。ユーロ現金の利用が域内外で一貫して増え、ユーロ高も作用して最強の座が逆転した。

 欧州中央銀行(ECB)と米連邦準備理事会(FRB)が28日に公表した紙幣流通量(中銀保管分を除く)によると、市中に出回るユーロ紙幣は22日時点で6280億ユーロで、公表為替相場(1ユーロ=約1.317ドル)換算で約8270億ドルに相当する。ドル紙幣の流通量は27日時点で7827億ドルとユーロを400億ドルも下回る。(07:01)


欧州委、ユーロ圏景気「幅広く自律回復」 12月19日 日本経済新聞

【ベルリン=菅野幹雄】欧州連合(EU)の欧州委員会は18日公表したユーロ圏経済に関する四季報で「域内経済が幅広く、自律的に回復していることを確認した」と、順調な景気拡大が続いているとの認識を示した。内需部門が成長の主役となり、失業率が5年ぶりの低水準にあることなどを背景に挙げている。

 欧州委は公表済みの秋季経済見通しで2006年の実質成長率を2.6%と予想している。07年はやや鈍化が見込まれるが「潜在力に近い成長を予測している」と指摘し、2%程度の経済成長を維持するとの見通しを表明した。(01:19)


欧州中銀が12月の月報、利上げ継続の意向示す 12月15日 日本経済新聞

【ベルリン=菅野幹雄】欧州中央銀行(ECB)は14日公表した12月の月報で、7日に決めたユーロ圏12カ国の政策金利引き上げ後も「金利は引き続き低い水準にある」と指摘し、利上げ継続の意向をにじませた。

 月報は今後の政策運営について、7日の理事会声明にほぼ沿った内容で「中期の物価安定を乱すリスクが表れないよう、すべての動きを非常に綿密に監視する」と強調した。これまでの利上げ局面で、欧州中銀はこの表現を声明に盛り込んだ2カ月後に利上げをしてきた。7日の記者会見でトリシェ総裁はこうした連想は「誤った解釈だ」と述べ、利上げのタイミングをより慎重に探る姿勢を示している。 (07:02)


ユーロは基軸通貨ドルへ挑戦する 12月1日 ブルームバーク

 12月1日(ブルームバーグ):ユーロの大幅な上昇にもかかわらず、ユーロ圏の財務相らからのけん制発言が目立たない。通貨高の「容認」に驚いた市場関係者の間では、インフレ抑制やドルと並ぶ基軸通貨に向けた戦略など、ユーロ圏の政策当局者の意図をめぐる観測が盛んだ。

  ユーロが対ドルで1年8カ月ぶりの高値に上昇した中で迎えたユーロ圏財務相会合。オーストリアのグラッサー財務相は11月27日に「現行の為替相場はわれわれの輸出に問題とならない」と言明。同会合の議長をつとめたルクセンブルクのユンケル首相兼財務相は、現在のユーロ相場が成長の妨げとなる「危機的な水準からは遠い」との認識を示した。オランダのザルム財務相も「あまり早期に心配し始めるべきではない」と述べた。

  ユーロ高にもかかわらず、当局者からけん制発言が続出しなかった背景について、モルガン・スタンレー証券東京支店のジョセフ・クラフト為替本部長は、景気回復に対する自信と通貨高によるインフレ抑制期待があると指摘。三井住友銀行市場営業推進部の宇野大介ストラテジストは、ユーロの基軸通貨に向けた長期的な戦略という側面があると見て取った。

  強いけん制姿勢を示したのは「集団的な警戒態勢が必要と考える」と述べたブルトン仏財務相くらい。同財務相の発言は「来年4月の大統領選挙が影響している」(モルガン・スタンレー証券のクラフト氏)との見方もある。

  欧州中央銀行(ECB)政策委員会メンバーのウェリンク・オランダ中銀総裁も28日、ロイター通信とのインタビューで、欧州経済にはユーロ高を乗り越えるだけの力強さがあるとし、ユーロの上昇については懸念していないとの見解を示した。

          ◆ ユーロは青天井に

  金利先物市場が2007年の利下げを織り込んでいる米国や、7月のゼロ金利政策解除後は利上げしていない日本に対し、ユーロ圏は12月7日の利上げが確実視されている。クレディ・スイス銀行は、ユーロ圏の政策金利は来年央までに4%に達すると予測している。

  ところが、ユーロは11月21日までの7カ月間、対ドルで1ユーロ=1.25 ドルから1.29ドルの間にとどまっていた。円に対しても、8月末に1ユーロ= 150円の大台に乗ってからは、1カ月半近く横ばい圏内だった。

  背後にあったのが、ユーロ圏の政治家や産業界が一段のユーロ高を懸念しているとの見方だった。それだけに、今回ユーロが1.3ドルを突破して上昇する中でけん制発言が続出しなかったことを、市場関係者は意外感をもって受け止めた。

  JPモルガン・チェース銀行東京支店の佐々木融チーフFXストラテジストは「予想外だった。けん制発言はフランスくらい。むしろユーロ高容認が主流だった」と語った。三井住友銀の宇野大介氏は「ユーロ・円は青天井になった。ユーロ・ドルも、これまでは1.3ドルに近づくとけん制発言が出ていた。大台には踏み入ってはいけないとの暗黙の了解があったはずだが」と驚きを隠さない。

  ユーロは30日には対円で1ユーロ=153円46銭と、史上最高値を更新。対ドルでも1ユーロ=1.3274ドルと2005年5月以来のユーロ高・ドル安水準をつけた。

         ◆景気に影響せず、インフレ抑制効果も

  ユーロ高に対して、ユーロ圏の政策当局者からけん制発言が増えないどころか、容認とも取れる発言が目立つのは、景気回復に対する自信やインフレ警戒感があるからだとの見方がある。JPモルガン・チェース銀の佐々木氏は「通貨高には、原油など輸入品の価格下落を通じてインフレを抑える効果がある。急激な利上げの代わりだ」と指摘する。

  経済協力開発機構(OECD)は28日発表した加盟国の経済見通しで、ユーロ圏12カ国の2007年成長見通しを2.2%と、5月時点の2.1%予想から上方修正。06年も2.6%とした。半面、米国の成長率予想は同3.1%から2.4%に、日本も2.2%から2%に、それぞれ引き下げた。

  ECBの政策委員会メンバーをつとめるドイツ連銀のウェーバー総裁とオーストリア中央銀行のリープシャー総裁は、通貨と信用の伸びは「警戒」が必要との見解を示している。通貨供給量M3の伸び率は、ECBがインフレの参照値としている4.5%を2003年6月以来上回っている。

             ◆基軸通貨の座狙う

  ユーロ高容認は、ドルと並ぶ基軸通貨を目指すユーロ圏の長期的な戦略に裏づけされたものとの見方も盛んだ。三井住友の宇野氏は、足元のユーロ高は「長期的にみれば、ユーロの地位を向上させ、基軸通貨の座に近づくチャンスだ。『強いユーロ』を実現するため、今は泣き言を言わずに我慢する時だ」と指摘する。

  実際、10月上旬からのユーロ高・ドル安は、中国やロシア、中東諸国がドルに偏った外貨準備を多様化するとの報道や米共和党の中間選挙敗北、イラク情勢の混迷化などの中で進んだ。

  1兆ドルを超す外貨準備を保有する中国の人民銀行(中央銀行)の周小川総裁は9日、ロイター通信とのインタビューで「中央銀行はどこも、多様化を試みている」「中国には数年前から、非常に明確な多様化計画がある」などと述べた。

  クレディ・スイス銀行東京支店の丸山剛ディレクターは「外貨準備は世界に4兆ドルある。ドルからユーロなど他通貨への多様化はユーロ高の底流だ」と見ている。ロシアは外貨準備の構成比率の変更は終了したと発表したが、丸山氏は「新たに得た外貨は多様化するだろう。これは他国も同じだ」と指摘。ユーロは年末に1.35ドル、155円まで上昇すると予想する。

  米証券大手メリルリンチのウィリアム・マクドナー副会長は29日付のイタリア紙ソレ24オレのインタビューで、各国のドル準備縮小を受け、米ドルの主要通貨に対する下落は続くとの見通しを示した。

  クレディ・スイスの丸山氏のようにユーロはまだ上昇余地があるとの見方は多い。ECBが算出する、ユーロの総合的な実力を示す貿易加重平均指数(TWI)は28日に105.44。上昇したとはいえ、まだ2005年4月の水準を回復したところだ。物価水準の変化も加味した実質ベースでみると、「1980年以降の平均をやや上回ったに過ぎない」(日興シティグループ証券の山本雅文・為替ストラテジスト)との指摘もある。



(私のコメント)
ユーロ高容認のニュースを見ると日本の円高騒ぎは何だったのだろうかと思う。円高騒ぎは結局はドルの買え支えの為の目くらましだったのだ。円高は日本経済にとっては中立要因であり原油などの輸入が安くなる事だから大蔵省の円高防止のドル買い介入はまったく必要がなかった。最近では3年近くドル買い介入しなくともドル円は安定している。

ユーロ高にもかかわらず欧州中央銀行は利上げを予定しているが、ドルにとっては下落要因でありドルも利上げを迫られるだろう。日本における80年代のバブルの発生は景気の過熱にもかかわらずアメリカからの圧力で利上げが出来なかったからですが、アメリカは欧州に対しては利上げを阻止する事は出来ないようだ。

日本の政財界人やエコノミストはこのような世界情勢が分かっていないから、円高ドル安に対する戦略的な対応をとることが出来なかった。ところが欧州は着々とユーロ通貨を形成してドルに対して対抗手段を持つ事ができた。それに対して日本の大蔵省は基軸通貨としての円を目指す事を拒否してしまった。

このようなユーロの台頭とドル安による世界各国のドル離れは、最近になってますます顕著になってきた。日銀ですらユーロの比率を30%まで高めてきましたが、これからもその比率は高まっていくだろう。さらに日本と中国の外貨準備がそれに準ずるようになるとドル安の流れは止まらなくなる。アメリカはそれに対して利上げで食い止めなければならない。

現在アメリカの株価は新高値を更新していますが、利上げで株価も通貨と並んで下落していくだろう。つまりトリプル安となってアメリカ経済を揺さぶる事になる。イラク戦争のおかげで景気の拡大には成功したがインフレが過熱してきてトリプル安がアメリカ経済をこれから蝕む事になる。

80年代において日本においてバブルが発生してドイツにはバブルは発生しなかった。ドイツは景気を引き締めて利上げしたからですが、そのためにアメリカはブラックマンデーで株が大暴落してしまった。だから日本に対してブラックマンデーの再発を恐れてアメリカは猛烈な圧力をかけてきた。日本は利上げを自粛せざるを得なくなりましたが、そのために景気は過熱してバブル経済となり気がついたときは手遅れになっていた。

当時の事は私も覚えているが日米の協調利上げだとか呑気なことを言っていた覚えがある。しかしアメリカはいっさい日本とは協調しようとはしなかった。このような日米独の不協和音がブラックマンデーの原因でもあるのですが、アメリカは自国の利益しか考えない。だからEUも独善的なアメリカに見切りをつけてユーロを作った。

だから場合によっては日本と同じく大量のドルを抱える中国と共にドルを売り払う事も検討する事もあるかもしれない。さいわい中国が最大のドル外貨保有国になった事により米中の経済交渉を見ていればいいのですが、中国は遠慮なくドルを売って来るだろう。中国は90年代に日本が一番困ったときも円の大量売りをして日本経済を崩そうとしたが逆に円高に対する抑制となって思惑は外れた。

このようにアメリカのドルは正面からユーロの挑戦に会い、裏からは中国のドル売りの脅威に晒されている。おかげで日本はアメリカからの圧力を一手に引き受ける事はなくなったが、逆にアメリカのドルは流通規模を縮小してきて基軸通貨の地位を徐々にユーロへと地位を譲ろうとしている。

その場合におけるドルとユーロの決戦場は中東の油田地帯にあるのですが、欧州はアメリカがイラクで自滅するのを待つだけで良い。アメリカがイラクから引き上げれば権益はそのまま維持されている事はないだろう。イラクに権益を確保していたロシアやフランスが黙ってはいないからだ。湾岸諸国もドル離れを模索している。

アメリカは80年代に日本が利上げしなければならない時に協調してくれはしなかった。また90年代には円を急激に吊り上げて揺さぶり、アメリカ外資は株を売り叩いて資産デフレで日本を追い込んだ。さらには97年のアジア金融危機を作り出して韓国をIMF管理体制に置いた。このような自分勝手なアメリカに対して世界からの報復の時期は近づいている。

当面はドルとユーロの鬩ぎあいの時期が続くだろう。ドルとポンドの基軸通貨が並存していた時も世界情勢は波乱の時代でしたが、ドルとユーロの並存する時代も世界は波乱の時代とならざるを得ない。しかし日本の政財界はアメリカに打たれながらもアメリカに従順についていく事しか考えていないようだ。




安倍内閣の前途に黄信号が点滅、官を使いこなす視点を
欠いた官邸に霞が関から上がる情報は質量とも致命的に落ちた


2006年12月29日 金曜日

飯島前秘書官が放つ『小泉官邸秘録』の凄み ザ・ファクタ 2007年1月号

「小泉は立場上、復党に反対と言えない。抵抗勢力を協力勢力に変えるって言い続けてきたんだしね。だけど、俺は絶対に反対だからな」

 前首席首相秘書官・飯島勲がついに宣戦布告したのは11月27日だった。首相・安倍晋三は、05年の郵政民営化法案への「造反組」のうち、現職の衆院議員11人の自民党復党を決断した。衆院を解散して造反組に「刺客」を放ち、総選挙後には離党に追いやった張本人の前首相・小泉純一郎には仁義を切らねばならなかった。

 安倍の命で、腹心の首席秘書官・井上義行は前任者の飯島に電話を入れた。小泉が安倍を官房長官に据え、後継者として帝王学を施した前政権最後の1年、飯島も井上に首席秘書官の心得を授け、目をかけてきた。権力の移行から2カ月。飯島は打って変わって電話口の井上に「復党反対」とすごんで見せた。続く安倍自らの電話を受けた小泉は「あなたの方針は分かった」と言葉少なに応じた。権力の座を譲り渡した以上、安倍の決断に今さら口は挟まない半面、冷徹に突き放した瞬間でもあった。

 復党騒動で内閣支持率は急降下。焦った安倍は道路特定財源の一般財源化で大号令をかけたが、党内の空気は冷たく、火中の栗を拾う政策決定の司令塔も不在。たちまち本格的な改革を先送りする醜態をさらした。ふらつく安倍に12月8日、飯島は二の矢を放った。5年5カ月の小泉時代の首相官邸の内幕を回顧した著書『小泉官邸秘録』(日本経済新聞社)を早くも上梓したのである。

主役は「16人の侍」

 安倍の前途に黄信号が点滅、誰もが小泉官邸を思い返し、安倍の指導力との比較と検証を始めようとしたまさにそのタイミング。「年明け刊行のつもりで準備していたら、嗅ぎつけた日経から緊急出版を迫られて弱った」と飯島は周囲を煙に巻くが、10月に2週間も永田町から消え、潜っていた。早くからの周到な仕掛けを感じさせずにはおかない。

 衆院第一議員会館の手狭な小泉事務所で「半畳暮らし」に戻った怪腕秘書。前書きでも「私にとって代議士は小泉純一郎しかいない」と、なお小泉にあけすけな忠誠を捧げてはばからない。飯島備忘録という体裁を取っているが、退陣後はメディアに一切口を閉ざす小泉の承認のもと、本音の代弁者として満を持して打って出たのは疑いない。安倍に微妙な距離を置き始めた小泉・飯島コンビの再始動宣言、とも受け取れる。

 読み進むと一層、その感を深くする。「安倍官房副長官(当時)の気配り、度量の広さに感服した」などと一見、安倍への歯の浮くような礼賛の辞が並ぶ。一言も批判めいた表現はない。ただ、行間からはっきりと浮かび上がってくるのは、同じ「官邸主導」を標榜していても、小泉流リーダーシップと安倍の政権運営はおよそ「似て非なるもの」だという強烈な告発のメッセージである。

 飯島は官邸主導の要諦として「政治がいかに官僚組織を押さえ、使いこなすかということこそが問題」だと繰り返す。郵政も道路公団も民営化、行財政改革を断行した小泉だが、大ナタを嫌がる官僚機構を敵視するより、アメとムチで「使いこなす」のに腐心したと言う。確かに「自民党をぶっ壊す」とは宣言したが、幹事長・中川秀直や竹中平蔵流の霞が関解体路線とは一線を画してきた。

巻末には飯島に加えて16人の男の肖像が並ぶ。丹呉泰健(財務省理財局長)ら小泉に仕えた事務担当の秘書官延べ5人。そして香取照幸(厚労省雇用均等・児童家庭局総務課長)、末松広行(農水省環境政策課長)ら秘書官のいない省庁から、飯島が35年かけて築いた霞が関人脈をたぐって選抜した延べ11人の特命参事官。小泉を支え抜いたこの「チーム飯島」こそ『秘録』の主役であり、安倍にない資産と言いたげだ。

 首相秘書官は財務、外務、経済産業、警察の4省庁が審議官級のエリートを送り込む。飯島は総務、厚生労働、国土交通、文部科学、防衛の5省庁(後に文科省に代え農水省)からも課長級を官邸に常駐させた。この特命参事官が医療制度改革、自衛隊イラク派遣、BSE(牛海綿状脳症)事件などで官邸と出身省庁をダイレクトに連結し、小泉・飯島コンビが官僚機構をじわじわと官邸に引き寄せ操縦していった舞台裏を『秘録』は活写する。

 安倍も外形的には似た試みをしている。総裁選出直前の9月中旬、新政権の首相直属スタッフとして霞が関から10人の官僚を公募した。これが飯島と特命参事官たちを「小泉継承なんて大ウソだ」と激怒させた。安倍に成り代わって応募者を面接した井上がこう言い放ったからだ。「安倍官邸では『役所のスパイ』は要らない。親元に戻る橋を焼き切るくらいの覚悟で来てほしい」。

 特命参事官たちは小泉・飯島コンビと出身省庁の板挟みで苦闘する日々だった。親元の情報を集めて小泉に報告する一方、小泉の意思を肌身で感じ、親元に浸透させる役目も担った。スパイ呼ばわりならあっぱれな「二重スパイ」とたたえるべき綱渡りだった。飯島は記す。

「黒衣に徹し、出身省庁ではなく総理に忠誠を尽くすことのできる人材、同時に総理の意向を十分体して出身官庁を押さえきることのできる実力を備えた人材でなければならない」

引き継ぎを守っていない!

 安倍と井上は公募スタッフに出身省庁の押さえ役を担わせる発想はゼロ。専門分野にお構いなくてんでバラバラな任務に就けた。官のプロフェッショナリズムなど脇に追いやり、「政の使用人」としか見ない。安倍は「霞が関のドン」と言われる事務担当の官房副長官だった二橋正弘を断りなく更迭、飯島の怒りの炎に油を注いだ。飯島は小泉退陣と同時に「安倍政権は小泉政権とはまるで違う。引き継ぎを守っていないじゃないか」と公言し始めたのだ。

「チーム飯島」を「役所のスパイ」と切って捨てた単線思考そのままに、安倍官邸は大臣同伴でない限り、次官以下の官僚に会わないとのお触れを出した。官房長官・塩崎恭久も「決めるのは政治。官僚機構はそれを執行するだけ」が口癖。嬉々として「使用人」に甘んじる警察庁長官・漆間巌と外務次官・谷内正太郎だけは木戸御免だが、官を使いこなす視点を欠いた官邸に霞が関から上がる情報は質量とも致命的に落ちた。

 飯島は、安倍が官邸主導の主役とした首相補佐官も「活用が難しい」と指摘する。「職責は総理を支えることに尽きる」から「黒衣に徹してもらわなければならない」。従って「自らの名前で活動することをやめ」「職業生活を犠牲にしてでも」首相に奉公できる人材しか任命できないと言う。要は、目立たないと仕事にならない国会議員を黒衣にして「アベレンジャー」とはしゃぐなどトンチンカンの極みだ、という揶揄だ。

『秘録』で食い足りないのは外交だ。例えば02年9月の北朝鮮電撃訪問の知られざる仕掛けをこうほのめかす。「02年8月中旬、小泉総理から金正日総書記に一通の親書が届けられた」。新事実に触れながら、核心部分の保秘は解いていない。小泉が自分の出番が今後もありうる、と飯島の筆を抑えさせた気配もある。変人と怪腕、この奇妙な主従からまだ当分、目を離せそうもない。(敬称略)



安部政権に不安を抱くアメリカ 12月27日 増田俊男

9月からスタートしたばかりとは言え、アメリカは安倍政権にいささか困っている。それは安倍内閣がアメリカから見て、期待外れになりつつあることだ。安倍首相は、小泉改革を踏襲すると同時に、経済成長路線を採るとの指針を明らかにした。しかしながら、ブッシュ政権が郵政民営化に次いで期待し、またアメリカの金融界が強く求めてきた三角合併法に制約をつけ始めたのである。また7兆円を超える歳入増についても、財政健全化の名の下にすべて債券発行額削減に使われることになった。これで経済成長路線の真意も怪しくなってきた。

アメリカは安倍首相の就任直後から長期政権を期待しているが、造反組の復党問題やタウンミーティングのやらせ問題で国民支持率が急速に低下した。国内問題で不評なら国民の関心を国外に向けるのが政権担当者の常識である。その意味で麻生外務大臣が発表した「自由と繁栄の弧」は格好のチャンスであったのに、全くマスコミ受けしなかった。「21世紀の大東和共栄圏構想か?」などと匂わすだけで、マスコミの話題をさらうことができたのに……。アメリカには、どうも安倍内閣はまだ不安に映る。このままでは、アメリカは日本と一枚岩となって行動するのは難しい。

アメリカの中間選挙で民主党が勝利した結果、民主党が2007年からの議会を制することになったが、その影響はすでにブッシュ政権の外交政策の変化に現れている。アメリカの最も重要なパートナーである日本はアメリカの変化に迅速に対応しなくてはならないのに、どうもその兆しが見えない。アメリカが大変化をする重要な時期に、安倍首相はブッシュ大統領との首脳会談をヨーロッパ訪問を終えてから、とした。訪米時期について、たとえアメリカに説明しても、世界の目には日本がアメリカを後回しにしたと映る。それでもアメリカに説明しさえすればいいというセンスが幼稚である。

国際政治ではこうした微妙なことが誤解を生んだり、何でもないことを難しくしたりする。小泉内閣のアメリカ一辺倒から、安倍内閣は多面外交を打ち出しているのは理解できるが、時と場合によっては、ちょうど電撃的訪中・訪韓のようなパーフォーマンスも必要である。安倍氏が就任早々日中首脳会談ができたのは、9月に訪中したポールソン米財務大臣に負うところが大きかったことを忘れてしまったのだろうか。

アメリカ経済にとって中国経済の影響度が日増しに増大しているので、ブッシュ政権は中国通の元ゴールドマンサックス会長の(前記)ポールソンを財務長官に任命し、中国との経済面での連携を強めている。政治面でも、北朝鮮核問題を、いわば中国に下請けに出すなどして中国重視路線を採っている。とは言え、あくまでも中国がアメリカの仮想敵国であることに変わりはない。なぜなら、中国軍事プレゼンスは増大し続けているし、中国はロシアと共にドルに対する挑戦を

自民党総裁選の時点では、安倍氏の対北朝鮮強硬路線が追い風となった。選挙前の北朝鮮のミサイル発射、核実験に対する(当時幹事長の)安倍氏の強硬論は安倍支持の根底をなした。しかし、もはやブッシュ政権の中枢はネオコン主導からCIAと国務省主導に移り、アメリカの政治戦略は軍事力背景(力の意志)から「会話路線」へ変化した。

世界の政治・経済の主役であるアメリカの政治戦略の基本が変化したのに、相変わらずの北朝鮮強硬路線一辺倒では日本は孤立するし、すでに北朝鮮は日本孤立戦略を採っている。安倍支持の根底をなした強硬路線に代わって国民の支持が得られる新路線を打ち出す準備も見えない。

北朝鮮問題においても、対中国戦略においても、日米が戦略を共有することが日米にとって重要であることは言うまでもないが、「6カ国協議で成果が期待できないなら参加してもしょうがない」などという安倍内閣首脳陣の言葉がワシントンに聞こえてくる。これではアメリカの安倍内閣に対する懸念は増すばかりだ。こんなことでは、マッカーサーではないが、また安倍内閣の政治年齢が云々されかねない。



(私のコメント)
安倍内閣の事については15日にも書きましたが、任命した人が次々スキャンダルが暴露されて交代している。小泉内閣の時も田中真紀子外相更迭で支持率が大幅に下げましたが、立て続けに出ると政権末期のような雰囲気が出てくる。それくらい人事には気をつけなければならないのですが、安倍総理のスタッフには飯島秘書官のような人材がいない。

安倍内閣は中国や韓国に対しては曖昧外交で煙にまいた形でスタートしましたが、内政に関しても曖昧内政で煙に巻かれたようになっている。復党問題に関しても中川幹事長がグダグダして問題を大きくしてしまったし、小泉チルドレンに対する扱いも曖昧なままだ。

このような曖昧な政治手法は大衆には分かりにくく、リーダーシップが弱いように見られてしまう。記者会見でも「一身上の都合」を何回も繰り返したりして不器用さが出てしまった。小泉流のはぐらかし答弁やすり替え答弁は安倍総裁は真似が出来ない。

本来の安倍総理の政治路線と小泉前総裁の政治路線はだいぶ異なるのですが、当面は小泉路線を踏襲しつつ独自路線をとろうとすると、アメリカからも疑いの目で見られるようになる。小泉内閣はアメリカにおんぶに抱っこに肩車していたわけですが、肝心のブッシュ政権がレイムダック化して迷走している。

小泉内閣では内政で行き詰った時は外交で人気を挽回したのですが、切り札となるようなものは見当たらない。麻生外務大臣が様々なアドバルーンを揚げても安倍総理の反応は鈍く、曖昧外交は当面は続いていくのだろう。アメリカも中国との戦略対話を再開して米中の交流は深まるようですが、日米関係も曖昧なままだ。

日本外交はアメリカの頚木があるから独自のスタンスはとれないが、それだとアメリカはますます日本を馬鹿にして中国を戦略的パートナーとしてしまうだろう。靖国問題にしても核武装の問題にしてもアメリカの政府高官から一言言われると日本の政治家や学者文化人はぴたりと発言を止めてしまう。

株式日記では日本の核武装論を連日書きたてたのですが読者の反応は鈍い。日本にはドゴールのような政治家もアロンのような政治参謀もマルローのような文化人もガロアのような戦略家もいない。だから日本はアメリカに馬鹿にされ続けているのですが、日本がその気になればアメリカを崩壊させる事ができる力を持っている。

昨日の日記で書いたエマニュエル・トッド氏も「帝国以後」の本でアメリカの脆弱性を指摘している。現在でもアメリカはイラクで足をとられて動けないから北朝鮮は好き勝手が出来る。そんなアメリカに日本は外交と防衛を丸投げした状態なのだ。にもかかわらず日本に核武装の懸念が生じるとライス国務長官が飛んできて「核武装まかりならん」と言って行く。

