株式日記と経済展望

ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


安倍首相の曖昧戦略に関して。結論的に言うと、これは恐らく
90年代前半までは通用した手法で、現在は無理だと思う。


2006年12月15日 金曜日

安倍政権雑感など 12月12日 カワセミの世界情勢ブログ

ここしばらくテレビなどで断片的に報道されている話題に関して軽く感想など書いてみる。現在の安倍政権に関してだが、どうも潮目が良くない。手堅い顔ぶれと思っていたが妙に浮世離れしているのである。

 まず中川官房長官。いくつかの雑誌で報道されている所によると、復党問題は当選している12人については世論の反発も少ないと踏んでこのような形を取ったと言われている。その真偽はともかく、議員を辞めるという事まで条件を付けたというのは異様な話である。言うまでも無くその権利は本人と有権者にしかないのであり、せいぜい自民党から追放するというのが最大限の処罰であろう。これはまともに政権を担える政党が自民党しかないという意識の無意識な反映なのだが、こういう点に自覚的になっておかないと足元を掬われる。復党問題に関しては以前にも書いたが、素直に別の政党として政治活動をすれば良いだけの話だ。その上で連立政権なり閣外協力を考えれば良いだろう。

 この種の世論との乖離はこれまでの自民党の政治も良く出てきた。その本質は、自民党の国会議員が立法府そのものを軽視しているという問題である。党の中でどう地位を得るか、行政府に属することが可能かどうか(つまり大臣等の役職につけるかどうか)という事に一義的な関心があるからだ。これは野党の無力がその大きな原因の一つなのだが、構造上の問題も無視できない。大統領制と違って内閣が法案を提出可能であり、委員会の権威が例えば米国などのそれと比較して低いからだ。これを改革するには、議員の数をかなり減らすしかないと思う。特に参議院に優秀な人材を集めるべきであろう。

 次に久間防衛庁長官。先日も米国向けのミサイルは実質的に迎撃できないという発言をしていたが、今回も小泉政権時のイラク戦争支持は公式見解ではない云々という話をしていた。これらの発言はそれぞれ法理的な原則や実質的な部分を重視した、いわゆる行政官僚の意見に近い。恐らく久間氏は自民党内で各種立法作業における実力は高いと認められていた人物に違いない。にも関わらず、地位と人物の関係は実に微妙である。内閣総理大臣の下、国防に関して首相に準じる最高クラスの権限を持つ人物の発言としてはどうであろうか。理念的な原則を示すのは首相としても、その下で戦略を示す最高責任者が枝葉末節に口を出している印象は否めない。ミサイル防衛に関しても、野党に対して毅然と「日本国憲法の平和主義を、やるべき事をやらずに済ませる言い訳に使うのは憲法を貶める事に他ならない。同盟国の人命を尊重しないそのような意見には、護憲派を自認する政党が真っ先にその道義性を非難するのが自然な事であり、そうでない事には驚きを禁じ得ない」とでもコメントしておけば充分であろう。

 これで思い出したのが、先日竹中氏が閣僚時代のエピソードを語っていた記事である。この「戦略は細部に宿る」という部分は、ただ読むとそうかと聞き流してしまう。が、このエピソードは日本の政治の問題点も如実に示している。ここでは、「大きな戦略のためには細部の積み重ねが重要である」という言い方に抑えなければならない。なぜなら、閣僚がそのレベルに口を出すべきではないからだ。ここでは竹中氏が「1m先へ行け」と示したとしている。しかしそれは本来閣僚の仕事ではない。やはり10Km先の目標を断固として示し、そこに至る経路に関して行政官僚の複数のチームに出来れば各々複数の案を作らせ、それらの案を取捨選択、整理統合し、最終案を決定するべきである。もちろんやや大きなマイルストーンが見込まれる場合には閣僚自ら示しても良いが、それは二次的な問題である。

 最後に安倍首相の曖昧戦略に関して。結論的に言うと、これは恐らく90年代前半までは通用した手法で、現在は無理だと思う。曖昧と報道されている時点で失敗で、柔軟と報道されなければならない。即ち、核になる理念や政策があって、それを実行するための手法は臨機応変に対応しますよ、というメッセージが国民に伝わってなければならない。現時点では出来ていないと思う。コアになる短いメッセージを発して、実力のある閣僚を信頼して任せているとせねばならないだろう。実際、主要な民主主義国で人気のあるリーダーは明確に理念を語っているのである。日本も例外ではないというだけであろう。長々としたスピーチを魅力的に出来るかといえば、それは日本人に少ないタイプなのかもしれないが。

 それにしても小沢民主党は困ったものである。安倍内閣はそれほど良いものとは思えない。個々人の能力は恐らく歴代内閣でも高い部類であろう。しかし、有機的な繋がりをもって行動しているかというとそうは思えない。国民の政治家に対する要求水準が高まっている今はチャンスなのだが、今の野党がそれを生かせそうも無いのは残念だ。なまじ来年の参院選では健闘しそうなのが逆に残念でもあるくらいだ。


(私のコメント)
安倍政権も三ヶ月が経ち様々な安倍内閣論が出てきましたが、どうしても小泉内閣と比較されてしまう。小泉内閣でも官房長官などを歴任してきたから、タウンミーティングの問題など攻撃されても当事者だから回避する事ができない。小泉首相なら例によってはぐらかしの答弁で誤魔化せるのでしょうが、安倍総理には性格的にその手が使えない。

復党問題についても小泉前首相がよく復党に了承したなと思うのですが、復党に了承するくらいならなぜ解散総選挙までして郵政反対組みを自民党から追放したのかわからなくなる。株式日記では分らない事があるとアメリカの陰謀だと書きたてるのですが、郵政法案の成立はそれくらい小泉内閣にとっては最優先課題でありアメリカからの厳命だったのだ。

アメリカに対する公約を果たした以上、内閣が代わって復党させれば問題はないと見ていたのでしょうが、中川幹事長が予想以上に問題を長引かせて大問題にしてしまった。株式日記では中川幹事長に任せたりせずにリーダーシップを持ってやれと12月3日に書きましたが、小泉流の敵を作って攻撃するといった手法は国民には受けても自民党が壊れてしまうから出来ない。

安倍内閣支持率も41%まで落ちてきましたが、小泉内閣のように中国や韓国を挑発して靖国批判させたらどうなるのだろうか? ネットのブログなどを見ても安倍首相が訪中訪韓してから熱が冷めてしまってしらけた雰囲気が満ちてしまっているのですが、中国や韓国が政権の支持獲得のために反日を利用しているのだから、日本も対抗して反中反韓反北で支持率を上げたらどうだろうか?

もっともこのような事はアメリカの指示がなければ出来る事ではなく、そのアメリカがイラクでふらついているのだから安倍内閣も穏便な外交で様子を見なければならない。アメリカは中国にイラクと北朝鮮で王手飛車取りで攻められてアメリカの財務長官とFRB議長などの大型の代表団を送ってドルを売らないでくれと懇願している。

安倍内閣がなすべきことは当面は小泉内閣が残した外交や内政の後始末をする事であり、外交は訪中と訪韓で何とかカバーできたが、内政では復党問題などで内閣の指導力が問われて支持率を下げている。小泉内閣の失政をカバーする事だから国民の反感をかうのはある程度やむをえない事ですが、復党問題は安倍内閣が登場した時点で隠れた公約みたいになっていた。

更に支持率が下がり気味なのは内閣における指導力で軋みが聞こえてくるのですが、久間防衛庁長官の失言や道路特定財源における塩崎官房長官の失態は政権の行く手に悪い予感を感じさせる。教育基本法や防衛庁の省への昇格などあまりにもスムースに行ってしまったので気が抜けてしまったのかもしれないが、野党もだらしがないので政治に緊張感がなくなってしまった。

日本の総理大臣はアメリカの大統領よりも権限が集中しており、情報も一箇所に集めるように出来ているが首相一人でそれらを裁く事は不可能であり、だからこそ官邸を強化して側近を増やしたのですが、それがあまり機能していない。首相補佐官といえば総理の手足とならなければならないのに各省庁からスポイルされて機能していない。大臣ですらお客様なのに補佐官では相手にされないのだ。

最近の歴代の総理大臣を見ても在任中に大平総理や小渕総理などが過労とストレスで亡くなっている。よほど図太い神経をしていないと持たないポストなのですが、日本が核保有国になったらそのボタンを押す権限まで与えられるのだから更にストレスは増加する一方だ。その点で安倍総理はおぼっちゃん育ちで一抹の不安があるのですが、小泉総理ですら在任中はなかなか眠れなかったそうだ。

そのために日本では総理の在任期間が短くて二年ほどで内閣を放り出してしまう総理が多い。政治家を志す以上は総理を目指すのが当然なのですが、日本の政治家は小沢一郎のようにいつでもなれたのにしり込みしてしまう政治家が多い。日本の政治のトップリーダーともなると一人で決断しなければならない事柄も多く、欧米のトップとも資質が互角でなければやっていけなくなってきている。

小泉総裁には飯島秘書が汚れ役を一手に引き受けていましたが、安倍氏にはそのような人材はいない。総裁ともなると毎日が分刻みのスケジュールで考える暇がなくなり参謀的な人材はどうしても必要だ。だから首相補佐官は国会議員よりも政治のプロ中のプロがなるべきなのだが、個人的な繋がりが必要だ。しかしそのような人材を養成するシステムは日本には無い。

議員秘書も選挙対策で追われて政策担当秘書は機能しておらず、議員秘書は使い捨て要員で大事にしない議員も多いようだ。公的な総理秘書は各官庁から出向で来てはいるが連絡役でしかない。だから小泉総理のようなアドリブの受け答えが出来ないと役人からのレクチャーに流されてしまう。するとどうしても無難な曖昧な答弁が連発される事になる。それでは国民は総理のリーダーシップに不安を持つようになる。

株式日記は政治関係者や各官庁の役人からアメリカ行政機関から米軍にいたるまでの広い読者がいる。政治や経済や外交など広い分野を分析しているからですが、見当はずれな事は書いていないことはバックナンバーを見ていただければわかるはずです。安倍総理のスタッフにも読んでいただいて役に立っていればいいのですが、それは分からない。




小泉構造改革の実態がようやくばれてきた。アメリカの圧力
による規制の緩和は日本人労働者の半奴隷化政策である


2006年12月14日 木曜日

経団連「派遣社員に残業代払うな、パートの時給は安いままでいい」労働省を恫喝 12月13日 憂国世界

経団連は自民党のオーナーである。アメリカの圧力で半奴隷状態のパート契約社員の労働条件改善に乗り出した労働省関係者を呼びつけて「寝言抜かすな、百姓は生かさず殺さずだ」と恫喝した。労働省役人達は土下座同然の平謝りだった。

正社員は減る一方、契約社員パートは増える一方である。半奴隷状態の日本人がますます増えていく構図である。ワーキングプアも限りなく増加している。

で、日本はいざなぎ景気を抜いた好景気?だそうだ。日本は士農工商制度が復活したみたいだ。見れば自民党の議員様はお世継ぎばかり、貧乏人は大学にも行けず子孫も貧乏人のままである。

安倍首相がなにやらチャレンジがどうのこうの御託を並べていたが、言っていることとやっていることの違いくらい見抜いてもらいたいものである。

しかし、「この国民にしてこの政府あり」だから仕方ないか。

3大新聞の世論調査での安倍内閣の支持率はかなりばらつきがあり、朝日・毎日は50%を切ったが読売はまだ55%で頑張っている。元々いい加減な調査だから信憑性はないと思うが、現在の権益を守ってもらい、更に利権を呼び込んでもらえる環境下の人は大いに自民党を支持したらいいだろう。彼らが国民の過半数を占めれば、自民党もそれなりの政治をしていることになる。

しかし、現実では利権から蚊帳の外の貧乏人のくせに自民党に投票している馬鹿が大勢いるのではないかと疑っている。

自民党が教育改悪などで馬鹿を増やそうとしている理屈も頷ける。

「残業代ゼロ労働」導入を要請 経団連会長、厚労相に

 日本経団連の御手洗冨士夫会長と柳沢厚生労働相らが11日、東京都内のホテルで懇談し、労働法制見直しなどについて意見交換した。経団連側は、一定条件の会社員を労働時間規制から外し残業代を払う必要がなくなる「ホワイトカラー・エグゼンプション」導入のほか、派遣労働者の期間制限や雇用申し込み義務の廃止などを要請した。

 懇談は経団連側の申し入れで初めて行ったもので、厚労省と経団連の幹部約40人が出席。ホワイトカラー・エグゼンプションについて厚労相は「時間より成果で決める考え方は分かる」と導入に前向きの姿勢を示す一方、「問題は適用範囲」として年収要件が必要との同省の認識を示した。

 派遣労働の規制緩和について厚労相は「日本の雇用慣行との調和をいかに図るかの視点が不可欠。やむを得ず派遣社員になる人がさらに多くなり、固定化する恐れがある」と述べ、これ以上進めることは否定した。


パート給与規制は最小限に 経団連、厚労省に要望

 日本経団連の御手洗冨士夫会長などと、柳沢伯夫厚生労働相ら厚労省幹部との初めての懇談会が11日、都内で開かれた。経団連側はパート労働者と正社員の給与格差の是正について「法制化(による規制)は必要最低限にとどめてもらいたい」と要望した。

これに対し厚労省側は「労働分野では一定の保護が欠かせない」として、パート労働者の処遇を改善するための新たな規制に理解を求めた。

御手洗会長は「経済成長があって初めて安定雇用が生まれる。構造改革を進めてほしい」と労働、社会保障分野の改革を促した。柳沢厚労相は「年金、介護、医療改革は始まったばかりだ」と応じ、改革を続ける意向を強調した。


雇用の「構造改革」が生んだワーキング・プア  8月6日 保坂展人

 国会事務所の本棚に『現代日本のワーキング・プア』(「ポリティーク10号2005年9月20日旬報社発行」と題した一冊があった。週末にページをめくりながら、労働市場・雇用環境の激変がどのような「構造」をつくりあげたのか、考えることが多かった。同書の『雇用と働き方から見たワーキング・プア』(伍賀一道金沢大学教授)の論考をもとに衝撃的な「数字」を見ていきたい。

 総務省の『平成14年就業構造基本調査』によれば、5318万人の中で年間所得が100万円未満の人が700万人(23・2%)、200万円未満が1571万人(29・5%)いる。年収200万円未満の層をワーキング・プアと定義すれば、その約8割がパートタイム・アルバイト・派遣労働・契約社員などの非正規雇用が占めている。1997年から02年までの5年間で、正規雇用は400万人減少し、非正規雇用は368万人増加した。この5年間で、100万円未満層が82万人、200万円未満層が188万人も増加している。「正規雇用→非正規雇用」になだれを打って移行が進み、不安定雇用と低賃金で働く人々が拡大した。

 自動車や電機などの製造業で問題となっている「偽装請負」も、必然的に低賃金が強いられる構造を生んでいる。全国各地から若年層を中心に労働者を集めてくる仲介業者は、メーカーから生産ラインの一部を業務請負で契約し、業者が労働者を監督するタテマエになっているが、実際にはメーカー社員の指示で働く。派遣労働者でありながら、労働者派遣法の適用も受けず企業の都合によって、解雇・整理は自由に出来る。

 請負労働者の平均時給は1000円で、昇給・ボーナスはなく、年収200万程度で働いている。この収入では子育てが難しいだけでなく婚姻にも高いハードルがある。請負労働者は200万人にもなり、20〜30代のワーキング・プアも増えている。特別の技能も、スキルアップも必要とせずに、企業の需要にあわせて全国の生産現場を転々とする「便利な労働力」が空前の企業利益に貢献している。

「正社員より安く労働力を提供できますよ」と派遣労働や業務請負の業者は、安価な労働力を必要とする企業に営業をかける。企業が派遣業者に支払う正社員より安い派遣労働者の「派遣費用」が、時給1500円だとすると実際に労働者に支払われる賃金は65%平均で975円程度にしかならない。35%は派遣業者の営業費・事務所費・宣伝費・教育訓練費などに吸い上げられる。正社員が時給2000円だとすれば、契約時に500円落ちて1500円になり、さらに支払い時には975円になるから、同一労働=半分賃金という構造が固定化する。

 福島みずほさんが国会で「非正規雇用」のことを取り上げたら、自民党の委員席から「正社員になればいいじゃないか」というヤジが飛んだと驚きあきれていた。官僚上がりや二世三世のボンボン議員にとっては「好きでフリーターやってるんだから、自業自得。やる気があるんなら社員になればいい」という感覚が宿っているのだろう。

かつては、派遣労働にも職種限定などの規制があった。99年に製造業を除いて原則自由化され、04年には製造業も解禁され、07年には、さらに3年間の延長もはかられる。これらの政策が、「構造改革」の名で行われてきたことを銘記しておきたい。ワーキング・プアの生みの親は「構造改革」であり、小泉・竹中路線だった。人を絶望に突き落とす「構造改革」で歪んだ社会は、雇用条件の格差を規制する労働法制で「生活安定構造」を確保し、救済するしかない。労働者の権利を守る労働組合が外注・請負などの契約に関わらず「労働実態」を優先して企業と交渉出来るようにしなければならない。

流した汗が報われる政治に、と私たちの先輩は言った。情け容赦ない弱肉強食社会への急坂を転げ落ちようとしている日本に必要なのは「一人勝ちウハウハ構造改革」を今すぐに止めろというスクラムである。


(私のコメント)
東京ではノロウイルスが猛威を振るっていて、私も一昨日から嘔吐と激しい下痢で一日中安静状態です。Jリーグの浦和レッズの選手も集団感染したようですが、風邪のように冬になると暴れだします。風邪と言うよりもウイルスによる胃腸炎なのですが、口から腸の中に入って繁殖して胃までやられて、食事を取ると吐いてしまうようです。私も疲労がたまっていて発病したのでしょう。体力があれば軽い下痢程度で納まる人もいるようです。

政府税調の本間正明会長が都心の一等地の官舎で愛人と暮らしていると言う週刊誌の報道がありましたが、竹中元大臣といい、女とは少なからず問題があるようです。小泉政権時代の経済財政諮問委員会の委員でもあり、委員には竹中氏やトヨタの奥田氏など問題のある人物が日本の経済政策を決めていた。

その結果生まれてきたのが構造改革によるワーキングプアの問題であり、大企業は正社員を減らして派遣社員やパート労働者に切り替えて空前の好景気に沸いている。このような大本営の発表にもかかわらず消費が落ち込んだままなのは労働者の賃金が減り続けているからだ。

規制緩和がどのような結果をもたらすかは弊害となって現れるまで分かりませんが、大企業が一斉に正社員を減らして非正規雇用を増やしてワーキングプアを増やし続けている。政府も慌ててブレーキを掛け始めているようですが、小泉構造改革の実態が国民にもようやくわかり始めてきたようだ。

株式日記では終始小泉構造改革には反対してきましたが、わかりやすく言えばアメリカの圧力による日本国民の半奴隷化政策なのだ。この問題は年金問題や健康保険の赤字問題にも波及して、問題が問題を呼ぶようなバカな真似を政府がしているのだ。しかし政府はバカな人が多いから問題が顕在化するまで気がつかない人が多い。

大企業にとっては正社員よりも人件費が半分で済む派遣労働者のほうが魅力的だ。その結果どのような事がおきているかと言うと労働モラルの崩壊であり、派遣社員は企業に対する忠誠心は求むべくも無く、若い正社員は派遣社員の倍働く事を要求されて体を壊して辞めて行く。更にはホワイトカラー何とかで残業代までカットされるようだ。

日本経団連とアメリカの利害とが一致して小泉構造改革が行なわれてきたのですが、安倍内閣でもこれが継続されるのだろうか? 昔なら日本企業の利益は日本全体の利益と言えたのですが、グローバル社会では企業の利益と国民の利益とが一致しなくなってきた。だからトヨタの奥田会長のような日本人とは思えないような事を平気で言う人物も出てくる。

ワーキングプアの問題についてはNHKでも先日報道されましたが、いくら働いても生活保護以下の収入しかない家庭が増えてきている。職を求めてもパート労働しかないからですが、特別な資格がないと正社員としてはなかなか採用されない。だから株式日記では前から資格を身に付けておくべきだと書いてきた。ところが各家庭では進学には熱心でも資格となると重要性が認識できていないようだ。

私自身は宅地建物取引主任や中学高校の教員免許や第一種電気工事士や衛生管理者など数え切れないほどの資格を持っているから独立して事業が出来る。だからNHKの番組でも紹介されていた人は何の資格も持たない人が多く、再教育で介護の資格を希望していても学校に行けない母子家庭が紹介されていた。

本来ならば派遣労働者には特殊な技能労働者に限られるべきだったのですが、小泉構造改革が規制緩和と言うことで一般労働者にも範囲が広がった。おそらく紹介された母子家庭のお母さんが看護師や美容師などの資格を持っていればある程度の生活費は稼げたはずだ。ところが学校では進学教育しか教えないから役に立たない勉強ばかりしている。学歴などは卒業すれば数年で効力はなくなるが資格は一生持つから専門学校に進学した方がいい。

このように漠然と若い時をやり過ごしてしまうと、いったん落伍すると再チャレンジが難しい世界になってきた。資格を持ってやり直したいと思っても年齢的に難しい事が出てくる。国にとっても非正規雇用が増えて年金や健康保険などの不払いが増えてきてパンクしては政府の負担は増える一方だ。

小泉構造改革はアメリカ式の経済市場原理主義で自分の事は自分で解決しろと言うやり方でですが、日本ではこのようなやり方は上手く行かないだろう。企業もアメリカ的な成果主義を取り入れた企業は失敗してやり直している。日本の企業文化を根本からひっくり返してしまう事でシステムが持たなくなるのだ。

11月19日の株式日記でも書きましたが、大企業がどんどん派遣労働者に切り替えていくと熟練労働者がスポイルされて、ソニーのような考えられないほどの被害をもたらす欠陥商品を続出する事になる。自動車メーカーも欠陥のリコールが増えて日本車の評判も落ちていく事だろう。しかし経団連はそれが顕在化するまで気がつかないのだろう。




ものを考えない偏差値秀才が大部分を占めるキャリア官僚たち
では、いったい誰が国政の将来を考えているのだろうか?


