株式日記と経済展望

ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


皇太子殿下ー雅子さまー大鳳会ー創価学会ー池田大作の
ネットワークが出来上がっている。
皇室典範改正も創価の仕業?


2006年9月30日 土曜日

東村山の闇―「女性市議転落死事件」8年目の真実

裁判雑記(その1)太田述正コラム#1180(2006.4.13)

1 始めに

 私に対して提起された裁判について、訴状に対する私の反論を整理する作業を現在行っているが、この作業の状況をご披露する。読者の皆さんのご批判やアドバイスをどうぞ。

2 訴状の核心部分

 元東村山署副所長たる原告による訴状の核心部分は、次のとおりである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ・・・・
 2 被告の不法行為
 被告<(太田)>は、2003年11月26日にインターネットの本人のホームページで、・・女性市議に対する万引(窃盗)事件はでっちあげで同市議の転落死は殺人である、捜査及び広報の責任者である副所長すなわち原告は創価学会員であると断定し、続けて、殺人犯人は創価学会関係者であったことから原告が組織防衛を図るために万引き事件をでっちあげ殺人事件を隠蔽したとの記事を掲載した。

 この記事を見た一般の読者は、「創価学会員の原告が万引き事件をでっちあげ、殺人事件を隠蔽した」との印象を持つものである。
 よって、被告は、「創価学会員の原告が万引き事件をでっちあげ、殺人事件を隠蔽した」との事実を摘示し、もって原告の警察官としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせ、原告の職務遂行についての社会的評価をいたく低下せしめた。」

3 被告の責任
 被告は、本件記事を掲載した者として、原告の蒙った損害の賠償の責任を負う。

4 損害
 原告は創価学会員ではなく、万引(窃盗)事件を捏造し、殺人事件を隠蔽した事実は一切ないのであり、記事の虚偽性は明白である。また、事実を捏造してまでして原告を陥(ママ)めようとした極めて悪質な記事である。かかる虚偽性のある悪質な被告の行為により原告が蒙った損害は甚大であり、これを金銭的に評価すれば140万円を下らない。

5 結論
 よって、原告は被告に対し、民法第709条に基づく損害賠償として、・・記載の通りの金員の支払いを求める。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
3 私の反論

 原告が問題にしている私のコラム#195(以下、「コラム」という)の大部分は、コラム冒頭で言及した一冊の本(矢野穂積・朝木直子「東村山の闇」第三書館)の内容を私が要約・紹介したものに過ぎない。

 コラムの終わり近くに「(以上、特に断っていない部分は矢野・朝木 前掲書により)」と記されていることからも、このことは明らかであるし、コラム中のどの部分がこの本の要約・紹介であるかも分かるようになっている。

 原告は、コラム中のこの本の要約部分に「虚偽性」があり、原告本人の「社会的評価をいたく低下せしめた」と主張しているところ、この本の著者または出版社を追及するのならともかく、この本の内容の単なる要約・紹介者に過ぎない私を追及するのは筋違いである。
 (ちなみにこの本は、現在も引き続き販売されている。例えばhttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4807403338/249-3757603-8711569(4月12日アクセス)参照。)

 仮に、発言や出版物において引用した本等の内容の非虚偽性(真実性)について、引用した者が証明しなければならない、ということになれば、世上のほとんどの発言や出版ができなくなり、表現の自由は有名無実になってしまうだろう。

 仮にこの反論が通らないとしても、私は下記の理由から、民法第709条(不法行為)に基づく損害賠償責任を負わないと考える。


<創価学会のこと(その1)> 太田述正コラム#1197(2006.4.21)

 この10日余り、ご存じのような事情で、否応なしに再び、創価学会のことを考えさせられているのですが、まずは、ある読者が差し入れてくれ、斜め読みしたばかりの二冊の本、山崎正友「信平裁判の攻防――続々・「月刊ペン」事件」(第三書館2002年9月)と乙骨正生+「フォーラム21」「公明党=創価学会の深層――「自・創」野合政権を撃つ」(かもがわ出版2004年10月)の感想から始めたいと思います。

2 書かれていること

 山崎氏が言いたいことは、「創価学会は、決してただの宗教団体ではない。政治の世界で、経済の世界で、その他あらゆる面に手をのばし、世界に類を見ない巨大で強力なコングロマリットなのだ。強大な権力と、ずばぬけた財力を持ち、又東大、京大等の卒業者等で固めたエリートの官僚機構を持っているのだ。その上、自前の情報機関を持ち、更に、合法、非合法にわたって“特殊活動”を任務とする師団をかかえているのだ。百名をこえる弁護団を擁し、その多くは、小・中・高校生の頃から、「ハイル池田」を骨のずいまでたたき込まれ、英才教育を受けて法曹界に入ったメンバーである。彼らは、国法の秩序より、創価学会の利益を優先させる。・・裁判でも、偽証を行うことなど何とも思っていない。警察に圧力をかけ、検事や裁判官にも、たくみに根回しをする。・・時には、相手方の弁護士すら買収する。」(359〜360頁)、「創価学会は、核兵器やテロリスト、オウム真理教が野放しになっているのと同じくらい、異常な、危険な存在だ・・テロよりも、不況よりも、創価学会・公明党が国家権力の一角に食いこんでいることは、はるかに危険なことだ」(377〜378頁)、ということです。


<裁判雑記(続x3)>太田述正コラム#1393(2006.8.31)

(2)和解について
 まず被告の私だけが部屋に残されて、主任裁判官から、和解に応じるつもりがあるかどうか聞かれたので、原告を創価学会員と誤った点については、非金銭的な方法(謝罪・訂正等)であれば、和解を受け入れる余地がある。金銭的な方法についても、昼飯代くらいなら考慮できると答えました。(同裁判官が1万円くらいかと言うので、フレンチのランチ代ではあるまいし、1万円は昼飯代としては高すぎる、と答えました。)
 しかし、原告の捜査ミスを引用紹介したことについては、原告のためにもならないので、和解に応じるつもりはない、と付け加えました。(原告のように、係争対象たるコラム(の記述)の削除を求めないのは、名誉を金銭で売るに等しく、いかがなものかとも言っておきました。)
 次に、原告が私と入れ替わって主任裁判官等と話し合ったのですが、原告は和解に応じるつもりが全くなかったため、結局和解はなし、ということになりました。

 (3)今後の段取り
 10月3日の午後に弁論が行われ、その後また日にちをおいて判決、ということになりました。
 弁論が行われると言っても、これまで原告被告双方が提出した準備書面が弁論として正式に採択されるだけであって、実際に口頭で弁論が行われるわけではありません。
 どうやら判決期日は10月3日に言い渡されるようですが、強い関心をお持ちの方もおられるようなので、分かり次第コラムでご紹介させていただきます。


(私のコメント)
昨日の続きになりますが、「博士の独り言」のブログが突然抹消された事については、原因などの詳細が明らかでなくプロバイダー側の説明も博士側に説明はされていないようだ。もちろんプロバイダー側も利用規約を作って遵守するように謳ってはいるが、名誉毀損になるかプライバシーの侵害になるのかの判定は難しい問題だ。詳細は分かりませんが誰かがプロバイダーに圧力をかけてブログを抹消させたのだろう。

「博士の独り言」以外にも太田述正氏のサイトも、元東村山署副所長から名誉毀損で裁判に訴えられていますが、これも創価学会がらみの事件であり、「東村山の闇」を書いた著者を元東村山署の副所長が訴えたというのならわかりますが、単に本の内容をサイトで紹介しただけの太田氏を名誉毀損で訴えるというのは八つ当たりみたいなものだろう。

私は「東村山の闇」という本は読んではいませんが、フォーラム21によれば次のような出来事だ。


特集/地方行政と創価・公明―市民愚弄の行状 フォーラム21

《 そして、この朝木明代議員こそ、次に東村山を全国的に有名にした人物である。断トツの連続トップ当選した現職市議が、1995年9月1日に西武線東村山駅前のビル上層階から何者かによって落とされて殺害されたのだ。しかも、高知で予定された「創価問題シンポジウム」に出かける前日夜の事件だった。現在のところ事件の真相究明は、数年を要してようやく公表された司法解剖鑑定書によって、朝木明代議員が何者かによって殺害されたことが判明したに留まっている。
 依然として、この殺害事件とは無関係を強調する創価学会が、未だになぜか「東村山デマ事件」と呼び、勝手に遺族や私を攻撃していることは指摘しておく必要があろう。この事件の経過等はここでの主題からそれるので、私と故朝木明代議員の長女直子さんの共著『東村山の闇』(「第三書館」刊)、そして本誌昨年1月15日号に「新事実が明らかになった東村山事件」という特集記事が組まれているので、これらを参照して頂きたい。 》



(私のコメント)
このように創価学会と公明党は地方行政に深く勢力を伸ばしてきている。もちろん警察や地方の司法機関にも勢力が浸透してきて、事件や裁判などに影を落とすようになってきている。だから太田氏の裁判も決して油断は出来ませんが、東村山署の元副所長が裁判沙汰にして嫌がらせしてきたように、警察もかなり創価学会と公明党の勢力に汚染されている印象だ。

東村山警察署の元副所長は創価学会員ではないということですが、すなわち創価学会員でない警察署員に対してもそれだけの影響力を持っている証明になる。だから地方行政や警察や司法機関も創価学会員であるなしに関わらず影響は及んできているのだ。それらの幹部に創価学会の意のままになる人物がいれば人事権などを行使されて言うことをきかざるを得なくなる。

太田述正コラムで書かれているように創価学会は一流大学を出たエリートで固めた官僚組織を独自に築いている。独自の情報組織を持って各行政機関にネットワークを築いているのだ。こうなると創価学会員であるなしに関わらず意のままに活動するメンバーがいてもおかしくは無い。

マスコミにも創価学会のネットワークは出来上がっていて、創価学会がらみの事件が起きてもけっして創価学会の名前は出来てこない。それは毎日テレビを見ていれば分かる通りなのですが、宅間守や姉歯秀次など熱心な創価学会員であっても創価の名前がニュースやワイドショーで出る事はない。週刊新潮などではよく指摘されているのですがテレビなどでは絶対に出ない。

創価学会のネットワークは外務省にも及んでいて、大鳳会という創価学会の組織が外務省にもありますが、皇太子妃雅子さまも大鳳会と縁が深いらしい。2ちゃんねるからの引用で信憑性は分かりませんが、雅子さまも創価学会のインサイダーなのだろうか? となると皇室も将来は創価学会の影響下に置かれる事になりそうだ。つまり

皇太子殿下ー雅子さまー大鳳会ー創価学会ー池田大作

というネットワークが出来上がっている。


(雅子・公務サボリの実態 その2)  2ちゃんねる

05.01.18 外務省時代の元同僚3人(全員男、しかも3人全員が※大鳳会メンバー!) らと
     全日空ホテルにて夜遅くまでディナー。

     その翌日(19日)、ザンビア国大統領との午餐会の公務を欠席。
      ※大鳳会=外務省内の層化学会信者組織の名称
05.12.23 天皇誕生日の御夕餐を2時間47分中座。その間陛下たちはおあずけ&待ちぼうけをくらう。
      (戻ってきた雅子は謝るでもなく「どうも」の一言だけで着席)      

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 05:45:14 ID:smGGWQOx0
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
福田元総理-(元秘書)小泉
       |        (↑兄弟子)
       |_(元秘書)小和田恒---雅子(東宮妃)---敬宮愛子内親王
                  |     /   |
               外務省・国連---大鳳会(創価)---風岡宮内庁次長(公明党)

※大鳳会・・・外務省内創価学会員のグループ名。
静養中にも関わらず、雅子妃が深夜ホテルで学会員の外務省男3人と会食してたことが週刊文春にすっぱ抜かれた
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邪宗・創○学会を批判していた人気ブログ『博士の独り言』が
ネット上から忽然と消えたことは言いしれぬ怖れを抱かせる


2006年9月29日 金曜日

なぜ、突然『博士の独り言』は消えたのか? 9月27日 極右評論

昨夜ブログ・ランキングの2位につけていた『博士の独り言』というブログが突然ランキングから消えたことについて、多くの方から「なぜ?」という疑問と何らかのトラブルに巻き込まれた可能性を心配するコメントが相次ぎました。

 当方としましては調査を始めた訳でもなく、現時点で何らかの確証を得ているわけでもないので、あくまでも推測の範囲でしか書く事はできません。

 しかしながら、この突然の出来事はその不可解さといい、どうしても皆さんには「不気味」に思えてくるのではないでしょうか。そのような観点から、これを今日は考察してみることにしたいと思います。

 私も常に気がかりに思っていることが一つあります。それは私がブログを開設したライブドア。そして人気ブログ・ランキングへの登録に関しても無料です。

 この無料というのは利用者からすれば最大の利点と思いますが、しかし、ライブドアにしても人気ブログ・ランキングにしても責任は一切ないということになります。

 確かに、これまでもライブドアや人気ブログ・ランキングにおいては、不具合が生じて皆様が閲覧出来ない事態が起きたことがあります。しかし、それは『極右評論』だけではなく、そこに開設もしくは登録したブログ全体の問題であり、その後、修復されて通常に戻りました。

 もし、仮に自分のブログだけが個別的に消えたとしても、それを確かめる術はないし、残念ながらその責任を追及することも出来ません。言ってみれば非常に不安定な状態の中でブログを書き続けているというわけです。

 この点に関しましては、ブログを有料でも良いので管理責任がしっかりしている所に移転する考えもありますが、ライブドアの政治ランキングで1位になっており、そこからのアクセスも多いので決断しかねているのが現状です。

 さて今回、突然『博士の独り言』さんのブログが突然ランキングから消えた件ですが、ブロガーの意思に反して外部からの操作によって消された模様です。これは下記の『博士の独り言 連絡帳』で彼、博士の独り言さんご自身が書かれているようです。

http://www.ad-office.ne.jp/private-bbs/open.cgi?plank

みなさま

 大変なご迷惑とご心配をおかけしました。現在、退避先からコメントを書かせていただいています。

 昨日(9月27日)、「安倍政権一考」という記事をアップさせていただいた後に発生しました。第三者による強制的なリモート侵入による削除、または非表示にする行為であると認識しています。関係ブログにご迷惑が及ぶことを怖れ、リンクを非表示にし、午後5時前に、一旦ログアウトして退避いたしました。その後、状況を目撃した有志の話によれば、どんどん記事が消去(または非表示)となった様子を伺いました。大変に残念です。

 現在、ブログの方にはログインできない状態ですが、この状態が続くとすれば、削除された可能性が考えられますので、その場合は、今度は、外部から侵害を受けないために、独自のドメインとサーバーを準備しての再スタートを考えたく思います。(つづく)

(つづき)私は、これまでに二度、「削除」(立ち上げ時点の数時間で削除されました)を体験しています。特定の賊にとって、「痛いところを突かれた」本質的な言資があれば、集団で襲来することがあらためて判りました。明らかな非道行為であり、8月からその予兆がありました。

 しかし、このスタンスは断じて変わりません。拙き内容ながら、171日間続けて365編の記事を披露させていただけましたことは、ひとえに有志皆様の絶大なるご支援に後押しいただいてのことと感謝しております。あるいは、ここで一旦、休止となるやもしれませんが、早期に強力なブログを構築してまいりたく考えます。その経過とお知らせはこのBBSか、弟に預けているブログを通じ、折々、報告させていただきます。後便にて 


 時間は28日だから今朝の6時半頃に書いたものです。私はネットの仕組みには詳しくないので分かりませんが、外部から何者かが侵入し書き換えたり削除したという事なのでしょう。

 そのような事件はたまに新聞で見ますし、犯人が逮捕されて新聞に掲載されることもあるので、多分そのような手段によって引き起こされた事件なのでしょう。

事件の背後に一体何が隠されているのか?

 私の個人メールに今月21日、『博士の独り言』さんのブログを毎日読んでいるという方からのメールがありました。そこにはここでお伝えして良いものか、或いは伏せておくべきか、迷うような内容の箇所もありました。

 了解は頂いていませんが、そこにあった気になる箇所だけを取り上げてみることにします。

@自宅に複数以上の人達が訪れてきたので警察に連絡した。

A脅迫電話が相次ぎ、身の危険を感じたので引越しを考えている。

 ここで私が疑問に思ったのは、なぜ自宅や電話番号を相手が知っているのだろう―ということでした。私の場合は住所、氏名、電話も表示していますが(リンク先のHPに)、そこまでは表示されていなかったのでそう思いました。

 確かに写真は掲載してありますが、果してそれだけでそこまで相手が特定出来るものなのかと。しかし、この点についてはすぐに読んでいる内に理解出来ました。

 最初はこの『博士の独り言』さんは、どうも実名を公表してブログを書かれていたようなのです。私は最初の頃を見ていませんので知りませんでした。後に匿名に直したというように書かれてありました。

 実名を公表し更に写真も本人であれば、相手方が御本人を特定することは容易でしょうし、そのような嫌がらせを受けたとしても、それは十分に考えられることです。

では、その相手方とは何者なのか?

 これは全く想像でしかありませんが、一番考えられるのは創価学会の関係者でしょう。なぜ、私がそのように推測したかといえば、これまでの『博士の独り言』を読ませて頂いてきた上での結論です。

 彼は(これ以後『博士の独り言』のブロガーをこのように呼ばせて頂きます)先ず、これまでのブログの中で重大なことを明かしていました。

@自分が池田大作創価学会名誉会長と面識があった事実。

A創価学会を批判追及してきた元学会員のジャーナリストとも面識があったこと。

 このことから想像するに彼は創価学会の元信者か、もしくはその周辺におられた方であると考えられます。これは別に彼の正体を探る意味で申し上げているわけではありません。

 彼をそこまで追い詰めた闇の正体が、紛れもなく創価学会の工作員であることを指しています。彼自身もそのことは百も承知なのではないでしょうか。

 創価学会はこれまで電話の盗聴や個人情報を盗み出すこと、或いは暴力団に依頼して相手を恫喝するなどの反社会的な行動を平然と繰り返して来ました。

 現在、創価学会では池田大作が無理やり長男を会長にして世襲を図ろうと必死であり、それを阻止しようとする反池田勢力も徐々にではありますが広がりを見せています。

 今後どのような知られざる情報がもたらされるか分かりません。創価学会においては、我々が知り得ない熾烈な権力闘争が始まったのかも知れません。

 そのような内部情報を握る彼に対して、先制攻撃が創価学会の闇の工作部隊によって引き起こされた可能性を否定することは出来ません。むしろ、そう考えることに何らの矛盾がないということでしょう。

 さて、この『博士の独り言』さんの近況を21日にメールで報告してくれた方は、当方にもそのような妨害や脅迫がないかを心配されておりました。

 そのことにつきましては以下のように返信しましたが、それをここで掲載させて頂きます。それは皆様共通の心配事でもあると思うからです。

一読者さま

はじめまして。こんにちは。いつも極右評論への応援を有り難うございます。

『博士の独り言』ブログは大変に好評ですね。
さっそく本題に入りますが、当方の極右評論及び関係先に、創価学会からの妨害工作などは未だかつて一度もありません。実は、そのような妨害工作を待ち構えているところでもありますが、一度もありません。
警察内部にも学会員はいると思われますが、それゆえに相談にもまともに応じてもらえなかったとは考え難いと思います。往々にして警察は特にネット上の相談事に対しては疎いものですから。
ライブドアからも削除されたことはありません。
参考にはならないと思いますが、私の場合、堂々と「極右である」と正体を明かしていることに対して、学者というステイタスを持たれている「博士の独り言」様は狙われやすいのではないでしょうか?結局、極右と違って、狙う側からしてみれば「貶め甲斐」があると思えますから。狙い易い、攻め易いところから攻めるのは常套手段なのでしょうね。

長い活動歴、ネット歴を通じても学会からの妨害工作はありません。

篤きご声援を有り難うございました。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
お気軽に情報、経過等をお知らせ頂けましたら幸甚の至りです。

極右評論・瀬戸弘幸

 私はあくまでも外部の者であり、それ故に創価学会側は今後も無視し続けるものと思います。以前脱会者に聞いた話ですが、創価学会は脱会者に対しては「仏罰を下す」と、それこそキチガイのように攻撃を加えるようですから。


何が、創価学会の本質的部分だったのか? 9月28日 極右評論

 邪宗・創価学会を批判していた人気ブログ『博士の独り言』がネット上から忽然と消えたことは、同じく創価学会批判をしてきた私も含めてブロガーと呼ばれる人達に言いしれぬ怖れを抱かせるものである。

 消えた真相については、これが本当に創価学会の闇の工作部隊による仕業であるのかは確たる証拠があるわけではない。しかしながら状況から考えて、それは限りなく彼ら創価学会の仕業である可能性が高い。

 『博士の独り言』のブロガー氏が8月頃から、身の危険を感じていたと自らがあちこちのブログや掲示板に書き込んでいた。今回本人が書き残したと思われる次の一文は驚くべき内容だった。

■博士(59) 投稿日:2006年9月28日<木>06時34分
 (つづき)私は、これまでに二度、「削除」(立ち上げ時点の数時間で削除されました)を体験しています。特定の賊にとって、「痛いところを突かれた」本質的な言資があれば、集団で襲来することがあらためて判りました。明らかな非道行為であり、8月からその予兆がありました。


 私のように組織の一員として活動しているならいざ知らず、もし全くの個人であったなら身体が凍りつくほどの恐怖感を覚えられたのではないか。

 ここで博士が書いたこの「痛いところを突かれた」本質的なものとは何であったのか。ブログが現在見れない状態なのでそれを今特定することは難しいが・・・・・・・・

 名無しの経営者さんがコメント欄でそれを指摘してくれた。

 昨日の「博士の独り言」ブログは創価学会を批判する内容であった。

学会信者を意味する三色が街角でよく見られるようになった。
テレビで活躍するお笑い芸人にも三色旗をつけている人が増えている。

もともと赤黄青の三色は煩悩を表し、
煩悩からの解脱を願う個人への戒めの意味を持つ。
従って日本では古来より三色は鬼として表現されてきた。

それを信者のしるしとするなどまさに煩悩まみれの学会らしい。

このような内容を書いた後「自宅に複数以上の人達が訪れてきた」
「脅迫電話が相次いでいる」ブログが突然ランキングから消えた。
これでは誰でも「身の危険を感じ」「警察に連絡し」「引越しを考え」る。

 この三色旗については、確かに一般の人は余り知ってはいなかった。そしてその三色旗を使用した看板として「マ○モトキヨシ」の薬剤チェーン店や「ブッ○オフ」の看板が写真で掲載されていた。

 ということは、この薬の安売り店や中古本の安売り店が創価学会の会員なのであろうか。仮にそうだとしても、それがそれだけのリスクを冒してまで封殺するほどの「本質的なネタ」だったのだろうか?

 それも否定できない、シンボルカラーを一斉に街の目立つところに出す事が、彼らの何らかの戦略であったのかも知れない。また、公明党のポスターが赤黄青の三色で配色されていた写真もあった。

 これなどは創価学会と公明党の政教一致を示すものであるから、都合が悪いと言えば、そうかも知れない。しかし、これとても世間では公明党と創価学会が一体であることは誰でも知っている。

 実は私は昨日『博士の独り言』を読んだ時に最後に書かれてあった文章に注目した。一字一句まで覚えてはいません。しかし、その文章というか、言葉が気にかかった。

 それは創価学会が宗教法人として税金が免除されている事実を問題にしていかなければならないーそのような記事であったと思います。短い文章であったが、それは今後追及するための予告であったのかも知れません。

 ご存知のように創価学会は信者から毎月毎月、莫大なお布施を集めています。この額の他に特別財務と称して1500億円とも2000億円とも云われる巨額な金が吸い上げられています。

 このような学会の資金の調達とその使い道は闇の中にあります。もしも、これらの件についての内部告発を考えていたとするなら、創価学会の闇の工作部隊が先回りしてつぶしにかかったとしても不思議ではありません。

 最後に紹介したいコメントがあります。これは博士の掲示板に書き込まれてあった、この『博士の独り言』のブログが実際に消えて行く瞬間を目にした人のコメントです。

 私は同じくブログを書き続ける者として、強い憤りを感じました。とても今回の事件を他人事には思えない。

博士殿、ご無事でよかったです!

昨日博士の過去のエントリを閲覧させていただいていた時に、突然
記事が閲覧できなくなり、気づくと記事のエントリ数がすべての
カテゴリーで0になっていました。
その後しばらくはブログのフレームのみ表示されていたのですが、
おかしいと思い見続けていると次に博士の写真が消滅し、間もなく
ブログ自体が消え、続いてブログランキングからも消えました。

まさにサイバーテロの犯行をリアルタイムで目撃してしまった
わけです。

ひどいことをするものですが、これで博士の指摘が正しいことが
証明されました。
まさにやつらは危険なカルト集団です。
こんなことになるのでしたら、ブログの記事を保存しておくべき
でした…

ぜひとも博士の早期復活を期待しますが、今後このようなことに
ならないよう、読者たちで協力してミラーサイトを立ち上げると
いうのはどうでしょうか?
大量のサイトが立ち上がれば消されにくくもなるし、博士の主張を
広めることで博士自身の身の安全も図れると思うのですが…

事実を広め、反日勢力を排除し、ぜひとも日本がよい国へ、国民が
誇れるすばらしい国になっていってほしいものです。


名前が分からないようにボカしておけば良かったかも?
「博士の独り言」のブログより


(私のコメント)
言論活動で過激さでは株式日記は誰にも負けない自信がありますが、おかげさまでプロバイダーからサイトを抹消された事もあるし、著作権やら何やらで妨害活動をされた事もあります。だからいつ消されてもいいように本サイト以外にも裏サイトやミラーサイトやブログ版などのサイトを多重投稿しています。

だから一つや二つのサイトを抹消されても大丈夫なように対策は打っているのですが、やはりインターネットにもじわじわと言論統制の網はかけられてきているのだろうか? 規制の法律などでも解釈を厳格化するなどをして取り締まってくるのだろうか? 一番恐いのはプロバイダー自身の自主規制でサイトが消される事ですが、最終的には海外のプロバイダーに引っ越す事しかないだろう。

しかし株式日記では言論対象は公人に限っているし、私人に対しての誹謗中傷は行なっていない。著作権に対してはコメントに必要だから引用していますが、有料サイトなどの金銭的被害をもたらす引用は行なっていない。もちろん著者やプロバイダーから注意されて該当箇所を消せと言われれば消すなどして対応していますが、言論弾圧と思える圧力に対しては徹底抗戦しなければならない。

言論弾圧の根拠として使われるのは個人の名誉毀損や著作権の侵害の拡大解釈によるものでしょうが、「博士の独り言」のブログが消されたのも、創価学会のシンボルカラーを使った店舗の写真が掲載されていたからではないかと思う。マ○モトキヨシやブッ○オフなどとは分からぬようにボカシやトリミングで特定できないようにしておけば問題は無かったと思う。

しかしそうだとするならば、なぜ創価学会員である事を隠そうとするのだろうか? 三色を使ったのはたまたまの偶然であり、創価学会員でなかったり、そのような意図は無かったかもしれない。だから記事を書いたりするうえでは名誉毀損やプライバシーの尊重は心得ておくべきだろう。

しかし最近ではプライバシーや個人情報の保護が行過ぎて、犯罪を犯した個人の名前すら公表されない事がある。またどこまでが公人でどこまでが私人であるか曖昧な部分もあり、国家や企業や団体などの権力は曖昧さをついて潰しに来る事もあるかもしれない。

もしブログなどに書かれた事が事実に反するのならブログの著者や管理人などに抗議して訂正させればいい。肝心なのはそのような透明性を確保する事であり、「博士の独り言」のようにいきなりプロバイダーに手を回してブログを丸ごと抹消するのは行き過ぎている。あるいはプロバイダーの自主規制によるものかもしれない。

プロバイダーの自己規制によるものだったらプロバイダーに抗議して、なぜブログを抹消したのか理由を聞いてみるべきだ。その前にプロバイダーから警告のメールが来るはずですが、私の場合はほとんど同時に消されてしまった。電話で抗議して理由を聞いてみたらテレビのキャプチャー画像がいけなかったという話だった。しかしその程度だったらあらかじめ警告ぐらいでいいのではないかと文句を言った。

問題になった博士の独り言のブログはグーグルで検索すればまだ見ることが出来ますが、創価学会と三色のシンボルカラーの関連は興味深い問題だ。赤青黄色の三原色は目立つから看板などによく使われているから単なる偶然と言うケースもあるだろう。信号機も三色カラーだから国土交通省と創価学会と関係があるのだろうか?(笑)

しかし創価学会員から見れば三色カラーが使われた店は創価学会員にとっては特別意味のある店なのかもしれない。このような暗黙のメッセージが世の中に溢れて知らず知らずのうちに洗脳されて行くのかもしれない。以前にも書きましたがTBSには在日枠や特定宗教の採用枠があるらしい。そのような放送局がサブリミナル放送をして洗脳したらどうなるのか?

