株式日記と経済展望

ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


ハリウッド映画「SAYURI」 は〈米国という旦那〉に尽くす
〈日本という芸者〉への米国のファンタジーなのではないか


2006年1月15日 日曜日

「SAYURI」は、「米国=旦那」に尽くす「日本=芸者」への米国のファンタジー  船橋洋一

ワシントン郊外のベセスダの映画館で、「ある芸者の回想」(Memoirs of a Geisha=日本語版「SAYURI」)を見た。

 満員だったが、終わって、客席からは何の反応も感想も漏れてこない。みな、黙って出口に向かっていく。感情がかき回されなかったと見える。

 舞台は1930年代の日本。

 戦争の足音が聞こえてくる。

 京都の花街が、昔のサイゴンのチャイナタウンみたいだ。芸妓の踊りがモダンダンスのようだ。芸者が客の前であんなに自分の意見をはっきり言うはずがない。

 英語の問題もある。さゆり(チャン・ツィイー)と初桃(コン・リー)の英語はお世辞にもうまいとはいえない。豆葉(ミシェル・ヨー)と会長(渡辺謙)のはもっと自然だ。もっとも、アジア人俳優オールキャストにしたから、ここは大目に見ることにしよう。

 しかし、あまりに白黒、明暗がハッキリしすぎている。

 例えば、置屋に連れてこられたさゆりをいじめ抜く初桃を演じるコン・リー。ふてくされた表情と開き直った表情を演じさせたら、コン・リー以上の女優はちょっと見当たらない。しかし、最初から最後まで牝犬のように邪険だ。まるで劇画の主人公だ。観音様のように虫も殺さぬ顔をしながら、虫の足を一本一本、もぎ取るような残忍さを演じてもらいたかった。

 それに、さゆりの「お姉さん」となる豆葉は、映画ではあたかも天使のような役回りになっているが、彼女は初桃を自己破壊に追い込むべく知略と奸計の限りを尽くす怖い女である。そこが十分に伝わってこない。

 いじめも復讐も陰謀も、そこに込められる残忍さは、目に見えない針のように繊細なのである。

 芸者の世界も日本の社会もその本質は繊細さにある。そこが描けていない。つまり、文化が描けていない。

 原作の小説(Arthur Golden, Memoirs of a Geisha)には、その繊細さが描かれているが、映画はハリウッドのファンタジー映画となってしまっている。

 この世の中は、人間と社会の生きる術をめぐる闘争の場にほかならない。

 芸者の世界は、それがもっとも過酷に表れる。置屋での女将と芸妓の言葉も、芸者同士の言葉も、それはしばしば相手を斬りつけるカミソリである。さゆりが初桃に「勝った」と確信したのは、祇園一の水揚げ代を記録したこともさることながら、初桃がさゆりの日記を盗み読みしたからだった。それは、初桃の自信が揺らいだことを示していた。「相手の自信をくじく」ときに戦は終わるのである。

 客との会話や客に対するシナは、客を楽しませ、客の関心を引き、関係を管理し、自らの市場価値を高めるための人工甘味料である。客が「今日は暖かいね」と声をかけてきた場合、豆葉は、相手次第で、10通り以上もの答え方を用意していた。

 にもかかわらず、豆葉はさゆりに「客があなたに関心を持つのは、あなたの会話能力ではない」と冷たく言い放つ。客の関心は畢竟(ひっきょう)、男と女の化学反応である。

 人間のありとあらゆる欲、食欲、性欲、顕示欲、そして支配欲を、冷たい計算と静かな打算で制御しながら上手に満たさせ、それを楽しむ芸を磨く、それが芸者の芸なのである。

 ここに貫徹しているのは、人間社会に対する透徹したリアリズムの目にほかならない。

 芸者の生きる術を戦略的に組み立てることができるかどうかは、旦那を持つことができるかどうか、にかかっている

 その差が、結局は、豆葉と初桃の差となった。

 豆葉には「男爵」と呼ばれる旦那がいた。初桃も旦那に抱えられたときがあるが、長続きしなかった。初桃はお座敷の声がかからないと不安でしょうがない。だから、人気を追い求める。その不安心理が、ライバルの豆葉と後輩のさゆりに対する嫉妬と憎悪の根っこにある。豆葉はさゆりに、「賢い芸者」と「人気がある芸者」の違いを教え、「賢い芸者」になるよう説くのである。

 日本は戦争に敗れ、米国に占領された。

 戦争末期以来、閉鎖されていた京都の花街に再び、灯がともった。

 さゆりも、置屋で一緒だったおカボ(工藤夕貴)も戻ってきた。

 しかし、大きな変化が生まれた。

「誰もが着物を買って私は芸者よ、という時代」になった。

 踊りも三味線も器量も何一つ、さゆりにかなわず、置屋の女将(桃井かおり)の養子の座をさゆりに奪われたおカボの出番がやってきた。

 それはまさに社会革命だった。

 おカボのような“負け組”の敗者復活の場が一気に広がったのである。

 そのエネルギーが戦後の日本を形作った。戦後の日本がこれほど急激な変化を遂げたのに、社会が安定し、国家が繁栄したのは、その“遅れてきた階層”に経済発展と所得倍増の方向性を与え、彼らのエネルギーをつかみだしたからである。

 戦後の出直しではもう一つ、米国との新たなつきあい方を学ばなければならなかった。

 花街が復活して、祇園に戻ってきた豆葉がさゆりに独り言のように言うシーンがある。

「アメリカ人を楽しませるなんて、どうやったらいいもんだか」

 さゆりは会長の友人である「延さん」(役所広司)の求めで、米占領当局のえらいさんの歓心を買うため、奄美まで飛行機で出かけるが、その役目を果たし損なった。米国人の芸者ファンタジーを満足させるには、彼女は自尊心がありすぎたし、独立心がありすぎた。

 この映画は、「マダム・バタフライ」(注)の時代からさして変わらない米国の芸者ファンタジーの流れの中に位置づけることができる。

 このファンタジーは、米国の日本占領時代に復活した。米国は戦後いち早く、各地で「マダム・バタフライ」を上演した。米海軍士官のピンカートン役には(19世紀末ではなく太平洋戦争のときの)米海軍の制服を着せた。そのように「敗北した日本を抱きしめて」みせたのである。

 そして、いま、再び、ハリウッドが芸者ファンタジーを再生産する。

 ここにかいま見えるのは、将来の日米関係像にぼんやりともる“特殊関係”像である。

 冷戦後、米国のそれまでの同盟国の中のいくつかは、関係を変質させていった。ドイツも韓国もそうである。カナダ、メキシコも必ずしも米国に従順ではない。ポーランド、ウクライナ、バルト諸国など新たな親米諸国が現れつつあるが、二者間の同盟構築とまではいかない。米国は、インドとは長期的に協力関係を築きたいが、可変要因が多すぎる。結局、英国、オーストラリア、日本が“特殊関係”の中核となりつつある。

 そのうち、日本ほど米国のかゆいところに手の届くような繊細な気配りをする同盟国はない。

 米国にとって、それが居心地がいいに違いない。

 ひょっとして、この映画に何らかの今日的寓意というものがあるとすれば、それは、〈米国という旦那〉に尽くす〈日本という芸者〉への米国のファンタジーなのではないか。


(私のコメント)
私はこの映画をまだ見てはいないのですが、「ラストサムライ」も途中まで見ていて耐え切れなくなって見るのを止めた。「SAYURI」も最後まで見れる映画とは思えないのですが、政治的に見て現在の日米関係を反映した映画として見ればいいのだろう。この映画は現代版のオペラの「蝶々夫人」なのだろう。

主演のチャン・ツィイーは中国人ですが日本女性を演ずるのに抵抗はなかったのだろうか。時代背景も日中戦争が激しい時期で日の丸の旗を振るようなシーンもあるらしい。日本の女優さんにはこのようなハリウッド映画に主演を張れるような女優がいなかったからでしょうが、確かに国際的に活躍できそうな女優は見当たらない。

ある程度は実績がないと評価されないし、英語を覚えてまでハリウッドに進出しようと言うガッツのある女優もいない。日本ならコマーシャル一本出ただけで5000万円稼げるのに映画の撮影のために一年以上も空けるわけにはいかない。しかし渡辺謙や役所広司など男優は日本の一流スターが出ている。英語などもそれほど上手でなくとも実力があれば何とか通用するらしい。

チャン・ツィイーは日本のテレビコマーシャルにも出ているから分かりますが、非常に美人の女優さんですが表情はやはり中国人だ。また着物を着こなすには年期がいるし日本舞踊だってすぐにマスターできるものではない。要するにアメリカ人のスタッフが勝手に考えた芸者像を中国人を使って映画にしたもので、映像美だけを追求して見るしかない。

日本人がいくら黒人音楽の真似をしても、ポップやロックなどの音楽でアメリカ進出しても上手くいかないのは本物ではないからで、いくら上手くてもだめなのだ。ハリウッドスターがいくらナチスドイツ軍の軍服を着てもそれらしく見えないように人種的に同じであっても文化が異なればどうしても本物には見えない。表情がどうしても違ってしまうからだ。だから現代版の「蝶々夫人」を見るつもりで鑑賞するしかない。

ハリウッド映画はその時のアメリカの政治的メッセージが含まれていることが多いのですが、「ラストサムライ」にしても「SAYURI」にしてもブッシュ政権の思いが込められているのだろう。クリントン政権時代の映画の「パールハーバー」から見ればえらい違いですが、日本国民がSAYURI のようにアメリカというピンカートンに思いを寄せてくれと言うメッセージなのだろう。

この点では船橋洋一氏が指摘しているようにアメリカと言う国は考えてみたら、英国とオーストラリアと日本しか特殊な関係は組めないのだろう。外交戦術としてはアメリカは中国やインドや近隣諸国などとも戦略的同盟関係を組もうとしても国民の間には反米意識が強く、経済格差や文化格差が大きすぎて本当の意味の同盟は組めないだろう。

アメリカはヨーロッパにも兄弟関係であるにもかかわらず、冷たくされ始めてEU統合とともに敵対的な関係になる可能性すら見え始めている。日本はアメリカとは人種も文化も宗教も全く異なり英国やオーストラリアのようなわけには行かない。しかし同盟してやっていかなくてはならない立場はお互いに認識しており、日本とアメリカとが対立関係になればどういうことになるかお互いに認識している。




<皇室典範改正案>小泉首相が「党議拘束必要」
秋篠宮の立太子の可能性は実質的になくなる


2006年1月14日 土曜日

<皇室典範改正案>小泉首相が「党議拘束必要」との考え示す

小泉純一郎首相は13日、政府が通常国会に提出する女性・女系天皇容認のための皇室典範改正案について、党議拘束が必要だとの考えを明らかにした。安倍晋三官房長官が「内閣提出法案には今まですべて党議拘束がかかっていた」と述べているが、首相官邸で記者団に「同じ考えか」と聞かれ「そりゃそうですね」と答えた。
 これに関連して、自民党の久間章生総務会長が同日、「議論が煮詰まっていない。今度の国会でやらなければならない緊急性はない」と改正に慎重な姿勢を示したが、首相は通常国会に法案提出する方針について「変わりない」と強調した。
 自民党内の保守系議員には女系容認に慎重論が根強く、法案提出に向け政府と自民党の調整が難航するのは必至だ。
【野口武則】
(毎日新聞) - 1月13日22時5分更新


三笠宮寛仁さま「エッセー」報道についての所感 川西正彦(平成17年11月5日)

はじめに、自分は女性天皇に明確に反対で、皇位継承者の男子限定を堅持すべきであるとの意見です。

 そもそも内親王を継嗣というのは大衆の自分勝手な思いこみであり感情移入にすぎないのであって、そのようなムードを醸成するメディアの報道についても、フェミニストや大衆世論に迎合する政治家、首相官邸−有識者会議の女性天皇容認論にしても、それは皇室にとってえらい迷惑な話ではなかったかというように思います。

 というのも三笠宮寛仁さまの福祉団体機関誌における「プライベートなひとり言」が11月3日読売新聞三笠宮寛仁さま、女性天皇容認に疑問…会報にエッセー」のスクープがあり、4日は各紙で報道されていますが、軽率に論評できないほど、非常に深刻にうけとめなれけばならない重い内容ですが(最大の切り札が切られてしまったのですから、これからは宮様の面目を潰すことがないよう良識的な国民によって、反転攻勢、国体変更の誤った政策を論破していくということでなければならない) しかしここで若干コメントしておきたいと思います。

11月3日読売新聞、4日朝日新聞朝刊に要旨が掲載されていて、それを読みますと、男系維持の四つの方法論が提案されていますが、ここには女性継嗣という発想ははじめからありません。皇嗣は男子に限定されています。だから読売新聞の見出しのとおりでよいのであって、4日朝日新聞の見出し「女系天皇に異論」とありますが、女性の継嗣は排除されているわけですから、「女性天皇に異論」でよいはずです。

 内親王が継嗣というのは、あくまでも大衆の勝手な思いこみにすぎないのであって、皇族方は皇室の伝統からそのように安直には考えておられないということが、スクープによりはっきりしたと私は思います。

 短い文ですが、四つの方法論はまず「歴史的現実にあった方法論」とされ、前例を重視する堅実な論理で貫かれて、よく練られていて考え抜かれている。含意とするところも深い。従来男系継承論者でも提言していなかった内容も含まれており、なるほどと思いました。

 それぞれの方法論の解釈については慎重を要し軽々しく論評できない。私の解釈が間違っていたら知力の弱さからごめんなさいというほかないのですが、一部で誤った解釈をされている向きもありますので、読売新聞11月3日の34面「エッセー要旨」と朝日新聞4日朝刊30面の「随筆要旨」で内容は把握しているので読売から引用し、若干コメントします。なお双方を比較しますと読売は「日本国という「国体」の変更に向かうことになります」の重要な文言が落とされている。また朝日は側室制度の提案を落としているのを疑問に思います。

「‥‥現在のままでは、確かに"男子"が居なくなりますが、皇室典範改正をして、歴史上現実にあった幾つかの方法論をまず取り上げてみるべき事だと思います。順不同ですが

@臣籍降下された元皇族の皇籍復帰
A現在の女性皇族(内親王)に養子を元皇族(男系)から取る事が出来る様に定め、その方に皇位継承権を与える。(差し当たり内廷皇族と直宮のみに留める)
B元皇族に、廃絶となった宮家(例=秩父宮・高松宮)の祭祀を継承して戴き再興する。(将来の常陸宮・三笠宮家もこの範疇に入る)
以上の様々な方法論を駆使してみる事が先決だと思います。
Cとして、嘗ての様に「側室」を置くという手もあります。国内外共に今の世相では少々難しいか思います。
余談ですが、明治・大正両天皇共に、「御側室」との間のお子様です。‥‥」

 Aの解釈が問題になりますが、女性皇族(内親王)の養子に皇位継承権を与えるということですが、皇位継承権が与えられるのは内親王の養子ですから、女性天皇は排除されています。元皇族が内親王の配偶者となるプランでもないです。その場合、内親王は非婚であることが前提と思います。前例のない女性当主に入夫のようないびつな制度か想定されているわけでは全くないわけです。現宮家の当主ではなく、内親王の養子とされているため、時間的余裕をもたせる含意もかなりあると解釈できます。ただこの提案では実際に大統を継がれるの宮様のポジションはどこなのか、継承順の問題など具体的なことまでは判然としていません。

 なお、これは本筋の問題ではありませんが、有識者会議の結論では、皇太子−敬宮愛子内親王の継承順で、秋篠宮の立太子(立皇太弟というべきか)の可能性は実質的になくなります。実質的に継承権を剥ぎ取られるといっても過言ではないですが、私は30代と若く立派な男性皇族なのに失敬だと思うんですね。だから旧皇族が属籍を復した場合でも秋篠宮の面目を潰さないような配慮があってしかるべきとも思いますが、宮様の提案では時間的余裕をもたせているようにも思え配慮がゆきとどいているようにも思えます。

   宮様の提案については有識者会議から反発も予想されます。権力を有しているのは首相官邸の側であって、たぶん元東大学長、元最高裁判事クラスは皇族方を畏れることもないでしょう。議事要旨を読む限り永世皇族制か世数限定制か結論は出ていないようですが、有識者会議は皇族方からの反発をかわすために永世皇族制の線が高いと思います。それで女系宮家容認の線でいくと、三笠宮家は女王が身位を失うことなく結婚して宮家が継承されていきます。

常陸宮家のように継承者がないわけではないから、将来祭祀を継承するため旧皇族が入る必要などないわけです。「有識者」の感覚からすればなんでそんなややこしいことするんだ。女系継承で存続を保証しましょうということだから三笠宮家に損はさせないし、場合によっては直宮で継嗣が枯渇すれば将来女系三笠宮家から皇位継承という可能性だってあるのに、男系にこだわって支配階級に盾突くのはけしからんという感覚なのかもしれない。

しかし、宮様の論理はそういう下世話な損得勘定の問題ではない。ずっと高尚な立場からの提案であるから、結局「有識者」とは真っ向から対立する見解といえます。「B元皇族に、廃絶となった宮家(例=秩父宮・高松宮)の祭祀を継承して戴き再興する。(将来の常陸宮・三笠宮家もこの範疇に入る)」という文言に、女系宮家なんてありえないという強い意思を感じるものであります。

結論 川西正彦(平成17年11月23日)

まだまだ反論は続きますが、あす11月24日皇室典範に関する有識者会議の答申が出されるということで結論的なことを述べておきたいと思います。
 私は、女性天皇は認めるが女系天皇(易姓革命)に反対という見解にも反対します。現今の女帝論議は、生涯非婚独身ということが前提になってないし、仮に生涯独身を前提としても女性天皇に反対であることは9月19日ブログ(女帝絶対反対第9回の孝謙女帝論で有る程度言及しているのでみてください。

それから中川八洋氏『皇統断絶』(ビジネス社2005)のいうように「愛子皇后陛下」のみ皇統を救うという立論にも全面的には賛同しないことにします。私も以前は、継体天皇、光仁天皇、光格天皇の先例からそういう考えももっていましたが、根性の腐ったエスタブリッシュメント(ここでは政府官僚や有識者をさす)があまりにも敬宮びいきのため不愉快なので考えを改めざるをえなくなった。

 元東大学長や東大名誉教授、元最高裁判事、元国連高官、元官僚など、あなたのような下世話な人間とは比べものにならない高名な超一流の方々が議論を尽くしたのだから、これはエスタブリッシュメントの結論ですから、おとなしく従うのが義務とかいって、国会議員も国民も敬宮びいきになれと言ってくるかもしれませんが、易姓革命容認−日本国号を改めなければならないという無茶苦茶な結論なのに議論は紛糾もしないし、抗議のため辞任するような硬骨漢もいないんです。そういうことならますます反発します。

 ということで、敬宮は紀宮と同じように天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。皇族にとどまるなら伝統に従って非婚内親王を貫くべき。皇位継承は皇太子−秋篠宮−伏見宮系の順が望ましいと思います(むろん皇孫男子誕生なら話は別ですが)。伏見宮系に21−22世紀の日本の未来を托しましょう。秋篠宮立皇太弟なら宮様の面目を潰すこともないし、時間的にも余裕がある。それまでに旧皇族は属籍を復され、皇族としての活動を通じ、広く国民に認知されていただくようにすればよいと思います。


(私のコメント)
皇室典範改正問題については12月16日に『女系天皇」まで容認する有識者会議の結論を見れば、これは明らかに「秋篠宮外し」が目的である?』と題して書きましたが、これは明らかに日本のエスタブリッシュメント達の陰謀なのであり、彼らは海外の陰謀勢力と手を組んで日本を彼らの思いのままに操ろうという目論見なのだ。最終的には日本の天皇制を廃止しようと言うとんでもない売国奴たちなのである。

