株式日記と経済展望

ページを繰り越しましたのでホームページからどうぞ。


ヒューザーの社長室の特等席に飾ってあるのが、
コイズミと小嶋進とのツーショット写真なのだ。


2005年11月30日

イーホームズ確認の東京都江東区マンション建設が、基礎杭工事に瑕疵が発生し建設中止に 11月25日 山岡俊介

●確認済証交付後、甘くなった設計変更を追認

 姉歯建築設計事務所が関わった耐震構造計算書の偽造問題で、偽造を見過ごしていたとして、いまやすっかり悪名高くなってしまった感のある国指定確認検査機関「イーホームズ」(東京都新宿区。建設基準法違反の疑いで11月24日、立ち入り検査を受ける)。

 本紙既報のように、このイー社がやはり建築確認済証を交付していたマンション建設が、中止に追い込まれている。
 その現場は、東京都江東区内の9階建マンション(48戸)。確認済証が出たのは03年2月。

施工業者の三平建設が提出した書類では、同工事で使用する基礎杭(地面に深く打ち込み構造物の最も基礎になるもの)の数は32本、1本ごとの杭は溶接して継手する(1本が54Mと長いため)とのことだった。
 ところが、実際に現場で使用された基礎杭の本数は29本、継手は溶接ではなくボルト締めで行うものだった。

 これに関し、工事監理業者は設計変更確認申請はきちんとやり、イーホームズと協議済みだという。
だが、その申請が出されたのは6月1日で、これは4月の基礎杭施行後だったのだ。
 変更内容は、施工側の負担が軽くなるもので、そこに何らかの問題はなかったのか。

●いくら構造計算書が適正でも、施工業者と民間確認機関が直につるめば欠陥工事はやりたい放題

 もっとも、この江東区マンション建設工事が中止になった最大の理由は、この基礎杭施行においてボルトが欠落していたり、緩んでいるなど、建築申請通り行っていない重大な手抜き工事の疑惑が浮上、こんな基礎杭のまま建築したら、大きな地震が起きた場合、マンションが倒壊する危険性が出て来たためだ。

 今回の耐震構造計算書偽造問題は、建設費削減のため、鉄筋の梁の本数を削ったり、厚さを薄くするなどといった不正が行われている事実を白日の元に晒した。
 だが、この問題を契機に考えなければならないのは、何も構造計算書を偽造しなくても手抜き工事はいくらでも罷り通るという事実だ。

 阪神大震災では、建築確認申請時通り工事されていたら問題ないはずの建物が数多く倒壊した。
 その反省から、建築基準法が改正され、ある一定規模以上の建物については「中間検査」が義務づけられた。
 簡単にいえば、建築物の骨組みが出来た段階で、申請内容通り工事がやられているか現場検査を行うのだ


 だが、そうなると従来は県や市など公の機関のみで実施していたところ間に合わないと言うことで、最初の建築申請済証交付に加え、これもイーホームズのような民間も実施できるようにした。
 ところが、この民間検査機関と建築主や施工業者がつるんでしまえば、これは何等意味はないわけだ。

 しかも、鉄筋の柱や梁同様、耐震構造上もっとも重要な基礎杭に関しては、この中間検査が適正にやられてもチェックはできない。一度、地中に埋めてしまえば、コンクリートで固まった基礎杭を引き出して確認するなどできようもないからだ。
 この基礎杭工事のチェック者としては、工事監理業者がいる。
 だが、これがまた民間検査機関以上に癒着関係になり得る。そのいい例が、本紙既報の八王子公団マンションの件だ。そして、江東区のマンションでも事情は同じだったようである。

 ところが、江東区のマンション建設の件では幸いにも、周辺の工事反対住民がボルト締めの現場をビデオ撮影することに成功していたことから疑惑が浮上した。まさに奇跡的といってもいいケースだ。

 したがって、水面下では、ずさんな基礎杭工事は横行し、説明通りの耐震力を持っていない建築物がたくさんあっても少しも不思議ではないのだ。
 残念ながら、今回の偽造問題程度で驚いている場合ではない。
(江東区のマンション建設中止の件は、本紙・山岡が執筆した月刊経済誌『財界展望』05年11月号記事に詳しい)


いよいよ大詰めか? 11月30日 きっこのブログ

(前略)‥‥そんなワケで、色んなブログがインチキマンション問題について書いてるみたいだけど、いつでも一歩も二歩も先を行く「きっこの日記」としては、自民党森派の金権癒着議員、伊藤公介のことが報道される5日も前に、「ヒューザーには癒着してる自民党議員が2人いる」ってことを書いてる。そして、今んとこ名前が出てるのは伊藤公介だけだけど、もう1人の名前も、そろそろ出るハズだ。それは何でかって言うと、そのもう1人って言うのが、伊藤公介に極めて近い人物だからだ。実際の話、ここに名前を書いてもいいんだけど、20日の日記に伊藤公介の名前を書かなかったのと同じ理由で、「今、そいつの悪事の動かぬ証拠を集めてるところから、新聞発表があるまではWEBには実名を書かないでくれ」って頼まれてるからだ。

ちなみに、伊藤公介ってのは、「学歴詐称、年金未納、企業癒着」って言う三冠王で、得意ワザは「パーティーでの資金集め」って言う、絵に描いたようなクズ議員だ。ヒューザーの小嶋と知り合ってからの7年の間に、1千万円以上もの献金を受けてる上に、ゴルフだホテルだ料亭だと接待を受けまくっていた。そして、森派の中ではコイズミに一番近い側近中の側近だから、この伊藤公介の仲介で、ヒューザーの小嶋進とコイズミとは何度も面識がある。だからこそ、ヒューザーの社長室の特等席に飾ってあるのが、コイズミと小嶋進とのツーショット写真なのだ。クズ政治家とクズ社長、類は友を呼ぶとはこのことだろう。

だから、できることなら、もう1人の小物よりも、コイズミとヒューザーとの間接癒着が露呈したほうが、あたし的には楽しくなる。まあ、その辺はいつものパターンで握り潰されちゃうだろうから、結局は、真実はヤミの中って感じになるんだろうけど、少なくとも、民間については一番悪い黒幕まで追及して欲しいと思う。だからこそマスコミは、「小嶋進の逆ギレ」なんて、どうでもいいシーンなんか放送しなくていいから、「総合経営研究所」の内河健についての質疑の部分を放送して欲しかった。

‥‥そんなワケで、ニュースでは放送されなかったけど、木村建設に利益だけを追求した手抜き工事をやらせた張本人、「総合経営研究所」の内河健についての質疑もちゃんと行なわれたのだ。あたしは、内河健が木村建設の黒幕だってことを23日の日記、「本当の黒幕は?」に書いたけど、テレビも新聞も週刊誌も、末端のチンピラたちの大騒ぎばかりを報道してて、どこも元凶を追及しようとはしなかった。それどころか、コイズミの偉大なるイエスマン、白ブタ武部に至っては、コイズミを守るために、「悪者探しに終始すると業界がつぶれる」なんてトンデモナイことを言い出す始末。(中略)

つまり、今回はたまたま木村建設や姉歯建築士の事例が表ザタになったけど、実際には、第二、第三の木村建設や姉歯建築士がいるってことなのだ。たとえば、28日に耐震強度の偽装が発覚した奈良県の「サンホテル大和郡山」と「サンホテル奈良」は、木村建設じゃなくて、大阪の「豊国建設」が施工してる。そして、設計は平成設計じゃなくて、総合経営研究所の関連企業の「総研ビー・エイチ企画」が行ない、構造計算書だけを姉歯建築士に作らせていた。だから、マスコミや行政は、ヒューザーとの関連から木村建設ばかりを問題にしてるけど、一番の黒幕、内河のほうから見たら、木村建設なんてのは、たくさんいる弟子のうちのひとつにしか過ぎないのだ。

だから、総合経営研究所の内河健ってのは、京王電鉄やJR西日本などに究極サイズのビジネスホテル企画を持ち込み、利潤のみを追求した欠陥ホテルの建設を煽って来た張本人てワケで、今回の木村建設なんて、まさしく氷山の一角なのだ。つまりは、内河の息のかかったいくつかの建設会社の中で、もっとも言いなりになってたのが木村建設だったってことで、程度の差こそあれ、「プレッソイン」「三交イン」「エースイン」「第一ホテル」など、駅に隣接したビジネスホテルの建設に関わった業者は、どこも同じようなことをして来たのだ。だから、その建物が仮に強度基準をクリアしていたとしても、規定ギリギリまで建材費を削った極めて危険な建物だってワケだ。何しろ、「極限まで建材費を削りできる限り早く建てる」って言うのが内河の自論なんだから、内河の出すプラン通りに建設したら、どんなものが建つかは簡単に想像できるだろう。(後略)



(私のコメント)
昨日は小泉信者のブログがどうして今回の強度偽装マンションの事について触れないかと書きましたが、「きっこのブログ」によればコイズミに一番近い伊藤公介議員がヒューザーの社長と関係が深く、当然コイズミとも何度かの面識があるらしい。だから偉大なるイエスマンも業界よりの発言をしてコイズミに忠誠を尽くしているようだ。だからブロガーなども気を使ってあえて欠陥マンション騒動には触れないのだろう。あるいは奥の院から書くなと指令されているのかもしれない。

問題が大きくなるにつれて、単なるマンションデベロッパーだけの話では収まらずに、建設業界や監督官庁にも問題が波及してきて、昨日は国会にまで参考人が呼ばれて特別質疑が行なわれた。内容としては予想されたとおりの展開であり、小嶋社長の切れっぷりは鈴木宗男を連想させた。彼のような社長のもとで働く社員は連日のように怒鳴り散らされながら仕事をしているのだろう。だから善悪の分別もつかなくなってくる。

木村建設の社長もボケぶりは見事で、あれでは国会議員も追及がやりづらかっただろう。昨日の質疑だけでは何の進展もありませんが、そのうちに黒幕が上がってきて政界への問題の波及もあるかどうか分かりませんが、最近のマスコミでは無理だろう。それよりかは「きっこのブログ」などを読んだほうが真相は先に明らかにされるだろう。コイズミ信者たちのブログで誤魔化されないように注意が肝心だ。

そうでなければホテルグループなどの関連が分からなくなりますが、やはり黒幕が関与して欠陥ホテルを建てた京王電鉄やJR西日本のホテルが営業停止になったかが分からなくなる。だから木村建設も氷山の一角であり、同業者なども同じようにして欠陥ホテルを建てているかもしれない。既にマンションやホテルの欠陥が40棟以上明らかになって日本経済全体の問題になってきた。

昨日のテレビの国会中継では日本ERIという会社の名前が出てきましたが、株価のチャートを見ると明らかにインサイダーの臭いのする動きをしている。事件が明るみにみに出る前に暴騰させて売り逃げをはかっているのか怪しい動きをしている。上場している建設会社にも飛び火すれば、インサイダー取引のオンパレードになるだろう。電鉄株もホテルがらみで危ない。

もともと日本の建設業界は欠陥建築や手抜き工事で胡散臭いものがあり、阪神大震災では新築のビルが根元から倒れてしまっているが、鉄筋が間引きされて倒壊してしまったのだ。山岡俊介氏のブログによればたとえ設計が適正であっても、施工が手抜きをすれば同じことなのですが、いくら検査を厳格にしても検査機関がグルになってしまえば全く無意味になってしまう。

そして欠陥工事が表ざたになるのは大地震が起きた時であり、欠陥工事をした建設会社は地震の大混乱で責任を追及されることはないのだろう。阪神大震災のときも手抜き工事をした建設会社はどうなったのか記憶はない。日本の消費者も車などを買う時はあれほど厳しく品定めをするのに、マンションにはルーズなのだろうか。定評のある建設会社の物件を選べば選べるはずだ。

今回の欠陥マンション事件はコイズミとも関係があることから、検察やマスコミなどにもストップの指令が官邸から下されるかもしれない。森派の伊藤公介議員ともう一人のミスターXは誰か分かりませんが、逆に政界を揺るがす大スキャンダルになるかもしれない。規制緩和だとか民営化だとか言いながら利権争いの手段でしかなく、コイズミを応援しているコイズミ信者たちもいい加減に目を覚ますべきだ。




建築士のデータ偽造は「うそつき社会日本」の始まりか?
『「うそつき病」がはびこるアメリカ』が日本でも始まった


2005年11月29日

建築士のデータ偽造は「うそつき社会日本」の始まりか? 11月23日 森田実

『「うそつき病」がはびこるアメリカ』(デービット・カラハン著、小林由香利訳、NHK出版、04年8月25日刊)を、1年前、本欄で紹介したことをご記憶の方もおいでになると思う。
 本書の背中の言葉は衝撃的なものである――「行き過ぎた市場主義がもたらしたもの」。

さらに表紙カバーに並ぶ言葉も同様に衝撃的だ――「弱肉強食社会の末路を描き出した注目の文化論」「公平さも誠実さもなくしてしまった」「もうこの国では正直者は生き残れない」。
 表紙4には『ロサンゼルスタイムズ』の書評が紹介されている――「本来アメリカにはなかった腐敗が、どのように私たちをむしばんでいったかがわかる」。
 表紙カバー裏に、本書の内容について次のような説明が記されている――「いまやアメリカでは、あらゆる人がうそをつき、ズルをしている。罪悪感はほとんどない。理由はただ『みんながやっているから』。そうしないと生き残れない、極端な競争社会になってしまったのだ。この国のいたるところに蔓延する不正は、どんな将来を指し示しているのか」。
 以上のことは昨年も書いた。

 「自由競争」「市場経済」「自由主義の経済」――美しい言葉である。だが、訳者の小林由香利さんが「訳者あとがき」で書いている。
 《資本主義の熾烈な競争のなかで、ルールを守り、努力する人間が報われるというアメリカンドリームの図式は、いびつにゆがんでしまったらしい。いつのまにか、「正直者はバカをみる」という図式にすり替わってしまっている。誠実な人間よりも要領のいい人間がもてはやされる時代に、人びとは周囲に後れをとるまいとする。結果だけがすべてという環境のなかで、他人を出し抜こうとする。そして、不正に手を染めてゆく。エリートから有名人から、ごく普通の学生や労働者まで、本書に登場する「うそつき病」の人びとは、不正を働いてもまったく悪びれる様子はない。》
 この訳者の言葉も、昨年9月、本欄で紹介した。

 「うそつき病」が東京に上陸してきた!?  本書を紹介したとき、私は、「自由競争は必ず行き過ぎる。行き過ぎた自由競争は「うそつき病」を生み出し、蔓延させる。アメリカで起きている事態は日本でも起きる。アメリカ的な市場主義の無制限の導入は、正直の上に成り立つ日本文化を破壊する。その日は遠くない」という趣旨のことを書いた。角の自由主義は道徳的荒廃をもたらす。
 行き過ぎた自由競争主義を止めなければ、正直な日本文化が壊されてしまう。
 われわれがめざすべきは、アメリカ的な行き過ぎた市場主義ではない。
 われわれは日本的「中庸」と「調和」を捨ててはならない。日本は「中庸と調和」の政治路線を追求すべきである。日本の政治は、民と官の調和、自由と公正の調和の上に、道義と常識を基礎とする中道主義をめざすべきである。
 ブッシュ・小泉・竹中の自由放任路線は日本には適さない。「ブッシュ・小泉・竹中政治」は日本の道徳を破壊する。この日本に「うそつき病」がはびこる。これは止めねばならない。「ブッシュ・小泉・竹中政治」の否定が日本再生への第一歩になる。


『「うそつき病」がはびこるアメリカ』という本は怖い! [08/30/2004] アキラのランド節

(前略) そう、マイケル・ムーアが憤怒するアメリカの弱肉強食の構造の話でした。この映画とともに、デービッド・カラハン著・小林由香利翻訳の『「うそつき病」がはびこるアメリカ』(NHK出版、2004.8)を読むと、なおいっそう心の底から、暗澹とするでありましょう。まだまだ残暑は続きますので、このさい、とっても震撼させられるのも涼しくて良いのではないでしょうか。

この本は、犯罪件数が減少し、結婚や家庭や家族やコミュニティなどの伝統的価値観への回帰が見られ、宗教の大切さとかも再評価されている昨今のアメリカで、それとは裏腹に、「成功=キャリア=金儲け」を目指すための不正はどんどん蔓延化して、今では「誰もがやっている」日常と化したアメリカの現状の実例を列挙したものです。

まず、この本は、あの9.11事件のときのニューヨーク信用組合の例から書き出している。この信用組合は、連邦や州や地方自治体の職員30万人の資産を預かる「アメリカの公務員の農協」みたいなもんである。あのテロのあと、ここのATMとアメリカ北西部最大の現金支払機ネットワークとの接続が切れてしまった。そこの組合員=マンハッタンで働くアメリカの公務員は、現金は引き出せることは引き出せるが、その記録が、そこのATMではできなくなり、かつ残高以上に引き出すのを阻止する機能も停止されてしまった。でも、金がないのは困る。ニューヨーク信用組合は、組合員を信じて、ATMを利用できるままにしておいた。

ところが、残高以上に引き出しても記録に残らないと気づいた組合員は、ドンドン金を引き出した。11月になってから、やっとシステムが復興したので、信用組合は調査に乗り出して、残高以上に引き出した4000人ほどの組合員に差額の返金を求めた。何ヶ月も訴えた。しかし、1500万ドル(15億円以上か)が返ってこなかったので、とうとう返金しなかった大量の組合員が逮捕された・・・この人たち公務員です。裁判所勤務の人も多いのです。

同じことが日本で起きたら、どうなるんだろう?

この例を初めとして、アメリカ人の金にまつわるモラル・ハザードの生々しい実例が展開するわけです。弁護士や自動車修理工場の当たり前の慣習化した水増し請求、医師と製薬会社の金の結託による患者の生体実験の日常化、エンロンばかりでない大企業の粉飾決算による重役たちの何百万ドルを超えるボーナスと、会計監査を甘くする会計士たちの暗躍、それとうらはらの下級社員の低賃金と、そのあとに来る倒産、企業年金の破綻。その会社の株に投資して老後資金を失くす人々・・・しかし、倒産前に会社をサッサと辞めた重役たちにお咎めはない。金持ちの脱税は調べないで、低所得層のそればかり調べる税務署。アメリカでは、米内国歳入庁(IRS)というらしいが。

アメリカの産軍複合体の軍と産業と政府の結託と政治家の腐敗ならば、スポーツ選手の薬物によりズルは有名なので、驚かないが、普通のアメリカ人がズルにいそしむわけだ。特にホワイト・カラーが、この種の犯罪に走るのであります。

自分の職業柄、ショックだったのは、アメリカの高校生や大学生のいい成績を取るための不正だ。レポートや卒論の内容を、インターネットの情報からぱくるというのは、日本の大学生でもやる。カンニングする卑怯な馬鹿は日本にもいる。大学への推薦入試のために推薦文を教師に書いてもらうために、教師とモーテルに行った女子高校生という例ならば、日本にもある(前に勤務していた名古屋の女子大の学生が自慢していましたよ)。入試問題漏洩も、定期的にばれて新聞沙汰になる。

しかし、健常者の学生が学習障害(SLD)であると、金を出して医師に証明してもらって、大学入試用の共通試験の受験時間を長くしてもらって、高成績を取り、有名ブランド大学に入る、なんていう例には驚く。で、ほんとうにそういう診断を医師からしてもらって、便宜をはかられるべき学習障害者は、自分が病気とは知らず、公正な競争に入って、負ける。家が貧しくて、医師の診断を受けられない学習障害者がいる一方で、金で買った診断書で、特別扱いの有利な受験をする金持ちのドラ息子やドラ娘がいる。親も子どもがブランド大学に入れるのならば、手段は選ばない。もう、それが名門進学高校ほど多いというではないか。家庭教師にレポート書かせるなんて、あたりまえで、組織だったカンニング・ネットワークも当たり前。恥とか罪の意識なんかないわけです。もちろん、カッコ悪いなんて、倫理と背中合わせの美意識もない。

確かに、アメリカってすごいブランド学歴社会だからなあ。アメリカの大学に行った日本人研究者なんて、Tokyo University出てないと馬鹿にされるもん。ほんとだって。

万引きする奴は減っているが、成功を、出世を求めて、また成功と出世の成果(?)である金を求めての不正は、もうドンドン増えているのが、アメリカの現在らしい。

巨大ショッピング・モール現象ばかりでなく、何でもアメリカの真似する日本に、こういう金と出世にまつわるモラル・ハザードとアノミーが伝染するのは、あと数年のことかもしれないし、もう日本にもはびこっていることなのかもしれない。モラル・ハザードとアノミー(無規範)は、日本もひどくなりつつあるもんなあ。

ねえ〜〜涼しいでしょう。そんな日本見たくないね。私も頑張って長生きしないようにしないと、醜い醜い汚い汚い腐った腐った日本を見る羽目になるのかも。でも、私は誰が見ていなくても、私自身がじっと見ていますんで、この本に書かれているアメリカ人の真似はしないもんね。まあ、やれるようなポジションでもないので、普通にまっとうに生きるしかないけれども。ただし、自分の命がやばいとなったら、何するかわかりませんが。

この『「うそつき病」がはびこるアメリカ』という本は、面白いのだけれども、ひとつだけ頭に来る事がある。このデービッド・カラハンという人物は、明らかに民主党支持の高度福祉支持の文化左翼系「リベラル」だから、このアメリカのモラル・ハザードの原因の一部を、アイン・ランドのせいにしているのよ。133ページのところよ。私は、この本を書店で見かけて、ピンと来た。この本には、アイン・ランドの悪口が書いてあるな、と思ったら、案の定書いてあったね。こういう私の予測ははずれない。金権アメリカの腐敗、競争社会アメリカの弱肉強食というテーマの本になると、だいたいランドの悪口が出てくる。書きやすいんだよね。決してマイナーではないが、取り上げるのがやばいほどのメジャーじゃないから。女の成功者に対する男の嫉妬もあるしね。

で、はっきり確信したね。この著者は、まともにランドの小説もエッセイも読んでいない、と。ここらあたりに、『「うそつき病」がはびこるアメリカ』の著者に対する疑惑が生まれてくるけどね。こいつって、21世紀のトゥーイーかもしれんって・・・こういう奴の書いたものは、どこまで信用できるのかなって・・・

なんか、この著者のスタンスが暗くてさ。そういうアノミー・アメリカをどうするかってことには、あまりページを割いていない。ひたすら、アメリカのモラル・ハザードの実例を書くだけ、それもけっこう反復が多い。その書き方のまとまらないシツコサが、ひっかかる。「僕も、そういうズルやって金も受けてラクしたいのに、チクショ〜こんなに僕は勉強して努力してきたのに、金もなくて・・・報われなくて・・・」という怨念が吹き出ています。うん、インテリとか知識人って、金欲しいくせに、金に恬淡と正義を語る顔するんだよね。まったく、いかにもリベラルな人。

私は、はっきり金欲しい。だけど、金になる才能ないしね。金稼ぐための、無理な努力もできんのよ。好きな科目しか勉強しなかった学生時代の根性が絶対に直らない。嫌いな奴とつきあう度量もないし。ははは。だから、その月暮らしね。でも気楽で幸福。何でもおいしいし。清くもなく、正しくもなく、美しくもないが、好きに暮らしているから、別に誰にも恨みはないし。ズルやっている奴は、今までもいっぱい見てきたけどね。若い頃は、ほんとむかついたけど、そいつら、男女問わず、しっかり醜く汚く腐った感じの人間になっているからなあ・・・天網恢恢疎にしてもらさずよ。(後略)



(私のコメント)
私は左翼の反米主義者ではなく、右翼の反共産主義でもない。しかし今の日本はアメリカと中国からの日本の国益を害する工作が行なわれている。ブログなどを読んでも双方の手先のようなブロガーが日本に対して指令したり攻撃したりして干渉してきますが、日本の国益を守るためには悪意のある中傷には断固反論して、日本の歴史と伝統を守らなければならない。これが民族主義的保守派の理念です。

小泉内閣のアメリカからの指令による構造改革と民営化に対しても反論してきましたが、建築士のデーター偽造事件はアメリカの悪しき構造が日本にも伝染してきた証拠でもある。アメリカ政府内部には知日派の政府高官がいなくなり、中国の専門家ばかりになりましたが、これは日本軽視と言うことではなく、竹中平蔵というアメリカの連絡役がいるから、アメリカ政府内部に日本の専門家は要らなくなったのだ。

竹中平蔵が入閣する前はアメリカへの連絡役は宮沢喜一がやっていたようですが、このように日本政府の内部情報はみんなアメリカに筒抜けだ。アメリカ政府にとっては日本政府の動きを知るためには電話一本で竹中大臣に聞けばみんな分かるから日本の専門家は要らないのだ。つまり日本は独立国ではなくアメリカの一部なのだ。しかし参政権は無く税金だけが巻き上げられてゆく。

どのように日本の富がアメリカに収奪される仕組みについては関岡英之氏の「拒否できない日本」の中で明らかにされた「年次改革要望書」によっても明らかにされた。郵政の民営化もその一つですが、さらに具体的には文芸春秋の12月号にも「奪われる日本」と題して特集が組まれている。その全文が阿修羅にも投稿された。


奪われる日本――「年次改革要望書」米国の日本改造計画 関岡英之

《 小林興起氏と小泉龍司氏はともに元経済官僚だけに、この種の複雑な法律の条文の行間に潜む危険性を見抜くだけの高いリテラシーを持っていた。そして自らの信念を貫いて行動した結果、権力の逆鱗に触れ、見せしめとして徹底的にいじめぬかれた。

 郵政民営化を唯一の争点とした先の総選挙の真相は、官邸とマスメディアが演出したような「改革派」対「守旧派」ではなく、
「対米迎合派」対「国益擁護派」の闘いだった、というのが私の理解である。しかし真の国益を守ろうとした自民党の勇気ある議員たちの警鐘は、単細胞的常套句の連呼にかき消されてしまった。我々国民は「小泉劇場」に踊らされ、これらの政策通の国会議員たちから議席を剥奪し、その穴埋めに、小泉総理にひたすら忠誠を誓う公募の新人を大量に国会に送り込んだ。