あるいはもっと露骨に、有名芸能人を使ってテレビで布教するといった手段もありますが、芸能界は創価学会員で一杯だ。イケメンのタレントやかわいいアイドルなどを使えば若い人などに強力な布教手段になるだろう。芸能界のみならず司法機関や行政機関などに多くの創価学会員がいて、創価がらみの事件やスキャンダルに対して特別な圧力が働いていないのだろうか?

(株式日記も創○学会の圧力で消されるかもしれませんが、もしそうなったら海外のプロバイダーを使ってゲリラ的な活動でやって行きたいと思っています。気のせいか知りませんが創○学会を批判したブログが少なくなってきたような気がします。日本人は気が小さいから仕方がないのかもしれません。)




日本もアメリカも中国も貧富の格差が拡大しているが、
弱肉強食の原始的資本主義は社会不安をもたらす。


2006年9月28日 木曜日

中国の改革の方向に関する論争 深セン市徐景安投資顧問公司董事長 徐景安

一、「社会主義なのか、資本主義なのか」は避けてはならない問題

近代の人類の運命を決定づけたのは二大思想運動である。一つは資本主義であり、もう一つは社会主義である。

資本主義はルネッサンス期から計算すると、600年以上の歴史を持っている。人類の歴史と今日の世界に莫大な影響をもたらした資本主義に対して、単純に否定的な態度を取るのは非科学的であるに違いない。我々は資本主義を改めて考える必要がある。すなわち、資本主義が存在する理由は何か、どのような面がそこから学ぶことができ、参考とするに値するか。一方で資本主義の弊害はどこにあるか、それは我々にどのような教訓を与えてくれたか、などの問題である。

社会主義はマルクスとエンゲルス氏の「共産党宣言」の発表時から計算すると、200年近くの歴史を持っている。社会主義は人類の理想社会への追求として、歴史に大きな影響を与えた。しかしながら、旧ソ連と東ヨーロッパの崩壊後、国際的な社会主義運動は下火になり、資本主義に対抗する社会主義陣営はもはや存在せず、残った社会主義国家も相次いで資本主義を受け入れるようになった。したがって、我々は、社会主義をどのように見るべきか。社会主義とは何か、社会主義を堅持する必要があるのかどうかという問題に答えを見つけなければならない。

かつてケ小平は、改革の着手と推進がスムーズに行われるよう、「理論上の論争はしない」、「石を探りながら川を渡る」(イデオロギーにとらわれずにまずは実践でやってみる)という改革策を取ることで、理論的な紛争を免れ、反対派を黙らせた。だが、今日に至って、理論認識上の相違がますます大きくなっている。資本主義と社会主義について、人々は公の場所では口に出さないが、心の中で様々な見解を持っているのである。

例えば、「中国で社会主義はすでに失敗してしまい、資本主義こそ中国を救うことができ、中国は資本主義の道を歩むべきだ」と考える人がいる。中国共産党内外の相当数の人たち、特に大半の若者がそう考えている。マルクス主義は嘲笑され、社会主義は否定され、共産党の合法性は疑われてしまう。問題なのは、改革が成功するほど、経済が発展するほど、そうした思想の傾向がますます大きくなることだ。

一方で、「社会主義は資本主義を滅ぼすべきであり、社会主義の中国は資本主義を絶対受け入れられず、市場志向の改革は間違いである」と考える人もいる。彼らは、このままでは、共産党が失脚し、社会主義が変質すると心配している。そのため、奮い立って上層部に提言を送り、「マルクス主義を守れ」、「社会主義を守れ」と主張し、改革を激しく批判し、非難する。

貧富の差が大きくなり、富裕層と貧困層の両極分化が起きている。腐敗が深刻化する一方で、医療費や学費が負担できず、家を買えない人々がいる。農地収用で農民は土地を失い、国有企業ではレイオフの問題が起きている。こうした問題が対立をより増幅させ、改革への不満となって現れている。だからこそ、劉国光氏らによる改革へ疑問を投げかける論争に対する反響は大きく、多くの人に支持され、賞賛されたのである。

党中央は政治的決断により、この論争を暫く沈静化させた。しかし、理論的認識の食い違いが解消されない限り、目の前の改革の難局を突破することはもとより、認識の相違が障壁となって利益調整も難しくなる。さらに、中国の改革の行方が迷走すれば、利益調整は暗礁に乗り上げ、また抵抗に遭うだろう。

いま、改革派には2つの任務がある。第一に、改革を実際に推進し、差し迫った問題を解決すること、第二に、大切な理論問題の研究を進め、中国の改革の政治的将来の問題に答えることである。一方に偏ったり、一方だけを行ってはならない。

三、中国はどのような歴史的段階にあるのか

中国の改革は、中国の国情と切り離して考えることはできない。特に我々がどのような歴史的段階にあるかを解明することで、初めてどのようなベンチマークで評価していいかが分かる。冷静かつ理性的に考えれば、今日の中国は資本主義の標準にも達してないし、社会主義の標準にも達していない。受け入れられやすいような言葉に言い換えれば、「初級段階」にある。社会主義の初級段階でもあるし、資本主義の初級段階でもある。

中国共産党が政権を奪い取る前、中国は半植民地o半封建社会だった。マルクスは「ゴータ綱領批判」で、「資本主義社会と共産主義社会の間に、前者から後者に変わる革命的移行期がある」と述べている。ところが、中国は、資本主義も経験していないのに、社会主義へ移行しようとした。明らかに歴史的なステップを飛び越えるような過ちを犯したのである。資本主義の功績は経済分野にある。生産力を極めて大きく向上させ、物質的財産を作り出すことができるが、必ず両極分化、貧富の格差の拡大、社会的不公平を招いてしまう。一方、社会主義は資本主義に基づき、公平的な分配を行い、社会各方面の利益を配慮する。簡単に言えば、資本主義は効率問題を解決し、社会主義は公平問題を解決する。しかし、公平さとは効率を前提にしなければならないし、効率に基づかなければならない。したがって、マルクスの社会主義、共産主義は進んだ資本主義社会の基盤の上にたったものであった。だが、我が国はソ連モデルをそのまま模倣し、社会主義への移行を急ぎ、効率問題を解決しないまま公平さを強調した。これでは均等な貧困に過ぎない

我々は国民経済が崩壊寸前になった歴史的事実を教訓として、資本主義から学ばざるを得なくなった。そこで、計画経済を捨て、国が何とかしてくれるという体質を改め、改革開放を行い、資本主義を導入した。今日、我が国の経済目標、経済制度、経済政策、経済理論はいずれも西側資本主義国を手本にし、参考にしたものである。現在、我々が実施しているのは初期の資本主義である。農村出身の出稼ぎ労働者に対し、過酷な経済的搾取を行っている。賃金は低く、残業も多く、10何人が1部屋に詰め込まれて住んでいる。社会主義者が怒るのも無理はない。これのどこが社会主義だというのだ? しかし、農村出身の出稼ぎ労働者は、その暮らしを「俺たちの田舎よりはマシだ」といい、なんと搾取されるのを喜んでいる。「労働者階級の覚悟」が欠けるのは彼らだけではない、中国全体がそうである。世界の工場になることを喜び、資本主義の搾取を歓迎する。大半の儲けは他人に取られ、中国は加工代金しかもらっていないのはよく分かっているが、仕事がないよりマシなので、初期の資本主義のもたらす屈辱と苦痛を我慢するしかない。

改革開放と資本主義の導入は目覚しい成果を挙げた。中国経済は急成長し、経済規模は世界6位に躍り出た。国民の生活レベルは急速に向上し、衣食住、交通インフラ等の条件が全面的に改善された。それは社会主義が資本主義を参考にした成果である。だが、改革に対する評価は大きく分かれた。

保守派は改革前の社会主義、つまりスターリン式の社会主義をベンチマークとしながら、改革が社会主義に背き、資本主義へ偏ったと批判する。筆者の答えは次の通りである。第一に、そもそも我々はマルクスが言う社会主義を発展させるだけの資格を備えていなかった。第二に、スターリン式の社会主義でさえマルクスが言う社会主義ではない。第三に、改革は確かにスターリン式社会主義に背いた。第四に、改革は確かに資本主義を導入した。第五に、我々は社会主義が資本主義の経験を取り入れる新しいモデルを作り出している。第六に、中国は歴史的な経緯により、社会主義の新たな創造という道を歩まなければならないと決定付けられている、ということだ。

一方、利益的基準により、改革を批判する人はさらに多い。両極分化や権力者による不正蓄財、弱者団体への利益侵害、基本的な公共サービス機能の欠如などが批判の根拠となっている。その結果、伝統的な社会主義を懐かしむ人が多くなり、彼らは先にあげた保守派と同盟を組むに至った。これに対する筆者の答えは次の通りである。第一に、問題は確かに存在しているので、批判にも一理ある。第二に、問題が発生する原因については分析する必要があり、単純に原因を改革に求めるべきではない。第三に、改革は効率問題の解決に力を入れているが、公平問題への配慮が足りない。第四に、資本主義の初期段階において、必ず両極分化の現象が起きる。第五に、計画経済から市場経済への移行過程では、資源を支配する者は必ず暴利をむさぼる。第六に、改革は革命とは違い、従来の体制の既得利益者の権利を剥奪することは不可能で、買い上げるしかない。これは改革のために必要なコストである。第七に、旧体制から遺留された問題が解決されない限り、改革は望ましい状態にならず、徹底的なものにもならない。第八に、政府管理の理念は変わっていないし、政府管理の機能も変わっていない。第九に、原因はともあれ、上述の問題の解決策を研究すべき時期が来ている。

資本主義の理念で判断すれば、中国の市場化の程度はまだ低く、競争が十分とは言えない。行政的障壁と経済的独占はいまだ深刻であり、効率の向上は依然として解決を急ぐべき問題である。したがって、経済的分野で市場化改革を推し進めなければならない。

社会主義の理念から判断すれば、中国の公平問題はなおさら深刻である。古い平均主義のシステムが壊され、新しい社会主義の公平システムはまだ形成されていない。弱者層への教育、医療、養老といった基本的な生活保障が欠けている。したがって、社会的分野で公共サービスと社会保障体制の確立を急がなければならない。

五、新しい理念、新しい目標、新しい道

今は、いったい何が資本主義で、何が社会主義なのか。

資本主義と社会主義の本来の区別は消えつつある。所有制においては、資本主義にせよ、社会主義にせよ、全体的な傾向として、いずれも国有と私有の割合が減り、株式制、合作制が大幅に増えることが挙げられる。経済政策では、資本主義にせよ、社会主義にせよ、いずれも国が関与を行っているが、全体的な傾向として、国家の役割はマクロ政策にシフトする形で調整が進んでいる。資本の社会化と適切なマクロoコントロールは社会化された生産のための客観的な要請である。資本主義と社会主義との融合という傾向は、まさにその要請のに応えるものである。

では、資本主義と社会主義の区別はどこにあるか。

資本主義は経済を重視し、効率を重んじ、富を追求し、競争を奨励し、自由を尊ぶ。それに対して、社会主義は社会を重視し、各方面の利益を配慮し、弱者団体の保障を図り、バランスを尊ぶ。

かつて、資本主義は資本側の一方的な利益しか顧みず、利潤のみを追求し、労働者を搾取した結果、貧富格差は拡大した。これを目の当たりにしたマルクスは資本主義を批判し、社会主義を唱えるようになった。マルクスが示した方法は暴力革命によって政権を奪取し、私有財産を無くし、計画経済を実現することである。しかし、振り返ってみると、マルクスの方法は必ずしも正しかったとは言えない。実践により証明されたように、社会民主主義が主張する議会闘争、多数の賛成を取り付け、合法的に政権を奪取することは可能である。また、社会主義であっても簡単に私有財産を無くし、競争をなくすことはできない。

にもかかわらず、マルクスは依然として最も偉大な思想家だと西側世界に広く認められている。なぜだろうか。マルクスの資本主義への深い批判により、世界が新しい理念を受け入れるようになったためである。すなわち、資本側が自らの一方的な利益しか顧みないのでは社会が安定的な発展を遂げることはできない。社会の各方面の参加を実現し、社会の各方面の利益を配慮する必要があるのである。それはつまり社会主義である。マルクスの偉大さは、資本主義に社会主義を取り入れたことにあり、ケ小平の偉大さは、社会主義に資本主義を取り入れたことにある。

資本主義と社会主義の融合の過程において、資本主義は社会主義を拒否せず、逆に社会主義を用いて資本主義を改善した。もちろん我々も資本主義を用いて社会主義を発展させることができる。「和平演変」(注4)で自らを脅かす必要はまったくないではないか。

今日の中国では、経済的分野において資本主義に学ぶことによって、効率の問題を解決すると同時に、社会的分野では社会主義を堅持し、社会の不公平さを解決すべきである。

現在、清算を急ぐべきなのは、スターリン式の社会主義理念である。「社会主義は公有制を主体とすべきだ」、「国が経済の最も重要な部門をコントロールすべきだ」、「国有企業を売却してはいけない」、「政府による審査許可の手続きを減らすべきでない」、「政府によるコントロールは減らすべきでない」など、いろいろな意見があるが、実はこれらは社会主義ではないばかりか、社会主義の旗印を掲げながら、権力の独占を維持しようとするものである。それは当面の改革における最大の障害であり、市場化改革と効率の向上を妨げるだけでなく、政府機能の転換も妨害し、不公平を生むことにもつながっている。スターリン式社会主義、偽りの社会主義による思想的影響を取り除くことは、並大抵でない任務である。

市場化改革の利益主体は資本であり、権力独占の利益主体は政府であり、社会の各方面の利益主体は組織化されていない大衆である。この三者の力関係において、一番弱いのは大衆である。中国では各方面の利益を代表する団体組織が足りないため、利益を損なわれてもそれぞれが孤立無援の状態にある。政府が民衆の味方という旗印を掲げて資本を制限するのは、実際は手元にある権力を維持するためであり、経済発展の旗印を掲げて資本を支持し、大衆の利益を損なうのは、実際は彼らの業績を上げるためである。政府が社会大衆の利益を代表するには、制度化された保障が欠けている。いま、トップダウン式の圧力で政府の体制改革と機能転換が望まれているが、それと同時に、総合的な協調機関も必要である。さもなければ部門的な利益独占を突き破ることが難しいからだ。

中国では、効率、公平の問題以外に、持続可能性の問題も解決されなければならない。

資本主義の中核的な理念は「物質本位」で、物質的利益の最大化を価値的目標および基準とする。これは、経済の発展、財産の増加が促され、人間と自然、人間と人間、人間と自己という三つの重要な関係の悪化を招いてしまい、人類社会の持続性を保てなくしてしまう。

我が国は資本主義を学ぶ必要があるが、すでに成熟し進んだ資本主義や、西洋式の現代化などは我々の目標ではない。我が国は人口が多く、資源が少なく、アメリカ人のような生活を送るには、6個分の地球が必要となる。中国は西欧とは異なる近代化の道を歩むべきである。

我が国は社会主義を堅持すべきであるが、スターリン式社会主義とははっきり区別させる必要があるうえ、マルクスの社会主義をそのまま適用してもならない。マルクス主義を充実させ、発展させ、創造するよう、社会主義の新しいモデルを作り出さなければならないのである。

そのためには、新しい理念を打ち立て、新しい目標を目指し、新しい路を切り開いて行かなければならない。それはつまり中国共産党が打ち出した「人間本位」、「全面的な小康(いくらかゆとりのある生活水準)」、「調和のとれた社会」である。

「人間本位」とは、人間の権利を中核に、人間の需要を趣旨に、人間の発展を中心に、人間の持続を原則にすることである。
「全面的な小康」とは、経済が豊かで、エネルギーの消耗が少なく、環境が清潔で、社会の調和が取れ、精神的に愉快であることをさす。
「調和のとれた社会」とは、人間と自然の調和、人間と人間の調和、人間と自己の調和、物質と精神の調和のことである。

効率と公平さをどのようにして融合させるべきだろうか。効率を重んじれば、不公平になってしまい、公平を重んじれば、非効率になってしまう。我々は新しい理念で効率と公平を統合する必要がある。それはつまり「人間本位」、「調和のとれた社会」である。

中国は資本主義の初級段階と社会主義の初級段階にあり、歴史的段階を盲目的に飛び越えて進もうとしてはならない。また中国は西側資本主義のかつて歩んだ道や、ソ連の社会主義がかつて歩んだ道も歩んではならない。持続的発展が可能な新しい道を歩まなければならないのだ。これは実現可能な歴史的跳躍である。



(私のコメント)
株式日記では小泉・竹中内閣の経済政策に対しては一貫して反対してきましたが、とくに金持ち優遇の税制改革は貧富の格差を拡大させて、消費の減少をもたらしてデフレ経済をひどくしてしまった。マスコミは景気は回復したと大宣伝していますが企業業績が回復したのであって、消費が拡大したのではない。

昨日も書いたように企業業績が回復したのはリストラによるものであり、会社従業員は正規雇用からパート・アルバイトに置き換えられ、昨日のグラフに示したように平均賃金はマイナスに陥ってしまった。これでは消費は伸びるわけが無く景気は回復するはずが無い。

ところが税制は法人税が42%から30%に引き下げられ、最高所得税率が70%から37%に引き下げられて、高額所得者は税金が減ってウハウハだ。高額所得者はそんなに消費はせず、貯まった預金は海外のタックスヘイブンへ預金してしまうから日本は金詰り社会になってしまった。

法人税や高額所得者の税率が減った結果、税収が落ち込んでその穴埋めを政府は消費税の引き上げで埋めようとしている。日本の消費税は食料などの生活必需品にもかかるから貧困層には過酷な税制となっている。ところがテレビなどのマスコミは消費税の引き上げは少子高齢化でやむをえないと大キャンペーンを張っている。

谷垣前財務大臣は人のいい日本の政治家の代表のようなもので、中国に行けばハニートラップに引っかかって中国の言いなりになり、財務大臣になれば官僚の言いなりになって消費税の引き上げを言っていた。しかし消費税は21日にも書いたように売上げに対して課税されるから、薄利で商売をしている業者は赤字になってしまう。だから消費税の滞納が激増して5000億円にもなっている。

明らかに日本の税制は間違っているのですが、マスコミではこの点を誰も指摘していない。だから株式日記では法人税や所得税の最高税率を元に戻せと主張しているのですが、政治家達は財務官僚に言いくるめられてしまっている。経済学者やエコノミストでこの問題を認識している人は僅かだ。

小泉内閣では民間の競争力を高めるために規制緩和政策を打ち出しましたが、それは外資や大企業にとっては有利な政策でも、地方や中小企業にとっては不利な政策であり、地方の経済的疲弊はひどい状態になっている。地方の国会議員はそれをみんな認識しているが、どうしたらいいのかが分からないようだ。問題の原因が規制緩和にあることを分かっていないのだ。

このように弱肉強食の資本主義は所得の格差を拡大させて、中央と地方との格差を拡大させている。このように資本主義的なやり方を強化すれば企業の競争力は高まりますが、貧困層が拡大して社会不安が増大する。民主主義が機能していれば社会主義的な政党が政権をとって政策の見直しが行なわれるのですが、中国のような一党独裁国家では民主主義が機能していない。

日本も自民党政権が50年以上も続いていますが、自民党は右から左までの幅広い政党だから政権交代せずにやってこれた。安倍内閣が格差社会の是正や再チャレンジできる社会といっているのも、小泉規制改革の歪を是正するためなのですが、消費税の問題をどうするつもりなのだろうか? 税制の行き過ぎたフラットタックスも格差を拡大するものだから是正すべきだろう。

中国の特色としては社会主義体制に資本主義経済を取り入れた事ですが、そのこと事態は成功しても、民主主義社会でなければ政策の変更は、文化大革命のような革命的な手段でないと出来ない事がある。資本主義的な政策が行き過ぎれば一部の特権的な富裕層と大部分の貧困層に分かれてしまう。やがては毛沢東のような人物がまた出てきて革命騒ぎを起こすだろう。

日本も中国も経済競争力を付けるために資本主義的なやり方を強化してきましたが、それを修正するやり方は日本と中国とでは大きく違ったものになるだろう。中国のような大きな国では改革開放政策も大きな成果が上がっているところと、まだ貧困にあえいでいる多くのところがある。しかし先進地域はその修正が求められているのに、後進地域では改革解放を続けなければならない。中央では億万長者が出ているのに、地方では貧しさで農地を手放す貧農が増えている。やがては流浪民となって暴動を引き起こす。

徐景安氏が指摘しているように中国では資本主義も社会主義も発達が遅れて初期的な段階に留まっている。このような状態では効率と公平さをバランスさせようとしても一党独裁国家では軌道修正が難しい。アメリカのように大国でも政権交代が起きて政策の変更は容易ですが、中国では毛沢東やケ小平のような革命家が必要になる。それに対して日本では内閣が代わっただけでも政策の変更は容易だ。だから政権政党の交代すら起きにくい。




歴史が小泉総理に求めたことは『政界と経済界のぶち壊し』
歴史が次の総理に求めることは『政界と官界と経済界の再生』


2006年9月27日 水曜日

安倍政権に歴史が求めるものは【森田レポート】 9月26日

日本の重要人物像を考えてみますと、共通ワードは『何を考えているか言わない』『釈明をしない』『本心は国民に理解を求めない』など、分かりにくいという言葉になると思います。

これは当然のことで、何かについて自分が考えている事を話すということは『自分以外の人に情報を提供する』ということですから、マイナスはあってもプラスはありません。
もちろん、これは国民に対してという意味ではなく、自民党を初めとする国会議員や経団連、官僚に対してという意味です。

別の言い方をしますと『無理をしない』『余裕を失わない』ということです。
また別の言い方をしますと、『間髪を入れず返事をしない』ということでもあります。
もっと言いますと『本心を言わない』『感情を出さない』『ムキにならない』ということでもあります。

しかし、安倍自民党総裁は『これら権力者が守っているルールをことごとく破って、日本の総理大臣になる』ということになります。これは『快挙』といえます。
社会人の多くは、「どうして子供の時の価値観が大人になると通じなくなるのか?」という疑問を持っていると思います。

そして、この疑問を持たずに子供のように行動出来れば良いが、現実は子供のように行動したら社会では生きていけないと思って、自然に大人の行動・選択をしてしまっています。

「人生は99%の幻想と1%の真実で成り立っている」と私が言われたのは以前お話した通りです。
昔、私の部下が『子供に誇れる会社にしよう』と言ったことがありましたが、人間らしく生きる基本は『子供のように生きる』ことであり、そのように生きたと感じられる安倍総裁は『新しい日本の指導者』の本来の姿ではないかと思います。

ただし、子供のように生きるということは『危ない』ということと同義語でもあります。『正しいこと』も環境が変われば『正しくないこと』になるのが社会であり、この環境の変化に正しく対応できないと『落とし穴』に落ちてしまう可能性があります。

すべてに対して『前向きに対応』してしまう安倍総裁ですが、そこに唯一の懸念があります。
小泉総理は『分かりやすいイメージ』で勝負したことと、一切他人の意見は聞かずに、自分の考え通りに行動発言したことで、嫌う人は多かったと思いますが、開き直りの度合いが120%であったことで『呆気に取られて』しまって誰も正しい反撃が出来ませんでした。
しかし安倍総裁は『正面から受け止める』対応をしていますので、この点は不安材料となります。

この考え方に異論がある方は多いと思いますが、私の人生経験からの本音であり、そういった点から、ぜひ安倍政権には成功して欲しいと願っています。

◇安倍政権に歴史が求めることは


歴史が小泉総理に求めたことは『政界と経済界のぶち壊し』でした。そして小泉総理は歴史が求めた役割を人間のレベルではほぼ100%達成したと言っても良いと思います。
つまり、小泉総理は『歴史に残る総理としての仕事をした人物』という評価を得ることが出来たと思います。

歴史が次の総理に求めることは『政界と官界と経済界の再生』となります。ぶち壊しには暴君でなければ出来ませんが、再生には理解者が必要であり、理解者を作るための対話が必要ですから、この点では安倍総裁は適任ではないかと思います。


(1)政界再生
政界再編は小泉総理が道筋を作りましたので、この道筋を徹底出来るかどうかが安倍政権の肝になります。
当然各派閥は小泉総理が作った新しい形の政界をぶち壊して、派閥の再生を推し進めたいと考えていると思いますし、そのために色々な手段を取ってくると思いますが、この流れを断ち切ることが出来れば『政界の再生』を続けることが出来ると思います。