2006年12月12日 火曜日

霞ヶ関からエース官僚が逃げはじめた 西村 健(ジャーナリスト)

(前略)
役人は与党職員の小間使い

「霞が関で仕事をしていて、空しいと思うことは何か?」

 こう現職官僚に質問してみると、複数返ってきた回答が「国会対応」であった。どういうことか。

 巷間よく知られているように、国会で各大臣の読み上げている閣僚答弁は、すべて前夜のうちに官僚によって書き上げられたものである。この"国会対応"が役所においては「徹夜も覚悟」の難作業。ヒアリング結果にもあるように、何より「国会議員の質問通告が遅い」ためだ。

 明日の委員会で与野党議員により発される質問内容は、すべてその前夜までに各省庁に伝えられてくる。すべての質問内容が判明して初めて答弁作成作業に入るわけだが、特に野党議員においてはその通告が遅い場合が多く、作業が深夜に至ることも珍しくないため、どうしても徹夜含みの超過勤務になってしまう。また、自分の部署に関係する質問が最終的には出なかったにしても、それでもすべての質問が出そろうまで、可能性のあるところは全員"待機”が命じられる。

 質問が振られてくると担当の課長補佐クラスが答弁案を作成する。続く仕事はその案を持っての決裁作業。省のトップが行う答弁に、わずかな言葉の食い違いがあってもあちこちの部署に影響の出る恐れがあるためだ。こうしてすべての部署の了解を取り終え、ようやく正式の答弁文書の作成に入ることができるという次第。

 続いて必要な仕事が大臣レク(レクチャーの意味)だ。答弁に立つ多くが派閥の力学で大臣職を回してもらった"素人同然"の大臣である。したがって委員会が始まる前に担当の職員が当人に会い、答弁書を手に「これはこういう意味の質問ですので、このように答えてください」と逐一説明しなければならないというわけ。このように役所全体が至れり尽くせり世話を焼いて初めて、大臣は国会の場で質問に応じることができるのである。

 そこである経済(経済産業省)官僚に、「そこまで手取り足取りしてあげる意味が本当にあるのだろうか?」と、ストレートに疑問を投げかけてみた。返ってきたのは「仮にも自省のトップである存在に対して、組織の人間があれこれフォローするのは当然のことでしょう?何と言ってもわが国は、議院内閣制ですからねえ……」という返事。

 内心では忸怩たる思いもあるのだが、制度のあり方そのものを云々する資格は自分たち官僚にはないというのが本音のようだった。

 このような、あまりに官僚頼みの国会運営を何とかしょうと、"政府委員制度"廃止という国会改革が行われたのは九九年のことだ。各省庁の幹部クラスが“政府委員"として大臣の代わりに答弁していたそれまでの制度を廃止して、国会には厳密に代議士以外は立てないことにした。この改革によって役人の雑務は、多少は軽減されることになったのか。

「とんでもない。前よりいっそう仕事が大変になっただけですよ」


 そう苦笑しながら答えてくれたのは厚労省(厚生労働省)のノンキャリ職員。

「以前は、大臣は政策の大枠について答弁するのであって、細かい数字を答えるものは"政府委員"がやるという役割分担ができていた。つまり、"政府委員"答弁は、中身がよくわかっている省の局長がやるんだから、あまり厳密に文言を検討する必要もなかったんです。決裁も局内で回せばよかったし、レクだって簡単なもので済んだ。ところが、あれからすべて大臣答弁ということになってしまったので、決裁もすべて大臣官房まで上げることになった。レクも相手は中身をまるで知らない素人だから、手取り足取り教えなきゃ理解してくれない……」

 自分の能力も顧みない"政治主導"が押し進められたばっかりに、役人の費やす労力はさらに増すことになっただけということのようだ。これでは若手官僚の恨み節が漏れるのも、仕方のないところではあろう。

「国会答弁」ばかりではない。役人は役所にいる間四六時中(下手をすれば家に帰った後でさえ)、いつ「あの件はどうなってる?」という議員事務所からの問い合わせや、「あれに関する資料をくれ」という要求があるかと、常に神経を張り詰めていなければならない。

 大切な代議士センセイからの問い合わせである。あらゆる用件を放り出して、その仕事が最優先事項。

「この件は現在、こういうことになっています」-----そういう文書を早急に作成し、関連する資料もあれこれくっつけて大慌てで議員事務所まで持参しなければならない。もちろんその文書作成の際にも、関係部署間の了解を取らなければならないのは言わずもがな。議員先生からの電話一つで、役所内ではこのような上を下への大騒動が繰り広げられるのだ。

 ただし、これは与党の先生からの電話であった場合の話。これが野党からのものであれば、役人の対応は豹変する。特に某共産主義系の党からの資料要求であった場合。どこかの雑誌のコピーを取って、それを議員事務所にファックスして終わり・・・・・ということもしばしばではある。

 さらに若手職員のヒアリング結果には「与党内の意見調整に各府省の幹部職員が走り回っている」という現状の指摘もあった。後になってうるさ型の議員が「俺は聞いてないぞ」と言い出した日には、通る政策だって通らなくなってしまう。そのため万全には万全を期し、ほとんど関係なさそうな議員にまで、事前の"根回し"をしておく。これが現在役人にとって重要な仕事の一つなのだ。

「政策の中身じゃない。最近のセンセイは『俺は聞いてない』だの『俺より先にあいつのところに話を持っていった』だの、そんなレベルでゴネて話を通してくれなくなるから、たまりませんよ」とボやくのは外務省のキャリア官僚。

「だからなるべく怒らせないように、広くあちこちに話を通しておかなければならないんだけど、今度は"根回し"をしたとたん、すぐ懇意のマスコミに話をバラしてしまう。どんなに念を押しておいても駄目なんです。だから、今日の夕刊に載ることだけはないように、夕刊の締め切りを過ぎてからセンセイたちの"根回し"に一斉に動く。そんなところにまで気を遣わなければならないんだから」

 もはやここまでくると、役人は与党議員の小間使いではないか?という気にさえなってしまう。「ヒアリング結果」にあった「自分の仕事が国のために役立っているという実感が持てない」のも当然と言えよう。

(中略)

官僚自身が「思考」を放棄

 小間使いのような国会対応。不透明な人事システム。現実と乖離した予算制度……。ここまで現場の恨みつらみを書き連ねてきたが、考えてみればこれは何も今に始まったことではあるまい。なのになぜ今になって優秀な役人たちが、将来を悲嘆して頭脳流出を呼ぶまで追い詰められているのだろうか。これらの諸問題とは彼らが知恵を絞ってみても、改善できないほどの構造問題なのだろうか。

「優秀な人たちが悲観するのは無理もない。そんな問題意識を持っているのは彼ら少数派だけですからね。そうではないほとんどの今の役人は、ものを考えること自体放棄しているのが現状なんです」

 そう自廟気味に話すのは内閣官房のキャリア職員である。


「自分が何のために仕事をしているのか。国民が自分たちに求めている任務とは何なのか。そういうことをまったく考えていない。だから省益に走ったり、派閥抗争に労力をつぎ込んでみたり、馬鹿なことばっかりしているんです」と彼は言う。「第一"国会待機"なんて仕事じゃない。なのにそれで残業して、仕事をした気になっている。国民は誰も、官僚にそんなことやれなんて言ってないですよ。自分たちの意識改革もできないでいて、『政治が悪い』『民間より待遇が悪い』なんてボやくこと自体おこがましい」と同意する財務官僚の指摘も、なかなかに手厳しい。

 前出の松井氏や古川氏のめざすような大胆な行革まで待つことはない。要は役人個人個人が自分の存在意義をちゃんと考え、それに基づいて内部改革を求めれば、職場の環境改善くらい決して不可能ではないということだろう。しかし肝心の当の官僚自身が「思考」を放棄しているのだとすれば、それも空しい夢物語と思えてしまう。考えることをやめ、『前例踏襲主義』に凝り固まった役所内の空気が、冒頭の若手官僚の"やる気"を粉微塵に砕いてしまったのだ。

「入省を希望する卒業予定者の面接をしていると嫌になることがあります。『幅広い仕事をやりたい』と言うんだけど、じゃあ『今の日本をどうしたい?』と質問しても何も答えられない。最近そんな人間ばかり多くなったような気がする」と嘆息を漏らす厚労官僚。内閣宣房キャリアも続ける。

「今回の機密費問題なんて、いかに役人が何も考えていないかという実態を露にしたという意味で、いい事件だったのかもしれません。逮捕された元要人外国訪問支援室長だって、要は機密費からうまく資金を捻出しだしたら、政治家も外交官も喜ぶものだから、いつの間にかそれが自分の役目だと錯覚してしまったんでしょう。そこからだんだんエスカレートしていった……。機密費なんてもともとダーティーなもの。それでもそもそも何のために使われるものかという意識が根っこにありさえずれば、あんな情けない事件は起こってない」

霞が関の再生はあるか

 ものを考えない偏差値秀才が大部分を占める入省希望者。やがて彼らがことなかれ主義の中で出世して行く一方、それに絶望した優秀な人材は外に流出していく。このまま霞が関は重い重い閉塞感に押し潰されて、自滅してしまう運命にあるのだろうか。何も考えない役人ばかりが運転席に残り、暴走する"日本号"を破滅まで突っ走らせてくれるのだろうか。(後略)


(私のコメント)
以前は大蔵省などの中央官庁が日本のシンクタンクとして機能していましたが、現在では単なる国会議員の小間使いとして駆け回っているだけのようだ。なぜ駆け回るのかと言うと大臣の国会答弁を作成する為である。以前からこのような事は批判されていましたが、改まる気配は無く、ごまかしかたが上手になっただけなのだろう。

国会議員でありながら国政のことはほとんど知らず見識も無い。自民党の外交部会長の山本一太参議院議員はイラクの場所も知らなかった。テレビなどでは記者達の質問に能弁に答えているが役人達の作った想定問答を丸暗記して答えているだけなのだ。

日本では積み上げ方式で行政が行なわれているから、何事も決めるのに時間がかかり欧米のトップダウン方式と異なるから、外国とのトップ交渉は相手方にとってまことに苛立たしいものになる。小泉前総理は官邸主導のトップダウン型でしたが、国会答弁に関してはメモの棒読みで変わるところはなかった。

このようになってしまうのも毎年のように大臣が代わり、大臣は役人達にとってはお客様に過ぎない。実質的には事務次官が担当業務を仕切っているのですが、こうなると国会議員は何のためにいるのかということになる。小泉内閣でも一内閣一閣僚と言っていたが、大臣はくるくると交代した。

このように担当官庁のバックアップがあるから誰が大臣になっても業務は円滑に行っているのですが、これでは改革は停滞してしまう。政治家達は二言目には改革改革と口癖のように言っているが、どこに問題点があるのかを掌握していない。

結局は役人任せの改革になるから、役人にとって都合のいい事ばかり改革されている。国民の代表であるはずの国会議員はチェック機能が働かずに、行政改革すら行政に任せっぱなしだ。政治家達は政争に明け暮れて、ほとんどをそれに費やしている。

役人達は国会の先生方の答弁書作りに追われている。本来ならば大臣自ら勉強して自分で答えられるように勉強しなければならないのに、アンチョコを役人に作らせている。政府委員制度が廃止されてそれがいっそう激しくなったらしい。

質問をする野党側もおそらく事情は大して変わりがないだろう。だから民主党も政策提案型を目指すと言いながら、いつの間にか何でも反対する旧社会党的になってしまった。その方が考える必要が無いからだ。国会審議を聞いていても面白くないのは、質問するほうも答えるほうも台本どおりのお芝居みたいなものだからだ。

このように日本の政治は外交と防衛はアメリカ任せであり、内政は役人任せで、議員提案で法律が国会に出されるのは極めてまれだ。小泉内閣では政治主導が旗印だったはずなのに実態は大して変わりが無いようだ。むしろ官僚たちの能力の低下が国政の停滞につながっているのではないかと思う。

最近では官僚たちに代わって政策を提言しているのはアメリカであり、毎年今頃年次改革要望書をアメリカ政府から突きつけられて、日本政府はそれを粛々と実現している。それを小泉総理はトップダウンと見せかけているだけだった。しかし新聞などには年次改革要望書が大きく報道される事はない。

日本の政策はアメリカのシンクタンクが考えて、アメリカ政府を通じて行なわれているようだ。構造改革も規制緩和もみんなアメリカの要求に沿ったものであり、郵政の民営化もアメリカ政府の要求によるものだ。このようにして日本は市場原理主義的な政策がとられて、日本国内に歪が生じている。

大企業は正社員から派遣労働に切り替えて利益を出しているし、法人税も安くなって景気はいいらしい。しかし労働者の手取りは減り続けて、生活保護世帯以下の収入しかないワーキングプアの家庭が増え続けている。政策が破綻しているとしか言いようが無いのですが、官僚たちはやる気を失っている。

それでは、現在のような状況をどのようにしたら変えられるのかを考えている人はいるのだろうか? 昔なら大蔵官僚や通産官僚が考えて手を打っていた。しかし現在は従来型の景気対策は効かない。偏差値秀才ではこのような状況では役に立たず、大胆な経済政策で経済を変えなければならない。


筆者の主張のサマリー 12月11日 経済コラムマガジン

日本のマネーサプライは異常に大きいが、民間に資金需要がそれほどない。つまり日本のマネーサプライは凍り付いており、金融機関は国債・地方債を買う他はないのである。このような状況を打開するのが、筆者の主張する政府貨幣発行や日銀の国債の買入れによる通貨増発政策である。

通貨増発政策は直接民間に資金を流すことによって、総需要を増やすことができる。つまり所得を生むマネーサプライを増やすことによって、消費やそれに伴って設備投資が増えるのである。日銀がマネタリーベースを増やしても民間に資金は流れないが、政府が資金を直接民間に流せば、所得を発生させるのである。

また通貨増発政策を実施しても構わないのは、日本では巨額のマネーサプライが凍り付いているからとも言える。しかしもし通貨増発政策によって、経済活動が活発化すれば、マネーサプライが凍り付いていたマネーサプライが動き始めることが考えられる。もっともこれが筆者の主張する政策の目的でもある。もし凍り付いていたマネーサプライが急激に溶け出し、問題を起こすほどになれば、通貨増発をセーブすれば良いのである。この目安は前段で説明した物価上昇率が名目で3%、長期金利が5%といったレベルである。

今日の日本政府の政策は、この巨額の凍り付いたマネーサプライを徒手空拳で何がなんでも溶かそうというものである。規制緩和が効果があるとか、投資減税が効果があるとかはたまた官の仕事を民間に移せばといったものである。筆者に言わせれば、マクロ経済の上ではそれらはほとんど効果が期待されない政策ばかりである。実際このような政策は何年も続けられているが全く効果がない。もうそろそろそのことを認めるべきである。

日本経済は、中国を始めとした新興国の経済発展や米国の経済、さらに落込み過ぎた設備投資の反動で持っている。また外需依存を助長するような常軌を逸した為替介入や、海外への資金逃避による円安に支えられている。日本の経済政策には妄言・虚言がはびこり、残念であるが今年も無為に過ぎたようである。





政府の次のステップは共謀罪の国会可決でしょう。これも要求は
ホワイトハウスから出ているのです。同和利権なんて壊滅ですよ


2006年12月11日 月曜日

サンプロ/部落解放同盟は悪くない-行政を糾弾する 12月10日 檀君WHO's WHO (動画)


西日本ところどころ 2月10日 兵頭二十八

さいきん西日本方面で急に「表」のマスコミがとりあげるようになったのが「解同」ですね。解放同盟の天敵は共産党なのですけれども、東京圏では解同ではなくて同和会の方が有力に見えます。つまり行政から「対策団体」として扱われている。この2つの団体は「棲み分け」の関係。全国を西と東でほぼ二分している。

 で、この棲み分けができている理由ですが、「地理固有の文化」と関係があるのは明らかでしょう。東日本では、「住所を何度も変えれば出自は関係なくなる」と人々は思っています。関西ではそうではない。わざわざ固まっています。特に近畿のアナーキーな風土の中ではそれが安全・安価・有利と思っているわけでしょう。それゆえ「いわれある差別」ですよ。

 旧軍の刑務所施設に興味のある人でも、最も手に負えない兵隊を収監した陸軍懲治監獄がどうして関東ではなく関西(姫路師団内)に儲けられたか、東日本に生まれ育った人には、まあ見当もつかないでしょう。また、幕末のテロのメッカはどうして京都だったのかもね。反政府行為の居心地の良い環境があると考えてよいのではないですか。


 だから放っときゃ関東の差別はなくなる趨勢です。ところがそれは困るというヤクザが大日本同和会の中にも多いのでしょう。自分が行政窓口に差し出す名刺に、大きな対策団体のできるだけ高い役職の肩書きを添記できることを以て有利なことと考える。そんな考えであるうちは、東京でも「いわれある差別」は一部に残りますよ。

 同和利権には、公共事業の受注もあるんですが、それと並んででかいのが、「脱税」と「節税」です。大きな対策団体(往々、その筆頭者は被差別部落とは関係のない普通の税理士や社労士)の役職(理事等)のついた名詞を税務署員に示すことで、これまでは脱税ができた。ほんらい同和と関係ないヤクザが同和を名乗りたくなる大きな誘惑がここにあったんです。この不当きわまる担税回避特権に関しては、朝鮮総聯もまったく同じ。戦後うまれたパチンコ屋がちゃんと税金を払っていたら、あんな巨大産業にはなっていません。しばしば朝鮮と同和がフュージョンするのにも理由がありました。

 わたしが「マックKEMPOHが日本を滅ぼす」と言うのも、こういうところなんです。大蔵省の役人は、自分たちが日本で一番頭の良いリーダーであると自惚れていながら、同和に公平な課税を強制してこなかった。「法の下の平等」および「法の支配」を、国家の指導的エリートみずからが破壊してました。それで少しも恥ずるところがなかった。これが「自由を戦って守ることは致しません」と堂々と謳い上げた押し付け条約=フィリピン式奴隷契約=偽憲法の当然の帰結ですよ。エリートに、国家リーダーの精神的資格(自由の敵とは戦争する、市民を襲う野獣は殺す、という気概)がないのです。

 それで、とうとうアメリカが怒った。財務省がアメリカから叱られた。
 ここ数週間のうちに、解同系、大日本系、そして総聯の関係先に、たてつづけに税金関係(税理士法違反・等)を理由とする「手入れ」がありましたでしょう。挙げられているのはいずれも小さなタマですけど、象徴的な意味は大きいのです。動いたのは警察ですけども、動かしたのは日本の財務省です。その日本の財務省に命令を出したのはホワイトハウスです。


 意義としてはこれは大ニュースだ。けれども既成新聞の扱いは小さい。ネットの上でも、評論家はほとんどコメントしてない。たぶん誰も、その大きな背景と、今後の世の中の進むところについて、わかっちゃいないためでしょう。


 つまりですね、イラクとイランと北鮮の件で、アメリカの指導層はいまやすっかり学習してるわけなんですよ。――反自由・反民主主義的な集団にアブク銭を持たせたら、それは回りまわって「サリン・ガス」や「炭疽菌」や「テポドン・ミサイル」や「1kt原爆」に化けることになるんだってことをね。

 誰のせいで、アメリカ本土が大量破壊兵器テロの脅威にさらされることになっちまうのか……? その原因の元を糾していったら、なんと、ヘタレな日本の大蔵官僚にあると分かった。犯人を、やっとつきとめたのです。だから、日本の霞ヶ関よ、これからはヤクザに脱税させたら承知せんぞ、という一喝なんですよ。


 圧力団体の脱税ってのは今はどうだか知らないが、かつての典型的なやり口はこうです。正業のよくわからない、しかしコワモテの小ボスがいます。彼の近くに、今年、とても儲かってしまった小企業主がいる。件の小ボスは、その小企業主にもちかけます。あるいは小企業主の方から先に相談してくる。そういう付き合い関係。

 そこで小ボスは言います。「この業績じゃ、来年の税金は1000万円はとられるわな。どうや、ワシに税務対策を任してくれたらな、あんたンとこの来年の税金をチャラにしてみせるが、どや? そのかわり、こづかいとして前金でワシに500万もってきてや」。

 この「税務対策」で例の肩書き付きの対策団体幹部の名詞が税務署や自治体のしかるべき窓口に対して使われることは言うまでもありません。
 で、この500万円はどこへ行くのか? 総聯の場合でしたなら、ほとんどがそのまま北へ送られ、1980'sの核開発の原資になっていた――というわけなのです。


 政府の次のステップは共謀罪の国会可決でしょう。これも要求はホワイトハウスから出ているのです。だからもう同和利権なんて壊滅ですよ。対策団体の役員幹部の肩書きなんか名詞に明記していたら、暴対法のヤクザ名詞出し行為と同じで、それだけで検挙されるようになるかもしれません。同和と朝鮮のさらにその次は、創価学会でしょう。


(私のコメント)
今日のサンデープロジェクトは同和問題を扱ったらしい。私は最近は田原総一郎の番組はほとんど見ていない。「朝から生テレビ」にしても出席者が偏っており、番組が欠席裁判のような番組になってしまって一方的なプロパガンダを公共のテレビ放送でやっているのだ。

だから田原総一郎の番組は見ないのですが、ネットでサンデープロジェクトの録画をアップしているサイトがあったので見ましたが、やはり解放同盟に同情的なゲストだけで固めて、これでは見方が一方的になってしまっていた。ネットでどうして解放同盟が叩かれているか分からないのだろうか?