 小泉総理のワンフレーズに比べ、反対票を投じた自民党議員たちの説明は国民にわかりにくかったと、したり顔で指摘した識者が多い。だが「政治はわかりやすくなければダメ」などというのは衆愚政治の極みであって、成熟した民主国家なら本来恥ずかしくて真顔で言えるようなことではない。日米保険協議以来の長きにわたるいきさつのある大問題を、説明責任も果たさず、ただ「イエスかノーか」という二者択一に矮小化して国民に信を問う、などというのは容認しがたい欺瞞行為である。「自己責任」の名の下に、最終的につけを払わされるのは我々国民なのだから。 》


(私のコメント)
文芸春秋と言うアメリカよりの月刊誌にこのような露骨な記事が出ていいのかという疑問が残りますが、今回の9・11総選挙によって日本国民を完全に洗脳することに成功して、実態を明らかにしても日本国民は反米にはならないと言う確証が出来たからだろう。だから沖縄から海兵隊がグワム島へ移転する費用を1兆円を日本が負担することもマスコミには反対論は全く出ない。

関岡氏の記事にもあるとおり小林興紀氏や小泉龍二氏は選挙で落選して、その他多くの法案に反対した議員は落選した。当選した議員も離党させられて無所属議員になってしまった。このような荒療治が出来るのも小泉・竹中内閣にアメリカがついているからですが、日本の国益を守れと主張した議員は落選して、対米追従派の議員が当選した。一体日本はどうなっているのか。

欠陥マンション騒動も小泉構造改革の悪しき面が出てきたということであり、建設業界だけではなくモラルの崩壊が起きている。恐ろしいのは鳥インフルエンザではなくアメリカから流行り始めた「うそつき病」だ。市場主義経済が行過ぎれば我々には欠陥マンション騒動のような詐欺事件が続出するようになってしまう。

ブログを見てもらえば分かると思いますが小泉信者のブログには今回の欠陥マンション騒動は全く触れていない。時事問題や経済株式のブログなのに、これだけ大問題なのに我関せずなのだ。日本人のモラルはここまで崩壊しているのだ。


           ,..-─‐-..、
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          R: : : :. : pq: :i}   
           |:.i} : : : :_{: :.レ′  強度偽装マンションのことも書きなさい!
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        /:r仁ニ= ノ:.ノ|!           _
          /:/ = /: :/ }!        |〕) パシッ
       {;ハ__,イ: :f  |       /´
       /     }rヘ ├--r─y/
     /     r'‐-| ├-┴〆    _, 、_  '⌒ ☆
      仁二ニ_‐-イ  | |      ∩-@Д@) 小泉信者
      | l i  厂  ̄ニニ¬      ノ  ⊂ノ   イテッt
     ,ゝ、 \ \   __厂`ヽ    (__ ̄)つ   
     / /\_i⌒ト、_   ノrr- }     し'し′  
   └-' ̄. |  |_二二._」」__ノ





偽造見過ごしのイーホームズ、担当者全員が天下り社員
民営化で天下り社員は給料倍増で定年の心配も無くなる


2005年11月28日

偽造見過ごしのイーホームズ、担当者全員が天下り社員 11月26日 朝日新聞

千葉県市川市の建築設計事務所による構造計算書の偽造を見過ごした民間の検査機関イーホームズ(東京都新宿区)の審査担当者10人全員が、市役所などで建築確認業務に携わった公務員OBだったことが25日、国土交通省の調べでわかった。

 国交省は24、25両日、同社への立ち入り検査をし、審査担当者に聞き取りをした。建築確認の審査で同社が計算書の偽造を見過ごしたマンションなどは、17日発表の20棟から6棟増えて計26棟にのぼり、担当者は10人いた。いずれも市役所や区役所の元職員で、公務員時代に役所の建築主事として建築確認業務を経験していた。99年からの業務の民間開放を受け、同社へ転職してきており、50〜60代が多かったという。

 審査の際、10人は、国交省令で定められた文書が添付されていなかったり、各ページの仕様が通常と異なったりする点を見過ごし、耐震強度が基準を大幅に下回る建物に建築確認を出していた。

 国交省の調べに、担当者らは「建築士が書類を作ったので、改ざんとは思えなかった」と話したという。国交省は「ルール違反の審査が、自治体にも広まっている可能性がある。業務の実態を調べ、制度をよく点検したい」としている。


恐怖マンション、困るのは住民だけじゃない 11月26日 ハートを撃て

恐怖マンションの存在が明るみに出て、住民以外に一番困っているところはどこだろうか?たぶん、国土交通省とか建設行政のお役所でしょ、並んで自民党。

 今回の恐怖マンション告発に関して、国交省の大臣が行政にも責任がある、と公の会見席で発言。

(問) 一部報道で、関与した建設会社の経営危機も伝えられていますけれど、
費用負担の問題について、国の支援も含めてどのようにお考えでしょうか。

 「本当に居住者の方々には何の落ち度もないわけですから、これに対して
どう対応していくのか、どう支援していくのか、これを私は行政も当然、これは
地方公共団体と一緒になって、できる限りの対応をしていかなくてはならないと
思っています。」と11/22の会見で北側大臣が返答。

 この会見を「ちょっとまずいな」と危機感を抱いたのは国交省の官僚と建設業界から利益のおこぼれを上納させている自民党さんの一部。

 ヒューザーの恐怖マンションに関して、あるカルト宗教の信者が固まっている地区の居住者たちが多いに騒いだ。カルト宗教の配下の政党幹部はその地区へ急いで駆けつけ、救済対策を住民と話し合った。その流れで国交省の大臣発言かな、と単純に想像したみたが、これは妄想?

 国交省にご奉公するプチ官僚の知り合いによると、大臣がこういう発言を早々とするのは困るんだそうだ。規制緩和を建設行政に適用して、建設業界を有利に導く民間検査機関の制度(建築確認や検査)を創設した官僚さまの存在が明るみに出る。それを国会で促進させた族議員の先生たちの立場も責任を問われる。小さな政府実現と、官から民へ仕事を開放したゴネズミ政権も無責任やなあと批判される。

 そこで失言デパートのタケベ社長が登場。

「悪者探しに終始すると、マンション業界つぶれますよ、ばたばたと。不動産業界も
参ってきますよ。景気がこれでおかしくなるほどの大きな問題です」

「対応を気を付けないといけない。寝られないでしょう、大きい地震が来たら自分の
マンションがつぶれるという話ばかりされると」

 タケベ社長は恐怖マンションの住民の生命財産よりも、業界の生命の方が気にかかるらしい。

 恐怖マンションの存在が風説となって、不動産業界に「あんたとこの建物は大丈夫か」と疑われることが困ると、タケベは云いたいのだろーか。

 建築確認や検査などは行政がやろうが、民間がやろうが元々テキトーだったような気がする。なぜなら、我が家の(前に住んでいた住宅)建築確認証は申請中だったのに完成してしまったし、現在の家も建坪率違反(敷地一杯、隙間なく家の間取り)なのに、巧妙に偽造された設計書類で役所の建築確認がOKなんだから。それを無知だったワタシたちが購入して泣き寝入り。

 ただ、役所の許可証が貰えるまでにはものすごーく時間がかかる。民間はちゃっちゃと処理するのか速い。アネハさんの設計事務所を通して自宅を建設した個人の方が云うには、民間検査機関で何も問題がなく、料金も数万円で済んだそーだ。ただし、阪神の震災を考慮して耐震と基礎には経費を節約する考えはなく、むしろお金をかけたそーだ。要は施工主の安全意識と懐次第ってワケ。

 我が家も現在の家は基礎や耐震はかなり頑丈、と裏に住んでいる元一級建築士のおっさんが建築過程をじっと観察していたお陰でホッとしている。このおっさんは自分の家と我が家がギリギリ境界線にお怒りで、建築会社とトラブル。建築段階から「文句つけよう」と見張っていたそうだ。

 ちなみに、ここは完成したとたん、建築会社が倒産。銀行の不良債権資産として押さえられていたこの物件を我が家が数年後に買い取って現在に至る。そんなこんなで外観は違法建築だけど、中味はものすごーく頑丈な家だよ。悩みは裏の家のおっさんから未だに恨まれているってことだけ。

 それにしても、ヒューザーは「木村建設」を非難しないね。木村建設に施工を依頼して欠陥マンションでしょ、何も言えないのか、それとも木村のバックが業界では「恐い存在」だからか?これを暴露する新聞はないだろうし、週刊誌も広告減る覚悟で書かないと。ワタシも国交省の知り合いから「触れないで」と云われている。

 ところで、アネハ、ヒューザーがらみで、「偽造の秘密」を知る森田設計事務所の社長が海へドボーン、自殺でしょうか?

◆イーホームズ社長は「10月27日に、私を含め、関係者一同、同席の場で、ヒューザーの小嶋社長から公表を差し控えるよう求められました」とスポンサーにメールでオジャマモンとの因縁を暴露。

 もし、恐怖マンションの存在を公表したら「イーホームズを徹底的に叩く」とヒューザーの社長から脅されたよーだ。これが清水や鹿島、三井住友の堅気の社長なら恐くなかっただろう、何しろオジャマモンだから、何をされるかわからない。それに藤田社長も過去の別件マンション事件のゴタゴタに巻き込まれている、恐怖マンションに係わったらロクなことがないと。ここで、ヒューザーの正体を世間に公表しとこ、と。

藤田「事実は曲げないことが結果的に良い方向に、良い結果を生む」と公表を宣告したところ、「おかしい。正義を通そうとすると売るに売れない。金は入金しない」とヒューザー社長は抵抗。

 「3年間も欠陥を見過ごしてきたんだから、公表を遅らせてもかまへんやんか」と欠陥公表をマンションが完売予定の2月延期を提示。

 さらには「現実の対策として、船橋竣工2件で必ず検査済証をおろしてもらう。その後発覚したことにしてもらいたい」と検査スルーを迫った。

 検査済証は出せない、と藤田社長が蹴ると「イーホームズを徹底的に叩くからな」と脅す。

 オジャマモンの悪党の極みはこれだ!

 「天災地震にて倒壊したときに調査し発覚したことにしたい。お願いごとです。役所もその方がよいのではないか。全員同罪です」 (TBSニュースより)

ヒューザー小嶋社長、最悪の言い逃れ
「阪神大震災では家がつぶれてもおとがめなかった」

 ねっ、安物買いの銭失いを最初から目論んだのはこいつ!

 ヒューザーは生意気にも業界の幹事、「ゴルフ親睦会」等を通じて旧建設省系の役人どもや自民党衆院議員の伊藤公介と日頃からアタック、イーホームズもそれなりに国交省と官僚つながり。さぁ、どちらの系統が勝つんだろーか。

 国交省の友人に「イーホームズの告発、どーだった」と聞いたんだよ。「ちょっと迷惑だったかも、E社には国土系の東大卒OBも下ってるし」のニュアンス。だって、最終電車も間に合わず、自宅にも帰れないぐらいヒーコラの処理や対策に忙殺されてるんだって!もちろん、官僚だからサービス残業だよ。そういわけで正義の告発の藤田の第二弾、メール作戦はオジャマモン必殺にはなったけど、ここが倒産したらマンション住民に恨まれるよ。

 そうねぇ、今頃取引銀行主要数行が集まってヒューザーの負債総額を計算しているかもね。これも某銀行員の知り合いが「恐怖マンションの貸し倒れ防止でサービス残業だよ」と悲壮な叫び。

 そんなこんなで、TBSニュースを見逃した読者さまはここで、どーぞ。


(私のコメント)
昨日のテレビの報道番組はヒューザーの社長を吊るし上げる人民裁判のようなものでしたが、確かにヒューザーの社長も悪いのですが、100平米で3000万円と言う販売価格に疑問を持たなかった購入者には何の責任も無かったのだろうか。そんな欠陥マンションを買う人がいなければヒューザーだって欠陥マンションは作らなかっただろう。建設費がいくら安くなったからといって坪単価が40万円以下では木造の一戸建てよりも安い。

マンションの販売現場などでは平気で何百万円も値引きを要求してくる人もいるから、マンション業者は売れ残るよりかましだから値引きをして売る業者もあるようだ。デフレ経済では値下げが当たり前になり、客は当然のように値引きを要求してきますが、それでは日本全体が安かろう悪かろうという粗悪品が蔓延することになる。神戸の大震災だって手抜き工事で高速道路は倒れて新築のビルも倒壊した。

ヒューザーの社長も言っていましたが、神戸の大震災で当然耐えられるはずのビルが壊れても、建てた建設会社や設計事務所や建築確認をした役所は責任を追及されたのだろうか。全てがうやむやのままに処理されて建築確認の民営化だけが進められた。役所が建築確認をすれば間違いないとはいえませんが、設計事務所も相手が役所なら偽装工作はやりにくいことは間違いない。

最近のビルはきちんと建てられたものなら震度7程度でも持つように出来ているはずですが、東京で震度7の地震が起きたらおそらく何割かのビルは倒壊するだろう。そんなことが起きないように建築確認の許可制度があるのですが、審査はいい加減なものらしく違反建築で東京は一杯だ。それがいやなら自分で調べてマンションを買うしかない。

私がビルを建てたときは基本設計も私がしたし、間取りや設備の設計も自分でやった。工事期間中も週に一度は現場で打ち合わせをして細かなことを決めていった。ビルの外観デザインも自分でしたし、ビルが完成した以降も、テナントの募集から契約の詰めにいたるまで自分ひとりでやっていますが、建築関係や不動産関係は専門家に任せるよりも自分で勉強してやったほうが間違いは少ない。

もちろん最終的な手続きは業者に任せますが、施工主が目を光らせていれば設計会社も施工会社もいい加減なことは出来ない。11階建てのマンションなら一階部分の柱は鉄筋だらけになるはずで、欠陥マンションにはたった4本の鉄筋しか入っていなかった。これは設計会社がデタラメなら施工会社もグルであり、チェックをするイーホームズもいい加減だった。

最終的に何処が一番の問題かというと、このような違反建築がまかり通るような体制そのものが悪い。都市全体の問題にもなるから公的な機関が設計を審査して、そのとおりに建設されたかを確認することが必要だ。それを小泉構造改革は民間に丸投げして、詐欺師たちが大儲けをしている。役人たちも天下り先が増えて笑いが止まらないだろう。




小泉内閣がやっている民営化とは民間に丸投げすることだ。
その為に欠陥マンションが出来ようが民民関係で我関せず。


2005年11月27日

さおだけ屋から見る欠陥建築 11月21日 井上勝裕

何故潰れないのかは不思議なのですが、弊社の扱っておりますなかで建築資材とゆうのは価格競争が熾烈でございまして年中さおだけ屋状態にあります。この部分は量がはけます。過当競争になっておるわけでございます。これだけで事業展開しておるわけではございませんが、売上を考えればありがたい。さおだけ屋にならなくてはなりません。
理解りやすく例えるならば、スーパーの特売の卵やティッシュペイパー状態を思い浮かべていただければと思います。つくっているひと始め携わっているひとの人格を踏みにじっているような厭な気持ちになります。これを私的にさおだけ屋状態と解しております。
不思議なのはウイットワースとゆう古い規格のインチねじが主流なのです。このねじはピッチ(ねじの山と山の距離)がミリねじに比して距離がございます。三十年以上も前にとっくに廃版になった規格が標準です。
でこのウイットのインチねじが主流になるのは止むを得ない事情がございます。ねじ山が粗い。遊びが多い。仕事が速い。(笑)沢山使うんだから。ほんとに天井裏は吊られたボルトの森林のようであります。

例えばこんなんです。都会を闊歩するみなさまの頭上には無数のボルトが突き出て、配管配線を、また天井自体を支えておるわけでございます。エアコンなんかも吊ります。過去の例でナットの内径が太いのか外形が薄いのか、ボルトの外径が細いのか、エアコン機を支えきれなかったとゆう話を聞きました。東北の地震でプールの天井が崩れ落ちた報道に「ぐぐっ、もしや」と冷汗かきましたが原因は別でした。ほっ。

欠陥建築でなんだか騒がしいのでありますが、心ないゼネコンが仕事を下請けに丸投げする。値段は上げてもらえない。鋼材をはじめ資材の値上げは一昨年から続いております。なんとか安く上げたいとゆうのが自然でありましょう。とりわけ最近は小ぎれいな集合住宅がバカみたいに建ってますし。割安感で購入するひとも多いでしょう。常識あるひとは変だと察するでしょう。
阪神の震災で倒れた建物とそうでないものがありました。当時被害者でありながら業界のひととの話で倒壊した建物は手抜きするにも程があるわいといった節度なき有様だったそうです。業界の恒常的慢性的な現象なのでしょうが、設計する側と建設する側は敵対的といっていい程お互いを厳しく監視し合っていないこれも日本の悪いシステムであります。なあなあだもの。
ことが起こると国と検査機関と建設会社と設計会社と施主が責任の所在をたらい回しで薮の中状態。

で納入後、役所公団絡みなのよ。仕様書を出せと仰る。出せねえよ(笑)日本工業規格から外れてどれだけ経ってるのかなあ、ケンチョウさん(笑)国に言ってくれい。こちらが知りたいくらいだなあ。お客様ですから対応はいたしますが何だか胸を張って提出できる代物ではございません。なんでもええから、とにかく書類出せ出せ的な風土がございます。
瞬時に悲しきかな1960年代に本規格は廃止されましたっていってやりとうございます。
日本工業規格及び国際標準化機構(ISO)は経済産業省の管轄です。何か訴えたきものがあるが、おおお、国土交通省に行ったり総務省に行ったりどこへ行けばいいんだよお。外務省がいいかもしれない。
民へ丸投げ的な民営化の悪い部分が露呈いたしました。とはゆうものの官僚さんは厚遇で何をやってるの。責任転嫁の為の書類つくりに一所懸命かな。横の連携は取れていないようであります。日本工業規格に反しているのかどーか有能な官僚ならば理解りそうなものなのになあ。忙しくて学ぶ暇もないのか。わたくしの部材でさえこんな有様なのですから、テッコンキンコクリート関係はどうなっているのだろう。バブル期で忙しくて生コンの状態が悪かった。ふつーは工期もないしそのまま行っちゃうのだけど(いかんなあ)「帰れ!出なおして来い」とゆう気骨ある設計者の逸話を憶えております。
また素人目でも理解ります。バブル期に建てられた建物はH型鋼に溶融亜鉛メッキが施されておりました。うわあ贅沢だなあ。しかし以降、暗紅色の錆止め塗料になり、最近は生地のまんまであります。
このうえ支那から資材が入ってくるのですが大丈夫だろうかなあ。材質の成分管理がおおらかでいらっしゃいますので。

資本主義の負の要素であります。価格を一円でも安くする為に各企業が競争をする。能率化、合理化を企業内努力を行う。結果、廉価で高品質の消費材を手にすることができる。これが一歩間違うと暗転してしまいます。
それとも、一部の特権階級のかたが年貢を搾り取るような構造ならば、資本主義以前か、社会主義(笑)と何ら変わらないではないかと思いながら、さおだけ状態の製品群に溜息をつくのでございました。


施工者(僕)から見た「耐震強度の偽造」 11月23日 田舎サラリーマン事件簿

建築関係者なら、「やっぱりね」と思う事件が今回の事件でした。
 確認申請を経験されたことがあるかたなら今回事件同様、民間委託された検査員。あれははっきりいって半素人(完全な素人ではないが、建築に関わったことがある程度)の天下りが検査員であったりします。つまりだますつもりは無かったけど簡単にごまかすことは可能な水準です。
 今回潰れた建築施工会社「木下建設」を筆頭に施工屋はコストのことが第一なのは当たり前です。だってコストを考えないと会社が潰れてしまうくらい、施工コストはぎりぎりの水準で受注を受けるからです。(そうせざるを得ない程、中小の施工屋及び図面屋の現状は悲惨です)
 だからこそ、それをチェックするために確認申請検査が存在し、検査員が存在するのです。役所の方でも不勉強な方がチェックしていることも多く、また民間業者もコスト重視なので件数をこなさなければならいという意識が先に働いている現実があります。
 しかも、確認申請の数字全てチェックを入れるためには相当の時間がかかり、姉歯設計がいう「分かる人が見ればすぐにわかる」と言うものとはちょっと違う気がします。検査の項目は構造の他にもサイズ、鉄筋、生コンなどはっきり言って1人で何件もこなせるような件数ではないのです。
 これに対応するためには一次検査、二次検査などの段階を増やすなどコストを注入しないことには問題は絶対に解決しません。
 つまり建築物を建てるということは今以上に相当なコストが掛かるということです。
 昨今不動産流動化ブームに乗って格安のマンション物件が相当数建設されています。しかし格安のため安全を犠牲にする風潮本当はまだまだ沢山あります。不動産をブームにするというゲーム感覚。それによって建てられたマンションの殆どはこの事件と同等の犠牲者といって過言ではありません。


(私のコメント)
私は十数年間銀行員をしていましたが、当然お客さんからマンションを買いたいとかの相談をよく受けていました。その時は当然マンションを建てた建設会社を聞きます。商売柄で担保価値のある物件なのかどうかは建設会社で見なければなりません。ローンを貸したわいいけれど地震で潰れては担保の価値はなくなるから、銀行員は建設会社の信用度に敏感です。

さらには外回りの営業などではお客さんに建設会社もあったから、建設業界の内部情報もいろいろ聞いて営業に役立てていました。だからお客さんにはマンションを買うなら○○建設のマンションがいいですよといった話もしたことがある。だから一級建築士でなくとも物件の良し悪しや、建設会社の評判などは銀行員でもよく知っていなければ営業トークは出来ない。

だから銀行員から不動産業へ独立したわけですが、ビルを建てる時も設計から施工からアフターメンテナンスまで一貫してやってくれるところに頼みました。それぞれが別だとどうしてもコストが高くなって問題が起きた時に設計が悪いのか、施工が悪いのか原因が分からなくなる。メンテナンスなども何処に頼むのかのことを考えれば業者は限られる。

しかしそういった良心的な建設会社ほど潰れてしまって、手抜きの上手い営業上手な新興のマンション業者が羽振りを利かせている。諺に「悪化は良貨を駆逐する」と言うのがありますが、そういう事が建設業界でも起きていて、良心的なところほど潰されて、小泉構造改革で要領の良いところだけが生き残っている。今の建設業界は手抜きをしないと生き残っていけないのだろう。

だから小泉構造改革というのは、会社で言えば仕事を知っているベテランの社員を首にして、その後を若い新人の社員とか派遣社員にやらせていますが、これでは事故が起きないほうがおかしいのですが、そうしなければ会社は生き残れないし、社員の質を低下させて人件費のコストダウンすることで利益を上げるようになっている。しかし問題が起きた時は対応能力が落ちていて会社は潰れざるを得ない。

冒頭に二つのサイトを紹介させていただきましたが、東大阪の建築資材の会社の社長のサイトと現場の建設施工会社のサラリーマンのサイトですが、ネット社会ではこのような現場の情報もわかるようになってきたから、新聞やテレビで分からないようなこともネットでは実情が一般の人にも分かるようになって来た。しかし社長もサラリーマンも忙しくてブログに書いている人が日本では少ない。

私なども不動産業者を代表してブログを書いているようなものですが、全ての根本的な原因を突き詰めてゆくと、政治と行政の悪さが原因になっている。今回の欠陥マンション騒動も政治と行政と業界とが悪のトライアングルを組んで癒着しているのだ。マスコミも業界と癒着しているから業界内部の腐敗は追及できない。頼りになるのはネット情報ぐらいだろう。


2005/11/26 (土) ヒューザーが買い戻すと明言の裏 佐藤立志のマスコミ日記

●ヒューザーが・・
 小嶋が欠陥マンションを買い戻すと初めて明したが、これは小嶋が破産を検討すると言っていたのと符号する。要は破産する腹をくくったということで、それで何を言ってもかまわないと空手形を乱発したのだ。
 小嶋は買い戻す資金は銀行から借りるといっているが、担保もなしで銀行が融資するわけがない。欠陥マンションを担保にとる銀行があるなら、教えてもらいたい。どう転んでも破綻する会社に融資はしません。
 最後は国、自治体に責任を丸投げして、木村建設、ヒューザーは倒産です。
 今回の教訓は「かつらと手抜きは、すぐばれる」ということw

●疑惑の・・・
 姉歯に仕事を発注していた森田設計事務所の森田所長が水死体で発見された。これで彼に責任をなすりつけるのだろう、あの小嶋は。
●小嶋の演歌カセット落札
 小嶋の演歌カセットは7万1千円で落札された。出品者は小嶋の出身県の宮城なので、小嶋の関係でもらったのではないか。それとも小嶋の関係者が海外逃亡のための資金集めかw
●マスコミがねらう伊藤公介議員と小嶋の癒着
 国土省に圧力をかけた伊藤と小嶋と深い関係があるのではと、週明けにマスコミが一斉に政治資金のチェックに走る。パーティ券を買った程度で、国土省に一緒にいくわけがない。相当、深い仲と考えるのがうがった見方。
「伊藤議員から頼まれた」と小嶋と伊藤との証言と違っているし、伊藤は国土省に一緒に行っているのに「一言も話していない」と役人の言っていることと違っている。
 こういう国民の生命・財産をないがしろにする議員こそが国民にとって抵抗勢力で、とっとと辞めてください。
 それにしても納得しがたいのは、欠陥マンションの居住者に低利で融資する話があるが、一戸建てで欠陥住宅を押し付けられた国民はたくさんいる。そういう人は、個人で裁判やって苦しい思いをしているのに、欠陥マンションの住民にだけ有利な取り扱いをするのは、合点がいかない。
 検査機関が欠陥住宅と認定したら、同じような扱いを公平にすべき。
 それにしても検査機関を民営化するということは、すべて当事者同士で解決しなさい。国は関係ないということ。これは最終的には業者の資力に限界があるので木村建設のように倒産して、逃げてしまえばいいのだ。
 もしこれが国や自治体の検査機関だったら、被害者が百人、千人いてもすべて補償金を払ってもらえる。民営化というのは、実は国は口をだすことがあっても金を出さない仕組みにすり替えただけ。

 生命・財産にかかわることは民営化してはだめということ。




「責任を取る」というのは、「失敗から学ぶ」ということであり、
「責任を取らせる」というのは、「失敗から学ばない」ことだ。


2005年11月26日

「責任を取る」という生き方 11月25日 内田樹の研究室

朝新聞をひらいたら、目に付いた記事が三つ。
西村真悟衆院議員の法律事務所の元職員が非弁活動で逮捕された事件についての同議員のコメント。
「非弁活動は知らなかった。それ以上申し上げることはない」