(2)官界再生
政府にとって一番の敵は官僚となります。過去の先輩官僚が作った官僚の既得権益を自分の代で失うことは絶対に避けたいと事務次官達は思っていると思いますし、当然ながら各省庁の内容は官僚の方が政治家よりも詳しいので、議論をすれば政治家が負けてしまうことで、官界の再生は一番難しいと言えます。

自分の味方と思っていた政治家を大臣にして省庁に送り込んでも、結局は官僚に洗脳されてしまって、総理の当てが外れるということが繰り返されていますが、この官僚と正面から戦える政治家を立てなければ、官界の再生は出来ないと言えます。
しかし、そんな政治家はほとんどいませんので、過去官界の再生は成功していないと言えます。記憶にあるのは民主党の管氏が厚生大臣の時に厚生省と戦ったことくらいではないかと思います。

(3)産業界再生
小泉前総理が成功したのは政界と産業界の再生です。企業は国に頼らず自立出来るようになったのは小泉前総理の功績=銀行以外は何も企業を助けなかった=と言えます。
世界は弱肉強食の時代に入っていますので、日本だけが護送船団方式、公共事業方式に逆戻りすれば、企業の生産性が落ちて国際競争力が弱まりますので、日本国内企業は危機に陥ると思います。

長期展望でも1997年から申し上げていますように、21世紀の日本経済は『日本国内で、海外企業との戦いが起こる時代』ですから、このまま企業に対しては厳しい姿勢を取ると同時に『規制を緩和したり、官学と民が協力して高い技術力を獲得する』などの経済政策が急務と言えます。

(4)財政再建
財政再建は世界のすべての国が一定の期間ごとに苦労する問題です。そして、解決方法は二つあります。一つは緊縮財政によって支出を削減して財政を黒字化させる『縮小均衡政策』で、もう一つは景気拡大によって収入を増加させて財政を黒字化させる『拡大政策』です。

米国が巨額の財政赤字や貿易赤字でブラックマンデーを引き起こしたあとに一時財政が黒字化できたのは当時のクリントン大統領の積極拡大政策によって税収が飛躍的に増加したためでした。

日本は同じ失敗を繰り返しますが、今回も景気回復から税制を強化したり、金融を引き締めたりという過去の失敗をしないで、景気を財政政策ではなく規制緩和などで拡大させる方向を取れるかどうかが勝負のカギになるのではないかと思います。

◇結論


安倍政権は今後非常に厳しい政策運営が続くと思います。政治家・官僚・経済界からの突き上げについては、敵も『今が勝負の時』と考えていますので、小泉総理の時と比べ物にならないくらいに厳しいと思います。

小泉総理に続く安倍総理が歴史が求める成果を出せるかどうかですが、上杉鷹山のような底から沸き上がる声(国民と仲間)が出ない限り、相当厳しいのではないかと思っています。我々の応援次第と言えますので、正しいものは正しいと言える『物言う国民』になって、日本全体で日本を変えようと思わなければならないのではないかと思います。

レポート担当 森田謙一


安倍新内閣発足へ。 9月26日 勝谷誠彦

これまでのところ決まったのは、自民党の3役です。あたしゃ、これを見てガッカリしましたね。「古い自民党をぶっ壊」した中から出てきたのは「腐った自民党」だったかとね。

 総務会長に丹羽雄哉さん。これはわかりやすい。「丹羽・古賀派」というアタマの二つある派閥から片方を一本釣りしたわけだ。ずっと安倍さんに因縁をつけていながら、最後で媚びを売ってきた古賀さんへの痛烈な嫌がらせです。

 北朝鮮問題に詳しい安倍さんのことだ。古賀さんが北朝鮮利権とどういうつながりがあるのかもお見通しでしょう。これで「丹羽・古賀派」は「丹羽派」になる可能性が高まってきた。古賀さんはどうあっても福田康夫さんを立てておくべきだったと、いまごろ切歯扼腕しているに違いない。

 問題はあとの「両中川」ですね。この二人の顔が並ぶとどうしても、赤坂(爆笑)あたりのクラブの風景が浮かんでくる。どうも夜っぽいんですね。それも、料亭ではなくクラブ。やはり「酒と女」の臭いがプンプンするからでしょう。

 中川昭一さんはご存じの通りの酒乱…おっと失礼、酒豪。中国や韓国には毅然と対応していて立派なんですがね。安倍さんとは仲のいいお友達。

 問題は中川秀直さんでしょう。こういうタイプの政治家は確かにいますが、自民党の表の顔にしちゃあ、マズいだろう。

 忘れている人がいるといけないので振り返っておきますと、この人は第二次森内閣の官房長官だった。しかし、女性スキャンダルと闇社会とのつながりを指摘されて辞任しているんです。

 欧米で、女とマフィアのカケラでも身辺に出てくれば、政治家としては二度と浮上できない。それが、また堂々と公党のナンバー2を務めるんだからいい国だよ日本は。とほほほほほ。まあ、ここまでは週刊誌も書くでしょうが、私はもうひとつ踏み込んでおきたい。

 秀直さんは、実はあの村山内閣の時の首相補佐だったんです。社会党内閣の中で、いわば自民党の連絡将校として官邸にいた。社会党なんて何の力もありませんから、村山さんをコントロールしていたのはもちろん自民党です。そのキーマンを務めていたわけで、村山内閣の影の総理だったと言える。

 村山内閣というのは、後世きちんと調査しなくてはいけない、まことに怪しい存在だったと私は思っています。阪神大震災への対応のマズさもさることながら、オウム真理教事件が起きた。

 かねてから書いているように、私はあれは外国からの間接的な侵略だったと信じていますが、それに対する、半分国を売りかけたような村山内閣の対応には、不信な点がまことに多い。ロシアへの捜査員派遣の中止や、松本サリン事件の冤罪スレスレ捜査など、はたしてオウムを封じ込めようとしたのか、泳がせていたのか、疑惑に限りがないのです。

 ちなみにこの時の警察の元締めである国家公安委員長は、野中広務さんです。よくこんな内閣で国家が成立してたな(苦笑)。

 北朝鮮と毅然と対決しようとしているように「見える」安倍さんがはたしてホンモノなのかどうか。中川秀直さんの幹事長起用は、そこに微妙な影を落としているような気がしてならない。メディアは論功行賞だとわかりやすく説明していますが、私は自民党の持つ闇の部分が表面に出てきているように思うのです。


(私のコメント)
昨日で安倍内閣の顔ぶれが決まりましたが、安倍総理よりも小泉元総理の動向が気になります。小泉チルドレンを率いて一勢力を作るのか、それとも森会長の後を引き受けて派閥の会長に納まるのか、それともあっさり政界から身を引いて息子に選挙地盤を引き継がせるのか、いろいろ言われていますが変人だけに興味がわきます。

安倍新首相は小泉首相のような変人ではありませんが、三代目のおぼっちゃん的な印象をどうしても受ける。政局の小泉と言われたのと違って日の当たる道を歩んできたから、どうしても雑巾がけのような汚い仕事を引き受ける裏方が必要になりますが中川秀直新幹事長が引き受ける事になった。

党の幹事長ともなると金の動きを司る仕事だから、武部元幹事長もホリエモンとの裏金の動きなどで話題になった。中川新幹事長も金や女については悪い噂が絶えない人物であり、安倍内閣の足を引っ張らなければいいなと思います。

安倍内閣の外交は麻生外務大臣が「留年」したように変わりがないだろう。一番変わって欲しいのが経済政策ですが、竹中大臣が退任した事により構造改革路線から経済拡大路線に政策を切り替えて欲しい。小泉流の弱肉強食路線では少数の勝利者と多数の敗者を産む事になり、フリーターやパート労働者が増えて社会が不安定化してしまった。

このようなフリーターやパート労働者がどうしたら安定した正社員に復帰できるかが課題ですが、人手不足といわれるくらいの景気拡大政策をとらないと復帰させる事は難しいだろう。バブルの頃は大企業は投網をかけるように新卒者を採用したし、中小企業は人手が無くて外人労働者を採用していった。その反動がバブルの崩壊で来て、リストラと非正規雇用が多くなった。

統計を見れば分かるとおり、バブルの崩壊後も97年ごろまでは賃金水準はさほど悪化していなかった。それが97年以降は伸び率でもマイナスを記録するようになりデフレ経済に突入した。97年に何があったのかと言うと橋本内閣で金融ビックバンが行なわれて、銀行や保険会社や証券会社の倒産が行なわれるようになった。

金融機関といえども護送船団から弱肉強食に政策転換が行なわれたのですが、金融ビックバンは結果から見れば明らかに失敗だ。当時は長引く経済不況から抜け出すために金融ビックバンを行なったのですが、より経済を悪化させてしまった。銀行は潰すべきではなかったのだ。

小泉流に言えば構造改革が進んでいると言うのでしょうが、正社員の首を切りパートやアルバイトに切り替えて企業の業績は回復しましたが、賃金水準が低下して消費の停滞が進んでいる。経済学者たちは規制の緩和が経済を活性化させるといっていましたが、規制の緩和は賃金水準を低下させて消費を停滞させた事になる。

日本の経済官僚も経済学者もエコノミストも経済が分かっていないか嘘ばかり言っている。一番悪質なのは日銀官僚であり、円高で日本経済が苦しんでいる時に円の価値を高める事ばかりやった。円高を解消するには円の価値を下げる政策をすれば景気回復とデフレからインフレへと変わるはずですが、ドルを買い支える事ばかりやっていた。

デフレ経済を防ぐためには政府に国債を発行させて日銀が買い捲ればいいのですが、ドル買いとアメリカ国債ばかり買ってアメリカの景気は良くても日本の景気は良くならない。マスコミは赤字国債の残高を大騒ぎして書きたてましたが、赤字国債が日銀や国内で消化されているうちは何の心配も要らない。

むしろ問題なのは政府の金の使い道であり、道路や橋ばかり作っても経済効果は薄い。政府が大プロジェクトを組んで宇宙開発するとか海洋開発するとか、新しいエネルギー資源を開発するとかいった政府しか出来ない大プロジェクトを行なって産業のボトルネックを解消すべきだった。

小泉内閣は財政再建といって歳出を絞りましたが、安倍内閣も同じだろうか? 財政の再建には公務員のリストラが必要ですが小泉内閣でもまったく手をつけなかった。公務員の平均賃金が627万円なのに民間の平均賃金は462万円だ。民間の構造改革が進んでいるのに公務員の構造改革は進んでいない。

これは公務員天国と言うよりも民間の規制緩和によって賃金の停滞がこのような差になったのだ。公務員だけは規制に守られて年々昇給してゆく。構想改革とか規制の緩和は公務員には関係が無く財政赤字の一番の原因は公務員の人件費なのだ。約400万人の公務員の総人件費は約40兆円であり一人1000万円もの人件費が使われている。安倍内閣はこのような歪の是正ができるのだろうか?


内閣府経済社会総合研究所の国民経済計算年報によると、
一人当り雇用者所得(含む社会保障、退職金)は・・・・

公務員 1,018万円     
電気・ガス・水道 795万円
金融・保険 678万円.   
輸送機械 629万円    
電気機械 584万円    
小売・卸売り 403万円

ttp://www.asao.net/  (活動欄 参議院本会議 平成15年6月9日)
>現在、国家公務員と地方公務員を合わせて約400万人の方の人件費が約40兆円
>一人当たりに直すと約1,000万円です。





大戦後のアメリカはA級戦犯達を活用して日本を統治したが
イラク戦争後のアメリカは政権の要人を全部追放して失敗した


2006年9月26日 火曜日

「イスラエル人の苦渋」 2006年09月25日 佐々木 良昭

  パレスチナ占領地の数箇所で軍統治者を経験し、しかも大使、教授を経験したイスラエル人の知人と、2年ぶりに意見を交換する機会を持った。彼との関係は、1987年の第一次インテファーダの頃から続いている。

  最初に出会ったときから、彼はどういうわけか、私に意外とも思えるストレートさで、イスラエルの情況を説明してくれた。そのことから、イスラエルを訪問するたびに、彼と連絡を取り最新の情況を聞くことにしている。

  今回もその例外ではなかった。しかも、最近のイスラエルの情況は、とみに複雑化し、アラブとイスラエル、そしてトルコ、欧米の動きを細かく掴んでいる者にしか、正確には判断できなくなっている。

  彼はイスラム勢力の動きが非常に活発化してきており、それと欧米が対立する形になっていると現状大枠で説明し、次いで、アフリカ大陸もその例外ではない。アフリカの南からキリスト教欧米勢力が北上し、北からはイスラム教勢力が南下していると説明した。

  そして、その双方が世界全体で活発な動きを示していると語り、キリスト教が世界宗教になったのは、16世紀に穏健化したときからだったとした。他方、イスラム教世界では10世紀にイジュテハードが否定された。(イジュテハードとは最高位のイスラム教学者たちがコーラン、ハデースというイスラム法の法源に例を見出さない場合に、人間の頭脳で判断するという、柔軟な考えのことを言うのだが、以来イジュテハードは許容の限界を超えて、人間が判断を広げることを恐れ、イジュテハードの門は閉じられることとなった)

  以来、異教徒に対するイスラム教側の判断は、イスラム教に改宗するか否かの二者択一に変わった。9・11事件以後のイスラム世界の反応は、まさにその典型であろう。イスラム教徒側は「イスラム教に入信すればイスラム・テロに遭うことはなくなる」と語り始めているではないか。

  もちろん、こうした硬直した考え方のイスラム教徒だけがいるわけではない。イスラム世界は現在穏健派(プラグマテイスト)と原理主義者(ファンダメンタリスト)に分かれている。そのギャップの大きさが問題だ。

  イスラム世界に原理主義が拡大してきたのは、イスラム教徒の劣等感に起因していると言える。簡単な例を挙げれば、イスラム教徒とキリスト教徒の間には、歴然とした収入の格差があるではないか。

  その収入の格差が生じた原因、つまりイスラム教徒側の低所得は、一部の者以外に富が行き渡らない、という民主主義の存在しない社会システムに問題があることが原因なのだ。その民主化が進まなければ、富める者にも貧しい者にも、将来に対する不安が生じよう。

  イスラム世界で唯一民主化に成功したのは、宗教の政治に対する影響を禁止し、世俗主義の政治体制を敷いた、トルコのケマル・アタチュルクだけだ。そのことを考えると、民主化がイスラム世界で進展しないのは、宗教そのものに原因があると考えざるを得まい。

  唯一神を崇める宗教は、原理原則が厳しく、フレックスな対応を選択することが出来ないのだ。その点、日本は極めてフレックスな考え方と対応が出来る国だ。そのことが日本の発展の隠れた要因なのであろう。

  アラブとイスラエルのことについて述べれば、アラブは領土も人口もイスラエルの何十倍もある。しかし、アラブの国のなかには、ひとつも民主的な国家が存在しない大衆は、他の国々との正確な比較が出来ないために、非民主的な体制に対し、何ら問題を感じていない。

  ケマル・アタチュルクの民主化が成功したのは、彼の英断によるところ大だ。彼は「自身を見よ」とも国民に語りかけている。まさにその通りだろう。その意味で自分自身の置かれている状況を冷静に見、そして考えた人物ケマル・アタチュルクに並ぶ人物は、中東世界ではエジプトの故サダト大統領だけであろう。

  そのサダトとナセルを第三次中東戦争で破ったモシェ・ダヤンは、英雄といわれたが、実際には全くアラブを分かっていなかった。そのため彼のアラブへの対応策は完全に失敗し、今日まで悪影響を及ぼしているのだ。

  アラブに勝利し、戦勝国の軍の指揮官として旧エルサレムに乗り込んだモシェ・ダヤンは、パレスチナ人に対し、民主的な手法を断行し、彼らを変えようとし、その成功を疑わなかった。彼は全く異なる性質を持つパレスチナ人に対し、彼自身と同じものを押し付け、受容させようとしたのだ。

  考えても見るがいい、1956年の第二次中東戦争でイスラエルがアラブに勝利したとき、彼らはイスラエルに平気で歓迎の意を表したのだ。その後の67年第三次中東戦争の後も、73年の第四次中東戦争の後も同じだった。

  しかし、アラブ人パレスチナ人の本音は、全く異なっていたのだ。こうしたアラブ人パレスチナ人の心理を、十分に理解した上で対応していかなければ、結果的には、いかなる対応策も失敗に終わるのだ。

  モシェ・ダヤンは、パレスチナ占領地に派遣される統治責任者は、特別な知識を有している必要はない、と言ったが間違いだった。パレスチナの占領統治には、スペシャリストの能力が必要なのだ。

  アラブ世界、つまりムスリムの間には、タキーヤというものがある。生き残るためには面従腹背、いわばサバイバルを奨励しているのだ。社会を変革していくには、膨大な時間がかかり、相手の変化を精密に観察していかなければならないのだ。 

  彼らは信仰と実践との格差の中で賢く生き残っているのだ。アラブ社会とアラブ人をもっと研究して、対応しなければ結果的には失敗に終わるのだ。アラブ人はイスラエルの独立を祝って見せてもいたのだ。しかし、それは彼らの本心ではなく、オポチュニストの行動でしかなかったのだ。

  パレスチナのハマースは、イスラエルがパレスチナに与えてしまった自由の産物なのだ。アメリカがイラク戦争を始める前に、イラクにどう対応したらいいのかを訊ねられた。当然答えは「違う政治環境があることを知れ」というものだった。アメリカとイラクはまったく違う政治環境を持つ世界なのだ。

  アメリカがイラクを敗北させ、サダム政権を打倒した後は、ラウド・スピーカーで直ちに戒厳令を敷いたことを知らせるべきだ。そうしなければ、衝突があらゆる所で発生することになる。アメリカ軍の兵士とイラク人、イラク人同士の間でも衝突は起こるのだ。現実に今の状態はそうなっているだろう。

  そして占領後は、イラクの警察を使うべきだった。それと合わせて、イラクの官僚を使うべきだったのだ。アメリカは彼らを前面に立てて、背後で政策を決定し、イラクの官僚や警察に命令するだけでよかったのだ。

  安易に「イラクを民主化する」などと言ってはならないのだ。イラクを民主化するには、長い時間が必要なのだ。民主化は鎖と同じで、幾つもの輪がつながって出来ているのだ。そのことが分からずに、イラクの民主化を進めようとするのは、まるで砂でロープを編むようなものだといえる。

  覚えているだろう。サダム体制下で活躍した幹部たちは、アメリカによって極悪人とされ、個々人の顔がトランプ・カードに印刷された。しか、あれは一体何処へ行ってしまったのか、誰もそのことを取り上げなくなっている。

  実は彼らこそが、アメリカにとって最も利用価値の高い連中だったのだ。そのことに気が付いたからこそ、アメリカはトランプ・カードの主人公たちのことを、口にしなくなったのだ。

  ナポレオンがエジプトを攻撃したのは200年前だった。それまで平安のなかに、怠惰を決め込んでいたアラブ・イスラム教徒たちは、夢から醒め、自分たちはどちらに進むべきかを考えなければならなくなった。イスラム教の原理主義に向かうのか、あるいは西欧に学ぶのかという。そして、彼らが選択したのは西欧に学ぶ方だった。

  しかし、200年が過ぎたいまも、西欧とイスラム世界とのギャップは埋まらなかった。その結果として、イスラム教徒は原理主義を選択し、ホメイニの革命が成功したのだ。

  彼の今回の説明はおよそこのような内容のものだった。このなかには幾つもの過去、現在に対する鋭い指摘が見られる。


2006/09/25 (月) イスラム原理主義先鋭化の落とし所が見つからない。 勝谷誠彦

今やイスラム世界のヒーローはビンラディンよりもナスララである。イスラエルはわざわざ新たなヒーローを作るために自国の兵士を殺してヘタ打ったと言っていい。そのために今やイスラエルの政局は混乱を極めている。イスラエル好きの私としては困ったというほかはない(笑)。しかし始めから「勝ち目」のない戦争だったのだ。

問題は「勝ち目」を何とするかということだ。今回で言えばイスラエルの領土にミサイルを撃ち込む余地をなくするほど徹底的ヒズボラを壊滅することがイスラエルの「勝利」だった。しかしそれは北朝鮮の指導でモグラ戦術にたけるようになったヒズボラ相手には空しかったのだ。このことは北朝鮮といざハジけた時に私たちにも考えておくべきことだと言える。

もう同じ失敗をイスラエルはできまい。再度の攻撃は難しいということだ。逆に例えばシリアはゴラン高原などを巡って同じことができないかと考えている。不可能な壁と考えていたイスラエルが意外と脆いとイスラエルの建国以来はじめて知ったのである。

イスラエルにレバノンを攻撃させたのはもちろんブッシュの許可があったからだ。アメリカはイラクの泥沼から抜けるべくあわよくばシリアも叩き潰して地中海への回廊を作ろうと考えた。しかしアメリカ自身が手術で失敗してまき散らしたガン細胞のために強固な反米そしてイスラム原理主義はむしろ強くなっていて試みは大失敗に終わったのだ。さあどうするブッシュ。

次に博打を打つとすればイラン攻撃しかない。残念ながら北朝鮮を叩き潰してもそれは中東のドミノには関係がないからね。ナスララを讃える集会はイスラム圏のあらゆるメディアで出回るだろう。酒も女もない人たちがそれだけをネタに幾晩も語り合うだろう。

このことは毎日新しい娯楽がある私たちの価値観で考えない方がんいい。新総理になる安倍さんの最初の試練は西からやってくると考えることである。


(私のコメント)
私はアメリカを最重要な同盟国と考えていますが、日本の政治家は何でもアメリカに頼りすぎているような気がする。軍事から外交に至るまで重要な事は何でもアメリカの意向を伺ってからしていますが、肝心のアメリカ外交が迷走していて、むしろ日本からアドバイスしてあげるべきなのだが、日本の政治家に世界が見えている人がいない。外交の部会長の山本一太議員などイラクの場所が分からなかったぐらいだ。

昨日も書いたように、アメリカの国際金融資本はアジアや中南米諸国に対して新たなる植民地化政策を実施して、反米を旗印にした左翼政権が次々と出来てアメリカの外交防衛政策にまで支障をきたすようになって来てしまっている。一昔前のアメリカならベネズエラのチャベス政権や韓国のノムヒョン政権などクーデターを起こさせて転覆させていたのだろうが、現在のアメリカにはその力は無い。その国の国民をあまりにも反米的にしてしまったからだ。

日本でもアメリカに命ぜられるままに規制緩和を行なって、正社員からパートやアルバイトや派遣社員への転換が進んで国民の賃金水準は低下して、いくら働いても豊かになれないワーキングプアと呼ばれる階層が出来てしまった。所得が減れば消費も減るからこの悪循環が日本経済の低迷の原因になっている。

結果的に豊かになるのは国際金融資本と彼らの協力者達だけであり、国民全体は所得水準が低下して消費は低迷して行く事になる。高度成長時代は所得は平準化して働けば所得が上がって消費も増えた。このことが経済の拡大につながったのですが、小泉構造改革は税制を平準化して豊かなものはより豊かになり、多くの庶民はサラリーマン重税で所得水準は低下して消費も低迷するようになった。これでは景気は回復するはずが無い。

これと同じような事が世界中で起きているからアメリカ=国際金融資本に対する反発からアジアや南米に左翼政権が出来てしまう。昔なら共産主義に対する警戒心からアメリカ政府も経済支配に対するブレーキも利いたのでしょうが、ソ連の崩壊でブレーキは壊れた。その結果バブルを起こしては崩壊させて銀行を潰して、その国の金融支配を強めていった。

日本などは貿易黒字を溜め込んではアメリカ国債を買っていますが紙切れに過ぎない。日本は資源の無い国だから石油や希少金属などを買って備蓄して行くべきなのですが日本政府はなぜかそれをしない。石油などの戦略商品はいくらあっても困るものではないから、世界中に超大型石油タンクを作って貯め込んで置けば値上がりして大儲けができるはずだ。

しかしアメリカは日本に対してイランの油田開発に対してもクレームをつけて、紙に過ぎないアメリカ国債を買わせている。アメリカはドルの貨幣価値が石油本位制である事を認識している。だからイラクの石油を支配するために軍事侵攻したのでしょうが、あまりにも単純すぎてばかげている。むしろ竹中平蔵のようなアメリカの言いなりになる人物を送り込んでコントロールした方がいいのだろうが、左翼政権になるとそれも出来ない。

もともとサダム・フセインはCIAのエージェントであり、クウェート侵攻もアメリカに唆されてやったのですが、裏切られてイラク戦争で濡れ衣を着せられて失脚した。フセインにすればアメリカの言うとおりにやってきたのに今やA級戦犯で裁判にかけられている。日本にしても戦前において義和団事件などの反乱事件が起きるたびに出兵を促されてきたが、アメリカの都合が悪くなるとハルノートを突きつけて撤兵しろと無理難題を言ってきた。

日本はロシアの南下と共産主義を防ぐために戦ってきたのに、最終的には侵略者のレッテルを貼られて東京裁判にかけられた。つまり日本もフセインのようにアメリカに裏切られた歴史を持っている。このような国と軍事同盟を結んで信用していいのだろうか? 一度裏切るような人間は二度三度と裏切るのは国家も人間も同じだ。

そして戦後はA級戦犯を7人も絞首刑にかけながら、共産主義の脅威が高まるとアメリカは慌ててA級戦犯を釈放して国政に復帰させた。そして90年代にソ連が崩壊して共産主義の脅威がなくなると、アメリカは同盟国の日本に対して経済戦争を仕掛けてきた。そして日本は第二の敗戦を迎えてサマーズ財務長官はマッカーサーのコーンパイプを咥えて得意になったそうだ。

アメリカ人にしてみれば国益のためならば当然のことと言っているが、国益のためならば日本に対して平気で原爆を落とせる国なのだ。このような事は歴史を分析してみれば分かる事なのですが、日本の政治家はお人よしが多くて日米安保があれば大丈夫と思い込んでいる。岡崎久彦氏などはアングロサクソンと組んでいれば大丈夫といっているが、日英同盟にしたってアメリカの横槍で解消された事実を知らないのだろうか?