靖国問題に対してもアーミテージ氏の一言で靖国神社は遊就館の展示内容を変えるそうだ。靖国神社は政府の施設ではなく民間の宗教施設でありアメリカ政府元高官の干渉は外国の宗教施設への宗教弾圧なのだ。にもかかわらず親米ポチ保守は岡崎久彦氏を始めアメリカに尻尾を振り続けている。

株式日記で言いたいのはアメリカと対決せよというのではなく、イラク戦争で敗北し、北朝鮮に対して手も足も出せなくなって弱体化しているアメリカの言うことばかり聞いていていいのだろうか? 中国を見習って面従腹背でぬらりくらりと様子を見ているほうがいいのかもしれない。

小泉内閣の政策はアメリカと日本の財務省主導の政治でしたが、安倍内閣ではその歪の是正が望まれる。復党問題もその是正の一部なのですが、アメリカから見れば郵政民営化を骨抜きにしようとするのではないかと疑る。政府税調の本間会長の辞任は財務省の陰謀だという噂もありますが、財務省の裏にはアメリカの影がちらついている。

このところ立て続けに出るスキャンダルのネタはどこから出ているのだろうか? ロッキードスキャンダルで田中角栄を退陣に追い込んだようにアメリカは自由自在に日本の内閣を操る事が出来る。アメリカだけではなく中国やロシアの工作員で東京は一杯だ。ところが日本には工作員に対する防諜機関がない。

警察の公安などががんばってはいるが相手がCIAだと情報をもらっている関係上手も足も出ない。必然的に日本の政治はアメリカの言うがままにならざるを得ない。せめて安倍内閣は自民党組織と官僚組織をしっかりと固めて行く必要がありますが、しばらく時間がかかるだろう。




核兵器は安全のための避難所。核を持てば軍事同盟から解放
され、戦争に巻き込まれる恐れはなくなる。(エマニュエル・トッド)


2006年12月28日 木曜日

核兵器 「帝国以後」のエマニュエル・トッド氏と対談 10月30日 朝日新聞

今月はパリで行った対談を「風考計」の特別編でご紹介したい。相手は独特の視点で世界を読み解き、著書「帝国以後」などで広く知られるエマニュエル・トッド氏。鋭く米国や中国を批判する彼は、何と日本に「核武装」を勧めるのだった。刺激的な議論になったが、頭の体操だと思ってお読みいただきたい。

●トッド「偏在が恐怖、日本も保有を」 若宮「廃絶こそ国民共通の願い」

 若宮 いま、北朝鮮の核が深刻な問題です。

 トッド 北朝鮮の無軌道さは米国の攻撃的な政策の結果でしょう。一方、中国は北朝鮮をコントロールしうる立場にいる。つまり北朝鮮の異常な体制は、米国と中国の振る舞いあってこそです。

 若宮 トッドさんは識字率の向上や出生率の低下から国民意識の変化を測り、ソ連の崩壊をいち早く予測しました。北朝鮮はどうでしょう。

 トッド 正確な知識がないのでお答えできない。ただ、核兵器が実戦配備されるまでに崩壊するのでは……。

 若宮 でも不気味です。

 トッド 核兵器は偏在こそが怖い。広島、長崎の悲劇は米国だけが核を持っていたからで、米ソ冷戦期には使われなかった。インドとパキスタンは双方が核を持った時に和平のテーブルについた。中東が不安定なのはイスラエルだけに核があるからで、東アジアも中国だけでは安定しない。日本も持てばいい。

 若宮 日本が、ですか。

 トッド イランも日本も脅威に見舞われている地域の大国であり、核武装していない点でも同じだ。一定の条件の下で日本やイランが核を持てば世界はより安定する。

 若宮 極めて刺激的な意見ですね。広島の原爆ドームを世界遺産にしたのは核廃絶への願いからです。核の拒絶は国民的なアイデンティティーで、日本に核武装の選択肢はありません。

 トッド 私も日本ではまず広島を訪れた。国民感情はわかるが、世界の現実も直視すべきです。北朝鮮より大きな構造的難題は米国と中国という二つの不安定な巨大システム。著書「帝国以後」でも説明したが、米国は巨額の財政赤字を抱えて衰退しつつあるため、軍事力ですぐ戦争に訴えがちだ。それが日本の唯一の同盟国なのです。

 若宮 確かにイラク戦争は米国の問題を露呈しました。

 トッド 一方の中国は賃金の頭打ちや種々の社会的格差といった緊張を抱え、「反日」ナショナリズムで国民の不満を外に向ける。そんな国が日本の貿易パートナーなのですよ。

 若宮 だから核を持てとは短絡的でしょう。

 トッド 核兵器は安全のための避難所。核を持てば軍事同盟から解放され、戦争に巻き込まれる恐れはなくなる。ドゴール主義的な考えです。

 若宮 でも、核を持てば日米同盟が壊れるだけでなく、中国も警戒を強めてアジアは不安になります。

 トッド 日本やドイツの家族構造やイデオロギーは平等原則になく、農民や上流階級に顕著なのは、長男による男系相続が基本ということ。兄弟間と同様に社会的な序列意識も根強い。フランスやロシア、中国、アラブ世界などとは違う。第2次大戦で日独は世界の長男になろうとして失敗し、戦後の日本は米国の弟で満足している。中国やフランスのように同列の兄弟になることにおびえがある。広島によって刻まれた国民的アイデンティティーは、平等な世界の自由さに対するおびえを隠す道具になっている。

 若宮 確かに日本は負けた相手の米国に従順でした。一方、米国に救われたフランスには米国への対抗心が強く、イラク戦争でも反対の急先鋒(きゅうせんぽう)でした。「恩人」によく逆らえますね。

 トッド ただの反逆ではない。フランスとアングロサクソンは中世以来、競合関係にありますから。フランスが核を持つ最大の理由は、何度も侵略されてきたこと。地政学的に危うい立場を一気に解決するのが核だった。

●トッド「過去にとらわれすぎるな」 若宮「日本の自制でアジア均衡」

 若宮 パリの街にはドゴールやチャーチルの像がそびえてますが、日本では東条英機らの靖国神社合祀(ごうし)で周辺国に激しくたたかれる。日本が戦争のトラウマを捨てたら、アジアは非常に警戒する。我々は核兵器をつくる経済力も技術もあるけれど、自制によって均衡が保たれてきた。

 トッド 第2次大戦の記憶と共に何千年も生きてはいけない。欧州でもユダヤ人虐殺の贖罪(しょくざい)意識が大きすぎるため、パレスチナ民族の窮状を放置しがちで、中東でイニシアチブをとりにくい。日本も戦争への贖罪意識が強く、技術・経済的にもリーダー国なのに世界に責任を果たせないでいる。過去を引き合いに出しての「道徳的立場」は、真に道徳的とはいいがたい。

 若宮 「非核」を売りにする戦略思考の欠如こそが問題なのです。日本で「過去にとらわれるな」と言う人たちはいまだ過去を正当化しがち。日本の核武装論者に日米同盟の堅持論者が多いのもトッドさんとは違う点です。

 トッド 小泉政権で印象深かったのは「気晴らし・面白半分のナショナリズム」。靖国参拝や、どう見ても二次的な問題である島へのこだわりです。実は米国に完全に服従していることを隠す「にせナショナリズム」ですよ。

 若宮 面白い見方ですね。

 トッド 日本はまず、世界とどんな関係を築いていくのか考えないと。なるほど日本が現在のイデオロギーの下で核兵器を持つのは時期尚早でしょう。中国や米国との間で大きな問題が起きてくる。だが、日本が紛争に巻き込まれないため、また米国の攻撃性から逃れるために核を持つのなら、中国の対応はいささか異なってくる。

 若宮 唯一の被爆国、しかもNPT(核不拡散条約)の優等生が核を持つと言い出せば、歯止めがなくなる。

 トッド 核を保有する大国が地域に二つもあれば、地域のすべての国に「核戦争は馬鹿らしい」と思わせられる。

 若宮 EU(欧州連合)のような枠組みがないアジアや中東ではどうでしょう。さらに拡散し、ハプニングや流出による核使用の危険性が増えます。国際テロ組織に渡ったら均衡どころではない。

 トッド 核拡散が本当に怖いなら、まず米国を落ち着かせないと。日本など世界の多くの人々は米国を「好戦的な国」と考えたくない。フランス政府も昨年はイランの核疑惑を深刻に見て、米国に従うそぶりを見せた。でも米国と申し合わせたイスラエルのレバノン侵攻でまた一変しました。米国は欧州の同盟国をイランとの敵対に引き込もうとしている。欧州と同様に石油を中東に依存する日本も大変ですが、国益に反してまで米国についていきますか。

 若宮 日本のイランへの石油依存度は相当だし、歴史的な関係も深い。イラクの始末もついていないのにイランと戦争を始めたらどうなるか。イラクのときのように戦争支持とはいかないでしょう。

 トッド きょう一番のニュースだ(笑い)。北朝鮮と違い、イスラム革命を抜け出たイランは日本と並んで古い非西洋文明を代表する国。民主主義とは言えないが、討論の伝統もある。選挙はずっと実施されており、多元主義も根づいている。あの大統領の狂信的なイメージは本質的な問題ではない。

 若宮 イラン・イラク戦争のとき日本は双方と対話を保ち、パイプ役で努力した。その主役は安倍首相の父、安倍晋太郎外相でした。

 トッド 私は中道左派で、満足に兵役も務めなかった反軍主義者。核の狂信的愛好者ではない。でも本当の話、核保有問題は緊急を要する。

 若宮 核均衡が成り立つのは、核を使ったらおしまいだから。人類史上で原爆投下の例は日本にしかなく、その悲惨さを伝える責務がある。仮に核を勧められても持たないという「不思議な国」が一つくらいあってもいい。

 トッド その考え方は興味深いが、核攻撃を受けた国が核を保有すれば、核についての本格論議が始まる。大きな転機となります。

●トッド「北方領土問題、高い視点から」

 若宮 ところでトッドさんはロシアを重視し、日ロ関係を良くすれば米国や中国への牽制(けんせい)になると書いてます。

 トッド 私はずっとそう言ってきた。ロシアは日本の戦略的重要性を完全に理解している。国際政治において強国は常に均衡を求める。

 若宮 でも、日ソ国交回復から50年たっても北方領土問題が片づかず、戦略的な関係を築けません。

 トッド ロシアは1905年の敗北を忘れず、日本は第2次大戦末期のソ連参戦を許していない。でも仏独は互いに殺し合ってきたのに、現在の関係は素晴らしい。独ロや日米の関係もそうです。日ロもそうなれるはずだ。

 若宮 日本は北方四島を全部還せと言い、ロシアは二つならばと譲らない。

 トッド では、三つで手を打ったらどうか(笑い)。

 若宮 そう簡単にはいきませんが、互いに発想転換も必要ですね。ロシアは中国との国境紛争を「五分五分」の妥協で片づけました。

 トッド 解決のカギは仲良くしたいという意思があるかどうかです。北仏ノルマンディー沖にも英国がフランスから分捕った島があるが、問題になっていない。地中海にあるフランスのコルシカ島は元々イタリアだったが、誰も返せとは言わない。

 若宮 日本と韓国の間にはもっと小さな島があり……。

 トッド それこそ「偽りのナショナリズム」。国益の本質とは大して関係ないでしょう。この種の紛争解決にはお互いがより高い視点に立つこと。つまり共同のプロジェクトを立ち上げる。北方領土でも何かやればいい。

 若宮 トッドさんが平和主義者だということが分かりました(笑い)。



(私のコメント)
日本の核武装論議はいつの間にかうやむやになりましたが、核兵器と言う戦略的な兵器を排除した国防論議はまったく無意味だ。北朝鮮と言う最貧国ですら核武装が出来るのだから、米中ロといった核大国が核武装を押さえ込もうとしても押さえ込めるものではない。おそらくこれからも核武装する国は増え続けるだろう。

アメリカですらインドの核武装を認めたかたちになりましたが、イランの核武装をアメリカが止められるのだろうか? イラクには大量破壊兵器開発を口実に先制攻撃をかけましたがアメリカ自身の足元がふらつき始めた。アメリカの軍事力をもってしても核開発を始められたら押さえられなくなってきている。

南アフリカやリビアが核開発を止めたのは利害打算的に合わないからだと思いますが、必要と思えばいつでも開発するだろう。だからアメリカとしても北朝鮮の核武装は押さえきれないと諦めてしまっている。だから中国に北朝鮮の核武装を押さえ込ませているが、中国は面従腹背の国だから北朝鮮を使ってアメリカを揺さぶっている。

エマニュエル・トッド氏のインタビューは核に対する現実的な見方を答えたものですが、日本ではこのような現実的な考え方をする事が難しい。日本では核武装が非現実的な考えとされていますが、フランスのドゴール大統領は戦略的な考えで核武装したのだ。


シャルル・ド・ゴールへの想い 10月6日 雪斎の随想録

ドゴールが本当に偉かったことの証明は、周りに単にフランスだけでなく世界に通用する知識人が集まったことですね。レイモン・アロンが政治世界の参謀なら、アンドレ・マルローは文化世界の代表、そうそうガロアという天才戦略家もいましたね。ガロアはフランスの核武装の理論付けをやりましたですね。ドゴールがいざとなったらアメリカと共に行動するという覚悟を本心から持っていたからこそ、最終的にアメリカもフランスの核保有を認めた。その後も、英仏の核は米国の脅威にはなってない、むしろそれは補完関係にある。ひるがえって日本の場合は?これは微妙な問題でしょうか?日本の核武装論議で欠けているのは、日米同盟の片務性がこれでいいのかということだと思います。日本の核武装論議もけっこうです。しかし、真の同盟関係とは何か。この議論を早急にやってほしいですね。ドゴールのことでこんなことを感じました。勿論、私もドゴールの大フアンです。(Posted by: M.N.生



(私のコメント)
日本では核武装の議論はまともに行なわれず、作らず持たず持ち込まず議論せずの非核四原則がまかり通ってしまって、テレビの討論番組でもまともに議論される事はない。インターネットのブログなどでもまともな意見表明は少ない。

アメリカがいまだに日本の核武装を支持していないのは、フランスのようには日本を信頼していないからだろう。ドゴールはフランス民族主義の象徴のような人物ですが現実主義者でもあった。日本では左翼の親中と右翼の親米の二つに分かれてしまって、民族主義と言う言論勢力は存在していないに等しい。

株式日記では民族主義的な見方を主張していますが、現実的な見方もしている。だからフランスのドゴール的な考えに一番近い。だからこそドゴールがベトナム戦争に反対したようにアメリカのイラク戦争に反対した。しかし米中がもし戦争をするような時があれば日本はアメリカ側に立って戦うべきと主張する。

しかしアメリカが日本の核武装を認めない以上、日本は米中が戦争する事があっても朝鮮戦争やベトナム戦争の時のように黙って見ているしかない。今まではそれでも良かったのでしょうが、アメリカはイラク戦争を見れば分かるようにベトナム戦争当時のような圧倒的な戦力を持ってはいない。

場合によってはアメリカは朝鮮半島や台湾問題などから手を引いてしまう事も予想しなければならない。石原慎太郎都知事が言うようにアメリカはもはや中国と戦争して勝てるとは思えない。最悪の場合にはアメリカの民主党などには親中派もたくさんいて東アジアの覇権を中国にゆだねる事も予想される。

もし今の日本にドゴールがいたならば核武装を断行した事だろう。しかし日本にはレイモン・アロンのような政治参謀もいなければ、アンドレ・マルローのような文化人もおらず、ガロアのような天才的戦略家もいない。日本の政治家はアメリカの政府高官の前に出ると震え上がって小便をちびってしまうほどだ。

日本の政治家はどうしてドゴールにようにアメリカに忠告してあげる事ができないのだろうか。日本の学者文化人と言うような人はアメリカの提灯持ちであるか中国の提灯持ちに過ぎない。

株式日記ではエマニュエル・トッド氏の「帝国以後」と言う本を紹介しましたが、日本にはこのような本を書けるような学者文化人がいない。政府の愚民化政策が災いして核武装論議すら封印してしまっているからだ。


エマニュエル・トッド著 「帝国以後」「2050年前後にはアメリカ帝国は存在しない」 2003年12月15日 株式日記

アメリカがアフガニスタンやイラクへ侵攻した理由としてはいろいろ挙げられていますが、一番大きな理由としては軍事的に弱体な国を見せしめのために血祭りにあげて、アメリカの軍事力の誇示にあったのだろう。しかし本書でエマニュエル・トッド氏が指摘するかごとく、この事は世界の国々の警戒心を掻き立てるだけに過ぎない。

アメリカな何故そこまで追い詰められてしまったのだろうか。弱者を攻撃するということが自分の強さを人に納得させる良い手とは言えない。人口2300万人足らずの低開発国に超大国アメリカが戦争を仕掛けることはみっともない事だという意識がアメリカ人の中から消えうせてしまった。第二次大戦以降アメリカは大国とは戦争をせず、北朝鮮や北ベトナムや中南米のパナマ・グレナダといった弱小国としか戦争をしていない。

はたしてそれらの国と戦争をする必要性が戦略的にいってあったのか疑問に思えるが、アメリカはソ連崩壊以降その存在意義を失ってしまっているから、よけいに血迷っているのだろう。ソ連が存在していてくれれば、ソ連が悪役を一手に引き受けてくれて、アメリカが正義の味方よろしくスーパーパワーを誇ることが出来た。


(私のコメント)
中国は近い将来に台湾に対して手を伸ばしてくるだろう。そのときアメリカはこれに対抗できるだろうか? もし出来ない場合、中国の野心を思いとどまらせる事ができるのは「核武装した日本」しかないと思う。しかし日本には、「ド・ゴール」、「アロン」、「ガロワ」、「マルロー」が揃わない限り、日本の「核武装」というのも、リアリスティックな選択肢とはいえない。どうして日本の学者は小粒なのばかりなのか?




良いのか悪いのかといった二分法的思考で、結論だけを
求める風潮が、社会に蔓延しつつあるように思います。


2006年12月27日 水曜日

視点・論点「まん延するニセ経済学」 12月26日 BI@K

みなさんは、「ニセ経済学」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。

これは、見かけは経済学のようだけれども、実は、経済学的とはとても言えないもののことで、「疑似経済学」や「似非経済学」などとも呼ばれます。

『そんなものがどこにあるんだ』とお思いの方も、例として、国際競争力や、キャピタルフライトや、フェアトレードなどの名前を挙げれば、『ああ、そういうもののことか』と納得されるかもしれません。それとも、かえって、『え?』と驚かれるでしょうか。

例えば、皆さんもよくご存知のように、『このままではキャピタルフライトが起こる』と盛んに言われ、ひところは大手出版社もこぞって関連書籍を売り出すほどのブームになりました。キャピタルフライト本がよく売れたのは、もちろん、キャピタルフライトに経済学的な裏づけがあると信じた人が多かったからでしょう。テレビや雑誌などでも頻繁に取り上げられましたから、それを疑えという方が無理な話かもしれません。

しかし、実は、キャピタルフライトが起こるおそれがあるという経済学的な根拠は、ほぼない、といってよいのです。あのブームは、まったくの空騒ぎでした。大手出版社までが、なぜ、その空騒ぎに乗ってしまったのか。きちんと検証しておく必要があります。

いまは、フェアトレード、すなわち発展途上国を搾取する商品は買わないようにしようという論説に、人気が出てきているようです。しかし、実のところ、搾取と言っても現地では収益源ですから買わなければかえって困らせてしまい、せいぜい一部の人々をほんの少し豊かにする程度の効果しか期待できません。

いま、このような、経済学のようで経済学ではない、「ニセ経済学」が蔓延しています。

こういった「ニセ経済学」のなかに、しつけや道徳に関わるものがあります。その話をしたいと思います。

よく知られている例の一つは、『国の借金は企業(や家計)に擬えると、破綻状態にある』といういわゆる「財政破綻」説です。しかし、この説に、経済学的に信頼しうる根拠はないのです。その意味で、これもまた「ニセ経済学」です。

もちろん、どんな借金でも無限にできるわけではありませんから、どこかに限界はあるでしょう。しかし、それだけなら、お小遣い帳や大福帳などでも同じです。返済可能かどうかとは、まったく別の話なのです。

ところが、この説は、市場関係者に広く受け入れられています。全国各地で、投資ファンドやシンクタンクの講演会が開かれているようです。

もちろん、無駄な財政支出を問題だと思う人は多いでしょうし、エコノミストもそういう風潮を何とかしたいと思っているのでしょう。

そういうみなさんにとって、「財政破綻」説が一見、福音に思えたことは分かりますが、経済学的根拠のないものに飛びついても、仕方がありません。

そもそも、無駄な財政支出を何とかしたいというのは、全体の額の問題ではなく、個別の事業の問題だったはずです。まして、夫がお小遣いを無駄遣いして困ると考えるなら、やめるようにきちんと説得するべきでしょう。国の財政を引き合いに出そうとしてはいけません。

もう一つ、今度は、貿易にまつわる奇妙な説を紹介しましょう。

労働者を安い賃金で働かせると、貿易黒字で豊かになり、高い賃金を支払うと、貿易赤字で貧乏になってしまうというのです。

賃金というのは労働者の所得のことですから、これは、所得が下がれば豊かになるという主張です。しかし、もちろん、そんな馬鹿なことはありません。

貿易収支は、ただのおカネの帳尻です。儲かっているかどうかも、生活水準がどうかも表されていなければ、売買されるものが何かも表されていません。『おカネを受け取ってさえいれば儲かっている』など、いい大人が信じるような話ではなかったはずです。ところが、これが広く信じられています。『中国人と同じ賃金でないと国際競争に勝てない』といわれると、それだけで、『それはそうだ』だと思い込んでしまう人は、意外に多いらしいのです。

この説が、いくつもの企業で、賃金抑制の材料として使われていることが問題になっています。滅私奉公を教えるのに、格好の教材と思われたようです。

しかし、本当にそうでしょうか。

この授業は、たくさんの問題をはらんでいます。

まず第一に、明らかに経済学的に誤っています。経済学的思考離れが言われる今、道徳だからといって、ここまで非経済学的な話を、事実であるかのように教えていいはずがありません。

しかし、それ以上に問題なのは、賃金決定の根拠を、付加価値を無視して国際比較に求めようとしていることです。

賃金は、価値を生み出す労働の対価ですから、その決定は、あくまでも、価値に見合った水準を考えなくてはならないはずです。労働者であればどんな労働をしても同じ賃金を払うべきなのか。それを考えてみれば、この話のおかしさは分かるはずです。

「財政破綻」がしつけの根拠を経済学に求めるものだったのと同様、ここでは、道徳の根拠を社会科学に求めようとしています。それは科学に対して多くを求め過ぎです。

しつけも道徳も、人間が自分の頭で考えなくてはならないことであって、社会科学に教わるものではないはずです。

さて、「ニセ経済学」が受け入れられるのは、経済学に見えるからです。つまり、ニセ経済学を信じる人たちは、経済学が嫌いなのでも、経済学に不審を抱いているのでもない、むしろ、経済学を信頼しているからこそ、信じるわけです。

たとえば、キャピタルフライトがブームになったのは、『円安は経済に悪く、円高は経済に良い』という説明を多くの人が「経済学的知識」として受け入れたからです。

しかし、仮に、経済学者に、『円高は経済にいいのですか』とたずねてみても、そのような単純な二分法では答えてくれないはずです。

『円高といってもいろいろな原因で起こるので、中には経済にいいものも悪いものもあるでしょうし、経済にいいといっても分野によってはなにか悪いことも起きるでしょうし、ぶつぶつ……』と、まあ、歯切れの悪い答えしか返ってこないでしょう。

それが経済学的な誠実さだからしょうがないのです。

ところが「ニセ経済学」は断言してくれます。

『円高は良いといったら良いし、円安は悪いといったら悪いのです。

また、借金が膨らむとなぜ良くないのかといえば、破綻するからです。

賃金を中国人並みに引き下げれば、貿易黒字が増えるから、良い傾向なのです。』

このように、「ニセ経済学」は実に小気味よく、物事に白黒を付けてくれます。この思い切りの良さは、本当の経済学には決して期待できないものです。

しかし、パブリックイメージとしての経済学は、むしろ、こちらなのかもしれません。『経済学とは、様々な問題に対して、曖昧さなく白黒はっきりつけるもの』経済学にはそういうイメージが浸透しているのではないでしょうか。

そうだとすると、「ニセ経済学」は経済学よりも経済学らしく見えているのかもしれません。

たしかに、なんでもかんでも単純な二分法で割り切れるなら簡単でしょう。しかし、残念ながら、世界はそれほど単純にはできていません。その単純ではない部分をきちんと考えていくことこそが、重要だったはずです。そして、それを考えるのが、本来の「合理的思考」であり「経済学的思考」なのです。二分法は、思考停止に他なりません。

「ニセ経済学」に限らず、良いのか悪いのかといった二分法的思考で、結論だけを求める風潮が、社会に蔓延しつつあるように思います。そうではなく、私たちは、『合理的な思考のプロセス』、それを大事にするべきなのです。



三題噺‐ニセ科学・陰謀論・情報爆発 12月27日 BI@K

権力の側に位置する身として申し上げるならば、当サイトで取り上げたネタとしては去年で言えば人権擁護法案、今年で言えばグレーゾーン金利問題あたりが格好の例といえるでしょう。もう少し視野を広げるならば今のデフレなんかもまさしくこのパターンで、バブル潰しへの狂奔でこんなことになってしまっているわけで、世の中すべて理屈で片がつく世界というのは、webmaster個人としては自らの理屈の弱さをあげつらわれる可能性が高くなり困ったことではありますが(笑)、一般的には歓迎すべきものであるはずです。

しかしながら、このような見方‐「権力者は民衆がバカの方がいいと思っている」と信じられていること‐は、webmasterが予想し得る限りの遠い将来においても、解消されることはないでしょう。というのも、多くの人の主観において、権力者が隠し事をしていた、と信じられる話は尽きないと考えられるからです。webmasterの巡回先のひとつで、ちょうどこれに当てはまるものが最近見られました。(中略)

抽象化するなら、カエサルの「人は見たいものしか見ないという」という台詞がありますが、その延長として、見たいものを見せてくれる者を信頼する、ということがあるのでしょう。それと表裏一体となるのが、見たいものを見せてくれなかったり、見たくないものを見せてくれたりする者には不信感‐つまり、隠し事をしている‐を抱くということではないかと。究極的には、オンディマンドで見たい理由をセットに供給してくれる者こそが、もっとも信頼を勝ち得るのだとwebmasterは思いますし、ニセ科学や陰謀論は、そうした形で世に普及しているように見えます。

#おそらくは、そうでないニセ科学や陰謀論は普及することなく淘汰される、ということなのでしょうけれど。

この見立てが現実をある程度言い当てているのであれば、極めて悲観的な見通しが成立してしまうように、webmasterには思えてなりません。すなわち、学問その他の掘り下げが進み、あわせて技術の進歩が加速し、世に流通する情報が爆発的に増加している現状、ニセ科学や同種の考えはこれまで以上に世にはびこるのではないか、と。より「隠されている」感が強まらざるを得ない中、「ご存知ですか? 知っている人は少ないのですが、真実は・・・」というささやきの魅力は、高まりこそすれ低まるとは考えられないのですから。