広島で七歳の女児が下校中に殺害された事件についての報道。
「『不審者情報があったのに、学校側は何の対応もしなかった』と、一部の親が厳しく問う場面もあった」

姉歯設計建築事務所による耐震データ偽造事件についての報道。
建築主の中からは「建築確認の責任は行政が負うべきだ」という声が出ている。北側国交相は賠償には言及せず、ある裁判官は、最高裁決定は「責任を自治体が負えといっているわけではない」と述べている。被害者は設計事務所にも、元請けにも、民間審査機関にも、施行主にも「賠償請求が可能」であるらしい。

これらのニュースに共通するひとつの「文型」があることに気づかれただろうか。
それは「お前が責任を取れ」という声だけがあって、「私が責任を取ります」という声を発する人がいないということである。

私たちの社会はいまそういう人たちがマジョリティを占めるようになってきた。
トラブルが起きるたびに「誰の責任か?」という他責的な語法で問題を論じることが、政治的に正しいソリューションだと人々は信じているようである。

前から申し上げているように、私はこのソリューションの有効性に対して懐疑的である。
「責任者を出せ」ということばづかいをする人間はその発語の瞬間に、その出来事を説明する重要なひとつの可能性を脳裏から消しているからである。
それは「もし、この件について自分にも責任があるとしたら、それは何か」という問いへむかう可能性である。

世の中に起きるトラブルで「単一の有責者の悪意ないし怠慢」によって起こるものはほとんど存在しない。
いくつかのファクターの複合的効果によってはじめて事件は起こる。
事件発生ぎりぎりの可能性があっても、「最後のひとつのファクター」が関与しなかったせいで、何も起こらないですんだ、ということはよくある。

車を運転しているとわかる。
先日私はめずらしく「ひやり」とする経験をした。
右折車線で信号が変わるのを待っているときのことである。
その車線は渋滞しており、信号が二度変わる間に私はまだ右折できずにいて若干イラついていた。これがファクター1。

青信号(直進右折ともに可)のとき私の前の車がするすると右折した。対向車線を見るとかなり遠くに直進車が一台いるだけである。「曲がれる」と判断して私は前車に従って右折動作に入った。これがファクター2。

すると前車が交差点中央過ぎで停車してしまった(横断歩道の歩行者がいたのである)。これがファクター3。

前方にいた直進車が自分の車線の信号が黄色に変わるのを見ていきなり加速してきた。その車の進路を私の車が塞いでいるにもかかわらず、その車は「どけどけ」とばかりに加速してきたわけである。これがファクター4。

前の車は停止したまま、横からは直進車。やむなく私は前車の右側の隙間(反対車線上の横断歩道)に車をねじ込んで難を避けた。すると、私がはみだしたその反対車線(右折レーン)に巨大な四駆が突っ込んできた。これがファクター5。

この段階でようやく私の前の車が動き出したので、ぎりぎりのタイミングで私は四駆との接触を避けることができた。
もしあのとき、まだ横断歩道上に人がいたら、私のBMWの横っ腹はがりがりに削られていたであろう。

さいわい何も起こらなかった。
この一連の出来事の中で私が犯した失敗は「曲がれると判断して、前車についていった」という判断ミスだけである。

そこに「とろとろ歩く歩行者」「とろい運転をする前車」「(前方に障害物があるのに加速する)イラチな直進車」「(停止線を越えて横断歩道上まで突っ込んでくる)同じくイラチな右折車」という四つの要素が絡んで事故寸前までなった。
ここまでネガティヴな条件が揃うことはまれである。だが、たまにはそういうこともある。

もし実際に衝突が起きた場合、「右側通行」をした私が責任を取らされることになったであろう。
それは仕方がないと思う。
私は「私ひとりのせいじゃない。責任は〈あいつら〉にもある」というようなことを言いたいわけではない。

「責任を取る」というのは「そういうこと」だと申し上げているのである。
「ひやり」とした経験から、私をそのような状況へと追い込んだ他のドライバーたちに対する呪詛を吐き出すよりも、自分の運転の仕方についての反省点を見出す方が生産的だというふうに私は考える。

「事故になりかかったじゃねーか。ったくひでえ運転しやがるな〈あいつら〉は」ではなく「事故になりかかったが、ならなかった。私は幸運であった。しかし、このような幸運が次も続くとは限らない。では、どのようにすれば今回のような危険を今後永続的に回避できるか?」というふうに私は問いを立てる。

私は「右折車に遮蔽されて横断歩道が見えない場合には、決して右折動作に入らない」というルールを自分に課すことにした。

「責任を取る」というのは、端的に言えば、「失敗から学ぶ」ということである。
「責任を取らせる」というのは、「失敗から学ばない」ということである。
失敗から学ぶ人間はしだいにトラブルに巻き込まれる可能性を減じてゆくことができる。
失敗から学ばない人間がトラブルに巻き込まれる可能性はたいていの場合増大してゆく。


そういうタイプの人間は、80%自分が悪い場合でも、残り20%の有責者を探して責め立てるようなソリューションにしがみつくようになる。
だが、他責的な人間が社会的な承認や敬意や愛情を持続的に確保することはむずかしい。

そして、周囲からの支援を持たない人間は、リスク社会においては、ほとんど継続的にトラブルに巻き込まれ、やがて背負い切れないほどの責任を取らされることになるのである。

「失敗から学ぶ」ことは「成功から学ぶ」ことよりも生存戦略上はるかに有利なことであると私は思っている。

しかし、現代日本ではこの意見に同意してくれる人は日ごとに減少している。
なぜ、人々は自分が「より生きる上で不利になる」方向に進んで向かってゆくのか。
私にはうまく理解できない。


(私のコメント)
今回の欠陥マンション事件では姉歯建築士に一番の責任がありますが、全体的に見ればマンション販売会社から設計会社から工事施工会社まで全てに責任がある。3割の強度しかないビルを見ておかしいと感じないほうがおかしいのですが、みんな責任逃れをして、一人の設計士のせいにしている。民間の建築検査機関もそうだし、民間で出来ることは民間にと言った政府や国会にも責任がある。マンションを購入した被害者も「どうしてこんなに安いのか」といった疑問を持たなかったのかという問題もある。

事件や事故が起こるたびに責任者は責任を取らなければなりませんが、しかしそれだけで良い訳は無く、被害者を含めた関係者も何らかの責任を考えなければ、いつもでも同じような事件や事故は発生するだろう。マンションなどはそれこそ一生に一度の買い物だから欠陥マンションは買わないと言う決意でもって、マンションを選ぶべきだし、100平米以上の新築マンションが三千万円台で買えるということは常識ではありえない。消費者も賢くならなければ詐欺師はいつまでもなくならないだろう。

内田氏は交通事故を例にあげて責任論を述べていますが、交通事故はお互いが規則を守って運転しても起きるし、事故に遭いたくなければ車に乗らない事しかないのですが、交通事故が起きるたびに当事者同士の責任の追求合戦が行なわれる。交通事故が起きたら最初にバカヤローと怒鳴ったほうの勝ちとか言われますが、こちらに過失が無くて相手が責任がある場合にも、車で道を走っている限り安全運転でも事故が起きたら何らかの責任があるのだ。

私の場合はなるべく車には乗らないと決めましたが、バブルの頃は私もベンツに乗って高速などを走っていました。高速道路は設備が整っているから事故はほとんど起きないが、一般道路ではいろいろ不備があるし、片道一車線の細い道を60キロ以上ものスピードで走らされて、中央分離帯をオーバーすれば正面衝突だ。オートバイを含めて30年近く運転してきましたが、事故を起こさなかったのが不思議だ。

だから交通事故を起こして相手に責任を被せたところで、そういう人はいずれまた事故を起こすだろう。交通事故は運転の上手い下手と言うよりも予知や注意力が欠如している時に起きる。会社の不祥事も頻発していますが、社長や責任者たちは「不祥事の再発防止に努めます」と言うだけで監督責任はどうなっているのだろうか。

西村真悟議員も部下の非弁活動に最初は否定していたが、捜査が進むにつれて非弁活動を認めた。どうしてこんなに脇が甘いのかわかりませんが、法律違反をしてばれたらどうなるかと言うことは考えなかったのだろうか。政治家の不祥事はいつまでも絶えませんが「ばれたらしょうがない」という確信犯なのだろうか。政治家たちは特権意識があるからこの程度の違反は問われないと思っているのだろう。

政治家にしても会社の経営者にしても責任を常に部下に擦り付けて出世してきたような人物は、結局は背負いきれないような大きな事故や事件に巻き込まれて最後は失脚する。むしろ失敗の反省を生かしてきた人物のほうがトップに立った時も長続きする。このような事はマキアベリも「君主論」で言っている。




消費者はハンドバックはブランドで買うのに、なぜマンションは
値段で買うのか?ダイア建設のマンションは耐震建築で定評だ


2005年11月25日

震度7でも大丈夫ダイア建設のマンションのホームページ


欠陥マンションと消費者の罠 11月22日 HiT株式教室

マンションは建設の完成前にモデルルームを見学し、購入を決めるパターンが8割程度ということですから、消費者はどのような建て方をするかは分からず業者を信頼するだけになります。もし、買い手が逐一、工事現場でチェックをしたら工事の邪魔でしょうし、見て理解できるものでもないでしょう。数千万円の買い物を中身を見ずに購入するケースは恐らくマンションや建売住宅ぐらいのものですが、不幸にも、確認できない売買システムにおいて今回の欠陥問題が発生しました。今回の事件は設計段階の強度不足ですが、設計が良くても手抜き工事は良くある話で、古くて新しい問題です。

消費者がマンション購入のような慎重に考えるべき件で、興味深い例があります。平成15年に破たんし、再生機構入りとなったダイヤ建設の新しいビジネスモデルは耐震強度を上げることでした。ビルの耐震強度は3段階あり、ほとんどは数百年に1度あるような地震に耐えられる「1」のレベルで作られています。ところが、ダイア建設は一般的な強度からワンランク上の強度「2」のレベル(1のレベルの125%の強さ)で建設することをセールス・ポイントにしました。ちなみに、「3」のレベルは防衛庁や首相官邸が必要とする最強型の建築物で一般に存在することはないそうです。強度「2」のレベルでもほとんど無いということですから、新生ダイア建設
の考え方は消費者に受け入れられるべきだったかもしれません。

しかし、実際は、地震多発国の日本で建物の強度を上げ、売り上げ拡大とブランドの再構築を図りながら、同じ地域で建設される建物より5%程度割高な構造の為に、売り出し時に他社が8割程度内定してもダイア建の物件は6割程度しか売れないという苦戦を強いられてきました。完成までにはどの物件も完売しましたが、消費者は住面積が広く安いほうへ流れた事実があります。結局、5%高い安心代より、安くしなければ買わない消費者の存在がある限り、欠陥建築もなくならないのでしょうか。(後略)


2005/11/23 (水) 本当の黒幕は? きっこの日記

正確に言えば、建材を規定以下に落とした欠陥マンションを売り続けること、お客様を騙し続けることに耐えられなくなり、自責の念にかられて退職した人なので、「元営業マン」ってことになるけど、今回、問題になってるマンションのうちの数棟の販売にも関わってた人だから、メールの内容は具体的でビックル飲みまくりだった。だけど、バックの広域ホニャララ団や右に偏った政治団体が恐いからって理由で、そのメールには小嶋社長からの直接の指示の言葉などが具体的に書いてあるため、残念ながら、そのメールをそのまま掲載する許可はもらえなかった。でも、これだけは書いて欲しいって言われたことがあるんだけど、それは、「会社の人間は、社長から営業マンに至るまで、全員が欠陥マンションだと言うことを知った上で販売していた」ってことだ。

まず、マンションを建設する場合の建築費の「坪単価」ってものに対してチョコっと説明しとくと、木造のアパートが坪30万円〜40万円、通常のマンションが坪50万円以上、ちょっと高級なマンションだと坪60万円以上、ヒューザーのグランドステージシリーズのようなハイグレードになると、最低でも坪65万円以上は掛かるそうだ。これは、マトモな経営をしてる大手建設会社の建築士から聞いた建築費なので、メーカーによって多少の差はあっても、だいたいの平均価格はこんな感じだと思う。だけど、ヒューザーのマンションはって言うと、「坪40万円以下」で建てられている。つまり、マトモな建設会社だったら、木造アパートしか建てられない建築費なのだ。だから、何も知らされていない社員でも、建築業界での一般的な知識があれば、マトモなマンションじゃないってことは誰にでも分かるってことだ。

ヒューザー側は、今回の問題が発覚した当初は、「姉歯建築士とは面識すら無い」って言ってた。そして、しばらくしたら、姉歯秀次との面識は認めたものの、「手抜きをしろと指示したことは無い」って言い直した。だけど、姉歯秀次のほうは、最初から「建築主からの指示があった」ってことを匂わせるような発言をしてたし、あたしのとこに入った信頼できるスジからの情報だと、「ヒューザーと木村(建設)と姉歯はベッタリ癒着してますよ」ってことだったから、ヒューザーの大嘘がバレるのも時間の問題だと思ってた。

‥‥そんなワケで、もうヤケクソになっちゃって、何から何までペラペラとしゃべり始めた姉歯秀次は、国土交通省に対して、ついに核心に迫る証言を始めた。その要点だけをピックアップすると、次の5点になる。

「ヒューザーから建築費の坪単価を40万円以下におさえろと言われているから、その通りにしろと木村建設の担当者から言われた」

「それは無理だと言ったら、『鉄筋の量をできるだけ少なくしろ』と指示された」

「それは強度的に危険だと言ったら、『言うことを聞かないと別の事務所に代えるぞ』と脅された」

「建材費を浮かしたことによる利益は、数回に渡って木村建設の幹部にキックバックしていた」

「私には病気の家族がいるので、仕事を失ったら生活に困るので、悪いことだとは知りながら、木村建設やヒューザーの言いなりになっていた」

これが、まだオオヤケにはなってないと思うけど、姉歯秀次が国土交通省に対して証言した内容の要点だ。マンション業界では、「建築単価を坪40万円以下にしろ」って言うのは、ようするに「手抜きしろ」ってことで、具体的な指示を出さなかったにしろ、お客の目に見えない部分はメチャクチャなマンションだってことだそうだ。それが、「鉄筋の量をできるだけ少なくしろ」って具体的な指示まで出してる上に、相手の弱みにつけこんで、「言うことを聞かないと別の事務所に代えるぞ」とは、開いた口からエクトプラズムが出て来て幽体離脱しちゃった上に、毎晩「恐怖新聞」が届いちゃって、後ろを振り向くと百太郎の顔がアップでバーーーーーン!‥‥ってくらいの衝撃的事実だろう。

そして、あたしのとこに届いたヒューザーの元営業マンからの内部告発メールには、この「キックバック」に関するシステムについても詳しく書かれてた。木村建設の幹部たちは、広域ホニャララ団まで利用して、下請けの設計事務所から姉歯みたいな末端に至るまで、「儲けの一部をキックバックするのなら仕事を回してやる」って言う方式で、この悪質極まりないシステムを築いて行ったようだ。そして、当然のことながら、キックバックされた裏金の一部をヒューザーなどの建築主へと流していたそうだ。

その内部告発メールによると、ヒューザーの役員たちは、自分たちと癒着してる木村建設など建設会社の役員や広域ホニャララ団の偉い人、自民党の政治家や「国土交通省の役人!」たちと、週に3回も4回もゴルフに行き、ゴルフのあとには高級ホテルに泊まり、ゼイタクの限りを尽くしてたそうだ。そう言えば、今回の事件で、国土交通省がヤタラとヒューザーに甘く、姉歯秀次ひとりに責任を押しつけようとしてるのが不自然だと思ってたけど、テメエんとこの役人とベタベタに癒着してたんなら、それも当然の流れだろう。


(私のコメント)
欠陥マンション騒動が拡大していますが、テレビにもヒューザーの社長などが出演していましたが、業者なら当然わかるようなことも「知らぬ存ぜぬ」でとぼけまくっていた。どうせ浮かんではすぐに消える泡沫マンション業者であり、一気に数棟も建てて売りさばいて儲けを確保したら会社は消えるつもりだったのでしょう。アフターサービスまで考えているのなら欠陥マンションは怖くてとても建てられないからだ。

マンションを買う人にとっては一生に一度の大きな買い物だから、マンションに詳しい人に聞けばすぐに分かるのでしょうが、どうしても素人の人は見た目と値段にひきつけられてしまう。日用品なら失敗したで済むことでも、マンションとなると失敗したでは済まされないから、建設会社を選んでマンションを買うのがベストなのだろう。

私もビルを建てる際は同じ建設会社の立てたビルを見て回ったし、建築中の物件も見て回った。壁にクラックが走っているようなのは論外だし、コンクリートの材質なども打ちっぱなしの部分を見れば、水っぽいコンクリートならスカスカになってしまう。外壁塗装も年数が経てば傷んでコンクリートは水を吸い込んで雨漏りをするようになる。結局は外壁塗装を数年おきにやることになり金がかかるようになる。

だからマンションを買うには品質第一で買うべきであり、定評のある建設会社を選んで買うべきだろう。これは有名な大手の建設会社と言うことではなく、プロの間でも定評のある建設会社ということである。大手の会社でも施工は下請けや孫受けがやっていたのでは意味が無い。また値段ばかり高くて品質は平均的なものがある。

神戸の大震災の時も、一般の木造住宅でも新築の大手のプレハブ住宅はなんとも無いのに、隣の古い木造住宅はぺしゃんこになっていましたが、地震のことを考えれば多少高くても耐震建築の建物を選ぶべきなのだ。神戸では新築のビルも倒壊したものがありましたが基礎や一階部分が手抜きだったのだろう。

HiT株式教室のサイトではダイア建設のビジネスモデルを紹介していますが、会社は再生機構入りして再建中ですが、バブルの崩壊で良心的な会社まで倒産してしまって、生き残った建設会社は少なく、生き残れたのは手抜きなどをして利益を確保している会社もある。建築審査の民営化も建築業界が利益を確保するためであり、多かれ少なかれ手抜きをして利益を出していると思われる。親興のマンション業者のヒューザーは、まさに手抜きで驚異的な利益を出した。

現在は新自由主義経済がまかり通って、民営化だの小さな政府だの自己責任だのと市場原理主義者が政府の中枢にいますが、欠陥マンションを買った人まで自己責任なのだろうか。建築検査機関も郵便局も民営化されて、問題が起きても誰も責任を取れる機関がなくなってしまう。検査を民営化したのは橋本内閣ですが橋本氏は今は議員を引退して我関せずだ。

「建築の耐震強度偽造の事件」について。11月25日 ニュースと感想

この問題の本質は、何か? 次のことだ。
 「自由競争で経済は最適化する、ということは、必ずしも成立しない」
 その典型的な例が、「チェック」という業務だ。ただの商品販売ならば、自由競争でもいいが、「チェック」という業務は、自由競争ではならない。なぜなら、「手抜き」というサボりをしてもそのことがわかりにくいからだ。
 では、その本質は? それは、こうだ。
 「自由経済では、詐欺が成立する」
 
 一般に、「自由経済はすばらしい」という発想は、「誰もが善人である」ということを前提としている。しかし、現実には、詐欺師が登場する。他人をだまして、正当な商品を与えたと信じ込ませて、偽物を与える。被害者がそれを「偽物だ」と気づくまでは、詐欺師は利益を得られる。うまく行けば、被害者が損失に気づかないまま、詐欺師は逃げ通せるかもしれない。
 このような「詐欺師の事件」は、枚挙に暇がない。次のように。
 これが現実だ。その現実に合わせて、「犯罪的な行為は処罰する」という制度が必要だ。しかるに、「自由経済はすばらしい」「小さな政府がいい」「政府の規制は最小に」という発想を取ると、世の中、詐欺師のような連中が、まかり通るようになる。今回の事例は、その一例にすぎない。彼らを許容する制度にしているから、彼らがのさばる。それというのも、根源に、「自由経済はすばらしい」という錯覚があるからだ。


(私のコメント)
今ではホリエモンや村上ファンドが楽天の社長が大スターですが、新自由主義経済が行くとこまで行けばペテン師が一番儲けることになる。ヒューザーだって儲けるだけ儲けて株式上場して会社を売り抜ければ、新自由主義経済の一番の恩恵を受けることになれたのだろう。一体ヒューザーとライブドアとはペテンがばれたかばれなかったかの違いでしかない。




馬鹿マスコミは「日本はアジアで孤立しつつある」と書くが
日本はアジアで意図的に孤立する戦略を採っているのだ。


2005年11月24日

日本の孤立戦略のゆくえ 2005年11月24日  田中 宇

11月18、19日に韓国の釜山で開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)で、小泉首相は、中国の胡錦涛主席に首脳会談を断られ、今回の議長である韓国の盧武鉉大統領も、小泉首相には、議長の社交辞令としての20分しか会談時間を割り当てなかった。一方、中国と韓国の間の会談では、首相の靖国神社参拝に反対する意志が確認され、中韓が組んで、靖国参拝する小泉の日本を排除するかたちとなった。日本国内のマスコミの論調も、小泉外交は失敗しつつある、というトーンが目立つようになった。

 しかし私が見るところ、小泉外交は「失敗」していない。小泉首相は、10月17日に靖国神社を参拝した時点で、11月のAPECでは中国や韓国から冷たい扱いをされることは、十分に予測していたはずだ。むしろ小泉はAPECで本格的な日中、日韓の首脳会談をしなくてすむように、10月に靖国参拝し、中国や韓国を怒らせたのではないかとすら思われる。

 というのは、小泉は以前から「中国が日本に接近してくると、靖国参拝で中国を怒らせる」という行動を繰り返してきたからだ。2002年4月には、小泉は中国の海南島で開かれたボアオ・フォーラム(アジア経済の発展を論じる国際会議)に招かれて中国の朱鎔基首相と会談し、日中関係が強化されていくかと思われた矢先に、海南島から帰国した2週間後に靖国参拝している。

 また今春には、3月にジャカルタで国際会議が開かれた際に胡錦涛・小泉会談が持たれ、それを機に中国側は日本との戦略的な関係を構築していこうとした。だが、その流れの中で5月に中国の呉儀副首相が来日したところ、小泉は「靖国参拝は外国が介入すべきことではない」と国会で述べるなど、中国側の神経を逆撫でし、呉儀はこのまま小泉と会談したら、面子を潰されることを言われかねないかねないと判断したらしく、会談の直前に突然帰国してしまった。(関連記事

 今年3月の胡錦涛・小泉会談の後、中国では、さかんに「ジャカルタでの共通認識をもとに、日中関係を戦略的なものに深めていく」といったメッセージが、マスコミなどで発表された。このことからは、胡錦涛政権が日本との関係を強化し、日中関係を「東アジア共同体」の中枢に据えたいと考えていることがうかがえる。韓国の盧武鉉政権も、東アジア共同体の構想に賛同し、韓国が日中の橋渡しをするという構想を持っている。

 小泉はこうした中韓の構想に乗りたくないので、靖国参拝によって中韓を怒らせ、日本に接近できないようにしている。日本のマスコミなどでは「日本はアジアで孤立しつつある」と最近よく批判的に書かれているが、これは失敗の結果ではなく、日本はアジアで意図的に孤立する戦略を採っているように見える。(中略)

▼日本の技術力がほしい周辺国

 つまり、小泉首相の靖国参拝は、暫定的に日本を東アジアで孤立させることで、米軍の撤退に対応できる新体制を日本に作ろうとする「暫定孤立戦略」であると考えられる。この戦略は、日本の体制を、アメリカの庇護のもとにあった戦後体制から脱却させるためであり、その転換のプロセスが一段落したら、役目を終えることになる。

 日本が今後、孤立戦略を止めたときには、もう周辺国は日本を相手にしてくれなくなるのではないか、という懸念があるかもしれないが、現実を見ると、あまりその心配はない。周辺国は技術力や経済力の面で、日本からもらいたいものがまだたくさんあるからである。

 ロシアのプーチン大統領は、北方領土問題は話さないという日露間の合意のもと、11月20日に訪日し、ロシアの石油産業に対する日本の資金協力や貿易促進について、売り込みをして帰った。(関連記事

 またこれと前後して、中国が計画している高速鉄道に、ドイツと並んで日本の新幹線技術が使われることも決まっている。中国側は従来「小泉首相が靖国参拝している限り、日本には発注しない」と言っていた。しかし、日本の鉄道技術はフランスなどより進んでおり、日本を外して独仏に発注するのは惜しいと判断したのだろう。中国は、日独から鉄道技術をコピーして自分のものにすることを狙っており、日独の側は、技術を盗まれずに利益を出すことが重要になる。(関連記事

▼大衆扇動政治の懸念

 もう一つ心配なのは、日本の孤立戦略はいつまで続くのか、ということだ。中曽根元首相は最近、靖国参拝する小泉に対し、大衆扇動の傾向が強いと批判している。首相の靖国訪問は、暫定的なものに終わらず、大衆扇動によって人気を集める手段として、今後長く歴代の政治家が使い続けるものになる懸念がある。(関連記事

 これはフランスで、ニコラ・サルコジ内相がアラブ系住民の暴動を扇動した結果、フランス国内の世論が急速に右寄りになり、移民系国民を嫌う発言を繰り返すサルコジの人気が高まって、シラク大統領の影が薄くなり、サルコジが次期大統領になる可能性が強まったのと同じ構図である。

 フランスの場合、国内に「アラブ系住民」という格好の標的がいたが、日本の場合は、戦前に標的にされた在日朝鮮人がすでに同化されて標的に使えないため、中国や韓国、北朝鮮といった外国を敵視することで代用したのだろう。

 大衆扇動による人気取りをやった政治家として象徴的なのはドイツのヒトラーであるが、彼が政治力をつけた結果起こった第二次世界大戦は、ヨーロッパを自滅させてしまった。そのため戦後、欧米を中心とする国際社会では、大衆扇動の政治を行うことがタブーとなった。

 ところが冷戦終結後、このタガがゆるみ、2000年にはオーストリアで移民排斥を呼びかけるハイダー政権ができたりした。当時はまだ、欧米のマスコミはハイダー非難を展開したが、その後911事件を機に、世界の規範だったはずのアメリカが「イスラム教徒はみんなテロリストだ」といった感じのプロパガンダをまき散らすようになり「大衆扇動政治は悪だ」という国際的な規範が完全に無効になった。