ヤクザー解放同盟ー朝鮮総連ーパチンコ屋ー北朝鮮とみんな絡んでいるのですが、マスコミは恐がって解放同盟の問題を扱ってこなかった。ところが最近は奈良県の問題が出て、関西地区では毎日のように解放同盟問題が扱われるようになっている。大阪や京都でも同じような問題が暴露されている。

東京などでは同和問題といっていますが、同和利権にヤクザが連帯して行政にたかっているようなのだ。田原総一郎氏や鳥越俊太郎氏や筑紫哲也氏の番組には絶対に同和や解放同盟に批判的な人は出さない。なぜならば彼らとヤクザや朝鮮総連や北朝鮮との関係をばらされたくないからだ。

ヤクザの構成員は解放同盟や同和や在日が出身者が過半数を占めているようですが、だから同和や解放同盟を名乗るだけでもヤクザに脅されるのと同一の効果を持つようになり行政に食い込んで利権を得るようになっていった。

更に在日や朝鮮総連や日教組やパチンコ屋などとも連帯を組んで北朝鮮への資金提供ルートを作り、、更には北朝鮮からのキックバックなどによる政治献金が政治家に渡り、野中広務などの自民党のボスが権力を掌握するようになった。野中広務は同和出身者である事を自らも認めている。

このような政治家を含めたスクラム体制は日本の国政や行政に深く食い込んで蝕んでいきましたが、マスコミはこの事をほとんど報道してこなかった。野中広務などは郵政を通じてマスコミも掌握していたからマスコミも動けなかった。

このようなスクラム体制に危機が訪れたのはアメリカのホワイトハウスが動き始めたからであり、日本のヤクザ組織を問題にして報告書が出された。兵頭二十八氏のブログによれば、パチンコ屋などの巨額な脱税資金が朝鮮総連を通じて北朝鮮に渡り金正日のポケットマネーになり独裁体制を支えている。

解放同盟や同和が在日や朝鮮総連と連帯を組むようになったのはヤクザや政治家を通じてであり現在では大阪や京都を中心に一体化している。そして税務署などに対して政治的圧力を加えて脱税特権を在日などのパチンコ屋に対して認めさせて、その脱税資金の何割かが朝鮮総連を通じて北朝鮮に行っている。

このような事はサンデープロジェクトなどでは一言も触れずに、もっぱら解放同盟に対する差別問題を取り上げて、彼らをそのようにした責任は行政にあると糾弾している。しかし彼らがどのような方法で行政を脅して利権を獲得していったかについては一言も触れない。同和や解放同盟の幹部の名刺を見せれば、行政は事なかれ主義で彼らの言いなりになってしまっていた。

しかしホワイトハウスが動いた事によって日本の闇の勢力にもメスが入れられる事になり、まず野中広務が政界から引退へ追い込められた。CIAなどが彼のスキャンダルを握って引退させたのだろう。日本の警察や検察ではこのような事は出来ない。そして食肉利権にもメスが入れられて同和利権に対してもメスが入れられるようになって来た。日本政府はホワイトハウスに逆らう事は出来ない。




手嶋 龍一,佐藤 (著) 「インテリジェンス 武器なき戦争
秘密情報の98%は公開情報を再整理することによって得られる


2006年12月10日 日曜日

インテリジェンス 武器なき戦争 手嶋 龍一,佐藤優 (著)

まえがき

最近、私の周辺が騒々しくなっている。去る(二〇〇六年)一〇月九日の北朝鮮による核実験のせいだ。実験から一週間を経た頃から、各国のインテリジェンス専門家たちが続々と東京にやってくるようになった。彼/彼女らの動静はマスコミでは報じられない。

しかし、蛇の道は蛇で、この世界の人々のネットワークは普段は眠っていても、こういうときに甦る。本文でも強調したが、私は蛇すなわちインテリジェンス専門家ではない。私はインテリジェンスの内在的論理を少しだけ理解することができる外交官だった。

しかも現役を離れてから五年近くになり、その内、約一年半(二〇〇二年五月一四日から二〇〇三年一〇月八日までの五一二日間)は、小菅の東京拘置所独房に閉じこめられるという得難い経験をし、犯罪者という烙印を押されている。

一般論としてインテリジェンス専門家は慎重だ。特にカウンターパートである組織(日本の場合、外務省もその一つ)と敵対関係にある人物とは接触しない。私と接触したことが外務省にバレた場合、当該情報機関と外務省国際情報統括官組織の協力関係、業界用語でいうところの「コリント(協力諜報)」に支障が生じる。私にアプローチしてくる外国人インテリジェンス専門家たちは「それでもいい」と腹を括っているのだ。

秘密情報の九八%は公開情報を再整理することによって得られるという。北朝鮮に関して、控えめに見積もって東京で熱心に情報収集活動をすれば、インテリジェンス専門家が必要とする情報の八○%を入手することができる。ただし、それを行うためには事情に通じた案内人が必要だ。

かつて付き合っていた外国人たちが案内人役を私に求めてきたが、「全体の案内人は現役の外務省員がやるべきだ」といって、ていねいに断った。ただし、昔から御縁のある人たちなので、あまり失敬な態度をとることもできない。

そこで相手が公開情報にないナマの情報を提供する割合に応じて、公開情報に対する私の分析を率直に語るという取り引きをした。その結果、いくつかのポイントが見えてきた。 (後略)

二〇〇六年一一月三日 (文化の日)   佐藤優


インテリジェンス機関の創設より人材育成を

手嶋
ところが安倍新政権では、インテリジェンスの器を整える議論が先行しているように思います。安倍新総理は外交・安全保障に関して二つの大きな提案をしています。その一つは総理官邸の外交機能を強化するための「日本版のNSC」、つまりアメリカのホワイトハウスと同じような国家安全保障会議を創設する。

もう一つが、いわゆる「晋三版CIA構想」と呼ばれるものです。これが新しい対外情報機関として想定されています。いまは対外情報の専門機関が存在しないので、ないよりはあったほうがいいのでしょうが、器をつくっても十全に機能しなければ意味がない。

佐藤
そうですね。しかも、いったんつくったものが失敗すると、次に立ち上げるのは難しくなるので、慎重に考えなければいけません。そもそもインテリジェンスの世界では、組織よりも人なんです。人材を育てるのが先で、組織をつくるのは最終段階。まず器をつくって、そこに自分たちをはめ込もうというのは、典型的な官僚の発想です。

それは同時に、インテリジェンスからもっとも遠い発想でもある。いま新しい情報機関をつくることになったら、日本の最悪の面が出てきますよ。警視庁と外務省の綱引きになる。そこに公安調査庁を持つ法務省も割り込んで、三つ巴の縄張り争いが始まるのは問違いありません。

手嶋
すでに、その情報機関をイギリス型にしようどいった声も聞こえてきますが、イギリスのSISは機構上外務省に属しています。その場合は日本でも外務省の統制下に置かれることになります。

佐藤
だから、霞が関周辺で「イギリス型で」という声を聞いたら、その時点で「ああ、外務省の息がかかった人ね」とわかるから、僕はもうその先は聞きたくないんですよ。ある意味で外務省のロビー活動がうまくいっているという証左かもしれませんが、要は外務省のアンブレラの下に置くという結論が先にあるわけです。

一方、「CIA型で」という声を聞いたら、「ああ、警察の人ね」とわかるから、その先は聞く必要がない。現在の内調を強化して、警察直結の組織をつくるという発想なんです。

話の入口を聞けば、誰の利害を代表して物を言ってるかわかってしまう。こういう組織文化があるかぎり、どうやってもこの綱引きは起きるんですよ。このスキーム(図式)をぶち壊すのは政治家にしかできないんですが、今は官僚の力が強くなっているので難しい。

官僚が縄張りを守ろうとするときは、尋常ならざるエネルギーを発揮しますからね。そういうことをさせないためには、組織をつくる前にワンクツション入れたほうがいいんです。急がば回れで、まずは人材の育成から始める。

国際スタンダードの本格的なインテリジェンス能力を備えた人間を五年間で五〇人、インデツジェンスを理解する人間を二〇○〜二五〇人ほど育てることが急務です。それだけのパイを作っておけば、そこから新しい組織をつくることができるでしよう。

その五年間に、器についての研究もすればいいんです。今は「イギリス型かアメリカ型か」という話になっていますが、選択肢はそれだけではありません。イギリス型とアメリカ型の中問に位置する「イスラエル型」も面白いパターンだと思います。

たとえばアメリカ型を採用しているロシアのSVR(ロシア連邦対外情報庁)はロシア外務省の電報を読むことができませんが、イスラエルのモサドの連中はイスラエル外務省の電報を全て読むことができる。しかしモサドは、イギリスの情報機関ほど独立性が高くありません。

つまりイギリスほどエリート主義ではないということです。現在の世界を見渡すと、英連邦諸国以外の国はほとんどがアメリカ型の情報機関を持っていますが、先入観にとらわれずに、あちこちのスタイルを比較検討してみるべきだと思いますね。

インテリジェンスの底カ

手嶋
しかし、どんなタイプの情報機関をつくるにしろ、まずは人を育てるところから始めなければならない。先ほど、インテリジェンスを理解する人問を五年間で二〇○〜二五〇人ほど育てるという話がありました。どんな教育がもっとも効果的なのでしょう。

佐藤
まずは学術的な基礎体力をつけないといけません。学術的な研究と現実のインテリジェンスをつなぐことのできる専門家を育てる必要がある。

たとえばネオコンの重要性について、非常に早い時期に指摘していた学者がいます。一九八五年に西ドイツ(当時)の杜会哲学者ユルゲン・。ハーバーマスが、「ドイツ連邦共和国とアメリカ合衆国における新自由主義、新保守主義の意義について」という論文を発表しているんですよ。

そこでは、レーガン政権の勝利はネオコンという勢力が思想の上のみならず政治でも勝利したことを意味している、ということが書かれています。ネオコンは従来のカトリツク系右派などとは基本的に違う勢力です。

ネオコンは、もともと民主党支持でリベラルな思想を持っていた。しかしリベラル派が社会福祉や教育などで国家に頼りすぎたことが、アメリカ人の自己責任感覚を鈍らせ、国家を弱体化してしまったと考えています。ネオコンは左翼からの転向者なのです。

さらに自然と闘って克服するというネオコンの自然観は、砂漢の民であるユダヤ人の伝統的な発想に近い。したがってネオコンは世界秩序を自分たちの基準に合わせようとする。そのため、今後は大変な緊張が起きるだろうーといってるんですね。

それに対して、たとえばドイツ連邦共和国の哲学者、アルノルト・ゲーレンの新保守主義には、自然に帰るという発想があって、ネオコンとは自然観がまったく逆だから、ドイツの新保守主義からは地域統合という内向きのベクトルが生まれてくる。しかし、そこでは自分たちのいる土地は特別な場所だという形でかつてのナチズムの影が出てくるかもしれないから、気をつけなければいけない。

つまり、アメリカとドイツの二つの新保守主義はベクトルがまったく違うといっている。このハーバーマスの論文は、一九九五年に『新たなる不透明性』(松頼社)という邦訳も出版されています。こんな具合に、社会哲学者が二〇年前に欧米双方の新保守主義的なトレンドを正確に見通していたわけで、こういう断片的なデータを収集して一つの情報を組み上げることができるのが、「インテリジェンスを理解する人間」ということです。

しかもそういう人間は、その情報を面白おかしく人に説明する能力を持っている。断片的なデータをそのまま渡しても政治家はわかりませんが、インテリジェンスを理解した人間が説明すればわかるでしょう。そういう説明のできる人間を二〇〇人育てれば、インテリジェンスに漠然とした理解を示す人間が永田町と霞が関で五〇〇〇人ぐらい出てくるはずですよ。器の議論をするには、そういう環境が必要だと思いますね。

官僚の作文に踊る政治家たち

手嶋
国家の舵取りに役立つ情報を提供するのがインテリジェンスの重要な柱です。それを受け取る政治指導者の資質がきわめて重要だと繰り返し申し上げました。しかし現実は悲しいかな、インテリジェンスを政治の舵取りに役立てる機能が恐ろしく脆弱です。

たとえばアメリカのプッシュ政権は、イラク戦争に際して、「サダム・フセインは大量破壊兵器を持っている」「そのイラクは、水面下でアルカイダとつながっている」というインテリジェンスを日本側に提供し、武力行使への支持を求めました。

残念なことに、当時も今も日本政府は、そのアメリカ情報の真贋を独自に判断するインテリジェンスをまったくといっていいほど持ち合わせていません。しかし現在はブツシュ大統領もCIAもDIAも、「アルカイダとイラクは関係がない」「大量破壊兵器もなかった」ということを認めている。

イラク戦争の開戦当時とは、事実関係が一八○度変わってしまった。ところが与党の責任者は、いまだに開戦前に外務省の課長補佐クラスが書き上げた国会答弁を繰り返し口にしている。なぜ、外交当局を呼んで叱責しないのでしょうか。

日本政府が、アメリカの対イラク武力行使を支持するにあたっては、第一次湾岸戦争時の国連決議にサダム・フセインが累次にわたって違反をしていることを最大の根拠として使っています。したがって国連決議を新たに取り付けることにアメリカが失敗したにもかかわらず、アメリカの武力行使は正当化しうる、という理論で構成されています。典型的な条約官僚の作文なのです。

外務省条約課の首席事務官か課長補佐クラスの人たちは、仕事ですからそう書くでしょう。しかし、これが最終的な総理答弁にもなっています。だから、大量破壊兵器が見つからなくても、条約官僚はあまり痛痒を感じないのかもしれません。

しかしアメリカの同盟国である日本が、こんなに表層的な理屈でアメリカの力の行便に支持を与え、こと足れりとしていてはいけません。情勢がイラク戦争開始当時とは大きく異なってきている。いつまでも国連決議にしがみついていてはいけない。

このあたりが、日本外交のもっとも悪いところです。条約官僚の世界では通用する。しかしながら、国際社会ではまったく通用しない。国家の舵取りに有益なインテリジェンスを誰も政治家に提供せず、使い捨てにしている。嘆かわしい現状です。 (P190〜P197)


(私のコメント)
株式日記では公開された情報やニュースを組み合わせて分析すればかなりの事が分かると書いてきましたが、そのためには知的な基礎体力が要ります。このような仕事は政治家では忙しくて出来ないから、優秀なスタッフをそろえて政治家に提供すべきなのですが、日本にはそれをするスタッフも機関もない。

それでは日本に中央情報部や国家安全保障会議を作ろうと言う話もありますが、そのような組織を作れば機能するかと言うとそうではない。それにふさわしい能力を持った人材を育てなければ組織を作っても役人達の天下り先になるだけだ。

本場のアメリカでもCIAやNSAやその他のシンクタンクなど夜空の星のごとく情報機関や組織が整備されていたのに、イラク情勢に対する情報分析が機能しなかった。アメリカには中東の専門家も山のようにたくさん居り、アメリカ軍をイラクに侵攻させればどうなるか分析されたのですが、あまりにも楽観的なもので、株式日記の方が正確な分析をしている。

日本では情報機関と言うとジェームス・ボンド的なスパイが活躍するところと見られていますが、CIAなどは国際情勢に対するシンクタンク的な役割のほうがメインであり、秘密工作的な役割は最近まで縮小されていた。

日本ではこのような役割は外務省や警察庁などが引き受けてきたのですが、必ずしも政治家との連携が上手く機能せず、情報を独占して担当大臣へも報告しないなどの嫌がらせもかなりあった。

このような弊害を無くす為に官邸に直属する情報機関を作ろうと言うのでしょうが、内閣情報調査室は百数十名程度の各官庁との連絡組織に過ぎず、ほとんどが中央官庁からの出向者によって成り立っている。これでは官僚の情報支配は変わらない。

「インテリジェンス 武器なき戦争」という本ではスパイ工作機関としての情報機関というよりも、国際情勢分析機関の必要性を説いている。日本では外務省や防衛庁などが担当しているから必要なかったのでしょうが、それでは集めた情報も各官庁に埋もれてしまって政治や外交に生かされてこなかった。

政治家はそれらの中央官庁の上に乗っているだけで、すべての情報を知る立場には無く、中央官僚が書いた作文で政治家はそれを演じているだけであり、国会答弁一つとっても官僚たちが書いた作文を朗読しているだけだ。しかしそれでは外交交渉などは外国とは出来なくなってしまう。実質的な協議は事務官僚がするというのが日本のやり方だった。

ところが欧米では大統領や首相などによるトップの交渉で決められるから日本はその中に入っていけない。だからこそ首相直属の情報機関を持ち適切な情報を提供して国際交渉に備える体制を整えるべきだ。軍隊における参謀本部の役割が必要なのですが、中央官庁は行政組織であり参謀本部ではない。

ところが大東亜戦争を見ても日本軍には参謀本部はあってもそれは機能していなかった。だから政治分野の参謀本部を作ってもふさわしい人材がいなければ有害無益な存在になってしまう。だから手嶋 龍一氏や佐藤優氏は人材の育成が一番重要だと指摘する。

インテリジェンスの世界では一万人の凡人が集まって協議するよりも、一人の天才的戦略家の方が役に立つ世界であり、秀才はたくさんいても天才のいない日本では欧米に比べると不利になってしまう。では、どうしたら日本で天才的戦略家が育てられるかと言うと教育から変えないと難しい。東大出の秀才では分析する仕事は向かないからだ。

様々なニュースをかき集めて真相を浮かび上がらせるには芸術的な感覚が必要だ。そのためには直観力が勝負であり、天才的なひらめきが必要だ。相手国の嘘を見破るには情報も必要ですが、どれが正しいかを見分けるにはインスピレーションがすべてだ。

佐藤氏は秘密情報の98%は公開情報の再整理をしても得られると書いていますが、9・11テロの秘密なども最初は直感的に判断して情報を組み立てていけば98%は解明できるだろう。だから株式日記でも直感で書いているから陰謀論めいていますが、情報を集めていくうちに真相にだんだんと迫っていく事ができる。

イラク戦争も軍事侵攻すれば泥沼化することは軍人達は直感的にわかっていた。しかし一流大学を出たエリート達にはそれがわからず情報も生かされなかった。サダム・フセインが核開発していると言う情報もガセでしたが直感で嘘を見抜くことが出来なかったのだ。それよりも公開情報から分析した方が正確な判断が出来たのではないかと思う。




米中の戦略経済対話、12月に開催・米、貿易不均衡の解消を
中国はドル売りを対米カードに使ってアメリカを追い込んでいく


2006年12月9日 土曜日

米中の戦略経済対話、12月に開催・米、貿易不均衡の解消を 12月1日 日本経済新聞

米政府は28日、米国と中国の経済課題を包括的に話し合う「戦略経済対話」の初会合を12月14、15の両日、北京で開くと発表した。代表団を率いるポールソン財務長官のほか、バーナンキ連邦準備理事会(FRB)議長、シュワブ通商代表部(USTR)代表らが参加。貿易不均衡の解消を柱とする懸案の対応に異例の大型代表団で臨む。

 財務省によるとグティエレス商務長官、ボドマン・エネルギー長官、チャオ労働長官、レビット厚生長官、ジョンソン環境保護局長官といった経済分野を中心とする有力閣僚らが参加する。中国側は呉儀副首相が代表を務め、関係閣僚が出席する。米側は滞在中に胡錦濤国家主席、温家宝首相とも会談する見通しだ。


ドルの落日(涙) 12月9日 ロシア政治経済ジャーナル

欧州の反逆

しかし、世界はむかつく。還流の話は抜きにして考えましょう。アメリカの貿易赤字が年間80兆円。アメリカは、80兆円分のドルを刷って支払っている。

世界にドルの量が増えれば、長期的には価値が必ず下がっていきます。ちなみに、70年代のはじめまで1ドルは360円でしたが、今は120円。ドルの価値は3分の1になっている。

つまり、ある国がドルを溜め込む(保有する)ということは、「将来必ず下がる資産」を持っているのと同じこと。そんなドル体制に反逆したのがEU。

1999年1月1日にユーロが誕生しました。当時のフランス大統領顧問ジャック・アタリさんはいいます。

「通貨統合・政治の統一・東欧やトルコへの(EC)拡大。これらが実現でき
れば、欧州は21世紀アメリカをしのぐ大国になれるだろう」
        ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このように、ユーロ誕生には「アメリカの一極支配体制を崩壊させる」という明確な意図があったのでした。あれから7年の月日がながれ、状況はEUの思惑どおりになってきています。


「ユーロ、ドルに匹敵する国際通貨に=オーストリア中銀総裁

[ブラチスラバ 22日 ロイター] 欧州中央銀行(ECB)理事会メンバーのリープシャー・オーストリア中銀総裁は22日、ユーロがいずれ国際通貨として、米ドルに匹敵するとの見方を示した。

総裁は当地での講演原稿で、ユーロがドルに次ぐ通貨として次第に貿易や投資、準備通貨に利用されていると指摘。「ユーロがドルと同様の国際通貨となる可能性を有していると考えている」と述べた。
(ロイター) - 06年11月23日」

 
中東の反逆

そんな腹黒い欧州。中でも、アメリカの没落を心から願っているのがフランスのシラクさん。湾岸戦争とその後の経済制裁で苦しめられているフセインをそそのかしました。

00年9月24日、フセインは「石油代金として今後一切ドルを受け取らない」と宣言。なんと石油をユーロで売ることにしたのです。実際同年11月からユーロで売っています。

アメリカは、03年にわけのわからない理由でイラクを攻撃し、決済通貨をユーロからドルに戻しました。

06年4月17日付の毎日。

「イラクの旧フセイン政権は00年11月に石油取引をドルからユーロに転換した。国連の人道支援「石油と食料の交換」計画もユーロで実施された。米国は03年のイラク戦争後、石油取引をドルに戻した経過がある」

しかし、フセインは「アメリカ幕末史」の中で大きな役割を果たしたといえるでしょう。アメリカのアキレス腱が全世界にバレテしまったのです。

まず、アメリカはなぜ「核兵器を保有している北朝鮮にやさしく、保有していないイランに厳しいのか?」↓


「 <イラン>石油取引所を開設 ユーロ建てで米国に挑戦か 

【テヘラン春日孝之】石油大国のイランが石油取引所の国内開設を目指している。取引の通貨がユーロになるとの情報が流れ、オイルダラーに依存する米国の「ドル支配体制」への挑戦ではないかと観測を呼んでいる。」
(毎日新聞) - 06年4月17日」

こう見ると、アメリカの外交政策にも一貫性があるじゃあないですか?反逆はイラク・イランだけではありません。

「ペルシャ湾岸6産油国通貨統合で協議    【日経ネット】

 【バーレーン=加賀谷和樹】サウジアラビアなどペルシャ湾岸の6産油国でつくる湾岸協力会議(GCC)首脳会議は19日、通貨統合に必要な各国のマクロ経済に関する5つの基準を採択し、閉幕した。」
(05年12月21日)

どうですか? ドルの脅威はユーロだけではないのです。もし、中東産油国が「ドルでは売りません。共通通貨で買ってください」となれば?