(私のコメント)
昨日の森永卓郎氏の記事で、消費税など引き上げなくてもいい事を論理的に説明しても分かってくれない事を言っていましたが、大衆は分かりやすい事しか分からないから、一言で説明できるようにしないと大衆を動かす事はできない。小泉総理のやり方もワンフレーズポリティックスで覚えやすかったからだ。しかし正しいかどうかは問題外だった。

財政再建問題についてもよく国家財政を家計に例えて説明する人がほとんどですが、これは正しくない。よく考えれば国家財政とサラリーマン家庭とは金の流れがまるで違う。以前にも株式日記では国家財政を商店に例えて説明した方が分かり易いと書きました。

国家財政は税収が収入源ですが景気によって税収が多くなったり少なくなったりする。ところがサラリーマン家庭では景気が良かろうが悪かろうが収入は一定だ。だから景気が悪くても倹約すれば家計は回復しますが、国家財政は倹約したらますます税収は落ち込む。

商店では税収に当たるものは売上げ利益ですが景気によって左右される。売上げが落ちてきたら倹約して設備投資を切り詰めたら売上げがますます落ち込む事になる。むしろ店舗を改装して積極的な投資をしないと売上げは回復しない。


現在の財務省のバカ官僚がやろうとしていることは、商店の売上げが落ちてきたので商品を値上げしようとしている事だ。それでは商品の売上げはますます落ち込む事がわからないのだ。ちょうど国鉄が赤字で乗車料金の値上げで赤字を回復しようとしたことと同じだ。

もちろん商店でも無駄な支出はカットして行かなければなりません。さらには新規事業にも積極的に投資をして売上げの増加を図る事が、不景気の時代の商店のあり方だ。それをサラリーマン家計に例えるから増税と歳出カット一本やりになってしまう。

貿易黒字や赤字の問題でも、家計のように黒字なら豊かになり赤字なら貧しくなるという事は国家間の貿易収支と家計と同じように考えることは出来ない。しかし通産官僚たちは貿易黒字でないと不安でたまらないようだ。政府日銀も円高で輸出産業が大変だと円高防止の為にドルを買い捲った。

むしろ産業界にとっては円高よりも為替相場の変動の方がダメージを負うのですが、1985年のプラザ合意では240円から120円まで数ヶ月で変動させてしまった。それで輸出企業は大打撃を負った。竹下大蔵大臣が経済の事が分かっていれば数年かけて円高にすべきだったのだ。

このようにニセ経済学が蔓延って、政府日銀の金融政策や経済政策が15年にわたって迷走している。プラザ合意から始まっていると見れば20年以上もニセ経済学に日本の経済政策は間違い続けてきたのだ。それらに対してエコノミストや評論家達は構造改革が必要だと言い続けて来ましたが、具体的なことは何も言えなかった。

小泉内閣では郵政民営化こそ構造改革の総本山として民意を問いたいと国会を解散してまで断行しましたが、民営化すればどうなるのか誰にも分かっていない。小泉首相は何でも民営化すれば問題は解決するという分かりやすい言葉を言い続けてきた。しかし実際は民営化の名の下に役人達は天下り先を確保して焼け太りになっている。

このように悪い結果が出てくる頃になると大衆にも構造改革の実態が見えてくるから、大衆はその時点で騙された事に気がつく。だから権力者にとっては大衆が馬鹿であってくれた方が良いと思うのだ。現在の財政赤字だから増税はやむをえないという議論も分かりやすいが、大衆を騙す為の財務省の詭弁なのだ。




日本の財政が来年度にも黒字化するという事実を、
経済に携わる者を含めて誰一人として指摘しようとしない


2006年12月26日 火曜日

第63回 もはや消費税率を引き上げる必要はなくなった 12月25日 森永卓郎

財務省によれば、今年度予算の税収見積もりは総額で50兆円。当初予算よりも4兆円の増額となることが明らかになった。その大きな理由として、景気の回復によって法人税収が好調となっていることが挙げられる。

 実は昨年度においても、当初予算より税額が増えている。昨年度は、補正予算の際に3兆円を上積みし、さらに決算の際に2兆円が加わり、合計5兆円も税収が増えたのである。

 財政状態が上向くのは喜ばしいことである。だが、これだけ財政がよくなっているというのに、不思議なことに消費税を引き上げようという声は、けっして小さくなることがない。それどころか、定率減税の全廃という実質的な増税が決定してしまった。これはおかしいのではないか。

 いつのまにか、国民の大多数は「消費税率の引き上げはやむを得ない」という考えを持たされてしまったようだが、それは本当なのだろうか。もう一度じっくりと検討する必要があるとわたしは思うのだ。

財政の黒字化、可能性は来年度にも

ご存じのように、日本政府は大きな赤字を抱え、財政再建の真っ最中である。そして、「2010年代初頭までにプライマリーバランス(基礎的財政収支)を黒字化する」という目標を立てている。

 プライマリーバランスというのは、国の収入(歳入)と支出(歳出)の釣り合いを表した数字だ。この数字には、国債の発行や元利払いなどは含まれない。要するに、純粋な財政収支を示すものだ。この収支がちょうど釣り合っていれば、借金の対GDP比は増えも減りもしない。一般家庭に例えれば、借金の返済は進まないものの、毎月の収入によって生活はできるという状態である。

 現在、プレイマリーバランスは赤字であるが、財政再建によってこれを2010年代初頭までに黒字にしようというわけだ。

 黒字化する年度について、政府は当初2012年度を想定していたが、ここにきて税収が好調になったために、いつのまにか2011年度に繰り上げている。それを見ただけでも、ずいぶんいいかげんな計画であると分かるだろう。

 では、本当にプライマリーバランスの黒字が達成できるのか。具体的な数字を検証していくことにしよう。

 今年度当初予算のプライマリーバランスの赤字は11兆2000億円であった。ところが、冒頭に述べたように、税収が4兆円増える見込みなので、現時点での赤字見込みは7兆2000億円に圧縮されることになる。

 税収が増えることで、本来ならば自動的に地方交付税が増加するということになるはずだが、政府は地方交付税を抑え込もうとしていることは、すでにご承知の通りである。もし、全額を抑え込むことになれば、いま示したように7兆2000億円にまで圧縮できるのである。

 確かに、この赤字額は小さな数字ではないかもしれない。しかし、2004年度から2005年度にかけて、決算ベースで見たプライマリーバランスは、6兆4000億円改善したという実績がある。加えて、昨年度決算では1兆5000億円の予算の使い残しも発生している。こうした状況を考慮に入れれば、7兆2000億円などという額は、1年で解消できる金額に近いといってよい。

 現に、12月20日に内示された政府予算の財務省原案では、来年度における税収は53兆4670億円となり、税収増は7兆6000億円を予測している。

 そう、このまま景気回復が続き、不要な支出を抑えることができれば、実は破綻状態と言われた日本の財政は、早ければ来年度にも黒字化する可能性があるのだ。

日本の財政はけっして破綻していない

ところが、日本の財政が来年度にも黒字化するという事実を、経済に携わる者を含めて誰一人として指摘しようとしない。誰もが、日本の財政は破綻状態と信じて疑わないのである。これは、実に奇妙なことではないか。

 けっして、わたしは好き勝手な妄想を口走っているわけではない。予算書に書いてある数字を見て、論理的に述べているだけなのだ。

 確かに、こういう反論もあるだろう。「プライマリーバランスが、ちょっとくらい黒字になっても、多額の借金はどうにもならないのではないか」。

 しかし、それは目先の借金の額にとらわれているに過ぎない。それを説明するために、まずプライマリーバランスがプラスマイナスゼロになったと仮定して話を進めてみよう。

 確かに、プライマリーバランスが釣り合えば、政府は新しく借金をする必要がない。一方で、借金の返済もできないので、過去の借金は残っている。その借金には金利が付くので、その分だけ借金の残高は増えていくわけだ。もし、金利が2%だとすれば、借金は年に2%ずつ増えていくことになる。

 それでは、借金は雪だるま式に増えていくように見えるが、そうではない。同時に、経済が成長していけばいいのだ。金利が2%ついても、名目経済成長率が2%以上伸びていれば、GDP全体に占める借金の比率は下がっていく。つまり、借金の比重が軽くなっていくわけだ。

 同じ100万円の借金であっても、年収300万円の人と年収1億円の人とでは、その比重は違っている。たとえ借金の返済が進まなくても、年収が増えていけば、借金の苦しさは低減するというわけだ。もちろん、年収を増やしていけば借金の返済も楽になる。

 それと同様に、現在の経済成長を維持していけば、あとはプライマリーバランスを黒字化することで、借金返済も楽にできるのだ。

企業減税・個人増税にただ黙って従うサラリーマン

先ほども述べたように、プライマリーバランスは2007年度にも黒字化できる。これは、政府目標である2011年度よりも4年も早いわけだ。

 それならば、何も焦って消費税率をアップすることなど必要ないではないか。「安定的な歳入が必要だ」などと言う人たちがいるが、それならば法人税減税をやめればいい。

 ただでさえ、来年度は定率減税の廃止によって、さらに税収が1兆円伸びることになっている。もうこれ以上、一般国民に対する増税は必要ないではないか。少なくとも、財政再建を目的とした消費税率アップは、もはや必要がなくなっている。そんなことは、財政をやっている人ならば誰でも分かっているだろう。

 では、それなのになぜ消費税率を上げようという話が消えないのか。それは、減価償却の拡充や法人税率の引き下げといった法人減税を行うための財源として必要だからではないか。

 だが、いま救うべきなのは、空前の利益を上げている法人ではなくて、年収200万円程度で暮らさざるをえない庶民ではないのか。

 わたしは、なにも安っぽい正義感だけで、庶民のためになることをしろと言っているのではない。いくら景気が上向いたといっても、国民の所得を伸ばして消費を拡大しなければそれは続かないのだ。たとえ企業の投資が伸びて生産力が上向いても、庶民がモノを買うことができなければ、やがて景気は失速してしまうだろう。それをわたしは恐れているのだ。

 だが、わたしがいくら数字を挙げて、「消費税など引き上げなくてもいい」と論理的に説明しても、なかなかそれを理解してもらえないのが残念だ。それどころか、やれ財政が分かっていないだの、経済オンチだのとヒステリックな反応ばかりが返ってくる。揚げ句の果てには、非国民呼ばわりされる始末だ。マスコミにしても、借金の額ばかりを示して不安をあおっているばかりである。

 だが、もう少し冷静になって数字をチェックしようではないか。そうすれば、現在の日本の財政状態の本当の姿が見えてくるだろう。そして、一般の国民も、政治家やマスコミに言われるがままに信用するのではなく、さまざまな意見を聞いて判断するようにしてほしいのだ。

 わたしにとって、何よりもミステリーなのは、誰が見ても明らかな企業減税・個人増税という流れに対して、サラリーマンがただ黙って従っていることなのである。


(私のコメント)
株式日記では景気の回復で財政再建ができると主張してきましたが、小泉・竹中内閣では増税と歳出カットで財政再建をしようとした。これでは経済が収縮してしまうのでますます税収が落ちてきてしまって、国債発行高は増える一方だった。

そこで小泉・竹中内閣は2003年の「りそな銀行」救済の頃から銀行潰しを止めて、株価を上げて景気を回復させる政策転換を行なった。株価が上がった事で銀行の不良債権は優良債権に転化して銀行は空前の利益を上げるようになった。


第10回「失われた5年−小泉政権・負の総決算(4)」 6月25日 植草一秀

小泉政権が5月17日のりそな銀行処理に際して「破綻処理」ではなく、「救済」を選択した背景とし2つの推論が成り立つ。ひとつは、「破綻処理」選択が小泉政権崩壊を意味したことだ。日本経済が金融恐慌に突入したなら、政権は持ちこたえるはずがない。引責総辞職は必至である。いまひとつの推論は、小泉政権がどこからかの指揮、指導を受けて、当初より暴落後の銀行救済を目論んでいたとの見方である。

 おそらくこの両者のいずれもが真実であると思われる。小泉政権は2003年前半に米国政府と頻繁に連絡を取り合っている。米国の指揮、指導を受けて、大銀行の破綻危機が演出され、最後の最後で銀行救済がシナリオどおりに実施されたのだと考える。

 2003年5月17日以降の株価猛反発でもっとも大きな利益を獲得したのは外資系ファンドであったと伝えられている。政府が「銀行破綻処理」でなく「銀行救済」の措置をとることがはっきりしていれば、株価が猛烈に反発することはまず間違いのないことと事前に予測することが可能になる。この政府方針を事前に入手し、株式投資を実行したのなら、これは明白に「インサイダー取引」となる。

 外資系ファンド、国会議員、政権関係者がインサイダー取引を実行した疑いは濃厚に存在するのである。私はこの問題について、テレビ番組などで再三、調査を要請した。証券取引等監視委員会はこのような局面でこそ、本格的に行動すべきである。だが、調査に動いた形跡はまったく存在しない。「村上ファンド」を摘発するなら、その前に2003年の「インサイダー疑惑」を徹底調査すべきであるし、今回の問題でも「政界ルート」に踏み込むことが不可欠である。


(私のコメント)
2003年5月の株式日記を見ると当時の状況がよくわかりますが、テレビをつければ構造改革と銀行の不良債権処理のオンパレードだった。もしあのまま竹中大臣の銀行潰し政策を続けていれば経済パニックは避けられなかった。ところが「りそな銀行」救済によって政策の大転換が行なわれたのだ。ところが植草一秀氏の記事に寄れば、その情報は外資系ファンドに漏れていたらしい。

何はともあれこのときを起点に株価は上昇軌道をたどり、3年後の現在の企業業績の回復にともなう結果をもたらしている。ならば最初から銀行の不良債権を30兆円程度買い取っていればもっと早く日本の景気は回復していたはずだ。最初から竹中大臣と外資系ファンドとが仕組んだ構造改革政策だったのだ。


マクロ経済がわからないと構造不況が解決できない。「ミクロの総和がマクロではない」と理解するべきだ。 2003年5月27日 株式日記

不良債権処理も、同様である。個々の銀行は、自社の利益をめざして、不良債権処理を進める。しかし、国中の銀行がそういう行動を取れば、不況がどんどん深刻化する。いくら不良債権を処理しても、さらに次々と不良債権が発生していくので、不良債権は減るどころか増えていく。「ミクロの総和がマクロではない」と理解することが大事だ。 (この意味で、「自由放任にすれば経済は最適になる」というのは、とんでもない妄想である。

日本のマスコミと学界は、政府の御用学者と提灯持ちによって占められている。だから何時までたっても解決策が見つからないのだ。構造改革が必要なのはマスコミと経済学界だ。東大の伊藤元重教授も「マクロ経済学」と言う学生向けの教科書を書いている。どうやら伊藤教授が日本のマクロ経済学の権威らしい。

しかし伊藤教授が言うごとくペイオフを実施していたら、今ごろ日本はどうなっていただろうか。「りそな」に取り付け騒ぎが起きていただろう。日本のマクロ経済学の権威ですらこの程度なのだ。リチャード・クー氏はペイオフ解禁を「基地外沙汰だ」と指摘していた。植草一秀氏もペイオフ解禁には反対していた。日本でまともなマクロ経済学者はこの二人しかいない。


(私のコメント)
いまや伊藤元重教授は時の人ですが、いまも昔も御用学者の一人に過ぎない。リチャード・クー氏は日本人ではないから無理ですが、植草一秀氏は国策捜査によっていまは留置場に居る。これは竹中一派と外資系ファンドによる陰謀なのだ。森永氏にも悪の手が伸びなければいいのだが、財務省官僚は目障りな学者を陥れて増税路線まっしぐらだ。




秋山真之は「敗くるも目的を達することあり勝つも目的を達せ
ざることあり真正のの勝利は目的の達不達に存す」と記した。


2006年12月25日 月曜日

「いまだからこそ学ぶべき日本軍の教訓」 12月24日 海洋戦略研究

日下公人『いまだからこそ学ぶべき日本軍の教訓』PHP研究所、2005年、1.200円は、日本人が組織を作り、主体的に行動するときに参考となる教訓が隠されているのを出そうというものである。

 建制−組織を建てる制度を西欧から学び独自に発展させたが、状況に応じてマニュアル(教範等)を変えていく柔軟性が欠如し、官僚主義に陥っていたことを厳しく批判している。
 この点は、組織論、現在のマニュアルの扱い方に通じる重要な論点である。

 マニュアルでしか教育を普及していくことができないが、マニュアルを墨守するのではなく、マニュアルの精神を現実の状況に応じて使いこなしていくことが重要である。ところがこれは、責任をとることが嫌な人には耐えられないことである。マニュアルどおりで何で責任を取らなければならないのかといわけである。

 すべての状況をマニュアルに記載することは不可能であり、状況は千差万別であるためすべてを網羅したマニュアルを作ることはできない。どうしても標準タイプのマニュアルとならざるを得ない。だからこそ状況に応じてマニュアルを変えていく柔軟性が必要となる。ところが状況に応じて変えていけば、失敗する場合もある。失敗すれば責任を追及されることになる。

それが嫌だから失敗してもマニュアルを守った形にしておけば責任を取らされることはない。その方がいいやということになる人もいる。そういう人はリーダー(指揮官、上司等)にならなければいいのだが、年功序列、賃金、職制といった人事上の問題もあるため不適な人もリーダーとしての配置に付く場合もある。その場合、責任の重さに耐えかねる人が出るのも事実である。また、最初からそういう配置に付かない人もいるが、それもそれで人事上の不満からいろいろな問題を起こす場合もある。

 自ら積極的に責任を以て主体的に行動する人を育てていくかが組織の問題である。

 次に大きな問題として日本軍は、戦争を計画立案するという考えが薄いことを指摘している。

 日本軍の欠点は戦争を戦争全体の中に位置づけて考える癖を身に付けることができなかった。戦闘の勝敗しか見なかった。戦闘を戦争全体の中に位置づけ、戦闘と戦闘を結びつけ、それを政治、経済と結びつけて、戦争全体の中で戦略的に戦争を考えることができなかった。戦後においても、戦争と政治、経済を分けて考え、二項対立でしか考えられない人を産み出し続けている。


 日本軍の失敗は、日本人の組織論(人事制度を含む。)の失敗であり、何も特別な人々の物語ではなく、現在の我々の組織論と密接に関連している。だから日本軍の失敗の教訓を他山の石として利用活用する考えがなければ、同じ失敗を繰り返すことになる。

 本書は、日本人の組織論を考える上で興味深い本である。が、余りに読みやすく書かれているため、重要な点を読み飛ばしてしまうかも…。お勧めします。


ハワイ攻撃 12月8日 海洋戦略研究

本日昭和16年(1941年)12月8日(ハワイ現地時間7日)日本海軍機動部隊艦載機はハワイ真珠湾基地を攻撃し、米艦艇航空機を撃破して大東亜戦争の火ぶたを切った。

 奇襲そのものは成功したが、大きな問題を残した。

 秋山真之は「天剣漫録」で「敗くるも目的を達することあり勝つも目的を達せざることあり真正のの勝利は目的の達不達に存す」と記した。

 また、コーベットが『海洋戦略のいくつかの原則』で「奇襲成功の機会は、リスクを正当化するほど大きいことは滅多にない」し、「評価できる効果は何もなかった」(高橋弘道編著『コーベット』芙蓉書房、2006年、210〜211頁)と述べている。

 山本五十六連合艦隊司令長官のハワイ作戦の目的は、開戦劈頭敵主力艦隊を猛爆撃破して米国民の士気を阻喪させることにあった。

 問題は奇襲攻撃に徹底性を欠けば、残存した敵艦隊を撃滅するまで次々に連続攻撃を掛けなければならないということにあった。

 ところが作戦計画には山本長官の意図が反映されていなかった。

 山本長官の意図は、軍令部は敵艦隊の減殺、連合艦隊は敵艦隊の撃破、機動部隊は敵艦隊の致命的打撃と解釈された。つまり、敵艦隊への一撃であって、徹底的な撃滅とはならなかった。

 12月8日南雲機動部隊艦載機は、ハワイ真珠湾基地を攻撃し米艦艇戦艦8隻駆逐艦2隻、航空機等を撃破した。しかし、米空母3隻を撃ち漏らした。作戦計画に徹底的な撃滅と書かれていない以上、もともと作戦に反対であった南雲長官が、敵空母を索敵してまで撃滅することなく、あるいは施設・燃料タンク等を徹底的に破壊することなく、奇襲成功に満足して一撃離脱で帰ったのも当然であった。

 山本連合艦隊司令長官と軍令部、連合艦隊司令部内、第1航空艦隊司令部相互間の意思の疎通を欠き、摩擦、対立、亀裂を招いた。

 山本長官の指揮統率に問題があった。その結果、山本長官の意図は達せられなかった。要するに、奇襲は成功したが、米国民の士気を阻喪させることができなかった。それどころか米国民の士気を高めることになって、失敗した。秋山氏やコーベット氏が指摘した点においてハワイ奇襲攻撃は失敗した。

 山本長官は、ハワイ作戦が自らの意図に反して米国の戦意を挫くどころか、逆に燃え立たせ、米国の戦争意思の強さを知り、連続攻勢で勝ち続ける以外に策はなくなり、そこで米空母を誘出撃滅するミッドウェー作戦を考え、複雑な第二段作戦計画を立案した。ところが作戦計画は、明確にミッドウェー、アリユーシャン効力を命じていた。ミッドウェー作戦は、暗号を解読して待ち伏せしていた米機動部隊に日本機動部隊が空母4隻を撃沈され、完敗した。

 日本海軍の作戦は、指揮官・参謀・部隊間の意思疎通の欠落が、作戦計画立案に当たって作戦思想の分裂、作戦目的の複雑性、目標系列の不明確性、情勢判断の甘さとなって現れ、作戦実施においては、主観的な思い込み、予断、希望的観測、敵の過小評価と自己の過大評価が加わり、索敵、攻撃目標の分配、戦果確認、報告要領に適切さを欠き、作戦の失敗を招いた。

 作戦思想を統一する熱意に欠け、状況の変化に対応して組織を立て直す能力が遅く、更に情報を組織が共有し、速やかに協力して対応する姿勢が見られなかったことに問題があった。残念なことである。

 まして民主主義を擁護し、英国の苦境を救うため米国は何としても欧州の戦いに参戦しなければならなかった。戦争を嫌う大多数の米国民の迷妄を覚ますためには、まさに格好な時機にドイツとの同盟に踏み切った日本を体系的に挑発して「最初の一発」を撃たせ「卑劣な不意討ち」を演出して米国を裏口から大戦に導く対日開戦促進あやし外交にまんまと填められた。(中西輝政「日本の覚悟を問う」『正論』2000年10月70〜80頁)

 戦艦8隻の戦果よりも罠に嵌った方が大失敗であった。


 また、英国の対ソ敵の敵政策に基づいた「偽りの同盟」(対ソ援助を約束するが、ソ連の敗北を見越して援助しなかった。これに対するソ連の対英不信は強まった。)に基づく英ソ関係の悪化を救ったのも日本の参戦に伴う大同盟の成立であった。(秋野豊『偽りの同盟−チャーチルとスターリンの間−』勁草書房、1998年8頁)

 そしてその前、スターリンは、日本画アジアで冒険できるよう日本の後背を安全にするため唯一の利益を日本に与えた。1941年4月13日日ソ不可侵条約を締結した。おそらくスターリンは、日本の後背を安全にして日本が米国と戦えるようにすることのためにドイツがソ連と戦争をする必要がないことをほのめかした。又、ヒトラーも、ドイツのソ連攻撃により、日本が公然と米国に挑戦できるようにすると部下の将軍達に説明していた。(ヘンリー・A・キッシンジャー『外交(上巻)』岡崎久彦監訳、日本経済新聞社、1996年、495〜496頁)

 米英ソ独等の国は、それぞれをの思惑から日本の対米戦争突入を期待し、それぞれ仕掛け講じていた。日本の行動は、まさに期待どおりであった。読みどおりであった。完全に罠に嵌った。

 米国とは異なる意味での「リメンバー・パールハーバー」である。
 罠に嵌ったのである。日本の読み不足であった。反省して肝に銘じなければならない。残念である。
 罠に填らないよう、読みを深くしなければならない。


(私のコメント)
株式日記では大東亜戦争の目的がアジアの植民地解放と人種差別撤廃にあるのならば、大東亜戦争はその目的を達成したのだから勝ったと言えるのではないかと書いてきました。その点ではナチスドイツとは戦争の目的が異なり大東亜戦争は「聖戦」と言えると思いますが、そのように主張する政治家も歴史家も少ない。

大東亜戦争の二次的な目的としては、肥大化した軍部を粛清する為と、朝鮮半島や満州や台湾などの放棄にあると思うのですが、もし天皇を中心とする権力中枢がそのように考えていたとするならば成功したといえる。

515事件や226事件などによる軍部の横暴は手の付けられないものとなり、政府による軍縮は不可能になってしまった。そのためには陸海軍のやりたいようにやらせて勝ち続ければそれでもいいし、もし負けたならば徹底的な軍部の解体を企んでいたのではないかと思う。敗戦によってその目的は達せられた。

もう一つの目的としては海外の植民地の放棄ですが、当時から植民地への投資負担が大きく本土の経済を圧迫した。このような考え方は大正時代からあり、石橋湛山の小日本主義の主張でもあった。


「戦う石橋湛山」 半藤一利 著より

まず経済・貿易上の観点から、数字をもって朝鮮・台湾・関東州が日本の経済的自立のための重要な供給地とはなっていない事実をあげる。「この三地を合わせて、昨年、我が国はわずかに九億余円の商売をしたに過ぎない。

同年、米国に対しては輸出入合計十四億三千八百万円、インドに対しては五億八千七百万円、また英国に対してさえ三億三千万円の商売をした」。すなわち経済・貿易を重視するならば、三植民地より後者三国のほうが欠くべからぎる国であり、よっぼど重要な存在ということになる。

 しかも、中国およびシベリアにたいする干渉政策が、経済上からみてどんなに不利益をもたらしているかを知るべきである。つまり中国およびロシア国民のうちに日本にたいする反感をいっそう高め、経済的発展の障害となっている。この反感は、日本が干渉政策をやめないかぎり、なくならない。

それゆえに、結局のところ、朝鮮・台湾・樺太を領有し、関東州を租借し、支那・シベリアに干渉することが、我が経済的自立に欠くべからぎる要件だなどいう説が、全くとるに足らざるは、以上に述べたごとくである。

我が国に対する、これらの土地の経済的関係は、量において、質において、むしろ米国や、英国に対する経済関係以下である。これらの土地を抑えて置くために、えらい利益を得ておるごとく考うるは、事実を明白に見ぬために起こった幻想に過ぎない。


(中略)

昭和十年代の対米英戦争への道は、そして結果としての旧植民地各国の独立による戦後世界の成立は、まさしく湛山が予言するとおりになったのである。しかし、当時の多くの日本人は、この湛山の訴えを空想として無視した。ばかりではなく、よりますます大日本帝国主義者となっていった。そして大戦争の揚句にもたらされたものは、惨憺たる経済的破壊をともなった国家敗亡であり、連合軍による他動的な植民地放棄であったのである。戦後日本は、なぜか堪山のいうとおりにして復興し、繁栄をとげたような気がする。