 政治は「何でもあり」の世界になり、その流れの中で、小泉やサルコジのような大衆扇動型の政治家が台頭している。靖国参拝は、今はアメリカの撤退に対応するための暫定的な孤立戦略であるとしても、今後それが自己目的化し、永続化してしまう懸念がある。


<中国高速鉄道>日本企業連合6社が60編成受注見通し

【北京・飯田和郎】中国が進める高速鉄道計画で、川崎重工業など日本企業連合6社が最高時速300キロ級の車両60編成(1編成=8両)を受注する見通しとなった。関係筋が21日明らかにした。12月に正式決定の見込み。最終調整が順調に進めば、「南車四方機車車両」(山東省青島)を提携先にJR東日本の東北新幹線の最新型車両「はやて」をベースにした車両を納入する。
 日中関係は小泉純一郎首相の靖国神社参拝などで冷却化したままだが、日本の新幹線技術の導入が欠かせないとの中国政府の判断が背景にあるとみられる。その一方、「今後の政治情勢いかんで、流動的な局面もあり得る」(外交筋)との慎重な見方もある。
(毎日新聞) - 11月22日0時28分更新


麻生外相を強く批判=靖国神社めぐる発言で−中国

【北京22日時事】中国外務省の劉建超副報道局長は22日の定例記者会見で、麻生太郎外相が靖国神社にある戦時中の兵器などの展示施設、遊就館に関し「戦争を美化せず、事実を展示しているだけだ」などと述べたことについて、「(麻生外相は)歴史に正しく対処する勇気を欠いている」と強く批判した。
(時事通信) - 11月22日21時1分更新


(私のコメント)
公開されたニュースをいかに組み合わせて真相を読んでゆくかがジャーナリストの役目なのですが、このようなことが出来るのは一部の人しか出来ない。国家情報局の分析官でなくとも、公開されたニュースから読み取れるのだから素人でも出来る。ネットなどでは様々な情報分析合戦が行なわれていますが、イデオロギー的に偏った人はどうしても間違う。

日本のマスコミでも親米派と親中派がありますが、親中派は靖国参拝に反対するあまり「日本はアジアから孤立している」「小泉外交は行き詰まった」と書き立てていますが、ニュースを分析してみれば、日中や日韓などの経済的な結びつきは強まる一方だ。そして靖国問題は外交面での駆け引きの材料でしかなく、中国でも利害打算で外交をしている。

小泉総理が靖国参拝を止めないのも、中国や韓国がそれで報復してくるとは見ていないからだ。これ以上険悪になって困るのは中国や韓国であり、日本から技術や資本が入ってこなければ経済が停滞してしまう。中国の高速鉄道の受注も日本とドイツとで半々になっており、靖国で影響は出てきてはいない。

韓国では高速鉄道はフランスのTGVを採用したが、トンネルなどで車両が壊れるなどの欠陥が続出して完成が大幅に遅れた経緯があるから、中国は韓国の失敗は繰り返さないだろう。リニアモーターカーもドイツから導入したもののトラブル続きで採算割れで観光用にしか運行はされていない。中国としては日本が駄目でもヨーロッパがあるよと両天秤かけたのでしょうが、ヨーロッパ勢はアフターサービスがぜんぜん駄目なのだ。

このような状況を分析すれば靖国問題は日本にとっても中国にとっても、内政から目をそらせる手段に過ぎず、双方にとっても都合がいいから騒いでいるだけなのだ。さらに日本にとっては東アジア共同体に対する主導権争いの意味もあり、靖国問題の主導権は日本が持つようになって外務大臣も官房長官も靖国参拝派が担当するようになった。

小泉首相の声明では日米が緊密になればなるほど中国とも友好は促進されると言うことですが、東アジア共同体への警告の意味もあるだろう。ASEAN諸国にとっても中国の存在は大きすぎるから日米が牽制勢力になることでバランスをとらねばならない。だからASEAN諸国は靖国問題に対してはシンガポールの華僑が騒いでいるのみで日本が孤立していると書き立てる日本のマスコミは中国の言いなりなのだろう。しかしそれは日本の外交戦略の一環でもあるのだろう。

日本では人権擁護法案とか、外国人参政権の問題とか、最近では皇室典範の改正問題などで日本の保守派を刺激する法案が目白押しですが、反中国感情や反韓国感情を煽ることで大衆扇動して、憲法改正などの国民的世論を盛り上げる意味もあるのだろう。そうしてみると中国とも仲良くして憲法改正をするというのは矛盾することであり、憲法改正するには中国はもっと反日デモで騒いでもらわなければならない。

在日朝鮮人たちも、もっと謝罪だの賠償だの教科書だのと騒いでもらって保守派を挑発してもらわないと、大衆扇動して国民を操る政治が出来なくなる。田中宇氏によるとその役目は北朝鮮がしていることになりますが、ノドンミサイル実験なども派手にやったり、核実験なども派手にやってくれれば、日本も一気に右寄りの強硬路線がとりやすくなる。

このような状況が読めるのならば、マスコミの記者たちも日本外交が孤立していると言うよりも、日本が中国や韓国を刺激して反日感情を煽ることで、日本が一気にナショナリズムに目覚めて、憲法改正して軍事大国化に変化して行くことの手助けをしていることになる。そうなることで利益を得るのはアメリカだ。




会田雄次『アーロン収容所』彼女(英国人)たちからすれば、
植民地人や有色人はあきらかに人間ではなかったのである


2005年11月23日

アーロン収容所の英軍女性兵舎の掃除 11月19日 萬晩報

1967年5月、日本に帰ってきて読んだ本がある。会田雄次『アーロン収容所』(中公新書)である。京都大学教授がそのむかし学徒動員でビルマ戦線に投入され、戦後ラングーン(現ヤンゴン)のアーロン収容所に収容された時の経験を書いたものである。

 この本はまだ中公新書で87版を重ねている名著である。

 会田雄次氏はアーロン収容所での屈辱的な体験として「女兵舎の掃除」でイギリス人のアジア蔑視の実態を憤慨しながら書いている。当時の西洋人はアジアの人々を「人間」として扱っていなかった。南アフリカでの体験からさもありなんと考えた。

 人権だとか民主主義だとかは西洋での約束事でアジアやアフリカではまるで関係ない事柄なのだということを改めて知らされたのである。

 『アーロン収容所』を読んでいない人にために「女兵舎の掃除」のくだりを転載してみたい。

「英兵兵舎の掃除というのはいちばんイヤな作業である。もっとも烈しい屈辱感をあたえられるのは、こういう作業のときだからである。………その日は英軍の女兵舎の掃除であった。看護婦だとかPX関係の女兵士のいるカマボコ兵舎は、別に垣をめぐらせた一棟をしめている。ひどく程度の悪い女たちが揃っているので、ここの仕事は鬼門中の鬼門なのだが、割当だから何とも仕方がない」

「まずバケツと雑巾、ホウキ、チリトリなど一式を両手にぶらさげ女兵舎に入る。私たちが英軍兵舎に入るときは、たとえ便所であろうとノックの必要はない。これが第一いけない。私たちは英軍兵舎の掃除にノックの必要なしといわれたときはどういうことかわからず、日本兵はそこまで信頼されているのかとうぬぼれた」

「その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずりはじめた。部屋には二、三の女がいて、寝台に横になりながら『ライフ』か何かを読んでいる。なんの変化もおこらない、私はそのまま部屋を掃除し、床をふいた。裸の女は髪をすき終わると下着をつけ、そのまま寝台に横になってタバコを吸いはじめた」

「入ってきたのがもし白人だったら、女たちはかなきり声をあげ大変な騒ぎになったことと思われる。しかし日本人だったので、彼女たちはまったくその存在を無視していたのである」

「このような経験は私だけではなかった。すこし前のこと、六中隊のN兵長の経験である。本職は建具屋で、ちょっとした修繕ならなんでもやってのけるその腕前は便利この上ない存在だった。………。気の毒に、この律義な、こわれたものがあると気になってしょうがない。この職人談は、頼まれたものはもちろん、頼まれないでも勝手に直さないと気がすまないのである。相手によって適当にサボるという芸当は、かれの性分に合わないのだ」

「ところがある日、このN兵長がカンカンに怒って帰ってきた。洗濯していたら、女が自分のズロースをぬいで、これも洗えといってきたのだそうだ」

「ハダカできやがって、ポイとほって行きよるのや」
「ハダカって、まっぱだか。うまいことやりよったな」
「タオルか何かまいてよってがまる見えや。けど、そんなことはどうでもよい。犬にわたすみたいにムッとだまってほりこみやがって、しかもズロースや」
「そいで洗うたのか」
「洗ったるもんか。はしでつまんで水につけて、そのまま干しといたわ。阿呆があとでタバコくれよった」

 N兵長には下着を洗わせることなどどうでもよかった。問題はその態度だった。「彼女たちからすれば、植民地人や有色人はあきらかに人間ではなかったのである。それは家畜にひとしいものだから、それに対し人間に対するような間隔を持つ必要なないのだ、そうとしか思えない」

今から数えると60年前の話だが、筆者が初めて『アーロン収容所』を読んだのは40年近く前だから、戦後まだ20年近くしか経っていない。南アフリカでの人種差別の経験がまだ生々しかった時だから衝撃的だった。

会田雄次氏の『アーロン収容所』では“アジア人家畜論”が続く。

「はじめてイギリス兵に接したころ、私たちはなんという尊大傲慢な人種だろうとおどろいた。なぜこのようにむりに威張らなければならないのかと思ったのだが、それは間違いであった。かれらはむりに威張っているのではない。東洋人に対するかれらの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、努力しているのではない。女兵士が私たちをつかうとき、足やあごで指図するのも、タバコをあたえるときに床に投げるのも、まったく自然な、ほんとうに空気を吸うようななだらかなやり方なのである」

「私はそういうイギリス兵の態度にはげしい抵抗を感じたが、兵隊の中には極度に反発を感じるものと、まったく平気なものとの二つがあったようである。もっとも私自身はそのうちあまり気にならなくなった。だがおそろしいことに、そのときはビルマ人やインド人と同じように、イギリス人はなにか別種の、特別の支配者であるような気分の支配する世界にとけこんでいたのである。そうなってから腹が立つのは、そういう気分になっている自分に気が付いたときだけだったように思われる」

 会田氏によれば、イギリス人は、ヨーロッパでの牧羊者が羊の大群をひきいていく特殊な感覚と技術をもっていると同じように、いつの間にかアジア人を家畜として手なずけているというのだ。日本人には決してできない特技を長い間の植民地支配で身に着けてしまったというわけである。

 だからイギリス兵は決してアジア人や日本人捕虜を殴ったりはしなかった。日本兵のように“凶暴”でないが、その代わり人間扱いしなかっただけのことなのである。

 高校生だった筆者は「なるほどこういう見方があったのか」と頭を殴られたようなショックを受けた。南アフリカの白人たちが黒人を「キャファー」と呼んでいた意味がようやく分かったような気がした。アラビア語で異教徒という意味のキャファーは「相いれない」という意味でもあるのだろう。

 当時の筆者にとって、問題は「そのように飼いならされた」アジア人たちであった。白人には決してかなわないとあきらめてきたその卑屈な根性である。「なんで支配を許したのか」「なぜ戦わないのか」。そんな苛立ちがあった。

 いま中国経済が隆々として脅威論すら出てくるようになっているが、たった15年前までは「貧困」こそがアジアの枕ことばだった。1960年代のアジアはアフリカ同様にもっと貧しく卑屈で、先進国経済のお荷物だった。だから「がんばらないとアジア人は永遠に白人たちに支配され続けられることになる」という危機感があった。

 国際情勢は冷戦構造の真っただ中で、アメリカを中心とする自由主義陣営がソ連や中国などの社会主義陣営と真っ向から対峙していた。だから多くの日本の知識人は心情的に社会主義に肩入れしていて、階級闘争によって貧富の格差や差別がなくなるのだと主張していた。

 当時の筆者にはなじめない議論ばかりが横行していた。世界には階級による対立より深刻な人種差別が厳として存在するのだと考えていたのに、誰も耳を貸すものはいなかった。『アーロン収容所』は筆者の心を癒やす数少ない書物であった。


(私のコメント)
大東亜戦争を歴史的に評価すれば、日本による米英への人種解放戦争であると株式日記では書いてきましたが、中国人や韓国人にはそのことが面白くないようだ。だから靖国神社に対するA級戦犯に対して犯罪者呼ばわりして非難する。また日本の反日左翼も同調しているが、なぜこれほど騒ぎ立てるかと言うと、日本がアジアの解放者となっては中国のアジアにおける覇権が成り立たなくなるからだ。

しかしこのような事を主張すれば東京裁判史観に洗脳された人からは感情的な反発を招く。また中国の外相や韓国の大統領などは日本をナチスドイツになぞらえているがドイツがまだ何処の国とも講和条約を結んでおらず、謝罪もしていないことを知らないのだ。謝罪をしているのはあくまでもユダヤ人に対する虐殺に対する謝罪であり、国家としての謝罪ではない。

国家としての戦争行為は戦争を規定した国際法があるように犯罪ではなく外交行為なのだ。ところが東京裁判では侵略戦争だとして一方的に裁かれましたが、裁いた側もアメリカもイギリスもフランスもオランダもアジアを植民地支配していたのであり、結果的に日本はこれらの帝国からアジアを植民地支配から開放した。

もちろんこのような見解はまだ英米人たちにも受け入れられないだろう。しかし歴史家の中にはトインビーのように「西洋人が不敗の神ではないことを示した」と評価しているように、歴史家の中から一般的見解として広まってゆくだろう。しかも大英帝国の終焉をさせた張本人が日本であり、イギリス人にとっては日本を恨んでも恨みきれないほどの憎しみを持っていることだろう。


◆アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)

第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)


 英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年三月二十二日「毎日新聞」)


(私のコメント)
京都大学の会田雄次教授は自身の戦争体験を「アーロン収容所」に書いていますが、自身が歴史学者でありその戦争体験から、大東亜戦争の本質を書いている。私も大分前に読んだ本ですが、英語に翻訳されてイギリスでも出版されましたが、イギリスから脅迫状が来たそうだ。それくらいイギリス人にとっては大東亜戦争は衝撃的出来事だったのだ。

だから中国人や韓国人が靖国で騒いでみたところで、大東亜戦争の評価が長い歴史の上から見ればアジアの植民地解放と人種開放戦争であった事の評価は固まってゆくだろう。株式日記の読者にもこのような見解には右翼の暴論と思われるかもしれませんが、大東亜戦争の歴史的評価は学術的に歴史学者が決めてゆくだろう。




3〜4年前から新築物件のマンションは買ってはならない。
程度の差こそあれどこもチェックは激烈に甘く、氷山の一角だ。


2005年11月21日

<耐震偽造>マンション・ホテル強度、最悪は3分の1以下

姉歯建築設計事務所による耐震データ偽造問題で、国交省が再検査した結果、最悪のデータだったのは、ビジネスホテル「京王プレッソイン茅場町」とマンション「ステージ大門」の2棟で、耐震強度は基準値の3分の1以下だった。緊急性の高い17棟の耐震強度を再計算した結果、14棟が基準値の半分以下だった。
(毎日新聞) - 11月21日22時43分更新


◆2005/11/21 (月) 民営化の落とし穴 きっこの日記

同じネタが3日も続くとサスガに飽きて来ると思うけど、今回のインチキマンション問題に関連して、どうしても補足として書いておきたいことがあるので、あと1日だけ付き合ってちゃぶだい‥‥なんて書き出しなので、このネタに興味の無かった人はここで帰っちゃいそうだけど、ワリと大切なことなので、興味の無い人も、できれば読んで欲しい。で、まずは、あたしのとこに届いたたくさんのメールの中から、1通を紹介する。

「初めましてきっこさん。私は都内の意匠設計事務所に勤める一級建築士です。ここ3〜4年前から新築物件のレベルの低さを心配していました。今回の事件が明るみに出るのは時間の問題でした。諸悪の根源は建築確認の民営化です。以前は役所がしっかりとチェックしていましたが、民間会社の参入がOKされてからは、ハッキリいいますとインチキです。都内では、ERI、TBC、イーホームズ、ビューローベリタスがメインで営業してます。問題は、これらの検査機関会社に出資しているのが、住宅メーカーや建設会社だと言うことなのです。ERIに出資しているのはミサワ、大和、積水などの大手住宅メーカー、TBCに出資しているのは清水建設などのゼネコンと、ほとんど建設業界が出資して設立されたので(ビューロはフランスの会社ですけど)親会社の確認申請にはメチャクチャ甘いです。もともとは業界が族議員を動かして規制緩和させたので…。役所がやってたときは、通常の一般的なマンションで一月半かかったものが、今では民間を使うと2週間です。程度の差こそあれどこもチェックは激烈に甘いです。幸いうちの事務所は独立した設計事務所っていうのと、所長がいい加減なことを嫌うので、民間に変わった時に利用してみて、あまりのいい加減さに呆れてしまい、いまだに役所を使ってます。ERIで、一度問題になったのですが、特急料金なるものもありまして、プラスいくらかの金額を払うと一週間で確認が降りちゃったりしますから。最近は、建設コストが下がりまくっているので建物を建てる時は施工者と”設計、管理”を関係ない業者に頼まないとエライ目にあいますのでご注意を…」

ようするに、この事務所の所長さんのようなマジメな人にとっては、時間が掛かってもキチンと書類をチェキしてくれる役所のほうがいいってワケだ。それは、決して間違いがあっちゃならない「人命に関わる構造計算書」だからであって、計算書の作成者がウッカリと見落としてた小さなミスを見つけてこそ、検査機関としての存在意義があると思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

‥‥そんなワケで、あたし的には、「ERI」って言われると「エリちゃん」て言う女の子の名前だと思っちゃうし、「TBC」って言われると間違いなくエステのことだと思っちゃうけど、建築業界の人たちにとっては、オナジミの「民間検査機関会社」なんだろう。それで、チョコっと調べてみたら、「ERI」って言うのは「日本ERI株式会社」のことで、このメールに書いてあるように、ミサワ、大和、積水などの大手住宅メーカーが出資して設立されていた。そして、「TBC」って言うのは「株式会社東京建築検査機構」のことで、「トウキョウビルテックセンター」とも呼ばれてるので、その頭文字で「TBC」ってワケだ。こっちの会社は、清水建設が最大出資をしてる他は、建築とは関係の無い投資会社や金融会社などが純粋な投資を目的として出資してるので、ハッキリと言っちゃえば、清水建設のオカカエの検査機関会社ってことだろう。

つまり、本来は「公正中立な第三者機関」じゃなきゃならない検査機関のハズなのに、住宅メーカーや建設会社の子会社みたいな位置づけなのだ。当然、ミサワや大和や積水は、自分のオカカエの「ERI」に構造計算書を持ってくワケで、清水建設が施工する建物に関しては、すべて「TBC」に構造計算書を持ってくワケで、そうすれば、通常でも役所に比べてメチャクチャに甘い検査が、さらに大アマの特別大出血サービスになるってワケだ。そして、プラスアルファの料金を払えば、もっと特別扱いしてくれるって言うんだから、住宅メーカーや建設会社にしてみれば言うことなしだろう。

「民間ができることは民間に」ってのは、低脳コイズミの口癖だけど、この公正中立な第三者機関じゃなきゃならないハズの建築検査機関を民営化したのは、ヤミ献金の帝王、橋本龍太郎だ。橋本龍太郎が総理大臣だった1996年から、当時の建設省住宅局長だった「ワイロ大好き官僚」の小川忠男が、まるでコイズミの郵政民営化と同じくらい、しつこく、しつこく、しつこく、しつこく、この「建築検査機関を民営化」を推し進めて、2年後の1998年の6月12日に、とうとう可決させたのだ。

1995年の阪神淡路大震災によって、多くのビルや住宅が倒壊したために、政府は、「建築物の安全性の一層の確保と合理的利用の推進」って言う観点から、早急に建築基準法を見直さなきゃいけないってことを決めた。そしたら、大手の住宅メーカーや建設会社は、このチャンスに、今まで時間も掛かってた上に厳しかった役所の建築検査機関を何とか民営化してもらおうと、当時の建設省住宅局長 だった小川忠男に陳情したのだ。「陳情」って言えば聞こえはいいけど、ようするに、全国小売酒販政治連盟の事務局長だった玉置浩二‥‥に似てる関秀雄(白髪のボサボサ頭のオッサン)が、自民党や民主党の政治家245人に対して、5年間で2億円以上ものヤミ献金を渡してた事件と同じことだ。これだって、ドンキホーテとかの量販店などでお酒を安売りされると自分たちが困るから、腐りきった政治家や官僚どもにワイロを渡して、自分たちに都合のいい法律を作ってもらおうってコンタンだったワケで、このシステムを「陳情」って呼ぶのだ。

本当に、阪神淡路大震災のような災害に備えるために建築基準法を見直すのであれば、今までの基準をもっと厳しくするのがスジだろう。だけど、この人間のクズ、小川忠男は、大手の住宅メーカーや建設会社から、莫大な現金のワイロの他にも、ゴルフクラブのセットをプレゼントしてもらったり、料亭に連れてってもらったり、高級スーツを仕立ててもらったり、ホテルに高級コールガールを呼んでもらったりと、ありとあらゆるプレゼントや接待を受けていた。だから、検査基準を厳しくするどころか、自分の立場を利用して、建築検査機関を民営化するなんて言う、まったく逆の提案をムリヤリに推し進めたのだ。

‥‥そんなワケで、ここで百歩譲って、「建築検査機関の民営化」に賛成してみるとする。でも、それなら、公正中立な第三者機関にするために、住宅メーカーや建設会社とは完全に切り離した会社にするってことが最低限の決まりだと思う。だから、「住宅メーカーや建設会社などは民間の建築検査機関には出資できない」って規則を設けた上で民営化すべきだったのだ。だけど、それじゃあ、小川忠男に莫大なワイロを送り続けて来た住宅メーカーや建設会社には何のメリットも無いワケだし、小川忠男もそれじゃあ困っちゃう。だから小川忠男は、「どこが出資してもいい」って言う大きな穴が開いたままの欠陥提案をゴリ押ししたワケなのだ。(中略)

まあ、今回みたいに悪質はケースはマレだろうけど、ホントに何の意図もなくて、単なる計算間違いで、鉄筋の数を半分にした構造計算書を提出しちゃってたとしても、民間の甘い検査機関なら、そのままノーチェックで素通りしちゃうだろう。そして、特別料金を払えば、ほとんど中身も見ずに、たった1週間で合格できるんだから、もはや検査機関とは言えないだろう。建築検査機関が民営化されてから、姉歯秀次が構造計算書を作成したマンションは、22都道府県で194棟もあるだそうだけど、イーホームズに限らず、こんなにテキトーな検査が行なわれて来たんじゃ、危険なマンションやホテルは他にも何千棟もありそうな気がする。そう考えると、建築検査機関が民営化される前までに建てられたマンションじゃなきゃ、恐くて住めないだろう。

‥‥そんなワケで、低脳コイズミが連発してる「民営化」なんて、所詮はこんなもので、結局は自分と癒着してる官僚どもの天下り先を作ってるだけなのだ。そして、そう言ったことのツケとして、今回の欠陥マンションみたいに、何年もしてから致命的な弊害が出て来るのだ。建築検査機関の民営化が原因で、こんな大問題が起こった今、この民営化を推し進めてた中心人物の小川忠男は、もう何の責任も無い立場になってる。そして、郵政民営化によってニポンの経済が破綻した時には、ひとりで民営化のデタラメ法案を推し進めたコイズミは、もう何の責任も無い立場になってるだろうと思う今日この頃なのだ。


(私のコメント)
私は仕事柄、ビル建築には全くの素人ではないのですが、最近のマンションはどうしてあんなに安く建つのか不思議でならなかったのですが、その謎が見えたように思う。私が建てたビルは坪単価80万ぐらいですが、バブルの頃は坪単価が100万以上のビルでないと建設会社は工事を引き受けなかった。

以前は鉄筋コンクリートマンションは6階建てまでしか出来なくて、10階建てのマンションなどは鉄骨鉄筋コンクリートでないと建てられなかった。ところが20年ほど前から鉄筋コンクリートでも10階建てのマンションが出来るようになり、コストが引き下げられた。それでも柱や梁は1メートルくらいの太さになり鉄筋はかなり使う。

ところが今回の耐震偽造マンションは3割から5割ほどしか耐震強度が無くて、柱も梁も太さが無くて部屋を広く使えるようになっていた。入居者の話によると震度3程度の地震でもかなり揺れたというから柱の細さが影響している。基本構造には手を抜いている反面、内装には金をかけているから客は広さと豪華さに目を奪われてしまう。

私もマンション建売販売業にまで手を伸ばしたかったのですが、バブルの崩壊で銀行が金を貸してくれなくなり、とてもマンションどころの話ではなくなってしまったのですが、最近のマンションブームは不思議でならなかった。不況で建設コストが下がったとはいえ、新築で100平米のマンションが四千万円台とはびっくりする。

問題は耐震強度偽造マンションが姉歯建築設計事務所がらみのみなのかという問題ですが、程度の差こそあれ、ばれない程度の手抜き設計や施工はなされていると見るべきなのだろう。そうでなければ新興のマンション業者が格安で売ってぼろ儲けが出来るわけがない。98年以降の新築マンションは買わないほうがいいのだろう。

普通は鉄筋コンクリートの建物は100年くらいは楽に持つように建てられるはずですが、最近では30年くらいの寿命で設計されているようだ。特にマンションなどは建物が100年持っても水周りの配管などは20年くらいでメンテナンスしないと赤錆が出るようになって使えなくなる。電気、電話、テレビなどの配線なども技術革新が激しいから対応できないし、空調設備も証明設備も10年以上たつと故障するものが出てくる。

マンションなどは維持管理費に毎月数万円の費用を積み立てますが、分譲マンションならともかく賃貸マンションだと家賃の値下げ競争で維持管理費の積み立てがままならないところもあり、結局は放置されて入居者もいなくなり建て直されることになる。だからマンションの建売業者は手抜き工事で売り逃げするのが当たり前なのだ。

今回の事件の根本は民営化と規制の緩和にあるのですが、国会では法案の問題点の討議が満足になされず、国会議員たちも問題の本質も分からないから、次々と法案が可決成立して、問題が表面化してからでは取り返しのつかないことになっていく。マスコミだって小泉首相の民営化と規制緩和の号令を繰り返しているのみでジャーナリズムの機能を果たしていない。「赤旗」では次のように書いている。