アメリカは石油を輸入できなくなる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


しかし、親米のサウジとかを攻撃するのは大義名分がたたない。それで順番としては、まず反米のイランを「核開発」「テロ支援」などの理由で徹底的に叩きつぶす。

その上で、サウジの国王に、「アホなこと考えるとおまえらも同じ目にあわせるぞ!」と脅迫する。

ロシアの反逆

アメリカを心の底から憎んでいるのがKGB出身のプーチンさん。そして、ずるがしこいKGB軍団は、ずっと前からアメリカの弱点を知っていました。

プーチンは99年10月(!)、フィンランドで「原油をユーロでうりましょうか?」と提案しています。その後、アメリカはグルジア・ウクライナ・キルギスで革命を起こした。そして、グルジア・ウクライナをNATOに加盟させようとしている。軍団の怒りはどんどんヒートアップし、禁じ手の使用を決意。

「ルーブル建て原油取引開始 ロシア、影響力強化狙う

【モスクワ9日共同】モスクワの取引所、ロシア取引システム(RTS)で8日、初のルーブル建てロシア原油の先物取引が始まった。

サウジアラビアに次ぐ世界第2位の産油国であるロシアは、自国通貨建ての自国産原油市場を創設することで、国際原油市場での影響力強化を図る狙いだ。
(共同通信) - 06年6月9日」

この決定の後、アメリカは気が狂ったようにロシアをバッシングしているでしょう? たまにCNNとかを見ると、驚いちゃいますね。プーチンは昔から独裁者だったのに、今年になってから独裁者になったかのような報道。

裏の事情を知っている人は、バッシングが強化されている理由がわかるのです。

さて、KGB軍団の政策は着実に成果をあげています。

「ルーブルが対ドルで7年ぶり高値に上昇

[モスクワ 24日 ロイター] ロシアのルーブルが対ドルで7年ぶり高値を更新した。ドルがユーロとスイスフランに対して約1%下落した流れを受けている。ルーブルは1ドル=26.4360ルーブルと1999年11月以来の高値をつけた。
(ロイター) -06年 11月24日」

ここ数日間、モスクワでは恐ろしい事態が発生していました。

ロシア人がドルを投売りルーブルを買ったので、両替所からルーブルが消えた。驚くべき事態です。金融危機のあった98年、ロシア人はルーブルをなげうってドルを買いあさりました。それが、今ではドルを投売りしている。(涙)

中国の反逆

皆さん中国人をあなどってはいけません。ホントにこの人たちは賢い。考えてみてください。イランやロシアは一生懸命アメリカと戦っている。誰が得するかといえば、中国だけが得しているのです。さすがは孫子の末裔。戦わずに勝つのが上策。

さて、中国。

中国は06年2月、日本を抜き外貨準備で世界一になっています。そして、米国債を約40兆円保有していて、世界2位。(一位はもちろん日本)もちろん中国がドルや米国債を投げ売れば、ドルが暴落し、自分も損をする。

しかし、米中関係がいよいよ悪化し、「フセインのようにブタ箱に入るか?」「米国債をなげうってアメリカを没落させ、世界恐慌を起こすか?」の選択を迫られれば?

共産党の幹部は、もちろん自分の金と権力と家族を守るために、ドルと米国債をうるでしょう。06年1月にそういう脅迫をしています。↓


「【中国】中国が米国債を売却か、米財務長官「中国こそ損する」

 中国の外貨管理局が「国際収支のバランスを保つよう努力する」と題して、5日に発表した声明が波紋を広げている。

「中国政府が保有している米国債を売却するのではないか」との観測を呼ぶ箇所が含まれており、米国のスノー財務長官が「仮に中国政府が売却しても、次の買い手はすぐに見つかる」と発言する事態に発展した。」
(サーチナ・中国情報局 06年 1月9日)

そして、中国の幹部さんたちは、アメリカを脅迫しつづけています。

「ドル保有者はリスクに直面している=中国人民銀行副総裁

 [北京 24日 ロイター] 中国人民銀行(中央銀行)の呉暁霊副総裁は24日、東アジアのドル保有者は、長期金利低下とドル安のリスクに直面していると述べた。マーケット・ニュース・インターナショナル(MNI)が伝えた。」
(ロイター) -06年 11月24日

もう十分でしょう。

日本政府は、アメリカの天領ですから、皆さんに絶対ホントのことを教えてくれません。中期的には上下があるでしょうが、長期的にドルが下がることは必至であります。RPE読者の皆さんは、ドル・ユーロ・円に分散させることで、資産を防衛してください。

最後に、IMFのラト専務理事が今年3月末、カンボジアで語った言葉でしめます。

「アメリカ人の異常な支出が、貿易・財政赤字を生み出している。ロシア・サウジアラビア・日本・中国は貿易黒字だが、アメリカだけは膨大な赤字国である。

この不均衡は、遅かれ早かれ調整されるが、それが急激に起これば世界経済は危機に直面する。不均衡の責任はアメリカにある。アメリカは、徐々に支出を減らし節約をするべきだ。不均衡を調整するために、アメリカ経済の成長を鈍化させるべきである。」

皆さん気をつけてくださいね!(^▽^)(^▽^)(^▽^)
 


(私のコメント)
株式日記ではネット上のいくつかのニュースを組み合わせることで真相に迫る方法をとっていますが、ニュース単体では何でもない当たり前のニュースでも、それらを並べてみるとはじめて真相が見えてきます。

冒頭のニュースもアメリカの財務長官とFRBの議長が中国を訪問すると言うニュースですが、何の為の訪問かと言うと、「ロシア経済ジャーナル」の記事にあるようにドルを売らないように圧力をかけるために行くのだ。

アメリカはEUやロシアや中東諸国や中国た中南米諸国から反逆されて四面楚歌の状況にある。世界を見回してみればアメリカに逆らっていない主要国は日本とオーストラリアとイギリスぐらいしか見当たらない。しかし最近はイギリスもブレア政権が危なくなってきている。

このような状況でイラクから撤退すればアメリカの威信は地に落ちる。それと同時にドルも売られて経済的にも危機的な状況に追いつめられるだろう。日本もこのままではアメリカの巻き添えを食って大きな影響は避けられない。だから外貨はドルだけではなくユーロなどに分散投資すべきだとも書いてきた。

アメリカはいまイラク戦争の費用として毎月1兆円近くもの戦費を使っている。イラクの状況は良くなるどころかますます悪くなっている。ブッシュ大統領は結局は自分の誤りを認めずにあと二年がんばるだろう。それまでアメリカ経済は持つのだろうか?

このような状況をロシアや中国はどのように見ているのだろうか? アメリカ経済をずたずたにしてイラクはもとより、アフガニスタンや中央アジアの米軍基地を撤収させるまで追い込むだろう。ソ連の崩壊がアフガン侵攻にあるように、アメリカ崩壊のきっかけもイラクやアフガン侵攻がきっかけとなるだろう。

ロシアや中国は直接アメリカに対抗するような事はせず、アメリカにとって一番の弱点を突いて来る。世界最強のアメリカ軍は巨大なアメリカ経済に支えられているのですが、ドルは武力と石油で支えられている。ところが産油国のロシアや中東諸国はドル以外で売ろうとしている。アメリカがもはやイラクで手一杯だから足元を見られているのだ。

アメリカは北朝鮮に対して経済制裁以外に手も足も出ないのは不吉な前兆だ。爆撃程度はいつでもできるのでしょうが中国やロシアが黙ってはおらずドルや米国債を売り浴びせてくるだろう。90年代はドル以外に基軸通貨が無かったからアメリカも好きな事ができたのですが、今ではドルを売ってユーロを買う事ができる。

田中宇氏の記事のようにアメリカの自滅的な行動は、アメリカの権力の中枢にEUの手先がいて、アメリカを自滅的行動の追い込んでいるとしか思えない。そうすれば世界の大金持ちはドルを売ってユーロを買うようになるからだ。

日本は世界一の対米黒字国でしたが中国が対米黒字でドル保有高を伸ばしている。アメリカとしては今まで日本さえ押さえ込んでよかったものが、中国の台頭により中国を押さえ込む必要が出てきましたが、中国は日本のように素直ではない。

日本としては対米従属を続けながらも米中対立や米ロ対立や米EU対立を眺めていればいいのでしょうか? 日本経済が今までアメリカ経済を支え続けてきたのですが、株式日記では日本がアメリカを見捨てればアメリカは世界の覇者から転落すると書いてきた。

ところがアメリカの財務長官や中央銀行総裁は日本を素通りして中国に交渉に行く。それだけ日本はアメリカに舐められているのだろう。丁度クリントンが98年に日本を素通りして中国に9日間も滞在した事を連想させる。6カ国協議でもアメリカは中国ばかり頼りにして日本は影が薄い。

日本こそアメリカの命運を担っているにもかかわらず、アメリカの政府高官に日本が軽視され続けるのはなぜなのだろうか? アメリカの政権内に日本の専門家が一人もいない事からも証明できる。日本の政治家が従属国根性になってしまって日本の立場を生かせないからだ。

アメリカはEUに反逆され、ロシアに反逆され、中東に反逆され、中国にも反逆されて総スカン状態だ。このような状況はアメリカの独善的な態度が招いた事であり自業自得なのですが、温厚な日本も切れかかってきている。


21世紀 日本の進路 平成13年3月6日 岡崎 久彦

選挙期間中、クリントンが同盟国を軽視したことの例として、共和党がさんざん民主党を攻撃したなかで一番はっきりした例が、この訪中だったのです。中国に8日間いて、そのあとホノルルで休暇を取った。それだけ時間があったのに、日本にも韓国にも立ち寄っていないと。アメリカの評論家によれば、アメリカの大統領が過去50年間、モスクワを訪問した行きと帰りにロンドンとかボンなど同盟国に立ち寄らなかったことは1度もないそうです。敵であるロシアを訪問するのですから、同盟国に「これからどういう話をするとか、今こういう話をしてきた」と説明するのは当たり前なのです。それを思うとクリントンの同盟国無視は、相当重大な問題だったのです。


(私のコメント)
クリントン大統領の時もレームダック化していた時期であり、ブッシュ大統領も選挙に負けてレームダック化している。そのためにいつも持ち出すのが中国との外交で人気を盛り返そうとする事であり、結果的に日本の頭越しの外交と言うことになる。同盟国無視はクリントン政権もブッシュ政権も変わりがないようだ。




植草氏が、言っていない「天に誓って」発言をNHKが虚偽報道
結局、植草氏の事件は、共謀罪のさきがけである


2006年12月8日 金曜日

日本において最優秀の経済学者にふりかかっている「言論弾圧」について  12月7日 小野寺光一

(前略)
<突然、左側と後ろ側を誰かに強くつかまれた>

 それから20〜30秒ほどした時に突然私は左側とうしろ側を誰かに強くつかまれました。

<自分が犯人と誤解されたと思い、がく然とした>

自分が犯人に間違われたと思い、がく然としましたが、自分が人によく知られている身でしたので、

ここで騒ぎにしたくないと思い、大きな声も出さずに駅に到着するのを待ちました。

<駅についたら、女性に、自分が無関係なことを理解してもらおうと思った>

駅に着いたら、女性に事情を聞き、私が無関係であることを理解してもらわなければならないと思っていました。

<二人は、強烈な力で押さえつけ、女性と話ができない>

 駅について、当然その女性と話ができると思っておりましたが、おそらく二人だったと思うのですが、私を掴んだ人たちが強烈な力で私を押さえつけて、事務室の方向へ連れて行きました。

<何度も「女性と話をさせてくれ(誤解だったら解かせてくれ)」と言ったが、無視された>

途中で私は何度も「女性と話をさせてくれ」と言いましたが無視され、

<上半身が全く身動きできないような強烈な力で押さえられた>

上半身が全く身動き出来ないような強烈な力で押さえられ、駅事務室の左側の小さな部屋に私一人だけが、連れてゆかれました。

<実は二人の謎の男性は、事件を目撃していない>

 11月10日過ぎに受け取った検察官開示記録によると、

私を掴んだ人達は事件を目撃していない二人の民間人の男性であったとのことですが、


<事件を目撃していないのに、謎の2人の男性は、力づくで>

それならばなぜ、私が女性と話をしようとするのを力づくで阻止し、私一人だけを女性とは別の事務室に連れていったのか、非常に不自然であるとの思いを拭えません。


 事務室の入り口の所に体格の大きめな駅員がおりましたので、「とにかく女性と話をさせてくれ」と告げて事務室を出ようとしたところ、

その駅員に制止されました。激しくもみ合った末に結局阻止され私は椅子に座りました。

 <想像を絶する報道被害と、有罪をねつぞうされる危険性>

私は、「このままでは私が犯人にされてしまう。

そうなればマス・メディアは無責任で一方的な情報を土石流のように氾濫させ、家族が想像を絶する報道被害に直面する。あげくの果てに有罪にされてしまうかもしれない。

(中略)

<当初より一貫して無実を主張>

事件について私は当初より一貫して無実を主張して現在に至っております。

<マスメデイアの報道被害>

 その後のマス・メディア報道においては、テレビ番組においても、

タレントや弁護士の立場にある者までもが、未決収容者にある私をあたかも確定者であるかの如くに扱う発言を繰り返すことが放置され、

<女性セブンの過去に示談7回という事実無根>

また週刊誌なども私が過去に痴漢事件で何度も示談をしたことがあるなどの事実無根の情報を流布するなどの状況が放置されております。私が懸念した報道被害は現実に生じております。


(中略)

<以下は小野寺光一>

以上の文書をみて、どう思われただろうか?なんだか奇異に感じたのはこの相手の女性の「子供がいるのに」という発言である。

これは何なのか?夜の10時10分に「子供が見ているのに」という意味か?

周りに「子供が見ていた?」そんな夜に回りに子供がいるだろうか?

それとも「自分には子供がいるのに」という意味なのか?
報道では「女子高生だった」とあるが、本当なのか?
どうも植草氏は、この後、この女性とは「会っていない」

植草氏は、「女性」としか書いていない


それに、離れたところに、いた「女性」が、騒ぎ出し、左回りに、
自分の右の1mから1.5mほどに移動した、という。
つまり、植草氏から「離れている」のだ。

そして、後ろから、待ち構えたように、つかまえてきた「謎の男性二人組み」

この二人は、検察には「私たちは痴漢を目撃していません」と証言していることがわかる。

これはおかしい。ものすごい力でとりおさえて、女性には話もさせなかったのに、本人は目撃していないのだ。

そして重要なのは、この二人が実は連携プレーをしているということである。
「目撃をしていない」のに二人が、がっちりと植草を捕まえている。


もし、最初から、植草氏を、はめる目的の集団であれば、女性が

「離れている」のも当然だし、

いったん、女性が騒いだら、実際には植草氏が「誤解を解かせてくれ」といっているのに、

「絶対に女性と話をさせない」のも当たり前である。

罪にはめることが目的であれば。

「強引に話もさせずに警察に連れて行く」というのも、植草を冤罪ではめるためなら実は一貫している。

ここで、もし、この男性二人が、「目撃しました」と検事に言うと、実はこの謎の男性二人にとって困ったことになる。

というのも、裁判になったときに、身分を明らかにして「証言」しなくてはいけないからだ。

すると証言する過程で、その謎の男性二人が、実は「何者なのか。どこの団体に所属している若い衆なのか」が明らかになってしまう。


ここで、植草氏を身動きさせない「すごい力」ということから、この二人が、何らかの形で、武道を心得ている、訓練された屈強の男性であることが推察される。

つまりそこらへんにいた普通のサラリーマンではないと推論される。

横須賀に根城を持つ、暴力団関係者だったのではないのか?

しかも、この二人の男性は、自分で、直接、警察署に電話しているのである。

(このことは小野寺が調べた)

通常は駅員の事務室に連れてこられたあとに、駅員が警察に連絡して
きてもらう。

ところが、この「謎の屈強な男性二人組み」は駅員より先に、自分で、
警察署に電話しているのである。

そして、今回も、マスコミに「植草氏の有罪印象報道」がなされている。

これは実際に、裁判に傍聴した人の意見である。

http://www.asyura2.com/0610/senkyo28/msg/927.html

NHKが平気で嘘放送をするのにはビックリした。
「天に誓ってそのようなこと
はしていません」だと。ここはばっちりメモしてある

<植草氏が、言っていない「天に誓って」発言をNHKが虚偽報道>

NHKが平気で嘘放送をするのにはビックリした。
「天に誓ってそのようなこと
はしていません」だと。ここはばっちりメモしてある


<私はそのようなことをしておりません。無罪を確信しております>

 裁判長が黙秘権があることを告げた後、植草先生が正面で起立した状態で言ったのは、「私はそのようなことをしておりません。無罪を確信しております。」と言ったのだ。

<人間の尊厳にかけて事実に反する事を申し上げることはできません>

 その後、検察官が植草さんの履歴を言った後、裁判長が意見陳述を座ってやりますかとたずね、右の弁護人の前にある被告席に座り、いったん座った後被告人席に起立して意見を述べた。

いくつか意見を述べ(これについても後で書きます)、その最後に言ったのは、「人間の尊厳にかけて事実に反する事を申し上げることはできません」である。

(中略)
小野寺注
結局、植草氏の事件は、共謀罪のさきがけである。

つまり権力側がでっちあげで人を罪に定めることは可能であり


今の「思想警察導入法案(共謀罪)」は、

植草氏のように、政府の悪事を暴こうとするようなけむたい人間を

牢屋にぶち込むのに最適な法案である。

しかし、こういった植草氏事件でもっとも損をしているのは、われわれなのである。

これから安倍政権という頭脳のない人物の、

ものすごい大不況に見舞うようなとんでもない方向に政策がいっているのだ。

実はこれがもっとも問題なのである。

植草氏のような、安倍政権が、虚偽を行っていると証明できるような論客を失うことは、われわれの人生にとって大きな損失である。

自民党のアルバイトで植草氏の悪口を2ちゃんねる上に一生懸命書き込んでいる愚かなアルバイトも、

実は植草氏の経済政策を採用できなくなることで自分たちが、

もはや這い上がれない未来をもち、一生彼女もできない、喜びもない、

低賃金者として一生すごすようなことになると早期に知るべきだ。

植草氏を攻撃することは、われわれの未来の人生を攻撃しているのと同じことなのである。



(私のコメント)
植草氏の事件に関しては何度か書いてきましたが、電車の中での痴漢行為をやったかやらないかに関わらず、なぜ長期間の拘留がされているのだろうか?証拠の隠滅なども関係ないはずだが、裁判所も保釈請求を却下している。つまりはこれが国策捜査であることの証明であり、共謀罪が成立したら国策捜査の連発で微罪でも長期間の拘留がされる恐れがある。

不可解なのは植草氏を電車の中で取り押さえた二人の男の正体ですが、痴漢行為の現場を見ていないにもかかわらず、女性が騒いだだけで取り押さえている。当時の電車の中は満員電車ではなく乗客と乗客との間隔はあり、痴漢行為をすればすぐにわかるような状況であったと思われる。

品川の手鏡事件の時は現行犯逮捕であり、鉄道警察官が尾行していた。しかし周りの人は植草氏の痴漢行為を目撃していない。今回の電車の中の痴漢行為の時も目撃者はいない。植草氏は著名人だから周囲の人から注目されている割合は大きいのですが、現行犯と言う事で警察官や女性の証言だけで起訴されて、周りに人は大勢いたのだから目撃者がいないのは不自然だ。

電車の中は比較的すいていて、痴漢行為をしたとしても1回だけだろう。何度も触れば周りの人も気付くはずだ。また触られた女性も手を払って距離をとれば痴漢行為は防げた。にもかかわらず、いきなり騒いで二人の男に取り押さえてもらっている。つまりは女と二人の男が連携していれば事件はでっち上げられた可能性がある。

植草氏が長期間拘留されたままなのも、植草氏の反論が大事になる事に対する見せしめの為なのでしょうが、植草氏が精神的にまいるのを待っているのだろう。痴漢行為を認めなければいつまでも拘留するぞと言う暗黙の圧力なのだ。しかし痴漢程度の犯罪で何ヶ月も拘留されてはたまったものではない。

確かに植草氏の自宅からエロビデオやパソコンなどには猥褻写真があったそうですが、ネット時代ではそのような写真やビデオは只でいくらでもワンクリックで手に入る。セーラー服もあったそうですが、これもネット販売でワンクリックで買えるものだ。だからこの程度では特別植草氏が性的に異常とはいえない。