(私のコメント)
このように大東亜戦争に負ける事により、大規模な軍縮と小日本主義が実現したからこそ、戦後の高度経済成長が実現されたといえる。また日本が朝鮮、満州、台湾を放棄する事により、欧米の帝国主義の諸国も放棄せざるを得ない流れを作った。

もし大日本帝国が大東亜戦争に踏み切らずにいたら軍縮も植民地放棄も実現せず、中国からシベリアにかけての共産主義との戦いで国力を消耗していた事だろう。戦後は日本の代わりにアメリカが朝鮮戦争やベトナム戦争を闘うことになりましたが、アメリカに共産主義との戦いを押し付ける事に成功したのだ。

おそらく天皇を中心とする権力中枢に石橋湛山の「小日本主義」の支持者がいたのかもしれない。それを実現するには明治維新並みの革命が必要ですが、軍部を暴発させて大東亜戦争に負ける事で「昭和維新」に成功したのかもしれない。

国内で革命を起こすには住民蜂起などの多大なエネルギーを必要とするが、戦争に敗北するには軍部を暴発させるだけで済む。そして軍部に責任を取らせて解体して再編成すれば軍縮は簡単に出来る。植民地の放棄もフランスなどのように多大な出血をともなった帝国もあり、敗戦で放棄する方が簡単だった。

だから秋山真之は「天剣漫録」で「敗くるも目的を達することあり勝つも目的を達せざることあり真正のの勝利は目的の達不達に存す」と記したように、戦争に勝利したかどうかは、目的を達成したかどうかで判断するならば、大東亜戦争の目的は達成されたと言える。

このような陰謀が実際にあったかどうかは不明だが、東京裁判でなぜ天皇が裁かれず、帝国海軍軍人で処刑されたA級戦犯がいないかを考えれば、アメリカと戦争してわざと負けたという陰謀は否定できない。国内的な昭和維新は不可能だが、当時の状況からしてアメリカと戦争して負けることのほうが実現可能だった。




クリント・イーストウッド監督 「硫黄島からの手紙」
アメリカ人監督によって描かれたこの映画は画期的だ。


2006年12月24日 日曜日

「硫黄島からの手紙」 12月9日 超映画批評

そんなイーストウッドの意識するところは、『父親たちの星条旗』とペアで見ることによって、はっきりと見えてくる。できればこの二本は、両方とも見てほしいというのが私の希望だ。

日米の視点を、日米双方の観客が見る。それは4つの視点を生み、それぞれ受ける感想が異なる。私たち日本人だけでも二つ、その"感想"の違いが何かを考えることが、この二部作を味わうために私がオススメするやり方だ。

なぜならばこの二部作は、ストーリーこそ違えどまったく同じ事を描き、同じ事を感じるように作られているから。それなのに、視点が違うと感じ方が異なるのはなぜでしょう、というわけだ。

それにしても、イーストウッド監督のこの冷静な視点、当事者の一方でありながら、余計な感傷に浸る事無くあの戦争を描ききった態度には恐れ入る。彼はここ数年の日本映画が(北東アジア三国に遠慮して)どうしても言えなかった"あの一言"さえも、いとも簡単に言わせてしまう。

見るものに主題について考えさせるタイプの、すこぶる出来のよい戦争映画として、私は強くこの映画をオススメしたい。なお、ここまでの文中触れる機会が無かったが、本作の語り部的存在である西郷役の二宮和也の演技は、みな絶賛のようだ。私としては、他の主要キャストの重厚な演技の中、唯一現代っ子が混じっているような印象を持ちはしたが、特に悪いという事でも無い。ハリウッド4作目にして主演の渡辺謙をはじめ、みな素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。


日本、如何にする 17 軍人と武将(侍)の違い 12月10日 公平と言うこと

昨今、クリント イーストウッドの硫黄島を題材にした2部作が話題になっている。その中で、 硫黄島守備隊の司令官 栗林中将を取り上げて彼が如何に日本を想い 家族を思っていたか、そして その彼の思いが、徹底抗戦と言う選択を肯定的に描かれている。そして現在の日本人はその姿に本物の侍 を映している様に思うのだが、現実には彼をして侍ではない。

第二次世界大戦の将軍達のなかで侍であった人物など殆ど存在していないと言う事実が、あれらの悲劇を 演出したのだと言うのが真実である。

軍人と武将の違いは、如実にその行動を見れば明らかである。それでは何故、軍人と武士は根本的に違う のか? それは新渡戸による「武士道」を規範にした武士像を明治以降の軍人は模倣したからである。 「武士道」に描かれた侍の姿は、海外特に当時の列強国に対する、日本人紹介と言う目的で書かれたいわ ば広報的な文章である為に、英文にして理解しやすい、或いは西欧思想から理解できる程度にデフォルメ された武士像を新渡戸は描いている。このデフォルメされた武士の姿を、明治以降の軍人達は、模倣する 事で武士たらんとした結果が、栗林を代表に、帝国軍人の歩む道を誤らせたと言えるのである。

それでは「武士道」に描かれた侍と、現実に日本の歴史上千年に渡って権力機構に存在した侍と何処が違 うのであろうか?

完結に述べるのであれば、民に対する思いが全く違っている。世界が大航海時代を迎えて以降、日本は 徳川幕府により鎖国した。それ以前は、逆に航海術の未発達により極東の島国であった我が国は、海外か らその領土を侵されると言う危機感を左程持つ必要が無かった為に、鎖国同然の状態であった。

この為に本来、大変に貧しい我が国に於いて、国家政策の失敗は地獄的な飢饉となって現れる。飢饉によ る民の減少は、そのままそこを領土とする武士にとって衰退を意味し、その結果自らの滅亡を覚悟する 必用に迫られる事になる。海外からの援助や物資の輸送は到底望めないのが鎖国であるからだ。つまり全 ての政は、須らく内政の一時に収斂する。

鎌倉期に作り上げられた武士像は、室町期に熟成され、戦国時代に完成される、江戸時代は、その武士を 思想として完成させた時期と言える。 忠義と言う意識もまた江戸時代に思想化された武士像の一部と言えるのだが、明治以降は、この朱子学か らなる、忠義(義)をデフォルメして武士=軍人そして民と言う序列が作られた。しかし現実には、 江戸期までの武士は、この「義」より「仁」が中心的な思想であったと言う事が大きな違いとして 明治以降間違った思想を国民に植え付けて行く事になる。

自分より上位にいる者に対する「義」より、現実には下の物に対する「仁」が開国前の我が国には必要不 可欠であったのである。それは先に述べた様に、民の減少は自らの疲弊を生み結果として衰退を意味した からである。つまり国力が常に内側だけを見ざるを得なかった時代に於いて、その経済力や生産力は、常 に一定であり、急激な増加は絶対に見込めないと言う現実に常に直面している。その為に「知足」をその 信条に据えなければ、自らの滅亡を意味する事になるからである。

江戸時代までの武士が先の大戦に於いて、軍人であったら、あれほどの悲劇は生んでいないと考えられる 。当時の軍人特にエリート達は、その欲望の先が常に外(海外)に向いていた為に、国内生産が不足すれ ば、その不足分を海外から埋めると言う方法論を常に模索し続けている。つまり我が国の必要量を調整す るのではなく、必要量を想定したら不足分は、海外からの物資で補うと言う事を是とした。これが 「富国強兵」政策の中心である。

更に、士農工商と言う身分制度の崩壊が、誰でも能力ある者は、権力を 得られると言う為に、エリート意識が高揚する時代でもあり、この事が物欲と同様に権力欲として、エリ ート達の意識を作り上げて行く事になる。エリートの保身、詭弁はこれが原因している。

しかし江戸期までの武士の場合、良きにつけ、悪しきにつけ、徹底した世襲であり、木村拓也主演の 「武士の一分」でも判る様に。「分」が重んじられた為に、俗に言う出世欲や権力欲は、殆どの侍には あり得ない意識であったと言える。時代劇に於ける出世欲の塊の様な、武家は殆ど現実にはあり得ないの である。例えば、老中職は将軍に代わって政を司る言わば権力の中心にある高位であるのだが、現実には 老中に指名される事は、名誉と同時にその義務の拡大から辞退する者が多かったと言う事実を見ると必ず しも権力を得たいと言う欲望に駆られる武家の姿は、事実ではないと理解できるのである。

直参旗本にしろ無役より役職を得たいと言う意識はあったのだが、それは権力欲と言うより、戦国期とは 違って所領(収入)が増える事の無い時代に於いて、最低限の収入確保の手段としての役職であるからだ 。

それでは、もし江戸期までの武士が先の大戦を戦ったとしたら、具体的にどうなったかを想像してみよう と思う。「たら れば」で歴史を語る事はナンセンスだが、この比較によって、如何に戦前の軍人が侍で はなかったかと言う事を簡単に理解できると考えるのでお許しいただきたい。

ミッドウェイから比較してみる。元々、戦艦屋として航空部隊の指揮をした事が舞い南雲にその機動部隊 を与えた事が、最大の敗因と言えるが、それでも、もし彼が本物の侍であったら、第一波の敵航空部隊か らの攻撃で、二隻の空母を失った。この時点で一端「撤退」を考えねばならないのが本来武将としての彼 の役割であるのだが、彼は、先制を喫されているにも拘らず、戦う事に拘泥して、そのままその場に居座 ってしまう。これは彼の意識の中に、自らの「保身」がそうさせたと言える。

引き際の潔さが侍の本質で あるのだが、彼は、逆に汚名を挽回する事を選んでしまう。もし彼が武士であったら、まず上空哨戒を徹 底して、敵哨戒機を排除する事を専念して、すぐさまその海域からの離脱を図る事を一義としたはずであ る。当時の空母の速力は25ノット程度(時速37キロ)これで三時間離脱すれば、概ね百キロ以上、そ の海域から離脱可能である。

当時の艦上機は、五百キロ程度の航続距離であるから、百キロ離れると攻撃が難しくなる。この為に 敵航空部隊は、空母引き連れて、追いかける必用が出てくる為に、追撃に無理が生じる。つまり 撤退を恥とする思想に南雲は拘泥した事が悲劇を生んでいると言える。

この時空母「蒼龍」の山口多門提督が武士として南雲と比較されて英雄化しているが、これも優秀な軍人 であるかも知れないが、武士ではない。 「赤城」「加賀」と言う主力空母が撃沈されている状況で、戦 うを選択した時点で、やはり「徹底抗戦」と言う思想から抜け出せていないからである。 負けるを前提に戦うを否定する事が、武士としてのモラルであるからだ。

また絶対国防圏と言う意味なき設定は、負ける度に縮小され、如何にいい加減な根拠で設定されたかが 判ろうと言うものである。 この絶対国防圏により、アッツ島、サイパンの玉砕が始まる事になる。 参謀本部が立案した、この「絶対国防圏」は、それが破られた時、国土の破滅を意味するのであるから、 その時点で参謀本部として終戦を模索する必要があるのだが、彼らはそうせず、その縮小を延々と続ける のである。

5日で占領できるはずであった硫黄島が30日以上抵抗して玉砕、一万人以上の日本兵が死んでいった。 もし徹底抗戦せず、白旗を揚げていたらどうなったであろうか、硫黄島に作られた米軍の航空基地により 日本は、その爆撃の射程に入り、日々の空爆でその敗戦は、早くなったとでも言うのか。現実には、サイ パンが玉砕したと同時に、ほぼ日本の全域は、その射程に入っており、連日の空爆は続いていたのである 。 

つまり現実には、彼らが意図した絶対国防圏は、既に意味が無くなっていたのだが、参謀本部の根拠 なき命令を忠実に果たして行く。 それでは、徹底せずに降参していたら、どうなったか、一万人以上の日本軍兵士を捕虜とする米軍は、そ の人員を艦艇で後方に送致するか、或いは硫黄島に施設を作る必要が出てくる。これに伴う作業は、膨大 な枷となって米軍の前進を遅らせる可能性があった。本来、玉砕の方が米軍の進行を助ける結果となって いるのだ。

負けるを嫌い、その為に全滅を選ぶ、残されたのは累々たる死体の山であり、その始末だけを考えれば済 む為に、米軍には、さした負担とならない。サイパンに於いても、南方戦線でも同様で、もし勝てないと 作戦上判った時点で、撤退できないのであれば、降伏を考えて交渉すれば、米国軍は、その捕虜政策に膨 大なエネルギーを費やさねばならず。その為に逆に戦争を終結するを先に考えざるを得ない結果であった かも知れないのだ。

「正義の戦い」として太平洋を攻めあがって来る米軍は、捕虜虐待や虐殺を実行できない、軍人エリート 達は、国民を啓蒙した「鬼畜米英」ではなく、現実の米国人を留学などで知っていたはずであり、そうす れば、玉砕より降伏の方が遥かに米国に対して膨大なエネルギーの消費を促すという事実を理解できたは ずである。つまり玉砕と言うのは利敵行為に他ならない。

作戦立案に天才的と言われた、石原莞爾は戦後、殆ど戦争の事は語らなかったが、サイパン島玉砕にあた り、近くにいた者にこう語っている。

「私が、南雲であるなら、敵が上陸する前に、部隊を二つに分ける、一つはその人員の9割からなる降伏 する部隊ともう一つは、降伏せずに徹底抗戦する一割の精鋭部隊である。敵が島を囲んだ時つまり撤退で きなくなった時点で、司令官として敵に対して降伏を申し出る。武装解除して粛々と敵上陸を待つ、敵は 、その捕虜を収容する必要とそれに伴う物資の調達が必要になり、かなりの物資を吐き出さざるを得ない 。この上陸の前に、自分達の基地や物資は廃棄、破壊しておくからだ。

上陸して彼らは、当然、滑走路や 基地を設置する事になるが、その一部は捕虜である日本兵が請け負う事になる。ここで隠れていた精鋭部 隊が、米軍を攻撃するのではなく、捕虜になった日本兵を攻撃する。こうなると米兵が日本兵を守る必用 があり、その建設は遅々として進まない。地下に潜った精鋭部隊は、十名くらいの小隊ごとに分かれて その攻撃を執拗に続ける。これで米国は、中々、作戦を実行に移せない。」 つまり玉砕は、利敵行為であると断じている。

武将は、戦の勝敗が決した時点で、自らの配下を生き残らせる事を考えて、命を敵に差し出すのである。 それを帝國陸海軍は全く逆を行っている。まず兵を全滅させて、その負け戦の責任を取るために腹を切る のでは意味が無いのである。 彼らがもし武将であるなら、負け戦が理解できた時、直ぐに敵に和を請い 、自らの命を差し出す事で兵、民を助けたはずである。

この様に、武士と軍人は全く違う存在であり、その為に明治以降の武士像は歪に変形されたものであった と言えるのである。

最後の陸軍大臣である阿南が「一死を以って大罪を謝す」と言ったのは、国民に対して謝すと述べたので はなく、天皇に対してである。この事実をもっても如何に当時の軍人達が国民の方を見ていなかったが理 解できよう。


(私のコメント)
先日はクリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」を見てきましたが、平日にもかかわらず満員の観客でした。ハリウッドの戦争映画と言うとどうしてもアメリカのプロパガンダが多少なりとも含まれてしまうのですが、虫けらのように扱われてきた日本兵を人間として描いている事は画期的だ。

すでに戦争が終わって60年以上も経つのだから、大東亜戦争を歴史的観点から見られるようになってきたのでしょうか。映画界でも歴史的事件や戦争も時代によって見方が違ってきますが、戦争当事者の見方と後世の人が見る見方とでは当然解釈が違ってきます。

この映画でもアメリカ兵が日本人捕虜を殺すシーンが出てきますが、以前のアメリカ映画では考えられなかった事だ。リンドバーク日記でも日本人捕虜の殺害の事がかかれています。


米軍の残虐行為:リンドバーグの衝撃証言

*各地の太平洋戦線で日本人捕虜の数が欧州戦線に比し異常に少ないのは捕虜にしたければいくらでも捕虜に出来るが、米兵が捕虜を取りたがらないから。手を上げて投降してきても皆殺しにするから。


*あるところでは2000人ほど捕虜にしたが本部に引きたてられたのはたった100か200だった。残りのの連中にはちょっとした出来事があった。それを知った戦友は投降したがらないだろう。



(私のコメント)
東京裁判では日本軍だけが一方的に裁かれましたが、アメリカ軍は捕虜をとりたがらないから降伏しても殺される事が多かったのだろう。歴史的に見れば日本とアメリカとでどちらが悪かったのかは意見が分かれるのは当然ですが、最近では靖国史観も見直されるようになってきたことは時代が変わってきたことを物語っている。

先日は百人斬り裁判の判決がありましたが、日本軍が中国人捕虜を殺害した事も事実でしょうが、現在のイラク戦争でもアメリカ軍はイラク人をテロリストとして住民を殺害しているようだ。去年四月のファルージャの戦闘でもアメリカ軍狙撃兵が住民を無差別に殺している。このように捕虜殺害はどの戦争でもあるのであり、人道的な軍隊などありはしないのだ。

大東亜戦争は60年前に終わりましたが、歴史的評価をめぐる言論戦では負けるわけには行かないから、株式日記では大東亜戦争はアジアの開放と人種差別の撤廃の戦争であったと主張している。もちろんアメリカ側から見ればこのような見方は否定されるだろう。このような論争は歴史学会でも日米で行なわれるべきなのでしょうが、政治的に論争を避けている。

一般大衆的には映画を見れば大東亜戦争の受けとめ方も時代を反映しているといえるのですが、アメリカ人監督によって描かれた「硫黄島からの手紙」は時代を反映しているといえるのだろう。中国では南京大虐殺の映画が作られるようですがどのように評価されるだろうか? ネットが普及した情報化社会で時代考証がデタラメなプロパガンダ映画を作っても世界に恥を晒すだけだ。

「公平と言うこと」のブログでは軍人と侍の違いについて論じていますが、株式日記では武士道については葉隠れ武士道と徳川武士道があることを書いた。おそらく昭和の軍人達は徳川武士道を引き継いだのだろう。


葉隠武士道と徳川武士道は仏教と儒教の哲学の違い 2003年12月12日 株式日記

戦国のサムライは主君を何人も代わる事が当たり前だった。戦に負けるたびに主君に詫びて許しを請う。負けた主君は敵に捉えられ首を打たれるわけですが、戦国のサムライは許してくれた主君の「情」に対して「追い腹」するわけです。だから徳川時代の忠臣蔵に見られるような刑罰といしての「切腹」とは意味合いが異なります。



(私のコメント)
葉隠れ武士道から言えば戦に負ければ主君の首を差し出すことで配下の者たちを救ったのですが、昭和の軍人達は多くの兵士を死なせて無駄死にさせてしまった。戦国の武士道が生きていれば戦況が不利となれば躊躇うことなく撤退するのが武士道なのですが、昭和の軍人達は戦略的な撤退を知らなかった。

最近でも自衛隊が「イラク撤退」と言う言葉を嫌って「イラク撤収」と言い換えましたが、意味が同じであるにもかかわらず「撤退」と言う言葉を嫌う。「ガダルカナル撤退」のトラウマがあるからですが、補給が出来なければ戦には負けるわけだから撤退するのは当然なのですが、昭和の軍人は侍ではなく官僚だったのだ。

昭和の軍人が官僚ならば、部下をいくら死なせても責任は取らずに平気だし、出世欲が強くて中国にも戦線を広げてしまった。大東亜戦争はいわば負ける事を前提とした戦争であり、侍ならば負ける事を前提とした戦いはしない。昭和の時代はすでに武士道は廃れてしまっていたから大東亜戦争が起きたのだろう。




ブッシュ大統領の『戦争によって米国経済を再び活況にする』
という戦略で米国経済をあっと言う間に救った形になりました。


2006年12月23日 土曜日

2003年の長期展望について【森田レポート】 12月21日 ケンミレ株式情報

◇2003年の長期展望について


私は1997年9月に第一回の長期展望を書き、2003年にもう少し詳しく書いてほしいと言われて、長期展望の第二弾を書きました。


レポートの骨子としては、(1)21世紀に欧米の株式市場が本格的な調整に入り、日本市場が20年程度続く長期上昇相場に入るということ、(2)日経平均は10万円くらいまで上昇するということ、(3)日経平均が10万円になるためには為替相場が1ドル=50円くらいまで上昇するということ、(4)日本の経済システムが欧米の新しい生産性向上の経営に移行することで、勝ち組会社と負け組会社、勝ち組の人と負け組の人がはっきりと分かれるということだったと思います。

しかし、現実にはNYダウは史上最高値を更新し、欧州の株式市場もNYダウの上昇の影響で再び史上最高値に挑戦する動きとなっています。
日本の株式市場は日経平均で見ますと、2003年の7603円を底にして上昇を開始、昨日は17050円を突破し、欧州市場と同じように2000年につけた高値更新の動きが始まっています。

つまり日本の株式市場の動きは予想どおり上昇を開始しましたが、欧米の株式市場が強い展開となっている点は予想とは逆の動きになっており、更に米国株式市場がしっかりとなっていることで為替も1ドル=118円台と円安で推移しています。
経済システムについては、欧米の生産性向上のための経営方針が日本に入ってきたことで、弱者と強者がはっきりと分かれる展開になっていますので、これは正解と言えます。

◇どうして米国の株式市場は下落に転じなかったのか


本来、2001年に米国の株式市場は歴史的大転換になる予定でした。
しかし、同時に9.11同時多発テロが起こり、当時のグリーンスパン議長が『大胆な利下げ』を行ったことで米国経済は回復しました。

9.11事件が起こらなければ、人間の心理として、あれほど大胆な利下げ政策は取れなかったと思われますので、経済的には米国はツイていたと言うことになります。

もう一つ、米国では『人間ならば』という前提に反した政策が取られました。
クリントン大統領の情報通信政策によって米国経済は飛躍的に成長しましたが、クリントン大統領の次代を引きついだブッシュ大統領の時代は『経済は出がらし』になっていました。
当時、ルービン財務長官はクリントン大統領が退任した時に一緒に辞めたのに対し、グリーンスパンFRB議長は留任したことで、『ルービン財務長官は成功裏に退任して花道を飾り、グリーンスパン議長はタイミングを見誤った』と言われました。

それほどブッシュ大統領の時代の米国経済は厳しい状況にあり、ほとんどの人が『ブッシュ大統領の時代で米国経済は後退する』と予測していました。私も同じ考え方を取っていました。

当時、9月11日のレポートで『ブッシュ大統領はアラブを追い込んでいるので、どこかでアラブが反撃に転じる』というようなレポートを書き、翌日の朝に同時多発テロが起こったことで、周りの人から『凄いタイミンクで書きましたね。』と言われたことを覚えています。

米国はユダヤ人が動かしていることから、ブッシュ大統領は『ユダヤ人のためにイスラエルを支援しているのだ』と思っていました。
しかし、これは日本人的な考え方でした。米国のエグゼクティブな人達の思考回路は『日本人には理解できない』ものでした。
米国の景気を良くするためにブッシュ大統領が世界中で戦争を仕掛けるとは、当時ほとんどの人は予測出来なかったのではないかと思います。
特に甘ちゃんの日本人には想像を絶する考え方だったと思います。


このブッシュ大統領の『戦争によって米国経済を再び活況にする』という戦略、つまり同時多発テロやアフガニスタン、イラク、北朝鮮、イランと、次々に発生した紛争の火種と戦争の実行をする、という方法によって、本来は21世紀に本格調整となるはずであった米国経済をあっと言う間に救った形になりました。
もちろん、グリーンスパン議長の金融政策も見事であり、ほかにも我々には見えない政策が取られたことも強く影響していると思われます。

◇今後の米国の株式市場展望


今年中間選挙が行われ、再来年の2008年に再び大統領選挙が行われます。

中間選挙で民主党に破れたブッシュ大統領の共和党は、2008年の大統領選挙を優位に行うために2008年までの政策を継続して行うと思われますので、常識的に考えれば、2008年11月の大統領選挙までは『米国の株式市場は大丈夫』かもしれません。
もちろん、株式市場は将来の経済の姿を示すものですから、大統領選挙の前から米国経済の落ち込みを先取りして下落に転じる可能性もあります。

しかしながら、以上のことから考えますと、常識的には『日本の株式市場も2008年半ばまでは強気に対応しても良い』ということになります。
上手い展開になれば2007年と2008年の2年間は中期調整を交えながらも上昇し続ける可能性があるということになります。


世界の市場と日本の市場の違いは何?【森田レポート】 12月4日 ケンミレ株式情報

2003年からの株式市場の上昇率を見ますと、
1 ドイツのDAX指数の196%
2 香港のハンセン指数の132%
3 日本の日経平均の131%
4 中国の上海総合の111%
5 英国のFT100指数の93%
6 米国のNYダウの72%

の順番になっています。

つまり、日本の株式市場はドイツについで、史上最高値を更新したハンセン指数とほぼ同じで、二番目に高い上昇率を記録していることになります。

◇結論(ドイツや中国と日本の違いは何か?)


日本の株式市場は元気がないと言われています。確かに2006年の日本の株式市場は1年中下がっている印象があります。
では、香港やドイツと日本の違いは何かといいますと、それは2006年6月に起こった下落相場の後の動きの違いです、他の株式市場は6月を安値にして再び上昇を開始しましたが、日本の株式市場だけはその後の上昇で4月の高値を更新できなかった事です。

もう一つは米国が引っ張った世界の株式市場の上昇であったことで、小型株や新興市場株が世界の株式市場の流れから置いてきぼりになってしまった事です。
米国の中小型株市場であるラッセル2000指数は、NYダウに比べて出遅れていますように、世界の株式市場は一番手銘柄や巨大産業が注目された市場だったことになります。

◇中小型株市場は駄目なのか?