規制緩和で検査民間任せ 11月19日 赤旗

建築主が法で定める建築物の建築を行う場合、工事着手前に構造や設備の計画が建築基準法などの法令に適しているか、構造計算書などを提出して審査を受ける建築確認が必要です。ところが政府は「規制緩和推進三カ年計画」(九八年三月閣議決定)などにもとづく九八年の建築基準法改悪によって、これまで自治体の建築主事が行っていた建築確認・検査を民間に「開放」。大臣、知事が指定する民間の「確認検査機関」も行えるようにしました。

 同設計事務所は、耐震強度が基準に達したときに「計算書」に印字される「評定番号」を、当該の民間検査機関がチェックしないことを見越して基準値以下の数値を入力して計算書を偽造していました。

 建築基準法の改悪について日本共産党は、緒方靖夫参院議員、中島武敏、辻第一両衆院議員(ともに当時)が繰り返し国会で追及。(1)民間検査機関はゼネコンや大手住宅メーカーの集合体でも可能で、公正・中立性が確保できない(2)民間検査機関が営利本位になって検査が手抜きされたり、ミニ開発などへの自治体の規制が骨抜きになる―など懸念される問題を指摘してきました。

 そのうえで「現行の建築主事による確認・検査体制は不十分で拡充が必要だが、法案は行政の建築主事の体制を強化せず、そのチェックもないまま検査を民間にまかせるもので、検査の公正さが確保できない」として反対しました。

 一方当時の自民、民主、公明、社民、自由、新党さきがけなど日本共産党以外の各党・会派は同法案に賛成しました。


(私のコメント)
当時からこのようになることは国会でも追及されていましたが、各政党の国会議員たちは賛成して可決成立させたのだから、その責任を負わねばならないだろう。郵政民営化法案だっていずれはこのような問題が起きても、小泉首相をはじめ我関せずで知らん顔をして、小泉内閣を支持して賛成した人たちも後悔することだろう。




薄れていく大日本帝国時代の記憶と歴史認識
過去よりも遠く国連の常任理事国になれない現代の日本


2005年11月21日

薄れて行く記憶と歴史認識大日本帝国滅亡60年の意味 立花隆

(前略)

日本の近現代史を明治を通して考えてみる

この話はこのあたりで止め、話をずっと前のところに戻す。

高級官僚たちとの集まりで、日本の近現代史について話をしたというエピソード(第52回)のつづきである。

今年は、明治138年目にあたり、それは日本が近代国家になって、138年ということを意味するが、そのうちの55年間は、日本が「大日本帝国」を名乗っていた時代だというあたりまで、この前述べた。

日本が大日本帝国だった時代と、そうでなかった時代(より古い方向にもより新しい方向にもそういう時代がある)は、全く異質の時代である。

いまの日本に、大日本帝国の臣民だった人々がどれだけいるかというと、もはや、社会の少数者になってしまっている。

今年は戦後60年だが、それは大日本帝国が滅亡して60年ということを意味する。つまり帝国滅亡時ゼロ歳だった人がすでに60歳になっているわけだから、大日本帝国臣民だった人は絶対的少数者になってしまっている。

薄れていく大日本帝国時代の記憶と歴史認識

私は終戦時5歳だから、幼児の5年間だけ大日本帝国の臣民だった経験を有する少数者の側に入る。

しかも、そのほとんどを私は北京ですごしたので、まさに帝国の臣民そのものであった経験を持つことになった。──いまの若い人には、おそらくこの文章が何を意味するのかよくわからないだろうが、帝国というのは、異民族国家を従属国家として、あるいは植民地、半植民地として丸ごと支配してしまう巨大国家、超国家を意味するのである。

私より年上のオールドジェネレーションの人々はみな帝国の臣民であった時代を体験しているわけだが、その人が帝国時代も本国にとどまっていた体験しかなければ(日本人の大半がそうだった)、日本が帝国であった時代を本当に知っていたことにはならない。

海外の日本の植民地、あるいは半植民地状態の地域に一定期間生活して、異民族を支配する特権階級の側に立つ経験がないと、帝国以前(あるいは以後)の時代との差異がわからないということである。

私は、子供ながらにではあるが、そういう身分にあることの意味を実感的に知っている。

そういう体験がある人とない人とでは、中国や韓国の人々がよく口にする「歴史認識」の問題の受け取り方がまるでちがってくる。外国で絶対的支配者の側に立つことを経験したことがない人々には、おそらく、支配される側に立たされた人々の気持ちがまるでわからないだろうと思う。

歴史認識の問題とは、基本的に、日本が大日本帝国時代に従服者、絶対支配者としてなしてきた数々の行為について問われるものだが、大日本帝国時代の記憶を残す人々が、すでに絶対少数者となり、これからもっともっと少数者となっていこうとしているだけに、それを問う側と問われる側の認識と理解の齟齬はこれからひどくなる一方だろう。

我々の日本は「『ポスト大日本帝国』としての日本」

先に紹介した12月はじめに文藝春秋から出る「天皇と東大」は、大日本帝国が生まれてから滅亡するまでを描いた本なので、副題を「大日本帝国の生と死」にした。

すでに戦後60年を経過したために、いまや大日本帝国が存続していた時間よりも大日本帝国が滅亡したあとの時間のほうが長いことになってしまった。

若い人は、いまさら大日本帝国時代の日本を語ることに現代的価値は何もないと思うかもしれないが、私は今こそそれを語るべき時代だと思っている。

我々の日本は「『ポスト大日本帝国』としての日本」であり、あらゆる意味で大日本帝国の遺産(正の遺産、負の遺産とも)を引きずっており、それから逃れるすべはないからである。

大日本帝国を滅亡させたことで、我々がどれほどのものを失ったか、おそらく若い人には想像もつかないだろう。試みに、日本史地図帳を見て、戦争がはじまる直前、日本がどれだけ多くの国土を持っていたかを確認してみるとよい。台湾も、韓国も、北朝鮮も、樺太も、広大な南洋諸島も日本の領土(ないし国際連盟の信託委任統治領)だったのである。そして、本州の3倍以上もある満州が、日本の植民地同様の国としてあったのである。

現実の歴史展開は為政者の政治選択でどうにでも変わる

もし、日本があの愚かな戦争をせずにすませていたら、日本は今日全くちがった国であったろう。

第2次世界大戦において、ヨーロッパ諸国とアメリカだけがあの恐るべき消耗戦を戦い、日本が局外中立の第三国という立場を貫くことができたら、あるいは、日本が独伊と組む枢軸国の側に立たず、むしろ米英と組む連合国の側に立っていて、第2次世界大戦を勝者の立場で終えていたら、日本は戦後世界において、世界有数の超大国の一つになっていただろう。

──もちろん、そうなったら、歴史の全面的書き換えということになるから、その後の現実と同列には論じられないし、そもそも現実の歴史展開として、どちらがよかったかという価値評価とは全く別の話になる。しかし、あの頃日本の政治指導者たちが別の選択をしていたら、別の歴史展開が明白にあったのだということは、やはり認識しておくべきだろう。

現実に起きた歴史だけを絶対視する立場に立ってしまうと、このようなことは考えてみることすら愚かと思うかもしれない。しかし現実の歴史展開というものは、どの時点においても、運命論的に決定されたものではなく、そのときどきの為政者の政治選択によって、どのようにでも変わりうるものである。

いくつかの歴史の曲がり角において、ときの政治権力を握っていた愚かな政治指導者たちの愚かな政治選択によって(同時にそのような政治権力者に権力を握らせたままにしておいた国民の愚かな選択によって)、我々の歴史はあのような展開をたどってしまったのである。それは決して動かせない宿命などでは全くなかった。

60年という年月が一国の体制にもたらす変化の大きさとは

国家百年の計を考えるときには、当然のことながら、その前提として、百年のタイムスケールで過去の歴史を見すえることが必要になってくる。

今年は明治138年などと妙なことから話を始めたのは、歴史を正しく見るためには、そのような時間尺の変更を自由自在に行いながら、歴史を別の角度から見ることが必要だということがわかってほしいと思ったからだ。

ということで、もう少し似たようなことをやってみる。

今年、戦後60年ということは、大日本帝国が滅亡して、国家の体制が全く変革されてから60年ということだが、同じように国家の体制が根本的に変革された明治維新から60年目の年(つまり明治60年にあたる年)というと、どのあたりかというと、1927年で、昭和2年ということになる。

その前後の状況をながめてみると、60年という年月が、一国の体制にもたらす変化の大きさの意味のようなものが見えてくる。(中略)

過去よりも遠く国連の常任理事国になれない現代の日本

第一次世界大戦に日本は参戦したが、日本は英米側に立ち、熱い戦争を行ったのは、中国大陸におけるドイツの拠点(膠州湾、山東半島、青島)に対してであって、あとは、参戦国に対する物資補給に力を注いだから、日本は大戦中、未曾有の経済的成功をおさめた。

それまで入超基調であった貿易収支はたちまち大幅な出超に転じ、世界的に船舶が払底するなかで、日本の海運業は驚くほどの盛況を示し、貿易黒字を上まわるほどの利益をあげた。ために、戦争前15億円余の債務国だった日本は、一挙に約3億円の黒字国となった。日本の正貨保有高は、3億円台から、20億円台になるという、驚くほどの上昇ぶりだった。

経済大国になった日本の国際的地位も上がり、第一次世界大戦後の国際関係の基本を決めたヴェルサイユ条約の締結にあたっては、日本は主役のひとりとなり、その延長上に作られた国際連盟(1920年)においては、日本が文句なしの常任理事国となった。

いまだに国連の常任理事国になれない現代の日本より、この当時の日本のほうが、国際社会において、はるかに高いポジションを獲得していたのである。

このころ日本は、世界三大強国にかぞえられていたから、ワシントン会議(1921、2年)も、ロンドン軍縮会議(1930年)も、日本を三極のひとつに遇しながら開かれた。

このあたり、ヴェルサイユ条約(1919年)から1928年のパリ不戦条約にいたるまでの10年間は世界が最も平和を楽しむことができた10年間で、日本の国際社会における地位が絶頂に達した時期でもあった。(後略)



(私のコメント)
60年と言う年月の長さは現代史の中で見れば非常に長い期間であり、立花氏が言うように明治維新から昭和2年までが60年ですが、現代の日本は国際社会の中では昭和2年当時ほどまではまだ回復しているとはいえない。戦後は盛んに経済大国という言葉がテレビなどで言われていますがごまかしだ。

本来ならば憲法を改正して経済大国から軍事大国へと行くべきところが、いまだに経済大国のままで、今ではその経済力にすら陰りが見られるようになってしまった。特に国連の常任理事国入りについては見通しすら立たない状態であり、もしかしたら日本の頂点は昭和二年であったのかもしれない。

60年経っても国力が昭和二年当時よりも回復できていないと言うことは、それだけ大東亜戦争の敗戦で失ったものが大きかったからですが、精神的なダメージもそれ以上に大きなものを負ったのだ。私が小学生の頃は先生から日本は東洋のスイスのように非武装中立であれと教育された。日本はスイスのような小国であることを精神として叩き込まれてしまった。

何も分からない小学生に日教組の先生はそのように教え込んだのですが、全くのでたらめであり、スイスは国民皆兵の軍事強国であり非武装中立ではなかった。そして四、五年前までは憲法改正を言うだけで右翼呼ばわりされて、戦前の日本を評価するだけでも大臣の首が飛んだ。また首相は中国や韓国の顔色を見ながら靖国参拝をしなければならないほど馬鹿にされている。

朝鮮半島や満州や台湾などは、どっちみち独立していたでしょう。しかし北方領土や南洋諸島などを失ったことが海洋国家日本のダメージにつながっている。海洋には膨大な海底資源があるのですがそれらの多くを失ってしまった。さらにはアメリカの植民地化がすすんで自衛隊すらアメリカ軍の下に置かれて、とても独立国とはいえなくなってしまった。

私のような民族主義的保守主義者の立場から言えば、60年も経っても日本は世界の大国として『復帰』出来ないのは、日本人の精神が戦前レベルにまで回復していないからであり、大国としての誇りがもてないのは情けない。戦後の間もない頃はまだ骨のある政治家は押し付け憲法の改正を訴えていましたが、池田内閣以降は平和憲法を守れと自民党議員ですら言っていた。

もし日本が戦争に負けただけなら30年も経てばダメージは回復できただろう。しかしアメリカは憲法を変え、教育を変えて日本人を永久的に支配するために洗脳している。日本にある米軍の軍事施設は64施設もあり沖縄と神奈川と東京に集中している。航空管制区域はいまだに半分が米軍が管轄して日本の飛行機は飛ぶこともままならない。

このような事実は表向きはともかくも、アメリカは日本の核武装までの再軍備は認めてはいない。認めれば米軍は必要なくなり、日本から撤退しなければならない。

もし大東亜戦争に負けていなければ日本はアメリカやロシア以上の大帝国になっていたかもしれない。食料やエネルギーに弱点はあるが金さえあれば買える物であり、売らないと言ったら核ミサイルで脅せば売らざるを得ないだろう。そうなることを防ぐためにキッシンジャーは中国の首脳に「日本を押さえ込むために米軍基地はある」と言っている。

立花氏が言うように、もはや大日本帝国時代の記憶を持っている人はほとんどいなくなってしまった。そしてアメリカに占領されていることが当たり前に思うような人がほとんどになってしまった。竹中平蔵のようなアメリカの代理人が大臣になって、内閣の情報はみんなアメリカに筒抜けだ。これではアメリカからも日本は馬鹿にされる一方だ。




Ugly Images of Asian Rivals Become Best Sellers in Japan
中国や韓国が反日デモで騒げば嫌韓中マンガがバカ売れする


2005年11月20日

アジアのライバルを醜く描いた本が日本でベストセラーに 11月19日 NYタイムズ (By NORIMITSU ONISHI)

Ugly Images of Asian Rivals Become Best Sellers in Japan  (The New York Times)

東京、11月14日 - マンガ『嫌韓流』の中で若い日本人女性は、「日本が今日に 韓国 を構築したと言っても過言ではありません!」と叫びます。別の箇所では、本は、「何も誇れる韓国の文化の中にまったくない」と述べます。

人肉食にとらわれた下劣な民族として とともに、中国人を描写する別のコミック「 中国 入門」では、日本の女性は次のように言います。 「今日、その法則、考え、文学、芸術、科学、制度の中国を見なさい。魅力的なものは何もありません。」

下等な民族として中国人と朝鮮人を描写し、それらとの対決を主張する2冊のコミックは、過去4か月に日本でダントツのベスト・セラーになりました。

近隣アジア諸国の人々に対する悪意ある描き方や、反省の色が無くしばしば攻撃的でさえあるセリフを通じて、日本 と他のアジア諸国との関係悪化の底流にある日本人の感情の一端を覗うことができる。

また、日本は他のアジアから長い間鎖国し、英国の大陸との距離感に似たアイデンティティーがあることに漫画は注目する。 日本の過去1世紀半の歴史はアジアではなく西洋を目指していた。 現在、アジアの経済・外交・文化のリーダーである日本のポジションへの中国と南朝鮮の挑戦は新たな排外主義を刺激している。

ドイツ文学者西尾幹二は新しい日本の教科書を作る会の名誉会長であり、 その国粋主義団体は中学校教科書から戦時下の残虐行為の引用を削除するように圧力をかけている。

西尾氏は日本が隣人に行ったことに鈍感で、 「近代日本で最も影響力のあった知識人福沢諭吉が、日本は西洋の先進国を真似るべきで、 アジアの遅れた隣人特に中国と朝鮮からは分かれろと言った1885年から何も変わっていない」と言う。

「何故彼らは成長しないのか?」西尾氏は言う。「彼らは全く変わっていない。中国と朝鮮は何故何も学ぼうとしないのか?」

西尾氏は南朝鮮について漫画の中で一章を書いているが、福沢が提唱したように、中国と南朝鮮から離れるべきだと主唱する。 「現在われわれは南朝鮮と中国を無視できない。」西尾氏は言う。 「経済的に難しい。しかし、われわれの心の中に、心理的に常にこの態度を持ち続けなくてはならない。」

現実には、南朝鮮は2002年共催したサッカーのワールドカップで日本よりはるかに進み、 多くの日本人に、南朝鮮がライバルとして台頭したことを印象づけた。同時に、南朝鮮のテレビドラマ・映画・音楽、 いわゆる韓流は日本と他のアジアをかけめぐり、日本のポップカルチャーの輸出をしばしば取って代わっている。

日本の女性の間では人気があるが、その波は反動を特にインターネットで起している。 嫌韓流を書いた若い漫画家山野車輪はウエブサイトで次のように漫画を書き出している。

「嫌韓感情はワールドカップ以降爆発的に広がった。」晋遊舎の編集者AKIHIDE TANGEは語る。 36万冊を超える売り上げは編集者を驚かし、嫌韓流の動きは思っていた以上に大きかったことを意味する。

「こんなに売れるとは思っていなかった。」晋遊舎の別の編集者Susumu Yamanakaは言う。 「しかし蓋を開けてみると、多くの人が同じ感情を持っていることが分かった。」

今のところ、このおよそ300ページで10ドルの2冊は、公的機関や知識人や主要メディアからほとんど批判を受けていない。 例えば、日本の最も保守的な新聞紙産経新聞はその韓国の本は非常に攻撃的でバランスを欠いて国の間の問題を描いていると言う。

国粋主義者と修正主義者が日本の論壇で大勢を占めるに従い、歴史を正直に見ることを唱える人達が黙らせられるようになってきている。 一橋大学Yoshida Yutakaは言う。南京のレイプのような歴史を否定する動きは増大する不安な国にたいするある種の宗教である。

「自信が無いから心を癒すストーリーが必要になる」吉田氏は言う。 「例え歴史が事実と違っていたとしても、それは彼らには何も意味しない。」 韓国の本の漫画家は現在続編を書いており、インタビューの要求を拒否した。

その本は韓国の「正しい」理解をしている日本の10台Kanameを主人公にしている。 2002年のワールドカップでいかに韓国チームが不正を働いたかで始まり、 後の章では、Kanameは南朝鮮を日本の植民地の現在の後継者と認識している。

「韓国人が主要国の地位につけたのは日本のおかげであり、彼らの力ではない」 と西尾氏は植民地朝鮮を言う。

『マンガ嫌韓流』は、おそらくは意図せぬまま、日本の自己規定に関する葛藤や、アジアへの 優越感と欧米への劣等感という過去から続く感情を、露呈している。この本では、日本人の登 場人物は大きな目と金髪といった白人の風貌で描かれている一方、韓国人の登場人物は黒 い髪と細い目という典型的アジア人の風貌で描かれているのだ。

このような特異な美意識は、ほとんどの日本人が意識しないまでに大衆文化に深く根をおろ しているが、そのルーツは19世紀後半の明治維新にある。当時の日本の指導者らは、欧米 列強の侵略を防ぐ最良の策は彼らの真似をすることだという結論に至った。

今日なお近代日本の知の父祖として尊敬され1万円札にも描かれている福沢諭吉が、1885 年に書いた『脱亜論』は、アジア諸国に対する日本の侵略と植民地化の理論的裏づけを提供 した書物だと、多くの学者から見られている。

福沢は、日本の近隣諸国が絶望的なまでに遅 れていることを嘆き、「悪友を親しむ者は共に悪名を免かるべからず」と書いて、日本はアジア を脱して「西洋の文明国と進退を共に」すべしと説いた。福沢は近隣アジア諸国について、こう 書いている:「まさに西洋人がこれに接するの風に従いて処分すべきのみ。」

こうした感情が定着するにつれ、大衆文化の中で描かれる日本人の風貌は欧米人風になり 始めた。最大の変化が訪れたのは、1904-05年の日露戦争中である。戦争絵画の中で日本 人はロシア人より背が高く描かれ、通った鼻筋やその他の顔立ちは、日本兵を敵のロシア人 以上に欧米的な風貌に見せていたのだった。

「日本人は敵よりハンサムに見えなければなりませんでした」と永山氏が言いました。

同じような影響が別の新しい漫画「中国入門」に表れており、 中国人を食肉文化と売春の強迫観念で描き、18万冊を売り上げた。

その本は中国を「世界の売春大国」として描き、証拠も無しにGDPの10%が売春であるとしている。 中国を病原とし、小泉首相は「日本で起こっている大部分の病気は中国から来たと聞いている」と言っているのを描いた。

その本は中国での日本の最悪の残虐行為を否定する。南京のレイプは歴史学者が1937年から1938年の間に日本兵により10万人から30万人の中国人が殺されたとしているが、 反日感情を広めるための中国政府の作り話として否定する。

日本帝国陸軍731部隊は生物兵器の研究を行い、数千人の中国人と牢人を生体解剖や切断などの実験に使ったが、 日本兵を中国人から守るために創設されたとその本は書いている。

「唯一中国人が示せる魅力あるものは中国料理である。」漫画の原作者の台湾生まれの作家黄文雄は言う。 66歳の黄氏は中国についての本を50冊以上書き、食肉文化についてや、日本人が中国における本当の犠牲者としている。 ジョージ秋山を名乗る日本人はこの本の主な漫画家であるがインタビューを断っている。

悪意のある反中国の台湾の人達と同様に、黄氏は盲目的に親日であり、40年間日本で生きてきた。 日本右翼に好まれ、今年初めの中国での黄氏曰く反日デモは幅広い読者を集めた。本の売り上げは今年だけで100万冊である。

「私は本当は中国に感謝しなければならない。」黄氏は語る。 「しかし、私はもしデモが続いていたら100万冊200万冊以上の売り上げがあったんだが。」

NORIMITSU ONISHI(ノリミツ・オオニシ=大西哲光)
ニューヨーク・タイムズ紙東京支局長
千葉県市川市で生まれ、4歳の時、家族でモントリオールに移住。国籍はカナダ。米プリンストン大学で学生新聞編集長を務めた。前任地は西アフリカ・コートジボワール。ナイジェリアの民政移管やシエラレオネの内戦を取材した。9・11後はアフガニスタンにも出張した。
[参考]
ニューヨークタイムス東京支局 東京都中央区築地5丁目3-2
朝日新聞社          東京都中央区築地5丁目3-2
朝日新聞→NYT東京支社大西→NYT→共同通信


(私のコメント)
ニューヨークタイムズの大西記者の記事を紹介しますが、ニューヨークタイムズは朝日新聞と関係の深い会社であり、靖国問題を朝日新聞が仕掛けたと言うことは、ニューヨークタイムズの親中派からの指令で仕掛けたのだろうか。アメリカの外交政策にとっては日中が対立してくれたほうが有難いから、朝日新聞が動いたのだろう。

中国は長い間靖国参拝には無反応でしたが、朝日新聞が大々的に報ずるようになってから、日中の間の一番の大問題になってしまった。だから90年代は日本の総理大臣は靖国参拝が出来なくなってしまいましたが、当時はアメリカも親中派のクリントン大統領だった。

『嫌韓流』と言うマンガは書店などで立ち読みした程度なのですが、マンガ本ということで分かりやすい内容だ。大西記者は日系カナダ人ですが、心もすっかりカナダ人で反日的な記事を東京から発信し続けている。日本は言論の自由の国だからかまわないのですが、マンガの登場人物の顔にまでけちをつけている。

『嫌韓流』に書かれた内容が出鱈目ならば、一つ一つ調べ上げて書き並べば、かなりの打撃になったのでしょうが、内容にさほどけちを付けていないところを見ると、内容的には問題が無いのだろう。むしろ主人公が白人的に描かれているとはばかばかしくて話になりませんが、むしろ日系カナダ人の大西記者のほうが白人コンプレックスを持っていてそう見えたのだろう。

戦争中のアメリカのマンガには日本人はまるでサルのように描かれていましたが、心の中は白人の日系カナダ人の大西記者には日本人がサルのように書かれなければ気がすまないのだろう。大体マンガは誇張して描かれるから主人公はハンサムに敵役は醜く描かれるのが常識だから『嫌韓流』だけがそのように描かれているわけではない。

大西記者は日本における韓流ブームについても、マスコミなどが意図的に仕掛けたことであり、煽られた日本の中年女性の一部以外にはブームは存在していない。テレビドラマでは当たったと言えるのは『冬ソナ』ぐらいであり、映画でも『冬ソナ』イメージで作られた『四月の雪』が当たっていますが、限られたもので、冬ソナとヨン様しかない。

むしろ2002年のワールドカップの韓国チームの汚いプレーをマンガでは批判して始まっているのに、大西記者はその内容には触れようとしない。なぜ日本人は韓国や中国に嫌悪感を感じるようになってきたのか、『中国入門』などにも触れているのですが、どうして大西記者はそのことに触れないのか。朝日新聞やNYタイムズが日本ばかり批判して中国や韓国を賞賛すればするほど、日本の若者の反発は広まるだろう。

また大西記者はアジア諸国と書いているが、中国と北朝鮮と韓国のことだけを指しているようだ。最近ではネットでは特定アジアと呼んでいますが大西記者はネットを見ないのだろうか。だから最近では新聞しか読まない読者なら問題は無いのでしょうが、最近は新聞やテレビへの批判がネットや雑誌などで強くなってきている。

つまり、日本の政治に対する批判を左翼メディアである新聞やテレビがすれば、それに対する批判がネットなどで取り上げられる。私の『株式日記』もその一つですが、朝日新聞にしてもNYタイムズにしても左翼的になればなるほど新聞の権威が無くなって行くだろう。中国にしても反日デモで騒いでもプラスにならないことは分かっているのに、朝日新聞が炊きつけるからいやいや騒いでいる。

以前は新聞やテレビはオピニオンリーダーとして主導的な地位がありましたが、ネットなどの登場でその地位を脅かされている。今ではマンガ本のほうが影響力が出てきて『嫌韓流』や『中国入門』などのマンガ本がベストセラーになり、新聞やテレビのでたらめで意図的な報道が暴かれだしてきているのだ。


朝日新聞はこれほど権威を失ってきている。

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   ∧__∧.∧__∧  ∧_∧ . ∧_∧|。oO うわっ 今どき朝日読んでるよ・・・
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    し'し  し'し'   し' し   し'し'||..||
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民間にできることは民間に任せる「官から民へ」の一環だが、
マンション建設ラッシュが続くなか、落とし穴はなかったのか。