品川の手鏡事件の時も警察官は植草氏が携帯のカメラで女子高生のスカートの中を隠し撮りしたと思って現行犯逮捕したのですが、ポケットの中から出てきたのは手鏡だった。携帯のカメラだったのなら隠し撮りした写真が残っているから物的な証拠になりますが、手鏡では状況証拠に過ぎない。

このような国策捜査の連発は警察や検察の権威を失墜させるものであり、やがては警察や検察自身が政治に翻弄されて組織はズタズタになるだろう。国策捜査であるかないかは拘留期間を見ればよくわかる。法定では最長でも23日間ですが、凶悪事件や証拠隠滅の恐れが無ければ保釈されるはずだ。

ところが国策捜査では異常な拘留期間の長さで、容疑者に対して容疑を認めなければ保釈しないなどの圧力を加える。ホリエモンもかなり長い間拘留されたからこれも国策捜査といえるのだろう。鈴木宗男議員や佐藤優氏などは一年以上拘留されていたが、これは明らかに政治的な逮捕拘留だ。

このように日本は知らず知らずの間に政治警察国家に変貌しつつある。しかしこのように国策捜査を連発されては、国政をゆがめる事になる。やがては取り締まりはネットにも及んできて「株式日記」も国策捜査される時が来るだろう。

だから警察や検察の国策捜査のやりすぎには警鐘を鳴らさなければなりませんが、日本のマスコミは権力に迎合して、植草氏の事件にも疑問を持ってはいないようだ。テレビや新聞は植草氏が「天に誓って」などといったと報道しているが、裁判を傍聴した人によればそのような事は言っていない。マスコミも手抜き報道で機能していない。




福田恆存氏は真珠湾攻撃のニュースを聞いたとき、
「大手柄だ、これでうまくいくぞと思った」と、のちに語った


2006年12月7日 木曜日

真珠湾への道 日米開戦65年(6)評論家・鳥居民  12月6日 産経新聞

≪永野修身の本心≫

 昭和16年10月の時点で、アメリカとの戦争を回避し、シナ事変をも解決する道筋を定めることができたのだと私は考えている。

 いうまでもなく、アメリカとの戦争は太平洋の大きな海図に敵味方の艦隊の艦艇の位置を記入して、連合艦隊司令長官、さらには軍令部総長がそれを睨(にら)んでの戦いとなるものだった。

 そこで海軍統帥部の首脳、軍令部総長がアメリカとの戦いはさきを読むことができない、戦争は避けたいとはっきり言ったならば、対米戦争は起こりえなかったのである。

 昭和16年、日本がその重大な選択を迫られたとき、軍令部総長は永野修身だった。戦後60年、今日まで永野修身は主戦論者だったと説かれてきた。昭和16年7月末のかれの天皇への上奏、つづく9月6日の御前会議でのかれの陳述を読めばよい。永野は即刻、アメリカと戦えと主張したのだとだれもが言ってきた。

 戦後の研究者が見逃しているのは、永野を束縛した規範、部下たちの勝利への意志力を維持していかねばならず、いかなる形であれ、弱音ととられるような言葉を海軍統帥部責任者が吐いてはならないということだった。

 のちの研究者が考えようとしないことがもうひとつある。永野がなによりも恐れたのは、政府がアメリカと一時凌(しの)ぎの誤魔化(ごまか)しの協定を結んでしまうことだった。日本側が玉虫色の約束をするのと引き換えに、アメリカが日本に対して石油を輸入する資金の凍結を6カ月間、解除しようと言い、なんのことはない、アメリカの立ち遅れている戦争準備に協力してしまうことだった。「平和を得て翌年の夏には手も足も出ぬような不利なる情勢のもとに再び戦わなければならぬ事態になる」ことを恐れると、9月6日の御前会議で永野が大坂夏の陣の故事を取り上げたのは、こういう意味だったのである。

 永野修身が了知し、もちろんほかの海軍首脳も承知していたのは、中国からの撤兵を約束しないかぎり、経済封鎖を解除させ、アメリカとのあいだに安定した、長期にわたる平和を構築できないということだった。

 ≪近衛文麿の悩み≫

 中国撤兵の問題を政府と統帥部の会議の主題とするためには、軍令部総長と海軍大臣がアメリカとの戦争に自信がないのだと正直に語り、アメリカとの戦争を回避したいのだと本心を明かさねばならなかった。

 もちろん、それを口にしたら陸軍大臣と参謀総長は間違いなく中国から撤兵すると言明したであろう。だが、陸軍の幹部はしばらくは殊勝な顔をしてはいても、やがてはすべて海軍のせいでこのような羽目になってしまったのだと言いだし、海軍は国民の血税を浪費し、大言壮語を吐きつづけてきたが、いざというときになれば、尻尾を巻いてこそこそ逃げてしまったのだとしゃべって回るようになる。さらには海軍の予算を削減すべきだ、資源の配分は陸軍に多くすべきだと言いだすようになるのは必定だったということだ。

 首相、近衛文麿は軍令部総長と海軍大臣が対米戦争を避けたいと願っていながら、それを口にだせない理由を察知していた。そこで近衛は陸軍大臣に対して、中国からの撤兵に賛成するようにと説得を繰り返した。陸軍大臣、東条英機は反対をつづけた。近衛はその反対意見を翻させようと努力を重ねた。

 明治憲法は閣僚平等主義を採用していた。首相とひとりひとりの閣僚は同格同等である。そこで閣議の取り決めは多数決をもってすることはできない。首相は内閣における形式上の首班にすぎず、閣僚たちを指揮命令する法的機能を持たない。陸軍大臣が中国からの撤兵はできないと頑張りつづければ、近衛は閣内不統一の責めを負って、首相を辞めるほかはない。首相の辞任は内閣総辞職となる。

 国家の存亡が懸かる大きな危機に直面していた。このような争いが起きれば、最終的に天皇の裁定が必要となる。天皇に助言できるのは内大臣ただひとりだ。

 ≪木戸幸一の私心≫

 内大臣の木戸幸一は日本が敗北する恐れのある軍事的冒険を絶対にさけることを第一に考えるのが責務のはずであった。戦争をしろと叫び立てる徳富蘇峰流の主張に惑わされることなく、2年さきの予測が立てられない戦争に踏み出すことなく、大国日本への確実な道を進まねばならなかった。そこで木戸はつぎのような方策を採らねばならなかった。

 閣内不統一に直面した近衛の求めに応じ、木戸は天皇に向かって、中国からの撤兵はいまや不可避でありますと奏上し、陸軍大臣に中国撤兵反対をやめよとの御諚(ごじょう)をいただきたいと言上しなければならなかった。なぜ、木戸にそれができなかったのか。

 大きな出来事がまことに小さな原因から起きることがあるという事実をだれも認めたがらないし、私もつぎのように書くのは抵抗がある。

 だが、すべては木戸幸一の小さな私心にあったのだ。

 中国からの撤兵となれば、その戦いを拡大してしまった陸軍首脳の責任が追及されよう。かれらは昭和11年に起きた二・二六事件後の粛軍の実行者でもあった。かれらが行った粛軍の基本方針を定めたのが、当時の内大臣秘書官長、木戸だった。かれは、その責を追及されるのを恐れて、中国撤兵の決意ができなかった。

 そこで、のちの多くの研究者が永野修身の真意と誤解するようになるかれの「主戦論」を、木戸も信じようとしたのである。(とりい たみ)



真珠湾への道 日米開戦65年(7)ノンフィクション作家・上坂冬子 12月7日 上坂冬子

≪つかみどころなく≫

 あの朝のことは、よく覚えている。

 臨時ニュースの音楽のあと「西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」とアナウンスが流れるや、父と母が顔を見合わせた。そのときの何ともいいようのない表情は、両親が世を去って20年たったいまも忘れられない。

 ショックに耐えているというのでもない、困ったというのでもない。いわばつかみどころのない逡巡(しゅんじゅん)の表情とでもいおうか。

 当時、父は40歳、母は34歳、私は小学5年生でわが家は8人きょうだいのほかに母の体内に1人やどっていた。両親は国家を信じきっていたはずだから、やるぞっと決意をあらわしたかったのであろうが、シナ事変の終わらぬうちに、もう1つ戦争が加わって子育てを案じつつ、すぐには決意表明ができなかったのかもしれない。

 福田恆存氏は私の尊敬する数少ない著述家だが真珠湾攻撃のニュースを聞いたとき、「大手柄だ、これでうまくいくぞと思った」と、のちに語っていた(『憲法のすべて』)。当時、福田氏は30歳のはずで、こういう正直な記事を読むと私はホッとする。戦争を知らない人たちの中には、特定の誰かがあのおぞましき開戦に踏み切ったかのようにいい、いまこそ日本人の手でその愚かな人間を罰する必要があるかのようにいいつのる向きがあるが、福田氏でさえ一時的には日本の決断を支持していた時代ではあった。

 ≪引き下がれようか≫

 開戦の日もさることながら、私には開戦の決断の下地つくりを着々と進めていた前年の印象が強い。そのころわが家は奈良で生活していたから、神武天皇以来2600年に当たるとして橿原神宮で盛大な祭典を行ったのを私は目の当たりにしている。ブラジルに移民した人々までが、はるばる「万世一系の皇国」を祝賀するために集まってきていた。

 いまになってヒトラーは人道の敵のごとくいわれているが、昭和15年9月27日に日本はベルリンのヒトラー総統官邸で日独伊三国同盟に調印し、私たちはその2年前にドイツから来日したヒトラー・ユーゲント歓迎の歌を歌いまくった。「ヒトラー・ユーゲント、万歳!ナチス」というメロディーを私はいまでも口ずさめる。当時の新聞には婦選獲得同盟の市川房枝さんが、街頭でムダさがしに当たって「家庭経済戦の勝利」をおさめたとあった。やがてアメリカは「石油の一滴は血の一滴」といわれた日本への石油輸出をやめ、その上でシナから撤退せよというハル・ノートをつきつけた。日本として引き下がれようか。

 真珠湾で戦死した岩佐直治中佐以下9人が軍神といわれたころ、私たち一家は群馬県に移り、女学生の私は勤労奉仕で岩佐家の実家のある村の稲刈りを手伝った。そのあとスパイ防止のために敵性外国人は軽井沢に集められ、父がその管理に当たったので、わが家は長野県に引っ越した。私は学徒動員で中島飛行機や日本無線の工場に通っている。

 ≪戦時の聖なる姿≫

 物資の極端に逼迫(ひっぱく)したなかで日本人は決してみじめな気持ちで暮らしていたわけではない。国家が国民を叱咤(しった)激励、あるいは鼓舞し、その一丸となった姿を聖なるものとするのが戦時体制である。

 「欲しがりません勝つまでは」「撃ちてし、止まむ」と音頭をとりながら、国家も国民も、もちろん10代の私たちも精神主義が原子爆弾という近代科学に敗れるまで、勝利を夢見て神風に期待をかけていた。

 それは一種の“快感”であった。その快感に酔いしれた日本が状況判断を誤って敗れたことはまちがいない。だが、人間の弱さをくすぐるあの快感あるかぎり、この世から戦争はなくなるまい。

 敗戦の思い出として、まず私の頭に浮かぶのは正調「木曾節」である。そのころ私たち一家は木曽の藪原に住んでいた。山の中だから電波が十分届かず、玉音放送を知ったのは夕方である。そして数日後に、正調「木曾節」とともに祭りの山車が村の中をゆっくりと通っていくのを見た。

 いわゆる木曾節とちがって正調はもの悲しいまでに低い響きで、敗戦日本の葬送曲にふさわしいものであった。誰いうともなく戦争が終わったなら祭りだ、となったのであろう。たしか文化人類学者の梅棹忠夫氏が、引き揚げ船に赤ん坊のおむつが翻っていたのを見て日本の復興を信じたと書いていたが、戦後の日本で真っ先に立ち直ったのは庶民の生活感覚であったと私も思っている。

 ≪逡巡認める平静さ≫

 日本の失敗は、そのあと占領政策にひれ伏したことではないか。日本の再軍備をもちかけられた吉田茂首相が、経済的に立ち直ることが先決だとしてこれを拒んだあたりまでは、占領下にあっても日本は自立していたと私は思っている。だが、サンフランシスコ平和条約締結を前にして、東大の南原繁総長がソ連が同意するまで締結すべきではないと、平和に逆らうかのような全面講和にこだわったあたりから日本の足並みが乱れてきた。

 結果として、いわれなき機会均等や運動会で1等、2等を決めるのさえならぬとする悪平等が日本を覆い、その教育精神が次世代を毒して今日に至っている。今年は靖国問題にからんで「死んだら靖国で会おう」といった時代が盛んに取り沙汰されたのは収穫であった。近現代史について手薄だった日本にとって、見落とした時代を論じ直すいいきっかけである。

 とはいえ開戦から65年も過ぎて、手垢(あか)にまみれた固定観念を前提に論じ直すのは無駄な努力というべきだ。たとえば悪名高き戦陣訓を打ち出したのは東条英機陸相だというけれど、当時の教育総本部長は人格者といわれた今村均中将なのだ。日本は独裁国家だったはずはない。一人を責めまくるのは酷だ。

 戦争の最大責任は時の趨勢(すうせい)だ。時の趨勢に度を超した全体主義の快感が加わったとき、抜きさしならぬ状況となって多大な犠牲者がでる。65年前の、両親の何とも名状すべからざるあの表情を思い出しながら、私はあらためて素朴な逡巡をけっ飛ばした全体主義の罪を感じている。

 その意味で、憲法の見直しや非核三原則を“論じ直す”ことの必要が、堂々と口に出せる趨勢は好ましい。65年かかって、日本は逡巡を認める平静さを取り戻したのであろうか。(かみさか ふゆこ)



(私のコメント)
大東亜戦争を反省するには、8月15日の終戦記念日よりも12月8日の日米開戦の日の方がふさわしいと思う。そして明日が12月8日で開戦記念日ですが、戦略的に見ても真珠湾攻撃は失敗であったと思う。山本五十六は何を考えて真珠湾を空襲したのだろうか? 軍事的に見ても失敗する確率は高かった。

確かに奇襲攻撃は日清日露以来の日本のお家芸でしたが、アメリカと戦争をしてアメリカが戦争途中で講和を結ぶような状況に追い込める目算はまったく無かった。日清戦争は北京の手前まで迫って講和したし、日露戦争はロシアのバルチック艦隊を撃破されて日本攻略は不可能になり、ロシア国内も革命前で不穏な状況で講和せざるを得なかった。

アメリカをそのような状況に追い込める目算はあったのだろうか。ハワイを占領して住民を人質にでも取れるようなら出来るかも知れませんが、ハワイを攻略できる可能性はまったく無かった。おそらく山本五十六自身がアメリカに白旗を掲げさせるにはワシントンにまで攻め上るまでないと思っていた。

鳥居民氏の記事にあるように、日本陸軍と海軍との意地の張り合いから日米戦争が始まったと見るべきなのだろう。アメリカのハルノートは日本軍の中国からの撤退を求めてきましたが、撤退すれば陸軍の誤りを認めることになり陸軍の面子は丸つぶれになる。

陸軍の思惑としては、海軍に「アメリカと戦争しても勝てない」と言わせて、すべてを海軍のせいにしてなら撤兵しても、恩を売る形になるので面子が立ったのだろう。しかし海軍も「アメリカと戦争しても勝てない」と最後まで言わなかった。

この意地の張り合いで一番困ったのが近衛文麿首相であり、首相から陸軍に対して撤退命令を出せる立場ではなく、命令を出せるのは統帥権を持っている天皇陛下しかいなかった。しかし天皇の御裁定を仰ぐには木戸内大臣の助言が必要だったが木戸内大臣はしなかった。

だから日米開戦の責任は中国を撤退しなかった陸軍にあり、アメリカと戦争すれば負けると言えなかった永野軍令部総長にあり、天皇に御裁定を仰がなかった木戸内大臣にもあった。そして誰よりも責任のあったのが統帥権を持っていた天皇陛下ご自身にある。天皇が直接陸軍に対して命令を下せば陸軍は中国から撤退して日米開戦は防げたはずだ。

日本陸軍も海軍も軍事の専門家だからアメリカと戦争になれば負ける事は必定だった事は分かっていた。しかし当時の一番の主戦論を主張していたのは新聞各紙であり戦争を煽っていた。その状況は上坂冬子氏の記事に詳しい。

日清日露戦争の時も、一番強硬な主戦論であったのが国民であり、新聞などは戦争を煽るばかりで、冷静な記事を書くことは無く、当時の国際情勢や軍事情勢をどれだけ知っていたのだろうか。日露戦争の後の日比谷の焼き討ち事件を見ても、戦意高揚に煽られた国民は実情を知ることはなかった。

著述家の福田恒在氏の発言にあるように、当時のインテリですら日米開戦に歓喜した。このようになってしまうのも当時の新聞や雑誌などは戦争を煽るものばかりで、「日米もし戦わば」といった記事で溢れていた。そのような記事を書けばよく売れるし、逆に反戦記事を書いたら右翼に襲われかねなかった。

しかし当時でもアメリカの国力を知る人は「アメリカと戦争しても勝てるわけは無い」と言っていた。大橋巨泉さんの父親は写真屋で写真雑誌のライフなど読んでいたから勝てない事は知っていた。当時のインテリはなぜ日米戦争に反対しなかったのだろうか? 経済規模で日米は圧倒的な差があることは隠しようが無かった。

確かに当時のアメリカは無理難題を要求してきてきたが、逆らえば戦争になる事は分かっていたから、素直に中国から撤退すればよかったのだ。そもそも明治以来の大陸進出は日本の国力を消耗させるだけでプラスにはならなかった。そのことは当時も分かっていたが、野心家達の暴走は止めようがなかったのが実状だろう。

日本の歴史を見ても、日本は朝鮮半島に進出しては酷い目に遭って撤退する歴史を繰り返している。日本のインテリがそれを知らないはずが無い。だから明治維新以降も日本は朝鮮半島には一切手を出すべきではなかった。今後も朝鮮半島や中国には一切手を出すべきではない。地政学的に大陸に進出しても勝てないからだ。

現在の極東情勢は日清戦争の頃と状況はよく似ていますが、中国や北朝鮮の挑発的な外交攻勢に日本は反応してはダメだ。台湾問題もアメリカに押し付けて日本は傍観していれば良い。北朝鮮問題もアメリカにお任せして日本は我関せずで、下手に手を出せば日清戦争以来の間違いを繰り返す事になる。




中国は、真の意味での世界の工場からはほど遠い。今後
しばらくすれば、中国は、初級製品の加工基地にすぎなくなる


2006年12月5日 火曜日

ある日本人の目から見た中国の工場 10月31日 大紀元

【大紀元日本10月31日】私は、典型的な「エコノミック・アニマル」と称される日本人ビジネスマンである。中国に来て既に6年余りが経過し、これまで、中国の5つの都市で仕事、生活をしてきた。中国語の聞き取りはできるが、口語は流暢ではなく、漢字の大体の意味を読み取ることができるが、書くことはできない。

 私の見解として、中国の工場の生産能力は大きく進歩したが、「世界の工場」という視点からみると、更に長い道のりを歩む必要がある。

 @「世界の工場=血と汗の工場」ではない

 日本人をアリにたとえる者があるが、苦労に耐える点において、日本人は中国人に大きく劣っている。中国の珠海デルタ、長江デルタ、江浙一帯では、技術が遅れ、生産物が同じで、管理がいい加減な家族式工場が数え切れないほど存在している。こうした工場は、総じて技術レベルが低く、唯一の強みは、アリのように苦労に耐え、牛馬のように働く従順な中国人たちである。労働者の日々の労働時間は10時間以上と非常に長く、ぼろぼろの家に住み、最低レベルの生活を送っている。もちろん、基本的な社会保障なども得られない。時給で換算すると、彼らの賃金は世界最低である。一部の出来高制の工場では、従業員の平均労働時間が12時間以上にも達し、工場長から強いられなければ、休もうとしない。私が勤務する企業には、衛生業務に従事する中国の女工がいる。彼女たちには、督促をする者、直接管理する者はいないが、毎日ものを言わず、黙々と、10時間以上ひっきりなしに働く。それは、ただ、彼女たちの賃金が他の工場の女工よりも少々高いからである。彼女らのような存在は、決して珍しくない。彼女らが、収入の80%を家に送ると聞いても、誰も驚かない。日本人の視点からみると、彼女らに残されたお金では、生存の基本的な生活を維持するにはとうてい足りない。まして、彼女らは、部屋代、水道代を支払わなければならないのである。私は、かつて東南アジアの多くの国で仕事をしてきたが、経済的に遅れているミャンマーでさえ、労働者の残業は相当に困難なことで、彼らは多くの要求をしてきた。フィリピンの労働者は、このような苦しい生活をしようとしない。また、フィリピン人は、1ヵ月働けば、1ヵ月休み、前月の賃金を使い果たした後に再び働く。インドネシアにおいて、こうした仕事をしようとする者は全くいない。したがって、私の考えでは、世界の仕事が中国に移転されているとはいうが、これは、苦しみに耐える中国人によって支えられているのであり、こうした工場は、世界の他の国では、中国人以外に生存することはできない。

