株式日記と経済展望

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「世界の工場」に異変 1〜10月 日本企業の対中投資30%減
地価の上昇や最低賃金の引き上げなど人件費も高騰が原因


2006年11月30日 木曜日

「世界の工場」に異変 1〜10月 日本企業の対中投資30%減

日本企業の対中投資が減少している。中国商務省が28日までにまとめた海外からの対中直接投資統計(実行ベース、金融を除く)によると、日本からは今年1〜10月で37億1180万ドル(約4343億円)と、前年同期に比べて30%以上の大幅な減少となった。今年は通年でも4年ぶりにマイナスとなる見通しだ。

 日本の対中投資は大型案件がほぼ一巡したことに加え、地価の上昇や最低賃金の引き上げなど人件費も高騰。コスト増への懸念から、「世界の工場」としての魅力が失われつつあるという。さらに、中国一極集中のリスクを避けるため、企業がベトナムやインドなども加えた「チャイナ・プラスワン」に海外投資戦略をシフトさせていることも背後にありそうだ。

 さらに2010年を最終年度とする中国の第11次5カ年計画で、外国投資受け入れ指針としてハイテクや環境保護、省エネルギー、内陸部開発などの案件を優遇すると定めるなど、投資内容を選別するようになった中国政府側の事情もある。

 アジアの投資事情に詳しいみずほ総合研究所の内堀敬則・上席主任研究員は、「過熱ぎみだった対中投資が中国の市場開放の遅れで、様子見の状況になっている。対中投資が再び増加に転じるかは、市場開放が進むかどうかだ」と指摘する。

 今後の中国投資は労働集約型の郊外への装置産業ではなく、技術性の高い産業やサービスなど都市集中型の投資へとシフトし、機能的分散と地理的集約が進むと見込まれる。量よりも質の拡充が課題となりそうだ。

 同時に外資の側も対中投資で「選択と集中」戦略を取り始めている。

 08年に五輪開催を控える北京市への投資は好調で、05年の投資実行額は前年比で約14%増の35億3000万ドル。そのうち日本は8億ドルで全体の約23%を占め、国・地域別でトップに立った。商業やサービス業などでの外資参入が増えている。(長谷部高史)
FujiSankei Business i. 2006/11/29


中国企業でさえ中国から逃げ出す 1128日 台湾春秋

日本では珍しい“行動する評論家”・宮崎正弘氏が、「中国から日本企業は撤退せよ」という極めてショッキングな本を出版した。ある国の最高責任者から、「殺されないよう身辺に気を配れ」と忠告されたそうである。そのプロローグ部分を要約しコメントする。

「中国経済は、依然として加熱気味の投資ブームで、異様な高度成長が続いている。上海では、この2〜3年、予想を超えて人件費が高騰し、3K現場の技術者は、カネを積まないと集まらない。観光客の集まるレストランやホテルは、東京より高いところがある。

 ちなみに中国一のノッポビルにあるホテルでは、コーヒー一杯が1800円で、東京より高い。こんなにコストの高い上海に進出して、製造コストが合うのかと、かねてから不思議だったが、驚くなかれ、中国企業が真っ先に上海から逃げ出している。

 上海から内陸部へ移転した民間企業は3,058社もある。国有企業では、中国からベトナム、カンボジャ、ミヤンマーへ移転するところが目立つ。外国企業も、中国市場を見限りだした。製造コストだけでなく、水不足、公害・環境問題が原因だ。

 加えて治安の悪化。中国の国家公安部が、過去年度ごとに暴動・ストライキの統計を発表した。03年は5万8000件、04年は7万4000件、05年は8万7000件、このペースなら06年は軽く10万件を超える。

 経済成長は、工場用地、高速道路用地、住宅用地、ダム開発用地などを、新たに必要とするから、権力は農地を強制的に奪う。武力を背景に土地を強制収用され、就労もできずに、食うや食わずに暮らしている貧困層が、拡大している。

 近年の顕著な特色は、農民、住民らの、公害と開発への抗議運動である。これが過去3年、顕著になった。貧困農民の反乱に加え、一般の民衆が軍隊と、死をも恐れずに衝突をくり返すので、治安が極度に悪化する。これに対してこれという対策がない。

 とくに広東省、福建省など華南では、相次ぐ暴動、争乱、ストライキで、目を覆う惨状である。その典型が深?市。中国全土からの流れ者がうごめき、当然ながら品格のない町に変貌した。朝7時から町に街娼が立っている。売春業者と警官隊が毎日衝突している。

 この深?から順徳、恵州、広州にかけての工業ベルト地域が、日本や台湾企業の密集地帯である。ここに進出した日本企業は、台湾企業との競合、下請けの夜逃げ、連日の賃上げ要求で悲鳴を上げている。

 中国から脱出した企業はどこへ向かうのか。ベトナムやインドが多い。インドで一番売れているのは、日本のスズキだが、近年は韓国の現代自動車が猛追している。現代自動車の成功を聞きつけて、ノキアが携帯電話工場を新設、浦項製鉄も進出する。

 国を挙げて中国へのめり込んでいた韓国企業の、インドでの姿勢が象徴するのは、中国からのシフトであり、分散投資戦略である。それは中国偏重の日本企業への重大な警告である。中国企業さえ逃げ出し始めた場所に、日本企業はもう進出すべきでない。」

 日本に、日本企業の惨状が伝わらないのは、失敗を外部に公表したがらない企業体質と、中国からの圧力により、中国の悪い面を誰も語りたがらないせいだという。それでは、地上の天国と信じて北朝鮮へ渡った人たちと変らない。不幸が拡大再生産されてはならない。


中国進出日本企業現地からの悲鳴 11月29日 台湾春秋

 「05年4月の中国における反日暴動のおり、大手通信機メーカーのユニデン深?工場は、四日間操業をストップし、団体交渉という名の、つるし上げが夜中まで開かれた結果、大幅な妥協案に屈した。地区の共産党に狙い撃たれたのだが、日本企業は脅しに弱い。

 台湾企業は、同じ言葉をしゃべることもあって、賃金の支払い遅れや寮費の徴収など、あの手この手の中国的手法で対抗し、結果的に日本企業の半分以下で、操業を続けている。

 埼玉県の鋳物産業は、いま壊滅に近いが、この失敗も中国に遠因がある。鋳物産業は労力の安い中国への進出を考えていた。そこへ研修と称して近づいてきた中国人に乗せられ、機械ごと進出し技術を教えた。そして、機械代金も指導料ももらえずに逃げ帰ってきた。

 特許も問題だ。中国では特許弁理士が大もうけし、1億円の豪邸に住んでいる。最初にだまされるのが商標。被害の典型が、“ガッチャマン”など有名なキャラクター商品。なにしろ本家より先に中国人が商標登録していて、進出した本家の商品が排斥されるのである。

 WTO以前の中国では、合弁が絶対条件だった。無能な共産党高官も、条件面で日本人社長と全て平等だ。座っているだけで月給100万円。企業が儲かり始めると、徹底的に食い尽くすのも、彼らの流儀だ。造った製品を、工場から昼間堂々と盗み出す。


 製造業は、工場が建設され雇用もすみ、訓練が終わって軌道に乗る。ところが生産を開始すると、決まって“新税”が課せられる。“進出して3年は無税”などの特典は、いざ工場が回転し始めると、忘れ去られる。そして、いきなり組合結成、賃上げ要求とくる。

 経営者の人質化も起きる。台湾の“許文龍事件”がその典型だ。台湾を代表する奇美実業を誘致するため、最初は微笑外交を展開した。だが大規模工場を建て、もはや引き下がれないとなるや、いきなり工場長を逮捕、原料の輸入を税関で止め、税務検査をくり返す。

 台湾独立を支持する経営者への、露骨な政治圧力である。とうとう許文龍会長は、自己批判の新聞広告を出すはめになった。それも“国家分裂法”に対して、台湾の民衆が100万人の抗議デモを行う日の朝である。同様な工作は日本の財界人に対しても行われる。

 紙パルプの最大手、王子製紙も、中国官僚システムのセクト主義に小突き回され、悲鳴をあげている。王子製紙は3年前、上海の北の南通市に広大な土地を手当てし、総額2300億もの巨大投資をする計画をぶち上げた。この大プロジェクトが頓挫している。

 中国の過剰な設備投資が原因なのだが、中国はせっかく進出してきた外国企業もその犠牲になる。王子製紙は、地方政府から歓迎、中央政府からは厄介者扱い、メイン工場の建設許可が下りない。中央と地方のボールの投げ合いの狭間で、弄ばれているのである。」

 奇美実業の許文龍事件などは、完全なだまし撃ちである。ご本人の胸中を察すると、怒りがこみ上げる。日本の小学唱歌が大好きな人で、3億円とかいわれるバイオリンで、聞かせてもらった。それにしても、自分の会社に少数のコミュニストがいるだけで、あれほど神経質になる日本の経営者が、世界最大の共産党国家に、何の警戒心もなくのこのこ出ていくのは、天下の奇観である。


(私のコメント)
現在中国に進出している日本企業で、欧米や日本向けに製品を輸出している企業はまったく利益の出ない状況になっている。人件費の上昇や石油などの原材料の上昇がコストアップとなり、工場を中国に移転したメリットはなくなっている。むしろユーロ高円安で日本からヨーロッパに輸出した方が儲かっている状況だ。最近では円とドルとが連動して動く為にドルと共に円安になっている為だ。

だから早めに中国に進出した企業は中国の工場をたたんで、他のアジア諸国や日本に工場を移転させている。これから中国進出を目指す企業は中国市場相手の企業であり、小売業やサービス業が主体になるだろう。しかし中国は共産主義国家だからなかなか中国人はサービスが身につかない。だから中国人社員の教育に苦労している。

このような事は株式日記でも何年も前から書いてきたことであり、それがいよいよ数字になって現れてきたと言う事だ。これから中国で心配される事は中国国内の格差の問題であり、開発がもたらす環境破壊などの問題であり、国内経済のアンバランスによる地域暴動などの頻発が起きてきて激しくなってきている。

更には日中間には政治的なリスクもあるから、安部・胡錦涛会談が行なわれて一段落着いていますが、いつ反日デモが再発するか油断できない。だから中国に進出するには、いつでもボストンバック一つで逃げ出せるようにしておくべきだとも書いてきました。しかし重厚長大産業では数千億円もの投資を必要とするから十分な注意が必要なのですが、王子製紙などは中国政府に翻弄されている。

宮崎正弘氏の「中国から日本企業は撤退せよ」と言う本は、かなり刺激的なタイトルですが、経済面からして中国投資はすでに採算に合わなくなってきている。また中国市場に進出した企業も様々な摩擦が起こって立ち往生しているところが多いようだ。土地の使用料が一気に倍になったり、思わぬ税金をかけられているところも多い。

これから懸念心配される事は、労働争議の頻発で日本人幹部は身柄を拘束されて、どのような目に遭うかわからない事だ。しかしこのような事はめったに日本の新聞は報道しないから国民はあまり知らない人が多い。中国でひどい目にあっても日本企業は公表したがらない。韓国に進出した時の企業も工場などをたたむ際にトラブルを恐れてFAX一枚で工場閉鎖通知したような事もあった。

中国や韓国の対日感情があまり良くないのは、なかなか縮まらない経済格差があるからでしょう。現在のところ中国共産党政権が何とか持っているのは経済発展しているからですが、これが止まってしまうと、今まで押さえ込まれていた政治的な不満が一気に爆発しかねない。

胡錦濤国家主席はソ連のゴルバチョフになる可能性もあると見ていますが、ソ連が崩壊した時の混乱は記憶に新しい。そのようになった場合、チベットやウイグル地区は中央アジア諸国のように独立するだろうし、沿岸地域も三つぐらいに分かれる可能性がある。そうなれば北朝鮮も崩壊して体制が一気に変わるだろう。

日本には外交戦略が無いといわれますが、様々な可能性に対して戦略を立てておくべきなのであり、中国から北朝鮮にかけての内部矛盾が一気に噴出して、混乱に巻き込まれる事も想定すべきだ。

中国がこれ以上の経済発展を続けるには民主化を進めていかなければ、世界からの投資も集まらなくなる。共産党独裁体制では企業進出してもいつ没収されるかも知れず、改革開放政策も行き詰まる事になりますが、中国は今その岐路に立たされている。


中国における公開処刑
いつかは改革開放政策の矛盾が爆発する!





頭のいい人たちが霞ヶ関や中央銀行に行く、というのが
僕には分からない。(英国人ヘッジファンド・マネージャー)


2006年11月29日 水曜日

渡辺喜美の国会生中継 日銀の利上げは慎重に (動画)

年内利上げの環境、整っていない=渡辺・内閣府副大臣

[東京 28日 ロイター] 渡辺喜美・内閣府副大臣は28日、ロイターとのインタビューに応じ、景気踊り場とみられかねない指標が出ているなかで、年内利上げの環境は整っていない、と述べた。利上げすれば景気の足を引っ張ることは必至だとして、政府と一体となって金融政策を行っている日銀が「年内利上げに走るとは信じていない」と述べた。
   足元の経済情勢について渡辺副大臣は「外需が貢献してきた成長に不安感が出ている」と述べ、「利上げの環境は整っていない」と強調。「こういうときに利上げをすれば景気の足を引っ張るのは必至だ」と述べた。
 さらに、(1)単位労働コスト(ユニットレーバーコスト)は依然マイナスで物価を押し上げる状況ではない、(2)日銀が展望リポートで示したほどに、GDPギャップが需要超過で潜在成長率より高い成長を維持し続ける楽観的な状況にもなっていない──ことなどを挙げ、利上げ環境が整っていないと語った。
(ロイター) - 11月28日19時12分更新


ヘッジファンド幹部がこぼしたこと=共産主義ですか? 11月28日 本石町日記

知り合いの外人(英国人)がヘッジファンド(日本株投資)のマネージャーをやっているので久しぶりに電話した。彼がこぼしたのは以下のことである。とりあえず箇条書きまで紹介したい。

・消費者金融問題で上限金利を強制的に引き下げたのは驚きであった。なぜ市場原理に委ねる方法を模索しないのか。昔の共産圏のような手法だ。この国で投資していいのかと不安になる。

日銀の追加利上げの姿勢も理解しにくい。「今後、利上げが不可避」と言うなら、早くやって欲しい。投資する立場としては、「利上げ」は雲のような存在であり、投資環境はいつまでたても晴れない。早くやって悪材料出尽くしにすべきだ。でも、本当に利上げする必要あるの?

(これは前回聞いた話) 頭のいい人たちが霞ヶ関や中央銀行に行く、というのが僕には分からない。(君はBOEに行きたくないのか?)だってつまらないでしょ。日銀の人たちはどういうやり甲斐があるのか。教えてくれ(国益への貢献ではないのか?)会社を作って雇用を創出するのが最高の経済的な貢献だと思う。

・ホリエモンや村上ファンドの事件などみても、日本は金融に向いていない風土のような気がする。やはりモノ作りが向いているのではないか。金融はゲーム的な側面が強い。ゲーム的に金融をやるのは日本ではいけないことなんでしょ? ヒタイニ汗シテハタラクだっけ。

いろいろこぼしたけれど、彼は基本的には親日家であり、日本経済の先行きには「期待している」のだそうだ。最近の海外投資家は「日本離れの傾向がある」と認めつつも、株が下がるのは結果的に「割安感をもたらす」そうで、それに「みんなが悲観的に見たときに買うのが投資の鉄則でしょ」と言っていた。一応、来年は株高を見込んでいるようであった。


銀行アナリストが銀行株動向を読み誤ったのは… 11月24日 本石町日記

金融新聞を読んでいたら、「預金金利の上昇に対して、思うように貸出金利の上乗せが進まないとの失望感が広がったことが、アナリストが(銀行の)株価動向を見誤った最大の理由だ。(銀行の)決算はそれを裏付けた」と書いてあった。ここで言われるアナリストとは、「銀行アナリスト」である。私が普段接触するアナリストは、マクロ経済や債券動向を分析するアナリスト(エコノミスト)で、エクィティ方面の銀行アナリストはまあ遠い存在である。

 このブログでは早い時期から、「利上げで銀行収益は拡大しない」、むしろ「資金需要が弱い中では利上げが正当化されにくい」といったことなどを指摘したつもりだ。少なくとも私の知り合いのエコノミスト、アナリストらは同じような見方を示していたし、日銀関係者も銀行収益のピークアウトの可能性を指摘していた。銀行関係者ですら、銀行株が上がることに驚いていたぐらいで、収益好転・株買いを本気で言っていた関係者は私の周りにはいなかった(私の環境が異常なのだろうか?)。

 では、銀行アナリストはなぜ見誤ったのか。私には謎である。資金吸収貸出動向、新規約定平均金利、地方銀行のアウトライヤー化、また仕組み物への傾斜。日銀さくらリポートに見る各地貸出事情。マクロ的な資金循環における金融システムの機能。銀行に対する公的制約の強い風土。こういったことのすべては貸出低迷を示唆し、日銀が利上げすれば負債コストが上昇し、銀行が原油高に直面したガソリンスタンド化するのは自明の理であるに思える。

 それでもなお、銀行株が上がる、というシナリオがなぜ描けるのか不思議である。一過性の美人投票で上がる可能性はあるにしても、利上げで預貸利ザヤが拡大し、収益増大・株高というシナリオは「資金需要をほとんど伴わない実感なき景気回復」によって否定されるだろう。

 地銀関係者と話をしていると、不思議なことを聞く。「貸出が振るわないので市場運用に力を入れる、との経営方針はウケが悪い」のだという。私が「誰のウケが悪いのか」と聞くと、「市場です」と言う。「市場とは具体的に何ですか」とさらに聞くと、「アナリスト説明会でのウケが悪い」のだそうだ。つまり「貸出増強路線は評価されるが、市場運用の強化はそうではない」という。私は大変驚いた。

 なぜなら、需要なき貸出の競争をやる銀行はむしろ「売り」であるからだ。以前のエントリーでも紹介したが、みずほ証券のチーフストラテジスト、高田創さんは邦銀融資行動を「南極の氷売り」と絶妙の表現をしている。氷(貸出)が既にたくさんあるところ、または氷の需要がないところで、氷を売ろうと努力するからだ。氷を売るとジリ貧になるから市場運用に傾斜するのは合理的な判断であり、それがなぜ評価されないのかちょっと分かりにくい。

 銀行(特に日本のような商業銀行形態)は収益がマクロ連動する。本来、銀行収益を予想するにはマクロ分析が欠かせない。また、銀行の投融資行動の影響が強く出る債券市場の分析も重要であろう。「銀行アナリスト」は何らかの理由によってマクロ・債券リサーチとの連携が取れないのだろうか。ファイヤーウォールの問題だろうか。金融新聞は「読み間違えた」と評しているが、単に予想を外したのではない何が構造的な理由がある気がする。考えすぎですかね。

ps 銀行が需要なき貸出で競争をするのは、ローンを借りている私から見れば、とても歓迎である。もっとも、個人的事情と状況分析は別であって、このエントリーは中立のスタンスで書いたつもりである。融資競争を評価するアナリストは私の家計の味方なんだが、それとこれとは別。


(私のコメント)
株式日記と言いながら最近はなかなか経済の話を書く機会がありませんが、日本経済はゼロ金利のまま凍りついた状態になってしまい、なかなか溶ける状況になりそうも無い。バブルの頃は水が沸騰した状態となり、大慌てで水を冷やしたら凍ってしまった。まったく政府や日銀のやる事はなってないのですが、アメリカや中国は日本を反面教師としてバブルを潰さないようにコントロールしている。

そもそもバブルが発生したのは、金融を引き締める時に引き締めずに、銀行に対しても日銀の窓口指導で貸出増加を強制してきた為だ。アメリカからの内需拡大を強要されて景気拡大させようとしたのですが、土地や株式などの資産だけが値上がりして、労働者の賃金などはあまりあがらず消費もあまり伸びなかった。

すでに経済のグローバル化で、日本企業も労働賃金の安いアジアや中国などへの工場移転が始まって、従来型の景気対策は企業の業績向上による労賃の上昇が伴わなくなってきていた。労賃が上がらなければ消費は伸びず一般物価も上昇しない。日銀はダム理論と言っていたが、企業業績は労賃の上昇に反映しなくなった。

だからいくら政府や日銀が景気対策を打っても、消費が停滞してデフレ経済に陥ってしまった。90年代に入ってからベースアップは過去のものとなり、日本の輸出産業の工場は海外に移転してしまって、輸出が好調でも企業の黒字は国内に還流せず、アメリカなどに貯まっていった。だからその資金を使えるアメリカは景気は好調だ。

逆に規制の緩和により、正規雇用からパート労働や派遣労働者に置き換えられて企業業績が上がっても労働賃金は逆に下がる傾向にある。このようになったのは昨日の関岡氏と宮台氏の対談を聞いてもらえばわかりますが日米構造協議に原因があるようだ。日本の政界はアメリカの要求を受け入れざるを得ない構造になってしまった。


YouTube - 関岡英之「拒否できない日本」導入部分

YouTube - 関岡英之「拒否できない日本」1

YouTube - 関岡英之「拒否できない日本」2


だから、日本の政治家や中央官庁の役人や日銀の官僚たちは、べつに頭の良い人よりもアメリカに忠実な人がいれば良い訳で、日本の国益よりもアメリカの国益が最優先される。日米構造協議を受け入れる事によって日本が何が失われるかと言う認識が無く、マスコミもその事に気がつかない。気がついた時には後の祭りで、失われたものは元には戻らないのだ。

例えば大店法の改正で巨大ショッピングセンターが日本の各地に出来て、地方の駅前商店街がシャッター通りになってしまいましたが、いまさら元に戻す事はできない。大店法を受け入れたら日本はどうなるかと言った議論は行なわれず、規制課緩和是か非かで国民が理解できないうちに事は進んでしまう。

バブルを潰せと言った大キャンペーンも、郵政民営化是か非かと言うキャンペーンも、国民がそれを受け入れたらどうなるかと言う議論はさせずに押し通してしまって気がつけば後の祭りなのだ。政府や日銀による経営に失敗した銀行は潰せキャンペーンもそれであり、潰れた銀行や吐き出された不良資産はハゲタカファンドに買い占められた。