日本の官僚制度から見れば天皇の存在は便利なものであり、その天皇制を廃止しようとするという事は矛盾する行為なのですが、南北朝以来の日本が分裂して崩壊する危機が迫っている。要するに皇太子一家と弟の秋篠宮家との後継をめぐるお家騒動にも見えます。皇太子夫妻とくに雅子妃は娘の愛子内親王に皇位を継がせたいと思う気持ちは当然だ。

雅子妃の父君は外務省審議官だった小和田恒氏ですが、今回の皇室典範改正の黒幕は小和田氏なのだろう。元国連大使であり現在は国際司法裁判所の判事をされていますが、このような経歴を見れば世界的なエスタブリッシュメントとのつながりも考えられて、娘の雅子を皇太子に嫁がせるのも計画のうちのひとつだったのだろう。

皇太子も人がいいから雅子の手練手管にかかればひとたまりもなかったのだろう。このようにして日本皇室が小和田家に乗っ取られるような形で進めば日本国民の天皇に対する気持ちにも変化が生じて、小泉首相の皇統断絶の野心は完成する。つまりは憲法の改正も近々予定されていますが、立憲君主制から共和国制に変えていくつもりなのかもしれない。


小泉首相がやりたいことー国会議員たちに「小泉か、天皇か」を国会で踏み絵させるということ 2005年11月15日

某匿名掲示板で次のようなレスを発見しました。

《 400 :名無しさん@6周年:2005/11/15(火) 08:15:17 ID:Bbmc6e2i0 自民の新憲法案で当初入っていた「歴史と伝統」は削除されました。 天皇については第一条で「象徴天皇制」の名で明記されています。 新憲法起草委員会の桝添要一は、伝統などの文言削除が小泉の支持であることを認めています。 つまり小泉は、天皇は象徴であるという規定の消極的解釈である「天皇は象徴にすぎない」 という考えの持ち主であり、天皇と伝統を解離させようとしていることが明らかです。 皇室典範変更案は来年の国会にかけられますが、 そのとき国会議員たちは自ずと小泉か伝統かを問われることになります。 これは小泉か天皇かを国会で踏み絵させるということです。 小泉がやりたいのはこれです。 》

もし、この読みが正しいのなら、やはり私が以前の記事(大統領的首相・小泉氏の誕生に思う 天皇制崩壊への序章)で取り上げた分析は正しいように思います。今回の皇室典範改正論議は、小泉大統領と天皇陛下の戦い、共和制と立憲君主制の戦いなのかもしれません。日本国民はどちらを取るのか?ということです。




北朝鮮の金正日総書記がマカオの銀行に制裁解除の
哀願に6000キロの大列車旅行。なんとも哀れな独裁者


2006年1月13日 金曜日

<再び動き出そうとしている北東アジア情勢>太田述正コラム#1042(2006.1.12)

1 始めに

 今年1月4日付の朝日新聞に、以下のような記事が掲載されました。

 「米国が「北朝鮮製」と断定した精巧な偽ドル札の製造・流通過程が明らかになってきたとして、米政府内から北朝鮮を「犯罪政権」(バーシュボウ駐韓大使)と非難する声が出始めた。・・偽100米ドル札・・スーパーノートは1989年ごろから出回り、これまでの押収分だけで4500万ドル(約54億円)相当にのぼる<が、>発見されずに現在も流通するのは1億ドル分以上ともみられる。・・米政府が北朝鮮の関与を「断定」したのは、欧州での偽札流通の元締的存在とされる「正統派アイルランド共和軍(OIRA)」の指導者ガーランド容疑者(注1)の事件だった。

同容疑者は英・北アイルランドで10月、米国の要請を受けた地元捜査当局に逮捕された。・・同容疑者は・・1997年10月ごろに・・ワルシャワで北朝鮮の国籍を持つ人物と偽札取引を話し合<い、>ベラルーシで取引をしたこともあるとされる。・・偽札や麻薬密輸など北朝鮮の不法行為はすべて同じ組織によって実行されている・・さらに「不法行為で得られた資金は指導層や軍部に流れ込んでいる(注2)・・北朝鮮は「貨幣を偽造したことも、いかなる不法取引に関与したこともない」と主張。「ブッシュ(大統領)一味による中傷キャンペーン」・・と激しく反発している。

北朝鮮側は「米国が敵視政策を撤回しない限り、核放棄を話し合うことができない」・・などと、6者協議とからめて米国を揺さぶる態度が顕著になっている。だが、米側は「6者協議と司法手続きは別問題」として、協議と関係なく必要な措置をとる方針だ(注3)。・・北朝鮮を必要以上には刺激したくない韓国政府<でさえ、>「事実が確認されれば、即座に不法行為を中断しなければならない」(潘基文・・外交通商相)と述べている。」
(http://www.asahi.com/international/update/0104/003.
html。2006年1月4日アクセス)

(注1)Sean Garland。1969年にIRAから分かれたthe Official Irish
    Republican Army(=Old IRA)のchief of staff of。ガーランド
    は、OIRAのフロント政治組織であるthe Irish Workers' Partyの党
    首でもある。
 (注2)米国政府は、マカオの銀行、Banco Delta Asia(SARL)が、北朝鮮
    による通貨偽造・タバコ密輸・覚醒剤密輸といった違法行為のマネ
    ーロンダリングに従事している、と指摘している。
 (注3)他国の通貨偽造を政府が行った例としては、先の大戦中のナチスド
    イツしかない。米国政府は、北朝鮮政府は、通貨偽造等の違法行為
    で国際犯罪組織と提携してきた経緯があり、簡単に足抜けができな
    くなっている、と見ている。米国政府が一番懼れているのは、北朝
    鮮政府ないしは北朝鮮での違法行為担当部局が、国際犯罪組織に
    「強要」されて、大量破壊兵器をテロリスト等に密売することだ。
    (注1、2、及び注3のここまでは、http://www.latimes.com/news/
    nationworld/world/la-fg-counterfeit12dec12,1,1126053,print.
    story?coll=la-headlines-world(2005年12月13日アクセス)によ
    る。
     昨年末、米国政府は、上記マカオの銀行を含む、北朝鮮違法行為
    関係企業に対して経済制裁を発動したhttp://www.washingtonpost.
    com/wp-dyn/content/article/2006/01/11/AR2006011100611_pf.
    html。1月12日アクセス)。

2 金正日緊急訪中

 北朝鮮の金正日は、11日に中共入りをして、まず上海を視察しましたが、日本や韓国のメディアが、従来通り列車で中共入りをしたと報じる中で、韓国の聯合通信社(Yonhap news service)だけは、金が、生まれて初めて飛行機に乗り、平壌から上海に直接飛んだ、と報じました(ワシントンポスト上掲)。

 これが事実だとすると、金が大きな決意を秘めて中共入りしたことがうかがえます。 金は、胡錦涛との会談も予定しているようですが、そもそも、両者は、胡錦涛が二ヶ月前の10月に北朝鮮を訪問した際に会談を行ったばかりであることを考えると、今回の金の訪中は、緊急事態が出来したためである可能性が大です。

 韓国政府は、この金の訪中は、中共が、米国が指摘した北朝鮮による通貨偽造疑惑、就中マカオの銀行の嫌疑について、三ヶ月間調査をした結果、間違いないと判断し、本件について中共としては、米国と歩調を合わせざるをえないと決断し、しかるべき措置をとるよう北朝鮮に申し入れたために急遽行われたものである、と見ています。

 北朝鮮は、米国による経済制裁の解除を6カ国協議再開の条件にしていましたが、このような事態の進展を受けて、今後北朝鮮が6カ国協議再開問題等にどのように臨むか、金正日が胡錦涛に説明し、同意を取り付けようとしている、という可能性が極めて高い、と言えるでしょう。
 (以上、http://english.chosun.com/w21data/html/news/200601/200601100012.html、及びhttp://english.chosun.com/w21data/html/news/200601/200601110019.html(1月12日アクセス)による。)

 意外なところから尻に火がついた金正日から、近々重大発表が行われる時が近づいているようです。しばらく動きのなかった北東アジア情勢が、再び動き出そうとする瞬間をわれわれは目撃しつつあるのです。


共産党一党独裁・中国北京政府と北朝鮮は、「ニセドル造り」と「日本人拉致・誘拐事件」の「共犯」か? 板垣英憲

北朝鮮の金正日総書記が、極秘で北京を訪問しているという。目的は不明だが、「アメリカ政府の金融当局による金融制裁」について、協議されることは想像に難くない。

 北朝鮮は、アメリカ政府に抗議し、金融制裁解除を求めているが考え違いも甚だしい。自国の通貨(ドル)を偽造され、しかも大量に流通されたうえに、麻薬を売ったカネの「マネーロンダリング」(洗浄)までされて、黙っているわけにはいかない。「ニセガネ造り」は、「大罪」である。それも、本物のドルと見紛がうほど精巧に偽造された通貨を国際社会に流通されてはたまらない。

 北朝鮮は、10年以上も前から「ニセドル」を造っては、外交官に運び出させて、ASEAN諸国でばら蒔いてきた。アメリカ政府は、これを百も承知で、その都度「新札」を造って対抗してきたが「もう我慢ならん」と遂に、マカオの金融機関を通じて金融制裁に踏み切ったのである。

 この偽造が、金正日総書記の指令で実行されていた事実が判明すれば、「国際犯罪人」として逮捕状を取り、即刻、国際手配すべきである。日本政府も負けずに、「日本人拉致の首謀者」として、誘拐容疑で逮捕状を取り、やはり国際手配しなくてはならない。この犯罪はいまも継続中であり、いわゆる「継続犯」であるから、いつでも逮捕状は取れるはずである。

 この国際犯罪人の入国を受け入れている共産党一党独裁・中国北京政府も、誘拐犯と知りながら直かに接触し、金正日総書記のために工作しているのであれば、「幇助犯」が成り立ち、レッキとした「共犯」関係が成り立つ。


 日本国民は、基本的人権が確立していない共産党一党独裁・中国北京政府や北朝鮮を日本やアメリカ、英国などと同等に見るのは、基本的に間違いであると認識すべきである。(後略)


(私のコメント)
北朝鮮の金正日総書記が中国を極秘訪問しているようですが、国家の指導者が暗殺を恐れて旅行のスケジュールを明らかに出来ないというのはなんとも情けない独裁者だ。もちろん国家のVIPだからどこの国でもセキュリティーサービスはつきますが、大衆の前に姿を見せられない指導者では国家の運営にも大きな影響がでてくる。

金正日の訪中目的はマカオの銀行へ制裁解除をお願いに行くのが目的のようですが、中国はこの件については係わりたくないようだ。北朝鮮は国家ぐるみで麻薬を販売したり偽札を使ったり、拉致誘拐するなど救いようのない犯罪国家であり、自国民を数百万人も餓死させても平気な国である。

このような国とはまともな国家交渉も出来ないのですが、背後の中国もまともな国じゃないから、日本としてはヤクザな国に囲まれて非武装中立でいろと言うのだから日本国民は浮世離れしたおめでたい国家なのだ。日本の政治家や会社幹部が北朝鮮や中国に行って女工作員に色仕掛けの罠にはまる人があとをたたないようですが、犯罪国家だから美人局ぐらいは当たり前なのだ。

このように書くと南北朝鮮人や中国人などに偏見があるように思われてしまうのですが、経験からそういわざるを得ないのだ。中学生時代は在日朝鮮人の生徒にカツアゲされたし、貸しビル業をしているのですが在日朝鮮人に貸してトラブルを起こされた事もある。だから今後は在日には貸せないと決めているのですが、経営的にトラブルを予防するためで偏見によるものではない。貸した本人は真面目な人だったが、仲間が悪くて家賃の滞納から部屋の中にゴミを放置するなどとんでもない目に遭った。契約を守ると言う意識がないのだ。

北朝鮮の金総書記はニュース上では開発特区などを視察する事が目的だと報道していますが、状況からしてマカオの銀行への制裁解除への交渉に来たのだろう。資金ルートを断たれて北朝鮮への経済制裁の効果がこのような形で現れてきたのだろう。テレビなどのコメンテーターや政治家の一尾は経済制裁しても効果がないと日本の北朝鮮への経済制裁に反対している人がいますが、このように経済制裁は効果はあるのだ。

ただし、いきなり前面制裁ではなく駆け引きをしながらの段階的な経済制裁で追い込んでゆくのがよく、アメリカも贋金によるマネーロンダリングに対する資金ルートを断つ形での制裁であり、法律を厳格に取り締まるだけでも制裁としての効果がある。中国にしてもこのような犯罪行為には協力は出来ないからマカオは中国領なのにノータッチなようだ。

どちらにしても金総書記はかなり追い詰められてきている。中国にしてもいつまでも北朝鮮を支援できないし、中国からの援助が止まれば北朝鮮は崩壊する。だから亡命ではないかと言う説もあるが中国は引き受けるだろうか。しかし北朝鮮が崩壊すると非常に厄介だし、日本としても目が離せない。


急変する世界 1月13日 軍事評論家 佐藤守

そんな調子だったから、金正日の動きをつかんでいなかったのだが、10日の夜に友人からの電話で知った.語学堪能な彼は毎晩朝鮮放送や、タス通信を聞いているのだが、その日のタス通信が、「金正日が特別列車で国外に出て、ハルピンで止まっている.ロシア政府に亡命申請したが拒否された」と伝えたという.戦中の満州に詳しい彼の想像では、「タスの報道ブリから察すると北朝鮮で叛乱か何かが起きている」というのである.

北朝鮮では昨年春から夏にかけて、米空軍のステルス戦闘爆撃機が、ピョンヤン市内の≪目標≫に対して、模擬爆撃訓練をしており、パイロットに言わせれば≪後は実弾を投下するだけ≫の状態であったらしい.金さんは相当な恐怖を感じていたという情報もあった.アメリカの狙いは6者協議に出席させるための≪圧力≫だったのだが、やがて実現したから力が効いたのである.

その後胡錦涛氏が訪朝し、経済協力を約束したというが、このあたりの動きは些か急であった.

報道を見る限りでは、訪中しているという≪証拠≫はない.今朝のタス通信は≪金さんは国内に留まっている≫と報じている.

金さんが今ごろ急に、無計画に訪中する目的がわからない.まさか≪盲腸≫になったわけではあるまいに.そう言えば、中国政府の金さん関連説明も些か腑に落ちない「奥歯に物が挟まった」様である.何かを隠している.あれほど厳重警備で≪旅行≫をする慎重な金さんが、大陸の南にまで今出かける目的が不明である.前回は帰国途中で≪大爆発事件≫があった…

ひょっとすると、中国政府は金さんの「亡命申請」に慌てて緊急会議でも開いているのではないか?。その間は「金さんの行動に関するガセ情報を流している??」のか.(後略)




小和田恒条約局長(雅子妃の父君)は、A級戦犯は
『戦争犯罪人』であると断言した女系天皇の仕掛け人?


2006年1月12日 木曜日

昭和60年11月8日(火 ) 第103回国会 衆議院外務委員会 第1号抜粋

(前略)
土井委員
 つまり、国際的に日本は中国に対して侵略をしたということが是認されておる、国際的それは認識である、このことを日本もはっきり認めなければならぬ、こういう関係になるわけですね。
東京裁判で「平和に対する罪」という概念が新しく出てきているわけですが、「平和に対する罪」というのは内容は一体どういうものなんですか。外務省いかがでしょう。

小和田政府委員
 極東国際軍事裁判所の条例で「平和に対する罪」というものが規定されまして、それに基づいて被告が起訴されたわけでございますけれども、その中で訴因の第二十七というのがそれに当たりますが、中国に対して侵略戦争が行われた、これが「平和に対する罪」を構成するという規定がございます。

土井委員
 それは、極東国際軍事裁判所条例の中にも明記がされているところですから、今局長がお答えになったとおり、中国に対して侵略戦争を行ったということに対する罪である、具体的に言えばそういうことに相なるかと思うのです。そうすると、東京裁判自身に対しては、日本はこれは認めているわけですね。また、東京裁判に対しては国として、政府として、それを是認するという立場にあるわけですね。いかがですか。

小和田政府委員
 土井委員御承知のとおり、日本国との平和条約の第十一条に規定がございます。「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の
裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。」云々という規定がございまして、ここで極東国際軍事裁判所の裁判を受諾するということを約束しておるわけでございます。

土井委員
 受諾するということになると、条約に対しては遵守するという義務が日本としてはございますから、したがって、平和条約の十一条に言うところで、はっきりそのことに対しては認めているという立場に日本の政府としては立つわけですね。日本の国としては立つわけですね。これを再確認します。

小和田政府委員
 ここで
裁判を受諾しているわけでございますから、その裁判の内容をそういうものとして受けとめる、そういうものとして承認するということでございます。

土井委員
 この東京裁判、極東国際軍事裁判所において戦争犯罪人として処罰されることのためには、戦争を引き起こした、侵略戦争を行ったということで処罰されているわけであります。侵略戦争というのは、先ほど外務大臣がおっしゃるとおり、国際的にこれは犯罪ということに相なるかと思われますが、いかがでございますか。

小和田政府委員
 一般論として申し上げますと、極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、先ほども申し上げましたように、国と国との関係におきましては、日本国政府といたしましては
極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。その裁判の過程におきまして、先ほども申し上げましたような「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして政府は受けとめておるということでございます。

土井委員
 したがって、侵略戦争は国際的に犯罪であるということを認めるということに相なりますね、もう一度お尋ねしますが。

小和田政府委員
 この極東軍事裁判において問題になった戦争あるいはこの被告の行動につきましては、それが極東軍事裁判所に言うところの「平和に対する罪」を構成するという判決、そういう
裁判を受諾した、そういうものどして認めたということでございます。

土井委員
 ポツダム宣言というのがございますね。ポツダム宣言を日本が受諾したということ、これはイコール敗戦ということに相なったわけでありますが、このポツダム宣言の十項というところに「一切の戦争犯罪人」云々というのが書かれております。「平和に対する罪」で裁かれた者は、当然この中に含まれますか、いかがでございますか。

小和田政府委員
 御質問の趣旨を私、正確に把握したかどうかよくわかりませんが、ポツダム宣言十項には御指摘のとおり「一切の戦争犯罪人に対しては、厳重なる処罰を加へらるべし。」という規定がございます。我が国はポツダム宣言を受諾しておりますので、この内容を受諾したということでございます。

土井委員
 そうすると、その内容を受諾したと言われる「一切の戦争犯罪人に対しては、厳重なる処罰を加へらるべし。」と書いてあるその「一切の戦争犯罪人」というのは、「平和に対する罪」で裁かれた者は当然これは含まれるということになるわけですね。

小和田政府委員
 前後関係が逆になりますけれども、ポツダム宣言を受諾いたしまして、その後の事態におきまして極東軍事裁判所が設立をされて裁判が行われた、こういうことでございます。その極東軍事裁判所の裁判の過程におきまして、「平和に対する罪」として裁かれたわけでございますので、ポツダム宣言十項に言っておりますところの戦争犯罪者の処罰の規定が具体的に実施されたものとして、極東軍事裁判を受けとめるということでいいのではないかと思います。

土井委員
 いや、それは解釈の経緯についての御説明でございましたが、結論とすれば、時間的には相前後するけれども、ポツダム宣言の十項に言うところの「一切の戦争犯罪人」は「平和に対する罪」で裁かれた者は当然含む、こういう理解でよろしゅうございますね。