 A熟練労働者なくして「世界の工場」の基準に達するのは困難

 中国の南方、北方の各都市において、多くの労働者が、大群をなして就業の機会を待っている。しかし、本当に技術を理解している熟練労働者は、非常に稀である。これは、中国の大部分の工場に長期的な計画がなく、技術支援に欠けていることによってもたらされたものである。農村から来た大量の労働者は、今年はこの工場、来年はあの工場で働き、今年は靴を作り、来年は服を作りと、産業における労働者の流動性が極めて高く、有効な組織管理がなされておらず、基本的な職務訓練がなされていない。同時に、工場に長期的な計画がなく、往々にして、売れるものに集中して生産するので、労働者の技術もまた、製品の変更に伴って変更しなければならない。多くの情況において、工場は現在の労働者を解雇し、市場において新たな労働者を雇用するが、このため、大部分の労働者は、一種類の技術に長く従事することが難しくなっており、技能を向上させることができなくなっている。日本は、技術開発において優位に立っているわけではないが、世界が比肩できない完璧な技術を持った産業人員の大軍を擁している。彼らは、関連する業務に何十年も従事し、世界で最も精密な製品を巧みに作り出すことができる。こうした腕は、高等教育機関の教育の結果でも、短期の訓練で達成されたものでもなく、長年にわたって鍛えあげられてきたものである。中国人は、日本人よりも腕利きであり、かつてはこの上なく精巧で美しい工芸品を作り出していた。しかし、現在の中国の工場就業モデルにおいては、彼らが腕を磨く舞台はなく、中国の労働者は、流砂と同様に、今年はこちら、来年はあちらへと流動していくため、技術の熟練に必要な条件を満たすことが難しくなっている。

 B規模の小さい工場が「世界の工場」の基準に達するのは困難

 中国の工場は、ほとんどが小規模であり、同じ製品を作る工場は、その態様が同じである。日本の水準からみると、こうした工場は単なる作業場で、産業化された生産水準には達していない。中国の工場が最も密集している珠海デルタ地区における、全ての工場の年間生産額を足し合わせた数字は、日本の大企業1社の総生産額にしかならない。同様の製品を、無数の工場が別個に生産しており、その結果、工場の操業時間は短く、製品のコストが高くなっており、企業に、技術開発を行い、技術開発部隊を育成する余剰資金はない。また、労働力のコストが安いことから、企業に、より先進的な技術の設備を導入しようという意識はない。珠海デルタにおいては、テレビ、電子レンジ、エアコン、冷蔵庫、電話等の低技術の家電を生産する正規の企業や、作業場式の企業が数え切れないほどあるが、世界の名声を得るようなブランドはない。服装、靴、帽子、玩具に至ってはなおさらであり、同様に、規模の生産を行うための最低限の生産水準に達しているものは全くない。

 C低技術を主体とする工場が「世界の工場」の基準に達するのは困難

 世界的名声を得ている企業は、基本的に、製品の自主開発能力、科学的研究、生産、販売、サービスをワンセットで有しており、中国の工場の大部分は、基本的には模倣生産か、他社の生産の代行であり、技術を他社にコントロールされ、利潤が最も高い部分は他社に掌握されている。中国の科学研究体系と生産体系は、基本的に噛み合っておらず、製品開発能力が低下しており、基本的に模倣生産を主としており、自主開発能力は極めて低い。

 D効率の低い管理方式では、「世界の工場」の基準に達するのは困難

 企業の生産が進歩すればするほど、管理に対する要求はますます厳格になる。しかし、この点は、中国において最も欠落している。中国の工場の総数は、日本のそれを遥かに上回っているが、プラント設備を生産できる工場は少なく、大部分の設備は、海外から輸入したものである。中国の各工場を見て分かることは、比較的先進的な設備や、求められる技術の水準が高い部品は、海外から輸入したものである。この点について、中国に最も欠けているのは、生産能力ではなく、プラント設備を生産するための組織管理能力である。プラント設備は、大規模に生産を行う製品とは異なり、一式の生産設備は、おそらく数年で一セットしか売ることができない。より多くの利潤を得ようとするならば、関連する各材料、メーカー、規格、標準等様々な複雑な要素を総合的に組織し、時計の組み立てのように、精緻に組み立てていかなければならない。

 管理のプロセスが一つでも乱れれば、ただちにコストが増加し、性能が低下する。中国は、依然として、精緻な組織管理能力に欠けており、効率の低い国有企業の管理階層が行っているのは、基本的に、官僚式の管理方法であり、規模が比較的小さい規模の工場には鍛錬の機会が与えられない。かりに、エアバスの飛行機の生産が中国で行われ、管理を中国人が行うとすれば、生産価格が高くなると私は思う。また、個人的に見て、中国に欠けているのは管理者ではなく、管理者を科学的に選抜する基準がないことである。無能で、人格が低く、人の弱みにつけ込み、心理上の技を駆使するのが仕事であるような無能の輩が、賃金の高い管理者の位置を占めており、優秀な管理人員が発展する余地を塞いでしまっている。

 中国には、世界のどの地方も真似ることのできない、最も苦労に耐える人民がいるが、彼らは、熟練技術に欠けた労働者である。世界で最も多くの工場を擁しているが、規模が世界レベルの企業は全くない。製品の種類を揃えることはできるが、先進技術で自主開発を行っている製品は非常に少ない。膨大な生産能力を擁しているが、先進技術を用いたプラント設備を作ることは難しい。

 中国は、真の意味での世界の工場からはほど遠い。今後しばらくすれば、中国は、初級製品の加工基地にすぎなくなり、世界の工場の基準を満たすことは難しくなる。


(私のコメント)
先日の株式日記では78年の改革解放から30年近く経つのに、いまだに自律的な発展が出来ないのはなぜかと書きましたが、大紀元の記事で日本人技術者の指摘があった。根本的には中国は共産主義国家であり、企業の経営幹部は技術の事よりも、共産党への御機嫌とりが出世するシステムになっているからだ。

中国人労働者は過酷な状況の下で働き、世界最低レベルの賃金で働いている。共産主義国家は労働者の天国であるはずなのに世界一過酷な労働を強いられている。しかし就業機会を待つ農村地帯の就業希望者はいくらでもいるから、なかなか労働条件を上げて行く事は難しい。

沿岸部では人手不足が起きて賃金は高騰していますが、内陸部の開発が遅れている為に生活格差が著しく歪が生じている。労働者の雇用も安定せず、長期間一つの職場で働く事は少なく、派遣労働者やパート労働に近い労働形態だ。だから熟練労働者も少なく、生産性の合理化や向上もなかなか進まない。

日本のマスコミは「中国は世界の工場」と宣伝しているが、ほとんどが小規模な工場であり、中国発のブランド商品と言うものはほとんど無く、下請け的な生産かコピー商品の生産品が溢れている。このような状況ではとても「世界の工場」とは言えず、しいて言えば「世界の下請工場」でしかない。

中国発の世界的ブランド商品を作るには自主開発力が必要ですが、研究開発費にまわされる費用は少ない。すなわち企業のグローバル化に伴う下請け生産を中国は一手に引き受けているのですが、製品開発はグローバル企業が受け持っているからです。

このような構造では何時まで経っても雇用条件は改善されず、生産の合理化をするよりも安い賃金で人を多く雇ったほうが手っ取り早い。だから人民元の切り上げや賃金の上昇などで条件が悪くなると、中国から他のアジア諸国へグローバル企業は工場を移転させてしまう。

つまり13億の低賃金で勤勉に働く労働者の世界市場への参入は、他の同じような発展途上国にとってマイナスとなり、世界的な賃金デフレを招いている。アメリカや日本などのグローバル企業の企業業績は向上しているが、工場労働者の賃金は低下している。

本来ならば中国の経済発展が順調ならば中国発のブランド商品が出来て、付加価値の高い商品を作って国際競争力を高めていくべきですが、相変わらず低コストによる下請け生産が主流になっている。そのほうがグローバル企業にとっても都合がいいからだ。

中国の企業マネジメントも共産党独裁体制を変えないと企業文化そのものを変える事は難しい。例えば政府関連の事業に参入する為には会社の幹部に共産党の幹部を据えなければならないわけで、日本の公共事業に政府の天下りを受け入れているのと同じ構造だ。中国ではそれが大規模に行なわれている。

会社幹部がこのような状況では自力で高度なプラント設備を作ることは難しく、グローバル企業が作った工場に労働者を雇用させる事しかできない。もちろん企業の現地化も行なわれているが、熟練した技術者が不足しているから不良品や欠陥商品の山を築いている。


中国、血と涙に満ちた「世界の工場」 2005年12月16日 大紀元

【大紀元日本12月16日】国際自由労連(ICFTU)が発表した報告によると、中国の離農者と国有企業からリストラされた失業者で、激しい就業競争が繰り広げられているため、賃金が激しく下がり、中国は血と涙に満ちた「世界の工場化」しているという。

 ICFTUの報告によると、中国では約2・5億人が一日当たりの所得が国際的な貧困基準(1日当たりの所得または消費1ドル以下)を下回っているという。約7億人が毎日2ドル足らずの所得で生計を立てている。「全世界のためにTシャツからDVDプレイヤまで生産している人は、毎週60〜70時間の労働を強いられており、8人〜16人部屋に身を寄せ、毎月44ドルにもならない安月給を稼いでいる。しかも怪我をすると、工場から追い出される羽目になる」(同報告書)。

 同連盟は向こう10年以内、中国は3億人の雇用を創出しないと、農業と国有企業から離れた人に十分な仕事を与えることができないと警告した。しかし、これは中国の現在の雇用創出能力をはるかに超えている(同報告書)。

 中国の貧困削減事業は長い間停滞し、2001年から2007年の間、農村家庭4分の3の所得が減少すると同連盟は分析している。「貧困をなくす」ことを目指す国際NGO団体オックスファムが発表した報告によると、中国政府がアメリカから安価な綿を輸入しているため、中国の綿農家は本年、2・08億ドルの収入減と72万人の失業という事態に直面し、中国で最も貧しい西部内陸の甘粛省と新疆ウイグル自治区はひどい打撃をうけることになる。

 ICFTUのゲイ・ライダ事務局長は、中国の経済成果のみが注目され、その暗い面は敢えて伏されてきたと指摘した。中国から安価な商品を輸入することによって自国の雇用の減少を懸念している国が多いが、中国の企業が50ドルにもならないDVDプレイヤをどのように生産販売しているのか、その背後の事実は経済の繁栄の中に隠されていると同事務局長は指摘した。

 ICFTUの報告の中で、中国の経済奇跡は、毎日過酷な条件下で働いている数百万人もの労働者の悲惨な境遇によって達成されたのだと述べ、「奇跡とは何か?工場で死ぬもの狂いになって働いている労働者は即ちいわゆる奇跡だ。不公平な現実は悪夢だ」と同事務局長は言う。


(私のコメント)
日本の新聞やテレビは中国経済の華々しいところしか報道しない。日本の記者が中国の過酷な生産現場を取材しようにもなかなか難しい。むしろ中国に進出した日本人幹部の方が実態をよく知っているのでしょうが、なかなか外部には話したがらない。冒頭の記事は日本人技術者の指摘ですが、日本の新聞やテレビではこのような事は報道できない。




「石油が戦略エネルギーである限り、中東を制するものは世界を
制する」のならば、米軍がイラクから撤退した後はどうなるのか?


2006年12月4日 月曜日

世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL129 江田島孔明

中東には5千年以上の歴史があるが、現在に直接連なってくるのは、第一次世界大戦の戦後処理において、ドイツ側に立って参戦したオスマントルコが解体され、英国がその利権を手中に収めた頃からだろう。この経緯を見ることは、現在につながる中東問題の根源やドルやユーロといった問題を理解する上で、必要不可欠であり、多くの示唆を与えてくれる。

(中略)
ヴィルヘルム2世は1898年、1900年の2回にわたり制定された艦隊法によって艦隊を拡張し、海軍力を強化させた。この当時、「ドイツの将来は海上にあり」とのスローガンがあった。
 これにイギリスが非常な警戒をした。1906年にイギリスは、それまでの艦船よりも攻撃力を飛躍的に増大させたドレットノート級を建造。さらに、イギリスの植民地だったカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどに独自の海軍を認め、より機動的にイギリス系の海軍が活動できるようにし、ドイツの動きに対応した。1890年、ドイツでビスマルクが引退すると、ヴィルヘルム2世(位1888〜1918)はロシアとの再保障条約の更新を拒否した。

 そのため、ドイツから離れたロシアはビスマルク外交によって孤立していたフランスに接近して露仏同盟(1891〜94年に成立)を結んだ。
 露仏同盟の成立によって、ビスマルクが最も恐れていたドイツが東西からロシア・フランスにはさまれる状況が現出した。

 ドイツは露仏同盟の成立後ロシアの東アジア進出を支持し、自らはバルカンから西アジアへの進出をはかり、3B政策を推し進めた。

 3B政策は、ベルリン(Berlin)・ビザンティウム(Byzantium)・バグダード(Bagdad)を結ぼうとするドイツの西アジアへの進出をはかる帝国主義政策の代名詞で、主要3都市の頭文字をとってこう呼ばれている。 まさに、ランドレーンによる中東の「囲い込み」を狙った政策だ。

 ドイツは、1899年にトルコからバグダード鉄道(トルコのコニアからバグダードを経てペルシア湾に至る予定線)の敷設権を獲得し、1903年にはバグダード鉄道会社を設立し、3B政策の中心として建設を進めた。バグダード鉄道は1918年までに3分の2が完成し、この間トルコにおけるドイツの勢力が著しく強まった。

 なおバグダード鉄道は、広義には19世紀末以来のドイツ資本による近東での鉄道事業の総称としても使われる。

 ドイツの3B政策はイギリスの3C政策を脅かすこととなり、また両国の激しい建艦競争も相まってイギリスとドイツの対立は強まった。この両政策は中東を囲い込むのに鉄道を使うか、船を使うか、すなわち、ランドパワーとシーパワーの中東争奪戦であり、第一次大戦の原因になった。

 イギリスは20世紀の初頭まで「光栄ある孤立」を誇ってきたが、ロシアの東アジア進出に対抗するために「光栄ある孤立」を捨てて、1902年に日英同盟を結んだ。

 1904年に日露戦争が始まると、日本の同盟国であるイギリスとロシアに同盟国であるフランスは日露戦争に巻き込まれることを避け、ドイツに対抗するために1904年に英仏協商を結んだ。

 イギリスとフランスは英仏協商によって、エジプトにおけるイギリスの、モロッコにおけるフランスの優越権を相互に承認して長年にわたる植民地をめぐる対立を調整した。なお協商とはゆるい国家間の協力提携の関係をいう。

 日露戦争で東アジアでの南下政策を阻止されたロシアは再びバルカンへの進出をはかってドイツ・オーストリアと衝突するようになった。

 そのためロシアは、1907年にイギリスと勢力範囲を協定して英露協商を結んだ。英露協商では、イランの北半分をロシアの、イランの南東部をイギリスの勢力範囲として分割し、ロシアはアフガニスタンにおけるイギリスの優越権を認め、またチベットについては、中国の主権を認めて相互内政不干渉を協定した。

 この英露協商の成立によって、従来の露仏同盟・英仏協商と合わせて、イギリス・フランス・ロシアの間に三国協商と呼ばれる協力関係が成立し、三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア間の軍事同盟)と対立することとなった。

 イタリアは統一後、北アフリカのチュニス進出をねらったが、フランスがチュニスを保護国とすると(1881)、ドイツ・オーストリアへの接近をはかり、1882年に三国同盟を結んだ。

 しかし、イタリアは「未回収のイタリア」(イタリアは1870年以後もオーストリア領にとどまったイタリア人居住地域のトリエステ・南チロルを未回収のイタリアと呼んでその併合を要求し続けた)をめぐってオーストリアと対立した。

 そのため、イタリアはその後フランスに接近し、トリポリにおけるイタリアの、モロッコにおけるフランスの優越権を相互に認めて1902年に仏伊協商を結んだ。

 領内に多くのスラヴ系民族をかかえていたオーストリアは、パン=スラヴ主義(スラヴ民族の独立・団結を主張する立場)の影響を恐れ、3B政策を推し進めているドイツと結んでパン=ゲルマン主義(ゲルマン民族や国家の団結を主張する立場)を唱えてバルカンへの勢力拡大をねらった。

 1908年にオスマン=トルコで青年トルコの革命が起こると、この混乱に乗じてブルガリア(スラヴ系国家)はトルコからの独立を宣言し(1908.10)、オーストリアはボスニア=ヘルツェゴヴィナを併合した。

 ボスニア=ヘルツェゴヴィナはスラヴ系住民が多く、パン=スラヴ主義の先頭に立ったセルビアがかねてより併合をねらっていたので、セルビアはオーストリアに対して激しい敵意を抱き、また再びバルカンへの進出をはかるロシアとオーストリアの間にも緊張が高まった。

 ロシアは、1912年にセルビア・ギリシア・ブルガリア・モンテネグロの4カ国の間でバルカン同盟を結成させ、これを指導下においた。

 バルカン同盟4カ国は、イタリアがトリポリ・キレナイカを奪おうとしてイタリア=トルコ戦争(伊土戦争、1911〜12)を起こすと、これに乗じてトルコに宣戦した(第1次バルカン戦争、1912.10〜13.5)。

 トルコはただちにイタリアとの戦争を終わらせてバルカン同盟4カ国と戦ったが敗れ、イスタンブルを除くバルカン半島に残されていたトルコ領の大部分とクレタ島をバルカン同盟4カ国に割譲した。

 しかし戦後、領土分割問題からブルガリアとセルビアが対立し、ブルガリアがセルビア・ギリシアを攻撃して第2次バルカン戦争(1913.6〜13.8)が始まった。

 セルビア・ギリシア側にはモンテネグロの他にルーマニア・トルコも参戦したので、ブルガリアは大敗し、ルーマニア・セルビア・ギリシアそしてトルコにも領土を割譲した。そのためブルガリアは以後ドイツ・オーストリアに接近するようになった。

 バルカン戦争によって勢力を伸ばしたセルビアとそれに反発するオーストリアの対立が激化し、それにともなってパン=スラヴ主義とパン=ゲルマン主義が激しく対立したのでバルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるようになった。第一次世界大戦は一般的には、バルカン半島の支配権をかけ、汎ゲルマン主義と汎スラブ主義の衝突から起き、そして、欧州の枠組みを変えたとされる。

 確かにそのとおりだろう。しかし、第一次世界大戦の真の意味は、ドイツの3B政策と英国の3C政策の衝突の結果、オスマントルコの解体がもたらした中東の枠組み変容である。この視点はどういうわけか、世界史の教科書などでも大きくは扱われない。

 何故だろうか。それは、第一次世界大戦で決定されたこの地域の枠組みが、現在の中東情勢そして世界情勢に直接インパクトを与えておりまだ、歴史ではなく、リアルタイムの問題だからだろうと推察される。

 重要な点として、欧州の枠組み変容は欧州というローカルな地域の問題だが、中東の枠組み変容はエネルギーの供給地であるため世界的グローバルな問題なのだということを念頭に入れてもらいたい。G8で中東が主要議題となり、アメリカが中東に戦略重心を移行しているのもそのためだ。

 「石油が戦略エネルギーである限り、中東を制するものは世界を制する」と考えているのだ。中東をハートランドと考えれば、まさしく、マッキンダーに通じる大陸派地政学の実践だ。

 このような観点から、世界的グローバルな視点から考えた第一次世界大戦の真の意味はオスマントルコから英国への中東利権移行、第二次世界大戦の真の意味は英国から米国への中東利権移行というのが正しい。ドイツや日本の枠組み変更は、ローカルな話なのだ。

 第一次世界大戦の推移については、詳述を省くが肝心のメソポタミア戦線において、1916年4月26日ロンドンに於いて、サイクス(イギリス外務省・中東担当官)とピコ(フランス前駐ベイルート領事)との間で、パレスチナからメソポタミアに渡る広汎な地域を含む旧トルコ領土の戦後処理について秘密協約が結ばれた。サイクスピコ協定は当時の秘密外交の所産であり、英仏以外の意見は斟酌されていない。

 協定の骨子はまずバクダットとエルサレムの間に線を引き、その北部をフランスの影響地域、南部をイギリスの影響地域とする。そのうえであるアラブ人王(ハシミテ家から予定)のもとで王国を建設するが、両国の影響下に置かれることに変わりはない。内容は、ベイルートを首都とするレバノン沿海部をフランスの植民地とする。アラブ主権国家をダマスクスに設立し、シリアとしてフランスの保護国とする。

 一方、ハイファとアグラ(十字軍の根拠地)をイギリスの直轄都市とする。後背地のパレスチナは英・仏・露の保護国とする。同時にトランス・ヨルダンからアラビア半島の大部分にアラブ主権国家を設立し、イギリスの保護国とする。メソポタミアはイギリスの自由裁量とし、トルコ東部はロシアの自由裁量とする。

 以上であるが、現在の国境をほぼ決定したと言ってよい。あきれるほどの19世紀的秘密外交には違いないが。イギリスは領域としての領土に最早こだわっていない。
 ハイファとアグラは石油パイプラインの終点だとして明記されている。この地域を領有しても負担だけで実利はないことに気づいていたのだろう。一方フランスはシリアを手に入れたが、戦間期反乱処理に追われ、治安部隊の派遣費用を負担しただけだった。

 上述のように、英国とドイツが3C政策と3B政策で中東をシーパワーとランドパワーで囲い込もうとした事が、結果として第一次大戦に繋がり、ランドパワーは敗れ去ったように、ユーロとドルによる中東の囲い込みは、イラク戦争をはじめとする戦争に繋がった。まさに、私が、何度も指摘したように、歴史のパターンは繰り返されるのだ。

 このことに見られるように、関が原である中東をランドパワーが押さえるか、シーパワーが抑えるかは、世界で最も重要な問題だ。

 例えば、1973年10月、第4次中東戦争が勃発。OAPECがアラブ非友好国に対して石油禁輸を宣言、石油の供給が止まり西側諸国では大きな混乱が起こった際、当時のニクソン政権はUAEやクウェート、サウジといった、湾岸諸国の軍事占領を計画したという。

 湾岸戦争や、今回のイラク戦争もこの文脈で考えるべきものだ。イラク戦争はアメリカの統治という点では失敗したが、前号で述べたイラン−イラク−シリア−レバノン4カ国同盟の阻止という点では成功した。