19行あった都市銀行は四行になり、多くの支店が整理されて駅前から銀行が無くなった市町村が多くなった。郵便局も無くなって行き、何のための金融改革か郵政改革かの弊害が出る頃には日本の金融資産の多くが外国で使われているようになっている。

関岡氏と宮台氏の対談では最後に宮台氏が、アメリカからの要求に対してヨーロッパではスローフードやスローライフと言った文化的概念で跳ねつけたが、日本にはその概念が無く、日本有罪論として受け入れてしまう。すべて日本が悪いと言った言葉が「構造改革」と言う言葉に込められているが、グローバルスタンダードと言う言葉はアメリカにも無いもので日本が勝手に作り上げたものだ。

最近ではゼロ金利解除に利上げに日銀は必死になっているが、バブルの発生も崩壊も日銀の責任でありながら、景気が良くなりかけると景気回復の芽を日銀は摘み取ってしまう。政府も増税で景気回復の芽を潰してしまうがどうしてなのだろう? それはアメリカの国益につながるからだ。日本が不景気であり続ける限り、日本の金はアメリカに流れ続ける。それがアメリカを支える事につながっている。

経済のイロハから言えば、本当に景気が良くなれば日銀が利上げをせずとも自然に上がって行く。ところが市場は不況で資金需要が無いから金利の上がりようがない。企業は後ろ向きのリストラで業績を上げているから、日銀はその意味を分かってはいないのだろう。

英国人ファンドマネージャーが言うように、本当に頭のいい人は霞ヶ関や中央銀行などには就職しない。本当に頭のいい人は会社を作って経営に腕を振るっているはずだ。頭が悪いから宮仕えでいるのでしょうが、自分達が一番頭がいいと思い込んでいる。だから始末が悪い。本当に自分の能力に自信があるのなら、私のように脱サラして事業を始めてみろと言いたい。




サウジアラビアはイラクの3分割を望まない。アメリカには
「敗北」による撤退以外にオプションが残されていないのだ。


2006年11月28日 火曜日

イラク・信憑性のあるまさか 11月25日 佐々木 良昭

11月21日のネット新聞「ハフィントン・ポスト」に、ブッシュ政権の「イラク秘密工作を暴露」という記事が載ったというニュースが、大沼安史氏によってネットの世界に紹介され、いま日本中を駆け巡っている。

 この記事の内容を簡単に説明すると、ベトナム反戦運動の立役者で、イラクの反戦も行っているトム・ヘイドンという人物の情報が元だ。

 彼の情報によれば、アメリカは遂にシーア派政権を頼りに出来なくなり、バアス党との協調路線を取る、というものだ。彼はこの情報をイギリスとヨルダンの、信頼できる情報筋から入手したと語っている。

 その内容は、アジーズ元副首相兼外相が復権する、バアス党が合法化される、というものだ。当然のことながら、この流れのなかでは、サダムの刑も軽くなるだろうことが予測される。

 このようシナリオがありうるのだろうか、現在のイラクを取り囲む、中東各国の動きを追ってみよう。

 サウジアラビアはイラクが三分割され、サウジアラビアと隣接する地域に、シーア国家が出来上がることを望まないし、そのシーア国家がイランとの強い関係を構築することは、考えてもみたくないだろう。

 それは、サウジアラビア国内のシーア派を勇気付け、分離独立の動きを起こされる、危険性があるからだ。サウジアラビアの石油地帯、大方シーア派住民が居住する地域に集中しているだけに、絶対あってはならないことであり、敏感に危険を感じていよう。


 エジプトのムバーラク大統領は、サダムを職刑することは、地域全体を危険に陥れると警告し、猛反対している。ムバーラク大統領の場合も、シーア派の台頭を警戒していよう。また、エジプトは過去にシーア派王朝が興った国であるだけに、何時隠れシーアが表面に出てくるか、わからない危険性がある。

 同時に、ムバーラク大統領は、イランの地域における影響力の拡大を恐れていようし、国家元首が処刑される前例は、絶対に作りたくなかろう。それは、彼の将来にも影響してくるからだ。

 イラク三分割については、トルコもヨルダンも反対していた。それは自国の安全に直接関わってくるからだ。

 マリキー首相が、アメリカと精神的に完全に関係が切れたのではないか、ということを以前に書いたが、アメリカもまた、マリキー首相ではイラク国内の安定を実現することは無理だ、と考えたのかもしれない。

 そうなれば、結局、イラクを統治する能力と経験を有するのは、バアス党ということになるのだが、果たしてそううまくいくだろうか。アメリカのハドレー補佐官が、最近バグダッドを訪問したが、そのときに以下の項目の提案をした、とトム・ヘイドンは伝えている。

1:武装勢力に対する全面的恩赦
2:バアス党を政党として認める
3:イラク分割をやめ、州の権限を拡大する

 さてこの情報が本当であるとして、果たしてその結果、イラクにバアス党政権が再登場した場合、アメリカとの関係を修復できるだろうか。あまりにも多くの犠牲者が、イラク国民の間で出ている。

 イラク国民はアメリカへの恨みを、100年経っても忘れないのではないか。結果的に、アメリカは膨大な戦費と国民(兵士)の犠牲を生んだにもかかわらず、イラクで狙っていた権益を、失うことになるのではないか。

 もちろん、マリキー首相を始めとする、イラクのシーア派国民は、絶対にバアス党の復権を認めたくなかろう。最悪の場合は、アメリカが現在の混沌から抜け出そうとする策が、イラク国内により一層の混乱を生み出すかもしれない。

 また、これまでアメリカ軍に協力的だったシーア派国民が、反米で蜂起する危険性もあろう。

 その場合、イラク国民人口の65パーセントに当たる、シーア派国民が反米で立ち上がるということは、アメリカ軍にとって、イラク情勢はすこぶる危険な情況に陥るということであろうし、そうなればイランが直接介入して来る危険性も否定できまい。

 アメリカがこうしたことを、実際に考えているか否かは確認できないが、選択肢の一つとしては、検討してみているであろうことが推測される。

 そのようなバアス党復権といった、大変化がイラクで起こった場合、日本人で未だにバアス党のメンバーと連絡を取っているのは、在野の数人だけであろうが、政府は彼らを生かしきれる、柔軟性を持っているだろうか。


中間選挙後のワシントン 11月27日 堀田佳男

国外出張がつづき、コラムの更新が1カ月以上も滞ってしまった。書くべきことはたくさんあるが、やはりワシントンに戻ってきたこともあり、中間選挙後のアメリカ政治に触れるべきだろう(『選択』12月号もご参考に)。

 連邦議会上下両院の多数勢力が共和党から民主党へと移り、大きな変化があるようにも思えるが、しばらくは現状維持のままのはずである。それは依然として行政をつかさどるホワイトハウスが共和党ブッシュ政権の手中に収められているからで、民主党主導の予算案や貿易法案が成立しても、ブッシュに拒否権を発動されて廃案にされるのがせいぜいである。その法案が議会に差し戻されても、法律として成立するためには3分の2以上の議員票が必要で、民主党はそれだけのリードを保っていない。

 ただ、立法と行政の対立軸が明確にできたことで、ブッシュ政権と議会はある程度の妥協点をさぐりにいかざるを得ない。それが現実的な政治の駆け引きであり、その折衝がさかんに行なわれた方がワシントンの政治は健全さが保たれることは歴史が教えている。

 中間選挙の最大争点だったイラク問題はまったく好転する兆しがみえない。むしろますます悪化しており、議会やホワイトハウスがどう転んでも、すでに軍事オプションを使っての「解決」はないだろう。となると、敗北しかないアメリカだが、今後はどこで米軍を引き揚げてくるかに議論が集約されていくはずだ。

 元国務長官ジェームズ・ベーカーが主導する「イラク研究会」の報告書と提言が期待されるが、現在のイラク情勢を好転させられる手立てはさすがのベーカーも持ちあわせていないと踏む。わたしはそれほどに悲観的である。

 それは「イラク研究会」に対してではなく、イラクの現状にである。実はこの研究会が最初に開かれた今年315日、わたしは唯一の日本人として参加している(コラム#137参照。自慢しているようで申し訳ない)。わたしの政治スタンスはインディペンデント(独立派)であるが信条的にはリベラルであり、共和党の外交政策には異を唱えることが多い。だが、このベーカーという人物だけは信じてきた。

 そのため、この研究会には当初大きな期待を寄せていた。最初の会合で、ベーカーは皆の前で明確に「(イラク問題解決への)幻想は抱いていない」と述べた。現実的な政治家であり、やれる仕事を丹念にこなしていく実務派であることを、この地で20年以上も見てきて知っている。それゆえ、彼が研究会を開くということで参加させてもらったが、すでに「解決」は不可能な状態であるのがいまのイラクであろうかと思う。

 隣国のシリアとイランを巻き込んでも、それが究極の解決策でないことはベーカーが一番知っているはずだ。それではどうすればいいのか。アメリカにはもはや「敗北」による撤退以外にオプションが残されていないのだ。

 それを証明するかのような1本の記事が26日のニューヨーク・タイムズ1面にでた。イラク国内にいくつも分散する武装勢力が、総額何十億円もの資金を原油の密売や誘拐時の身代金、偽札、ニセの慈善活動などから得ているというのだ。彼らにモラルなど期待できないし、同時にしばらく社会秩序の安定もおとずれないことを知った。ひとつの国を崩壊させ、混沌の極地へと導いてしまったブッシュの罪は大きい。

 それな中、すぐにでも08年大統領選へ出馬する候補たちのニュースが出回るだろう。前ニューヨーク市長のジュリアーニや上院議員のマケイン、前民主党副大統領候補のエドワーズなどは早めの出馬表明をしてこよう。まだ早いが、最終的にはジュリアーニが健康さえ問題なければ共和党の指名候補に、民主党では来春出馬が予想されるヒラリーが指名候補になる未来図がある。だが、彼らにもイラクは処理できず、その問題は大統領選にも重くのしかかってくるはずである。(敬称略)


(私のコメント)
中間選挙後のアメリカの対イラク政策の変化についてですが、ベーカーによる「イラク研究会」が主導権を持って政策が練られるだろう。ネオコンはあまりにもイスラエルよりで、最終的にはイラクの三分割を企んでいたのでしょうが、それではシーア派国家がサウジアラビアの隣に出来る事になり、サウジのシーア派が暴れだすから、アメリカはサウジすら失う可能性が出てくる。

現在のイラクのシーア派政権はイラクを収拾できず、アメリカは結局はバース党の復活を認めるしかなくなってきた。共和党内でも保守本流のスコークロフトやベーカーはイラク侵攻に反対してきましたが、チェイニーなどの強硬派が9・11以降のテロとの戦いで主導権を握ってイラク戦争に踏み切った。

ラムズフェルドがクビになり、チェイニー副大統領も何らかの理由で辞職するだろう。これでパパ・ブッシュ政権以来の本来の共和党政権が復活できるのですが、すでにイラク戦争以前の状態に戻す事は不可能だ。サダム・フセインを取り除けば民主的な親米国家が出来る事は最初から不可能な事であり、バース党以外にイラクを統治できる組織はない。

だからアメリカにとっての最善の策はフセインを失脚させて、親米派のバース党幹部を後釜に据えればよかったのですが、アメリカがイラク侵攻後バース党員を全部追放して選挙による政権樹立をさせた。しかしそれは上手く行っておらず爆弾テロが続発して収拾がつかなくなっている。

このことは北朝鮮にも言える問題であり、北朝鮮の統治組織を全部破壊して、民主的な選挙をしても上手くはいかないだろうということだ。北朝鮮労働党はそのまま残して金正日だけを取り除いて、しばらくは労働党政権はそのままにしておくことが混乱を防ぐ唯一の方法だ。

おそらくアメリカは「敗北」と言う形でイラクから撤退する以外に方法は無い。アメリカがわざわざ敗北と言う形を作ることで、イラクの新バース党政権は求心力を保てるだろう。少なくともイスラム原理主義的な政権が出来る事を阻止するにはそうするしかない。

そうなれば日本の出番はやってきて、イラクの新政権に援助を申し出て、イラクの石油利権に食い込むチャンスが出てくる。中東における日本への感情はアメリカのように悪くは無いから、イランのようにアメリカには敵対しても日本とは通常の関係は保てるだろう。イランの油田開発利権にアメリカの反対で手を引きましたが、日本は独自外交でイラクにもアメリカの妨害をものともせず食い込んで欲しいものだ。

アジア諸国にも大陸アジアと海洋アジアの二つの勢力があるように、中東諸国にも大陸派のイスラム国家と海洋派のイスラム国家がある。イランイラクなどは大陸派であり、サウジアラビアや湾岸諸国は海洋派になり、アメリカがイラクやイランに勢力を伸ばすのはもともと無理なのだ。

おそらくアフガニスタンや中央アジアに築いた米軍基地も孤立して撤退せざるを得なくなるだろう。ブッシュ政権のうちにそうなるかどうかわかりませんが、アメリカは中東において取り返しのつかない失策をしでかした事になる。日本はその穴を埋めるために中東に積極外交をする必要がある。たとえアメリカの妨害があっても日本は中東の石油が無ければ日本の繁栄は無いのだ。

日本は今まで外交と防衛はアメリカに丸投げしてきましたが、アメリカのイラク戦争の「敗北」により、アメリカは中東から恨まれてしばらくは手も足も出なくなるだろう。サウジアラビアや湾岸諸国の米軍基地も今後どうなるかわからない。共和党の保守本流はそのことをよく知っていたからイラク戦争に反対したのだ。


イラク泥沼化を10年前に予測したスコウクロフト 9月26日 田中宇

ベーカーと並ぶ共和党の協調主義者で、パパプッシュ政権で大統領の安全保障担当顧問をつとめたブレント・スコウクロフトは当時、PNACの主張に反対してワシントンポストに「もし米軍がイラクに地上軍を侵攻させてフセイン政権を転覆したら、アラブ全体に怒りが広がり、中東全体が混乱に陥る。アメリカは同盟国の多くを失い、その結果どんな悪いことになるかは、ほとんど見当がつかない」と主張する論文を載せた。(関連記事

 今になってみると、スコウクロフトの予測は、見事に当たっていることが分かる(このことから、タカ派のイラク侵攻策は、もともと失敗すると分かっていて主張され、協調派は何とかそれを止めようとしてきたのではないかという推測が出てくる)。


(私のコメント)
日本には日本の外交戦略と言うものがなかった。アメリカに頼っていれば安泰だったからですが、イラク戦争の「敗北」で頼ってばかりもいられなくなってきたのだ。結局はアメリカはイスラエルロビーに乗っ取られたことが命取りとなり墓穴を掘り、イスラエルに対するアメリカ国権派の怒りは向かうだろう。イスラエルはやりすぎたのだ。


◆日本はなぜアメリカの情報戦略に負けてしまうのだろうか? 郵政民営化法案に反対した自民党議員は自民党から追い払われましたが、すなわち、アメリカの言う事を聞かない自民党議員はアメリカの金の力で落選させられる。選挙区に刺客を送り込んで金の力で対立候補を落選させるのだ。だから自民党の国会議員はアメリカに逆らう事は許されない。以下のユーチューブの関岡氏と宮台氏の対談を聞いてください。

YouTube - 関岡英之「拒否できない日本」導入部分

YouTube - 関岡英之「拒否できない日本」1

YouTube - 関岡英之「拒否できない日本」2





百年とは言はず、あと数年か十数年後には、あの遊就館の
歴史解釈の方がやはり正しかったのだ、と言うことになるだろう


2006年11月27日 月曜日

「大東亜戦争 日本の主張」 別冊正論

大東亜戦争いまだ終わらず 長谷川三千子

大東亜戦争を曇りのない目でふり返り、それがわれわれ自身にとつて、また世界全体の歴史にとつて、どのやうな意味をもつものなのか、虚心にふり返つてみようとすると、われわれはいつも、そこにもやのやうにたちのぼつて視界を曇らせるもののあることに気付かざるをえない。

たとへぱ、「侵略戦争」や「戦争責任」といふ言葉がある。それらの言葉を自明の前提として、人々は、日本が「侵略戦争」をしたことは否定できないと言ひ、「戦争責任Lは天皇にもあつた、国民にもあつた、と言つて口角泡をとばしてゐる。

そもそも今使はれてゐる「侵略戦争」「戦争責任」という言葉自体が、第一次大戦直後に、すべての責任を敗戦国に押しつけて、戦勝国の戦後の優位をゆるがぬものにするために発明された、インチキきはまりない概念にすぎないのだといふことを、いくら口をすつぱくして述べても、人々の耳には入らない。

あるいはまた、なにか自分たちを「加害者」と呼ぶことが道徳的態度であるかのごとくに思つて、自分たちの「戦争加害」を反省し、「被害者」に謝りたがる人々が後をたたない。戦争とは互が相手に与へる「加害」の大きさを競ふ行為なのだといふ基本知識が、まるで欠け落ちてゐるのである。

さうかと思へば、大上段に「あの戦争は何であつたのか」をふり返るのだと言ひつつ、ただもつぱら日本政府と日本軍の判断ミスと失策だけを数へ上げて得々としてゐるやうな評論家がゐる。戦争とは相互的なものだといふことをケロリと忘れ去つてゐるのである。

さらに、東亜の解放と近代の超克といふ大課題について言へば、大東亜戦争がさういふ大課題を負はされてゐたといふこと自体、はなから否定してかかる人が多い。

しかし、かうした人々を、ただ「自虐史観」といつた言葉で一くくりにして掃いて捨てたらば、われわれは「精神史」といふ見方をも捨てることにならう。この、はらつてもはらつてもたちのぼつてきて視界を曇らせる、、もやは、それ自体が「精神史」の一部なのである。

それは、「戦後」の出発点をなす、あの"茫然自失"を源としてわき出してくるものなのであつて、あの一瞬の底にひそむ葛藤をときほぐし、そこにあらはれてゐる、よりあき大きな真実といつたものを明らめないかぎり、いつまでたつても、手をかへ品をかへして、われわれの視界を曇らせつづけるはずである。

つまり、一口に言へぱ、われわれの「精神史」の時間は、いまだ昭和二十年八月十五日のうちに凍りついて、止まつてゐるのである。「歴史過程と精神過程はかならずしも重らない」どころではない。六十余年、われわれの「精神過程」は一歩も進んでゐないのである。三島由紀夫が、その内の二十五年間をふり返つて、その空虚にびつくりしたのも、まつたく不思議ではない。

われわれの大東亜戦争は、その最後の一瞬において、未完のまま凍りついてゐる。或る途方もなく大きな、われわれの全歴史を通じての宝となりうるやうな真実を抱へたまま、単なる未解決の葛藤のごとき形をもつて、それは凍りついてゐる。これを解凍すること。そして、わが国の歴史ー「精神史」としての歴史ーをもう一度歩み始めさせること。これこそが「大東亜戦争はまだ終つてゐない」といふことの意味であり、それがつきつける課題なのである。(P17〜P18)


それぞれの歴史観 東京大学名誉教授 小堀桂一郎

ところで遊就館の現代史図解の説明中に、「ルーズペルトの世界戦略・アメリカの大戦参加」との見出しの下、以下の如き一文があつた。

《 大不況下のアメリカ大統領に就任したルーズベルトは、昭和十五(一九四〇)年十一月三選されても復興しないアメリカ経済に苦慮していた。早くから大戦の勃発を予期していたルーズベルトは、昭和十四年には、米英運合の対独参戦を決意していたが、米国民の反戦意志に行き詰っていた。米国の戦争準備「勝利の計画」と英国・中国への軍事援助を粛々と推進していたルーズベルトに残された道は、資源に乏しい日本を、禁輸で追い詰めて開戦を強要することであった。そして、参戦によってアメリカ経済は完全に復興した 》

この説明には、緒果としてさうなった、といふ事態を捉へて、だからそれが最初から目指してゐた意図の実現だったのだ、との解釈に誘導されてゐるところがある。結果を見て動機を推してゐるといふわけである。

そこで、筆者の管見に入ったかぎりでもアーミテージ、タルポットといふ二人の米政府高官(共に元国務副長官)が遊就館を訪れて展示(英文説明がついてゐる)を見たらしく、この解釈に不満を述べてゐたが、岡崎久彦氏の紹介(十八年八月二十四日付産経新聞「正論」欄)によると歴史家のジョージ・ウイル氏の反応は非常に感情的で、かつ激しかつた様である。

日く〈これは唾棄すべき安っぼい(あるいは、虚飾に満ちた、不誠実な議論であり、アメリカ人の中で、アンチ・ルーズベルトの少数ながら声ばかりは大きい連中が同じようなことを言っていた〉とワシントン・ポスト紙上で論じてゐたといふことである。然しこの程度の感情的反駁に接して狼狽したりしてはいけない。

これは甚だ興味深いコメントである。即ちウイル氏のこの口汚い罵倒は、遊就館で接した展示が、氏の抱懐してゐる近代アメリカ史の中の極めて痛い所を、所謂図星を突いた説明だったからである。この判定が定着すれぱ、アメリカ合衆国建国以来の理想「アメリカの正義」の旗印も地に墜ちるだろう。

しかし、冷静に「それは違ふ」と受けとめた人ならぱ、決してこの様な口汚い言辞は弄さぬものだ。断つておくが、筆者が〈図星を突いた〉といふのは、筆者も同じく、結果を見て動機を推す、といふ推論法を用ゐるが故ではなく、人間(個人にせよ集団にせよ)の行為には全て、本来意図した目的とは全く異なる、若しくは関係のない結果を収穫してしまふことはよくある、その場合、その行為者は、招来してしまった結果を以て、それが本来の動機だつたのだらうと推測される「誤解」を避けることはできない、との諦観に似た認識がある故である。

そして我が日本の現代史は利害の相反する相手国から実に屡々この誤解を受けて来た。早い話が、大東亜戦争に於ける東南アジアの欧米植民地の解放といふ見事な成果を指して、「共同謀議に発する侵略戦争の成功である」と断定されたことなどは正にそれである。