今月、大阪でセミナーを行った時に思ったことでしたが、以前に大阪に行った時に比べて、大阪に活気が戻っていました。
タクシーの運転手の方に聞いても、『景気は良くなっている』と言っていました。

つまり、日本の景気回復は『当初は一番手産業から始まった』のですが、2006年になって、ようやく裾野が広がってきたということになります。
ということは、来年の株式市場は出遅れている中型・小型株銘柄も買われる可能性が出てきたということになるのではないかと思います。


今回のセミナーでは、今年は下がったところの国際優良株と新興市場株が狙い目になると言いましたが、来年以降はもう一度『多くの銘柄が上昇する』相場展開になる可能性が出てくるのではないかと思っています。
いずれにしましても、投資戦略はこれまでと変わる必要はないのではないかと思います。

レポート担当 森田謙一


(私のコメント)
アメリカのイラク侵攻は多くの識者によって泥沼化することが懸念されていましたが、ブッシュ政権がイラク侵攻に踏み切った目的としては、第一に経済対策がまず第一だったのだろう。ニューヨークダウのチャート的に言っても2000年前後に大天井を打ち株が暴落する事は株式日記でも予想してきました。

ところが9・11テロで一週間の休場明けの後、大きく売り叩かれると思った株式は逆にじりじりと上げ始めた。その時点でイラク戦争は計画されていたからだろう。ケンミレ株式情報に指摘しているようにニューヨーク市場も2003年から72%も上げている。

アメリカ政府も日本のバブル崩壊を研究して、株を暴落させてはならないと大胆な景気対策を打った。日本は公共事業で景気対策を打ったが、アメリカでは戦争が一番の景気対策であり公共事業なのだ。日本のように限界以上に暴落させてしまうとどんな手を打っても景気は回復しませんが、早めに手を打てばバブル崩壊を防げた事はニューヨーク市場が証明している。

イラク戦争は泥沼化してアメリカの敗北と言ってもいい状況なのですが、株式市場は堅調なのはイラク戦争が遠い場所の戦争だからだろう。しかし為替市場で見ればドルは売られてユーロが買われるようになりドルは下がり続けている。ドルが安くなればドルをかき集める為に金利は上げざるを得ませんが、日本の三重野総裁のようなバブル潰しの様な引き上げかたはしない。

アメリカは明らかに株も不動産も過熱状態なのですが、バブルを潰せという声は出ていない。日本のように消費税や地価税や総量規制のようなことまでやってバブル潰しをしましたが、その結果、金融までおかしくなりゼロ金利を何年も続けても景気はおかしくなったままだ。

久米宏のようなテレビキャスターが、三重野日銀総裁に「政治家から電話が来たら電話のジャックを引き抜け」というような事までテレビで言っていた。このようなマスコミの煽りでバブルを潰せという大合唱が日本では起きていた。その結果、株も不動産も安くなったが、銀行は潰れて長期のデフレ不況が続いている。


真説・土地バブル 2003年7月1日 山田 毅

バブル潰し

バブル崩壊は実にあっけなかった。NHKは1987年9〜11月に6回にわたり「世界のなかの日本 土地は誰のものか」を放送し、サラリーマンが一生働いても買えない高地価の不条理を訴えた。放送がはじまるや電話が洪水のように押し寄せた。電話の数はNHKテレビ始まって以来のことだった。電話の内容は「この企画に共鳴する」というものだった。誰もが異常だ、けしからんと叫び始めた。盛り上がった世論により政治が動き、土地バブルを終焉させた総量規制、さらに地価税の導入とバブル潰しの一連の政策が取られた。世論によってバブル退治に動員された日銀の三重野総裁は「平成の鬼平」ともてはやされた。
急激な金融引き締め、大蔵省の総量規制、懲罰的税制、さらに、当時の国土庁により地価監視区域制度も実施され、公示価格と乖離した高値取引を規制した。これらによりバブルは弾けた。日本人のDNAにすりこまれた地価神話が音をたてて崩れた。しかし全力疾走の短距離ランナーの前に突然、巨大な隕石を落下させたようなこれら一連の政策は、後に大きな禍根を日本経済に残すことになる。



(私のコメント)
日本でも15年も続いたデフレ不況も、銀行経営の立ち直りによって明るさの兆しが見えてきましたが、バブル潰しをしなければアメリカのように好景気は続ける事は出来たはずなのだ。要するに日本のバブル潰しはアメリカの日本叩きの一環として行なわれたのだろう。

アメリカのITバブルとそれに続く現在までの不動産ブームは私の予想を超えるものですが、EUなどの不動産ブームも日本の不動産バブルの値上がりを彷彿とさせるものだ。自分の持つ不動産が上がればそれを担保にして更に買い物をするから消費も落ちない。

日本でも不動産担保金融がバブルの頃は盛んでしたが、政府のバブルつぶし政策のおかげで個人も大きな痛手を負った。山田毅氏の記事の中のNHKによる「土地は誰のものか」という六回に及ぶ大キャンペーンは効果が絶大でしたが、果たして日本にとって正しかったのだろうか?

日本では株や不動産で儲けた人が出てくると直ぐに、「けしからん税金で取り立てろ」と言うような嫉妬の声で満ち溢れる。その結果政府はバブル潰しに動かざるを得なくなり税制を変えてまでバブルを潰した。最近になってNHKは「ワーキングプア」の大特集を二度にわたって放送したが、その原因を作ったのもNHKの「土地は誰のものか」というバブルつぶし大キャンペーンにあったのだ。

日本のような社会主義国家では株や不動産が値上がりすると国民は大騒ぎするが、アメリカのような資本主義国家では国民は大喜びする。だから景気対策のためならば戦争だって厭わないのかもしれない。アメリカの1930年代の大不況は結局は戦争によって克服できたが、その記憶がアメリカ人にはあるのだ。

日本ではアメリカのような戦争と言う公共事業が出来ないから政府の打つ手は限られる。今までのような道路や橋を作る公共事業は景気波及効果が少なくなってきましたが、技術開発のような少ない予算で効果の上がる公共事業をすべきなのだ。しかし何かとアメリカ政府が日本の経済政策に口出しするから日本政府は何も出来ず、アメリカの景気を支える事ばかりやらされている。




ソニー元上席常務天外司朗「成果主義がソニーを破壊した」
今、進んでいる市場原理主義の道は「堕落した国」への転落


2006年12月22日 金曜日

天外司朗「成果主義がソニーを破壊した」文芸春秋新年特別号 12月13日 知的漫遊紀行

A氏:文芸春秋新年特別号に「成果主義がソニーを破壊した」という記事があった。
 書いているのは、ソニー元上席常務であるということだから、生々しい記事だね。
 ソニーは今年で創業60周年を迎えるというが、かっての創業者井深氏の「仕事の報酬は仕事」という考えが消え、煤にまみれた会社になってしまったという。

私:その原因が1995年頃から始まった成果主義としているね。
 外部のコンサルタントの指導で行われたんだね。
 成果主義は、正社員の人件費の削減が最終目標だね。
 技術者の内側から自然にこみあげてくる衝動から生まれる技術者の「燃える集団」が消えた。
 おカネが欲しい、出世したい、名誉が欲しいという外部の報酬を求める心に変わってしまった。

A氏:個々の査定だけでなく、事業部全体の評価で報酬を決める。
 だから、事業部間の溝は拡大し、お互いの連携がなくなった。

私:実はアメリカでは成果主義に対して、内的な向上動機を重視した「フロー理論」というのがあり、その中心人物であるチクセントミハイ教授の講演を筆者は2004年に聞いている。
 その理論の内容は井深氏と同じもので、井深氏の考えを取り上げていたという。
 ソニーが活力を失ったのは成果主義のためだ。
 ところが、筆者は皮肉なことに成果主義の本場アメリカでは、ソニーをお手本に、成果主義を否定する「フロー理論」が語られているということに大きな衝撃を受ける。

A氏:筆者は井深氏のマネジメント・スタイルを「長老型マネジメント」と名づけた。
 「長老」とは「徳がある人」だという。
 そしてダメ上司を次の6つに分けている。

・マイクロ・マネジメント型:細かいことまで介入する。
・馬頭観音型:ことあるごとに部下を罵倒、叱責する。
・ヒラメ型:常に上を向いている。
・逃げまくり型:保身に走り、責任を取らせられないことだけ考える。
・放任型:何もしない。
・改革かぶれ型:自分を改革のヒーローと位置づけ、自己流にあらゆることを変える。

 筆者はこの最後の「改革かぶれ型」は数が少ないが組織に甚大な被害をもたらすという。
 このダメ上司が導入した無責任な合理主義経営が社員を痛めつけ、うつ病などメンタルな問題を抱えた社員が増加していると筆者は言う。
 昨日の日記の「国家の堕落」で藤原氏は、アメリカのような人口あたりの精神カウンセラーが日本の60倍という世界が待っているというが、まさにその道を進んでいるんだね。 
 「企業の堕落」だね。
 「唯金論」に侵された日本だね。
 なお、天外氏は「マネジメント革新」という本を出しているね。

私:2年ほど前に富士通の人事部の人が書いた「内側から見た富士通『成果主義』の崩壊」(光文社刊)があるね。
 俺たちの時代には、まだ成果主義が一般的でなかったので、成果主義がピンとこなかったが、この本は具体的に書いてあったのでわかりやすかったね。
 例えば、著者本人は、人事部でルーチンワークをやっていたので、確固たる「目標」はない。
しかし、「目標シート」を書かなければならない。
 そこで「退職に関する稟議が上がってきたら3日以内に処理する」「退職金の計算を間違えない」など、まるで小学生のような目標を「目標シート」に記入し、上司の了解を得たという。
 俺はこの例で成果主義の問題点がピンと来たね。
 些事は大事だね。
 著者が出席したある部の評価会議では、部長の前に、約千枚の「目標シート」が積まれ、その山を見た部長は、評価が嫌になり、個別に見なかったという。

A氏:俺もこの本を読んだよ。
 この本の著者はその無理な「成果主義」の推進の根底には、それを推進した人事部やコンサルタントの「机上理論」にあることを指摘して、次のように述べている。

 「『机上理論』の特徴は、それを振り回す人間に、生身の人間に対する洞察力が欠落している点にある。新しい『評価システム』をつくり、そのマニュアルを従業員に配布しさえすれば、あとは従業員がそれにしたがって完璧に作動するはずだという思い込みである。
 人間は部品ではない。
 だから、理論やマニュアル通りには動かない。
 そんなことは誰にもわかっているはずなのに、彼らにはわからない」

 この人事部やコンサルタントは、上記の天外氏のダメ上司の最後の「改革かぶれ型」の典型例だね。

私:今月号(12月号)「ウェッジ」では「ビジネススクールの流儀はもはや人を幸せにできない」という原丈人氏(デフタ・パートナーズ事業会社グループ会長、米共和党ビジネス・アドバイサリー・カウンセル評議会名誉共同議長)の記事がある。
 ストックオプション、成果主義など、アメリカのビジネススクール流の考えだね。
 原氏は「会社の仕事を通じて生きがいをつくり、その結果として個人も金銭的な冨や社会的な充実感を得る。
 その実現のために会社がある。
 米国は株価を上げる経営者であればなんでもよいという時代になっている」という。
 中長期のことを考える経営者はクビ。
 短期の勝負だ。
 その結果、営利とは異なる目的を持つ大学や中高等学校を株式会社化しようという完全な間違った発想まで生まれるという。
 完全な市場原理イデオロギーだね。

 このようなアメリカの手段と目的の取り違えは人々を不幸にすると筆者は指摘している。
 そして日本をそのような国にしてはならないと強調している。

A氏:「国家の堕落」の藤原氏流に言えば「金儲けのために堕落した企業」、そしてその上に立つ「堕落した国」にしてはならないということだね。

私:今週のTVタックルで市場原理主義のアナリストが「企業が利益を出せば、従業員も潤う」から一体だといっているが、リストラの場合、する者とされる者は一体ではないね。
 そこにリストラする強者とリストラされる弱者がある。
 弱肉強食がある。
 その現実を知らない経済アナリストが知ったかぶりでのさばるようになったね。

A氏:しかし、今日の朝日新聞の小さい記事で、「労働ビッグバン否定意見相次ぐ」とあるね。
 自民党の「雇用・生活調査会」の初会合のニュース記事だ。
 衆参両院約40名が参加したという。
 政府の経済諮問会議が打ち出す労働市場改革「労働ビッグバン」に対して「我々とは違う意見だと表明し、宣戦布告をしていただきたい」との発言に拍手がわいたという。
 会長の川崎前厚生労働相は「希望がかなわず非正社員になった人たちを、正社員の中間層に招きいれる政策こそ必要なのに、諮問会議はひっくり返った議論をしている」と言っているね。
 君の格差街道のおかげでこういう小さな記事も気になるね。
 この調査会の今後の活躍に期待したいね。



藤原正彦氏特別寄稿「国家の堕落」文芸春秋新年特別号 12月12日 知的漫遊紀行

私:12月10日発売の文芸春秋新年特別号で、昨年ベストセラートップの「国家の品格」の著者藤原正彦氏が「国家の堕落」と題して、特別寄稿しているね。
 市場原理主義の徹底的な批判と、バブル崩壊後、それを日本に導入した小泉改革の徹底的な批判だね。

A氏:俺も読んだが、君の格差街道のおかげで、この内容が内橋氏の「悪夢のサイクル」とまったく同じように、市場原理主義によるいろいろな格差を指摘しているね。
 市場原理主義は必然的にいろいろな格差を生んできたという。

私:そして小泉内閣を支援した市場原理主義の学者、エコノミスト、財界人のグループの責任を追及しているね。
 内橋氏が「悪夢のサイクル」でシカゴボーイズとしたグループが含まれるね。
 そして経済的な格差は一過性だが、教育の格差は次世代までつながるから見逃せないという。
 安部首相の唱える教育の場に市場原理を持ち込む「教育バウチャー」制度はイギリスでは、教育格差を拡大させ、大失敗だという。

A氏:なんで安部さんは教育バウチャーに熱心なのかね?

私:経済諮問会議の民間委員の一人である御手洗キャノン会長は「労働ビッグバン」でますます労働市場の市場原理の徹底化を推進しようとしているね。

A氏:御手洗氏は君の日記にときどき登場するが、なんでもレーガン時代にアメリカにいてレーガンのいわゆる企業減税で経済を活性化した影響が大きいとしているね。
 レーガノミックスというやつだね。

私:レーガノミックスの複雑なからくりは昨日の日記の「超・格差社会 アメリカの真実」で解明しているね。
 簡単に言うと、ワーキングクラスからの徴税を増やして、投資収入で生きるトップクラスの税負担を減らすという「減税策」だったという。

 格差拡大を推進した。
 だから、レーガノミックスみたいに、御手洗氏は、企業減税に熱心だが、一方で消費税の導入、社会保障の抑制を提言しているね。

A氏:庶民には厳しい。
 富者の経済はよくなるが格差はますます拡大するという結果が予測できるね。
 そういえば、同じ文藝春秋の「新聞エンマ帖」で道路財源のことで御手洗氏が矛盾したことを言っているが、新聞の追及の詰めが甘いというようなことを指摘していたね。

私:月曜のTVタックルをみていると、野党は格差で賃金が下がっていることを強調し、与党や藤原氏が言う「市場原理主義のエコノミスト」は景気が回復した良い点をいう。

 先日、チリーのピノチェット元大統領がなくなったが、彼はチリーに市場原理主義を導入して、経済に奇跡を起こしたといわれている。
 しかし、内橋氏は正確に調べると事実は違い、そんなに経済は拡大していないし、むしろ、格差が拡大して、規制を戻し出し、ついには左派政権に変わった結果になったと解説しているね。

A氏:藤原氏も改革で良くなった点があることは認めているが、「市場原理」がイデオロギーになって、失ったほうが大きいとしている。
 特に、教育まで市場原理を適用するのは許しがたいとしているね。
 全部市場原理、全部市場原理否定の議論でなく、あるものは市場原理、教育のようなものは規制するとか、内橋氏がいうようにバランスのとれた第三の道が必要だね。
 イデオロギー化すると全部市場原理で動かそうとなる。
 そうなると、むき出しの弱肉強食の世界が展開することになるね。

私:とにかく藤原氏は、市場原理の行く先は、アメリカのような弁護士が人口あたり日本の20倍、精神カウンセラーが日本の60倍という世界が待っているという。

A氏:「美しい国」はどんどん消えそうだね。
 藤原氏は、今、進んでいる市場原理主義の道は「堕落した国」への転落だとしているね。

私:これで本当に俺の格差街道は終わりかね。

A氏:いや、まだ、あるよ。
 同じ文藝春秋に「成果主義がソニーを破壊した」があるよ。
 これは正社員も「仕事の市場原理主義」で悩んでいる姿だよ。
 市場原理主義社会では正社員も楽でないね。

明日、とりあげようよ。



(私のコメント)
文芸春秋の新年号でソニーの元常務が「成果主義がソニーを破壊した」という記事があるそうですが、ソニーも成果主義で富士通の二の舞を演じつつあるのだろうか? 欠陥電池騒動やプレイステーション3のもたつきなどもそれを象徴しているようだ。AV関係の製品にしても液晶パネルを韓国のサムスンから調達しているようではソニーは終わっているとしか言いようが無い。

天外氏は「自分を改革のヒーローと位置づけ、自己流にあらゆることを変える」タイプの経営者が「数が少ないが組織に甚大な被害をもたらす」という指摘をしている。これではソニーと日本とがダブって見えるのですが、日本も改革かぶれの総理大臣が改革!改革!と連呼して日本のシステムをいじくり回してしまった。

アメリカ流の市場原理主義を日本にそのまま取り入れようと言う政策は、ソニーと同じような結果をもたらすだろう。社員の一人ひとりが、おカネが欲しい、出世したい、名誉が欲しいという外部の報酬を求める心で仕事をすれば、社内の連携が崩れ、自分さえ良ければいいという風潮が蔓延して、欠陥電池が出ても他の部門の社員は我関せずで、中にはそれを喜ぶような社員まで出てくるようになるだろう。

出世競争の論理から言えば他人の失敗は自分の利益でもあるからだ。勝ち組負け組と言う分け方も同じであり、負け組があるからこそ勝ち組があるのであり、そのような社会では自分が勝つ事よりも他人を負けさせる事に一生懸命になる人が出てくる。そんな社会や企業が上手く行くわけが無く、アメリカの製造業は一部を除き壊滅状態だ。

小泉内閣の経済諮問会議の委員の中にも竹中氏をはじめとする市場原理主義者が構造改革と称して金融をはじめとして様々な改革をしようとしましたが、かえって経済的な歪を生じさせただけだった。企業業績の回復も労働者の正規雇用から非正規雇用に切り替えたおかげであり、それが格差社会を生み出している。

格差社会が本格化すれば日本全体がソニーのような欠陥電池を生み出すような結果を招いて、メイド・イン・ジャパンの評判は地に落ちて中国やアジアの製品と大して違わない製品が出来て、日本もコスト競走だけで勝負しなければならなくなる。現在までは日本製は高品質で売っているが、成果主義でソニーのようになればもとこもなくなる。

同じく文芸春秋の記事で藤原氏が書いた記事は、市場原理主義が及ぼす弊害について批判しているが、格差社会が長期化すれば教育の格差社会が訪れて世代をまたがるような長期的な社会問題となるだろう。

成果主義を取り入れれば勝ち組は確かに豊かになるだろう。アメリカを見てもゴールドマンサックスは新入社員でも数千万円のボーナスが出たという。しかしこのような勝ち組は一部であり、ゴールドマンサックスに在職しても数年で辞めていく人がほとんどだ。勤めても精神的に持たないからだ。

株式日記では以前に、三台のベンツが売れる社会よりも三十台のカローラが売れる社会の方が経済発展すると書いたことがあります。ところが現在の政府がやっていることは三大のベンツが売れる社会であり、都内の有料駐車場はどこもガラガラだ。

政府の経済諮問会議は市場原理主義者の巣窟であり、都心の一等地の官舎を借りて愛人と生活していた本間氏も経済諮問会議のメンバーだった。自分さえ良ければいいと言う人間の見本のような人物ですが、このような御用学者を政府に取り込んで日本経済をおかしくしている。

経済原則からいえば消費が伸びなければ景気回復は本物ではなく、長続きするはずがない。ところが経済諮問会議は更に労働賃金を引き下げて消費を低迷させるつもりらしい。賃金が上がって消費に回せる金がなければ消費が増えるはずがないのだ。


労働市場改革:正社員待遇を非正規社員水準へ 八代氏示す

経済財政諮問会議の民間メンバーの八代尚宏・国際基督教大教授は18日、内閣府の労働市場改革などに関するシンポジウムで、正社員と非正規社員の格差是正のため正社員の待遇を非正規社員の水準に合わせる方向での検討も必要との認識を示した。

 八代氏は、低成長のうえ、国際競争にさらされた企業が総人件費を抑制している中、非正規社員の待遇を正社員に合わせるだけでは、「同一労働・同一賃金」の達成は困難と指摘。正規、非正規の待遇を双方からすり寄せることが必要との考えを示した。

 また、八代氏は現在の格差問題が規制緩和の結果生じた、との見方を否定し「既得権を持っている大企業の労働者が、(下請け企業の労働者や非正規社員など)弱者をだしにしている面がかなりある」と述べた。

 八代氏は、労働市場流動化のための制度改革「労働ビッグバン」を提唱しており、近く諮問会議の労働市場改革の専門調査会の会長に就任する予定。【尾村洋介】

毎日新聞 2006年12月18日 20時31分





「テレビはなぜインターネットが嫌いなのか」 ハリウッドの連中は、
直接、映画やドラマを世界にネットで流すことを考え ている


2006年12月21日 木曜日

吉野次郎著「テレビはなぜインターネットが嫌いなのか」 12月15日 中村正三郎

ライブドア事件から、通信と放送の融合が一般人の注目を浴びているが、な ぜテレビはネットをあんなに毛嫌いするのか。  

簡単にいえば、政官業ががっちりスクラムを組んだ電波利権でぼろ儲けをし ているから、それをよそ者に取られたくないのが理由。  

週刊ダイヤモンド、週刊東洋経済のビジネス誌で、フジテレビなどの東京キ ー局が、日本全国給料の高い会社ランキングでナンバーワンになったり、ベス トテンに何局も入り、それに対して「楽して不当に儲けている」という意見が 掲載されるなど、利権でおいしい思いをしてきたことを今まで必死で隠してき たのに、それが世間に暴露されつつある。そのきっかけが、ライブドア事件だ っただろう。  

テレビが決して報道しないテレビ局のぼろ儲けの構図、それがネットで崩さ れる可能性が高まってきていることを、詳しい取材で明らかにしたのが、 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4822245543/showshotcorne-22/ref=nosim 吉野次郎著「テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか」 である。  

テレビが利権を手放すのを嫌がっても、通信業界、ネット業界、家電業界、 芸能界、下請けでこき使われてきた番組製作会社、いろんな勢力がそれを突き 崩そうと虎視眈々と狙っているさまもよくわかるし、NHKがなぜネットに出た がっているのに出られないかもわかる。  

キー局におんぶにだっこでのんきな経営をしている民放の地方局、系列の問 題も出てくる。  

そうそう、ここで、ソニーのロケフリ(ロケーションフリー)と類似技術の話 を書いてほしかった。 http://www.sony.jp/products/Consumer/locationfree/index.html ロケーションフリー  ロケフリのことは、1年以上前から書こうと思って書いてないから、ちょっ とだけ。  

こういう技術で、いまや地方で東京のテレビを観られる時代になっている。 このままでは、強いコンテンツをもたない地方局は淘汰されるし、逆に強いコ ンテンツをもっている地方局は、世界に出るチャンスが出てきた。  

おれなんか、福岡ソフトバンクホークスの試合を東京で観たいので、姉のと ころにロケフリ置いてもらうつもりで、逆にこっちにもロケフリを置いて、九 州に東京の番組を流すつもりだったが、姉のところがブロードバンドじゃない んだ、これが。\(^O^)/ それでいまは断念中。^^;  

下請けをこき使って楽して儲けてきたがために、テレビ局は、実はコンテン ツの制作能力が低くなってるのはよくいわれること。毎月、ミーティングでお 台場に行くが、フジテレビはでっかいビルを建設中で、スタジオになるらしい が、たぶん、コンテンツ制作能力を上げるという目標に沿った展開なのだろう。  最終的には、日本のテレビ局がハリウッドに勝てるかどうかだろうね。ハリ ウッドといえば、アメリカのテレビ局の凋落の話も本書にはあって、その原因 は本書を読んでください。  

ハリウッドの連中は、直接、映画やドラマを家庭にネットで流すことを考え ているし、ネットだからそれは日本からも視聴可能になるだろうし、重要市場 だと思えば、日本向けの番組をハリウッドが制作して日本向けにネットで流す ことだって考えられる。深読みすれば、渡辺謙の最近のハリウッドでの活躍は、 そういう文脈でとらえることだってできるだろう。  

NHKに関しては、受信料問題にからめなぜネットに出たがるのか詳しく書い てあり、面白いのが、民放はNHKがへたったら、困るからNHKのスキャンダルを あまり追求できないこと。NHKが質の高い番組を作っているから、自らは低俗 番組で視聴率を稼いでCM料を荒稼ぎできるからくりが出てくる。逆に民放の 番組の質が低いから、NHKに期待している視聴者が多くNHKも得という呉越同舟 の構図。こりゃ、ナッシュ均衡だな。\(^O^)/  

有料放送の話もあるが、JCOMのケーブルテレビが普及している町に住んでい るおれのような人間は、民放地上波といえどもお金を払って観ているわけで、 有料放送にはあまり抵抗がない。むしろ、いい番組は金を払ってでも観たいし、 NHKの受信料を払っているのは、かつてのNHK特集、いまのNHKスペシャルだけ でも払う価値があると思うから。  

それにしても、NHKは莫大なコストをかけて受信料の徴収をやってるんだね。 そんなに金をかけるなら、おれに頼めば、「民放ばかり観てるとバカになって、 負け組になって、将来、野垂れ死にします。その実例はこれ。といって、路上 で野垂れ死んだ男の死体の映像。成功者になりたいならNHKを観るべし。成功 した人は、例外なく、NHKを観て育ったのが、大規模な調査研究から明らかに なっています。成功者の実例はこれといって、プール付きメイド付き運転手付 きの豪邸生活の映像」などと、いくらでも捏造するのに。\(^O^)/ これで おれに10億円ね。\(^O^)/  

結局、それか、お前の狙いは。  

家電業界がテレビをネット対応にしている話もあり、そこにマイクロソフト も出てくるし、それにどう対抗しているかも出てくる。  

昔からいわれているのが、松下やソニーがテレビ局をもてばいいという話。

東京ローカルの東京MXテレビあたりを買ってパナソニーテレビになればいいの にね。\(^O^)/  松下やソニーはテレビ局に放送機器を売ってるから、三菱電機と違ってCMス キップテレビやビデオを出せないといわれたけど、一千億くらいのビジネスだ ったら捨てればいいのにね。\(^O^)/  

NHKはNHK技術研究所など水準の高い技術をもっていて別格だが、民放には技 術はないから、結局、松下やソニーから買わざるを得ないんだから交渉上の立 場は電機メーカーのほうが強いと思うんだけど。  

で、パナソニーテレビは、電波は東京近辺だけだけど、ネットで全世界配信。

対抗上、民放はマイクロソフトと手を組んで、松下とソニーをけん制と。^^;  その東京MXテレビは、いまやYuoTubeに番組を流していますよね。そっちの ほうが視聴者が増えるから。  