 今後の戦略は、イスラエルによるイラン攻撃から、イランを引き釣り込み、「対イラン防衛を名目とした、湾岸諸国の米軍による占領」すなわち「第四次中東戦争や湾岸戦争方式」なのではないか。こういうことを阻止するためにも、日英が基軸となり、アラビア半島をアクエリアス化し、アメリカやイスラエルやイランとの間で、均衡を保たせることが、世界の運命を左右する重要な戦略だ。

 関が原を押さえ、湾岸諸国のドル離れを阻止し、原油資源をアメリカが握るために、追い詰められたイスラエルを鉄砲玉に使う可能性は、非常に高い。そのための、今回のガザ撤退だろう。
(後略)


(私のコメント)
第一次世界大戦は自動車や飛行機が戦場で使われ、その自動車や飛行機を動かすエネルギーは石油である。ならば石油が存在する中東を押さえる事が世界を支配すると言う事になる。第一次世界大戦では中東を支配する国はトルコ帝国から大英帝国に代わり、第二次世界大戦後は大英帝国はインドとスエズ運河を失って、その代わりにアメリカ軍が中東に進出した。

アメリカは中東を植民地支配することなく、サウジアラビアや湾岸諸国に軍事基地を展開する事で中東を支配してきたが、イランがイスラム原理主義革命で反米国家となり、シーア派の拡大を恐れるサウジアラビアとアメリカはイラクのサダムフセインを支援してイラン・イラク戦争を起こした。

イラン・イラク戦争は8年続いたが痛み分けに終わり、シーア派の拡大は防いだものの、アメリカはどういうわけかイラクのサダム・フセインを悪役にして湾岸戦争を始めた。直接の原因はフセインがクウェートを侵略したからですが、アメリカが唆した形跡がある。裏ではクウェートに利権を持つ英国の支配権を排除する為だったのだろう。

更にアメリカはイラクの石油利権を目指して、9・11テロ以降のテロとの戦いを口実にイラク侵攻した。しかしイラク占領はアメリカにとっては高くついたものとなり、13万のアメリカ軍を駐留させるには毎月一兆円近くもの費用がかかる。これではアメリカ経済が持たない。

アメリカ軍がイラクから撤退したらイラクがどうなるのか火を見るよりも明らかで、ロシアや中国やEU諸国やアメリカに支援された勢力が入り乱れて、内戦が拡大するだろう。イラクの内戦は周辺諸国にも飛び火して広がって行くだろう。まさに中東が21世紀のバルカン半島になるわけです。

まさにロシアやフランスやドイツなどのランドパワーとアメリカやイギリスなどのシーパワーが対立する場となる。アジアからは中国と日本が参戦して来るだろう。中国がランドパワーなら日本がシーパワーとなる。

中東産油諸国はサウジアラビアや湾岸諸国をシーパワーが押さえて、イランやイラクなどをランドパワーが押さえる構図がぼんやりと見えてくる。ランドパワーがパイプラインで独仏露へ石油を運べば、シーパワーはマンモスタンカーで米英日へ石油を運ぶ。

イラク戦争はそのような構図を見せましたが、イラクは地政学的にアメリカ軍では押さえきれない。アメリカ本国から遠すぎる事と海からの補給がバスラ港に限定されるからだ。それに対して反米勢力側は陸伝いに自由に往来が出来る。

更にはイラク戦争ではイラクのイスラム教勢力対米英のキリスト教勢力の戦いと言う文明の衝突と言う面もあり、イラク戦争は今まで親米的であったサウジアラビアや湾岸諸国ですら敵に回す危険性も出てきた。そのようになった場合、非キリスト教国である日本の出番があると思うのですが、そのような戦略を描いている政治家はいない。

大東亜戦争がアメリカによる石油禁輸が原因であったように、日本海軍はなぜインド洋作戦を決行しなかったのだろう。インド洋を封鎖してイギリスとインドとを遮断して、更にはスエズ運河を使用不能にすれば中東の石油地帯は日本のものにできたはずだ。しかしバカな日本海軍は反対方向のガダルカナルにまで行ってしまった。

日本の陸海軍には戦略と言うものが無く、ソ連との戦争しか想定していなかった。石油の一滴は血の一滴と言われるくらいだから、なぜ中東の油田地帯を押さえようと言う戦略を描けなかったのだろうか? ナチスドイツと連携して中東を押さえることも出来たはずだ。日本海軍の内部に裏切り者がいたとしか考えられない。


日本とアメリカ・・・歴史を振り返れば 12月2日 西村眞悟

1、名将とは、国家に勝利をもたらす軍人のことである。
従って、真珠湾攻撃の立案者であり責任者である連合艦隊司令長官山本五十六大将は、名将ではない。
2、真珠湾攻撃は、昭和16年10月19日、海軍軍令部において意見対立の末、丁度、近衛内閣退陣・東條内閣成立の翌日に決定された。連合艦隊司令長官のごり押しが通ったのだ。何故、軍令部内に意見の対立があったのか。従来からの「帝国国防方針」である近海迎撃作戦に反するからである。
 ところが、この国策上の重大事の決定には、総理大臣、外務大臣、陸海軍両大臣そして陸軍参謀総長のいずれも参加していない。それどころか、この国家の運命を決する決定が軍令部内でなされたことを彼らは知らなかったのである。つまり、国家の最高指導者と共同作戦をとる陸軍が知らない間に、このような重大決定が海軍内部だけで行なわれた。これこそ、国家を崩壊させる統帥権独立の恐ろしさである。
3、そして、翌月である11月26日、アメリカは最後通牒であるハル・ノートをわが国に突きつけてくるが、そのとき既に、山本提督の命令で連合艦隊は真珠湾に向けて出撃していた。
 即ち、ハル・ノートを受領して、政治がいよいよそれに対する態度を決定するための吟味に入ろうというとき、連合艦隊は政治の決定を待たずに攻撃を始めていたといえる。
 
これでは、山本五十六提督が、勝手に戦争を始めたようなものではないか。


(私のコメント)
日本帝国海軍軍人には石油がいかに大事なものであり、中東の石油を支配する事が世界を支配する事に気がついていなかったのだろうか? ならばインド洋をいかに支配するか考えていたはずですが、山本五十六提督はアメリカと戦争をはじめてしまった。石油を確保する為ならばイギリスにだけ宣戦を布告すれば済んだはずだ。海軍軍令部は戦略のわからぬ馬鹿揃いだったか、アメリカの手先がいたのではないかと思う。




中川路線と、安倍の「自国に誇りのもてる美しい国づくり」とは、
イデオロギー的に米民主党と共和党ほどの大きな開きがある


2006年12月3日 日曜日

安倍路線は当面「保守中道」 2006年12月 選択

来年の参院選対策の一環としてすんなり決着すると思われた平沼赳夫ら郵政造反組の自民党復党は予想以上に難航した。それは、小泉チルドレンと呼ばれる一年生議員が抵抗したためではない。復党問題が安倍政権の今後の路線をめぐる権力闘争に直結したからだ。

 十一月十六日の夕刻。自民党本部の一室で開かれた幹事長、中川秀直と幹事長番といわれる報道各社の担当記者との定例懇談は、始まる前からいつになくピリピリとした空気に包まれていた。直前に日本テレビが「中川幹事長、平沼元経産相と会談」とスクープしたからだ。平沼は昨年、郵政民営化法案に反対して離党した造反組のうち、国民新党や新党日本に参加しなかった無所属議員十二人のリーダー的存在。その平沼に、造反組の復党に慎重な態度を崩していなかった中川が会ったのが事実なら、彼らの復党が大きく前進したことを意味する。

「会ってませんって。平沼さんがそう言っているの? 何の根拠でそういう報道をするんだ。報道したところは手を上げてくれ!」

 事実関係の確認を求める記者たちに、中川は語気を強めて否定した。気まずい空気が漂う中、日本テレビの記者がおずおずと「そういう情報があったので……」と言いかけると、中川は「なにも君が謝る必要はないんだ。私は認めないし、平沼さんも認めない。いったいどこからの情報だ。情報源は言えないって二人しかいないだろうが」と畳みかけた。

「王手飛車取り」にかかった平沼

 だが、実際に「中川―平沼会談」は、都内のホテルで行われていた。中川が会談そのものを否定してみせたのは、昨年九月の総選挙で刺客候補によって落選した前議員はむろんのこと、十二人の現職議員も、無条件での復党は認めないというメッセージだった。

 事実、二十二日に国会内で開かれた「正式な」会談で、中川は平沼に郵政民営化への明確な支持を復党の条件として突きつけた。

 野田聖子ら無所属議員のほとんどは、この厳しい条件を受け入れざるを得ない立場に追い込まれていた。復党は選択肢の一つではなく、議員として生き残るための絶対条件になっていたからだ。九州選出のある無所属議員は、自民党時代は朝八時に党本部で開かれる各種部会に始まって夜の宴席まで分刻みのスケジュールに追われていたのが、無所属になってからは、仕事は本会議と週に一、二回の委員会だけになった。

 その委員会も、会派に属していないため希望したところに入れず、出席しても発言機会はほとんど与えられない。官庁からの情報も入りにくくなり、地元からの陳情客も激減した。夜の宴席に誘ってくれる業界関係者や派閥のボスもなく、政党助成金の恩恵にあずかることもない。平日の夜は議員宿舎でコンビニ弁当と缶ビールで過ごすことが多いという。昨年、あれほど反対した郵政民営化にも「復党のためなら賛成せざるを得ない」と語る。

 中川が示した復党条件は、今も郵政民営化に反対し続けている平沼だけをターゲットにしたものであるのは明白だった。平沼が条件を受け入れれば、スジを通す「硬骨漢」とのイメージは失墜し、受け入れなければ、復党を認めない「王手飛車取り」策だ。

 この中川提案を、造反組全員の復党に積極的だった安倍晋三は反対できなかった。

「無条件での復党を許せば、五〇%台を維持している内閣支持率がさらに落ち込む」との中川の説得を拒否できる材料を安倍は持ち合わせていなかったのだ。来年夏の参院選で与党が敗北すれば、退陣の危機にさらされる安倍にとって高い内閣支持率はまさに命綱。その頼みの支持率が、これといった理由も見当たらぬのに、政権発足二カ月で急落したことに安倍はショックを受けていた。さらに、「小泉改革」を否定する平沼を復党させることで、政権の後見人、小泉純一郎との間で摩擦が生じるのも避けたかったのである。

自民党内の「保守バネ」にブレーキ

 ではなぜ中川は、平沼の排除に執念を燃やしているのか。自民党幹事長を足がかりにキングメーカーの道を歩もうとしている中川にとって、同じ衆院当選九回で五歳年上の平沼は「好ましからざる人物」ナンバー1なのである。

 平沼が無条件で自民党に戻れば、復党で平沼の世話になった無所属議員と、かつての古巣である伊吹派の大半が合流し「平沼派」が誕生しかねないのだ。中曽根派と旧亀井グループの流れをくむ伊吹派は、総裁候補を抱えておらず、平沼の復帰は渡りに船。そうなれば、自民党の勢力バランスに変動が生じる。さらに、安倍の政治信条が平沼に酷似しているのも、中川の猜疑心をかきたてている。

 安倍を首相にまで押し上げる最大の要因となった北朝鮮による日本人拉致事件の解決に、早くから本腰を入れて取り組んでいたのが平沼なら、愛国心盛り込みを主眼とした教育基本法改正も、ともに取り組んできた。靖国神社を擁護し、女系天皇を容認するための皇室典範改正に反対との立場も同じ。ナショナリズムがからむ政策での安倍と平沼との距離感は、ゼロに等しい。

 一方、新自由クラブから議員生活をスタートさせた中川が目指すのは、安定した経済成長を基調とし、福祉政策にも目配りする「保守中道」路線だ。むろん、選挙での公明党との協力を意識したものだが、講演で中川はこう強調している。

「二大政党の時代は保守中道という立ち位置が必ず勝利する。アメリカの民主党はさきの中間選挙でそういう路線をとって勝利した。安倍自民党もこの保守中道路線をとっていることは間違いありません」

「左に懐を深く」をモットーとする中川路線と、安倍の目指す「自国に誇りのもてる美しい国づくり」とは、イデオロギー的に米民主党と共和党ほどの大きな開きがある。すんなりと平沼の復党を認めてしまえば、自民党内の保守バネが利きすぎ、「保守中道」路線が危機に瀕するのを中川は恐れている。 (後略)


(私のコメント)
新聞やテレビだけの報道では、ヘッドラインニュース程度の事しかわからず、解説記事や報道はあまりやらないから、真相をつかむにはネットか雑誌などに頼らなければなりません。株式日記も私なりの解説を書いているのですが、個人的な意見だから、すべて正しく公平と言うわけではない。

マスコミが左翼的な報道をすれば、どうしても右翼的な見方で反論を書いてしまう。経済問題に関しては小泉路線的な市場原理主義的な右翼路線が多いから、私は社会主義的な見方から反論を書くことが多く、企業よりも労働者からの視点で意見を書いていることが多い。

だから株式日記は政治問題には右翼保守的ですが、経済問題は左翼的で共産党とも意見が一致する部分もある。マスコミはどうしても企業広告を集めなければならないから企業よりの記事や報道が多くなる。その反動のせいか政治的には左翼的な記事や報道で中和しようと言うのかもしれない。

安倍内閣が発足して二ヶ月になりますが、予想された保守路線よりも中道路線を打ち出していますが、政権の基盤が出来ないうちは中道路線をとるしかないのだろう。安倍総理自身の年齢的にも経歴にしても中堅若手であり、古狸たちの力を借りないとやっていけない状況だ。

安倍総理自身の政治的スタンスは岸元総理以来の自民党右派であり、靖国問題などが懸念されましたが、曖昧戦術で内外の批判をかわしている。自民党内で本当の実権を掌握する為には予算を成立させたり、選挙を戦って勝っていく事しか道はない。小泉チルドレンならぬ安倍チルドレンが出来ないと無理だ。

安倍総理は小泉前総理のようなパフォーマンス政治は出来ないから、党内意見を集約していくような従来型の自民党政治をせざるを得ない。自民党の復党問題も小泉内閣が残した宿題ですが、郵政民営化法案の問題は自民党を分裂させるような大問題となり、小泉総理は議会を解散させてまで成立を強行した。

中川幹事長がその後始末をしているのですが、そのぶん安倍総理の存在感が薄くなる。安倍内閣の支持率が下がっているのも、不信任と言う意味よりもリーダーシップに不安を持ち始めたからではないかと思う。小泉総理のように敵役をわざわざ作って支持を煽るような劇場型の政治は安倍総理には無理である。

自民党は「選択」の記事にもあるようにアメリカの民主党と共和党を合わせたような政党であり、イデオロギー的に幅のある政党だから党の政策が中道的にならざるを得ない。本来ならば民主党が政権交代の受け皿になるべきなのですが、小沢代表は旧社会党的な何でも反対党になってしまったから政権は無理だろう。

小泉内閣が代わった後は政界の大再編も噂がありましたが、民主党が社民党や共産党に擦り寄った結果、政界大再編の動きは消えた。憲法改正などは自民党と民主党が協力しなければ出来ない事ですが、民主党が野党共闘では憲法改正で大連合を組む可能性も消えた。

前原前代表の頃はその可能性もありましたが、小沢代表に代わってその可能性は消えた。そのようになったのも安倍総理が中道よりになって、民主党はかえって困ってしまって左翼的にならないと対決路線が取れないからだ。だから民主党の思惑としては安倍氏本来の右派路線なら民主党は中道路線を取れるのですが、これも安倍総理の作戦なのだろう。




「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」  by スティング

コーヒーは要らないよ
紅茶をもらうから
トーストを焼くのは片面だけにして
喋るときのアクセントで解るだろう
僕はニューヨークにいるイギリス人

僕が五番街を歩いてるのを見たかい?
杖を突きながら歩いてるんだ
そう、僕はどこでもそうやって歩いてる
僕はニューヨークにいるけれど、イギリス人だから

僕はエイリアン
ここじゃ合法的なエイリアン
僕はニューヨークにいるイギリス人
僕はエイリアン
ここじゃ合法的なエイリアン
僕はニューヨークにいるイギリス人
(後略)


(私のコメント)
昨日のBSフジでモントレージャスフェスティバルを放送していましたが、スティングのライブをやっていた。最後に「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」を歌っていた。イギリス人もアメリカでは外国人と言うことですが、人種や言葉が同じでも国が違えば政治的な利害も異なり、文化的な違いも出てきます。ましてや人種も言葉も異なる日本人はニューヨークではまさにエイリアンなのです。




「Dr.コトー診療所」は地域住民の期待に応えている。残念ながら
現代の医療は「Dr.コトー診療所」とは正反対の方向へ進んでいる


2006年12月2日 土曜日

Dr.コトー診療所へのコメント 地域医療のページ

昌代は麻痺が残った。

 右片麻痺+右顔面神経麻痺+運動性失語(相手の言うことは理解できるが言葉が発せられない状態)である。前編の項でも書いたけれども、あのような手術を要する脳内出血で麻痺が残らないことはあり得ない。昌代が完全に治癒すればブラックジャックとなってしまうところであったが、さすがにテレビで放映されるだけあって、かなり医学的には正確な(すなわち等身大に近い)ドラマ展開となった。(ただ昌代の病名「重症被殻出血」であそこまで回復することは非常にまれだと思う。たいていは大脳の高次機能の障害が残るのが普通であり、救命はできてもほとんど寝たきり状態で、むろん意思の疎通などできない)

 そして後編の物語はこの昌代の介護原剛洋の進学問題(+ひなとのプラトニックラブ)という二つのテーマを軸に進み、最後に両テーマが合体するという成り行きとなる。これまではどちらかというと脇役ではあった二人がドラマ後編の中心になり、コトーはむしろ脇役的に島の人たちを見守る、というドラマ進行である。筆者の予想はまったくはずれてしまった。

 それにしても昌代役の朝加真由美の演技は迫真的だった。あれは多分医師の指導をちゃんと受けたんだろうね。顔面神経麻痺の患者さん特有の表情がよく出ていた。右目が少し半開きなところや(まばたきが正常だったのが気になったけど、まあそれはしょうがない)口の開け具合、食べ物のこぼし具合など本当の患者さんか?と見まがうほどの演技で、あれならば医療関係者が見ても満足するできばえであったろう。

 前半のみどころの一つはやはり昌代の夫正一の献身的な介護であろう。昌代が倒れた時に酔いつぶれてしまって何もすることができなかった正一は後悔にさいなまれ、安定期に入った昌代を退院させて家で介護をすると言い出す。そしてそれまではおそらくまったくやったことがなかったであろう炊事洗濯や掃除から昌代と一緒に書き取りの練習までおこない、ほのぼのとした夫婦の愛情がよく描かれていた。

 思うにこのような状況に置かれて初めて夫婦の愛情というものが試されるのだろう。何十年も連れ添った夫婦の本当の愛情というのを垣間見た気がした。(私も訪問診療などで脳卒中後で麻痺が残った奥さんの世話をかいがいしくやっているご主人というのを何人も見たが、本当にあんな感じである)

 ところが正一は昌代が書いた「死にたい」の一言を見て呆然となる。いったい自分のやっていることはなんだったのか、途方にくれてしまう。そしてそこへコトーがやってきて、コトーもまたその書き付けを見てしまう・・・。

 正一はこれまで家で何もしなかったことを取り戻さんばかりに役所も休職して賢明な介護にあけくれた、コトーはとにかく医学的にできるだけのことをして昌代を救命した、しかしその結果が・・・・「死にたい」・・・・

 二人が愕然となるのももっともである。しかし考えてみればしゃべることもできず、麻痺が残ったまま生きていかねばならない昌代はもっとつらいはずだ。ドラマでは昌代の高次機能はほとんど失われずに残っていることになっているのでこれはつらかろう。食事もシモの世話も受けなければ生きていけないのだ。

 落ち込んでいる正一に重さんがやってくる。正一は重さんに昌代のこの言葉の書きつけを見せた。しかし重さんはこれを破り捨てて言った。「オレの女房は介護をする間もなく逝っちまった。お前の女房は生きているじゃねえか」この一言で正一はわれに返ったのである。

 とにかく昌代の病気により、星野家は一変してしまい、彩佳は昌代を内地のリハビリ施設に入れたいと言い出し、休暇を取って施設さがしに島を出てしまった。あとから彩佳が告白したようにそれはしかし彼女の現実からの逃避に他ならなかったのだ。彼女もまた昌代が倒れた日にその訴えをよく聞いてあげなかったことを後悔していたのである。

 後半はかなり凄惨だった前半終わりから一転して剛洋とひなのデートの場面から始まる。しかし嵐がやってきて二人ともずぶぬれになり、ひなは島に来てからはなかった喘息発作が起こってしまう。頼みの綱はメプチン吸入器。しかし剛洋はひなのそれを岩場で落としてしまう。(余談だが、ひなの口唇チアノーゼのメイクやひなの喘息発作の演技もなかなかホンモノっぽくってよかった) 怪我をしながらも必死になってメプチンを取り上げた剛洋。そしてそれをひったくるように奪い、必死になって吸入するひな。この場面はドラマ全体の進行からはあまり重要ではないのだが、私はとっても感激した。(やっぱり私も医者のはしくれなんでこういった場面は好きなんです)

 その後剛洋は将来医学部に行くために本土の学校へ転向することを決意し、お別れ会が開かれた。子ども達が「Believe」という歌を熱唱、それを正一が昌代を連れて見に来る。ここでこれまで一時間にわたって平行していた剛洋関連の話と昌代関連の話がアウフヘーベンされるのである。この歌の場面こそがこのドラマのまさに頂点といってよいのではなかろうか。

 昌代の本土行きは結局中止となった。それは昌代自身の強い意志であったし、誰がみても彼女は島にいて島のみんなと一緒に過ごす方がよかったからである。一時は役所をやめて昌代とともに本土で過ごすことを決意した正一に、役所の仲間は「自分達も昌代さんの介護を手伝うからどうか昌代さんを本土に行かせないでくれ、お前も役所をやめるな」と大合唱する。コトーが意に添わぬままに書いた紹介状は幸い無駄になった。