然し我々はその誤解への不満の故にアメリカの歴史教科書を書き換へよなどと言ったことはない。只管現に斯うしてその誤解を解くための論証作業を積み重ねてゐるだけである。国際間の戦争の如き複雑な間題についてはそれぞれの当事国にその国固有の歴史解釈があつてよいのである。

ウイル氏の罵倒に接すると、筆者は又改めてヘレン・ミアーズのあの洞察の正しさに感嘆の念を覚えずにはゐられない。日く、〈我々は日本を有罪として非難するくせに、それと同じ行動を我々自らが行ふ場合には、それを犯罪とは考へないのである。これでは正義どころの話か、まさにリンチである〉。

靖国神社遊就館課は傷つけられたウイル氏の愛国的感情を尊重して、その説明文に修訂を施した由である。その結果どの様な記述になったかを筆者はまだ確認してゐない。然しここで示された日本的寛容は、それはそれでよかつたと思ふ。

この言論戦の結果は我々の小さな敗北であるが、決して致命的なものではなく、時にとつてこのくらゐの譲歩はしておいてもよいであらう。ただこの前例が後に尾を曳いて又次々と同じ様な要求と妥協の連鎖を繰返す様なことだけは心して避けなければならないが。

而して、百年とは言はず、あと数年か十数年後には、あの遊就館の歴史解釈の方がやはり正しかったのだ、との見方が勝を占めることになるかもしれないのだ。もはや如何にも紙面が尽きたので、結びに同じ遊就館の沖縄作戦の部に飾られてゐる、楠木正成の旗印なる「非理法権天」の五文字に言及しておかう。

この五文字に最低限度の説明をつけておくとすれぱ、人と人との間の対立に於いて、個人対個人の次元では「理」は常に「非」に勝つ。又必ず勝たしめねぱならない。然し、個人の「理」は社会の「法」の前では、敢へて自らを枉げてこれに妥協せねばならぬといふことも起る。

では此世で最も強いのは「法」であるか。否、「法」を作ったり廃したりする力は国家の持つ「権」にある。それならぱ国家の根拠たる「権」同士の争ひは如何にして決着をつけるのか。それは百年後の歴史の判定に委ねるより他ない。

即ち同時代の人間の限られた知見を以てしては判定のつかぬ勝敗を、古人は「権」の上なる「天」に委ねるといふ形で敬度にも自らの判定を放棄したのである。是に由って此を看れば、百年戦争としての我々の思想戦の旗印には、この五文字が最も適しいであらう。 (P86〜P87)


(私のコメント)
長谷川三千子氏の記事に寄れば、日本人の精神史は昭和20年8月15日に凍り付いて止まってしまった、と言うことですが、アメリカ占領軍による日本人の洗脳工作によって日本人の精神的な歴史観は封印されてしまったのだろう。確かに日本人は大東亜戦争によって戦闘は華々しく戦ったが、プロパガンダ戦においては、有ったのか無かったのかわからないくらいの粗末なものだった。

本来ならば、プロパガンダ戦における主役は学者や文化人やジャーナリストによるものですが、日本にはヒトラーやゲッベルスのようなプロパガンダの天才はいなかった。日本の政治家達の演説はとても大衆を熱狂させるようなものではなく、演説原稿を棒読みするような政治家がほとんどだ。

大東亜戦争における思想言論戦における第一人者は大川周明にあたるのでしょうが、東京裁判における発狂騒ぎで、東京裁判における言論戦は封印されてしまった。おそらくGHQとのやり取りで命は助けてやる代わりに発狂したお芝居を要請されたのだろう。その後の大川周明を見れば発狂していないのは明らかだ。

6年余りに及ぶアメリカ軍の占領期間中、米軍による検閲体制が引かれて手紙は開封されて、戦前戦中の発刊された書籍のうちで発禁処分を受けて焚書された本は7700冊に及ぶ。日本政府はこのような占領軍の行為に対してなぜ抗議しなかったのか? 自由と民主主義を日本に植えつける為ならば、このような検閲行為は明らかにおかしい。

東京裁判も最近でこそ批判が高まってきましたが、東京裁判の不条理性は当時でも問題になったにもかかわらず、日本政府は抗議らしい講義はしていない。むしろサンフランシスコ講和条約で東京裁判を認めてしまっている。これこそ日本が完全にプロパガンダ戦争で負けたしるしとなるものだ。

アメリカ占領軍は講和条約が成立した後も日本を占領し続けているのですが、この事に対しても平和憲法と安保条約に誤魔化されてしまって、アメリカによる日本占領はいまだに続いている。その証拠となるものは遊就館におけるアメリカ高官による記述の書換え騒ぎにも起きており、岡崎久彦氏のような外務官僚が占領政策の協力者なのだ。

一昨日に三島由紀夫の檄文を紹介しましたが、日本の自主独立を訴えたものであるにもかかわらず、日本の自衛隊はアメリカの傭兵であっていいのかと言う檄文に対して何の反応も示さなかった。日本人の多くが彼を狂人扱いをして社会から葬り去ってしまった。しかし彼の主張は論理的であり狂ってはいない。

むしろ狂っているのは日本の方であり、戦後の日本の集団発狂はいまだに続いている。非核三原則における中川政調会長や麻生外務大臣の発言に対する与野党の国会議員のヒステリックな反応は、議論する事も考えることもいけないというまさに狂気の発想だ。むしろ米政府高官だったキッシンジャーのほうがなぜ日本は核武装しないのかという疑問を持っている。

大東亜戦争においても総括的な議論が行なわれていないのは、日本人の精神史が昭和20年の8月15日で止まってしまっているのですが、日本人の多くが思考停止状態に置かれてしまっていることにすら気がついていないのだ。

だからこそ株式日記では「日本人よ、早く目を覚ませ」と訴え続けているのですが、三島由紀夫を狂人扱いした日本の状況は36年前と大して変わってはいない。テレビでは核武装論者は出ることもままならず、見えない検閲体制はいまだに続いている。

三島由紀夫が檄文で核停条約の不条理性を訴えているが、インド、パキスタン、北朝鮮と核保有国は広がり、核保有国は核廃棄の動きはまったく無い。にもかかわらず日本は空文化したNPT条約を守って核議論すら封印している。三島由紀夫今も生きていたら本当に発狂してしまうかもしれない。




三島由紀夫が王国を夢見た以上、さめざめとその現実を
知らされる時でも、彼の世界はもはや崩壊しようがないのだ。


2006年11月26日 日曜日

薔薇と海賊(三島由紀夫著) 10月30日 美的なもの

薔薇と海賊

「僕はひとつだけ嘘をついてたんだよ。王国なんてなかったんだよ」

 童話作家の楓(かえで)阿里子を訪ねてきたのは、30歳になるイノセントの青年、帝一だった。彼は、自分を阿里子の童話の中の主人公ユーカリ少年だと信じている。
 不思議な星からやって来て、密林に落ちたユーカリ少年。犬のマフマフを従えて、ユーカリ少年は海を目指し、恐ろしいジャングルをかきわけて進む。海にたどり着いたところで、マフマフが海賊たちに捕らえられる。ユーカリ少年は薔薇の短剣で海賊たちを退治し、マフマフを取り戻す。海賊たちを船底に押し込めて、船の帆をあげ、自分が王様となる王国に向けて航海を始める。
 そんな御伽噺の世界で生きる稀な青年の存在に、阿里子の心が呼応する。それは天性の無垢と、意志によって築き上げた純潔との組み合わせだった。
 阿里子は結婚しており、夫の重政との間に千恵子という子供をもうけている。しかしこの結婚や妊娠は、女学生だった阿里子を重政が公園の裏山で無理矢理に奪ったことに端を発する。
 翌日、犯行現場を見に行った重政は、その同じ場所で彼が来るのを待っていた阿里子の姿を認めて驚く。阿里子の顔は蒼白で、重政はまるで幽霊を見たように思った。そしてまた、このような聖(きよ)らかな女の顔をかつて見たことがないと、重政は感嘆し、それ以来、阿里子に永遠の恋をするのだった。純潔を失ってはじめてその尊さを知った阿里子は、自分を守るために、重政と結婚する。結婚当夜、阿里子はきっぱりと重政を拒み、その後も二人の間に肉の交わりはなかった。重政が女をつくろうと、阿里子はまったく意に介さず、ひたすら童話の創作に情熱を傾けるのだった。一度の行為によって誕生した娘の千恵子には、彼女の童話の中のニッケル姫と同じ服装をさせるという徹底ぶりで。
 阿里子にとって、自分の童話に全身浸かりきった帝一は拒めるはずもない存在だった。大人の年齢と、完全な純潔とを同時に持つ奇蹟的な青年と、童話を書き、しかし決して夢は見ずに、意志によって壊れた純潔を守り抜く女。
 たちまちにして二人は求め合い、童話の筋書きを頼りに関係を築く。帝一の澄んだ目を見つめていると、阿里子は自分が書いた童話の出来事がどれも本当のことのように思えてくるのだった。帝一は率直に力強く、正面切って彼女の創造した世界を評価する。むしろ童話の作者はこの無垢な青年のほうではないかと感じられるほどに彼は熱心に語り、阿里子は彼を通じて自らの童話の姿を知らされる。
 帝一は阿里子に言う。「僕はどこまでも行くんだよ。たくさんの雲が会議をひらいているあの水平線まで・・・・・・。僕と一緒に行けば大丈夫なんだ。いつまでも僕が先生のそばにいさえすれば・・・・・・。」

 しかし、帝一は童話のユーカリ少年のように勇敢ではなかった。彼にはユーカリ少年の持つ「薔薇の短剣」がなかったからだ。反対に帝一はこの「薔薇の短剣」に脅かされていた。それというのも、帝一の世話をする額間という名の狡猾な後見人が、帝一のこの童話への傾倒を利用して、物語に出てくるのとそっくりな薔薇の短剣を作り、それを帝一に与えずに自分が所持することにより、帝一を思うままにコントロールしていたからだ。童話の中で薔薇の短剣の威力を知る帝一は、その美しい剣を振りかざして命令する額間に逆らうことができなかった。
 ところがある時、この薔薇の短剣が帝一のものになる。彼は歓喜し、自分がいよいよ王国の王になることを確信する。王国までの航海を阿里子に語って聞かせる。彼は地球ばかりではなく、あらゆる星の王様になるのだと言う。しかしこうして得た勇気も、再び「薔薇の短剣」を失うことにより、彼の中からすっかり抜き取られるのだった。

 帝一「船の帆は、でも破けちゃった。帆柱はもう折れちゃったんだ」
 楓 「その帆を繕うのよ。私は女よ。裁縫はうまいわ」
 帝一「だめだ。もう帆はもとに戻らないんだ」
 楓 「でも空には新しい風が光っているわ。手でつかむのよ」
 帝一「(手をのばして空気をつかむ)だめだ、指の間から風が逃げちゃう」
 楓 「でも太陽の光りが私たちを助けるわ」
 帝一「日はもう沈んじゃった」
 楓 「月がのぼるわ」
 帝一「月は冷たい」
 楓 「それから波が、ねえ、帝一さん、お魚たちが私たちの船を運ぶんだわ」
 帝一「お魚の背中は弱いよ」
 楓 「でも百万のお魚の青い背中が私たちの船を運んで行ってよ」
 帝一「阿里子・・・・・・」
 楓 「え?」
 帝一「僕はひとつだけ嘘をついてたんだよ。王国なんてなかったんだよ」

                         ※

 マフマフを従えた密林の冒険。海とたくさんの金貨と短剣の油と髑髏と革の帯と女奴隷の匂いがする海賊たち。彫金の薔薇を鞘につけ、柄にルビーを嵌め込んだ美しい薔薇の短剣。帆をあげる海賊船。珊瑚礁の上に眠っている小さな風たちが集まって、海賊船の帆をふくらます。風にふくらむ帆を、朝日が金色に染める。王国に向かう航海のはじまり。
 帝一は、そんな物語の中で生きているはずだった。けれども彼が、「僕はひとつだけ嘘をついていたんだよ。王国なんてなかったんだよ」と言い切るとき、それまで帝一を支えていた世界は論理的に崩れ去る。それは同じく、帝一と阿里子を結ぶ絆の崩壊でもある。
 人生の虚妄は、実際的な人の目から見た場合、単にその字のごとくむなしさをしか意味しないのかもしれない。しかし虚妄は機会さえあれば生き延びる。そして多くの場合、人を生かす力すら持っている。
 この劇の場合、帝一という存在、あるいは帝一と阿里子との関係を成り立たせていた虚妄が、根底から否定される。けれども、実はそうではないことに気づくとき、私はいっそう深い悲しみを感じずにはいられないのだ。
 つまり、それは単なる虚妄ではなく、寄って立つ足場のないことをあらかじめ認識された虚妄であるということだ。王国なんてない、という認識のもとに、帝一が王国を夢見た以上、さめざめとその現実を知らされる時でも、彼の世界はもはや崩壊しようがないのだ。

 死をすでに決意していた三島は、「僕はひとつだけ嘘をついてたんだよ。王国なんてなかったんだよ」というセリフに、何を感じ、涙を流したのか。
 ある人は、彼がそれまで住んでいた豪奢な御殿が明るい光に照らされたときに、朽木の建築だったことが明るみになり、人生の虚妄が消え行くことを知ったからだという。また、「自分のひとつだけの嘘」が、その時にわかったからだと言う。
 しかし私はそうは考えない。彼は朽木の建築に涙を流しはしないし、自分の嘘に気づいて感じ入ることはない。なぜなら、彼は朽木を使って絢爛豪華な建物を構築する精神の豊穣さを持っていた。そしてその嘘は、彼の認識の範疇にあるものだった。
 彼がいた場所は、真実を知って崩壊する虚妄の世界ではなく、あらかじめ、虚妄を虚妄と認識した上で築いた悲しい王国の中だった。そのことは明確に区別されなければならないし、そうでなければ、彼の涙にも、その死にも、近づくことは許されないだろう。

 直接の関係はないのかもしれないが、三島由紀夫は『重症者の凶器』という評論の中で、次のような文章を書いている。
 
「盗人にも三分の理ということは、盗人が七分の背理を三分の理で覆おうとする切実な努力を、つまりはじめから十分の理を持っている人間の与り知らない哀切な努力を意味している。それはまた、秩序への、倫理への、平静への、盗人のたけだけしい哀切な憧れを意味する」
 
『薔薇と海賊』を彼の涙を前提に読み返した時、なぜか私の脳裏にこの文章が浮かんだのだった。



(私のコメント)
日本と言う国は天才的な才能を持つ人物にとっては非常に生きにくい国なのだろう。自分の才能を発揮しようとすればするほど、まわりの日本人達は彼の才能に嫉妬してぼろくそに貶そうとする人が多い。ある程度芸術的な鑑賞能力のある人なら三島由紀夫の才能を評価しますが、多くのほとんどの日本人には、発狂して市谷の駐屯地で自殺した作家ぐらいにしか見ない。

ほとんどの日本人は三島由紀夫の小説も戯曲も読んだ事もないだろうし、読んでもそのすばらしさを理解できない。私は学生時代に小説のいくつかは読んでも良さは理解できなかった。むしろ文化評論の方が面白くて本を読んだり、実際に講演を聞きに行ったりしていた。

昨日はたまたま三島由紀夫の「憂国忌」で舞台女優の村松英子と共演者による本読みの舞台を見させてもらいましたが、男優の大出俊さんが「三島由紀夫の文章の美しさに酔ってしまわないように注意したい」と言っていましたが、戯曲のような舞台でこそ作家としての才能が生かされたのだろう。

三島由紀夫が生きていれば今は81歳になるはずですが、天寿を全うしていれば平成の近松門左衛門になれたことだろう。それがなぜ自衛隊の市谷の駐屯地で切腹自殺したのか、芸術を理解できない凡人達には狂気の沙汰としか見えないのだろう。「薔薇と海賊」と言う戯曲は自決する一ヶ月前に上演されていたもので、戯曲を見て三島自身が涙を流していたという。

彼の中の夢の世界と現実とが乖離してきて、それが極限に達した時に彼は夢の中の世界に行ってしまった。「薔薇と海賊」の戯曲も夢の世界と現実の世俗との間をさまよう阿里子は現実を夢の世界にしてしまう。帝一が「僕はひとつだけ嘘をついてたんだよ。王国なんてなかったんだよ」と告白しても、阿里子は「私は夢など見ていませんわ」と最後の一言を残す。

現実と空想の世界を彷徨えるのは想像力豊かな芸術的才能を持った人間にしか出来ない事ですが、凡人は彼らを狂人呼ばわりして葬り去ろうとする。日本では、だから天才は早くから潰されて凡人だらけの世界にしてしまうのですが、学校などでも「いじめ」にあって不登校になったりする。

日本では東大を出たような秀才は非常に高く評価されるのですが、天才的才能を持つ人が日本にいても評価されず、海外で評価されてはじめて日本でも認められるといったことが多い。それだけ日本には天才を評価できるだけの見分ける能力のある人がいないということなのです。

長引く日本の停滞は、教育が秀才型の人間ばかり作り出して、天才型の創造性のある人間を養成しなかったことに原因があるのだろう。日本が貧しい頃は秀才のほうが役に立ったのでしょうが、豊かな日本になって、天才型の時代の壁を破る才能が求められている。

三島由紀夫は「自分のやる事はどれも25年早すぎる」と漏らしていたそうですが、あれから36年たっても憲法は改正されず、防衛庁は防衛庁のままだ。私が核武装を叫んでも狂人扱いされて、凡人達から笑われる。天才は先を見すぎて、日本では基地外扱いされてしまう。

しかし天才のいない日本はあまりにも寂しい。




三島由紀夫氏没後三十六周年 『憂国忌』(1)
自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであろう。(檄文より)


2006年11月25日 土曜日

三島由紀夫氏没後三十六周年 『憂国忌』

とき    本日。11月25日(土曜日) 午後6時半(6時開場)
 ところ   池袋東口「豊島公会堂」(別名「みらい座いけぶくろ」へは、JR、メトロ「池袋」駅東口、三越裏。豊島区役所隣り。電話は3984―7601)
 会場への地図; http://toshima-mirai.jp/center/a_koukai/
 会場分担金    おひとり1000円(学生500円)
         参加者には小冊子(12ページ)を差し上げます。
 
なお、会場は午後六時でないと開場出来ませんので、予めご了解下さい。
開演は午後六時半です。池袋東口から三越前には提灯をもった案内人が立ちます。

 < プログラム >
              (1800 開場)
1830 開演       開会の辞   篠沢秀夫(学習院大学名誉教授)
   記念講演       村松英子「『薔薇と海賊』をめぐって」
              共演者も登場 大出俊、伊藤高、若柳汎之丞、村松えり
            (休憩)
2000          檄文朗読  日本保守主義研究会の諸兄
2010         (即席シンポ 藤井厳喜、田中英道、富岡幸一郎、福田逸、井川一久、中村彰彦、山崎行太郎、萩野貞樹、井尻千男、司会=水島総)。
2045          閉会の辞  松本徹
       (出演・発言者は予告なく変更されることがあります)
2050           終演


檄文 三島由紀夫

われわれ盾の会は自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父であり、兄である。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官として待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここで夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかつた男の涙を知った。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことは一点の疑いもない。

 われわれにとって自衛隊は故郷であり、生温い現代日本で凛烈の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

 われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の体計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。

しかも法理論的には、自衛隊は違憲であるのは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頒廃の根本原因をなして来ているにを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。

われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目覚める時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることはなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には盾の会を結成した。盾の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあった。憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。

政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明かになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねぢまがった大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。

 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったのか。総理訪米前の大詰というべきこのデモは圧倒的な警察力の下に不発に終わった。その状況を新宿で見て、私は「これで憲法は変わらない」と痛恨した。その日に何が起ったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般市民の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾わずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬っかぶりをつづける自信を得た。

 これで極左勢力には憲法護持の飴玉をしゃぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家にとってはそれでよかろう。しかし自衛隊にとっては致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。

 銘記せよ! 実はこの昭和四十五年(※四十四年の間違い)十月二十一日という日は自衛隊としては悲劇の日だった。創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であった自衛隊は「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。

 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているのならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。男であれば、男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起き上がるのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすませた。しかし自衛隊のどこからも「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声は聞こえては来なかった。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。

 われわれは悲しみ、怒り、ついには憤怒した。諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のように人事権まで奪われて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。

 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこへ行こうとするのか。繊維交渉に当たっては自民党を売国奴呼ばわりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかった。沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであろう。

 われわれは四年待った。最後の一年は猛烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。

 日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。



(私のコメント)
今日の憂国忌には西尾幹二先生なども姿を見かけましたが、親米派でもない親中派でもない日本の自主独立を訴えた三島由紀夫は今の日本をどのように見ているのだろうか? 本来ならば政治家の先生方も参加してもいいいと思うのですが、日本の国会は親米派と親中派に占拠されている。

日本の国民のほとんどは政治に無関心であり、3Sに毒されて自分で物事を考えなくなった。感覚でしか物事を判断できなくなり、新聞やテレビの報ずる事をそのまま信じてしまう。檄文においても核停条約の不条理性に抗議していますが、核武装を主張する言論人はテレビには出られなくなっているようだ。

「株式日記」では三島由紀夫の檄文の精神を引き継いで、これからも主張を繰り返してしていきたいと思います。出来る事なら日本武道館を満杯にして政治家の先生方も多く参加できるような「憂国忌」にしたいものです。でなければ日本の真の独立は無いだろう。




人間のスキルとしての本当の「頭のよさ」というのは、記憶力
や知識量とはほとんど関係ないのかも知れません。


2006年11月25日 土曜日

第229回 女の子がおもう「アタマがいい」 理系のための恋愛論

今日は、女の子が好きだと思う「アタマのよさ」について考えてみることにします

Cちゃん(24才)は、某電機メーカーの研究所で働いている女の子。久しぶりに学生時代の友人から連絡があって、
「会社の人と飲んでるんだけど、来ない?」と誘われました。大学時代は男子ばかりの学部にいたものの、ここ数年、彼氏のいないCちゃんを気遣ってくれているようです。
もともとそんなに飲み会や何かが好きなわけではないし、人見知りな性格でしたが、友人の誘いを断るのも悪いので、飲み会の席に出かけていくことにしました。