2005年11月19日

マンションラッシュに落とし穴 11月19日 東京新聞

耐震設計に必要な構造計算書が、書類作成を請け負った建築設計事務所によって偽造されていたことが分かった。そのチェックを任されていたのは「指定確認検査機関」という民間機関。これまで自治体などが行ってきた建築確認申請を審査している。民間にできることは民間に任せる「官から民へ」の一環だが、マンション建設ラッシュが続くなか、落とし穴はなかったのか。 

 「設計書類を再チェックすると、すぐに気づきますよ。専門家ならパッと見れば分かる。率直に言って、指定確認検査機関がしっかり見ていなかったのではないか」

 姉歯(あねは)建築設計事務所が作った書類を急きょ再検査している東京都中央区の担当者は、あきれながらこう明かす。同区では、ホテル、マンション各一棟で構造計算書の偽造が見つかった。

 今回、「姉歯」は設計業者の下請けとして構造計算書を作成していた。元請けの設計業者は、「姉歯」のずさんな偽装を見抜けなかったのか。

 そのひとつの不動産会社「シノケン」役員は「うちの社名で建築確認申請をしているので、全く偽装をチェックできなかったという言い逃れはできない。応分の責任はあると思う」と認める。その上で、「ビジネスは信頼関係に基づいてやっている。すべての書類をひっくり返してチェックするのは難しい」と強調する。

 姉歯秀次・一級建築士がコスト削減の圧力を感じたと発言したことについては、こう言い切る。

 「うちはマンションの設計・施工を下請けに出しており、(下請けから孫請けの『姉歯』に仕事が回ったため)『姉歯』の存在も知らなかった。うちが下請けにコスト削減のプレッシャーをかけ、そこが『姉歯』に圧力をかけるなんて構図はない。ムダを削る努力はするが、法令を犯してまでするわけがない。うちはある種、被害者だ」

 国土交通省によると、建築確認を代行する民間検査機関は、阪神大震災時に建物の倒壊が相次いだことを受け、一九九八年の建築基準法改正で設立された。

 建築確認業務の民間開放の一環で、同検査機関は毎年増加=グラフ。今年九月現在で百二十二機関にのぼる。うち株式会社が五十法人(二〇〇四年現在)と一番多く、財団法人、社団法人などは計四十六法人(同)とほぼ同規模だ。

 「財団法人、株式会社を問わず、『建築確認』が民間開放されたとき、役所で建築主事として業務に従事した経験のあるOBを採用してスタートしたところが多かった」と、ある大手の検査機関幹部は指摘する。

 一方で、姉歯建築士が仕事に追われていたと説明しているように、背景にはマンション建設ラッシュもある。首都圏では、バブル経済崩壊後の九二年に分譲マンション着工戸数は約四万五千戸まで落ち込んだが、その後増加傾向に転じ、二〇〇〇年から〇四年は十一万五千戸前後の高い水準で推移している。

■5年前全体の1割、昨年5割超

 これに伴い、民間の検査機関が設計審査を行う確認件数は、五年前の二〇〇〇年が全体の約一割だったが、昨年度は約七十五万件のうち56%に達した。今回、マンション五棟で計算書偽造が分かった千葉県船橋市では「年間約四千件前後の建築確認申請が出されるが、うち八割以上を民間の検査機関が扱う」という。

 検査機関の受注が増えたことについて、建築主側の関係者は「建築申請側にとっての最大のメリットは審査期間の短縮。自治体による審査は早くても一カ月かかるのに対し、民間の検査機関では一、二週間で確認が下りる場合もあり、助かる」と話す。

 検査機関側も「役所の担当者はいくつもの業務を兼務しており、事務量が膨大で時間がかかるが、われわれは建築確認が本来業務なので、役所よりスピードが速いというのが売り物。懇切丁寧に対応している点も申請者側から評価されているのでは」と話す。

 しかし、住民にとり最も重要な構造計算書が偽造された上、設計、施行、検査のいずれの段階でも、この不正行為が見抜けなかった。「姉歯」が偽造したとされる建物の建築確認審査を担当した検査機関「イーホームズ」は十八日の記者会見で「偽造は非常に巧妙で分かりにくい。われわれは検査機関として適切に業務をやっている。過失はなかった」と主張。逆に十月の内部監査で偽造が分かったとした上で「通常の審査業務で発見できなかった偽造を見破った」と強調する。

 だが、ある大手の設計会社は「言語道断の行為」とした上で「大手の場合、設計と構造計算は分離せず、一体的にやるのが一般的だが、専門家がみれば、例えば設計図と構造計算書を見比べて、鉄筋の量が足りないとかはすぐに分かる。また施工段階でも、二重三重にチェック可能で、偽造された構造計算をもとに建物が完成することなどありえない」と首をひねる。

 中堅ゼネコン幹部も同様の見方を指摘、不正が見破れなかった原因について「検査機関も細かくチェックしていれば、見抜けたはずだ。しかし、構造計算書は膨大な量で、全部見ると時間がかかるため、ポイントだけチェックしたのではないか」と推測。その上で「(姉歯が)『コスト削減のプレッシャーがあった』と言っているように、そこには安全性より利益優先の発想があったと言われても仕方ない」と批判する。

■『検査機関 能力ない』

 構造技術者が一九八一年に設立した「日本建築構造技術者協会」幹部は「日本の建築確認は、まさに確認するだけ。構造計算書も書類をぱらぱらと見る程度で、もともと検査機関にチェックする能力はない。欧米では、構造計算については建築構造士などの専門家がチェックする」とそもそもの能力を疑問視する。

 国交省は「姉歯」と元請け会社を建築基準法違反容疑で告発する方針だが、人命にかかわる設計の審査を民間に任せることに問題はないのか。「欠陥住宅関東ネット」事務局長の谷合周三弁護士は「建築確認が民間に開放されて、速く安くという傾向が出ている。当時の同法改正には私たちも、日弁連も反対した。第三者のチェックをどう担保するかがポイントだったが、事実上、施工業者に関係する検査機関をつくることも可能だ。行政なり第三者の建築士がきちんと検査する仕組みにすべきだ」と指摘する。

 法政大学の五十嵐敬喜教授(公共事業論)は「一体誰が責任を取るのか。一義的には姉歯建築士に責任があるが、個人では賄いきれない。検査機関も同様。施工業者は図面通り造っただけだと言うだろうし、行政は民間の問題だと言う」と無責任な制度を批判、その上でこう話す。

 「問題は、起こるべくして起きた。マンションの周囲の住民にも危険が及ぶ。最大の原因は、建築確認を民間に開放したことだ。非常に公共性が高く、民間委託すべき問題ではない。最終責任は行政が取るべきなのに、街づくりの根本の建築行政が空洞化してしまっている。一番大切な安全性という根本問題を民間に委ねてしまった国交省、国会の責任は大きい」


2005/11/19 (土) 建築界のゴールデントライアングル 4 きっこの日記

神奈川の「グランドステージ川崎大師」は、建築主が「株式会社ヒューザー」、設計事務所が「スペースワン建築研究所」ってとこなんだけど、呆れ果てたことに、ヒューザーはスペースワン建築研究所に対して、「下請けは必ず姉歯建築設計事務所を使うように」って指示をしてたのだ。もちろん、このマンションだけじゃなくて、ヒューザーが手掛けるマンションのほとんどは、直接、姉歯建築設計事務所を使うか、どこかの設計事務所を使った場合は、その下請けに必ず姉歯建築設計事務所を使うようにと指示をしていたのだ。

‥‥そんなワケで、ここまで来れば、賢明なる「きっこの日記」の読者諸兄の頭の中には、「癒着」って言う2文字が浮かんで来たと思うけど、ようするに、何人もの社員を抱えてる大きな設計事務所だと、不正が発覚する恐れがあるため何かと都合が悪い。だから、株式会社ヒューザーは、姉歯秀次が1人で経営してる「姉歯建築設計事務所」なんて言う小さな個人事務所を利用して、「仕事を回してやる代わりに、うまいことやって安い見積もりを出せ」ってことになったってワケだ。

ここで問題になるのは、姉歯秀次の出す見積もりが建築基準法の耐震基準を満たしてなかったってことをヒューザー側が知ってたのかどうかってことだけど、橋本龍太郎じゃあるまいし、マサカ、ここまで来て、「知りませんでした」とは言えないだろう。そして、ここからがリトル複雑になるんだけど、姉歯秀次と癒着してたのは、株式会社ヒューザーだけじゃないのだ。姉歯秀次の偽造した構造計算書の通りに設計すると、5本必要な鉄筋を2本に減らしたり、3本必要な柱を1本に減らしたりってことになるワケだけど、ここで不思議なのは、何棟ものマンションやビルを建設して来た建設会社の作業員たちが、建設してる途中で、「あれ?なんかずいぶん鉄筋が少ないけど、これでいいのかな?」とかって、何で気づかなかったんだろう?ってことだ。一応はビル建設のプロたちなんだから、図面を見た段階で気づくのが普通なんじゃないだろうか?

‥‥そんなワケで、ここまで来れば、賢明なる「きっこの日記」の読者諸兄の頭の中には、またまた「癒着」って言う2文字が浮かんで来たと思うけど、ようするに、いくら建築主の「株式会社ヒューザー」と、設計事務所の「姉歯建築設計事務所」とが癒着してたって、カンジンの建設をする建設会社とも癒着してなかったら、こんな不正はできっこないってことだ。

そして、今回発覚した危険なマンションの建設の多くは、熊本県八代市に本社のある「木村建設株式会社」の東京支店(新宿区南山伏町)が請け負ってるのだ。それで、ここからが恐ろしい話なんだけど、今回、最初に発覚して、すでに営業を中止してるビジネスホテル、東京都中央区の「プレッソイン茅場町」ってのは、「京王プレッソイン」って言うチェーンになってて、その中で、まだ名前が公表されてないけど、「プレッソイン東銀座」とか、別のチェーンの「トレストイン田町」とかも、この木村建設株式会社が建設してたのだ。それから、株式会社ヒューザーの「グランドステージシリーズ」のマンションに関しては、まだ公表されてないけど、埼玉の「グランドステージ川口」や、東京都北区の「グランドステージ浮間公園」とかも、この木村建設株式会社が建設してるのだ。

‥‥そんなワケで、「株式会社ヒューザー」「木村建設株式会社」「姉歯建築設計事務所」って言うのは、建築界のゴールデントライアングル、魔の三角地帯って感じで、「タイ」「ミャンマー」「ラオス」の麻薬地帯も真っ青になるほどの恐怖のマンションや悪魔のホテルを建て続けて来たってワケだ。このトンデモナイ会社、「株式会社ヒューザー」や「木村建設株式会社」の株価が今後どうなって行くのかは皆さんのご想像にお任せするとして、少なくとも命の惜しい人たちは、倒壊したマンションやホテルのトバッチリを受けないように、この2つの会社が関わってるマンションやホテルからは、できるだけ離れたとこに引越ししたほうがいいと思う。何しろ、姉歯秀次が言うには、デタラメな構造計算書で建設したマンションは、あと90棟もあるって話なんだから‥‥。とりあえず、東京の墨田区の「グランドステージ錦糸町」と「グランドステージ東向島」、中央区の「グランドステージ茅場町」、神奈川の川崎市の「グランドステージ川崎大師」、藤沢市の「グランドステージ藤沢」、横浜市の「コンアルマーディオ横濱鶴見」は、大きな地震が来たら倒壊する恐れがあるので、お近くにお住まいの方は十分に注意してください‥‥なんて思う今日この頃なのだ。


(私のコメント)
株式日記では政治経済外交など毎日のように問題点を指摘していますが、このようなサイトは読者の関心も薄く、大きな事件が起きた時以外は注目もされない。今でも異常にアクセスのあるのは10月31日の「伊東美咲や佐藤江梨子を食った堤義明」といったタレントものの話題であり、芸能やスポーツといった娯楽もののサイトは異常に人気がある反面、社会問題や政治問題には大衆はほとんど感心がない。

しかし関心がないからといっていると、とんでもない問題が起きたときにパニックを起こしてしまう。昨日から今日にかけて欠陥マンションのニュースが報道されていますが、これも小泉首相の「官から民へ」の政策の欠陥が現れた問題であり、問題が起きた時の責任の所在が分からなくなってしまう。

結局は小泉首相の「官から民へ」という掛け声は、役人たちの責任逃れの手段であり、天下り先を増大させる手段なのだ。郵政の民営化問題にも問題点などを指摘して反対しましたが、思わぬ弊害もいずれ出てくるだろう。裁判員制度なども一度失敗した制度なのに再び制度化しましたがこれも裁判の「官から民へ」の流れのうちの一つですが、アメリカでも問題点は指摘されている。

今回の欠陥マンション事件は一設計事務所に責任をおっかぶせる事では問題は解決しない。民間の指定確認検査機関も責任がありますが、元請の会社や現場の施工会社などが注意すれば簡単に分かるはずだ。同程度の規模の建物で鉄筋の数やコンクリート壁の厚さなど比較すれば、おかしいことに気がつかないほうがおかしい。

今年建てられたマンションでも既にベランダに亀裂が入ったり、床などにも亀裂が見られるマンションがあるそうですが、今回の欠陥マンション事件以外にも表面化していない欠陥マンションがたくさんあるのではないかと思う。坪単価が50万円もしないと言う話を聞くと耳を疑いたくなるからだ。設計段階の設計の欠陥のほかにも施工段階の手抜き工事などは、なかなか表面化しない。

今回の欠陥マンションでも震度5強でも倒れるマンションがあるそうですが、小さな地震でも揺れ方が大きかったそうで、マンションを買う時は建設会社を選んで買わないと財産を失うことになるだろう。このように該当する欠陥マンション以外のマンションでも信頼性を失わせる影響の大きさは計り知れないものがあり、現在の制度そのものに欠陥があることがはっきりした。

私自身も都内にオフィスビルと郊外にマンションを経営しているから他人事ではないのですが、鉄筋コンクリートビルとなると柱や梁は鉄筋でびっしり詰まっており素人が見ても手抜きをしているか施工中を見れば分かるはずだ。建築図面でも配筋図があるから比べてみれば鉄筋の本数などすぐに分かる。

設計も施工も適正なのに30年ほどで取り壊されるマンションなどがありますが、本来なら100年以上もつはずなのに何故立て直しているかというと、コンクリートの材質などに問題があり中性化してぼろぼろになってしまうビルもある。先日もビルの壁のタイルがモルタルごと落ちて怪我人が出ましたが、設計が悪いのか、施工が悪いのか、材質が悪いのか、ビルの管理は難しい。

だから都会などで杜撰なビルやマンションが立ち並べば、都市としての機能にも影響が及ぶから、民間任せにしていい事と良くないことがあり、小泉首相の掛け声に踊らされないことが肝心だ。しかし実際は事件や事故が起きてから出ないと国民大衆は気がつかない。




中国が怒れば怒るほど、日本の若い世代は反中になっていく
朝日新聞は靖国で中国を煽って日中対決に持っていく張本人だ


2005年11月18日

中韓首脳会談 正しい歴史認識促す 靖国念頭に共同歩調

【釜山16日原田正隆】中国の胡錦濤国家主席と韓国の盧武鉉大統領が十六日、ソウルの青瓦台(大統領官邸)で会談した。会談後の共同記者会見で盧大統領は「歴史問題が北東アジアの協力と発展に否定的影響を与えてはならない」とした上で、「域内の国家が正しい歴史認識で未来志向に進むよう、ともに努力することで合意した」と表明した。

 これは、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を批判し、参拝反対での共同歩調を確認したものだが、名指しは避け、参拝中止を直接求めないなど、「抑制」した形になった。アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の開幕を十八日に控え、「盧大統領が、議長役という立場や、十七日の米韓首脳会談なども意識して間接表現にとどめた」(日韓外交筋)とみられる。

 両首脳は、二〇〇三年に合意した国防、安全保障、経済、人的交流など「全面的協力パートナー関係」を拡大することで合意。北朝鮮核問題の平和的解決と、朝鮮半島、北東アジアの平和構築に向けた協力を強化し、六カ国協議が採択した共同声明の履行に向け、参加国が努力を続けるべきだとの考えでも一致した。

 両首脳は、これらの合意内容を盛り込んだ「韓中共同声明」を発表。国交樹立二十周年の二〇一〇年までに両国間の貿易規模を現在の約二倍の二千億ドルとする目標を定めたほか、韓国が中国を市場経済国と認め、自由貿易協定(FTA)締結に向けた民間共同研究を推進することも合意。外相間のホットライン開設も進める。台湾政策では「一つの中国」の原則を再確認。両国間で起きた「輸入キムチ」問題の対話解決でも一致した。

 中国国家主席の訪韓は一九九五年以来。
(西日本新聞) - 11月17日2時15分更新


抗日記念館 11月17日 溜池通信

(前略)
〇抗日記念館、正式名称は「中国人民抗日戦争記念館」(Museun of the War of Chinese People's Resistance Against Japanese Aggression)という。入場料は15元である。この夏に対日戦争勝利60周年を記念して改装された。その直後は入場無料であったために千客万来であったそうだが、今日はそれほどではない。おばさんたちが焼き芋を売っている。夕刻の慮構橋近くは冷え冷えとしているので、この焼き芋がすこぶる旨かったりする。

〇記念館の中はビックリするほど広い。評判高いろう人形はすでになく、戦史中心の展示となっている。もちろん日本軍の残虐行為については、南京大虐殺、731部隊など一通りの写真は展示されている。それでも、想像したよりはずっとまともだなという印象でありました。ちょうど米軍関係者が見学にきており、解放軍兵士があんまり上手じゃない英語で展示を解説している。後ろで聞き耳を立てていたところ、南京大虐殺の「30万人」の掲示の前で、退屈そうな顔の米士官がつぶやいた。"How much was the Cultural Revolution?" 後方で、心の中で拍手してしまったワシを誰が責められよう。

〇一行の中には「抗日記念館評論家」でもある潮匡人さんがいる。途中でニコニコしながら、「そろそろ終わりだと思ってるでしょ。まだ半分程度ですよ」と言うからギョッとなってしまう。潮さんの解説によると、この夏の改装で規模が拡大し、中身もかなり入れ替わった。入り口に毛沢東、ケ小平、江沢民と並び、胡錦濤の賛が入っているのも、その際に加わったらしい。ちなみに筆跡を比べると、毛沢東が斜めに傾いた独特の字体が、いかにも天才肌の文字だ。胡錦濤の文字はいかにも秀才タイプで個性に乏しい。前者は一目見ればそれと分かるが、後者はすぐに忘れてしまうだろう。毛筆の文字は、それだけで本人の人柄が出てしまうから恐ろしい。

〇アメリカのボブ・ゼーリック国務副長官は、対中政策を述べた講演の中で、「918記念館ではアメリカの対日戦を紹介していない」と文句をつけているが、その辺もちゃんと改訂されている。中国に対し、連合国の支援があったことを強調している。国民党の役割も一応、紹介している。それから台湾同胞の対日抵抗(といっても、たいしたことはしてないのだが)も取り上げてあって、国共合作に向けて仕込みは万全と見えた。

〇展示はさらに「連合国の対ファシスト勝利」を強調して、日本のA級戦犯14人の肖像を掲げ、「これらが靖国神社に祭られている」という注釈がついている。なるほど、いかにも抗日記念館は2005年モードになっているようだ。「そこまでやるか」という感じもするが、「なるほど、これは本当に靖国問題で困っているんだろうなあ」という気もする。

〇中国は本当に変な国で、安全保障や経済よりも国民感情が優先されてしまう。ほかのどんなことも耐えられるけど、プライドが傷つくのが我慢できない。しかし「国民感情が傷つけられる」というのは、目に見えない問題であるだけに説明が難しい。「空気読め」と言われたって、日本人には中国の空気は読めませんからな。まして第三国の人たちにとっては、本件はチンプンカンプンであろう。中国が日本を責めれば責めるほど、西側メディアなどは日本に味方するようになる。その辺は分かっていながら、中国は日本叩き、靖国批判を続けてしまう。

〇彼らにとってはまことに気の毒なことに、日本にはアジアで孤立しているという切迫感はない。少なくとも、中国と韓国以外の国は、歴史問題を持ち出さないし、アセアンやインドはほとんどが親日国である。「政冷経熱」でも、別に困らない。そして中国が怒れば怒るほど、若い世代は反中になっていく。そして大多数の日本人は、「中国人はしょうがない」というお得意の我慢モードになりつつある。我慢する、ということは中国を無視するということだ。

〇ホンネの話、中国は自国の国民感情を制御できない。だから日本が行動を改めるべきだと言う。あほいえ、それならもっと低姿勢になれ、と日本側としては言いたいところである。でも中国としては、日本に対して低姿勢になるくらいなら、他のあらゆる資源を投入することも辞さない覚悟であるらしい。抗日記念館の大改装も、そういうことなのだろう。

〇どうでもいいことだが、記念館のトイレの洗面台は「TOTO」であった。いいのか、そんなことで。

〇夜は一行で北京の繁華街を散策。満月である。ふと、三笠の山に出でし月かも、という安倍仲麻呂の句が思い浮かぶが、上の句が出てこない。まあ、いっか。明日は上海に移動します。


ひとまず流れが変わった模様。 11月17日 日々是チナヲち

(前略)
いずれも李肇星の「ヒトラー&ナチス」発言が中国国内で報じられた後に出てきたニュースです。こうした色彩の記事が今後も続くのかどうかはわかりませんが、「流れが変わった」ことを感じさせる動きです。

 日中関係でいえば、目下のところは中国側が独りで勝手に馬鹿踊りを続けていて、日本側は特に痛痒を感じていないというところが印象的です。小泉首相以下が、

「日中首脳会談や外相会談をやりたい」

 ではなく、

「こちらとしては会談はいつやってもいいよ」

 というスタンスをとり続けているので(麻生外相などは記者会見で「(外相会談には)別に期待していない」という趣旨の発言をしていましたね)、APECで日中首脳会談・外相会談が行われなかったことで敗北感を受けたということもないでしょう。逆に「ざまあみろ」と誇らし気な中国側が浮いてしまっているように思います。

 もっとも、流れが変わり、胡錦涛から主導権が奪われた観があるとはいえ、現今の社会状況に照らせば「中国人留学生が暴行された」というような庶民レベルでの反日感情を高めるようなニュースは不測の事態を呼びかねないので、今後は抑制されるかと思います。下手に「反日」を煽ることの危険さは、アンチ胡錦涛諸派連合も今春の「反日騒動」でわかっている筈です。

 そういう意味である種の示威活動としては東シナ海ガス田紛争などが恰好の舞台となってくるかも知れません。国民を煽れない状況ですから、何らかの実力行使といえば天然ガス採掘開始なり軍部による示威活動ということになるのではないでしょうか。上で紹介したスクランブル云々を改めて蒸し返してきたあたりはその伏線、という気がしないでもありません。

 党上層部における政争については「胡耀邦生誕90周年」という恰好のイベントがありますから、それを軸とした綱引きに注目したいところです。


(私のコメント)
中国関係の話題はサイトも豊富で、アメリカと比べて距離的にも近いから往来も盛んだ。政治家たちも中国には毎年のように出かけるのに、アメリカには敷居が高いようで中国ほどの往来はない。だから政冷経熱とはいっても意地の張り合いだけであり、経済に影響が及んで困るのは中国のほうだ。経済成長が共産党政権の命綱だから、経済がおかしくなれば胡錦濤も失脚するだろう。

だから小泉首相が言うように日米同盟を主軸に中国に対していけば、日本は中国の言いなりになる必要はない。困るのは中国のほうだから折れてくるのを待っていればいいのでしょうが、中国人の気質から言えばそのような面子を潰すようなことは出来ないらしい。日本人のように名を捨てて実をとることが出来ないのだ。

だからこちらが譲歩すれば相手も譲歩してくると思うのは日本人のほうだけで、面子が立たなければ中国の世論は沸騰する。だから中国人と論争しても負けは絶対に認めないから意地の張り合いになってしまう。だから国際条約を結んでも中国は長続きせず、中国とソ連の一枚岩の団結もすぐに壊れてしまった。

それに比較して日米同盟は半世紀以上も続いているのは、名を捨てて実をとることに徹しているからだ。しかし最近では実すらアメリカに取られているから日本人ももっとしっかりしないといけない。思いやり予算や海兵隊の移転費用まで出す必要はない。

日本では左翼が親中反米で右翼が反中親米が普通のようですが、私のような民族主義や愛国主義者は、日本の国益に反することなら中国だろうとアメリカだろうと叩き切るのがスタンスですが、このような立場の意見の持ち主は日本では少ない。場合によっては右翼からも左翼からも敵視されたりしますが、いわゆる右翼や左翼は日本の国益を売ってまで中国やアメリカのために尽くす。

だから株式日記は中国を非難したりアメリカを非難したり忙しいのですが、現実的に見ればアメリカのほうが軍事力も経済力も中国を圧倒しているからアメリカと手を組むのが適当だ。しかし小泉内閣はアメリカに親密すぎて、アメリカにクリントンのような親中派の大統領がなったら日本はどうするのか考えたほうがいいだろう。

日本と中国とは地理的にも近くて経済的にも交流は盛んになったのだから、アメリカが対中接近したら日本も中国と接近してアメリカを牽制することだ。ニクソンが米中国交回復したときに田中総理はすぐさま日中国交回復した。これはアメリカの計算外だったのだろう、だからアメリカは田中角栄を失脚させてしまった。

クリントンの時も米中接近しましたが、そのおかげで日本も非自民政権も誕生して親中外交を行なった。裏を返せば米中が対立して日本は中国と仲良くやればアメリカを怒らせることになるだろう。小泉首相が靖国などで意地を張れるのも米中関係が関連している。


朝日新聞にたきつけられた気の毒な中国と韓国

            { もう疲れたニダ…。ウリはそこまで  }
             { イルボンのことが嫌いじゃな…  }
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 はいはい、   \   ∧朝∧  ∧_∧  ハ ハ    ∧_∧
 お注射の時間  > (;@∀@) <||| ´д` > ァ ァ  (´∀` |||)
 ですよ〜    /   ( つニコ-( ∪ ∪       (    )  ∧ ∧ ・・・
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              (__)_) 〈_フ__フ      (_(__)   U U ̄ ̄U U