ま、テレビ局買収はできなくても、それに似たことを家電業界がスクラムを 組んでやっている話も本書に出てくる。  

そんなこんなのいろいろな話題をうまくまとめてあるので、通信と放送のこ れからを知りたい人は、本書は必読でしょう。本書が http://iiyu.asablo.jp/blog/2006/03/03/275717 電波利権、局所的ベストセラー? に書いたように、局所的ベストセラーに終わらず、多くの人に読まれることを 期待したいものです。  本書を読んだら、以下の参考文献もどうぞ。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106101505/showshotcorne-22/ref=nosim 池田信夫著「電波利権」(新潮新書)

http://iiyu.asablo.jp/blog/2006/05/17/369350 Re: 通信と放送の融合。テレビ局の利権構造 に、本書の吉野氏による本書の土台になったコラムへのリンクがあるので、そ れも参照のこと。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tv_to_do/060113_1st/index.html 坂本衛「民放の根幹を揺るがす、ある“深刻”な事態」 もどうぞ。トヨタが北米で一番売った車、実はテレビコマーシャルしなかった という話が出てくる。これに日本のテレビ界は震撼したという話。  トヨタのみならず、テレビからネットへコマーシャルの比重を移す大企業も 増えてきている。ペプシもそうだというのが、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4798111147/showshotcorne-22/ref=nosim Joseph Jaffe著, 織田浩一訳「テレビCM崩壊 マス広告の終焉と動き始めたマ ーケティング2.0」  アマゾンにある本の画像はオビなしだが、店頭だとオビがあり、オビには、 「なぜ、ペプシはテレビCMから撤退するのか?」とある。渋谷のブックファ ーストでは大々的に売られていたから、売れているんだろう。  雑誌サイゾーはちょくちょくテレビの問題を特集するが、最近では、
http://www.ultracyzo.com/cyzo/contents/0605/index.html 2006年5月号【第1特集】テレビがツマらなくなった10の理由 http://www.ultracyzo.com/cyzo/contents/0608/index.html 2006年8月号【第1特集】ゴーマンテレビの罪と罰 http://www.ultracyzo.com/cyzo/contents/0610/index.html 2006年10月号【第2特集】テレビのニュースは見なくていいよ! http://www.ultracyzo.com/cyzo/contents/0610/index.html 2006年11月号【第1特集】テレビが隠した7つの罪 がある。 http://www.ultracyzo.com/cyzo/contents/0611/tv7crime/index.html 2006年11月号の「テレビが隠した7つの罪」で一部が立ち読みできるが、日テ レの看板番組の1つ「24時間テレビ」。裏はやっぱすごいね。善意の世界だと 思っているととんでもない。  

おれはあれ、あの日だけ善意というのがあまりに偽善的なのが好きではない し、好きな作家である故景山民夫がエッセイや小説などでテレビ業界のあれこ れ書いていたので、クサいなと思っていたが、ビートたけしが出ないというの もなるほど。  

2006年10月号【第2特集】「テレビのニュースは見なくていいよ!」では、 ワイドショーのコメンテータについて、自ら10年間コメンテータをしたジャー ナリスト有田芳生氏が「コメンテーターを信じるな!」と吼えている。そこで は、テレビではだめなコメンテータのみが生き延びられる仕組みが出てくる。  

有田氏自身はオウム真理教の事件で名を上げて、テレビに出るようになって、 以後、日テレのザ・ワイドでレギュラーになったので、「噂の眞相」などでは、 ジャーナリスト有田は堕落したなどといろいろ批判されていたが、今年、コメ ンテータを辞めたので、鬱憤を晴らすかのようにしゃべっている。  

要は、番組、テレビ局、スポンサーに都合の悪い発言、問題発言をするコメ ンテータはすぐ消えるということ。 「本当に視聴者にとって有意義なことを語れる辺見庸さんのような骨太の人た ちは、テレビに出ようとは思いません。デーブ・スペクターなどは、本業がテ レビディレクターですから、視聴者受けするコメントがうまい。だから、重宝 される。クレームも来ず、視聴者受けもいいコメントばかりが跋扈する。そん なレベルですから、適当な知識人でも生き残っていられるのです」  

コメント芸者(芸者さんには悪いが、あえてこの表現)のレベルの低さはあき れるよね。  

3週間くらい前かな。たまたまチャンネル変えたら、TBSのサンデージャポ ンで、ファンキーな教師が関西弁でべらべらしゃべっていて、それに高橋ジョ ージが、「人が死んでいるのに、にやにやしてしゃべるな」ってこと言ってす ごんで、番組が凍りついていたが、そんなこというんだったら、いじめを扱う には、サンジャポをはじめとするワイドショーの番組のフォーマット自体が間 違っている。  

いわゆる報道のワイドー化によって、番組の劣化(逆に芸能ばかりだった朝 のワイドショーは報道に力を入れることで質が向上したともいえるが、全体と して平均すれば劣化している)が進んでいる。サンジャポもその一例でしかな い。  

ああいう作りだから、テリー伊藤やデーブ・スペクターといったコメント芸 者たちは何をやっているか。あちこちの番組をかけもちして、本質には迫らな い、毒にも薬にもならない、その場限りの使い捨てコメントを垂れ流してるだ け。それで1回何十万円かもっと多額の金をかすめとっているわけで、スポン サーをなめてるよね。  

連中、今回のいじめの件だって、テキトーなコメントを垂れ流すだけ。それ じゃ、ガード下の飲み屋で人の死を酒のつまみにしているのと変わらない。い や、電波で広く流しているだけ悪質。  

おれが遺族で、ああいう扱いをされたら、出演者からディレクターからプロ デューサーから社長から全員に賛美歌13番を聴かせてやるぞ。\(^O^)/  で、そんなデーブ・スペクターが2006年11月号の「テレビが隠した7つの罪」 では、他のコメンテータを斬っているのが、サイゾーも作りがお嗤い。いや、 デーブのコメントの内容がよければいいよ。昔のデーブはもっと鋭かったから。 でも、今回のコメントは、もうテキトーなんだよね。初期のデーブファンとし ては、デーブの激しい劣化は哀しい。  

この11月号で、タイアップコマーシャルとタイアップドラマの話が出てくる が、キムタクが主演したフジテレビの「エンジン」。F1レーサーの話なのに、 番組スポンサーのトヨタが運営する富士スピードウェイの宣伝番組だったとい う話。まともなレーシングシーンはなし。だって、他社の車が映るとスポンサ ータブーだから。\(^O^)/  

いい話ですね。^^;  TBSの「グッドラック」もANAのコマーシャル(CM)目当てだったというね。も うタイアップ、タイアップですよね。おれほとんど観てなかったから知らなか ったが、「トリビアの泉」でも最後のほうは、ネタにタイアップが増えたらし いしね。スポンサーの日清食品やコカ・コーラのトリビア。  

こういうの宣伝のやり方、視聴者、なかなか気づかないだろうから、巧妙と いうか悪質というか。  

テレビ屋もCM枠が売れなくなって、大変なんだね。  他の参考としては、 http://www.google.com/custom?domains=iiyu.asablo.jp%3Bwww.asahi-net.or. jp&q=%83e%83%8C%83r&sa=%8C%9F%8D%F5&sitesearch=iiyu.asablo.jp&client= pub-8265382438304350&forid=1&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS や http://www.google.com/custom?domains=iiyu.asablo.jp%3Bwww.asahi-net.or. jp&q=%93d%94g%97%98%8C%A0&sa=%8C%9F%8D%F5&sitesearch=iiyu.asablo.jp& client=pub-8265382438304350&forid=1&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS で探してみてください。  

あ、最後に、これ、以前書いたかもしれないが。  

案外知らない人が多いけれど、基本的なこととして、民放の商売は、番組を 作ってるんじゃなくて、CM枠を売っているんです。いかに高くCM枠を売るか。 そのために視聴率を競ってるんです。したがって、まず、絶対的に大事なのは CMを出してくれるスポンサー。視聴者のことなど、2の次、3の次。  

おれ、去年かな。フジテレビとニッポン放送の株主だったので、株主総会前 に営業報告資料が送られてきたんだけど、ものの見事に、いい番組を作るとか、 いい報道をするとか、視聴者のことなど一言もない。あるのは、このCM枠はい くらでどれくらい売れましたなど、金のことだけ。  

所詮、そういうビジネスなので、当たり前だけどね。


(私のコメント)
いまがテレビの全盛時代だと思うのですが、ネットが虎視眈々とメディアの王座を狙っている。すでにコマーシャルはネット界に移り始めており、テレビコマーシャルに費やされる費用は減り始めている。だからテレビ界はサラ金のコマーシャルやインチキ不払い保険のコマーシャルを流して顰蹙まで買っている。

テレビは創成期はすべてが自局製作だったのですが、今ではほとんどが下請けプロダクションが作った番組を流しているだけだ。だからテレビ局はピンはねするだけの業態となり、都心に豪華な自社ビルを続々と建てている。そしてテレビ局の社員は高給取りの代名詞にもなっている。

テレビ局が優れた作品を続々と放送してくれれば文句は無いのですが、最近はくだらないバラエティー番組ばかりになって、テレビよりもネットを見ている時間のほうが長くなった。テレビでくだらない番組が増えたのは中村氏が言うように視聴者よりもスポンサーを見ているからであり、安くて視聴率の稼げるバラエティー番組ばかりになってしまうのだ。

12月16日にも「テレビはインターネットをなぜ嫌いなのか」を紹介しましたが、ネットが本格化しても優れた放送作品を作り続けていればテレビ局も生き残れるのでしょうが、放送免許に胡坐をかいたコマーシャル枠の切り売りだけでは、やがては他の放送形態にとって代わられるだろう。

最近ではニュースのワイドショー化が目立つようになりましたが、コメンテーターのばかげた話が顰蹙を買っている。芸能人が時事問題を語っているのだから、お笑い芸人がニュースキャスターになってもおかしくは無いのだろう。やがてはニュース番組もバラエティー化するのではないかと思う。「たけしのTVタックル」や「太田光の私が総理になったなら」もニュースがバラエティー番組になった先駆けになるだろう。

ネットではロケーションフリーで世界中のテレビ番組が見れるようになりましたが、やがてはアメリカのテレビ局が日本向けのテレビ番組を作るような時代も来るだろう。西武ライオンズの松坂投手が100億円でボストンレッドソックスに移籍したのも、アメリカの放送業界の影がちらつく。大リーグの試合が日本で直接放送されれば大リーグ機構に直接金が入る。

サッカー選手の欧州チームへの移籍も話題ですが、これも欧州のプロリーグが直接ネットで放送される事に対する先行投資だろう。いままではテレビ局が間に入って中継されていましたが、アメリカや欧州から直接日本の家庭に放送される日がやってくる。あるいは日本の番組も世界にネット放送で世界の家庭に放送されることもあるだろう。

ハリウッドの映画などもダウンロードして見るのが普通になるだろうし、レンタルビデオ屋も必要無くなって、DVDなどもバックアップ用にしか使われなくなる。いわば情報の中抜き現象が起きて、製作者とユーザーとが直接結びつくようになる。

本などにしても小説家などの著作料は本の価格の10%程度ですが、ネット販売でなら製本料や取次ぎ販売手数料がかからないから、本の値段は十分の一にしても作家や著者は変わらない儲けが手に出来る。2000円の本でもダウンロードすれば200円でもペイできる。

テレビ放送もネットでならデジタルムービーカメラとパソコンがあれば出来るのだからテレビ局にとっては脅威だ。テレビ番組がサーバー型の放送にならないのもテレビ局の都合によるのですが、見たい番組を見たい時に見るのではコマーシャル枠が売れなくなる。今のように、だらだらと垂れ流しで放送されるものを見ているスタイルでないと商売にならない。

利権に溺れるものは久しからず、と言う諺が出来るかもしれませんが、放送局や新聞社が無くなるとは思いません。しかし現在のような殿様商売は出来なくなるだろう。ワイドショーのコメンテーターもいいかげんな事を言えばネットで叩かれるようになった。テレビや新聞にとっては商売がやりにくい世の中になりました。




ユーロ創設の動機はドル基軸への挑戦だっただけに、
日銀のユーロ比率は突出した印象で反米的に映る。


2006年12月20日 水曜日

日銀、ドル基軸に”反旗”(2006/12/18) 太田康夫

日銀が外貨政策のドル偏重を改め始めた。保有外貨に占めるユーロの比率が国際平均を上回っていることが明らかになった。日本は戦後、外貨準備の大半をドル資産で運用してきた。外貨準備運用の一翼を担う日銀がドル基軸に反旗を翻した格好で、国際的なドル離れに拍車をかける可能性がある。

「保有外貨でユーロが30%」の衝撃

 11月の終わり。日銀は2006年度上半期財務諸表等とともに、保有している外貨(預け金、債券、投資信託、金銭信託)の通貨別割合を明らかにした。9月末時点の保有外貨はおよそ5兆2000億円。その65%をドルに、30%をユーロに、5%をポンドに振り分けていた。

 これは衝撃だった。

 日銀が保有する外貨は日銀の貸借対照表の資産に計上されているが、同時に国の外貨準備の一部でもある。外貨準備の通貨別運用の比率は政治的な意味合いを帯びているのに加え、市場への影響が大きいので国家機密のひとつと考えられている。その一端が垣間見えたからだ。

 内容は市場関係者の予想を超えるものだった。国際通貨基金(IMF)は加盟国の外貨準備合計の通貨別割合を公表している。ドル65%、ユーロ25%、ポンド4%、円3%である。日銀はドル比率を国際平均まで落とす一方、ユーロを国際平均を上回る水準まで組み入れていたのだ。

 日銀のユーロ・シフトは2002年ころから始まっていたようだ。国際局が極秘裏に欧州中央銀行(ECB)と連絡を取り、ユーロの比率をあげてきた。通貨を分散することで保有外貨の通貨変動リスクを低減するのが狙いと見られ、その意味でユーロ比率30%は確信犯的な動きである。

「突出した印象」「ドル急落の引き金」の懸念も

 政治的な意味合いは大きい。

 日本は長年にわたって外貨準備の9割以上をドルで運用してきた。それによって金ドル交換停止以降も実質的にドルを基軸通貨とする国際通貨体制を支えてきた。日米安全保障条約などによって軍事面で米国に支えられる見返り的な色彩が強かった。

 外貨準備を管理する財務省もドル一辺倒の是正はしてきた。しかし、それはあくまでも軍事面も含め総合的な日米関係を踏まえての話で、ユーロの比率は10―20%にとどまっているとの見方が多い。そもそもユーロ創設の動機はドル基軸への挑戦だっただけに、日銀のユーロ比率は突出した印象で反米的に映る。

 国際金融的な意味合いも小さくない。

 この数年、アジアの通貨当局は自国通貨の対ドルでの上昇を食い止めるため、自国通貨売り・ドル買いの市場介入を繰り返してきた。その結果、日本だけでなく中国、韓国、台湾などの外貨準備が積み上がり、それが米国の赤字ファイナンスを支えてきた側面がある。

 米国債全体に占める外国人保有の比率は2001年9月末の17%程度から、2006年9月末には約25%にまで高まっている。その主因がアジアの外貨準備マネーによる米国債買いである。

 外貨準備高が世界で最も多い中国はすでにドルの比率を落とし始めている。二番目の日本が本格的にドル比率を落とし始めれば、巨額の経常赤字を出し続ける米国経済の持続可能性への疑念を増幅する恐れが強い。ドル急落の引き金になりかねないのだ。

ドル安局面での材料提供、投機的取引拡大の余地

 しかも、タイミングがよくなかった。

 円安が同時に進んでいるため日本ではあまり話題にならないが、実はドル安が急ピッチで進んでいる。米連邦準備理事会(FRB)の実質ベースのドル・インデックス(1973年3月=100)は2006年12月に93台まで低下した。これは1997年7月以来の水準である。イラク情勢の混迷、巨額の経常赤字への懸念などが背景だ。

 ここまではドルは比較的秩序ある下落の範囲にとどまり、株式相場の大きな調整は避けられた。ただ、何かのきっかけでドルに大きな下落圧力がかかれば、フリーフォールにつながるとの懸念はくすぶっている。そんななかに日銀がドル安材料を提供した。

 市場との攻防は見ものだ。

 日銀のユーロ・シフトは外貨準備の一部の動きではあるものの、普通、国際市場では中央銀行がその通貨別比率を明かせば国の外貨準備全体の動きと理解される。

 あるヘッジファンドの関係者は外貨準備全体のユーロ比率が30%なら、それを折り込みにかからねばならないという。日銀が一部だけ手がけていると主張すれば、ほかはどうなっているのかに関してさまざまな思惑が乱れ飛ぶ。それを材料にした投機的な取引の余地が大きくなる。

 日銀がユーロ比率を30%にしているという情報は、ヘッジファンドなどのあいだでじわじわ広がっているという。為替大乱の前兆にならなければいいが。



ドルの覇権も中東から崩壊するかも 12月20日  田中 宇

今後、事態がイランとの戦争に向かった場合、サウジを筆頭とする親米アラブ諸国の政権は、生き残りのために親米から「非米」の方向に転換すると予測されるが、すでにその動きが始まっているふしもある。アメリカのグリーンスパン前連銀総裁は先日、アラブ産油国(OPEC)がドルを売ってユーロや円を買う動きをしているので、これからドルは下落するだろうと述べた。(関連記事

 これまで、アラブ産油国の石油収入は「オイルダラー」としてアメリカの金融市場に還流していたが、それが先細るということである。ドルはすでにあちこちの国の中央銀行から、備蓄通貨として持っておくのは危険だと思われている。中国や日本といった東アジア諸国はドル離れしたがらないが、アラブ産油国は一足先にドル離れを検討しており、湾岸諸国は今後数年かけて自国通貨の対ドルペッグを外すことを検討している。アメリカの通貨覇権の失墜は今後、アラブ産油国のドル売りによって顕在化するかもしれない。関連記事

 アメリカの世界支配は、中東を皮切りに崩壊していきそうな感じが、しだいに強まっている。アメリカの覇権の崩壊は、日本にとっても国家的な死活問題である。このところ私の記事には中東情勢が多いが、この問題はいずれ日本の国体や日本人の生活に影響を与えることになるかもしれないという点で、私には大変気になっている。



(私のコメント)
株式日記では前から外貨の資産運用をドルからある程度ユーロに切り替えるように書いて来ましたが、日銀が保有している外貨の比率でユーロが30%となっている事を発表した。これがすなわち日本の外貨準備高にも波及していくのだろうか?

米国大統領ニクソンによる1971年8月15日の金ドル兌換停止でドルは兌換紙幣から普通の紙幣になったのですが、石油本位制になる事で世界の基軸通貨体制を維持する事が出来た。しかしイラクのサダムフセインはユーロで石油を売り始めたからアメリカは怒ってイラクに侵攻した。

しかしイラク戦争は裏目に出て実質上のアメリカの敗戦に終わりそうだ。それはアメリカの国力の限界を示すものであり、アメリカの没落の始まりとなるだろう。経済的には1971年8月15日のニクソンショックでアメリカの没落は始まっているのですが、軍事的にもベトナム戦争の敗北とイラク戦争の敗北で決定的になるだろう。

つまりアメリカ軍は爆弾を落とすまでは無敵の強さを誇るのですが、地上の掃討戦となると限界を露呈するのだ。だからアメリカと戦うにはアメリカ軍を国内に引きずり込んで戦えば負ける事はないことをベトナム戦争やイラク戦争は証明した。もし日本もアメリカ軍を国内で迎え撃てば勝てたのかもしれない。

もちろんアメリカ軍が原爆を容赦なく使えば勝てるのだろうが、現在では核拡散でアメリカ本土にも核ミサイルが飛んでくる時代となっては核は使えなくなっている。核兵器が軍事力で国際問題を解決する時代を終わりを告げたわけです。

だから北朝鮮のような国に対してもアメリカは手も足も出せずにいるのは、イラク戦争の泥沼化で極東からアメリカ軍が出払っているからだ。このような状況を見れば反米的な国々が暴れだして、親米的なサウジアラビアですらドルから湾岸諸国の共通通貨でしか石油を売らなくなるような状況になりつつある。つまりアメリカはドルで石油を買えなくなる。

アメリカ国内の油田は枯渇しつつあり、アメリカのガソリン価格は高騰して、車社会のアメリカはパニック状態だ。アメリカの国力と国内石油生産量とは比例している。ソ連の崩壊も石油生産の頭打ちから起きたことであり、ソ連が滅んだという事はアメリカもいずれは滅びるという事を予感させる。

もしドルで石油が買えなくなるとしたら世界はどのようになるだろうか? ドルは限りなく紙切れに近くなり、アメリカ国内は大インフレになり世界はデフレになるだろう。日本も商品をアメリカに輸出できなくなり輸出企業は大打撃を受ける。

このようになればアメリカは世界の警察官としての役割を降りざるを得ないだろう。アメリカが誇る原子力空母も潜水艦も港に繋がれっぱなしとなり、解体費用を日本が負担するといった事も考えられる。ではアメリカが没落した後はどこが西側社会を支えるのだろうか?

おそらく100年後ぐらいに世界の歴史家は、アメリカの爆発的な発展と没落は何だったのだろうか?と考えるようになるだろう。兄弟国家であるソ連が72年で滅んだのだからアメリカもいずれそうなる事は想像できる。現在のところアメリカは経済的にも軍事的にも歴史に例を見ない強大国家ですが、ドルの没落が国の将来を予言している。

日銀が保有外貨の30%もユーロで持っているというニュースは驚きだ。おそらく民間の外貨保有も多くがこのような比率になって行くだろう。日本政府だけがドルで外貨準備をする事は出来なくなるだろう。米国債もドル建てからユーロ建てや円建てで買われるようになるだろう。そうなるとアメリカはドルの垂れ流しは出来なくなる。

アメリカの日用品はほとんどが日本や中国やアジア諸国で作られたものばかりですが、アメリカはそれを輸入していたらパンクする事になる。アメリカは二桁から三桁のインフレが襲って中南米のような倒産国家となるだろう。そのとき日本はどうすべきかはまた改めて考えてみたい。




一般投資家が買えば株価を下げ、売れば上げるで、証券会社
の自己売買を禁止しない限り健全な相場になることはない


2006年12月19日 火曜日

株の裏

このブログは元々、私自身の実体験を元にして、株というのは最もタチの悪いイカサマ博打で、全てが証券会社による操作!基本は、一般投資家が買えば株価を下げ、売れば上げるで、証券会社の自己売買を禁止しない限り健全な相場になることはない
といったことを目的に書いていたのですが、そのうち単に証券自己のみならず、政治家や、さらにはアメリカをはじめとして今や世界中を支配しているユダヤ系の巨大資本が大きく絡んでるということに気付きました。!!

さらには株なんぞという小さなことにとどまらず、国内の政治や、世界中のできごとのほとんどが、彼らが仕組んでやってることというもっと重要なことがわかってきた為、マスコミ等で報道されることのないこういった真実をより多くの人たちに知ってもらいたいと思い、最近はもっぱらそっちの方の記事を中心に書いていってます。
テレビ・新聞等一般マスコミの報道というのは、すべて政治家自身や、アメリカにとって都合の悪いようなことをひた隠しにし、都合のいいように事実を捏造したり、真実を捻じ曲げて報道しているのが現実です。
ここに書くことの多くはネット等で調べた他所からの貼り付けですが、そんなものでコピー元の記事にしても、内部告発とか、明らかになってるごく僅かな証拠・証言等からの推測による部分が多く、必ずしも百%正しいとは限りません。ただ、少なくとも私自身は、調べた結果自分ではこれが真実あるいはそれに近いものと思ってることを書いていますが、こういうことにはじめて触れる方は、「そういう考え方もある」程度に読んでもらった方がいいかもしれません。なお、私は議論は好きではないので、私の考えに否定的な人は来ないでください。
(たまに記事修正・削除することあるんでお気に入り登録はトップページでしてね)
株関係の記事は主にはじめの方(5月〜6月前半および8月ぐらい)に一番大事な部分を書いています。
             byゴーヤン

◆2006年5月30日 (火)

かまぼこ

通常、我々一般投資家の注文は、寄付・大引以外は時間優先の先着順です。

でも、場中よく観察していると必ずしもそうでないことに気づくことがあります。

私が証券会社の店頭に毎日通ってた頃の実体験を一つ書きますが、値段等の数値はおおよその架空です。

東証で一日の出来高がせいぜい数千株といったほとんど商いのない或る銘柄が、朝200円で寄り付いたとします。

そして202円で千株だけ売り注文が出ていて、その後30分ほど見ていても売りも買いも新たな注文が入ってきません。

そこで担当係員に千株成り行き買いの注文を出しました。

店頭のクイックを見ていると間もなく202円で千株できたので、当然約定したものと思ってましたが、すぐに特買の気配が出てるのです。

念のため、担当に確認したところ「私の注文はできてない。

一足違いで誰かが買って、今の買い気配が私の注文だ」との事。

慌てて注文を取り消しました。

そしてクイックを見ているとすぐに205円の売り注文が千株だけ出てきて、その後しばらく様子をみていても、やはり他に注文が入ってきません。

改めて千株成り行き注文を出しました。

すると、さきほどと同じく205で出来た後買い気配になっているのです。

担当に聞くとやはり約定してないとのことで、再度注文を取り消しました。

出来高の多い銘柄ならともかく超閑散としたこんな状況で、しかも二回も続けてたまたま・・

というようなことは絶対あるはずもなく、

これは明らかに私の注文をみて、それに割り込んで自分でその売り板を払ってから

私の注文を通したということに他なりません。

そしてそういった芸当ができるのは証券会社以外考えられません。

つまり、私の成り行き注文をみて、まずその売り板を自分で買って、その後私の買い気配が少し上がったところでその株を売れば差額が丸々儲けになるとということです。

(もちろん最初に出てた売り指し値というのも、ディーラー自身がエサに出してるもののハズ)

後日、私の友人で元ディーラーをやっていた人間と飲みに行った際、そのことを話すと、「なぜそんなことを知ってるのか!

これはそこらの支店長クラスの人間でも知らないことなのに・・」

と驚いていました。そしてさらに少し説明もしてくれました。

我々個人が注文を出すと、すぐに取引所に通ると思ってるだろうけど、それは間違いで、皆は知らないだろうけど「かまぼこ(サヤトリ)」というのが間にいて、そいつが、証券会社に「こういう注文がきてるけどどうしましょう?」と伺いをたてるんだそうです。

そしてディーラーが「ちょっと待たせておけ」と言ったら、そのまま何分でもほっといたりするらしいです。

そういえば、過去にも数え切れないくらいそういう場面があったけど、これで納得できました。

更新値幅の範囲内で株数が引き合う本来すぐに値がつかないといけない状況の時でも、5分どころか1時間過ぎてもいっこうに寄らず、また気配を切り上げていくこともない・・

◆2006年6月 3日 (土)

株価操作

株価操作しやすい株はとくに出来高の少ない株です。高値をつけているにもかかわらず出来高の少ない株は、売りから入るにしろ買いから入るにしろ、参加した人間がターゲットにされて損をするようなハメになりますからなるべく参加しない方がいいでしょう。出来高が少なければ天井のケースも天井でなくなる場合もあるのです。

はっきり言って、千株単位の株で一日の出来高が十万株未満なら大手証券が意図的に株価を上げ下げすることは容易なことだと思います。時々、証券会社が、見せ玉をしたとかで、なんらかの処分をされていましたが、そんなことは日常茶飯事的に行われている筈です。ただばれるかばれないかの問題だと思います。

出来高十万株といっても大多数がディラーの自己売買で、一般顧客の売買は半分にも満たなく、そのディラーの自己売買に振り回されて、顧客の多くは結局は損をするハメに追い込まれるのです。 (コピー)

◆2006年6月 5日 (月)

向かい玉

既述の通り大多数の投資家が負けて市場を去るわけですから、その事実を逆に利用して儲けようと考える人、取引員があります。それが向かい玉です。

向かい玉とは、ブローカーが投資家から預かった注文とは逆の注文を出し続ける事で、例えばAさんが買建て注文を出したとします。その時ブローカーは市場に、買建て注文とは別に同一銘柄の売建て注文も同時に出します。これが向かい玉です。

その後Aさんから売り決済の注文を受けたら、その注文と同時に自ら建てた向かい玉の買い決済注文を出して取引を終えます。つまり双方の損益は全く逆になります。仮にAさんが10万円の利益なら、向かい玉を立てたブローカーは10万円の損失となる訳です。

しかし前述の通り一般の投資家が最終的に利益を出す事は極めて少ない訳です。従って多くの一般投資家の向かい玉を出しておけば、最終的に一般投資家が損失で終わる事により取引員には利益が入る事になります。この向かい玉を利用して大きくなった取引員(上場企業)も多く存在します。 (コピー)

◆2006年6月11日 (日)

証券取引等監視委員会

主要メンバーを見ると大半が証券会社の人間で構成されている!