友人のSちゃんは、広告関係の会社に就職していているせいか、飲み会の席にいる男の子たちもおしゃれで服装にずいぶん気を遣っているような華やかな人ばかりです。最初は緊張していたCちゃんでしたが、社交的な性格のSちゃんが、ひとりひとりに紹介してくれて、何とか気持ちを落ち着けることができました。

すると、トナリの席に座っていた髪の長い、茶髪の男の子が話しかけてきます。Cちゃんは何とか返事をしつつ(自分からも何か話しかけないといけない)と思い、話の糸口として、
「どちらの出身ですか?」
と聞いてみると、その茶髪の男の子は、
「えっ? 東京ですけど」と笑いながら答えました。
「いえ、あの、出身地じゃなくて大学です」「あー、えーと××です」
と彼は有名な私大の名前を挙げました。その後も、話しかけてくれた男の子に次々と、
「どちらの出身ですか?」攻撃をしていると、Sちゃんが、
「ちょっとトイレに付き合って」
といって、Cちゃんの腕をぐいぐい引っ張って歩きはじめました。トイレに着くと、Sちゃんがマジメな顔でいいました。

「ねえ、なんで初対面の男の子にいきなり出身大学を聞いたりするわけ? お見合いババアじゃないんだからさ。そういうのって失礼じゃないの? どこの学校出てるかなんて、どうでもいいじゃん」
Cちゃんは驚いて目をぱちくりさせました。
「えっ? でも、男の人って、みんなそういうこと聞いてほしいものじゃないの?」
「はっ? そんなことないよ。もう社会人なんだから、仕事ができるかどうかを見るべきで、いつまでも学歴に頼ったりしないよ」
「そうなの? うちの会社の人はみんな入社するとどこの大学のどの学部に何年いて、みたいな話からはじまるけど。私なんか、トナリの部署の人の出身中学もぜんぶ知ってるよ。みんなうれしそうに自分の出身校の話をしてくるから」
「ええー。それおかしいよ。学校を出て何年も経っても、いまだに自分の出た学校の話にしがみついてるなんて。おじいちゃんの昔話しならしょうがないけど。そうか、いまだにそういう人もいるんだね……」

Sちゃんにそういわれてみると、たしかに自分が今している仕事の話よりも、何かというと自分が出た名門校の話を持ち出してくる人というもいかがなものか? という気がしてきました。

その後、仕事をしながら職場の人をジーッと見るようにしていると、仕事がうまくいっていないような人、もしくは人の気持ちがわからず、イタイ言動をしている人に限って、学歴のことをひけらかしていることに気がつきました。

その度に「もう社会人なんだから、仕事ができるかどうかを見るべき」というSちゃんのことばを思い出し、今度彼氏をつくるときはそういうところも見るようにしよう……と考えるCちゃんなのでした。

個人的に私は、勉強ができる人が好きです……というと、女性の友人からは非難ごうごうです。女の子のいう「アタマがいい」は勉強ができる(高学歴)ではない場合が多いもようです。

「いやー、信じられない。勉強ができるからって、アタマがいいとは限らないじゃん」
「勉強ができる人が仕事できるとは限らないよ」と、よく女友だちから注意されます。

けれど、むずかしい勉強を理解できる頭脳があるのなら、他のことも吸収し、学んでいける確率は高くなるはず、というのが私の持論であります。

女の子のいうアタマがいいは、とてもむずかしくて、「場の空気を読める力」「やさしさを見せる力」「教養がある」「車の運転がうまい」「地図が読める」「知的な趣味をもっている」などがふくまれているような気がします。

これらすべてを求められたら、だれだって困ってしまうかもしれませんが、このうちのふたつみっつを持てれば、というのでしたらそんなにムリ難題ではないと思います。

女の子のいう「アタマがいい」は、恋愛する上だけでなく、生きていく上でもとても必要な要素であると思います。このコラムの読者の方は、きっと勉強ができる方が多いと思いますので、「なるほど、こういうことも必要なのだな」ということになれば、習得するのは早いはずです。

男性のみなさんは、女の子のためだけでなく、社会のためにもぜひとも「アタマのよさ」を身につけてほしいなと願わずにおれない私です。



本当の「頭のよさ」とは? 11月24日 地政学を英国で学ぶ

私が今まで見てきた少ないサンプルの中で思うのは、日本の学者の「頭がよい」というのは、いわゆる「記憶力がよい」ということや、「幅広く知っている」ということがあると思われます。

たとえばロンドンに安全保障関連の会議で招かれてきた日本の某有名大学の学者たちですが、彼らは自分たちが本当に関心のあるトピックについては、圧倒的に細かいところまで知っております。

ところが彼らの発表を聞いていると、全く面白くないのです。これはなぜか。

私が見るところでは、彼らは「よく知っている」というだけで、独自の分析や意見というものがないのです。

いや、もしかしたらあるのかも知れませんが、こちらまで伝わってこない。

もちろんこっちの学者でも「もの知り」というだけで、分析の面白くない人もおります。私の受けた授業のドイツ人の女性の先生が、今考えてみるとどうやらそういうタイプでした。

つまりよく調べているし、とにかく幅広く知っているのですが、聞いてて面白くないのです。

ところが私の先生をはじめとして、LSEのC教授などの世界トップレベルの人たちは、知っているということだけでなくて、その材料の料理の仕方がうまいのです。

これを簡単にいうと、日本の学者というのはスーパーマーケットか八百屋みたいなもので、品揃えと新鮮さはバッチリなんですが、あまり料理をしない。

ところがこっちの優秀な学者は、鉄人級の料理人なわけです。

しかし私の独自の考えでいくと、学者(および人間)にとって、本当の頭のよさというのは、実は知識や分析などを超えたところにあります。

じゃあ人間にとって本当に「頭がよい」というのはどういうことかというと、実は

判断力がある

というこの一点に絞られてきます。

大学受験を勝ち抜いてきた人間、とくに私の周りではコースメートの韓国人の海軍少佐がその典型なんですが、彼らは非常に記憶力がよい。

しかし彼らが本当に「頭がよい」のかどうかは、かなり疑わしいといえるでしょう。


たとえばいくら知識や学力があっても、ベトナム戦争の泥沼へとアメリカを引きずり込んだ「ベスト&ブライテスト」のような人々もおりますし、最近は東大出身のキャリア官僚がスキャンダルで失脚という、なんともアホな話も聞きます。

また、学者の中でもすばらしい業績を上げつつ、私生活では最悪、というパターンもありそうです。

私は戦略系の文献を読んでいて感じるのですが、人間の本当の「頭のよさ」というのは、絶体絶命の切羽詰ったプレッシャーの中で、どういう判断ができるか、というところに現れてきます。逆に知識がじゃまになる場合だってあります。

ただしこれは戦闘場面などの話でありまして、日常生活においても、人間はいろいろな判断を下さなければならないわけです。

そういう意味では会社の社長をはじめ、集団組織の長、そして政治家、とくに一国の運命を担う首相とか大統領というのは、日々これ「決断」の連続であり、本当の頭のよさを求められている職種であるといえるでしょう。

もちろんこのような職種をこなすには記憶力とか知識というものは重要なのかも知れませんが、人間のスキルとしての本当の「頭のよさ」というのは、記憶力や知識量とはほとんど関係ないのかも知れません。

そういうことを戦略学系の文献を読んで感じる毎日であります。


(私のコメント)
以前の株式日記で東大の女子学生が公明党が与党である事を知らなかった記事を紹介しましたが、東大生ががり勉ばかりして世間知らずの常識しらずのまま、社会にエリートとして送り出される事は様々な問題を将来引き起こす元になる。

一例を挙げれば偽メールに引っかかった民主党の永田元議員は、東大卒の大蔵官僚出身のエリートだった。永田町では偽メールのような怪文書がよく出回るところなのですが、世間知らずのお坊ちゃま議員は怪文書を本気で信じてしまった。このように常識知らずはエリート人間にも見られる。

しかし選挙などで候補者の経歴で東大卒とか元大蔵官僚とか書いてあると票がよく集まる。だから国会議員には東大卒が非常に多い。「理系の為の恋愛論」というブログで若い女性の「アタマがいい」人物論は「アタマがいい=高学歴」ではないと書いているのですが、実際にはC子さんのような女性が多い事をものがたっている。

一般的にも一流大学出て中央官庁や一流企業に勤めるエリートサラリーマンには、良家のお嬢様からの見合い話が殺到している。このように上流社会が自然と形成されていくのでしょうが、世間知らずのまま純粋培養された社会が出来ると自然と彼らも防御本能を働かせるようになる。

このような事は日本よりもヨーロッパの貴族社会や上流社会のほうが深刻な問題だろう。本人の能力よりも生まれや育ちで選別されてはその社会は立ち遅れる原因となる。「本人の能力」をどのように見分けるかは、日本においては長い間学歴で選別する事が続いた。

明治以来の「欧米に追いつき追い越せ」と言う目標がある時代にはそれは非常に有効に機能した。いわば先進国と言う教科書がある時には高学歴の秀才は非常に役に立つ。しかし日本が先進国の仲間入りした後の1980年代以降では学歴秀才は大きな壁に突き当たって閉塞した社会になってしまった。

ならば欧米ではこのような問題をどのように解決しているのだろうか? とは言っても欧米でも日本以上の学歴社会であり、アメリカでもMBAの資格を持った秀才が持て囃されているが機能しているのだろうか? MBAと言うと学歴と言うよりも弁護士や公認会計士のような資格であり、実践的な教育が行なわれている。

しかしMBAの資格を持ったビジネスマンが会社の業績を上げているのかというと完成した領域に限られてしか能力を発揮できない。日本でも戦前の軍部などが秀才中の秀才を集めてエリート教育をして参謀にしたが、知識の偏った教育が日本を誤った方向に導いていってしまった。

アメリカでも「ベスト&ブライテスト」がベトナム戦争に引きずり込んだように、この問題は世の東西を問わない。生まれや育ちで選別するのも間違った方法なら、学歴で選別するのも万能ではない。ならばどうして人間の能力を見分けて選別すればいいのだろうか? 

例えば経済や政治から文化芸術について論ずればわかりやすいと思う。優れた芸術家は学校で養成されるものではない。東京藝術大学を一番で卒業すれば優れた芸術家といえるのかといえばそうではない。音楽家にしても優れた演奏家は養育して選別できるかもしれないが、優れた作曲家は教育では養成出来ないのだ。

先進国になるにつれて高学歴者の需要は高まり、そのような社会を維持して行くには高学歴化は絶対必要条件だ。しかし学校教育でトップクラスを選別していけば社会的な指導者が養成できるものではないと言う事であり、「地政学を英国で学ぶ」のブログでも書いてあるとおり学校秀才が「アタマがいい」と言うことではない。

たしかに記憶力があり知識が豊富だと「アタマがいい」ように見える。日本にはこのような人物がじつに多い。しかし彼らに正解のない問題などに突き当たった時には知識や記憶力は万能ではなく弱点をさらけ出す。正解のない問題を解決する為には創造性や独創性が求められて、それらは芸術的な才能を求められる。

だから本当に「アタマのいい」人を見分けるには、芸術的鑑賞能力を試してみた方がいいのかもしれない。がり勉ばかりしていると芸術的鑑賞能力は衰えて、「理系のための恋愛論」のC子さんのように「アタマのいい」人を見分ける能力も衰えてしまうのだろう。


また「アタマがいい」とはべつに、賢いかということは大きな問題ですが、「アタマがいい」ばかりに知能犯罪に走る馬鹿者が増えてきた。ホリエモンとか村上ファンドの村上世彰のような東大出の人物ですが、欧米にもこのような人物は多い。広い意味ではこのような人物は「オオバカモノ」と言うべきだ。




中島哲也監督 「嫌われ松子の一生」 愛を与えてくれる
存在は男にかぎらないと気づかなかったことは不幸だった


2006年11月24日 金曜日

嫌われ松子の一生 CINEMANIAX!

《 昭和22年、福岡県大野島に生まれた川尻松子(中谷美紀)。お姫さまのような人生を夢みる明るい少女時代を過ごし、やがて中学校の教師となる。しかし、ある事件が原因で20代でクビに。その後、愛を求めて男性遍歴を重ねるたびにますます不幸になってゆく松子。いつしかソープ嬢に身を落とし、果ては同棲中のヒモを殺害して刑務所に服役してしまう…。 》

こ、これはすごい。あの重い原作を、よくぞここまで斬新な切り口で映画化したものである。
美人だけど不器用で激情型の松子。教師というエリート人生から一転、どこまで堕ちてくのかとあきれるほど波乱万丈の人生を、カラフルでポップな映像とノリのいい音楽にのせて描ききった。

松子は先のことを考えない浅はかさが致命的なのだけれど、一方で誰かのためならば努力を惜しまない強靭な意志をもっている。教師になったのも父親の歓心を得たいためだし、男のためにトルコ嬢や美容師になっても能力を発揮しトップの位置まで昇りつめる。
後半、松子のかけがえのない友人となる沢村めぐみ(黒沢あすか)以上に多角的な才能をもつ女性であるにもかかわらず、かんじんなところで選択を誤り、いつもみずから悪いほうへ進んでいく。
客観的にみれば、めぐみ同様「そっちに進んじゃだめだってば」と言いたくもなるが、いざ松子と同じ岐路に立たされたら果たしてどっちを選ぶんだろうか。誰もがシアワセになるために生きている。だけど自分の器や周囲の評価を気にして、ほんとうに行きたい道をあえて避けることもある。理性だとか世間の目だとか言い訳し、自分をごまかしながら。
おそらく松子もわざわざ不幸の道を選んでいる意識はないだろう。彼女はただ、誰よりもまっすぐで、愛のためならばためらいはないのだ。

ただ、彼女のほしかった愛を与えてくれる存在は男にかぎらないと気づかなかったことは不幸だったかもしれない。父親も妹もめぐみも、松子に無償の愛をそそいでいたのになあ。
だけどやっぱり、女は恋人や伴侶といったわかりやすい愛がほしい生き物なのかもしれないね。

全体をとおして、「おかえり」という言葉がキーワードになっているようである。
いつも男を待っている松子はよく「おかえり」と言っていたけれど、松子にそう言ったのは妹だけだったように思う。
松子はずっと、「おかえり」と言ってくれる人と場所を求めつづけた一生だったんじゃないかと。

中谷美紀入魂の演技により、すっかり物語にひきこまれてしまった。原作でも松子はきつい美人と書かれているのでイメージぴったりだし、この役を切望したというだけあって彼女の中で明確な松子像があったんだろうと思わせる。
本作が中谷美紀ベストアクトとなるのではないだろうか。


「嫌われ松子の一生」 超映画批評

以前、このページで『下妻物語』を紹介したとき私は、「これこそ、このページを信頼してくれる読者の方にずっと見てほしいと私が考えていた日本映画の形だ」と書き、絶賛した。その監督、中島哲也(なかしまてつや)の最新作が、この山田宗樹の同名小説の映画化『嫌われ松子の一生』だ。

内容は、タイトルどおり松子(中谷美紀)という風変わりな女の一生を描くもの。この女性が何者かに殺害されたというところから話が始まる。彼女はゴミ屋敷のようなアパートに住んでおり、周囲との交渉もほぼゼロ。引きこもりで、不健康に太った不気味な女として登場する。

彼女が殺された原因は何なのか、どんな一生を送っていたのか、それを、残された親類の少年が回想するという展開になる。

映像は、視覚効果に強い中島監督らしく、原色を鮮やかに使ったポップかつ現代的なもの。松子視点の世界はミュージカルシーンとして表現され、中谷美紀が明るく楽しく歌い、踊る。ファンタジックな映像美は、さすが非凡なものを感じさせる。

この、数々のミュージカルシーンは、松子の人生を彩る各エピソードを、数分間の曲に凝縮して一気に語る「時間節約」の効果と、典型的な転落人生の「悲壮感を一掃」する効果を狙ったものであろうと思われる。

たとえば、松子がヒモのためにソープ嬢となり体を売るエピソードも、BONNIE PINKの明るい曲に乗せた2分間の踊りにしてしまえば、暗さはまったくない。このような手法を使い、松子の悲惨な人生を中島監督は描くのである。

男を見る眼がないために、ろくでもない人生を送った松子を、中谷美紀が立派に熱演。おかげでこのヒロインを、「バカだったかもしれないが、純粋に愛を求め続けた愛すべき女」として、観客の共感を得るだけのキャラクターに昇華させている。松子の魅力を描くという中島監督の狙いは、見事に実現したと思う。

ただし、ひとつ注意すべきポイントがある。それは、『下妻物語』の監督による最新作として期待している人にとって、この『嫌われ松子の一生』はあまり満足が行くものではないだろう、という点だ。

『下妻物語』があれだけ支持を集めた理由は、ヤンキー娘とロリータ娘というユニークなキャラクターを使いながらも、根底となるストーリーは非常にベーシックな青春ものだったという点。そして、田舎を舞台にしながらも、ユーモアや映像のセンスが(世界的に見ても)良いものだったという点に尽きる。

それに比べ『嫌われ松子の一生』は、キャラクターの特異性は同じでも、下敷きとなるストーリーまでかなりアクが強い。相変わらず映像のセンスは良いし、ユーモアもあるが、そもそも話に救いがなく、暗すぎる。中島監督のタッチには似合わないという印象が強い。

つまり、今回中島監督は、観客がいまの彼に求めているものとは、かなりズレた題材を選んでしまったのではないかというのが、私の結論だ。

要するに、出来のよさうんぬんを言う前に、題材との相性が悪かった。実力は証明されているだけに、次回はその点を慎重にしてもらいたいと思う。



(私のコメント)
最近の映画は洋画よりも邦画のほうが話題作が多くなってきていますが、レンタルビデオ屋での人気を見ても、一番の人気コーナーは邦画が占めていることが多い。以前は映画ファンと言えば洋画しか見ない人も多かったくらいですが、最近では半々で見ている人が多いようだ。

なぜ邦画が活発になったかと言うとDVDの普及である程度は資金が回収できるようなってきたからではないかと思う。今までなら映画館での上映しか資金の回収手段がありませんでしたが、DVDの普及でレンタルなどで借りてみたら面白かったので邦画も活性化してきたのではないかと思う。

映画館はよほどの話題作でないとガラガラでいつも空いていることが多い。1800円出して窮屈な思いをして2時間みるよりも、家でレンタルDVDを380円で借りて見た方が楽だからだ。映画評論家などは是非映画館で見てくれといいますが、映画館の映像は大型液晶テレビに比べると暗くて色が鮮やかではない。

「嫌われ松子の一生」は最近レンタルされたばかりで借りてみたのですが、中島哲也監督の作品で「下妻物語」と同じくカラフルな映像でコメディータッチの若い人に受ける演出方法で描かれている。ストーリー自体は非常に悲惨な気の毒な女の一生を描いたもので、普通に映画化したら陰惨で見ていられない映画になっただろう。

原作小説は読んでいないのですが、映画のストーリーの主題は何なのかを考えると男女の愛と他人への愛を理解できなかった愚かな女の物語という事になるのだろう。主人公の松子は父が病弱な妹ばかり可愛がるので妹に嫉妬して憎しみすら持つようになる。

松子ばかりでなく、女と言うものは年がら年中好きだの愛してるだのと言われて、ちやほやされていないと満足できない生き物らしい。だから控えめな男の愛情表現に気がつかないで、つまらない男に引っかかって大げさな愛情表現に騙されてしまうものらしい。騙そうと思っているから愛情表現が大げさになるのですが愚かな松子は騙されてばかりいる。

物語上の松子は美人で頭も良くて優等生なのですが、精神的な情緒面の発達が少女時代で止まってしまったように見える。それは父親の松子への愛情に気がつかなかった事にも表れるのですが、そのような精神のアンバランスさは激情的でかっとなり妹を絞め殺そうとしたり、騙した男を包丁で惨殺する事からもわかる。

松子は能力面では優秀な女であり、人一倍努力家であり、中学校の教師になったり、刑務所で美容師の資格を取ったりする頑張り屋だ。学生時代は挫折しらずの優等生が社会に出て、はじめて挫折を味わうと精神面の幼さから切れてしまって家出してしまう。そこからが人生の転落の始まりですが優等生でなければ単なる仕事上の失敗で済んだはずだ。

精神的に成熟した女なら父がなぜ病弱な妹ばかり可愛がるかわかったはずだし、父の松子への愛情にも気がついたはずだ。精神的な成熟の為には身内や他人への愛に目覚めなければなりませんが松子にはその機会がなかった。妹に比べて優等生過ぎたからそうなってしまったのかもしれない。

もし松子が子供の頃に大きな挫折や失敗を経験していれば、父親の愛に気がつく機会があったかもしれない。美人で優等生であるだけに人間的な幅がなく冷たい感じを他人に与えてしまう女性がよくいますが、失敗や挫折が人間を成長させる。しかし松子は立ち直ることなく廃人同様になって行く。

この映画のもう一人の主役は松子の甥なのですが、自堕落な生活をしているフリーターで叔母の松子の死んだアパートの後片付けをしていくうちに松子の人生を知るようになり、人生で何が一番大事なのかに目覚めていく。

この映画はコメディ仕立てのミュージカル風映画なので陰惨な感じは感じさせませんが、現実にもありそうな物語だ。昨日のニュースでも河原でホームレスの女性が若者に殺されましたが、映画でも松子は最後は若者グループにバットで殴り殺される。そこまで転落する物語はフィクションではなく現実にある物語なのだ。




イラク戦争とスペースシャトルは、失敗であったとわかっても
どうして続けられるのか? 戦争と宇宙開発は米国の公共事業


2006年11月23日 木曜日

スペースシャトルの罪科 ノンフィクション・ライター 松 浦 晋 也

「スペースシャトルとは何だったのか」を考え続けている。

 数字で語っていこう。NASAはスペースシャトルの飛行で,搭乗員の命を脅かす深刻な事態が発生する確率を,チャレンジャー事故の時点で,400ないし500回に1回程度であると見積もっていたが,実際には113回の飛行で2回の致命的事故を起こし,成功率は98.2%だった。当初1回の運行コストは30億円とされていたが,実際には500億円を超え,コロンビア事故からの復帰以降は800億円を超えるものと見られている。当初の運行回数は年間50回を考えていたが,実際には最大でも年9回だった。当初目標と達成した実績を比べれば,スペースシャトルは明らかに大失敗作だ。