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| はいはい。どんどん | < に、日本は反省しる! >
| 責めてね〜〜     | < 謝罪しる! 賠償しる! >
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  /|/∨∨∨| /∨∨∨\ ( ・・・ )
         ビビビビ         . |/         V
  ∧朝∧   。))))))))      ∧_∧      ∧_∧
 (-@∀@)/          {{  < #TдT > }}  (´∀`;;)
 ( つ二/)       .      ノ つミ つ      (    )  ∧ ∧アサピー、イッテヨシ!!
 | | |             {{ 〉 〉 〉 }} ガク  | | |  (゚Д゚;) ̄ ̄ ~〜
 (__)_)            〈_フ__フ  ガク  (_(__)   U U ̄ ̄U U





毛沢東を崇拝する外相が靖国の英霊をヒトラーに例えて批判した
しかし毛沢東はヒトラー以上の近代まれに見る人民大虐殺者だ


2005年11月17日

ヒトラー例えに靖国批判 中国外相、訪問先の韓国で

【釜山15日共同】中国の李肇星外相は15日、「ドイツの指導者がヒトラーやナチス(の追悼施設)を参拝したら欧州の人々はどう思うだろうか」との表現で、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を非難した。アジア太平洋経済協力会議(APEC)で訪問中の韓国釜山のホテルで一部記者団に語った。
 李外相は最近、靖国問題について異例ともいえる調子で批判の声を高めているが、参拝批判にヒトラーやナチスを持ち出したことは、日本側で波紋を呼びそうだ。
 外相は「あれほど多くの人々を傷つけた戦争を発動した戦犯を日本の指導者が参拝することで、アジアの人々の気持ちが傷つかないかどうか、日本人は考えたことがあるのか」と指摘。参拝中止に向け「基本的な善悪の観念を持つべきだ」と訴えた。
(共同通信) - 11月15日18時37分更新


選択され、操られている愛と憎しみ 作者:程映虹(チェン インホン)

【大紀元日本6月24日】最近、中国各地で強烈な反日という波が相次いで引き起こされた。「引き起こされた」という言葉はもっとも適切であろう。なぜならば、中共独裁政権の中で、このような大規模なデモは、中国共産党の操縦とコントロールがなければ、実現することがないからである。

 中国政府が操縦した反日運動の裏には、隠されている戦略的な目的がある。今、中共政権は、アジアでの経済と国際政治において、唯一のライバルは日本であると認識している。中国がアジアの先頭に立つには、できるだけ長期的に日本を押さえつける必要がある。日本は経済大国ではあるが、軍事大国ではないゆえ、国際政治への影響力は中国に及ばない。中国の優勢を保つために、最も利用しやすい材料は、日本の「歴史の罪人」というイメージを維持することである。

 そのため、この20年間、頻繁に戦争責任ということを取り上げては、謝罪や賠償を持ち出し、あるいは領土問題を突きつけ、日本を叩いてきたのである。おそらく、中国政府はこれらの材料を、まだ使い続けることであろう。この意味から言えば、中国政府は、日本政府の戦争問題に関する二度目の正式な謝罪や、靖国神社への参拝中止を、してほしくはないであろう。

 一方で、「反日」は中国共産党の政治的な道具である以上、すべての流れは、中国共産党の思惑通りに運ばなければならない。独裁統治の中国では、国民は自己の意思によって、意見を表現する自由はない。従って、国民感情の表現は、中国政府の外交政策における道具に過ぎないのである。

 もう一方で、今回の反日デモは、国際社会にも大きな影響を及ぼした。一部の専門家は、東アジアと中国の未来への配慮から、中共政権の歴史問題に関する二重の基準という対応を厳しく批判した。「中共政権は、日本による歴史問題の改ざんと隠蔽を非難すると同時に、自分たちが執政して以来、中国国民にもたらした、日中戦争よりも遥かに悲惨な苦難の事実を、懸命に隠蔽している」という、アメリカのロス・テリル氏やエドウード・フリドマン氏の意見は、その代表である。

ロス・テリル氏:「反日デモは茶番劇である」

 ハーバード大学のロス・テリル氏は、4月22日、オーストラリアの全国紙である「オーストラリアン」に文章を発表し、最近の中日関係における変化について論じた。同氏は中国近現代歴史研究、特に中国革命と毛沢東主義の専門家であり、欧米の学界に強い影響力を有している。その著書は、「毛沢東伝」を含め、中国でも出版されている。今までのテリル氏の研究経歴、観点、及びその観点が中国学術界に受け入れられた事実から見れば、決して、一貫として中共政権を批判する立場の学者ではない。
   
 テリル氏は、中共政権による歴史事実の操作を一種の茶番劇と見ている。「国際社会における中国政府の拙い外交手段は、国内での独裁体制によるものである。謝罪問題、教科書問題、無人島の領有権問題、戦争の記憶――-これらの問題は、すべて中国独裁政権による茶番劇の道具であり、文化と外交政策のために利用されている。また、中国において、権力と真相は同質のものである。これは昔の王朝においても、現在の中国共産党政権においても変りはない。中共政権により、監督されている劇の中で、役を演じさせられている国民は、指定された時にしか、叫び声や呻き声を出すことしか出来ない」

 「長年、中国国民は、中国共産党が監督した政治という劇の中で、数多くのでたらめな愛憎を体験した。その劇の結末は、いつも予想外な展開となる。共和国の国民は、初めにソ連を愛するように教えられたが、後には憎むように要求された。50年代、インドは中国に尊敬されている国家であったが、60年代になると、敵国へと変った。かつて、ベトナムと中国は戦友として、とても親密な関係にあったが、1979年になると、中国はベトナムへの侵略戦争を発動した。1972年、当時の日本の首相である田中氏が、戦争問題に関して、毛沢東に謝罪をした際、毛沢東は彼の口を止め、『日本による侵略の“助け”がなければ、1949年の中国共産党の革命勝利もない』と言った。つまり、中国共産党は日本を恨むことより、愛すべきなのである」
   
 また、テリル氏は、歴史問題や教科書問題に関して、中日社会制度の違いにより、両国の対応について、明らかな違いがあると指摘した。「中国では、共産党政権が統治してきたこの56年間、国民にもたらした数々の苦難を、暴露するような書物の出版を許可されたことは、一度もなかった。しかし、日本では軍国主義を厳しく批判する著書は、数多く出版されており、しかも大勢の読者がいる。日本には、多種多様な教科書があり、文部省の認定を受けたものもあれば、民間に編集されたものもある。しかし、中国の教科書は全部統一であり、政府の立場を代表しているものしかない。中国の中学校の歴史教科書には、日本による侵略を記述した内容が数多くあるが、元の時代に、中国が日本を侵略したことや、漢の時代にベトナムを征服して、1000年以上植民地化した、といった歴史の記述は、まったく見あたらない」

 そして、テリル氏は、今回の反日騒動劇の結末について、次のように述べた。「最終的には、双方とも関係の安定を図るだろう。だが、日本は民主国家であり、中国は独裁国家である。これが変らないかぎり、中国の政治制度が中日関係のトラブルの源となるに違いない」

 さらに、テリル氏は、反日カードを弄ぶ中国に対して、次のように警告した。「中国はすでに中日関係から多大な利益を得ており、特に経済面においての収穫は多い。しかも、過去の戦争によってもたらされた苦難の歴史も、中国政府に茶番化されては有効に利用されている。しかし、日本の中国に対する態度は、すでに変わってきている。中国政府は、これについて勘違いをしているかもしれない。北京(中共本部)は、破局を迎えるような中日関係の危機から、必ず引き下がる。なぜならば、破局した結果に耐えられないからである。問題は、東京(日本政府)が、中国からの侮辱、暴力行為と歴史の歪曲に対して、いつまで辛抱できるかということである」

エドウード・フリドマン氏:中国の学生は、なぜ日本を敵視するのか?

 エドウード・フリドマン氏は、アメリカ・ウィスコンシン大学マディソン分校の著名な政治学教授であり、50年代末から、中国共産党を研究し続けている。フリドマン氏も、中国の学術界に影響力がある西側学者の一人である。文化大革命前後、エドウード・フリドマン氏の学術観点は、濃厚な自由派と左派の色を帯びていた。80年代、「中国季刊」という雑誌に、毛沢東思想とアインシュタイン理論を結びつける論文さえ発表したことがある。そのため、中国の著名な科学史の研究家、異見者である許良英氏より、厳しく批判された。しかし、その後、フリドマン氏の中国共産党に対する見方が大きく変わった。現在は、毛沢東、スターリン、ヒトラーが、歴史における同類の人物であると見ている。

 海外の『中国電子報』に転載された文章によると、テリル氏と同じ、フリドマン氏も、中国青年の愛憎が、共産党により操縦されていることを指摘した。「ロシアに憎しみをもたせようとした際、中国共産党は、青年たちにロシアに占領された土地の面積の数字を細かく暗記させ、ロシアを討伐するために、数千数万もの青年が、新疆(中国とソ連の国境)に集結した。しかし、歴史から考えれば、『南京大虐殺』の方が遥かに身近であるはずだが、当時の学生らは反日デモをする気がなかった。なぜならば、毛沢東は、日本の侵略に関して、日本人に感謝の意を表したのである。『南京大虐殺』のような事件についても、毛沢東自身は、彼のすべての談話や文章の中で、これについて触れたことなどはまったくなかった」

 更に、「このように選択され、操られている愛憎が、中国共産党の政治目的のために利用されている」と指摘した。「毛沢東の時代には、中国共産党の国際的な目標は、世界革命の指導者になることであった。そのため、当時の共産圏のリーダーであるソ連を嫉妬し、恨み続けていた。毛時代後、中国共産党の世界戦略は、過去の中華帝国を復興させ、東アジアの先頭に立つことに移り変わった。そのために、東アジアの強国である日本への憎しみを、一生懸命に扇動し始めた。最近になって、日本が国連常任理事国入りの意向を表したことによって、中国の対日恐怖感と憎悪感が一層増長された」
 
◆学生運動は自国政府を対象にすべきである

 テリル氏と同様に、フリドマン氏も、日本の政治制度の民主化と意識形態の多元化を注目すべきであると指摘している。フリドマン氏が『USA TODAY』新聞の取材を受けた際、このように語った。「多くの中国人は、一つの基本的な事実を知らないのである。つまり、日本はすでに民主国家になっている、ということである。歴史の事実を歪曲した日本の教科書問題に、憤慨を感じることは理解できるが、実際には、右翼の影響を受けて、文部省の検定を通過した教科書を利用している歴史教師は、あまり多くはない。一方、中国で統一使用されている歴史教科書の中には、中国共産党統治の悪行をまったく記述していないばかりでなく、歴史上の中華帝国の対外拡張や漢民族化運動によって、他の民族に与えた多大な災難については、まったく記述されていない。たとえば、明の時代には、対外拡張により、数百万人の少数民族の命が失われたが、これについて、中国の教科書では一言も触れていない。アメリカ・マサチューセッツ工科大学歴史学部の主任、中国歴史の専門家であるピーター・パーデュ氏は、最近この事実をメインテーマにした著書を出版した。実際には、日本人は、多くの中国人に思われているように、謝ることを知らないのではなく、すでに21回も謝罪を表明している」
  
 フリドマン氏は、対照として、台湾のことに触れ、「台湾は、平和で危険性がなく、民主的な社会である」と評価した。また、「今の中国における健全な学生運動であれば、『台湾を攻撃するな』というスローガンの下で行うべきであろう」と指摘した。「学生運動は、いつも自国政府を対象にするはずであるが、中国だけは、政府による政治の道具として利用されている。これはとても悲しいことである。感情的に盛り上った愛国の学生らが、100パーセント政府に制定された時間割と行動路線に従ってデモを行い、しかも、国内の敏感な問題に一切触れないことは、非常に不自然な現象である。本来なら、これらの敏感な問題を訴えることこそ、学生運動の本来の目標と言える」

道義的資源の乱用により招いた悪影響

 テリル氏とフリドマン氏は、共に中国政策の理解者であった。だが、中国共産党政権が学生を利用して、反日運動を起こす行為に対して、両氏は共に厳しく批判した。この事実から、一つの重要な問題が浮き彫りにされる。つまり、近年来、中国は国際経済交流の場では、そこそこ良い結果を残したが、政治と道義においては、むしろ大きく後退した。その結果、過去中国共産党に、多少親近感を持っていた学者らも、中国から離れていくようになった。この流れは、「天安門大虐殺」から始まったことである。80年代に、改革開放の政策により、経済の発展を促した中国は、国際社会に比較的良い印象を与えたが、1989年の「天安門大虐殺」を分岐点として、その後の人権記録や、言論自由の抑圧、法輪功に対する弾圧などによって、国家のイメージが急落していった。今回の反日運動において、本来ならば、中国は過去の歴史の被害者であり、国際社会の同情が集まるはずであるが、実際の状況は正反対であった。多くの国際世論は、中国のやり方に理解しがたい旨を表明し、かえって日本に同情を示し、日本に対し適切な国際的地位を、与えることを考えるようになった。

 このような、国際政治と道義的資源を乱用し、国際社会に理解しがたい印象を与え、近隣諸国に背を向けられる国策は、21世紀の中国指導者らの政治的英知なのであろうか。

(注:作者はアメリカ在住中国留学生、国際共産主義運動研究者。現在南イリノイ大学歴史学科で教職に就いている)


暴支膺懲・愛国無罪 四宮正貴

◆日本にとって共産支那は敵性國家であることが明白となった

共産支那において起った反日破壊活動によって、共産支那という国そして中華帝国主義の本質が明らかになった。「文化大革命」の時の「造反有理」「革命無罪」というスローガンを想起する。当時、毛沢東の主導するいわゆる「文革派」はこのスローガンのもと、凄惨なる破壊活動と政敵への迫害虐殺を行った。今度は、「反日有理」「愛國無罪」のスローガンのもと、日本への攻撃を行ったのである。

共産支那は、わが國に対して恫喝を行えば、わが國は震えあがり言うことを聞くと考えている。支那の対日外交はそういう姿勢に貫かれている。日本にとって、共産支那は友好國家ではなく敵性國家であることが明白となった。

田中内閣による「日中國交正常化」以来、わが國は共産支那に対して土下座外交・弱腰外交を繰り返し、相手の言いなりになってきた。そして莫大な経済援助・技術援助を行った。その結果が今日の事態なのである。

日本の経済援助が共産支那を強くした。そして日本の援助によって軍事的・経済的に強くなった支那によって、わが國が危険に晒されている。「日本が支那に経済協力を行えば、支那は経済発展し、経済発展によって民主化する」という考えは全く誤りであったことが証明された。

事実はその逆で、日本のおかげで経済発展した共産支那は、軍事力を増強させ、わが国に牙を剥いてきたのである。これまで、「日中友好」を唱えてきたわが国内の「親中派」の責任はきわめて大きい。 

◆東アジア近現代史における最大の侵略国家は支那である

共産支那は、わが国を「侵略国家だ」と非難するが、東アジア近現代史における最大の侵略国家は支那である。清帝国は、東トルキスタン(新疆ウイグル)、チベットなど周辺諸民族を侵略、征服、蹂躙した。

「中華人民共和国」=共産支那は、清帝国が侵略によって獲得した領土をそのまま継承するのみならず、さらに領土拡大とアジア支配を目論んでいる。共産支那建国以来、「朝鮮戦争」・「ベトナム戦争」・「中印戦争」・「チベット侵略」・「中ソ国境紛争」・「中越戦争」など十七回も対外戦争あるいは武力行使を行った。

これに対し、わが国は戦後ただの一回も対外戦争を行っていない。世界中で日本ほど平和国家はないし自由民主国家もない。過去数千年にわたりアジアを侵略しこれからも侵略しようとしている支那にはわが国を軍国主義国家・侵略国家呼ばわりする資格は毛筋の横幅ほどもないのである。「盗人猛々しい」とは共産支那の事である。わが国国民はこの事を先ずもって認識しなければならない。

共産支那は近年、「富国強兵」政策をとり軍拡を続けて来た。この名称は明治維新後におけるわが國の国策の猿真似である。(内実は全く違うことは言うまでもないが)

なぜ共産支那は、軍拡を行う必要があるのか。「富国」はともかく「強兵」を行う必要があるのか。今日、支那を武力攻撃しようとしている国などは存在しない。支那の軍拡は、日本及び台湾への侵略を目論んでいるからである。「反国家分裂法」の制定そして今回の反日破壊活動はその準備工作である。

かつて共産支那は理不尽にも、「ベトナムは小覇権主義国家だから懲罰する」とか言って、武力侵攻を行った。それと同じように、状況が整えば、「台湾を取り戻す」「解放する」と言って台湾に、「歴史問題で反省謝罪が足りない日本を懲罰する」と言ってわが国に、軍事侵攻を行う危険性が高い。

一九九二年には、「中華人民共和国領海法及び接続水域法」とやらを制定し、東シナ海の尖閣諸島から南シナ海の島々まですべて支那の領海だと勝手に決めてしまった。日本、韓国、台湾、アセアン諸国と係争中の東シナ海、南シナ海の大陸棚、西沙諸島、南沙諸島の領有を、一方的に宣言した。とりわけ許し難いのは、わが国固有の領土たる尖閣諸島の領有をも一方的に宣言したことだ。

また、共産支那は、「大躍進政策」の経済失敗で二千万以上の餓死者を出し、文化大革命では五千万以上の自国民を殺戮した。世界中で共産支那ほど軍国主義国家はないし専制独裁国家はない。 

◆共産支那はわが国を属国にしようとしている

日本などの支那周辺諸国にとって、「中華帝国主義」は最大の脅威である。支那は絶対に自分の非をみとめない国家であり民族であることは、今回の反日破壊活動における共産支那政府の日本に対する態度を見れば明白である。

共産支那は、日本の経済援助によって国家が強大化するにつれて「中華思想」を再現させている。共産支那の「四つの現代化」のスローガンは、「建設四化・振興中華」であった。この「四つの現代化」とやらに全面的に協力したのが日本である。その結果、日本は共産支那の「中華帝国主義」の圧迫と脅威にさらされているのである。

「中華思想」とは、「漢民族が世界の中心であり、他はみな野蛮人である」というとてつもない差別思想・侵略思想である。秦の始皇帝が大陸を統一して以来、絶大な権力を持った皇帝が大陸を支配してきただけでなく、周辺諸国に対しても、四千年にわたって冊封体制(さくほう)を以って律してきた。共産支那は「振興中華」を叫ぶのは、こうした差別思想・侵略思想の復活を目指しているのである。

「中華思想」はアジアそして世界に覇権を確立することを目的とする思想である。現段階において、アジアでの覇権確立を実行しつつあるのである。そのために最も邪魔な存在がわが日本なのである。

「中華帝国主義」の「帝国」とは、支那・漢民族の支配領域の拡大と共に、他民族・多国家を傘下に収め、管理体制を敷くということである。共産支那はアジアにおいてそれを目指しているのだ。

かつてオーストラリアを訪れた共産支那の李鵬首相(当時)は、「日本などという國は二〇一五年頃には溶けてなくなっているはずだ。一々考慮すべき相手ではない」と述べた。

支那はわが国を属国にしようとしているのだ。わが国民の誤れる贖罪意識を利用して機会あるごとにわが国を打ちのめし、謝罪させ、金や技術を強奪してきたのが共産支那である。 

◆日本の外交官や政治家は現行占領憲法及び自虐史観に汚染されている

共産支那と南北朝鮮は、歴史問題でわが国が何回謝罪しても、執拗に謝罪を求め、国民に反日教育を行っている。これは、「中華たる支那」と「小中華たる朝鮮」が、東夷(東に住む野蛮人という意味)として差別していた日本に併合されたり軍事進出を受けたことに対する怨みであり復讐である。支那や朝鮮は、日本の神道精神にもとづく「過去を水に流す」という寛容さは全く持ち合わせていないのである。「大韓民国・中華人民共和国・朝鮮民主主義人民共和国」というようにその国号はいかめしくまた長ったらしいが、その内実は『ユスリ・タカリ』の国である。わが国はこうした支那・朝鮮の性格を正しく把握して外交を行わなければならない。

共産支那は嘘と捏造にもとづく「反日教育」を行っている。また昭和六十年までは、日本の総理大臣の靖国参拝に文句を言わなかったのに、わが国の総理大臣の靖国神社参拝問題をとりあげ日本批判に躍起になっている。こうした理不尽な政策は、改革開放路線・市場経済採用による貧富の差の拡大に対する民衆の不満のはけ口をわが国に向けさせるためである。

今回も共産支那は「歴史問題の反省を言葉ではなく行動で示せ」などと、総理の靖国神社参拝中止を要求した。

しかるに、小泉総理は四月二十二日、アジア・アフリカ会議(バンドン会議)首脳会議で演説し、先の大戦をめぐる「痛切なる反省と心からのおわびの気持ち」を表明するとともに、日本は今後とも軍事大国にはならないとの決意を強調した。

小泉総理が、主要国際会議の演説で、こうした歴史認識に言及するのは初めてである。今回の小泉総理の演説内容は、一九九五年の『村山総理談話』の表現をそのまま踏襲したもので、「我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」という誤れる歴史認識を表明した。 

 その上で、反省とおわびを表明し、「経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を堅持している」として、戦後日本の欺瞞的な「平和国家」としての歩みをアピールした。

『村山談話』を持ち出してまたまた謝罪を行ったのは、大きな誤りであり、外交的愚策である。

今日の日本の外交官や政治家は、現行占領憲法及び自虐史観教育に汚染された人々が圧倒的多数となっている。小泉総理や岡田克也民主党代表もそうした部類に属する。そして東アジア外交とりわけ対支那対南北朝鮮外交をおかしくしているのである。

小泉総理は、バンドン会議でわざわざあの屈辱的な「終戦五十年村山談話」を持ち出して、謝罪したのは、なんとか胡錦濤との首脳会談を取り付けようとしたからであろう。さらに小泉総理は、胡錦濤主席との会談で、反日破壊活動について、厳しくその責任を追及しなかった。また、謝罪や損害賠償も求めなかった。それどころか、わざわざ相手方の宿舎に赴いて会談を行ったのである。

何とも情けないかぎりだ。こういう姿勢をとり続けるかぎり、わが国は絶対に共産支那のわが国に対する内政干渉・属国化策謀に打ち勝つことはできない。 

歴史問題は国際法上すでに完全に決着しており謝罪する必要はない

平成七年八月十五日の『戦後五十周年の終戦記念日にあたって』と題する「村山談話」には、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。」と書かれている。

 日本の台湾統治・朝鮮統治は当時の国際法上、まったく合法であったし、支那大陸への軍事進出も、一方的侵略ではなかった。『村山談話』の歴史認識は全く誤っている。

これまでのわが國の対支那外交は、基本的に誤っていたし恥多き対応ばかりであった。それが共産支那を利し祖国を危殆に瀕せしめているのである。

「過去の歴史問題」とは、共産支那や韓国の捏造史観を日本が受容できないために発生したものである。支那や韓国がわが国を屈服させようとして一方的に作り出したものであって、日本がいちいち取り合う必要のないものばかりなのだ。

そもそも「東京裁判」などというものは、戦勝国による過酷な復讐であり決して「裁判」などというものではない。したがって、わが国には「A級戦犯」は一人もいない。おられるのは「昭和殉難者」である。また「南京大虐殺」なども、「東京裁判」における歴史の捏造である。

また、大東亜戦争中の「日本の国家責任」なるものは国際条約ないし協定によって解除されている。しかも共産支那に対しては、わが国はいわゆる「国交正常化」以来、すべきではない謝罪を繰返している。歴史問題は国際法上すでに完全に決着しているのであって、これ以上謝罪する必要はないのである。

ところがわが偏向マスコミ・亡国政党などの国内の反日勢力は歴史問題をことさらに取り上げてきた。これが共産支那や韓国を増長させ、今日の危機を招いているのである。 

『ワシントン・ポスト』の正しい指摘

『ワシントン・ポスト』は四月十八日、「中国の身勝手な記憶」と題して、共産支那が日本に「歴史を直視する」ように求める一方で、自らは権力維持のため恣意(しい)的に歴史を解釈していると指摘する論評を掲載した。筆者は、かつて同紙の北東アジア総局長(東京)を務めたフレッド・ハイアット論説面担当部長である。「中国では歴史解釈はひとつしかなく、変わるのは中国共産党がそう決めた時だけだ」と前置きし、日本では、教科書問題などをめぐり「新聞や雑誌、大学の場で、開かれた議論が行われている」現状と対比した。 

さらに、共産支那の教科書が、三千万人が飢饉(ききん)などで命を落としたとされる毛沢東の大躍進政策の失敗には全く触れていないことや、天安門事件については「中国共産党中央委員会が適時に対処し、平静を取り戻した」としか記述していないことなどを紹介した。「権力維持のため歴史を利用する独裁体制では、開かれた論争により歴史解釈が見直され真実に近づくという希望は持てない」と、支那の“歴史悪用”を批判した。

さらに論評記事は、中国共産党が、「アジアで先導的な役割を果たす上で、日本を便利な悪役に仕立て上げる」以前には、ロシア批判を自己正当化の道具としていたと指摘し、「来年は米国の番かもしれない」と主張した。ほぼ正しい見解である。

共産支那は建国以来、外敵を作り出すことによって、国家の統一を図り、民衆の不満を押さえ込んできた。冷戦時代は、アメリカ帝国主義・ソ連修正主義であった。今日は、日本である。

「反日」が今日の共産支那の国是である。というよりも、「反日」を高揚することによってしか、国家の安定と統一を図ることができないのである。

共産支那における八〇年代の改革・開放路線は、わが国からの経済援助や投資によって推進された。その頃は、「過去の歴史問題」を持ち出してわが国を非難攻撃しなかった。しかるに「天安門事件」によって共産主義に対する幻想が崩壊し、共産党政権の虚像が崩れ、共産党一党独裁体制が危機に瀕するようになると、共産党の威信を保つために支那共産政権は国民の不満を外に向けさせるようになり、日本をその標的にしたのである。 

共産支那がわが国に対し公式に謝罪と賠償を行わないかぎり北京五輪をボイコットすべし

共産支那という國は、明確な國家目標・國家戦略を持ち、そのために國力のすべてを投入することができる國である。つまり、今日のわが國とは正反対の國なのである。

共産支那は、一九九〇年代以降、「中華民族の偉大な復興」を旗印に「富國強兵」策を通じて、アジアでの覇権確立を狙って蠢いてきた。核開発は四十年前から行っている。海洋進出は三十年前から始まっている。共産支那は、沖縄トラフ(海溝)まで自國の排他的経済水域と主張し、台湾併合を通じて東シナ海を内海化しようとしている。