小和田政府委員
 委員の御質問の趣旨を私、正確に理解していないかもしれませんのでお許しいただきたいのですが、ポツダム宣言の第十項に言っております戦争犯罪人の処罰、それが具体的に実施に移されたものとして極東軍事裁判というものが位置づけられると思いますので、その意味におきましては極東軍事裁判の裁判の結果というものは、ポツダム宣言第十項に言っておりますところの
戦争犯罪人の処罰に相当するものであると理解しております。
(後略)



故・後藤田正晴回想録 1月11日 二階堂コム

話がそれた。要するに後藤田からの指示で土井たか子に調査がなされたわけだ。このとき、
李高順という本名やら、同志社を本当は卒業してないとか、北朝鮮に息子(現在50歳くらいになる)がいるとか、ありとあらゆることを特命を帯びた捜査員が調べ上げた。ただ捜査を指示した張本人は捜査結果を見て「うむ」といい、それを何に使うわけでもなく、時がたつこととなる。

(もちろん、この手の話は土井に限った話ではなく、共産党を筆頭にした左翼陣営はすべて調査されている。最近では総理大臣周辺の指示で、政権の政敵を調べあげておき、政策を有利に進めるなどしているようだ。あくどいが、ある程度は仕方がないだろう。ただ最近は、倫理性が無い人間が官邸にいるものだから、「やりすぎだ」と言われているだけの話だ。)

 やがて時がたち、後藤田が「あのときの資料をよこせ」と古巣の古だぬきに言ってきた。ある法案を通すためにどうしてもそのカードが必要だったのだという。どのように使ったかは知る由もないが、現在土井たか子に関してささやかれている情報と、はるか昔の捜査報告の情報が奇妙に一致するのはどういうことか。まぁ、見た奴がしゃべったのだと思うが。

 後藤田正晴という人間はある意味偉大だ。しかし、後藤田正晴は警察利権を作り、育てた張本人だ。挙句の果てには自分の出馬した選挙で、暴力団に「○○組長がいたから当選できた」とはっきり言ってしまっている。「偉大さに隠れたインチキさ」とでもいえばいいだろうか。そういう人間の光と影を両方見ていくと、きっと社会の裏側もわかるようになる。


(私のコメント)
国会議事録における小和田政府委員とは皇太子の后である雅子様の父君の事ですが、元外務省の条約局長であり土井たか子議員の質問に答えて、極東軍事裁判を日本政府は受諾したと何回も答弁し、A級戦犯を戦争犯罪人であると答弁している。小和田氏がどの程度の英語力なのかは分かりませんが「judgements」が「裁判」と訳すか「判決」と訳すかで大きく東京裁判の日本政府の受け止め方が違ってくるのですが、これは外務省の明らかな誤訳だ。

さらに小和田氏は土井たか子議員の質問に答えて戦争犯罪人に相当すると答えているが、これは昭和28年の国会決議で赦免されており、昭和60年でも東京裁判を受諾した戦争犯罪人との解釈を政府自身が持ち続けていたことを示している。しかし小和田政府委員の答弁はこのことには触れていないが、いくら北朝鮮の工作員であった土井たか子議員の質問であっても、現在の国内法では戦争犯罪人はいないことになっているのだ。

確かに日中戦争に限定すれば侵略戦争の定義が当てはめられるかもしれないが、大東亜戦争全体から見れば侵略戦争ではなく自衛の戦争であったと何度か書いてきた。戦後60年経って世界の各国でも公文書が公開されてきて大東亜戦争の実態が明らかになってきていますが、このような公文書を見なければ最終的な判断は下せるものではなく、日本政府は重要な公文書は公開していない。

アメリカ政府ですら公開された公文書でも黒塗りされて分からない部分がかなりあり、外交交渉の実態の解明にはまだまだ謎が多い。本当に大東亜戦争の実態を明らかにしようとするならば関係者の証言や公文書の公開や分析などを十分に進めて後世の歴史学者による判断に待つしかないかと思う。

元国会議員で衆議院議長までやった土井たか子の正体も今になって明らかになってきましたが、北朝鮮の拉致事件に対する消極的な態度も、北朝鮮に実の息子がいるという状態ではおよその状況が分かるだろう。だから土井たか子は秘密工作員どころではなくて、明らかな北朝鮮の代理人となった政治家だったのだ。

だから国会における質疑においてもまさに北朝鮮か中国の代表が日本の国会内で活動しているようなものであり、社会党はまさに北朝鮮や中国の政党といってもいいくらいの活動をしている。さすがに北朝鮮の拉致問題が明らかになってからは旧社会党は選挙でも壊滅的な打撃を受けて消滅しましたが、そのような状態が昭和60年ごろも続いていたのだ。

小和田氏の質疑での答弁は日本政府の見解としてのものですが、外務省の体質をよく物語っている。太平洋戦争が始まる前の外務省の行動もおかしなものがありますが、大切な条約文を意図的に誤訳したり隠蔽したりする体質は、最近の在中国の日本大使館員の自殺も長い間隠蔽されてきた事にも現れている。中国を慮っての事なのでしょうが、日本の国益よりも相手国の利益を慮るところがある。

直接関係があるか分かりませんが皇室典範の改正の黒幕は小和田恒氏ではないのだろうか。もし女系天皇が認められれば小和田王朝が出来上がることになり、もしその小和田氏が外国勢力の代理人だったとしたらどういうことになるか、天皇制の崩壊につながるだろう。雅子妃の健康状態も気になるところですが、皇位継承をめぐる他の皇室との軋轢が大きな原因になっているのだ。小泉首相は経った1年の審議で強引に皇室典範を改正して女系天皇を誕生させる野心があるようだ。


◆お知らせ

日比谷野音へ集合!  皇室典範改悪阻止!!
  
平成18年1月14日 12時30分開場 
13時開演(14時30分終演予定) *入場無料
  デモ出発 14時30分

日比谷野音 国民総決起集会

すべての国民は「草莽崛起」して日比谷野音へ集ろう!
  
【場 所】:日比谷野外音楽堂(東京都千代田区日比谷公園1−3)

【登壇者】:井尻千男、伊藤哲夫、伊藤玲子、遠藤浩一、大高未貴、小田村四郎、加瀬英明、河内屋蒼湖堂、小堀桂一郎、田久保忠衛、中西輝政、名越二荒之助、西尾幹二、西村幸祐、萩野貞樹、平田文昭、宮崎正弘、三輪和雄、百地章、八木秀次、渡部昇一(50音順・敬称略)
その他多数の識者の先生方がご登壇予定

【主 催】:「皇室典範改悪阻止」草莽崛起の会

【共 催】:皇室典範の慎重審議を求める全国地方議員の会、神奈川草莽議員の会、日本政策研究センター、日本世論の会、建て直そう日本・女性塾、新日本協議会、英霊にこたえる会、(社)国民文化研究会、チャンネル桜草莽会、日本会議東京本部 他

【後 援】:皇室典範問題研究会、皇室典範を考える会

【報 道】:衛星報道スカパー!767ch「日本文化チャンネル桜」

【連絡先】:皇室典範の慎重審議を求める全国地方議員の会
      TEL&FAX03-3311-7810
E-mail matsuura◎joy.ocn.ne.jp(アットマークを変えています)





日本に報道規制を要求 中国「対中批判多すぎ」
動脈硬化ともいえる現在の中国外交部の対応ぶり


2006年1月11日 水曜日

日本に報道規制を要求 中国「対中批判多すぎ」

【北京9日共同】中国外務省の崔天凱アジア局長は9日、北京での日中政府間協議で「日本のマスコミは中国のマイナス面ばかり書いている。日本政府はもっとマスコミを指導すべきだ」と述べ、日本側に中国報道についての規制を強く求めた。
 メディアを政府の監督下に置き、報道の自由を厳しく規制している中国当局者の要求に対し、日本外務省の佐々江賢一郎アジア大洋州局長らは「そんなことは無理」と説明したという。
 日本側によると、崔局長はまた、小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題や日本国内での「中国脅威論」の高まりなども挙げ「(日中間にあるのは)日本が起こした問題ばかり。中国は常に守りに回っている」と批判した。
(共同通信) - 1月9日20時49分更新


電波発言の裏にチラつくは制服組の影? 1月10日 日々是チナヲチ

(前略) 過去にも中国人犯罪問題(2003年)やサッカーアジアカップ(2004年)などの機会に、似たような発言が中国側から出ています。でもそれは、

「日本のメディアも騒ぎ過ぎる」

 というもので、「指導すべきだ」までは踏み込んだことがありません。その理由は明白です。中国においてはあらゆるメディアが「党と政府の代弁者たること」と義務付けられ、要するにお上の御用新聞とか広報紙といった役割に徹するよう求められています。しかしたとえ中共政権がいかにトチ狂っているとしても、日本におけるメディアはそうではない、報道の自由がある、ということぐらいは理解しているから「騒ぎ過ぎる」で鉾を収めているのです。

 たとえ中共政権のブレーンたる日本研究者たちのレベルが低かろうと、あるいは政治的方針という枠や「反日」という踏み絵に縛られて自由な研究発表ができない状況であろうと、これは専門家でなくても外交の担当者であれば常識として有している知識でしょう。

 日本どころか、自国の特別行政区である香港ですら報道の自由が認められているのですから、そのくらいのことはわかっている筈です。それを「指導すべきだ」なんて言ったら国際的なお笑いネタにされてしまいます。外交部がそれをわからない筈がありません。

 それなのに、「指導すべきだ」と言ってしまいました。トチ狂っているとしか思えません。在上海日本総領事館職員の自殺事件でも同じことを感じました。そこまで踏み込むよう外交部が強要されたのではないかと。例えば日本総領事館事件について日本側に反論するのはいいとして、国内メディアにまでその一切を報道させてしまったのはどういうことでしょう。国民に広く知らしめることで、中共政権にとって得になることがあるのでしょうか。

 10年前に比べれば、日本における親中派メディアや政治勢力の退潮が著しく、中共指導部がそれに苛立ち焦燥している、ということはあるでしょう。しかし、ただそれだけの話なのでしょうか。こと対日外交については、一種の動脈硬化ともいえる状況が最近続いているように思えてならないのです。 (中略)

情報統制という意味では、インターネットに対する規制や削除職人の活動、ネットカフェに対する営業時間や未成年者の利用に対する制限強化、またテレビやラジオで流される番組や広告の事前審査厳格化、さらには携帯電話の実名登録制導入に向けた動きも進んでいます。

 前にも書きましたが、中国は一党独裁制ですから権力に対するチェック機能がありません。統治者は中央であろうと地方当局であろうと汚職でも何でもやりたい放題なのです。ところが改革開放政策によって競争原理と分権化が導入されました。

 例えば新聞の世界も競争原理の導入、つまり市場経済化によって販売部数競争がヒートアップし、特典をつけたり値下げしたりするだけでなく、スクープをものにして市民の支持を得ようという動きに流れていきました。ごく自然な成り行きだと思うのですが、市民の喝采を浴びるスクープというのは往々にして汚職告発など権力を脅かす性質のものですから、統治者にとっては面白いことではありません。

 当ブログで再三再四指摘しているように、統制強化というのは胡錦涛自身の好みでもあるようですが、大なり小なり権力や利権を手にしている者にとっても、報道統制強化は歓迎される措置でしょう。

 ……という訳で、最近急に動きだした観のあるマスコミへの締めつけですが、私はこれを政争の反映とはみていません。ただ冒頭に紹介した「日本政府はもっとマスコミを指導すべきだ」発言や上海総領事館事件にみられる動脈硬化のような対応ぶり、そこに私は変化を感じるのです。「李登輝氏が春に訪日予定」なんてニュースが流れれば、事態はより明確なものになるでしょう。 (中略)

見極めのつかない「勘繰り」段階のまま話を続けますと、トチ狂った、動脈硬化ともいえる現在の外交部の対応ぶりは、対日強硬姿勢とイコールで結べるものではありません。強硬的対応にしても、外交上あるいは内政面への影響をも考慮した上での利害得失、これを度外視した「電波」型のゴリ押しは、相手国あるいは国際社会を唖然とさせ、大笑いさせ、ひいては眉をひそめさせることになってしまいます。

 中共政権の中でも、外交部はそれを理解しているでしょう。しかし制服組(軍人)というのは往々にして、逆に問答無用で押し切るスタイルに傾きがちなものです(主流派でなければ、劉亜洲中将、朱成虎少将といった超電波型の将官もいますね)。

 中共政権の対日外交がそういう制服組のニオイがする「電波」傾向に転じたと仮定すれば、分水嶺はどの辺りにあるのか。……これはなかなか難しい問題ですが、昨年12月27日に行われた外交部報道官による定例記者会見ではすでに外交部が「転向」させられているように感じます。

 会見に出てきたのは秦剛・報道副局長ですが、内閣府の調査で「中国に親しみを感じる」と回答した日本人が32.4%と過去最低を記録した一方、「中国に親しみを感じない」が63.4%と過去最高記録を叩き出したことについて、

「中日人民の感情が冷え込んでいる根本的原因は、日本が台湾、歴史問題などにおいて絶えず過った言行を繰り返しているからだ」

 と秦剛は回答しています。「原因は日本にある」という決めつけは相変わらずですが、「台湾、歴史問題」というのは興味深いところです。 (後略)


李登輝氏「奥の細道」散策、5月10日来日で調整へ 2006年1月11日3時5分  読売新聞

台湾の李登輝・前総統が5月10日から2、3週間の日程で来日する方向で調整している。

 民間団体などの招きによるもので、東京や秋田などを回り、松尾芭蕉の「奥の細道」ゆかりの地を訪問したい意向だ。李氏は2004年末に来日し、京都や金沢、名古屋などを観光旅行した。今回、来日が実現すれば、約1年半ぶりとなる。

 日本政府が前回、李氏に査証(ビザ)を発行した際、中国政府は反発した。その後、昨年の愛・地球博(愛知万博)を機に、短期滞在の台湾観光客には査証が免除になった。ただ、政府筋は「李氏のような要人は、入国審査対象になる」として、日本での政治活動の有無などを確認したうえ、李氏の入国の是非を判断するとの見通しを示している。

 外務省は「李氏の来日についてはまだ正式に聞いていない」としている。


(私のコメント)
中国政府は日本政府にマスコミの対中批判を抑えるように指導しろと注文をつけたようですが、中国政府の行き過ぎた反日教育が反日デモを招き、それに対して日本の対中感情が悪化してきている。つまりは中国政府自身がみずから仕掛けたことに対して自ら罠にはまってしまっているのです。日本みたいに反米感情があってもアメリカにゴマをすって実利を得る計算が出来ないのでしょう。

靖国参拝に対する批判もほおって置いても日本の軍国主義が復活するわけでもないのに、日本国内の靖国批判派から炊きつけられて中国政府は乗せられましたが、中国政府も最近はそれに気がついて台湾や歴史問題として言い換えてきている。つまり中国政府は日本国内の反日勢力に利用されてきたのだ。

日本と中国とのプロパガンダ合戦になれば、最初は独裁国の中国のほうが有利に見えますが、月日がたてば言論の自由な日本のほうが一つ一つ論破されて、日本の情報が中国に流れて中国の体制が揺さぶられる事になる。韓国にしてもノムヒョン大統領が日本に対して外交的宣戦布告を去年の3月にしてきましたが支持率の向上にはならず失敗した。

日本国内にもネットなどの書き込みなどを規制しようとする動きがありますが、それは結局自分で自分の首を絞めることになるだろう。いままでならマスコミさえコントロールしていれば世論など幾らでも操作出来たのでしょうが、ブログなどが登場して中国政府による日本のマスコミコントロールが利かなくなってきたのだ。だから中国政府が血迷っているのだ。

「日々是チナヲチ」では中国政権内部の主導権争いで軍部制服組が外交にまで口出しするようになったと分析していますが、いよいよ中国各地で軍閥が台頭してきたのだろうか。中央の統制が緩めば当然予想される動きですが、胡錦涛はスターリンのように軍部を大粛清出来るのだろうか。毛沢東やケ小平は逆らう軍部を朝鮮戦争やベトナムとの戦争に人海作戦を命じて粛清してきました。

このような粛清方法は毛沢東が日本軍を引きずり込んで蒋介石軍を痛めつけさせた方法と同じであり、胡錦涛が今度軍を粛清する時は台湾海峡でアメリカを引きずり込んで強硬派を粛清するのではないだろうか。このような予測は歴史を遡れば予想はつく。つまりアメリカのブッシュと胡錦涛は手を組んで言う事を聞かなくなった軍部に無理な作戦をさせて壊滅させ主導権を取り戻す。

現在の極東アジアは日清戦争前の状況とよく似ており、朝鮮半島の支配権をめぐって日中は対立していますが、中国は歴史問題を持ち出して日本の軍国化を牽制する。アメリカはイラクで釘付け状態で動きが取れない。ちょうどイギリスがボーア戦争で釘付けになったときと同じ状況であり、このときを狙って中国が動き出す事も考えられる。




中国人の友達との徹底討論 いままで日本人は
論争する事を避け謝罪する事で誤解されてきた


2006年1月10日 火曜日

中国人の友達との徹底討論 2005年8月3日 堀義人

中国の友達が初来日した。この友達とは、ダボス会議で出会って、日本と中国のヤングリーダーの会を開催しようと語り合った仲である(コラム:中国の若手リーダーとのネットワーク参照)。(中略)

彼は、その点は納得した様子であったが、当然のごとく切り替えしてきた。彼の表情は穏やかで、一生懸命に理解したいという気持ちでいっぱいに見えた。

「 中国政府も靖国神社への参拝自体を問題にしているわけではない。それよりも、A級戦犯が合祀されていることに問題があるのだ。その点に関しては、どう考えるのか?」

「この点に関しては、東京裁判に対する見解によって変わってくると思う。東京裁判の判決に関しては、日本政府はサンフランシスコ平和条約締結に際して裁判を受諾している立場ではあるが、その裁判のあり方に関しては、さまざまな見解がある。

まずは、定義を明確にしなければならない。「戦犯」をどう捉えるかである。裁判では二つの罪が問われたのである。平和に対する罪と人道に対する罪である。人道に対する罪であれば、国際法に照らして問題がある行為(例えば捕虜の虐殺・拷問、化学・細菌兵器の使用、民間時の虐殺)は、これらは明らかな戦争犯罪であるので、議論の余地が無い。

ただ問題は平和に対する罪である。国際法の解釈では、戦争を始めたこと自体は戦争犯罪には当たらない、と言われている。もしも戦争を始めたことが戦争犯罪にあたるならば、米国のイラク侵攻自体も戦争犯罪ということになってしまう。

A級戦犯には外交官や政治家もふくまれている。つまり、直接的に戦争行為にたずさわっていないのに、戦犯として処刑された人もいるのである。これでは、勝者による敗者への一方的裁判であるという考え方が残り続けるのは致し方ないことである。

だからと言って、僕らは戦争を正当化する気は毛頭無いし、近隣諸国に対して与えた精神的なダメージを軽視しているわけではない。日本の首相は、既に23回も公式に謝罪をしている。先日の中国の反日デモ後のバンドン会議でも小泉首相は再度謝罪をしたのである。

また、小泉首相が最初に中国に訪問した際には、盧溝橋などを訪問し、中国に対する「侵略」を謝罪しているのである。これだけ常に謝罪をしているのである。もうそろそろ未来志向になっても良いのではないかと思えている」


※参照コラム:中国と韓国の友達へ。Dear Friends in Korea and China

バーカウンターでは、シャンパンボトルがワインクーラーの中に置かれていた。比較的は早いベースで二人が飲み干していっていた。目の前には、牛の燻製が置かれていた。薄く切られたハムをつまみながら、僕ら二人はお互いを理解しようと議論を続けていた。静かであったがとても充実した内容の濃い議論が続いていた。