アメリカのイラク統治がうまく行かないのはA級戦犯を全部追放してしまったからですが、イラクの石油が目的ならば追放する必要はなかった。イラクはいくつもの勢力に分裂して石油をめぐって内戦が続くようになるだろう。シリアやイランにも侵略の手を広げるようですが、そんな陸上戦力はアメリカには無いし経済的に持たないだろう。

アメリカはイスラエルと軍事同盟を結んでいますが、イスラエルをせき立ててレバノンを攻撃させましたが、イスラエルだってアメリカに裏切られてしまう可能性は強い。アメリカは利用できる国は見方として利用して、都合が悪くなれば敵として処分してしまう。イスラエルだって例外ではない。その国が信用できる国であるかどうかはその国の歴史を分析すれば直ぐに分かる事だ。

だからこそ19日にマキャヴェリの「君主論」を紹介しましたが、アメリカの為政者達はマキャヴェリを読んでいるだろう。「君主論」には次のように書いてある。


《 言語や風習や体制の異なる地方を征服した場合となると、これを保持するには、相当な幸運と大変な努力が要求されてくる。最も簡単で確実で、しかも永続をも保証してくれる解決法は、征服者自身がその地方に移り住んでしまうことだろう。ローマ帝国を征服したトルコ民族が、帝国の首都であったコンスタンティノープルに自国の首都を移してしまったのが好例である。なぜなら、君主自らが現地にあれば、すべてのことに眼がとどくようになるからだ。もしもこれが不可能ならば、第二の効果的な方策は、その地方の重要拠点と思われる一、二の地域に、移民の共同体を創設することである。これをもしない場合、支配下におきたいと思う者は、いざというときに大量の軍事力を投入しなければならない事態に直面させられることになるであろう。 》


(私のコメント)
米英がが中東の重要拠点にイスラエルを建国したのも「移民の共同体を創設」するためだろう。その目的は中東一帯の石油支配である。しかしそのイスラエルもヒズボラに大苦戦を強いられてイスラエルの役割は終わろうとしている。そうなればアメリカに裏切られてイスラエルはどうなるのだろうか?




竹中平蔵氏の、クレデイスイス銀行ジュネーブ支店に存在
している巨額な 預金残高は100億円を超えるという話?


2006年9月25日 月曜日

竹中総務相が9月26日付での参院議員辞職を表明=総務省関係者

[東京 15日 ロイター] 総務省の広報担当者によると、竹中平蔵総務相は15日午前の閣議後会見で、9月26日付で参院議員を辞職すると表明した。安倍晋三官房長官は、閣議後の会見で、竹中総務相の進退問題について聞かれ、「その問題は竹中氏がおそらく自ら(小泉首相に)おっしゃたのだろう」と語った。
(ロイター) - 9月15日12時42分更新


まじめに検察に聞いてみようシリーズ。 9月24日 小野寺光一

<植草氏は、りそな銀行処理の際の政権のインサイダー取引を暴露する本を出版しようとしたら、突然痴漢にされた>

今回の植草一秀事件については、植草氏が、りそな銀行国有化に基づく現政権の犯罪行為を告発する本を出版しようとしていたところ、その直前に突然起こったものです。

<竹中氏の巨額な海外預金>

昨今、竹中平蔵氏の、クレデイスイス銀行ジュネーブ支店に存在している巨額な預金残高の存在が一部で知られています。100億円を超えるという話を聞いています。

<銀行を外資に売り飛ばすための骨太の方針>

こういった巨額な預金がなぜ存在するのかということと、この竹中平蔵氏が、日本の金融機関を外資に売り飛ばすことを主導していたことを思い起こしていただきたいと思います。

<竹中氏とインサイダー取引>

そして、りそな銀行を国有化する際に、この竹中平蔵氏が暗躍したことがインサイダー取引につながっているという指摘があります。

<参考書>
参考にしていただきたいのが、
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4620316466/ref=sr_11_1/503-5876633-4395915?ie=UTF8

りそなの会計士はなぜ死んだのか?山口敦雄著毎日新聞社刊です。

朝日監査法人のシニアマネージャーだった平田聡氏が命を絶った(絶たれた?)ことを扱ったものです。彼はりそな銀行の監査担当者であり現場のトップでした。

<本の帯には>

帯には、「りそなショックと監査戦争の真相」会計士の自殺は何を意味するのか?それは本当に自殺だったのか?りそな銀行の実質国有化が発表される直前、りそな担当の公認会計士が死んだ。

「粉飾を強要されたことへの抗議自殺」といわれたが、それは本当か?他殺説がささやかれる中、会計士の死をスクープした記者が真相を追い、日本の経済危機の底知れぬ闇をえぐる」

<詳細に不正関与が書かれている>
この本の155ページ「金融再生プログラム」から、「竹中氏の逆襲」、「火遊びの果て」とある174ページまでのところに、このりそな銀行国有化という方針につきすすむ際の竹中平蔵氏と、小泉政権、当時の日本公認会計士会長の奥山章雄氏の不正と思われる関与が詳細に書かれています。

<痛みの追い討ち>
174ページの7行目にはこうあります。「小泉・竹中両氏は、国民が痛んでいるときに、さらなる痛みの追い討ちをかける。銀行を追い詰める過程で、銀行は貸し渋り、貸しはがしに走り、中小企業の倒産は続く。小泉・竹中両氏はせっせと景気回復の根をつんでいるのである。」

<りそな国有化は、竹中という人災によるもの>

そして13行目にこうあります。りそなの事実上の国有化は、作られた危機、「人災」なのである。それに国民の2兆円の税金が費やされた。この人災とは、具体的には竹中平蔵氏と小泉政権のことを指します。

<もっと大きな経済事件に結びつくと編集部全体が確信>
あとがきに毎日新聞社エコノミスト編集長 西和久氏の一文があります。「原稿を出し終えた山口君の顔は紅潮していた。この原稿を、大事件なみに「突っ込む」ことにしたのは、この「自殺」がもっと大きな経済事件に結びつくと、編集部全体が確信したからだ。」

<他殺の可能性もある平田氏の死>
そして105ページには、平田さんの死を追っていたジャーナリストのNさんが、少し青ざめた表情で私にこういった。「平田さんは自殺したのではなく、殺されたのではないか。という話をきいた。ありうる話だ。いろいろ考えてみるとつじつまがあう。それが真実だとしたら、私の手にはおえない。」

106ページには、「ある事情通の経済評論家は、「そのとおり、平田さんの死は他殺なんですよ」と確信ありげにいった。ある政党関係者は、「確かな根拠はないが、他殺だと見ている」と私にうちあけた。

平田さんの金融監督庁時代の上司の一人はいう。「殺されたと思った」あるベテラン記者も言った。「他殺だ、またか、と思った」

<りそなの闇をおう著者を心配して無事かどうか確認してくる人も>
その中の一人は、その後、とくに用もないのに、私に電話してきた。この件を追っている私が、「無事」かどうか 心配してくれたようだ。

先のコメントでベテラン記者の「またか」には解説がいる。この記者に限らず、他殺説をとる人たちが平田さんの「自殺」から連想したのは、2000年9月20日、当時の日本債券信用銀行(現在あおぞら銀行)の社長が、出張先の大阪のホテルで、「自殺」したケースである。首吊りで、遺書もあったが、隣室に宿泊していた客が叫び声を聞いたなど不審な点があり、他殺の可能性がとりざたされた。

金融業界と闇の勢力がより直接的に浮かび上がった事件もあった。1993年8月5日の阪和銀行副頭取射殺事件、1994年9月14日の住友銀行名古屋支店長射殺事件などだ。

以上 引用

<植草氏の追っていたりそなインサイダー取引疑惑は、亡国のイイジ○政権にとっての最大のタブー>

そして、植草氏が追っていた「りそなにまつわるインサイダー取引」は、とても巨大な経済事件を暴くきっかけになるようなものだったと思います。

<調査依頼>

私がお願いしたいのは、亡国のイイジ○がクレデイスイスのジュネーブ支店に持つ100億円超の預金の存在の詳細な調査。同様に、この小泉路線を主導した政治家、具体的には、
森元首相、(外資系金融機関関係者の多数住む六本木ヒルズに移り住む)
N川政調会長(小泉路線という売国路線を推進すると言明。国家資産の半分を売却すると言明)
Y謝野金融庁長官(金融の弱体化を招いている行政を行っている)
猪瀬直樹(自著でうそをついてまで、高速道路を外資に売り飛ばそうとしている)
伊藤達也氏(金融行政で多くの金融機関を破綻させ外資の所有になっている)
武部氏(郵政民営化を主導した)
の海外金融資産残高を調べていただきたいと思います。


具体的にはこれらの人たちのクレデイスイス銀行のジュネーブ支店にあるものやタックスヘブンのケイマン諸島に本拠地のある海外投資ファンドの口座などです。こういったものはすべて没収して、国民のものに返すべきです。国民の資産や銀行などを売ったお金で儲けているような金はすべて没収すべきです。

<植草氏の事件は口封じのための可能性>

植草一秀氏の事件は、植草氏の信頼をなくさせて、りそな銀行処理のインサイダー取引を明るみにださせずに、失脚させるためだったのではないか?という説が有力です。

その女子高校生や、二人の男については、亡国のイイジ○から金をもらって演技をしていないか素性を調べるべきだと思います。


(私のコメント)
安倍新内閣がいよいよ発足いたしますが、やっと竹中大臣が退任して議員も辞職するそうです。いかに小泉首相との結びつきが強かったかを物語るものですが、小泉内閣とは表向きの話で、実際には竹中大臣の政策に小泉首相は後押しをしているような存在だったのだろう。

竹中大臣が何故そこまで重用されたかは謎ですが、アメリカ政府筋のお目付け役として内閣で活動していたのだろう。だから自民党の実力者も竹中氏を内閣から外す事もできなかった。アメリカ政府も日本政府の閣内の動きが逐一竹中大臣から報告されてくるから、日本担当の専門家も要らなくなるほどだった。

小泉首相にとっても都合が悪くなれば何時でもトカゲの尻尾のように解任する事ができる。竹中大臣もアメリカ金融筋から巨額のリベートがスイス銀行の口座に振り込まれているのだろうから、これほど美味しい商売は無い。小泉竹中内閣があれほど強引な郵政民営化法案を通す事ができたのも、アメリカ大使館が自民党の実力者を押さえ込んでいたからだ。

しかしあまりにも強引であったために、アメリカ政府は郵政の民営化法案が一段落ついた時点で世論の反発を恐れて一旦は手を引いて動向を見守るようだ。もし小泉内閣が継続して日本の国有財産を国際金融資本に売却して行く政策を続けていれば、韓国のように反米の機運が高まる事も予想されたからだ。

アメリカの国際金融資本は韓国に対しても巨額の投資をしてきましたが、成長路線が軌道に乗ったところで、97年のアジア金融危機でIMFの管理下において韓国資本の銀行や主要産業を国際金融資本の傘下にしましたが、その為に金大中大統領やノムヒョン大統領のような左翼政権が続いてすっかり反米国家になってしまった。

アメリカは南米でも同じ事をして南米諸国は反米一色になり、国際金融資本がやりたい放題のことをしては反米の輪を広げている。しかし経済面だけで外交防衛にまで影響がなければいいのでしょうが、韓国などは在韓米軍は追い出されてしまった。

国際金融資本はアジアや中南米諸国から利益を巻き上げる仕組みを作り上げましたが、日本はその中でも特大の大物であり国際金融資本も80年代から長期にわたる日本経済乗っ取り戦略を実施している。バブルの発生と崩壊も彼らが仕掛けたものだし、保険や銀行などを潰して只同然で買収したのもその一環だ。

だから日本の将来を見たければ韓国を見ればいい。タイのタクシン政権がクーデターで失脚したのも同じ動きなのだ。日本で同じ事が起きればどうなるのかアメリカ政府は余程のバカでない限り国際金融資本の暴走を止めるべきなのだが、経済と外交防衛とは一体だから、経済支配が一方的になると反米感情の爆発となって跳ね返る。

韓国なども安い賃金でこき使われて、企業がいくら業績を上げても利益は皆資本家の懐に流れて行ってしまう。日本も賃金の低下は目立つようになり、不安定な雇用は政府に対する不信につながってくる。日本政府はアメリカと日本国民との間に挟まれて、小泉首相のように経済は竹中大臣に丸投げして、外交と防衛はアメリカに丸投げして無責任の極地だ。

このような政治状況では竹中平蔵のように外国から買収されて国を売り、スイス銀行などに一生遊んで暮らせるだけの金を持つ事が勝ち組となる。政治家も猪瀬直樹もオリックスの宮内会長も亡国のイイジ○もみんなスイス銀行に巨額の預金を預けているのだろう。タイのタクシン首相もイギリスに亡命して優雅な生活が出来るようになっている。竹中氏もアメリカに亡命するようだ。

ライブドアの堀江社長や村上ファンドの村上氏も同じことを考えたようですが、政界とのコネが小さくて検察に捕まってしまった。スイス銀行と言うのはこのようなダーティーマネーを世界から集めて商売をしていますが、悪徳政治家や悪徳官僚や悪徳暴力団にとってはスイスはマネーロンダリングのメッカなのだ。日本政府のスイス政府に情報を公開せよと要求すべきなのですが、悪徳政治家が絡んでいるから出来ないのだ。

アジア諸国も中南米諸国もアメリカに協力してきた悪徳政治家は皆スイス銀行に不正蓄財をしては、クーデターなどを起こされて海外に亡命しても、リゾート地で一生遊んで暮らせるだけの金をアメリカの国際金融資本からもらって政治をしてきた。

だから我々一般国民も悪い事を一杯やって金を稼いでスイス銀行に預金をして脱税しましょう。税務署もスイス銀行には手が出せないから脱税するならスイス銀行だ。

これからも第二第三の竹中平蔵が出て来てアメリカや中国に国を売って不正な蓄財をする悪徳家が続出するだろう。福井日銀総裁も彼らの仲間であり中心的存在であり悪徳不正蓄財で金を貯めてスイス銀行に預金してリゾート地で優雅な老後を過ごす事が彼らの理想なのだ。


タイ軍、タクシン前首相の資産を調査する委員会を設置へ=新聞

[バンコク 22日 ロイター] クーデターでタイの実権を握った同国軍の指導部は、追放したタクシン前首相と15人の元閣僚の資産を調査する委員会を設置する方針。22日付のタイの新聞「ネーション」が伝えた。
 それによると、委員会は6人で構成され、2人の判事と元中央銀行総裁が含まれる公算。タクシン氏やその妻、親族のほか、タクシン政権の閣僚らの資産を調査する。
 軍の関係者は、委員会で不正の証拠が発見されれば、裁判が開かれる可能性がある、と述べたという。
 軍部は、クーデターを起こした理由として「汚職のまん延」を挙げたが、タクシン氏はこれを否定している。
(ロイター) - 9月22日11時51分更新




痴漢の裁判で無罪が認められたのはわずか10数件。
植草氏のように絶対的な証拠も無く犯罪者にされる恐怖


2006年9月24日 日曜日

女性セブン10月5日号によると植草一秀は痴漢で示談の過去が7回もあるという。 9月23日 ABCテレビ (動画)

http://www.youtube.com/watch?v=JhgFeMPtwOU


植草氏逮捕に関するメディアの独断性と偏頗性 9月20日 神州の泉

植草一秀氏の痴漢疑惑逮捕のニュースで、私は、報道された情報をすべて網羅しているわけでは勿論ない。痴漢事件が起きたときの電車内の状況や、植草氏が駅の事務室で蒲田署員に引き渡されるまでの詳細な情報は、はたしてどれくらい出てきているのだろうか。

 私の知る範囲では、一連の経緯をそれなりに報道しているのは、下記のnikkannsports.com である。これ以上の仔細な報道が出ているのかどうか私にはわからない。もしあるのなら、是非にも知りたいと思っている。

(中略)

 これは(1)、(2)の記事と決定的に意味が異なってくる。すなわち、植草氏を取り押さえた男性二人は、女子生徒が「やめてください」と言ったときは、すでに植草氏の行為を目撃していたことになる。わざわざ「目撃していた」と過去進行形で書いているのである。文脈から言ってそう受け取るのが自然である。書く側は、重要な意味を持つ表現をぼかすことはしないだろう。この記事から読み取れることは、痴漢を働いた者と被害者以外の第三者の客観的な目撃があったことを示している。

 
 取り押さえにかかった男性二人について、上記以外の表現で報道された記事がまだあるのかもしれないが、少なくとも矛盾した報道が出ているわけである。その矛盾の意味は非常に重大である。つまり、痴漢行為については、女子高生が「言ったから発覚」したということと、女子高生の声とは別に、男性二人はすでに行為を目撃していたという二種類の報道が出ていることになる。つまり、男二人が犯罪を確認した方法と、それに至る時系列、因果関係が決定的に違うのである。

 被害者である女生徒本人が叫んだことで発覚されたことと、第三者が女生徒とは別個に目撃していたこととは客観性の重さがまったく違ってくるのである。

 それにしても奇妙ではないか。蒲田署の発表ソースはあくまでも一つである。それを新聞各社が文字にして発表した時は、裁判的な意味合いがまったく異なる二種類の報道が出たことになる。逆説的に考えれば、蒲田署が報道関係者に説明した時には、この第三者の男性二人の目撃証言について肝心な部分は語っていないことになる。(3)の記事は表現上の勇み足の可能性が高い。ということは、植草氏の痴漢を指摘した者は、その女子高生だけであったという可能性が非常に高いことになる。

 私がいくつかのニュースを見た感じを言えば、植草氏を決定的に犯罪者だと断定する客観的な情報は何一つ出ていないことになる。しかもである。「女子高生自身の証言によれば」という情報さえも目にしていないのだ。私はここに、植草氏に関するマスメディア報道の恣意的な偏頗性を感じるのである。女子高生自身の証言という表現もなく、取り押さえた男性二人に関する確定的な情報もない。

 妙だとは思わないだろうか。女生徒、そして男性二人、この三名の証言という確定性が曖昧な状況で、マスコミが逮捕記事を流している事実。この状況で、はたして植草氏を犯罪者呼ばわりできるのだろうか。つまり、今の段階で何が起きたのかと言えば、植草氏の件には、推定有罪の方向性しか見えていないということになる。もう少しこの事実を敷衍すれば、この三名の証言の不確定性を敢えて示すことに加えて、マスコミにいきなり逮捕記事とワンパターンな前回手鏡事件の併置報道をさせることによって、国民にこの事件の誤った先入観を与えていやしないだろうか。すなわち、三人も当事者がいるのに、彼らの証言が一切報道に出ていないことと、逮捕という言葉と過去の手鏡事件を併記、あるいは併置報道することによって、国民に恣意的な刷り込み操作をしているように私には見えるのである。これは植草氏の痴漢性癖が、あたかも既成事実であるかのような印象操作そのものである。謂わば洗脳に近い構造になっているとは思わないだろうか。

 発表されているものには、植草氏の有罪を特定する客観的な材料、つまり、決定的な目撃証言に関する一切の情報ソース、及びその因果関係は書かれていない。つまり、「スカート内に手を入れ、尻などを触った疑い」という肝心な痴漢行為については、誰がそれを証言したのかがわからない。常識的には、被害を受けたと称する女子生徒自身からの証言を暗然と示しているかのように感じるが、それさえも書いていない。痴漢の場合は、被害者本人の証言を重視する推定有罪が有効であるから、女生徒の話だけで植草氏は痴漢行為を行ったとされたのだろうか。その可能性は圧倒的に高い。

 身体に関する犯罪というものを一般的に考えると、普通は実行犯と被害者の間には決定的な犯罪の痕跡が残る。決定的なのは、傷害や傷害致死の場合は被害者に傷痕があるとか、極端な場合は被害者の死という完全に眼に見える状態がある。同じ身体関係の犯罪でも、拉致や監禁などは物理的な拘束を受けるという客観性が生じる。ただ、名誉毀損などの心理犯罪の場合は、物理的視覚的な傷は付かないが、心理的な傷を付けた原因となる文章や言動が記録されている場合が多く、そういう意味でははっきりと犯罪事実が確認できる。

 しかし、痴漢被害の場合は、女性が被害を訴えるか、実行犯人を自ら確保するまでは、わいせつ行為自体があったことは、通常、周囲の人間には知られていない。周囲の人間がそのことを「気が付く」場合とは、ほとんどが女性の訴えや指定を受けてからである。今回の植草氏の場合にも、ニュースに出てくる二人の男性が、痴漢行為と同時進行的にそれを目撃していた可能性は限りなくゼロに近い。ならば、女性が故意に、意図的に叫んである男性を指差しても、その男性を鉄道公安官や警察に引き渡すことも大いにありうることだと考えなければならない。

 痴漢という犯罪は、ほぼ完全な隠匿性の中で行われるから悪質なのである。従って、痴漢被害の場合に限り、人権を拡張的に考慮する立場から、被害者の申し述べだけを根拠とする推定有罪が特例的に認められてきたのではないだろうか。しかし、被害者本人以外の目撃がない状況で、どうやって被害者の訴えが真正なものと確認できるのであろうか。それが痴漢冤罪ではないとどうやって証明できるのだろうか。

 「おれはやっとらん」という弁明が、被害者の言葉よりもはるかに軽いのであれば、本当にやっていない場合は悪魔の証明以外にないことになる。そういう極端な非対称性を持つ犯罪が痴漢なのである。冤罪が生起しやすいまことに厄介な犯罪である。女子高生が植草氏という有名人を見て、ほんのイタズラ心で狂言被害者を装った可能性は除去できないのである。その可能性もあるが、私自身は植草氏逮捕に直接関わった女生徒と男二人が確信犯である可能性のほうが強いと感じている。この件に関するかぎり、ことの真相は慎重にも慎重を重ねる検証が必要なのである。

 ところが我が国のマスコミのひどさは筆舌に尽くしがたい。警察の曖昧な情報源だけで、蓋然的に植草一秀氏を確定的な犯罪者扱いにしている。こんなことが法治国家で許されるのか。特にマスコミがある種の力を有していて、それを行使するなら、それは権力の暴走を監視して、国民に訴えることにあるのではないか。今のマスコミは、特に小泉政権下のマスコミは報道陣としての魂を完全に亡失し、小泉独裁権力におもねる愚劣さを持ってしまった。現在の日本は事実上の暗黒社会である。

 もう一つは、テレビ報道の偏頗性である。このニュースに関して、テレビで報道する内容はネットや新聞で見るものとほとんど同じであるが、奇妙なことにテレビ特有の猟奇趣味的で野次馬的な視点による取材を一切していないようなのである。どういうことかと言えば、テレビはワイドショーが特に典型的だが、有名人が事件を起こすと、必ずそれを取材に行き、周囲の迷惑も省みずに、事件の関係者や周辺にいた人たちにあることないことを聞きまわる。それはほとんど事件の本質とはかけ離れたプライベートなことに重点を置いているが、少なくともテレビ独自のソースを見つけて取材を行うのが通例である。テレビが独自の取材を行うのは、テレビが文字メディアとは異なり、視覚メディアであることを示す存在証明でもあり、矜持とも言える。

 しかし、不思議なことに、今回の植草氏に関することについては、テレビも警察発表ソースだけで止まり、独自の画像主体の取材活動を行っていないように見える。アナウンサーやキャスターが、警察発表の新聞記事をそのまま棒読みしている感じなのだ。各局とも、一様に、前回の手鏡疑惑を強調し、電車内の件についてはテレビ独自の取材行動をしていないようなのだ。思い起こせば、前回の手鏡騒動の時も、テレビは駅構内の混雑した映像のみを流しながら新聞記事と同じことを繰り返していたように思う。つまり、植草氏の件に関しては、テレビの存在証明である関係者画像を用いなかったのである。

 その気になれば、当日、現場に居合わせた者を一人や二人見つけて、ワイドショーらしい覗き見趣味な質問を行っていたはずである。あるいは未成年の女子生徒本人は避けても、その親兄弟や親族、近所の住民に聞き込みに行くくらいは常套手段であったはずである。ところが、そのゴキブリ的な生命力は、植草氏の件に関してはまったくと言っていいほど発揮されていないように見える。テレビの有名人報道が、植草氏に関しては、その定番的な下司取材を行わないということは、あらためて思うと不可解である。


 うがって考えれば、これは昨年の郵政民営化時にテレビが、民営化の背後で糸を操る、外資やアメリカの意図を報道することを一切禁忌にし、徹底的に忌避したことと、どこか似通っているキナ臭さがあるのだ。宮崎学氏の「大衆迎合的人道主義」という言葉を借りて言うなら、植草氏報道に限っては、普段よりも極端な大衆迎合的人道主義が優先され、テレビメディア特有の映像取材による検証がなかったような気がする。そのことはとりもなおさず、テレビの報道視点が植草氏の件に関しては通常と異なっていることを暗示している。昨年の郵政民営化総選挙前の一ヶ月あまりのテレビ報道には明らかに報道管制が敷かれていた。それは一貫して、郵政民営化推進の小泉擁護の報道視点であった。これに反する考え方や視点は一切封じ込まれたのである。この時、テレビが報道世界の良心や魂、公平性を完全に亡失していたことは記憶に新しい。

 その時を髣髴とさせるほどあからさまではないにしろ、今回の植草氏報道でも、テレビの視点は偏頗性を強く有している。つまり、事実を検証しようともせず、はじめに植草氏の痴漢逮捕ありきという前提を、あたかも常識であるかのようにセンセーショナルに伝えたのである。事実を伝えるという段階をすっ飛ばして、植草氏の決定的な社会的ダメージを構築することが目的であったかのような印象を受ける。つまり、テレビや他のメディアが、今回の植草氏報道に本音のメッセージとして孕んでいたものは、常態的に痴漢をするような性癖の植草氏の言うことはまったく信用できないでたらめなものなんだぞということである。警察発表に出た正確な情報の異常な少なさと、メディアの偏頗性を足して二で割ると、権力を有した第三者の策謀という線が浮かんでくる。

 つまり、あの当時の抵抗勢力と言われた政治家たちの論評を一切発言させずに忌避し、封じ込めた気配と共通した匂いを感じるのである。植草氏は竹中や小泉の憎悪の的である。それは取りも直さずアメリカの警戒心を強く買っている人物ということなのである。それも植草氏自身は、アメリカにとっても、最重要クラスの抵抗勢力なのである。私は今回もマスコミが、特にテレビが官邸とタイアップして植草有罪論を祭り上げたような気がしている。これは元をたどれば必ずアメリカの意図が働いていると言えるだろう。

 郵政民営化は来年の2007年に郵政公社を民営化して本格的に始動する。アメリカの垂涎の的である郵政資金が、彼らの仕掛けた自由市場の罠に晒されるのが近づいてきている今、植草氏のような国益主義の経済学者は最も邪魔な存在なのである。従って、推量できることは、今回の植草氏の痴漢逮捕は、植草氏の全人格否定を的にした故意の偽装犯罪だったという結論になる。その黒幕が国民に対して無言で示したことは、植草氏の発言を信用するな、彼の書いたものは決して読むなという強いサインなのである。だからこそ、この事件にきな臭さを感じている人は積極的に植草論文、あるいは植草論考を読むべきである。

 新聞記事やその他のニュースでは、植草氏が推定有罪の可能性において逮捕されたのか、あるいは第三者の決定的な目撃をもって逮捕されたのかまったく出てこない。見えるのは、とりあえずは逮捕拘留して置いて、マスコミで徹底的にイメージを悪化させれば植草氏の言論活動は完全に封殺できると考えているのだろう。立件が可能かどうかは後回しということなのか。

 被害者の女子高生と、植草氏を取り押さえたという二人の男性の素性や背景を徹底的に調べてもらいたい。もちろん、蒲田署とは別の管轄で。警察権力と無関係の人が調べることはできないのだろうか。二人の男性はテレビや新聞になぜ出てこないのだろう。最後に言うが、植草氏の犯行を示す客観的な情報は何一つ出ていない。そのうえ、被害者自身の主観的な情報は、植草氏が左手首に傘を引っ掛けながら尻を触っていたこと以外には何一つ出ていない。尻の触り方も二種類の報道が出ている。(1)は下着の上から触ったことになっているが、(2)はスカートの上からと書いている。これも判然としない。警察がその点もはっきりと言わなかったということなのか。

 出たのは、女子生徒が「やめてください」と言ったということだけである。あと、彼女は泣いたそうである。警察は肝心なところを何も出していない。にもかかわらず、マスコミは逮捕だ、逮捕だと検証もしないで花火を打ち上げている。この構図をじっと見たら、植草氏が「はめられた」という疑念がますます強くなる。また、「反戦な家づくり」というブログからたどったが、「PJオピニオン」に無視しがたい記事が出ていた。

 「どこかのテレビ局では、事件が起こる前に、電車内で女子高生の
  「あー、植草だぁ〜」という声が聞こえたという証言が紹介されて
 いたが、
女子高生の植草氏へのいたずらの可能性も残されて
 おり、
もしも、その可能性が出てこれば、事実関係の確認の前に、
 今度は女子高生叩きに走るだろう。」



(私のコメント)
9月14日の株式日記のコメント欄に植草教授の逮捕のニュースを書きましたが、それからの詳しい報道がなされず、本人は今も拘留中である。本人の弁護士を通じて無実潔白を主張していますが、神州の泉のブログでも書かれている通りにテレビのワイドショーはなぜ関係者の聞き込み報道をしないのだろうか?せいぜい通行人のコメントを流す程度で終わってしまっている。

新聞記事によれば乗客二人によって取り押さえられたと言う事で現行犯なのかあいまいだ。乗客の二人も植草容疑者の痴漢行為を見ていたのなら事実は確定できるが、目撃した人がいなくて女子高生が声を出して痴漢が発覚したのなら冤罪の可能性も出てくる。

最初の動画のABDテレビ報道では、女性セブンが植草容疑者が他にも7件の痴漢行為をしており示談で済ませていたという報道はどこから出てきたニュースなんだろうか? テレビの報道では捜査関係者とぼかしているが、テレビなどは警察発表以外の事を調べようとしないのはなぜなのだろう。?