 最後、剛洋がいよいよ島から出て行くときにコトーは剛洋と約束をした。「待っているよ」と。コトーはあらためて島で骨を埋める決心をしたのである・・・。

 後編もまたさまざまなテーマが入り組んではいたが、それぞれのテーマは有機的につながり、よく消化されていた。あらためてとてもよいドラマだなあ、と思った次第である。さすがに2時間半もあるとこうしたドラマ展開が可能なんですな。一時間物だと続きものであっても一つのテーマだけで終わっちゃうのが普通だもんね。

 私はこのドラマを見てあらためて島の人はやはり本心では島での医療を望んでいるのではないか、と思った。現代の離島医療は自治医大方式(私の勝手な仮称)が主流であり、島ではあまり深い医療は行わず、基本的には少しでも重症な患者は中核病院に搬送する、というのが時代の流れである。たとえば昌代のようなケースでは島外に緊急搬送され、そこで手術を受け、運良く一命を取り留めたらその後の長いリハビリも内地でおこなうというのが普通だろう。

 だから昌代のようなケースでは彼女は島での生活はできない。当然家族もまた島外へ移住せざるを得ない。(星野課長が一度は決心したように) また移住とまでいかなくとも、家族が病気になって島外の病院に搬送されてしまったためにその付き添いでずっと家族が島を離れざるを得ないというケースは多いものだ。島の人たちはこうした現代の離島医療のあり方をどう思っているのだろうか、と私は常々疑問に思ってきたのである。

 自治医大方式はDr.コトーのようなスーパーマンでなくても、卒後3〜4年目の医者でも離島医療が行えるという点では確かによい。しかし、彼らは私から見れば「え?なんでこんな患者さん搬送すんの?」と思うような患者までどんどん搬送してしまうから、利便性という点ではおおいに問題がある。つまり自治医大方式は合理的ではあるが島の住民にとっての利便性がない。(この点に関しては離島医療におけるオープンシステムとクローズドシステムのページ参照のこと)

 コトーはリハビリの専門家ではない。しかし昌代は内地での専門スタッフによる合理的なリハビリよりはコトーを始めとした、島の人たちに囲まれながらの不完全ながらも楽しいリハビリを望んだのである。だからコトーが正直に「自分はこれまでリハビリをしたことはない、昌代さんのために勉強中なのです、一緒にやっていきましょう」と言った時、素直にうなずいたのだ。

 離島に限らず、医療の原点はまさにこれなのではないか。臓器別の専門家ではなくても、気心のしれた信頼のおける”かかりつけ医”に自分の身体全部を死ぬまで診て貰いたい、国民は医療にそうしたことを本当は期待しているのではないか。
 
 「Dr.コトー診療所」の主人公Dr.コトーはまさにそうした地域住民の期待に応えている。この番組の人気の秘密の根源はそんなところにあるような気がする。

 残念ながら現代の医療は「Dr.コトー診療所」とは正反対の方向へ進んでいる。


(私のコメント)
最近では大画面液晶テレビでハイビジョンや地上デジタル放送を見ているのですが、テレビドラマや音楽番組などは映像の美しさが引き立って、HDDに録画して楽しんでいます。ブルーレイやHDディスクレコーダーも出回り始めていますが、二十万円以上もするので今は手が出ない。テレビ画面をキャプチャーしても画面の美しさが従来のアナログ放送よりも違います。

レンタルビデオ屋でもブルーレイやHDディスクのDVDが出回るでしょうが、来年あたりはプレーヤーも安くなって楽しめるようになるでしょう。特にアダルトものは特に楽しみだ。「Dr.コトー診療所」もハイビジョンで放送されていたので見たのですが、南海の志木那島の風景が環境ビデオを見ているようで美しい。

私はテレビドラマはほとんど見ないのですが、ネットなどで評判になっているテレビドラマはレンタルビデオ屋で借りてみている。「Dr.コトー診療所」は現在もフジテレビで放送されていますが、視聴率も高いらしい。ハイビジョンで放送されたのは2004年のものですが、漫画が原作になっている。

このテレビドラマは離島で働くお医者さんのドラマですが、脳外科手術から心臓外科の手術までこなしてしまうスーパードクターが主役になっている。このドラマは役者さんもそろっていてドラマの作りもしっかりしている。医学的な検証もしっかり行なわれているようで、病気の症状なども役者さんの演技ですが本物に近いらしい。

このドラマの主題は僻地医療の問題を取り扱っているのですが、難病治療は都会の大病院で治せばいいといった安易な風潮に警鐘を鳴らしている。都会の大病院にしても医者の分業化が進んでいて、自分の専門外の医療がおろそかになり、医療の縦割り組織の弊害が現れている。

アメリカなどの医療はもっと分業化が進んでいて徹底している。金のある患者は最高度の医療が受けられますが、下手に治療を受けると数百万円もかかることがある。日本では健康保険制度が発達しているから手術を受けても数十万円で済む。市場原理主義のアメリカでは人の命も金次第なのですが、日本では地方の医師不足が問題になっている。

地方や特に離島などでの医師の不在は命にかかわる問題であり、地方自治体では医師の確保に苦労している。「Dr・コトー診療所」も離島で医師の確保に苦労していた。それでやっと来てもらった医者に居てもらおうと、柴咲コウ演ずる彩佳をひっつけようと島民達は話し合う。

日本の医師不足や医師の偏在は健康保険制度だけではカバーしきれない問題であり、医師の養成には金がかかり時間もかかる。医療のレベルアップのためには受ける側も医療への負担も増やす必要がありますが、医療費に金がかかりすぎると治療を受けたくとも受けられない人が出てくる。

日本の人口の高齢化は必然的に医療にかかる負担が増える事になりますが、高齢になるとどうしても医者がよいが日課のような人が多くなる。私なども毎年50万円以上もの健康保険料を払っているが、最近は風邪一つ引かずに医者にかかったことがない。それでも保険制度はパンク寸前なのですが、対策としては高額所得者の保険負担を増やすようにしたらどうかと思う。

何億もの所得のある人でも保険負担の最高レベルは50万円程度でカットされていますが、高額所得者に負担してもらうしかないだろう。ところが小泉構造改革は高額所得者にやさしい改革だった。そして消費税率を上げて低所得者の負担割合を増やそうとしている。日本をアメリカ並みの市場原理主義にしようと言うのだろう。

保険制度が充実すれば地方の医療過疎の問題や医師の養成も解決するはずだ。少子高齢化すればどっちみち医療に金がかかるようになるのだから、保険料の値上げと診療の自己負担割合は増えざるを得ない。日本の病院の医療設備も充実させなければならないし、誰かがその費用を負担する必要がある。

日本は社会主義国家なのだから企業や高額所得者の税金や保険料の負担を増やすべきだ。それがいやならアメリカやタックスヘイブンなどにに移住すればいい。どっちみち大企業や高額所得者は税金逃れをして資産を海外へ移転させている。プロ野球選手ですらアメリカの大リーグへ移籍しているくらいだから、それを引き止める必要はない。大企業の減税や高額所得者の減税はもともと引き止める手段にならない。

「Dr・コトー診療所」では優秀な医師さえ確保できれば、さほどりっぱな設備の病院でなくとも治療が出来ることを訴えているようですが、素人考え的には最新設備の整った大病院の方が病気が治せるように思いがちですが、的確な治療技能を持った医師の方が病気は治せると思う。最近では大病院での医療ミスが頻発していますが、医師や看護師のレベルの低下のほうが問題なのかもしれない。




中国がこの状態のままで行くと2010年から2015年の間には、
破綻寸前まで行くだろう。元FT紙北京支局長ジェームズ・キング


2006年12月1日 金曜日

中国人に吸い尽くされたイタリアの伝統産業部市 ジェームズ・キング氏へのインタビュー 大野和基

中国経済がもたらす巨大な力は、世界の国の有り様さえも変えている。その国をかたちづくる伝統や軍事、それらを担う産業都市にも大量の中国人労働者が押し寄せ、町をまるごと奪い去っていくのだ。
後に残るのは、焼き直しされた無惨な町の姿である。『中国が世界をメチャクチャにする』の著者で元「フィナンシヤル・タイムズ」北京支局長のジェームズ・キング氏に「中国禍」の現状を聞いた。

中国人に吸い尽くされたイタリアの伝統産業部市

中国の産業革命がどれほど世界経済に影響を与えているか、もっと具体的に言うと、世界の産業都市をいかにメチャクチャにしているか、私はジャーナリストとして自分の目で確かめたかった。そのために世界中に足を運んだが、その一つが、700年以上もヨーロッパ織物業の中心であったイタリアの都市、プラートだった。

昨年4月、歴史都市フィレンツェからほど近いその街を訪れると、町には教会の鐘が空に響き渡り、大聖堂には前日亡くなったヨハネ・パウロ2世の死を悼む人たちが溢れていた。一見、町の風情はそのまま残っているように見えたが、一歩町の中心に入ると、窓に漢字で宣伝文句が書かれた美容院が目に入った。私は中国語の読み書きができるので、書かれている漢字の意味が普通に理解できる。

国際電話が安くかけられると漢字で宣伝している店を通りすぎたかと思うと、薬草療法の宣伝、娯楽クラブの眩いネオンが目に入ってくる。まるで中国に戻ったと錯覚をするほど、街の景観は変わり果てていた。スーパーの前で足を止めたが、壁に貼られたビラはすべて中国語で書かれた求人広告のビラだった。そのほとんどは服飾工場の求人だ。

そうだ。ここはイタリア屈指の織物業の都市だった。それが今では多くの中国人が移住し、町そのものを変貌させてしまったのだ。

中国から、バス、トラック、船を乗りついで入ってきた不法入国者にも出会った。説得するのは大変だったが、話を聞くと、変貌に至るまでの全体像が見えてきた。

中国人たちは、プラートに着くと、最初低賃金で長時間骨身を削って働く。臥薪嘗胆そのものだ。毎日18〜20時間も働くというから、普通なら精神的にも参ってしまう。ところが彼らはものともしない。大量に入ってきた中国人が一丸となって働けば、どうなるだろうか。経済の一大勢力になるのは時間の問題だった。織物工場の数も増え、小さなブームを呼んだほどだ。

当然のことながら、イタリア人も一緒になって幸せを感じたが、それはぬか喜びだった。その段階で、根こそぎ町のものを中国に持って行かれると誰が予想できたであろうか。ここに中国人の狡滑さがある。彼らは何年か工員として働いたあと独立し、経営者になるのだ。そしてイタリア人の元ボスを追い出しにかかる。気づいてみるとプラートの商工会議所に登録された中国人経営の企業数は1992年の212社から03年には1753社にまで増えていた。それは細薗の増殖のようだった。

ことはそこで完結しない。
最初は、衣料製造の工程の一部を中国に外注していたのが、今は全工程を中国に移しつつある。プラートには、00年には6000社ほどあった繊維会社が、05年の半ばまでに3000社を切っていた。この数字を見ただけでも、中国がこの狡滑なやり方を弄して、世界をムチャクチャにしていることがわかるだろう。

◆中国人に狙われたアメリカの軍需産業都市

中国が、78年の改革開放政策に転じてから、30年経つが、その経済発展ぶりは一見目を見張るものがある。私は25年前に中国に留学して、98年からは、7年間「フィナンシャル・タイムズ」北京特派員を務めた。正味20年以上中国にいることになるが、その間、様々な現地取材を敢行し、できるだけ一般人に話を聞いてきた。もちろんその中には政府の役人も含まれている。そして取材を進めるにつれて、国の世界侵食がいかに醜悪であるか、改めて思い知らされた。

その証左をもう一つ挙げよう。米イリノイ州ロックフォードは典型的な中西部の町だ。まさかこの町を中国が侵食しているとは、にわかに想像し難いだろう。町の中心に足を踏み入れると、繁華街と思えないほど人影が少なく、閑散としている。図書館に入って、司書に話を聞<と、企業がつぶれて従業員がいなくなった上に、巨大スーパーマーケットであるウォルマートが町外れにできた後は、町の中心から人が消えたという。

20世紀中、ロックフォードはアメリカの軍需産業やハイテク産業の工作機械製造を担ってきた。冷戦中、ソ連の大陸間弾道ミサイルの標的にも入っていたという重要都市である。当時、町は専門技術を持った工学部出身者たちで溢れ、活気に満ちていた。

この町が危機に陥ったのはつい最近のことだ。切削機などの精度の高さで評判だったインガソル社は03年に倒産したが、倒産前から、中国の買い手は虎視眈々とチャンスを狙っていた。いち早く買収されたのはこの会社の自動車の工作機械部門である。

中国の国有企業に買収され、数十年にわたって研究されたインガソル社の最先端の技術は設計図ごとまるごと中国本土に持って行かれた。元の会社で働いていた熟練工たちは当然仕事を失うことになるが、彼らに残っていた道は、郊外にできたウォルマートなどのカウンターで働くことしかなかった。

こうして世界中から技術やノウハウを本国にごっそり移転する中国のやり方に、世界は太刀打ちできない。大量に押し寄せる安い労働カと廉価製品攻勢で、世界中の企業はずたずたにされている。

また中国政府も人民元を不当に低いレートに固定し続けようとし、労働者が賃上げ要求できないように労働組合を作らせない。少しでも運動しようものならリーダーは刑務所にぶちこまれる。石油の国内価格も国際価格よりも安く抑えられ、おまけに銀行は国有だから、どれほど不良債権を抱えても表沙汰になることはない。このような商慣習と労働慣習をもった国が押し寄せてくるのだ。世界は対抗できない。


「終わりなき雇用危機」「倒産しない企業」

しかし、一見、高度経済成長を調歌しているようにみえる中国だが、実はそうではない。中国はよく「自転車を漕いるのである。ゆえに政府は絶えず成長に迫られている(ちなみに2400万人といえばヨーロッパ全体の毎年の失業者数に近い数だ)。

さらに、消費者物価指数などの一般的な指標ではインフレ傾向が顕著だというのに、工業製品の平均価格は毎年下がっている。中国は毎年1500万台のオートバイを生産しているが、実際の販売数より500万台も多い。売れ残ったバイクは倉庫に残り、利益はほとんど出ない。それでも大半の企業が巨大なマーケットにこだわり生産を続ける。あきらかな供給過剰だ。倒産寸前の企業が溢れている。

銀行も返済能力がない企業に融資をやめることはない。この国の銀行は、企業を破産させると、失業者が街にあふれ、消費不況を引き起こし、結局は銀行の利益に反することになると考える。だから中国は世界的にも倒産が少ない。銀行と政府の考え方は同じなのだ。

このような歪みはいずれどこかで破綻するだろう。

賃金の点でみると、今の中国はイギリスの産業革命のときの半分である。それが商品の廉価の元になっているが、その賃金はいずれ上げざるを得ない。そうなると製品価格も上がり、競争力が弱まる。

環境保護に対してもまったく無策だ。熱帯雨林の違法な伐採、空気汚染、川や湖の汚染。最悪の例が水だ。水が汚染されているだけではなく、中国の国土から枯渇してきているのだ。現在水道の値段はかなり安いので、農業でも無尽蔵に使われている。だが、ワイン製造に携わっている中国人に聞くと、文化大革命のときは15mも採掘すれば水が出てきたが、今は井戸の深さが800mにもなっているというのだ。それほどまでに水が枯渇している。節水するためには水道料金を上げざるを得なくなる。そうなると象が自転車を漕ぐ速度も落ちてくるだろう。

今の中国は400m走に例えるとわかりやすいと思う。現在中国は200m辺りを走っているが、スタートから速く走りすぎて、頑張ったために、今かなり足が疲れている状態だ。環境が危機に瀕し、銀行などの隠れ不良債権が膨大に膨れた状態だが、政府は無策のまま何もしようとしない。

ところが、これから賃金が上がり、石油価格も国際価格並みになると、競争力が落ちていくことは明白だ。そうなれば、ますます自転車を漕ぐ速度が落ちてくる。漕ぐのをやめると倒れるので、やめるわけにはいかない。だが、中国がこの状態のままで行くと2010年から2015年の間には、破綻寸前まで行くだろう。もちろんそうなれば全国で暴動が起きるに違いない。昨年は小さな暴動を入れると8万7000件も起きたが、一昨年から1万4000件も増えている

中国が世界をムチャクチャにしているのは紛れもない事実だ。しかし、中国国内のミスマッチ(矛盾)が、危険水域に達しようとしているのも事実なのだ。

元「フィナンシャル・タイムズ」北京支局長
ジェームズ・キング
[PROFILE]英国エジンバラ大学東洋語学科卒業。中国・山東大学留学。1985年から「フィナンシャル・タイムズ」記者。87〜89年東京支局駐在、98〜05年北京支局長。現在「BBC」「CNN」で中国問題の解説者をつとめる。03年ヨーロッパ・オンライン報道賞、05年「今年の経済記者」賞を受賞。北京在住。


(私のコメント)
日本の国会では防衛庁から防衛省に昇格する法案が可決されたと言う事ですが、最近の北朝鮮の核実験や中国の軍事増強が大きな貢献をしていることになる。日本が普通の国家になる為には北朝鮮がミサイル実験や核実験をじゃんじゃんやってもらって、中国も派手に軍事訓練をやって欲しいものだ。

中国や北朝鮮は寝た子を起こすような馬鹿なことをしているのだろうか? 日本に対して軍事的な挑発をすればするほど日本は憲法改正もしやすくなるし、場合によっては非核三原則も変更することになるだろう。防衛庁が省に昇格したのもこのような流れが影響している。

中国人や朝鮮人が海外に対してこのように挑戦的であり挑発的なのは国民性からなのでしょうが、経済活動に対しても海外からの顰蹙を買って反発を招いている。

日本も80年代頃は経済進出で反発を招きましたが、生産工場の現地化などにより雇用を作り出すなどして、現在では世界各国から工場進出を求められるようになった。資本と技術を提供して、その製品を海外に輸出すれば貿易黒字ももたらしてくれるのだから歓迎されない訳は無い。

中国も改革解放経済政策で世界から資本と技術を導入して経済発展が著しくなりました。しかし78年からの改革解放経済は、30年近くたつのに自律的な発展はまだ軌道に乗っていない。世界の技術開発競争は激しくなる一方ですが、ジェームス・キング氏のインタビューにあるように技術を盗む出す事ばかりに夢中のようだ。

日本の場合も戦後間もなくの頃はアメリカからの技術導入で経済発展をして、60年代には自律的な経済発展が軌道に乗って、ソニーのトランジスタラジオなどの独自商品など開発して、今では家電や自動車などの技術など世界のトップクラスになっている。ところが中国は30年近くたっても海外からの技術に頼る面が大きい。

さらには、改革解放で中国人の海外進出が活発になり、留学や海外旅行などで海外に出た中国人は中国に戻らず、現地で中国人社会を形成して摩擦を起こすまでになっている。東京や大阪なども各地にチャイナタウンやコリアタウンが出来て、行き交う人の会話が中国語などが目立つようになった。

日本の政治や行政やマスコミは日中友好の名目で中国人留学生や観光客の呼び寄せに熱心ですが、それらが不法滞在の増加につながり、不法滞在者は生活に困って犯罪に走る。今や日本の刑務所は中国人で溢れかえっていますが、日本の政治家や経済人達は中国政府の外交的な圧力で中国人の呼び寄せに熱心だ。


闇にまぎれる中国人犯罪者 1月28日 依存症の独り言

平成16年1月1日現在の中国人不法在留者数は33,522人で韓国に次いで第2位。
刑法犯は4,285人でダントツの第1位。
33,522人は、あくまでも表面化した数であって、実態はこんなものではない。刑法犯も、未検挙の者がたくさんいる。

違法送金の多くは、不法就労者が稼いだものであろう。東京の繁華街の飲食店には、必ずといってもよいほど中国人が2〜3人はいる。私がよく行くラーメン屋や蕎麦屋にもいる。バーやクラブのホステスをやっている女も多い。これらの大半が不法就労者で
あると思われる。

次に犯罪で稼いだ黒いカネ。覚醒剤、強盗、窃盗、カード詐欺、中国人の犯罪は常軌を逸している。不法就労者を賭博に誘いカネを巻き上げる。女は借金漬けにして売春させる。盗んだものを不法就労者に売りつける。
ベンツやBMW、セルシオなどの高級車の窃盗・密輸も後を絶たず、最近ではニュースにもならない。笑えるのは、私と同じ駐車場を利用しているヤクザ屋さんが、買ったばかりの最高級ベンツを、盗難保険に入る直前に盗まれたと嘆いていたことだ。中国人はヤクザの車も容赦しない(笑)


(私のコメント)
日本は犯罪の少ない国として有名だったのに、今では犯罪が増えて、地方の田舎町でも戸締りをしないといけなくなったし、強盗事件も増えた。中国や韓国などから犯罪者が日本に出稼ぎに来るからですが、日本の政治家達は中国人や韓国人のノービザ観光も認めてしまった。これでは日本の警察がいくらパトロールを強化しても間に合わない。

日本の政治はアメリカのみならず、中国や韓国政府からの外交的な要求があるとすぐに言う事を聞いてしまう。しかしその結果起きたことには責任を持たない。問題が大きくなれば外圧によるものとして責任を転嫁してしまう。ノービザ観光要求も日本に犯罪者を送って治安を乱せば、日本国民は反政府的になって野党政権が出来る事を狙っているのだろう。

しかし反日左翼の思惑とは違って、中国人問題が大きくなればなるほど日本人は保守化して、最初に述べたように防衛庁が省に昇格したり、憲法改正や核保有論議などが活発になるなど、右翼保守陣営は順風が吹き始めている。このような流れは欧米でも起きており、中国人排斥の動きも大きくなってきている。

要するに世界は中国と言う無法国家のパンドラの箱を開けてしまったのだ。



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