中国人の友達は、グラスを片手に持ちながら、彼が幼少の頃から聞いてきた話しを語り始めた。

「日本軍が中国に攻め込んでから、親族も日本軍人によって殺された。南京での虐殺の話しも祖父から聞かされていた。虐殺のあとに南京に入ったが、人影がほとんど無かったとのことだ。日本軍はひどいことをしてきたと思う。

ただ、不思議なことに、日本人に対して好感を持っている人もいた。もう片方の祖父は日本語を喋るのだが、日本人には優しくされたと言っていた。基本的に優しい人々だと好感を持っているようだ」と。

そして友達は、「南京大虐殺に関してどう思うか?」、と聞いてきたので、僕は率直に応えた。「ある程度の虐殺はあったかもしれないが、中国政府が主張しているような数十万人という数ではない、というのが通説である。真偽は定かでは無いが、南京大虐殺は、ニュルンベルグ裁判でのナチスドイツによるユダヤ人虐殺のようなものを東京裁判でも必要となり、誇張して報告された、と思われているのだ」、と説明した。

中国の友達からは、「でも、虐殺が問題なのであって、数の問題ではないよね」とやんわりと指摘され、「仰るとおりだ。事実としてあったことについては、率直に日本政府は謝罪をしているし、僕も日本人として残念に思う」と伝えた。

僕からも色々と質問した。「中国で教える日本の歴史はどうなのか?」、「中国の愛国主義教育に関してはどう思うか?」、「最近の反日デモに関してどう思うか?」、 「愛国無罪というスローガンをどう捉えるべきなのか?」、「今後の台湾はどうなっていくと思うか?」など。友達は、彼なりの私見を淡々と、説明してくれた。

友達は、次の質問に対して初めて語気を強めて反論した。「ロンドン同時爆破テロにおける中国人の反応はどうだったのか?ファイナンシャルタイムズ紙によると中国語の掲示板には、1/3以上がテロに賛同しているようだと書かれているが、どう思うか」。彼は、「外国メディアは、中国に対して偏見を持っている」と主張していた。

僕らは、既にシャンパンのボトルを飲み終わっていた。お互いに、お水を飲みながら議論を続けていた。僕らの目の前には、紙と鉛筆が置かれていて、人名や地名の時には、筆談を交えながら、語り合った。

僕は、明治維新の流れから、日清、日露戦争、日韓併合、満州事変、そして日中戦争 に向けての歴史の流れを僕なりに説明してみた。彼からすると、違う国から見た歴史の流れは、新鮮味があるのか、関心を持っているようであった。そして、最近の日中関係、韓国を交えた北東アジアのあり方などが議論になった。

気がついたら、時計は夜中の2時半を指していた。結局、4時間半も議論してきたのである。僕は、翌日朝8時半から会議の予定であり、さすがにこれ以上残れなかったので、帰路に着くことにした。

第一日目は、このように二人で徹底的に議論をした。お互いこれだけ中国・日本に関 して議論をしたのは、初めてであった。

会計を済ませて、外に出た。がっしりと硬く握手をして、翌日(本日?)再会を約束 して、別れることにした。(後略)


(私のコメント)
日本人はもともと日本人同士でも政治的な議論は好まないし、ましてや外人との論争は「横めし」といって昼食会やディナーなどを避けたがる。学校教育などでも議論のやり方は特に教えず、ましてや政治的な議論は小中学校内で行われる事はない。歴史教育にしても大体明治維新あたりで終わってしまう。

だからアメリカや中国などに留学した学生たちも、現地の学生から政治的な議論を言われても日本人学生はほとんど反論も出来ず、自国の歴史も教えられていないから途方にくれている人がほとんどなのだろう。社会人でも外人のホームパーティーに出席しても政治的な話に加われず聞き役にまわる事が多いようだ。

そうなってしまうのもアメリカにしても中国にしても強烈な愛国教育が行なわれて、アメリカは教室に星条旗が飾られて911テロ事件の後は反戦Tシャツを着た女子高生が退学処分になるほど徹底している。民主主義の国のアメリカですらこうだから、独裁国の中国ではかなり強烈な愛国教育が行なわれている。

それに対して日本では教育基本法改正そのものに「愛国教育」を入れるかどうかすら議論になっている。日本に歴史教科書そのものがかなり異常なものであり、扶桑社の教科書に対しても左翼の活動家が熱心に反対運動しているという事は、左翼的な教科書が用いられている事の証明になる。また教員も国旗や国歌に対する反発を示すなど日教組は健在だ。

このような状態で留学やビジネスなどで中国や欧米などに出かけても、政治的な話をするのは当然避けるようになるが、それに対して中国人や韓国人は「日本人は反省が足りない」と反発を示す。実際には反省が足りないのではなく日本の歴史に対して無知なのだ。だから議論にならない。

堀義人氏は住友商事からベンチャーキャピタルを設立した人でアメリカ、アジアなどで国際的に仕事されている人ですが、ブログにおいて中国人との議論について書いている。このように民間の一人ひとりが外国人との議論できちんと説明して行けば、多くの誤解は解けていけるのでしょうが、日本人は外国人との議論を避けるし出来ない人が多い。

ましてや大東亜戦争がらみの話題は議論が分かれるところで、ウエブサイトやブログなどを見ても政治の話題はエンターテイメント系のブログに比べるとアクセスは極端に少ない。しかも右翼的なブログが多いのですが、南京事件の論争や従軍慰安婦などの論争などBBSなどを見ると左翼のブロガーが元気がない。

中国においても教科書を2005年の改訂で反日的な部分をかなり変えたようですが、正々堂々と議論を戦わして誤解は解いて行くべきだ。そうしなければ日中、日韓などの外交的対立は解消されないだろう。根本的には両国とも講和条約で国家間の歴史的問題は解決されたのですが、中国と韓国はそれを蒸し返して外交カードにしているのだ。




ジェラルド・カーティス教授と中西輝政教授と安倍晋三
官房長官との日米靖国参拝問題大論争(実況中継)


2006年1月9日 月曜日

【ジェラルド・カーティス】
小泉総理が心の問題だとおっしゃる事は私はよく分かるし安倍幹事長がいまおっしゃったように一国の総理大臣が戦没者を祈る事はどの国のリーダーもしますね。で靖国は戦没者を祀る神社だけであるならば参拝するのは当然だと思うアメリカ人は圧倒的に多いと思いますね。問題は外から見て、遊就館見て分かるように靖国神社と言うのは戦没者を祈るだけの神社でなくて、その時の日本の政策が正しかったと言わんとする政治的な神社なんですね。私はこの靖国問題が日本の外交問題ではなくて内政問題だといくら言われても、これは大変な外交問題となっていると思いますね。これは中国と韓国を越えた問題になりつつあるんですね。アメリカでも最近靖国についての報道が非常に多くなって、ニューヨークタイムズの社説に書かれた様に非常にきつい言葉を使って小泉首相が靖国参拝することは非常に愚かな無神経な行動だと書くでしょう、これは象徴的なんですね。私はいま世界で靖国問題で日本がどれほどダメージを受けているかと言うことを政治家は心よりも、いまの現実にどう対応するかと言う立場を考えなければならない立場ですね。

【黒岩】
安倍さんさっきおっしゃったように誤解されているだけだという事で通用しませんか?

【ジェラルド・カーティス】
しないと思いますね。もしも靖国に大改革があって遊就舘も外に出してあそこに政治的なメッセージを与えないでただ一生懸命に戦ってなくなった方々を祀るという事だったら誰も異論は言えないと思いますね。

【中西輝政】
ちょっとね誤解があるんじゃないかと思うんですが、非常に大きな誤解があってアメリカにも靖国に関する報道があります。一色じゃありませんね。ニューヨークタイムズだけじゃなくて、全く逆に小泉さんの参拝を支持しているマスコミも沢山あります。ですから非常に大事な事は、ある宗教施設に参拝するからといって、例えばですよ、カトリックの教会にアメリカの大統領が参拝する、ミサに出席することがあれば、じゃあカトリックの歴史で十字軍の歴史とかいろんな聖人がいますよね、そういう人たちの歴史解釈まで全部受け入れた上での参拝なのかと。小泉さんやっぱし心ならずも戦火に倒れた一般の日本人の犠牲者に対して哀悼の意を表している。ですから誤解と言うよりは私は説明不足と言うのは海外に対してはあるんじゃないかと思いますね。

【安倍晋三】
ニューヨークタイムスはまさに誤解にみちた社説を書いていますね。昨年の総選挙の結果を受けてですね、日本は北朝鮮とかわらないと民主主義じゃないというとんでもない社説を書いています。これは誤解でなくてなんでしょうか。その文脈の中でですね靖国の批判が書かれているとなんですね。そういう誤解は我々は解いていかねばならない。解いていかなければその社説にかかれた事を我々は認めたことになってしまう。他方中西先生にがおっしゃったようにウォールストリートジャーナルはですね、総理が東アジアサミットで行なった演説ですね、一つの事で全ての扉を閉めてしまう事はいけないという総理の演説と靖国参拝に対する気持ちは事実上支持をするという社説を書いています。そういう意味では米国の中でもいろいろあって、批判している社説の中には明らかに浅薄な日本理解の上に立った社説を書いている。

【ジェラルド・カーティス】
それでも傾向としてはこの靖国の問題が注目されればされるほど、いまの日本の政治指導者が第二次世界大戦の時に日本が起こした行動を正しかったのかと言う議論になるのは非常に残念だと思いますね。60年間日本が平和外交を続けてきて、それでいま問題にされるのは戦争責任と言うことは非常に残念ですね。ですから私はこの、どうなさるべきかと言うことを私は言う立場ではなくて、だた客観的に見て日本の世界的イメージは非常にダウンしている事に対して、次になるリーダーがどうなさるかと言うことが大事だと思います。

【安倍晋三】
あと一つ付け加えたいのは、昨年から急に批判する人たちは遊就舘のことに議論するようになったんですね。靖国本体ではなくて。それはなぜかと言えばですね、靖国参拝と言う議論においては、なかなか論理的に勝てないのではないかと言うことになったんですね。そして遊就舘に議論を移してきたという非常に新しい特徴があってですね米国に対しても反対をする人たちは、戦線へ参加するように求めているところがあるんですが、それはただ誤解を世界中に撒き散らしている動きではないかと私は思います。

【黒岩】
最後に確認しておきたいんですけれども、安倍さんが総理になられた時も誤解を解く努力をしながら説明責任を果たしながら靖国神社には参拝されるという事ですね?

【安倍晋三】

先ほど申しましたとおり総理がおっしゃったように一国のリーダーあるいは政治家、一国民としてですね、国のために戦った方々のために祈りを続ける気持ちは持ち続けたいと思っています。


(私のコメント)
最近は靖国論争でも大体決着がついてきたように思われます。中国側も靖国とは言わずに歴史問題と言い換えるようになってきました。だから国内の靖国参拝に批判する勢力はアメリカに盛んにアプローチをかけているのでしょうが、アメリカがもともとは小泉首相に靖国参拝で日中対決を仕掛けているのだから、いくらカーティス教授のようなリベラル派を持ってきても、論争に勝つことは無理だろう。

中西教授が指摘しているように、キリスト教にだって暗黒の歴史があり、キリスト教の教会に祈りに行ったからといって、十字軍の大虐殺を認めるとか、宗教裁判を認めるのかと言う歴史論争をするようなものであり、中国が仕掛けてきた靖国参拝批判は最初から単なる外交カードなのだ。

私はアメリカに対しては大東亜戦争に対する評価に対する論争は先に延ばしたほうがいいのだろうと思いますが、いずれは大東亜戦争は日本は自衛のための戦争であり、アジアの殖民と開放と人種差別撤廃のための聖戦であったという論争はしなければならないと思っています。

ただこのような論争は学者同士ですべき問題であり、政治家が外交会談の中でするべきものではない。アメリカでも「株式日記」は多くの方に読まれているのですが、靖国問題や大東亜戦争や東京裁判に対する評価については大学などにおいても大いに主張して欲しいものだと思っています。そうしなければ中国系アメリカ人によるプロパガンダがアメリカに植え付けられてしまう。

アイリス・チャンなどの中国系アメリカ人の活動は日本にとって非常にマイナスのイメージを植えつけてきましたが、日本の外務省の対応は非常にお粗末で憂慮しています。しかしいまは日本における反日勢力を駆逐しなければならない時期であり、自民党ですら中国と手を組む勢力があるからまだまだ油断は出来ない。




箱根駅伝は歴代3位28.3%…ひたむきな走りに感動と共感
しかし箱根駅伝からオリンピック選手が出ないのはなぜか?


2006年1月8日 日曜日

箱根駅伝は歴代3位28.3%…ひたむきな走りに感動と共感

2、3日に日本テレビ系で放送された「第82回東京箱根間往復大学駅伝競走」の往復平均視聴率が歴代3位となる28.3%を獲得した。2日の往路が27.6%、3日の復路が29.1%で、いずれも歴代3位。瞬間最高は、往路33.1%、復路34.8%だった。

 今村司プロデューサーは「学生ランナーたちのひたむきな走りが、みなさまの感動と共感を得られたものと確信している。往路、復路、総合とすべて優勝大学が異なるという白熱した展開が功を奏した結果だと思う」とコメントした。
(サンケイスポーツ) - 1月5日12時35分更新


箱根駅伝はやめるべきだ 1月8日 「The SAY 」MENU

正月となると、ついあのスポーツ番組を見てしまいます。
巨人戦の視聴率が一桁台に低迷する中、6時間のレースが二日間行われ、のべ12時間にも渡る生中継が獲得する視聴率は毎年25%、もはや紅白歌合戦と並ぶお化け番組と化した箱根駅伝。今年はさらに予想外の番狂わせやトップが何度も入れ替わるなどのデッドヒートが繰り広げられたこともあり、過去3番目の高視聴率27.6%を記録したとのことでした。おそらく日本テレビの関係者は今頃サッポロビールで祝杯を上げているでしょう。

しかし、毎度のことなのですが、中継をするアナウンサーが「母校のタスキを繋ぐ」うんぬんの絶叫、及び加熱する一方の報道には、どうしても疑問を投げかけざるを得ないのです。

終盤8区にて、そこまでトップを独走していた順天堂大のキャプテンである難波選手が突如脱水症状を起こし、ふらふらになりながら4位でゴールした、瞬間最高の34%の視聴率を記録し日テレから金一封を送られてもおかしくないあのシーン。あの時解説者やアナウンサーがしきりに「これが個人の大会ならとっくに棄権をしているはずなのですが・・・」と話していたのですが、確かに棄権をするとチームの順位も付かず来年のシード権も得られないとなると、走る選手はその重圧や責任感から到底自ら棄権をするということはできないでしょう。まさに浪花節の世界です。

しかし、だからこそ、あの時監督が無理にでも棄権をさせるべきだったのではないでしょうか。
自己犠牲の精神と言えば聞こえが良いですが、脱水症状を起こしてもアスファルトの路面をあと5キロ走ることを義務化されているという非近代的なスポーツは他にありません。球技のような団体競技なら途中で選手を交代させますし、サッカーは一人減ってもプレーは続けられます。シード権が無くなることくらい、一人の若手選手の将来を思えばなんということはないはずでしょう。
あの場面で監督が選手を途中棄権させられなかったのは、箱根駅伝という独特の重圧もさることながら、選手を所詮駒としか考えていない体質の現れと言われても仕方ありません。逆にあそこで勇気を持って選手を棄権させれば、名監督として名をはせたかもしれないでしょうに。

また、たかが関東の学生限定の箱根駅伝がこれほどまでに視聴率を獲得するとなると、少子化で人集めに四苦八苦している大学側は絶好の宣伝の機会とすべく、テレビでアナウンサーに大学名を絶叫してもらうためにことさら駅伝に力を入れる事態になるのも自然かもしれません。中には陸上は駅伝しかやらないという大学もあります。
しかし、そのため有望な選手が関東の大学に集中したり、わざわざこの大会に出るために実業団から大学に入り直したりという選手も見られるなど(こんなこと選手のためには何にもならない)、いびつな構造も多く見られます。また、激しいアップダウンがあるアスファルトの地面を20キロも高速で走ることが足腰に負担をかけ、選手生命を縮ませていることも指摘されます。山下りでスピードを出しすぎ、対向車に激突しそうになった選手もいました。
100年に一度のランナーと嘱望された早稲田の渡辺選手が、駅伝で燃え尽きてしまいその後全く鳴かず飛ばずで終わったのは有名な話であり、また過熱し過ぎた報道により、途中でブレーキを起こした選手が二度と立ち直れずに引退してしまったことも良く聞きます。

陸上選手は本来ならもっとトラックに力を入れるべきはずなのですが、それを阻害しているのがこの箱根駅伝とはなんとも皮肉な話です。箱根出身のオリンピック選手が出ていないことへの対策として、今年は区間変更がなされたりしていますが、もっと根本的な問題である、過熱報道、選手への重圧、いびつ構造を解決しない限り、日本の長距離陸上に未来は無いと言えるでしょう。

と、珍しく真面目な文章を書いてしまいましたが、エンターテイメントとしては面白いので(とくに山梨の外人選手が毎年二区でごぼう抜きするシーンなど)、おそらく来年も田舎の自宅で寝転がりながら見てしまうと思います(^^;。こういう人間もこの問題を引き起こしている一要因なのでしょうけれど。


(私のコメント)
正月休みはテレビも面白いものが無くつい箱根駅伝をボーっとして見ている事が多いのですが、どこが面白いのかと聞かれると答えが出てこないのですが、選手が一生懸命に走っているのが良いと言うことなのでしょう。しかしゴールに着くや否や倒れこむようになってしまうのには違和感を覚えます。一次はそれが激しいので倒れこまないように通達が出されたほどなのですが、体力の限界を超えた走りは何のプラスにもならない。

女子のマラソン選手はオリンピックでも金メダルを続けて取るくらいの層の厚さを示しているのに、男子選手はメダルに縁のない競技になってしまった。その原因としては有力選手の卵が箱根駅伝で燃え尽きてしまうからだと思います。中継でも疲労骨折して復帰してきた選手がいるように過剰なトレーニングが選手の体を蝕んでいるのではないかと思う。

箱根駅伝は歴史こそあるけれども関東地区の大学のローカルな大会であり、最終目標となるような大会ではないのですが、甲子園の高校野球大会のように酷使されて有望選手がプロで活躍できずに去っていくのと同じ現象が起きている。野球の高校生にしろ大学生にしろ体が出来ていないうちから、限界を超えた激しい試合が選手を潰してしまうのだ。

しかしテレビ局としては視聴率が取れるし、大学側も12時間も大学の名前をテレビで連呼してくれるのだから宣伝になる。選手にとってもオリンピックなどよりも箱根駅伝を目指しているくらいで、出場して良い成績を取っただけで満足してマラソンを止めてしまう選手も多いようだ。

大学の陸上部もケニアからの留学生を参加させてまで出場している大学もありますが、競技人気が過熱してくれば学生スポーツの限界を超えてしまうのでしょう。大学生なら10000メートルのトラックを走りこんでスピードをつけたほうがいいのでしょうが、箱根駅伝は20キロ以上のアスファルトの道路を全力で走るわけだから足腰も痛めてしまう選手も多い事だろう。

箱根駅伝は10人のリレー競技だから、中の一人が体調が悪くて走れる状況ではなくても走らざるを得ない事も多いだろう。また、走ってみてはじめて不調な事が分かっても棄権するわけにもいかず無理して選手生命を縮めてしまう。箱根駅伝の人気は見る人にとっては面白いが選手には過酷だ。