ワイドショーの場合、事件の被害者や加害者が若い女性の場合や子供の場合は視聴者の同情を買いやすいから大きく報道するのですが、前回の手鏡の時に続く事件だから、目撃して植草氏を取り押さえた二人の乗客の話ぐらい取材は出来ると思うのですがどうしてしないのだろう?

手鏡の時も周囲の目撃者もおらず、モニターカメラの映像も公開されなかった。事件が触ったり見たりするだけのものだから傷害事件のような傷も無ければ血も流れないから事件そのものが本当にあったのか複数の目撃証言ぐらい無いと100%の証明は出来ない。被害者だけの証言では冤罪の可能性も出てくるが、悪質な女子高生が冤罪をでっち上げる事もあるようだ。


痴漢冤罪から身を守れ! 夕刊フジ

「痴漢冤罪を絶対に受けない方法は、実をいうとありません。極端な話、電車に乗るなとしかいいようがないんです」
 こう語るのは痴漢冤罪被害者救済ネットワークの事務局スタッフ。近ごろはオヤジ世代を嫌う女子高生が「うざい」という理由だけで、いたずら半分に痴漢騒ぎを起こすケースもあるというからおそろしい。
 「示談金目当てにありもしない痴漢行為をでっち上げ、痴漢に仕立てあげる人もいます」
 完璧ではないが「痴漢冤罪から身を守る5カ条」(別表)を実践すれば、トラブル回避の確率はグッと上がる。それでも痴漢の疑いをかけられたときは−。
 「まずは冷静に相手と話すこと。怒鳴って女性を逆上させては話し合いが不可能になります」
 そして、次が重要で、「駅事務所に行くのはNG」だという。駅員は事件を解決せず、痴漢の訴えがあれば自動的に警察を呼ぶことになるからだ。そうなれば痴漢をしていなくても犯人としてみられ、無実を訴えても主張はまず認められない。
 「だから、電車から降りたらその場で弁護士を呼んで、仲裁をしてもらうくらいのことをしたほうがいいですね」
 潔白であっても逃げるべき、と主張する人もいるが、取り押さえられたときの言い逃れはまず不可能なので、おすすめできない。
 明日は我が身かもしれない痴漢冤罪。そうならないためにも公共交通機関を利用する際は細心の注意を払って乗るしかない。


(私のコメント)
このように痴漢冤罪は狙われたら防ぎようが無く電車に乗らない事しか対応策が無い。私なども気をつけなければならないのですが、最近の女子高生は見てくださいと言わんばかりの短いスカートにしている。ジーンズにしても最近のは丈が短くてお腹やお尻の一部が見えるものまである。どうしてあんなに過激なファッションが流行るのか? 

最近の女性はスタイルも良くなって裸を見られる事に抵抗感は無いようだ。ネット上でも女性の裸があふれている。すなわち見られても平気と言う進んだ女性もいれば、絶対にいやと言う女性もいるので、男性としてはその辺を見極める事が大切だ。電車に乗っていても女子高生が乗り込んできたら目をつぶって寝たふりをしているしかない。

植草氏の一連の事件もどこまでが真相なのか、今までのところ警察関係からのリークしかないのはどうしてなのだろう? ともあれ植草氏の7件の示談も本当なのか続報が無い。テレビのレポーターたちもワイドショー向きの事件なのに自ら動かないのはなぜなのだろう? 




靖国神社は多神教の寛容さが無いと理解できない。
軍人ではハルノートのウラをかくずる賢さが無かった


2006年9月23日 土曜日

「心情」から語る靖国論(3) 日下公人

靖国神社は宗教を問わない

靖国神社について考えるとき、そもそも靖国神社はどんな宗教なのか、という話が取りざたされる。

 一般的に日本には、仏教もあれば神道もある。神道には実は、道教が入っている。日本人はそれら全部を混合して、自分にとって都合のいいものだけをとっている。

 「八百万(やおよろず)の神」などと言ったり、外国から渡来したプリンシプル(原理原則)で割り切るようなものも取り入れたり、そしてもっとリアリズムで考えた常識的なものも取り入れて、それらを適宜使い分けている。そうした日本人の宗教心を踏まえて考える必要がある。

 江戸時代が終わり、明治政府が出来て、国家として軍隊を持つようになり、日本は外国とも戦うようになった。

 軍隊では、兵士同士が会話の中で「もしかしたら今夜は最後で、明日は死ぬかもしれないな」などと語り合って「おまえは仏教徒か」「いや、おれは神道だ」となると、「じゃ、死んだらもう会えないね」となる。

 仏教徒は、阿弥陀仏のところへ行ったり、極楽へ行ったりする。行いの悪かった人は、犬畜生に生まれ変わる。ところが神道の人は、極楽には行かない。どこに行くか分からない。

 とにかく兵士たちが「もう会えないね、寂しいね」と話しているのを聞いて、こんなことでは強い軍隊にならないと思い、明治政府は「東京招魂社」をつくった。これが靖国神社の始まりである。

 招魂社、つまり「魂を招く社(やしろ)」をつくって、死んで故郷へ帰って祭られた人でも、「例大祭」という春と秋の大祭のときには、また靖国神社へ戻って、みんなで集まって同窓会をやれと、明治政府は言ったのだ。

 神道でも仏教でもキリスト教でも何でもいいから、死んだら一度ここへ集まれば、天皇陛下もお参りして、ねぎらってくれる。それが招魂社で、やがて靖国神社になっていく。

 だから「靖国神社は仏教か、神道か」などと問題にする向きもあるが、実はどちらでもない。「死んだらあそこへ集まってから解散しよう」とか、「解散してから、でもときどきは集まろう」という、同窓会の場なのである。

(中略)
ハル・ノートを読み解く国語力が足りなかった日本政府

わたしがこの話を聞いた相手は陸軍参謀本部の、対ロシア課にいた人である。

 実は、この東條英機の話はいろいろな文献に出てくる。東條が、1週間くらいは、「平和、平和、平和、何とか米国とまとめろ」といって歩いていたというのだが。

 そこへ「ハル・ノート」が出た。これは太平洋戦争の直前の日米交渉において米国から日本に提出された交渉案だが、ネーミングは米国側の当事者だったコーデル・ハル国務長官(当時)の名前に由来する。

 これの試案を書いたのはハリー・ホワイト財務次官補(当時)とされていて、彼はのちにソ連の二重スパイであったことが発覚している。つまり、ソ連のスパイが米国の国務省の中にいて、日本が怒って米国に立ち向かうようなことを書いた。

 それで、米国のルーズベルト大統領(当時)は、「それもよかろう」ということで、日本を決起させて戦争に持ち込んだ。日本は見事にはまったわけだ。

ハル・ノートについては、戦後、評論家の山本七平氏は、「もっとよく読めばよかったのに」と書いている。「文章を読む力があれば、何も絶望して戦争を始めることはなかったのに」と。

 山本七平氏のようなリテラシーのある人が読めば、ハル・ノートには逃げ道があった。

 例えば「中国から兵隊を全部引け」という記述があったが、それまでの交渉で、そんな話は出ていなかった。日本は米国に「石油と鉄を売ってくれ、そのためにはこのぐらいは譲る」というような交渉をしていたのに、いきなりハル・ノートが来て、中国から全面撤兵せよと書いてあった。

 それで日本は、米国は話をまとめる気がないと即断したが、山本七平氏は「いつまでに撤兵をせよと書いてないじゃないか」と言う。期日が書いていないことは、それ自体、書いていないのと同じだと言うのだ。

 「はいはい、約束します」と言えばいい。中国は広いから、奥地の方から少しずつ撤兵して、港に全部集まるまでには1年や2年はかかる。それでもよかったわけだ。

 もし東條英機に国語力があれば、ハル・ノートをもらっても絶望せずに、むしろ「よかった、これでまた1年ぐらい時間稼ぎができる」となっていた。大御心は平和なんだから、あわててやけっぱちの戦争をしなくてもよかったのだ。

 しかし、「日本にはもう石油がない」という政府の思い込みもあって、1941年(昭和16年)12月8日に日本は太平洋戦争を始めてしまった。その責任者は、当時の憲法によれば、首相と内閣である。

 だから、英霊の希望として、「東條英機以下の大臣は、我々が許さん」ということなら分かる気がする。ただし、A級戦犯という言い方はしない。それは東京裁判の命名である。

 ともあれ、これは中国や韓国に言われる問題ではない。日本国内における、国民一般の気持ちと、憲法や宗教法人法とのすり合わせができていない問題である。


(私のコメント)
世界がグローバル化して行くにしたがって、日本や日本人は国際的になったかのような錯覚を持っていますが、靖国神社の問題など一つとっても日本人が日本文化を海外の人に説明できる能力は乏しいようだ。外国語が出来ても日本文化が分かっていなかったり、日本文化が分かっていても外国語が出来なくて説明できない。

しかしインターネットの時代になって情報の国際交流が盛んになって、文化の違いによる文化摩擦や情報摩擦が大きくなってきました。靖国問題も日本の宗教文化から説明していかないと、なぜA級戦犯が靖国神社に祀られているのか外国人には理解できないだろう。日本人の中には外国の言うがままにしておいたほうが問題が起きなくていいと言う人もいる。

それ以前に、日本人が日本の文化を説明できる能力を持たなければなりませんが、日本文化のことを我々日本人がどれだけ理解しているだろうか? その為には小学校のの頃からしっかりと日本文化を教えていかなければなりませんが、「日の丸」や「君が代」が分からなくてどうして国際人を育てる事ができるのだろうか?

日教組の教育方針では無国籍の人間を作り上げることが国際人であると勘違いしている先生が多いようですが、国旗や国歌を否定しては国際人の育てようが無いだろう。国語にしても日本語は覚えなくていいから英語を学びましょうと言っていることと同じ事なのだ。だから小学校から英語を教えて、その分他の教科がしわ寄せを食らう事になる。

靖国神社の問題も学者達は沈黙し、政治家達が中国や韓国の抗議に右往左往している。もしインターネットが無ければ靖国問題も90年代の時のように日本の首相は靖国参拝を断念せざるを得なかっただろう。ところが今では自民党総裁選挙でも麻生候補がネットの支援で善戦するなどの影響力を持ち始めた。

現在ではテレビや新聞が左翼の論陣を張って、ネットが右翼の論陣を張って対抗していますが、マスコミが物量戦で攻めて、ネットがゲリラ的な反撃を加えて効果を上げている。マスコミは巨大な本社や放送局を構えて大勢のプロ記者をそろえているのに対して、ネットは無報酬のボランティアの素人がサイトやブログで記事を書く程度なのですが、かなり効果を上げてきている。

日下公人氏はハルノートについて、山本七平氏が指摘するように外交的なずるさで対処していれば時間稼ぎをして状況を転換させる事もできたのでしょうが、軍人の東條首相では政治のずる賢いやり方は無理だったのだろう。外交文書は書いてある事よりも書いてない事の方に意味があるのだ。

それをYESかNOかでの二者択一式の対応では直ぐに追い込まれてしまう。外交はYESでもなくNOでもない煙に巻いたような返答をして相手の出方を見るのが政治的やり方だ。外交に未熟な日本人は短絡的な対応で直ぐに切れてしまう。

アメリカのような超大国には日本は外交的なやり方で対応すべきであり、軍事的に真正面から戦争すれば負けるに決まっている。しかし外交と軍事を組み合わせて対応すれば十分にアメリカをやりこめることができる。そのためにはインテリジェンスが必要なのですが、日本はもともとインテリジェンスの能力に欠ける。

ネットの世界を見ても日本人のブログなどは外交や防衛問題を書いているブロガーが少ない。外交や防衛の専門家では食えないからですが、わずかなブロガーたちも少しの主義主張の違いから感情的になって喧嘩したりしている。これでは政治の世界ではやっていけないし感情的になったほうが負けなのだ。

株式日記のブログにも中傷的な書き込みをして挑発する人がいますが、私はめったに感情的にならないし、挑発にも乗らない。そして明らかに間違った主張に対してはそれは○○で間違っているとクールに反論するだけだ。それくらいでないと外交論争では勝てるわけが無い。

日本では論争のやり方そのものも学校では教えないし、私などは小学校の頃から先生に論争を吹っかけてきた。そして女の先生を泣かした事もある。大学でも大学教授と論争してきたし、会社員時代も鬼営業部長と論争してきた事もある。その経験からすると日本人は直ぐに感情的になって切れてしまう。

その点ではユダヤ人などはつかみ合いの喧嘩になった時も、翌日にはけろっとした顔で挨拶してくるほどしたたかで面の皮が厚い。ユダヤ人は国家と言う後ろ盾を持ってこなかったから個人で議論で世界を生き抜いてきた。まことにずる賢い民族ですが、議論に勝つにはユダヤ人のやり方を真似るべきだ。




日本を「普通の国」にするためには、北朝鮮はミサイルを撃ち上げ
中国や韓国は反日デモや竹島で騒いでもらう必要がある!


2006年9月22日 金曜日

一人の決断ですぐできることが「骨太の改革」である 9月20日 西村眞悟

本日、自民党次期総裁が安倍晋三氏に決まった。
安倍氏が、内閣総理大臣の地位を掌中に収め、議会人の本懐を遂げられることを祝福する。
 思えば13年前に、同じ初当選議員として本会議に臨み、
薄暗い議事堂の柱にもたれて立っている安倍氏を見たとき、
父上没後の陰を引いているのか、肌白く痛々しいような印象を受けた。
 その後、拉致問題に一貫して取り組まれたことが私との接点であった。

 さて、問題は山積していて、縺れた紐を解くような手間暇がかかる作業が要求されているようにみえる。従って、議論すればきりがない。
 しかし、アレキサンダーであったか、縺れてこんがらがった紐を突きつけられて、やにわに短剣で紐を切断して見事すっきりと縺れを解消したという故事もある。
 
 そこで以下の通り、総理が一人でできることを思いつくまま提示したい。
 もちろん、内閣が替われば見解も変わるのが当然という前提が生かされなければならない。この前提が死んで眠っていたから、今まで、戦後政治の澱みが一掃されなかったのである。

1、集団的自衛権は行使できる、ということ。
 この点に関しては、安倍氏自身も「歴代内閣の見解の蓄積もあり・・・」との言葉を吐いたことがあるが、歴代内閣の見解は、間違った土台の上に蓄積されているので、いざとなれば国家に有害となる。従って、安倍内閣は「集団的自衛権を我が国が保有しているならば、必要なときに行使できるでしょう」との常識に立てばよいだけである。危機とテロは、何時来るか分からない。実は一刻の猶予もない。
 しかし、次の設問についての覚悟をして欲しいと言っておきたい。即ち、我が国が自衛権を行使する相手の國は、核ミサイルを保有している。
 核ミサイルを保有している國を相手に、自衛権を如何にすれば有効に行使できるのか。如何にして、我が国は核抑止力を保有するのか。この議論を巻き起こそうではないか。

2、「非核三原則」は過去のものである、ということ。
 そもそも非核三原則なるものは、法律でもなく内容も分からない。「核は、持たず、造らず、持ち込ませず」という空念仏である。日米同盟の実態を見れば、核は持ち込まれているから嘘の原則である。つまり、嘘の原則を守っていると歴代内閣は言ってきたということだ。これは、政治の堕落である。嘘の原則など存在しないのだ。
 そして、この原則は実は嘘でしたと内閣が言ったとたんに、我が国の核抑止力つまり国民の安全が飛躍的に向上するのである。

3,自衛隊は軍隊である、ということ。
 自衛隊を軍隊ではないと言っているのは、世界で我が国政府だけである。何処の世界に、Fー15戦闘機を二百機保有し、イージス艦を保有し、九〇式戦車を保有する二十数万の実力部隊を軍隊でないと言っている國があろうか。それを当の我が国歴代内閣だけが、軍ではないと言ってきた。馬鹿馬鹿しい。
 安倍内閣が、自衛隊は軍隊であると言うだけで、自衛官は国際法上「軍人」として扱われる。軍隊ではないという今のままの見解を維持するならば、自衛官は、外国の軍から軍人として扱われず、戦場における犯罪人として裁判も受けられずに処刑されても文句が言えないのだ。
 歴代内閣は、国民の命をおろそかにする何たる非人道的な見解を維持してきたのだろうか。

4、いわゆる村山富市総理謝罪談話は過去のもの、ということ。
 この村山謝罪談話とは、平成7年に時の村山総理が、我が国家をして悪かったと謝罪した談話である。
 以後、昨年の中国における「愛国無罪」の対日暴動に至るまで、中国政府などは、日本が悪いのでこうなったと、何でも日本の責任にできる便利な機能を果たしてきた。村山談話の御陰で、我が国の歴史教科書の内容に関して外国政府が堂々と注文できることになっている。
 奇妙なことであるが、靖国神社に参拝していた小泉総理もこの村山談話を引用して参拝の「言い訳」をしていたのだった。
従って、中国などの靖国参拝非難キャンペーンは、ますます居丈高になったのである。
 よって、安倍内閣では、村山談話は村山総理大臣のものであり、私の談話ではなく、村山総理の時に解決済み、と突っぱねる必要がある。
 もともと、総理になれば、自衛隊合憲と変貌し、総理を辞めれば、やはり自衛隊は違憲と先祖返りした社会党議員の談話である。自民党内閣が、踏襲するのがおかしかったのだ。

5、日朝平壌宣言は小泉内閣の宣言である、ということ。
 この四箇条からなる宣言は、金正日と小泉純一郎の個人を拘束するものであり、国家を拘束するものではない。ルーズベルト、スターリン、チャーチルのヤルタ密約と同じである。
 そして、この宣言は、日朝国交樹立の際に日本から超巨額の金を支払うという約束であり、数百名にのぼる拉致被害者の救出などなんの約束もしていないのだ。
 このままでは、拉致された我が国民は見捨てられ、我が国は金だけ核ミサイルで我が国を狙う独裁者に支払うことになる。即ち、我が国は最大のテロ支援国家に転落する危険性があるのだ。
 従って、安倍内閣は、「私は安倍であり小泉と違う人間である、独裁者には金を金輪際支払いませんぞ」と言っておく必要がある。

6、直ちに、北朝鮮に拉致された日本人の総数を調べ上げること。
 日朝平壌宣言に署名した小泉さんは、遂に拉致被害者の総数を把握しようとしなかった。
 しかし、一体、拉致された国民の数は何名なのか!
この国家として当然にしなければならない課題に取り組んできたのは、政府ではなく民間の荒木和博君等の組織(特定失踪者問題調査会)であった。
 安倍内閣は、国家の組織と資金で、この課題の解明に取り組んでいく必要がある。
 君は、情報収集組織の必要性を訴えた。何故それが必要なのか。国家と国民の安泰のためだ。
 よって、安倍内閣が第一にすべきは、拉致された国民の総数の把握である。

 以上、頭に浮かぶことを列挙した。
 他に、経済財政の課題、自主憲法制定問題などがあるのは分かっている。
 しかし、これらは高度に専門的技術的な課題であったり、国会議員の三分の二の賛成が必要であったりする課題である。
 しかし、以上に列挙した課題は、安倍総理の第一日目の朝の決断でできるのである。
 そしてこれこそ、小泉さんが無関心の分野であった。つまり、本当の意味での「骨太の改革」の課題である。さらに、我が国が、新しい時代に入ったことを示し、国民に明るい新時代の到来を示す絶好の課題なのだ。

 私は、ただ、お国のために、一人一党の気概で是々非々を貫き、次期の安倍総理の「骨太の改革」を支援したい。


<国旗国歌>学校強制に違憲判決 教職員401人が全面勝訴

卒業式や入学式などで、日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱するよう義務付けた東京都教委の通達は違憲違法だとして、都立学校の教職員ら401人が義務がないことの確認などを求めた訴訟で、東京地裁は21日、原告全面勝訴の判決を言い渡した。裁判長は「通達は憲法が認める思想・良心の自由の侵害にあたる」と指摘。
(毎日新聞) - 9月22日2時36分更新


(私のコメント)
安倍内閣が間もなく発足するわけですが、小泉流の独裁的手法で実力を発揮する事ができるのだろうか? 小泉内閣では国民の支持率をバックにして権力基盤にしてきたのですが、安倍氏はキャラクター的にいって調和型の政治手法をとるだろう。経世会と対決してきた小泉流の政治は他の人にはできない事であり、自民党内の抵抗勢力は一掃されたから、今度は自民党の保守勢力を固めてゆくのが安倍政権の役割だろう。

小泉首相が独裁的な権限が振るえるようになったのも選挙制度や政治資金の流れが変わったからですが、派閥もあまり機能しなくなり、森派ですら森会長は辞任の意向を漏らしている。それだけ派閥の長は資金集めがたいへんになり、小沢幹事長時代のような一声掛ければ建設業界から300億円も集まった時代は過去の事だ。

小泉内閣の歳出カット政策も小泉首相の主な目的は財政再建のためではなく公共事業に群がる経世会潰しのためなのだろう。靖国神社に参拝して中国との関係も悪化させたのも中国の多くの利権を持つ経世会潰しのためであり、小泉内閣のいう抵抗勢力とは経世会潰しのことだったのだろう。それを5年半かけてやったわけですが、ブッシュ政権の後押しも効いている。

小泉内閣が発足する前は経世会の天下であり、自民党は野中拡務が仕切っていた。株式日記でも野中批判をずいぶんしましたが、中国や北朝鮮の利権をバックに最大派閥を形成して自民党は中国の顔色を見ながら政治をしていた。中国へのODAも6兆円にもなり、そのうちのかなりの割合が経世会にキックバックされていた。日本は自分の金で自分の国の政党を買収していたのです。

これに対してアメリカのブッシュ政権は強力な巻き返しを図り、小泉政権を発足させましたが、これで親中国派は少数派になった。北朝鮮の不審船を撃沈するような事はそれ以前はできなかった事だ。それ以前は追い払う事が精一杯で、麻薬などを密輸していると分かっていても自民党の中枢から圧力をかけられて手荒な事は出来なかったのだ。

安倍政権の役割はこのような路線を継続していく事ですが、2008年のアメリカ大統領選挙までは続けられるだろう。それまでにできる事は限られていますが西村眞悟議員が提案している事ができれば安倍政権は100点をあげる事ができる。しかし自民党内には親中派もかなり残っているし、ハト派議員もかなりいるし、公明党との連立があるから、これすら実行する事は難しい。

自民党にとって一番の問題は経世会よりも公明党との連立問題であり、むしろ民主党との大連立も視野に入れるべきですが、それくらい公明党は自民党にとっては厄介な問題だ。そして経世会を潰しても公明党が中国との連携を深めてくれば以前の自民党と大して変わらなくなる。公明党潰しは余程の材料が出てこないと難しいだろう。

一番可能性のあることは公明党との連立を解消する事ですが、政権を維持するためには民主党と連立を組む事ですが、前原代表の時は可能性がありましたが小沢代表でその線はつぶれた。後は選挙で大勝して単独政権を作るしかありませんが、小泉流の選挙は安倍首相では無理だろう。西村議員の提案の出来れば一つか二つできれば上出来ではないだろうか。