 設計を見ていくならば,スペースシャトルは失敗すべく設計されていたことが分かる。再突入時の最後の15分にしか役立たない巨大な主翼を軌道上まで持ち上げる矛盾。200気圧もの高圧燃焼を行う主エンジンを再利用することの無理。人間と貨物を同時に打ち上げる無茶。打上げ初期の固体ロケットブースター燃焼時には脱出が不可能という人命軽視。再突入時に高温となる機体下面に前脚,主脚,液体酸素・液体水素配管の接続口 dash と,5カ所もの穴を開ける愚劣。機体とエンジンは再利用,タンクは使い捨て,固体ロケットブースターは海上回収という無駄に複雑なシステム。どこを取っても成功する要素がない。

 だが,アメリカはそのスペースシャトルを,「新たな宇宙時代を拓く輸送システム」として世界中に宣伝した。世界はアメリカの宣伝にだまされた。アメリカ自身も自らをだました。今もだまし続けている。NASAのホームページにはどこにも「シャトルは失敗作だった」とは書いていない。

 だまされた結果が,宇宙開発の現状だ。1984年から計画検討が始まった国際宇宙ステーション(ISS)は,20年後の今も完成していない。シャトルによる輸送を前提とした日本モジュールは,打上げ時期が未定のままアメリカに出荷された。現在,未完成のISSを支えているのは,ロシアの「ソユーズ」有人宇宙船と「プログレス」貨物輸送船,そしてそれらを打ち上げる「ソユーズ」ロケットだ。冷戦時代の敵が,ISSの命をつないでいる。

 今考えるべきは,以下の5つだ。
「なぜアメリカはスペースシャトルのようなシステムの開発に乗り出してしまったのか」
「なぜそれを新時代を拓く画期的システムと宣伝し,チャレンジャー事故以降も態度を変えなかったのか」
「なぜ,世界中はアメリカの宣伝にだまされたのか。真実を見抜くにあたって我々には何が足りなかったのか」
「無批判にスペースシャトルを信じた結果,我々は何を間違い,何を失ったのか」

 そして dash
「スペースシャトルが大失敗作と誰の目にも明らかになった今,我々はどのようにして未来への計画を取り戻し,宇宙を目指す動きを立て直すべきか」

 だまされた当時の関係者の責任を問うことも,アメリカに過度の配慮をすることも,シャトル関連で獲得した予算枠を失う事態を恐れることも,すべて無用である。人類史的視点に基づく正しいヴィジョンを,正しい技術的洞察と正しい計画管理によって現実としていくこと--納税者たる国民に対して義務を果たすとは,つまりそういうことだろう。

 2004年8月現在,内閣府の総合科学技術会議・宇宙開発利用専門調査会で,日本の宇宙政策の骨格を議論している。その中に「我が国としては,当面独自の有人宇宙計画は持たない」「(松浦補記:20年〜30年後に向けて)宇宙の多目的利活用に資する独自の有人宇宙活動を可能とするための必要な準備を進める」とある(我が国における宇宙開発利用の基本戦略[案]8月19日版)。有人分野のみではあるが「今後10年はやらないが20〜30年後はやるかも」ということだ。

 現役でこの策定に参加する何人が,30年後に現役だろうか。子供の世代に責任をかぶせるような無責任はいけない。たかだか有人活動への第一歩程度のことは5年,長くても8年でやるべきことだ。

 私はスペースシャトルが日本にもたらした最大の弊害は,「アメリカがあの程度なんだから日本はこの程度でいい」という貧しい発想ではないかと思う。過去,著書でも書いたが,何度でも主張したい。「自分の頭で考えよう」と。



軍需産業は米国最大の公共事業  環境総合研究所所長 青山貞一

日本の政治家や評論家は「中東の安定と平和」とか分かったようなことをいいますが、人類の過去の歴史を見てみても、お金や権益・利権的なものから戦争をみた方が、よっぽど真実が見えてくる。今回の米軍によるイラク攻撃の理由の一つも、間違いなくイラクの石油です。日本国内の公共事業の問題でも、鈴木宗男事件に端的にあらわれているように、お金の流れ、利権・権益から見るといろんなことが見えてくる。国際政治も同じです。
 それに加えて9・11と報復戦争の開始以降、世界中の人々が分かってきたことは、アメリカが世界の総軍事費の40%を占めるダントツの軍事大国になっていたという事実です。世界30カ国に米軍が駐留しているという実態も、9・11以前は世界の人々はそれほど重大なこととは認識していなかったのではないでしょうか。ところが気づいてみたら、「ガリバー」のように唯一の超大国として巨人化したアメリカが見えてきた。だから、ガリバー化したアメリカに対する警戒感は世界中に強く存在するのだけれども、その一方で誰も正面から反対できない構造が生み出されてしまった。
 ブッシュ政権はイラクや北朝鮮による大量破壊兵器の開発・輸出を非難していますが、膨大な軍需産業を持ち、しかも大量の武器弾薬を他の国に売っているのはアメリカ自身です。いまや軍需産業はアメリカにとって最大の公共事業です。アメリカは軍需産業を、日本は土建業界を、税金で食わしているわけです。
 石油メジャーをはじめ巨大なエネルギー産業がアメリカを支配しています。周知の通り、アメリカの一人当たりのエネルギー消費量は世界最大で、日本やドイツの倍以上です。アメリカはエネルギー多消費型で環境に悪い国なのですが、生活の質を下げないで今のままのエネルギー消費を続けていきたいから、中央アジアやアフリカなど、中東以外の石油・天然ガスにも手を出したい。しかしアメリカが一番の本命の場所、世界最大の石油産出地域であるペルシャ湾岸地域に手を着けないということはあり得ません。それが今回のイラク攻撃です。
 現在のブッシュ政権の政策について政治学者は「単独行動主義」といっています。ラムズフェルド国防長官などをはじめとするネオコン=新保守主義の人たちの背後には、アメリカ・エネルギー産業と軍需産業という二つの巨大な産業がひかえていて、彼らの意向が強く影響していることを忘れるわけにはいきません。この二つの巨大産業はアメリカの税金をむしりとるだけではなくて、他の国の税金にまで手を出しているんです。アメリカは、湾岸戦争の戦費の70%〜80%をアメリカ以外の国に出させました。日本も130億ドルもの膨大な戦費を支払いました。
 アメリカという国は市場至上主義を一見装いながら、実は大統領が中心になって利権を食い物にする構造がある。だからアメリカにも土建国家日本とはまた違った意味で「官僚社会主義」的な側面がある。口では民主主義とか自由とか言いながら、スターリン時代のソ連の国家社会主義に近いような政策を力ずくでやっている。私はそうした現在のアメリカを、「エネルギー植民地主義」あるいは「新帝国主義」と呼んでいます。


(私のコメント)
一昨日にキッシンジャーの「イラクにおける軍事的勝利は不可能だ」と言う発言を紹介しましたが、にもかかわらずアメリカ軍はイラクに長期にわたる駐留を続けるようだ。サダム・フセインと言う重石を取り除いてしまったのだから、中東の大混乱は収まりがつかなくなってきてしまった。だから全責任はアメリカにあり、即時撤退はアメリカにとって許されない事なのだ。

アメリカと言う国は60年代から70年代にかけて国力はピークを迎えて、それ以降は確実に衰退に向かっている。ベトナム戦争で勝ことが出来なかった事がアメリカにとっての攻勢終末点になったのですが、イラクでも同じ事を繰り返している。歴史上でも大帝国崩壊のきっかけは辺境における敗戦が引き金いなることはよくあることだ。

スペースシャトル計画はアメリカが月に到達した絶頂期に立てられた計画であり、技術的にも無謀なものであり、ただ単に国威の発揚の為にだけで計画されたのではないかと思う。昨日はたまたま書店で「スペースシャトルの落日」と言う本を読んだのですが、松浦晋也氏が書いたこの本には、スペースシャトルが抱えた様々な問題点が指摘されている。

1986年のチャレンジャーの事故はスペースシャトルの根本的な問題点が露呈されたものですが、その後もスペースシャトル計画は中止される事なく続けられた。その結果が2003年のコロンビアの事故となって再発した。これでは商業利用はとても無理であり、単なるアメリカの面子を潰さない為のイベントに過ぎなくなってきている。

先日のNHKのテレビで国際宇宙ステーションからのハイビジョンによる中継が行なわれていましたが、本来ならばスペースシャトルが輸送手段になるはずでしたが、今ではロシアのソユーズが主役になっている。つまりは宇宙開発に関しては40年以上も前の宇宙ロケットがいまだに使われていると言う事であり、スペースシャトル計画に失敗が宇宙開発の停滞につながってしまった。

日本の宇宙開発計画もスペースシャトルの失敗が大きく影響して遅れてしまっている。日本は世界第二位の経済大国にもかかわらず、どういうわけか宇宙開発には消極的であり、中国にも追い抜かれて中国は有人宇宙ロケットも打ち上げて月面着陸を目指している。日本はHUロケットの開発失敗が続いて遅れてしまった。

日本のHUロケットはスペースシャトルと同じ液体水素を使ったエンジンを開発しましたが、確かに推進力は大きいが液体水素は扱いが難しく、スペースシャトルの信頼性を低める原因となっている。むしろソユーズのようなケロシンロケットの方が実用性が高く、推力も大きい事が証明されている。日本のHUロケットもスペースシャトルも打ち上げ時に固体燃料ブースターを付けなければならないのが欠陥になった。


ソユーズロケットの概要 JAXA

ソユーズロケットは、1957年のスプートニク1号の打上げに使われたロケット(R-7A)を改良したロケットであり、1966年には現在のソユーズロケットに近いものが完成しました。その後、1973年に改造され、現在のソユーズロケットに至りました。

ソユーズロケットの仲間には、ソユーズ宇宙船やプログレス補給船の打上げに使われているソユーズロケット以外にも、派生型のファミリーがあり、4段式のモルニヤロケットや、有人のヴォストーク宇宙船、ヴォスホート宇宙船の打上げや人工衛星の打上げに使われたヴォストークロケット(1991年に退役)、ヴォスホートロケット(1976年に退役)、商業用の改良型ソユーズロケットもあり、打上げ回数の総計は2000年の時点で1600回を越えています。3段式のソユーズロケットの打上げ成功率は97%以上と非常に信頼性の高いロケットです。1970〜1980年代のピーク時には年間40〜45機(派生型を含めると約60機)が打ち上げられていました。現在では年間10〜15機が打ち上げられています。

これらのソユーズロケットファミリーの特徴は、中心のロケットの周りに4本の補助ブースタを装備しており、打上げ時には計5本の束ねたロケットを使用することです。この基本構成は1957年にスプートニクを打ち上げたロケットと変わっておらず、その後は、信頼性と性能向上を重ねてきました。それぞれに4基装備されたエンジン1基あたりの推力は小さいのですが、これら4基のエンジンを5個束ねれば合計で20基のエンジンとなり、大きな力を発揮できます。また同じエンジンを大量に製造することでコストも安くできます。


(私のコメント)
このように比べてみるとスペースシャトル計画とイラク戦争はよく似ているように見える。どちらも技術開発に莫大な費用をかけて、そのチャレンジ精神は見事なものですが、実用性に欠けたものになっていると言う事だ。イラク戦争を見てもアメリカ軍自慢のハイテク兵器はあまり役には立っていない。イスラエルとヒズボラとの戦争を見ても、イスラエルの最新鋭戦車がヒズボラの旧式対戦車ミサイルで撃破されている。

このようにアメリカなどは技術開発に莫大なお金をかけて兵器やロケットを開発していますが、かえって信頼性と実用性に欠けたものとなっている。日本もアメリカの後を追って同じ事をしている。むしろソユーズのような地道な改良を重ねていってシステムを完成させたほうが経済的であり実用的である。

昨日も通常型潜水艦のことを書きましたが、これも地道な改良を重ねる事で実用性を高めている。ところがアメリカ軍は潜水艦を全部原子力に切り替えてしまった。しかしその結果コストがかかるものとなり原子力空母と共にお荷物となるだろう。そんなものは一発の核ミサイルで撃破出来るからだ。



ソユーズ打ち上げ 2006年9月6日 (動画)
http://www.youtube.com/watch?v=10iFXqlnCto&mode=related&search=





中国の海洋戦略は潜水艦に依存しており、潜水艦の増強、
改善を継続する。中国は西太平洋での制海権を得る。


2006年11月22日 水曜日

「西太平洋の制海権狙う」と警告=中国海軍増強で報告書−米議会諮問機関

【ワシントン16日時事】米議会の超党派の諮問機関「米中経済・安全保障再検討委員会」は16日、2006年版の年次報告書を発表した。報告書は「中国の海洋戦略は潜水艦に依存しており、潜水艦の増強、改善を継続する」などと指摘、「中国は西太平洋での制海権を得るための方策を追求している」と警告した。 
(時事通信) - 11月17日1時1分更新


中国の海洋戦略 元海将補 川村純彦

――中国の積極的な海洋進出は、どのような戦略に基づいているのか。

 現在、改革・開放政策を推し進める中国は、もともと大陸国家であり、毛沢東時代までは「人民戦争戦略」を採っていた。これは、中国の広大な国土に敵を誘い込み、ゲリラ戦で殲滅(せんめつ)するという戦略で、つまりベトナム戦争のような形態を想定していた。

 しかし、八〇年代になると、自国に甚大な被害をもたらす人民戦争戦略では、世界の趨勢(すうせい)に対応できないと判断するようになった。そこで、当時の最高実力者・トウ小平は、国土の外側で敵を迎え撃つという「積極防衛戦略」を打ち出した。

 トウ小平の戦略の範囲を海洋に広げたのが、海軍司令員(総司令官)・劉華清だった。彼は八〇年代半ばに「近海積極防衛戦略」を提唱し、海軍の防衛範囲を外側に広げていく努力を開始した。日本周辺海域で活発化する中国艦船の活動は、こうした戦略の一環と見ることができる。

 ――中国海軍は「外洋海軍」を目指しているといわれるが。

 八五年の中央軍事委員会の決議で、領土主権とともに海洋権益の擁護が初めて公式に承認された。この決議が、それまで陸軍の作戦支援を主任務としていた海軍を沿岸海軍から外洋海軍へと進ませる根拠になった。

 戦略の変化により、各軍の重要度にも変動が生じ、最下位だった海軍の地位が最上位の陸軍と逆転した。海軍においては、ロシアからソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦、キロ級潜水艦、スホイ27戦闘機を輸入し、近代化が進められている。

 ――中国海軍は具体的にどのような目標を持っているのか。

 作戦海域を近海と外洋の二つに分けている。近海の範囲は、日本から台湾、フィリピン、マラッカ海峡までで、これを「第一列島線」と位置付けている。外洋の範囲は、小笠原諸島、マリアナ諸島などを含む「第二列島線」だ。

 中国海軍は、二〇〇〇年までに近海防衛の艦隊を建設し、二〇二〇年までに外洋での行動能力を確保することを目標にしている。

 ――中国の行動には、国連海洋法条約など国際法を無視したものも目立つ。

 改革・開放政策の結果、中国は閉鎖的な大陸国家から海洋に依存する通商国家へと変化した。そのため、沿海部の経済都市の防衛や海洋資源の獲得が必要となり、海空軍力を背景に国防圏を自国からできるだけ遠い海空域にまで拡大することを狙うようになった。この戦略を裏付ける理論が、「戦略国境」という概念である。これは、そのときの国力や国際環境によって国境は変わるという考え方だ。

 ヒトラーはかつて、「国家が生存発展に必要な資源を支配下に収めることは、成長する国家の正当な権利である」として、近隣諸国の併合を正当化したが、これと全く同じ論理だといえる。中国はこの戦略国境を拡大するために、外洋で行動できる海軍力の整備を進めている。

 ――中国が東シナ海で建設を進めている天然ガス採掘施設は日中中間線の中国側だが、戦略国境の理論だと、いずれ日本側海域でも資源開発を始めるのでは。

 戦略国境の考え方からいえば、それは当然のことだ。現在、中間線から中国側四、五キロのところで開発を行っているが、中国は中間線を全く認めていない。中国の大陸棚は沖縄のすぐそばの沖縄トラフ(海溝)まで続き、そこまでが中国のEEZだと主張している。

 中国がまだ日本側海域で開発を行わないのは、現在、中国にそれができるだけの海軍力がないことと、日本の海上自衛隊の防衛力が抑止しているからだと見ていい。



南西諸島や台湾の戦略的価値 平松茂雄

中国が海洋に進出するには周辺海域を通らなければならない。その周辺海域は大陸を守る自然の障壁であるが、立場を変えれば、中国は周辺の国家によって包囲されており、半封鎖の状態にある。中共政権誕生以来の二十余年間、米国はこの地理的条件を利用して、中国を海上から封じ込め、中国の発展を停滞させてきた。先に書いたように七〇年代以降、中国は周辺海域に進出し始め、とくに八〇年代に入ると、成長しつつある海軍力を後ろ盾に南シナ海の支配を拡大し、さらに東シナ海に進出しつつあるが、今なお半封鎖の状態にある。中国が太平洋あるいはインド洋に進出するには、周辺の国家に包囲されている半封鎖の状態を突破しなければならないが、その場合カギとなる位置にあるのが日本である。
 日本は、台湾、フィリピン、マレーシアなどの諸国とともに、中国大陸を包囲する位置にあり、中国が海洋に向かう上で、最も重要な場所に位置している。中国が黄海から太平洋に出るには東シナ海を通らなければならず、東シナ海から太平洋に出るには台湾の東側にあるわが国の南西諸島の沖縄本島と宮古島の間の海域(以下「宮古海峡」と呼ぶ)を通るか、台湾海峡を通過して南シナ海に入り、台湾の西側でフィリピンとの間のバシー海峡を通らなければならない。南シナ海から太平洋に出るには、同様にバシー海峡を通るか、台湾海峡を通過して「宮古海峡」を通ることになる。さらに中国がインド洋に進出するには、台湾海峡を通過して南シナ海に出なければならない。
 「宮古海峡」は幅員約三五〇キロメートル、バシー海峡は幅員約八五キロメートル(小蘭嶼〜イアミ島)にすぎないから、近代化された海軍力で簡単に封鎖できる。わが国の南西諸島は台湾、フィリピンとともに、中国の沿岸海域を事実上封鎖の状態においており、中国の太平洋への出口を塞いで(ふさいで)いる。中国が二十一世紀に海洋に向かって発展して行く場合、最大のカギとなる位置にいる。もし台湾統一が実現できれば、中国は太平洋に面した国家となり、台湾海峡、バシー海峡という日本の海上航路の重要な拠点を抑えることになる。日本にとって台湾はシーレーンの生命線であり、台湾統一は決して他人ごとではない。
 中国が台湾の統一に固執する理由は、たんに「台湾は中国の領土である」ということにとどまるものではなく、中国が海洋に進出して行く上で、どうしても確保したい地域の一つだからである。同じように日本の南西諸島の地理的位置もそれに劣らず重要である。もし中国が台湾の軍事的統一を実現しようとするならば、南西諸島は好むと好まざるとに関わりなく、紛争に巻き込まれる。また海洋に進出する国家にとっては、たとえ小さな島であっても、戦略的観点から見れば価値は大きい。


(私のコメント)
昨日のテレビニュースは海上自衛隊の潜水艦の「あさしお」の接触事故がトップニュースで大々的に報道されていましたが、それに比べると中国の潜水艦が米海軍空母のキティーホークを8キロ間近まで追尾していたニュースはほとんど報道されなかった。「あさしお」の事故は交通事故のようなものでありたいした意味はありませんが、中国の潜水艦の米空母追尾のニュースは戦略的にかなりの影響のあるニュースだ。

軍事評論家の神浦氏は米海軍によって強制浮上させられたと推測しているが、ニュースでは中国の潜水艦が海上に浮上したところを米海軍の哨戒機が発見したと報道されている。だから米機動部隊が中国の潜水艦の存在に最後まで気がつかなかったと言う状況ではなかったかと思う。

もちろん米海軍機動部隊も十分な対潜哨戒体制をしていれば発見できたかもしれない。しかし潜水艦の技術的な改良でますます発見されにくくなってきており、魚雷やミサイルの進歩によって、米海軍の海上戦闘能力に不安な点が浮上してきた。

確かに通常型潜水艦では機動力に欠けますが、一つの場所に待ち構える作戦では有効であり、射程300キロの対艦ミサイルSS-N−27を発射できる能力があるから対潜哨戒範囲の外からでも攻撃できる能力を持っている。これでは無敵艦隊の米海軍は中国の沿岸は恐くて近寄れない。

しかし米中関係は政治面では悪くはなく、米中の首脳会談は今年だけでも五回も会談している。経済面でも米中の貿易関係は密接であり、日米貿易より上回り、アメリカにおける親中派は侮れない勢力を持っている。このように米中関係は日米よりも密接となりつつある。

このような米中の密接な関係で中国の経済発展はめざましく、その経済力で軍備の増強も毎年17%の軍事費の伸びで近代化が進んでいる。その結果東アジアにおける中国の覇権は広がる一方であり、このまま行けばアメリカをも脅かす存在となる。日本においても中国脅威論は強まってはいても、日米安保に依存していれば大丈夫と言う楽観的な見方がほとんどだ。

それに対して中国はアメリカに対して政治や経済面で密接な関係を築きつつ、着々と軍備増強を続けている。やがては東アジアの制海権を確立して日米の分断を図ってくるだろう。中国の制海権の切り札が潜水艦であり沿岸海域に限ればアメリカ海軍の覇権は確実に落ちてきている。気がつけば日本の周りの海は中国の潜水艦だらけとなりかねない。