日本の新聞テレビでは国際情勢が見えないのはなぜか?
ロシアとウクライナの「ガス戦争」は裏の裏があって複雑だ


2006年1月7日 土曜日

ウクライナ 露政権圧力に対抗 「基地使用料値上げ」

【モスクワ=内藤泰朗】ロシアのプーチン政権が、ウクライナなど旧ソ連圏の「反露諸国」に、天然ガス供給価格の大幅値上げで圧力を強めている。これに対してウクライナはロシア黒海艦隊の基地使用料の値上げを提示するなど「非対称の戦い」を挑む。ロシアは一月一日までに交渉が妥結しなければガス供給を停止すると脅しており、その行方が注目されている。
 天然ガス供給を独占するロシア国営ガスプロム社が、ロシア産ガスに依存するウクライナに値上げを突きつけたことから問題は先鋭化。ロシア側はこれまで千立方メートル当たり五十ドルだった天然ガスの価格を来年から一挙に四倍以上の二百三十ドルにすると通告。九十ドルを再提示したウクライナ側との交渉は行き詰まった。
 ロシア側は「欧州入りを目指すウクライナには今後、エネルギーも欧州価格で販売する」と説明するが、親欧米路線を歩む同国への政治的な圧力であることは明白だ。
 ウクライナは将来的には欧州価格での取引に応じる考えを示しながらも、現在の経済力で移行は現実的ではないと反発。交渉が決裂しても、ウクライナを経由して欧州に送られる「ガスの一部を“抜き取る”ことは契約で認められている」と揺さぶりをかける。
 さらに、二〇一七年までの契約を結んだロシア黒海艦隊の基地賃貸料の大幅値上げや、艦隊が置かれるウクライナ南部クリミア半島と同国西部の二カ所に設置されたロシア防空軍の要である早期警戒レーダー基地の閉鎖、ロシアの大陸間弾道ミサイル(ICBM)の近代化に必要な部品供給の停止などもちらつかせているという。
 ロシアの有力日刊紙、独立新聞によると、ロシア側は被る損失が天然ガスの値上げ分以上になると指摘し、「ウクライナが挑むこうした非対称の戦いは両国関係に何も良い結果をもたらさない」と強い調子で非難した。
 両国の「ガス戦争」の行方は、同じくロシアのエネルギーに依存するグルジアやモルドバなどロシアを囲む旧ソ連圏全体に影響を及ぼすことになるものとみられている。
(産経新聞) - 12月24日2時27分更新


ロシア-ウクライナ・ガス問題のちょい裏  1月6日 ロシア政治経済ジャーナル

(ほとんどorちょっとしか)書かれていない真実

ネットでいろいろな記事を読んでみました。いらん部分を全部カットすると以下のようになります。

1、ロシアは、去年までウクライナに1000立方メートル50ドルで輸出していたガス料金を、一気に230ドルに引き上げようとした。

2、ウクライナがこれを拒否したため、1月1日から同国へのガス輸出を停止した。

3、欧州は、ロシアからガスを買っている。そのパイプラインはウクライナを通過している。ロシアがウクライナへのガス供給を停止したことで、欧州への供給も減少し迷惑した。

4、ロシアがウクライナへのガス価格を引きあげたいのは、親欧米派のユシェンコ政権に圧力をかけるためである。

5、国際社会のロシアへの反発が強まっている。

以上の内容のうち、4は全くそのとおり。反論の余地がありません。それが証拠に、ロシアはウクライナの隣の親ロ独裁国家ベラルーシに、今年も48ドルで供給することで合意しています。しかし、そのほかの内容については、補足しないと真実を見失います。一つ一つ見ていきましょう。

4倍に引き上げるなんてひどい?

まず
「1、ロシアは、去年までウクライナに1000立方メートル50ドルで輸出していたガス料金を一気に230ドルに引き上げようとした。」について。

世界最大のガス会社ガスプロムが、料金を50ドルから230ドルに一気に引き上げようとしたのは事実です。これだけ聞くと、例えば「世界市場価格1バレル60ドルの原油を一気に240ドルまで引き上げるような感じかな?」と思ってしまいます。ああ、なんとあくどいロシアとプーチン.。(涙)ここに大きな誤解があります。

ガスプロムの要求は違うのです。230ドルというのは、国際市場価格でいえば”高くない”。この点日本の新聞にはほとんど書かれておらず、大きな誤解の元になっているようです。しかし、中にはさりげなく書いてある新聞もありますね。

「ガスプロムが5年間の供給契約を結んでいたウクライナについては昨年6月、50ドルから160ドルに値上げした後、●西欧向けの250ドル前後とほぼ同じ230ドルにまでつり上げた。」
(毎日新聞1月3日)

(実はウクライナと隣接する東欧諸国も250ドルで買っている)つまりこういうことです。ロシアとウクライナは91年までソ連という一つの国でした。当然ロシアのガスは国内価格でウクライナに供給されていた。これは安い。

ところが91年末にソ連が崩壊、ウクライナは独立国家になりました。しかし、昔からのつきあいがある。というわけで、ロシアはウクライナにここ15年間、「国際価格よりもとても”安い”料金で」供給していた。

ところが、去年起こったオレンジ革命で、ウクライナは完璧に親欧米路線に転換しました。「EUやNATOに入りたい」なんていってるし、ことあるごとにロシアを非難している。ロシアとしては、そういう国に市場価格の4分の1でガスを売る理由は全くありません。

だから、ロシアが「ガス料金を4倍化してくれ!」と要求したのは、別のいい方で「国際市場価格で払ってください」「人並・他国並に払ってください」と言っているのです。

上記のたとえでいえば、1バレル60ドルの原油を240ドルで売るのではなく、今まで1バレル15ドルで売っていたのを国際価格の60ドルで売りますよといっている。どうでしょう。全然今までと印象が変わってきませんか?

ちなみにロシアがウクライナに50ドルでガスを売った場合、国際市場価格で売った場合。ロシアの利益は、年間32億ドル(約3520億円)違うそうです。(経済誌エクスペルト2005年12月26日号)

これってロシア側から言わせれば、ウクライナに年間3500億円無償支援しているのと同じ。しかも、ウクライナはどこまでも反ロ国家。皆さんもどうでしょう。反日の中国に日本政府が年間3500億円プレゼントしていたら、むかつきませんか?

ロシアは、供給をいきなり止めた?

次。
「2、ウクライナがこれを拒否したため、1月1日から同国へのガス輸出を停止した。」

いろいろなマスコミの報道を見ていると、あたかもロシアが「いきなり」値上げを言い出したようなニュアンスです。そりゃあ、2005年12月20日くらいに、「来年1月1日から、ガス料金を4倍にするから!」といわれたら、たとえ230ドルが国際価格であってもひどいです。

では、ガスプロムはいつ料金値上げの交渉を開始したのでしょうか?これは実は、2005年の3月。つまり、ガスプロムはウクライナに、「来年からは国際価格で売りますからね」と9カ月前に通知している。ですから、「いきなり値上げされて驚いちゃったな!」というのは全く根拠がありません。
 
ロシアは欧州に迷惑をかけた?

次。
「3、欧州は、ロシアからガスを買っている。そのパイプラインはウクライナを通過している。ロシアがウクライナへのガス供給を停止したことで、欧州への供給も減少し迷惑した。」

上の文章を読んで意味わかりますか?「どうしてロシアがウクライナへのガス供給を止めると欧州への供給も減る」のでしょうか?ウクライナへのガスパイプラインと欧州へのガスパイプラインが一つだとします。すると、ウクライナへのガス供給を止めれば、欧州には全く届かなくなる。

ところが、事実はどうか?実をいうとウクライナ用のパイプラインと欧州用のパイプラインは別なのです。図にすると

1、ロシア→ウクライナ (ウクライナ向けパイプライン)
2、ロシア→ウクライナ(通過)→欧州  (欧州向けパイプライン)

ロシアとウクライナがケンカし、ウクライナ用パイプラインはストップした。すると?

2、ロシア→ウクライナ(通過)→欧州(欧州向けパイプライン)は正常に動い
ている。

ですから、ロシアがウクライナ用のパイプラインを止めたとしても、理論的には、欧州に迷惑はかからない。では、どうして1月1日・2日に欧州への供給が減ったのでしょうか?

これは、ウクライナがロシア→ウクライナ→欧州をつなぐパイプラインからガスを”盗んだから”。「あ〜〜また北野さんのファンタジーがはじまったよ〜」まあ、まってください。事実は事実なのですから。

ガスプロムの発表によると、ウクライナは1月1日と2日に2億2,200万立方メートルのガスを盗んだ。ガスプロムは仕方がないので、盗まれる分を増量して欧州に送り、3日には状況が安定します。

「一体どうやって、そんなの調べられるんですか?」これは簡単です。ロシアとウクライナの国境で送ったガスの量を調べる、ウクライナとスロバキアの国境で送られてくるガスの量を調べる。

もし出口の量が入口よりも減っていれば、ウクライナ領内で盗まれたことになります。ガスプロムは、ウクライナがガスを盗んでいることを確信していたため、SGSという会社に委託して調査してもらっていました。

ウクライナがガスを盗んだ事実を、マスコミはほとんど伝えていない。これが、大きな誤解の元になっています。しかし、さりげなく伝えてる新聞もありますね。

「だが、ロシアNTVテレビは1日、ウクライナ・スロバキア国境でガス・パイプラインを監視しているガスプロム関係者の話として、ウクライナ領内を通過した欧州向けガスの運搬量が通常より減少していると報じ、●ウクライナが欧州向けガスを途中で●抜き取り始めたとの見方を示唆した。」(読売新聞1月1日)     

「抜き取りはじめた」というのは、穏やかな表現です。例えば、長野県のリンゴ屋さんが、東京にリンゴを100トン送った。途中山梨県で、誰かがリンゴを10トン抜き取った。これをなんといいますか?そう、世間一般では「泥棒した」「盗んだ」といいますね。私の知るかぎり、ウクライナが欧州向けのガスを盗んだ事実を報じてるのは、「日本一」の読売さんだけでした。(他にもあったらすいません)

え?
そんなファンタスティックな事件、日本一の読売さんが書いていても信用できない?ああそうですか。では、ドイツからの情報を。ドイツのRurhgasは1月3日、「1月2日、供給量が30%減少したのは、明らかにウクライナで抜き取られたからだ」としています。(後略)


(私のコメント)
ロシアとウクライナのガス戦争は注目すべきニュースなのですが、いまひとつよく分からなくて様子を見ていたのですが、単なるロシアによるウクライナへのエンバーゴなのかと見えましたが、ロシアのプーチン大統領がそんな露骨な事をするというのはどういう計算なのか分からなかったのですが、少しずつ裏が見えてきた。

ウクライナの政権が反ロシア親欧米的な政権になりましたが、ロシアとしては面白いはずがありません。ロシアはウクライナにガスを国際価格の四分の一の価格で供給しているのに、ウクライナ側はNATOやEU加盟を目指している。それならばガスを国際市場価格で買ってくださいと言われても文句は言えないだろう。

しかし経済構造から見ればウクライナはロシアにおんぶに抱っこの状態であり、反ロシア外交はウクライナ国民の鬱積した気持ちを現したものだ。過去の歴史問題まで持ち出せば国民感情は水と油なのですが、ロシアにしてみれば黒海の軍事基地などは手放せないし、黒海から地中海への出口はウクライナが持っている。

だからロシアとしては軍事基地使用料とガスを安く供給する事で援助しているのですが、日米関係と比較してみると日本はアメリカに対して要求すべき事はあるのではないかと思う。日本もアメリカに軍事基地を提供していますが、アメリカに対して基地提供使用料は貰えていない。むしろ毎年6000億円もの「思いやり予算」をアメリカに提供している。

エネルギーに関しても日本は国際市場価格で買っており、むしろBSEの疑いのある牛肉を買ったり、使い物にならない半導体を20%も買わされたり、暴落するドルを年に33兆円も買い支えたりと、属国がアメリカを支えているような形は異常だ。もう少し日本の政治家はアメリカ政府と交渉の余地はあるのではないかと思うのですが日本にとってアメリカはどの程度のメリットがあるのか。

ロシアとウクライナの外交関係はぎりぎりの駆け引きなのに対して、日米関係は日本が外交と防衛をアメリカに丸投げして基地提供やドルの買い支えなどしていますが、日米安保は軍事同盟ではなく日本にある米軍基地を守るための条約で間接的に守るに過ぎない。本来の軍事同盟は日本も正式な軍事力を持ち集団的自衛権を持たねば軍事同盟ではない。だから日本が第三国と交戦状態になってもアメリカは中立だ。こんな状態で外交と防衛をアメリカに丸投げする日本の政治家がおめでたいのだ。

ウクライナとしてはロシアに対して瀬戸際外交でロシアからの援助とガス提供で生きていかねばなりませんが、政治的には何とかしてロシアの影響力を排除したい気持ちは分かりますが、経済的な独立には大きな壁がある。それに比べると日本は経済大国なのにアメリカの影響力が強すぎるのですが、少しはウクライナの厳しい状況を見習って自主独立を目指してシャンとして欲しいものだ。

ヨーロッパに敷設されたガスパイプライン網は、ヨーロッパ全体がウクライナ化することを予感させる。アメリカとしては気が気でないでしょうが、エネルギー戦略は国家の盛衰を決めるものだけに、エネルギーをいかに確保するかが大きな課題ですが、日本は石油の8割を中東に依存している。つまり日本という経済大国は中東油田が支えているのですが、日本における中東外交はアメリカに任せっぱなしなのだ。




保守化する市民ジャーナリズムと体制の広報屋化した
既存の商業ジャーナリズムは敵対関係になるのか


2006年1月6日 金曜日

炎上する記者ブログ 1月5日 ネットは新聞を殺すのかブログ

第3章
 一般市民の情報発信がジャーナリスティックな活動を始める中で、既存のマスメディア企業はどう対応すればいいのだろうか。

 市民ジャーナリズムと既存の商業ジャーナリズムは敵対関係になるのか。それとも、それぞれが強みを発揮するいい意味での補完関係になるのだろうか。

 その答えは、1つには既存ジャーナリズムが市民ジャーナリズムとどれだけ対話するかにかかっている、とわたしは考えている。既存ジャーナリズムは権力の番人ではなく、権力側の存在になってしまったと多くの人は感じている。そう考える人が多ければ多いほど、市民ジャーナリズムは既存ジャーナリズムに対して牙をむくだろう。既存ジャーナリズムが権力側でなく市民側に立っていると広く認識してもらうためには、まず市民との対話を始めなければならないと思う。

 また市民ジャーナリズムと既存ジャーナリズムの今後の関係を占う上でのもう1つの重要なポイントは、既存ジャーナリズムが新しい時代にあったビジネスモデルを構築できるかどうかだと思う。日露戦争以来変化していないといわれる新聞事業のビジネスモデルは、当然のことながらひずみが生じ始めている。ここまで長い間、1つのビジネスモデルがよくもったと言うべきかもしれない。それだけすばらしいビジネスモデルだったのだろうが、インターネットという新しい情報流通の仕組みが普及したこともあり、そろそろ新しいビジネスモデルが必要な時期にきていると思う。

 もし新しいビジネスモデルが構築できないのであれば、経営状況が悪化することになるだろう。そうなれば経費が削減される。過度の経費削減は、ジャーナリズムの質の低下を招きかねない。既存ジャーナリズムの質が低下すれば、市民ジャーナリズムによる糾弾を招くことになるだろう。いい意味でのライバル関係ならいいのだが、単なる誹謗中傷、足のひっぱり合いなどの不健全な関係になりはしないだろうか。

 市民が情報を発信する際のマナーやルールがまだ完全に確立していない段階で、価値ある情報を探し出す優れた仕組みがまだ完全に完成していない段階で、既存ジャーナリズムが弱体化すればどうだろう。一時的にジャーナリズムが機能しない時期がくるのではなかろうか。そのことは社会にとっての悲劇となりはしないだろうか。

 こうした状況の中、既存の商業ジャーナリズムに所属する自分は何をすればいいのだろうか。何をしなければならないのだろうか。

 わたし自身、明確な答えを持っているわけではない。しかし対話の促進と、ビジネスモデルの確立のために自分のできることはすべきだと思っている。

 立ち止まっているわけにはいかない。とにかく動き出さなければ。特に深い考えもないまま、見よう見まねでブログを始めることにした。

 日本のブログブームの始まりは2003年の秋ごろからといわれる。それ以前にも米国製のブログ作成ソフトを使ってブログをやっている人たちはいたが、一般ユーザーにまで普及し始めたのは大手プロバイダーなどが無料のブログ作成・ホスティングサービスを始めてからである。わたしもこの機会に最初のブログを立ち上げ、半年ほどした2004年5月に参加型ジャーナリズムの問題に特化した「ネットは新聞を殺すのかblog」というブログを別に立ち上げた。

 記者が実名でブログを書いていいのか。記者であることを明かすべきなのか。所属する組織の許可を得るべきなのか。そうしたコンセンサスがまったく確立していないにもかかわらず、とりあえずこの新しいツールを使って情報発信を始めることにしたのだ。

 わたし以外にも、何人かの記者が同じ時期にブログを立ち上げていた。その動機はそれぞれ異なっていたとしても、組織を通じてではなく自分の言葉で語りたいという思いは共通していたのだと思う。

 われわれプロの記者を迎えたネットの住民たちの態度は、必ずしも友好的ではなかった。ネット上に鬱積していたマスコミに対する不満、不信感といった感情が、記者運営のブログのコメント欄に雪崩のごとく押し寄せることがしばしばあった。マスコミはこれまで読者、視聴者との双方向の対話をほとんど行ってこなかったのかもしれない。それでまるでわれわれ記者ブロガーのブログが、かすかに開いたマスコミの代表窓口であるかのごとく、不満、不平がわれわれのところに集中したのだ。

 わたしを含む多くの記者ブロガーは、そうした読者、視聴者の感情にどう対応していいのか分からず途方に暮れた。議論のマナーやエチケットに欠くコメントも多く、中には名誉毀損と思われるコメントもある。感情的なコメントについつい感情的に反応してしまう。しかしそうすることで、騒ぎはさらに拡大し、批判的なコメントが殺到する。いわゆる「ブログの炎上」である。記者ブログ以外のブログが炎上することもなくはないが、記者ブログが炎上する割合は明らかに高かった。(後略)

日本の参加型ジャーナリズムの現状 12月29日 ネットは新聞を殺すのかブログ

▼まだまだ少ない政治系ブログ、専門家ブログ

 日本にもインターネットを使って一般市民の声が伝搬されて1つの大きなうねりを起こすという事例が過去にも数え切れないくらい存在する。前著「ネットは新聞を殺すのか」で紹介した2ちゃんねるの「奇跡の詩人事件」はその1例に過ぎない。それらを「参加型ジャーナリズム」と呼ぶべきか「消費者のクレーム活動」と呼ぶべきかは微妙なところだ。しかし現時点では参加型ジャーナリズムの定義をできるだけ緩やかにしておくというのがこの本の基本方針。よって2ちゃんねるの「祭り」と呼ばれる議論の盛り上がりの幾つかを「参加型ジャーナリズム」の定義の範疇に入れたいと思う。

 つまりダン・ラザー氏を降板に追い込んだような米国のブログを中心としたジャーナリスティックな活動は、日本では何年も前から2ちゃんねるが実践していたといえる。

 ただ米国と比べると、日本では政治問題を取り上げるネット上の言論が少ないように思われる。しかしこれはもともとの政治への関心の低さがその背景にあるのだろう。米国は典型的な2大政党制で、選挙の結果次第で政治が大きく変わる国だ。選挙の結果次第で、徴兵制がいつでも再開される可能性がある。「自分が投票しても政治は変わらない」というムードが強かったこれまでの日本とは異なり、米国民は政治に関心を持たざるえない状況にあるのだろう。