バカな財務官僚は消費税を増税すれば税収は増えると思っているが
滞納が増えるだけ。所得税は利益から払うが消費税は売上げから払う


2006年9月21日 木曜日

消費税の申告状況判明中小企業の実態深刻 税金のページ

国税庁は今年春(05年分)の個人事業者の消費税の確定申告状況を明らかにしました=下の表。免税点が年間売り上げ3000万円から1000万円に引き下げられたことで、申告者、納税額とも大幅に増加。被害を受ける中小業者の実態が明らかになっています。
 消費税の申告件数は大幅に増加し、157万6000件(昨年対比3・8倍)となり、税額の発生する納税申告件数は152万7000件(同3・8倍)、納税申告額も6124億円(同2・1倍、地方消費税含む)とも大幅に増加しました。
 国税庁が新たに課税事業者になると見込んだ事業者は122万人で、実際に申告書の提出があったのは117万4000人(96・2%)。約4万6000人がまだ申告していないことになります。
 国税庁は6月7日、全国国税局徴収部長会議を開催し、免税点引き下げにともない大量の少額滞納が発生しており、消費税の滞納が全税目に占めるウエイトは年々高まっているとして、「消費税滞納の圧縮」に重点を置くと強調。納税コールセンターでの閉庁日催告や滞納整理月(旬)間における集中的な整理をおこない、遅くても9月(納期限から半年以内)までに滞納者との接触を図るようにと徹底しています。


滞納残高が7年連続で減少 ぎょうせい

平成17年度の租税滞納状況が国税庁から公表されましたが、国税の滞納残高は7年連続で減少し、滞納整理が着々と進んでいることが明らかになりました。

 平成17年度中に新たに発生した滞納額は9,298億円で前年度比約300億円、率にして3.4%増加しましたが、これを上回る1兆128億円の滞納整理を行った結果、累積滞納残高は前年度比で4.4%減少し、1兆7,844億円となりました。

  滞納残高1兆7,844億円のうち税目別に見て最大のものは消費税の4,875億円で、初めて申告所得税を上回りました。事業者免税点が3,000万円から1,000万円に引き下げられたことに伴い、新規課税事業者が122万ほど増えたことも影響しているようです。

とはいえ、今年4月からは滞納新規課税事業者に対して督促状を発付し、特に5・6月には全国12の納税コールセンターから土日電話催告も実施しています。架電件数約8,000件のうち約2,700件の応答があり、平日に電話した場合と比べて十数%高い応答率となっています。新規課税事業者の消費税滞納は、こうした取組みによっておおむね整理される見込みです。


消費税滞納者に土・日曜日も電話催促へ 5月17日 オフィスアスク

国税庁は6月より、土・日曜日も2005年分消費税 地方消費税(合計5%)の滞納者に対して、全国各国税局の納税コ−ルセンタ−(集中電話催告センタ−室)から滞納解消督促の電話をすることとなりました。

コ−ルセンタ−は本来平日のみの業務ですが、消費税納税義務対象が、本年から課税売上高が3000万円超から1000万円超に引き下げられ、これに伴う納税義務者(自営業者 企業)が激増し、滞納者も大幅に増加することが予想されるための措置です。

平日接触できない滞納者への呼びかけができることを期待しており、税務署の少額対の情報を管理するKSKシステムからの情報を、集中電話催告システムで自動的に処理し督促することとなります。消費者からの預り金である消費税を再確認してもらいたいのです。

納税コ−ルセンタ−では直接税金を収納することはありません。あくまで納付書による納税となりますので、くれぐれも「振り込め詐欺」被害に遭わないようにして欲しいものです。

消費税(地方消費税を含む)は1989年に導入され、当初税率は3%でしたが1999年に5%に改定されました。税負担者は消費者、納税義務者(課税売上高1000万円超の事業者)は事業を行っている個人、法人で典型的な間接税です。

課税事業者かどうかは、個人は前々年、法人は前々事業年度の課税売上高(消費税抜き)が1000万円超かどうかで判定します。1000万円以下の事業者は免税事業者となり、消費税の納税義務はありません。

翌年に工場建設を予定しているなど、仕入れ消費税の還付を受ける予定がある場合は、個人は12月31日まで、法人は適用を受ける事業開始の前日までに、所轄税務署長に対して「課税事業者選択届書」を提出する必要があります。

資本金、出資金が1000万円以上の法人はすべて課税事業者(福祉法人を除く)となります。
1000万円超の事業者は「課税事業者届出書」をすみやかに提出する必要があります。

課税売上高5000万円以下の事業者で、仕入れ消費税の計算に「見なし仕入率」を適用する場合は「消費税簡易課税選択届出書」を、適用前年の12月31日(または事業開始の前日)までに所轄税務署長に届けることにより、納める消費税を少なくすることできます。

簡易課税は2年間は取りやめることはできません。また簡易課税を選択している事業者及び免税事業者は消費税の還付を受けることはできません。消費税の還付は、例えば倉庫を建てるなどして建物消費税を支払った場合、その年の納めるべき消費税との差額を国から返還してもらうことです。

消費税が非課税となる取引には、1ヶ月以上の土地賃貸料、土地売買代金、役所の証明書発行手数料、郵便切手、タバコ、酒類、医療・介護費用住宅賃料、出産費用、火葬料、教科書などがあリます。また海外との取引(輸出取引)は免税取引として0%の課税取引となります。。国外取引、非事業用資産の譲渡など、保険金、寄付金などは不課税です。

納税額は、本則は 課税売上高×5%―仕入原価×5%です。簡易課税の場合は 課税売上高×5%―課税売上高×見なし仕入率×5%で計算されます。見なし仕入率は、卸売り90% 小売80% 製造・建設(農林漁業含む)70% 不動産賃貸・サ−ビス(飲食業を除く)50% その他(保険代理店など)60%となっています。

本則課税では、非課税売上高に対する仕入原価にかかる消費税は差し引くことはできず、簡易課税では課税売上別に仕入原価の消費税を計算することなく、一律見なし仕入率で差し引くこととなります。課税売上割合(課税売上高+免税売上高)/(課税売上高+非課税売上高+免税売上高)×100が95%以上であれば非課税売上分も含めて全額仕入原価に対する消費税を差し引くことができます。

本則課税には、適正な記帳と原則7年間の帳簿、請求書等の整理保存義務があります。これらに記入される事項は取引年月日、相手先の名称、資産役務の内容、取引の金額などです。
条件を満たさない場合、仕入れ控除の適用が否認され納付税額の増大になりかねません。
一方、簡易課税の場合は課税売上高の記帳をするだけで済みます。

納税は、確定申告をしている税務署に個人は3月31日までに、法人は確定申告までに納付することとなっています。納付しない場合は納付するまで延滞税が、申告しない場合無申告加算税、過少申告の場合は過少申告加算税が貸される場合があります。

通常は課税期間は1年ですが、3ヶ月または1ヶ月に短縮することができます。還付を受ける場合は早期にできることとなりますが、その代わり、申告納付を頻繁にしなければならないなどのデメリットがあります。

消費税に限らず税務には特例が多数あり、専門家である税理士と十分相談の上、メリット、デメリットを十分理解した上で行動しなければ思わぬ損失、税務トラブルに巻き込まれることとなります。


(私のコメント)
昨日は安倍新総裁が誕生しましたが、小泉内閣が解散する事で消費税増税が解禁になった。三人の総裁候補とも消費税増税に賛成のようですが、消費税の実態を政治家の方々はどれだけ把握しているのだろうか? サラリーマンの方はまったく分からないから国民的な関心をよびにくい。今年から売上げが1000万円以上の個人事業者も消費税の納税対象者になりましたが、この規模の個人事業者になると帳簿もつけていない人が多い。

売上げから仕入れと人件費を払った残りが利益といったどんぶり勘定でどうやって消費税額を勘定するのだろうか? このレベルになると事業費と生活費とが一緒になってしまって勘定合って銭足らずのところが多い。確定申告だけは何とか申告しているが、赤字でも消費税だけは払わなければなりませんが、赤字経営なのに払える訳が無い。だから消費税の滞納が増えている。

私自身も個人事業者だから消費税を納税ましたが、まとめて数十万円もの税金を払うのはびっくりした。このように消費税は最終的に事業者がまとめて払うのですが、納税のしわ寄せは弱い立場の中小事業者にかかってきてしまう。大企業の場合は100円のものを105円にして販売できるが、零細企業の場合は100円のものは100円のまま売る事になり5円分の利益が減ってしまう。

消費税はみなし売上げの5%を消費税として払いますが、零細業者は毎日の支払いに追われて消費税分を分けてプールしている訳が無い。だから数十万円も消費税を払う事になっても払えない事業者が多い。売上げが3000万円以上の事業者なら経理を担当する人も雇えるが1000万円程度の事業者だと仕事に追われて帳簿すらつけられない人も多い。

だから株式日記でも消費税の課税基準の引き下げには反対しましたが、小泉内閣は強行してしまった。売上げが1000万円そこそこだと利益は良くても300万円程度だから人も雇えないし、そこから生活費を引いたら消費税分は残らない。税務署などは白色申告業者には客の数や仕入れの数量などで売上げを割り出しているのでしょうが、そこから5%の税金を徴収する。

私の場合は不動産賃貸業だからみなし仕入れ率が50%だから、売上げが2000万円の場合は1000万円X5%で50万円が消費税となりますが、赤字すれすれの業者にいきなり50万円の税金を払えと言われても払えない業者が出るのは当たり前です。ぎょうせいのホームページにもあるように税金の滞納で一番多いのが所得税を抜いて消費税が一番となり滞納額は5000億円にもなっている。

政治家達は消費税の値上げはやむをえないと言っているが、税率を引き上げても滞納額がそれに伴って増えて行くだけだ。学者も政治家も評論家も実情を知らないから、このようにインターネットで実情を訴えているのですが、政治はぜんぜん相手にしてくれない。サラリーマンたちも直接消費税を納めていないから実情が分からないのだ。

だから税収は取れるところから取るべきであり、税金とはもともと利益のうちから徴収すべきものであり、高額所得事業者や高額所得者から税金は取るべきなのだ。消費税は所得税とは異なり売上げから5%を掛けて徴収するから利益がトントンの業者からも税金を取り立てる事になるが、納める金が無いのにどうして収めればよいというのだろう?

消費税分が価格にそのままスライドできれば問題は無いが、多くの零細事業者は内税方式では値上げがやりにくい。だから5%分値引きしているから消費税分が確保できない。安倍内閣が発足して消費税が7%や10%に上がっても事情はそれだけ悪くなって行くのみで滞納税額は5000億円から1兆円に増えるだけなのだ。

マスコミは政府の宣伝広報機関に過ぎないからこのような消費税の実情はまったく報道しない。株式日記ではこれ以上税率を引き上げても景気が悪化して税収はかえって落ちると警告してきましたが、バカな財務省役人などは税率を上げれば税収は上がると思い込んでいる。

森永卓郎氏も所得税の最高税率を上げていくべきだと主張していますが少数派で高額所得者からの反発は強い。しかし利益のうちから払うのだから60%70%税金を取られても利益は残るが、消費税は売上げから5%取られるから利益は残らず税金も払えない業者が続出して滞納税額は増えていくだけだ。安倍新総裁はこのような実情を知っているのだろうか?




土地価格の政府発表の数字ほど明らかに現実と違う数字である
それをマスコミが今更のように、「デフレ脱却」と受け売り報道する


2006年9月20日 水曜日

基準地価、3大都市圏16年ぶり上昇

国土交通省は19日付で、2006年の基準地価(7月1日時点)を発表した。

 東京、大阪、名古屋の3大都市圏の平均で、住宅地が前年比0・4%上昇、商業地は同3・6%上昇し、ともにバブル期の1990年以来、16年ぶりに上昇に転じた。

 東京など大都市の中心部で先行した地価の回復が郊外にも広がり、都市圏全体の地価を押し上げた。一方、全国平均は、住宅地が同2・3%下落、商業地が同2・1%下落し、いずれも15年連続で下落したが、下落率は3年連続で前年より縮小し、下げ止まりに向けた動きもうかがえた。

 3大都市圏で上昇率が30%を超えた地点は、商業地で8地点、住宅地で1地点。東京の千代田、中央、港の都心3区の平均上昇率は、住宅地が前年比17・8%(前年4・9%)、商業地は同14・2%(同2・8%)と、上昇率が大きく拡大した。
(読売新聞) - 9月19日6時1分更新


欺瞞の「基準地価」とマスコミによる「情報汚染」 9月19日 HiT株式教室

戦時中の「大本営発表」という嘘ばかりの発表を信じさせられた国民の地位は今もあまり変わっていないかもしれません。中でも、土地価格の政府発表の数字ほど明らかに現実と違う数字でありながら、それをマスコミが今更のように、「デフレ脱却」とピントの外れた受け売り報道を行うことは迎合的で無批判な姿勢と言わざるを得ないでしょう。

 国土交通省が発表した「基準地価」は同省が公表する毎年1月1日時点の土地価格である「公示価格」を都道府県レベルで7月1日の時点で異なる調査地点とについて発表されるもので、基本的に公示地価と内容が異なることは無く、補完的なものに過ぎません。公示価格や基準地価はバブル崩壊後に実際の土地価格が急落する一方で、土地の実勢価格とかけ離れて少しずつ値下げしてきた結果、実勢と3年もずれて「3大都市圏で16年ぶりに上昇」というような欺瞞性の高い数字になって発表されたことは疑いようがありません。

 公的な地価の算定には一応資格のある不動産鑑定士が適切な評価を行う形式になっていますが、集められた取引事例は当局の固定資産税の急減を防ぐ思惑によって都合の良い事例が多いことは業界の常識と言われています。多くの地主が不当に高い固定資産税について、取引事例よりもはるかに高く課税され、訴訟になったり、クレームをつけましたが、土地所有者が示す取引事例は「個別の事情で特別に安く売買された特殊な取引事例」として参考にならないと行政側が退けています。都合の悪い取引事例を「特殊な事例」として排除していたのでは正確な土地価格にならないことは当然でしょう。

 結局、地方の土地は公示価格や基準地価を少しずつ下げても追いつけず、都心部の土地は不動産投信などの買いで急騰し、ようやく実勢に見合うレベルになったに過ぎません。4年ほど前にキャノンが「土地を借りるより買うほうがコストが安い」として、それまでの土地を買わない方針を転換して大規模に土地を取得したことがありました。それは収益還元に比重を置いた正しい経営判断だったことが今になって明らかになっています。4年前なら兎も角、マスコミが今頃になって、「16年ぶりに3大都市圏の土地が上昇」と報道することは土地取引に無知な人たちを焦らせて高値掴みを奨励させかねない問題のある追従記事と言うべきでしょう。固定資産税を高く取られた人たちにとっても気分の悪い報道に違いありません。


地価高騰はいつまで続くか 8月30日 住宅ローンアドバイザー 殿岡秀秋
 
 近年の大都市での地価高騰を支えてきたのは,史上空前の低金利と金余りです。日銀のゼロ金利と量的緩和政策の結果,資金の運用先を求めて,地銀等がJリート(日本型不動産投資信託)に大量に資金を投資しました。

これを運用するためにJリートは多くの不動産を取得してきました。そのため優良の投資物件は品薄となり,価格の高騰をまねきました。Jリートに物件を納める不動産業者は,高値で物件を仕入れてもJリートが購入してくれるので,高値でも物件探しを続けることができたのです。

 しかし,日本銀行は7月14日で短期市場金利(無担保コール翌日物金利)を実質0%に誘導する「ゼロ金利政策」を解除し,金利を0.25%引き上げることを決めました。金利の引上げは2000年8月以来,ほぼ6年ぶりとなります。

公定歩合(日本銀行が,市中金融機関に貸出しを行う際に適用される基準金利。中央銀行により,市中の通貨量や金利を調節する手段とされる)は年0.1%から0.4%に引き上げられました。年内の再度の利上げもありうると日銀が政策転換した結果,不動産市場は大きく変化してきています。

金利上昇で地価安定化へ

 長期金利の上昇を受けて,地銀等からのJリートへの投資は止まりました。一方でJリートの上場の動きは,ますます活発化しています。そのため都心部の地価は,さらに高騰していますが,さすがに高値すぎて,投資しても利回りが悪化するため買いを躊躇する動きもみられ,高止まりしているのが実情です。現在上昇しているのは大都市圏郊外と地方の大きな都市の投資用物件です。

 一方,Jリート上場数の増加で投資家の争奪戦が起こっています。その結果,新規上場で公募価格割れのJリートも出てくるようになりました。05年度に上場した16銘柄のうち,8銘柄の初値が公募価格を割り込みました。7月に上場予定だったエコロジー・リート投資法人は「市場の地合いが悪い」と上場を見送ったほどです。

 現在はまだ低金利ですが,日銀の再度の金利引上げがあると,地価への影響は深刻となります。 Jリートは投資家から資金を集めていますが,投資資金の4割程度は金融機関からの借入れでまかなっています。調達金利の上昇は利回りの悪化をまねきます。

 反対に銀行等の預入れ利息は高くなるため,相対的にJリートの金融商品としての魅力が薄れてきます。まだ,低金利ですので,その影響は大きくありません。ところが,再利上げが起こると投資家の選択の目が厳しくなることが予想されます。

 仮に年内に再利上げが起これば,Jリートが高値で物件を仕込むことは難しくなります。当然,Jリートに物件を納める不動産業者の物件の仕入れもシビアになります。 こうして金利上昇局面で,大都市圏での地価は安定化に向かうとみられます。


(私のコメント)
9月9日の株式日記でも都心三区の賃貸相場が高くなっている事を書きましたが、空室率も1%台という話も出ていますが信じられない数字だ。その時は輸出産業が景気がいいからだろうと書きましたが、他にもREITなどの不動産投資ファンドからの投資で優良物件が少なくなって奪い合いになっている話もききます。さらには耐震偽装問題などで古いビルから新築のビルへ引っ越す動きも関係しているだろう。

このように都心三区の不動産バブルは周辺に広がっていくものだろうか? それとも都心三区だけの特殊な現象なのだろうか? 住宅に関しても超高層マンションが都内のあちこちに建てられているが、バブルの崩壊に伴う土地の流動化で超高層のビルやマンションが建て易くなったことも原因している。バブルの頃は地主もなかなか土地を手放さなかったが、土地の暴落と共に逆に手放す人が増えたのだろう。

このように都心三区にオフィスが集中して、都内の各所に超高層マンションが建てられるようになった原因としては首都圏の拡散が広がりすぎて、都心回帰が進んできたと言えるのだろう。以前は庭付き一戸建ての人気が強くて通勤時間がかかっても郊外の田園都市に一戸建ての住宅を求めたが、通勤に往復2時間以上もかかる所では、やはり生活に支障が出ることで一戸建て住宅から都内のマンションに回帰しているのだ。

オフィスビルも新都心や副都心などへの移転もありましたが、やはり中央官庁のある都心三区の利便性にはかなわないのだろうか? しばらくぶりで都心を歩くと今まで無かった新築のビルが軒並み並んでいて驚きますが、これからも都心の風景はどんどん変わっていくのだろう。一時は空洞化が心配されましたが都心の利便性が見直されたのだろう。

だから都心の基準地価の上昇は都心の再開発が進んだ事による反映であり、再開発が進めば土地の値上がりにつながってくる。逆に再開発の進まない所は老朽化が進んでスラム化してゆくのだろう。今回の基準地価は都心だけではなく名古屋などの駅前再開発地域も地価が上昇している。

このような再開発のキーワードは「超高層」であり、オフィスにしてもマンションにしても超高層のビルが中心になっており、今までは面に広がっていたのが上に伸びて面の広がりは集約化されている。アメリカのような土地の広いところでも都市は超高層ビルが建てられるのも利便性のためなのだろう。

このように大都市の再開発による経済の活性化の道筋は見えてきたのですが、地方の経済の活性化の道筋は見えてこない。だから基準地価などの動きもずるずると下げ続けている。駅前商店街も寂れる一方だし、国道沿いの巨大ショッピングセンターとパチンコ屋とラブホテルだけが繁栄しているような風景だ。

大店法の改正で中央の大資本が巨大ショッピングセンターを作って地元の資本を食ってしまった。そして大資本が手を出さないパチンコ屋とラブホテルだけが繁栄している。確かに巨大ショッピングセンターが出来れば都会と変わらぬ消費が出来るから便利だろう。車社会で大きな駐車場も備わっている。そのおかげで大資本が地方資本を食ってしまった。

このまま中央と地方の格差はついて行く一方なのだろうか? ヒントになるのは北海道の倶知安のリゾート地の地価が上がっている。オーストラリアからのスキー客の宿泊施設が出来て利用価値が高まった。だから温泉旅館なども外国には無いものだから考え方を変えれば道は開けるかもしれない。地方の人は東京ばかり見て考えますが、外国にも目を向けてみれば道は開けるかもしれない。

バブルの時代は確かに地方に多くの観光施設やリゾート施設が出来ましたがほとんど失敗してしまった。国内の客ばかり想定して同じ事をしては失敗する。日本もこれからは円安時代がやってくるかもしれない。そうなれば外国からの観光客がやって来やすくなる。日本ではありふれた豊かな自然も外人客にとってはアピールするかもしれない。豊かな発想力こそが地方を活性化するための切り札になる。




塩野七生(著) 「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」
16世紀イタリアは経済の繁栄にかまけて政治腐敗が国を滅ぼした。


2006年9月19日 火曜日

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 塩野七生(著)

ヨーロッパの情勢は、変動しつつあった。中世後期を通じて、自由都市国家群という独自の形態を発展させることによって、商工業を盛んにし、それから得た莫大な富を使って、ルネサンス文化の花を咲かせ、ヨーロッパに君臨したイタリアが、歴史の流れともいうべき、専制統一国家政体という大きな壁につきあたる時がやってきたのである。

すでにこの頃までに、イタリア各地の小国家は、いくつかの強国に編入されてはいたが、ヴェネツィア共和国、ミラノ公国、フィレンツェ共和国、ナポリ王国、それにローマ法王庁と、各列強に分裂していたイタリアにとって、統一国家への道は、あまりにも遠かった。

これに反して、それまでイタリア人が、田舎者と呼んで軽蔑していたフランス、ドイツ、スペインが、それぞれ専制主義の国家体制を確立することによって力を持ちはじめ、その領土的野心を、小国分立とその間での抗争の絶えないイタリアに向けようとしていた。さらに、地中海の東をおおいはじめたトルコ帝国の脅威に対しても、無関心は許されなかった。

十五世紀の後半から十六世紀の前半を通じて、イタリアは、自らの生き方を、根本的に考えなおすことを迫られるのである。この混迷の時代は、しかしそれだからこそ、ルネサンスの二大歴史家、マキアヴェッリとグイッチャルディー二を生んだ。

しかし、悲惨な時代、混乱の世紀であろうとも、そこに生れたものは、あくまでもその中で行き続けなければならない。チェザーレ・ボルジアも、その一人であった。緋の衣を身にまとうことによって、法王に次ぐ地位にまでのぼった彼を、ただそれだけに安住させないものが、少しずつ彼の心の中に芽生えはじめてきたのはこの頃である。

グイッチャルディー二の言った「悲惨な時代の最初の年」、一四九四年、この年に起ったフランス軍のイタリア侵入という大ぎな事実が、十九歳になったチェーザレを、はじめて激動する現実に直面させた。彼は、この時はじめて、真の学問をする。その彼にとっての師は、父の法王アレッサンドロ六世であった。

多くの歴史家によって、イタリアの近代の始まりとされる、このフランス軍のイタリア侵入は、どのような原因によって起ったのであろうか。ある者は、イル・モー口すなわちルドヴィーコ.スフォルツァの策謀だとし、他の者は、フランス王シャルル八世の名声欲からだとする。またその他にも、枢機卿ジュリアーノニァツラ・ローヴェレの、法王ボルジアに対する敵悔心からだという者もいる。いずれの言も間違ってはいない。というよりも真の原因は、これらがすべて組み合わさったところにある。

有能な傭兵隊長であり、またすぐれた君主でもあったフランチェスコ・スフォルツァからはじまったミラノ公国の当主スフォルツァ家は、その子のガレアッツォ・マリーアが暗殺された後、残された小公爵ジャンガレアッツォの執政を、彼の伯父にあたるルドヴィーコ・スフォルツァが、摂政として助けていた。イル・モー口と仇名されたこのミラノ公国の実力者は、摂政という地位に甘んずる気はなかった。

弟のアスカーニオ・スプォルツァ枢機卿とともに、彼は、甥から公爵の位を奪うための機会を狙っていたのである。長年の摂政としての実績によってミラノの民心はジャンガレアッツォ公爵より、彼の方に傾いていた。ミラノ公国内では、もはや問題はなかった。問題は、ナポリ王の出方であった。

なぜならば、ジャンガレアッツォ公の妃が、ナポリ王の息女であったから、ナポリは当然、イル・モー口のこの陰謀を認めるはずがなかったからである。イル.モー口は、ナポリ王位継承権を主張するフランス王シャルル八世に目をつけた。このフランス人を、ナポリのアラゴン王家をつぶす手先に利用しようと。

さて、フランス王シャルル八世の方である。中世騎士物語を読みすぎたらしいこの王様は、シャルルマーニュの偉業にあやかりたいという思いでいっぱいだった。その思いの行きつく先は、外国遠征である。彼はナポリ王国の王位継承権が、アンジュー家の子孫の一人である自分にあると主張し出す。第三の原因である、ローヴェレ枢機卿のことは、もう少し話があとになるが、これらの原因を持ちながら、フランス軍のイタリア侵入は、その機を待っていた。そして、その時はやって来た。

一四九四年一月二十五日、老練な政治家として知られた、ナポリ王フェランテが死んだ。その王位は、嫡出の王子アルフォンソニ世が継ぐのが当然と思われた。すでに、先の法王インノチェンツォ八世の時代に、当時カラーブリア公であった彼の王位継承が、ローマ教会から認められていたのである。

しかし、フランス王から、王位継承権はフランス王にこそあるという横たいかんやりが入った。このフランス王の抗議は、ナポリよりも、王の戴冠式を行う側、すなわち、新王認証の権利を持つローマ法王に向けられた。法王がアルフォンソを認めでもすれば、フランスはイタリアに侵入するであろう。これが、シャルル八世が法王に送った脅迫である。

しかし、法王の心中は決っていた。フランス人をナポリに入れる考えなど、全くなかったのだ。四月十八日、法王は、モンレアーレの枢機卿である甥のジョヴァンニ・ボルジアを、ナポリ王戴冠式のための法王特使に任命した。ローマ駐在のフランス大使は、これを知って驚き、親仏派の枢機卿たちは、枢機卿会議召集を法王に迫った。その日の会議は、八時間続いた。

スフォルツァ、ルナーテ、サンセヴェリーノ、コロンナ、サヴェッリと、次々と枢機卿たちが、ナポリ王承認の危険性について、法王をはげしく追及した。このフランス派の枢機卿たちの黒幕は、枢機卿ジュリアーノニァツラ・ローヴェレであることは誰もが知っていた。ただ彼は、オスティアの城にあって、枢機卿会議には出席しようとはしなかった。