東アジア地域にいては日本の影が薄くなり中国の影響力はますます増してきている。それに対して日本は日米安保の枠組みに縛られて独自の外交戦略や軍事戦略を組めないでいる。北朝鮮の核武装によって日本の核武装論議が一時期高まりましたが、ライス国務長官が飛んでやってきてぴたりと日本の核武装論議は止んでしまった。

アメリカは日本を軍事的に弱体化させたまま中国の軍事力強化は放置して、北朝鮮の核武装にもイラクに見せたような強硬手段は用いない。台湾や韓国に対する最近の政策を見てもアメリカはこの両国を見捨てるのだろうか?そして2008年に民主党大統領が出現すればアメリカの親中外交が本格化して日本すら見捨てるのかもしれない。

それくらいの危機感を持って日本の国益を考えて自主独立の道を探るべきと考えるのですが、核に対する議論も封殺される状況では日本の将来は暗い。

アメリカの戦略としては中国を経済発展させて軍事力も付けさせて中国に東アジアを支配させようと言う戦略なのだろうか? 現在のアメリカ外交は支離滅裂でありアメリカの覇権を中国に譲り渡そうと考えているのだろうか? しかしアメリカの国益を考えれば中国を封じ込めるのが正しい選択と思うのですが、日本が中国に取り込まれてしまえば、中国の原子力潜水艦がアメリカの西海岸の沖合いを潜行するようになるだろう。


中国の「平和的台頭」戦略と19世紀ドイツの帝国強大化政策 6月9日 株式日記

「日本核武装」の論点―国家存立の危機を生き抜く道 9月10日 株式日記




アメリカのエスタブリッシュメントのなかには、アメリカは
イスラエルに荷担しすぎたという反省が渦巻いている。


2006年11月21日 火曜日

「イラク戦争 軍事的勝利は不可能」 キッシンジャー米元国務長官語る 11月21日 赤旗

【ワシントン=鎌塚由美】ブッシュ大統領やチェイニー副大統領に対外政策で助言してきたキッシンジャー元国務長官は十九日、英BBCテレビに対し、イラク戦争で米国が勝利するのは「不可能だ」と語りました。米メディアがいっせいに伝えました。

 同氏は、イラクで「内戦や宗派間の暴力を制圧する」という「明確な軍事的勝利」は「不可能だ」と言明しました。

 同氏はイラク問題の国際化を呼びかけ。「(イラクの)近隣諸国を関与させる国際会議を呼びかけるべきだ」と主張しました。「国連安保理常任理事国やインドやパキスタン」も含めて解決策を見いだすべきだとの考えを示しました。

 BBCのインタビューに先立ちキッシンジャー氏は、米紙ロサンゼルス・タイムズにもイラク問題で語っています。同紙十九日付(電子版)によると、同氏はブッシュ政権が主張してきた“イラクでの民主主義の確立”にもはや固執せず、「原理主義的なジハーディスト(イスラム教の聖戦主義者)政権」の出現を阻止するという、より限定された目標に集中すべきだと主張しました

 同氏は、ベーカー元国務長官らが「イラク研究グループ」として近くイラク政策の提言を行うことに関し、「われわれは非常に困難な状況に置かれている。なぜなら内戦の最中で暴動とたたかっているからだ。疑いの余地なく、重大な間違いが犯されたが、それを言っても今は何の助けにもならない」と語りました。



「衰退管理期」に入ったアメリカ 11月21日  田中 宇

 アメリカは中国の覇権拡大を誘発してきたのと同様に、プーチンのロシアに対しても、覇権拡大を誘発してきた。プーチンが大統領になった当初、ロシアは「オリガルヒ」と呼ばれる親米の新興資本家たち(主にユダヤ人)に牛耳られていたが、その後プーチンがオリガルヒを1人ずつ退治していく際、アメリカは黙認し続けた。今やプーチンは、欧米系の石油会社を追い出して石油利権を国有化し、中国と同様、アフリカや中東などで影響力を拡大している。(関連記事

 アメリカは、インドに核技術を譲渡しようとしており、インドを中国に対抗できる親米勢力にしようとしているという見方もあるが、インドと中国は近年良い関係にあり、インドを強化しても、中国包囲網の形勢にはつながらない。逆に、インドを南アジアの覇権国にして、多極化を誘発していることにしかならない(インド自身は覇権拡大に消極的だが)。(関連記事

 その半面、アメリカ自身は、イラクで軍事の泥沼にはまり、議会が民主党優勢になってもイラクからの早期撤退はやりそうもない(先週は早期撤退しそうだったが、この一週間で民主党はブッシュに譲歩した)。イラク戦争は、アメリカにとって、覇権のひどい「浪費」である。イラクが大量破壊兵器を開発しているという開戦事由の「大義」がウソだったうえ、囚人虐待の暴露などでアメリカの威信は失墜し、戦費も急増に歯止めがかからない。関連記事

 アメリカ経済は、ポールソンの財務省が企業会計の粉飾を大目に見る政策をとっているため企業の業績は良いが、この反動で一般市民の賃金はむしろ下がっており、消費を支えていた住宅バブルの崩壊も本格化しつつあるので、好況感は長続きせず、長期的には経済は悪化の方向である。今後数年内に、ドルの覇権も崩れる可能性が大きい。ニューヨークタイムスは最近「米経済は、あらゆる確度からみて失速しつつある」と指摘する記事を載せている。(関連記事その1その2

 全体的に見て、アメリカが弱くなり、中国やロシアが強くなる傾向は、今後も続きそうである。英ガーディアン紙は、最近ブッシュ政権内で強硬派が追い出されて「ベーカー委員会」など現実派が強くなったことの意味を「アメリカは自分の帝国の衰退を管理する時期に入った」と読み解く記事を最近出した。(関連記事

 日本のマスコミは、アメリカが抱える危機についてほとんど分析しないので、日本人の多くは私の分析に懐疑的だが、私自身は、欧米のメディアを毎日読んだ上で、多極化の傾向が強まっているとますます強く感じるようになっている。

ネオコンの壊滅的敗北とアメリカ・外交問題評議会のイラク政策 11月16日 今日のぼやき

イラク政策は、民主党の超リベラル派や元軍人のジャック・マーサ下院議員が主張しているような「カット・アンド・ラン」(遁走)政策でもなく、チェイニー副大統領が主張しているような「ステイ・ザ・コース」政策でもない、「ターン・アンド・ウォーク」政策をとるようだ。アメリカ軍の再配置(リアラインメント)と称して、一部の部隊を2007年中には撤退開始を行う線で話が進められている。問題なのは現在、アメリカ軍をあいてではなく、多数派のシーア派とかつての支配層であったスンニ派の内乱状態となっているイラク情勢をどのように片づけるかである。

これについては、シーア派であるイランとシリアを説得してイラクの内乱への援助をやめさせるなどの案が考えられている。シリア(ダマスカス)のアサド首相に対しては、ネオコン派のリチャード・パールなどが強硬姿勢を見せていた関係からブッシュ政権とシリアの関係は複雑化している。また、シリアはレバノンのシーア派武装組織のヒズボラにも一定の影響力を持っているので、これと提携することは、アメリカの議会の一大勢力であるユダヤ系のイスラエル・ロビーとの関係が関わってくる。

ライス国務長官の側近のフィリップ・ゼリコー政策顧問(9.11委員会のダイレクターでもあった)は、ネオコンとは一線を画すると言われており、イスラエル・パレスチナ問題をめぐる交渉では。オルメルト首相率いるイスラエル政府に対して、圧力をかける立場にある。アメリカはイラクを安定化させ、現地の石油産業を復活させるために、中東情勢を安定化させるために、ライス国務長官やベイカー元国務長官のような「反イスラエル・ロビー」派を起用しているわけである。ネオコンやイスラエルを支持基盤におくアメリカの「イスラエル・ロビー」は、2006年初頭に登場したシカゴ大学教授のジョン・ミアシャイマー教授の論文をきっかけに「アメリカの中東政策失敗の元凶」として指弾されている。アメリカのエスタブリッシュメントのなかには、アメリカはイスラエルに荷担しすぎたという反省が渦巻いており、「イスラエルの国益とアメリカの国益を取り違えてはならない」というミアシャイマー教授の主張が説得力を持ち始めている

外交問題評議会の中の重要人物である、デヴィッド・ロックフェラーや、ブレント・スコウクロフト、ズビグニュー・ブレジンスキーらはこのような意図のもとでスタッフに政策を作成させている。その現れの一つが「ファイナンシャル・タイムズ」(10月16日)に寄稿されたCFRプレジデントのリチャード・ハースによる「中東におけるやっかいな時代の始まり」という論文だろう。

この中でハースは「中東における欧州のような民主化は幻想に過ぎない」と断じ、「中東におけるアメリカの影響力は減退するだろう」と書いており、アメリカがなすべきことは「中東における混乱を封じ込めて、よりよきものの到来を待つことである」と結論している。

これは当面のイランに対する軍事行動の放棄を宣言したものであり、中東地域にイランを支援する中国やロシア(ロシアはイスラエル、イランの双方に兵器を販売)の存在感を指摘しているものである。今選挙の結果として、アメリカの外交政策は、中東での勢力均衡を目指す「リアリスト」の政策を目指すことになる。

イギリスの歴史学者であるロスチャイルド系のニール・ファーガソンもまた「次の世界大戦が起きるとすれば中東だろう」と指摘しているように、中東情勢の不安定化が懸念されている。中東初の世界大戦とは核戦争=ハルマゲドンを意味し、宗教右派にとっては歓迎するべき事態だが、アメリカの世界覇権にとっては懸念すべき事態のなのである。また、去る9月20日には、CFRでは国連総会にやってきたアフマディネジャドを呼んで非公開での聞き取り調査を行ったが、そこにはロックフェラー、スコウクロフト、ハースが同席していた。

アメリカは、2001年9月11日の「自作自演テロ」に続く、アフガニスタン侵攻と2003年の「存在しなかったイラクの大量破壊兵器」を理由にしたイラク戦争で、衰退への道を歩み始めている。これは19世紀末にイギリスがのめり込んでいった「ボーア戦争」の敗北の歴史に重なり合うものであり、世界覇権が120年程度を周期で交代するものだと考えれば、自然な成り行きである。ボーア戦争にのめり込んでいったのは、キャロル・キグリー教授が「ミルナー・グループ」と名付けたイギリスの「自由帝国主義派」と言われる知識人やフェビアン社会主義者たちを中心にした、いまで言えばネオコン派のような人々である。覇権国も衰退の兆しを見せると、過去の栄光にすがろうとし、自らの存在感を占めそうとするリベラルだが帝国主義的なグループが登場するのである。

アメリカがイランやシリアを説得して中東の秩序を封じ込める安定化政策を採ったところで、イラクからはアメリカは最終的には完敗の形で撤退を余儀なくされるのは間違いないのであり、イスラエルとイランの平和共存はイスラエル側が反省しない限りは不可能である。イランもまた、マフディの生まれ変わりを自称しているアフマディネジャド大統領をどのように妥協に持ち込むのか、サファヴィー王朝以来、久々にメソポタミア地域を支配下に置くことが可能となったシーア派をどのように説得するのか、課題は多い。



(私のコメント)
先日は空母キティーホークを擁する米海軍機動部隊に中国の通常型潜水艦が8キロまで接近したニュースを紹介しましたが、細かな内容は分かりませんが、無敵を誇る米海軍機動部隊に思わぬ死角があることが証明された。太平洋の真ん中ならともかく、沿岸海域においては音の静かな通常型潜水艦で核誘導ミサイルや核誘導魚雷などを発射すれば一発で空母を沈める事ができる事が証明された。

イラクにおいては戦車や航空機で武装した13万の近代的米軍陸軍部隊が、小銃しか持たぬアラブゲリラに苦戦している。世界最大にして最強の軍事力を持つアメリカ軍のこのような失態は同盟国である日本を不安に陥れる。潜在的な敵国である中国やロシアは決して真正面からアメリカに戦争を仕掛ける事は無く、イラクや北朝鮮のような鉄砲玉を使って揺さぶってくる。

アメリカが挑発に乗ってイラクや北朝鮮を攻撃しても中国やロシアにとっては痛くも痒くもなく、アメリカ軍を消耗戦に持ち込めれば中国やロシアの勝ちと言うことになる。本来ならばアメリカの同盟国であるイスラエルがイラクを攻撃すべきなのですがイスラエルは人口600万足らずの小国だ。

逆にイスラエルロビ−がアメリカを動かしてアメリカ軍自らがイラク攻撃を仕掛けるようになった。9・11テロからイラク攻撃に持って行く強引なやり方は無理があるのですが、アメリカ国民はいまだに9・11テロの黒幕が誰なのか分からないようだ。テロとの戦いというプロパガンダもイスラエルロビーが仕掛けたものでしょうが、イラクを潰したところでテロはかえって拡散するだけだ。

アメリカの大戦略家であるキッシンジャーもようやくイラクにおけるアメリカ軍の敗戦を認めたようですが、この耄碌した大戦略家はフセインと言う駒を中東から取り除けばどうなるか計算できなかったのだろうか? むしろイラクがシーア派の天下となりイランのイスラム原理主義がイラクまで広がる事になる可能性がある。

田中宇氏の記事によれば中国はアフリカや中南米諸国に外交的触手を伸ばしてきており、盛んに援助外交を行なっている。気がつけば欧米と日本は中国やロシアやアジア、アフリカ、中南米諸国に包囲されているようになる可能性がある。このような状況で日本がアメリカに従属するだけではアメリカと共に日本は沈没する事になりかねない。

アメリカがどうもおかしくなり始めている点では私も同感であり、北朝鮮と言うテロ国家にアメリカは何度も騙されても手も足も出なくなっている。アメリカはテロとの戦いと言う大プロパガンダを謳っても、北朝鮮のテロに対しては経済制裁しか出来ない。更には唯一の実戦部隊である海兵隊が沖縄からグアムに撤退をしますが、日本の政治家は何を意味するのか理解できていないようだ。

今後のアメリカの中東政策はどのように立て直して行くのだろうか? アメリカ軍がイラクから撤退すればイラクはイスラム原理主義国家となり、サウジアラビアや湾岸諸国はドミノ式にイスラム原理主義国家となって行くだろう。そうなれば日本は石油の90%を中東から輸入しているから、日本にとっても危機的な状況になる。

アメリカが中東で戦略を立て直すためには、イスラエルを切り捨てるかたちでパレスチナ問題を片付けるしか方法はないだろう。このまま軍事的、経済的支援を続けていてもアメリカにとってはマイナスばかりで中東諸国を敵にするだけだ。アメリカ国内のイスラエルロービーも獅子身中の虫だ。

このようにアメリカは、中国やロシアから中東や極東で外交攻勢をかけられて二正面作戦を強いられている。日本にとってはアメリカがイラクで足をとられていては困る状況であり、小泉首相は身を挺してイラク攻撃を止めるべきであったのだ。出来なかったから日本は北朝鮮の核の脅威をまともに受けることになってしまった。

アメリカの本音としては自分の身は自分で守ってくれと言うのが本音なのでしょうが、日本はアメリカのリップサービスに騙されているのだ。日本の政治家達や言論人たちもアメリカにますます依存しようと言う情けない連中ばかりで、焼きの回ったアメリカの状況を見ようともしない。

アメリカはインドの核武装も認めて中国に対抗させようとしている。ならば極東においても日本の核武装を認める可能性が出てきたのですが、日本はますますアメリカの核の傘に依存しようと言う傾向を強めている。しかし日本国民の核武装への賛成論は意外と多い。少なくとも核三原則は撤廃しべきだ。


日本の核武装、反対69%=2割超は肯定的−時事世論調査

時事通信社が18日まとめた世論調査結果によると、日本の核武装について反対が7割弱に上った。北朝鮮の核実験などを受け、閣僚や自民党幹部が核保有論議を容認する発言を繰り返す中、大半が核武装を否定していることが明確になった。ただ、肯定的な意見も2割を超えた。背景には、日本の安全保障への懸念の高まりがあるとみられる。
 調査は10日から13日にかけて、全国の成人男女2000人を対象に個別面接方式で実施。有効回答率は68.9%だった。 
(時事通信) - 11月18日7時0分更新




利用者に安心を売る生命保険会社が、利用者の自殺を促すような
ビジネスを支援していいのかどうか。 命より利益を優先した生保


2006年11月20日 月曜日

消費者金融「自殺で返済」を支えた人々−−倫理の緩み どう是正?(11/20) プロの視点 太田康夫

貸金業法が改正される。消費者金融への規制を強化し、灰色金利などをなくす。ただ、借入人を自殺に追い込んで債権を回収するビジネスを裏で支えていたのは銀行や生命保険会社などだ。高収益に目がくらんで崩れた倫理を回復するのは簡単ではなさそうだ。

 10月はじめ消費者金融業界が揺れた。金融庁が「自殺で返済」といわれた消費者信用団体生命保険の全容をはじめて公表したからだ。

「自殺して返済は一部」と言い逃れできない水準

 2006年3月期の消費者金融17社の自殺による保険金受け取りは4908件、43億円。受け取りに占める比率は件数で9.4%、金額で14.2%にものぼる。

 この比率には死因等不詳が入っているので、それを除いた死因判明件数に占める自殺を原因とする受取件数の比率は19.8%。消費者金融が保険金を受け取った5人に1人は「自殺して返済」だった。ごく一部という言い逃れは出来ない水準で、シェークスピアの「ベニスの商人」のシャイロックを思い起こすような倫理観の欠如が見て取れる。

 金融庁の発表で揺れたのは消費者金融業界だけではない。厳しい取り立てで「自殺して返済」を迫るのは消費者金融会社だが、その仕組みを提供するのは生命保険会社であることが改めて浮かびあがったからだ。

消費者信用団体生命保険契約の状況(06年3月末)によると主幹事保険会社は次の通りだ。

アコム(明治安田生命)

アイフル(明治安田生命)

武富士(エイアイジー・スター生命)

プロミス(日本生命)

CFJ(明治安田生命)

GEコンシューマー・ファイナンス(AIGエジソン生命)

三洋信販(三井生命)

シンキ(第一生命)

クレディア(第一生命)

丸和商事(三井生命)

 通常のビジネスとかわらず、主幹事を競う姿が見て取れる。

「保険と融資」のおいしいビジネス

 しかも、生保の消費者金融への関与は信用団体生命保険だけではない。

 例えばプロミス。今年3月の参院予算委で与謝野馨金融担当相から「かつて一流だと思っていた銀行が消費者金融と一緒に広告を出していることも不愉快なことのひとつ」といわれた。

 不快感を示されたのは三井住友銀行で、3月末時点で20.22%を出資し、505億円を貸し付けている。これに対して信用団体保険の主幹事である日本生命は出資比率こそ4.23%と三井住友に及ばないものの、貸し付け額は793億円とトップだ。

 プロミスの借入金を業態別に見ると、生保からの借入残高は1682億円。伝統的に借り入れが多い信託銀行からの1290億円、都市銀行からの756億円を抑え、堂々のトップである。

 三菱UFJフィナンシャル・グループが12.99%を出資するアコム。長期借入金が最も多いのは三菱UFJ信託銀行からの1416億円だが、二番手には信用団体保険主幹事の明治安田生命が395億円でつけている。アコムの業態別借入金は信託銀行からがトップの2900億円。生保からはそれに次ぐ1527億円となっている。

 生保は保険の仕組みの提供にとどまらず、消費者金融会社がそれを活用した高利の貸し付けが出来るように貸し出し原資まで提供していたのだ。生保から見ると、消費者金融は保険と融資で二重にもうけられるおいしいビジネスだったわけだ。

「命より利益優先」にブレーキなし

 厳しい取り立てなどがしばしば問題になった消費者金融向けの融資に関しては、リテール(小口金融)を手がける都市銀行ははじめのうちは比較的慎重な姿勢を取ってきた。そのため、消費者金融会社は貸し付け原資をホールセール中心の信託銀行や外国銀行から調達してきた経緯がある。

 消費者金融各社は業務を拡大していく中で、調達先も多様化。社債による調達などに加え、生保マネーにも頼るようになり、それが今や調達の大きな柱となっている。

 生保の消費者金融向け貸し付けは違法ではない。大手消費者金融会社は株式を上場しているし、高収益を誇ってきた。このため、融資の信用リスクは低いと見られ、そこそこの利回りが確保できれば立派なビジネスだとの見方も成り立つ。

 ただ、法令順守という最低限のハードルさえ越えればいいわけではない。利用者に安心を売る生命保険会社が、利用者の自殺を促すようなビジネスを支援していいのかどうか。

 銀行の場合、保険の支払いの詳細まではつかめない。それに対して生保は保険金を支払っていたのだから、この信用団体保険の本質がどういうものか分かっていたはずだ。にもかかわらず、自らそれにブレーキをかけることなく、命より利益を優先した格好になっている。

 生保各社は崇高な理念を掲げている。「高い倫理観と協働の精神」(明治安田生命)、「広く社会の福利増進に尽力する」(日本生命)、「社会からの高い信頼を確保し、その発展に貢献する」(第一生命)――。理念と実態の落差は歴然としている。

 貸金業法改正で、貸金業者が貸し手の自殺により保険金が支払われる保険契約を結ぶことが禁止される。銀行や保険は長いあいだ問題視されながら続いたこのビジネスからたっぷり利益を稼ぎ出したが、そこで失った倫理規範も大きかった。業務がなくなるのとともに、倫理もうやむやのまま不問に付されるのだろうか。



借り手が死ぬと保険で回収 10月16日 森永卓郎

消費者金融業界はもちろん、逆に金利制限を撤廃しろといっている。彼らの論理は金利を引き下げると、審査が厳しくなって、サラ金から借りられない人が増えて、ヤミ金に流れるから危険だと主張する。

 だが、それはおかしい。出資法の上限金利はかつて110%だった。それを4回にわたって引き下げてきた。ところが、そのたびにサラ金の利用者は増えていったのだ。金利が下がったら、消費者金融に人が来なくなるという根拠は何もない。