 こうした政治風土を背景に米国の1部ブログの言論活動はジャーナリズムであるとする認識が一般に広まりつつあるように思われる。政党が有力ブロガーに記者証を発行したり、ホワイトハウスの記者クラブへの入会を認めたりもしている。

 しかし日本でもポータルサイトなどは、政治に関する情報の充実を図り始めている。どの政治家が議会でどのように発言したか、どのような活動をおこなってきたか、などの情報が整理され一目瞭然になれば、日本人の政治に対する関心も幾らかは高まるのではなかろうか。また日本でも政党が有力ブロガーと懇談会を開くなど、ブロガーへの働きかけに関心を示し始めている。米国のレベルに達するまでは時間がかかるかもしれないが、同じような方向に進みつつあるように思われる。

 一方で、米国と比べて日本で圧倒的に少ないのが、専門家のブログだ。米国ではあらゆる分野の専門家がそれぞれブログを開設しており、ブログが非常に有力な情報源になっている。

 20世紀のジャーナリズムでは記者が専門家の意見をかみ砕いて紹介した。素人にも分かりやすい半面、読者の中の専門家には物足りない情報になることもあった。また記者が専門家の発言を租借する課程で、発言内容を誤解するということもありえた。専門家の生の発言に比べると、記者という仲介者を通した情報はインパクトに欠けるという側面もあった。

 米国に多数存在する専門家のブログは、こうしたこれまでのジャーナリズムの専門情報に満足していなかった情報収集家にとって宝の宝庫となっている。

 日本でもライブドアによるフジサンケイグループ買収騒動の際に脚光を浴びた公認会計士磯崎哲也さんのブログのように質の高いブログは少数ながら存在する。この騒動の際には、新聞の書く解説記事より、磯崎さんのブログのほうがよほど読み応えがあったと個人的には思っている。ただこうした専門家ブログが、米国と比較して日本ではあまりに少ないように思われる。

 それはなぜなのだろう。
 わたしは人生の半分近くを米国で暮らしたのだが、米国人は日本人に比べ発言欲求が確かに強いと実感している。米国人の発言要求の強さは、議論をする、自分の主張を発表する、ということの大事さを幼いころから教育の場で徹底的に教え込まれてきたからだろう。そういった米国人の国民性がブログという個人の情報発信ツールにぴったりはまったわけだ。

 またそれとは別に、米国人の職業人生に対する考え方が、価値の高い専門情報をブログに書く原動力になっている、とわたしは考えている。日本人のようにできれば1つの会社を勤め上げようと考えている米国人に、わたしは出会ったことがない。上昇志向のある人は、次にどのような会社で経験を積み、最終的にはどのような技能を身に付けるべきか、ということを常に考えている。基本的に転職を繰り返すことで、キャリアアップを図るわけだ。

 そして普段から自分の専門分野のことをブログに記述しておくことで自分自身を社会に、次の企業に、アピールしようとしているのだと思う。専門性の高いブログは、転職の際に非常に有効な「履歴書」になる。これが専門情報ブログが米国に数多く存在する最大の理由だと思う。

 日本でも転職率が高まっているが、日本人の転職は「仕事が面白くなくなってきたから」「給料が下がってきたから」などといった後ろ向きの動機が中心ではないだろうか。できればこのままこの会社にいたいのだが仕方なく転職する、という形だ。米国人のように「今の職場に不満はないが次の技能を身につけるために」「もっと給料を取れる自分になりたいから」という前向きな理由で転職する人はまだまだ少ないように思う。

 できる限り今の職場でうまくやっていきたいと考えているので、会社の目を気にしてまで自分の専門分野の情報を発信していこうとは思わない。FPNというブログサイトがビジネスに役立つ情報を流すブログの人気投票を行ったことがある。投票の結果、ビジネス情報の人気ブログを運営するのは個人事業主がほとんどで、会社員の運営するブログは1つ、2つしかなかった。

 こうしたことを考えると、米国のような専門家によるブログジャーナリズムは、日本ではまだしばらく期待できそうもない。

▼ネットの一次情報を基に取材する記者

 一方で「ネット上に一次情報はほとんどない。ネットはマスコミの流す一次情報を論評、分析、解説しているだけだ」という指摘がある。確かにネット上の言説はほとんどが論評、分析、解説だ。しかし一次情報がないわけではない。

 特に発言者の特定がむつかしい2ちゃんねるに比べ、ブログは一人の発言者の過去の発言の履歴を確認でき情報の信頼性の度合いをある程度推測できる。検索技術の進化でネット上の情報通を探し出すことがかなり容易になった。また情報通がブログを開設している場合、コメント欄が開設されていたりメールアドレスなどの連絡先が記載されていて、実際にコンタクトを取ることが可能になった。

 こうした状況がそろったことで、マスコミの記者がネット上の一次情報を基に追加取材し報道することがかなり多くなっていると思われる。わたしのような者のところにも、「ブログを見た」といって取材を申し込んできた記者は十人を超えている。同様にマスコミの取材を受けたブロガーを、わたしは何人も知っている。

 2005年のマンション耐震強度偽造事件の際には「きっこの日記」というブログがマスコミ記者の情報源になっていたというのは有名な話だ。評論家の立花隆さんも日経BPのサイトに寄せた「ネットの日記が暴く耐震偽装問題の裏を読む」という記事の中で次のように述べている。(後略)


(私のコメント)
アメリカのブロガーにも共通する事なのですが、既存の商業ジャーナリズムはどうしてもスポンサーや政府の広報に引っ張られて体制の広報屋に成り下がって、それに対する批判がブログのなかで書かれることが多い。また既存のジャーナリズムは外交においても中国や韓国とは仲良くという主張をしているが、ブログでは中国や韓国に対する対立的批判が多い。

最近のテレビや新聞も政界からのチェックが厳しくて、報道機関のトップなどにクレームが寄せられる事も多いようだ。断ればその政党は番組への出演を拒否するとか、取材には応じないとかの嫌がらせを受けるから、どうしても体制の広報屋になってしまう。スポンサー経由で圧力をかける事もあるから報道機関は中立を装いながらも体制よりの報道せざるを得ない。

アメリカや中国や韓国の報道も特派員の派遣や取材などに便宜を図るなど、いくらでも圧力はかけられるし、アメリカや中国や韓国などで商売をしているスポンサーからも対立を煽るような記事は書くなとクレームをつけるだろう。そのような事が報道に反映されれば体制批判や周辺諸国への批判的な記事は書けなくなってしまう。

「株式日記」では朝鮮総連や創価学会への批判とか日本を支配しようとしている国際金融資本の陰謀とかマスコミが書かない勢力への批判も書いていますが、マスコミがどうして書かないのは圧力に屈しているからですが、ネットはいまのところ彼らの圧力は及んではいない。朝鮮総連は拉致問題への関与などで風向きも変わってきましたが、創価学会と国際金融マフィアのマスコミ支配は強まる一方だ。

これでは新聞やテレビを見ても報道されないことだらけで、「株式日記」では報道されない記事などをネットから拾い集めたりして書いていますが、プロの記者たちもネットからネタを拾って書いているようだ。耐震偽装事件なども「きっこの日記」からネタをひろって記事にしていたようですが、世の中はそういう時代になったと言う事だ。

アメリカではダン・ラザーの誤報を元にブロガーが集中攻撃を浴びせて辞任に追い込んだのは有名な話ですが、日本でも同じような事が起こるだろう。いや、もう既に起きている。「株式日記」でも2002年8月20日に「注目されるNステーションと2ちゃんねるの論争」と題して次のように書きました。


《 8月15日にテレビ朝日系列で放送された、『ニュースステーション』の特集『南京戦元兵士102人の証言』において仮名を鬼頭久二(76)と称する男性が出演し、60年以上前の南京での様子を証言した。しかし、年齢を計算すると鬼頭氏は当時11才であったことになり、各所で物議を呼ぶ事態となった。『ニュースステーション』は、8月19日の放送の最後に、鬼頭氏の年齢を86才と訂正したとの情報があるが、年齢を間違えた理由や、86才である根拠については示されなかった模様だ。また、同特集の中での証言等について、不自然な点が他にも指摘されているが、それらについての説明はなかった模様だ。(ニュース実況@2ch掲示板より)

今回のニュースステーションの「南京」問題も、出版物とタイアップの作為的報道の欺瞞が、ネットジャーナリズムによって暴かれている。その中心になっているのが「2ちゃんねる」というBBSで、サーバーがパンクするほどの読者が訪れている。既存のテレビメディアも無視し得ないほど大きな影響力を持ちつつあります。今回の問題も「Nステーション」と「2ちゃんねる」の論争になっていますが、無視して切り抜けるには厳しいようだ。 》


久米宏キャスターはその1年後の8月にNステの降板を明らかにして、3月にNステも無くなった。「11歳の日本兵」報道が直接のきっかけではないものの、2ちゃんねるから袋叩きにされてやってられないよと降板するきっかけにはなっただろう。このように明らかな誤報をすれば2チャネラーが集中攻撃を浴びせる時代では新聞のように小さく訂正記事を載せればいい時代とは変わった。

最近では朝日新聞の安倍中川氏の圧力の捏造報道事件ですが、これにも株式日記をはじめ2ちゃんねるが集中砲火を浴びせて、朝日新聞の社長を血祭りに上げた。まさにプロの新聞記者やテレビの花形キャスターは誤報をすれば首が飛ぶ時代が日本でも来ているのだ。




NHK-BS1 「アメリカは日本をどう見ているか」 実況中継
もし中国と戦争すればアメリカは必ず負ける(C・ジョンソン)


2006年1月4日 水曜日

画像のついた株式日記はブログ版でぞうぞ

◆【マイケル・グリーン

一昔前の安全保障の考え方はもう通用しません。テロリズム、そして大量破壊兵器拡散の脅威、中東をはじめ世界の状況が日本の安全保障に直接影響します。

アメリカ軍と自衛隊が今以上に訓練を重ね機動力を高める事ができれば危機への対応力が向上します。戦争の抑止力も強まり米軍駐留の効果も発揮されます。在日アメリカ軍再編については関係者の全員が満足できる形には出来ないでしょう。日米双方にとってメリットのある在日アメリカ軍の基地再編を目指しています。

自衛隊の基本的な役割は日本を守る事です。しかし日本全土と周辺の海域をカバーする自衛隊の防衛能力は日本を含む北東アジア一帯の安定に貢献できます。これは重要です。なぜならここにはユーラシア大陸の東の海岸線に広がる不安定の弧が存在するからです。日本国外の地域を防衛する事は今は自衛隊の任務ではありません。しかし今後は中国を含む北東アジア一帯の安定にいかに貢献していくかが課題になると考えています。

◆【リチャード・アーミテージ

日米関係はまさに最良です。小泉首相とブッシュ大統領の仲も完璧に上手くいっています。そして軍事政治経済全てを統合する事ができました。とても満足しています。

安全保障についての考え方が一般の日本人も政治家も大いに成熟しました。かつてクリントン大統領の時代には北東アジアを訪問する時に日本をとびこして中国を訪問した事もありますが今では考えられない事です。イラクの問題については日米間で微妙な見方が異なるかもしれませんが、日本政府の自衛隊がサマーワで成し遂げた業績はすばらしいもので、イラクの人々に大きな希望を与えています。

アメリカとイギリスのように共通の価値観にたって同盟関係を目指す事が日本にとって大切な事だと考えました。これは党派を超えてスタッフの共通した意見だったので提言書の中に盛り込みました。ただ集団的自衛権については誤解があるようですが。

集団的自衛権の行使が禁止されていると言うのがどういうことかといいますと、アメリカ軍と海上自衛隊の船が公海上でホノルルに向かっているとしましょう。この時アメリカの軍艦が攻撃されたら自衛隊はすぐそばにいても何も出来ないのです。日米が同盟関係を結んでいると言うのにこれではとても理屈に合いませんよね。

日本ではこれまで集団的自衛権の行使が禁止されている事を理由に軍事面での協力に一定の制限を設けてきました。この制限はそろそろ無くなったほうがいいのではと考えたのです。2000年のリポートで私が集団的自衛権に言及したのは、この問題が日米関係での障害になっている事実を伝えるためです。そしてリポートにもはっきりと書いたとおり、その決断を下すのはあくまで日本政府なのです。アメリカが決めることではありません。

中国の台頭は19世紀のドイツ帝国もしくは20世紀の世界大国アメリカの出現と同じインパクトをもつと思います。それくらい重要な事です。我々は北東アジアで全く前例のない事態に直面しています。日本と中国という二つの拮抗する勢力が対峙しているのです。アメリカと日本は上手く処理しなければなりません。それが出来て日米関係は始めて成熟したと言えるでしょう。

懸念と脅威は別物です。もし中国の存在を懸念していますかと聞かれれば「そうだ」と答えます。中国の最終的な目標は読めませんが核兵器を持ち軍事力を増強しています。間違いなく安全保障上の懸念です。しかしまだ脅威とはいえません。中国の今後の出方次第です。

中国の軍事力増強については二つ考えるべきことがあります。一つは中国が軍事力の強化を実に上手くやっていると言う事です。旧ソビエトのように予算を軍事力につぎ込み社会や経済の発展を犠牲にするようなことはしていません。注意深く考えられた国のプログラムに従って進められています。二つ目はその目的が台湾の独立に備えるものだと言う事です。ここで重要なのは台湾に向けられる軍事力は同じ島国の日本にも使われる可能性があるということです。これが過去50年で今最も重要な日米同盟が必要な理由の一つです。

我々は中国を敵とみなしていません。中国とは折り合いをつけるべきで、そのためにも日米関係の強化が重要だと考えます。中国にはアメリカや日本だけでなく他のアジアの国々にも良い関係を持って欲しいと考えます。歴史を見れば明らかですが、新しい勢力が台頭すると既存の勢力はそれを上手く取り込もうと努力します。政治、経済、安全保障の分野で混乱が起こりえます。しかし日米同盟は強固で連携がうまくいっています。

我々は中国を国際社会で適切かつ有益な役割を果たすよう導いていけると思います。反対に日米関係がギクシャクしていると中国にそこを突かれる恐れがあります。東西冷戦の時代から中国の指導者は日米関係を熱心に研究し理解を深めてきました。今でもそうです。日米の絆を強くしておかなければならないと思います。同盟関係の破綻は極東だけでなく世界各地に影響を与えると思います。

◆【ジョセフ・ナイ

2000年当時私とアーミテージ氏は日米関係がアメリカの対東アジア政策の中心にあるという見解を共有していました。そこで2000年の大統領選は始まる前に超党派的なグループを作って日米関係の強化を提言するリポートを一緒にまとめたのです。その後彼がブッシュ政権に入ってからも私はその立場を支持し続けました。

しかし私は個人的にブッシュ大統領が行なったイラク侵攻は間違いだったと思います。もっと多くの国の理解を得て国連と行動をともにすべきでした。

日本はアメリカの先制攻撃には手を貸しておらず国連決議のあった国連決議に参加しただけです。世界経済にとって重要な中東地域で大国としての平和的な役割を果たしたわけですからアメリカのためにだけ動いたと言う事はないと思います。

◆【カート・キャンベル

報告書を作った当時まるで夜空の星のように遠くにある目標のほとんどがここ数年間のうちに達成されたと言えます。安全保障の分野で日米同盟の大きな進展が見られました。しかし気がかりな事があります。残念な事にアメリカは世界中で評判が悪く、同様に日本もアジアで評判が悪いのです。これは現在の日米関係がとても緊密な事と無縁ではありません。

私は最近アジアの友人に数多く会ったのですが皮肉な事に軍事力の増強を図っている中国ではなく日本に対してより強い不信感を持っていました。単に評判が悪いと言うだけで我々が間違っているわけではありません。外交や国家の安全保障の問題は人気コンテストではありませんから。しかしアメリカと日本がこれほどまでに評判が悪いと言う事実がアメリカの対アジア外交に悪影響を与える事は避けられません。私は日米双方が理解と支持を得るための努力をもっとすべきだと思います。

◆【クリス・ヒル

やがて世界の大国になる中国とアメリカは長い付き合いをする事になるでしょう。しかし中国のGDPが日本あるいはアメリカを超えるのはずっと先の事です。中国が日米両国のレベルに達するのはまだ時間がかかると思います。

◆【ゲーリー・シュミット

アメリカと中国の関係を楽観する意見はこの10年で少なくなりました。90年代には共和党も民主党も経済発展に伴って中国国内の政治改革も進むだろうと考えていました。そのためアメリカの指導者たちは中国の行動の多くについて容認していました。中国は長い時間をかけて正しい方向へ向かっているのだから辛抱強く見守ろうと。しかし経済成長は政治面の発展につながっておらずアメリカは落胆しています。

今アメリカ軍の部隊をヨーロッパからアジアに移動させる計画が国防総省で盛んに議論されています。これも中国が台湾に攻撃を仕掛けたときに向かい打てるかと言う不安があるからです。アメリカは中国が何をしても勝てると自負してきました。しかし近年増強された中国軍に打ち勝つにはアメリカ軍も更なる軍備を充実させなければならないのは明らかです。

有事の際には迎撃しなければなりません。いま国防総省が4年に一度の国防計画の見直しを行なっている真っ最中ですが、そこで最も重要なのが中国の脅威に対抗するため日本を含むアジアにどうアメリカ軍を配置するかなのです。中国との軋轢を生むより安定した関係を望むアメリカ人もいます。これは経済関係を重視しているからです。しかし中国との間には軍事的な緊張があります。台湾に対する野望が消える事はないのです。そうなるとアメリカは経済よりも安全保障のために行動せざるを得ません。それが国際政治というものなのです。

◆【チャルマーズ・ジョンソン

私は中国を脅威だとは思いません。そんなことを言っているのは国防総省の人間です。脅威だと言うのは一種のプロパガンダです。今の中国にとって戦争ほど危険なものはありません。戦争になれば彼らが築いたもの全てを失うからです。今の中国人は富を手にする事を心から楽しんでいるように見えます。台湾と戦争する事も望んではいません。ですから脅威になんてなりえないのです。本当の脅威は中国は不安定だ脅威だと信じているアメリカ人です。彼らは東アジアに安全保障に対する処方箋は空母、原子力潜水艦、巡航ミサイルだと思っているのです。時代遅れです。今東アジアを動かしているのは経済、それを扇動しているのが中国なのです。

アメリカはこの現実に適応しなければなりません。アメリカの製造業は衰退しています。軍需産業だけは別ですが。生産を次々と海外に委託して自動車産業でさえ手放す寸前です。次世代の自動車に投資しているのも日本企業だけですからね。もし中国と戦争になればアメリカは必ず負けます。中国はベトナムのように戦うでしょうから。そして中国と戦争をすれば中国をより軍国主義的な方向に向かわせる事になるでしょう。中国の台頭を認めるほかに選択肢はないのです。

中国を軍事上の脅威だと恐れる必要はありませんが、日本には今やるべきことがあります。それは中国の成長を冷静に受け止めてアメリカとの関係を見直す事です。

日本は東アジア諸国に対して誠意をもって接しているでしょうか。日本は世界第二の経済大国です。それに見合ったリーダーシップを発揮しているでしょうか。ODAといった金の話をしているのではありません。民主主義を大切にする先進国として良い手本を示しているかと言うことです。ナショナリズムを丸出しにして周辺諸国と軋轢を起こしている場合ではありません。アメリカは日本の代わりに中国をパートナーに選ぶようになりますよ。かつて日本の頭越しに中国と手を結ぼうとしたニクソンやキッシンジャーのようにアメリカ人は移り気だと言うのをお忘れなく。ブッシュ大統領だって得にならない関係はすぐに切りますからね。