しかし、法王の意志は変らなかった。八時間に及んだ枢機卿会議を終えた彼は、その直後、ナポリ王としてアルフォンソニ世を認める教書を、全キリスト教国の君主に向けて発したのである。さらに続けて、以前よりナポリから話のあった、アルフォンソの庶出の王女サンチャと、法王の末の息子ホフレとの結婚まで決めてしまった。ローマとナポリのこの結びつきは、フランス王を激怒させた。

そして四月二十四日、枢機卿ローヴェレの逃亡事件が起る。枢機卿たちを動かしての作戦に失敗した.ローヴェレは、以前はナポリ派であったのに、ボルジア打倒のために、ナポリ王を捨ててフランス王と結託しようと決めた。ただ法王が、彼とフランス王との関係を見抜いている今、枢機卿がローマを出る時に必要とする許可を、法王が与えないと判断した彼は、逃亡という手段に訴え、成功したのである。

ジェノヴァに着いた彼は、イル・モー口の援助でフランスに入り、アヴィニョンでシャルルとの連絡を再開し、リヨンでシャルルと会った。ローヴェレが新しく宗教会議の開催を、王シャルルに強調したことはもちろんである。その宗教会議で、買収によって法王になったボルジアを退位させるべきだと。自分が宗教改革者にもなれるというこの案は、フランス王シャルルの名声欲をくすぐった。

ここからローヴェレ枢機卿、イル・モー口、シャルル八世三者の作戦が、本格的に動き出す。イル・モー口とシャルルの間では、当面の目標はナポリ王国だけだったのが、口ーヴェレの参加によって、ローマが強く打ち出されてきたのだった。

一方、ローマのアレッサンドロ六世は、ローヴェレ枢機卿の逃亡を知って、事態が悪くなりつつあるのを感じた。しかし、追ってもすでに効果のないことだった。彼は、ローヴェレの逃げたあとのオスティアの城に、オルシー二一族を送って、それを占領させてしまった。この城を手に入れたことは、法王にとって重要なことであった。なぜならば、ローマからナポリヘの海路の確保を意味したからである。この二週間後、テヴェレの河口にあるオスティアの城の前を通ってナポリヘ向った法王特使モンレアーレ枢機卿によって、アルフォンソニ世の戴冠式が行われた。その数日後、十三歳のホフレと十五歳のサンチャも結婚した。

シャルル八世が、グルノーヴルに兵を集結させはじめたという噂は、アルプスを越えて、またたくまにイタリア全土に広がった。その噂に緊張したイタリアの諸国は、すぐ続いて、シャルルの使節を迎えねばならなかった。イタリアだけでなく、ヨーロッパの各列強に送られたシャルルの親書は、次のようなものだった。

「ナポリ王国征服の目的は、異教徒の下にある聖地イェルサレムを奪還するための、十字軍遠征の基地とするためである。」

イタリアでは、誰一人、この理由を信じる者はいなかった。当時、フィレンツェ共和国を、その狂信的な宗教政治で支配していたサヴォナローラと、彼の一派の他には。

イタリア諸国には、さらにこれに続けて、このフランスの意図への協力を要求していた。領土通過の承認と、兵力、資材の供出である。この王の要求に、ミラノ公国はもちろんのこと、娘がイル・モー口に嫁いでいるフェラーラ公国のエルコレ公も、またマントヴァ侯も、全面的な協力を約束する。

東地中海域で、対トルコ防衛に手いっぱいのヴェネツィア共和国も、このシャルルの動きを黙認するしかなかった。イル・マニーフィコの死後、メディチ家とサヴォナローラ一派の争いで物情騒然としているフィレンツェ共和国は、態度を決定することすらできない状態にあった。イタリアは、一戦も交えないで、シャルルの前に軍門を開いたも同然である。

ローマ法王庁も、シャルルの使節の訪問を受けた。シャルルは、法王に対して、あくまでも自分のナポリ王位継承権を認めることを要求し、それは、十字軍遠征への第一歩であると強調した上、トルコ王子ジェームを渡すようつけ加えることをも忘れなかった。そして、もしこれを法王が拒否した場合、フランス王は、宗教会議を召集し、そこで法王に退位を迫る考えだと。これでは、もはや完全な脅迫である。

法王は、今なお、十字軍遠征の夢想に酔うシャルルにはあきれはてた。しかし、この馬鹿者は、力をもっている。力を持たない時、それに対抗する手段は技としての政治しかない。そして技としての政治とは、こういう場合に、すなわち、力をもたない者が別の意味の力を得るために使うものである。

法王は、シャルルの使節を、明確な回答を与えずに追い返した後、七月十四日、ナボリ王と会った。しかし、絶望的な防戦におおわらわなナポリ側からは、ローマ防衛のための余裕もないことを知らされただけだった。さらに、軍事的援助を要請するため、神聖ローマ帝国皇帝とスペイン王フェルディナンドに送った使節のもち帰った回答も、法王を安心させることは何もなかった。

フェルディナンドは、シャルルの十字軍構想を別に反対する理由もないと答え、神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアンは、先年、スフォルツァ家の公女と結婚し、イル・モー口と近かったからである。イタリアの諸国中、唯一、その政治的独立を保持できる力をもっていたヴェネツィア共和国でさえ、シャルルの行動を認めるという知らせを受けた法王にとって、残された方策はひとつしかなかった。時をかせぐこと、せめてアルプスに雪の降る時まで。 (P38〜P45)


(私のコメント)
昨日のテレビは朝から晩まで自民党の総裁候補のテレビ出演に埋められましたが、私は朝の「報道2001」と夜の「小泉純一郎のドラマスペシャル」の一部を見ただけだ。ドラマの方は岩城晃一の小泉首相のそっくりぶりが目立ちましたが、国家の最高責任者ともなると自分で決断しなければならない事の多さが分かります。だからいくら大勢の補佐役がいたとしても決断力の無い人物では勤まらない。

首相のような行政職はいくら議員歴が長くても役には立たず、むしろ都道府県庁の知事をやって実績を上げた人のほうが向くのではないかと思う。アメリカの大統領も州知事出身者が圧倒的に多い。だから日本の総裁選挙も都道府県知事の中から総裁候補がいても良いと思うのですが、国会議員歴の長い人はしがらみが多くて調和的な政治になってしまう。

政治討論では三人の候補者への質問では歴史認識に対する質問が必ず出されますが、国会議員は歴史学者ではないのだから、日中戦争は侵略戦争かと聞くほうも馬鹿なのですが、政治家が歴史を語ったら外交問題になるから、専門家に任せるのが正しい判断だろう。ヨーロッパでもローマ法王がイスラム教の聖戦思想を非難して国際問題になっていますが、政治の当事者が歴史を語るのは外交問題になりやすい。

もちろん政治家が歴史を知らなくてよいと言うのではなく、政治の積み重ねが歴史であり、歴史とは政治の延長上にあるから誰よりも知っていなければならない。ところが歴史は正解の出ていない問題が多くて、ローマ法王が言った事も間違いではなく、イスラム教徒が怒る事も間違いではなく、正解が一つとは言えない問題が多い。

政治学や歴史学の教科書にニッコロ・マキャヴェッリの「君主論」がありますが、政治家なら必読の書なのですが、日本の政治家で読んだ人は何人ぐらいいるのだろう? 政治を宗教や道徳から切り離して考えるべきなのですが、「君主論」こそ政治学の始まりでもある。だから私も大学時代は「君主論」を読んで勉強した。

その「君主論」の中で理想の人物として触れられているのが、チェザーレ・ボルジアであり、マキャヴェリとチェザーレ・ボルジアとは直接面識がある。チェザーレ・ボルジアは日本で言うならば織田信長のような人物であり、31歳の若さでなくなったがためにイタリアの統一は遠のいてしまった。

このような状況を知るためには塩野七生氏の「チェザーレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」という小説を読むと当時の状況や、チェザーレ・ボルジアがどのような人物であり、マキャヴェリがどのような状況で「君主論」を書いたのかが分かる。

小説の中からフランス王のシャルル八世のイタリヤ侵入の部分を紹介しましたが、いわゆるイタリア戦争の始まりとなって、1494年から1559年まで続いた。その間イタリアはフランス、ドイツ、スペインの侵略を受けて、悲惨な状況になってしまった。もし、チェーザレ・ボルジアが殺されなかったならばイタリアの統一がなされて侵略は防げたのかもしれない。マキャヴェリはそれを願って「君主論」を書いたがイタリアの統一は未完に終わった。

日本でも世界でも群雄が割拠する戦国時代は政治学や歴史学の材料の宝庫なのですが、イタリアがヨーロッパの中で最後まで統一が遅れたのも、倫理や道徳がとことん腐敗してしまって、毒殺や親兄弟が殺しあうような戦乱が続いた。マキャヴェリの「君主論」もそのような中で書かれたから、政治を道徳や倫理から切り離して書かざるを得なかったのだろう。

塩野氏の「あるいは優雅なる冷酷」は小説と言うよりも歴史書のような小説であり、当時の状況が克明に描かれている。ルネッサンスは十字軍遠征によるキリスト教の腐敗から起きた人間復興の事でもあるのですが、欧米ではキリスト教に代わる倫理道徳がなく、キリスト教の堕落は人間復興でもあるし、倫理道徳の腐敗でもあった。

その象徴のような人物がチェザーレ・ボルジアであり、彼の父のローマ法王のアレッサンドロ六世であった。当時はカトリックの総本山のローマ法王が愛人を囲って子供を作ることなど当たり前であり、チェザーレ・ボルジアも愛人の子だった。日本人から見れば坊主も愛人を囲って子を作るなど昔から例がありますが、キリスト教に代わる倫理道徳が無いことがイタリアの悲劇でもあったのだ。

日本ならば人間教のような原始的な宗教があるのですが、ヨーロッパではそのような原始的宗教はキリスト教によって駆逐されてしまった。




国家にとって歴史とは個人の思い出のようなものだ。歴史を否定
された国家は将来に立ち向かうことができず漂流するしかない。


2006年9月18日 月曜日

産経Web 教育を考える アメリカ-中学生向け教科書編

(3)カスターはインディアンの女性や子供まで虐殺した
英雄的将軍か酷い惨殺者か


アメリカ映画といえばかつては西部劇であり、
幌馬車を襲撃する悪漢たちを撃ちまくったジョン・ウェインや
ゲーリー・クーパーといった主人公たちはいまもヒーローであり続けている。
その一方で、教科書の中の西部劇はまさに劇的な変化を遂げた。

例えば、ジョージ・アームストロング・カスター将軍と第七騎兵隊の逸話がその典型だ。
カスター将軍とその部隊は一八七六年六月二十五日、
モンタナ平原のリトル・ビッグホーンの戦いでシャイアン族とスー族の連合軍に殲滅された。

南北戦争での勇猛さ、赤いスカーフに長い金髪という派手ないでたちから
国民的な人気者だったカスターはこの死によって「西部劇の伝説」になった。
ハリウッドが四十本以上のカスター映画を作ったことからもそれがうかがえる。

ところが、ハイスクール用歴史教科書
「ライズ・オブ・ジ・アメリカン・ネーション」
(一九八二年版)はそんな英雄カスターを全く別人に描いている。

「スー族は再び約束を(白人によって)破られた。
居留地として認められていた
ブラック・ヒルズから金鉱が発見されたため、
第七騎兵隊はスー族をそこから追い出すよう命じられたのである。

指揮官のカスターは
根っからのインディアン・ファイターで、
数年前、オクラホマの平和なインディアン部落を襲撃し、女性や子供まで虐殺している。


カスターは一八七六年六月、
スー族とシャイアン族の村々を襲ったが、
インディアン側には二人のすばらしいリーダーがいた。
一人は能力があり誠実で理想肌のシッティング・ブル。
もう一人は妥協を潔しとしない軍事的天才のクレージー・ホースだった。
戦いは壮絶を極め、カスターと二百六十四人の騎兵隊員は全員殺された」


アメリカの輝かしい西部開拓史が
原住民虐殺史へと視点を変えたのは、ベトナム戦争以降に強まった
ネガティブ(否定的)史観にあることは、同じ教科書の六六年版をみれば明らかだ。


そこでカスター将軍は
「最後のフロンティア征服」の過程で登場した歴史的な傑物として記述され、
原住民を理不尽に殺りくした人物としては描かれていない。

歴史人物の評価の変化は
メキシコ革命の風雲児、パンチョ・ビリャにおいても顕著だ。
テキサスなど旧メキシコ領を併合した米国は
二十世紀にはいってメキシコへの投資を強めており、
一九一〇年から二〇年にかけて吹き荒れたメキシコ革命は大事件だった。
六六年版「ライズ・オブ・ジ・アメリカン・ネーション」は次のように書く。

「米国はいまやメキシコ新大統領をだれにするか指図する立場にあった。
ウィルソン(米大統領)は
アルゼンチンなど三国と調停会議を開き、
(独裁者の)ウエルタを辞任させ、代わりにカランサを就任させた。

カランサが外国人(米国人)の
生命と財産を尊重すると約束したのを受け、米国は新大統領を承認した。
だが、その決定に不服なビリャは北メキシコにおいて米人十八人を冷酷にも惨殺した。
ウィルソンはパーシング将軍率いる五千人の兵士をメキシコに送り込み、ビリャを追跡したが、
反米感情が強まる中、一九一七年に引き揚げた。
大統領は法と秩序を守るためやむなく力を使った」

一方、最新の九八年版歴史教科書
「ボイヤーズ・アメリカン・ネーション」は一転して次のように描いている。

「カランサ大統領時代は紛争に彩られた。
ビリャはカランサを承認した米国への復讐を決意し、仲間の革命派ザパタにこう書き送った。

『われわれはメキシコの仲間には銃を向けず、メキシコが自由の国であり、
裏切り者にとっては墓場であることを思い知らせるために米国人を襲う覚悟だ』。

ビリャは十七人の米人(うち九人が兵士)を惨殺したため、ウィルソンは
ビリャを生死にかかわらず捕まえるよう命じ、カランサの了解を得ないまま追跡隊を送り込んだ。
追跡隊は一時、一万人を超え、メキシコとの国境には米兵十五万人が集結したが、追跡隊がメキシコに深く入り込むほどに反米感情も激化した」

盗賊の頭領のように描かれていたビリャがまるでロビン・フッドのような存在になった。

だが、こうした評価の一変に反発する声もある。
ニューヨークの「米教科書評議会」のギルバート・スーワル氏は
「カスターが極悪非道な惨殺者で、ビリャは実は愛国的革命家だった
と描けば描くほど本当の姿から乖離するわけで、行き過ぎた歴史修正と言わざるを得ない」と批判している。
(ワシントン 前田徹)


(4)リンカーンの目的は奴隷解放ではなく合衆国維持にあった
「南北戦争」異なる歴史認識


米国の歴史教科書が扱うテーマで
最も論議を呼ぶのが南北戦争(一八六一−六五年)の記述だ。

米南部連合州と北部連合州の内戦はいまも
米国最大の危機として記憶されているが、戦争原因やその背景についての評価が
百四十年を経たいまに至っても敗戦(南部)側と戦勝(北部)側の間で食い違いを見せているからだ。

とりわけ南部側は戦争が北側の言う
奴隷解放の是非を争うようなものでなかった点にこだわっている。
つまり善(北)と悪(南)の戦いではなく、
「古き良き伝統を守ろうとした南部のプライド」をかけた戦いだったというわけである


今年四月、ミシシッピ州議会が
黒人運動家らの強い反対を押し切って南部連合のシンボル入りの州旗を
掲げ続けることを議決したのはそうした歴史観がまだまだ根強いことを示している。

一九六六年版の歴史教科書「ライズ・オブ・ジ・アメリカン・ネーション」は、
南北戦争当時、南部で広く論じられた奴隷制賛成論を二ページにわたって詳述していた。

「奴隷たちには満足な衣食住が与えられ、
病人になっても年老いても面倒をみてもらえた。
何よりも文明化という点で大きな利点があった。

逆に北部の
工場労働者たちは解雇の不安に常に悩まされ、
工場主に搾取され、年老いたり病気になると捨てられた。
この見方は大農園主に特に支持され、小農園主や奴隷を持たない小作農たちにも広く浸透していた」

奴隷制度の擁護につながるかのような
こうした記述は最近の教科書からは消えたが、
南部における奴隷制が南北戦争の主因となったという歴史認識はとりわけ北部で根強い。
その見方を反映した現行の全米向け教科書「ジ・アメリカンズ」は次のように記述する。

「一八五四年六月二日、
ボストン市の通りは五万の人で埋まった。
抗議のための半旗が翻り、多くの商店は黒い布で覆われた。

(逃亡奴隷である)
バーンズを持ち主に返すことに抗議して
窓からは『自由の葬儀』と書かれた棺さえつるされた。

逃亡した奴隷を持ち主に返す法に怒った北部州の人たちは
アフリカン・アメリカン(黒人)たちをカナダに逃すために自警団まで組織した」

このページには年老いた黒人女性の写真が掲載され、
「奴隷逃亡を組織し(かつてユダヤ人奴隷をエジプトから救い出した)
モーゼの再来と呼ばれたハリエット・タブマン」という説明が付けられている。

ベトナム戦争以降、米国で急速に強まったネガティブ(否定的)史観は
ベトナム戦争が共産主義に対する“正義の戦い”だったという視点を退けた。

また、六〇年代に進行した公民権運動によって
黒人、アメリカ先住民(インディアン)、メキシコ系米人ら
米国の少数派と呼ばれる人たちの権利を強く意識した歴史観が生まれた。

しかし、南北戦争に関する限り
こうしたネガティブ史観は痕跡をたどるのが難しい。
むしろ南部史観と北部史観が混在するという多様性さえみられるのである。


全米の多くの州が採用している高学年用「ジ・アメリカン・ネーション」は
リンカーンの奴隷解放宣言をめぐる説明を次のような書き出しで始めている。

「最初、南北戦争は奴隷制度をめぐるものではなかった。

北軍が進出するところでは
必ずアフリカン・アメリカン(黒人)が奴隷解放を期待して現れたが、
北軍兵士は多くの場合、これら逃亡奴隷を捕らえて元の持ち主に戻した。

リンカーン(大統領)は
戦争当初の目的が奴隷解放ではなく
合衆国体制を維持することにあったと明確にするため、
『私は奴隷を解放せずに合衆国を維持できるならそうするし、
解放することで維持できるというならそうもする』と演説した」

「この戦争の過程で南部がとりわけ悲惨だったのは、
ほとんどの戦場が南部であり、戦闘による破壊を被ったからである。
また、北部のだれもがこの戦争を支持したわけでもなかった」
「リー(南部軍将軍)はこのまま戦えば部下がすべて戦死することがわかっていた。
一八六五年四月九日、降伏した。
これに対し、(北軍の)グラント将軍は非常に寛容な扱いをした。
『戦争は終わった。反乱軍(南軍)は再び我らの同胞になった』と語った」

この記述からは
奴隷制度を維持する時代遅れの南部を
懲らしめる進歩的北部という単純で一方的な歴史観は排除されている。
奴隷制度原因説を強調した前出の「ジ・アメリカンズ」とは際立った違いだ。


南北戦争について多様な歴史観を示す米教科書は、
南部と北部の歴史認識の違いを強制的に同一化することはなく、
異なる認識の共存が許されている。(ワシントン 前田徹)


(私のコメント)
昨日からの続きの歴史観についてですが、韓国や中国の歴史教科書の中身については以前に紹介しましたが、これらの国では反日が一つのイデオロギーになってしまっている。韓国にしても中国にしても建国して60年も経っていない国ですから、第二次大戦以降の記述が主体になり、日本との戦争を自分達のアイデンティティにするようになる。

アメリカも建国してから200年足らずの国であり、大きな歴史的な出来事は限られるのですが、西部開拓時代のインディアンとの戦いや、南北戦争が大きく取り扱われている。それらの歴史的評価についてはアメリカでも時代と共に変わって来るものであり、一つの出来事について普遍的な評価を下すことは難しい事を物語っている。

だから株式日記でも大東亜戦争についての歴史的評価は後世の歴史家に任せるべきだろうと書いてきた。私自身は大学で日本近代政治史をゼミで専攻したが、歴史の出来事についてどのような評価を下すかが歴史家の仕事だからだ。その為には資料を出来るだけ集めて、あらゆる観点から検討していかなければならない。

私自身は大東亜戦争についてはアジアの植民地解放戦争であり、人種解放戦争でもあったと評価している。アメリカにおいてもベトナム戦争の頃から黒人やインディアンなどのマイノリティーからの評価も歴史教科書に反映されるようになり、カスター将軍はインディアンの女性や子供まで殺した虐殺者と書かれる様になった。

丁度その頃はベトナム反戦運動や公民権運動などが起きており、アメリカのマイノリティーから見ればカスター将軍は虐殺者だ。いずれはアメリカにおいても広島、長崎への原爆投下は正しかったかと言う反省が起きるだろう。産経WEBの記事ではパールハーバーの事や原爆投下の事にも触れているが、ハイド議員のような太平洋戦争の当事者も生きていてはまだ冷静な評価を下すのは難しいのだろう。

南北戦争についても未だに戦争の傷跡が残っており、北部と南部の人とでは南北戦争についての歴史教科書も大きな食い違いを見せている。北部の人から見れば南北戦争は奴隷解放戦争なのでしょうが、南部の人にとっては国家の統一を維持するための戦争と言う見方であり、南部の歴史と伝統を守る戦いであったと教えている。

このようにアメリカ国内の歴史的出来事に対する評価も時代と共に変わるのであり、南北戦争ですら今でもアメリカでは普遍的で公正な評価を下すのは難しい。ましてや大東亜戦争が何であったのかを評価するにはまだまだ早いのだろう。だからアメリカで一部の議員が靖国神社の歴史観について訂正を求めるのは間違っている。

アメリカにおいてもベトナム戦争の頃からネガティブ史観が見られるようになったように、敗戦と言うのは歴史観を変える要素になるようだ。日本においても大戦の敗北によりネガティブ史観が日本の歴史の定説となり、日本の小学生や中学生は、日本は好戦的な侵略国家だと教え込まれて、憲法九条こそ日本は守るべきだと教育されてきた。

田原総一郎氏などのジャーナリストたちも大東亜戦争は侵略戦争だと決め付けているが、彼は歴史学の専門教育は受けていないのだろう。関が原の合戦だろうと、明治維新の評価でも時代と共に歴史的評価は変わるものであり、株式日記でも明治維新は欧米のフリーメーソンが深く関与していたと言うように思うようになった。

田原氏や秦氏のように歴史書を多く書きながら、疑問を感じざるを得ないのは、歴史に普遍的な評価を下そうと言う点があることだ。秦氏も富田メモが出てきたときに「これは一級資料だ」と言っていましたが、歴史学上では一級資料とは直接本人が書いた手紙や日記などを言うのであり、富田メモは伝聞であるから二級資料以下なのだ。だから歴史家ならば伝聞メモは一級資料とは言わない。

昨日はハイド議員などが靖国神社史観を批判したことに対して、彼らがどこまで事実を認識しているのか疑問を書きましたが、重大な出来事ほど真相を探るには難しく、日本でもアメリカでもなかなか公文書などが公表されず、事実の解明ができないことが多い。公表されても黒く塗られて分からなくされて、パールハーバーの奇襲攻撃も大統領は知っていたのかどうかは謎のままだ。

ケネディ暗殺も9,11テロ事件もおそらく政府は何も発表はしないだろう。南京大虐殺の真相も本当にあったのかどうかを探ろうにも、朝日新聞が次々ガセネタを公表しては混乱させてばかりいる。それらは歴史家によってガセであることは見破られている。一級資料だけを注意深く選別していかないと、伝聞だけで検証もせずに発表してしまうのは、歴史の専門家から見れば信用を失うだけなのだ。

先進文明国家であるならばイデオロギーに満ちた歴史教科書は使うべきではないが、アメリカですら自国の歴史を冷静に見る事は南北戦争の記述を見ても難しい事は明らかだ。英仏などでも自国の帝国主義については反省は見られていないが、日本だけがネガティブ史観を周辺諸国から強制されるのは政治的な意図があるためだ。産経WEBでも最後に次のように書いている。


(6)原爆投下によって数十万人の米兵の命が救われた「正当化の論理」は変わらず

米国の歴史教科書がベトナム戦争への
疑問を発端として大きく記述を変えたのは間違いないだろう。

ベトナム戦争での敗北感が伝統的歴史観を揺るがし、
白人中心の米国史は黒人や原住民(アメリカ・インディアン)
という少数派の目からみた歴史観によって修正が加えられたからである。

歴史家、シュレシンジャーが
そうした修正をいわゆるネガティブ(否定的)史観と呼んだのは、
「過去のマイナス面を強調しすぎたため輝かしい過去まで否定してしまった」との反省からだ。

しかし、米国は日本のように戦勝国や周辺国から
歴史観の変更を強く迫られ、激しい非難にさらされることもなかった。
第二次大戦の原因や原爆投下の理由についての記述でも自らの歴史認識を否定する積極的な必要性もなかったのである。

シュレシンジャーはネガティブ史観の行き過ぎを戒める次のような警告を発しているが、
これはむしろ自虐史観といわれるほど歴史の暗部だけをことさら強調する教科書があふれるいまの日本にこそ当てはまるように思える。

「国家にとって歴史とは個人の思い出のようなものだ。
過去を全否定された個人が無気力になるように、
歴史を否定された国家は将来に立ち向かうことができず漂流するしかない」




<米議会>靖国神社遊就館の展示に変更求める ハイド委員長
中国や韓国のロビー活動で米国議員の対日認識が歪められた。


2006年9月17日 日曜日

<米議会>靖国神社遊就館の展示に変更求める ハイド委員長

【ワシントン及川正也】米下院外交委員会のハイド委員長(共和党)は14日、日本と近隣諸国に関する公聴会で、靖国神社にある戦史展示施設「遊就館」について「事実に基づかない歴史が教えられており、修正されるべきだ」と述べ、展示内容の変更を求めた。

 また、民主党のラントス筆頭委員は小泉純一郎首相の靖国神社参拝を「日本の歴史に関する健忘症の最もひどい例だ」と指摘し、「次期首相はこのしきたりをやめなければならない」と参拝中止を求めた。米国内には首相の靖国参拝による日中関係悪化を懸念する声があり、米外交に影響力を持つ両議員の発言は日米間に波紋を広げそうだ。

 ハイド委員長は「遊就館が第二次大戦は日本による西側帝国主義からの解放だと若い世代に教えていることに困惑する」と批判。ラントス議員は「A級戦犯が祭られている靖国神社への参拝はドイツで(ナチス幹部の)ヒムラーらの墓に献花するのと同じ。韓国や中国の怒りをあえて招くことをする限り、日本が国際社会で重要な役割を演じるのは難しい」と述べた。
(毎日新聞) - 9月15日12時2分更新