これは官僚天下りと同じで、全く監視の意味を持たない!!

と言うより、証券会社合同の一部門なわけで、仲間内の悪事を暴露したりすることに期待する方が無理というもの。

普段 日中の板(バイカイ)等を見ていて、いかにも不自然な板というのは、個人の物に比べディーラー自身が出している物の方が圧倒的に多いはず。

にもかかわらず、たまに摘発されるのはほとんどが個人投資家や一般仕手グループなどで、業界関係者の不正に関してはいかにも取り締まっているフリを世間に見せる為ごくまれに表に出しているに過ぎない。

ここが監視しているのは実質個人だけが対象で、ディーラーが日々頻繁に行ってる不正行為は全て素通りさせているのだ・・・


◆2006年8月25日 (金)

相場と景気

相場とは多数派が負け少数派が勝つのがセオリーです。大抵の大手証券は少数派に属し、一般客の大半は多数派に属しているのが常です。そこには業績がいいとか悪いとか、増配するとか、変化率がいいとかとかいった材料は一切関係ないといってもいいでしょう。知ったかぶりの人が、この会社は業績がよく増配するからなんていって株を買ったりすると、まず損することはまちがいないでしょう。

大手証券は売りにしろ買いにしろいつでも大口の参入者を待っています。

イトマン事件のとき、当時の社長の河村氏からイトマンの株価を支えて欲しいと頼まれた許永中は、株価も安いと判断したのか、当時1200近辺から800円台に下がっていたイトマンの株を100万株、200万株と買い支えに出たが、大手証券の猛烈な売り浴びせに遭い、あっという間に80円前後まで急落し大損をこきました。大手証券は800円台で売った株を安値で買い戻し大もうけをしたのです。

故是川銀蔵氏も週刊誌で語っていましたが、同和鉱業の株を有望だと買いだしていったら、大手証券から中小証券まで寄ってたかって売りくずしにかかってきたといっていました。結局、是川氏はいた仕方なく買い進んで、最後には同和山の筆頭株主になってしまったそうです。そのまま売り叩かれていたら是川氏も 大損をこいていたところです。

多数派が負け少数派が勝つとどうなるか。当然景気は悪くなる。今の資本主義のあり方ではこうなることは避けられない宿命である。ドイツではドイツ病といって失業率の高いことが当たり前になっている。日本やアメリカがドイツに追随することは目に見えている。原因は世界中至る所で行われている為替相場、商品相場、株式相場などのせいである。どの相場でも多数派が負け少数派が勝つ仕組みになっているから、その調子でどんどん多数派が負けていくと、消費が落ちて景気が悪くなることは必然の理である。

では相場というものは今に始まったことではないのに、なぜ今ごろになって景気悪化が相場のせいかという疑問が起こると思う。

それはひとえに相場人口が大きく関与しているのである。バブル期にはサラリーマンはいうに及ばず家庭の主婦までが株式相場に奔走した。当時は電車に乗っている女の人が新聞の株式欄を広げている光景を幾度となく目にした。相場人口が末端にまで広がっていた証拠だと思う。その結果のバブル崩壊である。損をした人の数はゴマンと数えきれないはずである。

私の知ってるA氏は六千万円の元手で株式投資をしていたが元手が十分の一になってついに株から手を引いた。その他にも、あるサラリーマンの話だが、保有していたマンション販売会社の株が余りにも下がったので持ち家を担保にその株を買い増したが、その会社の株はそれからもなお下がり続け、ひところの値段の七十分の一まで下落し、ついにその人は家を人手に渡さざるを得なくなり、とうとう借家住まいになった。五千万円以上損をしたA氏は、飯を喰っても味気なく、何も買う気がしないと言っていたが、A氏に限らず、家を手放したサラリーマンやその他の損をした多数の人達が何も買わなくなりそれが景気を悪化さすのである。世界は過去幾度もそういうサイクルを繰り返してきた。

昭和初期の、アメリカの株暴落を契機に起こった世界大恐慌は、アメリカの相場人口が靴磨きの少年にまで及んでいたことは、ケネディ家のエピソードでも知られる。その結果、世界は大恐慌に突入し、アメリカの株が回復するのに二十五年掛かっている。日本でも昭和三十五、六年に岩戸景気につられて、多くの大衆が株式市場に参入し損をさせられ、その結果不況に陥り、昭和四十年の日銀特融で山一證券が救われたのは有名な話である。

しかし、1989年のバブル時の相場人口が100%とすると、当時の相場人口はまだ満杯とは言えず、三、四年で景気が回復していったことがそれを物語っている。その後、株式相場も紆余曲折を経ながら1989年のバブル期に突入する。バブル期では昭和四十年不況を上回る投資家が損をさせられ、多くの顧客を失った証券会社の経営は危機的になる。山一證券や三洋証券の他にも倒産しかかった証券会社は多々あった。

 (以上コピー)

つまり、証券会社というのは、そこに勤めてる連中が儲けるためにあるもので、連中がさんざん荒稼ぎした後はそんな会社が潰れてしまおうが差し支えない、それまでにむしりとれるだけむしりとろうという考え。ましてや顧客が破産しようが自殺しようが、そんなもん知ったことやない! っちゅう考えです。

なんか政治家どもとおんなじような考え方やね! その地位を利用して国民の税金で私腹を肥やし、国の借金がどんどん増えていこうが自分らの生きてる間さえごまかして乗り切ったら困るのはあとの世代の人間で、国民がいかに苦しもうと、日本が破綻しようと自分らには関係ない・・・(;^_^A アセアセ

また、下線引いた山一證券にしても、大量の税金を投入して救済しながら、その後も悪行の限りを尽くしながら結局9年前に倒産し、その際も表向き顧客財産保護の名目で、従業員に給料やボーナス、退職金を支払う為 再度税金を投入!

倒産した会社の人間になんでボーナスまで払う必要があるねん!!

大体 国は、こういった悪いことばっかりしとる会社(あるいは世間並み以上に高給を貰うとったような会社)に限って税金投入・援助しよる!

同じ穴の狢ちゅうこっちゃろけど

反面、庶民的な中小・零細企業なんかが倒産したり、あるいは倒産せんまでも業績が悪うてボーナスはおろか月々の給料さえ貰えんようなとこがいっぱいあるにもかかわらず、そうゆうのは無視・・・

税金なんちゅうもんは、恩恵を受ける公務員や大企業の人間だけが払うて、それ以外の庶民はそんなもん払う必要ないんちゃうか??

◆2006年8月26日 (土)

為替もおなじく・・・

昭和46年頃にアメリカがドルと金の交換停止を宣言し、それを契機に世界各国で固定為替レートから変動相場制に移行したが、これは人類にとって大きな不幸の始まりだと思う。毎年、為替相場でどれだけの企業や個人が損をしているかは定かではないがそれは冷や酒のように徐々に効いてきて世界景気に悪影響を与える。

よく外資系の銀行などが高い金利などを設定してドル預金者を募集していることがあるが、これは元本は保証されておらず、満期解約時にドルが下落している時は利子を貰うどころか元本すら吐き出さなければならない。むろんドルが高くなったときは元本も増えて利子もまるまる貰えるがそういう虫のいい話になることはめったにない。なぜなら、ドル預金者の数が多ければ多いほど、あるいはドル預金の金額が多ければ多いほどがドルは下落するように仕向けられているからである。以前、任天堂が500億円以上もの為替差損を出したのはそういう理由からである。 

アメリカの景気が良くなるからドルが上がるとか、日本の景気が悪くなるから円が下がるとかいうのは、株の公定歩合の場合と一緒で相場を知らない経済学者が勝手に推測している妄想でしかない。

為替相場も株と一緒で、多数の人間がドルを買ったらドルは下落し、多数の人間がドルを売ったらドルは上がるのである。相場とは所詮そういう仕組みであり一部の大手銀行(特に外資系)だけが利するようになっている。株式相場は大手証券が仕切り、為替相場は大手銀行が仕切り(特に外資系)、商品先物相場は大手商社が仕切っているのが偽らぬ相場世界の現状である。彼らはいつも大口参加者及び多数派の参加を待ち構えて、大口参加者及び多数派が売りで参入してきたら買いで立ち向かい、買いで参入してきたら売りで立ち向かうのである。そして、巨額の利を得るのである。そこには経済の鉄則も仁義も一切関係ない。あるのは非情の相場論理だけである。

日本が為替相場を円安にしようとドルを買っても買ってもドル高にならず円高になっていったのはそういう理由からである。日本が多数玉を商いするから欧米の各銀行からターゲットにされてカモになっているのである。

アメリカの財政事情と日本の財政事情では圧倒的にアメリカの方がいいにきまっている。日本は財政が破綻的といってもいいのに円高になっていくのは日本が巨額のドルを買いつづけるただそれだけの理由である。今やその損失は20兆円に迫ると言う。相場を知らない人物が相場に介入するからそういった目にあうのである。この20兆円もの損失はいずれ国民に負担がのしかかってくるのである。現在増税増税の政策はこれとは無縁であると誰が言えるだろうか。本当に円安にしたければ毎日毎日ドルを売ることである。そうすれば、確実にドル高円安になっていくことは間違いない。しかし、今更ドルを売ることは、それまで高値で買ったドルを安値で売ることになり、どっちにしても大損ということになる。

 (以上コピー)

株、為替、商品にかかわらず、市場で我々が取引している相手は、同じ個人同士と思ってる人が多いようやけど、それがそもそもの間違いで、これまでにも何度か書いてきたけど、板情報に出てるものの半分以上はディーラーが囮に出しているもの、つまり我々が買えばディーラーは売ったことになり、我々が売ればディーラーは買ったことになるということ!

それさえわかれば、その後の展開は自ずとわかろうというもの。



(私のコメント)
「株の裏」のブログの管理者と同じように、私も二十年以上株式売買をしてきたのですが、株の世界はやればやるほどデタラメな世界であり、インサイダーたちはやりたい放題の事をして儲けている。この世界では個人投資家はカモであり、インサイダーたちがカモを食い尽くして生きている世界なのだ。

証券取引監視委員会があったところで委員達が証券会社から等の天下りでは、証券会社を取り締まる事は不可能だろう。株式日記でも去年の暮れに発生したジェイコム株ショックなどで書いて来ましたが、証券会社内部では様々な不正行為が行なわれて、ジェイコム株公開などのトラブルでその一端が現れただけなのだ。

「株の裏」で書かれた「かまぼこ」もおかしな出来事なのですが、売りものがあって、成り行きで買いを入れても買えないおかしな現象はディーラー達による不正な操作によるものだろう。このような実際の売買ではない見せ玉はよくあることで、個人投資家を食いつかせるエサなのだ。エサに食いついたら最後、振り落としにあって投げたところを買い戻す。ディーラー達はやりたい放題の工作が出来るから100戦100勝だ。

97年の山一や三洋証券が倒産したのも、バブルの崩壊で個人投資家がみんなやられてカモが居なくなって倒産したのであり、国内の証券会社が外資系証券会社のカモになってしまったようなものだ。もし山一や三洋証券が個人投資家をもっと大切に扱っていれば倒産するような事はなかっただろう。

もともと証券業界とは詐欺師とペテン師の騙しあいの世界であり、騙された方が悪いのであり、だから外資系証券会社のことをハゲタカと言うのだ。外資系証券会社は日本の個人投資家が客ではなく法人企業が客だから、縄張りが異なる。だから日本の証券会社を外資系証券会社がカモにしている。

ジェイコム株の上場もハゲタカ外資の陰謀のような気がするのですが、その標的になったのがみずほ証券であり、そのおかげで400億円もの損害を被った。この事件の裏側を見れば証券ディーラーの単なる入力ミスのように見えますが、発行株数以上の空売りが出来る事自体が外部にばれてしまった。

おそらく証券自己売買や証券ディーラーは無限空売りが出来るシステムになっているのだろう。これでは買った個人投資家はみんな売り潰されてしまう。


証券の自己売買の無限空売りで個人投資家がカモになる 6月3日 株式日記

◆自己売買部門の特権◆
・非賃借銘柄を自社が保有する枚数を超えて無限に現物売り可能。
・空売り規制のチェックがされてない。
・逆日歩無し。
・現物取引でも空売り可能、制限なし。
・差金決済禁止などと言う概念は存在しない。
・余力チェックがされていない。
・値幅制限に関係なく注文できる。
・東証直通の特別回線で、板乗りも約定もほぼディレイタイム0秒。
・手口情報リアルタイム完全表示。
・板情報はS高からS安まで、上下完全気配。
・自己保有株をレーティング上下させて株価操作可能。
・出来たときに「指値売買」か「成行売買」か分かる。
・引け成り注文が分かる。
・機関投資家はバスケット売買ができる。
・インチキ売買が染み付いた内弁慶のため、外資にことごとく敗退する。


モラルなき外資系証券会社の実態が暴露された誤発注事件 2005年12月15日 株式日記

この誤発注の株を不自然にもたった10分あまりのうちに大量に購入した
のは、すべて外資系である。もとから知っていたのではないのか?
(ただし野村は除く。日興コーデイアルは、実質外資である。)

モルガンスタンレー 4522株(41億2千万円)
日興コーディアル証券 3455株(31億5千万円)
リーマンブラザーズ 3150株(28億7千万円)
クレディ・スイス   2889株(26億3千万円)
野村証券      1000株(9億1千万円)

<とってつけたような理由>
「証券市場の信頼がゆらぐ」からというとってつけたような理由で、
証券クリアリング機構という、変なところが、勝手に、株の値段に未実現の利益分を
上乗せして現金決済すると決定した。

<小さな破壊を直すために大きな破壊を採用する>
ものすごく不自然である。うまり、「小さな破壊」を直すために、「大きな破壊」
を採用しているのだ。

結局、みずほ証券が、大損する結果となった。

<外資のねらい>
現在、外資は、みずほ証券、みずほ銀行がほしいと考えている。そして
東京証券取引所についても
早期に株を上場してもらって、外資は自分たちで買い占めたいと思っている。

<いつも得をするのはユダヤ外資>
まいどのことながら、外資が、不自然に儲けて、
日本側のみずほ証券と、東証が、何百億円も負担する結果となった



(私のコメント)
このような構図を見れば、国内の個人投資家を国内の証券会社がカモにして、国内の証券会社は外資系証券会社にカモられていく様子がよくわかる。証券監視委員会や金融庁がもっとしっかりしていれば個人投資家も国内の証券会社も守られたと思うのですが、結局最後はハゲタカ外資が持っていってしまう。




日本でGoogleやYouTubeのようなベンチャービジネスが
生まれないのは、著作権を楯にバカ官僚が潰してしまうからだ。


2006年12月18日 月曜日

著作権は財産権ではない 12月18日 池田信夫BLOG

私は法律の専門家ではないが、Winnyに関する議論をみていると、賛否いずれの立場にしても、著作権に関する基本的な知識(素人でも持っておくべき知識)が共有されていないように見受けられる。そこで「法と経済学」の立場から、実定法にはこだわらず著作権の基本的な考え方について簡単にメモしておく。

まず確認しておかなければならないのは、著作権法は憲法に定める表現の自由を制限する法律だということである。これはもともと著作権法が18世紀に検閲のために設けられた法律であることに起因するが、複製を禁止することは出版の自由(freedom of the press)の侵害であり、自然権としては認められないという見解もある。その根拠として著作者のインセンティヴという自然権として自明ではない理由があげられるが、これを認めるとしても保護の範囲は最小限にとどめるべきである(森村進『財産権の理論』弘文堂)。

第2に、著作権は財産権ではないということである。「知的財産権」という言葉がよく使われるが、これは法律にも定められていない通称である。著作権は、譲渡とともに消尽する財産権とは違い、譲渡された人の行為も契約なしで拘束する無制限の複製禁止権である(私のDP参照)。さらに権利を譲渡された人も複製禁止権をもつので、権利者が際限なく増え、一つの対象を多くの所有者がコントロールする「アンチコモンズの悲劇」が生じる。

表現にとって第一義的な行為ではない複製という行為に着目したのは、かつては本を印刷・複製するにはコストがかかり、それを禁止することで著作物の利用をコントロールできたからだが、だれでも容易にデジタル情報を複製できる現在では、これは国民全員の行動を監視しなければ不可能であり、制度として効率が悪い。それよりも複製は自由にし、著者には報酬請求権だけを与えることが制度設計としては望ましい(田村善之『著作権法概説』有斐閣)。

経済学的にいえば、コントロール権なしでキャッシュフロー権を確保する方法はいくらでもある(Shavell-Ypersele)ので、両者をアンバンドルすることが効率的である。著作物が以前の著作を引用・加工することで成立する累積的効果も大きいので、複製を禁止するネットの社会的便益は負だという見解もある。この立場からは、狭義の財産権(著作者が情報を1回だけ譲渡する権利)のみを認め、複製禁止権は廃止すべきだということになる(Boldrin-Levine)。現在の無方式主義では、このように複製を広範に禁止することによる外部不経済を著作者が内部化しないので、登録制度によって著作者にもコストを負担させるべきだという意見もある。また前にも紹介したように、包括ライセンスを導入せよという意見は著作者の側から出始めている。

いずれにせよ、現在の著作権制度が抜本的な見直しを必要としているという意見は専門家に多いが、ベルヌ条約などで国際的に決められているため、「よその国も権利を強化したのだから横並びで強化することが『文化先進国』の証しだ」といった幼稚な議論が横行しているのが現実だ。三田誠広氏や松本零士氏のいう「遺族の生活」がどうとかいう話は論外である。著作権法は著作者のインセンティヴのための法律であって、遺族の生活保障のためのものではない。そもそも彼らは、どういう資格があって著者の代表のような顔をしているのか。Time誌もいうように、文芸家協会に所属する小説家だけが特権的な著作者であるような時代はとっくに終わったのである。


Winny事件の社会的コスト 12月13日 池田信夫BLOG

Winny事件の一審判決が出た。私は法律の専門家ではないので、判決の当否についてのコメントは控えるが、こういう司法判断がどういう経済的な結果をもたらすかについて少し考えてみたい。

今回の事件の特徴は、P2Pソフトウェアの開発者逮捕され、著作権(公衆送信権)侵害の幇助が有罪とされたことである。これは世界的にみても異例にきびしい。たとえばアメリカで起こったGrokster訴訟では、P2Pソフトを配布した企業の民事責任が問われただけで、刑事事件としては立件されていない。ドイツでは、P2Pソフトのユーザーが大量に刑事訴追されたが、開発者は訴えられていない。

日本の警察が、さほど凶悪犯罪ともいえない著作権法違反事件に、なぜこうも熱心なのかよくわからないが、その結果、日本では著作権にからむリスクがもっとも大きく、したがって萎縮効果も大きくなった。先日、話題になった検索サーバが日本に置けないという事態なども、警察が検索エンジンを摘発したわけではないが、そういうリスクを恐れる企業が自粛しているのだろう。

企業が違法行為かどうかを文化庁に問い合わせれば、官僚は「キャッシュを置くのは違法です」などと答えるだろう(法的根拠はないが)。普通の企業は、これに逆らって逮捕されるリスクを冒したりはしない。アメリカでは、企業が行政の判断に不服なら、行政訴訟を起こして司法の場で最終判断が出るが、日本ではお上にたてつく企業はない。だからGoogleやYouTubeのようなベンチャーは、日本にはあらわれないだろう。それでもYouTubeのように自分のリスクで起業したら、民事ではなく刑事で摘発されるおそれが強い。日本の刑事訴訟の有罪率は99%だから、これは犯罪者になるのとほぼ同義である。

この種の事件の社会的コストというのは、直接的な差し止めによる損失よりも、このように人々のインセンティヴをゆがめることによる機会損失のほうがはるかに大きい。JASRACなどは「Winnyによる著作権侵害の被害は100億円」という怪しげな推計を出しているが、Google1社の時価総額だけでも18兆円だ。日本は、昔のコンテンツを守る代償に新しい企業による富の創出を阻害し、莫大な損失をこうむっているのである。

著作権の侵害は目に見えるが、過剰規制の社会的コストを負うのはすべての消費者なので、被害はわかりにくく、文芸家協会のようなロビー団体もつかない。しかし当ブログで何度も書いているように、こうした行政中心の集権的国家システムが新しい分野への挑戦をはばみ、日本経済の停滞をもたらしているのだ。「日本になぜGoogleが生まれないのか」と嘆く官僚は、自分たちがその原因をつくっていることに気づくべきである。


(私のコメント)
11月7日の株式日記で「低度情報化社会」について書きましたが、著作権について人それぞれバラバラの見解を持っているようだ。池田信夫氏のブログを読んでも、ブログに寄せられるコメントは著作権の見解についてズレが生じている。根本的には価値観の違いであり、ネットが無かった頃の法律でネットを規制しようとすると、ネットが非常に利用しづらいものとなる。

特に新聞や出版業界の人にとっては著作権は既得権だから出来るだけ拡大解釈をして、ネットにも当て嵌めようとする。テレビの放送局がYouTubeを目の敵にして削除依頼を数万件も出したのは、著作権そのものよりも自分達の築いてきた商売の領域を侵される恐怖からの行動だろう。

しかし著作権の拡大解釈が行なわれていけば、憲法で保障された表現の自由までも制約される恐れも生じる。音楽の分野でも作曲でパクリと言う表現で盗作ぎりぎりの作曲行為を言うのですが、創作活動は偉大な作品に対する模倣から創作は始まる。それを片っ端から著作権で縛れば創作活動は停滞するだろう。

このような著作権を楯にした取締りが強化されれば言論の自由も制限される事になるだろう。ネット上で時事問題を語る時にニュース記事を引用できなければ時事問題ですら萎縮して語られる事が制約される事になる。ネットはまだ出来たばかりのメディアだから裁判における判例も少なく、官僚たちの解釈にゆだねられる事も多い。

先日もNHKでネットの特番を放送していましたが、掲示板などの書き込みをめぐって議論が行なわれていましたが、掲示板に書き込まれた内容が法律に違反する内容の場合、掲示板の管理者にまで責任が及ぶのかと言う問題が話し合われていた。その場合に日本の「プロバイダー責任制限法」は非常に免責の範囲が曖昧であり、法律に触れる内容であるかまで誰が判断するのだろうか?

ところが現状ではプロバイダーの管理責任が問われて、「2ちゃんねる」などでは有罪で賠償金を払う判決が出されている。この件に関しては妥当であっても多くのプロバイダー管理者は自粛して問題のある投稿はみんな消してしまう事が行われている。これでは言論が制約されて内部告発なども出来なくなる。

日本でグーグルやユーチューブのようなベンチャーが出てこないのは、このような過剰な制約が「お上」の判断で潰されてしまうからだ。アメリカなどは訴訟社会だから弁護士達にとってはユーチューブなどを訴訟する絶好の材料なのですが、いま訴えても金にならないから放置されている。

しかし日本ではウイニーに対する有罪判決が出されたように、製作者が違反幇助で有罪とされて罰金刑が下された。「お上」にとっては見せしめの為にはなったのでしょうが、これではベンチャービジネスは片っ端から潰されてしまう。何しろベンチャー分野なのだから法律も未整備でグレーゾーンが多くなる。どのような利用方法もあるか分からないから、開発者はその責任まで一手に負わされることになる。

池田氏のブログでも主張しているように著作権法は著者や開発者のインセンティブを守る為にあるのですが、著作権が財産権のような解釈が横行して、法律の本質がゆがめられている。ましてや、ネットにおける著作権問題はどのような結果をもたらすのか先は見えていないのだから、十分な議論が必要なのですが、日本では規制が先にありきで、ベンチャーの芽をみんな潰してしまうようだ。

要するに工業化社会における著作権では音楽家や小説家などの保護が対象だったのですが、情報化社会では情報分野にまで著作権の対象を広げるのかと言う事が問題になってくる。日本でならグーグルやユーチューブは真っ先に訴えられて潰されるだろう。ところが訴訟社会のアメリカでは様子見のようだ。いずれは和解になどで金で解決されるだろう。

気がつけば日本では情報化社会に乗り遅れて、日本製グーグルも日本製ユーチューブも無くて、利益はみんな本家のアメリカに持っていかれる事になるのだろう。アメリカではユーチューブの開発者はM&Aで2000億円の利益を上げましたが、日本ではウィニーの開発者が有罪判決が出されて150万円の罰金だ。

情報化社会なら情報化社会に適した著作権法が整備されるべきなのですが、目に見える侵害を取り締まる利益と、将来もたらされる社会的な利益とを考えれば、日本のような規制先にありきでは、ベンチャービジネスも潰される。

株式日記ですら記事の無断引用で著作権を拡大解釈すれば有罪で、いつでもプロバイダーの過剰自己規制で削除されるのかもしれない。それでは時事関係のブログを書く人はいなくなり、国民の総白痴化に拍車がかかることになるのだろう。それは社会全体から見れば大きな損失になる。




ロシアのフィギュアGPで体調不良者が続出 謀略工作で、
毒物が用いられることもある。その目的はあくまでも警告だ。


2006年12月17日 日曜日

ロシアで薬物を盛られて体調不良で転ぶ浅田真央


日本勢に謎の症状…体調不良者が続出 フィギュアGPファイナル 12月17日 サンケイスポーツ

フィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナルは16日までロシアのサンクトペテルブルクで行われ、男子2選手、女子3選手が出場して期待された日本勢は男女とも優勝を逃した。

 男女ショートプログラム(SP)で2位につけた高橋大輔(関大)と安藤美姫(トヨタ自動車)は、ともに風邪のような症状でフリーは力を発揮できなかった。高橋は演技が進むにつれて動きが鈍り「滑っているときにおなかが気持ち悪くなり、寒気がしてきて、やめようかと思った」。安藤も腹の具合が悪く「試合に入ったらいけるかと思ったが、震えがきてしまった」と話した。

 高橋はフリー3位ながら銀メダルに踏みとどまったが、安藤はフリー最下位と崩れて5位に転落。6度跳んだ3回転ジャンプが2度しか決まらず「ふらっときそうになった。初めての経験だった」と控室で泣きじゃくったという。

 女子SP1位から逆転負けした浅田真央(愛知・中京大中京高)も鼻声。本人は「風邪ではないと思う」と変調を否定したが、日本チーム関係者は「彼女は頑張るけど、ちょっと様子がおかしかった」。女子4位となった村主章枝(avex)も「体調的に良くなかった。毎日眠れなかった」と話すなど、日本勢は謎の症状に襲われた。(共同)


リトビネンコ氏暗殺の背景 12月14日 佐藤優

フジサンケイビジネスアイ「ロシア流“暗殺術”」(11月30日)に対する読者や報道関係者からの反響が大きく、インテリジェンスの世界における暗殺の手法や毒の使い方についての照会が相次いでいる。筆者は暗殺や毒物を使用した謀略の専門家ではない。しかし、インテリジェンスの世界で、現在もこの種の荒っぽい手段が用いられていることは事実なので、追加説明をする。