◆【ジョン・ダワー

ブッシュ政権は世界の安定と平和を大きく傷つけていると思います。私は現在のアメリカの政策は間違っていると憂慮しています。今のアメリカを支配しているのは軍国主義だと言ってもいいと思います。

イラク戦争の時の態度も「我々は戦う、我々と戦わないものは敵とみなす」というものでした。私が恐れていたとおり、こうした態度が惨憺たる結果を招いています。

世界は今アメリカのせいで危機的な状況に陥っていると思います。こうしてアメリカが危険な行動を取っている時に、日本がアメリカがすることは全てよい事などとアメリカの言いなりになっているのはとても残念です。

また経済システムについてもアメリカの真似をして日本人が持っていた良さを無くそうとしているように思います。私は日本が国民に豊かさを平等に行き渡らせる人間的な資本主義のモデルになるのではないかと期待していました。競争が厳しくかつ軍事力に頼っているアメリカとは違うモデルです。

日本は戦後60年経ちましたが、これまでアジアの国々との関係を重視してきませんでした。中国が台頭してきたいまこそアメリカ一辺倒の関係から脱却するチャンスだと思います。日本人はこんな事を言います。「マンスフィールド大使は日米関係以上に関係はないと語った」と。それもいいでしょう。しかし日本はアメリカ以外の国ともよい関係を結ぶべきなのです。

いまアジアで「日本の外交政策は?」とたずねたとします。答えは「アメリカの言いなり」でしょう。一方「中国の外交政策は?」と聞いたとします。それには中国の指導者が最善だと判断した事といった答えが返ってくることでしょう。日本のほうが中国よりも民主的だと思われているのに、国としては独り立ちしていないと思われているのです。真の独立とは何か、そろそろ真剣に考えなければならないのでしょうか。



(私のコメント)
正月のテレビはくだらないおせち番組だらけで見るべきものはないのですが、正月ならでの特別番組もあって、見逃した方のためにNHK−BSで放送した「アメリカは日本をどう見ているか」の紙上実況中継をしてみます。

私もあまり期待していなかったのですが、マイケル・グリーン氏やリチャード・アーミテージ氏やジョセフ・ナイ氏や、学者としてはチャルマーズ・ジョンソン氏やジョン・ダワー氏など豪華メンバーで、テレビではあまり見かけないインタビューで、直接生の意見が聞けることはめずらしい。

彼らはいわゆるジャパンハンドラーズといわれる人たちで、アメリカ政府の対日政策に大きな影響を及ぼしてきた人たちだ。日本の政治家や学者たちは彼らから御教授させていただいた御高説を日本の政策に反映させてきた。番組内での彼らの発言は現在の日本の外交政策そのままであり、特にアーミテージ氏やマイケル・グリーン氏の影響が非常に強い。

90年代はジョセフ・ナイ氏やカート・キャンベル氏らの意見が主流だったが、中国との経済利権に目が眩んだクリントン政権は、中国が経済成長すれば民主化も進むと見ていたが、見事に中国に裏切られたようだ。中国の朱将軍のアメリカへの核攻撃発言は初めてではないが、アメリカ人を驚かせるには十分だったようだ。

そのような意味ではチャルマーズ・ジョンソン教授の親中国的な発言は興味深いが、現在のアメリカの政策としては危険すぎて受け入れられないだろう。中国と日本とが手を結ぶべきだとも言っているが、アメリカ人から見ても正気の沙汰ではない。しかしアメリカ政府の日本たたきが激しかった頃は私も「アメリカ金融帝国は日中共同の敵」と言う株式日記を書いた。

私としてはジョン・ダワー氏の意見がもっともだと思うのですが、中国の軍備増強が著しい状況では日中関係の親密化はアメリカにとっては悪夢だ。将来ヒラリー・クリントンが大統領になって90年代のような米中関係が親密化した場合は日本もアメリカとは距離を置いて中国と手を組まざるを得ない。だから日本政府もチャイナスクールを切ることはできない。チャルマーズ・ジョンソン教授が言うようにアメリカ政府はいつ手のひらを反すか分からないからだ。




西尾幹二(著)「日本はナチスと同罪か」 ドイツは
戦勝国への国家賠償はまだビタ一文支払われていない


2006年1月2日 月曜日

日本はナチスと同罪か―異なる悲劇 日本とドイツ 西尾幹二著

新版まえがきー九〇年代以降の戦後補償間題

日本はサンフランシスコ講和条約を昭和二十六年(一九五一年)に結んで、翌年にこれが発効し、国際社会に復帰することができた。ドイツは日本に匹敵するいかなる講和条約をも国際社会とまだ交わしていない。というと誰でもみな工ーツとびっくりした顔をする、ドイツは近隣諸国と法的にはいまだに交戦状態にあるのである。

講和条約を結んでいないのだから、ドイツは戦勝国にいかなる賠償も支払っていないし、犯した戦争犯罪に対し償いも謝罪もしていないのだ。そんなバカなことをいうな、ウソいうんじゃないと叱られそうになるが、じつはそうなのである。なにしろ日本に比ベドイツは理想的な戦後補償をはたし、模範となる謝罪を重ねてきたという「ドイツ見習え論」を、日本人は耳に胼胝ができるほど聞かされてきたのでなかなか信じてもらえない。

もっとも、この本の末尾の「文庫版のための新稿本書がもたらした政治効果とマスコミヘの影響」で明らかにしたように、「ドイツ見習え論」は近頃やっと少し下火になり、日本の戦後補償は完了している事実が国内ではだんだん分ってきた。

ただし、代わりに、中国や韓国の首脳がドイツに比べ日本は過去への反省が足りないなどとデタラメなことをことさらに声を高めて強調するようになり、町村外相が国会でドイツと日本とでは背景の事情が違う、と反論する一幕もあった。外相が自信をもって語るようになる程度には日本国内のこの件での認識は進んだといっていい。

ドイツ在住の川ロマーン恵美さん(『ドイツは苦悩する』という良書を二〇〇四年末に草思社から出版した)から聞いた話だが、ドイツが講和条約を結んでいないこと、賠償も払っていないことを知っているかと何人かのドイツ人に聞いたところ、誰も知らなかったという。ドイツでも本当のことはきちんと教育されていないらしい。

この六十年問、国民にナチスの犯罪を徹底的に叩き込んだといわれ、立派だと誉められているドイツの戦後教育だが、自国に都合の悪い一番肝心のことは抜け落ちているようである。「ナチスの犯罪」は「ドイツの犯罪」では必ずしもないという教え方がなされている一つの結果であろう。

ドイツが講和を結んでいなかったのは、戦後、一九九〇年まで東西分裂国家であって、ドイツという国家が存在しなかったからである。賠償も謝罪もしていないというのは一般の戦争犯罪に対してであって、ナチスの特有の犯罪であった民族絶滅政策(ホロコースト)に対しては十分とはいえないまでもすでに五〇年代から補償が行われている。

ドイツ人は頭も下げてきたし金も払ったと自ら思い込んでいるのは、ホロコーストと一般の戦争犯罪、こなかった事情による。ヨーロッパは中世以来ずっと侵略したりされたりしてきた地域で、いまさら侵略戦争がどうのこうのとは互いにいえた義理ではない。ドイツ人もそう信じて、高をくくっていたのだろう。

ところが近年事情は一変した。ドイツという統一国家が再生したからだ。すると講和条約が結ばれるべきだといいだす国が出てきた。当然戦時賠償をあらためて支払えという要請を伴っている。

以下は本書がまだ取り上げていなかった九〇年代以降の話題について述べる。本書の指摘が本書より以後に起こったドイツをめぐる、主として九〇年代後半から二〇〇〇年代への新しい状況をある意味で予知していた結果になる。

ゴルバチヨフが登場して、東西ドイツとイギリス、アメリカ、フランス、ロシアの計六ヵ国の間で「2+4条約」というのが一九九〇年に締結されたことは知られていよう。名実ともに統一ドイツが承認された条約である。ここでこの「2+4条約」を第二次世界大戦そのものの講和条約に替えようと発議した国があった。ロシアである。これにはドイツは困った。

いままで統一ドイツができるまで賠償は棚上げといって逃げてきたからである。西ドイツは貧しい東ドイツを抱え、これからどれくらいお金がかかるか分らない。そこへ近隣諸国がこぞって賠償請求を始めたら財政的にとんでもない事態になってしまう、という恐怖に襲われた。イギリス、アメリカ、フランスの西側三国も、ドイツの疲弊と混乱は自国にも災禍となるので容認できない。そこで待ったをかけた。問題を先送りした。最終解決ではない。

しかし東側の国々やその他の貧しい国々は必ずしも同調しない。一般の戦争犯罪ーホロコーストではないーに対する古傷があちこちで蒸し返されるようになった。例えばギリシアである。一九四四年、ギリシアのディストモスという村で、パルチザン秘匿の理由による集団虐殺が行われた。一九九七年になってギリシア政府は賠償請求をいいだした。

ドイツ政府はこれを認めたら、世界の各地でナチス政権下の虐殺が問題にされだすことになるので、どうしても認めるわけにはいかない。戦後からいままでさんざん国際協力をしてきたドイツの業績を顧みて、いまさら新たな要求に応える根拠はないときっぱり拒絶した。

'しかし勿論、ドイツの賠償問題は先行きどうなるか分らない。統一ドイツになってからまだ賠償を受けていないホロコーストの外国人被害者が裁判を起こし始め、九〇年代半ばに訴訟の波が拡大する恐れが出てきた。ドイツ政府は主権国家への要求は主権国家でなければ応じる必要はない、という国際法を盾に個人の訴えを退けた。

しかしドイツ企業が戦時中の強制労働を理由に新たに訴えられるようになりだし、国家ではなく企業が標的になりだした。(同じ時期に日本の企業も訴訟の波にさらされ、旧アメリカ兵による強制労働の告訴は大事件に発展しそうな雲行きだった。)ので、ドイツ政府は二〇〇〇年、政府と企業の協賛で、百億マルク(約七〇〇〇億円一の基金をつくった。基金の対象は、すべて外国人で、強制収容所に入れられたホロコーストの犠牲者、ジブシー、生体実験の被害者などの生き残っている人々に限られる。

これで例えばポーランド人の約四十八万人が緊急の補償を受けることができた。亡くなった人は対象ではない。やっともらえるようになって一人約二十二万円程度にしかならない。ごく最近の出来事である。

ドイツ政府はこれをもっていっさいの賠償の終結とすると宣言しているが、戦勝国への国家賠償はいまいった通りまだビタ一文支払われていない。ドイツ国民ももう内心これ以上はいやだとうんざりであるが、さてどうなるか分らない。賠償問題はドイツ人には触れてもらいたくないいやなテーマで、一日延ばしに引き延ばして歴史の背後に消えてしまうのを祈っているかに見える。

だからドイツ国内では議論しないし、教育のテーマにも出てこない。だが、本当に忘れられ、消えてしまうのか、被害国が時期をうかがって待っているだけなのか、じつのところはドイツ人にも分らないし、われわれにも分らないのだ。

ただ一層はっきりしていることは、ドイツのこの一連の出来事によって、ホロコーストは戦争犯罪ではなく別種の犯罪であるということである。ホロコーストの歴史を持たない日本は国家賠償の伝統的な戦後処理を果たし終えているという本書の主張と主題は、これをもって一段とはっきり公認されたことが証明されたといえるだろう。

旧アメリカ兵の日本企業への九〇年代における訴訟は、ブッシュ大統領の裁決で、サンフランシスコ講和会議で日本の賠償はいっさい解決済みであるゆえ、無効であると決定された。

ドイツは戦後ずっとホロコーストの罪を問われ、個人補償という形式で、償いを、つづけてきた。そしてそれもいまだ十分でないが、二〇〇〇年の百億マルク基金で終結したつもりであるものの、ホロコースト以外の国家賠償はこれからである。暗くして遠い道のりである。他方、日本は戦後六年にして講和を締結し、国家賠償を果たし終え、ホロコーストと無関係なので、いっさいの償いは終了している。

日本人が戦後補償に関し「ドイツ見習え論」をいうのはおかしく、ドイツ人が「日本見習え論」をいわなくてはならないといういきさつは、以上をもって明らかだろう。(P3−P8)

ナチスの根底にあった生物学的人種思想

そして、ナチズムもまた全体主義の運動である以上、固定した敵にとらわれず、敵の概念をたえず新たに移動させた。ドイツの歴史のなかで非連続性の要素とみられる第二点がこれに関連している。すなわち、非連続性の第二の要素は、ヒトラーの世界観の根底にあった生物学的人種思想である。それは第三帝国の拡張と経営より以上に、彼にとってはるかに重要な意味を持つものだった。

人は通例、この思想をヒトラーの反ユダヤ主義と理解しているが、それだけでつきる問題ではない。ユダヤ人虐殺の規模と方法がいかに未曾有のものであったとしても、反ユダヤ主義だけなら歴史のなかに他にいくらも先例を見出すことができる。それはドイツ特有の問題でさえ必ずしもない。ヨーロッパの歴史、キリスト教教会の歴史にむしろ関係がある。

つまりヒトラーのケースの特異さはそれが現代的全体主義の運動と運動していた点なのだ。単にユダヤ人を絶滅するというだけのことだったら(それだけでも身の毛のよだつ話ではあるが)全体主義的権力はただ一度巨大な犯罪を行った後に、秩序を取り戻し、正常の生活と通例の統治方法の日常性に立ち戻るものと考えてよいであろう。

しかしナチスの場合には実際にはその逆であった。敵の対象は移動し、焦点は新たな敵に向けられる。次々と標的は変えられていく。その一部は実行され、時間不足で大半が実現しなかったナチスの計画表によると、ジプシーとユダヤ人の絶滅につづいて、ポーランド人、ウクライナ人(一説では全ロシア人)の絶滅、オランダ人、ロレーヌ人、アルザス人のような西ヨーロッパ国民の知識階級の絶滅を含み、さらには器質的疾患を持つ者、肺病及び心臓病患者は、家族もろともに消し去られることになっていた。

ポーランド人はこの計画を薄々知り、ユダヤ人の絶滅が完了するのを秘かに恐れていたという記録もある。これはドイツの歴史にも、人類の政治史にも、先例を見出すことのできない非連続性の最大の要素である。

ナチスにとってすべての事柄の出発点は、人種である。人間の価値をきめるのも、その思想や行動ではなく、彼がどの人種に属しているかである。ある人種に属しているものはそれだけで生存の価値がないとされる。人種の選別において最も重要なのは、血である。それゆえアーリア人種、とりわけその中核をなすドイツ民族は、自らの血の純潔の維持につとめなければならないと考えられた。

このプリミティヴな世界観がいったん確立されると、ヒトラーはそれにじつに忠実に従い、行動した。一九三三年の優生法や三五年の婚姻法の制定が、それである。結婚は十分な医学的.優生学的な検査をまってはじめて許可された。生物学的にみて好ましくないとされたひとびと(精神病や聾唖の遺伝のあるもの、常習犯罪者など)に対しては、断種や不妊手術が強制された。そのための優生裁判所までが設置された。

戦争が始まった一九三九年から二年問、ドイツにおける病人患者の大量殺裁の命令がヒトラーから出され、療養所や看護施設にいる約十万のドイツ人が職権で殺害された。いわゆる「安楽死政策」である。これが二年で止められたのは、住民の間に不安をよび起こし、教会の公然たる抗議を招いて、戦争遂行の目的にそぐわない、むしろ目的の邪魔になると、判定されたからである。

人種思想に発したナチスの行動が、戦争行為とは一致しないゆえんである。またドイツ人のなかの劣悪者を排除するというこの措置は、ナチ犯罪の動機が単に対外侵略にだけあるのではない本質を物語っている。

ナチスの侵略が外国領土における自国の権益確保、植民地支配といった程度をはるかに越えていたのも、「人種」の理念に関係がある。ヒトラーによると、人類の歴史は人種間の闘争の歴史である。闘争こそは、いっさいの創造の源である。


優秀な人種が劣悪な人種を屈服させるところに、文化は成立し、発展してきた。従って前者は後者と闘争し、後者を奴隷化することが、侵略の本来の目的なのである。ドイツ民族のためにヒトラーが要求する「生存圏」という考え方も、人種としての優越のこの思想に基づく。(P26−P28)


(私のコメント)
ナチスドイツが行なった戦争と大東亜戦争を比較してみるとなぜ日独が同盟したのか分からなくなりますが、ナチスドイツは人種差別的な見方からユダヤ人などの劣等民族の殲滅を行なったのに対して、日本は人種差別撤廃など国際連盟に提案したり、「聖戦」と称してアジアの植民地解放戦争を行なったりして、目的は全く逆の戦争を行なった。

アジアの植民地支配からの開放と言うのは後からつけた戦争のためのプロパガンダに過ぎないのでしょうが、戦争が終わってみればアジアは植民地から解放されたのだから結果的に見て「聖戦」の目的は達成された。それに対して中国と韓国はクレームをつけているが、中国との戦争は共産党との内戦に巻き込まれたものであり、毛沢東も日本軍によって救われたと言っていた様に日本軍は利用されたのだ。

それに対してナチスドイツは優生学的な見地から民族隔離政策を行い、本来の戦争目的から逸脱してまでユダヤ人大虐殺を実行しようとした。戦争に勝つためならばユダヤ人といえども兵士や労働力として働かせたほうが合理的なはずである。だからナチスの行なった戦争とホロコーストとは別のものだ。

大東亜戦争は対外侵略という見方ももちろんあるし、東京裁判は侵略戦争として「平和に対する罪」として裁かれた。戦争においては負けたほうが犯罪者として裁かれるのは歴史の常識であり、皆殺しにされても、そのような例はいくらでもあるから、どのような刑も甘んじて受け入れなければならない。しかしどちらが正当であったかは歴史家が決めてくれることだ。

しかしナチスドイツが行なった戦争は本来の侵略目的のほかにホロコーストと言う優生学的人種選別的大虐殺を行おうとした事だ。このような事はどのような理由があったところで正当化されるものではなく、ニュルンベルク裁判では「人道に対する罪」として裁かれた。東京裁判では「人道に対する罪」で裁かれた被告はいない。

似たような例としては、近代ではアメリカにおいて300万人ものアメリカインディアンを絶滅させた例があるが、アメリカの白人たちは何の刑罰も受けることなく現代に至っているが、太平洋戦争においてもアメリカは十数発の原爆を投下して日本人を殲滅しようとした。アメリカ人は戦争を挑発してはインディアンを滅ぼしてきた。それを日本に適用したのが太平洋戦争だ。

だからユダヤ人を滅ぼそうとしたナチスドイツと、日系人を強制収容所に収容して日本人を原爆でもって絶滅させようとしたアメリカ人とどこが違うのだろうか。原爆は明らかに陸戦協定に違反する明らかな戦争犯罪であり、物理的にも日本人を絶滅させる事は可能な兵器でありアメリカは実際にそれを使用した。

ユダヤ人がナチスドイツを裁いたごとく、日本人は原爆を使用したアメリカを断罪すべきだろう。これは明らかな日本人に対するホロコーストだったのだ。パールハーバーを先制攻撃したのは日本軍だが、これはインディアンを挑発して戦争を仕掛けた方法と同じで、彼らの食料であるバッファローを絶滅させて開拓者を送り込んできたらインディアンは追い詰められて戦わなければならなくなった。つまりナチスドイツと変わらないアメリカと、日本は戦争をして負けはしたが人種差別撤廃や植民地開放には目的を達成したのだ。




大東亜戦争は自衛の戦争であり侵略戦争ではない
小泉首相は「東京裁判史観」を肯定した中道左派だ


2006年1月1日 日曜日

「日本国民に告ぐ―誇りなき国家は、滅亡する」 小室直樹 著

東京裁判とは何であったか

負けれぱ犯罪人か?