米下院委員長、「遊就館」の展示内容見直し求める

【ワシントン=五十嵐文】米下院国際関係委員会のヘンリー・ハイド委員長(共和党)は14日、日本と中韓両国など近隣諸国の関係に関する公聴会で、靖国神社に併設されている展示施設「遊就館」について、「ここで教えられている歴史は事実に基づいておらず、訂正されるべきだ」と述べ、展示内容の見直しを求めた。

 遊就館をめぐっては、旧日本軍の行為を正当化しているといった批判が日本国内でも出ているが、米議会有力者が公式に歴史観の見直しを求めるのは異例。

 ハイド委員長は「西洋の帝国主義からアジア、太平洋の人々を解放するために日本が戦争を始めたと若い世代に教えているのは困ったことだ。日本の植民地支配を受けた人々は、誰も日本を解放者とは見なしていない」と述べた。

 このほか、公聴会では、トム・ラントス議員(民主党)が日本の首相による靖国神社参拝について、「北東アジアの緊張を引き起こし、米国の安全保障上の利益を傷つけている」として、参拝中止を求めた。

(2006年9月15日12時14分  読売新聞)


733 :翻訳者:2006/09/16(土) 15:40:21 ID:v7xveEJM 2ちゃんねる

マイケル・グリーン(一部省略しましたが一応全文翻訳)

議長、この重要な公聴会での証言者として招いていただきありがとうございます。また長年の優れた 活動をこの場を借りて感謝したいと思います。

委員会は日本と中国あるいは韓国との係争が日本が同盟国として信頼できるかあるいはアジア太平洋地域 での平和維持にどう影響するかに関して意見を述べよといわれました。

信頼できる同盟国/利害関係者としての日本

最初に日本の国際的役割について述べたいと思います。なぜなら国際平和、安定、開発に関してアメリカや 世界はますます日本に依存するようになったからです。日本はアメリカにつぐ国連やIMF、世界開発組織への 財政支援をしています。

日本はテロとの戦いで欠かせないパートナーでありアフガニスタンの作戦において 着実な海軍による支援と復興資金を提供しました。日本の自衛隊はイラクにおいて地上での復興支援にあたり、そしてイラクへの復興財政支援を申し出た最初の国の1つであります。

5000億ドルもの支援が他の湾岸諸国の資金援助の呼び水になりました。日本はイラクで有能な外交官を失いましたがイラク政府が正常になるまで支援の姿勢を堅持しました。

アジアにおいて日本は援助であれ貸付であれ開発資金の指導的提供者です。また日本は地域に安定を保証し アメリカの権益を守る米軍に年間50億ドルもの支援を続けています。東アジア共同体なるものが提唱されたときも アメリカを含めること民主主義と法治主義という主張を先導しました。

結果として日本は人権問題や知的財産問題を 国内の問題とみなす中国と競合関係に陥りました。この議論が発展し日本は地域の民主国家との関係を強化し特に インドや豪州と戦略対話と協力関係を進めました。

実際、豪州は日本と安全保障条約を締結することを模索しており インド首相が年末に訪日する際も多くの地域イニシアチブが検討されています。

欧州と南アジアを旅行したさいには日本の援助を目の当たりにすることができました。クウェートではサモワから帰還 したばかりの陸上自衛隊員に遭遇しました。彼らは疲労し砂漠の砂で汚れていましたがイラクで淡水化事業をすすめる ことに誇りをもっていました。パキスタン奥地では真新しい校舎を見ました。「日本ありがとう」という旗が掲げられていました。 日米共同の支援の一環でした。

この国際平和と安定への貢献により91%のアメリカ人有識者と69%の一般人が日本を信頼できる同盟国とみなしています。 同じ外務省調査のなかで96%の有識者と78%の一般人が日米は価値を共有していると答えました。これは英国より高い 数値です。日本のイメージは国際的にも良好です。

BBCが今年の春に発表した調査の中で33カ国中31国が日本が世界に 貢献していると回答しました。これは米国、英国、中国、北欧諸国すらこえる数字です。否定が多数だったのは2カ国だけです。

おわかりのように中国と韓国です。中国では71%、韓国では54%が否定的でした。BBC調査は東南アジアを広範にカバーして いるわけではありませんが9月4日に発表されたギャラップ・読売調査では東南アジアの人々の90%以上が日本と良好な関係を 持ち70-90%の人が日本は信頼できると回答しました。

孤立しているどころか日本の歴史において今ほど広く尊敬され支持されたことはありません。にもかかわらず日中・日韓の間には 問題が存在し、それが今日のこの委員会の骨子であります。私見では二国間関係は性格が異なるものであり、まずそちらを検証した後 にアメリカは北東アジアの主要国の間でどういう役割を果たすことができるのかという問題に戻りたいと思います。

日中関係

BBC調査が示すように日中間の係争は日韓より深くまた継続するものです。米メディアの焦点は 小泉首相の論争を呼んだ日本の戦死者をまつる靖国神社への参拝でした。ですがそれが原因ではなく むしろ生み出された症状なのです。

日中の係争の本当の理由を理解するには最初に構造的要素に着目 する必要があります。単的に言えば1895年に台頭してきた日本に負けて以来はじめて日中の国力レベルの 拮抗にともなう調整を行わざるをえなくなったのです。

戦後一貫して日本の指導者は中華人民共和国に エンゲージすることにより日本を先頭とする雁行型の経済に収斂すると読みました。何故なら日本がもっとも 進んでいたからです。中国の指導者は対照的に日本は経済に専念し戦略的影響力でのライバルになると考 えませんでした。

過去10年において両国は相互に相手に期待するところが間違っている及び相手の行動を 束縛しうるテコ(日本の場合は経済援助、中国の場合は歴史カード)が十分ではないことも実感するようになりました。

結果としてのライバル関係が随所に現れるようになりました。昨年、中国は日本の常任理事国入りを阻止すべく積極的に 動きました。中国はアメリカ主導のイランに関する多国籍会合への日本の参加に反対し北朝鮮に関する6者会議での日本の 役割を最小限に落とすようにしました。中国の潜水艦などが日本の主張する領海に入りました。対抗して日本の自衛隊は台湾 周辺の諸島に海・空の勢力を集め、中国の透明性にかける防衛強化を浮き彫りにするようになりました。

この流動的戦略ゲームの中で歴史問題はとらえられるべきです。小泉首相が最初に靖国神社を訪問した日本の首相では ありません。実際のところ戦後のほとんどの首相が訪問しました。反中国外交を展開するどころか、中国の台頭を脅威とみなす 勢力と意見の食い違いをおこしながらも、小泉首相は日中の未来に関してきわめて明るい楽観論をのべてきました。

彼はまた 日本の歴史的逸脱行為に関しても深い遺憾の意と謝罪を繰り返してきました。1937年に日中戦争が始まったマルコ・ポーロ橋 での2001年の声明などです。

小泉首相が靖国参拝に固執するのは何百万人という戦死者の家族は首相から死への敬意を受けるべきだという彼の個人的 確信に基づいています。ですが小泉にとってより重要なのは日本の過去認識に関して中国の指図を受けないという決意です。

日本が靖国参拝で外交的痛手という対価を払っており世論もその対価が果たしてふさわしいのか分断されており、あるいは そもそも参拝自体が妥当なのかという議論もあります。ですが、この問題で小泉が国民の人気をえるために愛国的カードを 切っているというのは単純すぎます。

同様に日本は自身の過去を忘れ戦前のように好戦的になっているという考えも全く的外れです。日本は危険な周辺国に かこまれています。北朝鮮は核兵器を開発しそれらを拡大させています。中国の軍事作戦はどんどん日本に近づいてきて います。日本の対応は日米同盟を強化しミサイル防衛システムを推進し国連に北朝鮮に対して圧力をかけさせるというもの でした。

予算の制約もありますが日本の軍事支出がGDPの1%以上になったことはありません。攻撃的兵器の開発にも着手 していません。与党自民党の憲法改正案ですら9条1項の戦争の放棄を残しています。確かに日本は現在、過去より愛国的 ですが最も驚くべき日本の現実は過去において極端に抑制してきたことです。

アメリカ人はもしカナダが核兵器を開発しアメリカ 市民を拉致したら、あるいはメキシコが軍事予算を年間15%で増加させ続けたらと考えれば、日本の基盤において強固な平和 主義が流れていることがわかります。

また日中の経済相互依存が現在ほど高まったことはないという事実を考えても良いでしょう。過去2年の日中の貿易は日米よりおおきく 日本企業は進出先を多様化しているものの撤退するかまえは見せていません。中国の指導者がこの相互依存に気づき歴史問題をこれ 以上追及するリスクに気づいているという証拠があります。

80年代の中国学生の反日運動はすぐに反政府デモに変わりました。愛国カードは 依然として捨てがたいが、その危険性も理解しています。前任者のコウタクミンと違いコキントウは日本に対し個人的敵意をもっていません。

コキントウは歴史問題の膠着からぬけるために小泉が靖国参拝を止めるなら会談をする用意があると述べました。これはもちろん失敗しました。 まさに小泉政権が決めた中国に歴史で指図を受けない、まさにその行為だったからです。

私は過去6ヶ月で明確には意思表示されないものの日中の歴史問題の扱いは間違っていたと相互にほぼ認め合っていることを発見しました。 例えば中国は小泉の8月の靖国参拝を非難したものの後継者である安部をおいつめることはしませんでした。安部は中韓との関係を安定させ、 もし首相になり外遊するなら両国であるとのべました。

日本と中国のライバル関係をうながす根本的戦略要素が消えることはありません。近未来において明確な仏独間の和解的なものは起きない でしょう。日本はドイツでなく中国はフランスではありません。自由なヨーロッパに組み込まれた民主国家同士ではないからです。周恩来は 70年代に3世代以上戦争の記憶をこえて関係が前進することはないだろうとのべました。現在もこれは生きているようです。 ですが歴史と領土問題を両国がより慎重に扱うようになるという理由はあります。

日韓関係(ここはだいぶ省略した)

日中関係と違い日韓の問題はここ10年の戦略的結果です。最近まで日韓関係は良好でした。 金大中と小渕の間で和解が成立し韓国は日本文化を解禁し日本とのFTA交渉を開始しました。 日本では韓流ドラマが大人気となり日米韓での北に対する防衛会合や組織が作成されました。

この関係は小泉・ノムヒョンとなっても続き2001年に小泉が靖国参拝を始めても変わりませんでした。 島根県により引き起こされた領土問題と北朝鮮への対応の違いが離反を生みました。日韓の交流は 結果として消え去りました。

日韓関係が悪化を続けるような構造的要素はありません。民主国家としての価値観を共有しているからです。 3月に発表された韓国国防関係のアンケートでは中国を脅威とする人が38%に対し日本は28%でした。 FTA交渉はとまりましたが鉄鋼をはじめビジネスは継続しています。

ですが今、日韓関係がこわれてしまうと北朝鮮の思う壺となり核開発を進めるでしょう。日米韓が協調して こそ中国が北に対し影響力を行使する気になります。また北による地域分断を防ぐことができます。さらに 日中間と違い日韓の政治指導者たちは日中同様に関係を改善しようという証拠を見せません。この理由 により日韓問題は日中より緊急でアメリカが関与して改善する余地があります。

アメリカの役割(簡単に要約)

日本に干渉すべきでない。すでに健全な議論が進んでいる。 アメリカの司法や議会がWW2に関して日本に賠償させるという活動は非生産的です。1951年の サンフランシスコ条約により戦争の賠償問題は終了したという行政・司法判断は変わらないからです。

一方でそうした訴訟ざたは黙ってWW2の賠償を責任を明らかにせず賠償を進めるという日本国内の 勢力が身動きとれないようにもします。

さらに言えばアメリカが日本と中国の間でバランスを取ろうというのは誤りです。日中間で緊張をひき おこしているどのような問題においてもアメリカの利害は日本の側にあります。アメリカは日本と強固な 同盟を維持しながら中国との良好な関係を持つことができるだけでなく日本との強固な同盟という背景 があってこそ中国と安定したエンゲージメント戦略をとることができます。

以下、割と常識的なアメリカは日中韓の係争にどう関与するかは穏健な議論なので省略します。


(私のコメント)
米下院外交委員会での公聴会のニュースがありましたが、その中でハイド委員長は遊就館での表示にクレームをつけましたが、外国の民間の施設の見解に対して政治的圧力を加える事は、言論の自由を守るアメリカの民主主義に反するのではないかと思う。

靖国神社が国の施設であるならば遊就館の展示の表示は国の見解と思われても仕方がありませんが、靖国神社も民間の宗教施設であり、遊就館はその関連施設に過ぎない。それに対してアメリカの政治家が圧力を加えてくる事は非常識である。

もちろん民間における学者の意見交換は当然あるべきですが、政治家が関与してくる事は歴史認識を捻じ曲げ、外交摩擦の原因ともなりかねない。もちろん明らかに間違った歴史的事実は外務省が積極的に動いて正さねばなりませんが、ハイド委員長は大東亜戦争そのものの評価について言っているのだ。

ならば、日本からもスミソニアン博物館のエノラゲイの展示に対して、原爆の投下は正しい選択だったと言う主張に対しては、原爆の使用は国際条約に違反した残虐な兵器であり認められないと主張すべきですが、アメリカ政府はその主張に対して聞きいれるつもりは無いようだ。

中国や韓国は歴史教科書や抗日記念館などでの表示も間違っていれば日本側から抗議すべきであり、中国の抗日記念館は民間施設ではない。このような歴史認識に関することは民間レベル学会などで意見を戦わせるべきなのですが、歴史認識が政治イデオロギーに使われてしまっている。

中国などの独裁国家なら仕方がないのでしょうが、アメリカなどとの歴史認識について日米の政治家が意見を言うとなると外交問題となってしまうから慎むべきだ。むしろジャーナリストや学者などの専門家が意見を戦わせる事は大いにやるべきですが、民間では英語などの言葉の障害で意見交換は難しいようだ。

株式日記でも英語の情報が発信できればいいのですが、今のところ難しい。このような歴史認識問題について日米のブロガー同士が討論できる場はあるのですが、英語を使わざるを得ないから言葉のハンデはあり、アメリカ人に日本語を使わせる事は不可能だろう。

欧米の歴史学者などの意見ではジョン・ダワー教授なども太平洋戦争を人種戦争と捕らえている意見もあり、トインビーなどもアジアの解放戦争と言う見方をしている学者もあり、本格的な論争をすれば遊就館などの展示表現のうほうが勝てるかもしれない。それに対してアメリカの左翼学者達は中国や韓国を背後から煽って「日本は侵略戦争をした」と言わせているのだろう。

確かに朝鮮半島や中国大陸に関しては植民地にしたり侵略した事実はある。しかしこれに関しても当時の状況をよく調べて検証すべきであり、国境紛争から火がついたことでもあり、どちらがどうしかけたのかは学会でも意見が分かれている。しかしこう言うと過去の戦争を正当化するものだというハイド委員長のような人もいるから、政治家がこのような場に出てきて言うべきことではないのだ。

外交委員会の公聴会のマイケル・グリーン氏などの専門家の意見陳実などは毎日新聞や読売新聞などではカットされているが、アメリカの国会議員に一部には中国や韓国の活動家が情報を吹き込んでいるのだろう。ラントス議員などは靖国神社に参拝する事はヒムラーの墓に献花するのと同じと言う意見は中国の外相に意見そのままだ。しかし靖国神社には墓は無く位牌も無いのだからアメリカの国会議員は靖国神社のことをまったく知らないのだ。




イスラエルをこのアラブ地域の中心箇所に楔として打っておき、
一つにさせないのがユダヤ人及びアメリカの真意だろうとの事。


2006年9月16日 土曜日

中東レポート 9月16日 ロシア政治経済ジャーナル おたより号

カイロからアンマンに移動。

私は各国の大まかな経済状況・成熟度を、走っている車を含めた交
通事情を見て判断する事が多いが、カイロと比べて周りの車のグレ
ードはアップしてきれいになり、日本車の比率もかなり高い。

車のマナーはカイロに比べヨーロッパのそれに”少し”近くなってほっ
とする。

代理店の社長にヨルダンは思ったより裕福そうですねと言ってみるが、
そんなことは全く無く、日本人が考えるような一般生活レベル以上の
人は人口約600万に対しせいぜい50万人位で、多くの人(数百万人)
が海外への出稼ぎに出ており、医者などの技術職の人でもより良い
労働条件を求めて欧米諸国で働いているとの事。

中東の湾岸諸国からの投資は増えているが、国内だけで見ると経済
は停滞気味であまり良くないらしい。

代理店の社長はパレスチナ生まれのパレスチナ人で40年前の中東
戦争時にエジプトに逃れ、ヨルダンに戻って会社を起こした人である。

国際関係に詳しく、彼は911のテロはイギリスが黒幕ではないかと言う。

エクソンモービル等の世界の大手企業の株式を8%所有するHSBCが
関係しているはずだとの意見で、私の意見とは少し違った。

今回のイスラエルの戦争でも数人の兵士を拘束したヒズボラに対して
あれだけの攻撃を加えるのは結局和平を望む気は元から無く、アメリ
カ同様無理にも戦争がしたいのだろうとの事で、北野さんの主張とぴ
ったり合っていると思いました。

日本の事情にも詳しく、日本はアメリカのNational Bondを買い続け、
数十兆円規模でドルを買い支えている、日本は電力は原子力と水力
発電が多く、石油は車の為が主要な理由だろうから、ロシアからの
パイプラインがあれば今後さほどアメリカのメジャーに依存しなくて良
いのでは等々…。


イスラエルに対しては、国家として認めることはやはりできないと言う。

エジプトに住んでいたころは近所にもユダヤ人が多く住んでいて、宗
教的違いを超えて共存していたが、それは狭い地域内のことであり、
国家としては存在を受け入れがたいという。

彼は中東のあの位置にイスラエルという国家を樹立したのは地理的
要因が一番だという。

アフリカから中東に跨る北緯20度から40度の地域には、

1温暖な気候(3毛作が可能)

2安く良質な労働力

3交通の要所

4一つの言語(アラビア語)

5豊かな資源(鉱物・石油・オイルマネー)

という利点があり、これらの地域を一つの地域として耕作すればか
なりの量の穀物の生産が可能であり、石油に並ぶ重要な資源で
ある食料を戦略物資と見れば、アラブ諸国を一つにまとまらせたく
ない、イスラエルをこの地域の中心箇所に楔として打っておこうと
いうのがユダヤ人及びアメリカの真意だろうとの事。


元々ユダヤ人とアラブ人は同源であり、言葉も同じAramic語である
(Hebreu &Arabic)。しかし今ユダヤ人と名乗っているのはアシュケ
ナージ系(ヨーロッパ系)であり、文化・慣習等の面で完全に違って
おり、イスラム教徒には受け入れがたい面が多々ある(結婚・性・
利息を取る事、その他)。

結局イスラエルがこの地にこだわるのは歴史的なものではなく、中
国と日本が海底油田を争っているように経済的要因が一番であろう、
彼らはビジネスを続けたいのだと言う。

歴史は為政者によって意図的に捻じ曲げられ、特定の目的の為に
利用される事が多々有ると教えてくれたように思う。



猥雑で渦状な世界 9月12日 堀田佳男

9.11」のテロ事件から5年が過ぎた。その歳月があったからこそ、今あの惨劇の因果関係を冷静に問い直せる時期がきているように思う。
 
 過去5年、アメリカ政府は次なるテロ攻撃を防ぐために何十兆円という予算をさいてきただけでなく、国土安全保障省という官庁を新設しさえした。だが、テロの首謀者であるオサマ・ビンラディンを拘束することも、アルカイダや他の国際テロ組織の活動を完全に封じ込めることもできていない。幸いにして、9.11規模のテロ攻撃が繰り返されていないだけと考えるべきだ。

 アメリカは国を挙げてテロ防止に奮励しているが、ジハーディスト(聖戦実行者)たちのイデオロギーは以前と何も変わらない。変わらないというより、アメリカ政府がどう転んでも、彼らのイデオロギーを抹殺することはできないと書くほうが正確だろう。増大する予算と反比例するかのように、アメリカに対する敵愾心は増すばかりというのが現実である。

 しかし大多数の回教徒はジハーディストではないし、テロ活動を支援してもいない。いつの世でも「過激派は少数派」という宿命を背負う。ただ、多くの回教徒はアメリカの独善的な政治スタイルと外交政策を疎ましく感じている。

外交政策のなかでも特に偏っているのがイスラエル政策である。それはホワイトハウスという行政の場だけでなく、立法を司る議会でさらにあからさまである。議員の9割は「イスラエルばんざい」と呼んで差しつかえない内容の法案に賛成票を投じ続けている(『選択』9月号:猛威強める米「ユダヤロビー」拙稿参照)。

そのエネルギーの起点はアメリカ国内にいる約530万人のユダヤ系アメリカ人を母体にした「アメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)」というロビー団体である。全米ライフル協会とならんで最強のロビー団体であり、年間予算は50億円を超える。彼らの手口はカネにものを言わせた徹底した陳情、さらに選挙で特定候補を強力に推す方法で、一般議員を震え上がらせている。

今春、AIPACは「パレスチナ反テロリズム法」という法案を通過させるために議会で執拗なロビー活動を行った。450回もさまざまな議員のオフィスに出向いて陳情をおこない、夏の休会前に圧倒的多数で法案を可決させている。

仮にA議員が同法案にたいして「ノー」という態度を示したとしよう。このロビー団体は次の選挙でA議員の対抗馬に資金を流入してA議員を落選させる運動すら行う。それによって落選した議員は過去一人や二人ではない。これがユダヤロビーの怖さである。

それではどうして同じことがアラブ系アメリカ人にできないのか。まずアメリカ国内にいる彼らの人口が違う。ユダヤ系530万に対しアラブ系は120万に過ぎない。さらにAIPACのような強大なアラブ系アメリカ人の政治団体もない。もちろん彼らの声を代弁する団体はあるが、年間に集金している額は数百万円の単位でしかない。比較できないほどの力の差があるのだ。

その上、その120万はユダヤ系のように統一されていない。出身国によっていくつものグループに分かれている。アラブ系の中ではレバノン系がもっとも多く37%。以下エジプト系12%、シリア系11%、パレスチナ系6%、ヨルダン系3%他となっている。宗教派閥によっても分化されているし、オイルマネーで潤うサウジアラビアやクウェート、アラブ首長国連邦はアメリカではアラブ系主流派として君臨していないため、力を収束できずにいる。

ブッシュ家と直接つながりのあるサウジアラビアのサウード家は、石油の売却先としてアメリカを「利用」してはいるが、政治力を発揮して中東の安定化を図ろうなどという善良さは持ち合わせていない。

アメリカはジハーディストたちのイデオロギーを変えることはできないが、同様に、ジハーディストたちもワシントンがユダヤロビーによって牛耳られている以上、いくらテロ攻撃を繰り返したところで親イスラエルの中東政策を変更しない現実を知るべきである。

 その点において両者は共通する性向をかかえる。相互理解の拒否と歪んだ信念の維持である。結局は、ジハーディストもワシントンの政治家たちも猥雑で渦状な世界の住人なのである。(敬称略)



(私のコメント)
最近レンタルビデオ屋で「Vフォーバンデッタ」のDVDがあったので借りて見ましたが、イギリス人にとってはアメリカは植民地であったところに過ぎず、映画ではアメリカは再びイギリスの植民地になっていた。となると、9,11はアメリカを没落させるためのイギリスによる謀略と言う見方も出来る。

アメリカはたまたま国内に巨大油田が存在して、それを元にイギリスから投資を呼び込んで経済発展して、二度の世界大戦でイギリスが疲弊すると共に、アメリカが世界の覇権国になった。しかしアメリカは巨大油田が枯渇すると共に衰退してゆくのは明らかだ。

アメリカはその為に中東の巨大油田の軍事的支配を目指しましたが思うようにはいっていない。9,11は自作自演のようにも見えますが、イギリスによるアメリカに対する報復とも思える。9,11によってアメリカと中東と戦争させて双方を疲弊させようと言う戦略だ。

以前の株式日記でも味方のふりをした敵ほど恐いものはないと書きましたが、イギリスこそアメリカにとって味方のふりをした敵なのだ。「Vフォーバンデッタ」は復讐がテーマでしたが、原作は80年代のマンガであり、イギリス人のアメリカに対する復讐心は根強く持っているのだろう。

イスラエルを中東の真ん中に建国させたのもイギリスやアメリカのユダヤ人でしたが、その目的はアラブを一つにまとめさせないためで、アラブに対する分断工作であり、その思惑はイギリスとアメリカとでは微妙にずれがあるようだ。

イギリスにおいてはスエズ運河の支配が重要でしたがイスラエルを通じてスエズ運河を支配しようとしていた。ところがアメリカの妨害でエジプトに国有化された。イギリスの没落は植民地を失った事ですが、直接の原因はスエズ運河を失う事でインドやアジアの支配権を失った事だ。

イギリスはスエズ運河を失う事で世界帝国から没落しましたが、同じようにアメリカにおいてはパナマ運河が戦略的に非常に重要な意味を持っている。アメリカがもしパナマ運河の実質的支配権を失うならばアメリカは世界帝国から没落する。パナマ運河を失えばアメリカは西海岸と東海岸とに分裂した状態になる。

だからかつて日本がアメリカと戦争する時はパナマ運河を攻撃すべきでしたが、パールハーバーを奇襲してしまった。帝国海軍のバカ軍人達はパナマ運河の重要性に気がついていなかったのだ。太平洋戦争末期になってやっと気がついてイ400と言う潜水艦で攻撃しようとしましたが終戦になってしまった。パナマ運河は揚水式運河なので水門などを破壊すれば使用不能になる。

堀田氏のコラムではイスラエルのユダヤ人団体がアメリカ政界を乗っ取った様子を記事にしていますが、このようなユダヤ人団体の背後にはイギリスの陰謀が見え隠れしている。イギリスはイスラエルのユダヤ人団体を通じてイスラムとアメリカを対決させて双方を衰退化させようとしているのだろう。そして9,11テロを決行させた。

中東レポートに出てくるパレスチナ人の代理店の社長によれば、9,11はイギリスの陰謀と見抜いている。テロを決行したのはイスラム過激派ですが、プランを立てたのはイスラエルで、それを命じたのはイギリスの奥の院だ。このようにしてアメリカ・イスラエルとイスラム諸国と戦争させて双方が衰弱するのを待っているのだ。イギリスは老大国ではなく陰謀大国なのだ。



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