 インテリジェンスは基本的に国家の業務である。従って、暗殺も組織の決裁をとった上で、必要な予算をつけて行われる。ほとんどの国でインテリジェンス機関は対外諜報(ちょうほう)機関と国内の防諜機関に分かれる。外国での謀略工作は対外諜報機関の専管事項で、国内の防諜機関が外国で暗殺することはありえない。

 11月23日にロンドンで変死したロシア連邦保安庁(FSB)元中佐のアレクサンドル・リトビネンコ氏の暗殺をめぐって、FSBが暗殺したのではないかという憶測報道が各国でなされたが、これは絶対にないシナリオだ。ロシアのインテリジェンス機関の縄張り意識は非常に強い。仮にFSBが国外で謀略活動を行ったことになれば対外諜報庁(SVR)が黙っていない。SVRと抗争するリスクをFSBは冒さない。これが「インテリジェンスの基本文法」だ。

 暗殺は痕跡を残さずに行わなくてはならない。薬物、特に放射性毒物を用いた殺人は痕跡が残り、強制捜査に発展する可能性が高いので、インテリジェンス機関はまず用いない。よく用いられる暗殺の手法は交通事故と自殺である。

 ある外国人情報専門家が「暗殺技法についてCIA(米中央情報局)は交通事故を、KGB(旧ソ連国家保安委員会)は自殺を偽装することが多い。自殺は動機を疑われ、交通事故も先進国では足がつきやすい。不慮の事故に巻き込まれたというのが最も上手な暗殺術だ」と言っていた。筆者が承知する限り、実態もその通りだ。ロンドン在住の人物を消すならば、中東か北アフリカの観光地におびき寄せて、交通事故で始末してしまうのはそれほど難しくない。中央アジアやトランスコーカサスも暗殺の実行現場によく用いられる。

 もちろん謀略工作で、毒物が用いられることもある。しかし、その目的はあくまでも警告だ。筆者自身もソ連時代末期のリトアニアでしびれ薬入りのウオツカを飲まされ、半日ほど身体が動かなくなり、大小便を垂れ流すような状態になったことがある。筆者がソ連当局から「いいかげんにしろ」と何回か警告されたのを無視してリトアニアの分離独立派にてこ入れをしていたので、「言ってもわからない奴には身体で教える」というインテリジェンスの「ゲームのルール」が適用されたのである。

 ソ連崩壊後も筆者に対してときどき当局から警告がなされたが、そのときに神経反射的にしびれ薬で苦しんだときの経験がよみがえった。当然、行動は慎重になる。繰り返しになるが、インテリジェンスは国家の業務なので、防諜機関員が嫌がらせや恨みで毒物を誰かに飲ませることはなく、組織としての意思に基づいて行う警告なのである。

 リトビネンコ氏の事件については、筆者も暗殺の可能性が高いとみている。しかし、それはFSBやSVRによるものではなく、マフィア間の抗争に巻き込まれたのではないかというのが筆者の憶測だ。ロンドンはロシア・マフィアの一大拠点で、ソンツェフ組、スポーツ組、チェチェン・マフィアが擬装した企業が数多く活動している。ロンドンのカジノではロシア語が飛び交い、ルーレットに数万ポンド(数百万円)のチップが置かれる。

 これらマフィアにとって最大の商売(シノギ)は武器販売だ。リトビネンコ氏と武器商人の接触についても種々の憶測情報が流れている。日本として最も懸念すべきことはポロニウム210やタリウムなどの放射性毒物が闇市場でひそかに売買されている事実があるかどうかということだ。なぜなら、アルカーイダや北朝鮮の「将軍様」にとってこのような放射性毒物は魅力のある商品だからだ。

 ポロニウム210を誰がどこから、どんな経路を通じて入手したかを早急に解明することだ。そしてロシアを含む主要国のインテリジェンス機関が放射性毒物がマフィアや国際テロ組織の手に渡るのを阻止する実効的な措置をとることだ。


(私のコメント)
ロシアでフィギュアスケートの大会が行なわれていましたが、男女共に日本勢の多くの選手が勝ち残りましたが、今朝のニュースでは予想外に大不振で驚きました。ニュース記事を読むと日本人選手は体調不良の選手が続出で成績が振るわなかったらしい。おそらく症状などを見ると食事などで下剤などを混ぜられたらしい。

サッカーの国際試合などでは敵のチームに食事に下剤などを入れて嫌がらせをするということはよく聞きましたが、今回のフィギュアスケートのロシア大会でもこれが行なわれたのだ。おそらく日本人選手ばかりが勝ち残ったので、誰かが嫌がらせの意味で行なったのだ。

毒物が盛られた事で思い起こすのは英国でロシア人のリトビネンコ氏が殺された事件ですが、ロシアでは薬物などによる暗殺は日常茶飯事なのだろう。佐藤氏の記事に寄れば、KGBなどのプロの殺し屋ならば事故を装った形で完全犯罪を行なうのでしょうが、警告の意味でならシビレ薬程度の毒物を盛る事はよくあるようだ。

確かにロシア人にとって見ればスケートは国技でありお家芸だったのに、日本人選手ばかりでロシア人選手が出ていなければ不愉快に思う事だろう。だから誰かが食事などに下剤などを入れて嫌がらせをしたと思われる。またそれくらいの事が行われてもロシアではおかしくないだろう。

ロシア人にしても中国人にしても国民の民度の低さは甲乙が付けがたいもので、リトビネンコ氏の暗殺もロシアのプーチンならやりかねないと誰もが思うほどロシア人は性質が悪い。日本の北方領土でも日本漁船に対して様々な嫌がらせが行なわれていますが、それが彼らの国民性だ。

もちろんロシア人は個人的には良い人もたくさんいるのですが、民度の低さやマナーの悪さは東京でも、同じ白人でも一目でわかる。北海道でもロシア人がお風呂屋に入るとめちゃくちゃにされるので外人お断りのビラが張られるようになった。ロシア人は昔から奴隷(スラブ)民族で文明レベルが低い。

そのようなコンプレックスがあるからロシア人にしても中国人にしても、有人宇宙ロケットを上げたりしてアピールしているのでしょうが、文明度と言うのはそのような事を言うのではなくて、倫理やモラルの事を言うのですがロシア人や中国人にはそのことが分からないようだ。

2008年には中国でオリンピックが行なわれるようですが、果たして行なわれるのだろうか? サッカーのアジアカップの反日暴動がありましたが、中国人のスポーツ大会のマナーの悪さはオリンピックに悪い予感を感じさせる。今回のロシアのフィギュアスケート大会のような事も行われる事も用心しておいた方がいいだろう。




マイクロソフト対日本の家電メーカーの第二次大戦が迫る!
中枢機能を米国企業には握られたくないという強い決意がある。


2006年12月16日 土曜日

「テレビのネット化」で深まる家電メーカーと放送局の溝 12月4日 日本経済新聞

年の瀬が迫ってきた。年末年始のテレビ番組を美しいハイビジョン画質で見ようと,街の電気店では1台十数万〜数十万円の薄型デジタルテレビを求める客で賑わっている。消費者の関心がデジタルテレビの画質や価格に向かうなか,松下電器産業やソニーなど,名だたる大手家電メーカーがある構想を着々と実行に移している。日本に出回っているほとんどのテレビ受像機をネットに対応させて,インターネットの入り口に変えてしまおうという壮大な計画だ。

 テレビ受像機とはテレビ番組を映し出すための装置−−。誰も疑ったことがないテレビの常識を覆すような動きが,テレビ業界のあちこちで見られるようになった。きっかけは,インターネットの普及。テレビ各局が半世紀にわたって築き上げた金儲けの仕組みが,インターネットによって脅かされようとしている。詳しくは単行本『テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか』をご覧になっていただければと思うが,ここでは家電メーカーとテレビ局の関係の変化を紹介したい。

ネット対応テレビは簡単に作れる

 メーカーが開発するネット対応テレビの使い勝手は至って簡単だ。アンテナにつなげる感覚で,テレビをネットにつなぐだけでよい。あとはリモコンを操作すれば,映画を見たり,ニュースや株価をチェックしたり,お寿司を注文したり,ゲームで遊んだりと,テレビの世界が一気に広がる。日本中のほとんどのテレビで,そんなサービスを利用できるようにしたいというのが,家電メーカー各社の願いである。

 果たして,そんな構想が実現するのだろうか。「ちょっと待ってよ。1990年代後半にもネット対応テレビが発売されたぞ。あれは全く流行らなかったじゃないか」と反論する読者がいるかもしれない。

 確かにネットの普及が始まった1990年代後半,多くのネット対応テレビが商品化され,やがて消えていった。しかし,当時とは状況が全然違う。市内3分10円のダイヤルアップ料金を気にしながらWebを見ていた時代とは違って,定額のブロードバンド回線の登場により,リビングのテレビでゆっくりとネットを利用できる環境が整った。ネット対応テレビを開発する家電関係者はそう口をそろえる。さらに現在は,地上デジタル放送を見るためのデジタルテレビが売れに売れている。数年もすれば,日本中に出回っている1億2000万〜1億3000万台のアナログテレビの多くが,デジタルテレビに置き換わる勢いである。

 技術的に見て,そのデジタルテレビにネット機能を持たせるのは簡単なのだ。もともと地上デジタル放送は「双方向テレビ」というコンセプトの下で規格化されており,デジタルテレビを使ってクイズ番組に回答したり,番組からのプレゼントに応募したりできる設計になっている。このためデジタルテレビには,通信回線をつなぐ端子やブラウザなど,テレビ局とデータやり取りするための機能が満載されている。メーカーはそれらの機能をネットに接続するために転用すれば,ほとんどコストをかけずにネット対応テレビを作れる。

 ほとんど追加コストがいらないなら,ネットに対応させない手はない。テレビはより便利になり,テレビ受像機市場がさらに拡大するという期待もある。だから大手家電メーカー各社はこぞってネット対応テレビの商品化に乗り出しているわけだ。好むと好まざるとに関わらず,デジタルテレビを買うと,インターネット接続機能がセットで付いてくるという状況がすぐそこに迫っている。

画面はテレビ局の縄張り?

 そんな家電業界の動きを警戒する人たちがいる。テレビ局関係者だ。テレビ業界にとって,テレビ画面は商売の最前線である。テレビ画面にCMを映し出すことで,スポンサーから広告料をもらっている。そのためテレビ局には,「テレビ画面はオレたちの縄張りだ」という強い意識がある。

 例えばテレビ局の関係者は,家電メーカーが「マルチウインドウ機能」をテレビ受像機に付けただけで眉をひそめる。同時に二つ以上の番組を画面に表示することができる機能である。裏番組をチェックするのに便利なので,使っている読者も多いだろう。単にそれだけの機能なのだが,テレビ局の関係者は,マルチウインドウ機能が付いたテレビ受像機を作っているメーカーに,「やめてほしい」と文句を言ったりする。自分たちの思い通りに画面の隅々まで番組を映してもらわないと,我慢できないのである。

 複数のテレビ番組を画面映し出すだけの機能にも敏感に反応するテレビ局関係者が,インターネットなどという“よそ者”のコンテンツまで映し出す機能など,容認できるはずもない。

 ネット対応テレビの開発を進めるある大手家電メーカー幹部は,テレビ局の関係者から

「あなた方はテレビ放送を映す装置を作っているんですからね」

と苦言を呈されたという。このメーカー幹部は苦笑しながら続ける。

「そんなこと言われても,僕らにはそんな意識全然ないんですよ。テレビジョンという言葉は,もともと遠くのものを映すという意味なんです。遠くのものを映すための伝送路はネットだって構わないはずでしょう?」

マイクロソフトの影に怯える

 家電メーカー各社がテレビ業界の反感を買ってまでネット対応テレビの開発に力を入れるのは,単にテレビ受像機市場を拡大したいという理由だけにとどまらない。実は,テレビ受像機市場を拡大することで,敵の侵入を防ぐというさらに大きな目的がある。敵とは,米国のIT企業のことだ。

 現在,インテルなどの米国のIT企業もこぞってテレビ受像機向けの映像サービスの分野に食指を動かしている。なかでも最大の脅威が巨大ソフトウエア企業,マイクロソフトだ。マイクロソフトは,例えば「MSTV」と呼ぶ映像サービス向けのソフトウエアを世界的に売り込んでいる。映像サービスを操作したり,映像を処理したりする中枢機能は,MSTVが搭載したボックスが担う。そして,テレビ受像機はその映像を映す単なるモニターになり下がる。

 中枢機能はマイクロソフトに吸い取られ,メーカー各社はその機能に対応した単純なハードウエアをひたすら安い価格で作ることを余儀なくされる。これはメーカー各社が,パソコンで経験したことである。マイクロソフトは1990年代後半から,パソコンを動かすOS(基本ソフト)を独占的に供給している。一方,OSというパソコンの中枢機能を押さえられたメーカー各社は,マイクロソフトのOSが動くパソコンの安売り競争に巻き込まれた。中枢機能を握られているので,何かしら便利な機能をパソコンに付けて,高く売るといった工夫の余地がほとんどなくなってしまったのである。

 そんなマイクロソフトが,テレビ受像機のソフトウエアにまで手を出そうとしている。日本の家電メーカーが警戒するのも無理はない。ある大手家電メーカーの幹部は,「付加価値はすべてマイクロソフトが持っていってしまう。これがあの会社の商法なんです」と警戒する。日本の家電業界では松下電器を中心に,電子立国の面子にかけても,家電機器の中枢機能を米国企業には握られたくないという強い決意が湧き上がっている。

日本メーカーが連合を組む

 米国IT陣営の脅威に突き動かされて,日本の家電業界はテレビ受像機のネット対応を進めている。すでに松下電器やソニー,東芝などがそれぞれネット対応デジタルテレビの商品化に乗り出している。

 さらに家電連合まで作って,ネット対応テレビを推進し始めた。松下電器産業・ソニー・シャープ・日立製作所・東芝という日本を代表する大手家電5社に,ソニー系のプロバイダ(インターネット接続事業者)であるソネットエンタテインメントを加えた6社が2006年7月,ネット対応デジタルテレビ向けのポータルサイトを運営する会社を共同で設立したのだ。社名は「テレビポータルサービス」,サイト名は「アクトビラ」。映画やドラマ,ニュースなどのコンテンツを集めて,視聴者が見たいときにテレビ画面を通じて見られるようにする。

 テレビポータルサービスが掲げる普及目標は衝撃的だ。日本に出回っているデジタルテレビの,7〜8割をアクトビラに対応させるという。現在出回っている1億2000万〜1億3000万台のテレビ受像機がすべてデジタルテレビに置き換わったとき,そのうちのなんと8400万〜1億400万台は,アクトビラに対応する計算だ。デジタルテレビのシェアの大半を握る大手家電メーカー5社が力を合わせれば,それぐらいの普及台数は簡単に実現できてしまうのだろう。アクトビラ対応のデジタルテレビのうち,実際にネットにつなげる比率が1〜2割にとどまったとしても,840万〜2080万台にもなる。利用者が多ければ,人気の高いコンテンツがどんどん集まる。そしてサイトの評判が高まり,さらに利用者が増える。アクトビラは自己増殖的に巨大化するかもしれない。

テレビ画面を占拠し続けるには

 ネット対応テレビが本格的に普及したとき,果たしてテレビ局はこれまでのようにテレビ画面を占拠し続けられるのだろうか。現在のところ,地上波テレビ放送が最も長時間にわたって,テレビ画面を占有できている。その時間は,テレビ画面を使うほかのメディアと比べると圧倒的に長い。

 一人が地上波テレビを見ている時間は一日当たり平均3時間31分にも達している。これは国際的に見ても,極めて長時間だ。一方で衛星放送の平均視聴時間は12分,DVDとビデオは合計8分,テレビゲームは5分にとどまる。地上波テレビが画面を占有している時間が,いかに長いかがわかる。

 そしてインターネットの利用時間もまた,一日平均37分と地上波テレビを大きく下回る。ただ注目すべきはその伸びである。地上波テレビを含めてほかのメディアの利用時間が毎年ほぼ横ばいであるのに対して,ネットだけは利用時間が伸び続けている。

 今後,メーカーがネット対応テレビの商品化に力を入れることで,そんな伸び盛りの新興メディアがテレビ画面に入り込んでくる。

 「テレビ受像機はテレビ番組を映すための装置だ」などとテレビ局が主張したところで,米IT陣営に対抗するために結束した家電業界は,もはや聞く耳を持たない。テレビ局がテレビ画面の支配権を握り続ける方法はただ一つ。ネットに勝る番組を映し続けるほかない。



(私のコメント)
私の家のリビングには37インチのシャープの液晶の大画面テレビがありますが、パソコン機能もついたインターネット・アクオスというものです。まさにテレビとパソコンが一体化したものですが、将来はこのような大型テレビが各家庭の情報端末となって利用されるようになるだろう。

私の家には光ファイバーが引かれてはいるが、インターネットのみの利用でありブロードバンド放送にはどこにも加入していない。これくらいの大型テレビになるとハイビジョンでないと鑑賞に耐えられないので、本格的なハイビジョンポータルサイトでも出来れば加入してみたい。

しかし日本のテレビ業界はこのようなネットを利用した新方式には消極的であり、ブロードバンド放送を目の敵にしているようだ。表向きには著作権の問題や肖像権の問題を理由に再放送などの利用にも自ら足かせを嵌めて、コンテンツの再利用に制限を加えている。

株式日記ではIT技術などの事も以前はよく取り上げていましたが、最近ではパソコンの進歩もウインドウズXPで止まってしまって、最近ではユーチューブの話題ぐらいしか取り上げてこなかったのですが、ユーチューブに関してもテレビ放送業界は様々な妨害を加えている。

それに対してシャープやパナソニックやソニーなどの日本の家電業界はすぐにでもインターネットテレビになりうるようなLAN端子つきのテレビを発売している。シャープのインターネットアクオスはテレビとパソコンとDVDレコーダーが一体化したものでリビングに置いてもすっきりして目障りにはならない。

今まではインターネットと言えばパソコンか携帯電話で楽しむものと言う事が出来ましたが、これからはテレビでインターネット放送を鑑賞するのが主流になるだろう。15インチのノートパソコンの画面と37インチの大型液晶テレビの画面と比べても勝負にならない。

だからパソコンにおけるOS争いでは日本の家電メーカーはアメリカ政府の圧力に負けてマイクロソフトの全面勝利に終わりましたが、家電用OSやインターネットテレビ用OSに関しての決戦はこれからやってくる。パソコン用のOSであるウインドウズはパソコンには使えてもテレビには使いものにならない。

私のノートパソコンはテレビも見られるものですが、ほとんどテレビを見ていない。ボタン一つでテレビもDVDも楽しめるようにはなっているのですが、やはり家電のテレビやDVDプレーヤーに比べると使い勝手が悪いので、パソコンでは見なくなってしまう。やはりスイッチポンで見られないと客は使わなくなってしまう。

株式日記ではマイクロソフトのウインドウズは欠陥商品だと書いたことがありましたが、いくらコンピューターとはいえ、起動に一分以上もの時間がかかり、CPUがあれほど発熱して大型クーラーを取り付けたりしないと動かなくなる。更には大電力を消費して、起動しても操作を間違えただけでクラッシュして動かなくなる。家電でこんな事があれば商品にはならない。

日本の家電メーカーはパソコンはゲーム機の仲間と捉えていて、ビジネスにはワークステーションと呼ばれていた64ビットの高級品を作っていた。ところがおもちゃのようなパソコンが高性能化して、今では昔の大型汎用機並みの処理速度とデーター量を処理できるようになったところに、日本の家電メーカーの戦略ミスがあった。

現在では家電製品にもマイコンが内蔵されて自動車にもマイコンが使用されて、現在では商品の付加価値がマイコンのプログラムに隠されるようになった。家電製品自体は中国やアジアなどの工場で安く作られるようになりましたが、マイコンのプログラムをブラックボックス化できれば、松下やトヨタなどのメーカーはマイクロソフトやインテルのように一人勝ちすることが出来る。

まさにパソコンでは日本の家電メーカーはマイクロソフトを侮って負けましたが、家電や自動車や携帯用電話機のOS戦争では負けるわけには行かない。まさにマイクロソフトはパソコンの覇者となったわけですが、インターネットの覇者になったわけではない。インターネットの覇者はグーグルがなるのかもしれない。グーグルから見ればマイクロソフトは単なるデバイスの供給者ない過ぎない。だからビル・ゲイツは日本の家電メーカーと組もうとしている。

グーグルはインターネットの覇者となることが出来るのだろうか? 当初は単なる検索ソフトに過ぎなかったのですが、現在ではインターネット時代の情報センターになりつつある。世界中にサーバーセンターを作り、毎日世界のネット内の情報を集めて、巨大なデーターベースを構築している。気がついたときは誰もが追随できないものになっていた。

マイクロソフトのインターネットエクスプローラーは情報が一旦アメリカに集められて目的地に行くように作られているらしい。だから世界中のネット上の情報がアメリカに傍受されているらしい。グーグルはそれらを検索する為のソフトだから瞬時に検索できるのですが、日本人にはそのような発想は出来ないだろう。著作権などといってうるさく言う人がいるからだ。

日本の法律家などと言うものは法律の根本精神がわかっていないのだ。法律は条文そのままを解釈すればいいのかと言う問題ではなく、どのように生かすかと言うことが一番の問題なのだ。グーグルのキャッシュなどは日本では著作権の侵害だと言う人が出てきて潰された事だろう。最近もこのような判決があった。


ウィニー開発者に有罪判決 ネットの“天才”有用強調 12月13日 産経新聞

■「時代動いているのに」 

 「こうしている間にも時代は動いている…」。ファイル交換ソフト「ウィニー」を開発したとして、著作権法違反幇助の罪に問われた元東京大大学院助手、金子勇被告(36)被告は13日、京都地裁の判決公判後に記者会見し、自らの立場を強調した。防衛機密や捜査情報の流出が絶えず、社会問題化したウィニー。ネット社会に“革命”をもたらした天才プログラマーに、司法は有罪判決を下した。

 金子被告はこの日、黒いスーツにネクタイ姿で約10人の弁護団を従えて法廷に立った。判決が宣告された直後、傍聴席からは報道陣や支援者が次々と退席。弁護側の主張を退ける理由が読み上げられると、金子被告は首を傾けて納得のいかない様子を見せた。

 閉廷後、開かれた記者会見では用意した文面を淡々と読み上げ、「ウィニーは、将来的に有用な技術であって、将来、その技術は評価していただけると信じている」と強調。その上で、「有用な技術開発を止めてしまう結果になることが何よりも残念。こうしている間にも時代は動いているにもかかわらず。控訴して、技術開発のあり方を世に問うて行きたいと思います」と訴えた。

 さらに、「違法行為をしてはいけないと注意してきた。ではどうすればよかったのか聞かせてほしい」と語気を強め、「(著作権侵害が横行する)結果が悪いから、悪いというのは納得できない」。

 同席した弁護士も「判決では著作権侵害を蔓延(まんえん)させる積極的な意図を明確に否定したが、有罪は解せない」とした上で、「玉虫色の判決だ。控訴して無罪を勝ち取る」と言い切った。

 ■掲示板に批判と支持

 インターネットの世界で爆発的に広がったウィニーに対するユーザーの関心は高く、掲示板サイト「2ちゃんねる」には、判決日が近づくにつれて関連した書き込みが続出。「包丁をつくった職人も捕まるのか」「殺人をすると言っている奴に包丁を渡すのは問題」「核ミサイルはつくること自体が禁止」などと、金子被告への支持と批判が乱れ飛んだ。

 判決の出たこの日は、同地裁の駐車場で、62枚の傍聴券を求めて208人が列に並んだ。大阪府富田林市から傍聴に訪れた会社員、片本亜希さん(25)は「ソフトそのものは非常に便利で、違法な使い方をする人がいるから問題になる」。京都府八幡市の男性会社員(35)は「仕事で著作権を扱っているので、注目していた。ウィニーによる被害は大きいと思っていた」と話した。

 有罪判決が宣告されると、支援者が同地裁内で「不当判決」と書かれた紙を掲げた。支援者の新井俊一さん(28)は「(この判決によって)ソフト開発者を萎縮(いしゅく)させるだろう。映像や音楽の分野で日本は後れをとることになり、残念だ」。

 傍聴に訪れた京都市南区の無職女性(29)は「有罪判決はソフト開発の環境にとっては良くないが、これだけ情報流出の被害が出ているので無罪もおかしい気がする」と困惑の表情だった。

 判決が告げられた10分後には、「2ちゃんねる」上に「有罪」と書き込まれた。約1時間後に書き込みは1000件を突破した。

 ■知識の意義 説明する責任

 インターネット総合研究所の藤原洋所長の話 「科学者、技術者には結果責任がある。経済的損失を補うことではなく、知識人として、知識の意義を説明する責任だ。ウィニーについて、分散したデータが自由に交換され、相互接続したネットワークが1つのコンピューターとして機能する点は国際的にも意義のある成果と評価する。だが、著作物が自由に交換され、著作権が守られないという社会的悪影響があった。金子被告はこれをしっかりと説明、注意喚起すべきだった。公害のように技術革新には、ひずみが生じるものだ。判決を機に、新しい研究開発を促進するなかで、知識人としての倫理が呼び起こされることを望む」

 ■金子被告語録

 ウィニーの開発者、金子勇被告の発言を振り返った。

 「暇なんで(使いやすい)ファイル共有ソフトつーのを作ってみるわ。少し待ちなー」(平成14年4月1日、インターネット掲示板で開発宣言)

 「悪貨は良貨を駆逐するっていうのはいつの時代でもそうで悪用できるソフトは宣伝しないでも簡単に広まるね」(8月23日、姉へのメール)

 「著作物を勝手に流通させるのは違法ですので、そこを踏み外さない範囲でテスト参加をお願いします」(10月3日、掲示板の書き込み)

 「ソフト開発が犯罪の幇助(ほうじよ)に当たるという間違った前例がつくられてしまえば、日本のソフト開発者の大きな足かせになる」(16年9月1日の初公判)

 「雑誌で悪用を勧めるような記事があり予想外だった」(18年5月1日の公判での被告人質問)

 「新しい技術を生み、表に出していくことこそがわたしの技術者としての自己表現」(9月4日の最終意見陳述)「ウィニーは将来的には評価される技術だと信じている。今は新しいアイデアを思いついても形にすることすらできない。それが残念」(同)



(私のコメント)
このように日本では世間知らずの法律家達が未来型産業を潰して行ってしまう。グーグルにしてもユーチューブにしても日本では著作権法からは厳密に解釈すれば潰されてしまうだろう。テレビ業界がネットに著作権を楯に抵抗しているのと同じだ。私だって大学で法律を学んだ法学士なのですが、日本の弁護士や判事などは記憶力が良いだけの世間知らずなのだ。テレビに出ている弁護士のコメンテーターがいかに世間知らずか見ればわかるはずだ。

日本の官僚たちも二度と「通産省国売り物語」のようなバカな真似はしないで欲しいものだ。(これはオリジナルの国際戦略コラムのサイトは消えてしまって私が再生したものです)


通産省国売り物語1・2

通産省国売り物語3.4

通産省国売り物語5.6

通産省国売り物語7.8.9




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