ケネディ政権下で、フォード社の社長から、米国防長官になったマクナマラ氏が証言するドキュメンタリーフィルム『フォッグ・オブ・ウォー』(二〇〇四年)で、八十五歳になった氏は、「私の人生は戦争と共にあった」と驚くべき告白をしている。

「第二次大戦中、私は統計管理官として、東京大空襲で如何に効率的に日本人を殺戮できるかを仲間と共に研究した。その結果、一晩で子供を含む十万人を殺した」

上官ルメイ中佐(後に将軍)は、「負ければ戦争犯罪人だ!」と言っている。それでは「勝てば許されるのか?」とマクナマラ氏は自問自答する。更に「日本全土、六十七都市を爆撃し、その上、原子爆弾を落とす必要があったのか?」「私は戦争にも目的と手段の釣り合いが必要だと考える」。

またこうも語っている。「原爆投下を許可した好戦的性格のルメイや、ケネディ亡き後、私と意見を違えて、ヴェトナム戦争を拡大、泥沼に落ちたジョンソン大統領も選ばれて『国家と国民のために』と称した行為である事を思う時、『人は善をなさんとして、如何に悪をなすものなのか』(パウロの「ローマ人への手紙」)という言葉を思い起こすL

列強の外交と弱小国の外交

非常に公平に観て、大東亜戦争が侵略戦争ではなかったということば明らかである。大東亜戦争の前までは、有色人種は殆ど白人の植民地人、独立国といえばタイと日本しかなかった。タイは、名目上は独立国ではあるが、イギリスやフランスに圧迫され、痛めつけられて植民地寸前というような状況だった。

インドは十九世紀後半に既にイギリスの植民地になっている。中国はそうはならなかったが、国際法では対等に扱って貰えないで、租界というものがあった。租界というのは中国の中に勝手に、外国が植民地のような土地を作ることである。戦前、約五十の国々があった。その中でも列強といわれる白人の幾つかの国だけが大使を交換する。それ以外の国々は、外交の代表は公使である。

例えば、日本からシナに送る代表は中国公使だ。それ以前はヨーロッパ諸国から日本にくる外交の代表も公使であった。その当時、まともな外交ができるのは列強だけだった。その他の国も公使を派遣されるのは未だマシな方で、条約も列強だけが平等で対等な条約を結べた。列強以外の国は不平等条約が普通に結ばれていたのである。

不平等条約とは何かと言うと、一つは治外法権を伴う条約、もう一つは関税自主権を伴わない条約である。関税白主権というのは、列強だけが勝手に自分の国に対する輸入関税の税率を決めることができる。それ以外の国はできない。こういう条約が結ばれたら大変で、イギリスとアイルランドの力関係みたいに、下手すると忽ちその国の経済的属国になってしまうのである。

治外法権というのは、列強とそれ以外の国が条約を結ぶと、列強の国民は犯罪を犯しても、その当事国の裁判を受けなくてもよろしいという大変な権利である。このような不平等条約というのを列強以外の国々と自由に緒んでいた。これはどういう事かというと、列強以外の国々は、列強がその気になればいっでも植民地にしてやるぞという前提で、このようなヨーロッパ列強の植民地になっていないのは日本だけだった。

日本でも不平等条約を跳ね返すには、明治時代に大変な苦労をした。不平等条約を完全に脱却したのは明治になってから三十年近くたった明治二十七年、日清戦争が起こる前日である。ところが関税自主権にいたっては、それからもなかなか許してくれなかったので、完全に獲得したのは日露戦争に勝ってからだ。

つまり日本が完全に独立したのは、日清日露戦争に勝ったからというわげである。アジア諸国は日清日露戦争なんてやってないので、依然として列強ヨーロッパの植民地だった。そのような事態を一変させて、国際法というまともな基準に変革し、世界の国家が完全に平等になったというのは大東亜戦争の結果である。これだけ見ても、大東亜戦争が如何に大きな意味を持つているか、世界史に特筆すべき大事件だったかという事は明らかである。

開戦に至るまで。

昭和の動乱の始まりは、昭和六年の満州事変である。日露戦争で日本は勝ったが、最大の利益は南満州鉄道の獲得であった。日本は、これを守るために関東軍を設立したが、中国側の反撃も大きかった。

中国は、日本人を虐待し、或いは、殺しさえもした。満鉄に並行線を引く計画までたて、その営業を多く妨害した。そのため、日本が得た満蒙の利権は怪しくなりそうであった。この満蒙の危機を打開するために、決然として起こしたのが満州事変である。これは石原莞爾、板垣征四郎を中心とする軍人達の計略であった。

石原は、作戦の名人であり、当時、満州は張学良の率いる、およそ五十万の軍隊の支配下にあったが、石原は、密かに十一インチ留弾砲を持ち込み、僅か一万人ほどの軍隊で張学良の大群を追い払ってしまった。

これは、石原、板垣などの独断で行ったことであり、日本軍の幹部も知らなかった。しかし、満蒙の危機を実感し、早く何とかしなければとは誰しも感じていたことであったから、輿論の支持を得た。初めは知らなかった軍の幹部も、同意して協力せざるを得なくなり、当時の政府(若槻内閣)も、口には不拡大方針を唱えつつも、結局同意して、予算も出した。

しかし、これは日本の中国侵略に違いないと、大騒ぎになった。国際連盟も関与してきたが、日本は、この反対を受け付けなかった。国連は、十三対一、四十二対一で、日本反対を可決したが実際にはどうしようもなかった。ただアメリカだけが、日本の軍事制裁を決意したが、海軍力が不足していることに気付いて、止めた。

国連は、英国のリットン卿に報告書を作らせた。これは、よく見ると日本に好意的ではあったが、日本は、これに気付かずに、跳ね返してしまった。日本は国連が日本のやり方に反対するなら止むなしと、脱退してしまった。

この時の、国連とアメリカのやり方は生ぬるいものであった。日本の満州政策に反対はするものの、「侵略国」呼ばわりもせず、何の規制をも設けるものでもなかった。これと昭和十一年のイタリアに対する態度と、十五年のソヴィエトに対する態度とも比較してもみよ。日本は自信を強め、中国は益々、反日的となった。

次いで昭和十二年七月七日、支那事変が起きた。上海では、少しモタついたが、第十軍(柳川兵団)が、抗州湾に上陸すると、その後一カ月足らずで南京を攻略した。蒋介石は、もうダメだと、講和も決意したが、日本の近衛内閣は逆に、「蒋介石を相手にせず」との態度をとり、事変は果てしなく長引くことになった。アメリカなどは益々、援蒋(蒋介石を援護すること)の臍を固めた。

アメリカは、早くから対日戦の決意を固め、レンパウ五号計画で、戦艦を日本近海に集中して決戦で日本を屈服させるのだと思っているふりをしていた。(P334−P340)

東京裁判は何を裁いたか

東京裁判(極東軍事裁判)は、満州事変、支那事変、大東亜戦争における日本の指導者の戦争責任を問うた裁判である。その直前に、ナチスドイツの戦争責任を問うた「ニュルンベルグ裁判」が行われた。ナチスの「責任」のうち最大のものは、「ユダヤ人の大虐殺」であった。戦争末期、連合軍は虐殺に気付いてはいたが、何もしなかった。この埋め合わせは、戦後の「戦犯裁判」に繰り越したのであった。

ところが、日本には、ユダヤ人の虐殺という犯罪はない。仕方がないので、その代わりに連合国が史実を歪曲して創作したのが、南京事件である。昭和十二年十二月十三日、日本軍は、中国の都、南京を攻略した。この時、日本軍は中国人三十万、或いは四十万人を殺した、というのが「南京事件」である。中国人好みの白髪三千丈の類の話であるが、東京裁判は、このような証拠の歪曲の上に成り立っている(例『史実の歪曲』畝本正己著参照)。

東京裁判で裁かれた罪の中には、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」という考え方がある。こんな罪は、大東亜戦争が始まった時点に於いては、国際法的には、確立されてはいない罪である。

刑法には、罪刑法定主義という重要な概念がある。事前に法に明示されている罪だけを裁く事ができるという大原則である。この大原則に照らして考えるとき、東京裁判が基礎を置く国際法は、どう考えても合法的ではない。このことは、国際法を少しでも知る者には全く明白なことである。

ただひとり「日本無罪論」

この不合法を明らかにすべく、パール博士は、「日本無罪論」を展開し、今や、世界中の学者の支持を得ている。東京裁判に参加した多くの判事は、世界的に認められている法律家でもなく、国際法の専門家は殆どいなかった。例外はインドのパール博士だけで、彼一人だけが日本無罪論を展開した。

「ハル・ノートを突きっけられたらルクセンプルグの如き小国でも、アメリカに宣戦したであったろう」講理明白、主旨厳正、堂々たるものである。比喩も巧みであった。これが全世界を唸らせ、東京裁判は間違っていた、というのが、専門家の問でも定説となった。

この考え方に対しては、批判もある。東京裁判は不合法であり無効ではあった。しかし、この裁判によって新国際法が生まれたのであり、これらの働きによって、侵略にく戦争は不合法となり、今後、起き難くなるであろう。

この反論に対する再反論は、東京裁判の結果として新国際法は生まれたのか? その国際法は機能しているのか? 侵略戦争は起き難くなったのか? 世界史のその後の発展は、よく観ればそんなことは少しもなかった!侵略戦争は、益々行われるようになった。例えば「平和に対する罪」「人道に対する罪」だけでも現時点でも頻繁に行われているではないか!例えばチベットに突如、侵入した中国解放軍。現在も侵略中である。

また、ニュルンベルク裁判と東京裁判では根本的に違うことがある。ニュルンベルク裁判の時、ドイツという国家はなかった。ドイツは戦争に負けたが、大負けに負けたので、ドイツ国が連合国に降伏したのではなく、なけなしのドイツ軍が仕方なしに降伏したという形をとった。

ところが日本は、最後まで国家は解体しなかった。国家権力は存在した。そしてポツダム宣言を受諾するという形で降伏したわけである。だから日本軍は降伏したが、日本国は降伏していないとも解釈できる。

戦いに負けれぱ皆殺し

ポツダム宣言というのは、連合国が集まって、ドイツのポツダムで相談して作ったのだが、「我々は日本国民を皆殺しにするわけでもないし、奴隷にするわけでもない」とはっきり書いてある。こういう所は日本人は読み落としている人が多い。日本はそれを受諾したので、奴隷にもされないし、皆殺しにもされなかった。

戦争末期に、相手国に対して、奴隷にもしないし、皆殺しにしないということを何で言ったのかというと、それまでの欧米の慣行では、戦争に勝った国は、敗者を奴隷にするのも皆殺しにするのも自由だったからである。アメリカはインディアンと盛んに戦争し、インディアンに勝利すると、皆殺しにしたり奴隷的な状態に落としたことが度々あった。

日本に対しては、「それだけは許すから降伏しろ」ということである。また、アメリカが犯した致命的犯罪は、日本人は誰もが知っている原爆を用いたことである。原爆というのは、禁止されていなかったように見えるけれども、精密に国際法を見ると一九〇七年のハーグにおいて開かれた、陸戦協定においても、残虐な兵器を使用することを(敵か味方かわからず全てを殺傷してしまうような兵器のこと)、禁止されていた。

アメリカには原爆を使用するのは止めておこうかという議論があった。人種差別ではないかという議論まであったのだが、結局、ドイツには用いずに、日本に使用した。これが国際法違反であるというのは、その後、どんな国にも原爆は用いられていない、ということからも、わかるはずである。

実際、陸戦協定においては、毒ガスだとかダムダム弾だとかも残虐だということで禁止した。原爆はそれと比べようもないくらい残虐である。だから当然、禁止されたものであると解釈しなければならない。ところがアメリカはこれを用いたので、当然、その時の責任者は戦犯として裁かれなければならなかったはずである。

いちぱん図々しいのはソ運

原爆ほど残虐ではないが、明らかに不当だというのは、潜水艦による無警告撃沈である。アメリカは、第一次世界大戦では、ドイツによる潜水艦の各商船に対する無警告撃沈をいけないと言った。その絶大な効果によって、ドイツはアメリカを敵としてしまった。つまり、無警告撃沈に猛烈に反対して第一次世界大戦までやったというのがアメリカなのである。

ところが第二次世界大戦の時は、アメリカ自身が無警告撃沈をした。病院船攻撃までやっている。しかし、裁かれなかった。裁判では、一般市民の無差別爆撃を、重慶において日本がやったというのを盛んに攻撃したが、それを言うならアメリカの絨毯爆撃は正しく無差別爆撃であると言える。だが、東京裁判では何の問題にもしなかった。

東京裁判というのは真に不公平な、「勝者による敗者の裁判」であって、アメリカがインディアンの酋長を裁判したり、家康が石田三成を裁判したようなものである。一番図々しいのはソ連で、大戦の末期には、日ソ不可侵条約が未だ半年の期限を残していたが、ソ連は勝手に攻めてきてしまった。そのことは一言も東京裁判では触れられなかった。そして、条約侵犯については一言もないまま、満州にいた日本人を六〇万人ソ連に連行し、虐待した。

だから東京裁判というのは、原理、手続きにおいて、非常に不公平だと言える。東京裁判において不思議なのは、満州事変の真の主謀者、石原莞爾が、法廷にも呼ばれず、起訴もされていないことである。何故これほどの不公平が行われたのか。東京裁判は、公平な国際法に基づいたのではなく、多く、マッカーサーの任意によるものであるとは、明らかにされている所である。

石原莞爾を特に省いたというのも、マッカーサーの故意による。それは、どんな「故意」なのか? つまり、マッカーサーは、戦略の天才、石原の能力を恐れていたのであろう。若くしてドイツに留学した石原は、なぜ、第一次大戦でドイツが敗北を喫したのかを研究し、シュリーフェン元帥のプランは、有能な指揮官を得ていたなら、必ずや成功していたであろうと断言した。

その卓見には、元ドイツ参謀本部の面々も困惑するほど見事なものであった。この戦略の怪物を東京裁判に出廷させたら、石原の性格からして、マッカーサーの軍人としての力量を、遠慮会釈なく、昂然と批判し、「あなたの作戦で、評価出来るものなど殆どない」と平然として言い切ったろう。マッカーサーの嗅覚が、石原を喚問せずが得策と読んだのであろう。

それにもう一人、東京裁判に呼ばれるべきなのに呼ばれなかった天才がいる。平泉澄である。平泉氏は軍人ではない。歴史学者である。学者で戦犯に問われた人としては、大川周明博士がいるが、平泉博士は、学者としても人物としてもずっと大物である。

平泉博士は、山崎暗斎、山鹿素行、吉田松陰、橋本景岳(左内)の学説を高く評価し、これらこそ、日本の真の学問であるとした。維新後の日本は、国史の国定教科書においても、神話を史実とし、教えたのである。

歴史教育と歴史研究は違うから近代国家形成を急ぐ日本に於いては歴史教育と研究が違って当然だとし、那河通世博士と同意見であった。アメリカの学校教育は、この両博士の主旨と同じである。しかし、日本には戦後教育に於いて、そうはさせなかった。マッカーサーは、この様な高い学識に裏付けされた本物の大物は石原莞爾と同じく面倒で無視した方が得策と考えたのだろう。

国会が東京裁判を全面否定

最後に、日本国民が全員、思い出さなければならないことは、国会が日本国の名に於いて、東京裁判の判決を全面的に否定したことである。この明白な事実を忘れてはいけない。

我が国は主権を回復したサンフランシスコ講和会議後、自らの意思により昭和二十七年以降の国会で「戦争犯罪裁判での受刑者の全面的赦免」を決議した。受刑者のうち、終身刑を受けた者も、既に釈放されていたが、国会で全員に対して、この決議があったのである。この点、ニュルンベルグ裁判とは全く違う。

更に注目すべきことは、恩給法、遺族等援助法の改正を通じて、「死刑」や「獄死」した被告の死は、「戦病死」と同じ「公務死」であると見なすことにしたことである。ついこれは全く「戦犯」の否定である。終に「東京裁判」は、日本では「存在しない」ことになった。その後、更に政府が「厚生省通達」という形で、戦犯裁判で死刑になった人々も、靖国神社へ合祀されることを明らかにしたのである。

東京裁判の開廷は、マッカーサーの命令以外に如何なる国際法的根拠も持たなかった。他方、ニュルンベルク裁判は、"ロンドン議定書"の国際法的根拠のもとに開かれた。

トルーマン大統領に解任された直後の一九五一年の五月三日に、マッカーサー自身が日本のした戦争は、ABCD包囲網(経済制裁)の結果、安全保障に迫られた自衛のための戦争だったという趣旨の証言を、上院軍事外交合同委員会でしている。東京裁判は報復裁判であって「茶番」と言わずして何と言うのか。(P343−P352)


(私のコメント)
明けましておめでとうございます。本年も「株式日記」をよろしくお願いいたします。

元日は恒例のテレビ朝日の「朝まで生テレビ」を見ていましたが、対中国外交で相変わらず靖国問題の話が出ましたが、大東亜戦争が侵略戦争であるという決め付けが行なわれて、アジアの解放戦争であるという意見を否定していたが、いわば欠席裁判のようなもので右翼の論客が「朝生」に出なくなってしまったのか、出られなくなってしまったのか分からない。

いわば左翼と中道と親米派だけが参加する討論会と言うのは、放送局としては放送法に触れるのではないかと思うのですが、いわば「朝生」は右翼の欠席裁判でプロパガンダをしても、世論からしてみればだんだん力を持ってきた東京裁判批判派を恐れているのだろうか。

大東亜戦争が侵略戦争だと最初から決め付けたところから議論をしても結論は出ないだろう。大東亜戦争肯定論はあったが一部の意見として片付けて、小泉自民党が大東亜戦争を侵略戦争と言っているのだから議論の余地はないとしているのだろうが、小泉首相はもともとは中道左派なのだ。だから8月15日に靖国神社を避けて参拝しているのだ。

また靖国神社の記念館の内容を批判していたが、東京裁判を批判しているのであり、アジアの解放戦争であると主張しているだけだ。つまりは日本は戦争に負けただけであり、主義主張は正しかったと主張して何が悪いのか。歴史的に見れば大東亜戦争前と後ではアジア・アフリカ諸国は独立して世界は大きく変わった。

もちろんこのような歴史の見方は日本からの視点であり、旧敵国であったアメリカやイギリスやオランダなどから見れば異論はあるだろう。むしろアメリカ政府が沈黙している事のほうが不自然なのですが、ブッシュ政権自体が先制的自衛権を認めてイラクと戦争したのだから東京裁判を行動で否定している事になる。

戦後間もない頃の自民党は東京裁判の刑を全面的に赦免しましたが、最近の自民党政府は村山談話を引用して大東亜戦争を侵略戦争として繰り返し謝罪しているが、真の社会主義者である田中角栄政権の頃から自民党は中道左派政党になり謝罪外交を行なうようになった。だから小泉政権も中道左派の内閣であり、戦後間もない頃の自民党とは異なり東京裁判の見方も左派的になった。

国内的には東京裁判のA級戦犯は存在しないのですが、対外的に外国に対して説明責任を果たさないのは論争を避けているからですが、学者も政治家も無責任だ。つまりは東京裁判を批判をする学者は政界や学会から追放されるような状況では、日本には言論の自由が完全ではないという事だ。だから「朝生」にも右翼は出られないのだ。{朝生」に出ている右翼は私から見れば中道右派でしかない。



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