支那の國家目標達成のために一番邪魔存在がわが日本なのである。日本は、支那の属國になるか、支那を押さえこむか、二つの道しかない。しかし、「中華帝國主義」を押さえこむ力が日本にあるのか。甚だ心許無い。まず以ってわが國は國防体制をより一層強化しなければならない。共産支那のアジアにおける覇権確立とわが國の属國化を目論む共産支那を封じ込めるために、わが國はアメリカ・台湾との同盟を強化すべきである。

わが国は今回の反日破壊活動を好機と捉え、日本人のナショナリズム・愛国心を興起せしめるべきである。そして、共産支那政府がわが国に対して公式に謝罪と賠償を行わないかぎり、わが国は、北京五輪をボイコットすべきである。また、「支那に北京五輪を開催する資格はない」と国際社会にアピールすべきである。また、共産支那の国連常任理事国からの除外を求め、それが実現しない場合、わが国は国連分担金の支払いを拒否すべきである。

「外交は華麗に礼装した軍事である」という言葉がある。共産支那もアメリカもこれを着実に実行している。しかし、わが国は戦争直後日本を弱体化する目的で押し付けられた「現行占領憲法」に束縛され、戦うことを禁止され、集団的自衛権の行使もできない。つまり「軍事力」を外交面で有効に活用できないのである。そして共産支那や南北朝鮮から侮りを受け、主権と領土を侵害されている。

今日の日本の外交とは、譲歩・へつらい・阿り・謝罪・自虐であり、それに裏打ちされた金配りである。

共産支那の侵略策謀と外交的恫喝に打ち勝つには、先ず以って過去の歴史問題に対する正しい認識を日本国民一人一人が確立することが必要である。つまり、わが国近代史は決してアジア侵略の歴史ではなかったという歴史の真実を、国民一人一人が共有することである。さらに、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、自国の安全と生存を保持しようと決意した」という危険極まりない幻想に貫かれている「現行占領憲法」を破棄しなければならない。わが日本こそ、過去の謝罪外交を清算し、暴支膺懲・愛国無罪の戦いに奮起しなければならない。



(私のコメント)
日本と中国との大プロパガンダ戦争は、以前は新聞やテレビなどで行なわれましたが、現代ではネットで行なわれる。日本の大マスコミになるとどうしても事なかれ主義に陥って友好第一になってしまいますが、ネットだと個人の自由だから好きなように言える。以前なら中国の大勝利に終わっていたのですが、最近は様子が違ってきた。日本のネット陣営の反撃が中国に致命的な打撃を与えるようになってきたからだ。

だから最近はアメリカにおいて記者会見などで対日非難の言葉を引き出そうとしている。朝日新聞と連携しているニューヨークタイムズや親中派のジョセフ・ナイ氏などが靖国批判をしているが、アメリカ政府首脳からはノーコメントでありブッシュ政権では無理だろう。しかしアメリカにおける中国系アメリカ人のロビー活動は活発であり、それに比べると外務省の対応は後手に回っている。

しかし中国の民主活動家などもアメリカに亡命して活動しているから、日本も受身に回らずに中国の民主化運動をバックアップして中国政府を揺さぶれば面白い。中国は経済発展すればするほど経済格差が出てきて、抗議デモが毎年数万件も起きる。ネットの網が広がれば言論の統制もつかないから組織的な抗議デモも起きるし、デモの様子もネットなどで知らされるから以前のようなわけには行かなくなった。

中国の外相が靖国神社に祀られたA級戦犯をヒトラーやナチスになぞらえて非難しているが、3000万人も自国民を殺した毛沢東を崇拝している国に言われたくはない。文化大革命の時だって2000万人も殺したと噂されているから毛沢東は世界一の虐殺王だ。ロシアですらスターリンの死んだ後は非難されましたが、中国では毛沢東は相変わらず崇拝されて記念館まで出来ている。

しかし毛沢東のの実像が明らかにされるにつけて、中国共産党の政権基盤は揺さぶられて収拾がつかなくなってくるだろう。香港のような都市だけなら民主化も可能なのでしょうが、中国全土が民主化されることは難しいだろう。未だに民主的な選挙なども行なわれていないから無理なのだ。

冒頭の李外相の批判はニュルンベルク裁判と東京裁判を同一視するものであり、政府高官がこのような発言をするとは権威を疑われるだろう。この問題については東京裁判や靖国問題などの時にも論じましたが、感情的な反論はあっても論理を覆せるような反論はまだない。東京裁判が国際法上完全に適法であるという論拠を示せる人はいないだろう。

以前にも紹介したサイトを再び掲載させていただきますが、日本の左翼も中国や韓国の反日活動家も「ドイツは謝罪したのに日本は・・・」と言い続けていますが、ドイツはナチスに罪を全部擦り付けてドイツ国家自体は謝罪していない。日本にはナチスのような組織的な大虐殺をしたとして起訴された人物も団体もない。


「過去を反省したドイツ」という神話の虚妄 矢吹 晋

 「過去を反省したドイツ」「過去を反省しない日本」という構図を作り上げて、そこに日中関係の悪化の原因を見出そうとする中国人はきわめて多い。ほとんどがこの分かりやすい構図にもたれかかり、「反省しない日本」を非難してこと足れりとしている。これは極度の単純化であり、あえていえば誤謬に満ちた歴史認識である。
 このようなドイツ神話をオウム返しに繰り返すところからは日中の相互理解は決して生まれない。

 木佐芳男著『<戦争責任>とは何か----清算されなかったドイツの過去』(中公新書、2001年7月)を読むと、戦争責任に対するドイツの責任のとり方が浮かびあがる。「ドイツの教訓」なるものが日本には決してマネのできないものであり、日本がそれを学ぶことによってのみ、日中両国の和解ができるというのは、ありえない幻想であることが分かる。このような認識をもつ多くの中国人にぜひともこの本を読んでほしい。

ドイツは「過去を清算」したとよく語られ、これはほとんど常識のようになっているが、著者によれば、これはトリックによるごまかしであり、「生きるための嘘」なのだ。戦争責任に真に向き合ってこなかった点ではドイツの場合も、実は日本とほとんど変わらない。(実は第二次大戦においては中国は被害国であるが、文化大革命期における人民大衆に対する中国当局の加害責任の問題は中国でも四人組と林彪グループにおしつけて終わりとしており、歴史に対する責任という意味では、問題は残されている。天安門事件の責任に至っては、まだ何も始まっていない。日本を非難してやまない中国人は、まず胸に手を当てて静かに考えてほしい)。

 さて著者木佐芳男は、ドイツの「戦争責任」論は、ヒトラーとナチスに責任を押し付けたものであり、戦争よりユダヤ人虐殺のホロコーストに責任を感じてきたものだ。ナチスと類似の虐殺を行った「ドイツ国防軍の責任」を不問としてきたのは、なぜか。ドイツ人の侵略戦争の認識はあいまいであり、「ふつうのドイツ人」の「罪と責任」の追及はなかったことを剔抉している。

 著者は、このドイツ流「戦争責任」論が1950年代に形成されたことを多くの事例と証言で明らかにした。著者はこのドイツ流の「戦争責任」論の枠組みを「トリック」と呼び、トリックによる「清算」によって「清算」が可能であるはずはないと説く。

 著名な、1985年のヴァイツゼッカー大統領の演説も、この観点から分析すると、「トリックの集大成」以上のものではない。要するに、ドイツにおける「戦争責任」論は、冷戦体制という歴史的な位相によって根本的に規定されていた。

このようなトリックあるいはフィクションは冷戦体制崩壊後のいま、ようやくその真相が見えてきた。かつての「戦争責任」論が何を問い、何を不問としてきたか、という枠組みが見えてきたわけだ。

 そして皮肉なことに東アジアにおいては、まさにこの時期において、「過去を清算したドイツ」をモデルとして「過去を清算しない日本」を非難するキャンペーンが始まったのである。これはポスト冷戦期における東アジア世界の悲喜劇のヒトコマである。

 木佐のABCトリック論を紹介しよう。

 第二次大戦後、連合国はニュルンベルクと東京で、二つの敗戦国の指導者を裁いた。
ニュルンベルク裁判で起訴された罪は三つであった。

 A 平和に対する罪(侵略戦争を共謀し,遂行した罪)、
 B 通例の戦争犯罪(民間人や捕虜の虐待殺害、略奪、軍事上不要な都市破壊など、
 C 人道に対する罪(政治的または宗教的、人種的理由にもとづく迫害行為など)
これらの罪状は米英仏ソの戦勝4カ国が合意したロンドン憲章第6条で規定されたものだ。

日独主要戦争犯罪の比較
 ニュルンベルク裁判  東京裁判
A   平和に対する罪  侵略戦争の共同謀議有罪9人、
 侵略戦争の遂行有罪12人
 侵略戦争の共同謀議有罪23人、
 侵略戦争の遂行有罪22人
B   通例の戦争犯罪  有罪15人  違反行為の命令、授権許可による法規違反有罪5人、
 違反行為防止責任無視に法
 規違反有罪7人
C   人道に対する罪  有罪15人  判決に言及なし、有罪0人
  出所: 木佐芳男『戦争責任とは何か』119ページ。

 三つの罪状のうちA「平和に対する罪」とC「人道に対する罪」とは、戦争犯罪についての「新しい考え方」である。Aについていえば、第一次大戦までは戦争を始めた指導者の個人的責任を問う法律はなく、C「人道に対する罪」は、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を裁くために新設されたものである。AやCを「事後法」(過去にさかのぼって適用すること)とする立場をとると、被告は無罪である。またBについては、ドイツのドレスデン空襲や、広島、長崎への原爆投下などは「軍事上不要な都市破壊など」の疑いが強いが、連合国側の罪はすべて不問とされ、敗戦国側だけの罪が問われた。この結果、事後法による裁判の疑い、勝者による裁きの側面について現在も論争が続いていることは周知の通りである。

 さてニュルンベルク裁判と東京裁判の骨子は、上表のごとくだが、二つの裁判に対する日独のイメージは対照的だと木佐はいう。すなわちドイツ人の戦争責任イメージは、なによりもホロコースト(ユダヤ人虐殺)に対する責任である。これに対して日本にとってはホロコースト問題自体が存在しないから、中心は当然 AとBになる。

 木佐は続ける。「ドイツ国民の多くは長い間、ニュルンベルク裁判で問われた罪を忘れていた。1960年代、ユダヤ人国際コミュニティや周辺国からの圧力もあって、ホロコースト(C)には目を向け始めたものの、侵略の罪(A)や戦場での犯罪(B)は議論されず、研究の対象にさえならなかった」「これはABCトリックとでも呼ぶべきものだった」(165ページ)。

 第二次大戦におけるドイツの戦争責任をホロコースト責任だけに矮小化する論理と心理を木佐が「ABCトリック」と名付けた意味はここから明らかだ。

 木佐のトリック論はさらにDEと続く。

 「(Cのみに焦点が当てられて)AやBが論議されなかったのは、国防軍のクリーン神話とも密接にからんでいる。ホロコーストはナチスのやったことと言い逃れできるが、戦場での戦争犯罪となると国防軍に焦点をあてるしかなくなる。侵略戦争を遂行したのは国防軍そのものだった」。

 「侵略戦争を戦争責任の中心としてとらえれば、そうした一般国民の責任も問われる。ABCトリックは、国民がこぞって善いドイツ人になったDEトリックと裏表の関係にある」。(165〜66ページ)。

 では「DEトリック」とはなにか。戦後のドイツでは非ナチ化Denazificationが行われた。この頭文字二つがDeである。非ナチ化はドイツでは徹底的に行われたといわれている。事実西ドイツで占領当局によって行われた非ナチ化は5段階に分けた厳しいものであった。しかし冷戦が激化し、占領当局の手にあまる非ナチ化をドイツ人自身に委ねられた段階から中味は一変する。木佐はドイツ人歴史家のことばを引用する。
 「非ナチ化はいまや、関係した多くの者をできるだけ早く名誉回復させ、復職させるためだけのものとなった」(シュタイニンガー著『ドイツ史』1983年)。

 木佐はまた日本人研究者の研究を引用していう。「アデナウアー政権の首相官房の責任者には、かつてユダヤ人を迫害する法律の制定に深くかかわったナチ官僚ハンス・グロプケがおさまった」「1951年に発足した外務省では、公務員の約66%が旧ナチス党員によって占められていた(望田幸男『ナチス追及』講談社現代新書、1990年)。社会的に復権した元ナチスは、非公務員をあわせれば、数百万人にのぼったとされる」(木佐著110〜111頁)。

 非ナチ化が冷戦の激化する過程で占領当局の手からドイツ人に委ねられたときに、ナチでないと認められた者に発行されたは「非ナチ証明書」が有名な洗剤の名をとって「ペルジール証明書」と呼ばれるようになったヒトコマは実に象徴的である。

 これは「潔白の象徴」というよりは、ヒトラー時代の汚点をすっかり洗い落としてすましていた連中への皮肉でもあったわけだ。こうしてナチズムに心酔していたはずのドイツ人が、戦後われもわれもと善良なドイツ人に変身できたのである。

 「ペルジール証明書」が普通のドイツ人にとっての魔法のタネであるとすれば、このマジックをもっと組織的に実行したのが「ドイツ軍」あるいは「ドイツ国防軍」のクリーン化作戦であり、これは戦後の初代首相アデナウアーの手で進められた。1952年12月3日、連邦議会で彼はこう述べた。「私は連邦政府の名において宣言します。気高い軍の伝統の名において、地上や海上あるいは空で戦ったすべてのつわものを、われわれは是認する」「ドイツ軍人の誉と偉大な功績は、過去数年の間に傷つけられはしたが、まだ生き続けており、さらに生き続けることを確信する」。

 1955年、新しい連邦軍が創設され、ドイツは北大西洋条約機構(NATO)に加盟した。アデナウアーこそが国防軍クリーン神話の仕掛け人であり、冷戦の激化がそれを支えたわけだ。

 さて木佐が分析してみせたABCとDEのトリックを知ると、戦後ドイツの復活と戦後日本の復活との類似性に驚かせられる。占領軍当局によるドイツの非ナチ化と日本の公職追放は朝鮮戦争、ベルリンの壁などで改革の方向性が一変する。日本ではレッドパージが吹き荒れ、警察予備隊が創設され、ドイツでは国防軍の免罪作戦が進む。ほとんど軌を一にする動きだ。違いがあるとすれば、ドイツは東西に分断されたのに対して、日本はそれを免れたことだ。ドイツは冷戦の悲劇を十分に味わわされたが、この状況こそが木佐の指摘する「ABCトリックとDEトリック」を許した背景である。

 過去の清算のやり方におけるドイツ流と日本流の比較研究は、おそらく日本がドイツに勝っていることは容易に推測できる。それはドイツで日本語の読める者と日本でドイツ語の読める者の数を数えただけでも容易に推測できることだ。

 日本が戦争責任のとり方において不十分だとすれば、この点ではドイツもほとんど同じなのだ。戦争の罪はそれほどに重く、容易に清算できるものではないのである。

 問題はドイツがあたかも完全に清算したかのごとき虚像をデッチあげて、それを日本も要求しようとする人々の無知・無恥である。このような無知は、戦争責任をなにがしか感じて友好運動を進めてきた日本人に決定的な打撃を与えた点で失敗であるばかりでなく、もともと責任の問題を感じない日本人に「どこまで謝罪を求めるのか」と反撃の口実を与えただけであり、はなはだ遺憾である。




南米では政府の政策に反対して大規模なデモなどを行い、
対米従属型の政権を次々と転覆させる事態が起きている


2005年11月16日

フジモリ元ペルー大統領、チリで身柄拘束=ペルー外相

 11月7日、ペルー外相によると、フジモリ元ペルー大統領がチリで身柄拘束される。写真は6日、チリのサンティアゴに到着した同元大統領。提供写真(2005年 ロイター)(ロイター)19時18分更新


フジモリの勝算  2005年11月15日  田中 宇

 南米のペルーでは、来年4月9日に大統領選挙が予定されている。投票日まで残すところ5カ月を切った11月6日、日本に亡命して5年になるアルベルト・フジモリ前大統領が動き出した。

 彼は、東京からチャーター機に乗り、ペルーの隣国チリの首都サンチャゴに飛んだ(定期便を使うと、アメリカの空港で乗り換えねばならず、米当局に逮捕されるおそれがあるため、チャーター機を使った)。

 彼は、ペルー政府から訴追されて国際指名手配されており、チリに入国拒否されるおそれもあったが、入国は果たし、代わりに入国から12時間後にチリ当局に逮捕され、拘置された。逮捕されたことは、行動として失敗だったとも受け取れるが、フジモリの支持者は「計画通りの行動だった」と述べている。(関連記事) (中略)

▼貧困層に支持されるフジモリ

 フジモリの人気は、1990−2000年に彼が大統領だったとき、ペルーの人口の大多数を占めるインディオの貧困層に対する貧困対策を、マスコミを使って大々的に宣伝をしながら目立つ形で進めた結果である。

 ペルーを含む中南米の多くの国では、政治家のパターンには2つある。一つは「資本家」であるアメリカが喜ぶ「市場開放」「民営化」を進める対米従属型の政治家であり、もう一つは有権者の大半を占める貧困層に受ける「貧困対策」を重視する「ポピュリスト」である。

 フジモリは、ポピュリストの政策を展開する一方で、民営化を進める方針も打ち出し、当時の米クリントン政権に賞賛されていた(実際には、民営化はゆっくりしか行わなかった)。これに対してフジモリの次に大統領になったトレドは、民営化を推進する半面、貧困対策を軽視したため、貧困層の支持を失い、支持率はずっと10%前後を低迷している。(関連記事)

 911事件後、アメリカが「単独覇権主義」を打ち出し、世界に対して傲慢な態度をとるようになったため、もともとアメリカの帝国的な姿勢に反感を持っていた中南米の人々は、反米感情を強め、トレドに代表される対米従属型の政治家は人気を失う一方で、ベネズエラのチャベス大統領など、反米的なポピュリストの政治家に対する支持が急増した。(関連記事)

 トレド政権は、人気のなさを挽回するため、最近、チリとの間の海上の国境線を引き直す法律をチリの了承なしに作り、100年以上前から続いているチリとの国境問題を再燃させ、ナショナリズムを煽っている。これを受けてチリも、ペルーとの貿易交渉を打ち切るなど、両国の関係は急速に悪化した。フジモリが日本からペルーに飛び込んできたのは、こうした新事態に陥った数日後のことだった。(関連記事)

 ペルー国民のチリに対する歴史的な嫌悪感をテコに、自政権の人気を復活させようとしていたペルー政府は慌てて「チリとの対立と、フジモリの問題は関係ない」と閣僚が火消しの発言をしており、すでにフジモリに一本とられた形になっている。 (トレド政権は、フジモリをかくまっていた日本政府に対しても怒りを表明しており、ペルー政府内には日本との国交断絶を求める声もあるが、これもチリに対する対立策と同様、ナショナリズムを煽って政権の人気を回復する戦略だろう。フジモリは今年4月と11月に、わざわざ用事を作って東京のペルー領事館に現れており、この際にペルー政府はフジモリを拘束することが可能だったにもかかわらず、何もしていない。経済関係を考えれば、ペルー政府は日本との関係を悪化させたくないのだろう)(関連記事その1その2

▼付和雷同の議員たち

 フジモリがチリに入国した際、空港の入国管理局は、国際手配されているペルー前大統領であると知りながら入国させた。入国を拒否することもできたはずなのに、そうしなかったのは、チリ政府内に、ペルーとの関係上、フジモリをチリ国内に置いた方が有利だという判断があったのではないかと思われる。チリ政府は「フジモリをどうするかは裁判所が判断することで、政府は関係ない」と言っているが、実際には、話はすでに十分に政治的になっている。(関連記事)

 フジモリは、チリ政界の重鎮たちに「自分がペルーの大統領になったら、チリとの関係を良くする」と持ち掛ける戦略かもしれない。フジモリは現職大統領だった時代、チリとの関係が良かったという実績がある。チリは、フジモリに有利な判断を下す可能性がある。

 チリはペルーと同じスペイン語圏で、チリでの出来事はペルーですぐに大きく報じられる。フジモリにとっては、東京にいるよりもはるかに大きな宣伝効果がある。フジモリがチリに来ただけで、ペルーの政界は揺れ始めている。

 2000年に失脚するまでフジモリは、議会の過半数をも自陣営の議員でおさえ、行政府だけでなく議会も支配していた。だがフジモリの失脚後、フジモリ派の議員の大半は、政治生命を保つため、すぐに野党側に寝返ってしまった。このように、付和雷同の議員が多いことを考えると、フジモリが優勢だと見るや、今はトレド政権の味方をしている議員たちが、今後フジモリ派に寝返る可能性もある。(関連記事)

 ペルー議会は、失脚後のフジモリに対し、2011年まで選挙に出馬することを禁止する決議を下しているが、議会にフジモリ派が多くなれば、この決議を撤回する決議が下されることになる。フジモリがチリで「無罪」になり、ペルーに凱旋し、大統領に立候補し、勝ってしまうという、これまで「フジモリのたわごと」としか思われていなかった展開が、実現する可能性が出てきている。

 スキャンダルで大統領の職を追われて亡命した人物が、再び大統領候補になるというのは、日本では考えられないことだが、ペルーではフジモリが始めてではない。フジモリの前任大統領だったアラン・ガルシアも、金融危機を引き起こして1990年に辞任し、パリで亡命生活を送っていたが、2001年にペルーに戻って大統領選挙に立候補し、僅差で破れた経緯がある。ガルシアは来年の大統領選挙に再出馬する予定で、今のところ20%の有権者の支持を受けている。(関連記事)

▼ブッシュのおかげ

 ペルーの現トレド政権にとって、もう一つのくせ者は「大衆の街頭行動」である。ペルーの隣国のボリビアとエクアドルでは最近、先住民系の貧困層の人々が政府の政策に反対して大規模なデモなどを行い、対米従属型の政権を次々と転覆させる事態が起きている。(関連記事)

 今のところペルーでは、先住民の群衆がトレド政権を潰すためのデモを行うという事態にはなっていない。しかし今後は「フジモリ問題」が過熱し、先住民の反政府デモが増えるかもしれない。敵意を世界にまき散らすブッシュ政権の戦略の影響で、南米の先住民が政治力をつけ、フジモリに対する支持も潜在的に増えている。

 フジモリは今後、自分が作った3つの政党を連携させる党大会を12月10日までに開き、来年1月9日までにフジモリを立候補者として登録し、2月8日までに120議席の国会のすべての候補者を擁立し、4月9日の第一回投票日にのぞむという予定を決めている。

 フジモリがこの計画を実現するためには、チリ側が、早々にペルーの引き渡し要求を却下する必要があるが、その可能性は低い。引き渡し要求を審査するのに、短くて4カ月、下手をすると2年かかると報じられている。(関連記事)

 だがその一方で、チリが判断を下すまでに時間をかければかけるほど、ペルーではフジモリ支持の動きが強まりそうである。大統領選挙に出馬できなくても、ペルー議会にフジモリ支持者が増えれば、選挙後にペルーに凱旋できる。(関連記事)

 フジモリは昨年から、ペルーのラジオ局で毎週、自分の主張を展開するコーナーを持っている。東京で収録した声をペルーで流すもので、最初は一つのラジオ局ネットワークだけで放送されていたが、その後三つのネットワークで流れるようになっている。ペルーではフジモリの人気は、かなり根強いものがあると感じられる。(関連記事)



(私のコメント)
日本では南米のニュースはあまり報道はされませんが、ペルーのフジモリ元大統領のニュースは日系ペルー人ということで日本で注目されています。フジモリ氏が日本国籍も持つ日本人なのですが、ペルー国籍を持つペルー人でもあり二重国籍の問題もあり、その人がペルー大統領に再びなれるのか疑問なのですが、本人は意欲満々で隣のチリに戻った。

日本政府もよくフジモリ氏の日本国籍を認めて亡命も認められましたが、特別な政治的な思惑でもあったのだろうか。二重国籍の問題は厄介であり、今回の問題も日本とペルーとの外交問題に発展しかねない。事実ペルー政府の外相は日本との国交断絶まで言っている。その指摘も分からないわけではない。

フジモリ氏はチリで身柄拘束されることも計算して戻ったのだろう。そこにはペルーとチリとの険悪な関係も絡んでいて、来年4月のペルーの大統領選挙への思惑が働いている。私もまさかとは思うのですが、そこは南米なので何が起こるかわからない。このような状況を日本政府はどのように見ているのか、全く分からないのですが、例によって日本のマスコミ報道では詳しいことは分からない。

田中宇氏のサイトでは、状況しだいではフジモリ氏の大統領復帰も不可能ではないようだ。そこには南米諸国とアメリカとの複雑な関係も絡んでいるのですが、南米諸国もアメリカの政治状況が敏感に反映されるようだ。フジモリ氏の大統領失脚もアメリカのCIAの工作によるのもですが、アメリカの代官だったトレド大統領の失政によって来年の大統領選も混沌としてきた。

日本も政治的状況は南米諸国と対して変わりがないのですが、日本には竹中平蔵という代官を派遣して日本をコントロールしていますが、南米とは違って反米政権が出来そうもない。日本には多くの米軍基地が点在していてアメリカの占領状態が続いていて反米政権が出来る状況ではない。そのことを日本国民は気づいていないからだ。

私のようなナショナリストとしては、日本から外国の軍事基地が無くなってほしいと思う気持ちは左翼と同じなのですが、外交政策としてはアメリカと同盟は必要だと思うし、米軍基地だって一つ二つぐらいは提供してもいいとは思いますが、東京をぐるっと取り囲むように米軍基地は存在しているのは日本がアメリカの直轄植民地だからだ。そのことに気がつかない日本人はおめでたい。

フジモリ氏は南米のペルー人ですが、南米から日本を見ると、日本の状況がよく分かるのだろう。日本国内には最早サムライはおらず、南米のペルーにはサムライが生き残っていた。出来れば日本の総理大臣にフジモリ氏がなってほしいのですが、日本国籍もあるのだから不可能ではないはずだ。そうでなければ日本は永遠にアメリカの植民地であり続けるだろう。



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