 それでは、なぜ金利を下げたくないのか。実はそこに生命保険会社がからんでくるのだ。

 大手の消費者金融は金を貸すとき借り手を被保険者とする団体生命保険をかけるのが一般的だ。借り手が死亡すると、保険金で資金を回収できるからだ。

 ところが、不思議なことにこの保険は契約後1〜2年経過すると、死亡診断書がなくても住民票の確認だけで保険金が全額自動的に支払われる仕組みになっている。


 通常、一般の人が生命保険に加入したら、死亡診断書なしで保険金が支払われることなど絶対にあり得ない。

 しかし、サラ金が借り手を追いつめて、自殺に追い込んでも、死因を特定せず保険金が支払われるのだ。確たる証拠はないが、生保会社は死亡原因を聞かずに払ってしまえば問題がないと考えている節がある。


 もし生保会社が自殺したことを承知で支払っていることが世間にばれると、社会的な非難を浴びるのは間違いない。だから黙認ではなく、黙殺するシステムを作ったのだ。


(私のコメント)
この問題については9月8日にも書きましたが、そのせいか最近はサラ金のテレビコマーシャルがやけに少なくなったようです。テレビ局も大口のお客さんがいなくなって大変でしょう。サラ金がどうしてそんなに儲かるのか不思議だったのですが、とりっぱぐれが無くて高金利なら儲かるわけだ。

焦げ付いた貸付があれば、債務者を自殺に追い込んで保険金から回収できるのですから、これほどぼろい商売はありません。しかし保険金からの回収が出来なければサラ金はまた他の方法を考えつく事でしょう。前回の記事の船橋氏のコメントで次のような事が書いてありました。


《 こっち(アメリカ)だと、年率700%の金利ですべてをむしりとられたあげく、内蔵売られますから。(自殺させて生命保険を取るより、腎臓ひとつXXX百万、と切り売りしたほうがずっと金になる。「人間は、そのまま売るより、ばらばらにして売った方が高く売れる」という言葉があるくらい。)
ま、おかげで移植手術が数多くできるので、お金もちはますます長生きできます。 》



これからは日本でも債務者に内臓を売らせて貸し金を回収するようになるのでしょうか? 昨日も書いたような格差社会になれば、いくら働いても派遣社員では年収300万円にしかならず、結婚して子供もいればサラ金で金を借りなければ生活がやっていけません。

それで生活が破綻して離婚して母子家庭が多くなり、今年は秋田県で二件の幼児殺害事件がありましたが、いずれも母親による殺害だった。まさに秋田県は日本の将来を暗示しているのでしょうか? このように日本の若い世代は働いても豊かになれず、結婚も出来ず、子供も作ることが出来なくなりました。

このように自分の将来が暗いものなら、小学生や中学生もやる気をなくして「いじめ」に走り、いじめられた子供は「自殺」に走る。がんばって生きても就職も出来ず派遣社員かバイトで生きてゆくしかないのでは、今の若い人はやりきれない。これでは日本のモラルも崩壊して、テレビを見れば少し前はサラ金と外資系保険会社のCMばかりだった。債務者を自殺に追い込んで貸し金を回収していたのだからぼろ儲けしてきた。

小泉構造改革は大企業にやさしく、労働者に厳しい政策に切り替えてきたのですが、有権者の小泉構造改革に対する支持率はどういうわけか高かった。しかし人口構成から言って高齢者が多くなり若者が少数派となっては、政策は金持ちの老人に優しく、金の無い若い人には厳しい政策になりがちだ。

昔の若い人ならヘルメットにゲバ棒でデモをするなどの活力もありましたが、最近の若い人は、学校ではいじめられるとすぐに自殺するし、就職が出来ないと家に引き篭もってしまう。そして若者同士でも「勝ち組」と「負け組」とに分かれて分裂している。「勝ち組」と言ってもいずれ「負け組」に転落する事がわかっていないのだ。

高度成長経済が終わっても日本は年功序列制度はそのまま維持されて、中高年に優しく若者にしわ寄せをしている。若者は結婚して家を建て子供を育てなければならないから金はいくらあっても足りないのに、雇用が絞られて良い給料の就職口は無い。反対に年金をもらっている老人達は年金を溜め込んで使おうとしないからデフレがひどくなっている。

サラ金の一番のお客さんは家庭を持ち子供を育て住宅ローンをしている若いサラリーマン達だろう。サラ金にとってはサラリーマンが一番とりっぱぐれの無い上客で、返せなければ自殺に追い込んで資金を回収できるし、奥さんが美人ならソープで働かせても回収が出来る。

このようなサラ金や悪徳生保が蔓延るのは政府の政策が悪いからですが、若い人は政治に興味が無くて、経済の事も分からない人が多いようだ。その反面ではテレビに影響されやすくて、簡単に洗脳できるから権力者にとっては扱いやすい。株式日記では騙されるな目を覚ませとハッパを掛け続けているのですが、反応は鈍い。

時事経済ブログなどを見てもイデオロギー的なことや政局がらみのことは活発でも、経済の本質的な問題となると専門家任せになってしまう。小泉構造改革のどこに問題点があるか株式日記でも書き続けてきたのですが、これからはそれが顕在化して社会問題となっていくでしょう。ところが小泉首相は増税と歳出カットによる財政再建ばかり言っていた。景気をよくして財政再建と言う正論が無視されてきましたが、安倍内閣では正論に戻りつつあるようだ。




若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来
派遣社員では結婚も子供も作ることは出来ない少子化社会


2006年11月19日 日曜日

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 城繁幸(著)

老化する企業

もし仮に、限られたパイを奪い合うしか組織の生き残る道がないのだとしたら、誰かが犠牲になるのはやむをえないことだ。そして、その役目を若者に押しつけることも、一つの答えかもしれない。

「若いんだから苦労しろ」というのも一つの論理ではある(逆に、「もう十分楽しんだろうから早く引退しろ」という論理もしかりだ)。

だが、それは、年功序列型の組織にとって諸刃の剣でもある。実はいま、長く続いた企業の採用抑制によって、企業内ではある変化が起きている。それは、ひと言でいえば組織の老化だ。活力を失い、新しい技術を知らず、ミスが多くなる・・・そんな企業が全国に増えている。

若い血か途絶えると、はたして企業内で何が起こるのだろう。

わかりにくいので図で考えてみたい。従業員一〇人の年功序列型企業を、ものすごく大雑把に表現したものが上の図だ。

ある年に定年退職者が二人出たとすると、残った従業員は一段ずつ上にくりあがることになる。矢印はその流れをあらわすキャリアパスであり、まさに一本しかないわけだ(同じ序列でも成績のいいものから昇格する)。

当然、組織を支える若くて生きのいい土台が二人必要になるわけだが、ここで人件費抑制を理由に、正社員の代わりに派遣杜員二人でまかなったとする。

一応見かけ上は組織構成の維持ができてはいる。しかも、新人分の人件費は大幅にカットしたうえでだ。

だが、これで本当にすべてが従来どおりに進むのだろうか。建物でもそうだが、土台に手抜きをすると、あとから思わぬしっぺ返しがくることがある。


途絶える技術継承

「バブル崩壊から九〇年代を通じて、新人の採用は最低限に抑えてきました。一時は斜陽産業の代表みたいに言われてましてね」

伊藤氏は中堅鋼材メーカーの人事担当役員だ。この一五年間、ずっと採用を見守り続けている。業界の流れが変わったのは一九九〇年代後半から。中国向げ特需で、鉄鋼関連は急激に売上を伸ばした。かつての斜陽産業は、いまや花形産業の一角だ。

だが不思議なことに、採用方針については見直されることはなかったという。以前は高卒エンジニアだけで年二〇人ほど採用していたという同杜も、ここ一〇年間、高卒は一名も採.っていない。

代わって杜内に人ってきたのは、派遣や詩負、つまり非正規労働者だった。

「ちょうど派遣法が改正され、常堆や製造ラインにも派遣社員受け入れが可能になった。経営陣は短期の利益を積み上げるために、正社員を増やさず、派遣や請負でまかなうという発想になってしまっていました」


つまり、「安くていつでも置き換え可能な土台」を使ったわけだ。

だが数年後、思わぬ形でしっぺ返しを受けることになる。「二〇〇七年から団塊世代が定年を迎えます。その数は五年で全杜員の二割強。ところがこの一〇年、各職場に配属された新人はトータルでひとりいるかいないか。後継者の育成がまったくできていない・・・現場はいま大混乱です」

一九九〇年に平均年齢三五歳だった会杜は、いつの間にか四二歳に老けていた。人件費をいちばん賃金の安い新人をカットすることで抑えてきたツケだ。財務上は人件費を抑えられたが、目に見えない部分で企業価値は確実に下がっていたのだ。

「鉄鋼や鋼材の技術職というのは、実はベテランに依存する部分が大きいんです。だから、人を切らずに残す戦略は間違ってはいなかったと思います。でも、非正規の労働者は平均すれぱ二年にも満たない勤続年数しかない。だから、けっして技術の継承はできないし、彼ら自身にもその気はない。いつの間にか、企業としての技術蓄積が完全にストップしていたわけです」

同社はいま、置き換えできない技術者を中心に、定年後再雇用という形で会社に残ってもらうことを要請している。若い後継者をその間に採用し、育成する予定だ。

だが、状況は他社もまったく同じだ。製造業から金融まで、日本中のあらゆる企業が、来年からの採用大幅増に踏み切っている。そんななか、後継者候補となる新人を一定数確保するのは至難の業だろう。

年功序列という制度は、職人を育てることのできる世界で唯一の雇用形態だ。長く働いてもらうことで、蓄積されたノウハウを学ぱせ、さらにそれを継承していける。

だが、その流れを断ち切ることは、培った技術の継承を断ち切ることになる。それは、日本企業の強みを捨てることだ。

年功序列制度の限界を「若者を組織から締め出すこと」だげで回避しようとすれぱ、企業は確実に老いる。技術は継承も蓄積もされず、ある日突然ぽっくり逝くことになりかねない。

団塊世代が現役を引退する二〇一〇年前後、ひっそりと老衰を迎える企業が出てくるかもしれない。 (P104〜P108)


年功序列が少子化を生んだ

本書ではこれまで、残された年功序列というレールを維持するために若者が切り捨てられている事実を述べてきた。企業という列車に乗る手前で、あるいは列車のなかでさえ、彼らは重い犠牲を強いられ続けている。

言い方を換えれば、すでに雇用している人間の既得権を維持するために、若者の雇用を犠牲にしたわけだ。

そうなってしまった最太の理由は、杜会全体が例の昭和的価値観に基づいた強い年功序列」組織だからだ。組合、政党、そして経団連も、意思決定プ回セスに参加するのはみな五〇代以上の既得権層だ。そこに若者の代表者はいない。

企業の役員会で、または労働組合の総会で、そして国会の場でも、年長者たちは額を突き合わせ、自分たちの既得権を守るために若者を切り捨てることを取り決めた。そしてあとには、歪んだ負担の構図だけが残ることになった。そして、歪みは必ず矛盾を生む。

仕事で呼ばれた会社で、さも誇らしげにこんなことを言う経営者や労組幹部に出会うことがある。「わが杜は賃下げやリストラは一切していません。従業員は家族ですから」

たが蓋を開けてみれば、「ここ三年間、社員採用ゼロ」というようなケースは珍しくもない。それでいて、現場に行ってみれば、疲れきった顔の派遣杜員がこき使われていたりする。もちろんみな二〇代。少なくとも、年長者から見れば、彼ら派遣社員は家族とするには値しない生き物らしい。

彼らが行っている仕事は、正杜員である先輩たちがやっていた仕事となんら変わらない。

違うのは、彼ら非正規労働者の人件費コストは先輩たちの半分以下であること、そしてその仕事は、どこにもレールのつながっていない"ただの作業"であるという点だ。

だが、忘れてはならないのは、若者も先輩たち同様、ごくふつうの人間だということだ。生命力も気力も(そして忍耐力も)従来の世代よりひと回り強いスーパーマンぞろいならいざ知らず、ふつうの人間なら負担が増えた分、必ずどこかで手を抜く。

もちろん、手を抜くのは会杜での仕事ではなく、社会におけるもう一つの仕事だ。そう、それは次世代を作り育てるという、本来若者が持っている役割を放棄することだ。

先進国中、群を抜いた日本の少子化の原因は、ここにあると見て間違いないだろう。


以上のような話をすると、よくこんな意見を言われることがある。「扶養家族もいない世代の給料なんて、安くて当然でしよう」

逆に言えぱ、低い賃金の連中は子供など作るな、ということらしい。この意見は、図らずも少子化の理由と結果を正当化してしまっている。

たしかに、賃下げやリストラをすれぱ非難囂々な.のは間違いない。された本人は路頭に迷うかもしれつないし、破産して首を吊る人間も出てくるかもしれない。

だが、将来生まれるべきであった命もまた、同等の価値を持っていたのは間違いない。彼らはけっして非難もしないし、化けて出ることもない。ただただ、存在の可能性を失っただけなのだ。

二〇〇七年から、いよいよ団塊世代が大量に定年を迎え始める。その数、正杜員だけで二八○万人以上。会社のなかではもっとも高給取りのグループだ。彼らが受け取る退職金額はおよそ八○兆円にも上る。

経済アナリストのなかには、日本に新しい中高年市場が誕生し、新たな市場牽引役となることを期待する向きも強い。実際、すでに郊外の住宅やリゾート物件、中型以上のバイクなど、シニア世代向けの賛沢品需要は伸びつつある。

だがその裏には、正社員の半分以下の賃金で、派遣や請負、フリーターとして使い捨てられる若者の存在があることは忘れてはならない。

彼らが〃人並みの"収入を得て、結婚し子供を作る代わりに、社会はリゾートマンションや大型バイクの売上を選んだわけだ。

企業は社会の縮図だ。「最近入ってくる若い人が少なくて、年寄りばかりが増えた」と嘆く人がいるが、それはそのまま社会全体にもあてはまる。

企業は次世代をリストラすることで、企業自体の未来も危うくしていると書いた。社会もまた、若者を犠牲にすることで、その未来を失おうとしている。 (P112〜P115)


(私のコメント)
「若者はなぜ3年で辞めるのか?」と言う本はベストセラーになったせいか、ブログなどでも書評の数も多い。本の題名が一人走りをしてしまっているようですが、日本企業の社会構造の問題点を突いた本なのですが、このような社会にしたのは小泉構造改革のせいなのだ。具体的に言えば人材派遣業法が改正されて一般的な職種にも派遣社員の活用が可能になった事で、企業は一斉に派遣社員に切り替えてしまった。

最近では都市銀行に行くと窓口には中年の女性が多くなりましたが、彼女達が派遣社員なのだ。彼女達を派遣しているのは銀行の子会社からの派遣社員であり、正社員の若い窓口係とは見ただけでも違いがわかる。しかし派遣社員となるとモラルは落ちるから使い込みなどが発覚してニュースになった事がある。

この本では新規採用を絞る反面、その穴を派遣社員が埋めている事を指摘していますが、そのような構造が長く続けば技術を持った社員が定年退職した時にその技術を引き継ぐ人材がいない事に気がつくようになる。最近では日本が誇る自動車メーカーでも大規模な欠陥自動車問題が起きていますが、部品などを未熟な下請工場などが作っているからだ。

以前なら下請けでも親会社と子会社は密接であり、安定した雇用関係が技術の伝承を守っていた。しかし最近はコスト優先で子会社を切り捨てて外部に発注するようになった。ソニーの欠陥電池などもベテランの製造技術者がいなくなって海外の子会社に作らせていることから発生した。

だから最近では製造業も工場などを国内に回帰している所もありますが、海外では労働事情から製造技術の熟成や伝承が難しいからだ。中国などでは技術を覚えると直ぐに辞めて同じものを作り出す。これでは製造業は成り立たないが日本企業は今頃気がついたようだ。

このような事は製造業だけではなくサービス産業にも起きており、正社員の年功序列を維持しつつ、人件費を切り詰める為に新規雇用を絞る反面、その穴を派遣社員が埋めるようになった。今までなら若い正社員がしていたようなことを派遣社員に同じ事をさせても人件費は半分で済む。しかも派遣社員のほうが都合が悪くなればいつでも切れるからだ。

このように一見したところ企業の体制は変わらないように見えて、現場作業は若い正社員ではなく派遣労働者が担うようになっている。格差社会とは中高年の正社員が1000万円以上の高給を取り、派遣社員が200万円で現場作業をしている社会なのですが、若い正社員にとっても中高年社員が辞めない限り上には上がれず、その事に30代で気がつくようになる。

年功序列は高度成長期にしか成り立たない制度なのですが、公務員はもとより大企業でもいまだに健在だ。だから誰もが知っているような大企業に正社員として採用されても若者は3年で辞めて行く。若いときに我慢して働けば中高年になった時に報われると言う嘘には騙されなくなっているのだ。

今の大企業は課長や係長などの管理職ばかりで平社員は一人で、あとは派遣社員が埋めていると言った会社が多い。だから若い平社員が酷使されて体を壊して辞めて行く。年功序列社会のしわ寄せを若い人に負い被せているのですが、新規採用で絞られて、幸運にも入社出来ても過重労働で辞めて行く若い人が多い。中堅管理職以上は現場作業は出来ず、一日中机でハンコを押しているだけで高給がもらえる。

将棋では「歩のない将棋は負け将棋」と言う言葉がありますが、若くてよく働く社員がいてこそ会社は発展するのですが、雇用を守ると言う名の下に部下のいない管理職だらけの会社が発展するはずが無い。そのような事は堺屋太一氏が何十年も前に予測していた。労働組合も雇用を守る事に一生懸命で年功序列を守る方に回っている。

労働組合が強い国は若者の失業が多いのが特徴だ。日本もその傾向になってきてニートやフリーターが増える一方だ。その結果起きるのが若者の非婚化と少子化社会の到来だ。年収が200万とか300万では結婚も出来ず、出来ても子供も一人がやっとだろう。企業にしても働かない中高年管理職を首にして若くて働ける社員を増やせればいいのですが、そんなことをすればマスコミもたたく。

年功序列型社会は儒教倫理ともマッチしやすくて、なかなか崩す事は難しい。いくら有能でも若い人が出世する事は日本ではまず無くて自分で創業するしか若くして社長になれる道は無い。ホリエモンなどのベンチャー企業家が持て囃されたのも、その存在が珍しいからですが、日本の教育は企業家を育てるようには出来ていない。

私自身は銀行を14年ほどで退職して不動産業に転職して起業した。いずれ年功序列社会が破綻する事はわかりきっていたことで、今の若い人にアドバイスできるとすれば、サラリーマンを我慢して10年働いて金を貯めて仕事を覚えて独立する事が一番だと言う事だ。今の日本企業はいくら有能でも出世はさせてくれない。ならば独立して起業するしか道は無い。




民主党の標的は日本ではない可能性が高いと思います。
米国の最大の関心事は『中国政策』になると思います。


2006年11月18日 土曜日

米国は何故、色々な意味で強いのか【森田レポート】 11月9日

米国は何故、色々な意味で強いのか

第二次世界大戦で米国は軍事力で西側の世界一になり、1960年代には英国に代わって世界一の債権国となりました。更に世界の基軸通貨は米国のドルで、世界の金融政策も米国のFRBが握っています。更にソ連が崩壊したことで、西側の盟主から世界の盟主になりました。つまり、米国は軍事・経済・通貨・金融という国力を示す指標の全てを握り、世界の盟主であるということになります。

1985年のプラザ合意でドル安政策を一方的に宣言・実行し、1995年には米国の景気がインフレによって悪化しそうになった時に一方的にドル高政策に転換して実行するなど、経済の基幹である通貨も米国の都合で簡単に、独善的に修正することが出来ます。

今回のイラク問題も、その前のアフガニスタン問題も、イスラエル問題も社会正義ではなく、米国の都合で問題を大きくしたり、一方の国に偏った支持をしたりしていますし、今度は核兵器に関する知識や技術を持っている人には無条件で米国の永住権であるグリーンカードを与えるという法案を提出しようとしています。

世界の環境問題を討議した京都の時も、京都議定書にはサインせずに、米国の大企業の利益を優先して環境破壊を放置するということを平気で行っています。1995年に日本が米国の円高ドル安政策で、いくら安く国内企業が製品を作っても円高で海外の製品の価格に追いつかず、円高デフレで日本経済が崩壊するというときに、当時のルービン財務長官とグリーンスパン議長が『米国のインフレを防ぐためにドル高政策に転換した』だけなのに、多くの日本の専門家が「米国が日本を助けてくれた」と言っていましたように、米国は大人でもあります。

つまり、世界の盟主である米国は、世界平和や世界の人々を幸福にするという意識はなく、(米国の国民にはありますが、米国政府の役割は米国の国民のための政策ですから、そういう気持ちは出てきません)米国が幸せになれば良いという意識しかありません。
その米国のための政策が、その時々で他の国にプラスを与えると、それらの国々は政策目的で『米国が助けてくれた』というコメントを議員や専門家が言っているのではないかと思います。

ブッシュ大統領になった時の米国の現状を考えると、クリントン大統領が経済政策で米国を立て直したことで、経済は出がらしの状態になっていました。ここで経済政策で再度米国を復活させることは非常に難しく、そこでブッシュ大統領が選んだ道は『戦争によって特需を発生させて、米国の景気を良くする』という方法を取るのではないかと思い、9月11日にレポートに書いたことがありました。その日の夜に同時多発テロが起こったので、このことは良く覚えています。

その後のブッシュ大統領の動きを見れば、世界に緊張状態をわざわざ作って、自分で戦争を起こすという政策を取っています。これまでのことから米国は世界一の自分勝手な国だということを認識して、投資家は今後の投資戦術を考えなければならないというのが、このレポートの結論です。米国を攻撃しても何も意味はなく、投資家が考えることは『どうするか』だけですが、このどうするかを出来るだけ間違えないようにするためには、色々な知識を持つ必要があります。

今後のブッシュ大統領の戦略

中間選挙で共和党が大敗したことで、2年後の大統領選挙に向けて『共和党復活のためにブッシュ大統領は何をするのか』が投資家にとっての、米国の一番の関心事になります。現時点では、まだ日本は1980年代後半から1990年代初めのような余裕はありませんので、民主党の標的は日本ではない可能性が高いと思います。

米国の標的は中国になります。中国の経済発展が原油価格だけでなく、世界の原材料価格を高騰させていますし、中国の景気が悪化すれば世界の景気に大きな影響を与えることになりますので、米国の最大の関心事は『中国政策』になると思います。

ということは、急激に円高が進むような環境にはならないと思われますが、少なくても民主党が議会で多数を取ったということは、これまでよりも為替に注意を払う必要があるということになります。

もう一つは、米国の自動車業界です。日本の自動車会社はわが世の春を謳歌していますが、米国の自動車業界はトップのGMを初めとして非常に厳しい状況になっています。自動車業界は労働者が多い業界ですから、この問題がどうなるかは注目されます。
但し、日本の自動車業界は貿易摩擦に苦しみましたので、現在は米国に工場を立てていますので、以前のような苦境には立たされないのではないかとは思います。

米国の株式市場が史上最高値を更新しても、日本の株式市場は元気がありませんでした。つまり、日本の株式市場は米国動向に余り反応しない環境になっています。今の日本の投資家の関心事は『何が、どうなれば、日本の株式市場が再び大きく上昇するのか』という『何』になっています。
そして、この『何』が見つかった時が『日本の株式市場の再上昇開始の時』となります。

レポート担当 森田謙一


対中投資の減少をどうみるか(11/17) プロの視点 後藤康浩

日本の対中投資が2006年に入って大きく落ち込んでいる。1−9月期は前年同期比30%以上のマイナスになった。03年から3年連続で過去最高を更新し続けてきた日本の対中投資の急減は何を意味するのか。

世界規模で減少

 対中投資が減っているのは日本だけではない。欧米諸国の多くも減少傾向にある。世界全体からの対中投資は昨年が0.5%の減少、今年1−9月期も1.5%のマイナスとなっている。米国は02年の54億ドルをピークに3年連続で対中投資が減少しており、昨年はピーク時に比べ、43%減の31億ドルにまで落ち込んだ。

 こうした流れの説明でまず最初にくるのは、「投資一巡」説だ。もちろん企業の設備投資は永遠に拡大を続けるわけではなく、エレクトロニクス、自動車などで中国生産拠点がある程度出そろったのは間違いない。

 だが、世界経済が依然として4%台の高成長を続け、途上国、産油国などでモノの需要が勢いよく伸びる中で、「世界の工場」たる中国の生産拠点の増設が鈍るのもやや違和感がある。

 世界を見渡せば、自動車工場はインド、ロシア、北米、南米などで新増設が続いており、液晶テレビは欧州、メキシコなどで組み立てラインが新設されている。日本国内は半導体、薄型テレビ、自動車から工作機械、建設機械などの工場の大型投資が盛り上がっている。

 対中投資が減少に転じた原因には、中国固有の問題があるとみるべきだろう。

立ちはだかる貿易摩擦

 中国の投資環境は急激に悪化している。人件費はこのところ毎年、最低賃金が10%前後引き上げられるなど急上昇している。早晩、「人件費の安い」という形容句は中国からはずされるだろう。電力や輸送用燃料などエネルギーの不足も続いてる。

 だが、外資を最も悩ませているのは、貿易上の様々リスクだろう。貿易摩擦では、対米、対EUをはじめ世界とあつれきを起こしている。「中国で生産したばかりに欧米に輸出できない」といった事象は繊維、靴などで現実化したが、他の分野にも広がるのは避けられない。

 日本もかつて貿易摩擦を引き起こした鉄鋼では、06年1−9月の中国の鉄鋼輸出は3616万トンに達し、世界最大の鉄鋼輸出国になった。中国国内で余剰となった鉄鋼が売り先を求め、世界に流出する構造で、中国の鉄鋼メーカーの余剰生産能力をみれば、鉄鋼貿易摩擦が深刻化するのはまもなくだろう。貿易摩擦の余波は外資も直撃する。

 貿易摩擦と比例して人民元に対する切り上げ圧力は一段と高まっている。中国政府は市場における人民元の緩やかな上昇を容認しており、人民元は着実に切り上がっている。中国からの輸出品の競争力は当然弱まる。

 最近では環境対応、移転価格税制などで想定外の負担を外資が強いられるケースも増えている。中国政府の外資政策では、労働集約型の外資の工場はもはや不要であり、高度な研究開発機能の移転が外資の進出条件になりつつある。

外資から見放される中国

 究極の出来事は「三顧の礼」で誘致した外資への突然の立ち退き要求だろう。日本企業の進出も活発な上海市嘉定区では、地元政府が都市計画の変更を理由に日系企業10社を含む外資に立ち退きを迫っている。その中には2年前に工場ができあがったばかりという企業もあり、地元政府で誘致担当だった役人が今度は外資企業の追い出しにかかっているという。工業用地を宅地転用して地元政府が高収益をあげようという狙いで、似た事例は都市化の進む沿海部の各地で出てくるだろう。

 外資の対中投資が減少するのは明確な原因がある。

 中国の国内市場を狙う外資の投資は今後も続くだろうが、輸出型生産拠点の進出は激減する可能性がある。中国のモノづくりの進化を支えてきたのは、高度な技術を持ち込み、部材を現地企業に発注してきた外資の輸出型生産拠点だ。それが止まった時、中国は民族企業だけで独自にモノづくりの水準を高めていけるのか。

 外資から見放される理由とその打撃を中国は考えるべき時だ。



(私のコメント)
中国への投資ブームは2002年ごろにピークを迎えて、最近は急速に投資額は減っている。にもかかわらず日本の大企業の対中投資の話題は尽きませんが、早くから中国に見切りをつけて国内回帰や東南アジアに工場を移転しているところもある。株式日記では中国は危険だから進出するなと書いてきましたが、NHKなどは「中国の巨大市場」と囃したてて投資を煽っている。

しかし中国は法治国家ではなく共産党独裁国であり、中央政府から地方政府に至るまで役人への賄賂は欠かせず、税制は猫の目のように変わり、思わぬ出費を強いられて四苦八苦している企業も多い。欧米企業も同じように苦労しており、人件費も上がってきて東南アジアに比べても安くはない。

中国の胡錦濤国家主席が安倍総理と会談したのも、このような情勢が背景にあり、とても靖国神社などで反日感情を煽っていられるような情勢ではないからだ。しかし中央政府は海外からの投資を呼び込もうとしても地方政府の役人の腐敗は留まるところを知らず、進出してきた海外の工場に立退きを迫って宅地に転用しようとしている。

人民元にしてもいつまでも固定しておくわけにも行かず、ドルを買って元を売る政策はいつまでも出来るわけはない。外貨をいくら積み上げたところでドル安元高要因になるだけで使わなければ意味がない。だから中国も石油や素材資源などを買いあさって市場価格を高騰させている。

一昨日も書きましたがこのような中国の経済的な発展は軍事の増強にも使われて、中国海軍の近代化はアメリカ海軍の大機動部隊をも脅かす存在になってきた。アメリカは中国を戦略的なパートナーとして経済的な支援をしてきたのですが、経済発展は民主化には向かわず軍事大国化に向かっている。

アメリカはソ連との冷戦に勝ちましたが、その代わりに中国を自らの手でライバルを養成しているのは不可解なのですが、その戦略的な意味は何なのだろう? 貿易摩擦も日本に代わって中国がアメリカにとって最大の赤字相手国となりジャパンバッシングからチャイナバッシングに変わるのだろうか? 

しかしジャパンバッシングに比べてチャイナバッシングは軍事的な報復を招く恐れもあり、アメリカとしては安直には出来ないだろう。しかしアメリカは中間選挙で民主党が勝ち、2年後の大統領選挙でも民主党が勝つ可能性が強くなってきた。このように民主党が政権をとるようになれば政策は内向きのものとなり、貿易赤字に対するチャイナバッシングが起こる可能性が出て来た。

おそらくヒラリー・クリントン大統領が誕生する可能性が強いが、クリントン夫妻は中国のスパイから金をもらっている為に親中派なのですが、外交的にも軍事的にも90年代とは状況がだいぶ変わってきた。経済的にもアメリカの金融投資家達は中国への投資熱は覚めている。むしろ人権問題などで米中は火種を抱えているが、ヒラリー・クリントンはどう出るだろうか?

日米関係は現在以上には良くなる事は無いが、90年代のような悪夢の再来はあるのだろうか? すでに日本の不動産や株は安く買い叩いたし、むしろ投資したものを高くして売り抜ける時期に来ている。90年代は日本株を売り叩き中国の株や通貨に投資するのが流れでしたが、2002年ごろから売りに回っている。その金がアメリカ本国の株買いに回って高くなっている。

日本としては最悪のことを考えて、手を打っておくべきであり、ジャパンバッシングの再来は防がねばなりません。日本としては中国を矢面に立たせて経済摩擦を乗り切るべきだろう。対米貿易赤字も日本よりも中国の方が大きくなった。アメリカにしても経済的に低迷している日本を叩いてもほこりも出ない状況だから叩いてはこないと思うが、叩いてきたら中国の陰に隠れてかわせばいい。

中国の胡錦濤国家主席は江沢民と違って反日一辺倒ではなく、現実的な政治家だから中国も90年代の時のような歴史問題で騒ぐような事はしないだろう。経済問題では日中が連携して貿易問題でアメリカに対する事も出来るかもしれない。むしろ台湾問題で2008年以降どうなるかが問題ですが、民主党政権は台湾問題にどうでるのか? そちらの方が重要だ。




米海軍空母キティホークに10月末、中国海軍の潜水艦が米側に
探知されず魚雷やミサイルの射程内の至近距離まで接近していた


2006年11月16日 木曜日

中国潜水艦、演習中の米空母に射程内接近

【シンガポール=花田吉雄】マレーシアを訪問中のウィリアム・ファロン米太平洋軍司令官は14日、太平洋上で演習中の米空母「キティホーク」(8万2000トン)に中国海軍の潜水艦が魚雷射程内の至近距離まで接近する事件が先月、起こっていたことを明らかにした。

 米軍の演習は対潜水艦戦を想定したものではなかったが、同司令官は、もし潜水艦対象の演習が行われていた場合、「極めて予測不可能な事態にエスカレートした可能性もあった」と述べて、中国潜水艦の行動に懸念を示した。

 同司令官は、演習の詳細については言及を避けたが、14日付の米紙ワシントン・タイムズ(電子版)が伝えた海軍幹部の話によると、潜水艦は通常動力の「宋」級とみられ、沖縄に近い公海上で訓練中のキティホークを追尾した後、10月26日に魚雷や対艦ミサイルの射程内である約8キロメートルまで近付いたという。
(読売新聞) - 11月14日22時28分更新


中国がマラッカ海峡に潜水艦基地―米紙 2005年5月19日

シーレーン確保戦略進める

新型潜水艦は米空母攻撃能力持つ

 【ロサンゼルス18日宮城武文】戦略問題を報じている米ウェブ新聞「東アジアインテル・ドット・コム」が17日付で伝えたところによると、中国はマラッカ海峡に潜水艦基地を築き、中国沿岸から中東にいたるまでのシーレーン保護戦略を着々と進めているという。

 一部外交筋が指摘したもので、インドネシア領の島に建設中、中国領域外では初めての中国海軍基地になるという。

 中国のシーレーン保護戦略は「真珠の紐戦略」と呼ばれ、外交関係を築いているバングラデシュ、ミャンマー、カンボジア、タイと南シナ海の拠点を結んだシーレーン保護を構築中であることは、米国防省の報告でも指摘されていた。

 インドネシア領の島を潜水艦基地にするというのは、「真珠の紐戦略」が拡大されている証拠で、米情報筋はパキスタンのグダールにも海軍基地を建設中であると指摘している。

 米情報筋によると、中国は新型の攻撃潜水艦093を開発中で、これは米空母を攻撃する能力を持つものだという。ロシア製潜水艦の高度技術を基にしたもので、水面下400メートルを時速10ノットという速度で運航できるため、米軍の対潜哨戒機からは察知されないとされている。米空母攻撃の際には、A型65魚雷を使用、低破壊力の核弾頭を搭載するものと分析されている

 中国潜水艦による攻撃は深夜、密かに行われ、米軍に気づかれずに実行する戦術。中国潜水艦が米空母に脅威を与えることになれば、中東および中東石油の輸送ルートが危険にさらされることになり、米国の政治的、軍事的影響力が大きく損なわれることは必至となる。



真相はどうなんでしょうか? 11月16日 Bedtime Stories


まぁ、何とも不可解なニュースですね。
ネット上でもこの報道にある事実を色々な見方で組み立て真相が推測されているようです。
素直に、新聞報道記事(米海軍関係者からのリーク)の通りだとしても、いくつも疑問が残るので無理も無いですね。
しかし、自分はこの報道の通りなんじゃないかと思ってます。
記事通り、キティーホークを含む部隊が追尾する中国の潜水艦に気付かず接近を許し、中国潜水艦は蓄電池の限界と同時に自らの作戦能力の誇示するように浮上したのではないかと思います。
宋級潜水艦の能力の低さや最終的に浮上する行為を考えると確かに不思議だらけですけどね。
ただ、欠陥だらけの宋級にこんな離れ業が出来っこないというのは少し違う気がします。
戦時下で徹底した警戒態勢を敷いてる場合や、対潜演習時でもない限り潜水艦は見つけにくいものです。
実際、潜水艦部隊を含めた演習時は決まって潜水艦の圧勝になって、演習にならない時もある程だと聞きます。
対戦能力世界一の海上自衛隊でもそんな具合だそうです。
平時の通常行動中の米空母群につけ入る隙はあるのではないでしょうか。


しかし今回の事が事実だとすれば米軍は怠慢であり失態です。
けれど敵前に浮上というのは潜水艦にとっても撃沈と同義ですから、中国軍にとっても大失態です(笑)というより非常識。
この可笑しな事態を起こす要因は双方の背景にあるように思います。
アメリカにとって米中冷戦は米ソ冷戦時代に比べ本気度が低い点と、中国にとっては軍の不完全な統制が露呈した結果の事態ではないかと。

深刻なのは当然中国側の背景です。
完全に軍を掌握出来ていないばかりか、軍そのものの指揮統制がバラバラで、単独先行するような現場指揮官が潜在しているとしたら、今後この類の問題は頻発するような気がします。
増してや、タダでさえ独立性が高く有力な兵器である潜水艦の場合、問題が大きい。
中国は軍の近代化に懸命で、特に海軍は成長期。
装備だけでなく頭の中身も近代化してもらわないと、本当に不測の事態を招きかねないですからね。
あぁ、軍事だけでなく貿易方面でもね。
日本製品狙い撃ちしてますけど(笑)
国際ルールと常識をお願いしたいですね。
中央と末端の意識の違いが中国の命取りになるような印象を受けます。


(私のコメント)
日本の命運に極めて関係のあるニュースであるにもかかわらず、例によってテレビなどでは報道されず、新聞やネットで外電を小さく報道する程度なのですが、アメリカ海軍が誇る原子力空母の機動部隊は潜水艦による攻撃には極めてもろい事が証明された。

日本の自衛隊との共同訓練でも日本の潜水艦がアメリカ空母に接近できた事が何度かあったらしい。通常型潜水艦でも技術の進歩はかなりあり、蓄電池などの進歩でジーゼル潜水艦でも深度400メートルの海中を10ノットで航行が出来る。そうなるとソナーでも探知が難しく米空母機動部隊でもかなりの脅威になる。

もちろん魚雷やミサイルの進歩も著しくて一発で原子力空母をしとめる事が出来る。第二次大戦当時のジーゼル潜水艦は空からの攻撃で壊滅的な被害を受けましたが、それは短時間しか潜水する事ができず、追尾して浮上したところを狙えば簡単に撃破する事ができた。

最近のジーゼル潜水艦はモーターやバッテリーの進歩向上で長時間潜行して高速で航行できるようになったっようですが、軍事機密なのでよく分からない。スターリングエンジンでバッテリーを充電すればかなり長期の潜水航行が可能だ。むしろ食料などの限界で30日程度だと言うことらしい。

このように通常型潜水艦でも高性能化でアメリカが誇る原子力空母機動部隊は安閑としていられなくなってきた。冷戦時代はソ連の航空機や潜水艦ぐらいしか脅威ではなかったのですが、最近ではロシアが力を盛り返してきたし、中国の空軍や海軍の近代化で新たな脅威にさらされている。

ニュース記事では旧式の潜水艦と言うことですが、もしかしたら捕捉の難しい新型の潜水艦だったのかもしれない。深度400メートルで10ノットで潜行されたら対潜哨戒機では発見は無理だと言う事です。更に新型の核魚雷や核ミサイルで打たれたら巨大原子力空母は一発でおしまいで、アメリカの11隻の原子力空母は張子の虎だ。

アメリカ海軍の攻撃型原子力潜水艦は確かに高性能ですが、沿岸水域では小型の通常型潜水艦のほうが有利であり、音も小さく捕捉され難い。だから台湾海峡や日本海やマラッカ海峡などで中国海軍の最新の通常型潜水艦が出没されたらアメリカ海軍でも制圧する事は難しくなっていくだろう。


海自潜水艦の最新機関技術  伊達巻

例の中国原潜・領海侵犯事件以降、やっぱこういうことに興味のない人でも、まったく知らんままでは不安になるらしく・・・・
私、会社で常日頃から自分が軍事・兵器ヲタであることを自称しておるせいか、最近よく聞かれることがある。

曰く「海自の潜水艦って強いの?」と。

強いっすよ、ええ。デカイ声じゃ言えませんけど、米軍の原潜にだって負けません。

「日 本 近 海 だ っ た ら」・・・・ね。

まあ、なんで地域限定かといえば、やっぱ自国の近辺海域ってのは海流だとか海底探査とかの海中行動用のデータが揃っているとか、年中パトロールして慣れているだとか、いわゆる土地勘があるからってのもあるんだが、実は性能でもそんなに負けてなかったりする。

速度と連続潜行時間といった、通常動力潜ではどうあっても勝てない部分を除き、米軍の原潜に劣る部分は殆どないと言ってもいいくらいで、静粛性って点では文句なしに世界一なんじゃないだろうか。

よく、日本の潜水艦なんて原潜に比べればゴミみたいなもんで、とても国防なんざ担えないって意見を聞くが、それは自分が軍事の素人ですよと言ってるようなもんで、兵器ってのはカタログデータだけ見ても、それが強いか弱いかなんざ判らぬ。
特に海自の潜水艦なんざ、その運用目的が「迎撃」なんだから、長く潜ってられるだとか、速力に優れるだとか、そんな部分の性能を追い求める前に「静粛性」とか「ソナーの感度」とか「魚雷の射程」とかのほうがナンボか重要


軍事において、一番優位なのは「敵に見つからない状態からの奇襲」ってのは、陸海空どこでも変わらんわけで、迎撃を目的とする海自の潜水艦は、何を置いてもまず伏兵としての機能が重視される。
国防戦力である自衛隊にとって、敵は常に「やって来る」ものであるから、コッチから殴りかかるために必要な性能なんざ、二の次でよいのだ。

ただ、そういう意味ではやっぱ「長く潜ってられる」ってのは余り二の次にしておきたくない部分でもある。
原潜は事実上「燃費が無限大(先に乗員の食料が尽きる)」な上に、無酸素でエネルギーを取り出せるという、潜水艦としては理想的な動力を搭載するため、やろうと思えば食料が尽きるまで潜行していられる。

つーか、実際そうしてる。
米軍の原潜なんか、出航したら帰港するまでの約三ヶ月間、ひたすら潜りっぱなし。
呼吸に必要な酸素は海水の電気分解で取り出せるし、その電気分解に必要な電力は原子炉から発電機経由でいくらでも取り出せるわけで、それと同じ理由で真水も結構あっさりと手に入る。(無論だが、生産能力には限界があるし、常に電気分解していられるワケでもないので、酸素や真水の消費は常時必要最低限に抑え込まれている)

ただ、この原子力機関ってヤツにはたった一つだけ欠点がある。
原子炉ってのは、一度火を入れたら原則として「必要に応じて止めたり動かしたりするのが大変ってか、事実上不可能に近い」代物なので、通常は常に動かしっぱなしにしなければならない。

原子炉が動くっていうことは、すなわち「炉心冷却水が常時動いてる」ってことに他ならず、この冷却水を循環させるにはポンプが要る。最近の原潜は、低出力運転時(巡航出来るかどうかは疑問)は自然還流で冷却することが出来るらしいが、どっちみち海中で航行するときはポンプを動かすって点に余り変わりはないと言っていい。

で、一度でも大型ポンプが駆動するところを見たことがある人なら判ると思うが、あれ非常に作動音がでかい。
私は一度、世界でも抜群の静粛性を誇る長軸ターボポンプってやつを拝見したことがあるが、「どうです、静かなもんでしょ?」と工場の方に説明されたとき「どこがだよw」って苦笑した覚えがある。(普通の長軸ポンプと比べれば断然静かだったが)
工場用のターボポンプではあるが、世界有数の静粛性って言ってアレなのだから、静粛性を採算度外視で追求した軍事用でも、ある程度の騒音発生は避けられない。

つまり、原潜の持つ「長く潜っていられる性能」を重視して、原潜を選択(無論、非核三原則とか無視しての話なので、まずありえない仮定だが)をした場合、「待ち伏せ」する上で最も重要な静粛性が犠牲になる。(後略)


(私のコメント)
このように現代の潜水艦と言うのは軍事機密の塊のようなもので、戦争映画の潜水艦程度の知識では素人がどうこう言うことは出来ない。しかしアメリカ海軍の原子力空母や原子力潜水艦と言うのは、言われているほどの無敵と言うほどではなく、中国海軍の最新の通常型潜水艦が日本のシーレーンを脅かす存在になった時に、アメリカ海軍の第七艦隊は頼りになるものではないと言う事だ。自分の国は自分で守らなければならない。



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                   , ‐-ll、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜l _ l〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
                ,! . ̄ l  「l 米国空母威嚇は我に任せるヨロシ
          /漢 ̄ ̄二二二二`γ_、 三二―
          (`ハ´) 空母撃沈,`~ソ 三二―
          `ー―――――一'´


1996年台湾危機、人民解放軍が潜水艦を出撃させると、米国空母は尻尾を巻いて台湾から逃げた。




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